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2008.04.04
「動的平衡」としての自由
カテゴリ:
その他
「近隣に迷惑がかかるから」という理由で、ある映画が上映中止になった。ほぼ同じ理由で、あるホテルが日教組の教研集会の開催を取りやめるという騒動もあった。二つの事例を取りあげた報道では「表現の自由を守れ」という字句が目についた。
私はこの定型的な言い方には微妙な違和感を覚える。この言い回しは、表現の自由が既に実体的なものとして存在していることを前提にしているからだ。
はたしてこの社会には「表現の自由」という実体が存在しているのだろうか。そうではないと私は思う。
そもそも「表現の自由」は、すべての表現を無条件で承認するものではない。そこには社会的に認められる表現と、認められない表現があり、それはその表現の内容、修辞、手法を検討しなければ判断できない。だから、その表現の内容以前に確固とした「表現の自由」が存在すると考えるのは妥当性に欠ける。
では、その表現が社会的に認められるか、認められないかはどうやって決まるのか。また誰が決めるのか。
日本国憲法第21条には「検閲は、これをしてはならない」とある。検閲とは国家機関、その他の政治権力が外部に発表される思想の内容を強制的にチェックすることだから、行政権力が表現の妥当性を判断するのではない。(それを行うことは憲法に抵触する)
だとすると、ある表現の妥当性を審査するのは「社会」しかない。あるいは、その社会に属する人々の総意といってもいい。そうすると、その表現が認められるべきか否かを判断するには、まずその表現が社会に向かって示されなければならない。表現される以前に、その表現の正否を判断することは不可能だからだ。
こう考えてくると、表現の自由は二段階の構成をとっているように思える。
第一段階は「とりあえず表現する自由」である。そうしなければ、その表現を社会的に承認すべきか否かが判定できない。
憲法第12条にはこうある。
「国民は、これ(=この憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」
「公共の福祉」とは、個人的な利益を超えた社会全体の利益、あるいは幸福という意味だろう。
このふるいにかけて、「社会的に承認できる」という認定がなされた表現に関しては、自由に社会に向かって発表してよい。これが第二段階の「表現の自由」だ。
つまり、表現の自由は、「審査前」と「審査後」の二段構成なのである。
さて、「表現の自由を守ろう」という言い方に違和感を覚える理由を説明しよう。
そこでは表現の自由が「固定したもの」ととらえられている。地面に白いペンキでくっきりと描かれた線のように静的なものとして、「既に存在している」ものとして自由が意識されている。
それは違うだろうと思うのである。
「表現の自由」に限らないが、自由とは有機体、つまり「生きもの」のようなものだと思う。
生きものは時々刻々、自らの体を部分的に破砕すると同時に、部分的に再構成している。つまり新陳代謝を行っている。
同じように、「表現の自由」も一方では破壊され、他方では生成されていく。福岡伸一先生の「生物と無生物のあいだ」ではないが、自由は「動的平衡状態」のなかにある。
このラインを固定的にとらえると、自由は死ぬ。なぜなら、自由を与えるべきか、与えるべきでないかという判断基準がつねに流動的であることこそが、自由が自由であるための不可欠の条件だからだ。そして、その刻々に変わりゆく自由のラインを日々引き直すことは、不断に自由の再定義を行うことを意味する。
だから「表現の自由を守ろう」という言い方に私はひっかかるのである。それはくっきりと明瞭な「自由」のラインというものがあり、そのラインの内側から「このエリアを死守しよう」という発想でなされていると思うからである。
その自由を承認すべきか否かという社会的判断を示すラインは、ラグビーの守備と攻撃のライン、ディフェンスとオフェンスのラインのようなものだろう。それは両チームの肉体による圧力、作戦・戦術によって刻々と変化していく。その結果として「自由」のラインが作り出される。自由はたえず後退し、たえず前進する。たえず生まれ、たえず死ぬ。生成流動してやまないもの、それが自由である。
もしも自由が消滅するとすれば、それはどのような場合だろうか。
そして、すべての人が自由を礼賛し、自由を希求すれば、自由は実現されるのだろうか。
だから、自由を根底的に損なうものがあるとすれば、それは「試合放棄」である。試合放棄による不戦敗の積み重ねによってのみ、自由は消滅する。
試合に参加することは負けを覚悟することであり、アクシデントによって負傷する可能性をも受け入れることである。負けること、傷つくことをおそれて、試合そのものを放棄し、試合に参加しなければ、遠からず「自由」のラインは消滅する。
だから、自由を損なうものは、「試合放棄」であり、「サボタージュ」であり、「自粛」なのだ。
ただし、ここで留意すべきことは「私は自分の意志で試合に出場することを拒否する」と宣言することは、ひとつの表現たりうるということである。
「私は自らの意志に基づいて表現しない」、これもまたひとつの表現である。それは「表現の自由」のエリアの中に含まれる。
だから、「私たちの施設で特定の集団の集会を開催することを私たちは拒否する」ということは自由である。「この作品を自分の劇場で公開することを私たちは拒否する」と述べるのもまた自由である。そういう自由を「とりあえず表明する」ことは許されているし、それが不当であるというのならば、「公共の福祉」というふるいにかけて社会的な判断を行えばいいのである。
憲法第11条にはこうある。
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
当然、ホテルの経営者も映画館のオーナーもこの権利をもっている。
ただし、続く第12条にはこうある。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」
これは要するに、「試合に参加する権利はすべての国民に認められるけれど、「サボリ」や「棄権」は認めない」ということである。
自由を決める戦いに参加する権利はすべての人にある。ただし、この戦いをさぼることは誰にも許されない。
だから自分の意志ではなく、「誰かに迷惑がかかるかもしれないから」というような主語なしのフレーズで、他者の表現の機会を奪うことは許されないのである。それは自分で判断することを回避し、逃避することだからだ。
「検閲は、これをしてはならない」というのが命令であるように、「自由は国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」というのもまた命令だ。考えてみると、これはかなり強い言い方である。
自由のラインは日々形成しつづけなければならない。試合には出つづけなければならない。試合を放棄して、寝ころがって試合を眺めることは許されない。
自由の真の敵は、主語を明示せず、「他の誰かに迷惑がかかるかもしれないかもしれないかもしれないかもしれない……」とつぶやきながら、試合からそっと「降りる」人間である。逃避する人間である。
自由は水である。とどこおると腐る。だから動きつづけなければならない。だがひとところの水をかき回すだけではいずれ腐敗はまぬかれない。日々新たな水を地下水脈から汲み上げ、その水を外へ汲み出す。その作業をつづけない限り、自由を維持することも、活性化することもできない。
私たちは自分たちを浸している自由の水を腐らせることに手を貸すべきではない。
自由は守られるべきものではなく、日々戦うことによって勝ちとられるべきものなのだ。
私はそう思うのである。
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Last updated 2008.04.06 08:00:09
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和久希世@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
>「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@
Re:「チャンドラーのある」人生(08/18)
新しいお話をお待ちしております。
あああ@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03)
非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03)
良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@
Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01)
まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@
Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01)
文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@
Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01)
キャロルキングの訳詩ありがとうございま…
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