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TOSHIBA(東芝) ハイビジョンレコーダー ...
2011年09月25日
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これは? 新品ブルーレイレコーダー東芝レグザREG...
2011年09月25日
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2011年09月07日
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2011年09月04日
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2011年06月11日
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稲嶺さん、ジョーってこれですか? 【送料無料】洗濯洗剤
2011年06月10日
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タイトルを見て「ついに別居?」と思った方々、申し訳ない。別に別居ではない。12月に入っても休みが無いウチのダンナ。大きなイベントがいくつも入っているので今日も帰りは深夜になるらしく、しかも明日は朝4時出勤だそうだ。それが日曜日も同じスケジュールなんだとか…。というわけで土日も母子家庭決定。ダンナの実家に子供達と行くと、子供達はいとこ達と遊ぶだろうし。だからといって「はい、子供達お願いします」ってトンズラこいて自分の家に引きこもる程図太い神経は持ち合わせてないので最終兵器を使うことにした。実家に帰らせていただきます。ダンナよ、「休みはいつなのよ?」ってしつこい私は居ない。思う存分、ストレスフリーで働け。私は久々に羽を伸ばさせていただく。
2007年12月07日
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ちょっと前に地元でやってた祭の夜店で、長女がくじをひいて箱が日焼けしてキャラの名前も消えたホントに新品なのか解らない喋るぬいぐるみを当てた。結構デカイので、お店の人も「わぁ、おめでとう、よかったね~」と大袈裟なリアクションだったが、家に連れ帰ったぬいぐるみちゃんはとんだ迷惑おもちゃだった。うちはおもちゃが多いのでしばらく未開封にしてたのに先日とうとう娘達に見つかり開封。とにかくデカイ声でよくしゃべる。「ナナナ~ナ~ナ~♪」と歌ったり、「ウフフ、お腹空いちゃった」とか「眠くなっちゃった」とか「キスして」とか言ったと思ったら、突如「ママになるの」と言った。私は思わず「いや、そんなこと突然言われても…」とドラマなどで遊びで付き合った女に「子供が出来たの」と打ち明けられる男のような返事をしてしまった…。そんな自分に苦笑する間もなくぬいぐるみちゃんはウィーンという不気味な音をたて、ななな何とタマゴを産んだ。もうビックリした。心臓がとまるところだった。ぬいぐるみちゃんは「ベイビィ、ベイビィ…」と延々と喋って止まらない。しかも産んだタマゴからもう一つ小さいぬいぐるみが出て来た。こいつがまた喋る。まさに悪夢だ。子供のおもちゃでこんなに嫌な汗をかくものって今まであっただろうか…。子供達が飽きるのを祈る。ヤツはとっとと押し入れ行きだ。
2007年11月28日
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まだまだダンナの休みが無い私。三女は気管支炎になったので毎日病院に行って吸入・吸引をしている。その際、長女と次女はダンナの実家に預ける予定だったが、たまたま時間が合わなかったのと、ちょっとした遠慮から長女と次女を二日ほど一緒に病院に連れて行った。私の行ってる小児科は野戦病院のように物凄く混む。その中にたくさんの病気の子がいるわけで…たぶんそこから何かウイルスを拾ってきたらしい。土曜の午前中も子供達3人を連れて病院に行って帰ってきたが、なぜか食いしん坊で暴れん坊の次女の様子がおかしい。朝からあまり食べなかったのだが、病院の帰りに冷たいものを食べさせて食事を支度するまでのつなぎにしたのだが、食事が出来ても口にせず寝てしまった。こんなことはめったに無い。次女はメチャクチャ寝つきが悪いのでこんな簡単に寝てくれるはず無いのだ。かすかな不安を抱えながらも、長女と三女に食事を与えていると昼寝をしている次女が泣き出した。そしてゲロゲロゲロwwwwwwwwwと吐く音がした。それが始まりだった。3時から7時の間に次女は嘔吐を二度、下痢を二度した。三女は下痢を八度もした。下痢は白っぽい。そうだ、今年の初めに我が家を恐怖と混乱のどん底に突き落としたロタウイルスっぽいのだ。この病気は嘔吐をしてその後下痢になるという特徴があるのだがこの便がメチャクチャ臭い。漬物を腐らせてしまったような、遠くまでわかるニオイ。三女は下痢が酷く、水分を取ると同時に下す。しかも、下痢の勢いがすごく、必ず服を汚した。夜になっていていつもの病院も休みなので救急に行った。今日は点滴コースだと覚悟していたら病院に着くとぐったりしていた次女と三女は元気になっていた。結局下痢止めの薬をもらって退散した。しかし、今朝もはよから三女の嘔吐、下痢の繰り返し、次女も昨日よりはやや良いが下痢と嘔吐があった。夜になって二人ともだいぶ良くなったが、疲れ果てた私はまたしてもドリンク剤を1日に2本も飲むという失態をしてしまい、いまだに眠れずにいるのだ。
2007年11月18日
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私は乳酸が溜まりやすいのか疲れが抜けにくい体質だ。神経質なので熟睡できない性質なのも原因だと思う。最近かなりお疲れモードなのでダンナに頼んでこんなものを買ってもらった。テンテンベルト本来ダイエットのための商品なのだが、先月、実家に帰った時にテレビの通販マニアの母が購入していて腰痛が緩和されたと言う。試しに使ってみたら非常に気持ちいい。母もこれを腰につけたまま寝てしまうことが多いとか…腰にもいいのだがふくらはぎに巻くとむくみが取れた感じでスッキリする。ただ、振動音が大きいのでせっかく寝かせた三女を起こしてしまったり、長女と次女は振動でブルブル震えている私にくっついて伝わってくる振動のおこぼれをもらいに来るという弊害もある。今日もダンナの帰りが遅いので待っていたら11時過ぎに帰ってきた。疲れているので私はテンテンベルトをしようとしたが三女が起きたらイヤなので疲れているダンナに「頼む、足の裏でマッサージして」と言った。私は痛がりなので肩たたきや肩揉みなどピンポイントは苦手だ。掌や足の裏などで押してもらう方が好きだ。そこでダンナをソファーに座らせて、私は床に座り、ダンナの足の裏で肩甲骨付近を押してもらった。気持ちいい。テンテンベルトとはまた違う気持ち良さ…が、何か臭う…「くっさ~!!」そうだ、私は一日中靴を履きっぱなしでバタバタ働いたダンナの足でマッサージしてもらったのだ。あまりの臭さに笑いが止まらなくなってしまった私である。
2007年11月16日
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今朝、実家の母から電話があった。三女が気管支炎になったので毎日気管拡張剤の吸入と痰の吸引に行かなくてはならない私に助け舟だった。ダンナは相変わらず家には寝に帰ってくる状態。私はホントにいっぱいいっぱいだ。母の提案はこうだ。園に通う長女は仕方ないとして、自宅で私がみている次女を暫く実家で預かろうというものだ。確かに次女を連れて三女の病院通いはキツイ。だからといってダンナの実家に預けるのも義母に負担をかけそうで気が引ける。次女を実家で預かってくれたら確かに助かる。「○○(ダンナの名)に有無を言わさず早く決断しなさい。迎えに行くから…」と母。しかも「お前(私のこと)、最近そうとう参っているだろう?子供達に対するガミガミがご近所に聞こえるくらいの大きさだよ。少し、休みなさい」と言われた。涙が出そうだった。でも、長女は園を休ませるわけにいかないし、実家に帰ることも出来ない。次女を預けるのはいいけど、あんな怪獣でもいなければいないで寂しさを感じるわがままな私。でも、三女のためには仕方ないのかも…以前みたいに入院ってことになっても… それにしても母はスゴイ。私、家で一人でテンパってるって母には言っていないのに…娘を思う母親の勘か…私も娘達が大きくなったらこうなれたらいいな。
2007年11月16日
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最近、ダンナの休みが皆無。長女の遠足に1日ムリムリ休んでもらったけどそれだけでは焼け石に水状態。私はもう、疲れに疲れている。33歳、毎日チョコラBBのドリンク剤を飲まないと身体が持ちませ~ん!!そんなときに限って子供って病気をする。先月末から次女と三女が風邪気味。こいつら二人、喘息気味なので風邪をこじらせると親を看病で殺してしまう勢いだ。次女は何とか良くなったが、ついに三女が気管支炎になった。ダンナはずっと休み無しで私は朝から夜中まで母子家庭状態だ。今日はたまたまいつものドリンク剤が無くて、冷蔵庫にたまたまダンナが買ってきた「眠眠打破」って眠気覚ましドリンクがあって、疲れて寝てしまいそうな私はついにこいつに手を出した。まっず~い。でもそのせいで疲れているってのに眠れな~い。明日私はどうなるのだろう…
2007年11月15日
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ウチの次女、最近自分で転んだり、どこかに身体をぶつけて痛かったりすると「もーーーーー!!お母さん!お母さんが悪い!!」と、なぜか私に当り散らす。とんだとばっちりである。「自分で転んだんだから自分が悪いんでしょ!」って言おうものなら恐ろしい形相で泣き喚く。めんどくさいので、こんな時は放置に限る。それを逆手にとってか昨日からこんなことをするようになった。自分でおならをしておいて「おかーーーさーーん!!!お姉ちゃんがプーしたーーー!!」長女は????である。まだ誰も気付く前からそんなことを言うので、事情を知ってる私達にとっては次女の自己申告なので鼻をつまむなり、臭いその場から離れるなり、防御策をとれるのでいいとしよう。とにかく、最近は人のせいにしたいのだろう。 ところが今日、夕飯の買い物をしに近くのジャスコに行ったらチルド売り場で買い物カゴを片手に商品を選ぶ中年のステキなオジサマがいらっしゃった。あの歳にしてはメタボじゃないし(ダンナの方がメタボ…あ!私も!!)とにかく身のこなしが上品な感じ。沖縄にはめったに居りません。そのオジサマの持つカゴに周りなど見ないで走り回る次女が思い切りぶつかった。「あっ!スミマ…」と言いかける私をさえぎり、次女は何とその見ず知らずのオジサマに「もうっ!!痛い!!!」と大声で怒鳴り、オジサマに歩み寄ってもう一度カゴをバシッと叩いてオジサマを睨み付けた。まるでドラマに出てくる自分でぶつかって因縁をつけるチンピラそのものである。もう、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、次女を引っ張り無理矢理頭を下げさせて「本当にどうもすみませんでした」と謝ったが、次女はまだ納得していないようだった。 そのステキなオジサマは次女の高さまで腰を落として「ゴメンネ」と謝ってくれた。オジサマ、本当にゴメンナサイ。
2007年11月06日
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2ヶ月ほど前、我が家で恐ろしい事件が起こった。それは2歳の次女をベビーバスで入浴させている時だった。我が家ではダンナが子供達のお風呂係である。私は食事の後片付けをしていたが、長女とダンナの悲鳴が!!駆けつけるとベビーバスの中にいる次女の周りにウ●チがプカプカと浮いていた。急いで次女を引き上げ、全身を洗い直し風呂から上げた。しかし、信じられないことに、この事件は二度も起こった。優しく何度も話しかけて「ウンチはトイレでするんだよ」と教えて納得してもらったはずだったのだが…事件を忘れかけていた今日この頃、次女はだんだん言葉も上手になってきた。次女はテレビよりも絵本が大好きで、今日もダンナに絵本を読んでもらっていた。久々に読んだ絵本は「もったいないばあさん」である。あるページを読んでいるとき、次女が「ウンチ!ウンチ!」と絵を指差した。「もったいないばあさん」にはウンチなんてどこにも出てこないのである。「え?」次女が指したページを見て私達は愕然とした。 「みかんの皮は干してから、お風呂に入れるといい気持ち。ぽっかぽかのみかん風呂じゃ…」 次女が「ウンチ」と指差していたのはみかんの皮の絵だった。そうなのだ、あの忌まわしい「ぷっかぷかのウ●チ風呂事件」は次女の勘違いから起こったものだったのだ。まさか2歳児が「もったいないばあさん」の1ページをお風呂で再現するなんて誰が想像するだろうか…
2007年11月02日
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追記酔っ払って帰ってきたダンナ。帰ってすぐにパンツ一丁になって布団で寝ていた。(今はまたトイレに入ってそのまま入眠してる)頭に来るので傍にいた次女に指差して「噛め!」と言ったら次女はダンナの●ン●ンの部分を前歯でホントに噛んだらしい。悲鳴を上げて怒った。次女は酔っ払いのダンナに怒られ、そのせいで寝ていた三女まで起きると言う大惨事になったのだが、ざまぁみろ!この酔拳石破!!
