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2021年を振り返り、2022年に向けて。 勿論、考える事は多かった。 まして、3年前のアキレス腱断裂のダメージ。それは傷の痛みでは無く、心の痛みだろう。 70歳を超えたあたりから飲酒が過ぎるのか?腹回りが増える毎に体のキレがない。磯場では、足が上がらずスパイクを岩に引っ掛けたり、また目が衰えたのか暗闇では足場の目測を誤る。 ただ、ジギングなどのオフショアの釣りは、取材などでは多少の見栄を張りながら頑張ることは出来た。しかし、キツイ海外取材などの後、何時もより疲れが抜けない事に気付いてはいた。 でも、こんな自分の衰えをグダグダと述べるのも恥ずかしい。人によっては、とても聞いてられない話だろうか。まあ、来年に向けての話だから、今まで通り前を向き、明るい話題を述べた方が良いだろう。 昨年の嬉しい出来事。それは私の念願であった、今で言うサステナブル。釣り具の環境配慮。それは、私が常々言っている、釣り具販売でのプラスチックパッケージの排除。ルアーのロストを無くする事、釣り具のリサイクルの取り組みが1歩前に踏み出した事だろうか?。 今、世界は全てにおいて環境志向だ。TVなどのメディア報道。その良し悪しはあるが、やはり何かにつけ環境に対しての報道は増えている。世界的な、環境保護運動は、今や若者から子供達にまで、いわゆる次世代に向けての社会的な課題として語られる。まさに時代はSDGs(持続可能な世界を目指す)なのだ。それは、日本の企業でも、大企業から、小さな企業まで取り組み、この環境配慮の企業テーマを無くしては生き残れない時代を目の前にしている。釣りの業界も、今までのように口先だけの環境を叫ぶのではなく(簡単な釣り場の清掃などでお茶を濁す問題ではないのだ)、実際にパッケージなどの過剰包装、ルアーやジグ、シンカー等のリサイクル、そしてラインなどの無パッケージ化、回収とリサイクル(いわゆる計り売りなど)。それはメーカー、釣具店、ユーザー、皆で努力していく時代に入っているという事だ。そして、その事から、私の関わるネーチャーボーイズがメーカーとして取り組み。再生紙を使ったジグのパッケージや、メタルジグのリサイクル(リュースプロジェクト)を始めた事だ。環境負荷の大きいと言われるレジャー産業の中で、特に釣りは、立ち入り禁止区域への侵入、釣り場のゴミなど、たびたび悪者として問題提起をされている。それだけに、是非に他のメーカーも追従して欲しい。確かに体力の衰えは隠せない。そんな中で如何に次世代に何を残すか?。それが私の残す人生の仕事なのかも知れない。確かに、今まで以上にパワーのいる事かも知れないので、あくまでも身の丈の範囲だが、2022年、そして今後は、釣りに音楽に、未だ未だ私でなければ出来ないもの、其処に向かって頑張って行きたい。 音楽の方も、この年だが(来年で喜寿)マダマダ勉強する事が多い。ようやく自分のサウンドで打ち込みが出来るようになったが、このプロトゥールスの機能の半分も理解しているだろうか?。硬い頭だが、未だ伸びしろがあると思っている。も少し努力をしたい。皆さんにも、来年一年も少し期待をして欲しい。
2021.12.31
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もう五か月も更新していなかった。すみません。パパ、環境の話。長い話で飽きる方は読むのを止めて良いです。ここまで来るのに、長いこと掛かった。もう15年以上になるだろうか?。鉛の環境負荷の大きさ、日本でも、その加工や移動に法的制限のある、PRTR法が(その中には、鉛などで加工されると有害化学物質と明記されている)施行され、私は鉛を使ったオモリ、漁具や、餌木、ルアーなど、その生産や販売に危機感を持った、その頃の話しである。ネーチャーボーイズブランドでお馴染みの青森宝栄工業の現社長の和田さんから、釣り関連の道具の制作話から、鉛以外で環境負荷の少ない金属のメタルジグ、その生産を提案した。最初はステンレスのジグから色々と模索を繰り返してきた。当時、日本ではアルミのジグ等多少はあったが、それは初めと言って良い、そんな挑戦だったろうか?。そこからの試行錯誤、やがてそれは鉄のジグに落ち着いたが、それでも、釣りの社会では簡単に受け入れてもらえるモノでは無かった。あるショップの方には「あんなに錆びて汚れる、その在庫が増えてしょうがないモノを売りつけられた」またあるショップには営業と一緒に私が出向くと「ここの店は一等地、坪単価が幾らすると思ってるんだい、その店にこんな商品を置くスペースなんて無い、帰れ」こんなこともあった。また、環境の話をすると「釣りをやってて、綺麗ごとを言うんじゃない」そんな事もあった。鉛は加工のし易い金属である。それに比べ鉄は鋳造できるが、溶かす温度や型作りに時間がかかり、超高温の設備がいる。型抜きではエッジがきつく丸く研磨するのは容易ではない(鉛のように簡単に削れない)。ルアーにするには、アイは、その強度は。リングが入りにくいとか、形状でフックを抱いてしまうとか。数えきれないほどの苦労が続いた。更に泳ぎの研究。鉛に比べ比重が軽いために沈下のスピードが遅いとか(逆に泳ぐという利点も判った)、形状が大きくなるので引き重りがするとか。その為の水中テストを繰り返し、気の遠くなるようなな試行錯誤だったろうか。そして、何よりも生産コストが高い。ただ、私の中には、当時で環境負荷の大きい金属を使う罪悪感と、いずれは使えなくなってしまうのでは?、そんな危機感だった。あれは10年ほど前だったろうか、青森の竜飛でも釣行だった。その前に巨大クロマグロが飛び交うのを横目に、タイラバの取材だったが、そのタイラバにマグロがヒットする。当然に瞬殺だったのだが、その悔しさとジギングで食うという確信から、その数週間後に、鉄ジグを持ち込んで(当時発売されたばかりのスイムライダーショート)リベンジ。未だ、マグロのジギングなど、誰もやっていない時代だろうか?。100キロ超のクロマグロを九時間超のファイトで釣り上げた。そこから少しずつだが、アングラーの認知がされてきたろうか。今でこそ、マグロジギングが定着し、私のようなスタイルも、鉄ジグと共にようやく理解されてきた気がするが、その頃を振り返ってみると、その試行錯誤がようやく実りつつあるという事だろうか。この事で、私が述べているのは、決して鉛が悪で使ってならないという事ではない。鉄ジグが優れていて、何よりも釣れるなんて事でも全くない。私の友人の中で、鉛のジグの優れた作者が沢山いるし、彼らはそれぞれに創意工夫をし、釣れるための良い製品を作っている。技術的にも優れたビルダー達だ。ただ、此処でその金属や物質の論議をする以前に、提案がある。この釣りの世界で将来的にも、釣りを楽しんで行く為に、少しでも環境負荷を少なくする努力、その為にも。まずは、ルアーの回収、リサイクルの提案。そのシステム作りの提案だ。お客さんに、使い古したルアーを持ち帰って頂き、それを作り直して再利用するシステム、その手数料で利益を得るというシステム作りだ。当然に、アングラーはルアーを大切に使い、ロストも少なくなる。それだけ環境負荷が少なくなるという事だ。これこそ持続可能な、サスティナブルな社会を目指す事になる。レジャーの中で、特に釣りは環境負荷の大きいかも知れない。それだけに釣り人のマナーなどが取りざたされると(何の世界でもマナーの悪い人はいるが)社会の悪者になりやすい。そんなことを払拭する意味でも、メタルジグの再利用。リサイクルを考えては如何だろうか。バックリミットで言われる、魚の持ち帰りの制限。リリース。魚を取らないルール作り。勿論、とても大事な事だが、それと同様に、その魚の住む環境の保全。とても大事な事だろう。私のこんな意見に、反発や嫌悪感を抱く方もいるだろうか。パパは76歳。アングラーとしては、あと数年だろう。そんな私だから「またあの爺さんが余計なことを」ぐらいに捉えて、ただ、少しでも心の隅に置留めて、容赦して頂ければ嬉しい。(写真は、確か63歳の頃。約13年前の鉄ジグ・スイムライダーショートで釣った100キロ超のマグロ。壁に賭けた写真なので見難いが、鉄ジグの懐かしい写真。この頃から少しずつ鉄のジグが認知されてきたろうか)
2021.05.19
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昨年2月あたりからのコロナ禍。これは誰もが思う事だが、私たちの生活を一変させた出来事であろうか。春季の緊急事態宣言では、GWあたりまでの収束を願ったが、やはり思うようにはいかなかった。そして、誰もが夏の暑い時期には収束するであろうと思ったろうか。しかし、それは医学的にも社会的にも、政治的にも、全く甘い願いだったようだ。秋の行楽シーズンから旅行を対象としたGotoキャンペーン。今振り返ると、まったく無謀だったのかも知れない。確かに航空業界、運輸業、観光業、飲食業、その悲鳴が政府を動かし、それは甘い見通しから決断のGotoだったろう。そして私たちの見通しを遥かに超える感染力が、このウイルスを増殖させてしまったろうか。まあ、専門知識を持つ医師でもなく政治家でもない私が、これ以上の意見を述べるのは憚るだろうか。ただ、振り返る2020年、そしてこの新年を語る上で、あまりにも大きすぎる出来事ではあった。 島では、釣り人専用の宿泊業を営む私だが、プロのアングラーの側面も持つ。そして、今は本業としていないが、ミュージシャン(音楽家)でもある訳で、其処から、このコロナ禍だった2020年を振り返ってみた。「パパズイン」という宿泊業では、確かに壊滅的な打撃であった。4月、5月、そして6月の前半までは、それこそ全くのゼロ収入、休業である。その後にお客さんを受け入れると言っても、基本的には週末一組だけに決めていた。それは、何しろ私は75歳、家内は69歳、いわゆる高齢夫婦。まして家内は胃癌を患ったばかりだが、術後の検査すら院内感染の怖さから上京も出来ていない(手術は東京の病院)。そんな、終活すら考えているような先の見えない状況である。ただ、政治的に多くの論議はあったが、正直な話で給付金はありがたかったし、更に東京都の自粛による休業、その協力金は心から感謝の気持ちを持った。確かに順風満風の生活に比べれば不満かも知れないが、誰もが苦しむ社会情勢の中で夫婦そろって生きていけるだけでも幸せなのかも知れない。そして、休業の間の有り余る時間、それは音楽を作り、絵を描き、それは多くの事を考える時間でもあった。それも、振り返る時間ではない。この年齢になってもコロナ禍が終わってからの先を考える、そんな前向きな思考である。昨年、釣りでは、ハワイのカンパチ、ニュージーランドのヒラマサ、海外の釣りを含めて多くの遠征を考えたが、ことごとく中止に。音楽もライブ活動はおろか、リハーサルすらまともに出来ない。しかし、その事から、逆に多くの事を学んだのかも知れない。私がプロデュースする釣りメーカー、ネーチャーボーイズのブランドテーマに「進化は変化」という言葉だ。このコロナの影響であっても、その時代の変化、また環境の変化は、まさに人、生き方の進化であり、そのチャンスでもあるだろうか。 2021年、新しい年を考えた時に、4分の3世紀も生き、残る時間が少ない筈の私だから、その先を考えた時に、島に、この社会に、何を残すかだろうか?。例えば音楽だが、やはり観光業が中心になる島で、民謡、太鼓などの伝統芸能、伝統音楽を、如何に自分のやってきた音楽(クラシックやジャズ)と融合させた、島の音楽、島唄だろうか。一口に、私の作るオリジナル曲という枠では無く、島の海、島の山、島の空気、それらを感じさせる島の音楽。島のミュージシャン達、私を含めた島人の音楽だ。2020年はまともにライブ活動が出来なかったが、それ以上に思考を繰り返した創作活動が出来たので、それを今後は、表現して行きたいと思う。 釣りに関して、ここ数年はルアーフィッシングの中でも特にヘビーなジギング特化したプロ活動をしてきた。しかし、今までのようにトレーニングを積み筋力を強化する、そんなジギングは年々難しくなるだろうか。いくら鈍感な私でも、70歳を超えたあたりから無理に足搔く、そんな自分の姿に気付いている。勿論、この釣りは体が動かなくなるまで続けるでしょうか?しかし、潮時と考えるのではなく、むしろ欲張りに、SLJ(スーパーライトジギング)という所にも入り込んでみたい。先月号のソルトワールド誌で、家内と一緒に取材釣行したSLJは、私にとっては、何か昔のジギング創成期に始めたような新鮮さがあった。更に、アキレス腱の断裂から、ここ数年、夫婦で楽しんでいる防波堤の石鯛釣りだ。これはクロダイのへチ釣りの石鯛バージョンだが、相手がパワーのある石鯛だけに面白い。こういった釣りを、世に広める事が出来れば、それも生き甲斐になる。あとは環境面の話だが(ネーチャーボーイズで鉄ジグを始めたのもこの考えだ)、このコロナ禍から、釣り具に限らずだが、従来の対面での商売をする店舗売りから、明らかにリモート、SNSなどの動画宣伝からインターネット通信販売する方向に変わっていくだろうか。そうなった時には必ず、今までのような過剰梱包を(プラスチックやビニール素材)なくする方向に進まなければならない。やはり、環境負荷の大きいレジャーである釣りだからこそ、脱プラスチック、脱炭素、本来であれば移動や加工に届けが必要な化学物質(水銀や鉛加工品)の排除は大きな課題であり、このコロナ禍からの新たな変化を進化に結び付けなければならない。それを提案し続けたい。いずれにしても、音楽も釣りも、墓まで背負っていくつもりだ。あ、あ、あ、まだまだやることが多いと言うのが、2021年のパパ大津留だろうか。 島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソング。
2020.12.31
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いよいよ、東京でのGotoキャンペーンも始まりましたね。このブログでは、なるたけ政治的な発言をしない私ですが、今回のGotoでは報道などでも色んな物議もあるようで、少々の考えと、パパズインの今後の方針を記します。このGoto、例えば中身が良く分からないとか、結局は旅行社や旅行関係のNAVIを通しての予約なので手数料などの発生で宿泊施設への還元は少ないとか、また、インターネット申し込みが殆どなのでガラケーの方やインターネットに不案内なお年寄りには・・・とか。高い料金設定のツアー関係にしかお客様は利用しない、とか。まあ、確かに私どものように宿を経営している者にしても、その不公平感は否めないかも知れませんね。だが、八丈島という観光地に住む人間としては、このコロナ禍で、宿泊業者皆さんが、この恩恵にあずかることはうれしい事だし、苦境に喘ぎながら再生に向けて努力をされてきた、大勢の従業員を抱える、特にホテルさんにとっては喜ばしい事で、そのお客様が増える事は、大いに島の活性に繋がり、結果的には他業種の皆さんも潤う事になると、大いに喜ばしく思っています。ただ、個人的には(パパズインと云う釣り宿のオヤジとして)中々考えさせられることも多いですね。まず、パパズインは旅行社との提携などは一切やっていない宿です。その理由は、釣りとして、八丈島ガイドサービスとして、安全で且つプロフィッショナルな仕事を、お客様に提供する為に、一般的な他の宿泊施設と同じような提携の仕方では、お客様が真に安心し満足いただけるサービスが難しいと考えているからです。それは、ただコンピュータ上の一律に申し込み、全ての旅行と同じ横並びなご案内では、其々の釣りのレベルで種類やスタイルが違う中で、個人の技量、初心者に対しての安全に配慮したサービス、個人個人レベルでの安全性、日々に変わる自然天候の見極める。どれをとっても、ある程度の会話やメールでのコミニュケーションが要る訳で、お客様のニーズに対する対応は、インターネット上の申し込みフォームだけでは、その中身が伝わらないのです。まして人の生き死にに関わるような事故、その安全対策はパーフィクトでなければならないのです。八丈島はレジャーによる海難事故、死亡事故は後を絶ちません。それは、その事故に合われた方々には失礼な言い方になりますが、この島の海、自然を知らなすぎる事に起因していることが多いでしょうか。そこには、その宿、ガイドサービスの意識、責任の感じ方も大事な要素です。またお客様を送り込む旅行社にもその知識(意識)が低いからでしょうか(例えば、その旅行パンフレットに、その海、自然の危険な度合い、注意事項など、掲載しているのはほとんど少ない)。そこで、私どもパパズインは全ての旅行社との、ツアー、提携を止め、お客様のニーズ、その声を直接耳を傾ける。それには、電話での申し込み、またはメールでのやり取りによる宿泊申し込み以外は(当然にPC上でのフォームでの申し込みでは、便利ではあるが考えが伝わらないです)お受け付けしない事にしたのです。そこから、数年前には旅行社に支払う手数料分も、お客様に還元する意味で値下げをしました。そんな料金設定の中で今回のコロナ禍、今年の3月から3か月間は休業、その後はお客様をお泊めしても1部屋1名、一日多くても2組にとどめ、安全対策をしてきました。ただ、今回のGotoトラベルでは、旅行社と提携していない私どもでは非常に参加のし難い仕組みで、その上に個別で申し込むNAVIサイトでも、結局は手数料を支払う事に。これでは、私どもの理念とする「安全でプロフィッショナルなガイドサービス」は結局のところ難しいと考えました(お客様の釣り船料金なども、漁協に数日中に現金で支払わなければならないので、このGotoの対象には全くなりません)。そこでそこで、其処で!!、パパズインとしては、このGotoに参加できない中で、さらに苦境の中でも釣りを楽しむ為に来て頂くお客様に(Gotoと同じようなサービスとはいかないまでも、この期間中に感謝の気持ちを示したい)、パパズインとして独自のGoto期間サービスをする事に致しました。パパズインは、このGoto期間中は、宿泊料金は10パーセントOFFです。エアーチゲットは従来とおり「八丈交通 04996-2-0600」にパパズインからと申し込みください。なんか宣伝のようになってしまいましたが、このコロナ禍、そしてGotoトラベル、多くの難しい意見がある中で、真にお客さんの事を考え、安全で楽しい釣りを提供する宿として、色々と考えてみました。
2020.10.02
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パパズインは、この7月で30周年を迎える。私が島に来て30年という事だ。 私は。もともとミュージシャンだ(だった?)。クラシック音楽を目指した学生時代から、それは挫折したものの、ジャズに転向し多くの有名ジャズバンド(ビッグバンド)を経験した。更にビッグバンド時代には作編曲も手掛け、TVなどのレギュラー番組を持ち順風万風だったかもしれない。 しかし、当時で、モダンで難解なジャズの演奏に疲弊したのかも知れないが、当時のR&B、ソウルグループの「アイク&ティナターナー」の演奏を聴き、その躍動感に圧倒された。まさに「これからの音楽は、これだ~!!」そんな気持ちで、管楽器主体のボーカルバンドを作ることにする。 それから十数年は、デスコのダンスバンドやナイトクラブのハウスバンド、そしてライブハウスでの演奏が主になった。 釣りは、釣りの番組に縁があって、30代の頃から、磯の石鯛から沖釣りまで、そして40代には、暇を見ては八丈島に釣りに来ていた。その頃、渋谷のライブハウス「エッグマン」でのステージだったと思う。150人ほどのお客さんが待っている中、前日に八丈島で釣りをして、帰りの飛行機が天候悪化で欠航になってしまう。 音楽事務所には散々に怒られ、こんな失敗は2度と繰り返してはいけないと思うはずだったが、「それなら、島に住んでしまえば、その心配もないだろう」そんな勝手な解釈。そして音楽界からは、磔つけ獄門の罪を一等減じられて、八丈島で流人生活をすることになった(冗談話だが)。 そして1990年、平成2年に有限会社パパズインを設立し、島での観光宿泊業に(一応はペンションという形で)従事することになる。 それは考えるに、30年にもなる。生まれて18年の津軽の田舎に育ち、その後は都会での20余年。すっかり島暮らしの方が長くなってしまった。 島に来た当時は笑い話も多い。建築が遅れ、当初は3月の完成だったがゴールデンウィークにも間に合わず、ようやく完成と聞かされ荷物を畳んで愛犬の「モモ」、愛猫の「クロ」を抱えて島に来たが、トイレは出来てない、水道は使えない、ドアに扉すらついていない。家を前にして愕然、途方に暮れた。 近くの民宿に、無理やり頼み込んで世話になり3か月後の7月に、ようやく何とか住める状態で引っ越す事が出来た。 完成を間近に、港のコンテナに留め置いていた荷物を運びこむ。島の若い友人たちに手伝ってもらう。昼休みだった、「お~い、冷蔵庫に冷たいお茶があるから飲んでいいよ」手伝ってもらった彼らに言う。しかし、まさか!!!である。冷蔵庫には完成記念に飲もうと買ったドンペリニヨン、一本3万円ほどのシャンパンを2本入れていた。 奴らは、一緒に入っている、麦茶とかコーラは飲まず、そのドンペリを2本、しかも湯飲み茶わんでガブ飲みしていた。 「こら~!!、おいおい、お前ら車で来てるのに、まさか・・・・」ここでも愕然である。当時、飲酒運転は、島ではそれ程は煩くなかったのかも知れない。 その後も大変だった。知らない土地での馴れないペンション営業だ。朝から営業し、昼には昼食。夜には、宿泊客の晩御飯を出して、その後はレストラン営業。あと片付けの後で風呂掃除などすると、そのままベットにバタンキューだ。夏などは、歩いて3分の海すら見る暇がない。 エリザベスは「夜中は人っ子一人通らない」と嘆き。「此処は、デパートも無ければ、マクドナルドやミスタードーナッツ、コンビニもない。夜の明かりは、月と星だけ、雨の日は全くの暗闇。寂し~い」と、まるで人生を呪ったかのように悲しむ。 しかし、こんな頑張りだが、2~3年続けると「こりゃ、体がもたない」と開き直った。 自分で釣りをしたい、エリザベスだって釣りをしたい。そこで、ゲストを釣りのお客さんを中心にし、それも、他の釣り宿との競合を避けてルアーを中心に考えた。 当時のルアーフィッシング、今ほどメージャーではない。まして、ジギングとなると、またナイロンラインを使い60グラム程度のメタルジグでやられる程度だ。そこからは、私の勉強の日々だ。 ナイロンラインのジギングから、PEライン、ベイトタックルの使用、アシストフック、100グラム以上の重いジグ(今は300~500gが当たり前になる、深場は1キロまで振る)、スローなスタイルも含め今は当たり前のジギングだが、当時、ここまでの道のりは長かった。 やがて、J-1グランプリという20年の長きに渡るジギング大会(相当のパワーが要った)など、多くのジギングアングラーが訪れるようになり、八丈島はジギングの聖地と呼ばれるようになった。 当時、「ジギングの鉄人」とか「ジギングの開祖」「ジギングの神様」と言われた私だ(当時は他にも多くのアングラーはいたが)、今はレジェンドと言われるが、それも中々気恥ずかしい。もう終活を考えるような75歳。この島に来て、いよいよ30年目という節目を迎えるのだ。 好きなジギングだ、も少し頑張りたい。後輩には、老いの醜態は見せたくない。楽しいジギングだけやりたい。プレッシャーの感じる釣りはしたくない、思想の違う奴とはやりたくない。殷々々、様々な思いが巡る。 幸い、まだまだ楽しい仲間がいる。そして、私にとって大事な大事なお客様がいる。この島の釣り、ルアー、ジギング、そういった仲間に、若いアングラーに、私は今後、何を残すか?それを考える時期だろう。う、う、う、腰が痛い、背中が痛い・・・だが(笑)。 この7月で30周年を迎える八丈島のルアーフィッシング、ジギングでお馴染みのパパズイン(Hachijojima Guide service)ですが、感謝の気持ちをこめて、これからも心を込めた釣りを提供したいと考えています。勿論、パパの釣りはルアーフィッシングだけではありません。一般的な船釣り(五目釣りや泳がせ釣り)は勿論、豪快なトローリング、そしてルアーフィッシングとパパ大津留が初心者でも楽しい釣りが出来るようにガイド、コーディネート致します。勿論、大物釣り、トローリング、ジギング共に最高のレンタルタックルを用意し、仕掛けもパパの手作りですから安心して巨大魚に挑む事が出来ます。 まだまだ、気持ちを新たにし、ご案内する所存です。
