全600件 (600件中 101-150件目)
「成約時代と天上天国・地上天国完成」宣布一九九九年四月十一日(日)、真のご父母様はアメリカ・ベルベディア修練所にて、約三百名の食口たちが参加する中、聖日のみ言を通じて「成約時代と天上天国・地上天国完成」を宣布され、成約時代と天上天国・地上天国は、祝福を通じて完成し、その祝福は地上の三六家庭をモデルとして、アダム家庭・ノア家庭・ヤコブ家庭の形態になると語られた。 み言 今回の巡回講演の世界巡回路程というのは……。歴史時代の真の家庭を中心として、天国に入れる基盤のための教育をジャルジンで行っていますが、それはどのような経過によってなされたのでしょうか?「アダム国家・エバ国家」という名称は、一昨年の十一月から「父母の国」に変わりました。それで父母が現れて、昨年の六月十三日、聖人たちと悪人を中心として解放運動をしました。そうして解放運動の基盤の上で、父母の国と長子圏の国を、四月に入って……、四月十七日にイエス様の家庭がベルベディアに定着し、聖人たちもすべて祝福してあげて、定着できる基盤を築いたのです。 そのような基盤の上で、そのようなすべてが全霊界の基準と合うことによって、アメリカは父母の前に今まで長子ではありませんでしたが、一番反対する放蕩息子のような立場から長子圈の立場に………。一九四五年にキリスト教文化圈が長子として第二次世界大戦で勝利した、そのイギリスとアメリカの立場を取り戻してあげ、長子権を回復したのです。それゆえに、父母と長子が一つになったのです。この基盤の上で成されるのが、今回の巡回路程なのです。 それで、聖人たちを地上に任地を決めて配置したのです。真の父母のみ名によって、彼らを任地に配置したのです。韓国もみ旨の前から遠ざかり、日本もみ旨の前から遠ざかり、アメリカもみ旨の前に未完成段階にありましたが、それに対して、今回韓国に帰って、去る二月七日に三億六千万双国際祝複式を行うことによって、ようやく先生がすべての責任を取ることができたのです。霊界で失敗したことと、地上の選民国家が責任を果たせなかったことに対して、すべて先生が直接に責任を取って、韓国と日本とアメリカを結束し、着陸させる大会をしたのです。それが二月七日だったのです。深刻なのです。 それで、再び定着できる基盤を世界的に拡散するために、韓国では先生が八か所の巡回講演をし、その次にエバ国家から息子の国家までは、お母様が責任をもって巡回講演をしたのです。日本で十六都市、アメリカで二十四都市、すべてを合わせて八十都市で大会を終えたのです。ですから、父母の責任と子女の責任において失敗したことに、やっと先生が責任を取ったのです。 それは神様にもできず、誰にもできず、キリスト教にもできなかったことです。やっとのことで、統一教会の責任者として、今までのすべての失敗に責任を取り、再び着地できるという決定をすることによって、この基盤を築いたのです。 ですから、韓国の勝利、日本の勝利、アメリカの勝利として、そのすべてをもって、これからは長子圏を中心として、カイン文明世界三十四か国を中心として、父母の国なのでそれを中心とすることによって……、キリスト教文化圏が一九四五年に責任を果たせず、今まで荒野四十年カナン路程においても失敗してきたすべてを、今やっと先生が責任を取って、全権を掌握して処理し、再度地上に定着させたのです。そのような決定をするためにあった今回の巡回路程であるということを、皆さんは知らなければなりません。 それをこれから世界に植えなければなりません。韓国まで合わせれば三十四都市です。本来、イエス様は三十四歳で国を得て、世界へと超えていくべきでしたが、そのすべての失敗を完全に清算する時なのです。そのような残された世界の基盤を拡張する時なのです。 それを成さんがために「成約時代と天上天国・地上天国完成」を宣布したのです。家庭完成というのが……、霊界のすべての解放圏を中心として、既成祝福家庭・法的に契約した契約家庭・純粋な未婚の男女といった、三六家庭に三つの家庭が含まれていたのを代表して、霊界における既成家庭祝福・法的結婚……、未完成段階の地上と天上の国を一つにまとめて、霊人祝福をしてあげるのです。それと同時に霊界においても霊人たちが、祝福を受けた人たちが、三日行事を通して復帰されることも許諾しておいたのです。 これを準備するために今まで霊界に行って育って、十六歳以上になった、赤ん坊の時に死んだ霊人たちが、今では数百億にも及ぶのです。それらを完全に祝福してあげているのです。ですから、霊界のあらゆる先祖をはじめとして、法的にだけ結婚したように、今まで未成年で天国に入れなかった霊たちまでも祝福してあげるのです。それが今や、明日、十六億双として祝福を受けるのです。ですから、お母様は今、新たに出発しなければならないのです。 そうすることによって、その霊界にいる霊人たちは、十六歳にアダムとエバが堕落した、天使長家庭のような立場にあるので、堕落してない家庭を完全に包括できる天使長家庭のかたちを取って、霊界から地上に再臨し、青少年たちを一所に追い込むのです。祝福圏内というのは、サタンが干渉できないところです。 それゆえに、サタンを完全に除去する運動が始まるのです。ですから、神様がそこから占領して、完全に直接的な行動を始めるのです。今まで神様はサタンの勢力によって、囹圄の身として宝座に一人閉じ込められた身分にありましたが、そこから解放された立場へと、霊界と肉界を完全に主管できる次元に入っていく時となったのです。 既成家庭・法的な契約家庭・未婚の男女という三六家庭の形態で霊界に入っていたものが、そのふさがっていた壁をすべて爆発させ……、既成祝福、霊界祝福をしてあげて、今まで愛し合えずに、霊界と地上が分かれていたのを、統一教会を中心としてその位置をひっくり返し、連結させるのです。統一教会の若者が四億を中心として、霊界の十六億、四倍になるすべての霊人たちが一つとなって、神様を中心としてサタン世界をひっくり返すのです。神様がセンターで真の父母と一つになられて…………、真の父母を中心として、真のカイン・アベルの勝利的基盤の上で、世界が霊界に一致できるので、すべてをひっくり返して打ち込むことができるのです。 祝福家庭とは何かというと、霊界や肉界や神様の真の生命の血筋が連結し得る、そのような基盤を相続した人たちです。それゆえに、神様が思いどおりに主管することができるのです。ですから、これからは神様が思いどおりに復帰歴史を、蕩減条件なしに、全権をもって押し除けるのです。皆さんがそのような実力をもった相対的な立場に、立てるか立てないかが問題なのであって、決心して絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準で一つになるときには、物事が一気に進み、すべてが水平世界となって線が引けるのです。 アダム家庭が堕落しないで完成していたならば、天使長に「おい、やれ!」と命じていたでしょう。しなければ法的に処置するのです。しなければ直ちに制裁を受けるのです。 ですから、皆さんはこれからは絶対信仰・絶対愛・絶対服従する立場に立って、エデンにおいてその家庭には、個人の所有物はありませんでした。神様と、神様の絶対愛と、神様の血筋が一つになった立場に立つ真の息子、娘になりさえすれば、この宇宙のすべてを相続し、所有することができるのです。愛で一つになれば私のものになるのです。 ですから、皆さんは所有権を考えてはなりません。神様の所有の中で最高のものは、神様の愛であり、その神様の愛を受けられるのが、息子・娘の家庭なのです。これが天法です。それを失ってしまったがゆえに、すべてを失ってしまったのです。それを取り戻せば、すべてを得るのです。皆さんがその愛を中心として、そのような家庭を築くためには、所有権のない完全な「無」から創造されて理想と一つとなり、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基盤を連結させて、本然の立場に立ち、サタン世界の所有を完全に拒否する立場で、天にお返しするにあたって、私たちがその前に立たなければならないのです。 アダムとエバが失ったすべてを、これからは家庭を中心として真の愛によって……、真の父母が血統的関係を真の愛を中心として取り戻すことによって、完全に復帰することができるのです。ですから皆さんは今、財産だとか何かを所有してはならないのです。真の家庭・真の神様を中心とした血統を所有することが一番なのです。それから神様の愛と一つとなって、すべてが神様の考えられるとおりになるのです。 先生は世界的メシヤ、世界的父母ですが、国家的父母・氏族的父母・家庭的父母を配置しました。そのすべての国家的メシヤ・氏族的メシヤ・家庭的メシヤが、先生と共に神様と一つになって、大移動をし、本然の地に向かって入れる本宮を創建し、そこにおいて氏族を拡大し、世界へと向かっていける道を行きました。したがって、すべての大移動が始まらなければならないということを知らなければなりません。 お母様が、これから三十二都市で巡回講演を終えて帰ってくれば、先生は再び韓国に戻らなければなりません。それを知らなければなりません。国を復帰しなければならないからです。ですから「全世界の祝福家庭は入籍しなさい!」と命じ、自分がもっているすべての所有物を売り払って、一か所に入籍、大移動が始まるのです。それを知らなければなりません。それで、ジャルジンを中心として……。ジャルジンは韓国とは正反対のところにあります。そこから再び家庭を中心として、先生と国家メシヤと氏族的メシヤが、再度天国に入ることのできる……、公認できるという許諾をしてあげるのです。先生の一族圏内に加人できる権限、先生の血族圏内に加入する権限を与え……、地上から天国に行くことができるハイウェイを、常に考えなければならないのです。 それで、ここに来て四十日教育を受けた祝福家庭の人たちに、避難民のように荷物をまとめて、何もかも売り払って大移動の準備をせよと命令するのです。それでは、どこに行くのでしょうか? 韓国に皆来いというのです。韓国は国際通貨危機で、すべてを売って片づけているのですが、皆さんは全財産を売ってでも韓国に行って土地を買えというのです。そうすれば、韓国の南北の土地を買っても余るのです。 それで、天地が認めるホームタウン(故郷)が…、これから南北が統一されることによって、統一できるように私たちが一つになることによって、できるのです。天地の、地上・天上天国のホームタウンがスタートするのです。やっと真の父母の家庭から、すべての氏族が祝福家庭になり、定着し、国を超えて南北が統一されれば、世界は思想的にも、すべての面においても、統一教会に従わざるを得なくなるのです。一つの世界になるのです。 今回の二月七日の祝福によって、韓国に対する責任、日本に対する責任、アメリカ……カインとアベルに対する責任、全部が失敗したことを、先生が軌道修正し、先生が全権勝利権限を行使して、くさびを打ってきたこの道が、今日のこの復興会なのです。 先生がどれほど豪胆であるのか見ておきなさい。「地獄の門を開けて、殺人鬼までも祝福してあげなさい」という言葉は、神様は言えないのです。神様もそのようなことはされません。「サタン世界の原理観がこうではないか?」と言って断行してしまうのです。それで「地獄の門を開けて、天国に早く来い」と言うのです。死んだ人々の中で、統一教会に反対した人たちを、霊肉を中心として祝福をし、地上で三日行事までせよというのです。今回、帰ってくる前に承諾して来たのです。 聖人になり得る統一教会の人と地獄に行っている悪側の人、聖人と殺人鬼を解放してあげたので、その原則によって統一教会は、自分が望む人を引っ張ってきて、大反対した夫であろうと地獄にいる人であろうと、連れてきて解放し、祝福してあげることができるのです。そのようなことが展開しているのです。聖人と悪人を皆一つにすべき原則があるがゆえに、そのようなことが可能なのです。そうして霊肉祝福の一体圏を築いて、三日行事までするようになっているのです。ですから、後は、霊界において地上で生きられず、結婚もできずに死んだ子供の霊、十六歳以上の年齢に至ったすべての霊たちまでも解放してあげるのです。それらの人々まで祝福してあげるのです。 ですから、地獄の門を開いて、霊界に行ったすべての人たちに祝福をしてあげ、神様の血族的権限を認めてあげることによって、サタンは完全に後退せざるを得ないということを知らなければなりません。これは革命です。革命の中でも、このような革命はありません。堕落によって死んだすべてが天国に行くことのできる、その環境をつくっておいたのです。アダムとエバが堕落した後、結婚できずに死んだ子供たちまでが、結婚して天国に入って生きられるすべての基盤をつくり、すべての先祖が祝福を受けた圏内の霊界に入れる環境をつくり、天国に行ける高速道路をつくったのです。そのような基盤をすべて蕩減復帰したのです。 本来、神様がつくった霊界には、堕落した人間はいませんでした。その霊界には、完成した祝福家庭だけが住むことができるのです。そこはアダムが完成した後に生活する、天国のような環境です。ですから、神様が全権をもってこの世の小さなことから大きなことまで、すべてを思いどおりにできるのです。祝福を受けて「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。壊してしまうのです。ですから、先生が八十代になって、地上の一族はみな天国行きです。出エジプトのように、地上世界からの出発が始まるのです。モーセが八十歳に出エジプトをしたように、これからは真の父母、家庭の王として世界を出発し、地球星を出発するのです。 モーセの後についていったように、この地上の地獄世界を出発して、天国への大移動が始まらなければなりません。ですから、荒野のような過程を経なければなりません。そこでは自分が今まで大事にしてきたものをすべて売り払い、自分の故郷を建設できる資金をもって入っていくのです。それと同じ理致なのです。全部荷物をまとめて風呂敷をかついで避難民のように大移動、世界的大移動が始まらなければならないのです。ですから、荷物をまとめよというのです。こうして、韓国の土地を十倍高く支払ってでも買って、完全に私たちの土地にするのです。 荒野に出て、砂嵐の吹く中で乞食のような生活をするとき、エジプトで食べた肉、豊かだったそのすべてが、どれほど懐かしかったことでしょうか。しかし、それを懐かしがった人たちはすべて滅びてしまいました。滅んだのです! そのようになれば、国家的メシヤの七代を中心として一族が一つになり、自らの財産をすべて売って、祖国光復をしなければならないということを知らなければなりません。そうすれば、全世界が一挙に動くのです。ですから、すべてを神様と真の父母を中心として所有し、自分の祖国から出発して世界のすべてが集まることによって、それを再び分配し、地上天国と天上天国……神様の祝福を受けた家庭の所有権時代に入っていくのです。 今回の演説集には「真の父母が伝授する生涯路程の教材」という副題がつきました。教材なのです。そのとおりにすればいいのです。全体の霊界、全天使世界が一挙に動いてアダム家庭の復活圏を築いたように、それと同じことが起きるのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、人類が、一挙に真の父母が築いてくれた基盤を中心として祖国に向かうことによって、自らの家庭、氏族、民族、国家、世界が、すべて解放されるのです。それを嫌えば地獄に行きます。永遠の路程において苦痛を受け、誰も行く道を助けてくれません。自分で蕩減しなければならないのです。 皆さん、家庭的メシヤ、氏族的メシヤを中心として一二〇家庭、国家的メシヤは一八○家庭を中心としながら、全体が一つとなって一族が連合して天国に入っていかなければならないのです。一族が入って世界天国となるのです。 ですから、韓国の土地を買えなければ、南米の土地を買って、それを分割して与えるのです。南米ですべての土地を買って、韓国から延長された土地を得るのです。これをキリスト教がみな行って、アメリカが一挙に韓国に移動するということになれば、南米まで……世界キリスト教圏を一つにして一挙に復帰できるのです。一挙に入籍できるのです。それゆえに各国に氏族連合会、国家連合会をつくっているのです。これが総評です。 ですから、真の父母が一度ぐるっと巡回するのは、先生が築いておいた勝利の基盤を、父母の国と長子圏、カイン圏の国に扶植させるためです。戻ってくる時には、そのような行動ができる天的解放圏、地上解放圏時代に入所するのです。それゆえに、今年の標語である「サタン血統根絶」の基盤が地上に連結され、神様の全体・全般・全権・全能の時代に入っていくのです。 韓国の大統領を決める基盤を私たちが動かし得る段階に入り、この長子圏の国の大統領を私たちが立てて、エバ国家なしに父と子が大統領を立てるようになれば、エバは自動的に引っ張られてきます。今はそのような時です。アメリカの大統領にも影響を及ぼせる段階にあります。その二つの国の大統領をつくり出すことができれば、世界は統一されるのです。ですから、私たちがキリスト教を早く教育しなければなりません。 今、摂理の時がどんな環境に至っているか分かりますか? 自分の今の生活が問題ではありません。天の国の祖国光復、神様の地上天国が解放される、それが一番の目標です。そのためには、自分の家庭や一族を犠牲にしてもやらなければならないのです。避難民になったとしても成さなければなりません。 いつ先生が大移動の命令をするか分かりません。今皆さんは「今まで先生に言われたから、こうして歩んできたのに……」という思いを抱いていますが、そのように考えてはなりません。今は折り返し地点です。全世界の統一教会の祝福家庭は、できるだけ早く南米に行って教育を受けなさい。そこで教育を受けた者だけが、今後天国に入れるチケットをもらい、先生の一族として写真を撮ることができるのです。アメリカからも早く参加しなさい。これは先生の命令です。 アメリカの責任者今の州の責任者が問題ではありません。その人たちの話を聞かずに、誰もが先頭で教育を受けなければなりません。父親が行けなければ、母親と息子の二人が父親の代わりに行って、条件を立てるのです。避難する時のように風呂敷包みに整理していけというのです。誰もがそうしなければなりません。入籍の手続きをしなければなりません。 韓国における国際通貨危機の問題はそれゆえに起きたのです。通貨危機は神様が起こしたのです。銀行家たちを数名だけコントロールすれば、たちまち元に戻すことができるのです。ということで、今や先生はすべてを教えてあげました。摂理の時がどのようになっているかをすべて教えてあげたのです。 今日のみ言と共に世界がどのようになるかというと、霊界を中心として祝福家庭を処理し、三日行事まで行って万代の解放圏が形成されたので、サタン世界の血統を根絶して、霊界と肉界の解放圏、神様の全権時代に入ったということを知らなければなりません。 アメリカ巡回講演のすべての勝利の祝賀を今晩のプログラムで終え、今からここに残った人たちは、おいしい食事を取って新しい出発をしなければなりません。 祈祷 愛するお父様…、多事多端な摂理を導いてこられたお父様のみ旨の前に、不足な息子が韓国の地に生まれ、名前も姓もない立場から哀れなさまざまな環境を神様が導いてくださり、勝利の大道のこの版図まで連結してくださったお父様の苦労の前に、まず感謝申し上げます。 悟りのない者を今まで、摂理のみ旨を知ったその日から子女としていくべき決心をさせたのも、日常生活のあらゆる主導的な方向を共にされたのも、お父様であるということを思うとき……、死のうと生きようと、この終着点に向かって駆け抜けてまいりました。今日、私たちの今年の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」でございますが、その厳粛な課題をめぐって、昨年の五月から忙しい期間を過ごし、その期間にひたすら霊界のすべての出発、霊界のすべての遮られた壁を解決できる出発を致しました。その次に、祝福の恩賜圏をもつことができない天使圏内、兄の位置にある先祖たちは今、すべて地獄と天上世界に留まることができず、中間霊界に留まっておりますが……、完全に天と通じることのできるその道を解放するために、この「真の父母」の名をもった父と母は、新しい信念をもって決定し、霊界の解放圏を備えるために聖人たちと殺人鬼たちを祝福してあげました。 また、霊界と肉界が分かれ、天を信じる統一教会の主要人物に反対して離ればなれになって霊界に行ったすべての夫婦も、地上にいる夫や妻が望めば再び祝福を承認し、その者たちを受け入れて地上世界で三日行事まで経験し、地上と霊界の完成を備えることのできる、そのようなことを連結するに至りました。 そうすることによって今や最後に残っている、その父母の子女として生まれてから、霊界に行って育っているすべての霊たちも、数千年、数万年、結婚の一日を望んでまいりましたが、そのような未婚の霊たちを新たに明日祝福できるこの道を開き、十倍、百倍、すべてに応えることのできる祝福の恵みを収穫できるようになりました。 これによって地上にいる青少年たちを霊界の祝福を受けたすべての家庭が、天使長圏の勝利した家庭に代わりに地上のアダム家庭の祝福の道を準備したように、全権をもって直行の道を走らせることのできる環境を経ることによって、四億以上の祝福を受けた家庭において一家庭ずつ引き抜くことによって、アダム家庭で失ったもの、神様の前で失ったもの、アダムとエバの家庭を中心として失ったものを…、真の父母の前に四億にもなるアダムとエバの家庭を、新たに祝福して立てることができるようになりました。今やこの者たちを中心として、自分の一族に残った既成祝福、法的結婚圏内にあるすべての人を祝福することによって、幼い青少年の祝福を受けたこの者たちが、霊界と肉界が一つになって出発したこの基準を中心として、第四次アダム圏を再度成立させました。 そうすることによって家庭で堕落の峠を越えて、神様の創造理想、本然のその場を求めて、先祖と後孫たちを祝福できる時代を付与しましたから……、天にいる霊人と天使たちのすべてを動員して、このみ旨に一方通行の道を、前進的な勝利をもたらし得る全総力で前進することができ、走らせることができまして、力の限りを尽くすことができますよう切にお願い申し上げます。 このような大清算計画を中心として、このような摂理的プログラムを連結させるために、韓国と日本とアメリカを通して、ご父母様と長子圏勝利の基盤を全世界三十か国に連結させ…、八十か国を中心とした勝利の版図を、神様が全権の活動基盤として伝授しようとなさるすべてのみ旨が、日進月歩、万事がうまく運ぶようにしてくださいますよう切にお祈り申し上げます。 私たちの家庭が、神様の真の愛を、絶対信仰と絶対愛と絶対服従を中心として、神様と一体となれる血統的に結束した、宿命的な子女の立場を完成した家庭を備え、家庭的メシヤから氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤ、神様の血統圏を完全に連結させて祝福を受けた血族となることによって、地上世界から天上世界まで天国の門を開放し、地獄を除去して、サタンをこの地から追放し得る、勝利的な覇権時代を付与できる時を迎えましたから…、祝福してくださいますよう切にお願い申し上げます。 このような計画が、あなたのみ旨と一致するすべてが、すべてにおいてうまく運ぶように、祝福してくださいますよう切にお願い申し上げます。 アメリカで勝利した二十四か都市での巡回講演に感謝申し上げます。ご父母様の韓国と日本での勝利圏を、再び長子圏の勝利圏として備えましたから、これから行くすべてのカイン圏の国々は勝利の立て札をもって……、その国とそのすべての国民がご父母様を中心として、長子圏に従っていける方向さえ設定すれば、天下はあなたが求める所願の勝利の覇権…、愛の主権時代へと移っていくことができるのでございます。 その所願であるみ旨が、勝利、勝利、また勝利の道を完成するようにしてくださいませ。全体の祝福を許諾してくださったことに感謝しながら、許された今晩の食卓をすべて祝賀する意味で催しましたから、霊界の食口たちと地上の祝福を受けた家庭が、霊的実体圏が一つになったところで父母様に侍り、祝いの晩となるように祝福してくださり、あなたが共に召し上がって参席できるこの時間としてくださいますよう切に願いながら、このすべてをご父母様のみ名によって祈願し、お祈り申し上げます。アーメン!(三〇〇-三〇〇、九九年四月十一日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.22
コメント(0)
真の家庭世界化前進大会に対する総評一九九九年四月十一日、イースト・ガーデン 今回の世界巡回路程というのは、歴史時代の真の家庭を中心として天国に入っていくことのできる基盤を築くためのものです。そのために、またジャルジンで今教育しています。 アダム国家、エバ国家という名称が一九九七年十一月から父母の国に変わりました。初めて父母が現れて、昨年六月十三日を中心として聖人たちと悪人たちの解放運動をしたのです。 このような解放運動の基盤の上で、去る四月十七日にイエス様の家庭がベルベディアに定着しながら聖人たちも祝福し定着できる基盤を築きました。結局、そのすべてが霊界と基準が合うことによって可能だったのです。アメリカが父母の前に今まで長子ではありませんでした。一番反対の立場に立っていたので、これは放蕩息子と同じです。 それを長子権の立場に、一九四五年のキリスト教文化圏が長子として第二次大戦で勝利したすべてのイギリスとアメリカの立場を先生が探してあげて、長子権を回復したのです。それゆえに父母と長子が一つになったのです。この基盤の上でなされることがすべて循環コースのようになっています。 それで聖人たちも地上に任地を配置しました。真の父母の名をもって地上に彼らの任地を配置したのです。そのすべての霊人全体を動員し…。 韓国もみ旨の前から遠ざかり、日本もみ旨の前から遠ざかり、アメリカもみ旨の前で未完成段階にあったのを、今回、韓国に戻って二月七日、国際三億六千万双の祝福式をすることによって、初めてここで先生が責任を負うのです。霊界で失敗したすべてと地上で選民国家が責任を果たせなかったすべてに先生が直接責任を執り、韓国と日本とアメリカを結束し定着させるその大会をしたのが一九九九年、今回の二月七日の大会だったというのです。その内容は深刻です。 十六億双霊界祝福の背景 先生はそこから再び定着することのできる基盤を世界的に拡散するために、韓国も八か所で巡回講演をして、お母様がエバ国家の日本から息子の国家アメリカの責任を執ってきたのです。それで日本は十六か都市、アメリカでは二十四か都市、すべて四十の都市で大会を全部終えたのです。ですから、父母の責任と子女の責任が失敗したものすべてに、初めてもう一度先生が責任を執ってきたのです。それは神様もできず、誰もできず、キリスト教もできなかったことに、初めて先生が今すべての失敗したものの責任を執り、これを定着させることのできる決定をしたのです。そのような努力を今しているのです。 それゆえに、韓国の勝利、日本の勝利、アメリカの勝利を成して、長子権を中心としてカイン圏の文明世界の三十四か国を中心として、父母の国であるがゆえにこれを中心とすることによって、初めてキリスト教文化圏が一九四五年に責任を果たせず、その四十年荒野の家庭カナン復帰路程でも失敗したすべてに先生が責任を執り、全権を握って創立し、再度地上に定着させるこのような決定をするためのものが、今回の巡回路程ということを皆さんは知らなければなりません。 これをこれから世界に植えなければなりません。韓国まで合わせれば三十四か都市です。イエス様が三十四歳において国を見いだし、世界へ越えていかなければならなかったすべての失敗をみな清算する、このような残りの世界の基盤を確定する時だというのです。 今日、先生が「成約時代と天上天国、地上天国完成」ということを宣布したのですが、家庭完成ということと霊界のすべての解放圏を中心として見るとき、家庭の中には既成祝福家庭、法的に契約する契約家庭、その次にマッチング家庭があります。三十六家庭の三家庭に入っていたものを代表し、霊界において既成家庭祝福、法的結婚の未完成段階に地上と天上に分かれていたものとをつないで霊人祝福をしてあげると同時に、霊界でも霊人が祝福を受けた人々が三日式を通じて復帰も許すことができるようにしておきました。 今まで十六歳以上になった、地上で赤ん坊として死んだ霊たちが数百億になります。彼らを完全に祝福してあげているので、霊界のすべての先祖から法的結婚をしたものとともに、今まで未成年が天に入っていくことができなかったすべてを祝福してあげることによって、これが明日これから十六億双を祝福してあげるのです。このようにしてお母様がこれから新しく出発しなければならないのです。 それによって、霊界に行った霊人に十六歳のときにアダムとエバが堕落したそのような天使長家庭と同じ立場にあるために、アダムが堕落していない家庭を完全に抱き込むことのできる天使長家庭の形態として霊界で地上再臨し、青少年を一か所に追い出すのです。祝福権を出せということは、サタンが干渉できません。それゆえに、サタンを完全に除去する運動が行われるのです。 ですから、神様がここで占領し、完全に直接的な行動をし始めるのです。神様が今までとらわれの身として、玉座に独りで閉じ込められた身の上が解放された立場で、霊界と肉界を完全に主管することのできる次元に越えていく時となったのです。既成家庭、法的な契約家庭、マッチングなどの三十六家庭の形態の様子が霊界に入っていたのが、そのふさがったものをみな爆発させて、既成祝福を霊界祝福をしてあげ、まだ愛を成し遂げることができずに地上と霊界に分かれていたものを、統一教会を中心としてこれを互いに変えて連結させ、統一教会の四億を中心として霊界十六億、これの四倍になる霊人が一つになって、神様を中心としてサタン世界をひっくり返して打ち込むのです。センターになって真の父母と一つになり、真の父母を中心として真のカイン・アベルの勝利的基盤の上で世界とともに霊界と肉界においてひっくり返して打ち込むことができるのです。 祝福が何かといえば、神様の真の生命の血筋が連結することのできる基盤を相続することです。祝福を通して神様の血筋を受け継いだ人が、霊界や肉界にいるので、神様が思いどおりに主管することができるのです。 それで、神様の思いどおりに再創造、復帰歴史を今でも蕩減条件なく全権を押し出すのです。ですから、皆さんがそのような信念を持った相対的立場に立つか、立てないかということが問題です。決心したそのような絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つになるときには、一瀉千里にすべてが水平世界へ線を引くことができるのです。 アダム家庭がもし堕落せずに完成していたならば、天使長に命令できるのです。「おい、こいつめ!やれ」と言ってです。しなければ法的に処理するのです。直ちに処理できるのです。天使長がそれをしないときは、原理原則によって法的に直ちに制裁を受けるのです。 神様のものが私のものとなるには ですから、皆さんがすべてが今は絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンにおけるその家庭は、個人の所有物がありません。神様と神様の絶対愛と血筋が一つとなった立場に立っている真の息子・娘になれば、この宇宙のすべてが息子・娘に相続されるようになっているため、すべてが私のものになります。愛で一つになれば私のものになるのです。 ですから、皆さんは所有権というものがすべて財産だと考えてはなりません。所有の中の最高のものが神様の愛であり、神様の愛を受けることのできる息子・娘の家庭だということを知らなければなりません。それが一番です。それを失ったために、みななくしたのです。これを探せば、みな探すことができるのです。 皆さんがこの愛を中心としてそのような家庭を成し遂げるためには、所有権のない完全なる無で創造された理想と一つになる絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤を連結させて、本然的なものをこのサタン世界でも完全に拒否する立場において天に帰すのですが、私たちがその前でしなければならないのです。前でしなければならないというのです。 アダムとエバが前ですべて失ったものを、今は家庭を中心として真の父母との血統的関係を真の愛を中心として探すことによって、完全に復帰できるというのです。それゆえに、皆さんが今、財産とか何かの所有を持っていてはならないというのです。神様を中心として、血統を中心として、神様の愛を中心として一つになれば、神様のものがすべて私のものになることができます。 それで先生が世界的メシア、世界的父母として国家的父母と氏族的父母と家庭的父母を配置したので、これらすべての国家的メシア、氏族的メシア、家庭的メシアは先生とともに神様と一つになって大移動をしなければなりません。そのようにして本然の地を探して入っていき、本国を創建して、そこから氏族的な拡張をして世界を探して行くのです。そのような道を経て行かなければならないために、大移動が起こらなければならないのです。 それでジャルジンが重要なのです。そこは韓国とは正反対の地です。そこから家庭を中心として先生と国家メシアと氏族的メシアが再度天国へ入っていくことができるように公認をしてあげるのです。それで先生の一族圏内に加入でき、先生の血族圏内に加入できる権利を中心として、地上から天国へ行くことができるハイウェイに入るのです。 ジャルジン四〇日修練を受けた祝福家庭は、避難民の荷物をまとめて何でもみな売り、大移動の準備をしなさいということです。どこへ行かなければならないのですか? 韓国へすべて来いというのです。韓国は今、IMF体制下ですべてを売っている状況です。このとき、皆さんが来て土地を買い、落ち着かなければならないのです。 それで今は南北が統一されることにより、統一するように私たちが一つになることによって、天が認めるホームタウンが生まれるのです。地上天上天国のホームタウンが始まります。 初めて真の父母の家庭からすべての氏族、一族から祝福家庭が一つになって定着しなければならない時が来ました。これから南北が統一されるようになれば、世界はすべての思想的な面で完全に私たちについてこざるをえないのです。一つの世界になります。 途方もない真の御父母様の恩賜 今回二月七日の祝福が韓国に対する責任、日本に対する責任、アメリカに対する責任など、カイン・アベルすべてが失敗したことを先生が軌道を正して、先生が全権、勝利圏をもって釘を打ち込んでくる行事です。この「真の家庭世界化前進大会」が今その復興会です。 それで、先生がどれほど大変か見なさい。殺人魔まで地獄の門を開いて祝福してあげろという話は、神様はできないのです。神様もそれを知っているからしません。先生がここで「サタン世界の原理観がこのようなものではないか」。このようにしてすべて断行してしまうのです。 それで地獄の門を開けて、天国にどうか来なさいというのです。死んだ人の中から統一教会に何年間も反対した人々までも、霊肉を中心として霊肉結婚し、三日行事まで、地上で三日行事までしなさいというのです。これを韓国からアメリカに来るとき、一九九九年三月十三日に承諾してきたのです。 聖人になることのできる人、地獄に行っている悪なる側をすべて、聖人と殺人魔まで解放するのです。その原則において統一教会を信じる人は、統一教会にとても反対した夫でも、あるいは自分が望む人を引き込んで、地獄にいる人までも解放させて祝福させてあげることができるというのです。そのようなことが行われるのです。 神様の霊界は祝福家庭だけ生きることができる 聖人と悪人を一つにする、このような原則があるためにそれが可能でした。それが霊肉祝福の一体圏を中心として三日行事までするようになったので、残りの霊界において地上で生きられずに結婚もできずに死んだ子供の霊たちが育って十六歳以上の年齢になったすべての人々をこれから解放してあげるのです。その人々まで祝福してあげます。先生が地獄の門を開けて、すべての人々の前に祝福してあげることによって、神様の血族的権限を認めることによって、サタンは完全に後退せざるを得ないということを知らなければなりません。革命の中でこのような革命はありません。 アダムとエバの堕落以後に死んだ赤ん坊まで天国へ行くことができる、そのような環境を作っておきます。アダムとエバが堕落した以後に結婚できずに死んだ子供たちも結婚し、天国へ行くことのできる、すべての先祖が祝福を受けた圏内の霊界に入っていくことのできる環境を作って天国へ行くことのできる高速道路を作っておく、そのような基盤を蕩減復帰したのです。 天地創造のときに神様がお造りになった霊界には、堕落した人間が住みませんでした。その霊界は完成した祝福家庭だけが住むことのできる所です。そこはアダムが完成した以後に生活する天国のような環境です。ですから、神様が全権を世の中のすべての小さなことから大きいことまで思いどおりになすことのできる時だというのです。 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」この言葉は、引き抜いてしまい、ひっくり返して打ち込みなさいということです。それで、お父様の八十歳である二〇〇〇年に入っては、すべての地上の一族たちはすべて天国行きだというのです。サタンの地獄から出エジプト、脱出する地上世界の出発が起こるのです。 モーセが八十歳で出エジプトしたのと同様に、これからの真の父母の家庭王としての世界の地球星が出発するのです。イスラエル民族がモーセの後に従って出たのと同様に、これから地上地獄を離れて天国に大移動が行われなければなりません。それゆえに、荒野のような過程をたどって行かなければなりません。そこは今のエジプトにあるすべてのものを売って、自らの故郷を建設することのできる資金をもって戻ることと同じ道理です。 すべて売り、ふろ敷包を包みなさい。避難民のように大移動です。このようにして韓国の土地を十倍ずつ高く買っても、すべて買わなければなりません。買って完全に私たちの土地を作って入っていくのです。 このとき、エジプトに住んでいたことを懐かしがってはなりません。エジプトで食べた肉、生活した豊富なそのすべてが荒野に入っていくようになれば、砂地の風が吹く中で乞食生活をするとき、どれほど懐かしいでしょうか? しかし、その時を懐かしがった人はみな滅びたということをよく知らなければなりません。 これから、国家的メシアの家庭が三代、七代を中心として一族の姓氏が合わさって、自らのすべての財産を売って祖国光復(解放)をしなければなりません。そうすれば、全世界が一度にさっと回るのです。 すべての所有は神様と真の父母の所有を中心として、世界のすべてが集まってくることによって再分配し、地上天上天国、神様の祝福を受けた家庭の所有権時代へ越えていくのです。そうして霊界が、全天使世界が一度に入っていき、アダム家庭の復活権を成し遂げることと全く同じことが行われるのです。 それで個人で家庭を成し、氏族・民族・国家・世界を成し、一度に父母様が成してくださった基盤を中心として祖国を探して入っていくことによって、自らの家庭・氏族・民族・国家・世界がすべて解放されるのです。それを嫌う人は地獄へ行きます。永遠なる路程で苦痛を受けて自分の行く道を誰も助けてくれません。自分が蕩減して行かなければならないのです。 知らなければならない摂理の時 それで皆さん、氏族的メシアを中心として、家庭的メシアを中心として百二十家庭が、国家的メシアは百八十家庭を中心として全体が一つになって一族たちが連合し、天国に入っていかなければなりません。一族が入っていかなければならないのです。それで世界天国になるのです。 韓国の地をもし買えなくなれば、南米の土地をすべて買って、すべて分割してあげようというのです。南米の土地を買えば、韓国の延長の土地として認めてあげるのです。 キリスト教、アメリカが一度に韓国に移動するというようになれば、南米まで世界キリスト教圏をすべて一つにして一度にみな復帰できるのです。一度に入籍をすることができます。それで家庭連合に、氏族連合に、国家連合を作っておいているのです。 これが総評です。それゆえに、この父母様がずーっと一度巡回することは、先生によって準備された勝利した基盤を父母の国と長子権、カイン権の国に扶植して帰ってくるようになるときには、このような行動をすることのできる天的解放圏、地上解放圏時代に入城するのです。それで今年の標語に「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という基盤が地上になされて、神様の全権時代、全体、全般、全権、全能の時代に入っていくと見るのです。 さあ、見なさい。韓国が韓国の大統領を作ることのできる基盤を私たちが動かすことのできるそのような段階に入って、この長子権国の大統領を私たちが作れば、エバ権なしに親子が大統領になればエバは自動的に引かれて行きます。分かりましたか? 今がそのような時です。アメリカの大統領も私たちが影響を与えることができる段階に至り、その二つを作れば世界は統一されるのです。それでキリスト教を完全に早く教育しなければならないのです。早くしなければなりません。 今は摂理の時がいかなる環境に来たかということが分かりましたか?(はい)。 ですから、自分の今生きることのできるものが問題ではありません。天国の祖国の光復(解放)の時と、神様の地上天国が解放されるそれが第一の目標です。そのためには自分の家庭とか、自分の一族を犠牲にしてでもしなければなりません。避難民になったとしてもそれをしなければならないのです。 いつ先生が大移動を命令するかもしれません。今は皆さんが振り返らなければならない時です。振り返らなければならないというのです。全世界の祝福を受けた食口たちは、早い時期の間に南米に行って、教育を受けてこそ、これから天国に入っていくことのできるチケットをもらい、先生が一族に写真を撮ってあげるのです。これは先生の命令です。 ここのアメリカ責任者、州の責任者が問題ではありません。そのような話を聞くのではなく、先頭に立って教育を受けなさいというのです。お父さんが行かなかったならば、お母さんと息子と二人がお父さんの代わりにきて補い、条件を立てながらこのような避難袋を整理して行けというのです。それを経なければなりません。それは入籍手続きを受けることです。 韓国のIMF行きがそれで生まれたのです。神様がお作りになったのです。その銀行家たちを何人かだけコントロールすれば、すぐに元に戻すことができるのです。 今日、み言とともに世の中が変わるようになり、霊界が祝福家庭に処理されて、三日行事まで思いどおりにし、解放圏が行われたので、サタン世界の血族根絶をなし、霊界肉界の解放圏、神様の全権に入ったということを知らなければなりません。 〈祈祷〉 愛するお父様…、 複雑多端な摂理を導いてこられたお父様のみ旨の前に、足りなき者が韓国の地に生まれ、名もなくみすぽらしき立場において哀れな環境にありましたのを、あなたは導いてくださり、勝利の大道の版図にまで連結してくださいました…。そのお父様の苦労の前に、まずもって感謝申し上げます。 物心のつかぬ者が、今まで摂理のみ旨を知って、その日から行かねばならない子女の決心を促してこられたのも、天が共にあって日常生活のあらゆる主導的な方向を共にされたのも、お父様であるということに気づくとき…、どんなことがあっても、この終着点に向かっていかなければならないということを、私たちは知っております。 今日、私たちの標語が「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」であるという、この厳粛な一つの課題をめぐりまして…、忙しく昨年五月以後からこの期間までに、霊界のふさがった壁をすべて解決しうる出発をいたしました。 それから、祝福の恩賜圏を持ちえぬ天使圏内にいるカインの立場の先祖たちは、地獄と天上世界にとどまれず中間霊界にとどまっておりましたが…、それを完全に天と通じさせることのできる道を解放させんがために、この「真の父母」のみ名を持つ真の父母なるふたり、お母様とお父様は、新しき信念をもって断然と決定し、霊界の解放圏を備えるために、聖人と殺人鬼たちを祝福してあげました。 また、霊界と肉界が分かれており、天を信じる統一教会に反対していたすべての夫婦どうしが分かれておりましたが…、霊界に行っている夫や妻であっても、地上に残っている夫や妻が願うならば、改めて祝福を承認して彼らを受け入れ、地上世界において三日儀式まで経ることができ、地上と霊界の完成を共に備えるのできる…、このようなことを連結させるようになりました。 これによって霊界の祝福家庭が、地上の祝福家庭と同様に、地上にいる青少年たちを全権をもって祝福へと直行する道に駆り立てることができるようになりました。 この環境を経て、四億以上の祝福を受けた家庭において一人ずつ導き出すことによりまして、真の父母の前において、アダム家庭で失った、神様の前に失ったすべてのアダム・エバの家庭…、四億のアダム・エバの家庭を新たに祝福して、立てることができるようになりました。 今や、彼らを中心として、自らの残された一族に既成祝福をし、法的結婚圏内にあるすべての人々に祝福をすることによりまして…、霊界と肉界が一つになって出発した基準を中心に、幼い青少年の祝福を受けた彼らが、第四次アダム圏を再び成立させることによりまして…、家庭において堕落の峠を越え、神様の創造理想の本然の立場を取り戻し、先祖と子孫を祝福できる時代を付与いたしました。 ですから、天にいるすべての霊人と天使を動員して、このみ旨の一方通行の道を総力で前進的勝利をもって突き進むことができ、全力を尽くせるように駆り立ててくださらんことを、切にお願い申し上げます。 このような大清算計画を中心として摂理的プログラムを連結させんがために、韓国と日本とアメリカを通して父母と長子権勝利の基盤を、世界中の三十余か国に連結させ、八十の国家を中心とした勝利の版図を、神様が全権の活動基盤として伝授しようとなさるすべてのみ旨が、日進月歩となって万事がすべてうまく運ぶようにしてくださらんことを切にお願い申し上げます。 私たちの家庭は、神様の真の愛を中心として、「絶対信仰」と「絶対愛」と「絶対服従」で神様と一体となれる、血統的に結ばれた宿命的な子女の立場を、代わりになって完成すべき家庭を備え、「家庭的メシア」から「氏族的メシア」、「国家的メシア」、「世界的メシア」、「天宙的メシア」と、神様の血統圏を完全に連結させ、祝福を受けた血族となることによって…、地上世界から天上世界まで天国の門を開放し、地獄を免除してしまい、サタンをこの地から追放できる勝利的覇権時代を付与しうる時を迎えましたから…、祝福してくださらんことを切にお願い申し上げます。 このような計画が、あなたのみ旨と一致するすべてが、万事うまく運ばれますよう祝福してくださらんことを、切にお願い申し上げます。アメリカで勝利した二十四か都市での巡回講演に感謝申し上げます。父母様が韓国と日本における長子権の勝利圏を備えましたから、これから行くすべてのカイン圏の国々は、勝利の立て札をもってその国と全体の国民が、父母様を中心として長子権に従ってゆける方向だけを設定することによって、天下はあなたが望む所願の勝利の覇権、愛の主権時代へと越えていけることをご覧になる…、このすべての願うみ旨が、勝利、勝利、また勝利となる道を完成なさってくださいませ…。 すべての全体の祝福をお許しくださいましたことに感謝しながら、許されしこの夕べの食卓を、祝賀する意味で設けましたから…、霊界の食口たちと地上の祝福家庭たちが、霊的実体圏で一つとなった場において父母様に侍って祝う、この夜となるように祝福してくださり、共に召し上がってくださることのできる、このひとときとなるようお許しくださらんことを切に願いながら…、真の御父母様のみ名を通して祝願し祈祷いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.21
コメント(0)
真の愛は誰もが願うこの講演文は、1999年3月14日、アメリカ・ニューヨークのベルベディア修練所で語られた文鮮明先生のみ言であり、2000年2月13日、「世界文化体育大典2000」の勝利祝賀晩餐会の時にもう一度宣布されたものです。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共にお忙しい中を、第四回「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と藤の一世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年の希望は、漠然と成就するのではありません。 神様の創造理想を中心として全世界が、一つの神様のもとに一つの世界を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。 私は、十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全霊を尽くしてきました。 知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。 堕落は、その断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することを言います。 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、一人の神様のもとの一つの世界を構想してこられた神様の、み旨成就のための一環です。 特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、一人の神様のもとの一つの世界を追求する聖なる理想の現実化なのです。 きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」を記念する歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようとするみ言の題目は「真の愛は誰もが願う」です。 皆様、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは真の愛です。真の愛が私たちにこれほどに貴く、重要なのは、何のためでしょうか。 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいと願われるのです。ところで、人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいと言われれば、おそらく互いに不平を言うことでしょう。 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に所有しようと争うでしょうが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって所有しようとするのです。 このように愛は誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有することができません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては、愛は成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。 ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラス(+)とマイナス(-)の対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人では所有することができないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。 同じように、子女がいなければ子女を愛することのできる父母の愛が現れないし、子女に対する父母の愛の主人にもなれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。 このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象として一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。 男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「ため」に生きてあげなければなりません。 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が互いに「ため」に生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は完全に根絶されるのです。 真の愛の縦的な垂直関係 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるからです。 ですから宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。万物たちはこのような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。 宇宙にいっぱいに満ちたすべての存在は、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局より高い愛の次元に吸収されて上昇するという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。 ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、蟻や微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。 このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、もったりすることのできる立場にいるのです。このすべてのものをみな食べて、もちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、もたなければなりません。 万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大体薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというのものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って、繁殖されるのです。 私の理論とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の理論に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。 神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるだけでなく、結局、すべて消えてなくならざるを得ないのです。神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論をパターンとした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。 人間において最も重要な器官は愛の器官 すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、鼻でも、目でも、手でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。 植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭もそれが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結するとてつもない価値のある場なのです。 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その相対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。 ところが、今日世の中を見ると、義理の父が十人もいるケースを見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか! 女性や男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。 ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。 「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本となる本質は、真の愛です。 またこの真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係を結ばなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで、豊かに暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。 恋愛している若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。 真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。 権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界で歓迎されません。 愛とは相手のためにしてあげることで可能 真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは「ため」に生きることによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていくのです。 このような利己的な個人主義はサタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は地獄以外の何ものでもありません。全体のために生きなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。 子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。 すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として、定着されるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。 ですからもっと貴いもののために、神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。 投入して忘れることを続けるならば、その愛の段階を高め、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。 みんなが天国に行きたがるのですが、「私のために生きろ」という思いだけをもっては天国に行けないのです。真の愛は神様が造られたすべての傑作品を抱いて、「ため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「ため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。 一生に三回以上生命を捧げて、「ため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。 神様に出会うには、三回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっていっているのです。 すべての愛の関係は球形を成す 子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。 子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。 真の愛の起源であられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。 父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(九〇度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係は球形を成します。 それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。 すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根っこに、生命の一番の根っこに、血統の一番の根っこに、そして良心の一番の根っこに神様がいらっしゃるのです。 このように神様を中心とした家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本中心は常にお一人、神様であられるのです。 全人類は真の父母を通して祝福を受けてこそ アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずです。彼らから愛の教育、すなわち、愛することを学んでいたはずです。 彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。 統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。 真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。 潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出合い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。 エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。 こうして神様の創造理想である八段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。 真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。 父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。 真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「ため」に生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、八段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。 そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に八段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。 今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、地上と天上すべてに永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。 私たちみんながこの聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人になることを願います。皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.20
コメント(0)
真の愛自体を解放しよう1999年2月21日(陰暦1月6日)韓国・中央修練院「真のご父母様ご聖誕日」の記念礼拝で語られた内容。真の愛の解放 (題目を板書される)一度読んでみてください。(「真の愛自体を解放しよう」)。これはどういうことですか? 真の愛の目的は、私たち人間世界が完成させなければなりません。個人完成、家庭完成をなし、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで解放するのです。人類が完成した後に、真の愛をだれが解放してあげるのですか? これは、大きな問題なのです。 苦労した真の愛は、どこに行くのでしょうか? 真の愛は神様の所にあるのですか、私たち人間の世の中にあるのですか? 天上世界にあるのですか、地上世界にあるのですか? 真の愛自体を解放することのできる日がありそうですか、なさそうですか? 今までは、文化史や聖書史を対象として、「復帰摂理というものは六千年である」と言っていました。それは、文化史的な見地からはそのように言うことができるのですが、堕落の根源から今までの歴史を掘り返してみるならば、何千万年もかかっています。長い歴史があったのです。 アダム・エバを創造された神様が理想とされていた、その理想とは何ですか? 愛の理想を完成させて愛の実体を成し、喜びを感じることのできる世界に到達しなければ、真の愛自体を解放することはできません。 この宇宙が生まれた動機は、能力のあられる神様に基づいているのではありません。その動機は愛なのです。その愛自体を解放するということは、どういうことなのでしょうか? 創世以前の世界から創世以後に至るまで、全体が一つとなり、神様と人間のすべてを皆抱いて、「私の愛だ」と言うことのできる位置まで行かなければ、「愛自体を完成させた」という言葉は出てきません。何のことか理解できますか? 皆さんが家庭において、父母に侍って孝子の道理を果たし、夫婦がお互いに愛し合い、兄弟が愛し合って、子女が父母を愛する平和な愛を中心として完成したというとき、そのような家庭があったとしても、家庭だけがすべての目的ではありません。 家庭を連結した氏族があり、民族、国家、世界、天宙があるのです。天宙として、創世前の理想圏まで連結されます。その全体をすべて解放することのできる世界が、いつあったでしょうか? 今年の標語は何ですか? (「真の祝福天宙化と……」)。真の祝福です。祝福に「真の」を付け加えました。初めて「真の」という言葉を使うのです。真の祝福? (「天宙化とサタンの血統根絶」)。サタンの血統根絶です。サタンの血統を根絶した後には、どのようになるのでしょうか? 神様ご自身が、愛の心の世界で解放されたと思われるでしょうか、それとも根絶を成したとしても、まだ「もっとこうだったら良いだろう」という基準が残っているでしょうか? 先生が願うこのみ旨をすべて成したならば、先生が皆さんを、神様が全体世界の完成を通して感じられた心情で褒めたたえることができるでしょうか? 神様や真の父母の願いは、それですべて終わるのか、ということです。宇宙全体のどこにおいても、地獄でまでも縦横無尽に動きながら、愛自体が「ああ、いい」と言うことのできる上下関係、左右関係になっているでしょうか? それが問題です。 み旨が成し遂げられ、地上と天上に天国が成し遂げられたと言っても、それは完全天国ではありません。天国に向かって進んでいるのです。地上もまた同様です。そこには、必ず堕落の痕跡が残っています。 神様は、地獄を忘れることができません。自分の子女がサタンの相対となって地獄において苦労し、呻吟してきた事実を、神様は忘れることができるでしょうか? このような観点から、神様を完全に解放し、愛自体も解放した立場において孝子が存在することができるか、ということが重要な問題なのです。 神様もその位置に入ってこられて、「私も一度、孝子になりたい」と言われ、真の父母も「一度、孝子になりたい」と言われながら、神様と真の父母が一つになり、愛の前に孝子になることのできる道があれば、どれほどいいでしょうか? 愛の中で主体と対象が完全に一つとなり、自由天地、上下どこに行っても歓迎を受け、喜ぶことのできる、解放的な称賛の環境になる、と言うことのできる位置をいつ迎えるのでしょうか? 果たして歴史理想完成終末時代、地上天上天国が開門したというとき、そのような位置をいつ迎えるのでしょうか? 愛が完成した位置において、神様自体が父親として立たれ、神様の愛と宇宙の根本的愛を中心として息子自体が孝子の道理となり、父親と息子が一つとなって、その愛の前により次元を高めることのできる孝子の道を、どのようにして植えつけることができるでしょうか? それを植えつけることができれば、堕落は永遠にありません。解放が展開されます。それは原理圏を凌駕するものなのです。根本世界です。 孝子、忠臣、聖人、聖子にいつなるのか このようなことを考えるとき、今後皆さんは、家庭理想、天上天国が成し遂げられればそれで終わりだと思ってはなりません。 きょうの題目は何ですか? 「真の愛自体を解放しよう」です。 神様と真の父母とすべての人類、被造世界全体に堕落のなかった本然の創造理想がすべて成されたとしても、神様ご自身を見るとき、愛自体を解放したと称賛することができるでしょうか? 先生自身を見るときに、愛自体を解放したと称賛することができるでしょうか? そこには、まだ解決しなければならない内的な根であるサタンの血統に汚された痕跡が残っているのです。数千万年の歴史を経てきたのであれば、その何十倍、何百倍以上の消耗をすれば、堕落した世界の過去のことを忘れることができるでしょうか? それを忘れるために、「あなたと私が一つとなり、息子、娘が一つとなって、愛自体の苦労を慰労することのできる孝子になってほしい」ということが、神様の最高の願いではないだろうかと、皆さんは予想しなければなりません。 そのような観点から見るとき、皆さんは家庭において孝子になりましたか? 私たち統一教会は、孝子の定義を知っています。忠臣の定義、聖人の定義、聖子の定義を知っているのです。聖子の道理まで行ってこそ、相続を受けられます。 相続するということは、サタン世界のカインに勝利し、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代の統一された基準における、孝子、忠臣、聖人、聖子の愛の軸を中心として一つとなった解放の位置まで行かなければならない、ということを意味するのです。 それゆえに、神様と真の父母がごらんになる位置においての、真なる解放を成すことのできる孝子というものが、どのようなものであるのかという問題を考えてみなければなりません。 このような観点から見るときにどうですか? 先生は、その位置で合格したと思いますか、今も合格まで行くべき未練を残している立場にいるのですか? どうですか? (「合格されました」) 先生に未練はないのですか? 孝子になってすべて終わったというのですか? 忠臣になったら、忠臣ですべて終わったというのですか? 皆さんも、先生のように孝子になり、忠臣、聖人、聖子になって、世界の人々がすべて解放されたとすれば、その上に立った真の父母、あるいは神様がそれをごらんになるときに未練はないでしょうか? 要求がないでしょうか? 「おお! 神様が創造された本然の基準、堕落がなかった本然の基準以上の位置だ。おお! 私の勝利の創造の結実を備え、愛自体の結果をすべてここに成し遂げた」と言えるような、合格して褒めたたえることのできる自分自体になれるのだろうかということです。 いつ、そのような自分になれると思いますか? 十年後ですか? 考えてみてください。この地上での一生の間にできるのですか? そうでなければ、そのように生きた生涯を持って霊界に行き、何千年何万年を生きた後にそのようにできる自分自身になるのですか? これは深刻な問題です。 今、皆さんが生きているこの世界で、神様が願われる解放された真の位置、愛を解放することのできる主体の前に対象の位置に立った孝子、忠臣、聖人、聖子となって、神様の前に相続を受けるのですか、未練を残した位置で相続を受けるのですか? どちらですか? このようなことを考えなければなりません。 今まで皆さんは、「親の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、天宙の前に聖子の道理となる」ということを言うのですが、その言葉と自分が何親等になっていますか? 父親と息子は何親等ですか? (「一親等です」)。そして三親等の親族がいますね。三親等ですか、四親等ですか? 父親と息子の一親等という関係、そのような縦的な列をなしても恥ずかしくないですか? そこに垂直に立つと思いますか? 心と体が完全に一つになり、その水平の上に垂直点に向かうところにおいてのみ垂直になるのです。 父親と息子は一親等です。上中下がなされてこそ垂直になるのですが、一親等、二親等になり、この二点をもってどこに行くのですか? 父親の考えと息子の考えの方向が違えば、ジグザグに行くことになるのです。 二人がぴたっと一つとなり、滴のようになって水平線に落ちることのできる立場、その垂直の位置に立つのですか、どうですか? 父親と息子が永遠に行っても、少しも傾きのない永遠に垂直になると言うことのできる位置はどこなのか考えてみましたか? 可能性はありますか、ないですか? 心と体の統一 皆さんの心と体は闘いますか、闘いませんか? (「闘います」)。闘うものがどうして統一の基点になりますか? 体が心を引っ張っていきます。体を引っ張っていこうとする心は、どれほどつらいでしょうか? 少しでも間違えば、心は「するな」と言うのですが、体はしてしまうのです。 体の思いどおりになってしまえば、垂直に行くべきものが、ゆがむでしょうか、真っすぐに降りていくでしょうか? ぺちゃんこになってしまうのです。息も吐いてばかりいれば死にます。息が絶えるのです。吐き出した分だけ入ってきてこそ、引っ繰り返って水平線が傾くということがなくなります。 それゆえに、絶対的に心と体は統一されなければなりません。その心と体を絶対的に統一させる主体とは、何でしょうか? それは真の愛です。真の愛は変わってはならないのです。絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。 人間自体は絶対的ではありません。唯一的な存在でもありません。行ったり来たりします。不変でも、永遠でもありません。 それでは、神様はどのようなおかたですか? 絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の前に、完全に一つにならなければなりません。父親と息子が完全にくっついて、動くときは四方に遊びまわるのですが、定着するときには間違いなく神様の位置を受け継ぎ、垂直と永遠に連結させることのできる自分となっていなければならないのです。そのようになっていますか? 神様は永遠なのです。何億万年、垂直でなければなりません。地球の年齢が四十五億年であるとか、あらゆることが言われています。それは抽象的な数です。何千億でもかまいませんが、地球は太陽を一年に一度ずつ回っています。 十分の一秒のずれがあったら、どのようになっていたでしょうか? 一年に十分の一秒ずつずれてくれば、今では数億年過ぎたので、数億秒のずれになっているはずです。そのようであったら、どうなっていたでしょうか? (「破壊されていました」)。破壊します。 大きくなるか、小さくなるか、結局は破壊するのです。何億年の間、一秒も、億万分の一もずれなかったという事実です。驚くべきことです。 自然は、法というものを中心として、そのようなことがなされてきました。その法をつくった動機が神様にあられるならば、神様を存続させることのできる動機が真の愛なので、真の愛は何十億万年、何千億万年たっても一秒もずれないのです。 このような論理を提示するとき、その愛の前に相対的な立場、父親の前に一体となる子女になることができますか? 今日、この地球星、堕落した人類歴史の中に生きている人間に、神様は会われることができると思いますか、思いませんか? (「会われると思います」)。 それでは神様はすでに解放されたのですか? 深刻な問題です。ですから、人間がこの地上においてその基準まで到達することは、億千万年かけても大変だということを考えれば、もしこの地を離れて霊界に行ったとしたら、霊界で億千万々年継続してやったとして、その立場に合わせることができる可能性があるでしょうか? それが問題なのです。 それでは、心と体を一つにすることのできる仮想的な秘訣があるとするならば、どのような論理を提示しなければならないでしょうか? 体が体だけのことを考え、心が心のことだけを考える関係においては、永遠に一つになれません。 体が体だけを考えず、心が心だけを考えずに、お互いがお互いを考えることが先行しなければ、一つになることのできる基準を私自体において永遠に発見できないのです。これは理論的です。 発見できないということが分かりましたが、発見できると言うことができるようにするには、どうすればいいのでしょうか? 発見できない道の百八十度反対の方向において、可能なのです。 それでは、反対となる可能性があるものは何ですか? 自分自身の体が喜ぶことのできるものは何ですか? 体は体のことを考えているのですが、体が考えるべきことは心なのです。心のために、心を中心として平安になることのできる道を開拓していくのです。 また、心も同じです。心自体の平安な道よりも、体の平安な道を開拓してあげるのです。そのためには、どのようにするのですか? お互いが絶対的にために生きることができるようになれば、遠かったものがだんだんと近くなり、最後には一つになれる可能性があるという論理になるのです。 この世の問題は「自分第一」の考え方 今日の世界で何が問題かというと、自分を最も貴く思うことです。人間の世の中に「未完成病原菌」がいます。その病原菌は何かというと、いつも「自分のために生きろ」という病原菌で、それがくっついてしまったのです。 そのうえ、自分が優れているという者たちは、「私は知識があるので、知識の王だ。権力があるから王だ」と頂上に上がっていこうとします。 それとは反対に、「権力を持っていちばん下に降りていこう」、「知識があればどん底に降りていこう。学のない人よりも、もっと無知な人のように行動しながらも教えてあげよう」、このような反対の道を開拓していく方法しかない、というのが文総裁の提案です。 皆さんは、自分をいちばん重要視するでしょう? どうですか? 男性は男性を重要視しますか、女性をもっと重要視しますか? 男性は男性をいちばん重要視するのです。女性は付属品だと思っています。 女性も自分をいちばん重要視するので、男性を付属品だと思っているのです。そのような夫婦は、自分たち夫婦がいちばん重要であると考えるので、息子、娘を付属品だと思います。 これが問題なのです。分かりますか? 問題は何かというと、「自分第一」の考えであり、「自分第一」の幸福です。「自分第一」の解放圏を願うところからは、何も成し遂げられません。 それでは、善なる人とはどのような人ですか? ある人を生まれてから死ぬときまで、永遠に助けてあげようとする人は、どのような人ですか? 階級を超越し、東西南北を超越し、人種とすべてのことを克服し、歴史過程も、定められた伝統も、すべてのことを超えて、永遠に人を助けながら生きていったならば、その人は善なる人ですか、悪なる人ですか? (「善なる人です」)。その人は、自分のために生きられないのではないですか? 自分自身はぽっかりと空いているのに、それがなぜ善なる人なのですか? 永遠に他の人のために生きて空になるのは、低気圧になるのと同じことです。自分自体を他の所にすべて投入すれば、周辺には高気圧が生じます。完全にすべてを投入して、ストップして息が止まるときには、その高気圧が一挙に押し寄せてきます。 そして、十年間、千年間積んでおいたものが一瞬のうちに上がってきて、自分を一気に千万年の頂上に上げてくれるのです。そのようになることが理論的ならば、人々はそのように生きることができるでしょうか、できないでしょうか? 水もそうではありませんか? くみ取れば、圧力を通して押され、水平に戻るのです。 それでは、「愛自体を解放しよう。神様自体を解放しよう」というのは、どのような意味ですか? これは可能なことですか? 愛も存在するものならば、授け受けします。存在というものは、必ず授け受けするのです。遠心力、求心力となって、運動しなければなりません。 それゆえに、すべて呼吸するのです。細胞も呼吸します。皆さんも呼吸するでしょう? 呼吸している音を聞きますか? 脈打つのを感じますか? 毎回感じますか? (「感じられません」) 忙しければ、一か月でも一年でも、それを感じずに暮らすのです。それでも脈は打っています。授け受けしなければなりません。地球も呼吸しています。運動するのです。 皆さんは愛を持っていますか? 持っていませんか? (「持っています」)。生命を持っているでしょう? (「はい」)。それから血統を持っているでしょう? (「はい」)。それを感じますか? (「感じません」)。なぜ感じないのですか? (「一つになっているからです」)。一つになっているからです。 一つになったところに相対が現れれば、すべてが発動します。男性の前に男性が現れて、すり寄ってみれば愛が発動しますか? キスをしたならば、愛が発動し、生命が躍動しますか? 血が熱くなりますか? (「熱くなりません」)。熱くなるでしょう、熱い! (「熱くなりません」) 最近、ホモといわれる人たちがいるではないですか? レズビアンもいます。それは異常です。そのような人々がいるということが異常なのです。 美人ならば、独りで愛を発動させることができますか? (「できません」)。生命も発動させることができず、血統も発動させることができません。 男性の前に女性が現れれば、美人でなくても大丈夫です。醜女であっても、足の指をくすぐって愛せば、そこから波動が来て、目、耳、鼻、口、五官がすべて集中し、水平基準さえ超えれば一挙に愛が震動し、生命が震動し、血統が上がっていき、黒い雲がかかって雷の音がし、稲妻が光り始めるのです。 男性と女性が目で合図をするというでしょう? 小さな目で見て方向性の基準が合えば、耳がそちらに行き、口がそちらに行き、鼻がそちらに行きます。そのようにして、五官が一方通行し、焦点を合わせるものが何ですか? 男性が男性を見て、「りっぱだ! その目に一度触ってみたい」と言いますか? 「鼻に一度触ってみたい。唇に一度触ってみたい。耳に一度触ってみたい。アイゴー、首を抱いて一度キスしたい」と言いますか? それは男性同士ではできません。そのようにするのは、特別なお化けが取りついているからです。男性の中に女性のお化けが取りつけば、そのようになります。霊眼を開けば、それが分かります。ホモを見れば、男性に女性が取りついているのです。女性には男性が取りついています。 そのような奇怪な世界の背景が、現実の自分にあるということを知らないのです。宇宙全体の力は、人間自体に対応的な関係を持って均衡を保っているのですが、これでは均衡が取れません。これが問題なのです。真の愛ならば、すべての均衡が取れます。 私たちの行くべき道 それでは、母親が死ぬのと、皆さんが死ぬのと、どちらがいいですか? (「……」)。母親が死ぬのがいいですか、自分が死ぬのがいいですか? (「自分が死ぬのがいいです」) 夫が死ぬのがいいですか、妻が死ぬのがいいですか? (「両方とも良くありません」)。父母が死ぬのがいいですか、子女が死ぬのがいいですか? どうですか? (「……」) 本当に愛していれば、夫は妻のために死ぬことができます。それが本当に愛している夫です。本当に愛していれば、父母が子女のために生命をささげることも一度だけではありません。数十回、数百回でもささげることのできる余裕しゃくしゃくの父母が、真の父母の中の真の父母なのです。 兄弟のために生命をささげることのできる人は、「真」に属します。それでは、弟が十人いて、そのいちばん下の病気の弟が、他の兄弟を生かすために死んでしまったとしたらどのようになるでしょうか? 残りの兄弟は何と言いますか? 自分の生命の主人はだれですか? 十人中、一人がそのようになれば、九人の生命の主人はだれですか? 救ってくれた人はだれですか? 病気の弟です。このことは正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」) 父母も同じことです。子女のために生命を捨てるのが本当の父母です。妻の生命を尊重して、妻のために自分の生命をいくらでもささげる道を行こうとする人が真の夫です。このような定義が残るのです。分かりますか? (「はい」) 家庭を成すときに、最初の出発は父母です。父母がいなければ、家庭はできません。祝福を受けた家庭は手を挙げてください。すべて祝福を受けた家庭ですね。家庭にはだれがいますか? 父母がいて、それから何ですか? (「夫婦です」)。夫婦です。それから何ですか? (「子女です」)。兄弟、子女です。そのようになってこそ、家庭が形成されるのです。 一つの家庭というときは、父母がいなければならず、父母になることのできる夫婦がいなければならず、夫婦になることのできる、兄弟過程を経ていくことのできる子女がいなければなりません。 一人の男性と一人の女性が、子女時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代へと進んでいくのです。 皆さんも父母の子女として生まれましたが、子女であれ、父母であれ、同じ道を行くのであり、父母にも子女時代があったのです。 アダム・エバにも子女時代があり、大きくなって兄妹時代がありました。兄妹が結婚したのです。結婚時代があり、息子、娘を産んで父母時代がありました。この四大心情的結実が連結されています。 このようなものを系統的に受け継いだのが自分の息子、娘なのですが、彼らにいちばん良いものを父母は残してあげようとします。 何を残してあげようとするのかというと、自分が愛を受けた、いちばん良かった子女時代、いちばん良かった兄弟時代、いちばん良かった夫婦時代、いちばん良かった父母時代です。人間にとって、それ以上によいものはありません。 そこに歩調を合わせられない人は、国に行っても合わせられません。国に、多くの子女、多くの兄弟、多くの夫婦、数多くの父母がいても、そこに心を合わせることができないのです。 国家や世界、どこに行ってもその構成的要素を中心として連結されています。大小の国家形態で形成されているものに連結させるための基礎訓練場が、家庭なのです。 家庭においては、幼児時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代があります。このような系列が世界にもあるのです。国には、たくさんの幼児がいますね? たくさんの兄弟がいますね? たくさんの夫婦、たくさんの父母がいるのです。 それでは、この個人的に訓練を受けた理想的な家庭は、どのようになるのでしょうか? 数多くの民族、国家の中に、家庭はどれくらいありますか? 国家には数千万家庭があるのです。 千万以上の家庭があったとすれば、千万以上の家庭に、「おい、国よ、数多くの家庭よ、私のために生きなさい」と言いながら、吸い込んでしまおうとする人が良い人ですか、それとも数多くの家庭にすべて与え、保護しようとする人が良い人ですか? 自分の家庭のために生きる人は、忠臣の位置に行くことはできません。忠臣の家庭の伝統を受けられないのです。囲いの中で、家庭的な孝子になることはできますが、忠臣になることはできません。 忠臣というものは、数多くの家庭を超えた国の基準において、歓迎を受け、賛成され、昼であれ夜であれ、歓迎されて迎え入れられる家庭でなければならないのです。 自分のために生きる位置にいる家庭が、忠臣の家庭の位置に出ていくことができるでしょうか? 絶対にできません。それゆえに忠臣になろうとすれば、自分の家族全体を連合させて投入しながら、喜ばなければなりません。 犠牲になりながら、母親が子女のためにいちばん貴重なものを与えるように、夫が妻のために生命まで投入してこそ「真」であるというように、その家庭のすべてを投入することを喜びとすることのできる道を行って、国家全体の家庭が「模範的な家庭である、主体家庭である」と歓迎することができるようになるときに忠臣になるのです。 これは理論的です。そのことを知りませんでした。就職して会社に通うようになれば、会社のものをどろぼうしていく者たちが多いでしょう? そのようにしていたら、国は滅びます。 それでは、愛国者になりますか、愛国家庭になりますか? (「愛国者になります」)。愛国家庭にはならないのですか? 愛国者一人と愛国家庭とどちらが貴いですか? (「愛国家庭が貴いです」)。愛国家庭が貴いのです。 愛国家庭が十家庭あれば、その十家庭を中心として、「私のために生きなさい」と言わなければなりませんか、自分が犠牲になって投入しなければならないでしょうか? (「犠牲になって投入しなければなりません」)。皆さん、そのように生きますか? 自分の家庭の中において、祖母は好きで、母親は好きで、だれだれは嫌いだというのではいけません。それは孝子ではありません。父母の代身、祖父母の代身、神様の代身として愛することのできる人が、その家庭の孝子になり、主人になるのです。 神様も関心を持たれて、祖父母も関心を持ち、父母も関心を持ち、兄弟も関心を持ち、その家に住む僕たちも、ために生きる人に関心を持ちます。「私のために生きなさい」という人に関心を持たれるでしょうか? そのような人は、哀れな存在となって滅んでいくのです。 驕慢な人は、地獄の隅に行って後ろ向きに座って、人に会うこともできずに壁を見ています。このようなことは、すべて霊界を知らなければ分からないのです。霊界を知れば、一瞬のうちに分かります。霊界を知りたいですか? 霊界のことをすべて教えてあげても、今、分かる人は一人もいません。 統一教会の人々が行くべき道は、はっきりしています。個人は家庭のために投入し、犠牲になるのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。その家庭は、国家のために家庭自体を投入し、犠牲になるのです。(「アーメン! ) 息子、娘を祭物として、妻を祭物としてささげ、自分を祭物としてささげ、母親、祖父まで連れてきて祭物としてささげ、さらにそれ以上、ささげるのです。(「アーメン」)。自分の先祖まで連れてきて、「祭物になろう」と言うようにするのです。 そのようにすれば、神様はどうされるでしょうか? 「やめなさい」と言われるでしょうか、「そうしなさい」と言われるでしょうか? (「しなさい」と言われます)。それは、いつまでですか? そのように投入し、犠牲になる人によって、そのような家庭、そのような氏族、そのような国、そのような世界、そのような天国をつくるときまでです。 そうすれば、神様が「皆さんを助けてあげよう」と言われるのです。神様も、受けられれば与えられなければならないのではないですか? (息を大きく吸われて)このように吸ってばかりいると死ぬのです。天地の道理がそのようになっています。ですから、それくらい投入すれば、天地の大きな福をすべて自分にもたらしてくださるのです。そして自分は、どんどん膨らんでいきます。 ゴム風船に空気が入ると、ゆっくりと上がっていくのと同じことです。それをずっと続けていけば、自分だけ上がっていくのです。最後は、神様より上にまで上がっていきます。理論的に考えて、神様以上に投入して忘れるならば、神様よりも低くなるでしょうか、高くなるでしょうか? (「高くなります」)。本当ですか? (「はい」) 一九九九年は蘇生十数完結、長成十数完結、完成十数完結の年 よりために生きる人が、中心存在になるというのが天理です。このことを知りませんでした。よりために生きる人が中心存在になるのです。 今までレバレンド・ムーンに対して、世界全体が悪口を言いました。「こいつ、母親の愛を独占している」と言ったのです。サタンが「神様の愛を独占している」と言いながら、やたらに憎むのです。 今まで世界は、文先生に反対しましたか、しませんでしたか? (「反対しました」)。皆さんも反対したでしょう? (「はい」) きょうの題目は何ですか? (「『真の愛自体を解放しよう』です」)。「真の愛がくれるものを、私は受け取らない。あなたがくれようとする十倍のものを私が上げよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 十倍、百倍のことをするならば、真の愛は現れるでしょうか、現れないでしょうか? (「現れます」) そうすれば、逃げなければなりません。そしてどこに行くのですか? することがなくなれば、先生のいる頂上に上がってくるのです。頂上に上がって見て喜びます。「わあ! 本当に素晴らしい。このようなことができる日は初めてだ」と言うのです。本当の愛の天国が生まれたというのです。そうしてこそ、愛も解放されるのではないですか? 世界の人々がために生きると言えば、愛はどのようになりますか? 上がっていくのです。それは可能なことですか、不可能なことですか? (「可能です」)。不可能なことです。(「可能です」)。そうですか? (「はい」) 真の愛を国民として、自分が真の愛の大王になったとしたらどのようになるでしょうか? 神様は、「おい、こいつ! 不良のようなやつ! どろぼう! と言われるでしょうか、どのようにされるでしょうか? 神様のために生きて上がっていったのですか、ために生きずに上がっていったのですか? ために生きて上がっていったならば、大丈夫なのです。 ために生きずに上がっていけば、「この不良! と言われるかもしれませんが、神様もかなわないくらいにために生きたならば、それを呪われるでしょうか、称賛されるでしょうか? (「称賛されます」)。神様も受け入れられなければならないのです。 神様を動員して解放運動をすれば、どれほど素晴らしいでしょうか? 神様も喜ばれなければなりません。ですから、あのようなこと(板書された題目)は可能なことですか、不可能なことですか? (「可能です」) 今からは、先生の八十歳の誕生日……。 一、九、九、九、一度言ってみてください。一(「一」)。九九九(「九九九」)。(板書される)一が頂上になり、すべての九に一を分けてあげればいくつになりますか? (「三十です」) 一は、ここも満たしてあげることができ、ここも満たしてあげることができるのです。ここに上げても、ここにくっつけてもすべて十になるのです。十、十、十です。蘇生、長成、完成です。行ったり来たりすれば、すべて六数が出てきます。 それで一九九九年は、三千から三百、三十まで、すべて円を描く完成数の判を押すことができるのです。 ですから今年は、すべてのものが蘇生十数完結、長成十数完結、完成十数完結の年です。どうですか? 気分が良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手) ですから長子権解放数、父母権解放数、王圏解放数です。今、私が何と言いましたか? (「長子権解放数、父母権解放数、王圏解放数です」) 蘇生世界、長成世界、完成世界まで連結されます。その連結された価値は、千数と対等です。相対数なのです。 それでは、三百数と千数を変えますか、千数一つを持ちますか? 三百数が出ていけば、千数はいくつになりますか? みすぼらしいものになるのです。 それゆえに「一九九九年はすべての幸福の結実、内外共に結実する数なので、この年に私が間違いなく主人の資格を完結しよう。そして愛までも解放しよう」ということなのです。分かりますか? (「はい」) 九十度をはずれた完成品はない 絶対、ために生きる王にならなければなりません。神様の属性には絶対、唯一、不変、永遠があるのですが、その絶対に絶対、唯一に絶対、不変に絶対、永遠に絶対をつけて、さらには神様から出てきた愛までも解放することのできる道が始まるのです。可能性のある理論なのです。分かりますか? (「はい」) それでは神様は、毎日のように仕事をして暮らすのがお好きでしょうか、踊りを踊って暮らすのがお好きでしょうか? (「踊りを踊って暮らすことです」)。仕事は嫌いですか? 踊りを踊るのはどれほど大変なのか分からないのに、そうなのですか? (笑い) 道端で、一人で踊るのは狂った人です。踊りは何ですか? (「二人で踊るのです」)。二人でするのです。踊って歌って喜ぶのです。一人で喜ぶことができますか? 一人で喜ぶのは狂った人であり、一人で歌うのも狂った人であり、一人で踊るのも狂った人なのです。 踊りを踊るのにも相手が必要であり、歌を歌うのにも相手が必要であり、喜ぶのにも相手が必要なのです。それでは、踊りを踊るとき、男性同士で踊りたいですか、男性と女性で踊りたいですか? (「男性と女性です」) それは、だれがそのようにつくったのですか? だれがそのようにしなさいと言ったのですか? それは自分たちで変更することはできません。公式なのです。 公式は、基となる単位を合わせてなしたものですが、公式を変えようとすれば、基となる単位が変わらなければなりません。その基となる単位が変われば、他のものになります。 ですから、女性の前に男性というものは現れず、女性と男性のごちゃまぜのような人が現れるのです。男性でもなく、女性でもない、人でもない、そのようなものは現れてはなりません。男性の前には、絶対的に女性という動物が必要です。女性の前に男性という動物が絶対に必要なのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 踊りを踊ろうとすれば、絶対に相手が必要なのです。歌を歌うのにも絶対に相手が必要なのです。どのような相手ですか? おばあさんと孫がするのですか? それも男性と女性です。おばあさんと孫がするのですか、おばあさんとおじいさんがするのですか? (「おばあさんとおじいさんです」) 孫は相対になりません。相対というものは、常にバランスを取らなければならないからです。バランスを合わせて水平をなしてこそ、相対になります。 男性と女性は、いちばん初めは合いません。男性と女性が共に暮らしたとしても合わないのです。バランスを取らなければならないのです。 この世の中は、関係の因縁を持った世界です。関係哲学実際化時代です。父母関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、外交関係、政治関係、音楽関係、すべて関係という言葉が入ります。水平になるためなのです。 バランスを取って水平になることが継続してこそ、因縁が続きます。ですから、外交世界でだれが勝つのかというと、水平を合わせてあげる人が勝つのです。少し上げてあげる、そのようなことを十回すれば、良心があるのでついてきます。 天地が動く運行法、自然の理知を通して、外交舞台の勝敗の真理も見つけだすことができるのです。 右の目は右の目のためにあるのですか、左の目のためにあるのですか? 片方の視力が一・二で反対が○・三ならば、弱いほうを補充します。右の鼻の穴は、左の鼻の穴のためにあり、左の鼻の穴は、右の鼻の穴のためにあります。すべてが相対的なのです。バランスを取らなければなりません。 バランスを取ることができずに、水平でなくなると、中心が生まれないのです。ですから、家を建てるときは水平になるようにするでしょう? 水平世界は、必ず零点になった所に垂直が降りてきて、縦的な垂直線と横的な水平線が九十度の角度を成すのです。 九十度を四つ合わせれば、三百六十度です。どこに持っていって合わせても、すべて合います。十二角があれば、その十二角をどこに持っていって合わせても、すべて合います。おじいさんやおばあさんの角度もすべて合うのです。 天の頂上から地の果てまで、九十度でなければすべて合わないのです。九十度を中心として、四十五度はオーケーです。いくら大きくても、九十度を外れた完成品はないのです。 皆さんの心は垂直です。心が垂直になれば、体は水平にならなければなりません。垂直が通じるのは直短距離です。水平も、垂直と合わせる所は直短距離です。垂直は九十一度でも、八十九度でも成り立ちません。九十度しか垂直は成り立たないのです。垂直に水平となるのは、横的な直短距離であるので、それは九十度しかありません。 皆さんの心は、垂直の父であられる天の父、神様を父としているのです。神様の愛の前に、完全に一つになることのできる水平の父は、堕落していない完成したアダムです。それで垂直の父であられる神様と、水平の父である完成したアダムが、九十度の角度で出会うのです。 それは上、中、下となるのです。夫婦関係の夫婦も、ぴたっと、この中心を通って左、中、右となります。必ず九十度の角度を中心として通るのです。何のことか、分かりますか? 上下、左右、前後というものは、球形を形成する絶対要因の単位なのですが、その単位が公式化されれば、完全に九十度の角度を経て、一つの点を通らなければなりません。何の点ですか? 中心点です。上下の中心点、左右の中心点、前後の中心点です。それが家庭形成です。親子関係の上下、夫婦関係、それから兄弟、子女関係です。そして、これをすべて取り囲むのです。 親子関係の殻、夫婦関係の殻、兄弟関係の殻、殻は丈夫なのです。しかし、それを裂けば、そのまま裂けるのです。種のようなものは、二またになっているでしょう? 二またになっているのですが、そこを中心として胚芽の中を見れば、十字型になっています。 東西南北、四方に合わせて生命を連結させる根があるのです。それが九十度なのです。それは父の思いどおりにできません。父も母がいなければ生きていけないのです。母も思いどおりにはできません。父がいなければ孤独です。かわいそうなのです。 女性は愛を与えるために嫁に行く きょうの主題は何ですか? 愛を解放してあげよう! 愛は、皆さんについてまわるために、どれほど疲れたことでしょうか? 考えてみてください。アイゴー、臭いにおいの中でもさらに不快なにおい、行動の中でもどうしようもなく不快な行動、人生を生きていくのに、お化け屋敷に蜘蛛の巣が張って、出ていく穴がなくなるくらい、めちゃくちゃにしてしまったのです。完成を願う愛は、それについてまわりながら、どれほど疲れたか、考えてみましたか? 父母の子女に対する愛、子女の父母に対する愛、夫、妻、兄弟、すべての愛が行き違っているのです。愛がどれほど嘆息したのか、考えてみてください。したでしょうか、しなかったでしょうか? (「しました」) 愛を解放するには、一つの公式しかありません。愛自体が愛を解決する道は、永遠にないのです。愛自体も相対がなければ、愛の解決はなされません。ですから、愛よりも相対がもっと貴重です。 全員、愛を持っていますね。生命を持っていますね。(「はい」)。それら自体では分かりません。それらを一挙に爆発させるものは何ですか? お金では生命も愛も爆発しません。何が爆発するのですか? 欲心の爆発です。知識でも、それはできません。権力でもできないのです。ただ愛だけが、愛と生命と血統を爆発させることができるのです。 それでは、皆さんの愛を爆発させて、男性の生命、女性の生命をぐつぐつと沸きたつようにさせるものは何ですか? 生命ですか、愛ですか? 愛の火がついて、二つの生命が一つになって血統と合わさって渦を巻くのです。生命が、愛によって熱くなり始めると渦を巻き、その中に自分の生命の主人によって種が植えられるのです。 男性の生命と女性の生命が出会い、遠心力と求心力が一つになるようになれば、運動すると言ったでしょう? 男性の生命体と女性の生命体が、愛によって運動し始めて回るようになれば、上がっていくでしょうか、下がっていくでしょうか? 上がっていくところに芽が出れば息子になり、下がっていくところに芽が出れば娘になるのです。理論的に合う話です。私は、そうなのか、そうでないのか分かりません。(笑い) それでは皆さん、ために愛しますか、愛を受けますか? どちらがいいですか? (「ために愛することです」)。韓国の女性たちは、嫁に行くときに愛しに行くのですか、愛を受けに行くのですか? どちらですか? 二番目ですか、一番目ですか? (「二番目です」)。愛を受けようとすれば、追い出されるのです。本当です。 愛そうとすれば、万事がオーケーです。しゅうとめは、嫁に自分の息子を奪われて、どれほど悔しいでしょうか? 考えてみてください。しゅうとめが未亡人であったならば、息子を夫の代わり、町内の男性の代わり、弟のようにして、どれほど親しく過ごしてきたことでしょうか? うれしいことやよいことがあったときには、息子が相手になってくれていたのに、小さな女性、滴のような女性が入ってきて、下の部屋に暮らしていた息子を奪い、上の部屋に入って行って夜通しこそこそするとき、しゅうとめの気分は良いでしょうか、悪いでしょうか? 「あの女に、雷が落ちればいい」と考えるでしょうか、考えないでしょうか? (「考えます」) 未亡人のしゅうとめに、嫁は「お母さんは夫の右側に寝てください。嫁は左側に寝なければなりません」と言わなければなりません。愛が慕わしくて生きているのに、独りで暮らせば、どれほど心がめいって暗くなるでしょうか。 一か月、四十日、三か月、百日をそのように暮らせば、しゅうとめの心はどうでしょうか? 夢見が悪くなるのです。しゅうとめを独りにしておいたら、自分の夫が来て、首を絞めて「この女は」と言い、先祖たちが来て、足でけ飛ばすのです。そうなりますか、そうなりませんか? 霊界があるならば、そうなるようになっているのです。ですから、嫁に行って「愛そう」という女性は、その家の主人になりますが、「愛を受けよう」とする女性は、追い出されるようになっているのです。 女性は、愛を受けなければなりません。愛を受けようとすれば、愛さなければならないのです。愛して受けるのが良いですか、愛さずに受けるのがいいですか? (「愛して受けるのがいいです」)。愛さずに受ければ、どろぼうになります。商売で資金をすべて使い果たすのと同じことです。 これは理論的なのです。それゆえに統一教会員は、嫁に行くときに愛を受けに行きますか、愛しに行きますか? (「愛しに行きます」) 愛を受けるために生まれたのですか、愛するために生まれたのですか? (「愛するためにです」)。私たちが他の人にご飯を与えるのが気分が良いですか、もらって食べるのが良いですか? 愛も与えるのがよいですか、もらうのがよいですか? (「与えるのがよいです」) 一九六五年のことですが、私が約婚のときにお母様に指輪を上げられなかったので、世界一周をする前に小さな指輪を上げたのです。〇・五カラットのものしか上げませんでした。しかし、それで体面が保てるでしょうか? それでオランダに行ったときに、原石をいちばんうまく磨くダイヤモンド店に入っていって、いちばん色の良いものを買いました。それを買って指輪をはめてあげたら、お母様はどれほどうれしかったのか、その後、だれに上げたのかも覚えていません。(笑い)すべて上げてしまったというのです。 そのような女性と一緒に暮らすのは良いことでしょうか、追い出すべきでしょうか? (拍手)お母様の愛が、ダイヤモンドより何十倍も大きいということを学びました。「おお! 私もそれを知らなかったのに……」と驚嘆したのです。 服も日本に百二着、上げました。韓国、祖国領土でのお母様の宝物であり、国宝級のものですから、すべて記録しておきなさいと言っておいたのです。 ところが、「日本の女性たちがかわいそうなので、服を一着上げてもよいですか?」と言うので、「上げるなら上げなさい」と答えたのですが、百二着すべて上げてしまいました。 それは一着、何千万ウォンなのか、私は知らないのですが、十億、百億出しても買えない服なのです。歴史以来、お母様が着ていた服は、その一着しかないのです。行事のときに着ていた服です! それを上げてしまったら困るのです。持っていった人は、きちんと保管しておかなければなりません。(録音がしばらく途切れる) その服を着ていたお母様の骨があったなら、その骨と何千億とを取り替えますか? 何のことか分かりますか? お母様の骨がその服以上に貴重であり、お母様の墓場がもっと貴重であるということです。 服は、いくらでも占領したとしても、千年万年、愛のお母様の墓場は占領する者がいないのです。ですから、その服を愛する以上に、日本の後孫たちはお母様を愛さなければならず、真のご父母様を愛さなければならず、祖国光復に対して忠孝の道理を伝統として残すべきです。そのような意味で、先生はよいと思うのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 愛の主人 愛の主人はだれでしたか? 今日の堕落した世の中は、愛の主人を知りません。母親の愛の主人は、夫の愛の主人、息子の愛の主人はだれだったのですか? (「神様です」)。神様は見えますか? 心があることを、分からないではないですか? 実体を見て、心もこのようになっていると考えるのです。 愛の主人を知っている人は、手を挙げてください。もちろん、神様は神様なのですが、神様は根なのです。根だけで愛が成り立ちますか? 主体がいて、いくらその主体がりっぱであっても、主体だけでは、愛に出会うことは永遠にできますか、できませんか? (「できません」)。そうです、できません。 それでは、愛の主人はだれですか? 知りたくないですか? (「知りたいです」)。神様を完成させることのできる愛の大王は息子、娘です。愛を知らなければなりません。相対がいなければ、愛を見いだす道がありません。夫婦がオシドリのように仲が良くても、息子、娘がいなければ、その夫婦は子女を愛する愛を捜し出す道がないのです。永遠に見付け出せません。 子女という存在が、子女を愛することのできる母親の愛をつくってくれる主人なのです。それを知らなければなりません。母親の愛をもたらしてくれた主人は、母親ではなく、子女であるということです。 韓国では、女性を「内の主人」といい、男性を「外の主人」といいます。「内の主人」の中で、「内の主人」に自分自身で自らなった人は一人もいません。夫を通して「内の主人」になったのです。 「内の主人」をつくってくれたのは、絶対的に夫の恩賜であるということを知らなければなりません。それを知らないので、自分勝手に暮らしているのです。「外の主人」も、一人では絶対に「外の主人」になることはできません。妻を得ることによって、「外の主人」の位置を定めるようになるのです。 このように「内の主人」、「外の主人」になることのできる愛の主人は、自分たちから始まったのではありません。相対から始まったものを捨ててしまうということは、永遠にあってはいけないことです。そのような愛の心を、「外の主人」以外に上げるのは道を外れたことです。主人を打ってしまうことです。主人をなくしてしまうことです。 天理の前に、破壊的な存在、公認を受けることのできない存在として消えていかなければなりません。先生がいくらりっぱでも、一人で妻を愛することのできる位置に行くことはできません。子女を愛することのできる位置に行くことはできません。神様を愛することのできる位置にも行くことはできないのです。 神様が私を愛されているので、神様を愛することができるのです。愛の主人は、私からではありません。相対からきた愛の位置を無視するのは、堕落の群れです。地獄に行かなければなりません。 神様を解放してさしあげる息子となる きょう、先生は八十回を中心として三百六十度回り、青少年を中心としてエデンに帰ります。青少年の淪落と家庭破綻を復帰するためです。 今までは、愛の主人を知らなかったので混乱が起きたのです。これを整理して帰ってこそ、地獄の世界で百八十度回って、天上世界に行くことのできる方向が設定されるのです。(「アーメン! )。永遠に、アーメンと言わなければなりません、永遠にです! (「アーメン」) アダム・エバは、一人の男性と一人の女性でした。その一人の男性と一人の女性の功績がどれほど大きいかということを知って、皆さんは賛美しなければなりません。その二人の男女が、神様に子女の愛をもたらした主人なのです。子女の愛です。昔は神様も、双子の赤ん坊のように性相と形状が育ちました。兄弟のように育ちました。 神様の兄弟愛の愛の主人を、その位置に立たせたのはだれかというとアダム・エバなのです。アダム・エバが大きくなり、結婚するとき、神様も結婚されて愛の主人の位置を占められることができるのです。結婚できなかったので、問題になりました。それゆえに父母の位置に行かれることができなかったのです。 それでアダム・エバが子女の愛、兄妹の愛、夫婦の愛、父母の愛を神様の前に成してさしあげるべき責任を果たせなかったので、神様は愛の主人の位置が一つもないのです。 子女の愛、夫婦の愛、父母の愛の位置を体験できなかったかわいそうな神様です。なぜ、孤児はかわいそうなのですか? 父母がいたら、どれほどいいですか。子女の愛から兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛をすべて実体化することができるように見本を見せてあげ、教えてあげられる主人がいれば、相続して余りあるのです。ところが、そのような主人がいないので、かわいそうなのです。 夫がいなければかわいそうだというのは、どういうことですか? 夫の愛を見いだすことができないからです。また「内の主人」になれません。それでかわいそうだというのです。分かりますか? 姉妹がいないで兄だけいるのではいけません。姉が必要であり、すべて必要です。そうしてこそ、東西南北、四方の愛の主人の位置を占めて天の前に立つことができるのです。 「神様! 私という存在は、神様の赤ん坊時代、幼児の時代の愛を完成させることのできる主人です。この主人を愛によって、あなたの前に植えつけてさしあげます。私の代わりに主人の役割をしてください。私が私を愛することはできないので、代わりに私以上に愛してください。よりために生きる位置において大きいものが出てくるので、もっと大きい愛を受けるために、私がよりために生きます」と言うのです。 そして、私によって神様の幼児を愛することのできる愛の主人になり、兄弟を愛することのできる愛の主人になり、それから夫婦として愛し合うことのできる愛の主人になり、父母を愛することのできる愛の主人になれば、天下万事がすべて東西南北に定着できます。 しかし、神様は喜びが定着できる位置を定められることができなかったのです。ですから、堕落というのは、どれほど途方もないことでしょうか? アダム・エバは万年の一人息子、一人娘なのです。 七代の一人息子が死ねば、村中が、軍隊までもが慰労してくれるのに、天地を主管できる天の国、王宮の国の王子王女、息子、娘を一度に地獄に放り込んでしまったのです。 血統が変わることによって、サタンの幼児の愛の主人となり、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛をサタンが編成してしまったのですから、どれほどあきれたことでしょうか? 皆さんは、それを考えなければなりません。 父親、母親、兄弟、一族が滅亡したのです。愛を体恤することができる立場を失ってしまった、そのような神様の位置において、これを復帰するために血のにじむ苦難の道、逆説的な路程を開拓されて、今まで何千万年間過ごしてこられたのです。 そのような神様の労苦がどれほど大きいか、考えてみてください。人類の解放とともに、神様が解放されるということを知らなければなりません。 皆さんの家庭が解放されるということは、家庭を失ってしまわれた神様の悲しみを、私が慰労してさしあげるということです。一族を解放するということは、神様の一族を受け継がせようとされて果たせなかった悲しみを、一国を建国するということは、失ってしまった神様の国を取り戻し、解放してさしあげようということなのです。 先生の生涯は、失ってしまった天宙を取り戻して、神様を解放してさしあげていることなのです。自分の願いはありません。自分の考えはありません。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。死ねと言われれば、直行するのです。逃げようとはしません。 そして神様を完成させるのです。神様ご自身が、サタンの自然監獄に閉じこめられているのと同じことなのです。囚われの身になられたのを、解放する息子になってこそ、解放されない恨を抱かれていたかわいそうな神様が、終わりの日に家庭と世界と天宙において解放されるのです。 その神様を中心として家庭の愛、氏族の愛、民族の愛、国家の愛、天宙の大きな愛の法度を中心とした主権を立てた所において、万民平等の幸福の基地となり、地上と天上世界に一元化されるのです。(録音状態不良で一部整理できず) ……青少年を収拾する方法がありません。家庭を収拾するすべがありません。それは先生の特許権です。それは、大学者であれ、だれもできないのです。彼らは霊界を知りません。先生が必要ですか? (「はい」)。どれくらい必要ですか? 先生の名前だけを持って、いくらそのように話しても成し遂げられません。先生の前に接ぎ木されなければなりません。 歴史の主流を通して、大海と連結されてこそ、地上天上の解放圏がなされるのです。大海は解放圏を備えています。支流はありません。黒潮を中心として太平洋を回りながら、五大洋がたゆまなく流れているのです。 天地の道理が、原則を中心として主流の中心的な基準になってこそ、その主流の方向を通して統一的世界が展開されるのです。自分の思いどおりにはできません。 孝子とは何ですか? 家庭に入って、父親、母親に愛を体恤させることのできる代表者です。私によって、兄の前に愛の主人になることができ、父親、母親の愛の主人になることができるのです。私によって、愛するようになるのです。そうしてこそ、孝子になります。 孝子というものは、自分一人によって母親の代わりに愛することができ、兄の代わりに愛することができる全体の代表的な基準に立って、それを植えつけてあげる役割ができるのです。孝子は、自分の家庭のすべての相続を受けた基礎になり、中心存在になるのです。 父母がどこに行くにしても、鍵やすべてのものを、その人に預けて行きます。それは、ために生きる人なのです。なぜ、ために生きなければならないのですか? 生まれたものの中で、自分のために生まれた存在はありません。 「上」と言うときには、その「上」というもの自体だけを考えて言うのではありません。「下」を先に認定してから言う言葉なのです。 「上」と言うときには、先に「下」というものを認定して言うのです。「右」というものが先に認定するものは、「左」です。左側を認定してから、右側というものを決定するのです。前後もそうであり、すべてそうなのです。女性というものは、先に男性を認定してから言うものです。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」) 男性ということも、女性を先に認定して言う言葉なのです。息子、娘ということも同じことです。自分を中心として結論を下したものはありません。相対を中心として、相対を通して自分の存在圏を認定するようになっています。 すべてそのようになっているのです。それを根拠とすれば、雄雌も同じです。プラス・マイナスも同じです。プラス・マイナスになっているのは何のためですか? 愛のためです。雄雌が一つにならなければなりません。何をもって一つになるのですか? 生殖器なのです。 家庭で天国に入る 今から祝福家庭は、自分の先祖を解放する時代が来ます。百二十代までです。今回教えてあげたことは、先生が八十歳を越えれば、天地が「合徳時代」になるということです。先生が八十歳になるまでに、すべてを終えなければなりません。一代で終わらせなければなりません。それを終えなければ、大変なことになります。霊界を完全に解放するのです。 家庭が天国に入るようになっています。夫婦で天国に入るようになっているのであって、一人で入ることはできません。地獄の門と天国の門を、すべて開いておくのです。回りながら上がっていきます。自分の先祖たちが列をなして、番人となり、案内してくれるのです。 昔は、サタンが自分の欲望の穴を掘って、千年、万年行くことができないようにしていました。そして、サタンが人間に使いをさせていたのです。それをすべて撤廃してしまいました。それはうそのようですが、そのようになるのです。見ていてください。それはなぜですか? 霊界の事実がどのようになっているのかをよく知っているからです。それをしなければ、後代になって引っかかります。 子女がいなければ、その父母は永遠に、子女を愛することのできる愛が分かりません。男性を愛することのできる女性になれません。そうですか、そうではないですか? その張本人が絶対主人なのです。一つしかない、アダム・エバなのです。その二人だけです。父母を中心とした三人です。その原則基準に合わせて生きていかなければなりません。それがジャルジン第二宣言である絶対家庭なのです。 初愛が貴いのです。初愛を中心として、父母も精誠を尽くすのです。神様を解放させるのは、息子、娘しかいません。その息子、娘を通して子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛を感じるのです。神様は、そのように育ってこられました。 見えない神様の幼児時代を、実体の幼児を通して感じられます。幼児から兄弟時代を経て夫婦時代、父母時代です。父母時代に向かって創造を始められたのです。 見えない過去の時代を、見える実体を通して再現し、昔の歴史的な自分という存在の、根源的な愛の主体と対象に出会い、それを愛することのできる主人の位置を復帰しなければなりません。それを切り離すことはできません。永遠に切り離すことはできないのです。 男性として生まれて、父母がいなければ子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛まで行くことはできません。父母がすべて育ててくれます。そのように父母は貴いのです。 愛の主人を絶望させてはなりません。父母自体が私を通して子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛まで見いだすのです。三代にならなければなりません。おじいさん、おばあさん、夫婦、三代が四位基台なのです。 子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、夫婦の婚約段階の心情まで、先生を通して感じなければ復帰ができません。帰ることができないのです。エデンの園で暮らしていたように、育ててあげるのです。それで真なる姉妹をつくって、真なる妻をつくってあげなければなりません。それが先生の責任なのです。 そして、先生がとても愛している姉妹たちを、天使長である男性に任せるのです。ですから三年間、女王として侍らなければなりません。そうでなければ、天上の法に引っかかります。先生も同じことです。すべて守り、すべてを解いて、公式をつくっておいたので、公式のとおりに行かなければなりません。 愛の主人は「私」でした。男性、一度言ってみてください。愛の主人は「私」でした! (「愛の主人は「私」でした」)。愛の主人は「私」でした! (「愛の主人は「私」でした」)。男性と女性がいなければ、愛は成り立ちません。これが父母です。父母から下りてきて育っていかなければなりません。 子女時代から兄弟時代、結婚時代、そして父母に上がっていくのです。その過程を経て、そのような位置に行くのです。これは一つの種と同じです。種の結実が子女なので、子女も父母に伝授されるのです。父母が子女を愛することによって、子女を愛する主人、兄弟を愛する主人、夫婦を愛する主人に父母がなることができるのです。すべてのものを父母が持っているので、それを父母から伝授されるのです。 男性と女性の行くべき道 それが千年万年の代を継ぐようになります。それを混ぜることはできません。兄弟と夫婦と換えることはできません。子女と兄弟を換えることはできないのです。兄弟時代は分かれなければなりません。分かれて、自分自らの道を行くのです。男性の行くべき道、女性の行くべき道を準備しなければなりません。 学校も別々にしなければならないのです。堕落した世界において、男性と女性が一緒に勉強するのは良くありません。本当の愛に対する神秘的なものを、すべて失ってしまうのです。 先生は、男女共学をなくします。そうしなければ、愛に対する神秘性が分かりません。それは、本で説明しても分からないのです。蜂蜜の味がどのようなものなのか、味わってみる前は分からないでしょう。口のきけない人でも、蜂蜜の味は分かるのです。いくら病気の身でも愛の味は分かるのです。その味は平等です。永遠に平等です。それに流されない人はいません。そこに引っかからずに入っていく人はいないのです。 あなたも引っかかりましたか? どうですか? 「愛」といえば、だれもがそこについて行きたいのです。独りでは愛することはできないので、男性は死んでも女性について行き、女性は死んでも男性について行きます。父母を捨てて、町を捨ててでも結婚しなければならないのです。 女性たちは種をもらいに行きます。自分の家門の種をもらってはなりません。それは良くありません。遠い所に嫁に行かなければならないのです。 渡り鳥がそうです。渡り鳥は、南半球に虫が多いのに、それを捨てて寒帯地方で冬を過ごし、春に訪ねてくるのです。寒い所を克服して力がつくのです。そして、ここで繁殖した餌も丈夫なので、子供も丈夫なのです。それで渡り鳥が生まれたのです。 それゆえに、遠くに嫁に行かなければならないのです。国際結婚すれば、美男美女が生まれます。本当です。極というものは、中間では極ではありません。北側の果て、南側の果て、東西も極です。極が生まれ、それゆえに回るのです。 結婚するときに、男性と女性が同じような人であれば陥ってしまうのです。上がっていくことができません。気性の激しい女性は、穏やかな男性と結ばなければなりません。目を見ても、鼻を見ても、穏やかさがあふれ出ている男性と結婚しなければなりません。そのように相対的に迎えなければならないのです。 愛の主人はだれですか? 愛というものは、自分一人で求めることはできず、相対を通して主人の位置を訪ねていくのですが、その主人とはだれですか? 自分が主人の位置にいても、その主人の位置をつくってくれたのは息子なのです。息子が母親の位置をつくってくれます。母親が息子の心の中に愛を見いだすことのできる母親の愛を植えてくれるのです。 愛は自分から出てくるのものではありません。ですから、息子を無視することはできません。それが、愛の生命よりももっと貴いからです。息子のために、その愛を失ってしまってはならないのです。愛を守るためには、母親が生命までもささげなければならない、という論理が出てきます。 このことを、今まではっきりと知りませんでした。これが分かれば、私がサタン世界で滅びる者なのか、天の世界で復興できる者なのかを知ることができます。興亡盛衰の起源がはっきりと区別されるのです。 今からは、このことを知らなければなりません。愛は、自分によって復帰されるのではありません。息子がいることによって息子を愛し、夫がいることによって夫を愛して、妻として「内の主人」になることができ、母親になることができるのです。また、一人の夫がいるがゆえに、母親になることができ、妻になることができ、息子を持つことができるのです。 そのような三代を経て、主人の位置を持つようになります。主人になった者を追い出すことができますか? 絶対にできますか、できませんか? (「できません」)。簡単なことです。 夫も同じです。妻がいるがゆえに、父親になることができ、夫になることができ、息子を持つことができるのです。そのような伝統的な愛を持ち、お互いに夫婦になることによって、連帯的責任を共に完成することのできる家庭基盤を持ったという事実を、天下に誇ることができるということが代表的なことであることと知らなければなりません。(「アーメン」) 愛は、自分によって始まるのではありません。そのような伝統を持ちながら、浮気することができますか? 愛が自分から生まれたという道理はありません。寡婦や男やもめがかわいそうだというのは、そのためです。結婚できなければかわいそうなのです。兄弟がいなければかわいそうなのです。なぜですか? 愛の定着基地がないからです。 愛の相対圏を成すことができなければ、宇宙の中に消えてしまうのです。存在の基盤を歴史とともに残すことができるという、驚くべき位置を策定できたということは、結婚した妻によるものなのです。 そこから母親の愛が始まり、夫婦の愛が始まり、子女の愛が始まります。父親が子女を愛することができ、女性を愛することができ、先祖を愛することができる伝統を受け継ぐのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 真の愛自体を解放しよう それゆえに、宇宙を愛しなさいというのです。宇宙のために生きなければなりません。ために生きるところから、愛が始まるのです。自分の生命圏を越えるところから、真の愛が始まります。(録音が頻繁に途切れ、一部整理できず) それで、イエス様は死なんとする者は生き、生きんとする者は、何と言われましたか? (「死ぬです」)。死なんとしましたか? 死ぬ境地に自分を追い込むのです。 過去の旧約時代、新約時代、成約時代において、祭物は所有物なのですが、神様とサタンがこの宇宙の存在物を分けて持つようになったということは、悲惨な事実なのです。だれのせいですか? アダムとエバ、男性と女性のふたりのためです。このふたりの夫婦は、そのことを清算しなければならない共同的な責任が連結されているということを知らなければなりません。 それでは、成約時代とは何ですか? 物質は旧約時代であり、息子は新約時代であり、自分たち夫婦が成約時代です。このすべての完成をしなければなりません。所有権はなく、あるだけの物すべてを神様の物として、総生畜献納しなければなりません。 結婚する前に、所有物は神様の所有であり、アダム・エバの所有でした。真の愛を持って、真の愛を先立ててこそ、所有権が決定されるのであって、物を中心としては決定されません。息子、娘を中心として犠牲になり、真の愛の安着地を取り戻していく歴史時代なのです。 そのような標準に一致できるよう、統一家の祝福を受けた群れは、世界のどのような国境を越えたとしても、一体化した理想的な観点から、この公式過程をすべて通過すべき勝利の家庭、勝利の天国形態に拡大していき、宇宙解放にまで至るのです。アーメン。(「アーメン! )(拍手) ですから家庭において、愛の主人の位置をすべて取り戻し、国の愛の主人の位置を成すのです。その愛の主人の位置は同じです。国家にもその公式を拡大しなければならず、世界にもその公式を拡大しなければならず、世界のメシヤの愛の理想圏も、家庭において成すのと同じ公式で拡大しただけなのです。 あの世に行っても、神様に侍って暮らすということは、そのようにすることなのです。家庭において成したのと同じように、膨大な天国全体のために投入して忘れる愛を持って生きる人は、天国のどこに行っても解放され、愛までも自分の後ろに従ってくるようになるのです。それが愛の理想です。 皆さんが家庭に行こうと、神様の宝座に行こうと、どこに行こうと、皆さんに侍ってついてくるのです。そのようにして、真の愛自体を解放することのできる位置が生じることによって、万宇宙解放、天上解放、地上解放、完成が成立するのです。アーメン。(「アーメン」) ですから、個人のために、家庭のために投入し、氏族のために投入し、民族のために投入して忘れる、そのように継続していけば、後に愛までも私のために生きて敬って暮らすことのできる時代に進むのです。 愛の目的がそのようになっています。完成さえさせてあげればよいのです。完成させて敬い、そのように生きていこうというのです。そうすれば解放されます。分かりますか? (「はい」) そのようにできる日のために前進、前進を誓う、そのような先生の八十歳の誕生日、お母様の五十七歳の誕生日を祝賀する記念日にならなければなりません。アーメン7 (「アーメン! )一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.13
コメント(0)
三億六千万双祝福式 祝祷1999年2月7日 愛する天のお父様 きょう、一九九九年二月七日、この日、天地が注視する三億六千万双の祝福を記念する式が開かれています。 全人類と全天上世界で祝福を受けた家庭が、共にこの場に参席し、天地の新しい解放の日、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰を越えて、創造本然の神様を中心とした、天地父母を中心とした、真なる愛を中心とした愛の主権の統一世界に向かう、お父様の御旨を完成させることのできる、世界史的転換の時点にあるこの場でございます。 エデンにおいて悪なる先祖によってなされた、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を受け継いだ人類歴史の中で、サタンの主導下にあったすべての天宙を、全霊界と全人類が心を一つにし、再び復帰しなければなりません。これを復帰するために神様は、旧約時代を経て、新約時代、成約時代……。アダム家庭において、神様と父子の関係をなすことのできる血統的因縁を結べず、堕落し、これを失ってしまったのです。 父子の関係が、父の愛、父母の生命、父母の血統を結ぶ場において成立するはずでしたが、この場を人類始祖が誤ることによって、偽りの父母の立場でサタンと血統的因縁を結び、サタンの父、サタンの子女、サタンの家庭をもち、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いでしまったのです。そのような歴史的な恨みの歴史が、アダム家庭から始まりました。 そのことによって、私たち人間の体と心の闘いが始まりましたし、夫婦の闘いの環境、父母と子供との間に闘いが出発し、アダム家庭、第一代家庭において、カインとアベルの殺戮戦が始まったのです。それゆえ、全人類は、家庭から氏族、民族、国家、世界の版図まで、民主世界・共産世界として対峙し、上下の世界に、混沌とした末世に置かれるようになってしまったのでございます。 このような渦中、今日、統一教会を立て、旧約時代になせなかった御旨、新約時代にあなたの理想の王圏を立てられなかったことを、成約時代を迎えることにより、真の父母がこの地に来て、地上の未完成、天上の未完成を完結して、地上の解放的神様の名から、真の父母の真なる愛と生命と血統的因縁を復帰したのでございます。 そのために、堕落した世界において野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木し、天の血族とつなぎ合わせ、天の眷属(一族)を見いだそうとする神様の御旨に従い、統一教会では結婚を誤ったことを再生させるため、真の父母の名で、世界万民を一兄弟眷属とするために、世界合同結婚式を始めたのです。 そして、今まで迫害の路程を歩んできましたが、神様が保護してくださり、個人的反対、家庭的反対、氏族的反対、民族、国家、世界、天地、サタンの地獄圏まで、反対するすべての存在を退けました。 そうして、神様の真なる愛を中心とした血統的因縁をもつことによって、父が息子を直接保護するように、今日、統一教会はそのような多くの迫害路程の恨みを、個人として踏み越え、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙史的峠を踏み越え、人類全体を代身して真の父母の名で、超宗教、超人種、超文化、超国境を越え、天と地が共に、解放的祝賀を、三億六千万双の祝福の因縁をもつことのできるこの恩賜を、本当に、本当に、本当に感謝申し上げるものでございます。 霊界の二百億を中心として見れば、五百億の天の父母、兄弟、子女たちがおり、地上の三億六千万双、四億を超すカップルを中心として見れば、八億以上を超す、一家庭に四人ずつと計算しても、三十億を超す、このような数でございます。この者たちが混乱した世界を救い、混乱した歴史を再創造するためには、青少年問題と家庭問題を再び確立しなければなりません。 世界全人類が祝福に同参できる環境的与件を越えて、すべての人々が、天の眷属として祝福を受けることのできる、この驚くべき役事を成就したのは、統一教会のだれかがやったのではなく、天と霊界全体が協助してなされたのでございます。 このすべての勝利の覇権を、永遠に、永遠に、永遠に保ってくださり、万世の栄光の愛の主権と共に、祝福され解放されたこの者たちによって地上天上天国をなしてくださることを、懇切にお願い申し上げます。 ここにいる三億六千万双の結婚する世界の人類が、一心団結し、心の統一、夫婦の統一、氏族の統一、民族の統一、国家の統一、世界の統一、天宙の統一、地上の真の父母と神様の愛の一族圏全体を代表し得る、愛の統一の核心として立ててくださり、万世にあなたが願われた創造理想的愛の主権、地上天国を完成するための祝福された群れとなりました。 それゆえ、この者たちがこの場から今、あなたの前にこの全体の御旨を受け継ぐことのできる真なる個体となり、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、父母と子供が一つになり、祝福された世界の兄弟たちと一つとなって、地上天上天国を完成する、神様の選ばれた息子・娘になるよう祝福しましたので、永遠に、永遠に、保護してくださり、勝利の場に、栄光の場に、前進前進、祝福を加えてくださるよう、真のご父母様の御名によって三億六千万双の前に祝福いたします。アーメン。アーメン。アーメン。【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.12
コメント(0)
世界平和実現の時代をぱっと開こうこの講演文は1999年2月6日、ソウルのロッテ・ホテルで開催された「世界平和超宗教超国家連合」の創設大会で語られたみ言です。 全世界からおいでになられた各界の著名な指導者の皆様! きょうこの場で、私が発議した「世界平和超宗教超国家連合」創設大会を挙行する運びとなったことを大変うれしく思います。公式的に発議したのは昨年でしたが、私は数十年間この志を抱いて準備してきました。 過去四十年間、私が展開してきた超教派、超宗派活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に願ってきた平和世界実現でした。平和に対するヴィジョンは超宗派運動の核心です。 人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。 しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和時代に連結されるのではないということを知るようになりました。世界のあちらこちらで、激烈な戦争が起こり続けています。今も、前ユーゴスラビアと中東で、またスーダンや南アジア等の地で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。 現代において宗教的な理想の実現は、しばしば世俗権力と一定の距離をおいて活動してきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして受け入れています。しかし、世界平和理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと思われます。 いかなる国際機関よりも、国際連合が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために共に働くあらゆる国の代表者たちが集まっています。 しかし、国連で国家代表者たちが世界平和を実現しようとする努力は、相当な障害を抱いています。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけないでしょうが、国連自体が改善すべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し尊重する関係が切実に必要な時となりました。 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。体と心が戦わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様に似たその息子と娘であるからです。神様は心と体が戦いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や藤があり得ません。 心と体が統一体となる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」というみ言も、神様を中心として心身一体理想を成し遂げたことを前提とします。 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤しながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害する犯罪も、ここから由来しました。 歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との間の戦いでした。このようなカイン側、アベル側の戦いは必ず終息し、原状に復帰しなければならず、心と体の対決も終わり、調和一体として復帰されるべきです。 個人の心と体が統一されるべき原理を、世界的な次元で適用、実践しなければならないのです。この目的のために、私は世界平和を具現する、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と、体の世界を代表する「世界平和連合」などを創設しました。 人間の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないので、社会的、政治的解決だけでは常に及びません。大部分の人間社会が政治的に統治されていますが、その反面に大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。事実、大部分の人々の胸中には、宗教的な忠節が政治的な忠誠よりはるかに重要性をもっています。 今や宗教は、世の中でその真正なる指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、深い自己反省をまずすべきであると思われます。宗教人たちが愛の実践の手本となることができませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益に汲々としたあまり、世の中のすべての救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が要求される時です。 神様は、我々指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が一つの心となり、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。 体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけでなく、心と内的な世界を代表する世界宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成され得るのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。おそらく、両院制の形態をもった国連を想像することもあるでしょう。 国家代表でなされた既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院に代えて考えることができます。著名な宗教指導者と文化界、教育界など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することも考慮してみることができるのです。このとき、宗教議会は地域的な個々の国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁すべきなのです。 両院が相互に尊重し協力することによって、平和世界の実現に大きく寄与できるのです。世界指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とヴィジョンにより効果的に補完できます。 私は、宗教指導者の道徳的ヴィジョンと手本となる生活が、天上世界、あの世にだけ向かうのではなく、この世で真正な幸福と永続する和平の道を超宗教、超国家を論ずる価値観で教育しつつ、世の中に光とならなければならないと確信します。 宗教指導者たちは、もっている偉大な伝統の神聖で貴重な知恵を相続し伝承するだけでなく、また天を手本として私心のない奉仕生活をする理想的指導者となるべきです。宗教指導者であれ、政治指導者であれ、最も大きい欠格事由は無神論的利己主義であることです。 私は、世界宗教議会を継続して開催しながら、超宗教、超国家的に神側の真の愛の教育に努力してきています。そして、昨年は、世界の宗教指導者たちが率先して、全宗教人が七数の単位の献金をし、世界平和基金をつくることに率先しようと提案しました。国家の経済事情や個人の事情によって差異はあり得ます。七ルーブルでも良く、七百万ドルでも献金することができます。全宗教人が、心を集めて基金をつくり、この基金で平和の知恵とヴィジョンを教育し、また真の愛の理想と真の家庭の価値を促進するために、共に効果的に働くことができるのです。 尊敬する指導者の皆様! 私たちは最高の宗教的知恵の表現が、世界の最も深刻で緊急な問題が扱われる委員会に上程される、そのようなシステムを実行するために、共に志を集めて働かなければなりません。このようなシステムは、国連機構の中に宗教指導者たちの委員会を創設することによって成し遂げることもできます。このような様々な目標を現実化するための最初の措置として、皆様がきょう、「世界平和超宗教超国家連合」を創設してくださることをお願いいたします。 併せて、この高貴なる理想を実現していくにおいて、皆様の経験と知恵、そして努力を傾注してくださることを心からお願いいたします。特に、宗教界は、「ため」に生きる真の愛を教育することに力を注いでくださることをお願い申し上げます。 「世界平和超宗教超国家連合」が世界平和実現に決定的な寄与をすることを確信しつつ、皆様と皆様の御家庭、そして、なさるお仕事の上に神様の祝福が共にあらんことを祈願いたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.12
コメント(0)