2007年11月01日
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今日はダンナがルール違反をした。ウチのダンナは外で飲むと調子こいて酔っ払って帰ってくる。ダンナが外で飲んできた時の顔は目の焦点が合わない。酔った時の顔はあの石○防衛大臣にソックリなので私は石○防衛大臣が大嫌いだ。きっと本人に会っても反射的に顔面パンチを食らわすだろう!ウチのダンナ、普段家で晩酌はする、が、ビール3缶くらい飲んでも酔ったりしない。が、外に出ると、盛り上げ役になるため動き回り、結局自分が酔いが回り、寝てしまうと言うパターンだ。飲み屋の女のところで寝たりという馬鹿なことはしないのだが、トイレとか路上とかで寝てしまって行方知れずになるということがよくあった。長女が生まれた頃はよく深夜の飲み屋街を長女をチャイルドシートに括り付け探しに出ることがあった。次女が生まれたばかりの頃までそんなことがよくあって、私はついに結婚指輪を舗装されていない駐車場に投げ捨て長女と生後3ヶ月くらいの次女を連れ、辺戸岬(沖縄の最北端)まで怒りのドライブをしたことがある。酔いから醒めたダンナは私が結婚指輪を投げ捨てて怒りのドライブに出かけたことを知り、慌てて広い広い駐車場の中から結婚指輪を何時間かかけて探して私に謝った。それからのダンナは何度か私からの顔面パンチを食らうほどの酔い方はしても行方知れずになるほど飲むことはなくなった。しかし、今日は久々にルール違反を犯した。9時半に帰ってくると言う約束だった。普段3人の子供達を一人で見ているのでダンナの協力無しではキッツイ私。ダンナの実家に行く約束もしていたので9時にダンナの実家へ。そろそろお暇しようと、電話をするがまったく電話に出ない。11時になるまで何度もコールした。仕方が無いので、ダンナの実家を後にして職場へ!職場は真っ暗だった。警備員の方に聞いたら接待で飲み屋に行ったとのこと。ダンナの同僚に電話をしたら彼は電話に出た。私の怒りが伝わったのか、ダンナは中座して帰るようだった。夜の繁華街に後部座席に3人の子供達を乗せて繰り出した。私が怒っていても相手は石○大臣の顔になった酔っ払い。私の怒りの矛先もまるで酔拳の様にかわされ怒り心頭。久々に動悸がした。また不整脈?酔拳石破に変身したダンナ、またうちのトイレで用を足したまま寝ている。もう1時間くらいになる。あした謝ったって許してやらんぞ!!
2007年11月01日
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日曜日は長女の運動会だった。それなのにこんな日に限ってダンナは四国は徳島に出張で27~29までの3日間あいにくの不在。私は専業主婦なので普段から出来る限り、自分で出来ることは自分でしようと心がけている。近くにダンナの実家があるのだが、あまり世話にならないように気をつけている。だからダンナの出張はホントに痛かった。私の住む地域は運動会と言えば親戚まで見に来る。(私が生まれ育った地域は親くらいしか見に来ないのだが…)ダンナの実家ではダンナの叔父、伯母まで見に来て下さるので、叔父や伯母のために弁当を作るのが慣わしだ。ダンナがいれば子供達をダンナに見てもらってダンナの実家に行き、お弁当作りも出来るのだが、朝早くから寝ている子供達を3匹も連れて弁当を作りに行くなんて不可能だ。いろいろ考えて、南部に住む実家の母を、最近私の住む市に購入した実家(普段は弟夫妻が住む)に呼び、私と子供達と、実家の母で泊まり、そこで弁当を作ってダンナの実家に献上する(ダンナの実家に手伝いに行けないので)というアイディアが浮かんだ。27日は朝一でダンナと連れの人2人を空港まで送り届け、その足で空港近くに住む実家の母を迎えに行って、家のある北部へ!買い物したり下ごしらえしたり忙しかった。当日は6時に起きて弁当を作った。運動会の会場には9時集合。新しい実家からは車で20分くらいかかるので慌ててスッピンのまま出かけた。助かったのは弟夫妻がカメラマンを引き受けてくれたこと。これで私は長女と運動会の出し物に参加できる。初めは椅子取りゲームのような出し物で地面にいくつかのフラフープを置き、音楽が泊まったらその中に親子で同時に入るというゲームがあった。普段小学生のような物言いをする4歳の長女が珍しく「出たくない」と駄々をこねたが、おだてすかしてなんとかゲームに参加した。2回くらい勝てればいいかなと思っていたが私達親子はなぜか予選から決勝まで進み、2位まで勝ち進んだ。トロフィーを貰った長女は誇らしげだった。その後も親子でお遊戯が2曲ほど…昼食を挟んだがその後の競技で走れないと困るので昼食は抜き。その後、区対抗リレーにも縄跳びの部で参加した私、縄跳びなんて20年ぶりだったがなんとか走って我が区は見事1位になった。当日から筋肉痛になったのが「まだ若いのか」と思わせて、ちょっとした慰めになった。翌日ゆっくり休もうと思ったのだが、子供達は容赦しない。しかも夕方には母をまた、実家に送ってその足でまたダンナを空港に迎えに行ったのだった。火曜からまた長女は普段どおり登園。ダンナも休みなど無く仕事だった。結局私は睡眠不足と疲れを抱えたままだ。眠い…
2007年10月31日
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沖縄も朝晩は寒くなってきた。日中だってかなり涼しい。普段、カバのように水分を取る私。暑い夏は350ml缶のお茶なんて5分以内に飲みきる。でも涼しくなった近頃はオシッコが近くなるのであまりたくさん飲まない。350mlのお茶も少し飲んでそのままテーブルの上に置いておく事が多くなってきた。今日、家事を終え、喉が渇いたので先程飲んだ飲みかけのお茶を飲んでいた。ひと仕事終えた後なので喉を鳴らして美味しく飲んでいた…が!!最後のひと口を含んだのだが、舌に違和感を感じた。何かに舌をつかまれる様な味わったことの無い感覚である。その瞬間私は、飲んでいたお茶をまるで志村けんがコントでよくやるように全部口から出した。ソファーに座っていた父が「この子は30も過ぎて何をしでかすんだ」というような蔑む様な怒りもこもった視線で見ていた。私の服はお茶でびしょ濡れ、床もお茶が飛び散っていた。長女も無言で私を見つめていた。私はとにかく床を拭いた。拭き終えて濡れた服の胸の部分に私からディープキスを奪ったヤツがいた。カメムシだった…これからはお茶は缶のまま飲まずにグラスにうつして飲もうと心に誓った私であった。
2007年10月23日
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ウチのダンナはいつだってトイレに新聞を持ち込む。大食漢なので出るのも3回は出ているはず。新聞を持ち込むので20分は出てこない。子供達に邪魔されるので熟読するためにトイレに持ち込むらしい。初めは許せない行為ではあったが、ダンナは活字中毒、趣味と言ったら園芸と読書と家に帰ってからのビールくらいなもんで、それを取り上げると可哀想なので黙っている。そのトイレ、我が家はどういうわけかキッチンの傍にある。(私はどうしてもこの作りが好きになれないが…)私がキッチンに立っていると薄い壁を隔ててダンナが新聞で読んだ記事についてオピニオンを述べる。私は洗い物をしながらそれに相槌をうつという不思議な光景になるわけだ。他人様が見たらさぞかし驚くだろう。我が家のキッチンとトイレの窓からはすぐにお隣のアパートが見える。トイレに入る時などは必ず窓を閉めるのだがダンナはそのままする。アパートのお二階さんからは絶対見えるはずなのに…そんなに自慢の逸物か…!!今日など私が食事の支度をしていると、仕事から帰ってきたダンナが小のほうをしにトイレに入った。案の定窓を閉めずに用を足しながらダンナは私の名を呼んで「おい!こっちに来て見て!」「何を?!」(●●を見ろと言っているのかと思ってビックリした)「隣に△△の木が生えてて実がなってるよ、いいからこっちに来て見て」「やだよ」「いいから!早く!!」あまりにもしつこいので子供用のスリッパを履いて失礼して入室した。「ほら、あそこに…」ダンナはその木の実を指差したが、私はまだチョロチョロと用を足すダンナの●●が気になった。全くあそこ違いである!!恥じらいも無いのだろうか…あまりにも驚かされたので動悸がした。頼むよ、こっちは不整脈を抱えてるんだから…
2007年10月15日
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もうすぐ2歳半の次女、最近やっとお姉ちゃんになったことを自覚したとは思うのだが、やっぱり寝るときは私の胸を触りながら寝る。私が添い乳で三女に授乳してる時は私の背中の方にきてわたしの着ているTシャツをチュッチュと吸う。あとでTシャツがよだれでベタベタになるし臭くなるので個人的には止めて欲しいのだが、次女も一生懸命お姉ちゃんになろうと我慢してるのだろう…健気ではないか…。私は長女から三女まで添い乳をしてきた。添い乳なんてしたことのない実家の母はとても驚いたが、その方が子供がよく寝てくれる。夜中何度も起こされても明らかに添い乳のほうが楽なのだ。ある日のお昼寝の時間、三女に添い乳をして寝かしつけていると、いつものように遠く離れていた次女は私の傍にくっついてきた。そしておっぱいを飲んでいる三女を覗き込み、こう言った。「おい、早くオッパイ揉め!!」きっと「おい、早く、オッパイ飲め!!」と言いたかったのだろうが…ダンナが帰ってきてからこの話をするとダンナは大爆笑。この一週間私が三女に授乳しているとダンナまでが「おい、早くオッパイ揉め!!」というので困っている…
