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今年も8月23日幣立神宮の五色人祭に参加した。 今、私が一番頻繁に唱える祝詞がひふみ祝詞だ。ひふみ祝詞は日月神示(中矢伸一著)で紹介されている。「遠くて近いものひふみの食べかたしてみなされよ。運開け、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなことくらいで、病治ったり、運開けるくらいなら、人民こんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの」(P300)とある。「「ひふみの食べ方」とは「ひふみを唱えながら四十七回噛み、その後に呑み込むという頂き方だという。」(P301)「「このひふみを唱えながら」というのは「ひふみ祝詞」を指している。」(P301) そんなにご利益がある祝詞なら普段から折に触れてぜひ唱えて行きたい!と覚えてしまった。 で、いつ唱えるかというと私は腕振り運動の時に唱えている。 腕振り運動はご存知船井幸雄氏が紹介されている、腕を前後にブラブラさせるだけの実に間抜けな感じのする運動だ(笑) 私も最初、間抜けだし手をブラブラさせただけで何になると思い。この運動を真面目にやらなかった。大体、人から見られたら恥ずかしい。 しかし、これをやるとどうも視力の調子がよくなることに気がついた。 この腕振り運動をする時に、それだけでは暇なので「ひふみよ~」とひふみ祝詞を心の中で唱えることにした。 また、塩谷信男先生の「正心調息法」の呼吸法を同時にやっている。一石三鳥だ! これはこの飽きっぽい私が、このスタイルになってからもう半年以上続いているから立派なものだ。(笑) ひふみ祝詞は上記の日月神示(P301)に以下のように紹介されている。「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか ゆゐつわぬ うおえ にさりへて のますあせゑほれけ」 私もこの調子で唱えていた。つい1週間前までは! 実は私が毎日、ひふみ祝詞を唱えながら腕振り運動をする場所の目の前は本棚になっている。 今回、熊本の幣立神宮を参拝するついでに、熊本の別の場所にあるペトログラフに行ってみようと思い立った。(結局そのペトログラフには今回行かなかったが) それで、その本棚の前で私が腕振り運動をするとちょうど目の前の位置にしまってあった「ペテログラフ・ハンドブック」(吉田伸啓)という本をふと手にとって読んでみた。 この本は1999年発行の本で、もう何年も手に取ったことがない。 そして、パラパラめくっていると、この本のP128に幣立神宮のご神体の鑑石(かがみ石)に刻まれたペトログラフのことが載っていた。幣立神宮に行く3日前のことだ。(「ペトログラフ・ハンドブック」の口絵には鑑石のカラー写真もある。) それによると鑑石の表は古代の日本語のひとつ豊国文字で「アソヒノオホカミ」(阿蘇 日の大神)と書いてある。まさに日の宮、弊立神宮にふさわしい神さまだ。 そして裏面には、阿比留草文字で何と!ひふみ祝詞が刻まれていたのだ! 幣立神宮のご神体「鑑石」(左 豊国文字による「アソヒノオホカミ」 右 阿比留草文字による「ひふみ祝詞」) これには非常に驚いた。 ひふみ祝詞は幣立神宮のご神体に刻まれた祝詞であり、それを私が毎日のように唱えていた場所の目の前に、何年も前からそれを教える本が置いてあったとは! しかも、それに幣立神宮参拝の3日前に気がつくとは! とても偶然とは思えず。幣立神宮参拝の折には、ひふみ祝詞を唱えよ、ということだろうと、そのことを心に誓ったのであった。「ペトログラフ・ハンドブック」には以下の文章がある。「「ひふみよいむなやこともちろ」までは、これまでの国語学で解読されている。「一二三四五六七八九十百千万」という数をそれは示している。」(P131) そんなことなら私でも、気がついていたぞ! しかし、「「らねしきるゆ・・・」以下が全く解釈できなかった」(P131) そんなら私と何も変わらんじゃないか!「ところが、(著者の吉田伸啓に)平成6年1月12日午後1時、ワープロの一太郎に向かっていた私に、突然啓示のようにその解釈が浮かんだ。」そうだ(P131) さすが専門家! 以下はその解釈。 