2020.03.20
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パパらしくない、なんか難しい話で申し訳ない。 コロナはウィルスであって細菌とは違う。ただ疫病と考えると重なる部分も多いだろうか?。私が昔、読んだ本にカミユの「ペスト」がある。 中身は、中世ヨーロッパで大流行したペスト、舞台は当時フランス領のアルジェリア。町で疫病に感染したらしい死者が出始め、ある医師がペストであることに気づく。そこから町はパニックになり、最初は楽観的だった町当局も対応に追われパニックになる。噂から暴動が起き、町は外部と完全に遮断され、逃げ場のない一般市民は精神状態が困憊、大混乱に陥る。神父は「疫病は人々の罪、神の祟り、ただ教会で祈ること」と説教する。 医師は、その友人たちと患者達の治療を続ける。疫病は収束するが、結局は対立した神父も、共に戦った医師も死に、妻も失う。戦争や疫病は、如何に不条理な世界を創り出すか、そんな事を描いた作品だろうか。 ペストがいわゆるパンデミックを起こしたのと言われるのは歴史上では3回だろうか?、しかしそれ以前の太古の時代から疫病が蔓延、常に戦争との関わりも多く、その大流行の度に世界史を作り変えて来た。 紀元前ではアテイナ(古代ギリシャのペロポネソス戦争)でのギリシャを襲った疫病(ペストではない説も)。紀元170年頃、ローマ帝国時代では、当時の皇帝である「アントニヌスの疫病」と呼ばれ大流行、500万人以上死亡したと言われる。541年には東ローマ帝国で大流行、当時の皇帝は西ローマ帝国との統一を目論んで起こした「ゴート戦争」の挫折は疫病が因と云う説もある。 そして「キプリアヌスの疫病」と呼ばれた感染症が大流行し、ローマだけで1日に推定5000人がこの疫病のために死亡。当時のローマ皇帝も犠牲になったほか、エジプトのアレクサンドリアでは人口の3分の2が死滅した。 ローマ帝国は、8世紀、14世紀とペスト(疫病)に見舞われているが、14世紀の大流行では3000万人とも5000万人ともいわれ、戦では攻勢に出ていた帝国だが、この疫病によって壊滅の打撃を受けた。 ルネッサンスから18世紀の大航海時代にかけては、売春の盛行につれ梅毒や壊血病がヨーロッパ全土に広まる。それらも、アフリカ、南太平洋、中南米の植民地化による黒人奴隷などの移動とも相まって世界中に蔓延する。 梅毒は、フランス人はナポリ病、イタリア人はフランス病と互いに言い合う浅ましさ。ナポレオンのロシア遠征では赤痢や発疹チフスはフランス軍将兵のおよそ3分の2を奪い、ナポレオン衰退の大きな原因となる。またナイチンゲールが活躍したクリミア戦争、さらに第一次世界大戦後も猛威を振るい、ロシア革命でもレーニンが「社会主義が勝つか、シラミが勝つか」と言わせた。さらに第二次世界大戦でも、マラリアが南方戦争での相手軍以上の打撃になったという。 まあ、以上は歴史家でもない私の能書きだ。 ただ、こんな疫病も多くのすぐれた医学者、その研究のおかげで収まりを見せる事もある。例えば、赤痢や黄熱病に生涯を捧げた野口英世。また、ペストの発見者の一人でもある北里柴三郎、日本にも多くのすぐれた医学者がいた。それでも、次々に新しい、細菌、ウイルスが生まれ、再び同じことを繰り返えす。 そして、このウィルス禍も疫病の一つとして考えると、如何に大変な戦いであり、その中で、デマ、噂、言いがかり、差別が渦巻く。疫病は、疑心を生み、人を疑い、人種を疑い、他国を疑い、国同士で罵り合う。宗教は隆盛するが、その差別も起こる。そして、戦争を終わらせもするが、時には大きな戦争の火種も生む。 そして今、世界の現状は間違いない無く、そんな状態ではないだろうか。 今回のコロナ騒動、蔓延する疫病は、個人主義的な疑心暗鬼を増幅させ、それは国を衰退させ、滅亡に追い込む。そして、一番の被害者は弱者だ。その事を私たちは、もっともっと考えるべきだろう。 過去の、未曽有と言われる大きな災害。その事で私たちは学習し、それに備える知識を持ち、国も対策をしてきただろうか。しかし、それ等に比べると、国を亡ぼすほどの大きな疫病に対しては、これだけの苦難な歴史を繰り返しながら、あまりにも無知ではなかったか。 このブログからの、デマになるような拡散は、くれぐれもお断りします。あくまでも個人的な思いであって、自分自身への反省なのです。 話は違うが(いきなり変わってすみません)、今日は良く釣れました。しかもデカい。キハダは寺ちゃんの37.5キロ、カンパチは溝田女史の21キロ。他13キロカンパチなど。
2020.03.15
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最近、私がプライベートで好んでやる釣りがへチ石だ。これは、ライトタックルでの石鯛釣りでメチャメチャ面白い。今のところ、専用のロッドが市販されてないので、お客さんなどに奨めるのは、マダイなどに使うバットパワーが確りとした強めのテンヤ竿だ。何しろ幻の石鯛と言われ、底物釣り師達には垂涎の魚をライトタックルで、島も防波堤で簡単に釣ってしまうという不埒な釣りだから、怒られてしまうかも知れないが愉快でもある。だが、実は今回の話だが、その釣りのウンチクではない。それは別の時に話すとして、今回はそれに使う4/1OZ~1OZのシンカーの話だ。食い込みをよくするために、誘導式にするのだが、いわゆるテキサスリグで、中通しでバレット型のシンカーが最適だと思っている。そして、それも素材が鉄かタングステン、せいぜいブラスシンカーで鉛は使いたくない。先日だが、私のバンドメンバーでもある晴美ちゃんが(ダイビングショップ・オリーブ)、海底清掃でのゴミの写真を送ってきた(ほとんどが鉛の錘だ)。私も毎年ではないが、島の釣り場の海底清掃をする。まあ、錘に限らず、メタルジグ、以下の餌木、それら鉛製品が、なんと多いことか。そういえば、以前、東北のオオカミ魚の取材から、枯渇の危険性は取りすぎる事よりも、鉛の錘、そのロストが多すぎて落ちている周囲岩盤の白化による海藻の減少が因ではないか?。その話からも、我々アングラーのアンカー素材に対する意識を高める事は重要と考えた。別にシンカーだけの話ではないが、例えばメタルジグでも鉛のメタルジグに関しても、使う際の気遣い、そのぐらいは欲しい。まずはロストを減らす意識だ。こんな提案をしてみたい。例えば、メタルジグや餌木のリサイクルだ。メーカーさんが古くなったものを引き取り、新品と交換する。古いものを再加工する手間賃ぐらいは頂けば良いだろう。それは、確実にロストを減らすことにならないだろうか。まあ、安易と言われるかもしれない。無理なことかもしれない。しかし、アングラー、制作メーカー側、販売者、皆が多少でもこんな意識を持てば変わるだろう。パッケージだって、もうソロソロ過剰パッケージはやめて良い。これは釣り具だけでないが、買い物をした後で、どれだけプラスチックやビニールのゴミが出る事やら。兎に角、メーカーは勇気をもって動き出すことが大事だろう。と云う訳で、今回はへチのライト石鯛から、思わずシンカーのことを考えてしまう巻、そんな話でした。島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソング。
2020.01.25
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令和2年、年が明けて新たなことをいろいろ考える。年齢的にも、先が見えている。「もう、その辺で休憩すれば」なんて言われそうだが、も少し動けそうだ。「止めない、逃げない、諦めない」のパパだから、釣りでも動けるうちはハードジギングは続けるし、新しいことにもチャレンジする。まず今年の、島以外での取材釣行だが、私の場合は仲間との楽しい釣りだ。今年も多くの方と交流を持つ。下記のスケジュールだが、まだまだ多くのアングラーと交流を持ちたい。スケジュール 2月8日(土)~2月15日(土) パプアニューギニア・ラバウル 3月6日(金)~3月8日 伊豆神子元 3月10日と11日(水)3月12日(木)八丈島のジギングのマラソン取材、 4月20日~4月23日 三陸海岸のサクラマス 6月中旬 小笠原母島釣行 7月27日~31日 サンライズ 男女群島 8月後半~9月初旬 茨城の夏タラ&アブラボウズ 11月 ニュージーランドのヒラマサ 3月の神子元沖と八丈島のジギングだが、XESTAの連中との初コラボ。ものすごく先鋭でやる気満々の彼ら、伊豆須崎からの釣りは、私の原点。楽しみだ。3月、三陸のサクラマスだが、多くの釣りをしたい仲間たちとの釣行を考えた。バリバスで活躍の横島君とはもっとも一緒に釣りをしたい仲間だが、今回はゴメン。三陸メンバーで私の教え子たちと一緒の釣りになる。楽しみなのは、7月の男女群島だろうか。サンライズの田代君には初めてお世話になる。大型カンパチ1本に絞って、根性を入れたジギングに絞りたい。他のもニュージー、スリーキングのヒラマサなど楽しみは多い。近年は自分の釣りよりも、仲間の釣りを見て一緒に喜びを分かち合える、そんな釣りが良い。このスケジュールの他にも、八丈島での釣りも今以上のチャレンジをしていきたい。パパは、今年も頑張るつもりだ。今年は、絵も描こう。 島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソング。
2020.01.11
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明けまして、おめでとうございます。 75歳になって迎える新年、あまり振り返ることをしない私だが、新しい年に向かっては、過去を振り返り反省もする。 音楽活動は、20代、30台、40代の頃は、日々の生活に追われ、その時々の仕事(音楽)を消化していく事に精一杯だったろうか。ただ、その中で気持的には、食うための音楽と目指す音楽とのギャップに苦しみ、音楽的評価を得たいと思う気持ちと、その中で、焦りと満たされない部分も多くあった気がする。 しかし、若造だった頃、生意気盛りの頃は、自信が過信を生む。自信は己を高めるが、過信は過ぎるほどに精神が病む。私の場合は、そんな狭間を生きて来たのかも知れない。 べつに、其処から抜け出したいとかの気持ちはなかったが、息抜きで、たまに島に釣りに来ると、そりゃ気持ちは安らぐ。いっそ、こんな楽しいことを仕事として、ライフワークとして持てたら…、そんな気持ちから今の島暮らしを始めた訳だ。 釣りが好きだが、それを商売とすると半端な気持ちではなれない。「初心に帰った努力を」それが、音楽生活を20年間も中断させる事になる。 まあ、釣りと釣り宿業、それと僅かばかりの執筆業で、何とか食えるようになり、再び音楽を始めたとき、既に年齢は70歳を超えた。そして、普通ならばアマチュアで仲間同士の楽しむバンドで良いのだが、昨年あたりから、それなりの向上心がわいてくる。中途半端はしたくない、プロ意識を持って挑みたい。そんな気持ちを持てるようになってきた。 まず、昔のようにメンバーの育成、音楽の理論的な教育から始める。幸いに沖山芳樹という良き仲間にも巡り合えた。教育というと口幅ったい言い方になる、皆と相談しながら、向上心を持ってこれからの音楽活動を、レベルの高いものに押し上げたい。 ただ、75歳という年齢は残りの時間が決して多くない。短い時間の中で、何を残すかだろう。その中で、この島の生活、空気、風、匂い、そして文化、それらが私のアイディンティティーと上手く調和が出来、新たな音を創り出せれば、それが私の存在意義として、一つの島の文化の端に加えられるだろうか。 昨年の末から、狛江市のFMラジオのパーソナリティーにミュージシャンとして加えて頂いた。FMラジオの利点は、限られた電波範囲とはいえ、地方の文化、音楽、産業などを伝えることは勿論、地域防災、過疎地のコミュニケーション、など多くの利点とその可能性がある。 私の中には、この八丈島のFM放送局の必要性は勿論、これが伊豆七島、例えば大島、神津島、三宅島、御蔵島、青ヶ島、小笠原と連携することにより、海難事故、防災、さらには産業、観光など多くの面で寄与すると思う(昨年の台風以来、神津島や青ヶ島では未だに通信被害が続いている)。その手始めとして、今年からの私たちの活動は、一つの起点にはなると考えている。 確かに、先の見えている人生で、音楽での目標を持つことは焦りも生む。しかし、身の丈を考えながら、まずは島の空気を感じるような音を残していく、それが今年の私の目標だろうか。パパは、音楽でも、も少ししぶとく頑張っていく。 島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソング。
2020.01.04
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年の瀬、毎年振り返って見る。反省ばかりだ。だが、反省と後悔は違う。後悔は、過去を振り返り恨めしく思いうが、反省は次に生かすための教訓だろうか?前向きな考えともいえる。しかし、いつもの事だが、どうも反省が多すぎて、それを生かし切っていないかもしれない。それは、釣りも音楽も一緒だ。島の生活を30年近くも続け、20年以上も音楽を絶ったのだから、今更どちらが本業か?といえば、もちろん釣り関係(パパズインという宿も含め)だろう。しかし、音楽では収入を得ていないアマチュアだが、島に来る前は何十年もプロ活動をしてきたわけで、それは今でも、いったん音を出せば、それはプロとして手は抜かない。反省があれば、それを次回に生かす事を考え、常に向上心を持つ。マダマダ技術を上げて、うまい釣りをしたい、良い演奏をしたいなのだ。 まず、釣りの話だが、いくらか釣行の回数が減っただろうか。確かに、年齢的に体力の下降線は否めない。その中で背負う荷物を軽くしたい。というか、お世話になった方ほど気遣いがいるし、先方にも気を使わせてしまう。我が儘な言い回しになるが、このあたりで自由になりたい。も少しFreeな考えで行動したい。ジャンルやカテゴリーにこだわらない釣りをしたい、と言う事だ。そして、来年は?、もちろん釣りは続ける。今まで、表立ってはジギングを中心にやってきた私で、だから皆さんは「ジギングのパパ」と呼ぶだろうか。しかし、本質はただの釣り好きなのだから、そんな原点にも立ち返りたい。自分なりに、この世界では(ジギングの創成期から)それなりのものを残してきた自負もある。だからこそ、令和2年になるだろうか、来年からもそんな気持ちは無くしたくない。釣りも音楽も常に新しいものを模索し、まだまだチャレンジ精神を持って頑張りたいのだ。私のジギングというと、今までメディアなどで話していたこと。それは「休まない釣り」「やめない釣り」「釣れない事を嫌がらない釣り」だ。重たいメタルジグを懸命に振り続け、諦めずにロッドを動かし続けてこそ、釣れる一尾の感動も大きい。そんな考えだ。ただ、ここで誤解される部分もあったと感じているのは「魚を欲しがるな!、ステータスを求めろ」とい主張が、魚を数釣ることを嫌うと思われてしまう事だ。そして、こんなことを言うと怒る人もいるだろうか?、私は、数釣りを否定はしないし、魚を持ち帰ることも否定しない。楽しい釣りなのだから、いっぱい釣ったって良いに決まってる。魚を食べることも好きだし、沢山釣って自慢する、大きい魚を釣って自慢する。それも良い。中には、話が膨らみ倍ぐらいの大きさになったって、それはそれで楽しい。「別に良いじゃないか」なのだ。最近、隆盛を極めるスローピッチジャーク、いわゆるスロージギングと言われるジャンルだが、自分ではあまりやらないが(下手だからだが)、理屈的にもよく判るし、楽しい釣りの一つとして、技術的にも確立されたものだと思っている。ただ、下手と自覚するぐらいだから、自分としては上手くなりたいと思っていても、現状では、この釣りの私より上手いアングラーはたくさんいる。フックを幾つもつける事に多少の抵抗はあるが、その理屈も理解できるし、そのジグの動かし方を考えると正しい考えかも知れない。ただ、私には向いてないと思うぐらいだ。でも、そんな下手な釣りでも、やれば楽しいのだから「それで良いじゃないか」。なのだ。 最近、最も好んでやっている釣り。その中にはライト石鯛(石鯛のへチ釣り)がある。ライトなタックルで(市販のものでは鯛のテンヤロッドが向いているだろうか)、家内と一緒に防波堤などで楽しんでいるファミリーフィッシングだ。これはコアな石鯛釣りのファンは怒られるかも知れないが、意外にコツを覚えると誰にも簡単にできそうな気がする。とにかく、来年の目標の一つとして、まずは、この釣りを確立させ(当面はエサ釣りではあるが)広めていきたい。 さらに来年の目標としては、目指したい釣りがある。これは、まだ頭の中に或る程度で、暗中模索の中にある。幸い、多少のスタイルは違うと思うが、シマノでは既に始めている電動リールを使ったジギングで、私はそのディープ&ハイスピードのジギングに興味を持っている(その程度だが)。ただ、これを私がやるというと、「なんだ~」とか「やっぱり」とか「口ほどもない」「パパも年をとったか~?」とか色々言われそうだ。まあ、人の言うことは気にはしないが、それでも年齢のせいに思われるのは些か悔しい。私の中では、マラソン競技と同じ距離を自転車で走るみたいなもので、単に競技の違い、種目の違い。いわゆる同じスポーツとしてルールの違いを明確にすれば、それで済む事だろう。いわゆる、ジギングをスポーツに見立てた場合も、釣りのジャンルの違いとしてルールを明確にする。あくまでも、レジャーの中の釣りと考えると、(新しい釣り方が出て来た時には、何時も問題提起されるが)あくまでも向き合い方の問題だろう。 ただ、この釣りの可能性を考えたとき、いろんな意味で世界が広がる。まずは、今、マニアの釣りとしてスローピッチの深海のジギングだ。これは200メートル~600メートルあたりのジギングで、私がパームス時代の20年ほど前から提唱していた800グラムあたりのジグを使う深海ジギングだ。その深海までターゲットを万人に広がる可能性を考えたときに、高齢と言われるアングラーや、体力のない女子アングラーにも、この楽しさを伝える事が出来るかも知れないのだ。さらに、この黒潮本流の島だからこそ感じる、透明度の高い水色が澄んだ時期のジギング。それは、生き餌でしか釣れないといわれるジギングには厳しい釣りになる。その中でカンパチなどは、目の前を速いスピードでかすめるような動きに、まれにだがリアクションでバイトする。そして、そんな時は、ハイスピードな電動ジギングが圧倒することがあるのだ。そのあたりのジギングを、確証を持てるまでに技術を(未だに確証のあるテクニックではないが)高め、公表出来るぐらいまでにしたい。勿論、様々な意見も出てくるだろうし、その中で皆さんのご意見なども伺いたい。まあ、今春まではユックリと練っていきたい。それでは、良い年をお迎えください。パパ拝。音楽の話は、新年明けてからでも。 島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソング。
2019.12.28