2007年10月13日
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体調を崩して昨日から子供達をダンナの実家に預けている。普段は出来る限り、自分で出来ることは自分でしている(当たり前だ)。やっぱり10人の孫がいる義父母、義妹たちは働いているので、仕事をしていない私は義母の厄介にならないように気をつけているつもりだ。ところが、今回は迂闊にも風邪をひいてしまった。迷惑をかけてしまうが、ダンナの実家に子供達を預かってもらっている。この体調では子守はとうてい無理なのだ。とにかく昨日は39℃台の熱が続いて体中が痛いし、大変だった。今朝から熱は37℃台に下がったのでだいぶ楽になったのだが吐き気と胃の痛みが来ている。ダンナが病院に行けとうるさいので、今日も病院に行って恒例のカルシウム注射を打ってもらってきた。この注射をすると身体がポカポカして風邪にはいいのかもしれない。今日一日ゆっくり休んで明日から心機一転、家事に子育て、頑張ろう。
2007年10月13日
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風邪で熱が出て週のはじめから調子をくずしている。ここ二日ばかり熱は下がっていたのだが今朝から悪寒と関節痛と発熱がぶり返している。薬も無かったので子供達をダンナの実家に預けて病院に行ってきた。先生が聴診器を当ててしつこいくらいに胸の音を聞いていた。そして「不整脈があるね」と言われた。ガーンと頭を叩かれた気分だった。若いつもりでいたのにもう中年の部類ではないか…「息苦しかったりしない?」と聞かれて「そういえば、あったような気もします」とお茶を濁すように答えたが実は月曜の夜、ソファーに腰掛けていて突然気管を締められる様な息苦しさを感じた。ダンナにも不調を伝えてその日は早めに休んだ。だれにも言っていないのに聴診器だけで分かってしまうとは…とりあえず、様子を見て、また息苦しさがあれば心電図などの精密検査をしましょうと言われた。もうすぐ娘の運動会である。その日はダンナは出張で不在なのに…親子リレーなんかがあったら私は走れるのだろうか??ダンナには言ったが両親やダンナの実家の人々には言えないよな~余計な心配をかけてしまうし…
2007年10月12日
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今日は住んでいる街で夏祭りがあった。毎年、義父母、義妹夫婦たち、甥姪、家族総出で出かけるのだがウチのダンナだけはいつも仕事で参加したことが無い。今年は早めに仕事を切り上げてきたのでホントならダンナ初参加で行けるのだが、ダンナは1年以上前に次女におもちゃで目を傷つけられ、角膜糜爛で調子が悪いと傷口が開くって状態でちょうど昨日の夜から目がお岩さんであった。子供達は楽しみにしていたがあまりの痛さにダンナは見送り。義父が保護者として長女と次女を連れて行ってくれた。私は毎年参加しているのだがハッキリ言ってこういう大きな祭りは苦手である。義父に子供達をお願いしてダンナと留守番することにした。夏休みになって家の中でも大暴れで大変な状態。親がいないのに人ごみに出して大丈夫か心配だった。一応4歳になった長女に「お姉ちゃん、オジィの傍を離れたら駄目だよ。あーちゃん(次女)が離れないようにちゃんと手をつないでね」と言うと元気な返事が返ってきた。「それと、もし、迷子さんになったらお名前ちゃんと言えるかな?」と聞くと、「うん」というお返事。「じゃ、なんて答えるの?お母さんが聞いてみるよ、お名前は?」と聞くと「迷子の迷子の子猫ちゃん!」とまじめな顔で言われた。一瞬「やっぱ、祭に行かせるの止そうか」と思ったが、長女を信じて送り出した。子供達はたくさん遊んで楽しんで帰ってきた。
2007年07月28日
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やっと引越も済んでネットも繋がった。そんな我が家、引越の2日ほど前に事件が起こった。我が家ではご飯を炊くとき、毎度毎度ジャーを使うとめんどくさいので一度に7合炊いてそれをジップロックのタッパーに入れて冷まし、冷蔵庫で保存して、食べる時にレンジで温めている。7合炊くと、4食分くらいとれる。つまり、ジップロック4つ分ね。引越の2日前に冷蔵庫には最後の1パックが残っていた。ちょうど、お昼で、ダンナと長女が帰ってくるので冷蔵庫から取り出してレンジに入れようとしたらジップロックの蓋のほうに影が見える。ん?今回は土鍋で炊いていないからお焦げなんてないはずだけど?とよくよく見てみるとこの影がある形に見えるのだ。お分かりだろうか?アニエスベーのロゴにソックリ!!まさか?と開けてみるとギョエー!!!ヤモリ!!どうやらご飯を炊いてジップロックに入れ、軽く蓋をして冷ましている間にヤモリさんは入り込んでしまったのだろう。もういっぽでレンジに入れて加熱してしまうところだった。あわててダンナに電話をしてスーパーでおにぎりを買ってきてもらった。我が家の最後の晩餐はヤモリにとっては最期の晩餐だったようだ。合掌!!
2007年06月11日
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今日、私が洗い物をしていると長女と次女がリビングでおもちゃの取り合いをしていた。マックの景品で香水瓶風の形で蓋の方がスタンプ、瓶の方に小物が入れられると言うものだ。次女にもマックからの景品でルージュ型のボールペンを渡してあるのだが、どうしても次女は長女が持っているものを欲しがる。いつもなら長女は「これ、おねぇちゃんの!!」と言って怒り出して次女をぶったりするのだが今日は珍しくそんなことをしないで貸していた。しばらくして次女は他のおもちゃに興味を移して例の香水瓶をポイッ!(酉年なので脳ミソが小さいのか、3歩くらいあるくと以前のことはすぐに忘れるらしい←酉年の人、ゴメンナサイ)すかさず長女は香水瓶を拾って中に小銭を入れて遊んでいた。さすがに最近はわがままな次女のかわし方が上手くなった長女である。次女が代替物を与えるとすぐに本命を忘れることを心得ている。するとしばらくしてまた別のおもちゃに飽きた次女が長女にまとわりつく、予想外だったのは次女もレベルアップしていたことだ。本命のおもちゃにストレートに行かないで長女にペタペタくっついた。すると長女「何?あーちゃん、お姉ちゃんが大好きなの?」と聞いた。すると次女は油断している長女の手から本命の香水瓶をとりながら首を横に振り「ううん」と答えた。「お金?」と長女が聞くと、「うん」と答え、香水瓶からお金を取り出していた。長女は絶句していた。おもちゃを取り上げられたことに絶句したのか、「好きなの?」との問いに否定の答えが来たからか、それは定かではないが、2歳になったばかりの次女の方が来月4歳になる長女より、一枚も二枚も上手だったことは確かだ。ただ、母は次女がどんな大人になるか心配なのであった。
2007年05月20日
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先日5月2日の早朝、事故に遭って下半身の骨を複雑骨折した実家の愛犬ポッポ。一時は生死の狭間をさまよい、取り乱した母が、「もう、こんな身体になって、生きているのがかわいそう!死んだほうがましよ!」(←ていうか、なんであんたがポッポの生き方まで決めるんじゃい!)と感情的に叫んでおりましたが、月曜日に母が病院にお見舞い(←犬の場合はゲージに入れられてるんだけどね)に行ったところ、母を見るなりポッポが歩き出したそうな…母は顎が外れるほど驚いて近くで別の犬の治療をしている研修中の獣医に「せせせせ先生!!大変です!大変です!ぽぽぽポッポが歩いてます!!」と叫んだそうな。私は見てないがきっといつものようにバシバシ相手を叩きながら話したんだろうな…治療中だった先生ゴメンナサイ。すると先生は「あっ?知りませんでした?昨日から歩いていますよ」と優しく答えたそうだ。母はさらに興奮し「昨日ですか?昨日って母の日ですよね?あーーーーっ!もう!先生、昨日は孫(うちの三女ね)も寝返りをしたって連絡が来たし、ポッポも歩いたし、ホントにすばらしい母の日ですね!!」とか言っていたそうな。とにもかくにも歩けないはずのポッポは驚異的な回復力を見せている。奇跡ってあるのかもしれない。
2007年05月15日
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12月に生まれ、明日で5ヶ月になる三女が今日やっと寝返りをした。長女、次女ともに3ヶ月ではすでに寝返りをしていたので親としてはホントに心配だった。友人の娘さんが7ヶ月になっても寝返りをしないと聞いていたが、その原因は普段から大人用のダブルベッドの上で生活していたので寝返りをしようとしても力が分散してしまい出来なかったかららしい。ところがウチの三女は畳の上にちょっとした薄いマットを敷いて普段は生活しているので力が分散するわけでもなく、ただ、太りすぎて寝返りが出来ないだけらしい。それと本人のために弁解ではあるが暢気なのだ、きっと…ただ、おかしかったのが、先月くらいから本人は寝返りがしたくてしたくてずっとウンウン唸って身体を半分くらい横に向けるのだがその時に力が入りすぎておならが出たり、ウンチが出たりして力が抜けてしまうらしく途中で諦めたりしていた。今日もなんどかチャレンジして、お腹の中身を出し切ったところで再チャレンジして成功した。おめでとう三女!!