「ひふみよいむなやこともちろ」「一二三四五六七八九十百千万」「らね しき るゆゐ」 「蘭 敷き 縷 結い」「つわぬ そを た はくめ」「強ぬ 襲を 多 育め」「かうお えにさり」 「交う悪 方に去り」「へての ます あせ」 「辺天の 枡 畦」「ゑ ほれ け」 「ゑ 掘れ け」「一二三四五六七八九十百千万」「蘭 敷き 縷 結い」(真麻蘭(マオラン)(ヘンプの原料の葉を 敷き 紡ぎ 結い))「強ぬ(い) 襲(兵士)を 多(数) 育め」「交う悪 恵方に去り」「辺天(神)の 枡 畦(田んぼ)」「ゑ(しっかり)掘れ(耕せ) け(ということぞ!)」(P132) なるほど~。 47文字を1字も重ねて使うことなく、たったこれ一つ覚えるだけで文字、数字、衣服、治安、食糧の生活の基本をいっぺんに覚えさせてしまう最高傑作なのであった! しかも、日月神示でクニトコタチ様がおしゃっているように、これを唱えるだけで「運開け、病治って嬉し嬉しと輝く」言霊の働きがあるなら、これほどの宝はあるまい。 まさに、幣立神宮のご神体に刻まれるにふさわしい祝詞なのであった。 今回8月23日、五色人祭の当日、お参りし無事ひふみ祝詞をあげた。 そして、五色人祭の一連の神事の中で「ひふみの舞」が奉納されていたことに気がついた。これは「ひふみ祝詞」にあわせて舞われる舞なのだ。 この舞の中では例えば「つわぬ そを た はくめ」の場面では4人の巫女は、右手に持った刀を模した飾りを、斜めに突き上げ、まさに「強ぬ 襲(兵士)」を演じているのだった。 上記の解釈と、幣立神宮で舞われている「ひふみの舞」はその内容がぴったり一致しているのだ! みなさん!今後は「ひふみ祝詞は」「ひふみよいむなやこともちろ」「らね しき るゆゐ」「つわぬ そを た はくめ」「かうお えにさり」「へての ます あせ」「ゑ ほれ け」 で区切って唱えましょう! そして幣立神宮ご参拝の折には、ぜひこのひふみ祝詞を唱えてくださいね! 8月26日21:30追加siny559さんがコメントで日月神示の中で、神さま自身が以下のように一二三祝詞(ひふみのりと)の唱え方を指定していると教えて下さいました。>日月神示には「一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。」(下つ巻 第七帖) 意味上の区切りと祝詞としての言霊としての区切りは必ずしも一致しないようです。 これによると「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ~」「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゑつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ~」「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ~」 が正しい唱え方になるようです。 ご参考に!
2007.08.26
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塩谷信男医師や関英男博士も一目置く「生神様」の松下松蔵翁は、当時イエス・キリストも越えたとする者もあるくらい数々の奇跡的なヒーリングを行った。その松下松蔵翁の力の源泉とされる、宇宙の中心点からの力を本城千代子という人物に移譲したという。 彼女もまた、各地から配達されてきた手紙をざっと見るなり、その人の悩み苦しみ、身体の状態、家庭の状態を知り、これを瞬時に解消していたという話が伝わっている。(「正しい霊とよこしまな霊」P104) そんな彼女に古事記や日本書紀の信憑性について聞いたところ、瞑目した後「半分が正しく、半分が間違っています」と答えたそうだ。 私もそんな感じだろうと思う。「イザナギの左目からアマテラス、 右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれた」と言われても、これを額面どおり受け取る人はいないだろう。 そして彼女に竹内文書の信憑性問うたところやはり瞑目した後「竹内文書は全部が全部正しい記録です。」と言い切ったそうだ!(「正しい霊とよこしまな霊」P96) なんと!竹内文書は正しいのか。私は古代文書はホツマツタヱを信頼しており、第一人者である池田満さんを参考にしてきた。