M17星雲の光と影

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2008.10.06
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カテゴリ: 本
シェークスピア「マクベス」(福田恆存訳、新潮文庫)を読む。なぜ今さら沙翁の本などをあらためて読んでいるのか。自分でもよくわからない。ただ本屋の書棚の前でこの本に何ごとかを囁かれた気がして、ふと手にとってみたのである。そして、冒頭を読んでみると、なぜかとても「しっくり」くるものを感じた。買い求めて、読み出したら、一気にその世界の中に引き込まれてしまったのである。

おそらくは福田恆存の翻訳の力も大きいのだろう。この訳は、ことばを語る人々の身体の動きをありありと感じさせる。ことばが意味とともに、ある種の調べを奏でている。日本語としての居住まいが正しく、ことばのひとつひとつのたしかな手ごたえを玩味しているうちに、いつのまにか劇の中に引きずり込まれてしまうのである。

しかも、この劇のぎりぎりに切り詰められた凝縮力。全身筋肉というか、むしろ必要な筋肉まであちこちで削ぎ落とされてしまったような異様な緊迫感のみなぎる劇である。

冒頭、三人の魔女が現れる。「きれいは穢ない、穢ないはきれい」という有名な逆説を弄した後で、魔女はマクベスに預言を告げる。

第一の魔女「お祝い申し上げますぞ、グラミスの領主様!」
第二の魔女「お祝い申し上げますぞ、コーダの領主様!」
第三の魔女「お祝い申し上げますぞ、いずれは王ともなられるお方!」

第一の魔女は現在を、第二の魔女は近未来を、そして第三の魔女は未来を告げる。そして、第二の預言はたちどころに実現される。ここからマクベスの悲劇が始まる。

マクベスはこの預言に操られるように王を殺害し、周囲の人間を次々と殺戮していく。



想像を絶するような凶悪な犯罪が起こった時、人々はまず茫然とし、その後にその犯罪の過去を探ろうとする。容疑者の生い立ち、家庭環境、学校生活、人間関係。しかし、多くの場合、過去にその犯罪の決定的な因子を探り当てることはできない。悪が悪である理由を過去に求めることはできないのである。

人々は次に「現在」にその原因を求めようとする。彼が犯行を思い立った瞬間、そして犯行のただ中で、何を考え、何が起こったか。スローモーションで繰り返し、繰り返しその「現在」を反芻し、その犯罪の核心を探し求める。だが、核心は「現在」にもない。犯行の行われる瞬間をストップモーションで止め、その画像を繰り返し再生しても、やはりその凶行がなぜ行われたかの解答はみつからない。悪の理由は現在にも存在しないのである。

それならば、悪が悪となる決定的な因子はどこにあるのか。おそらくそれは「未来」にあるのだろうと私は思う。

悪とは何か。それはあることを起点として次々と連鎖的に悪が増殖していく時、その起点となったものを指す。これは無意味な循環定義に見えるが、実は人間にとっての悪の本質はこの循環の中にこそあるのではなかろうか。

「マクベス」にはその過程が、生き生きとリアルに描き出されている。

マクベスを王殺しに駆り立てたものは何か。それは表面的には野望であり、野心である。しかし、魔女の預言により、彼はほとんど王位につくことを約束されているのである。これまで通りの生活をして、悠然と自らの即位の日を待ち続けることも可能だったはずだ。彼はなぜそうすることができなかったのか。あるべき未来を待ち設けることができず、なぜ自らの手で強引に王位を奪いとろうとしたのか。

その原因は未来の喪失にあるのではないか。彼は現在を言い当てられ、近未来を言い当てられ、未来を預言される。彼はその預言を信じざるをえなくなる。そして、その預言を信じることは、彼にとっては未来を失うことを意味するのである。

王位につくという預言によって彼は逆に未来を得たのではないか。そう思われるかもしれないが、預言は未来を約束するものではなく、むしろ本来ならば未来に向かって開かれているべき可能性を封じるものである。預言は無限に存在するはずの可能性をたった一つの出来事に置き換えてしまう。余命半年という医者の宣告は、半年間の確実な生を約束するのではなく、彼の未来への希望を奪いとる。預言が未来を奪うとはそういうことである。

もしもそれが彼の望む事態であったとしても、基本的な事情は変わらない。彼は将来の王位を預言されることによって、未来を失う。本来ならば、自分の意志と力でつかみとるべき未来を彼は永遠に喪失してしまうのである。

そして、この未来の喪失と根源的な「悪」は深く結びついている。

悪は、未来を奪われた人間が、それへの復讐を行おうとする時、その人間のこころに胚胎するものではなかろうか。



しかし、その成功は彼のこころに猜疑の種を次々とまきちらす。自分が王になしたのと同じことが自分の身に降りかかるのではないかというおそれを彼は捨て去ることができない。未来を信じることができなくなった人間に残されたものは人間の意志だけであり、その意志は人間である限り、すべての者が備えている。彼にはもう一日も安息と安寧の日々は戻らないのである。

未来を知ることは、未来を失うことである。

この悲劇の核心を突くことばは、どこまでも逆説の形をとる。

未来を不確定な、漠然とした可能性として思い描くのではなく、どこまでも自らの意思と行動でつかみとることのできるもの、予測可能なものとしてとらえる時、人間のこころには悪が生まれる。

だとすれば、近代社会と巨大な悪とが切り離しがたく結びついていることにも得心がいく。



そんなことをふと思うのである。





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Last updated  2008.10.10 06:41:11
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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