2007年05月13日
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祖父の葬儀が終わって、実家で愛犬ポッポ(シーズー犬・2代目)と留守を守る父に電話をした。「ポッポは?」と聞くと「うん…」と後を引くような答え「何かあったの?」と聞くと「帰ってきてから話す」と言う。何度聞いても同じ答え。物凄く嫌な予感がした。父は何でもテキパキこなす母のせいか身の回りのことは殆ど母任せで電子レンジさえ使えないので犬の世話なんて無理だと思い、私は祖父の葬儀に出席するために母が家を空けるので愛犬ポッポをペットホテルに預ける手配をした。ところが出発の前日になってから家で出発の荷造りをする私に母から電話があった。「ポッポをペットホテルに預けるの止したよ。父さんが寂しいみたいだし、散歩は出来ないけどオシッコやウンチの世話なら父さんにも出来るから」という。「えぇっ?大丈夫なの?普段ポッポの世話なんて全部お母さんがしてるんでしょ?お父さんには無理じゃない?逃げたりしたらどうするの?」と言ったが「大丈夫だよ、ポッポは自分で階段を下って道に出るなんて出来ないから…」と母。「お母さん達がそれならいいけど、心配だな」と一抹の不安を抱えながらの出発だったのだが… 葬儀を終えて、1日だけの観光をして、翌朝11時の便で沖縄に帰った。空港にはダンナと長女と次女が家から直接迎えに来ていたので、私達が実家に帰るまでダンナさえも実家に行っていなかったらしい。もともと先日の父との電話のやり取りで嫌な予感がした私は実家に着くなり一番に玄関に向かった。案の定、家の中にポッポの姿が無い。「ポッポは?」と聞くと「ポッポは車に轢かれた…」と父が小さく答えた。母は卒倒しそうな感じで絶句し立ち尽くした。私も弟も母も死んだと思って父を質問攻めにした。葬儀のあった朝7時頃、ポッポはオシッコをしたくて父に合図した。父はポッポをベランダに連れて行って用を足させたのだが、父がモタモタしてる間にポッポは家の中に走って入り、そのまま開いている玄関のドアを通って外に出たらしい。父はきっといつものようにランニングに短パンだったのだろう。いつもワイシャツにスラックス姿でしか人様の前に出たことが無い父は慌てて着替えたのだろう。その間にポッポは母を捜して道路に出てしまったらしい。父が道路に出ると車で渋滞していたそうだ。渋滞の先へ行くとポッポが倒れていたそうだ。目撃者によると中型のトラックに轢かれたそうだ。父は慌てていつも連れて行っている病院へポッポを連れて行った。先生の処置のおかげでなんとか命を取り留めることは出来たのだがポッポは下半身の骨がズタズタになるほど複雑骨折していた。昨日、本格的な手術がなされたのだが歩けなくなるらしい。排泄もひとりでは出来ない、いわゆる下半身不随だ。GW期間中は病院が休みだったので母はポッポの状態がわからないので酷く取り乱した。「何であの時にペットホテルを解約しちゃったのか」「あんなに散歩が好きなのにもう歩けないなんて…安楽死させた方がいいのでは」といったことばかり言っていた。私達が家に帰った後も母は父を責めてずっと喧嘩ばかりしているようだ。でもポッポは意識はしっかりしている。母のことを見るなり痛い身体を引きずって擦り寄ってきたと言う。そんなポッポを安楽死させるのか?でも保険にも入っていなかったのでお金もものすごく掛かるらしい。100万単位かも…葛藤は続いた。母は私にも相談してきた。「お金も掛かるから本当になんと言っていいかわからないけど、意識があって上半身もすごく元気ならかわいそうだと思う。でも、これから介護をしないといけないからお母さんが大変だよ。私は遠いからすぐには行けないし、これからは今までみたいになんでもお母さんがするんじゃなくて父さんにも動いてもらわないと、お母さん倒れちゃうよ」私達夫婦もダンナ一人の稼ぎで家族5人の食い扶持を支えているので余裕なんて無い。そういってあげるのが精一杯だった。そして昨日、母はポッポを生かす決断をした。ポッポの骨がきちんと繋がるまで大変だが、もう少ししたら犬用車椅子などを探してあげなければ…命ある限り、一緒にいたい。
2007年05月09日
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4月29日、そこから始まった。なんとなく携帯を見てみたら仙台の叔母から着信のあとがあった。私は沖縄に住んではいるが半分は仙台の血を引いている。沖縄生まれの母がたまたま母の兄のいる仙台に行ってそこで私の実の父に出会い結婚した。ところが実の父はアル中で仕事もしなかったのでついに母は三行半を突き付け5歳の私と2歳の弟を連れて実家のある沖縄に戻ってきた。その後、私が15歳の時に実の父がその1年前にアルコールによる急性心不全で他界したという知らせを受け、一周忌に行ってからは仙台の祖父母や、叔母たちと交流が続いている。その叔母からの着信だったのでこちらから改めて掛け直してみると28日の深夜、祖父が亡くなったとのことだった。最後にあったのはちょうど4年前だったなぁ。たまたま私は実家に帰省していて母にも叔母への電話に出てもらった。叔母達は私達の葬儀への参列を希望していた。当初私は4ヶ月の乳飲み子がいるので辞退する予定だったのだが弟に電話してみると私が行かないと不安らしい。無理も無い、弟には仙台での記憶が全く無いのだから…仙台の家は父がすでに他界しているし、あとは3人の叔母たちはそれぞれ嫁いでいる。直系の孫と言うとわたしたちであるので行かないわけにはいかないだろうということで色々考えた末に離婚した身ではあるが母を連れて行けば4ヶ月の乳飲み子がいてもなんとかなりそうなので叔母達にも許可を貰って急遽せんだいに飛ぶことになった。ゴールデンウィーク期間中で航空券のチケットを取るのもやっとだった。泊まる場所は偶然祖父母宅から歩いて3分ほどの場所に越してきている母方の伯母の家にお願いした。私は本土での葬儀は初めてなので知らなかったのだが、通夜もセレモニーホールでやると言うことで驚いた。空港には母方の従兄が迎えに来てくれたので助かった。通夜の法要には間に合わなかったが祖父の遺体ととは対面できた。祖母は以前より物忘れが酷くなって人間的に丸くなった気がした。あんなにキツイ人間だったのにすっかり小さくなってなんだか涙が出てきた。母は離婚してから28年ぶりの仙台入りなので伯母たちとも久々の対面だった。翌日は葬儀だった。沖縄でも何度かお骨を拾った経験はある。が、祖父の骨は本当に大きくて骨壷からあふれ出た程で驚いた。祖父は無口だったが優しい人間だった。私が結婚して妊娠してお腹が大きい時に一度ダンナと仙台に行った時も本当に喜んでいて、その後、長女、次女、三女と出産して写真を送った時も目を細めて喜んでいたと言う。これで私にはおじいちゃんが一人もいなくなったと思うと涙が出た。翌日、すぐに沖縄に帰る予定だったのだが航空券が取れず空いていたのでレンタカーを借りて、泊めてもらっている母方の伯母と一緒に28年ぶりの仙台を見る母のために観光することにした。まず、松島に行き、瑞巌寺を見て、高速で仙台に戻って昔住んでいた青葉城の下の古い街へ…沖縄にない柳桜がハラハラ落ちて綺麗だった。 その後、色々な事件が起こるのだがそれはまた後ほど…
2007年05月08日
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18日に2歳になった次女は他人が見ても顔をしかめるくらいの問題児だ。顔に似合わず喘息を持っているのだが最近その喘息の症状も落ち着いてきたと思ったら問題児の度合いが増してきた。次女はとても食いしん坊でお腹が空いているとメチャメチャ機嫌が悪い。そんな時はかなり暴力的で、物を投げる。しかも、寝かしつけに便利だからと、最近まで哺乳瓶でミルクを与えていたのだが、さすがに2歳になるのに哺乳瓶は歯に良くないだろうと、思い切って哺乳瓶をシンクの上の吊り戸棚に隠したので、とにかくホントに機嫌が悪いのだ。(コップではなかなか飲んでくれない)しかし、私には時間が無い。新学期が始まったばかりなので長女は11時半にお迎えしなくてはならないし、ダンナは12時にお昼を食べに帰ってくるし、とにかく三女は寝ていて欲しいし、次女にはDVDでも見て大人しくしていて欲しい。三女はおっぱいを飲ませて寝かせたらなんとかお昼の準備が出来るようになったのだが次女はお腹が空いてくると「ミルクー!ミルクー!」と絶叫して三女まで起こしてしまう。だが、ミルクを1日に何度も与えるわけにもいけないし、ウチではお昼寝前と、寝る前にコップで与えることにしているのでお昼ゴハン前に与えるわけにはいかない。そんなとき役立つのがチーズ!次女はチーズが大好きだ。与えすぎてもいけないのでキャンディーチーズを一粒与え、足りなければあと2粒くらいは与えることもある。それでなんとか時間を稼ぐのだが、困ったことに次女は散らかし大魔王だ。玩具なんて↑↑↑ベンチソファーが動いてるでしょう?こんなの序の口いつもはもっと散らかってますから…まず、足元に散らかってる玩具をわざと踏みつけて歩く。食べたお菓子の袋なんてそのまま床に捨てる。最近アレルギーが酷い私はゴミにかなり神経質になってるので次女の一連の行動は許せない!!そんな次女にチーズをあげようものなら案の定チーズの包みはベンチソファーの下に落ちている。「あーちゃん!!(←次女のこと)もう2歳のお姉ちゃんなんだからゴミはちゃんとくずかごに捨ててね!分かった?分かったら返事して!」と言うと次女は「はーい!」と可愛く答える。昨日までは私の目があったせいかキチンと捨てられていた。が、今日はなんとなく嫌な予感がして家事をする手を止めて見てみると、ななな何と!畳に寝転ぶ三女の掌にまるでお捻りでもあげるかのようにチーズの包みを捻じり入れていたのだ!私のゲンコツが飛んだのは言うまでもないが次女のすぐ傍にくずかごを置いていたのに三女の掌に隠すなんて…ゴミを捨てるのってそんなに難しいか?母である私は次女が将来ゴミ屋敷の主人にならないか…ってことだ。
2007年04月25日
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ついに買ってしまった。新しい掃除機!結婚時に買った掃除機は店頭で1万円くらいだったのを溜まったポイントで6千円くらいで購入した。が、安物買いの銭失いとはこういう事をいうのだろう。音だけがうるさくてよく見ると床に埃をたっぷりと残してくれている。最近アレルギー性鼻炎が酷いのでどうしても買い替えしたくて「贅沢だ!」とは思ったが清水の舞台から飛び降りるような気分で購入した。日立のたつまきサイクロンだ。今度は安さだけに目がくらまぬよう店頭に何度も足を運び試しに使って、ヘッドもきちんとパワーブラシのついたものにした。お値段はもともと32800円のものだが値引きして19800円。ウチに持ち帰って早速開封。ビックリした。日本製!今どき家庭用電化製品でちゃんと日本製を作ってるなんて…早速掃除した。昨日掃除機をかけたのにビックリするくらいとれた。(私の産後の恐ろしい抜け毛も…)掃除機をかけた後は拭き掃除をしたような感触が足に伝わる。すばらしい!!ちょっと位高くても掃除機は日本製だよやっぱり!!