生と死についての理解99.02.05 '99 世界文化体育大典 開会晩餐会基調演説 韓国・ソウル 尊敬する議長、各分野を代表する世界指導者、内外貴賓、紳士淑女の皆様! '99世界文化体育大典に際して、全世界各国から尊敬される指導者の皆様がこのように参席してくださったことに対し、本大会の創始者として深く感謝申し上げます。 新しき千年を展望する人類は、平和と繁栄のために愛の文化、心情文化世界を指向しなければならないと見ているのが、私の所信です。その点から「家庭倫理と世界平和」をテーマとして開催する本大会は、大きなが意義があると思います。 望ましい愛の文化が定立されるための条件はたくさんあるでしょうが、道徳と精神的価値を復興させ、家庭の和楽と安定をなすことが先決要件となるでしょう。 個人の道徳的生活の基準や、家庭、あるいは社会の倫理基準が絶対価値を中心として確立されるためには、正しい世界観と宇宙観が定立されるべきでしょう。今回私は、歴史以来全ての人々が腐心してきた問題である、人間の生と死について見解の一端を述べようと思います。 私たちは、この地上に生きていますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあります。間違いなく、霊界はあるのです。そして、この地上と霊界は全く別な二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。私たち人間は霊界から生まれたがゆえに、再び霊界に帰らざるをえないのです。 韓国語では、おもしろいことに「死ぬ」という意味に「帰る」という単語を用います。どこに帰るというのですか。これは単に共同墓地に行くことを表しているのではありません。 元来、人生の出発した本来の所に戻るという意味です。遥か遠くの歴史の起源を越えて帰るということです。かと言って、韓国人として生まれたから韓国人として帰るという意味ではありません。 われわれ人類の祖先の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち、創造主がおられるならば、その創造主のおられる所に帰るという意味です。そこから出発したからそこに帰るわけです。 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな渓谷を通って流れるようになり、さらにはいろいろな川を通って大海に流れ込みます。 大海に流れて込むようになったその水は、水蒸気になってまた戻るのです。このように循環運動を通じて、より高くなれる所へ、より良くなれる所へと帰ることを願うのです。 では、私たちが行って永遠に暮らすべき所はどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界を目指しているのです。私たちはこの世に生まれると、10代、20代、30代、そして壮年、老年時代を経るようになります。 このように青春時代を過ぎ、壮年時代を経て老年の峠を越えながら、沈む太陽のように一生を終えるようになります。 しかし、霊界があるという事実の分かる人たちは、地上で肉身をまとって暮らす一生はつかの間であり、死んだ後に私たちが迎えなければならない世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での一生の期間というものは、永遠の世界を準備するための準備期間なのです。 学生を例にしてみれば、その学生が一つの学期、あるいは一つの学年を終えながら学校が制定したすべての学科の単位を取るべき単位の基準があります。 その最高の基準を100点としてみるとき、その基準にその学生の単位がどれくらい到達しているかを比べることによって、学校に認められる学生にもなるわけです。しかし、単位に満たないパーセンテージが高ければ高いほど、その学生は学校の定めたその価値基準から遠ざかるのです。 このようにすべては、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっています。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校で良い成績を取るために準備する期間のようなものです。つまり、私たちの全生涯を歩んで、単位を取る準備期間ということになります。 すなわち、私たちの一生を巡って責任が追求されるある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、毎日私たちは生涯路程を歩んでいるのです。ところが大抵の人々は、本来人間がこの世に生まれ、生きては逝くべき本然の世界がどこであるか、はっきり分からずにいます。すなわち、死後の世界があるのかないのか、神が存在するのかしないのかも分からいままに生きているのです。 皆様! 私たちは皆いつかは霊界に行くようになっています。実は見てみれば、その霊界は一つの国なのです。地上世界のようにいろいろな国に分かれているのではありません。だとすると、霊界で生活する内容はどのようでしょうか。 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件になります。かと言って、魚も一ケ所だけで暮らすのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接する契機をつくって繁殖する場合もあるのです。 二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心もこのように互いに通じなければならないのです。人類の歴史を詳しく考えてみるとき、もし私たちの先祖であるアダムの生まれた日と、結婚した日、そして亡くなった日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は一つの兄弟となり、一つの民となったはずでした。 すなわち、一つの世界に暮らす人類になりえたという意味です。そのようになっていたなら、アダムの生活風習はそのまま人類歴史を通じて継承され、そのとき形成された文化は、人類が生存する限り永遠に継承されたでしょう。 人間はいつ死ぬかも分からずに生きています。いつ交通事故が起こって死ぬかもしれません。死んでから初めて「ああ、文先生の言葉が合っていたんだなあ」と後悔する人もいるでしょう。分かってみれば、私たちはたいへん深刻な人生の道を行っていることを知らなければなりません。 私たちは永遠の世界を生きていくための準備をするために寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の道に立っているということを私たちは知らなければならないでしょう。 一般的に霊界に行く人にも二通りあります。自らの持って生まれた寿命を全うして生きて死ぬ人と、自分の寿命を全うできずに死んでいく人の二通りです。自分の命を全うできずに死んでいく人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するため身代わりになって死ぬ人がいます。 もし神様が、千人の価値を持った一人の存在を中心的立場に立て、すべての人の身代わりに死の道を行かせたなら、千人が皆その人の恩徳の前に感動するのです。それでその人のために生き、その人の生涯を手本にし、その人のように生きようとなったなら、結局のところ人々はその人と同じ恵沢圏内に入ってくるのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の人生に従おうとするのも、彼らのような恵沢圏内に入っていきたい欲望があるからなのです。 人間の中には、希望を持って生きる人もあり、希望を持てずに生きる人もあります。ところで、希望は人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二つに大別することができます。 私たちは生まれたその日から、母親のぬくもりが何よりも一番のものと思って成長しますが、ある程度成長してからは、母親の手から離れるようになります。私たちはまた成長しながら友達と交わり、友達こそ世の中で一番のものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れてしまうのです。このように人間は、成長しながら愛する父母も、愛する夫婦も、愛する兄弟も、さらには愛する子女も、自分の希望の全体にはなりえないという事実を知るようになります。 人間は常に多くのことを希望しています。しかし、その希望する心さえも結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望を持っていますが、年齢が高くなるにつれて、その希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。 実際、多くの人々は、自らの希望を全体的な希望として誇り、自らの命をたとえ失っても、その希望は捨てられないというほどの確固たる信念は持っていません。 私たちは一生の間あらゆる希望を抱いて生きていますが、結局は死に直面し、自分の抱いていた希望を何もかも捨てたまま行ってしまいます。私たちは今日も生きることを希望し、明日も生きることを希望し、新しい希望を求めてさまよっていますが、死に直面するようになると、そのあらゆる希望を後にして、絶望しながら最後の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。人間は自分を中心として見るときには、希望を持っているように見えますが、死の峠を越え得る希望は持てずにいるのです。 私たちが人生に規範としつつ、死さえもあざ笑って越えることのできるような一つの希望を見つけなければなりません。それが今日この地上に生きる人間の考えるべき重要な問題であると思うのです。 皆様! この世の万事はすべて過ぎ去ってしまいます。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去ってしまいますが、最後まで残らなければならないものは何でしょうか。それがまさしく死と闘って勝利することのできる希望なのです。私たちにそのような希望がないならば、私たちは人生の敗北者というしかないでしょう。世の中には、生まれて以来、世俗的なすべての希望を一切拒否して、人の世の希望でない天の希望、すなわち永遠なる希望を抱いて生きる人たちがいます。 天はまさにこのような人を助けるのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上の何らかの希望を抱いて生きるのではなく、死の峠さえも越えることのできる希望を抱いて、永遠なる希望の世界を夢みて生きなければならないのです。私たちが若いときは、死に対して多くを考えませんが、年を取っていくたびに私たちは死に対してだんだん深刻になっていくのです。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになります。このように死というのは運命の関門なのです。 誰にも避けられない道だからです。私たちが死んだ後には、果たしてどのようになるでしょうか。「死」という単語をテーマに用いたねらいが何であるかお分かりでしょうか。生の意味を知らしめるためです。 では、生の価値は誰がよく知っているでしょうか。生きようとして身悶えしている人には分かりません。死の境地に入っていき、生死の岐路で天に取りすがり、生の価値を打診してみた人でなければ分からないのです。 では、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちがどうして生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知らずにいるのです。ですから哲学でも一番はじめに問う質問は、人生とは何であり、人間はなぜにして生まれたのかということです。 皆様! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中へと生まれゆくことですが、人間世界では「ああ死ぬ!」と言って大騒ぎをします。それを見る神様は、ケラケラ笑いますか、もしくは「ウワーッ!」と言って驚いては悲しがりますか。嬉しく喜ばれるというのです。 制限された地上の愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身の死ぬ瞬間、つまり第二の出生の瞬間だからです。それでは、神様は私たちがこの肉身世界に生まれた日をもっと喜ぶでしょうか…。 もしくは、第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子に生まれるその時間をもっと喜ぶでしょうか…。もちろん後者です。私がこういう話をするのは、皆様が死の恐怖から解脱しなくては神様と関係が結べないという、事実を知らなければいけないからです。 神様は、人間が赤ちゃんとして生まれて、オシッコやウンチをしながら成長していく過程を見守り、また直接に参与もなさりながら喜ばれるのです。赤ちゃんの成長に応じて神様の心に動く愛の拍子も、グローイング・アップ(Growing Up・成長)するからです。 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にしぐさをします。神様が笑えば子供たちも一緒に笑い、神様が悲しまれれば一緒に悲しみながら…、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しながら両親の姿に似るようになります。言葉も覚え、生活規範も両親から学ぶようになります。 もちろんこれらのすべては、本来神様から由来しているものです。とすれば、神様が私たち人間とともにこの地球星で暮らしている途中で、あの世にサッと飛び去っていくとき、私たちはどうしなければなりませんか。 「私もついて行きます!」と言ったら「こいつ、お前は誰だ?」と言いながら、神様が私たちをつまはじきにするでしょうか…。もしくは、一緒に連れて行くでしょうか…。もちろん連れて行きたいと思われるのです。 ところが「今は連れて行けないから、君はもう少し大きくなって、もう少し完成した後に連れて行こう」とおっしゃいます。人間は「僕たちも今は行けないけど、いつかは行く時が来るんだな」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きている間は、人間は神様に常について回れません。 さて、そうだとすると何が問題でしょうか。私たちが神様の似姿になりたがり、神様も私たちが神様の息子・娘として御自身の似姿となることを望んでいるはずです。 それゆえ人は、もう一度神様に似ることのできる姿になって生まれなければならないという結論が出てくるわけです。神様と人間は共に永遠に飛び交いうる日を待ち望んでいるのです。そのように飛び交いうる人として生まれる日、そんな姿に生まれる日、その日がまさに肉身を捨てて死ぬ日なのです。 だとすれば、人間は死を歓迎しなければなりませんか…。あるいは悲しまなければなりませんか…。もちろん歓迎しなければなりません。だとすれば、私たちが死ぬにあたって、何のために死ななければなりませんか。「神様の真の愛」、すなわち「為に生きる愛」のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を捨てるというのは、無限なる神様の愛の活動圏内に私たちが共に参加するためであり、神様の愛の世界のためであるという結論になるのです。 皆様! 皆様は一度そのような「真の愛」を受けて実践する神様の本物の息子・娘として生まれてみたくないですか。神様がお金持ちであるすると、どれくらいのお金持ちですか。皆様は一度考えてみたことがありますか。 あの無限な星の中にダイアモンドの星がないと言い切れますか。純金でできたた星はないでしょうか。神様こそ全知全能であられるお方です。御自身の子女たちに何もかも与えたいと思われないでしょうか。どうでしょうか。 神様はこの無限の宇宙をアッという間に往来することもできます。皆様も関心がありますか。だとすれば、私たちはどのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。 そのようにすればこそ、神様と共に暮らすことが可能なのであって、私たちの好き勝手にしていては不可能なのです。皆様、神様の「するべからず・すべし」と言われることを守れる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象ですから、体が心に従って一つにならなければなりません。 人はまた三段階の世界である、蘇生・長成・完成時代を経ます。要するに、母親の胎中での水中世界・地球星の世界・天上の空中世界のことです。 私たちは胎中の「水の時代」を経て地上に生まれ、肉身をもって100年の間「地の時代」を経るようになり、最終的には飛び交う「空中時代」、このように三時代を経るようになるという意味です。私たちがお母さんの胎中にいるときは、外の世界に行くまいとして抵抗します。その中にずっと残っていようとして、じたばたします。 なぜなら、私たちが胎中から飛び出してくるときは、家はみな破壊され、私たちが食べて暮らしていた営養価値やすべてのものも破れて出て、分娩過程を通過しながら頭も伸び縮みしなければならず、体も伸び縮みしなければなりませんが、誰が喜ぶというのでしょうか。生まれるその瞬間まで皆が「ノー!」(NO!)と言うのです。子供は、羊水がパッとはじけ出てくるその水とともに出てくれば安産になります。 お母さんたちが赤ん坊を分娩するのを見れば、実に哀れです。赤ん坊を産んでみたお母さんたちは皆知っています。力を入れるときは、顔がどんなに美人だとしても、顔中をしかめながら…、夫までもその顔を見かねて逃げ出すほどです。よく似た万物相の姿になるのです。このように、妊婦も最後の瞬間までとてつもない苦痛を体験してこそ、子供が生まれるのです。 ところが、その過程でヘソについているヘソの緒をそのままにしておくべきでしょうか…。あるいは、無慈悲にも切ってしまうべきでしょうか…。「それは、他人の生命の綱なのに、人と人との生命の綱をどうして切るんですか」と言って抗議する人もいるかもしれません。 生まれる子供も死にそうだとギャーギャーと泣き叫びます。しかし、それを見つめる神様は喜びの笑いを抑えることができません。そのようになれば、産まれた新しい生命には一つの世界はすっかりなくなり、新たな一つの世界で「フーッ…フーッ…」と息をするようになるのです。 皆様! 人は一番最初生まれるとき、一番深い水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ん坊がお母さんの胎中にいるときは、水中にフワフワ浮いています。ちょっと考えれば、お母さんのお腹の中の時代には、息がつまって生きるのが難しいように感じられます。 水中に生きているので、当然、水を吸って吐き出すことをしなければならないでしょう? そのために腹中の赤ん坊たちは、ホースをお腹に連結して生きるのです。 腹中の赤ん坊は営養分をどこを通じて供給されますか。ヘソを通じてです。ヘソは腹中の子供には口です。それで私たちは、ヘソをばかにしてはいけません。 「ヘソよ、おまえは昔苦労した」と言いながら触ってやれというのです。ヘソをたくさんたたいてやれば健康になります。笑い話ではありません。 そのように運動をしなさいというのです。ヘソの運動を通して健康になるという話です。その例として、どんなに寒い部屋で寝ても、ヘソだけよく覆いかぶせて寝れば下痢しません。私たちはまた、ヘソを私たちの昔の口だと呼ぶこともできます。 ある者は「この愚か者、昔の口がどこにある」と言うかもしれませんが、ヘソが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように、私たちの呼吸器の役割もしたヘソの次の段階は口です。絶えず上に上がるのです。 同じ原理で、この地球星で空気で呼吸をして生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように肉身を吸いとって、肉身が完全に老いれば蹴って出ていこうとするのです。 ところがそのときに肉身が「ああ死なない、死なない」と言って悲鳴を上げるならば、神様はその姿をどのようにご覧になるでしょうか。苦痛にひんしたその肉身に同情なさるでしょうか。でなければ静かに微笑まれるでしょうか。 とてつもない苦痛を甘受してお母さんの腹中を飛び出してきた赤ん坊が成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を後にして新しく生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれるべきであるということが原理的な結論です。 地上世界でも子供が生まれた後成長すれば、お母さん、お父さんと友達になることができるのです。お母さん、お父さんと愛を共に分かち合うことができる地上世界に生まれるからです。赤ん坊が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸って空気の風呂敷の中で生きるようになるのです。 そのような過程をたどりながら、地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、死なないで生きていると言えるのです。同様に、私たちは霊的に無限な世界に通じうる父母であられる神様と愛を交わすことができる霊界に再び生まれなければならないのです。 では、霊界はどんな所ですか。私たちが霊界に入っていけば、頭上にある息をする穴と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は地上の空気ではなくて愛です。呼吸を通して愛の要素を受けるというのです。私たちが地上に生きるときも、ご飯だけ食べてはなりません。 ご飯だけ食べて水だけ飲んで生きるということは、ご飯の袋と水の袋を満たすことだけです。結局そうこうしながら死んでいくというのです。地上で生きる間の私たちの姿は、第2の私たちの存在です。 私たちがこの期間にしなければならないことは、新しい愛の人格を形成しなければならないということです。この地上で私たちが最も必要なものが愛です。孤児は何ですか。お母さんとお父さんの愛を受けることができない子供たちをなぜ孤児と呼びますか。 霊界と永遠に連結させうる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で暮らす人を哀れだと言います。言い換えれば、私たちが死ぬということは、第2の呼吸をした肉体に連結されたこの器官を壊してしまい、愛の要素を受け継ぐことです。 ですから、私たちはどうせ肉身を壊して行かなければなりません。愛は見えないのです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、これらすべての愛を中心として、私たちの内的な構造が成長するのです。 それで神様の法則通りに生きるときにだけ、赤ん坊がお母さんの腹中で正常な赤ん坊として育つのと同様に、私たちがこの地でもよく成長できるのです。むやみに生きてはならないのです。 私たちが自然界を注意深く見れば、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥の子も飛ぶことができますが、まして万物の霊長たる人が飛ぶことができなくていいですか。タンポポの種(dandelion)をご覧なさい。風が吹けば自然に飛ぶようになっています。 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかにとぶことができるように創造されたことは間違いありません。ある者は性急に神様に「神様、他のものは皆飛ぶのに、なぜ私たちは飛ぶことができなくしましたか」と抗議したいことでしょう。しかし神様には「君たちは何十年か待ってから完成すれば飛ぶようにしてやろう」とお答えになるでしょう。 ではそのときまで、私たちは何をしなければなりませんか。そのときになってその世界に適応できるように、私たち自らを訓練しなければならないのです。父母を愛し、夫婦どうしで愛し、子供を愛しながらこの地上世界で訓練をしなければならないのです。 そうして時が来れば、永遠の世界に入っていき、永遠に神様に仕えて生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。 私たちがセミ(Cicada)の一生を注意深く見れば、セミも飛ぶようになる前に幼虫の段階を経ます。ところが、そのセミが「私は幼虫として生きたい。殻を脱ぐのが嫌だ。ああ、陸地とか何とか、空気とか何とか皆嫌だ」と言って反抗をしながらも、実際、殻を脱いでしまえばバタバタと飛ぶようになります。 トンボも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで生きて、地上に上がってきてしばらくはい回って暮らします。その次には殻を脱いでスイスイと飛び回り、陸地では食べるだろうとは思いもよらなかった虫を捕食します。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように、昆虫類の中では三段階世界を経ることが多いのです。 それで昆虫には羽があります。水と陸地と空中の三時代を生きながら羽を持つようになるのです。万物の霊長である私たち人間には羽がありますか。地上でだけ暮らしてもかまわないでしょうか。人間には次元の高い羽があるのです。 みなさんも肉身を脱いで死ぬことが嫌だと言うでしょうが、実際死んで肉身を脱いでしまえば、私たちは霊人体として第2の出生の幸福な関門を通過するためにサッと!いって飛んで行くのです。 前にもお話ししたとおり、人間はどうせ死ぬようになります。私たちは善なる自我を永遠の世界に第2の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ん坊として生まれることのと同様に、私たちの地上世界での生活もよく準備しなければなりません。 神様の形象にならい、神様の心情に見習い、神様の偉大な神聖にならって育たなければなりません。育ってからは、また生命をかけて越えていかなければならないのです。したがってどんなに恐い暴風雨が打ちつけても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。うまく行っている途中で、境界線の前で倒れてはいけません。 私たちがこのような人生の境界線に立つようになるとき、私たちは果たして何をすべきでしょうか。しっかりして走っても、終わりまで行くか行けないか分からないのに、あたふたしていては中途で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ勝利者になり得ないのです。 人として生まれて一度してみるに値することです。どんなに背後で反対し、横から迫害しても、自分の行くべき道を行けばいいのです。 他人が反対するのに関与する余地がありません。一歩一歩でも早く進んでこの運命の道をたどって行くべきだという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちは皆そのように行かなければなりません。 私たちはしばしば心が正直だと言います。その言葉はどういう意味ですか。まっすぐ垂直に立ったことを正直だと言います。木も横に傾いたものはまっすぐだとは言いません。心が正直だというのも同じことです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそ正直なのです。 自らの心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線となるのです。このように垂直と水平が私たち内部でなされるときに、垂直から引いてくれる力と水平から押してくれる力が均衡を取るようになって、求心力と遠心力が形成されるのです。 それゆえ、私たちは自分自身を見出さなければならないのです。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母がそうだと言って認定しなければならないのです。 その基盤の上に、私たちは親戚、一族、一国、このように発展させいき、私たちの生活環境を拡大していくのです。世の中で危険な伝染病患者を隔離して収容するように、近い将来神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯す人々は隔離させて、北極のような寒帯地方に収容するようになる時が来るでしょう。 彼らは完全に悔い改めて回復するその日まで、そのような所に放り込んで、食べるものと寝る所もなく、途方もない苦痛の道を歩むようになるかもしれません。 皆様! 私が悲しく思うことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成し遂げる責任を私に与えたゆえに、私は生きている間に神様が満足する水準までみ旨を成し遂げておかなければならないということです。 それ以前には、死ぬにも死ねないということです。したがって、私が死地に入っていっても、神様が導いて率いてくださるというのです。私はこのみ旨を成し遂げるために、ご飯を食べても、寝ても覚めても、世界と人類のために祈祷し努力しています。 ある特定の国家や特定の民族のために苦労はしませんでした。私の目的は、世界の救いです。私はその目的のために今まで死を覚悟して犠牲的に命を捧げて働いてきました。皆様も世界のために生きて死ななければなりません。 世界を救うためなら、愛する妻を抱き、家庭を抱き、自分の種族を抱き、民族をそっくり抱いて死ぬこともできなければなりません。今皆様は、今後ある一日に死に突き当たるようになり、死を前にして過去を回顧してみるようになるでしょうが、そのとき、どんな一言の言葉を残して行くべきかということを考えてみなければなりません。 死の道は友達もいない道です。愛する父母もいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行く道です。 再び行ってみることもできず、行って来ることもできない道、一度行けば永遠に帰って来れない道ですが、この道を行くようになるときに、人間はいかなる心を持って行くのかが重要です。人間が死に出会うその瞬間に、その死を越えて立つことができる希望がないのなら、そこで最後です。 今日まで神様のみ旨を奉り、神様のみ旨を立ててきた数多くの人々は、どんな人々であったかというと、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を堂々と越えた人々でした。そのような人々が、天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通してよく知るところです。 では天の願いを抱いて生きる人はどんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えていくことができる人です。そのような人が天の願いを抱く者であるということを知らなければなりません。 ですから、私たちは死を前にして世の中の万事を怨んで歎息する人にならず、喜んで天の前に立って自己の死の価値を誇ることができる人になるべきです。では、死ねばどのようになりますか。死ぬ前までは自分のものですが、死んだ後には神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受け継いだからです。 したがって、死ぬ前までは私たちの生命の全部はサタン側の因縁から逃れることができないのです。しかし、死んだ後には神様と因縁が結ばれるのです。死なずには復活することができません。一つの時代を過ごさずには他の時代を迎えることはできないのです。 「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」という聖書で言う死とは、何のことですか。神様が下さった永遠の真の生命を殺せというのではありません。 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それでみ旨のために死のうとする人は生きるというのです。この話は逆説的ですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ復帰することができないのです。これは復帰の正常な論法です。 人生の勝敗は何十年の期間に決定されるのではありません。それは一瞬にして決定されるのです。私たちの一生について見ても、皆様が生まれるその瞬間は長い時間ではありません。 もちろん、生まれる前までの腹中の時期がありますが、その腹中の10か月という期間は、出生する一瞬のための準備期間なのです。ところが、10か月間いくらよく準備したとしても、決定的な一瞬をうまく越えることができなければ、生まれるその赤ん坊は悲運の運命を迎えるようになるのです。 この地上に生まれ、運命の瞬間を迎える最後の場で過去を悔いる人がいるならば、その人の心には過去のあらゆる事実が映像として通り過ぎるでしょう。その中で「真があった。私の生命よりも貴いその何かを残した」という人がいるならば、彼はたとえこの地に生まれて逝っても、甲斐あるひと時を楽しむ人になるでしょう。 しかしながら、すべての過去の事情を回想してみるとき、首を振って回想したくない過去を持てば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜があふれ、自分のあらゆる問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一つの場面として飾られるでしょう。 過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間でなく、他の何かを残すならば、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。 そうすることができる過去を持った人は、必ず民族がついてくることができる因縁を持った人であり、世界の万民がついてこざるを得ない因縁を残した人であると見ることができるのです。 神様の前に一人で立つことができるかという問題について見るとき、真と善は自分から始まり、自分で終わるのではありません。自分から始まって他人に結果を結ぶようにするか、他人によって始まり自分に結果をもたらすことができてこそ善になり得るのです。 過去の生活が他人のためになる生活ならば、死の道にも恐怖がないでしょう。他人のためにすべてを皆与え、他人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら涙も他人のために流し、自分の生命も他人のために投入し、自分の願いも他人のためのものなので、自分の脈拍から流れ出るすべて生命力を引き集めて、他人のために投入するようになれば、その過去は輝く過去になるでしょう。 聖賢の行く道と凡人の行く道は違います。聖賢は歴史とともに生きようとし、世界とともに生きようとし、未来とともに生きようとした人です。 しかし凡人は、自分によって生きようとし、世界も自分によって存在させようとした人です。霊界にも霊界なりの世界があり、国があり、宗族があり、家庭があり、個人がいます。個人を中心として見るとき、自分はそこで絶対的に必要な存在だと言える自主性がなくては入っていけない所が天国です。 家庭を中心として見るときも、宗族を中心として見るときも、やはり自分が絶対的に必要だと言える、そのような自主性があってこそ行くことができる所が天国です。 霊界では地球というものは、ちり一つと同じようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情を持って、地上で生まれて生きてから逝った人がいれば、ここに直接出て来い!」と言えば、その人が瞬間的に現れます。そのように直感的な感覚が現実化する世界です。 そこには食糧を作る工場もなく、自動車を作る工場もなく、何もありません。人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書を持って行かなければなりません。「私はこのように生きた。こういう仕事をした」と言える生涯の証明書のことです。そういう証明書は、自分自身が書くことはできません。 初めはサタンが書きます。まずサタンから証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければならないのです。その次に、神様の証明書をもらわなければなりません。 この3種類の証明書が必要だということを知っていなければなりません。霊界に行ってみれば、霊界は膨大ですが、3段階になっています。誰がトップに上がるかというと、より他人ために生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は、反対の立場に立つようになります。 自分のために生きた人はすべてが反対であり、他人のために生きた人はすべてが歓迎します。霊界に行っていれば自分の父母、自分の妻も関係ありません。高い所に行く人は、全部他人のために生きた人々です。 世界のすべての国を回りながら、自分の母親と家庭に対する愛を拡大したような心情を持ち、為になり、世界の人々を全部悪から救ってあげる聖人の心を持った人々が高い所に行くのです。 自分のために生きた人は、地獄へ行くのであり、他人のために生きた人は天国へ行くのです。この二つの世界が、死で分かれるのです。それゆえ、全体のために、より大きいことのために生きよというのです。 世界のために、神様のために、人類解放のために生きよというのです。これからは、互いに「為に生きよう」という競争が起こるでしょう。 天国では、為に生きる人が高い位置に行くので、私がその高い人のために生きれば、その人に乗ってジャンプできるというのです。その人のために生きることは、神様が創造して相対を作ったのと同じであるがゆえに、その人の愛の対象圏に立つというのです。霊界は真の愛を中心として他人のために生きる所です。 他人のために100パーセント尽くした人に対しては「私を踏み越えて行け!」と言うのです。いくらアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもその国民のために生きる人がいるならば、その人が大統領を踏み越えても皆歓迎するのです。 しかし、自分の利益だけを取るようになるときは、全部怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きいことのために生きようというときには、自然に通過するのです。より大きいことのために生きれば、自然に通ずるのです。ですから、世界のために生きる人はアメリカのために生きなくても良いのです。世界中の中にアメリカが含まれるのです。すべての国が皆含まれるのです。 皆が歓迎できるその方向の内容とは、真の愛を中心として為に生きてゆく愛の道しかないという結論が出てくるのです。 死ぬときに持ってゆくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的な人である自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。 人類を愛して神様を愛したことが最後に残り、あの世の所有権決定の基準になるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって、皆様の霊界の所有権が決定されることを知らなければなりません。霊界に行って誇ることが何かといえば、どれだけ人を恋しがって生きたかということです。 あの世で必要なことは、ほかでもありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子・娘よりも、神様をより愛したことです。妻が言うには「あなたは私より神様をもっと愛して、私を愛してよ」と言ってこそ夫からより高い次元の神様的な愛を受けるようになるのです。 今日、文先生は、心情圏というものを解き明かしていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きるとしても、天地、天宙を主とした夫婦の愛でなければならないのです。ですから、その世界に合格できる愛の基盤をどこで磨きますか。文先生は、この世の中でそれを磨いてゆかなければならないと教えているのです。 この世の中で貴いという数多くの何かとは違い、心情圏世界の合格者になることができるようにということです。それゆえ、霊界には家庭を連れて入ってゆくべき原則があるのです。なぜ息子と娘がいなければいけませんか。 後孫とは、本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混合して生まれたものです。したがって、後孫を持つことができなかった人は、霊界に行って天地の調和を成し遂げることができず、東西南北に拍子を合せることができないということです。後孫を持たなければ、あの世に行っても遊んで休むことができる場所がないというのです。 皆様、霊界では宗教や宗派が必要ありません。そこに行って長老教(プロテスタント)や天主教(カトリック)とか言うことは必要ありません。神様との生活圏内に入っていくのです。あの世に行くようになるならば、世界を愛した人もおり、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちが皆いるのです。 しかしながら、文先生が知ることには、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないということです。何かを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。 霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化し、ここにどれだけ一致したかということが、今後、地獄から中間霊界、楽園、天国まで全部連結されるのです。 何が第一に貴い道かというと、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世にパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人間どうしは一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。 宗教圏は一つの世界を願い、一つの神を信じてきたので、一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々が、世の中の人と違うことは何かというと、彼らは一生の間、霊界を標準として生活するという点です。 宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様ならば神様がいらっしゃった所と、神様がお暮らしになる所を中心として、私たちが関係を結ぶことができる内容を教えてくれるものです。 尊敬する指導者の皆様! 人類は、国家単位で、または国際連合を通じて世界平和と人類の繁栄をたゆみなく追究してきました。現実が物語っているように、その努力が政治、経済、技術的側面だけでは効果的になされません。より内的な宗教、教育、文化的側面があってこそ、理想的な結実となるのです。 なぜなら、人間の真の幸福は、外的、肉的、物質的な豊饒と安楽だけでは成就できないからです。人間は、より内的であり、霊的であり、精神的な完成と満足を通じて、真の理想がなされるのです。 このような側面は、宗教的な教えと、世界のすべての宗教の連合と、一致した行動を通じてのみ可能なのです。 私は今日この場を借りて既存の国連に、世界の主要宗教とその指導者たちの参与する「世界宗教国連機構」が創設されるべきことを主唱する次第です。 世界と人類の未来のために、今日この時点で「世界宗教国連」の創設とその役割の重要性に対し、今後、皆様と世界の各界の指導者たちが、より一層深い論議をしてくださることをお願い申し上げる次第です。 大変ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.08.02
コメント(0)
来るべき時に備えよ1999年2月1日 九か月半ぶりに韓国に帰国され、二月七日の三億六千万双国際合同祝福結婚式を目前に控えた二月一日、韓国の本部教会で御言を語られた。 天国には神様の血族が入る きょうは、何の日ですか? 二月の初めの日です。二月は正月の相対であり、正月を引き継ぐことのできる相対的な月です。きょう、先生がここに来ないと思って、参席していない人が多くいるのです。自分が願う時は、天が動いてあげてはいけないのです。それを知らなければなりません。いつでもそうなのです。最後まで、精誠ならば精誠、忠誠ならば忠誠を捧げる心をもってこそ、天の御旨の前に対応することができ、拍子を合わせることができるということを知らなければなりません。 今年の標語は何ですか?。(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶です」)。全員で言わなければなりません。(「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」)。それは、どういうことですか? 天国には、祝福を受けた神様の血族が入っていくのです。真の父母が現れました。父母と血統が連結されていなければ、親子関係を結ぶことはできません。それを知らなければなりません。 そのような父母の血族が家庭から始まり、これが大きくなれば、氏族、民族、国家になるのです。国家もやはり、一つの血統に連結されているのです。主流を代身した責任者が、家庭の王の位置を受け継ぎ、氏族の王から、民族の王、国家時代の王まで相続するのです。国家時代の王は、家庭の王を代表し、氏族、民族の王にまでなるのです。国家の王といえば、家庭、氏族、民族、三段階すべての王の結実であると考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭と氏族と民族は三段階であり、四段階に立った王の結実である国王、あるいは大統領の前に、絶対信仰、その次は何ですか?。(「絶対愛」)。絶対愛。(「絶対服従」)。絶対服従です。それは何ですか? なぜ、そのようにしなければならないのでしょうか? 神様ご自身は、天地を創造される時、絶対信仰から始めました。絶対信仰です。それには異議がありません。信じたその通りになるのです。そのようにすることのできる神様の主体的立場であるならば、信じたそのままの立場で語られたことが、その通りにならざるを得ないというのです。その語った通りになされるというのは、愛のゆえです。絶対に信じるということは、絶対愛を復帰するためなのです。分かりますか?。(「はい」)。一度言ってみなさい。(「絶対に信じることは、絶対愛を復帰するためです」)。 では、絶対愛を復帰しましたか? 神様ご自身が創造する時、絶対信仰のうえで始められました。絶対信仰において、神様ご自身が主体になるのです。信仰の主体にならなければならず、愛の主体にならなければならず、服従の主体にならなければならないのです。それゆえ、絶対信仰の基盤には、愛がついてくるようになっているのです。 結婚した人が夫婦で生活するようになる時、夫は妻を絶対に愛さなければならないのですが、それを言うことができません。「あなた、私を絶対に信じますか? 絶対に信じてくれますか?」と言うでしょう。「絶対愛」という言葉を言うことができないのです。夫もそうであり、妻も夫に「絶対に私を信じてくれますか?」と主張するのです。分かりますか?。(「はい」)。絶対的に信じるところには、真の愛がついてくるのです。 皆さん、心と体が闘っているでしょう。(「はい」)。心と体が闘うところで、そのようなことがなされるのではありません。絶対に信じるということは、心と体が一つになったところでなされるのです。これが問題なのです。 堕落のゆえに、皆さんの心と体は闘っているのです。いつ、心と体を統一することができるのかというのです。統一しましたか、していませんか?。(「していません」)。いつ終わるのですか? 問題が大きいというのです。 血統が分かれてしまった それでは、神様は人類の何ですか? 神様はアダム・エバにとって、何になるというのですか? 創造主になるのですか、父親になるのですか?。(「父親です」)。創造主のほうが、父親よりもよいではないですか? 天地をつくられた神様、その主人。主人がよいですか、父親がよいですか?。(「父親です」)。なぜ、父親がよいのですか? 父親は血統が連結されているのです。血統が連結されるためには、父母の愛がなければならないのです。愛がなければ血統は連結されません。愛がなければ、男性と女性は別個のものです。男性も生命体であり、女性も生命体であり、二つは別個の生命体なのです。 女性はみなお尻が大きいでしょう。大きいですか、小さいですか?。(「大きいです」)。それはなぜですか? 地を産むためであり、国を産むためであり、世界を産むためであり、地上に天国を産むためなのです。それをだれが産むのですか? 父親が産むのですか、母親が産むのですか?。(「母親です」)。母親が産むのです。 それで、女性たちはみな成長する時、水平線以下を見るようになっています。それ以上の欲心をもてば、横道にそれていき、よこしまな者になってしまいます。それゆえ、女性たちは、常に四十五度以下の地を見るのです。そのような準備をしなければなりません。そうしなければ、大きな事故が起きるのです。どのような事故が起きるのかというと、国を失い得る、家庭を失い得ることが……。 家庭は、夫婦だけでは駄目です。夫婦だけいても駄目なのです。息子・娘がいなければなりません。息子・娘がいなければ、夫婦が死んだら、それで終わりです。 アダム・エバが夫婦になって、息子・娘がいなければ、どうなりますか? 創造するや否や、なくなってしまうのです。創造理想とは何かというと、神様が願った理想的家庭、理想的氏族、民族、国家を成し遂げることなのです。 今日、統一教会は復帰路程において、何をしているのでしょうか? 個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、それから何ですか? 世界復帰です。その次は何ですか? 天宙復帰です。なぜですか? 堕落したからです。堕落した息子・娘を生んでしまったので、これを収拾しなければ、本然の位置、地上に天国の位置を復帰することはできないのです。 それをなすためには、これをすべてを否定しなければなりません。自然屈服させるのです。創造する時、万物のすべての物質要素には、反抗する意識はありませんでした。「私は何だ」という意識はなかったのです。 皆さんはすべて名前をもっているでしょう。(「はい」)。姓をもっているでしょう。(「はい」)。どこの国の人ですか?。(「韓国人です」)。韓国人。韓国の国、皆さんの姓、皆さんの名前は、神様がつけてくれた名前ですか、サタンがつけた名前ですか? はっきりと知らなければなりません。 堕落したので、アダム・エバを追放しました。万年の一人子です。一人子、一人娘です。永遠なる一人子、永遠なる一人娘です。たった一人しかいない娘なのです。たった一人しかいない息子なのです。その息子・娘を、地獄に逆さまに突き落としたのです。追放したというのです。そのようにしながら、涙で別れました。神様は喜んで追放したでしょうか、あまりのことに息もできずに追放したでしょうか?。(「息もできずに追放しました」)。 今日のキリスト教徒たちは、でたらめです。これほどのでたらめはありません。信仰によって、救いを受けるというのですか? 信仰は、実体ではありません。信仰というものでは、相対ができません。実存体ではないのです。ヘブル人への手紙一一章に「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」と書いてあります。見ることができないのです。信仰で救いを受けるのですか? そのようなでたらめはありません。 何によって、救いを受けるのでしょうか? 何によって、生きることができるのでしょうか? 何によって、復活するのでしょうか? 愛さなければならないのです。 偽りの父母の偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだので、このような悲しみと嘆息の恨の世界となったのです。個人から天宙まで遮られた多くの垣根を、どのようにして崩すのかというのです。だれが崩してくれるのでしょうか? 皆さんの父母が崩してくれますか? 偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統がつくられ、悲しくて死んでしまうように、息詰まって死んでしまうようになってしまった人間たちなのです。 それは、真の父母がしなければなりません、神様も思い通りにできないのです。神様が思い通りにできるならば、エデンの園でアダム・エバに「回れ、右」と言えば、すべて終わったのです。宇宙を創造した神様、能力の主人であられるその方が、そのようなことをなぜできないのでしょうか? 個人、家庭、氏族、民族、霊界まで、千々万々の垣根が築かれてしまうことを知っている神様が、なぜ、それに手を出すことができなかったのでしょうか? 血統が分かれてしまったというのです。 天地を破壊し、神様までも監獄に放り込んでしまった 神様の愛の血統を残そうとしたのですが、悪魔の血統が……。あすになったら結婚しようと、神様が妻の位置に立てておいたアダム家庭であったにもかかわらず、その前日の夜、サタンにすべて蹂躙され、体を汚されてしまったのです。それを神様が干渉することができますか? 訪ねていくことができますか? 唾を吐きながら、「愚か者」と言い、考えただけでもあぜんとしてしまうというのです。 背信者の歴史を代表し、宇宙を転覆させ、神様の最高の基準を地に放り投げてしまったのです。そのように、全宇宙を、天地を破壊したのです。神様までも監獄に放り込み、閉じ込めてしまったというのです。そのような罪を犯したのが、アダム・エバなのです。 その罪が何の罪かというと、善悪の果を取って食べたという罪です。善悪の果は、エバのそれのことを言うのです。女性はサタンと結婚すれば、サタンの息子・娘を生むのです。分かりますか? そして、王と結婚すれば、王の息子・娘を生むのです。善悪の果、それは男性のあれを、女性のあれを意味するのです。 血統を汚しました。血統を汚したので、血統を汚された生命体は壊れてしまいました。父母である神様は、それを見ることができません。血統を汚された、その愛の出発をしてしまったのです。絶対、不変、唯一、永遠なる愛の因縁をもった親子関係から芽生えた家庭をなすためにあった、そのすべてのものが、永遠に消えてしまったというのです。 では、そのような神様は「よし 天の国の宝座で、悪なる人は地獄に送り、善なる人は天国に送ろう」と、そのような審判長になる心の余裕があったでしょうか、あぜんとして息が詰まってしまったでしょうか?。(「あぜんとして息が詰まってしまいました」)。息が詰まって、神様も死んでしまったのです。 すべての希望が壊れてしまったのです。万年一人子であると思っていたのに、すべて壊れてしまったというのです。万年一人娘を永遠に愛そうとしていたのに、その息子・娘がすべて壊れてしまいました。永遠に愛することのできる兄弟の因縁、夫婦の因縁、父母の因縁、すべてが壊れてしまったのです。 天宙の大女王陛下になることを願う それが事実ならば、神様はどこに行っても立つ場所がないのです。このようなことを解消するために、宗教を立てたのです。ここで問題になるのが、真の愛です。統一教会では真の愛を語るでしょう。(「はい」)。真の愛を見ましたか? 真の愛と偽りの愛とは、色が違うのでしょうか? 考えてみましたか? 真の愛が白ならば、サタンの愛は何色ですか?。(「黒です」)。黒です。黒白が逆さまになりました。本来は白黒にならなければならないのです。 この宇宙が今まで均衡を保ってきたのは、宇宙の核があって、そこにすべてのものが焦点を合わせてきたからです。その核が何かというと神様なのです。神様がいらっしゃるのです。宇宙の心の位置に、宇宙の心の王の位置に、神様がいらっしゃるというのです。李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』を見れば分かるでしょう。いくら足しても大きくならず、いくら取っても減らないのです。 では、真の愛を見ましたか? 真の愛を見ましたか、見ていませんか? この世の中は偽りの世の中ですが、自分が話すとしてもありのままを話さなければならず、サタンもありのままを話さなければならないのです。そうでなければ、この地上に存在できません。 では、神様は男性が好きでしょうか、女性が好きでしょうか?。(「どちらも好きです」)。この者たち 二人の中でどちらを好きかといっているのです。神様も婿になることを願ったのです。神様は婿になることを願ったでしょうか、嫁に送ることを願ったでしょうか?。(「婿になることを願いました」)。婿となり、一緒に暮らすことを願ったのです。 女性たちは嫁に行くのが嫌でしょう。女性は嫁に行ってこそ、女王になるのです。家では父親が王ですが、母親の王もいるのです。氏族の中に氏族の王がいて、また、氏族の母親の王がいるのです。国もそうでしょう。大統領は王であり、その夫人は何ですか? 女王です。それでは、女性は何の王になりたいですか? 国の王になりたいですか? 神様は天地の大王陛下ですが、その大王陛下の后になりたいというのです。家庭の王ではありません。分かりますか?。(「はい」)。 それは、ありがたいですか、悲しいですか?。(「ありがたいです」)。ありがたければ、早くその位置に行くのです。行かなければ、棒でたたいてでも追い立てて、その位置に行かせなければなりません。じっと座っていて、それがなされるでしょうか? 統一教会の蕩減は、世界歴史の英雄であっても、だれも行くことのできない所でも、喜んで、希望を抱いて行くのです。その位置を継続していかなければ、天宙の大女王陛下は現れることができないのです。一番になりたいでしょう。(「はい」)。 あらゆる病気の王で、顔が醜くても、そのような女性であっても、このようになりたいのです。このようになりたくない人は手を挙げてください。私が褒美をあげます。(笑)それは男性もそうでしょう。 なぜ、そうなのでしょうか? 堕落することによって、永遠不変な、万年にわたる神様の一人子になり、神様の一人娘になることのできる位置を失ってしまったのです。それ以上のことはありません。失ってしまったので、再びそれを復帰することを願うのです。 十六歳まで育ったので、その時までの本然の心は残っています。しかし、いくら努力して生きても、理想郷への道を探し出せないので、「邪悪な、罪悪の世の中に汚されずに、一晩だけ寝れば平安になれる。汚されずに、永遠に私の生命は清く残る」と考え、自殺する若者が多いのです。なぜですか? いくら求めても、その希望を成し遂げることができないからです。人生問題であるとか、考えれば考えるほど、だんだん苦痛になるのです。 このような話をしていては時間がなくなってしまいます。何時ですか?。(「七時三十分です」)。帰って食事をして、また世界日報に行かなければなりません。だれか私の代わりに行ってしてくれたらよいですね。すべて成就して、遊んで暮らす人のように、一度お金をたくさん使って生活をしてみたいものです。いつも忙しく生活をする先生の生涯は、かわいそうな生涯でしょう。 では、愛を見ましたか、真の愛を見ましたか?。(「お父様が真の愛であられます」)。この者たち 真の愛のことを聞いているのに、答えがどうして「お父様」なのですか? だから、よこしまな人たちだというのです。(笑)聞いた通りに答えなければなりません。 女性は、嫁に行くために生まれたというのです。なぜ、私は生まれたのか? 人生問題で、最初に尋ねる質問がそれです。それは簡単なことです。女性はなぜ生まれたのですか? 嫁に行くためです。合っていますか、間違っていますか?。(「合っています」)。 「ああ、私は女性として何種類もの博士学位をもち、総長になっても余りあるので、嫁に行く必要はない」と言うのですか?。(「いいえ」)。嫁に行かずに後孫がいなければ、この地上の石にも劣るのです。石は千年万年残るのですが、自分は骨までなくなってしまいます。骨は四十年もちません。砂粒にも劣るのです。そのような人生は、万物の霊長といえる、価値ある存在ですか? 悪口の中で、最も悪い悪口は「このアマ、嫁に行くな」というものです。結婚するなということです。 今日、娘たちは嫁に行くことができないでしょう。どこかに、信じられる男性がいますか? 男性は何という野郎ですか?。(「泥棒野郎です」)。泥棒野郎です。なぜ、泥棒野郎なのですか? 私たちの先祖の中で、天使長一人が泥棒野郎になりましたが、後代の人は三百六十人以上もの女性を泥棒したのです。女性を蹂躙したのです。 一人を地獄の真ん中に打ち込んだら、そのような人は地獄に行くでしょうか、天国に行くでしょうか?。(「地獄に行きます」)。「地獄に行かない」と言ったら、どうするのでしょうか? 神様は「この野郎 地獄に行くように、殴り倒す人がいたらよい」と言うでしょうか、「ああ、そのままにしておいたらよい」と言うでしょうか? 皆さん、問題が大きいのです。 先生は殺人魔まで許した 「文総裁は善いですか、悪いですか?」と、神様が皆さんに尋ねるでしょうか、尋ねないでしょうか?。(「尋ねます」)。尋ねられたら、皆さんは何と答えますか?。(「善いです」)。きょうこの時間におもしろい話をするので、善いというのではないですか。それも善いというのです。一年間、難しい中で暮らしたことを、同情してあげてもよいのではないですか。 統一教会の群れは今まで四十年間、先生を好きでしたが、いまだに先生のことが分からないのです。先生が何をするのか知っていますか? 今年の標語は何ですか?。「真の祝福天宙化」と何ですか?。「サタン血統根絶」です。すべて掃き出してしまうのです。根を抜いてしまえというのです。 真の父母といえば、だれですか? 神様が「真の父母はだれか?」と言われれば、どのように答えなければなりませんか?。(「見える神様です」)。ええ、何ですか? 神様が「真の父母はだれか?」と尋ねれば、(答えが)「神様」にならなければならないか、「アダム・エバ」にならなければならないか、ということではないですか? 私が神様の立場で、皆さんに「真の父母はだれがならなければならないか?」と尋ねたら、何と言わなければなりませんか?。(「……」)。小学校三年生にもなりませんね。(笑) 統一教会の文総裁は、真の父母は真の父母なのですが、かわいそうな真の父母です。その息子・娘はかわいそうな真の父母にならなければなりませんか、幸福で喜びの真の父母にならなければなりませんか? 骨が溶けるくらい努力して、その位置に行かなければなりませんか、何もせずにその位置に行かなければなりませんか? では、統一教会の孝進、顕進は来ていませんか? 行ったのですか? 孝進はまだ何の功績もありません。「孝進兄さん」と、そのように私も言うことができればよいですね。そのような欲心はないのですか? お父さんまでも、「孝進兄さん」と言うのです。(本人は)「なぜ、認めてくれないのですか?」と思っているのです。今までそのような心をもっていたのです。それを私はよく知っています。しかし、そうすることができません。お父さんを復帰してこそ、お父さんがいてこそ、兄がいて、弟がいるのです。お父さんを知らないのです。 妍娥というのは、何の「妍」の字かというと、「蓮」という字のことです。蓮の花が咲いたということです。仏教を信ずれば、一番の王になることのできる人です。運勢が強いのです。目を見ればそうなのです。スパイになれる素質が多くあります。(笑) (孝進は)先生が生きてきたすべてを作品化した人物ではないですか。孝進にきちんとついていきなさい。顔は美男子ではなくても、心の風呂敷には、五万種類の色彩の宝物が包まれているかもしれません。(「ありがとうございます」)。なぜ、父親が答えるのですか。(拍手)孝進は、一度孝行しなければならないのではないですか。私が名前をつけてあげたのですから。(「これから、そうなります」)。(拍手) それで、今回来る時に「おい、おまえ、父親が八十歳になって、もういつ死ぬか分からないというのに……。年には勝てない」と言ったのです。そうではないですか? 一度倒れれば、峠を越えるのは早いのです。あなたも四十になるまで三年残っています。一度このようなこと(孝子になること)をしてみたくはないですか? いつから、孝子になると言いましたか? 幼い時から「孝子は私だ 私だ」と言っていたのです。山に連れていき、「孝子になりなさい」と言うと、「孝子は私だ 東西南北の孝子は私だ」と言う、そのような子でした。 ですから、私が父親の役目をきちんとできなかったので、孝子になれなかったのです。それは間違いありません。 お父様は浮気しようと、考えませんでした。サタン世界のカインの兄を正し、地獄にいる人たちを解放させるために、息子・娘がどこで寝ようと、たとえ死んでしまっても……。私が基盤を築いたならば、すべてを復帰してくることができるのです。死ぬような姿で、足一つを切ってしまっても義足をつくることもできるし、義手をつくることもできるのです。それが問題ではありません。一緒に暮らすことはできるのです。 見なさい。先生は賤民やすべての殺人魔まで許してあげたでしょう。(「はい」)。それでは、自分の息子・娘が犯した罪を許してあげることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「できます」)。 スターリンやヒトラーのような人は、何百万、何千万人もの人を殺したのです。そのような悪魔の中の悪魔である、その悪党までも許してあげ、祝福をしてあげたのです。それをしてあげなければ、地獄の門を開くことができないのです。それはよくやりましたか、間違っていましたか?。(「よくされました」)。 仏教の責任者たちが「ああ、私たちのお釈迦様を連れていって結婚させるなんて、そのようなことがあり得るのか? イエス様を結婚させるなんて」と言うのです。皆、楽園にいるのではありません。中間霊界にいるのです。 「あなたたちが願うことは何か?」「私たちが先生に願うことは簡単です。祝福してくださればよいのです」「祝福したらどうなるのか?」「地獄の門が開かれ、天国に行くことのできる道ができるので、私たちが世界を(御旨とは)反対の方向に一つにしようとしていた、その十倍以上努力します。そうする自信があります。聖人をすべて後ろに引き連れて行きます」。こう言うのです。 使徒パウロのような反対していた者を復帰してキリスト教の忠臣にした神様なので、堂々と自信満々に反対する悪党が復帰されるならば、神様がうまく使い、忠臣、王にもなり得るのです。 聖人であれ、何であれみな、自分のことを考えない人はいません。しかし、彼らは自分のことを考えません。一から百千万まで自分のことは考えず、完全に投入するのです。このような面から、逆に立てて利用するのが、より効果があるという時には、神様がそうするのです。全権時代なので逆賊たちをして、忠臣にすることができ、国を生かすことができるのです。そして、彼らを忠臣の班列に立てることができますか、できませんか?。(「できます」)。 孤独なお父様 真の父母はだれですか? 答えなければならないでしょう。苦労し、かわいそうで、神様が無念に思う真の父母ですか? そのような真の父母は、神様が願わないのです。真の父母は苦労もせず、幸福な位置に立つのが、神様の創造理想だったのです。先生が一番かわいそうでしょう。 今回、先生の生涯というものを、三家庭、三十六家庭、七十二家庭、「神の日」、「子女の日」、「万物の日」、「父母の日」、一つ一つを項目別に編成した本がこれなのです。四十年の歴史がこのように分かれているのではなく、もし先生が経てきた歴史を、すべて今のように記録していたら、どうなっていたでしょうか。これは否定することができないのです。 物にぶら下げるものを「おもり」といいます。そのおもりが重いので、おもりとしてぶら下げるのです。物には、ナイロンでもシルクでもなく、重いものをぶら下げるのです。分かりますか? 今、皆さんはその物となり、先生はおもりとなるのです。ぴたっとつるせば、風が吹いても帰ってき、水に流れても帰ってくるのです。おもりが必要なのです。そのおもりは、強風の中でつけるのです。 では、先生の歴史を隠してきたでしょうか、そうしてこなかったでしょうか? 孝進にも隠してきました。お父様のことを一つも知りません。先生がどれほど苦労してきたか……。背後で痛哭しながら「お父様」と、勝利して帰ってくることを祈祷すべきであったにもかかわらず、それも分からずに育ってきたのです。 自分の家の歴史を知らない人は、家門の伝統を受け継ぐことはできません。神の国の歴史を知らない人は、伝統を受け継ぐことはできないのです。それゆえ、天地間における神の国の歴史、神様の秘密の歴史、サタンの秘密の歴史、人類歴史の秘密の歴史を、だれよりもよく知っている神様が見る時、先生がだれよりもよく知っているので、神様も先生の後についてこなくてもよいですか?。(「ついてこざるを得ません」)。聞いていることは聞いているのですね。(笑) さあ、神様もついていくことのできる先生であるならば、皆さんはついてこなくてもよいですか?。(「ついていかなければなりません」)。何をしながらついていくのですか? おなかがすいた時、ご飯を食べながらついていくのではありません。眠い時、私を前に立ててついていくのではありません。 ついていく中で、孝子にならなければなりません。神様は、孝子・孝女をつくろうとしているのです。そうでしょう。(「はい」)。家庭の孝子・孝女。氏族の孝子・孝女。民族の孝子・孝女。国家の孝子・孝女を忠臣といい、世界の孝子・孝女を聖人といい、天地の孝子・孝女を聖子というのです。 それでは、相続は、どこまでいかなければならないのでしょうか? 聖子の道理を立て、神様が「おまえは、永遠に、永遠に、私の息子の中の息子であり、娘の中の娘であり、母親の中の母親であり、父親の中の父親であり、夫の中の夫であり、妻の中の妻である」と言うことのできる代表的な家庭と共に、神様は暮らそうとしたのです。 それが、アダム・エバが祝福を受け、定着すべき本然の家庭なのです。(「アーメン」)。そこには真の父母がいるのです。どこにいるのですか? 世界にいるのですか? それはどこから始まるのですか?。(「家庭からです」)。家庭です。 先生が蕩減をして、家庭的父母、氏族的父母、民族、国家、世界的父母、天宙的父母の位置に行くのです。悪なる兄が生じたので、これを収拾するために仕方がないのです。それを元返しておかなければ、長子を連れて、次子を連れて、天の国に入っていくことができません。これを引っ張ってくるのです。神様までも牢屋の身になっているというのです。 ですから、闘って元返し、世界に網を広げて引っ張り、そこに引っかかった百八十五か国のすべての魚(人)を捕まえなければならないのです。それは簡単なことですか、難しいことですか?。(「難しいことです」)。 統一教会という名前がありますが、あなたたちは郭錠煥が御旨に従っていると思いますか、朴普熙が御旨の通りになっていると思いますか? 朴普熙、郭錠煥とは一度も相談していません。相談したら引っかかるのです。真の父母になれないのです。独出派(何でも自分の考え通りに一人でする人)なのです。個人的に独出派であり、家庭的にも独出派であり、氏族的にも独出派であり、民族的にも独出派であり、国家、世界的にも独出派なのです。今、世界で文総裁を凌駕する人はいないのです。(「アーメン」)。(拍手) 郭錠煥に「三万双をしなさい」と言ったら、目がセメントのように固まっていました。(笑)三万双をすると言った人は、私しかいませんでした。どれほどかわいそうですか? 一人アリランというのがあるでしょう。独島(竹島)です。孤独に立っている独島です。独島という島のことを言っているのです。まさに私がそうです。独島のことを話したら、先生のことだと考えなさい。 そして、三百六十万双の時には皆、気絶しました。三百六十万双ができると思った人は、一人もいませんでした。あなたたちの中でいましたか? 思っていた人がいたら、手を挙げてみてください。それに自信をもっていた人がここにいますか、いませんか?。(「いません」)。 先生がいるではないですか? 先生も自信をもてませんでした。神様が「しなさい」と言うので、命を懸けるだけなのです。命を差し出したのです。その命を、髪の毛を切るように、大根を切るように、何百回も木を切るようにしてもよいと思い、命を差し出し、しがみつくのです。 愛は相対を通して成し遂げられる 絶対信仰は、絶対愛の存在を創造することができます。絶対愛をもって絶対信仰するところに、創造が展開されるのです。信仰のうえに愛の種を植えたので、芽が出たのです。芽が出たのですが、それをどのようにして育てるのですか? 自分自身を投入しなければなりません。絶対服従しなければなりません。服従ということは、自分の意識構造までないということです。分かりますか? ここにおいて、真の愛というものが始まるのです。投入して忘れてしまわなければなりません。 自分の生命以上に投入するのです。真の愛というものは、自分の生命を蘇生、長成、完成の三時代にかけて三度死んだとしても、また生きて愛そうとすることのできる、また投入しようとすることのできるものなのです。そのように三度以上、何千万回も投入しようと考えるところに、神様はいらっしゃるのです。 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 愛の相対は、自分の何億万倍になってもうれしいのです。女性たちもそう思いますか? 結婚していない女性たちは、世界の大統領になり得る男性と結婚したいでしょう。愛の相対は、自分の何千万倍も立派であることを願うのです。だれもがそう願うのです。 それでは、神様はどうだったのでしょうか? そのような思想はどこから来たのですか? 神様からです。それでは、本当の愛の相対はだれですか? 血統が連結されている者です。夫婦は血統が連結されているでしょう。それから、子女が連結されています。それゆえ、自分の妻、夫が、自分より何千万倍立派であっても、同居同参することができるのです。愛のひもで結ばれているので、それが可能なのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 子女がいくら病人で、その父母が大統領、神様であっても、その子女は愛を受けることができるのです。愛の相対は自分よりも高いことを願うので、神様ご自身もしかたないのです。 愛の種が出てきたので、その相対を育てるためには、自分の生命を百という基準で、これを百回、千回投入し、何億万倍投入して忘れるのです。そのように投入するのです。授け受けするのです。力を与えれば、作用が起こります。分かりますか? そのように与えれば、息子が愛を返さなければなりません。それゆえ、親子関係において、父母の愛と子女の愛は一つなのです。 子女に対する父母の愛はだれのものですか? そのようなことを知らないのですか? これは二つではありません。一つです。親子関係における愛というものは、二つが合わさってなされるということを知らなければなりません。それゆえ、分かれてはいけないのです。これは永遠なものです。自分の息子を、永遠に否定することはできません。自分の父母を、永遠に否定することはできません。永遠に否定することのできない中心の母体は、核にならなければならないのです。そして、大きくならなければなりません。これが大きくなってこそ、全体が大きくなるのです。球形をなすのです。 それゆえ、この愛はだれのものですか? いくら夫婦が千年愛し合い暮らしたとしても、子女がいなければ、父母の愛は永遠に復帰することはできません。それは正しい話ですか?。(「はい」)。愛は相対を通して成し遂げられる、ということを知らなければなりません。愛は相対を通して維持することができるのです。愛の主人になるためには、愛の相対圏を通過しなければなりません。その前には、母親、父親、息子、娘の愛の位置を復帰することはできないのです。このようになっているのです。 それでは、母親が愛の主人になれるよう、子女を愛する母親になれるようにしてくれたのは、だれですか? それは母親自身ではない、ということを知らなければなりません。子女によってそうなったのです。宇宙の根本であるこのことを知らなかったのです。 子女が父母を愛することができるように教えてくれたのは、だれですか? 子女一人では、探し出すことはできません。母親・父親が愛することによって、その子女は父母を愛することを知るのです。動機はだれかというと、子女であり、父母なのです。主人はだれかというと、相対であるというのです。父母の前には子女であり、子女の前には父母なのです。 交替したその立場で、愛の主人が探し出されたのです。交替して何をするのでしょうか? お互いが自分の位置を訪ねていこうと、回るのです。分かりますか? 運動が展開されるというのです。交替した位置に来て、お互いに抱き締めて運動が展開されるのです。これが宇宙の愛の出発動機であるということを知らなければなりません。 それゆえ、親子関係というものは永遠なのです。国の力をもってしても、神様の力をもってしても、これを分けることはできません。そうですか、そうではないですか?。(「そうです」)。これが最も貴いのです。親子関係です。アダム・エバは子女として成長し、結婚して父母の位置まで行かなければならないのです。神様は、循環運動をするようにつくられたのです。 真の愛はために生きるところから始まる 独身生活がどれほど悲惨であるか、知らなければなりません。人間の価値を根本的に無視するよこしまな人々は、地獄の奥底に行くのです。自殺も同様です。父母の愛を拒否し、子女の愛を完全に切ってしまい、夫婦の愛、それから兄弟の愛まですべて切ってしまうのです。 愛というものは、自分一人で独占することはできないということを知らなければなりません。宇宙の根本がこうであるということを、初めて話してあげるのです。今回、明らかにしてあげるのです。 自分一人では、愛することはできません。神様も一人では愛することができないのです。愛をもっており、生命、血統、良心をもっているのですが、これを発動させることのできる主人の位置に、だれが立ててくれるのでしょうか? 息子・娘なのです。それゆえ、神様は息子・娘をつくらざるを得ないのです。息子・娘を生まざるを得ないのです。なぜ、結婚をするのですか? 愛のためです。なぜ、愛するのですか? 息子・娘を生むためです。 このようにすることによって、父母の愛の主人になることができ、子女の愛の主人になることができ、夫が愛の主人、妻が愛の主人、兄弟が愛の主人になることができるのです。その愛は自分を主張すれば、すべて壊れてしまうのです。それゆえ、真の愛はために生きるところから始まるのです。愛の主人の位置は、ために生きるところから出発するというこの原理を、はっきりと知らなければなりません。 このようなことを考え、「上下」と言う時、上を主張する時は下を認めなければなりません。「左右」の左と言う時は、右を考えなければなりません。「前後」と言う時は、前より先に後ろを考えながら言うのです。女性という言葉は、男性を認めて言う言葉なのです。すべて同じことです。父母を考える時は、子女を認めて言う言葉なのです。同じ話です。 このようなために生きる天理の道を知らなかったので、堕落したのです。これだけを正せば、サタン世界は完全に退いていくのです。サタンは、「私のために生きろ」と(反対に)引いていくのです。愛を破綻させたということを知らなければなりません。このような論理で、愛が破綻したということを、きょうはっきりと理解しなければなりません。 自分を主張するよこしまな人々は、堕落した世界のサタンの罠に引っかかっているということを知らなければなりません。釣り竿の釣り針に引っかかっているのです。全体のために、お互いがために生きなければなりません。そのようにすれば、上がっていき、大きくなるのです。抱いてあげ、お互いに保護してあげるので、大きくなるのです。その世界は滅びません。 真の父母は、だれがならなければならないのですか? 先生が苦労して真なる家庭をなしたのですが、真なる家庭とは何ですか? ぼろぼろの板のような家庭になってしまいました。 天下がみな、手を挙げて万歳を叫び、「祝福を受けた家庭、万歳」と言う時、この人たちを見てついていくのです。教育しなくてもついていきます。そのような憲法が制定されるので、皆、行くべき道を行くのです。最近では世の中の法も恐ろしくて、皆守っています。そのようになれば、全体、全般、全権、全能の世界になるのです。思い通りにすることができるのです。 愛には、許すことができない法はありません。しかし、父親を殺し、息子を殺し、夫を殺し、妻を殺し、兄弟を殺した罪は許されないのです。神様を殺してしまったので、世の中のすべてのこと、理想的な父母、夫婦愛の原則の中心の王を殺してしまったので、その悪魔が行くところがどこにありますか? その悪魔の後孫は、すべて滅んでいくのです。 親族の相姦関係において、家庭という型が故障してしまいました。これを直すことのできる医者は、天下に文総裁しかいません。神様ですら思い通りにできないので、私にお願いしなければならないのです。なぜ、お願いしなければならないのですか? 堕落して偽りの父が生まれたので、完成すべきアダム、真の父が医者になるのです。真の愛は、それ(堕落)とは反対です。結婚を間違ったので、世界万民はもう一度結婚するのです。 今から見ていてください。三億六千万双の祝福を終えた後は、結婚していない人たちが結婚をしようとする時に、統一教会を研究しない人は地獄に直行です。それは世の中を知らない人々なのです。 三時代を経る 頭は何かというと、この地球を表します。人間全体の生涯を表示しています。これ(口)は水です。水として腹中時代を象徴するのです。そこから上がっていきます。鼻の時代です。これは空気の時代です。母親の腹中から生まれて、空気時代です。その次に目の時代です。これは太陽時代です。愛は光です。それは光の世界なのです。 三時代を経ていくのです。トンボも水の中で暮らし、そして地に上がってきて殻を脱ぎ、その次に飛び回りながら虫を捕まえて食べるのです。それも三時代を経ていくのです。万物の霊長も同様です。 腹中時代の母親のおなかの中から出てくる時は、自分が暮らしていた所帯道具を抱えて出てきますか、すべて破壊して捨てて出てきますか? それを一つでもぶら下げて出てきたら、大変なことになります。へその緒で食べることもし、息もしていたのに、それを切ってしまったらどうなりますか? 死んでしまうでしょう。しかし、母親のおなかの中から出てくる時には、それを切ってしまわなければなりません。無慈悲に切ってしまわなけれならないのです。すべて破壊して出てくるのです。 そして何をするのですか? 上がっていくのです。へその緒から愛の綱へ上がっていくのです。それを知らないでしょう。生まれて、母親を中心として愛の空気を吸わなければなりません。母親と父親の愛の綱を通さなければなりません。愛を食べるのです。 父親は、子供たちがどこかに行って家に帰ってくるとすぐに、「お母さん、どこにいるの?」と言うのを見るのでしょう。「お父さん、どこに行ったの?」と、聞いたことがありますか? それを悪いという父親は、泥棒の性格が多いのです。なぜそうなのでしょうか? 体の血、肉、骨、すべて母親から受け継いで出てきたのです。父親のものは精子一つしかありません。最近の言葉で言えば、それはコンピューターのプログラムです。見えないのですが、そこにすべて入っているのです。母親のおなかの中は畑です。畑にある栄養素をすべて吸い上げて、水の中から生まれてくるのです。 地上に出てきて、母親の懐に入っていけば、それは植物時代です。この地が、第二の父母であるということを知らずに生きているのです。万物が私の体と連結されているということを知らずに生きているのです。万物を愛さなければなりません。 水中のおなかから出てくる時、その門は狭いですか、広いですか?。(「狭いです」)。どれくらい狭いでしょうか。それゆえ、母親の骨盤は開いたり閉じたりするのです。これがこのようになって子供を生めば、元に戻らなければなりません。胎児が大きくなるのに合わせて、ぴたっと同じようになるのです。 一人の人間の生命を創造することを通して、再創造の神様の苦労を、女性が理解しなければならないのです。どれほど神様が苦労したのかということを理解しなければなりません。神様の前に孝女になれなかったことが恨なのですから、子供を生む痛みを感じる時に、「神様は私たち人間を創造する時、このようにつくったのだ」と思わなければならないのです。 そして、東西四方、十二人以上の息子を生めば、東西南北、春夏秋冬の子供たちをもつようになるのです。このうえなく調和した息子・娘をたくさん生んで育てた人は、あの国に行って福を受けるのです。この国においてもそうです。子供をたくさん生んで育てた人、弟子たちを本当の父母の位置でたくさん生み育てた人は、あの国の高い位置に行くのです。 それで、空気の世界から愛の世界に移るのです。神様が、この宇宙の根本の父母ではないですか。天の父母が、私たちの体と一緒によちよち歩き回るのがよいですか、千里の道を一瞬で行ったり来たりするのがよいですか? 神様は、太陽系が一千億個にもなる大宇宙を、一瞬のうちに行ったり来たりすることができるのです。霊界に行って、愛する人がいてその人に会いたいと思えば、すぐに現れるのです。すべての人に出会うことができます。神様のように行き来しなければなりません。 夫婦げんかをしてはいけない 祝福を受けた人は手を挙げてください。下ろしてください。では、夫婦げんかをしましたか、しませんでしたか? お父さん・お母さんがけんかするところを、子供たちに見せましたか、見せませんでしたか? 見せたならば、悔い改めなければなりません。父親・母親がけんかすることが、子供たちにとって、どれほど衝撃が大きいか知っていますか? 子供たちは直接、口に出して言わなくても、父親・母親のモデルが崩れてしまうのです。 父親と母親がけんかして、子供たちが「お父さん、お母さん、けんかするな」と言うのは、サタン世界でも悪いほうに入るということを知らなければなりません。分かりますか。(「はい」)。自分の思い通りに暮らしてはいけません。 ですから、息子・娘に関してすべてを知らなければなりません。息子・娘が多くても、自分の部屋に入ってくる足音を区別できなければなりません。いくら涙を流していても、涙をふきなさい 夕べ対していた理想の心で、対することができなければなりません。それゆえ、怒ったまま、三日間過ごすことはできません。三時間でも過ごすことはできません。息子・娘が訪ねてくるのを、怒った心で対することはできないのです。それが、純潔な子女に対して、父親・母親がすることですか。 今まで、たくさんけんかをしたでしょう。今までは教育をあまり受けていなかったので分別がありませんでしたが、もう教育を受けたのですから、これからはそのようにしてはいけません。 真の愛は、ために生きるところから始まり、三時代以上犠牲になっても継続しなければなりません。自分が夫を再創造し、妻を再創造して、神様の前に捧げ、「おお、よくやった」と言われてこそ、理想相対なのです。立派な人同士が出会うのですか? 美男子が美女に出会うのですか? それは、泥棒の子供たちです。先生は、そのようには結んであげません。 理想相対とは何ですか? 蕩減復帰して再創造するのです。涙を流し、血と汗を流し、自分の精誠を込めて、自分の愛の相対をつくるのです。復帰歴史を理解すれば、苦労を投入しない夫は泥棒の息子であり、苦労を投入しない妻は泥棒の女であるというのです。そのような人は、子供を生んではいけないということを知らなければなりません。今までは、分からなかったでしょう。それを知ったので、きょうから新しい時代に入っていくのです。 三億六千万双の時代は、真の祝福天宙化です。今からデモをするのです。真の父母になろう 真の父母、真の家庭、真の血統という三大題目をもって、世界中どこであれ、デモをするのです。 一つの国を中心として、その十二か都市で百二十回しなければなりません。国家はイエス様時代を蕩減するのです。十二弟子と百二十門徒は、家庭をもつことができませんでした。今から十二の中央都市を中心として、百二十回以上デモをしなければなりません。大きい国は二十四か所、もっと大きい国は三十六か所を中心として、そこでデモをするのです。 統一教会の先生は百六十家庭、百八十家庭です。しかし、十二か所、もしくは三十六か都市で百二十回デモをすれば、百六十回、百八十回デモをしなくても大丈夫です。国と一つになり、一日デモをすれば、百八十、千八百、一万八千以上の時代、全体解放時代に越えていくのです。 共産党はデモをして神様の御旨を破壊しましたが、先生は大会を通して復帰していくのです。数多くの大会をしました。今では、大会をして基盤を築いたので、二年、三年もデモをすれば、統一教会の祝福を受けていない人がいなくなります。その次からは法が出てくるのです。法制度とし、島国から復帰してくるのです。そのように教えてあげているのです。「分かりません」という言葉は先生には通じません。 蕩減の役事をするのが真の父母 孝進はしっかりしなければなりません。分かりますか? 先生が愛することのできる息子にならなければなりません。お父様は愛したのです。あなたも息子・娘に会いたくないですか? 同じことです。 妍娥 夫を再創造するのです。どこにでもついていきなさい。(「はい」)。ちょろちょろとついて回りなさい。お母様にも私が、ちょろちょろとついて回る自由を許可しました。三年路程は悲惨でした。涙を流し、どれほど慕わしかったことでしょうか。指で戸に穴を開けていました。むやみに対することができないのが、妻というものです。そのような伝統を受け継がなければなりません。分かりますか?。(「はい」)。今からそのようにするのです。 歴史的大転換時代、家庭理想天国に向かう時代において、真の父母とはだれですか? 堕落した世界を復帰するための蕩減の役事をしてきたのが、真の父母の位置です。蕩減のない子女を抱いたことがありません。一代でできないので、二代でこのことをしなければならないのです。あなたたちは、一代ですることができるのですから、先生よりも福があります。 ある祝福を受けた家庭に、先生が家庭(先生の家庭)を率いて入っていき、寝ることができるのです。それゆえ、先生の息子も見本にならなければならず、皆さんの息子・娘たちは、先生の息子・娘と一つにならなければなりません。三代が横的に一つになり得る環境的条件を成し遂げなければ、地上に天国が到来することができないということを知らなければなりません。 神様の手の先に刺さったとげまで抜かなければなりません。人間として生まれた人、母親と父親の血統を受け継いで生まれた人は一人も残さず、祝福の場に導かなければなりません。それで、腹中においては重生式、生まれた後は復活式、その次は永生式である祝福です。 血統根絶ということを目標として前進するのが、私たちの責任です。真の父母の代身であり、イエスの代身であり、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤ、神様を代身しているというのです。家庭的な王、家庭的世界の王、国家的メシヤはすべて過ぎ、天宙の王圏をすべて設置しました。家庭においてできなければ、世界の家庭に設置するのです。家庭において親不孝をし、逆賊になったとしても、世界の忠臣の位置に立てば、すべて解放されるのです。 そのように、相いれない環境を無視して、次元の高い前進的未来の基盤が残るようにしなければならないのが、真の父母である先生の責任であり、天の父母の責任であるということを知らなければなりません。それゆえ、皆さんの家庭が、神様を代身し、来られる再臨主を代身し、国家的メシヤを代身し、氏族的メシヤを代表した種になるのです。種はすべて同じでしょう。 それで、種のような家庭になるというのが、四位基台完成です。そして、「四・四節」が出てくるのです。今回、「四・四節」を中心として、天国に入っていくことのできる家庭は解放しましたが、天国に入っていくことのできる宇宙は解放していません。それが、「真の祝福の天宙化とサタン世界血統根絶」なのです。天宙的です。天地を代身し、神様を代身して、プンタデルエステで一月八日、発表したのです。 今からは、天地すべてをかき抱き、逆さまに打ち込み、新しい方向、天国に行くことができるのです。それゆえ、サタン世界とは永別です。ですから、皆さんが行く道には迫害がありません。迫害がない位置で、幸せに暮らさなければなりません。 自分の内的なすべてのことをきれいに掃除し、いくら行っても、天下に引っかからない家庭をなすのです。家庭を中心として氏族圏で歓迎され、民族、国家、世界、天宙、神様の前においても歓迎されることのできる代表的家庭を完成させなければならないのが、祝福家庭なのです。堕落前の、本然の全体代表の位置にあったアダム・エバの家庭的基準を蕩減するのです。アーメン(「アーメン」)。 寝る時も、一人で寝てはいけません。天宙と共に、世界と共に、国家と共に、民族と共に、氏族と共に寝なさいというのです。それらを代表しているので、「私は力不足だが、私が先に行って力を尽くして後援し、人知れず努力しよう」とする人たちは、天の国の中心的な家庭となり、中心的な家庭的核になるのです。 教会に多くの献金が集まろうとも、先生が個人で持っているものは一銭もありません。すべて世界のために使ったのです、世界のためにです。その町内でかわいそうな人がいたら、「私が責任をもとう」と思い、先生のように生きなければなりません。枝を折らないようにし、腐らせないようにしようという心をもってこそ、茎や幹や芽が育ち、全体が生きるのです。それゆえ、全体を代表した家庭なのです。 霊界をはっきりと知らなければならない 皆さん、立ってください。第五番の盟誓文は何ですか?。(「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」)。それはどういうことですか? 霊界を知らなくてはいけないということです。 最近では、皆さんが「訓読会」をすることによって、霊界についてたくさん分かるようになったでしょう。(「はい」)。はっきりと知らなければなりません。先生はこの道を闘ってきたのですが、霊界を知らなければそれはできませんでした。 真の愛を中心として何ですか? 毎日、主体的?。(「天上世界と」)。対象的。(「地上世界の」)。何に向かって?。(「統一に向かって」)。統一に向かって前進的発展です。前進していくのです。前進していくのにも、発展のために促進化するのです。それを知らなければなりません。 どうしたとしても、私が先祖から受け継いだすべての罪の殻をこの地上で完全に脱がなければ、神様の愛を受けることのできる、解放的な天国のその懐に帰っていく道はないのです。ですから、家庭復活です。家庭が進んでいくうえで、世界で妨害になるものをなくさなければなりません。 祝福を受けた家庭は、先生が家に来ることを願っているでしょう。あなたの家に来ることを願いますか?。(「はい」)。いつ行きましょうか? いつ行くか分かりません。十年間待ちながら、宴会のお膳を準備しておき、来るや否や数時間以内に宴会をするのです。そのような心をもたなければなりません。そのような家には、先生が過ぎていこうとしても、訪ねていかざるを得ないのです。訪ねていくことができなければ、車が故障して、その家に訪ねるようになるというのです。精誠を尽くさなければ、考えられないことです。 霊界を知らなければなりません。先生が霊界を知らなかったら、この道を行くことはできません。霊界のお父様が私のお父様です。それで、霊界の秘密をだれよりも知っているのです。 避難している時にも、おなかがすいた時、先祖たちが動員され、通りすがりの道端に食膳が準備されていたのです。そのようなものをたくさん食べました。そのような話をすれば、うそのような話がどれくらい多いか分かりません。それゆえ、そのような話をしないのです。 アダム・エバが堕落しなければ、結婚の前に、神様の所有権はなくなったでしょうか? 結婚の後にも、所有権をもっていたでしょうか? ここで所有権をもっていたら泥棒です。国であれ、だれであれ、すべて泥棒なのです。結婚する前は、その所有は神様の所有なのです。堕落の後に、人間が所有権をもったという事実は、神様を追放したということです。追い出したのです。物質の所有権、愛の所有権、家庭の所有権を破壊してしまったのです。 この怨恨をもっている神様の前に、その怨恨を知っている真の父母の前に、これを蕩減し、世界万民が真の孝子になり忠臣になるためには、自分のもつすべての宝物、自分の生命までも捧げて、「これをすべて父母のものとして、神様に返してください」と言うことができなければならないのです。 そのようにしなければならないはずです。それなのに、ジャルジンに行って教育を受けるお金がないというのですか? ご飯は食べているではないですか。「子供の教育費にお金がかかり、来られない」と言うのですか エデンの園でアダムに子供がいましたか? 子供の教育がありましたか? 真っ裸の人しかいませんでした。すべてをなくして、足の裏から骨が出て血を流したとしても来なければなりません。 日本が責任を果たせないので、しかたなく、私が責任をもって日本大会を……。日本でできなくなっては駄目なのです。そのようなことを考える者が一人もいませんでした。では、「オリンピック・メインスタジアムで祝福をしなさい」と言ったのは、よかったのですか、間違っていたのですか?。(「よかったです」)。その日は、氷がガチガチに凍って、零下五十度以下に下がり雪が降れと、私はこのように考えているのです。 祝福基金を出せないのですか? この者たち 公金で借りをつくり、暮らしているのですか? 許すことはできないのです。それを知らなければなりません。借りをつくってはいけません。二〇〇〇年の四月までに、きれいに整備しなければなりません。責任者たち、分かりますか 先生はそのように生きてきました。私の手には一つもありません。今までに購入した土地も私の名前では買っていません。父母は父母として、子女たちが飢え死にしないように準備しているのです。 では、総、何ですか?。(「生畜献納基金」)。一度言ってみなさい。それは何というのですか?。(「総生畜献納祭」)。それは何ですか? 堕落した偽りの父母によって、一つずつ奪ってきて泥棒になったので、真の父母を中心として世界をすべて結んで捧げなければならないのです。捧げる前には、先生は主人の役割を果たすことができないのです。それで地上に王圏、天上に王圏を築き、この地上で暮らして行ってこそ、天上世界も完全に合徳になるのです。合徳とは、一致するということです。天地が一つになるのです。 ご父母様の前に、不孝、逆賊という名を残してはいけない あなたたち、整備しなければなりません。就職が何ですか。 私は無慈悲な人です。それを悟り、そのようなご父母様に侍るうえで、脱線しないように、あらかじめよく準備をしておきなさい。千里の道を一息で走ろうとするご父母様の前に、不孝、逆賊という名を残さない祝福家庭になることを、懇切に、懇切に、懇切にお願いします。見本となる家庭にならなければなりません。ならなければ、私が審判してしまいます。自分勝手に暮らしてはいけません 今からデモをするようになれば、一族、金氏なら金氏一族が、山の中であれ、どこであれ、祝福を受けていない人がいたら引っかかるのです。一軒でも残したらいけません。デモをすれば、一瞬のうちにそのようになります。 キリスト教の人たち 残るかどうか見ていなさいというのです。アメリカの有名な牧師たちには、ご父母様に侍る祭壇を整える人たちが数多くいるのです。秋の葉は、一つ一つ落ちていきます。分かりますか? 鈍感な人は分かりません。秋を知っている人は分かるのです。キリスト教の看板はすべてなくなります。霊界には、カトリックの天国があると思いますか? そのようなものはありません。霊界のことを知らないのです。 さあ、そのような厳粛な審判、大掃除の審判の日が到来するのです。その世界の前に、皆さんの家庭が引っかからないように、親子関係、夫婦関係、子女関係、理想的な祝福を受けた家庭にならなければなりません。 アダム家庭の堕落していない家庭は、すべての家庭を代表するのです。長子権、父母権、王圏を個人時代、家庭時代、氏族、民族、国家、世界、すべての八段階を越えて、天宙解放圏までも、その権を備えることができず、失ってしまったというのです。 皆さんが世界の家庭を代表し、天地父母を代表して、世界的父母、国家的父母、氏族的父母、家庭的父母まで、家庭を代表した位置において、蕩減のない解放の位置に行こうとすれば、その方の血統を受け継がなければなりません。先生がこのことを代身してなしたので、その血統を受け継がなければならないのです。 先生がそのようにしたら、皆さんは、枝や葉、すべてを備えなければならないでしょう。分かりますか、分かりませんか?。(「分かりました」)。そうしない者たちは、その家庭を先生が審判してしまいます。統一教会の歴史時代の悲惨な歴史の血を吸い取ってしまう家庭は、許すことができません。すべてのことを掘り返して、あからさまにしてしまうのです。見ていなさい。しなければ、霊界でも呼んで、通告するのです。 そのような恨を解いていくのです。そのような恨を抱いた神様が、怨讐を愛さざるを得ないのです。そのような神様の心のうちを、私は知っているのです。神様は「そのようにしてくれ」とは言うことができないので、「私がそれを解き、根まで抜かなければならない」と決意して以来、すでに随分と時がたちました。 南米で暮らして一年ぶりに来て、そのように決定的な、そのように悲しいやりきれないことを言う、と考えてはいけません。悲しい無念な話は、喜びと解放の日が訪ねてくるので、そのような話をしてあげるのです。分かりますか、分かりませんか。(「分かります」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×60缶 2BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ
2023.07.26
コメント(0)
人間の行くべき生涯路程この講演文は、1999年1月17日から25日まで、韓国の8都市で開催された真の家庭世界化大会で語られたみ言です。 高名なる紳士淑女の皆様、きょう「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、御来場をいただき、心より感謝申し上げます。 今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界の間に不信と戦争が絶え間なく続いています。ところで、この諸般の問題の解決は神人愛一体理想を知ることによって克服することができます。 神様が人間を創造した目的 人間はなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本的問題です。ある人は自分の国のために生まれたと考え、ある人は自分の父母のために生まれたと考えます。あるいは自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは神様のために生まれたとも考えるのです。 しかし、神様が宇宙を創造なさった目的が人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造なさった目的や天使が人間創造に協助した目的、万物が人間に投入された目的、そして人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。 全体がみな喜ばなければなりません。人間創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜ぶことのできるそういう共通の内容でなければなりません。 それはもてばもつほどうれしく、一度もてば永遠に手放したくない、そのような何かなのです。それは外的な内容ではなく極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件であるだけです。そのようなものはすべて人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えることができないのです。そのようなものはみな流れていくものです。そのようなものは自分と一時的な相対関係を結ぶことはできるかもしれませんが、永遠の相対関係を結ぶことはできないのです。 さらに神様はお金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでもつくることができます。神様は万物を造るとき、原理原則を通して造ったがゆえに知識の根本でもあられます。そして神様御自身は創造主として権力の主体であられるがゆえに、権力が必要でもありません。 それは、人間の努力だけで追究できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かし得る、そのような何かでなければならないのです。 このように見るとき、それは真の愛しかないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして死ぬときも愛のために死ななければなりません。したがって私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いのです。そして、それだけでなく、愛が生命よりも先なのです。したがって愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。 愛は永遠なのです。小説や詩のような文学作品を見てもすべて「不変の愛」「永遠なる私のあなた」という表現が多く見られます。これは、私たちが瞬間的な愛、限られた時間内の愛を願うのではなく、永遠な愛を願うということなのです。 愛は神様も微動だにできなくさせる権威をもっています。神様も愛には弱いというのです。全能なる神様も人間の愛の香りをかぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も愛の話が好きなのです。話だけでも好きなのに実際に愛すればどれほど喜ばれるでしょうか。 私たちの体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻も臭いをかぐために生まれましたが、臭いの中でも愛の香りをかぐために生まれたのです。耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。 真の愛は宇宙創造の起源 したがって、あらゆる存在が互いにみな喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないというのです。その愛とは、大宇宙が歓迎することのできる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる、そのような愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、みなその中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発源地とは、正に真の愛なのです。 人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くことを経験することができます。また、自分が今この空間に極めて小さなものとして存在しているとしても、愛を中心としては極めて大きな存在と共同的で共通的な、そして同等かつ対等な相対的権限をもつようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様ならば、私は愛の権威によってその絶対的な神様の相対的な立場に上がることができるのです。 神様の属性が愛であるからです。したがって神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行こうと自由なのです。神様の愛に酔えば、砂粒一つを千年見つめても飽きないのです。自分の手を見つめれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜、一人で横たわっていると、暗い夜にもかかわらず、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ていると感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば丘に上がっても万物が喚声をもって歓迎するのを感じることができます。皆さんもこのような経験をしたことがありますか。 私たちが、自分が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「我を見よ」と自慢するほどなのです。神様が実験室で研究している途中に最も理想的で、爆発的な発見があったとすれば、それは正に自分だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場として造られた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てくるのです。それゆえに自殺することは最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。 監獄に入って、拷問で血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄に染みる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死ぬような環境も幸福な立場だと考えていくことができるのです。 このようなことを考えるとき、男性も女性も愛の力の中にいる人は強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができないのです。そのような人の前にはサタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。したがってこの宇宙愛を中心として神様が人間を代表して呼ばれるとするなら、その方が正にメシヤです。イエス様がその代表者なのです。メシヤを通さなくては宇宙愛を見いだすことができないのです。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。 イエス様が「私は道であり、真理であり、命である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・六)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。誰でもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がもっとはっきりするのです。 私は父母の生命、愛、理想の結実体 私たち人間は父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の主人として生まれたのです。したがって両親は私一人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。ですから両親に対して同等な立場で権利を主張することができます。「お父さん、お母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、お父さん、お母さんは「そうだ」と言うのです。また自分も両親がいなければ不幸なのです。なぜなら父母が原因で私は結果であるからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって一つの愛の実体圏を成すのです。これが宇宙の道理です。 統一教会の原理では主体と対象が一つになるところから力が出てくるといいます。したがって原因である両親が自分と一つになれば、主体と対象が一つになって、一体となったがゆえに新しい対象となり、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体対象関係を成すならば、神様と人間は完全に一つになるのです。神様と人間の愛の圏が成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。 自分はお父さんとお母さんの二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びが大きいとしても、なくした子供に出会ったときの喜びとは比較にならないのです。ですから子供は父母の最高の理想と一体だというのです。 自分にはお父さん、お母さんの生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されているので、この綱は誰も切ることができないというのです。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。 したがって私がどこに行っても、お父さん、お母さんがついてくるようになります。あの霊界にまでもお父さん、お母さんはいつも共にいようとするのです。ですからお父さん、お母さんが同行することを嫌うのは最も大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為なのです。父母を連れていくことを嫌うのは、既にその人が原則から離れて堕落していくということを意味します。 したがって父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが人間において最高に価値あることです。「円満な家庭に福が来る」という言葉も、みなそこから来るのです。反面、父母が離婚することは刀で子供を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母はどこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。 物質世界、父母、神様は三大父母 自分は三大父母を通じて生まれました。最初の父母は物質世界です。物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質元素自体が私を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は愛の理想の立場においてのみ安着するように宇宙はできています。 愛の理想の立場ですべての細胞が楽に生きられるようになっています。もし腹を立てれば、みなこじれてしまいます。次に、自分の体を生んでくれた父母が二番目の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかし、この父母はどんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。 愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三大父母をもっているのです。 人生が経る三時代の意味 私たち人間の一生を見てみると、腹中時代十カ月、肉身時代百年、そして霊魂時代千年万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば目、鼻、口の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せているのです。口は物質世界の腹中時代を象徴し、鼻は人の世界の地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。 赤ん坊が育つお母さんのおなかの羊水の中は、赤ん坊には正に自由天地です。お母さんのおなかの中ではいつも背中を曲げていなければならず、また勝手に足げりもできず、鼻も口もみなふさがっているのですが、ここは赤ん坊には自由天地だというのです。赤ん坊に必要なすべてを供給するパイプがへそについていて、へそでだけ息をしなければなりませんが、そのような世界が赤ん坊には自由天地なのです。 赤ん坊がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中に出て、口で蜂蜜も食べて、餅も食べて、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、その腹の中から外に出るかと思って「ああ、出なければいい」と言うのです。しかし「出たくない」と言っても、時が来ればみなはじけて出るようになるのです。水(羊水)が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれるのが安産です。 赤ん坊は生まれるや否や、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。 おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな破壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に地球星のお母さんの所に生まれるのです。生まれて口で食べて鼻で息をするのです。ところが地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。したがって、この世の中で愛という空気を吸わなければなりません。お母さんから、お父さんから、愛の空気を吸わなければなりません。 赤ん坊が生まれるとお母さんの愛の電波に沿って自動的に乳首を探しにいきます。醜女でも美女でも関係なく、お母さんであればいいのです。これこそ創造の妙味であり、神聖で偉大な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。このような立場で見るとき「私」というものは、父母の愛の実なのです。お父さん、お母さんの愛がどうだということを実際の実として見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。 その実を通して無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛まで連結することのできる道がここにあるというのです。 出生したのち、肉身時代には自分を生んでくれた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚というものです。 父母は結婚するまで責任をもつのです。結婚してお父さん、お母さんが愛し合ったものを引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子供を生んで育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になるのです。そのようにして完全な一人の男性、女性として成熟するのです。 父母の縦的な愛で生まれて成熟し、横的に愛するようになって初めて、総合的な愛の圏を見いだすことができるのです。天地は球形世界であるがゆえに、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それが授受して回り、すべてが総合されて一つの調和のセンターとして現れるのです。したがって天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので思春期というものがあるのです。 思春期には、ただ秋風に落ち葉がころころ転がるのを見るだけでもいいと言うのです。乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、思春期には「あ! また来た。またやってるな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも髪の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲深くなるのです。それが愛の横的な現象なのです。 家庭を中心として人生が行くべき真の愛の道 したがって人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは縦横の愛を体恤していくことです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。 そして彼らが縦横を連結させることのできる真の家庭の形態を成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏でもって神様と連結されるようになるとき、真の愛で連結されたその世界を天国というのです。 夫婦が愛するということは、神様を植えることです。本来父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして息子、娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体であられるので、真の愛と連結されればみな同じ体になります。父母は神様の身代わりの生きている神様であり、夫婦も神様を身代わりし、子女も神様を身代わりするのです。このように三代が真の愛を中心として神様の立場を身代わりするのです。 それゆえに父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心になされた家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を成さずには、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭であるということを知らずにいるのです。ですから家庭を破綻させることは、国と、世界と、宇宙に対する反抗になります。 家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は宇宙全体の父母として愛の複合的な中心の立場にいらっしゃいます。 真の愛を中心として男性と女性が一つになって理想的な夫婦となり家庭を築けば、彼らは神様を身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そうなるとき、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから私たちは万物を征服したい気持ちになるのです。 男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男女が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。したがって理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなくてはなりません。 三時代の人生において絶対必要なものは真の愛 尊敬する御来場の皆様! 真の愛が偉大な理由は真の愛で神様の対象になることができるし、神様も自分自身になることができるからです。聖書にも「神様が自分の中にあり、イエスが自分の中にある」という内容があります。父が息子の中に、孫がおじいさんの中に、おじいさんが孫の中にあるという言葉はここから生じた言葉だと考えます。 おばあさん、おじいさんは孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また、孫はおばあさん、おじいさんと一つになるべきです。おじいさん、おばあさんは神様と同じ立場であるので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ縦的な愛の軸を探すことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、三六〇度に動くことができますが、縦的なものは一つの点で動くことができず、分離することもできないのです。 ですから愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。したがって真の愛を中心として犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活を送れば、人間は自動的に中心的存在になって二つの世界を主管し、一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在なさるようになるのです。 全霊界と全宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一することができるのも、全体の家庭を理想化させて一つにすることができるのも真の愛です。それで今日、人間が地上に暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。 真の愛は人間や霊界だけでなく、すべてが好むことです。ですから真の愛をもった人は動物も植物も好んで、彼を主人として迎えようとし、いかなる存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は真の愛をもって生きる男性、女性の前に近づこうとして彼と共に生き、彼により主管されることを理想とするのです。 したがってこの世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人という結論が出てくるのです。人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりももっと遠くに飛び、どんな飛行機よりももっと速く地球を回るためには、実体の肉身ではできません。どんなに飛んでもいくらも行くことができないのです。 人は万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に三十万キロメートルを走る電気や光よりもっと速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるというのです。稲妻よりも速いのです。このように思いとともに歩調を合わせて作用できるのが霊人体です。 しかし、世の中で一番速い作用とは愛の作用です。世の中で一番速度が速いのは電波ではありません。世の中で一番速く、高く飛ぶことができる力をもったものが愛です。この地の果てとあの地の果てにいる人間同士で愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそういう力をもっているのです。真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では神様が願うことすべてを即刻所有できる能力と権限をもちます。 そして、そのような資格は地上で成し遂げなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点がなされてこそ、そのような立場に進むことができるからです。神様の真の愛は同胞を愛するとか、世界の人を愛するとか、万物を愛することによって感じることができます。どの国の人でも五色人種を愛する心をもたなければならないのです。人だけでなくて微々たるものまでも愛することができる、そのような心をもたなければなりません。自動的にそれがわき出てこなければならないのです。 花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出るのです。同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないのです。そうするには、その愛の花を咲かせることのできる栄養素を受けなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通じて栄養素を受けるのです。それで、肉身を通じて生力要素を受け、その次には霊人体を通じて生霊要素を受けるのです。 そうすることによって自分が愛の完備体になって、どこでも飛んでいくことができます。そのようになれば、太陽系やすべての大宇宙世界は、全部自分の活動舞台になるのです。 霊界は愛を中心とした世界 人間が肉身生活を終えたのちには、第二の出生をするのです。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した愛が供給されるのです。理想的な愛が供給されるというのです。ですから、霊界では統一されざるを得ません。 死ぬ瞬間からは第二の空気世界をけ飛ばして、新しい第三の愛の呼吸気管に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛をけ飛ばして霊界に入って、結局は大宇宙の神様の本体に化した愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。 霊界は愛の空気でできている世界です。愛の空気でいっぱいです。ですから私たちはこの地上世界から愛の息をすることができるもう一つのパイプ装置をしかなければなりません。そして霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないというのです。 霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。したがって完全な愛の人格を成し遂げることができなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じません。門を通ったとしても一つの門だけを通らなければならないのと同じです。 春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて暮らすことのできる資格を備えようとするなら、完全な愛の人格を具備しなければなりません。ですから三時代を経るように人間を造ったのです。 とんぼも幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらくはい回ります。その次にはひらひらと飛び回り、陸地で食べるだろうとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中では翼があって三段階世界を経るものが多いのです。 昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らします。ましてや万物の霊長である私たち人間はもっと次元の高い翼をもっているのです。私たちは神様の代わりに愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生んで、愛の目的地に到達して永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。すなわち私たちの一生とは、愛で始まって、愛で熟して、愛の実として収められるのです。人が死ぬということは、愛の実を収めることです。 私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛することによって、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、私が一生をかけて実を結んで収め、あの世に行くのです。したがって私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様の前に、永遠に相対的な神様になるのです。真の愛を中心とした夫婦が死ねば、そのようになるのです。そのように神様で始まって神様で締めくくるのです。 人間が死ななければならない理由は、体をもっていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の愛の対象的実権をもって現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから無形の霊にならざるを得ません。 さらに、愛の理想を全天地と同一化するためです。ですから、死は苦痛の道ではなく、宇宙的な愛を所有することのできる幸福の門を開門する時間なのです。 死ぬということは、歩き回る陸地の世界から、ひらひらと飛び回って暮らすことのできる世界に移ることです。 全宇宙を自分の舞台にして、愛で楽しむことのできる旅行の資格者になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることなのです。 私たちは初めお母さんの胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、全部け飛ばして破ってしまって生まれるのと同様に、私たちの霊人体に対して肉身はふろしきのようなものなので、これを切ってしまって飛んでいくのです。したがって人間は結局水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠なる真の愛の世界で暮らすようになるのです。 霊界では生命の要素が愛であるので、愛を通じた命令にはすべてに不可能がなく即刻なされます。そこでは億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物を準備して、あっという間に宴会をすることができます。そのとき列席する貴賓たちが、みな王女、王子になりたいというときは、本物の王女、王子になるのです。それが可能なのです。 皆さん、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいですか。あの世に行きたいですか。腹中にいるときは「腹中が一番いい」と言いながら、腹中でただ足でけりながら暮らします。中間に引き出せば嫌だと言うでしょう。そしてお母さんのおなかの中から外に出るときは、死んでから目覚めます。地上での死というものも、死んでから目覚めるのと同じ作用なのです。したがって死とは、正に第二のお産なのです。 回復すべき神様と人間の本然の関係 御来場の皆様! 今日、ひと時を生きていく私たちの人生の道というものは平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。 私たち人間は堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程をどうせいつかは乗り越えなければならない運命をもって生まれました。数千、数万年の歴史過程を経てもそれを越えなければ、その恨の道は私たちの前に永遠に残るようになるのです。 エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、私たち人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に戻るためには、必ず不幸の世界を退けて進まなければなりません。そうでなくては誰も幸福な世界に戻ることができません。人類始祖が堕落したことによって人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。 私たち人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もりに積もった悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。したがって人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。このように神様や人間は同じ立場に立って一つの目的を指向して、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様はアダムとエバを失うことによって険しい道のうちで最も険しく、世の中の誰も願わない、また行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間もやはり堕落で残った、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやって来たのです。 神様に対して人間は「その方の息子、娘になりたい」ということが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は親子関係であるからです。 「私」という人は父母の愛と生命が集中したところ、父母の理想を代表した立場に生まれました。ところが愛とか理想とかいう言葉は一人について言う言葉ではありません。生命も一人で独断的に出てくるのではなく、連結された立場で出てくるのです。したがって神様が人をお造りになるとき、神様の愛と生命と理想の対象として造られたのです。これは驚くべき偉大なことです。 自分がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は自分と共に関係しているのです。自分は父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから息子の立場は最高に価値のある立場です。神様と人類は親子の関係であるからです。 父母と自分が一つのところから共に出発したという事実は驚くべきことです。父母の愛は自分の愛であり、父母の生命は自分の生命であり、父母の理想は自分の理想として決定づけることができるのです。ですから父母は子女を見つめるとき、これは自分の愛する息子、娘だと言います。これは自分の愛と、自分の生命と、自分の理想の実体だということを父母は感じて悟り知っています。愛する息子、娘は一日だけ会わなくても、会いたいし、今見てもまたすぐ見たいというようなものなのです。それはどんなに離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死んでしまうくらい、そこにはすべての理想がかかっているのです。 今日、堕落によって真なる愛と、真なる生命と、真なる理想をもたない人間世界に生まれた父母も、そのように子供を愛することができるのに、そのような父母の主体であられる神様は、それよりもっと愛するというのです。 本来堕落前のアダムとエバは神様の直系の息子、娘として神様の血筋を引く者です。アダムとエバは天上天国と地上天国を受け継ぐことのできる王子、王女だったのです。王子、王女であると同時に、無形の神様であられ、主体であられる神様の前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様の前に愛を受けることのできる実体であり、無形の神様が実体として顕現したものです。 神様の息子の特権は、その方は自分のものであり、その方がもっているすべても自分のものだというものです。神様の愛までも、生命までも、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。 したがって神様が主体的愛で永生するなら、その愛の相対も永生しなければなりません。神様の愛と一つになれば、神様が自分になるのです。 堕落していないアダムとエバの体は、神様が住むことのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として真の愛で永遠に統一された愛の体、生命体、血統体になっていたならば、今日私たちの心と体は闘いません。 人生が行くべき最高の道 堕落とは悪魔の愛を中心とし、悪魔の生命体と血筋を受け継いだことです。 偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血筋を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないのです。そうするためには接ぎ木をして三代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を身代わりするようになるのです。そのとき、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されるのです。そしてそのとき、救いの摂理の完成がなされるのです。 このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主を真の父母として送るのです。救世主は人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。 私たち人間は誰でも最高になりたいし、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐことのできる相続者になりたいという本然の欲望があります。しかし、他の血筋を受け継いだがゆえに、生まれながらも嘆かわしく、生きながらも嘆かわしく、死にながらも嘆かわしいのです。人生は苦海だという言葉がここから出てきたのです。 ですから自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も自分とは何ら関係がなくなります。 主体と対象は対応的な関係を結んだのちには、より大きいものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きいプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天宙的次元で聖子の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。 ところが私たちは発展を願い、大きいものを願い、高いものを願うというこのような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生は塗炭の苦しみの中で呻吟しているのです。これを探すことができないがゆえに、世の終わりの日になれば、自分の生命を絶ってでもその道を探すために自殺がだんだん増えていくのです。私たちは何としてもこれを克服する道を求めなければなりません。 人類は世界の舞台で一番となることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になるべきです。アダムとエバが神様の前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。 しかし彼らが堕落したことによって、彼らが占めるべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。それで人類は神様の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を探していく人生の道を歩んできたのです。 そのような愛を受けるためには自己中心に生きるのではなく、神様を主にして、兄弟である人類を主にして生きなければなりません。お父さん、お母さんに代わって兄弟のために最も多く血と汗を流して長く耐えて克服した人であるほど、深く、広く、高い愛を受けるのです。そのような息子になり、娘になってこそ、お父さん、お母さんの全体を相続することができるのです。この道は男性も女性もみな行かなければなりません。したがって十回でも百回でも死の峠を経て、また死んだのちも絶えず神様の愛を求めていくことが、人生において行くべき最高の道なのです。 統一教会の原理は、人間が神様の愛の圏内から脱したことが堕落であり、神様の愛の圏内に再び入ることが復帰だと教えています。そのような愛の圏内に入れば、自分の手一つ見ても千回、万回激賛するようになります。その世界では自分の手も神様の愛を受ける手になるので、その喜びは言葉で表現できないのです。そのようにすてきな世界が天国です。 私たち人間の心が神様の愛を占領する日には、千年万年歌を歌って踊ることができるというのです。神様の愛に酔うようになれば、酒やあへんのようなものに酔うのは比較にもなりません。天下に存在するものすべてを呼べば、そこにこたえないものがありません。流れる水だけ見ても、千年間歌を歌うことができます。そこにおけるささやきの甘味は無窮無尽だというのです。その時は世の中のすべてを成し遂げたことになるので、金銀財宝も他の何も、みな必要ありません。世の中でそれより貴いものがないというのです。 このように見るとき、人間の価値は愛を通じ、真の愛の感覚を通じて宇宙と和することができる主人格なのです。これを成し遂げることが人生の行くべき道です。 宗教の使命 霊界は今まで未知の世界でした。その世界は神様の存在原則である、「ため」に生きた人間だけが行く所です。そういう内容で形成された世界が理想天国です。そこが私たち人間が求めていくべき本郷です。 今日私たちは堕落した人生によって本郷から追放された人間となったがゆえに、本郷の地に向かって帰らなければならない運命にあります。しかし、そこは人間自体だけでは帰ることができません。それで神様は人間が帰ることのできる道として、その民族の文化背景、風習あるいは伝統に従って数多くの宗教を立て、歴史的に収拾してこられたのです。 宗教は本郷の地へ帰ることのできる資格者を鍛える訓練の場です。神様は東西南北四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界に導いてこられたのです。 そのような本郷の地に導くべき宗教であるがゆえに、宗教は「ために生きよう」ということを教えてあげざるを得ません。それで高等な宗教であるほど「ため」に生きなければならないという原則を強調し、温柔謙遜であれと教えるのです。無数の人々を高め、彼らのためになる立場に立って、犠牲になり奉仕しなさいと教えるのです。 これから、私たちの前に到来する二〇〇〇年代は、世界の全人類が神様を中心とした真の本然の人間の価値を取り戻し、天地父母と一体となり祝福を受けた真の家庭を成し遂げ、神様と真の父母を中心として、永遠に「ため」に生きる真の愛の道理を実践する、真の平和と理想の天国時代を迎えなければならないのです。 皆様の家庭と国家が神様の愛と祝福に一層満たされますようお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【送料無料】韓流コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ🇰🇷価格:3,650円(税込、送料無料) (2023/7/22時点)楽天で購入
2023.07.22
コメント(0)
