2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全4件 (4件中 1-4件目)
1
☆ ようやく、普通の風邪ひきダウン程度に回復してきました。 昨日で、処方されたタミフルなどの薬を全て飲み終わって、なるほど、よくしたもので、その頃には、呼吸もかなり楽になり、昨晩、やっと、トイレに起きる以外には、苦しくて体を横たえられないなどの理由では、一度も起きることなく、一晩眠ることが出来ました。 今朝になって、まだ咳も普通の風邪引き程度はあるものの、「ああ、楽になった。そうだ、普通ってこんなに楽だったっけ。」と思い、普通であることの楽を思い出してみて、なんだ、やっぱり、インフルエンザ中は、かなり苦しかったんだなぁと分かりました。 実は、もっと頑張らないといけないんじゃないか、これは怠けてるんじゃないのか、私の頑張りが足りないんじゃないのか、って、実は結構、申し訳なさ全開。引け目に感じながら養生していたので。 でも、あれだけしんどかったなら、やっぱり、これは休んでいて正解だったなって、普通に近くなってきて、思えました。よかった、よかった。 ちなみに、前回のブログに、大学時代の髄膜炎&脳膜炎体験をちょこっと書いたけど、あの後のことを少し書きたくなって、今PC開いてます。 丁度、土日などが上手く連なって、ゴールデンウイークがかなり長かった年の出来事でした。 一人暮らしの大学生が、「贅沢にもタクシー使って終日診療の病院へ」なんて発想は無いわけで、連休明けるまで、ひとりで市販薬を飲みながら頑張ろうと考えるのも無理なく、そうやって、一人で踏ん張っている内に、悪化させてしまったのだけど……。 ひとり、って書くと、とっても孤独みたいでしょ。でもね、私の大学生時代は、すごく幸せでした。 もちろん、何もかも毎日バラ色なんてことはなく、悲しいことも嬉しいこともあって、ってことは、陰と陽がバランスよく、それはつまり、完璧に幸せだったってことです。 大学在学中も、卒業してすぐも、あの時代は、最高だったと思っていて、「あそこは最高のクレージーパラダイスだったよ」と言っていたけど、今もそう思う。 子どものインフルエンザ対策にレンタルDVDを大量に借りたのだけど、たまたまレンタル半額セールだったので、自分用に、一作品だけ「オレンジデイズ」という古い連ドラをまとめて借りてあって、子ども発熱中(私元気)の時期、子どもが寝てるときに観たんだ。 登場人物があんなに美男美女じゃないとか、ものすごい受賞歴でバイオリンでドイツへとか、たむろしてるスペースがお洒落……とか、そういう違いはあるけれど、 でも、あの内容くらいのことは、それ以上に全部私の回りにあったよ。って、マジで思う。 いつも、授業の無い時間は部室にたむろしていて、その仲間たちの中での恋愛もあれば、就職もあり、悩みもあれば、よくみんなでドライブに行った。 夜中の横浜、明け方の日光いろは坂、飛行機の離発着が真正面から見える羽田の公園。丹沢のキャンプ。尾瀬、北海道、山陰、……何日もかけての貧乏旅行。 色んな人がいて、才能だとか、凡人だとか非凡人だとか、本気でケンカになったりするけど、今の人間関係みたいに、人間としてイヤらしいひとがいなくて、みんな、まっすぐ過ぎて損を見ると分かっていることでも、バカだと言われても、人間として譲れないことは譲らす、本当に信じられる仲間達だった。 あの髄膜炎のとき、約一週間ひとりで耐えて、病院へたどり着いてみたら、結局入院となり。 私は3人兄弟の末っ子。私が大学生ってことは、兄たち二人は、もう社会人で、それぞれに職場の独身寮に住んでいた。 一人は神奈川、一人は埼玉にいて、勤務の都合が付くときは、私の入院先へ来て、入院道具を揃えてくれたりした。 両親は仕事があって、3日間ほど上京してきてくれたけど、ずっと東京に居られるわけでは無かった。 