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今回のブログは履歴書ではない。今年の出来事を振り返り、平成から新年号に変わる年へ、その抱負だろうか。 まあ、振り返ると今年は節目だったのかも知れません。何しろ、73歳になって、少しばかり先のことを考えるようになる。そこで、昨年からは少しずつだが釣り関係での仕事を整理する事を考えた。それは終活ではないが、少しずつスローダウンし、あと5~6年の間で軟着陸するようにスケジューリングをして行く事だ。 島に住んで、26年。このパパズインという釣りのお客さん相手の宿泊業の傍ら、好きな釣り、特にルアーフィッシングの中で、一つの形を作ることに多少の貢献をしたと自負している。ジギングという釣りの開発や普及、その取材活動。ジギングの創成期から、日本全国、更には海外取材にまで飛び回った。思い出深い、ミクロネシア、インドネシア、パプアニューギニア、オーストラリア、などなど。ま、他にも、キャスティングゲームや好きな磯釣りなど、釣行日数が年間で200日を超える年もあったろうか。特に、重いメタルジグを使うパワージギングでは「釣れない釣りを嫌がるな」「魚を欲しがるな」をモットーに、ひたすら重いジグを振り続け、心身を鍛え、忍耐と我慢から手にする、感動の1尾のみを目指す。そんな姿勢を貫いてきたつもりだ。しかし、如何せん体力は年齢とともに落ちてくる。60歳台までは日々のトレーニングで補ってきたが、補い切れないのは視力だろうか。視力の低下は足元の不安定を招く。73歳になった昨年だが、磯釣りの渡礁から船からの飛び降りに、足元がよく見えなかったことから着地に失敗。足首、アキレス腱の断裂である。さらに、生来の我慢強さ、痛みに対しての強さもあって、そのまま足が使えない状態でも取材等を続け、放置を4か月間。ようやく医者に診ていただいた頃には完全に断裂していた。そして、もっと悪いのはその間の入院、その後のリハビリ、その期間には全く他の部分の筋力トレーニングが出来なかった事もあるだろうか?、驚くほどのスピードで筋力が落ちていた。例えば、アキレス腱がほぼ完治したことで、ランニングを中心にしたトレーニングを始めると、無理したつもりはないが股関節を痛めてしまい、再び数か月も休んでしまう。そこで焦りも出るだろうか、その回復から再びトレーニング。そして今度は大腿部の肉離れ。これらは、自分の想像以上に衰えた筋力、それに気付いていなかった、と言う事だろうか。それでも、ヘビーなジギングの取材では、歯を食いしばり自分の最良のパフォーマンスを示そうとする。しかし、思うようにいかない事も多く、結果につながらないことも続いた。もちろん泣き言は言わないし、そんな事はヒトには気づかれたくない。しかし、心の中では「そろそろ引き時か?」そんな葛藤が生まれるのだ。そこに来て、まさかの出来事も起きる。それは家内の病気だ。元々はリュウマチが持病で、東京の病院に通っている。数年前に肘に人工関節を入れたところで、少しは病状も落ち着いたと思った。ところが、今度は胃の中に大きな腫瘍が見つかる。早期の発見もあって、無事にその腫瘍を取り除いたが、それは青天の霹靂である。この島に住んで26年間、家内はリュウマチという病と闘いながら、泣き言ひとつ言わず頑張ってきた訳だ。それは生涯の付き合いを覚悟した病なので、心の中では納得していた。しかしその上の、癌の宣告は、まさに想定外だった。昨年一年を振り返ると、今までに幾つかあったであろう、そんな人生の岐路。その中で最大のものかも知れない。しかし、これも結論が出た訳では無いから、どんな時にも笑いを忘れず、ひとに笑顔で接し、冗談を言い合い、明るく過ごしてきた。それに、悪いことばかり述べたが、決してそれだけではない、良い事も多かったのだ。それは、30年近くも中断していた音楽活動でも、5年前に東京の音楽仲間が「パパ~、もうそろそろ再活動しない?」そんな話があって、東京でのライブを始めていた。それが今では、島の音楽仲間を育て、彼らと島中心の活動をするようになった。歌も、長いブランクから難しいと思ったが、この1年はまだまだ伸びしろを感じ、先が楽しみになって来た所だ。そう考えると、2019年は思案する年、次へのステップを考える年かも知れない。釣りの話に戻るが、僕のジギングは我慢の釣りだ。辛抱し耐え、懸命に遣り続ける事で次につなげる。それは、そんな苦難を乗り越える事で必ず次に繋がる、そんな多くの事を経験して来たからだ。平成は今年で終わりになる。2019年は、体力の衰え、そしてスローダウンしていく私たちの先を見据え、しかし、決して諦める事なく、次に繋がる希望の芽を育む年になれば良いだろうか。僕は間もなく74歳になる。この年だからこそ出来る事もあるだろう。パパはも少し頑張る。
2018.12.30
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20代、30代では、やる気満々でもすぐに横道にそれる、それは危なっかしい若造だ。好きなことには突っ走るが、後先も考えず本能のままにも動く。だから、既婚者なのに、家庭を持っている意識も薄い、チヤホヤされれば、豚も木に登るトンチキである。更に、僕のバンドメンバーは弟子である。付き合う仲間も横浜あたりでは暴走族以前の「カミナリ族」と言われた時代。バンドといっても、喧嘩はするは女癖も良くない。メンバ~には体育会的指導法だから、教えもするが、あまりにも理解不足だと手も出てしまう。今でいう、パワハラ、セクハラ、オイラのお腹は2段腹なのだ。バンド稼業は人気商売、そのあたりでモテモテの気分になる。人生を相当に勘違いした生き方だから、家内は、その尻ぬぐいの連続だったろうか。ただ、それが40代になると、さすがに落ち着いてくるのだ。バブル期、当時のディスコはバンドにとって不毛の時代になる。というのは、ディスコの主流は生バンドからレコードを使ったスクラッチ、DJの時代に変わる。しかし、バンドが仕事が無くなった訳ではない。その頃に盛り場でちょっとしたブームになったのがオールディーズだ。それは、ディスコでお立ち台に乗って夢中に踊る世代よりは若干上の、30代40代のお客さんが中心の、オールディーズブームだろうか。当然に、私の同世代からやや若い世代。1950年代~1970年代の音楽を聴いて過ごした年齢層のサラリーマンやOLが多かったろうか。最初は銀座だったと思ったが、「ケントス」の系列店がその口火を切った形だろうか。そのオールディーズライブハウスが、六本木、赤坂、新宿と派生し全国の都市にも広がった。当時のミュージシャン(僕が音楽を始めたころは、楽隊と呼ばれ、そのあとはバンドマン、この頃になってようやくミュージシャンと呼ばれるようになった)の仕事場は、このような店で演奏するクラブバンド(箱バンド)とスタジオミュージシャンがある。ビッグバンド時代から、スタジオミュージシャンになった私だが、スタジオでは所詮タレントのバックバンドか、スター歌手のレコーディング参加だ。自分の音楽をやりたいミュージシャンは、自分のバンドで(グループ)オリジナル音楽を目指すが、実力を着けるにはこういった店で、オールディーズなど洋楽を演奏する方が勉強になる。六本木に、有名なレジャー型サービス産業で大手の拓建が「ローリーポップ」というオールディーズライブハウスをオープンする。そこに請われて、私がリーダーで「リップス&ドリーマー」という名のバンドを作る。これは人気店でもあり、バンド人気にも火が付いた。週末には、店の通りをはみ出し、その小路を何回りもするぐらいファンが並んだ。(ローリーポップ時代で、お店でバースディー。顔がデカイ)そこを数年務めると、今度は新宿に、もう少し大人をターゲットにしたオールディーズクラブ「スターライツクラブ」がオープンする。それは、1950年代ニューヨークの「コットンクラブ」のような雰囲気のゴージャスなライブハウスだった。「ローリーポップ」を後輩に任せて、そのお店のオープンから「ハリウッド・スウィンギン」という、4管編成のオールディーズバンドを作った。それは、画期的なバンドである。演奏曲目は幅広く、1950年代~1980年代のジャズ、ラテン、ソウルミュージック、ボーカル中心のオールドミュージック。センターボーカルは僕と若い女性ボーカルの2人。コットンクラブのキャブキャロウェイバンド(ブルースブラザースの映画でおなじみ)のような雰囲気で、9人編成のとても人気のあるバンドに作り上げた。女性ボーカル「令子」とのSOULデュエット、人気があった)大人のお客様が多くなり、それなりに熟成された音楽を演奏する。それは、自分自身も多少は大人になって来た証かもしれない。毎週に休日があり生活も落ち着いてくると、釣りの方も隔週ぐらいの割合で出かける。そしてバンドが安定してきたところで再び、後輩メンバーにリーダーを譲り、都内の有名ライブハウスで自分のオリジナルソングのパフォーマンスを続ける。それは、自由に休みも取れることから、今度は離島などに出かけ、釣りの方に比重を置いた生活だろうか。まあ、40代はいくらか大人になったと云う事だ。その頃である。渋谷のライブハウス「エッグマン」でのライブ予定があった。そして、2日前にリハーサルを終えたので、一日の休みで八丈島に釣りに出かける。その頃は八丈島に貸別荘を借りていて、月に10日ほどは離島での釣三昧。そのライブの当日に飛行機で帰る予定だが、朝から悪天候、昼には全便の欠航が決まる。大変な事態だ。音楽事務所に連絡を入れ、パパは風邪をひいて休演という事に。しかし、当日100人ばかりのお客さんが待っていたわけで、当然に大クレームだ。その後、東京に戻ってから音楽事務所と、事後の会議になるのだが、事務所の女社長は「困ったもんだねっ!、パパ~、そんなにお客さんより島が良いんだ~。そんなに好きなら、いっそ住んじゃえば~!!」そんな嫌味に、こちらも悪態を吐く、「そっか~、住んじゃえば良いんだね~、明日にでも家を探しに行こっ。また10日ほど留守にするからね~」ところが、この瓢箪から駒がでる。其処からトントン拍子に進むと、なぜか音楽事務所も前向きになって、共同で八丈島にペンションを開く事が現実化する。ま、事務所としては、一番の口うるさい古株で、後輩ミュージシャンに影響力も大きい。こんなのが幅を利かせていると、若手が伸びない(今のジギング界も一緒かな?)。今のうちに追い出した方が?そんな訳でもないが、江戸時代の遠山金四郎風に言うと、「そのほう、素行が不埒千万。磔つけ獄門のところ~一等を減じ、八丈島に遠島を申し渡す~!」ベンベンベン!。と島流しが決定するのだ。 さてさて、この後は、いよいよ次は八丈島編です。長かったね~。
2018.12.21
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青森、津軽の田舎者が、音楽家を目指して上京したのは、東京オリンピックの始まる前年だった。しかし音楽大学に入学したものの、夢は大きいが金がない。そこで、花のキャバレーでバンドのアルバイト。だが、そこは、目もくらむ華やかなライトの向こう側に、ホステスさん、ダンサー、女性歌手、がいるステージ。いきなりの田舎者が狂うには十分な淫靡の世界だ。まあ、大学なんて1年もしないうちに行かなくなってしまう。でも、勉強しなかった訳ではない。アルバイトでも腕を磨けばそれなりに。2~3年もすれば超一流とはいえないまでもジャズのビッグバンドのプレーヤーにはなっていた。演奏家時代はコピーのしまくり。ビッグバンドでカウントベイシーオーケストラから、当時モダンジャズといわれたジョンコルトレーン、マイルスディビスまで。とくにトロンボーン奏者になって、カティスフラーやJJジョンソンといったプレイヤーのアドリブソロは殆どしたろうか。だが、思春期の田舎者が都会で花開いた気分だ。手当たり次第に悪い遊びを覚えたのも事実だから、そりゃ多少の努力はしても、やる事が中途半場だわ。スマイリー小原とスカイライナーズというビッグバンドに在籍していた。テレビで「シャボン玉ホリディー」や「ヒットパレード」をレギュラーで持つバンドだ。一旦は退団したこともあるが前後で5~6年いただろうか。そのころから、多少だが番組での編曲などをするようになり、自分の番組も持つことになる。そして、其の頃から、リズム&ブルースやラテンに興味を持つ。特に小編成で賑やかしく踊るバンドは女子にモテそうだ。いつしか、そういったバンドを作り、リーダーに。しかも、仕事場はディスコだから若い子が集まる。管楽器を振り回しながら歌って踊るバンドは画期的だから、そりゃモテる。またまた不浄な生活。新宿や、赤坂、六本木、あたりのディスコやクラブでは人気のバンドだが、マネージメントできる器量はない。当然に、ヤクザまがいの悪徳マネージャーに吸い上げられ、その上に安い給料だが、楽器やアンプの支払いに追われる。さらに、歌い踊る1時間のステージを、一日で4回~6回。夜の6時から翌朝まで。休日なんて月に2回程度だ。ただ、バンドメンバーは若いが素質が十分。今は、世を時めく(騒がす)有名なミュージシャン、音楽家になった連中も多いが、死んじゃったやつも居る。黙とう。しかし、その上に良いバンドは練習を重ねるので、練習時間、譜面を書く時間、さらには夜な夜な仕事後に遊び歩く時間、女子とイチャイチャする時間、そして必ずと言って大事にしているのが、大好きな釣りの時間だ。まあ、こんな不健康な生活で、よく体がもったと思う。これが、30代までの僕の生活ぶりです。この後は40代からの、僕の生きざま、島に来るまでの話を。ま、自慢げなことは一つもないです。時間つぶしにでも読んでください。写真は、30代のパパ。バハマシュガーというオリジナルラテンバンドのリーダー時代。原宿のライブハウス「クロコダイル」にて。
2018.12.08
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今度からは小文で、も少し更新をいたします。このブログは釣りもそうですが、パパの島での暮らしぶり、そして音楽。音楽は、島でのライブ、東京でのライブ告知なども。音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソングです。釣りは島の暮らしで、最近気になる事。自然環境なども含め、島の美しい自然のこと。終活(愁活)に入ったパパの生き方。昔を引きずった懐古なメモリーな。などなどを、軽く、書きます。釣り、音楽とともに、あと何年出来るか判りませんが、お付き合いのほど、よろしくお願いします。写真は、懐かしいバリバリ人気のあった時代の、ロックンローラーなパパ(笑笑)。ニューリアルの、のっけから出す写真じゃないね。
2018.12.06
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久々のブログ更新が、こんなニュースじゃ申し訳ない。なのですが・・・。 でも、何れ判る事。噂が、意図としない方向に広がるよりはマシだろう。 実は、エリザベス(家内)が入院した。 胃の3分の2を摘出した。 最近、胃の調子がイマイチ、そんな事が、虫の知らせだった。 お客さんで、釣り友達の植木先生に話をしたところ、直ぐに検査を。 沢山の写真を撮った中に、何か腫瘍らしい不審な影が幾つも。 検査の結果、急いで手術した方が良いと。 しかし、その話が出た所で、やはりお客さんで、その方面の権威である緒方先生が、素早く。 先生の弟子筋で、やはりお客さんのある小島先生が、病院から手術をする日程まで、既に決めて下さいました。 本当に急な話です。 5日の日に摘出手術。本当に早期発見で、それも先生方のご尽力で半月も無い速さだ。 そして、かなりスピードの速い厄介な奴だったらしいが、なんたって早期発見。 僕は、今朝、東京の病院から帰って来たが、何しろ術後3日で歩いてトイレに行ける。 今朝は、流動食(と言ってもスープレベルだが)を口にしている。 そんな事でした。 正直、内心は、頭の中が白い砂漠状態でしたが、少しは落ち着きました。一安心です。皆様には、本当にご心配をお掛けしました。 何かの縁で、不思議に、繋がっている。 そんな繋がりのおかげで。 また、皆様の温かい心遣い、励まし、そのおかげで。 全く安心という訳にはいきませんが、何とか一安心という所に漕ぎつけたようです。 エリザベスの意見は、「慌てず、今のままで通りやって!、釣りも音楽も、パパズインも」。 ま、僕としては、少しばかり彼女と寄り添い、気遣いはしようと思っています。 私も73歳を超え、エリザベスも68歳になる。2人共に高齢者だ。 どうも、一昨年あたりから、スッキリいかない感じもあった。 何かを変えなければイケナイとも思った。ジタバタもした。 しかし、私のアキレス腱の断裂などアクシデントもあり、さらに悩ましく。 変えなければならないが、でも、変わらない平常心と言うのも大事だろう。 そして、 エリザベスの意見同様に、皆様には、普段通りのお付き合いを頂ければ。 今回は、そんな気持ちを、新たに持ちました。 改めて、宜しくお願いします。島は、もう直ぐ夏祭り。 それまでに、元気になって、一緒に浴衣を着て出かける事が出来れば嬉しい。
2018.07.10
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また来てしまう、誕生日。74回目は、明日になる。 それは、黙祷。東日本大震災の日である。 今でも思いだす、昼休みあと。誕生日のお祝いで、ケーキを食べながらのお茶の時間。 揺れがあって、TVを付けた後は、身じろぎも出来なかった。 忘れる事の出来ない、メモリアルなバーズディー。 あれから、7年も経ったんですね。 今でも言葉も無い。大事な友人も失った。 東北、青森出身の私は、多く兄妹、友人が、今の被災地に居た。 ただ、まだまだ復興は遠いのだが・・・、未だに苦しんでる方も多いのだが、でも、確実に復興していることも確かだ。 私を含め、東北の人間は、辛抱強い。我慢強い。・・・と思う。殆どの人は、頑張っている。 勿論、この震災の前の阪神淡路、この震災後の熊本、北九州の震災。被災者は、みな頑張っている。 僕も頑張らなければいけない。 去年、6月のアキレス腱断裂。10月の手術からの入院。 73歳での半年以上のブランクは心にも辛い。その後は、全てにリタイアも考えた。全てに止めようとも思った。足の痛みを我慢しながら、その中で、仕事にも流されていた。 が・・・。最近は少しずつ、考え直して来た。震災で、苦労されている方々、もっともっと多くいる。だから。 年老いたと言っても、まだ先がある。 多くの方にも、励ましも頂いている。 そして、強い私に戻りたい。 止めない、逃げない、諦めない、そんなパパに。 そう考えるようになって来たのだ。 ただ、多くの物事を抱えすぎるのは良くない。シンプルに、自分の身の丈で、少ない先の時間を、確りと受け止め、その中で。 無駄でも、足掻いても、みっともない程にだ。それでも、前を向きたい。 明日は、黙とうを捧げながら、更なる精進を誓うだろうか。(これは、震災後に描いた絵)
2018.03.10
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先日、釣りでの話。 若い連中とジギングをしている時に、唐突に聞かれた。 「何を望みますか?」、こんな風に。 多分、「どんな釣りをしたいのか」とか「どんな魚を釣りたいのか」 そんな質問だろうか。 まさか、残りの少ない老人に、将来の望みを聞いた訳ではないだろう。 そんなシチュエーションだと、どうも真面目に答えられない。 ヒネた性分。 子供の頃なら、欲しいものを言うだろうか。 将来を聞かれたのであれば、「総理大臣になりたいっ!」「偉い人になりたいっ!」 凄い時代錯誤な言い回しだが、僕らの子供の頃はそうだった。 これがミュージシャン時代の質問だと、本音は「良い演奏をしたい」とか「良い音楽をしたい」になるが、ギャグの多い世界だから「先の栄光より、目先のお金」ぐらいは言ってるかもだ。(1988年だが、このころで既に43歳ぐらいかな?) まあ、僕の子供くらいに年の離れたアングラーなので、 おちょくった訳ではないし、受けを狙った訳でもない。 軽くギャグを言ってみた。 「加齢臭の無い老人でいたい」と。 全く受けなかった(笑)。 でも、この言葉には、けっこう本音があるのだ。 年寄りになれば、若さが恨めしい。年の分のリスペクトも欲しい。 育った年代、その環境の違いで、思考や指向、嗜好、全てが違ってくる。ジェネレーションのギャップは大きいのだ。 半面、一緒に遊びたいし、仲間に加わりたい。会話に加わりたい。 口煩いジジイなんて言われたくない。息が臭いなんて言われたくない。 老人扱いされて面白くない。だけど、シカとされても面白くない。 あ~あ、オイラ面倒くさいジジイかも。(ゆいの雛飾り)いや、優しいジイジです。
2018.02.28
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釣りは、諦めない。釣りは粘りだ。釣りは、逃げない。 これは、僕が良く言う言葉だ。 だが、こんな言葉と裏腹になるかも知れないが、 釣りは、潔く。 これも大事だと思っている。 来月は、早々にハワイ、オアフ島のジギング取材がある。 最大の空港、最大の都市ホノルルを擁するオアフ島だが、ジギングに関しては意外にやられていない。(ハワイの、特にカンパチジギングというと、意外にカウワイ島やハワイ島なのだ) そんな、夢のあるフィールドの対象魚は多い。 僕が狙う、カンパチだけではない。巨大なキハダマグロやカジキマグロ。 他にも、大型の根魚(ポテトゴッドやハマダイ種の大型魚)など魚種は多い。 僕でも、その昔は、海外遠征では夢を馳せる。 ジギングで大型カンパチ、それは勿論だ。だが、キャスティングの大型のマグロも魅力があり、可能性は大きい。ヒラマサがあるかも知れない。大型の根魚。南の島なら、魅力満点のGT、トレバリーがあるかも知れない。 そんな夢が、広がれば広がるほどタックルの幅も広がる。 ただ、今は、そんな時ほど、潔くありたい。 「この道具、このタックルで釣れなければ、それで良いよ」「少ないタックルでも心を込めた釣り、やり切った釣り、それをやり遂げよう」そんな心意気で、ジギングに集中させたいのだ。 ケッちいと思うかもしれないが、貧乏アングラーが海外の釣りをする時、気になるのは、重量オーバーだ。 航空会社にもよるかも知れないが、今度のハワイ、JALは20キロの制限がある。 意地になるかも知れないが、其れなら20キロに収めよう、なのだ。 実際に、重量オーバーは航空会社によってはトンデモなく高い料金、その支払いを強いられる。 最小の道具、少ない道具に絞り込んで、如何に大きな釣果を出すか?、それも、楽しい釣りのパフォーマンスだと思う。 今回、僕が持ち込むタックルは、ロッドは、キッドナッパーズブランド、アイアンウィルのベイトタックル、1本だけ(絶対に折れないという自負)、ケースは、コンパクトな、ネーチャーボーイズ「METAL ROD CASE 1390]、そのアルミ仕様の軽量なケースに1本収めるだけだ。リールはスタジオオーシャンマーク・ブルーヘブン2個。 メタルジグはディープローバーの210g~500g、9個だけである 勿論、狙いは200メートル以深のカンパチと、中層の大型キハダのみ。 重量は20キロに収め、それで結果を出せなければ、それは己の技術の未熟さだ。 そんな、縛りを作ることも楽しさに繋がるのだ。 多分、多くのアングラーは「それだけ~!!」と思うかもしれない。 でも、僕のキャリアで言わせて頂ければ、大事なのは、どんな魚種を、何キロの魚を、どんな釣り方で、どんな道具で釣るか?、大事なのは、其処なのだ。 釣りの楽しさは、多くの魚種、大きな魚、魚の数だけに、思いを巡らす事ではない。 絞り込んだ道具をイメージし、そのイメージ通りに釣り上げる事は大事だ。 それは結果に繋がらなかったとしても、悔いのない潔い釣りになるだろう。 釣りには「潔さ」、大事な事だ。
