M17星雲の光と影

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2008.11.20
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カテゴリ: 音楽
東京芸術劇場で、スメタナの「わが祖国」を聴く。演奏は読売日響、指揮は正指揮者の下野竜也氏である。

「わが祖国」といえば、第2曲の「モルダウ」が有名だが、全曲を通して聴くと70分以上かかる。ちょうどCDまるまる一枚分である。6つの交響詩のそれぞれが比較的独立していることもあり、なかなか全曲を通しで聴くことはない。コンサートでもこの曲の全曲演奏というのはあまり聞いたことがない。料理屋のテーブルにいきなり巨大な天丼の特盛りがどーんと置かれたような、一点豪華主義、超重量級のメニューである。

この曲のCDを二種類もっているが、指揮はいずれもラファエル・クーベリック。一枚は1950年代にウィーン・フィルを振ったロンドン盤、もう一枚は1971年にボストン響を振ったグラモフォン盤。どちらかというと、あまーくなつかしい響きのするロンドン盤を聴くことが多い。クーベリックの本領はなんといってもライブにある。通常録音ではなぜかおとなしめの演奏をすることが多い彼だが、ライブとなると紳士の仮面をかなぐり捨てて、激情家の一面を剥き出しにすることがある。海賊版で出たブラームスの一番のライブ演奏などは何度聴いても興奮する。いつかは彼のライブ盤の「祖国」も聴いてみたいものである。

などと思いつつ、東京芸術劇場に到着。巨大なパイプオルガンが屹立するステージ正面を見つめる。このホールは豪華ではあるが、威圧感を感じさせず、ある種の親密な雰囲気がただよっている。コンサートホールとしてはまことに快適な空間だ。開演時間が迫り、オーケストラの面々が舞台に出てくる。今回は大編成であり、ステージ上は団員で満員状態。舞台の両端にハープが一台ずつ置かれるという配置を私は初めて見た。

その左右のハープの掛け合いで曲は始まる。読売日響の弦の響きはとても美しい。春の昼下がりの風のように、さわやかに聴く者のからだのなかを吹き抜けていく。その音に浸っていると、まあ、あんまりややこしいことを考えるのはやめて、この響きにひととき身を委ねようという気分になる。

指揮の下野氏の動きはとても「正直」だ。自分のイメージした音の通りに体を動かす。動作は過剰でもなく、不足してもいない。こういう音を作りたいんだというメッセージが体から正直に発散されている感じである。全体を統率する指揮者というよりも、演奏者の一人といったほうがふさわしい気がする。

彼は、舞曲的なリズムをもつ曲の演奏が得意なようだ。そういう箇所にくると、聴いているこちらの体が自然に動き出す。曲の最高潮で分厚い和音がホール全体に鳴り響くと、次の瞬間、潮が引くようにすっと静寂が訪れる。その静寂のなかに和音の残響がかすかにただよう。そういう瞬間が何度も訪れた。よく揃った厚い和音の後の一瞬の静寂。これはほとんど生理的な快感を感じさせる。オーケストラ、指揮者ともに高い技術的水準に達していなければ、こういう瞬間はめったに訪れるものではない。

そういう演奏で第二曲目の「モルダウ」を聴くと、あらためてこの曲が間然するところのない傑作であることがよくわかる。音が心地よく流れ、渦を巻き、うねり、水かさを増し、やがて音を立てて流れ下っていく。そのよどみのなさと生き生きとした躍動感。このオーケストラの弦の美しい響きがこの曲想にはぴったりである。

第三曲目にこれまで気づかなかった実に美しいフレーズがあることを知ったり、第四曲目でコントラバスが奏でる「いびき」の音に頬がゆるんだり、第五曲目には何かしら構造的に問題があるなと感じたり、しかし、最後の第六曲目では、もう何も考えることなく流れるままの音に身を任せていた。



なんだかたよりない感想だけれど、このご時世に、何も考えず、ここちよいひとときを過ごせただけでも多としなければならない。

最後の一音が鳴り響いた後、ステージ中央と袖の間を、体をはずませながら指揮の下野氏がまるで反復横跳びのように早足で何度も往復する。彼の求めに応じて、各パートがそれぞれ立ち上がり、そのたびに聴衆から割れるような喝采が送られる。

私のいちばんのお気に入り、ティンパニの岡田全弘氏に対して手が痛くなるほどの熱烈なアプローズを私が送ったことはいうまでもない。この人の打音を聴くと、ほんとうにこころが弾む。この人のティンパニでブラームスの一番や、ベートーヴェンの七番、そしてブルックナーのスケルツォが聴けたら、どれほど幸福なことだろう。美しい弦の響きと心躍る岡田氏の打音を聴くだけでも、このオーケストラの演奏を聴く価値は十分にある。

というようなことを思いながら、ひとときの愉悦の時間を終え、私は暮色の濃い憂鬱の靄の中へと一人歩き出すのだった。





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Last updated  2008.11.20 20:19:46
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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