そんな中、兄たちが来られないところを、大学のその仲間達が、都合がつく人が来て、男女、学年の上下にかかわらず、高熱でうなされている私の、多分タオルとパジャマとパンツ?(朦朧としているので、私自身はよく分かっていない)の洗濯をして、干して、取り込んで……ってしてくれてた。 あの時代、私は全然ひとりじゃなくて、本当に最高の仲間達に囲まれてた。 あれから20年以上。年賀状は、段々宛先不明になっていき、連絡が取れなくなった仲間も多いけど、でも、今会っても、すぐに全く心の垣根がものすごーーーく低い状態で、安心してすっと話せると思う。 住所なんて分からなくても、信頼には何の影響もないというか。 あの時代に出会った仲間達と、いっしょに過ごした時間に、今でも感謝してるし、支えられてると、今回のインフルエンザ騒ぎの中、オレンジデイズが呼び起こした、髄膜炎&脳膜炎入院を支えてくれた仲間や兄弟との思い出を、ちょっと書いてみました。
2009.01.25
コメント(0)
☆ ビンゴーーー!でした。ええ、ええ。 しっかりあの後、インフルエンザA型発症いたしました、私。ふうぅ。 いつも、PCの前にあまり座らないので、ブログの更新もぼちぼちなんです。皆さんのところへは、大抵携帯から立ち寄らせて貰っていて、携帯でポチポチと入力するのが面倒で、なかなかコメントも残して行かず、という状況だけど、でも、画面のこちらでは、共感したり話しかけたりしてること、多数。 前回のブログは、丁度、どうしてもその日PCでデータをやりとりして対応しなければならない仕事があって、そのため、子どもがインフルエンザなのに、夫に頼んだ隙にPCの前に座った次第。 書類関連の仕事、こういうときに限って、プリンターが紙を上手く遅れなくなりエラー続き。それを直そうと挑んでいたら、インク切れ2色で、またまた止まる。自分の体調も良くなく、子どものことも、夫に移る危険性も……なんてときに、プリンターの ばーーーーーかーーーーーーーぁ! でも、頑張らねば…。そして、何とかプリンターにも向き合い、書類にも向き合い、確認の電卓にも向き合い、スタッフとの連絡や渡す準備もして、ほよほよほよほよぉ……。というのが、前回のブログをチョチョッと書いていたとき。 いやぁ、ギリギリでした。不幸中の幸いというか、やっぱり、小さな幸せというか、これも、ありがたいこと? だよねって感じで。 はいっ。 あのブログ後、2時間経って、熱出ました。というか、急上昇。あっという間に、39℃でした。 もう、確信100%。インフルエンザA型、うつったよね…。ああ、書類の仕事、とても大事な仕事だったので、しんどくても、まだ熱で朦朧とする前に滑り込みセーフ! 超ラッキーでした。神様、ありがとう。(^_^)v 夫、どうしても仕事休めず、子どもはまだ外出させられず、実家の母に、色々調整つけてもらい、マスク購入後に来て貰いました。子どもに付いていて貰って、家から一番近い(徒歩だと15分くらいかかるかも…だけど、車だと5分以内かな)病院へ、自分でゆっくりゆっくり運転して出向き、即検査。「インフルエンザA型出てますので、こちらでお待ち下さい」と、他の患者さんから離れた場所へ。 タミフルやその他の薬、5日間分処方して貰って、院外薬局へ。「タミフルでの異常行動について耳にしたことがあると思いますが、出来るだけ、常に家族が側に居る状況で過ごしてください」との説明。 はぁ、もし私が異常行動を起こして走り出したとしても、3歳の息子には止められないと思いますがねぇ…と、思いつつも、そんな返事されても、お仕事として話している薬剤師さんもお困りになるだろうから、心の声は封印して、「はい。分かりました」と答えておく。 ええ、あらかじめ、こりゃうつるだろうなぁと心づもりもあったので、速攻病院へ行って、タミフル飲み始めたのも早かったせいで、高熱はすぐに押さえられ、大学時代、一人暮らしで耐えていて、ウイルスと菌の両方が入った髄膜炎から脳膜炎へ進行して約1ヶ月高熱が続き、麻痺が出たことがあったので、今回もそういう感じのしんどさを覚悟していたら、あっけないほど。 