真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放宣布式一九九九年一月八日、ウルグアイ、プンタ・デル・エステ 復帰路程では蕩減的な道を必ず経なければなりません。蕩減というのは、竹のように節目をつくって上がっていくのと同じです。 ですから七年路程を終えた後に、八年目に「神の日」を迎えるのです。一九六八年の一月一日を経た後に、「神の日」を迎えるのです。こうして七年の過程を経て「神の日」を迎えたがゆえに、我々摂理のみ旨は、家庭的なことを中心として、民族的なことを中心として、神様を中心として動いていきますから、サタンと闘争しうる道が分岐するのです。 神様を愛して誇りなさい ですから、七十年代に入ってからは世界的です。先生はそれゆえに全祝福家庭を大動員したのです。三千万民族の全家庭に方向を定めてあげるのです。その基盤の上に韓民族は、み旨の道において立つことができたのです。ですから、その時に先生は世界舞台において、イエス様が祝福を受けられなかった家庭的、国家的基準を超えた立場でアメリカへ行く準備をするのです。 一九七〇年度から三年準備して、一九七二年にアメリカに行って本格的な国家基準を越えていくのです。第一イスラエルの旧約時代と、第二イスラエルの新約時代が失敗したことを、韓国で収拾しなければなりません。そのため国家を中心として全体の基盤の上に立って、世界に行ける基盤を築いたのです。 今まで既成キリスト教会が韓国で反対してきたこと…、国家的反対の基準を蕩減しなければならないのです。それはアメリカを中心として蕩減復帰するのです。そういう復帰路程を歩んできたのです。 今年の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。それはどういう意味かというと、サタン世界と関係がないということです。「真」ということを中心としては、偽りは相対の立場に立てません。去年は「真」という言葉…、「真」の神様を愛して自慢することは…。神様が「真」の立場に立つのです。 今までは神様が救いの摂理をしてこられたがゆえに、サタンが前にずらりと並んでいました。これに対して、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏できる環境を整えるために、「真」という言葉が出てきたのです。「真の神様を愛し誇ることは三億六千万組祝福とサタン世界血統断絶」なのです。 これは既に、去年の九月三十日を中心として乗り越える時代に入りましたから、今や天と地において、相対的関係で闘争するという時代が過ぎ去るのです。峠を越えたというのです。本然のアダムの立場において、この世界人類を大祝福して乗り越えたために、多くの本然のアダム家庭が祝福を受けた立場に立ちましたから、天と地の塀はふさがってはいけないのです。今年は「サタン血統根絶」です。根を取ってしまわなければなりません。そのためには、祝福の恩恵圏をこの天宙、つまり霊界と肉界に築き上げなければなりません。 復帰路程において歴史とは、再創造の歴史です。神様は創造するとき、天使世界をつくってアダムとエバをつくったのです。ではそのアダムとエバの目的は何かと言えば、理想的家庭です。それで神様を中心として理想的家庭の実践を、世界と宇宙において乗り越えることができ、根を引き抜いて乗り越えることのできる、そのような時が訪れたゆえに、今日このような日をここで宣布するのです。 今回の巡回講演は五月二七日まででしたね? 私がこの地を離れたら大転換期です。こうして先生と一緒に祝福家庭は、みんな会って新しい教育をするのです。教育の内容は何かというと、霊界と肉界があって、その関係がどうなっているかということです。それを知らなければなりません。生死の塀が残っています。死の塀を壊さなければならないのです。 人は死んでも死なないというのです。新しい天国を連結させるのです。今までサタンによって堕落したことによって、死の峠は永遠なる死の峠として塀で張り巡らされていましたが、その塀を崩して死の恐怖を歓喜の出発基地へと転換させてこそ、地上と天上世界の塀がすべてなくなるのです。死から解放されるのです。腹中教も同じでした。死から解放されて感謝するという教団でしたが、今や彼らの歌を歌う時代なのです。そのような時代に入ったのです。 ですから、そんな日をただじっとしたままで越えていけないというのです。それゆえ真の父母はここで決着をつけなければなりません。境界線を作って石垣を積み、個人的な境界線を作っておいてから、所有権決定のごとく境界線を越えていかなければならないのです。そうしてサタン世界はこの地上から消えていくのです。 現在、清平に行って見てみると、すべての人々に霊がたくさん入っていると言っています。本来、これは清平でするのではなくて、真の御父母様が全部みな引っぱり出して連結してしまわなければならないのです。ここから連結できる道が開けるのです。サーチライトの光のように発するのです。誰でもその光について行くことができますが、ついて行くには自分たちのいる基準から出発するのです。 霊界に戻って地獄のどん底から探しますが、基準を証すことによって善なる霊は善なる基準を通じて上がっていける道を開いてあげなければならないのです。それで塀を…塀がみな条件というのです。…完全になくしてあげるのです。それで解放の塀を壊してあげなければならないのです。それでこれを開いてあげることによって、自分の上がっていく道が分かって上がっていけるのです。 霊界の解放祝福時代 このように、近いうちに自分たちが天国に行ける道が分かるゆえに、今現在、定着している人が、この地の悪霊によって被害を受けて、絞り上げられて生きているのを断ち切ってあげなければなりません。そういう祈祷をしてあげて出発しようというのが、今日この集会を持たせて式を行おうとする意義です。 アダム家庭を中心として見るときに、天使世界を中心にアダム家庭を完成しなければなりませんでした。ところが堕落したゆえに、アダム家庭に対してこれを清算しておいて、アダム家庭の再創造の歴史をしなければならないのです。 そのため先祖を再創造して、天使長の位置の家庭につくっておかなければならないのです。それゆえ大量祝福、霊界の解放祝福時代に入ってきたのです。解放祝福時代です。それによって霊界にいるすべての霊人たちを、家庭を中心とした天使長自由環境圏に押し入れるのです。家庭を中心とした解放圏では、サタンの役事というのはないのです。 ではそのサタンはどのようになるのでしょうか? 自分がこれから永遠に底無し地獄に落ちてしまうわけですから、人間の一番後にくっついて協助してあげることによって、エデンでアダムが家庭完成できなかったことを条件的な基準で救ったという条件を立て…そんな蕩減をすることによって解放されるというのです。 それゆえ、今や霊界の人々にも祝福をすれば、自分たちが降りてきて自らの子孫の先祖の立場に立って、自分の子孫たちの行く道を祝福の道へと駆り立てるようになるのです。本来人間は、真の父母を中心としてこの地で生きてこそ天国に入っていけるようになってます。ですからこれは、霊たちがこの地上に来ることのできる道を切り開いてあげる式にもなるのです。 自分が愛する人を連れてエデンで夫婦になれなかったわけですが、今では祝福を受けることができるのです…。 そして地上で子孫たちの背後で、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」するように後援することによって、地上において真の父母とともに生き、天国に入れるという大道の道にすべて参加できるようになるのです…。こうして、全体の根本を根絶するみ業を先生が打ち立てておかなければならないのです。どういう話か分かりましたか? これで原理的にすべてが整理されるのです。こういうことは、何もせずに成されるのではありません。このような原理原則に基づいて、この天地の前に、万宇宙の前に、真の父母が完成理想の地上における全権的な「愛の主権的中心者」、「愛の王子」、「中心者」の立場で宣布することによって、神様と先生を中心として、本格的な横的拡大…、中央を中心として国境を越えてでも行くことのできる時代になるのです…。 祝福によって、今後、王という王が、大統領たちが相次いで百二十人まで降りてきて、それを追い出すことができるために、地上では自動的に主権者が日が沈んで暗闇に入っていき、私たちは朝日を浴ぴていきます。光明なる天地が交代する時となったのです。今は最後の時となったということを知らなければなりません。 このような宣布式をするにあたって皆さんが参加できるというのは、真に栄光の時間であるということを知って、先生と同じ思いを抱いて、皆さんは誰もがみな正しく立たなければなりません。東西南北が相対基準に立って祝福をしなければなりません。 一九九九年は、数字をみな足せば二十八数です。ところで八数を足せば三十六数です。三十六数ですが、ここに式の時間である八を足すと、四十三数を越えて四十四数が埋まるのです。七時半さえ越えれば四十三数を過ぎて、四十四数にすべてを整理するのです。だから四十四数なのです。 全体解放、サタン追放、サタン根絶とともに、人間の罪の根が反対に進んでいたのを正して、すべてがまっすぐに進んでいくことができるのです。地獄には悪魔たちと罪人たちが行けるため、完成できずに全部みな逆さまに立っていたのが、善良になってまっすぐ立って、自分の階層から天上世界へと入っていくことのできる…、そんな地上・天上の、まさに祝福化、「天宙祝福化」へと越えていくのです。 ご父母様にこのようにしてくださいと言ってから、「私」が祝福をしてあげなければならないのです。地上世界と天上世界が一体となり、先生と一つになったことを中心として、それを成してほしいと、祝福してくださいとお願いするのです。このことを考えておかなければなりません。 〈祈祷〉 愛するお父様…、歴史路程は東から西を中心として巡り巡って、身心の一体をもって家庭と、家庭を中心としては宗族と、宗族を中心としては民族と、民族を中心としては国家と、国家を中心としては世界と、世界を中心としては天宙と、天宙を中心としては神様と一体理想を成さなければならないというみ旨を、私たちは知っております。 このように復帰時代におきまして、蕩減路程をたどってきた全統一教会の過去の歴史と、現在と、未来の歴史は連結しております。過去に生まれきては去ったすべての先祖たちも…、今現在この地上に生きている人類も…、今後、生まれくる子孫も…、一つの家庭と一つの連結した血筋が、神様の愛を中心として連なっているということを私たちはよく知っております。 今まで創造理想の愛の主権を立てることができず、歴史的な恨の道を歩んでこられたお父様を私たちがお迎えするようになるとき…、先祖たちの誤ったすべてを、人間が蕩減して回復されうる宿命の道を行かなければ、天は関わることができません…。このことをご存じの神様は、宗族を立ててこの蕩減の歴史を高めながら、積み重ねて上がってきたということをよく知っております。 アダム家庭が堕落の根本から家庭をたどって、宗族・民族・国家・世界、天宙を収拾し…、全人類とともに、過去のすべての先祖とともに、子孫とともに、神様の愛を中心として、定着とともに、世界のこの頂上まで解放できる家庭圏…、全体世界…、天上世界を迎えるためのこの道は…、この地上に「真の父母」のみ名を持ったこの子女が現れ、ご父母様を中心として祝福の愛の基盤を広めて個人時代を過ぎ…、家庭・宗族・民族・国家・世界の天地まで乗り越えることのできる、そんな峠の頂上まで参りました。 お父様…、思えば恨めしく、歴史を振り返れば、神様に恨をもって侍ってはならないと知っておりますから…、悔しく恨めしい心を抑えてあなたの前に立て、解放の勝利の神様を誇れる心…、全天宙、天上天下に「愛の主人」であり「王」として誇れる心を持たなければなりません。 今や順調に大道をゆく天の王子と王女の心を持って、この世界を私たちの家庭と同時に、私たちの国、私たちの天宙として立てて、神様を家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙全体の愛の父母として侍れる勝利の版図を、私たちの心の基盤である個人から家庭、宗族圏において、備えなければならないということを絶対的にご存じであるがゆえに、神様は今まで耐えに耐えながら歩んでこられたということを知っております。天が責任を果たそうと努めるその過程で、悲しかった事情とあなたの心に連結した恨をたくさん残しました。 そのすべてをあなたが開放することによって、これを成し遂げられんことを切にお願い申し上げます。ご父母様自身も、本来出発したすべてを蕩減しなければならない道を知ったがゆえに…、韓民族がこのように塗炭の中にあり、韓民族がみ旨に従えないことによって、韓民族のアベル的な統一教会を中心としながら、この苦難の道を歩んで参りましたし、またご父母様の子女までも責任を果たせなかったこの道を、解放しないことには忘れられないことを知っております。今日この式をもちまして、ご父母様の心の谷間にある恨をすべて解いてくださらんこと切にお願い申し上げます。 お父様…、真の神様を「真の父」として仕え、「真の主人」として仕え、「真の師」として仕えて万世に自慢することのできる、天の王子王女のように解放された人格をもって神様に侍ってお仕えできる…、このような息子と娘になることを、どれほどまでにお父様は待ちこがれてこられたことでしょうか…。 この道を、この「真の父母」たる天の夫婦が、十字架の道を代わりに担って走って参りましたところ、この世界の頂上に立って今日を迎えるようになりました。真の祝福天宙化とともに、サタン世界血統根絶を根本的にできる宣言の時間を持たせてくださいましたことを、お父様…、切に感謝申し上げざるを得ません。 今日、この一九九九年一月八日朝七時半を越え、八時に向かう四十四数を迎えまして、四・四節とともに、家庭が主流でなく、国が、全天宙が天国に入れる解放的起源を迎えるこの時間を宣布して全天宙が安息し…、その道に沿って、地獄や、あの善なる霊たちがサタンに引っぱられていったのを、完全に方向を合わせて光明の天国を望みながら、自分たちの蕩減路程を早く解消して本然の基準に立ち…、真の父母がこの地上にいる間に地上に来て、侍って生きたという条件を立てることによって完全解放圏を備え、天国行の祝福を受ける家庭の群れとならしめてくださらんことを、切にお願い申し上げます。 このひととき、この式典を快くお納めくださいますよう切に請い願いながら、共に同行し成し遂げて宣布してくださらんことをお願い申し上げます…。アーメン! アーメン! アーメン! 〈祝祷〉 流れゆく歴史時代に我々人類歴史と宗教圏をたどりながら、過ぎし日の天の心の中に…、喜びの日々を望みつつ万物とともに苦労してこられた歴史を知っております。 この地上に「真の父母」という名前を中心として、第三次アダム完成理想、メシア思想をもって、カトリック、プロテスタント、旧約時代、新約時代、成約時代を越え…、解放の統一時代を念願できるこの時を迎えうるべく、内外に縦横に苦労されるお父様を、私たちは愛しております。 そのみ旨を私たちは相続いたしました。その実体である理想的家庭を築くために、あらゆる最善を尽くして参りました。足りないながらも、今や天上世界と地上世界が一つとなって、悪人と聖人が同じ場で、祝福の解放圏を持てるようになりました。塀という塀で分断されていた、我々人類始祖の血統的分別をもたらしたそのすべてが、真の父母の勝利圏をもって、「真の愛」と「真の生命」と「真の血統」の因縁を中心とし…、本然的父母の良心基準の相対的理想を中心とし…、個人から家庭から宗族、民族、国家全体の権限を、お父様の願いのままに成就なさいまして…、万国を代表した愛の王権が築けなかったことを築きうる深刻な時間ということを知る、この時間となりました。 お父様…、それによって堕落の痕跡をあなたの心の中から消し去り、真の父母の心の中から消し去り、怨讐としてきたサタンまでも最後まで解放させました。 このことによって、怨讐の子息を同じ祝福圏内に入れ、天上世界の怨讐の家庭の姿をこの地上に展開したすべてを、祝福で連結させて御父母様の血族に引き上げ、霊界に行ったすべての先祖たちにも引き続けて祝福の恵みを下賜いたしました。 それによって個人的立場でアダムが完成し、天の家庭になって神様に侍り、神様の息子・娘がみな神様に侍ることのできる…、そんな宗族基盤が持てなかったことを総蕩減、解怨成就できるこの時代を迎えましたから、サタンの根であるすべては既に根絶したものと認定してください。 この地上の人間も方向をサタンの側に向けておりますが、これを百八十度解放する立場に至って、サタン世界とともに同じ天上に向かうことのできる高速道路の行路を経て、段階的な発展基準を先祖から、あるいはこの地上で責任をすべて果たすことによって、天国に直行することのできる、同一の道を既に予備いたしました。 お父様…、この道を切り開きながら、サタン世界の地上に固着した歴史的な恨を解くために、定着する基盤も取り消しにし、人間個体個体の霊人を複数蕩減させるため、共に一体となって苦労してきたすべての根を抜き取って、この地上の悪なるすべての痕跡を取り消しにできるそのひとときを、どれほど待ち焦がれてこられたことか知っております。 今年の標語の「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語とともに、三億六千万双の祝福完成の日も、残すところ今や一か月となっております。この儀式を前にして、この地上の霊人たちとすべての地上人が、この祝福の日を希望の最高峰として迎え、天と天の父母と全人類の解放を宣布できる…、こういう基準を成し遂げると同時に、悪世界とサタンまでも解放しうる天国直行の道を開くことが、あなたの最後の目的であり、願いであることを知っております。 真の御父母様は自らの気にかかるすべての四方を整備するために、地上世界の悪霊と悪人が基盤を固めていたその根を抜き取り、反対の立場から一八○度転換して、天の父母を中心として、地上の真の父母の後に追従することによって、あなたの一族として抱いてくださらんことを知って、このひととき、とりすがりました。 今や、あなたの本然の愛の理想を完成した天国の大道を打ち立てましたから、お父様…、地上における家庭はあなたの家庭であり、血族はあなたの血族であり、これから復帰されるすべての国と世界、すべての地上・天上天国は、あなたの国でございます。 全体・全般・全権の能力を中心として、東西南北はもちろん縦横を中心として、自由に活動し愛の種を中心にまいてきたことを収穫し、あなたの懐に愛で抱いてくださることによりまして、天の一族としての民族、地上天国解放圏の民族としてくださいませ…。 霊界の霊人たちは、個人としてアダム家庭の完成をさせることができませんでしたが…、この天宙的な家庭復帰の理想圏内において霊界の代身である我々の先祖と天使長たちが協助し、地上に訪れて共に参加し、真の御父母様に仕えることによりまして、そのアダム家庭の完成を成就し、一方通行で天に直行しうる道を確定してくださらんことを、お父様…、お願い申し上げます。 それによって、サタンの悲しき対象であることを忘れ去り、喜びの対象として祝福を受けた群れに、あなたが対することのできる愛の和合の世界、統一の世界、平和の世界、地上・天上天国へと進行することを…、真の御父母様と神様と共に、すべての天上世界と地上世界の先祖たちを代表して、地上の解放また解放、統一また統一、平和また平和の世界へと移転しますことを、真の御父母様のみ名を通して宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 〈み言〉 きょう行ったのが何であるかというと「真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成」を宣布したのです。これから祝福を受けた一族が、先生の誕生日の二月二十日を中心に、献納と祭物をすることによって、地上における直系十二名でなく、七十二代から百二十代までイエス様が祝福したかったすべてを乗り越えることができるのです。そうすれば、自動的に真の父母の直接主管圏内に入っていって、サタンと関係のない時代へ移行していくというのです。 百二十代の先祖まで恩恵 そのような意味で、今日した宣布式が何かというと、真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成宣布です。 霊界にいるすべての先祖たちも解放です。サタンも解放してやらなければなりません。それゆえ、今後、氏族的メシアとして百六十家庭を祝福してあげた人々は、一つの一族を中心として今後他の人がいれば、それがカイン圏の一族であるためにそれを自分の一族と連結させて総蕩減献納式をし、その基盤の上で百二十代の先祖を祝福してあげることができるのです。 百二十代の先祖とともに百二十代の王、その国の大統領や王を祝福することによって、その国の民と主流の系列を祝福することによって、横的に…傍系が皇族圏です。…全体祝福することのできる解放圏をつくってあげなければなりません。イエス様のイスラエル圏の国を中心として、霊界まですべてみな解放しなければならないのです。キリスト教圏をすべて解放してあげなければなりません。 こうすることによって、百六十家庭は、これは先生の時代であるために百二十家庭さえすれば、自動的に統一天下圏になっていきます。分かりましたか。公文を出しなさい。すべてみな伝達してやりなさい。 十二代、七十二代、そして百二十代、このようになります。それゆえ、百二十代するようになれば、すべて入っていくのです。百二十代の王たちとその長孫、その王圏を祝福すると同時に、その王圏にいたすべての国民を解放させるのです。真の父母と神様が許すということです。 これからこのような体制の下で、国家、民族的なグループがすべて連合することのできる時代になります。そうして地上の国と氏族、家庭が連合して統一圏へ入っていきます。 このように越えていくことによって世界は急速に変わります。これと反対の、ここと反対になる人々は、サタンがきて放ってはおかないのです。今まではサタンが地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れていき、彼らのために協助して先祖までをも天国に連れていこうとするため、天国へ行く方向が完全にここで解放されることによって、急速に世界化時代へと入っていくのです。 これからデモを行わなければなりません。デモは何をするかといえば、「真の父母を誇り、その次には真の家庭を誇り、真の血統、真の純潔を誇る」。それが父母様がこの地上に来て目的を世界化させるように、個人でも家庭、氏族、民族、国家はすべてみな真の父母を中心としなければならないのです。個人で家庭的な真の父母、家庭的な基準で真の家庭、家庭基準で純潔、民族基準でもそれと同じく、国家基準で真の父母、真の家庭、真の純潔、このように世界化されます。 国家基準さえあれば、世界化することができるため、真の父母の基準が私たち個人から国家、世界、天宙まで連結し、真の家庭の基準が連結し、真の純潔の血統が連結されることによって、堕落がなかった解放の時代に入っていきます。それでこれを全体清算するためのデモをしなければならないのです。伝道よりもこれをしなければなりません。祝福することよりも、祝福を受けさせることよりも、これをしなければなりません。 今まで、私たちが既成家庭を祝福を受けられるようにしたのですが、その中には既成家庭があり、自分たちの間で結婚生活をせず法的な結婚、あるいは約束結婚することがあり、最後に娘と青年が残っているのです。 今や完全に旧約時代と新約時代が合わさって、成約時代の若者たちを生む運動をしなければなりません。それゆえ、自分の子女たちは父母が強制的にするなり、そのおじいさんたちが自分の孫を強制的にするなりして、自分の七代の孫を中心として強制的にでも原理のみ言を聞くようにして、一つの方向に大転換することのできる時代となるのです。 第四次アダム権解放祝福時代の到来 それゆえ、皆さんは家庭から十二人を動員しなければならず、氏族から七十二人を動員しなければならず、国から百二十人を連結させて解放させることができなければなりません。このようなことを郭錠煥会長を中心として公文を下すことができるようにしなさい。 それならば、前日のこのような式を行えばいいのに、なぜみな出発した後にするのかというのです。氏族圏で完成を宣布することによって、それに従って行けば、世界化されるので、世界の代表をみな送ってから…。これが家庭なのです…。先生のこの別荘の家庭にいる人々を中心として出発するという事実を知らなければなりません。それが基盤です。国と世界で統一圏ができるのではありません。宣布も家庭と氏族を中心として行われます。 ところが、劉会長が全体を代表して頼んだのです。地の人々が「切にお願い申し上げます。御父母様、お願いします。神様、お願いします」。このように祈祷したのを中間にいる真の御父母様が天に報告し平準化し、その志を果たすために宣布したのが今日の式です。分かりますか。(はい)。 今は皆さんの家庭が理想的家庭になれば、父母様と神様に直接侍り、父母様に代わる者とならなければなりません。皆さんが旧約時代、新約時代に来たメシア、新約時代を越えて成約時代に来たメシア、一次アダム、二次アダム、三次アダムに代わる家庭になることによって神様に侍るようになり、万民が天国へ直行できるようになるのです。そうなることにより、第四次アダム圏解放祝福時代に入るのです。 第四次アダム圏という話は聞いたでしょう? 今まで一次、二次、三次のアダムは蕩減が必要でした。サタンがついてまわりながら妨害の歴史をしてきたので、解放によって第四次アダム圏が――個人アダム圏、家庭アダム圏、氏族アダム圏、民族アダム圏、国家アダム圏、世界、天宙アダム圏――これが平面的になっているので皆さんの努力により、個人アダムになってアダム圏を勝利し、家庭アダム圏を越えて氏族アダム圏、世界まで越えることのできる自由解放圏ができるため、この地からあの天城まで行ってきて、帰ってきて天国へ入らなければならないのです。 蒔いたものを結実として取り入れて、新しい愛の種となり、天国の倉庫まで入るのが私たちの本郷の地である天国入籍でありました! アーメン。すべて終わりました。今後復帰完了時代がきます。 そうしてこそすべて理論的に摂理の思想が定立するのです。このように膨大でとてつもない歴史を、父母様を中心として管理してくることによって、神様がこれに参同したのです。これは神様の命令によってするのではありません。アダムが堕落するとき、知らずに堕落したために、神様が教えてくださる前に知って解放させてこそ、神様も解放され、サタンも解放されるのです。 そうすれば、真の父母に対して讒訴する者はないのです。サタンも讒訴できず、神様も讒訴できません。これから完全に解怨成就、所願成就したというこのような立場で、地上天上天国が着地するのです。 今後、教会がなくならなければなりません。しかし、家庭連合時代は去りません。終わりまで残ります。分かりましたか? そのようにみな整備してきましたね。(はい)。 そのようなすべてを今後千里遠征の蕩減路程を経て、先生の一代に八十歳まで、六十年代から父母様が四十年を歩んできたのです。韓国の年齢だと、私は今八十歳です。誕生日の前にこれをすべて宣布してしまいます。 このような宣布の記念の日は、神様も記憶しなければならず、サタンも記憶します。分かりますか? 背後の歴史がそうなのでそれを無視することはできないのです。それが重要なのです。 これからはイエス様の十二弟子を含めて百二十弟子、各宗派、教団、宗教界にも解放的な祝福をしてあげることができるのです。それゆえ、この聖人たちに祝福してあげたことを喜んで迎える人々を先にするので、宗派の順序が変わるのです。 サタン世界につくっておいた霊的な基盤が宗教ではありませんか? 宗教を信じた人々が祝福を受けて地上にきて真の父母に侍るということが起こるのです。元来は祝福を受ける前にすべきことです。それゆえに、祝福を受けて地上で父母様のために働いたという条件を立てながら、霊界が地上に総動員されます。サタンが今まで列をなしていたものを、すべて追い払うのです。今はもう強制的にすることもできるのです。 自分のお兄さんが復帰されたならば、弟を殴ってでも救わなければなりません。カインが、兄が弟を殴って地獄に連れていきましたね。祝福することによって、善主権をもってお兄さんの立場に立つことによって、地上にあるサタン世界、地上に隠れているサタンまでも祝福を受けさせ、その後、本来人間と因縁を持っていたすべてが仇をうつところを、怨讐を愛したという立場に立ち、サタンが捕まえていたその人も救うことができるので、サタンも解放されるようになるので、このような門を開けてあげなければならないのです。分かりましたか?(はい)。 このようにすれば清平で苦労する道がだいぶ短縮されます。霊を引き抜こうとせずに、命令し、天使を遣わして、一つの霊を中心として霊界全体が総攻撃することができます。 いかにして縦的基準を立てるか それと同様に、天の祝福を受けた家庭が地上に一つの家庭も残さずに、総攻撃、撃破していくのです。そうなれば、世の中がどれほど早く転換されることか考えてみてください。そして反対する者たちは霊界に連れて行くのです。そうすれば突然死ぬ人も出てくるでしょうし、あらゆる形態が現れます。そう考えて、そのような企図が先生の話したとおりになされるようになると祈祷しなさい。 世界で先生が問題であり、天国でも先生が問題であり、地上のすべての人、個人にとっても先生が問題です。先生にどのように侍るかということです。昨日も話したように、均衡を保つには、必ず会って主体と対象が水平にならなければなりません。水平になれば必ず運動を、回らなければなりません。中央で神様に侍らなければなりません。神様に侍って定着する家庭的に侍る場が愛です。愛を中心として大きくなっていくのです。 それゆえ、再臨時代に神様の復帰摂理で、メシア的基盤が国家的基準を上回ることができなければ、この幹が上がっても国家的基盤は崩れるのです。イスラエルがすべて滅びませんでしたか? そのために何千回、何万回も回ったのです。上がったり下がったり、上がったり下がったり。 それで家庭完成することのできる環境が今まで氏族圏、第二イスラエル圏を作り、中心家庭の個人代表、家庭代表、氏族代表、国家代表、世界代表として民族編成国家基準さえ越えたならば、世界は自動的に越えていきます。これが万一倒れるような日には、すべてが崩れます。 先生がもしみ旨を果たせずして行けばどうなるかというのです。もし地球にいる人類を完全に放棄して、神様が新たに再創造し、世界を造ったとしても、その造った世界とこの地上世界の間に必ず闘争が起こるのです。その救世主というのは、神様が進み出なければならないのですが、神様が前に立つことはできません。別動部隊でもって処理できるか知りませんが、サタン世界である地球星を消化する道がありません。 神様が本郷の世界で体をつけて万王の王の中心存在として立つことができなかった恨みがどれほど大きいかわかりません。神様の創造理想にこぶができたのです。それが何かといえば、がんのようなこぶです。とてつもない問題が生じたのです。先生と共に生きているからといって解放されるのではありません。いかに縦的な基準を立てていくかということです。歳月の流れとともにますますその思いは深まり、子どもだの、国だの考える暇がありません。どうやってこれを解決するかというのです。 今解放時代を迎えたということを考えるとき、この地球を中心とした宇宙がどれほど称賛しているか知りません。どれほど今日を喜んでいることでしょうか。それで今年に入って雨も降らず、今日まで祝いの雰囲気一色になっているのだと思います。 今後私たちが行おうとするすべては、天運がついてまわりながら支援するのです。分かりますか? 天運を捕らえようと苦労しますが、天運が私たちの後をついてまわっては手伝うのです。分かりますか? これが何を意味するかといえば、神様と霊界が数多くの先祖と数多くの善なる人々が氏族圏で動員されて、この地を支援することのできる時が来たということです。解放圏をつくることができ、変わることのできる時代が来たということです。 霊界を無視してはなりません。それが鉄則です。霊界が一生懸命に地上の基準においてアダムを完成させ、地上天上完成することにおいて先頭に立ち、アダムが天使世界と先祖たちを利用しなければなりません。アダム家庭の完成時代において、家庭的天使圏、天使長圏が生じたというのです。ですからこことは兄と弟なのです。 それゆえ、十二人を選んで七十二人をどこへ行っても祈祷し、すべて祝福できなければなりません。その上に百二十家庭が立つのです。 横的に十二家庭、七十二家庭をしてから、その上に百二十家庭をしなければなりません。百二十代の基準をイエス様時代に果たせなかったために、横的な百二十の国家に百二十人が世界宣教に行くのです。その百二十の国家が国連に加入したそのとき、百二十四双を祝福しました。 今後、個人の祝福時代は過ぎ去るのです。分かりましたか?(はい)。今は近所に集まって、むりやりおじいさんの還暦の日とか、お父さんの還暦の日とか、自分で祝宴を催す日、祝いの日に集まって「先祖解怨、宗氏解怨、子孫たちが天国へいくための先祖の責任を果たそう」というとき、反対する者がどこにいるでしょうか。 真の父母になりたくない人、手を挙げなさい。真の家庭を持ちたくない人、手をあげてみなさい。手をあげる家庭は一つもありません。また、真の純潔なる血統を持つのがいやな人は手をあげなさいといったとき、一人もいません。一人もいないので、むりやりにでも祝福してあげなければならないのです。分かりましたか? 今後はデモさえすればすべて終わります。 村に家が三つしかない所まで行ってデモをしなさい。そして先生の写真を分けてあげて、次は何ですか?(旗)。 その次は何ですか?(入会願書を書きます)。 入会願書を書いて祝福を受けたその時から、その家は天国の眷属になります。 それゆえ、していない家があるならば、行ってむりやりにでももらって、そうして旗を分けてあげ、父母様のお写真を分けてあげなければなりません。それは世の中で一番貴いものであるので、自分の家のすべてに代わるものなのです。 真の御父母様に従って それで所有権転換がなされるのです。その次は何ですか? 所有権転換。その次は心情圏転換、その次は実体圏転換です。実体圏というのは祝福家庭のことを意味します。実体圏というのは、個人的家庭、氏族的家庭、民族的家庭、国家的家庭、世界的家庭が実体圏、解放圏をつくるのです。したがって、実体圏の所有権が神様に戻らなければならないのです。 最後まで精誠を尽くす民族は、今後、世界を支配するのです。キリスト教がそうです。私たち統一教会員は最後まで蟻以上にしなければならないのではないでしょうか。 これから一つ一つ家庭を引き抜きます。そうすれば国がなくなるのです。私が始めたこれは千年万年続くので、その国がなくなることになるのです。それゆえ、先生の行く道にはサタン世界がなくなるしかないのです。このような鉄則をもってきたのです。昼も夜も。わかりますか、どういうことか。(はい)。自分の一族を消化できなければなりません。 先生がすべて教えてあげたので、できなかったとしても私は責任を負いません。自分たちが責任を負わなければなりません。私は私の行くべき道を行くのです。人がそこに責任を持ったならば、来て接ぎ木しなければなりません。先生の行く道に氏族復帰、民族復帰、国家復帰の輪を残していくのです。引っかかれば、越えるときにそれがぱっと引っかかるのです。 そうなればそこから先生に従って行けばよいのです。引っかけることのできるものがなければ、その民族は原野で生きてはいても死んだのと同様になります。天国に入ることができません。先生が再びこれをすべて収拾してやらなければならないのです。法で収拾するのです。 今日のこのような日を立て、私もここでするとき、すべて今後願うことを中心として「父母様、神様の祝福を請い願います」。そうしなければならないのです。「福を祈って下さい」。このようにしなければならないのですが、そのようには言いませんでした。その福を祈ってあげる祈祷は簡単にしなければなりませんでした。地上と霊界の家庭が地上に来て、真の父母の功労の立場に立って解放的な条件に引っかからないように、皆すべて努力するよう願います。 そうです、要求するままにすべてしてあげたのです。サタンやアダムが要求することは何でしょうか? 復帰時代においては、サタンも願うのがアダムの後に従っていくことではないでしょうか? ですから宇宙を代表した焦点でするのですから、切に切に何千年間苦労したその場を乗り越えていかなければなりません。 皆さんが頼んで、私がすべてあげたのですから、これから皆さんは税金を納めなければなりません。与えたのです。与えるのに、百パーセント与えました。分かりますか? 父母様の家庭がすべて分けてあげたのですから、皆さんは子女であるので七十パーセント、蘇生、長成圏にあり、父母様は完成圏にいるので、皆さんは三十パーセントを献納しなければならないということです。三十パーセントさえ出せば、税金はありません。ですから、どれほどの解放でしょうか。 すべての家庭がそのような鉄則さえ守れば、蘇生、長成、解放完成圏がここからできるのです。そのようにすれば、七十パーセントは走って越えていきます。そうではありませんか? 完成するのに蘇生、長成なしに完成はありえません。そうはいきません。ですから、祝福は七十パーセントです。七数はサタン側であり、三数は天の数ですね。このようにして三数は、縦的な面が連結すれば横的の面は自動的に連結するのです。 今後税金を納めなければなりません。その税金を略奪すれば大変なことになります。今日、サタンはそれを知りませんでした。天上世界の人と公金を悪用する人は大変なことになります。霊界にも家庭的地獄があります。本物の天国に行く家庭、楽園に行く家庭、中間霊界にいる家庭、地獄にいる家庭があるのです。 今現在の霊界はすべてなくなり、そのようになるのです。そうなれば、今後早く解消されます。楽園がなくなり、楽園がずんずん小さくなるのです。中間霊界もずんずん小さくなります。ですから宣伝教育をします。放送するのです。今までは放送できませんでした。放送時代になってどんな教育をするのかというと、原理教育をするのです。分かりましたか? 蕩減復帰をしてきたということを詳しく知っているがゆえ、過去を回想して悔い改め、許しを受けて、現在真の御父母様に侍ることができなかったので、今後地上で真の御父母様の息子と娘に侍り、その家庭の国にも侍ろうといってこなければなりません。来て均衡を保ち、水平となって天国に行くのです。 明確に知らなければならない霊界 それで、先生のすべきこととして何が残っていますか? 税金をもらって国の教育機関を作らなければなりません。そして国の官公署を新しく編成しなければならないのです。サタン世界の時代のことは見るのも嫌です。万国の国に聖酒をまかなければなりません。聖酒を飲んで生き返るのでしょう?(はい)。 堕落圏解放が加重されます。万物まで食べてあげなければなりません。そうするには、すべて神側に戻らなければならないのです。 それで、これから全世界の地球星に聖酒を飛行機でもってずーっとまいてあげながら、全部はしなくても主要都市だけでもまきながら祈祷します。父母様が祈祷するのがどれほど恐ろしいかということを知らなければなりません。あの国滅びなさいといえば滅びます。抜け出すことができません。 そのようなことを、解放をみな宣布したのです。だめになるときは「このやろう」といって制裁を加えるようになるのです。分かりましたか? 天国に入っていくようになるときに、この地上で合格者に入らなければなりません。今まで合格した者だけを送ったのではなく、ただ入ったがゆえにあの国の監獄や中間霊界に行っているのです。地上の中間霊界とか楽園家庭とか、あるいは地獄の家庭がなくなるほど、きれいに整備して天国へ直行することのできるこのような基盤を築かなければなりません。 それゆえに、霊界を明確に知らなければならないというのです。だらだらと生きることができません。分かりましたか、何の話か?(はい)。地で完全に合格した家庭として天国に直行でき、条件に引っかからないで解放、直行できるような家庭を皆さんが築かなければなりません。それは先生の責任ではありません。すべて行くことができるように祝福しました。ハイウェイを作っておいたでしょう? 自動車ができていて油さえやれば、どこにでも行くことができるのです。 地上でできない家庭を復帰しなければならないのです。お母さん、お父さんと息子と娘が自分勝手に生きてきたのです。制裁を受けてみなそのようになります。そうして地上において許されたとしても、今後はそうです。 罪を犯せば死刑宣告がありますか、ありませんか?(あります)。もし、その刑を中心として死刑を受けるようになれば、それを中心として死ぬようなところに、国境地帯、北極、南極に捨てて置きます。それで一年、二年、三年して五年ぐらいが過ぎ、飛行機で見て回って、生きていればその人を使います。死ぬものを、死んで当たり前の奴を、熊の餌食となって土に帰って当たり前のところを、それでも精誠を尽くして天が助けるならば生きるのです。 そうなれば、あの人間の世界を、世界を回りながらその人をいくらでもただで呼んで使うことができます。ある労働の場、国の公的な建設があるときはどこの誰でも呼んで使うことができるのです。 ある所、どこの何、ウルグアイに何人が入ってきたというようになれば、その人々を公共団体で、模範的な団体で使わなければなりません。その人々に対する工賃は、七十パーセント、三十パーセントの割合でもって、三十パーセントは国に捧げます。そうして「囚人」という服を着て何級、何級、このように書き、そのような事をするために、家ごとに近所に入っていくようになれば、自分が入っていく家を訪ねて「私がすることはないですか」といって尋ねます。絶対従順、絶対愛、服従することを自分の体に投入します。 その時になれば、監獄とか刑務所がなくなるのです。警察署もなくなるのです。自分の心が知っています。霊界の先祖が管理して天と通じ、良心的にその心を欺けません。解放することのできる自らの心がとてもとてもうれしくなるというのです。 そうして、帰ってきて間違ったことを清算してあの国に行かなければなりません。あの国に行っても犯罪者たちはただそのままでは入っていくことができません。霊界の蘇生圏、楽園、霊界の監獄を経て、そこから修練し再び呼んで体と心を検証し、水晶体のように透かして見ることができてきれいになったか、ならなかったか、鑑定しその程度の基準に持って行きます。 これから復帰路程において霊的な統一を成した後に、地上統一は協助をしてはいけないのです。神様は助けることができません。完成したアダムは助けることができないのです。これが人間の責任分担でしょう? 神様は助けることができません。 助けることができるならば、アダムとエバが堕落した直後にも干渉できる条件が成立しなければならないのです。七千年ならば七千年を越えては、神様が干渉することのできるこのような限界の基準を立てて介在することのできる摂理のみ旨が延びますが、愛を中心としてはこのようになりません。 それゆえに先生が直接神様の教示を受けて地上を処理し、愛の体をもって地上世界、サタンまで、すべての世界を収拾しているのです。そのように先生は偉大なのです。 お母様もお父様とまず霊的に一つにならなければなりませんか、体で一つにならなければなりませんか?(霊肉で一つにならなければなりません)。 造るときに何をまず造りましたか?(肉身を)。肉身をまず造りました。肉身で一つにならなければなりません。絶対に一つにならなければならないのです。 そうすれば、自動的に先生と一つとなって霊的に連結します。お母様だからといって特別に祈祷して解決するのではありません。話をせずに私がそのままにしておくのです。 さて、今はご飯を食べるの、行くの?(本当は召し上がらなければならないでしょう)。心配せずに激しく押し出せ!(はい)。真の家庭、真の父母、真の夫婦、真の息子と娘にならなければなりません。純潔を守って伝統的血筋を受け継いだ王子、王女にはサタンが相対する世界はないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.20
コメント(0)
訓読会以後に下さったみ言一九九九年一月五日、ウルグアイ・プンタデルエステ 皆さんが霊界の事実を知らないがために、精誠を込めていっても疲れ果て…そういうことを先生はよく知っています。ですが、皆さんはこのことを知らなければなりません。霊界の中心は神様です。その神様は私たちの父です。世の中の誰よりもいちばん身近で、切ることのできない宿命的な絆を持った方が、私たちの父なのです。 父の願い その父の願いは何でしょうか? 皆さんの家庭解放です。皆さん一家庭だけではありません。全世界人類の家庭をいかに解放するかということが、父の心の中において、ふさがれた壁だとすると壁、苦痛の傷だとすると傷となっているのです。 先生が皆さんに精誠を込めなさい、精誠を込めなさいというのは、どうしてでしょうか? 精誠を込めるときは、自分の事で精誠を込めてはいけないのです。自分の事で精誠を込めるようになれば、神様が世界の陽射しをすべて水平に照らそうとするところを、それを水平に照らさないで私だけを照らしてくれと言っているのと同じです。それではいけません。 ですから人類を代表し、神様の代わりとなって祈祷するという心を、いつも持たなければなりません。また、神様御自身が歴史を通してどれほど精誠をたくさん込めてきたことでしょうか…、このことを考えなければなりません。今日もそうであり、明日もそうです。私がこの地で生きてあの世に行って、神様が私をご覧になるとき、地で世界のために精誠を込めた神様が分からず、少しも同調できないという立場に立てば、息子の道理、あるいは祝福家庭の道理を果たしたということができません。あの世に行って苦痛が残るのです。 ですから、神様の心の中に堕落によって因縁づけられたすべての根本の根を引き抜くため…、そのために祈祷するという、神の役事を担う者、神を慰労する者とならなければなりません。皆さんがそのような難しい立場に立つようになれば、信仰の相対となってくれる者がどれほど貴く思えるか分かるでしょう。神様の愛の心情が反映されるために、人恋しく、我が町が恋しく、国が恋しいのです。 それゆえ、国を越えて最後の目的である地上と天上の解放の天国を望む思いが叶うまでは、神様の憂い、神様の苦痛の心情は解消されないということを、いつも記憶しなければなりません。そこに私が役事を担う者となるなら、それはどうなるか考えなければなりません。 神様が寝ることも休むこともせず、果てしない循環の道を解放するためにずっと精魂を込めておられるように、私たちも精魂を込めなければなりません。小さな韓国の一人として、天地を代身をしたそのお父様の胸中に入っていこうと精誠を込める、限りなく限りない精誠を込めても何千万分の一にしかならないということを考えれば、精誠をもっと込めて恩恵が来れば来るほど後退するのでなく、もっともっと精誠を込めたい心、その心が貴いのです。 それは何かというと、永遠なる世界を解放するための準備だというのです。準備できない人はできない基準に留まります。そこに行ってから、誰が嘆いても、誰がどのように苦痛にあっても解放の道がありません。自分が地上で準備できなかったことを蕩減するには、地上で準備した以上に霊界で準備しなければ解放されないのです。その解放圏を準備するには、地上が何千万倍も速いということを知らなければなりません。 それゆえ、自分の生命が尽きる前に、地上における神様の心情的願いの最高の標準の前に、私が小さき役事を担う者として精誠を込めて愛の因縁を結んだという事実は偉大なことなのです。 ですから、自分だけの一生ではありません。私が死んでも、永遠なる人類を解放するまで、神様の精誠の度合いは残るということを考えなければならないのです。そのことを心配して祈祷して、精誠を尽くして愛することによって、皆さんが霊界に行くようになれば、神様と因縁づけられたその世界において、昔愛して精誠を尽くしたがゆえに解放圏が広がるというのです。そのような事実を考えるとき、み旨を知った以後の道というものは楽な道ではありません。 ですから個人のために精誠を尽くし、家庭のために精誠を尽くすのです。それはすべての世界を代表して精誠を尽くす一つの祭物のようなものです。 祈祷と精誠と愛 生きた供え物のごとき家庭として、このような立場で進まなければならないのが、祝福を受けた人々が解放的完成圏に到達する道だということを、いつも考えなければなりません。ですから疲れ果てることのできない道です。 だんだん心が豊かになり、涙なしには行けない復帰の道に入ったのです。何か良いものがあれば、私がまず食べようと思うことができないのです。孝子の道であり、忠臣の道がそうなのです。天を考え、世界人類をまず考えるのです。私の食べるこのおいしいものは、私だけが食べずに神様を通して食べるがゆえに、その世界を心配して…。雨が降って、あの山の谷間に流れる水が一滴二滴ぐらいでは大したことはありませんが、流れ流れて水流となって大洋まで連結されるときには、山から流れてきたその水は海まで流れていき、水蒸気になって山に帰っていくことができる…、このようなことが展開されるのです。ここで解放圏が展開されるということを知らなければなりません。なんと簡単なことでしょうか。 たゆまない祈祷と限りない精誠を中心として、愛の線が引くのが、私がこの地で堕落した子孫として行くべき生涯路程であると、このように考えなさい。分かりましたか? 準備できなかった人は流れていくのです。準備できなかった人は相続者になれません。重要な話です。分かりましたか? 何においても天とともになし、天を同情して、神様の心に感動を与えることのできる、そんな小さな瞬間が、どのような立場であるかと考えると、精誠を尽くしてもまた尽くそうという、為に生きてもまた為に生きようという、愛してもまた愛そうという、父母の心のような立場です。 これが天国のお父様の心であることを知り、そのお父様の前に相対的な基準を立てなければなりません。相対基準を造成しなければ、授受作用が起こりません。運動が起こりません。運動が起こらなければ永生の路程が止まるのです。そのようなことを好むようであれば、それは永遠に神様とは関係のない脱落者になってしまいます。ですから、いつも準備しなければならないのです。分かりましたか? ここに来た皆さんも「ああ、そんなに遠い道のりをどうやって行けるだろうか?」 お金がなくて涙を流して「結婚したいのに…、結婚すべき時間は決めたのに…、お金は一銭もない…」それ、どうするつもりですか? このような所に来るのに、結婚が問題ではありません。歴史的大転換時代なのです。端から端へと転換しなければならない転換時代だというのです。転換しなければなりません。こちら側を経てきたならば、あちら側を経て転換しなければなりません。あちら側に転換できる最後の道がこの道です。この端を通じてのみ転換できるのです。 今まで暗い世界に生きていた人々や家庭が、先生を中心として明るい側について来る時がきたのです。暗い側というのは、先生の命令を中心として解放圏となっているために自動的に転換されるのです。 皆さんが転換するようになれば、それに連なってすべてよくなるのです。夜道を太陽のように転換できるのです。それゆえに天のために因縁の輪を広げ、自分の一族のために因縁を結んであげれば、その準備した因縁の天の基準を相続するために、知らず知らずその一族はすべてがうまくいくようになります。これはみな理論的です。これは妄想ではありません。それゆえに、精誠を尽くして祈祷して愛さなければなりません。祈祷と精誠と愛。分かりましたか? 神様がどれほど精誠を尽くして、神様がどれほど愛したのか…、それを知らなければなりません。顔を洗って鏡を見るとき、女性たちは自分の顔がきれいだとか何とか言うのではなく、この顔で精誠をどれほど慕い求めるかが問題です。この顔で自分が喜べることを中心として笑い、化粧をしながら笑うのでしょう? どれだけ神様を愛したのか考えてみなさい。それが皆さんの永遠の恵みであり、恵みの中の恵みとなる基礎だということを忘れずに、恨んではいけません。 「ああ、これは疲れる」、「先生が認めてくれる」、「認めてくれない」とか言っていますが、精誠を込めることを認めてあげればどのようになりますか? 愛してくることにおいて認めてあげればどのようになるのかというのです。認めてあげれば愛がつまってしまいます。認めてあげないということが、精誠が流れるように、愛が流れるようにしてあげるということなのです。流れなければなりません。水も流れ、空気も流れ、愛も隙間さえあれば埋めてあげなければならないのです。 神様の心の中のくぽみがどれほど深く、どれほど低気圧になっており、隙間があるとすれば、どれほどの隙間があるかというのです。その隙間すべてを埋めうる愛の心をもって、神様の心の世界を初めて埋められるその道こそ、子としてこの地に人生の命を担う生涯ではないかというのです。これ以上恵まれた道はありません。これ以上の幸福はありません。幸福だというのです。そうなれば、天がその価値を認めてくれます。その時、その時、その時…。 さらには転換期には十年の精誠を共に尽くしてから、私が頂上に行くようになれば、数多くの人々の十年の功がすべて飛ぶように私に移転されます。 それゆえに「孝子」よりも「忠臣」にならなければなりません。「忠臣」は全体のために生きて、大きく「国」を愛して精誠を込めるのです。「聖人」は世界を中心として精誠を込めて、「世界」の人を愛そうとします。「聖子」の道理は天地を中心として精誠を込めて、「天地」を愛そうとするのです。このように段階と差が生じるのです。 これを精誠と愛の道によって受け継いでいくということを知って、皆さんが貴いものがあるならば、世界のために整理しろという神様の命令があるとするならば、どれほどいいでしょうか? そのように考えてみましたか? そうすれば神様が恵みを与えてくださるのです。その時が訪れる前に天の恵みを受けて「ああ、恵みを受けたからには私の物だ」といえば泥棒野郎というのです。恵みを受けたけれども、それが災いとなるのです。地獄のどん底に落ちるのです。 時が訪れるように待っていたのに訪れないなら、橋を架けて道を切り開き、その時が訪れるようにと、自らの財産をすべて流して送ることのできるみ業、そんなみ業をする人々が、国家的運勢に沿って世界の恵みを蓄えておくことのできる基盤になるということを知らなければなりません。 先生はこのように考えるのです。悲惨で難しくても神様がついて来ることのできる道、分かりましたか? あんなにも受難の道で苦痛を受けてこられた神様、天のお父様が、私の後について来て慰めを受けるということは、これは驚くべきことです。神様の恵みをすべて抱えて歩むのです。それに対し感謝して、もっと大きなことを望み、神様の恵みをみな分けてあげるのです。 親心もそうではないでしょうか? 我が子が苦労しているならば、自分の財布の中にあるお金をみなはたいてでも、我が家の財産を売ってでも助けてあげたいのが親心です。分かりましたか? 疲れたと言えますか? 疲れ果てるわけにはいかないのです。 人類がこのようになっているのに、どうして疲れ果てたと言えるでしょうか? ですから、み旨を知るようになれば、一生を楽に生きられないと考えるのはどうしてでしょうか? これが神様を解放する道だからです。 永遠なる世界、億千万代の神様の解放圏に向かってそれを埋めるためには、投入して、投入して、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて…、このようにして歩むことによって無限なる解放…、天の皇族圏の外に逃げていっても神様が見つけ出して立てるようになるのです。分かりましたか? それが何ですか。精誠と愛…。精誠というのは祈祷しなければなりません。何もせず、ただ流してしまってはいけません。祈祷は何かというと宣言なのです。「私はこのようにします。こうこうこうです」という報告と宣布です。神様に報告して宣布したことは、サタンが奪っていくことができません。先生が今まで多くの宣布をしましたね? 峠を越えて宣布するのです。 精誠と愛の心…。南米に来て「ああ、故郷が恋しい。お母さん、お父さんが恋しい。帰りたい」となってはいけません。ここを通して天が与えたい心があるのです。ウルグアイは小さな国ではありません。四か国を越え、三十三か国を越え、南米・北米を越え…、そういった解放圏を願う天に侍って歩むべき道が、精誠の道なのです。そのためには精誠は当然であり、自分を犠牲にすることは当然だというのです。 親の前にたくさんの子がいるとき、親は子に対しては、自分を愛する以上に兄弟をより愛することを願います。道端を歩いていて、かわいそうな人がいれば、その人の母親、父親以上の思いをもって愛そうというところには、神様が同調するというのです。その場は天国と関係する場になるということを知って、精誠と何ですか。(愛)。愛さなければならないのです。 神様に近い道 今年が最高の年です。真の祝福天宙化とサタン血統根絶。精誠が必要です。分かりましたか。精誠の心。愛の心。それでなくては絶対に根絶できません。 アダムとエバが堕落したときの、神様の悲痛なる歴史の苦痛を感じうる根を、私がどうすれば抜いてさしあげることができるでしょうか? 神様はおやすみになりますが、私は再び起きなければなりません。一番難しい事をする、そのような立場に立たなくては、神様の心情よりも何百倍も難しい立場に立つ、そのような立場に立たなくては、恵みが受けられないという考えを持たなければなりません。分かりましたか? ですからパンタナールだとか…。そのようなときには孤独な道を行くのです。孤独な道を。独りで、独りです。私の前には誰もいません。あるのは自然だけです。自然を見つめ、動物を見つめ…それらを本然の神様が見つめるとき、人間のためにつくりましたが…、人間のためにつくりませんでしたか? 人間のために精誠を尽くし、愛のために統一をしました。本然の愛によって、常に小さなものから大きなものまで、因縁的心情でつながっていますが…、 その心情の畑を啓発しなければなりません。その訓練です。そのために、その中でお父様に侍って、私はそのお父様の前に愛される、かわいがられる子となって、神様の心の友、心の世界の解放の友となる…、このような考えを持つのです。そのように考えると、時が深まれば深まるほどに上がっていきますから、自分が標準とした以上に越えるときには、ほとんど想像もつかないことで自動的に解放されていきます。 億千万世にわたる今までの創世以降の堕落世界が、どれほど大きいことでしょうか? これをすべて包容しなければなりません。何で包容しなければならないのですか? 力をもってしてはできないのです。知識をもってしてもできません。唯一、愛の心だけができます。涙を流すには何をもって…、精誠を込めるには何をもって精誠を込めるのか? これが絶対的に必要です。そのような心をもって「できる? できない?」を心配する必要はありません。「そのようにしたのか? しなかったのか?」が問題です。欲ばった思いだけではできないのです。 先生が自分のことを考えていたならば、今日もこのような場に出てこられなかったでしょう。人をどれほど恋い慕ったのかというのです。涙とともに愛する…、言葉ははっきりしていなくても涙を流しながら、愛の言葉…、唇を動かす表示をして愛しているという言葉を伝えたならば、それははっきりした言葉よりもっと貴いのです。分かりましたか? 懐かしい人に会ったときにうれしくて涙が先に出ますね? 涙なくして天国に行くことはできません。 ですから、その道は豊かに食べて豊かに暮らす道ではありません。食べ物に困り、暮らしに窮し、人から指さされ批判される道が、神様と一番近い道です。それゆえ、そこにそのような事情を持っている人がいたとすれば、神様は御自分の秘密とすべての内容を話してくださろうとするのです。そうかと言って、神様お一人では人間を解放することはできません。人間を通して解放しなければならないのですが、その代表者が真の父母です。メシアだというのです。 皆さんがメシアの子女となったならば、そのような心…、父母様の解放を思えば、神様の解放を思えば、そのような尊いみ旨、大きな愛の圏に入っていくことができなければなりません。ただ何もせずに入っていくことはできません。水平的にジャンプしなければなりません。 そのようになれば、霊界に愛の低気圧が生じるため、愛を求めるためにその切実さが生じます。高気圧があれば低気圧を埋めてくれますね? 来るなといっても後ろから押してくれます。押してくれるのです。そのような契機をつくるためには「精誠と愛」、分かりましたか? 精誠の途絶えることを望む個人もないし、家庭もないし、氏族・民族・国家・世界、宇宙もないのです。精誠を込める道について行きます。愛というものは誰でもその道について行きます。これが伝道です。 それゆえ皆さんは、自分のする事を報告して宣言をしなければなりません。「お父様、今日はこのようにいたします」といえば、「今日、成し遂げました」と報告しなければなりません。報告をしなければ水平になりません。水平になって縦的な関係を築くのが報告です。そうすればそれが残るのです。 以前にも話しましたが、バランスを通じて水平になれば、当然中心が必要なのです。天に報告するがゆえに、愛によってその縦的基準が永遠に変わらないのです。そのような生涯路程を持った人は、永遠の世界において、自分の立てた中心基準に相当する水平が定まるのです。そこでは自分が関係を築いたぶんだけの所有権が生じるようになるのです。そこに該当したぶんだけ、霊界で自由に活動するのです。解放が行われるというのです。これは重要な話です。分かりましたか? 先生がそのように生きてきました。それゆえに、先生は怨讐扱いすることができません。憎んではいけないというのです。「この野郎…」というのはやめようというのです。どうなって怨讐となりうるのでしょうか? 自らそのような欲を抱くようになった動機は何でしょうか? 母や父や息子や娘を食べさせて、まかなっていかなければ、という新たな欲望の出発から欲も出てくるのです。 悪人も、強盗もいっぺんには現れません。仕方のない困難な立場に立たされて、自分がそうせざるを得なくなり、過激に環境を踏み外して行動するようになるとき、犯罪を行うのです。動機は自分が愛する妻、愛する息子と娘、愛する父、母を中心とした動機だったのです。思い通りに仕事がうまくいかずに、環境的与件を破壊して犯罪が起こったとき、それは悪くない動機で出発したと考えることができます。 一心不乱にしなさい 皆さんは先生のことをそれほど優れていないと思っているかもしれませんが、先生はこのような場でみ言に通じるようになれば…、み言に通じれば通じるほど、その精誠の度合いが高まり、愛の心がそこに宿るようになるのです。 ですから、み言で「訓読会」を毎日のようにしなさいというのです。「訓読会」の味が、ご飯を食べるよりも、自分の大好物よりもおいしいという人は、無限な発展をするはずです。先生の生涯を見ると場面場面には、深刻な場で最高に集めて宣布してきた実績が残っています。その宣布の位置があるゆえに「私の位置を埋め合わせていくためには、どれほど埋めていかなければならないだろうか…」といって私たちの生活を振り返ってみるとき、休む間がありますか。 霊界に行けば先生の近くに行きたいのでしょう? そうですか、そうではありませんか?(そうです)。答えは簡単です。精誠をどれほど捧げたかです。天の心をどれほど解放してあげ、ご父母様の心をどれほど引きつけて消化してあげたのかというのです。その次には、それを愛をもってしたのか、あるいは自分の出世や、自分が祝福を受けようと、恵みを受けようと思いながらしたのかというのです。自分が恵みを受けるためにしたならば地獄に行くのです。 殉教した人々であっても「このようにイエス様を信じてこそ…、こうして信じて死んでこそ天国へ行けるのだ」と思っていたならば、天国へ行くことはできません。哀れなイエス様の心の世界に入って、慈しんであげなければならないのです。 神様が数多くの聖人烈士を覚醒させて立てたのは、神様の心を解くためです。子女たちを解放させるためです。解放を願うその思いが、しこりとなって残っていますから、私たちの解放的環境のために、どんなことがあっても行くべきであるのが、子女としての果たすべき道理であり、子女の生きうる生活舞台であるということを忘れてはならないのです。分かりますか? これを忘れずに歩んでいけば、皆さんの行く道は大いに発展することでしょう。…自分も知らないうちに、知っています。知っているのです。人は霊的存在なので、知っているのです。通りすぎる隣の人について行って、よく見てみると、初めて会ったはずなのに、「あの人どこかで会ったな…」と、こんな気がすれば、その人を絶対に逃すなというのです。そのような人がいるでしょう? よく見てみると、どこかで会ったことがあるような…、どこでも会ったことがないのに…、そういう人は逃してはいけません。その人は皆さんに必要な人です。 そのようなときは、真心を込めて、神様に対していたそれ以上の思いをもって見るようになれば、直ちに、くっつきます。離れられないのです。それが自らの同志たちを一まとめにしていき、心情の基盤を広めていく方法なのです。多くの恵みによって、天国に近い祝福の立場に立つことができるのです。 苦労して精誠を込めて愛するものは、私のものです。ところで、恵みは神様が持っています。恨を乗り越えて、恵みを与えたい思いが蓄積されていますから、「いつ恵みが受けられるのだろうか?」と考える必要はありません。恵みは自動的に訪れるようになっているのです。分かりましたか? 帰ったときに、この思いをもって生活に適用して、そのとおりに動いてみなさい。 先生は何か一つ手をつけようものなら、「このために生まれてきた」と、このように考えるのです。生まれたのも、このために生まれたと…、それから好きになってするのです。喜んでしながら、生きていかなければなりません。深い峠を乗り越えることができるのが愛なのです。自分が嫌々ながらすることには手をつけません。心がみな分かるのです。 好きでする事には、神様がいらっしゃって恵みを祈ってくださいます。私は今、釣りを経て水産事業に手をつけました。今や養殖の時が近づいてきたので、心は釣りから離れています。それゆえに、断ち切って突然に転換できるのです。未練もなく…。政策や方向が変わったゆえに、愛する方向が変わったゆえに、未練なく断ち切って、きれいに整理しなければならないのです。そうしてこそ、サタンがついてこれないのです。未練を残してはいけません。分かりましたか?(はい)。 こういったことを、みなちゃんと理解してと…、今年は一九九九年ですが、九数はサタン数です。蘇生、長成、完成…、十数ならばいいのです。「真の祝福」というのは完成されたということです。ただの祝福ではありません。真の祝福天宙化…。完全に、最後に、神様の胸にしこりとなっていた宇宙的解放の定着…、完全に定着しうる真の家庭を、祝福してあげようというのです。違いますか? ですから、最後の峠だというのです。 それから、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。最後…。絶対に最後です。機会を逃さず、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然についてくるようになるのです。私がプラスになっているために、マイナスは自ずからついてくるようになっているのです。 そのような思いをもって、来年に新たな国を持つようになるときには、皆さんの近所には祝福を受けたがらない人はいませんし、私が愛の因縁を結んでいない所がありませんし、神様を通して神様の愛する心の主体となって、それがすべて日光のように照らされ、解放が行われるというのです。それは理論的です。妄想的なことではありません。 それゆえに、恵みを受けようと思うなというのです。分かってほしいと言うなというのです。先生もそうしませんでした。気がついてみると、神様の関心を買おうとせずにその事をやっていたのです。報告もせずに、やっていたら、すべてが自然の理です。自然の理にすべてなっているのです。神様に報告しなくても、その前に出て報告した以上の価値として結実することが、天理の大道の原則というのです。 ですから、悲しがるなというのです。人と会って、気分を悪くするなというのです。動物を見ても気分を悪くするなというのです。絶対そのように考えないという条件をかけて、その怨讐に父母のように対してあげる心を持つとするならば、その怨讐はその立場において自ら頭が下がるようになるのです。天運が入っていって、別の行動ができません。皆さんは名のある人物や、大人の前に出ると行動が不自由になるでしょう。自然拘束が起こるのです。同様の役事が起きるのです。 準備しなさい 仕事に臨むにあたっては、絶対に悪い姿勢で臨むのではなく、良い姿勢で臨みなさい。仕事をするにあたって、自分の行く道は記録が残ります。いかなることをしたというのが…。絶対に喜びの心でしなさいというのです。 朝出ていって夕方帰るとき、仕事をやり終えて嬉しい心で…。家庭でもそのような生活を訓練してこそ、どこに行っても闇の世界から光の世界へ移れるようになるのです。光の世界にも境界線があります。十二時間まで昇っていってからは、沈んでいくのが原則であることを知らなければなりません。息というものは、息を吸い込むがゆえに、息を吐くときに容易になるのです。昇っていくがゆえに、沈んでいく闇も必ずなければならないのです。 ですから、自分のいちばん嫌なことも好きになるというのです。そうすれば、その人の暗いものは明るい地平へと向かうのです。「いやな表情で対さず、喜びの表情で一元化せよ」という生活哲学をもって生きることこそ、間違いなく神と共に生きることのできる、極めて素晴らしい道であるということを理解して、帰ってから一生懸命にがんばってください。 それが準備です。準備です。堕落した人間がしなければならない準備です。準備できない人は流れていくのです。自分がどんなに優秀であったとしても、水が流れ天運が流れるごとく流れていくのです。ですから、常に勝利的結果に対しては、木の根っこのようになり、レンガの家のようになって、天に仕えることのできる皆さんとなってくれることを、先生は切に願っています。分かりましたか?(はい)。 一生懸命に一年を喜びで消化しなければならないというのです。そうすれば神様もそこに同情して、臨在されるようになっているのです。 精誠と愛! 食べものがありますから、かわいそうな人がいれば「すまない」といって食べなければなりません。「お父様…、彼らを憐れんで私たちのように…」これが天国の息子、娘の行くべき道です。分かりましたか?(はい)。一度そのようにやってみますか?(はい)。 ですから女性は、むやみやたらに言ってはいけないというのです。精誠の道は険しい道です。また、むやみやたらに行動するなというのです。女性は行動が速いです。大慨、女性は口といっしょに行動しようとします。夫に対して、息子に対してそのようにするなというのです。愛で真心を込めて、母親が子に対するかのように話しなさいというのです。 聖人になるには、耳と口の王様にならなければなりません。分かりましたか? 女性が耳でひそひそ話をしていて堕落しました。口で話しているうちに堕落しました。分かりましたか? 耳と口ゆえに堕落したので、これをすべて制裁してこそ王妃になるのです。さらに女性はこのような面に注意しなければなりません。夫に対してひとこと言うにしても、ポンポン言い放ってこそスッキリするのですから…。そのようなときは夫のハンカチでもあれば、それをぎゅっと握りしめて…、そのように訓練しなさいというのです。夫を誰よりも愛するというならば、そのような条件が必要です。私たちはみ言を歌に変えて歌いますが、それはみな条件です。 このようにすべてを知って、今年は自らの生涯を天の前に残すことのできる、素晴らしきそのような年であることを分かってください。 精誠と愛の心をもって涙を流すようになれば、神様の胸中に記憶されて、絶対に流れていきません。分かりましたか?「私はそうしよう」という人、一度手を挙げてみなさい。(はい)。ありがとうございます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.14
コメント(0)
世界平和統一のための理想世界一九九九年一月四日、ウルグアイ・プンタデルエステ 一九九九年一月一日元旦、今年の年頭標語が何でしたか? 真の祝福天宙化とサタン血統根絶、「断絶」するというのは一つの幹をたくさんに切ることであり、根絶するといえば根元から引き抜いて捨てることです。初めからなくしてしまうのです。天地にそのようなサタンの因縁となる条件をどのようにきれいに根を引き抜いて捨てるかという内容です。 〈真の祝福天宙化とサタン血統根絶〉 一、世界平和統一のための理想世界 統合宗教のための超宗教国連 統合した宗教のための超宗教国連を作らなければなりません。統合宗教のための超宗教国連を形成しなければならないのです。宣伝大会から始まって、これから二月七日の大会のとき、これに対する具体的な会議をしようと計画しています。世界的な宗教の最高指導者たちと国家的な最高指導者たちを集めてこの会議を計画しています。 統合国家のための超国家国連 これは私たちがするのではなく、政治家がしなければならないことであり、国連がしなければならないことです。しかし、そのような私たち自体が内外の体と心が一つになるためには、宗教が心であるならば体が国家ですが、心の基準を考えると同時に体の基準を考えなければなりません。今回の大会が終われば、使命的な問題を負担させ、責任追及しようとするならば、私たちが知らなければなりません。また、それをコーチしようとするならば知っていなければなりません。そうかと言って、すべてが政治活動をしろという意味ではありません。政治活動するようになれば、直ちに問題が起きます。 「政教分立」が壊れれば、全世界のリベラルな輩、共産党の輩が反対するのです。政教分立は中世時代のローマ教皇たちが責任を果たせなかったために生じたものです。絶対神本主義を主張するその内容が、道義的な面や理想的基準に反するからといって、これに反対して人本主義思想が発達しながら反対が始まったのです。そのようにして共産主義と物本主義まで出てきたのです。歴史的観がそのようになっています。 それゆえに、本来の政教分立という言葉は摂理的にありえません。中間で誤ったのです。キリスト教が旧教と新教に分かれて戦ったのです。これを統合しなければならない時が来たために、霊的基準を次元の高い国連首脳基準まで引き上げると同時に、国家的基準で引き上げなければならないのですが、その準備過程が祝福家庭であるということを知らなければなりません。 今後、祝福家庭の世界化さえするようになれば、野党、与党をコントロールして、問題がみな解決されます。それゆえに、野党、与党が戦わず一つになれというのです。 アメリカが第二次大戦後に管理できなかったのです。共産圏のすべての問題、中東のすべての問題を譲り渡したのに、アメリカが責任を果たせなかったためにこのようになったのです。一つにならなければならないのです。そのような意味で、統合国家のための超国家国連を作るのです。統合国家は神様以外にはできないのです。これに反駁するとき、「神様以外には超国家国連を作ることができないではないか」と言えばいいのです。 今日、自由世界のすべての国家は、価値観が没落し、何もないではありませんか。世界観がどこにあり、国家観がどこにあり、氏族、民族、家庭観がどこにありますか。家庭に入ってもおじいさん、お母さん、お父さん、すべての子孫まで家庭破綻となり、みな分散し、実際にはないのです。それで超国家という言葉は神様を中心とする言葉だということを明確にしなければなりません。 政教分立、「レバレンド・ムーンが国連を丸め込むために政教統合運動をする」そのように反対しうる可能性を越えているということを知らなければなりません。なぜですか? 全世界の祝福家庭がどれくらいいますか。(二億五千八百三九万です)。 今まで一億八百万しかできなかったのですね。四千を超過して四億にしようとしたのに…。 この前、四千万したので四億を越えます。四億するようになれば、四億が夫婦だけなので分割して嫁の家、夫の家となれば八億軒です。八億軒ですが、四人ずつだとしても四位基台の中心として4×8=32、三〇億の人類を越えます。これが下層階級ではありません。知識的な基準にあって、今後一つの世界、平和な世界を作るためには、国際祝福しかないというそのような知識ある人が加担したので、上中下で見るようになれば中以上の人々です。それゆえに、これは人類を動かしていっても余りうる立場に立っている、このように考えます。 これを一か所に追いやり、いかにして統班撃破と訓読会に直結させるか? この問題は霊界を教えてあげなければなりません。霊界をはっきり教えてあげれば、行くなといっても行くのです。平和世界は家庭から始まるという徹頭徹尾の一つの思想を入れてあげなければなりません。国家での平和の出発はどこですか? 体と心が争うここから家庭が争い、親子関係が争い、すべて争いが起きるのです。分立された家庭基盤がみな仲たがいするので、平和がどこにあるかというのです。国ではすべて争いの場が生じるようになるのです。 それゆえに第一の根本の平和のスタートは、自分の個体、個体が一つであることです。体と心の戦争と武装を解消してしまわなければなりません。体と心の争いは今まで休戦もできず、停戦も一度もできませんでした。このような恐ろしい戦場の中で生きているという事実を知らなかったのです。体と心が一つとなった男性、女性が完全に平和のために一つになりうる夫婦を形成しなければなりません。永遠なる平和というものは、天国を知らなくてはできないのです。神様のみ旨を知らなければならないのです。 神様を中心として、神様のための国家を維持しなくては超国家になりません。国連に今そのような国はありません。神様を中心として宗教と合わせて未来にこのような国を形成することができます。未来のことをしっかりと進ませていきなさい。 統一宗教国家のための超銀行機構 統一宗教国家のための超銀行機構を作らなければなりません。まず、金融機関をどのように世界化させるかが問題です。去る五月に国際的な幹部会議をしました。その内容は、私たちはこれから家庭を中心としてはどのような国の力よりも超越的な機構を作ることができる時代に入っているというものです。これは間違いない事実です。分かりますか? 理解だけでいいですか、分かって実践できますか?(実践できます)。 間違いなくできます。今回、一八五か国の国家責任者の皆さんと宗教責任者たちが合わせて銀行を作ったと考えてみなさい。 世界銀行をピンセットでつまんで投げることができます。それで計画が何かといえば、全世界強大国以外の弱小国を結んで銀行を作ります。強大国は十二か国ではいけません。強大国といっても第二次大戦のときの英、米、仏、日、独、これら六か国です。これが第二次大戦のときに互いに戦った国家です。彼らは世界に負債を負って返せませんでした。先生はそれを取り返すことも考えています。 現在一九三か国の国家が国連に加入しています。一八五か国だけ考えてもどれほどですか? 四〇か国を除ければ一四五か国です。一四五か国を私たちが思いどおりにコントロールするのです。弱小国を連合させ、一八五の国家をすべて連合し、世界各国の国の中央銀行で評価したすべてを集めて銀行に保存しておきます。保存しておいて八〇%はいつも出して使えるようにすればいいのです。それは先生だけができます。可能だと思いますか、不可能だと思いますか?(可能だと思います)。そのために言論機関を動員するのです。 学者たちと行政府機関の長たちはすべて、教授など大学連盟の人脈を中心として銀行まで、通信社まで、言論までしておけばできないことはありません。国も動かすことができるのです。国を動かすことができる力があり、その次には新聞社があるので、道義的な教育をすることができます。方向をつかんでやることにブレーキをかける政府をお金と政治の力で調整し、世界的な銀行をもって押し進めるとすれば、いかなる個人や国家もかなわないのです。必ずこれをしなければなりません。それでここでウルグアイを中心としてウルグアイ銀行と…。私たちの銀行をすべて国家が管理します。これが一連の援助作戦です。今回、私たちと国家と半分半分にして銀行を作りましたが、国家が責任を負うのです。 ウルグアイは平均的に見るとき、ある国の国民水準以上の人が外国に出ているという事実が統計的基準から明らかになったのです。先生の本部がウルグアイにありますか、ありませんか? 本部がどこですか?(ウルグアイです)。 そこにホテルがあるでしょう、銀行もあるでしょう、新聞社もあるでしょう、印刷所もあります。印刷所も写真帖や住所録を作るためにアルゼンチン、ブラジルまでも来て撮らなければならないのです。一番良い新聞社を作りました。写真も同じようなものも印刷しようとするならば、私たちの会社に依頼して撮らなければなりません。 二十九個の銀行に四十三個の支部を早く作らなければなりません。銀行を作ってもウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルの四か国を動かして銀行を作ることができるので、アルゼンチン、ブラジルに支店を作る計画をするのです。お金はあるのです。 完全に基盤が準備された後には、何をするでしょうか? 韓国僑胞だという人は、私たちの銀行に入れなければ全部問題が生じるのです。何の問題ですか? 一度、私たちの新聞社でかき出すのです。二、三度かき出しさえすれば助けてくれと言うのです。そうかと言って、新聞で脅迫するのではありません。世界のためにこれから初めて新聞社を使って刈り入れるべきだというのです。 銀行計画を作り、南米全体の国家財産、地下資源から家から何からすべて合わせて、世界のIMF銀行を中心として鑑定し、いくらだというようになれば、一四五か国の全体価格を中心として全世界四か国を分割し、その中で八〇パーセントはどこでも対処することができます。 ところが、これを自分勝手にすれば大変なことになります。それで、各国に三十三名ずつ国家の重鎮を作っておきました。一番初めに一〇パーセントの十万人をおいて貸すのです。もし、一億ドルあるならば、五千万ドルをいつでも貸すことのできる制度だけ作っておけば不渡りは永遠に起こらないのです。分かりますか? 可能性のある理論的な体制を作らなければならず、理論的な体制と同時に理論的な事実が合わなければなりません。 番がどんな内容か分かりましたか? 統一宗教国家のための超銀行機構編成。 超宗教国家のための言論機構編成 世界の言論界を握らなければなりません。一八五か国に新聞社を計画していることを知っていますか、知りませんか? お金は誰が出さないといけませんか? エバ国です。来られる再臨主は何もありません。体だけ持って来ます。体と天の愛と天の生命の種を持って来ます。エデン園で失ったエバを探さなければならず、息子・娘を探すためのものです。そうするには息子・娘を産んで育てなければなりません。お母様は世界のすべての国家国民を食べさせて生かさなければならない責任があるので、日本のお金で世界の人を食べさせなければならないのです。 楽に天国へ行くでしょうか、難しく天国へ行くでしょうか? 楽に行けばすべて地獄に下って行きます。堕落した子孫の仮面を脱ぐことができません。難しく行くようになれば、この堕落線を越えて天国へ行くのです。④番が何ですか?(超宗教国家のための言論機構編成)。 皆さんに新聞社を任せて各都市に配置する時がくるのです。全世界的な情報戦争です。そのような意味で先生がそのような準備をみなしたのです。 超宗教超国家のための大学連盟機構編成 宗教と国家を合わせて、国連は非国連と和合して、統一宗教国家のための銀行と合わせて、言論機関と合わせて、大学を合わせれば、世の中がみな溶け出すのです。行くところがありません。その準備を今し尽くしたのです。 不渡りになると八年前から噂になったとき、先生がブリッジ・ポート大学を作り、鮮文大学を作りました。この南米開発をみなしたのです。しましたか、しませんでしたか?(しました)。それを皆さんが助けてくれましたか? 手をつけていないものがどこにありますか? 銀行もそうであり、サッカーもそうであり、芸術もそうであり、手をつけていないものがどこにありますか? それで、成功しましたか、失敗しましたか?(成功なさいました)。 絶対主体の前に絶対対象の存在は自然発生するというのです。運動を続けさえすれば自然発生します。男性と女性が世界的に見るとき、比率がどれほど違いますか。神様が見る絶対的原理原則において、男性が生まれれば、女性は自然に生まれるようになっています。調べてみなさい。いくらも違いません。 ⑤番は超宗教、超国家のための大学連盟を結成しなければならないということです。これさえすれば、先生が何をしていているか大体察することができるのです。それが今後、最高の国連の国を動かすことのできる立場に出ていくとき、このようなことは必須条件として世界体制化基盤を成し遂げることなくしては、世界を料理することができません。ここの科学技術であるとか先端であるとかそのようなものはすべて抜いたのです。それで、飛行機を作る会社を作ったのです。二、祝福の世界化で神の国を形成しよう 祝福の世界化で、今やサタンの国はなくなって、神の国を作らなければなりません。世界の祝福化で神の国を建てなければなりません。まず、世界から始まるのです。天宙はその次です。天宙はその後に自動的についていきます。まるで心的基盤が肉体に実を結んで、すべて種となっていくかのようにです。自然に循環して自然に大きくなっていくのです。 ですから、これは地上で成す世界化です。「天宙化」と言わずに、なぜ「世界化」といったのかというと、世界化されれば天宙化は自動的になされるからです。それで、題目は「祝福の世界化で神様の国を作ろう」というのです。形成です。編成というのは、この形成されていることを意味するのです。国がないのです。国をつくらなければなりません。「大学連盟」編成、「言論界機構」編成など、たくさんまとめればいいのです。ないから形成しなければならず、形を作らなければならないというのです。 真の統一家庭形成 私がこの前に真なる統一家庭形成のことを話しました。「真なる」の中に「世界平和統一」の概念が入っています。「真なる」ものよりも小さいものは何かというと「世界平和」と「統一」です。そのような家庭を形成しようというのです。真の統一家庭形成、話しましたね? 真の家庭を作らなければなりません。真の家庭を築こうとするならば、体と心が一つにならなければなりませんね? それでは、夫と妻が一つにならなければなりませんが、一つになりましたか? 妻の気分に合わせてやることができますか? これから先生のみ言を中心として楽しく生きなければなりません。 今まで自分勝手に生きてきましたが、そのようなことを考えてみると、国家メシアが一体いるというのでしょうか? そのようなメシアがどこにいますか? 先生が責任を持っていますから半分は私が責任を持つのです。有り難いと思わなければなりません。 真の統一家庭形成、分かりますね? 体と心が一つにならなければなりません。ですから動くにあたっては、それらがバランスをまず取らなければなりません。バランスを取るために動かなければなりません。バランスを中心として水平にならなければなりません。水平にならないと中心が定まりません。中心が定まらなければ上がることができません。下がってもう一度やり直さなければならないのです。蕩減復帰できなければ、振り出しに戻らなければならないということを知らなければなりません。 真の氏族形成 氏族的メシアにならなければなりませんね? 真の民族編成 十二氏族で真の民族を編成するのです。 真の国家編成 真の国家編成も真の十二民族をもって編成するのです。 真の理想党編成 理想党とは何ですか? 野党、与党が一つにならずに争っているので、一つにせよというのです。頭翼思想で一つにせよという、そんな意味です。理想党は神様党です。これ以上のものはないのです。夜も統一され、昼も統一され、一年も統一され、春夏秋冬も統一され、老いても若くても、四季、老若男女を問わず、万世を通じて統一されるというのです。一度決定されたら変わらないのです。家庭が変わらないのと同じく、国が変わるということはありえないということを知らなければなりません。 今の党は理想党でないために、私たちが教育してあげるのです。野党、与党を教育しなければならないのに、できなかったがゆえに、この有様になりました。命懸けでやりませんでしたね? 昼も夜も毎日のように訪ねてみるのです。一日に三回ずつ訪ねて、会わないといっても会わざるを得ずにはいられないようにしてみるのです。先生はしがみついたら放しません。ですから、ちょっとやそっとでは手をつけてきません。性格を知っているからです。 ⑤番、真の理想党…、真という言葉の次に何が入っていますか? 世界平和統一の理想党です。分かりましたか? 真の人は平和を成し、統一を成さなければならないという、そのような概念がみな入っているのです。家庭もそうであり、国家もそうであって、すべてみな入っています。 真の天国議会 党を編成して議会をつくらなければなりません。私たちが宗教議会をつくってから何年になりますか?(宗教議会は八九年度に開催しました)。 番は何ですか? 真の天国議会をつくろうということです。心の統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一をすることができる…、大統領になることができる資格者たちが集まって議会をつくろうというのです。韓国は与党、野党しかないでしょう? 上院、下院がありません。宗教人が結合して、上院議員に出馬させなければなりません、七五パーセントが宗教人です。心配することはありません。 今後、宗教界は世界各国で上院議員になり、その国の選挙を通して出てくる下院議員になります。勝手には処理できません。下院を通し上院を通過しても、全体会議のときに再び通過しなければならないのです。そのためには徹底して解説して教育し、はっきり分からなければ、すべてを取り消しにできる新しい計画を発展させていかなければならないと考えるわけです。宗教を中心として国連に上院議員をつくらなければなりません。その概念が分かりましたか? そうかと言って、宗教と政治家が一致しなければならないのではありません。 国連に上院議員をつくってあげなければなりません。私たちが何らかの政治をするというのではありません。私が国連の大統領のようなことをするというのでもありません。大統領ができるように導いてあげるというのです。大統領になる人を教えてあげるというのです。これが長子権です。長子権が先に成されてこそ、父母権が出てくるのです。 私たちの手で、国連の上院議員をつくらなければならないというのです。誰がこの腐りかけた世界を支えるのでしょうか。銃や刀ではだめなのです。父母の心情…、愛だけが可能なのです。先生にこの仕事を成せる実力があると思いますか? ないと思いますか?(あります!)どうしてあるのでしょうか? 皆さんがしなければならないのです。 私がどれぐらい生きられますか? 力は年齢にはかないません。これから三、四年以内に解決しなければなりません。その時までに上院議員をつくって、国家がしっかりと立ったならば、日本が復帰路程で先生の命令をよくぞ守ったと、世界国家から歓迎されると思いますか? つまはじきにあうと思いますか?しっかりと気を引きしめていきなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
コメント(0)
第32回「真の神の日」午前零時の御言真の祝福天宙化とサタンの血統根絶1999年1月1日ウルグアイ・プンタデルエステ 真のご父母様は、南米ウルグアイのプンタデルエステで第三十二回「真の神の日」を迎えられ午前零時を期して祈祷され、引き続いてみ言を語られました。 〈祈 祷〉 愛するお父様。この時間、一九九八年最後の時間を過ごし、一年における「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双祝福完成とサタン世界の血統断切」という、とてつもない課題を中心とした歴史的な出発をした日々、心に描き、夢にも描いたすべての困難の峠を越え、天が協助されたその勝利の栄光を備え、万民、万世の前に誇ることのできる栄光の一年を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 その年において、どれほどお父様はご苦労されたことでしょうか?。そのお父様の労苦の前に、本当に、本当に、本当に、この幼い子女たちは感謝を申し上げます。 そのような祝福の年を過ごし、一九九九年、新しい元旦のこの朝を迎えましたので、この市で新年を祝賀するこのすべての祝賀の声とともに、天が注視されるこの場、神様から千々万聖徒、私たちの祝福を受けた先祖たちと、天の許しの中で、この地上で解放の祝福を受けた万世の四億以上の祝福家庭たちが、ここを心で慕っております。 新年を迎えるにおいて、そのようにご父母様の万福を祈ることのできるこの場であることを思いながら、天と祝福を受けた家庭、人類全体が注視するこの焦点を合わせて、この時間をお父様の前に、新しく今年に計画するすべてのことを希望の中で申し上げることができ、計画するすべてのことをこの全世界に宣布することのできる元旦のこの日を、お父様、栄光の時間として、誇りの時間としてお受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 天が家庭を失われたエデンにおける恨みを抱かれたお父様の心、そのだれも知らなかった、そのような内情的な心情を、この地上に真の父母の姿を捜し、捜し、捜し立てられて、恨みの歴史をすべて解怨成就する日々を待ち焦がれたお父様。天が、復帰のために立てられる真の家庭を代表することのできる真の父母の家庭をこの地上に立てるためにどれほど、どれほど苦労なさったかという事実は、私たちは骨肉に感じながらも、そのようにご苦労された天がおられるということを知りませんでした。そのように無知であった、アダム以後の今までの過去の歴史の先祖たちをお赦しくださるようお願いいたします。 今日、この地上に真の父母があなたの心情の世界を慕い、この地上に表示し、万民解放の勝利の愛の法度を立てようとしたすべてのことを発表し、始めた日から久しくなります。五十年余りを過ごしても、このみ旨をこの地上に成就して、天の前にすべての国と世界を奉献することのできる勝利の宴を開くことのできなかったことは申し訳なく思いながら、今この年、一九九九年を中心としては、すべての長子権理想基準を越え、父母権理想基準を越え、王圏理想基準を越え、私たちが天の前にひざまずき、精誠を尽くす年となるように許諾してください。 天が個人から人類全体を超えて運行なさることによって、あなたの所願の解放の役事を成しても余りある祝福の恩賜を願っている、新しく全世界から集まってきた国家的メシヤたちとともに、この地上に訪ねてこられた世界的なメシヤとともに、天宙のメシヤとともに、祝福された家庭がジャルジンを中心として家庭的訓練会をして、天国入城に合格し得る家庭を標準として、修練したすべての家庭たちが、今、ジャルジン、この地域を中心として、ウルグアイ地域と連結させて、解放の地上天国、天上天国の開門の役事を宣布して出発いたしました。 このすべての歩みが、お父様が解怨成就なさることのできる喜びと栄光の日を迎え、創造理想以上に成したと誇ることのできるものとなるように許諾してください。そのような祝福家庭たちの姿を、お父様がどれほど待ち焦がれておられるかということを、私たちが本当に、この骨肉にしみて感じることができるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 今、新しくこの年を迎えましたので、持てる精誠の限りを尽くし、天の前において、神様を望み、各自、各家庭たちが統一的な心情一体となって、あなたを私たちの家庭に互いにお招きしたいと言い得る、輝ける栄光の家庭たちとなるように許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この地上に真の父母の家庭を中心として、真の父母の国を中心とした長子権解放を成すことのできる祝福を与え、国を立てましたので、この国をささげるために、この全世界の万民を一つの家庭を延長した国家体制を備え、天の前に王圏理想をあがめ奉る全人類となるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 このために天上世界で今まで、真のご父母様によって興進君と大母ニムを通じて霊的解放をもたらして、霊的世界で祝福を受けた先祖たちとともに、この地上の後孫と一体となって、地上におけるアダム家庭が成せなかったもの、家庭を成せなかった堕落の恨みの世界を元返すために、天使長たるアダムを完成し、すでに祝福を受け、真の父母の印を受けて先祖となったすべての天使世界までも相対的理想を得るように成してまいりました。 そのような祝福を受けた家庭理想を通して、カイン・アベル的統一的家庭によって、孝誠の家庭、忠誠の家庭、聖人の家庭、聖子の家庭を霊肉を共にしてカイン・アベル統一圏となして、神様を本当にこの地上に、真の父母を本当にこの地上にお迎えして、解放天国を宣言できるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 三家庭を中心として、三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭、三万家庭、三十六万家庭、四千万家庭、三億六千万家庭。四億家庭以上の祝福をしたこのすべてが一心一体となって、地上天国解放圏を完全に備えてさしあげることのできる栄光の勝利の地上天国開門と勝利の天国基盤が完成するよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 この元旦に向けて、今年の標語をお父様のみ前にお立て申し上げます。「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」という、「断切」ではなく、「根絶」するための誓いの宣言を、天地に新しい一年の標語として宣言し、この宣言を中心として、一心一体となって、神様に侍り、真の父母に侍り、前進に前進を誓いますので、全般、全体、全権、全能の解放的地上天上、愛の主権世界に前進することを、新年に祝福してくださるよう懇切にお願い申し上げます。 この時間を迎えるために、全世界に散らばっている祝福家庭たちが、ご父母様のおられる所に心を向け、精誠をささげております。その所ごとに、天の無限なる祝福が霊界の先祖たちとともに、千々万聖徒たちとともに、天軍天使とともに、神様と直接、そして地上と連結された祝福を受けた真の父母とともにあり、手に手を中心として、一つの統一された世界に、霊肉の統一された世界に前進、前進、前進して、勝利の解放された天国に前進することができるように祝福してくださいますことを、真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 (このあと、年頭標語を揮毫される) 〈み 言〉 サタンに連結された世界 今、私たちが住んでいる世界は、神様の創造理想に連結された世界ではありません。今まで住んでいた世界の出発は、サタンに連結された世界だったのです。サタン世界と連結されているのですが、何を中心として連結されているのかといえば、それはサタン的愛、サタン的生命、サタン的血統を通してです。このことは神様にとって、この上なく悲しい事実でした。 なぜならば、人類全体が神様の愛を受け継ぐべき後孫になり、生命と血統を受け継ぎ、全宇宙の主人の資格を備えなければならないにもかかわらず、すべてのものが、愛という因縁を中心として血統的関係を受け継いで、怨讐であるサタン世界と連結されたことによって、この世界全体がサタン世界になってしまったからです。 そのサタンがだれなのかといえば、神様がつくられた息子、娘でもなく、これは僕である天使長なのです。天使長が人類の先祖を強奪し、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を通して、偽りの父母、悪なる父母を中心とした世界を出発させたのです。 それゆえに、サタンは何者なのかといえば、神様の愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐であり、理想としていた家庭、国家、世界、天宙の怨讐であるというのです。怨讐の中で、これほどの怨讐はありません。 その怨讐を中心として連結されたこの世界の息子、娘。その愛の血を中心として連結されたその息子、娘を、堕落しなかった神様の愛する直系の息子、娘以上の位置に、どのようにして復帰するかということは、神様ご自身におかれては、この上なく痛嘆な問題であり、困難の中の困難な問題とならざるを得なかったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 これを復帰することは、すべてを破壊して再び創造することよりも何百倍、何千倍も難しい事実であったのです。 創世以降、今日に至るまで神様が尋ねてこられた歴史は、失ってしまったアダム家庭ただ一つを復帰するためのものでしたが、アダム家庭を取り戻すためには、創造した出発の基準とは反対に行かなければなりません。 神様の本来の創造理想とは、アダムを創造した後にエバを創造し、この夫婦を中心として、人間の責任分担を完成するための愛の一体圏を備えることによって息子、娘をもうけ、直系の息子と傍系の息子を繁殖させて、家庭から氏族、民族、国家、全体に連結され、神様の直系の子女の文化圏が形成されなければならないというものでした。 ところが、これとは正反対の怨讐の極の愛の圏内にこれが全部包囲され、完全に神様がこの地上に足を踏み入れられることのできない環境的与件をつくってしまったのです。ですから、これは、ただそのままでは復帰することはできません。上から、アダムから復帰することはできないのです。これが落ちてしまうことによって、中心となる父母が下に落ち、その次は息子、娘、その次は万物、あらゆる微生物の世界まですべて逆さまになっているというのです。それゆえに、復帰するうえでは、これを復帰するには、ただそのままでは復帰することはできないのです。 神様の側に最も近い存在が何かといえば、それは万物です。それゆえに、万物を中心としてこれを分割して、祭物となった条件を中心としてこのような摂理に着手したのが、旧約時代の歴史だったのです。 旧約時代の歴史を中心として見てみると、この祭物を犠牲にさせて……。犠牲にさせるということは何かというと、息子、娘が行くべき道を捜し出すために犠牲の歴史を経ていくということであり、そのようにしながら、この地上に真の息子であるメシヤを送るために、地上の選民を中心として個人、家庭、氏族、民族、国家の形態を備えることのできる準備をしておいたのです。 そうして神様は、怨讐のサタン世界であるローマ帝国を吸収することができる、天の側の国家として立てようとされたイスラエル民族を中心としてメシヤを送られました。イスラエル民族は、家庭的基盤となるべきであったと同時に、氏族、民族、国家、世界まで行くことのできるすべてのみ旨の理想的な基台となるべきでした。しかし、そのイスラエル民族がイエス様を捕まえて殺すことによって、ここにおいて神様は、アダム家庭で失ってしまわれた以上の悲しい堕落の痛みを感じられたという事実を知らなければなりません。 キリスト教と再臨の摂理 このように、イエス様が地上に来られたにもかかわらず、み旨を成されることができず、再臨という、二千年後に延長された歴史を待たざるを得ませんでした。そうしてこの二千年間、イエス様と聖霊が新しい選民圏をつくるために霊的世界と肉的世界を分割して、霊的地上天国理想を成し遂げるために時代を継ぎながら始められたのが、失ってしまったイスラエル圏を霊的世界だけで連結させてきた今までのキリスト教文化圏世界なのです。 イエス様の体を失ってしまったために、肉的世界であるところの体を中心として持つことのできる家庭的基盤は、この地上に残すことができませんでした。そのことによって、霊的な第二イスラエル圏が形成されたという事実を知るべきです。 その霊的イスラエル圏を中心として世界的版図を成し遂げ、天が創造理想時代に願われた個人的完成圏を中心として家庭と氏族、民族、国家、そして全世界に行くことのできる、世界形態を連結させるための目的として「再臨」という標準を立てておき、二千年の間、キリスト教はたくさんの蕩減の路程、たくさんの殉教の路程を通して個人的な勝利圏から家庭、氏族、民族、国家、世界へと広がってきました。 そのようにしながら、天のために生きるすべての人間が、人間たちが住む至る所において血の痕跡を残してこざるを得ない悲惨な歴史過程を経てきながら、再臨に連結してきたのです。 第二次世界大戦後、一九四五年までに、神様を中心とした霊的選民圏世界を中心として、キリスト教文化圏はこの地上で初めて、天を代表することのできる霊的基盤となったのです。そうして、実体的中心存在であるメシヤが来られるのですが、洗礼ヨハネがイエス様の前に霊的基盤を相続させてあげなければならなかったことと同じように、イエス様が残しておかれたすべての霊的基盤を、霊界から地上に来られる再臨主の前にそっくりそのまま相続させて、霊的基盤一体圏と肉的基盤一体圏を備えなければなりませんでした。それが、世界的版図の上でカイン・アベル基準を代表することのできるキリスト教文化圏なのです。 そうして、旧教はカイン、新教はアベルとなり、それらが一つになった基盤の上に真のお母様をお迎えして、新しい世界に向かう家庭編成を成そうとしていたのが、第二次世界大戦以後の、この地球を中心とした神様の摂理でした。 そのときに、もしキリスト教文化圏が先生を受け入れていたならば、そのときから七年間ですべての問題を解決することのできる地上基盤が完結されていたのです。その問題の解決点は何かというと、すべての家庭が、「アダム家庭を完成した真の父母の資格」を持つことができるようになる、ということです。 そのようにして世界人類が一つの家庭を成し、その家庭がすべて祝福を受けることによって、今日、私たちが行っていることと同じようなことが成し遂げられていたはずでした。そうして今現在、四億以上の祝福を済ませたのです。 その当時のキリスト教文化圏の人口は約八億でしたが、その八億という人口が皆、祝福を受けて旧教と新教が一つになれば、その当時、七年以内にこの世界は、今日私たちが望んでいた、長子権世界化、父母権世界化、王圏世界化がなされた家庭とともに一体理想を成していたことでしょう。そのように、一時にすべてのことを引っ繰り返して地上天上天国を成そうとしていた神様の摂理が、このように延長されてきたのです。 このような復帰摂理のみ旨を成し遂げようとしたのですが、キリスト教が反対することによって、すべてのものが崩れてしまいました。それが崩れたということは、アダム家庭が堕落したことよりも、イエス様がイスラエル民族に反対されて十字架で亡くなられたことよりも、もっと無念で悔しく悲しいことでした。そのような歴史を経てこられた天のお父様であられるということを、皆さんは知らなければなりません。 先生は地上において、天は霊界において、縦的父母と横的父母が地上に一体圏を成し、イエス様の肉体と霊が分かれてしまったことを、この地上において宗教圏、イスラエル圏、第二イスラエル圏であるキリスト教文化圏を中心として、霊肉の統一を中心として家庭的出発を世界化させることのできる七年路程を整えようとしたのです。ところが、それができなかったことによって、再び四十年荒野路程を経ていかなければなりませんでした。 四千年歴史を蕩減するための生涯を中心として、一代において四十年期間という最短期間を中心として、蕩減すべき道を再び出発しなければならないその立場は、あまりにも悲しい立場であるということを、この地上のだれも知らないのです。 韓国は「解放された」と万歳を叫び、すべての民族は「第二次大戦に自由世界が勝利した」と褒めたたえることのできる環境でしたが、縦的な父母であられる神様と横的な父母である真のご父母様は、喜びではなく悲しみの行路を中心として、歓喜する環境から追放され、反対される道である家庭的荒野四十年路程を行ったのです。 天の祝福基準を失ってしまい、再びこれを復帰して帰っていくためには、歴史的な四千年間の摂理歴史の中でなされたすべての事件が、ご父母様を中心としてサタンによって再び試験されるという過程を経なければなりません。そうして、そこにおいて倒れることなく今まで来たという事実は、天が私を保護されるためにどれほど苦労されたかということなのです。そのような事実を、皆さんは知らなければなりません。 このことを考えるときに、苦労された神様の歴史を振り返って見詰めるとき、これは悲痛であり、無念であり、痛哭の歴史以外の何ものでもないという事実を皆さんは知らなければなりません。 それを踏み越えて、昨年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という中に表された「真の神様」という言葉。歴史上初めて、「真の神様」を解放することのできる時を懸けて昨年という年を闘ったという事実は、歴史的な事件であると言えるのです。 三億六千万双の祝福を一年以内に完成すると考えた人は一人もいませんでした。それを可能だと考えた人は、一人もいなかったというのです。神様とご父母様以外にはいなかったという事実です。このような問題を中心として見るときに、三億六千万双の祝福をどのように完成させるのかという問題は、この上なく深刻なものであったということを皆さんは知らなければなりません。 心と体の統一 ここでは、きょう強調したように、心と体が必ず一つにならなければならないのです。心と体が完全に一つになれば、そこにみだらな考えが生じたりしてはいけません。レバレンド・ムーンがここに一生を懸けて心と体が一体となった基盤の上に、そこに万が一疑われ得る一点でも生じるときには、このすべてが方向が違ってくるというのです。このような深刻な一年を過ごしたということを、皆さんはよく分からないことでしょう。 食事をしていても、寝ていても、どのような休む場であっても、一秒でもこのような考えを失ってしまってはいけないという生活の中で、想像することもできないような、このような勝利的歴史をもたらしたという事実は、永遠に歴史に褒めたたえられることなのです。 世界の悠久の人類歴史において、またこれからの歴史において、この祝福というものは、結婚問題を中心として考えるときに、この峠は自分たちでは越えることができないために、この問題を再び思い起こし、考えながら越えていかなければならないという問題なのです。 ですから、今後、祝福を受け、結婚するすべての人類は必ず、勝利的な道を整えておいた真の父母の役事の庇護の下において、再び継承するこの祝福を絶対的に継承しなければ、天国に入っていくことのできる道は完全にふさがれてしまうのです。 このような年を今や決定すべき時代が来たので、皆さんはそれこそ、きょう再三強調しているように、天地におけるモデル的な自分個人を成さなければなりません。 その最初の提案は何かというと、心と体が統一されなければならないということです。心と体は統一されなければなりません。皆さんは朝起きれば、喜びの心を持って起きるべきです。そして最初に顔を洗うとき、五官を目から統一しなければなりません。目と鼻と口と耳と手、五官を統一し、心と体を統一しなければなりません。 五官は、心と体を一つに統一させることのできない通路になってしまったのです。これを完全に一つにし、心と体の統一を成した「統一された自分」となり、その完成した基準に神様が入っていかれることによって、性相的な神様の性稟が、自分の心に永遠に安着することのできる自分というものを成すことができるのです。 性相的なアダムを中心として完全定着基盤が成し遂げられると同時に、形状的なエバの心と体の中心に安着し、このような二人の男女が、永遠な神様の息子、娘の称号を持ち、永遠な神様の王子、王女の名を持って祝福を受けて成婚することによって、永遠に分けることのできない完全統一することのできる夫婦の姿を現すことができるようになるのです。そのような神様が慕っておられたものを再び復帰し、蕩減しておかなければならないということは、絶対的な要件です。天国に入っていくためには、これは絶対的な要件なのです。 このような基盤が成し遂げられなければ、神様が歴史時代に心に被られた悲しみと苦痛と無念な事実、そして神様の心の中に深く打ち込まれた、歴史的なこのすべての恨の釘を抜くことはできないのです。これを取り消させることはできないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、いつも考えることは自分の「心の統一」です。縦的に各自が神様との統一、心の統一を成し、その次には横的に夫婦の統一を成して、一つの愛から三位一体にならなければなりません。三位一体です。 三位一体の愛の圏が連結され、一つになったそこで一体となった生活をすることによって、ここで子女を繁殖するのですが、その子女に関しては疑う必要も鑑定する必要もありません。父母を中心として神様と一つになっているので、その子女には天の愛が連結され、神様の生命と神様の血統が連結されているので、自動的に永生することのできる息子、娘となるのです。ですから、天の国に直行することのできる息子、娘を生むのです。 そして、この息子、娘が結婚し、父母とともに家庭的に縦的に立って上下関係の統一的な家庭を成すことによって、地上家庭完成、天上世界家庭完成を成していたならば、神様が初めてこの地上に上下、前後、左右を中心として安息されることのできる地上天国の基盤が確定されるはずであったのです。 これは、アダム家庭において成される事実ではなく、皆さんの個々人の家庭において、現実的舞台においてこれを終結させるべき厳粛な宿命的責任があるということを知って、このことを解決するためにすべての生活を集中し、その集中した統一的な基盤を持って、このすべての万物を抱いて、天の前に奉献しなければなりません。 そのような愛の家庭となり、そこに連結されたすべての万物を奉献するのです。七代までの一族の先祖が落ちて出ていってしまったので、家庭を中心として七代を合わせて、万物と統一させて天の前に奉献してさしあげなければなりません。 神様の前に奉献してさしあげるのは、真の父母がしなければならないのです。完全に奉献してさしあげた基盤の上に初めて、統一的な形象圏と象徴圏として創造した万物が、アダム・エバの家庭を中心として完全に一つになって、解放圏を備えるようになるのです。そのようにして、実体的永生的家庭の定着が始まらなければならないということが、皆さんの家庭が行くべき宿命的な課題として残っているということをはっきりと知らなければなりません。 それでは、皆さんはそのような家庭を成して、どのようにしなければならないのでしょうか?。自分の家庭が中心ではありません。その家庭というものはどこまでも、国を代表することのできる家庭です。そして、天宙を代表することのできる家庭とは、神様を中心とした直系の真の父母の家庭を中心として、横的な基準を拡大したものです。それらすべてが氏族を通して、これが長子権軌道を中心として王圏の継承に連結されるのです。 その千年万年変わらない公式的理想を完成したアダム家庭に、そのモデルの型が表されており、それが千年万年の間変わらない文化世界を成すことによって成し遂げられた世界が、いわゆる地上天国なのです。この地上天国で暮らした人が、天上世界に移動して入っていく所が、永遠なる天上天国であるということを知って、ここに一体となるかどうかということが問題なのです。今や、他のことを考える必要はありません。 実際の問題において、今日、自分を中心としてこのすべてのことを完成し、解決することのできる最後の終着点にいるということを知って、このことをどのように完成するのかということが問題なのです。それは、自分の体と自分自身の問題であり、「あなたと私」の心と体の問題なのであり、家庭においては夫と妻としての「あなたと私」の問題であり、夫婦を中心として子女がいれば「あなたと私」の相互関係の問題なのです。これは皆さんの家庭全体が、共同的に連結された完成の標題になったということなのです。そのことを知って、だれかが一方に偏れば全体が傾くのだという事実を、皆さんは知らなければなりません。 家庭完成、家庭統一 それでは、このような家庭理想をどのようにして成し遂げることができるのでしょうか?。皆さんにおいて、子女を中心とした考えを提唱すれば崩れ、妻であれば妻自体の主張をすれば、これが傾くというのです。夫ならば夫が中心となって、これを強力に主張すれば、これが傾くというのです。 全体が愛によってお互いのために生きる、お互いにために生き合う、そのような「ために生きる存在である」という刺激的な信念が強くなければなりません。どのようなものであれ、ある意識的な、あらゆる環境的与件を越えて、自体内におけるすべてのものが、「ために生きるために存在する」という考えを持つべきです。 そして、その家庭環境を越えて立つことができなければなりませんが、それ以上の犠牲になることのできる道をお互いが築かなければ、このような理想的家庭の定着は、完全な位置で継続することはできないのです。そのことを考えるとき、私たちが備えるべき家庭理想は、どれほど難しいものでしょうか?。そのことを知って、この基準の前に一致することのできる皆さんにならなければなりません。 そこで、これを成し遂げるためのものが私たちの教会であり、これを成し遂げるためのものが世界の兄弟であり、これを成し遂げるためのものが世界国家であるというのです。このことが狂えば、私たちの家庭や教会や民族というものは、すべて無くなってしまうのです。 ですから、神様が創造当時に宇宙を愛されていた心以上の心を持って、すべてのものを引き入れて集結させ、ここに一方的に投入しなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。 このような家庭の最後の終着点に、芸術的な家庭理想を持って神様に侍り、真のご父母様が自分の家庭に来られて「永遠に離れたくない」と思われ得る家庭、また神様も、やはりそのように思われることのできる家庭を築くべきです。そしてまた、万民、さらにすべての責任者や指導者、さらには天の国に真の父母の直系の息子、娘、皇族圏があるとするならば、そのどのような皇族でも、その家に行って暮らしたいと思うことのできるような、モデル的な家庭を成し遂げなければなりません。それが、私たちの責任であるということを、一九九九年における当面課題として一つ提示するということを知るべきです(「アーメン」)。宣誓すべきです(「アーメン」)。責任を持つ中心者になるべきです(「アーメン」) そのようになれば、神様が願われる地上天国、永遠なる家庭の出発が成し遂げられるであろうということを記憶してくれることを願います。(「はい」) 今から何をしようとするのでしょうか?。新年辞はそれです。「家庭完成」、「家庭統一」です。その次に「個人統一」です。(「個人統一」)。「夫婦統一」。(「夫婦統一」)。その次は「父子統一」。(「父子統一」)。その次は「兄弟統一」。(「兄弟統一」)。このように、兄弟の中には子女が入っているので、「子女統一」は「兄弟統一」なのです。 赤ん坊として生まれ、兄弟になり、やがて結婚して父親、母親になります。これを統一しなければなりません。そして、子供たちもけんかをしてはいけないのです。「兄弟統一」、その次は「夫婦統一」、その次は「父母統一」です。これを体現して完全に成し遂げてこそ、神様のみ前に、エデンの園における人間の責任分担が完結されるということを知って、この目標に力を注いでいくように願います。 今から皆さんの家庭でけんかをすれば、問題が起こるのです。今まで皆さんは、「心と体を統一しなければ」と、言葉で言うだけであり、このように力を注いで統一してみましたか?「夫婦統一しなければ」と、「統一」というのは言葉だけで、本当には統一していないというのです。 「父親と母親、父子の関係を統一する」と、原理のみ言は語っており、何千万回そのようなことを暗記し、主張したりしました。また答弁し、誓いましたが、統一できなかったというのです。これは深刻な問題です。このことを完結しなければならないということは、宿命的な課題です。運命的な課題ではありません。宿命的な課題なのです。どのようなことがあってもこのことを完成しなければ、天上世界において全体解放圏を手に入れることができないというのです。行く道がふさがれてしまうのです。 上下、前後、左右、すべてのものが球形を成している球形世界は、共に力の交流を平均化することのできる地上でそれを決定してこそ、天上世界のどこに行っても歓迎され、どこに行っても支持されるようになるのです。そうしなければ、欠如した環境が現れるということを知らなければなりません。どれほど深刻か分かりません。 もし地上で果たせなければ、これは永遠の世界に行って、千年万年、永遠の教育を受けてこれをするのです。ですから、その完成基盤というものは天上世界ではなく、地上なのです。霊界に行ったそのときになって、それをしようと再臨することはできません。分かりますか?。再臨して蕩減復帰することはできません。後孫たちが蕩減しなければならないのです。 再臨することができるならば、完成した基準を中心としていつでも地上や天上を思いのままに上がったり降りたりできるのですが、条件に引っかかるようになるならば、その軌道を解くためには必ず、地上にいる自分の一族たちと天上にいる一族を動員して後援を受けなければ、行く道がないということを知らなければなりません。 それゆえに、地上に残された家庭的環境を完備するということがどれほど重要なのかということを、はっきりとよく悟らなければなりません。そのことの完成に、総力を注いでくれることを願います。 「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」 きょうの題目は何ですか?「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。「天宙化」です。「天宙化」とは、祝福したすべてのものは、天と地のどこでも完成的基盤になり、どこにでも伸びていき、どこにでも連結することができるということを意味します。 その次は何ですか?(「サタンの血統根絶です」)。サタンの血統根絶です。心と体が一つにならなければ、根絶されません。それは「根絶」です。今までは「断切」したのです。「断切」とは枝を断切し、葉も断切して木片の三分の一を断切したのです。しかし、これは「根絶」です。根を抜いてしまわなければなりません。根を抜くのには、どこで抜くのですか?。「家庭で抜く」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 心と体の統一、夫婦統一、子女統一です。ですから、絶対家庭が成し遂げられなければなりません。これはジャルジン宣言においては第二です。第三、第四まで成して、その次に「四・四節」です。アダム家庭で、四位基台完成を定着させることができませんでした。そして、息子、娘が定着することができませんでした。ですから「四・四節」を越えて、今からジャルジンにおいて家庭訓練をして天国に入っていくのです。分かりますか?(「はい」) そのようにすることのできるこの一年に向かって、前進に前進を誓うべきなのです。言ってみてください。(「前進に前進を誓うべきです」)。勝利完成すべきです(「勝利完成すべきです」) ですから、神様万歳、私たちの家庭の万歳をしなければなりません。本当の万歳をしなければなりません。宇宙を代身して、最後の万歳をして、神様とともに一緒に暮らせば全体、全般、全権、全能として、何でもすることができるのです。今から、私たちに怖いものはありません。 お金はたくさんあります。どこにあるのですか?。皆さんの家庭にあるようになっています。そのような家庭が飢えるようになったら大変なことになります。そのようにすることのできる家庭は、飢えることはないのです。そのようにすることのできる家庭が十家庭になれば問題ありません。 ソドム・ゴモラには、義人は何人しかいませんでしたか?。五人いただけでも神様は「すべての人を救ってあげる」と言われたのですから、そのような家庭が百家庭にもなれば、その家庭が暮らす所は、アメリカや世界の歴史時代において豊かに暮らしたどんな国も問題にならないほどの祝福の恩賜が、すべての天運に従ってそこに押し寄せてくるようになっているのです。そのことを知り、私たちの家庭が、そのような動機をどのようにつくるのかということが問題になるのです。その動機さえ解決されれば、お金は問題ではありません。宇宙の中心存在ということになるのですから……。分かりますか?(「はい」) どこに行っても自信満々に、自分が爆発的な中心となって、天の中心から降りてくる力を受けて横的に押し出していくのです。三尋の竿が問題ではありません。八尋の竿を振り回しても邪魔にならないという自信を持って、自信満々に祝福天宙化をなしていくのです。これは天と地がすべて注目する家庭であるので、ここから解放圏を伸ばしていってこそ天宙が回っていくのです。 ですから今から、皆さん祝福を受けた一族は一つになって、すべてジャルジンで教育しなければなりません。 旧約時代の祭物時代を完全に統一祭物としてささげなければならず、新約時代の息子祭物を完全に統一祭物としてささげなければならず、その次に成約時代は、父母祭物を完全に統一祭物としてささげなければならないのです。 神様と完成した父母が初めて一つになって、怨恨の世界の解放と統一を宣布することのできるこの位置は、宇宙ではなく皆さんの家庭であるということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) ですから、今年、神様がたっぷり祝福してくださるということを知っているので、だれか精誠を尽くす人が福をたくさん受けるであろうというのです。 太い水道パイプに水がたくさん配水されることと同じように、皆さんが精誠を尽くし、努力するその内容いかんによって、勝利的パイプがそれぞれ天上世界と連結されるということを知って、精誠、精誠、精誠を尽くし、敗者になることなく勝利者になることを祝願します。真の父母の祝福が共にあることをお祈りします。アーメン。(「アーメン」)。「新年に福をたくさん受けてください」ということです。(「アーメン」)。(拍手) (「全体的に真のご父母様のみ前に先に敬礼をささげ、万歳四唱をいたします。全体、気をつけ。天地父母様に敬礼」) 「総生畜献納解怨祭」と一族教育時代 皆さん、今から敬礼するときは、私たちだけで敬礼するのではありません。必ず、天上世界の天の国を中心として、神様を中心として、祝福家庭と天使世界が完全に一つになって地上とともに敬礼し、お互いに切実な心で引き合うのです。そのようなときは、皆さんの霊界に行っている父親や母親、あるいは友人たちが、自分との関係を中心として引かれて降りてくるのです。分かりますか?。 七十二代、さらに百二十代までも引き降ろしてくることができるのです。皆さんは国家基準をまだ成していないので、国家完成をするためには、百二十門徒が必要なのです。イエス様の時代に百二十門徒の家庭形態を全部皆、祝福することができず失敗したことを、この国家基準以上に越えて行かなければなりません。 今、私たちは国を捜し求めていくうえで、百二十代の先祖たちがここに臨在し、自分を中心として、イエス様が失敗した百二十門徒の祝福圏を中心として、氏族基盤がイエス様の解放圏を代身するようにすべて成すことのできるその位置において、天の国と地上が合わせて敬礼しなければならないというのです。分かりますか?(「はい」) それゆえに、皆さんは聖日であるとか公式的な敬礼をする日には、家庭においての敬礼式に必ず全員が参席しなければなりません。分かりますか?(「はい」)。絶対に参席しなければなりません。今までは自分の思いのままに生きてきましたが、家庭を中心として自分の一族が連合して敬礼しようとするのですから、どのようにしてでも教会に集まり、このように公的な集会をしなければなりません。今からは、一族が集まらなければなりません。一族です。族長たちが礼拝するようになっているのであって、他の人たちではありません。分かりますか?(「はい」) それで、皆さんは今や、先生の誕生日を中心としては、「献納祭」をしなければなりません。「総生畜(蓄)献納祭」なのですが、それは何かといえば、「怨恨の解放式」なのです。解放式をしなければなりません。神様の怨恨を解いてさしあげ、解放してさしあげなければなりません。神様を解放してさしあげなければならないというのです。そのようにしようとすれば、サタンによって全部裂かれてしまったものをすべて統一して、真心を込めて一緒に皆、そっくりささげなければなりません。 そして、成約時代は父母を中心として神様と一つになり、その次に息子、娘、これは新約時代です。息子を犠牲にしたものを、息子を割いてサタンの持ち分として分けて、地上世界と天上世界が分け合ったのです。それから旧約時代は万物を割きました。サタン世界に取り分を与えたという事実は、堕落の結実であるということです。 神様の所有権であるはずなのですが、神様がつくられた被造物を、神様のものをどうして割いて二人の主人に分けるのでしょうか?。これは堕落のためなのです。所有権決定というものは、堕落したゆえに、子女を取り戻すため、そして新しい家庭を復帰するために、このような歴史時代を経てきたのです。このことはだれも知りませんでした。これを完全に合わせて、ささげなければならないのです。 それゆえに、皆さん自体が祭物にならなければなりません。どこで一つにならなければならないのかといえば、祭壇に上がってです。夫婦が祭壇に上がらなければなりません。ですから、自分の所有観念を持ってはなりません。 ところで、今日のアメリカのような国は、完全にサタンの世界になりました。サタンの地獄になったのです。個人主義がどこにありますか?。プライバシーがどこにありますか?。平等がどこにありますか?。上下前後が「平等」であると言っています。その「平等」と主張しているものは、中心を抜かしてしまっているのです。それは、縦的理想を完全に否定したものです。 縦的理想には「上・中・下」があるのです。これを抜いて逆さまにしたので、「平等」というのです。思いのままに行ったり来たりするようなものは、縦的基準ではありません。それは建設されていくものではありません。思いのままにするので、ひたすら落ちて下っていき、地獄に行くのです。そのようにして、愛の理想やすべての愛の秩序を完全に壊してしまったのです。 アメリカにどんな家庭がありますか?。アメリカにどんな父母がいるというのですか?。アメリカにどんな国がありますか、世界がありますか?。すべて失ってしまいました。このサタン世界を完全に整理しなければなりません。分かりますね?(「はい」) このような理想のすべてを持てば、すべてのものは粛然と皆さんの後ろを千年万年侍りながらついてくるということを知って、そのような信念を持って生活環境を整備していくように願います。 七代の一族です。自分の七代の後孫たちをすべて集めて今回の……。修練所に教育を受けるために来るときに、一人で来てはいけません。全部皆、一族を中心として来なさいというのです。四位基台が終わった後に、一族教育時代を経ていかなければなりません。分かりますか?(「はい」) そのときには、自分の持てるものすべてをささげなければなりません。そのささげようとする行列は、歴史以来最も長い行列だというのです。それをささげることによって、先祖の第一代となり、二代、三代と代数が展開されるというのです。ここに座っているのは何人ですか? 五百人ならば、五百代が生じるのです。五百代の差が生じるというのです。 一つの場所に共に座ったこの場において、だれがこれを完成して、先にそれを真心を込めて献納して入籍するかという問題において、五百代の差が生じるのです。そのことによって、天上世界に行ってからは、皆さんが会おうとしても会うことのできない段階に分かれてしまうというのです。何のことか分かりますか?。そのようになるかならないか、見ていなさいというのです。 ですから、一族を早く整備しなさいというのです。競争が展開するのです。世の中で一番恐ろしいことが展開されるのです。競争の中で、それ以上恐ろしいことはありません。 先祖たちは地団駄を踏みながら、「この者たちめ、おまえの持っているものを早く早くささげなさい」と言い、それをせずに越えていけば、その者の所有を踏みつけ、始末するというのです。この者たち。ある時になって、宣布する日が来たのにそれができなければ、残した万物、息子、娘、妻、夫婦すべて崩れてしまうのです。逆さまに差し込んでしまうというのです。 天の悔しく無念であったことが、解怨成就の日を迎えるのにもかかわらず、腐りゆく、地獄に行きかねない自分のその家庭にしがみついて、その周りをぐるぐる回って防御し、保護して何になるというのですか?。とんでもないというのです。分かりますか?。 ですから、この教育を終えて、今から皆さんが教育を修了して別れるようになれば、一族の教育を指示することでしょう。ですから、家庭教育時代は過ぎていくのです。分かりますか?(「はい」)。はっきりと教えてあげてください。ジャルジン教育に行かなければなりません。ジャルジンに帰っていかなければなりません。 「神様の全能時代」の到来 先生は、いちばん頂上にいたのですが追い出され、いちばん下まで来て、ここで地上・天上天国をすべて成し遂げなければならないのですが、それができなかったので、右側のキリスト教文化圏を中心として、これをすべてを収拾するのです。 失ってしまったものを、荒野で個人、家庭、氏族を中心として、家庭的に接ぎ木するみ業を行い、これをサタン側の家庭を上げて……。神様と家庭が分かれているというのです。ですから上がっていき、家庭的代表であるご父母様を神様の代身として侍り、この地上に降りてくるのですが、どこに降りてくるのかというのです。まっすぐには行くことはできません。 還故郷しようとすれば、この地の果てに来て帰っていかなければなりません。ですからここに来て、ここに、このジャルジン理想家庭教育本部があるのです。その教育本部は、天地の救世主となる、天地のメシヤである神様なのです。 地上・天上天国のメシヤは神様であられ、そして世界的メシヤは再臨主なのです。分かりますか?。その次に国家的メシヤがいますね?。メシヤの中には国家的メシヤがおり、その次は氏族的メシヤがおり、家庭的メシヤがいるのです。 祝福を受けた家庭を中心として、家庭的、氏族的、国家的、世界的メシヤがすべていることによって、これらがすべて皆、新しくジャルジンの教育を受けるその基地に来て、そこで天国に行くことのできるチケットを上げるのです。皆さんの写真を皆、撮ってあげるのです。この人たちは、先生が間違いなく歴史的先祖の系列に参加させるのです。ですから、その写真が必要なのです。その写真がなければ問題になるのです。 そうしようとするならば、ここに「献納祭金」というものがあります。それは十六数です。それゆえに、魚も百六十匹捕まえなさい、というのです。 皆さん、すべてそうではないでしょうか?。韓国と北韓も、韓半島が南北に分かれ、いつまでも国連に加入できませんでした。これが国連に加入したのが、北朝鮮は百六十番目、韓国は百六十一番目だったのです。このように百六十で区切るのです。最後なのです。”一”は一つ残ったものなのです。 それゆえに、国も百六十国家なのです。皆さんが伝道する祝福家庭は何家庭ですか?。百六十家庭です。第一次大戦も十六か国が加担して闘い、第二次大戦を中心として、韓国動乱も十六か国が加担したのです。十六数を中心として、「四・四数」が問題なのです これは祭物です。蕩減しようとすれば、祭物が必要なのです。それゆえに、旧約時代の祭物、新約時代の祭物、父母祭物、神様の心情に打ち込まれた釘を取り除くためには、私たちが全体を合わせ、真の父母を中心として祭物をささげなければなりません。 このようにして統一的祭物を献納することによって、神様が全体の主人となられ、この地上に私たちの家庭から氏族、民族、国家に君臨されることによって、思いのままに行き来されるのです。思いのままに上下関係、左右関係、前後関係を回っていかれることができることによって、神様が主管される世界になるのです。全体が同じなのです。 サタン世界のすべての全権、権能がいくら強いとしても、その中で神様の全能時代が来るのです。神様が思いのままになさることのできる時代が来るのです。そのようにすることのできる時代になって初めて、地上天国になるというのです。分かりますか?(「アーメン」)。神様を解放してさしあげなければなりません。 旧約時代、新約時代、成約時代、そして何ですか?。解怨時代です。それも四数です。全体をささげなければなりません。このようにすることによって、神様が全体を受けられるのです。しかし、神様はこれを受けられても、そのまま持っておられるのではありません。神様は全体を受けられてから、初めてアダムに譲り渡されるのです。神様は、ご自身が受けられたものを真の父母の前に譲り渡され、そのことによって、ここから所有権の分配が始まるのです。 地上天国というのは、これを返してもらって、統一的王圏時代を迎えなければ、地上に天国が成し遂げられないということを知らなければなりません。分かりましたか、分かりませんか?(「分かりました」)。はっきりと知らなければなりません。いずれにせよ、帰っていかなければならないのです。 それで、「四・四節」を北方のコディアクに行って宣言したのです。二世たちを中心として立てて行うのです。ここに、南の方には国家的メシヤ、北の方には母の国のメシヤ、カイン的メシヤ。このように分かれるのです。これを連結して心情的なものを中心として……。その前には二世になるのです。 だれが先になるのでしょうか?。プラスがあれば、マイナスがあり、またほかのプラスは、このマイナスにくっつかなければなりません。北側に入っていき、長子、二世たちがプラス・マイナスとして連結され、そこで「四・四節」を宣布することによって、アダム家庭の四位基台が着地し、息子、娘の四位基台が着地するのです。初めてその二つの四位基台が着地できることによって、天上世界の門を開くのです。 ですから、このことを準備するために、六月十三日に「聖人」と「殺人魔」たちを祝福してあげたのです。それは兄弟だというのです。サタンを抜いてしまったので、今や神様が思いどおりにされるのです。そうして、解放的地上・天上天国になったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 皆さんの一族がこれを皆、すべて献納すれば、七十家庭から百二十代の先祖をすべて解放することができるのです。何のことか分かりますか?(「はい」) そのようになれば、霊界で即刻、興進君が祝福してくれることでしょう。そのようにして霊界解放をするのです。そして地上解放です。それゆえに、真の父母に侍らなければなりません。霊界に行った人は、真の父母に侍ることができないのです。 彼らに対して皆さんは兄の立場であり、皆さんの家庭は兄の家庭であり、王の中の「兄さんの王」の立場なので、霊界に行った人は、地上に来て皆さんの後ろをついて回りながら、アダムの立場である、地上にいる皆さんの家庭を中心として、天使長の位置の体を受け継いだような弟の位置において初めて一体となるのです。 そうして絶対信仰、絶対愛、絶対服従して完全に一つになることによって、兄の後に従って天上世界にご父母様とともに入っていくことができるのです。解放的アーメンが展開するのです。分かりますね?(「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 それゆえに、皆さんの家庭の問題なのです。一族の核になることのできる家庭、統一的基準を成すことのできる家庭、これが問題なのです。今までどれほど自分なりに生きてきましたか?。分かりますね?(「はい」)。自分たちで分かるではないですか?。本当に心と体が一つになりましたか?。 水晶が四方からすべて見通せるように、自らをよく照らしてみてください。それは自分たちがよく知っているのです。夫婦同士、けんかしてはいけません。引っかかってはいけないというのです。先ほど話しましたね?。さあ、万歳三唱ですか、万歳四唱ですか? (「まず、勝利された真の神様に万歳をささげ、二番目に勝利された真のご父母様万歳、三番目に第三十二回『真の神の日』万歳、四番目に『真の祝福の天宙化とサタン血統根絶』の一九九九年の目標を勝利することを誓う万歳をおささげします」〈郭クァク錠チョン煥ファン先生〉) 家庭が抜けましたね。統一家庭。(「はい。今年の標語を中心として……」)。「家庭」という言葉を入れなければなりません。(「はい。個人と家庭の統一を通した今年の目標を勝利する万歳をおささげします」) (「勝利された神様万歳」「勝利された真のご父母様万歳」「第三十二回『真の神の日』万歳」「勝利する一九九九年万歳」) 統一家庭万歳(「万歳」)一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
コメント(0)
