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ハリー先生のようにボクにも青春時代があった。ハリー先生は「画学生」だったらしい。ボクは「文学青年」だった。「クリスチャンの文学青年」なんて相反する物が同居しているようだった。ボクの青春は、そんな生活そのもの。ハリー先生もそんなところかな?自家撞着が統合されていく。「教会」という温かい交わりが支えだったんだろう。きっと父親代わりの牧師や優しいお兄さんお姉さんのような信徒さんに支えられたんだろう。あなたもそうだね、ハリーお互いいい歳になった。でも神様から預かった自分の体と家族や信徒さんたちを大切にしてもうちょっと先に行こう!!
2008年01月31日
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「春へのあこがれ」~モーツアルトの歌曲「神へのあこがれ」~讃美歌500番「ゴヤへのあこがれ」~ハリー先生
2008年01月30日
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賛美する心賛美する口(適応症)余計な思いで心があふれてくる時涙が止まらない時(注意書)重症時に、まれに止めたトタンに症状をぶり返すことありその際には再開すること!後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」詩編102:19
2008年01月29日
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春よ春よ足音立てずにもうちょっと待って!
2008年01月28日
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自分の頭の上に、子どもの頃のオリオン座があってずっと気づかずに来たこと昔の自分を見せられた「クリスマスカロル」の中のスクルージだな!大切なものを忘れて生きていたのではないか?どんなに多くのことに気づかずに生きていたかだからボクは、晴れてクリスマスの朝を迎えたスクルージのように生きることが出来そうな気がします。
2008年01月26日
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妻の日課・食後の散歩にお供をした。見上げると真上にオリオン座。父との銭湯の帰りに、いつも見上げていた星座。半世紀前と同じ。
2008年01月25日
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朝イチ、石油ファンヒーターのスイッチを入れた。いつになく煙がもくもく立ちこめて火が点かなかった。末子が生まれた時に買ったファンヒーターだから。20数年もの間、暖めてくれたんだな。おおサンキュー サンキュー
2008年01月25日
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「大寒」を過ごし「節分」まであと10日。「寒の内」と呼ばれる今の期間は、一番寒い季節です。昨朝は伊豆の平野にも雪が積もりました。こんな寒さとなれば、ボクたちはもはや「味わう」ほかはありません。寒さは束の間です。冬将軍のそばで、布団にくるまって暖かく眠りましょう!
2008年01月23日
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明日は休みなのでわが子の一人が泊まりに来ました。いつも明け方勤務なので、まだ寝る時間ではないといいます。ボクたちはもう寝る時間なので、いくつかのDVDソフトを運んであげた。持って行ったのは「マザーテレサ」とか「聖衣」とか「ブラザーサンシスタームーン」とか・・・「チャペルコンサート」の録画とか!ありゃりゃ?
2008年01月22日
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アフリカ在住の娘から、スカイプ接続の依頼を受けていました。スカイプとはインターネット経由の無料電話です。ソフトをダウンロードし、手持ちのイアホンとマイクをPCにつなげます。1000万人がログイン中という表示を見てびっくり!さっそく娘からアクセスがあり、話が出来ました。
2008年01月21日
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ガリラヤの湖では、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ、二組の兄弟が父の指図に従って漁に励んでいた。その湖のほとりは、キリスト様がお父様ヨセフと一緒に、お仕事に行かれたホームグラウンド。シモンたちは、時々はすれ違い挨拶を交わされた見慣れていた顔。主はこんな人たちをお招きになる。主にお声をかけられた人々は、すぐに主にお従いした。主に呼ばれた人だけが、主の弟子となることが出来る。主の弟子になるために、主からのお呼びがかかるのだ。主はボクたちもお呼びになっているのだろうか。そうに決まっている。主は呼んでおられる。シモンたちのように呼んでおられる。ボクたちが主の弟子になることを望んでおられる。先週は、義父が天に帰った。主は、妻を通して何10年も義父に御声をかけ続けていた。義父にとって、クリスチャンの娘が繰り返すあまりうれしくない言葉が、天国へ来るようにとの天からの召しのお言葉に変わった瞬間を、ボクは幸いにも見ることが出来た。生涯の終わりに、主とご一緒の新しい天と新しい地に生きる望みが生まれた。今、み声を聴いたなら、心を頑なにすることをやめ、自分が寄り頼んでいる何かを、いったんはそこに置いて、主イエス様のみ足あとに従うことがすばらしいと思う。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。」マルコによる福音書1章16~20聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会Executive Committee of The Common Bible Translation(c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2008年01月20日
