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今日は「宗教改革記念日」です。マルティン・ルターが、ヴィッテンベルグの城教会の門に「95か条の提題」を張りだし、論議を求めた日とされています。それが今日に言う「宗教改革」の、のろしとなりました。「宗教改革」は、その時代の要請だったと思います。色々なもので濁らされていたキリスト信仰のカスが濾されて、一瞬、信仰が純化したのです。それはカトリック教会にも振り返りの機会となり「対抗改革」と言われる純化運動に発展しました。時の経過と共にピンと張りつめられたキリスト教は鈍化して行きます。そしてまた新しい運動が起こります。目覚めた少数者によって、信仰が守られて行くのだと思います。「改革」・・・しかしそれはあまりにも不幸な分裂でした。ボクたちの主を誇りに思うとしても、分裂を誇るまい。「宗教改革記念日」は、もう思い出の向こうに追いやっても構わない。分裂の修復をこそ主に求めよう。主を愛する人々の心が一つになる新しい記念日が来たるように。
2008年10月31日
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イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。(創世記37:3)ファラオはヨセフに向かって、「見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言い、(同、41:41)可愛がられた子が、大きくなって成功するようです。
2008年10月31日
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出先からの帰途ホームに横付けされた電車の車内で発車時刻を待っていたら車両の入り口がざわつきました。ほどなく親子連れが車内に入ってきました。お子さんの顔が血で染まっています。お子さんがホームと車両の間に落ちたようです。大事に至らなかったようですが若い母親の堂々とした態度が印象的でした。
2008年10月30日
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木曜出勤の朝気持ち良い冷気にさらされたせっせと歩いたら駅のプラットホームに上る頃ようやく汗ばんだ
2008年10月30日
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新幹線の中で、「アンティオケ宣教会ニュース」(8月1日号)を読んだ。ドイツ在住の宣教師(井野さんという女性だった)のレポートに、こう書いてあった。「7月には洗礼式が予定されており、教会にまた新しい家族が加わります。教会はこれからも常に変化して行くことでしょうが、その時その時に与えられている人々で、キリストをかしらとした教会を形成して行きたいと願っています。」すごい。これが宣教師魂というのだろうか。学びたい。真似びたいものだ。参考URL www.nd-jcf.de
2008年10月28日
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久しぶりに顔を出すと一人で留守番をしていた父は、駅前で食事をしようと誘った。すでに病が進行していて、バス停までの歩行もよろよろしていた。それでも一生懸命に歩く父訪ねた子と時を過ごそうと。ここにしようと、駅前の食堂に入る。二人でそばを食べた。父は時々顔をしかめた。痛くても口には出さないのが父だ。頑固一徹だった父亡くなる数ヶ月前には信仰の導きにうなずき病床で洗礼を受けた。
2008年10月27日
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今週初め、柿田川湧水公園を散歩した。奥に入ると湿地に板張りの道が続く。ランの花びらに似た紫色の花が群生している。ツリフネソウ。レンゲを小さくしたようなピンクの花も見頃。ミゾソバ。
2008年10月25日
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今日これからそして明日誠実に生きられますように
2008年10月23日
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教会を建てたとか、立派な説教をしたとかそういうことではなく幼い子供の手を引いて歩いたとかバイクに乗って公園に行ったとかそんなことが温かい気持ちと一緒によみがえってくる。
2008年10月22日
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今日の澄みきった空のように神の御顔は澄みきっている。雨が降り風が吹いても神の御顔は澄みきっている。心を神に向けるとき澄みきった御顔を向けてくださる。心を地に向ければそこは混沌としている。神に向ければ澄みきった御顔を仰ぐことができる。
2008年10月21日
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ゴスペルコンサートのために、お祈りをありがとうございました。思った通り、楽しくステキな集いでした。岩田さんが神様にささげるゴスペルの歌伸びやかで澄みきった声ナチュラルな発音巧みなリードでボクたちもハーモニーに加わらせて下さいます。ついにボクたちもゴスペラーになったのか?教会が建っている南側と北側のマンションから若い家族連れもおでかけくださりチャペルに響くゴスペルにお子さんたちの声が混じり合いました。また通りを歩いていた男性も立て看板を見て(「ゴスペル」に惹かれて)お立ち寄り下さいました。ゴスペルはやはりスゴイ!!