生と死に対する理解 この講演文は、1998年12月19日、アメリカのワシントン・タイムズ社で開催された「世界平和超宗教超国家連合」の大会で語られたみ言です。 尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様! きょうのこの場は、各宗教の指導者の方々が参席されていらっしゃることと思います。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださり、心より感謝申し上げます。 死は根源の世界への回帰 時間をお借りして、これまで各宗教が解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対しての、私の見解の一端を披瀝させていただこうと思います。私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあるということを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そしてこの地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されているのです。したがって、私たち人間は霊界から生まれたので、いずれにせよ再び霊界に帰らざるを得ないのです。 皆さん! 韓国語にはおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」という言葉を使って表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に共同墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源の世界へと帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな谷を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大きい海へと流れていくのです。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通してより高まることのできる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。 それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っているのです。ですから地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。 学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならないという単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校から認められる割合が決まるのです。しかし単位が足りない比率が高ければ高いほど、その学生は学校が立てたその価値基準から遠ざかるのです。 このようにすべてのものは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯すべてを懸けて単位を取る準備期間だということです。すなわち私たちの一生において責任を追及するある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。 ところがほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるかないか、神様が存在するかしないかも知らずに生きているのです。人類は一つの兄弟、一つの国民 皆さん! 私たちはいずれにせよ、みないつかは霊界に行くようになっています。気づいてみると、その霊界は一つの国です。地上世界でのように、いくつもの国に分かれているのではありません。それでは、霊界で生活する内容はどうなっているのでしょうか。 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件となります。だからといって、魚も一箇所だけで棲むのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって子供を産ませる場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心も、このように互いに通じなければなりません。 人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖のアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの国民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になることができていたという意味です。 そのようになっていたならば、アダムの生活の風俗、習慣はそのまま人類歴史を通じて継承されていたでしょうし、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたことでしょう。 人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬか分からないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド・ムーンの言うことが正しかったのだ!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいるということを知らなければなりません。私たちは永遠の世界へ行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。 一般的に霊界に行く人には、二種類があります。自分のもって生まれた運命のとおりに生きて行く人と、自分の運命のとおりに生きられずに行く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに行く人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに行く人がいます。 もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立てて、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳の前に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習ってその人のように生きようとするなら、結局人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。 死と闘って勝利することのできる希望 人間の中には、希望をもって生きる人もいるし、希望をもたないで生きる人もいます。ところで希望は、人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二種類に大別することができます。 私たちは生まれたその日から、お母さんの懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、お母さんの懐を離れます。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子供も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。 人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢が多くなるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。 事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固とした信念をもつことができないのです。 私たちは一生の間、希望を抱いて生きますが、結局死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちはきょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、絶望しつつ最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。 人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生の道理として死さえも笑って乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。 皆さん! この世のすべてのことは、みな過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利することのできる希望です。私たちにそのような希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。 この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望一切を拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。天は正にこのような人々を助けているのです。ですから信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。 私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど私たちは死についてだんだん深刻になります。ここに座っている皆さんも、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、宿命の関門です。誰も避けられない道だからです。 私たちはなぜ死を恐れるのか 私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という言葉を使った目的が何であるか知っていますか。生の意味を知らせるためです。生の価値は誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人は分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。 それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも一番初めに問う質問が、人生が何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。 皆さん! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを御覧になる神様は、げらげら笑うでしょうか。それとも「うう!」と言って驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしがるのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入することのできる喜びを迎える瞬間が肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間であるからです。 それなら神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆さんが死の恐怖から解脱せずしては、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。 神様は人間が赤ちゃんとして生まれたときから、おしっこやうんこをしながら成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にそのしぐさをします。神様が笑えば子供たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しつつ親たちの姿に似るのです。言葉も習い、生活規範も親たちから習うのです。もちろんこのすべてのことは、本来神様から由来したものです。それなら神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、向こうにさっと飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。 「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなってもう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「私たちも今は行けませんが、いつかは行く時が来るでしょう」と言いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間は、人間は神様にいつもついて回ることはできないのです。 さあ、それでは何が問題ですか。私たちが神様に似たがり、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。 それで、人は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に生まれることのできる日を待ち望むのです。そのように生まれることのできる人に生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。 それなら人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。だとしたら、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないでしょうか。神様の真の愛、すなわち「ため」に生きる愛のために死のうとしなければなりません。ですから肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。 皆さん! 皆さんは一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金持ちでしょうか。皆さん、一度考えてみたことがありますか。 あの無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能なるお方です。御自分の子供たちに、何でも与えようとされないでしょうか。いかがですか。 神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆さんも関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければなりません。そうしてこそ神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはできないのです。 皆さん、神様が「するな、しろ!」と言われることを守ることができる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければなりません。 水中、地上、天上の三時代を通過しなければ 人はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、お母さんの腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界をいいます。私たちは腹中時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代、このように三時代を通過するようになるという意味です。 私たちがお母さんの腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中にずっと残ろうとじたばたします。なぜなら私たちが腹中を飛び出るときは、家がみな破壊され、私たちが食べて生きていた栄養の価値とすべてのものが崩壊し、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないからです。それを誰が好むでしょうか。生まれるその瞬間までみな「ノー!」と言うのです。子供は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になるのです。 お母さんたちが赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを産んだことのあるお母さんたちは、みな知っています。力を入れる時は、顔がいくら美人でも、すごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず逃げていくほどです。いかつい、あばた顔になってしまうのです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに子供が産まれてくるのです。 ところで、この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか。それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまいますか」と抗議する人がいるかもしれません。 産まれてくる赤ちゃんも死にそうだと、あんあんと泣きじゃくります。しかしそれを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると産まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ! ふうっ!」と息をするようになるのです。 皆さん! 人は初めに生まれるとき、一番深い水の中で生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ちゃんがお母さんの胎の中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると、お母さんのおなかの中の時代では息が途切れて、生きるのが大変なように感じられます。 水の中で生きているので当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではありませんか。そのために腹中の赤ちゃんたちは、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の子は栄養分をどこを通じて供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の赤ちゃんには口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげるのです。おへそをよくなでてあげると健康になります。笑い話ではありません。 そのように運動をしなさいということです。へその運動を通じて健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢になりません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口であったということは間違いありません。 このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口です。しきりに上に上がっていくのです。同じ原理で、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように、肉身を使って食べ、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。 ところがその時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。 大変な苦痛を甘受し、お母さんの腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴をあとにして新たに生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。 地上世界でも子供が生まれたのちに大きくなれば、お母さん、お父さんの友達になり得るのです。お母さんとお父さんの愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。赤ちゃんが母胎の中で泳ぎ回るのと同じように、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。そのような過程を経ながら地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なないで生きている」と言えるのです。同じように私たちは、霊的無限の世界に通じることができる親の代わりに、神様と愛を分かち合うことのできる霊界へ再び生まれなければならないのです。 それでは霊界は、どんな所でしょうか。私たちが霊界に入れば、頭の上にある気孔と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は、地上の空気ではなく愛です。呼吸を通じて愛の要素を受けるのです。 私たちが地上ですべきことは何か 私たちが地上で生きるときも、御飯だけ食べてはいけません。御飯だけ食べて、水だけ飲んで生きるというのは、御飯袋と水袋を満たすだけのことです。結局、そうして死んでいくということです。地上で生きる間の私たちの姿は、第二の私たちの存在です。 私たちがこの期間にすべきことは、新しい愛の人格を形成することです。この地上で私たちが最も必要とするものは愛です。孤児とは何でしょうか。お母さん、お父さんの愛を受けられない子供たちをどうして孤児と呼びますか。霊界と永遠に連結させることのできる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で生きる人をかわいそうだというのです。 もう一度お話ししますが、私たちが死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体に連結されたこの器官を壊してしまって、愛の要素を受け継ぐのです。ですから私たちは、いずれにせよ肉身を破って出ていかなければなりません。 愛は見えないものです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、このすべての愛を中心として私たちの内的な構造が成長するのです。 それで私たちが神様の法則のとおりに生きるときにのみ、赤ちゃんがお母さんの腹中で正常に育つのと同じように、私たちがこの地でもよく成長できるのです。ですから、むやみに生きてはならないのです。 私たちが自然界を調べてみると、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥までも飛ぶことができるのに、ましてや万物の霊長たる人間が飛べなくてどうしますか。たんぽぽの種を見てください。風が吹くと自然に飛ぶようになっています。 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかに飛べるように創造されたに違いありません。ある者は性急に神様に「神様、ほかのものたちはみな飛んで回るのに、どうして私たちは飛べないように造りましたか」と抗議したがるでしょう。しかし神様は「お前たちは数十年待って完成すれば、飛べるようにしてやる」と答えられるでしょう。 地上で愛する訓練をしなければ それではその時まで私たちは何をしなければなりませんか。その時になって、その世界に適応できるように、私たち自身を訓練しなければなりません。父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子供を愛しながら、この地上世界で訓練をしなければなりません。そうして時が来れば、永遠の世界へ入り、永遠に神様に侍って生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。 私たちがせみの一生を調べてみれば、せみも飛ぶようになる前に、幼虫の段階を経ます。ところでそのせみが「ぼくは幼虫のまま暮らしたい。殻を脱ぐのは嫌だ。ああ、陸地も空気も何もかもみんな嫌いだ」と言って反抗したとしても、いざ殻を脱いでみると、びゅーんと飛ぶようになるのです。 とんぼも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで暮らし、地上に上がってきて、しばしはい回り、その次は殻を脱いでぱたぱた飛び回り、陸地では食べるようになるとは想像もしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように昆虫類の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。 それで昆虫には翼があります。水と陸地と空中の三時代を過ごしながら翼をもつようになります。万物の霊長という私たち人間に翼がありますか。地上でのみ生きていいでしょうか。人間には次元の高い翼があるのです。皆さんも肉身を脱いで死ぬのは嫌だと言うでしょうが、いざ死んで肉身を脱げば、私たちは霊人体として第二の出生の恵みの関門を通過するために、ひゅーっと飛んでいくのです。 前にもお話ししたように、人間はどうせ死にます。私たちは、善なる自己を永遠の世界に第二の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ちゃんとして生まれるのと同じように、私たちの地上世界での生活も、よく準備しなければなりません。神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習いつつ、大きくならなければなりません。大きくなってからは、また命を懸けて越えていかなければなりません。したがってどんなに恐ろしい暴風雨がやって来ても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。よくやっていても、境界線の前で倒れてはなりません。 私たちがこのような人生の境界線に立つとき、私たちは果たして何をしなければならないでしょうか。思いをしっかりして頑張っても最後まで行けるかどうか分からないのに、あたふたしていたら、途中で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になれないのです。 人として生まれ、一度やってみるだけの価値あることです。いくら後ろで反対し、横から迫害したとしても、自分の行く道を行けばいいのです。人が反対するのに関与する余地がありません。一歩ずつでも早く行って、この運命の道を通過していこうという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちはみな、そのように行かなければなりません。 私たちはよく「心がまっすぐだ」と言います。それはどんな意味ですか。まっすぐに垂直に立ったものを「まっすぐだ」と言います。木も横に傾いたのを「まっすぐだ」とは言いません。「心がまっすぐだ」というのも同じです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。 自分の心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で成されるとき、垂直から引っ張る力と水平から押す力がバランスを取り、求心力と遠心力が形成されるのです。 ですから私たちは、私自身を見つけなければなりません。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母にそうだと認定されなければなりません。その土台の上に私たちは親戚、一族、一国、このように発展させていき、私たちの生活環境を拡大していくのです。 この世で危険な伝染病の患者たちを隔離して収容するように、遠からず神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯した人々は、隔離して北極のような寒帯地方に収容する時が来るかもしれません。彼らは完全に悔い改めて改悛するその日まで、そのような所にほうり出して、食べ物も寝る所もなく、大変な苦痛の道を歩むかもしれません。 天の希望を抱いて生きる人とはどんな人か 皆さん! 私は恨めしいことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成就する責任を私に下さったので、私が生きている間に神様が満足される水準までみ旨を成就しなければならないということです。 そうするまでは、死ぬに死にきれないのです。それで私が死地に入っていっても、神様が導かれ引っ張ってくださるのです。私はこのみ旨を成すために、御飯を食べるときも、寝ても覚めても世界と人類のために祈り、努力しています。 ある特定の国や特定の民族のためには苦労しませんでした。私の目的は世界の救援です。私はその目的のために今まで死を覚悟し、犠牲的に命を捧げて、働いてきました。 皆さんも世界のために生き、死ななければなりません。世界を救うためなら、愛する妻を抱いて、家庭を抱いて、自分の宗族を抱いて、民族をまるごと抱いて、死ぬこともできなければなりません。 さて皆さんは将来、ある日死を迎えることになり、死を前にして過ぎし日を回顧するようになるでしょうが、その時どんな一言を残して逝くのかということを考えなければなりません。死の道は、友もいない道です。愛する父母のいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行かなければならない道です。 もう一度行くこともできないし、行って来ることのできない道、一度行けば永遠に帰ることのできない道ですが、この道を行くときに、人間はどんな心をもって行くかが重要です。人間が死に逢着する瞬間、その死を乗り越えることのできる希望がないとするならば、そこでおしまいです。 今日まで神様のみ旨を支え、神様のみ旨を立ててきた多くの人々は、どのような人々だったかと言えば、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を凛々しく乗り越えた人々でした。そのような人々が天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通じてよく知っているのです。 それでは天の願いを抱いて生きる人は、どんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えることのできる人です。そのような人が天の願いを抱いた者だということを知らなければなりません。ですから私たちは死を前にして、この世のすべてのことを恨み、嘆く人にならないで、喜び、天の前に立って、自分の死の価値を誇り得る人にならなければなりません。 人生の勝敗はいつ決まるのか それでは、死んだならどうなるのでしょうか。死ぬ直前までは私のものですが、死んだのちは神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。ですから死ぬまでは、私たちの生命すべてはサタン側の因縁を抜けきれないのです。しかし、死んだのちは神様と因縁が結ばれるのです。死なずしては復活できません。一つの時代を過ごさずしては、次の時代を迎えることができないのです。 「生きんとする者は死に、死なんとするものは生きん」という聖書で言う「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠で真の生命を殺せということではありません。 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きるということです。この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ、復帰ができないのです。これは復帰の正常的な論法です。 人生の勝敗は、数年の期間を通して決定されるのではありません。それは一瞬間に決まるのです。私たちの一生を通して見ても、皆さんが生まれるその瞬間は、長い期間ではありません。 もちろん生まれるまでの腹中の時期がありますが、その腹中の十カ月という期間は、出生する一瞬間のための期間なのです。ところがいくらよく準備したとしても、決定的な一瞬間をうまく越えられなければ、生まれるその赤ちゃんは悲運の運命を迎えることになるのです。 この地上に来て、運命の瞬間を迎える最期の場で、過去を悔い改める人がいるとすれば、その人の心には過去のすべての事実が映像として映し出されるでしょう。その中で「真があり、自分の生命よりも貴い何かを残した」人がいるとすれば、彼はたとえこの地に来て逝ったとしても、生き甲斐のある一時を楽しむ人になるでしょう。 しかし、過去のすべてのことを回想してみるとき、頭を振って回想したくない過去をもっているならば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜が満ち、自分のすべての問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一場面として飾られるでしょう。過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間ではなく、ほかの何かを残すなら、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。 そうすることのできる過去をもった人は、必ず民族がついていくことができる因縁をもった人であり、世界万民がついていかざるを得ない因縁を残した人であると見ることができます。 神様の前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、人に結果をもたらすことができてこそ、善になり得るのです。 過去の生活が人のために生きる生活だったならば、死の道でも恐怖がないはずです。人のためにすべてを与え、人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら、涙も人のために流し、自分の生命も人のために投入し、自分の願いも人のためのものならば、自分の脈拍から流れ出るすべての生命力を寄せ集めて人のために投入するならば、その過去は光輝く過去になるでしょう。 聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし凡人は自分によって生きようとし、世界も自分のためにあるようにした人です。 霊界は真の愛を中心として「ため」に生きるところ 霊界にも霊界としての世界があり、国があり、氏族があり、家庭があり、個人があります。個人を中心として見るとき、「私はそこで絶対的に必要な存在だ」と言える自主性なしには入れないところが天国です。家庭を中心として見るときも、氏族を中心として見るときも、「やはり私が絶対的に必要だ」と言えるそのような自主性があってこそ行けるところが天国です。 霊界では地球というものは、ごみつぶのようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情をもって地上に生まれ、生きて死んだ人がいれば、ここに直接現れよ!」と言えば、その人が瞬時に現れます。そのように直感的感覚が現実化される世界です。そこには食料を作る工場もないし、自動車を造る工場もないし、何もありません。 人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書をもって行かなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをやった」と言える生涯の証明書です。そのような証明書は自分自身が書くことはできません。初めはサタンが書きます。まずサタンに証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければなりません。その次に神様の証明書をもらわなければなりません。この三つの証明書が必要だということを知らなければなりません。 霊界に行けば霊界は膨大ですが、三段階になっています。誰が最高の位置に上がるかといえば、より人のために人生を生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は反対の位置に立つようになります。自分のために生きた人はみな反対し、人のために生きた人はみな歓迎します。霊界に行けば、自分の親、自分の妻も関係ありません。高いところに行く人はみな、人のために生きた人々です。 世界のすべての国を回りながら、自分のお母さんと家庭に対する愛を拡大したような心情をもって「ため」に生き、世界の人々をみな悪から救おうとする聖人の心をもった人々が、高いところに行くのです。自分のために生きた人は地獄に行くのであり、人のために生きた人は天国に行くのです。この二つの世界が死から分かれるのです。ですから全体のために生き、より大きいもののために生きよというのです。 世界のために生き、神様のために生き、人類解放のために生きよというのです。これから互いに「ため」に生きようとする競争が始まるでしょう。天の国では、「ため」に生きる人が高い位置に行くので、その高い人のために私が生きれば、その人に乗ってジャンプできるのです。その人のために生きるのは、神様が創造して相対を造ったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立つということです。 霊界は、真の愛を中心として、ほかの人のために生きるところです。人のために一〇〇パーセント生きる人に対しては「私を踏んで越えていってください!」と言うのです。どんなにアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもっとその国の国民のために生きる人がいれば、その人が大統領を踏んで超えていっても、みな歓迎するのです。 しかし自分の利益だけを得ようとするときは、みな怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きなことのために生きようとするときは、自然に通過するのです。より大きなことのために生きれば、自然に通じるのです。ですから世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれるのです。すべての国がみな含まれるのです。 みんなが歓迎することのできるその方向の内容とは、真の愛を中心として「ため」に行く愛の道以外にないという結論が出てくるのです。死ぬときにもっていくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的人間としての自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。 人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残り、あの世の所有権決定の基準となるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって皆さんの霊界の所有権が決められるということを知らなければなりません。霊界に行って誇るものとは何かといえば、どれほど人を慕って生きたかということです。 あの世で必要なものは、ほかのものではありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子、娘よりも、神様をもっと愛したことです。妻が話すとき「あなたは私より神様をもっと愛して私を愛してください」と言ってこそ、夫からより高い次元の神様的愛を受けられるのです。 心情圏の世界は愛が普遍化できる世界 今日レバレンド・ムーンは心情圏ということを説いていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きたとしても、天と地、天宙を中心とした夫婦の愛でなければなりません。ですから、その世界に合格することのできる愛の基盤をどこで築くのでしょうか。レバレンド・ムーンは、この世でそれを築いて行かなければならないと教えているのです。この世で貴いというそのいかなるものとも違って、心情圏世界の合格者になれるようにです。 ですから、霊界には家庭を連れて入らなければならない原則があるのです。どうして息子、娘がなければなりませんか。後孫とは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざって生まれたものです。したがって後孫をもてなかった人は、霊界に行って天地の調和を成すことができず、東西南北に拍子を合わせられないのです。後孫をもてなければ、あの世に行っても遊び、休むことのできる場所がないのです。 世界宗教国連創設を主唱する 皆さん、霊界では宗教や宗派は必要ありません。そこに行って長老派だカトリックだのというのは必要ありません。神様との生活圏内に入るのです。あの世に行けば、世界を愛した人もいるし、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちがみないるでしょう。しかしレバレンド・ムーンが知る限りでは、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないのです。 あることを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。霊界に行けばそのような原則にどれほど同化し、ここにどれほど一致するかということが、これから地獄から中間霊界、楽園、天国まで、みな連結されるのです。 何が一番貴い道かといえば、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世においてパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。 宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神を信じて行くので一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かといえば、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれるのです。 世界の各宗教を代表して、きょうこの場に参席された皆さんに、私がこれまでお話ししたとおり、人間の生死の問題を中心とした生の価値を集中して取り上げたのは、他意があってのことではありません。生と死に対する正しい教えを与えるのは、私たち宗教指導者たちの責任であることを強調するためです。 今日、この世界の政治指導者たちは、国連を通じた世界平和と人類の繁栄を追求しています。しかし私の判断では、政治、経済、軍事的側面を中心とした国連の機能だけでは、世界平和の道は不完全だというのです。政治、経済、軍事的手段は、外的、肉的、物質的側面にすぎません。ですからより内的、霊的、精神的な側面は、宗教的教えと世界すべての宗教の連合と一致した行動を通じてこそ可能なのです。 私は、きょうこの場を借りて、これまでの国連に世界の主要宗教とその指導者たちが参与する世界宗教国連機構が創設されなければならないことを主唱するものです。 世界と人類の未来のために、きょうこの時点で世界宗教国連創設とその役割の重要性について、これから皆さんと世界のすべての国々が、さらに深く論議してくださることをお願いするものです。ありがとうございました。一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.12
コメント(0)
第39回「真の子女の日」記念礼拝の御言1998年11月19日ニューヨーカーホテル 神様を中心とした愛 世界には数多くの宗教があります。その宗教が目指すものは天国であり、どのようにして天国に行くのかということが宿題になっているのです。堕落がなかったならば、そのような宿題はありませんでした。 神様はアダム・エバを創造されるときに、一人の男性と一人の女性としてつくられました。何のためにそのようにされたのでしょうか? 男性であるアダム、女性であるエバのふたりが喜ぶためにつくられたのでしょうか、それとも神様が喜ばれるためにつくられたのでしょうか? どちらが先に喜ぶべきなのかということが問題になるのです。どちらが先でしょうか? (「神様です」) どのようにしたら神様は喜ばれますか? アダムとエバの顔を見ることで喜ばれるのですか? (「いいえ」)。神様は、顔を見て喜ばれるでしょうか、それともキスしながら喜ばれるでしょうか? (「キスしながらです」)。それでは、アダム・エバが神様の所に上っていって、そのようにしたでしょうか、それともアダム・エバが住んでいる地上に神様が降りてこられて、そのようにされたでしょうか? どちらが先だと思いますか? (「地上に降りてきてされました」) それでは、神様が地上でキスされたとすれば、だれに先にキスをされたでしょうか? (「エバです」)。(「アダムです」)。(「エバです」)。(「アダムです」)。(笑い)はっきりと答えてください。どちらですか? (「エバです! )。皆さんがエバであると言うなら、アダムがそれを見てじっとしているでしょうか? 「私に先にキスをすべきなのに、なぜエバに先にキスをするのですか?」と言わないでしょうか? 息子のほうが貴いでしょうか、それとも娘がもっと貴いでしょうか?(「息子です」)。(「娘です」) このような問題が生じるのです。これはどれほど複雑な問題ですか。いくら複雑に考えても、事実を知らなければ意味がありません。真実を知らなければならないのです。 神様とエバがキスするときにアダムも喜び、アダムとエバがキスするときに神様も喜ばれることのできる位置はないでしょうか? そのようになれば神様も喜ばれ、アダム・エバも喜ぶはずです。アダムを先にしてもエバを先にしても問題になるので、それをどのようにして解決するのかを、私たちは考えざるを得ないという結論が出てこなければならないのです。 神様は、その問題を考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか? アダム・エバは、成長する過程において考えることはできませんが、神様はそれらのことをすべてご存じで考えておられたでしょう。アダム・エバが神様とともに喜ぶことのできるキスをしなければならないということは理想的結論なので、神様もよくご存じであったのです。 キスするときにも共に喜び、何かいいことがあっても共に喜ぶことのできるというのが理想的ではないでしょうか?神様が、「あなたたちふたりは、神様まで喜ばせることのできるキスができますか?」と言われるとき、アダムに尋ねてもエバに尋ねても「できません」と言い、このふたりが神様に、「それでは神様はできますか?」と尋ねれば、神様は「できる」と言われるでしょうか、「できない」と言われるでしょうか? どちらでしょうか? 神様の体が分かれて、その分かれたものが再び合わさって一つにならなければならない、という論理しかないのです。 なぜこのような話をするのかといえば、重要なことだからです。私たちが喜ぶとき、キスをするとき、何を中心とすれば一番いいのか、ということです。お金を分けてあげるためにキスをするのですか? 神様が力を誇るためですか? 愛を成就するためです。愛のためにキスをし、愛のために抱擁もするのです。 アメリカの人たちはカップルのことだけしか考えないでしょう? 第三者は必要ない、ということではないですか? アメリカの人には、祖父母も必要なく、父親、母親も必要なく、兄弟も必要ないのではないですか?男性には女性がどれくらい必要でしょうか? 絶対必要です。女性には男性がどれくらい必要でしょうか? 絶対に必要なのです。 それでは、どのようなパートナーを願いますか? 瞬間的な愛のパートナーですか、永遠に絶対的な愛のパートナーですか? (「永遠に絶対的な愛のパートナーです」)。本当ですか? (「はい」)夫にとって、妻のすべてのものは絶対的でなければなりません。妻にとって夫は絶対的でなければなりません。服や足の爪、髪の毛までも絶対的であるというのです。 それでは目はどうですか? もちろんです。鼻はどうですか? もちろんです。口はどうですか? もちろんです。手ももちろんであり、すべてのものが絶対的なのです。 それでは、アメリカにそのような家庭はありますか? 偽物ですか、本物ですか? (「偽物です」)。偽物なら、ゴミ箱に入れなければなりませんか、父母の机の上に宝物として置いておかなければなりませんか? (「ゴミ箱に入れなければなりません」) 神様がごらんになれば、ゴミ箱にほうり込まなければならないのです。そのような人が霊界に来て永遠な神様に出会うようになれば、地獄にほうり込まれるということを知らなければなりません。ゴミ箱の代わりに脱落者が行く所が地獄なのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンが入り交ざったアメリカは、神様が愛される国ですか、呪われる国ですか? 今日、堕落した世の中の人間たちを、堕落していない本然の主人であられる神様がごらんになれば、何層にもなる地獄のいちばん真っ暗な、人も見ることができない所にほうり込まなければならないのです。それで底なし地獄というものがあるのです。 「アメリカの国民は優れている」と誇ってはいけません。偉そうに横柄な態度をとってはいけないのです。「チャンピオンである。お金がある。軍事力、知識がある」と誇ってはいけません。 「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド」といえば、世界のためのアメリカになるのですが、アメリカはアメリカ国民のための「ワン・ネイション・アンダー・ゴッド」です。そのような国は必要ありません。アメリカ政府や上下院を中心として世界のためのアメリカとなることを決定し、そのような思想を持つようにしなければ、神様を訪ねていく道がないのです。 そのような意味から、レバレンド・ムーンのみ言を聞かなければならないのです。赤ん坊から国会議員、大統領、すべてがひざを折って悔い改め、神様の前に引導者を探し求めたとき、神様が「レバレンド・ムーンのみ言を聞きなさい」と言われれば、どのようになるでしょうか? レバレンド・ムーンをどれほど必要とするのかといえば、絶対に必要なのです。(「はい」)。神様が愛されることができる道を教えてくれる代表者であるからです。 愛の道 それでは、アダムとエバはキスのしかたを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 考えてみてください。男性と女性が成長したらキスして抱擁して愛し合うことができる、ということがアダム・エバに分かるようになっていたでしょうか、分からないようになっていたでしょうか? 神様がいちばん喜ばれることが、男性と女性がキスして抱き合うことであるならば、アダム・エバが成長し大きくなったならば、そのようにできるはずです。ふたりがその年になったとき、神様が喜ばれる場所で愛し合ったでしょうか、神様が嫌われる場所でしたでしょうか? 嫌われる場所でしたのなら、それ以上神様の前に近づくことはできず、喜ばれる場所でしたのならば、それ以上神様と離れることができないのです。 アダム・エバはキスして抱擁したいと考えたでしょうか、考えていないでしょうか? (「考えました」)。どうしてですか? だれに教わったのですか? (「自然からです」)。自然です。自然を見れば、オウムが二羽くっついて、夫婦で大騒ぎして子を産み、キスしたりしているのです。そのようなものを見たでしょうか、見ていないでしょうか? そして、何をするのですか? 男女が愛し合って一つになり、子供を産むのです。子供がどれほどかわいいでしょうか。「アイゴー、赤ちゃんが欲しい。どうやってあのようなものを手に入れたのだろう? 私たちもあのようにできるのかな?」と思ったでしょうか、思わなかったでしょうか? 娘も大きくなれば淑女になり、ティーンエージャーになれば、「男性のあれはどうなっているのだろう?」と気になり、それを神秘的に考えます。そうですか、そうではないですか? ミステリーのように考えるのです。すべての神経、五官が集中することが、思春期に起こりますか、起こりませんか? 皆さんも、昔のサタン世界の堕落した人々も皆そうであったのですから、本然のアダム・エバがどれほど激烈であったかということを考えてみてください。それでは、アダム・エバが思春期に近づくほど、それに対して関心を持つようになり、すべての神経が集約されるでしょうか、されないでしょうか? 神様がおられれば、そのような人に「善悪の果を取って食べるな」と言われたでしょうか? 善悪の果とは何ですか? 思春期になると、自分でも知らずに自分の目と鼻と感覚の細胞が一つになって一つの火の玉のようになり、そのようになれば、自然にアダムとエバが抱いて愛し合うように神様がされたのです。目を見ても、鼻を見ても、口を見ても、耳を見ても、手足を見ても、すべてが笑っているのです。口も、耳も、手も、すべて開いているのです。愛に占領されようということです。すべてがそうなのです。死んでもよいというのです。 愛の道とはそのようなものです。その熱さが、百度どころか、千度、万度まで到達することを神様は望まれます。神様が抱いて愛されることができるということを教えてあげようとされたのですが、そのような境地まで行く前に問題が起これば大変なことになります。それゆえに「取って食べるな! と言われたのです。 そのようなレベルまで到達すれば、アダム・エバ以上に神様も興奮されるでしょうか、興奮されないでしょうか? 興奮されるのです。それでは、アダム・エバの熱と神様の熱を比較してみれば、どちらが熱いでしょうか? 神様のほうが熱いのです。レバレンド・ムーンがどうしてそのようなことを知っているのでしょうか? 見たのでしょうか? どうしてか知りたいですか? 教えてあげましょうか? (「はい」) このことは、私の宝であり、神様の宝であり、男性・女性の宝であり、人類歴史の宝であるのに、皆さんに教えてあげるのですか? (「はい」)。きょうは「真の子女の日」なので、良い贈り物として教えてあげましょう。 (「正分合作用は神様の愛の母体」と板書される) アダムの愛やエバの愛というのは、それ自体が原因ではありません。結果的なものです。原因的存在は神様です。神様の性相と形状に愛の根が存在するので、アダムとエバが上に上がっていき、そこで出会って火がついて二倍の熱が出るので、アダムの愛よりも神様の愛がもっと熱いのです。 (板書されたものを指されながらお話しされる)これが性相です。男性性相、性相と形状。そしてこれがプラス・マイナス、男性と女性は縦的・横的に四位基台をつくるためにいるのです。これは無形世界であり、これは有形世界です。このようになっているので、ここで回るのです。復帰ですから、このようにして回るのです。 皆さんは、神様よりも劣った存在になりたいですか、優れた存在になりたいですか? (「優れた存在になりたいです」)。そうです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願います。それゆえに、アダム家庭においては、アダムはエバが自分よりもりっぱであることを願い、エバはアダムが自分よりもりっぱであることを願うのです。神様よりも優れていることを願うのです。 なぜ、そうでなければならないのですか? なぜ、神様がそのようでなければならないのですか? 神様は霊界でも見えません。そのような神様が見えれば、それよりももっと優れようとするはずです。アダム・エバは、神様が愛を中心としてご自身よりも優れていることを願われる、見える存在なのです。 刺激的で衝撃的な地上で、そのようなことを願われるのです。愛する相対は、自分よりも優れていることを願うという原則があるために、神様よりも優れていなければならず、息子・娘は父母よりも優れていなければならず、夫と妻も相対が、より優れていることを願うのです。 ですから縦的横的な関係において、父母は子女がりっぱであることを願い、夫は妻が、妻は夫がりっぱであることを願うのです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願うのです。 男性がそのようにりっぱな妻を迎えようとすれば、自分のすべてを投入し、そこからさらに投入しなければならず、妻が自分以上に優れた愛の相対を願うならば、妻が投入しなければなりません。この天理に背くことはできないので、犠牲にならなければならないという結論が出てくるのです。 このような概念の世界を成就するためには、投入して忘れ、犠牲になり、奉仕をするという精神がなければなりません。神様ご自身がそのような精神を持たれ、アダム・エバも、兄弟も、国と国王も、すべての主体と対象がそのような関係になっていてこそ、神様は喜ばれ、神様がさらに愛することのできる道に導いてくださるのです。それゆえに、天国も無限なのです。永遠に新しい天国をつくることができる後代、永遠な世界がなければなりません。 アダムの中に入られる神様 それでは、初めに戻りましょう。アダム・エバが喜び、神様まで合わせて三人が喜べば、どのような世界になっていたでしょうか?この世界の息子・娘たちは、霊的にも肉的にも形がありますが、神様は無形です。死んで天国へ行ったとき、神様が見えなくてもいいのでしょうか? 「私がいちばん好きなお父様だ」と言わなければならないはずなのですが……。 アダム・エバがキスして愛し合うのは有形世界でのことですが、どのようにしたら無形であり、見えない神様と見詰め合うことができ、触れ合うことができる位置に立てるのかということを考えなければならないのです。 神様が喜ばれ、アダム・エバも喜ぶように愛を中心として一つになることを願うならば、どのようにしなければならないのでしょうか? これが問題なのです。それが一つになれば、見えない父母が見える父母になり、霊界に行っても実体であり、地上でも実体であるので、笑うときにもいつも一緒に笑うようになるのです。見えないのにどのようにして一緒に笑い、その相対になるのでしょうか? このことが問題です。一つになれる道をどのようにして立てるのかということが、神様が創造されるときの最後の宿題の中の宿題であり、人間の希望の中の希望であり、宿題の中の宿題なのです。 問題は簡単です。見えない二性性相の神様がアダムの中に入っていかれるのです。そうすれば、霊界の神様はいなくならなければなりません。どこに来られていなくなるのですか? ここ(形状的なアダムとエバ)と合わさったというのです。(板書されたものを指しながらお話しされる)アダムの体、エバの体に入っておられるのです。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 アダムの中に神様が入っていかれれば、神様とアダムとエバの三人が喜ぶようになるのです。アダムとエバのふたりが喜べば、内外すべてが完全に喜びます。霊界、肉界がすべて喜ぶのです。 未婚の男女は、なぜ結婚しようとするのですか? 男性の世界を完全に絶対的に占領するためであり、女性の世界を絶対的に占領するためです。それゆえに自分の夫に、宇宙全体、神様までがすべて入っているのです。 神様の愛と人間の愛をすべて占領して抱くようになれば、宇宙を抱くようになります。(板書されたものを指されながらお話しされる)これらがすべて一つになるためには、このセンターの位置に来なければならないのです。男性もここに来なければならず、女性もここに来なければなりません。 男性・女性の体の四分の三が水です。水が一つになり、愛が一つになって動物を育てることができる平原地帯のようになって、その愛の懐で水を飲み、草を食べて世の中のすべての動物が幸福にすくすくと育つようになるとき、このすべてのものを創造された神様が、それを見て笑われるのです。それを見て泣かれるでしょうか? 女性が泣くときにはどこに行きますか? 女性は隠れて泣きます。台所のような所に行くのです。男性は外に出て泣きます。男性は門をけ飛ばして、家から出ていって泣くのです。(笑い)相対的です。そうではないですか? 出ていって、木や海など自然に話しかけながら泣くのです。 また、女性が喜ぶと「へへへへ」とこのようにし(体を縮めて笑うまねをされる)、男性は「ホホホホ」とこうするのです(肩を広げておなかを突き出しながら笑うまねをされる)。(笑い)そうですか? どのようなことをしても女性は女性であり、男性は男性です。女性は男性になれず、男性は女性になれません。絶対的なのです。アメリカの女性たちは、よく聞いておきなさい。 「なぜ男性が主体なのか? 主体は女性だ」と言うならば、夫婦が愛し合うときに「男よ、横になりなさい。私が上にいく」と逆さまにならなければなりません。(「女性が主体になろうとすれば、そのようにしなければならないということですか?」)。そうです。女性が主体であると思うなら、そのようにしなければなりません。男性を横に寝かせて、自分がその上に乗って愛するのです。 そのようにしたらどうなりますか? 水が全部あふれてしまうではないですか? 皆がはっきりと分かるように露骨に話をしているのです。笑わないでください。(笑い)このような夫婦は破壊します。女性は「受ける存在です。 アメリカの女性たちは、主体を知りませんでした。主体と対象を誤って暮らしていれば滅びます。世の中を滅ぼすのです。どこにおいても女性が出しゃばれば滅びます。自分の位置を失えば滅びるのです。前後が逆さまになれば罪になります。 それでは、動機は神様ですが、その結果を合わせる所はどこでしょうか? 頭から脊髄すべてに神様が連結されなければなりません。神様の見えない骨が、男性の見える骨に移されるのです。見えない肉が女性に移されるのです。男性は骨、女性は肉になり、ふたりが一つの体になることによって第二の神様になります。神様の愛の相対になることができる存在になるのです。そのようになってこそ、男性と女性が愛し合うときに、愛を中心として神様は喜ばれ、キスして抱擁し、踊りを踊られるのです。 それでは、どこで一つになるのでしょうか? キスするところですか? 抱擁するところですか? どこですか? (「生殖器です」)。生殖器を今までいちばん悪いものとして扱ってきませんでしたか? 卑しいものとして扱ってきたのではないですか? それは堕落したためです。生殖器は生命の根源であり、血統の根源であり、愛の根源なのです。 アダムとエバの結婚式は神様の結婚式 個人主義王国時代に、個人主義王権を主張する者たちは孤独、単身です。皆、相対を失いました。天使長によってそのようになりました。すべての男性・女性は相対的になっていますが、愛のパートナーを失い、息子・娘までもすべて失ってしまったのです。 そうして、「人生の価値とは何だろうか? 真の愛の道とは何だろうか?」と言うのです。真の愛の道を捜し出すことができないので、人生の価値が分かりません。フリーセックスになれば、自分の父親を殺した怨讐と関係を持ち、その怨讐の息子をはらんだことを憂えて、産むやいなや子供をゴミ箱に投げ捨ててしまうようなことが多いのです。 フリーセックスとは一体何ですか? どうやって本然の立場に返っていくのですか? 返っていくことはできません。すべて失ってしまいました。 そしてヒッピーになり、雨や雪が降る日は行く所、休む所がないので、嘆息しながら薬を飲んで死んでしまうのです。自殺者がどんどん増えていきます。人生行路において真の愛を失ってしまったら、どのようにして真の人生を生きていくのですか? 未婚の女性たちは男性に目が行くでしょう? 男性の中を搜して真の愛がありますか? 男性たちは、女性に真の愛があると思いますか? 男性が信じられますか? 女性が信じられますか? 女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたということを知っている人はいません。自分のために生まれたと思っているのです。 それでは、男性は何をするのですか? 女性は何をするのですか? 相対を僕にしようとします。ために生きようとはしないのです。ために生きなければ愛はあり得ません。初愛は永遠なのです。エデンの園では、エバ以外に他の女性がいましたか? 男性一人、女性一人でした。 自分自身が絶対に信じられる人がいますか? 心と体が一つになっていますか? 毎日、心と体が闘っているのです。これを、どのように解決しますか? 休戦も停戦もない戦争を、どのようにして終わらせるのですか? (板書されながら語られる)九〇度です。すべて同じなのです。十二角が三つずつで三十六です。これはどこに持っていって合わせても、すべて合うのです。統一教会もこれを中心としているので一、二、三の三対象であり、これを中心としても一、二、三の三対象であり、神様を中心としても一、二、三の三対象なのです。 これは、一つの永遠な公式的カテゴリーなのです。男性は神様が絶対に必要であり、息子・娘が絶対に必要なのです。女性も神様が必要であり、夫が必要であり、息子・娘が必要なのです。息子・娘は父母が必要なのです。同じことです。どれか一つ欠けるだけでも、すべてが崩れていきます。 これが春ならば、これは秋です。そして東側は男性に当たるので主体です。これを中心として、これが一つになるのです。ですから、祝福家庭は神様の形状にならなければなりません。神様は父母なのですが、堕落以後、形状を持つことができませんでした。形状を持つはずが持てなかったのです。 これを再び復帰して、ここにおいて神様が初愛を中心としてアダムとエバに入られて、縦的な父母と横的な父母がここの一点で愛されることによって、始まりが縦的・横的になるのです。そうなることによって、霊界と肉界を一つにすることのできる息子・娘が出てくるのです。 神様はここにいて、アダム・エバはこのようになっているのですが、これが一つになってこちらに上がっていくのです。アダム・エバは上に上がっていきます。神様は上から降りてこられるのです。アダム・エバは見えない性相を備えるために、見えない神様は見える形状を備えるために訪ねてこられるのです。 それはどこで出会うのですか? 赤ん坊から兄弟時代を経て、男性は男性として大きくなり、女性は女性として大きくなってここまで来て、擦れ違うのではありません。エバは「アイゴー、私をほうっておいて泣かしたまま逃げ回り、一人で歩き回っていたアダムが必要だ」と思い、アダムは「アイゴー、わんわん泣いてじゃまだったエバが絶対に必要だ」と思って、ふたりは出会います。それで神様も同様に訪ねてこられるのです。 思春期になると、神様がアダムとエバの中心に入っていかれ、「さあ、行こう。祝福することができる場所で会おう」と言われるのです。そして霊的な父母と肉的な父母が一つの体になり、霊肉が一つになります。そして霊的世界、肉的世界を見ることのできる息子・娘が生まれるのです。それが堕落していない天の国の家庭の息子・娘であり、それを拡大させたものが天の国の民族なのです。アーメン。 横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縦的な父母であられる神様が心なのです。神様は、アダム・エバの心なのです。ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は「体」的な父母の結婚式であると同時に、「心」的な神様の結婚式になるのです。 二つの世界の結婚式をすれば、息子・娘の結婚式になります。息子・娘の結婚式、横的な父母の結婚式、縦的な「心的神様の結婚式になるのです。この三つをすべて祝福することのできる日を迎えることによって、神様が喜ばれ、アダム・エバが喜び、全体が喜びます。アーメン。そこから幸福になるのです。 ですから、神様もアダム・エバの結婚式をどれほど待っておられたでしょうか? それはご自分の結婚式なのです。女性が男性を訪ねていって完全占領して、男性が女性を占領するとき、ふたりで神様が喜ばれる場所を訪ねていくのです。そしてアダム、エバが神様の体になり、神様はアダム・エバの心になって、結婚式が完成するという結果になっています。 ですから結婚とは、男性が女性を完全に占領し、女性が男性を占領するものなのです。ふたりが占領した真の愛を中心として、神様までも占領するのです。神様がすべての主体なる動機になられ、その神様と愛によって一つになることによって、そこに属したすべての宇宙の存在は私の所有になります。アーメン。 神様といつ出会うのでしょうか? 結婚式に神様と出会うのです。アダム・エバの結婚式は、エバの喜びの日であり、アダムの喜びの日であり、夫婦の喜びの日であり、神様の喜びの日であるということを知らなければなりません。 神様は縦的なお父様であり、アダム・エバは横的なお父様です。九〇度の角度です。永遠に九〇度なのです。皆さんの心と体が堕落することによって体を失ってしまったので、堕落した後に、角度が狂ってしまいました。これを立て直さなければなりません。 自分の心と体が何度狂っているのか、皆さんは知っているのです。心を中心として体が一つになっていないということを知っています。一年三百六十五日の半分、心と体が一つにならなかったとしても、五〇パーセント狂っています。それどころか毎日のように体の命令に心が従って、すべてマイナスになって地獄に落ちていくのです。 アダム・エバは神様の体である、ということを理論的に認定しなければなりません。分かりますか? アダム・エバの心に神様が臨在されるのです。神様と一つになり、心と体が一つになっていたらサタンが入ってくる所がありません。 それでは、なぜ男性が生まれたのでしょうか? 女性のためです。女性はなぜ生まれたのでしょうか? 男性、女性はなぜ生まれたのですか? 人類といえば男性、女性しかいませんが、男性、女性はなぜ生まれたのですか? 愛のためなのです。愛して何をするのですか? 男性の世界は半分でしかありません。半分が完全になり、さらに神様までも占領するために結婚するのです。 三代から地上天上天国が出発 神様も赤ん坊から成長されました。神様が赤ん坊のときから兄弟時代、結婚段階に至って子供を創造されたのと同様に、皆さんの妻にも、相対的実体として体と一つになって育ってきた時代があります。その成長時代においては感じられなかった愛が、結婚して一つになれば永遠に継続されるのです。 見えない神様が見える神様として現れ、見えない神様と見える神様の世界、地上世界と天上世界が三代において初めて結実として現れます。アダムは神様の一代の愛しか受けることができませんでした。それは四位基台にならないのです。 それゆえに、神様も三代の愛を経ていかれなければなりません。息子・娘の愛と孫の愛まで経てこそ、三対象目的の四角形を中心として一つの完成体になることができるのです。この角度を満たすことをグローバルと言います。三角形では運動するのが難しいのです。 見えない神様が成長されて、見える神様になられて衝撃を感じられるために、息子・娘を代身としてつくられました。見えない内的な神様を見える神様として感じることによって衝撃を受けるのです。 同様に、アダム・エバも息子・娘を産むことによって、自分が育ってきた赤ん坊時代から兄弟時代、そして結婚して父母になる道を経て、三大創造主権を成し遂げることによって一つの実を結ぶはずであったのです。ところが、神様は孫を持たれることができず、三代を成すことができませんでした。実が結ばれなかったのです。 神様は、幼いときから結婚するときまで過ごしてきたすべてのものを、実体でごらんになって刺激を感じられます。霊界と肉界を一つにするのです。霊的に一つになって現れてきます。 皆さんが成長するときに皆さんの親は、子供が育つのをどのように見ていたのでしょうか? 自分の息子・娘を通してもう一度、自分たちの成長過程を見るのです。神様もご自身が成長してこられたことをもう一度ごらんになるときに、衝撃を感じられます。そのようにして神様が横的に拡張する世界を持たれたように、皆さんも子供を産むことによって、縦的な世界ではなく、横的な世界に発展することのできる愛の版図が広がるようになるのです。 アダム・エバは二代であり、その息子・娘が三代です。三代から四位基台が広がっていきます。アダムは、神様の愛、すなわち一代の愛しか受けることができませんでした。しかし、アダムの息子・娘は、神様の見えない父母の愛と、アダム・エバの見える父母の愛の二つの愛を受けるのです。 アダム・エバの心を中心として、霊人体に神様の愛の血統が三代の息子・娘に連結されます。ですから、二つの父母、二つの国の王の血統を受け継いだ、アダム・エバの息子・娘から地上・天上天国が出発するのです。 堕落した皆さんは、神様の愛と真の父母の愛を受けられなければ地獄に行きます。天国ではありません。それを知らなければなりません。その三代の神様の愛を成すためにアダムが来たのであり、メシヤが来られたのです。そして三代を成して天国の種を拡大していくのです。 偽りの父母から、天国の種を破壊する偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎました。ですから、その反対にメシヤである真の父母が来られて再び三時代の基準をつくることによって、どこに種を植えても繁殖し、天国に直行する人々をつくります。それが、統一教会の家庭を立てて天国に行くことのできるチケットに印を押してあげていることです。(拍手) そのようにするためには、野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。新しい芽です。そのようにして血統が変わるのです。接ぎ木すれば、切ってしまったものは肥料になります。切ってしまって接ぎ木すれば、世界全体は肥料とともに養育することができる新しい家庭の体になるのです。腐ったものは肥料になります。 芸術的な夫婦の生活 それでは、人間で最も貴い所はどこですか? (「愛の器官です」)。愛の器官とは何ですか? 生殖器です。生殖器とは何ですか? 自分のものですか? (「いいえ、違います」)。だれのものですか? (「妻のものです」)。(笑い) それは、だれがそのように言ったのですか? だれがそのように決めたのですか? (「神様です」)。神様です。天地がすべてそのようになっています。存在するものはすべて愛のために生まれました。愛のための存在は、自分のための生殖器は持っていません。相対のためにあるのです。 女性はイヤリングをしますが、どうしてか分かりますか? 女性は、ぶら下がっているのを好むのです。神様を象徴する上部構造である頭にぶら下がっているものは何ですか? 耳は四方を象徴します。そこにぶら下がっているものが何だと思いますか? イヤリングは女性です。女性が男性にぶら下がっているのです。 そして女性は、ネックレスが好きです。これも、「男性にぶら下がって生きていこうということです。首にぶら下がってです。(笑い)首にくっついていなければなりません。そのようにすると、女性が傾きますか、男性が傾きますか? 男性は傾きません。その次は何ですか? 指輪です。女性は指輪をはめて生きていくのです。これは、愛を象徴します。指輪は、なぜ四番目の指にはめるのですか? それは「東西南北を経由するということです。 よく寝て、よく休むのは男性ですか、女性ですか? (「女性です」)。男性よりもよく食べてよく寝て、夫が帰ってくるのを化粧をしながら夕食の準備をして待ち、帰ってくれば「アイゴー、お帰りなさい。おふろに入ってください」と言います。(笑い)男性たちは、死ぬほど疲れて帰ってくるのです。(笑い)おふろに入って疲れてしまい、ご飯を食べながら、うとうととするのです。うとうととしているときに、妻はご飯を片づけてしまい、背を向けて夫に悪口を言います。「この人は夫の役割も果たせない」と不平を言うのです。 それは、女性が悪いのですか、男性が悪いのですか? 先におふろではなく食膳を出して、「早く家に入ってきてください。とても疲れたでしょう?」と言いながら、ご飯を食べさせてあげながら抱いてあげ、「ひざの上で一眠りしてからおふろに入ってください」と言えば、その夫はどれほど幸福でしょうか! そのようにお互いに抱き合って、夫にご飯を食べさせてあげたならば、その夫婦はどれほど幸せでしょうか? 先生は不幸な男性ですか、幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。私が幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。なぜ幸福な男性なのですか?先生が、なぜ幸せなのですか? 髪の毛が長くなったときは、「オンマ、髪の毛が長くなった」と頭を差し出せば、お母様が髪の毛を切ってくれます。つめが伸びれば、「アイゴー、つめが伸びた。つめを切って」と言えば、切ってくれます。足のつめが長ければ、「アイゴー、靴下が切れるから足のつめをちょっと切って」と言えば、不平を言わずに切ってくれるお母様なのです。 何を頼んでもお母様がすべてしてくれるので、それが幸福なのです。おふろ場に入っていって、「アイゴー、背中がかゆい。背中に垢がたまっているからこすって」と言えば、こすってくれるのです。(笑い、拍手)お母様はどんな女性よりも、少しでも多く先生を愛すれば、それで幸せなのです。それが芸術的であり、幸福なのです。先生は、お母様の突き出ている所は全部触ってあげるのです。鼻も、耳たぶも触ってあげます。指も、お尻もです。(笑い) それが、芸術的夫婦が生きる愛の方法であり、暮らし方なのです。それは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです」)。私は、お母様の長男のようです。わたしたちには息子・娘が十三人いますが、皆、「お母様、髪の毛を切ってください」と言うので、お母様は、「子供たちはお父様に似ている」と言います。 ですからお母様は、一週間に何度も切ってあげなければなりません。そのために、お母様の鏡台の引き出しには、髪の毛を切る道具があります。そのように、外的に必要なものは母親が与えてあげ、内的な愛は父親が与えてあげるのです。それが理想的家庭です。外的なことは母親がして、内的な愛は父親が与えてあげるのです。 その日、よいことがあったか嫌なことがあったかは、女性の目を見れば分かります。その目をどのようにして笑わせるのかが問題なのです。向かい合えば目が笑い、鼻が笑い、口が笑い、走ってきて首にぶら下がって夫を抱き締めることができるようにしなければなりません。 女性たちは首にぶら下がって生き……。そして抱いてあげて、寝台に寝かせてキスすれば、どれほど幸福ですか? それが芸術的な夫婦の生活なのです。教主が、愛に対してこのように話さなければならないのは、どれほど大変なことでしょうか? かわいそうな教主です。(笑い)このような話をしたら、「アイゴー、文総裁は下品な男だ。聖なる壇上であのような話をする」と言う人がいるのです。この世の人は、そのように言うのです。「聖なる教皇のようだ。神様のようだ」と考える人は一人もいません。「淫らな話を良いことのように話す」と言うのです。 どのようなものが理想的なのですか? (「お父様です」)。正しく暮らさなければなりません。そうしてこそ天国に行くのです。神様を訪ねていかなければなりません。教えてあげることがどれほど多いでしょうか?ですから、皆さんは首にぶら下がって生き、夫婦が一つになって生き、芸術的に幸せに生きなければなりません。そのためには、「ために生きなければならないのです。 すべての存在は相対のために生まれた 女性という言葉は、女性が先にいて出てきた言葉ではありません。女性という言葉は男性を認めている言葉だということを知らなければなりません。「上という言葉は「下を先有条件としていう言葉です。「下という言葉は「上を先有条件としていう言葉なのです。 「右の目は「左目を認めている言葉であり、「左目は「右目を認めている言葉です。上の唇は下の唇のためにあります。上の唇だけあれば、どうなりますか? 人には五官がありますが、五官の中で自分のために存在するものがありますか? 目は目自体を見るために存在しているのですか? 鼻や、口はどうですか? すべての存在は、相対のために生まれたのです。そのことを知りませんでした。独身の牧師が「自分も男性である」と言っても、男性である自分のために生まれたのではありません。男性は女性のために生まれた、ということを知りませんでした。女性もそれを知りませんでした。自分の体は自分のものだから、思いどおりにしようと考えていますが、そうではありません。主人は夫(妻)なのです。 女性の胸は、だれのためにありますか? 自分のものですか? (笑い)子供のものです。胸の主人は子供です。そうですか? (「はい」)。女性のヒップがどうして大きいのですか? 子供のためです。自分のものはありません。女性はどうして美しいのですか? 女性は肉なのです。男性は骨です。女性が骨のようであれば、火が出ます。骨と骨をこすれば火が出るのです。 ここにいる美しい女性は荒っぽい男性を好みます。女性のような夫と結婚したら逃げていくのです。女性のように白くふわふわした手の男性を女性は嫌います。ふたりとも全く同じであれば、けんかするではないですか。ですから女性がソフトなのです。それでこそぴたっと合います。男性の空いた所を女性がぴたっと埋めてくれるのです。 発電所では、何十万ボルトの発電機のシャフトが回っていますが、それを支えているものは鉛です。ですから、引っかけば裂け目ができます。それはダイヤモンドのように固いものではなく、ソフトなのです。シャフトが回るのを支えているのは鉛なのです。そして、油がその間に入って、何千トンにもなるものを支えているのです。 ダイヤモンドは何で削るのか知っていますか? ダイヤモンドよりも硬いものだと思うでしょうが、そうではありません。それは何かといえば銅です。分かりますか?女性は口を隠して笑いますが、男性は口を開いて笑います。女性が笑えば、「あー」と言いながら手が上がるのです。男性が女性のようであれば、毎日のようにけんかになります。 そのようなときは、さっと妻をおんぶしてあげればいいのです。(ジェスチャーをされる)それができなければ、夫はトイレに十五分間だけ行ってくるのです。(笑い)分かりますか? なぜけんかをするのですか? 一度けんかをすれば、一時間で傷ついたことが十日間も続き、離婚にまで至り、息子・娘も傷つき、万物までも気分が悪くて泣くのです。それは夫婦同士ですることですか? 「夫婦げんかを永遠に見たいですか、見たくないですか?」と目に尋ねれば、「見たくありません」と言います。 鼻もそのような臭いは嫌であり、聞くのも、話すのも、そこにいるのも嫌になるのです。雲がかかって雨が降るのです。日の光を受けなければなりません。そのようなとき、先生が今、話したことを思い出さなければなりません。分かりますか? けんかをよくする女性、私がこの時間に賞を上げるので、手を挙げてみてください。(笑い)いないのですか? アメリカの女性は、男性とけんかをすればいつもチャンピオンです。東洋ならば男性が殴れば、それで終わります。アメリカでは、男性が一発殴れば、「離婚だ。離婚すれば息子・娘はすべて私が連れて行く」と女性が言います。アメリカは法律が悪いのです。 息子・娘は自分のものですか? 父親の骨の中から出てきた生命です。これは骨です。男性が骨を植えてくれるので、肉を付けて母親の体から生まれるのです。ですから、夫がたとえ博士になっても骨の役割が果たせなければ、女性がかわいそうです。女性が博士になっても、夫が半人前の男性ならそれで終わりなのです。男性は骨である、ということが分かりますか? (「はい」) 子供の種が骨の中にあります。骨の中から出てくるのです。女性は肉です。夫が骨を植えてあげ、母親のおなかの中で大きくなって、肉を付けて出てくるということを知らなければなりません。それゆえに母親と息子が一つになり、母子が父親と一つになってこそ完全な家庭なのです。 ですから父親は骨を、母親は肉を付けて私を産んでくれるのです。そこには自分という概念はありません。自分というものはないのです。愛だけがあります。愛には、すべてが入っているのです。愛と生命と血統だけがあるのです。 私にあるものは、父母の愛と父母の生命と父母の血統です。それゆえに父母が離そうとしても離せないと言うようになるとき、父母の永遠な所有となるのです。皆さんは、そのようにならなければ天国に行くことはできません。 祝福家庭の価値 祝福家庭は手を挙げてください。全員そうですね。なぜ「祝福家庭というのですか? それは天国の招請なのです。偽りの父母の偽りの愛、偽りの生命を受けることによって地獄まで行ったので、百八十度反対の真の父母、真の愛、真の夫婦、真の子女を中心として真の家庭を成してこそ、天国へ入ることができるのです。 天国には、真の家庭を中心として神様と共に暮らし、内的父母であられる神様と永遠に共に暮らすことができる夫婦生活をする人たちが入っていきます。神様の家庭に属するアダム完成家庭が入るのです。 天国には家庭で入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。個人救援を受けるというのは、それは天使長の世界です。このことを知らなければなりません。 家庭をしっかりとつかんで、家庭を復帰しなければなりません。家庭を正しく立てなければならないのです。サタンが、神様の家庭理想を完全に破壊することができる武器が、フリーセックスやホモです。それは、完全に人間をなくしてしまうものです。 彼らの家庭がどこにありますか? 「家庭が嫌だ」と言いながら、ホテルに行って男性と女性が暮らしているのに、家庭がどこにあるというのですか? 永遠に片方しかない立場ではないですか。 一日に何人も相手を変えて、ありとあらゆることをするのです。それが何の理想家庭ですか? 息子・娘は必要ないと言う人たち、独身生活がいいと言う人たちは地獄に行って、家庭世界の天国の前の隅の方に立って眺めながら、和合する所がありません。和合する相対がいないのです。 真の家庭の主人と所有を占有することのできるのが、天国なのです。真の家庭と真の主人と真の所有権を所有するのです。真の家庭が何かといえば、夫婦です。夫婦が何かといえば、神様の実体対象です。神様の体なのです。真の家庭を持てば、皆さんは神様を「お父様」と呼びます。親子関係です。父親と息子、母親と娘であり、一つの体なのです。縦横を合わせたものだからです。 み旨に従って一つになった夫婦が愛し合うときには、お互いが「神様をお迎えして愛の部屋に入っていく」と考えなければなりません。そして完全に心と体が一つになり、その妻が天下の女王の中の女王であり、美人の中の美人であり、一人しかいない絶対、唯一、不変、永遠なる、愛する私の体であると考えるのです。愛の体です。このようなことを知らなければなりません。 主体が主人であるならば、愛で一つになることによって主体である主人が自分の愛の所有になります。愛の所有として一つになるときには、主体を中心としてその愛も自分のものなので、主人も所有も自分のものになるのです。 主体と同じ価値を持つようになるので、宇宙のものは自分のものになります。「全世界の美人大会で、千回も万回も優勝した女性と、美男子大会で千回も万回も一位になった男性の夫婦より以上の位置に立って、一度しかない愛を結ぶというのが夫と妻である。神様まで関心を持たれて、共に暮らそうとされるような家庭をつくる。アーメン」と言わなければなりません。 神様に侍って暮らし、神様をお迎えして愛したという経験をしなければなりません。そうしてこそ天国の神様の血族になれるのです。妻は、王妃があいさつして、王の部屋に入っていって王に侍るとき、または、侍女が王と結婚して初夜を迎えるとき以上の謙遜な心を持って夫を愛し、夫もそのような謙遜な心を持たなければなりません。そして、雷のプラスとマイナスが何億万ボルトでパッと一度に爆発し、ごろごろと音を立てながら世の中を燃やしてしまうことができるくらいに愛そうという心を持たなければならないのです。 祝福家庭がどれほど……。天の国で神様がごらんになれば、家庭は星のように光り輝いているのです。神様も喜ばれます。太陽や月のように最高に光り輝くことができる愛し合うカップルになろうと思わなければなりません。 そして、どれほど掘っても、十年共に暮らしても、その愛の谷間を搜し出せず、一生の間掘り続けながら死んで、永遠の天の世界に行って初めて神様の前ですべてが公開され、一度でピタッと合わせるのです。 ですから、夫に対して研究してください。平面的に夫を見て「性格がこのようだと思っていても、後ろを見ると宇宙全体が入っています。「神様よりも素晴らしいと思うようになるのです。上から下に、東西南北の四方に違う面があります。 それゆえに、結婚するときに「私の夫はこうだと思っていた印象から抜け出すことができなければ、愛の理想を成就することはできません。上も見て、下も見て、寝ている姿も見て、すべて研究しなければなりません。 皆さんは、自分の夫に関して死んでも忘れることができない魅力的な部分を記憶していますか? (「はい」)。それはどこですか? 体全体です。「パチパチする目が私と似ている。息をするのが私と似ている。聞き方も私と似ている。唇も私と似ている。感じ方も私と似ている。好む愛も私と似ているので、それを手放すことはできないというように感じたことがありますか? 天国の一番の夫婦になる それでは、結論を出しましょう。心は年を取りません。そうですか? (「はい」)。心が年を取らないならば、愛はどうでしょうか? (「年を取りません」)。生命はどうでしょうか? (「年を取りません」)。血統はどうでしょうか? (「年を取りません」) 神様の真の愛を中心としては、すべて年を取らないのです。十年、二十年と愛が深まっていくほど、美人になっていきます。世の中で一番の美人、美男子になるのです。 地上においての醜い男、醜い女、黒人、白人であるということとは違います。愛の光ほど明るいものはないので、地上で醜い姿であったとしても、天の国ではその姿が最高の美しさになり、どんどん若くなっていくのです。 世の中の美人たちは、だんだん老けていきます。美人が天国に行けば、この世の美しさを中心として美女にならなければならないはずなのに、そうならないのです。愛の光が最高の光なので、そうならざるを得ないということを知らなければなりません。ですから、愛する妻は天宙の私の光であり、私の夢であり、私の幸福であり、私の平和はそこにあるのです。分かりますか? (「はい」). どこに行っても、いくら世の中の美人、有名な俳優を抱き抱えても、自分の夫や妻以外の相手には、腐った臭いを感じるようにならなければならないのです。天に通じる心を美しくする道以外にはありません。神様のように、太陽のように光り輝くことができ、神様もその光が慕わしくて訪ねてこられるような皆さんの家庭にならなければなりません。 先生が霊界について話したことを李相軒氏も信じなかったのですが、霊界に行ってみたら、先生のみ言がとても正確だったのです。皆さんも、李相軒氏の霊界からの証言を聞いてください。 四位基台理想というものは、神様と父母を中心として三対象目的が一つになるのです。神様は見えないのですが、三人が一つになってこそ見えるのです。夫婦の中に息子と娘が入っていき、神様がその中におられます。ですから、四位基台が一つの体にならなければならないのです。 きょうの総結論として題目を語るならば、「天国の一番として入っていくことのできる私たち夫婦となります」です。それがアダム家庭です。(拍手)アダムの神様がお父様でした。私たちの神様もお父様なのです。同じです。 私たちはサタン世界の家庭の前に立っているので、勝って突き抜けていかなければならないのですが、その仕事を先生がすべてしました。先生が祝福を世界化時代にすることによって、アダム家庭、天国のチャンピオンになることのできるチケットをもらったと考えて、皆さんが努力して先生のみ言と完全に一つになった世界、地上・天上の無限な解放世界で、王子・王女として主人の資格を持って登場しなければなりません。それが祝福を受けた家庭であったのです。アーメン。(「アーメン」) 真のご父母様は、地獄の門と天国の門のすべてを開いて聖子と殺人魔まで同じ位置で祝福しました。子女である皆さんも、堕落せずに祝福してあげられる愛を終わりの日にこの地上で成したという位置に立っています。ですから、その父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置に入っていけば、真のご父母様が行く所に間違いなく入っていくことができるので、私たち統一教会では「ジャルジン宣言」が宣布されたということを知らなければなりません。(拍手)神様は、堕落がなかった世界の位置を必ず回復されるのです。神様は、堕落がなかったアダムの完成世界において、すべての怨讐をなくされます。 これから学ぶべき七つの内容 皆さんの家庭が天国に行くことのできる、りっぱな家庭になることを願いながら、第四十回「真の子女の日」を過ぎて、四十一回から四十三回までにすべてを整理しなければなりません。(「アーメン」) いつもこのような集まりに来るときは、一人で来るのではありません。先祖を連れて、一族を連れて、後孫の道をならすために来るのです。アダム家庭で孫を考えることができなかった基盤を、今日、皆さんの家庭において成し、その基盤を地上天上天国完結のために、霊界と現在の国と自分の後孫が合わせて喜びの祭物として天の前にささげる時間であるということを考えなければなりません。集まるときには、いつもそのように考えるのです。 (板書されながら話される) 一番目は予言者(『彼は誰なのか』)。 二番目は父母天国論(『地上生活と霊界』)。 三番目は李相軒氏の霊界の証言(『霊界の実相と地上生活』)。 四番目は『父の祈り(孝心編)』です。 五番目は「ジャルジン宣言」(第一宣言から第四宣言まで)。 六番目は「コディアク宣言」(『四・四節』宣布の内容)。 七番目は一九九八年十月五日、秋チュ夕ソク(陰暦の八月十五日、先祖に祭祀を行う韓国の名節)の「全体解放統一式」です。 先祖を崇拝しなければなりません 以上の内容を、しっかりと学んでください。 アダムの生まれた日、アダムの結婚した日、アダムが死んだ日がなければならないのですが、その日がありません。生活の記録がないのです。しかし、それは神様に必要ありません。 真の父母のときにおいて、真の父母が生まれた日と、真の父母が結婚した日と、真の父母が死んだ日と、真の父母の生活観を残すのです。皆さんは、それを守らなければなりません。(「アーメン」)。(拍手)新しい愛の世界をつくってこそ天国に行くのです。 先生が願う以上の息子・娘になりたいという人はいますか? 「なりたい」というのは希望なので、未来のことですから大丈夫です。「なりたい」という人は、手を挙げてみてください。(歓呼)ワー! 一所懸命に努力してください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
コメント(0)
「復帰完了」宣布一九九八年十一月六日、ブラジル・ジャルジンの二ューホープ・エデンの園にある世界平和理想家庭教育本部で、四十日修練生たちに、ジャルジンを中心としたパンタナール、サロブラホテル、ベルジド(聖殿の跡)など、四か地域の摂理的な基盤の上に、「復帰完了」が宣布された。真のご父母様は「完了とは完成の次の段階であり、完成して本来の主人に捧げるという意味がある」と説明された。 み言 題目は「復帰完了」です。そのような題目になると思います。(円を板書されながら)丸く見えますね? これはあごみたいですが、丸顔のようになりました。無形の観念と思ってください。神様とアダム・エバ、カイン・アベルがいるのです。それで何をしますか? 祝福です! サタンによって堕落したので、復帰するのです。それが一九四五年です。 ここにおいてアベル圏は新教です。カイン圏は旧教です。それらが一つになって、母を迎えなければならないのです。そのためには、キリスト教を中心として旧教と新教が、再臨主を中心とした王権摂理を準備しなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教を中心として見るとき、ユダヤ教はアベルであり、イスラエルの国はカインです。それらが一つになった上で何を準備すべきかというと、王権摂理を準備しなければならないのです。 そのためには、永遠なる王が地上に来るので、地上にあっては女王を中心に一族を形成し、民族形成の準備をしなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教は、絶対的な母、女王を中心として一つになり、夫、王を迎える完璧な準備をしなければなりません。もしも夫となる王が来たときには、その国の絶対的な権限をもった王の力を中心として、神様の保護のもとに、絶対的な王の前に、絶対的な女王の一族、民族を形成しなければならないのです。さもなければ、イスラエル国家基準を中心としてローマを征服することができません。 ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様を歓迎するとともに、イエス様が家庭を中心として皇族を形成できるように準備を完了しなければなりません。イエス様の新婦はイエス様が来られて選抜されるのであって、イスラエル民族やイスラエル教会が選抜するのではありません。ですから、多くの家庭・氏族・民族から女性たちを集めて訓練しなければならないのです。 イスラエル国家も教会も完全に一つになって、女性、女王を中心として絶対服従できる訓練過程を経るべきでしたが、メシヤが来るまでの四千年間、そのように信頼してきたにもかかわらず、その準備を一つもしなかったのです。 サタンがアダムの妹を盗んで女性世界の堕落圏を形成し、サタン世界を形成したので、この世のサタン世界の王宮では、王が全能の権限をもって、国民の女性を好き勝手に扱うことができます。愛したければ愛し、僕にしたければ僕にするという、自由な権限をもっているのです。ですから、王宮には王妃をはじめとして多くの宮女がいます。そうなれば、王妃は姉、宮女たちは妹となるわけですが、堕落したので、カインとアベルを転覆させるように、女性も姉と妹を転覆させなければならないのです。 それはヤコブ家庭において転覆したのです。妹ラケルの夫となるヤコブを、姉のレアが完全に奪って十人の子女を生み、三人の女を通じて、優勢な家庭圏を奪って繁殖したので……カイン側が強い基準において、イスラエル民族は常に苦難の蕩減歴史によって、捕虜の国家になったり、何度も国が減びたりしたのです。サタン世界の宮中では女性たちが仕えていて、その仕える女性たちを王が好き勝手に扱うのです。何でもできるのです。 なぜ、そのようなサタン的な世界を残すようになったかというと、イエス様が王妃を迎えるその時になれば、王妃の妹たちが多く存在することで……。昔、韓国の百済には三千名以上の宮女たちがいました。中国には三万名の宮女たちがいたと伝えられています。 なぜ、そのようなことが許されたのでしょうか? イエス様が地上に来れば、イエス様の一族、新しい家族と新しい氏族を中心として、国家を形成しなければなりません。アダムの妹をサタンが奪って、このように繁殖したので、イエス様の妻となる方も、妹を中心として蕩減復帰しなければなりません。 ですから、イエス様が結婚した場合には、天国の中心者として立つようになる閣僚や各部署の人たち百二十名以上を、堕落していない王、イエス様の指揮の下で、お互いにカイン・アベルの立場を守ってきた女性たちを中心として、すべて一緒に祝福してあげるのです。そのようにすることによって、サタンの血統を分立して、堕落の内容を断ち切ったエバの基準を蕩減復帰するのです。 女性が問題なのです、女性が。王妃は宮中の女性たちを妹のように、未来の後継者として愛さなければならないのに、そのような王妃が一人もいませんでした。妹でありながら怨讐の立場にあったので、競争してきたのです。そのため、女性ゆえに引っくり返ったり、ぐるぐる回ったりしながら来たのです。女性が問題なのです。 イエス様を中心としてイスラエル民族とユダヤ教、カインとアベルが一つになった場合には、どうなっていたでしょうか? 世界的な主権を建設したとき、その閣僚たちまでも堕落の血統と因縁のない……、旧教と新教で一番の美人、宮中で学び、宮中での出発基準の体験をもった女性たちと結婚させてあげたのです。 そのようになった場合、それは天使長が女性を蹂躙した立場ではありません。主人、王が公認して結婚することによって、サタンの血統以上の基準に連結されるのです。相手の女性は堕落していない立場なので、イエス様の祝福によって、サタンの血統を断絶した立場に立ったという条件を立てることができるのです。それゆえに神様が、個人的な王宮、サタン的な世界の王宮を、残してきたということを知らなければなりません。一斉に蕩減するためなのです。 イエス様もそうです。百二十名以上の女性たちを中心として、そこに王妃を立て、その百二十名が一つになってイエス様に仕えたならば、それまでに結婚してサタン的な血統に染まった複雑な者たち、見たくも触りたくもないその者たちを、すべて切ってしまい、再祝福するのです。百二十名の新しい宮殿におけるイエス様の妹の立場にある女性たちを中心として、血統的に一つにまとめることによって、サタンの分別が完璧になされるのです。 そのとき、そのようなことがなされていたならば、統一教会で今、サタン血統の断切という宣言をしなくてもよかったのです。それを知らなければなりません。そのようにしていたならば、サタンの血統断切を二度とやらなくてもよかったのです。そのような話をする時間がありません。 そのとき、百二十名の女性たちがイエス様と一体となっていたならば、どうなっていたでしょうか? 祝福と同時に、百二十名の国の主要部署にいる責任者たちが結婚するようになるのです。そうなれば、それ以下の部署は、自動的に結婚するようになるのです。一挙に国家全体が総括して、結婚解放圏に立つのです。簡単なのです。 このような革命的なことを上からやるので、その下の者たちに「このようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「あのようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「上に行け」と言えば「はい!」と答え、「下に行け」と言えば、「はい!」と答え、「前後左右どこにでも行け」と言えば、「はい!」と答えるのです。 どんなに喧嘩をし、どんなに気分が悪く、どんなに夫と別れる運勢をもっていたとしても、絶対服従して一体圏を成し、国家基準における祝福完了圏を超越することができるのです。そうなれば全体が完了するのです。 イエス様を中心とし、神様を中心として、絶対愛の心情圏を築き、個人心身一体圏、夫婦一体圏を中心として、閣僚から全国民までが一体となるので、イスラエル民族も、ユダヤ教も、イエス様の宮殿の親族になるのです。絶対圏を中心として、左右が一つに合わさるのです。 女王を中心として百二十名がすべて連結されるようになれば……。男性たちをすべて連結するには、完全なるプラスとマイナスが一つになって、マイナスとなれば、男性プラスが自然に連結されるのです。イエス様の宮殿の宮女たちを結婚させてあげるという天命が下るときには、それまでの自分が連結された家庭を切って、祝福されたその家庭の方について来いというのです。姉が妹の尻尾にくっつくのです。 そのようにすることによって、完全一体圏の復帰がなされるのです。サタンの血統圏の分別が、国家基準以上でなされるので、聖別や断切が必要なくなるのです。 統一教会では、多くの者をいっぺんに結婚させてあげましたが、血統転換をしないわけにはいきません。復活式や新生式、永生式をしなければなりません。そのような複雑な内容が介在していることを知らなければなりません。 父母を中心として、アベル世界とカイン世界が完全に一つにならなければなりません。旧教と新教は、第二次大戦直後には八億にもなったのです。そのときに結婚式が行われた場合には、一挙に世界が祝福圏に入ったのです。イスラエル民族と第二イスラエルのキリスト教は、再臨主が来られる準備をしなければなりませんでしたが、再臨主が雲に乗ってやって来ると聞き、怪物か何かのように考えて、何もせずに泥棒根性で霊界だけを頼りにしてきたのです。それがキリスト教の失敗なのです。 世界的なキリスト教全体で美人が、数万人、数千名でもいいから、来られるメシヤのために準備し、女王を中心として団結、団結、団結したならば、一挙に世界の指導者や閣僚たちが、妹の立場にある宮女たちと祝福結婚を受けることができたのです。そうなれば、世界が一挙に復帰されたのです。既存の結婚生活をしている家庭は、後ろに立つのです。 サタン的なものを分別しなければなりません。入れ替わるのです。そのときは新しく祝福を受けたその家庭において、アダムを中心としてカインとアベルになるので、アベルの妻に自らのカインの妻を絶対服従させなければなりません。そうでなければ、本妻を立ててきた天国の系統として戻っていける道がないのです。 戻っていく道がないので、妹を中心として新しい家庭を編成することによって、そこに絶対に一つにならなければなりません。離れないように一体化することによって、妹が本妻の立場、本妻が妹の立場となり、一列に並んで再臨主の天国に入れるのであって、平行的であったならば絶対に入ることができません。 個人の転換の主流がそのようになっていますから、世界的に転換する時代には、世界的にそのような環境が現れるようになります。それゆえに、世界的に家庭解放の問題、フリーセックスの問題、ホモの問題などが発生するのです。 天使長には相対理想がないのです。女性が女性と結婚し、男性が男性と結婚するといったことは、動物世界にもありません。相対圏を無視しているのです。天使長には相対がありません。女性を献納する基準を中心として、再祝福のために彼らを使わなければならないのです。 自分の祖母、母、妻、長女や次女まで、すべて再臨主の側にくっついて、世界が一体圏を成さなければならないのです。再臨主が結婚すると同時に……。なぜ、再臨主が再び結婚しなければならないのでしょうか? それが問題なのです。本妻には行けないのです。回っていかなければならないのです。姉が妹に仕えなければなりません。反対なのです。宮女に女王が絶対服従しなければなりません。そうでなければ行く道がないのです。 姉を昼と考えれば妹は夜ですが、夜の世界を通じて戻っていかなければ、昼の世界に戻れる道がありません。妹を中心として姉が絶対服従するという家庭的基準を中心として、一体圏を築くことによって、神の国に戻っていくことができるのです。そのような末世圏になっていくので、家庭がすべて破綻するのです。 イエス様が来られたら、女王も結婚させてあげるべきでしょう? 自分の祖父や祖母も結婚させてあげなければなりません。しかし、祖母が嫌だと言えば、結婚できないのです。女性が主体なのです。天が推薦する方向に適った生活や思想を過去にもっていたとしても、祖母が嫌だと言えば、別れなければならないのです。 そのようにすれば、世界平和圏、統一圏が完了したでしょうか、しなかったでしょうか? そのようにしたならば、一九五二年に完全に地上天国が完了していたのです。これまで先生がやってきたことは、及びもつきません。『父の祈祷』の孝心編を読むと、四十年前の祈祷ですが、同じ内容なのです。そうでしょう? 今までの歩みを振り返ってみなさい。三万双から一億二千万双まで何年かかりましたか? 七年間です。一九九二年から一九九八年まで七年間なのです。一九四五年から一九五二年までと同じです。 一九九二年には女性解放を宣布したのです。そうして、祝福を世界化したのです。このように七年間に完了しなければ、蕩減復帰ができないのです。イエス様一代で完了すべきだったことを、先生一代でなすのです。四千年間に数千万人を犠牲にしながら築いてきた祭壇を、そこに合わせて先生の前できれいに聖別するのです。それを一代で聖別するというのは、夢のような話です。 それを知った先生が、生涯路程を前にどれほど苦心してきたか、皆さんは想像もつかないことでしょう。内外ともに完璧でなければならないのです。見えない霊界における完璧な勝利圏を築くと同時に、完璧な理論体制を携えて、知識人たちが批判しても完全に欠点がなく、頭を下げて跪かざるを得ない、現実と実体を獲得できる勝利圏を築かなければ、地上天国・天上天国は永遠に現れないのです。 そのような苦労をした先生について、皆さんは何も知らないのです。ごまんといる、女性としてのレベルに達していない、飲み込みの悪い女性たちに、永遠に純潔な母の世界の伝統を伝授するということは、夢にも考えられないことです。 日本は島国で、卑賤な女のような国です。いとこ同士で結婚したり、総理や大臣の妾に自分の娘、東大出の良家の娘を結婚させても自慢するという、そのようなサタン的な国なのです。そんな国が天の最高基準の、聖別された女王の価値として公認される立場に立てられたのに、天から伝授されたその価値を知らないのです。 予言書にも出ているのです。日本が使命を果たせなければ、三人の娘に当たる島国は補助をすることはあっても、母の使命を代身する資格はないのです。そうなれば蕩減復帰によって、米・英・仏を中心として第二次世界大戦で得られた勝利圏を再び抱き…、日本とドイツが弁償しないで済ませてきたすべてを再び弁償するようになり、後悔して悔い改める条件に引っかかって、引っ張られていく道しかなくなるのです。先生はこのような教育をして、最後の決断を下さなければならないのです。深刻なのです。 ……これを成し得ずに、キリスト教の旧教と新教が反対したので、世界的な立場でアダムとエバが二度堕落したという立場になりました。神様が認定する基準の相対基盤をもてなかったので、一人になるしかなかったのです。韓国の統一圏、文氏の統一圏、すべてが二つに分かれたのです。東西文化統一圏や地上・天上統一圏、神様の心情一体圏、すべてが二つに分かれたのです。そのような基盤の上に、共産主義という問題によって韓国を中心として、朝鮮半島の六・二五動乱から冷戦が始まったのです。 それが最後の時となって、韓国のオリンピック大会、百六十六か国の国連加入によって、分かれていたモスクワとロスアンゼルスのオリンピック大会の二つが一つになることによって、冷戦が終わりを告げるのです。韓国動乱の休戦状態とオリンピック大会が結束して、百六十か国が参加する世界的な大オリンピック大会に発展したのです。そこに貢献した国が韓国なのです。 そのとき統一教会の文先生は、百二十か国以上の世界の宣教師、百六十か国に派遣された世界的な二世の宣教師とその国の二世たち、肉体の健全なチャンピオンたちを組んで、オリンピック大会を支援したのです。全世界の宣教師が共同作戦を取って、大使館やその本国よりも強烈に、世界的なオリンピック大会に神様のみ旨の基盤を造成する条件的な活動を展開したのです。 考えてみなさい。ソ連が一位、東ドイツが二位、三位がアメリカで四位は韓国でした。これは夢のようなことです。サタン圏のカイン・アベル、天の側のカイン・アベルが先生を中心として引っくり返ったのです。そこから世界的な準備を整えたのです。一九八八年を中心として一九八九年に「八定式」を発表し、その次には「天父主義」を発表したのです。それを中心として一九九二年に「女性解放宣布」をしたのです。 その時までお母様は先生の横に立つこともできませんでした。神様の前に立たないで、一番後ろに立っていたのです。先生の後ろにお母様が立っていたのです。前ではサタンを中心として闘争しているのです。お母様はサタンの秘密や闘い方を知らないのです。絶対服従することによって、世界的な祝福圏までずっとつながってくるのです。 一九九二年の三万双の祝福を中心として世界的な祝福圏に入るのです。三十六万双、三百六十万双で祝福の世界化運動をして、三百六十万双の時に三千六百万双の基台を何とかして着陸させたのです。それで今回三千六百万双の基準を中心として三億六千万双の祝福をするのです。これは山から吹いてくる北風のように垂直に進むのです。神様が切に待ち望んでこられたこの時を失ってはなりません。昨年十一月二十九日にやったので、十か月の間に三億六千万双をやるのです。 このような威勢堂々たる権威をもってサタン世界を屈服させるにあたり、その能力が死んでいなければなりませんか、生きていなければなりませんか? 生きていなければなりません。そこにおいて花が咲き、実を結ばなければならないので、祝福の世界化と共にサタンの血統断切を宣布し、二世全体が神様の祝福圏に立つ時代、世界的な春の時代に入ったのです。そのような統一教会の自由解放圏内に入ったと考えるとき、全体・全般・全権・全能の時代、神様がなそうとされることに不可能のない時代に入っているのです。 サタン世界の婦人としては、周りを見なければそのような展開が分からないのです。そのような立場にあるのが、日本というエバ国の全国民なのです。そのまま一人にしておけば、地獄のどん底に落ちてしまうので、ブレーキをかけてきたのですが、止められないのです。あきらめざるを得ない限界に来ているので忠告しているのです。こんなにはっきりと話してあげたのに従わない者については、先生は責任をもちません。 これまでは神様と人間の家庭を連結することができなかったので、その分別基準を中心として、お母様は先生の後ろについて来ましたが、世界的な祝福圏を中心とした編成によって、一九九二年の「女性解放宣布」と共に始まった世界的な女性運動を中心として、横に立つようになったのです。世界家庭を吸収する解放圏に立ったのです。先生の横に立つ、お母様の位置に初めて立ったのです。 そうなることによって、後ろにいた神様、人類のすべてに逆について来られた神様が、先生の前に来られるのです。先生がお連れして、先生の宝座に座っていただいて礼をし、神様の家庭の世界化運動に連結するのです。それが三万双、三十六万双、三百六十万双、三億六千万双なのです。そのようにして、祝福の峠をすべて越えてしまったのです。 そこには怨讐も何もありません。エデンの家庭でカインがアベルを殺した、そのような思いや意識を、神様の心情と愛によって消化することによって、勝利したアダム家庭の資格で神様を解放し、悪魔や殺人者までも解放して、天国に参席・加人できる権限を与えるために、地獄の門と天国の門を開いたのです。 今まで祝福した家庭の中には、マフィアもあり、やくざもあり、悪人や殺人者、逃亡者など、さまざまな人がいました。そのような処置によって、その圏内にいるすべての罪人たちは、歴史的に解放圏に立つようになり、神様に帰るハイウェイに乗って、天国に至るまで飛ばしていけるのです。天国の至るところに行ける、世界的な天宙解放圏を宣布したのであります! アーメン! 女性解放を中心としたその七年間を経て、今日、先生一代で解放圏を築くようになったのです。エデンに帰るのですから、そこには日本や韓国といった国はありません。このようにして、失われた第二次大戦直後の基盤、一九五二年の世界的完成圏をやっと再び迎え、祝福の世界化運動を中心として解放を宣布し、サタンの血統断切までも宣布したのです。ですから、サタンの条件に全く引っかからず、神様が万歳でもって歓迎なさることのできる、全権をもった新しい理想世界が展開されるようになったのです。 それは統一教会の勝利した家庭、純潔を守って純粋なる家庭の前に、神様が相続してあげるようになるのです。雑多で無秩序な家庭は、そのようにできないのです。そのような類の精神を徹底化するために、祝福家庭の教育を始めざるを得ません。その三回目に日本の幹部たちが参席したのです。尻をひっぱたいて連れてきたのです。 このようにすることによって、サタン世界の個人から、家庭・氏族・国家・世界全体が祝福の恵沢圏内に入ってきたのです。祝福を受ければ、それは世界的な解放ですから……。天国に入る門には、サタン的な門がありません。サタンの門を通過して天国に入るという道はないのです。天国の門は、一つしかありません。真の父母が来られて、初めて天国の門を開放し、その後で地獄の門を開放するのです。ですから、サタンも仕方がないのです。霊界の先祖は、天使長の体ではありません。アダムが十六歳以降に、サタン的な体となったのです。堕落以降、天使長の体となって生んだのが人類です。これを解放することによって、先祖たちはどのようになるでしょうか? 彼らをどのように救うのでしょうか? 天使長個人がアダム家庭を保護して、勝利圏に立てなければならなかったのに、それができなかったのです。ですから、今回はアベル圏の天使長家庭がそれを成さなければなりません。それで、堕落した血統を受け継いだ霊界にいる先祖たちを祝福するのです。 彼らを祝福してあげれば、彼らは天使長の兄と同じです。天使長の長子圏家庭なので、天使長の次子圏の立場に立った家庭を、自由に治めることができるのです。地上にあるサタン的な家庭を完全に追放し、除去できるのです。そのような祝福をしていくのです。 そのすべてをここに(以下板書をされながら)投入するのです。霊界の先祖を投入して、天使長が個人的に未完成なもの、言い換えれば理想家庭、理想国家の編成のために、カイン圏の先祖たちが、アベル圏の家庭・国家・世界を保護する時代へと転換していくのです。サタン家庭を追放するとともに天の家庭を助けるのです。 サタン世界のすべてを超えていくのです。このように世界化しましたから、その天宙的メシヤは誰ですか? 神様なのです。世界的メシヤは、再臨主、真のお父様なのです。そして国家メシヤ、氏族的メシヤ、家庭的メシヤと、メシヤがすべて……。ここで勝利すべきことが成せなかったので、失ったものをここで蕩減復帰するのです。天地メシヤの再臨、世界メシヤの再臨、国家メシヤの再臨、氏族メシヤの再臨、家庭メシヤの再臨が、ここで成されるのです。 ここジャルジンにおいて、皆さん祝福家庭が氏族メシヤになり、家庭メシヤにもなるのです。全体のメシヤがここに集まってくるのです。失ったものをここで蕩減しなければならないのです。韓国を中心として地面を垂直に掘っていくと、ぴったりこのウルグアイとパラグアイの地になるのです。それは南米大陸を中心としてカインとアベルです。ブラジルがカインならば、パラグアイはアベルです。アベルは東洋人の混血国家です。パラグアイはアフリカとの混血国家なのです。 神側から見ると、超国民的、超人類愛をもった国なので、アベルの立場となるのです。ウルグアイはサタン的です。白人しかいません。黒人と有色人種をすべて撲滅したのです。それを今、この基準を中心として家庭教育をすると、パラグアイが自動的に吸収され、ウルグアイも自動的に吸収されるのです。そのようにして四か国の経済統一圏を築き、四か国が一つになってアメリカから防備するのです。これは欧州と一体になっており、それ以上は北米と関係しているのです。北米と南米の紛争の中間圏に文先生が立ち、旧教と新教を統一することによって、南米と北米が統一される大転換期に入っていくのです。何によってでしょうか? 祝福によってです。 祝福をするにあたっては、旧教の信者も新教の信者も、南米人も北米人も祝福するのです。統一圏で祝福することによって、一つの文化圏が生まれるのです。そのような条件によって、かつて一体圏とならなかった南米と北米、旧教と新教が一体圏の立場に立って、祝福を受ける勝利圏を形成するとともに、世界を超越した基準になるのです。 ここにすべてが集まっているのです。神様、万能の王、国家メシヤ、氏族メシヤ、家庭メシヤ、すべての祝福家庭をここで結束させるのです。これまで四十年以上……ここですべきであったのに、それを失ってしまったので、先生は一人で来たのです。何もなしにです。 文氏の氏族が分裂し、国が反対し、東西文化が決裂し、地上天国が分裂したすべてを、ここで統合するのです。全体・全般・全権・全能なのです。世界の組織体制は平面圏になるのです。既に左翼も右翼もなくなりました。全権とは何ですか? サタン的な主権や全権によって神様の法を破壊した者は、全能なる神様の全権を中心として引っくり返るのです。 そのような条件のもとに、パンタナールやジャルジン、ベルジドやサロブラがあるのです。これが蘇生的で、サロブラが長成的で、パンタナールが完成的なのです。これから観光レジャー産業を活性化するのです。先生が話したでしょう? レジャー産業を興さなければなりません。将来は戦争というものがありません。青少年のバイタリティーをいかに消化するかが問題です。今、アメリカで海洋挑戦(オーシャン・チャレンジ)というのをやっているのです。やくざ、マフィア、テロ団に加入していた悪い青年たちを、海洋訓練させていますが、それが面白くなれば酒場には行かないのです。みんなが指折り数えてオーシャン・チャレンジの記念日に、東西南北を問わずに参加するようになります。大きなブームとなっているのです。 ですから、ここで皆先生について来いと言っているのです。神様と共に、神様を一番前に立て、先生とお母様を中心とし、先生の子女を中心として、上がっていくことは問題ないのです。 一九四五年から一九五二年までの祝福解放圏を築いて、再び戻ってきました。その基準において必要なのは、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道です。神様が創世前に決意して成された、その基準に戻るのです。家庭的に完成したその基準を通過して、神の相対になる、それが「ジャルジン第一宣言」なのです。 「第二宣言」は何ですか? 神様の四大属性圏の相対は、その四大属性に一致しなければなりません。絶対・唯一・永遠・不変なる神様の「愛の相対」である私たちは、家庭において父母として絶対、子女として絶対、夫婦としても絶対、兄弟としても絶対、このような四大心情圏の実体にならなければならないのです。子女もそうであり、夫婦もそうであり、家庭時代のすべてが、そのような完成圏を築かなければならないのです。それが「ジャルジン第二宣言」です。それを忘れてはなりません。 父母として、絶対・唯一・不変・永遠なる父母にならなければなりません。そのうち一つでも成したならば、すべてが完了するのです。子女として、絶対・唯一・不変・永遠なる子女となり、夫として、絶対・唯一・不変・永遠なる夫となり、妻として、そのような四大心情圏をパスした妻となり、そのような父母を中心とした子女になることによって、そのような横的繁殖をする家庭として、徹底した完成圏に一致した解放圏に立つとき、サタン圏とは永遠に分立されるのです。 ジャルジンはどんな所ですか? 先生はここまで来るにあたって、神様を愛し、世界を愛し、万物を愛し、海を愛してきたのです。霊界を知ることによって神様を知り、霊界の事情を知ることによって国を知り、国を知った者として山河や草木をすべて愛してきたのです。 そして、先生は生涯にわたって水と陸地を愛してきました。陸地から海に帰るのです。陸地を連結して帰っていくのです。蕩減復帰なのです。後ろにはサタンがついてくることができません。解放圏を中心として歴史的なすべての罪……、神様とアダムが失ったものをすべて取り戻して、神側に入籍させることによって、天下の平和統一が必然的になされ、「神の解放完成」という表題が実現するのであります! アーメン! それ以上の解放圏はありません。何をもってその喜びを表わしたらいいのでしょうか? 天下を相続する厳粛なこの時間…、皆さんは心の中で誓い、誓った結果以上に踏み越えて、跳躍でなく飛躍する、天の王の前に現れる孝子、愛国者、聖人、聖子として、神様の皇族に属する祝福家庭になるために競争し、チャンピオンにならなければなりません。 そのようなことをわきまえ、このようにいったん団結した基準において、先頭に立とうが、後ろに立とうが、それは各自の自由、決意次第なのです。チャンピオンになりますか、びりになりますか? チャンピオンにならなければなりません。チャンピオンは一人ですか、二人ですか? 先生がチャンピオンならば、皆さんは十二弟子なのです。三十六弟子として勝利圏を得たチャンピオン圏に立つのです。 復帰完了の蕩減圏において神様を愛し、万民を愛し、山河や草木を愛し、海を愛する路程を行くことによって、サタンによって分裂したすべてをここで結集し、サタンを分別して直行することによって、家庭的な配置をし、氏族編成、国家編成と上がっていくようになっています。「四・四節」を宣布することによって、霊界解放と共に、地上の完全・完璧なる摂理復帰完了の時代を迎えるようになりました。ですから、万歳と共にアーメン! アーメン! アーメン! 宗教圏、政治圏を中心として完了したので、「復帰完了」という名詞が表題となりました。夢のような話がそのまま実現したのです。それで、先生はここにおいて十月五目、旧盆の日に、霊界で祝福した者たち、家庭的なカインの先祖たちを地上に配置したのです。サタン家庭は崩れるのです。万能なる全権をもって平面的に押していけば、全体が平地になるのです。小川が全体的に埋まって平地になるのです。木と空気は平面をつくるのです。 愛も自動的に平面化させるのです。水や空気よりもさらに接着力、通過力があるので、真の愛が浸透できない所は、この存在圏にありません。超越存在として、主体圏を成す権限によって…、すべての実体を愛で主管する権限をもっているのです。それは主人になっても余りある権限です。それが神様の子女としての資格なのです。(三〇七-九、九八年十一月六日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
コメント(0)
総霊界霊人解放式 (ジャルジン第六宣言)一九九八年十月五日(陰暦八月十五日)の旧盆を迎え、ブラジルのサンパウロで国家メシヤたちが参席する中、「総霊界霊人解放式」が宣布された。その場で、既に祝福を受けた四大聖人と歴史的な重要家庭に、任地が割り当てられ、地上を協助する時代が聞かれた。イエス様の家庭は北米大陸、マリアとヨセフの家庭は南米、釈迦牟尼の家庭は韓国、孔子の家庭は中国、マホメットの家庭は中東、そしてソクラテスの家庭は欧州、というようにそれぞれ割り当てられ、真のご父母様はこの宣布を「ジャルジン第六宣言」と命名された。 祈祷 愛するお父様……、今日は一九九八年十月五日、この日は韓国においては旧盆であり、先祖をまつる記念の日でございます。 今や韓国の清平とこのサンパウロの城中と天地を前にし、霊界にいるすべての霊人たち、先祖と千千万の聖徒、神様を威示した地上の愛によって創造された被造万物と、今日この地上に暮らす六十億人類が、一体圏を成した愛の血族をもてなかった神様の恨を…、歴史時代に旧約・新約・成約の解放完成圏に向かって歩んでこられた、お父様の悲しかった歴史を、すべて消し去ってくださいませ。 人間アダム、エバの堕落がこんなにもとてつもない歴史的な悲運をもたらし、願わざる神様の怨讐となったサタンが、この地上に侵人することによって、心と体が分かれ、天地が分かれると同時に夫婦が分かれ、父母が分かれ、親子関係が分かれて散り散りばらばらになって、この地上に家庭的な形態を整えることのできない、主人なき終末時代を迎えました。 このような歴史的な悲惨な姿、天が正視できないような悲惨な姿を天が救うために、旧約摂理・新約摂理・成約摂理による神様の真の愛を解放するための、本然の父母をこの地上に立てるにあたって、どれほど苦労してこられたかという事実をこの息子は知っております。 天におられる縦的な真の父母が、天地を創造した私たちの父であり、地上の真の父母であられる神の体を代身した横的な父母が、私たちの初代の先祖だったということを知っております。 この方たちが家庭を中心として一体圏を成し、一体となることによって、縦的な心と横的な体が一体となり、一体となれる愛の種を地上にはじめて着地させることによって、永遠なる神様の血統と真の父母の血統が連結され、心と体の一つになった万民、子女たちが、この地上に繁殖すべき喜びの出発の一日を迎えるはずでございましたが……、その悔しくて心痛い歴史的な恨の足跡をかき消すために、これまでずっと歩んでこられたということを知っております。 想像を絶する恨を抱かれたお父様の前に孝行できる息子や娘を、この地上に一人としてもてなかったお父様……、寂しくてかわいそうなお父様でございました。億万代の一人息子、一人娘を愛することができず、追放せざるを得なかったお父様のその胸を慰労することができず、この地上に先祖をもつこともできなかった人類の悲惨さ……、そんな人類を見つめるお父様が、どれほど悲痛であったかという事実を、この息子は誰よりもよく知っております。 分別のない時代を過ぎて、神様を知るようになったその日から……、神様が行くべき道の上に平坦な道を整える数千年のキリスト教の歴史…、その労苦の土台を中心とした真の父母の祝福の一日…、それをもってエデンで失ったアダム家庭の勝利的な一つの血族を引き継ぐ、天の真の愛と結合することができず、それを再び取り戻すための受難の歴史であったということをよく知っております。 この受難の歴史を克服してゆかれる神様の愛が、先駆けて歴史の前にあり、過程にもあり、後ろにもありました。それをサタンがあらゆる手段と方法をもって、破綻させる歴史を繰り返してきました。 悔しくも恨めしいそのすべての因縁の数々、心的な因縁、内的な因縁……、地上に地獄ができ、天上世界に地獄ができ、天国は空っぽで、あなたが願われる血統はこの地上から消え、一人残った王座の足場を見つめられるお父様の恨めしく悔しい事実を、体恤できる私たちとならしめてくださいませ。 千辛万苦の受難の道を克服されたお父様の労苦によって、韓国の地のこの息子を立てられ、今までの天のもつれを解くのであり…、心情の因縁を結ぶための日々の生活において為に生き、涙と血の汗によって愛の道を開拓しなければならない、そのような道が残っております。 キリスト教文化圏で勝利し、かの山河に光明なる朝陽を迎え、永遠に陽の沈まない天国理念の地上天国が地上に顕現すべきでありましたが、ある日、キリスト教がみ旨に従えなかったことによって、こんなにも悲惨になってしまった事実を神様もよくご存じであられます。 それでも韓国の地をお父様は見捨てたまわず…、受難の道たる四十年の苦難の路程を経ながら、想像を絶する内面の悲しみを抱かれたお父様を慰労できなかったこの息子は、地を見ても、天を見ても、万物を見ても、責任を果たせなかった息子として恥ずかしさを覚え…、ある地点において、この道を回避できるかということを求め、求め、求めてみた結果、その地点から神の道を、私が行く道を開拓し、橋をかけ、山を越え、縦的な八段階、横的な八段階を経まして、八定式を宣布するとともに天父主義を宣布いたしました。 この地上に「七・八節」を宣布すると同時に、ジャルジンを中心として神様の創造理想の本然的基準、お父様が出発されたその本然の基準、絶対信仰・絶対愛・絶対服従と神様の属性の基準を無事に超越し、愛にとどまることのできる足場が築かれるようにしてください。 絶対・唯一・不変・永遠なる家庭的基盤を求めてこられた、お父様の願いを成就するため…、真の父母となれる絶対父母・唯一父母・不変父母・永遠父母、絶対子女・唯一子女・不変子女・永遠子女、絶対夫婦・唯一夫婦・不変夫婦・永遠夫婦、絶対家庭・唯一家庭・不変家庭・永遠家庭を世の中は知りませんが、天が待ち望む日が、この歴史の最高の転換点になるということを知るこの息子は…、千年を変わることなく待ち望んでこられたその日が訪れたということを、世上万世の前に称えたく思い、また、称えられるべき宣布の日であるにもかかわらず、誰も知らないこのジャルジンの基盤でそれを宣布することになりました。 「第三宣言」におきまして…、神様は、第一代創造主・第二代創造主・第三代創造主を縦的基盤として連結し、横的な土台の上で、地上天国と天上天国の王権の基準を中心とした三大創造主の権限を、地上に宣布することができました。 恨めしき宿命的な課題として残された、神様もサタンもどうすることもできないこのような課題を提案し、永遠不変なる宿命的な親子関係・夫婦関係・父母関係・子女関係を解怨成就することによって神様の恨の峠を越えることを願い、祈り求め、宣布するには足りなさを感じます。 これを条件に「四・四節」を宣布することによって南北が連結し、父母の心情を海から連結して…、万物の授受の原則を中心として、ノアの時に審判されなかった海の基盤を中心として、すべての被造物を解放的な審判の場に召集し得る意味合いから、国家メシヤをパンタナールに集合させ、祝福家庭をジャルジンに集合させ、世界的メシヤ・国家的メシヤ・氏族的メシヤ・家庭的メシヤという枠をもって、父母に続いて帰っていくべきことを明らかにしました。 左側で勝利したすべてを右側に展開していくにあたって、滞りなく直行できる道に沿って、真の父母が行くことのできる道を整備することによって、祝福家庭が絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって四大属性を中心とした絶対・唯一・不変・永遠なる、父母・子供・夫婦・兄弟の家庭を基盤とした本郷の道をたずねていける、自由な環境を許諾してくださいまして、お父様の前に感謝申し上げます。 霊界と肉界が分かれたのを統一して、東西の文化の壁を超え、南北の貧富の格差を超え、今や統一された国の父母に侍る子女の心情を抱いて、平和の天地と平和の人類を見極めていくべき、統一家の祝福された群れたちでございます。 もっている財産やもっている土地、すべてを売ったとしても、この平和の天国の理念をうち立てるために、率先しなければならないのが祝福された息子、娘であり、祝福家庭であることを知っております。 そうすることによって、その家庭を祭物として国を治め、国を供え物として世界を治め、世界を供え物として天地を治め、天地を供え物として神様に侍ることのできる、万民万年解放圏の愛の実体主権を誇ることのできる、永遠解放地上天国を開門することのできる、歴史的な出発をいたしました。 既に六月十三日を通じて、聖人と殺人鬼を兄弟の立場で、ご父母様が痛哭の心、悲しい心を抑えながら、彼らを同じ立場で祝福することによって、天上世界では解放の喚声が今でも鳴り響いているということを、この息子は知っております。地の人間たちは知りませんが、天上にいる我々の先祖と天上世界と千千万の聖徒がそれを知っております。 地上のご父母様の環境を開拓するために……、堕落した天使長圏の家庭を残して地上で主権を振るってきた堕落した天使・サタン、神様の愛の家庭を破綻させた怨讐を……、霊界と肉界が一つになって兄弟の因縁を中心とした父母の愛を抱き、神様の愛を抱き、この地上で真の父母が解放圏の宣布をするとともに進軍命令を受けて、長子権を転換させました。 次子が長子となり、天の国におけるすべての長子権・父母権・王権回復の基盤の上に立って、次子圏となっていた天が長子圏になることにより、サタン的な世界において長子だったのが、天の祝福家庭の次子的な立場に立ちました。 それによってこの長子圏を中心として、サタンが残忍な行動をして死の道に追い込み地獄に行って嘆息していた全体、地上・天上地獄のすべてを崩し、彼らを解放して、共に天の父母と真の父母に侍ることのできる本然の国、愛の主権国家、地上・天上天国を準備するための最後の目的と整備をなすための、このような最終的な場に立ちました。 今日、この手続きと共に、これまで先祖をまつることのできなかった統一教会が、先祖に仕える条件を立て、また、この地上で子孫たちが先祖に侍ってきた体面を加えて、神様をこの地に迎え、真の父母の祝福を受けた家庭を中心として、この地上において個人・家庭・氏族・民族・国家・世界の版図を乗り越えられるようになりました。 と同時にサタンの血統を断切するとともに、今や新しき二世を中心とした解放世界を前に前進するこの現状にありまして、霊界に行ったすべての先祖たちも、地上においてこのような出戦舞台の上に共に同伴して、恨の歴史を振り返りながら、天の前に不足で申しわけなかったことを解怨できる時となりました。 今回、六月十三日に祝福した五大聖人を中心とした、その基盤と関連のある宗教団体と因縁を結んで霊界に行った、すべての弟子たちと共に祝福を受けた群れが、今や最後に転換の時を迎えるべき地上において、再び兄弟のように真の父母に侍り、神様と共に天上を立て、地上と共に忠孝の道理、伝統の足跡をたどっていかなければなりません。 この地上における天使長家庭の立場に立って、完成したアダム家庭にあたる地上の祝福家庭の解放圏の前に参戦、同参し、神様の前に家庭においては孝子の道理、国においては忠臣の道理、世界においては聖人の道理、天地においては聖子の道理の愛的な因縁を共に引き継げるように、天上・地上、神様と真のご父母様が一つになって、このみ業が永遠に可能となるように、彼らを中心とした彼らに従う弟子と、そのような先祖をもった、アダムとエバに連結した後代の先祖たちさえも解放してくださいませ。 そうして真の父母を地上に迎えた、本然の完成的な天と一体の愛圏の血族を中心として侍られなかったすべてが、地上・天上の先祖たちが、兄弟の因縁、父子の因縁の本然的な創造理想、縦横の決定に、愛の一家庭を中心とした定着点に、地球星の全体、霊界全体が一つの真の父母を中心とした宇宙史的な家庭的基盤を永遠に定着させることのできる宣布の日を迎えました。 霊界解放、地上解放をなして、すべての家庭が縦横無尽に自由に往来でき…、共に活動すべき時代を、真の父母のみ名によって今やこのすべてを一つに束ね、真の父母のみ名によって全被造万物と共に地上着地活動することを宣言し、真の愛を中心とした神様と真の父母の真の血統的な心情圏を中心とした、神様の愛の地上・天上天国、永遠なる神様の主権の勝利のために出動することを、真の父母のみ名によって宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(二九六-九、九八年十月五日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.05
コメント(0)
第11回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言1998年10月3日ブラジル・サンパウロ 心の「人」と体の「人」 人間にとって最も重要なことは五官であるということを、皆さんは知っています。ここでいう人間とは、どのような存在でしょうか?。それは、五官を統一させようとする最高の者のことです。 皆さんは、五官が統一されていますか?。(「いいえ」)。五官が統一されていない人が、五官を持っているということは恥ずかしいことですか、うれしいことですか?。(「統一されていなければ恥ずかしいことです」)。そのような人たちは、神様と一緒に暮らすことのできる場所にいることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「一緒に暮らすことはできません」) そのようにして、地獄に行く人と天国に行く人がいるという観点があるということを、皆さんは知らなければなりません。 一般の人間が知るところは、「五官がある」ということですが、その五官は、人の体を中心とした目に見える五官のことです。体を中心として現れた五官、見ることができる五官、体に備わった五官が、わたしたちの五官であるということを知るべきです。 それでは、「人」と言ったとき、それは、いわゆる身体としての「人」だけが存在しているのでしょうか?。それとも、身体に対する心の「人」も存在しているのでしょうか?。「人」は、体の「人」だけが存在していると思う人は、手を挙げてみてください。一人もいないですね。それでは、「人」は体の「人」と心の「人」というように、二人いると思う人は手を挙げてみてください。(皆、手を挙げる)それは合っていますね。(笑い) 通訳を通して言っても分かるのですね。(笑い)半分も分からないと思ったのですが、皆、手を挙げるのでありがたいです。通訳を本当に上手にしているようですね?。(笑い) 体の「人」は、夜も見えるし昼も見え、一生の間見ることができますが、心の「人」を見ることができますか、できませんか?。(「できません」)。ですから、それがどれだけもどかしいことでしょうか? 皆さん、心を見ることができますか?。もし、「心がない」と言ったら狂人扱いされます。皆、心を持っています。だれであろうと皆、それぞれ心の「人」を持っているのですが、永遠の昔から今に至るまで、その心の「人」を見た人がいないというのです。 心の「人」がどれくらい美しいか、心の「人」を見たならば、心を奪われてしまうというのです。その男性の心の「人」、女性の心の「人」を、心の「人」同士で見たならば、これはぴたっとくっついて、神様も引き離すことができないというのです。そうなれば問題でしょう? 体の「人」を見たくない人もくっついて、男女問題が世界問題になり、世界が滅びるか栄えるかという問題が生じて、ありとあらゆる複雑な問題が生じるという事実を知らなければなりません。 世界には、多事多端な千万の問題がありますが、その問題は二人の問題であり、二人といえば男性、女性の問題に連結されているのです。アーメン。(「アーメン」)間違いなく、そのようになっています。それは合っていますか、合っていませんか?。(「合っています」) 二人の問題なのですが、どのような二人の問題なのかといえば、体の「人」と心の「人」の二人が、一つにならないことから問題が生じるということを知らなければなりません。 それでは、一つにならないことを願う人がいますか?。男性は女性が必要で、女性は男性が必要ですか?。それは、どのくらい必要ですか?。絶対に必要です。神様のもともとの性質は絶対的であり、唯一的であり、永遠的であり、不変的なのです。それゆえに絶対的に必要であり、唯一的に必要であり、不変的に必要であり、永遠的に必要なのです。男性の前に最高の真理が女性であり、女性の前に最高の真理中の真理の本体が男性なのです。アーメン。(「アーメン」) それでは皆さん、男性が女性に対して絶対的であり、妻も夫にとって一人しかいない唯一・絶対的な妻、不変的な妻、永遠的な妻であり、自分の夫もそうであり、自分の息子・娘もそうであり、自分の兄弟もそうであるというように、自分の家がもし、そのような家であるとしたならば、その家は神様が所有したいと思われる家なのです。 夫婦の間でいえば、それが何人になるのかというと、合わせて四人です。今日、世の中に生きている人たちは、夫婦のことを、お互いの目に見える体二つしかないと思って、夫婦は二人であると考えているというのです。 皆さん、このような話を聞いたことがありますか?。初めて聞いたでしょう?。夫婦は、この四人が一つになり、四人が一つに集まって永遠に一つの存在になるというのが、理想的夫婦なのです。 「神様は、人類と私のお父様」 それでは、それはだれに似て、そうなのでしょうか?。お父さん、お母さんに似て、そうなったのです。そのお父さん、お母さんはだれに似たのですか?。そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さんに似てそうなったのです。それでは、人類の先祖が一番の根になっているのならば、人類の先祖の根は何でしょうか?。それが神様であられるのならば、人類は神様に似たのでこうである、というのです。 神様に似たのですか?。「神様に似た」と言う人は、手を挙げてください。(聴衆を見回されながら驚嘆の口笛を吹かれる)神様に似たのならば、それをどれくらい誇りたいでしょうか?。 神様に似たというのですが、神様とは一体だれなのですか?。息子・娘をだれがつくったのかといえば、それはお父さん、お母さんがつくったのです。創造と同じです。私を生んでくれたのは、お父さん、お母さんということです。それでは、神様はだれだというのですか?。 神様は、わたしたち人類のお父様なのです。それを大きな声で一度言ってみましょう。「神様は人類のお父様です。私のお父様です」わたしよりも、もっと大きく言ってみてください。(「神様は人類のお父様です。私のお父様です」) 千人近い人が集まったのに、わたしより声が小さいのですから、皆死んだ人たちです。死体のように麻痺した人たちです。気分が良いですか、悪いですか、どうですか?。「神様は私のお父様です」。(「神様は私のお父様です」)。そのことを、それぞれが忘れないでください。 それでは、神様はだれに似たのかというのです。私が神様に似たのですか、神様が私に似たのですか?。人間の欲望のふろしきは、どれくらい大きいでしょうか?。「神様もわたしに似ていれば良い、わたしが神様に似ているのは嫌だ」。人間の欲望は、このように大きいのです。 そのように考えてみたことがありますか?。「神様はわたしに似た。わたしに似た。間違いなくわたしに似た」。このように考えられる人がいたら、神様は喜ばれるでしょうか、頭をたたかれるでしょうか?。(笑い)愛する息子・娘が、「お父さんが私に似たのであって、私がお父さんに似るとでもいうのですか?」と言っても、気持ちが良くて抱き抱えて口づけするのです。 時間が随分たったので、これぐらいにしてやめましょう。(「いいえ」)。やめましょう。もっとやろうというのですか?。(「もっとやってください」)。わたしは、きょう朝から一時間半遅れたので、それをどれほどすまなく思っていることでしょうか? 皆さんは、「文総裁は時間をきちんと守るといううわさであったのに、きょうはなぜ、このように遅れたのか?。約束した時間を一時間半過ぎてから来るのか?」と思うかもしれませんが、皆さんを集めてこのように話をすることよりも、ブラジルや南米全体、あるいは世界が生きるか死ぬかという問題の会議があるのです。それを解決しようとして時間が遅れたのですが、それは、「皆さんであれば許しても余りあるであろう」と考えたので、このように遅れたのだという事実を提示いたします。アーメン。(「アーメン」) 世の中に神様よりも優れた人がいた場合、神様が「人類はわたしに似た」と言われるとき、その言葉を喜んで歓迎する人はいません。神様が「わたしが人類に似た」と言われれば、「ふふふ」と笑うのです。そう言いたいでしょう?。そう言いたい人は、一度手を挙げてみてください。 人の欲望は神様よりも、もっと高いではないですか。ダイヤモンドの包みを、お父さんの財布に入れるのが良いですか、自分の財布に入れるのが良いですか?。(「自分の財布に入れるのが良いです」)。皆さん、わたしに似ましたね。 神様よりも、もっと大きい人はだれですか?。神様よりも十倍大きいかたがいらっしゃったならば、その十倍大きいかたを占領しますか、十分の一の神様を占領しますか?。皆さんの欲望は、どれくらい大きいでしょうか?。十分の一の神様を占領するという人は、手を挙げてみてください。十倍のかたを占領するという人、手を挙げてください。どちらですか?。(「十倍のかたです」) 神様が優れていて、さらにその神様よりも十倍優れた神様がいても、「そのすべてはわたしに似た。気分が良い」と、このように考えなさいというのです。その話は何かというと、神様が自分よりも劣っているということになるのですが、ここで、神様がどのようなかたであられるのか分析してみましょう。 心と体の闘い 神様の心と体が闘うでしょうか?。神様も心と体があるでしょう?。神様の心と体は闘いません。そのように闘わない神様に向かって、「闘え」と言って闘うでしょうか、闘わないでしょうか?。神様は、サタンが「神様、闘え、闘え」と言うのを聞かれるでしょうか、聞かれないでしょうか?。 もし、神様よりも十倍優れた最高の神様が現れて、「おい、おまえ、闘え、闘え」と言うからといって、闘うでしょうか?。劣っている人と優れた人が、いくら一緒に合同作戦をして「闘え」と言っても闘わないのが、神様なのです。分かりますか?。 それでは、「神様はわたしに似た」と言うとき、神様の心と体が一つになるそのレベルが、私よりも劣っているということですか、優れているということですか?。 それゆえに人が、心と体が絶対に一つになっている神様に対して、「神様もわたしに似た」と言うのならば、その人は、自分の心と体が神様よりも何百倍、何千倍一つになることができる位置を愛し、崇拝し、そのようになろうと努力する人でなければならないという結論が出てくるのです。 問題は何かというと、神様が息子と一つになれないということが災いなのです。問題が何かというと、父親と息子が一つになっていないことが災いなのです。それは悪いことであり、破壊されるべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。 個人主義的な世の中になったので、自己中心の考え方をする世の中は、神様に反する世の中になり、堕落した世の中となりました。ですから、今日、堕落した人間は、自分がいくら劣っていても自分に似ることを望み、自己中心に動いているという事実が問題なのです。父親と息子の関係において、息子たちのほうは、このようにめちゃくちゃになっているのです。五官を持ったすべてのものが自分の思いどおりにし、心も体も一つになっていないというのです。これが問題であるというのです。 皆さん、心と体が一つになっていますか?。世の中の大問題は、心と体がいつ、一つになることができるのかという問題なのです。これが、皆さんの心においても問題であり、体においても問題なのです。息子・娘になる人たちの立場が、心と体が一つになることができずに闘っているという事実が、息子の問題であり、娘の問題であり、父親の問題であり、母親の問題になるというのです。 先祖から始まった心と体の闘いこそが、世の中の災い中の災いであり、世界大戦よりも恐ろしい戦争なのです。それが、いまだに一度も休戦も停戦もしないままに引き続いてきたのであり、人類は今まで、心の世界が人類を地獄に引いていく戦争の場になってきたということを知らなかったのです。 わたしは、東側の国に行っても、心と体の闘いが停戦し、休戦していることを見ることはできず、西側の国に行っても見ることはできず、北側の国に行っても同様であり、南側の国、どこを巡っても同様でした。そのように、自らの内に戦場を持っている彼らが行く所に、平和の世界、誇ることのできる世界があり得るでしょうか?。それは、ないというのです。 神様は、わたしたち人間となぜ一緒に暮らされることができないのでしょうか?。神様は、心と体が絶対的に一つになっておられて、永遠に変わられないのに、毎日のように、それも永遠に変わる心と体の戦場である人間と、どうして一緒におられることができるでしょうか?。それは、できないというのです。 神様と人間が、だれに似なければならないのかというとき、神様は「おまえたちがわたしに似なさい」と言われるでしょうか、「わたしがおまえに似る」と言われるでしょうか?。それが問題です。 今日の個人主義というものは、自己中心主義という観点を中心としたものなのです。神様を代身した心の命令は、「わたしに似なさい。わたしに似なさい」と、体に対してそう言うのですが、体は「おまえには似ない。反対にわたしの後についてこい」と言うのです。この闘いが続いているということを知らなければなりません。 このように、自分の立場が正に、戦争の場に出征して、第一線で闘っている兵士であるということを分からずにいるのです。自分自身が戦場と化している、ということが分からずに生きている人間なのです。今日、皆さんがこの心と体の闘いの戦場であるということを知らなければなりません。 心と体が一つになる道 きょうは何の日ですか?。「世界統一国開天日」です。それで何をするのですか?。皆さんの心と体が一つになることができる道を個人的に開き、世界的に開き、平和の世界を出発することができる世界に行きましょう。天の門が開かれ、この強い体を無理にでも抑えて心を強くし、強制してでも引いていくようにさせましょう。 皆さんは、いつ神様に似たことがありますか?。わたしたちの先祖が神様に似たことがありますか?。心と体が一つになって気持ちを整え、「私は心と体が一つになりました。お父様。一つになりましたか、なりませんでしたか?」と言って、神様から判子をもらったことがあるのかというのです。そのようにして、心にも判子をもらい、体にも判子をもらうべきものなのであり、本来はこのようにはなっていないというのです。 そのように、目に見えないお父様の判子をもらわなければならず、さらに目に見えるお父様の判子をもらって、心と体が一つになったという自分を復帰してこそ、堕落していない人間の先祖の位置へ帰ることができるのです。 神様が、喜ばれ、「自分に似た」と思われるような人に出会われることができることによって初めて、神様は孝子・孝婦に出会うことができ、孝子・孝女が暮らす、天が誇ることのできる自分の家、千年万年暮らすことができる自分の本宮の基台を手に入れられるのです。アーメン。 見えない神様の印と、見える神様の印を一緒に押してぴたっと合って、内外が一つになることができる、そのような印をもらわなければなりません。そうすれば、心と体が闘う戦場は永遠に存在しないので、神様の友達になることができ、神様の直系の息子になることができ、天国に直行するというのです。 それでは、統一教会では、真のご父母様とは何ですか?。「神様」であるとか、「真のご父母様」であるとか、それはどういうことですか?。神様は絶対必要ですか?。(「はい」)。なぜですか?。神様は、私の心のお父様なのです。見えない心の世界のお父様であられ、見える世界のお父様が……(テープ中断) どうやって一つにするのですか?。真の愛によって、真なる男性と女性の生命が結合し、その中において真なる私が生まれたのです。これは、どこのだれも分けることはできないのです。自動的に心と体が一つになり、息子・娘が生まれるのですが、堕落することによって、逆さまになったのです。 逆さまにサタンが神様の位置に入っていき、体がサタンの体になり、天理に積極的に反対する立場に立ったので、心と体が闘うのです。体がプラスなのですが、サタンの愛を中心として、また別のプラスになったので反発するのです。それゆえにこの体を、心を中心として完全に屈服させなければなりません。そのような役事をするのが、宗教世界の任務であり、責任なのです。 それで、「断食をしろ」、「温柔謙遜であれ」、「傲慢になったらへりくだれ」、「許せ」、「犠牲になれ」と、宗教は、このような道を行くようにというのです。それは、体に対して言う言葉なのです。 この地において、体が心を引きずり回しているのを、心が永遠に体を引っ張っていくようにすることができる自分を、どのように発見するのかということが、人間にとって何が何でも解決しなければならない一番の宿題中の宿題であるということを知らなければなりません。これが、一番大きい問題なのです。 皆さんの心は、皆さんが悪いことをしようとすれば、「おい、おまえ、やめろ」と言いますか、言いませんか?。それを肯定して「はい、そのとおりです」と従っていくことをせずに、「いや、これは何だ。わたしがやりたいようにしなければならない」などと言ってはいけません。 体は、悪魔の活躍する舞踏場になっているので、サタンの本拠地と通じます。滅びる地獄の底に行きかねない、このような基台になっているのです。これをなくすためのものが宗教であり、どのようなことがあっても、これを整理しなければならないというのが、神様の救援摂理の目的であるということを知らなければなりません。 なぜ、そのようになったのでしょうか?。堕落するときに、堕落的愛が、良心を中心として神様を愛する欽慕の愛、追慕の愛よりも大きかったからです。実際に、不倫の愛の関係を結ぶとき、良心基準がその長成期完成級からもっと上がっていき、一つにならなければならないはずでしたが、そこに到達することができずにサタン的愛が入ってきて、それが強かったので堕落したのです。 そのサタンの根拠地がこの体なので、体に良心が引かれるということが行われているのです。これを本然に立ち戻って、火をつけて焦がしてしまわなければならないというのです。そうしなければ、私の心の世界と体の世界に、平和と統一の世界はあり得ないというのです。どのような犠牲を覚悟してでも、これを清算しなければ、平和や幸福などはないのです。 堕落せずに、完全に神様に侍り、神様の愛でアダム・エバが結婚して一つの体になっていたならば、神様の息子・娘になっていたのです。神様の血筋が連結され、真の父母の血筋が連結されるので、永遠に心と体が一つになることができる、そのような人になるはずでした。 ところが、堕落することによって、これが壊れてしまい、この壊れてしまったものを、いまだに修理できていないのです。このような廃品になってしまったということを知るべきです。 それで聖書では、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」というような、逆説的な教訓の論理を教えてくれているのです。そのような、サタンの舞踏場になっている体が願うことを抹殺してしまうように、というのです。心の命令を絶対視して、心の命令に服従させるように、というのです。 心を中心として、完全に体が一つになることができる位置に行ってこそ、人類歴史に混乱を引き起こしていた戦争を防ぐことができるのです。サタンと闘っていた舞踏場が平和の基地になることによって、わたしたちが平和の家を自分の心と体の中から始めることにより、家庭的平和、国家的平和、そしてすべての平和が成就するのです。 心と体が闘っているのに外的な平和が成就しても、自分とは関係がないというのです。これをなしてから、そこに接ぎ木しなければ、すべてのことは不可能であるということを知らなければなりません。 この二つの目が戦争をしますか?。(「いいえ」)。もし戦争して、一つが自分の思いどおりにしたならば、どれほど苦痛でしょうか?。この体全体が苦痛を受けるのです。同じことです。そのように、すべては相対的なのです。鼻の穴も、大きく穴を一つぽんと開けておいたらいいというのに、なぜ二つなのでしょうか?。 男性、女性。主体、対象。オス、メス。すべてがペアになっているのです。風邪をひいて鼻がグジュグジュするとき、気分が良いですか、悪いですか?。気分が悪いでしょう?。目の視力も、例えば片方が一・二で、もう一方が〇・二になってみてください。その苦痛は、どれほど大きいでしょうか?。耳も、片方の耳がよく聞こえて片方の耳がよく聞こえなければ、どれほど苦痛を受けるでしょうか?。このように、耳を傾けて聞くべきことをこのように聞くので天地が引っ繰り返されるのです。 五官は、絶対的に一つになるようになっているのですが、すべて似ているというのです。一つになっています。この口の位置が一ミリ、二ミリほど違っても、言葉はきちんと出ません。口も絶対的に一つにならなければなりません。鼻も絶対的に一つにならなければなりません。目も絶対的に一つにならなければなりません。耳も絶対的に一つにならなければなりません。手も絶対的に一つにならなければなりません。心と体も絶対的に一つにならなければなりません。すべて同じなのです。 このように、主体と対象がなければ感じることができません。存在が形成されず、理想を感じることができないのです。天に垂直に通じることができる心は、まっすぐなのです。 心はまっすぐで体は横的になり、正しくならなければなりません。九十度の角度になり、ぴたっと合わせておいたならば、そのまま平安に眠りにつけばよいのですが、この角度が少し違っても平安に眠ることはできません。この角度が違えば苦痛が起こり、良心に紛争が起こるのです。 アダムが堕落していなかったならば、神様が垂直に入ってこられる門があったのです。水平に入ってきて垂直に出ていくことができるというのが、子女の行く道です。左側、右側、垂直に行くということは、妻と夫がこの世界を抱くことであり、その次に兄弟が、垂直を中心として行ったり来たりするということは兄弟愛として連結されるのです。真の愛の門を通さずしては、垂直と水平が九十度にならないというのです。 垂直、水平、前後、これが九十度の角度にならなければなりません。角度がみな同じであるものが、堕落することによって角度がすべて違っているのです。テロ団、マフィアのような人は、この九十度がすべて逆さまになっています。それを正して平和な「私自身」になり、天地に対する親子関係、左右の夫婦関係、兄弟関係が一つになることができるためには、堕落した世界の、自己を中心として考える愛を中心としては一つにならないのです。他人のために、全体のために愛するという愛が展開してこそ、そのすべてを九十度に合わせることができるのです。どこにでもきちっと合わせることができるというのです。 堕落することにより、偽りの父母の愛を中心として偽りの父母の生命、偽りの父母の血統を受け継いだためにすべてが間違ってしまったというのです。丸い球形にならなければならないのですが、ありとあらゆる形態の球形になってしまったのです。それを正さなければなりません。 完全な球形を成そうと、本然の真なる目に見えない無形の真の父母、有形の真の父母を中心として、九十度の角度を合わせて心と体が統一された人をつくろうという所が統一教会であり、そして、神様が暮らすことができる家をつくろうというのが統一教会の祝福家庭なのです。悪いですか、良いですか?(「良いです」) 永遠に投入して忘れる 神様は絶対、唯一、不変、永遠であられるので、神様の息子も絶対、唯一、不変、永遠です。神様を中心とした息子・娘の結婚も絶対、唯一、不変、永遠、その次に兄弟も家庭も絶対、唯一、不変、永遠な家庭になるのです。 そのような天国の基盤になる、神様が暮らすことのできる家を完成しようとしていたのですが、それを失ってしまったので、どのような苦労をしてでも再びそれをつくりだすために、救世主や再臨主が来られたのです。そうして、それを是正するための役事を代表して世界の統一教会、また世界平和統一家庭連合が生まれたのです。アーメン。(「アーメン」) 真の愛は、自分の生命を投入して忘れ、投入して忘れ、永遠に投入して忘れるための愛の道であるので、家庭形態、国家形態、世界形態は自動的に統一圏が展開されるのです。アーメン。(「アーメン」) 神様が、一番好まれるものは何ですか?。お金です。(「いいえ、違います」)。力。知識 全知全能であられる神様なので、それらはいつでもつくることができ、いつでも持つことができます。神様は、何でも造ることができるのです。ダイヤモンドの山もつくり、ダイヤモンドの星もつくることができる神様であられるので、それらは必要ありません。神様が必要とされるのは、愛です。 神様は絶対的な神様であられるので、与えても永遠に与えられるのです。一度与えてやめてしまわれるのではなく、与えて忘れ、また与えようとされ、もっと良いものを与えようとされます。それが真の愛の道なのです。 夫になったとするならば、他人のために生きるとしても限界線なく、ために生きて、ために生きては忘れ、ために生きて忘れて、永遠にために生きていく中で、世界がすべて入ってくるのです。ために生きて、ひっきりなしにために生きてあげるので、ために生きる懐に世界が入ってくるのです。 サタン世界では、親は与えたら「与えた」と思って、受けることを考えますが、神様と真の父母は、与えて永遠に忘れ、永遠に投入しながら忘れて生きるかたであるので、真の愛の主人なのです。アーメン。(「アーメン」) 神様も同じなのです、自分が愛する人は、自分よりもりっぱであることを願われるのです。このことを知らなければなりません。皆さんはだれに似ましたか?。神様に似たので、神様のように、自分が愛する相手は自分よりも優れていることを願うのですが、それは、人間の欲望が神様に似たためにそうなのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 自分が愛する相手が、自分よりも何倍もりっぱであることを願いますか、千倍もりっぱであることを願いますか?。永遠に、無限に、そうでしょう?。自分が愛する相手には、そうであることを願うのです。 それは何かというと、男性であれ女性であれ、自分が愛する相手は、夫人と夫は自分の何百万倍、何億万倍りっぱであることを願うというのです。神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?。どちらですか?。(「自分より相手が無限に優れていることを願います」)。自分の夫が神様よりも醜いことを願いますか?。自分の妻が神様よりも劣っていることを願いますか?。それは、優れていることを願うのです。それは事実ですか、違いますか?。皆さんはそれを肯定しますか、しませんか?。(「肯定します」) それならば、神様ご自身がその前に投入しなければなりません。投入して忘れ、無限に投入して忘れ、忘れてこそ自分がもっと大きくなるのであって、自分が百くらい投入するのが嫌であるのならば、百以下のものとして存在するというのです。 皆さんも、妻がそうであることを願い、夫がそうであることを願いますが、愛する夫婦は息子・娘を生んだならば、息子・娘がそうあることを願いますか、願いませんか?(「願います」)。お父さんとお母さんも、お兄さんとお姉さんも、兄弟も夫婦もそうですか、そうではないですか?。(「そうです」) ですから、問題は家庭の平和のためには神様のように投入して忘れながら、奉仕して犠牲になりながら永遠に犠牲になることによって、すべてが平和の根源になるというのです。より犠牲になり、より投入する人が中心存在になるのです。アーメン。 この宇宙の中で、愛を中心として投入して忘れ、投入して忘れて、今まで投入しながら、忘れることにもっと努力しようとするかたがいたとするならば、そのかたは宇宙の中心存在にならざるを得ないのです。アーメン。これが天理なのです。 天と地の永遠な歴史的真理というものを知らなければなりません。この国の大統領になるという人は、少なくとも労働者、農民の世界から高位層までのだれよりも、ために生きて忘れ、忘れて投入することを願う人でなければなりません。 そのような人が、その国の中心である大統領になることと同じように、今日の若い人たちは今後、後代において世界的な指導者になろうとするならば、世界のために自分を投入して忘れることのできる思想的行動をすればいいのです。ブラジルが、世界国家の若者たちを代表してそれを行うようになれば、未来の世界は、ブラジルの青年たちを中心として統一天下の世界が相続され、そこから指導者が生まれてくるでしょう。アーメン。 ここには、ブラジルの父母兄弟姉妹たちが集まっていますが、皆さんの家庭において、若者たちがその家庭の全体に投入して氏族を越え、国を越えて自分のすべてを投入して忘れ、忘れて、一生そのように生きれば、その家門から尊敬を受け、「私たちの家庭では、だれそれが中心である」と家庭で認められます。そして、社会で認められ、国家を越えて、南米全体のために生きれば南米の中心になり、世界全体のために投入して忘れることができるならば世界の中心になり、神様のように宇宙に向かって投入して忘れるならば神様の代身者になり、神様から相続を受けることができる者になるのです。アーメン。これは鉄則なのです。 きょう、ここに集まった皆さんに、忘れずに記憶して帰るように願うことが一つあります。それが何かといえば、「より、ために生きる者は、神様までも屈服させることができる」ということです。アーメン。(「アーメン」)。それを信じますか?。そのようにすれば、偉大なブラジルはここから誕生する、ということを知らなければなりません。 若い人たちがこのような思想を持って、南米の三十三か国のために投入して忘れて南米の中心になり、世界のために投入して忘れて世界の中心になり、その次に神様にまでも投入して忘れようと思うようになれば、神様の兄の立場に立って神様を抱いて、この世界の相続者になることができるという話が成立するというのです。 この中で中心存在になりたい人、「中心存在に一度なりたい」と思う人は手を挙げてください。 より、ために生きるのです。十人の食口が暮らす中で「自分が中心存在になる」と思うならば、十人の食口のために投入して忘れ、忘れて投入すれば、必ず中心存在になるのです。家庭の中心になり、父母から、そしてすべての兄弟からの相続者になるのです。アーメン。 そして、おじいさんやおばあさんもこの人が好きで、お母さんとお父さんも好きで、夫も好きで、息子・娘も好きならば、親戚に連結させて投入し忘れるのです。そして、このようなことを続ければ親戚の中心となり、国に向かってこれを続ければ、国の愛国者中の愛国者になるのであり、世界に向かってこれを続ければ聖人中の聖人になり、天地に対してこのようにすれば聖子中の聖子になります。 そうして、神様よりももっと続けることができ、もっと高く大きくすることができれば、神様よりも高くなることができる中心存在になるのです。永遠にアーメン。(「アーメン」) ブラジルに来たレバレンド・ムーンは、この地にお金を集めるために来たのではありません。詐欺をするために来たのではありません。自分の最も貴いものを、永遠に途絶えることのないわき水のように真の愛を与え、永遠に与えて与えて、神様以上に忘れるというみ業をしようと思い、看板を掲げて統一教会の教主として臨んだという事実を知らなければなりません。(拍手) 政治家や権力者、官僚たちが詐欺をして飢えるようになった、かわいそうな世界の人々の兄になり、父親になり、母親になり、国の主権者と神様の代身のみ業をしようというのが、統一教会のレバレンド・ムーンなのです。 ですから、ジャルジンに来た当初は皆、ごたごたと反対したのですが、今では皆、「良かった、良かった」と言っているのです。 地下室よりももっと暗い、一番の地獄へ行っても、精誠を尽くして彼らの前に見本となり、国を生かすことができる泉を開こうという運動が、統一教会の運動なのです。それゆえに、その運動にブラジルの国が侍り、侍って中心になるように尊敬しなければならないのであり、それを忘却していけば、この国は滅ぶのです。 レバレンド・ムーンが行く所には、どのようなことが展開されるのでしょうか?。個人主義思想を撃破し、自己を中心とする思想を撃破するのです。全体のために生きなさい、というのです。そのために息子・娘を教育して、自分の父親・母親と一家を生かそうというのです。 しかし、そのことによってレバレンド・ムーンは、このような人々を「精神洗脳」して、死ぬまで永遠に天地、宇宙のために生きるような人をつくり上げるので、彼らはレバレンド・ムーンに対して、「自分の息子・娘をどろぼうして奴隷をつくる。破壊分子をつくる」と悪い宣伝をしたのです。ところが、そう思っていたのですが、最近になって、このように逆さまになっていたものが、反対に元どおりになってきているのです。 レバレンド・ムーンの息子・娘や、レバレンド・ムーンを尊敬している祝福を受けた人たち、そのような人たちすべてを、たちの悪い人々であると思っていたのですが、その人たちは、どこに行っても一番良い、中心的な使命を担って見本になる使命を果たすので、どのような部落でも「アーメン、アーメン、アーメン」と言って歓迎されるということが、今、たくさん起こっているのです。 結婚をもう一度するということは簡単なことでしょうか?。自分の息子・娘を伝道するという意味で、結婚しなければならないということは簡単なことですか?。 しかし今、多くの人たちが、そのために互いに競い合って、自分の息子・娘たちに祝福を受けさせようとしているのです。このような環境が展開されたということは、天下統一の役事の日が遠くない、という証拠なので、そのことを知って、皆さんの個人から家庭、氏族を越えて国家全体が歓迎しなければなりません。 そのようになれば、ブラジルは地上・天上天国の王権を受け継ぐことができる主体的な国になるのです。アーメン。アーメン。アーメン。踊りを踊って歌い、喜ぶのです。 通訳が、なぜ韓国語の三倍も長く話しをするのですか?。韓国語は良いことは良いですね。この不便な言葉よりも韓国語を学びなさい。 中心存在は責任を持たなければならない 中心存在には、すべてがなるのではありません。条件がついているのです。永遠に中心存在になることができる資格、必要条件とは、どのようなものですか?。皆が中心存在になることを望みますが、資格になり得る内容が三つあるのです。ブラジルが世界の中心国家になるならば、世界に責任を持たなければなりません。 すべての人が、このようになることを望むのですが、その内容で必要なことについては「嫌だ」と言って、うそをよくつくのが南米であり、ブラジルなのです。ノーメン、ノーメン。ブラジル人は良い人ですか、悪い人ですか?。(「良い人々です」) それならば、責任を持たなければなりません。塗炭の苦しみの中にいる世界のかわいそうな人々のために、ブラジルは国家予算の三十パーセント以上を投入しなければならないということを知らなければなりません。それで、自分の責任を果たすのですが、統一教会式では「七十パーセント以上を世界のために投入するように」と言っているのです。 南米に来たら、レバレンド・ムーンに皆が手を差し出して「助けてくれ」と言うのです。ですから、借金をしながら助けてあげるのです。しかし、借金をどうやって支払いますか?。他人が八時間働くのならば三倍の二十四時間働いて、夜も寝ずに一所懸命に早くやって、一日を二倍、三倍以上努力しようというのです。そのような人は滅びる人ですか、栄える人ですか? (「栄える人です」) 皆さんは、「人生は一度しかないのに、そのように生きて何がありますか?。死んだらそれで終わりでしょう?」と言いますか?。いいえ、統一教会は「死んだらそれで終わり」ではありません。このようなことが永遠の世界に連結されるのです。神様まで解放してさしあげようというのですから、神様以上にしなければならないという哲学を持っているのです。 今、わたしは何分間、話をしましたか?。(「一時間を越えました」)。朝は、何時間話しましたか? (「三時間話されました」)。毎日のように話をして、八十歳の老人が立ちながら足も伸ばさず、体力も良いです。「じっと立って話せば良いのに、座りもせず、なぜあのように行ったり来たりするのか?」と思うかもしれません。力も強いですね。それは、死ぬ覚悟でこのようにするのです。 健康においては、レバレンド・ムーンに似ましょう。アーメンですか、ノーメンですか?。(「アーメン」)。ありがとう。 運動を学ばなければなりません。レバレンド・ムーンがする運動を学ばなければなりません。七分間あれば、他の人の三時間分を行う運動法があるのです。しかし、これを売ってしまえば良いのですが、これを教えてあげたら金もうけをするどろぼうのような人が多いので、教えてあげないのです。この運動を学びたいでしょう?。八十歳になれば、つえをついて、このように歩き回らなければならないはずなのですが……。(笑い) 今も、さっさっさっと八十歳の老人が行くので、皆「あの若い人は、なぜ真っ直ぐに歩くのか」と言うのです。靴の底もすり減りません。ぴたっと同じなのです。これがぺちゃんこになったらいけないのです。それを見習わなければなりません。 女性として生まれれば、レバレンド・ムーンのように歩く人を得たいし、レバレンド・ムーンのように、年を取っても若い人のように気迫が堂々とした男性を得たいし、レバレンド・ムーンのように世界から悪口を言われても女性たちが好む、そのような夫を持ちたいのです。皆さん、そうだというのです。 女性として、レバレンド・ムーンのように若い人がいたら、プロポーズしますか、しませんか?。(「します」)。だめです。レバレンド・ムーンのような人は一人しかいません、二人いますか?。(笑い) とにかく女性たちは、レバレンド・ムーンが好きなので、わたしは大変なのです。どこかに行って、心おきなく暮らすということができません。どこかに行って隠れていても探してきて、「アイゴー、先生、夕食の時間になったので、夕食を買ってさしあげます」と言って大騒ぎなのです。 昼食のときにどこかにいれば、「昼食を買ってさしあげます」と言い、朝食も食べずに隠れていれば、探してきて「朝食をなぜ食べないのですか?。準備するので出てきてください」と言うのです。それは幸福な男性ですか、不幸な男性ですか?。(「幸福な男性です」) 女性が二人従い、三人従えば、それは世の中から見れば一番悪いことなのです。ブラジルへ来ればブラジルの女性がついていき、パラグアイに行けばパラグアイの女性、どこでもついてくるのです。「アイゴー、面倒で死にそうだ」と言ったら、「大変なことになった」と大騒ぎなのです。 それで優秀な美男子を紹介してあげようとしたならば、その美男子には皆、お尻を向けて、先生のような年老いたおじいさんが良いというのですから、大変なことになりました。それは本当ですか?。それが事実なら手を挙げてください。この者たち。(笑い) 自分の父親・母親をわたしよりももっと愛して、夫をわたしよりももっと愛するべきなのに、わたしをもっと愛するので、よこしまに見える問題になり、悪い男性として埋葬されるようになるのです。そのようにしたのが、この女性たちなのです。 わたしは、ここから落ちるところだったのですが、しかし、若い気迫があるので落ちませんでした。男性たちは女性が好きなので、一番恨むのです。「レバレンド・ムーンよ死ね、死ね。殺そう、殺そう」と言うのです。(笑い) 女性たちは、真なる兄に出会うことができず、真なる婚約者に出会うことができず、真なる夫に出会うことができず、真なる父親に出会うことができず、真なる祖父に出会うことができず、真なる王に出会うことができなかった女性たちなのです。それが恨だったので、この門を開いてあげ、教えてあげることができる責任者がレバレンド・ムーンであるために、女性という生き物の中でわたしを嫌いな者は、一番低い地獄に行くのです。 わたしが一緒にいる限り、それを恨む者たちを生かすために、私自身を投入しなければならないのです。自分を恨む者たちを愛そうというのです。弟のように愛し、父親のように愛し、祖父のように愛し、王のように愛そうというのです。 そういう心を持っているのですが、だれが先に堕落したのですか?。エバが堕落したので、いくらりっぱな兄、りっぱな夫、りっぱな父親、りっぱな祖父、りっぱな王になろうとしても、この女性たちが復帰されていないために、それができないのです。ですから、これを先に復帰しようとするのですが、それを待てずに反対派は、レバレンド・ムーンを世界的に埋葬しようと大騒ぎしたというのです。 女性がたくさんついてきても、先生に必要なのは一人ですか、二人ですか、十人ですか、百人ですか?。女性が妹、姉になり、婚約者になり、理想的な母親になり、妻になり、女王になることができる、りっぱな神様の娘になるのです。神様の一人娘を造ってあげるのです。 この世の男たちは、天使長です。アダムとは関係ありません。神様とは関係がありません。血筋が変わってしまったのを切ってしまい、十六歳以後に堕落して人類を輩出したサタンの体を切ってしまい、完成した真の父母の体に接ぎ木するのです。そうして、完成した真の父母は兄になり、接ぎ木されたものは第二のアダムになるのです。 第一の完成したアダムは真の父母がなり、接ぎ木されたものは第二のアダムである弟になって、この聖別されたものを一つの所に集める公式路程が、模範的な祝福をしてあげる合同結婚式なのです。超人類、超歴史、超天宙的な幸福の旗を掲げていく、天の国に直行する一組の王子・王女となるのです。アーメン。 神様は、愛する一人娘を新婦として迎えたいですか、天の家庭において真なる妻になることができる資格者を妻として迎えたいですか、天の家庭において母親になることができる資格者を迎えたいですか?。そのような祖母を迎えたいですか、そのような女王を迎えたいですか? どうですか?。 人の欲望は、先生が言う家庭から氏族、民族、国家、女王まで代表することができる、真なる神様の娘を迎えたいのであり、それが男性の欲望なのです。アーメンですか?。 ですから、男性は焦ってはいけません。そのりっぱな妻、そのようなりっぱな女王から祖母、母、妻、娘、長女まで、神様が一番愛することができる娘を育ててあげられる責任を持ったのがレバレンド・ムーンなので、三年間は女王から祖母、母、妻、上の娘、下の娘まで文先生に送って教育させ、理想の妻を迎えなければなりません。アーメン。三年間どのようにするかという問題なのです。しかし、このどろぼうたちは、それが嫌だというのです。男性はどろぼうです。分かりますか?。 中心存在の三つの条件 中心存在は、責任を持つということです。中心存在は、第一に責任を持たなければなりません。 二番目は何かというと、保護しなければなりません。今日、このブラジルの大統領が責任者で中心存在になっていたならば、お金をもうけて国民に追い出されて逃亡するでしょうか?。しないのです。保護しなければなりません。国民の難しいことを保護しなければならないのが、中心存在としての責任なのです。 レバレンド・ムーンは、あのアメリカにおいてどうでしたか?。起訴事件が起きたとき、ドイツに行ってから、韓国に立ち寄らずにすぐにアメリカに飛んで帰ってきたので、かえってアメリカの法務省が困ったというのです。「レバレンド・ムーンは絶対に帰ってこない」と思ったのに、すぐ帰ってきたというのです。このような闘いをするのです。責任を持つのです。そうして責任を持ったので、保護しなければなりません。保護しなければならないのです。 三番目は何ですか?。育成しなければなりません。育ててあげなければなりません。自分よりもりっぱに育ててあげなければならないのです。世の中には、「自分が責任者になる」と言う人はたくさんいますが、その責任者としての三大条件である、「自分が責任を持ち」、「保護し」、「犠牲になりながら養育する」という考えをしないのは詐欺です。詐欺師です。悪魔の群れであるということを知らなければなりません。あなたたちも同じです。 しかし、統一教会は違います。ですから、そのようなところが偉大なのです。いったん仕事に責任を持ったならば、その環境的与件で崇拝を受け、中心の位置を占めて中心者になるのです。 責任を持つには、第一に環境に責任を持ち、保護し、育成できる責任を負うために、それは父の代身であり、神様の代身であり、兄の代身であり、先生の代身であり、王の代身であると永遠に理解できるのですから、天国を占領するのに問題がありますか、ありませんか?。問題がありません。 皆さんが予備祝福を受けるときは、統一教会が忙しく夜昼訪ねていきましたが、今はもう部屋に訪ねていって寝ながら教育するのです。育成しようとするのですが、教育するときにきちんと聞きますか、聞きませんか?。神様が喜ぶ家庭、神様が訪ねてきて暮らすことができる家庭をつくるために、最後まで責任を持って育成するのです。それが嫌だという家庭は、地獄行きなのです。それを歓迎しますか、しませんか?。歓迎するなら拍手をしないのですか?。(拍手)ありがとう。 そうすることによって、だれに似たのかといえば、神様に似たのです。内外に神様に似て、生活で神様に似て、行動で神様に似なければなりません。そうして父母として、秋の収穫を刈り入れの主人として受け取り、そして真の父母に似て真の家庭の代表的存在として永遠に残らなければなりません。アーメン。 そのような人になりたいという人は、手を挙げて宣誓しなければなりません。アーメン。これは何ですか?。下ろしてください。死んだ犬のようです。もう一度大きな声で。寝ていた神様が、「これはどうしたことだ?」と言われるほどにりりしく挙げなさい。ワー(「ワー」)。そのように生きるのです。そうすれば家庭が祝福を受け、ブラジルが千勝万勝するのです。 わたしもお腹がすいて、力がなくなりました。皆さんもそうでしょう?。時間が随分過ぎました。一時を過ぎました。昼食時間を守ってあげなければ、悪口を言われます。時を過ぎて仕事をさせると、どろぼう扱いされるのですが、きょうは記念日なので、しかたありません。良い話をしていたらこのような時間になったので、それを許して、食事をもっと美味しく食べることができる自分になったことを感謝して、グッバイしましょう。 男性たちはわたしを好きですか?。(「はい」)。わたしがあなたの国に行って、一日ずつ食事をごちそうになると言ったならば、準備して待ちますか?。(「はい」)。隣りの家の食事をもらって接待しますか、市場の一番おいしい物を買ってきて、きちんと料理して接待しますか?。(「一番おいしい物を差し上げます」)。一年に何回しますか?。(「毎日のようにします」) それでは、近所にかわいそうな人がいたならば、わたしの代身として接待をたくさんしてください。一月に一回ずつしても、あなたの家庭には福が訪ねてくるということを伝達してあげるのです。感謝します。お客さんを接待する、そのような心を持ってしてください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.05