でも、熱以外の症状が、かなり辛い。喘息の薬を常用しなくてはならなかったかつてほどではないけれど、こういうときは、かなり喘息が辛かった当時の症状が出る。 寝ようと体を横たえると、アンダーバストあたりから喉までの気管支が、ゼーゼーゴロゴロいいながら、血の味と匂いがする、お久しぶりの苦しい息と咳。そして、その咳き込みがきつくなると、全身に剣山で刺したようなビリビリした痛みが走る。 この症状が、今回のしんどさの中では辛かったな。 なのに、仕組み的に、母は養生できませんでした。インフルエンザの子ども(特に3歳過ぎたばかりの猿化した男児)を看護する母がインフルエンザを移されるってことは、こういう構造になっているわけね……、諦めるしかないのね、と、思いましたね。 何たって、ちょぴっとグッタリしたりする、子どもの高熱が、ほぼ収まりかけた段階で、こちらが発症して、高熱などなど、症状的にピークなしんどさが来るわけだけど。さて、その頃、子どもは少しずつ回復し、熱も下がりだし、病人で居ることにも飽きてきて、遊びたくなるわけだが、他人様にうつしてはいけないので、熱が完全に下がって一日中平熱であった日が3日続いた後の、4日目朝からでないと、出歩いてはいけないと、小児科で言い渡されておりまして………。 どれほどゴーオンジャーのDVDを観放題にしても、自宅にある「働く車」系や「新幹線」系・「トミカ」系・「アンパンマン」系・「しまじろう」系のかつて観倒したDVDを引っ張り出してきても、やっぱり、さすがにDVD観ること自体に飽きるわけで。そもそも、自宅に籠もりっぱなしってことに飽きるわけで。 猿化した3歳男児を、1週間自宅の居間だけで閉じこめておくのに付き合うってことは、母は常に絡まれているわけですよ。 それが、自分のインフルエンザ発症で、症状が一番辛いときに重なる、「しくみ」なんですよね。 ええ、ええ、そうですよね。朦朧と耐え抜くしかないんですよね。 嘔吐下痢で子どもが入院したときも、24時間付き添いで泊まっていた病院で私も発症して、どっちが患者ですか…状態だったなぁと、思い出したけど、まだ、0歳児の時は、泣いてるか寝返りでベッドから落ちないようにとか、そのレベルしか子どもが動かなかったので、今思えば楽だったなぁと、遠い目でぼんやり思ってました。 まぁ、でも、3歳になって、猿化したと同時に、事訳も多少理解出来るようになってきたところが救いで、「ママも、宝良と同じ病気になって、今はしんどいから、なるべくママも休ませてね」と言うと、どうしても甘えたい時以外は、出来るだけおもちゃなどで一人遊びをしていてくれた。我慢してくれてたかな。 そして、やっと、今日から息子は晴れて外出可になり、1週間ぶりの保育所へ。 私はまだタミフル服用中で、ピーク時ほどではないけど、まぁまぁしんどい。 毎晩、仕事帰りに、夫がお弁当とお総菜などをスーパーで買ってきてくれて、彼なりに一生懸命支えてくれた。 例えば、今洗濯機がモリモリで大変な状況にあり、もう洗ってある自分の冬用の肌着が無いというと、乾燥機能がある洗濯機なんだから、とにかく、洗剤をセットして、スイッチ押してくれれば、何とかなるのに……とか、思うのだけど、「足りなくなったから」と新しいのをお店に寄って買ってくる。 いや、別に買ってもいいけどさ、一応私、今インフルエンザで体辛いんですけど、洗濯もの、少しでも減らしておいてあげようとか、思わないのかなぁ…。どんどん、洗濯物を増やしていくのかなぁ……、と、ぼんやり思う妻。 男の人って、ま、そういうものなんだろうな。悪気は無いんだよ、いい人なんだよ、よく頑張って支えてくれてるんだよ、気づかないだけなんだよ、……ね。 そうそう、インフルエンザの検査結果を待っているとき、病院の待合室で何となく思ったこと。 中年以降の男性が患者さんの時って、ほとんど、奥さんが付いてきていて、いっしょに診察室に入っていくのね。