2018.02.24
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ソルトワールド誌の取材である。 魚や写真や釣りの感想文は、5月の発売号を楽しみにして頂きたい。 ただ、何でこの時期に、北の地、青森の取材を決めたか?その理由を述べたい。 私は、多くの釣り具メーカーのお世話になっている。 そのメーカーが作っている道具、例えばリールのスタジオオーシャンマークジグやロッドはネーチャーボーイズ、ラインはフィッシングファイターズ・ワイルドエイト他にもダイワのソルト関係製品、どれも一級品、世界に誇れるだろう。 どの道具も、大型魚を釣る近道になり、そして楽しい釣りに導いてくれる。 しかし、感謝の気持ちと同時に、こんな本音もある。 それは、例えば使ったメタルジグが魚の活性とマッチし、「ディープローバー、このメタルジグで釣れました!」ジグのナチュラルな動きを演出し、大型魚のランディングに結び付けた「アイアンウィル、このロッドの感度とパワーのおかげです!」強度な機能に合わせ、滑らかなギアと回転、そして完成度の高さ「このブルーヘブンだからこそ、こんな魚が釣れました」PEライン、ワイルドエイト・バーチカル「この研ぎ澄まされたような、繊細な感度だからこそアタリが取れた」 たしかに、私の使っている道具は全てに素晴らしい、サポートを頂く、どのメーカーさんも、素晴らしい道具を作り、私は、アングラー皆さんに、この道具に自信を持って勧める。なのだが、これらお世話になっているメーカーさんには失礼な言い回しになるが、その反面、自分の技術で釣ったと考えたいし、己のパワーやそんなイマジネーションで釣ったと言われたいのだ(力のパワーでは無い)。 結果を出すためには、誰もが条件の良いフィールド、釣れる時期、潮周りを選んで釣行するだろう。 それは、私も、若い頃は釣果に拘り、回数を増やし、魚の多い場所を選び、良い潮周りを選んで釣行して来た。 しかし、子供のころから色んな釣りをし、メディアに出るようになってからでも、既に40年を超える。それは、休日アングラーの数倍もの釣りをしてきた事になる。 当然のごとく、今さらながら、釣れないからといってジタバタもしない。むしろ、釣れない釣りの方が、余程、闘志を沸き立たせる。数を求めるより、如何に難しい1尾をものにするか?そんな釣りに拘って行きたいのだ。 今回の青森県六ケ所村、泊漁港からの釣りは、そんな思いからである。 青森周辺のアングラーに、この時期の釣りを聞く。更に、船長や漁師さん達にも聞いてみた。そして、帰ってくる答えは、ほとんど同じである。 「タラはもう少し早い時期の深場だよ」「2月は、中途半端だけど、釣れなくはないよ~」「サクラマスは下北の北部、尻屋の方で、コッチはなあ~」「居ないことも無いけど、釣れ難い」「釣れないから、お客さんもいない。漁師もあまりやってないよ」「寒くて、時化も多い。釣りにならない。釣れれば我慢も出来るけど」 しかし、こんな言葉が多いからこそ、やる気になった。この時期を選んだのである。 三沢空港に着いたのは夕方。そこから六ケ所村に向かう。途中は、ところどころで吹雪になる。着いた日、その夜は、氷点下10℃近くまで下がった。 翌日、早朝出船。雪の舞う中でのジギング。奥歯がガタガタ、手は冷たくしびれ、感覚を失う。でも、大型は出なかったが、タラは良く釣れた。ソイ、アイナメ、ホッケ、カレイ、など含めると相当の数、ほぼ休みなくヒットが続いた感じだ。 タラは沢山釣れたので、翌日は、釣れないという、サクラマスのジギングに絞る。 更に低気圧は向かってくる。大雪の予報なので午前中の釣りだろう。朝、出船時、雪になるので寒さは緩む。と言ってもマイナス5℃だ。 釣れない、難しいと云うサクラマスだが、それでも執念で釣れた。 そして、相方の名久井君が釣れたのも、何よりも嬉しい。船長は驚きを隠さなかったが、喜んだ。 僕の釣りは、諦めない釣り。釣れない釣りを嫌がらない、そんな釣りだ。 午前10時を過ぎると、相当に風が吹いてきて、早上がりする。 その夜は大吹雪になったが、心に満足感が広がった。
2018.02.20
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本当にズボラなブログですね。 更新しないときは2月も3月も、気ままに続け、足掛け12年になったでしょうか。音楽好き、釣りも好き、絵描きも好き、酒も好き、女も(これは終わった)、そして文章書き、好きな事だけやって来た。 それが、アクセス数は40万をこえたようです。 まあ、自慢げ、愚痴、たまには自分自身を励ますために書いてきたろうか。 尤も、このブログは、還暦近くで始めたので、すでに73歳。まあ、良く続いたものです。 こんな気ままが40万回もアクセス頂いたことに、感謝感謝です。 ミュージシャンとして中途半端な生活から、46歳にして島に来てアングラーズリゾート・パパズインを始める。 六本木や赤坂あたりでブイブイ言わせていた、不良で中途半端なミュージシャンが、好きの釣りとは言え、まるで島に流された流人のようだ・見ず知らずの土地に流れ着き、そこからの再出発。そんなつもりだろうか。 時は折しも、バブルから真っ逆さま、最初に1~2年はともかく、日本経済は急転直下だから、当然にフィッシングレジャーも深海に潜るかのように沈み始めた。 少々は、体力に自信があって、始めたジギングという未開な釣りである。まあ、試行錯誤ながら、少しばかりが評価もあってか、後に続く若い人も出て来た。しかし、先は何も見えてなかったかも知れない。 振り返ると、20数年のジギングの歴史は、僕の歴史でもある。 ジギング好きの若い連中には、「止めるな」「諦めるな」「続けなければ結果は出ない」、こんな事を言い続けてきたろうか。 しかし、その言葉は、自分にも言い続けている。 そろそろ潮時かも知れない。ただ諦めきれない。いや諦めたくない。 心が彷徨っている。 ここまで来るのに、多くの人の支えがあった。 そして、40万アクセス。まだまだ、多くの人の支えを頂いている。もう少し、ジタバタしたい。 感謝!。有難う御座います。
2018.01.13
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音楽家、アングラー、昔の話から来年の目標 ガキだったころ、僕が田舎から上京したのは、東京オリンピックが開催された(1964年)、その前年の1963年(昭和38年)である。希望に燃えた、大学生活だが、少ない仕送りから生活に窮し、安易にアルバイトの出来たキャバレーのバンドが、その後の人生を決めたと言って良い。川崎や新小岩辺り、場末のキャバレーでのアルバイトが、当時大学の講師だった先生の紹介で、日本でも有数なバンド「ジョージ川口とオールスターズ」のオーデションを受け、そのまま入団する事になったのが、僕のプロミュージシャンとしての切っ掛けである。 勿論、刺激の多いジャズミュージシャンの生活に埋没すると、その後の大学生活など、とうに挫折してしまう。さらに、田舎から出て来たばかりの若造である。等の仕事は、あのステージとホールの華やかで、着飾った女性たちが踊り舞うキャバレーやダンスホールでの仕事が中心である。それは甘い誘惑に満ちた華やかな世界だった。 しかし、それでも向上心の強い、生意気な若造君であるから、甘い誘惑に負けてしまいがちだが、それなりの勉強や努力もしただろうか。幸いに音大では、作曲専攻であった為に、ビッグバンドでも、そのアレンジ、編曲の能力には多少の評価をされたろうか。その後、在籍する、日本の有名バンドではトロンボーン奏者としてだけではなく、作・編曲家としても重宝がられた気もする。ただ、音楽家気質の中でも、良くない部分も沢山持ち合わせていて、その最たるものは、女性問題(そんなに、しょっちゅうは無い)、更には金銭感覚の無さだ。 生来のぬるま湯気質である。努力はするが、突き詰める程のこんの良さは無い。何事にも中途半端。又その中途半端さが自分には合っているようで居心地が良い。そして、この癖に金銭感覚が全く薄いのだから、そりゃ、夢は沢山あっても、お金には全く縁のない貧乏生活の連続だった。ただ、ステージに立てばそれなりのエンターティーメント、目いっぱいに格好はつけるは、若い子には愛想を振るは、ファンやメンバー引き連れ飲み歩くは、いやはや、飲んでは喧嘩はするは、毎日のように朝帰り。そりゃやりたい放題で、その埋め合わせは、女房殿が全部背負っていた事になる。 まあ、そこから一念発起ではないが、島に住んで、真面目に?釣りに邁進する。もともと凝り性なのだから、ジギングなんて釣りに嵌ってしまう。それでも、そこそこは努力するので、この釣りの創成期には、「ジギングのパパ」とか「鉄人」なんて言葉を頂く事もあった。しかし、これも生来のぬるい性格だろうか、当然に中途半端なところが顔を出す。突き詰めるよりは、楽しむことが先。仕事が絡んで背負うものが多いと疲れる。年を取るほどに、自分から楽な方に楽な方に、居心地の良さを求めたい気分になる。「高々遊びだから、気を使い、気張ってなんかやれるかい!」なのだ。ただ、音楽の話になるが、島に来て中断してたものが、少々、見つめ直すようになる。それは、若造の時代に、さんざん培ってきた音楽、一流の音楽家たちと研鑽しながら挫折を繰り返した音楽、さらに、喜び、希望、怒り、悲しみ、後悔、挫折、それら繰り返して来た音楽の再開だった。ミュージシャン生活を30年も中断させ、島に住んで70歳をとうに超えているのだがは島の音楽仲間たちと知り合い、「これも、頑張ってみるか!」みたいな気持ちだ。一緒の、島のバンドメンバーには申し訳ないが、彼ら、彼女たちは、音楽経験の少ないアマチュアだ。いや、経験が全くないメンバーが殆どと言って良い。しかし、言い方は悪いが、それも平均年齢は60歳を超え、音楽的には知識は薄いと言っても、そんな彼ら、彼女たちの努力、やる気は、そうとうに凄いのだ。更に、僕の教える事に対して、真摯に耳を傾け、言われるように練習を繰り返す。多少の時間はかかるが、気持ちが入っている分、慣れで音楽をするプロよりも、遥かに純粋な響きが出るかも知れない(気がする?)。更に、一緒に過ごす時間、その会話、それが素晴らしく心地が良い。成長も嬉しい。演奏も良くなった。何よりも気遣いが無いのだ。 東京の有数なミュージシャンと一緒にもライブもやっている。素晴らしい音楽も出来る。楽しい。しかし、今の僕の目指している音楽は、上手いプレーヤーと演奏する事以上に、僕自身が居心地の良い音楽なのかも知れない。釣りもしかり。ぬるま湯で結構。居心地の良い所で、多少は中途半端でも、楽しく釣りが出来れば、それで良いような気がする。 来年の目標。好きな仲間と、最高の楽しい釣り、好きな仲間と最高な楽しい音楽をする事。ただ、向上心を持ち、止めない。逃げない。諦めない。心を一つにして頑張っていけば、必ずや、日本で一番に、楽しい釣りの仲間、楽しい音楽の仲間になれる筈だ。2018年、73歳になるパパは、それを目標にします。
2017.12.21
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バイオリズム、それは生理状態における周期。感情や精神、体調を含めた周期だろうか。昨年の夏から、どうもこのバイオリズムが狂っている気がする。しかし、身体リズムは23日、感情リズムは28日、知性リズムは33日と言われるのに、既に、半年以上ではないか。そりゃ、単に73歳、既に衰えたという事だろっ?。誰もが、寄る年波、体力の衰えには勝てない。ただ、単に年を食っただけだろうか。 へっ!、そんなもん承知の上だワイ。 ヤンチャだった若造の頃から、体力には自信があった。かといってバカみたいな無理をする訳ではない。ただ、体を使う好きな事には目いっぱいで、誰よりもヘコタレナイ自負だろう。 そんな、自信過剰だからこそ無理をする。釣りでも、中々結果が出ない内に春を迎え、更に、今年の6月には小笠原の母島で磯釣りの最中にブチュッ!とアキレス腱を断裂する。ただガイド中なので、皆に迷惑をかけたくない。そ知らぬふりで釣りを続け、勿論痛いのだが。八丈に戻っても、そのまま彼らのガイド、当然片足ながらそ知らぬふりで釣りを。そのまま取材で屋久島に、勿論足をパンパンに張らしながらの釣り。ようやく島の医者に、しかし整形外科がない。すったもんだで東京の病院に。島に戻りジギング取材をやってから、再び上京、完全断裂で即手術。あああ、1か月の入院生活だ。 「俺は丈夫」「俺は無理が効く」「俺は我慢強い」「こんなもんで仕事休めるか」その結果である。 退院後のリハビリでシュンとしていたが、「いや~、順調ですね~」「回復が早いですね」「よく動くようになりましたね」その言葉で、直ぐにその気になる。豚もおだてりゃ木に登るだ。 その1週間後に青ヶ島釣行。多少頑張るがサメだらけ。上がったのはカンパチ7キロのみ、後は全てサメに。頭だけ上がって来る。まだ、バイオリズムが戻らない?。 戻って翌週、釣りビジョンの撮影。大時化の挙句に寒気が入ってバカ寒。おまけに黒潮大蛇行で海水はお湯のような八丈島。う~。ベルモンド柳が20キロのカンパチを釣り、何とか凌いだが・・・。そして、寒さで風邪っ引き。う~!!。パパは老いたり、時代は終わったか?。やはり、まだまだ続くのか?。ああ、このままで沈んでしまうのか?クソ~!!。 いや、も少し勉強しろという事です。 まだまだ、伸びしろがあるのだから、努力しろって事です。 そういえば、だいぶ前に届いていたトレーニングマシーン、数々の器具。入院や何やらで、そのままにしてある。明日は梱包を解いてセッテングしよう。 また、出直しのつもりで、時間を賭けながら・・・。あ、あ、あ、リハビリもしなきゃね~。
2017.12.09
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いやいや、最近はブログでも書くことが少ない。その為か、暫く更新をしていない。何しろ、プライベートな事はラインで済ませる事が多く、自分やパパズインの近況は、フェイスブックで述べる事が多い。ただ、そのフェイスブックも友達の数が4000人を超えた2年程まえから、半数近くも削ったが、それでも承認数も多いので、すぐにそれ以上の数になってしまう。まあ、軽く友人としての付き合いのつもりだが、それでも、此方から一方的に削除するのも失礼な話なので、その判断だけでも難しい。商業的な部分も多いSNSなので(この場合、フェイスブックやツイッターなど)、行き過ぎにならない程度には宣伝のお手伝いもする。また、実際に良いものは良いという。でも、それがプレッシャーになる程まではしないので、その辺りは理解を頂いているだろうか。政治的な発言からも、遠ざかるようにしている。しかし、本当に稀にだが、書かずにいられない事もある。主義主張には、ついつい引き込まれてしまう。そこが、ソーシャルメディアたる所以なのかも知れない。 BS1の番組「キャッチ」で、SNSの発言からの失敗談をやっていた。主にアメリカニューヨークでのインタビュー。 中々面白い。まあ、これは日本でもありそうなことだ。例えば、酔った勢い、怒った勢いでSNS上の発言、この失敗談は圧倒的に多いようだ。そんな時に押して頂いた「いいね」ほど、後で振り返ると、心のこもらない希薄さを感じるという。「いいね」は自分の発言に対してなので、気にしないと言っても、友人たち、その心の深層も判るような気がする。気にせずに「いいね」やコメントの少ない方(交流の無い)は削除するのだが、その辺りも仕事上で付き合いがあったりすると躊躇する。ま、高々がSNSなので、あまり遠慮したくないのだが・・・。 ブログ更新の頻度が少なくなる分、SNSの発信が多くなる。それは、僕の場合、日常の発信で、例えば「おはようございます」から日常報告だ。それは、このSNSを商業的に限定している方と違い、同級生、親戚、更に、昔の音楽仲間、その辺りにまで、日々元気であることを伝える目的も無くはない。人づてにであっても、ショウソクが伝わっていくのも悪くないことだ(多少は、健康的な見栄を張る部分もあるが・笑)。ブログの場合は、この繋がりが薄く感じるのと、どうしても時間的なずれ、タイムラグを感じてしまうからだ。ただ、ブログの場合は、SNSに比べると文字数は多い。私の場合だけかも知れないが、発信したい中身、其処を十分に伝えるのは、SNSの短い文だけでは不十分に感じるのだ。確かに長文のSNSは、最後まで読むのが辛くなるが、ブログは腰を据えて読む、そんな気分なる。 1週間ほど前、お客様の佐野さん夫妻が釣りに来る。その時に、その奥方が23キロ越えのカンパチを釣った。それは大喜びのはなしだが、これを伝えるのであれば、SNSで十分だ。そして、昨日の話だが、今度はご主人がリベンジに。そのご主人が20キロ越えのカンパチを釣った。これも、釣果報告だけであればSNSで十分なのだ。しかし、ご夫婦の釣りだけからこそ、此処にご主人の心の中に大きな葛藤があったとしたら、それは思い過ごしだろうか。奥様がカンパチを釣った時の喜びの反面、自分が釣れなかった悔しさ。更に昨日、自分に魚をヒットした時の手応え、魚が浮き上がるまでの大型の期待。更に更に、釣ったときの嬉しさ半分、奥様のビッグワンには届かなかった、その「な~んだ!」みたいな悔しさ(笑)。私の思い過ごしかも知れないが、相当に悔しかったのでは?と思ってしまう。しかし、こんな話を、即時SNSで発信するのは、そりゃ失礼かも知れない。しかし、これが少々時間を置いからの、こんなブログであれば、それは笑って許されるだろう。佐野さん、許してね。
2017.06.10
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まあ、取材や撮影ではいろんなことが起きる。 しかし、それを誌面では語れないことも多く、そりゃ、まともには言えない話もある。 決してドラマチックではない失敗談ほど、それは最高に面白い話になる。 そんな裏話、まず目に触れることはないのだから・・、こりゃ黙っていられない。 先日、私のソルトワールド誌連載取材を、久々に八丈島で行った。 アングラーは、ネーチャーボーイズテスターとして復帰の親方(竹下恵介)、それに、私の相棒と言っても良い、船上カメラマンのサントス(大川)だ。 1月、ジギングのような沖釣りの冬季取材は、かなりのリスクがある。 高い山を2つ有し、離島の割には風裏のある八丈島なので、西高東低、多少の冬の嵐でもできる事が多いと踏んでの釣りだった。 釣りの内容は、誌面で語るので、ここで述べるのは控えたい。 ただ、釣行では何かが起こるか判らない、そんな触れる事の少ない、ドタバタの部分を切り取り、塞いだ口から漏らすことにする(オイラはおしゃべりだからね~)。 2日目、朝からの出船、大しけの中なので、沖のポイントは限られる。同じポイントの2~3か所をグルグル回る、そんなジギングだ。それでも、ポツポツと魚を拾い、冬季のジギングとしては上々。 昨日は少々、船酔い気味だった親方とサントス。 今日も大波だが、少しは馴れたか?動きはマズマズのようだ。 「うぉ~い、親方、気分はどうだ」 「パパ~、上々です。魚も釣れたし~」 「サントス、少し渋って来たけど、ここらで一緒に遊ぼ~」ジギングをする事を促す。 サントスは、釣りが上手い。 僕の取材では、時々食い渋りで竿を出し、何かの間違いで魚を釣ってしまう。 「な~んだ、魚いるじゃないっスか~。フンフン」 こんな嫌味なセリフで、他アングラーのヒンシュクを買うのが毎度だ。僕には、それが楽しい。 釣りはタイミングで、誰にヒットするかわからない部分もある。 強運なサントスは、そんな時にチョットだけ竿を出して釣ってしまう。 何時か青ヶ島の釣行で、食い渋りになって写真撮りも暇になったとき、ヒトの竿を借りて、25キロ越えのビッグなカンパチを釣り、「ひっひっひっ、疲れたわ~」、とのたまって大ヒンシュクだった。 他にも多くの取材で、アングラーを尻目に、そんなフザケタ真似をする。 ロッドを持つと、我を忘れてムキになる。それは、釣り好きの誰もが持つ本性だが、息子ぐらい離れた年齢だけに、そんなガキっぽい性分が僕には好ましい。 そして今回も、親方からの借り物のロッド振り、120メートルの水深、着底もままならない状況で、それが起こった。 私が、気が付いた時には、既にロッドは海面に突き刺さり、本人は必死の形相。 まあ、もともと釣りのキャリアもあり、手慣れたやり取り。 それでも、ギャ~ギャ~言いながら浮き上がってきたのは巨大なヒラマサだ。 「お~お、タモに入らないね~」 潤航丸船長の純ちゃんは、慣れた手つきでギャフに替えて手にする。 「22キロぐらいあるぞ~」ガシっとギャフを入れ、一気に引き上げた・・・。 ところが、ところが、上手の手から水が漏れた。 上まで持ち上げたつもりの魚が長すぎた。 その長い尾鰭が、船べりを叩き、巨大ヒラマサは海側にドボン。 ありゃありゃありゃ、みなの溜め息をよそにラインをちぎって海中へ沈んでいく。 あ~あ、涙、涙、涙。 奴には、これまでで最大魚のヒラマサか~~。 サントスは「ク~~、う、う、う」暫くは放心状態。 でも、こんな事があっても、船代を決してオマケする事の無い潤航丸船長(笑)。 まあ、誌面には書けない、こんな裏話でした。 でも、僕には相当に愉快な釣行だ。 読者みなさん、こんな裏話があった事を心の隅に置いて、ソルトワールド3月号、僕の連載を楽しみにして欲しい。
2017.01.15
