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真の父母様天宙勝利祝賀宣布1999年0月.14日、ソウルオリンピック公園体操競技場真のお父様はこの日、「真の父母様天宙勝利祝賀宣言感謝牌」を真のお母様に授与された。この感謝牌は、人類の真の母の使命を持って来られて、1960年聖婚以降、真の子女・婦人・親の使命を尽くして、世界巡回を介してすべての人に真の父母様の生涯教本を伝授したことについて称賛する内容を含んでいる。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.15
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.07.09
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天地人真の父母様聖誕及び天一国基元節11周年--天一国敬礼記念式--PeaceTVホームページ(https://www.ipeacetv.com/)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.14
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「「独生女」考(7) -- 姜先生、櫻井夫人も新約の文字の虜に?!」は、統一教会の草創期からの大先輩の方々には大変失礼な発言であると思います。しかし、三男派・七男派が認めている黒・天聖経に文総裁が語られた「独生女」の記述がある限り、これを否定することはできません。▲黒・天聖経の韓国語版 P.177の記載文姜先生、櫻井夫人もこれを見られて深く祈ってくださることをお願いいたします。また、原理講論のP.205~からは「聖書に対する我々の態度」についてハッキリと明記されています。(五) 聖書に対する我々の態度我々は、既に、聖書のみ言によって、イエスに対する洗礼ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招来し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったという事実を知った。しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な秘密を明らかにした人は一人もいなかった。これは、洗礼ヨハネを無条件に偉大な預言者であると断定した立場からのみ聖書を見てきたからである。我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。使命を果たして行った洗礼ヨハネを、使命を果たさなかったと信じることも不当であるが、事実上、使命を果たさなかった洗礼ヨハネを、よくも知らずに、全部果たしたと信じることも正しい信仰ではない。我々は神霊面においても、真理面においても、常に正しい信仰をもつために努力しなければならない。我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。これは洗礼ヨハネについて書かれたものですが、今日の「独生女」にもあてはまるのではないでしょうか。ほか、黒・天聖経P.517には御霊(聖霊)と花嫁についての文総裁のみ言もあります(以下)。(独生女について)教えてあげるといっても「嫌だ」と言い、かえって「異端だ」と言うのですから、ただあきれるばかりです。ほか、「独生女」を前提として黒・天聖経を読み返して見られれば、新たな発見を多くされることと信じます。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.28
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次韓鶴子総裁御言選集 1 真の父母様を中心とした一つの世界 第1部 真の父母としての韓鶴子総裁の生涯 第2部 国家の復帰のための世界宣教戦略 第3部 伝統の伝承と相続 第4部 世界平和実現の課題 第5部 二世教育と未来の人材の養成 第6部 孝情天苑を中心とした理想天国のモデル 第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任韓鶴子総裁御言選集 1 - 真の父母様を中心とした一つの世界第7部 天一国安着のための祝福家庭の責任4. 感謝と精誠の生活 感謝の生活私の一生の目的はただ一つです。いかにすれば昨日よりもきょうをより一層感謝する心で生きていくかということです。きょう一日、昨日よりも感謝し、あすはきょうよりも感謝しながら生きていくために努力してきました。毎日感謝する心をもつことが私の人生の目標です。しかし、皆さんに私の心情を率直に告白するならば、私自身が毎日、感謝する心で固く決意して前進しなければならないと思いますが、時には弱くなったり感情的になったりもします。ですから、皆さんがそのような点について私のことを理解してくださればと思います。私はいつも神様に向かう信仰生活において、より真なる道とはどのようなものであるかを考えています。私たちが神様のみ旨を明確に、そしてはっきりと知ることができる方法を知っていればよいのですが、時々それが分からずに挫折することもあります。それは人間であるからではないかと思います。したがって、神様に対する絶対信仰をもつためには、何よりも神様とお父様のみ旨に従順に従わなければなりません。(1984.7.31、ベルべディア修練所)私たちは歴史を通じて大きな教訓を学びます。そして、いつも過去の失敗は繰り返すまいと決心します。私は、2000年前イエス様が来られる前のユダヤ人たちも同じように考えたと思います。彼らも、「その時が来たら絶対失敗などするまい」と考えたでしょうが、結果的に失敗してしまいました。それ以後のキリスト教の歴史については、皆さんがよく知っていることと思います。今日、私たちはいかなる位置に立っているでしょうか。私たちもまた2000年前のユダヤ人たちのように歴史的な失敗と絶望をしているのではないでしょうか。そうでないとするならば、私たちは失敗をもう二度と繰り返さないという固い決意と娶勢をもっているでしょうか。お父様がダンベリーに出発される直前に、「不平を言ってはいけない。立てられた立場で感謝するようにして、感謝することによって完全に一つになった時、大きな奇跡が起きる」とおっしゃいました。お父様の歴史を皆さんはよく知っています。お父様は侍られる立場で来られました。もし世の中の人々が早くにお父様のことを受け入れていたら、お父様の路程は今日とは異なった形で展開されていたことでしょう。しかし、お父様は世の中の人々から反対を受けながら、孤独な苦難の路程を歩んでこられました。しかし、はっきりしていることは、いかなる反対や迫害があっても、お父様は神様のみ旨を成し遂げてこられたということです。お父様はいつも天のお父様のみ旨のために全体を投資し、少しも退かれなかったということです。皆さんは先輩たちの証を聞いて、お父様が過去に歩んでこられた路程をすべて知っています。言ってみれば、誰にも借りを負わず、人に借りを負わせながら生きてこられました。そして、いつも人のために生きてこられました。お父様がダンベリーに行かれる時、私はお父様が心の中で悲壮な決心をされていることを感じました。もし人間が自身の責任分担をしっかりと履行していたら、お父様はそれほどまで困難でつらい道を歩んではこられなかったことでしょう。反対と苦難の道の代わりに勝利者として栄光の道を歩まれていたはずです。しかし、お父様はとうてい言葉では言い尽くせない苦難の道を歩んでこられたのです。一旦はその道が運命の道であると考えながら、いつも御自身のことは忘れ、神様を慰労なさり、その状況の中における最善の道を通して、神様に喜びを捧げながら生きてこられました。(1984.7.31、ベルべディァ修錬所)私たちは、神様に侍って究極的に天一国を完成させなければなりません。それは、個人から始めなければなりません。お父様は、「二人が一つになって成される国が天一国である」とおっしゃいました。いかにすれば一人の心と体が100パーセント以上統一された立場で生活できるでしょうか。これが、私たちが信仰で実践すべき基本的な問題であると思います。ですから、私は皆さんの善し悪しを批判する前に、まず純粋な心で天の前に「ありがとうございます」という言葉で始めなさいと言いました。本当に文字どおり天の前に「ありがとうございます」と言えるのは、道に通じた人です。個人と家庭、教会、氏族、国家において統一された立場に立つようになれば、神様を中心とした一つの世界が自動的に実現するのです。(2012.11.11、清心平和ワールドセンター)一世と二世は真の父母様に感謝する生活をしてきましたか。私たちの路程に不満や不平はあり得ません。今、二世は、一世と同様に信仰で最も基本となる「万事に感謝する生活」をしていないので、非常に心配です。聖書と「原理」で言及されているように、正常な信仰をもった人は、天にまず感謝するようになります。しかし、私たちも知らぬ間に自己中心的な信仰生活をしてきたのです。(2013.7.5、ハワイ)いつも私たちは感謝する心で一日を始めなければなりません。だんだん高齢化が進んでいます。すべての人々が健康に多大な関心をもっていますが、健康において最も重要なことは、常に肯定的で、喜び、感謝する心で暮らすことです。朝、目覚めれば、「私はきょう幸せな一日を始めます」と大声を出して笑わなければなりません。すると、すべての病気が離れていき、エンドルフィンが出るのだそうです。そうして、仕事の能率も上がり、健康になるのです。(2006.3.22、日本、東京)人は長生きを望みますが、体には限界があります。今後、環境が良くなり、100歳、200歳まで生きるとしても、結局は永遠なる本郷に行かなければなりません。本郷に行って豊かな暮らしができる人生を教えてくださる方が真の父母です。どれほど有り難いことでしょうか!サタンの手足になった私を呼んで祝福してくださり、私を信じてくださり、私の子孫を通して名門家になれるよう祝福してくださろうとなさる父母様です。真の父母様がいつの時でもいるわけではありません。この時しかいません。私が地上にいるこの時だけです。地上で受けられるすべての福を受けた立場です。皆さんが欲と猜忌と嫉妬を捨てて、感謝する心で暮らすようになれば毎日が天国です。(2016.7.7、天正宮博物館)真の父母は、どん底から出発せざるを得なかった環境でしたが、今日のこのような基盤を築いたことに対して皆さんは感謝しなければなりません。それに幸いなことに、真のお母様が地上にいます。そのことを有り難く思わなければなりません。皆さんの一日の生活が「ありがとうございます」から出発してこそ発展があるのです。ある歌の歌詞に、「欲一つ脱いだら、喜びの花が咲く」という言葉がありますが、そのとおりです。アダムとエバも、自分を中心とした欲心から堕落したのです。み旨に対する祝福家庭も同じです。自分自身を中心とすることは禁物です。すべての焦点を父母様に合わせ、父母様と一心同体となって動かなければなりません。父母様の願いが皆さんの願いにならなければなりません。天の父母様の夢と実体的な地上天国を成し遂げるのです。地上天国で暮らしてから天上天国に行きます。私たちが肉身をもって生きる時に、永遠の世界に入って生きる所が決定されるのです。その環境にそぐわなければ自然淘汰されてしまうのです。(2016.4.23、天正宮博物館)私たちが信仰生活をする中で、自分の立場や職位が重要なのではありません。地上生活をする間に、いかにして私自身を聖和させるかということが重要です。いかに生涯を閉じるかということです。皆さんが考えなければならないのは欲を捨てることです。キリスト教がこれ以上発展できないのはなぜでしょうか。自分自身や息子、娘のために祈るからです。天の願いが何であるか、天のみ旨が何であるか、人類の願いが何であるか、ということが考えられないのです。私たちは違います。真の父母様を通して、私たちがいかなる人生を生きるべきかを学びました。自分の身のほどを知って欲を捨てれば福が来ます。そのようになれば、天の前に、より一層感謝できます。天の前に感謝する生活をするようになれば、大きな祝福を与えてくださるのです。そのようなことを多く体験したことでしょう。そのような人生を送らなければなりません。(2015.10.30、天正宮博物館)統一家の祝福家庭の食口たちは、堕落した世界における澄んだ水です。澄んだ水が多ければ多いほど、川と海、地球がきれいになるのです。また、清くない人がいなくなります。ですから、私たち一人ひとりがどれほど重要か分かりません。皆さんは、73億人類がすべて真の父母を知るようにしなければなりません。その知らせる使命を、祝福家庭の皆さんが果たさなければなりません。私は56周年の聖婚記念日に4大聖物を与えました。皆さんは、天の父母様がいらっしゃる所に行く時、「影のない人生を送った」という印を押されて行かなければなりません。この時代に皆さんがそのような恩賜を受けられるということがどれほど感謝なことかを知らなければなりません。私たちは常に天の父母様に感謝しなければなりません。そして、「天が私を抱き得る道を開いてくださった真の父母様、ありがとうございます。天の父母様の前に進み出ることができる私となり、ありがとうございます」と言わなければなりません。毎日私たちの生活は「ありがとうございます」という言葉で始めなければなりません。(2016.6.6、イーストガーデン)ピルグリム,ファーザーズ(PilgrimFathers)がアメリカ大陸に渡っていった動機は、人間のつくった儀式と制度から抜け出て、自由に神様に侍りたいということでした。彼らが冬にアメリカ大陸に到着して、寒さと飢えに苦しみましたが、未来を考えて種を残しました。それを植えて初めての収穫をする時に、まず天の前に感謝を捧げました。これが貴いことなのです。それで神様は、移住民を祝福されました。私が感謝祭の行事を行う理由は、すべてのことを天の前にまず感謝申し上げ、天の哀れみを請い、天の夢をかなえてさしあげる祝福家庭となることを願うからです。(2016.11.24,、天正宮博物館)精誠の生活神様の天地創造を考えてみてください。神様は理想的な国を考えながら、天地創造を始められました。それは誰のためだったでしょうか。アダムとエバ、御自身の息子と娘、成長して御自身の体となる真の父母のための環境創造でした。環境創造は簡単にできるものではありません。皆さんが各自の素質によって作品を作る時には、精誠が込められます。ただ言葉で、「ああ、私はこのようにつくりたい。バラよ!このようになりなさい」と言ったからといってできるわけではありません。精誠が必要なのです。(2012.12.14、天正宮博物館)皆さんはすべてのものが備わっています。2000年前イエス様が真の父母の資格をもって来られましたが、それを成し遂げることができずに十字架の道を行かれました。どれほど悲惨だったでしょうか。神様はイエス様を送るためにイスラエル民族に準備させながら、言葉では語り得ない苦労をされました。イエス様も、御自身の使命がいかなるものであるかを知っていましたが、環境が準備されていなかったので、十字架にかけられて亡くなりました。しかし、霊界で神様に会うことを考える時、イエス様の心情はどうだったでしょうか。イエス様は、肉身を脱いで霊的にでも御自身の使命を果たしたいという気持ちが切実だったことでしょう。キリスト教が初めに出発する時、多くの人たちがライオンの餌食になったこともありました。そのような道を越えずには信仰を守ることができなかったということを考えると、現在の皆さんは途方もない恩恵を受けているのです。2000年の間待たなければならなかったイエス様の心情を考えてみなければなりません。お父様は生涯において度重なる獄中の苦しみと数多くの迫害を受けながら、勝利の基盤を築かれました。皆さんも従ってきながら苦労をたくさんしましたが、お父様のことを考えれば、「お父様、私は最善を尽くしました」と言えるでしょうか。毎日「家庭盟誓」を唱えながら、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道を歩んでいると言い、毎日感謝する心をもって敬拝と祈祷を数千回捧げても不足な皆さんです。(2002.8.21、日本、高松)皆さんは祝福家庭として使命を果たすために、精誠を尽くさなくてはなりません。神様は天一国を迎える時までどれほど苦労をされたでしょうか。お父様も80年の生涯の間、何の過ちもなく6度の獄中の苦労を払いながら、最後まで神様の摂理を進めてこられました。それは、神様と皆さんのためでした。祝福家庭は、神様と真の父母様に途方もない借りを負っているのです。人間の本心というのは、100をもらったら、返す時は10を取って90を返すということはしたくありません。100パーセント以上、120パーセント以上返したいというのが本心です。皆さんが真の父母様に焦点を合わせて生活するようになる時、神様はもちろん霊界の善なる先祖たちが皆さんに協助して、奇跡のような驚くべき役事が繰り広げられるのを感じ、見ることができる時代に接しています。天国へは一人では行けず、家庭単位で入ることができます。祝福を受けた皆さんの家庭だけが入るのではなく、皆さんの氏族と民族をすベて連れて行かなければならない所が天国です。皆さんは「誰かが私を手伝ってくれるだろう。奇跡が起こるだろう」と安逸な考えをしてはいけません。皆さんに天のみ手が届くように相対基準を立ててさしあげなければなりません。今までの皆さんの生活態度を変え、朝の敬拝後に特別精誠を捧げたり、特別に時間を決め、氏族と国と世界、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために精誠を尽くしたりすれば、新たな道が開かれることでしょう。(2006.6.20、タジキスタン、ドウシャンべ)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2020.04.24
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「「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ」からの続き。アブラハムの子イサクの花嫁探しがどのようにされたか、創世記24章にその詳細が書かれている。また、ヤコブの花嫁探しにしても面白い話が書かれている。エサウの怒りを沈めるための21年期間、ラバン叔父さんに何度も騙されながらの「ハラン苦役」と言えども、間違いなく母リベカがヤコブの花嫁探しのために行かせたものだった。創世記/ 24章 01節~アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、「あなたの手をわたしのももの下に入れなさい。わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。 ……創世記/ 27章 46節リベカはイサクに言った、「わたしはヘテびとの娘どものことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地の、あの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら、わたしは生きていて、何になりましょう」。 創世記28章 01節~イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」。 こうしてイサクはヤコブを送り出した。ヤコブはパダンアラムに向かい、アラムびとベトエルの子で、ヤコブとエサウとの母リベカの兄ラバンのもとへ行った。さてエサウは、イサクがヤコブを祝福して、パダンアラムにつかわし、そこから妻をめとらせようとしたこと、彼を祝福し、命じて「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない」と言ったこと、 そしてヤコブが父母の言葉に従って、パダンアラムへ行ったことを知ったとき、 彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。 そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻にめとった。サラはイサクの花嫁探しについてはリベカがヤコブの花嫁探しに関与したように、常日頃からアブラハムにも語っていたのではなかろうか。聖書からは、アブラハムのしもべが天に祈りそのごとくにイサクの花嫁リベカを探し出すことが出来た。予め天によって準備されていた、ということだ。ヤコブとラケルの出会いもまた、劇的な出会いとなったようだ(創世記29章)。女性タマルについても、4人の兄弟を夫としながら天の血統を残す一心から、その父ユダをだまして身ごもった。双子の兄弟による「胎中聖別」の意義もあるが、それ以上に血統を重んじた「タマルの信仰」を称賛している。イエス様の母マリヤもまた、「タマルの信仰」のごとくにイエス様を身ごもった。ところがだ。マリヤもサラ・リベカのように息子イエス様の花嫁探しをしてあげなければならなかったのだが、ある婚礼の席でイエス様が水をぶどう酒に変える奇跡、それが聖書の話である。ヨハネによる福音書/ 02章 01節三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 …… 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエス様が母マリヤに対して「婦人よ」と語りかけたものであり、当時30歳を過ぎたイエス様が「私の結婚式はいつですか?」と母マリヤに問うたのであった。弟子たちの背信(不一致)も一つの要因として挙げられるが、もしも、イエス様が結婚し家庭を出発されていたならば十字架への道はなかった、言われている。母マリヤがその責任を果たさなかった結果でもあった。<続く>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.21