うちも、夫を夜間救急に連れて行ったりするのは、私なので、夫の診察のとき、私も一緒に入って後ろで立ってたりする。 でも、逆のパターンって、結構少ない。中年以降の女性の患者さんは、大抵、一人で待合いに座っている。今回の私も、自分で車を運転して、自力で外来へ行って、自力で院外薬局で薬を貰って、自分の足で、「頑張れ、あたし」と心の中で唱えながら歩いてた。 日本でお母さんやってると、こんなモンなんだろうなぁ。 実家の人手的な援助が全く得られない状態で、シングルマザーをやっているお母さんたちが、こういう状況になったときって、もっともっと厳しいと思う。 昔、髄膜炎したとき、コンビニへ食料買いに行くのも、薬局へ解熱剤買いに行くのも、手持ちの現金無くなって、ATMへお金をおろしに行くのも、解熱したときにぐしょぐしょに汗をかいてしまったパジャマを着替えて、溜まりに溜まった洗濯を何とかこなすのも、連休が明けてやっと病院へ行けると、コート羽織って病院へ向かって歩いていったときも、そのまま入院になったときも、一人暮らしだったから、自分でやるしかない。 自分の責任だけで、働いて収入を得て子どもを育てていて、子どもの看病をしつつ、自分がうつってしまって自分が高熱が出ても、そうやって頑張って生活しているお母さんたちは、あのときの私みたいに、苦しい体に「頑張れ、あたし」と自分で言い聞かせながら、自分の足で一歩一歩動いて乗りきっていくしかないんだろうな。 みんな、頑張っている。みんな、みんな、すごく頑張っている。 子育て支援の仕事をしたいと思うようになった頃の、周囲のお母さんたちへの尊敬と共感と連帯感を、ちょっと思い出したりしてた、インフルエンザ生活でした。 私はまだタミフル飲み終わってない段階だけど、今日から子どもが保育所へ行ってくれたお陰で、今日、やっと体が休められた感じがする。 仕事関係では、いっぱいカバーしてもらった。「早く良くなって下さいね」と優しい言葉といっしょに仕事をカバーしてくれる人が居てくれて、本当にありがたくて嬉しかった。大抵は、嫌な顔してあからさまに迷惑とか言う人の方が多いからね。たまにこういう、人の優しさに触れると、ものすごく嬉しいね。
2009.01.22
コメント(4)
☆ 戦々恐々です。 まったりと、それなりに平凡ながらいい静かなお正月を迎えられたと喜んでいたところ、さて、通常営業なり~と気合いを入れた、1月5日(月)の朝、夫が食欲が無くてだるいなぁと言う。 お正月休み疲れ? とか話しながら出勤していき、夕方、帰宅後、お腹の具合も良くないと、正露丸を飲んで、ボーっとするといいうので、何気なく熱を測ってみたら、38.0℃。 ありゃりゃ、もう夜だし、わざわざ救急へ出向いて他の病気を貰ってくるリスクを侵すほどでもないと判断し、私が薬局へ風邪薬を買いに出かけて、それを飲んで、さっさと2階で寝るようにする。 が、しかし、ハタと気づき、あれっ?お腹の調子が悪い、節々が痛いとか何とか言ってたな……。(ってことは、全身症状アリってことだ)そして、いきなり38℃越えてきた。まして、この季節。初詣とか人混みへ行ったし。 もし、インフルエンザだったら、48時間以内に受診すると軽く済むって言うけど、今朝から具合が悪くなって、このまま家で様子見て、明日、休めないからと無理して仕事に行ってたりしたら、時間経っちゃうかも……。 と、考え直して、急遽、夫を夜間救急外来へ連れて行く。(息子を、そんな病気の巣の様なところへ連れて行けないけど、ひとりで家にも残しておけないので、22時前に、急遽実家に預かって貰う) 結果は、インフルエンザではなく、ウイルス性胃腸炎での発熱とのこと。一応一安心したのだけど、息子をピックアップして帰って、寝かせる頃には、もう0時近くになっていました。 解熱剤なども処方され、39.4℃まで出た熱も、37.5℃くらいに下がったものの、所詮、薬で下がっているだけ。でも、仕事が忙しい時期で休めないと、無理をして出勤。 