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今回は、先日のブログにチョットだけ記述の、パパニューブランドの話です。 まあ、この年になり、スローダウン宣言の中で、新しいブランドの話は、まあ、ローソクが消える前の灯りでしょうか?。 でも、僕のジギングの集大成ではないが(まだ伸びしろはあるつもり)、そんな心を込めた製品を、絞りに絞って、満を持した製品と考えて欲しいです。 これは、ビッグオーシャン・ネーチャーボーイズからのリリースになるが、パパスタイル「THE KIDUPPERS」のブランド名で、ジギングロッドを3種類、アシストフック、メタルジグなどです。(まだ、テスト段階を出ていないので、多少の変更がある事もお含み下さい) 1、ジギングロッドは「IRON WILL」 私ががロッドに求めるもの。 それは、掛けた1尾を確実に取りたいという強い思い。「IRONWILL」=「鉄の意志」です。 友人で、私が最も信頼するデザイナー、TAPER&SHAPE島津氏に設計、プロデュースを依頼、パパとのコラボレーションロッドとしてベイトロッド2本にスピニングロッド1本、見た目の仕上がりも素晴らしいものになりました。 ロッドスペック IWPS-595+PF強いティップセクションを備えディープエリアでもヘビーウエイトジグにしっかりと生命観を与える5パワープラスパワーフラップスピニングモデル。しかし、ただ単に硬いのではなく、24t.グラファイトマテリアルのフレキシブルさでジグを過度に跳ね上げずかつしっかりとアクションさせます。ファイト中は加重に応じてプログレッシブにバットセクションまでしなやかベンドする為、曲げ込むことでロッドの持つトルクを最大限に活かすことが可能です。 IWPS-585B+PF対超大物とのファイトを想定した5パワープラスパワーフラップベイトモデル。ファイトでアドバンテージのあるトルクフルな大型ベイトリールを使い、重いジグをディープエリアで横方向への移動距離を抑えながらも力強くクイックに回頭しダートさせる24t.ブランク。ファイト時は、ロッドのバットセクションのみならずグリップエンドまできっちりとテーパーが与えられているので、対超大物とのファイトでも大きなアドバンテージを備えています。 IWPS-634B+SF パパ大津留氏のテクニック、スローフラップジャークのための4パワースローフラップベイトモデル。腕を伸ばし気味でジャークし、ジグを大きくユッタリと泳がせる降り幅の大きいスローフラップロッドワークを24t.ブランクのフレキシブルな特性で快適に行うことができます。また、ロッドの長さを活かしラインスラックを多めに出すことで意図的にフォールを長く入れることも可能。フラップジャークを理解したアングラーは表記以上のジグも使用可能。 2 パパアシストフック 南の離島や、海外の大型ワフーやバラクーダ、イソマグロに対し効果的なアシストフックシステムです。八丈島でのテストではサワラのような歯のある魚には圧倒的な強度を証明してくれました。フックはパパデザインの大型フックで、ツナフック系の形状ながら、若干針先を眠らせてあるので、ほぼ口元に確りとフッキングします。若干に細身にしてあるので刺さりも抜群。じゃれて口先でくわえ込むような魚のアタリも敏感に捕えます。 3、メタルジグ(ディープローバー) 鉄ジグに拘り続けたパパ大津留の答え、それが「DEEP ROBBER」です。 小笠原母島、八丈島でのテストや取材では、釣れるという手ごたえを圧倒的に感じリリースする事にしました。DEEP ROBBER(深場の泥棒)と名を打ったそのジグは、鉄ジグの魂を継承しつつも、前後比率を4:6とやや後方重心にすることで、ディープ攻略に欠かせいフォールスピードを向上させた。それでいてジャーク時の引き抵抗の軽さはスイムライダ-同様で軽いのが特徴。体力を必要とするディープジギングにおいて大きなアドバンテージとなります。サイズは、200g、300g、400g、500g、大型でディープレンジ専用ですが、200gは水深50~100メートルの近海フィールドにも十分対応できると思っています。潮流の強いフィールドでは、大きな効果があるでしょうか。 カラーは、他にピンクグローやキンメ、クマノミなど。 写真は、テスト使用後のものですから、汚れがあります。ジグウェイトには若干の幅があり、表示の変更もあるでしょうか。 こんなところなのですが、ほぼ完成品に近いので、フィッシングショーではネーチャーボーイズブースで全製品の展示予定です。僕のトークショー共々、楽しみにしてください。あくまでもパパスタイルなので、ディープなパワージギング仕様ですが、手前味噌ですが、本当にカッチョ―良いです。
2017.01.07
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明けましておめでとうございます。去年は、10月頃から少々体調を崩した感はありましたが、それでも雑誌取材、メーカーのカタログ取材撮影など、釣果の割には頑張った気がします。 何時でも、全力投球を心掛けている私なので、多少の故障や体調不良でも精魂やり抜きます。 しかし、釣果は体調に関係なく、自然の状況が付いて回るもの。 まして、懸命にやる事だけが取り柄の私、過剰に自慢するほどの技術は持っていない。 当然にムラの多い釣果だったろうか。 流石に、酒などを少々自粛したせいか、4~5キロほど痩せたのだがのど元過ぎれば何とやら、正月3日間の胃袋いじめで、すっかり元に戻り、軽やかな動きからは程遠い。 今後は、1月8日(日)に八丈島ポットホールで、新春のライブがある。ま、東京からのメンバーは手練れなので、一層楽しいいライブになりそうだが、イマイチ楽器を持つ左腕が上がらない(若干の痛みがある)。 そして、その2日後、10日からは船上カメラマン・サントスとのコンビでまたまた、「冬の八丈島」のジギング取材だからこりゃ大変。 更に更に、この八丈島だが、冬だというのに黒潮本流の真っただ中。 潮が早いうえに、水温は例年より2~3度は高い。 おまけに透明度がスコブル良く、ジグを落としても20~30メートルはスケスケだ。 その上に、浅場のライトタックルと来るから、こりゃ魚も簡単には騙されない。 まっ、厳しい釣りは慣れっこなので、気にもならない上に、僕の取材は、釣果ありきではない。 全く釣れなくても、その悔しさも釣りの内なので、「関わるメーカーさん、ゴメンナサイ」と言いつつ、仕切り直しや、撮り直しは一切しない、そのまま記事にしてしまう。 あくまでも、心情と、その不細工さを曝け出すのも僕の記事なのだ。(多分、そう云う事を判った上で読まれると、いっそう面白いはず) いやいや、果たして今回はどうなるか?。 正月早々のカンパチ取材だが、寒い冬の海で大荒れの予感も。風の唸る1月3日の夜中、痛めた左肘の傷をさすりながら、そんな釣りを思い描いている。(こんなのが釣れれば良いが)
2017.01.04
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前回のブログでは、今年の釣りの総括みたいな話。 我ながら、ちょっと「鼻につく」真面目な話だった。 そこで、今回のブログは、泣き笑いで、話を締めくくる。 今年も大きな魚は釣れなかったが、それでもドタバタの楽しい釣りは毎度の事。 でも、終盤の取材は、振り返ると、涙が出るほどに辛かった。 まず、10月の小笠原の取材。200メートルレンジを、ディープローバーというNEWジグのテストも兼ね、意気込んでいた。 しかし、愛犬のコーギーが、このトコロ太り過ぎ、散歩中に足を痛めてしまう。仕方がない、抱えたら「ギグッ!、イテテテ」今度はオイラが腰を痛める。 それに、小笠原母島までの長旅、そしてジギングは痛み止め飲みながら。 これも、毎度のことだが、サスガにキツク、船の移動で横になったら、船上カメラマンのサントスが「パパ、横になるの珍しいね~、年だからね」なにお!クソ~。 1か月後、今度は三宅島のショアジギング取材。シケの中、三本岳に渡船。 おニューの靴を履いて、磯に降りる時、痛い腰を庇ってズルッ!。おっとっとっと、と左手で庇う。ドタっ、ゴキっ。転倒から左肘の打撲。 見栄を張って、それでも何事もなかったようにジギングを開始。チョットしか釣れず、そのまま終了。 戻って宿で食事。「平気平気、こんなの唾をつければ治るから」その夜はズキズキ痛み、翌朝は手の甲まで倍ぐらいに腫れる。 気遣う船上カメラマンのサントスにも見栄を張り,翌日も頑張るジギングで奮闘。しかし釣れず。 確かにスーパームーンの影響か?、島全体が驚くほどの低活性。 それでも、3日目もガンガン。さすがに釣れないので昼で終了。 翌日、八丈島に戻ると、その疲れからか、持病のメニエール病が出る。 僕とメニールは長い付き合い。これは、相撲をやっていた学生時代にからで、パンチドランカー的な後遺症。高速で目が回り出すと洗濯機状態。全く動けない。 ここ数十年は珍しい、3日間ぐらい寝たきり老人に(笑)。 そして12月のライブだ。さすがに座ったままのパフォーマンス。家内やメンバーは、いつ倒れるか?心配だったらしいが、そんなの見栄と根性だ。 そして、この数日後には、韓国に出かける。南部のジギングだ(釣りだと動けるから不思議だ)。風雨で1日しか出来ず。でも、沢山釣れて、とっても楽しかった。 しかし、此処にも大きな問題が。肘、肩、腰、頭、完治してない内の釣りだ、釣りをしている時は我慢だが、それ以外はゼイゼイハアハア、意識朦朧だ。 特にソウルから韓国南部は、移動が片道4時間ぐらい。そこからポイントまで、船の移動を含めると7時間は越える。実釣の4時間だったが、雨でずぶ濡れ。帰りは疲れ寒さで、ガクガク、アワワワ。翌日のホテルでは、あまりの寒さでマッコリ―のガブ飲み(体に良いわけない)。 更に更に、日本に戻って、12月中旬からの撮影があった。 そこで、さすがに「このままでは死ぬ~」と、絶対に行かないはずの病院へ。(オイラは、蜘蛛と病院は、大嫌いだ) でも、肘の傷は骨まで達していて、金具が4センチほど潜り込む状態。肘を庇うあまり、今度は肩が。血圧は198まで上昇。ただ、熱は下がって、メニエールは薬でスロー回転に。 何とか撮影も出来そうである。 船上カメラマンは「パパは痛点が、他の人より少ない」外科医のナベちゃんは「体力の自信過剰、鉄人だって?年を考えなさい」。むむむむ・・・。 そして、良いんだか悪いんだか。天候で釣りビジョンの撮影は延期。ただ、メーカーのカタログとフィッシングショー向けの撮影は強行。そして、不本意な部分もあったが、年末までの釣りはマズマズの形で終了。 (和歌山と沼津の太刀魚、釣りビジョンは天候で中止。それは、あまりの体調不良に神様は味方したかもしれない。本音はやりたかったが、欲を言ったらキリがない。) そして、来年発売予定、パパブランドの新製品。その撮影と写真撮りも、相当な手応えがあった。、 新しいロッドに、重いところのジグ、ライン、全ては完ぺきに近い仕上がり。そして、そのニュータックルがあったからこそ、この体調でも・・・って感じかな?。 体調以外は、全てにマズマズの締めくくりに。「終わり良ければ、全て良し」だろう。 まあ、来年は、この体調面の厄も落ちてくれるだろう。 それにしても、この2週間。毎日ウィスキー1パイとか、ビール1本とか、こんなに自粛した生活は、近年では、ほとんど無かったことで。(女房曰く、それでも飲んでるし~~) 見難いでしょうが、テストを終えた新しいブランド「THE KIDUPPERS」のロッドなど。新しいロッド「IRON WILL]5パワープラス、ベイト&スピニングと スローフラップ 4パワー ベイトロッドこれは、僕の念願である、パパとティーパ―&シェイプの島津氏のコラボレーションです。メタルジグは新しいジグ「DEEO LOVER」 200g~500gそれにアシストフック(パパフック)など。完璧に近い仕上がり、大いに期待してください。次回のブログでは、新しい僕のブランドの細かいスペックなどを紹介します。
2016.12.25
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久々のブログ更新。今年の1年を振り返って・・・、です。3月11日、東日本の震災の日が、僕の誕生日です。 あまり、お祝いの出来ない日なってしまいましたが、それでも5年経つでしょうか。 今年も、岩手県大船渡港から、上州屋さん主催の、 僕のジギングセミナーが催され、行ってきました。 楽しい釣りではありましたが、被災地の海を目の当たりにし、 着々と進んでいるであろう復興への実感もありました。 ただ、そんな中でも、いまだに停滞を感じさせるもの多く、 其処では、被災地の方々の、様々の想いを感じ取りました。 時が経つにつれ、被災された方々の生活環境が、様々に変わって来たでしょうか。 中には、震災で負われた深い傷が、未だに癒えていない方も多いようです。、 私も、震災から、連絡の取れていなかった仙台の姪が、先日、ようやく無事である確認が取れました。 安堵の気持ちとは別に、何年たっても、それは様々な色模様に人生を変えてしまう、 そんな出来事にも感じました。 自分の釣りに(ジギング)関しては、それは30年近くもやって来た訳で、 まして島に住んで、いわゆる「ジギングの創成期」からでも25年は越える。 進化もあれば、衰えもある。 もともと体育会系、スポーツマンを自負する私でも、寄る年波には勝てません(笑)。 特に、72歳を迎えた今年の後半には、打撃による酷使病と言われる持病のメニエールを、 何年振りかに発症。更に、腰痛、ひじ痛、高血圧と、次から次に・・・である。 辛かったと迄は言えないが、人生初の長期禁酒までした(と言っても半月ほど・笑)。 それは、過密なスケジュールと重なって、年齢以上に疲労を貯めたからだろう。 今年の初めに、応援を頂く多くのメーカーさんと雑誌社には、これまでの大きな感謝を伝え、 「これからは、自分の体力を計算した上でのジギングを続けるので、 釣果やビジアルの面では、全く期待に、応えられそうも無い」と伝えた。 ただ、「止めない、逃げない、諦めない」が信条の私ですから、体が折れるまでは続けます。 そして、懸命にやり続ける姿をお見せする事で、後輩アングラー達に、 ジギングを目指す若者の道標にでもなれば、それは嬉しい。そんな話をしたのです。 来年からは、幾つかのメーカーさんに、本当に感謝の気持ちを保ちながら、 テスターを退く形になるでしょうか。 また、新たに、こんな私の気持ちを込めた、年齢に逆行するようなパワージギングの 新ブランドを立ち上げる話も出ています。 不屈という言葉は好きでありません。それは誰もが屈する、そんな潮時があるからです、 贖う事が出来ない衰えの中で、身の丈ながら自分の釣りを懸命にやり続ける。 それも、パワー要るジギングを最後まで。 そんな「Papa styel]」で、新たな年にスタートさせたいのです。 絵も。文も。更に、音楽の方も。更に、30年ぶりで手にしたトロンボーンも。キャリアを持つミュージシャンとして、緩やかなる進化を目指します。 今年の1年を振り返り、多くの反省もありました。 だからこそ、この反省を生かし、そのうえで長いキャリアならではの釣りを。緩やかに。 その中に、多くの感動を持てる、アングラー、ミュージシャンを、私は目指します。 まとまりの無い文と、ちょっと生意気な言い回しになりましたが、どうか来年も、応援を宜しくお願いします。
2016.12.13
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最近、ちょっとばかり考えが変わってきたかもしれない。そんな気持ちから、後輩アングラーに伝えたい事も(手前みそだが)。意見を述べると云う事は、中々難しい。特にインターネット社会で、SNSなどで拡散してしまう世界がある。意見とは、双方に繋がる事。一方通行ではない。意見を交わす事で切磋琢磨する。その事は向上につながる。片側通行では意見にならない。そして、意見交換が無ければ陰口にも取られ、自分の思いとは、全く違う方向に向きかねない。熱い思いで述べた事が、違う解釈に取られることもあるだろうか。私も、大いなる勘違いから、幾多の失敗を重ねている。釣りは、夢がある。しかし、私がやっているのはゲームフィッシング、遊びだ。その中で、法律的に、社会の規律的に、マナー的に、明らかな間違いを犯していなければ、幾通りの解釈があってしかるべきだ。例えば、資源的な観点から、リリースする事、資源保護を語る事は大いに良いだろうか。しかし、それとはまったく裏腹になる、美味しく食す方法を語るのも良いと思う。資源保護のリリースと、捕獲し食すことは、対照的な行為だが、多くのゲームフィッシャーは、その双方を普通にしているだろうか。だが、双方を別々の論争として捉えると、其処に摩擦も起こる。最近、私が取り組んでいるスローピッチジャークだが、そのテクニック論に関しても、不勉強な私は異論を持っていた。(スロージギングと一括りにしていたのだから押して知るべしだ)それは、ラインブレークを避ける為の、私の提唱する、太いラインでのパワージギングとは対照的に思えたからだ。一般的に八丈島でその釣りをするアングラーが(この際はスロージギングと言おうか)、カンパチに細いラインで挑み、かなりのラインブレークを繰り返す。これで技術を磨くと云うのも一考だが、漁師たちのヒンシュクも買う事にもなる。しかし、それだけで、この釣りを評価する事など出来ない。春季の浅場に入るカンパチはともかく、このスローピッチでジャークするジギングを評価するためには、自分自身もある程度はやり込んでから評価したいと思うからだ。その為に、このスローピッチの釣りは、まだまだ結果も出たとは言えず、もっとやり込んで、評価、確立が出来れば良いと思っている。昔は、魚を船イッパイ並べて、写真を撮ったり、誇示する事を嫌った。美味しいからと言って、沢山釣る釣りを嫌った。針をたくさん着けてつる、そんな釣りを嫌った。しかし、今は違う。釣りや道具には、色んな思いがあり、スタイルもあると云う事。其々に、知識や経験を持ち、意見があると云う事を。だから、自分の知らないものに対して、ネガティブな意見を持つ事は、どうも、自分が傲慢になっているような気がして来たのだ。道具の進化が著しいのも確か。其々に技術を磨き、その商品のアイデア、デザインを考え、商品テストを繰り返し、そして進化したものが提供されていく。そして、評価は自分がするのではない。様々な意見があり、その意見が片側通行ではなく、双方で意見交換なされ、切磋することが望ましい。良し悪しは、一般的なユーザーが下すのであって、それが、ずっと後の場合もある。頭の固い、固着した老人の頭である。その中で、新しい釣りのスタイル、技術。新しい道具など、日々の進化を目のあたりにする。どうも、尻込みしそうになるが、固定観念を捨て、ネガティブになる事を止め、其処に飛び込んで、その知識を得たい。そして、向上していきたい。この年でも、伸び代はあると思っている。
2016.06.02
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(以前に、釣った小岩戸のヒラマサ。水深25メートルだった)オイラは、このスタイルの釣りは、まだまだ、なんちゃってだ。ライブが終わって、打ち上げ。チョイ飲むと、どうしても寝るのが12時を回ってしまう。寝不足から、6時には床に就くと、今度は2時に目覚めると、もう眠れない。布団の中で、中深場でのスローピッチジャークを反芻しながらイメージを掘り起こすが、脳内が半分メルトダウンした状態。そんな夢うつつの中で、前々日と、前日に、浅根を攻めたカンパチのジギング、其処でのスローピッチジャークと、パワーなワンピッチジャークとの比較検証だ。まあ、そんな加齢な脳ではあるから、勘違いも多い。思い出しながらなので、多少の誤認は許して欲しい。当然、この釣りをやり込んだアングラーからは頭を捻られ、罵倒される事もあるだろうか。その辺りは高齢と云う事で(ゴホッゴホッ)、やんわりと指摘して頂ければ嬉しいデス。まずは自分の中で、言葉の整理して見る。一般的に言われるスロージギングは、ある程度は根魚中心で「美味しい根魚を美味しく食べた~い」「チョコッとやるのに、スローにゆったりの方が楽に釣れるよ~」「その中でも、上手くやれば青物も、釣れる~」そんなイメージだろうか(勿論、その中でテクニックも要るだろうか)。ただ、このスロージギングと言う言葉は、ユッタリとジグを動かす釣りの総称と考えた方が良かろう。これに比して、スローピッチジャークは、あくまでもジギングのテクニック。それは、メタルジグの操作方法であり、ジギングの中のテクニックの一つと考える。ジギングの中に多くのジャークの種類であり、それは、ルアーの動かし方、そのイメージだ。前回、西本氏と一緒にやって見て感じたのは、その中でワンピッチを織り込んだり、早いジャークからの止める間のジグに、ティップを介しての繊細な動きを感じ取っている。僕が好んで使うフラップジャークとの類似点も多いことから、カンパチ、ヒラマサの他にも、マグロなどに意識的に使う意味も解る。これだと、フィルドや青物の種類によって、太いラインを使い、その動きで食わせる。ラインブレークを嫌い、太いラインを推奨する私にも、納得がいく。さてさて、少々水温が下がったこともあって、浅場に魚が入っているかも知れない、そんな目論見で、それぞれに、2人のお客さんをガイドして出た。初日は、とってもパワフルで上手いジギングをする青木さんだ。彼は視覚障害を持っているので、船の乗り降り等は、僕が着いて行くが、ジギングでは通常で出来る。上級者の部類に入るだろう。「黒崎前」と云う、20~60メートルのポイントに入るが最初は活性を上げるために、僕はガンガンの速いワンピッチのジャークで誘う。アタリが出てきたので彼に伝え、小型のショッコは数え切れず。そして、3キロ~8キロのカンパチを5数尾ほど釣ったところで、僕はフラップジャーク用のロッドに、スローピッチ用ジグを着け、比較を開始。結果は、カンパチは青木さんと同数ぐらい。大型はワンピッチの方が。小型は℃のジャークにも数は当たるが、フックアウトが多いって感じ。そして翌日の、神田先生とのジギング。これはどうも比較対象外?(笑)。だって、先生が相当なまくら。休んでばっかりかと思うと、途中でラバージグを使ったアカハタ釣り(その内ビールを飲み始める)。ま、相当に楽しんでるのだから良しだが。活性が下がってはいけないので、途中で私は通常のジギング。結果は至極当然。ただ、平均すると、スローピッチで5キロカンパチ1尾、6キロヒラマサ1尾、アカハタ5尾。ワンピッチジャークでカンパチ3キロ~7キロサイズを6尾。アカハタはゼロ。どうもスローピッチでは、カンパチが食う前にアカハタが食ってしまう。まあ、この調査は、も少し続ける必要があるだろうか。でも、何となく見えてくるものもあった。それでも、こんな調査を続けると、スローピッチジャーク初心者も、面白さが出て来る。そして、いっちょ前に能書きが言えるかも知れない。次回は、いまさらながら、スローピッチジャーク考4として、もう一回250メートルレンジで、オナガダイとディープのカンパチ調査を試します。ああ、スローピッチジャークもだんだん会得できそうな気がして来た。期待して欲しい(気が早い、そんなに甘くはないゾ~)。