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とうごま氏記事:文家の血統を聖命視すべき「韓鶴子オモニ」。(旧約聖書「ルツ記」研究)https://www.kateirengou.jp/entry/2019/05/02/064804ルツ記の話をされての血統の話だが、血統の前に「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」から語られるべきだ。私の過去記事にもまた「ルツ記」を扱ったものがある。カテゴリー「独生女考」に納められているものの一つだ。【参考記事】「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ「独生女」考(5)-- 天の血統を重んじる女性の信仰「独生女」考(7) -- 姜先生、櫻井夫人も新約の文字の虜に?!「独生女」考(8) -- 原理講論「聖書に対する我々の態度」、ほか黒・天聖経より(独生女について)教えてあげるといっても「嫌だ」と言い、かえって「異端だ」と言うのですから、ただあきれるばかりです。独生女考(9) -- 「善悪知るの木」と天から降りてきた「花嫁」独生女考(10) --「アブラハムの家庭」における「女性」の復帰摂理は?!独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!!ほか「絶対信仰で「血族が同じになる」」とうごま氏のハンドルネームの由来について別の説も考えられる。血統(とう)を誤魔(ごま)化す聖書は男性家系を中心に書かれている。その背後には女性の神様への絶対信仰が不可欠であったというものである。人間始祖アダム・エバの時も「取って食べるな」のみ言に対しての「絶対信仰」が問われていた。とうごま氏記事にある「文家の血統」というのであれば、韓国には代々の家系図がありそこに継ぎ足されるかもしれない。ところが、天の血統ともなればまったくの別物だ。聖書から学ぶべきことは、天の血統問題については女性(の「絶対信仰」)が必ずといって関与していた。アブラハムの妻サライは2度もサタン側の王の前に身を挺して夫を守った。そして、サタン側から復帰された女性の基台の上でアブラハムは「象徴献祭」、「イサク献祭」を執り行うことが出来た(原理講論、P.318、P.326参照)。アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1〜16)。原理講論を読んでいて「信仰基台」「実体基台」だけに目が行きがちだが、自らの生命も顧みず夫を守ろうとしたサラの信仰にも注目すべきである。イサクの妻リベカも同様だ。夫イサクをダマしては弟ヤコブが祝福されるように「母子協助」した。聖書からは不条理とも思える話が多い。これも天は次子を愛せざるを得ない「血統の法則」があるがゆえであった。余談だが「母子協助」についてみれば、ヤコブが勝利した起点はまさにここにあったといえる。「母子協助」、つまりは母親の言うことに「絶対服従」したからだ。これは、2008年4月6日のお母様を中心としてのカインアベルにも関わることであり、これまでそのヒントは記してきた。その詳細についてはいずれそのうち、ということで。タマルもまた、自分の生命を投げ出しては「天の血統」を絶やさないための「絶対信仰」からであったし、ルツも「異邦人ではあったがイスラエルの慣習に従い子孫存続をなした女性として称賛され、その「信仰」によって聖書におさめられるほどに高い評価を得た」。ソロモンの母親については私の憶測から書いたものだが、聖書のカッコで囲まれた一文から天の啓示が母バテシバにも臨んだのではないかと考えられる。イエス様の母マリヤは当然のことだ。イスラエル民族の伝統から淫婦は「石打の刑」、死を覚悟して天の啓示に従ってイエス様を身ごもった。このように生死をもいとわない女性たちの「絶対信仰」を決して見過ごすわけにはいかない。お母様もまた、「聖婚式」に臨むに際してこのような「絶対信仰」の心境を語っておられた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.05.02
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2021.03.19
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日本の食口たちに対するお父様のメッセージ(韓国語、日本語)2024/01/212023年10月13日、第878回天心苑特別徹夜精誠の時に、李基誠苑長が朗読された『日本の食口たちに対するお父様のメッセージ』の韓国語と日本語です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.01.22
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「愛よ永遠に」1984年1月22日 皆さんは愛が好きですか? (はい)。御飯を食べることよりも好きですか? (はい)。成功し、出世することよりもですか? (はい)。 神様は存在しておられます。ではその神様は、私とどういう関係があるのでしょうか。神様との関係は遠いように見えます。そして神様は全知全能であり、至る所に存在し、何でもすることができるお方であると皆さんは考えるでしょう。しかしそれだけでは、自分とそんなに近い関係であるとは感じられないでしょう。神様は全能であって何でもすることができ、また全知であるから私について何でも知っておられ、私に対して何でもすることができ、私を完全にコントロールすることができるとすれば、“もう自分の中には何らの秘密の余地がない”とそう考えるかもしれませんね。ではそのような神様がなぜ私に必要なのでしょうか。そういう神様が私と近づくことのできる一つの内容があるとしたら、それは真の愛です。皆さんはどう思いますか? (偉大です)。偉大であるよりも親わしい関係です。 皆さんには両親がいますね。その父母は「何をしてはいけません」とか、「遊んでばかりいないで勉強をしなさい! 御飯を食べなさい! 眠りなさい! 起きなさい!」といつも言うのですね。その時、父母がいなかったらいいなと思うのですね。特にアメリカの子供たちはそう思う人が多いのです。やりなさいと言うことよりやるなと言うことの方が多いからです。(笑い) しかしそこに一つ含まれているものは、子供を愛しているという事実です。子供は愛されているという事実を知るようになるとき、叱られ打たれたとしても「ママ」と言い、泣きながらもついて行くのです。何のためですか? そこに愛があるからです。 皆さんの中で学校が好きな人は手を挙げてみなさい。勉強することが好きな人は手を挙げてみなさい。(ノー。イエス)。(さまざまな答え)「イエス」ではなく、みんな「ノー」でしょう。「ノー」と言うのがもっとノーマルですよ。先生が子供たちに勉強しなさい、勉強しなさいと厳しくするのは先生の愛、師弟の愛なのです。そういう愛が国と連結されるのです。学校は第二の世界、国家へと連結され、更に大きな世界、霊界へと連結できる出発となるのです。このように師弟間の愛があるために、いかに困難な環境でもすべて消化することができるのです。学校に行って勉強をするのは先生の愛を受けるという、そのような内容があるのです。それは国家と通じることができ、世界と通じることのできる橋のようなものです。先生の愛と自己の出世しようという動機が、成績と思想の因縁で連結された結果、国と世界へ通じることのできる道となるのです。学校の先生たちが推薦(サイン)する道を経なくては、国と通じる道はないのです。いかに父母が「私の息子、娘が素晴らしい」と言って推薦したとしてもそれは通じません。分かりますか。なぜそうしなければならないかといえば、社会の愛の公約の法度を通じなければ、国を愛する道がないのです。学校は社会に出ていく最初の過程なのです。学校を愛し、学校で愛されることが、この国とこの世界で愛され愛することのできる基礎となるのです。学校にはこのような世界に連結される愛を中心とした生徒同士の愛や、先生と生徒間の師弟の愛があると思うとき、家庭で味わうことのできない愛があるのです。そのように考えるとき、どれほど学校が身近になることでしょう。勉強するのも愛をその心に植えるためであり、勉強をさせるのも心に愛を与えるためです。それはどんなに美しいことでしょうか。そのような学校がアメリカにありますか? (はい! たった一つベルベディアにあります)。 では次に、どうなるべきかというと、国に忠誠を尽くす人にならなければなりません。そうでしょう。いくら子女を愛したとしても、父母を愛する孝子であるとしても、私には国は必要ありませんと言えますか。そして皆さんは、国家的であれば国の大統領と近づきになろうとするでしょう。そういう考えは起きませんか? そこで国の主権者の深い愛の世界に入り込むために、自分の職場で国のために忠誠を尽くすのです。それは並大抵の苦労ではありません。大きな国を抱き、愛することができなければならないのです。このような愛で国を愛することによって、大統領もサインをすることができる国民になれるのです。そうしなくては、その国を代表して世界に行く人となることができません。世界へ行くのに誰の推薦状が必要かといえば、学校の先生の推薦状だけでは駄目なのです。大統領の書いた推薦状がなければならないのです。分かりますか。そのうち世界は一つの世界になります。いずれ世界の大統領が出現するでしょう。それはもう誰しも考えていることであります。一つの世界の主権者が生まれてくるのです。そしてすべての人々は、世界の大統領に愛されることによって、またその愛で大統領の愛するすべてを愛する人となることによって、大統領から身元保証のサインを得ることができるのです。そういう人を聖人と呼ぶのです。皆さんは聖人が好きですか? (はい)。(皆さんが)上に上がっていくためには、そのようにして行くのです。 きょうは、『愛よ永遠に』という題目ですが、人間の世界を超越して神様がおられるかどうかは漠然としていて、誰もこれを知らなかったのです。世界がどのようになっているか分からなかったのです。ですから神様がおられるかどうかも分かりませんでした。しかし、これが最も人間世界において重要な課題なのです。哲学や宗教が人生の問題を解決する重要なキーポイントとなってきたのです。神様が間違いなくおられると確認した卒業証をもっていたとしたら、今日、この世にある数百、数千の大学の卒業証よりも貴いものです。百の博士学位よりも貴いものです。皆さんが御飯を食べること、服を着ること、妻子を愛すること、国を愛することが貴いと言っていますが、最も貴いものは神様がいるかどうか、これを知ることが一番貴いのです。そうだと思いますか、そうでないと思いますか? どうですか? (はい、そう思います)。 では、神様がいらっしゃることを知るための勉強をしようとしたら、月謝はどれぐらい支払ったらいいでしょうか。いくらぐらいですか。一億ドルでできますか? (いいえ)。では月謝を何で払ったらいいですか? (笑い) これは深刻な問題ですよ。笑いごとではありません。さあ、どれぐらい支払いますか。深刻な問題ですよ。いくらぐらい支払いますか? 例えばアメリカを売れば学ぶことができるとしたら、アメリカを売ってでも学ぶべきですか、どうですか? では世界を売ってならどうですか? 「天と地を売ってでも神様を知ることができるなら、探し求めていかなければならないと言っても異議なし」というのが結論ですね。これは正しいですか? (はい)。 では、統一教会のムーニーたちは神様がいらっしゃることを知っていますか。神様がいらっしゃることを学びましたか? (はい)。本当に神様を知っていますか? (はい)。どうして神様がいらっしゃることを知ることができますか? 「私は神様がいることを経験によって知ることができます」。そうですか? (はい)。自分の頭でも否定することができない、目も鼻も私の五官すべてが否定することのできない体験を通してですね。皆さんはそのようにして知ったのですか? (はい)。神様を知るための体験というのは、楽に眠り、楽に休み、楽に遊ぶことによって知ることができますか、それとも死ぬほどの苦難の中で体験によって知ることができるのですか? どちらですか。最初ですか、二番目ですか? (二番目です)。そうです。神に対する体験をするためには、一生涯、世界において、考えられる限界線以上の受難の道を克服することによってのみ可能です。この結論を受け入れられますか? (はい)。 では、皆さんは神体験をしたことがありますか? (はい)。あると言う人は手を挙げてみなさい。皆さんは神様を知って、次に何をしますか? (皆さんが)神様を知ることは、自分がお金がないときお金を下さいとか、自分に権力が必要だから権力を下さいとかを願うために必要なのでしょう。自分が出世するために神様が必要なのでしょう。(笑い) 権力をもって何をし、知識をもって何をしますか。その力をもって神様と対抗することができますか。その知識をもって神様と闘うことができますか。できません! 皆さんは従うことが好きですか? 誰しも従うことは好みませんね。神様はそれをよく知っていますよ。皆さんを見ると欲心で満ちています。どうですか? そうではないですか? いくら顔の醜い人でも欲心(望み)のない人はいないのです。神様以上に神様の頂点に行きたいのです。そうではないですか? 神様がそれを知らなかったでしょうか? 何をもって望みを主張しますか? お金ですか、力ですか、知識をもってですか? そうではなく、真の愛をもっていけば満足するのです。そういう頂点に到達するのです。これは事実ですか、偽りですか? 想像的でしょうか、推理的論理でしょうか、理論的結果でしょうか?(事実です)。そうですか? そうだろうと思いますか? 男子は答えないで女子が答えてみなさい。(はい)。「はい」と言う人は手を挙げてみなさい。では「いいえ」と言う人は手を挙げてみなさい。 神様が全知全能であるとしたら、人間を百パーセントコントロールすることを考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そしてそれをダイヤモンドや黄金をもってしようとしたでしょうか? (いいえ)。そうではなく、神様の愛が実際の黄金やダイヤモンドよりも良いというのが事実であり、価値があるのです。皆さんはその愛のために一度投身してみたいですか。投身してみたいの? 投身しようとするの? 投身したの? (既に投身しました)。ではどのような体験を得ましたか? 知識に対する体験や、金に対する体験よりも絶対的な愛に対する体験をしてこそ、万事に「オーケー」となるのです。このような観点から聖書を見るときに、神様の真の愛の真髄を中心として話されたイエス様の逆説的な話も完全に理論的な論理として展開されるのです。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイによる福音書第十章三十七節) 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書第十五章十三節) 「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。」(ルカによる福音書第十七章三十三節)と言われたイエス様の話はこのような観点から出たのです。現実的な立場から見るときに、このような論理こそ、理論的論理となるのです。何の話か分かりますか? 皆さんは投資する自信がありますか? (はい)。投資する時は最も必要なものを投資しますか、それとも使い残りの必要ないものを投資しますか。最も必要なものを投資するという人は手を挙げてみなさい。何でもできますね。どんなこともできますね。そういう人は正常な人なのです。では何を投資しますか、何を投資しますか。私たちの教会を投資しますか。国を投資しますか。それは皆さんとは関係ありません。皆さんは皆さん自身を投資するのです。何を投資しますか? 片目取って目を投資するつもりですか。鉤でもって、目を取り出しても感謝できますか? (はい)。鼻も投資する自身がありますか? (はい)。これは言葉で簡単に言うべき問題ではありません。深刻な問題ですよ。痛いか、痛くないか。その耳を切ってみます。耳を切ろうとすれば皆痛いと言って引っ込めてしまいますね。このように整った顔の私が醜くなるのかと思えば、私は嫌だと思うでしょう。(笑い) それで醜くなっても「はい」と言えますか。では何を投資しますか? 神様があなたに投資してほしいと願うものは何ですか。神様は何を願っていらっしゃるでしょうか。神様は何を投資すれば、よくやったとおっしゃるでしょうか? (愛です)。誰の愛ですか? (私の愛です)。あなたの愛は真の愛なの、偽りのイミテーションの愛なの? (笑い) 神様は真なるお方なのに、偽りの愛を捧げますと言った時、神様の関心を得ることができるでしょうか。神様は「オー!」と言って、その投資を受け入れられるでしょうか? (いいえ)。 皆さんは真の愛を知らない立場で、今まで神様を愛し、投資したとしても神様におかれてはノーコメントです。皆さんは真なる愛に到達していますか、いませんか? (到達していません)。ではいつ到達しますか? (永遠にトライします)。それでは真の愛と何の関係がありますか。だから深刻ですよ。「愛よ永遠に」という言葉があるように、すべてを除去しても永遠に求めることのできるものは愛しかありません。 では、偽りの愛と真の愛とをどのようにして区別することができるでしょうか? これが問題です。公的であるか、私的であるかという問題を中心として、真なる愛であるか偽りの愛であるか区別されるのです。そこで神様は為に生きるという結論を出すのです。生命自体も、愛自体も為にするのです。愛は生命を越える力をもっています。生命と共に愛の力をもって来なければ宇宙は動きません。今日、理想世界を目指しても動かないのです。皆さん、結論づけておかなければなりません。定義を下しておかなければなりません。神様は歴史を通して数多い人類のために、御自身を犠牲にしながらもそのようなことをやっているので、真なる愛の主体であるという結論です。そこにのみ、そのような境地にのみ真なる愛があります。何の話か分かりますか。真なる愛は他のために生きることです。はっきり分かりましたか? 神様はそこにおいて活動するのです。他にいるのではありません。そこから個人的活動、家庭的活動、国家的活動があるのです。世界に向かう神の活動はそこにあるのです。二人がいれば、一人は神側でもう一人はサタン側というのがすぐに分かります。どちらが神側であるかといえば、より為に生きる方が神側で、そうでないのはサタン側です。分かりますか? それは絶対的な基準ではないけれど、そうしなければなりません。そこから次元の高い発展した歴史が始まるのです。二つの中の一つの側からです。 今まではこのはっきりした境界線を知らなかったのです。この世は境界線が分かりませんでした。知らなかったのです。神様とサタンが境界線を、限界線を中心として、あなたの側と私の側を分離しているのを知らなかったのです。もし、アメリカが独立戦争の時のように、また南北戦争の時のように二つの側に分かれて戦う時、神様はどちらの味方になるでしょうか? このアメリカは一つとなって世界のために闘わねばなりません。リンカーン大統領が主張したのはそのことです。白人が黒人を差別するような人種差別をしてはならないのです。それが真理なのです。 