高熱は無くなったものの、体調は思わしくない状態の夫。そして、移った? らしき、私。週半ばに、発熱ダウン。 やっと、3連休に突入し、気持ち的にほっとしたのもつかの間。 (夫はうち2日出勤)、残りのたった1日の休みを、姑がまた、親戚とトラブルを起こして、その対処に明け暮れた。 姑がらみで、姑などの住む家(夫名義)のローンや税金、電気代・電話代・ガス・水道・NHKなどなど、すべて、支払いが夫のところへ転送されてくるなど、我が家は家計も引っかき回されているので、それを引き金にまた話が蒸し返されて、結婚12年を迎えようという今年、初めて私がイライラして、プチ家出。 と言っても、ビジネスホテル1泊4000円くらいというのは、費用対効果が、どう考えてももったいなく、実家は息子が生まれて一度も、里帰り出産はもちろんのこと、絶対にお泊まりとかはさせてくれないので、午前4時くらいまで、ガストで本を読んで居た程度のプチ家出。(ショボイなぁ…) 明け方、どうにも疲れたし、しんどいし、眠いしで、バカらしくなって、帰宅。 なーーーんて、やってた連休。最終日、宝良くんが、たまたま一緒に遊んでブロックなんかをしてた子が、風邪ひきっぽかった。 で、木曜日朝、いきなり、37.4℃程度の発熱。今度は宝良くん。熱を測っている内に、37.4~38.6って感じになり、保育所はお休み。 インフルエンザ流行のお知らせを数日前に保育所から貰ってきていたので、まだ、38℃そこそこのところでは、小児科へ下手に連れて行って、インフルエンザ貰ってきてはマズイと、家出様子見ながら、看病。 熱はあっても、元気に遊んでいた日中。しかし……、夜になって、39℃越え。コレはマズイと、久々に座薬で解熱して、様子を見る。 翌朝は、座薬のせいか、37.0℃。保育所へ行かすのは、まずいけど、熱は下がったし…と、もう一日家で看病して……なんて思っていたら、昼前にまた39℃。そして、むちゃくちゃ震えが来る状態の悪さで、機嫌も最悪に。 これは、もしインフルエンザを貰うリスクを侵しても、小児科へ連れて行くしかないか…と思ったけれど、丁度、午前と午後の診察時間合間で休診中。診察再開時間まで、待つのが愚図って待ちきれず、本当は食べられないだろうに、「イクラのお寿司とカッパ巻きと蜜柑とリンゴと梨が食べたい、どうしても~」とか泣く宝良くん。 子ども一人家に残して買いに出かけるわけにもいかず、連れて出るわけにもいかず、などとワタワタしていたら、連休最終日に一緒にブロックで遊んだ子が翌日インフルエンザと診断されたと聞き、………、うつされるかもなんて小児科行きを迷ってる場合じゃなかったと分かる。 午後の診察時間すぐ、他の患者さんがまだ来ていない時間を狙って、速効小児科へGO! すぐ別室で待たされて、検査の結果、インフルエンザA型。 ビンゴ! タミフルを使う選択となり、私、ずっと付きっきり。 体力もだけど、気持ちが弱っている宝良くん。抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ。寝ていても、抱っこ、座っていても抱っこ。 そして、フワックショーーーーッン って、唾が湯気になって私の髪の毛が濡れるようなくしゃみをその至近距離から連発。 あああああ、昔、「悪魔の花嫁」とかいうタイトルのマンガがあったような気がするけど、本当に、「病原菌そのものを抱っこ」な「病原菌の花嫁」って感じじゃ。 木金土と高熱で、座薬などを使って、やっと、本日37℃台へ。完全に熱が無くなってから、更に丸々3日は、人へうつすので、外出禁止とのこと。私と宝良の密室生活なのですが、 私、今朝から、喉が痛くて、頭が痛くて、関節が痛くて、凄く咳がひどく、でも、まだ熱は出てない。ダウンしている現実には間違いないけど、インフルエンザを貰ってしまったか、ただの風邪だけを貰ってしまっただけなのか、まだ不明。 ああ、戦々恐々。 保育所も、お稽古ごとも、公文の宿題も、ぜーーーんぶ潔くお休みで、それはそれで、ヘロヘロしながら宝良のとのランデブー?! 