2016.04.23
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スローピッチジャークを、全くやったことが無い訳ではない。私が関わるメーカー「アングラーズ・リパブリック」には、スロージギングを得意とするスタッフもいる。(スロージギングは、あくまでもユッタリとしたジギングの総称?、スローピッチジャークは、其れとは全く違う、ジギングテクニックの一つになるだろうか。以下は、テクニック的な話なので、スローピッチジャークとします)勿論、スローピッチジャークを目的としてやってくるアングラーも多いのだから、私は、そう云ったガイドもする。ただ、皆さんもご存じのように、メディアなど、映像や誌面での私は、重めのジグでガンガンやる、パワージギングのイメージが大きいだろうか。海辺に育ち、釣りを始めたのは子供の頃から、そう考えると60年以上クロダイや石鯛の磯釣りからルアーフィッシングまで、メーカーのテスターとしてのキャリアも30年を超えた。経験だけは人並み以上なのだから、体力の峠はとうに超えてしまったかも知れないが、未だ人並みの対応力はあるつもりだ。当然に自分なりの解釈で、ガイドなどで、多分物まねだが、スローピッチジャークをすることはあるのだ。先日だが、私がスタジオオーシャンマークのテスターとして、ブルーヘブンの開発に当初から加わっていたこともあり、同じスタジオオーシャンマークのテスターであり、スロージギングの達人、西本君とスタジオオーシャンマークの大塚君が、八丈島で、スローピッチジャークでの中深場の探査と称してやって来た。早速だが釣果から先に述べる。流石に、西本師匠は(この釣りでは72歳の僕の師匠に)上手い、食わせる、魅せるだ。今回の目的は大型オナガダイ。しかし、それは厳しかった(水温的に早かったようだ)。ただ、オナガダイの入り出す前に釣れる、ツノザメが多く、やはり吉本師匠は1人で釣っていた。他では、皆でメダイを、それぞれ2尾ほど。そして驚いたのは、関東近海では見た事のないほどの大きさ、(八丈島でもジグで食うのは大きい)キントキダイの大型、3キロを超えるメガキントキが一時は入れ食い、ダブル、トリプルとヒットした。最初は、通常のパワージギングをしていた私だが、その後は、西本師匠と大塚にアドバイスを仰ぎ、まあ、高々2日で卒業証書はないが、少しだが身に付きかけたかも知れない。そこで、大いに私見だが私なりの解釈を述べるなら、この中深場、マニアが喜ぶウルトラディープは別として、至って、普通の近海ジギングアングラーにも、取っ付き易く、とても魅力的な釣りだ。フィールドは、西の遠征で言えば、与那国、石垣、沖縄、そしてトカラでは通常のジギングでやる深さの150~250メートル。そして、八丈島や小笠原の150メートル以深(300メートルぐらいまでだろうか)。東北、北海道だって、タラやメヌケの水深だから、大いに可能性はあるだろう。まあ、僕的に言うとロ-カルな八丈島で、ジギングファンには手つかずのポイントに、メッチャ楽しい夢があると云う事だ。それは、垂涎の大型オナガダイ(ジグにヒットするのは大きい)、他には八丈赤ムツ、オオオクチハマダイ、オオヒメダイ、クロムツ、など、他に外道がカンパチやシマアジだ。それぞれ、超の付く高級魚で、必ずと言って良いほどヒットするだろう。ただ、今回の釣行で、この中深場のスローピッチジャークは、僕なりの勝手な解釈で、八丈島仕様のタックルを考えるならば、船長にヒンシュクを買わない程度に大型カンパチもターゲットに考える必要がある。今回、僕は太めのタックルを使って、スロー初心者的テクニックだが、あまり食いの差は少なかったと考える。そこからもラインは、いたずらに細い必要はない。まずは4号だろう。そして水深は300メートルまで考えると、リールは4号を600メートルぐらい巻けるリールが良い。当然に僕が奨めるのは、スタジオオーシャンマークのブルーヘブンL-120、そしてこのリールは、今回このリールより、更に400グラム軽い、ナローが発売になる。当然、このリール以外にないだろう(パチパチパチ)。リーダーは100ポンドぐらい(130ポンドでも食いは変わらないかも)。ジグはスローピッチジャーク仕様に拘らず、ジグの形状から潮の状況で、ジャークの形を変える柔軟性も欲しい。西本師匠は、ロングジグで飛ばすように動きにも効果があると。鉄ジグ、スイムライダーの420gあたりが絶好かも知れない。(ちなみに、私はスイムライダーのプロト、510グラムを使用している)フックはスロー仕様だが、圧倒的にリアのフックにヒットしている。上下につけることを嫌うなら、下だけでも良いようだ。細軸で刺さりの良い針だが、カンパチも食う事を考えあまり小さく細いのは・・・。この釣りは、相当に楽しい。多分。まあ、パワージギングを推奨する私が、手のひらを返すようにスローピッチジャークの勧めは、違和感を覚える御仁もいるかもしれないが、釣りと云うスポーツの中で、パワージギングとスローピッチジャークは種目が違うと考えよう。1000メートルの中距離ランナーが、マラソンを目指すようなモノ。始めれば、それぞれに奥深く難しいが、両方走ったって、咎める者はいないだろう。さてさて、「今更ながら、スローピッチジャーク」次回は、浅場に入ったカンパチ。「早いワンピッチが勝つか?スローが勝つか?編」浅場にアカイカが入ってきて、ジギングが絶好調。そして大型カンパチが目前の八丈島。浅場の釣行で、小型、中型のカンパチが入れ食い。壮絶バトルです。ご期待を。
2016.04.18
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(ジギングで釣れるオナガダイ)釣りには、色々な楽しさがある。その種類も多岐に渡り、いま、僕のやっているジギングだって釣りのカテゴリーの中で、そのファンは5%もあるだろうか。そんなソルトのジギングの中でも、一般的な、近海のオフショアジギング、ショアのジギング、ライトな太刀魚ジギング、シーバスジギング。そして、人気のスローピッチジャーク、僕の好きなパワージギング。(実は、書き換えているが、私はスロージギングとスローピッチジャークの違い、その意識が非常に薄かった。そこのところは怒らずに笑止千万と笑って済まして欲しい)更に、タイラバのジギングやテンヤの釣り、エビングなども含めると、その種類は、更に更に広がる。そして、それを其々にやり込んでいるアングラーは、技術と理論を持ちそんな自分の好きなジギングを確立させている人も多い。それを、少々覗いただけで、また、多少の見聞きだけで、その釣りの評価など出来る訳がない。ジギングの創成期から、ジギングを始めた私だ。それは、かれこれ30年近く、当初は試行錯誤だった。そんな中で、今のジギングの基礎になっているテクニックの多くは、例えば、重いジグ、PEライン、アシストフック、更にジグの形状、ジャークのスタイル、今は当たり前になっているライフジャケットの着用のようなことまで、その始まりには、否定的な意見も多かったのだ。それらが、時が経ち、多くのアングラーたちの精進や努力もあって作られてくる。それは、現在も進化形であり、これからも変化するものだろうか。重いジグを使ったワンピッチのパワージギングを得意とする私だから、今までには、そんな釣りに時間を費やしてきている。例えば、それに対してスローピッチジャークは対照的であり、僕の心の中でも、「あんなに針数を着けなくても」「あんなにユックりでは」等と思う事もあった。しかし、それは、その釣りを勉強するほどの時間を費やしてはいないし、理解が乏しかったという事にもなる。最近は、そういったアングラーと話を聞くうちに、その理論的な裏付けなど、少しずつだが理解が出来るようになる。勿論、否定などは全くしない。此処で、この2~3年の私の住む八丈島のジギング事情、其処からの、私なりのスローピッチジャークについて考えてみたい。と言うのは、このスロージギングでは漁師、遊漁船船長から、様々な意見が出ているのだ。それは、ファンの多いピッチジャークなので、島にも(私のところにも)そのタックルを持ち込むアングラーも多いのだが、それは八丈島と云うフィールドを理解したうえで、使い分けして欲しいという事なのだ。まず、この釣り方で、高級魚のアカハタなどは良く釣れる。しかし、この15メートル~60メートルの水深で獲られるこの魚は、小船を使う職業船が生活の糧としている魚であり、彼らも、過度の獲り過ぎは枯渇につながる事を知っている。そして問題なのは、春の水温が低い時期は、この水深に大型青物のカンパチやヒラマサが活性するのだ。こう云った、アカハタを釣るタックルは、太目でもPEの2号、リーダーは50ポンドだろう。しかし、この場所には入る大型の青物は、運が良ければという事もあるが、まず、殆どは獲れるものではない。これが一昨年の話だが、3~4キロのカンパチが釣れて喜んだが、殆どの大型にラインブレークされ、船長達の大ひんしゅくをかったのだ。その後も、そういう事が続き、船長達には「あの釣り方は切られる。禁止をさせよう」そんな話が持ち上がる。私は是非に、アングラー皆様に、この事を理解して頂きたい。こう云った事は強制できるものではない。一つの提案だが、まず、漁師さんたちの糧としているアカハタは、1人で5尾ほどぐらいに留め.後は中型、大型の青物を目指しては如何だろうか。そして、そのアカハタも、ある程度の大型な外道も想定し、最低でPEは3号以上、リーダーは80ポンド(この島では、それでも十分に食って来る)。そして、このスローピッチジャークで青物を目指すのであれば、出来ればPEは4号以上、リーダーは100ポンド以上にして欲しい。ちなみに、私は通常のジギングの話だが、その倍に近い太さを使っている(下手だと言われるだろうか)。そして、更にスロージギングは、島では他に魚種が沢山あり、ターゲットも多いという事だ。慣れないと少々辛いかも知れないが100メートル~200メートルでは、アオダイ、ヒメダイ、シマアジなどが立派にターゲットになるだろうか?。水温の冷たい時期だと、あの垂涎のオナガダイ(大きいのは8キロぐらいある)、更にキントキダイ(大きいのでメガキントキと呼ばれる)、大型のメダイ、オオヒメダイ、クロムツ、八丈アカムツ、色んな魚が釣れるだろうか。それらも狙っては如何だろうか。みなさん、其々に意見はおありだろうが、一つ、小ウルサイ父親の意見として、聞いて欲しい。せっかくの楽しい釣りなのだから、少しばかりの配慮を。そんなお願いなのです。次回のブログには、スローに関してマダマダ理解不足の私だが、その中深場のパワーなスローピッチジャーク、その私見やタックルバランス、魚種などを書き入れたい。
2016.04.14
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今日、友人が亡くなった。バカヤロ~、海の事故だ。当然に、僕よりは若い。釣りは上手い。潮を読んだ上手い釣りをする。音楽も好きで、特に僕がやってたような、70年代、80年代のSoulモノが大好きで、そんな話をすると気が合った。最近は、よく家に来てお茶を飲んでいく(酒は飲めないが)。見栄は張るが、腹の中は読みやすい、愛すべき奴だ。このところ、島の天候は変わり易い。そんな中で、昨日、僕は防波堤へ釣りに行った。フェイスブック上で友人達には述べているが、この日、低気圧が島の南を通って東に遠く離れていく。風はそれに向かって西南西に変わる。しかし離れていった低気圧が勢力を保っていると、西の風なのに、風裏の東側にはウネリが入る。昔から言われる言葉に、西のウネリは直ぐに取れるが、東のウネリは中々取れ難い。西側は日本列島(本島)に近く、東は広い太平洋なのだから当然の事だ。昨日は、11時過ぎに入った私だが、朝はウネリが少なかった。しかし、、小1時間も釣りをしていると、ウネリが高くなる。先行で入っていた叔父さん達に、この後ウネリが大きくなることを告げ帰りりを促した。やれない状態ではなかったが、僕も道具を片付けから戻る事にした。案の定、防波堤の中ほどは、波が少し被るようになっていた。翌朝、何時ものように海を見に行く。更に、昨日よりウネリも大きくなる。そして風は西南西で強まる。フェイスブックの朝の波情報として、東側の釣りは要注意と、私は述べている。そんな矢先、、コーギーの散歩を終え、朝食からに、庭の掃除をしている時に、けたたましい救急車とパトカーのサイレンが聞こえて来た。港の管理事務所では、誰か釣り人が海に落ちたという話だ。そして、その1時間後に、それが私の友人であり、その後に息を引き取ったという事を聞く。非常に残念だ。彼は、私より若い。でも島では、指折りに釣りが上手い奴だ。、当然に、経験も豊富、自然も良く知っているはず。でも、事故は起こるという事だ。だから、これは島の釣り人たちにも言いたい。皆さん経験も豊富、島の海を知っている。釣りも上手く、泳ぎも達者だ。ただ、その殆どは救命具を着けない。(特に防波堤で釣りをされる方々だが)確かに邪魔かも知れない。不便かも知れない。しかし、みんな~、救命具は絶対着けよう。2か月ぐらい前、フィッシングショーでの海上保安庁の友人が話した。海での海難死亡事故の80パーセントはライフジャケットを着用していれば助かった事例だという。とくに漁業者の殆どは、仕事がしづらい理由から着用せず、その為に死亡するケースが多いと話している。皆さん、釣りは楽しい。躍動感のある、島の自然は素晴らしい。でも海難事故は、絶対にあってはならない。必ず救命具、ライフジャケットは着用しよう。お父さん達は救命具を着用し、子供たちに範を示そう。愛すべき友人に黙祷。
2016.03.30
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ソルトワールドの3月15日発売号届いた。アングラー皆さんで、これから読まれる方も多いと思うが、私の連載である「パパのKeep on!!」、今回は舞台がハワイである。このブログでの話は、誌面とは別で、裏話として呼んで頂きたい。今回、ハワイ島で一緒のメンバーは若い。いずれも、私が釣り仲間として、また音楽仲間として、楽しい遊び仲間として一緒に活動する「ANDROCK」のメンバーで、関西在住の志村君、そしてハワイ在住の長谷川ネイト君だ。古希を過ぎ、今度の3月11日には72歳を迎える私だ。ボロボロに朽ちる寸前の肉体で、尚もヘビーなパワーファイトを目指すという、まるでドン・キホーテのような荒唐無稽な挑戦を、あと何年かは、皆さんに見て頂こうと言うのが僕の生き様だ。そして今回は、そんな「ANDROCK」メンバーの中で、特に生きの良い2人なのだ。そんな彼らと一緒にやってみて思ったのは、とにかく羨ましいぐらいパワーがあり、ガンガンにやる。僕と数回一緒にやっている志村君は、ある程度に僕のスタイルを継承しているので、豪快な中にも柔軟性のある、ユッタリとしたジャークを続けるが、更に若いネイト君は、スピニングタックルで早いジャークを力いっぱい繰り出す。それは一日目から、力いっぱいだった。老獪と言って良い私は、それは練れているので、最初から飛ばすことは無い。最初から、3日間の釣りを想定した上でやるのだから・・・、しかし、こんなところにも落とし穴はある。まず、一日目。入れ込んでいる彼らがガンガンに飛ばすと、それを横目に「あんなにやってたら3日間は持たなおぞ~」と心中で。そして、計算してたはずが、なにやら、とんでもない大型のアタリ。あまりにも生体反応が薄い。それは、動かない100キロ以上の根魚?、動きの鈍いサメ、それとも大きな岩?。いずれにしても、少しずつ上がって来るが、物凄い重量感。200キロは超えるか?と思うぐらいだ。それは、魚を(物体)見たい気持ちから、2時間のやり取り。しかし、あと水面に少しというところで、それはフックアウトした。ただ、この間は、皆さん2時間の休憩であるから十分な充電になったろう。しかし、私には、この体力消耗は予想以上だったのだ。慣れている、練れている、なんて自負は、自然の中ではこんなもの。2週、続けてのフィッシングショーでの疲れ、のどの痛み、それと重なってか、これは計算外である。結局は、私が自信過剰になっていたという事なのだ。それでも、疲労困憊ながら最後まで頑張る。その後も、何とか体力を回復させ、結局は、休むことなく420グラムのジグを振り続け2日間の釣りをやり切った。その中で、2日目は15キロぐらいのカンパチを釣りあげ(決して大型ではない)、彼らには、重いジグを使い終始、諦めないでやり続ける大切さを説いた。逃げないのが僕の釣り。諦めないのが僕のの釣り。重いジグを振り続けるのが僕の釣り。そんな釣りを彼らに見せたかったからだ。威張れるような、超大型魚を見せる出来なかったが、若い志村君、初めて一緒に釣りをしたネイト君、2人にも十分に、楽しい釣りを表現したつもりだ。ただ、私のような年寄りと云うのは、若者と一緒に釣りをした時に、時々だが、意思の疎通を欠く事がある。空虚に感じる時もある。それがジェネレーションのギャップなのだろうか。何時もある訳では無いが、多少の意見や能書き言ったり、また、思わず年寄り面して小言を言ってしまった時に、それを振り返って後悔することもあるのだ。そんな思いを多少引きずりながら、今回3月15日発売号は、原稿を書いたかも知れない。それから、3月11日になって僕の誕生日だ、それは、あの大震災と同じ日であるから、心から喜べない。そして、その翌々日も、鬱陶しいほどの雨が続いた。そんな日に、ソルトワールド誌と一通の封書は届いたのだ。それは、雨合羽を着た郵便屋が、ビショビショに濡れた郵便物を申し訳なさそうに持って来たのだ。その封書を見ると、中には、爽やかにそよぐヤシの木に、洗濯された海水パンツを描いた、バースディーカード。そして、硬い木に細工を施した釣り針のネックレス。収められた便箋には、丁寧にローマ字で、僕に対しての感謝の文字が書かれていた。手前味噌だが、一部を抜粋して書きます。papa san no tsuri o mite totemo daijinakoto ipai oboemashita (省略、以下を日本語で)送ってくれたフックの意味が書かれ(多分、幸せな未来に的な意味)、これからも、パパの精神を貫いた釣りを見せてくださいと、雨でぬれた文字だが、そう読み取ることが出来た。ネイトは日系(2世か3世?)のアメリカ人で、日本語は堪能だが漢字やひらがなを書くことは出来ないと言う。そんな彼が、感謝の気持ちをローマ字で、懸命に書いてくれた。何よりも嬉しい。涙が出るほどうれしい。多少でも、僕の釣りに対する気持ちは伝わった気がするし、手紙からも、それ以上の彼の思いも感じた。この手紙を糧に、大きな勇気が湧いてくる。有難う、ネイト。有難うANDROCK。
2016.03.14
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またまた、震災の日が近づいて参りました。大震災から、早や5年。この日は、私の誕生日だけに、いっそうメモリアルなものになっています。毎年1回は、被災地を訪れる私です。釣りのイベントがほとんどですが、その都度に感じるのは元の生活を取り戻そうと、粘り強く、そして懸命に力を尽くす東北の方々。その割には遅々として進まない復興であろうか。そして、未だに支援を必要としているところも多いと感じます。東北出身の私です。直接、震災が無かったとはいえ。故郷の津軽の山々から、八甲田を超えると、直ぐ其処には災害の地、岩手や仙台があり、福島、茨城と続くのです。岩手の気仙沼、陸前高田、宮城の松島には友人が居て、仙台には兄が居ます。そして、其々が被災しました。亡くなった方もいます。僕の誕生日が近くなるにつれ、TVなどの報道で、被災地の今の姿が映し出されますが、その都度に、私の脳裏にもその事が反芻されるのです。こんな日のお祝いメッセージ、誕生祝いの言葉は只々ほろ苦いだけです。、被災された方に思いを馳せて頂き、亡くなられた方に手を合わせて頂ければ、この上ないメッセージとして、私も喜んで受け取る事が出来ます。宜しくお願いします。私は日本人です。その誇りを胸にし、故里の東北を愛し、北国を愛し、日本を愛します。神戸の震災から、東日本の震災。他にも多くの災害があり、これからも、そんな大きな災害があるかも知れません。それでも、不屈な精神をもって立ち上がって行くのが日本人でしょうか。それは、強さ、優しさ、他人に対しての思いやり、誇り。そんな心を失いたくないものです。震災に思いを馳せて、その直後に描いた絵です。
2016.03.10
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横浜で行われた、ジャパンフィッシングショーから帰って来た。フィッシングショーではトークショーがある。何時もよりは多いわけではない。今回はネーチャーボーイズのブースで2回だけ、笑いを含めたジギングのお話だが、皆さん真剣に聞いて頂いた。まあ、老人が、3日間の立ちっぱなし、その上に、風邪の菌が蔓延しているような乾燥した会場、そこでのショーは、体に応える。そのうえ、休憩時間は、ほとんどが取材か打ち合わせ。終わってからは懇親会(お酒は嫌いじゃないからね~)。束の間の睡眠。♪~これっじゃ体に良いわけないよ~🎶、あス~イス~イスイダララッタ♪。僕はフィッシングショーで、サインを求められる。それは芸能人ではないから、さほど多いわけではないが・・・。僕がサインに添え書きで、必ず『自然に優しく』とか『海に優しい釣りを』と書く。それは、色んなメーカーさん、釣り人、環境の問題を説く。大事なことだ。それが、建前としてではなく、真に心から、それを願う。なによりも、環境負荷の大きな釣りをしているのだから、それは本心から、自然に対して、魚に対して、人に対しても、全てに対して、優しい心を持つべきと考えているからだ。そして、その優しさは、作為、作法に現れる。それから、島に戻って来た。そして、その次の日は、もうライブなのだ。フィッシングショーで酷使した喉は、それは瀕死状態だった。話は違うが、フィッシングショーの会場で、僕の愛する「ジョーコッカー」、彼の死を知った。享年70歳。僕より若いん。ライブでは、ガラガラ声で彼の曲を歌った。涙が出そうになった。昨年は、多くのアーティストが。BBキング、デビット・ボウイ、そしてジョーコッカー。そして、僕より若いアーティストが死んでいく。多少交流のあった日本人アーティストでも、だいぶ前だが、柳ジョージ。昨年は、知る人ぞ知るギターリストの石田長生。特にジョーコッカーのカバー曲が多い僕だから・・・。ジャズのトロンボーン奏者、そして作曲家、アレンジャーと変わってきた僕が、歌を唄い出したのは、彼の影響が大きい。武骨で、不器用なジョー・コッカー。彼のバラードには愛がある。何時も不器用な男の、そんな優しさを感じる。優しい愛。やはり、生きていく中で、優しくなければ、男ではない。
