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4月29日、そこから始まった。
なんとなく携帯を見てみたら仙台の叔母から着信のあとがあった。
私は沖縄に住んではいるが半分は仙台の血を引いている。
沖縄生まれの母がたまたま母の兄のいる仙台に行ってそこで私の実の父に出会い結婚した。
ところが実の父はアル中で仕事もしなかったのでついに母は三行半を突き付け5歳の私と2歳の弟を連れて実家のある沖縄に戻ってきた。
その後、私が15歳の時に実の父がその1年前にアルコールによる急性心不全で他界したという知らせを受け、一周忌に行ってからは仙台の祖父母や、叔母たちと交流が続いている。
その叔母からの着信だったのでこちらから改めて掛け直してみると28日の深夜、祖父が亡くなったとのことだった。
最後にあったのはちょうど4年前だったなぁ。
たまたま私は実家に帰省していて母にも叔母への電話に出てもらった。
叔母達は私達の葬儀への参列を希望していた。
当初私は4ヶ月の乳飲み子がいるので辞退する予定だったのだが
弟に電話してみると私が行かないと不安らしい。
無理も無い、弟には仙台での記憶が全く無いのだから…
仙台の家は父がすでに他界しているし、あとは3人の叔母たちはそれぞれ嫁いでいる。
直系の孫と言うとわたしたちであるので行かないわけにはいかないだろうということで色々考えた末に離婚した身ではあるが母を連れて行けば4ヶ月の乳飲み子がいてもなんとかなりそうなので叔母達にも許可を貰って急遽せんだいに飛ぶことになった。
ゴールデンウィーク期間中で航空券のチケットを取るのもやっとだった。
泊まる場所は偶然祖父母宅から歩いて3分ほどの場所に越してきている母方の伯母の家にお願いした。
私は本土での葬儀は初めてなので知らなかったのだが、通夜もセレモニーホールでやると言うことで驚いた。
空港には母方の従兄が迎えに来てくれたので助かった。
通夜の法要には間に合わなかったが祖父の遺体ととは対面できた。
祖母は以前より物忘れが酷くなって人間的に丸くなった気がした。
あんなにキツイ人間だったのにすっかり小さくなってなんだか涙が出てきた。
母は離婚してから28年ぶりの仙台入りなので伯母たちとも久々の対面だった。
翌日は葬儀だった。
沖縄でも何度かお骨を拾った経験はある。
が、祖父の骨は本当に大きくて骨壷からあふれ出た程で驚いた。
祖父は無口だったが優しい人間だった。
私が結婚して妊娠してお腹が大きい時に一度ダンナと仙台に行った時も本当に喜んでいて、その後、長女、次女、三女と出産して写真を送った時も目を細めて喜んでいたと言う。
これで私にはおじいちゃんが一人もいなくなったと思うと涙が出た。
翌日、すぐに沖縄に帰る予定だったのだが航空券が取れず空いていたのでレンタカーを借りて、泊めてもらっている母方の伯母と一緒に28年ぶりの仙台を見る母のために観光することにした。
まず、松島に行き、瑞巌寺を見て、高速で仙台に戻って昔住んでいた青葉城の下の古い街へ…
沖縄にない柳桜がハラハラ落ちて綺麗だった。
その後、色々な事件が起こるのだがそれはまた後ほど…
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