普段あまりテレビを観ないのだけど、熱が下がりだして、家から出ないとなると、DVDは強い味方。開き直って、レンタルDVDを大量に借りてきて、ゴーオンジャーなど一気に観倒しています。 その結果、宝良は、ゴーオンジャーの主題歌を繰り返し聞きながら歌って踊るのは好きだけど、本編を観るのは怖いのでイヤなのだそうです。(まぁ、そうだろうなぁ)でも、それってゴーオンジャー好きって言えるのだろうか(疑問) つまり、友達と同じものにハマッテ遊びたいだけなんだろうな。 お正月あけ、ゴーオンジャーのお兄ちゃんパンツでトイレトレ頑張るとのことで、大量に、ゴーオンジャーのお兄ちゃんパンツや肌着のシャツなどを110cmで買いそろえました。 キャラものってバカに高い。なのに、なのに、一式買いそろえた次の週の放映で、もうすぐゴーオンジャーが終わって、「侍戦隊 シンケンジャー」に代わるとの予告。がびーーーーん。 そうですよね、テレビって、そういうものでしたね。忘れてました。 あーーーあ。保育所のお友達がみな「侍戦隊 シンケンジャー」ブームになっても、時代遅れのゴーオンジャーパンツやシャツで頑張ってくれることを願います。 今日の写真は、そのひとつ、ゴーオンジャーのなりきり肌着セット(半袖肌着とパンツ)で、ゴーオンゴールドになっている宝良です。 そうそう、お熱な日々になってから、トイレどころではなくて、完全紙パンツマン(うんち以外)に、逆戻りのここ数日です。 さて、私の風邪は、風邪で終われるのか、インフルエンザに乗っ取られるのか………。(なるようにしかならないか。 ま、仕方なし (^^;)
2009.01.18
コメント(6)
初詣に行ってきました。 友人家族は、3人。夫婦と娘さん Yちゃん(生後2ヶ月!!)。 ああ、かわいいの。かわいいのよぉ~。本当に全身ミルクで出来ているような、甘い香りで包まれているような、女の子の赤ちゃん。 我が息子君は、妹か弟が欲しくて仕方なくて、Yちゃんが生まれる前日には、保育所で先生達に、「明日、妹のYちゃんが生まれるんで~」と宣言するほど待ち望んでいた赤ちゃん。友人の子であっても、「異父母兄弟!?」として、妹になってください状態。 保育所へ私がお迎えに行くと、先生が、「お母さん、明日赤ちゃん生まれる?」と半信半疑。(半分でも本気にされる私のおデブぶり)そこで半信半疑になっちゃうんですか……トホホ。 保育所からそのまま病院へ直行し、新生児室でYちゃんに対面。「Yちゃん、いつ、病院から宝良の家へ帰ってくるの?」と訊くので、いやいや、宝良の家には帰ってこないから~(笑)。で、「また、Aお姉ちゃんちへ遊びに行こうね」と説得していたけれど、ずっと洟垂れで、熱も咳も無いけど、赤ちゃんに近づけるには危険人物だったので、それっきり会えていなかった。 そんな状態で迎えた初詣。やっと、一緒に出かけられると大はしゃぎ。お仏壇からお供え物のリンゴを勝手におろしてきては、「Yちゃんにプレゼントするんや!」と。それならこちらの線香臭くないリンゴにしてくれ~(でも、まだリンゴも食べられませんよ~)と慌てて取り替えたり…。 それより面白かったのが、前日12月30日から、「明日、大晦日の夜にAお姉ちゃんとKお兄ちゃんと(友人夫妻のこと)、そして、Yちゃんも来てくれるよ。で、いっしょに初詣に出かけようね。でも、風邪ひきさんは、Yちゃんに風邪をうつしちゃったらいけないから、いっしょにいけません。風邪をひいてしまったら、宝良ひとりで、お留守番だからね」と言い聞かせていました。 そしたら、コートも着ずに外へばーーっと遊びに出ようとしても、「風邪ひいたら、Yちゃんたちと初詣行けないよ」と一声かけるだけで、いつもと違って、すぐにコートを着に戻る。(最近本当に、なかなか言うことを聞かないのですよ。「お尻・おチンチン・鼻くそ・ゴーオンジャー」の4単語を叫んではキャハっ キャハっ キャハっ~ と笑って走り回る猿と化している宝良です。 