2007年04月22日
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3年愛用していた電器ポットが4日程前から給湯ボタンを押してもウンともスンとも言わなくなった。プラグを抜いたり叩いたり(←テレビじゃないんだから)色々試したが全く駄目で私はついにお湯を抜き観念した。「あぁ、この物要りな時期にまた買わないといけないのか…」というのも、掃除機も新しいものに買い換えようとしていたから。10年前に手術したアレルギー性鼻炎と慢性扁桃炎が三女出産を機に悪化して私は毎日くしゃみ鼻水鼻づまり、目や喉や耳の中が痒く、顔まで赤くはれ上がって痒いのだ。アレルゲン物質を吸着させるためにも性能のいい掃除機を買うことにしたのだ。しかし、今話題のダイソンの掃除機を買う様な余裕はうちにはない。だから日本メーカーのサイクロンタイプに決めていたのだ。それなのにポットが先に壊れるなんてまさに悪夢である。我が家でポットは必需品。18日に2歳になった次女がフォローアップミルクを飲むし、私達夫婦も熱いお茶をよく飲む。今度こそVEタイプ(沸かす時は電器ポットで、保温は魔法瓶でするタイプ)を買おうと色々探してみたが店頭ではどうしても9千円以上した。やっと楽天で7千円台のヤツをさがして買おうとしていた。そして今日、次女の誕生会のため、実家から母が来た。そしてポットの件を話したら「あんた達のポット石灰が詰まってるんじゃないの?」とあっさり言われた。確かに3ヶ月ほどポットの石灰を取っていない。沖縄の水は硬水なのでこまめに石灰取りをしないといけない。浄水器である程度の石灰は取れているのだがすぐにやかんもポットもザラザラしてくる。母に指摘されてすぐにシンク下に眠るクエン酸を取り出してドッサリ入れて2ターンほど沸騰させたらお湯が出るようになった。母に言われなかったらもう少しで新しいポットを買うところであった。これで明日は心置きなく新しい掃除機を買いにいけそうだ。
2007年04月20日
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見てしまった。ついに我が家の新しい引越先を。古いとは聞いていたが本当に古かった…マジで引いた…手直しをすれば今はやりのアンティークカントリー風になるのだとは思うがここまで古い物件に住んだことがないのでちと不安。間取りは6畳2間で台所(キッチンとは言えない)が3畳ほど。その隣に3畳の畳間。ここが居間というか食事を取るところとなりそうだ。6畳の奥には3畳の部屋。その奥に3畳の板間。隣にシャワーがあるので脱衣所といった感じだろう。正確に言うと4Kなのかな?古いし、暗いし、私の大嫌いなゴキブリは絶対いるだろう。それどころかネズミだっていそうだ。こんなところに私の宝物であるPCという文明の利器は持って行ってネットを無事につなぐことは可能なのか…不安だ。が、諦めるしかないのか…唯一の救いは台所の隣に4畳ほどのウッドデッキがあったこと。屋根つきなので便利そう。古いので自由に手を加えても良さそうだ。リフォームの本なんかを買って読まなければ…
2007年04月14日
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こういうことをまさに「たなぼた」というのだろう。先日、私達が住んでいる「○TTの社宅」が突如取り壊しが決定し、退去勧告の通知が来た。その後、長女の幼児園の閉鎖も決まり、まずはこちらを片付けないといけないので慌てて長女の幼児園を決めて木曜日の入園式を終えてホッとしていた。ホッとするのもつかの間、私達家族はまた新しい住処を探さないといけない。私は毎晩夜中にネットで色々な物件を探していた。だってこの社宅を探して無理無理ダンナを説得し移り住んだのは私だからだ。責任を取らなくては…今日ダンナが仕事で外回りの時に以前長女が通っていた幼児園のある区の区長と話をしに行ったそうだ。区長はダンナの遠い親戚に当たるので幼児園が閉鎖になったこともチクリと少しだけイヤミな苦情も言ったそうな。「幼児園は閉鎖するし、住むところは追われるし…」とダンナがぼやくと、区長は「この区の○○にある一軒家を20年近く借りていた人が2,3日前に退去したばかりだよ。大家もいい人だからお願いして住まわせてもらえば?古いけど、3LDKで3万円、敷金礼金も無いらしいよ」と教えてくれたそうだ。ダンナはその足でダンナの実家に向かい母親に事情を話すと大家は義母の知っている人だったらしい。ダンナが「近いうちにお願いしに行こうかな」と言うと「バカか、お前は、今どき3万円で一軒家を貸してくれる人なんていないだろ!こんなチャンスめったに無いんだから仕事中だろうがなんだろうが今すぐ大家のところに行きなさい」と義母がプッシュ!ダンナは私にこの件で電話してきて、ダンナと義母で物件を見に行ったそうだ。確かに古いが来月中にリフォームしてホントに敷金礼金無しで月3万で貸してくれるそうだ。私も見ていないが快諾。6月に引っ越すことになりそうだ。
2007年04月13日
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最近はまっているものがある。それは昼ドラ「愛の劇場『砂時計』」…新聞を読む時間さえ無かった私がどんなことをしてでも見るようになった。たとえば三女が泣いていようがとりあえず授乳しながら見る。あまりにはまってしまってついに原作本まで購入してしまった。 もともとマンガなんて読まないたちで少女マンガなどは中学の時に紡木たくの「ホットロード」とか「瞬きもせず」くらいを読んで卒業した。最近はダンナが読んでいる「モーニング」という社会派的な週間のマンガをチョイ読みするくらいだった。そんな私がホントに久しぶりにコミック本を購入した。そして久々にマンガを読んで号泣…年甲斐も無いのはわかっているが止められない。
2007年04月09日
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私の住んでいる街には公民館などで子供達を預かる幼児園なるがある。35歳のダンナも小さい頃は通っていたという、かれこれ40年の歴史のあるものだ。何と月平均約7千円で午前中ではあるが3~5歳までの子を預かってくれる。午前中子供を預かってくれるだけで掃除、洗濯、お昼の支度までこなせるのが魅力。もうすぐ4歳になる長女をダンナの実家のある区の幼児園に通わせて1年が過ぎた。年上の子達に揉まれて長女もだいぶ成長した感がある。先月ダンナの甥と姪を含む6人の年長さんが卒園した。そして残った子供達は年長さんが3人、年中さんが長女を含め6人、年少さんが2人となった。その卒園式のあと、父兄が集められ、会議があった。保育士の先生2人が言いにくそうに「実は少子化で新しく入園する子供達がいないので園の運営が厳しいです。月末までに市に最終的な園児の数を報告しないと補助金がおりないのですが、この人数では補助金でも運営は難しいのです。とりあえず、月末まで入園希望者を募りますが、最悪休園となります」と言ってきた。経営のことまでは私達父兄は分からないので現状を聞いてショックだったが、無くては困る。他の保育所では値段も高いし、第一、共働き家庭を優先していてただでさえキャンセル待ちの状態と言うのでどうしても幼児園を存続させて欲しかった。私達夫婦と義妹達の夫婦揃って慌てて園児募集のチラシを作成してポスティングしたり、スーパーなどの入口に掲示させてもらった。私も○ネッセのサイトで同じ市内に住む人たちに失礼を承知で私書箱にDMを送ったりした。今月に入ってまだ存続か否かの連絡が無かったのでどうにかこうにか人数も集まっているものだとふんでいたのだが、今日になって休園の知らせがハガキで来た。ショック!!である。私は専業主婦なのでよいのだが義妹たちは仕事をしているので困るだろう。これから慌てて区外の幼児園を探さないといけない。区外の幼児園に通うと働く義妹たちが子供達の送迎が出来ないうえに今までダンナの実家の近くに園があったので義母が歩いて甥姪たちを送迎できたが、それが出来なくなる。我が家でも今までダンナが通勤途中に長女を送り届けていたのが区外の園だと遠かったり、甥姪たちも一緒に登園させるのでダンナはどうしても遅刻してしまう。そしてその任務は必然的に私が受け持つことになるだろう。朝起きてダンナを送り出し、長女を園に送るためにもうすぐ2歳の次女と3ヶ月の三女を連れて車に乗って、ダンナの実家に行って甥姪をピックアップして園に送り届け、その後またアパートに帰って次女と三女の面倒を見ながら掃除、洗濯、お昼の支度。お昼に帰ってくるダンナに食事をさせてまたダンナを見送って1時に子供達を迎えて甥姪をダンナの実家に下ろしてから家に戻って長女に昼食をとらせて子供達をお昼寝させて…うーーーーーん気が重い。国よ!少子化少子化と言う割に子供達を育てる環境に十分な補助金をあてないなんて…共働きじゃないと認可保育所には通わせられないし、無認可だと高くて通わせられない。私のような産後すぐの母親は働くことなど出来ないし、働いたところで下の子達も保育所に預けないといけないし、月謝だけで私の給料は飛んでいくだろう。育児をするのに親は働き、子は預けられ親子の時間なんて全く無くなる。どこが美しい国日本じゃ!