コメント(0)
真の愛によって克服するところに怨讐はない1998年9月21日イースト・ガーデンイースト・ガーデンで、祝福家庭に語られた御言 原因の中心は神様 みんな祝福家庭ですね? 祝福家庭たちが行かなければならない責任がどのくらい重要なのか、皆さんは分かりますか? 祝福家庭というのはどんな意味ですか? 予言書(『彼は誰なのか?』)については以前、話をしてあげたでしょう。韓国の予言書について、知っている人は手を挙げてみてください。みんな知らないのですか? (「この本が出てあまりたっていません」)。 その次に、文鮮明先生御言特別選集の第十巻と第十一巻『地上生活と霊界』を全部読むか、聞いた人、手を挙げてみてください。 (「約三分の一くらいになります」)。これでは、統一教会の人なのか、どこの教会の人なのか分かりませんね。統一教会の人ですか? その次に、李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』の本を読むか、聞いた人は、手を挙げてみてください。 (「その本は全員読みました」)。それは結果なのです。霊界について説明したものです。すべてのことは原因がなければ結果は現れないのです。 さあ、そのような本がなぜ必要なのかというのです。教会の責任者たちが答えてみてください。霊界が先ですか、人が先ですか? (「霊界が先です」)。霊界が原因なのです。人は結果です。神様の救援歴史を通して、人間が行かなければならない最後の目的地がどこかといえば、原因世界で堕落したので、再び原因世界に帰って、結果世界に連結させなければならないのです。原因世界という根本をはっきりと分からなければ、結果世界において確実な完成ということはあり得ないのです。それは理論的なことです。 霊界が原因世界です。原因の世界なのです。原因の核、原因の中心が何ですか? (「神様です」)。 神様。 「神様」という一言にすべて含まれますが、神様の内容とは何でしょうか? 神様自体は人格的な神です。私たち人間自体は、結果の存在として原因に似ているのです。では、原因であるその神様は、どのような存在でしょうか? 結果を見ると、二性性相になっているのです。二重になっているということを皆さんは知っているでしょう。人間は男性と女性になっていることもありますが、心と体からなっているのです。この心と体との関係で、心が何かといえば、神様と連結されているのです。皆さん、そのようなことを感じますか? (「はい」)。皆さんの心はどうですか? 心の方向が、一日、二日、毎日のように変わりますか、変わりませんか? (「変わります」)。なぜ、そのように変わり得るのですか? 神様が変わり得るように造られたので、そうなのでしょうか? 神様が変わらないように造られたのに、そうなのでしょうか? どちらなのですか? (「変わらないように造られました」)。それはあなたたちの話でしょう。それをどうして分かるのですか? (「お父様が言われたので信じます」)。信じることと実体は違います。信仰と生活が違うのと同じです。 それでは、神様が、心の変わることのない人間として造られたのに、変わるようになったということは、事故が起こったとか、何か問題が生じたためでしょうか、それとも、そのままそうなってしまったのでしょうか? ただ、そのままそうなったのなら、神様の創造が間違いであり、神様がいない、ということになるのです。 みだらで、邪悪で、いいかげんな人間 では、神様はどのようなお方でしょうか? (「神様は変わらないお方です」)。そのお方がだれですか? 創造主ですか、私たちの先生ですか? 私たちとどんな関係ですか? (「私たちの父母です」)。父母なのです。 「父母」というその言葉は、何も分からないこのような立場で立ててはいけません。このように、尋ね尋ねて、入って行って、最後に、神様と私たちが関係を結ぶようになる時に、「父母」という言葉が出てくるのです。 それでは、神様が皆さんの父母であるなら、だれに似たでしょうか? 父母と子女は似ているのです。子女を三、四人だけ見たら、お母さん、お父さんがどのような人か分かるのです。人間が神様の子女であるならば、世の中に子女がこのように多いのですが、神様はこの人たちに似ているでしょうか、どうでしょうか? (「似ています」)。人に似ているならば、人自体には人格というものがあります。標準的な人格があります。 それが何かといえば、私たちの良心の世界、心において見れば知情意があります。私たち人間の価値を認めるためには、心の世界が、どのようになっているのかを知らなければなりません。知情意になっているのです。知情意を備えた人が願うことは何でしょうか? 知情意を備えた人格的な人が好むことは、真善美なのです。真善美を追求するのです。知情意を中心として真善美の人格を備えなければならないのです。それでは、その真善美の中心概念は何でしょうか? 真とは何でしょうか? それは変わりますか、変わりませんか? (「変わりません」)。何が真ですか? (「『原理講論』です」)。『原理講論』は文字で書いた御言です。何が真理ですか? さあ、(右手を挙げられて)この手が右手ならば、右手トゥルースでなければなりません。これは、万人がみな同じでなければならず、永遠に変わってはならないのです。ここ(小指の三番目の関節を指されて)、この一つの関節だけでもなかったら、どうなりますか? これだけ、この一つの関節だけなくても、これがトゥルース・ハンドですか? 真というのは、標準でありモデルであって、その標準は、変わらないすべての統一的な内容を備えていなければならないのです。この(小指の)一つの関節も、「右手の最後の指のこれだ」と分からなければなりません。どこのものだという確実な証拠にならなければならないというのです。 では、ある人は、右手は真でその右手一つだけあるというとき、その人は、真なる人になりますか? これが問題になるのです。本当の真なる人にはなることはできないのです。家の場合、完全なものを持ってきてつけて完成した後に、完全な家だということができるのです。同様の理論です。完成した後に、私たちは完全な家だというのです。 では、あなたたちは、完全な人格者になりましたか? (「なっていません」)。それでは、点数をあげるなら何点あげなければなりませんか? もし、神様が点数をくださるなら、何点くらいになりますか? 百点の人がいますか? このように見るとき、人間たちがどのくらいみだらで、邪悪で、いいかげんで、混沌としているか、ということが分かるのです。 変わり得る人を必要とする人が、この宇宙にいるでしょうか、いないでしょうか? 変わる人を願うでしょうか、変わらない人を願うでしょうか? 皆さんのように変わり得る人たちが、この変わらないすべての宇宙をもとうとする時、宇宙が喜んで抱かれようとするでしょうか? つばを吐いて嫌がるでしょうか? (「つばを吐いて嫌がります」)。つばを吐くだけでなく、頭を振って「嫌だ」と言うでしょう。(笑) それでは、あなたたちが食べる食物は、どのくらい真理体ですか、変わるものですか? (「変わらない真理体です」)。では、それらが皆さんの口に入る時、それらが喜ぶ皆さんになっていますか、それらが嫌がる皆さんになっていますか? (「嫌がる私たちです」)。それが分かって、真なる人になろうとするならば、それらを食べなければなりませんか、食べてはいけませんか? (「……」)答えてください。(「食べなければなりません」)。それなら、真でない皆さんが、そのような真なるものをすべて殺してしまったということになります。悪い言葉で言えば、殺人者になりました。 このように見るとき、世の中に優れた人、正しい人はいますか? 皆さんは毎日、「あの人は優秀だ。この人は悪い。どうだこうだ」と言いながら生活しています。その人が正しい人ですか、間違った人ですか? 絶対愛の器官 ところで、皆さんは、なぜレバレンド・ムーンについて回るのですか? 真理が真だからですか、レバレンド・ムーンの手が真だからですか? 何を見て、ついて来たのですか? 何を見て、ついて回るのですか? この者たち。 レバレンド・ムーンが東洋人として一番愚かな人なのでついて来たのですか? そうではないでしょう。東洋人の中で一番美男子なのでついて来たのですか? それは可能性があるのです。どうしてついて来たのですか? (「一番の美男子だからです」)。 では、西洋の食口は、東洋の美男子を願いますか、西洋の美男子を願いますか? (「東洋の美男子を願います」)。(笑) 真理というのは、変わらないものです。すべてのことがそうです。手も真理であり、すべての体の部分が、体を代表する真理です。では、この体の代表になり得る部分はどこですか? 顔です。その次に代理部分、顔から上中下、四肢があるのです。その三つの部分の中で、一番重要な部分がどこですか? 顔ですか、目ですか、へそですか? 足ですか? (「目です」)。 目なのですか? ここに男性と女性がいますが、男性が男性であり、女性が女性であるということを区別できるのは目ですか? (「違います」)。それでは何ですか? 尋ねたのですから、答えてみてください。(「生殖器です」)。あなたたちはその愛の器官をもっていますか? (「はい」)。愛の器官は、一番恐ろしいものですか、一番良いものですか? (「一番良いものです」)。 では、アメリカ人を中心として見るときに、アメリカ人の愛の器官は変わらない生殖器ですか、毎日変わる生殖器ですか? (「変わる生殖器です」)。その変わるものは、真ですか、偽りですか? ごみ箱へ行くものですか、王宮へ迎え入れられるものですか? (「地獄へ行くものです」)。 道徳とは何をいうのですか? ご飯を少し食べることですか? 断食するのが道徳の価値ですか? 道徳の中心がどこから立てられたのか、というのです。女性が守らなければならない道徳、男性が守らなければならない絶対的道徳とは何でしょうか? 変わる愛の器官の上に立つのですか、変わらない愛の器官の上に立つのですか? (「変わらない愛の器官です」)。変わらない愛の器官とはどんなものですか? 絶対愛の器官だというのです。 神様は第一の神様、私は第二の神様 今日、私たちの心の世界は変わり得るのですが、変わらない本然の場所がどこにありますか? 神様がアダム・エバを中心として創造する時、「変わる」という概念が介在していないのが、本然の世界であるということは間違いありません。それは何を中心とした世界でしょうか? あらゆる無限の調和と変化が愛によって動ずるというのが、妥当な結論なのです。このように言うことができます。 なぜ、永遠に変わらないのでしょうか? 核心が連結されているからです。それが発電機です。神様と連結されている発電機です。発電機は神様の立場を代身するのです。真の愛の本然の発電所は神様です。そのような本来の発電所は、神様の真の愛の発電所と連結されているのです。この発電所から出てくるプラスとマイナスが連結される時、バチッとスパークするのです。 皆さんの家庭でもプラスとマイナスが出会う時、スパークが起きるのです。そして、このスパークが起きる中で、二人が一つになり定着するのです。どんな力もこれを離すことはできません。それをいくら離そうとしても、離すことはできないのです。そうでしょう。男性・女性の愛は、プラス・マイナスの電気がスパークを起こすのと同じなのです。世の中ではどうですか? フリーセックスはどうですか? 離すことができないですか、いつでも離すことができますか? (「離すことができます」)。 愛が好きですか? (「はい」)。目も愛するようになれば喜び、鼻も愛するようになれば喜ぶのです。口も愛するようになれば、「ワワワワ」と言って喜ぶのです。耳も動き、体も動き、全部動くのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 女性は、愛をそのように起こすことのできる力の動機をつくるのです。プラスがあれば、マイナスが動いて環境を占領します。そのような運動をするために、女性・マイナスには、プラス電気を代表する愛の力が相対として絶対に必要であり、男性にはマイナスの愛の力が絶対的に必要なのです。永遠に、絶対変わらずに必要なのです。 ここに集まったのは人ですが、人といえば何をいうのですか? 男性と女性をいうのです。男性と女性が何ですか? 男性の人格があり、女性の人格があります。それでは、人格というときには、必ず心に知情意があって、真善美の完全な価値の内容を備えた者をいうのです。それは、女性ならば完全な女性であり、男性ならば完全な男性の価値なのです。完全な人格です。 神様も同様です。「神様は人格的神だ」という結論を下すことができるのです。人格的神です。それゆえ、宗教を中心として人間の完成は、人格的神を発見しなければ完成できないのです。父親のことが分からなくては、子女のことは分からないのです。 神様を見ましたか? 神様は第一の神様であり、私は第二の神様であることを知らなければなりません。息子だということは、どういうことでしょうか? 息子といえば、神様の愛と一体となっており、生命と一体となっており、血統と一体となっているということで、第二の神だというのです。アメリカでいうなら、姓がマクドナルドなら、マクドナルドお父さんは第一のマクドナルド、息子は第二のマクドナルドです。神様は第一の神様、私たち人間は第二の神様、同じことです。 私は神様の息子・娘なので、第二の神様なのです。そうですか? (「はい」)。なぜ、第二の神様ですか? 神様に似たというのです。神様が上で、私が下であるというだけです。この二つが一つの体にならなければなりません。何で連結するのですか? お金の関係ですか? ここには三種類あります。愛の因縁、父母の生命の因縁、父母の血統の因縁を中心として連結されているので、似ているというのです。分かりますか? (「はい」)。 原因と結果が、同じ線で連結されているのです。愛の線、生命の線、血統の線で、神様につながっているのです。神様もこれがなければ、気が狂ってしまうのです。それで、私たち人間は、お父さん・お母さんの愛を受けざるを得ず、愛さざるを得ない立場だというのです。愛は二つの生命体を一つにさせる力があり、それが回り、回って、宇宙の力と交じり合う中で、生命の種が蒔かれ、育てられたのが私だというのです。 お父さんの性格というのは、お母さんの性格を愛するのです。愛らしい顔、体、笑い声など、すべてのものから愛を感じるのです。女性の体の動き、まなざし、笑顔、受け応えするすべての雰囲気。体で感じるその中で、男性であるお父さんと女性であるお母さんは一つになって、あらゆる方向に回転するのです。分かりますか? その回転の力は、分離させようとしても分離させることができないくらい、強い力をもっているのです。その中で二人が完全に一つになる作用を通して、絶対的な一つの体になるのです。それで? (「喜び」)。何をもって喜ぶのですか? 愛の関係を通してです。(息が止まる表情をされながら)停止、完全停止。どんな強い力だとしても、その喜びほど大きくなることはできません。 完全極致に到達した後に離れるのです。その時、本然の出発点であるゼロの状態になります。再び極致に到達したら、その状態でより大きい宇宙くらいの大きさになり、また、原点から始めたら、よりもっと大きくなるのです。その大きさは、もっとたくさんの人類を愛することができる内容を内包しているのです。その中でもっと大きな力と出合い、一緒に楽しむことができるのです。 そのような愛の行為は、宇宙を神様よりもっと美しく大きい存在につくるのです。神様よりもっと大きくなろうとするのです。(「何が神様よりもっと大きくなろうとするのですか?」通訳者)人間自身の愛の欲望が、神様よりももっと大きくなろうとするのです。 あなたたち、神様より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「神様より高くなりたいです」)。みんな、そうですか? あなたたち、先生より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「高くなりたいです」)。 四十年間悪口を言われながらじっとしていた 愛国者と逆賊の違いは何でしょうか? 愛国者とは国の未来にプラスになることができ、国が何倍も復興できる道を立てる人です。彼を忠臣というのです。自分の利益のために国を売るならば、逆賊だというのです。善悪の分岐点がここで生じる、ということを知らなければなりません。個人の目的のために国を売る者は滅びるようになっているのです。同じ立場です。 「私は以前、統一教会の重要な食口だった。しかし、今は違う立場にいる。私は統一教会が悪いところだと宣伝している」。なぜ、そのような行動をするのですか? それは、彼自身の利益のためにそうするのです。分かりますか? 彼自身がサタン側にいるためです。怨讐の立場にいるためです。言い換えれば、サタンが喜ぶ立場にいるからなのです。間違いありませんか? (「はい」)。 統一教会のレバレンド・ムーンは、じっとしています。四十年間悪口を言われましたが、じっとしています。私がだれかを悪いと宣伝しましたか? アメリカが反対し、アメリカ政府が裁判をしたのです。原告がアメリカ政府であり、被告が文鮮明個人です。文鮮明、ただ一人なのです。だれが悪い宣伝をしたのですか? アメリカ政府がしました。レバレンド・ムーンをコーナーに追い込んだのです。 今まで、共産党がありとあらゆる反対をし尽くしました。しかし、調査をしてみると、レバレンド・ムーンには罪がないということがかえって明らかになったのです。 (一九五五年に)韓国政府が世界の世論のゆえに、レバレンド・ムーンを監獄に入れて調査をしてみましたが、何もないのです。それで、兵役忌避の罪をきせようとしましたが、それでも引っかからないので、無罪の判決が下りました。そのことを世の中は知らないのです。それも(韓国政府が)「宣伝するな」と言ったのです。韓国ではレバレンド・ムーンは、息子・娘泥棒であり、妻泥棒、母親泥棒、娘泥棒、おばあさん泥棒、それから女性泥棒だというのです。 なぜ、統一教会にこのような迫害が、起きたのかというのです。既成教会が反対したからです。先生の言うことさえ聞いていたならば、先生のもっている真理は、旧教、新教の統一だけでなく、すべての宗教を統一し、すべての思想を統一できたのです。このように驚くべき真理をもっていたので、これを阻むために、ありとあらゆることをし尽くしたのです。 それゆえ、重要な問題として「社会破綻の根本、息子・娘を拉致していった泥棒、妻を奪った泥棒、家庭破壊泥棒。韓国伝統思想を無視する合同結婚式は、韓国の歴史にない。韓国の伝統を根本的に破壊させた怪物だ。殴って捕まえろ 追放しろ」、このように言ったのです。 男性という男性、個人の男性、家庭の男性、氏族の男性、国家の男性、世界の男性、霊界にいるサタン世界の天宙の男性、すべて動員して、「レバレンド・ムーンを排斥しよう」と言いました。男性たちの見解がそうなのです。 女性たちの見解はどうですか? お母さんがじっと見ると、男性たちというのは、自分の欲望を中心として考えているのです。息子・娘たちは、昔(教会に行く前)よりもよくなっているのですが、お父さんが「このようにしろ」と言うので問題が起こるのです。 「私は統一教会に行ってみたいです」。このように言って一度行くと、ころっと熱中してしまうのです。うわさだと思っていたら、自分の家庭にこの火がついて爆発したのです。それゆえ、どのくらいあきれるでしょうか。考えてみてください。 息子・娘だけ奪われたと思っていたら、お母さんが行ってみると、お母さんまで熱中するのです。それゆえ、お父さんが気が狂いますか、狂いませんか? 夫が狂うのです。それで、銃を持って来ないですか? こん棒を持って来ないですか? ありとあらゆることをするのです。 では、東洋の女性と西洋の女性を見れば、どちらがきれいだと思いますか? (「東洋の女性です」)。 東洋の女性の顔が平べったくてもですか? この平地にちょっとした山があっても、観光地になるのです。西洋の女性を見れば、どのくらいそびえたつように突き出ているか見てみなさい。鼻がこうで、目がこうで、青い目です。足も長く、背がすらっとしています。 笑うのも千態万象なのです。東洋の女性たちは、笑うのもこのようにして笑うのですが、西洋の女性たちはこのようにも笑い、あのようにも笑い、体で大騒ぎしながら、行動しながら笑うのです。アメリカ女性の笑い声は、どうしてこのようにうるさいのでしょうか? ソプラノのような声で笑うので、その声が、壁を越えて何百メートル先までもいくのです。(笑) 西洋の女性が、先生は有名な遊び人で浮気するのかと思えば、しないというのです。CIAやFBIでも、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と、美人を送り込んで来たのですが、その女性が良心の呵責を感じて、手紙を書いて送ってきたのです。手紙を破ってしまわずに、そのまま保管していたら、どのくらい貴重だったでしょうか? カイン圏の子女たちを愛してこられた真のご父母様 東洋の女性たちは、先生が東洋の人たちによくしてあげずに、西洋の人たちによくしてあげるので、アメリカで反対者になりやすいのです。東洋の女性が西洋世界に来て迫害を受け、孤独な立場にいるので、同情しなければならないはずですが、かえって、自分たちを押しのけて西洋の女性たちを愛するので、反対し得る可能性があるというのです。 「何、愛の宗教だ、真の愛だと言いながら、顔について行き、環境について行く、そういう先生だ。あー、気分が悪い」と言いながら落ちて行った人たちが、本当に多いというのです。 先生の家にいる娘たちもそうです。娘たちも、お父様を好きではありません。西洋に来て仕事をしてみたら、出会うのは西洋の女性たちであり、また、西洋の女性たちがひっきりなしについて回って喜ぶのです。娘たちよりもこの女性たちを愛していたら、娘たちがわあわあと言うのです。 「日本の女性たちを愛して、黒人までも愛するのに、その黒人よりも自分たちを愛さないなんて、それがなんで私たちのお父様なのか」。そのように言っているのです。エデンの園においても、天使長が愛の減少感を感じて堕落したように、ぴたっと、そのようになったのです。あなたたちもそうでしょう? では、私が自分の息子・娘たちをもっと愛しましたか、カイン圏にいるあなたたちをもっと愛してきましたか? (「カイン圏の子女たちをもっと愛されました」)。それは、うそです (「うそではありません」)。自分の娘をもっと愛しましたか、あなたたちをもっと愛しましたか? 今、南米にいるスパニッシュ系をもっと愛しています。そのような時、ここにいる息子・娘たちは「行かないでください」と言ってしがみつきました。大きい子も、小さい子も、「もう一晩過ごしてから行かれればいいのに、なぜ、きょう行こうとされるのですか?」と言うのです。いつもそのように言うのです。 「あー、お父様、久しぶりに来られたのですから、時間を少し取ってください。三十分だけ時間を取ってください」と言いながら、何時間も待つのです。それでも、一晩だけ寝て行くのです。彼らに会ったら何もできないのです。十分、三十分も、許可できないお父様です。それよりも、公的な会合が列をなしているのです。 今、孝進の家庭問題のために問題になっているのですが、その問題は何も心配する必要がありません。 私はその嫁とひざを突き合わせて、一時間も話をしたことがありません。若くして、十七歳で嫁に来て、どれくらい孤独な環境にいたのか、私はよく知っています。(お父様から愛されたいという)心がありながら、それを感じることができない立場が、どれくらい孤独だったことでしょうか……。 その事実を考えるようになる時、「義理のお父さんは、愛だ、何だと、真の愛の話をするのに、自分の息子・娘に歓迎されず、私の心をこのようにさせておいて、それで、何が真のお父様であり、何がメシヤであり、何が救世主なのか。 ぺっ、ぺっ、ぺっ」と、このように考えるというのです。 さあ、今はもう時が来ました。今は、「四・四節」を宣言したので、今からは故郷に帰り、だれよりも愛して、幸福にしてあげることのできる時が来たのですが……。もし、何時間、何日、何週間、私が話をしてあげたら、そのようにはなりません。 世界にアメリカが長子の国であり、日本が母の国であり、韓国が父の国であることを宣布して、全世界が一つになり、先生を歓迎できる時になってみたら、「自分たちを抜かして、私たちをすべて犠牲にしておいて、あのように行くのが、何でメシヤなのか」と、反対するようになったのです。 今、南米に行くのですが、南米にいる人たちは、あなたたちよりも、立派な国家指導者たちよりも、優れた人たちではありません。かわいそうな人たちであり、悲惨な人たちです。彼らはみなかわいそうなのです。そのように「かわいそう」と考えるのが、神様の心なのです。真の愛の心をもっているので、そのようなことをせざるを得ないのです。そのことを知らなければなりません。 服などは、国家メシヤたちには高級な服を買ってあげながら、自分の子女たちを連れて行って、服を買ってあげたことは一度もありません。娘たちを、一度でもそこに連れて行って、そのような服を買ってあげたことはありません。息子たちにも同様です。 一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられた 外的な世界の人たちに愛を与えていたら、自分の家族が悲惨になってしまいました。 先生はどのように考えるかというと、「愛の祭壇を世界化させる仕事を私がする」と考えるのです。そのように考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭を犠牲にしなければなりません。祭物を捧げる時には、家庭祭物を捧げなければなりません。父母様が祭物にならなければなりません。父母様自体が、食口自体が、祭物にならなければならないのです。一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられたではないですか。 統一教会員たちはそれを知っているので、自分(お父様)の背に乗って越えていかなければなりませんでしたし、踏んで越えていかなければならないと考えるのです。統一教会の人たちはそれを知っているので、私たちの家庭の背と私たち夫婦の背を、このように踏んで越えていったのです。そうですか? (「はい」)。なぜですか? 祭物なのです。祭壇の祭物になったので、みんな頭を下げなければならないのです。全世界の祭物なので、全世界の人類が、その祭壇の前で敬礼を捧げなければならないのです。 御旨がすべてなされた後、三億六千万双祝福とサタンの血統断切がすべてなされた後に、私たちの家庭を、世界の家庭がどれくらい尊敬するか、考えてみてください。償わなければなりません。全人類が、全世界が、私たちの家庭に感謝する日が来るということを知りません。それを知らないのです。 五十年の歴史を過ごしながら、すべて悲しみで埋められているので、それを越えて来ることのできない環境にあるのが、先生の家庭であることを知らなければなりません。家庭的祭壇を積んで摂理してきたことを知らなければなりません。 先生の家庭を中心として、神様の純潔の祭壇に祭物を捧げるようになる時、全世界的に祝福を受けることができる環境を迎えるようになる時、「すべての代価を支払わなければならない責任がある」と、天が勧告するのです。このように考えるのです。 (私たちの家庭が)アメリカに来ているので、このようになったのです。韓国にいたら、このようにはなっていませんでした。アメリカにあるプライバシー・コンセプト、自己中心的個人主義概念、このような概念はすべて、サタン世界に所属して起こる現象です。それが事実ですか、事実ではないですか? (「事実です」)。そうではないという人、手を挙げてください 私が一つ質問をします。一生の間に、私がだれかに反対しましたか? 私には怨讐が多いのです。私を殺そうと、ありとあらゆることをした人たちが多くいます。できれば、忘れてしまおうと思います。忘れて、忘れて、迫害を受けたすべてのことを忘れてしまおうと思います。きれいに忘れてしまおうと思うのです。サタンは、レバレンド・ムーンがすべてに対峙して闘うことを望んでいるのです。 個人、個人として、世界がすべて反対したのですが、私が一人の個人に勝ったとしても、その闘いは何十年も続き、一生闘ってもその闘いは終わりません。次には、全世界の家庭が、レバレンド・ムーンに反対するようになるのです。分かりますか? 私が彼らと闘えば、その闘いは終わらないのです。それゆえ、忘れてしまうのです。忘れてしまうというのです。私の行く道は忙しいのです。行く道が忙しいというのです。 さあ、見てください。四十年の間に、四千年間の人類歴史の複雑な天の国と霊界を整理して、国家と世界が行くことのできる道を、すべての伝統をつくっておかなければならないのです。このような責任があることを知っている先生には、闘う時間はありません。闘う時間がないのです。 先生について来た世界の有名な人たちが、数十年過ぎてみたら、レバレンド・ムーンがすべて正しいので、彼らはみな統一教会の祝福を受けて、統一教会のかわいそうな人たちの垣根となり、国家の垣根となってきている、という現実を私は知っています。 レバレンド・ムーンが行く道はすべて、くねくねと曲がっていますが、行く道は一つの所です。世界平和、統一天下を考えるのです。分かりますか? 今日、アメリカで起こっている環境はレバレンド・ムーンと関係のない環境ですが、法廷闘争において、アメリカが歴史的に、先生にノック・ダウンされたという汚点を残した事実を知らなければなりません。そのような環境で闘いました。そこに刺激され、歩調を合わせたならば、サタン側に、サタンのかまどに入って行く、ということを知らなければなりません。 女性たちのために迫害されたお父様 先生を(第二次世界大戦直後に)キリスト教が歓迎していたならば、離婚はありませんでした。先生は離婚しなかったのです。キリスト教さえ先生を歓迎していたならば、先生を中心として南北統一、アジア統一、東洋と西洋の統一をなし、地上天国を建設することができたのです。そのように展開されていたならば、どうして離婚するのですか? 離婚しないというのです。 家庭にいる女性たちがたくさんついて回り、お母さんと娘がすべて統一教会を信じるようになるので、男性の群れはすべて反対するのです。こうして反対することにより、そのような環境的与件において監獄にも行きました。しかし、すべて(調査して)みたのですが、何もないのです。社会秩序破壊、家庭破綻、すべてうそなのです。 彼らに聞いてみると、それに同調する人は一人もなく、過去よりよくなり、立派な息子・娘になり、愛国者になったというのです。放蕩な人、ギャング・スターのような人たちがみんな愛国者になったということが、すべてあからさまになったのに、どうして法廷で刑罰を与えることができるでしょうか。 夫人たちは、霊界から聖別生活をさせるのです。堕落した偽りのサタンの愛を遠ざけるのです。それゆえ、「レバレンド・ムーンのとりこになり、狂ったので、そうなのだ」と誤解するのです。 当時、韓国は夜十二時から明け方四時まで通行禁止だったので、明け方まで待って、通行禁止が解除されるサイレンの音がなれば、女性たちは家庭において監禁されていた門を蹴って出て、裸でパンツだけはいて走って来るのです。走って来て教会の壁を越えようとして、滑り落ちて、「どかん」という音に近所の犬がほえて……。ありとあらゆる事件が伝わっているのです。 先生がお父さんのようであり、お兄さんのようであり、婚約した人のようであり、夫のようであり、おじいさんのようだと、そのように言うのです。エデンの園で、子女の時代、少年の時代、夫婦の時代、父母の時代の四大心情圈を失ってしまったことを蕩減復帰するための現象が起こるのです。先生に会いたくて夜眠れず、ご飯が食べられない、そのようになるのです。霊界がすべて開かれ、先生が何をしているかすべて分かるのです。どこかの市場とか百貨店に行くと、そこにみんな来るのです。霊界が役事するのです。 家庭環境では、男性がみな反対します。おじいさん、お父さん、夫、兄、息子など、男性たちがみな反対するのです。お母さん、お姉さんは家庭では家事が主な仕事ですが、みんな教会ばかり通うのです。 そのような環境で、だれのために迫害を受けましたか? この女性たちのゆえです。「銃で殺す」という脅迫もたくさん受けましたし、袋だたきにも遭い、追い出されもして、ありとあらゆることをされました。 なぜですか? 女性を救うためです。サタン側にいる女性を復帰しなければなりません。サタンの国の女王から、おばあさん、お母さん、夫人、長女、次女を復帰してこなければならないのです。彼女たちは、エバを代表した女性たちなのです。男性は王から、おじいさん、お父さん、すべて天使長の立場です。エデンの園における再臨主は、女性を復帰するために来たのです。新婦圏に対して、新郎は一人なのです。 それゆえ、先生に出会えば、先生を憎むことができないのです。このような現象は世界的です。あなたたちもそうですか、西洋の女性たち? (「はい」)。その「はい」という答えは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。自分たちの心がそうなのです。本性がそうなのです。 「敵」という概念を除去し断絶する 春が来れば氷山も溶けます。レバレンド・ムーンは、神様の愛の春の始まりと同じです。寒帯地方の共産主義が過ぎて行きます。民主世界は秋の季節の文明です。共産主義文明が過ぎ、春の季節の文明が東洋から訪ねて来るようになるのです。それが、統一教会の文明圏の出発なのです。これが春の季節に該当します。それで、家庭が破綻するのです。家庭破綻が展開されるのです。 春というのは、神様の真の愛を意味します。分かりますか? (「はい」)。女性の花のような心が、咲いてくるのです。そこに蝶のような先生がいるので、みんな歓迎するのです。八十歳になるおばあさんも先生の後をついて回ろうとし、十二歳になったばかりでも先生の後をついて回ろうとするのです。おばあさん、おじいさん、夫、息子、娘がみんな見ていても、ついて来るのです。 その愛の春の園で花が咲き、実を結び始めたのが合同結婚式だということを知らなければなりません。国際合同結婚式です。それで、四十年が過ぎていきました。春夏秋冬。実を結ぶためには、春を迎え、夏を迎えて発展し、秋の季節に入り、あなたたちの家庭が植える種にならなければならないのです。真の父母の家庭のようにならなければなりません。真の父母のような価値をもつことができなければならないのです。そうしてこそ、神様が願われる地上・天上天国定着の出発がなされるのです。確実にそうですか? (「はい」)。 あなたの家庭がそのようになりましたか? 世界のための家庭であり、天と地を代表した家庭であり、人類を代表した家庭であり、万物を代表した家庭であり、真の愛の歴史をすべて包括することのできる家庭なのです。そこには敵がいません。神様が「敵」という概念をもったならば、片隅に敵の国が残るので、いつまでも平和の世界は来ないのです。神様はそれを知っていたので、「敵を愛せ」という標準を立てたのです。それは驚くべきことです。 「敵」という概念を除去して断絶しなければなりません。「敵」という概念が行動の基準になっているかぎり、世の中に信頼というものは永遠に存在しないのです。どうやって平和な世界をつくることができますか? すべてのことを消化しなければなりません。悪いことも、善いことも、すべてのことをのみ込んで消化しなければならないのです。それで、体のエネルギーにしてしまうのです。 先生の観点は、共産主義ものみ込んで、民主主義ものみ込んで、怨讐の国ものみ込みました。何をもって消化したのですか? 真の愛の力でです。真の愛の力は、このようなものを消化させるのに十分なのです。何の問題もありません。 先生のこのような視点で見れば、怨讐というものはありません。今までたくさんの怨讐と遭いました。しかし、先生は、彼らに対するすべてのことを忘れてしまいました。短い時間に、彼らの顔やその時の状況を永遠に忘れてしまいました。すべての状況を神様の立場で、今まで忘れてきましたし、今後も永遠に忘れるのです。そのかわりに、いつもそのような人たちのために生きてきました。他人を愛し、為に生きる側が、自動的に中心になるのです。為に生き、より愛する人が主人になるのです。中心存在になり、主人になるのです。 神様と天運が私を保護している 指導者は、第一に、中心に連結された責任感をもたなければならず、第二に、自分に任された分野を保護して、第三に、その分野を育成、および発展させるのです。これが責任者の使命です。これは、先生にもそのまま適用されるのです。すべての統一教会の指導者は、全世界に対してこのような責任感をもたなければなりません。また、すべての統一教会員たちも、このような責任意識をもたなければなりません。先生は今まで、世界を救い、保護し、育成する活動を続けてきました。 今日、アメリカには理想世界はありません。南米にもありません。アジアにもありません。アフリカにもありません。六大州には理想世界はないのです。 このような時に、世界の人たちはレバレンド・ムーンを尊敬し、誉めたたえています。それはレバレンド・ムーンがすべての階層の人たちにとって、最後の日の唯一の希望の中心であるからです。このような環境が、私たちの祝福活動のブームを全世界に巻き起こしたのです。 だれがこのようにしたのですか? だれがこのような結果をもたらしたのですか? レバレンド・ムーンではありません。レバレンド・ムーンは仲保者であるだけです。レバレンド・ムーンが、このような結果の原因者ではありません。レバレンド・ムーンが世界的にいくら有名で、いくら真の愛の中心存在だとしても、レバレンド・ムーンは原因者ではありません。分かりますか? 神様の愛を中心として、他のために活動をしていたら、そのような結果が現れるようになったのです。レバレンド・ムーンの背後には、神様の力があるという事実を知らなければなりません。 そのような人に反対して、何か利益になることがありますか? 今、私たちの家庭を破壊させようとしているのですが、それはできないのです。してもできません。ユダヤ教とキリスト教が一緒になって、そのようにしようとしているのですが、駄目です。ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』をもって、統一教会の『原理講論』に勝ることはできないのです。それはできません。 統一教会は何時代ですか? (「成約時代です」)。成約時代というのは完成時代です。蘇生時代である旧約時代、長成時代である新約時代に未完成な内容を含めて、すべてのことを完成させる時代なのです。 真の愛の力は、すべての時代を消化する力をもっています。それで、ユダヤ教の若者たちが彼らのシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の門をぱっと開けて、原理講義を一週間だけ聞けば、彼らは完全に溶けて、一八〇度引っ繰り返るのです。このような現象は、キリスト教の若い青年たちにも同じように現れます。また、他の宗教でも同じなのです。 それでは、問題は何ですか? 問題は、原理講義を聞かない人たちにあるのです。全世界の人たちが原理講義を一度だけ聞けば、彼らの思想は崩れてしまうのです。そのくらい強力な力を、『原理講論』はもっているのです。 それで、反対するのです。彼らはかわいそうです。今まで、その敵がみな罰を受けました。反対した人たちの中で、成功した人は一人もいません。皆、滅んでいくのです。二十年間反対したすべての統計を出してみなさい。八〇パーセント以上が滅びました。統計が出ているのです。レバレンド・ムーンを四十年、五十年以上、「殺せ。 破壊しろ」と迫害して、監獄にたたきこみ、ありとあらゆることをしましたが、滅びませんでした。(拍手) 世の中では皆、「歴史を通してそのようにたくさんの迫害を受けながらも、勝利できる力は何であるのか? 何が、そのように統一教会を繁栄させてきたのか?」と、とても不思議に思っているのです。それは、レバレンド・ムーンの力ではありません。それは、神様と天運が私を保護しているからなのです。柱を通して上から下に降りてくる強い力、永遠なるその力が、私を保護するのです。 理想世界のこの柱は、何であっても砕いてしまうのです。その力は、絶対に壊れることはありません。一度受けると、そのまま粉々になるのです。それで、問題が生じるたびごとにいつも、神様が主体の立場、先生は対象の立場で、完全に九十度の角度で影をつくらないゼロポイントをなして一つになるのです。そのようになれば、いくら強い者が私を攻撃したとしても、かえって、彼が落ちていってしまうのです。分かりますか? このような公式路程を、神様ははっきりと知っておられるのです。共産主義もいち早く崩れました。民主世界であるアメリカも救いを受けるために、私の前にひざをつきました。宗教世界も同様です。 そこに歩調を合わせる者は先に天が審判してしまう 世の中にあるすべての家庭は、私に属しているのです。そうではないですか? 家庭がなくては国があり得ません。国がなければ、世界もなく、地上天国もなく、天上天国もありません。理想家庭が立つことができて初めて、理想的な国、世界、天宙を立てることができるのです。このような世界の核が、まさに真の家庭なのです。 その所に初めて、神様が永遠にいることができ、一緒に生活することができるのです。神様は、愛を中心としてその家庭を主管するようになるのです。そうなれば、その家庭は永遠に壊れないのです。 このような家庭が大きくなれば、氏族、民族、国家、世界、天宙をなすようになるのです。これがまさに、地上・天上天国なのです。このような天国が、個人的概念から家庭的概念に越えていけば、ここにはそれ以上の迫害と反対はないのです。順調に、氏族、民族、国家、世界を越え、霊界まで越えて行くのです。 このようにして霊界に行けば再び、自動的に真の家庭が中心となった円がつくられるのです。真の家庭が中心になり繁栄するのです。世界の環境をつくるうえで、核は家庭なのです。家庭から親族、氏族に拡散し、氏族から国家、世界に拡散するのですが、中心は同じなのです。中心と同じ価値をもって、民族、国家、世界、天宙へと拡散されるのです。モデルの公式は、中心と同じです。 それで、完成したアダムの家庭では、アダムが家庭の王です。アダム家庭が大きくなれば、アダムは氏族の王、世界の王、天宙の王になるのです。ここから家庭の天国が出発し、これが拡散して、親族の天国、氏族の天国、国家、世界、天宙の天国として大きくなっていくのです。霊界と地上は、陽性と陰性でつくられた一つの体のような構成体なのです。陽性は内面の世界であり、陰性は外形の世界をいうのです。 宇宙のすべては、カップル制度になっています。鉱物世界、植物世界、動物世界、人間までも、すべてカップルになっているのです。なぜ、このようにカップルになっているのでしょうか? 永遠に存続するために、このように創造されたのです。 人間を見れば、個人は、心と体、そして、陽性と陰性の二性性相になっています。心は神様と連結され、体は地と連結されているのです。それで、体と心が一つになるということは、すなわち、天と地が一つになることと同じなのです。それゆえ、平和の世界をつくるうえで、個人の体と心の統一が中心核になるのです。 その道は簡単ではありません。アメリカの人たちは毎日、マクドナルド・ハンバーガーを食べるのが好きでしょう。今から一生の間、そのハンバーガーを食べないでください。韓国式に変えてください。いいですか? (「はい」)。 あなたたちは簡単に答えますが、難しいことです。長い間に形成された習慣を変えるということは、どれくらい難しいですか? 数十年の間、形成された習慣と伝統的な概念を変えるということは、簡単ですか、難しいですか? アメリカ人がどこかに行って三年ぶりに帰って来たら、一番先にマクドナルドに行って、ハンバーガーを買って食べるというのです。ちょっとした習慣を変えるのも、このように大変なのです。 宇宙の伝統は、最悪の愛が中心になって出発し形成されました。ハンバーガーを食べる習慣を変えることと比べたら、間違って形成された宇宙の伝統を変えるということは、何百倍、何千倍以上もっと難しいというのです。 歴史を通してたくさんの義人たちは、過った基盤を復帰するために、数千回も試み、反復してきたにもかかわらず、九〇パーセント以上、地獄に落ちました。それは、自らをゼロのポイントに定着させることが、あまりにも難しいからなのです。こんなにもサタンは、たくさんの義人を地獄に落としてしまいました。 このようなことを神様が見る時、人間堕落以来今まで、神様はどれくらい悲惨で、悲しい状況におられたのかというのです。このような神様が、まさに私たちのお父様であり、真のお父様であられるのです。あなたたちは、このような苦痛を感じることができますか? (「いいえ」)。それなら、あなたは自動的に地獄に落ちるのです。地獄というのは影のような所です。そこは、光が存在しない所です。ただ、影だけがあるのです。 統一教会の世俗的な環境にいるアメリカの食口たち。 レバレンド・ムーンと統一教会の家庭を分離させようとする、このような行動を中心として見る時……。このように生きたレバレンド・ムーンは、自分の家庭、自分にある財産、世界の統一教会にある財物まで投入して、世界のためにアメリカを救おうとしました。 アメリカにおいて自分の利益のために反対する群れに対して、アメリカ自体が糾弾しなければ、このアメリカの地が讒訴し、アメリカの空気が讒訴し、アメリカの天運が怨讐視するというのです。そのことを知って、そこに目を合わせて、五官を合わせて、行動と歩調を合わせる者は、先に天が審判してしまうのです。 憤怒するのです。 これを知らなければなりません。分かりましたか。 (「はい」)。 どれくらい大変な十字架の道か…… 神様と真の父母は一つの体です。真の父母は神様の横的な体です。同じ価値をもっているのです。真の父母はどこにいても、神様に九〇度の角度を合わせることができるのです。 神様と真の父母の間には消耗がありません。これはちょうど、ある物体が無重力状態に行けば、力が消耗されないということと同じ理屈です。それゆえ、消耗がないので、一度押したら永遠に行くのです。人工衛星が慣性の力で運動するではないですか。負荷がないので、一度押したら永遠に行くのです。負荷がかからず、どこでも百パーセント通じるのです。 横で言う人(食口)がいたら(レバレンド・ムーンとその家庭に対して言えば)、口を裂いてしまい、目を取ってしまうと考えてみなさい。「この者たち、何ですか。 統一教会を中心として」と言いながら、目が取られ、口が引き裂かれてしまうだろうというのです。そのように考えたら、そのようになるのです。 神様に祈祷してみてください。そのような人はみんな滅びます。私が祈祷をそのようにしたら、七か月以内に雷が落ちます。しかし、父母はそのような祈祷はできないのです。息子が刑場に行き死ぬということを知っている父母は、「この国の憲法がよくできていて、あの子はよく死んだ」とは言わないのです。この国の法をすべてなくしても、その息子が解放されることを願うのです。 さあ、真の愛の運動をしている統一教会の文先生の歴史には、なぜ、家庭的にそのように問題があるのか、ということが問題なのです。なぜそうなのでしょうか? 「絶対性」を主張する神様が、絶対ホモ・セックスの世界に来て、愛の関係を結ぶことはできません。永遠に不可能なのです。これを救おうとすれば、神様が手を出すことはできません。手を出せないというのです。エデンの園でアダムとエバが堕落した時、手を出せなかった神様が、これに手を出すことはできません。これは、だれが引き起こしたのですか? 偽りのアダムです。偽りのアダムがこれを引き起こしたので、これをはがして直すことができるのは真のアダムしかいないのです。 それで、悪なる世界で「絶対性」を主張していたそのような神様を代身して、サタン世界の滅びゆく女性たちをより愛することができる心の基点をつくるために、絶対悪の中で愛を復帰してくる時、救われるというのです。 それが、どのくらい十字架の道であるかということを考えなければなりません。どれくらい骨が折れ、どれくらい大変な十字架の道か……。分かりますか? (「はい」)。 先生自身はきちんと神様の神聖な訓練を受けました。そのような人が、離婚が何ですか? このようなことまで試験を受けました。世界の一番の美人、世界の男性たちが愛することができる美人が現れ、最高の愛で包容し、キスをして、性関係ができるその場に入っていき、完全に百パーセントセックスをすることができる状態に行ったとしても、ゼロに帰ることができる訓練を受けた人なのです。そのような人が離婚して、他の女性を考えることはできません。 (歴史を通して)三段階で落ちていきました。女性が、アダム家庭、イエス家庭、再臨主家庭を破綻させました。それゆえ、女性たちの生きる道がないのです。生きることができる梯子をかけなければならないのです。そのような時は、どのようにしなければならないでしょうか? その道は、愛の十字架を背負って行く道なのです。歴史以来、天地にこのような愛の十字架の道を、伝統の道を悟らせて、それを立てた方が真の父母なのです。今も聖進のお母さんが、私をどれくらい愛しているでしょうか? 今も思慕しているのです。 学生時代には、たくさんの女性から誘惑を受けました。誘惑を受けるということにおいて、世界の記録をもっている男です。それゆえ、春の季節のさかりには、鍵を四つもかけて寝ました。部屋に鍵を四つもかけて寝たのです。それは、統一教会の人たちはみな知っています。そうしなければ、門をこじ開けて入ってくるのです。先生が寝ている布団をどけて裸で入って来て、しがみつき、「助けてください」と言うのです。「五分あれば解決することなのに、男がそのようにできるのですか?」と言うのです。 このような女性に対して、「私には性機能がありません」と言いながら送り帰しました。(笑)どうしても帰ろうとしないので、そのようにして解決するのです。その女性は普通の女性ではありません。美人であり、財閥の娘であり、有名な学校の在学生なのです。肥桶に神様の生殖器を差し込んではいけないのです。嫌でも、嫌な道がその道だということを皆さんは知らなければなりません。 神様の御旨を成し遂げるためには、地上世界で神様の代身者として、離婚してでも真の愛の関係をつくり、離婚を三回してでも真の愛の関係をつくらなければならないのです。 それゆえ、地上の摂理の中で、ヤコブのような人は女性をたくさん迎えました。宗教界にも女性をたくさん迎える人がいるし、あのイスラムのような所もみなそのような意義を中心として、そのようになったのです。 ヤコブにおいては、十二人の息子を生むために女性が四人いましたが、結局はレアとラケルの問題であったということを知らなければなりません。このラケル一人だけだったならば、復帰ができないのです。支流で反対の妾であるとか、傍系的な道で復帰がなされるのです。 これを、だれが解決してくれますか? そこにピュア・ラブを主張して、それをどのように解決しますか? それゆえ、先生が地獄よりももっと恐ろしい道、苦痛を受けながら、その道を開拓したのです。愛の十字架の王者の道を歩いて来たということを知らなければなりません。それは、女性を救うためなのです。 女性たちは、三人の男性を殺しました。アダムを殺し、イエスを殺し、再臨主を殺しました。先生を荒野に追い出すことによって、お父様の家庭に破綻が起こり、お父様はもう一度結婚しなければならなくなったのです。そして、韓国が南北に分かれ、兄弟としているべき東西洋が多くの地域に分かれ怨讐になり、天と地が再び分かれたのです。 すべては朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまう 終末になればメシヤが雲に乗って来るというのですが、再臨主が飛行機を使えば問題ありません。稲妻のように、世界中、南極や北極、東洋や西洋、すべての国を訪ねるのも問題ではありません。ですから、先生は飛行機を買ったのです。グローバル・エクスプレスです。一度飛べば、どこへでも行くことができるのです。一日で世界中を稲妻のように飛んで、南極や北極、東洋、西洋へも行くことができます。現代科学技術が発達して、神様の目的を助けているのです。このように、真の父母の生活様式に貢献しているのです。 真の父母は、世界のどういう場所でも行かなければなりません。インター・ネットや電子メールのような現代の科学技術を通して一度に全世界の人たちが、ここで話すことを聞くことができます。五十億人類が一度にみな聞くことができるのです。だれのためにですか? (「神様です」)。真の父母のためにです。私が五十年前にこのような科学技術の話をした時、人々はみな私を「狂った」と言いました。「本当に狂った人だ」と言ったのです。その時に特に反対してお父様を笑ったある一人の牧師が、今はすべて悔い改めているということを聞いています。(拍手) ピュア・ラブの主人であり、王であられる神様が、この地に真の愛と真の家庭を植えようとすれば、真の父母、真のアダムが必要なのです。そのことを知らなければなりません。 今回のマディソン・スクェア・ガーデンの祝福の時、先生が昔責任をもった聖進のお母さんとそのお母さん、つまり聖進のおばあさんまでもすべて祝福をしてあげたのです。そうして、理想的夫婦の理想を実現するのです。 今でもレバレンド・ムーンに反対する人たちがいますが、彼らは何も知らずにそうするのです。レバレンド・ムーンがどれくらい立派な人間であり、どれくらいこの地上で貴重な人であるのかという事実を知るようになれば、尊敬するようになるのです。 聖婚式の時、真のお母様の候補者になると言っていた人、数十名が今でも待っているのですが、「一回でも先生の手を握りたい。キスもしてくれたらいい。死ぬ前にしてほしい」と言っても通じないのです。そのような人には、全く見向きもしません。私は冷淡な人です。「世の中の男性の中で、最も冷酷な男性、石のように冷淡な人だ」と、うわさが立っているのです。 そのような人たちに「そのようにする先生は悪い先生ですか、善い先生ですか? そのようにしていかなければならないでしょうか、あなたが願う通りしていかなければならないでしょうか?」と尋ねれば、「先生がする通りしていかなければなりません」と言うのです。 多くの人が今でも統一教会とお父様に反対していますが、私たちは世界に出かけて彼らを許し、愛でしっかり抱きかかえて、真の父母と共に真の家庭、真の天国を築く立場なのです。天上天下、地上天国が、真の父母の「真」を何個も合わせて、真の父母を尊敬することができる時代が待っているというのです。 そこに歩調を合わせることを願います。今晩このような時間をもったことを栄光に思い、先生の言葉を大切にしっかりと保管して、その世界に行って称賛され、賞を受ける皆さんになるために、大切な内容を発表するのです。分かりますか? (「はい」)。 その言葉が正しいと思い、自分自身の心が先立たなければなりません。何を話しても、何をしても、私の愛の心は変わらないのです。真の愛なのです。それゆえ、神様も、世の中が何と言っても、「世界のすべて、神様が創造した貴重なものは文先生に預ける」と考えているのです。 そのような神様であることを知り、そのような神様がいるということを知らなければなりません。そして、その神様の娘・息子になるためには、文先生のように、このようなすべてのことを克服し、耐えていかなければならないのです。そのようなことを理解して、あなたたちも耐えることができなければなりません。 アメリカがいくら騒いだとしても、先生は心配しません。これはすべて朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまうのです。 それゆえ、南米に行ってもそのような心配はしないのですが、私が南米に行けば、この人たち(アメリカ食口たち)が糞の穴に落ちてもがくと思ったので、このようなことも話して洗ってあげたのです。皆さんの喜ぶ姿と喜ぶ態度と喜ぶ決心を見て、喜ばれる旅行に出発するのです。アーメン(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
ジャルジン第五宣言(「四・四節」宣布)一九九八年九月八日、アラスカのコディアックで朝の訓読会のとき、真のご父母様は、その日の数字をすべて足すと四十四になるということをご存じであられ、二階に上がって特別祈祷をなさり、再び一階に下りてこられてみ言を語られた。「み言に同意する者は手を挙げなさい」という問いかけに対し、参席者全員が手を挙げ、祝祷を通して「四・四節」が宣布された。この日、コディアックのノースガーデンでは、顕進様を中心とした二世の代表と大陸会長、及びカイン圏の国家メシヤの四十数名が、四十日修練会に参加しており、ブラジルのジャルジンでは、世界平和理想家庭のための第二次四十日修練会、パンタナールでは韓国の国家メシヤたちの四十日修練会が進行中であり、南北のアメリカで四十日修練が二チームに分かれて行われていた。同年九月二十日、ベルベディアで「摂理的総整理」というみ言が語られた際、九月八日の宣布はジャルジン第四宣言に続く「第五宣言」であると命名された。 み言 主題 - 全体・全般・全権・全能の時代 この日が宣布されれば、天は全体・全般・全権・全能の時代にさしかかります。天が計画するすべてが地上で実現されるという、直接的な結果が現れる時が来るのです。 サタン世界においてもすべて体制が整っているのです。いろいろ複雑ですが、一体化です。一方の方向に、全体が全般的な基準で一つにならなければならないのです。サタン世界にも権限がありますね? その次には全能です。天は意のままになすことができるのです。サタン世界には全能はありません。今まで立てられた国家的基準における全権となっていますが、それを超えて全能の時代となるのです。何もかもが国家と世界に影響を及ぼす自由奔放な世界に移行していくという、概念を知らなければなりません。 今までは、アメリカならばアメリカを中心として、各国に体制を整えてきましたが、これからは体制が一つになるのです。一つの世界になるのです。サタン世界の権限は国を中心として一つになっていましたが、世界にまで拡張させることはできませんでした。しかし、これからは天がそれに取って代わり、サタン世界や霊界に影響を及ぼせる時代に入っていくのです。 今までサタン圏は、国家基盤に限定されていました。今はそれを超えていくのです。それはサタン圏を超えていくということです。宇宙基盤と天国基盤を主管するのは、神様にとって問題ありません。この地上からサタン圏は消え去り、新しい天の主権が現れるのです。神様が個人から宇宙に至るまですべてを主管することができるのです。神様が初めて主権をもつようになるのです。 全体・全般・全権・全能の神様が、意のままになせる時が来るのです。全般とは、サタン世界のすべてが一つの世界になるということです。サタン世界の全権を神様が掌握し、意のままにできるようになるのです。サタンの全権は、国家基盤を超えることができません。世界基盤は神様が握っているのです。 十九も悪い数字であり、九も悪い数字ですが、八数は良いのです。四十四数をいつ迎えるのでしょうか? 今日はその日に合致しているので、歴史的な転換点に入ったのです。どこの国の人かと尋ねたら、皆さんは何と答えますか? 天国人であると答えなければなりません。そのように考えなければならないのです。 神様が創造したとおりになっていれば、アメリカやイギリスやソ連、共産世界や民主世界といったものは、すべてありませんでした。まず愛の秩序が定まらなければならないのです。愛、生命、それが完全に一つとなった後で、血統が定まるのです。そのためには、先祖を一〇〇パーセント占領しなければなりません。自由はありません。自由があり得ますか? 皆さん、生まれるときに自由があるでしょうか? 自由はありません。お父さんとお母さんの精子と卵子を勝手に取っていく権限、自由に供給を受ける何かが皆さんにはないのです。ですから、誰々の息子、誰々の夫、誰々の父親となるのであって、「誰々の」と言わなければ呼ぶことができないのです。それを知らなければなりません。そのことを知らずにいます。自分を主張できるものは何もありません。父母の愛、父母の生命、父母の伝統!神様の宇宙史的なアイデア!それしかないのです。サタンによって植えつけられたので、今このようになっているのです。 腹がこのように出ている人は、食事を抜いた生活をしなさい。三度の食事のうち、二度だけ食べて、残りの一度の食事を飢えている人たちに与えて、助けてあげなさい。先生もそのようにしてきました。そのようなことを四十年前から準備しているのです。命令したら皆家を売り払って、アフリカに行って家を交換して生活するのです。そのようになれば、そこが天国になります。「アフリカ人はアメリカに行き、アメリカ人はアフリカに行って家を交換して暮らそう!」といって、それを実現するようになれば、たちまち天国になるのです。そのようにしながら幸福になるのです。天国に行く境界線を越える、というように考えなければなりません。天国は地獄を切り抜けて越えていかなければなりません。ですから大移動が始まります。大移動が始まるのです。 呼吸をするには、膨脹と収縮をしなければなりません。それと同じく、みんなが貧しい暮らしをしているのに、一人で豊かな生活をしている人は地獄に行くのです。地獄に行かないようにするためには、その反対のことをすればよいのです。そうすれば天国に行けるのです。息を吸い込んでばかりいれば滅びてしまいます。死んでしまうのです。 先生はアメリカでお金を稼いでアメリカに投入し、世界に投入しているので、先生の手には何一つありません。世界のために投入したので、それが世界のものとなり、世界を超えて天地、神様のものとなるのです。それは誰も奪うことができません。先生自身は何ももっていません。先生は世界と宇宙の所有権を神様に連結するのです。 そのような意味で、これからは人数を中心として世界のすべてが、神様の栄光を受けられる時代に入っていきます。ですから、真の愛の大将にならなければなりません。 真の愛は、家庭・氏族・民族・国家・世界・宇宙の中心だけでなく、神様の中心です。皆さんもそのように連結すれば、神様はどのようになさるでしょうか? 神様が皆さんに返してくれるのです。皆さんはそのように相続することによって、聖子になれるのです。 家庭盟誓の三番目に「四大心情圏」が出てきますね。自分が生まれたのは、神様の家庭のために生まれたのです。ですから、兄弟というのは、神様が実現しようとされる兄弟を代身するものなのです。また、夫婦というのは、神様が実現しようとされる夫婦を代身するものです。そうして、息子と娘を生むというのは、神様が創造した実体創造に続く第二創造なのです。 そうなればアダムとエバは、霊界と肉界、お父さんとお母さん、おじいさんとおばあさんの世界をすべて未来に伝授することができるのです。アダムとエバが息子を生むことによって、天国を創造しようとしていた神様の理想の出発が初めてなされるのです。ですから、神様は第一創造主、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの息子と娘は第三創造主なのです。 統一教会において、第四次アダム圏時代に入って定着し、本然の祝福と、万代の子孫が父母を尊敬し、子女が一つになって、天国に入れる世界に転換される時が目前に迫っているのです。 ですから、皆さんの家庭は歴史と天地を代表した家庭です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に、絶対・唯一・不変・永遠なる家庭、神様を迎える永遠の家庭となって、それが永遠の氏族、永遠の民族、永遠の天国となるとき、地上天国時代から天上天国に直結して、一つの世界になるのです。 アダムは二代目で、孫は三代目です。孫が息子や娘をたくさん生めば、その兄弟を中心として伝統を引き継ぐようになり、すべて同じ価値をもつようになります。ですから、孫も神様に向かって「お父様」と言い、父親も神様に向かって「お父様」と言い、すべてが「お父様」と言うのです。同位価値的に天のお父様に仕える立場、アダムのような立場にすべての万民が立つようになるのです。誰もが対等な価値をもつのです。それゆえに皆さんも先祖になるのです。 神様と真の父母が、その喜ばしいことを中心として、世界へ拡張するための式を行います。その段階に至りました。では、皆さんはそれに対して両手を挙げて歓迎しましょう!(二九五-二五三、九八年九月八日) 祝祷 愛するお父様…、人類の先祖が犯した瞬間的な堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造されたお父様が、これほどの受難と迫害の道や祭物の路程をものともせずに切り抜け、勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全世界の解放時代まで歩んでこられるのに、どれほど苦労されたかを、私たちが骨肉に徹して感じながら、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を悟り、厳粛に宿命的過程を通して歩んでいけるようにしてくださいませ。 宿命とは、死んでも行かねばならない立場に立っているという言葉でございます。堕落の怨恨、身に染みる苦難の道において、死んでも解決しなければならないという宿命的な課題をめぐって考えてみるとき、真の父母を中心としてこれを蕩減するための救援摂理において青少年問題と家庭問題が、世界の先端において誰にも手のつけようのない時代に入りました。 アダムとエバが堕落するときに神様が手をつけられなかったように、今やサタンだけが行動していた結果の世界においてサタンも一つの家庭ではなく世界を抱きながらも、天側の人々を殺すことができなくなり、サタンも手をつけられず、神様も手をつけれらない青少年問題と家庭問題を、真の父母のみ名を中心として、根本的に霊界と肉界、地上と天上世界の因縁をはっきりと悟らせて解き明かすことができ、それを霊界が知り、地上世界、未来世界がはっきりと知り、個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界・天宙の行くべき道、そのすべてを知ることによりまして、誰が反対し、誰が阻もうとも、この道を行かなければならないという、確固たる信念をもたせてくださった恵みに感謝申し上げます。 そのような意味において、サタン世界のすべての氏族、民族全体の編成を代表することのできる、天国の三六家庭から今まで十二の峠を越えることのできる立場に至り、今やすべての地上世界の清算と天上世界を清算するために、サタンの血統を断切することによって、サタンの讒訴条件を否定し得る天地の権限を真の父母が立てまして、真の父母の行く手には、国家的基準と世界的基準でサタンによる地獄の権限の行使が除去され、国家的次元のものを整備して世界的次元で天国の門の解放の世界に真の父母のみ名が通じ、本然的な真の先祖と因縁をもち得る地上・天上天国が開門することのできる時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 お父様…、今や来年二月三日(実際は七日となる)を中心として二億四千万双を祝福することによって……、サタン世界の血統を断絶するために、韓国では青少年の純潔教育が既に終わり、日本とアメリカを通じて全世界に拡張できる教育をしておりますから、その教育があなたのみ旨の前にあって日進月歩し、勝利の権限とあなたの解放的な全体・全能・全権の行使が可能となる時代が、実を結べるようにしてくださいませ。 今日、四数を中心として、アダム家庭の四位基台、アダムの息子と娘の四位基台を中心として歴史的な伝統を世界化できなかったことを、世界化四位基台……、真の父母と共にすべての家庭がそのような立場に立ち、サタンを除去し、汚れた血筋のすべてを消して乗り越えることのできる、全体解放時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年を中心として、九数はサタン数であり、十九数もサタン数ですが、八数を連結させることによって、この日九月八日が新たな解放の出発を宣言することのできる、四十四数の基盤を踏まえて地上の四数、天上の四数を中心として、解放的天宙に向かって全家庭が入籍することのできる、天国時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 今日、このような日を記念し、サタンが数においても讒訴できる条件がなくなるようにするため、これをあなたの名と共に、真の父母の名と共に、全天宙全体の前に宣布いたしますから…、この日が、あなたの権限によって、全体・全般・全権・全能の能力を中心として行使することのできる、解放の解放時代を迎えられる日となるように、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日このひととき、真の父母の名と共に神様の名と共に結ばれた、喜びの解放を宣言すると同時に、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますから、受け取ってくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、「四・四節」解放の日を宣布したことを地上と天上に、神様と真のご父母様が再度宣言してくださいますことを願いながら、真の父母のみ名によって「四・四節」を宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二九五-二五七、九八年九月八日) み言 成約時代には、祝福家庭と霊界に関する事実を知らなければ完成できません。成約時代の家庭祝福は、堕落していないアダムとエバが、家庭を中心として神様と共に生き、家庭が定着して生きるので、霊界と肉界が一つになった立場に立ちます。そのような一つとなった立場になるためには、霊界の事実をよく知らなければなりません。霊界をはっきりと知らなければなりません。今、霊界には楽園や中間霊界、地獄といった絶対にあってはならないものがあります。地上にも、堕落した関係によってなされたものが、本来あってはならないのです。 統一教会の信徒は、二つの世界に拍子を合わせて生きていかなければなりません。この世で生活するには肉の糧が必要であり、霊的な面においては霊の糧が必要となります。霊的な世界は永生することのできる世界です。肉的な世界での人生は、つかの間です。霊的世界において肉的世界の数百倍もの味を感じなければなりません。その味を知れば、眠ることも食べることも忘れ、すべてを忘れてしまうのです。 霊的な糧は真の愛の味がして、永遠の生命と結束しますから、今日の肉的な生活、肉的な命を維持する味とは比較になりません。 この世の未婚の若い男女は愛し合うようになると、眠ることも忘れて恋しがりますが、それ以上に恋しく思わなければならないのです。それはつかの間の世俗的な愛ですが、これは永遠の愛です。その立体的な愛は、世俗的な愛とは比較にもなりません。そのように心を集中させ、生活的な面で高次元的な愛を味わいながら生きなければならないのです。 皆さんが先生のみ言を聞けば、真の愛の味を知るようになり、このみ言を中心として先生が慕わしくなり、会いたくなるのです。 男性は女性が恋しくて、夜も眠らずに泣き明かします。堕落した世の中の愛もそれほどであるのに、本然の愛となったらどうなるでしょうか? 男性たちも先生に会いたくて泣き明かし、涙を流すのです。先生の相対的基準、共鳴圏に入ったならば、先生が何をしているかすべてが見え、先生と常に共にあって、何かを食べたくなれば霊的に本当に食べることができるのです。そのようになれば、すべてが通じるのです。先生が何をしているのか、すべてを知って生きることができるのです。そのような境地に達しなければなりません。 慕い求める愛の力が、堕落したアダムの愛よりも高まれば、無限の世界と通じるのです。 断食をしているときに恋しくなれば、食べたいものを共に食べるという、そのような境地に入っていくのです。そのような体験があってこそ、皆さんは真の愛の味が分かるようになるのです。 訓読会をすれば霊界に対する事実を……。李相軒氏が霊界について紹介してくれましたが、それよりもこの『地上生活と霊界』という本は、原理的な内容をすべて教えてくれるのです。そこには現象的なことが語られていますが、原因的な内容を教えてあげたので、相軒氏もそのみ言を中心として霊界を見てみたところ、内外において一致しているので驚いたのです。先生の責任がどれほど重要であるかということが初めて分かったのです。 み言と霊界の現象が一致して、その時になってやっと実感が湧いたのです。膨大な世界が、自分と離れることなく、永遠に共に生きられる世界であるということを実感したのです。自分の国や自分の家というものがありますが、神様は父親ですから、自分の国や自分の家で共に過ごすことができるのです。その世界のすべてが自分のものであるという信念をもつようになったのです。 霊界も世の中も、堕落した結果になっているので、やがてそれらはすべてなくなります。すべて整理しなければなりません。堕落した世界をすべて整理して、一つの世界にしなければなりません。アメリカ、イギリス、ドイツが一つになるのです。すべて同じです。真の愛は一つです。絶対的に一つです。真の愛を中心として編成された国は、全体がIつなのです。霊界と肉界は裏と表のようなものです。 家庭盟誓の五番目にあるように、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的な天上世界と対象的な実体的世界が一つになって、整理しなければなりません。霊界は主体的世界です。この地は対象的世界です。これからは、この二つの世界が一つになるように拍車をかけるのです。強制的にでも急がせるのです。打ってでも駆り立てるのです。 死ねばあの世にすっぽりと入るのです。霊界を解決しなければなりません。あの世も地で解決しなければなりません。霊界に入ったときに引っかかってはなりません。この地ですべてを解決しなければならないのです。それは観念ではなく、実在です。 先生もそのような世界が事実であるということを感じたので、多くの迫害があっても何の問題にもならなかったのです。反対や迫害をされることが観念であるとするならば、これは実在なのです。それでこそ生き残るのです。霊界が実在するということを、いかに実感するかが最も重要なのです。 ですから、迫害は問題ではありません。目的を知っているからです。朝、起きて自然の現実を感じるように、霊界の事実をさらにはっきりと知らなければなりません。膨大な世界が霊界の世界ですが、そこにはイギリス人、アメリカ人だけがいるのではありません。世界各国の中で心霊状態が同じ人たちが集まっているのです。五色人種のすべてが同じところに集まっているのです。 ドイツ人だとか、何人だとか、昔のこの世的な姿形はありますが、心の世界を見るので、心の世界がどれほど美しいかによって、親密になる度合いが決定されるのです。心の世界がより美しい人と一つになろうとするのです。一つになるなと言っても一つになるのです。何千年、何万年前の人でも、会えばすぐに分かります。先生の言っていることが観念や夢のような話だと思って、事実として感じていないでしょう? 単なる話と思うのではなく、事実として感じて生きなければならないのです。それが問題です。それを悟れば、この世は影です。影のようなものです。 その世界には境界線がないので、その世界で愛の心をもつようになれば、誰とでもすぐに通じるのです。心は老いません。心は長生きすればするほど美しくなるのです。神様を中心とした息子や娘が、とても見られないような姿だったらどうしますか? 深い愛の中で和して生きる人は皆、美女や美男子になるのです。 女性だけでなく、男性もそうです。あらゆる問題について、すべて祈祷をしながら、先生の教えや導きを受けなければなりません。エデンで堕落しなければ、神様に仕えて生きるはずでした。神様がご自身の実体の体を必要として創造したのがアダムの体ですから、先生を中心とすれば霊界にも通じるようになるのです。それを知らなければなりません。神様の愛を完成させるのは、神様ご自身ではありません。人間を通じて完成するのです。今までそれを知らなかったのです。 このようなすべての内容を教えてあげましたから、知っているとは思いますが、皆さんは死ぬ時に先生の卒業証書を受けて、パスできる学位をもって行かなければならないのです。どうするつもりですか? 大学の博士コースが問題ではありません。神様の息子、娘となって、天国の皇族になるのです。このようなことを知って、自分が留まる所……、自分を中心として「私はこの世界を中心として、このように思うのだけど……」というのではなく、あの世に行ってからは何をするかという下準備をしなければならないのです。 これからは、霊界に行って住む家を自分で建てなければなりません。「家」というと、父母がいて、子女がいて、兄弟がいて、夫婦がいて、息子、娘がいなければならないのです。どんな家庭かというと、神様の愛と和した、永遠に一つとなった家庭を築かなければならないのです。意味もなくここに招集したのではありません。この世の世俗的な動きではありません。根本的に違うのです。動く根本の内容が違うのです。ですから、集まっても、今まで教会で集まっていたような思いで集まってはならないのです。立体的な世界です。深く高いこと、広く大きいことを考えなければならないのです。 これから世界が変わります。サタンは国家的基準ですから、世界的基準に干渉することができません。今までは神様も先生も、サタン世界が滅びよという祈祷はできませんでした。怨讐を愛せと言っていたのに、怨讐に滅びよと言うことができますか? 蕩減復帰によって必ず蕩減を受けるようになっていますから、怨讐を愛さなければならないのです。 しかし、今私たちはサタン世界の国家的基準を超えたので、神様が国家と世界を超え、全世界の家庭がそれを超えたので、サタンは離れざるを得ないのです。そして、神様がエデンの園でアダム家庭から始めて天国全体を管理していた、そのような時代が開門することによって、神様の全権時代が到来するのです。神様が意のままに行える時なのです。 それはどういうことでしょうか? 祝福というものが世界化時代に入ったということです。国家的時代ではなく世界化時代です。この世界は真の父母を中心として家庭的に接ぎ木をしたので、サタンとは関係がないのです。それによって、神様がみ意のままにできる時代に入るのです。それが世界時代です。ですから、モデルとなるアダム家庭を中心として、一代目と二代目が四位基台を完成し、「四・四節」を成せなかったことを今日……、全世界人類の家庭が、アダム家庭を中心としてアダムの息子と娘の立場に立っているのです。それが四・四です。すべてその二つが合わさって、息子と娘を中心として、父母の国と長子圏のアメリカを中心とした統一環境をつくったのです。それが回転するのです。 三億六千万双を祝福するにあたって、三億家庭を超えました。三億を超えて、半分以上を超えたので、神様がすべてを意のままに管理できる時代が来たのです。家庭全権時代です。蘇生、長成を越えたのです。 アダム家庭において、アダムの子女までの三代を連結しなければなりません。祝福家庭を連結して世界化させるのです。一つの国を立てて平和の世界に向かうことのできる大転換時代なのです。三分の二を超えるのです。ですから、神様が意のままになすことができるのです。長成圏を超えて完成圏内に連結されることによって、神様が意のままに行えるのです。 地上世界と霊界が分かれ、個人や家庭、氏族や民族が分かれていたのが一つとなり、本然の基準で全世界人類の家庭が、完成したアダム家庭のようになり、アダムの息子や娘の家庭のようになって、大転換するのです。ひっくり返るのです。天側の家庭完成した基準をもって、神様・アダム・アダムの子女という三大圏で、二つの家庭が完成するのです。それが四位基台の完成です。三対象目的を完成するのです。それによって、神様がその中で直接主管することができるのです。共に暮らすことができ、中心の権限をもって支配することができるのです。 真の父母が現れて天と連結させる宣布式が「四・四式」です。霊界と肉界を連結するのです。神様の創造理想的なその国と分裂していたものを一つにして、天国の宮に入るのです。偽りの父母が破壊したものを、真の父母が代わって天の前にお返しするのです。それが「四・四節」宣布です。 今後皆さんは、蕩減というものが必要ありません。歴史をかけて蕩減してきたものが即決処分される時代が来るのです。今まではアダムとエバが堕落したことを、何千万年もかけて蕩減してきましたが、これからは自分が過ちを犯せば自分が処分を受けるのです。天国の法に規制されて監獄にも行き、ありとあらゆることが代々起きるのです。ですから、過ちを犯せば即刻処分されるのです。 ですから、事故も起きます。過ちを犯せば事故も起きるのです。過ちを犯せば直ちに事故が起きるのです。先生もこの道を行かざるを得ないのですが、もしも行かなければ問題が生じるのです。周りが問題となり、後になって自分自身が問題になるのです。行かなければ体が固まり、ケイレンが起きるのです。すべてそうなのです。ですから、行かないわけにはいかないのです。天地に影響が及び、国に影響が及び、自分の家庭に影響が及ぶのです。 旧約時代は物質に対する蕩減、新約時代は子女に対する蕩減、成約時代は自分に対して直接的に刺激が来るのです。それでも、足りないときには根っこまですべて……。なさなければ、根こそぎ引き抜かれてしまうのです。そのようなことが起こるのです。そのようになれば、どんなに祈祷しても祈祷の門が開きません。一言誤っただけで六か月、一年もかかるのです。一言だけでそのようになります。言葉や一つの行動がそれほどに重要なのです。そのようなことを皆さんは知らないでしょう? それは経験してこそはっきりと分かるのです。そのようなことをすべて経験してこそ、霊界と自分の人生が連結しているということが分かるのです。ですから、霊界を知らなければなりません。 今、統一教会で「訓読会」を最も熱心にやっている人は誰ですか? 神様です。その次がお父様で、その次がお母様です。先生はすべてのみ言を記録し、語り、すべてを知っているのに、そうしているのです。どうして一生懸命に訓読するのかというのです。皆さんと和するためにです。先生と和合するためにです。完全な主体の前に対象をつくってあげ、真の父母がしたことを、皆さんもできるようにしてあげるためなのです。いつも神様と共に「訓読会」をします。皆さんが両親と一緒に訓読し、兄弟たちと一緒に「訓読会」をすることは、どんなに恵み深いことでしょう。それが神様に仕えて生きるということなのです。 神様と皆さんが主体と対象となって、同じことを聞き、感じ、経験することによって、一つになるのです。それでこそ、幸福や完成というものがあり得るのです。そのような基盤がなければ、理想というものはあり得ません。皆さんも霊界を知らなければなりません。それが最も重要なことです。主体の目的観と同じレベルにならなければなりません。神様の目的観と一体になれてこそ、神様が喜ぶときに共に喜ぶことができるのです。 皆さんは主体にはなれません。先生も主体ではないのです。神様に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、神様の前に一つとなり、それが一つの主体となって、家庭や世界に対して徐々に対象圏を展開していくのです。 この本の中には先生のイマジネーション(構想理想)、先生の写真が写っていると考えるのです。それと同様に、これを中心として、先生の写真に息子と娘の姿が写るようにしなければなりません。直系の息子と娘のような相対的な写真にならなければなりません。それから、夫婦関係や親子関係、兄弟関係においても同様です。主体と完全に一つにならなければならないのです。 神様から「ああ、この者はあの基準にいるのだな!」と言われるようにならなければなりません。先生の目から見ても、「息子や娘の顔が焼き付いているな」と思われるようにならなければならないのです。皆さんが、幻想ではなく実際のように感じることによって、根を下ろしたような気分になり、そこから神様の愛を感じて早く発展するのです。そのような体験をしなければなりません。あの世に行く目的は、神様の愛を中心として家庭と共に一体圏を成すことですが、ここにおいてそれを願ったならば、あの世にはそのような世界があるので、直ちにその位置に行けるのです。そのような観念をもたなければ、それが刺激剤となって連結される道がないのです。それをこの地でしなければならないのです。 地で未完成となったので、地で完成しなければなりません。堕落することによって、神様が願っていた家庭の理想を完全に失ってしまいました。皆さんの地上での短い人生の間に、それを再び完成しなければなりません。それほどまでに地上の人生が重要なのです。その期間に、堕落して失ってしまったものを完成させなければならないのです。堕落したのちにすべてを失ってしまいました。個人観、家庭観、神観も完全に地上で失ってしまったのです。どこにおいて再びそれを捜し出すことができるでしょうか? 地上において、皆さんの短い生涯路程において、捜し出さなければならないのです。それほどまでに皆さんの生涯が重要なのです。こんなにも短い時間に、この地で失ったものを取り戻さなければなりません。堕落によってすべてを失ってしまいました。それを皆さんが再び復帰しなければなりません。それでこそ、神様の宝座の前に進むことができるのです。それで、訓読会が必要なのです。 摂理のセンターは祝福家庭です。祝福家庭は真の父母の家庭を中心として、そこに接ぎ木するのです。ですから、絶対的に一つになるのです。そこに神様が臨在するのです。そのように主体と対象が一つになれば、中心が定着するようになり、その中心が柱になります。その個人的な柱が世界的な柱として拡大するのです。その柱に沿って上るためのはしごが、家庭という基盤なのです。 そこに真の父母、真の子女、真の夫婦、真の兄弟たちがいます。彼らは絶対的で、唯一・不変・永遠なる父母・子女・夫婦・兄弟たちです。誰も彼らを引き離すことはできません。永遠に一つです。神様も彼らを引き離すことはできません。それは、一、二、三、四、五、六、七の七段階です。それを別々にすることはできません。私たちはそれを堕落したのちにすべて失ってしまったのです。 韓国の家庭制度は、完全に原理的です。血統もそうなっていますし、歴史がそのようになっています。三対象、そして四位基台! 祖父、父母、自分という三代が、一つの家庭に住むのです。おじいさんは天国の大使と同じであり、父母はこの世界の王と同じです。自分自身は、天国とこの世界と未来世界を引き継ぐ王なのです。神様はご自身の孫を愛してみることができませんでしたし、アダムは息子や娘を愛してみることができませんでした。それが堕落なのです。 おじいさんは天国の大使と同じであり、神様の代身者と同じです。神様の代身者なのです。おじいさんは神様の代身者であり、お父さんとお母さんは、この世界の王の代表者です。私は未来の天の国と、この世界の王です。これが統一教会で語る三大王権なのです。それゆえ、今日のアダムの四位基台、アダムの息子と娘の四位基台で、「四・四」なのです。 ですから、祖父、祖母、父、母、息子、娘が家庭で一つになるのです。息子と娘が種になるのです。種のように植えられたものがアダムの息子と娘です。四位基台と四位基台が合わさって全体が完成し、サタンが所有できない世界版図を祝福することによって、これらすべてを求めて、本然の神様の愛を中心として子女と父母の家が、天上天国と地上天国が連結し得る一つの家庭として定着するのです。それが理想的家庭です。神様が創造理想を完成し、地上・天上天国が続くのです。(二九五-二六〇、九八年九月八日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料四・四節宣布の祝祷一九九八年九月八日、コディアック 〈祈祷〉 愛するお父様…、人類の先祖が一瞬にして失った堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造された主人である私たちのお父様が、これほどまでに受難の迫害の道と祭物の路程をものともせずに歩まれた勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全解放時代まで来られるのにどれほど苦労されたかを、私たちは骨身にしみて感じては、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を知り、厳粛に宿命的過程を通っていくことができますようお願い申し上げます。 宿命という言葉は、死んでも行かねばならない立場に立っているということです。堕落の怨恨のすべての淵を、死んでも解決すべきこの宿命的課題をめぐって、これを蕩減するための救援摂理という立場において真の父母を中心として、青少年問題と家庭問題が、世界の終末において誰にも手のつけようのない時代となりました。 アダムとエバが堕落するときに、神様が手を出せなかったように、サタンだけが行動してきた結果の世界において、サタンも今は一家庭ではなく、世界をつかみ、天側にいた人の誰も、これを殺すことができずして、サタンも、神様も手を出すことのできないのが全体の青少年問題と家庭問題でございます。これを真の父母の名を中心として、根本的霊界と肉界と地上と天上世界の因縁を確実に悟らせ、解いてやることによって、これを霊界が知り、地上世界が知り、未来世界が個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界、天宙が行くべき道のすべてを確実に知り、誰が反対し、誰が阻んだとしても、この道を行かねばならないという確固たる信念を持たせてくださった恵みに感謝を申し上げます。 このような原則に立って、サタン世界のすべての氏族、民族、全体の編成を代表しうる、天国の三十六家庭から今までの十二の峠を越える最後の場に至り、今後、地上世界のすべてを清掃し、天上世界を清掃するには、サタン世界の血統を断絶しなければなりません。 そうすることによって、真の父母の前途では、国家的基準と世界的基準において、サタンが地獄の権限を行使したのを除去しうる国家的次元のものを整備し、世界的次元で天国の門解放の世界、真の父母の因縁に通じ、本然的真の子孫と因縁を持ちうる、地上、天上天国が開門される時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝いたします。 お父様…、来年二月七日を中心として、サタン世界の血統断絶のための二億四千万双を祝福いたしますが、そのために韓国では青少年の純潔教育をすでに終え、日本を通し、アメリカを通して全世界に広める計画をしております。 その計画があなたのみ旨の前に、日進月歩の勝利の日と、あなたが解放的全体、全般、全権、全能の行事を行うことのできる時代を連結させるためには、今日の四・四数、アダム家庭の四位基台、アダムの息子、娘の四位基台を中心として歴史的伝統を世界化することができなかったのを、真の父母とともにすべての家庭が世界化四位基台をつくった立場に立ち、サタンを除去し、あの汚された血筋をすべて消して越えることのできる全体解放時代を迎えさせて下さった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年、これは九数を中心としてもサタン数であり、全体の十九数もサタン数でありますが、八数を連結させることによって、この日が九月八日となることで、新たな解放の出発を宣言することのできる四四数のこの基盤を踏んで、地上の四数、天上の四数を中心として解放的天宙に向かって全家庭と国が入城することのできる天国時代を迎えさせて下さった恩賜に感謝いたします。 今日、このような日を記念して、サタンの讒訴条件数においても条件をなくすために、これをあなたの名とともに、真の父母の名とともに全天宙全体の前に宣布いたしますので、この日、あなたの権限をもって全体、全般、全権、全能の能力を中心として行使しうる解放時代を迎えることができますよう祝福して下さいますことを切にお願い申し上げます。 今日この時間、真の父母の名と神様の名に結ばれた喜びの解放の宣言とともに、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますがゆえ、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、四・四解放の日を宣布したことを、地上、天上天国に神様の名と真の御父母様の名により再度宣言して下さいますことをお願いしながら、真の父母のみ名により四・四節を宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
第2回「七・八節」敬礼式後の御言宿命的提案解怨1998年年8月28日(陰暦7月7日)ブラジル・ジャルジン 第二回「七・八節」の敬礼式後に語られたもの。日本語で語られた部分は録音状態が悪く、聞き取り不能なため、韓国語で語られた部分を翻訳。 旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成ということを考えるとき、旧約時代は万物を祭物として所有権を決定するための闘いをしました。供え物を半分に切って祭祀を執り行ったのです。これは神側とサタン側に分けることでした。 エデンの園において、右側は天側であり、左側はサタン側なので、そこで分かれた世の中を統一するためには、分かれたそれ自体においては統一することはできません。分かれるそれ自体を眺める神様が統一的立場を持ったとしても手をつけることができなかったので、終末に分かれた世の中を清算しなくては、手をつけることのできない時が来るのです。それゆえ、二つに分けて、天側、サタン側の所有物を決定しておかれたのです。 そして、宗教という儀式を通して、またシャーマニズムであるとか、ムーダン、占い師などを通して役事をします。一時は、神様とサタンが人を中心として役事してきました。天使長を失ったので、男性の側は天側の天使長を立てるためのみ業をなし、女性はサタン世界の側を代身してきたのです。 ムーダンと呼ばれる人たちは、道義的な面で中心がありません。大概、淫らな女性たちです。自分の家庭を失敗した人たちに悪霊やサタンが接してする業によって、自分の運命的な道について分かるようになるのです。 悪霊がさまざまなことを教えるのです。ですからここには、サタン側と接する人たちを天の側に連結し得る道はありません。 今日の世の中において、占い師たちの言葉を中心としてムーダンによって祭祀を行うことによって、一時はそのすべての環境的与件に喜びを感じることができるかもしれませんが、それによって神様と関係を結ぶことはできないということを皆さんは知らなければなりません。 ムーダンの中に男性もいます。このような人たちの起源も大概良くありません。性関係に対しての紊乱によって二つに分かれます。 道義的な道を行く人たちは、宗教圏と連結されます。宗教圏を中心として、道義的な出発を中心にして、人間は道義的に生きなければなりません。人間は天を中心として正しい道を行くという家庭生活の伝統を正さなければなりません。 「自分の思いどおりに生きて、愛の関係を自分勝手に持つ人たちは悪い」と言い、人間世界でこの愛の道理を立てていくためのものが宗教です。 儒教がそのようなものです。礼式において人類を代表することのできる内容を教えてくれたのが孔子です。 李相軒氏の霊界からのメッセージによれば、孔子様は何をかぶっていますか? 笠をかぶっていますか? 韓国の道袍(韓国の男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服)を着て、テエニム(韓国の男性のズボンの裾を締めるひも)を結んでいます。いつでもそのような人たちが近くに集まっています。 李相軒氏が行って出会った事実について見るとき、孔子は韓国人です。それゆえ、東方の国を相当追慕したのです。そのようなかたを通して、人間の外的な道義的な面のすべてのことを教えてくれました。 孔子の伝統的思想とは何かといえば、「元亨利貞は天道之上」と言いました。天が行くその道は天道之上です。天地が行く道です。「仁義礼智は人性之綱」と言いました。 孔子は、理知的な神は分かりましたが、人格的神が分かりませんでした。これは、天使長型です。道義的な面で世界人類に影響を及ぼしました。アジアが根源なのです。アジアに影響を及ぼしたという事実は驚くべきことです。 今まで私たちが生きている周辺にも、シャーマニズムやムーダン、占術などがありました。宗教はそれ以上の立場にありますが、宗教がそれ以上の立場にあるということが分かりませんでした。 宗教の中でも四大宗教を中心として、心情的宗教を教えてくれたのはキリスト教しかありません。それ以外の宗教は、アダムの前に反対していた男性・天使長型ではなくて、天を中心として順応することのできる天使長の代表宗教型として現れたのです。 神様はアダム・エバをつくられる前に天使長をつくられたように、儒教や仏教のように古い宗教が過去にはたくさんありました。 イスラム教は、イエス様が亡くなってから七百年以内に現れました。これは別動隊なのです。イスラエル民族が祝福を喪失することによって、サタン圏が所有した宗教代表の内容を中心として権限を立ててきました。コーランと剣による力の制裁を通して宗教圏を拡大したことは、神様の心情世界における、ために生きて自然屈伏させる復帰路程と対立するのです。 そのイスラム教が、キリスト教と相入れませんでした。キリスト教文化圏が失敗し、後退する可能性のある立場に立つようになったのも、キリスト教が責任を果たすことができなかったからです。 それでは、中世キリスト教がすべきことは何であったのでしょうか? 絶対的な神様、絶対的な人間、絶対的な万物、このような基準のすべてが展開されたならば、絶対唯一の神様は絶対神を代表し、人間は絶対人を代表した神人一体理想を中心として、この世の中の万物、絶対神、絶対人、絶対万物一体圏を成さなければならなかったのです。 そこにおいて唯一神と絶対に一体となることのできる唯一先祖を絶対中心として、唯一万物、絶対的相対圏と一つになることによって、統一の世界ができるのです。それゆえ、中世キリスト教は、神様は人格的神であり、自分の父であるということを絶対的に知らなければなりませんでした。このことが分からなかったのです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を中心とした一体理想を描いてきたということを中世キリスト教は知りませんでした。根源がはっきりとしていません。出発が誤っているのです。ですから、過程はどんなに徹底していたとしても目的が変わってしまいました。 そして、数多くの教派が一つの道を行かなければならないはずなのに、一つの道を行くことができずに、数多くの道ができました。後には世界の方向を決定しなければならない終末を迎えて、地上のサタン世界を整備しなければならないという観はありません。なぜでしょうか? 出発が間違ったからです。 角度が一度だけ違っても、終わりに行けば数多くの分派が生じます。この地上には、三六〇度を中心とした何倍以上の分裂と方向が生じたということを知らなければなりません。 中世キリスト教が宗教を統合して、一つの宗教理想圏、神様のみ旨の世界に行っていたならば、すべてのものは整備・整理されるはずであったのですが、キリスト教が教条主義的な思想を持って自分の教派、自分が置かれているカトリック絶対主義を中心として、神様の絶対主義、摂理の絶対主義、目的の絶対主義を忘却してしまいました。 ですから、サタン世界で攻撃を受けるのです。攻撃するのはだれかといえば、サタン側を代表した宗教形態をもって現れたイスラム教です。 先生がいちばん心配するのは、共産党を消化し、イスラム教を消化することです。民主世界が戦うときに、イスラム教が共産党と一つになりました。イランやイラクが、そのような圏内に基盤を築いてきたのです。これを消化しなければなりません。 体的な基準を中心として代表したサタン的基準は共産世界であり、体的な共産世界と一つになり得る心的な宗教の形態を備えたのがイスラム教です。それは唯一神を否定するからです。 ハガルを中心としたアブラハムとイシマエルの一族の出発を中心として歴史をひっくり返して、自分たちがアブラハムの直系であるという民族の伝統を主張するのです。そのことによって神様を断ち切ってしまい、神様が人間との関係を結ぶことができないようにするための歴史的過程の闘争歴史を繰り返してきたのです。 今日の人間、歴史家、あるいは人間の伝統を誇る世界的な主導国家も、そのような内容を知らずにいるので、その国家の末路も落ちて悲惨になっていくのです。 今現世になって、世界を指導するアメリカがどこに行くのでしょうか? 行くべき所が分かりません。み旨の道を知りません。 そして、真理を知りません。自分・人間が行くべき道、正義の道を知りません。知情意の人格的神の創造理想の目的点と過程と根源とを結託させることのできる私たち人間自体を見つけることができないので、人類はどこまでもサタンの後孫であり、サタンの血統が連結された後継者であるということを考えなければなりません。 このような分裂した実情が今日の私たちの個体に連結され、この闘いの根源が残っているのが心と体の闘争であったのです。 心と体の闘争が解決されない限り、歴史的闘争過程、神様とサタンの対立歴史を整備することはできないのです。整備することのできることは神様がされるはずですが、哲学や、知識を通してはできません。知識と情は違います。 情を中心とした意志と知識がないことによって、外的な基準に立った体を中心とした基盤にサタンが触れて、人間の情的世界まで血統を占領して人間の家庭的理想を破綻させ、人間の意志である世界統一理想天国を破綻させ得る自分自身の出発起源が、今日、自分自身に残っているという事実を知らずにいるということが分からなければなりません。意志が確定しなければなりません。 意志の「志」という字は、「士」に「心」です。知識に通じることのできる統一された心を備えることのできるのが志の道です。 「知」という字は、矢を中心として入り口の「口」を書きます。み言を口で射なければならないのです。「情」という字は、心の中に「青」です。いつも変わらない不変の愛は、統一的内容を備えています。 この知情意理想が神様を中心として結託できないことによって根源がはっきりとしていないので、歴史も目的もはっきりとしない世の中、混沌、暗黒の世界で、覆いかぶさる暗闇と光が混沌となって、暗闇の権限が光よりも強くなり得るのが夜の世界です。 夜のような混乱した世界で黎明を過ぎて光り輝く朝の陽光が昇るのが、私たちの神様の心情を中心とした知的王宮であり、情的王宮であり、意的王宮です。このような時代を眺めるのが統一家を中心とした神様の理想・天上天国、地上天国であったのです。(「アーメン」)。歴史をこのように見なければなりません。 「私」という存在は、歴史を起源としているので、歴史的過程と自分を引き離すことはできません。「私」において歴史を全部清算しなければならないのが蕩減歴史です。 それゆえ、偽りの父母によって蒔かれたものを、真の父母を立てることによって、その個人と家庭で清算することのできる世界大転換運動として提示したのが今日の統一家における新しい青少年運動です。 アダムとエバが自由奔放な立場で堕落して、神様の天理の大道を破壊したことを正すみ業をしなければなりません。それが人類歴史を通したカイン・アベルの闘争歴史です。そこに、父母という言葉はありません。人類の歴史は、兄弟の因縁を正すための闘争歴史をつづってきたのです。 儒教には、三綱五倫というものがあります。五倫とは、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信です。この五大条件は全部、忠孝烈を指すのです。その人間が行くべきすべての内容を見れば、神様のみ旨の前に外的内容を中心として、サタンを防御することのできる環境的与件を成しておいたのが、天使長的み旨の宣布であったということを知らなければなりません。 ですから霊界を見ても、神様は、孔子を釈迦やマホメットよりも愛され、いつも重要な行事の時には参席させています。外的相対基準に立っているので、イエス様と同位的な立場に立てられたのです。縦横は異なりますが、横的な代表の立場に立ったのが体を代表した儒教思想であったのです。宗教形態ではなく、教育形態になっています。 アダムとエバは青少年のときに堕落しました。神様を否定し、理想的男性も否定し、理想的女性も否定し、理想的子女も否定し、理想的兄弟を否定したという事実を知らなければなりません。 結局は、神様のみ旨を広めていく創造理想圏内でサタンが否定的全権を広めていくことができたのは、血統を中心として結託したためです。不可避な結果です。 ですから、このように否定的基準に分かれた左側、サタン側にいるこの人間は神様と関係がありません。 神様がエデンの園で、アダムとエバの堕落に干渉できなかったのはなぜでしょうか? エバは、いわば神様ご自身が婚約された女性です。婚約した女性と結婚する日を決めておいて、結婚をするために成長するのを願っているのに、十六歳で堕落しました。 十七歳、十八歳さえ越えていけば、結婚することができるのです。十六数は四位基台の理想数です。それゆえ、十六歳で堕落したという話も理にかなった話です。それを通り越すと、十七、十八、十九、二十歳までが四数です。 二十歳までを中心として天の子女、天の兄弟、天の父母、天の夫婦、天の父母形態を立てられず、堕落することによってサタン的子女、サタン的兄弟、サタン的夫婦、サタン的父母になりました。天側の子女としてアダムを創造し、天側の兄弟としてアダムをつくり、天側の夫婦、家庭としてアダムとエバを願われた基台の上で自分の血代を打ち立てようとしたすべてのものが崩れたのです。 これを蕩減するために、十六歳を中心とした基盤の上に四年を通じて二十歳まで……。二十歳を乗り越えさえすれば、そのような基盤を築くことができるのです。 その基盤が崩れたので、これを再編成するために、四年ならば四×四=十六となり、四千年の歴史を子女を中心として蕩減復帰する役事をするのです。いつも四百年、四十年が問題になります。この四数は四位基台から来ています。それは原理が教えてくれるものです。 二十歳さえ越えたならば、二十一歳を迎えるときに神様と人間が一つになることができました。 私たちの先祖が復帰過程を経てくるために個人的整備時代から家庭的整備時代、氏族、民族、国家……と、八段階の整備過程を経てくるときに、カインとアベルを中心として血を流す歴史をつくったのです。このような悲しい歴史としてつづられたことを皆さんは知りませんでした。 アベルが殺されました。アベル側は、死の道を乗り越えなくては行く道がありません。善なる人が踏まれ、宗教人、義人が血を流す役事がなされてきました。血を流す中で復活し、死んだとしても「死ななかった」ということのできる実力を持ち、そこから永遠な生、絶対的信仰、絶対的愛、絶対的服従が成されなければならないのです。 神様が創造されるとき、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の上に理想的な絶対愛の統一世界を願われました。神様ご自身がそうであられたので、私たちもその神様ご自身の相対圏を捜し求めていくためには、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」をしなければならないのです。それは不可避です。 自分が死の場に行ったとしても、「この生命が断たれるのは、歴史時代に、すべての祭物を半分に割いたのと同じである」と思わなければなりません。半分に割く祭物の代表的な立場に立っているので、割かれても復活しなければならないのです。 イエス様が死後、復活することによって、キリスト教の霊界統一圏が始まったように、死んだ立場に行ったとしても……。死なんとする者は何といいましたか? (「生きる」)。死んだとしても自分は復活するのです。そのような決心をすることによって、第二次的な復活の実体を所有するのは神様なので、神側は今まで血を流しながらも耐えてこられました。 神様の怨讐がだれなのかといえば自分の父母なのですが、これが自分の怨讐であり、あなたの怨讐です。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。投入し、投入して忘れてしまい、個人的な死亡圏、家庭的な死亡圏、氏族、民族、国家、世界的な死亡圏があったとしても、乗り越えることのできる「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の基準に立たなければなりません。 それによって、神様が絶対信仰の上に絶対愛を捜し求められるために、絶対投入をされながら、投入して忘れてしまう歴史を経てこられたお父様の息子の姿に似ることができるのです。 キリスト教はイエス様から家庭、氏族、民族、国家的な犠牲の祭物の道を行くのです。共産党、スターリンを中心として一億七千万人を虐殺しました。ヒトラーは、イスラエル選民六百万を虐殺しました。六数です。それらのすべてのことを許されたのです。神様が「だめだ」と言われることのできる条件があったならばできなかったのですが、そのような条件を提示することはできませんでした。 なぜでしょうか? エデンにおいて「だめだ」と言えないことを、世の中に対して「このようにしなさい」と干渉することはできません。ですから、サタン側の堕落した怨讐の前に、天側の天使長である宗教を立てて整備するのです。このことをはっきりと知らなければなりません。 自分の出発において、祭物の前で天とともに右側に第一歩を踏み出すのが、人生の犠牲の道であり、希望の出発の道であるということをはっきりと知らなければなりません。 それゆえ、絶対的な信仰を持たなければなりません。絶対的な神様であられるので、絶対的な信仰の主人であられ、絶対的な愛の主人であられ、絶対的な服従の王であられます。 神様の息子・娘になり、神様の愛と一致し、一体となるためには、嫌でも、個人否定、家庭否定、氏族否定、民族否定、国家否定を標語として越えなければならない峠があるのです。ですから、サタン世界において宗教は、「あなたの家を捨てて、出家しなさい」という命令を下したのです。 それは、サタン世界を否定することです。サタン世界の国、サタン世界の民族、サタン世界の氏族を否定することであり、サタン世界の家庭において、おじいさん、お父さん、お母さんを否定し、夫を否定し、妻を否定し、子女を否定することです。歴史は、そのようなサタン世界を否定することのできる時代を捜し求めてきたのです。 世界の先進国、優れているという知識人は天上世界のすべてのものを全部推し量ることができ、知識という万物の公式現象を中心として私たち人間の理想と一つになることによって、想像することのできない文化世界を創造しましたが、その世界が自分と関係がないので否定されなければならないのです。否定を受けた後でアベルの肯定が始まるということを知らなければなりません。 否定できない人は、天の前に公的な内的条件を立てることができません。夫婦もサタン側であり、子女もサタン側であり、万物もサタン側に属するので、これらを否定できない人は天の国に帰っていくことはできないのです。 祭物的歴史過程において、左側に回っていったサタン側になることはできるとしても、天側に帰っていくことのできる道は永遠にないのです。祭物過程には日本という国はありません。日本の何々であるという自分の姓はありません。一族も、自分の名前もないのです。 ただ、神側なのか、サタン側なのかということだけが問題になります。万物も天の側になることができずにいます。これを分立して、サタンを否定するのです。 本来の主人は神様なので、サタンは、「あなたは右側を行ってください。私は愛を中心として体を占領しました。体を占領した愛の種を蒔いたので、秋になるときまではあなたはこれに干渉できません。これを根元から引き抜いて、切って燃やしてしまい、穀物を収穫しなければなりません」と言うのです。終末までにそのような歴史過程を経てくるので、闘争歴史があるのです。その代表的な戦争が唯心論と無神論です。 サタンは今まで、「神様はいない」ということを中心として自分が主人のようにふるまってきました。世界を見れば、サタン的頭が出世しました。その次には肩時代です。肉体を中心として力で世界を占領しました。「神様はいない。だから力のある人間が神様の代身である」と言ったのです。 その次に、腹(度胸)によって世界を制覇しました。政治家が腹でくだらない者になって、王になろうとしたのです。そのような人が、皆出世しました。 頭、肩、腹の次は手足です。労働者、農民のことです。労働者と農民の出世、労働者と農民の全権時代を中心として、頭だとか王などの天が捜し求めてきたものを否定します。無神論なのです。 今まで優待されていたサタンは、自分勝手に神様を代身していたのですが、もはや足まで追い出されたので行く所がありません。自分の足までしか占領することができないのですから、共産党が世界制覇するようになってはいません。 真の父母と一つになったならば、共産党はこの地上に現れることもできず、わたしの手できれいに整備されるのです。神様の摂理観を知っているのできれいに整備できるのです。 皆さんが今聞いている話は、先生が八十年の生涯を通して学んだものではありません。すでに二十代の青年のとき、二十七歳以前にすべてのことを完了しました。イエス様は二十七歳のときからマリヤと談判した三大勧告の闘争過程で、天の国を分家して出家することのできる準備を完全にしたのだそうです。 そのような内容を、皆さんはすべて分からないでしょう。霊界の秘密、神様の秘密、サタンの秘密、人間の秘密を見るとき、歴史がどのようになったかという事実がすべて分かるのです。シャーマニズムから文化世界の高次的な宗教までが編成されるためには、三時代を中心とした祭物過程を経てきたのです。それが物質的祭物時代です。 堕落することによって物質よりも低い立場に落ちたので、物質をつかんでぶら下がっていれば、神様はその物質を餌としてしっかりとつかまえてくださるようになっています。そのようにして神様と絶対に一つになっていれば、歴史の発展とともに引っ張り上げられて、個人的勝利時代、家庭的勝利時代へと上がっていくのです。そのようになれば、歴史過程を中心として永遠に不変なのです。 永遠、不変、唯一、絶対! 神様の属性に該当する信仰基準を中心として、千万世代の恨みを解かれていく神様の恨を知ったので、そのかたを呼び入れるのです。そのかたは私たちの父親です。父親の歴史の怨讐を整理するために、血を流すような悪なる場に行かなければなりません。その場に神様が立たれることはできないのです。 血を流す立場に立てば自然屈伏させることができます。そのようなみ業をしたので、数多くの歴史で……。人類歴史は数千万年です、数千万年。六千年ではありません。動物のようなものも二億五千万年の歴史があると考えられています。シャーク(サメ)のようなものは二億五千万年前に人間のためにつくられました。そのようなものを愛することのできる主体として人間をつくられたのです。 その愛することのできる象やワニやシャークのようなものを二億五千年前につくられたならば、何千万年待ってからそれらをつくったのでしょうか? シャークのようなものは一般の魚とは違います。これは子を産むのです。鯨のようなものもみなそうですね? パンタナルに行けば海があります。魚が三千六百種類くらいいるのですが、小さな魚を餌食にする大きい魚は、口を広げて入ってくるものは鯨の赤ちゃんでもすべて食べてしまいます。循環運動と同じことです。「鯨は私のお父さん・お母さんを餌食にするが、私は鯨の赤ちゃんをみな餌食にする」というのです。循環運動するのです。 パンタナールに行けば、そのようなものをたくさん見るでしょう。パクがワニの赤ちゃんを餌食にします。餌食にするときに、「おい、おまえのおなかに糞がたまっているだろう」といいますか? 虫を捕って食べるとき、虫の羽に糞のような汚いものがいろいろとくっついているのですが、それをすべて洗って食べますか、それとも丸ごとのみ込みますか? 丸ごとのみ込まない人は、天下統一できません。(笑い)丸ごと食べることができなければなりません。良いものも食べ、悪いものも食べなければならないのです。堕落した人間たちは悪いものは取って投げ捨てて、良いものだけを食べようとしますね? 愛はそのようではありません。愛は地獄まで消化しなければならないのです。 皆さんの生殖器から何が出てきますか? 生命が出てきます。そのほかに何が出てきますか? 小便が出てきます。糞の従兄弟です。 教主がこのような話をするので統一教会は淫乱な教会だといううわさが立ちますが、仕方がありません。真理がここにあるのです。ここに対する知識が矢を通して口で射るのです。それが「知」という字です。口とは真理であり、言葉です。 男性も、女性も口づけをしますね? 何のためにですか? 愛の矢を射るためです。それが知識です。 何を知るのでしょうか? 男性と女性の愛の根本を知るのです。それが万世の真理の中の真理です。そこに愛と生命と歴史的伝統があり、良心の平和基盤があるのです。 そこに男性・女性が矢で射て、愛に定着して目的の理想世界に向かっていくのです。愛と生命と血統と理想世界が結ばれ、平和の世界が連結されます。それがなければ平和世界もすべてなくなります。自分もなくなるのです。女性も、男性も、家も、国も、何もありません。 その生殖器を通して私たちの家庭が生まれるのです。このことが分かりませんでした。簡単なことです。これは永遠の真理です。 知情意というものを考えるとき、愛を成さずに知がどうして分かりますか? 矢を口でどのように射ますか? 口というものは真理を語るものです。真理を感じることができるのです。 情をどのように関係を結びますか? 情のない意志に何の意味がありますか? 男性は、女性がいなければ何の意味がありますか? 女性も、男性がいなければ何の意味がありますか? 愛がなければ意志も何もありません。愛のために意志も生まれるのであり、愛を立てるために知が必要なのです。 その知識と意志が完全ではないものなので、世の中の愛は不完全なものとして流れていって当然です。流れていくごみ箱の主人がサタンなので、地獄に行くしかないということを理論的にしっかりと結論づけることができるのです。 皆さんの特権は、「真の父母」という名前です。私(自分)の骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、血の中の血であり、心の中の心であり、私たちのすべての基本中の基本です。それが愛と一体化しなければならないのです。このような話をしようとすれば、原理講義をすべてして、数千年の歴史を解かなければならないのです。 問題は何でしょうか? 神様が問題ではなく、サタンが問題であり、自分が問題です。怨讐の中の怨讐が「私」です。 きょうのような日を中心として、天地の大道の出発がこのようになって、宗教圏から理想世界へと向かう道においては祭物にならなければなりません。祭物とは何でしょうか? 所有権を決定するための条件です。 さて、文総裁は何でしょうか? サタン世界のすべてのムーダン、占い師に天の側から対抗できる代表者です。彼らを教育できる代表者であり、その次に神様の愛の世界を中心として神様が願われた内容を代表して教えてあげることのできる人なのです。 そのような人が祭物を否定して、祭物が必要ないという代表者として登場しているのです。祭物をささげずに、生きた祭物としてすべてをささげることのできる人を教育するのが統一教会です。左側のサタンがいなくなるのです。 先生がだれなのかといえば、先生も占い師です。さっと見れば分かります。天使長のことも分かります。先生は独りで暮らしていた時代を経て、お母様に出会うことによって地上に定着して、家庭的基準、氏族的基準へと上がっていき、世界基準に上がってきたのです。サタンが世界に数多くの国家をつくっておいて、国家を使って、どれほど文総裁を殺そうとしたのか分かりません。蘇生、長成、完成的国家権限を中心として……。 百六十国家以上です。百二十家庭の祝福(一九六三年)をするときに、国連に加入していたのが百二十国家でした。それらの数がすべて合わなければなりません。千八百家庭を中心として世界宣教を出発するときに、国連の加入国は百八十国家でした。今は百九十近くの国が加入していますね? 日本女性を中心として世界国家の母、代表として先頭に立てたのが一か国百二十人の女性たちです。南米には四千二百人を派遣しました。先生まで含めて、摂理的にみれば四千三百人と同じことです。四、三数です。先生の家庭を代表に立てるのです。そのような歴史において蕩減があってはなりません。 ですから、百八十五か国に派遣しなければなりません。二万二千二百は六数です。蘇生、長成です。数理的にぴったりと合います。神様は本当に科学者です。ですから、二万二千二百人を百八十五か国に、宣教師を百二十人ずつ派遣しなければなりませんか、しなくてもいいですか? 母国家の責任を果たすためには、女性たちが夫の願いを受けて子供たちを善なる方向に導いていかなければならないのです。世界で赤ちゃんたちを生んで、その国を神様を中心とした国にするのです。 その国を生むときまで、血を流して骨を削って地に埋もれたとしても、その国を神様を中心とした国にしなければならないのです。それは母の国の責任です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.29
コメント(0)
文顯進氏、「世界平和統一家庭連合・副会長就任式」の関連記事は以下リンクです。◆「Re:ヨンギ氏の「(コピー)文顕進様世界副会長就任式映像」で省略されたものは?」(副会長就任式映像:https://vimeo.com/180416334)「世界平和統一家庭連合」世界副会長就任式1998年7月19日、米国・ニユーヨーク市 マンハツタンセンターで) きょう、このような集まりを持ったことは、統一教会のれきしにおいて、あるいは、先生の人生においてはじめての記念日となると思います。のみならず、神様の願いがあるとしたならば、このような日のあることをどれくらい待ちわびておられただろうかということを考えるとき、私は心からの深い感謝を天の前にささげるものです。 成約時代の宣布 アダム家庭においては、神様が一代ならばアダムは二代であり、アダムの息子、娘は三代目になりますが、その三代を見ることができなかったということが堕落です。そうして、三代の歴史を再び起こすためのものが救援摂理であり、復帰摂理の完成である、ということを考えるとき、この三代を中心として天の公的な責任を任命するということは、天国史的な一大事であると考えます。 三代までは救援摂理の蕩減が終わっていないので、いずれにせよ、顕進君も「世界平和統一家庭連合」の世界副会長という責任を負って、いまだに行くべき蕩減の道が残されているのです。ですから、私たちの願いは、この蕩減の三代を過ぎて第四次アダム圏解放の時代である地上・天上天国の到来を結論づけることです。私たちはそれに向かって前進しているということを、皆さんはよく知っていることと思います。 この時代において私たちは、「成約時代が到来した」ということを宣布しました。「旧約」とは何かといえば、人間が神様との約束を成し遂げることができなくて失敗したので、その昔の約束を取り戻すための始まりを意味するのが旧約ということです。 また「成約」とは、その約束を成し遂げようとするだめにメシヤが来られて、それを成就するということです。その基本の単位は家庭を指します。そのような家庭単位が成し遂げられなかったので、「再臨」という言葉を中心として、世界的舞台に立って世界平和というスローガンを掲げて、世界地上天国を受け継ぐことのできる世界統一圏に向かっていくのです。そのように、家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき「再臨時代」があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは「成約時代」と呼ぶのです。 「成約」ということは、"約束を成就する"ということです。それはどのようなことかといえば、私たちが何か国を建てて独立の国を祝賀するというのではなく、また天上天国を建てて、天国創建を祝賀するというのでもありません。 それは、神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日が起源となっています。神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日が起源なのです。神様ご自身が、その日を迎えることを待っておられたのであり、それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 私たちは成約時代を宣布しながら、ジャルディン宣言を成しました。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を経なくては、家庭の完成を成し遂げることはできないということを宣言したのです。神様が理想として願われることは、「絶対信仰」の上に家庭、「絶対愛」の上に家庭、「絶対服従」する理想の上で成立する完成家庭を願われたのです。 そのような日を願っておられた神様は、アダムとエバの堕落によってどれほど悲しまれたでしょうか? アダムとエバは万代、億万代のひとり子であったということを皆さんは知らなければなりません。七代のひとり子ではありません。千代、万代のひとり子でもありません。永遠のひとり子、ひとり娘でした。そのひとり子、ひとり娘を失って、生きている者を死の場に追い出さなければならない神様の悲痛な心情がどれほど大きいものであったのかということを、皆さんは考えなければなりません。死んでもいない・生きている者を死の場に追い出すというその悲しみ。 そのために、神様の立場は苦痛の王の立場であり、悲しみの王の立場であられたのです。人間が想像すらできなかった、そのような立場におられたということを、私たちは知らなければなりません。 統一教会が現れることによって、このような神様の心を越えて完成の成約時代を成し遂げることができるのです。そのためには、このようなすべての悲しみの道全体に責任を負って解放してさしあげなければなりません。 神様が願われる、家庭における真正な孝子、孝女、また神様の国はありませんでしたが、ひとたび神様の国が現れるときには真正な忠臣、神様の世界が現れるときには真正な聖人、地上天上天国では真正な聖子の道理を立てることのできる、そのような伝統の責任を負ってこられるおかたが、正にメシヤ、真の父母です。そうして、そのようにして完成した成約時代を成し遂げていくことが、真の父母の使命であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対信仰」 皆さん、聖書にも「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」、「地で解けば天でも解かれ、地で結べば天でも結ばれる」というようなことが記されていますが、なぜそうなのでしょうか? 神様の悲しみのその峠を、自分が同時に越えていって、神様が悲しい立場にあられながら何億千万代のひとり子を追求するその心自体までも解いてさしあげるべき責任が、私たち人間にはあるからです。ですから、一度死ぬだけではなく、数十回、数百日死んだとしても、その峠を越えることは難しいという事実について私たちは考えてみるべきです。 そのような心を感じておられる神様を解放しようとするのですから、私たちが神様を信じるというときには、絶対、絶対、絶対、正に永遠に絶対な立場において信じなければならないという概念が出てきます。 愛についても同じことです。神様を愛するときには、神様は息子、娘を追い出されたのですから、その心情以上に愛さなければなりません。ですから、絶対、絶対、永遠な立場で絶対に愛さなくては、神様のその心を感動させることはできないのです。 真なる信仰が成立するときには、真なる愛がついてきます。真の愛が植えられて芽を出すようになれば、これを育てなければなりません。大きくするためには、絶対的に投入しなければなりません。それは、自分の意識まで忘れて投入しなければなりません。そこで、「絶対服従」という言葉が必要になってくるのです。 ところで、「信仰」というものは概念であって、事実ではありません。ですから、(新約聖書の)『ヘブル人への手紙』十一章を見れば、「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」とあります。望んでいる「願い」は実体なのですが、それは見ることもできず、触ることもできません。 神様が正にそうです。天は、私たち人間を絶f的に信じ、「絶対信仰」によって訪ね求めてこられました。ですから、私たちも絶対的に神様のことを信じなければ、実体的愛という根源を連結させることはできません。 上下関係、左右関係、前後関係において、そのような内容があるということを皆さんは知らなければなりません。愛を中心として上には信仰、下には服従。愛を中心として右側が「絶対信仰」であるならば、左側は「絶対服従」であり、前を信仰というならば、後ろは服従です。一つの体(たい)を成しています。 このような苦痛に真剣に取り組まれる、その神様に対して、信じることができないなどという心は、夢にも持つことはできません。 その場には、自分の意識であるとか自分の概念はありません。ですから、それ自体を絶対視し、それ自体をすべて概念とし、それ自体を実際としなければなりません。「絶対信仰」の前に、その神様が信じられることと同じように、自分も相対的立場で、神様が願われる実体の心を持たなければならないという話です。信仰も、神様と同じ信仰を持たなければならないということです。 このように見るとき、皆さん自身を中心として、自分という存在それ自体に立ち戻って考えてみたときに、自分においてどこから信仰を求めるのか、ということが問題です。 皆さんは、神様の前から追い出された人類始祖の後孫です。そのような自分自身の持っている五官、例えば自分の目自体は、「絶対信仰」を持っていますか? 持っていません。ですから、目を信じることはできません。自分の鼻を信じることもできません。そのように、においをかぐこと、自分が聞く音、自分の言葉、自分が感じる触感、それらを信じることはできないということです。 それでは、自分の体はどうですか? 自分の心はどうですか? 自分の心は行ったり来たりします。 ですから「絶対信仰」というものは、人間の堕落した後孫からは捜し求めることはできそうにないので、神様を発見するところからのみ可能なのです。「絶対信仰」をもって、「絶対愛」と「絶対服従」の実体としてつくっておいたものを失われた神様が、信仰、愛、服従というものを捜し求めるときに、それ自体は堕落した人間にはないので、どれほどの苦労、どれほどの努力をされなければならないでしょうか? これは堕落した人間にとって、天を訪ね求めていく一つの宿命的な課題となっているのですが、そのことを人間たちは考えることもできませんでしたし、知ることもできませんでした。 天は、私たちを喜びの立場で対することができないように追い出されたので、私たちが天に従って行き、対そうとすれば、反対にまた、それを再び追い出さなければなりません。神様が、いつも人間を追い出す立場であられても、私たちはそれを越え、また越え、乗り越えていかなければなりません。たとえ神様が、私たちを個人的に追い出し、家庭的に追い出し、世界、天、地、全世界の何かを条件として追い出したとしても、それに耐えて越えていくことができて初めて、私たちは神様に対する信仰を持つことができるのだと、考えることができます。 今日、この地上に生きる人類が、信仰の道を歩んだり、宗教の道をたどったり、あるいは、神様を発見するために道を切り開くというときに、天を絶対に信じる立場で切り開いた人は一人もいないのです。全部疑って、自分勝手にあれこれとやりながら、「信じる」とだけ言って信仰の基盤を築いてきたというのが、人類歴史に残された宗教の形態なのです。 人間は堕落することによって、万物よりも低い立場に落ちてしまいました。そのことによって天は、信仰の道を行こうとする人に対しても、取るに足らない虫けらに対する扱いにも及ばない扱いをされたのです。しかし、そのような扱いを受けたとしても、そのような環境を越えて、この字宙の創造主であられ、主人たる神様を信じようという心を、自分の生涯路程、あるいは信仰路程で求めてみなければなりません。 そのような環境でも信じようという心を持って、神様が創造主であられ、私たちすべての存在全体の生命の源泉であられると、絶対的に信じていくことができる立場を発見しなくては、人間は動物よりも下に落ち、万物よりも低い位置に落ちた立場からは、上がっていく道がないのです。 そのようにして、万物世界で理想の価値を捜し求め、人間世界の段階になってからは、個人的な価値、家庭的な価値、氏族、民族、国家的価値までも、「絶対信仰」によって捜し求めていくのです。そうして、いちばん底から上がっていきながら、神様に会っても決して疑わず、自分に対して千万回、「おまえは堕落して、もっともである」と言われてもそれを信じてしまうことなく、むしろそれを悔い改めることのできる立場にまで行かなくては、神様の愛、神様の信仰圏内に入ることはできない、という概念を立てることができます。 しかし、この地上に生きる人の中で、そのような概念を持って信仰の道であるとか、何かの社会に奉仕する仕事であるとか、そのような道を行った人はいません。 「絶対信仰」の上で創造したものを失われた神様が、このような「絶対信仰」に接することのできる基準を中心として、私たちは万物のいちばん後から人類の世界に越えていって、神様と人間との間にふさがれていた、「絶対信仰」を失ったその基準をすべて解怨成就しなければなりません。そのためには、苦痛の神様、受難の神様を解放してさしあげなくては関係を打ち立てることができないのです。ところが、そのようなことについて考えた人はいません。 ですから、苦痛に満ちた神様の心を慰労してさしあげ、悲しみの神様を慰労してさしあげるためには、神様が流された涙の何千万倍もの涙をさらに流さなければならないということを知らなければなりません。 それは、言葉では簡単です。「私はやる」と、皆言うことができます。本当に神様を解放しようというのですか? 統一教会は神様を解放しようとしているのですか? それは事実ですか? (「はい」) それならば、「絶対信仰」という基準について考えてみなければなりません。今までの私たち、サタン世界の堕落した概念を持った立場で「絶対信仰」という基準と、純粋な堕落していない本然の神様の心情にかなった、恨の峠を越えてくれることを願う「絶対信仰」の基準とでは、どれくらいの差異があるのでしょうか? それは、堕落した基準では標準化され得る立場に立つことはできません。 このように見るとき、神様ご自身を見れば、堕落した世界に対して、今まで悲しみの歴史の中で苦痛に呻吟(しんぎん)してこられながらも、その間、心の中で消えないことがあるのです。それは、このような心の慰めに相対し得る孝子、孝女を失う前の本然の世界のことであり、また、そのような本然の神様の愛を中心としてつくったアダムとエバ、完成的孝子、孝女に、いつまた再び会うことができるのか、ということでした。 しかし、それは簡単でたやすいことでしょうか? 言葉は簡単ですが、それがどれくらい難しいことであったかということを、皆さんは考えてみなければなりません。 メシヤの使命 神様はメシマを送られたのですが、メシヤとは何でしょうか? 真の父母とは何でしょうか? それは、完成したアダムの立場です。神様が、追い出したアダムとエバに会われて、神様の中に残された苦痛と悲しみをなくすことができるように、その本然の立場までこれを乗り越えていって神様のみHOに孝行することができなければなりません。その代表者として送られたのがメシヤであり、その代表者の相対が、失われたエバの立場、女性であったのです。 メシヤになることができるのは、「愛の息子」なのですが、本然的「愛の息子」になるためには、その愛の息子が涙を流したのならば、その父母も涙を流すようでなければならず、その兄弟や同居者、あるいは天使世界に天使がともにいれば、その天使までも涙を流すことができなければならないのです。 天使が涙を流し、息子が涙を流し、神様も涙を流されるのですが、だれが涙を流すのをやめて、「もう、泣くのをやめなさい」「泣くのをやめましょう」と言うのでしょうか? 神様は「さあさあ、涙を流すのをやめよう」と言われることはできません。あまりにも受難の道を歩んでこられたからです。 ですから、メシヤとなり得るおかたが神様と出会って、涙のにじむ出会いをするようになれば、十回会ったならば十回、涙を続けて流さなければならず、千回会ったならば千回、涙を続けて流さなければならない立場であったということを、皆さんは知らなければなりません。 神様は、人間のために微生物から動物、草木、昆虫に至るまでつくられたのですが、そのとき、私たちを愛されるために、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の美しい相対的価値を、喜びを感じるためにつくられたのです。ですから、人間の堕落によって、これらの小さなものから大きなものまですべてが引っかかっているのです。 鉱物世界から植物世界、動物世界まで、すべてを主体である人間が犠牲にし、これらをすべて殺してしまったので、これらのものを生き返らせるためには、人間が創造主の苦痛を感じて、再びこれに橋を架けなければならないのです。解放してあげなければなりません。 神様が嘆息圏内におられて、人類が嘆息圏内におり、万物が嘆息圏内にいるということを、皆さんは知るべきです。聖書にも、万物が嘆息しているということが記されています。それはだれのせいでしょうか? アダムとエバのせいです。アダム以後に、エバが完成した後に来られたメシヤは、このすべての雲と霧を取り払わなければなりません。 それでは、メシヤはどれくらい涙を流したのでしょうか? 朝になれば朝日を見て、その現れた万物の状態が、例えば曇り空であったり、春夏秋冬の四季のようすが異なる、そのすべての環境における涙なくしては、天に対することができなかったのです。その涙の代表者、苦痛の代表者がメシヤになるのです。 苦痛の王、悲しみの王であられる神様がごらんになるときに、"あなたもわたしと同じ悲しい立場にあるのは、あなたのためではなく、これはすべて被道世界全体、万物のため、人間のため、わたしのためにそうなのだ"という同情で因縁を起こさなくては帰る道がないということを、皆さんは知らなければなりません。 それは、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という言葉は、涙の峠、悲しみを越えたその後に必要なものであるということです。ところが皆さんが、それを感じることも考えることもできなければ、「絶対信仰」、「絶f愛」、「絶対服従」という言葉は、神様と関係を結ぶことのできる何らの内容もないということになってしまいます。そのような「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」というその概念の実とは、私たち人間においては何なのでしょうか? それは、アダムとエバそれ自体であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対男性」と「絶対女性」 皆さんは堕落しなかったならば、絶対男性としてのアダムであり、神様の「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」、「絶対服従」の対象であったはずです。同様に、アダムがそのような立場にいれば、エバも「絶対信仰」に関してはアダムの「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」と「絶対服従」の対象となります。エバを中心としてアダムもそのような立場で・絶対圏内に立っているものすべてに、神様とアダムとエバの一体的愛が定着すべきであったのです。それが、アダム家庭の理想であったということを考えなければなりません。 神様はアダムをつくられてから、「人がひとりでいるのは良くない」と言われてエバをつくられました。それは、「はなはだ良かった」とされています。「良い」ということは、「絶対的に信じることができ、絶対的に愛することができ、絶対的に投人してもよく、犠牲になってもよい」という言葉です。 これは極端な結論の話になりますが、変に考えないでください。アダムとエバは何が異なるのでしょうか? 人は皆、同じです。アダムにおける相対はエバという女性ですが、女性とは何でしょうか? 男性と女性が異なるのは何ですか? 生殖器が違うのです。ですから、神様は女性の生殖器をつくられてから、「良し」とされたということを知らなければなりません。 それはどのようなことかといえば、絶対男性にとっての絶対女性というのは、絶対女性器官、「絶対愛」器官のことを指すのであり、「絶対服従」器官を指していた、ということです。それは、信仰の結晶体であり、愛の結晶体であり、服従の結晶体であったのです。 皆さんのあらゆる五官が集中して、一つの方向へと直行しようとするのは、真の愛の道です。皆さんが夫婦生活をすることも、その器官を中心として、「永遠に直行である。放った矢のように、砲弾のように直行する」というようになっています。「私」という存在は、このことのために生まれたというのです。アダムもエバのそれのために、エバも男性のそれのために生まれたのであり、ほかにはありません。 それは、その国の王よりも素晴らしく、自分のおじいさんよりも素晴らしく、お父さんよりも素晴らしく、自分の息子、娘よりも素晴らしいものであるというのです。それを中心として動員されているのが五官です。 そのような絶対的な信仰の上に、また絶対的な愛と絶対的な服従、そしてお互いに一体化し、一つになったその場において、すべての男性、女性の五官が、お互いがお互いのために生きるという立場に立たなくてはなりません。そうでなければ、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という地上の基盤は見いだすことができません。 自分の体のなかでいちばん貴いものは、自分のためのものではありません。相手のために生まれたということを考えなければなりません。自分のためにあるという存在は、なくならなければなりません。滅びるべきです。 その愛の器官を中心として初愛が芽吹き、愛の家庭の生活が始まるのです。そして、生涯において光り輝く勝利的実績も、その愛と関係なくしては、いかなるものも神様と関係なく、歴史とも関係ないということを、皆さんは知らなければなりません。 皆さんは、三六O度を上下を中心として回したとしても、すっと立たなければなりません。倒してもさっと起き上がる”起き上がり小法師"があるではないですか? そのように、東西南北をすっと合わせる立場に立たなければなりません。 南極と北極を結ぶ磁力線や、磁石に物が引き寄せられてくっつくときにも、同じ方向にそろうように、どんなにぐるぐると磁石が回ったとしても、くっついた物体がさっと磁力線に従ってくるようになるのです。何をどうしようが、その方向は間違うことはあり得ません。 愛する人に会うときに、皆さんは会えば、キスしてから何を触らせますか? (「アーメン」)。何ですか、それがアーメンですか? (笑い)それは、永遠につかんで永遠にタッチして初めて幸福であるというのです。これに異常があれば問題です。おじいさん、おばあさんに異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、お父さん、お母さん夫婦に異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、息子や娘、嫁に異常があれば孫がめちゃくちゃになり、破壊が起こり動揺が起こります。そうですか? (「はい」) きょう、このような日に、このような深刻な話をするのは、今後、理想的家庭を築いていくということが、それほど簡単なことではないからです。 神様は、どのように考えておられるのでしょうか? それは、アダムとエバに対しては、"おまえたちが絶対に信じるということも、いつのことから信じようというのか?"というのです。それは、結婚するときのことから信じるのではありません。 神様はアダムとエバに、神様が創造されたときのその心から信じてくれることを願われるのです。アダムとエバには、神様がアダムとエバをつくられてからのことを信じるよりも、神様がアダムとエバをつくるために考えを巡らされたそのことについても、その理由を知ってくれて、信じてくれることを願われるのです。そのようにできますか? 結婚するときというのは、もうすでにすっかり大きくなっているということでしょう? 結婚してからは、それらのことを見ることはできません。ですから、お父さん、お母さんの役事を通して生まれるときから、全部を絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に服従する心で対することのできる因縁を結ばなければならないということです。 自分が理想的夫、理想的妻になるということは、胎中に身ごもって、おなかが大きいときに、お母さんはお父さんを愛しているのですが、転ぶときに一緒に転ぶことのできる、そのような心を皆、持たなければならないのです。(笑い) アダムとエバが結婚するときは、自分が胎中で育っていたそのことも見たがらなければならないのです。ですから、神様がアダムとエバを生むときには、「おい、アダム、エバ。あなたたちの体がそのようにできているのは、それはお互いのためである。アダムのそれはエバのものであり、エバのものはアダムのものである」と言われるのです。 そのようなことをすべてご存じの神様が、大きくなったアダムとエバをごらんになるときに、どれほど喜ばれることでしょうか? その喜びが現れるとき、神様は喜ばれるのです。動機に喜びを連結させて、現実に動機が連結されるということです。 このように見るならば、皆さんは結婚する前、生まれてから少女として育つときに、"私が今、このように成長しているのは、自分のたった一人しかいない夫のために成長しているのだ"という概念を持ちましたか? 娘ならば娘、エバ自体の体のすべてが成長するのは、たった一人しかいないアダムのためなのです。他の道はありません。永遠に一つです。 第四次アダム圏蕩減解放時代へ このょうに見るとき、「理想的家庭」という言葉・「世界平和統一家庭連合」における「家庭」というものは、そのように簡単なものではないということを、皆さんは知らなければなりません。今日のアメリカにおけるような家庭が家庭ですか? 「ノー」、絶対に「ノー」です。溶鉱炉にほうり込んで溶かして、再びこれをつくり直さなければなりません。 ただそのまま家庭を願いますか? 溶鉱炉に入れて再度つくった理想fな家庭を願いますか? (拍手)フリーセックスを考えてみてください。フリーセックスは、カラスやハゲ鷲や野良犬のえさになるようなものです。何の話か、分かりましたか? (「はい」)。どれくらい変わらなければならないのかということを知らなければなりません。 このような原則があるので、皆さんは霊界に行けば、天の国に入っていったとしても、このような過程を全部経て、きれいに清算しなくては入っていくことはできません。アダムとエバは、結婚してから離婚しようなどと考えたでしょうか? 女性がほかにいますか? そこにはステップ・マザー(継母)が存在し得ますか? このアメリカは何ですか? ステップ・マザー、ステップ・ファーザーが五人、六人は普通なのです。そのようなものは、滅びなければなりません。滅びるべきです。滅びなければ、滅びるようにしなければなりません。(「アーメン」) アーメンと言ったのは黒人ですか、白人ですか? (笑い)黒人ですね。(笑い)黒人がアーメンと言ってはなりません。白人がアーメンと言わなければなりません。(笑い)それが事実です。 レバレンド・ムーンは、何か皆さんの耳を楽しませ、心を喜ぼせようとしてこのようにのでのではありません。事実を教えるために話しているのです。注射をする医者ならば、本当にそこに適した、対抗する薬を打たなければなりません。そうでないものは薬ではありません。ですから、深刻なのです。 一度愛した者は、永遠に忘れてはなりません。その人に出会って、悲しい一言でも残して逝げば、霊界に行って引っかかるのです。分かりましたか? 「世界平和統一家庭連台」の世界副会長を任命するのですが、その副会長という立場は、容易な立場ではありません。祭物です。生きた祭物の立場です。 しかし、ありがたいことは、お父様がいて、今、世界を浄化して、成約時代を発表する時が来たということです。もはや、統一教会において家庭的迫害がない時代が来たのです。 イエス様は、三十歳で初めて家庭を築こうと出発されたのですが、それにもかかわらず、その目的を成し遂げることができませんでした。感謝すべきことは、今、世界全体の家庭が祝福を受けて、国を超えて世界に進むことができる祝福の環境を開拓した後に、三十歳にならない顕進をこのように家庭連合の副会長として立てることができたということです。そのことを、私としてはうれしく思います。これは喜ばしいことです。(拍手) 堕落した後孫たちの中において、堕落した人間を中心として、これが蕩減復帰という最後のぺージです。サタンの血統を断切して、きれいに清算した後に天の直系の子女が家庭を中心として第四次アダム勝利圏を引き継ぐことのできる、そのバトンを受け継ぐことのできる出発がなされたという事実は、驚くべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。この顕進の息子、娘たちの話です。それは、四代ではありませんか? その家庭を通して、第四次時代に人っていくことができるというのです。 堕落圏を越えて最後に、すべて清算するようにしてから、その家庭が一つになって神様が一代、アダムが二代、そして三代と、全部が堕落の限界線を越えて、第四次アダム圏蕩減解放時代へと、地上天国時代へと越えていくことのできる境界線へ入ってきたということは驚くべきことです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 私は顕進君に話します。「あなたは今から、妻や、父母の前や、息子、娘の前、教会の前で、絶対信仰圏を維持することのできる者になりなさい」。そのようにして任命するのです。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。 「あなたの家庭とあなたの息子・娘を中心として越えていくときに、第四次アダム圏時代に向かったあなたたちは、上下関係が父子の関係であり、左右関係は父母関係であり、前後関係は子女関係となりますが、それを中心として、家庭を中心として民族、国家と越えていかなければなりません。ゆえに、結局は『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』の環境を父子の関係、夫婦関係、子女関係、兄弟関係において、それらの完成を定看させなければなりません」 結論的な話は、「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服徒』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか? (拍手) きょう、私たちは今から、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を心から決意しなければなりません。なぜならば、私たちの「生」は、天国の「生」の根源であるからです。私の心情は、この三つのためです。この三つのことが成されれば、すべてのことを占有します。占有したすべてのものは、完全なのです。このようなものは、どれほど素晴らしいことでしょうか? アーメン。 顕進様、そのような信仰を持って、お父様よりも、お父様の一期よりもどれくらい優れることを願うのか、というのです。百倍ではありません。千倍、万倍、優れることを願います。 神様がアダムとエバに対して持っていた希望とともに、その希望はとどまることなく、永遠なる希望として残ることによって、父母たる私も子供にこのような希望を託さざるを得ないということを、快く受け入れなければなりません。(拍手) 顕進は、私よりも美男であり、力もあり、りりしく、覇気もあります。ハーバードのMBA (経営管理学修士)課程まで卒業しました。顕進はMBAまで卒業したので、今後、事業に対する専門家として監査の大王になるはずです。また、これからUTS (紘一神学校)を卒業して、世界に二人といない神学者となって、博士の学位を持って、どのような神学者でも教育することのできるチヤンピオンになるであろうということを考えるとき、希望の一日として、この責任を顕進に任せてあげるのです。祝賀します。アーメン。(拍手 ですから、今から顕進は、お父様が「これをしなさい」と言えば、「それだけではなく、千倍やらせてください」と、このようでなければなりません。(拍手) 今後、統一教会は万歳、万歳、万々歳。アーメン。アーメン。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.27