2008年10月20日
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箱入りの安価なジグソーパズルのようにボクの心はバラバラでした。そこに神様の御手が伸びました。パズルをはめるように。ボクの心は一つの形になりました。それが今の形です。
2008年10月18日
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夕方、垣根を揃えました。横からパチン パチン パチン パッチン上からパチ パチ パチそれから掃き集めます。さっさっさっ近所の人たちと立ち話。暗くなってきたので手を動かしながら。
2008年10月17日
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久々に20年前に書いた「聖地旅行記」を取り出しました。歯の浮くような表現や言葉が・・・・直そうかと思いました。しかしそれなりに完結していてもう手を付けられませんでした(苦笑)
2008年10月17日
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日本188殉教者名簿が発表され、11月24日に列福式が行われるという。「列福(ラテン語:Beatificatio)とは・・・カトリック教会において徳と聖性が認められ、福者(Beato)の地位にあげられることをいう。」(ウィキペディアから自由引用)今になって江戸時代とそれ以前の日本の殉教史に光が当てられる。日本は、ローマ時代の殉教史に比肩する殉教の歴史を持つ国であるという。「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」マタイ福音書5章11~12「命をかけない真理など信じるに値しない」とパスカルも『パンセ』の中にしたためている。
2008年10月10日
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牧師会では班に分かれて「説教批評」をしました。ボクの説教を聴いて下さった先輩牧師が「どんな準備をしました?」と問われます。「ネットに載っている説教を幾つか読んで 心に留まった内容を心に留め それから一気に書きました。」静かに言葉がありました。「こんな歳になると、 そんなに準備をしなくても、 こしらえられるものです。 しかし語る機会ごとに 聖書の箇所を読み直し、 語句を調べ、 聴く人にふさわしい説教を用意する、 それが説教に召された者のアイデンティティですね?」
2008年10月09日
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牧師たちが集まって3日間の集いを持ちました。合間の時間には例年のように、ソフトボールを楽しみました。神学校を出たばかりの30歳代の若い牧師から70歳代になった神学校の学長まで二つの組に分けて対戦しました。運動不足で体が硬く、ボールが飛んで来てもうまく捕れません。ていねいに一塁に投げたつもりでも横にそれていきます。ボクなどはフライが来たので後ろ向きに走ろうとしたら、足がついていかないで転びました。「もうやめにしよう~~」足・腰・肩まで痛くなってきた頃に学長の声が響きました。これ以上続けたら怪我をすると思われたのでしょう。その夜は学長の講義を静かに聴きました。
2008年10月08日
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きよらかな人は ただ生きているだけで 周りの人々に影響を与える。 だれでもきよらかな人になることができる。
2008年10月07日
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大丈夫と踏んでいたら駅の改札口についたら発車2分前だった。普通に歩いたつもりが歩き方が遅くなっていた。歳の波がぐぐと寄り添ってきたのだ。新幹線のホームまでは間に合いそうにない。でもこれに乗り遅れたら出先に迷惑がかかる。本気で走った。膝が、膝がああ心臓が止まるかも?止まってもいいや!やれ60男がひいひい駆け上って来るぞ。ホームの駅員さんがドアの前で赤旗を出して待っていてくれた。どうもありがとう、と片手を挙げた。
2008年10月04日
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「恐れているとしたら、恐れるな。 しかし、恐れていないのなら、恐れよ。」 (パスカル『パンセ』776中公文庫版)前者。神様がご一緒なのだから、何が起きてきても、恐れなくても大丈夫です。後者。神様がすべてのことをさばかれる時が来ることを、覚えているべきです。
2008年10月03日
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