2007年04月05日
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産後3ヶ月が過ぎた。 先月あたりから私の身体は異変をきたしている。 前の二度の出産後もそうだったのだが抜け毛がすごい。 以前にも増して抜けていく一方だ。 ひとつに束ねた髪の直径は1.5センチにも満たないはずだ。 辺りを見回すとそこいらじゅうに私の髪の毛が抜け落ちていて拾う度ゾッとする。 以前ならダンナの○毛(明らかに私のとは違う)を見つけては子供達に「これ何?」って聞かれる前に慌てて拾っては捨てていたのだが、今は私の髪の毛ばかりだ。 私の髪の毛は2つの種類がある。ひとつは普通の太さの髪の毛。もうひとつは赤ん坊の産毛のような色の淡い髪の毛。 無情にも神は(←洒落ではない)私の太いほうの髪の毛を沢山さらっていくのだ。 おかげで私の髪はただでさえ束ねてもみすぼらしいのが余計に少なくなった。 レディース○ートネイチャーや和田アキ子のCMの髪の毛の生えてくる商品のお世話になる日も近いのか…
2007年04月04日
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もともと腰痛持ちの私。長女出産で酷くなり、次女を妊娠中はぎっくり腰のような骨盤の痛みに悩まされた。次女を出産後は沐浴させるのに中腰になるのがかなりきつかった。そんな時にネットでこんな商品があるのを知った。トコちゃんベルトというのだが開いた骨盤をしっかりと締めるので、腰痛が緩和されるし、切迫流産の防止や産後の尿漏れなんかにもいいらしい。三女を妊娠してからすぐにあの骨盤の痛みを忘れさせて貰えるのなら…と、少々高価ではあるが購入して愛用している。妊娠中はもちろん、産後の骨盤の引き締めにはすばらしい商品とのこと。しかも通っている産院でも商品を扱っていたので、三女出産後すぐに分娩台の上でグイグイ締められた。それからお風呂以外では外したことがない。もちろん洗い替え用にもう1個購入して交互に使用している。この商品を使ってからもちろん骨盤の戻りも早いし、なにより子供を沐浴させる時のあの痛みが全く無いのだ。すばらしい!!!ただ、お手洗いの時が面倒なだけで…面倒と言えばこの商品はもう一つの効能があるようだ。それは…性欲の減退!!産後3ヶ月も過ぎ、まぁそれなりにダンナからのお誘いもあるのだがいざ、脱がされるとこのベルトのマジックテープをはがす音が静かな部屋に響き渡る。ビリッ!ビリッ!と全くムードもぶち壊しだ。それどころか、誘われても「またベルト外すのかなぁ…、面倒臭いなぁ」となってどうにかこうにか断ることが多いのだ。家族計画にお勧めの商品である(笑)
2007年03月31日
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我が家が狭い2Kのアパートから今のアパートに越してからもうすぐ1年になろうとしている。歩き始めた次女がおしゃべりをするくらいになっている。多分築25年以上経過した古い建物であるうちのアパート。古いが3LDK、物置付き、バストイレ別、ベランダかなり広し、駐車場代金タダで家賃は4万5千円という好物件。それなのに16世帯入るこの建物に入居してるのはわずか7世帯というゴーストタウンだ。あまりに寂しいので娘の通う幼児園の引越に悩むママさん達に勧めておいたのだが、今日予期せぬ通知に私は打ちひしがれることになる。我が家はN○Tの社宅を一般に貸しているアパートなのだが、今日このN○Tから「この物件を更地にして土地を売却することになったので9月30日までに退去を願う」旨の文書が届いた。やっとのことで安住の地を見つけたと思ったのに…なにより途方にくれるのはこの値段でこの広さを保つ物件は他には無いのだ。もちろん値段を上げればなんとか民間のアパートもあるだろう。しかし、今乳飲み子を抱える私は働けないし、ダンナの給料だけでこれ以上の家賃はまず無理だ。団地を考えてみたが、ただでさえ入居希望者が列を作っていると言う。もう本当にガックリだ。想像は悪い方へ進む。民間のアパートでは駐車場は通常1台だ。我が家は去年の10月にもう一台購入したばかり。2台となると結局追加料金になるだろう。高い家賃に駐車場代金…ダンナはきっと「もうアパートは無理だよ」と言い出すだろう。そして前々から言っていたダンナの実家と半同居案を持ち出すだろう…ダンナの実家の屋上部分にプレハブを建ててそこで暮らすと言う案だ。私はダンナの両親には特に不満は無いのだがダンナの実家には嫁いだはずの娘達の家族が隣のアパートで暮らしていて、食事も毎日実家でしている。そんな中に私が行くと私の気の休まる暇は皆無に等しいだろう…あぁ、どうしよう。9月までに広くて安い物件を探さなければ…
2007年03月28日
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昨年の12月中旬に三女を出産してから我が家にはなぜか病人ばかり出ている。まず、次女が寝ているときに咳込んでむせて食べた物を戻すようになった。とりあえず病院に連れて行っていろいろ検査をしたら小児喘息であることが分かった。喘息ってかよわい女の子のイメージがあるがウチの次女はかよわいには程遠い体格をしている。が、体格には関係ないようだ。たしかにお腹にいる頃から前置胎盤や切迫流産・早産を繰り返し必要以上に病院に行く羽目にあった。生まれてからも退院してすぐにとびひになり、その後も急に39度の高熱を出して救急病院に行った。食欲旺盛、大暴れ、いたずら大好き!それなのに風邪をひくと長引いて治りづらかった。三女を出産してから三女はずっと機嫌が悪く体調をくずした。私の関心が三女に向いてしまうのを防ぐためのいわゆる赤ちゃん返りと思っていたが、胸の音がゴロゴロ痰のからむような音になって、さすがにおかしいと思って調べてもらった結果が喘息だった。先生には「長引きますよ」とは言われていたがこんなに長いトンネルとは…とにかく寝ているときに咳込むと80%の確立でもどすので寝床にはつねに洗面器を常備、次女が咳込むと洗面器を次女の口元に持っていくって日々が続いた。時には授乳中で間に合わなくて布団を汚された。いや、洗面器に無事吐いてもらうことは少なかった。毎日毎日夜中にシーツを剥ぎ、嘔吐物で自分も汚れてしまった次女をシャワーで流し…という日々だった。病院に行くとそこで新たに病気を拾ってきて、2月になってからはプール熱になり、高熱が続き病院で何時間も点滴を受けた。治ったかと思ったら、今度は咳込まずに吐くのでまた病院へ…ロタウイルスだった。2日間病院に通って点滴を受けた。そしてそれもやっと治ったと思ったのにまだゼーゼーが続く。調べてみるとRSウイルスだった。あまりに病気ばかりして、13.5キロあった体重は一気に11.4キロまで落ちて顔まで小さくなった次女。本当にかわいそう。次女を毎日のように病院に連れて行っている間は長女と三女はダンナの実家に預かってもらったりしていた。母乳を与える時だけ旦那の実家に行くような日々だった。そうこうしてるうちに三女も高熱を出した。風邪薬を貰ってよくなったのだが3月になってから咳込むようになった。年寄りがむせるような咳になった。さすがにおかしいと思って病院へ…百日咳だった。レントゲンを撮ると気管支炎になっていることが分かった。三女も毎日次女と同じくネブライザーをしに病院へ。しかし、三女の夜中の咳がひどく、救急病院へ…三女は百日咳に加え、次女からRSウイルスが感染ったようだ。そして20日深夜、ついに入院…ダンナは仕事だし、いつも子供達を預かってくれるダンナの実家はダンナの両親が東京に住む大学生の義弟が卒業式のためちょうど20日から24日まで東京へ…なんとか実家の両親に来てもらって実家に長女と次女を連れて行ってもらった。三女は小さい手の甲に点滴の針を固定され退院直前まで点滴を繋がれた。相変わらず夜中は咳込み、血中酸素の値が89まで落ち込み、2日間酸素をあてがわれた。かわいそうで見てられない。小さい頃私が高熱を出して苦しんでいると母が「代わってあげたい」って言っていたがまさにその心境だった。私は病院のベビーベッドでくの字に曲がりながら添い寝をして看病した。体勢はきつかったが家に居たときのように次女の咳込みと三女の咳込みで飛び起きて眠れない日々を過ごすよりましだった。看護師や医者が適切な治療を施してくれる。おかげで私は家にいる時より眠れた。そして23日、やっと退院できた。これがトンネルの終わりであることを願うばかりだ。
2007年03月24日
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今日、興味は無かったがお客が少ないと言うことでダンナに頼まれて、何年か前まで「ニュース23」の筑紫さんとともにキャスターを務め、途中、外交官との不倫写真を撮られ番組を途中降板した現在小説家「○村かおり」さんの講演会を聞きに行った。「心と心の結び方」という題で外国に暮らした話が主であった。その中で、いじめ問題に触れていた。彼女もそうとう苛められたらしい。アメリカ留学中、英語を身につけるためアメリカ人の友人を多く作り、日本人留学生とつるまなかった彼女は同じ日本人の留学生達から聞こえるか聞こえないかの声で「非国民」とか「ばいた」などと陰口をたたかれたそうだ。外交官の旦那様と世界各国に移り住む時も当初まだ旦那様と入籍していなかった彼女は大使夫人やその取り巻きから無視されたりしたそうだ。キャスター時代もアナウンサー同士の足の引っ張り合いなどで苛められた話をしていた。それを聞いただけならそれを克服して今に至る彼女をスゴイと思うのだが途中ゲンナリしてしまった。キャスター時代、姉と慕っていたほどの「○雲孝江」さんが番組内で彼女の悪口を言って、ほかでも自分の悪口を言っていたという。驚いたのは「○雲孝江」さんのことを名前を伏せずに三度ほど言ったこと。前述の大使夫人の名前も伏せずに言っていたこと。人間誰しも嫌いな人はいるだろう。人の悪口を言うのはいい。友人同士の話など内輪の話に止め、別に公の場でなければ…だが、今日のような講演会、しかもお金を払って聞きに来ているのに人の悪口かよ!とがっかりした。題も「心と心の結び方」じゃなかったっけ?最後の最後に自分の書いた本をしっかり「良かったら購入してくださいね」と宣伝してるのにも一種の浅ましさを感じた。