彼は竹内文書は偽書としている。私も彼が研究したのならそうなのだろうと思っていた。 しかし、近代日本の傑出したヒーラーが内なる目でみて「竹内文書は全部が全部正しい記録です。」と言い切るならば、これは一考の価値があるに違いない。 私の中では竹内文書のポジションは今までの「偽書」から「探求すべき真実の可能性を秘めた書」に変更されたのであった。 竹内文書に関する本はセンセーショナルに取り扱ったものが多く、著者がどれだけ原典にあたったのか疑問に感じる本も多い。その中で酒井由夫という故人の未発表の草稿の中に竹内文書に関するものがあり、去年2006年7月20日に「竹内文書原典解読集1 超古代の神ながら正統史」として初版が発行されている。 著者の酒井由夫は大正11年に東大医学部を卒業し、東大医学部物理的治療所および軍事保護院伊東療養所における勤務を通じて漢方を重視した中毒症状治療に関する功績が認められ「朝日文化賞」まで受賞した知識人である。 これまで著した著書は「日本字の発掘」という本一冊のみだが、それは日本固有の神代文字に関するものであり、神代文字の30年以上の体験により読解力は第1人者レベルに到達していたとされる。 また、戦前戦後を通じて全国の神社関係者や旧皇族・華族との接触・交流をもっており、神代文字で書かれた文献、特に竹内文書原典に親しく接することができる貴重な環境をもっていたようだ。 その酒井由夫氏はいう「神武天皇より三代前に当たる神足別豊鋤(かむたるわけとよすき)天皇時代の末期以降の時代に、日の本全島において大地震が相次いで三回に亘って発生し、大災害に見舞われた。その被害の度合いが極めて甚大であったがために、当時の日本列島の住民は、その生活様式を再び太古時代の姿に戻して、穴居生活を再開せざるを得ない程の窮地に追い込まれた。それと同時に、その時点までの長い間、全世界人類の文化生活を指導して来た日本独特の文化はほぼ完全に滅亡し尽くしたのである。 このような混乱荒廃の最中に、皇統第七十三代を受け継がれた神武天皇は、皇兄五瀬尊天皇と共に我が”日の本”の復興に力を尽くされたのである。すなわち神武天皇は、御即位後”日の本”の文化復興方針を具体的に確定された。その内容は次のようなものである。(一)皇祖皇宗の時代には地球上の支國(えだくに)の文化を指導する立場にあった日の本の國が荒廃の中に在る現実を考えて、一時的に世界を統理する権限を完全に放棄すること。(二)かつて皇祖皇宗の時代の指導成育によって確立された世界中に存在する支國の文化を逆輸入して日の本の國の文化復興の素材とすること。これらの事は非常に重大な意味を持つものであった。何故ならば、それが神武天皇御即位以来今日に至るまでの極めて長い期間に亘って國内政治の一貫した方針として定着することになったからである。・・・ 筆者はここで、「日本が世界万國の棟梁國として世界各國の文化を指導する立場にあった当時の実情すなわち神武天皇以前の時代の日本の歴史を改めて読者各位が認識する」ことで、日本人全体の心に活力を点す手立てになればと願いつつ本稿を書き進める。」(p20)」ということなのだ。 なるほどー。 マーリンが「日本人が瞑想し、自分の心の内側に向かうにつれて、失われたこれらの経典そして現在の経典の鍵となるものが見出されるはずだ。そしてああ!その時のなんという魔法の現れることか!現在あなたが知っている世界のまさにその表面に変化が起きるだろう!そしてそのリーダーとなるのは誰なのか?・・・・それは日本!」というのは、私たちがかつてそうであった時代にこれから戻っていくということなのか。 酒井氏解読の竹内文書によると肉体をもつ最初の人皇(くにつかみ)、天日豊本葦牙気皇王天皇(あめのひとよのもとあしかひきみのしすめらみこと)は神武天皇を遡ること558万5304年前5月1日に即位された、日本の本当の建国記念日は5月1日なのだ。 また、531万4908年前に即位された皇統第二代、造化気萬男身光天皇(つくりしきよろずおみひかりすめらみこと)の御代に我が国の国旗「日の丸」が制定された。 みなさん、今年の5月1日には、日の丸を掲げ実に558万7971年前の建国の日に思いを馳せてみようではありませんか!
2007.04.05
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