M17星雲の光と影

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2008.11.10
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カテゴリ: その他
先日、筑紫哲也氏がなくなった。それ以前に緒方拳氏の訃報も聞いた。なんだか、人生のかなりの部分をともに生きてきた人間が次々になくなっていくという感慨がある。

かなり以前のことだが、緒方氏が「徹子の部屋」に出演したことがある。見るともなくその番組を見ていたのだが、彼の観察眼の鋭さとことばの選び方のシャープさに驚いた。きわめて高いレベルで知性と感性のバランスがとれた人なんだなあ。そう思った記憶がある。

そのなかでこういう話があった。

「私はね、スナックかどこか、カウンターのあるバーで、相手と二人で飲んでる時に、こう言われることがあるんですよ。『なぜおまえは俺の顔を見ないんだ』って。

 私はそういう時、正面を見て、隣の人の話を聞いているわけです。でも、首を曲げて、その人のほうは見ない。それで、なぜこっちを見ないんだと相手は言っているわけです。

『いや、見えてるんだ』って私は言うんですが、まずわかってもらえないですね。だって、全然こっちのほうを見ないじゃないかというわけです。でも、ほんとに見えてるんですよ、嘘じゃない。私は正面を向いたままで、こう、横のほうがなんとなく見えちゃうんですよ。でも、なかなかわかってもらえないんだなあ、これが。」

何気ない話だったが、「ああ、オレとおんなじだ」とその時思った。私も横に並んで誰かと話をしている時、その人のほうを首をねじ曲げて見ることはほとんどない。そんなことをしなくても、「見えている」と感じるのである。

これは別に目が離れているとか、顔が魚に似ているとか、そういう話ではない。実際問題として、隣の人間の位置に視力検査表や文字を置いて、それが読めるかというとぜんぜん読めないのである。その意味では「見えていない」ことになる。

でも、その人間がどんな表情をしているか、何を感じ、何を考えているかは、だいたいわかる。それも想像というのではなく、「見えている」感じでわかるのである。このあたりの感覚はなかなか説明するのがむずかしい。



でも、私にはそこにいる人の顔が、「見える」のである。「ああ、退屈しかけてるな」とか、「興味を感じて身を乗り出しはじめたな」とか、「共感してくれてるな」とかいうことが、かなりはっきりとわかるのである。いや、正確にいえば、わかっているような気がするのである。

これはネガティブな反応よりも、好意的な反応に対して感じることが多い。おそらく自分で求めているからそうなるのだろうが、この感覚はけっして「錯覚」とも言い切れないのである。

それは講演が終わって、その人が実際にこちらにやってきて、好意的な反応を示してくれることがあることからもわかる。

この感覚については、自分でもうまく説明できない。現実には時折見えていないものが見えることがあるというだけである。これは別に特別な能力とかそういうものではない。おそらく誰にでもあるものなのだと思う。ただ目のいい人はそのことに気づく機会がないだろうし、人によってその感度に多少の差があるのだろう。

まあ、これはそれだけの話である。それ以上、発展する話ではない。でもそれ以来、緒方拳氏を見るたびに、「同じ種族」の人を見るような感じをもつようになった。数少ない同族を一人失ったのはまことに残念である。

筑紫哲也氏には一度だけ偶然遭遇したことがある。まだ大学生の頃だったが、大学の正門を出て、都電の駅に向けて歩いていると、前方にぼさぼさの髪をした、かなり大きめのバッグを担いだ中年の男性が歩いていた。私は正門のそばにある古本屋を覗くつもりだったので、少し足を速めてその人を抜き、本屋に入った。

その店は典型的な古本屋だった。場所柄、外国語の本が若干多かった以外は、特に特徴もない。店全体の雰囲気は焦茶色一色。硬い本が多く、雑誌の類はほとんどなかった。店内にはNHKFMが人間の可聴範囲ぎりぎりの小さな音で流れており、その音量が私は気に入っていた。あまり本を買った記憶はないのだが、暇な時にはなんとなくそこに入って、書棚を眺めていることが多かった。

私の後から筑紫氏が入ってきた。私は例によって直接その姿は見なかったが、なんとなくその姿が「見えた」。あいまいな記憶だが、その日、大学で氏の講演が行われたのではなかったかと思う。私はとくに興味もなかったので、その講演は聞かなかったが、おそらくはそれが終わった後、誰も連れることなく、たった一人で、大学の脇にある小さな古本屋を覗いたのだろう。本好きな人なんだなあと、その時思った。初めて行く土地や旅先で古本屋を覗くのは、本好きにとってひそかなときめきを感じさせる行為なのである。

彼はその店に浸透していた焦茶色によく馴染んでいた。おそらくモスグリーンのトレーナーとクリーム色のチノパンを履いた、もう一人のくらーい大学生の客もさぞかしその場に溶け込んでいたことだろうと思う。ほんの数十分程度だったが、その店で並んで古本の棚をいっしょに眺めていたことがあった。ただそれだけのことである。

その時、この人は基本的に「本」の人なんだなあと思った。彼が「活字の人」だということは知っていたが、その活字ははなばなしくあちこちを飛び回る新聞や雑誌の活字だとばかり思っていた。でも、この人の根底には「本」の活字があるのではないか。なんとなくそう感じた。なぜそう思ったかはよくわからない。至近距離にいて、とにかくそう感じたのである。

そういえば、「本」の人であることを感じさせるジャーナリストが減ったように思う。白魚のおどり食いみたいに、あちこちにはね回る活字を必死で追いまくっている自称ジャーナリストはたくさんいるが、ずっしりと厚みのある本に深く刻印された活字を頭のどこかで意識しながら活動しているジャーナリストがいまいったい何人いるだろう。



きのう、ラジオに小沢昭一が出て、こういう話をしていた。

「あのねえ、長生きするってのはいいことだって、みんないうでしょう。あれは嘘だよ。私なんか長生きしてるでしょう。で、どうなるかっていうと、まわりの知り合いや友だちがみーんないなくなっちゃうわけ。ほんと、だーれもいなくなっちゃうんだ。だから長生きするっていうのは、要するに、友だちがいなくなるっていうことですよ。ひとりぼっちになるってことですよ。それを長生きっていうんだって、最近になってやっとわかってきたんだ。いや、ほんとに。」


訃報聞き 一人きりなる われ思う


駄句である。

季語がないって?季語は「われ」である。そして季節は。いうまでもない。「冬」に決まっている。






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Last updated  2008.11.10 21:19:02
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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