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今日と明日はセンターテスト。たくさんのエリートが生まれようとしている?明日、マルコ1章から「主の弟子作り」をお話しようとしています。準備をしていて、主がお招きになったのは、エリートではないことがわかりました。いつもの湖畔で、なにげに網を打っていた2組の兄弟たちです。主は彼らをお呼びになったのです。キリスト様と、エリートとは無縁なんだな~霊的エリートなんて必要ないし「偉大な聖徒」なんてレッテルも変だ。ああ明日、教会に来られる人々ほんとうに普通の人々この世のものを脱ぎ捨てて、ただ主を求めて教会の玄関に立つ人々ステキな人々だな
2008年01月19日
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言葉は洪水のように心からあふれ出します。あふれ出すと大変。荒々しく曲がりくねった川は年月を経て、三日月湖を形成するそうです。心の中の三日月湖は風景を穏やかに写す湖面
2008年01月18日
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舞い降りる白いものの下 頭も肩もま白 空も田もま白
2008年01月17日
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昼までの祈りの集いを終えて皆さんは三々五々お帰りになりました。ポカポカと日だまりの国から今晩は夜行列車で北国に発ちます。妻も一緒です。皆さんに祈って頂きました。
2008年01月16日
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若い頃、吃音で苦労したことがあるできるだけ人に知られないように生きていたキミと話す時ボクはその頃の自分を思い出すだから、脳性麻痺のキミが全身に力を入れて言葉を絞り出す時ボクは感動しますキミと語り合えてうれしいそんなに力をこめて大丈夫かどこかに変調を来さないかキミとお話ししながらそんな心配もしますだから、キミが心の思いを伝えようとする時ボクは全身を耳のようにして聞きます
2008年01月15日
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~舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」~マタイ8:24-25(新共同訳聖書より)「おぼれそうです」未来を暗く考える、主の弟子たち。たとえ溺れたって、その次があるさ。
2008年01月14日
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ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。マルコによる福音書1章14~15「時は満ち、神の国は近づいた」 怖がることはない。近づいているのは恐ろしい地獄の責め苦ではなく、恵みと喜びに輝いた天の御国なんだ。キリスト様が、ボクたちが受けねばならない罰を、代わりに受けて下さった(十字架)ので、最後の審判の時の判決を、今から聞くことができる。「無罪」との判決を。「悔い改めて福音を信じなさい」無罪の判決文を手に入れるために、「罪の赦し」を得よう。赦された者には「永遠の命」がついてくる。それがボクたちがこの世で得ることができる最高のもの。この恵みを得た人は、この世で本当に自由なものとなる。洗礼者ヨハネやキリスト様のもとには、あらゆる人々が来た。偉そうなファイサイ人や律法学者たちに混じって、ごく普通の人たち、それから当時は神様の恵みから遠ざけられていた収税人とか、罪深い仕事をしている女性、物乞いで暮らしていた人、障碍を持った人。野良でのメッセージでは、分け隔てなくお話を聴くことができたし、信じることができた。けれど、信じなくても、悔い改めなくても、罪の赦しや永遠の命を受けられる特権が与えられた人はいない。「悔い改め」とは何だろう?ボクたちは(え?ボクだけか!)、自分に対する嫌悪感を感じる時がある。自分の心はこんなに汚れていたのか! いっぱしのクリスチャンとして生きていた青年時代、その鼻をへし折られる出来事もあった。自分だけしかわからない心の暗い闇、底知れない肉欲の強さを覗いた時。「ああもうこれ以上は生きていけない、絶望だ」とさえ思った。死のうか? キリスト様が招いていた。「重荷を負って苦労している人はいらっしゃい」お招きを改めて受けた。目を自分自身から離し、招いて下さるかたに目を向ける。惨めな自分にはもう頼れない。神様が下さる救いと赦しを受けようと。キリストにある新しい自分となろう。自分の中に決してなかったきよいもの。それを神様の中に見つけたから。神様が「それをあなたの手に渡そう」と待っておられたのだ。「自分の魂を救おうとする者はそれを失い、失う者は永遠の命を得る」。こうして、近づきつつある「神の国」へ、どきどきしながら、ドアを開ける、あのかたの元へ。「悔い改め」を通して、そのドアをあける。
2008年01月13日
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ガス欠ランプがついたので明日の日曜日の活動のために雨中、ガソリンを入れに出ました。途中のスーパーに寄ると早くも半額になっている苺をみっけて2パック買いジャム作り水で洗い、へたを取り重さを量ると約530グラムありました。中白砂糖を80グラムいれて強火で煮立てます。約20分、苺の香りでキッチンが、むせっかえります。終わりにレモン果汁を入れます。昔、ベタニヤのマリアナルド産の香油の香今、やまひで甘き苺の匂い
2008年01月12日
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陽だまりがうれしいのは冬です吐く息も白い厳しい世界に生きる方が人にふさわしいのでしょうか?