見事にそういう季節に突入ってことで。 新年の挨拶に助産師さんをしている親戚へ行ったら、すばらしくまっとうな成長段階でおめでとう~と猿化現象を笑って誉めてもらったのでした。ハハハ) え~、話を戻しまして…。31日の朝、目覚めてすぐに、少し咳をした宝良。私の鼻の悪いのを継いで、彼も寝ている間に鼻の調子が悪くて、明け方少し咳をして、喉の方へ落ちた洟(痰?)を咳で出してしまうと落ち着くのだけど、その咳をした途端、「宝良、風邪じゃないから。風邪、ひいてないから!!」と、必死のアピールをしたこと(笑)。 ちょっと、智恵の付きだした3歳児。少し洟垂れ程度の風邪っぽさでも、週1のスイミングは無理をせずにお休みをさせていたので、自分の都合で、保育所やお稽古ごとを欠席したいときなどは、「宝良、風邪ひいたみたいだから、お休みする」とかのたまうようになっていて、例えば、ごっこ遊び世代に突入し、保育所で仲の良いお友達が、ゴーオンジャーごっこに夢中なので、母も無駄な抵抗をやめて、今回のサンタさんのプレゼントが、ゴーオンジャーの武器関連おもちゃになり、ととだったのだけど、25日の朝、いつもより1時間も早く起きて、クリスマスツリーの下でこれらのプレゼントを発見して、1時間みっちり遊んだにもかかわらず、当然のように、「今日、宝良、風邪ひいたから、保育所お休みする。で、ゴーオンジャーのおもちゃで、お家で遊ぶ!」と。(イヤイヤ、もちろん、その主張はこの母に却下されました) そんな姑息なことを言うようになった息子君が、朝、起き抜けに小さな軽い咳をしただけで、「宝良、風邪じゃないから。 風邪ひいてないから(声を大にして主張)」と。あはははは。どれほど、Yちゃんたちと初詣に行くことを楽しみにしてるんだか。 そして、31日。朝からそんなテンションで、ついにお昼寝もせず、夜23時過ぎまで頑張って、初詣に出かける車の中でついに撃沈。 神社について、バギーで移動し、神殿にあがって、ご祈祷を受けている間も、爆睡。帰り道でふと目を覚まし、気づけば全て終わっているってことに納得がいかず……。まぁ、人生そんなもんですから~。(笑) 初詣から戻り、明け方から寝て、ゆっくり起き出した元旦。お正月らしい遊びをしてみようと、年末にローソンで購入しておいた「トミカかるた」。家族で、ホットカーペットの上でかるたをして遊ぶ。むっちゃ、ハマッて、大興奮の宝良。どの程度遊べるか不明だったけど、やってみたの。ひらがな、書くのはまだ難しいけれど、読むだけならなんとかなるし、絵柄がトミカだし、読み札の文章も、内容がすべてトミカ関連の文章なので、札を取るときのスピードとかで、多少の手加減はすることもあるけれど、結構、自力で私より早く札を取ることができて、宝良くん、かなりの枚数を自力でGet!タッチの差で、自分が遅くて、札の上に置いた私の手の甲を掴んでしまったときなど、悔しい思いをする反面、その逆のパターンで札が取れたりすると、それはもう、大喜び。大変なテンションの上がりよう。 このかるた、思いの外、今年のお正月の大ヒットでした。 その結果、元旦の午後、自宅のホットカーペットの上で、私たち夫婦と宝良の3人だけでも、かなり遊んだ「トミカかるた」だったのに、夕方から、私の実家へ行くときも持参。(ピンぼけしてるけど、一応トミカかるたを持って嬉しそうに立っているのが、今日の写真。実家へ行ったときのものです。) 私の母と大年寄りのババちゃんと2人が更に加わって、横で小難しいロシア経済の報道番組を見ているジイジには、うるさかっただろうけれど、大かるた大会~♪。で、まぁ、甘々のババちゃんたちの手加減もあり、いっぱい勝たせて貰って、ご機嫌さんの宝良くんでした。 お正月って、幸せだなぁ~。こんな時間が何よりの幸せだ。と、ゴロゴロしながら、かるた遊びのホットカーペットの上。ああ、極楽ごくらく。(*^_^*)
2009.01.02
コメント(10)
全4件 (4件中 1-4件目)
1