今まで民主主義が生かされてきたのは、全世界の人民を中心とする立場にいたためです。この公式を通して、もしアメリカとソ連が戦えばどちらが勝つでしょうか。ソ連は世界を目指して全体を動かそうとしているのに、アメリカはアメリカだけのためを思えば滅びるのです。ソ連にやられてしまうのです。だから、アメリカが滅びそうになったので、統一教会のような団体が生まれてアメリカを滅ぼさないために、世界のために生き、今後共産世界までも救わなければならないのです。そのためにこの運動を起こすのです。神様がおられるのでこの運動ができるのです。このような結論になります。このように見るとき、神様は統一教会の側に絶対にいなければならないという、公式的結論が出るのです。分かりますか? 何の話か。 我々は世界を導くために、神の名でもって一つの世界をつくることが必要であることを知っています。そのためには、私たちの統一教会をいつでも犠牲にすることができるのです。国があるとしたら国のために統一教会を犠牲にするという思想は、神様を永遠に迎え入れることのできる一つの理論的土台となっているのです。ここに立っているレバレンド・ムーンは、非常に孤独な人間であります。世界もみんな反対し、統一教会に入って立派だと言われる人も多くが落ちてしまったのです。たった一人でこの道を歩んできました。今になっては世界的な名声を得、世界的な基盤をもって、誰が見たとしても、国家の首相ですら“レバレンド・ムーンは成功した人である。あの人はこれから注目すべき人である。どれほど発展するだろうか”と思うようになったのです。このように皆が関心をもつことも神様が共にいてくださったので事実となったのです。アメリカの政府と闘い、法廷闘争をしながら、誰が神側にいるか、誰がもっと公的か、誰がもっと私的か。法廷闘争をしながらもそのように見ているのです。そして今でもアメリカという国を愛し、怨讐の国のために成しているのです。それは神様がレバレンド・ムーンの側であるという事実を知っているためです。レバレンド・ムーンのそのような理論は間違っていますか、正しいですか? (正しいです)。 皆さんはムーニーですね。レバレンド・ムーンは、皆さんを何をもって指導するかというと、無数の経験によってです。たくさんの経験をしたのです。神様が私と共におられることを体験したのです。この原則に従って行けば、世界は自動的に地上天国になるのです。自動的にですよ。誰かが「これをやりなさい、やりなさい」と言う必要もないのです。私たちムーニーは街角で指をさされながら活動をするのはなぜでしょうか? 真の愛の道を知るためにですか。真の愛をもった神様に出会うためにそのようなことをやるのだという、驚くべきことを先生は発見したのです。何の話か分かりますか? (はい)。それで先生は、一生の間迫害を受けながら、このような法廷闘争をしながら、今も前進しているのです。法廷闘争のことはそれほど考えていません。それよりも世界の問題を考えて進んでいくのです。神様はそのような人を好むことを私はよく知っています。これは最も重要なことです。私たちは何も持っていません。ある者は両親も、兄弟も、国も、すべてを失いました。なぜなら彼らは私たちに対抗してくるからです。その立場は最もみすぼらしいものです。誰もそのような立場を好みません。私を含めて神様も同じです。私はそれをよく知っています。しかし神様は先生の立場を取ってくださいました。それについて今話をしているのですよ。はっきり分かりましたね。私たちはこの点をはっきりしておかなければなりません。 私はいかに生きるべきや、いかなる基準に従って生きるべきや? これが問題です。自分が世界のためにいかになろうとも、いかなる犠牲を払っても、妻や家庭や最も価値あるものを犠牲にしたとしても、それでも自分のすべてのものを捧げて、神のために世界のために生きるということは何と素晴らしいことでしょうか。先生にとっても、神様にとっても、統一教会のメンバーは誰よりも愛する立場です。しかし世界のためにそれをも犠牲にしなければならないのが神様の立場であり、先生の立場です。そのような神様の本然の道、路程に従って歩んでいるのは先生だけです。皆さんはどうですか? 皆さんもそのような道を歩みますか? (はい)。なぜですか? それは誰しもが真の愛の中にありたいと願うからです。人のために生きた人は、永遠に忘れることはできません。永遠にこの愛は私から離れないでしょう。皆さん比較してごらんなさい。自分はいかなる人なのかを。自分は何パーセントの(為に生きる)人間であるかということをみんな知っていますか。皆さんは自分自身を知っていますか。何パーセントの者であるか知っていますか。先生が命令をする理由も正しく知っていますか。遊ぶようにし、休むようにし、楽にするようにすればいいのにと不平を言うこと自体が間違いです。どうしてそうなのですか、この時にどうして遊ぼうとするのですか。自分自身と闘わなければなりません。 皆さんは真の愛を必要とし、永遠であることを願います。先生は皆さんを愛するがゆえに、恐ろしい人間のようにもなるのです。先ほども言ったように、家庭の両親、学校の先生、国の大統領、世界の大統領のサインをもらうために、あらゆる困難なことに皆さんをすべてコントロールしているのです。そこには真なる愛が隠れているということを忘れてはなりません。その内容をもって先生は皆さんたちを必要としているのです。誰よりも先生が皆さんを愛しているのは、以上のような愛さなければならない内容があるから、そのように心配しているのです。皆さんの家で、両親が勉強をしなさいと言ったり、細かいことを言ったりする時は嫌でしょう。しかし会社には社長がいて、国には大統領がいます。そのような人のサインを受けなければならないのです。また先生のサインを受けなければならないのです。皆さんは死んでからも、この世でも真の父母のサインが必要です。どうですか皆さん? (必要です)。 今までに皆さんは、どれほど先生に対して不平を言いましたか? 十年間に、どれほど不平を言ったことか、ちょっと聞いてみましょう。先生がアメリカに来てから十年間、どれほど不平を言ったのですか? どれほど多く不平を言ったか率直に言ってください。どれほど不平を多く言いましたか? 不平を言わなかった人は手を挙げてみなさい。皆さんは首を切られ、足を逆にしたぐらいで不平を言うのですか。たくさん不平を言ってきたのです。どうせ傷ついた首であるから、いつ死んでもいいですと言えればすべては終わるのです。 だから興進様が行かれたのです。父母も同じです。私の首はまだ切られないので感謝であり、私の首がまだ切られず、いまだに生きているということに感謝しなければならないのです。自分の生命を捧げようとする人は息子の生命を捧げることも当然で、妻を捧げることも当然で、私の生命を捧げていないだけでも神に有り難く思わなければなりません。簡単ですよ。 死ということを考えてみたときに、大衆のため、全体のために死んだとしたら先生は泣いてあげられるけれど、私的に死んだら泣いてあげられません。人間は公的な涙を流して生きなければならないのです。特に先生は簡単ですよ。先生から全世界の統一教会をすべて切り捨ててしまっても、翌日から再出発できるのです。私が生きている限りに……。そうしたら神様が共に成してくださるのです。それが真のスタンダード(原則)ですよ。分かりますか? (はい)。「自分は統一教会のために一生懸命にやった」と言うことはやめなさい。先生が皆さんたちのために一生懸命にやったと言う時にどうすることもできません。生命までも捧げるのです。極めて簡単な原理です。皆さんもそのような概念をもっていますか? (はい)。ですから統一教会は偉大です。統一教会は偉大ですよ。 私たちの行く所は、どこへ行っても百点です。時間の差異や長短の差があるかもしれませんが、この原則は千年、万年、歴史上において常に勝利の黄金律であるということが先生が知っている真理のポイントであり、神様が知って立てている真理のポイントであることを皆さんも知らなければなりません。「愛よ永遠に」という言葉の意味が分かりましたか? (はい)。愛は誰のためですか? (神様のためです)。神様のためではありません。自分のためです。(人類のためです)。そうではありません。自分のためです。自分にとって、また神様と人類にとって、私自身の愛よ永遠であれということです。私たちがこの愛をマスターするならば、神様は私たちにとって最も近い存在となり、神様に背負われて生きることができるようになります。 神様は縦的な方で、私は横的です。この縦と横が通ずるとき、一つになります。そのような神様に対しての体験をもって生きる人は、どんな不幸な環境にあっても幸福な人です。どんな幸福な環境の中においてよりも立体的に幸福な人です。そのような人は、知識や力をもって世界を支配するというようなことはとてもできません。そんなことは自分にとって関心がなくなります。最も大切なものは愛の知識であり、愛の権能です。それが必要なのです。なぜかといえば、この世をコントロールしなければならないからです。何でコントロールするかといえば、愛でもってコントロールしなければならないのです。力も愛の力でもってコントロールするのです。真なる愛で支配すれば不平がありません。 皆さんの中で結婚している人たち。夫が自分を愛してくれる時、ただ弱く愛してくれる方がいいですか? それとも骨が折れるほどに強く愛された方がいいですか。特にアメリカの女性たちどうですか? (ノー)。強くですよ。あばら骨が飛び出るほどですか。(笑い) 愛でもってコントロールするほどいいのです。何の話か理解できますか? (はい)。 皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、“それでも構わない。それくらい私は愛されたい”とそう思ったことはありますか。“もしそうなれば、どれほど幸せだろう”と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほどに愛されました」「ただ神様に感謝し万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして「私は初めてそのように本当に愛された人間を見付けた」と言われるでしょう。 (笑い)。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか。嫌いですか? (好きです)。どうですか? 先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか? (はい好きです)。(笑いと歓声) 先生もお母さんにそうしてあげたいのですが……。(笑い) 人は真の愛の主管を好みます。きょうは何カ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。皆さんもするべき仕事があります。もう二時間過ぎました。これからはマイクを装置して電話で説教する時が来ます。その時は英語で話をします。(笑い) そうすれば皆さんはわざわざこちらに来る必要がないでしょう。その方が効果的かもしれませんね。どうですか? (そのとおりです)。本当ですね。私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか? 神様を私の家に迎え入れることができ、私の肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神でなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか? (はい)。皆さんは希望をもって更に神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう! 正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう! では真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。 神様の祝福が皆様と共にありますように。アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.14
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「独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!」の続き。これまでも血統を重んじ、また、女性の死をも覚悟した神様への信仰を強調してきた。人間始祖が神の戒め「取って食べてはならない」を守らずに堕落したからだ。ところが、蕩減法によってその逆の経路、神様の戒め(み言)を守ることで復帰摂理が展開されてきた。聖書や統一原理では男性中心の摂理が書かれているのだが、当然、エバの復帰も同時進行されてきたことは間違いのないことだ。聖書の僅かな記述から女性の「絶対信仰」によってそれがなされてきたことを垣間見ることが出来る。今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。サムエル記下/ 11章 01節~5節 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。 この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。以下は、本記事とは直接の関係はないが、お母様のみ言である。ノア家庭について語っておられたので参考にしていただければ幸い。ACLC 真の家庭の価値バンケット 真のお母様み言天一国4年 天暦11月5日(陽.2016年 12月 3日)New York, Marriott Brooklyn Bridge愛する ACLC 会員の皆さん、嬉しいです。神様は私たちの父母です。しかしご自身が直接創造された目的があるために、その目的にあう責任を果たす人間先祖となる真の父母を待ちました。それが堕落した人類歴史の中におけるメシヤ思想です。皆さんが聖書を通じてよくご存じだと思いますが、神様には人類に対する夢がありました。しかし人間もまた、神様の前に進み出ることができる希望を持ちましたけれども、人間先祖であるアダムエバの間違いによって、蕩減というものを越えない限り、一歩も進むことのできない人類歴史です。それで神様は救援摂理歴史をなさざるを得ないのです。私は最近たくさんの話を話しましたけれども、ふとノアの洪水について考えてみました。ある地域で起きた事でしたが、ノアという中心人物を通じて、天はサタン世界にご自身が捜さなければならない息子娘たちを捜すために、中心人物として立てました。ところでノアの洪水が終わり、ノアが本当に気持ち良く昼寝をしたと聖書に記録されています。その時ノアに三人の息子がいましたが、皆さんが知っているように、長男のセム、二番目の息子のハム、三番目の息子のヤペテ。その中のハムが、お父さんのその行動に対して恥ずかしがりました。これが中心人物に対して、一つになることのできなかった結果になったのです。今、私が何の話をしているのか分かりますか。堕落した人類は天の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、よそ見をしてはいけないということです。しかしノアの息子は、その条件に引っ掛かりました。それでこの三人の息子がバラバラに分かれるようになったのです。セムは何千年の間にアジアの方面に伸びて行き、ハムはアフリカの方に行ったのです。そしてヤペテは中東とヨーロッパを中心として、ノルウェー、スカンジナビア半島。その地域で暮してみると、冬に白い雪が何ヶ月以上もずっと降る所なので、自然と肌は白くならざるを得ないのです。そうでしょう?ところでハムは暑い熱帯地方に住むようになったので、特別な色素が年を重ねながらそれが蓄積して真黒くなりました。面白いですか?それで私が話そうとすることは、天が立てた中心人物に対しては一致しなければならないということです。自分の考えや欲心があってはいけません。それが、私たちが天の前に進むことのできる条件になるのです。ところで今日、このアメリカに多くの問題点があります。全世界的に多くの戦争や、到底言葉では言えない紛争がたくさん起きています。これをどのようにして一つに作ることができるか。多くの志のある人たちが努力して来ました。そして宗教としても多くの努力をしました。しかしこのキリスト教文化圏で、神様が死んだという共産主義が出て来ました。本来、神様は堕落した人類を救援摂理なさるために、イスラエルという選民を選ばれで人間を一つに作ることのできる、そのような条件を立てることができるメシヤ思想を育てて出ました。ところで4000年というとても長い歳月を通じて蕩減条件を立てられ、一歩一歩進む路程がどれだけ大変なら、4000年という歳月が掛かるのでしょう。そして最終的に、天が約束された通りにメシヤを送って下さいました。しかし待ちに待ったメシヤに会ったイスラエル民族はどうでしたか。イエス様と一つになることが出来ませんでした。この、イエス様と一つになることができなかったイスラエル民族は、歴史を通じてどのような蕩減を払ったのかということです。皆さんはよく知っています。今日、特に聖職者の皆さんは神様を正しく教えて上げなければなりません。神様を正しく教えて上げようとすれば、この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は救世主、メシヤ、真の父母なのです。皆さんが皆さんの信者たちを教育するにあたり、皆さん自らが真の父母と一直線上で、絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。そして皆さんのような祝福を受けることができる立場に進むことの出来るようにして上げなければなりません。人類が願うことは、平和世界で神様をお父様として侍って暮らすことができる、自由、平和、統一の幸福な世界。そのような世界に暮らすためには、変わらなければなりません。変わるということは、蕩減を脱しなければならないということです。真の父母によって祝福を受けて生まれ変わらなければ、変わることができないですね。そのために皆さんは各々、担当している仕事に最善を尽くしていると思います。しかし時は、重要な時というのは、いつもあるものではありません。救世主、メシヤ、真の父母が地上にいる時にこそ、皆さんの実績が天の前に、人類の前に責任を果たした立場で尊敬されることができるのです。新しい時代を開いて下さった真の父母の前に、天一国時代において、天一国は二人が一つになった、夫婦が一つになったことを言います。そのような天一国時代に生きる民になろうとすれば、蕩減条件を脱しなければなりません。それは真の父母によって祝福される立場であることを知らなければならないでしょう。祝福された者であるという責任がついて来るようになります。幸福は分ければ分けるほど大きくなります。私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、73億人類が幸福であるその日のために、皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。神様の目には五色人種がすべて美しく見えます。偏見を持たないと言うことです。もとはと言えば一兄弟なのに、私は高くてお前は低い、それは思い違いです。神様を私たちの父母として侍る立場では、人類皆が平等です。しかし堕落のために、堕落した結果、真の父母様が絶対的に必要だということを分からなければなりません。それで今日、全世界で起きているすべての問題は、個人としては解決できません。真の父母を中心に侍った立場で、一つ一つ解いて行かなければなりません。特別にこのアメリカ、この国が選択を受けた国であることは間違いありません。再臨メシヤの基盤を築くために天が祝福されました。私たちは歴史を通じて、天が選択して責任を果たせなかった国がどのような結果になったのかを知っています。この国も例外ではありません。そのために真の父母の使命を果たされるレバレント・ムーンはこの国で40年余り、到底言葉で言えない苦労をしました。ところで恩恵を恩恵として返し、感謝する心で天の摂理に責任を果たすこの民族、このアメリカ、この国になるまでは、皆さんを通じた教育が必要だと考えています。その道だけが、この国が責任を果たす道であることを肝に銘じて、もっと真実を明らかにする立場で、強く雄々しく行って下さればありがたいです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.10