コメント(0)
愛によるおもしろみのある天国的生活1998年7月16日アラスカ・チグニック・レイク 一九九八年七月九日から十七日にかけて、アラスカ半島の中ほど、チグニック・レイクで「アラスカ・チグニック特別修練会」が行われた。修練会の中、七月十六日にお父様が語られた御言。 趣味として仕事をしておもしろみを感じる 父の国が韓国であり、母の国が日本であり、アメリカが天使長です。日本に従っていくことはできず、韓国の今までの伝統に従っていくことはできず、アメリカに従っていくことはできません。従っていくことができるのは、天が願う地上・天上天国の理念です。そのような目的をしっかりと定めたので、それとどのように一つになるかということです。 このように見るとき、今の自分たちのもっている「観」をすべて否定しなければなりません。それを踏み越えることができなければなりません。このようなことを考えるとき、先生が定めた方法と皆さんが結束しなくては、この峠を乗り越えていく道はないというのです。それが何かといえば、私の標語です。「三億六千万双祝福完成とサタン世界血統断切」です。ここに、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。 それから、先生がなしている趣味産業です。一般の人をこれに導くためには、私たちが先頭に立って趣味生活をしなければなりません。趣味生活です。趣味生活を根拠とした趣味産業です。生産は社会的な仕事場として連結されているのです。反対のことをしているのです。今、世界的な農場を中心として見ても、国営企業体を見ても、主人の立場で見ても、それはおもしろくてするのではありません。趣味(喜び)という内容はありません。趣味は協同的なものです。人生として行くべき道の前に、これが連関関係となっていません。 どのようにこれに関係を結ぶのかという問題を考えるとき、「趣味」というタイトルを中心として、国家を越え、職場、経済分野、政治分野の峠を越えていくのです。政治も趣味、経済も趣味、学校も趣味と、すべてが関係するのです。関係というものは、主体・対象関係です。師弟関係、夫婦関係、父母関係、何々関係、全部関係ではありませんか。大統領を中心とした閣僚関係、国会の上下院関係、すべて関係です。 この関係は、闘争概念として登場するのではありません。では、関係において、だれが一番関心をもって趣味(喜び)をもつのかということによって、その人格基準が決定されるのです。これは重要なことです。何のことか分かりましたか? (「はい」)。 郭錠煥は世界平和家庭連合に関係した興味をもたなければなりません。おもしろみを感じなければならないのです。ご飯を食べることよりもおもしろみを感じ、生きることよりもおもしろみを感じれば、その人は行く道において成功するのです。食べて、寝て、遊ぶことよりも、もっと趣味(喜び)を感じるようになれば、その事業の責任者は成功するのです。 趣味とおもしろみとは何でしょうか? 趣味として仕事をして、おもしろみを感じなければなりません。趣味は環境であり、おもしろみというのは私(自分)です。私を中心としておもしろみを感じるためには、主体と対象のすべての心情的一致圏がなくてはなりません。これが原理観です。分かりましたか? (「はい」)。 趣味という環境の与件、神様が創造された環境には、必ず主体と対象があります。主体と対象が授受関係を結んで合性一体となり、喜びを感じるのです。喜びはだれが感じるのかといえば、自分だけがうれしいのではなく、二人で大きくなっていくのです。それゆえ、一つの軸を中心として大きくなり、それがすべて球形をなしていくのです。 おもしろみを感じなければならないのです。おもしろみを感じて連結したものは分かれません。核と副体は決して分かれません。そのようにして一つの体をなすのです。 この社会の全般的な職場や関係している世界には、趣味(喜び)というものがありません。闘争概念で連結されるのです。これをどのようにカバーするかが問題です。 趣味という言葉は皆好きなのです。「趣」の字は、走る「走」の字の中に取る「取」の字です。「味」は、口で味を感じるのです。走っていきます。走るということは、苦しいことを指すのです。走っていくこと(行動)を取って、味を感じよう。到達していないことに(走っていき)味わわなければならないのです。それが味と通ずるのです。おもしろいという味です。 労働の神聖性 私たちは今、趣味産業について話をしていますが、そこにはすべてが入るのです。政治、経済、文化、産業的な面、世界のすべての問題、宗教のすべてが入るのです。趣味生活の中でおもしろみを感じなければなりません。趣味だけもっていても豊かになることはできません。趣味だけでは自分の立場がないのです。趣味を感じて、何をするのでしょうか? おもしろみを感じなければなりません。 このように見れば、労働の神聖性というものが出てくるのです。血と汗を流しながら働くことは、その人たちだけがもったおもしろみなのです。趣味です。無限なおもしろみを感じるその場に立てば、自分も想像できないところでおもしろみを感じるのです。それを表現することはできません。それゆえ、おもしろみを感じなければならないのです。働く人は、だれでもみな平等です。平等に尊敬することができる社会形態になっていかなければなりません。分かりましたか? このような立場から見るとき、闘争概念や競争概念があるこの関係的世界を、どのようにして趣味としてなすことができるように変えるか、というのです。そうすることによって、すべての人たち、個々人の生に価値が付与されるのです。だれも奪うことのできない、自分だけがもつことのできる個性真理体の価値というものが成立するのです。 それが必要なのです。そのように、この地上で生きた人があの国(霊界)に行くようになれば、だれでも、高い、低い、ということがないのです。神様が創造したおもしろみを感じて、趣味(喜び)を感じれば、そのすべての創造の圈内で同化・同参できる人格者になるのです。このように見るのです。分かりましたか? 皆さんの背後を中心として、韓国ならば韓国の今までの歴史を中心として、国家摂理史的な立場と現在の立場を中心として、ここに趣味的内容として前に立てることはできませんでした。しかし、今からはある一つの家庭を中心として、世界に標準的基準として立てることができる時なのです。家庭環境に対して趣味(喜び)を感じ、ここでおもしろみを感じなければなりません。そのような結論となります。 今百八十五か国ならば、自分の国にある家庭を中心として、環境的な国家が趣味(喜び)の舞台になっていないのです。すべてのものが衝突しているのです。それゆえ、一般的に趣味化され得る環境を、どのように補完させるかというのが問題なのです。 今から私たちが世界の家庭問題を、趣味と環境を中心として、楽しい家庭として定着させなければならないのです。これが天国をなすうえで、絶対に必要なのです。一つの伝道になるだろうと見るのです。 この関係の世界は、父と母の関係です。夫婦関係です。父親が優れているか、母親が優れているかではなく、父母ならば父母自体に対して趣味(喜び)を感じなければならないのです。父母を分けてはならないのです。 目を見れば、目二つが一対になっています。右の目が優れているのでしょうか、左の目が優れているのでしょうか? そのように尋ねること自体が矛盾です。右の鼻の穴がよいのか、左の鼻の穴がよいのか? 右の耳が一番か、左の耳がよいのか? そうではなく、一つとして扱いなさいということです。 父母に対して趣味(喜び)を感じ、父母に対して興味をもたなければなりません。父親の性格と母親の性格が違うので、そこに対して、趣味(喜び)をもって生きるようになれば、二人の人格の素養がその子女に植えられるのです。 ですから、社会の先生を見ても、大統領を見ても、何かの職場であれ、差別せずに趣味(喜び)をもっておもしろみを感じるようになれば、おもしろみの価値が愛によって連結され、すべてのものに同居、同参、相続権があるというのです。そこから、統一的な心情だけが連結され得るのです。このようになります。 生活の一つ一つにおもしろみを感じなければならない さあ、そのような世界に向かって行かなければなりません。現在の韓国の実情を中心としてそのようにしようとすれば、政治的風土であれ何であれ、まだ反対が終わっていないのです。そこで私たちが問題を提示するのが何かといえば、それが祝福家庭です。祝福家庭をつくっておいたのです。 これら家庭がどのようになるのでしょうか? 趣味(喜び)です。いつも趣味(喜び)をもつと同時に、大韓民国が(祝福家庭に対して)趣味(関心)をもたなければなりません。大韓民国が趣味(関心)をもつと同時に、韓国の家庭に対してアジアが趣味(関心)をもたなければならないのです。そのような環境へと自然に連結されるのです。本然の理念を中心として祝福をし、中共とソ連が連結され、このような天の摂理を中心として、趣味生活を通して、おもしろみのある定着基盤をもつのです。 家庭を離れてはおもしろみがありません。ご飯を食べるおもしろみもなく、遊ぶおもしろみもないのです。寝るおもしろみもありません。寝ることもそうではありませんか? お母さん・お父さんと兄弟が一緒に寝てこそおもしろく、ご飯を食べることも、両親と一緒に食べてこそおもしろいのです。自分の生活の中で皮膚と直接的関係を結び、第二の明日の希望を常にもち続けることのできる刺激的な期待があってこそ、その人が発展するのです。それが家庭です。 息子・娘を生んだのならば、興味をもって、「大きな娘はどうだ、大きな息子はどうだ」と楽しみなのです。話すのが楽しく、連れて回るのも楽しみなのです。おもしろみであって趣味ではありません。家庭は環境的な与件であって、生活的なすべての生命と連結されていないのです。生命の復活のおもしろみを感じなければならないのです。 祈祷するのもおもしろいのです。祈祷すれば何ですか? (「敬礼です」)。それもおもしろいのです。訓読会もおもしろいのです。ご飯を食べることよりもおもしろいのです。ご飯を食べることを忘れ、寝ることを忘れてしてみなさい。そうすれば、すくすくと自分の基盤が家庭で芽生え始め、それと同時に、家庭がそびえ立ち、その影響と作用が始まるのです。趣味圏内は、自動的に影響を受けるのです。そのような高い所、広い所、深い所に行き、すべて一つになるのです。 人もおもしろい人がいるではありませんか? 「私は何の趣味をもっている」と言いますが、趣味と自分とは関係が遠いのです。相対的与件にはなりますが、関係が始まりません。関係を結ぼうとすれば、喜びのある場で広がっていくのです。 この世界は、関係の世界に連結された社会構成体にならなければならないのですが、今まではすべて競争相手であり、闘争でした。どのように調和して連結させるのか、というのは趣味です。すべての人たちが趣味圏内で生活するのです。 政治ならば政治に対する趣味、産業ならば産業に対する趣味、経済ならば経済に対する趣味、釣りだとか狩り、それはすべて趣味ではありませんか? それが趣味として終わってはいけません。おもしろみを感じなければなりません。おもしろみを感じるというのは、産業分野ならば、産業分野全般にだけ対するものではありません。一つの趣味を感じ、全体の環境的与件を収拾できるおもしろみを感じて、関係を拡大させ、発展が繰り広げられるのです。 ですから、おもしろみがなく、趣味を生かすことができなければ駄目なのです。自分が一生を生きるうえで、趣味がなく生きては駄目なのです。趣味がなく生きてはならず、趣味をもったならばおもしろみを感じなさいというのです。 自分で自分の顔を見るときもそうです。自分の顔を鏡で見るとき、自分の顔が整っていれば、自分の顔を見るのを好むではありませんか。顔を見るのも趣味(喜び)であり、化粧台で上手に眉毛を描くのも趣味であり、何であれ趣味であり、それはすべておもしろいのです。 そのようなことに対しても、自分の生活において、一つのおもしろみを感じることができるようになりなさいというのです。鼻ならば鼻、顔ならば顔、そのようにおもしろみを感じなければならないのです。 おもしろみを感じ、趣味を感じるのは自分だけではありません。環境圏は必ず主体・対象関係になっているのです。妻は自分(夫)が感じることのできるものを感じるので、影響を与えなければなりません。影響を与えて、相対的な基準で夫婦同士、同じ趣味を感じ、おもしろみを感じなければなりません。また、父母を中心として親子の関係においても、同じおもしろみを感じ、それを育てていく生活となり、関係にならなければなりません。そうすれば自然に、平和な家庭となり、幸福な家庭になるのです。 多方面に趣味をもつ 趣味をもった家門になったのかというのです。先生は趣味をもち、おもしろみを感じます。子供は父母の趣味が分からなければなりません。自然にそのようになるのです。父母を中心としてすべてのものが関係しているのです。父母を中心として趣味(喜び)を感じ、その趣味の環境においては、お互いが好む結果になるので楽しいのです。このようになります。 趣味(喜び)を感じなければなりません。先生がこのようにするのは、自分が好きだからするのですか? 大陸を越えて人類を救うためのものです。趣味の環境を多様に開発するのです。先生がすることは多様でしょう。運動もし、釣りもし、狩りもし、教育もし、政治家たちと会い、多方面に趣味をもっているのです。 多方面に趣味をもたなければなりません。自分が一つの趣味をもっていれば、一つの分野に関係を結ぶことはできますが、大部分のものとは関係をもてません。多方面に趣味をもって関係を結んだので、統一教会がこれくらい世界を管掌することができるのです。分かりましたか? 世界を自分の一つの活動舞台として考えるのです。それが自分が活動することのできる一生の舞台です。そのような関心をもたなければなりません。関心がないことに対しては、趣味とすることはできないのです。 男性は、女性がいなければ家庭に対する関心をもつことはできません。家庭に対する趣味をもつことはできないのです。必ず、相対がいるのです。相対の世界は、父子関係もおもしろみ、夫婦関係もおもしろみ、師弟関係もおもしろみ、すべて関係の世界です。関係の世界のすべてのものが、主体・対象関係です。そのすべてにおもしろみを感じれば、天国化され得るというのです。 そうしようとすれば、何がなければならないのでしょうか? 愛です。結婚にも愛がなければならず、事業にも愛がなければなりません。真の愛です。政治にも真の愛がなければならず、狩りにも真の愛がなければならず、全部そうです。 真の愛とは何かといえば、主体の前に対象として一つになるためのものです。神様は永遠の主体です。永遠の主体、創造主がつくったすべてのものを自分が楽しく返す、それが美をお返しするということなのです。 今皆さんは、十二時を過ぎたので仕方なく働くと考えるのですか? おもしろくて働いているのですか? 答えは何ですか? 義務と楽しみは違います。義務というものは、全体と関係を結ぶ環境的与件なのです。周辺と分かつことはできません。主体が違います。おもしろみというのは、家庭でのみ享受することのできる特権です。 夫婦関係、子女関係という相対関係、これは三位一体です。自分の家庭に家族がたくさんいれば、丸い顔、長い顔、広い顔、笑顔と、ありとあらゆる顔があります。そのようなものを全部知れば、人は十二とおりに現れるのです。自分を中心として十一の型(11の対象)があるのです。 人を見ればこの四つなのですが、形が少し違うだけですべて似ているのです。口が三つあるのを見ましたか? 鼻が横についているのを見ましたか? 眉毛、目、すべて似ています。しかし、個性があります。目もすべて同じではありません。それがおもしろいのです。特性が一つになって調和をなしているのです。自分が何だと批判できません。すべてのものが相対的与件で和合されており、調和しているので、批判せずに公認するのです。 今世の中では政治家たちが陰謀を企てて、自分が大統領になろうするのです。大統領をしたならば、楽しくすることができると思いますか? それが問題なのです。中心の責任者は趣味的環境として、閣僚に対するのも趣味で対し、だれがいつ来たとしても、春夏秋冬いつも同じように対してあげなければならないのです。おもしろみがなければなりません。個々人の人格を分析し、それを理解し、そこにおもしろみを感じなさいというのです。そうでなければ環境にいる人たちが落ちていくのです。 心で祈祷をもう一度してあげ、より考えてあげる人、そのようにしてくれる人に対して、おもしろみを感じます。会いたがるというのです。徹夜をしても会いたく、環境的な難しさがあったとしても会いたくなるのです。 きみたちは、先生に会いたいとき、ジャルジンが問題ではありません。行くその道が楽しいのです。外国に行って一年間苦労して、先生を見るとき……。そのような人は、堕落することができないのです。横道に行くことができません。天国は、おもしろみのある生活と連結されています。趣味生活とは違います。おもしろみを感じるときに、生命が復活するのです。生命が育つことができるのです。 それゆえ、労働者たちは汗を流して朝から夕方まで一日中仕事をしても、嫌ではありません。汗を流してそのようにして、「ああ、新陳代謝がどれくらいよくできるだろうか」と言うのです。 汚い都市で汚い水を飲んで汚い空気を吸い、汚い太陽の光を受けていたものが、神聖なる自然にやって来て、シャベルを持って、あるいはつるはしを持って、土を掘り汗を流し、よい水を飲み、よい空気を吸いながら太陽の光を受けることが、どれくらいおもしろみがありますか? 労働を一生懸命にした人は長く生きます。体力があるのです。 大概、長く生きる人は学者ではありません。頭を使い、テーブルに座って仕事をする人ではありません。苦しい仕事をすると、筋肉と骨が一つになります。骨に力を受けて和合するので、骨が弱くならない限り生きることができるのです。 責任を負った人は、おもしろみを感じてしなければならない 先生も監獄でそのような生活をしながら、一等の労働者でした。喜んでするのです。 朝五時に起きてご飯を食べて、昼食を食べる十二時まで、何時間ですか? 七時間です。昼食の時を待とうとすれば、それこそ立ち上がるのが難しいのです。朝集合して出ていく時間が七時なのですが、警護問題で体の検査をするのですが、八百名、千名近い人たちをしようとすれば、二時間以上かかります。 興南の寒い冬に、一枚重ねの服を着て震えるのを見れば、かわいそうです。そのようなことを知らないでしょう。風で砂利石が飛んでくるのです。一枚重ねの服を着て、ぺしゃんこになって座って……。どんな下着を着ているというのでしょうか……。一枚重ねの服なので、風に震えるのです。そのような話をすれば悲惨ですから、話さないでおこうと思います。それをおもしろみをもってしました。世の中のだれよりも楽しいと思わなければなりません。 そのように消化しようとするので、すべてが私を占領することができないというのです。監獄生活では、余暇の時間に詩をつくりました。 おもしろみを感じなければなりません。働くことに、おもしろみを感じなければならないのです。それゆえ、先生も朝に出かけ、ぱっと手をつければ、昼食の時まで他のことは考えません。おもしろみをもってするのです。普通の人は嫌がるので、六か月ももちません。おもしろみをもってしなければならないのです。それが成功の秘訣です。 全精力をすべて投入すれば、すぐにその環境で認めてくれます。嫌でやる人と、おもしろみをもってやる人では、違うではありませんか? かますのようなものを結ぶ場合も、先生はそこで一等の労働者になりました。競争して負けません。 夢のような話ですが、すべてのことを、おもしろみをもってするのです。趣味の内容として、おもしろみを感じなければなりません。どうですか? そのような観ができていなければなりません。自分が仕事をする場でも、趣味(喜び)をもたなければなりません。主体的な影響を及ぼすことができるように、おもしろみを感じなければなりません。そのように、模範的な生活をしなければならないのです。 仕事をするとき、一時間、わずかな時間でも、他人よりももっと仕事をしようとするのです。朝、一分でも早く出勤するのです。遅刻があり得るでしょうか? 五分、十分、三十分、より早く行って、昼にすべき仕事を整理してしまうのです。 その次にそこで研究して、自分の責任、職種、組織体などに関するすべての内容を理解するのです。新しい課題に対して責任を果たせなかったことに関心をもって、自分が見る観点で主体の責任を感じ、指示し、一時間一緒に仕事をするのです。そのようにして、息子・娘が全部仕事をすることにおもしろみを感じるならば、そのようにしなければならないのではないでしょうか? そのように生活をするようにすれば、心は分かるのです。人は霊物です。どこに行って何をするにせよ、おもしろみを感じなければなりません。 普通、釣りのようなものをすれば、さっと垂らせば楽しいのです。釣り竿を垂らすときも、関心をもって垂らせば、きちっとやって来て食いつくのです。心が魚のいる所を探すのです。分かりましたか? 天がそのように役事するのです。 天の道を築くのに、嫌々するところには天は共におりません。 監獄も楽しく、自分の人格修養の第二の訓練場と考えれば、朝から夕方まで全部自分のためになるのです。自分の発展のためにするのです。深い谷に出たり入ったりしながら、体験するのです。六か月過ごせば、刑務所であっても、そこのことがすべて分かります。それゆえ、趣味が楽しみになれば恐ろしいのです。 先生に対して、趣味をもっていますか? (「はい」)。では、先生に対して、おもしろみはもっていますか? (「はい」)。一番おもしろいのは何ですか? 一番は何、二番は何、三番は何ですか? 楽しみが多い人であればあるほど、その人は中心人物になるのです。 私はいったん手をつけようものなら、「このために生まれた! と思うのです。天職です。天職基盤を築くのです。そうすれば必ず、天がそのことに協助してくれるのです。おもしろみを感じてこそ、責任者として立つことができるのです。責任を負った人は、おもしろみを感じながらしなければならないのです。そうでしょう。それは絶体絶命の要件です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.26
コメント(0)
世界平和理想家庭教育本部の竣工・奉献式一九九八年七月一日、第八回「七・一節」を迎え、真のご父母様はブラジル、ジャルジンのニューホープファームにて、内外の著名人ら約三千名が参加する中、世界平和理想家庭教育本部の竣工と奉献式を挙行された。 開会の祈祷 天のお父様……、このジャルジンの地を中心として、第一回四十日修練会を新たに出発するとともに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の土台を備えた一つの基準を立てます。この教育センターの地に集わせてくださったことに感謝いたします。修練会の参加者たちの歩みを祝福してくださいませ。気をもみながら責任を担ってきたすべての者たちが、彼らの願いが成就する一日をもって、歴史的な喜びの一日として残る今日の竣工式となるよう、切にお願い申し上げます。 ここに、お父様の前に奉献するにあたり、聖なるものとする聖別式を挙行いたしますので、これ以降、この地はお父様が所有権をもたれ、この地に来てこの地と共に関係を結ぶすべての人々、これを公にして祝賀するすべての人々、悪なるあらゆるサタン的な条件も、すべて神様の愛を中心として天運と関係を結ぶことのできる、幸福の基地となるようにしてくださり、希望の基地となるようにしてくださいよすよう切にお願い申し上げます。 今日、七・一節を中心とした竣工式と奉献式を執り行なうこの日を中心として、この聖別式をすることで、神様の所有の決定を宣布しようと思いますので、お受けくださるよう切にお願い申し上げます。この環境が連結して拡大し、すべての統一家の所有権と統一家の人々の上に天運が保護し育成してくださいますよう、今一度、お願い申し上げます。このすべての聖別式を挙行するにあたり、お受けくださることに感謝申し上げます。神様の愛と神様の恵みが、この式と共に永遠に全人類の幸福の基地を整え、家庭解放圏を築き、天国に直行できる教育の殿堂となるように祝福してくださいませ。神様が快くお受けくださることを願いながら、真のご父母様のみ名によって聖別、献納いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 奉献祈祷 愛するお父様……、本日一九九八年七月一日、「七・一節」を記念して、このジャルジンの地において「世界平和理想家庭教育本部」を立て、竣工式と奉献式の式典を執り行ないます。これまで多くの人々の関心のもとに新しい建物がこの地に建築されてきました。その過程において多くの人たちが関心をもち、また噂を耳にして、世界中に知れわたったこの場所が、天の祝福の場所となり、南米全体の理想家庭の指導的人物を養成することのできる教育機関として、また、この基盤を中心として、南米で新しい教育と新しい家庭の行くべき道を開拓できる教育の殿堂として、既に竣工を終え、今日、奉献式を挙行いたします。 ここに所属し、関係するすべての人たち、彼らが精誠を尽くした土台、今後居住し活動できるすべての舞台が、あなたの愛と恵みの中で連結され、一つの世界、一つの地上天国・天上天国を中心とした、あなたの愛の主権と権限を養成し育て上げることのできる、すべての教育的、かつ実践的な基盤となるよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日、この日のために集まったすべての人たちを祝福してくださり、ここを行き来する道を守ってくださり、ここに来て感じたすべてが彼らの生涯に変化をもたらし、環境的な家庭や国と国の上に影響を及ぼせるようにしてくださいませ。お父様……、霊界にいるすべての先祖たちを動員してくださり、直接管理して因縁を結び、勝利の一つの平和世界へと進むことのできる、そのような道へとせき立ててくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、このすべてを竣工を終えて奉献いたしますから、このひととき、お父様が快くお受けくださいませ。今日祝賀するすべての順序が、あなたの栄光と家庭の上に、祝福の道を開門する恵みの時間となり、基盤となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。天の全面的な支援と、万民の全面的な支持と、食□たちの全面的な奉仕を通して一つの心情的な結実となり、理想的な男性と女性を中心として家庭形成の標準を立てるというこのみ旨が、今日から出発できるように祝福してくださることを切に願いながら、全体の万物万象が見つめるこの場において、真の父母のみ名によって奉献、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 奉献式のみ言 主題 一心・一身・一体 「七・一節」を記念するこの日に、世界平和理想家庭教育本部の竣工式と奉献式に参加されたことを心より歓迎いたします。私たちは今までの道徳的な混乱、世界紛争、環境問題、犯罪に染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しております。 しかし希望よりは、逆に激しくなる物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が好ましい影響を及ぼせない中、青少年たちの退廃、家庭の破綻、麻薬とエイズなどの問題は、人類の前途をいっそう暗いものとしています。高度の科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的な努力も、人類の幸福と真の家庭を通した平和な世界をもたらすことができずにいます。 人類は長き歴史路程を通して、一度たりとも完全な幸福の真なる主人公にはなれませんでした。個人的にも、全体的にも、家庭はさらに多くの不幸を経験してきました。それでも人間は、放棄することなく、常に粘り強く幸福を追求してきました。なぜならば、神様は人間を真の家庭で幸福に暮らすようにつくられたからです。人間は、堕落によって罪と苦痛の生活を送ってきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を追い続けてきたのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって、最も貴いものは真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様の前に、人間はいかにしてその相対的な立場に立つことができるでしょうか? 努力や外的な条件によってではありません。唯一、真の愛の因縁によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結んだならば、一度で互いが同位権や同参権、相続権をもつようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって最も貴いのは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことでした。真の愛は人間の幸福の根本です。真の愛の中には無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。ですから、人間は真の愛の対象であり、真の生命と理想の対象になります。神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって、創造主たる神様ご自身の子女としてつくられました。本来、真の人は、心と体が常に神様の真の愛と一つになり、喜びの中に陶酔して生きるようになっていました。神様は、真の愛によって幸福に暮らす真の家庭をご覧になり、ご自身も喜びを感じるとともに、その人間と同居しようとして、人間を創造なさいました。神様は真の愛で人間と調和一体を成そうとされたのです。ところが、人間始祖が堕落してしまったのです。 人間の個体の中では、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ別の欲望を前面に押し立てており、私たちは熾烈な闘いをしていることを感じながら生きています。私の体、私の心ではあるけれども、実は心と体に分裂している自らであるということが分かるのです。このように人間の心と体が葛藤する矛盾性があるのは、正に人間始祖の堕落によるものなのです。こうした心と体の分裂や相克は、家庭や社会、民族、国家、世界、天宙の分裂や紛争へと続いていきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって、天道に背いたことであり、その結果として神様と真の愛を知らない無知に陥ってしまいました。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値も失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築くことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である心身一体を成す真の人間になれなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も知識や権力、または財力によるのではなく、真の愛によってなされるのです。真の人は真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっています。個性完成というのは、心と体が一体の調和をなすことを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身の一体を成すようになっています。心と体が分かれない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら、完全に神様も真の愛の人格として成就するようになります。心身の統一した基地をつくってこそ、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛のみが、心身の理想的な関係を永遠に築くことができるのです。神様の真の愛が、心身統一の基地の上に臨めば、真の人は真の愛の門が大きく開いて、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じることが真の愛でないものがなく、自動的に無限の自由と喜悦の主人公となるのです。このとき、真の人は真の愛に酔いしれて、最高の芸術的な感情の中で生きるようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と共に同化して、共に酔いながら、生活の中に美しさを体験しながら、前進的な創造目的を完成するのです。 このようになれば、神様の前に完全な対象体となり、神様の似姿となり、その真の愛を相続するようになります。神様が感じることをそのまま感じ、神様が好きなものをそのまま好むようになります。 人間にとって最も神聖で尊いものが真の愛です。真の愛は自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じません。真の愛は相対のため与え、また与えて、与えたことをすべて忘れ、また与えて、施しながら一つになろうとするものです。ですから、真の愛は、すべてを抱くようになります。真の愛は私個人の所有だけにはなりません。真の愛を相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙公認のものとなるのです。 神様の願いは、真の愛を人間と共に実現することです。神様はご自身の息子であり、最高の尊い被造物である人間と共に、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を、永遠に分かち合いたいのです。 人間世界で真の愛を完成すれば、政治的、経済的、文化的、環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題などありません。真の愛の世界は、まさしく歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界なのです。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている数々の難問は、真の愛によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら相続するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次体得しながら完成するのです。個体を見ると、心と体が一つになるところから、真の愛が出てきます。その次には心身一体となった完成した男女が、真の夫婦の真なる愛をなし、その次には彼らが真の神様の真なる愛と連結して、子女を真に愛せる真の父母にならねばならないのです。夫婦の心と体のうちに神様の愛が臨んで、その真の夫婦が一つになり、息子、娘を生むようになっています。そのようにしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が、真の家庭なのです。ですから、真の愛は人間の真の愛と真の幸福の土台です。真の生命と真の血統が芽生える所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育む修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛による真の家庭は、人類の願いであると共に、神様の創造目的の根本になります。こうした真の家庭から輩出される真の愛の真なる人格によってのみ、真なる社会・国家・世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現し得るのです。私が、常に地上での真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が築かれれば、自動的に地上天国が築かれるのです。真の家庭天国で完成した真の愛の人格は、社会、国家、世界に拡大し、不義と妥協せずに、常に為に生きる真の家庭として調和一体を成す真の人になるのです。 男性は陽性性稟、女性は陰性性稟として、神様の性稟を代表した主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としておられる神様の二性性相を分立し、再び神様の本性相に似た姿として合成一体化するのです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しており、天と地を代表した立場で、互いに調和一体を成すために生まれました。つまり男性も女性も本来、自分のために自分を中心として生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するよう創造されたというわけです。真の夫婦はそれぞれ相対のために生まれたということを明確に知らなければなりません。 真の愛は、一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。真の夫婦は神様の真の愛を抱いて、合一した願いにより、未来世界に向かって歩んでいかなければなりません。子をはらむのも、家門が繁栄するのもこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が、生活環境圏を超えて神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが、究極的な目標になるのです。堕落がアダム家庭で起きたので、本然の姿に戻るべき復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求めるために、民族と教会を求める前にご自身の対象を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、ご自身の理想的な対象となり得る真の家庭を探し求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な家庭を得られなければ、理想的な国や世界を得ることができません。本然の真なる家庭をまず立てるべき原則がここにあります。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によってアダム家庭はどのように繁栄していたでしょうか? アダム、エバは真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となり、その後孫と全人類の真なる先祖になったでしょう。アダム、エバを真の父母として侍り、繁殖した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いていたことでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の源となり、人類の平和と幸福の基点になります。 「蒔いたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖はサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母となり、悪と偽りの歴史をはらみました。今日に至って、これまで人類社会の道徳的な礎となってきた父子の因縁や、基本的な倫理道徳までが、すべて崩れてしまいました。動物よりも劣る背徳行為が相次いでいます。次第にその程度が激しくなっています。エデンの園で堕落によってまかれたために、そのような現象が歴史的、世界的に実を結ぶようになったのです。 本然の真の愛は、時代によって発展するのではなく、原型そのものが真であり、不変、永遠、絶対的なものです。ところが、人間始祖は成長期間内で未完成のまま堕落し、偽りの愛の始源となったのです。利己的で、悪なる偽りの愛をもとに積み上げた人類の文明は、このまま続くことはありません。このままではいけません。このままいったら、人類は滅びてしまいます。家庭の土台が崩れて子孫が根本的にだめになるというのに、外的な発展と物質的な豊さに何の意味がありますか? 歴史的な過ちと不条理を根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊要なことは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なくして、人類の幸福や平和な世界は期待できません。今日のさまざまな問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されねばなりません。 尊敬する指導者の皆様、私がこれまで世界的に繰り広げてきた平和運動と共に、真の愛主義の理念を真剣に研究、評価してくださるようお願い申し上げます。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動を、教団の行事に過ぎないと考えてはなりません。 世界平和には、平和な国家がまず必要です。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが一般的に願ってきた権力や富貴、知識などは、平和と幸福にとって必要な十分条件にはなりません。真なる幸福は、愛の所有に比例するものではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。それらが真の愛と共にあってこそ、真なる平和と真なる幸福を得ることができるのです。真実の平和も、限りなき幸福も、真の愛をもって人のために施すとき、そしてその施したものが全体をめぐって、再び返ってくるとき、確実なものとなるのです。 尊敬する指導者の皆様、これまで皆様は各分野で秀でた功績によって、人類の福祉と社会発展のため、大きな実績をあげられたことと存じます。もちろん、今後もその分野で、より大きく寄与されなければならないでしょう。しかし今、人類は、総体的な危機を迎えています。特定分野だけの備えや手立てでは足りません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位、前提条件である、真の家庭を創造して指導していかなければなりません。 去る六月十三日、私が執り行った三億六千万双の祝福結婚式、一億二千万双の第一次結婚儀式は、私が生涯を捧げて、理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人たちは皆、神様によって神様の真の愛を中心として、真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動による歴史的な真の愛の革命は、着実に進められているのです。 親愛なる指導者の皆様、人類を家庭破滅の道から救うことよりも、深刻な問題が他にあるでしょうか? 世界の救いを目指す真の家庭運動に、積極的に同参されますよう重ねてお願いいたします。神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。 祝祷 南米全体の州が一つになり、教育を受けて、家庭的な理想の一つの殿堂としてまつられるように祝福してくださることを切にお願い申し上げます。さらにカトリック圏と新教圏が一つになって、この南北のアメリカのために統一的な役事を成すことのできる、大いなるあなたの願いであるみ旨を成就してさしあげる、なくてはならないカイン・アベル基盤の上に真の父母を立てて南北アメリカを統一し、南北アメリカを統一することによってすべての宗教を統一し、宗教を統一することで、外的な世界全体を統一し、天の前に、真の父母のみ名と共に、全世界の万民が一つになって全体を奉献するにあたり、解放の世界、勝利の世界、すべてが天と地に成就するように今一度、切にお願い申し上げます。すべてを神様と真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
コメント(0)
「世界平和理想家庭教育本部」落成時の御言1998年7月1日ブラジル・マットグロッソドスル州ジャルディン 第八回「七・一節」を迎えジャルディンに建設中の「世界平和理想家庭教育本部」が落成し、内外の著名人が参席、竣工式・奉献式が行われた。集まった二千人以上の聴衆を前に、真のお父様が韓国語で語られたもの。 「世界平和理想家庭教育本部」の竣工式と奉献式に参席されたことを心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和な世界を渇望しています。 しかし、どんどんと強くなっていく物質万能主義の傾向とともに、国家権力と宗教が正しい影響を与えられない中で、青少年たちの退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどは、希望というよりはむしろ、人類の将来を一層暗いものにさせています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発や政治的努力も、「人類の幸福」や「平和な真の家庭を通しての世界」をもたらすことができずにいます。 人類は、その長い歴史路程を通して、ある一時さえも完全な幸福の真なる主人公になることができませんでした。個人的、あるいは全体的に、家庭は多くの不幸を経験しながら歴史を経てきました。それでも人間は、いつでも放棄することなく、ねばり強く幸福を追求してきました。それは本来、神様が人間を幸福に、真の家庭で幸せに暮らすように造ってくださったからです。人間が、たとえ堕落によって罪と苦痛の生活をしてきたとしても、本性においては、本然の幸福な自我をずっと希求してきたのです。 神様の創造の根本目的は、「真の愛」とその対象である「真の人」です。絶対者神様のみ前に、人間はどのようにすれば、その相対的な立場に立つことができるのでしょうか? それは、労力や外的な条件でなされるものではありません。ただ真の愛の因縁でのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結べば、一度に互いに同位権、同参権、相続権を持つようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象として造られた人間において、いちばん貴いことは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体であられます。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。 神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって創造主であられる神様の子女として造られました。本来、「真の人」とは、心と体がいつも神様の真の愛と一つになり、酔いしれながら喜びの中で暮らすようになっていました。神様は、真の愛で幸福を喜ぶ真なる家庭をごらんになり、ご自身も無限な喜びを感じられると同時に、そこに同居するために人間を創造されました。神様は、真の愛によって人間と「調和一体」を成そうとされたのです。ところが、その人間始祖が堕落してしまいました。 人間は、その個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なった欲望を前面に立てて、熾烈な戦いを繰り広げるのを感じながら生きていきます。自分の体、自分の心ではあるのですが、気がつけば、心と体とに分裂している自らであるということを知ることができます。 このように、人間の心と体が葛藤する矛盾性は、まさしく人間始祖の堕落によるものです。このような心と体の分裂、相克は、家庭と社会、国家、世界、天宙の分裂と不幸につながってきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に背いたことであり、結果的には神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値をも失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を成すことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である、心身一体を成す「真の人」となることができなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しているのです。人間の完成も知識や権力、あるいは財力によって成されるのではなく、真の愛によって成されるのです。「真の人」は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体調和を成すことをいいます。人間は、神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身が一体を成すようになります。 心と体が分かれることのない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら完全に一つになり、真の愛の人格として成就するようになっています。心身が統一された基地をつくって初めて、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成立させることができます。神様の真の愛が心身統一基地の上に臨めば、「真の人」は真の愛の門がいっぱいに開き、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった「真の人」にとっては、見るもの、聞くもの、感じるものの中で真の愛でないものがなくなり、自動的に無限に自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔いしれ、最高の芸術的な情感の中に暮らすようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と同化し、ともに酔いしれながら生活の中に美しさを体験しつつ、前進的な創造目的を完成します。このようになれば、神様の前に完全に対象体となって、神様に似るようになり、その真の愛を相続するようになるのです。神様が感じるものをそのまま感じ、神様が好まれるものをそのまま好むようになります。 人間において最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけで生じるのではありません。自己中心的なところからは生じません。相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与え、施しながら一つになろうというのが真の愛です。 そのようなことから、真の愛はすべてのものを皆、かき抱くようになります。真の愛は、自分個人の所有ばかりではあり得ません。真の愛は、相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙の公認のものになるのです。 神様の願いは、真の愛を人間とともに成就することです。神様は、ご自分の息子、娘であり、最高かつ最も貴い被造物である人間と、心情世界において永遠に、真の愛の喜悦と幸福をともにしたいと思われます。 人間世界において真の愛を完成することに、政治的に、経済的に、文化的に、そして環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題はありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている難問題は、真の愛の完成によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次、体得しながら完成するのです。 個体についてみれば、心と体が一つになるところから真なる愛が現れるようになります。次に、心身一体を成した完成した男女が、真なる夫婦の真の愛で愛し合い、次に、彼らが真なる神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛することのできる真なる父母にならなければならないのです。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真なる夫婦が一つになって息子、娘を生むようになっています。そうしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤することのできる最小単位が「真なる家庭」です。ゆえに真の家庭は、人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える場所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真なる社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現され得るのです。 私が常に、地上における真なる家庭天国を強調する理由もここにあります。真なる家庭天国が築かれれば、地上天国が築かれるのです。真なる家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他の幸福を阻害したり環境と不調和を成しません。いつもために生きる真の愛で調和一体を成す真の人になるのです。 男性は神様の陽性性禀を、女性は神様の陰性性禀を代表した主体と対象です。神様の創造理念は両性の中和体としておられる神様の性相を二性に分立して、再び神様の本性相に似た姿へと合性一体化するのです。 真の夫婦とは、神様の二性をそれぞれ代表したのであり、天と地を代表する立場で互いに調和一体を成すために生まれました。すなわち、男性も女性も本来、自己のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在すべく創造されたという話です。このように真の夫婦は、それぞれ相対のために生まれたということをはっきりと知らなければなりません。男性は女性のために、女性は男性のために生まれたのです。 真の愛は、一人では成されないと言いました。真の愛は、必ず相対的基盤を通して成されるのです。夫婦間の真なる愛は、自分の夫婦だけのためのものなのではなく、神様の創造理想を中心とした真の愛になります。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって自己の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した願いによって未来の世界に向かっていかなければなりません。子女の懐胎も家門の繁栄もこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が生活環境圏を超えて、神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが究極的な願いとなるのです。 堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に戻る復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国、民族と教会を尋ね求める前に、ご自身の相対を尋ね求められ、一つの中心家庭を取り戻されます。神様は、歴史を通してご自身の理想的な対象になり得る真の家庭を捜し求めてこられました。 この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な真の家庭を取り戻すことができなければ、理想的な国も世界も復帰することはできません。本然の真なる家庭を先に立てるべき原則が、ここにあります。したがって、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どんなに繁栄していたことでしょうか? アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらに真の父母になって、その後孫と全人類の真の先祖になっていたことでしょう。 アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いたことでしょう。したがって復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を捜し立てて、これを中心として編成されることでしょう。このとき、中心の真の家庭は、人類の希望であると同時に神様の希望です。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始まりとなり、人類の平和と幸福の基点となります。 「まいたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母から、悪と偽りの歴史としてまかれました。今の時は、これまで人類社会をかりそめにも支えてきた「父子の因縁」であるとか基本倫理道徳律までも、みな壊れてしまいました。動物にも劣る悖倫行為が相次いで起こっています。そしてだんだん、その程度がひどくなっていきます。それは、エデンの園において堕落によってそのようにまかれたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代に伴って発展することもないし、そのままで完全なものです。原型そのままで真であり、不変、永遠、絶対的なものです。 ところが、人間始祖が成長期間の中で、未完成のままで堕落して、偽りの愛の始まりとなったのです。利己的であり、悪なる偽りの愛を土台にして積み上げられた人類の文明は、このまま続くことはあり得ません。このままではいけません。人類は滅びてしまいます。 家庭の土台が崩れ、後孫が根本的に誤っているというのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味があるというのでしょうか? 歴史的な過誤と不条理は、根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊急に必要とされることは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なしに人類の幸福や平和な世界は望むことができません。今日の諸問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に研究、評価してくださるようにお願いします。青少年に対する真の愛と純潔の運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動等を、教団的行事としてのみ、とらえてはならないはずです。 世界平和のためには、平和な国家が先になければなりません。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが、一般的に願ってきた権力や富貴や知識は、平和と幸福の必要十分な条件にはなり得ません。真なる幸福は、愛の所有に比例するのでもなく、外的な生活の便利度に従って左右されるものでもありません。このようなものは、真の愛とともにあるときに、真なる平和と真なる幸福をもたらすようになるのです。真正な平和も、無限の幸福も、真の愛で人のために生きて施すときに、そしてその施したものが全体を回って再び戻ってくるときにのみ、確実にもたらされるようになるのです。 尊敬する指導者の皆様。これまで皆様は、各分野において並々ならぬ確信によって、人類福祉と社会発展のために大きな実績を上げておられることを知っています。もちろん、その分野で一層大きな寄与をなさらなければなりません。しかし今、人類は総体的危機を迎えています。特定分野だけの備えや処方では十分ではありません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、指導することに立ち上がらなければなりません。 去る六月十三日、私が執典した三億六千万双の祝福結婚式の第一次一億二千万双結婚儀式は、私が生涯をささげて理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参した人は、すでに神様に誓約し、神様の真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通じての歴史的な真の愛の革命を滔々と進めているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うこと以上に急を要することがどこにあるでしょうか? 平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参されるように重ねてお願いします。 神様の真の愛が、皆様と皆様の家庭、そして国にともにあるように祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
コメント(0)
3億6000万双第1次世界祝福式祝祷1998年6月13日マディソンスクエアガーデン 愛する天のお父様。きょう、一九九八年六月十三日、天地が直視するこの聖なる場、マディソン・スクェア・ガーデン。この場を聖なる祝福の場として策定し、一億二千万以上が祝福の恩賜を受けることのできるこの聖なる時間を賦与してくださったことに心から感謝を申し上げます。 きょうのこの祝福は、今まで連ねてこられた祝福とは異なり、天地を解放するために、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる人と悪なる人たちを集めて行われるものでございます。 エデンにおいてアダムとエバが堕落した種を蒔くことによって、神様の恨の歴史を生じさせ、偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、サタンの血統を受け継いでしまいました。そればかりでなく、第一代の家庭であるアダム家庭で、長子カインがアベルを殺害して血肉戦を起こすという、悲惨な歴史から出発し編成された人類のすべての家庭でございました。 そして、家庭を越え、氏族において、カイン側が、アベル側、天の側を今まで犠牲にしてきましたし、蹴ってまいりました。家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越えて、このようなカイン的権限をもち、サタンと共に神側の父、アベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実がございましたし、宗教歴史を通して、良心的な世界の人々が暮らす歴史の路程において血を流してまいりました。 アダム家庭で殺戮戦の兄弟関係と家庭破綻が始まり、神様にあってはならない悲痛な歴史の出発となりましたが、これを救援完成しなければならない長い期間を、本来の復帰すべき未来を見つめながら、個人的受難の道で打たれ、耐えてきて、家庭的受難圏、氏族、民族、国家、世界的受難圏でも打たれて勝利し、耐えてきながら、蕩減してきたのです。打たれて奪ってくる戦略で、サタンの前に今まで耐えてこられた神様に、全人類は感謝を捧げるものでございます。 このようなことを敬い、勝利の道を開拓するすべての宗教指導者を中心として、歴史時代にその足がかりを拡大するための犠牲の祭物として、すべての聖人たちも耐え、歴史的な世代を受け継ぎ、世界史的な統一の歴史をおつくりになるまで連なってきた先祖たちの前に感謝を捧げるものでございます。今や神様の勝利の圏を備えることのできるこの時代を迎えました。 今の時代を迎え、偽りの父母が蒔いた霊界から肉界のすべての実情の結果を清算するために、天は真のご父母様をこの地に送り、真の愛を中心として、汚された代々の血統を清算し、汚された国、汚された地上のすべてのものを清算し、神様の創造理想、神様と直系で通じることのできる、真の愛の血統を受け継ぎ、地上から天国に直行することのできる道をつくられました。 そして再び真の父母によって、個人的な塀、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地の塀を完全に崩して、地上地獄を解放し、天国を開門したのでございます。真の父母が全人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨み多かったことを蕩減復帰し、天の眷属(一族)を率いて天国に入っていくうえで、霊界が歓迎することによって、解怨成就するために、サタン世界の頭目となるすべての人も、エデンで兄が弟を殺したそのことを世界史的版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもち、長子の立場で今までサタンと共に生きてきたことを解放させるために、きょう、このような祝福の日を共に許諾してくださった恩賜を、天の前に感謝申し上げます。 お父様、今、霊界にいるすべての霊人、全世界の人々が、きょう、この場を追慕しておりますので、ここのイエス様を中心として四大聖人と数多くの善なる霊たちを、それだけでなくアダム家庭でなすことができなかった解怨成就のために、サタン圏内で代身したこのすべての人々を共に祝福してください。それによって彼らが天に仕え、サタンに反旗を翻すことによって、サタンを屈服させると同時に、天の祝福圏に同参するという、億千万代の受難の土台の上でもなすことができないことがなされるようになりました。 偽りの父母によって蒔かれた血統を取り去ることによって、真の父母の勝利の結果をもたらし、長子圏と次子圏、霊界と肉界が分かれたものをあなたの統一的愛の心情でもって、エデンの園で願われた所願成就を、世界的家庭圏に立って、天国に全人類と共に直行することのできる、解放の日として祝福することのできるこの時間を許諾してくださったことに心から感謝いたします。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的人士、霊界の先祖たちが祝福されることによって、地上に連結されたその後孫はもちろん、そこに属した後継者まで解放圏を備えて、真のご父母様の解放的天宙開門の歴史に同参することのできる祝福をしてくださったことを、万民と共に、神様と真のご父母様の前に感謝を申し上げます。 きょう、この一億二千万双、三億六千万双を準備していくすべての道が人類と共に、地上天上開門において、神様が直接天国に直行できる高速道路をつくることができるよう、許諾してくださったことに、感謝、感謝、感謝申し上げます。 この日のすべての聖なる式典を直接主管なさり、無限の祝福、解放、永遠の自由を賦与され、勝利の天国に前進、前進、前進することをきょう、この祝福の席で万宇宙と人類全体、先祖、後孫全体の前に宣布いたしますので、その道に従って、天国の国民となり、天国の子女となるよう許諾してくださった恩賜に、本当に感謝しながら、この万事勝利の結果をなすことのできる時点となったことを、神様の名と真の父母の名で天と地全体万象の前に宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.23
コメント(0)
「地上・天上世界の解放圏」宣布一九九八年六月十三日、ニューヨークにあるマジソンスクエアーガーデンで三億六千万双の第一次祝福式が挙行された。この祝福行事では、喜進様の霊界祝福と、五大聖人の霊・肉界祝福式、天の側とサタン側を代表した三十四人の祝福を含め、九十二億人の霊界祝福がなされた。真のご父母様は祝祷を通じて、この祝福行事が万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する「地上・天上解放祝福式」であると宣布され、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされた。 告文及び統一祝福式 万有の根本なる真の愛の本体であられる天のお父様、この日、真のご父母様を迎え、ここニューヨークのマジソンスクエアーガーデンと全世界、百九十五か国を連結し、一億二千万双が真の愛の夫婦として真の家庭を築こうと思いますから、神様が直々に執政して永遠なる真の愛の祝福を許諾してくださいませ! またこの式典で真のご父母様は、霊的には興進様の家庭とイエス様の家庭、肉的には私たち家庭を代表に立てて、地獄を含めた天上世界のすべての壁を取り壊す特別な恩赦を下します。この場において真のご父母様のみ名のもと、私たち代表家庭が霊人たちに予備祝福を行います。既に予備祝福した百六十億双の霊人たちまで含めて、引き続き行われる真のご父母様の祝福に備えるのでごさいます。漠然として不確実だった霊界の法度と内容を真のご父母様は完全に知っておられます。また霊界に大使を送られて、最高位の聖人たちから地獄にいる霊人にいたるまで会って事情を調べたり、教育するように指示されたりします。信じられないかもしれませんが、これは事実です。既にその内容が本として出版されました。 数多くの霊人たちの祝福のうちで、天側とサタン側を代表して三四双が特別に祝福を受けることになります。イエス、孔子、釈迦、マホメット、マリア、アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、カレブ、洗礼ヨハネ、ソクラテス、スウェーデンボルグ、サンダーシンク、李承晩、金活蘭、朴マリア、朴正煕、アイゼンハワー、ニクソン、岸信介、福田赳夫、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ヒトラー、東条秀樹、ムッソリーニなどでございます。天の側の代表には、地上人を相対に迎えて祝福を受けるという特別な方々もおります。真の愛の祝福は、行き渡らないところがなく、善霊はもちろんのこと、地獄の門さえも開き、天国に向かって出発できる道を開いてくれる驚くべき恵みでございます。 地獄の門と天国の門が開かれ、上下の全霊界に連携されている善なる霊と悪なる霊が共に祝福を受け、既に祝福された善側の長子に従う、復帰された次子の立場に立たせるのです。神様は、長子のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の現場を、ただ見つめているしかなかったという悲しい恨を抱いてこられました。今や神様はその反対に地獄にいる怨讐たちまでも許し、祝福して、愛する長子に従うようにする真の愛の摂理をされるのです。 今回真の父母によって成される霊界と地上に対するこの歴史的な統一祝福儀式によって全宗教圏が和合し、霊肉共に一つの祝福圏を成し、霊界と肉界が解放圏を成して一つになるのです。ここに神様と真のご父母様を中心とした地上・天上天国時代を開門する、大転換的な祝福式を宣布いたします。 祝祷 愛する天のお父様……、今日、一九九八年六月十三日、天地が見つめるこの聖なる場所、マジソンスクエアーガーデンのこの場を聖なる祝福の場と策定して、一億二千万双以上が祝福の恵みを受けられるこの聖なる時間を与えられたことを心から感謝申し上げます。 今日のこの祝福は、これまで時代を下ってきた祝福とは異なり、天地を解放するため、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる者、悪なる者を集めました。 神様の恨の歴史を招いた偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛・偽りの生命・偽りの血筋と偽りの良心の愛によって、サタンの血族を引き継ぐことによって、エデンの青少年たちがアダムとエバの堕落した種をまき、さらには初代の家庭であるアダム家庭で、長子のカインがアベルを殺害するという血肉戦を招いた、寒風の歴史の上に出発した先祖の家庭によって継続してきた全人類の家庭を超え、氏族におけるカイン側が、アベル側、神側を犠牲にし、打ってきながら、家庭を超え、氏族を超え、民族を超え、国家を超え、世界を超え、このようなカイン的な権限をもって、サタンと共に、神側のアベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実……、宗教歴史を通し、良心的な世界の人々が暮らす歴史を通して血を流してまいりました。 アダム家庭で殺される兄弟姉妹と家庭破綻のありさまを見つめる神様は、あってはならない悲痛なる歴史の出発と共に、それを救援し、完成し得る遥かな期間を、本来復帰すべき未来を見つめてこられました。個人的な受難の道で打たれて忍び、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道でも、打たれて克服しながら忍んで蕩減し、打たれて奪ってきたのでございます。そのようなサタンに対する戦略の前にこれまで耐えてこられた神様の前に、全人類は感謝申し上げます。 このようなことを掲げて、勝利者の道を開拓すべきあらゆる宗教の指導者を中心として、歴史時代のその足場を拡大するための、犠牲的な祭物として消え去ったすべての聖人たち……、創造歴史の代を継いで、世界史的な統一の歴史をもてるまで続いてきた先祖たちの前に感謝を捧げつつ、神様の勝利の足場を備えることのできるこの時代を迎えました。 この時代を迎えて、偽りの父母によってまかれた霊界から肉界にいたる、あらゆる失敗についての結果をすべて清算するために、天は真のご父母様をこの地上に送られ、真の愛を中心として汚れた血代を清算し、汚れた国と汚れた世の中のすべてを清算し、神様の創造理想が神様と直接に通じることのできる真の愛の血族を引き継いで、地上から天国に直行できるようになりました。 真の父母によって個人的な壁、家庭・氏族・民族・国家・世界・天地の人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨めしかったことを蕩減復帰し、天の眷属を率いて天国に入るにあたり霊界がそれを歓迎することによって……、彼らを解怨成就するためには、サタン世界の主犯である者たちも皆、エデンにおいて兄が弟を殺した因縁を世界的な版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもって、これまで長子の立場でサタンと共に守ってきたものを解放しなければなりません。 今日、そのような祝福の日を共に許諾してくださった恵みを、天の前に感謝申し上げます。お父様……、今やすべての霊界にいる霊人、全世界の万民は、今日この場を見つめておりますから、ここにイエス様を中心として四大聖人と数多くの善霊、さらにはアダム家庭で成せなかったことを解怨成就するために、サタン圏内でこのすべての啓示を受けた者たちを、共に祝福してあげることによって彼らが天に抱かれ……、サタン世界に対して、サタンに対して反旗を翻すことで、サタンを屈服させるとともに、天の祝福圏に同参することとなりました。 億千万世の時間を通じてできない道を、偽りの父母によってまかれた偽りの血統を刈り取ることによって、真の父母の勝利的な権限をもって長子権と次子権、霊界と肉界が分かれたのを、統一的な精神の愛の心情、エデンの家庭で望んだ所願の心億……、世界的な家庭圏を超えて天国を全人類と共に直行できる開放の日、解放の日として祝福することのできる、この時間を許諾してくださったことを心から感謝申し上げます。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的な人物、霊界の先祖たちが祝福を受けることによって、地上に連結したその子孫はもとより、その教団的な子孫までが解放圏を備え、真の父母の解放的な天宙開門の役事に同参することのできる祝福を許諾してくださいましたことを、万民を合わせて、神様と真のご父母様の前に感謝いたします。 今日、この一億二千万双、三億六千万双を準備する、このすべての者たちが、人類と共に地上・天上の開門にあって、神様が、天国に直行できる高速道路を築かせてくださったことを感謝、感謝、感謝いたします。この日のすべての聖なる式典を直接、主管なさって、無限なる祝福と永遠なる解放と永遠なる自由と勝利の天国に前進、前進、前進することを、今日、この祝福の場所において、全宇宙と全体の人類先祖、子孫全体の前に宣布いたします。 この道に従って天国の国民となり、天国の子女とならせてくださった恵みに心から感謝しながら、すべてを勝利の結果となり得る式典となったことを、神様と真の父母のみ名によって、天と地、全体の万象の前に宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 これまで全部で何双やりましたか? 三十六億双です。以前に九十八億と言いませんでしたか? ですから、五十億になるので……、百五十億です。百五十億になったそこにおいて、一〇パーセントを霊界で祝福すると、心の中で考えなさい。そこに付け加えて百六十億、サタンを解放するために霊界祝福をしてあげたという基準を立てておいて、それを今回、発表しなさい。 興進君とイエス様を呼んで、ずらっとその代表を、郭錠煥が聖人たちを中心として予備祝福してあげて、本祝福に加担させるのです。予備祝福をその式場でやらなければならないのです。ですから、全体を代表して郭錠煥が、自分の妻と二人で代表し、全体の解放圏の聖酒を飲むと考えなければなりません。そこに相対できる者、四人聖女ならば四人聖女を中心として、残りの者は郭錠煥が全体の前に天上・地上の解放圏を与えるようにしなさい。夫婦の因縁を結べる自由の解放圏のために、郭錠煥が真の父母を代身し、興進君とイエス様を代身して、第三の真の父母の前に、全世界の家庭連合の会長として予備祝福するようにしなさい。祝福されたすべての者たち、すべての聖人たち、霊界で百六十億を祝福したすべての者たちが、今回、正式にここに共に参席し、解放の宣布をされるのです。このような重要な時期であるということを、宣布しなければなりません。 そこに「サタン血統の断切」という二回を入れなければなりません。その基準を据えたので、サタンの根がなくなるのです。それがすべて兄弟です。神様を中心として、真の父母を中心として、兄弟の立場に立つのです。父母と兄弟の立場に立つので、そこにおいて真の父母は、霊界と肉界を総蕩減するために清算した、このような権威を中心として、神様の代わり、サタンの代わりに、すべての全権をもって決定できるので、こうした内容を決めるのです。 興進君の家庭とイエス様の家庭を代表して、郭錠煥の家庭が祝福することによって、全世界の新しい家庭が霊界と肉界の出発を始めるのです。それによって地上地獄・天上地獄の門が聞かれて、天国まで門が開かれて、誰でも祝福された者は、天上世界に入っていけるようになるのです。しかし、祝福を受けたからといって、カインが直接的にすぐに入っていけるというわけではありません。段階的に教育を受けて、発展過程を経るのです。いずれにせよ、地獄から天上世界に入れる過程のシステムは、霊界で教育を受けることで解放されるのです。 そして予備祝福は、その前にやるのです。式場で本祝福を始める前に予備祝福式をやるのです。ですから、第一式、第二式となります。第一式は霊界統一解放式です。霊界と肉界の統一、地上と天上天国の間に地獄があって、両世界をふさいでいます。天国に行くには数多くの怨讐たちの闘いの場があるのです。これが何かというと、神様とサタン、再臨主と実体の怨讐たち、この二つの群れが分かれて、決戦をやるのです。供え物を裂くのと同じです。 これを合わせるのが真の父母の仕事です。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、神様と一つになり、真の父母と神様が一つになって、分かれたすべての息子と娘が祝福され、連合するのです。カインの群れとアベルの群れを一つにするのです。ですから、ここは(板書をされながら)悪党でしょう。この世で最高の悪党の群れを中心として祝福してあげ、一か所に集めるのです。カインはこれまでサタン世界で長子権を行使してきましたが、これからは真の父母を中心として、祝福を受けた三六家庭から全世界の三億六千万双を中心として、霊界を中心として連結させていくのです。 ここは数が合わなければなりません。地上の代表氏族を中心として、その背後に霊界がどんなに多くあっても問題ではありません。代表として祝福を受ければ、彼らは霊界で代表を通して祝福していくのです。そうして一つにして、祝福圏を地上・天上世界に立てることによって、天国に入れる門に向かい、解放者として教育を受けて、入るようになるのです。 (「お父様、具体的にその日、ご父母様が臨まれた後で、その式をやるのですか、臨まれる前にやるのですか?」)。私が祝福をしに出て来ます。出てくる前にその式をやり、それから祝福式をやるのです。(「それならば待機室におられる時にやるのですか?」)。違います。式場に真の父母がいなければなりません。(「ご父母様は『付き添い入場』の後で出て来られますが……」)。式場に出てきてから真の父母の前でやるのです。(「ご父母様が来られて、私が告文を読む時間があります」)。告文のその時間にやるのです。(「それでは、それは公式的に私が条件を立てて、心の中で祈祷しながらやらなければならないのですか、発表をするのですか?」)。宣布するのです。プログラムに入れなければなりません。プログラムの中間に入れて、「地上・天上解放祝福式」があると言って、宣布するのです。 どうして、それが必要なのでしょうか? 発表しなければなりません。四大聖人の相対が誰であるか発表するのです。郭錠煥が、地上で結婚して暮らした最初の妻、初愛の相手だった妻と相対できるようにしてあげるのです。全宇宙の人たちが、このような原則に従って、無限に霊界で祝福を受けられる特権を許諾してあげたのです。それで、興進君とイエス様に与えた特権よりも……、郭錠煥が霊界を祝福することのできる代身者となるのです。 興進君が全権を与えるのです。そしてイエス様も全権を与えるのです。この二人が祝福をして、郭錠煥を中心として三人が一つになって、地上で門を開いてあげるのです。そのようにすることによって、二人が天上世界においても門を開いて収拾し、真の父母に侍りながら入っていくようになっているのです。そのような基準を合わせるために、このような式が必要なのです。 ですから、まず四大聖人をはじめとして、三十三名を宣布したでしょう? ウルグアイに行って、イエス様を中心として三十三名です。イエス様まで含めて三十四名です。王として仕えられなかった三十三名の王、王として仕えるべきであったのに、仕えられなかったのです。それで三十四か国が一つになって、統一天下にできなかったことを、私がウルグアイに行って蕩減してあげるのです。全世界的にそのような組織をつくるように言いました。それで七百八十人の女性たち、六大機関に百三十名を中心として、これをすべて束ねておいたのです。それを今、韓国も他の国もできずにいます。。 ですから、今から国に戻って、三十三人をこのような原則で集めて、祝福してあげるのです。その次に、七百八十人の女性たちをその代表として祝福してあげれば、男性たちが自動的に回るのです。なぜ女性たちをそのようにするのでしょうか? 地上で先生の側近で侍っていた女性たちは、郭錠煥が霊界の誰かに関われば、そのとおりにしなければならないのです。霊界の人が中心ではないのです。 ですから、先生の側近で侍っていた玉氏のお母さんや承道女史、基完女史をはじめとして……元福女史の三位基台お母様の三位基台などはすべて連結しています。ところが、霊界に行っても一緒に暮らすことができないのです。そこで新たに相対を結んであげなければなりません。一対一なので、皆解いて新たに配置しなければなりません。整理しなければならないのです。 ですから、その者たちをここに集めておき、統一教会の霊界に行った人たちを皆集めておくのです。これまで、統一家において側近で過ごしてきた者たちは、どれほど迫害を受けてきたことでしょうか。夫や息子や娘から迫害されたのです。その夫が嫌いならば、やってあげないのです。あらゆる聖人たちと受けずに、自分の昔の夫が一番いいと言えば、そのようにしてあげるのです。先生の言うことに絶対服従して、先生の言ったとおりに従うならば、聖別し決定して、祝福するのです。 それで、服を三十三着準備したのです。イエス様は以前にやりましたから、三十三着を準備しました。三十三名の名前を呼んでもかまいません。名前を呼んで、それに合わせて祝福してあげればよいのです。そして、全世界の百八十五か国に三十三名を決定するように宣布したのです。各国で三十三名、国家代表に連結させることのできる総体的な人物をまとめるように言いました。そして七百八十名の女性連合の代表者をまとめて、その夫たちが三十三名を祝福するようにするのです。七百八十名さえこのようにすれば、国が一気に動くようになるのです。今回の祝福家庭を盾としながら宣伝し、各国家でこのような祝福をすれば、その国が完全に動くのです。 世界的に公文を送って何度も実践するように言いましたが、ヨーロッパはみなやりましたか? 女性たちを七百八十名選んで教育するのです。南米はみな終わりました。それはむやみにやったわけではありません。イエス様の恨を解かなければなりません。イエス様は三十三歳ですが、その三十三歳は何を意味するのでしょうか? 毎年、三十三か国がその国の王として侍らなければなりません。王の王なので、すべての国家が訪問して侍らなければならないのです。 幼い頃から、生まれながらにして、周辺国家の王たちが礼物を携えて訪ねてくるのです。イスラエルの国だけではありません。周辺にある三十三か国がすべて来なければなりません。イエス様が三十三歳ならば、本来三十四歳になるのです。三十四歳のために出発したのです。そのようにして三十四数が、三数と四数で七数になるのです。さらに三かける四は十二数、すべての数理の数となるのです。イエス様を中心として三十四名、三十四の王です。これを指すのです。そこで一つになっていたら、天下が統一されていたのです。イスラエルがそのような準備をして、各国の王をすべて招侍し、イエス様を中心に立てて侍っていったならば、どうしてイエス様が亡くなることがありましょうか? それができなかったのです。王として来られたのに、王として侍られなかったのです。 それで、先生の時代はどうですか? それまでは王として来たのですが、何ですか? 王として来たのではありません。統一天下の、地上・天上天国の権限をもって来たのです。百八十五か国が、国連に加入したすべての国家が……。私たちが百二十家庭を祝福するということは、百二十国を祝福するということです。……あの時に、そのようにすべてが侍るべきだったのです。それでこそ、イエス様の峠を越えて、世界が統一天下になるのです。それがすべて蕩減なのです。言ったとおりにやらずに皆勝手にやったのです。 それで今後、霊界祝福を宣布したら、問題が起きるのです。宗教界に問題が起きます。「文総裁が何の権限をもって私たちの教主を祝福するのか!」と言うのです。それは違います。その教主たちが実際に願っているのです。霊界で連結して呼んで、自分たちが願う相対、文総裁の前に相対と一つになって、解放されることを切に祈ったからです。自分たちが「今後、私は宗教団体の責任者として、私の団体すべてが祝福の恵みを受けられるように祈ります」と言ったのです。宗教団体の代表が祝福を受けることによって、天上世界の先祖たちも一つになって祝福を受けるので、地上にある宗教団体も祝福を受け、宗教が一つになるのです。真の父母によってです。経典は捨てられないので、今後はそこに統一原理、成約聖書を付加するのです。ですから数年間やって、皆祝福さえ済ませればすべてが終わるのです。経典やら何やら、すべてを中断して、成約聖書、キリスト教の伝統的な歴史によって、単一宗教圏として結実しなければなりません。宗教界は世界的な事件が多いのです。 李相軒氏も知らないのです。相軒氏も霊界に行って原理を中心として、合っているか否かを、踏査しながら照らし合わせて、間違いないので、これを真の父母の前に通告し、さらには、真の父母の手が及ばなかったことを連結しているのです。金日成がどうであるとか、共産世界がどうであるとか、第二次大戦の元凶たちは怨讐で、どのようになるかといったことが、すべて問題になるのです。それをまとめて、先生が全般的な原理の観点から治めてあげなければならないのです。それが結論です。 郭錠煥、宣布式をする前に祈祷するようになっていますね?(「はい、告文です」)。告文。地上に告げるのです。三十三人の代表として、十二人が連結されます。イエス様まで含めれば三十四人です。イエス様が同参するので、三十四人でもかまいません。 ですから、生まれながらにして王として対されず、恨の歴史を残しませんでしたか? それを解いてあげ、そのようにできる立場で、そのような話をする必要はないのです。イエス様まで合わせて三十四人です。もしその数が満たなければ、十二名の代表をしてもかまいません。その相対となるので二十四種類です。十二支派を中心として、天上路程に二十四路程となったので、その数を合わせるために十二数だけ合わせてもかまいません。三十三人、イエス様を中心として十二弟子さえ一つになったならば、天上天下・地上天下が統一される基台となるのです。(二九四-四七、九八年六月五日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.21
コメント(0)
真の家庭と世界平和日付:一九九八年六月十一日場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ・アストリア・ホテル行事:一九九八世界文化体育大典 著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。 真の愛の創造理想 人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。 それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。 堕落によって失われた真の愛 神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。 神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。 本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。 人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。 心身の統一基地 すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。 心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。 人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。 真の愛の完成 人間世界において真の愛を完成すれば、政治的や文化的、環境的に何か問題があり得るでしょうか。真の愛の世界では、解決できない問題がありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が満ちあふれた自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になるのです。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、根本的な解決が可能です。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の子女の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の父母の愛を順番に体恤しながら、完成するのです。 個体について見れば、心と体が一つになるところから真の愛が現れます。その次に、心身一体となった完成した男性と女性が真の夫婦の真の愛を交わし、その次に、彼らが真の神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛する真の父母にならなければなりません。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真の夫婦が一つになって、息子、娘を生むようになっているのです。そうしてこそ、完全で理想的な家庭ができるのです。 父母の真の愛、夫婦の真の愛、兄弟の真の愛、子女の真の愛など、四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が真の家庭です。したがって、真の家庭は人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える所となります。ですから、真の家庭は人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校なのです。このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真の社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現されるのです。 私が常々、地上における真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が形成されれば、地上天国が形成されるのです。真の家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他人の幸福を阻害したり、環境と不調和を起こしたりはしません。いつでもために生きる真の愛によって調和一体を成し遂げる、真の人になるのです。 男性は神様の陽性の性稟を、女性は神様の陰性の性稟を代表する主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化することです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しているのであり、天と地を代表した立場で互いに調和一体を成し遂げるために生まれたのです。すなわち、男性も女性も、本来自分のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するように創造されたということです。真の夫婦はそれぞれ、相対のために生まれたことをはっきりと知らなければなりません。 真の愛は、一人では実現されないと言いました。真の愛は必ず相対的基盤を通して実現されるのです。夫婦間の真の愛は、自分たち夫婦のためだけのものではありません。神様の創造理想を中心とした真の愛です。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって、自分の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も、家門の繁栄も、この基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え、神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが、究極的な願いになるのです。 家庭の重要性 堕落はアダム家庭から起きたので、本然の姿に戻っていく目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、御自身の理想的な対象となる真の家庭を訪ねてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出せなければ、理想的な国と世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てる原則がここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えたでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。 アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始原となり、人類の平和と幸福の起点になるのです。 真の愛の革命 「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という言葉があります。人類の先祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪の人格、悪の夫婦、悪の父母から、悪と偽りの種が蒔かれたのです。今の時代は、それでもこれまで人間社会を支えてきた父子の関係や基本倫理、道徳律までもがすべて崩れてしまいました。動物よりも劣る破倫行為が起こり続けています。その程度がひどくなっていくのです。エデンの園における堕落によってそのように植えられたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代による発展もなく、そのままで完全なものです。原形そのものが真であり、永遠、不変、絶対的なものです。ところが、人間の先祖が成長期間において未完成のまま堕落し、偽りの愛の始原を形成したのです。利己的で悪の偽りの愛を土台として積み上げた人類文明は、このまま続くことはできません。このままではいけません。人類が滅んでしまうのです。 家庭の基盤が崩れ、子孫が根本的に誤っていくのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味がありますか。歴史的な過ちと不条理は、根本的に清算されなければなりません。人類にとって最も至急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくしては、人類の幸福や平和な世界は望めません。今日の問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価してくださることをお願いします。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動などを、統一教会の教団的行事としてのみ考えてはいけません。 世界平和は、平和な国家がまずあってこそ、実現されます。国家の平和は家庭の平安が前提でなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富貴や知識が、平和と幸福の必要十分条件にはなり得ません。真の幸福は、所有に比例するのでもなく、外的な生活の利便さによって左右されるのでもありません。このようなものが真の愛と共にあるとき、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。本当の平和も無限の幸福も、真の愛で他のために生きて施すとき、そしてその施したものが全体を巡って再び訪ねてくるときにのみ、確実に得られるのです。 尊敬する指導者の皆様。今に至るまで皆様は、各分野において並外れた信念をもって、人類の福祉と社会発展のために大きな実績をもって寄与してこられたことを知っています。もちろん、その分野においてさらに大きく寄与されるでしょう。しかし今、人類は総体的に危機の時代を迎えています。特定分野だけの備えや努力だけでは足りません。指導者たちが時代の良心となり、積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり前提条件である真の家庭を創造し、指導するために進み出なければなりません。 十三日に私が執り行う三億六千万双祝福結婚式の第一次儀式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、既に神様のみ前に婚約し、神様の真の愛を中心として真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人々です。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通した歴史的な真の愛の革命を勢いよく進行しているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うことよりも、さらに急がれることがどこにあるでしょうか。平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参してくださることを重ねてお願いします。 神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。誠にありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.20
コメント(0)
「奉献転換式」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、米国のベルベディア国際修練所で、約五百名の食口が参加する中、第三十六回「真の万物の日」の記念礼拝が行われました。この礼拝で、真のお父様は「すべての存在と歴史的事件の主人は神様であられる」という主題でみ言を語られ、午後二時を期して「奉献転換式」を宣布なさった。 式前の準備 この日の宣布式には、真のお父様の指示によって、父の国の韓国代表十二名が最前列に立ち、母の国の日本代表四十名、三人の娘にあたる台湾・フィリピン・カナダの代表がそれぞれ十二名ずつその後ろに並んで立ち、長子国のアメリカ代表四十名は、彼らを取り囲むようにして立った。それ以外の人たちは皆外に出され、真のお父様は「奉献転換式」の祝祷をされた。 み言 「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり」。この題目は大きいのです。そこには欠けているものがありません。では、世の中に関してはどうなるでしょうか? また、悪に関してはどうなるでしょうか? 悪に関しても神様が主人でしょうか? 歴史的な事件といえば、そこには悪も含まれ、善も含まれているのです。 神様のみ旨が完成した世界になれば、地獄の主人は誰になるでしょうか?(「地獄はありません」)。地獄がないとはどういうことですか? 刑務所は地獄と似たような所ですが、アメリカには刑務所がありませんか? その地獄はアメリカの所有ですか、他の国の所有ですか? アメリカの所有なのです。 それと同じように、神様がつくられた万物は、すべて神様のものにならなければなりません。良きにつけ悪しきにつけ、神様の所有圏内になければならないという結論になるのです。ですから、地獄も神様のものにならなければならないのです。 では、地獄の主人は今誰でしょうか? サタンです。そのサタンは、もともとサタンになる前は誰のものでしたか? 神様のものでしたか、サタンのものでしたか? 神様のものでした。神様が完全にすべての主人であれば、すべては神様のものとして返らなければならないのです。 今日は「真の万物の日」です。今までは自分のものと思っていました。私に属するすべての土地や家は、私のものであると考えてきたのです。皆さんの夫、皆さんの妻、皆さんの息子や娘を、我が息子、我が娘、我が妻、我が夫と考えて、自分勝手にやってきました。それらが堕落後に継承された存在であるということを、はっきりと知らなければなりません。 それを整備するために、私たちが知らない中で、神様が数千年間も役事されてきたということを知らなければなりません。ですから、私たちは所有権を否定しなければなりません。万物をすべて否定しなければなりません。万物をサタン世界で否定しなければならないのです。神様はそのまま取り戻すことができないので、万物を半分に裂いて所有権を決定するという祭物の時代があったのです。神様は強制的に奪ってくることができないのです。 旧約時代は所有権を否定するための時代です。所有権を否定して、神様の所有とサタンの所有を決定するための条件物が祭物なのです。条件物は所有権を決定するためのものであるということを知らなければなりません。半分以上を占領して、その占領した世界に神様の息子と娘を送り、その世界を相続するというのが神様のみ旨なのです。 ですから、旧約時代は万物を犠牲にした時代です。万物を供え物として、神様の所有を取り戻そうとしてきたのです。供え物とは何ですか? 原理ではどのように教えていますか? サタンのものを半分に分けて、所有権を決定するためのものです。それを祭壇を通して神様の前に捧げるのです。民を二手に分けて、祭司長が一つとなって、神様の前に二つとも捧げなければならないのです。分かれた祭司長と民が一つになることによって、分けられた供え物と民が一つになるのです。この二つが一つになることによって、神様の所有権が決定されるのです。こうした概念があるということを知らなかったのです。 供え物を誰が殺しますか? 誰が殺すのですか? 祭司長が殺すのです。祭司長は屠殺者です。この世から見たら、唾を吐かれるような存在なのです。供え物はプラスとマイナスです。民の代わりに殺して捧げた供え物と祭司長とが一つになれなかったので、一つにならなければならないのです。供え物のプラスとマイナス、そして民と祭司長が一つにならなければならないのです。縦横に一つになってこそ、神様が所有することができるのです。ですから、神様の息子が来て所有することのできる地、つまり王権を立てていくのです。王権をつくっていくのです。 旧約時代には、供え物を捧げる法をどれほど厳格に守ったことでしょうか! 供え物を捧げるということは、神様の息子、つまり天国の王者を迎えるということだったのです。神様の息子を迎えるのです。サタンの息子ではありません。サタン世界には神様の息子はいないのです。サタンの息子に来いと言うのではありません。神様の息子を迎えられるイスラエル選民の王権基盤をつくらなければならないのです。 その王として遣わされたのがメシヤです。ですから、そのメシヤの前に民が一つにならなければなりません。ユダヤ教はアベルであり、ユダヤの国はカインです。そのカインとアベルが一つにならなければなりません。一つになって、イエス様を国の王として、仕えなければならないのです。ユダヤ民教は蘇生、ユダヤ教は長成、イスラエルの国王は完成です。ですから、民と祭司長と王が一つにならなければなりません。 民は家庭をもつようになり、父母となって、王の位置に上がらなければなりません。天の位置、真の父母となって王権を回復するのです。ですから、イスラエルの民は、家庭をもって教会と一つになった後で国と一つになり、イエス様を王として、仕えなければならなかったのです。家庭の王、教会の王、それから国の王を復帰しなければならなかったのです。それをしっかりと理解しなければなりません。 これから統一教会は、長子権時代と父母権時代を過ぎて、王権時代に入るのです。ですから、その手続きを踏むべき時が来ました。さきほども話しましたが、先生のお尻に何がぶら下がっていると言いましたか? 旧約時代、新約時代、成約時代、王権時代がぶら下がっているのです。王権時代に神の国を立てたならば、すべてはまず王の所有にならなければなりません。 真の父母が現れてどうなるのでしょうか? 未来の王権を代身した所有物は、私たち家庭のものではなく、貴重に扱って国のものとしなければなりません。国の家庭を代表できなければなりませんし、その国は、世界の王権の物を代身し、世界の民を代身し、世界の家庭を代身しなければなりません。このように連結していかなければならないのです。そうして、全天宙の万物を神様に捧げなければならないのです。そのようにしてこそ、その万物が完全に復帰されるのです。 このように、万物を供え物として犠牲にし、神様の息子を迎える準備をしましたが、イスラエル民族の不信によってイエス様を殺してしまったのです。それで、息子が犠牲になったのです。息子の祭物時代です。ですから、キリスト教が血を流すのです。このように万物の祭物時代が過ぎて、息子が供え物となって血を流す時代直系の子女が血を流す時代に入るのです。 キリスト教はどの国に行っても二つの群れ、、すなわちサタンの群れと教会の群れに分かれて、教会の群れが犠牲になってきました。教会の群れとは、教会の牧師や宣教師たちのことです。地図を抱え異国に行っては血を流してきたのが、宣教師たちの歩みであったということを知らなければなりません。その時、イエス様を代身した教会の牧師と、国を代表した国の群れが、完全に一つになるべきでした。 息子と娘に血を流させ、犠牲にしてきたのは、真の父母をこの地に迎えるためであったということを知らなければなりません。ですから、イエス様が亡くなったのちに再臨時代を預言するのです。イエス様が家庭を築いて、氏族、民族、世界において、イスラエル民族を編成できなかったので、来るべき主がそれを成さなければならないのです。ですから、イエス様が血を流したその場に、父母として訪ねて来られた方が再臨主であるということを、皆さんは知らなければなりません。真の父母です、真の父母なのです。 旧約時代の過ちは、新約時代に蕩減しなければなりません。旧約時代のエリヤが新約時代の洗礼ヨハネとしてやってきたように、旧約時代を蕩減するために「雲に乗ってくる」と言いはしたものの、雲に乗ってこられるのではなく、人として来られるのです。人として来られて、この地上で完成するのです。旧約時代を蕩減し、新約時代も蕩減し、成約時代をも越えていくのです。当時は、エリヤが天から雲に乗って、何か不思議な姿でやってくると思っていたのですが、実際は洗礼ヨハネとしてやってきたのです。 再臨主が来られる前には、世界は全宗派が連合する運動を中心として、洗礼ヨハネのような存在が現れ、統合運動をしなければなりません。世界的統合運動をして、一つの世界にするのです。それで、すべて連合運動をするのです。家庭連合運動、宗教連合運動をして、世界連合体制に入っていかなければならないのです。 自分の財産や息子、娘、自分たち夫婦を投入してでも、天の王権を求めるべし! 歴史はこのように宣言しているのです。自分の国までも投入しなければなりません。神の国と神の家庭、神の父母、神の子女、神の財産へと転換しなければならないのです。皆さんの所有ではありません。アメリカの所有でもなく、キリスト教世界の所有でもありません。すべてを天国に返還してこそ、本然の神様の愛を中心とした本郷が、この世界に定着するのです。 所有権の概念をもってはなりません。私のものだと考えてはならないのです。完全に今日から、この第三十六回は十二の三倍数ですから、三十六家庭に立ち返るべき時となりました。それが家庭的な十二支派です。モーセの時の民族的な十二支派、イエス・キリストの時の国家的な十二支派、世界再臨時代の十二家庭、すべて必要なのです。 周辺のすべてに対する所有権がありません。創造当時には、神様の所有でした。すべてが神様に返されなければなりません。皆さんの息子や娘も、皆さんの息子や娘ではありません。真の息子、真の娘の名を接ぎ木してあげなければなりません。今まで神様の息子や娘がいませんでした。レバレンド・ムーンによって、真の父母によって、真の息子と娘が生まれるのです。神様はすべてを失ってしまったのです。ですから、再創造しなければなりません。誰がそれをするかといえば、神様ではありません。真の父母だけができるのです。真の父母が完全に所有権を神様にお返しするのです。 今や真の父母が家庭をすべて元に戻すのです。三億六千万双の祝福を捧げたのちには、サタンの血統を切るのです。神様が「ついに地上・天上天国で私の家庭をもつようになったなあ! これからは私が主人だ!」と宣布されるのです。本然の理想的観念が出発するのです。堕落によって失ったものをすべて取り戻すのです。再創造過程で経てきたすべての受難の道は終わり、家庭から天宙にいたるまで解放されるのです。既に六月十三日にすべて終わったのです。 完全な種を再創造しなければなりません。完全な種が何かと言えば、真の父母の家庭です。そこに連結して、地上天国と天上天国が生まれるのです。種は同じです。変わりません。完成された真の父母がこの地に現れるようになれば、その一つの種が地に植えられることによって、育ち、花が咲き、実を結び、再び種を生産するのです。一つの種を植えて、収穫するときには、十倍、百倍に拡大するのです。その種の価値はすべて同じです。真の父母の価値と皆さんの家庭の価値が同じだというのです。 ですから、皆さんの家庭の種を地に植えれば、真の父母の家庭の種と同様に、収穫するときは、再びその価値と同じ種が出てくるのです。代々に伝わっていくのです。永遠にその種は同じです。 それはどういう概念ですか? それは何ですか? すべての所有は神様の所有です。すべての万物が私たちのものではなく、神様のものなのです。息子と娘も神様の息子、娘なのです。堕落した世界において、神様の息子と娘をもてなかったことが神様の苦痛でした。いかにすれば、真の息子と娘を取り戻すことができるのでしょうか? 神様が留まることのできる永遠の家庭基盤が、正にアダム家庭でしたが、そのアダム家庭の価値と祝福家庭の価値が同じだというのです。そこには中国や日本といった国の概念があってはならないのです。国の伝統とか何とかいうのは、あってはならないのです。それをみななくして、ゼロにならなければなりません。財産も神様にお返しし、息子と娘も神様にお返しするという心情圏が大切なのです。 ですから、相続しなければなりません。相続して私のものにしなければなりません。国・氏族・家庭の主人になるのです。そこから愛が泉のようにわいて出発するのです。その愛の水が流れ流れて、大きな河となり、大洋となるのです。小さな支流のような家庭や氏族が集まって、大きな河のような国を築くのです。その国が集まって地上天国の大洋へと流れていくのです。 大洋は潮流によって動きます。太平洋には四千五百マイルを流れる黒潮というのがあります。大洋とは別にそのような潮流が流れているのです。それと同じです。天の王権を中心とした中心の潮流、主流が天国の皇族なのです。それが移動、循環することによって、周りもそれについていくのです。すべての被造物、家庭がつられて動くのです。ですから「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド(One world under God :神様のもとに一つの世界)」、「ワン・コスモス・アンダー・ゴッド(One cosmos under God:神様のもとに一つの天宙)」を形成するのです。 レバレンド・ムーンが絶対に必要ですか? 私個人にも必要であり、家庭にも、国にも、世界にも、天宙にも必要なのです。他から学ぶものは一つもありません。レバレンド・ムーンが教える内容にすべてが含まれています。真の愛はすべてと連結しているのです。 ですから、今日から皆さんは所有観念、息子や娘という観念、妻という観念、自分という観念を消してしまいなさい。神様の所有という観念をもたなければなりません。今日、このような内容を宣布したのです。何によってですか? 真の愛によってです。それでこそ、真の愛が私のものとなるのです。家庭的な真の愛、国家的な真の愛、世界的な真の愛、天宙的な真の愛が、私のものとなるのです。 家庭的な真の愛とは何かと言えば孝心です。国家的な真の愛は愛国心です。世界的な真の愛を代表するのは聖人、天宙的な真の愛を代表するのは聖子です。家庭から天宙までの愛が私のものになることによって、霊界に行って「堕落する前にアダムが願っていた以上の天宙世界を再創造してください!」とお願いすれば、神様が「よしよし、分かった!」と言われるのです。ダイヤモンドの服も問題なく、数万名を集めて晩餐会を開くことも問題ないのです。信じられますか? 考えたならば、そのとおりに現れる理想世界なのです。晩餐会が終わり、残ったごみも一瞬にして消えてしまい、きれいに片付くのです。元の場所に戻っていくのです。どんなに便利か分かりません。 先生はそのような世界をよく知っているのです。ですから、サタン世界がどんなに反対しても、関係ないのです。怨讐だとは考えません。真の愛の力は、彼らよりも数次元も高いので、それを超えることは問題ありません。真の愛を知れば、怨讐をも超えて愛せるのです。イエス様も十字架上で自らを槍で突き刺した怨讐、ローマ兵のために、神様に許しを求めたのです。怨讐であるローマまでも愛したのです。 旧約時代が私の後ろにぶら下がっています。これを切ってしまわなければなりません。その次に何ですか? 新約時代が私の後ろにぶら下がっています。息子の権威、家庭の権威を失ってしまいました。イエス様が来ましたが、家庭を失ってしまいました。この新約時代を切り捨ててしまわなければなりません。 では今、くっ付いているのは何ですか? 成約時代です。成約時代とは何ですか? 万物も神様のものであり、子女も神様のものであり、夫婦も皆神様のものだということです。私たちの人間世界において、自分のものは何一つありません。真の父母の真の愛を中心として接ぎ木をし、万物も本然に戻り、息子も本然に戻り、夫婦も本然に戻ったのです。 では、それらをすべてもった神様は、何をするのでしょうか? それらを処理することは大変です。処理に困るのです。ですから神様は「私は王であるが、あなたがたは王宮をつくって、ロイヤル・ファミリーをつくって、あなたがたがすべてもちなさい。すべては私の所有であり、私の息子と娘であり、私の家庭であるが、すべてをあなたがたの家庭に相続してあげよう!」と言われるのです。王に代わる家庭の夫婦となり、王に代わる息子、娘となり、王に代わる所有権をもって、神様に代わる主人の役割を間違いなく果たすのです! アーメン 「私は王であるが、あなたがたはロイヤル・ファミリーをつくって、代々にわたって発展し、家庭が氏族に、氏族が民族に、それから千代、万代の王となることができる。そのような家庭の王となるならば、祝福した私よりも立派ではないか!」と言って、神様は「ハッハッハ!」と笑われるのです。それで皆さんが「ありがとうございます。アーメン!」と言えば、神様は「万歳!」を叫ばれるのです。 ですから、すべては教会の所有にしなければなりません。郭錠煥! 家庭連合の所有権を個人から教会に移転する公文をつくりなさい。それは自分のものではありません。教会のものでもありません。国のものですが、日本や韓国のものではありません。国を超え、世界を超え、宇宙を超えて、神様のものです。神様のものになってから私のものになるという、但し書きをつけなければなりません。そのような公文をつくって世界に送り、所有権の移転時代に入るのです。 祝福を受ける前に、所有権の移転時代に入らなければなりません。これが逆になっています。日本は責任を果たせませんでした。この者たちが、その責任を果たせなかったのです。自分の所有権をもって、皆その上であぐらをかいて、自分の息子や娘を中心として自分の妻が暮らせる生活費を残し、今まで真の父母の命令に背いてきたのです。責任を果たせなかったのです。 今回、李相軒氏が送ってきた手紙を見ても、イエス様を含めたすべての人が、真の父母が来て霊界を統一することを願っている、という内容がありましたね? どれほど待っていることでしょうか? その日が待ち遠しいのです。「真の父母という方が来てくださったら、ああ、地獄の門が解放されるのに……」と言っているのです。それで今朝それを宣布したのです。 祝福家庭の息子や娘をすべて神様の所有とし、先生が祭司長となって、裂かずにそのまま祭壇の前に、神様の前に、真の父母と共に奉献するとしたならば、皆さんはそれを願うでしょうか、願わないでしょうか? 願うのです。それが皆さんの正直な思いなのです。世界の祝福家庭を、解放的な天国に直行できる家庭として連結するには、真の父母がいなければならないのです。それを願いますか? 目、鼻、口、細胞まで、数百兆の細胞まで、両手、両腕まですべて天の前に……。皆さん、間違いなく約束するのです。皆さんが教会に任せた所有は国のために使いますが、任せた所有を先生が容認して、売って使っても構わないのです。歴史上はじめて天の国が出発するのですから、そこに皆さんの財産となるすべてを捧げるのです。それは皆さんの財産ではなく、神様の財産になるのです。どれほど光栄でしょうか。 では、皆さんは今日帰って、皆さんの財産、皆さんの息子や娘、皆さんの夫や妻を、すべて天のものとすると、夫妻でサインをするのです。今後、決められた用紙が出るのです。そのように教会の所有として移さなければなりません。しかし、その所有は教会で勝手に使うことができません。教会の所有までもプラスして、国を復帰する運動をしなければならないのです。すべてを国の所有として捧げなければなりません。さらには、その国の所有を世界の所有にしなければならないのです。三回です。 教会の所有になれば、国の所有にします。国の所有になれば、世界の所有にします。世界の所有になれば、さらには天宙の所有にするのです。天宙の所有になれば、神様の所有にします。それから神様の所有が、私の所有となるのです。アーメン! これっぽっちの小さなもので世界を接ぎ木して、世界をもつことができるのです。それをはっきりと知らなければなりません。 それで家庭の所有を教会に任せるのですが、それは教会のものになると同時に、教会を超えて国のもの、国を超えて世界のもの、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のものとなるのです。所有権を移転させて、主人のもとに行かせるのです。 その所有を、真の父母の家庭のために使いたいですか、真の父母の国のために使いたいですか、天上天国の神様のものとして使いたいですか? どうですか? 皆さんの所有を任せるならば、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のもの、このようになるのです。自分自身は小さなものを捧げますが、そこには国が付加され、天宙が付加され、神様までが付加されて、私に相続されるのです。どれほど次元の高い相続者になることでしょうか! 神様以上の主人になるのです。 皆さんは地上にいるときは有限なのですが、無限の神様や見えない永遠の世界と関係を結んだときには、時代を超越して相対となるので、神様からすべてを相続することができるのです。なぜならば、神様は真の愛のセンターであり、真の父母だからです。神様の望みはそれ以外にありません。神様は既にすべてを創造しておかれました。皆さんは地上で生きながら楽しんで創造生活したすべてを、天国にそのままもって入っていくことができるのです。それは皆さんのものになるのです。アーメン! 「万歳! 万歳! We will do it! (私たちはやります)、I will do it !(私はやります)」と言わなければなりません。神様の恩寵が共にありますように! これから「奉献転換式」のプログラムを始めます。ここに日本から来た四十名が立ちますが、長女十二名、次女十二名、三女十二名、三十六名です。その次に、アメリカ四十名、韓国の十二名です。そうして整列します。日本人が二十名ずつ二列に並び、その前に三か国(台湾、フィリピン、カナダ)の十二名ずつが立ち、その周りにアメリカ人四十名を立てて、一番前に十二名の韓国人を立てなさい。 このドアはすべて閉めて、他の者は皆出るように。こちら側のドアもみな閉めるように。早く出なさい。のぞき見してはいけません。あちらの後ろのドアは閉めなくても結構です。至誠所の門と同じですから、開けておいても構いません。完全に開けておいても構いません。関係のない者は入ってはいけないと伝えなさい。 「奉献転換式」、一九九八年五月二十六日「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり!」これは歴史的な事件です。私たちがこのように何人か集まって、真の父母がこのような役事をするというのは歴史的なことです。真の父母は公的な人間です。横的な面でも公的であり、縦的な面でも公的です。ですから、横的な世界において祝福家庭が終わるときに……。 今年の年頭標語は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。これは歴史的な宣言です。これは世界史的な宣言なのです。神様がどれほど心の中で、この日を待ちわびてこられたかを考えなければなりません。慟哭すべき時間なのです。 神様は父母として、父母の国がなければならず、長子の国がなければなりません。そこで出てきたのがイギリスです。カインとアベルの立場の国が、母の国であるイギリスと一つになって、父母の国をつくり、子女の日を制定していたならば、統一天下になっていたのです。しかし、キリスト教文化圏が反対しました。キリスト教が反対したのです。 旧約時代にイエス様が来て、新約時代の出発をしようとして反対されたように、来られる主の家庭的な理想が完全に破綻させられたのです。荒野に立ってこれまで……、家庭的な荒野路程の四十年において、すべてが分かれてしまったのです。地球星に成約時代が来たので、地球星をすべて天の国として立てて、王権と王宮を回復してこそ、創造理想を願っていたアダムの失敗を復帰することができるのです。そのために、イエス様を立てて国の成就、世界の成就まで延長してきたすべてが終結することによって、神様の解放、真の父母の解放を中心とした地上・天上天国の王権を中心として、このみ業が終結するのです。その終結のための最後の準備式が「奉献転換宣布式」なのです。奉献転換宣布式です。今、ちょうど二時です。 今、真の父母を中心としてこの式をするならば、真の父母が共に立たなければなりません。それを復帰の過程に連結するためには、長子と母が一つとなり、真の父母を復帰しなければならないのです。それでこそ奉献式が終わるのです。そのような過程を経なければなりません。 まず天の前にあいさつして「奉献式を宣布いたします」と言います。奉献式は、先生が神様の代わりに立って、お母様がこのすべてを代身した母の立場に立って「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。その次に共に立って、韓国が「国、南北全体を奉献いたします」と言い、日本もまた「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。このように奉献したことを中心として父母の国……、父母から始まって、父母の国を中心として、父母の前に「長子圏が一つになって奉献いたします」と言うのです。このようにして百八十五か国を代表した全体が、父母圏と長子圏と一つになれば、世界がすべて統一されるのです。 (「長子圏の次に、娘の国も奉献いたしますと言うのでしょうか?」)。娘の国もすべて入ります。(「長子圏がするときに、奉献いたしますという言葉を一緒に言うのでしょうか?」。日本がやるときに、三つの娘の国が共にやり、アメリカが長子権を中心としてやるのです。日本が責任を果たせなかったので、三人の娘が必要なのです。それでは二時なので、式を始めましょう。お母様、神様の前に祈祷しましょう。 祈祷 愛するお父様、今日一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」の午後二時を期し、真の父母を中心として、父母としてこの地上でなすべき蕩減的な峠をすべて越えることとなりました。一九九九年二月十三日の三億六千万双の祝福を中心とした一年七か月後には、三億六千万双全体が……、この父母の国と長子権の国が一つになって、全世界が方向を整えて一つの国、宗主国を訪ね、天国に向かって直行する高速道路に乗るべき時代となりました。 ここにおいては地獄が解消され、嘆いていた全人類、天上と地上世界の人々が解放される時代をもたせてくださいました。天が真の父母を愛することによって、今や父母の国を立てて長子権の国を決定したので、韓国の十二名、日本の三十六名を中心としたエバ国家、母の国家が責任を果たせなかったことを、三人の娘の国と一つになることによって四位基台的な基準を復帰し、天使長世界となったアメリカをついに祝福できる時代となりました。 今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダとイギリス、そして第二次世界大戦に属していたすべての国々が合わさり、そこに加担して勝利の統一を願ってきたことを、第二次大戦直後に真の父母を中心として築くべきであった統一王国時代を失ったことを……、家庭的な王国を編成するために、祝福の道を開拓してきた真の父母の苦労に、手をかしてくださったお父様の前に心から感謝申し上げます。 夢のような事実を開拓する路程を、お父様が苦労して開拓されたその日々を私は知っております。誰も知らないこの道を、お父様……、峠を越え、山を越え、大洋を渡り、大陸を渡り、このみ旨を成すために統一家の人たちが、どれほど冷遇され、涙を流してきたことでしょうか。この涙の功をお見捨てにならないお父様の愛に基づいて、真の父母の国を条件的に代わりに捧げ、子女の国をも代わりに捧げ、キリスト教を中心とした統一王国圏を立てることのできる、解放的な世界に前進するようになりました。 これによって南北統一はもとより、日本と韓国が一つの国になり、台湾とフィリピンとカナダが人種を超越して一つになったその基準の上に、アメリカを中心として一つの家庭的な子女の因縁をアダム家庭で立て、神様の愛をすっかり受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的な理想の愛の基準を中心として定着できなかったすべてを、天下の国々を中心として再び安着させることのできる、そのような基盤を真の父母が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますから、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今やお母様が、韓国の十二名と母の国である日本を中心とした台湾、フィリピン、カナダの三十六名と天使長国までを連合させて、ついにお母様と一つになった場を築きました。この二つが一つになった基盤の上に真の父母と一つとなり、神様の前に父母と子女が一つになった、全体の条件的勝利の限界線を越えられる約束の時を迎えながら、このような式を執り行いますので、快くお受けくださいますよう切にお願い申し上げます。過ぎゆくすべての条件が、歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾となり、愛の主権完成の世界へと家庭を超え、国家を超え、天宙全体に神様が自由に往来することができ……、サタン世界の痕跡を取り除いて、解放的な全体圏の中で愛の覇権をもった主権によって治めることのできる、愛の大王とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様……、お受けくださいませ。真の父母のみ名によって重ね、重ね、重ねて、宣言、宣言、宣言、いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 さあ、お母様、こちらに来なさい。では、お母様が前に立ちなさい。韓国と日本が、このお母様と一つにならなければなりません。母の国と父の国が一つにならなければなりません。天使長復帰型の立場において、今やアダム中心線を越えたのです。日本の国と韓国の国が父母の国です。今や祝福したので、これを再び奉献しなければなりません。言葉でなく、実際に奉献をするには、日本と韓国の兄弟たちが一つにならなければなりません。 ここに(板書されながら)何がぶら下がっているかと言えば、三人の娘がぶら下がっています。台湾、フィリピン、カナダがぶら下がっています。それは何でしょうか? 日本は今回、責任を果たせませんでした。韓国に対する責任を果たせませんでした。韓国は祖国光復の道です。韓国という国があってこそ、日本という国があるのです。韓国と日本が天の前に安着してこそ、アメリカがあるのです。これは祝福家庭の国を指すのです。それができなかったので、これを家庭を中心とした祝福基盤として、日本と韓国が父母の国になるのです。そこに天使長だったアメリカが、長子の国になるのです。これはキリスト教文化圏なのです。 真の父母を中心として興進君と、その次には統一教会の祝福家庭、霊界の祝福、地上の祝福が、世界の限界線を越えることによって、キリスト教の次子の立場に立って、キリスト教祝福の世界化時代へと移行していくのです。そのようになることによって、霊界には真の父母のアベル的な祝福家庭である興進君がいて、地上には祝福家庭であるアベル圏があるのですが、霊界にはそれがありません。それで、イエス様を祝福してあげたのです。ですから、カイン圏である地上のキリスト教を統合する運動をして、キリスト教が今回の祝福を主導しなければならないのです。びりになってはならないのです。 ですから、アメリカにおいては六月までに三つの教団の十二万家庭が祝福を受けるのです。これが十二数です。祝福教育を受けるようになっています。ですから、経費は自分たちが払って、真の父母も助けてあげるのです。アメリカも助けてあげるのです。その三つの条件を合わせて、六月までに何としてでも完成しなければなりません。そうなれば、キリスト教文化圏の体質が完全に改善されます。祝福家庭へと向かっていかなければならないのです。 最もきびしい立場にあるのがアメリカです。兄弟の破綻、青少年の破綻、家庭の破綻が起こっているのです。全く系列がありません。父母もなく、おじいさんもなく、すべてがないのです。三大完成圏が完全に破壊されたのです。アメリカのキリスト教がこのようになってはならないのです。既に四十年前に祝福を受けなければならなかったのに、それを失ってしまったので、先生が荒野に行って、その位置を取り戻し、家庭を連結して接ぎ木するという、このような解放圏をつくったのです。それで父母の国、長子権の国が立てられたのです。 これらの国が一つになれば、アメリカの経済圏であれ、何であれすべてが……。クリントン大統領、彼は偽者ですが、外的な面を再び祝福してあげるのです。日本が主導的な役割を果たせなかったので、人れ替わるのです。そのようにして、日本がアメリカに従わなければならない立場に立つのです。 ですから、アメリカが模範にならなければなりません。キリスト教が動くようになるとき、キリスト教に伝統を植えることのできる……。今、統一教会の人々は、今日の奉献式のように、万物の所有、子女の所有、夫婦の所有の全体を天の前に捧げるにあたり、アメリカ式の考え方を脱して、真の父母が伝える天の心情と一体となり、奉献できる模範的な伝統を立てて、キリスト教を新たな第二次革命の基地とし、天の王国と地上天国を復帰する功臣になるべき、長子としての役目があるのです。 すべてをお母様が収拾して一つになり、真の父母と一つになり、再び天の前に連結するようにしなければなりません。その式を挙行しなければなりません。お母様、後ろ向きになりなさい。 よく聞きなさい。真の父母と中心です。さあ、先生について言いなさい。真の父母を中心として、皆さん韓国人は絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。地上の国と天国を完成することを宣言いたします!(「地上の国と天国を完成することを宣言いたします!」)。 日本の食口も同じです。絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。エバの国、母の国を!(「母の国を!」)、真のお母様と一つになって!(「真のお母様と一つになって!」)、天に奉献しようと思います!(「天に奉献しようと思います!」)。アーメン!(「アーメン!」)。この台湾の十二名は長女の立場であり、フィリピンの十二名は次女の立場であり、カナダの十二名は三女の立場にあるのです。この三人の娘は、「日本と完全に一つとなり、父母の国のあらゆる未完成な内容を蕩減復帰し、お母様の行く道の前に遜色なく、完成いたします!」と言わなければなりません。完全に一体となることを宣言いたします!「アーメン」と言いなさい。(「アーメン!」) その次に、周りにいるアメリカ人たちは、国家のあらゆる権限をもって、今、父母の国や、世界の国を保護しなければならないのです。台湾やこのような国々は、力がありません。国の主権がないのです。しかし、この世のカイン的な国家は長子権を代身した力をもっているのです。ですから、弱小国家を保護して、この理念を数多くの国の前に、父母の伝統と長子権の伝統を植え付けることに責任をもちなさい。これからは、そのような責任を果たさなければなりません。 ですから、アメリカの統一教会の人たちは、自分の所有やら何やらすべてを母の国を通して、アダムの国を通して、真の父母を中心として返還するのです。そうすることによって、共有財産、つより天の公的な機関、学校機関、国のあらゆる公共機関の準備を始めなければならないのです。このように各家庭が税金を納めるべき時が来るのです。 それで、そのような条件の出発として……。しっかり聞きなさい。この道は、ただ単に行ける道ではありません。蕩減の道を行かなければならないのです。蕩減です。ですから、いかなる家庭も、皆行かなければなりません。そこで、女性が再び登場するのです。これまでは女性が軸に入れませんでした。そのような意味で、三人の娘もなかったのです。女性を中心として見ると、家庭において父母を中心として息子と娘がいれば、娘にも蕩減条件の数を付加しなければならないのです。四位基台を中心として見れば、娘がいて、息子がいて、母親がいて、父親がいるのです。これを統一的な基準で束ねなければならないのです。このような祭物的な条件によってです。 娘はアメリカの長子権のもとにありよす。娘を中心として十二数の蕩減基金を払わなければなりません。それは皆さん自身の意志によります。十二数というのが条件です。娘をもった統一教会の食口は誰であれ、十二数を条件として娘を蕩減させるのです。娘の解放を中心として十二数を越えていくのです。息子は十二数を中心としてその圏外にあるので百二十数です……。祭物基金として、息子や娘、父親や母親に代わって、蕩減基金を真の父母に献納しなければならないのです。 そうすることによって、真の父母が今までに立てたはしごをみな上っていけるのです。解放圏に立つことができるのです。そのような過程を通して祝福家庭は皆そのようにしてから、国を中心としてはどうするのでしょうか? 祝福家庭は家庭全体を代身して、献納しなければならないのです。家庭が上っていかなければなりませんね? 息子と娘が上っていきましたが、その上に家庭が上らなければならないのです。家庭が連結しなければなりません。家庭全体が奉献しなければなりません。蘇生的な家庭を中心として、長成の位置に上っていかなければならないのです。 その次には氏族編成です。氏族が入籍するときにも奉献しなければならないのです。血の汗を流してでもです。ですから、これから七年間、奉仕生活をしなければなりません。国を中心として新しい七年の過程を経なければなりません。 皆さんは祝福を受ければ、長成期の完成級ですが、真の父母のような七年路程を行かなかったのです。それを越えるために、七年間を中心として、祝福家庭は一族が共になって、越えていかなければなりません。その次は国です。国が天の国に編入するときにも奉献しなければならないのです。六大大陸が編入するときにもそうです。さらに、全世界の統一時代が来れば、天の前に奉献しなければなりません。そのようにしてこそ、すべての祝福家庭、国や六大大陸が、解放される時代へと移行していくのです。それが税金です。蕩減条件税金なのです。 地上に天国が築かれれば、税金をもらいに回る必要もなく、税金を払う必要もありません。自ら天の民として、自分の収人の三〇パーセントさえ払えば、すべての税金は免除されるのです。払わなくてもいいのです。そのような時代になるのです。三・七制です。地上での七千年の七数を完成するのです。その上に三数を連結させて十数をつくるのです。十数は帰一数です。神様の理想的な世界の出発から、完成的な天に帰って、帰一数に再び戻っていくのです。 ですから、祝福も世界化の時代を迎えて、三万双の蘇生を中心に、三十六万双の長成、三百六十万双の完成を中心として、下っていくのです。三千六百万双も霊界の協助ですべてを越えました。四千万という条件をもって乗り越え、すべて三億六千万双時代に着地しました。着地したので、整理しなければならないのです。 三億六千万双という、この世の家庭を完全に統一教会の主流思想にしなければなりません。このようにして、サタン圏の血統を断切できる時代へと移行するようになったのです。このような内容をはっきりと知って、帰ってから実際にそのように行動を始めなければなりません。これを催促されるようではだめなのです。 ですから、これから百八十五か国には、このような準備をするために、天を代表し得る伝道機動隊をつくらなければなりません。教会の伝統をうち立てる伝道機動隊です。霊肉を統一させる伝道機動隊の活動を中心として、統一家の二世たちは皆、どこに行っても借りをつくらず、世話にならず、逆に世話してあげられる伝統を立てていかなければならないのです。そのような為に生きる勝利の基盤に応じて、神様は地上で解放的な行動を開始することができるのです。「アーメン!」となるのです。 その次に問題になるのは何でしょうか? 先生がこれまで苦労して築いたものを、売り飛ばしてしまわなければなりませんか、保護しなければなりませんか? 保護しなければなりません。先生がもし霊界に行ったならば、どうするのですか? 保護しなければなりません。どんな困難があっても保護しなければなりません。これまで先生が韓国で血と汗を流して築いてきた、すべての所有権が侵害されれば、全体が問題になるのです。 先生を中心として、これまで準備した所有権、その所有権の全体が侵害されてはなりません。いかなる困難があっても、侵害されてはならないのです。日本の国を売ってでも、皆さんの家庭を犠牲にしてでも、それを守らなければならないのです。どんなことがあっても、天的なものとして神様に奉献したものを再び売り払うことはできません。 今や国家的メシヤを代表として、今それをなしていくのです。このような原則を中心として、生きるか死ぬかが問題ではありません。独裁者以上の厳格な指令を下して、行動を開始し、このみ旨を完成するのが神様の願いなのです。銃や剣の前に死んでいく以上、脅迫の前に死んでいく以上の環境圏において、真の父母に指示された以上に決意する立場に立って実践し、行使してこそ、天国の民として入籍するのにふさわしいのです。そうでなければ問題になるのです。そのような伝統をはっきりと残さなければなりません。 お母様が前に立ちなさい。気をつけ! 韓国と日本、そして三人の娘と長子圏全体は、お母様と完全に一つになって、真の父母の前に奉献することを願います。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。先生が快く受けて、これを天の前に奉献しなければならないのです。 祈祷 二 愛するお父様、今日一九九八年五月、万物が生い茂るこの五月を中心として二十六日、この時間に真の父母の国を代表した父母の実体を中心に、父母の国と父母の国のいたらなかったすべてを連結する三か国の娘の国と、その家庭を取り囲んで保護すべき天使長の立場にあった国が長子圏の立場に立ち、霊界と肉界が分裂したままであった今までの歴史時代は、長子圏が次子を打ってばかりいましたが、今や次子がなくなり、長子だけが残りましたから、絶対的な真の父母の権限を代行できる長子の責任を果たせるようにしてください。 真の父母は心情を中心として彼らを教育して伝統を立てることを行い、アメリカの長子圏は、国の環境的な与件を解決する責任を天の前に果たす決意と忠誠を誓いましたから、快く受け入れてくださいませ。父母の国を代表した代表者、三か国の娘の代表者アメリカ全体が今やお母様を中心として、真の父母の前に組み合わされた全体を真の父母のみ名によって成そうと思います。 エデンで堕落することによって偽りの父母が生まれたときに、万物と子女、すべてを失いました。真の父母を中心とした旧約時代・新約時代・成約時代の完結を中心として、天が天地父母を安着させられる時代を発表することで、天の家庭と天の父母たちが定着できる時代を迎えました。父母の名前で父母の国を策定し、三人の娘と共に足らないところを補い、完成させることを決意し、娘たちを犠牲にすることがあっても、このみ旨を完結すべき世界史的な運動が残っていることを、お父様……、知ってくださり、み意のままに命令してくださいますようお願い申し上げます。 いかなる命令であれ、女性たちが統一された世界に奉献できる道を再度歩み、先頭に立てたとしても不平を言わずに行くことができるように祝福してくださいませ。これらすべてが長子圏と一つになり、今やお母様を通して一つになり、お父様と一つになり、神様の前に横的父母の統一圏を縦的父母の統一圏として完結することによって、地上が解放され、祝福の基盤と天上解放のための祝福の世界を、興進君を中心として、イエス様を中心として、キリスト教文化圏、宗教文化圏、良心文化圏、それから世界の至るところにいるすべての悪党の群れまで、マフィアの群れまで、テロ集団の群れまでも拡大して祝福しましたから、霊界の地獄の底に行っている者たちまでが、祝福の恩恵を受けられるように門を開いてくださいませ。 系列的な自分のレベルを中心として教育を受け、真の父母の伝統的な思想、愛を中心としたこの新しい勝利的な伝統を、地獄から天上まで立てていけるように真の父母の前に許しましたから、祝福の恩恵圏を天が直接に賜り、お受けくださいませ。 公義のこの時間、真の父母は神様の代身、地上世界全体を代身した代表者の立場、勝利的な真の父母の立場で、偽りの父母が失敗したすべてに対して公的に責任を担い、解放することを祝福によって提示しますから、神様……、この場でそれをお許しになり、万民と万国、地上天国から天上天国にこれを宣布して、今日から解怨成就の喜びをもって天上・地上の解放の行動を開始し、あなたの国の権威とあなたの家庭の権威とあなたの民族の権威を立てさせてくださいませ。サタンを完全に屈服させる勝利の覇権をもった、地上天国へと連結されますようお願い申し上げます。 このすべての内容を、父母の国と娘の国と息子の国を揃えて父母の前に新たに集い、「奉献転換式」を致します。受け入れてくださったことに感謝しながら、真の父母のみ名によって、すべてが勝利的な結果となったことを新たに宣布いたします。 アーメン、アーメン、アーメン! (二九三-一三二、九八年五月二六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