2016.02.02
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長い事、釣りの仕事してると、純粋に楽しむはずの釣りが~。てな事にもなってしまう。そんな仕事上のしがらみも多くなる昨今、ストレスの少ない自分の釣りをしたくなるのも人情でしょうか。(と言っても、太刀魚からマグロまでどんなジギングでも好きですが)そこで今回は、私が本心から楽しめる、防波堤の石鯛、そのヘチ釣りのテクニックを紹介します。いわゆる、あの簡単には釣れにくい、チョー難しいと言われる石鯛を、ライトタックルで、チョットしたルアータックルで、恐ろしいぐらいに気軽に楽しもう、そんな釣りのテクニックだ。まずは、強めのタイのテンヤ竿のような、穂先は柔らかいが胴の確りした竿を用意しよう。スピニングタックルでもベイトタックルでも良いが、ラインのパワーに、やや負けるぐらいのライトなのが扱いやすい。リールにはPEの3号、リーダーがナイロン60ポンド(20号ぐらい)。勧めるのはダイワのソルティガ3500番台。新製品だが、スタジオオーシャンマーク・ブルーヘブンのL-30クラス。リーダーにナイロンを使うのは、急にひったくるようなアタリに備え、伸びのある糸でクッション的にパワーを吸収させたいからだ。リーダーの長さは3~4メートル、FGノットやPRノットでしっかり結束させます。リーダーに中通しのシンカーを付け誘導式にして、その先に先糸フロリカーボン12号を40センチ。シンカーは2号ぐらい~15号ぐらいまで、潮の速さで使い分けますが、中通しのシンカーなので5号ぐらいを用意し、潮の早い時は2個付けするのが良いです。リーダーと先糸は、スイベルで結んでも良いですが、僕はじかに、オルブライトノットで確り結束させます。40センチぐらいの先糸は、その先に針を着けます。針は、刺さりの良いチヌ針の10号ですが、石鯛針でしたら14号~15号ぐらいです。ワイヤーは使わないので、針を結ぶときに添え糸にナイロンの20ポンドぐらいを使い日本一緒に結んで、チモトをハーフヒッチで1センチほど編み込みます。口の強い石鯛が、針の結び目をガチガチ噛むので補強した方が、ラインブレークを少なくします。エサは、さまざまで、ワームも使えますが、食う確率は落ちます。エサ取りの少ない時は、カニなどが手に入り易く良いですが、エサ取り多い時はウニの芯です。このウニの芯は万能で、私が一番使うエサでしょうか。丸ごとのウニをはさみで切ってウニの芯だけを取り出しますが、それは大雑把で、多少周りの殻がついても全く問題ありません。八丈島ではパパズインで、取り出したウニの芯だけ売っています。釣りのテクニックは、石鯛独特のブルブルしたアタリ。3段にグイグイと引き込むアタリなどですが、躊躇せずに、ラインを張った状態で、どんどん送り込んでください。早や合わせは禁物です。頃合いを見て、軽く竿を持ち上げたぐらいで、いきなり大きなアタリが来ます。くれぐれも引きずり込まれないように、竿を落とさないように、その心積りだけは持ってください。(多分、凄いパワーに、何が起こったか?と思うぐらいです)掛りで釣る石鯛と違って防波堤歩きながら探るのです。詳しく知りたい方は、八丈島のパパズインへ。あわただしく、このブログを書いて、私はそのまま、横浜のフィッシングショーへ。フィッシングショーで質問されても、丁寧にお答えします。
2016.01.29
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若いエネルギーが羨ましいと、思う事もあるだろうか。昔の事を、あまり振り返ることはしたくない私です。でも、子供の頃を思うと、それは冒険心の旺盛な子供だった、何処にでも飛び込んで行ったろうか。ミュージシャン時代は?。おかれた環境に、じっとしている事が嫌いだった。作曲家を目指した音大時代。ジャズに新鮮な魅力を感じた。更に、ジャズの演奏家になると、ルーツである黒人音楽に憧れた。エネルギーが旺盛だったという事だまあ、僕よりも行動的で、エネルギーのあるミュージシャンは、他にもいっぱいいたのだが・・・(笑)。やはり釣りでも、そうだったろうか。子供の頃から好きだった、川釣り、海釣り。そして、ミュージシャンの傍ら始めたのが、都会のクロダイ釣り。更に、石鯛、船のマダイ釣り。それが、創成期だったジギングに変わった。そして今がある。ただ、再び音楽をやり始めて、気が付いたのは、70歳過ぎでは、そりゃ当然に声も出ない。パワーも落ちている。釣りの時にあまり感じていなかった、体力面の衰え。それを感じるようになる。ただ、音楽の好みも、それに準じて変わってきたのか?、どうも、落ち着いた声の張らない音楽も悪くはないと・・・。例えば、高い声が出なければ、出る音域での表現、大きい声が出なければ、小さな声での表現、そこにも魅力を見つける。そして、これが後ろ向きではなく、やはり、そういった音楽へのチャレンジが楽しい。そういった、身の丈で収めることは、決して後ろ向きではなく、挑戦という事なのだと・・・。釣り(ジギング)は、「折れるまで、竿を振れなくなるまで続ける」と公言している私だ。好きな道だったので、我儘を通してきた道なので、心を尽くし、残った体力の最後の一滴まで、絞り尽す釣りをしたいと考えた。勿論、その気持ちは変わらない。ただ、其処に肩を張るのではなく、体力に贖うことなく、身の丈の釣りをしたいと考える。では、僕にとって、身の丈のジギングとは。これは中々難しい。いまは、それを見つけるための精進をしたいと考えている。
2016.01.20
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誰もが、学生の頃は社会歴史を学んだろうか。僕は、子供の頃から歴史の授業が大好きだった。特に、ヨーロッパ大航海時代、当時の子供向けの歴史冒険小説。例えば、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』。実在の人物だが、『キャプテン・ドレーク』には血沸き肉を躍らせた。ただ、大人になって、歴史の真実や裏側を語る小説や、哲学書、また、視点を変えた社会派の小説などを読むようになり、様々な意見があることも知るようになる。音楽を志し、特に作曲家を目指した頃は、作曲技法における和声学は勿論だが、その旋法には大きな歴史の影響が有る事を知る。特にジャズミュージシャンになってからは、黒人のルーツでもあるアフロミュージック(アフリカ音楽)が、それに大きくかかわることを知った。大航海時代のヨーロッパ、その植民地政策は大国の栄華盛衰をそのままに、それは明治、大正の日本海外政策にも反映されて来たたことは誰もが知る事だろう。植民地政策は14世紀ころから始まったと言われる。当時、ヨーロッパで覇権を競ったのは、スペイン、ポルトガルだろうか。あのコロンブスのアメリカ大陸発見から、南北のアメリカ大陸に大勢のヨーロッパ人が渡り利権を争った。その利権は、砂糖だったり、コーヒーだったり、綿だったり、タバコだったり、金銀を始めとした多くの鉱山物質だった。特にスペインは、大艦隊を要し、軍隊の力で制圧する。それも原住民の殆どを絶滅させ、やはりスペインの植民地だった、西アフリカの黒人奴隷を移住させ、そして、交易での利益の大きかった、砂糖やラム酒の原料であるサトウキビの栽培をさせたのだ。連れてこられた、恭順を示す黒人奴隷はもちろん可哀想だが、抵抗する先住民族は、婦女子を犯され、蹂躙され、子孫が絶えるように子供さえも殺された。しかし、その驕りからかスペイン軍は性病を蔓延させ、自分たちの力も弱めたという話である。戦争とは、そう云うものだろうか?。後に植民地政策は、イギリス、オランダ、フランス、ロシア、と広がり、覇権は、イギリスへ、アメリカへと変わっていく。この歴史に、音楽の歴史を照らすと、全てが興味深い。中南米の音楽を考えると、例えばキューバの場合はスペインの植民地からの独立運動があって(もともとの先住民の殆どは殺されたり疫病で絶滅し、今のキューバ人は、サトウキビやタバコ栽培のプランターである白人と黒人奴隷の混血)、其処にアメリカ人が介在しアメリカの統治となった。ただ、現地の人たちの音楽は、スペイン人の音楽(スペインの音楽はヨーロッパの成熟した宮廷音楽に加え、12世紀以前のオスマントルコからのサラセン人たちのイスラム音楽の影響も色濃い)、それと西アフリカの奴隷たちの音楽が融合したキューバラテン音楽である。アメリカ統治となってからのキューバは、特に首都のハバナは、大きなホテルが立ち並ぶ高級リゾートとなり、其処では、今のハリウッドのようなショー、そして、白人中心のビッグバンドジャズが繰り広げられた。こんな白人リゾート地で、ヘミングウェイなどの著名人が長期滞在し、『老人と海』などの文学作品も生まれるただ、米軍占領下の日本でもそうだったが、それは異国情緒豊かな、その地の雰囲気が好まれるので、ミュージシャン達も好んでキューバラテン音楽を演奏、其処で更にジャズの色彩を帯びたラテン音楽が生まれて来たのだろう。難しい話になったが、要するに、戦争、侵略、略奪や悲惨な殺戮、そんな歴史からの悲しみ、怒り、諦め、更にその中での喜び、それがそこで営まれる人々の生活文化となって、否応なしにでも生まれて来たのが音楽なのだろう。戦後70年、日本は隣国との、悲しい戦争の歴史に頭を悩ませる。子供達にまで、その罪を負わせたくないという。しかし、経済的にも、社会的にも、文化的にも、互いに影響を受け合いながら、向き合っているのも事実だ。政治的な発言はしたくないので、個人的な意見は控えるが、今でも、欧米の植民地政策は、アフリカ、アジア、南米に、その名残が多いそして、その歴史の恩讐は600年を超えるのだ。文化は熟成されていく。しかし、それを壊すのも戦争だ。ただ、多くの音楽を考えたとき、それらの悲しい人間の歴史が、音楽という文化を創り出している。リンクは1950年代、ジョージシアリングがキューバミュージシャンを交えての録音。この録音の後にキューバ革命が起きている。https://www.youtube.com/watch?v=TX-sVnk9Ui4&list=PLGY348l4UsY5mrIuXzFCaRVTP-2W-VXuU当時、ジョージシアリングは『ラテンレース』『ラテンフェア』など多くのラテンアレンジの録音を残している。彼とナットキングコールは、僕の音楽の原点でもある。
2016.01.12
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寒い日が続く。でも、今年は暖かい方だ。エルニーニョ現象からくるものらしい。なんにでも原因があるのだ。家内の肩こりは尋常ではない。こんな寒い時は特にひどい頭痛も伴えば、吐き気も酷い。もう何十年も続いている。でも、どんな医者に聞いても原因が曖昧。結局のところ、最終的には「ストレス」が原因という事で落ち着く?。ところが、どうも、この「ストレス」という言葉が良く判らない。先日、口唇ヘルペスを発症した。先生曰く「まあ、原因は多くある。でも、疲れが多いね~。一番はストレスから来る」。よく判らない。タバコを止めた友人が、2年経ってまた吸いだしたせっかく止めたのだから、そのままやめる事が出来たろうに。本人曰く、止めた時から、そのストレスで胃炎がひどかったという。何年か前に、ピロリ菌の駆除をした。その前までは、良く胃が痛んだ。たばこの吸い過ぎの時は、特に痛んだ。必ず言われたのは「ストレス性の胃炎」。でもピロリ菌を除いてから、胃が傷んだ経験がない。同じストレス性胃炎でも、違うらしい。何処が違うか?何とも胃炎(ああ、親父ギャグですみません)そう言えば、若い頃、病気しても、ストレスなんて言われたことがない。いや、そんな言葉がなかったかもしれない。昔は、社会問題化しなかっただけだろうか?。イジメ、児童虐待、悲しい社会の事件だが、昔は少なかった?、いや社会問題化されなかっただけ?。セクハラ、モラハラ、マタハラ、昔は聴いたこともない。胃の痛さに解放された私は、酒量が増えた。でも、最近は血圧が高めである。女房殿には「酒を止めたら下がるわよ~、一日ぐらい休めば~」「朝、具合が悪くても、夜には調子が良くなって呑むのだから」こんな嫌味を言われる。ああ、そんな言葉、ストレスになる。
2016.01.10
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どうも人間ちゅうのは、時間に追われる。捕らわれる。縛られる。釣り宿業なので、釣りが仕事。そのうえ、ジギングのパパなんて言われ、プロまがいにメーカーの道具開発なんぞに加わり、その宣伝にも関わる。勿論、口では能書きを言うが、それでも懸命に走ってる。ところが、この年でも未練のある音楽だ。これも片手間とはいえ、意識は高い。決してアマチュアではない。プロの仕事をしたい。だだ、これも、懸命になるから時間を割く。でも、与えられた時間は誰も同じ、一日24時間。1年は365日なのだ。音楽を増やせば、釣りの時間が減る。釣りの時間を増やすと、音楽の時間が減る。ああ、もどかしい。まあ、年寄りで、せめて、残り時間が少ないのだから、寝る時間を削るしかない。しかし、寝る時間を削るのは良いが、健康を削っては身もふたもない。程々に、壊さない程度に、なのだから限度がある。ああ、もどかしい。どうも、最近は釣りに出る時間も、少々減ったかも知れない。一番に減ったのは、日常だった朝トレとか、筋トレ、ランニング、そんな、体力増強、いや維持、その為の時間たろう。音楽の練習量だって、相当に減っている(若い頃に比べてだが)こりゃ良くないね~。全てに中途半端では、元も子もないではないか。増えたのは、体重と酒量だけかも知れない。頑張ろう。
2016.01.07
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生活の糧が釣り宿業である。そんな私が、ミュージシャン、ボーカルとして活動していくのには大いなる制限がある。さらに、その釣り宿業が成り立ってきたのは、私の生涯の趣味として培ってきた、ジギングと言うカテゴリーの釣りが大きく占めるだろう。この体力消耗型の釣りは、子供の頃から格闘技系スポーツで体を鍛え、基礎体力にも自信を持つ私だが、それでも限界がある。まして、人生の終末期を迎える今、その体力は下降線の一途だろう。それでも、多くの方々の支持、メーカー各社の応援、雑誌社などのメディアの協力もえて、多少しがみつく態でもあるが、限界が来るまでは精進を続けようと思っている。そして、音楽同様に好きで始めた道であるから、釣り宿「パパズイン」憩いの場とし、島の釣りを楽しむお客さんが居る限りは提供し続けなければならないだろうか。そんな中で、先の目標を確りと見据えて行きたい。釣りでの目標、「何キロの魚を釣りたい」なんてのは、業界、釣りメディアに関わるようになって30年以上なので、それは今更である。ただ、ソルトワールド誌の連載「パパのKeep on」で、これからはカンパチのジギングのみに集中する宣言をした。勿論、他にヘチの石鯛や、八丈島冬季の尾長メジナ釣りなど、続けたい釣りもあるが、誌面で皆様に提供する釣りは、自分らしくアレコレと欲張らず、カンパチの1点に絞りたいというのは本音なのだ。その為にも、勿論サイズに拘りたい部分もあるが、何よりも楽しい釣りだろうか?、そして何時も述べるが「止めない、逃げない、諦めない」こんな気持ちで、やり続けていきたい。やはり、若いアングラーたちの目標になれる、そんな姿を見せたいものだ。音楽も同様だ。68歳になって再び歩き出した。それは、生活の糧は別のところに在るのだから、活動の制限はある。しかし「止めない、逃げない、諦めない」この精神の維持は同様だろう。音楽には嘘はつけない。手前味噌になるが、僕の音楽は楽しいエンターティーメントだ。しかし、その中に込めるのは、僕の人生であり生き様だ。長いこと不良なミュージシャン生活を続けて来た中で、それは涙が止まらない悲しい出来事、吐き出したくなるような悔しい事、他人(ヒト)の顔をまともに見られないような恥ずかしい事、そんな出来事は沢山あった。しかし、その事をイチイチ振り返っては、前に進む事など出来ない。多くのご迷惑を掛けた方々の為にも、確りと前を向いて生きて行かなければならないのだ。音楽では、若い頃からの長いキャリアだが、何も残して来ていない。ただ、再び走り出したいま、応援して頂いている後輩ミュージシャンの為にも、振り返るという意味ではなく、何かを残した方が良いのではと思い始めた。それは、懸命に走って来た結果であるから、今年の目標としてオリジナル曲のレコーディングを考えていきたい。そしてライブでは、より完成度を上げたうえで、私の世界「パパワールド」を表現できれば良いだろうか。それは何よりも、暖かく、優しく、そして楽しい音楽だ。どうか、今年も宜しくお願い致します。
2016.01.02
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このブログ、何か月ぶりの更新ですね。まあ2015年も終わりってことで、振り返ってみます。だいたい、死んだ子供の年を数えるように、昔の事を振り返ってウダウダと言うよりは、先の展望を語った方が、気分的に好きな方だ。ただ、反省が無いというのは、進歩も無いとも言える。殆どが、悔恨と反省の人生なのだが、それなりには気にしてると云う事だ。それにしても、今年ほど、友人、知人が逝った年は無い。71歳になるオイラだから、そりゃ年の近い友人が多い。そろそろ、お迎えが来ても可笑しくない年ごろ・・・(渋)。ただ、そうなると、どうも友人同士の会話もネガティブになる。やれ、磯釣りに出たけど、歩けなくなった。山登りがキツイ。深いところのジギングは辛い、300グラムのメタルジグは重い。こんな話ならまだ良い。女房殿は「あ~た、○☓さんの葬式だけど、お寺さんだと物凄い高いらしい。センターだと安いみたいだけど・・・、あんたの場合は島でやって、東京でも」「おいおい、もうそんな話か」「写真も、大川あたりに良い写真を選んでもらって、東京は葬儀場よりもライブハウスが良いんじゃない。ミュージシャンみんなで、賑やかに総出演。お墓は青森の実家で、テルちゃんのハナコにしきってもらい・・・」「バカヤロ~」でも、そんな話が出るぐらいの年で、病気もなくやれてるのが幸せかも知れない。釣りの話だが、去年ソルトワールド誌で連載になった「パパのKEEP ON」だが、どうも欲張りだったようだ。普段は小生意気で、オイラを小馬鹿にする船上カメラマンもたまには良い事を言う。パパ~、「あれもこれもと手を広げた釣りになるよりは、カンパチ一本に絞った方が、老人が一途に頑張った姿を・・・」「ふん、下手なキャスティングとか、みっともないから止めろって事かい」「まあ、そんな事ですが、私の方が相当上手いと・・・」見え見えのセリフだが、まあ言ってることは尤もだ。てわけで、この連載も何時まで続くかは別問題として、カンパチのジギング一本に絞ることで了解を得た。来年は、体力が続く限り、これに向けてマッシグラだ。あっ忘れてた、僕のジギングの総決算「パパ大津留のジギングの世界」が出版されたのだった。大本編集長、そして元編集長の高橋大河さん、そして読者のみなさん、有難うございました。これも今年の大きな出来事でした。他には、15日の「パパのクリスマス・ディナーショーライブ」だ。これは、僕が自慢のバンドメンバー、バイオリンが森里子、ギター後藤卓司、ピアノ槙田友紀、ベースに高木伸治、それに島の、月一ライブのメンバー、ドラムの木下稔、ギターの沖山芳樹、ベースの今村誠、さらに美女コーラス隊加わり、そりゃ楽しいステージだった。今年の総決算になったかと思う。という訳で、何時も全力のつもりだが、今年も身の丈以上の頑張りはしただろうか。未だ、少々の伸びしろはあると思っている。後がつかえ、追い立てられているような、あと何年かの人生だが、あまり悔いは残したくない。しかし、マダマダやり残したことは多いだろうか。澤穂希ではないが「若いもん達よ、オイラの背中を見て、ついて来い~」そんな事を述懐する2015年でした。
2015.12.29
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さて、台風11号、これから来るであろう12号、バタバタしているさ中ですね~。ただ、今回は、パパのライブのお話です。いよいよ7月27日(月)が、東京ライブ(四谷のメビウス)です。僕のライブを、まだ聴いた事のないお客様に、今更ながらですが、雰囲気や曲名などのご案内。パパのライブは「昭和のJAZZ」と名打ってます。それは、いわゆるパパが。相当にジジイなだけに、古いジャズやブルース、そして抱腹絶倒のオリジナル曲も勿論、全てが1950年代~1970年代のクラブやキャバレーなどで演奏された、その時代の、お洒落な雰囲気を、再現すると云うものです。更に今回は、謎の美人シンガー『Emmy Saito』もゲスト出演して花を添えてくれます。お時間のある方は、是非に、楽しい楽しいパパのステージをお楽しみください。演奏曲目は Star Dust、Monarisa、Too young、Over the rainbow、Blue suede shoes、 Rainy night in georgia、Dock of the bay、Route66、Georgia on my mind。オリジナル曲は、気の弱いラグタイムボーイ、スッチョイ酒飲み音頭。そしてゲストのEmmyちゃんには、黄昏のビギン、蘇州夜曲 を唄ってもらいます。全曲が、チョット楽しいオリジナルアレンジで、昭和の雰囲気満載どうか、お時間の取れる方は、是非に聴きに(見に)来てください。7月27日(月)四谷メビウス 〒160-0006 東京都 新宿区舟町8 舟町ビルB1 03-3341-3732