2008年01月11日
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新年から始めた聖書の通読さっそく出合ったみことば「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。」マタイによる福音書6章34節(都合のいい所だけ読むなよ)内なる声が聞こえたような気がした
2008年01月10日
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あの人の所へはこの人の所から行けるリンクを行脚(あんぎゃ)しひとり感心したりほほえんだり
2008年01月09日
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ケガのため動けずクリスマスも年末年始も家で過ごされたかたをお訪ねしました。歩いて20分余りの夜道昼間はぽかぽかしていたのですがさすが夜ともなれば空気は肌に冷たいです。祈りの時は心温かくきっと久々の笑顔だったのでしょう。
2008年01月08日
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今朝読んだ旧約聖書の詩編86今朝のボクの心にぴったりと合わさり慰めてくれたですので、ご紹介いたします。「抄録」ですが。主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは貧しく、身を屈めています。わたしの魂をお守りください主よ、憐れんでください絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは主よ、あなたなのです。主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。苦難の襲うときわたしが呼び求めればあなたは必ず答えてくださるでしょう。一筋の心をわたしにお与えください。主よ、わたしの神よ心を尽くしてあなたに感謝をささげとこしえに御名を尊びます。あなたの慈しみはわたしを超えて大きく深い陰府からわたしの魂を救い出してくださいます。主よ、あなたは情け深い神憐れみに富み、忍耐強く慈しみとまことに満ちておられる。わたしに御顔を向け、憐れんでください。主よ、あなたは必ずわたしを助け力づけてくださいます。(新共同訳による)
2008年01月07日
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マルコ福音書1章9~11今年はマルコによる福音書から日曜礼拝のメッセージをします。初心に返るのです。だって「年男」ですもん。主イエス様がヨハネから洗礼をお受けになった聖書の箇所です。洗礼の恵みと、信仰を持ったら洗礼を受けることの大切さを皆さんと分かち合いました。
2008年01月06日
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番茶の大袋を買い抹茶の小缶を買う番茶を茶こしに入れ抹茶を少々振りかけるしゅうしゅうと熱湯をふりかけうまい!
2008年01月05日
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午後から、教会の会計さんが来られて、12月会計の集計をしてくださいました。集計は、ロータス123で行っています。12枚のシートが重ねてあって、月月を入力すると累計を出し、年間の予算の執行状況がわかります。財務諸表とも連動するようにしました。会計規模はごく小さいのですが、今日はなかなか手書きの帳簿とパソコン表が合いません。計算式を一つ一つ当たってみると一カ所の計算式がずれていて正常な計算ができていませんでした。セルの保護を怠っていたからでしょう。夕闇が迫っています。会計さんに謝りました。
2008年01月04日
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ブレーズ・パスカル17世紀中葉、フランスの哲学者、数学者「人間は考える葦である」(パンセ)という言葉が有名 39歳2ヶ月の生涯虚弱体質。最後はガンが全身に回ったとも、脳腫瘍だったとも言われている。絶えまなく襲う頭痛、歯痛、腹痛痛みをこらえて、最後まで姉たちに『パンセ』の口述筆記を願う。 「弟は時々、18歳の時から自分は一日も苦痛なしに過ごした日はないと、わたしたちに漏らしたことがあります。」 (パスカルの姉の言葉) 「イエス・キリストにおいて、死は全く違ったものとなります。それは、愛すべきもの、聖なるものとなり、信じる者の喜びとなるのです。」 (父の死の際にパスカルから義兄ペリエ氏に寄せた手紙)「神様わたしを見捨てないでください。」 (最後の言葉)
2008年01月03日
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「・・・・もっとも象徴的な存在は、中村 中(あたる)だ。22歳の「彼女」は、男の子だったのだが、性同一性障害を克服して、素晴らしい女性歌手として感動を与えてくれる。 タイトルにあげた「大切な人はともだちくらいがいい」というフレーズは、「彼女」が15歳のときに、つまり、まだ「男子中学生」だったときに作った曲だという。「友達の詩」という。 「手をつなぐくらいでいい」「並んで歩くくらいでいい」「それすらあやういから、大切な人が見えていれば上出来」 「友達くらいが、ちょうどいい」という歌詞に、二つだけの性別の間で苦しむ少年の切々たる思いが溢(あふ)れている。」(ライブドア・ニュースより)http://news.livedoor.com/article/detail/3449845/
2008年01月02日
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夜が明けると吹きつのっていた冷たい風は凪ぎ陽が穏やかに輝いています春を予感しました眠られぬ夜は開け放されました起き立って日だまりに出ればあなたの心の嵐も凪ぐでしょう
2008年01月01日
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