2007年02月10日
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先日、世界バリバリバリューでお金持ちセレブに「百円均一ショップで買い物をしたことがあるか」という質問に13人中12人が「YES」と答えていたのを見た。お金持ちの皆さんでも利用する俗に言う「百均」。ビンボーな私達家族には無くてはならない存在である。だがしかし、たまに首を傾げたくなる商品もある。「なんで、こんな柄なんだろう?」「なんで、こんな色なんだろう?」「なんで、こんなサイズなんだろう?」我が家では台所用のビニール袋にダイソーのポリエチレンの袋を愛用している。洗った野菜などを入れるのはもちろん、生ゴミを捨てたり、お手洗い付近にはもう1パック置いてあって次女の臭いウンチのついた紙オムツ等を密閉して捨てたりするのにものすごく重宝している。こういった捨てるものを包むのだから本来はスーパーのレジ袋などでもいいのだが、スーパーのレジ袋では買い物から帰る間に商品で袋が傷つき穴が開いていることが多い。生ゴミのような水分が出るものや、使用済みの紙オムツ等ニオイが出るものはピッチリ密閉したいので絶対に必要だ。ただ、欠点は静電気を発しやすく、取り出しにくいこと。ダイソーにはたくさんのポリ袋があるが最近このようなものを見つけて即、購入した。「すごい!ラップみたいに取り出せるって便利やん!」そう思った私であったが家に着いていざ使おうとしたらガッカリした。ことのほか使いづらいのだ。その理由はサイズが30×30の両サイドに5センチのマチ付。開くと丈より開き口のほうがデッカイのである。汚れた紙オムツを入れてみたら口が大きすぎて中に入れたはずの紙オムツがポロッとこぼれ落ちてしまう。ゲンナリしてしまった。ダイソーってこんな商品が多い。きっと100枚というお得感とラップのような取り出しやすさを両方採用するために、しかも末端価格が105円にするにはこのサイズにするしかなかったのだろう…それにしても安易な商品開発だ。開発した人間はこれを使ってみたのだろうか?
2007年01月27日
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三女が生まれた日次女の機嫌が悪かったらしい。確かに泣きべそばかりだった。しかし、今は三女が泣くと一番に駆けつけあやしている。お姉さんになったという感覚があるらしい。1歳8ヶ月でお姉さんになってしまったのだから本人も色々心の葛藤があるだろうに…寝ていても隣で三女が泣けば無意識に「よしよし」という感じで三女の胸をトントンと叩いてあげている。本当に可愛らしい。昨日から次女はオシッコだけなぜかトイレでするようになった。本当に突然だった。私も三女の世話で忙しいのでトイレトレーニングなんて今年に入って三度くらい補助便座に座らせただけだったのに…突然「しっこ!」と言ってズボンとパンツを脱ぎだしてトイレの前に行った。本人の意思を折ってもいけないので忙しかったがとりあえず座らせてみる。すると本当にオシッコをした。髪の毛がクシャクシャになるほど褒めてやった。すると毎度のようにオシッコをトイレでしたがるようになった。私は余計に忙しくなったのだが嬉しかった。この次女、とても手のつけようが無いお転婆娘なのだが少々風邪をひきやすい体質だ。身体はとても大きくよく食べるので全くそういう風に見えないのだが風邪をひくとなかなか治らない。痰がからんで胸がいつもゴロゴロなっている状態だ。ひどい時はこの痰のせいで咽て食べたものをすべて吐き出す。それが就寝時にあるので何度も布団に嘔吐された。雨の日などたまらない。あまりに酷いので病院に連れて行くと喘息用の薬を処方された。喘息にならないようにとのことだ。今日、熱も出たので病院に連れて行った。臨月に入って出産も終えてからはダンナが次女を病院に連れて行っていたのだが今日はどうしても仕事で抜けられないので三女はダンナの実家に預け、私が病院に連れて行った。先生はこの風邪がよくなるまでに2週間以上掛かることを説明した。その時に喘息がなんだとか仰るので「え?この子、喘息なんですか?」と聞き返した。「はい、小児喘息ですね。あと1年位したら自然に喘息も治ることが多いですが、まれにそうでない子もいます。念のため、この風邪が治ったら血液検査をして見ましょう」と言われた。こんなに元気なのに…はやく良くなるといいなぁ
2007年01月26日
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今回で3度目になる私のお産。陣痛で病院に行くたびに「浣腸どうします?」と聞かれる。腸の中に便が残っているとお産の時に便も出てきて不衛生なので分娩前に出しておくってのが常識らしい。妊娠中は便秘症になると言うが、もともと便秘どころか快便過ぎて下しやすい体質の私。毎度のこと丁重にお断りしている。上の子二人のお産の時はたまたま担当の助産師が同じ人だったのだが、今回は以前と違う見たこともない人だった。だから「浣腸は?」と聞かれて、下しやすい体質であることを説明しなおして前回と同様浣腸は勘弁してもらうつもりであった。ところがこの助産師、私が痛みの合間にやっとの思いで説明して、「はい、分かりました」と去っていったのに、暫くして戻ってきて「お産の妨げになるので、やっぱり浣腸しましょう」と有無を言わさない様子で浣腸セットを持ってきていた。私はしぶしぶ応じた。「ハイ、身体を横に向けてくださぁい」と横向きにされた。まさに、まな板の上の鯉とはこのことである。32年間生きてきてはじめての浣腸である。身体の中を駆け巡る浣腸の薬剤は私が想像していたものより量が多かった。肛門に管みたいなものを挿入され、その先から注射器でかなりの量を注入されたとおもう。学生の頃薬局でバイトをしていた時に見た事があるのだがイチジク浣腸と言う様に小さなイチジク状の容器に入ったものだと思っていた。便秘で困っている方々には失礼だが、箸が転がっても笑えるような年頃だった当時の私はこの浣腸をレジを通すたびに笑いを堪えるのに必死だった覚えがある。あの時に笑った事にバチが当たったのかと思えるくらい浣腸は想像以上に辛かった。注入後、助産師が「はい、トイレに行ってください」と言うのできょとんとしていたらすぐに恐ろしい波がやってきた。明らかに陣痛の波とは違う痛みだった。下剤などのように緩やかではなかった。私はトイレで用を足したが途中陣痛の波も来て何がなんだか分からなくなった。「ただでさえ陣痛の痛みもあるのにどうして下痢の痛みまで耐えないといけないのか…」私は神を恨んだ。数分後、すべてを出し切り、私はフラフラになって陣痛室に戻った。その後、何度かの陣痛の波をうまい具合に乗り越え、破水したので分娩室に向かった。今までの出産では最後の最後まで破水しなかったので分娩台に乗ってから人口破膜された。が、今回は陣痛室でパチンという音とともに破水。分娩台に乗るまでに物凄い勢いで大きな陣痛がやってきて自分で分娩台に乗るのも苦労した。そんな中、私に再び不幸が訪れた。こんな無茶苦茶な痛みの中、再びあの痛みがやってきた。出し切ったと思った下痢の痛みだ。やっとの思いで分娩台に乗って足はガクガクなのに、下痢の痛み…もうどうすることも出来なかった。「すいません、便が出ちゃいました…」私は小さな声で搾り出すように訴えるしかなかった。明らかに助産師たちの顔が引き攣っていた。出産に立ち会うダンナも入ってきて、私は痛いのと恥ずかしいのとで訳が分からなかった。しらばっくれようかとも思ったが、このニオイごまかせる筈も無い。「ウンチ出ちゃったよ!」小さな声で白状した。ダンナはそんなことどうでもいいのか私の手を握った。その下で助産師達は私の粗相を始末していた。恥ずかしいが私にはどうすることも出来ない。前述の通り何度かいきんだだけで三女は無事に生まれてきた。後日、病室に、上の子二人の時に世話になった助産師が来たので今回のエピソードを話した。浣腸のせいか、その後のお腹の調子が悪く、一日に8回もトイレに行くのだと…その後の申し送りでその助産師が今回私の担当の助産師に話したのか、後ほどこの助産師も病室に来て「浣腸のせいでお腹の調子が悪いそうですね。今は調子はどうですか?」と聞いてきた。「何とか大丈夫です」と答えると、「今度から、そう仰ってくださいね」まるで私が悪いみたいだった。私は確かに、下しやすい体質であること、浣腸はしたくないことを訴えたはずなのに…本当は頭に来てこの助産師のことでクレームをつけたかったが、上の子二人で世話になっている病院ともめたくなかったし、先生や他のスタッフも大好きなので、口の中から出そうなパンチをぐっと堪えた。こんなことで揉めて私の住む街にたった2軒しかない産院を営業停止なんかにさせたりしたらこまる。このように出産は本人の意思に反していろんなことが起こるのだ。世の男性方!お産の時にウンチも一緒に出産してしまっても、出産はやはり女にしか出来ない神秘的な生業なのだ。
2007年01月25日
