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つぎに、神の予定において、 復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるかということについて調べてみることにしよう。 神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。韓国にキリスト教が入ってきて200年にもならない。その韓国に再臨主が来られる、ということ自体も奇跡であり、お父様の家族がキリスト教に改宗した後の「16歳の復活節に」は奇跡の中の奇跡として選ばれたに違いない。
それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。 彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。
44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。と書かれていた。イザヤ書には「 ヨルダンの向こうの地、異邦人の ガリラヤ に光栄を与えられる。 」との預言がされていて、イエス様はガリラヤ(ナザレの町)から出てこられた。
45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
(1) この国は蕩減復帰の民族的な基台を立てなければならない「予定論」からは神様はかくのごとくイスラエル選民の中から先天的天稟をもった人間、また、後天的に条件が具備された中でも、さらに天が必要とする時と場所に適合した個体が「お父様」ということだった。
(2) この国は神の一線であると同時にサタンの一線でなければならない
(3) この国は神の心情の対象とならなければならない
(4) この国には預言者の証拠がなければならない
(5) この国であらゆる文明が結実されなければならない
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
奇知の外の凡人
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