コメント(0)
「転換的な万物解放の日」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、イーストガーデン(米国)にて、約二千名の食口たちが参加する中、第三十六回「真の万物の日」を記念する敬礼式の祝祷があり、それを通して「転換的な万物解放の日」が宣布された。 祈祷 愛するお父様…、今日は一九九八年五月二十六日、この日は第三十六回「真の万物の日」であり、統一教会における貴重な祝賀の日でございます。全世界の国家メシヤと幹部が集まったこの式典を、お父様の前に奉献したく思うものでございます。 旧約時代・新約時代・成約時代、、万物の祭物時代・子女の祭物時代・父母の祭物時代を待ち望むすべては、天国の王権と地上の王権を完成するための摂理路程を………、今や「真の万物の日」から全体・全般・全能の権限をもって万物を生畜の祭物として奉献することのできる、祝賀の日をもつようになりました。この日を起点として、家庭的・氏族的・国家的・世界的・天宙的メシヤ……、神様のみ名を中心としてすべての万物は、あなたの所有へと返還される歴史的な大転換の基準を、三十六回日を迎えるこの日から展開し……、今年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは二億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という最後の終幕を前に、残すところ十九日となった六月十三日まで、私たちが内的、外的に万物と子女と父母を中心として完全に一つとなって、あなたのみ名の前に再び全体を奉献しなければならない地上最大の希望の時がやってまいりますから…、その日に先だって、第三十六回目を迎えるこの「真の万物の日」を、今や全体を返還させることのできる天の所願の時を迎える起源といたします。 今回の集まりに日本から十二名、台湾から十二名、フィリピンから十二名、カナダから十二名、そしてアメリカから四十名、このように集まってすべてを清算する生畜の祭物として立ちました。祭物は今まで二つに裂きましたが……、完全に真の父母の勝利圏、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的な真の父母の権限によって、地上・天上天国を築く、天国の王権再臨を宣布し得る時代が訪れることによってそのすべてを整備し……、地上世界の偽りの父母から展開されたすべて、天上世界の偽りのすべてを、真の父母を通してきれいに清算すべき厳粛かつ歴史的な「真の万物の日」の式典を執り行います。「真の万物の日」を制定すると同時に「真の子女の日」・「真の父母の日」・「真の神の日」の基台を築いたごとく、蕩減の歴史を清算できる今日の式典となるようにしてくださいませ。 今や真の父母は家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとして……、王権を具備し得るキリスト教文化圏から統一天下を成そうとしていたすべてが延長して以来、今やこの時を迎え、三億六千万双を祝福すると同時に、人類の解放を宣言できる時を再び迎えました。父母の国と父母を中心とした統一教会の祝福を受けた地上の家庭と、天上の興進君と相対的に連結した直系外の養子圏・庶子圏に立つキリスト教を中心として、霊界と霊人たちを代表する彼らが祝福を受けられなかったので、真の父母の家庭を中心としたアベル的な父母の権限を中心として、カイン的世界のアメリカを立てて長子権を祝福いたしました。これによって、霊界がそれを統一天下の一つの起源とみなしてくださいますように。そしてアメリカ全体のキリスト教、全宗教、人類が統合できる道を経て、天国の王権樹立を宣布することのできる、その日のために私たちは忙しく動いておりますから、その過程において天の前にすべてが滞りなく運ぶようにしてください。 このような厳粛な式典をこれから奉献しようと思いますから、ことごとく深き心をもってこの「万物の日」を迎えることによって、エデンでアダム家庭が堕落することによって万物と子女と父母が……、王権を中心として天国復帰の世界的な宣布をすることによって、全体・全般・全権・全能の起源を中心として、自由解放圏で主導的な役割を果たすことのできる、主人の位置に立たれましたことを、喜びのうちに受け入れてくださいますようお願い申し上げます。真のご父母様のみ名によって申し上げ、天地の前に、神様の前に、真の父母の前に要求しながら、万民の前に宣布いたします! アーメン! (敬礼式へと続く) 祝祷 愛するお父様……、今日は一九九八年五月二十六日、第三十六回「真の万物の日」でごさいます。復帰摂理の路程における三十六数は、最も重要な数であり、統一家における三六家庭を中心とした十二数と七二家庭、一二〇家庭・四三〇家庭・七七七家庭・一八〇〇家庭・六〇〇〇家庭・六五〇〇家庭を祝福して、帰一数である十番目の三万双の祝福と三万双を蘇生として長成である三十六万双、三百六十万双の祝福完成の峠を越え、四千万双の祝福を宣布することによって三千六百万双という下るべき段階を超越し、三億六千万双という歴史にない大転換を宣布し得る時代を迎えました。 この事実は「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という、創造主たるお父様の宿命的な願いを終結するための、宿命的な因縁をもった、父子関係を提示した真の父母の名前をもつ息子として、偽りの父母の因縁を残した数多くの事情と蕩減の恨を解かなければ、神様の前に恥ずべき過去の歴史を清算しようとしても、清算することができないという事実がごさいましたが、真の父母が現れることによって、天の秘密と地の秘密、サタンのすべての秘密を暴露し、長子権と父母権と王権を取り戻して、あなたの摂理歴史を、縦的な過程と横的な過程を連結させ、万民解放を中心として成約時代を迎え、祝福完成という宇宙史的な天宙の恵みを万民の前に付与することのできる、この時をもたらしてくださったことに感謝申し上げます。父母なる神様の願い、地の父母なる真の父母の願い、真の父母の道理を果たす、数多くの統一家の子女の名分を備えるためにしたがってきたすべての子女たちが苦労した事実……、彼らを礎にして短い間に、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代まで心情的に団結した事実を連結して、私の心と体から統一して、夫婦統一、氏族統一、民族・国家・世界・天宙統一、天の父母と真の父母の実体と一体となり、あなたの創造理想、解放的な愛の主権世界を、個人から家庭・氏族・民族・国家の、全体・全般・全能・全権時代として対応しようというすべてを再び回復し、定着できる時代を目前に控えております。 今回、第三十六回「真の万物の日」を中心として、今やっと神様がアダムとエバの真なる愛の因縁を中心として、真の家庭によって……、万物の喪失、天の子女の喪失、天の夫婦の喪失、天の主権、王権の喪失、この全体の数多くの恨の歴史による蕩減をお一人で担い、無知なる人類の歴史的な背後で徘徊された、お父様の苦労がいかばかりであったかを、統一教会の食口たちは薄々知っております。主体の前に対象的な実体圏を備えるために、恨多き歴史的な神様の心情を代身して、地において真の父母というみ名をもって、個人的な受難の道、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道を再び蕩減し……、霊的世界と実体世界、願ってもいない霊界に行っている天上の彼らと地上の全人類を統一するために、真の父母は霊界に興進君を送った後で祝福をいたしました。 地上世界のキリスト教が責任を果たせずに世界的な祝福の限界線を残したのを、今まで統一教会が先頭に立って……、今やそれを越えることのできる時がやってまいりました。そのように越えることによって、天の懐に帰れない皇族圏を解決するという問題をめぐって、世界史的なキリスト教を再び立て、怨讐のような立場、サタンよりも悪い立場に立っていたものを愛して抱き、今や父母の国とその代身となる統一教会と、霊界を代身する興進君夫婦の祝福家庭を中心として、養子のような立場、庶子のような立場にあるこのキリスト教を、イエス様を中心として既に祝福は二十五年前にいたしましたが、ようやく今年の四月十七日、勝利的な時を迎える三億六千万双の祝福を前にし、世界史的な整備をいたしました。 そうして「家庭盟誓文」の第五にあるように、毎日、私たちが主体的な天上世界をはっきりと知って、地上世界、対象世界をはっきりと知って、統一のために促すとともに、促進化させるための前進的な誓いを唱えるために、霊界の事実を地上に引っ張ってきて、真の父母のみ名によって霊界全体の状況を知り、地上においてこれを代置できるものを連結させ……、真の父母が清算しなければ、恨の峠を個人から数多くの障壁と数多くの城壁を崩すことができませんから……、天上世界のすべての内容と地上世界の誤ったものは、堕落した父母によるものであり、サタンと因縁を結んだものですから……、今や三億六千万双を出発する前に、それを清算するために、李相軒氏を通して霊界の事実を地上に知らしめました。 今や私たちは、霊界の諸事実を事実として信じ、地上の真の父母のみ言と一つになって……、霊界と肉界が私の家庭から、私自身から分裂しましたが、統一的な基盤を備えた忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たして、全宇宙の解放圏を形成すべき摂理史的な最終段階に立って、万物から帰るべき時が来たので万物統一圏を宣布し、これをお父様の前に奉献し、子女圏を中心とし、夫婦圏を中心として、真の子女の長子権・真の父母の長子権・真の王圏の長子権を総合して、全宇宙の解放を宣布すべき日が目前に迫っております。この全体を代身した第三十六回「真の万物の日」から、今や一心同体となって、霊界と肉界の全体を統合した立場の個人となり、家庭・氏族・民族・国家・世界・全人類の家庭とならせてくださいませ。 天に直行すると同時に、霊界が弟の立場で共に天国に入ることのできる、特別の恩恵を与える開幕式のごとき、本日、第三十六回目の「真の万物の日」を迎えました。日本が責任を果たせなかったすべての蕩減条件を連結させるために、台湾をアジアを代表した長女の立場に立て、五色人種の中間にある立場にフィリピンを立て、アメリカのエバの立場にあったカナダを全世界のエバ国家を連結した立場に立てました。カナダはアメリカが長子というとき、エバ圏の立場にあるからでございます。この三か国を娘の立場に立てて、真の父母に完全に侍って完全に一つになる立場で、今や万物世界の清算、旧約時代の完結、子女時代の清算、成約時代の完結、父母時代の清算、この地上・天上天国の王権降臨を宣布し得る時代を迎える、厳粛な宿命的課題を前に、第三十六回「真の万物の日」を奉献いたしますから、お父様……、喜びの心でお受けくださいませ。 恨多き復帰の道で万物を失い、子女を失い、父母を失ったその歴史的な事実を、今や、天の真の父母である縦的な真の父母と、地上の横的な真の父母と真の直系の子女が、霊界・肉界において一体となり得る内容を中心として……、養子圏のキリスト教、その代表的な国のアメリカを長子の立場に立てて、天の長子を、長子の国を愛せなかったことを、この次子の立場にあるものを復帰することによって、絶対アベル基準である兄が絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、その二人が一つになって真の父母の前に絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理の道理を果たし、六月十三日を中心として、万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する時が来ましたから、急いでこの場を準備いたしました。 お父様…、この神聖なる式典、万物復帰の式典を中心として、裂かれる供え物ではなく、全体をお父様の前に奉献できる生きた供え物、勝利的な供え物として、サタンと関係ないこの万物世界を奉献することのできる、復帰の大転換的世界の奉献を代表して、この式典を奉献いたしますから、お父様……、お受けくださいませ。この万物を愛する息子と娘はサタンが干渉することができず、サタンの干渉できない子女を愛する父母はサタンの国が干渉することができず、父母に代わって愛する真の父母は、サタンの天宙が参席できない勝利的な大解放圏に向かって、この日を記念しようと思いますから、お父様……、喜びの中で霊界に行っている統一家の三六家庭のすべてと、因縁のあるキリスト教宗教圏すべての……、地上で罪を犯した全体を、地上で解消できる時代を迎えることによって、霊界解放の開門、地獄から天国まで高速道路の愛の道を連結させたいのが、あなたの願いであるということを知っておりますから……、誰も知らない中でこの場に来てこの日を宣布することのできる、勝利の日をもたせてくださったことに感謝申し上げます。 アダム家庭一つの祝福を成就することによって、今では万物をあなたの前に寄与することができ、子女もあなたの子女であり、父母もあなたの子女であり……、万物の転換的な復帰の基盤として地上・天上世界まで宣布することによって、自由の解放万物世界から、愛する子女の世界から、子女を愛する父母から、父母を愛する子女から、一体的な解放の歴史が地上万民から、定着することのできるこのみ業を、真の父母、真の神様、真の子女と共に認定しながら、この日を期して宣布いたしますから、お父様……、縦的な真の父母、地上の横的な真の父母、祝福家庭が一心同体となり、失った全体をお父様の前に、万物自体、子女自体、夫婦自体、王権自体をそのまま奉献することのできる、喜びの春に逢うことのできる、転換的な万物の解放の日を宣布いたしますから……、喜びの中でお受けくださいませ。 全天下にこの日を記念し、天上解放・地上解放の万物の主人となられまして、恵みを受ける子女の所有、夫婦の所有、天国の所有になることを、真の父母のみ名で宣布いたしますから、天の父母が共に宣布なさり、天上世界の一つの勝利の日として記念することによって、地上世界・天上世界の解放の基盤とならせてくださいまして……、その上に子女の名分、父母の名分、王の名分を再び回復できる三億六千万双解放、サタン血統の断絶と共に、第四次アダム圏のその時を迎え、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされますことを、真の父母のみ名によって奉献いたしますから、お父様……、受け取ってくださいませ。 この事実を宣布なさいまして、天の天理を立てる記念の日として立ててくださるよう神様の前に神様を代身して宣布いたしますので、霊界の神様もこの真の父母を代身して受けられ、天上世界から地上世界に宣布してくださいませ。真の父母のみ名によって生畜の生きた供え物として奉献しながら、解放的な天上・地上の圏を築いてくださいませ。真のご父母様のみ名によってこの日を期して宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! (祝賀ケーキに点火) 敬礼式のみ言 一八○○家庭と日本家庭、国家的メシヤの代表たちは皆、ここで十二種類のもの、花でも何でもいいのですが、十二種類のものを取って包みに包んで、写真に撮っていきなさい。歴史的なこの大会、万物の転換式を行うことによって、子女たちも引き続いて主管し、父母も引き続いて主管し、神様も引き続いて主管できるのです。 万物を祭物としたのは、子女圏を復帰するためです。旧約時代は子女を探すためのものであり、(新約時代に)子女を祭物としたのは父母を探すためです。そうして今、成約時代まで来たのです。 成約時代は何かと言えば、すべてをもらい受ける祝福です。アダム家庭で誤った愛が出発したので、万物を祭物とし、子女を祭物とし、父母を祭物としてきたのです。そればかりか、神様とすべての宇宙が祭物的な立場に立って、サタン圏と天圏が闘ってきたのです。血を見たのです。 全世界の人類がアダムー家庭ゆえに、そのようにしなければならないのです。すべての女性はエバとして来たのです。これまで祝福を受けた皆さんは、まだサタン圏内にいます。三億六千万双の峠を越えられませんでした。解放的な世界に至れませんでした。それで地上に着陸して、今日このような宣布を行ったのは、すべての所有はまずアダムとエバのものにならなければならないからです。まず、神様のものにならなければなりません。その後に子女のもの、その後にアダムと祝福を受けた家庭………。その後、アダム家庭で王権時代を築いて、氏族の王、民族の王、国家の王、世界の王権時代に発展し得るすべてを総合した蕩減的なこのみ業を成すために、旧約時代、新約時代を経て成約時代を迎えたのです。 成約時代とは何でしょうか? 真の父母はこれまで苦労してこられました。息子が苦労するのは、真の父母がこの地上に来られるようにするためのものなのですが、キリスト教が血を流して子女の立場で真の父母が来られるようにするみ業を成就できなかったのです。キリスト教が真の父母に反対したので、それが延長して真の父母が家庭を失ったのです。 ですから、個人の救いではありません。家庭を救って、天の国をこの地上に君臨させるのが目的です。しかし、それがなされていないのです。そこで、三億六千万双を完結して、サタン世界の血統を断絶すれば、世界は完全に真の父母の世界に帰っていくのです。 ですから、真の父母はどんな王になるべきでしょうか? 万物の王になるべきでしたが、万物の王になれませんでした。万物の主人になれず、子女の王になれませんでした。そして、その次には夫婦です。皆さんはまだ真の愛を完成していません。皆さんの家族を見ると、物も天のものになっていませんし、息子や娘も自分勝手ですし、皆さん夫婦もいい加減です。この三億六千万双が成就することによって、全世界が真の父母を中心として、父母として迎えることのできる父母の王が出発するのです。父母の王権が出発するというのは、アダム家庭を完成して家庭の王が出発する、というのと同じ意味です。 ですから、アメリカが一つの体のようになって、真の父母の前でこれが長子、父母の国……。本来は、韓国とイギリスが父母の国になるべきでした。そして、アメリカが長子となり、フランスがアベルとなるべきでしたが、彼らがむしろ反対をしたのです。キリスト教文化が反対し、旧教と新教が反対し、人類が反対したので、完全にサタン側に落ちました。これを再び、家庭を中心として十字架の路程を歩んだのです。ですから先生が、心情の十字架を背負ってきたということを知らなければなりません。心情の十字架です。 家庭が問題です。聖進君の母親から何もかも……。聖進君の母親が絶対信仰・絶対愛・絶対服従したならば、統一教会に今日のような悲惨な事はなく、先生には一生苦労がないのです。そうなれば、韓国も南北に分かれることはありませんでした。先生の家庭と一族がすべて分かれることで、韓国が二つに分かれ、すべてを統一できるキリスト教が、旧教と新教が統合できず、そのままサタンの祭物となって、天の家庭の破壊の旗手として登場したのです。キリスト教が共産党と結託して統一教会を売り飛ばす、そのような受難過程を経て、今や、この家庭全体が世界的に歓迎される時が来たのです。 また、青少年問題と家庭破綻の問題は、アダムが結婚を誤ってこのようになったのですが、これが世界的な事件になっているのです。神様も堕落したアダムに手をつけられず、サタンも手をつけられないのです。ですから、神様もお手上げで、サタンもお手上げでした。ですから、どこにも行くあてがありません。自分たちとしては、この道だけは行ったことがないのです。 世界を所有するためには、神様の理想世界、一つの世界を所有するためには、原理原則に立脚した内容を備えなければなりません。これからはそれを備えて、世界に行ける一つの個人的な完成、家庭的な完成、氏族的な完成、民族的な完成、国家的な完成をしなければなりません。これを連結するために、祝福家庭は「家庭的メシヤ」というのです。 その次に氏族的メシヤです。イエス様は氏族をすべて束ねることができませんでした。家庭を束ねて、氏族を束ねることができなかったのです。それで、氏族的メシヤを宣布したのです。ところが、氏族的メシヤが責任を果たせませんでした。世界的なメシヤ基盤を築いていくにあたって、韓国では氏族的メシヤ……。南北を統一するには、共産党以上、金日成以上に、一生懸命に神のみ旨に従っていかなければならないのに……、天の主人たる真の父母が、この世界をすべて救うために歩んでいかれるのに、家庭において皆泥棒をしたのです。完全に破綻させたのです。それによって国と共に滅亡段階に入ったのです。これが韓国の通貨危機です。このような時代になったのです。 ですから、政治はもとより、経済もすべて破綻するのです。宗教、キリスト教もみな終わりました。すべておしまいです。文化をはじめ何も自慢するものがありません。唯一、真の父母を中心として自慢できるだけです。その内容は何かというと、真の父母が経てこられた歴史です。真の父母がどれほど天の国の文化を愛し、どれほど教育し、どれほど宗教を愛し、どれほど国を愛し、どれほど世界を愛してきたかというのです。神様は創造理想の全分野にわたって迫害され、その段階からこのような世界的な条件をすべて立ててこられたのです。 六月十三日の一次祝福式が終われば、百八十五か国の国家メシヤを中心として、その国から三人を選び、まず海上から先生の生活の伝統を受け継がなければならないのです。 一六○が何かというと、私たちの一六○家庭です。韓国動乱に参戦した国連軍も十六数です。十六数なのです。それを代表できる魚を取って、天の前に、神様の代わりに、真の父母の代わりに、神様の息子の代わりに魚全体を生きた供え物として捧げる、そのような式を行わなければならないのです。それで、十月十日にパンタナールに行って式を行い、それから、ウルグアイに行って訓読会の伝統を立てるように指示したのです。 今後、残されたことは何でしょうか? 先生は霊界に行くのです。今後、真の父母はいなくなるのです。真の父母の息子や娘たちも皆逝くのです。逝けば、この地に残る生は、真の父母から残されるのです。真の父母の子女から残すのです。真の父母の血統による一族が残すべきものは何でしょうか? 主体の前にサタン世界は対象なのです。皆さんの子孫が、み言を絶対信仰しなければなりません。 原理のみ言というのは、神様が絶対に信じてこられたのです。そのようにしなければならないのです。この峠を越えることによって、絶対愛の相対を求めるのです。無限に投入して、投入して、忘れてしまい、為に生きて、為に生きて、忘れてしまえる愛を抱いた者だけが、天の直接の愛と生命と血統を受け継ぐ、直系の子女としての資格をもつのです。 それが個人から世界に平準化、代表的家庭が接した世界になるとき…、神様と真の父母の前に相対的な家庭となるとき…、それは家庭的メシヤの完成、氏族的メシヤの完成、国家的メシヤの完成、世界的メシヤの完成をしたという資格を……真の父母を認定すると同時に、真の父母の子女の名分をもった祝福家庭が、その前に立つとき…、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤの上に立って、神様が「すべて完成した。みな成就した」と言えるのです。そのように神様を中心として、真の父母の実体の前に対象的な家庭をもった民族、国家、世界の代表者になってこそ、相続がなされるのです。 今、家庭では相続できないのです。皆さん、個人が祝福を受けることでは、相続は成されません。サタン圏をすべて超えて、第四次アダム圏、第四次アダム圏の代表になれる人類の代表、人類の個人的代表家庭・氏族・民族・国家のすべての結実が、真の父母なのですが、神様自体の実のような種が移されることで、そこから皆さんが自分の子女を祝福する時代へと展開していくのです。その時から地上・天上天国が連結されていくのです。そのような時代に移行していくのです。 なぜ、このようなものを写真に撮っていけと言うのでしょうか? 皆さんが百八十五か国に行って……、今日ここに十二種類を広げて、それを写真に撮って、石の箱に入れて、写真の品物が何だったか、はっきりと見えるようにするのです。十二種類を写真に撮って、どの時代においても、その国の代表的な祭物の足場となるような記念物として残しておけというのです。 万物を愛する、そのような家庭になったときには……。万物は自分の所有ではありません。地上において堕落した人間たちには、自分の所有というものがありません。サタンが盗んでいったのです。自分の体は自分のものではありません。サタンのものだったのです。夫婦は自分のものではありません。サタンのものなのです。これを断切するのです。 アダムとエバが堕落する前は、その所有は神様の所有であると同時にアダムとエバの所有でしたが、これをすべて失ってしまいました。ですから、世界祝福を受ける前に、万物の統合解放圏を成すために……。今日が三十六回です。十二数の三倍。アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭まで三十六数です。それは蘇生十二数、長成十二数、完成十二数の三十六数を代身したものです。これをすべて統合した数です。それで今年はとても意味ある年なのです。そのような式典が今、先生が祈祷することによって終わりました。 この万物を十二種類ずつ取って……。何でもいいのです、何でも! 一つも欠けないようにしなさい。全体のうち一つも欠けてはなりません。そのようにすることで、全世界百八十五か国が今日の解放的祭物をまつり、統一的な所有時代を迎えて……。 これまでは自分の所有時代でしたが、これからはみな教会の所有に移転しなければなりません。所有権を転換しろというのです。自分たち個人が、そのまま所有してはいけません。真の父母の所有権でもありません。教会の所有、国の所有、世界の所有、その次には天宙の所有として、真の父母がこれを神様の前に捧げてこそ、神様の所有となるのです。そこから新たに祝福を受けた血統を通して相続できる立場に立ってこそ、天の国の所有権を引き継いで、自由に振る舞うことができるのです。天の国に直通するのです。妨げるものはありません。祝福を受ければ地上世界・天上世界のどこにでも通じるのです。 このような時代が来て人間が解放圏に立つので、地獄の門も開けておくのです。地上解放が実現したのです。三億六千万双には泥棒はいないでしょうか、マフィアはいないでしょうか、テロ集団はいないでしょうか、ありとあらゆる者が皆いるのです。彼らを祝福してあげるのです。これをなしたゆえに、天上世界の門を条件的にでも開け放ったのです。 だからといって、誰もが皆、天上世界に入っていくわけではありません。そのためには、自分が個人完成して、氏族完成のために投人しなければなりません。個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をしながら上がっていくのです。僕の僕の立場から僕の立場、それから僕の立場で忠誠を尽くして一つになり……、そのように生きた人たちに、祝福を受けられる秩序が生まれるのです。 僕の僕から、僕から、そして養子から庶子の立場に上がっていくのです。庶子は養子の代表者にならなければなりません。それから、庶子の立場から直系の子女の立場に上がっていくのです。直系の子女たちも、自ら生きた供え物にならなければなりません。このようにして、やがて父や母となって、自分たちの息子と娘も生きた供え物として捧げていかなければならないのです。これは裂くことはできません。絶対に一つになるのです。真のお父様の教えに絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。異存はありません。異存はないのです。これまでは勝手にやってきました。これからは完全に一つにならなければなりません。 このようにして、この一つになったものを……。神様が出発当時に絶対信仰したように、真の父母はこのみ言と共に絶対信仰しました。再創造のみ言なのです。復帰のみ言なのです。絶対信仰です。疑いがありません。それが嘘でも絶対信仰するのです。嘘でもサタンの言葉を神様の言葉として信じれば、長成期完成級に行ってそれを神様の言葉として信じれば、サタンが所有権を引き渡さなければなりません。 ですから、今はどんな時かといえば、サタンの役事、反対の役事が起きても、恐れるなというのです。真の父母を愛する心を抱けば……絶対信仰が先立ち、愛の心が先立ち、真の父母を誰よりも思う人は、嘘をついても許されます。そのような解放的な標語を知らなければなりません。 神様は創造当時に絶対信仰を抱かれたのです。絶対的に愛したのです。絶対的に自分を投人して愛の対象をつくりました。それで、父母という形状をもたせたのです。愛の対象、実体が必要なのでつくったのです。天上世界・地上世界において実体がなければ、実体の子女を指示できないので、形状として体をもたなければなりません。これが完成した真の父母の形態です。その次に何ですか? 愛の対象です。神様が地を中心として愛することのできる愛の対象が必要だったのです。その次には何ですか? 繁殖しなければなりません。これが三大要素です。 創造目的の一番目は形状が必要であり、二番目は愛の対象、三番目は繁殖です。垂直で縦的な世界である霊界には繁殖がありません。縦的な世界には面積がありません。ですから、横的な人間の実体世界を中心として、この空間世界の無数の面積の中に、無数の万民を繁殖して、天国をつくるのです。その国を数多くつくっても、それはすべて天国の花と同じです。香りが同じだというのです。それがみな天の栄光となり、天の誇りとなり、愛を中心として永遠に和合する家庭的な理想天国、天上の無限なる世界、理想天国、神様の自由解放圏として、億千万世に、共に生きるのです! アーメンです。(二九三-一一〇、九八年五月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
コメント(0)
すべての存在と歴史的事件の主人は神様であられる第36回「真の万物の日」記念礼拝の御言「転換的万物解放の日」宣布1998年5月26日ベルベディア 統一教会の使命 神様がつくられたすべての万物は、神様のものにならなければなりません。良くも悪くも、それが神様の主管圏内になければならないという結論が出るのです。 では、地獄も神様のものならば、地獄の主人はだれですか?、(「サタンです」)。サタンは本来、サタンになる前に、だれのものでしたか? 神様のものでしたか、サタンのものでしたか?(「神様のものでした」)。すべての存在を神様がつくられたならば、すべてのものが神様のものとして帰っていかなければならないのです。 それでは、この宇宙が生まれる前に、何があったのですか。(「神様です」)。神様です。神様だけがおられましたか?(「愛です」)。愛は見えますか? 愛の実体がないのに、愛はどこにありますか? 愛は概念です。神様にとっても、愛は概念であるということを知らなければならないのです。 ですから、一人で愛の実体に出会うことはできません。二人いて初めて出会うことができるのです。パートナーがなくては、愛は成立しないのです。愛というものは、神様の中の概念としてはあったかもしれませんが、愛という実体はなかったのです。 それゆえ、愛というすべては、主体と対象のペアシステムにならざるを得ないということを知らなければなりません。 鉱物世界は、分子を中心として見るとき、プラスイオン・マイナスイオンがあります。植物界は雄しべ・雌しべ、動物世界は雄・雌、人間は男性と女性です。神様と人間を中心として見れば、神様は夫であり、人間は妻です。夫は主体でなければなりません。 ですから、家庭で夫は神様の代身なので、主体はだれかと言えば、男性であって女性ではない、ということを知らなければなりません。 男性は神様の立場を代身するのです。夫は主体です。家庭の中ですべての主体を代身するのです。アメリカにはそのような概念がないのです。 さあ、ここにいる女性たちは、「私の夫は、神様の代わりに私たちの家で王である」とならなければなりません。男性はすべての主体です。そのことを神様に感謝しましょう。 愛の相対は、頭を下げるところから成されるのです。神様に感謝するとき、頭を下げるのです。すべては、低くなるところから関係が結ばれるのです。下から上がっていって抱擁するようになるのです。そして、踊り歌うようになるのです。 神様が素晴らしいのは、サタンをも愛の相対として対してこられたことです。それゆえ、神様は力で打って屈伏させるのでしょうか、ために生きて打たれて屈伏させるのでしょうか?(「打たれて屈伏させます」) ために生きるため、自己を犠牲にするところに愛が生じるのです。ですから、低く低くならなければなりません。頭を下げるのです。そのように、下から次第に上がってきて、真の愛で連結するのです。下から上がって、神様に侍るようになるのです。これが真の愛の道です。 愛が必要な人、手を挙げてみてください。私的、個人主義を主張するアメリカ人は、どうですか? アメリカ人は、胸を張って威張るのです。それはいけません。 そのような国において、愛はすべて流れていくのです。すべてのものを失ってしまうのです。個人主義的な概念は、サタンから出発します。個人主義の先祖が、最初の存在であったサタンであり、エバです。そこに個人主義の種が植えられたのです。 それが収穫の時を迎えているのです。すべての国を指導するアメリカが、個人主義の国家になっています。プライベート(私的)であることを誇りとするような国となっています。 そのような場所は、サタンの王座となっているのです。アメリカは、個人主義の王様です。これは大きな問題です。頭を下げなければなりません。頭を下げずに上げていれば、相対がいなくなるのです。これがアメリカの現状です。 私はアメリカ人ではありません。外国人です。このようなアメリカの将来は、どのようになるのでしょう? 頭を下げて下に下にいかなければ、アメリカは神様の天国と連結される道がないのです。 どれほど難しくても、頭を下げて、下に下にといかなければいけません。神様の真のパートナーになろうと思えば、僕の僕の立場からいかなければならないのです。そうでないと、神様は切り捨ててしまいます。そのような路程を通過しない限り、神様の本然の理想に連結することができないのです。そのような理想の世界を天国と呼びます。 今、アメリカの人々は、天国ではなく地獄に住んでいます。王様の名前は素晴らしく偉大ですが、それは地獄と連結しています。いかにアメリカを覚醒させるかが、統一教会の使命です。 レバレンド・ムーンは、アメリカを救うために来ました。アメリカは今や、家庭も青年も正しく導くことができません。いかに青年の力を活用できるでしょうか? 理想の家庭も力もないのです。 これは最も惨めな立場です。これがアメリカが直面している状況です。私的な概念を捨てて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。 アメリカは、そのような概念を備えた人と連結して初めて、はっきりと理解できるのです。このような使命と召命をもって、アメリカに来なければならなかったかたがいるのです。その人が、レバレンド・ムーンです。 そうでしょうか、そうではありませんか?(「そうです」)。統一教会員は「そうです」と言いますが、他の人は「そうです」とは言いません。いかに統一教会員が、外の人を消化していくかが問題です。そうしなければ、この国に地上天国をつくることはできません。 真の愛の法則 第二次世界大戦後、四十年間、アメリカは下へ下へと落ちて、サタンの懐に入っていきました。キリスト教の背景を持ったアメリカは、第二次世界大戦後、最高の栄光ある立場にあったのです。 特に、メイフラワー号に乗ってきたピルグリム・ファーザーズたちはアベル型のクリスチャンでした。ヨーロッパのローマカトリックは、プロテスタントに敵対していたのです。 当時のプロテスタントは、世界を救おうという思いがありませんでした。しかし、ピルグリム・ファーザーズたちは、神の国を求めて新天地へと出発したのです。その精神に神様が働きました。神様は、霊界を含むすべての世界を救おうと働かれるのです。 人間の堕落により、霊界と地上界が完全に分かれてしまいました。これをいかに一つにするかが、神様の心の痛みです。 今日まで、神様はどれほど悲惨な立場におられるかをだれも知りませんでした。神様はひとり孤独な王座におられて、サタンが神様を取り囲んでいるのです。 神様がどれほど自由だと言っても、神様ご自身のパートナーがだれ一人としていないのです。神様は平和な場所、統一の場所を求めますが、そこには一人もパートナーがいないのです。パートナーがいなければ、天国をつくることはできません。 パートナーがいないところには、愛も、子供も、家庭の理想もありません。壁ができ、分裂している所には理想もないのです。神様はどれほど惨めなおかたでしょうか。だれもそのことを知らなかったのです。 レバレンド・ムーンが来て、それを明確にしたのです。すべての概念をはっきりとさせたのです。サタンの概念、家庭の概念、国や世界がどこに行くべきかという概念など、すべて明らかにしたのです。 すべての存在は、真の愛の法則に従っていくべきであることも明らかにしました。このような真の愛の法則を捜し出すことは、決して容易なことではありません。とても難しいのです。どれほど蕩減を支払わなければならなかったでしょうか。 神様が天地を創造されるときから、神様の創造目的が始まり、真の法則が出発したのです。神様にとって、愛のパートナーの中心は人間です。本然の人間の先祖であるアダムとエバであったのです。そこには、相対の概念があり、真の愛の理想があったのです。 アメリカの概念は「私」からです。それが間違っているのです。男性の誇りは、その相対の女性です。女性がいなければ、男性は誇るものは何もありません。私的という概念はないのです。 男性と女性は、真の愛を中心とするパートナーです。なぜ、男性と女性が存在するのでしょうか? 真の愛によって生まれ、真の愛によって生き、真の愛によって死に、そうして永遠に真の愛の中で生きるためです。 真の愛がなければ、誕生も、人生も、死も意味のないものとなってしまいます。真の愛の目的に連結できないのです。 神様は心の親であり、アダムは体の親です。心は上を意味し、体は下を意味します。したがって、目に見えない存在は、目に見える存在よりも価値があるのです。 堕落人間は、肉体のほうが心よりも、もっと価値があり、重要だと考えます。一般の人々は、心の重要性を無視して、よく目が見え、よく鼻が利き、味覚も優れ、肉体的に優れていることを求めます。 そのような五官に左右されるのは、サタンにすべて連結しているからです。肉体中心の五官はサタンそのものです。心を中心とした五官は、神側です。堕落世界の人間は、そのことを理解できないでいるのです。レバレンド・ムーンは、このことをはっきりと教えたのです。 心は五感を持ちます。心がいかに体を主管して、五官の主人になるかが問題です。今は堕落によって、心と体が逆転しているのです。体が上になり、心が下になっています。 肉体を中心とする人々が、心を中心としている人々を支配しています。肉体の力が、心の力を下に押しやっているのです。これをいかに逆転させるかが大きな問題です。 そのような逆転をさせるのが、宗教の使命です。宗教世界は、心を中心とした強固な概念があります。しかし、肉体を中心とした世界は、これに対して、武具で身を固めたような強い力を持ってきました。 個人の力、家庭の力、国家の力、世界の力をもって、心と霊界に対抗してきたのです。心はいつも、その肉との闘いに負け続けてきました。地上に何の基盤もないからです。 神様はいかにしたら、これを引っ繰り返すことができるか悩んでこられました。心と体の関係を逆転することのできる中心人物、地上の主人を求めてこられたのです。それが、メシヤ思想です。 「神様の下の一つの世界」 メシヤは、心が常に主体であり、体が対象であることをよく知っているのです。心が上にいき、体が下にいかなければならないことを理解しているのです。 アメリカの女性は男性を主管していますが、これを逆転させることは、メシヤには簡単なことです。アメリカの人々は、私的で個人主義的であることを誇りますが、これを引っ繰り返すことは、メシヤには何の問題もありません。 「アメリカはナンバーワンの国である。神様の下の一つの国である」と誇っていますが、メシヤにはそのようなことは何でもないのです。メシヤは、「神様の下の一つの世界」を築くことができるのです。すべてを逆転させなければなりません。 皆さんは、そのような逆転させる力を備えなければならないのです。その力は、どのようにすれば得ることができるでしょうか? 一人ではできません。神様を中心とした絶対信仰、絶対愛、絶対服従を備えなければならないのです。それがメシヤ思想です。 メシヤは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従でそれらをのみ込んでいくのです。そして、絶対愛をもって、投入して投入して、永遠に与え尽くして、この世界の中心を獲得するようになるのです。真の愛で宇宙全体をつかむようになるのです。それは釣りと同じです。ですから、先生は釣りが好きなのです。 すべての万物の中心は、真の愛です。幼児のとき、子供のとき、青年のとき、大人のとき、そして永遠に必要なのが真の愛です。皆さんは、真の愛が欲しいでしょうか?(「はい」) それを願いますか? 願わない人、手を挙げてください。一人もいませんね。すべてそれを願うのです。 ですから、すべての存在と歴史的事件の主人は真の愛であるというのです。神様でもありません。すべての歴史の存在と歴史的事件の主人は、神様というよりも真の愛であるというのです。 すべてのものは、愛を捜し求めてくるのです。捜し求めてさまようのです。個人は個人なりに、どのように善い家庭を、家庭は家庭なりにどのように善い王を、王はどのように神様の代身となるのかを捜し求めてきたのです。それは真の愛でなければならないのです。 真の愛があれば、絶対的な僕にならなければなりません。オーケー(「アーメン」)。「オーケー」と言えば、全員が神様の子女になり、神様と一つの体になり得るというのです。 ですから、神様のものは私のものであり、神様の席が私の席であり、神様が行く所に私が行き、神様が主人となるのです。女性は夫が神様であるということを考えてみましたか?(「はい」) アメリカは、フリーセックス、ホモ、レスビアン、それから、近親〇姦が行われています。それが神様の国でしょうか? 罰を受けて当然です。アメリカは、全人類に対して強制的にでも、フリーセックス、ホモ、レスビアンを全部滅ぼさなければなりません。神様の力を借りなくても、人間の力だけでそのような国は打って滅ぼすのです。アメリカの現状は惨めな状況です。 どれほどアメリカが素晴らしいと誇っても、このような国は下に下に落ちていき、滅んでしまうのです。いかにそのような状況を克服するのでしょうか? レバレンド・ムーンの助けを借りなければ、何もすることができません。レバレンド・ムーンは神様の絶対的真実を持ち、絶対的愛を持っています。そのかたは統一教会の主人です。 どれほど外の人が反対しても、統一教会のメンバーは決して倒れてはいけないのです。皆さんは、確信を持たなければなりません。どれほど否定され、迫害されても屈してはならないのです。 それを乗り越え、頂上に立って「万歳」と叫ぶのです。サタンもそれを祝して「万歳」と叫ぶのです。その日、私たちは勝利者となり、私たちは天国の主人となり、地獄の主人となるのです。 そのような状態をつくり出すならば、サタンは自然に屈伏して従ってくるようになります。そのときサタンは、「本来のおまえの位置に戻るように そうすればおまえも天のお父様の家族の一員になれるのである」と言うのです。 そうなれば、召命を受けた私たちが完成期を超え、復帰摂理を完成させて、天上・地上天国を完成させて、すべてを終えるのです。「万歳」となるのです。 万歳 「万歳」と一度言ってみてください。万歳(「万歳」) 万歳(「万歳」) 万歳(「万歳」) 話はすべて終わりました。(拍手) 怨讐の国々を一つにする王 すべての存在と歴史的事件の主人は神様です。殺すべき怨讐同士の息子・娘が愛して夫婦になれば、その怨讐同士は友達にならなければなりませんか、怨讐にならなければなりませんか、一つの家族にならなければなりませんか?(「一つの家族にならなければなりません」)。一つの家族にならなければならないのです。 なぜ、そうなのでしょうか? 主人たちも、子女は自分よりももっと良くなることを願うのが天地の原則なので、その王子たちが自分たちよりも幸せに暮らせば、父親・母親も祝福してあげるのです。 自分の息子・娘が自分たちよりも幸せに暮らすのを願うために、自然と一つになる原則がここにあるのです。 アメリカと日本とは、怨讐でした。日本と韓国、アメリカとドイツが怨讐でした。ドイツと英国、英国とフランスも怨讐です。全部怨讐でした。 息子・娘や後孫たちが、自分よりも優れていることを願う真の愛を持てば、自分の息子や娘を怨讐の子供と祝福したとしても、その怨讐同士が愛し合う家庭が家庭の伝統を立てて、自分の家庭よりも素晴らしくなったときには、その子供の家庭に従って天の国へと入っていくことができるのです。 ですから、統一教会員は、アメリカの男性と日本の女性、アメリカの女性と日本の男性と結婚するのです。また、韓国の男性と女性は、日本の男性と女性と交差結婚をするのです。英国とフランスとドイツと交差結婚するのです。 このように結婚させてあげて、悪口を一番たくさん言われる人は、文先生しかいません。しかし最近になって、世界が一つになる道はこの道しかないと言っているのです。 今から怨讐をなくして、平和の家庭、平和の国をつくる人はだれでしょうか? それがレバレンド・ムーンです。家庭的平和の王であり、世界的平和の王です。このような結論が出るのです。ですから、怨讐の国々を一つにする王です。世界を一つにする王です。サタン世界と天の世界を一つにする王なのです。 地上天国、天上天国の王と言われるでしょう。(「アーメン」)(拍手)西洋文明と東洋文明とを、一つにするのがレバレンド・ムーンです。 アメリカには五色人種(すべての人種)、黒白人種がたくさんいて、「神様の下の一つの国」と言いますが、「神様の下の一つの世界」を望むここにいる五色人種が、お互いに好き合って一つの家庭になるのです。神様はどちらを願われますか?(「神様の下の一つの世界です」) 兄弟の中で足の悪い人がいれば、足の悪い人のことをよりかわいそうに思わなければなりません。目がつぶれたならば、同情してあげ、かわいそうに思ってあげるのです。 ですから、アメリカにいる人たち、先進国で豊かに暮らす人たちは財産を売って、飢え死にする二千万人を救う運動を起こさなければならないというのが、レバレンド・ムーンの考えです。それは「万歳」ですか、「不万歳」ですか?(「万歳です」) さて、白人百パーセント、黒人百パーセント、交差結婚を歓迎するアメリカとなれば、「神様の下の一つの世界であることに間違いありません。アーメン。永遠に」となるのです。 ここに来た白人の夫婦の皆さん。日本人の婿をもらい、日本人の嫁をもらおうと考えてこそ、アメリカが「神様の下の一つの国」から「神様の下の一つの世界」へと移行し、この国が世界の祝福を受ける天の国の主流国家として継承されるのです。そうでなければ反対に落ちるのです。 その次には、日本人と結婚して生んだ孫たちは、黒人と結婚するのです。(「アーメン」)。そうなれば、最高の男性です。 それでは、平和の世界の家庭を持とうとすれば、アメリカの男性は、怨讐の国、日本の女性をもらわなければなりません。 日本の女性はアメリカの男性の怨讐ですが、その息子・娘はまた怨讐である白人家庭、黒人家庭、黒人の孫嫁をもらうことによって、世界の平和的な伝統は、完全に成立するのです。その伝統に従っていく世界は、自動的に平和の王国となるのです。 それは、白人同士で生んだ子女や孫よりも、もっと怨讐との関係から生まれた子女や孫を愛するならば、堕落した世界を超えた地上天国になるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 天国に行けば、黒人の顔は黒人の顔ですか、白人の顔ですか? どちらですか? わたしは分かりません。どちらですか?(「愛の顔です」) 愛の顔とは何ですか? 愛の顔は白黒が違いますか? 愛の顔とは何ですか? 愛のパワーの顔です。愛のパワーは何かと言えば、光の中の光です。照らさない所がありません。 この世界は、偽りの個人であり、家庭も国家も同じです。アダム家庭に干渉できなかった神様は、偽りの国家に来られて干渉することができません。家庭にも介入できず、氏族にも、世界にも干渉できないのです。 世界祝福時代の到来 天地が、サタン全権時代として残っているということを知らなければなりません。そのため、地獄が生まれたのです。なぜ、すべてが偽りの世界になったのでしょうか? 過った愛のゆえです。 ですから、すべては神様と関係がないのです。神様は独り残っておられ、全体はサタンに属しています。神様は玉座に座って囚れの身となっておられるという事実を知りませんでした。全部サタンの領域に包囲されているのです。 ですから、神様はこのサタン世界をどのように整理しなければならないでしょうか? サタンがアダム・エバを愛することができませんでした。アダム・エバを愛して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなかったので、偽りの父母が生まれたのです。 神様を中心として全世界が一つになれば、真の愛を中心として個人も生き返り、家庭も生き返るのです。氏族も生き返り、民族も生き返って、国家も生き返り、世界も生き返るのです。 世界祝福時代になれば、すべてが祝福圏に入ります。それで、地上がアダムの立場であり、霊界は天使長の立場です。私たちの先祖たちを祝福してあげるのは、天使を救ってあげることです。 ですから、天上世界の先祖たる第一次アダムの代身、第二次アダムが失敗したものを連結させて、興進君が家庭的祝福を受けたのです。霊界にいるのですが、地上で祝福して地上と連結して、世界版図と連結させるのです。 長子権、天使長圏は養子と同じです。血統がつながりませんでした。そのようなものは伝統ではありません。これを全部つなげて、蕩減して、霊界を一つにすることによって、キリスト教さえ韓国と一つになれば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たというのです。 アメリカという長子権、キリスト教文化圏が、真のご父母様に侍っていたならば、第二次世界大戦直後にすべてのことを代行できるのは、キリスト教であったのです。キリスト教ができなかったことを再び取り戻すことによって、父母の国があり、長子権の国があるのです。次子は自然と屈伏すればいいのです。 興進君がなぜ長子かと言えば、真の父母の血統を通して直接生んだからです。次子はイエス様です。興進君と霊的イエス様が、キリスト教に接ぎ木してあげることによってキリスト教が次子になるのです。霊肉が一つにならなければなりません。 今ここに、長子権の発表とともに霊界の祝福が始まるのです。それで、すでに一億六千万双の霊界のキリスト教徒を祝福して、ここに派遣しました。今どれくらい祝福をしたのかと言えば、九十八億双です。(「アーメン」)。(拍手) イエス様も地上で結婚することができず、霊界で独身生活をしていました。その結果、人類は地獄へと行き、父母が分かれたのです。しかし、その霊人たちを祝福し、父母にすることによって、すべてを一か所に集めて家族統一、家庭連合を成して氏族の統一、民族の統一、国家の統一、世界の統一を成し、そして神様を中心として統一天下をつくるのです。 一九七一年一月三日、イエス様の相対が決まりました。そのときは、韓国のキリスト教が、統一教会を信じなければならない時です。金キム日イル成が南下しようとしていたときです。イエス様を祝福したので、キリスト教が先生の言うことを聞いて祝福を始めていたならば、そのときは必ず政府と先生とが一つになって、キリスト教を押し返す時なのです。 そのときに一つになっていたならば、世界のキリスト教が全部巻き込まれていって、韓国を中心として統一的形態が築かれ、北韓を統一し、全世界のキリスト教が合わさって完全に消化され、今日の世界はこのようにまでならなかったのです。 それで七十二か国から、教授、科学者たちを集めて「世界教授協議会世界大会」と「全国勝共決起大会」をしたのが一九八三年です。そのとき、興進君が祭物となっていくのです。 霊界から編成して祝福を一つにまとめるために、キリスト教を取り戻して再び立てたのです。そうして、長子権を立てたので、今になって祝福を受けたイエス様が家庭生活に入るのです。 興進君を兄として、イエス様が弟になって一つになり、真の父母を中心として一つになることによって、国家基準を乗り越えるのです。 ですから、イエス様の立場を定めてあげなければなりません。キリスト教は位置を定めてあげて一つになるのです。キリスト教が今、どんなに統一教会に反対してもアメリカの家庭はすべて、統一教会の食口となっていきます。 三人の娘の立場の国 日本が責任を果たせなかったので、台湾を娘として立てるのです。台湾は、アジアを代表した島国の人たちです。アメリカを代表した島国がフィリピン、英国を代表した島国の立場がカナダです。 三人の娘の立場の国をつくったのです。この三つの国がどこか一つの国でも日本と一つになれば、「母娘協助」した条件が残るのです。そうして、サタンが讒訴する条件をなくしてしまうのです。 日本と台湾は、怨讐の関係です。台湾も昔、中国から島国として分かれたもので、日本とは怨讐です。怨讐が一つにならなければなりません。また、アメリカの統治国がどこであったかと言えば、フィリピンです。 これは全部、日本の怨讐です。日本の怨讐が、日本と一つになるのです。カナダは英国を代表した国です。英国と言えば、先生の怨讐でした。キリスト教が反対したからです。ですから、アメリカのキリスト教は長子権復帰をしたので、英国が生き返ることができ、フランス、ドイツ、全部が生き返ることができる時が来たのです。 日本全体を投入してでも台湾を救わなければならず、台湾全体を投入したとしても、日本を救わなければなりません。フィリピンも同じです。投入して、日本を救わなければなりません。母親の前に、三か国は三人の娘の立場なのです。 サタンが母親を捕らえていこうとすれば、この三人の娘が承知しません。その三人の娘は、先生が絶対に愛する娘です。父と娘の関係です。それが一つにならなければなりません。 復帰路程では、母子協助はありましたが、これは「父娘協助」です。母親がいなかったとしても、代わりに命じることができるのです。「日本が母親として稼いで世界の人たちを食べさせられなかったのを、あなたたち娘がしなさい」と言えば、しなければならないのです。 どこが早く復帰されなければならないのかと言えば、日本よりも娘の国です。日本が責任を果たさなければ、この三つの国が日本に入っていくのです。 ですから、私たちは「島嶼国家連合」をつくり、「半島国家連合」、「大陸国家連合」をつくって、新しい国連を構成できる基盤をすべてつくったのです。そうして、「宗教連合」を国連に加入させ、「女性連合」を加入させ、長子である「青年連合」、次子である「学生連合」を加入させるのです。これが「四大連合」です。 アダム家庭において心と体が分かれたのです。それゆえ、「心的男性」・「体的男性」に分かれました。女性も分かれて、すべて分かれました。これを統一し、心が一つになって、長子権、次子権が一つになって、来られた主を国連にお迎えすればいいのです。 それゆえ、四大連合を国連につくって、国連で「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を設定して祝賀すれば、統一天下が繰り広げられるのです。(拍手) 国連は国(家庭)の形態を持てませんでした。家庭には父母がいなければならず、息子・娘がいなければならないのです。国連には主人がいません。 平和の世界へと進むレバレンド・ムーンを中心として、失ってしまったすべてを、ここに初めて持っていって接ぎ木することによって、一つの世界の王圏中心国家となるのです。アーメン。 ですから、ブリッジポートには国連大学をつくり、東洋・西洋の統一医学をつくり、それから通信大学をつくるのです。すべての教育問題、医術問題、それから世界の問題を解決できる、すべてのものを準備しているのです。 問題は三か所です。国連機構を動かさなければならず、世界大学連盟をつくらなければなりません。世界の言論を統一すれば、すべてできるのです。ですから、世界の新聞社をつくったのです。今後、世界の大学をつくります。真の家庭、真の理想を中心として真なる家庭を完成するのです。 生涯、絶対信仰 真の家庭は、真の父母が行く道のすべての道を相続したので、皆さんも神様と友達となり、兄弟になり、父母になり得る立場に行くことができる道が、門が開いているのです。 ハイウェイがあるので、車に乗って走りさえすれば、どこにでも行ける道が生まれたということを知らなければなりません。どれくらいうらやましいのか、ということを知らなければなりません。 レバレンド・ムーンを、個人的にどんなに讒訴しようとしたところで、引っかかるところがありません。サタンは世界の個人、全体を動員して、どこでも「引っかけろ、引っかけろ」とわいわい騒ぎ立て、世界を動員して、全部反対しました。「あなたは間違っているので、私の言うことを聞きなさい」と、みな足で蹴飛ばしたのです。 しかし、引っかける人は一人もいないのです。ですから、サタンの前に解放、人類の前に解放です。男性・女性にとって解放なのです。 ですから、レバレンド・ムーンを男性も女性も捕まえて一つになるなら、サタンが払い落とされるでしょうか、払い落とされないでしょうか?(「払い落とされます」) 一つになったことを何で証ししますか? それは、絶対信仰です。生涯、絶対信仰です。生涯、絶対信仰ならば、信じないものはありません。「神様が願われる絶対信仰で動くレバレンド・ムーンのために、返さざるを得ない。私は失敗だ」とサタンは手を挙げるのです。 その次に、絶対愛です。絶対愛は、怨讐まで愛するのです。先生は家庭の夫人たちを全部復帰してくるのです。サタンが奪い取ったからです。王妃から、祖母、母、妻、娘、全部をサタン世界から取り戻してこなければなりません。ところが、サタン世界は奪い取っていこうとするのです。 けれども、取り戻してきた女性たちに、「帰りなさい 皆さんのお父さんが捜すので帰りなさい 皆さんの夫が捜すので、皆さんの王が捜すので帰りなさい」と言いながら足で蹴飛ばしても、帰りません。歓迎しますか、嫌いますか?(「歓迎します」) その国全部、母親、祖父の三代、四代がしがみついて、「レバレンド・ムーンの泥棒」と言いながら、ありとあらゆることをしても気持ちがいいのです。どんなにそのようにしても、心がレバレンド・ムーンに傾くのです。 統一教会で気の狂った女性たちは、「レバレンド・ムーンのような兄がいてほしい。そのような弟がいてほしい。夫がそのようであってほしい。父親がそのようであってほしい。祖父がそのようであってほしい。ああ、王がそのようであってほしい」と言うのです。(拍手) お母様は、それを喜ばなければなりません。そうしてこそ、お母様になるのです。それをすべて抱き、消化し、先生よりももっと愛そうとするのがお母様の心だというのです。お母様は、それを越えていかなければなりません。 王妃の立場で自分の民のように愛さなければならず、祖母の立場で自分の嫁、娘のように考え、兄や夫のように考えてあげる心がなければなりません。 それでは、お母様が横にいるのに、アメリカの最高の美人が来て、「お父様」と言って、背負われるときには、お母様がお尻を持ち上げて背負わせてあげなければならないのです。 そうすれば先生は、その美人を背負ってお母様に「ありがとうございます」と、このように復帰されるのです。さて、お母様は美人ですが、先生は美男子ですか、醜男ですか?(「美男子です」) それゆえ、レバレンド・ムーンは、女王泥棒、祖母泥棒、妻泥棒、娘泥棒と言われるのです。ですから、男性たちはすべて、「レバレンド・ムーンを殺せ」と言うのです。それが天使長です。アダムをすべて憎むのです。サタンは、「エデンで私が奪ってきたので奪っていくのだ」と言うのです。 ですからサタンは、「私はその愛がないから、どうすることもできない。奪われるので殺してしまえ」と言って反対するのです。 それで、その女性たちを取り戻してから何をするのかと言えば、妹の中の妹にしなければならず、娘の中の娘に、妻の中の妻に、それから母親の中の母親に、女王の中の女王にしなければならないのです。そうして、天の国の勝利した女性として登録させなければなりません。心情的に勝利させるのです。 女性たちは、自分でどのようにしても登録できないのです。私が登録してあげなければならないのです。ですから女性たちは、祝福を受けた後にも絶対に、そのような登録をするためには、エバが復帰の過程を経て、家庭全体が絶対服従をすることができるみ業をしなければならない責任があるのです。ノーメン。(「アーメン」) ですから、絶対何が必要ですか?(「服従です」)。信仰 愛 服従 兄弟間に、親子間に、夫婦間に今必要なのです。それは神様自身がそうです。創造された人間を絶対信仰しました。絶対愛をもってつくられました。絶対服従を通して創造されたということを、皆さんは知らなければなりません。 「レバレンド・ムーンの教えは独裁的な教えだ。あれを見ろ」と、サタンは悪宣伝をするのです。「『絶対に夫のように愛し、絶対に父親のように考え、王のように考え、兄のように考えなさい』。この言葉によって、すべてを奪われていく」と言うのです。 レバレンド・ムーンに反対して、「惑わされて、息子が母親に従っていくように、女王に従っていくように従っていく」と言って、反対してはならないのです。 そのようにして、女王から祖母、母、妻、娘を全部奪っていって、一つの家の人をわたしが奪ってくるならば、どのようにしますか? 取って食べてますか、売ってしまいますか、すべてを妻にしますか? 娘にしますか? どのようにしますか? 女王は、女王の立場に立てるのです。女王はサタン世界の女王ではなく、天の国の女王になります。天の国の祖母、天の国の母、天の国の妻、天の国の子女に教育しようというのです。 この天の国、理想的家庭の価値は同じです。「父母、子女、孫まで祝福を受けなさい」と言えば、祝福を受けますか、受けませんか? 祝福は何をつくりますか、理想的なカップル制度をつくり、理想的な天の国の家庭をつくろうとするのは、間違っていますか、合っていますか?(「合っています」) ですから、自分勝手に反対していた怨讐を集めて、従う人と怨讐まで一緒に祝福してあげようとするのです。 カイン・アベル、怨讐を愛することのできる父の立場、夫の立場、兄の立場でこれを代行してあげる人に反対する人が、どこにいるでしょうか? ですから、天下はすべてレバレンド・ムーンに従ってくるのです。 神様の所有を取り戻すみ業 きょうは、「真の万物の日」です。皆さん、物を持っている人、手を挙げてみてください。 今まで、自分に属したすべての土地、家を自分のものだと考えてきました。皆さんの夫、妻、子女を自分の妻、夫、子女だと思って、自分勝手に扱ってきました。それらは、堕落の後に継承された存在だということを知らなければなりません。 これを整備するための神様の歴史は、数千年間、私たちが知らないところでこの役事をしてこられたということを知らなければなりません。 ですから、所有観念を否定しなければなりません。サタン世界で、万物を否定しなければならないのです。神様がそのまま奪ってくることのできる、すべての万物を半分に割いて、神様の所有権決定をする祭物の時代があったということを知らなければなりません。強制的に奪ってくることはできません。これが旧約時代です。 所有観念を否定して、神様の所有とサタンの所有を決定するための条件物が祭物であるということを、私たちは知っています。ですから、条件が所有権決定であるということを知らなければならないのです。 そうして、半分以上を領有するようになれば、領有したその世界に神様の子女を送って、世界の相続を成そうとするのが神様のみ旨です。ですから、旧約時代は万物を犠牲にさせる時代です。万物を祭物にして、神様の所有を取り戻すためのみ業をしてきたのです。 祭物は何ですか? 神様の所有権を決定するものです。サタンのものを半分分け与え、祭壇を天の前にささげ、その民を二つにしておき、ここで祭司長が祭物と一つになって、これを神様の前にささげるために、神様と祭司長と二人が一つになれば、祭司長と分かれた民が一つになることによって、分かれた祭物が一つになり、二つが一つになることによって、神様の所有権が決定するのです。神様の所有権はこのような概念があることを知りませんでした。 祭物をだれがほふりますか? 祭司長です。ですから、祭司長は、民の代わりにほふってささげたので、祭司長と民が一つになって、神様が所有するのです。 ですから、神様の息子が来て、所有することのできる王圏を立てていくのです。旧約時代にその祭物法がどれほど厳格であったでしょうか。 ですから、その祭物をささげるのは神様の息子、天の国の王子に侍るためなのです。サタンの世界に神様の息子がいないので、サタンの息子に来いというのではありません。神様の息子に侍ることのできる王を連れてきて、イスラエル選民の王圏の基盤をつくって、王として送るのがメシヤです。 真の父母を迎えるための歴史 ユダヤ教はアベルであり、ユダヤの国はカインです。カイン・アベルが、一つにならなければなりません。一つになって、イエス様をその国の王としてお迎えしなければならないのです。 ユダヤの国民は蘇生、ユダヤ教は長成、イスラエルの王は完成です。ですから、国民と祭司長と王が一つにならなければなりません。 国民はすべて家庭を持ち父母になって、王の立場に上がらなければならないのです。これは神様の立場に通じます。真の父母となって、王圏を回復するのです。 それゆえ、イスラエルの国民が家庭をもって、すべて教会と一つになった後に国と一つになって、イエス様を王として迎えなければならないのです。 家庭的王の次に、教会の王、その次に国の王です。それをよく知らなければなりません。皆さん、今から統一教会は、すべて長子権時代、父母権時代、王圏時代に入るので、この手続きを踏まなければならない時が来ました。 旧約時代、新約時代、成約時代、王圏時代です。それでは、王圏時代に神様が国を建てられるそのとき、すべては王圏の所有圏が先にできなければならず、家庭の真なる父母が現れて、未来の王圏を代身した所有にならなければならないのです。 これは私たちの家庭のものではなく、大切に侍って国の物にならなければならず、国で家庭の代表をできなければならず、その国は世界王圏の物を代身して、国民を代身して、家庭を代身するのです。これが連結されていかなければなりません。 息子時代は、息子に侍るための準備でしたが、イスラエル民族が不信してイエス様を殺したので、息子が犠牲になりました。息子の祭物時代です。ですから、キリスト教が血を流すのです。 そうして、祭物時代が過ぎて、息子祭物、血を流した直系の子女が血を流す時代に入るのです。キリスト教徒たちは、どこの国に行っても犠牲になってきました。牧師、宣教師がすべて犠牲になったのです。 祭祀をささげるときに、イエス様を代身した教会の牧師と、国を代表した民が完全に一つにならなければなりません。ですから、息子・娘を犠牲にして血を流してきたのは、真の父母をお迎えするためのものだということを知らなければなりません。 ですから、イエス様が亡くなった後に、再臨時代を預言するのです。イエス様が家庭を築いて、氏族、民族、国家、世界に、イスラエル民族を編成できなかったので、来られる主がそれをなさなければならないのです。 イエス様が血を流したその立場に立って、父母の立場を取り戻してこられるおかたが再臨主、真の父母であるということを皆さんは知らなければなりません。 二千年前、エリヤが雲に乗って天から降りてくると思っていましたが、人として洗礼ヨハネが来ました。旧約時代を蕩減するために、「雲に乗って来る」と言ったのです。しかし雲に乗って来たのではなく、人として来たのです。 人として来て、この地上で完成する旧約時代も蕩減し、新約時代も蕩減して、成約時代へと移っていくのです。 エリヤが天から雲に乗って来ると思いましたが、洗礼ヨハネとして来ました。 主が来られるときに、世界の宗派がたくさんあるものを連合する運動を中心として、エリヤのような代身として、再臨主が来られる前に洗礼ヨハネのような存在がやってきます。そして全部統合運動をして、一つの世界をつくるのです。 それで、すべて連合運動、家庭連合、宗教連合、世界連合体制になります。そうして、以前の統一教会の名前は何ですか?「世界基督教統一神霊協会」です。これらを一つにしなければなりません。 神様の目的が一つになることであって、二つでしょうか? その次に何でしょうか? 男性の世界、女性の世界、二つの世界をつくるのです。 第一次世界大戦後に女性の平等権を中心として、「女性の権利を取り戻そう」と反対する運動が繰り広げられたのは、第一次世界大戦以後からです。七十年前、八十年前からです。 アメリカは、キリスト教王国を代表して現れたので、アメリカの女性たちは、来られる主の前に帰るべき女王であり、祖母、母、妻、姉の立場に帰るべき立場にいるのです。それでアメリカの女性たちは、自分の夫と息子・娘を全部コントロールして、女王の立場に立ったのです。 アメリカは、キリスト教代表国なので、女王の立場でアメリカの女性を立てたということを知らなければなりません。主を迎えるためです。そのようにしながら、気が合わなければ離婚を自由化させたのです。天の国に帰るのです。 堕落は二人の恋人をだましたので、終末に女性たちも主を迎えるために二人の恋人をだまします。自分の本当の夫以外に、来られる主は二人の恋人を迎えて夫を立てるので、離婚というものを自由化させたのです。自分の夫以外に他の男性を好きになるのです。それゆえ、女性で男性に多く対する訓練をした人たちが妾です。 マタイによる福音書を見れば、バテシバが現れ、ルツが現れ、タマル、そしてマリヤが現れます。すべて淫行の女性です。彼女たちは、二人の男と対しました。本妻は天の相続ができません。レアとラケルもそうです。ラケルの祝福をレアが奪い取りました。その闘いです。これを取り戻してこなければなりません。 それゆえ、アメリカであれば、アメリカの伝統的に現れたその家庭の伝統が、すべて反対になるのです。 今から先生の言うことを聞いて、過去を悔い改め、このアメリカとキリスト教と国を合わせて、神様の前にささげるべき時が来たということを知らなければならないのです。 しかし、世界はまだ先生のいうことを聞きません。滅びるようになれば、すがりついて頭を下げるべきなのに、下げません。 全世界の王や大統領がどんなに多くても、レバレンド・ムーンが三億六千万双、三十億人類以上を祝福すれば、野党、与党、すべて消えるということを知らなければなりません。そうして、神様を中心とした統一党が生まれるのです。 神様を中心とした所有観念 父子の関係は宿命的です。父母を選挙で選ぶことができますか? 父母が大きくなって、王になるのです。ですから、王を選挙で抽選できますか、できませんか? アメリカの民主主義は、みな滅びつつあるのです。民主主義は兄弟主義です。兄弟はたくさんいます。ヤコブの兄弟は十二兄弟です。その十二兄弟のうち、だれが王になるかというときは、選挙で決めます。 それから、兄弟主義が過ぎ去れば、父母主義が来ます。父母主義は、選挙で決めるのではありません。 さあ、先生が教えてあげる創造理想に外れないモデルが出てくるようになれば、そのモデルのとおりに行かなければなりません。それゆえ、アメリカの国がアメリカのものではなく、神様のものであるということを知らなければなりません。世界のものでなければなりません。それから、神様に帰らなければならないのです。 ですから、「神様の下の一つの世界」です。ですから、神様に侍ろうという話です。それは間違っていますか?(「いいえ」)。それは民主主義の反対ですか? 第二次世界大戦後に、一九六〇年代、先進国が敗戦国を独立させるのは兄弟主義による平等が広がらなければ、ご父母様の前に審判を受けるので、そのようなことが起こるということを知らなければなりません。 歴史はそのようになるのです。ですから、所有観念を消していかなければなりません。所有も自分のものではありません。ですから、イスラエルの人たちがその所有を教会所有に任せなければならないし、自分の息子も自分も、教会所有として任さなければならないのです。 きょうからもう、皆さんの所有観念、すなわち、息子・娘の観念、妻の観念、自分という観念から離れなければなりません。神様の所有だというのです。きょう、このようなことを真の愛をもって宣布しました。それでこそ、真の愛が自分のものになるのです。 先生の後について、皆さんも声を出してください。「物も神様のもの」(「物も神様のもの」)。「子女も神様のもの」、(「子女も神様のもの」)。「夫婦も神様のものです」。(「夫婦も神様のものです」) 私たちの人間世界には、自分のものは一つもありません。こうしてすべてが真の父母の愛を中心として接ぎ木して、物も息子も父母も本然に帰るのです。これらを皆、持っておられる神様は何をされるのでしょうか? それは処理が大変です。 ですから神様が、「わたしは王であり、王国をつくってわたしが王になり、王宮にロイヤルファミリー(皇族)をつくってあなたたち皆がわたしの所有であり、わたしの息子・娘であり、わたしの家庭ですが、あなたたちの家庭に相続してあげる」と言われます。皆さんは王の代わりの夫婦となり、王の代わりの子女となり、王の代わりに所有をもって、神様の主人の代身を間違いなくすることでしょう。アーメン。 神様はまた、次のように言われるでしょう。 「わたしが王をしましたが、皆さんの代にはロイヤルファミリーになって、代々千代の王国へとだんだん発展し、家庭が氏族、氏族が民族、層が重なって王になることができるように、家庭の王となり、祝福したわたしよりも素晴らしくなれる皆さんではないでしょうか」。皆さんはそれを感謝します。アーメン わたしは家庭の王となって祝福したのですが、皆さんは氏族の王、国家の王、世界の王…。神様万歳 そうなれば、統一教会全体に、今こそ所有は教会所有に帰らなければならないのです。所有は自分のものではありません。教会のものでもありません。国のものですが、国だけのものではありません。国から世界を越え宇宙を越えて神様のものとなり、神様のものになってから自分のものになるのです。 それでは結論に入ります。万物と、祝福を受けた皆さんの子女すべてを神様の所有として、先生が祭司長となって、祭壇の前に割かないでそのまま、神様の前に真の父母とともに奉献することを願いますか、願いませんか? すべての祝福を受けた世界の家庭が、アダム祝福を受けた完成した家庭、解放的天国に直行することのできる家庭として、それを連結させなければならない責任があるのです。真のご父母様がいなければそれはできません。 教会の所有に移らなければなりません。そうして、その所有は教会自体で思いどおりにしてはいけません。 教会の所有までプラスして、国を取り戻す運動をしなければならないのです。そして、国の所有にして、ささげるのです。「教会所有を国の所有にします。国の所有を天宙の所有にします。天宙の所有を神様の所有にします。神様の所有が自分の所有になります。アーメン」。(「アーメン」) 家庭の所有を教会に預けますが、教会に預ける日には教会のものにもなりますが、教会を越えて国のもの、国を越えて世界のもの、世界を越えて宇宙のもの、宇宙を越えて神様のもの、神様のものを越えて自分のものになるのです。その所有権の移動をして、主人を捜していくのです。 皆さんは、その所有を真の家庭のために使うことを願いますか、真の国のために使うことを願いますか? 真の地上・天上天国のため、神様のために使うことを願いますか? どちらですか?(英語)万歳、万歳、万歳。 その後、日本人四十人、カナダ人、フィリピン人、台湾人各十二人、アメリカ人四十人、韓国人十二人が真のお父様の指示で整列した後、「奉献転換式宣布」が行われました。 奉献転換式宣布 歴史的な時間です。何人かがこのように集まり、真のご父母様がこのような式をするというのは、ある面で公的なものです。横的な面でも、縦的な面でも公的なのです。 それで横的な世界の祝福が終わるときに行うのです。 今年の年頭標語は、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。これは歴史的な宣言であり、世界史的なものです。神様がどれほど慎重にこの日を待ち望まれたかを考えなければなりません。痛哭すべき時間です。 神様を父母として父母の国がなければならないし、長子の国がなければなりません。それが、イギリスを中心としたカイン・アベルの子女の国でした。 お母様と一つになって、イギリスと父母の国をつくり、子女の国をつくったならば、統一天下ができていたはずなのに、それをキリスト教文化圏が反対したのです。 旧約時代にイエス様が来られたのに、新約時代の出発に反対してイエス様を殺してしまいました。それと同じように、再臨の主が来られたとき、家庭的理想を完全に破綻させたのです。今まで家庭四十年荒野路程において荒野に追い出され、地球星においてこれが全部分かれたので、地球星に侵略時代が来たのです。 それゆえに、地球星を全部天の国にして、王圏王国を回復しなければなりません。そうしてこそ、創造理想として願われたアダムの失敗と、イエス様を立てて国の成就、世界の成就まで延長させたすべてが終結します。それによって神様の解放、ご父母様の解放を中心とする地上天上天国の王圏がなされ、このことが終結するのです。アーメン。 その終結に向かう最後の準備の式が「奉献転換式宣布」です。 〈祈祷〉 愛するお父様、きょう一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」午後二時を期し、ご父母様を中心として、ご父母様としてこの地上で越えるべき蕩減の峠をすべて越えるようになりました。 六月十三日を期し、三億六千万双の祝福を中心として、一年七か月後には三億六千万双全体が、この父母の国と長子権国家が一つとなって全世界が方向を整え、一つの宗主国を復帰し、天国に向かっていくことのできる高速道路を開通させる時代が参りました。 ここにおいては地獄が解消されるでしょうし、嘆息していたすべての人類、天上世界と地上世界の人たちが解放され得る時代を迎えるようにしてくださったご父母様の恩徳を天が愛されることによって、今、父母の国を立て、長子権の国を決定しました。 韓国の十二人、日本を中心として四十人と三十六人を中心とした者たちが、母の国として責任を果たせなかったものを連結させて、彼らが決心して、三人の娘と一つとなることによって四位基台的基準を復帰し、天使長世界になっていたアメリカを、初めて祝福することのできる時代になりました。 今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダと英国、そして第二次世界大戦に所属していたすべての国が一つとなり、そこに加担され勝利の統一を願われていた第二次世界大戦直後に、真の父母を中心とした統一王国世界を失ったものを、家庭的王国編成をするために、祝福の道を開拓なさったご父母様の苦労をお助けになられたお父様の前に、真に感謝を申し上げます。 夢のようなことを開拓するための路程において、お父様がご苦労なさって開拓されたその日々をわたしが知り、だれも知ることのできないこの道を……。お父様 峠を越え、山を越えて海を渡り、大洋を渡り、大陸を渡り、これらを展開するためにどれほど統一教会の人たちが冷遇されたでしょうか。 その涙した涙の功を捨てられることのないお父様の愛によって、ご父母様の国を条件的にささげ、子女の国までささげ、今、キリスト教を中心とした統一的王国圏を立てることのできる解放的世界に前進することによって、南北統一はもちろん、日本と韓国が一つの国になり、台湾あるいはフィリピン、カナダが人種を超越し、一つになったその基準の上に、アメリカを中心として、一つの家庭的子女の因縁をアダム家庭で立て、神様の愛をいっぱいに受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的理想愛の基準を中心として、定着できなかったすべてを、天下の国を中心として再度定着できる期間をご父母様が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますので、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、お母様が韓国の十二人と日本を中心として台湾、フィリピン、カナダの三十六人と合わせた母の国、そして天使長の国まで連合させ、一つになる立場に立って、ご父母様の前にお母様と一つになった立場で、初めてこの二つが一つになった基盤の上に、ご父母様と一つとなり、神様の前に父母と子女が一つになった全体の条件的勝利の限界線を越えることのできる約束の時を迎えて、このような式を挙行いたしますので、喜んで受け入れてくださるよう、切にお願い申し上げます。 進行するすべての条件が歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾の圏としてくださり、愛主権完成の世界に家庭を越え、国家を越え、サタン世界の痕跡を除去させ、天宙全体に神様が自由往来されることができ、解放的な全体圏内で愛の覇権を持った主権を持ち、治めることのできる愛の大王となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様、お受けください。真のご父母様のみ名によって、再度再度、宣言、宣言、宣言いたします。アーメン アーメン アーメン一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.11
コメント(0)
「地獄解放と天国開門」宣布真のご父母様は、一九九八年五月十五日、ブラジルのパンタナールにあるアメリカーナホテルにて、聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福する「地獄解放と天国開門」を宣布された。しかし、この内容は録音されなかったため、下記の内容は、宣布以降にこれと関連した真のご父母様の祈祷とみ言をまとめたものである。 祈祷 愛のお父様……、一九九八年六月十三日を中心とした、三億六千万双の第一次祝福式を挙行することを全世界に宣布するとともに、新しい歴史を育む転換を前にし、このパンタナールに来て、歴史的なすべてを清算することのできるこのみ業を、最も立ち遅れているこの地域で始めました。 また、このアメリカーナホテル……、北米と環境において連結している地獄の底のようなこの地域に参り、あなたの息子、相軒氏が送ってくれたメッセージを通して、霊界と肉界が分かれた統一的な内容、天上世界の実相と全体をはっきりと知るようになりました。成約時代の霊界と肉界を完全に知って、その霊界と肉界にひっかからない、解放された生活を送るべき成約時代の人間であるということを知らなければなりません。ここに依存する全霊界を通じて、そのことを知らせてくれることにより、初めてすべてが分かりましたから……、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければならない、この世界史的な新時代を迎えるようになりましたことに感謝申し上げます。 これから六月十三日のその時まで、霊界と肉界の未知なるすべての事実に、真の父母が責任をもつことを知り……、朴マリアの家庭、イスカリオテのユダ、そしてアダムとエバ自体にさえも、祝福の恩恵圏を万世に開くことを決心して帰っていくこの場を、祝福してくださいますよう切にお願い申し上げます。あらかじめ早朝に天に報告すべき内容が何であるか、すべての事実を既に報告しましたので、 その道をこの地上に事実として展開し、実践実行することのできる、中心的な真の父母の行路となることを覚悟しましたから、その道へと導き、協助してくださいますようお願い申し上げます。 今日以降のすべてを担い、来たる十三日の栄光に、お父様が喜びをもって浴してくださいますよう、切にお願い申し上げます。「霊界と肉界の解放宣布の日」となるよう希望しながら、すべてを計画するこの過程を快く受け入れてくださいませ。許されし恵みに感謝しつつ、真の父母のみ名によって宣言祝福いたします。アーメン! アーメン! アーメン!(二九三-二七九、九八年六月二日) み言 地上で祝福を受けた人の中には、殺人の罪を犯した者もおり、ありとあらゆる者がいるのです。そのような人たちが祝福を受け、解放の恵沢を受けたので、その人たちを中心として、霊界のそのような人たちの親戚を通して、兄だとか天使長の立場にある父母がいれば、代わりに祝福をしてあげ、すべてを解放することができるのです。(二九三-一〇四、九八年五月二十六日) 地上において三億六千万双の祝福が、すべて終わる前、地上に現れる前に、この事実が霊界に先に現われなければならないのです。霊界が先にならなければならないのであって、地上世界が先になってはならないのです。ですから、第一次アダム、第二次アダムが失敗したことを連結させるために、天上世界の先祖となるアダムの代わりとして興進君に家庭的祝福を与え、霊界にいる興進君を地上で祝福することによって、地上と霊界を連結し、世界版図のアベルを中心とした父母を中心として、天使長圏を……。 天使長圏は養子のようなものです。血筋がないのです。これは伝統ではありません。しかし、それをつないで蕩減するのです。分かれた霊界を一つにすることによって、そこにおいて真の父母の国を創建することができるのです。これを中心として、キリスト教が一国家として統一されたならば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たのです。(二九三-一五八、九八年五月二十六日) 李相軒氏を神様が特別に使者として送ってくださり、小柄な女性を通して……。監獄のようなところに行って出会ったのが誰かというと、朴マリアと李起鵬、李康石の三人です。息子が父母を殺したのです。また、朴マリア夫婦は、父母を殺したようなものです。この地上に来られた真の父母を殺す悪事を働いたのです。 梨花女子大事件の時、最初は世宗路の家に集まっていたのですが、その時、金永雲教授、梁允永教授やって来たのです。彼女たちはみ言を聞いて、比較していたのですが、その彼女たちを根本から覆してしまったのです。それで、その教授たちを首にし、「悪魔だ!」と宣伝するような立場に立ったのです。完全に統一教会が反対されるようになる過ちを犯した元凶が、朴マリアなのです。 それで李起鵬(朴マリアの夫)が、李承晩博士(大統領)を中心に、妻の言いいなりになって、完全に李承晩大統領と示し合わせ、五大長官に命令し、統一教会をなくそうとしたのです。ですから、父母をとり殺した立場に立つのです。このようなことは、誰に説明してもよく分かりません。 ですから、これを解放しなければ、地獄とすべての霊界が開かれません。イエス様を殺したイスラエル民族、キリスト教は、先生を裏切りませんでしたか? 売り飛ばすようなことをしたのです。そうではありませんか? 朴マリアは、先生に十字架を背負わせ、釘づけにしたのです。二十世紀において十字架を背負ったのです。 ここに来て、私はすべての秘密を暴露するのです。先月の五月十五日の夕方、大転換式を宣言しました。霊界を中心として転換式を行ったのです。そして今回、李相軒氏の第二次の霊界メッセージを、ここに来て連結させるのです。(二九三-二四〇、九八年六月一日) 李相軒氏が霊界から送ってきたメッセージで、朴マリアに関する部分を読んでみなさい。そこでは、何を語っていますか? 神様が朴マリアの罪までも許して、解放してあげることを望まれ、天の使者を李相軒氏に送り、朴マリアに会わせ、李起鵬に会わせ、李康石にも会わせたのです。 その人たちに会ってから祈祷をしたところ、神様が「どんな気持ちか?」と語りかけてこられ、李相軒氏が悲しんでいるのを察すると、「神の愛する子女たちがこのまではいけない。解放してあげなければならない。それはおまえの責任である!」と語られたというのです。それはどういうことかと言うと、「統一教会の先生に報告しなさい」ということなのです。彼らは怨讐の中の最悪の怨讐なのに、神様が彼らまでも許してあげる心をもたれて、特別に使者を遣わして案内をしたということを、ひしひしと感じたというのです。そのような内容をもってどのようにすべきか、霊界と天使たちが妥協してきたのです。 神様が李相軒氏に「それはおまえの責任である」と語られたその言葉の意味は、統一教会の先生を通じて、許しの道が開かれるということなのです。真の父母の前に犯した罪は、家庭的に犯したものです。朴マリアの家庭が罪を犯したのです。朴マリア家庭の父母が、真の父母を追い出し、真の兄を追い出したのです。それで、サタン世界の実の息子が父親と母親を撃ち殺したのです。反対の役事をしたのです。 ですから、李康石がかわいそうだというのです。李康石がサタン側の自分の家庭を壊してしまいました。真の父母の家庭をだめにした元凶の父母を撃ち殺したのです。ですから、もつれています。それゆえに真の父母が、その死ぬしかない道を避けられるように条件を立てたのです。 地上で大逆罪を犯して地獄に行った者をも許してあげるのですから、統一教会の人々が罪を犯したことなどは何でもないのです。罪を犯した人をまず許してあげて、同参することのできる権限を与えるのです。そのようにして復帰するのです。祝福を受けて神の子女として復帰できるように許してあげ、同じ祝福を受ける列に入籍するのです。 ですから、パンタナールで八日間に決済報告をするのです。すべて報告するのです。それは先生の特権なのです。今は六月ですね? 六はサタン数です。十三数は一番悪い数ですね? それで昨日、四日に出発しようとしたのですが、四日には来ることができませんでした。それできのうは何をしましたか? きのうはサタン数の日です。サタンが邪魔をしたので……。六月四日です。六もサタン数ですが、この四もサタン数です。 それで、先生がその日にパクー(PACU)を釣りに行って、何としてでも六匹釣らなければならないと言ったのです。そうすれば数が合います。六数、四数、ゼロ数です。内外の六数、四数を中心として……。 十六数もまたサタン数です。韓国動乱の国連参戦国もすべて十六数なのです。六月四日に魚を六匹釣らなければならないのです。六数もサタン数で、四数もサタン数なので、魚を釣るにもサタン数で釣らねばならないのです。六匹釣らないとだめなのです。五匹だけ釣って、後五分というところで最後の一匹を釣りました。十六数なので、六匹釣らなければならないのですが、五匹釣ったところで最後の一匹が残すところ五分になるまで捕まらず、やっと釣り上げることができたのです。そうです、成功したのです。 六月四日、六数もサタン数であり、四数もサタン数なので、サタン数を代表してパクーを六匹捕まえなければならなかったのです。このパクーというのは「ゴー・バック(go back:戻れ)」という意味にもとらえることができるのです。それを六数に合わせることで、サタン数を全滅させるのです。十六数までです。ですから、十六数もサタン数であり、四数もサタン数であり、六数もサタン数なのです。また、この十六数と十三日(三億六千万双の第一次祝福の日)の十三数を合わせた二十九数もサタン数です。すべてのサタン数を一掃してしまったのです。 それで、夜明けにお手洗いに行って、すっきりと掃除してから来なければならないのです。ですから、飛行機で南米大陸を発つ五分前に大便をしたのです。それも役事です。それを終えられずに来たのですが、南米大陸を立つ前に大便を終えてから来たのです。ですから、どれほど気分が良いかわかりません。 出発するとき、それができなかったので、条件を立てて、イーストガーデンでできれば良いし、途中でできればもっと良いと、祈る思いで来たのです。サロブラから離れるとき、それができなかったので、ここでだめならイーストガーデンに行って解決しよう、途中ですっきりとできれば、それに越したことはないという条件を立てて、祈祷をしてきたのです。皆さんはこのようなことを知りません。時間がないので、そのような条件を立てて、途中でそのようにしたのです。ですから、万事うまくいったのです。 それで今、四大聖人を祝福してあげるのです。祝福をしてあげるには、統一教会の先生が愛した人々と祝福させなければならないのです。孔子・釈迦・マホメット・イエス、皆祝福してあげたのです。イエス様も祝福してあげました。ですから、彼らを通じて祝福を継承してあげるのです。彼らを祝福してあげれば、宗教の使命がすべて終わるのです。 たとえば仏教圏は、釈迦牟尼を中心として中間霊界にいたわけですが、真の父母に従って皆天国に入っていくのです。ですから、宗教の使命が終わり、国の使命がすべて終わるのです。国の立場もなくなるのです。ですから、真の父母を迎えれば、真の家庭、真の国家、真の世界、真の神様にばったりと出会うのです。平和の世界、一つの真の愛で統一された世界が、いわゆる地上天国なのです!アーメン!(二九四-一三、九八年八月五日) 私にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐中の怨讐です。ですから、五月十四日から三日間祈祷して、彼らを解放してあげたのです。李相軒氏に向かって神様が、「おまえが責任を負わなければならない!」と語られたのです。その後では、「よろしく頼む」と語られたというのです。その言葉に私がショックを受けたのです。祝福をすべて終えてから、最後にしてあげようと思っていたからです。個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代に入り、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してあげようと思っていたのです。 ヒットラーとかスターリンのような人たちは、国家主義の時代です。国家主義時代は過ぎ去るのです。今は、超国家主義時代です。それから、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法では無理なのです。今や連合国時代です、世界時代なのです。 その次は、超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったようなことはできないのです。金日成は、地獄に行ったのですが、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンのような人は、逃げながら生活しているのです。それは、時が来ていないからです。それは、私が処理します。国家主義、世界主義的な勝利の覇権をもった者だけができるのです。 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的です、超宗教主義なのです。ですから、そのような権限をもって、彼らを治めることができるのです。誰もが同じ運命です。神様も哀れで、真の父母も哀れで、人類も哀れで、サタンも哀れなのです。ですから、その哀れな人たち同士で、殺し合わなければなりませんか?「怨讐を愛せ」という一言によって、それが神のみ意であるならば、問題なくすべてが解決するのです。そうではありませんか?「それが神様の願いではありませんか?」と言われたら、どうしますか? それが神様の願いであるわけですが、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救いを受ける人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? 誰もが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのは、何のせいですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を引き抜かなければならないのです。 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家です。それを断行するのは、神様にもできず、誰も考えつかないことなのです。しっかりと原則を中心として取り払ってしまうのです。私が負けるか、誰が負けるかなのです。このままで済むかどうか、後になれば分かるのです。そのようにしたので、うまくいくのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院) 楽圏と地獄をどのように解放するのでしょうか? 人間の理知をもってしては解放することができません。宗教圏を解放し、地獄の門までも開くのです。真の父母には地獄の門がありません。真の父母には楽園がありません。真の父母は、天国だけに行くことができるのです。反対していた基準が限界線の圏内、サタンの権限にあるときには、反対をすることができますが、その権限を越えれば、サタンは何もすることができないのです。それが国連です。国連は世界国家の頂上なのです。 それで、超宗教、超国家、超国連主義を主張するのです。それが何かというと、「真の父母主義」であり、「神主義」なのです。真の父母は、サタンの宗教圏の下にあってもいいのでしょうか? 国家圏の下にあってもいいのでしょうか? 国連圏の下にあってもいいのでしょうか? ですから、超宗教、超国家、超国連なのです。 ですから、一番頂上に上ってきたのです。真の父母と神主義を合わせた主義が何かというと、絶対に為に生きる愛主義です。そうなれば、すべてが終わるのです。絶対に為に生きる真の父母主義なのです。それによって、世界がみなその懐に溶けてしまうのです。すべて消化されてしまうのです。 それは単なる話ではありません。事実であるがゆえに、すべてをそのようにしたのです。ですから、すべて宣布しましたね? 宣布すれば、サタンは入ってくることができません。先生はそれを知っているので、首を切る絞首台をつくっておいて、門さえ開ければいいのです。自分で踏み台さえ踏めばおしまいなのです。ちょうど、そのようになっているのです。 神様はそれをご存じなので、サタンに対して「おい、文総裁がしていることをどう思う? おまえは今まで文総裁を除去しようと思ってきたが、これほどまでに上がってきたのだ。今や壁もすべて崩れ、絞首台さえつくっておけばいいのだが、首を切るときには、間違いなくおまえを処断するはずだ……」と言われるのです。 一九九九年三月二十一目、堕落した天使長ルーシェルが神様の前に、真の父母の前に降伏し服従した、という宣言は嘘ですか、事実ですか? 事実なのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院) 先生は、殺人鬼と聖人を一緒に祝福してあげました。殺人鬼と聖人を一緒に祝福したという事実だけを見ても、すべて終わりなのです。この世に、そのようなことがあるでしょうか? 水平時代に突入したのです。 どんなにサタン世界で力の強い国であったとしても、水が浸水してきたらどうなるでしょうか? 敵と味方に分かれて、目を真っ赤にして殺し合っているどころではありません。水の中に放っておいたらどうなりますか? 互いに殺し合うべきでしょうか、互いに助け合うべきでしょうか? 互いに助け合わなければならないのです。 最近、三八度線に関する『JSA(共同警備地帯)』という映画がありましたが、『JSA』の話を考えてみなさい。「地雷を踏んだ!」と言ったときに、人民軍たちは逃げ出したでしょうか、助け合ったでしょうか? ちょうど、そのようなものです。水は水平になったのに、殺したらすべてなくなってしまうのです。互いに助け合わなければならないのです。 助けるときは、父親を救う思いで助けるでしょうか、罪人を救う思いで助けるでしょうか? 助けるときには、自分の父親を救うという思いで助ければ、どれほど力が湧くことでしょうか? 兄を救うという思いで助け、王を救うという思いで助けよというのです。そこで、神様のような方を私が助けるのだと考えれば、そのようになるのです。その場においては、そのように考えよというのです。 ですから、殺人鬼が互いに助け合える立場に立って、相手のために命を捧げるようになれば、思いどおりにできる権限をもつようになります。地獄を出たり入ったりできるのです。殺人鬼が聖人を助け、聖人のために解怨してあげたならば、聖人の寝室にも入っていくことができるのです。絶対に接近できないようにしておいても、秘密裏に暗行御史となって(かつて王命によって秘密裏に調査した官職)、通過できる道があるのです。道が大きく開くのです。ですから、そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです、水が一杯になってきたからです。 谷間にいるときには争っていたとしても、そこに水が次第に入り込んできて、二人とも死にそうな状況になればどのようになりますか? 二人とも死んでしまえば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになりますね? 誰もが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦を行うのです。 先生も大変なことになるので、仕方なく共同作戦を取るのです。「お互いに生き伸びるためには、仕方がありません」と言うとき、サタンはどうしますか? すべて死んでしまえば、サタンはどうしますか? サタンにとっても一大事なのです。 ですから、このようなことをすることによって、「おい、このサタン野郎! おまえも解放される時が来たことに気づいて、協助しろ!」と言うと、「どうか、どうか助けてくれ! どうか祝福を与えてくれ……」。このようになったのです。 いやあ、このような事ってあるでしょうか? どう解釈すべきでしょうか? 今、私が話してあげた解釈が合っているのです。それで、金活蘭や朴マリアは怨讐の中の怨讐ではありませんか? 私が彼らのために、一九九八年五月十三日から十五日まで、ブラジルのパンタナールで三日間祈祷をして、祝福してあげるよう決めたのです。(二○○○年十二月二十九日、漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.11
コメント(0)
地獄解放と天国開門のための真の御父母様の宣布一九九八年五月十五日、ブラジル、パンタナール、アメリカーナ・ホテル 興進様が真の御父母様の直系の子女であるという事実と比べて、キリスト教は血統の違う養子の立場にあります。この二つが一つとなって初めて父母様が完全に立つことができるのです。したがって、既に祝福を受けた興進様とキリスト教が祝福を受けて一つとなってこそ、真の御父母様のみ旨がなされるのです。したがって、統一教会はキリスト教に対して本格的に教団的な祝福を実施しなければなりません。 真の御父母様を中心として父と母、そして長子権が一つとならなければならず、さらには父と養子圏(キリスト教)とその他の宗教、そして非宗教圏が一つにならなければなりません。 六月十三日に一億二千万双が祝福を受ければ、三億六千万双の三分の一が祝福を受けることになるので、旧約時代を抜け出すのです。はやくキリスト教を中心として新生式と復活式、そして永生式である祝福式を挙行しなければなりません。 このような観点でアメリカの使命は重要です。皆アメリカのために祈祷しなければなりません。既に四人の聖人をすべて祝福してあげ、清平でもキリスト教解放のために精誠を尽くしています。第四次アダム圏解放の鍵は、真の御父母様がすべて持っておられたのです。事実、地上よりも霊界を早く処理してあげなければなりません。したがって、先祖を整理することに努力を傾けるのです。 万物の日(一九九八・五・二六)に霊肉を取り戻したという宣布式を挙行する予定であり、このパンタナールでの期間は、その内的な準備期間です。皆さんはこの重要な期間に、昼も夜も精誠を尽くすべきです。 まず霊界を正してから肉界を正さなければならないというのが摂理の順序です。霊界は肉界に対して垂直であり、肉界は水平関係の世界だからです。このように垂直と水平の世界が会うことによって地球に真の平和がもたらされるのです。 皆さんは李相憲先生の報告を百パーセント事実として信じなければなりません。この証しは真のお父様が知っている霊界の事実と一致しています。この内容を信じなければ真のお父様の仕事をすることはできません。 真の御父母様が現れなかったとすれば、霊界というものはないのと同然です。すなわち、真の御父母様が来られて初めて霊界と肉界を処理することができるからです。 本来アダムとエバは、心身一体の男性、心身一体の女性として完成しなければなりませんでした。愛の体を身につけるのが夫婦です。心だけではなりません。体がなければならないのが原則です。したがって心的基準が体的基準と一体となって現れる存在こそが完成存在なのです。このような観点からすると、神様の体としての人間は神様の前に最高の存在であることに違いありません。 弱肉強食ではなく、より高い愛の器官を求めていくのが天理です。すなわち、食物連鎖の関係ではなく、愛の秩序によって動くのが創造の原則なのです。 神様は、世界、国、民族、氏族、家庭、父母、夫婦、子女の順に尋ねてこられ、それから再び上がらなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従は神様の立場からそう見えるものであるべきです。私たちは常に神様との垂直関係を維持しなければなりません。この絶対の基準を夫婦の間で、夫婦中心として実現しなければならないのです。神様が自分の息子、娘ゆえに僕に打たれ、辱めを受けてきたというのが堕落した人類の歴史です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.09
コメント(0)
「キリスト教文化圏と統一教文化圏の一体化」宣布 一九九八年五月二日夜十二時、ベルベディア修練所(米国)のメインハウスにある興進様の居間にて、真のご子女様とイエス様家庭、教会指導者など四十余名が参加する中、真のご父母様が特別祈祷を通して、「キリスト教文化圏と統一教文化圏の一体化」を宣布なさった。その宣布は、今まで霊人祝福を受けた霊人たちのうち、一億六千万双に及ぶキリスト教の霊人たちが、清平にて修練を終え、六月十三日にマジソンスクエアガーデンで行われる三億六千万双の第一次祝福を協肋するために、ベルベディア修練所に到着する、その時間に合わせて行われた。 祈祷 一九九八年五月二日、夜十二時を期し、新しいこのベルベディアにおいて、イエス様が祝福を受けてから二十七年目となる今、キリスト教が勝利した基準を備えることのできる、父母の国と長子の国を定めることによって、今やイエス様がこの地で王権を得て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰のために、国家を超えて世界を連結することのできる念願の一日を迎えました。 キリスト教文化圏を創建した、この結実の国家であるアメリカを中心として、アベル的な地上・天上天国の理念を実践するすべてを再臨時代に連結し、世界的な勝利の地上・天上天国を完結すべき召命的なみ旨を完成できませんでしたが、四十年の荒野家庭路程を通して再び元に戻ることによって、この地球星のすべてがカナンの福地と同じ基準になり、ここにおいて善と悪を分別し、天国と地獄を分別しなければなりません。 今や統一教会は地上において、地上世界の地獄を開門するとともに天上世界の地獄を開門し、地上統一世界の地上天国と共に、天上世界の統一的な天国を形成しなければなりません。お父様は原理観的な統一の一体世界を願われ、創造理想を全天宙史の上に定着すべき標準を歩んでこられました。それがお父様の復帰摂理でございました。 数多くの宗教によって蕩減の歴史を経ていく摂理を通じて、イエス様から再臨時代まで二千年の間、数多くのキリスト教の犠牲と迫害の中で、血を流す祭壇を連結して、キリスト教を中心とした文化圏の統一的世界を備えた、第二次世界大戦以後のすべてを収拾し、真のご父母様を中心として再臨の家庭と国家全体の世界の中心を定め、地上天国を完成すべきでありました。 しかし、それを完成できなかったことによって四十年延長し、今この時を再び迎えて、父母様が受難過程の中で統一教会を立て、長子権復帰、父母権復帰を中心として、王権復帰の世界途上を越えていくことのできる、この時代を備えることによって、 父母の国と長子の国をもつことによって、蕩減的な解怨成就を越え、直接的主管と関係を結ぶことのできる地上勝利で、家庭を中心として社会、国家、世界、天宙まで連結することのできる、恨の歴史を今定着させなければなりません。このような時に、このベルベディアにおいて、イエス様と張貞順を二十七年前に祝福したことを、実体として地上でキリスト教文化圏上においてキリスト教徒が連合する家庭的な真の家庭運動を、超教派的、超民族的な基準で形成し、サタン世界の血統を断絶することのできる、限界の一年を残したこの期間の上に、世界史的な統一の世界を願ったイエス様の理念が定着し得る基盤を備えるようになりました。 この基盤の上に、興進君を中心とするアベル的基準が、キリスト教のカイン的基準で何もかも反対してきたすべてを逆にし、長子圏を中心にキリスト教を弟として父母様の名で連結することができ、この十四日前である今、この地上における成約時代の安着と共に、長子圏国家の定着を宣布してから十五日目を迎える明日を中心として、新しい出発をここで定め、清平と共に興進君が築いてきたことが、この地上のキリスト教文化圏と直接的に動きますように。 キリスト教国の統合、キリスト教を中心としたすべての宗教が統合され、世界を代表した国家を中心として、キリスト教と共に統一されることによって、世界が一つの統一国家として進むことのできる時代として、お父様……、担ってくださり直接主管してください。 創造理想の完成の上に立ち、より良い家庭の上に立ち、神様の前に創造したアダムを中心として協助した天使世界と、今のこの天使世界を動かし、堕落後に復帰路程を中心としてきたあらゆる善なる霊たちが、天使世界の兄の立場のようなそのような因縁を、キリスト教文化圏と統一文化圏が一つになることによって、真のご父母様の実体圏を、サタンに奪われたすべての実体的権限を再び取り戻し、長子圏と次子圏が一つとなって父母権を迎え、王権時代へと越えていくことができる、サタン世界の血統断切と三億六千万双祝福を中心として、世界を結ぶことのできる時代を前にして、このような設定を宣布するに至ったことを感謝いたします。今日のすべてを喜びの中で受けてくださいませ。 興進君とイエス様が一つとなり、今後興進君とキリスト教文化圏において……。祝福を受けた一億六千万双のすべての祝福家庭が、今、天使と共にここアメリカを中心に集結し、アメリカ消化運動と世界キリスト教の摂理史的内容に連結し得る祝福の因縁を、統一教会を中心として三億六千万双圏内の模範的な代表的国家としての、先取権をもつキリスト教文化圏になることができるように、アメリカを動かすことができるように役事してくださいますよう切にお願い申し上げます。 神様が願ってこられたすべてのみ旨を興進君とイエス様に連結し、興進君をお兄さんとして侍り、イエス様は弟の立場で一つになり、カインとアベルがIつとなれずに歪んでいたすべてを、世界の歴史を超えて兄弟としての心情圏をご父母様を中心として連結させてください。 万民が、この二人の兄弟が再び入れ替わった立場を元に戻すことによって、世界が戻っていくことができる一つの条件を中心として、地に返すことによって、天が中心となって意のままに往来し主管することのできる、地上実権時代をもたせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 憔悴したこのような立場を経て、すべての夫婦が新しい家庭的理念を中心として、新郎新婦を中心とした国家的イスラエル圏と、世界史的な第二イスラエル圏と第三イスラエル圏を家庭的な安着世界として、自由に前進することのできる解放圏となるよう切にお願い申し上げます。 そのために、興進君とイエス様は、家庭的定着のために世界を祝福すると同時に、全霊界のキリスト教徒と統一教会が心を合わせて、これを実践実行するにあたり、全面的に協助するよう、父母様は今日この日からこの二人の兄弟の家庭に祝福しますゆえ、そのみ旨に従って一つになり、天使と交流しながら、清平とこの場が一つの兄弟の情をもって父母様を中心として元に戻すことのできる、東洋と西洋が一つになることのできる、一つの教訓としてくださいますことをお願いいたします。 誠を尽くして父母様に侍り、父母様と一つになって神様に侍り、この宇宙を、神様のみ意である創造理想の地上・天上天国として完結することを、父母様のみ名によって許諾いたしますから、神様も許諾してくださいますようお願い申し上げながら、この時間のすべてを申し上げたとおりに成してくださいますようお願い申し上げます。興進君とイエス様も協助してこれを成就することを望みます。真のご父母様のみ名によって宣布し、すべてを設定いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 ※真のご父母様が神様に敬礼を捧げられ、次に真のお母様が真のお父様に敬礼を捧げられる。 ここにいる兄弟たちは興進君になったつもりで敬礼し、ここにいる人たちは、イエス様とキリスト教を代表して敬礼するのです。家庭です、家庭。家庭が敬礼するのです。今までは個人で敬礼を捧げてきましたが、家庭定着時代なのです。 ※真のご子女様たちが興進様のご家庭を代表して、真のご父母様に敬礼を捧げる。 ここは、統一教会と、霊界にいるキリスト教を代表した数多くの霊界を代表して、これから定着時代に連結されるのです。今まではそれができませんでした。去る四月十七日の宣布で父母の国、長子圏の国が設定されることによって。先生が復活節の完成、復活節の定着を宣布したのです。先生がやってきたのは、そのようにすることによって、長子圏に向けてキリスト教を連合し、宗教を連合することなのです。ジェリー・ファウエル(米国バプテスト教会牧師)が百人いたとしても、できることではありません。ジェリー・ファウエルは信じられません。私たちが代わりにすべてをしなければなりません。さあ、そのような意味で、全体を代表した全体霊界と人類全体の宗教圏を代表して、代わりに皆敬礼しなさい。 ※参加した祝福家庭が、イエス様の家庭に代わって真のご父母様に敬礼を捧げ、その後に家庭盟誓を斉唱する。 祝祷 愛するお父様……、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを通して、真の父母のみ旨を立てんとするすべての歴史的路程のために、どれほど神様は苦労されたことでしょうか。哀れな神様、哀れな霊界になったという事実のみならず、地上の真の父母はもちろん、真の父母のみ旨に従うために、イエス様以降キリスト教の道を切り開くために歴史上に来ては去っていった先祖たちも、皆哀れな立場において、今まで安着することができませんでした。ところが、第二イスラエル圏を中心とした三次イスラエル、第三アダム時代を迎え、再臨時代を迎えることによって成約時代を迎えました。成約時代には、エデンで祝福を成就し得る勝利的なその時、世界史的な数多くの人類全体を代表して祝福の定着時代を、世界的な基準、天宙史的な基準で迎えさせてくださり、アダムの解怨成就はもちろんのこと、イエス様の解怨成就まで再臨主が解怨成就なさいまして、家庭定着の世界化時代を迎えられるようになった事実に感謝申し上げます。盟誓文の全家庭を中心とした内容は、私たち地上の人間だけが重要視するのではなく、天上世界の祝福を受けたすべての霊人たちまでが重要視するものでございます。それを中心とし、天上世界と地上世界に兄弟の情を中心として、真の父母に侍るにあたり、心と体を統一することによって、縦的な基準に霊界と肉界を統一させることのできる家庭的な安着点を、私の心と体において、私の一族において、この世界において、定着できるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、安息圏を宣布することによって、神様がこの地上の私たちの家庭に臨在し、天使世界と天使世界以降の私たちの先祖たちが、天使長の兄の立場に立って今後は直接主管し創造の環境を守れる管理的主人として、この地上に再臨しまして、天上世界が求めてきた所願を成就する全体主導時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 このようにイエス様を中心として、キリスト教が新しくイスラエル圏の王権を代表したように、ローマを越えて歴史時代に第二イスラエル圏を中心として、アメリカを中心として韓国と同じ立場において、イスラエル国やローマのようなアメリカと韓国が一つになって、世界的な家庭完成時代を迎えられるようにしてくださった恵みに心から感謝申し上げます。 今まで放浪してきた統一教会が、韓国から出発して受難の道を歩んできましたが、今アメリカに安着することによって、世界安着路程として、一つの平和世界、一つの統一世界が、一体的権限の世界が、私たちの目前に迫っておりますから、この基盤を宣布することを許諾してくださいませ。 キリスト教文化圏を長子の立場で、イエス様と使徒たちと一億六千万双の祝福を受けたすべての人たちを、すべての祝福家庭を全世界のキリスト教に派遣なさり、統一的な一念のもとにすべてを結成してください。勝利の覇権的な結果を備えて、神様の前に奉献できる解放的時代を迎えさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 真の父母の苦労を中心として、接ぎ木されたすべての家庭と、接ぎ木されたイエス様の家庭と霊界全体が、統一の勝利圏に向かって直行することができますよう、サタン世界を踏み越えて蕩減のない解放の時代へといち早く勝利の世界を創建できますよう、すべての霊界と肉界を動員なさり、勝利の定着地を、家庭を中心として万国解放圏を、迎えることができますようお願い申し上げます。 天が探し求めた長子圏王権時代、父母圏王権時代、王圏王権時代を備えて、神様が自主的な統治世界において愛の理想で全部を主管し、全部の因縁をもつことができ、影響をもつことのできる天宙史的な勝利の故郷の国として、前進させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、今日この日を喜びをもってアメリカが受け入れ、アメリカの国民、キリスト教徒が協力して、新しいキリスト教文化圏を再び結束させる、第二次世界大戦以降の本然の価値理想をもって前進できますように、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 通貨危機問題を中心として、韓国と関係を結んだアメリカと日本が完全に一つになるようにしてください。本郷の地である本国を再び復帰するにあたって忠孝の道理を果たせる道へと協助し、解放の祖国を、祖国光復をもたせてくださいませ。リトルエンジェルスが北韓に行って公演するというすべての計画も、このような一連の一つの摂理の中で直接的な因縁の仲立ちをするという、摂理のみ旨であるということを知っておりますから、今年行われる歴史的なすべての因縁を、お父様……、直接管轄してくださり、日進月歩、勝利へと前進に前進を重ねる誓いを立てさせてくださいますようお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって感謝し、この日を宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! み言 皆さんが家庭盟誓を斉唱するときには、一人で斉唱していると考えてはなりません。霊界と数億千万の家庭と共に斉唱しているということを知って、その隊列において、隊列を乱すような皆さんになってはなりません。そのような時が来るのです。そのような生活をしなければなりません。そのようにしてこそ、天上世界と地上世界を自由に往来できるのです。 あのバプテスト教会が、祝福を受ける問題で大騒ぎになっていますが……。恵みが分かれました。地上で先生が行っていることを誰も知らないので、余計なことばかり考えているのです。霊界についてよく分かっていないのです。このようにしてあげてこそ、このベルベディアがよみがえるのです。 一九七二年度にこのベルベディアを買ったとき、私たちは非常に喜びました。私たちが来た頃は、遙かに遠い話のようでしたが、世の中はずいぶん変わりました。 李相軒氏が霊界を紹介しましたが、必要なことはすべて紹介しています。誰もそれを嘘だとは言えないのです。それでこそ、神様の愛をすべて知って、他のために生きられるのです。簡単なのです。地では父母様に侍って生きればいいのです。世の中には縦的父母と横的父母という概念はありません。み言を既成教会がすべて知れば、相当に衝撃を受けることでしょう。 ここに来たすべての人たちの顔写真を撮っておいた方がいいですね。その人たちに任せて、今後私は干渉しないつもりです。アメリカ自体がすべてをしなければならないのです。もう私が干渉する時は過ぎ去ったのです。霊界を動員して祈祷して行えばいいのです。そこの朴重眩は、バプテスト教会の黒人のライアン博士を中心として、十万名の牧師のうち三万名を祝福しなさい。その次に、他の教団、カトリックやファラカン(米国のイスラム教の指導者)などを中心として、約三万名以上を祝福しなさい。十二万名の聖職者の家庭を祝福しなければなりません。私たちの教育を受ければ自然に祝福を受けるのです。 そうして、十二万名の聖職者夫婦が動員されてデモをするようになれば、どのようになりますか? 別途に修練会を行いますが、地方の五十州でも修練会を行うのです。六月までに十二万名の教育をすべて終える計画を立てなければなりません。そして、残りの六月には祝福……。アメリカだけでも、南北アメリカだけでも、百二十万から一億二千万は問題ないのです。 今日一時までここにいて、行かなければなりません。朴重眩はニューヨークにいる黒人牧師二万名に責任をもちなさい。その次に、シカゴにいる金起勲とマイケル・ジェンキンスも、同じように三万名に責任をもちなさい。何としてでも十二万名の聖職者を祝福しなければなりません。ジェリー・ファウエルを通じてでも、何としてでも十二万名を満たさなければならないのです。そのことに責任をもって打ち合わせをしなさい。そして、ジェリー・ファウエルには公文を出すように言いなさい。ここでも公文を出すようにして、連合運動を中心として白黒の争いを調停できなければ、アメリカはすべて分かれてしまいます。 これからは、統一教会に既成教会の責任者さえ入って来れば、皆訓読会をすればよいのです。訓読会を何回か行い……。先生のみ言「主題別精選」の十二巻の本があるのですが、それをどれほど読むかというのです。教育を行うのに、ほかのものを主力とする必要はありません。訓読会を強調しなければなりません。そのことに深刻にならなければなりません。訓読会を数多く行いながら、心情的に多くのことを感じながら、霊的な世界の家庭的なあらゆる基準が上がっていくのです。父母がそのみ言を読みながら、皆が感激する、そのようでなければなりません。 さきほど、金亨泰が「気」を測定する機械を持って来ました。先生の『み言集』ですが、訓読会を行うその『み言集』の気を測定してみると、ぱっと上がるのです。一般の英文の百科事典では、何の動きもないのにです。ですから、先生のみ言の中には、そのような何かがあるのです。力があるのです。霊力が介在しているからです。あの当時、そのようなみ言を語る時が一番大変な時でした。先生が生きるか死ぬかという、一生のうちで先の見えない歳月でした。生き残るかどうかという……。四十年の間に、悪なる群れがどれほど多かったことでしょうか。そのように深刻な立場で語ったのです。その時は相手もいなかったので、そのような話でもしておけば、このみ言が残るのです。み言が残ってこそ世界が変わるのです。み言がなければ大変なことになるのです。 お母様もそうでしょう。お母様も私がいなくて一人でいるにしても、み言がなければどうしますか? ですから、私がどれほど忙しかったか知れません。根本問題を細かくすべて語りました。それで、その時、キリスト教が統一教会を信じさえしていたならば、先生が四十歳で、四十年前に世界を完全に統一し、地上天上天国が完全に築かれていたのです。一九五二年までにすべてを終えようとしたのですが、四十年が過ぎ去ってしまいました。四十年といえば、既に二世代が過ぎ去っていったのです。若い青少年たちが国を支配することのできる基盤を完全に築くことができていたのです。 張貞順、少し話して見なさい、貞順! 話してみなさい。イエス様と結婚してから、今までどのように過ごしてきたか話してみなさい。イエス様とたまには霊的に会いますか? 霊的な経験が必要です。祈祷すれば霊的に会えるでしょう? 私たち統一教会は本質的に違います。根本的に既に、創造原理を中心として、原理を中心として出発しているので違います。それが霊界の原則なのです。李相軒氏が伝達してくれることによって、統一教会はいい加減に生活できなくなりました。いい加減に生きていけないのです。あのように霊界全体について、すべてを細かく伝えたのは初めてです。これは歴史的な事件です。スウェーデンボルグも霊界を紹介しましたが、それは自分の圏内から見たものであって、全体の内容ではありません。それで系列的に、誰もが神様の愛について感じられないと言っているのです。それを今後はすべて開け放たなければなりません。 (お母様「二日前にお父様が私に、清平の大母様に連絡して、アメリカのキリスト教を変えるにあたって、電撃的に役事できるよう、興進君とイエス様を呼んで会議し、祈祷してくれるように伝えなさいと言われました。それで、三日前に電話をしたのですが、時間がお互いに合わなくて、昨日の朝電話をしました。電話でお父様の語られたことを伝えて、時間を決めて祈祷するように言いました。そして、会議が終わったら私に連絡するように言いました。すると、さきほど夕方に清平から電話がかかってきたのですが、興進君とイエス様と大母様が会議をしたそうです。これまで霊界で一生懸命にキリスト教徒を祝福してきて、それが一億六千万双になったそうです。それで、その霊たちを天使と一緒にすべてこちらに移動させるとのことでした。そして、興進君は行ったり来たりするそうです。昨日十二時までにその霊たちが、すべてこのベルベディアに到着すると言っていました。いったん私がベルベディアの構造を説明してあげ、イエス様と興進君とで精誠を尽くして祈祷するように言っておきました。すると、そのとおりに行なうことになり、これまで霊界で、今もずっと祝福をしているのですが、一段階として一億六千万双を天使と共にこちらに送るそうです」)。そうなれば、各家に一双ずつ配置することができるのです。(お母様「ですから、素晴らしいことなのです。夕方、気分がとても良かったのです。十二時までに全部到着すると言っていました。それで、十二時に時間を定めて、お父様が来て祈祷をしてくださると言われたのです。それで、霊たちにちょっと甘いものでも食べさせたいと思って、お膳を準備しておくように言ったのです」)。 今日は、四月十七日の復活節の完成宣布をしてから、十四日目になります。十四日目を迎えるこの日にこのような祈祷会をすることになったのです。それで、その間にあのような会議をしようと思ったのです。(お母様「近々何か起こりそうな気がします」)。では、これから十二万双の祝福を行わなければなりません。牧師たちにするのです。五十州をすべてみな編成しなさい。編成しなければなりません。神学生も皆講義することができるように、ジェリー・ファウエルに四年前にすべて約束すると書いてあげたのです。それを準備しろというのです。五十州はあっという間にやってしまうことができます。 アトランタのビデオセンターで、ビデオをつくって配ってあげるのです。それで、一般の人々も講義することができ、放送局でも講義できるようにしてやるのです。(お母様「それで、アメリカが立ち上がって全世界を救わなければならないのです」)。アメリカが立ち上がるのではなく、私たちがアメリカを立ち上がらせて、世界を救わなければならないのです。今はこういう話をしても、キリスト教を信仰する人たちは信じないのです。教育を受けた牧師たちも皆信じないのです。しかし、今はそれが嘘だと言えないような段階にまで来ているのです。これは非常にすごいことなのです。(お母様「今や善なる霊界がたくさん動員されたので、それは時間の問題です」)。そのとおりです。(お母様「本当に善なる霊界が協助するという実感がわいてくるでしょう?」)。霊界祝福をするというのですから、それは頭の狂った人が言うことなのです。そうではなくて、霊界を解放してその霊界を地上に引っ張ってくるというのは、本当に天地開聞なのです。私たち統一教会員は、それが事実であるということを知り、また霊界がそのようになっているということを知っているのですから、それは大変なことなのです。 今日も、李相軒氏が霊界において問答したすべての内容や、行われたことを見ると、細かくすべてを教えてくれました。そのような内容が必要であると、李相軒氏自身が気にかけていたことを解決できるように、すべてを教えてくれたのです。宣布まであと十分残りました。ィエス様が喜ぶことでしょう。イエス様も真の父母が来なければならないと言っているのです。李相軒氏がそのように証言しました。今年それを開門してあげるのです。興進君が霊界に行っているので、イエス様が連結されるのです。 統一教会の群れは、今霊界に行ったとしても、最高のところに行くのですが、世の中で自分勝手に生きてきた者はどうするのでしょうか? それは自分たちでは免れることができません。本来、原則的な基準で、その人たちは別々に皆移動するのです。すべて移動しなければなりません。私たち食口が今祈祷してあげるときには、神様が「天地父母天宙安息圏」を発表されたので、心と体は神様の家です。神様が心と体の中に臨在し、夫婦の中に臨在し、家庭の中に臨在し、再創造の役事を行えるように、天使世界と先祖までが祈祷しなければなりません。先祖も祈祷しなければならないと、李相軒氏の手紙にもあったでしょう。先祖が再臨するように地上で精誠を尽くしてあげることは、どれほど大きな恵みであるか分かりません。それゆえ、神様が臨在し、その次に天使が来て、その次に自分の善なる先祖たちが来るのです。 善なる先祖たちは、すべてこの地上の家庭を通じることができませんでした。天使世界も神様の祝福を完成する立場で祝福に協助できなかったので、地上に協助することができませんでした。神様を中心として協助できるそのような条件がありません。そのような家庭がすべてアダム家庭の立場に立つのですが、それは神様に仕えるためなのです。それがすべて安息圏です。家だというのです。「安息」の「安」という字は「ウ冠に女」です。母親が安らかでなければなりません。「息」という字は「自由の自に心」です。休むことを意味する字なのです。休むという言葉は、これが実に面白いのです。安らかに休むのです。安らかだということは、自由な心です。それが正に安息です。 統一教会は反対を受けながらも、急速に上がってきました。その原理を知っていたので、上がってきたのです。どこに行こうと公式になっているので、冒険をして無理をしてでもぴったりと合わせてきたのです。知らなければ不可能なのです。先生が青坡洞にいるとき、そのようなことを知らない先生だったでしょうか? 青坡洞にいるときは、先生がじっとしたまま暮らすだろうと思っていたでしょう? 統一教会を信じている人たちも、あの頃に先生が語れば、それぐらいの先生と思っていたのであって、今日のように世界を料理できる内容をもった先生になるとは、思ってもいなかったのです。 祝福家庭を中心として始めるのです。祝福家庭から教えてあげるのです。統一教会というのは三次アダムの時代であり、再臨時代ですから、家庭が行く道、家庭が安着できる道をもって世界を整理してきたのです。ですから、いつもそれを考えなければなりません。男性と女性、それは奇跡的な言葉です。男性の前に女性、女性の前に男性が、いかに生まれたかというのです。進化論では、それがどのように生まれてきたかを知るのは容易ではありません。人間の構造はどれほど複雑なことでしょうか。 一時まで、残り一分です。天との約束は一分でも早くなければならず、一分でも多くなければなりません。約束した時間の峠を越えなければなりません。時間というものを中心として、時間を定めたことを保護して越えなければなりません。始める前の五分と開始後の五分を越えてこそ、その時間が保護されるのです。一分違っただけでも、既に間があいてしまうのです。ですから、このように考えるのです。時間は絶対に遅れてはなりません。 先生はそのような法をすべて守って今まで来たのです。そうでなければサタン世界の罠に陥って、前進することができないのです。神様は身動きできなかったではないですか。蕩減復帰路程から抜け出すまでは、神様も身動きできないのです。ですから、誰もがみ言を尊重しなければならないのです。さて、もう行きましょうか。これからは、イエス様がここで担当してやっていけるように、このまま残していきましょう。張貞順も隠れて生活するのではなく、表に出なければなりません。教えてあげ、すべてそのようにしなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.07
コメント(0)
特別祈祷会一九九八年五月二日、夜十二時、ベルベディア修練所、興進様の居間 〈祈祷〉 一九九八年五月二日の夜十二時を期し、新しいこのベルベディアにおいて、イエス様が祝福を受けてから二十五年目となる今、キリスト教が勝利した基準を備えることのできる父母の国と、長子の国を定めるに至りました。 お父様…、イエス様はこの地で王権を立て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰のために国家を越えて世界を連結させる一日を願われました。しかしながら、この地においてキリスト教文化圏を創建した結実の国家としてのアメリカを中心として、アベル的地上天上天国の理念を実践するというすべてを再臨時代に連結させ、世界的勝利の地上天上天国を完結すべきであるという召命的なみ旨を完成することはできませんでした。 それゆえ四十年荒野家庭路程を歩み、再び戻って、この地球がカナンの祝福の地と同じ基準となり、ここで善悪を分別し、地獄と天国を分別することのできる立場を、今や統一教会が地上において形成するようになりました。地上世界の地獄開門と、天上世界の地獄開門、地上世界、統一世界の地上天国と、天上世界の統一的な天国が形成されるという原理観的な統一の一体世界を願う創造理想の定着が、全世界的、天宙史的に定着すべきであるという基準を歩んでこられたお父様の復帰摂理であることを、私たちは知っております。数多くの宗教を通した蕩減の歴史を経る摂理を通じて、イエス様と再臨時代まで、キリスト教が犠牲となり迫害を受ける中で血を流してきたその祭壇を連結させ、キリスト教を中心として、文化圏の統一的世界を備えていた第二次世界大戦以後のすべてを収拾し、真の御父母様を中心として家庭と国家全体の世界の中心を定めることによって、地上天国を完成しなければなりませんでした。 これを完成できなかったことにより、四十年延長したこの時に、父母様が受難過程の中で統一教会を立て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰を中心として世界を越えていくことのできるこの時代を迎えました。父母の国を持ち、長子の国を持つことにより、蕩減的解怨成就が必要なまま、直接的主管と関係を結ぶことのできる地上勝利として、家庭を中心として社会、国家、世界、天宙まで連結することのできる一つの歴史を今、定着させようというお父様のみ旨を知っております。 このようなみ旨を中心として、このベルベディアにおいてイエス様と二十五年前に祝福したことを実体的に、地上でキリスト教文化圏上においてキリスト教徒が連合する家庭的真の家庭運動を、超宗派的、超民族的な基準で形成し、サタン世界の血統を断絶することのできる限界の一年を残しております。 この期間に世界史的な統一の世界を願ったイエス様の理念が定着しうる基盤を備え、興進君を中心とするアベル的基準と、キリスト教がカイン的基準で反対してきたのが逆になり、長子権を中心にキリスト教を弟として父母様の名の中に連結することができ、この地上における成約時代の定着とともに、長子権国家の定着を宣布してから十五日目を迎える今、明日を中心として新しい出発をここで定め、清平とともに興進君が築いてきた事が、ここで、この地上のキリスト教文化圏と直接的に動きますように。 キリスト教国の統合、キリスト教を中心としたすべての宗教が統合され、世界を代表した国家を中心としたこれらすべての民族がキリスト教とともに統一されることによって、世界が一つの統一国家として進むことのできる時代として、お父様、引き受けてくださり直接主管してください。創造理想の完成の上に立ち、より良い家庭の上に立ち、神様の前に創造した一人のアダムを中心として協助した天使世界と、今のこの天使世界を動かし、堕落後に復帰路程を中心としてきた天使世界の理想、善なる霊たちが、キリスト教文化圏と統一教文化圏が一つになることによって、真の御父母様の実体権を、サタンに奪われたすべての実体的権限を再び取り戻し、長子権、次子権が一つとなって父母権を迎え、王権時代へと越えていけるようになりました。 今、サタン世界の血統断絶と、三億六千万双祝福を中心として世界を結ぶことのできる時代を前にして、このような設定を宣布するに至ったことを感謝いたします。今日のすべてを喜びの中で受けてくださり、興進君とイエス様が一つとなり、キリスト教文化圏で祝福を受けた一億六千万双のすべての家庭が、今、天使とともにここアメリカを中心として集結し、世界基督教の摂理史的な内容に連結しうる祝福の因縁を、統一教会を中心として三億六千万双圏内に模範的な代表的国家としての先取権を持つキリスト教文化圏となることができますよう、アメリカを動かすことができるよう役事してくださいますことを切にお願い申し上げます。 神様が願ってこられたすべてのみ旨を、興進君とイエス様に連結し、興進君をお兄さんとして侍り、イエス様は弟の立場で一つとなり、カインとアベルが一つとなれずに堕落したすべてを、世界の歴史を越えて兄弟の情の心情圏を父母様を中心として連結させることにより、この二人の兄弟が再び入れ替わった立場を元に戻すことによって、世界が回るための一つの条件を中心として、父母様を中心として、天が中心となって心のままに往来し、心のままに主管することのできる地上実権時代を迎えさせてくださいますことを切にお願い申し上げます。 このような立場を経て、これらすべての夫婦が新しい家庭的理念を示し、新郎新婦を中心とした国家的イスラエル圏と、世界史的第二イスラエル圏と第三イスラエル圏の家庭的安着世界として、自由に前進することのできる解放圏ができますよう、切にお願い申し上げます。 このために、興進君とイエス様は家庭的定着のために世界祝福をし、また、全霊界のキリスト教徒と統一教が心を合わせてこれを実践実行することにおいて全面的に協助するよう、父母様は今日この日からこの二人の兄弟家庭を祝福しますゆえ、そのみ旨に従い、一つとなり、天使と交流しながら清平とここが、一つの兄弟の情をもって父母様を中心として元に戻り、東洋と西洋が一つとなることのできる一つの教訓としてくださることをお願いいたします。 誠を尽くし、父母様に侍り、父母様と一つとなって天に侍り、神様に侍って、この宇宙を神様がみ意とされたところの創造理想の地上天上天国として完結されることを、父母様のみ名により許諾いたしますゆえ、神様も許諾してくださるようお願い申し上げながら、この時間のすべてを申し上げたとおりに成して下さいますようお願いいたします。興進君とイエスも協助してこれを成就することを望みます。真の御父母様のみ名により宣布し、すべてを設定いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 〈み言〉 ここにいる兄弟たちは興進君のように考え、ここにいる人たちはイエス様とキリスト教を代表して敬拝するのです。家庭が敬拝するのです。分かりますか。今までは個人で敬拝を捧げてきましたが、今は家庭の定着時代です。 ここは統一教と霊界に行ったキリスト教を代表し、数多くの霊界を代表して、今後これが定着時代に霊界と連結されます。今まではこれができませんでした。 去る四月十七日の宣布によって、父母の国、長子権の国が設定されることにより復活節の完成、復活節の定着を宣布したのです。そうすることによって長子権に向けてキリスト教を連合し、宗教を連合できたのです。 〈祈祷〉 愛するお父様…、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを通して、真の父母のみ旨を立てんとするすべての歴史的路程のためにどれほど苦労なさったことでしょうか。哀れな神様、哀れな霊界になったという事実のみならず、地上の真の父母はもちろん、真の父母のみ旨に従い、イエス以後のキリスト教の道を切り開くために、歴史上に来ては去っていった先祖たちも皆哀れな立場にあり、今まで基盤を築くことができずにきました。それにより第二イスラエル圏を中心とした三次イスラエル、第三次アダム時代である再臨時代、すなわち成約時代を迎えました。 成約時代は一つのエデンで祝福を完成しうる勝利的時を、世界史的な人類全体を代表して祝福の定着時代を、世界的基準、天宙史的基準で迎えることができるようになさり、イエス様の解怨成就、アダム解怨成就はもちろんであり、来られる再臨主の解怨成就をなさり、家庭定着を世界化時代に迎えることができるようになった事実に感謝いたします。 私たちの誓いの文において家庭を中心としているのは、私たち地上の人間だけがこれを重要視するのではなく、天上世界の祝福を受けたすべての霊人までをも、天上世界と地上世界に兄弟の情を中心として父母様に侍るにあたり、体と心を統一することによって、縦的な基準に霊界と肉界を統一させることのできる家庭的安着点を私の体と心に、私の家庭に、私の一族、この世界人類の前で定着させることができるようになりました。 今、安息圏を宣布することによって、神様がこの地上の私たちの家庭に臨在し、天使世界と私たちの先祖たちが兄の立場に立って今後直接主管し、創造の環境を守ることのできる管理的主人としてこの地上に再臨し、天上世界が願ってきた望みを成就させる、全体動員、全体管理、全体主導のこの時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝いたします。 このようにイエス様を中心として、キリスト教が新しくイスラエル圏の王権を代表したように、歴史時代にイエス様を中心とした第二イスラエル圏を中心としてのイスラエルとローマと同じ立場にあるアメリカと韓国が一つとなって、世界的、家庭的完成時代を迎えることのできる家庭定着時代、家庭安息圏時代を迎えられるようにしてくださった恩賜に心より感謝いたします。 放浪してきた統一教会が韓国から出発して受難の道を歩んできましたが、今アメリカに安着することによって、天とともに協助することで世界定着路程として、一つの平和世界、一つの統一世界が、一体的権限の世界が私たちの目前に至り、この基盤を宣布いたしますので天がお許しくださいますようお願い申し上げます。 イエス様と使徒たちと一億六千万双の祝福したすべての祝福家庭を全世界のキリスト教に派遣なさり、統一的な一念のもとにすべてを結成してください。勝利の覇権的結果を備えて、神様の前に奉献できる解放的時代を迎えさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 真の父母の労苦を中心に接ぎ木されたすべての家庭と、接ぎ木されたイエス様の家庭と霊界全体が、統一の勝利圏に向かって直行することができますよう、サタン世界を踏み越えて、蕩減のない解放の時代へと、いち早く勝利の世界を創建できますよう。霊界と肉界を動員し、勝利の定着地を、家庭を中心に万国解放圏を迎えることができますようにお願い申し上げます。 天が探し求めた長子権王権時代、父母権王権時代、王権王権時代を整えて、神様が自主的な統治世界に愛の理想によってすべてを主管し、すべての因縁を持つことができ、影響を与えることのできる天宙史的な勝利の本郷の国としての前進させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、今日この日を喜びをもってアメリカが従い、アメリカのキリスト教徒が協力して、新しいキリスト教文化圏を再び結束させる第二次世界大戦以後の本然の価値理想をもって前進できますように祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 真の御父母様のみ名により感謝してこの日を宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.05