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祝福家庭と理想天国1:真のお父様のみ言イエスと聖霊を通した重生の役事聖霊とは何でしょうか。母なる神様です。アダムとエバが堕落した後、初めて理想的実体のアダム型としてイエス様が生まれましたが、理想的実体のエバ型の基準がないので、理想的母型の基準を形態のない霊として送ったのです。それで聖霊を受けるというのは何かと言えば、母なる聖霊の腹中にもう一度入っていくことをいうのです。もう一度生まれるには、母なる神様である聖霊だけではいけません。聖霊を受けることによって自分が母の分身になり、また母なる神様である聖霊はイエス様の前にあって新婦なる神様なので、新郎イエスを思慕して完全に一つとなることのできる基準に入って初めて、霊的に再び生まれることができるのです。そうして初めて、「私」は霊的に救われることができるのです。それゆえ、皆さんはイエス様を新郎のように思い、聖霊を母のように思う、その理想の立場に進んでいかなくては、復活する道がないという理論がここに成立するのです。イエス様が亡くなられて後、五旬節に屋上の間で、百二十名の聖徒たちが集まり祈祷した時、聖霊が降臨しましたが、この聖霊が誰かといえば母なる神様です。イエス様を父とするならば、聖霊は母なる神様なのです。夫を最もよく知っている人は、その夫の奥さんであり、夫と完全に通ずることのできる人は、奥さんしかいません。 それでは、具体的に聖霊は、どのような方でしょうか。エバがもし完成したならば、実体の母となっていたはずでしたが、堕落することによってエバの霊性は、神様によって引き取られました。それでその霊性は、イエス様が地上で新婦を迎えたならば、その新婦に再臨して実体の形状をもとうとしましたが、イエス様の新婦の基盤がなくなることにより、その霊性は再臨することができず、イエス様は実体の父母の位置に進むことができませんでした。それで仕方なくイエス様は、聖霊と共に霊的父母の位置にだけでも進んでいかなければならなかったのです。そうしなければ、み旨を導いていける基盤も残すことができなかったのです。 それで今日、キリスト教を信じる人々は、聖霊を受けなければならないと言っています。ところでなぜ、聖霊を受けなければなりませんか。女(エバ)、すなわち妻が罪を犯したので、女がお産の苦労をしなければなりません。それで、聖霊が役事しておられるのです。また、救いを受けたければ、イエス様の愛と共に聖霊の愛を受けなければならないので、キリスト教徒たちは聖霊を受けなければならないと言っているのです。聖霊は完成した女性神です。聖霊の役割とは、アダムの内にもとかえっていくのを助けることです。それでクリスチャンはすべて、イエス様の体の内にある子女の種と同じ立場に帰らなければなりません。 このような信仰をもっているクリスチャンは、果たしてどのくらいいますか。夢ででもそのように考える人はいますか。ただイエス様を無条件に信じて天国に行こうという人ばかりです。しかし、口だけで信じているといって天国に行けると考えるとしたら、大きな間違いです。イエス様の骨肉の中に入っていって初めて、完全な復帰ができます。 このような摂理を広げなければならない神様の役割がどのようなものか考えてごらんなさい。このような過程では、数多くのサタンが陣を敷いていることを知らなければなりません。そのサタン圏を突破して入っていくには、数多くの犠牲が伴うようになります。犠牲を甘受しなくては、イエス様の骨肉の深いところまで行けません。 このようにイエス様の内に入り、神様の愛に触れなければなりません。そして、真の父母の血肉に接することのできる内的因縁を立てたという条件を充足させなければなりません。そこから、イエス様と聖霊が互いに慕い合う愛の道をたどっていって初めて、再び生まれるのです。 同様に、女性が男性を思慕し、男性が女性を慕うように、一致した愛の境地を通過して初めて、再び生まれます。聖霊は感動の役割をします。聖霊の感動を受けると、イエス様がとても慕わしくなります。イエス様は新郎であり、聖霊は新婦です。キリスト教の復活の原理は、まさに二つの実体が一つとなったとき新しくなるのです。(53)キリスト教では、聖父(父なる神様)は神様、聖子(御子)はイエスと言います。それでは、聖霊は何ですか。聖霊は母なる神様です。母なる神様である聖霊を受けなければ重生することはできません。母なる神様である聖霊が産んでくれなければならないのです。この聖霊はイエス様を慕うのです。どれほど慕わしいか、目の玉が飛び出るほど会いたいというのです。皆さんはそのような体験ができなかったでしょう。母なる神様である聖霊が、新郎たる夫の神様を思慕するその心が、人の体に現れなければなりません。そのような心をもって、もう一度生まれなければなりません。父母の愛を通さずに人が生まれる道理はありません。これが天理です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.05.10
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アダム🍇エバを幸福にしてやるべきだということが分からなかった🍎霊界で会った人たち🍓李相軒先生❤️2024/06/07 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.08
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文鮮明総裁の米国での脱税容疑裁判の結果、ダンベリー収監が1984年7月から1985年8月までの13か月期間があった。文総裁がこの裁判に臨んだのは、決して目先の「脱税容疑」ではなかった。その背後にうごめいていた宗教を否定する「共産主義との闘い」であったことはいうまでもない。ところが2000年前のイエス様当時、ゲッセマネの園で眠ってしまった弟子たちと同様に私たちが文総裁の御意志に相対しきれなかったことが、ダンベリーの悲劇となってしまった。【資料 1.】 米国裁判特集 『文鮮明師の闘い』 (1984年9月1日発行) (Dec 27, 2014 )数ヶ月前物置で偶然見つけた、文鮮明総裁ダンベリー収監の時の資料です。発行は1984年9月1日、国際勝共連合教宣局となっていました。保存状態が非常に悪いので、画像保存を兼ねながらその一部をこのブログでも紹介していきます【資料 2.】 米国裁判特集 『文鮮明師の闘い』 (1984年9月1日発行)(Dec 27, 2014 )P2.~ P.5文師裁判の背景”有罪判決” はソ連KGBの謀略だった 【資料 3.】 米国裁判特集 -- 裁判の経過と支援運動 (Dec 28, 2014 )P.6 ~ P.11■裁判の経過と支援運動「文師の受難」で宗教界が一体化 【米国裁判資料 4.】 文鮮明師の語る勝共運動の目的 ((八十三年十二月=講演文より抜粋) (Dec 29, 2014 )P.30 ~ P.31■韓国8大都市勝共決起大会講演より文鮮明師の語る勝共運動の目的 註:文鮮明総裁のダンベリー刑務所収監の前年1983年12月に、韓国の8大都市勝共決起大会で語られた講演文の抜粋です。【米国裁判資料 5.】 米上院公聴会における文鮮明師の証言(1984.06.26) (Dec 31, 2014 )P.32 ~ P.37■米上院公聴会における文鮮明師の証言宗教の自由が世界存続の鍵 【米国裁判資料 6.】 ダンベリー収監前の文鮮明師の声明 (1984年07月19日)(Jan 1, 2015 )P.38 ~ P.39■収監前の文師の声明アメリカに神の祝福あれ ●第12回科学の統一に関する国際会議(ICUS)で【米国裁判資料 7.】 文鮮明師救援に立ち上がりましょう。 <完> ----神山威氏の罪状は? (Jan 2, 2015 )P.41文鮮明師救援に立ち上がりましょう。 裏表紙 国際勝共連合創始者・文鮮明師の闘い <完>ダンベリー収監までの文鮮明師の闘いの資料でした。 皆様の今後の信仰の糧としていただければ幸いです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.14
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サンクチュアリのシムソン(恣意存)氏が語る「夜の神様、昼の神様」が正しいかどうかとするならば、「昼の神様」を追い出して「夜の神様とお父様」だけで突っ走っては方向を誤ってしまっている。私心がない存在者「私無存」ではなく、「恣意存」氏であるため「夜の神様」にしがみついたままである故に「昼の神様」も分からずにいる、ということだ。これについてだが、『TWJ(2012年天暦1月号)』P.14~で、H4のメッセージとして「夜の神様、昼の神様」のタイトルで書かれたものがある。「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で語られたお父様のみ言から「私は夜の神様の管理を受け、あなたたちは昼の神様の管理を受けるのだ」をお父様お一人の存在論的に捉えてしまったところからその間違いが生じてきた。H4もその中で以下のことを語っていたのだが、それを理解することが出来なかった、ということだ。(「天地人真の父母定着実体み言天宙大会」講演文で述べられているように)堕落することによって、夜の神様、昼の神様、万王の王、真の父母が分かれて葛藤しましたが、天地人真の父母様によって完全に解決されました。本来人類の真の父母となるべきアダム・エバの堕落によって神様も「夜の神様」「昼の神様」に分かれてしまったのだが、「天地人真の父母様によって完全に解決されました。」だ!!ここにお父様の「夜の神様、昼の神様」について語られていた別のみ言を再掲載する(以下)。これを読まれては、最早、シイソン(恣意存)氏の間違ったそれを継続して読まれることの無意味さを実感していただければ幸いである。「昼の神様」を追い出したシムソン氏(H4)の「恣意存」は相変わらずか?!「昼の神様」を追い出して「夜の神様とお父様」だけで突っ走っては方向を誤ってしまったシムソン(恣意存)氏。その源流はH4の「精子神学論」からである。TWJ 2012年天暦5月号P.12・13からは「夜の神様、昼の神様」の文字が多く出てくるお父様のみ言もあったので、いくらかの参考にしていただきたい(以下)。 今、文総裁が残す伝統的な教材・教本が蕩減時代だけでなく、復帰完成時代まで、結論を添付しなければならないのです。はっきりと、気をしっかり持っていかなければ、わき道にいつ落ちてしまうか分かりません。このような言葉を残したくはありませんが、それが現在すぐに問題となる可能性があるので言うのです。私はその世界に移っていくために、皆さんに会っている時間がありません。早く戸籍に入籍しなさいというのです。 西洋には聖人がいません。全て東洋人なのです。聖人の長子がイエス様ですが、イエス様はどの国に来ましたか? 祖国光復の国、韓国に文龍明を信じて訪ねてきました。文鮮明の橋を渡し、渡ってきたのです。私が十六歳のときにおいて、イエス様が訪ねてきました。 真夜中に綾巻【アヤマキ】(砧【キヌタ】を打つとき衣類を巻きつける棒)のように、「あなたは夜の神様、昼の神様が分かれてしまったことを知っていますか?」「知っています」「そうだとしたら婚姻をしに行くのに、結婚させることのできる主礼は誰ですか? 」と。夜の神様、昼の神様も主礼が分からないのです。主礼が分かっていたならば、そのとき結婚させることができただろうに、堕落できるように放っておくだろうかということなのです。 神様もそれは分かりませんでした。夜の神様、昼の神様も主礼が誰になるのかということを知りませんでした。誰が主礼をしてあげるのですか? 真の父母となることができるアダムとエバが堕落してしまったので、主礼が天地を統一できる万国の王となることができる創造主となることができませんでした。 そのために、夜と昼の境界線ができたのです。神様は夜と昼の境界線がありません。文総裁は夜と昼の境界線を知らずに生きる人なのです。朝方だろうが昼だろうが夜だろうが、昼にも寝ず、夜にも寝ないのです。この世には、夜と昼を分けて、寝ることのできる人はいますが、文総裁は夜と昼を選ばずに、夜の神様、昼の神様の挙動を監祝する暗行御史(密行宮吏)の責任を持っているのです……。 十二支派が一つの兄弟にならなければなりません。重生・復活・永生、驚くべき発見です。キリスト教での堕落した先祖の原理をきれいに、ほころび一つなく解説した人が正に私なのです。霊界に数千億がいますが、天地人の中で、男性一人、女性一人が主人となる創造主を追い出してしまったのです。この世で創造主の位置に行き、夜の神様、昼の神様を解放し、王権を中心として主人の役割をするための真の父母ではなかったというのです。 真の父母となれず、偽りの父母によって、このようになってしまったのです。そのため真の父になる日には、人類のエデンの園において、絶対的な神様、夜の神様、昼の神様、お一人であられる実体の勝利者としてお迎えするのです。エデンの園で善悪を知る木の果を取って食べたら必ず死ぬと言ったのですが、天地創造の主人の位置をなくしてしまったのはなぜかというと、アダムの妻となるべきエバがルーシェルと門を開けたまま、アダムまで堕落させて滅ぼしたからなのです。誰が先に初愛の門を開けたのかというと、ルーシェルが開けたのです。ルーシェルがこのようなことをしたのです。 それを直す方法を誰も知りませんでした。夜の神様も昼の神様もその中で穴を掘ってしまったのが死亡圏なのです。その穴から間違った血統として、間違って生まれてしまったのです。体と心の中に穴があるのですが、闘う可能性をはらんだ紛争の穴なのです。兄さんが弟をどうして殺すことができるでしようか? 神様の創造原理には、そのような道は影も形もありません。いくら研究しても、善悪を知る木の果が何なのか、取って食べたら死ぬ善悪を知る木の果を知りませんでした。善悪を知る木の果がどこにあるのかというと、善悪を知る木の果は母の骨の中にある卵子の善悪を知る木の果なのです。この中に穴を掘ってしまい、二人とも死んでしまったというのです。二人共に、堕落したというのです。 このような創造原理は神様も考えず、アダム、エバも考えませんでした。そうであれば、歴史時代に文龍明という人は、どのようにして善悪を知る木の果が何であるかということを知ることができたのでしょうか? 文龍明は原理原原則を尊重規するのです。 文総裁が数え年で十六歳になった年に、イエス様が現れて、「文龍明先生、結婚しに行きましょう」、これが一つの秘密通告の暗示であり、指示でした。結婚しに行くのに「イエスよ! お前はイエスの父を見たか? 神様を見たか?」と。神様の独り子だと言いますが、神様を見た人はいません。 天地の二人、天国に行って立て、王の候補者としてこの地に生まれることのできる人を決めて立てなければなりません。その二人は、男性同士ではありません。それは反発します。NとN同士では怨讐となるのです。NとSなのです。北側は南側、東側は西側と対になるのです。(男性と女性も対になるのです。) 天地人真の父母定着、実体定着です。天地人真の父母実体定者です。定着した実体が真の父母なのです。定着した真の父母の実体がみ言宣布するのは、地上だけではありません。霊界があるのです。天があるというのです。実体み言宣布なのです。黄マーカーからは、「東洋の文龍明(文総裁)が16歳のときに」イエス様が尋ねてこられた話をされていた。繰り返すが「16歳のときに」にである。それ以前の話ではない。その時にどのような会話をされたかというと、「夜の神様、昼の神様」の結婚式の話であったということだが。夜の神様、昼の神様の結婚式の主礼を誰がするのか? アダムエバが堕落したためにそれが出来なかった。こう見たときに、シムソン氏(H4)の「夜の神様」だけを持ち上げての理論の構築は正しい方向にあると言えるのか、である。お父様は、独り子イエス様に対しても「お前(イエス様)の父を見たか? 神様(天の父母様)を見たか?」と問うていた。清平役事16周年記念の時のみ言(2011.8 TWJ)からも分かることだが、「夜の神様」だけで突っ走って見ても何一つ解決の道はない、ということだ。サンクの方々、これがお父様が悟られたものであり、原理原本のその時から神様を「天の父母様」だと紹介されていた。但し、「夜の神様、昼の神様」の結婚式はまだされていない。H3、H4はお父様がイエス様からの召命で託された「夜の神様、昼の神様」の結婚式をどう考えているのか? だ。(引用終わり)また、H4メッセージのP.20()ではこのようなことも語っており、こんにちのサンクの「精子神学論」が構築された間違った「種(精子)」が、正にココから出てきたことを伺い知ることが出来る。 お父様は、国民支持大会の最後の日に私たちにご自身がメシヤであられることを語られました。お父様はご自身自らそのことについて認識し、ご存知でしたが、しかしこのように存在論的に発表されたのは、私の記憶では初めてのことです。「私と君たちの違いは何なのか? 私は夜の神様から、君たちは昼の神様から出てきた」と語られたみ言を易しく説明すると、私たちは母親の子宮を借りて生まれるが、お父様は神様(天のお父様)から出てこられたということを意味するのです。……このように、シムソン(恣意存)氏の「夜の神様論」もこの間違った「精子神学論」からのものであったことが理解いただけたと思う。参考記事として以下もお勧めする。独生女考(33)--『原理講論』に見る神様の定義も「天の父母様」H4の『夜・昼の神様』、フンスク様の『夜の神、昼の神様』一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.11
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エバ🌹アダムに対する罪悪感🌸霊界で会った人たち🍎李相軒先生2024/06/09 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界#エバ#アダム一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.09
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天の摂理で見た真の父母様の位相と価値(p2〜7)はじめに2024/03/02天の摂理で見た真の父母様の位相と価値(p2〜7)はじめに2024年2月21日、第975回天心苑特別徹夜精誠で訓読された『天の摂理で見た真の父母様の位相と価値(p2〜7)はじめに』。奉呈した教授陣による、はじめの言葉。『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』https://amzn.to/4bXyGvuという本もあります。天一国経典『天聖経』 普及版[本/雑誌] / 真の父母様み言編纂委天一国経典『平和経』 普及版【3000円以上送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.02
