M17星雲の光と影

M17星雲の光と影

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

2008.03.11
XML
カテゴリ:
「文藝春秋」3月号、川上未映子「乳と卵」を読み終える。

私としてはこういう「生もの」を読むのは珍しい。芥川賞にもさして興味はないのだが、「文藝春秋」に受賞作が掲載されると、半ば習慣でぺらぺらとページをめくってみるのである。

しかし、ほとんどの場合、冒頭の数ページを読んだだけでやめてしまう。ここ数年で作品を最後まで読み通したのは、金原ひとみの「蛇にピアス」だけではなかったろうか。

だから、冒頭に書いた一文は、事実の説明というより、私にとってはほとんど「評価」に近いのである。要するに、それほど怠惰で関心の薄い読み手のこころにも訴えかけるある種の力をもった作品だということである。

その感想を少しだけ書いてみることにする。

新聞の全面広告で彼女の全身写真を見たりしたせいで(念のために言っておくが、服は着用されている)、正直、こういう売り方にふさわしい(というのは「中味の薄い」)作品なのかなという先入見をもっていた。

読み始めるとすぐに「なんだ、これは、あの天才、町田康の物まねじゃないか」とも思った。

しかし、その後、先を読み進むにつれて(というのは彼女の文章はいったん読み始めると、するすると読み手を先に連れて行く不思議な力をもっているのだ)、徐々に感想が変わってきた。

一言でいうと、これはなかなかの文章であり、文体である。一見すると、自分勝手な大阪弁しゃべくりスタイルに見えるが、どうしてどうしてそういうお気楽な文章ではない。自分に溺れ、自分を甘やかす人間にはこういう文章は書けない。ここには冷静で知的な「他者」の想定があり、それに向けての構想がある。計算というと聞こえが悪いが、読み手の都合をちゃんと勘定に入れた上で、文章が書かれ、構成が練られている。そのことをまず感じる。



選考委員の某都知事は、「この作品を」「私はまったく認めなかった」と断言している。そして「この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい」と言い切っている。ただ、この反感は作品の出来に対するものというよりも、この作品のどこかが彼の勘所に触ってしまっているところから来ているように思う。彼は「どこででもあり得る豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファとしての意味が伝わってこない」と選評で書いているが、書かれていないものが伝わってくるはずはないのである。川上はむしろ作品を通して、女性の身体から「メタファとしての意味」を剥ぎとろうとしているのであり、某都知事の発言は「八百屋にサンマを買いに行って、『ない』といわれて怒っている客」とさして変わりがないように思える。

彼女が女性の身体から「メタファとしての意味」を剥ぎとっている部分を見てみよう。それは作中の銭湯のシーンである。

「わたし」の姉、巻子は大阪から豊胸手術を受けるために中学生の娘、緑子を連れて上京する。わたしのアパートに着いた後、わたしと巻子は近くの銭湯へ出かける。

「巻子は湯に浸かってる間、風呂場を行き来する女々の体を舐めるように観察し、それは隣のわたしが気を遣うほど無遠慮に視線を打ち続けるので、ちょっと巻ちゃん、見すぎ、と思わず小声で注意するも、ああとかうんとかの生返事をして、その目は入ってくる体、湯に浸かる体、出る体、泡にくるまれる体をじっくりとせわしなく追うのであった。」

黙って裸の女たちを見つめる巻子の隣で、ひとりで喋るわけにもいかず、「わたし」は「仕方なく湯に並んで黙って女々の体を見てみれば、当然ながら改めて様々な形態のあること輪郭のあること色味のあること甚だしく、裸の中央に当たる部には、ほとんどの場合に、胸がある。肌色の分量がとても多く、この裸の現場においては、普段ならかなりの割り合いで識別の重みをもつ顔、という部位がとんとうすれ、ここでは体自体が歩き、体自体が喋り、体自体が意思をもち、ひとつひとつの動作の中央には体しかないように見えてくるのやった。」

日常生活で大きな意味をもつ「顔」の識別機能が剥がれ落ち、その後にはむきだしの体があらわれる。そして、文章は次のように続く。

「私はそれを思いながら行き来する女々の体を追ってると、よくあるあの、漢字などの、書きすぎ・見すぎなどで突如襲われる未視感というのか、ひらがななどでも、「い」を書き続け・見続けたりすると、ある点において「これ、ほんまに、いぃ?」という定点決まり切らぬようになってしまうあの感じ、今の場合は、わたしの目に女々の体がそうなってきており、だいたいなぜあそこが膨らみ、なぜ一番てっぺんに黒いものが生えており、しゅるっとなってこのフォルム、そしてなぜここでだらりんと二本でなぜ足はあのような角度で曲がってこんな具合をしているのかの隅々を、見失ったというか改めて発見したというかの状態になって、その改めて感から抜け出せぬような予感におそわれ」ることになるのである。

この「未視感」は誰もが経験する「あれ」である。中島敦が「文字禍」で取りあげ、開高健が執拗にそれを引用した、文字から意味が剥がれ落ちる瞬間の違和感。しかし、川上はそれを文字ではなく、女性の肉体に見ている。そこから社会的、性的な意味を剥落させることによって、あの感覚に達しているのである。

この部分を読んでいると、はたして彼女はこれから小説を書き続けていくのだろうかというかすかな疑念が湧く。この眼は、いわば「原存在」を見る眼であり、その意味では哲学者の眼である。この人の文章からは、「裸形の存在」を垣間見てしまう「業」のようなものを感じる。私にもかすかに身に覚えがあるが、これはふつうの生活をする上では「百害あって一利なし」の感覚である。

川上は、同じ雑誌で編集部のインタビューにも答えている。その中で好きな作家として、以下のような人々を挙げる。



私は、彼女がサリンジャーが好きだという気持ちはほんとうによくわかる。

これだけの作家をピンナップガール扱いするほど、日本の文壇には有為な才能が満ち溢れているのだろうか。

失敗あるいは転落、失墜、堕落、崩壊、滅亡を含めて、私はこの人の今後にいくばくかの望みをかけたいと思う。

それはおそらく茨の道を裸足でどこまで歩き通せるかという戦いになるとは思うのだけれど。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.03.11 22:19:07
コメントを書く
[本] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Archives

・2024.12
・2024.11
・2024.10
・2024.09
・2024.08

Comments

和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: