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この数か月、どんな本を読んできたか、あらためて考えてみた。レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳)、『大いなる眠り』、『かわいい女』(創元推理文庫)、『湖中の女』、『プレイバック』、『高い窓』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。村上春樹『1Q84』(新潮社)、ジョージ・オーウェル『動物農場』(角川文庫)。ダシール・ハメット『マルタの鷹』(これは途中まで)。そして、今、目の前にあるのは『フイッツジェラルド短編集』(岩波文庫)。要するに、村上春樹関連本ばかり読んでいるようなものである。しかし、この中でもっとも強くこころを動かされたのは、チャンドラーの文章である。その文章の堅牢、精緻、剛健、精妙。そこには確かな「世界」がある。その世界に入るためのドアを開け、順路にしたがって歩を進める。その歩みのなかに感じる至福、充足、緊張、愉楽。極端なことをいえば、ストーリーなどどうでもよくなるほどの魅力が、この文章にはある。ストーリーを追うことに熱心な読者は、彼がなぜこれほど細かい描写を積み重ねるのか、疑問に思う人がいるかもしれない。しかし、この緻密な書き込みは、ある意味では必然なのである。彼は細かく書こうとしているのではない。細かく書かざるをえないのだ。それは文章化する以前に、彼の目に、描こうとする世界があまりにも鮮明に「見えてしまって」いるからである。チャンドラーは「インナービジョン」の人である。彼にとって、文章を書くという行為は、実はことばによって世界を描くということを意味していない。まず、ことばがあり、そのことばの積み重なりを通して世界が浮かび上がってくる。この当然ともいえる流れの中に彼は位置していない。チャンドラーの場合、ことば以前に彼の脳内にくっきりと鮮明な内的な像が浮かんでいる。その像の運動方向に沿ってことばを展開することが、彼にとっての「書く」ということなのである。ふつうの物書きならば、ことばを使って世界を描く。ひとつひとつのことばをていねいに積み重ねることによって、まるでキャンパスに油絵具を次々に塗り重ねていくように、画が描かれる。しかし、チャンドラーの場合は違う。ことばによって徐々に世界が作り出されるのではなく、ことば以前に、まず鮮明きわまりない内的なイメージがあり、そのイメージをことばが追っていく。当然、そのイメージのすべてをことばで表現することはできない。限られた、不十分なことばで、そのイメージの一部分が表現されることになり、その後には表現されなかった膨大なイメージが残される。そのことばにはならないイメージの残骸が、逆に作品世界のリアリティを、解像度を高めていく。ことばを超えてイメージを現出する力。そういう力が彼の文章にはある。どこまでも鮮明で、あきれるほどの解像度をもった映像が、彼の脳内にはすでにくっきりと浮かび上がっている。それはことばによって再現することができないほど、確固とした映像である。彼はその映像を読む者の脳内にどうすれば再現することができるか。そう考える。むだな逡巡をなくし、目的地を定め、ひとつひとつの事実を冷静に、客観的に、論理的に積み重ねていく。それはある意味では息の詰まるような緊張感を伴う作業だ。しかし、その文章を辿る私たちの内面にきざすのは、他でもない、「自由」の感覚なのである。彼の徹底的に人為的、客観的な言語操作が、なぜ人に「自由」を感じさせるのか。それは彼の文章が、どこまでも「人間であること」を突き詰めることから生まれてきたものだからだ。彼は神のように世界を創造しない。上空から世界を俯瞰し、自分の意のままにチェスの駒を動かすように、登場人物を操作することをしない。なぜなら、そんなことは人間にはできないからだ。チャンドラーは空を飛ばない。あくまでも地面の上にいる。地表から自分の方位を確認し、進むべき方向に向かって一歩一歩、歩を進める。鳥の眼ではなく、虫の眼で世界の表面を移動していく。マーロウはそのように事件を追う。それがどこへたどりつくのか。彼自身にもわからない。「よくわからない」という彼のお得意のセリフは、彼が神の視点を拒絶していることを示す象徴的なことばだ。人間とは自分がどこにいるのか、その立ち位置が「よくわからない」存在である。それがチャンドラーの示す人間の定義なのだ。読者はマーロウと視点を共有しながら、そのストーリーを追うことになる。しかし、読者もマーロウの頭の中にまでは入っていけない。彼は一人きりで、車をとめ、しばし考えにふける。しかし、彼がその時、何を考えているかは、読者には明らかにされない。彼の頭のなかに入るためには、読者は自分のあたまをフルに動員して彼の思考を再現しなければならない。これはずいぶん不親切な書き方のように思える。しかし、考えてみてほしい。いったい誰が実人生のなかで、他人の脳のなかに入りこむことができるだろうか。文章を書くことは(それをフィクションという世界に限定すべきなのかどうか、今の私にはまだよくわからない)、神の視点、鳥の視点に立つことへとたえず誘惑されることである。そして、真に文章を書くということは、その誘惑に打ち勝つ文体を持つということである。チャンドラーの文章はそのことを教えてくれる。文章を書くことは、実に容易に神の視点、鳥の視点を手に入れることを可能にする。しかし、その瞬間にその文章は腐敗臭を放ちはじめる。そういうことではないかと私は思う。誰も神のように一望俯瞰の視点を手に入れることはできないし、鳥のように上空から世界を見渡すこともできない。われわれはみな、名もない虫として、きわめて見晴らしの悪い地表をもぞもぞと動いて行くしかない存在なのである。しかし、一匹の虫として、懸命に、自分の進むべき方向を模索し、そこを目指して歩いていく。虫の視点から世界を解釈する。それこそが「生きる」ということではないのか。彼の文体はそのことを告げている。すべてを見通すことができない人間は、いったいどのようにふるまえばいいのだろうか。そこで踏み越えてはならない線はどこにあり、逆に踏み越えなければならない線はどこにあるのか。それを虫の視点で獲得するためには何が必要なのか。そこでは、自分の目に入る事実を出来る限り正確に認識すること、それをことばで再現し、いくつかの事実をつなぐつなぎ目、ブリッジを自分の知力を尽くして正確にトレースすることが大事である。そこではことばの精度が重要になる。そして、Aという事実とBという事実をどうつなぐか。その過程をできるだけ明瞭に認識することが大切である。というよりも、虫にできることはそれしかないのだ。そして、それをやり遂げた末に見えてくるのは、自分を神や鳥と錯視した人間にはけっして目にすることのできない、人間の生の真実なのである。チャンドラーの文章はそう告げているように、私には思える。マーロウは行動の指針を見失い、思いあぐねて、しばしば自分の部屋の机の深い引き出しを開け、ウィスキーのビンを取り出し、それを口に含む。その時、チャンドラーの目には、その上の段の引き出しも同時に鮮明に映像化されている。その引き出しをそっと開けてみると、その内部に置かれたものの配置もどこまでも鮮明に見える。右手の奥に何があり、左手には何が置かれ、引き出しの取っ手がどのような形状をし、どういう材質でできているか。ことばにしようと思えば、いくらでも文章に描くことはできる。しかし、彼はそうしない。そのまた上の引き出しも、壁も、窓も、そこに漂う空気も、煙草の煙も、すべて手に取るように見えているのに、それはことばにされない。そして、ことばにされないことによって、それらは注意深い読み手のこころのなかにありありと浮かぶことになる。ことばの限界を通して、そのことばの向こうに、ほとんど無限の世界の広がりを表現する。私には今のところ、これ以上の言語表現の形を思い描くことができない。チャンドラーの文章とは、要するにそういう文章なのだ。凡庸な作家がことばの数を増やすことによって文章の解像度を上げようとするのに対して、彼はむしろことばで表現しないことで、自身の脳内にある映像の圧倒的な解像度を感じさせるのである。これだけ精緻なことばを用いながら、なおかつまだ描かれていないもののほうが多い。それがチャンドラーの文章だ。「ぼうや、文章っていうのは、こういうふうに書くもんなんだぜ」彼の文章はそう語りかけてくる。おい、おい、いい歳こいたおっさんを「ぼうや」呼ばわりかよ。しかし、その見立ては彼の文章がいつもそうであるように、公正で、客観的で、かつ正確だ。チャンドラーの文章に比べれば、私の文章など、「ぼうや」以前、いや人間以前のレベルにとどまる。「おまえはチャンドラーの文章を翻訳で読んでいるだけだろう。それでなぜ彼の文体を論じることができるのだ」こころある読み手はそうつぶやくだろう。たしかに、その意見は正当だ。私もそう思う。一般的にはその指摘は正しい。だが、私にはなぜか、翻訳の向こうにたしかに彼の屹立した文体が見えるのである。ひとつには清水俊二という名訳者の存在があるのだろう。その彼でさえ、「プレイバック」のあとがきの中で、「(チャンドラーの文章は)日本語になおすと、魅力が半減してしまうのが大へん残念なのである」と書いている。すると、私は彼の文章の半分しかまだ味わっていないことになる。これは実にたいへんなことである。言いたいことを言い尽くせないままに、字数が尽きた。チャンドラーについては、もう一度、これまで読んだ作品を、そして読み残している唯一の長編「ロング・グットバイ」を読んでから、あらためて語りたいと思う。「一に足腰、二に文体」私はあらためて村上春樹のこのことばを噛みしめるのである。
2009.08.18
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朝五時に忌野清志郎死去のニュースを知る。ロックとは何か。それは定義不能の音楽である。ロックはことばでは説明できない。それは「やる」しかない音楽であり、「生きる」しかない音楽である。そういう意味で、彼はロックを生きた。では、ロックを生きるとはどういうことか。私がはじめて彼の存在を知ったのは「フォークの人」としてだった。私は職業上の時間の何割かを「教える」ことに割いている人間だ。どうしてそういう仕事を選んだか。そこには明確な目的意識があったわけではない。自分で立てた計画にもとづくことでもない。単なる偶然だ。だから、自分で教える時に「こうしよう」とか「こうしなければならない」という決まりをなにひとつ持たない人間だった。少なくともポジティブな意味での目標はなかった。でも、手ぶらで生徒の前に立つわけにはいかない。せめて「こういうことだけはしない」というネガティブな規範意識くらいは持つべきだと思った。教師をはじめるにあたって、最低限これだけはやらないようにしよう。「教師らしい教師にはならない」そう思う気持ちの底に、「ぼくの好きな先生」という唄があった。「タバコを吸いながら いつでもつまらなそうにタバコを吸いながら いつでも部屋にひとりぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさんタバコと絵の具のにおいの あの部屋にいつもひとりタバコを吸いながら キャンバスに向かってたぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさんタバコを吸いながら 困ったような顔をして遅刻の多い僕を 口数も少なくしかるのさぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさんタバコと絵の具のにおいの ぼくの好きなおじさんタバコを吸いながら あの部屋にいつもひとりぼくと同じなんだ 職員室が嫌いなのさぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさんタバコを吸いながら 劣等生のこのぼくにすてきな話をしてくれた ちっとも先生らしくないぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさんタバコと絵の具のにおいの 僕の好きなおじさん」以来20年以上、この歌詞が私の頭の片隅から消えることはなかった。その歌詞を書いた人間が、今日、この世から消えてしまった。「ロックを生きる」とはどういうことか。ロックには「骨」が必要だ。「反骨」ということばには垢がついたので使わない。とにかく中心部に「骨」がなければロックとはいえない。その骨には「棘(とげ)」がある。外側に向かって、身近な者の肌に突き刺さる棘をもっていること。これも条件のひとつだ。でも、棘だらけのまま、生きることはできない。鋭い棘には「さや」が必要だ。それをそっと包みこむコーティングを施さなければ、少なくとも持続的にロックを生きることはできない。その「さや」に当たるのがユーモアとテンダネスだ。「やさしさ」ということばには手垢どころか、腐臭まで漂ってくるので使えない。ユーモアとは物事と向きあう時に「正対しない」ことだ。少しだけ斜に構える。そこに生まれる微妙な空気の流れの変化を「ユーモア」と呼ぶ。テンダネスはさらに説明がむずかしい。プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を想像してほしい。あの歌詞、あの歌い方。一見するとソフトなラブソングに聞こえるが、あれは明らかに病んだ者のつぶやきであり、独白だ。病むこととすれすれの繊細、繊弱。それがテンダネスである。「スロー・バラード」という曲を思い浮かべてほしい。あるいは「帰れない二人」の歌詞を。敗残、敗北、絶望の中に甘美な香りを嗅ぎ当てることもロッカーの資質のひとつなのかもしれない。骨と棘とユーモアとテンダネスをもった一人のロッカーの死。忌野清志郎の冥福を、……祈ろうとは思わない。しかたない。今日は「あきれて物も言えない」を大音量で流すことにしよう。「どっかの山師が オレが死んでるって 言ったってさ よく言うぜ あの野郎 よく言うぜ あきれて物も言えない」「どっかの山師が オレが死んでるって 言ったってさ よく言うぜ イモ野郎 よく言うぜ あきれて物も言えない 低脳な山師と 信念を金で売っちまう おエラ方が 動かしてる世の中さ よくなるわけがねー あきれて物も言えない」 ……あきれて物も言えない。
2009.05.03
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先週の土曜日、札幌に講演に出かける。これで今年通算10本目の講演行脚である。そのほとんどは東京から西への移動だったが、今回は方向を大きく転じて北海道。しかも日帰りの強行軍である。飛行機に乗るのは実にひさしぶりだ。すっかり乗り方を忘れてしまった。総務課の人間にチケットの手配を頼んだら、「ほいよ」とパソコンからプリントアウトされたA4の紙を二枚渡された。「なんだよ、これ。こんなんでだいじょうぶなの?」「だいじょうぶ、だいじょうぶ、それで乗れるって。じゃあな」その紙には飛行機の便と時間、そしてQRコード(携帯のカメラで撮影するための脳みその皺みたいなぐにゃぐにゃしたコード)が印刷されているだけ。こんな紙切れひとつではたして北海道まで行けるのだろうか。後でわかったことだが、これは「スキップ」というシステムだそうである。手荷物検査の入口にQRコードを読み取るガラスの小窓があり、そこにコードをかざすと、ぴっという音とともにレシートのようなものが出てきて、そこに自分の名前や搭乗予定が書いてある。搭乗する際も同様で、カウンターの読み取り機にQRコードをかざすと、その場でチケット(というよりもデパートのレシートみたいなものだが)が出てきて、それに座席番号が書いてある。なんだか釈然としない気分のまま、飛行機に乗り込む。そうこうしているうちに飛行機が離陸する。前夜の寝不足がたたって目を開けていられない。睡魔が襲ってくる。離陸直後に、はるかかなたに霊峰富士の姿を見た以外は、ほとんど寝ていた。やがて「当機はまもなく新千歳空港に着陸します」というアナウンスが流れる。窓から下を眺めると、陸地が見える。もうかなり低空飛行をしており、地上の木々がはっきりと見える。地面はうっすらと白い。今日の予想最高気温は零下3度。「最低」ではない。「最高」である。おそらく昨日の夜、降雪があったのだろう。こうして上から見ると、木々の様子、植生が本土と異なっているのがわかる。目に入るのは細く尖った針葉樹の枯れ枝と地面の雪だけ。ああ、もう照葉樹林文化圏を脱してしまったのだなあという感慨がそこはかとなく湧いてくる。無事着陸して機外に出ると、かちんとした冷たい空気にぶつかる。「おお、さぶっ」というようなやんわりとした寒さではなく、かっちりとした冷気があたりに満ち満ちており、それに体がぶつかった感じである。変な感想だが、ワイキキの空港でがつんとした熱気にぶつかるのと、どこかしら共通点があるように思える。いさぎよいというか、きっぱりしたというか、半端さを感じさせない寒さである。「おお、寒い」とか、「うう、寒い」とか言う時の、「おお」や「うう」を許さない問答無用の断言口調(というのも形容矛盾だが)の寒さである。私は基本的に寒さを好まないが、ここの寒さにはどこかしら好感がもてる。真夏の福岡で肌に突き刺さるような日射しを浴びる気分とどこか似ている。それに空気の質感が違う。湿り気をとりさった、からっとした感じがなんだか心地いい。しかし、そんな感慨に浸っている場合ではない。とりあえずエアポートという電車に乗って、札幌駅に向かわなければならない。空は快晴。下にはうっすらとした雪。車道は大丈夫だが、歩道はところどころ凍結しているようだ。そこもべちゃべちゃ感のまったくないきわめてドライな凍り方である。札幌の駅に着き、改札を出る。駅前の通りはどーんと広い。外は寒いというより、むしろ冷たい。日陰に入ると風がきついので、思わず近くの大丸デパートに入る。わざわざ札幌まで来たのだから、すしでも食うか。そう思って、8Fにある「すし善」に向かう。前日、札幌の食い物屋をネットで調べていたら、東京の金持ちが日帰りでこの店に(といってもデパートではなく、本店だが)すしを食いにくるという話が書いてあった。あまりにいけすかない話なので、自分で実行してみようと思い立つ。ちょっと説明するのがむずかしい心理である。とりあえず、リーズナブルなお値段のにぎりセットを頼む。磨き込まれたカウンター席に座ると、すし屋なのに店員さんが物静かだ。小さな声で注文を聞く。隣の席にはなんだかあか抜けない風情の10代後半の女性が座っている。その隣にはさらにあか抜けない男性がぼーと前を向いて放心状態である。でも、そのぼーとしたふたりが、ぼーとしたなりに、なんだか気持ちを高揚させているのがわかる。彼らは緊張しているのである。おそらくは初デートであろうか。「よし、お昼はがんばって大丸のすし善にしよう」、男性がそう決意し、勇気をもって実行している真っ最中なのであろう。やがてそのカップルの目の前にすしがくる。板さんがひとつずつ握ってカウンターに置いてくれる。女性は箸をもって、すしをつまみ、右ひじを張り出すように高くかかげ、顔に向かってやや斜め上方から飛行機が着陸態勢に入るようにすしを滑空させ、縦方向にぱくりと口に入れる。なんだかカメレオンが虫を食べているようである。箸でつまんだすしをいったん自分から離し、そこからひじを張った状態で自分の口めがけて縦方向にすしを入れる。若い女性がチョコパフェかなんかを食べる時には時折見かける食べ方だが、すしにはどうなんだろう。でも女性はまったく意に介することなく、ぱくりぱくりとすしをほおばり、「おいしー」を連発する。まあ、なんというか、ほほえましい光景ではある。少なくとも反対側に座っている3~4歳のこまっしゃくれたガキが「ぼく、とろー」とか言っているのよりはよほどいい。今、大地震が起こって、このビルが瓦解したら、とりあえずどちらを助けるかは明らかである。私の目の前にもすしがくる。やや小ぶり、上品な流線形である。ネタはひらめ。すでに刷毛で醤油がうっすらと塗られている。口のなかに入れると、飯もネタも口の中でほどけて溶けて消えてしまう。イカ、コハダ、まぐろ、とびこ、いくら。すべてあっさりと口中に消えていく。口に入れたとたんに「うまい」というのでは必ずしもない。淡い味がひととき口の中を通りすぎ、その後にほのかなうまみが残響のように体の中に広がっていく。そういう感じである。魚介類にはおよそ臭みというものがない。きわだった匂いもしないし、味もほのかである。まるで谷川の湧き水にしばらく浸した後で、そこから引き上げたばかりのネタを次々に口に運んでいるようだ。「とびこ」がこんなにおいしいものだとは知らなかった。さらに驚いたのは「ほたて」である。透明感のあるほのかな甘みが、口の中のはるかな回廊をどこまでも通り抜けていく。これがほたてならば、これまで自分が食べてきたものはいったいなんだったんだろう、そう思ってしまう。一通りすしを食べ終わり、岩のりの入った上品な吸い物を啜っていると、「追加でにぎりましょうか」と板さんが小さな声でささやく。「ああ、いや、いいです」といいながらも、腹の中に何かがたまっているという感触がまるでない。この調子で食べていたらきりがない。それに第一、これから大きな仕事が待っている。ほわーとした気分のまま、すし善を後にする。そのすしのうまさの半ば以上は、店を出てから感じられたようにも思える。かすみでも食べたんじゃないかという気がするほどだった。食後、デパートの中と駅前の通りをしばらく散策する。デパートの中で感じたのは、北海道の人は狭いところを歩くのがあまり得意ではないということだ。歩こうとすると、何度も目の前に「ぬぼー」と人が立っているところにぶつかる。けっして悪気があるわけではない。ただ、ずどーんと人が突っ立っているだけである。東京の電車のホームでよく見かけるような、こすっからいドブネズミがちょろちょろと目の前を通りすぎるというのとはちがう。ただ、なーんにも考えずに、自然に、ぬぼーっと突っ立っている方がおられるのである。それもなぜか、女性が多かったように思う。どうもこの地では、女性はゆったりのんびり、それに比して男性は比較的細やかに気をつかっておられるようである。こういうところもなんとなく博多に似ている。女性の存在感が強いところにいると、気持ちが落ち着く。そういえば機内で読もうと思って持ってきた本のタイトルは福岡伸一先生の「できそこないの男たち」(光文社新書)。できそこないの男どもが蝟集している場所にろくなところはない。日々の政治のニュースを見ても、それは明らかだろう。午後、札幌駅の近くの高校で先生方に講演を行う。予定時間90分を20分もオーバーしてしまう。聞き手に恵まれて、出来はまずまず。その後の質疑応答も親密な雰囲気のなかで気持ちよく行うことができた。しかし、余韻に浸っている時間はない。4時過ぎになると既に外は暗くなっている。挨拶もそこそこに車に飛び乗り、札幌の駅へ。そして電車で新千歳空港に向かう。残念ながら晩飯を食っている時間がない。あわててふたたび大丸の地下で海鮮丼を買って車内で食べることにする。ビールの銘柄をどうしようかと一瞬迷うが、そんなもの迷う必要はない。ここにはサッポロビールという巨大な地ビールがあるではないか。缶ビールを買い、あたふたと列車に乗り込む。そういえば、空港のどこかに「札幌でもキリン」というポスターが貼ってあったような気がする。海鮮丼のシールを見ると、なんと本店は横浜と書いてある。しかし、そこに載っているイカ、イクラ、カニ、ホタテのレベルの高いこと。見事なものである。講演の余韻が残っているので、ビールを一気のみしてもぜんぜん酔いがまわらない。しかたなくぼんやりと窓外の風景を眺める。一つ前の席には乳児を抱いた、まだ若いお母さんが座っている。通路をはさんで、その左側には、ほとんど中学生ではないかと思われるようなカップルが座っている。そして、二人は一言も話さない。切れ長の目をした男は終始窓ガラスの外を見つめている。その隣で帽子にもバッグにもブーツにも可愛いぼんぼんをつけた女の子は所在なげにぼんやりしている。でもなんだか男の子をきづかっている気配が見える。おそらく男の子がなにか無体なことをしようとして、やんわりと女の子に拒絶されたのではなかろうか。これは私の妄想かもしれないが、なぜかこの地では見知らぬ人々の心のなかが透けて見えるような気がする。なぜだろう。やはり湿気が少ないからだろうか。そのうちに女の子が帽子の横っちょについた毛糸の玉をくるくると手で回しはじめる。隣の席の赤ん坊に見せているのである。赤ん坊はそれを見て、小さな手を伸ばしてくる。二人は手を伸ばしあって、やがて手を握り合う。なかなかいい光景である。その向こうで硬い表情をした男の子がじっと外を見ている(ふりをしている)。やがて赤ん坊と母親は電車を降りる。車内はがらんとしている。そして、列車は新千歳空港に到着する。私は荷物を網棚から降ろし、マフラーを巻き、コートを着込む。すると斜め前の女の子が座ったままの上体を男の子のほうに思いっきり伸ばして、その頬に軽くキスをする。ひょっとするとキスというのとは違うのかもしれない。硬く、ぎこちなく、でもしっかりとくちびるを男の子の頬にぎゅっと押しつける。男の子は相変わらず、無言、無表情。でも、そのこころがあたたかくほぐれかけているのがわかる。電車が止まって、男の子がさっと歩きはじめる。タイミング悪く、私が二人の間にはさまる形になる。あわてて座席に戻って、さっき結んだばかりのマフラーをもういちどほどき、「お先に」とぼんぼんをつけた女の子に目配せをする。女の子は軽く頭を下げて小走りで彼氏の後を追う。そして、男の子の右腕に両手でしっかりとしがみつく。なかなかいい光景である。はじめて来たのになつかしい。札幌の街の印象を要約すると、そういうことになる。恋の街サッポロ。むかし、そういう歌があったっけ。浜口庫之介の歌だ。こいのーまちー、さっぽろー。われながらひどいエンディングである。とほほ。おしまい。
2008.12.18
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昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、振り込め詐欺特集をやっていた。いくつかの事例がとりあげられていたが、たとえばこういう新手のやり方があるそうである。「もしもし」「ああ、あのー、オレ、オレやけど、今度携帯の番号変わったから、ちょっとメモしといてんか」そういわれて、電話に出た高齢の男性は、このくらいの年齢で自分が知っているのはと考える。ああ、そうか、おいの○○か。「ああ、わかった。ちょっと待ってな。いま、ペン持ってくるから。ああ、うん、○○○の○○○○やな。よし、わかった。」「そう、じゃあ、またな」がちゃんと電話が切れる。もちろん男性は何も疑わない。変更した電話番号を告げるだけの電話に不信感をもつ人間はいないだろう。まさかこれが振り込め詐欺の序章だとは夢にも思わないはずである。翌日の夕方、同じ声で電話がかかってくる。「あのなあ、オレ友だちと最近株をはじめたんやけど、ほら、こないだ株の暴落騒ぎがあったやろ。あれで俺の買うた株がえろう下がってしもうてな。今日中に75万円振り込まんとたいへんなことになるんや。頼むから振り込んで、頼むわ」その電話の発信番号は昨日告げられた番号である。男性はあわててATMに駆けつけ、指示通りの金額を振り込んでしまう。世の中には悪知恵にたけた人間がいるものである。営業にはアプローチ、商品説明、クロージングという三つの段階がある。「こんにちは、○○さーん」から始まって、玄関先に客と一緒に腰を下ろすまでがアプローチ、そこから商品説明が始まり、それが一通り終わって、契約書が取り出されるところから大詰めのクロージングというわけである。トップセールスはアプローチを重視する。もちろん技術的な面で、簡単にアプローチアウトをくらわないように、ありとあらゆるテクニックが駆使されるのはもちろんだが、下手にアプローチがうますぎると、最初からぜんぜん買う気のない客に延々と商品説明をして、契約書を取り出したとたんに「わたし、いらないわ」の一言で徒労に終わることになってしまう。これでは商売にならないので、トップセールスはアプローチ段階で相手の心理を鋭く見抜く洞察力に例外なく秀でているものなのである。先の振り込め詐欺の事例で私が感心したのは、犯人が巧妙なアプローチを考案していたからである。最初に「電話番号が変わったからメモしといて」といって、「あんた、いったい誰や」といわれたら、これはだまし通すのがむずかしいという判断がつくだろう。そこで切ってしまえば、詐欺どころか、単なる間違い電話で済む。「ああ、これは失礼しました。まちがえました」で終わりである。この作業を繰り返して、こちらが名乗るまでもなく、向こうのほうで勝手に自分の知り合いと思いこむ人間に出会うのを待つ。そういう人間に出会ったら、あえてそれ以上話し続けることなく、いったんは電話を切る。そして、翌日かけ直す。ここまでの下準備をした後で、やおら「実は」といって銀行振り込みをもちかけるというわけである。営業の勝負所は「相手を座らせる」ところにある。この電話の場合、もう相手はべったりと犯人の隣に座ってしまっている。座っているどころか、ほとんど「落ちて」しまっているといってもいい。その後の振り込みの操作とか、振り込むための理由は、実はたいした問題ではない。振り込め詐欺の手口もずいぶんと洗練されてきたものである。しかし、それにしてもこれだけ連日、警察やマスコミが振り込め詐欺撲滅キャンペーンを繰り広げているのに、なぜ依然としてだまされつづける人がいるのだろう。そうお思いの方も多いのではなかろうか。私はこのキャンペーンが、実は振り込め詐欺の隆盛に一役買っているのではないかとにらんでいる。「私はこんな詐欺にはぜったいに引っかからない」という意識が世の中の人々に浸透すればするほど、実は自分の置かれた状況を「これは詐欺ではない」と信じる力が強まるということがある。現に詐欺にだまされつつある状況下で「自分はだまされない人間である」と堅く信じる人間は、その前提から「今、自分が直面している事態は詐欺ではない」という確信に導かれやすい。「私はだまされない」⇒「今も私はだまされていない」⇒「だから、これはけっして詐欺ではない」というループの中にすっぽりと入ってしまい、結果的にまんまとだまされてしまうのである。だから、マスコミは「これだけ教えてやってるのに、まだだまされるアホがいる」というトーンで番組を作るのではなく、そう思っている人間に限って、それを逆手にとられてこんなふうにだまされるという角度から番組を作るべきなのである。「なんで、この人たち、だまされるんやろ、アホやなあ」という感想を視聴者に与えるのではなく、「あら、これやったら、私かてひょっとしたらだまされとるわ」と感じさせる番組を作らないと、犯罪防止には役立たないのである。もうひとつ。振り込め詐欺に引っかかる人間が後を絶たない理由は、だまされる側の「私は人を助けている」という意識にあるように思う。現代に生きる高齢者に「人に頼りにされる」機会がどれほどあるだろう。都会の老人などはとくにそういう機会が少ないと思われる。誰にも頼りにされず、一人きりで寂しい日々を送っている高齢者は「はたして自分が生きることにどんな価値があるのか」、「私ははたして人様のお役に立っているのだろうか」、そういう思いを抱きつつ生きているのではないか。地域の共同体から切れ、親族と疎遠になり、孤独な日々を送る高齢者にとって、自分を正当に価値づけるための唯一の手がかりは、ひょっとすると自分の預金通帳の残高なのかもしれない。そういう人のもとに、ある日「助けてくれ」というSOSの電話が入る。「あなたが頼りなんだ。いますぐにお金を振り込まないとたいへんなことになる。頼むから助けてください」そういう電話を受けて、彼らはどう思うだろう。実にひさびさに自分が頼りにされている。私を救えるのはあなただけだとこの人は言っている。しかも、助ける手段は自分を正当に価値づけているところの銀行預金だ。今となってはこれだけが自分をアイデンティファイしてくれる貴重な「財産」だ。それを必要とする人に送金手続きをすることによって、もう誰にも頼りにされなくなったこの自分にも再び復権のチャンスがめぐってくる。自分を頼りにし、救いを求める人々を助けることによって、自分が正当に評価される時がやってきたのだ。彼らがそう思ったとしても不思議ではない。そう信じ込んだ老人にとって(別にこれは老人に限ったことではないが)、「ちょっと待ってください。それはひょっとすると振り込め詐欺ではないですか」と言って振り込みを制止しようとする偉そうな銀行員や警察官はどう見えるだろう。おそらくは彼らの正当な自尊心の発現を邪魔する「敵」に見えるのではないだろうか。だって、彼らは自分に向かって「おまえはマスコミでこれだけ騒がれている振り込め詐欺に、まんまとだまされつつあるおろかで無価値な老人なんだぞ」と面と向かって言われていることになるわけだから。彼らが「だいじょうぶです。ほっておいてください。これは詐欺なんかじゃありません」といって、銀行員や警察官の手を振り払おうとする気持ちが私にはわかるような気がする。自分の価値を認め、助けを求める人間のために働こうとする自分の行動を邪魔し、自分を愚か者として否定する背広や制服に身を固めた人間に、誰が唯々諾々と従うだろうか。こう考えると、振り込め詐欺の根は意外に深いところにあることがわかる。被害者はただ単に巧言にひっかかった受身の存在というよりも、むしろ人を助けようという積極的な意思の持ち主なのである。彼らはだまされたというよりも、むしろ積極的、能動的に自分をだます詐欺行為に参加していると見ることもできる。「自分は無力な人間ではない」、「自分は社会に参加し、人を支え、助ける力をもっているんだ」――そういう気持ちを高齢者たちが確かにもつことが、そして、それを可能にするような社会の仕組みを作ることのほうが、今行われている振り込め詐欺キャンペーンよりもはるかに有効な防止策ではないかと、私はひそかに考えるのである。
2008.11.20
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東京芸術劇場で、スメタナの「わが祖国」を聴く。演奏は読売日響、指揮は正指揮者の下野竜也氏である。「わが祖国」といえば、第2曲の「モルダウ」が有名だが、全曲を通して聴くと70分以上かかる。ちょうどCDまるまる一枚分である。6つの交響詩のそれぞれが比較的独立していることもあり、なかなか全曲を通しで聴くことはない。コンサートでもこの曲の全曲演奏というのはあまり聞いたことがない。料理屋のテーブルにいきなり巨大な天丼の特盛りがどーんと置かれたような、一点豪華主義、超重量級のメニューである。この曲のCDを二種類もっているが、指揮はいずれもラファエル・クーベリック。一枚は1950年代にウィーン・フィルを振ったロンドン盤、もう一枚は1971年にボストン響を振ったグラモフォン盤。どちらかというと、あまーくなつかしい響きのするロンドン盤を聴くことが多い。クーベリックの本領はなんといってもライブにある。通常録音ではなぜかおとなしめの演奏をすることが多い彼だが、ライブとなると紳士の仮面をかなぐり捨てて、激情家の一面を剥き出しにすることがある。海賊版で出たブラームスの一番のライブ演奏などは何度聴いても興奮する。いつかは彼のライブ盤の「祖国」も聴いてみたいものである。などと思いつつ、東京芸術劇場に到着。巨大なパイプオルガンが屹立するステージ正面を見つめる。このホールは豪華ではあるが、威圧感を感じさせず、ある種の親密な雰囲気がただよっている。コンサートホールとしてはまことに快適な空間だ。開演時間が迫り、オーケストラの面々が舞台に出てくる。今回は大編成であり、ステージ上は団員で満員状態。舞台の両端にハープが一台ずつ置かれるという配置を私は初めて見た。その左右のハープの掛け合いで曲は始まる。読売日響の弦の響きはとても美しい。春の昼下がりの風のように、さわやかに聴く者のからだのなかを吹き抜けていく。その音に浸っていると、まあ、あんまりややこしいことを考えるのはやめて、この響きにひととき身を委ねようという気分になる。指揮の下野氏の動きはとても「正直」だ。自分のイメージした音の通りに体を動かす。動作は過剰でもなく、不足してもいない。こういう音を作りたいんだというメッセージが体から正直に発散されている感じである。全体を統率する指揮者というよりも、演奏者の一人といったほうがふさわしい気がする。彼は、舞曲的なリズムをもつ曲の演奏が得意なようだ。そういう箇所にくると、聴いているこちらの体が自然に動き出す。曲の最高潮で分厚い和音がホール全体に鳴り響くと、次の瞬間、潮が引くようにすっと静寂が訪れる。その静寂のなかに和音の残響がかすかにただよう。そういう瞬間が何度も訪れた。よく揃った厚い和音の後の一瞬の静寂。これはほとんど生理的な快感を感じさせる。オーケストラ、指揮者ともに高い技術的水準に達していなければ、こういう瞬間はめったに訪れるものではない。そういう演奏で第二曲目の「モルダウ」を聴くと、あらためてこの曲が間然するところのない傑作であることがよくわかる。音が心地よく流れ、渦を巻き、うねり、水かさを増し、やがて音を立てて流れ下っていく。そのよどみのなさと生き生きとした躍動感。このオーケストラの弦の美しい響きがこの曲想にはぴったりである。第三曲目にこれまで気づかなかった実に美しいフレーズがあることを知ったり、第四曲目でコントラバスが奏でる「いびき」の音に頬がゆるんだり、第五曲目には何かしら構造的に問題があるなと感じたり、しかし、最後の第六曲目では、もう何も考えることなく流れるままの音に身を任せていた。全体として、生理的にたいへんここちよい75分間だった。なんだかたよりない感想だけれど、このご時世に、何も考えず、ここちよいひとときを過ごせただけでも多としなければならない。最後の一音が鳴り響いた後、ステージ中央と袖の間を、体をはずませながら指揮の下野氏がまるで反復横跳びのように早足で何度も往復する。彼の求めに応じて、各パートがそれぞれ立ち上がり、そのたびに聴衆から割れるような喝采が送られる。私のいちばんのお気に入り、ティンパニの岡田全弘氏に対して手が痛くなるほどの熱烈なアプローズを私が送ったことはいうまでもない。この人の打音を聴くと、ほんとうにこころが弾む。この人のティンパニでブラームスの一番や、ベートーヴェンの七番、そしてブルックナーのスケルツォが聴けたら、どれほど幸福なことだろう。美しい弦の響きと心躍る岡田氏の打音を聴くだけでも、このオーケストラの演奏を聴く価値は十分にある。というようなことを思いながら、ひとときの愉悦の時間を終え、私は暮色の濃い憂鬱の靄の中へと一人歩き出すのだった。
2008.11.20
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このところ定額給付金をめぐる騒動でもちきりである。これが日本国の景気浮揚に効果があるかどうかはきわめて疑問だが、特定の業種の人々にビッグチャンスの到来ととらえられていることはまちがいない。振り込め詐欺グループの人々である。たとえば、次のなかでもっとも信憑性に欠けるものはどれでしょう、というクイズがあったとする。1 朝の通勤電車で、あなたの夫が痴漢をし、示談金が必要になった。2 出勤時に息子さんの車が交差点で人身事故を起こし、至急、示談金が必要である。3 税の還付金が発生したので、銀行の口座に振り込みたい。ついてはATMの窓口に来てほしい。4 今度、政府が国民全員に1万2千円を配布することになったので、そのお金を取りに来てほしい。予断と先入観がなかったとしたら、多くの人が4を選ぶだろう。常識的にもっとも現実的に起こりうる確率の少ない現象は4だからだ。少なくとも夫が性犯罪に走ったり、息子が交通事故を起こしたり、税務署が還付を行うことよりも、政府が国民全員に1万2千円を配る確率のほうがはるかに低いことはたしかだ。ちょっと目端の利く詐欺師だったら、4の案はただちに却下するだろう。「そんなもん、誰が信じるかよ、ばーか」の一言で終わりである。その試みを、今の政府は大まじめに実行しようとしている。その結果、どういうことが起きるだろうか。まず、日本国民の正常な懐疑精神が損なわれることだろう。今までだったら「えー、そんなばかな」と一蹴していた事柄も、「うーん、このご時世ならば、それもありかもしれない」と考えられるようになる。「そんなばかな」と判断する基準が国民レベルで大幅に引き上げられるのである。その結果、人はトンデモ話にだまされやすくなる。突拍子もないことを、後先の計画性もなく、時の権力者が口にしてしまう時代なのだから、少々怪しい話でも真実である可能性が高まってくる。いままでだったら「うそだろう」で終わっていた話が、「ひょっとするとほんとうかもしれない」に変わってしまう。もしも、今年の年末、区役所から一本の電話がかかってきて、「例の定額給付金の件なんですが、75歳以上の後期高齢者の方々には、総理の英断によって、特別給付金がさらに5千円加算されることになりました。お手数ですが、その振り込みのためにATMの窓口に来ていただけますでしょうか」といわれて、「そんなばかな」と一蹴できる高齢者がどれほどいるだろう。機を見るに敏な振り込め詐欺グループが、このビッグチャンスを見逃すとは思えない。しかも現在の案では、65歳以上の高齢者には給付金が8千円加算されるという。彼らにとっては願ったりかなったりといういうところである。おそらく詐欺グループの内部では、今ごろせっせと詐欺話の「絵図」が描かれていることだろう。シナリオ作成、トーク集と反論防止マニュアルの編集、ロールプレイング作業に余念がないのではなかろうか。所得制限の実施、配布方法の細目については自治体に一任するという報道を聞いて、彼らが小躍りする姿が目に見えるようだ。「あれ、そのやり方って新聞で読んだのとちょっとちがうとおもうんだけど。」「ええ、わが自治体では独自の方式を採っておりまして、住民の方々へのサービスや高齢者の方々の諸事情にも配慮してですね、直接役所の窓口においでいただくのではなく、銀行のATM窓口で振り込み手続きが簡単にできるようにしているのでございます。」そういう反論の未然防止トーク集がいまごろせっせと書かれているのではないか。あるいは「当自治体では1千8百万円以上の所得のある方々には給付金をご辞退いただくという方針をとっておりまして、つきましてはその所得制限に抵触しないかどうかを、預金通帳を提示していただくことによって確認させていただいているという、そういうわけなのでございます」。そう言いながら家庭を巡回訪問する「役人」が出現してこないとも限らない。「低脳な山師と 信念を金で売っちまうおエラ方が 動かしてる 世の中さ よくなるわっけがねー あきれて 物も 言えねー」(RCサクセション「あきれて物も言えない」)という歌声がどこからか聞こえてくる。この政策は後日、振り込め詐欺振興に多大の貢献をした政策として、人々に長く記憶されることになるのではなかろうか。
2008.11.13
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先日、筑紫哲也氏がなくなった。それ以前に緒方拳氏の訃報も聞いた。なんだか、人生のかなりの部分をともに生きてきた人間が次々になくなっていくという感慨がある。かなり以前のことだが、緒方氏が「徹子の部屋」に出演したことがある。見るともなくその番組を見ていたのだが、彼の観察眼の鋭さとことばの選び方のシャープさに驚いた。きわめて高いレベルで知性と感性のバランスがとれた人なんだなあ。そう思った記憶がある。そのなかでこういう話があった。「私はね、スナックかどこか、カウンターのあるバーで、相手と二人で飲んでる時に、こう言われることがあるんですよ。『なぜおまえは俺の顔を見ないんだ』って。 私はそういう時、正面を見て、隣の人の話を聞いているわけです。でも、首を曲げて、その人のほうは見ない。それで、なぜこっちを見ないんだと相手は言っているわけです。『いや、見えてるんだ』って私は言うんですが、まずわかってもらえないですね。だって、全然こっちのほうを見ないじゃないかというわけです。でも、ほんとに見えてるんですよ、嘘じゃない。私は正面を向いたままで、こう、横のほうがなんとなく見えちゃうんですよ。でも、なかなかわかってもらえないんだなあ、これが。」何気ない話だったが、「ああ、オレとおんなじだ」とその時思った。私も横に並んで誰かと話をしている時、その人のほうを首をねじ曲げて見ることはほとんどない。そんなことをしなくても、「見えている」と感じるのである。これは別に目が離れているとか、顔が魚に似ているとか、そういう話ではない。実際問題として、隣の人間の位置に視力検査表や文字を置いて、それが読めるかというとぜんぜん読めないのである。その意味では「見えていない」ことになる。でも、その人間がどんな表情をしているか、何を感じ、何を考えているかは、だいたいわかる。それも想像というのではなく、「見えている」感じでわかるのである。このあたりの感覚はなかなか説明するのがむずかしい。これは横方向に限らない。たとえば、講演をする場合、200人程度の聴衆の最後列にいる人の顔は、私にはまったく見えないはずである。視力は裸眼で0.1程度で、極度の乱視なので、その位置に何か文字が書かれていたとしても、まったく読むことはできない。でも、私にはそこにいる人の顔が、「見える」のである。「ああ、退屈しかけてるな」とか、「興味を感じて身を乗り出しはじめたな」とか、「共感してくれてるな」とかいうことが、かなりはっきりとわかるのである。いや、正確にいえば、わかっているような気がするのである。これはネガティブな反応よりも、好意的な反応に対して感じることが多い。おそらく自分で求めているからそうなるのだろうが、この感覚はけっして「錯覚」とも言い切れないのである。それは講演が終わって、その人が実際にこちらにやってきて、好意的な反応を示してくれることがあることからもわかる。この感覚については、自分でもうまく説明できない。現実には時折見えていないものが見えることがあるというだけである。これは別に特別な能力とかそういうものではない。おそらく誰にでもあるものなのだと思う。ただ目のいい人はそのことに気づく機会がないだろうし、人によってその感度に多少の差があるのだろう。まあ、これはそれだけの話である。それ以上、発展する話ではない。でもそれ以来、緒方拳氏を見るたびに、「同じ種族」の人を見るような感じをもつようになった。数少ない同族を一人失ったのはまことに残念である。筑紫哲也氏には一度だけ偶然遭遇したことがある。まだ大学生の頃だったが、大学の正門を出て、都電の駅に向けて歩いていると、前方にぼさぼさの髪をした、かなり大きめのバッグを担いだ中年の男性が歩いていた。私は正門のそばにある古本屋を覗くつもりだったので、少し足を速めてその人を抜き、本屋に入った。その店は典型的な古本屋だった。場所柄、外国語の本が若干多かった以外は、特に特徴もない。店全体の雰囲気は焦茶色一色。硬い本が多く、雑誌の類はほとんどなかった。店内にはNHKFMが人間の可聴範囲ぎりぎりの小さな音で流れており、その音量が私は気に入っていた。あまり本を買った記憶はないのだが、暇な時にはなんとなくそこに入って、書棚を眺めていることが多かった。私の後から筑紫氏が入ってきた。私は例によって直接その姿は見なかったが、なんとなくその姿が「見えた」。あいまいな記憶だが、その日、大学で氏の講演が行われたのではなかったかと思う。私はとくに興味もなかったので、その講演は聞かなかったが、おそらくはそれが終わった後、誰も連れることなく、たった一人で、大学の脇にある小さな古本屋を覗いたのだろう。本好きな人なんだなあと、その時思った。初めて行く土地や旅先で古本屋を覗くのは、本好きにとってひそかなときめきを感じさせる行為なのである。彼はその店に浸透していた焦茶色によく馴染んでいた。おそらくモスグリーンのトレーナーとクリーム色のチノパンを履いた、もう一人のくらーい大学生の客もさぞかしその場に溶け込んでいたことだろうと思う。ほんの数十分程度だったが、その店で並んで古本の棚をいっしょに眺めていたことがあった。ただそれだけのことである。その時、この人は基本的に「本」の人なんだなあと思った。彼が「活字の人」だということは知っていたが、その活字ははなばなしくあちこちを飛び回る新聞や雑誌の活字だとばかり思っていた。でも、この人の根底には「本」の活字があるのではないか。なんとなくそう感じた。なぜそう思ったかはよくわからない。至近距離にいて、とにかくそう感じたのである。そういえば、「本」の人であることを感じさせるジャーナリストが減ったように思う。白魚のおどり食いみたいに、あちこちにはね回る活字を必死で追いまくっている自称ジャーナリストはたくさんいるが、ずっしりと厚みのある本に深く刻印された活字を頭のどこかで意識しながら活動しているジャーナリストがいまいったい何人いるだろう。この人は自分とはおよそ同類とは思えないけれども、遠いご先祖さまをたどると、ひょっとすると、どこかで血が交錯していたのかもしれない。きのう、ラジオに小沢昭一が出て、こういう話をしていた。「あのねえ、長生きするってのはいいことだって、みんないうでしょう。あれは嘘だよ。私なんか長生きしてるでしょう。で、どうなるかっていうと、まわりの知り合いや友だちがみーんないなくなっちゃうわけ。ほんと、だーれもいなくなっちゃうんだ。だから長生きするっていうのは、要するに、友だちがいなくなるっていうことですよ。ひとりぼっちになるってことですよ。それを長生きっていうんだって、最近になってやっとわかってきたんだ。いや、ほんとに。」訃報聞き 一人きりなる われ思う駄句である。季語がないって?季語は「われ」である。そして季節は。いうまでもない。「冬」に決まっている。
2008.11.10
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日頃からテレビはほとんど見ない。しかも、多くの場合、ビデオに録って見るので、番組をライブで見る(というのも変な言い方だが)ことはほとんどなくなってしまった。一日の生活の中で生でテレビをみるのは、かろうじて夕食の時くらいだろうか。それも背中越しである。夕飯を食べる時、テレビに向かっているのは私の背中だ。当然画面は見えず、音だけが聞こえる。NHKの七時のニュースの場合、それでも別に支障を感じない。ひょっとすると、背中で見ている視聴者を想定して番組を作っているのではないかと思えるほどだ。スポーツニュースを除いて、あえて振り返って画面を見ようと思うことはない。きのうもそうやって、夕飯を食べていた。すると、背後から聞こえてくる音に、背中がわずかに反応した。少しだけ「熱」を感じたのである。肌で熱を感じるような音が七時のニュースから流れることは珍しい。私は耳を澄ませる。英語の演説である。当然、切れ切れにしか意味はわからないが、リズミカルで、適度な抑揚があり、感情と理性のバランスがほどよくとれている。扇情的でもなく、かといって冷たくもない。こういう話し方を私は好む。音が一定のリズムを保ちながら、ゆっくりと波形を描いてうねり、そのゆったりとした波の上に、簡潔で明快なことばがのせられていく。語りに力を感じさせる演説である。そう、テレビでは昨日シカゴで行われたバラク・オバマの勝利演説が流れていたのである。こちらのリスニング能力に限界があるせいで、切れ切れにしか聞きとれないが、それでも、格調の高い、名演説であることはわかる。今朝の新聞で、その演説の要旨を読んでみたのだが、いかんせん、訳にあの「格調」が感じられない。しかたがないので、その冒頭部に下手くそな訳をつけてみる。「シカゴの皆さん!もしアメリカがあらゆることをなしうる場だということに疑念をもつ人がいるとしたら、われらの建国者の夢が今でも生きつづけていることを疑う人がいるとしたら、そしてわれわれのデモクラシーの力に疑いをもつ人がいるとしたら、今夜こそが、その答だ。その答は、学校や教会の周りを囲んだ、この国がかつて見たこともないような多数の人々の列によって語られた。3時間も4時間も待ち続け、多くは生まれてはじめてそのような経験をした人々によって。なぜなら、彼らは今回はきっと違う、自分たちの声が変革をもたらしうると信じたからだ。その答は、若者と老人、富者と貧者、民主党員と共和党員、黒人、白人、ヒスパニック、アジア人、ネイティブ・アメリカン、同性愛者とそうでない者、障害をもつものともたない者によって語られた。アメリカ人は世界に向かってメッセージを発したのである。われわれはけっして単なる個人の寄せ集めではなく、単なる赤と青の州の寄せ集めでもないと。われわれは今も、そしてこれからも、アメリカ合「州」国なのだ。その答は、われわれが成しうることについて、疑いの目を向け、おびえ、懐疑的であれと、あまりにも長きにわたって、多くの者たちに言い聞かされてきた人々が、今や自らの手を歴史の弧にかけ、よりよい日々への望みに向かってもう一度それを動かす方向へと導いたのである。長い時間がかかった。でも今夜、まさにこの日、この選挙の、この決定的な瞬間に、わたしたちが成しえたことによって、変化がアメリカに訪れたのだ。」やはりうまくは訳せない。この演説を聞いて、私が感じたのは、次のようなことだ。アメリカの巨大な政治は、個人の資質で左右されるほど繊弱なものではない。そこでは圧倒的な物量を伴うシステムが、膨大な人間とはかりしれない資源を伴って、ぎしぎしときしみながら、大きく回転を続けていく。このことばを発した人間の政治的生命もいずれは尽きることだろう。その肉体的生命もほどなく終わりを迎えるかもしれない。しかし、この演説のことばは、それらよりも長く生命を保つだろう。息をしつづけることだろう。心血を注がれ、ことばの力を信じる者によってこの世に生み出されたことばは、それを生み出したシステムよりも、それを世にあらしめた人間よりも、はるかに長生きをする。そういう予感がする。ことばに対して、シニカルで、おびえた、疑り深い姿勢をもつ社会は、長く命を保つことばを生み出すことができず、そのことばを担う強靱な精神を育てることができず、結果的に永続性をもつ活力にあふれた公正な社会を作り出すことができない。そういう哀れな社会のリーダーは同じ日に、こういう発言をしている。「どなたが大統領になられようとも、日本にとりまして日米というものが基軸というのは終始一貫、変わっていない。民主党政権の時であろうと、共和党政権の時であろうと、日本政府としてきちんとした対応を米国とやってこれた。そういった努力を引き続きオバマという人とやっていかねばならぬ。米国でできたからすぐ日本でも民主党という短絡的な思考は、私は持っておりません。」笑おうとした頬が引きつって、背中になにやら悪寒が走る。どうやら風邪を引いたようだ。
2008.11.06
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最近、通勤時のバッグに入っている本は、たとえば「夏目漱石 私の個人主義など」(中公クラシックス)、シェークスピア「ハムレット」、「ロミオとジュリエット」、「リチャード三世」(新潮文庫)などである。「ほほう、古典のお勉強ですか。感心ですなあ」「いや、勉強なんてとんでもない」「では、なぜ古典を」実際に聞かれたわけではないのだが、誰かに書名を覗かれたら、そういう反応が返ってきそうである。これに対してどう答えたらいいだろう。「べつに古典だから読んでいるわけではない。ここにあることばが自分にとって『リアル』だから読んでいるだけだ」これで了解してもらえればいいのだが、おそらくはわかってもらえないだろう。しかたがない。確率論でいくか。なぜ古典を読むか。この問いの立て方にまず問題がある。むしろ「あなたはなぜ古典を読まないのか」、「あなたはなぜ新刊を選ぶのか」。そう問い返したほうがいいように思う。あなたはなぜ現代の本だけを選択的に読むのか。おそらく人は自分の感じていること、自分の思いに近いものを書物の中に探すのだろうが、それが現代、ないしは近現代に書かれたものの中にあると考える根拠はどこにあるのか。そもそも今あなたの抱いている関心や興味、思考や悩みのうち、いったいどれほどのものが「今」という時間に規定されたものなのだろう。私にはよくわからない。いや、冷静に考えれば、それらが現代の本に書かれている確率は、過去の本に書かれている確率よりもはるかに低いということはいえそうだ。それに「現代」の本は多すぎる。雑多だし、時間のふるいにもかけられていない。こちらに自分の賭け金を置くのは、かなりギャンブル性の高い賭けといえる。現代人の関心事のほとんどは、過去の人々の関心事でもあった。政治、経済、社会、思想、歴史はもちろん、より個人的な家族、教育、恋愛、生活に至るまで、それらをめぐる問題のどれだけが、現代という時代に特有のものなのか、私には疑問に思える。遠い昔から現在に至るまでの時の流れを「線」ととらえると、現在中心主義は世界を現在という「点」でとらえようとしている。長大な線とほとんど面積ももたない点のどちらに真理や真実が多く含まれているか。その答は自ずから明らかではないだろうか。「じじいがしたり顔して古典なんか読みやがって」かつてはそう思った時期もあった。しかし、今では書店にうず高く積まれている新刊書の山を見て「なぜわれわれはかくも『現代』という時に縛られているのか」、そう思う。われわれは選択の余地なく「今」という時を生きている。しかし、だからといって、なぜ本を選ぶ時にまで「今」に縛りつけられる必要があるのだろう。私にはその意味がよくわからない。そして、ある日、きまぐれで「マクベス」を手にとった。高校生の頃からこの手の本はなんども手にとってはみたものの、すぐに読むのをやめてしまった。考えてみれば、あの頃、自分の頭のなかには「現在」しかなかったように思う。しかし、その「現在」も今となっては、すでに遠い「過去」である。それは、なんの変哲もない、時間軸上に位置するたったひとつの点にすぎない。年を重ねるということは、かつての自分の現在が、次々に過去へと変わっていく経験を重ねることである。今のこの時も、すぐに灰色の過去になる。そういう思いを何度も味わうことである。だとしたら、年を取ることの役得は現在の呪縛から自らを解き放つことにある。そうはいえないだろうか。そんなことを思いながら、ぱらぱらとめくったシェークスピアの世界は、濃密でリアルで、あちこちが鋭角的にとがったことばの洪水であり、氾濫であった。未来とは何か。悪とは何か。運命とは、愛とは、行動とは、思索とは、人間とは何か。そういうリアルな問いが、緊密な物語世界の構築を通してありありと眼前に浮上する。答え?もちろんそんなものはない。生きるとは問いを生きることであり、問うことそのものである。だから性急に答を求めることは死に急ぐことを意味する。われわれが欲するのはどこまでも深く掘り下げられた問いそのものである。そして、そのような問いは一定の幅をもった時間の厚みのうちにこそ見出すべきものであり、それは時のふるいにかけられ、時代性をやすりで適度に削りとられていることが望ましい。だから、私が古典をバッグに入れるのは、目的ではなく、結果なのである。古典を読むことにいっさいの理由づけはいらない。ただそのなかのことばが「リアル」だから、切実だから、私はそれを読むだけだ。漱石の「私の個人主義」に次のような一節がある。彼は学習院大学で、学生達を前に「学習院という学校は社会的地位の好い人がはいる学校のように世間から見なされております。」と述べ、権力や金力があなたがたにはきっと付随してくるだろうと言う。「私の考えによると、責任を解しない金力家は、世の中にあってはならないものなのです。そのわけを一口にお話しするとこうなります。金銭というものはしごく重宝なもので、何へでも自由自在に融通がきく。たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てることもできるし、書籍を買うこともできるし、または花柳社会を賑わすこともできるし、つまりどんな形にでも変わって行くことができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれを振りまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力をもって働きうるとすれば、どうしても不都合な応用といわなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際そのとおりに金が活動する以上はいたしかたがない。ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまうのです。それで私は金力にはかならず責任がついてまわらなければならないといいたくなります。自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面に使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑みこむだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないというのです。いな自分自身にもすむまいというのです。」「いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないということになるのです。それをもう一遍いい換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起こってくるというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発揮しようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。」(夏目漱石「私の個人主義」)漱石はべつに今日の夕刊を見ながらこれを語ったわけではない。これは1914年、今から94年前、彼の死の二年前になされた講演の一節である。このすこやかな「常識」がすがすがしく清涼な響きをともなって感じられるとすれば、あたかも蓮の花のように清楚で可憐に感じられるとすれば、それは「現代」に生きるわれわれが、首までどっぷりと汚泥に浸かっていることを意味している。古典はそのことを痛切に私に教えてくれるのである。
2008.10.27
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シェークスピア「マクベス」(福田恆存訳、新潮文庫)を読む。なぜ今さら沙翁の本などをあらためて読んでいるのか。自分でもよくわからない。ただ本屋の書棚の前でこの本に何ごとかを囁かれた気がして、ふと手にとってみたのである。そして、冒頭を読んでみると、なぜかとても「しっくり」くるものを感じた。買い求めて、読み出したら、一気にその世界の中に引き込まれてしまったのである。おそらくは福田恆存の翻訳の力も大きいのだろう。この訳は、ことばを語る人々の身体の動きをありありと感じさせる。ことばが意味とともに、ある種の調べを奏でている。日本語としての居住まいが正しく、ことばのひとつひとつのたしかな手ごたえを玩味しているうちに、いつのまにか劇の中に引きずり込まれてしまうのである。しかも、この劇のぎりぎりに切り詰められた凝縮力。全身筋肉というか、むしろ必要な筋肉まであちこちで削ぎ落とされてしまったような異様な緊迫感のみなぎる劇である。冒頭、三人の魔女が現れる。「きれいは穢ない、穢ないはきれい」という有名な逆説を弄した後で、魔女はマクベスに預言を告げる。第一の魔女「お祝い申し上げますぞ、グラミスの領主様!」第二の魔女「お祝い申し上げますぞ、コーダの領主様!」第三の魔女「お祝い申し上げますぞ、いずれは王ともなられるお方!」第一の魔女は現在を、第二の魔女は近未来を、そして第三の魔女は未来を告げる。そして、第二の預言はたちどころに実現される。ここからマクベスの悲劇が始まる。マクベスはこの預言に操られるように王を殺害し、周囲の人間を次々と殺戮していく。私はこの戯曲を読みながら、悪の悪たるゆえんはどこにあるのかを考えた。想像を絶するような凶悪な犯罪が起こった時、人々はまず茫然とし、その後にその犯罪の過去を探ろうとする。容疑者の生い立ち、家庭環境、学校生活、人間関係。しかし、多くの場合、過去にその犯罪の決定的な因子を探り当てることはできない。悪が悪である理由を過去に求めることはできないのである。人々は次に「現在」にその原因を求めようとする。彼が犯行を思い立った瞬間、そして犯行のただ中で、何を考え、何が起こったか。スローモーションで繰り返し、繰り返しその「現在」を反芻し、その犯罪の核心を探し求める。だが、核心は「現在」にもない。犯行の行われる瞬間をストップモーションで止め、その画像を繰り返し再生しても、やはりその凶行がなぜ行われたかの解答はみつからない。悪の理由は現在にも存在しないのである。それならば、悪が悪となる決定的な因子はどこにあるのか。おそらくそれは「未来」にあるのだろうと私は思う。悪とは何か。それはあることを起点として次々と連鎖的に悪が増殖していく時、その起点となったものを指す。これは無意味な循環定義に見えるが、実は人間にとっての悪の本質はこの循環の中にこそあるのではなかろうか。「マクベス」にはその過程が、生き生きとリアルに描き出されている。マクベスを王殺しに駆り立てたものは何か。それは表面的には野望であり、野心である。しかし、魔女の預言により、彼はほとんど王位につくことを約束されているのである。これまで通りの生活をして、悠然と自らの即位の日を待ち続けることも可能だったはずだ。彼はなぜそうすることができなかったのか。あるべき未来を待ち設けることができず、なぜ自らの手で強引に王位を奪いとろうとしたのか。その原因は未来の喪失にあるのではないか。彼は現在を言い当てられ、近未来を言い当てられ、未来を預言される。彼はその預言を信じざるをえなくなる。そして、その預言を信じることは、彼にとっては未来を失うことを意味するのである。王位につくという預言によって彼は逆に未来を得たのではないか。そう思われるかもしれないが、預言は未来を約束するものではなく、むしろ本来ならば未来に向かって開かれているべき可能性を封じるものである。預言は無限に存在するはずの可能性をたった一つの出来事に置き換えてしまう。余命半年という医者の宣告は、半年間の確実な生を約束するのではなく、彼の未来への希望を奪いとる。預言が未来を奪うとはそういうことである。もしもそれが彼の望む事態であったとしても、基本的な事情は変わらない。彼は将来の王位を預言されることによって、未来を失う。本来ならば、自分の意志と力でつかみとるべき未来を彼は永遠に喪失してしまうのである。そして、この未来の喪失と根源的な「悪」は深く結びついている。悪は、未来を奪われた人間が、それへの復讐を行おうとする時、その人間のこころに胚胎するものではなかろうか。マクベスは自分の意志を超えてなされた未来の決定を覆すために王殺しを行う。未来を宿命や運命にではなく、自らの強固な意志と力によって取り戻すために彼は自力で王位を奪いとろうとし、それに成功する。しかし、その成功は彼のこころに猜疑の種を次々とまきちらす。自分が王になしたのと同じことが自分の身に降りかかるのではないかというおそれを彼は捨て去ることができない。未来を信じることができなくなった人間に残されたものは人間の意志だけであり、その意志は人間である限り、すべての者が備えている。彼にはもう一日も安息と安寧の日々は戻らないのである。未来を知ることは、未来を失うことである。この悲劇の核心を突くことばは、どこまでも逆説の形をとる。未来を不確定な、漠然とした可能性として思い描くのではなく、どこまでも自らの意思と行動でつかみとることのできるもの、予測可能なものとしてとらえる時、人間のこころには悪が生まれる。だとすれば、近代社会と巨大な悪とが切り離しがたく結びついていることにも得心がいく。この書はあるいは近代社会が不可避的にもつ悪の根源を、17世紀に喝破した大いなる預言の書なのかもしれない。そんなことをふと思うのである。
2008.10.06
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土曜日、スーパー・バター・ドッグの解散コンサートに出かける。場所は日比谷野音。開場は16:00。開演は16:45。異例の時間帯である。朝夕、涼しい風が立つようにはなったものの、日中はまだ夏の日差しが顔を覗かせる。曇り空の下、日比谷公園に到着。お茶か水を買おうと思って、公園の周辺をぶらつき始めると、「ずん、ずん、ずん」というベース音が耳に入ってくる。続いて、あの聞き覚えのある永積タカシの声が。ああ、リハーサルをやってるんだ。たまたま舞台の裏手方向に当たる位置を歩いていたのだが、実によく聞こえる。誘蛾灯にふらふらと誘いこまれる蛾のようにそばまで近づく。時計を見ると、16時ちょっと前。おそらく最後のリハーサル曲なのだろう。今の今まで、まだ解散コンサートに出かけるという実感がわかなかったが、青空に響き渡るタカシくんの美鼻声(「びびせい」、あるいは「びんびんごえ」)を聞いて、やっとその気になってきた。あああ、来ちまったんだなあ、ここに。ということで、コンサートの感想を書こうと思ったのだが、正直、ことばがうまく出てこない。その後、17:00過ぎに「犬にくわえさせろ」で始まったライブは20:30分過ぎ、実に三時間半の長きに渡って行われた。その間、座った時間は正味10分以内。立ちっぱなし、踊りっぱなしの三時間半。とても客観的に描写する気にはなれない。席は前から六番目。正面、やや右寄り。何もいうことのないポジションだ。私もまた当事者の一人になっていた。客観的な感想なんて一言も浮かんではこない。ライブ後半、降り仰いだ夜空にはぽっかりと満月が浮かんでいた。時折、会場外から「ウォー」という叫び声が聞こえてくる。会場に入れなかった人たちが外で叫んでいるのだ。それに向かってメンバーが呼びかける。それにまた「ウォー」という叫びが返ってくる。そういうコンサートというものが、はたして想像できるだろうか。ステージと会場外で呼び交わす声と声のちょうど真ん中にぽっかりとまん丸い月が浮かんでいる。そういう情景を思い浮かべられるほど、私は想像力に恵まれていない。私はただその場にいて、音を聞き、月を見、体を揺すり、手を挙げ、手を叩き、口ずさみ、笑う、ひとつの肉塊に過ぎなかった。たくさんのことを感じたけれど、何も考えなかった。たくさんの音を聞いたけれども、その意味を問うことはしなかった。バタードッグの音楽をどうことばにすればいいか。私にはよくわからない。私はバタードッグ活動休止期間中に永積タカシが始めた「ハナレグミ」を知り、やがてコンサートに出かけるようになり、その世界に魅了された人間である。そこからさかのぼって彼がボーカルをつとめるバタードッグに出会った人間だ。だから、このバンドに対して何かを述べる資格を持ち合わせてはいないのかもしれない。だけれども、でも、どうしても、何か一言ぐらい言っておきたい気がする。たとえばファンクというもの。私はいまだにこの言葉をうまく定義できない。ファンクとは何か。それはロック・ビートとどこが違うのか。私にはうまく答えられない。「ああ、あのタテノリの音楽ね」。そう言われる方もおられるかもしれない。たしかにそうなのだけれど、それだけでは言い尽くせない何かが残る。それがファンクだ。私はこの音楽の核心は「裂け目」にあるのではないかと思う。道を歩いていて、突然、目の前の道が地割れする。その割れた地面に吸い込まれる。と思うと、地底のマグマの噴出で再び地表に弾き出される。その往復運動がファンクの基本的なリズムではないか。突然「裂け目」に吸い込まれ、その「裂け目」から地上へと弾き飛ばされる。その律動がファンクの基本運動だと言いたくなることがある。そして、昨日の夜、私はその律動を存分に体感することができた。SAWADA SYUICHIのドラミングの素晴らしさ。平板な日常に裂け目を入れる鑿の切れ味は見事だった。聴衆は沸騰し、地底に吸い込まれ、地上に吹き上げられる。予定調和のヨコノリを許さない、激しい垂直方向のバイブレーション。それこそがファンクの核心だと私は信じる。さて、それで、私はいったい何を言えばいいのだろう。三時間半のライブのどこをどのように描写すればいいのだろう。もちろん、私にはそれを述べることばの持ち合わせがない。それに代えて、彼らの「セ・ツ・ナ」という曲をご紹介したい。まず小刻みなドラムとギターでリズムが刻まれる。その後、リズムがうねりはじめる。ドラムのリズム・パターンはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムばり、「どん、どん、ずっちゃちゃ、どん、ど、どどどん。どん、どん、ずっちゃちゃ、どん、ど、どどどん、」というパターン。重厚なベースとキーボードがそれに絡む。ジョン・ポール・ジョーンズの無表情な顔が浮かんでくるようだ。次に乾いたドラム音が鳴り響く。「どん、どん、ずったた、たった、たん。どん、どん、ずったた、たった、たん、」さあ、そこでボーカルの登場だ。金色の長髪を振り乱しながら、筋肉質長身、ハイトーンボイスのロバート・プラントが、じゃなかった、短身痩躯短髪、黄色い縁取りの眼鏡も鮮やかな永積タカシが切々と歌いあげます。曲は「セ・ツ・ナ」。はい、どうぞ。イクゼッテモ ナニイエーバ イインデスケーソリャネッツト ハラッタツコトモ アンデースデモ ハーテ ソレガナンダッテ イウンデーデヘヘッツテ ハナシダシテミタコッテーダラッカップラップエー モー アキガキマッセーダラッカップラップエー ソー イロアセマッセーダラッカップラップエー モー シューカンデモッテーダラッカップラップエー ソー ワスレテコーネーアーアーアーアー セ・ツ・ナー シ・ミ・テ・クーアーアーアーアー セ・ツ・ナー タリネエッツテ ハナツメッセージ ナクネーヒビダーテ サシテヘンカナンカ アルケーネレネッツト オレダケッツテ コトナワケーイケネーッツテ ワライダシテミタコッテーダラッカップラップエー ハシャイデミタッテーダラッカップラップエー オワリハキマッセーダラッカップラップエー モウキオクトナッテーダラッカップラップエー ソーワスレチャウダケヨーアーアーアーアー セ・ツ・ナー シ・ミ・テ・クーアーアーアーアー セ・ツ・ナーセ・ツ・ナー セ・ツ・ナー アーアー セ・ツ・ナー 見事なサウンド、そして素晴らしい歌詞である。といっても、私のことばではその万分の一も伝えられないのが残念である。ここで永積タカシは、日頃の善人ぶりをかなぐり捨てて、表面的にはラップを批判している。しかし、そのメッセージはさらに深部に達している。彼は音楽をメッセージを伝えるための手段とする人々の対極に位置している。彼にとって音楽とは、何をさておいても「目的」である。けっしてそれ以外の何かの手段となってはならないものである。だから、彼の音楽にはメッセージはない。ただ音楽があるだけだ。この曲を通して、彼は「オレの音楽にはメッセージなんてないんだ」という強烈なメッセージを叫んでいる。「オレたちの音楽は、音楽だったんだー」という同義反復を彼は声を限りに唄っているのである。それにどんな意味があるんだい。そう口にする人間に返すことばは何もない。「月の裏側で昼寝でもしてな」。そういう以外には。ステージでもメッセージなどけっして口にしない永積タカシが、珍しくラストライブでこの曲を演奏する前にこう言った。「オレたちの音楽って、要するに、このフレーズに尽きるんじゃないかなあ」そして、「タリネエッツテ ハナツメッセージ ナクネー」そう言った。それは、三時間半に及ぶラスト・ライブのほんの数十秒の出来事であった。そして、それは彼らの14年間の音楽活動を凝縮した瞬間でもあった。「タリネエッツテ ハナツメッセージ ナクネー」スーパー・バター・ドッグよ、永遠なれ。
2008.09.14
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日曜の朝、八時過ぎにベランダへ出て、プランターの朝顔を眺める。今年植えたのは「暁の光」という大輪の苗だが、このところ毎朝のように2~3輪の花を咲かせてくれる。葉は小ぶりだが、それに比して花は大きく、朝顔というよりむしろ夕顔を思わせる。花弁は純白でつややかであり、中心部にはほんの少し紅を含んでいる。まことに涼しげな風情である。仕事の日には草花の手入れも怠りがちになる。花がらを摘む作業もついなまけてしまう。ふと見ると、昨日咲いてしぼんだ花が、そのすぐ下にあるつぼみの上にぺたりと貼りついてしまい、開花を妨げている。すでに手遅れかと思いながらも、つぼみに貼りついた花びらを指先で慎重にめくって取り除く。でも、つぼみはそのまま、折りからの風にさびしげに首を左右に振るばかりだ。なんだか悪いことをしたな。そう思って、渦巻き状に巻きこまれているつぼみの先端を指先でそっとほぐしてみる。すると先端がかすかに口を開け、ねじりがゆるやかにほどけていく。ねじれたひもがもとに戻るように、花弁が身を震わせながら、少しずつ少しずつ開いていく。思えば、朝顔の開花する瞬間を見たことはない。毎朝、6時に起きる頃には花はすでに開いている。ちょっとしたアクシデントのおかげで、朝顔開花の瞬間を間近で見ることができたわけである。しかし、最初にねじれがほどけた瞬間を除けば、花はほぼ静止状態を保っている。見る見るうちに花弁が開いていくということはない。風に揺られ、首をかすかに上下に揺らしながら、風をうまく花びらの奥に取り込んで、その力を利用して花を広げようとしているようだ。しかし、花弁そのものの動きを視覚でとらえることはできない。そのくせ、目を離して、周囲をひとわたり見回してから、再びつぼみに視線を戻すと、先ほどよりは少し開いているように見える。なんとも微妙な動きである。やや時間を置いて二つの静止画像を見比べると、そこには変化が感じられるのだが、肝心の動きそのものを視覚でとらえることはできない。ふと視線を背後に向け、ベランダの反対側のプランターにある黄色のポーチュラカを見る。昨日の朝、咲き終えて黒ずんだ花がらを摘みとった。その時には花はつぼみのままだったが、2~30分後に戻ったら、いっせいに数十の花が咲き誇っていた。こんなに短時間のうちに咲くものなのかと驚いたことを思い出す。いま目の前にあるポーチュラカは、細長い紡錘形の小さなオレンジ色のつぼみを無数につけている。しばらく見ていると、そのいくつかの先端は少し口を開いているようである。小さな壺の口のあたりがかすかにゆるみ、中の空洞が見えている。時刻は昨日開花した頃とほぼ同じだ。よし、ついでにこの花の咲く瞬間も見届けてみるか。そう思って、部屋から新聞紙をもってきて、プランターの前に広げる。中腰ではつらいので、そこにあぐらをかいて、よっこらしょと長期戦の構えをとる。しかし、昨日あれほど急激に開いたと思えたポーチュラカのつぼみはいっこうに開かない。そのうちに、ひとつのつぼみを見続けることに耐えられなくなり、ふと目線をそらす。しばらくして、また元に戻ってくると、かすかに花弁が開いているように思える。なんだかポーチュラカと「だるまさんがころんだ」ごっこをしているみたいだ。こちらが目を離した隙に、少しだけ花を開かせているんじゃないかという気がしてくる。考えてみると、目の前で花びらが華麗に開いていく瞬間というのは、科学番組かドキュメンタリーの早送りの映像でしか目にすることがない。自然のスピードはもっとゆるやかで、ひそやかで、しなやかである。私の目にはそれはほとんど静止画像にしか見えない。それでも飽くことなくつぼみを見続ける。そして、生物の変化とそのスピードについて思う。この開花のスピードは植物という、進化系統樹における動物の大先輩である生命体に内蔵されたものである。これに比べると、動物の動きの速さはめまぐるしい。しかも、捕獲や捕食活動において、この速さは個体に有利に働いたにちがいない。その結果、動物の動きはどこまでも加速していく。そして、その動きを捉えることに慣れた動物的視覚にとって、植物の動きや変化はほとんど捉えることが不可能なほど遅鈍なものに見える。しかし、変化は確実に、不可逆的に進行している。考えてみると、静止と運動、安定と変化の間に境界線を引くのは、意外なほど困難だ。一見静止しているように見えて、実は不可逆的に進行している変化。そのあり方は、生命体の本源につながるものであるように思える。むしろ動物の目がとらえる「変化」のほうが特殊であり、植物的変化のほうが本質的なものではないだろうか。たとえば四季の変化を見てもそれはわかる。夏から秋へ、秋から冬へと一直線になだれをうって季節が変わるということはない。涼しくなったと思ったら、また暑さがぶり返し、そのうちまた涼しい日が訪れ、また暑くなり、というような小刻みなジグザグ運動を繰り返しながら、でも、ふと気づくと確実に季節は推移している。今日から明日へ、明日から明後日へと、直線的に変化していくのではなく、のろのろ、だらだら、ぐずぐずとしているように見えて、しかし確実に変化は訪れる。逆行することのない確実な変化は、むしろゆっくりと静かに訪れるのではないか。気がつくと、目の前のポーチュラカの花びらはさきほどよりもずいぶんと開いている。しかし、いつ広がったのかは肉眼ではとらえられない。振り返って、先ほどの哀れな朝顔のつぼみを見る。こちらもずいぶんと広がっている。でも目の前にあるのは、どこまでも静止像。まったく動いているようには見えない。人間やそのこころの変化、あるいは社会やその意識の変化も、このような軌跡をたどるのかもしれない。たとえ目の前でめまぐるしく状況が急転しているように見えても、実はただ単にあっちのものがこっちに、こっちのものがあっちへと移動しているだけで、本質的には何も変化していないということもありそうだ。目の前の草花の小さなつぼみの開く様さえ、人間の目ではうまくとらえられない。それは動きというよりも、むしろ静止画の連なりにしか見えない。植物は動物の前ではどこまでも静止している。風や雨などの自然現象によらない限り、それらは不動の姿勢をとっているように見える。しかし、その静止画と静止画の間にはほんのわずかの差異が認められる。しかし、その差異と差異の間の動きを見ようとしても、うまくとらえられない。見ようとすると見えなくなり、目を離すと変化を感じる。本質的な変化というものは、こういう形をとって現れるものなのかもしれない。30分ほど、私はマンションのベランダで新聞紙の上にあぐらをかき、朝顔とポーチュラカのつぼみを交互に見る。そして、変化について考える。何もない日曜日の、何もない朝の、何の目的もない時間。そして、変化を感じとるためには自らは静止していなければならない。そういう、あまりにもあたりまえの結論を得て、腰を上げ、ひとりリビングに戻るのだった。
2008.09.01
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論理的な能力の話を以前に書いたことがある。現在の日本社会の問題点のひとつは、「他者が見えなくなっている」ところにあり、それが論理力の衰退という形をとって表れている。これがその時の私の作業仮説であった。それでは論理を重視する欧米圏の教育はどのように行われているのか。もちろん私はそんなことは知らない。ただ、主に欧米で教育を受けてきた18歳前後の生徒とは日常的につきあいがあるから、彼らの様子からどのような教育が施されてきたかを類推することはできる。たとえば、現代文の選択肢問題を説明している時、こういうことがあった。それは本文の内容に一致しているか、していないかを○か×で判定させる問題だった。選択肢が5本あったので、私はまず生徒を5人指名する。一人につき、一本の選択肢を担当してもらうのである。そして、何をするかを説明する。「今、指名された人には裁判官になってもらう。まず、選択肢を自分で読み上げる。次に、その選択肢が有罪、つまり×か、無罪、すなわち○かという判決を下す。判決の後には、その判決の理由を述べてもらう。殺人事件の裁判で、「被告を死刑に処する。なぜならば、なんとなくやってそうな顔してるから」ということはありえないだろう。だから、理由はカンじゃだめ。被告の指紋がついた出刃包丁とか、そういう物証がないと、有罪を立証できない。選択肢の裁判でも、有罪の場合は、本文の何行目に○○と書いてあるから、というように、「物証」を示してほしい」そういって、しばらく裁判官に検討の時間を与える。「裁判官以外の人間は傍聴人、あるいは陪審員のつもりで裁判に参加すること。裁判官の判断に異議があれば、すぐに「異議あり」と発言すること。その場合にも、その異議の根拠を証拠にもとづいて指摘すること。いいね」これで準備完了。後は各裁判官の判断を待つだけである。生徒は高校修了段階まで外国で教育を受けてきた者たちが大半である。欧米圏以外で生活していた者も少なくないが、インターナショナルスクールに通っていた生徒が多く、欧米流の指導を受けていた可能性は高い。さて、彼らはそこでどのように考え、どのように語るだろうか。本文の具体的な箇所にもとづき、理路整然と自分の判断理由を述べるかというと、実はそうでもないのである。彼らはかなりしどろもどろに、ああでもない、こうでもないと、行きつ戻りつしながら、なんとか理由を説明しようとする。でも、その説明はなかなか核心に触れることができず、論旨も明快とはいいがたい。なんだ、欧米流の論理教育もたいしたことないじゃないか。そう思われるかもしれない。私も正直にいうと、以前にはそう思っていた。しかし、彼らの様子をよく観察すると、必ずしもそうとは言い切れないのである。まず、指名された生徒は、「えーと、よくわかりません」とはいわない。下を向いて沈黙することもない。日本ではほとんどがこの二つの反応のどちらかだが、「わかりません」と「沈黙」がないのが、彼らの特徴である。そして、とにもかくにも自分のことばでなんとか筋道立てて説明しようとする。結果においては、それが成功しているとはいいがたいが、彼らが途中で放棄せずに、なんとか最後までことばと論理で説明しようとしていることはたしかだ。そして、まわりの生徒はその発言に注意深く耳を澄ましている。彼のことばを真剣に聞いている。この雰囲気は外国で教育を受けてきた生徒に特徴的なものである。欧米流の教育が、結果として論理力の養成に成功しているかどうか、断言する自信は私にはない。いや、どちらかといえば、成功していないといってもいいかもしれない。少なくとも18歳前後の年齢層においては。しかし、最後まで論理的に説明しようとする意欲と、他人の論理的な説明に注意深く耳を傾ける姿勢を涵養することには確実に成功している。そう思う。そして、もうひとつの特徴。それは、生徒の説明を受けて、私がなるべく明快に選択肢の当否とその根拠を説明すると、その説明の核心部で、彼らがこくんと小さくうなずく、あるいは目が一瞬輝く、「そうか」とこころの中でつぶやく。それが手にとるようにわかるのである。論理的な説明の核心部で彼らがすとんと「落ちる」のがわかる。ここは説明がむずかしいところだが、彼らは論理だけで「落ちる」、つまり得心するのである。それに対して、一般的な日本の生徒の多くは、「なるほど、あなたの説明はよくわかった。でも、ほんとうに自分が納得するには、もうひとつ、情緒的、情念的な「押し」がほしい」という表情をするのである。そこでは「論理+情念」が必要になる。そして、おそらく、そこでは「論理なき情念」による説得も、あるいは可能になってくるのかもしれない(私はそういうことをやったことがないので、よくわからないが)。欧米を中心とする教育では、論理的に説明しようとする意欲、その説明を慎重に吟味し、受け入れようとする姿勢を育てることには成功しているように思う。そして、よく考えると、この二つがあれば、論理的な思考力や説明能力は自ずから育っていくのではないだろうか。とくに論理的な説明を受け入れる姿勢。これは重要である。しかし、彼らを説得するのは必ずしも容易ではない。彼らはきわめて「頑固」であり、なかなか納得しない。粘り強く食い下がってくる。しかし、ある瞬間、論理的な説明が彼らのもやもやした部分を光で照らした時、彼らは「すとん」と落ちる。そこで目が輝き、すっきりとした顔をする。こちらはそれを見て、「以上、終了」という形で説明を終えることができる。他者の論理的に明快な説明を受け入れることが、ある種の「快感」につながる。そういう感覚を彼らはもっているのだと思う。自力ではつなげることのできなかったあるものとあるものが目の前であざやかにつながった時の、背筋がぞくっとするような快感。その快感を彼らは知っているのである。そう考える時、論理的な能力は、けっして機械的な演繹力のみを指すのではなく、どこかで他者とのコミュニケーションとつながりをもつものであるように、私には思えてならないのである。
2008.08.29
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吉田満「戦艦大和の最期」(角川文庫)を読む。一読して、茫然とする。あれこれとことばを探るが、何も出てこない。これは安易な感想や感懐を寄せつけない本である。切れ切れに読んだため、全体像が頭の中にうまく焦点を結ばず、ただちに再読。そして、ふたたび思いに沈む。読み終えた私の頭のなかにある残像は、太平洋上に浮かぶ黒々とした重油の分厚い膜であり、そこで苦しみのあまり発狂して水没していった無数の兵士たちの姿であり、救護船の船縁をつかむ無数の手を、その船を沈没から守るために次々と切り落としていった救助兵の蒼白な顔面である。耳には高射砲の鈍い響き、戦闘機のエンジン音、爆撃音、炸裂音、巨大な水柱の吹き上がる轟音などが残っている。この作品に対しては、小林秀雄の「大変正直な戦争体験談だと思って感心した」という評語が核心に触れていると思う。正確にいえば、ここに描かれているのは「戦争」というよりも、「戦闘」である。副電測士として「大和」に勤務した吉田満少尉が、哨戒直として艦橋中央の羅針儀台上から見た戦闘の姿を、漢文調の文語体で綴った作品である。そこには美文をもてあそぼうとする姿勢は微塵も見られない。一人の少尉の経験した内面、外面双方にわたる「事実」が述べられている。その「事実」が読む者を圧倒するのである。ここにはこの戦争の全貌を俯瞰的に見下ろす視線は見られない。その視点はあくまでも吉田満の肉眼の位置に固定されている。誤解を招かないように言っておかなければならないが、ここに描かれた「事実」が読む者を圧倒するのは、その出来事が悲惨だからというだけではない。たしかにここには悲惨な出来事が描かれているが、それはあくまでも「事実」の一部である。だから、この作品を「戦争の悲惨さを描き出したもの」とのみとらえると、作品全体のもつ意味を取り逃がしてしまうことになる。ここにはある意味では、戦争のもつ「魅力」も描かれている。成算のまったくない無謀な特攻作戦に従事する彼らが、どのように自分の内面を支えたか、極限状況の人間と人間の間に通い合う温かな血のぬくもり、目前に迫る死にひるまない精神の高さ。激しい戦いの中にあって、ほとんど「私」を捨て去った人間の、ある種の潔さのようなものも、ここには描き出されている。彼らがどのように内面を支えていたかということについては、臼淵大尉の次のような発言が記録されている。「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」だから、この本には戦争を肯定するものだという非難が寄せられたという。終戦後、占領軍の検閲にかかり、長く出版を禁じられたともいう。しかし、先の大戦で兵士のこころに存在していた価値意識や倫理観も、戦争の「事実」の中に含まれるはずである。それらを「悲惨」や「野蛮」や「狂信」ということばのもとに葬り去った後に、はたして真の戦争反対の礎を築くことができるものかどうか。私は疑問に思う。この本を読むことは、戦争を「見る」ことであり、「感じる」ことである。そこで何が行われたか、もしも自分がそこにいたら、いったい何を感じ、どう振る舞ったか、それを想像力の及ぶ限り、できるだけリアルに思い描くことである。そのことの中にこそ、戦争を考え、それを拒否するための立脚点が存在するのではないだろうか。だから、この本を読み、ひとり思いに沈むことは、とてもたいせつなことなのである。「戦艦大和の最期」の初版あとがきで筆者は次のように述べている。「この作品の中に、敵愾心とか、軍人魂とか、日本人の矜持とかを強調する表現が、少なからず含まれていることは確かである。だが、前にも書いたように、この作品に私は、戦いの中の自分の姿をそのままに描こうとした。ともかくも第一線の兵科士官であった私が、この程度の血気に燃えていたからといって、別に不思議はない。我々にとって、戦陣の生活、出撃の体験は、この世の限りのものだったのである。若者が、最後の人生に、何とか生き甲斐を見出そうと苦しみ、そこに何ものかを肯定しようとあがくことこそ、むしろ自然ではなかろうか。」「このような昂(たかぶ)りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振る舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか、或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲すべきであったのか。――戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。」ここに示された考えに違和を感じる方もおられるだろう。私もまた全面的に肯定すべきかどうか、迷う。ただ、最後の一句、「誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。」ということばに、私は真実の響きを聴く。この一句にこめられた真実を聴きとるためにこそ、本書は存在しているのである。ただ一言だけ言いたいことがある。一機の護衛機ももたず、沖縄までの片道の燃料だけを搭載し、米軍の戦闘機群を自艦に引き寄せ、囮となるという大和最後の出撃作戦のなんという愚かしさ、無謀さ、無意味さ。国の権力の頂点に存在する、この巨大な愚かさと、その意思を末端で忠実に実行する兵士の勤勉、精励、精悍。この図式を私はけっして肯定できない。そして、この図式は必ずしも過去のものとは言い切れないのである。国家意思の末端の実行者たる国民が、その目を自分の足元ではなく、上に向け、その勤勉と精励と情熱を、自らの頭上に存在する巨大な愚かさを正すことに用いない限り、同じことはいつか、また、必ず起きることだろう。「誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう」という吉田のことばにこめられた「世界」を象徴的に示す場面をご紹介して、この拙い感想文を終えたいと思う。これは艦橋で哨戒を勤めていた著者が、本来の自分の配置場所である後部電探室が被弾した際、その被害状況の報告を命じられて、電探室へ向かう場面である。「電探室前に走り寄る 「ラッタル」跡形もなし やむなく運用兵を呼び「ロープ」をとって下ろす堅牢安固なる対空電探室 六畳間大 四周に鉄壁をめぐらせるも、真二つに裂け、上部半ばを散佚す大斧にて竹筒を叩きわったる如きさまなり 直撃弾、斜めに深く抉り込み撃発したるか整備に整備を重ね今日の決戦に備え来し兵器、四散して残骸を認めず 部品の残滓すらなし一切を吹き掃われたるかと見れば、朽ちし壁の腰に叩きつけられたる肉塊、一抱え大の紅き肉樽あり四肢、首等の突出物をもがれたる胴体ならんあたりに弾かれたる四箇を認め、抱えきてわが前に置く焦げたる爛肉に、点々軍装の破布らしき「カーキ」色のもの付着す 脂臭芬々そこに首、手足が付け根の位置を確かめ得ざるは言うも更なり四箇の死屍の間に、判別を定め難きとは抱けば芯焼けてなお熱く、これを撫づれば手触り粗木の肌の如し数分前までここに活躍したる戦友、部下の肉体とこの肉塊と、同体にしてただ時を隔てたるに過ぎずとは 如何にして信じ得べき ここに宿りし四箇の生命は今何処他の八名は飛散して屍臭すら漂わず 何たる空漠か 今の瞬時までまさに現前せる実在は 如何なる帰趨を遂げしぞ 疑い訝(いぶか)しみてやまず悲憤に非ず 恐怖に非ず ただ不審に堪えず 肉塊をまさぐりつつ忘我寸刻」(吉田満「戦艦大和の最期」角川文庫版 p.66~68)
2008.08.26
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このところ、各地の高校に講演に行く機会が増えている。生徒向けもあるが、多くは教員対象。「何の話をしたらいいですか」と学校側にお聞きすると、「あの論理の話をお願いします」と言われる場合が多い。全国の公立高校の先生を対象とした研究会の席で「論理」について話した内容が口コミで伝わっているらしい。それをご所望されるわけである。おそらく最初は「学力低下」について何か話をしろといわれたのがきっかけだったように思うが、「学力低下」についてはほとんど自明の事実となっていて、誰も反論しないので(「いやあ、最近、生徒の学力が上がりましてなあ」という話は聞いたことがない)、ちょっと切り口を変えて、「論理」の話をしたのである。ただ、PISAの国際的な学力テスト以来、「日本の生徒は論理的な思考力・表現力が弱い」ということも既に常識となりつつあり、そのことだけを述べても、あまり面白みがない。第一、論理的な思考力が弱いというのは、別に学校の生徒さんに限った話ではない。「論理的な思考力が弱い」とさんざん口にしながら、「なぜ論理力が弱くなったのか」、「それは具体的にどういう形で表れているのか」という話を、私はほとんど聞いたことがない。WHYとHOWを問う力が弱いということは、そのまま論理的思考力の脆弱さを意味するから、大人たちもあまり偉そうなことはいえないのである。私はまず論理力の衰弱が具体的にどのような形をとって表れているのかを話す。ネタとしては「単語しゃべり」の話である。初対面の18歳前後の生徒(多くは男性である)と会って話してみると、この傾向は顕著である。典型的な例は以下のようなものだ。私の職場では授業の教材やプリントの管理も行っているので、時折、生徒が訪れる。彼らの多くは、まず、ぬぼーと入口付近に立つ。基本的に声をかけられるのを待っている。少し気の利いたヤツは「あのーー」と声を発する。「はい、なんでしょう」「えーと、あのー、しょうろんぶんー、なんですけどお」「はあ、小論文がどうかしたのかな」「しょうろんぶんのー、ぷりんとー」以上で会話終了である。このへんで話を打ち切って、すぐに有効な動作に入らないと仕事にならなくなる。彼が何を言いたいのかを翻訳すると、次のようになる。「私は先週の小論文の授業を欠席しました。ついては、その時に配られた小論文の解答例や講評のプリント類があると思うんですが、それをいただけないでしょうか。」しかし、彼が現実的に口にしたのは、「しょうろんぶんー」と「ぷりんとー」という 二つの単語のみである。このような発話様式を私は「単語しゃべり」と呼ぶ。そもそも論理とは何か。それは一言で言えば「つながり」である。ほんとうは「すじみちだったつながり」と言いたいところだが、少なくともつながっていなければ論理にはならない。つながりの反対語は「ばらばら」である。断片を断片のままで放置する姿勢からは論理は生まれない。そう考えると、単語しゃべりは論理とは対極にあることになる。そこでは単語と単語をつなぐことばが存在しないからである。もっとも、こういうしゃべり方は若者特有のものとは言えない。「ねえ、ぼくちゃん、のどかわいたでしょ。何が飲みたい?」「じゅーす」「おなかすいたでしょ。今晩何が食べたい?」「はんばーぐ」きわめて日常的な母親と幼児の会話である。「今晩、何が食べたい」と聞かれて、「このところ、野菜が続いているので、動物性タンパクを補給するためにぜひハンバーグを食したい」と論理的な根拠を示して答える幼児はいない。でも単語しゃべりを幼児語と断定することもできない。「おかえりなさい、あなた。お疲れでしょう。食事にします、それともお風呂?」「ふろ」こういう会話も珍しくない(いや、最近ではこういう会話はきわめて珍しいのかもしれないが、それはまたそれで別の話になってしまう。そういえば、この表現は昔のテレビドラマでは常套句だったが、最近はほとんど耳にしなくなったなあ)。いわゆる「めし、ふろ、ねる」もれっきとした単語しゃべりである。単語しゃべりをするかどうかは、話す人間の年齢によってというよりも、むしろ話しかける相手との関係によって決まる。そして、その関係はほとんど「身内」、もっといえば家族である。つまり、フレーズの素材である単語だけを提供すれば、あとのつながりは向こうで作ってくれるという親密な関係のなかで、この表現は成立するのである。身内や家族、友人などと話す時には、単語をつなぐ必要はあまりなく、したがって、論理を使う必要もない。私には現在の「論理力の低下」の原因は、どうもこのあたりにあるように思えてならない。必要性のない能力が衰えるのは、ある意味であたりまえのことである。「他者の不在」、そこにこそ論理性の衰弱の原因が求められるように思うのである。「誰でもよかった」――秋葉原の例の事件の犯人のせりふである。私はこのせりふは他者不在の状況を象徴的に物語っているように思える。「誰でもよかった」というせりふは、他者を意識しているのではないかと思われるかもしれないが、それは違う。「誰でもいい」人間を他者とは呼ばない。それは単に自分とは無関係な「誰か」ということにすぎない。他者とはどこまでも「意識可能」な存在でなければならない。「誰でもいい誰か」とは、要するに家族でも身内でも友人でもないという消去法の表現にすぎない。そこには明瞭に意識された「他者」は存在していない。だから、「誰でもよかった」というせりふは「他者」を想定することのできない精神状態を示す兆候的なせりふなのである。では、「他者」とはどういう存在か。それは、「私のメッセージを受けとって、理解してくれるかもしれない、今のところ目には見えない誰か」を意味している。いまだに会ったこともない、どんな人間かもわからない。しかし、いつか自分のメッセージを受けとってくれる可能性をもった存在、それが他者である。そういう他者にメッセージを送るためには「単語しゃべり」では意味がない。他者とはまだ文脈を共有していないのだから、単語だけでは何も伝えることができない。そこで必要なのは、論理の構築である。「つながり」を意識して、自分のメッセージを論理的な流れに整序することである。だから、初対面の人間に自分の言いたいことを伝える最も有効な方法は、できるだけ論理的に話すことなのである。通りで道を尋ねられて、情緒や情感で説明する人間はいない。できるだけ論理的に、筋道立てて説明しようとする。そして、その説明が上手な人間とは、見も知らない他人の置かれた状況を的確に想像する能力に長けている人間である。そこにこそ論理的な説明能力の原点がある。論理的な能力が低いこと自体は、私はたいした問題ではないと思っている。能力が低ければトレーニングをすればいいのだし、論理的な思考力は典型的な後天的能力だから、トレーニング次第でいくらでも伸ばすことができるはずである。ただ、そのためにはひとつだけ前提条件がある。それは「自分は論理的な説明能力が低い」という自覚をもつことである。周囲の人間が自分を理解してくれなかったならば、その原因を自分の論理的な説明能力の低さに求める姿勢、それだけは最低限、必要なのである。ほんとうにそうなのかどうかは、この場合さして重要ではない。たとえ、事実とは異なっていたとしても、自分の説明能力が低いかもしれないという自己を疑う姿勢のなかにこそ、論理力向上の鍵がある。そして、相手に自分の意志が伝わらない時に、まず優先的に自らの説明能力を疑うというのは、なによりも最も「論理的」な姿勢なのである。知性的であることの最低条件は、自己懐疑の精神だと誰かがいったが、まことにその通りなのである。しかし、周囲が自分を理解してくれない時に、「それはまわりが悪いからだ」と考えると、論理力の向上はその時点でストップしてしまう。そして、被害者意識のみがいたずらに肥大し、あらゆる不都合の責任は他者にかぶせられることになる。そうなると論理力とともに自己責任能力も徐々に損なわれてしまう結果に陥る。例の秋葉原の事件の犯人の書き込みがすべて断片的なフレーズであったことを私は思い出す。会社で自分の着るべき作業服がなかったという事実を説明することなしに、ただその時の「むかついた」気持ちだけが細切れに書き込まれる。そして、その責任は特定の誰かには収斂しない。明瞭に意識することもできない「誰でもいい誰か」が、ぼんやりとした責任の担い手として頭のなかに浮上する。他者を想定できない精神の弱さは、結果的に無差別殺人にまでたどりつく可能性を秘めているのである。他者不在の状況が根本的な問題だとすると、われわれがなすべきことははっきりしている。それは他者を存在させることである。メッセージの受け手となる可能性をもった「他者」を彼らの目の前に置くことである。はたしてその他者を演じる人間とは誰か。私はそう問いかけて、静かに自分自身を指さし、聴衆の一人一人を指さし、そしてそっと壇上から降りる。そういう講演を一度はやってみたいと思っているのだが、そんなおそろしいエンディングをやる勇気は、当然のことながらまだないのである。
2008.08.19
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カポーティ「ティファニーで朝食を」(村上春樹訳)を読む。夏期講習で三週間連続の授業をやっている最中、行き帰りの電車の中で何を読もうかと考えた。いったんは吉田満「戦艦大和」を手にとったのだが、くたくたに疲弊してぼろ雑巾のようになった頭には、ややハードすぎる選択だった。30頁そこそこで早くも挫折。さて、どうしたものか。でも、それに代わる本をなかなか思いつけない。朦朧とした頭で会社のデスクの引き出しの中をごそごそと探っていると、鮮やかなティファニー色(ティファニー・ブルーというのだろうか)の装幀が目に入る。これならばなんとかなるだろうということで、その本を通勤カバンの外ポケットに放り込んだのである。私はカポーティの良い読者ではない。これまでに読んだのは「冷血」ただ一冊のみ。それもつい最近のことである。彼の小説らしい小説を読むのはこれがはじめてだ。「ティファニー」を読みはじめてまず気づくのは、この作品のさまざまな箇所で村上春樹作品のあれこれが頭に浮かぶということである。「以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。」という書き出しは、「よくいるかホテルの夢を見る。」という「ダンス・ダンス・ダンス」の冒頭部を思わせる。そのアパートメントの最上階に住んでいたという日本人のカメラマン「ユニオシさん」は、明らかに「ダンス」の「ユミヨシさん」のルーツだろう。失踪した妻を捜しにアパートメントを訪れるドク・ゴライトリー。消えてしまった妻を捜しにいくという話型そのものが、「ねじまき鳥」を連想させる。おそらく村上の頭の中には、この作品がまるで現実の出来事そのもののように、ありありとリアルに存在しているのだろう。そして、彼が自らの想像力を起動しようとする時、「ティファニー」の断片が、彼の想像力の螺旋状のうねりの中に知らず知らずのうちに混入するのだ。その結果として、「ティファニー」のフラグメントが、村上作品のあちこちにばらまかれることになる。そういうことではないかと思う。村上にとって、この作品は文学的創造力のなし得る達成モデルのひとつなのだろう。そして、事実、「ティファニー」はそういう評価にふさわしい作品といえる。 しかし、この作品は一見すると、さりげなく、なにげなく、淡々と書かれているように見える。とくに奇をてらうこともない情景描写、生き生きとしてはいるが、特別に劇的とはいえない会話、小さなエピソードの積み重ね。だが、その作品の自然な流れにからだを預けていると、すうっとそのフィクションの大きなうねりの中に吸い込まれてしまう瞬間が訪れる。物語の深みにからだごと奪いとられてしまうような感覚を味わうことになる。その物語世界の深さは、ホリー・ゴライトリーという女性の存在の深さと一致している。奔放でわがままで天衣無縫な一人の若い女性の像は、まったく場違いな市立図書館で黒いサングラスをかけたまま、南米関連の図書を読みあさるエピソードによって微妙な立体感を帯び、「僕」が気になっていた350ドルの高価な鳥かごをクリスマスにプレゼントすることで別の角度から光を当てられ、そして、彼女を捜しにやってきたドク・ゴライトリーの存在によって決定的な影を背負うことになる。この作品の構造は、現在から過去を回想し、その過去の起点から徐々に時間が進行し、その中で、登場人物の生い立ちへと時間を遡行し、そして、そこからまた時間が前に進む、という折れ曲がった時系列を軸に組み立てられている。時間を後戻りし、そこから時間を進め、そこでまた後戻りし、という流れで作品が物語られていく。そして、結果として、時間は確実に過去へとさかのぼっていく。屈折しながらも、確実に過去へと帰っていく視線。カポーティの作品の核には、この「過去への視線」が存在しているように思う。同じ本に収録されている「花盛りの家」。ここには汚れのないものと汚れたものとの絶妙な混淆がある。私はこの作品が好きだ。汚れのない女性が一挙に汚れの世界に落ちながら、そこで汚れのないこころを守りつづける。一人の男が彼女を汚れのない世界へと連れ去ろうとして、ふたたび汚れにまみれ、しかし、そこでも汚れのない世界への憧れを捨てない。この汚れと汚れのない世界との、反復横跳び運動は、先に述べた過去と現在との無限の往復運動を思わせる。「花盛りの家」においては、この両者はどちらかに偏することなく、絶妙なバランスを保ったまま、見事なラストを迎える。「クリスマスの思い出」もほとんど奇跡的といっていいほどの作品だ。まったく何の脈絡もないのだけれど、私はこの作品を読んで、村上春樹の「蜂蜜パイ」を思い出す。「なぜ?」。そう聞かれても私には答えられない。でも、この二つの作品には、その根底に「同じもの」が通底している。何の根拠もなく、そう感じるのだ。村上氏ならば、おそらく「イノセンス」ということばを使って、それを説明するのだろう。しかし、私の語感はそれとはわずかに異なる。「イノセンス」を無垢でけがれのないものとだけ定義づける立場を私はとらない。それはある意味では、とてつもない残虐や暴力にもつながりうる両義的な意味をもつことばだというのが、私の感覚である。では、カポーティの作品の底に流れる「何か」をどうことばであらわしたらいいのだろう。失われたもの。あるいは失われたものとしてしか認識しえない、あるもの。どこまで接近しても、ついには到達しえないゴール。そういうものを目指してカポーティは作品を書いているように思える。そして、書けば書くほど、その作品世界の可能性は確実に狭まっていく。村上作品は、その隘路を認識し、それを意識的に乗り超えようとしたところから、新たな展開を始めたように思える。その針路を決定づけたのが「ねじまき鳥」だったのだろう。ただ、カポーティの作品は、たとえ、その行きつく先が行き止まりだということを知っていたとしても、あるいは知っていたからこそ、限りなく甘美で、かつ魅力的である。彼の作品世界そのものが、限りなく美しいことを私は認めざるをえない。たとえ、その美しさと限りない魅力が、「出口のない」閉ざされた世界に条件づけられたものであったとしても、である。
2008.08.15
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自宅へ向かう電車のなかで座って本を読んでいると、二十歳前後のカップルが隣に座る。「あのさあ、私の顔さあ、鼻がもう少し高かったらなあって思うんだけど。」「えっ」「このへんがさ、こんな感じにさ、もうちょっと高かったらって思わない?」「うーん、どうだろう」「私、鏡見ながらよく思うんだよね。でもお母さんもお父さんもへちゃだからしょうがないんだけどさ」「……」「どう思う?」「うーん、よくわかんない」「なによ、よくわかんないって。鼻がもう少し高いほうがいいか、そうじゃないかって聞いてるだけでしょ」「それはそうなんだけど。なんだかうまく想像できないんだよ」「何が?」「その、おまえの鼻がもう少し高くなったところがさ」「想像したくもないってこと?」「いや、そうじゃなくて、想像しようと思っても、なんだかうまく想像できないんだよ」「なんで?」「いや、なんでかはよくわかんないんだけど。とにかくうまく想像できないんだよ。」「どうしてよ、かんたんなことでしょ。いま目の前に私の鼻見えてんだから、この鼻をこういうふうにぴゃってちょっと高くすればいいだけでしょう」「うん、オレもそう思うんだけどさあ。なんかできないんだよな、それが」「へんなの」私は読みさしの本を閉じ、こころのなかでそっとつぶやく。そこな青年。なかなかだいじなところに触れてるぞ。彼が言わんとしているのは、頭の中で彼女の鼻だけを分離してイメージすることができないということである。残念ながら彼女にはわかってもらえなかったみたいだが、そして、彼自身にもよくわかっていないようだが、彼がほんとうに言っているのは、実は「愛している」ということなのである。愛を定義するのはむずかしい。ほとんど定義不可能ではないかとも思う。ただし、あえてむりやり定義するとすれば、それは「対象の一部を分離してとらえることができなくなる」ということではないだろうか。頭のなかで彼女の姿を想像してみる。たとえば、そう、彼女の手を想像してみよう。もちろんそれはできる。ほっそりとした白魚のような指(別に屋台で売ってるこげたフランクフルトのような指だってかまわないが)。その時、その手だけを分離することができるだろうか。それがあなたの彼女であれば、その手は手首へ、手首は前腕へ、前腕は上腕へ、上腕は肩へと自然につながっていくのではないだろうか。これが見知らぬ他人の手であったとすれば、その手を想像する段階で、既に手首は存在していない。手だけが脳内スクリーンにぽっかりと浮かび上がるはずだ。なぜそうなるのか。それは彼の頭のなかで彼女の存在がつねに全体としてとらえられているからである。全体ということばはあるいは不十分かもしれない。この場合の「全体」はけっして部分の総和という意味ではない。有機的なまとまりをもったひとつのものとでもいうくらいの意味である。そういう状態でしか対象をとらえられなくなった時、人はそれを「愛」と呼ぶのではないか。これは別に男女の「愛」に限らない。親族でも友人でもペットでもモノでもなんでもかまわない。それがあなたのこころに「愛」を感じさせるものであれば、その一部を分離してイメージすることはきわめて困難な作業になるはずだ。別に確信があるわけではない。しかし、なんとなくそういう気がする。そんなことないよ。オレなんか一部分だけくっきりと想像できちゃうよ。そういわれれ方もいるかもしれない。しかし、その場合、前提として置かれた「対象に愛を感じている」という条件の妥当性そのものを考え直したたほうがいいのではないか。愛するミュージシャンについて、私はそのミュージシャンのある時期からある時期までを限定して「愛している」ということはできない。たとえ、その音楽生活に深刻な破綻や挫折や蹉跌があったとしても、それ以降を切り離し、「それ以前の彼の音楽を私は愛していた」ということはできない。もしできたとしたら、そもそもその音楽家を愛していたわけではないと私は思う。作家についてもそう、映画監督、俳優、脚本家、画家、詩人、学者にしてもそういえるだろう。「愛」ということばは、そのどこかに必ず「全体」を含んでいる。物事を客観的に、合理的にとらえるためには分析作業が欠かせない。そんなことは最低限の推論能力の備わった人間には誰にも明らかなことである。しかし、その分析作業が突然不可能になる瞬間がある。もちろんそれが分析能力の衰退、減退による場合もあるだろう。その場合にはおそらく失望感がこころのなかに広がる。しかし、分析作業の限界を感じて、なおかつ、こころのなかに青空が広がるように静かで穏やかなよろこびが感じられる時、その人のこころには愛が降り立ったと考えるべきではないだろうか。不思議なことに、人は自分自身に対しては、いつも体の一部を分離してとらえることができる。それができないのであれば、この世に美容整形などというものが存在するはずもない。だから、おそらく「愛」は自分に向けて発動されるべきものではないのだ。それはあくまでも他者に対して投げかけられるべき感情なのだ。隣に座ったカップルの女性は、まだ自分の鼻の先端を指で少し上に持ち上げながら、思案顔である。彼氏は頭の後ろで腕を組みながら、彼女の全身をなんとなく眺めている。おまえの鼻が高かろうが低かろうがそんなのオレには関係ない。それが目であろうが、耳であろうが、口だろうが、体のどの部分であろうが同じことだ。だって、オレはおまえを部品の寄せ集めだと思ったことなんて一度もない。おまえはいつだってオレにとっては「全体」なんだ。どこも切り離すことができないひとつの存在なんだ。そしてこの世にひとつしか存在しないオレにとっての全体なんだ。オレにわかるのはそれだけだ。それを隣に座っているオヤジが「愛」っていおうがいうまいが、そんなことどうでもいい。世の中には分けられないものもあるんだ。オレのいいたいのはただそれだけだ。ただそのことをいうためだけにおまえはオレのそばにいる。そして、オレはおまえのそばにいる。オレはそう信じている。でもこんなこといったってわかってはくれないよなあ。そこな青年。君がいまそう考えているとしたら、それはとてもすてきなことだ。二人のカップルと妄想状態の一人の男を乗せて、日曜夕方の京浜東北線の電車はものうげに北を目指して走っていくのだった。
2008.06.08
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トルーマン・カポーティ『冷血』(佐々田雅子訳、新潮文庫)を読む。以前から「いつかは読まねば」と思いながら、読まずにやりすごしてきた本の一冊である。旧訳版はすでに活字の小ささが致命的であり(「ああ、年とったなあ」と、しみじみ)、大きな活字の新訳が出たのはありがたかった。ただし、今度は本の分厚さが増している。600頁以上ある。テーマも、本もずしりと重い。「さあ、次、何読もうかな」という時に、気軽に手に取れる本ではない。というわけで、買ったはいいが、一年近く、本棚の隅に置きっぱなしにしていたのである。だが読みはじめると、徐々に加速がつき、後半は1日100頁以上のペースで飛ばした。そして、読み終わって一言。「ああ、文学だなあ」。われながらまぬけな感想だが、しかし、これが実感である。この本はカンザス州ホルカム村で起きた一家四人惨殺事件を素材としたノンフィクション・タッチの小説である。その犯人の一人、ペリー・エドワード・スミスは、十分に長編小説の主人公たる資格をもっている。その精神のねじれやゆがみ、そこから生まれる翳りとある種の輝き、そして、時折、顔をのぞかせる子供のような率直さ。「極悪なイノセンス」とも呼ぶべき逆説的存在。そのペリーの強力な吸引力がカポーティの心をとらえて放さなかった様子が、この本の随所に見てとれる。それを興味というと客観的にすぎるし、共感というのとも違う。性格も資質も行動パターンもおよそかけはなれていながら、そこには人間性の根底を揺り動かす不思議な、そして無気味な共鳴音が聞きとれる。カポーティはおそらくペリー・スミスの中に自らの陰画を見てしまったのではないだろうか。私が「文学だなあ」と呟いたのは、まず作品の冒頭で、犠牲者のクラッター一家の四人を血と肉と体温をもった人間として生き生きと読者の目の前に「創造」した後に、彼らの惨殺を描写する、その凄みのある筆力に負うところが大きい。文学的な想像と創造の力は、読み手の眼前に生き生きとした人間像を立ち上げるためにこそある。しかし、その手腕を使えば、突然の死によって彼らがこの世から消え去った後の喪失感を、まるで近親者であるかのようにありありと感じさせることも可能だ。生を生き生きとリアルに描けば描くほど、その後に描かれた死のリアリティも増す。文学的創造力を本来とは逆の方向に用いて、一家四人の死をまざまざと読み手に感じさせ、さらにそこに事実の重みをずしりとかける。こういう文学的構想を「悪魔のたくらみ」と呼んでも、それほど的はずれではないように私は思う。しかも、その描写の厚みというか、そこに用いられた油絵の具の量と厚みはただごとではない。この密度でこのテーマをこれだけの分量で描ききることは、ほとんど狂気すれすれの作業といわねばならない。私は後半部を読み進めながら、何度か寒気を感じた。題材やテーマや犯人の心理描写や絞首刑の場面そのものが怖かったというよりも、作者の筆を駆っているものそのものに対する恐怖である。そこには作者の意図を超えた、強い力が働いている。その力に身を委ねてしまうと、作者がこちらの世界に戻ってこれなくなるようなぎりぎりの境界線を目の前にしながら、作者は筆を進めている。そこにただよう妖気のようなものを私は怖いと感じた。こういうものを書いた後で、はたして人が正気を保ちうるものなのかどうか。私にはよくわからない。しかし、もしもそれが可能だったとしたら、その向こうに広がるのは、まぎれもないドストエフスキー的な世界だろう。私はカポーティという作家のことをよく知らない。というか、全然知らない。しかし、彼の著作リストがこの作品で事実上終わっていることはなんとなく理解できるように思う。彼は自らの文学的創造力と、現実に起こった殺戮の重みに、ほとんど押しつぶされそうになっている。本書の最後、ディックとペリーの戦慄的な絞首刑の場面の後で、作者は懸命に作品の着地点を探し、なんとかそれに成功している。捜査官ディックと殺されたナンシー・クラスターの親友スーザンはクラスター一家の墓の前で偶然出会う。待ち合わせの場所に走り去るスーザンの後ろ姿には、わずかながら、生の希望を、未来への望みを感じとることができる。しかし、それは作品全体に流れる圧倒的な量の「冷血」の前では、あまりにもささやかなぬくもりであり、あたたかみであるにすぎない。「IN COLD BLOOD」この世界の地底には、凍えるような冷たい血が脈々と流れているのだろうか。人間の内面に広がる広大な宇宙。その広がりと深みを感じさせる作品に出会った時、私は「ああ、文学だなあ」と呟く。その意味で、「冷血」はまぎれもない文学作品である。「ノンフィクション・ノベル」などという便利なことばに振り回されて、この作品を「技術」や「手法」の世界のなかに矮小化することを私は好まない。この作品は、文学の深みと広がりのなかにおいてこそ、その真の価値を明らかにするものであると私は信じる。この本を読み終えて、「ああ、文学だなあ」と呟いた後、私は唐突に「ドストエフスキーが読みたいなあ」と思う。「おいおい、ドストエフスキーかよ」。そう一人でつっこみをいれながら。
2008.05.17
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京都に出かけ、庭園を見に行く。門をくぐり、木々におおわれた細い道を通り、玄関を入る。薄暗い廊下を抜け、庭を正面から見渡せる座敷に入り、縁側に腰を下ろす。静謐、閑寂、清楚、端麗。正面に広がる庭の全景を見ながら、小さな溜息をつく。この情景を写真に収めるのはむずかしいだろうと思いながら、せめてものよすがにとカメラを構える。庭には白砂が敷かれ、庭箒で細かな線が描かれている。細い直線とゆるやかな曲線が砂上に浮かび上がる。白砂の上には大小さまざまのツツジの小山が鎮座している。密集した小さな葉が描き出すその稜線は、どこまでもゆるやかで、たおやかで、おだやかだ。ツツジの背後にはモミジの若葉が、空中に緑の息吹を放射した形そのままにかすかに風に揺れている。その向こうには遠景としての木々がそびえ立つ。なだらかな白砂とこんもりとしたツツジの山を近景とすると、ゆるやかな緑のM字を描き出すモミジの新緑は中景というところか。その背後には遠景として鋭い高木が屹立する。静かな遠近法のなかで、それぞれが自らにふさわしい場所を見出し、穏やかなたたずまいのなかに自足している。カメラをもち、構図を決め、静かにシャッターを下ろす。しかし、ファインダーを覗いた時点で、この庭のもたらす味わいは写真ではとらえられないことに気づく。いま目の前にある情景を十全に視覚化したとしても、そこには何か肝心なものが欠けている。そういう思いにとらわれる。いったい何が欠けているのだろう。そう思って、しばらく考える。でもよくわからない。そのうちに、観光客が次々に部屋に入ってくる。いつまでも特等席を一人占めしているわけにもいかない。立ち上がって、座敷の後方に場所を移し、どっこらしょっとあぐらを組む。部屋に入って庭を眺めた瞬間の、あの小さな感動がなぜ写真に写らないのか。私はもう一度カメラを手に取って、ファインダーを覗いてみる。おや、さっきよりはわずかにファインダーの中の像が自分の思いをとらえているようだ。いったいなぜだろう。ほとんど同じ角度から庭を写そうとしているにもかかわらず、感触としては微妙にこちらのほうが勝っているように思える。いったいどこがちがうのか。試みにシャッターを押してみる。そして、さきほど撮った写真と並べて表示し、両者を比べてみる。一枚目は縁側から写した庭の全景である。二枚目は座敷の奥から撮った庭。二枚目は部屋の奥から撮っているので、畳、柱、梁などが暗く前方を占め、その向こうに庭が写っている。室内の闇に黒く縁取られた形で白砂の庭が方形に切り取られている。「そうか、暗がりがあるかないかの違いなんだ」薄暗い室内。その向こうにある光に満ちた庭。空は曇天であり、その光はあくまでも柔らかい。木々の緑は夜来の雨でみずみずしく輝き、その緑色の光が室内の闇に隈取られ、くっきりと方形に浮かび上がる。この写真のほうが庭に対した時のこちらの心持ちに近い。庭は自立したものではなく、座敷の暗がりと一体となって存在しているのだ。門をくぐり、玄関を入り、暗がりを通り抜けて、庭の光に出会う。縁側に出て、暗闇を背負い、緑の光線に向かい合う。前方に光、後方に闇。この位置関係と庭のもたらす感興を切り離すことはできないのだ。そう思って、少し得心がいく。光と闇の対照の中に、この庭の本質はあるのだ。だとすると、庭を隈取る室内の闇は「額縁」の働きをしているのだろうか。どうもそうは思えない。額縁は対象を切り取り、その周囲に装飾を施す役目を担うものだが、この方丈の闇には対象を切り取る意識の働きも、装飾を施す作為も感じとることができない。この闇は対象を切り取るというよりも、むしろ外光を室内へと導き入れ、誘い込む働きをしているように見える。闇は外光を引き立てる脇役というよりも、むしろ庭の光のほうが逆に室内の闇の引き立て役に甘んじているようにも思える。私の脳裏には昨夜買い求めた祇園、甘泉堂の水羊羹が浮かぶ。あずきの色をさらにほのかに薄めたようなその色、つるりとした感触の中に闇と光をともに封じ込めたような形状、闇から湧きだしたような清水がその周囲を浸している。小さなかたまりを口に入れると、砂糖の甘さというよりも、むしろ水そのものの甘さが口中に広がる。まるでこの菓子の本体は「水」そのものであり、羊羹はその引き立て役にすぎないもののようにも思えてくる。主客の逆転。主従の転倒。今、目の前にある庭の主役は実は室内の闇ではなかったか。その暗がりは外光に徐々に浸蝕され、座敷の奥のあたりにわずかに残っているにすぎない。しかし、その闇は水羊羹を浸す甘やかな清水となって、室内を浸し、その上に白砂やツツジの像をひっそりと浮かべているのだ。もうひとつ気づいたことがある。たとえば龍安寺の石庭。団体の観光客がひっきりなしに行き交う、あの庭。あそこにいると、何かやりきれない思いにとらわれる。何かが無残に損なわれている感触がある。その庭はある高みを具現しているけれども、どこかに脆弱さがある。この庭は俗物の喧噪には耐えられないのだ。それが痛々しさを引き起こす。それは高尚なものの定めでしょう。あるいはそう言われるかもしれない。しかし、いま私の眼前にある詩仙堂の庭は俗塵にまみれてもこわれない。そこなわれない。観光客が入ってきて、ひとしきり大声で感想が述べられたとしても、それはいつまでも続かない。徐々にその声は小さくなっていく。静かに庭を眺める一人、あるいは二人の姿のほうが優位になってくる。沈黙に耐えきれなくなった客たちは、「ほな、お庭でも見てこようかな」、そういって向こう側の庭園に降りていく。そして、室内にはいつのまにか静けさが戻る。龍安寺の庭が俗物を排除しようとし、それに失敗して傷ついているのに対し、詩仙堂の庭ははじめから何ものをも排除しようとはしない。そして傷つくこともない。この勁さはどこからくるのだろう。龍安寺の庭の背後に見える白壁と直線。詩仙堂の背後にある静かな闇と緑色の曲線。白と直線。黒と曲線。この対比のなかに両者の違いはある。白と直線のもたらす排除。黒と曲線のもたらす寛容。自然のなかに直線は存在しない。人体のどこを見ても直線はない。すべてはやわらかくたわんだ曲線だ。おそらく美は直線ではとらえられない。美は曲線のなかにこそあるのだ。そして、詩仙堂の闇。それはけっして無制限、無節操な受容ではない。ふところ深くあらゆるものを包み込みながら、けっしてそれらに流されることなく、むしろそれらを教導する。教え、導く。いったいどこへ?それは「闇のなかへ」である。その闇は俗を捨て、排除するのではなく、むしろ俗に向かい、その中へ鋭く踏みこむ。そして、一閃の真実をつかみとる。この庭にはそういう気配が濃厚にただよっている。季節柄、若葉に照らし出された詩仙の間は少しだけ居心地が悪そうだ。寡黙なツツジの小山も若々しいモミジの新緑の光を浴びて、もぞもぞとお尻のあたりを動かしているようだ。そして、その姿を座敷の奥のやわらかな闇がふんわりと包み込む。闇は何ものをも排除しない。闇は何ものにも傷つけられない。むしろその傷を癒す場所こそが闇である。闇は何ものをも所有せず、また何ものにも所有されない。雲間から春の陽射しの降り注ぐ詩仙堂の庭を眺めながら、その光の照り返しを浴び、私はほのかな闇の中に座して、闇についてとりとめのないものおもいにふけるのであった。
2008.04.22
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福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)読了。この本は講談社のPR誌「本」の連載をまとめたものであり、その感想は以前にここでも述べたことがある。雑誌掲載時にほとんど目を通していたので、あらためて購入するかどうか迷ったのだが、もう一度通読して全体像を確認しておきたいと思ったのである。文章の緻密さ、卓抜な比喩、説明能力の高さ、行間に漂うそこはかとないリリシズムなどの印象は少しも変わらない。福岡氏の文章は、目のつまった端正なことばの織物を思わせる。どこにもほつれやほころびやゆるみのない、きわめて完成度の高い文章である。その織物に描かれた柄には独特の陰影が見てとれる。本書で紹介されている研究者の背後にはそれぞれ固有の影が宿っており、それが人物像に立体感を与えている。ただし、個々の文章や素材を云々するだけでは、この本を評したことにはならない。本は単なる文章の集合体ではない。最近では雑文を無造作に寄せ集めただけの本を時折見かけるけれど、そういうものは雑文集ではあっても、本来は「本」という名に値しないものだ。一冊の「本」にはやはり「大きな絵」がなければならない。本を書くという作業は、大きな絵を描くことであり、そこには構想力と構成力が必要となる。その「大きな絵」をじっくりと味わうことができたのは、本書通読の最大の喜びだった。この本の各章は独立性が高い。だが本として通読してみると、ここには大きな構想が感じられる。読み物としての面白さを追求しながらも、この本全体を貫く「主張」が明確に浮かび上がってくる。本書通読のもうひとつの喜びは、連載時にはなかった「エピローグ」に出会えたことである。10p足らずの短文だが、気品をたたえたみずみずしい珠玉の文章である。そこで筆者は幼い日の生きものとの関わりを記している。まず、アオスジアゲハについて。クスノキの葉裏で卵から孵った蝶の幼虫はやがてサナギになる。福岡少年は、そのサナギのついた枝を折って家に持ち帰り、花瓶に挿して、毎日観察する。読んでいておもわずため息がでるような文章の一節を紹介する。「緑色の硬い宝石のようなサナギは、日がたつにつれ徐々に変化してくる。殻がだんだん薄くなり内部がうっすらと透けて見えるようになる。中に複雑な文様が浮かび上がってくる。幼虫が蝶に変わること。これほど劇的なメタモルフォーゼは他にはない。そのすべてがこの小さなサナギの内部で進行しているのだ。」やがて、羽化が始まる。「サナギの背中が割れ、蝶が姿を現す。このとき蝶はまだ濡れそぼった糸くずのようにくしゃくしゃで、今自分が出てきたばかりのサナギの殻に、せわしなく脚や触角を動かしながら必死にしがみついている。やがて羽の細い翅脈の一本一本に生命がみなぎってくると、青い斑点が黒地の羽の中に一直線に並ぶ。アオスジアゲハの完成である。蝶は二、三度ためらいがちに羽を閉じたり開いたりして、ふと次の瞬間に、空中へ飛び立つ。」少年は秋の最後に生まれた幼虫がサナギのまま冬を越すことを知る。春一番で羽化する蝶を見るために、彼は秋の終わりにサナギをたくさん集め、かごに入れてそっと物置の奥に置く。春になり、徐々に気温が上がり、夏も間近に感じられるようになったある日、少年ははっとサナギのことを思い出す。もうあれから七ヶ月もたっている。少年はおそるおそる暗い物置に入り、かごをそっと開く。「十個以上あったはずのサナギはすべて羽化していた。羽化したアオスジアゲハは、あるものはかごの上部に細い脚を絡ませたまま、またあるものは下部におりかさなるようにして、それでいて羽をきれいに開いたまま、ほとんど何の損傷もなく完全に乾燥していた。そして蝶たちは、まるで生きているかのように、羽の鮮やかなブルーを完璧に保っていた。」さらにトカゲの卵についての思い出が語られる。小さな楕円形のトカゲの卵を見つけた少年は、それを土を敷いた小箱に入れて観察する。だが、なかなか孵化は起こらない。待ちきれなくなった少年は、卵に小さな穴を開けて、中を覗き見る。そこには「卵黄をお腹に抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた」「次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、すぐにふたを閉じようとした。まもなく私は、自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。殻を接着剤で閉じることはできても、そこに息づいていたものを元通りにすることはできないということを。いったん外気に触れたトカゲの赤ちゃんは、徐々に腐り始め、形が溶けていった。」これらのエピソードを通して筆者は何を語ろうとしているのか。「命あるものを畏れよ」と何かが私の耳元で囁く。生命を探究する唯一の生命体、それが人間だとするならば、その根底には「生命への畏敬」がなければならない。命はたえず流動し、揺らぎをつづける動的過程そのものである。生命体は気の遠くなるような多種多様な要素や条件によって構成されている。それらは一刻も休むことなく、互いに呼吸を合わせて小さな跳躍を繰り返している。その回りには大きな縄がゆっくりと回りつづける。それは、ちょうど人間がタテに並んで息を揃えて行う「大縄跳び」のようなものである。彼らの足並みには乱れがない。規則正しく、正確に、跳躍は繰り返され、その回りを精妙に大きな縄が規則的に回りつづける。生命活動はそのようにして営まれている。そこへ、どこからか「お嬢さん、おはいんなさい」という声が聞こえてくる。生命活動への人為的な介入は、この大縄飛びに外から入ることを意味する。注意深く、リズムを整え、呼吸を合わせないと、大縄に引っかかり、縄跳びは止まってしまう。それは生命活動の停止を意味する。はたして人類は、その縄跳びのリズムや呼吸、規則や法則性を十分に理解しているのだろうか。もしそれらを知らないまま無雑作に縄の中に入ろうとしているとしたら。しかも、片手に鋭利なメスを握って。エピローグの最後の一節に著者の思いはこめられている。ここをゴールと見定めて、本書の叙述は展開し、ようやくこの部分で収束し、収斂する。「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。」「これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。」「私たちは、自然の流れの前に跪(ひざまず)く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。」そして、本書は静かに終わるのである。
2008.04.16
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読まなければならない本というものがある。外部から強制されたわけではなく、あくまでも内面からの促しとして、いつの日か、この本だけは読まねばならない、そう思える本がある。しかし、そう思うことで、かえってその本を開くことがむずかしくなってしまうこともある。読まねばならないという気持ちが気負いになって、自然にその本を開くことができなくなるのである。私にとってV・E・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)がそれに当たる。ずいぶん以前にこの本を買ったまま、長い間、なぜかベッドの下の引き出しに眠らせていた。何かの折りにふと目に触れることはあるのだが、ちらっと見て、また引き出しを閉めてしまう。なかなか読み始めるきっかけを見つけられないでいた。先日、城山三郎の「落日燃ゆ」(新潮文庫)を読み終えて、ふと「夜と霧」を読んでみようと思い立った。今ならこの本に自然に接することができるような気がしたのである。息を詰めるようにして一通り読み、そのまま最初からもう一度読み直した。さらに新訳版も手に入れて通読した。都合、三回読んだことになる。それがもう一月以上前のことだ。読み終えて、いくつかのことばが頭のなかで明滅したのだが、それらがうまく焦点を結ばない。そのまま放置しておいたのだが、なにかすっきりしないものが残るので、少しだけ心覚えを記しておくことにする。まず霜山徳爾訳の旧版(後付には「1961年初版」とある)について。私は訳文そのものよりも、この本の構成に問題があると感じた。この本は大きく三つの部分に分かれている。最初に、イギリス占領軍の戦犯裁判法廷の法律顧問だったラッセル卿の報告書による強制収容所の「解説」があり、次にフランクルによる「本編」が置かれ、巻末に40p程度の収容所の「写真と図版」が掲載されている。結論からいうと、この本は本編だけで十分であり、「解説」も「写真と図版」も不要である。この二つには編集者(あるいは訳者の意向であったのかもしれない)の、許しがたい反人道的な行為に対する「告発」のニュアンスが色濃く出ている。もちろんアウシュビッツに代表される強制収容所の実態を強く「告発」すること自体はなんら非難に値するものではない。むしろ当然のことである。ただし、フランクルの本編は決して「告発」の書ではない。彼の筆致は客観的、抑制的、学術的であり、冷静に強制収容所における自らの体験を綴っている。そこには声高な告白調は微塵も見られない。そして、その声が静かであればあるほど、読む者の胸にその悲惨と暴力、無念と苦汁が切々と伝わってくる。そういう本なのである。その静かな語り口と、「解説」と「写真と図版」に見られる告発調の声音がうまく噛み合わない。そういう問題点がある。そう思って、私は本編のみからなる新訳版を買い求めた。最初からこういう形で出すべきだったのである。しかし通読してみると、ここにもまた問題がある。池田香代子訳の新版では、日本語がわずかに「ゆるい」のである。「ゆるい」翻訳が悪いというのではない。むしろ、こちらのほうがわかりやすく、若者向きであるという見方もできるだろう。しかし、この本に関してだけは「ゆるさ」は致命傷になりかねない。なぜかといって、前途有為の心理学者が研究の夢を断たれ、新婚間もない妻と別々の収容所に送られ、そこで言語を絶する日々を過ごす。その体験を彼が「ゆるい」ことばで綴るなどということはおよそありえないからである。やはり訳文そのものは、霜山訳に一日の長がある。佶屈した部分がないわけではないが、文章はわかりやすければいいというものではない。やはり文章の「トーン」は重要だ。だが、以上はあくまでも外形的な話にすぎない。本書の内容について感想を述べるべきなのだろうが、どうにもうまくことばにならない。この本は読む者に感想よりも、むしろ沈黙と内省を求めるもののようである。ちなみに「夜と霧」という邦題もやや文学的な印象を与えすぎる嫌いがある。やはり原題通り「強制収容所における一心理学者の体験」とすべきであろう。これほどの悲惨な体験に対して、人間はどのような距離をとればいいか。これがきわめてむずかしい。直接的な経験者にとってはその距離はあまりにも近すぎるし、間接的な経験者にはあまりにも遠すぎる。その狭間で経験の本質が伝達不能になる恐れがある。フランクルはそう考えたのではないか。そこで彼が取ったのは「学問」的方法である。一人の心理学者として自らの経験をなるべく客観的に描写する。そうすることによって直接経験から一定の距離を置き、間接経験者にも理解可能な表現が生まれる。つまり学問を媒介として直接経験者と間接経験者をつなぐことを彼は意図したように思える。そこには、自らの個人的経験をもあえて学術的資料として提供しようとする姿勢がうかがわれる。最も印象に残ったのは、きわめて抑制的に述べられた愛する人への想いの部分である。凍てつく早朝、氷のような風に吹かれ、彼は収容所から作業所へと監視兵に銃の台床で駆り立てられながら行進していく。かたわらにいる仲間の一人の呟きをきっかけとして、彼の頭の中には愛する人の面影が立つ。「時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像の中でつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は彼女と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見るーーそしてたとえそこにいなくてもーー彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。」「たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間はーー瞬間でもあれーー愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態――このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、と言われていることの意味を私は生れて始めて理解し得たのであった。」(p123~124)その像はあまりにも明確で、鮮明で、リアルであり、ことばを交わすことすら可能であった。彼は次のように述べる。「その時私は或ることに気がついた。すなわち私は彼女がまだ生きているかどうか知らないのだ!そして私は次のことを知り、学んだのである。すなわち愛は、一人の人間の身体的存在とはどんなに関係薄く、愛する人間の精神的存在とどんなに深く関係しているかということである。彼女がここにいるということ、彼女の身体的存在、彼女が生存しているということは、もはや問題ではないのである。愛する人間がまだ生きているかどうかということを私は知らなかったし、また知ることができなかった。(全収容所生活において、手紙を書くことも受け取ることもできなかった。そして事実妻はこの時にはすでに殺されていた)」(p124~125)かっこの中に付された最後の一句に私は息を呑む。愛の対象はその時、身体を喪失し、精神的な像へと昇華、結晶化している。それにもかかわらず、その像はあまりにも鮮明である。私はことばを失う。このような描写にどのように対処すればいいか、よくわからなくなる。沈黙と内省に沈む以外の方法が私には見つからない。フランクル自身が手を入れた新版においては、かっこの中に書かれた最後の一句はなぜか削除されている。本書の最後では、収容者の解放後の心理状態についても述べられている。「人間は数年来考えられる限りの苦悩の深い底に達したと思っていたのである。しかし今や彼は苦悩というものが底無しのものであり、何らの絶対的な奥底がないものであることが判ったのである。そしてもっともっと深く下って行くのを見るのである。 すなわちわれわれは収容所の人間を心理的に維持させるには、未来におけるある目的点に彼を指し向けなければならないことをすでに述べた。そして人生が彼を待っていること……たとえば一人の人間が彼を待っていること……が必要だと述べた。ところが今若干の人間は、もう誰も待ってはいないこと、を知らざるを得なかったのである。」「彼が収容所で唯一の心の拠り所にしていたもの……愛する人……がもはや存在しない人は哀れである。また彼が無数の憧憬の夢にゆめみた瞬間が本当に味わわれたのに、彼が描いていたのと全く異なって体験された人は気の毒である。彼は市電に乗り、それから彼が数年来心の中で、しかも心の中でのみ見たあの家の所で降り……彼が多くの夢の中で憧れたのと全く同じように……呼び鈴を押し……だが、ドアを開けるべき人間はドアを開けないのである……その人はもはや決して彼のためにドアを開けてくれないであろう……」(p203~204)「彼」という三人称がこれほど痛切に響く文章を私は他に知らない。「夜と霧」は私にとって読まなければならない本であった。そして、読み終えた後、これからも繰り返し読みつづけなければならない本になった。私の拙い感想はこの一句に尽きるのである。
2008.04.11
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教育に関して、次のように言われることがある。「教育においては、子どもに学ぶことの楽しさを教えることが大切だ。そのためには、生活のさまざまな現象や遊びと学習を結びつけたり、学習のなかで発見の感動を味わわせるなどの工夫が必要である」まことにもっともな意見に聞こえる。では、この発言の「教育」を「食事」に置き換えるとどうなるだろうか。「食事においては、子どもに食べることの楽しさを教えることが大切だ。そのためには、生活のさまざまな現象や遊びと食事を結びつけたり、食事のなかで発見の感動を味わわせるなどの工夫が必要である」なんだか大きなお世話という気がしてくる。こういう指導方針の下、子どもががつがつと旺盛に食い物をほおばる姿はイメージしにくい。口を閉じて、もくもくと静かに咀嚼している姿は浮かぶけれども、どうもあまりおいしそうではない。そもそも「好きになる」ことと「教える」ことはあまり相性がよくない。ほんとうに面白く、楽しく、好きなものを、他人にも同じように「好きにさせる」ことはむずかしい。たとえそういうことが起きたとしても、それは教える者への敬意や共感や好意に裏打ちされている場合が多く、純粋に「好きである」ことが教えられたかどうかは疑問である。「好き」という気持ちの核心には主体性や自発性がある以上、それを「教える」ことはそもそも不可能だと考えたほうがいいのかもしれない。では、子どもにおいしいものをたくさん食べてもらうにはどうすればいいか。まず教師自身が生徒の目の前でむしゃむしゃとうまそうに食いものをほおばるのが一番だ。無言で、必死に、ただひたすら食い物にかぶりつく。そこに「さあ、みんなも食べなさい」とか、「食べるって楽しいよ」などということばは不要だ。ひたすら食いまくる教師の姿を見て、子どもたちがごくりと生唾を呑み込んだら、その時、教育の目的はすでに達成されたことになる。「食べることはすばらしい」「食べることは楽しい」という言明は、すでにして食べることが「つまらない」、「楽しくない」ことを前提にしている。「学ぶことはすばらしい」「学ぶことは楽しい」という表現も、「学ぶこと=苦しい、辛い、めんどくさい」ことを前提としている。だから「学ぶことの楽しさ」を教えるよりも、まず教える人間自身が「学びを楽しむ」ことのほうが先決ではなかろうか。「学ぶ」対象は何でもいい。学問に限らず、スポーツ、武道、能、茶道、詩、短歌、俳句、賭け事、パチンコ、麻雀、その他諸々。「学ぶ」ことと「自発的な喜び」が共存していれば対象を問う必要はない。よく「学びからの逃走」といわれる。現在の生徒たちが「学ぶ」ことそのものから逃走を開始しているということだが、その子どもたちの前方に、教える人間の「学び」から逃走する後ろ姿が見える。そして、子どもたちの後方からは「学ぶ」ことの楽しさを熱心に教えこもうとする「情熱的な」教師が追いかけてくる。子どもたちは一方では「学ぼうとしない」教師に先導され、他方では「学ぶことの楽しさを教えようとする」教師たちに追い立てられる。ちょうど牧羊犬に前後を挟まれて移動する羊の群れのように。学びから逃走する教師、それを後方から追いかける生徒、それを懸命に追いかける誠実な教師。この三者が一直線に並んで走る姿が浮かぶ。もしも、その動きの延長線上に「学び」の世界の断崖絶壁があるとしたら。私は少し悲観的になりすぎているのかもしれない。その直線運動を止めるには、ひとつの逆説が有効だと思える。「もっとも効果的な「教え」は教えないことのなかにある」この逆説に賭けてみたい気持ちが今の私にはある。
2008.04.10
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「近隣に迷惑がかかるから」という理由で、ある映画が上映中止になった。ほぼ同じ理由で、あるホテルが日教組の教研集会の開催を取りやめるという騒動もあった。二つの事例を取りあげた報道では「表現の自由を守れ」という字句が目についた。私はこの定型的な言い方には微妙な違和感を覚える。この言い回しは、表現の自由が既に実体的なものとして存在していることを前提にしているからだ。はたしてこの社会には「表現の自由」という実体が存在しているのだろうか。そうではないと私は思う。そもそも「表現の自由」は、すべての表現を無条件で承認するものではない。そこには社会的に認められる表現と、認められない表現があり、それはその表現の内容、修辞、手法を検討しなければ判断できない。だから、その表現の内容以前に確固とした「表現の自由」が存在すると考えるのは妥当性に欠ける。では、その表現が社会的に認められるか、認められないかはどうやって決まるのか。また誰が決めるのか。日本国憲法第21条には「検閲は、これをしてはならない」とある。検閲とは国家機関、その他の政治権力が外部に発表される思想の内容を強制的にチェックすることだから、行政権力が表現の妥当性を判断するのではない。(それを行うことは憲法に抵触する)だとすると、ある表現の妥当性を審査するのは「社会」しかない。あるいは、その社会に属する人々の総意といってもいい。そうすると、その表現が認められるべきか否かを判断するには、まずその表現が社会に向かって示されなければならない。表現される以前に、その表現の正否を判断することは不可能だからだ。こう考えてくると、表現の自由は二段階の構成をとっているように思える。第一段階は「とりあえず表現する自由」である。そうしなければ、その表現を社会的に承認すべきか否かが判定できない。第二段階は「その表現を社会のふるいにかける段階」である。「この表現は社会的に許容すべきだな」、「いや、この表現は許容しちゃいかんな」、こう判断するステージである。その時の「ふるい」に当たるものが「公共の福祉」だろう。憲法第12条にはこうある。「国民は、これ(=この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」「公共の福祉」とは、個人的な利益を超えた社会全体の利益、あるいは幸福という意味だろう。このふるいにかけて、「社会的に承認できる」という認定がなされた表現に関しては、自由に社会に向かって発表してよい。これが第二段階の「表現の自由」だ。つまり、表現の自由は、「審査前」と「審査後」の二段構成なのである。さて、「表現の自由を守ろう」という言い方に違和感を覚える理由を説明しよう。そこでは表現の自由が「固定したもの」ととらえられている。地面に白いペンキでくっきりと描かれた線のように静的なものとして、「既に存在している」ものとして自由が意識されている。それは違うだろうと思うのである。「表現の自由」に限らないが、自由とは有機体、つまり「生きもの」のようなものだと思う。生きものは時々刻々、自らの体を部分的に破砕すると同時に、部分的に再構成している。つまり新陳代謝を行っている。同じように、「表現の自由」も一方では破壊され、他方では生成されていく。福岡伸一先生の「生物と無生物のあいだ」ではないが、自由は「動的平衡状態」のなかにある。その自由が社会的に承認されるか否かのラインはつねに流動しているのである。このラインを固定的にとらえると、自由は死ぬ。なぜなら、自由を与えるべきか、与えるべきでないかという判断基準がつねに流動的であることこそが、自由が自由であるための不可欠の条件だからだ。そして、その刻々に変わりゆく自由のラインを日々引き直すことは、不断に自由の再定義を行うことを意味する。だから「表現の自由を守ろう」という言い方に私はひっかかるのである。それはくっきりと明瞭な「自由」のラインというものがあり、そのラインの内側から「このエリアを死守しよう」という発想でなされていると思うからである。その自由を承認すべきか否かという社会的判断を示すラインは、ラグビーの守備と攻撃のライン、ディフェンスとオフェンスのラインのようなものだろう。それは両チームの肉体による圧力、作戦・戦術によって刻々と変化していく。その結果として「自由」のラインが作り出される。自由はたえず後退し、たえず前進する。たえず生まれ、たえず死ぬ。生成流動してやまないもの、それが自由である。もしも自由が消滅するとすれば、それはどのような場合だろうか。そして、すべての人が自由を礼賛し、自由を希求すれば、自由は実現されるのだろうか。そうではないだろう。むしろその時、「ライン」は消滅してしまう。だから自由の敵は「反動」ではないのだ。自由に対立するものがなければ、ラインは形成できない。ディフェンスとオフェンスのせめぎ合いのなかで日々勝ちとられるもの、それが自由だ。だから、自由を根底的に損なうものがあるとすれば、それは「試合放棄」である。試合放棄による不戦敗の積み重ねによってのみ、自由は消滅する。試合に参加することは負けを覚悟することであり、アクシデントによって負傷する可能性をも受け入れることである。負けること、傷つくことをおそれて、試合そのものを放棄し、試合に参加しなければ、遠からず「自由」のラインは消滅する。だから、自由を損なうものは、「試合放棄」であり、「サボタージュ」であり、「自粛」なのだ。ただし、ここで留意すべきことは「私は自分の意志で試合に出場することを拒否する」と宣言することは、ひとつの表現たりうるということである。「私は自らの意志に基づいて表現しない」、これもまたひとつの表現である。それは「表現の自由」のエリアの中に含まれる。だから、「私たちの施設で特定の集団の集会を開催することを私たちは拒否する」ということは自由である。「この作品を自分の劇場で公開することを私たちは拒否する」と述べるのもまた自由である。そういう自由を「とりあえず表明する」ことは許されているし、それが不当であるというのならば、「公共の福祉」というふるいにかけて社会的な判断を行えばいいのである。憲法第11条にはこうある。「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」当然、ホテルの経営者も映画館のオーナーもこの権利をもっている。ただし、続く第12条にはこうある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」これは要するに、「試合に参加する権利はすべての国民に認められるけれど、「サボリ」や「棄権」は認めない」ということである。自由を決める戦いに参加する権利はすべての人にある。ただし、この戦いをさぼることは誰にも許されない。だから自分の意志ではなく、「誰かに迷惑がかかるかもしれないから」というような主語なしのフレーズで、他者の表現の機会を奪うことは許されないのである。それは自分で判断することを回避し、逃避することだからだ。「検閲は、これをしてはならない」というのが命令であるように、「自由は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」というのもまた命令だ。考えてみると、これはかなり強い言い方である。自由のラインは日々形成しつづけなければならない。試合には出つづけなければならない。試合を放棄して、寝ころがって試合を眺めることは許されない。自由の真の敵は、主語を明示せず、「他の誰かに迷惑がかかるかもしれないかもしれないかもしれないかもしれない……」とつぶやきながら、試合からそっと「降りる」人間である。逃避する人間である。自由は水である。とどこおると腐る。だから動きつづけなければならない。だがひとところの水をかき回すだけではいずれ腐敗はまぬかれない。日々新たな水を地下水脈から汲み上げ、その水を外へ汲み出す。その作業をつづけない限り、自由を維持することも、活性化することもできない。私たちは自分たちを浸している自由の水を腐らせることに手を貸すべきではない。自由は守られるべきものではなく、日々戦うことによって勝ちとられるべきものなのだ。私はそう思うのである。
2008.04.04
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大きな仕事が一段落したので、やっとパソコンの前に戻ってきた。久々に先生向けの講演をしたのだが、折りからの花粉で鼻がやられ、自分の声とは思えない声で話す羽目になってしまった。声が出ないと話のリズムがうまくつかめない。おそらく喉から発する微妙な振動音の違和が身体組織や頭蓋にまで伝わるのだろう。なかなかうまく話の波がキャッチできない。それでも「ご静聴ありがとうございました」といって頭を下げた瞬間、間のつまった暖かい拍手をいただいたので、なんとかおつとめは果たせたようである。ちなみに儀礼的な拍手の場合、微妙な間があき、その間が不均等になることが多い。基本的には大学受験に関する話だから、一般の方が聞いてさほど面白いというものではない。ただそういう論題を超えて、自分なりに言いたいことがなかったわけではない。それは「わかるとは何か」ということである。以前に行った授業の一場面をその中で紹介した。それは小論文の授業で要約練習をしていた時のことである。その時の問題文はきわめつけの難文だった。たしか京大後期の経済学部の問題だったろうか。受験レベルを超え、既に一般的な学術論文の域に入っており、ある程度の専門知識を要する文章だった。生徒から悲鳴の声があがる。「せんせー、なに書いてあるか、ぜんぜんわかんないよー、むずかしすぎるー、むずいよー」「そうか?おかしいな、そんなはずないんだがなあ。気のせいだよ、たぶん。ぶうたれてないで、さっさとやれよ」ととぼけたが、難文であることくらいは先刻承知である。こちらはそういう文章に彼らがどう対処するか、それを見ようという心づもりである。疲れ切った顔をした生徒が次々と答案を提出する。その答案にざっと目を通す。これが惨憺たる出来かというと、必ずしもそうではないのである。極端に難しい文章を要約させた場合、ある一定のレベル以上の生徒は意外にそこそこの答案を書く。つまり、本文の大事なポイントはほぼ抜き出せているのである。ふんふん、なかなかやるじゃないか。そう思って、もう一度彼らの文章をよく見直すと、あることに気づく。たとえば本文の重要部がA、B、C、Dの四つあったとしよう。彼らの多くはこの四つのポイントをきちんと要約に盛り込んでいる。大事な部品はちゃんと揃っているわけだ。しかし、そのポイント相互の関係、AとB、BとCのつながりを見ると、どうもそのあたりにもやもやとした霧が立ちこめている。ある生徒は「A(そして)B(そして)C(そして)D」とただポイントを並列して書いているだけだし、他の生徒は本来逆接でつなぐべきポイントを順接でつないでしまっている。要するに部品は悪くないのだが、部品をつなぐジャンクションの部分に問題があるのだ。彼らはこれまでの学習経験から「大事そうなところ」を嗅覚で探り当てることには長けているのだが、単なる感覚ではそこまでである。要するに「部品」は悪くないのだが、「つなぎ」が甘いのである。さて、どうアドバイスしたものだろうか。私は教室で「わかるってどういうことだと思う」と質問する。「文章がわかるってどういうことだろう。誰か説明してくれないか」「えーと、それは要するに、誰かが書いた文章の内容をできるだけよく吸収して、理解するってことじゃないですか」「吸収か、相手のメッセージを忠実に吸収する、その吸収度の高さが理解度の高さだっていうこと?」「ええ、まあ、そんな感じ」「文章を読む。大事なポイントをマークする。それを忠実に吸収する。それがわかるということである。はたしてそれでいいんだろうか。オレの考えでは、それはまだ「わかる」の半分に過ぎないんじゃないかって気がするんだけど」「半分?」「要するに君たちの言ってるのは、わかるっていうのは受動的な行為ということだろう。それではまだ半分しかわかっていないとオレは思う」「……」「たとえば、ここに時計の仕組みが十分に「わかっている」人がいるとする。今、彼の目の前に時計が一個ある。彼が時計のしくみをわかっていることを証明するためにはどうすればいいだろう。彼はまず時計を分解しはじめる。ていねいにひとつひとつの部品をばらし、それぞれの機能を説明する。そして、「以上、終了」という。はたしてこれで彼が「わかっている」ことが証明できるだろうか。それだけでは不十分ではないだろうか。 おそらく彼はその部品を手にとって再び組み立て始めるべきなのだ。ひとつひとつの部品を組み合わせ、元通りに時計を復元していく。最終的に最後の部品を装着して、秒針がこっちこっちと動きはじめた時、はじめて彼は時計の仕組みが「わかっていた」といえるんじゃないだろうか。」生徒が小さくうなずく。「つまり、わかるとは重要な部品をただ単に取り出すだけの作業じゃなくて、その部品を使って自分なりにもう一度組み立て直すことを意味するんだ。「分解プラス再構成」、それがわかることだとすると、この間の君たちの要約はその半分しか行っていない。そう思ったわけだ。 でも君たちはこういうだろう。それはオレだってちゃんと組み立てたかった。でも、その組み立て方がよくわからなかったんだ、って。たしかに組み立てるのはむずかしい。無印良品で組み立て式のベッドを買って、配送員がうっかり組み立て説明書を入れ忘れたら、それなしでベッドを完成させるのはほとんど不可能だ。 では、文章における組み立て説明書っていったい何だろう。大事な部品をどう組み合わせたらいいか。その部品がそもそもどのようにつながっていたのかを明らかにするもの、それは何だろう。」一人の生徒の眼が光る。「論理!」「ご明察。その通り。それは論理だ。文章がわかるというのは、大事な部品がわかると同時に、その部品が相互にどのようにつながっているかという論理をつかむことだ。そして、その背後には自分の力でその論理を再構成しようという意思や意欲がなければならない。」他者の思想が「わかる」というのは、単に「なるほどなあ」と受身で感心することではない。そこにはその思想を自ら組み立て直し、さまざまなものに適用しようとする能動的・積極的な意思が欠かせない。「わかる」とは「再構成する」「動かす」という積極的な行為に裏打ちされたものなのである。私が講演で言いたかったのは次のことに尽きる。わかるとは主体的な営みである。この一点を目指して私は助走を開始し、徐々にスピードを上げ、やがて離陸し、飛翔し、そして着地する。そういうイメージが頭のなかには出来ていたのだが、現実世界には空気抵抗、風向き、天候、その他もろもろの条件があり、なかなか思い通りにことが運ばないのである。だが、最後にいちばん大切なフレーズを口にできたことは、私にしては上出来だったと今となっては思っている。
2008.03.27
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「文藝春秋」3月号、川上未映子「乳と卵」を読み終える。私としてはこういう「生もの」を読むのは珍しい。芥川賞にもさして興味はないのだが、「文藝春秋」に受賞作が掲載されると、半ば習慣でぺらぺらとページをめくってみるのである。しかし、ほとんどの場合、冒頭の数ページを読んだだけでやめてしまう。ここ数年で作品を最後まで読み通したのは、金原ひとみの「蛇にピアス」だけではなかったろうか。だから、冒頭に書いた一文は、事実の説明というより、私にとってはほとんど「評価」に近いのである。要するに、それほど怠惰で関心の薄い読み手のこころにも訴えかけるある種の力をもった作品だということである。その感想を少しだけ書いてみることにする。新聞の全面広告で彼女の全身写真を見たりしたせいで(念のために言っておくが、服は着用されている)、正直、こういう売り方にふさわしい(というのは「中味の薄い」)作品なのかなという先入見をもっていた。読み始めるとすぐに「なんだ、これは、あの天才、町田康の物まねじゃないか」とも思った。しかし、その後、先を読み進むにつれて(というのは彼女の文章はいったん読み始めると、するすると読み手を先に連れて行く不思議な力をもっているのだ)、徐々に感想が変わってきた。一言でいうと、これはなかなかの文章であり、文体である。一見すると、自分勝手な大阪弁しゃべくりスタイルに見えるが、どうしてどうしてそういうお気楽な文章ではない。自分に溺れ、自分を甘やかす人間にはこういう文章は書けない。ここには冷静で知的な「他者」の想定があり、それに向けての構想がある。計算というと聞こえが悪いが、読み手の都合をちゃんと勘定に入れた上で、文章が書かれ、構成が練られている。そのことをまず感じる。ただ、この作品は評価が割れるだろうとは思う。たしかに文体と視点はユニークであり、興味深いが、全体のストーリーにはそれほどの新鮮味は感じられない。初潮におびえる思春期の少女の独白とか、母子の確執とその劇的な和解とか、いってみれば「よくある」話ではある。だから「ストーリーが陳腐でつまらない」という評価と、「視点がユニークで文章が面白い」という評価が並んでいても、別に不思議はないのである。選考委員の某都知事は、「この作品を」「私はまったく認めなかった」と断言している。そして「この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい」と言い切っている。ただ、この反感は作品の出来に対するものというよりも、この作品のどこかが彼の勘所に触ってしまっているところから来ているように思う。彼は「どこででもあり得る豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファとしての意味が伝わってこない」と選評で書いているが、書かれていないものが伝わってくるはずはないのである。川上はむしろ作品を通して、女性の身体から「メタファとしての意味」を剥ぎとろうとしているのであり、某都知事の発言は「八百屋にサンマを買いに行って、『ない』といわれて怒っている客」とさして変わりがないように思える。彼女が女性の身体から「メタファとしての意味」を剥ぎとっている部分を見てみよう。それは作中の銭湯のシーンである。 「わたし」の姉、巻子は大阪から豊胸手術を受けるために中学生の娘、緑子を連れて上京する。わたしのアパートに着いた後、わたしと巻子は近くの銭湯へ出かける。「巻子は湯に浸かってる間、風呂場を行き来する女々の体を舐めるように観察し、それは隣のわたしが気を遣うほど無遠慮に視線を打ち続けるので、ちょっと巻ちゃん、見すぎ、と思わず小声で注意するも、ああとかうんとかの生返事をして、その目は入ってくる体、湯に浸かる体、出る体、泡にくるまれる体をじっくりとせわしなく追うのであった。」黙って裸の女たちを見つめる巻子の隣で、ひとりで喋るわけにもいかず、「わたし」は「仕方なく湯に並んで黙って女々の体を見てみれば、当然ながら改めて様々な形態のあること輪郭のあること色味のあること甚だしく、裸の中央に当たる部には、ほとんどの場合に、胸がある。肌色の分量がとても多く、この裸の現場においては、普段ならかなりの割り合いで識別の重みをもつ顔、という部位がとんとうすれ、ここでは体自体が歩き、体自体が喋り、体自体が意思をもち、ひとつひとつの動作の中央には体しかないように見えてくるのやった。」日常生活で大きな意味をもつ「顔」の識別機能が剥がれ落ち、その後にはむきだしの体があらわれる。そして、文章は次のように続く。「私はそれを思いながら行き来する女々の体を追ってると、よくあるあの、漢字などの、書きすぎ・見すぎなどで突如襲われる未視感というのか、ひらがななどでも、「い」を書き続け・見続けたりすると、ある点において「これ、ほんまに、いぃ?」という定点決まり切らぬようになってしまうあの感じ、今の場合は、わたしの目に女々の体がそうなってきており、だいたいなぜあそこが膨らみ、なぜ一番てっぺんに黒いものが生えており、しゅるっとなってこのフォルム、そしてなぜここでだらりんと二本でなぜ足はあのような角度で曲がってこんな具合をしているのかの隅々を、見失ったというか改めて発見したというかの状態になって、その改めて感から抜け出せぬような予感におそわれ」ることになるのである。この「未視感」は誰もが経験する「あれ」である。中島敦が「文字禍」で取りあげ、開高健が執拗にそれを引用した、文字から意味が剥がれ落ちる瞬間の違和感。しかし、川上はそれを文字ではなく、女性の肉体に見ている。そこから社会的、性的な意味を剥落させることによって、あの感覚に達しているのである。この部分を読んでいると、はたして彼女はこれから小説を書き続けていくのだろうかというかすかな疑念が湧く。この眼は、いわば「原存在」を見る眼であり、その意味では哲学者の眼である。この人の文章からは、「裸形の存在」を垣間見てしまう「業」のようなものを感じる。私にもかすかに身に覚えがあるが、これはふつうの生活をする上では「百害あって一利なし」の感覚である。川上は、同じ雑誌で編集部のインタビューにも答えている。その中で好きな作家として、以下のような人々を挙げる。村上春樹、カート・ボネガット、サリンジャー、柴田元幸の訳す翻訳小説のような無駄のない文章。私は、彼女がサリンジャーが好きだという気持ちはほんとうによくわかる。これだけの作家をピンナップガール扱いするほど、日本の文壇には有為な才能が満ち溢れているのだろうか。失敗あるいは転落、失墜、堕落、崩壊、滅亡を含めて、私はこの人の今後にいくばくかの望みをかけたいと思う。それはおそらく茨の道を裸足でどこまで歩き通せるかという戦いになるとは思うのだけれど。
2008.03.11
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日曜の午後、マンションの排水管の点検のため、自宅で過ごす。この時間帯には外に出ていることが多いので、手持ちぶたさんとどうつきあったらいいか、よくわからない。しかたなくラジオのスイッチをひねる。TBSラジオの伊集院光の番組が流れている。ゲストを迎えてのクイズ・コーナーだ。ゲストが何十年も前に受けた雑誌や新聞のインタビュー記事をもとに、その時の答を覚えているかどうかを試すという、まあ、たわいのないおちゃらけコーナーである。私はベランダの「ひめうつぎ」や「るりまつり」の枯れ枝をはさみでぱちんぱちんと切りながら、それを聞くともなく聞いている。コーナーが始まる。女性アナウンサーがゲストを紹介する。「本日のゲストは大江健三郎さんです」。うん?大江健三郎?「伊集院光の日曜日の秘密基地」のゲストが大江健三郎?はて、面妖な。思わずはさみを置いて、リビングに戻り、ラジオのボリュームを上げる。大江の声が聞こえてくる。こういう場合、司会者が恐縮、恐懼して、ひたすら礼賛のことばを発するというケースが多い。なにしろ相手はノーベル文学賞受賞者である。そうなったら切っちゃおう。なんだかいたたまれないしな。私は伊集院光の話をラジオで聞くのは嫌いではない。この人はたしかにおちゃらけタレントだが、そのおちゃらけを真剣にやっている気配がある。そこにいくばくかの好感をもつ。おちゃらけをおちゃらけでやられてはかなわない。もしもバスター・キートンがニコニコ顔だったら、ずいぶんと面白さが減じるだろう。そういうことである。しかし、予想はいい意味で裏切られる。テーマはいきなり「文体」だ。「ぼくは、とにかく書き直しをよくします。何度も何度も繰り返し、繰り返し書き直します。私の妻は私の仕事にはおおむね好意的で、批評めいたことはまず口にしないのですが、以前、こういったことがあります。『もしもあなたが最初に書いた、そのまんまの形で世間に発表する機会が一度でもあったらどんなにいいでしょうね』と。」伊集院は質問する。「先生のおっしゃる文体は、こういう文体というものがまずあって、それに近づけて書き直しをされるわけですか、それともそういうものはなくて、まず書いてそれを修正する中で結果的に文体ができあがっていくんですか」この質問を聞いただけで彼がどういう姿勢でこの話に臨んでいるかがわかる。彼はひるんでいない。本気である。おべんちゃらや追従を捨てて、正面から大作家に向き合おうとしている。まことによい度胸である。私は倚子に腰を下ろす。「それは後の方ですね。最初から文体というものはないんです。僕の知っている作家に三島由紀夫という人がいて、彼は最初から何を書くかがほとんど決まってたんですね。実際に書く時に、彼はそのイメージに装飾をほどこすようにして作品を完成させていった。でもぼくはとにかく最初はこういうものを表現したいという漠然としたイメージのようなものはあるんだけれども、それが何なのかはよくわからない。だからとりあえず書いてみる。でも読み直すとぜんぜん書けてないし、だいいち、読者はなにが書いてあるかわからないだろう。だから、ああでもないこうでもないと表現を変え、視点を変えて、延々と書き直すことになるわけです。その作業を繰り返して、最終的にやっとなんとか読めるものになり、その過程で自分なりの文体というものができあがっていくんです。」「最終的に読者に伝わる文体ができると」「でも実は、私の文章は読み手にあんまりよく伝わらないみたいで、難解とか、むずかしいとか、よくいわれるし、本としてもあまり売れないんですよ」(笑)まことにいい雰囲気で話が続いていく。しかし、大江氏、いかんせんラジオには慣れていない。CMやコーナーお決まりのクイズをすべて無視して、延々としゃべる。司会者はとうぜんそれがわかっているのだが、大江氏の話を途中で遮らない。30分近く、そのままノンストップのNHK第一放送状態で話が進んでいく。まことにみごとな司会者ぶりといわねばならない。そして、その後、大江氏はなんと伊集院光について、語り始める。「私はあなたは少年のころの思い出を、単なる記憶としてではなく、あるひとつの広がりをもった出来事として大事にする人であるように思います。その記憶をいろんな角度から立体的に語ることのできる人であるように思うんです。人間にはふたつのタイプがあって、一つは自分の個人的な思い出をただそれだけのものとして平板に語る人、もう一つはあなたのように様々な角度から立体的な出来事として語ることのできる人」このことばを聞いた伊集院氏の心境はいかばかりのものだったろうか。大江氏の話はさらに続く。「ぼくはね、昔の出来事を物語る時、たとえば、その時、私は左を見た、と書く時、はたしてその時、右手には何があったんだろう。自分の見ていなかったところに何があったんだろう。あるいは、その私を後ろから誰かが見ていただろうか。そういうふうに考えるんです。そして、それを書こうとする人間なんです」伊集院氏。「先生、僕は基本的にラジオは生しか出ないんです。録音だと取り直しができます。そうやって何度も何度もある話を取り直していると、ある時、ディレクターから『伊集院君、君の話、最初は面白いと思ったんだけど、なんか何度も話しているうちに、怖い話になってきてるよ』といわれたんです。気がつくと、もう別の話になってるんですよね。それも怖い話に。先生はそんなことはないですか」「それでぼくの小説はいつも『怖い、怖い』っていわれるのかなあ」(笑)伊集院氏。「ぼくは先生の「自分の木の下で」を読んで、読み終わってから、何度もおんなじ話をするじじいがいるじゃないですか、そういうじじいが大好きになりました」「ほう」「そういうじいさんって、同じ話をしながら、微妙に今日はここをカットしようとか、ここをふくらまそうとかしてるんですよね。それを何度も何度も聞いているうちに、その話があっちこっちにふくらみだして、それが単なる話じゃなくて、なんだか実際にそれを経験したような気になるんです。つまりじいさんの経験を自分も同じように経験している気持ちになる。それで『このじいさんの話って、結局、タイムマシーンなんじゃないか。タイムマシーンって実は発明されてたんじゃねーか』って思うんです」「うん、うん」この調子で話が展開する。やがて、話は大江の友人、伊丹十三の話になる。この話は延々と続く。10分以上、彼は訥々と語り始める。「伊丹は私の古い友人で、彼の妹は今の私の妻です。伊丹はある頃から映画を作り始めます。でもぼくはめったにその感想を述べたりはしません。妹には試写会の招待状がくるけど、ぼくには来ない(笑)。ぼくもあまり積極的に感想を言おうとは思わなかった。 でも、彼がテロリズムに関する映画を撮っているという話を聞いた。私は彼のテロリズムに対する姿勢に敬服していたので、これは見なければならない。そう思って、封切りの映画館へお金を払って見に行って、その夜、彼の事務所に電話をかけました。すると伊丹が自分で出たんです」「そうですか」「彼はどうだった、あの映画のどこが面白かったかと聞く。私は知っているのですが、彼は漠然とした抽象的な感想を許さないところがある。『あの映画はポストモダン的でよかった』なんて、そういう言い方は絶対に許しません。ぼくはそれをよく知っている。とにかくあの場面がこういうふうに面白かった。そう具体的に述べないと納得しない。私は心を決めて、あるシーンについて語り始めたのです」「はあ」「それは一人の小太りの警官が登場するシーンです。その彼のところに出前持ちが昼飯の注文を取りにくる。彼はなかなかペーソスに富むというか、ふてぶてしいような、とぼけたような、意地悪なような、人がいいような、そういう感じでその出前持ちをからかう。そこがとても面白いと思った。 その小太りの警官はどうもあまり仕事ができるというタイプではないようで、昼休みに本を読んでいたりする。上司が何を読んでいるんだと聞くと、サリンジャーだったりする。そして上司から警官というのはもっと現実に向き合うべきものだと説教をされる。 そんなある日、その小太りの警官は田んぼの真ん中にあるカラオケ・ルームに歌を唄いにいく。女の店員が「お客さん、仕事はなに」と聞く。すると、彼はふてぶてしいというか、なんというか、「学生」と答えたりするんです。 そして、偶然、隣の部屋にいる客が、自分が追っているテロの犯人であることがわかる。彼はいったんトイレにいって、落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かす。 そして、犯人の部屋に入って、口にカラオケのマイクを突っ込んで逮捕しようとする。犯人はドアから逃げる。彼は追う。店の通路の突き当たりに「通用口」という表示があって、二人ともそこに体当たりをする。ドアがこわれる。その向こうは田んぼだ。二人は田んぼに落ちて、格闘になる。 その小太りの警官は、日頃の言動には似合わず、なかなかよく闘うんです。そして最終的には見事に犯人を逮捕する。 まあ、ここまでは普通の監督さんでもそれなりに撮るのではないかと思うんです。私が印象に残ったのはその後のシーンです。 泥だらけになった犯人の背中を小太りの警官がホースで洗ってやる。これもまあわかるんです。でもしばらくすると、カメラが引いて、その警官の背中を店の女の子がホースで洗っているシーンが映し出される。 ぼくはこのシーンがすばらしい、いかにも伊丹らしくて面白かった。そう言いました。」「……」「すると、伊丹が妙なことを言うんです。そうか、それでね、健ちゃん、あの女の子の役名なんだけど、「みどり」ちゃんっていうんだよ。で、役者さんの名前は早乙女○○さんっていうんだ。健ちゃん、覚えた?」「私はこう言いました。あのさ、岳(たけ)ちゃん(伊丹の本名)、ぼくは小説家だよ。その小説家のぼくが、なんで「みどり」ちゃんとか、早乙女なんとかいう人の名前を覚えなければならないんだろうか」「彼はこう言いました。「それもそうだね、でもついでにいっておくね、あの小太りの警官役の人の名前なんだけど」「……」「伊集院光っていうんだよ、と」話はここで終わる。スタジオが一瞬沈黙に包まれる。伊集院はぐっと胸にこみあげるものがあって、うまくしゃべれない。そのことが、その沈黙から伝わってくる。
2008.03.03
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泥棒の背中を洗う警官、その警官の背中を洗う女店員。ここには物語を、文体を立体的にする複数の視点が存在している。その伊丹の視点に大江は共感する。そのことばは伊丹を深く励ましたであろうと思う。伊集院が静かに語りはじめる。「伊丹さんにはよく意味のわからないNGと、よく意味のわからないおっけーがあったんです。なぜ今のがだめなのか、なぜ今のがいいのか、やってるこっちにはよくわからない。でも役者はとにかく淡々と何度でも繰り返し演じるしかない。でも、あのシーンでは最初の出前持ちをからかうシーン、最後の背中を洗うシーン、あれはとにかく延々と繰り返し演技させられたのを覚えています。伊丹さんはその大江さんのことばを聞いて、きっと「報われた」と思ったと思いますよ」ひとつの物語を複数個の視点から立体的に浮かび上がらせる。大江はこの話を周到に準備してきたのである。けっして語りがうまいとはいえない彼の話は、伏線から、最後の一語まで、実にみごとだった。そして私は思う。この話にはもうひとつのしかけがある、と。この同じ話が、一般のリスナーと目の前の伊集院ではまったく異なる受けとられ方をしている。リスナーは最後の一言で警官が伊集院であったことを知り、伊集院は最初の一言でそのことを知る。同じ話がまったく違う受けとられ方をしているのである。複数個の視点の重要性を物語るエピソードを、複数個の受けとられ方をするように物語る。この話は入れ子構造になっているのである。マトリョーシカ人形になっている。そして、それこそが物語の本質なのである。大江にこれだけの話をさせる伊集院光という人はかなりの人物であるということになるのではないだろうか。そして、私はふと気づく。彼がその話の中で「小太り」「小太り」という言葉をさかんに連発していたことを。「小太り」の「光」。それはまた大江の息子に連なるのではないか、と。この話はいったいどこまで入れ子構造になっているのだろう。物語の要諦、それは自分の後頭部を想像の目で見ることだ。そんなことを思いながら、私は日曜の午後、日の当たるリビングでひとり静かに配水管のチェックを待つのであった。
2008.03.03
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zepp東京に「ファンキー大百科」を聴きに行く。うん?zepp東京?なに?「ファンキー大百科」?いったいどうしたんだ、この人は。ついに精神の病をきたしたか。いや、ご心配には及ばない。けっして心神耗弱状態でも、薬物の過剰摂取でも、躁鬱の発症でもない。永積タカシの歌を、というよりも正確には、一夜限りのスーパー・バター・ドッグのライブを聴きに行ったのである。敬愛するミュージシャン、永積タカシとの出会いは、彼が「ハナレグミ」としてソロデビューした直後だったから、私はこれまでバタードック(略称バタ犬)のライブを一度も見たことがない。バタ犬は現在、長期の活動休止中だが、「ファンキー大百科」というファンクのお祭りの日にだけ、一年に一度か二度、復活するのである。要するに「バタ犬の一夜漬け」というわけである。昨夜のライブは本来ならば昨年の11月27日に行われる予定だったのだが(ファンならば、この「イイフナ」の日が永積氏の生誕記念日であることはご承知の通りである)、直前に永積氏まさかの肋骨三本骨折の大怪我により延期されていたものである。期待半分、不安半分という気持ちで「ゆりかもめ」の人となる。不安といえば、会場は10代、20代の、いかにも基礎代謝の高そうな方々でびっしり満員である。うーん、私はよく言って「異物」、もっと言えばほとんど不審者である。だが、しかし、タカシくんのあの歌声に接することができるならば、この程度の異物感はへっちゃらなのである。しかし、さすがに気が引けて、一回席最後方に位置どる。(ちなみに全席立ち見である)ファンクバンドがバタ犬の前に二組。客席前方から真ん中にかけては、ファンクキッズの皆様がさかんに小刻みに縦揺れ、横揺れを繰り返している。後方の席はやや温度が下がっているので、前方でさかんに突き上げられたり、横に振られたりする手の波を見て、「まるで会場にいるみたい」な気分でそれを眺めている。二組目のバンドのパフォーマンスにはやや問題があり、純真素朴な若年層から「うざい」「しつこい」「くらい」「魅力のあるメンバーがいない」などというつぶやきが聞こえてくる。レトリックでコーティングされていない分、お子様方の批評は、かなり辛辣である。そこまでひどくはなかったけれども、そう言われる原因があったことはたしかだ。強烈なリズムと音量で空間をびっしりと自分たちの音楽で埋め尽くし、あおりのフレーズ、あおりのリズムパターン、あおりのシャウト。すべて事前に仕込んだものばかりである。このやり方でどれほど会場を盛り上げたとしても、それは結局のところ、予想通りの熱狂にしかならない。それで満足する客はそれでもいいが、「おお、いままさに、私の眼前でこんなものが作られていく」というライブ感覚はそこには生まれない。それは音量とか、演奏の質とかとは無関係だ。一言で言うと、予定調和の世界と「ファンク」とは決定的に異質のものなのである。面白いのは、「これはロックではない」、「これはジャズではない」、「これはパンクではない」という一連の表現は、これらの音楽がロック・ジャズ・パンク以外の別ジャンルの音楽になっているということを意味しない。それは要するに「こんなの音楽じゃない」ということなのである。少なくとも「音楽やってるオレたちが、それを聴いているオマエたちをのせてやるぜい」というのは、演奏する人間としてはなはだしい料簡違いといわざるをえない。「オマエたちは自分の好きな音楽を好きなようにやればいい。それをどう判断するかはオレたちの自由だ」ーこれが正しい音楽鑑賞の姿勢であり、健全な演奏者と聴き手の関係なのである。そこのところを勘違いしてもらっては困る。ということで、ついについにスーパー・バター・ドッグの登場である。会場内のもう一人の超不審者、キーボードの池ちゃんを筆頭にメンバーがひとりひとり登場してくる。そしてついに永積タカシ、降臨。声がやや風邪気味に聞こえるが、彼の喉はスロースターターである。まだ準備運動中というところだろう。やがて、彼らの演奏がはじまる。直前の大音量、照明びかびか、ひたすらシャウトという演奏に耳がじーんとしびれていた聴衆に、永積のややかすれた、少し鼻にかかった、でも甘くせつない歌声が届いてくる。バックの演奏もCDで聴くよりもずっとまろやかに聞こえる。照明も抑えめだ。私の目の前の観客が黒い波に見えてくる。暗い夜の海の向こうに輝くステージがあり、そこから永積が振動を送ってくる。ギターが、ベースが、キーボードが、ドラムスが、響きを送ってくる。それらの音は基本的にはタテノリのファンクでありながら、音と音との隙間がとてもたっぷりととってある。その隙間の中をどう動いたっていいんだぜ。彼らは音でそういっているようだ。そういう音にまわりを包まれていると、とても自然でリラックスした気持ちになる。「自由」を感じる。そう、彼らは音楽で「自由」を作ろうとしているのだ。今まで目の前からまっすぐ叩きつけられるように届いていた音が、いったん足下の方へ潜っていく。そして、海岸の砂浜で波が足元に寄せてくるように、その音は静かに静かに会場の聴衆全員の足元を浸していく。やがて、その波は永積の声に従って、ゆっくりゆっくりとうねりはじめる。会場の前方と後方の間にあった温度差の垣根は同じひとつの波に包まれて静かに解消されてゆく。ゆったりと同じ温度の波があたり一帯を覆い尽くし、それが時には早く、時にはゆっくりと波動を繰り返し、会場全体に大きなうねりをつくりあげていく。私の隣で硬直していたように聴いていた10代の女の子の体が、少しずつ少しずつ横に揺れはじめる。彼女は恥ずかしそうに回りを見ながら、小さく小さく手を打ちはじめる。会場全体を包む「自由」という名の大きな波に揺られながら、私は思う。自由とは静止ではない。波ひとつない、鏡のように静かな海の上で人は自由を感じない。自由には運動が必要なのだ。そしてその運動の起点となる「誰か」が必要だ。それは誰でもいいというわけではない。きわめて限られた特別な人間だけが、自由の起点となって波を起こすことができる。そして、その運動はどこかでコミュニケーションの機能を担っていなければならない。その波は人と人とを自由に、そして確かに、密接につないでいく。そのゆるやかな波の中で人は自分自身を見失うことなく、また他者を見失うこともない。こころをあたため、つなぎ、ときはなつ、静かで、激しい音の波。その幸せで、自由で、あたたかく、はげしい音の波を、人は「音楽」と名づける。以上が、その夜、私がバタ犬から、そして永積タカシの演奏から感じとったメッセージである。永積氏が「新曲です。リラックスして聴けよ、みんな」といいながら緊張しまくって演奏した曲。そして、その次、いきなり永積のソロで歌い出される曲。彼の声が会場にいる一人一人の耳の中のうぶ毛まで揺らすのを私は感じた。そして、その声を聴いた瞬間、ひさびさに鳥肌が立った。鶯谷のキネマ倶楽部に響いた「トンネルを抜けて」、「そして僕は途方に暮れる」、渋谷アックスで聴いた「ハンキー・パンキー」初演、NHKホールで聴いた「男の子、女の子」以来の鳥肌立ちである。その曲の間奏の永積のギター・ソロは、あのビル・フリーゼズそっくりだった。かくして、永積タカシは帰ってきた。なに?永積タカシを知らない?そんなのぜんぜんたいしたことじゃないですよ。ええ。それはただあなたが、この国の最もすばらしいミュージシャンの一人をまだ知らないってことにすぎないんですから。ぜんぜんたいしたことじゃないですよ。ぜんぜん、ね。
2008.02.19
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中村雄二郎「『させていただく』考」という文章の書き出しにふと目がとまる。「しばらく前から、自己と他者の関係、とくに日本社会での自他の関係を考えてきて、『させていただく』ということばが気になっていた。私はもともとばか丁寧な言い方は好きではないので、『させていただく』ということばをずっと使わないですませてきた。しかし、ある程度歳を取ってきて社会的に責任ある立場に立たされるようになると、そうもいかない場面がどうしても出てくる。そういうとき、他人がそのことばをこだわりなく言うのを聞いていると、その方がどんなに気が楽かと思うのだが、それがうまく言えない。」同感である。私も生まれてから今日まで「させていただく」ということばを口にしたことは一度もない(と思う)。他人がそう言うのを聞いただけで、なんだかタオルをぎゅうっと絞りあげられるようにからだがよじれてしまう気分になる。「させていただく」と「よろしくどうぞ」というフレーズはおそらく生涯口にすることはないだろう。よくわからないが、生理的にまったく受けつけないのである。「もともとばか丁寧な言い方が好きではない」という部分にも共感する。「好きではない」どころか、私にはそういう言い方をする人間を「警戒」するところがある。これまでの人生で、そういう人間に少なくとも三人は出会ってきた。一人は職場の年上の男性、一人は同年代の元同僚、もう一人は妙齢の女性であった。三人ともことばづかいが過剰に丁寧だった。ただそこには文法や語法の乱れはほとんどない。きわめて整然と「ばか丁寧」に話がなされるのである。ふつうなら「ずいぶん丁寧な人だな」と思うだけだろうが、私には彼らの話し方はどうにも不自然なものに感じられた。その丁寧さが「何か」の補償行動のような気がしたのである。こころの奥に「何か」があって、その何かとのバランスを取るためにやむなくそういう話し方がなされているように思えたのである。結果から見て、私の直感はそれほど的はずれのものではなかったようである。最初の一人は、仕事を終わって帰宅すると、晩ご飯を済ませた後、細君と向かい合い、その日、職場で起こった出来事を時系列に則して、綿密かつ細密に、細大漏らさず、記憶に残る限り、一言一句まで再現する習慣があったそうである。その業務報告は毎日、ゆうに1時間を超えるものだったという。二人目は後に重度のアルコール依存症であることが判明した。日頃の異常な腰の低さとことばづかいの丁寧さとは裏腹に(私はすれ違いざまにお辞儀をされて、彼の頭が地面につくのではないかと心配したことがある)、酩酊時の突発的な暴力行為と悪口雑言ぶりは同席した人々に深い印象を残したそうである。(幸いにして私には直接それを見聞する機会はなかったが)三人目の女性は長く心身症を患い、極度の拒食症状を示し、何度も路上で意識を失うことがあった。周囲の人間が世話したカウンセラーに対して、事前に膨大な臨床心理学の文献を読み込み、自分がいかに健全な精神の持ち主であるかということを滔々と説き、まったくカウンセリングをさせなかったという話である。「ばか丁寧さ」のすべてがそうだというつもりはないが、聞いていてどうにも居心地が悪くなるような不自然な丁重さには、何かそれなりの事情があるように思えるのである。さて、「させていただく」の話に戻ろう。この言い回しはビジネスの場面ではかなりの頻度で現れる。中村氏も先の文章で述べていることだが、この表現は「させる」という使役の動詞と、「いただく」という謙譲語が合体したものである。あなたさまのおかげで私はこの行為をなすことができるのであり、その寛容なお気持ちに対して感謝の念すら感じている。そういうニュアンスを伴う表現である。「使役」というのは、他人にある行為をさせることだ。「やりたくてやったんじゃないよ、おまえがさせたんだよ」という時の「させる」が使役である。つまり、自分から主体的にやったんじゃない。おまえがそうさせたんだよ。そういうニュアンスがここには感じとれる。「謙譲」はへりくだりである。相手を見上げるために、自分の足元に穴を掘る行為を「へりくだり」という。相手との身長差を拡大するためには、相手を台の上に載せる「尊敬」と、自分の足元に穴を掘る「謙譲」という二つの方法がある。謙譲はわざわざ自分を低く見せようとする行為だから、どうしてもそこには卑屈さ、いじましさがただようことになる。その結果として、この言い回しには自発性・主体性に欠け、潔さ・決断力に欠ける優柔不断な姿勢がにじみでる。私のこの言い回しに対する抵抗感をあえてことばにしてみると、そういうことになる。しかし、ここまで書いてきて、「これだったら自分も使うかもしれないな」という例文をひとつ思いついた。それはこういう文章である。「今日限りで辞め『させていただきます』」。うん、これなら使う可能性はあるな。たまたまこういう機会がなかっただけで、もしこのことばがふさわしい状況に置かれたとしたら、使ってもぜんぜんおかしくない。しかし、この例文だけ違和感がないのはなぜだろう。おそらくそれは「おれをここまで追い込んだのは、まぎれもなくおまえさんたちだぞ」という含意が明確に感じとれるからだろう。これなら上司の目を下からにらみあげ、奥歯をぎりぎり鳴らしながら口にしても、それほど不自然には感じない。適度に言語外情報をぱらぱらとふりかければ、謙虚さどころか逆に「不遜」さすら感じさせることのできそうなフレーズだ。自ら辞めたいと思ったのではない。なにものかの力によって(おそらくはそのなにものかに目の前のあなたも加担しているのだ)、ここまで追いつめられてしまった。これぞまさしく「使役」である。しかし、だからといって公然と相手を非難することはできない。現段階では自分はまだ組織に属しており、相手は同じ組織の目上の上司だからだ。しかし、いくら目上とはいっても相手はいわば「加害者」だ。そんな人間を今さら高い台の上に載せてあがめ奉る気持ちにはなれない。よーし、上等じゃねーか、ここはひとつオレ様の足元に深々と穴を掘り、その穴の下のほうから話してやろうじゃないか。その姿を見て、加害者であるあんたの気持ちも少しは痛むんじゃないの、きりきりと。そこで「謙譲語」の出番というわけである。加害者はおまえさんだ。そのせいでオレはこんなところまで追いつめられちまったんだぜ。こういう状況で発せられる「させていただく」は、むしろ自然な言い回しに聞こえる。「えー、それではただいまより○○社長の叙勲を祝う会を始めさせていただきます」【内心訳】おまえがめんどくさい勲章なんかほしがるから、この忙しいところにわざわざみんなで集まる羽目になっちまったじゃねーか。ああ、めんどくさい。噂ではずいぶん下工作したって話も聞いてるぜ。いくつになってもあぶらっけの抜けねえじじぃだぜ、ったく。みんないやいや来てんだよ。顔はにこにこしてるけどよ。あーあ。こんな欲ぼけじじいの下で働くことにつくづく嫌気がさしてきた。でもなあ、これから再就職先探すったってかんたんじゃねーからなあ。こんなとこにいなきゃいけないオレもずいぶんと情けねーよなあ、考えてみると。あーあ、やだやだ」「させていただく」というフレーズの背後には、なかなかに豊かな含意が読みとれるようである。ことばの幅を広げるためにも、ひとつこのフレーズを使ってみるとするか。ということで、このあたりでこの文章を慎んで終わらせていただくことにするのである。
2008.02.15
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最近「らしい」人が減ってきたように思う。そもそも「らしい」ということばが肯定的に用いられることが少なくなってきた。現在ではむしろ「らしくない」というほうがほめ言葉に近い。「老人らしくない老人」、「役人らしくない役人」、「教師らしくない教師」、「上司らしくない上司」、「四十代らしくない四十代」、一部微妙な用例もあるが、そのほとんどは相手をほめている(ように聞こえる)。もちろん「らしくない」の上にネガティブなものがある場合には、その否定形は当然、反転してポジティブな意味になる。老人、役人、教師、上司、四十代。まあ、一般的にいってあまり肯定的にとらえられることの少ない方々ではある。一方で、「ガイジンらしくないガイジン」、「モデルらしくないモデル」、「東大生らしくない東大生」、「格闘家らしくない格闘家」――テレビその他のマスメディアにはこういう「らしくない」人たちが氾濫している。「新聞記者らしくない新聞記者」、「役者らしくない役者」、「アナウンサーらしくないアナウンサー」、「CMらしくないCM」。挙げていくときりがない。なぜこれほど「らしくない」ことが価値をもつようになったのか。常識的に考えれば、「型の喪失」という社会的な背景が関係しているのだろう。さらに、「型」に縛られないことを「自由」ととらえる意識がある。これまで挙げてきた用例はどこかでその職業や役割の「型」に束縛されていないという意味において肯定的なのである。しかし、「らしくない」をその後につけるとけっして肯定的な意味にならないことばもある。それは「自分」である。「自分らしくない生き方」、「自分らしくない発言」、「自分らしくない振る舞い」――、これらはすべて否定的なニュアンスを帯びている。要するに、「自分」は「型」ではないという意識がそこにはあるのだろう。職業や役割のもたらす「型」よりも、「自分」は上位に属している。上位概念である「自分」が、下位概念である「型」に縛られている状態は息苦しく、はた目にも自由でないように見える。だから、それらの「型」から解放される「らしくない」が珍重されるのだ。しかし、「自分」は例外である。これを失うことは自己の喪失につながるわけだから、「自分らしくない」生き方などけっしてしてはならない。それは最上位概念である「自分」の価値をおとしめるものである。そういうことになるのだろう。しかし、この考えの前提にある「自分は型ではない」という意識ははたして正当なものなのだろうか。むしろ自分とは「型」そのものではないだろうか。「型」とは要するにパターンのことである。発話のパターン、行動のパターン、思考のパターン、表現のパターン。少なくとも外からその人をとらえる時に、何を手がかりにするかといえば、それはパターンしかない。外部からとらえられた個々の人間は、要するにさまざまなパターンを積み重ねた束のようなものなのだ。だから個性とはパターンであり、型なのである。少なくとも外から見た場合には。われわれが芋虫を見るときには、その芋のような外殻を見ている。芋虫に出会って、そのぐにょぐにょした内臓部をただちに意識する人はいないだろう。蟹とは、蟹の外形であり、鳥は鳥の外形であり、蝉は蝉の外形なのである。当然、人も人の外形だ。そして、その外形によって個体を識別する時には、さまざまなレベルのパターンを意識し、そのパターンの偏差や変異に着目する。そのパターン認識が裏切られた時、人は「あの人らしくないなあ」とつぶやく。こちらがあらかじめ用意していたパターンから逸脱した場合には、「らしくない」ということになる。つまり「らしさ」とは型のことなのである。当然「自分らしさ」も型であり、パターンであり、外殻なのである。最近、ずいぶんフットワークが軽くなり、あちらこちらと遊び回っていた芋虫さんが、「オレも最近、ちょっと自分を見失ってるなあ。もう少し昔に戻って、自分らしく、芋虫らしく生きていかねばならんなあ」と反省したとする。さて彼はどのようにして芋虫に回帰するであろうか。当然、どてっと腹這いになって、動いてるんだか動いてないんだかわからないくらいの低速で、もぞもぞぐずぐずと匍匐前進するだろう。これはすべて外から見た芋虫のパターンである。芋虫さんが内面や意識のなかでいくら「芋虫経」を唱えても、彼は芋虫らしくはなれないし、「我は芋虫なり」と内観に励んでみても、ちっとも芋虫らしくはなれない。「自分」も同じことである。「自分らしい生き方」とは、他人が自分をどう見ているか、それをよく観察し、外形をそれに合わせることである。自分を他人の目に応じて固定することである。けっして自分を形のないものに向かって解放することではない。芋虫が芋虫から解放されてしまうと、芋虫ではなくなってしまう。それと同じである。「自分らしい生き方をしたい」と人が言うとき、その時の「自分」はひょっとして外殻を失ってしまっているのではないだろうか。芋虫であることをやめた芋虫は、自分の外殻をべりべりと引き破り、からだの内容物を地上にどさりと横たえる。そして、今や自分は何ものにも縛られない完全な自由を手に入れたと考え、そういう「自分自身」に陶酔する。だが、その姿ははたから見ると、ほとんど「死体」と変わることがないのである。だから「自分らしい生き方」をどこまでも追い求める人の姿は、私の目には路上に放置された内臓の集積物に見える。さまざまな「らしい」殻を脱ぎ捨てた結果、外殻そのものを喪失した「自由な」彼らは、いったいどうやって自分のからだを移動させるつもりなのだろう。それが不思議に思われてならない。
2008.02.14
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好きな文章というものがある。その内容以前に、ことばを紡ぎだす書き手のこころの律動が、こちらの胸の奥にある音叉と共鳴して、微かな「うーん」という音をこころのなかに響かせる文章。ひとつの文をたどりながら、その少し先や、あるいはその少し奥が、布地に垂らしたインクのように周囲に静かににじみ、広がっていく文章。ひとつの文から次の文への流れが予測通りであることがよろこびとなり、予測通りでないことがまたよろこびとなる文章。そういう文章がある。もう一方で、「好き」ということばが必ずしもふさわしくない文章もある。もちろん「嫌い」なわけではないが、こちらから望んで積極的に読むことは少ない、ただ、何かの折にふとその文章に触れると、「はっ」と息を呑んでしまう文章。それまで無意識のうちに曲がってしまっていた自分の背筋を思わず伸ばしてしまう文章。何気ない一節に張りつめた「気」がこもっている文章。そういう文章がある。私にとって幸田文の文章は後者に属する。たとえば「藤」という随筆がある。大正十三年。文は家族ともども町へ引っ越す。それまでの草木に親しんでいた暮らしから、玄関わきに椿が一本、茶の間の前にかなめもちが一本、隅に椎が一本というようなわびしい景色の中に移り住むことになる。草木の少なさに不服を述べる家人に向かって、父、露伴はこう言う。「そこ(庭)は盛り土がしてあり、以前の表土の上に木屑や石くれが積んであるので、植えても木は枯れるだろうし、枯れていく木を眺めていられるほど自分の神経は、むごくはないのだ」。家人はそのことばに納得し、それ以後、何も言わなくなる。文は嫁ぎ、その後、夫と別れ、小さな娘を連れてうちに帰ってくる。「父なし子になってしまった孫娘に、祖父はあわれをかけてくれた。」そんなある日、町に縁日が立つ。「父は私に、娘をそこへ連れていけ、という。町に育つおさないものには、縁日の植木をみせておくのも、草木へ関心をもたせる、かぼそいながらの一手段だ、というのだった。」この縁日の短い描写に、私は小さく息を呑む。「水を打たれた枝や葉は、カンテラの灯にうつくしく見え、私は娘の手をひいて、植木屋さんとはなしをした。『これだけしゃべらせて、なんだ、買ってくれねえのか』といわれたりすると娘は私の手をかたく握って、引っ張った。」「娘は私の手をかたく握って、引っ張った。」ーー文章の神様がそっとウィンクしてくれなければ、けっして書くことのできない一節である。文章の神はこういう細部に好んで棲みつくものらしい。春になり、お寺の境内に植木市が立つ。露伴は文にガマ口を渡し、「娘の好む木でも買ってやれ」という。汗ばむような、晴れた午後、文と娘は連れだって植木市へ行く。娘は藤の鉢植えがほしいといいだす。「鉢ごとでちょうど私の身長と同じくらいの高さがあり、老木で、あすあさってには咲こうという、蕾の房がどっさり付いていた。子供はてんから問題にならない高級品を、無邪気にほしがったのである。」とてもガマ口の小銭で買える代物ではない。文は笑って他の草花をすすめ、娘は小さな山椒の木を選ぶ。彼女は山椒の葉としらすぼしを醤油でいりつけてごはんにぱらぱらとまいた弁当が好物だったのである。のどかな光景である。小さなしあわせのともしびがほんのりと浮かび上がるような情景だ。しかし、この空気が帰宅後、一変する。父、露伴はその話を聞いて、みるみる不機嫌になる。文の書く露伴のことばはいつも私の胸を衝く。それはひょっとすると露伴のことばそのものではないのかもしれない。そのことばを聞いたときの文のこころの震えや怯えや畏れごと、それらは紙の上にすくいとられているように思える。ここに書かれた露伴のことばもまさにそうである。少し長いが、以下に引く。「(父は)藤の選択はまちがっていない、という。市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目をもっていたからのこと。なぜその確かな目に応じてやらなかったのか、藤は当然買ってやるべきものだったのに、という。そういわれてもまだ私は気がつかず、それでも藤はバカ値だったから、と弁解すると父は真顔になっておこった。好む草なり木なりを買ってやれ、といいつけたのは自分だ、だからわざと自分用のガマ口を渡してやった、子は藤を選んだ、だのになぜ買ってやらないのか、金が足りないのなら、ガマ口ごと手金に打てばそれで済むものを、おまえは親のいいつけも、子のせっかくの選択も無にして、平気でいる。なんと浅はかな心か、しかも、藤が高いのバカ値のというが、いったい何を物差にして、価値をきめているのか、多少値の張る買い物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか、その藤をきっかけに、どの花をもいとおしむことを教えてやれば、それはこの子一生の心のうるおい、女一代の目の親しみにもなろう、もしまたもっと深い機縁があれば、子供は藤から蔦へ、蔦からもみじへ、松へ杉へと関心の目を伸ばさないとはかぎらない、そうなればそれはもう、その子が財産をもったも同じこと、これ以上の価値はない。子育ての最中にいる親が誰しも思うことは、どうしたら子のからだに、心に、いい養いをつけることができるか、とそればかり思うものだ。金銭を先に云々して、子の心の養いを考えない処置には、あきれてものもいえない」と。このことばは文のこころに深く沁み入る。娘は大きくなっても花を見て、きれいだというだけ、木を見ても、大きな木ねというだけで、それ以上心が動かない様子を見せる。「ほかには優しい心をもつほうなのだが、野良犬にふみ倒された小菊を、おこしてやろうともしない固さなのである。」文章の神がまたウィンクをしている。しかし、娘の嫁いだ夫は望外に花を愛する人であり、その感化で娘もやがて花を愛ずるようになる。文はほっとこころをくつろがせ、一度どこかへ藤をたずねたいと思うようになる。そして東京近郊に見事な藤を見つけ、ひとときの間、それに見惚れる。しかし、その目は上を仰ぎみた後、下へと向かう。幸田文の文章の真骨頂が始まる。「しかし、花よりもその根に、おどろいた。千年の古藤というからには、根まわり何十尺と数える太さもさることながら、その形状のおどろおどろしいのには、目が圧迫された。うねり合い、盛り上り、這い伏し、それは強大な力を感じさせるとともに、ひどく素直でないもの、我の強いもの、複雑、醜怪を感じさせた。花はどこまでもやさしく美しく、足もとは見るもこわらしく、この根を見て花を仰げば、花の美しさをどうしようとおろおろしてしまう。だが、それならといって、立去れもしなかった。こわいものの持つ、押さえつけてくる力があって、連れの人にうながされるまで、私は佇んでいた。」ここで文は花を見、根を見ながら、人を見、人の生きる姿を見、人の生きる世界そのものを見ている。そこには美があり、同時に醜がある。そして、そのふたつは離れがたく結びついている。美に魅惑があるように、醜にも強い力がある。それをどう考えるべきか、しかし、答はない。答のない世界に棲む生き物の恍惚と不安と恐怖。それをこれほど短い文章に掬い取る幸田文の文章の凄みに、私は好意よりもむしろ恐怖を感じる。彼女の文章がこれほどの凄まじい凝縮力を感じさせるのは、彼女の目がおそらくここに書かれた以上のものをありありととらえていたからである。そして、彼女はそれを書かないことを通して、それらを言外の余韻として読む者に感じさせる。文章の神のウィンクばかりでなく、その鬼のような形相を垣間見た人間だけが、このような文章を書くことを許される。そう思いながら、私は文庫本にしてわずか15頁のこの作品を読みおえ、深く溜息をつくのだった。
2008.02.10
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私たちの世代はたまたま教育課程の変わり目にあたっていた。旧課程、新課程ということばがあちこちに飛び交っていたし、中学校の数学では「集合」を新たに学習したり、理科(たしか第二分野だったかな)では分子レベルの生物学の初歩を学んだりした。「集合」は学習内容こそたわいないものだったが、なぜそんなものを学ばなければならないかよくわからなかった。でもその割には、今でも授業で集合の絵を描いて説明したりしているから不思議だ。黒板全体を日本語の世界にたとえ、「これを、おっきくふたつに分けると何と何に分かれるかなあ」と聞いて、「話しことばー」、「書きことばー」という生徒の声を受け、黒板にぐるりと大きなふたつの円を描き、その共通集合の部分に「作文的世界」を図示してから、やおら「小論文はどこに描けばいい?」と質問する。中学の頃には「こんな役に立たないものやらせやがって」と舌打ちしていたものだが、意外に役に立ったりしているから妙なものだ。そういう新課程の数学の中に「二進法」という項目があった。これがまた面妖な内容である。「次の数字を二進法で示せ」という問題を出されて、たとえば「2」は「10」、「3」は「11」、「4」は「100」というように、10進法の数を2で割っていき、その商と余りの数字を下から順番に並べていくという作業をさせられた。延々と2で割り算する作業に何の意味があるんだろうと思いながら、仕方なくその作業を続けた覚えがある。二進法とは要するに、世界を0と1だけで認識する方法である。まことに単純きわまりないやり方だが、これが意外にバカにできない。「右と左」、「昼と夜」、「男と女」、「明と暗」、「ONとOFF」など、「1か0か」という二進法の世界は日常生活の多くのものに当てはまる。コンピューターもこの二進法にもとづいており、コンピューターを通して受容ないしは表現しているもののすべては、二進法の世界である。だから、パソコン上に時折出現する、敵、味方を鮮明に峻別し(なぜか敵の数のほうが圧倒的に多いように思えるが)ケツの穴に火箸でも突っ込まれたような攻撃的な言辞を弄する人々は、実は二進法に操られている可能性が大きい。二進法にはグラデーションというものがないので、そういう振る舞いになるのであろう。もっとも二進法ごときに人格を乗っ取られてよいのかという問題は残るわけだけれども。それはさておき、コンピューターでカバーできる感覚は視覚と聴覚であり、味覚、嗅覚、触覚は現在のところカバーできない。これは要するに、二進法が細分化可能なものには効力を発揮するが、細かく分けられないものは苦手とするということだろう。視覚情報は究極的にはドットの集合体に還元できる。そのドットを書き込むグラフ用紙のマス目をどこまでも細かくしていけば、ほとんどあらゆる視覚情報を表現することができる。音も同様である。音をさまざまなレベルに分解し、時間を細かく砕いて、微細な時空間の「音アリ音ナシ」状態に還元すれば、「0か1か」で表現することは可能である。基本的にグラフで表現できるものは細分化によって「1か0か」の世界に還元することができそうだ。だが味覚、嗅覚、触覚ではそうはいかない。そんなもん、味覚だって「うまいかうまくないか」、嗅覚だって「くさいかくさくないか」の二進法だろうといわれるかもしれないが、その「うまさ」や「くささ」を一義的に定義することはできないし、数値化することもできない。だから、これらの感覚は二進法にはなじまないのである。では触覚はどうだろう。これはひょっとすると何とかなるかもしれない。「触れられているか触れられていないか」というのは、ある意味では「1か0か」の世界だから。ただし触覚で重要なのは、ただ単に「触られているか、触られていないか」ということではなく、むしろ「誰に(あるいは何に)」触れられているか、あるいは「どのように」触れられているかということだから、この部分に関しては、やはり細分化は難しい。以前、気に入った日本酒を何種類か揃えて、数人に呑ませたことがある。コクのある酒、キレ重視の酒、バランスのとれた酒、いろいろ取り混ぜたのだが、ある女性は二つの酒を飲み比べて、「あ、こっちのほうがおいしい」としかいわない。場をこわさないためにその場では何もいわなかったが、味覚を「おいしい、おいしくない」の二分法で表現するのはいささか味気ない。一説によると、日本酒の飲み比べは生後数ヶ月の乳幼児にもできるそうである(よい子のみんなはまねをしないように)。どっちが自分の舌にあってるかは子どもでもわかるし、それがけっこう一致するのである。でも大人が酒を味わう時には、「こっちがおいしい」だけではなく、「どのようにおいしいか」を感じとらなければ話にならない。どうも二進法の触手は、視覚と聴覚だけでなく、それ以外の感覚にも伸びてきているようだ。「くさい」ということばは、いじめをする人間の常套句だが、「えっと、それはたとえばどんなにおいなんでしょう」と質問する人間はいない。「くさいか、くさくないか」は、「仲間か、仲間でないか」を分離、識別するためのシンボリックな修辞表現なのである。あるいは電車のなかで「ぶつかった、ぶつかってない」で大げんかしたり、「触った、触ってない」で言い争ったりしているのも、二進法のなせる技なのかもしれない。実は二進法には「2」という数字は存在しない。あるのは「0か1」だけである。二者択一、どちらかひとつ、AかBか、こういう「か」の論理が二進法を支配している。そこには「AもBも」という共存・共生の「も」の論理はない。0でもあり、同時に1でもあるという状態はこの世界にはないし、右であると同時に左、昼であると同時に夜、ONであると同時にOFF、男であると同時に女(おっと「あの人」たちは二進法の世界には住めないのか)は原則的に排除されてしまう。個人的な好みもあるだろうが、私はやはり0から1の間に中間点をたくさん設定して、「まあ、今日のところは4.65のあたりで収めとくか」というような収束の仕方を好む。グラデーションのない世界にはどこか息苦しさがただよう。そういえば平坦な砂漠にはグラデーションは存在せず、大海原には無限のグラデーションがある。生命体には微細な中間段階、細かな刻みをもったきざはしが必要であり、そこにこそいのちのうるおいが宿るのである。うん?なぜかまた「枯れ木に水をあげましょう」の話になってしまっているような。みなさん、この時期、くれぐれも異常乾燥と二進法には注意しましょう。そういえば「光と影」という名前もひょっとして……。
2008.02.06
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某年某日某所においてロボットコンテストが催されることになった。課題は直径30センチの金属製の球体と三本の足から成るロボットを作り、水槽の上に渡された長さ10メートル、幅3メートルの板の上を向こう岸まで渡らせるというものである。このコンテストの審査基準は一風変わっている。最短時間で向こう岸にたどりついたものを勝者とするタイムトライアル形式ではなく、ロボットの移動する様子をビデオカメラに収め、その動きを審査員が点数制で採点するというのである。さらに、「このコンテストの意味するところを、漢字一文字、ないしは漢字を含む三文字の動詞で表現せよ」という奇妙な問題がついている。参加者はその指示書を見ながら、首をひねる。「いったいなんなんだ、このコンテストは?」しかし、とにもかくにもロボットを作らなければ話にならない。クイズの答を考えるのはその後だ。なるべく軽量の金属を用いて30センチの球体を作る。加工しやすいアルミにしようということになり、中空構造の球体を作る。比較的簡単にこの作業は終わる。次は足である。これがなかなかむずかしい。そもそも三本の足でどうやって球体を支えるか。固定するだけならば三脚の形にすればいいのだが、これでは歩けない。まず歩行スタイルを決めなければならない。転倒しないこと、スムーズに歩行すること。この二つの条件を同時に満たすためにはどうすればいいか。さんざん考えた末、チームのリーダーが次のようなアイデアを出した。球の真下に一本の足をつけ、その足に平べったい靴を履かせる。これで安定性を確保する。次に球の左右下方斜めに二本の足をとりつける。一本目の足をA、二本目の足(左足)をB、三本目の足(右足)をCとしよう。いま、ロボットはAを真下に下ろして静止している。次にBとCを同時に持ち上げて前方へ移動させる。次にそれを支点にして、よっこらしょっとAを持ち上げ、前方に移動させる。この繰り返しで、AとB・Cを交互に前に出して歩行するのである。Aは一本足で体を支えるから、その下部は平坦にしておかねばならないが、B・Cに関しては二本足で立つから、とくに先端を平たくする必要はない。リーダーは、真下に伸びる一本目の足を「からだ」と名づけた。二本目の足には「こころ」、三本目の足には「あたま」と命名した。「なんだよ、そのへんてこりんな名前は」。不満そうなメンバーの声を聞きながら、リーダーは「まあ、まあ」となだめる。「球体を根本的に支えるのは、Aだ。これがなければ、ロボットは立つことさえできない。だから、これは『からだ』なんだ。でも、からだだけではロボットはただ突っ立ってるだけのでくの坊にすぎない。これを前方に移動させるためには、からだを動かすための二本の足が必要になる。その一つは「こころ」だ。からだがこころを動かし、こころがからだを動かす。このふたつのものを緊密に連動させて、はじめて歩行か可能になる。だが、二本足だけでは安定感に欠ける。ちょっとした振動でも倒れる危険があるし、『あっちに行きたいから、そっちにからだを動かす』というだけでは、目の前の危険を察知できない。ここではどうしても前方を観察し、情報を把握し、適切に判断する『あたま』が必要になる。この三本目の足が「あたま」なんだよ。」みんなはわかったようなわからないような顔をしていたが、とにかく一本足と二本足を交互に前に出して歩く歩行スタイルは悪くないと思ったので、足の取り付け作業に入った。小さなモーターをアルミ製の球体の中にセットし、三本の足をスムーズに駆動できるように調整を行う。ここで難しいのはBとC、つまり「こころ」と「あたま」のバランスである。どちらかの脚力が強すぎると直線的な歩行が困難になる。こころが先行すると、徐々に右に曲がって水槽に落下してしまうし、あたまが先行すると、逆に左に曲がって落下する。このバランスのとり方がきわめて微妙かつ困難なのである。何回か実験してみると、左に曲がって落下するケースの方が圧倒的に多かった。極端な場合には、左に曲がりすぎてUターンして逆方向に歩きだすことすらあった。あたまがこころばかりか、からだまでも支配下に置こうとすると、ロボットは逆走を始めてしまうのである。姿勢を保持するためにも、スムーズな歩行を行うためにも、三本の足の中では「からだ」を最優先すべきだということになった。さらに、こころとあたまのバランスもとらなければならない。試行錯誤の末に、「からだ:こころ:あたま」の力のバランスを「2:1:1」に設定することにした。しかし、何度やっても「あたま」の力が徐々に強まり、どうしてもロボットは左に曲がってしまう。どうも「あたま」は自分の内部で力を増幅させて勝手に強くなってしまうようなのである。リーダーはこの問題を解決するために頭を悩ませた。そして、「あたま」が力を増幅させ、一定レベルを超えたら、その力を自動的に「こころ」に振り向ける回路を作ることにした。具体的には「あたま」の余剰エネルギーを使って「こころ」の分析、探索をさせるようにしたのである。そうすることによって「あたま」の余分なエネルギーは「こころ」に吸収され、その分、「こころ」のエネルギーが増大する。この回路が完成すると、ロボットのバランスはよくなり、ようやく直線歩行が可能になった。しかし、こうするとどうしてもスピードは出なくなる。「あたま」と「こころ」がエネルギー交換を行うときに、動きがぎこちなくなり、時に転倒することもあった。どうも「からだ」と他の二本足とのバランスをとる必要もあるようだ。すでに「からだ」と「こころ」の間には、自然な回路が形成されているように見えた。一方が弱くなると、他方も弱くなり、一方が強くなると、他方も強くなる。ここにはとくに問題はなさそうだ。しかし、問題は「からだ」と「あたま」だ。「あたま」はしばしば「からだ」を無視して勝手に行動しようとする。「からだ」を置き去りにしたまま、こころを連れて暴走するために転倒してしまうようなのだ。それならば、あたまの過剰エネルギーをからだに恒常的に流すようにしたらどうだろうか。第一段階としてあたまの余剰エネルギーをからだに流す。その後に、あたまとこころの間でフィードバックを行う。試行錯誤の結果、やっとうまく直線歩行できるようになった。エネルギーの相互交換で時間がかかり、依然としてスピードに欠けるのろのろ運転ではあったけれど。ロボットは完成した。右に振れ、左に振れ、よちよち歩きながらも、なんとか前方へ歩けるようになった。ただ、あたまのエネルギーを他の二本足に振り向けるため、どうしてもスピードは遅くなる。考えるために時には立ち止まりさえする。でも、こうしない限り、向こう岸までたどりつくことはできないのだ。このコンテストがタイムトライアル制ではないことの意味が、メンバーにもしだいにわかりはじめてきた。右に曲がり、左に曲がりしながら、そして時には立ち止まってじっと考えこみながら、ロボットはようやく向こう岸へ渡った。チーム全員が盛大に拍手喝采するなか、一人の審査員が一枚の紙と筆記具をリーダーに手渡す。「ここに問題の答を書いてください」他のメンバーが手許を覗き込むなか、リーダーはペンをとって書き出した。「生」漢字一文字でそう書いた。そして、その横に「生きる」と書いた。その紙をしばらく眺めた後、彼はその紙をくしゃくしゃと丸め、紙をもう一枚くださいといった。そして、何も書かない白紙のまま、その紙を提出した。この問題には、「答え」はないと信じたのである。はたしてどちらが正解だったのか。あるいはどちらも不正解だったのか。私はその答を知らない。みなさん、自由に考えてみてください。
2008.02.04
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新潮社のPR誌「波」08年2月号に、保阪正康「即位と崩壊――天皇の家族史」が連載されている。今月号は明治45(1912)年7月17日、明治天皇が侍医の診察を受けるところから始まる。この二日後、天皇は体調を損ない、宮中で倒れる。7月20日午後2時、宮内省は天皇が病に冒されているとの官報号外を発し、その病状を詳細に発表する。病名は尿毒症であった。その「御容態書」には、既往の病名、尿量、体温、脈拍、呼吸数、意識状態などがきわめて細かく書かれている。「昨十九日午後ヨリ御精神少シク恍惚ノ御状態ニテ御脳症アラセラレ御尿量頓ニ甚シク減少蛋白質著シク増加 同日夕刻ヨリ突然御発熱体温四十度五分に昇騰御脈百〇八至御呼吸三十二回」昭和天皇の病状報道の原型は、このあたりにありそうである。なぜこれほど詳細な発表が行われたのか、そのような方針を打ち出したのははたして誰だったのか、興味のあるところだが、残念ながらそれについての記述はない。病状報道のあり方が同じであるように、それに伴って起こる社会現象もまた同じようなものである。病状が発表された20日に行われる予定だった隅田川の川開きは中止となり、歓楽街の劇場では急速に客足が鈍り、花柳界の予約取り消しも殺到する。いわゆる「自粛」ムードが社会全体に広がった。保阪氏の文章では、これに続いて漱石の7月20日の日記が引用されている。それを読んで、私は驚いた。明治の最晩年、当時の文豪はどのような所感を日記に記したか。私はその精神の健全さ、強靱な「常識」力に圧倒される。そして、あらためて昭和前期の暗黒を思う。とにかくその日記を以下に引くことにする。「晩、天子重患の号外を手にす。尿毒症の由にて昏睡状態の旨報ぜらる。川開きの催し差し留められたり。天子いまだ崩ぜず。川開を禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚ろくべし。演劇その他の興業もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐ有様也。天子の病は万臣の同情に価す。しかれども万民の営業直接天子の病気に害を与えざる限りは進行して然るべし。当局これに対して干渉がましき事をなすべきにあらず。もしそれ臣民衷心より遠慮の意あらば営業を勝手に停止するも随意たるは論を待たず。然らずして当局の権を恐れ、野次馬の高声を恐れて、当然の営業を休むとせば表向は如何にも皇室に対して礼篤く情深きに似たれどもその実は皇室を恨んで不平を内に蓄うるに異ならず。恐るべき結果を生み出す原因を冥々の裡(うち)に醸(かも)すと一般也。(突飛なる騒ぎ方ならぬ以上は平然として臣民もこれを為すべし、当局も平然としてこれを捨置くべし。)新聞紙を見れば彼ら異口同音に曰く、都下闃寂(げきせき)火の消えたるが如しと。妄(みだ)りに狼狽して無理に火を消して置きながら自然の勢で火の消えたるが如しと吹聴す。天子の徳を頌する所以にあらず。かえってその徳を傷つくる仕業也。」(「波」p84~85)保阪氏はこの記述の「恐るべき結果を生み出す原因を冥々の裡に醸す」という表現に「強い関心をもつ」と書かれている。いわば予言の一句ということだろう。私もまたこの一句に強い印象をもつ。だが、それよりもこの文章に見られる漱石の精神の健やかさ、常識の力強さに心引かれる。事実を事実のままに淡々と告げた後、「天子いまだ崩ぜず。川開を禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚ろくべし。」と、すっぱりと所感を述べる。問題はマスコミをも含めた「取り巻き」の過剰反応にある。それは将来「恐るべき結果を生み出す」だろう。明治天皇の病状を案じる前に、まずそのことをまっすぐにことばにした漱石の「常識」から学ぶものは多い。昭和の末年、私はこのような「常識」的な文章を新聞や雑誌のどこにも見ることがなかった。暗黒ははたして昭和前期にだけあったのだろうか。「泣いて血を吐くほととぎす」という歌詞をもつ演歌を、自主規制という名の下に「放送禁止歌」扱いとしたのは、昭和の末年のことである。あまりにも軽々に、脳天気に、「進歩」とか「前進」ということばを口にするべきではない。それよりも、「常識」ということばの内実をあらためて問い直すことが必要ではないかと私は考えるのである。
2008.02.01
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多田富雄『免疫の意味論』(青土社)を読み始める。免疫システムの基本は「自己」と「非自己」を識別することにある。その上で自己の同一性を保持し、非自己を攻撃、排除ないしは無力化することがその目的である。その自己認識において、免疫系は脳よりも上位に位置するという指摘が興味深い。たとえばニワトリの受精卵にウズラの脳の原基(将来、脳となる部分)を移植すると、それらは脳細胞として分化していく。やがて生まれたヒヨコの頭部はウズラそっくりになる。そしてその行動もウズラに酷似してくる。しかし、このヒヨコは生後十数日で死んでしまう。なぜならニワトリの免疫系がウズラの脳を攻撃して神経細胞を破壊してしまうからである。このことから自己認識において、免疫系は脳細胞よりも優位にあると多田氏は述べる。では、免疫系はどのようにして「自己」と「非自己」を見分けるのだろうか。ふつうに考えると、自己のなかに「変なヤツ」が入ってくると「あ、変なヤツが来た」と思って、そいつを集中攻撃して排除する。そういう仕組みがあるのではないかと思うところだが、実はぜんぜん違うのである。「自己」と「非自己」の識別機能を担うのは、「胸腺」から生まれる「T細胞」である。だが、このT細胞は「変なヤツ」を見つける能力をもっていない。それじゃあ、役に立たないじゃないかと思われるだろうが、それでも免疫系はちゃんと作動するのである。そのしくみはおおよそ次のようなものである。ある幼稚園に仲良しぞろいの「さくら組」というクラスがあったとする(ちなみに私は原幼稚園「さくら組」出身である)。このクラスを「自己」にたとえる。そのクラスにある日、ずいぶん毛色の変わった転校生が一人入ってくる。クラスの結束を守るため、さくら組の全員はこの転校生をよってたかっていじめて排除する、というような人の道にはずれたことをさくら組は行わない。というか、そういう生徒が入ってきたということさえ、さくら組のメンバーは気づかないのである。(ずいぶんと鷹揚というか、おばかさんぞろいである)。しかし、しばらくして転校生(A君としよう)がクラスに友だちを作る。その友だち(B君としよう)はA君に感化されて、これまでとはちょっと違った髪型、服装で登校してくる。すると、クラスの人間はこのB君の変化には瞬時に気づくのである。「あいつ、おれたちの仲間なんだけど、これまでとはちょっと違ってるぜ」。全員がそう思い、やにわにB君に攻撃をしかける。あわれ、B君は反撃をする余裕もなく、クラスから排除されてしまうのである。免疫系による異分子の排除はこのようにして行われる。要するに体内に異物が入ると、白血球系のマクロファージ(貪食細胞ともいう)がこの異物を取り囲んで細胞に取り込んで分解する。その分解の途中で異物の断片がマクロファージの表面に出てくる。その断片と結びついた体内の一部(HLA抗原)に向かってT細胞が反応を開始する。すなわちその抗原に対する抗体が作られるわけである。さっきのさくら組に戻ろう。A君をたとえばインフルエンザウィルスと考えてもいい。そのウィルスに感染したB君は即座におシャカにされてしまう(なむあみだぶつ)。では、A君はどうなるか。A君にはその毒気を抜いて、おまけに尻子玉まで抜いてしまうチャーミングでキュートなガールフレンドがあてがわれるのである。(魔性の女C子ちゃん登場)このC子ちゃんが「抗体」である。A君はすっかりC子ちゃんにのぼせあがり、でれでれへろへろ状態になり、完全に無毒化されてしまう。かくして免疫反応は終了するというわけである。私が感心するのは、この「非自己」の認識がきわめて合理的かつ効率的であるということだ。もしも非自己を直接的に認識する物差しを作ろうと思ったら、けっこう大変なことになる。なにしろ非自己というのは自分以外のすべてのものを指すわけだから、その量は膨大であり、その性質はまったくの未知である上に、てんでばらばらである。それを計る物差しなんか、考えてみたら作れるわけがない。第一、自己を認識する物差しと、非自己を認識する物差しを別々に作るのは不経済きわまりない。物差しなんか一個ですませられればそれに越したことはない。(「オッカムの剃刀」ということばもある)だから、免疫系は自己を認識する物差しを一個しかもたないのである。その物差しでは異物を直接計測することはできない。でも、その異物に影響を受けて微妙に変化した「自己」を認識することはできる。なぜなら、それは自己にそっくりでありながら、それとはわずかに違うからである。自己を計る物差しから微妙にはみ出してしまったもの、それを即、排除する。そして、そのはみ出た寸法をもとに異物を無毒化する自己の断片(抗体)を作る。そして異物と抗体を合体させて、免疫作業終了、というわけである。実によくできた機構である。そう思いつつ、私はなぜかこの国の「いじめ」について考える。いじめの対象となるのは、他のみんなと「ちょっとだけ違う」生徒の場合が多い。そして、そのクラスが均質で画一的であればあるほど「いじめ」が発生する頻度は高くなる。その「ちょっとだけみんなと違う」生徒と友だちになった生徒もしばしばいじめの対象となる。うーん、なんだか似ている。しかし、違うのはいじめの場合には、異物に対する直接的な攻撃ないしは排除が起き、それが次第にエスカレートしていくというところである。免疫系はそのような野蛮な行動はとらない。そこでは異物に影響を受けて変質した自己の一部が排除されるのみである。そして、異物はある意味では同化されてしまい、その状態で自己の動的平衡状態は保たれる。いじめを行うクラスが硬直し、固定し、柔軟性に欠けているのに対し、免疫系をもつ「自己」はあくまでも他者を受け入れながら、微妙に自己自身を変えながら同一性を保持しつづけていく。異物に影響を受けた自己の断片を切り捨て、異物を無害化しながらそれを体内に取り入れるということは、要するに自分が少しだけ変わっていくということである。異物を徹底的にたたき出すことにエネルギーを使うよりも、ちょっとだけ自分を捨て、ちょっとだけ異物を取り入れることで自分自身を変化させるほうが得策だという、これは戦略であろう。われわれが免疫系のエレガントなシステムから学ぶべきことはけっして少なくないと私は思うのである。
2008.01.31
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ずいぶんひさしぶりのブログ更新である。文章を書かない時はこころが乾いている時である。生きるために必要なうるおいを欠いている時、人のこころは文章には向かわない。ということで、「枯れ木に水をあげましょう」運動の一環として文章を書いてみることにする。本年、初頭の一冊は既述の通り、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」であった。私はとても面白く読んだ。でも、どこか読めていない部分があるような気がして、もう一度頭から読み直した。さらにそれと並行して、村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)も読んだ。この本がまた面白かった。まるまる一冊「キャッチャー」をめぐる二人の対話と、本来ならば白水社版「キャッチャー」の巻末に付されるはずだった村上氏の解説が掲載されている。そこで展開されている対話はけっして「文学論」というのではない。作者の方法論について論じたり、作品の文学史的位置づけについて意見を交わしたりということは、(少しはあるけれども)主要なテーマではない。それよりもむしろ「あの場面のあいつのあのせりふにはこういう意味があるんじゃないか」とか、「あそこでなぜあんなことしちゃうんだろうね」とか、言ってみれば「池袋文芸座終映後、男二人連れしょぼい喫茶店にて大放談大会」スタイルで対話が展開されるのである。そこにはいろいろと面白い指摘もあるのだが、まあそれはそれ、興味のある方は直接同書に当たっていただくとして、少なくとも原書の味わいをいっそう深めてくれる稀有な解説書あるいは鑑賞本であることはたしかだ。「キャッチャー」を読み終わって、「なんか読み足りないなあ」と思った方には格好の「二度目のおいしさ」を堪能させてくれる本である。というような日々を過ごすうちに、どうにもサリンジャーが頭から出て行かなくなってしまった。次に読もうと思っていたあれやこれやの本を尻目に、ついふらふらと彼の「ナイン・ストーリーズ」(新潮文庫)を買ってしまった。訳者はあの野崎孝氏である。「翻訳夜話2」のなかでも、村上氏は自分の著作へのサリンジャーの直接的な影響については述べていなかったと思うのだが、「ナイン・ストーリーズ」の各編のタイトルを見ると、ある種の影響というか、類縁関係が認められるように思う。たとえば、「バナナフィッシュにうってつけの日」、「コネティカットのひょこひょこおじさん」、「対エスキモー戦争の前夜」、「笑い男」。どうだろうか。もちろん作品世界そのものが似ているかと言われたら、ちょっと首をひねるしかないし、そこに描き出された心情表現にもはっきりとした違いはあるのだが、世界をとらえるレンズの屈折率がどこか似ている印象を受ける。これが「キャッチャー」の翻訳に見られる村上氏の自在な語り口にも反映されているように感じられるのである。本書に収められた9つの作品は、その出来に微妙なムラはあるものの、その組み立て方や語り口は実に見事なものである。私がもっとも気に入ったのは「笑い男」。わずか25ページ足らずの小品であるが、傑作である。ほぼ完璧な仕上がりだと思う。「エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに」もすばらしい余韻を漂わせる名作である。この二作を読むだけでも十分本書を贖う価値はある。でもうまく書かれた短篇小説ほど、その良さを説明するのがむずかしいものはない。「興味のある方は読んでみてください」といって、あっさり白旗をあげるのがあるいは正解なのかもしれないが、まあ一言二言拙い感想を述べることにする。彼の作品にはしばしば「子ども」が登場する。それもくっきりとした輪郭とあざやかなイメージをもった存在として、その「小さな人々」は読む者のこころに忘れがたい印象を残す。その子どもたちは一面ではとてもリアルだ。細かな仕草や微妙な心情描写を通して、彼らは作品の中で生き生きと躍動する。しかし、そのような姿を描き出すこと自体は、おそらくサリンジャーの目的ではない。それはあくまでも「何か」を映し出すための手段なのである。それは被写体というよりもスクリーンであり、照明である。では、それによって映し出される「何か」とはいったい何か。これが必ずしも明確ではないのだ。そして、その「何か」は「子ども」のもつイノセンスや聖性とも深い結びつきをもっている。要するに、彼の作品における「子ども」は手段なのか、目的なのか、判然としないところがあるのである。だから、彼の語り口の明晰さに比べて、そのテーマは必ずしも明瞭ではない。読む側からすると、彼の作品はあざやかな印象を残す夢のようなものである。ありありと夢の中の情景は頭に焼きついているのだが、それが何を意味するのかは必ずしも明らかではない。鮮明な記憶は「意味」という落ち着きどころを得られないまま、こころのなかで不安定に揺れ動くことになる。解釈の困難な夢の映像を読者の脳裏に鮮明に刻み込む力を彼の作品はもっているのである。「ナイン・ストーリーズ」の描き出す世界は、そういう形をとっている。たとえば「笑い男」を見てみよう。ここに出てくる「子ども」は珍しく「私」である。他の作品のほとんどでは、「子ども」と「私」は別人物だ。そういう設定では、作者の子どもに対するある種の「偏愛」がどうしても前面に出てしまうので、読む者には若干の違和感を与えることになってしまう。しかし、「私=子ども」という設定ではそういう危険は回避される。この作品を私が好む理由のひとつはそこにある。「私」は9歳。「コマンチ団」という25名から成る団体の一員である。22,3歳の大学生の団長の運転するバスに乗って放課後、セントラルパークでスポーツや美術鑑賞を行う日々を送っている。その団長がバスの中で語る長編活劇の主人公が「笑い男」なのである。この「笑い男」の話は雑多で奇怪でスリルに満ちており、少年達の好奇心を満たしてくれる。男の子25人と団長からなる小さな世界の、それは共同幻想としてたしかに機能している。そこに団長のガールフレンドが登場し、現実世界と虚構の物語がパラレルに進行していく。その書きっぷりのあざやかなこと。サリンジャーの語りは、いつも最小のことばで最大の表現効果を上げている。再読すると、印象的なシーンがいかに少ないことばで語られているかに気づいて驚かされることになるが、この作品はその典型である。これ以上の説明をこの作品に加えることはできない。もちろん「ネタバレ注意」ということもあるが、それ以前に能力の問題として私にはこれ以上の論評を加える力がない。読み終えて頭に浮かんだことばは「幻想と破壊」である。このふたつのものの関係について私は考える。子どもの抱く幻想にはあらかじめ自爆装置がセットされている。破壊されない幻想は、そもそも幻想とは呼べない。必然的に破壊される運命にあるもの、それを幻想と呼ぶとすれば、幻想が存在する意味はどこにあるのか。幻想は単独で存在しているのではない。幻想は現実と深く結びつくことによって、はじめて存在可能になる。幻想のもたらす喜びは、その幻想が無残に引き裂かれる時の痛切な痛みの感覚と一体のものなのである。そこにおける喜びと痛みは、いわばコインの両面なのだ。幻想と現実は相反するように見えて、実はひとつのものの表と裏なのである。たとえば笑い顔を模した仮面。あの仮面の表情が深い哀しみをたたえているように見えるのはなぜだろうか。この作品は、その疑問に対するひとつの答えであると私には思えるのである。
2008.01.28
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J.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)読了。しかし、これはすごい翻訳だ。「文体の創出」にかけて、これをしのぐ訳というのはちょっと考えられない。村上春樹は文学作品を評する時に、よくヴィークルということばを口にする。「乗り物」という意味なんだけど、この作品の文体はまさに「ヴィークル」として見事に機能している。この文体を模倣して、似たような作品をいくつかでっちあげることなんか、朝飯前じゃないかって気がする、いや、冗談抜きで。(というような文体なんです)内容的にはとても不思議な作品だ。物語(というよりも「語り物」といったほうがいいか)の面白さ、語り口のなめらかさ、人物や情景の描写の巧みさという条件をきちんと満たしながら、読み終わると「どうもそれだけではない」という感じが残る。「十分に読みつくせていない」というか、「何かを読み落としている」というか、そういう感触が読後に残るのである。ということで、もう一度、冒頭に戻って再読している最中である。こういうことをふだん私はやらない。例外的に同じことをしたのは、同じく春樹訳の「グレート・ギャツビー」だけである。ああ、そう、「わたしを離さないで」でも冒頭を少し読み直した。そして、そうしてみると、これらの作品の冒頭部が実によく書けていることに気づく。深い読後感を残す作品は、長編、短篇を問わず、冒頭の一節で既に「作品全体が見通されている」のである。そして、キャッチャーに関しては、訳者と読者の間に存在するエネルギー収支のバランスの問題もある。読む側からすると、村上氏がこの訳に注いだエネルギーに比して、自分の消費するエネルギーが圧倒的に少ないと感じられるのである。「このくらいのエネルギー消費で読んだつもりになってちゃいけないな」と思って、もう一度頭から読み直す。そういうことが起こるのである。では、読み終わった後に残る「何か」とはいったい何か。これはなかなかの難問である。現時点で考えられる仮の答は「無意識」である。どうもこの作品の随所から、読む人間の無意識に訴えかけてくる何かを感じる。この作品全体が、「誰か」への語りかけの形をとっていることもその一因だ。そして、訳者はそのことを十分に自覚した上で仕事を進めている。この作品自体がきちんと終わっていないし、訳者もまたきちんと終わらせようとしていない。結末がオープンエンドであるというだけでなく、この作品のあちこちには読む者の無意識に訴えかけてくる「穴ぼこ」のようなものが存在している。どうもこのあたりに「何か」を解く鍵がありそうだ。でも「無意識的な何か」では答えになっていない。だが無意識はうまくことばに乗らない。だから、ここからは「示唆」や「暗示」という方法を使うしかなくなる。自分の触覚を頼りに気になる部分を探っていくと、「忘れ物」、「言い間違い」、「書き間違い」、「覚え間違い」、このあたりにヒントが隠されているように感じる。その例をいくつか挙げてみよう。1、冒頭に近い部分で、主人公ホールデン・コールフィールドはフェンシング・チームのマネージャーとして(というのもいかにも奇妙な設定だが)、交流試合に行く途中、地下鉄にチームの試合用具一式を置き忘れてしまう。この物語はここをきっかけに始まる。そして、その原因は地下鉄を乗り間違えたことにある。2、その後、寮で同室の「頭の中にセックスしかない」ストラドレイターの作文を代わりに書く羽目になる。彼の宿題は「部屋とか家についての描写的な作文」だったのだが、ホールデンは弟のグローブについての文章を書いてしまう。3、ホールデンが寮を出て行く数日前、母親からスケート靴が送られてくる。しかし、それは彼が望んでいたレース用のものではなく、ホッケー用の間違った靴だった。4、ニューヨークに戻り、タクシーでホテルに行くつもりが、間違って自宅の住所を言ってしまう。5、ホテルのエレベーターボーイに女を買わないかと誘われ、女性を部屋に入れるのだが、その時のショートの値段が5ドルだったか、10ドルだったかで揉め事になる。6,ラスト近く、妹のフィービーの部屋に入り、彼女のノートを見ると、そのスペリングは誤りだらけだった。(春樹氏の注には、「スペリングの得意なフィービーなのだが、この文章にはたくさんの綴りの間違いがある。……彼女に対するホールデンの評価が高すぎるということなのだろうか。そのあたりはちょっとした謎だ。」とある)このように随所に「忘れ物」「思い違い」「言い間違い」「書き間違い」が頻出するのである。そもそも「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトル自体が、「If a body meet a body coming through the rye(誰かさんが誰かさんとライ麦畑で出会ったら)」という歌詞のmeetをホールデンがcatchと覚え間違ったところから来ている。これらの事例をきわめて乱暴に一般化すれば、「規範からの逸脱」ということになる。それもけっして意識的なものではなく、「ついうっかりと」「なんとなく」なされる無意識的な逸脱である。逸脱と放恣は違う。前者には規範に対する意識があり、後者にはそもそも規範意識そのものが欠けている。だから、ここに見られる逸脱はある意味では規範への強い意識と、なぜかはわからないがその規範から無意識のうちにずれていってしまう意識との乖離を意味しているのである。規範が安定と秩序をもたらすものだとすれば、そこからの逸脱は不安と破壊をもたらすはずだ。しかし、ホールデン的世界においては暴力は封じられている。彼は口でしか相手を攻撃しない。殴られるのはいつも彼自身である。だから彼はいつも傷つきながら、深い不安と倦怠と疲労のなかにいる。そして、たえず放浪をつづける。そして、何かを探しつづけている。彼の妹フィービーはきわめて象徴的な存在である。あれほど人物造型に秀でたサリンジャーが彼女に関してだけは、人物像にリアリティをもたせることをあえて避けているように見える。まるでホールデンの見ている幻覚ででもあるかのように、リアリティの欠けた人物として彼女は描かれる。しかし、それは幻覚であるだけに、いっそう純粋な少女性の結晶そのもののように見える。彼女こそは、規範からの逸脱、その不安におののく彼の魂の導き手なのだろう。彼は自らを無神論者という。たしかに彼は既成宗教、宗教の制度的なものに対しては強い嫌悪感を示している。だが、宗教そのものの根底にある「原感情」ともいうべきものに対しては強く引かれるものを感じている。通りすがりの尼さんに寄付をする箇所、「キリストは好きだが、十二使徒は大嫌いだ」という告白がなされる箇所にはそれがよく示されている。人生は「言い間違い」のようなものだ、とはいえないだろうか。正しい人生の実践は味気ない。かといってでたらめな生き方には不安と焦燥と破滅が伴う。正しい用法、正しい発音を知りながら、思わず知らずついそこから逸れた言い方をしてしまう。生き方をしてしまう。そこにこそ人生の妙味があり、本質がある。そうは考えられないだろうか。人間はミスを犯しがちな生き物である。しかし、そのミスのなかにこそその人間が現われる。読後、ふとそんなことを思ったりしてみたのである。
2008.01.12
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夕暮れのプラットフォームで帰りの電車を待つ。反対側のホームに電車が入ってくる。外は既に暗く、電車に乗った乗客の姿が夜の闇のなかに浮かび上がる。一人の若い女性がこちらの方を向いて、両手で熱心に髪を整えている。ちょうど私の真向かいの位置だ。こちらからは彼女の姿しか見えない。だから、あたかも彼女は向かいにいる人間を意識して自分の髪を直しているように見える。いや、そうとしか見えない。だが、事実は違う。電車に乗っている彼女は、夜の闇を背にした電車の窓を姿見にして、自分の姿を見ているのである。なんということもない日常の風景である。だが、私はその光景を見て、何か不思議な感覚にとらえられる。自分を映し出す鏡がなければ、人は自らを認識することができない。しかし、それは厳密には「鏡」ではない。自分の姿だけを忠実に映し出す鏡を人間は内面に備えることはできないのだ。それは「鏡」というよりも、むしろ「ガラス窓」である。外の世界が光に包まれている時、その窓は外界を映す素通しのガラスになる。しかし、いったん外が闇に包まれると、その闇を背にして自分自身の姿を映し出す「鏡」へと変貌する。そして、鏡に映った自分自身の姿の向こうには、実は他者の姿がある。窓に焦点を合わせると自分の姿。その外のなにものかに焦点を合わせると外界が見えてくる。そして、その二つの像は重なり合っている。人間が自分を知り、他者を知るというのは、こういうことではないだろうか。漆黒の闇の中では自己も他者も見えない。燦々たる光の中では他者だけしか見えない。自己と他者の間に隔てを置き、自己を明瞭に意識した時、暗い外界を背景として他者の中にある自己の姿が浮かび上がる。その自分の姿を意識し、それを自分にとってより望ましい方向へと改変、修正しようとする行為は、そのまま、外界から自分を見つめる他者へのメッセージとなる。しかし、それがメッセージとして届いていることを彼は知らない。彼の目の前にあるのは、夜の窓ガラスに映った自分の姿だけである。その向こうに広がる世界に焦点を合わせない限り、そこには自分の姿しか存在しない。焦点を外界へと移動させ、自分の姿をぼんやりとにじませた時、はじめて他者の世界が見えてくる。それも自分の像のなかに、二重映しになったものとして。子どもは光の世界の住人だ。そこには輝かしい外界がある。しかし、明確な自己像は存在しない。子どもの意識世界が成熟していくにつれ、外界は暗い影を帯びてくる。そこにはいびつに歪んだ自己像が薄気味悪く浮かび上がる。青年の自意識は、深いインフェリオリティ・コンプレックスにとらえられる。青年は自意識を獲得した代わりに、あれほど輝かしい光に包まれていた外界を喪失してしまう。暗い闇の中に浮かび上がるひきつった自分自身の顔。彼の意識はそこから逃れることができない。そして青年の意識は長い時間の波にさらされる。そこで何が起こるか。外面的には何も起こらない。光も影も総量としては変化しない。依然として内面には光があり、外は闇に包まれている。だが、彼の目は徐々に外の闇に慣れてくる。目の前に立ちはだかっていた自分自身の等身大の像の向こうに、ぼんやりと外の景色が見えてくる。私は額にかかった自分の前髪を撫で上げようとして手を頭のほうへともってくる。それに連動するように、向こう側のホームにいる小さな人影が小さく手を振るのに、青年は気づく。自分のための所作が他者へのメッセージと受けとめられ、返事が戻ってきたのだ。その時、彼は自分の像の向こうに、いや自分の像を通して、外の世界の広がりを知る。青年の焦点は外の世界へと伸びていく。こんどは錯覚ではなく、はっきりと意識して彼は他者に向かって明確なメッセージを送る。それに対してふたたびメッセージが返ってくる。そして、彼は気づく。向かいにいる誰かはホームに立っているのではない。彼もまた電車に乗っているのだ。彼は反対方向に向かう電車のなかから、こちらの車両に向かって手を振っているのである。夜の闇の中を擦れ違う二つの列車。その二枚のガラス窓に映る二つの自己像と、その向こうにある二つの他者像。その間に交わされる信号。その存在に気づいた時、青年は既に自分が青年ではなくなっていることを知る。会社の帰り、駅のプラットフォームで、私はひととき、幻視の中にいた。
2008.01.09
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正月休みに「フラガール」を見る。以前、地上波で放送していたものをビデオ録画したものである。最近では映画館はおろか、貸しビデオ屋に行くことすらおっくうになってしまった。映画から遠ざかる一方である。でも、書棚の奥にはいつの日か見ようと思って録った映画のビデオがごまんとある。なんだか見るだけでげっぷが出てしまって、さらに映像から遠ざかることになる。さらに時間もない。精神的余裕もない。文章を書く暇と気力にさえ事欠くというありさまである。かくしてこころの砂漠化現象は確実に進行しつつある。「乾いたこころにお水をあげましょう」ということで、手の届きやすいところに「ALLWAYS三丁目の夕日」と「フラガール」を置いておいたのだった。「ALLWAYS三丁目の夕日」は面白かった。よく出来た映画だと思う。正確にいうと、「よく出来たつくりもの」といったほうがいいか。これは悪口ではない。むしろほめことばだ。あの映画にこめられた多くの人々の真摯な情熱や熱意や創意や努力を私はおとしめようとは思わない。誠実で立派な仕事である。(ところどころにただよう「日テレ」臭にはいささかげんなりしたが)だが、この映画を「名画」と呼ぶのは、ちょっとちがうだろうと思う。丹念に作られた誠実な仕事のすべてがマスターピースになるわけではない。「良い仕事」のすべてが「傑作」や「名作」であるわけではない。「良い仕事」とはどこまでも誠実に真摯に細やかに作られた作品である。それは基本的に作り手の統制下、支配下にあり、それを超えて勝手に動き出したりはしないものだ。それに対して、作品が作り手の意図を超えて、自分の足ですっくと立ち上がり、未知の領域に歩を進めた時、はじめて「傑作」や「名作」が誕生するのである。私はそう考えている。だから、「三丁目の夕日」はよく出来たつくりものなのである。見ていて嫌みを感じず、とてもいい時間を過ごすことができた。たまたま酔っていたこともあり、後半、涙が出たりしたが、なに酔っぱらいの涙なんかなんのあてにもなるものではない。ただ、見ている時の気持ちのよさはけっして酔いのせいではない。それだけはたしかだ。主役の少女(堀北真希)は好演。しかし、なんといっても薬師丸ひろ子がすばらしい。ピュアなコメディエンヌというのはこの国では貴重な存在だ。「あくがないのに存在感がある」という点では、彼女は吉永小百合直系の映画女優といえるだろう。この映画はたとえ巧妙なCGがなくても、彼女ひとりの存在感だけで十分に持ちこたえることができると思う。それに比べて男優陣はあまりぱっとしない。堤真一は誉める人も多くいるのだろうが、私の目にはミスキャストに見える。コメディに「力み」と「熱演」は禁物である。吉岡秀隆は予想通りの役を予想通りに演じていて、可もなく不可もない。この人はこれからちょっと苦労をしそうな気もする。と前置きが長くなったが、本題は「フラガール」だった。世評ではこの映画は蒼井優を見るべき作品ということになっているようなので、私もそういう予断をもって見た。蒼井優はいい。にこにこしながらも、どこか「こわい」ところがある。なかなか言うことをきいてくれなさそうな「太さ」と、起き上がりこぼしのようなたくましさがうかがえて、感じがよい。(わかりにくい表現ですみません)彼女は存在自体にある種の「批評性」があるように思う。ことばで理屈を言うのではなく、生身の肉体で目の前にどんと立ちふさがるような存在感がある。小賢しい理屈になびかない肉体そのもので、きちんとものを言うというのも、女優の重要な条件のひとつである。ただ、率直な感想を言わせていただくと、これは蒼井優の映画ではなかった。松雪泰子の映画だった。松雪泰子という女優を私はこれまで一度も美しいと思ったことがない。魅力的だと感じたこともない。だが、この映画を半ばまで見ると、その彼女が輝くような美しさの持ち主に思えてくる。物語にはある種の女性を神秘的な輝きで包みこむ作用があるのである。とくに前半で彼女が一人で踊るシーン。これは見事である。本来ならば、蒼井優がラスト近くでこの踊りを舞う時に、松雪以上の輝きを見せなければならないのだが、残念ながら、蒼井には松雪ほどの体のキレがない。結果的に前半に映画のピークが訪れることになってしまった。(もちろん最後のダンスシーンはすばらしいものだったが、それにしても、松雪のあの一人踊りにはかなわない)映画の内容にはいろいろ不満もある。あまりにも「定型」にもたれかかりすぎており、挑戦がなく、スリルがない。脚本・構成もゆるく、フォーカスが甘い。でも、まあ、そんなことに目くじらを立てるような映画ではない。私は蒼井優と松雪泰子の戦いの映画として見た。その観点から十分楽しめた。映画を見ていて気づいたのは、脚本や構成や演出などに見られる映画的ほころびが、蒼井にはマイナスに作用し、松雪にはマイナスに作用していないということである。蒼井という女優は、やはりそのほころびを際立たせてしまうような「批評性」を身に備えている。変な演技を付けられた後など「えっとこれはどうなんだろう」という表情が時折正直に顔に出てしまうところがある。それに対して松雪は、自分を輝かせることにのみエネルギーを傾注している。だから陳腐でどうしようもない場面でも、彼女の輝きは揺らがない。彼女は良い映画を作るために献身的な努力をしているというよりも、自らを輝かせるという一事に没入しているのだ。これに対して、蒼井はどこかで作品全体における自分の位置を考えている。その上に立って演技している。だから、映画が揺らぐと彼女の立ち位置も揺らいでしまうのである。どちらが正しいとか、そういうことではない。正しいか、正しくないかということでいえば、むしろ蒼井のやり方のほうが正当であるように思う。しかし、結果的により強い輝きを見せたのは松雪だった。制作者の意図を超えて一人歩きをはじめるのが「名作」や「傑作」の定義だとするならば、全体の文脈を離れても不思議な輝きを放ちつづけるのが「女優」の定義ということになるのだろうか。私は個人的には蒼井優を好むが、この映画を見る限り、勝利は松雪泰子の側にある。映画の構成が甘く、どちらが主人公なのか焦点がはっきりしない作りに(結果的に)なってしまっているせいで、二人の女優の戦いが期せずして実現したわけである。蒼井優は07年のキネマ旬報ベストテン、報知映画賞、毎日映画コンクール、日本アカデミー賞で助演女優賞、ブルーリボン賞、高崎映画祭、ヨコハマ映画祭では主演女優賞をとっている。ちなみに日本アカデミー賞、日刊スポーツ映画大賞では松雪泰子が主演女優賞を受賞している。同一人物が同じ映画で助演と主演の両賞を受賞しているのはなかなか興味深い。また主演女優が二人に割れているのも面白いところだ。でも私の軍配はやはり松雪泰子にあがる。この映画をベストワンに挙げなければならない日本映画の実状はいささか心もとないが、日本の女優陣は当分安泰である。そう感じさせる映画だった。
2008.01.08
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年末、福岡に帰省し、正月3日に帰ってきた。一年の変わり目に、毎年、変わらないことをする。いや、変わらないことができるということは考えようによっては幸せなことである。たとえこちらの胸のうちにさまざまな変化が生じていたにせよ、同じことを同じ時期に行うことで、どこかこころの落ち着きどころを得られるように感じる。その「変わらないこと」の手はじめとして、行き帰りの新幹線の車中で何を読むかを考える。たしか一昨年は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、去年はカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」だった。やはり一年の終わりから始まりにかけての本は、なんとなくではなく、意識的に「この一冊」を選びたいという気持ちが働く。頭のなかに、いくつかの候補が浮かぶ。ざっとリストアップすると、次のようなものだ。多田富雄「免疫の意味論」(いつか読まねばと思っていた本、新幹線の中ではちょっとカタすぎるか)、サリンジャー・村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(これもいつかはと思っていた本)、藤沢周平「蝉しぐれ」(実は藤沢周平は一冊も読んだことがない。最初の一冊として手許にキープしていた本)、内田樹「私の体は頭がいい」(先生のネコマンガ、直筆サイン入り!)、「ロング・グッドバイ」(って、これは明らかに重量オーバー)。あらためて考えてみると、これまで年頭の一冊に「物語」を選んできたことに気づく。短めの文章を集めたものよりも、ゆったりとした物語世界に浸りたいという気持ちが強く働く。なぜかはわからないが、結果的にはそうなっている。そう思いながら、「キャッチャー」のハードカバーと「蝉しぐれ」の文庫本をカバンの中にごそごそと詰め込む。どちらか一冊で十分なのだが、本を読む習慣を持つ者にとっては、「もし早めに読み終えてしまったら」という杞憂から解放されることはないのである。子供のわめき声やら、くしゃみやら咳やら哄笑やら、もろもろの騒音に包まれた新幹線の車中で「キャッチャー」のページをめくる。読み始めてまもなくヴォイス(声)が生き生きとページから立ち上がってくる。実に見事な翻訳である。時折、若い頃のろくでもない記憶が頭をかすめたりもする。そして「庄司薫」という懐かしい名前を唐突に思い出す。兄の本棚に並んでいた彼の四部作を鼻で笑いながら読み飛ばしたことがあったっけ。ひょっとすると、彼の作品は、このヴォイスを日本語で再現しようとして書かれたものだったのかもしれない。文章の手ざわりが不思議なくらい似ている。いずれにしても、この作品をヴォイス抜きに語ることはできない。どのような声で、どのような口調で語られるか。そのことが作品の核と深くつながっている。これはそういう小説である。新幹線が博多駅に到着する。地下鉄とタクシーを乗り継いで、実家にたどりつく。挨拶を交わし、夕飯に鍋をつつき、酒を呑み、四方山話をする。夜もふけて寝床につくと、顔のまわりを冷たいすきま風が吹き抜けていく。これも毎年同じことの繰り返しだ。翌日が大晦日、家中の窓ガラスという窓ガラスを端から順に磨いていく。ほとんど2時間近くかかる。そして、自転車で年越しそばの買い出しに行く。これも何の変化もない。一年に一度のルーティーンワークである。一通り年末の仕事も終わり、さて一息つくかというところで、ふと軽く走ってみようかと思い立つ。ふた月ほど前から、三日に二日くらいのペースで近所をジョギングしている。まだ歩いて1キロ、走って2キロ程度という「おこちゃま」メニューにすぎないが、1周1225メートルの周回コースを走りながら、「福岡に帰ったら通っていた小学校まで走ってみようか」と考えたことを思い出したのである。私の実家は福岡の西部に位置する新興住宅地ともいうべきところにある。最初はまばらだった家々の間に徐々に民家が立っていき、それにつれて小学校や分校が次々に作られていくという形で、アメーバ状に増殖していった地域である。だが私はその学校増設には間に合わず、6年間、家からかなり離れた小学校に通い続けた。子供の足では、歩いて30分以上は軽くかかったと思う。しかし、小学生がそれに合わせて早起きをするなどという芸当ができるはずもない。いきおい、近所の友だちとランドセルをごとごと鳴らしながら毎朝、走ることになる。常連は棒高跳びが得意ないがぐり頭の山本君、顔がネズミ男に似ている瓜頭の小谷君、それに私の三人である。タテ一列に並んで毎朝、物も言わずに疾走していた。まるでエチオピアの通学風景である(見たことないけど)。そのおかげで子供の頃は足が速かった。中学に入る時には、陸上部から勧誘されたくらいである。ついでに合唱部からも勧誘された。もうひとつついでに高校では文芸部から勧誘された。いずれの場合も、声をかけられた瞬間、脱兎のごとく逃げ去ったことは言うまでもない。「足が速い」というのはこういう時にこそ役立つのである。話が逸れたが、昔、通った小学校まで走るというアイデアはなかなか捨てがたいと感じた。大晦日の福岡は時折、小雪が舞っていた。道端もぬかるんでいて、けっしていいコンディションではなかったが、私はスニーカーにジーンズ、それにフリースを羽織って、かつての通学コースを歩きはじめた。寒いのでとりあえずはウォーキングで体を温めようと思って5分間歩いたら、あっけなく最初の山を登り切ってしまった。小学校の頃とは全然距離感が違う。この山越えに5分しかかからないとは。そこから軽いジョグペースで走り始める。周囲の街並みはずいぶん変わってしまった。昔なじみの曲がりくねった近道を探そうとしても、道そのものがもはや存在していない。のっぺらぼうの敷地になって、その上に巨大なマンションがでんと建ってしまっている。やむなく幹線道路沿いを走ることにした。狭い通りをとことこと走っていると、急に視界が開け、目の前に小学校の校舎が広がる。時計を見ると走り始めてわずか6分。歩いて30分以上、小走りでも20分以上は軽くかかったはるかかなたの小学校まで、わずか11分でたどりついてしまった。なんだか「ミニ巨人」にでもなった気分である。鉄筋3階建てのぴかぴかの校舎に、昔の木造建築の面影はまったくない。学校の回りをめぐっていたうら寂しい小川もなくなっている。しばらく茫然と校舎を見上げた後で、きびすを返し、ふたたび自宅に向かって走りはじめる。小学校低学年の頃には、この道をなんと馬が荷車を引いて走っているのを見たこともある。正門の前にあった薄暗い文房具屋も、学校の周辺に広がる田んぼも、その中にいたカエルくんも、小川のフナくんもドジョウくんも、すべて消えてしまった。その後にはただ所狭しと一軒家とアパートとマンションが建ち並んでいるだけである。性悪ばばあのいた駄菓子屋も、チョコレートクリームの入ったコロンを売っていたパン屋も、フルーツ牛乳を買った牛乳屋も、大きな氷の塊をのこぎりでじこじこと切っていた氷屋も、すべて消えてしまった。昔と同じなのは、ほとんど坂道の勾配と道の曲がり具合だけである。私は三分の二に縮小してしまった街並みを走る、二分の三に体を肥大させ、五倍の年齢を重ねた小さな巨人だ。私はいつか走るのをやめて、とぼとぼと歩きはじめた。「淋しいのはお前だけじゃない」昔のテレビドラマのタイトルがこころをよぎる。いささか気勢の上がらない本年のラストランは、かくして夕闇のなかに終わりを告げたのであった。
2008.01.07
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机上の国語辞典をぱらぱらと繰りながら、ふと「どの文字で始まることばがいちばん少ないか」と考えた。「ん」や「を」が極端に少ないことはいうまでもない。ただし、これは現代語の話で、「ん」はともかく「を」は古語辞典ではけっこうな数のことばが並んでいるはずだ。なにしろ「をんな」と「をとこ」を含んでいるのだから、両者の関係がそんなに簡単に片づくはずがない。すったもんだの末、多くの複合語が生まれているにちがいない。その二文字を例外として除くとすると、はて、その次にくるのは何だろう。そう考えて、「る」という文字が思い浮かんだ。手許の辞書で確認してみると、総頁数約1700頁の国語辞典の中で、「る」で始まるのはわずか4頁。かなりいい線である。しかもそのほとんどは「ルーキー」、「ルート」、「ルクス」などの外来語であり、「類」「涙」「累」などの漢字で始まる語を除いた、いわゆるやまとことばは極端に少ない。やまとことばであるかどうかは判然としないが、外来語と漢語を除くと、残るのは「留守」と「坩堝(るつぼ)」くらいではなかろうか。にもかかわらず、「る」という文字は日本語の骨格を支えるきわめて重要なピースのひとつなのである。たとえば、「移す」と「移る」という二語を考えてみよう。どちらも「移動する」という意味をもっているが、この二つはどう違うか。「心を移す」という場合、そこには主体の関与が濃厚に感じられる。意識的・主体的なニュアンスが強く、「他の女に心を移すなんて」ということばはその主体の不実な行為をなじるきわめて強い非難の表現となる。これに対して「心が移る」はどうだろう。「いやあ、そんな心を移す気なんてなかったんだけどさ、なんとなくいつのまにか心が移っちゃったんだもん、しかたないじゃないか」というように、こちらは主体の関与の薄い、どちらかといえば自然発生的、ないしは自然の推移に身を任せただけという、きわめて弱々しい弁解ないしは開き直りになる。つまり、「す」は主体的・能動的、「る」は非主体的・受動的なニュアンスを帯びているというわけである。(以上は、大野晋氏の説を踏まえた説明である。詳細を知りたい方は、岩波書店「古語辞典」の巻末にある「基本助動詞解説」の冒頭部を参照されたい。大野氏はここで「す」を「人為的・作為的」、「る」を「自然展開的・無作為的」と説明されている。)さて、ここから「る」の旅がはじまる。「す」は動詞に主体的・意識的なニュアンスを与え、「る」は自然の推移に従う無作為的なニュアンスを与える語尾である。やがて、これらは独立性を増し、助動詞の「る・らる」として用いられるようになる。これに対立するのが「す・さす・しむ」である。自然発生的、無作為的という表現でおわかりの通り、これはきわめて日本的な物事のとらえ方である。「自分が積極的・意識的にやったわけではない。しかし、その場の雰囲気、流れでなんとなくそうなっちゃったんだよ(だから、オレのせいじゃないもん)」というのは、きわめて日本的な状況認識である。文法用語を聞いただけでじんましんが出るという向きもおられると思うので、なるべく術語は避けるが、「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」という四つの意味があるということは、学生時代の遠い記憶として覚えておられる方も多いだろう。私も高校生の頃、「おぼえることが四つもあって面倒だぜい」と思った記憶がある。これに活用とか接続とかがくっついてくるから、次第に学習意欲が損なわれてくるわけである。あの時、大野先生が教壇に立っておられたら、事態はもう少し違う方向へ展開したであろう。大野先生は、まず、「る・らる」の意味を「自発・可能・受身・尊敬」という順に並べる。この順番にはちゃんと意味があるのである。そういえば、昔、何かの本で(たしか板坂元の「考える技術・書く技術」だったか)外国人に日本語を教える際に、「自発」を説明するのがいちばんむずかしいと書かれているのを読んだ覚えがある。「田舎に残してきた母親のことが思われる」。この「れる」を説明するのがむずかしいというのである。しまいには「いやあ、ついそこで雨に降られちゃってさあ」の「れる」はどういう意味かと聞かれたら、答えに詰まる。どうも「る・らる」(現代語ならば、「れる・られる」)は、きわめて日本的な言い回しのようなのである。大野先生の説明に戻る。(といっても、自己流にきわめて乱暴にアレンジした説明だから、学術的に正確な説明は岩波の「古語辞典」を見てくださいね)まず、はじめに「自発」ありき。自発とは自ずから何かが湧き起こるようにして出現することである。大地からにょきにょきと植物が生えてくる。ほっておくとあっという間に雑草が生い茂る(「『雑草』という草はこの世には存在しないんだよ」@昭和天皇。「草ちゃん、ごめんね」)。日本では、これはきわめて日常的な風景だったろう。やがて農業を生業とし、定住生活を営むようになると、「何ものかが自然発生的に湧き起こる」という現象は、自分たちの生の根底を支えるものとなる。(ここにも「る」が出てきた)それが「る」の世界である。その対極に能動的な「す」の世界がある。さて、そういう「自発」の支配する世界で、何かが「できる」ということはどういうことを意味するだろう。「出来る」とは無から有が「出で来る」ことだ(博多近辺では今でも「できる」ことを「でくる」と言う)。自然からの収穫は、人間が技術や闘争によって主体的に勝ちとった獲物というよりも、むしろ自然の流れに従順に従うことによって、自然の中から自然に「出で来たった」ものととらえられる。むりくりに人為で何かをするのではなく、自然の流れに沿ってこつこつと作業することで自ずから望ましい結果が得られる。それが日本語における「できる」ということだ。だから「自発」を意味する「る」は、「可能」の意味を帯びることになる。では、「受身」は?これはあらためて説明するまでもないだろう。日本語における「受身」とは、自分がその動作に積極的に関与しないことを意味し、それはとりもなおさず、その動作が自然の成り行きとして成立することを意味する。つまり「自発」を見守ることで何事かを成しうることが「可能」であり、その時、その人間の立ち位置はどこまでも「受身」的であるということだ。じゃあ、「尊敬」は?日本人にとって「尊敬」とは、ある人を「畏れうやまうこと」を意味する。ここでいう「畏れ」はある意味では恐怖の感情に近い。「神鳴り」ということばが示すように、日本人にとって「神」とは敬意の対象であると同時に恐怖の対象でもあった。自分とは隔絶した存在、恐るべき存在を敬して遠ざける感情。それが「尊敬」である。そういう存在に対して、ちっぽけな自分が主体的に関与することなど不可能だ。「尊敬」すべき対象の行為は、ほとんどそれが自然の運行ででもあるかのようにひたすら一方的に受け入れるしかない。「自発」的な推移を「受身」で見守る。それが「尊敬」すべき対象への接し方というわけである。かくして、「る」は「尊敬」の意を示すようになった。以上が、日本語におけるきわめて重要なバイプレイヤー(おっと和製英語を使ってしまった)「る」の物語である。日本語の歴史のなかで、小さな「る」の辿ってきた遠い道のりを思うと、うたた感慨におそわれるのである。(って、やっぱり「る」が多いな)
2007.12.28
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試行錯誤ということばがある。英語ではtrial and error。というよりも本家はこちらで、その直訳が「試行錯誤」ということになる。学術用語でありながら、これほど日常生活に溶け込んだことばも珍しいのではないだろうか。もともとは生物学(というよりも「教育心理学」だったかな)の用語である。その意味するところは「動物が新しい状況や問題に当面して、解決する見通しが立たないうちに、偶然成功した反応が次第に確立されていく過程。」(@広辞苑)ということになる。一般社会では、「度重なる試行錯誤の末に、ついに成功を勝ち得た」というような用いられ方をする。でも、あらためてこのことばを観察してみると、どこにも「成功する」というニュアンスはない。ただ「やってみて、失敗」と言っているだけである。「やってみる→失敗する→(その結果)成功する」という三段階のうち、最初の二段階しか説明されていない。これはなぜだろうか。むしろ第一段階と第三段階をくっつけて、「くりかえしやってみて、成功」という方向性をもったネーミングも考えられたはずである。最初と最後が押さえられているから、意味としてはこちらのほうがむしろ適切であるようにも思える。それなのに、なぜ「成功」のニュアンスをこの語に込めなかったのか。それは、おそらくこの語を作った人間が(教育学者のソーンダイクだったかな)生物の基本的な行動形態は「やってみて、失敗」だと思っていたからだろう。試行がいつも成功するとは限らない。というよりも、その圧倒的大部分は失敗に終わる。それが現実だ。だから「やってみて、失敗」のほうが生物の現状をより適切に表現している。そう考えたのではないだろうか。無数の必然的とも思われる失敗のなかから、偶然ひょっこり成功事例が出現する。あら、びっくり。まさかこんなことが起こるなんて。被験者は天を仰いで神に感謝を捧げる。そして、その成功の原因を考える。とにかく「やってみること」。なんといっても、まずはこれだよなあ。やってみなけりゃはじまらない。次に、その結果、引き起こされた「失敗」にめげなかったこと。これも大きいよなあ。やってみて、だめだった。あーあ、やっぱりだめだわ。やーめた。そうなっていたら、この成功を手に入れることはできなかった。やってみるというポジティブな姿勢を保ちつづけること。そして、それが引き起こすネガティブな失敗を平然と受け入れること。このふたつの条件を合体させることによって、ついに成功がもたらされる。これが地球上に生きる生物の基本的な戦略なのである。そういう考えが、この「trial and error」の背後に存在している。「やってみたら成功しちゃった」でもない。「やってはみたけれど失敗に終わった」でもない。「やってみて失敗、やってみて失敗、やってみて失敗(以下同様)……、おっ!」人間を含む生物は35億年の長きにわたって、このように自らの活路を開いてきたもののようである。人間の一生を句読点とも10字以内で要約せよ。こういう問題が出されたら、私は解答用紙に次のように書くかもしれない。「やってみて、失敗。!」「trial and error」とは、思いのほか奥行きと深みと含蓄をもった表現のようである。
2007.12.27
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もしも、ある文学作品の中に次のような一節があったとして、さて、これはどの国の、どの時代に書かれた、どのような作者の手になるものだろうか。そう問われたら、あなたはどう答えるだろうか。ただし、以下の文章はきわめて乱暴な意訳であり、原文に忠実でないことをあらかじめお断りしておきたい。「夏の暑い盛りのことである。夜になっても暑さはいっこうにやわらがない。窓という窓を開け放った部屋で、ひとりの女がベッドに横たわっている。ベッドはつやのある床板の上に置かれている。どうやら男が帰っていった後のようだ。女はふんわりとした上掛けを顔の上まで引き上げて、静かに寝入っている。シーツの上には黒く長い髪が静かに渦巻きの模様を描いている。その部屋の外の廊下を一人の男が歩いている。おそらく恋人の元からの朝帰りだろう。外には霧が深く立ちこめており、男の服もしっとりと湿り気を含んでいる。少し寝乱れた髪を無造作に帽子のなかに押し込み、男はなにかを口ずさみながら歩いている。部屋に帰ったら、あの娘に手紙を書かなければ。そう思って、男は手紙の文面をあれこれと思案する。ふと、男は半開きになっているドアに気づく。ずいぶん不用心だな。そう思って、その部屋の女と顔見知りであったことをあらためて思い出す。指先で少しだけドアを押し開けてみる。部屋の向こうに女の寝姿が見える。顔は知っているが、とくに親しいというわけでもない。もちろん愛情関係もない。単なる知り合いの一人だ。おそらく男が帰っていった後なのだろう。そう思いながら、男はしばらくその寝姿を眺める。その部屋をいましがた後にした男と、女の元から帰ってきた自分の姿が、ふと重なり合う。女の枕元にはシルバーのネックレスが無造作に置かれている。そして、ティッシュの花がふたつみっつ。ふと人の気配を感じて女が目を覚ます。ふとんをもたげて、そっとあたりをうかがうと、男が笑みを浮かべたまま、廊下の向こうの壁にもたれて、こちらを見ている。「恥ずかしい」と思うほどの相手ではないが、打ち解けて話をする気分にもならない。それより不用意に寝起きの顔を見られてしまったことが口惜しい。「ずいぶん未練たっぷりな朝寝坊さんだね」そういって、男は部屋のなかへ体を半ば入れる。「さっさと帰ってしまったアイツのことがうらめしくってさ」女は答える。たいして気の利いたせりふでもないが、二人のことばのやりとりの様子は悪くない。女のベッドの脇にあるネックレスに気が引かれ、それを手にとろうとして男はもう一歩ベッドに近づく。「ちょっと近くに寄りすぎ」。女はそう思い、なぜか胸の高鳴りを覚え、思わず壁際へ身をずらす。男は女のネックレスを手にとって眺めながら、「ずいぶんよそよそしいんだな」と軽いうらみごとを口にする。そうこうするうちに、外が明るくなってくる。人の声が聞こえ、もうすぐ日も顔を出しそうだ。夜の霧が晴れていくにつれ、恋人に書くはずだった手紙の文言もいつかかすんでいく。すると、女の部屋の郵便受けに何かが落ちる音がする。いつのまに書いたのか、どうやらこの部屋から出て行った男の書いた手紙が届けられたようだ。なかなか気の利いたことをするじゃないか。すっかり明るくなった頃合いをみて、男は部屋を出る。「オレがさっき別れてきた女のところにも、変な男がもぐりこんでたりしてな」男はふっと笑いながら、そうつぶやく。」どうでしょう。とりたててストーリーがあるわけではない。やや頽廃的な、けだるい空気のただよう情景描写である。「情事の終わり」というようなタイトルがふさわしいかもしれない。国名はどうだろう。フランス?イタリア?それともスペイン?アメリカということも考えられる。時代は?1900年代前半くらいかな。30年代、ロストジェネレーションのあたりかもしれない。作者は男性だろうか、女性だろうか。どうもベッドに寝ている女の側に視点が据えられている感触があるので、おそらく女性かな。ということで、正解の代わりに原文の冒頭部を引用することにしよう。「七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。」正解は、「日本、約千年前、清少納言」の「枕草子」第三十三段でした。季節の風俗を描写しようとして、女の寝姿から、ふとその姿を目にする朝帰りの男の話になり、ふたりの間になんともいえぬ微妙な空気が流れる。その背景に朝霧を置いているところが巧みである。清少納言という人には舞台監督の素質がある。もやもやとただよう情愛の霧のなかに静かに寝入っている女と、その霧の中を帰ってくる男。夏の朝霧を身にまとったふたつの影がふと接近し、触れあいそうになる。しかし、官能の霧は朝日とともにはかなく消えてゆく。そういう一場面の描写である。うまいものである。彼女が和漢の素養にあふれたとびきりの才女であることはたしかだが、その文章の真骨頂はむしろ「こういうことを書こう」という意識の統制のゆるんだ瞬間にこそ発揮される。この章段はその好例である。文章にとって、新しいとか古いとかいったことはたいした問題ではない。こころに触れる文章、残酷な時のヤスリをかけられながら、なおも生きつづける文章。そういう文章の特質を一言でいうならば、それはどこかで文章そのもののもつ「限界点」、あるいは「際(きわ)」に限りなく近づいているということだろう。ことばで表現することの「際」に立ち、その向こう側にある深淵をのぞきこむ時、ごくりと呑み込まれる生唾の音。その音が生々しく聞こえる文章をこそ読みたいものである。現代のへっぽこ小説家のへっぽこ小説のへっぽこ描写を読んでいる場合ではないのである。私は導きの糸となってくれた橋本治「桃尻語訳 枕草子」を脇に置き、いま枕草子の原文をちびちびと読み進めているところである。
2007.12.18
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「ラディカル」ということばは、この国では正しく理解されていないのではないか。このことばを聞いて反射的に浮かぶ訳語は「過激な」だろう。だから「ラディカリスト」は「過激派」になる。たしかに英語でもそういう意味で用いられる場合は多い。だが、この用例だけで「ラディカル」をとらえると、語義がずいぶんと歪んだものになってしまう。過激ということばを聞いて、われわれが思い浮かべるのは、花火や火薬の炸裂のような、外面的な激しい衝撃や爆発を伴う変化だろう。しかし、ラディカルの原義は「根本的な」「徹底的な」ということである。大根をラディッシュというのも同じ語根からきている。だから、おそらく根っ子の部分からすっこ抜いて、えいやっと放り投げるような改革を、「根本的な改革」=「(結果的に)過激な改革」と呼ぶようになり、それが「1、根本的な、徹底的な、2、過激な、急進的な」というふたつの意味につながったのだろう。だから、ことあるごとに卓袱台(ちゃぶだい)を、「でえいっ」とひっくり返す星一徹などは、ラディカリストの一員と考えていい(たとえが古すぎるが)。だが、ネイティブの英語話者が「ラディカル」という時、この1と2の意味は頭のなかで截然と分離されてはいないのではないか。1を白色、2を赤色に喩えると、この語を用いるときには、白を出発点として、それが徐々にピンク色を帯び、ついには赤に達する微妙なグラデーションが話者の脳内には存在しているはずである。しかし、日本語話者の頭の中では「ラディカル=過激な、急進的な」という一対一の対応が強固にできあがってしまっている。そこでは「根本的にものごとを考える」ことがどれほど「過激」でありうるかということがしばしば失念されてしまう。私が冒頭で「この語が正しく理解されていない」と述べたのは、そういうことである。少なくとも日本語で「あいつはラディカリストだ」という場合、彼が根本的にものを考える人間だという含意はそこにはない。むしろ「根本からものを考えることのできない直情径行型の人間だ」という逆のイメージを帯びる場合が多いのではなかろうか。だから、日本の受験生で、「radical principle」を「根本原理」、「radical reform」を「抜本的改革」、「radical cure」を「根治」とすんなりと訳せる人は決して多くないのである。以上のことを、私は養老孟司氏の本を読みながら考えた。養老氏のことを一言で何と呼ぶのが適切かと考えて、あえて言えばそれは「ラディカリスト」ではないかと思ったのである。そして、そう言うとかなりの確率で誤解を招くことになる。そう思って、これまで述べてきたようなことをつらつらと考えたわけである。「そうね、たしかに養老先生って、カ・ゲ・キよねえ」そういわれると、「ええっと、たぶんそれとはちょっとニュアンスがちがうと思うんだけど」といいたくなる。数ヶ月前、養老先生の本を次から次へと手当たり次第に読んでいた時期があった。面白くてとまらなくなってしまったのである。実をいうと、私は養老先生が本を出し始めた頃からの熱心な読者だった。しかし、2~3冊読むと、その後、ぱたりと読むのをやめてしまった。その頃出た『唯脳論』の冒頭を読んで、「ああ、これはわからない」と思い、それ以来、読まなくなった。その頃、氏の文章にはところどころに妙な飛躍があるように感じられたし、あちこちに同じ内容が書き散らしてあるようにも思った。そういう失礼千万な感想を抱いた記憶がある。しかし、一年ほど前に氏の講演をたまたま間近で聴く機会があり、それをきっかけにして、これまで養老先生の本との間に存在していた分厚い氷が一挙に溶けてしまった。ああ、そうか。あれは「同じことの繰り返し」ではなかったのだ。養老氏が繰り返し書かれていること、それは彼の「主題」なのである。そして、その主題をさまざまな形で変奏していくことが彼のスタイルであり、文章なのである。その主題を彼はどこまでも執拗に、徹底的に掘り下げていく。ものごとの幹を探し、そこから下方へ穴を掘り、その根がどこから生じているかを探求していく。そのプロセスこそ彼の著作活動そのものだったのである。そう思って、18年近く店晒(たなざら)しにしていた『唯脳論』を手にとった(考えてみると読まない本を20年近く本棚に置いておくこと自体が異例のことだ。やはりこころのどこかで気にはなっていたのだろう)。そして、なんと面白く、またスリリングな著作であることかと改めて感じ入った。その本の中にこういう記述がある。ヒトの脳はゴリラやオランウータンの約3倍ある。なぜそんなに肥大したのかは大きな謎である。その一方でトガリネズミのヒゲの数と、その刺激を受容する脳の部位とは基本的に一対一の対応関係にあるという。外界の刺激と脳の容量との間には一定の対応関係があるのである。しかし、ヒトの環境がサルの三倍大きいわけではない。この謎はいったいどうやったら解けるのか。養老先生の答はこうだ。「人間は外界だけでなく、自分自身をも外界のなかに取り込むことによって、その環境を爆発的に肥大させたのだ。その結果、脳は巨大化することになった。この自分自身をも外界としてとらえる精神のあり方を自己意識と呼ぶ」と。それまで外界に向けていた意識を自分自身へ内向させることによって、世界は内面に向かって一気に広がった。その結果、人間の脳は肥大したというのである。私はこの仮説に興奮し、この仮説を生み出す発想そのものに目をみはる。こういう発想はどこから生まれてくるのだろうか。おそらくそれは自分の考えるべき主題を探り当て、それをどこまでも深く探究しようとする姿勢のなかからしか生まれてこない。彼のもつ主題の意味はここにある。「じゃじゃじゃじゃーん」というベートーヴェンの第五の冒頭、あれが主題だ。その主題は、それ以降のすべての楽章にさまざまな形で出現する。でも、だからといって「もういいよ、その主題は。いいかげん聞き飽きたよ」という人間はいない。その主題がどのように生成発展を遂げるかということが、聞き手の関心の中心だからだ。養老先生の文章も同じである。何度も繰り返し書かれていることは、氏の頭のなかにあるメインテーマなのである。そのテーマは彼の思索の根底にしっかりと根を張っており、だからこそ、そこからさまざまな発展や変容が出現してくる。その根から養分や水分を汲み上げて、茎が伸び、枝が張り、葉が茂り、花が咲く。養老先生の本を読み始めた頃、「また同じことが書いてある」と思って頁を閉じたのは、いかにも浅慮であった。自分の問題意識の根っ子にある問いを徹底的に自分の力で考え抜く。どれほど時間がかかっても、粘り強く、妥協することなく、誰の助けも借りないで、掘り進んでいく。そのようにして得られた結論を彼は繰り返し書くのである。そして、そこからはさまざまな形の精神の運動が生起する。それが彼の著作活動の本質なのである。養老先生の本を次々と読んでいくことで、私はようやくそのことに気がついた。根っ子が強靱であればあるほど、その著作活動に他者が関わったとしても基本的な骨格が揺らぐことはない。いや、むしろ他人が関わることで、従来の文体の制約から解放されて、より自由なスタイルが出現することになる。爆発的なベストセラーとなった『バカの壁』はそのことを示しているのではないだろうか。(もっとも、内容的には続編の『死の壁』のほうが上ではないかと私は思うが)要するに、彼は「ラディカリスト」なのである。このことばがこれほどふさわしい人物はいない。彼は根っからの「根っ子主義者」なのだ。私はその根っ子をたどる作業の副産物として、もう一人の「根っ子主義者」を発見した。その人の著作に「『わからない』という方法」(集英社新書)がある。まったく違う場所から、違う意図をもって掘り進められた二つのトンネルが、ある日、偶然出くわす。そのスリリングな瞬間を、私はこの二人の文章から感じとる。その人とは橋本治氏である。いま、「『わからない』という方法」の実践の書である「桃尻語訳 枕草子」全3巻を読んでいるところだ。これを面白おかしくしつらえた古典の口語訳だなどと思ったら、とんでもない見当違いである。この訳文に現れた彼の徹底的な掘削作業の跡を見て、私はしばし茫然とする。「わかったつもり」という中途半端な理解からこれほど遠く隔たった訳業というものはあまり例がない。彼もまた強靱な意志と掘削能力と精神的なスタミナをもった徹底したラディカリストなのである。私は彼らの著作を通して、自らの足元をどこまでも掘り進める「根堀り」作業の意味を知る。そういうラディカリストの仕事は、私に饒舌を許さず、むしろ沈黙を強いる。私は黙って、自分の足元を見つめる。そして、こう思う。私もまたここを掘らなければならない、どこまでも「ラディカル」に、そして、どこまでも粘り強く、と。
2007.12.11
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OECDの実施した国際的な学習到達度調査(PISA)の結果が話題になっている。これは義務教育終了時の15歳の生徒を対象として、科学的リテラシー、数学的リテラシー、読解力の三分野で学力を調査するものである。リテラシーということばがややわかりにくいが、「活用力」というほどの意味である。「応用力」と訳される場合もあるが、このことばは日本では(とくに教育関係では)、「基礎の一歩上位に位置するもの」というニュアンスを伴うので、できれば避けたほうがよいだろう。まあ、要するに「その知識や情報を自分のものとして使いこなせるかどうか」、その力をリテラシーを呼ぶと考えておけばいいと思う。「リテラシー」の訳語を断念してしまっているあたりに、日本の文部官僚の「読解力」のレベルがうかがわれるが、適切な訳語が見つからないのなら、最近の生徒の語彙力を高めるためにも、いっそ「リテラシー=自家薬籠中のものにする力」と考えて、「自家薬籠力」とでもしたほうが、まだましだったかもしれない。それはさておき、新聞報道を見る限り、数学力が6位から10位へ、科学力が2位から6位へ、読解力が14位から15位へ下がったことに焦点が当たっているようである。「あら、たいへん、日本の学力低下が年を追って進んでいき、ほとんど崩壊寸前に陥っているのではないか」。そういう雰囲気がこの問題をめぐる報道には感じとれる。さて、このあたりで、問題をひとつ。問題 太郎くんは今回のPISAの結果を新聞で見て、「日本の学力低下は急速に進んでおり、この原因は「ゆとり教育」にある」という結論を出しました。問 花子さんという別の生徒は、太郎くんの結論に反対しています。花子さんは太郎くんの結論にはいくつかの疑問点があると言っています。 花子さんが抱いたであろう疑問点を一つ示し、それについて説明してください。PISAの問題はだいたいこういう作りになっている。選択肢問題もあるけれども、このような記述式の問題も少なくない。さあ、どうでしょう。15の春(冬か)に戻ったつもりで、ひとつ考えてみていただけませんか。答は幾通りか考えられる。その一。調査対象の母数が無視されている。2000年の調査対象は、32カ国、03年は41カ国、今回の06年は57カ国。一回目と三回目では対象国はほぼ倍増している。読解力の成績の推移をたとえていえば、息子の一郎くんの国語の成績が、一年生の時には32人クラスで8番、二年生は41人クラスで14番、三年生は57人クラスで15番だったということである。「あんた、なにぼけぼけしてんの!毎年毎年成績下がりまくってるじゃないの。毎月いくら塾に払ってると思ってるのよ」鬼の形相で母親がそういったとしたら、いくら日頃おとなしい一郎くんでも、「だって、おかーちゃん。クラスの人数が毎年増えてるんだもん、たしかに立派な成績とはいえないかもしれないけど、僕もそれなりに勉強してるし、二年はちょっと下がったけど、一年と三年は上から四分の一のところでほとんど同じなんだよ。」この場合、科学的リテラシーは一郎くんのほうが高いと思われる。お母さんおよびマスコミ関係の諸氏は、一郎くんの爪の垢でも煎じて呑んだほうがよい。一郎君がクラスのトップからどのくらいの位置にいるかを順にパーセント表示してみると、8÷32=25%、14÷41=34%、15÷57=26%。きわめて単純な算数である。ちなみに数学と理科の成績も比較してみよう。それぞれトップから何%のところに位置しているかを示してみる。算数:1年=0 2年=14.6 3年=17.5理科:1年=6.3 2年=4.9 3年=10.5「ほーら、見てみなさい、一郎ちゃん、やっぱりぜんぜん下がっちゃってるじゃないの。お母さんをごまかそうたって無理ですよ。」「だって、よく見てよ、おかーちゃん。成績ってふつう5段階評価でするでしょう。100を5で割ったら20だよね。つまり上から20%は「5」だってことだよ。そうするとぼくの成績は、 1年 2年 3年国語 4 4 4算数 5 5 5理科 5 5 5ってことになるんだよ」「…………」うーん、どうやら数学的リテラシーも一郎くんのほうが上のようですね。それでは続いて、二郎くんの答案を見てみましょう。その二。サンプル数が考慮に入れられていない。先日行われた全国学力調査。これはなんと77億円かけて文部科学省が行ったのだが、中学校3年生の対象者数はおよそ110万人。すごいですね、ほぼ全員を対象にしたのである。これに対して今回のPISAを受けた日本の高校生は6000人。両者を比べると、PISAの対象者は全国学力調査のわずか0.5%にしかすぎない。全体の二百分の一のサンプル調査にもとづいて、日本の高校生の学力が低下していると断定するのはちょっとおかしいんじゃないのかなあ。ぼくはそう思います。まる。はい、二郎くんもよくできました。お、こんどはこわそーなマスコミのおじさんがなんか言いたそうな顔してますね。なんですか。「限られたサンプル数であっても、慎重な選択を行えば、十分信頼するに足るデータを析出することが可能なはずである。」お、さすがマスコミおじさんですね。いうことがもっともらしい。二郎くん、答えられるかな。「もしもおじさんのいう通りだとしたら、全体の0.5%でも正確な調査は可能だっていうことになるよね。だとしたら、文部科学省が77億円かけた全国学力調査はサンプル使えば、四千万円くらいですんだってことになる。76億円以上の税金をどぶに捨てたってことになるけど、大人の世界ではそれが許されちゃうんですか」「…………」お、二郎くん、やるね。マスコミおじさんをぎゃふんといわせちゃったね。数学的リテラシーに加えて、読解力も高得点を上げちゃおう。ちなみにマスコミは誰も理解してないみたいだけど、PISAの読解力っていうのはちゃんと定義があって、文章だけではなく、グラフや統計資料も読みこなし、それを主体的にとらえ、熟考を加えて、自分の意見を言うことを指すんだよね。二郎くん、よくわかってるなあ。感心、感心。さて、最後に三郎くんの答案を見てみよう。その三。「学力低下」という時の、「学力」の定義が曖昧である。今、日本で問題にされている「学力」とは、要するに学校で教えられたことがどれくらい身についているかということだろう。その度合いが昔に比べて、最近では著しく低下している。だから分数の計算もできない理系の大学生まで出てくる始末である。まことに嘆かわしい。これが典型的な「学力低下」の議論である。しかるに、今回のPISAはいったい何を計測しようとしているかというと、出題側はこう説明している。「PISA調査では、義務教育終了段階の15歳児が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価」するものである、と。15歳児がどれほどの知識や技能をもっているかを評価しようとするのではなく、とりあえず彼らがすでに持っている知識や技能をどれくらい活用できるか、それを評価するテストがPISAなのである。ご丁寧にも、この定義の直後にはこう書かれている。「特定の学校カリキュラムがどれだけ習得されているかをみるものではない」と。だから、PISAの結果をもってして、日本の「学力低下」を云々するのは無理なのである。はい、三郎くんもよくできました。この問題をめぐるマスコミの議論に典型的に現れているのは、定義を曖昧にしたまま、ことばを一人歩きさせて、いたずらに人々の関心や好奇心を煽り立てようとする情緒的、感情的な議論の進め方である。数字の意味を正確に把握、活用する数学的リテラシー、科学的に問題を立て、それにもとづく仮説を検証しようとする科学的リテラシー、および情報を正確に、かつ批判的に吟味し、それを主体的に受けとめて、熟考・評価した後、自分の意見を述べる読解力。PISAはこれらの能力を国際比較しようとして行われているものなのである。この三つの能力が著しく低下しているのは、はたして日本の15歳の生徒か、それともそれをセンセーショナルに報じる報道機関の記者諸君なのか。賢明なる読者の方々にはあらためて説明するまでもないと思う。
2007.12.09
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ベートーヴェンの交響曲の好みをご質問いただいたので、自分でもあらためて考えてみたのだが、どうも返事がコメント欄に収まりきれなくなる予感がするのでこちらで説明させていただくことにする。まず、もっとも好きな曲から。これはなんといっても第7番である。これこそはどこをどう探しても、ほんのわずかのゆるみもすきまも見つからない完璧な音の結晶体である。この曲をまだ聴いたことがない方がもしおられたとしたら、「なんとうらやましい。あの曲を初めて聴くよろこびをこれからの人生に残しておられるとは」ということばを謹んで献上したい。私はもともとクラシック音楽なんてぜんぜん「わからんちん」である。楽譜も読めず、楽器も弾けない。小学校の音楽の時間に、教師の弾くピアノの和音を「ドファラ」とか言い当てる女子を見て、なんという気高い能力の持ち主であろうかと崇高の念を抱いたものである。楽譜をぱらぱらとめくりながら、指先で拍子をとって、「ふふふんふん」とメロディーを口ずさまれたりした日には、目がふたつあって、口・鼻がひとつずつついていたら、無条件で「美女」に見えてしまうという抜きがたいコンプレックスをもった人間である。どうもその反動で、中学一年の頃からBS&T(ブラッド・スウェット&ティアーズ)などという黒っぽいブラスロックにはまってしまったのかもしれない。そのボーカルの野卑な声に憧れ、彼のアイドルがレイ・チャールズという盲目の歌手であるということを知ったときから、なんだかわけのわからない音楽行脚が始まってしまったわけである。その頃の私の価値基準は「ブラック・イズ・ビューティフル」、まっくろくろすけ大歓迎。頭の中にはクラシックのクの字もなかった。私の兄はいわゆる「優等生」であり、そのような偏屈な弟とは対極にいて、「やっぱ、この年齢になると、こういうものも一通りは聞いておかないとな」と考える、穏やかな教養主義者であった。彼は当時流行の千円レコードというものを買ってきて、中1の弟がブルースギターに合わせて体をのけぞらせているのを尻目に、「ちょっとプレイヤー貸して」といいながら、そのレコードをターンテーブルに載せた。「げ、なんだ、この大仰でもって回った出だしは」私は後ずさりしながら、そう言って、走って逃げた。お兄さまが買ってきたレコードは、A面「未完成」、B面「運命」という定番中の定番の「名曲」レコードだったのである。私はさっさと戸外に出て、バットの素振りを始めた。その頃、右投げ右打ちから右投げ左打ちへと改造すべく、バッティングフォームの確立と修正に余念がなかったのである。そのレコードは一度聴かれただけで、押し入れの隅に放置されることになった。もちろんそんなもの私は聴かない。ツェッペリンやエアロスミス、オーティス・レディングやサム・クックを聴くのに忙しかった。高校生になって、こころが鬱屈し、思いが淀んで、どこにもはけ口が見つからないと思っていた頃、なんとなくこれまで好んで聴いていた音楽からも遠ざかってしまった。そして、ふと押し入れの隅にある「あのレコード」のことを思い出した。私はごそごそとそのレコードを探し出し、ターンテーブルの上に置いた。そして、ヘッドフォンを取り出し、闇の中でオレンジ色に光るプレイヤーのランプを眺めながら、ボリュームのつまみを上げた。ちりちりというかすかな針の音がして、あの第5番の冒頭部が大音響で頭のなかに鳴り響いた。暗闇のなかで、さらにボリュームを上げ、その音の奔流に身を任せる。すると、頭の中にさまざまな情景が浮かんできた。具体的な風景というのではない。もっと抽象的で漠然とした内的なイメージがさまざまな形に変容しながら、からだのなかを次々と流れ去っていく。最後の一音を聞き終わって、私は「ほー」とため息をつき、そっと汗ばんだヘッドフォンを耳からはずした。そして闇の中の一点に瞳を凝らす。音楽を聴いたという言い方では十分に言い表すことのできない思いがこころのなかにあふれていた。その時「何かをたしかに経験した」という感触があった。すごい音楽だなあ。そう思って、しばらく茫然としたのを覚えている。おそらくそれが自分の意志で初めて聴いたクラシック音楽だったと思う。しかし、それも一度きりだった。私はふたたびなじみのある音楽に戻っていった。やっぱり温かい泥の中に浸かっているほうがその頃の気分にはあっていたのである。余談になるが、その後、30歳を過ぎてからクラシックのCDを集めはじめ、何百枚も中古CDを買い集めるようになって、ふと「あの5番はいったい誰の演奏だったんだろう」と思ったことがある。当然、あの頃は指揮者やオーケストラの名前は何も知らなかったし、いわゆるメジャーの演奏ではなかったような気もする。千円の格安LPの演奏だったのだから、それも当然である。久しぶりに実家に帰省した折りに押し入れに潜り込んで、そのレコードを探した。あった。ジャケットのほこりを拭って指揮者の名前を見ると、そこには「サー・ジョン・バルビローリ」と書かれていた。サーの称号でわかるように、英国の高名な指揮者である。そうか、やっぱりなあ。さっぱりわからんちんの青臭い高校生の魂をあれほど揺さぶった演奏である。いくらベートーヴェンの音楽がすばらしいからといって、中途半端な演奏者ではそんなことは不可能だ。しかし、いくら探しても、その後、バルビローリの「運命」が入ったCDを探し出すことはついにできなかった。あれ、いったい何の話をしてたんだっけ。ああ、そうそう、ベートーヴェンの交響曲か。失礼しました。コメント欄に収まらないどころの話じゃないな、これじゃ。話を元に戻します。ということで、5番を聴き、その余韻のまま、クリュイタンス、ベルリンフィルの第7番のLPを買った。どうせなら、まったく知らない、聴いたことのない、ベートーヴェンの音楽を聴いてみたい。当時、読んでいた吉田秀和氏の本の中にも、よくこの曲のことが書かれていた。とにかく、この曲の最終楽章。これは圧倒的だった。有無を言わせず、首根っこをひっつかまれて、音の渦巻きの中に投げ込まれる感じだ。「おお、これはほとんどロックだぜ」と思った。すったかたん、すったかたん。すったかたかたか すったかたかたか すったかたかたか たっかたーん すったかたかたか すったかたかたか すったかたかたか たんで始まる冒頭部。(といってもわからないか)これは本当に圧巻だった。そして、その直後に続く「たりらりらーん」の連呼(これもわかってもらえないだろう)。この曲に関しては、少々へぼな演奏でも音楽的な感動は十分に味わえる。とにかく曲がすばらしいのである。また脱線しそうなので、大急ぎで締めにかかるが、ベートーヴェンの交響曲の中でも7番、そして5番は別格である。集中して聴けば聴くほど、それに応じて充実感を味あわせてくれる曲。何度聞いても「飽きる」ことのない曲。といってもベートーヴェンならなんでもいいというわけではない。これまで一度もいいと思ったことのない曲もある。それは第6番。いわゆる「田園」である。これはおそらく先入見が影響していると思う。学校教育の音楽鑑賞の時間を私は呪う。第1番、第8番もよくわからないという印象がある。第2番もそうかな。でも2番はいい曲だと思う。演奏にかなり左右される部分があるが。第4番はなんといってもクライバーの奇跡的な名演がある。あれを一度聴いてしまうと、あそこから自由になるのはむずかしい。とにかく大変な演奏である。あのリズムの弾み、高揚感は他の演奏では味わえないものだ。そして、第3番と第9番が残る。このふたつは私にとっては「大いなる謎」である。以前、自分のもっている「英雄」のCDを勘定したことがあるが、たぶん軽く20枚を超えていたように思う。30枚くらいあったかもしれない。単純に、この曲が好きだからというのでもない。むしろ、これこそ決定的な名演だという一枚にいつまでたってもめぐりあえないのである。これだけCDを揃えながら、一度もこころから満足する演奏に出会ったことがない。今度こそ、今度こそ、と思いながら、いつも何か物足りなさが残る。しかし、これがとてつもないスケールをもった巨大な音楽だということは私にもわかる。今のところ、ジョージ・セルがアムステルダム・コンセルトヘボウを振ったフィリップス盤が私の理想にもっとも近い演奏である。第9番の謎はさらに巨大だ。これについては語ることばすら容易に見つからない。私は時折、フルトヴェングラーのライブ録音を三種類くらいとっかえひっかえ聴くことがある。そして、終楽章で否定されることになる、第三楽章の「天上の調べ」を、彼はなぜかくも美しく演奏したのかを考える。ほとんど天国的ともいうべき極美の調べ。私は中古CD屋の店内の天井近くに置かれたスピーカーから、タハラの輸入盤の演奏が流れ出した時のことを思い出す。あの時、たしかに天上の分厚い雲の中から細い光の束が地上に降り注ぎ、そこからひそやかにきざはしがゆっくりと地上へと降りてくるのを見たのである。この楽章を聴くたびに、私は音楽にとって「美」とは何なのだろうということを考える。ひょっとしたら、それはフルトヴェングラーの演奏の問題というよりも、ベートーヴェンの音楽自体に内包された問題なのかもしれない。創造者の意図を超えて、この地点で、堅固な音の構築物が、あまりにも美しい「天上の調べ」によって破壊されてしまったのかもしれない。ということで、私のベートーヴェンの交響曲、好みの順列は、7⇒5⇒3⇒9⇒4⇒2⇒8⇒1⇒6ということになりました。おしまい。
2007.12.05
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先週の土曜日、読売日響のコンサートを聴きにいく。会場はサントリーホール。演目はシベリウス「イン・メモリアム」、ベートーヴェン交響曲第一番、第二番である。シベリウスの曲を聴くのは初めてだ。ベートーヴェンの一番と二番という組み合わせもかなり地味である。おそらくはこれから全曲演奏が行われ、これはその第一弾というところなのだろう。指揮者はオスモ・ヴァンスカ。シベリウスの演奏では定評のあるフィンランドの指揮者らしいが、予備知識はゼロ。席は二階席左側の前寄りだったが、このホールはいつ聴いても音の響きが自然で心地よい。最初の一音が鳴った瞬間に思わずはっとして、その後「生の音っていいなあ」とじんわりと幸せな気分になる。どんなに高額のオーディオ装置を揃えても、この音は味わえない。音に広がりと深みがあり、それとともに「軽み」と「抜けのよさ」がある。音がこもらず、体のなかを風のように吹き抜けていく。この心地よさが生演奏を聴く時の醍醐味である。というようなことを思っているうちに、最初の曲が終わってしまった。あらら。冒頭のリズムと動機が最後まで持続し、そこに流麗な旋律がからんでくる。この指揮者は水平方向へ流れていくメロディをつかみ、生気を吹き込むのが得意なようである。印象的な旋律が随所で鮮明に浮かび上がる。なるほどシベリウスの演奏で評判が高いわけである。続いてベートーヴェンの交響曲第一番。この曲はCDでかなり聴いた。もっとも「ひとつベートーヴェンの交響曲の全集でも聴いてみるか」と思った時、まっさきにかける曲だから、結果的にたくさん聴いたというだけの話である。そのわりには、もうひとつぴんとこないという印象がある。フルトヴェングラーの演奏を聴いても、この曲をフルオーケストラで重々しくやられると、なんだか違和感がある。もうちょっとこじんまりと、かつ風通しのいい演奏で聴きたいなあという気になる。その意味では古楽器(「ピリオド」楽器っていうんだっけ)を使ったブリュッヘンの演奏などは、よほどしっくりとくる。シベリウスの演奏が終わると、楽員が何人か連れだってぞろぞろと舞台の袖に引き上げていく。ずいぶん小規模な編成で演奏するようだ。そう思って、あらためて舞台を眺めると、どうも楽器の並びがいつもと違う。対向配置というのだろうか。ステージに向かって左端が第一バイオリン、その右にチェロ、ヴィオラ、そして右端が第二バイオリンという配置である。ベートーヴェンの時代にはこれが一般的な配置であり、曲もそれを前提として作られていると何かの本で読んだ覚えがある。しかし、二階席で聴く分には、その配置の違いが具体的な音の違いとなってたしかに感じられるわけではない。でも、内声部の動き、とくに第一バイオリンの小さな音の動きがとてもよく聴きとれて、その意味では面白かった。ヴァンスカはけっこう身振りの大きな指揮者だ。ばーんと手を大きく広げたり、体をぐいっと折り曲げて奏者に指示を与えたり、なかなか動きが豊かだ。これで跳び上がってくれればバーンスタインなんだけどと思うが、さすがにジャンプはしない。でもおおげさではなく、音楽的感興の高まりに応じて自然に体が動いている感じだ。この第一番は名演であった。「ああ、いい曲だったんだなあ」とあらためて思った。とくに第三楽章と終楽章の盛り上がりはすばらしかった。とはいえ、しっかりとした充実した演奏でベートーヴェンを聴くと、演奏云々よりも、むしろベートーヴェンの音楽そのもののよさにこころが向かう。今回もそうだった。この曲は、ハイドンの影響があるなどといわれることがある。事実、ベートーヴェンはハイドンに師事していたこともある。私はハイドンの交響曲も好きだ。とくにその最終楽章には「ハイドン的上機嫌」ともいうべき愉悦と至福の瞬間がしばしば訪れる。ハイドンの音楽は知的で明快で、かつ深い音楽的思索がこめられている。日本ではモーツァルトに比べて、ハイドンはあまり演奏されないようだが、モーツァルトのごくごく初期の曲(「がきんちょ」の頃の手慰みの音楽という意味だが)をありがたがって聴くくらいなら、ハイドンの弦楽四重奏曲や交響曲のほうがはるかに充実した音楽的喜びを与えてくれると思う。しかし、そのハイドンの音楽と比べると、ベートーヴェンの音楽はかなり違う。それはこの第一番を聴いても十分に感じとれる。この違いをことばにするのはむずかしい。ハイドンの場合は、音があくまでも音楽的な論理や思考に則して自然に運動しているといえばいいだろうか。これに対してベートーヴェンの音はぐいぐいとある一定の方向に向かって牽引されていく。それは自然な動きというよりも、強力な人間の意志を背景として、たえず生成流動をつづける音の運動体である。明快で力強く揺るぎのない意志。それにもとづいて、彼は堅牢な「音の建造物」を築いていく。これは、音そのものの流れに自然に身を任せるというのとは、ずいぶん違う音楽のあり方である。だから、彼の曲は、音楽にこころのやすらぎのみを求めようとする人には、あるいは「ちょっとうるさいな」と感じられるかもしれない。清浄の極みともいうべき旋律も彼の曲のなかには数多くあるのだけれど(とくに、第九の第三楽章!。フルトヴェングラーのバイロイト!!)。第二番ではその音の動きの自由度がさらに増す。自在なダイナミズムのなかで音楽が沸騰し、躍動する瞬間が何度も訪れる。その意志的な力をヴァンスカは力強い表情づけによって、聴く者の眼前にくっきりと鮮明に描き出す。いい演奏である。オーケストラもそれによく応えている。個人的にはこのオーケストラのティンパニ奏者が大好きである。チェロもいい。残念ながら、第二番の第三楽章、第四楽章では、なぜかこちらの集中力が何度か途切れる瞬間があった。原因はよくわからない。単にこちらの個人的な問題かもしれないが、そのいくばくかは演奏する側にもあったのではないかと思う。いったいどこに問題があるのかについては、残念ながらしろうとの身ではよくわからない。ホルンがちょっととか、指揮者の考えが一番に比べると未整理だったのではないかとか、やや外面的な盛り上げを意図して、結果的に内発的な昂揚感に欠けたのではないかとか、いくつかの原因は考えられるが、いかんせんその妥当性を確かめる能力が私にはない。でも気持ちのよい演奏会であった。ベートーヴェンってやっぱりいいなあ。しみじみそう思っただけでも収穫だった。彼の音楽ほど「退屈」や「弛緩」と無縁なものはない。隣席の、日頃あまり音楽とは縁のなさそうな初老の夫婦も後半は熱心に聴き入っていた。奥方はシベリウスの曲ではパンフをめくることに忙しかったが、第二番のフィナーレが終わると、身を乗り出してアメリカの貴婦人のように盛大に拍手をされていた。意志の音楽。生成流動する明確な意志をもった音の連なり。死んでもBGMなんかに使われてたまるか。そういう音楽にたまにはしっかりと正面から向きあうひとときがあってもいい。しみじみとそう思える演奏会ではありました。
2007.11.28
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「ねじれ」国会ということばをよく耳にする。日本人の政治的無意識がここにもよく現れていると思う。衆院では自民党が過半数を制し、参院では民主党が第一党を占める。両院の勢力分野が逆だから、「ねじれ」ているという。しかし、この言い方はおかしくはないか。日本の国会は二院制をとっている。衆院の定員は参院の約二倍、衆院の任期は原則4年、参院は6年で3年ごとに半数を改選、被選挙権は衆院25歳以上、参院30歳以上、選挙区は衆院が「小選挙区+比例ブロック」、参院は「比例代表制+選挙区」、衆院は解散あり、参院は解散なし。こう並べてくると、ふたつがことさら「異なっている」ことに気づく。それはおそらく多様な民意を国政に反映させるためには、一通りのシステムでは十分ではない。異なる選び方、異なる性質をもった二院を共存させることで、よりきめ細かく民意を汲みとろうという考えの現れであると思う。ただし、このやり方は機動性に欠ける。一つの政策、一つの法律を決めるのに必ず二つの段階を踏まなければならないからだ。だからこれは機動性、敏捷性よりも安全性、慎重さを優先する考えのもとに選択されたシステムなのだ。こういう二院制をとっているからには、両院の勢力図が異なることはきわめて「あたりまえ」のことである。むしろ異なる民意を反映させるために二院制が存在しているのだから、現在は二院制が健全に作動している状態といっていいのである。しかし、もしもその二院間で意見が対立し、膠着状態に陥ったらどうするか。そのときには「衆議院優先の原則」が憲法に明記されている。現状であれば、衆議院で与党が三分の二以上の多数で再議決すれば法案は通るのである。すべては憲法制定時における想定の範囲内である。このどこがねじれているというのか。この「あたりまえ」の事態を、「異常」であり、「非常時」と考えるのであれば、そう考える人間の意識のほうにむしろ問題がある。正常な事態を異常と感じるとしたら、まずはそう感じる主体の意識のあり方を疑ったほうがいい。第一、ねじれ、ねじれと大騒ぎしているのは、当の政治家と政治記者だけである。そうではありませんか。国民の誰が国会がねじれているからといって深刻に悩んでいるだろうか。むしろ国民の二度にわたる民意の表れを、「ねじれ」と呼ぶこと自体が、「おまえらの意思表示があいまいで、どっちつかずだから、こっちはめーわくしてるんだよー、ったく、おもいっきりねじれやがってー」と言われているような気分になる。現状は憲法の想定範囲内なんだから、お前らこそしっかり自分の仕事しろよ、税金から歳費もらってんだろう。そういう気分になる。衆院においても参院においても一党の絶対多数が支配している。そういう「異常」事態をあたりまえのものとして前提するから、現在の国会が「ねじれて」みえてしまうのである。異なる時期に異なる方法で異なる状況における政治的判断を問うているのだから、両者が一致するほうがむしろ珍しい。そう考えるのが自然であろう。数の上でも勢力分布の上でも衆院の意思は優先されている。それにもかかわらず、参院で過半数を失ったからといって、大連立を模索するなどというのは、自らの政治的信念に自信のない証拠である。この時点で総理にしろ、内閣にしろ、国民に不信任をつきつけられても文句はいえないのではないか。しかもそれが自分の野球チームも日本一にできないような統率力のない一民間のぽんこつおやじの政治的策謀に一国の総理大臣が踊らされたというのならば、これは即刻、辞表を提出して、さっさと衆議院を解散し、国民に信を問うべきなのである。しかし、その大連立の提案をいったん自党の幹部会に持ち帰ったというだけで野党の党首はごうごうたる非難の嵐に包まれ、怪しげな民間人の操り人形と化した総理大臣にはなんのおとがめもない。こんな不思議なことはふつうでは考えられない。以前にも書いたが、ここには「とにかく政権交代は何がなんでも阻止しなければならない」という日本の政治風土の無意識が強烈に作動していると考えざるをえない。現在の国会の現状をほとんど無意識のうちに「ねじれ」と表現しているマスコミも同様である。右も左も(という方向感覚自体が現在ではほとんど意味を失っているが)「ねじれ」ということばをあたりまえのように使っている。だから、ちっとも「ねじれ」てないっつーの。衆院の絶対多数は小泉のテキ屋根性によって行われたいちかばちかの一発勝負がもたらしたものである。参院における民主党過半数は安倍政権の失政と統率力のなさに対する国民の叱責である。衆院の自民勝利には現状の停滞感を嫌う民意が現れており、参院の民主勝利には政治的モラリティの喪失と統率力なき政治に対する国民の嫌悪感が示されている。民意ははっきりしているのだ。現在の選挙制度がきわめて敏感に針の振れる民意測定器となっている以上、衆院と参院の多数派が異なる事態はこれからさらに日常化するだろう。この「正常」な状態を「ねじれ」と感じる無意識そのものを対象化し、意識の世界に繰り入れていかない限り、日本の政治がまともに機能する日は訪れないと私は信じる。繰り返すが、「これは『ねじれ』ではない」。そのことをじっくりと考えるべき時期がきていると思う。
2007.11.20
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「この本読んだら元気が出るよ」そう言われて一冊の本を借りた。自宅でその本に白い紙のカバーをかけ、机の隅に置く。そして、白いカバーをじっとみつめる。冒頭部は先日、書店で立ち読みした。いい文章だった。細かなところまで注意深く神経の通った、むだのない、自然な息づかいの文章だ。しかし、と私は思う。この人の文章を読むことからずいぶんと遠ざかっていた。なんとなくではなく、意識的に彼の文章を「断って」いた。今年の初めに短編集を読んで以来、10ヶ月近く経つだろうか。朝、出勤時にちらっとその本に視線を送る。だが、結局、別の本をカバンにしまいこみ、玄関のドアを開ける。そういう日々が一週間近くつづいた。まだその時期ではない。そういう感じがしたのだ。彼の文章を毎日のように読んでいた時期があった。その文章に何が書いてあるかということよりも、「その文章がどのように書かれているか」ということに関心があった。その文章の運び、文章を書くという行為そのもののもつ意味、そういうことを考えながら彼の文章を読みつづけた。そこで何を感じたか。一言でいえば、文章を書くことは、持続であり、継続であり、限りない修正である。そのことを私は学んだ。持続と継続はどうちがうか。継続とは文章を書く行為そのものを「つづける」ことである。持続とは「文章を書こう」という意思を保ちつづけることである。行為の継続と、意思の持続。このふたつが文章を書くために欠かすことのできない条件だということを私は学んだ。文章を書くためには、とにかく文章を書き続けなければならない、そして文章を書くという明確な意思を保ちつづけなければならない、そして、それは具体的には、一度書いた文章をなんどもなんども飽くことなく修正しつづけることを意味する。彼の文章はそう語っていた。彼の文章を読むことで、私の貧弱なことばの起動装置にかすかな電流が流れた。自分の書いた文章に何度も何度も手を入れることで、自分が何を書こうとしているのか、少しずつそれがわかるようになってきた。頭のなかの靄が徐々に晴れてきた。そして、そこに自分なりの息づかいや呼吸のリズムが浮かび上がってきた。そうか、文章を書くということは呼吸をすることなんだ。「すう、すう、はっは、すう、はっは」。これがなければ文章にはならないんだ。私はそのことを知った。そして、私はこう考えた。自分は自転車の乗り方を覚えたばかりの小学生だ。サドルにまたがり、いつもとは違う高さから世界を見、いつもとは違うスピードでまわりを流れる景色を見る。そして夢中でペダルをこぎつづける。それはある種の快感を伴う。しかし、振り返って自転車の後輪を見ると、そこには小さな「補助輪」がつけられている。自分に文章を書かせた「促し」、文章の起動装置に火花を飛ばせたプラグ。彼の文章を読みつづけながら文章を書くことはこれからも可能だろう。補助輪をつけていても、自転車に乗る快感をある程度は味わうことができる。でもそれはしょせん真似事にすぎないのではないか。いつまでも補助輪をつけて走るつづけるわけにはいかないのだ。その補助輪をはずそうとして、私は彼の文章を「断った」。その結果、どういう事態が訪れたか。うまく文章を書くことができなくなった。十分予想された展開である。その時、何を思ったか。「ざまあみろ」、あるいは「ざまあねえな」、正直、そう思った。でもしかたがない。補助輪をはずしてしまった以上、自分の脚とバランス感覚でなんとかするしかない。それでなんとかなったのか、ならなかったのか。それはよくわからない。なんとかならなかったような気がしないでもないが、補助輪をはずそうとした判断自体は今でもまちがっていなかったと思っている。以上が私の「断ち物」にまつわるお話である。でも、もうそろそろその「断ち物」をやめる頃合いが近づいた。そう思っていた矢先、彼の新刊を借りたのである。やっと「その時」がきたようだ。私は意を決して、ある儀式をすませた後、おもむろにその本のページを繰り始めた。その冒頭にこういう一節がある。「ラヴィン・スプーンフルの音楽はいつ聴いても素敵だ。必要以上に自分を大きく見せようとしない音楽だ。」(p17)「必要以上に自分を大きく見せようとしない」こと。これもまた文章の要諦のひとつだ。われわれは(いや、正直に「私は」と言おう)、文章を書くときに必要以上に自分を大きく見せようという誘惑に負けてしまう。そしてその瞬間に文章の呼吸は乱れ、リズムは壊れ、イメージはぼやける。だからといって、これは「謙虚」であれということではない。それは自分を必要以上に小さく見せることだからだ。必要以上に大きくもなく、小さくもなく、必要なだけの大きさで自分自身を表現すること、それがどれほどの難事であるか。自分で文章を書いてみればそのことがよくわかる。この文章にはこういう一節もある。「僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。当然のことだ。人間の心の中には真の空白など存在し得ないのだから。人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない。とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ。」(p32)このフレーズにふるわれた鑿の仕事の量に私は圧倒される。空白、ないしは無を文章化することのむずかしさ。これもまた文章を書いたことのある人間には痛切に自覚されていることだ。しかし、彼は自分の内面にある空白にぎりぎりの地点まで肉迫している。それを可能にしたのは、やはり彼の持続であり、継続であり、粘り強い修正を加える強い意志である。その白いカバーに包まれた本、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を先ほど読み終えた。この本にはこういう一節もある。「学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、『もっとも重要なことは学校では学べない』という真理である。」(p67)私は深くうなづき、この本を静かに閉じる。えっ、ところで、さっき書いた「断ち物」をやめるための「ある儀式」っていったい何かって。わかるかなあ。わかんねえだろうなあ。さて、その儀式にでかけるとするか。え、「だから、その儀式って、なんなんだよ」って。わかるかなあ。わかんねえだろうなあ。私はタンスからウインドブレーカーを取り出し、それを身につける。わっかるかなあー、わっかんねえだろうなあー。
2007.11.16
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稲尾和久氏が亡くなった。「イナオ」という名前はほとんど彼の登録商標だった。現に彼以外の「稲尾」を私は一人も知らない。そういう意味では、「王」「長嶋」に匹敵する「格」をもった名前の持ち主といえる。子どもの頃、とくに小学生の時、スポーツの選択肢は「野球」しかなかった。そして、地元には西鉄ライオンズという球団があった。「ニシテツ」「ライオンズ」という音は、「イナオ」や「ナカニシ」、「ヘイワダイ」と同様、私のこころのなかで特別な響き方をする。ニュースでこれらの音を聞くと、街中で小学校時代の旧友にばったりと出くわしたような気分になる。もちろん私は西鉄のファンだった。なぜって?とくに理由はない。物心ついたら自然にそうなっていたのだ。「なぜ」なんて考えたこともない。そういえば、その当時、私はこの世に巨人ファンがいるということがどうしても信じられなかった。アポロの月面着陸を映画撮影用のスタジオで作られた偽造映像だと堅く信じている人々がいるが、あの頃の私はテレビに映る後楽園球場のファンは人為的な操作によって捏造されたものではないかと疑っていた。だって、巨人のファンなんているわけないじゃないか。どうして巨人なんて好きになれるんだ。そう思っていたのである。小学校低学年とは、要するに猿人とホモ・サピエンスの中間種でしかないということがよくわかる。巨人ファンの皆さんは、気を悪くしないでいただきたい。しょせんサルの考えたことである。しかし、私とライオンズとのつきあいはあまり幸福なものとはいえなかった。私が物心ついた頃、ライオンズはすでに「過去の球団」になっていた。球場には閑古鳥が鳴き(おかげでこの慣用句の意味を小学校低学年で覚えることができた)、球団は万年Bクラス、球団末期には3年連続最下位ではなかったろうか。輝かしい夕陽はとっくの昔に山の向こうに沈んでしまい、残照もすでに消え、ほんのわずかに山の端にかすかな茜色がにじんでいる。そういう状態だった。そのかすかな「茜色」だったエースの池永は「黒い霧事件」の渦中で、野球界を永久追放されることになる。幼稚園の時、力道山刺殺の知らせを聞き、「犯人はデストロイヤーに違いない」と叫んだ半サル状態の小学生は、わずかに残された希望の火を永久に消されてしまったのである。今思うと、それ以降、私の内面に暗い影がさしはじめたような気がする。いや、ほんとに。私の知る「稲尾」も既に過去の人だった。全盛時の「伝説」は数多く耳にしたが、平和台球場で見る「稲尾」は肩をこわした技巧派のリリーフ投手にすぎなかった。負け試合の最終回2アウトで代打に出、あえなくセカンドゴロに終わる中西太同様(彼は監督も兼ねていた)、「過去の人」と呼ぶしかない存在だった。彼らの姿を目にすることによって私の内面には……以下同文。しかし、稲尾にしろ中西にしろ、なぜかみじめさは微塵も感じさせなかった。おそらく彼らは人間の柄が大きかったのだと思う。王、長嶋の隣にいてもけっして見劣りしなかった。スターの隣にいる英雄、豪傑という風格がただよっていた。茫洋としたスケールの大きさではむしろONにまさっていたのではなかろうか。稲尾がへろへろのスローカーブで三振を取っても、中西がぼてぼてのセカンドゴロで凡退しても、観客は盛大な拍手と歓声を送った。試合は惨敗だったにもかかわらず、客は「よかもんみたねー」と言いながら、にこにこして帰っていった。「黒い霧事件」で主力選手を欠き、どうしようもないチーム状態の監督を誰が引き受けるか、そのことが当時、地元で話題になった。野球のことなどまるで知らない私の母親までが「こげなチームば引き受ける監督のおらっしゃるじゃろうか」といっていたくらいである。「次の監督は稲尾がなる」私はそう断言して、母親を驚かせた。マスコミの予想はまったく違う人間を複数名挙げていたからである。「なして稲尾がなると思うとね」「稲尾はぜったいことわらん。あの人はそういう人やもん」後日、稲尾の監督就任のニュースを見て、母は「あんたのいうたごとなったねえ」とつぶやいた。私がその頃、稲尾をどのように見ていたのか、実はよく覚えていない。彼は豪腕、鉄腕といわれたが、実は頭の良い繊細な神経をもったピッチャーだった。そういう意味で彼は予測のできる選手だった。しかし、彼は人間として「計算」はしなかった。結果を予測する能力を十分にもちながら、その結果が自分にマイナスになるからといって、自分の行動を変えることをしなかった。「計算」に左右されなかった。だからこそ、彼は最下位確実の監督をあえて引き受けたのである。残念ながら、彼の監督としての手腕にはとくに見るべきものはなかった(と思う。@半サル)。しかし、彼は断固として、信念として、計算をしない人だった。いや、計算づくで自分の生き方を決めない人だった。現役の頃もそうだったのだと思う。彼のひじは引退時にはすでに肩から上には上がらなくなっていたという。こういう投げ方をすれば自分の腕がどうなるか。それを予測する能力がありながら、あえて計算をせず、ひたむきに投げ続ける。稲尾和久はそういう投手だった。往年の力を失っても、というかむしろ全盛時の力を失うことによって、より大きな存在感を感じさせる選手。そういう柄の大きな「英雄」はもう今のプロ野球のシステムからは生まれてこないように思う。黙祷。
2007.11.14
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