2015.07.17
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先日、磯釣りの大会があった。友人の鵜沢正則がゲストの大会だ。大会初日は、南西の風から北東の風に代わる予報、気がかりではあったが、東に変わっても、その日、一日は持つだろうと予測していた。所が違った。午後の1時半ごろだろうか、東に変わると1時間の間に天候が急変した。東にある私側(パパズイン)の方は大根と御正体根に渡船だったが、慌てて、渡船の船長に連絡。船長は沖に待機していたために、2時半には沖あがりにした。しかし、私は、八丈小島にまで気が回ってなかった。小島の東側に渡船した連中、中でもオオモウ、トヨガシタは、その時間帯、既に船をチャカ着けする事が出来ず(オオモウには鵜沢正則がいた)、船長が、歩いて迎えに行って、そこから全員が歩いて旧鳥打港に。(島の磯は断崖絶壁が多い。案内なしでは歩けるモノではない)鳥打港も着岸は難しかったが、真っ暗になった中で決死の作業、無事に全員が帰り着くことが出来た。何事もなかったのだが、此れも船長たちの冷静な判断があったからだ。(1時間で豹変した海・底土付近)さてさて、そんな話が有って、昨日まで、我が家のペンキ塗りをしていた加藤淳だが、週末に彼の兄貴らが来ることで、土曜日、日曜日は、そのペンキ塗りを休んでジギングに出ることに。ただ、この日は、防波堤のヘチ石に大塚さんがやって来る日。(この釣りもメチャクチャ楽しい)彼には安全な防波堤だけ教えて、私も加藤淳たちと一緒にジギングに行く予定だった。(久々にプライベートなジギングをする意気込みである)ところが、この日の予報が北東の風から、やはり午後の2時頃に、南西に変わる予報になった。島の防波堤釣りは、渡船と違い自己判断なので更に危ない。一応、南西側の藍ヶ江港に入れて、時間を見て風が出るなら、直ぐに撤収させなければいけない。ああ、私は待機、ジギングは諦めざるをえないだろう。まして明日は、上京して私のライブである。何かあってはその後のスケジュールにも響いてくる。我が家は、島でパパズインを開業して25年。今まで大した事故は起きていない。それは、なによりも安全に気を配ったガイドをしているからだ。そして、これからも必要以上と思われるかもしれないが更に気を配り、神経質に、安全に留意したガイドをしていきたい。ああ、自分の釣りが出来ないことは嘆かわしいが、これも安全には代えられないのだ。
2015.04.18
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超人、鉄人、不死身、そんなもん、ある訳がない。喧騒な都会で、夜を中心に徘徊、音楽家なんて、青っちょろい生き方をしていた私だが、根本的には体育会系、格闘家体質の体だった。島に来て、ジギングなるスポーツ系の釣りをやるようになると、それは、昔のようにトレーニングを重ねる。島に来た頃は40代半ばだが、若いころに鍛えた体力は、幾分、残っていたろうか。脂肪分の多い体質だが、その中に適度の赤身を蓄え、もともとの持久力もあったので、直ぐにジギング向けの体になった。しかし、年齢的な下降線は、体力、精力、精神力と、坂を転げるように、落ちていく。思考力や知力も、同様だろう。これは、上向きどころか、維持することすら難しい。約、1年ほど前から、再び音楽活動を始めた。これも、昔の1~2割にも届いてないだろうか。嘆かわしいが、心に決めたことなので、その為の努力はしたい。そして、ボイストレーニング、歌詞の暗記、譜面書き。それは、仕事以外、生活の中に占める、けっこうなスペースを取る事になる。当然、早起きの私だが、それでも時間に限りがある。そして、今までやっていたトレーニング、その時間を割くようになり昨年あたりから、トレーニングを続ける時間の余裕が無くなっていた。ところが、ビールは美味い、ワインは美味い、そしてウェスキーは美味く・・・。あ~、スッチョイ、スッチョイ、スッチョイ、そんな酒飲み音頭。更に、オイラ日本人、東北育ち、コメが大好き、ついでに欧米かぶれでパンも好き。炭水化物に埋もれる。こりゃ、腹回りもきつくなるワイワイ。という訳で、再び一念発起、トレーニングを再開する事になった。昔、やっていたトレーニングは、三原山側にある登龍峠、その展望台まで(高さ200~300メートル?)、その曲がりくねった道。6~7キロほどの行程がフルコース。行きはWALKだが、帰りはストレッチやスクワットしながら、最後の3キロはRUNになる。けっこうキツイので、家に辿り着いた頃は、もう汗ダクダク。しかし、この2~3年は途中の炭焼小屋までのハーフコースで、よほど時間に余裕が無い限りフルコースにはならない。それでもダクダク。再開という事で、昨日は試しに、途中のイモ畑のある場所まで、4分の一コース。それでも、戻って腹筋もやったことで、少しばかり筋肉痛、そして足は(ふくらはぎ)張っている。そして、今日は、夜明けと同時にハーフコースに。両足に2キロの重しを付け、炭焼き小屋についた頃には、すでに足の付け根が突っ張った状態。其処からストレッチして下る(ずっと重しを着けたまま)。横走りから(クロスサイドステップ)、足を高く上げるトレーニングでは、30回ほど繰り返すと息が上がってしまった(以前は、こんなことはない)。途中、足を止めて、腰の回転から股割り。股間が地面に着かない。相当に体が硬くなっている証拠だ。そこから1キロほどランニングしようと思ったが、無理しては、と思い、そのまま早足に戻ってウェイトトレーニングを少々。まあ、明日は相当の筋肉痛だろうか?。でも、ここに、ブログに公開したことで、挫折はないだろう。(そりゃ、恥ずかしいから)超人にはなれないが、少しでも長く体力維持できれば・・・だ。エイ出版の本「パパ大津留のジギングの世界」でも、もちっとだが、ヘビーなジギングを続けると公言した。その中で述べている「折れるまでやる」は、心ではない。体が壊れたら、心も折れる。そうならない為のトレーニングなのだ。「止めない・逃げない・諦めない」。(写真は、トレーニング中は無理なので、あとで車で撮って来たもの。チョイ霞んだ展望台、登龍峠のオブジェ、途中の炭焼き小屋、スタート地点の我が家前から見た、陽の昇る登龍方面)
2015.03.24
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本の出版は、10年ほど前のエッセイ集「八丈島から愛をこめて」以来です。そして、今回の本はムック本という事で、純粋な釣りの本です。ただ、下手の横好きが嵩じた釣りで、夢だけは「オッキイ魚を釣りた~い!」とデカイですが、決して大型魚ばかり追っている訳でもなく、結局のところは、老いても尚、感動を追い求めたい、そんな釣りに対する執着心です。当然、本の中身は、テクニック的な事や技術論は少なく、私とメーカー各社の関わりや、それに対しての精神論、そして、結局は、写真の多い自慢本かも知れません。ただ、釣りに向き合う、一つの道しるべとして、読んでいただければ嬉しいと思っています。ところで、音楽の話になりますが、4月19日(日)に四谷のメビウスでもう恒例でしょうか、東京ライブを行います。今回は、少しオリジナル曲を多めにして、私の楽しいエンターティーメントぶりを見て、聞いて頂ければと思っています。ジャズが中心ではありますが、昭和の西洋音楽にあこがれ、もがき苦しんでいた時代を、少しでも表現し、皆様に感じていただければ嬉しいです。そして、今回は高橋元編集長の勧めもあって、本の出版記念ライブにすることにしました。色んな、取材時の面白い話、裏話など出来ると思います。ただ、今回は、店のキャパシティーの都合もあり、釣り好きのアングラー限定です。そして格別に、招待状を送ったり、書面でのご案内はありません。我が家への電話か、メール、そして、フェイスブック上のメッセージで予約をお願いしたいと思います。勿論、釣り仲間、友人皆さんに来て頂きたいのですが、それほど肩の張ったライブではございません。ユッタリと一緒にお酒でも飲みながら、仲間同士の歓談、そして拙い演奏ですが(メンバーは最上級です)、お聴きいただければ嬉しいです。四谷「メビウス」http://www.mebius-yotsuya.jp/info.html
2015.03.16
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何時もつまらないことばかり書く私のブログ「南の島物語」は、何と気が付いたら、いつの間にか20万2000アクセス超えていました。有難うございます(謝、謝)。最近は音楽の事から、マグロの話など、あまりにも取っ散らかった話題で、どうも一貫性に欠けるよな・・・。まあ、あまり宗教や政治的な発言は避けたいのですが、たまには頭に血が昇って、踏み外したり致します。そのあたりは、甘々にお許しください。先の震災では、身内も被災したが、あえてその話題を避けるようにして来ました。それは、辛い記憶で、私の誕生日が3月11日であるため、一層メモリアルな、決して祝う事の出来ない日でしたから。しかし、何時しか、その記憶も薄れ、東北の友人さえ誕生日のメッセージを送ってくれます。時の流れなのでしょう。音楽の方は、再開してから1年以上経ちました。再開というより、ボーカルとしての新規スタートです。ただ、今更、ギンギラになって目指すようなものではないので、ゆっくりと(先の残りが少ないんだけど)、楽にやりたい気持ちです。メンバーも、ベースの高木を中心に、ギターのターボー(と言っても50歳を超える)、ヴァイオリンの森里子、と固定しそうだ。其々の持ち味があり優秀なメンバーだ。特に、森里子は、内、外面のパワー、そして技術も素晴らしい。4人で、互いにリスペクトし合いながら、楽しい音楽を目指せそうだ。常々述べるが、私の音楽はジャズでもなければラテンでもない。底辺には、歌謡曲から民謡、若年期に勉強したクラシック音楽、その後ミュージシャン時代に目指した全ての音楽が在る。ただ、全部が中途半端なイミテーションなのだ。「昭和のジャズ」と名打つのだから、その時代に、勘違いしながら、もがき苦しんだ、そんな日本のジャズミュージシャン文化を表現したいと思っている。私の皆さんに聞いて頂きたい演奏、ステージは、当時でスマイリー小原さんがやられたような、クラブステージの、愉快なエンターティーメントだ・・・。ああ。また能書きを言ってしまった(どうも、語ると熱くなる)。釣りは、まあ、体力を使うジギングであるから、下降線だ。でも、「魚なんか釣れなくても良い」大型めざし、折れるまでやり続けると宣言をした。これは、支持して頂く釣り具メーカーにとっては、大迷惑なことだ。愚痴を言いたくなるのも判る。だから敢て、「それで良いなら、支持して頂きたい」と述べている。ヨボヨボの姿でボロボロになりながら、あえて足掻なう格好良さを目指したい。釣りをやる以上、マグロなどの自然環境問題も気になるところだが、まあ環境情報科学センターの会員も止め、都や島などの漁業関係の委員も、そろそろ引退を宣言している。その中で、しぶとく、自分の好きなことだけは、まだまだやろうという、とっても我儘な性根である。今後も、皆さんにお付き合いを頂き、このブログ「南の島物語」も、30万、40万のアクセスを頂くまで続けたいと思うのは・・・フンフン。何年か後に、判断できるだろう。更に、もう一言付け加えると、今度のムック本は、あくまでもステップである。70歳の誕生日を迎え、音楽も、釣りも、まだ伸びしろが有るという事だ。
2015.03.06
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前回、マグロの話が圧倒的なヒット数だったので(でも、今回は退屈な話?)。まず、太平洋のマグロの主な繁殖地だが、日本近海にもやってくるキハダマグロやメバチマグロは、主に赤道近くの熱帯地域で繁殖するが、クロマグロは(太平洋クロマグロ)太平洋を横断し北米まで回遊し、その後、戻って日本近海(台湾と東シナ海の一部から、沖縄、対馬海峡を含む九州)で繁殖する。更にキハダマグロやメバチマグロは、日本海には回遊しないが、クロマグロは総体的に日本海を北上する方が多い。マグロ類が捕食するエサは、主に、イカ、イワシ、サバ、サンマ、カツオなどだ。そして、一歳で50センチ~60センチ(4キロ)、3歳で100センチ~120センチ20キロ~30キロ。10歳ではおよそ2メートル、120~200キロ。繁殖は、およそ4歳頃から(キハダやメバチで20~30キロ、クロマグロでは40キロから)。そして寿命は20年ほどと言われる。では、このことを踏まえたうえで、現状の遊漁やレジャーを含めた漁獲状況を考えてみよう。先日だが、私が委員を務める東京都の海面利用協議会で、伊豆七島の漁協組合長さんから、一般的な遊漁でのマグロ漁獲とサイズに対しての質問があった(遊漁のマグロ漁獲に対する懸念である)。これは水産庁にも遊漁のデータはないので、数字の把握は想像でしかない。ただ、100キロ以上マグロが釣れた場合は大騒ぎになるが、10キロ~50キロサイズの漁獲量は、写真として見ることは多いが、数を把握するのは難しい。ただ、八丈島あたりでも年間で500キロ未満。相模湾で釣れるといっても、何十トンという数字ではないだろう。全国規模で考えてもおおよその数字は想像できるが,数十トンであろう。ただ、少ないとはいっても、遊漁のデータの掌握は、今後は必要になって来るだろうか。遊漁は、主にマグロの場合は泳がせ釣り、それからルアーのキャスティングゲームだろうか。場所によってはコマセをまいて、オキアミなどを付けエサにする場合もある。これは、まあ2~5キロのマグロを狙う場合もあるが、通常では狙うサイズは10キロ~100キロであろうか。稀に、200キロサイズが釣れ上がることもあるが数年間で1~2本という数だろう。そう考えると、数多く釣りあげられているマグロは10キロ~30キロという事になるだろうか?そう考えると、遊漁の場合は、殆どは繁殖機能(能力)を持つ以前か、ようやく機能を備えた、人間でいうと少年から青年の、成長期という事になる(ただ、常識的に考えて、10キロ~30キロのマグロと言っても、十分に夢の大物だ。想像と夢をめぐらせ、思考、試行を繰り返し釣りあげた大物だろうか。ただ、それを稚魚呼ばわりし、リーリースを強制することなど、私にはとても出来ない)。ここで、我が国の漁業総水揚げ量だが、H23年では382万3千100トン(概算総数)と言われるが、その内、大中巻き網船の漁獲量が123万3千700トンで実のわが国の漁業漁獲量の34.2%、海面漁業の総漁獲金額でも16%と、まさに日本の漁業の基幹漁業になっているのだ。では、そのマグロ漁だが一般的な漁法を述べてみる。延縄漁法日本で開発された漁法で、ブイで浮かした幹縄に針のついた枝縄を40~50メートル間隔で付ける。針数は2000~3000なので、その長さは10キロから100キロメートル。大量のエサと網の重さが数百トンになる。一本釣り漁法古い歴史をもつ漁法で、長さ4~6メートルのアウトリガー式の竿を使って、漁船から釣り上げます。自動で糸を巻き上げる機械と、人間の手を使って、100キロ以上もあるマグロを引き上げる。大型のマグロになると、一匹釣り上げるのに、1~2時間もかかることがある。生き餌漁法生きたイワシ、アジ、カツオやイナダなど泳がせ、釣りあげます。巻き上げ機で巻き上げ、電気ショッカーを使い1時間ほどで釣りあげる漁法。巻き網漁法巻き網漁は、網を絞り込んだ後、船上に引き上げます。狭めてゆく網の中でマグロが暴れたり、網の中のマグロの重みでマグロ自体が押しつぶされたりするため、マグロが傷つきやすく、単価的には他の漁法に比べて安い。しかし、日本近海では小型のクロマグロをこの巻き網漁で漁獲し、メジという呼び名で、刺身用に販売されます。メジは、小型のため脂ののりが悪く、価格も比較的安いですが近年はマグロの高騰からマーケットなどで販売され、盛んに消費されるようになりました。また、巻き網漁は、蓄養用のマグロを獲る漁法としても使われる。巻き網で漁獲したマグロは船上に引き上げず、海中で曳航用の生け簀に移し、沿岸の生け簀まで曳航します。以上のことからも、巻網漁法は、漁獲の方法としては効率がよく、一度に大量のマグロを獲ることが出来る。しかし、これが乱獲どころか、獲る必要のない、他の魚や生物も一網打尽にしてしまうため、枯渇につながると云う意見が多くなるのも当然だろう。まず、僕が言いたいのは、先に書いたマグロの規制問題は、WCPFC北小委員会でのマグロ枯渇の懸念。これを受けて、(1)未成魚漁獲の抑制・削減、(2)親魚資源量の資源変動が中長期的 (5~10年)に適切な範囲に維持され、かつ過去の最低水準以上を保つ、という2点を管理目標とすることになったのです。だんだん、小難しい話になってしまったが、言いたいのはやはり、どう考えても巻き網船が枯渇の因であることは疑う余地もないという事だろう(温暖化などの自然環境の変化は別次元と考えて)。この漁法が国の補助金の元に、数多くの大型船が建造され、長年行われて来たことは、明らかに漁業行政の失政なのだろうか。そして、この後の大きな問題は、先に記したように、この大型巻き網船だが、近年は、韓国、中国の、日本のレベルを遥かに超えた大型船で、クロマグロの産卵場所である東シナ海から対馬海峡などで操業される。さらには中国の大型船などはキハダマグロやカツオの産卵場所である赤道近くの海域から、広くミクロネシアまで大規模な操業をしていて、今や日本の漁獲量の数倍と言われているのだ。日本では、遅きに失するという意見もあるが、ようやく大中型まき網漁業の休漁検討もされるというが、いまだに具体的な話はない。まして。世界規模の話になると、もはや2009年の会議でも韓国は規制に反対であり、中国は出席していない。要するに、今や漁獲量の大半を占める、中国、台湾、韓国は規制に対しては全く非協力的であり、その全く足並みがそろっていないのだ。ああ、この先も混沌とした状況が続くわけだが、かといって我々アングラーは他人事として考えるわけにいかないのが、このマグロの枯渇問題だろうか。
2015.02.25
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ようやくエイ出版から、僕のジギング本、ムックが発売になった。まあ、過去の僕のジギングの系譜から、今に至る考え方を述べているだろうか。今までの、釣りのムック本と言えば、大方が釣果を中心にした、釣りに対しての技術的な理論、メソッドみたいなものだろうか。大きい魚を前にし、「こんな魚を釣るには、こんなやり方で、こんな道具を使い、こんなテクニックで」そう述べた方が、読者には判り易く、喜ばれるだろうか。ただ、僕の場合は、確かに過食偏重な釣り三昧の日々の中で他人(ヒト)よりは回数が多いだけだ。そして、もともとは突き詰めるタイプではない。考えるに、本業としていた音楽でもそうだが、かなり好い加減なタイプなのだ。(それなりに努力と研鑽を重ねているが、超1流ではないという事だ)釣りも、技術的なものはさて置き、元々しつこい性格なので、根気良く続ける。当然に若い人たちには、「休むな、やり続けろっ」、これが僕の釣りの基本であり、教えになる。この本が企画されたときに、編集長の大本氏、ライターと写真を担当して頂いた、元編集長の高橋大河氏そして、常に僕との釣行のカメラマン、ライターであり、多くのサポートをしてくれる大川氏の3人に、そんな私の心の内を話した。ただ、そんな僕でも、ある程度の技術論は持ち合わせている。ただ、多くの自然状況があり、そんな自然をリスペクトすればするほど、あたかも知り尽くしているような物言いが出来ないだけだ。(それは、長いことジギングを続け、この釣りを指導的に展開してきたのだから)この本に関しても、今連載になっているソルトワールド誌のページ、その釣行に関しても、それは多くのスポンサー(釣りメーカー)のお世話になっている。そんなご恩に報いるためにも、その商品露出を考えた場合、毎回の釣行に結果をだし、使う道具のアピールをしなければならないだろう。確かに、私のように結果の出辛い釣行が続くことに、編集長、カメラマンに、少々の苦言などもあったことも聞く。しかし、それを理解しつつも、あえて言いたいのだ(自分から言うのも何だが、長くやってきたご褒美と思って)。そして、これが僕の釣りなのだ。確かに、技術があった方が魚は釣れる。そして、そのためにより良い道具が開発され大いに進化してきた。それは、魚が少なくなって釣り難くなればなるほど、そういった技術と道具の進化は、釣りでは重要な部分なのだ。更に、だれもが釣れた方が楽しいに決まっているのだ。勿論、私だって、「マグロの危機」「アジやイワシの減少」「自然の環境破壊の進行」多くを感じながら、その中で、本音と建前を使い分ける。魚がいなくなったら困ると言いつつ、魚を釣る、魚を食べる。そして、この環境負荷の大きい釣りを、生活の糧にしているのだ。だからこそ、このムック本で、もっとも言いたいのは、そんな自然に対して、多少の恩恵と敬意を感じ、そのうえで、釣りを楽しむのであれば、少しでも、自然に対して、本心からの優しい心を持ちたいと云う事だ。この本にも、僕の音楽、ライブにページが割かれている。僕の歌は、釣りと一緒、決して上手くない。心がけるのは、ただただ、居丈だけに迫力やテクニックで押すのではなく、嬉しさ、悲しさ、激しさ、そんな喜怒哀楽が、メリハリの中に表現でき、その中で、優しい心を暖い雰囲気を伝えることだ。そしてそれが、僕の中で何十年も培われてきた精神であり(多くの失敗もあった)、その表現が、釣りであり音楽なのだ。この本が出版できたことは、この大きな自然と、ジギングの好きな多くのアングラーのおかげだろう。感謝の気持ちでいっぱいです。
2015.02.21
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