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第35回「真の神の日」午前零時の御言成約十(二〇〇二)年一月一日、天宙清平修練苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 祈祷 愛するお父様。たった今、二〇〇一年の標語である「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語を中心とした三千年紀の出発である最初の年を送り、今、二〇〇二年を迎え、 三千年紀に入って二番目となるこの年において、「天地父母の理想である自由と平和と幸福の『天一国』安着万歳」という題目をもって、神様の所願成就である国の完成のために出発することができる、新しいこの時間となりました。 「天宙平和統一国」である「天一国」の理想は、天地父母をお迎えし、地上世界と天上世界の祝福家庭が一つになって、自由と幸福と平和に満ちあふれた「天一国」が安着することであり、そのための新しい時代であることを宣布いたしました。第35回「真の神の日」 午前零時から祈祷をされる真のご父母様 (成約10〔2002〕年1月1日、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿で) この国が、千年、万年、あなたの保護の中で、永遠なあなたの所願成就の完成を成し、億千万世にわたって「萬萬歳」を叫ぶことができる、善なる主権の世界に前進することをお願い申し上げます。 お父様。救援摂理というものを表題として、人類始祖のすべての失敗を清算するために、数多くの蕩減の歴史時代を経てこられた天の父母の前に、子女とならなければならず、真の父母の伝統を受け継がなければならない人類始祖が、そのことに失敗することによっ て、怨恨の歴史を残してきたという、悲しく無念な事実が残されてきました。 それらをすべて清算し、真の父母の地上顕現とともに、サタンと天の境界線に立ち、悪なる世界において、蕩減という法則を通して個人時代を克服し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、八段階の受難の道を、霊界の道に沿って解放の一日を願ってやってきました。 それらすべてのことが、真の父母の蕩減勝利によって、今、この地上に「天宙平和統一国」である「天一国」を成就させ、神様をお迎えして安着することができる時代となりました。そのような時代をもたらしてくださった恩賜を感謝申し上げます。 新しく始まる三千年紀の第二次の年を迎えて、「天一国」を私たちにもたらしてくださり、天を中心として、 地を中心として、この地上に永遠無窮に続くことができる地上、天国理想完結のための「天一国」を成就させてくださった恩賜を感謝申し上げます。 また、この国において、個人安着と家庭安着、国家安着と世界、天宙安着、天地父母をお迎えして、永遠の自由と平和と幸福の天国として継続することができる解放的時代を、私たちのこの時代に迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今、新千年紀へと越えた二年から、忠孝の道理、家庭においては孝子となり、国においては忠臣となり、 世界においては聖人、天宙においては聖子の道理のために生き、創造理想の理想的標準である家庭定着と国定着と天宙定着を、神様が望まれ、喜ばれる中で完成し、奉献することができる忠臣の道理を果たし、天に侍ることのできる侍義の時代を迎えるようにしてくださ った恩賜を感謝申し上げます。 きょう、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭を連合した子女たちと父母が一心一体となり、天の父母に仕えるための新しい出発が成されるこの日において、私たちに任せてくださった「天一国」の新しい伝統を立てるうえで、私たちのあらゆる精誠と誠心を尽くし、個人的な伝統、家庭的な伝統、国家的な伝統、世界、天宙的な伝統を立て、忠孝の道理をこの地上に広げることができますように。 そのような勝利の天国の世界と自由と平和と幸福の天国に前進することができる新年となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 ここに参席した子女たちを、お父様、喜んで受け入れてくださり、天上の祝福を受けた子女と地上の祝福を受けた子女の子孫たち、万代のあなたの子女たちを、 愛の主人の立場において、また、父母の立場に立って愛し、師の立場で教え、主人の立場で管理してくださいますように。 そうして、善でないものがない自由解放、天国の世界に前進に次ぐ前進を誓う子女たちが、新しい千年のこの年を迎える時間となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 神様が、私たちの生活圏内に入ってこられ、私たちの家庭と氏族と民族と国家と世界を、喜びの中で治めてくださり、自由解放統一の天国である「天一国」の定着と万々世の祝福が、永遠にもたらされますように。 今から、神様が喜ばれる「天一国」解放の世界に、共にいてくださり、同伴してくださり、導いてくださることを、真の父母の名によって懇切に、懇切に申し 上げながら報告いたします。アーメン。アーメン。アーメン。真のお父様が、年頭標語「天地父母の理想である自 由、平和、幸福の天一国安着萬歳」を揮毫される み言 「天」という字は、”二人”を表します。「天」という字が”二人”を表し、その「二人」は、"上の水平” と“下の水平”を表します。「二人」です。「二」という字は、“上の水平”と“下の水平”です。それは、天上世界と地上世界が平和にならなければならない、ということです。 ですから、“天宙平和』という意味が含まれています。 「天一国」です。これ(「天一国」の「一」)は、「統一」 の「一」という字です。”二人が、真の愛を中心として統一されている”ということです。 昨年の標語の中で、「真の愛の主体性である・・・・・・」の次は、何ですか?「絶対、唯一、不変、永遠の・・・・・・」、その次は、何ですか? 「み旨が完成されますように。」です。 それは、「真の愛を中心とした絶対、唯一、不变、永遠のみ旨が完成されますように。」ということです。真の愛でなければ、み旨を完成することはできません。ですから、「真の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのです。それは、絶対、唯一、 不変、永遠です。 「絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨が完成されますように。」ということなのですが、それが何かというと「天一国」です。「二人」 が一つになった国です。 それは、「天宙」という言葉、天宙平和……。これにすべてが入っています。天地の家を表します。天宙平和、この「二人」の中に、すべてが入っています。水平の平和です。 統一というのは、主体性を表します。男性も女性も、二人が一つになって、天をお迎えしなければなりません。 そうして、お迎えしたその中心的な天を中心として、 自分の心と体が一つにならなければならず、皆さんの個体が完成し、その次には夫婦が完成し、その次には 父母と子女が一つになり、夫婦が一つになり、兄弟が 一つになるのです。すべて二人です。 主体、対象圏が、どこにおいても一体を成すためには、真の愛によらなければなりません。真の愛が、中心になるのです。個人的中心、その次に家庭的中心と、 そのようにして、だんだんと大きくなっていくのです。その次に、父母と子女の中心、その次に兄弟の中心、 だんだんと大きくなっていきます。 そのようにして、家庭が定着すれば、家庭を中心として、氏族の二つが一つになり、氏族と一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族を中心として、その次には国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は、神様と一つになることができるのです。それが、統一的国家です。 それは横に行っても、縦に行っても、ぶつかりません。堕落した世界は、心と体が闘うのです。「二人」が闘うのです。すべてのものが、そのよう に相克になっています。二人 が一つになろうとしても、一つになることができず、夫婦 も一つになろうとしても一つ になることができず、父子関係も怨讐関係になっていて、 兄弟関係も怨讐関係になっているのです。 「天地父母」も、お二人で す。「天地父母」です。天と地 が水平となって、これが人によって連結し、そのお二人が、 地上に定着するのです。 それで、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である……」、それから何です か?「自由」です。天地父母の理想は何かというと、 自由の理想です。それから何ですか? (「「平和」です。」) 平和の理想です。 すべてのものが水平になり、水平になったからといって、これは固着しているのではなく、和動することができ、いくらでも横的に運動することができ、いくらでも縦的に運動することができるという、このような 立場になっているのです。 そして、「自由」と、それから何ですか? 「統一と幸福の・・・・・・」、何ですか? 「幸福の「天一国」定着 (安着)」です。「定着」ですが、「『天一国』定着」ではなく、「安着」なのです。「定着」では、違います。 「定着」は訪ねて行き、動いて、目的に向かって行って、留まることをいうのです。それが「定着」です。 「安着」は、定着したので、暮らしが始まるのです。 「そのような暮らしが始まることを、出発することを萬萬歳で願います。」ということが、今年、二〇〇二年の 標語なのです。 ところで、昨年の標語では、「解放された・・・・・・」、何ですか?(「「天地父母と」です。」)「天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯 一、不変、永遠の・・・・・・」、あるいは「・・・・・・永遠なみ旨が 完成されますように。」です。 それが、個人の心と体、この”二人”が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子女が一つになり、その次に、兄弟が一つになって、これが定着するのです。どれ一つが欠けてもいけません。お父さんが欠けてもいけませんし、お母さんが欠けてもいけませんし、息子が欠けてもいけませんし、娘が欠けてもいけないのです。父子関係は、そのようになるのです。 その次に、これが成長して夫婦関係になり、その次に、祝福を受けて息子、娘を生んで、定着するのです。 三代を経て、初めて定着するようになるということを知らなければなりません。三代で定着です。 それでは、神様が一代であられ、その次に、二代はだれですか? それは、アダムとエバではありません。 神様の理想的一代圏を中心として、神様が一代であられ、真の父母が二代になるのです。真の父母です。分かりますか?(「はい。」) アダムが失敗したことによって、すべてを失ってし まったので、完成したアダムが現れて、その失敗したことをすべて復帰しなければなりません。神様が一代 圏内にいらっしゃれば、真の父母が二代となるのです。 真の父母を中心として二代となったとすれば、三代であるアダムの息子、娘を、だれが奪っていったのでしょうか? それは、サタンが奪っていったのです。 ですから、真の父母は、神様一代、真の父母二代、サタンに奪われた三代、その三代圏を取り戻すのです。 その三代は、天地父母に侍ることができる孫であり、 神様を中心とした孫であり、アダムを中心とすれば、息子の立場になります。この三代が一つになるには、真の愛と真の生命が必要です。 神様の真の愛を中心として、父母の生命が一体となった中で、これが地上に連結されるのが、息子、娘なのです。この息子、娘は、神様を中心として、孫の立場であり、これが三代圏になるのです。このようにして、失ってしまった三代圏を、神様が救援摂理の完成を通して取り戻されるようになっているのです。 です。 それでは、三代の立場に立った者たちとは、だれなのでしょうか? それが、だれなのかというと、真の父母によって祝福を受けた息子、娘であるというのです。分かりますか?(「はい。」) 「祝福家庭」という家庭は、日本にいても、アメリカにいても、どこにいても、三代を受け継ぐことができるようにするために、真の父母の祝福によって、真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を連結させるのです。そのことによって、失ってしまった三代の家庭として、再び接ぎ木された立場に立っているということを知らなければなりません。分かりますか? それでは、「祝福中心家庭」とは、だれなのかというと、三代を中心として、地上に定着することができる、 このような祝福の代表家庭であるというのです。それゆえに、三代圏内に入った、世界のすべての祝福家庭は、「祝福中心家庭」の三代圏を相続したということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 三代です。言ってみてください。(「三代!」)それでは、一代目は、だれですか? (「神様です!」)二代目は、だれですか?(「真のご父母様です!」)三代目は、 だれですか?(「祝福家庭です。」)祝福家庭です。 神様が完全完成なさったことと同様に、真の父母が完全完成したことと同様に、三代目である皆さん夫婦が愛するということは、神様の創造理想的夫婦として愛するということです。そのようにして、創造理想の父母の生命体を動かして、愛で一体となって、血統を連結させたものが、祝福を受けた皆さんの息子、娘であり、その立場が、四代圏ということなのです。 ですから、自分たちは何であるのかというと、アダム、イエス、再臨主、そして四代目なのであり、そのような第四次アダム圈時代において、中心的家庭が、 祝福家庭である自分である、ということを知らなければなりません。 それでは、"私"は、だれでしょうか? "私"は、だれなのですか? 天地を代身した、二つの相対である 心と体が一つになった私です。心と体が、絶対に一つにならなければなりません。神様の愛を中心とし て、絶対的に心と体が一つにならなければなりません。ですから、「天一国」なのです。 「私」と言えば、心と体が一つになった“私”であり、神様の愛を中心として、主体的な立場に立った“私”です。そして、男性がそうであるならば、女性は、真の愛を中心として、相対的な立場に立った、心と体が一つになった“私”です。その相対と主体が結婚して、夫婦が一つになるのです。それが、二人で す。 その二人を分ければ、四人が一つになることと同じです。分かりますか? 父母が一つになったならば、子女が、一つにならなければなりません。子女が一つになり、このように二人が子女を持って、その兄弟が一つになることによって、家庭というものが形成されるのです。 このようにして、三代圏を中心として、家庭が定着することが、神様の創造理想のモデルです。工場で金型をつくって、大量生産することと同様に、その標準的モデルとして、変化はないのです。 それで、おじいさん一人が欠けてもいけないのです。 分かりますか? おばあさん一人が欠けてもいけないのであり、お父さん、お母さん、どちらか一人が欠けてもいけません。息子、娘のどちらか一人が欠けてもいけないのです。 また、夫婦という二人のうち一人が欠けてもいけないのであり、子女兄弟の中で、一人でも欠けてはならず、すべてが備わったその場において、初めて定着することができるのです。 ですから、神様の万世にわたる、永遠な祝福の万国として、平和の世界に定着しなければならない、という意味があるのです。分かりますか? そして、(今年の年頭標語は、)「天地父母の理想である自由」、自由です。その次は、何ですか?(「『平和』 です。」)「平和」です。夫婦同士が、自由です。そこに、ついたては、ありません。ですから、「自由」の次は、 何ですか?(「『平和』です。」)「平和」です。男性と女性が、横的な平和であり、縦的な平和です。そのように、すべて和合するのです。 「平和」の次は、「幸福」です。その「幸福」というの は、だれもが満たされて、喜びがないところがない! という幸福です。そして、「幸福の・・・・・・」、何ですか? 「天一国」です。 この「天一国」は、"理想天国の中心の国”のことをいうのです。そして、「「天一国」の安着」です。本来 は、「安着安息」まで書かなければならないのですが、「安息」は抜きました。それで、「安着萬歳」です。 「萬歳」というのは、"永遠不変に残され、その権威が、神様が願われる所願と、いつでも一致することができる、真なる平和の天国にならなければならない。 ”ということです。アーメン。(「アーメン。」) ですから、この世界の万物を見ても、すべてがカッブルです。昆虫世界もカップルであり、鉱物世界も分子、陽子を中心としてカップルであり、それから動物世界、人間世界もカップル、それから、人間の家庭もカップルです。 そのように、横に見てもカップルであり、上下に見てもカップルであり、前後に見てもカップルなのです。 これらのものすべてが球形をなし、思いどおりに活動するのですが、ぶつかっても壊れず、前後左右、自由で、幸福で、平和な環境の家庭が、"私の家庭であり、 “私”の国であり、“私”の世界であり、“私”の天宙なのです。アーメン。(「アーメン。」)分かりますか?(「はい。」) このように、”二人”です。二人になっています。目も、二つが一つになっており、鼻も一つになっています。分かりますか? 目と鼻と耳と五感が、一つになることができない夫婦が愛するということは、真の愛には合わないのです。「”二人”が、一つになった場においてのみ、いつでも真の愛が訪ねて来て、安着することができる。アーメン。」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) それで、“私”を中心として、二本ずつ手足がありますが、その二本の手が、一つにならなければなりません。また、二本の足が、一つにならなければなりません。そうして、心と体が、一つにならなければならないのです。 統一教会において、第一の問題は、心と体が一つにならなければ、理想的出発をすることはできない、ということです。縦的な基準にも合わず、横的な基準にも合わず、前後の基準も、すべてずれていくというのです。 ですから、最も重要なことは、心と体が一つになることです。それは、何によってですか? 真の愛と真 の生命の血統を通して、そこで神様とともに・・・・・・。 神様の心と体は、闘いますか? 神様とともに一体 となり、神様と一体となった、その圏内において、上 下関係一体、左右関係一体、前後関係一体となるのです。 これが、一つのモデルとなった“定着家庭”なので すが、このような家庭が連結され、連結されることに よって氏族になり、民族になり、国家になり、世界に なり、天地も、この公式の橋を通して結束し、この公 式を通して、天地の理想的「天一国」も完成するので す。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんが、朝、起きて顔を洗う、その顔を見るとき、それは、すべて一つになっています。これ (顔)が一つにならなければ、すべてずれてしまいます。 耳が一つにならなくても、問題が生じるのです。鼻が一つ詰まっても・・・・・・。 皆さんが、風邪を引けば、鼻が詰まるでしょう? 鼻詰まりになるのです。口が、二ミリから三ミリずれ ただけでも、うまく言葉を話すことができません。完全に一致しなければならないのです。耳も、そうです。 手足も、二つが一つになったところにおいて、うまく機能するのです。 ですから、愛を中心として、「自由」と、その次は何 ですか?(「『平和』です。」)平和で、幸福になることができる行動になるのです。自由です。これが一つだけでは、自由ではないでしょう? 一つでよいですか? 鼻も一つでは、自由ではありません。自由と平和と……。 「自由」と「平」によって、「和」にならなければなりません。平和と幸福は、周りのすべてが、自分の顔に笑顔が満ちる、幸福な「天一国」を創建し、「天一国」 を“私”が成して、神様の前におささげするのです。 それで「総生畜献納」です。そのような責任が、堕落した世界に生きる皆さんには、あるのです。 ですから、祝福家庭は、「総生畜献納」をしなければなりません。サタンにすべて奪われたので、神様が、 サタン世界から男性を”私”に取り戻してくださり、 女性を取り戻してくださったのです。家庭の夫婦を取り戻してくださり、夫婦によって子女を取り戻してくださり、家庭を取り戻してくださり、その家庭がすべて……。 “所有”というものは、今日の堕落した世界のように、自分によって所有権を持つのではありません。個人完成も神様のものであり、夫婦完成も神様のものであり、すべて相対理想圏、上下、前後、左右全体は、神様の所有権になっています。 それゆえに、そこに属したすべてのものも、神様のものです。昆虫世界も、すべて四位基台で成り立っているのです。水の世界に生きる魚や昆虫、動物も、すべてカップルになっているのは、自分のものではありません。神様によって成されたものなので、すべてが愛を成し、愛の家庭を成して定着することによって、 相続が展開するのです。 その定着の基準は、個人基準ではありません。個人基準を超えて、家庭基準、氏族基準、そのようにして八段階を越えて、神様が、家庭を中心として訪ねる相対圏に行き、そこで相続を受けるようになり、そこでそのような所有権制度にならなければならないのです。 そのようなことを思うとき、皆さんはすべて、国を神様に奉献しなければなりません。「総生畜献納物」をささげて、その下で心と体の統一、夫婦が統一、子女が統一、家庭が統一されて定着することによって、神様から、所有権であるすべての万物を相続するのです。 分かりますか?(「はい。」) 今、皆さんが持っているすべてのものは、偽物です。 神様が一代目であられ、二代、三代圏にいる“私”には、その中間に入り込むことができるものは、何もありません。入り込んでいるのは、堕落によってサタンの所属権のものが、天と“私”の間にふさがっていたのです。 そのように、個人的に垣根ができており、家庭、氏族、民族と、八段階がすべて、ふさがっています。これをすべてたたきつぶしてしまわなければなりません。 完全否定するのです。完全否定して、自分が持っているすべてのものを、真の愛を動機として、一つになっ た“私”の心と体、一つになった夫婦、一つになった家庭理想、一つになった氏族、民族・・・・・。 