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昨年12月14日に待望の三女を出産して今日で1ヶ月だ。上の二人が三女にちょっかいを出してそれを防御するのに奮闘する毎日だ。今回のお産はとても進行が早かった。13日の午前中、甥っ子と姪っ子のクリスマスプレゼントを買うために大きいお腹を抱えて次女と出かけた。玄関の鍵を閉めていると次女が逃げ出した。階段が危ないので私も慌てて次女の後を追うと案の定次女は階段から落ちた。2,3段頭を下にして回転した。これ以上行くと危ないという時に私がこの身体でよく捕まえられたと自分でほめたくなるような方法でキャッチしていた。これが良かったのだろう。お昼過ぎにトイレに行くと「おしるし」らしき出血が…その1週間ほど前から痔で出血があったので「どうせまた痔の出血だろう」と待てど暮らせど来なかった陣痛にイライラしていた私は思ったのであった。痔の痛みもあったので午後からダンナの実家で子供達を預かってもらっていたのだが迎えて帰ってくるはずのダンナが遅くて子供達も夜10時近くに眠ったままやっと家に帰ってきた。ところがそれから1時間近くしてお腹の張りが頻繁になり間隔も開いていたので病院に電話をしてまた子供達をダンナの実家に預け、私とダンナは病院に向かった。前回の妊娠と違って普通の生活をしていたせいかお産の進みも速く、陣痛の波もベッドではなく立って乗り越えていたので楽だった。病院に着いたのが12時過ぎだったのに、午前4時4分私はなんと3610グラムのビッグな赤ちゃんを会陰切開も無しに無事出産した。お産の進みは早く超安産だが、もう4人目なんて絶対に産むまいと心に誓う私であった。
2007年01月14日
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大潮が明日までだが、まだ赤ちゃんは生まれてこない。先週の検診で前回の検診の結果が伝えられた。血の気の多い私は貧血とは無縁だった。ところが、今回の妊娠で初めて下の病気になった。カンジタ性膣炎だ。要するに産道にカビが生えているのだ(汚い!!)妊娠後期になっておりものが多くなって気持ち悪いのでしょっちゅう洗っていたのだが、これほど清潔に保っているのに痒いことがあった。先生は「妊婦にはよくあることです。誰にでもカンジタはあるのですが自浄能力があるのでバランスが保たれてるのに、妊娠中は抵抗力も弱るので菌のほうが勝ってしまうんですよ。あと、洗いすぎも原因になりますよ。自浄能力が弱ってしまいます。」と仰っていたがかなり凹んだ。先週はこんなやりとりで病院を後にして、帰りに薬局でカンジタの薬を貰い、1週間がたったのだが、昨日からお尻が痛い。前回も脱肛になっていたのだが痛みも無く出産後はすぐに戻っていた。が、今回は1週間ほど前から脱肛気味になり、昨日から痛み出した。今朝は長女のお弁当会のため、早起きしてお弁当を作ったのだが痛くて仕方がなかった。先日から前駆陣痛も頻繁で、重い生理痛のような痛みと、恥骨痛、腰痛、そしてこのお尻の痛みが酷くて気が遠くなりそうな中、なんとか弁当を作った。長女を幼児園に送って次女を義母に預け、フラフラしながら病院へ行った。看護師に「痔になったみたいです。お尻が痛くてたまりません」と訴えた。診察の時に内診されて痔も診られるのかとヒヤヒヤしていたら先生は「痔になりましたか、お薬出しときます」と診もせずに薬を処方してくれた。家に帰ってすぐに薬を(塗布&注入)したのだがすぐには痛みはひかないようである。お腹が張っている時などはお尻の痛みと重なると私の動きはフリーズされる。ネットで調べたら傷みが取れるまで1週間くらいかかるみたいだ。こんな状態で陣痛が来たらちゃんといきむことが出来るのだろうか??
2006年12月07日
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定期健診で病院に行ってきた。赤ちゃんがデカイ(毎回言われること)以外すべて順調。もういつ出産してもいいらしい。問題は入院の準備を全くしていない(というより、出来ない)こと…赤ちゃんの肌着をもう一度引っ張り出して洗濯しておかないといけない。私の入院用品の購入もまだだ。買うものもいっぱい…シャンプーやリンス、ボディーソープ、洗面用具はもちろんだ。産褥セットは大体病院からもらえるやつで足りるのだが、母乳パットやら、清浄綿、生理用ナプキンなども買い足しておかないと1週間の入院期間にダンナに「買ってきて」なんて頼んだら酷だし…3番目の子供の服を入れる4段くらいの衣装ケースなんかも買いに行かないといけないだろう。その服を押入れから引っ張り出して洗濯しなおしておかないといけないし、その作業の前に大掃除をしないといけない。日曜日にダンナが休みをとってくれるので重いものなどを任せられるのだがさすがに子供達がいると作業が捗らない事は誰が考えてもわかることなので子供達を預けることにした。はじめはダンナの実家に預けようかと思ったのだが、ご存知の通りダンナの実家にはウチの子を含めると9人の孫達が勢ぞろい。私は普段から自分の子は自分でみているのだが、義妹たちはダンナの実家の隣にアパートを借りて住んでいるので朝から晩までダンナの実家にいるのだ。義母は毎日その世話に追われ可哀想なので私の実家の母に相談し、先程子供達を高速道路で1時間程度の距離にある私の実家に日曜まで預かってもらうために迎えに来てもらった。ということで今、子供達は私の傍にいない。いつもなら発狂しそうなくらいうるさいのに、今はホントに静かである。今からでも掃除をしたい気分だが明るい方が掃除も捗りそうなので明日朝から布団を干して洗濯をして、掃除機をかけ、拭き掃除に、トイレ掃除、風呂場の掃除まですべてすませてから、買い物に行き、必要なものをそろえよう。日曜はダンナに箪笥の移動、ベビーベッド(ネジも外してバラバラ状態)を組み立ててもらったらいつ赤ちゃんが生まれても大丈夫という状態になる。がんばるぞ!!
2006年11月24日
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ダンナの休みが無くなってはや、1ヶ月が過ぎた。早く帰ってきてくれたらいいのだが、朝4時くらいに出かけたり、夜中の1時に帰ってきたり…ダンナが忙しいのは分かるがダンナが無事に帰ってこないと眠れない性質の私には結構こたえる。それに家事・育児がすべて私の手に掛かっているのである。普通の身体ならなんとか頑張れると思うが身重で(しかも今日から37週)自分の身体を支えるのも辛いってのに子供達の世話なんて…地獄の日々である。眠ってもお腹の重みで気分が悪くなり、すぐに起きてしまう。先日、あまりに眠れなくてビールを1杯ひっかけて眠りについたら、酔いが回ったのかいつもより身体が軽く感じて軽快に寝返りを打ちまくった(普段は気をつけながら寝返りをうつ)。すると下腹部が攣るような痛みが走った…が、酔いのせいか熟睡してしまった。翌朝起きてトイレに行くと立ち上がる動作がどうもキツイ。朝食の支度をしようとキッチンに立つが痛くて涙が出てくる。まともに立っていられないのだ。とにかく横にさせてもらってこの日だけは次女もダンナの実家に預けることにした。トイレに立つのもつらいので極力水分も控えて昼前まで横になった。痛みの原因がだんだん分かってきた。前日の軽快で無謀な寝返りでどうやら子宮を支えているじん帯を痛めてしまったらしい。痛みが取れるまでだいぶ時間が掛かった。しかし、ダンナの休みは一向に取れずにいる。もう、そろそろ限界でダンナの職場に「妊婦を殺す気か?」等の文句を書いた怪文書をFAXで流したい衝動に駆られている。
2006年11月19日
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再びの検診の日がやってきて無事逆子も直っていたのだが、ここ4日ばかり気分がすぐれずに吐くことが多い。ダンナも文化関係のオンシーズンで忙しくなってきていて当てにならないし…おえぇぇぇ!誰か助けて~!
2006年10月22日
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金曜日、また産婦人科での検診の日だった。今回はショーツの前後も確認してバッチリだった。前回行った血液検査でも貧血無し!何もかも順調だった。しかし、エコーを当ててみると赤ちゃんが逆子になっている。今までは妊娠7ヶ月ごろに逆子になったのだが、今回は8ヶ月に入っているのでさすがに先生も「うーん」と唸って「逆子体操(胸膝位)をして下さい」と仰った。前回の妊娠でも同じ体操をしたのだが、これが結構辛い。胸を床につけ、お尻だけ高く上げるというポーズを1日2回~3回、1回10分、行う。その後、身体の右側面を下にして横になって休むのだが、なかなか出来ない。と言うのも前回は7ヶ月後半頃に同じ事をさせられたのだが、お尻を高く上げて胸を床につけると、横から見たら滑り台のようになる。案の定、長女が身動きの出来ない私の尻の上に乗り、そのまま私の後頭部めがけて滑り降りてくる。普通の身体の時はそんなに苦しくないのだがお腹の迫り出した妊婦には非常に苦痛である。前回と同じようにハガキサイズの逆子体操のカードを渡され、憂鬱な気分で家路についた。検診の間、次女を義母に預けていたのでダンナの実家に行くと義母に「悪いけど、これ、払ってきてくれるかな?」と携帯電話の料金の支払いを頼まれた。義母からハガキと料金を預かって近くのローソンへ行った。レジへ行き1万円と請求のハガキを出したのだが「は?」と店員が怪訝そうな顔で私を見た。そうだったのだ…私が出したのは請求のハガキではなく逆子体操のカードだったのだ。
2006年10月16日
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