家庭が、氏族を取り戻そうとすれば、氏族のために投入して、それを忘れてしまわなければなりません。 そのような、神様が天地を創造なさったときの過程を経なければなりません。そうして、民族なら民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまい、民族を中心として、投入しては、それを忘れてしまってこそ、国家というものが出てくるのです。 それゆえに、堕落によって失ってしまった最高の基準が何かというと、"私”個人と夫と妻、そして神様との父子関係、神様を中心として祝福を受けた夫婦関係、祝福を受けて生んだ神様の息子、娘関係、孫と孫娘の関係です。それらをすべて奪われてしまったのです。 これらを取り戻して、「これは、すべてあなたのものです。」と言うとき、サタンの影が連結されないのです。完全に白玉のような、完全に……。 「正午定着」と言ったでしょう? そのような、太陽の光に照らされても影のない立場に立った自分自身 にならなければならず、自分たち夫婦にならなければならず、自分たちの家庭が、そのようになって定着しなければなりません。 そこには、自分の所有権というものはありません。”所有”というものは、真の愛をもって定着の立場に立ち、主体であられる神様の御前に、「絶対的対象の“私”であり、夫婦であり、家庭である。」と言うことができなければなりません。そこには、サタンの痕跡もないのです。それを越えて、神様の所有権内において、神様が持っておられる被造世界のすべてを・・・・・・。 家庭が完全に定着し、理想的家庭が安着することによって、神様が、このような宇宙的な偉大な存在であられるならば、"私”自身も、その偉大なる主体の御前に対象として、それと同じ偉大な存在であり、神様が願われたものが”私”個人にも充満しており、家庭にも充満しているのです。 そのように、”私”という存在は、国と世界、どこにおいても、主体であられる神様が願われる相対的内容を、すべて備えた出発の実体なのであり、その実体を中心として、収穫して神様におささげし、神様を賛美してさしあげなければならない存在なのです。 ですから、最後には、肯定することができるものは何もない、ということになるのです。分かりますか? (「はい。」)ここに日本人、韓国人、西洋人、いろいろな人たちがいます。例えば、米国人などは、「自分たちが優れている。」と言って騒いでいますが、これは、だれによって生じたのでしょうか? 男性と女性、皆、堕落したアダムとエバによって生じたのです。堕落したアダムとエバは、神様は、目の前にして見たくもないのです。つばを吐いて、地獄にほうり込んでしまわれたいのです。 完全否定の陰の下で出発して息子、娘を生んだので、サタン世界の人々は、怨讐の立場です。そこに所属して、天の所有権のものをどろぼうして、自分のものとして使用しているのですから、すべてのものを否定しなければなりません。肯定するものは一つもありません。そのように、すべて否定しなければなりません。 ですから、神様が一代目、真の父母が二代目、祝福家庭の皆さんは、何代目ですか?(「三代目です。」) 三代圏です。三代圏を完全に満たし、三代圏時代にサタンを引っ繰り返し、サタンのものを受けたので、これをすべて否定して取り戻し、天の前に奉献するようになるときに・・・・・・。 奉献するにおいては、偽りの愛と生命と血統が連結された立場で奉献するのではなく、神様の真の愛と真の生命と真の血統が連結された真の息子、娘の立場で、 祝福を受けた家庭として、これをすべて相続して出発しなければなりません。そうすることによって、初めて所有権が始まるのです。 ところが、これを失ってしまったので、今、神様が一代目、真の父母が二代目、三代圏に、横的にも縦的にも、前後左右に介在するものは、一つも・・・・、ありますか、ありませんか?(「ありません。」)ありますか、ありませんか?(「ありません。」)絶対にないということです。 ですから、絶対否定しなければなりません。神様の 属性であり、真の愛の属性である絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の愛の観点からは、“見るのも嫌である”というのです。 それは、怨讐です。完全否定して、火で燃やしてしまわなければなりません。否定しなかったものは、今後、時になれば、すべて燃やしてしまわなければなりません。それを、だれが燃やしてしまわなければならないのかというと、自分が燃やしてしまわなければなりません。それらのものを、すべて火で燃やしてしまわなけわなければならず・・・・・・。 これを総決算しなければ、息子、娘が、そこにくっつき、妻子がくっつき、自分までも侵犯されるのです。 このような、法に違反した第二堕落的なサタン以上の実体として、天の御前から追放される時が来るのです。 分かりますか?(「はい。」)何のことか分かります ね?(「はい。」) その目は、だれのものですか? 自分の目は、だれのものですか? 祝福を受ける前は、だれのものです か? 顔は、だれのものであり、五官は、だれのもの ですか? それらは、神様とは、何の関係もありません。サタンのものです。すべて否定しなければなりません。 ですから、“見たい”と思うものを否定しなければなりません。”食べたい”と思うものを否定しなければなりません。“開きたい”と思うもの、"触りたい”と思うすべてのものを、否定しなければなりません。 ですから、「日本人」という言葉も使ってはいけない、というのです。「日本人」と言う前に、「日本の兄弟姉妹」という言葉になるのです。分かりますか? 神様の真の愛によって、祝福を受けた人たちは、皆、兄弟姉妹なので、日本に暮らしている兄弟姉妹、米国に暮らしている兄弟姉妹、ドイツに暮らしている兄弟姉妹、ロシアに暮らしている兄弟姉妹だけがいるのであって、ロシア人、中国人、米国人というものは、ありえません。 それで、韓国は、中国も「中国のやつ」、ロシアも「ロシアのやつ」、それから米国も「米国のやつ」などと言いますが、自分自身は、何なのですか? 「韓国のやつ」ということになります。(笑い) ですから、自分を中心とした絶対権限を行使したサタンの直系子女として生まれた立場に立っているのが、 “私”であるということです。“私”まで否定しなければなりません。分かりますか? 韓国人まで否定し、 周辺にあるすべての先進国を否定しなければなりません。いずれにせよ整備しなければならないのです。 ですから、わたしは、"そのような国(先進国)に隷属したい。”という思いは、夢にもありません。夢にもありますか、ありませんか?(「ありません。」)「夢にもない。」と言いました。夢にもないというのです。夢にもありますか、ありませんか? さあ、皆さん。「天一国」は、どのような国でしょうか? 自由の国です。「天一国」は、どのような国ですか? 自由の国です。そこには、怨讐がありません。 真の愛を持ったので、自由の国です。 その次は、何ですか? 「平和」です。平和でないものがありません。その次は、何ですか?(「『幸福』です。」) 幸福になれば、口だけが笑うでしょうか、五官と心と体まで笑うでしょうか? 心と体が、すべて「ははは。」と・・・・・・。一度、してみてください。(「ははは・・・・・・。」) 自分が、「ははは。」と笑えば、どうなるでしょう か? 夫が、そのようにすれば妻が、妻が、そのよう にすれば夫が、お父さんとお母さん、その国全体、神様まで「はははは。」と・・・・・・。これが幸福です。 そのようになれば、上を見ても幸福であり、下を見ても幸福であり、右側を見ても幸福であり、左側を見ても幸福であり、右側を見ても自由で、左側を見ても 自由で、右側を見ても左側を見ても平和であり、上を見ても下を見ても平和でないものがなく、自由でない ものがなく、幸福でないものがありません。 ですから、神様が訪ねて来られて、夕食でも一度食べたい。”と思われ、“朝食でも一度食べさせてくれれば、それを食べたい。”と思われ、昼食になれば、訪ねて来られて、「ああ、仕事をして疲れたので、昼食を食べさせてくれ。」とおっしゃることができるのです。 そのような、自由で、平和で、幸福で、神様をお迎えすることができる“私”の家庭になるのですか、なっているのですか? どうですか? そのことを考えれば、問題が大きいというのです。 なぜ、「自由」、その次に「平和」、「幸福」の「天一国」なのですか? なぜ、(年頭標語の「天一国」という言葉の)頭に(「自由」と「平和」と「幸福」という言葉を)つけたのか、ということです。それは、「自由」な「天一国」であり、「平和」な「天一国」であり、「幸福」な「天一国」だからです。そこには、闘いがありません。闘争がありません。 柳鍾泳氏? "国会議員になろう。”という考えがありますか? "闘って勝とう。”と思いましたか、"自動 的に和合して勝とう。”と思いましたか?(「“和合し て勝とう。”と思いました。」)狂った話はやめなさい、というのです。(笑い) きょうから、“今から、闘う世界の中心になろう。” と思う人は、雷に打たれます。柳鍾泳氏でも、だれでも、です。それは、神様の怨讐です。お金をもうけて息子、娘を教育し、“ああ、闘いの国の国会議員になって、家門(の名を)を高めよう。」などという、そのような考えをしますか、しませんか?(「しません。」)この人は! 今まで・・・・・・。(笑い) 今まで考えていながら、なぜ、“考えていない。”というようなことを言うのですか? 柳鍾寛氏! (「は い。」)(笑い)この者め。(「考えていません。」)感謝し ているのですか? 考えていますか、いませんか? どちらですか?(「考えていません。」)何ですか?(笑い) ”国会議員になろう。”と考えていますか? ええ、何ですか?(「闘いはしません。」)何ですか?(「闘わないで、です。」)闘わないで、一つになりますか? 狂ったような話をしています。(笑い) この国は、関係ありません。私たちが、手本を見せるべきものは、ただひとえに闘うことを知らず、自由と、それから平和と幸福が宿った主人となることができる希望の息子、娘であり、希望の家庭なのです。 その希望は、国が願い、世界が願い、天地、神様までも願われる希望の”私たちの家”です。分かります ね?(「はい。」) 「自由」と・・・・・・、言ってみてください。その次は、 何ですか?(「『自由」と。」)「平和」と!(「『平和』と!」)「幸福」が満ちあふれた!(「『幸福』が満ちあふれた!」) 「天一国」の家庭が、神様の安着なさることができる所である。(「『天一国』の家庭が、神様の安着なさることができる所である。」) 個人、家庭も安着があり、二番目の家庭も安着があり、千の家庭に安着することはできないので、これが標準になっています。モデルになっているので、そのモデルに従っていく所には、間違いなく神様が入って来られて、安着されることによって、それ自体が、小さな家庭であったとしても、「万歳!」と言われるのです。 言ってみてください。(「万歳!」)万歳! (「万歳!」) 手足で万歳!(「手足で万歳!」) 万歳が上がっていくので、ぶかぶか上がっていくのです。持ち上がっていくのです。夫と妻が持ち上げられ、家庭が持ち上げられ、天の国の出発、理想天国が安息………………。 定着地、安着地が、地上と天上世界にできるので、神様が行かれて休まれることができる所が、地上世界であるならば、地上に安着し、天上世界に安着するのです。 そうして、東に行って息子に出会えば、息子とともに暮らし、妻、娘とともに暮らし、孫とともに暮らすのです。そのように、どこでも安着理想に立っているので、平和の天国であり、千年、万年、太平聖代(德のある君主が治める太平な世の中の時代)の王国となるので、万世、万々世が継続するのです。それを懇切に願います。アーメン。(「アーメン。」) もし、皆さんが、“うそをつきたい。”と思うときに は、うそをつかなければなりませんか、ついてはいけませんか? うそをつきたければ、ついてみなさいというのです。神様の真の愛を中心としては、左側に行っても真であり、右側に行っても真であり、下に行っても真であり、上に行っても真であり、前に行っても真であり、後ろに行っても真なのです。 子女に対して、「こいつ。」と、悪口を言っても、その悪口は、真の愛を中心として言う悪口なので、そこには、サタンと悪の影が現れずに、"正午定着地”になることができるのです。分かりますか? さあ、このようなことまで教えてあげたので、人間ができていない下品な者たちが、前後をぴたっと合わせていかなければなりません。そうでなければならないはずなのに、振り返って、このようにして、また、 このようになれば(ジェスチャーをされる)、大変なことになるのです。 しかし、真の愛の世界では、どんどん大きくなるようになっています。個人を投入して、それを忘れてしまい、家庭を投入して、それを忘れてしまい、氏族を投入しては、それを忘れてしまわなければならないのです。 民族を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような民族は、国を持つことができません。 国を投入して、それを忘れてしまうことのできない国は、世界を持つことができません。世界を投入して、それを忘れてしまうことのできない、そのような世界は、天宙を占有することはできません。天宙を投入して、それを忘れてしまうことのできない者は、神様を「正午定着」の大王陛下として、千年、万年、勝利の覇 権の王として、侍ることはできないのです。(「アーメ ン。」) "そのようになりたい。”と思う人は、両手を挙げて、「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン!」) 安着です。「『天一国』安着萬歳」という群れなので、 皆さんの家庭には、天地に満ちあふれている神様の所有権でないものがない、というようになります。そのようなすべてのものが、“私”とともに組んで、「おお、 よしよし。私の愛よ。」と言って、踊りを踊って喜ぶことができる時代になるのです。(「アーメン。」) 言ってみてください。アーメン!(「アーメン!」) ”自分は、そのような家庭になる。”と思う人、立ち上がってください。立ち上がって、大きな声で・・・・……。(録音の音声が、しばらく途切れる) いつ、祖国光復をするのですか?(「しています。」)いつ、するのかというのです。それをやって、終えなければならないのではないでしょうか?それは、いつまでですか? 二〇〇四年までです。そして、世界をすべて収拾して、「総生畜献納」です。 この日を中心として世界を収拾し、統一天国をつくって、神様の御前に奉献しなければならない、その期間が、何年までですか?(「二〇一二年までです。」)二〇一〇年、二〇一二年までです。 それゆえに、今から伝道は、人を通じた伝道時代は過ぎていき、言論界を通して伝道する時代が来たのです。それで先生が、「ワシントン・タイムズ」を中心と して、UPI通信を引き継いで・・・・・.. 朱東文氏。(「はい。」)「ワシントン・タイムズ」とUPIが、言論界の最高の王になったということが、今回のロンドン大会において・・・・・・。ロンドン大会には、 一万人ですか?(「はい。」)その一万人の人が、「UPI通信、「ワシントン・タイムズ」万歳。」と、しましたか、しませんでしたか?(「はい。」) したのなら、「した。」と言わなければならないのに、どうして「はい。」と言うのですか? 万歳をしたというのです。それは、驚くべき事実です。一度、引っかけば、国にぽかんと大きな穴が開くのです。 ドイツの者、ロシアの者、米国の者、日本の女性たち、逃げるために大騒ぎする、そのような基盤を築きました。今から、それを正面に立てて、「これを受けなさい。」と言うのです。受けなければ、飛んでいくのです。 ですから、今、国会議員を中心として、平和大使たちは、国会の上のレベルにあります。超宗教圏の上に 立ち、超国家圏、超NGO(非政府組織)、WANGO(世界非政府組織連合)基準で、そのような国と、その ような思想をもって一つにするという主義主張は、あ りません。そのようなことを、今まで、だれも知りま せんでした。それは、私たちだけが持っている特権で あるというのです。 この鍵をもって開ければ、すべての天の国の門が、 音を立てて開き、すべての世界の門が、音を立てて開 くのです。金庫を開ければ、その中に金銀宝石がぎっしり詰まっているのです。 それでは、柳鍾泳氏は、自分で使うのですか、どのようにするのですか?(「すべて、ささげます。」)言 葉は良いですね、この人は。しかし、言葉だけで通じますか? そして、姜禎賛さん(柳鍾泳夫人)に「監督しなさい。」と言ったのですが、これも、自分(柳鍾泳)に似ました。(「違います。」) 昔は、よくブレーキをかけていましたが、最近は、よくついて回っていますね?(「違います。」)何がですか。(柳鍾泳氏が、「副官なので、ついて来なければなりません。」と答える) 夫婦が、「ぷぶー。」とするのが、夫婦です。分かりますね?(「はい。」) 「自由」と「平和」と「幸福」が満ちている「天一国」の主人が、"私”です!(「アーメン。」)そのように言うことができる人、手を挙げて、神様の御前に誓いましょう。(「アーメン!」) (録音の音声が、しばらく途切れる) サタン世界は死にますが、わたしたちは生き残るのです。(録音の音声が、しばらく途切れる) これを録音して記録したものを、苦労して探して、 勉強して知ることも嫌ですか? わいわい騒いで食べて、下痢をし、おなかが裂けることを知らないのですか? 十里の道を行ったのなら、十里の道を行ったその分だけを恵んでもらって食べても、感謝して行かなければならないのに、千里の道、万里の道を・・・・・・そのように行くならば、どうするのですか? (録音の音声 がしばらく途切れる) (「アーメン。」)どこに行くのですか? 急いで行きますか、力強く行きますか? 力強く!(「力強く!」) 前進しなければなりません。さあ、そのような人は、 全員、こぶしを握って、神様の御前に、「私は、誓います!」(「誓います!」) 忘れてはいけない、というのです。 これは、すべて録音されています。「どこどこに行きなさい。」と言えば・・・・・・。今から、人事処置をして、 「この人は、アフリカのどこどこに行き、この人は、アフリカのどこどこの国に行って、責任者になりなさい。」 という、そのような人事処置をしたからといって、不平がありますか、ありませんか?(「ありません。」) 不平がなければ、先生の目を見て、「ありません。」と言わなければならないのではないですか、目を見ないで、口で「ありません。」と言うのですか? もう一 度、言ってください。(「ありません!」)この者たち。 (録音状態不良により、聞き取り不能) 門をすべて開いたので、皆さんが、国と世界を動かすことができるところに向かって走る勇士となることを願いながら、先生の元日、最初の朝のみ言を終えようと思います。(「アーメン!」) (拍手) さあ、気をつけ! 敬礼ですか、敬拝ですか? (「敬拝です。」)(お母様が、「上がってきてください。」 と言われる)降りてきてください。ここから行くのではないですか? 降りてきてください。従順なお母様、万歳。 (郭錠換会長が、「黄善酢会長の先唱で、万歳をいたします。」と言われる) 気をつけをして、敬拝はしないのですか? (「敬拝してから、万歳をいたします。」)(笑い) 敬拝をしてから、万歳をしなければならないでしょう? あまりにも喜んで、忘れてしまったのでしょう。 ( 「立ったままで、敬拝をおささげいたします。天地父母様に敬拝! 直れ。万歳三唱いたします。」) (「待望の二〇〇二年を出発しながら、全天宙が震動するように、「天一国」安着を誓う万歳三唱をいたします。「神様王権樹立勝利万歳」、「勝利された天地父母様万歳」、「第三十五回 〔真の神の日] 万歳」、このようにいたします。」)(万歳三唱) 「天一国」には、主権と国(土)と民が必要なので、昨年に・・・・・・。(録音の音声が、しばらく途切れる) 「神様王権即位式」が、主権復帰であり、その次には、神様の祖国定着が国土復帰であり、その次には、 「天一国」国民が、入籍するのです。分かりますか? 今から、カードを持って民になるのです。 ですから、国が形成されるためには、主権と国土と民が完備された上で、このような「天一国」の万歳定着(安着)を宣布したという事実を信じ、神様のように自信を持ち、文総裁、真の父母のように自信を持って、一気に押し出すところには、押されないものなどないということです。 それでは、大きい者を押しのけますか、小さい者を押しのけますか?(「大きい者です。」)その国に行けば、大統領に会わなければなりません。会わなければ問題になります。わたしは、米国に行って、トップの人に会ったのであって、下にいる人には会いませんでした。 ですから、今では、「訓読会」も、その国の国家首相を中心として、国会で「訓読会」することができる時代に入ってきました。分かりますね?(「はい。」)そのような環境になったので、今、わたしが語った内容、主権と国土と国民のすべてを準備したので、「天一国」宣布とともに、ここに、解放された万歳安着が成されることは間違いないということを知って、その上に立ち……。 恐れるものが、どこにありますか? 分かりますね?(「はい。」)国会に訪ねて行って、国会議員たち、与党と野党の党首に会って、「私の言うことを聞いてください。「天一国」に加入してください。私は、闘いを止めにきたのであり、自由で、平和で、幸福な国を紹介するために来ました。」と言うのです。分かりますか? 「自由」と・・・・・・、(「『平和』と。」)「平和」と・・・・・・、(「『幸福』の。」)「幸福」の息子、娘として、「天一国」の家庭定着万歳を叫ぶことができなければなりません。 そうして、その国の王国創建のために先頭に立つことによって、与党と野党が闘わずに一つになってこそ、 南北をすべて消化することができるということを理解しなければなりません。そのようにして南北が一つに なってこそ、アジアを消化することができるのです。 アジアを消化すれば、この全世界、天地を消化することができるということは、間違いありません。それで今回、イエス様を中心として、キリスト教の有名な人、四大聖人を中心として、その有名な人に、真のご父母様に関して証しさせてあげなければ大騒ぎするので、証ししてもらったものがあります。それが、今から発表されるでしょう。 皆さん。疑ってはいけません。そこに、自分の信念を完全に加えて、「ドイツ人を代表して、このようにしているので、ドイツの者たちは、私に従って来なさい。」 と言うことができる度胸を持って、宣伝しなければなりません。 それを躊躇する人は、足が折れたり、生殖器が曲がったり、故障したりするのです。”勇敢に行く「正道」 には、道を踏み外すことはない。”という、自信満々な 歩みで、出戦し、接戦をし、勝利することができるような自信を持てば、「万事亨通(すべてのことが滞りなくうまくいくこと)」・・・・・・。(録音状態不良により、 聞き取り不能) ・・・・・・信じて共にすることを願いながら、心残りですが・・・・・・。見栄えの良い顔をもっと見ていたら、わたしが、朝食を食べることができないので、出発します。 さあ、それでは、さようなら。(「ありがとうございました。」)<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.11
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ファクトTV | 登録日[2015年02月22日21時31分]フランシスコ法王、マフィアに「悔い改めなさい」一喝「悪行犯すなら、外観だけ信者のふりをしないでください」【ファクトTV】フランシスコ法王は21日(現地時間)マフィア団員に外見だけ信者であるふりをすることは、真の信者ではないとして、悔い改めて教会に戻るように再度警告したとイタリア現地メディアが伝えた。フランシスコ法王はこの日シチリアマフィアを凌駕するものと評価される「エンドランゲッティ」マフィアの本拠地南部カラブリアなどイオニア海教区地域信徒とミサを上げる席で「組織犯罪と悪の道を選んだ人は悔い改めて、新しい道いくべきである。」と言ったイタリアの日刊紙ラ·リアセンブリカーが報道した。イタリアはマフィアの本拠地である。フランシスコ法王(写真出処 - フィリピンメディア」Rappler」の放送映像キャプチャー)フランシスコ法王は「悪に仕えるのか、善に仕えるかはあなたの選択にかかっている。」とし「しかし、神はあなた方を待っていて、教会もあなたを歓迎する。」と強調した。しかし、彼は「悪行を犯すなら、外観だけ信者であるかのようにすることは、教会と神から認められない。」とし「キリスト教の社会に含まれている人々は、決して他人に暴力行為を犯すことはできない。」と述べた。フランシスコ法王は、昨年6月にもカラブリア地域を訪問してミサをした席でマフィアを「悪を崇拝する標本」と規定して、「マフィアのように悪の道に従う者は神と親密な関係はありません。」とし「マフィアメンバーは、波紋された。」と批判したことがある。 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会へ
2015.02.22
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まずは、「お断り」です。※ このブログは、あくまでも個人において、書いているものであり、教会本部とは一切関係がありません。過去においても、今後においても全ての責任は私自身に帰属するものであります。昨年7月のルポライター米本和広氏への謝罪文を撤回、削除します。 理由は、米本氏の一方的な契約破棄によるものであり、謝罪文自体が無意味なものとなりました。同時に、もう一度冷静になって考えてみれば、私の「島根県のY氏が怪しい?」としか書いていないのに、どうして、昨年7月の彼からの手紙では「名指しで犯罪者扱いだ、名誉棄損だ」、ということになるかにも大きな疑問が涌いてきました。逆の立場で言わせていただければ、米本氏こそが私を名指しで犯罪者扱い(罪状も告げずに)をされておられるのではないですか?また、テレビ出演もされたほどの著名人の一人でありながら、一般個人の名をあげて批判攻撃すること自体に異常性すら感じます。ことの発端は、2012年12月にブログ村・統一教会で起こったグルっぽ『新芽会』への不正アクセス行為(?)であり、その一部が彼のブログ『ヘドロシリーズ』で掲載されたことにあります。その矢先の私のブログへの不正アクセス2件の発覚でした。そのひとつは、12月にグルっぽ『新芽会』へ不正アクセスをしたと思われるブロガー(キジ氏)とIPアドレスが一致したこと、そして、彼の『ヘドロシリーズ』を前後してキジ氏と米本氏でコメントのやり取りがあったことを思えば、米本氏にもその疑いの目を向けられても当然のはずです。著名人であれば、なおさら社会の規範となるべきが筋です。ある著名人は、世間に誤解を招いたというだけで職を辞された方もおられます。メディア関係のねつ造では、番組中止といった例を当ブログで書いたりもしました。そういった意味で、彼自身もまた、疑いを持たれた時点で『ヘドロシリーズ』を中断すべきだったと思います。ところが、それを書き続けられました。しかも、彼の『ヘドロシリーズ』自体はすでに昨年11月・12月の私のブログでは、ブログ村がわずか十数名のグルっぽメンバーによって操られているなどと、一般常識的にみても考えられない「ねつ造」であることも指摘しました。また、「私のブログで統一教会員の拉致監禁のことを一行も書いていない」とか、「私が教会の教団職員である」かのようなデマも書き連ねました。ルポライターとしてはトンだ笑い草です。彼の主張したグルっぽの強制移動操作については、何一つとして証拠をあげることもできず(それ自体がねつ造ですから)、その後の話題は『グルっぽ』情報の入手経路についてであり、不正アクセス(?)か内通者説かに終始しました。私はグルっぽに関しては、IPアドレスの一致以前からもキジ氏の不正アクセスを主張し続けており、キジ氏から米本氏へそのグルっぽ内の情報を流したとの記述で一貫してます。「犯罪者扱いをした」といわれれるのであれば、米本氏ではなく「キジ氏」であり、彼からの告訴があれば受けるつもりです。また、もしもキジ氏の不正アクセス行為が事実であり、キジ氏の持つ他者のID・パスワード情報を米本氏もそれを使って「閲覧した」ということであれば、米本氏も同罪となることも付け加えておきます。これらねつ造記事やデマに関しては、FC2様を介して個人的に彼に削除の依頼もお願いした(道義心を問うた)のですが、弁護士(法律)を楯にしてスルーされました。人には「誠意」を押しつけておきながら、彼からはなんらの誠意も感じることができませんでした。 さて、彼がこれらのねつ造・デマを書き続けた理由は何だったのでしょうか。彼のブログの「道しるべ」のなかから『ブログ開設の目的(2009年)』からの一文にも注目してみたいと思います(以下)。 「(統一教会)批判派の正体を明らかにしたい。これがブログを開設した目的である。」とブログ開設の目的を明示しております。ところが、彼のブログを見れば、統一教会の批判・告発の内容が幅を利かせてきています。反教会の匿名者は相手にしないが、統一教会員の匿名は別扱い、この矛盾は何ですか?他にも、統一教会員の名を数多くあげては批判しておられます。その中には、彼が取材で得た教会の拉致監禁被害者もあり、それをもって圧力を加えた痕跡(謝罪文の強要等)も伺えます。これらは取材で得た情報の秘守義務違反に当たらないでしょうか?統一教会の拉致監禁事件については良く書き(個人情報の収集手段として?)、その一方で、教会の批判・告発(反対派の拉致監禁を助長)を書いているのが彼のブログです。教会員の個人情報を引きずり出してまでして曝し者にする行為は、まさに、中世の「魔女狩り」そのものです。またすでに、昨年の1月には私のブログ「【奇知外記】 拉致事件発生!! 米本氏は何処へ?」では、ネット拉致事件についても書いており、「自称ルポライターY氏」がネット拉致強制改宗の教師役を勤めているという話をしました。そして、そのネット拉致被害者の一人としての「私」がいます。キジ氏の不正アクセス説を書けば、それを書くなとの強制改宗を受けました。もし、キジ氏のそれが事実ともなれば、『ヘドロシリーズ』はねつ造に加えて、不正な情報入手によるものだとの汚名も否定できなくなります。その入手経路をご存じの米本氏です。米本氏が「不正アクセスは潔白」と主張されておられる以上は、キジ氏の不正アクセス(?)も関係ない筈です。私がキジ氏からの告訴を待つだけです。とにかく、ネット拉致被害者の一人として米本教師から強制改宗の被害を受けたことの事実を再確認し、ここに告白します。2014.08.03by tomy4509(peace) 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキングへ
2014.08.03
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記事「真の父母様と不一致のH3の8月の特別祝福式は無効!! H4にも祝福権無し」にて黒・天聖経(韓国語)から「독생녀(獨生女)」を探しては紹介していた。今回はその前後の一文を日本語の黒・天聖経にて紹介していく。韓国語「独生女」は日本語では「ひとり娘」として訳されていた。そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。真の父母として来るには、どのように来なければならないか? 一人ではだめなのです。真なる父に代墲閧、る一人の男として出てこなければならないのです。今まで、数多くの宗教は、一人の男を探してきたのです。男の中でも、生活をよくする男を探してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を主にした男を探してきたのが、仏教の教えと見ることができるのです。では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母(天の父母様)として喜び、その神様のひとり子とひとり娘が横的な父母として喜びうる新郎新婦になって、地上で息子、娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八) イエス様が、どうして天国に入れなかったのでしょうか。天国は、堕落せずに生きた者が入る事が出来る様に、神様が人間に造って下さったものです。人間は、本来の原則的な基準に立ってこそ、天国に入る事が出来ます。それ故、イエス様御自身も堕落した人間を救い、堕落しなかった人類の父母であるアダム・エバの立場で、息子、娘を率いて入らなければならないのです。しかしイエス様は、一人で生まれて、一人で死んだので、子孫がいません。いない為に、楽園に行く様になったのです。天国に入れずに、楽園にいるのです。天国に行く為の待合室の様な所に行っているのです。 それで、イエス様は再び来て、新婦を探さなければならないのです。本来のエデンの園で、アダム・エバが新郎新婦になってこそ天国に行く様になっています。人類始祖は堕落しましたが、その原則は残っている為に、その原則どおりに花咲かせる為、イエス様は来られなければならないのです。「再び来て、地で解かなければならない」という聖書のみ言と同じです。(四一―三〇〇) 堕落がなかったなら天国は、ひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭をつくり、神様の愛で暮らしてから、引っ越していく所です。天国へは家庭が入る様になっています。個人は、天国に入れないのです。イエス様は、家庭を成せなかった事によって、天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。 この様に見る時、天国は空いています。これを考えれば、神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史なのです。 神様は、アダム・エバを失ってしまいました。二人を失ってしまった事だけで終わるのではありません。アダム・エバを失ってしまったという事は、アダム・エバの一族を失ってしまった事なのです。その一族が拡大して、民族になり、一つの国家を成し、一つの世界に拡大したはずですが、それらを失ってしまったのです。ですから、アダム・エバを失ってしまう事によって、天国の王権を中心とした王国を失ってしまった事になり、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。(一四三―二五) 4.イエス様と楽園 堕落がなかったならば、天国はひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭を築き、神様の愛で暮らして引っ越して行く所です。天国は家庭が入って行く様に成っています。個人は天国に入っていけないというのです。イエス様は家庭を成せない事によって天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。…… 天国は空いています。これを考えれば神様の復帰摂理が、悲しい復帰摂理の歴史であるというのです。神様がアダムとエバを失ってしまいました。二人を失ってしまっただけで終わるのではありません。アダムとエバを失ってしまったという事は、アダムとエバの一族を失ってしまったのです。その一族が拡大して民族に成り、一つの国家を成し、一つの世界へ拡大されたはずですが、失ってしまったのです。ですからアダム一人を失う事によって、天国の王権を中心とした王国を失う様に成り、天国の民族を失い、天国の氏族を失い、天国の男性、女性、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには彼らを呼んで神様を中心として祝福してあげたことでしょう。 アダムとエバが善悪の実を取って食べないで、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治めることのできる基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、取って食べるなと言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。キリスト教はそれを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定することのできる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。しかし無知には完成がありません。②怨讐の血統を受けた 堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うからです。ですから統一教会で、愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書かれています。善悪の実とは何か知っていますか。善悪の実は果実ですか。風が吹けば、落ちてごろごろ転げ回る果実でしょうか。違います。 アダムとエバの心にサタンが入って、一つになったので、サタンの血統を受け継いだというのです。愛の神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。強盗、殺人も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じるならば許されると言ったのに……。サタンを許してあげることができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したからです。それは何のことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができません。もし善悪の実を取って食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしていたことでしょう。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダム、エバが成熟したあとには、神様が呼んで、祝福してあげたはずです。 アダム、エバが善悪の実を取って食べずに完成していたならば、天地を創造した大王の息子、娘になるのです。大王の息子、娘というのは、その直系の長男、長女とは何ですか。正に王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の王国を治めることのできる基盤になります。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手によって直接造られたひとり子、ひとり娘がアダム、エバです。アダム、エバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのでしょうか。「取って食べるな」と言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたなら、どうなっていたでしょう。キリスト教は、そのことを考えることができませんでした。考えてみても分からないのです。それは蒼々たる大海なのです。深いか浅いかについて、深さを測ろうとしても、それを測定する方法がありません。分かろうにも分かるすべがないので、無条件に信じなければならないという冠をかぶせたのです。けれども、無知には完成がありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.07.20
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偶然の一致かどうかまでは分かりませんが、2020.04.21付の私の記事「シムソン氏へ 「天の父母様」から新たなミッションです!!」で紹介していました「文鮮明先生出版記念会」のみ言(以下)ですが、天のお母様に会ってみましたか? ここにいるこの人(文鮮明総裁)は、天のお母様を本に収めようと、神様を解放し、太平聖代の環境をつくって戴冠式をしてあげました。神様の結婚式をしてあげたのです。神様の独り子の息子、娘が結婚(小羊の婚宴)したのなら、天のお父様は一人で暮らしますか? お母様がいないではないですか! 神様の血筋がないではないですか! 血筋がなくて息子、娘が出てきますか? 適当にしてそのようにはならないというのです。同日のcocoaさんのブログ記事「もう一つの真のお父様の秘密メッセージ!」でのYouTubeでもそれが引用されていました。以下は映像からです。ところが、この映像からは「御言葉選集613巻 44-47ページ」となっていましたが、まったくもっていい加減なものでした。実際には「御言葉選集612巻 324-325ページ」で発見しました。절대적인 그분은 사랑도 필요 없다 이거예요. 죽이고 살리고 마음대 로인데, 무엇이 필요해요? 알고 보니까 그런 하나님이 아닙니다. 제일 불쌍한 하나님이에요. 인류조상의 자리에서 핏줄을 연결 못 시켰으니 제일 불쌍해요. 핏줄이 연결 안 돼 있어요, 하나님과. 하나님 어머니를 만나봤어요? 여기 이 사람은 하나님 어머니를 택해놓으려고 어때요? 하나님을 해 방해줘 가지고 태평성대의 환경을 만들어서 대관식을 해줬어요. 하나325님의 결혼식을 해줘야 돼요. 하나님이 독생자 아들딸을 결혼해주면, 하 나님 아버지는 어드럴 것이냐? 혼자 살겠어요? 어머니가 없잖아요? 하 나님의 핏줄이 없잖아요? 핏줄 없이 아들딸이 나와요? 덮어놓고 그러 는데, 그렇게 안 되어 있다고요. 그러니까 잘 들어요.また、私からの日本文と映像を比較した時、「天のお母様に会ってみましたか?」が抜け落ちているだけでなく、「ここ、この人」も文鮮明総裁ではなく「韓鶴子オモニ」とすり替えては神様と韓鶴子総裁との(基元節での)結婚式を打ち消そうと躍起になっているようにも思えます。ではでは、2013年の基元節でその結婚式が成されたのかどうなのでしょうか?文総裁聖和もあって華やかではありませんでしたが、振り返ってみれば、御父母様入場とか随所に結婚式の演出されていたようです。また、最後は瞬間でしたが立体映像(合成写真ではなく)まで駆使してのそれもありました(以下フォト)。まさに、「夜の神様、昼の神様」の結婚式でした。【参考記事】あぁ、基元節よ 永遠であれ(2013.02.20)あぁ、基元節よ 永遠であれあれほどに、天の父母様と真の父母様が、指折り待ち焦がれられた基元節が、創世以後、失われた新天新地が、もう一度、開かれる 胸がいっぱいの基元節が今 私たちの前に 夢のように近付いてきた。開放と釈放の完成的な喜年が実現されました。天地が開けた初めの時の不従順によって失われた本然の血筋がもう一度、引き継がれ夜の神様が、今、実体をもたれ光を見られるようになった。基元節の聖酒式を神聖に終えた夜、全羅道の田舎の教会長の小学生の幼い娘さんが、真の父母様が、皆に新しい時計を贈ってくださる夢を見たといいます。基元節入籍祝福は、重生、復活、永生への最後の完成祝福です。真の愛の主人公であられ、絶対忠臣、孝子であられる真の父母様の骨の削られる苦労と精誠で全ての条件を探したて、全てを成し遂げられいま、ついに基元節をひらかれました。6000年という長くも長い、泥のような闇を切り開き今まで誰も見ることのできなかった、光明な新しい朝、新しい朝日がまぶしく昇っています。新天地が、どのように、どなたを中心として開かれるのかも知らず新天地の掛け声だけを叫び、さまよう群達も世の中には多くいます。ヨハネの啓示録22章14章に記録されている生命の木は完成したアダムとして来られる子羊であられる子羊の新婦を迎え成婚されれば、真の父母なるという事実を、、!なぜ、この簡単な真理を知らずにいるのか?終わりの日に 真の父母様に出会えば、生きる道が開かれるのだ!インディオ文明を起こしたマヤ人たちが、2012年が人類の終末ということを知っていました。イエスキリストの誕生を起点にAfter Domineは、2012年で終わり今は、天の父母様と真の父母様を中心とした永遠なる天一国元年がはじまったのだ。1粒の種が地に落ち、死ななければ1粒そのままあり死ねば多くの実を結ぶのである。真のお父様の代身者、新宗族的メシアが一千一万と立ち上がり、全世界を炎のように前進してゆくのだ!私たちの、知恵と情熱と力を集め、前に前に進んでいきましょう!生きておられる天の父母様と真の父母様が大きく役事されます。もう、私たちには勝利の勝戦鼓を響かせることだけ残りました。自由で平和で正義が大河のように堂々と流れる幸福な国統一天一国が出発する、、、あぁ、基元節よ!永遠であれ!基元節を待ち焦がれながら日田 金会得 (群山 教会長)日本語 飜譯 吉田美里黒・天聖経「真の神様」からの引用は以下ですが、 神様が人を造った理由は同じ父母の位置に立てるためであり、体を着るためなのです。ですから外的な神様はアダムとエバであり、神様は内的な神様なのです。体的な神様がアダムとエバであり、心的な神様が無形の神様です。その神様が人類の父母です。本来の父母です。その父母が何人もいるのではありません。一人です。一人なので、その一人の方が入ることのできるアダムとエバ、男性と女性の二性性相をもった分聖殿のようにしておいて神様がそこに入るのです。神様が臨在して作用してこそアダムとエバの二人が理想的作用をするのであって、神様が作用しなければ神様のみ旨も何も分からないのです。 * 神様は父の位置、父母の位置に立ったお方です。人間を地の神様として立て、創造主である神様は天の神様として縦的な神様として立てて、これが天地合徳し、こうして愛によって生きようというのです。神様も一人では寂しいのです。 * 創造主は縦的な真の愛を中心とした縦的な父であり、堕落していない本然の人間祖先であるアダムとエバは、完全に九〇度で一つとなることのできる位置に立った完成した父母、横的な体の父母なのです。創造主は真の愛を中心とした心の父母であり、アダムとエバは横的な体の父母なのですが、この二つが合わさって天の父母と地の父母が一つとなり、天と人が合わさって息子、娘が生まれたならば、この地に生まれるすべての人々に宗教は必要ないのです。そのままで神様の国へ行くのです。堕落ゆえにこのような複雑な問題が生じたのです。そうなっていたならば私たちの体と心が分かれるということはなかったことでしょう。-----(ほか)「夜の神様、昼の神様」の結婚式のことが既に語られていたものでした。※黒・天聖経はサンクチュアリ教会の中村仁史氏が翻訳したものであると自負していました。彼自身も、この文章からの「天の父母様」を見忘れてはいないでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.04.24
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第39回神日本聖和祝祭が11月3日10時30分から開催されます。中継URLは以下のとおりです。
2021.11.03
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天の父母様と永遠に-天心Globalアゼリア-賛美-2024.2.17 大役事2024/06/08一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.10
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第1061回 天心苑特別徹夜精誠 (6/14)天務院と一つになって。日本6500家庭会故国聖地巡礼チーム「紫色のムグンファあなたはお母さん」涙の舞台。天心院1061回(6/14)特別徹夜(「紫色のムグンファ」YouTube動画)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.14
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以下は、2017-02-12付でFC2事務局様を介して自称ルポライター米本和広氏に転送された文である。ここには旧・統一教会の拉致監禁被害を扱った米本氏についての記載があり、「反カルト主義者」としての彼の立場を明確にしていた。ルポライター米本和広様へまず、貴殿はルポライターとして過去から家庭連合(旧・統一教会)をカルト宗教として糾弾していました。ところが、「是々非々」の立場から統一教会信者の拉致監禁に反対を表明することによって反統一教会陣営からの批判を受けるようになりました。「ブログ開設の目的(2009年)」からは、ブログタイトルの「火の粉」とはその反統一教会陣営からの「批判」を指してのものであり、その「火の粉を払え」がブログタイトルとなったということでした。さらには、反統一教会陣営からの匿名批判に対してはhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1.html ><注>ところで、匿名者の火の粉を払うつもりはありません。反統一教会の人たちは「正体を隠して勧誘している」と批判します。同感です。であれば、正体を明かして、私や私の記事を批判するというのが筋というものでしょう。「正体を隠して勧誘する」のも「正体を隠して批判する」のも同じ穴。よって、さもしい「匿名火の粉」は無視するに限ると思うのです。ただし、コメントはもちろん匿名でかまいません。批判的であれ、感想などいただけたら幸いです。反統一教会の人たちのコメントも大いに歓迎いたします。(引用終わり)と書かれています。反カルト主義の立場にある以上は統一教会側からの批判も当然のことであり、その匿名批判に対しても公平平等であるべきと考えます。ところが、貴殿はそうではないようです。カテ「下劣な食口たち」記事群(別名:「ヘドロシリーズ」、以下「シリーズ」)が一つの代表例です。まずもって最初に批判をしてきたのは、シリーズで書かれた私たち「非公開グルッぽ」ではなく、貴殿からでした。当時匿名であったブログ主の氏名を次々と嗅ぎまわっては公表されました。私の氏名もその延長線上にあることは間違いのないことです。もしも、FC2事務局様を介しての回答にあるように、「私が貴殿の中傷記事を書いたから」を理由とされるなら他メンバーで中傷記事を書いていない方々の氏名公表の説明がつきません。シリーズでは、グルッぽメンバー全員を直截犯、あるいは、間接犯として「ブログ村で組織的に強制移動をしている犯罪者だ」とネットで公開しました。しかし、実際はgildong氏のブログが強制移動となった結果を喜んでいる文面以外には具体的にどのような流れで組織的になされたかの事例(証拠)が何一つありませんでした。「シリーズ」の圧力でグルっぽから抜けざるを得なかった元メンバーの謝罪文らしきものもありましたが、「記憶が定かでない」といったあいまいなものでした。私のブログ記事では、メディアの氏名公表についても触れていました。賛否両論もありますが、犯罪者に対しては「社会的制裁」からというものでした。ルポライター職、つまりは言論人を自任する貴殿のこれらグルッぽメンバーの氏名公表もそれに類するものです。ところが、憲法第31条をあげて私がどのような罪状を裁判所から受けたかを問う一方で、貴殿の「私的制裁」の何物でもないことの指摘もしてきました。http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201410120000/ 2012年9月、貴殿のブログがブログ村で一時強制移動となりその時「犯人の氏名をあげて糾弾する」とも書いていましたが、私が犯人だとの証拠は何一つありません。シリーズで非公開グルっぽ内からの画像もありましたが貴殿のブログは移動とはなっておらず、私からは貴殿の「犯罪者扱い」のシリーズがデマねつ造の証拠としていました。私の氏名公表そのものが事実無根の「私的怨恨」「私的制裁」以外の何物でもありませんでした。逆には、この画像こそが貴殿の不正アクセス情報の証拠物としての提示もしてきました。このように、私のブログ記事はシリーズの事実誤認を指摘し「犯罪者」として書かれた批判者からの反論(抗議)であり中傷記事などでは決してなかったことは、貴殿がよく知るところです。私からはいくつかの事例(証拠)、また、不正アクセス事件を担当された刑事さんからの捜査報告(特定された犯人の証言を含めて)を踏まえての事実をブログ記事に書いており私からのそれに対して、もしも間違いがあればルポライター(言論人)として公開質問状にも回答されるべきではなかったでしょうか。ところが、貴殿のされてきたことはそうではありませんでした。ブログ外からの既得権を乱用してのパワハラでした。2013年4月には本部教会を介して「氏名公表と謝罪文、半年のブログ停止」を要求して来ました。同年7月の手紙では「謝罪文と1か月のブログ停止」でした。前回のFC2事務局様からは当時の貴殿とのメール文のやり取り(ブログでも掲載済み)を載せましたがルポライター職をかざしての脅迫文そのものであり、初回の謝罪文案でも「実名者名指しで犯罪者呼ばわりした」記述がなかったことを明示、私の謝罪文掲載は個人情報保護の立場からが第一義的であったことを立証しています。私の「氏名公表」は明らかな契約違反であり、公表直後からも即時の削除を要求していましたが、今日なお貴殿は頑なにされています。もはや、私の氏名を伏字にするとか、あるいは、匿名に戻すとかの次元を超えています。「覆水盆に返らず」は、実名者・プロのルポライターとしてされた不義不正行為、私の氏名を公表してまで「犯罪者扱い」したルポライター(言論人)としての社会的責任をも問うたものでした。冒頭にもかかげたように、貴殿と私との間には「カルト」を巡っての壁があり、カルト宗教として批判しておきながら反対立場の匿名者相手には氏名を公開してまで迫害を加える貴殿の姿も見ることが出来ました。「言論の自由」「信教の自由」が保障されているにもかかわらず、社会的既得権者が匿名個人の私の情報を嗅ぎまわっての迫害、貴殿の不義不正を隠すための謝罪文の強要でした。貴殿が統一教会の拉致監禁を扱ったからといって、「反カルト」を旗印に掲げられる以上は反統一教会の拉致監禁加害者と何ら代わらない『ネット拉致加害者』です。「カルト」言葉自体が、「統一教会信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、総称的蔑称として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念」であり、貴殿のブログでも御多分に漏れずそのレッテル貼りを更新されています。また、正当な事由や証拠無しの教会員の「氏名公表」は、反カルト主義者の「魔女狩り」行為という批判も否めない事実です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88#.E6.97.A5.E6.9C.AC http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201612250000/ 事実、貴殿のブログでUPされた問題画像のブログ村への情報提供転載文を見れば、その移動先カテゴリーが「人権」となっており、貴殿が統一教会の拉致監禁を扱ったからといってそれの副作用ともいうべき心的外傷後ストレス障害(PTSD)を取り上げたにすぎませんでした。これは命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で発症するストレス障害であって「拉致監禁のみ」ものではありませんでした。http://kidnapping.jp/book/torn.html 反カルトとしての貴殿は、宗教面での「信教の自由」を阻害する強制改宗は是認しています。ブログ内容自体から見ても、本来的にはカテ「批判・告発」に留まるべきです。ところが、カテ「家庭連合」(旧・統一教会)に居座り続ける理由は、既得権を利用しては家庭連合を「反カルト宗教」としての宣伝効果を高めることを目的としてのものとしか考えることが出来ません。プロのルポライター職にありながら違法な不正アクセス情報でもって、しかもデマねつ造で当時は匿名者が「犯罪者扱い」され、挙句の果てにはその個人情報を嗅ぎまわってはネット上で公開までされました。事実無根の罪を押し付けられた者としては、その人権と名誉回復を図ることは当然のことであり、ここに貴殿には改めてルポライターとして行き過ぎた氏名公表に対する謝罪文をブログ上で掲載すると同時に、関連「シリーズ」記事群と私の氏名を連ねての中傷文章(コメント欄を含む)削除を要請します。なお、この一文はFC2事務局様だけでなくブログ村の強制移動にも関わる問題であり、ブログ村へも「情報提供」として送信することをご承知おき下さい。以上 by tomy4509(引用終わり)ここでブログタイトル「火の粉を払え」のこの「火の粉」の再確認であるが、反統一教会陣営からの「批判」であった(以下)。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1.htmlさて、上記のように旧・統一教会の拉致監禁問題をルポライターとして取り上げ、それへの反対を表明したことで反統一教会側からは白い目で見られるようになった。ために、反統一教会側からは「自称ルポライター米本和広氏」と呼ばれるようになった次第である。一方自称ルポライターtomy4509からは、カテ「下劣な食口たち」記事スタート当初からその事実誤認を指摘をし非法情報源としたデマねつ造記事の訂正・削除を要求して4年3ヶ月になるが、明らかにデマ記事と分かる事例や証言を挙げてもそれを認めよとしない故である。https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201301280000/米本氏は過去から一貫して「反カルト」立場を表明しており、http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201612250000/ この「カルト」を用いて家庭連合を批判する米本氏もまた、その不安を煽る拉致監禁の脱会屋そのものと何ら変わらない。むしろ、加害者といっても過言ではない。事実ヘドロシリーズの場合、個人情報を「拉致」しては脅迫し、また、それでも自分の思い通りにならなければネットでそれを公開する、といった「教会本部非公認のネット拉致」の加害者として彼を挙げてきた。冒頭引用文からも、『「カルト」言葉自体が、「統一教会信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、総称的蔑称として、ないしはレッテル貼りを意図して日本に紹介された概念」であり、貴殿のブログでも御多分に漏れずそのレッテル貼りを更新されて』いるなか、拉致監禁してまで「信教の自由」を奪おうとする直接犯とは言えないにしても「不作為犯」「共犯」者との考え方も出来る。「不作為犯」「共犯」は、何らの証拠も無しにグルッぽメンバー全員をブログ村での強制移動の犯罪者に仕立てるべく、彼の記事当初に書かれたものでもある。これをお返しする次第である。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-387.html米本氏の旧・統一教会の拉致監禁には「是々非々」の立場で反対はしていたものの、実際は、信仰の自由を脅かす「強制改宗」を容認したものだった。さらには、カテ「下劣な食口たち」記事群を通じて、自称ルポライターtomy4509が非法行為もなりふり構わずの「反カルト主義者」としての米本氏に反論(抗議)してきたということだ。「火の粉」の未練がましく残された記事群は、今後とも「ネット拉致」(米本氏の言論封鎖・言論弾圧)の証拠物となっていくものと思われる。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.05.13
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今回、日本メディアのバッシングもあってかPeacelinkTVホームペーに残る映像リンクが少なくなっているようです。14日の映像にあっては「日本語訳」映像は教会専用ラインからのみの視聴となっていました。改めて、今回の文鮮明総裁聖和10周年記念行事について、15日夜現在で視聴可能なものを整理しておきたいと思います。[220811, 13:00] 恒久的平和世界のための大陸サミット[日本語] 特別セッション(220812,16:00)(※ 本映像は16:00ごろからです)[日本語] 世界平和宗教人連合総会(220813)午前の部:冒頭にお母様メッセージあり午後の部:4:00:04 ごろから開始です。 4:41:30 日本の統一教会信徒の拉致監禁」についての報告[日本語] 国際学術大会(220813)これら4本が、日本語でリンクが残っているものです。ほか、14日の本式典での日本語訳はありませんが、映像としてスペイン語他での映像リンクがありました。以下です。式典はミュージカルや歌などのパフォーマンスが多く、日本語と英語の字幕が助けてくれています。[Spanish] Commemorative Seonghwa Festival(220814)文鮮明総裁聖和10周年聖和祝祭15:00 [Spanish] Youth and Students for Peace Assembly(220814)世界平和青年学生連合総会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.08.15
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相対性原理から見たカインとアベル🍇カインとアベルの関係🍓天上でのカイン・アベルの関係🍎霊界からのメッセージ❤️李相軒先生2024/05/18 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.18
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