コメント(0)
今日は陽暦6月5日ですが、天暦では4月17日です。アージュ!!「長子権・父母権・王圏の開門」宣布(「復活節の完成」宣布)一九九八年四月十七日、真のご父母様は米国のベルベディア修練所にて、午前十一時を期し、韓国代表十二名、日本代表十二名、米国代表十二名、それから、日本の代表である神山会長を筆頭に、台湾の代表一名、フィリピンの代表一名、カナダの代表一名、合計四十名を立てて祝祷し、「長子権・父母権・王圏の開門」の宣布式をなさり、この日を「復活節の完成」であると説明された。 再臨主はアダムとして完成した方なので、堕落の根源をすべて明かして、それを体系化しなければなりません。アダムから代々続いて罪を犯してきたので、その蕩減復帰をするには、反対に解いていかなければなりません。そのすべてが分からなければ、天と地のあらゆる複雑な問題、サタンと神様の間に絡んでいるものを解けないのです。 それを知っただけでなく、すべてを地上で実際に解いたのです。平地から山ができたのです。堕落した人類は、それをすべてなくしてしまわなければなりません。皆さんが罪を犯し、国が罪を犯し、家庭が罪を犯し、時代時代に天によって立てられた責任者が過ちを犯したすべては、山のように残るのです。 神様が創造するときには、そのような山はありませんでしたが、堕落することによって残ったのです。平地から山になったのです。この山を誰が切り崩すかというのです。それは数千年間、築かれてきたものなのです。 それを切り崩す方法を知ってからは、蕩減しなければなりません。そうすれば、その山をすべて清算できるので、天は時代ごとに使者を送り、役事をさせてこられたのです。洪水審判のときには、ノア一人を通じて役事をしました。アブラハムやヤコブ、モーセもそのような山を切り崩すために送られ、洗礼ヨハネもイエス様を中心として、その山を完全に切り崩すために送られたのです。平地、平地をつくらなければならないのです。 個人的に行ける平地、家庭的に行ける平地……、氏族・民族・国家・世界・天地が行く道が、平地になっていないのです。それゆえに、イエス様をメシヤとして送って、平準化に向けて平地をつくろうとしたのです。そのために準備されたのが選民イスラエルだったのです。 メシヤが来れば、個人・家庭・氏族・民族・国家が罪を犯したこの山を、切り崩さなければなりませんが、そのような内容を清算できる基盤を築き、蕩減するために送られたすべてが、時代ごとに失敗してしまったのです。それゆえに選民圏、選ばれた人たちを通じて、平地にしようとしたのです。それがイスラエル選民、キリスト教の責任者たちだったのです。 それゆえに旧約時代は、アダムが失敗したことを蕩減するために、四千年の歴史を中心としてメシヤを送り、それを成そうとしたのです。家庭的基準から、国家を中心として山を切り崩し始めたわけですが、イスラエル選民がそのとき完全に責任を果たしていたならば、すべてが清算されたのです。 選民が解決すべき問題は何かと言うと、サタンから受け継いだ血統、環境を解決し、国家を求めることです。この三つです。ですから、血統を転換しなければならないのです。イエス時代において、イエス様は結婚して、イスラエル選民を通して一瞬にしてそれを成し、アジア圏にある宗教圏、仏教や儒教に連結して、ローマをも平準化できる環境与件を築こうとしたのです。 しかし、それが失敗したので、今まで二千年間待ってきたのです。その頃を見てみると、イスラエル民族が選民圏と非選民圏に分かれていました。ユダヤ教とキリスト教が一つになったならば……。選民は天側に属したオリーブの木と同じです。サタン側のオリーブの木と闘うのです。日・独・伊と英・米・仏が敵対するのです。心と体が分かれたので、統一しなければならないのです。統一したのちに東洋と西洋を統一しなければならないのです。内容が全く同じなのです。世界的時代において、世界的に展開されるのです。 そうして第二次大戦において民主世界、天側のオリーブの木が勝ったので、サタン側のオリーブの木がすべてなくなるのです。主人である真のオリーブの木が来て切ってしまい、接ぎ木すれば、すべて終わるのです。サタン側のオリーブの木をすべて切って、天側の真なるオリーブの木を中心として接ぎ木するのです。 接ぎ木とは何ですか? 祝福です。血統転換です、環境転換なのです、歴史的な環境転換です。その次に国を得なければなりません。歴史を通じて蕩減の道を除去し、神様が願われた神様の家庭と氏族と民族、天の国を中心として、地上・天上天国に統一するのです。それが神様の創造理想の復帰なのです。 第二次大戦以降、四十年にわたって、先生はどうやってこのみ旨を開拓してきたのでしょうか? 原理をすべて知っているから、原理を知っているからなのです。このような条件を中心として、サタンと対決し、突き進んで行くのです。それはサタンも否定できません。 サタンは歴史を通して闘争してきましたが、それと同様に、この世はすべてサタン側に回ったのです。先生一人しか残らなかったのです。向こうでは世界について何も知りません。サタンの秘密を知っている者は、私以外にいないのです。 サタンだけでなく神様も知っており、先生も知っているのです。先生がやることは、神様と間違いなく一体となれる内容です。それゆえに、サタンは神様の前で先生を否定できません。肯定しなければなりません。「そうです」と屈服しなければならないのです。全人類の胸中にある壁をすべて取り壊すのです。創造理想を中心として異質な何かが苦痛を与えるのを、すべて取り壊すのです。 真の父母は一人しかいません。それからすべての祝福家庭は、家庭的な兄弟です。「兄弟」と言うと個人を指しますが、祝福家庭は「家庭的な兄弟」なのです。氏族家庭、国家家庭、世界家庭、このように発展していくのです。ですから、分裂ということはあり得ません。争うことができません。なぜ、争えないのでしょうか? 為に生きるからです。真の愛は投人しては忘れ、投人しては忘れるのです。そのようになればなるほど、霊界の神様の心の中に記憶されるのです。 皆さん、神様がこれまで受難された悲痛な事実を考えてみるとき、先生一人で何もかも……。個人として、世界的な悲しみを抱いた神様の心の中にあるすべてを、どこにおいて解くかというのです。堕落したアダムがこのようにしてしまったので、完成のときには、これを解いてさしあげなければなりません。神様の苦痛を中心として、それを解放することのできる立場、神様ができなかったことを成してさしあげられる代表が再臨主なのです。 神様もできないことを、来られる再臨主が成すのです。ですから、親不孝がもたらしたその痛み、王なる神様に逆賊がもたらしたその痛みをすべて解くには、孝子となり、愛国者となり、忠臣となり、聖人となり、聖子とならなければなりません。それでこそ解けるのです。そうなれば、ご自身の恨をすべて解いてくれる孝子の前に、神様も自然と頭が下がるのです。 神様は閉じ込められています。囚われの身となって、閉じ込められているのです。これをすべてなくしてしまわなければなりません。神様がとどまることのできる家庭がありません。すべて壁で囲われています。それゆえに、国と家庭と世界、天と地の地獄まで、すべてを清算しなければならないのです。 霊界にどれほど多くの階級があるか分かりません。地獄から天上世界には行けないのです。ですから、これを解くには、地上ですべてを清算してあげるのです。神様を解放できる道は、地上の地獄……、サタン圏内で因緑づけられたすべてを除去してこそ、霊界も解放されるのです。 霊界に行くと、続一教会の食口たちは、再創造として、天使長の世界が失敗したのを復帰するために、先生が教えてあげた原理のみ言を教育しなければならないのです。神的な世界の原理とサタン世界の反対的な事実を、すべて整備できるのが統一思想なのです。統一思想を専攻した李相軒氏が行って、原理を専攻した立場で劉孝元氏が行って……。彼らは今も教育しているのです。 今年、三億六千万双さえ解決すれば、サタンの血統は断切します。そうすれば霊界の地獄の門、天上地獄の門が開いて、ハイウェイができるのです。これがまさしく原理なのです。それを知らなければなりません。 このハイウェイを運転していくにあたって、皆さんがすべきことは何ですか? ガソリンを満たすことと運転する方法は、皆さん自身が学ばなければなりません。それから、故障したものを修理できなければいけないのです。 霊界では無限に供給されます。食べるもの、着るものは、願えばいくらでも供給されます。最高なる神様の愛の圏内に入っていけば、神様がなさることを、私もできるのです。直感によって、天下にできないことが何もないのです。 この世界では愛が一番速いのです。愛の速度以上に速いものがないのです。光とか電気の速度は、一秒間に三億メートル、地球を七周半しますが、その速度が問題ではありません。その数千倍も速いのが真の愛のスピードなのです。霊界は無限膨大なる世界です。そのような世界を往来するのが愛の光なのです。 愛は叩いても屈服させることができず、愛に勝つものはないのです。ですから、血統転換が可能なのです。環境を除去することができるのです。そのようになれば、反対する者がいません。これを人間かやったと思いますか? 全霊界が動員されたのです。これはすべて空想ではありません。理論的なのです。 先生と皆さんを比べてみてください、先生はすべてを闘い抜いて、神様の創世以降のすべてを完全にゼロにしておき、そこに移してあげられる役事を、何も知らない雑種の子犬たちに施してあげるのです。ですから、皆さんは先生に個人的に千年万年、敬拝しなければなりませんし、家庭的にも千年万年、敬拝しなければなりませんし、氏族・民族・国家的にも、創世から今日まで、天と霊界の先祖が苦労してきた以上に、皆さんがやらなければならないのです。 この世の常識では、とても先生と向きあうことができないのです。それでは、どうしたらよいのでしょうか? ですから、今、成約時代の安着と共にみ言を与えたのです。先生が語ったすべてのみ言を与えたので、先生のみ言を中心として完全に一つになれば、解放されるのです。個人のはしご、家庭のはしご、氏族のはしご、民族のはしご、国家のはしごを通して、皆上がっていくのです。 今や先生が指導できる時が過ぎ去るのです。アメリカに対して責任を果たし、日本に対しても責任を果たしました。すべて終わったのです。韓国人たちが来て、日本人たちが来て、アメリカ人たちが来ていますが、今年の一月一日を中心として、「真の父母の日」を過ごしてから、アダム国家、エバ国家をなくし、父の国、母の国を主張するのです。父の国と母の国があれば、長子の国もなければなりません。ドイツのような国をカイン・アベルに立てましたが、それはなくなるのです。長子なので、「おい、私の言葉を聞け!」とすべてを引っ張っていくのです。 天側の長子権が復帰されたので、その次は父母権を復帰するために、皆さんが定着しなければなりません。そのために訓読大会が必要なのです。 アメリカが方向さえ定まれば、従ってこられる時代に入ってきました。今や二年さえ過ぎれば、それが本軌道に乗ると思うので、長子圏の国家形態が形成されれば、父母権復帰が……。日本と一つにならなければなりません。怨讐なのです、怨讐。五十年前に怨讐だった国と一つにならなければならないのです。そうして、日本人が母国で忠臣の役割を果たした以上、アメリカ人が母国のために忠臣の役割を果たした以上の立場に立たなければならないのです。 日本とアメリカが、韓国を天国に築きあげなければならないのです。ですから、韓国は経済間題において中心も何もありません。ゼロです。今の韓国がそうです。経済的にどん底に落ちてしまったのです。ですから、韓国と日本とアメリカは一つになっていませんが、アベル的な統一教会が一つになって投入しなければなりません。 アメリカに住む統一教会の食□たちはもとより、世界の統一教会の食口たちが家を売って、韓国の土地を買い、移り住まなければなりません。大移動が起こります。イスラエル民族が捕虜になってから、戻ってくるのと同じなのです。私たちは捕虜となって暮らしているようなものです。すべての天の民は、母と子が引き裂かれていましたが、やっとそれがすべて片づけられ、還故郷が始まるのです。 今後、三億六千万双の人たちが「韓国に向かおう!」と言い出せばどうしますか? 旧約時代には供え物と物質と子女を、自分の父母に捧げました。万物が前に立ち、その次に子女が続き、その次に夫婦が立って、共に神の国に入っていくのです。 エデンで物質を失い、息子と娘を失い、父母を失ってしまいました。それゆえに先生は、父母とイエス様と万物が犠牲になったのを、すべて蕩減復帰しなければなりません。誰がこの橋を築くのかというのが問題です。誰が、どの家庭が、このようなことを成すか、というのが問題になるのです。 一八○家庭、一六〇家庭を完成した人たちは入籍できます。それゆえに、完成したアダムの一代から、二代、三代……、数千代の先祖まで、つくり直さなければなりません。全人類が連結されて……。そこでは肌の色が問題ではありません。この世での先進国とか後進国が問題ではありません。 これまで大国が、私たちの家庭と理想的な生活をすべて破壊する先発隊になってきたのです。サタンの領土になったのです。アメリカの国民……先進国家において生活したこと自体が怨讐です。豊かだからといって自慢するなというのです。サタン側に立っているのです。人類の真の父母として来られたその方を、これまで苦労させたのは先進国家です。二十世紀の十字架に打ちつけたようなものです。しかしながら「怨讐を愛する」という原則があるので、共に行けるのです。本来は、とても望めないことなのです。 日本と韓国は怨讐です。韓国人と日本人は結婚できず、日本人と韓国人は結婚できません。それゆえに今回、日本人と交差結婚した韓国人を、日本の責任者にしたのです。今回、すべてを交代したのです。そうして、これまで統一教会を中心として日本人が手がけてきたことを、完全に交代するのです。日本政府がどんなに反対しても、レバレンド・ムーンが築いた基盤に反対することはできません。抜くことができないのです。 統一教会の名称は、世界基督教統一神霊協会ではなく、「世界平和統一家庭連合」になったのです。完全に次元が違います。家庭教会です。家庭が天国に行くのです。原理観的なすべての内容を中心として、先生がなし得るすべての条件的な組織を、完全に完結したのです。 さあ、これからは先生が三億六千万双を挙行すれば、霊界に橋がかかるのです。そうすれば同じ日に、一日で数億の人が祝福を受けられるのです。この地にいる自分の子孫が祝福を受けられるのです。父親がまず祝福を受けて、それから、この地上の息子を祝福していかなければならないのです。亡くなった先祖の中で、息子や娘が地上にいたとしても、その先祖さえも解放され、その息子や娘は、生きて祝福を受けていかなければならないのです。 自分の先祖がこの地で祝福をしてあげなければなりません。天使長と自分の父が一つになってです。皆さんの先祖は、天使長の立場です。天使長的な先祖が降りてきて、皆さんの父母と一つになって、その子女を祝福するのです。子女をそのように祝福してあげれば、先祖が解放されるのです。ですがら、早く霊界を解放してあげなければなりません。今や統一教会に行かなければ、先祖が「災いを転じて福となす」という役事をするのです。悪いことをすれば、すぐに原理が発動するのです。夢のような話です。 今日は何の日ですか? 復活節です。一九九八年四月十七日です。復活節の日です。それで、このような話をするのです。み言が終われば、霊界解放という李相軒氏が語った手紙の内容をもって、今日は皆、訓読しようとしたのです。その手紙の内容は、原理のみ言が入っており、霊界の根本からすべてを紹介しています。 霊界と肉界を一つにして統一させる真理が原理なのです。本然のプラスとは天であり、地上はマイナスの立場です。これらが一つになるその場において、全体的な発展が可能です。これまで、「摂理的な観点での世界歴史」という概念を知らなかったのです。 真の父母がこの地に来られて初めて、堕落したアダム世界を完成し、きれいに掃除して、天国に連結されるようにしてくれたのです。本然の基盤はアダムと神様が連結する所です。これが選民イスラエルを決定するのです。 イスラエルが拡張して、全人類まで広がらなければなりません。そこから家庭が出てきます。アダム家庭が拡張すれば、堕落家庭は滅びるようになります。全人類が列をなして、個人を越えて天宙まで横的な隊列を整えること、それが家庭です。そのように転換できるのは三億六千万双の祝福しかありません。 同じように祝福家庭がこの地上に定着すれば、その先祖と父母が祝福に同参するのです。そのようになれば、地上に理想家庭が定着し、その理想家庭が全世界に広がるのです。それが地上天国なのです。そのような地上天国が完成すれば、自動的に天上天国がつくられるのです。 これは理論的です、理論的なのです。ですから、統一教会には誰も勝てません。このような内容を五十年前に世界的に発表していたならば、どのようになっていたでしょうか? この五十年間、地獄に行った者がどれくらいいるでしょうか? 第二次大戦の参戦勇士たちの中で、七、八十の年齢になって死んでいった人が、どれほど多いかというのです。当時、神の国の代表であるアメリカの最高の愛国者たちが、皆流されてしまったのです。彼らの霊的な伝統を引き継げないまま、すべてが奪われてしまったのです。五十年間、レバレンド・ムーンに反対して地獄に落ちたのです。 今日は復活節ですから、霊界がどのようになっているかを知らなければなりません。皆さんが知りたければ、李相軒氏に手紙を書いて連絡すれば、解読してもらえるのです。どれほど膨大な内容でしょうか。霊界を解読しようとすれば、この地球に山ほど本があっても足りません。 先生は霊界についてよく知っているのです。先生がいったん霊界を意識しはじめれば、この地上にはいません。ですから、忘れようと努めるのです。できるだけ霊界について話さないようにしています。ですから、李相軒氏のような人も霊界に行って、もどかしいので、あのようにしているのです。霊界に現れる現象は、説明のしようがありません。神様に尋ねると「レバレンド・ムーンに会って聞いてみなさい」と言われるのです。 ですから、先生は霊的な門をすべて閉じて暮らします。罪人のように暮らします。開いたらどのようになると思いますか? 統一教会をスタートするときは、そのような役事を起こしました。先生は恐ろしい人です。今はそれをすべて閉じています。それでも、誰が何をどうしたかということまで、すべて分かるのです。 アダムとエバが今、近くに来ていると言ったでしょう? 蕩減が終わったので、そのようなことが言われるのです。それが何を意味するか分かりますか? 真の父母がこの地に現れたからです。蕩減せずにそのまま歩んだだけでは、サタンが手放さないのです。サタンが除去されなければ、そうならざるを得ないのです。 今日は復活節です。先生はイエス様が失敗したことをすべて完成し、イエス様以降に神様が地上天国と天上天国を料理できなかったことまでも、今先生がすべてやっているのです。 興進君を結婚させたでしょう? 霊界の家庭総司令官という立場ですから、結婚しなければならないのです。その下にすべてぶら下がっているのです。そして、霊界に大母様と忠母様を中心として………。霊界に行けば大母様から祝福を受けなければなりません。多くの教派、回教とかキリスト教、カトリックなどの宗教が一つになって……。大移動が起こるのです。この地で真の父母を通じてこそ、それを中心として連結されるのです。そうするには、孝子となり、忠臣となり、聖人とならなければなりません。それが伝統なのです。 今の時がそうなのです。世界的なのです。家庭的にアダムとエバが堕落したその境界線を越えていかなければならないのです。これが六日間です。一、二、三、四、五、六、七、七数は中心数です。中心数になるのです。 ですから、その時になる前にすべてを宣布しなければならないのです。宣布してこそ、サタンの前にこれが設定されて、私たちの定着基地となるのです。 この中で日本人は手を挙げてみなさい。皆さんは本当に日本を母の国に定めたらよいと思いますか?(「はい!」)。「はい」と言った者は手を挙げてみなさい。それなら皆さん、日本の国が勝利できなかったならば、どうしますか? 設定をして宣布をすれば、皆さんが犠牲とならなければなりません。そのことに責任をもてますか? 大移動をして、日本を放棄してもかまいませんか? ロトがソドムを後にしたような決意が必要です。深刻なのです。今回、三億六千万双の祝福問題を中心として考えてみるとき、日本に今、国家メシヤを投入してやっているのは……、日本を救うために先生は、できる限りのことをすべて果たしたのです。責任を果たしたのです。 それ以上、協助できる道がないのです。日本という国を超えて、日本の教会が果たすべき責任を、今果たせないでいるのです。それで私が今回、「真の父母の日」にフィリピンと台湾とカナダを三人の娘のような立場に立てたのです。三人の息子の代わりに三人の娘のような国を連結させてあげるのです。 それは何かというと、中国を代表したエバのような国が台湾であり、アメリカを代表したエバのような国がフィリピンです。フィリピンはアメリカの植民地でした。妾と同じです。英語を使う国なのです。その次にはイギリスを代表したエバのような国がカナダです。イギリスが責任を果たせなかったのです。二代を合わせるのです。母と子なのです。三つ子のようなものです。アダムを中心として三人の息子を束ねなければならないでしょう? 同じなのです。 そのようになれば、台湾は中国に責任をもち、アメリカはアメリカ人が責任を果たせなかったので、フィリピンが責任をもち、イギリスが責任を果たせなかったのを、カナダが責任をもたなければならないのです。 そして今回、祝福された人たちを、この四つの国を中心として宣教師として派遣し、犠牲の供え物にならなければならないのです。犠牲になるのです。日本にいる食口たちも同じです。そのようになったので、父の国と母の国、三人の娘の国、この四つの国は滅びてはならないのです。 こうした勝利的な条件を束ねておけば、先生は今後解放されます。これからは、立派な飛行機にでも乗って見物に回り、どこにでも行くのです。飛行機を韓国で一機買い、日本で一機買い、アメリカで一機買わなければならないのです。 それで飛行機会社もつくっているのです。「ワシントン・タイムス・ファウンデーション・エイビエーション」という飛行機会社をつくったのです。統一教会の食口たちが忙しく活動するときは、真の父母の特別飛行機に乗って、ぶーんと飛んでいくのです。再臨主が雲に乗ってこられると言ったでしよう? 飛行機に乗ってくるというのは、雲に乗ってくるのと同じではないですか? 雲の上に乗ってくるのです。「レバレンド・ムーンがどこどこに行く」と言えば、その州、その国全体が「おい、レバレンド・ムーンが来るぞ!」と言って、空中を眺めるようになります。三億六千万双が終わったのちにそうなりますか、なりませんか? そのようになるのです。 一つになってこそ、国を建てることができるのです。韓国統一のためには、皆さんすべてを犠牲にしても、一つの統一した国を築かなければならないのです。それは今日、世界の救いの道理を行く信仰世界の目的にもなりますが、全人類の目的にもなるということを、はっきり知らなければなりません。 先生は韓国でも監獄生活、日本でも監獄生活、アメリカでも監獄生活をしてきました。ですから、それらはみな怨讐の国です。しかしながら、先生はそれらの国を、真の愛を中心とした最高の愛で抱いたのです。すべてを一つにしたのです。 ですから、先生がアメリカのために統一教会の財産をすべて投入して、このように帰ってきたように、各国の国民が先生に代わって、心から世界解放のために投入しなければならないという、立体的的な国家を築くことによって、父母の国と長子の国が一つになる立場に上がっていけるのです。そこにドイツも加わるのです。この国が数多くの国に影響を及ぼしたのです。これは天の前に許されないことです。皆さんがこの国に行って、助ければよいのです。引っ張っていくことができるのです。 IMF(国際通貨基金)の根本を考えると、日本とドイツとヨーロッパが思い浮かびますが、主に日本とアメリカです。一つの国で発表したならば……、一つの統一された国、復帰された世界代表の国として宣布したならば、このような道には行かないのです。この道に行くようになれば、世界経済や世界のすべてが混乱をきたすのです。 韓国やアジアの経済問題、世界の経済問題にも影響を及ぼすのです。まかり間違えば、政治問題にもなるのです。目前に迫っている危険性を避けるには、先生が一つに束ねて、条件を立てて越えていける道を築かなければならないと、先生は考えているのです。 ですから、三億六千万双の祝福結婚を後に控えて、重要な時なのです。それで、これを宣布しなければならないのです。ですから、日本の食口たちは、今後、世界が復帰されるとき、どんな苦痛にも耐えていくという決意をしなければならないのです。皆さんは国に引っ張られていきますか、国を引っ張っていきますか? 引っ張っていかなければなりません。そうでなければ、風呂敷をかついで韓国に大移動しなければなりません。 次にアメリカはどうですか? アメリカがキリスト教文化圏をりードする国として責任を果たせませんでした。イエス様が求めていた国は、長子圏の国です。世界を代表した国を得た立場に立ててくれるのが長子圏です。アメリカが真の父母の前に長子となるのです。 今や霊界が連結される時代に入ったのです。ですから、アメリカのプロテスタントとカトリックが一つにならなければなりません。統一教会を中心として、祝福を中心として、完全に一つになるようになっているのです。 青少年問題が家庭を破綻させていますが、キリスト教はそれを正すことができません。これを蕩減復帰しなければなりません。蕩減して正さなければならないのです。世界に聖地を百二十か所立てたうち、六十二か所はアメリカに定めました。半分です。半分以上なのです。 本来は神様がアメリカを救わんとされるみ旨がありましたが、反対してこのようになってしまったのです。四十年前にやっていたならば、世界がどうなっていたか考えてみなさい。滅びるようになり、死ぬようになったので、今、このようにすがりついてくるのです。どうですか? 先生が皆さんに「明日から、家を売って韓国に出動! 復帰! 帰還!」と言えば、どうしますか? そのようにすれば、未来はどのようになると思いますか? 争わないで、アジアと西欧社会が一つになるのです。そのようにしなければ、アメリカは争って滅びるようになるのです。 韓国で東西が一つになるのです。そのような基盤を整えなければ、未来に争いが起こります。西洋人は数が少ないのです。三億五千万です。しかし、アジアは三十二億なのです。そうでしょう? これをいかに一つにしますか? 横的な世界には代案がありません。 中国が強大です。中国がお父様の教育を願っています。背後でそのような基盤をすべて整えておいたのです。中国の高位層を私はすべて知っています。ソ連もそうです。日本においても背後に強大な基盤を築いておきました。 今やソ連、中国、日本は、すべて宗教世界と関係を結んでいます。ソ連が変化しています。ロシア正教が変化するのです。儒教も回っています。彼らは統一教会の原理が孔子の儒教と全く同じであると思っていよす。 今や全世界に母国語を伝播しなければなりません。これこそ世界を完成させることのできる方案なのです。今、日本もそうです。どんなに日本国家が私に反対しても、統一教会の根を抜くことはできないのです。日本の情報部が調査すると言いましたが、背後の根があまりに深くて、つながっていない所がないと言うのです。 メディア界、政界、外交界……、各国の高位層の背後と既に関係が深いのです。いかにして、そのような基盤を築くことができたのでしょう? 誰がそのような基盤を築いたのですか? お父様一人でやったのではありません。神様と共にやったのです。 いかなる勢力も統一教会が定着した、その強大な基盤には敵対できません。全世界のどこにおいてもすべて自由なのです。神様の前に自由解放が成されるのです。今やすべて成されました。三億六千万双の祝福が終われば、境界線がなくなります。ビザも必要なくなるのです。 ですから、韓国の民族は今、国境を越えてソ連に行き、中国に行き、アメリカに行き、すべてかき分けていこうとするのです。統一教会に反対した者たちは、風呂敷をかついで外国に出ていくのです。私が韓国に行って暮らせる時が来るのです。 故国に帰るのです。年を取ると、いつも故郷に行きたいのです。神様が故郷、故国に行きたいと思われるように、お父様も故郷や故国に行きたいのです。神様が私の後について来られるはずです。アメリカに住みますか、韓国に行って住みますか?「コーリア」とは何か分かりますか?「コリンネ(鼻をつく匂い)」がコーリアです。サタン世界ではそうですが、神様がご覧になるときには、よい匂いなのです。大移動時代です! どうせ今後、反対した韓国人たちを皆追い出して、進入する時が来るのです。 そうして韓国がいっぱいになれば、日本に行くのです。日本がいっぱいになれば中国、ソ連に入っていくのです。ツンドラ地方へ……。イエス様がアジアを支配しようとしたのを蕩減復帰して、アジアの支配を完成するのです。 この復活節に望むイエス様の願い……、イエス様はこのような時を望んで、どんなにため息をついてこられたことでしょう。先生が来られて、このようになることによって、思う存分に踊ることができ、解放されるのです。 私たちの興進君も十七歳のとき、少年時代に霊界に行って、家庭を築いておいたので……。イエス様は壮年時代に、結婚もできずに独身生活を送りました。ですから、今やここからアメリカがみ旨を完成することによって、興進君やイエス様と兄弟の因縁をもって、キリスト教を霊的に動員し、地上のキリスト教を動かす時代に連結しなければならないのです。これが先生の考えなのです。それゆえに、キリスト教の代表となる文化圏のこの国を、長子圏として選択するのです。アーメン! 霊界においてイエス様の家庭が一つになります。統一教会の家庭が霊界に行くと、天の高い位置に行くようになるのです。これまでは楽園以上の位置が許されませんでした。今は家庭組織が、どこにおいても連結されたのです。家庭を形成してこそ、天国に入っていけるのです。問題ないのです。 父を救いに来た立場で、すぐに霊界が連結されるのです。興進君を中心として、真の父母がはじめて祝福を世界に拡大すれば、霊的イエス様が興進君と一つになって、追従するようになるのです。霊界が拡張し、統一された地上天国と一つになる天上天国が展開し、霊界が総統一されるのです。問題ありません。時がそれほどに近づいたのです。 それでアメリカをキリスト教国家として、長子と同じように立てるのです。先生に会おうとしても会えません。キリスト教はおしまいです。そのようにして、霊界の興進君と一つに束ねてあげるのです。興進君を祝福してあげ、イエス様も祝福してあげて、キリスト教の祝福の門を開き得る起源とするのです。ですから、長子圏の国として、キリスト教の代表国であるアメリカを選択しないわけにいかないのです。 興進君の家庭は誰と誰ですか? 薫淑、そして誰ですか? 信哲です。イエス様の家庭は? 一九七三年一月三日に、イエス様を結婚させてあげました。新婦は張貞順ですか? 霊的にです、霊的。これからは養子を選んであげることもできるのです。それを今まで知らなかったのです。時が来たので発表するのです。 それでは、どうしてまた宣布するのでしょうか? 韓国は父の国の責任を果たさなければならないのです。カナダはイギリスを代身し、カナダはエバの位置です。天使長たるアメリカの相対の立場がカナダです。その次に天使長のエバ国家、アジア天使長(中国)のエバ国家が台湾であり、アメリカの天使長のエバ国家がフィリピンです。妾と同じなのです。第二次大戦以降にそのようになったのです。アメリカが垣根の役割をしています。 それでアメリカを中心として見ると、カナダが天使長国家です。またエバ国家のイギリスを中心として見ると妹です。その妹の立場を連結させることによって、姉が復帰されるのです。 第二次大戦のとき連合国は英・米・仏です。そして枢軸国は日・独・伊です。それで韓国を中心としてアメリカ、ドイツがカインですが、ドイツはフランスのような立場なので、すべて反対しました。今もドイツが反対しているでしょう? フランスも反対しています。 長子は弟や妹をどうにでもコントロールできるのです。早くここで旧教と新教を一つにしなければなりません。新教の国家を中心として、ヨーロッパが離れていったのです。ですから、その前にアメリカで早く一つにならなければならないのです。ドイツの代わりに、カイン・アベル問題を合わせて成さなければならないのです。そうすることで、カトリックを生かすことができるのです。 今、ローマ教皇庁が私と正面からぶつかっています。四か国連合体制は欧州に属しており、ナフタ(NAFTA:北米自由貿易協定)は北米にあって、私はその中間にいます。北米を右手、欧州を左手にしながら、中心に立って私が料理しているのです。南米においては一般のキリスト教が、「旧教も新教も統一教会と一つになる」と、既にそのように方向を定めたのです。 このようにして、イエス様も今や解放される時代が来たのです。このような機会に組織を編成して、キリスト教が協助することができ、霊界に前進することのできる門が開かれるのです。そのような環境が形成されることで、イエス様の願いをこの地で成就したので、解放圏を立てるために、このような役事をしなければならないのです。キリスト教文化圏を中心としてです。 (家庭的に失敗のない韓国人十二名、日本六十二名、アメリカ人十二名八台湾代表一名、フィリピン代表一名、カナダ代表一名の三名と日本代表の神山先生など、合わせて四十名を立てて祝祷される) 祝祷 愛するお父様……、本日、一九九八年四月十七日、午前十一時を期し、ここに集ったあなたの子女を中心として、日本を中心として、責任完遂に不足なるすべての条件を補充するために、三人の娘のような立場に立った台湾とフィリピンとカナダを立て、それらが一つになって統一的な基盤に立つことによって、父の国、エバの国、天使長の国のすべてを束ねようと思いますので、お父様……、祝福してくださいませ。 天上世界において、興進君とイエス様が家庭を中心として連結できませんでしたが、三億六千万双の完成を中心として、世界的なサタンの血統の断切を標準として動くこの前夜にあって、今や新しい宣布をしなければならない時となりました。 父の国、母の国、長子圏の国を代表して、この三つの国を父の前に立て、宇宙の中心である天上世界と地上世界を代表できる国として、真の父母を中心とした、絶対に一つになった統一的な基盤の上に立ち、第二次大戦以降に失ったイギリス・アメリカ・フランスのすべての起源を、再び実体圏を中心とした、日本・ドイツ・イタリアを合わせた霊肉の実体完成圏の勝利的覇権を、再び全世界の舞台の上で、再びキリスト教文化圏を祝福することのできる、解放的な恵みを賜ってくださいましたことを心から感謝申し上げます。 今やイエス様も真の父母の前に霊的な長子の立場にあり、興進君は霊肉を中心とした長子の立場に立ちました。これらの夫婦が整うことによって、キリスト教文化圏において独身生活をして一人で暮らしてきた彼らの前に霊界を中心として祝福できる門を連結すると同時に、地上にこの祝福の因縁を知らずに暮らしている、今日のキリスト教文化圏世界に祝福の門を連結するための大祝福の恵沢を、この時間、与えようと思いますので、天よ……、この場を記憶してくださいませ。 エバ国家である日本が責任を果たせなかったことを未完成とみなさず、彼らが責任をもって国を再び導き、国をあなたの前に奉献する責任を宣誓いたしますので、彼らが行く道を、真の父母と一つになった心情的一致圏を経て、父の国と母の国、息子の国とを束ねて、お父様の前に奉献いたします。 この三国を奉献するのは…、この全宇宙の歴史時代にあって、旧約時代・新約時代・成約時代を代表した三時代の三人の息子の完成と共に、三か国を中心とした第二次大戦以降のエバ国家・天使長国家・アベル国家を連結した勝利の覇権を、真の父母と一体圏なる統一的祝福の基盤を備えて、万世界を代表し、地上の真のご父母様に代わって、家庭的、定着的な恵みを許諾しようと思いますから……、霊界と肉界が一つになり、霊界における統一圏と地上における統一圏が一つに合わさって、今や解放的な祝福圏を地上と天上世界に開門してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 今やイエス様の相対となる人も宣布しましたので、アメリカのすべての食口たちは、この二つの家庭を、祝福を受けたこの母と娘を、お父様……、自分の国の中心的な家庭の女王として侍ることができるよう、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。 今やこの時間、十一時を期して、日本で完成できなかったことを蕩減する条件となり得るこの三国を通して、お父様の前に奉献いたしますので、快く受け取ってくださいませ。父母の国と長子圏の国を備えたことを、地上と天上世界に立てまして……、新たに霊肉を中心とした統一的な世界に前進できるように、解放の門を開いてくださり、祝福してくださり、命じてくださいますよう切に願いながら、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 祈祷後のみ言 皆さんが一つになって熱心に活動しなければなりません。いかにこの責任を完遂するかという問題が、この三国の責任であるということを皆さんは知らなければなりません。 これからアメリカは長子圏の国となります! 日本は母の国となります! 韓国は父の国となります! 韓国と日本とアメリカ、この三国は一つの国です。今日から私たちは一つの国と考えればよいのです。この三国が一つになりさえすれば、全世界をコントロールするのは問題ありません。この三国が一つになれば、残りの国々はすべて従ってくるようになっているのです。統一教会、統一した平和世界が、この地上に現れるのです。それが正に地上天国です。 (全体が敬礼を捧げた後、出ていかれながら)今日が復活節の完成です!(二九二一-一九八、九八年四月十七日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.05
コメント(0)
第39回「真の父母の日」記念礼拝の御言1998年3月28日(陰暦3月1日)中央修練院 成約時代は家庭安着時代 統一教会は、一般の宗教とは違うということを知らなければなりません。今までの一般の宗教は、天使長圏復帰の使命を持ち、個人の救いを標準としてきました。 今までの宗教は、氏族を捨て出家することを命令してきました。サタン世界のすべてのもの、国から氏族、家庭全体までも捨てるようにというのです。出家して独身生活をするのは、天使長圏です。天使世界には相対理想がありません。 また、堕落した世界において、人類の真の父母が結婚式をすることができませんでした。人類の真の父母からこの地上に生命が生まれて、神様が喜ばれる氏族、民族、国家が形成されたならば、世界、地上・天上天国は自動的に成されるのです。堕落によってそれが成されなかったので、それらを復帰するためには天使世界を先に復帰しなければなりません。 今までは、堕落した全世界の人々は天使長の息子・娘でした。そこには家庭があり得ません。それゆえメシヤが来て、天使世界を越えて、天使を救ってあげなければならないのです。天使が堕落したので、完成したアダムでなくては天使を救うことができません。神様も救ってあげることができず、サタン自身も救うことができないのです。 天使長も堕落のない立場には居ることができず、神様も解放を願うことのできる立場にはおられません。完成したアダム家庭が立てられることによって、個人を越えて、この天宙まで解放され、すべてのものが解決され得る解放的基盤が成されるはずでした。ところが、堕落することによって、すべてふさがってしまったのです。 これを再び解放するためには、真の父が来て、神様と一致した愛の門を開き、天使世界の愛の因縁、横的基準である体を解放するのです。天使長の体を連結させたものが、この体なのです。 堕落によって連結された、横的愛の足場である体を否定し、アダム家庭からイエス時代、再臨時代、世界の頂上まで越えることのできる縦的な愛の因縁の伝統を立てて初めて、家庭解放圏が成されるのです。 旧約、新約、成約とは何でしょうか?。神様を中心として愛の家庭を定着させることができなかったので、旧約が生まれたのです。堕落したアダム家庭は、神様が安息されることのできる基盤になることができませんでした。それは過った結婚をしたからです。 真なる男性と女性の結婚を目標として、民族的な解放圏を準備しておき、その中に家庭を定着させ、イスラエルの国の王圏を中心として、ローマに対処することのできる基盤が形成されるはずでした。 ところが、イエス様が家庭を成すことができなかったために、家庭を連結させて天に立てることのできる氏族、民族、国家を形成することができなかったので、すべてが失敗したのです。それゆえ今まで、旧約時代から新約時代、成約時代と延長されてきたのです。 成約時代とは何でしょうか?。家庭安着時代です。第一イスラエルは旧約聖書を信じた人々で、第二イスラエルは新約聖書を信じる人々です。第三イスラエルは成約聖書を信じる人々です。 アダム家庭で堕落したものを、第二アダムのイエス時代において、家庭から宇宙まで越えていくことができませんでした。 それらすべてが解放された圏内に立って、アダム家庭の代身、イエス家庭の代身、再臨主家庭の代身が家庭理想を成して安着するようになれば、サタンは全天宙のどこにも存在することができません。 サタン自身も歓迎して、侍ることのできる時代になるべきであるのが成約時代であり、そのようにすることが、第三イスラエル民族の使命です。 第三イスラエル民族がその使命を完遂するためには、サタン圏がなくならなければなりません。すべての家庭が神様の祝福を受けた家庭にならなければならないのです。神様を中心とした祝福家庭が、堕落した世界の人々を完全に超越、克服できる環境を成せなければ、地上の家庭的天国は始まることができません。解放圏を成さなくては、天国の出発をすることができないのです。 ですから、皆さんの家庭、氏族を中心として、民族、国家、世界が、平面基準においてすべて祝福を受け、個人から世界の果てまで行ってから、戻ってこなければなりません。アルパとオメガです。 今、世の中を見れば、韓国、日本やアメリカなどいろいろな国があります。それらすべての国々に、杭が打ち込まれていて、その国に行こうとすれば杭にぶつかります。 この世界には、ビザがあります。神様を中心とした愛の理想的血族を通して、民族編成、国家編成を成した地上・天上天国に、ビザがあるでしょうか?(「ありません」) 民族があるでしょうか?。単一民族です。韓国、日本や何々国というものは、サタンが汚した氏族、民族であり、その国を残すためにサタンはありとあらゆることをしているのです。 そのサタンが滅びたり、逃げたりしないようにするための住まいを準備する作戦を展開しています。それを知らなければなりません。わたしの手で撃破します。アダムが堕落した十六歳以後、十七歳からは自らの手でサタンを清算してしまうことのできる実力を持ち、どこにでもついていって、サタンの何十倍、何百倍犠牲になろうとも、サタンを整理してしまうために、狂人のように活動をしなければならないのです。伝道とはそのようなものです。 自分の家庭が、世界の果てに行ったとしても、どこにもサタンの痕跡がないというのが成約時代です。 一度結婚した女性が、再婚するときに、新しく結婚する夫を信ずることができず、昔、愛した夫の写真を持っていたとすれば、新しい夫はどうするでしょうか?。夫がその写真を見れば、がたがたと音を立てて夫婦関係が壊れていきます。 小さな痕跡一つであっても、見たがりません。いくら嫁入り道具やお金をたくさん持ってきて、国を買っても余りあるほどの財産があっても、その痕跡を見たいとは思わないのです。 思い出の写真や靴、服の切れ端などを見たいとは思いません。絶対的な愛を願われる神様も、そのようなものを見たいとは思われないのです。皆さんが暮らしている場所は、神様が喜ぶことのできる環境でしょうか? 愛する息子を犠牲にされた神様 皆さんは「父母の日」を知りませんでした。「神の日」、「子女の日」、「万物の日」も知らず、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭、三万家庭、三十六万家庭など、すべて知りませんでした。 父母がだれかも知りませんでした。「父母の日」を知らなければ、ご父母様は分かりません。「父母の日」を知っていたとしても、さらに先生の心の奥に隠されたものまでも知りたい、という心情を持たなければならないのです。 七年路程において、お父様とお母様が通過した蕩減の道は、永遠にだれにも分からないことでしょう。皆さんは、それを知りたいとは思いませんか?。それを知るためには、皆さんの祖父母、父母と子女の三代を一度に死んだ立場に立て、自分たち夫婦を中心として祭物としてささげることのできる心情圏を越えなければなりません。 アダムとイエス様、再臨主を中心として、神様がそのような心情を通過されているのです。アダムの腹を割かれ、イエス様の腹を割かれ、再臨主の腹を割かれたことを知らなければなりません。 それゆえ、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」という言葉があるのです。イエス様も十字架に向かいながら、死の道において、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言われたのです。 これはどういうことでしょうか?。サタンを切り取るために、人情や事情を考えず、わたしから先に切ってくださいという話です。そうしなければ、サタンを取り除くことができません。神様が、自分の愛する息子を犠牲にされたので、サタンを処断することができるのです。 ここから、統一教会の祝福家庭がどうあるべきかが分かるはずです。ご父母様は、この道を捜し出すために、想像を絶する道を歩んできました。皆さんには想像もできません。皆さんは、その父母に隔たりもなく親しく近づいて、自分の責任も果たさず、孝子にもならずにいます。 国を代表した先生であり、世界を代表した先生であるのならば、皆さんは孝子の中の孝子になり、忠臣の中の忠臣になり、聖人の中の聖人になり、聖子の中の聖子にならなければなりません。聖子といわれるイエス様でさえも、み旨を成し遂げられませんでした。それ以上にならなければならないのです。 自分というものを一生の間考えていると、引っかかります。一国の大統領であっても、一つの条件でも法に引っかかれば問題が生じるのです。自分の利益を求めたものがほんの少しでもあれば、引っかかるのです。公的な立場の人は、いつでも天に向かって九〇度にならなければなりません。九一度、八九度でもいけません。皆さんの心と体が、そのようにならなければならないのです。 日本に台湾とフィリピンを連結 「訓読会」を通して、統一教会の祝福家庭がどうあらねばならないか、皆分かりましたか? 『御旨と世界』は、先生とダンベリー刑務所に入った神山を通して、日本のメンバーたちを教育するために特別、先生がみ言を選んで作ったものです。 「訓読会」をして、これを丸暗記しなければなりません。そうすれば、日本は失敗しないのです。峠を越えてしまえば、このような教育は再び必要ではなくなります。きちんと教えてあります。統一教会の祝福家庭は荒野路程に立っています。荒野路程に立った者には所有権がありません。 日本は韓国に移動し、韓国は日本と一つになり、太平洋を越えて、心情の境がなくならなければなりません。ヨルダンの境目のようになってはいけないのです。これは怨讐圏です。韓日が一つになっていますか? ですから、今度、責任者となるのは、韓日家庭です。韓日家庭は、男と女、父と母の関係です。一つにならないので、韓日家庭を立たせるのです。これを批判したり、文句を言う人は、みんな荒野において、ハゲタカのえじきになってしまいます。年が幼くて、自分の孫みたいな年齢であったり、自分の弟、妹の年齢であっても、彼らと一体化して全日本が動かないと、荒野路程を越えていくことはできません。 祝福家庭が、それを越えなかった場合には、家庭天国の建国がなされず、イスラエルの六十万の一世が荒野で死んだのと同じように、日本民族は滅んでしまいます。 また日本という国の中には、双子がいます。朝総連と民団です。それを統一しなければ大変なことになります。そのことを先生は、はっきりと教えているのです。 皆さんは、韓民族の僑胞を自分の子供より以上に愛さなければなりません。そうする人が生き残るのです。僑胞の名前を自分の石碑に記して、財産もすべて自分のものではなく、その人のものとして入籍までさせてあげるような心を持たなければ、日本は母の国になることはできません。 リベカは、はらんだエサウとヤコブに自ら骨と血、肉を、みんな平等に分け与えました。それが母というものです。日本国民から見た場合には、僑胞は厄介な存在です。しかし、その僑胞を愛さなければ、大陸に帰る道がありません。 荒野路程を越えた場合には、全世界、地球星が祝福家庭の所有権となります。日本に住みたいですか、それとも世界に行って住みたいですか?(「世界に行って住みたいです」)。世界に行って、母の使命を果たさなければなりません。これからは大移動です。そこで、血と汗と涙、骨まで投入するのです。 お嫁に行けば、自分を愛してくれた父母であるとか家族全体の所有権を相続するのです。お嫁に行く女性はみんな、いくらその家庭や母が苦労しても、旦那さんの家庭の基準に見合う土産を準備して持っていきたいのです。それが妻の願いです。もらうために行くのではありません。行った先にすべてをささげてから、内的な中心である旦那さんの所有圏と一体化するのです。 投入された場合には、返さなければなりません。投入するところが主体になります。ですから、十年、二十年くらい奉仕して、その一家を引きつけ、長男、長女たちをみんな結婚させれば、異なった血統を持っている女性であってもその一家の女王様となり、先祖の立場に立つのです。女性の使命はそのようになっています。 日本語では、韓国は、牢屋の監獄と発音が似ています。日本人が韓国に来るときには、その牢屋を通過するような決意をしないと、韓国文化を完全に相続することはできません。不平を言わずに、無の立場、ゼロの立場で消化していかなければなりません。これは先生の言葉ではなく、神様の天来の歴史を通した摂理の伝統的精神です。 日本に対して先生ができることは、すべてやりました。エバ国家として相対的な立場に立たせた日本に対して、先生が投入したものは、先生が成すべき基準以上になっています。 きょう、日本の中心的なメンバーを呼んだのは、このままでは日本が没落してしまうからです。日本が沈まないように、台湾とフィリピンをカイン・アベルとして連結しなければ、日本が困るのです。今度後退したら、同情する者は一人もいなくなります。 世界宣教師や世界の国家メシヤが、日本救済のために投入したにもかかわらず、その使命を果たせず後退する場合には、日本を助ける国が一つもなくなります。先生としては、これ以上のことを日本に対してやれる道はありません。 ですから、台湾とフィリピンを日本と連結させて、今まで日本がやった以上のことをやらなければなりません。三つの島嶼国家を中心として、島嶼国家連合をつくりました。防御策はそれしかありません。先生は真剣です。 全世界の三億六千万の祝福を放っておいて、いつまでも日本のために先生が苦労する立場に立つことはできません。日本を放棄しても、三億六千万の祝福をなすために、六月十三日には一億二千万の祝福をしなければならないのです。それを果たせなければ、日本が引っかかってしまいます。 今まで日本のメンバーは皆、自分なりに三十六家庭や七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭を批判し、自分たちのほうがすべていいと、さばきの王様になっています。裁判官のような立場に立っているのです。新しく来た先輩家庭の先生を批判しています。何の助けにもならないことをやっているのです。 新しく決心をしなければなりません。今まで先生が教えたすべての内容を、「訓読会」を通して理解したと思います。それらを通して、祝福家庭は二重三重の責任を抱えているということを知った場合には、勝手に生きることはできません。 心と体の一体化がいちばん重要 韓国の人たちも同じです。自分たちが責任を果たせなければ、ほかの国に何も言うことはできません。きょう実際に、韓国と日本を放棄するかどうかを決定する日です。ですから、すべての責任者を呼びました。深刻な話です。 今まで先生が教えたすべてのみ言が全部、審判の基準となります。皆さんの家庭が、先生が話したみ言と一致していなければなりません。 み言の審判が正道となって、先生が皆さんを見るときに、先生の息子・娘と皆さんが、同じ基準で一体であるように一列になっていなければなりません。一人にしか見えないようにならなければならないのです。そのような時が来ます。今は、ばらばらです。自分勝手にしています。 祝福を受けた家庭、手を挙げてみてください。皆さんの目的は一つしかありません。日本よりも世界を愛さなければならず、人類を愛さなければなりません。人類よりも神様を愛さなければなりません。それが正しい目的であり、伝統的な目的です。伝統をはっきりと知らなければなりません。 そのような観点から、家庭的荒野路程において生き残るためには、どのようにすればいいのでしょうか?。個人的カナン復帰路程のときと全く同じです。カナンの地に入って、何をしなければならないのでしょうか?。建国をしなければなりません。神様を中心とした国を復帰しなければならないのです。 そうすれば、こじきになったり、カナン七族の前で、皆、犠牲になったとしても、残った何人かにその伝統を訓示しておけば、イスラエルの国は滅びなかったのです。このことを知らなければなりません。 家庭が向かって行くのは世界復帰です。国家復帰ではありません。個人は国家復帰のためでしたが、家庭は世界復帰のために向かっていくのです。神様を中心とした世界を復帰するのです。 そのためには、神様の愛を中心として、一つにならなければなりません。一番の問題が、皆さん自身の心と体が一つになっていないことです。心と体をいかに一つにするかということは、家庭的にカナン福地に安着する前に解決すべき問題です。心と体が一つになっていますか? なっていませんか?(「なっていません」) 一つになったときには、「日本人」という概念はありません。日本語や日本文化、日本の伝統というものはありません。アダムやエバには、そのような概念はありませんでした。神様の愛を中心として、完全に一つにならなければならないのです。ところが、一つになれませんでした。 ですから、完全否定しなければなりません。否定する立場に立ちましたか?。お金、土地を否定しなければならないのです。民族や息子・娘、自分自身を否定しなければなりません。 堕落の恨みの峠を歩む、とてつもなく難しい曲折の道をどのように進んでいくのでしょうか?。神様と真の父母がいなければ行くことができず滅んでしまいます。真の父母は、明確に教えました。先生が言う「天宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」とはどのようなことでしょうか? 体が世界的サタンの基地です。個人を除去すれば、氏族がくっついてきます。氏族を除去すれば民族、国家がくっついてくるのです。 日本の国も、孝子の道、忠臣の道も否定しなければなりません。これらを否定し、世界の聖人たちが行くことのできる道に連結しなければならないのです。 孝子の道、国の道を否定し、忠臣が行くことのできる道と自分の一家、自分の国を祭物として犠牲にしたとしても、世界を取り戻そうという徹底した主流思想がなければなりません。それが神様の思想です。 神様は、国ではなく、世界を収拾されるのです。サタン世界、地獄が残っているそのような世界ではなく、地獄がない天地、神様が完全に統治できる世界です。神様は、地獄の影さえ見たがらないのです。今、世界がそのようになっているでしょうか?。なっていません。法に背いて霊界に行けば地獄に行くのです。 昼があれば、その反対に夜があります。その間には、朝と夕方があります。朝から正午を過ぎて夕方になり、夜に向かって進んでいかなければなりません。朝、昼、夕、夜と回っていくのです。 復帰というものは、堕落により歴史的な昼と夜が引っ繰り返ったものが、反対にならなければなりません。夜が昼に、昼が夜にならなければならないのです。ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」のです。 皆さんは、「訓読会」を通して祝福家庭が行くべき道をすべて知りました。三家庭の意味、三十六家庭の意味を皆知ったのです。 郭クアク錠チョン煥ファン、立ちなさい。郭錠煥(「はい」)。この人が三十六家庭の三家庭の代表です。三万双から三十六万双、三百六十万双まで祝福は全部、郭錠煥が責任を負ったのです。 少し欠点があるということは知っています。神様の伝統思想においては、三家庭の権威を備えさせるべき責任があるのです。批判しようとすれば、郭錠煥以上苦労し、天に認定されてから批判をしなければなりません。 いちばん初めに重要なことは、心と体を一つにすることです。妻を迎えるためには、心と体が一つにならなければなりません。ですから、先生が、今まで生活するうえで考えてきたことは簡単なことです。いかに自分の一生をコントロールできる内的な要件を見いだすか、ということです。 人の一生における生活がどのようなものであるかといえば、食べて、寝て、行って、来ることです。食べ、寝て、行って、来て、この四つです。そこにすべてがかかっています。 どこかに行くときには、何のために行くのかが問題です。自分のために行くのではありません。来るのも、自分のために来るのではありません。寝たり、食べたりするのは、だれのためですか?。神様の代わりに、人類のためにするのです。寝るのも自分のために寝るのではありません。そのようになればいいのです。 祝福家庭の皆さんも、夫婦で一緒に寝るでしょう?。だれのために夫婦が愛し合うのですか?。自分のために愛する人たちは、堕落の二世、汚れた子供を生むようになるのです。深刻な問題です。 食べて、寝て、行って、来て、そのように一生の間、過ごすのです。その一生はだれのためですか?。自分のためではいけません。神様のためです。簡単なことです。 どこかに行くというのは、目的がはっきりしています。何のために行くのですか?。人類と神様のために行かなければなりません。ヨハネの福音書三章16節には次のように書かれています。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」 神様が、ひとり子をお与えになったのは、キリスト教のためでも、宗教のためでも、統一教会の祝福家庭のためでもありません。この世の人類、すべてを救うためだったのです。このことをはっきりと知らなければなりません。 良心は父母と神様の代わり 第一には、心と体が一つにならなければならないのです。心と体が一つになっていなければ、口を開いてだれかを批判したり、振り返ったりしてはいけません。五官を通して見ることもいけないのです。 人々は目をきょろきょろして、鼻は猟犬のようににおいをかぎ回り、耳はあらゆる雑音を聞きながら、ぶらぶらと歩き回ります。口はあらゆることをしゃべりまくっているのです。手足もありとあらゆることをやっているではないですか。心と体が一つにならなければ、愛することもできません。それは、サタン側です。 第二は夫婦統一、第三は子女統一、そして第四が家庭統一です。これだけ成せばいいのです。このような家庭を成してこそ、神様の前に出ていくことができます。家庭定着時代なのです。 成約時代は家庭完成時代です。家庭完成というのは、定着してから、東西南北、四方のどこにも障害となるものがない状態でなければなりません。 日本人であってはだめなのです。アジア人であってもいけません。 「家庭盟誓」の二番も、そのようなことを言っているのです。「真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子…」となっていますね。代表的家庭です。 六番では、「真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり…」と言います。創造理想が、すべてついてくるようになっているのです。そして「天の祝福を周辺に連結させる家庭」になることによって、心情文化世界の血統を絶対に汚すことのない歴史を、自らが何代、何千年と連結させていくのです。 そこに、神様の祝福世界、天上世界において天の国の功臣になれるか、なれないかという問題がかかっています。 第一に、心身統一ができましたか?。皆さんは心身統一ができていないということを、はっきりと知らなければなりません。 良心は両親より優っています。良心は先生より優っています。そして、良心は神様より優っています。神様も自分の息子・娘、相対が自分よりりっぱであることを願われます。ですから、そのような神様からごらんになるとき、いちばん貴いものをわたしたちに下さったのです。 良心は一瞬も離れることなく、自分と永遠にともにいます。父母の中の父母です。良心は父母の代わりにあり、根本であられる神様の代わりにあります。それゆえ、皆さんの先祖よりも良心は優っているのです。 最高の先生が神様なのです。神様が先生の中の先生ではありませんか?。全知全能であられる先生の中の先生です。その先生の中の先生であられる神様自体が、人間の中におられるのです。神様は王の中の王ではありませんか?。王の中の王がおられるのです。これが三大主体思想です。これらは人間として、絶対に一つも欠くことはできません。 このような存在(良心)が、自分の心と完全に一つになっていて、一瞬も離れないのです。一生の間、ずっと正しい道を行くように教えてくれます。父母の代わりに、先生の代わりに、王の代わりに教えてくれるのです。 堕落することによって、この体がどれほど良心を蹂躙したでしょうか?。良心は、この世の中のだれよりも貴いお客様です。貴い先生です。かけがえのない貴い父母です。 その良心と一致し得る相対圏となった体が、霊的、内的な神様と一致した基準において横的な真の父母と一つとなります。そして、内的世界、外的世界を神様の代わりに主管することのできる第二人者の祝福を受け、地上天国・天上天国を出発するようになるのです。それが家庭です。 イエス様や洗礼ヨハネが来て、「悔い改めよ。天国は近づいた」と言いました。これはどういう意味でしょうか?。それまで、最高の父母、先生、主人であられる神様の代わりの良心を、どれほど蹂躙してきたかということです。どれほど良心を傷つけたことでしょうか? 今日、すべての堕落した後孫たちは悔い改めなければなりません。父母が本来の父母の位置、先生が本来の先生の位置、主人が本来の主人の位置にいる良心の世界を実現するために、天国がやってくるのです。メシヤが来るのです。 理論的なことです。これが三大主体思想です。その中のどれか一つでも欠けてはなりません。父母がいなければ孤児、先生がいなければ無学な者です。主人がいなければ国のない民です。どこに行っても冷遇され、追われるようになります。 これらをすべて備えてこそ、家庭においても、社会に出ていっても、国においても、万事に通じることのできる環境的な条件を持つようになるのです。良心に背く立場に立てば、どこに行っても行き詰まり、地獄に行くしかありません。 王より貴く、億千万のお金でも買うことのできない素晴らしい良心を下さった神様は、ありがたいおかたです。良心は父母、先生、神様の代わりなのです。第二の見える神様として、この地上に送ってくださったのが自分の良心である、と考えなければなりません。 自分の良心に絶対服従すれば、地獄に行くことはありません。先生の話に絶対服従すれば、地獄に行くことはありません。脱線することもありません。王の言葉のとおりに生きて、その国の法に引っかかることはないのです。 自らの体に向かって、「無知な体よ。それは父母が願うことではない。この体め。わたしが知っている先生である良心に照らしてみれば、おまえは間違っている。この体よ。国の憲法の基準と法を中心として、その国を統治できる主人の資格を備えたのが良心だ。良心に尋ねてみれば良心が喜ばない。だから、だめだ」と言うのです。 お母さんに尋ねる必要も、先生に尋ねる必要もありません。憲法や法律を知らなくても大丈夫です。良心に尋ねれば皆、知っています。ある国の文部大臣が良心を教育するという話を聞いたことがありますか?。そのようなことはありません。 目や口などの五官が、もともとすべてを知っているのです。見てはいけないものは、目自体が見たがらないのです。良心も「だめだ」と主張することを行えば、罪人の中の罪人になり、地獄に行かなければなりません。 これで、はっきりと分かりましたから、今からはそれを収拾できますね。聖書に、「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書八章32節)とあります。真理を知ることによって解放が始まるのです。 良心は父母に優り、先生に優り、王(神様)にも優ります。それゆえ、皆さんの心は父母よりも、先生よりも、王よりも、優れていることを望むのです。 神様の本然の立場から出発して完成し、本然の基地に帰ってくれば、さらに大きな所に行くようになるのです。神様は、何も知らないアダムとエバを中心として宇宙をつくられました。 そのアダムとエバが愛の理想を中心として完成し、神様の元に帰り神様の喜びの相対になったとすれば、愛を中心として喜び、完成し、すべてを知ったアダムとエバに対しては、この宇宙のさらに何十倍も大きなものを神様はつくってあげることができるのです。 だれかが、今の何百倍も大きな天国をつくったとしたら、その何百倍も大きな所に行って暮らしたいですか、それとも今の天国に行って暮らしたいですか? 神様は、堕落の世界を抱かれて恨の心情が積もっておられるおかたです。真の父母が、その恨みの歴史を解いてさしあげるためには、何十倍、何千倍の大きな宇宙をつくり、何百倍も強い愛を中心として孝子となり、神様に侍るのです。 そして、「このサタン世界の蕩減歴史を根本的に清算し、もう二度と夢にも思い出すことのない、そのような世界を望みます。そのような天地を一度創造してください」と言えば、神様が何と言われるでしょうか?「できない」と言われるでしょうか、「やろう」と言われるでしょうか? わたしが神様なら、「おまえは、本当にりっぱだ。わたしもそれを願っていた。どうしてそれが分かったのか?」と尋ねられることでしょう。そのような無限なる大宇宙の勝利の覇権を求めていく者たちが、良心の命令に応じることができなくていいのでしょうか?。 良心の絶対命令に応じることのできる自分自身となり、心と体を統一することは問題ですか、問題ではないですか?(「問題ありません」)。はっきり言ってください。問題ありますか?(「問題ありません」)。問題ないという人、手を挙げてください。 日本人は、通訳を通して先生の話を聞くので反応が遅れますね。(笑い) 祝福家庭が行く家庭的カナン復帰路程 今からは「訓読会」をすれば、皆さんの家庭が行くべき道がすべて分かるようになっています。所有権転換という話も必要ないのです。エジプトを離れて荒野に出れば、そこに所有権があるでしょうか?。エジプトに戻ろうとすれば、皆、死んでしまいます。ハゲタカのえじきになるのです。 エジプトでの何十倍、何百倍の祝福を受けた王宮において、十二支派が受けたすべての祝福を、わたしたちが成就して暮らそうという考えを持ち、早くエジプトを出たいと思うようにならなければなりません。そうしなければ、皆、滅んでしまいます。 イスラエル民族の一世は皆、ハゲタカのえじきになりました。二世を中心とした群れだけが、カナンの地に入ったのです。百二十歳のモーセもヨルダン川を見つめながら、カナンの地に入ることを哀願しましたが、入ることはできませんでした。このことが旧約聖書に書かれています。蕩減条件が引っかかっていたのです。 今現在も同じです。家庭的カナン復帰路程においては、この地球星がエジプトです。出エジプトをして、カナンの福地、地上天国を訪ねていかなければなりません。 個人的イスラエルの国を訪ねていったモーセのような立場で、家庭的イスラエルの国を訪ねていかれるかたが、再臨主である真の父母です。真の父母に従っていかなければなりません。 自分の考えというものがあってはならないのです。ご父母様が飢えていれば、自分はそれ以上の悲しみを持って、ご父母様の代わりに神様を慰労しようとしなければなりません。苦労するモーセに対して、イスラエル民族が四十日断食以上の精誠を尽くそうとしたならば、神様は罰を与えられたでしょうか?。イスラエル民族は、食べること、生活することで不平を漏らし、皆、泥棒のようになったのです。 カナンに向かうときに家族がいれば、どうなるでしょうか?。しかたなくモーセも、番号札を分けたのです。父、母や子供を連れていかなければなりません。子供たちは行きたがらず、両親におぶってくれと言ったりして、さまざまな難しいことが生じます。それで、しかたなくチケットを分けるのです。立って順番を待っているのです。 自分たちの思いどおりにはいきません。家の中に入れず、行列をつくって、待っていなければならないのです。モーセと一つとなって、カナンに入らなければならないのです。 それと同様に、家庭的カナン復帰路程においては、先生についてこなければなりません。ここに来た日本の祝福家庭の皆さんは、「ふろしきを包んで、すべてのものを売って南米に行きましょう」と言えば、行きますか、行きませんか? 何の話か分からないという人、手を挙げてみてください。(笑い)では、何の話か聞き取れた人、手を挙げてください。言葉が通じないことがどれほど不便でしょうか?。通訳を通して話を聞くので、日本人は一番になれないのではないですか?。ですから皆、韓国語を学ぶ努力をしなければならないのです。 祝福家庭が行くカナン復帰路程の荒野時代において、モーセの話を聞かなかった六十万の群れが全員、ハゲタカのえじきになって滅びたように、先生の話を聞かなければ、統一教会の祝福家庭七千万人が滅亡するかもしれません。 自分の妻や息子・娘が死ぬような困難があったとしても、その腹を踏み越え、首を踏み越えて行かなければならないのです。 夫婦統一の方法 その次は夫婦統一です。夫婦統一した人、手を挙げてみてください。郭クアク錠煥。(「はい」)。夫婦統一しましたか?(「まだできていません」)。いつするのですか?(笑い)それではヨルダン川を越えられません。 千八百双からは、信仰の子女について強調しませんでした。祝福世界時代に入るので、家庭で解決しなければならないのです。横的なものを縦的に、縦的なものを横的に展開しなければなりません。 自分のおじいさん、お父さん、お兄さんを中心として考えるとき、おじいさんが孫の立場になるのです。では、おじいさんが孫になれば、お父さんは何になりますか? (「息子です」)。息子になり、兄さんが何になりますか?(「弟」)。弟になるのです。 兄さんを弟にし、お父さんを息子にすれば、父母が復帰されます。おじいさんを孫にすれば、霊界が復帰されるのです。蕩減法ですから、どうしようもありません。絶対服従しなければならないのです。 それを成すのが、氏族的メシヤです。氏族を収拾するというのは、反対になるということです。七代前からの後孫の自分が、七代の先祖になるのです。そうして入籍しなければなりません。ですから、文氏、韓氏の氏族を編成したのです。 どんなことがあっても、夫婦統一しなければなりません。 十年、二十年、四十年間暮らす中においても、お互いに気分の悪くなるようなことが一度もない夫婦になっていますか?。先生も結婚して四十年になろうとしていますが、けんかをしたことがあるでしょうか?。あったでしょうか、なかったでしょうか?(「あります」)。ありますが、わたしは引っかかりません。 家庭を収拾することのできる訓練もしなければなりません。今、お母様が向こうの部屋で聞いているでしょう。けれども、お母様が先生に関して理解できないことがたくさんあります。 妻に「わたしの切実な思いに対して、何ら反応もなく一か月、一年が過ぎ、さらに何年にもなる」と思わせるのです。そのようなことが一つ、二つと重なり、十くらいになれば、期待しなくなるのです。「こういうことは、あの人に期待してもしょうがない」と、悟るようになります。実利を追求する計算の早い女性たちですから、意味のないことはやらないのです。 開拓をしなければなりません。作戦を立てなければならないのです。分かりましたか?。荒々しく、こぶしでなぐり、けんかをして、ぐだぐだと言ってはいけません。妻をなぐって利益になることは一つもありません。十回けんかをしたら、十回とも損害を被ります。息子・娘が全部だめになり、病人になるだけです。(笑い) 子供がいるところで、絶対にお父さんとお母さんが涙を見せてはいけません。子供たちが朝、両親にあいさつをしようと走ってくる足音が聞こえたら、深呼吸をして、いつもと同じように対するのです。腹が立ち、死ぬほど気分が悪かったとしても、そのようなそぶりを見せないで本然の立場に戻らなければなりません。そのようなことを研究しなければならないのです。 変な雰囲気があれば、子供はすぐに気づきます。絶対に親の立場を守って息子・娘の前で涙を見せてはいけません。そのような恥ずかしいことがどこにありますか。ここで涙を見せたことのある人、手を挙げてみてください。大多数そうでしょう? 夫婦統一です。夫婦というのは何でしょうか?。「夫」も「天」という字も「二」と「人」を書きます。しかし、「天」という字は、「二」の上に「人」が出ていませんが、「夫」という字は上に突き出ています。神様より高いということです。二人の人ですが、神様より上に上がっています。神様もそれは知っているのです。 愛の相対が自分よりも優れていることを願うのです。夫婦が一つになったら、天下のどこに行っても、王宮に入っていっても歓迎されます。遮るものがありません。絶対愛で一つになった夫婦は、絶対に天下で歓迎されます。それを願いますか、願いませんか?(「願います」)。そのようになってみてください。 皆さんは、夫婦同士、秘密がありますか、ありませんか?。秘密がないようにすることができます。愛は、悪なるものも主管し、汚いものも美しくすることができるのです。 そのような考えを持っている先生は、お母様と楽しく暮らしているでしょうか、楽しく暮らしていないでしょうか?(「楽しく暮らしています」)。お母様に尋ねてみなければなりません。楽しく暮らさなければいけません。 いくら鈍い女性でも、愛する男性に会えば楽しいでしょう?。それが鬼のような風貌の男性であったとしても、その人が笑えば、自然に視線が引きつけられて、口を開けて女性も一緒に笑うのです。そうしてその男性が笑い、大声を上げれば、女性も声を上げるのです。すべてが和動するようになるのです。 ですから、愛というものは素晴らしいのです。あまりにも楽しく、素晴らしいものなので、愛なしには暮らせないのです。アーメン。(「アーメン」) 夫婦統一は、夫がしなければなりません。「統」という字は、「主体になって指導する、率いる」ということです。 天宙の代表的家庭、中心的家庭となる 次に、子女統一です。子女たちを統一するためには、友達になるのです。 子供たちは友達と一緒に、よく外に遊びに行きます。そのような友達にならなければならないのです。何の友達になるのですか?。話し友達、漫画本友達、コンピューターを一緒にする電子友達です。 大きなお父さんと小さな息子が競い合ったとき、子供はお父さんに勝てば気分がいいでしょう。 友達になって、子供の話し相手にならなければならないのです。宿題を与えて答えを尋ねてみたり、答えを出したら、それについて話し合うのです。そうして、楽しくしなければなりません。 次に、家庭統一です。三代が一緒に暮らすのです。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分の夫婦、息子・娘、系列は四つですが、三段階です。これを皆、束ねなければなりません。そうすれば、家庭に神様が入ってこられて、ともに暮らされるようになるのです。どれほど楽しいことでしょうか? 今まで、数千年間の復帰歴史の中で固まってしまった神様の心を解き、神様が入ってこられて、「この家から出たくない」と言われるような家庭にならなければなりません。おじいさんが自分の孫、孫娘にキスをするときに、おじいさん、おばあさん同士が愛する何百倍以上の情熱でキスをするのです。 愛するお父さんとお母さんより、さらに素晴らしい神様に侍って暮らしながら、その神様がなされることに影のようにぴったりと合わせていこうとしなければならないのです。 理想というものは、毎日暮らしながら低くなっていくのではなく、高くなっていくのです。結婚をして十年間暮らしたなら、それだけ理想が高くならなければなりません。皆さん、そのようになっていますか?。これは重要な問題です。 家庭が完全でなければならないのです。カナン福地完成時代、家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、み言の「訓読大会」をして、皆さんの家庭が完成、定着すべき時代が来たということを知らなければなりません。 このみ言は通りすぎていくものではありません。先生が生死の境、死ぬか生きるかという状況の中で、死ぬ前にこのみ言だけでも残さなければならないと思って、はっきりと教えてあげる内容です。そのことを知らなければなりません。 霊界が深刻な立場で先生のみ言を聞き、同調した霊的基準があります。み言の対象的な立場に立てば、数十年前に語られた霊的な世界、皆さんを協助できる因縁が連結されるということを知らなければなりません。 いつも、ともにおられながら先生を保護し同情してくださった神様が、このみ言とともに相対的な実体を要求されるときには、先生が補助して、早い時期に相対目的を完成し、主体と一つになり得る道を開拓してあげるのです。ですから、詳細に話しました。 わたしが死ぬときには、み言だけでも残さないといけないでしょう。わたしがいなくても、それを教本として、それに合わせて成していくことのできる内容を説明してあげなければならないのです。 祝福家庭が、今の日本人のように、世界中の道端や公園などで祝福をしてあげるというのは、本来のかたちではありません。歴史的な恨みの峠を中心として、根を浄化させ、幹を浄化させ、最後に虫の食った葉までにも愛の恩恵を与えるためなのです。そのようないちばん端にまで来たのです。 再び戻らなければなりません。完全な葉を愛し、完全な枝を愛し、完全な幹を愛し、完全な根を愛さなければなりません。本然の根に戻って、堕落しなかった枝を中心として、自分の一身と家庭において第二の「生」の出発基準を完成することができたとき、天の国に転属される家庭になるのです。アーメン。(「アーメン」) その目的を達成するためには、お金や知識が問題となるのではありません。権力が問題となるのでもありません。 お母さんが博士であれば、博士の子供を生むというのではないのです。お父さんが大統領や首相になったといって、その首相としての血統が連結されるでしょうか?。知識や権力、お金によって血統が連結されるのではありません。 純粋な愛の血統を中心として連結されるのです。天理と神様のみ旨と一致しようという心を持って、血統が連結されることにより、そのような心の伝統を受け継ぐことのできる息子・娘が生まれるということは理論的な結論です。 自分の一代において、そのような息子・娘を生めないのであれば、何十代、何千代かかったとしても、そのような息子・娘を生むことのできる伝統を守っていかなければなりません。 千代万代が同じ一つの心を持った一人になって、個人を代表し、家庭を代表し、八段階を代表したその人がその伝統を守り、どこに行っても歓迎を受け得る環境的条件を備えることのできる主体的格を備えた血族を通して、息子・娘を生むのです。 そして、世界を指導できる後孫を残さなければならない、と考えなければなりません。それが家庭のためであり、国のためなのです。 ですから、神様を愛し、人類を愛し、自分の国を愛し、自分の一族を愛し、父母を愛さなければなりません。 両親を愛するときに、自分の家庭だけのことを考えるのではありません。神様に侍る立場において、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を凌駕できる孝子になり、忠臣になろうとしなければなりません。 運動するものは間違いなく循環します。循環しながら小さくなってはいけません。より大きくなっていかなければなりません。 個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙と七段階があります。これを押して圧縮すれば、一点になります。「わたし」がその代表です。 神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭になり、中心的家庭になるのです。代表とは頂上であり、中心とは中央のことです。九〇度です。それを中心として回れば、宇宙が回るのです。 家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成するのです。それらを成せば、神様が解放圏を備えることができます。神様が願われた個人と家庭、世界を代表できる忠孝の道理の実を備えれば、神様も「幸福である」と言われるのです。 神様が下さる祝福が残っているので、その祝福を自らが受け取るために、世界から迫害を受けるのです。それは、どれほど素晴らしいことでしょうか? 自分が迫害を受けるのは、神様が下さる贈り物、礼物が残っているからです。それを乗り越えれば、神様は、一つも残さず、堕落する前に祝福しようとされた何十倍、何百倍も祝福してくださるのです。そのときは称賛してくださいます。 蕩減復帰路程においては、死のうとする者は生き、生きようとする者は死にます。蕩減条件なしに、堕落圏を飛び越そうとしてはいけません。神様の願いに絶対服従しなくては、行くべき道を行くことができません。 成約時代の祝福家庭安着 きょうの結論は、成約時代の祝福家庭安着です。深刻な問題です。先生の代わりに、皆さんの家庭が世界をすべて背負って立ったのと同じであるということを知らなければなりません。 それゆえ、これからすべきことは、皆さんを中心として「神の日」を制定することです。七年路程が残っています。祝福家庭が、ご父母様の代身となる相続権を持ち、皆さんの一族に「神の日」を立てなければなりません。 皆さんの一族に「父母の日」もつくらなければならないのです。また、「子女の日」、「万物の日」もつくらなければなりません。 「万物の日」も「子女の日」も、自分の故郷ではつくれません。三つの州であるとか、三つの峠を越えなければならないのです。ただそのまま故郷にいて復帰はできません。それを知ってください。 先生は、一九六五年までに、「万物の日」まですべてつくっておいて、「神の日」を制定しなければならなかったのです。そうするために、四十か国に百二十の聖地を選びました。 先生は、公式路程を間違いなく歩んできたのです。多くの宣布の内容を調べてみてください。教えてきたことも、峠を越えて蕩減してきたことも間違いないのです。このような内容が分からないサタン、偽物たちは、先生の前に現れることはできません。 「父母の日」の制定の意味が分かりますか?。この内容を知らずに、「先生は洗礼ヨハネで、自分がメシヤである」と主張している者がいます。このような者は、偽者です。メシヤは、天の国に行って命を受けて来なければなりません。霊界を統一して来なければならないのです。 そのようなすべてのことを知っているので、先生はここまで進んできたのです。そうでなければ、サタンが退くと思いますか?。今、三億六千万双という最後の峠を迎えています。 今年の標語が何でしょうか?。「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。先生は、ホモ、レズビアンのような邪悪な性解放をそのまま放っておきません。先生が死ぬ前に処理します。 日本がこの網に引っかかりました。日本とアメリカが引っかかっています。サタンがすべての基盤を滅ぼそうとしています。アジアは日本についていき、西洋はアメリカについていっています。国を滅ぼす種となってしまいました。これをきれいに清算しなければなりません。 それゆえ、アメリカにおいてキリスト教の新教、旧教は、先生についていくことのできる方向性を皆、決定しました。日本も今後、そうしなければなりません。 地上天国とは、家庭理想を完成した成約時代の家庭が完全定着して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を編成して、サタンの血統の痕跡がないようにすべてを清算した基盤から連結されるものです。家庭についてはっきりと知らなければなりません。 それから、「訓読会」です。今まで歴史を知りませんでした。今は戦争の時代です。ゲリラ戦争の時代です。あちこちで争っています。 しかし、もう定着するときですから、先生の伝統を受け継がなければなりません。先生の代身者にならなければならないのです。そうしなければ、天国に行けません。 アダムとエバの一日の失敗が、このような歴史的なとてつもない苦しみを招いたのです。皆さんが過ちを犯せば、それ以上の罰を受けます。サタンよりも悪いのです。 人間始祖は長成期完成級で堕落しました。しかし、皆さんが堕落すれば、完成期完成級から出発することのできる真のご父母様の血統を受け継いだご父母様の体を犯す立場に立つのです。皆さんは、天使長の体ではありません。天使長の体は救うことができますが、真のご父母様の血統を受け継いだ人が堕落すれば、救援の道がありません。 堕落した人間は、天使長の体を受け継ぎました。それからアダムの体までは差があるので、神様が再創造の力を加えることができるのです。天使長を感動させ、再創造することができるのです。しかし、完成的基準で失敗したものは救う道がありません。おしまいです。それほど深刻なことなのです。 先生もどうしようもありません。祝福を受けた人は、神様と先生の前に父子の関係を持つ公的な立場にいるので、法を中心としてどうすることもできないのです。絶対従順しかありません。 今は緊急な時です。三億六千万双祝福をして、サタン世界の血統を断切すれば、おしまいです。時間がありません。先生とともに行くか行かないかを、はっきりと決断しなければならないのです。 先生が教えたすべての内容を皆さんの家庭に適用させれば、相対的価値を持つようになり、真の愛を中心として「同位権」が許されるのです。さらに、「同参権」が許され、それを得た場合には、相続が許されるのです。その基準は、生きています。 ですから、相対圏に立つことができるような実体を成し得たかどうかが問題です。旧約時代は万物、新約時代は子女、成約時代は夫婦です。一つとなった夫婦を中心として、すべてを生きた祭物として献納することによって、神様に地上で侍ることができるのです。これが摂理の総結論です。 それを成した後に、自分の要求というものがあるのです。堕落圏に立つ者の自分の要求というものは、何も通じません。はっきりしています。この問題を中心として聖別しなければいけません。 それできょうの第三十九回「真の父母の日」は、四十数の前段階です。三十九という数はいちばん恐ろしいのです。総決算をしなければなりません。 ですから、日本の責任者と新しく日本に行ったすべての人を呼びました。韓国の責任者も世界の指導者も皆参席して、五千人以上集まっています。きょう教えた内容をはっきり心に留めて、そこから脱線しないような自分自身をいかに完成させるかということです。先生はすべて教えてあげました。 すべて宣布しているのです。この話は、皆さんが合格完成圏に立つか立たないかを決定する法的条件になります。先生も神様もどうしようもありません。 条件に引っかかる物があるならば、物をのろうようになります。自分の子供が引っかかった場合には子供をのろい、夫や父母が引っかかったら、夫や父母をのろうようになるのです。先生は、行くべき道をはっきりと教えました。 日本のメンバーは、三十六双の先輩家庭をご父母様のように尊敬したことがありますか?。日本のメンバーの中には、先輩家庭の人格を批判して、審判している人がいます。とんでもないことです。皆さんの先祖(先輩家庭)はりっぱです。現世と後孫をつなぐ摂理路程の結実体を、自分なりに批判したりする権限はだれにもありません。 それは皆さんの首を絞める条件になります。そのように批判した条件が、みんな自分の体をくくりつける縄になるのです。そのような人は、責任者になる資格がありません。 自らの主体をはっきりさせる 四十年間迫害の先頭に立って、生き残った先生の心情圏を知る者は一人もいません。知っているのは、神様だけです。サタンも知りません。先生は、いつ、何を決めるか分からない人です。 共産党より恐ろしい先生です。血を見た場合には、恐ろしい男です。どんな犠牲があったとしても、真の父母というのは、血を見たくないのです。もう、今年の六月十三日まで一つの段階しか残っていません。その日以降は、先生は自由です。いくら呼ばれても、日本に行きません。 そのような無慈悲な先生であることを知って、日本に帰ってください。後から文句を言わないようにしてください。霊界に行ってから、「先生がそのようなことをはっきり教えてくれなかったので、このようになりました」と、皆さんが弁明しないように、はっきりと教えました。過去にも教え、現在この場においても、はっきりと教えています。 心身統一、夫婦統一、子女統一、家庭統一です。そして万宇宙すべてが歓迎し、主体として仰がれるような家庭を成さなければ、神の実子になることはできません。エデンの園において、失った本家の家庭圏に入ることができないのです。それは神様の教えです。先生の知っている、中心的な教えです。 荒野路程でぶつぶつと不平を言うならば問題です。モーセが沈黙して口を閉じていれば、モーセが語るまでは自分の口を開けることができないのです。モーセが行動しないときに行動してはいけません。モーセに従っていけばいいのです。 先生が一言話せば、日本を中心として世界的に噂が流れます。先生は、秘密の宮殿の真ん中に立っているのです。一言を誤った場合には、一族、一国が吹っ飛んでしまうような内容がいくらでもあります。先生がいつも自由な環境で、平々凡々、だれとでも付き合いながら習慣的な態度、行動を執った場合には、国を滅ぼすことになります。 重大な責任を持つには、見ても見ないふりをし、嗅いでも、聞いても、知らないふりをするのです。口は語らず、体は行動しないのです。自分の行くべき方向をはっきりとわきまえて行かなければなりません。横にいる人は皆、じゃまものです。自分の一身の完成の道は、神様と自分しかいないのです。だれも助けてくれません。 み旨の道に立った場合には、環境の中の主体・客体関係が絶対的真理です。自分の主体がだれであるかがはっきりした場合には、主体以外には相談してはいけません。それ以外は皆、じゃまになるのです。 統一教会に新しく入った者を追い出すのは皆、古いメンバーです。新しいメンバーを、新しい根として希望を持たせ、育てることをしないで、自分たちだけで騒いでいるのです。多くの人が祝福を受けられず、寂しく消えていきました。霊的に殺してしまったのです。 三双から三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭に、それぞれの内容があります。その内容を尊重してきた先生以上の心情で、韓国の先輩家庭を歓迎した日本のメンバーがいますか?。 でたらめなことをしてはいけません。韓国とともにやろうとせず、日本だけでやろうとしています。それは、怨讐です。それは宗教戦争、人類戦争を招き、歴史を破壊するものです。今回、日本に帰ってから、そのような雰囲気がないようにしてください。 そのようなことが再びあった場合には大変です。ソドム、ゴモラでさばかれる場を免れさせるために、「うしろをふりかえって見てはならない」と言ったのに、ロトの妻は振り向いて、塩の柱になりました。厳格な神様の審判の日が待っているということを忘れてはなりません。 先生も神様と同じ決心をしなければならないのです。日本に対してだけ、相対圏をつくることはできません。ですから、日本に対して「訓読会」で教育するのです。次にアメリカでやります。日本とアメリカは、母と長男です。 今は成約時代、安着時代まで来ました。長子権、父母権、王圏復帰時代と展開していくので、アメリカはずっと天使長の立場であったのですが、日本がエバ国から母の国になった場合には、天使長であるアメリカは長男の立場に立つのです。 世界を知らなくてはいけない そのような時代が来るので、IMF(国際通貨基金)などを通して、アメリカと日本が韓国に責任を持つのです。このような韓国の緊急期に自己中心に金儲けをしようとすれば、みんな滅びます。滅びる時が来ます。 ですから、「訓読会」で伝統精神を立たせ、神様がこの世の中を捨てられても、わたしたちは行くべき道を行かなければなりません。すべてをささげて行くのです。避難民のような身軽な荷造りをして、出発できる準備をしなければなりません。 日本民族大移動です。日本の状況から見た場合には、国策として移民が願われますが、日本自体では何もできません。統一教会が日本の移民政策を助けるようになります。移民したら、まず何をするでしょうか?。教育をするのです。 今、先生は海洋時代を過ぎて、陸上時代に帰ります。エバの上陸時代になりました。今度は済州島修練です。新しく入った人と新しく祝福を受けた人は、済州島に来て、父の国で教育を受けなければなりません。自分は、父の国のメンバーであると確認しなければならないのです。そして世界です。 父母の行かれる救援の道は世界です。古い祝福家庭は南米に来て、四十日修練を再び受けなければなりません。世界各国を知らなければならないのです。島国ではどうしようもありません。 既成祝福も含めて古いメンバーは皆、南米で四十日修練を受けるのです。少なくとも四か国以上の国を回りながら、いろいろな訓練をします。 日本の民族感情では、何もできません。世界感情を持ち、世界に通じた体質を早く備えなければ、日本は世界の母になれません。済州島と南米の両方の教育をしなければ、日本民族の将来に希望はありません。 第一に心身統一、第二に夫婦統一、第三に子女統一、第四に家庭統一です。これを成せば、成約時代が安着します。 世界的家庭を代表し、天地を代表した家庭を成すのです。そうすれば、天地が逆さまになっても、自分はつぶれることなく、天地を引っ張っていくことのできる機関車になることができます。そうなれば、すべての問題が解決します。結論は簡単なのです。 いちばんの怨讐が自分自身です。心身統一をしなければなりません。それがいちばん問題です。「寝て、食べて、行って、来て」。それが人生における生活です。 生活をそのように簡単に考え、すべてを神様と人類のためにするのです。それを明確にしなければなりません。そうすれば、眠たいときでも、それを考えるだけで眠気がさめます。疲れも吹っ飛ぶのです。天がそれを好まれるからです。 皆さんの環境を整理し、国を越え、世界を越え、天地を越えて、神様の解放のために残された復帰の峠に向かって力強く出陣するため、このように「真の父母の日」に、日本と韓国の代表者たちが集まったのです。アーメン。(「アーメン」)(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.04
コメント(0)
第三十九回「真の父母の日」敬礼式後の御言1998年3月28日漢南国際研修院敬礼式の後、お父様は韓国語で御言を語られました。 サタンの目的は神様の御旨を破壊すること 今年の標語は何ですか? (「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」)。 それを毎日のように暗唱し、祈祷する心をもっていますか? 深刻な問題です。習慣的な標語だとか宣言ではありません。これは決定的で、宿命的な宣布なのです。宿命的なことは、だれも変更することができません。 これは三年路程を越えていくのです。三千六百万双を越えて三億六千万双を越えていくのに、家庭を中心としてすべての家庭がこれを目標としなければなりません。これをなさなければ霊界にいる家庭がすべて怨讐になり、氏族怨讐、民族怨讐、国家怨讐、教派の怨讐、思想の怨讐、地上で願うすべてが怨讐で終わるのです。怨讐として分裂するのです。完全に破壊と分裂の世界化時代になるのです。 縦的、横的、霊界と肉界、サタン世界を中心とした地上地獄が、すべて一つになって、神様を完全に追放することができる破壊的な現象が起きるのです。その中心が家庭です。家庭をおいて見たとき、霊界に祖父母がいて、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、すべてのものが完全に破壊されるのです。 家庭自体でおじいさんを認めることができず、父母を認めることができず、夫婦がお互いを認めることができず、子女を認めることができず、完全に分裂してしまいました。それだけでなく、それに先んじて、一族、親戚とか民族とか、国家という観念がないのです。 アメリカのような民主世界が、世界的なキリスト教文化圏を中心にして代表的な位置にあります。そのキリスト教文化圏、内的な思想の前に、世界の国が連結されているのですが、すべてイエスと相反する紛争の歴史になっているのです。 それから、アメリカにいるすべての若者たちは、天地を知りません。天があるのか、地があるのか知りません。天地が分かりません。世界を失ってしまいました。世界を失い、自分の国を失い、国家の中心にならなくてはならない民族を失って、民族の中心になるべき家庭を失い、家庭の中心になるべき個人もすべて失ってしまいました。 神様の創造理想をめちゃくちゃにしてしまいました。だれが? サタンが。サタンの目的は何かと言うと、完全に神様の御旨を破壊することです。人間が神様の懐に帰ることのできないように、環境的与件を、サタンが思うままにすべてつくってしまったのです。最後には性解放までです。その次には、男性が男性と結婚するのです。ホモ、レズビアン。嘆かわしい。それは動物の中にもありません。 神様が環境を創造されましたが、その環境には必ず主体と対象があります。それがどんな種類であっても、雄と雌になっています。そのようになっているのは愛のためです。細菌までも、すべて雄と雌になっているというのです。三百倍にしなければ見ることのできない細菌まで、すべて雄と雌になっているのです。その雄と雌という観念が、この地上に定着するその目的はどこにあるのでしょうか? 一つになるのは何を中心にしてでしょうか? 愛だというのです。それゆえ、神様が創造をされた環境には、必ず主体と対象があるのです。主体と対象が生じたのは、その時だけあってなくなるものではありません。神様の創造理想的存在が存続する限り、その主体・対象の概念は解消されてはいけないのです。 絶対的な中心と合わさらなければならないのです。しかし、雄と雌が一つになるための絶対的愛を中心として連結されたその位置で、神様の愛の橋を通して、小さなものから万物の霊長に至るまで、天の国まで連結しようとする愛のすべてが、みんな切れてしまったのです。そうすることができる男性・女性、男性・女性の体と心がすべて分けられたというのです。 宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい 二世の者たちを考えてみなさい。統一教会で一世は完全に失敗です。失敗したのです。二世を通して、これをすべて復帰しようというのです。「お父さん、お母さんは御旨を中心にして責任完遂をしたのですか」という責任追及をしなければならない時代が来たというのです。 先生の行く道が、こんな統一家の現在の生活ですか。こんな生活が、望ましい生活であり、真の父母が望む生活であり、その後代、後孫が望む生活ですか? 違うというのです。本質的に間違ったというのです。 そんな関係を中心にして、ご父母様と真の息子・娘の家庭の位置の関係の上に、その家庭と国家と世界が土台を築いて上がることができるのかというのです。 皆さんの個体の上に、この宇宙全体の相対理想的真の愛を中心として、主体・対象が一つになった家庭から、氏族、民族、国家の系列全体が連結されて、自分もその愛の基盤の上に立つことができますか? それをもちこたえて平均基準を立てて、その上に立つことができますか? 話にもならないというのです。まず、心と体が問題です。体と心が一つにならなくては天国に行けません。家庭でけんかをし、自分勝手に遊んではいけません。 皆さんに先生が教えました。家庭で神様の創造理想の本質的なすべての愛の理想を中心に為に生きなさいというのです。為に生きる、という心情を中心にして一つになっていますか? 体と心を中心にして、体が心のために生きなくてはなりません。ところが、そのように生きられないでいます。幾重にもなっています。男性、女性も同じことです。このようなことが原則的原理観にあって一致しない、不一致環境を、いつ自分自身が解消するのですか。 先生が最も苦悩したのが、そのことです。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」というのはどういうことですか? 体と心をどうやって一つにするのかということです。ご飯を食べたら変わってしまいます。ご飯を食べることを否定しなくてはなりません。その次に、男性、女性は情的問題において寝れば変わってしまいます。変わる可能性があるものを肯定してはいけません。否定しなければならないのです。 それから皆さん、体と心が一つになれない存在は天が同行することができません。直行することができません。コンパスを見れば、南北を通して行く道が永遠不変な方向をぴったりと備わるのです。そこで少しでも傾けば、イエスかノーが決定するのです。このような厳格な生涯全体を整備して、自分の体と心を中心にして行く方向、行こうと願う方向が、神様の創造本性と一致しなくてはなりません。それが神様が願うすべてです。男性と女性が分けられて、ここに来て一つになるその愛の基準は、神様の心情的な出発基地と一体線上になければならないのです。歴史的方向は変わってはいけません。その方向性を中心として、皆さんの人格、家庭、すべてのことを批判するようになっているのです。これは遊びではありません。 そのような訓練をして、邪悪な環境世界で、自分が左に何度、右に何度、西に何度、南に何度、これを知らなければなりません。知って調整しなければならないのです。 何がこのようにつくってしまったのでしょうか? 神様がつくられたのではありません。サタンの愛を中心にしてまかれた血統的機能を通して、体と心に、血肉すべてが絡み合うようになったのです。 それゆえ、いつも自分を中心とした、外的なことを中心とした欲望の前に、全部引きずられる良心の不祥事。この良心が何かといえば、良心は父母よりも先を行きます。良心の起源は、自分の父母が生まれる前からあるのです。良心は公平なものです。過去の人であれ、現在の人であれ、体が間違った方向に行こうとしたら、必ず忠告するようになっています。これは鉄則です。それはだれが教えたものでもありません。神様が永存する限り、永存する力が自動的にそのような方向を提示しているという事実。 その力をどれくらい否定する自分になっているのか? 四十年信じたといって、どうなのですか? 「御旨のために行こう」と出発したのですが、回ってどこに行くのかというと、自己に行き、結末をつけるのです。回って来て、神様の前に結末をつけ、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰と、だんだんだんだん、もっと大きな循環の道を経て、八段階の十字架の峠を越えなければならないのです。ところが、自己を中心にして主張し、自分たちが口を開き、自分たちの目で見ているのです。五官に通じるこの目を引き抜いてしまい、口を裂いてしまい、五官を全部滅亡させなければならないのです。 毎日鏡を見るでしょう。鏡を見ない人、手を挙げてみなさい。鏡を見る人、手を挙げてみなさい。その目は二つになっています。耳も二つになっています。二つだけではありません。一千万種です。言い換えれば、三六〇度というのは、中心を中心にして連結した角度を言うのであって、中心のない三六〇度に何の意味がありますか? 三六〇度がなければ、新しく編成するために、一度、二度でも正常に合わせることができなければならないのですが、中心をなくした三六〇度を何に使うというのですか? 何の役にも立たないのです。 絶対信仰をもって絶対愛の相対を探す 御旨の道を発展させるのに、もっと大きな十字架の道を行くようになっているのです。個人蕩減復帰、それは言葉だけではありません。個人蕩減復帰は、体と心が一つにならなければならないのです。家庭蕩減復帰は、妻と夫が一つにならなくてはなりません。氏族蕩減復帰は、氏族が一つにならなくてはなりません。民族が一つになっていないのに、民族蕩減復帰がありますか? ですから、すべてを引き裂くようになっています。二つに引き裂くようになっているのです。 今日、堕落した愛を中心にして生まれ、悪の血になっているので、自己がなくなるまで、その出発の起源を否定することができないのです。出発から永遠の世界まで、そのような途方もない怨讐の因縁を結んでいるという事実を知らなかったのです。 復帰というのは、堕落をはっきりと知らなければなりません。堕落したその環境においての心情圏が、どれほど深刻でしょうか? それに比例した基準を中心にして、サタン世界を越えなければならないのです。 天の国に行き、天宙を創造された全知全能の神様の前に立つことができる自身にならなければなりません。そのような自信をもった息子だと考え、娘だと考えることができますか? 家庭だと考えることができますか? 話にもならないというのです。否定しなさい! 否定しなさい! 否定しなさい。 先生の個人的蕩減路程、家庭的な蕩減路程、国家的蕩減路程、世界的蕩減路程についてきた者たち、どれぐらいいますか! 結局、先生が祝福家庭を呪わなければならない時が来ました。 個人的十字架、家庭的十字架、国家的十字架、すべてを先生に任せて……。先生が世界的使命を果たせば、統一教会の祝福を受けた家庭は、国家的責任を果たさなければならないのです。それが御旨です。原理がそのように教えているでしょう。不孝者は孝者が分かりません。孝者の道がどれほど大変な道かが分からないのです。 世界は目の前に近づいて来ているのです。その世界を私が抱いて、その上に神様をお迎えしなくてはなりません。世界を捨てて神様を迎えるのではありません。世界を抱くためには、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり……。それで氏族編成ではありませんか? 氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう? そうするためには家庭的メシヤにならなければなりません。一族を越えなければなりません。七代を抱き込まなければならないのです。そうでなければ、入籍は駄目です。 完全に一つにならなければなりません。割っても、割っても、水晶体のようにならなければなりません。水晶体を知っていますか? 千万個に割っても、その形態は同じなのです。神様は水晶体と同じです。深刻です。そのような面で自我を批判することを知らなければなりません。 神様が願われる本当の息子・娘になりましたか? 神様が願われる家庭になりましたか? 膝に穴が開くぐらい、悔い改めなければなりません。 盟誓文の第八節は何ですか? (「私たちの家庭は真の愛を中心にして」)。真の愛を中心にして何? (「成約時代を迎え」)。成約時代を迎えましたか? 思いで迎えましたか? 実体で迎えましたか? (「……」)。絶対信仰、次には何ですか? (「絶対愛」)。絶対愛、次は何ですか? (「絶対服従」)。神様がそのような位置で天地創造をしたのです。神様自身が創造する時、絶対信仰です。私が言えば、私が言った通りになるというのです。その絶対信仰をもって、することは何かといえば、絶対愛の相対を探すのです。皆さんそうではないですか? 初めに聞くことは、「あなたは私を絶対に信じますか」ということでしょう? どんなことをするにしても、相対的関係は、必ずそのような内容を提示するのです。関係とはそうです。関係を結ぶためには、因縁がなくしては駄目です。思いが行かないところに、因縁を結ぶことはできません。考えなければなりません。思いがとどまることができることが蘇生です。因縁なくして主体・対象はありません。因縁が結ばれれば男性・女性、雄・雌となるのです。関係を結ぶためには、必ず因縁の上に立たなければならないのです。 男性の因縁を否定することはできません。男性が女性になることはできません。女性が男性になることはできません。女性は永遠に女性であり、男性は永遠に男性です。その因縁が永遠であればこそ、関係が結ばれるのです。最近の世の中はそうではありませんか? すべてが関係です。父子の関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、経済関係、政治関係、文化関係、すべて関係哲学です。関係ということ自体、原理原則があってこそ因縁を結ぶことができるのです。因縁というのはそうです。因縁というのは出発です。出発的、動機的相対圏をいうのです。動機だけでは駄目です。方向を直して、結果まで至らなければなりません。愛の関係、それが曲がればみんな壊れてしまうのです。経済関係も歪めば、国も歪み、政治関係すべてが歪むのです。 私たちは関係の世界を抜け出すことはできません。何によって関係が結ばれるかというと、経済も、知識もその条件とはなりません。権力もその条件ではありません。心情的な条件です。これを知らなければなりません。心情的条件です。 父子関係は心情と愛が連結され、夫婦関係も愛を中心にして連結されています。兄弟関係も愛を中心にして連結されているのです。関係というのはすべて主体・対象関係ですが、それが中心を通して一つになれば、中心に立つようになるのです。その中心が愛なのです。愛の出発です。右側が信仰で、左側が絶対服従です。絶対服従は自己を否定するのです。神様の愛を中心にして投入して忘れてこそ、大きなものが現れるのです。大宇宙の編成もすべて、投入して忘れることからなのです。自己を考えると、全部小さくなるのです。皆さんは自己を中心にしてすべて考えるでしょう。 先生の息子・娘が全部蕩減を受ける あなたたち二世は一世以上にならなければなりません! 父母以上にしなければならないのです。蕩減路程を父母たちが歩んできたのです。あなたたちは解放された位置で聖別もしないで、結婚して一緒に生活しているでしょう。蕩減圏を越えた位置にいるのです。父母がしてきた以上の位置に立ててあげているのです。父母がそれをできなかったというのです。全部、その影響です。 それらを主体・対象として結んだために、先生の息子・娘が全部蕩減を受けるのです。自分の息子に対して蕩減を受けることと同じように、先生の息子・娘が蕩減を受けるのです。祝福家庭が全部めちゃくちゃになってしまったのです。サタンが思い通りに侵入して、引っ張っていったのです。 自分たちの行動することが、先生の家庭と先生まで十字架にかけ、先生の家庭が行く道までも台なしにしてしまったのです。どうですか? 考えだけで、先生と因縁を結ぼうと考えるなというのです。先生が教えてあげたその内容のように先生が生きたので、天が私をつかんで前進するのです。私には父母もいません。兄弟もいません。何の親戚がいますか? アダムに親戚がいましたか? 父母の代わりが神様です。兄弟の代わりが神様です。親戚の代わりが神様です。全部が神様と関係を結んでいくのです。 最近は復帰的条件を立てなければ、サタンが付いて入ってくるので、条件を立てるのです。親戚連合会をつくったのも、みんなこのようなためです。彼らが好きでそうしたのでしょうか? 生かすためにそうしたのです。 復帰はそうです。アダムとエバを復帰すればいいのです。しっかりしなくてはなりません。分かりましたか? (「はい」)。 先生の教えた原理がしっかりと立っています。これを中心にして全部再び分別する時があるのです。先生が決めた標語が「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」です。そこで一番の問題が何でしょうか? おなかがすくでしょう? その次は何ですか? 寝なければならないでしょう? 食べることが怨讐で、眠りが怨讐です。その次に愛が怨讐です。それゆえ、先生自身も妻子を捨てて北韓に行きました。神様がそのように役事します。食べるものがなく、着るものがない、その場で道に出るしかない、そのような環境にあっても、捨てていくのです。人間は行くことができません。 それゆえ、宗教ではすべて出家を命令したのです。その出家命令の御旨を解くためには、その責任者も出家しなくてはなりません。それゆえ、イスラエル民族でその生まれた地で住んだ人はいません。アブラハムから呼び出したのです。イスラエル民族も呼び出したのです。統一教会も全部呼び出したのです。故郷で御旨をなすことはできません。 先生が語った御言通りに、皆さん祝福家庭がすべてなっているのか、なっていないのか、それを合わせる時が来ました。一つになっていないのです。分かりますか? (「はい! )。再び家庭的な基準の前に、無慈悲な先生になります。自分のお父さん、お母さんの前に、刀を当てることができる、おじいさんから、父母から、自分まで、祭物にすることができる心をもって聖別しなくてはなりません。聖別しなくてはならないのです。深刻なのです。そのような時が来たというのです。分かりましたか、何のことか? (「はい! )。 三億六千万双をしたら、すべての壁を崩してしまいます。サタン世界の個人的壁、家庭的壁、氏族的壁、民族的壁、国家的壁、世界的壁、天宙的壁、神様の心情圏の壁をみんな崩してしまうのです。崩したその場所をすべて通過していけば、天使たちが分別するのです。百二十名の天使たちが分別するのです。「この間を通りなさい」と言うのです。そのように通る自信がありますか? 祝福家庭とは何ですか? 祝福を受ける時には、二十一双を中心にして、男性・女性が、その間を通過していくのです。それは条件ではありません。これから先生を訪ねてくるには、多くの霊通者たち、百二十名の峠を越えなければなりません。イエス様を殺した罪です。駄犬一匹も、そのまま通り抜けることができないのです。サタンの痕跡もあってはいけないのです。 ですから、宗教は出家をしなさいというのです。独身生活をしなさいといったのです。独身生活を最後までして、祝福を受けなければならないのです。二世たちが祝福を受けたのは教会祝福です。国家祝福、世界祝福を受けていません。三分の二が汚くなる条件が残っているのです。この者たち、全部です。 ここの二世たちで、違う学校に通う者はすべて整備しなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。違う学校へ通う者たちは、どんな学校を出たとしても用いてはいけません。先生と関係がありません。ソウル大学、私と何の関係がありますか? この者たち、統一教会をなくすことに先頭に立ちました。梨大、延大、ソウル大、みんな同じではありませんか! 先生は独りです。独り。独ドク島の歌を歌うように独りです。 独りで統一教会を整備し、基盤を築かなければなりません。駄目なものは頭を打ってしまいます。荒野で倒れるのと同じように、家庭的な鷲のえさにしなければならない、このような時代だというのに。驚くばかりです。 イスラエル民族は、世界に行くことができる国家を探すために、家庭を捨てました。道の世界は、家庭生活をしなさいと言いません。子供であれ、妻であれ、自分の形をもっていては、けんかのみが生じます。六十万が行く時、モーセの家庭を中心にして行きましたか? 家庭も何もすべて無視して、編成したとおりに、行路を進めて行かなければならなかったのです。 家庭をつくっておいたら問題が起きるのです。「お父さん、お母さん」と言ってです。そうでしょうか、そうではないでしょうか? 家庭を主としたら滅びるのです。子供を抱いていて、おなかがすき、「お父さん、お母さん、ご飯をください」と言ったらどうしますか? 母親は泥棒でもしようとします。いろいろなことが起きたのです。ですから、イスラエル民族をすべて鷲のえさにしたのです。 すべてを否定しなければならない すべてのことを否定しなければなりません。氏族圏を否定して、お父さんを否定して、妻を否定して、息子・娘を否定しなければ、荒野を越えることができません。荒野はサタンが支配する天地です。 ですから、建国思想を中心にして、イスラエルの国を中心にしてカナンの七族が豊かに生活するところへ、乞食の一団が入っていって、物ごいしながら食べなければなりません。そうして、子供たちに食べさせながら、涙を流して、「おまえたちは、この国で暮らす民族の姿と同じになってはいけない」と言いながら、神様に従って行かなければならないのです。「私たちは違うのだ」と言うのです。 受難の路程を通過し、還故郷したのですが、まだ億千万の恨みを抱いて、解放されない怨恨があるということを知らなければなりません。国を探して解放されなければならないのです。神様が望まれる国、二支派を中心として全部分けられたアラブ圏まで一つの国にすることができなければ、自己の城(国)をつくることができなければ、世界に行くことができないのです。はっきりと知りなさい。国がないのに、そこで暮らすことができますか? 死んだほうがいいのです。 今日、私たち統一教会は、個人的四十年路程で、国を探す路程ではありません。国を中心としてイエスが失ってしまった世界を探すのです。 イエスは祝福を与えるために来たのではありません。家庭を率いて荒野四十年を立てるのです。では、カナンの地はどこでしょうか? この地球星です。自分の一族を率いることができなければ、生き残ることができないのです。何のことか分かりますか? 自分自体が引っかかってもいけないし、自分の父母が引っかかってもいけないし、一族が一つにならなければなりません。 それで、祝福家庭が何ですか? 百六十家庭、百八十家庭でしょう。一族が一つにならなくてはなりません。針に糸を通すときは、糸がバラバラになっていては駄目なのです。 すべての一族を裂いて、祭物として捧げなければなりません。祭物として裂くと、サタン世界に条件を残すことはないのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえ、ここでは物質も神様のものであり、息子も神様のものであり、夫婦も神様のものであり、愛も神様のものなのです。天の前に捧げて入っていかなければならないのです。自己の所有権はあり得ないのです。 そのように生き、そのように行動する人、だれかいますか? 大韓民国に住んでいる祝福家庭は、自分の身内を中心に、私は私のままに、先生が苦労しようと、これでいいと……。見ていなさい。その者の子供たちがどのようになるか。先祖がそのままではいません。逆さまにしてつり上げるのです。 先生に自己の所有観念がありますか? お金を私が着服しますか? 娘・息子を自分のものにしません。お母さん、お父さん、子供、自分のものにしません。ここに、私のもの、私の息子・娘、私の夫婦、私の一族、あり得ません。神様の一族をつくってこそあり得るのです。中心がないのに、枝がどうしてあるのですか? はっきりと知らなければなりません。 先生は先生自身に無慈悲です。自身に無慈悲な代表です。楽な位置に立とうとしません。最も苦労の道を通過し、難しい道を通過しなければ、サタンから逃げられないようになっているのです。逃げるためには、難しい道を行くしかありません。 神様は絶対信仰をもってつくったのです。神様が「する」と言ったらできないことがありません。絶対信仰の上に絶対愛を探そうとされたのです。友達同士が会えば、こう言うでしょう。「信じていますか? 愛するのか?」。夫婦でもそうではないですか。「どれくらい私を信じていますか?」。永遠なる神様の信仰的理想があれば、その理想の峠を越え帰ってきて、私を信じますかと言うのです。 全体を包括して、第二の出発、新しい結婚の門を開いて入らなければならないのです。ここでは一人ではありません。個人は反対に入らなければなりません。体が自分勝手にしたので、反対の立場で行かなければなりません。妻、夫、主体はどちらですか? 為に生きる者が主体になるのです。 これは宿題ではありません。宿命的なことです。ここで落第するようになれば、学校に行けないのです。体が幼稚園で落第すれば、学校に行けません。家庭としても行けず、国民の役割もできないというのです。家庭を中心にして一つになれなくては、家庭を代表したどんな国民だと言うこともできないのです。 私たちの国がありますか、ありませんか? (「ありません」)。国もなく暮らしますか? 自分たちの国を探すことができますか? 国が自分の国ではなくて、神の国にならなければなりません。そうではありませんか? それが原理です。ですから、千辛万苦、ご父母様は、この地上で孝者、忠臣の、だれよりも先頭に立とうとするのです。寝ても覚めても、寝ながら夢の中でも、そのような話をして生きているのです。 祝福家庭から再教育 世話をかける人は主体になれません。中心存在は責任をもって世話をしなければなりません。私は統一教会で世話になりませんでした。 先生の前で不平を言う人は、先生がそのままにしておきません。なぜ、こんなにうるさく言うのでしょうか? うるさく言わなければならないのです。ここで話すことは、霊界での審判基準です。それで、天国と地獄が分けられるのです。統一教会の先生が行く道と、皆さんが行く道が分かれるのです。それを嫌だとは言えないのです。原理がそのようになっています。そこで分かれて二つの組になったので、サタンの組が残るのです。霊界に天国に入る待合室があるのと同じように、統一教会の祝福待合室が生まれるようになっています。それを知らなければなりません。 あなたたち! すべて、思いのままに食べ、思い通りに寝て、思い通りに遊んでいるというのです。目が黒々として元気な生きているご父母様がいます。それで、天と通じると思いますか? 通じません。 だから、祝福家庭から再度教育するのです。新しく入ってくる者は何も知らないので、ご父母様の国を中心にして、韓国で教育するのです。お父さんがだれなのかを知らなければなりません。十四日間、四十日の代わりに教育しなさいというのです。時間を全く同じに組んで教育するのです。 それを済州島でするのです。陸地には来れません。島国、地帰島です。地帰島とは日本をいう言葉です。漢拏山はエバの山です。雨が降ればみんな浸透してしまいます。白頭山は男です。水があふれます。反対です。それで、先生は時間があれば済州島に行くのです。済州島に行って精誠を尽くしました。統一教会、国を代表するようにつくり上げたら、済州島を最も良くつくります。土地も買っています。すべての統一教会の陸地にいる人たちは、島国へ投入しなければなりません。復帰です。大韓民国で、忠臣を流刑にしていた島ではありませんか? 歴史を否定することはできません。済州島を回って帰って来なければなりません。 済州島といえば祭事を捧げる祭事場です。渡っていった世界です。復帰された世界という意味です。州は町という意味です。渡って何を探すかといえば、エバです。 神様が陸地を捨てて島国を探しにいって、再び帰ってくるのです。だから、島を中心にして一生の間私が苦しんだのです。今や終わる時が来ました。 魚を捕まえることがかわいそうでしたが、今や、捕まえる時ではないのです。ぴんぴん跳ねて血を流すようにすれば、昔はとても楽しく、サタン世界を打ちとらなければならない、と思っていたのですが、今は標準化時代が来ました。それで、アラスカのような所に行くと、ハリバットのように何百ポンドにもなるものを捕まえます。どれほど楽しいでしょうか。跳ねる音が十里以上聞こえるのです。山が鳴ります。サタンの滅亡を探究すると言いながら、興味深かったのです。しかし、今は標準化時代になりました。 先生はどうすることもできません。見ればだれを考えるのかといえば、自分の息子・娘です。今まで統一教会の後孫たちを苦労させてきましたが、今や苦労させなくてもいい時代が来ました。同情する時が来ました。同情しなければならない時が来たのですが、同情することができる人を同情するのであって、同情をすることができない人を同情すれば、神様の位置を汚すことになるのです。 それこそ、エリヤが「私だけが残った」という立場です。北朝が分離された位置で、統一された世界において「私だけが残りました」という、まさにそんな立場です。独り残った神様自身が、創世前から理想としていたものを中心に歩んでこられました。その神様を慰労してさしあげるのです。 自分が悔しくて無念なすべてのことを蕩減する時、神様を慰労しなければならず、神様の位置を支えてあげなければならないのです。 それで天地父母、何ですか? (「天宙安息圏宣布」)。何の宣布? (「安息圏」)。安息圏とは何ですか? 家です。平安の「安」の字は何ですか? 女です。お母さんの代わりです。吸う「息」は、自由の心が吸う、という息の字です。思いのままに平安に生きることができる妻を抱いて、平安に生きることができる家を探すのが、神様の復帰歴史なのです。 先生がどれほど考えれば、そのようなことを考えることができるのでしょうか? 「天」という字は二人の人です。「義」の字は、羊を中心にした我です。義人もそうです。すべて羊のような私、犠牲になる自分、ということです。 自分を考えてみなさい。これからどこへ行くのですか? 三十八度線を中心にして分かれているのです。捕虜収容所があった巨済島を知っているでしょう。巨済島の捕虜収容所と同じような門が開いたならば、どこに行くのですか? サタン世界は黄金万能時代です。太鼓をたたき、歌を歌い、金を使います。神様の復帰摂理において、すべて取られ、すべてなくなってしまいました。荒廃した所から建国しなければなりません。聖殿建設を自分の手でしなくてはなりません。 父母様が愛した基準、祖先が慕ってきた解放された神様、イスラエルのように選択された選民になって、神様に侍ることができるその位置を探さなければなりません。荒廃した所から涙と共に、死なずに探しに来たことがありがたいのです。その内的心情をもち、探しに来て、帰らせるようにしてくれた天の前に負債を返さなければならないのです。倒れた聖殿を建築し、国を建国する時が来たというのです。 ですから、私が七十日の間ここにいたのです。本来、三十日で行こうとしたのですが、六十九日になりました。七十日をきちんと満たし、お母様は四月の一日、講演があります。日にちが一日あります。そうして、だれよりも私が苦労してきたのです。 あなたたち! すべて天の息子・娘だといって、エバ国家を守護するために送ったのに、自分勝手にしてしまいました。 今や先生の責任は全部果たしました。韓国で「訓読大会」をしてあげました。日本で「訓読大会」をしてあげました。アメリカで「訓読大会」をしたら、先生は解放ではないですか。何日までしますか? 四月の何日まで? (「十六日までです」)。四月十七日は何の日ですか? (「復活祭です」)。復活祭です。深刻です。今からはすべて歴史を教えなければなりません。建国理念を求める統一の群れとしては、建国理念がどうなっているのか再び知って、おじいさん、お父さんお母さん、自分たち夫婦三代が合わさって、建国の伝統を立てなければなりません。建国の伝統をなくしてしまいました。 アメリカもそうでしょう。新教、旧教が今からは先生についてくることができません。その限界線まですべてなし、先生は退きました。私の責任を果たせなかったということはできません。南北米の新教、旧教を連合するためにすべてなしました。これから韓国はウルグアイを中心にして南米と連結しなければなりません。 歴史的なすべての摂理というのは、神様の対象圏をいつも主体の前に合わせるようにしました。三十三人を中心にして七百八十名をすべてもちました。三十三人はイエスまで入れて三十四人です。韓国も三十三人が神様を中心にしてみると三十四数なのです。 このようなすべてのことを知らなければ摂理を成し遂げられません。復帰摂理は蕩減復帰です。その模様が同じでなければ駄目なのです。手の平もこのように見れば手は手です。堕落したのでこのようになりました。引っ繰り返して打ち込まなければなりません。それゆえ、南北は同じでなければなりません。 神様の代わりに、食べて、寝て、行って、来る ご飯を食べる前にスプーンが言います。膳が言うのです。「体と心が一つになったのですか?」。一つになったことを何で証明しますか? 蕩減の道を行くのです。この国、この地上で、最も難しい道を行くのです。ご飯を食べるべき人間が、ご飯を否定するのです。最も難しい道でしょう。眠るべきなのに、睡眠を否定するのです。愛することができる愛を否定するのです。自分の生活全部を「無」にするのです。 人は、食べて、寝て、行って、来て、です。何のことか分かりますか? 食べて、寝て、行って、来て、これが人生です。何のために行くのか? 国のために行くのか、自分のために行くのか? 来るのも何のためか? 自分のためにしたのか、神様のためにしたのか? 簡単だというのです。寝ることもそうです。食べることもそうです。食べて、寝て、何ですか? (「行って、来て」)。人生がすべて入るのです。 あなたたちはそのような約束、そのような条件を立てて、今まで自己を整備してきましたか? 何のために寝るのですか? 何のために食べるのですか? 神様の代わりに寝て、神様の代わりに食べ、神様の代わりに行ったり、来たり、するのです。人生はすべてここに集約されるのです。自分を中心にしてはいけないのです。 自分が眠くなったといって、眠ることはできません。おなかがすいたといって、ご飯があるからと食べることができません。神様は人類を考えているのです。父母が息子よりもいいものを着てはいけません。よく食べてはいけないのです。そのような父母に侍る娘・息子は、自分もその伝統を受け継いで、十人いれば十人が「食べません。お父さん、お母さんが先に食べなければなりません」と、このように言わなければならないのです。子供とはそういうものです。そのような伝統を立てることができなかったのです。 先生の息子・娘を先生が教育しましたか? できませんでしたか? 一つもできませんでした。あなたたちはカインです。弟たちを愛さなければなりません。長子権復帰としては、カインが弟を、自分のお父さんよりも、お母さんよりも、サタン側の何よりも、愛さなくてはならないのです。そのようにしましたか? 統一家の世界的な三十六家庭は、自分の息子・娘を愛し、先生の息子・娘は死ぬなら死ね、そのようになっていますか? そのように処断して、そのように行動したすべての責任は、だれが取るのですか? 先生がすべてその責任を取り、先生の息子・娘がその責任を取らなければなりません。 先生は一生の間、十字架を背負っていくのですが、家庭のために祝福を与えて、受難の道を、国の荷物をもって責任を取るのです。息子・娘まで、すべてこのために乞食にしなければならず、再び息子を引っ張って入って、再びこのカインを送って、再び救ってあげなければならない環境に落ちていくのは、だれのためなのですか? あなたたちのように生きては駄目です。それで、私が話をできません。しかることができません。あなたたちの責任です! すべてめちゃくちゃです! 原理の通りに、すべてぴったりと合います。三億六千万双が問題ではありません。三十六億をしたとしても、しなければならない責任があることを知らなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。 あなたたちが二世ならば全部、家庭的十字架を負わなければなりません。イエスは個人的十字架を負いましたが、あなたたちの一族のお母さん、お父さん三代が全部、十字架を背負わなければならないのです。 「私の思いではなく、お父様の御旨の通りにしてください」と言うことができる家庭を抱いて、越えていかなければならないのです。そのことを知らなくてはなりません。先生もそうです。「私の思い」はありません。そのような道を行こうとしたならば、空気を吸うことが恥ずかしく、水を飲むのが恥ずかしく、物を食べるのが恥ずかしく、草木を見るのが恥ずかしいのです。心がそのようになるのです。恥ずかしい位置に立つことができないので、この道を来たのです。 私のお父さん、お母さんが抱きしめて、「行くな! と慟哭していたのを、足で振り切ってきた人です。一族に対してもそうです。先生が聖進のお母さんと聖進を餓死するほどにして、天に従ってきたのです。米一粒もなく、他郷の地で同情してくれる親戚もないのに、独り、独り……。天の国の王圏を探し求める人は、寂しい位置から出発するのです。七年の歳月を涙と共に過ごしたのです。そんな道、蕩減の道を経てきたのです。 先生がそのようなことをしたならば、あなたたちはその何十倍、何百倍、しなくてはならないのです。そのことを知っていますか? 毎日のようにあなたたちの目は、何を見ようとするのですか? 目は二つになっています。サタン的な目、鼻、口、五官すべてがみんなそうなっています。体と心が一つにならなければ駄目です。絶対的に一つにならなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。霊界に行ってみなさい。先生がどうして教えないでいられるでしょうか? その目は、ために見なければなりません。自分のために見るのではありません。相対のために見るのです。生まれたこと自体が相対のためなのです。鼻もにおいをかぐのは、自分の鼻のにおいをかぐためではありません。愛の相対のにおいをかぐためのものです。その目は愛の相対のために、千年、万年、見ることが嫌ではないのです。その鼻が千年、万年、かいでも嫌ではありません。耳で聞いても嫌ではありません。話すのにどんなに話しても嫌ではありません。どんなに触っても嫌ではないのです。 今、そうではありません。あなたたちはそうでなければなりません。批判を受けなければなりません。開拓時代において、中高等学生が帽子をかぶって開拓に出て、十里、二十里行っても食口がいないので、食口に会うために四十里の道を二十里、二十里行き、中間で会って、涙を流し、祈祷し、自分の兄弟よりも食口たちと、そのように結んできたのが統一教会の歴史です。それ以上行かなければならないのです。 成約時代の安着 出家をしなければなりません。そうでなければ独身生活をしなければなりません。それゆえ、体と心を一つにしなければなりません。真の父母が結婚できなかったのに、自分がどうして結婚することができますか? そうでしょう? 堕落した、よくもない者たちがです。はっきりと知りなさい。(「はい」)。 成約時代を一九九二年に発表しましたが、それは蕩減です。先生が蕩減するのではありません。世界国家をかけて世界の十字架を負う時なのです。お母様を立てて祝福しなければならないでしょう。解放圏をもたなければならないでしょう。そうではありませんか? 九二年に入って、お母様が先生の横に立ったのです。ここからお母様を立てるのです。お母様が同じ立場に立つのです。ここには蕩減の公式があるのです。家庭を越え、氏族を越え、世界を越えなければなりません。今はそんな時です。「訓読会」が最後です。 皆さん、何千万双の教育をどうしますか? 教育できませんか? 「訓読会」をするのです。本を分けてあげるのです。『真の父母』と『祝福と理想家庭』、その次に『南北統一』、『南北統一』に全体の内容がすべて入っています。この「南北統一」という言葉を見て、「この国の主権者たちが、この『南北統一』を読んですれば、すでに統一されているのに、文総裁を理解できずにいるこの国は、どうなるのだろうか?」と嘆きながら私に話す人が多いのです。 深刻なのです。そのような時になり大転換時期に入ったのです。否定することができないでしょう。成約時代、九二、九三、九四、九五、九六、九七、九八年です。七年路程です。それゆえ、先生がそのような家庭的蕩減の道を開拓してきたのです。今からは家庭的定着時代です。成約時代の完成がなるのです。分かりましたか? 成約時代を発表したのが九二年でしょう。(「九三年です」)。六数、七数を掲げて越えるのです。 そして、成約時代の安着です。これをするようになれば、伝統を譲り渡さなければならないでしょう。ご父母様の伝統。分かりますか? 伝統の歴史が残らなければなりません。ご父母様の歴史です。それで、息子・娘は父母の歴史と伝統に従って行ってこそ、初めて天国に行き、理想世界へと越えていくのです。脇道に行けば、地獄に行くのです。一つしかありません。今、全世界の祝福家庭を収拾できる人は、先生一人しかいないではないですか? そうですか、そうではありませんか? (「その通りです」)。 それで、このすべての家庭の塀を完全に壊してしまいました。万国解放です。平準化。サタンが定着できる地上の基盤がなくなるのです。それで、十二の峠を越えなければならないのです。世界的三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、三六〇万家庭です。十二峠です。天がどれくらい忙しいですか? 五月まで全部しようとした三六〇〇万双をやってしまいました。頂上から、川ではなく滝の水のように落ちて下ってきたのです。そのように忙しいのです。 神様が全権行使して、七千万の祝福基準を越えるのです。エリヤを中心としてバアルに屈しなかった七千余の群れです。これを復帰するために、洗礼ヨハネを中心とした七千の群れがイエスに侍ったならば、イエスは滅びませんでした。 アメリカにおいて先生が監獄に入って、七千の牧師たちを韓国に連れていき、接ぎ木しておいたのです。アメリカが韓国を捨てたならば、アメリカは身ぐるみはがされるのです。祝福家庭がサタン世界で七千万祝福を越えたのです。今、私たちの時代が来ました。 エリヤが「私だけ残りました」と言うようなものではありません。分かりましたか? 孤独で嘆息していた祈祷ではありません。「時が来ました。お父様、お出ましになってください。従っていきます。どんなに困難だとしても私は行きます。歩いて大洋を行きます。飛行機ででも飛んでいきます」と言って飛んでいくのです。そのみ業を今しているのです。はっきりと、気をしっかりともちなさいというのです。今までの姿勢では駄目です! 皮を何枚も脱がなければなりません。個人の皮、家庭の皮です。自分は国を愛しましたか? 国を思いましたか? どうですか? 祭物には最もよいものを喜んで捧げる アブラハムが失敗したのを失敗を清算するために、イサクを祭物として捧げたでしょう。同じです。公式は間違いありません。その公式の通りにすれば、サタンは讒訴できません。 祭司長も祭壇を置いて自分の欲心のままにすれば、その祭物は汚れるのです。自分の欲心なく、最もよいものを捧げて喜ばなければなりません。そうしてこそ、初めて全部落が生き、国が生きるのです。喜びながら捧げなければならないのです。もったいないとけちけちし、出し渋れば、その者の手が吹っ飛び、体は飛んでいってしまうのです。 祭物は三代です。信仰の子女、三子女を強調しなかったのは、一八〇〇家庭以後です。なぜでしょうか? これは世界時代へと越えていくのです。それがどこで必要なのかといえば、一つの家庭で繰り広げられるのです。今、あなたたちの祖父、父、あなたたちは、天使長の後身です。信仰の息子・娘を自分の一族から立てるのです。そのような時が来ます。それゆえ、信仰の子女を強調しませんでした。 家庭祝福時代において、祖父が祭物となり、母親、父親が祭物になっても完成できなかったのです。その完成は孫がしたので、孫の前に犠牲になるのです。それで、祖父が孫になり、父親が息子になり、兄が弟になるのです。三代が全部息子に敬礼しなさいというのです。 ですから、家庭的メシヤ、氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう。その蕩減路程を中心として、信仰の三子女も、天使長圈の世界を家庭で踏み越えるのです。先生がそのようにしたのか、しなかったのか見なさい。信仰の三子女が絶対に必要なのが、今は家庭的定着時代に入ったので、逆さまです。外的なものではありません。外的な三子女を縦的に立てるのです。そうして初めて、堕落圈全体、旧約時代、新約時代、成約時代へと越えることができるのです。これを乗り越えてこそ、息子が初めて復活して、天の国に連結されて入ります。 家庭的三兄弟、信仰の息子・娘を立てなければなりません。祖父が孫になり、父親が何にならなければならないと言いましたか? (「息子です」)。兄が何になりますか? (「弟です」)。それゆえ、長子権復帰、父母権復帰、主権復帰です。祖父は神様の代身でしょう。父親は世の中の代身でしょう。兄はサタン世界のカインの代身でしょう。 今、自分を中心としてこの三つを立てて、否定してしまわなければなりません。そうして初めて、本然の心情的基準の前に、蕩減が必要ない定着地へと定着するのです。それが御旨の道です。それゆえ、信仰の三子女を強調しませんでした。信仰の三子女を強調すれば、今、祝福してあげられるでしょうか? どうですか? あげられないでしょう? (「はい」)。 御言はただ通り過ぎていくものではない、御言は憲法と同じ きみたちは分かったでしょうか、夢にでも考えましたか? 三十六家庭を祝福してあげる時、その祝福式は蕩減摂理だったのです。三十年が過ぎて、最近になって目を開けています。あぜんとするでしょう。先生がそれをせずに死んだりすれば、どのようになりますか? 御言をこのようにすべて語っていなかったなら、どのようになりますか? あなたたち! 御言はただ通り過ぎていくものではありません。公判廷の証言です。憲法の条件と同じです。ここに一致したか、しなかったか、絶対的、相対的自分自身を確定したのか、できなかったのか、という審判過程を通過するのです。ためらうことなく、全部「訓読会」に行って聞きたがらなければなりません。自分の解放圈が繰り広げられるのです。そこに引っかかるものがあれば、どれくらい恐ろしいですか? 「訓読会」がご飯を食べることよりもおいしく、遊ぶことよりもおもしろいのです。 ですから、今回祝福の後、九巻まで読みました。そうでしょう。(「はい」)。私は飛行機で来ながら十二巻をすべて読みました。一時間前まで読んで、出てきました。復帰路程です。そのように考えるのです。時間さえあれば読みました。 自分の故郷を訪ねていき、故郷の道を訪ねていくのです。故郷を訪ねる地図です。ここで宝島を訪ねていく地図を持っていれば、ありとあらゆる生死を懸けて闘争する、そのような問題ではありません。それが地図です。故郷に落ちつくことのできる版図です。あなたたち、このように考えてみましたか? あなたたち! 勉強がどうして必要ですか! 梨花女子大学も、ソウル大学も全部、統一教会をなくそうと反対しました。それを訪ねていった母さん、父さんたち、子供がよくなりましたか? 母さん、父さんがその子供の腹を蹴飛ばす立場に立つようになるのです。分かりましたか、郭錠煥! (「はい! )。全員転校するのです。今、救ってあげる方法です。どこへ転校させますか? (「鮮文大学です」)。 それで理事長を命じました。女性の総長を命じました。お母様の代身として侍りなさいというのです。男性も、女性も、お父様の代身、お母様の代身として侍りなさいというのです。「統一教会の鮮文大学の理事長は、どうやってするのか? 女性の総長がどうやってやるのか?」。それが関心事です。先生のみ意の通りにするのです。そのようにしていますか、していませんか? (「しています」)。 自分勝手にするのではありません。それで、理事長を任命してあらかじめ、「このようにしなさい」と言ったのに、その間何をしましたか? ただ切ってしまえば、全部霊界に行って引っかかるのです。先生が南米に連れていくと言いましたが、準備していますか? (「はい」)。「どの飛行場に何時に出てきなさい」と、三十分前に私が連絡するかもしれません。そのような準備をしましたか? (「しました」)。 先生が学校を任せる時、「どのような指示にも従います。三十分以内に実践します」と、そのような決心をしなかったではないですか! (「はい」)。先生はかかしではありません。大学で何をしていますか? 滅んでいくこの国に、南北統一することのできる勇士を育てるのです。大学はいくらでも、たくさんあります。分かりましたか? ここで大学に通う人、手を挙げてみなさい。転校です。分かりましたか? (「卒業しました」)。何ですか? (「ここにいる者はみな卒業した」)。大学生はいませんか? (「数名います」)。統一教会から今後、鮮文大学に入るのは簡単ではありません。先生があらかじめ看板を付けています。すべての若者が夢で願う、鮮文大学とブリッジポート大学になっています。 ブリッジポートというのは、ぴったりと摂理的な言葉です。ブリッジポートとは何ですか? 橋を架けた港です。また、鮮文大学とは何ですか? 「鮮」の字は海と陸地です。それゆえ、今まで先生が海で二十五年船に乗りました。五時に起きて、十二時、一時、二時まで船に乗りました。あなたたち、「五十年船に乗りなさい」と言えば乗りますか? 博士の学位をもらった者たちを連れていって、船に乗せようと思います。 今は時が来たのです。私が海から陸地に上がる時ではないですか? エバが、島国が陸地に上がる時、地帰島に上がってくるのです。それで、地帰島を買いました。日本を連結させようとするのが地帰島です。それゆえ、日本に対する摂理的願いは、常に重要なことは済州島に行って話をしてきたのです。そのようなことを知っていますか? 修練会も済州島に行ってしたのです。 純潔の伝統を立てる 純潔大学です。単科大学をつくるのです。家庭科から全部つくって、それから、男女純潔大学にならなければならないのです。女性を立てて復帰するのです。堕落は何ですか? 天使長がエバをそそのかしたでしょう。純潔大学の出発とともに各学科をつくって、男性も編入させるのです。では、あなたたち男性は純潔の女性と結婚しますか、堕落した女性と結婚しますか? 世界の名門学校になるのです。長官、その国の学者、その国のあらゆる有名な人が、純潔大学の女性を嫁にしようとし、男性を婿にしようとするのです。分かりますか? 純潔大学は三年以内にするのです。これを女性大学総長を中心として動かします。十の大学ですか? その大学を中心として、いっぺんに四学年をつくるのです。何のことか分かりますか? 一年生は初め鮮文大学にしておき、それから女性大学の名前を付けて、二年生、三年生、四年生と、まだ純潔な人がいれば、一つの総合大学をつくって、ソウル大学から編入させるとか、延世大学から編入させるとか、梨花女子大学から編入させるとか、そこから純潔大学二年生、三年生、四年生を編入させて、まとめておくことができるのです。卒業するときは、鮮文大学の卒業証書をあげるのです。何のことか分かりますか? 忙しいというのです。女性たちはそのようにしなければなりません。 最近高校生たちが、ことさら実業高校の学生たちが、なぜリュックサックを背負って通っているか分かりますか? 自分の生活の道具を入れているのです。実業女子高校に通う子たちは、靴も服も入れて通います。学校をさっと出て、靴を履き替え、服を着替えて、どこに行くか分かりますか? 歓楽街に行くのです。家で母親、父親に、お金をくれというのは簡単ではないのです。 だれかから、そのようなブームが起こるのです。梨花女子大学、女子大学のお姉さんについて回るのです。ついて回って紹介され、その遊びをして、全部そのようなありさまになったのです。それが今問題になっています。梨花女子大学は見るべきものもありません。ですから、純潔の女性を探すことは、金脈を見つけることよりも難しいのです。サタンが、このようにして滅ぼしてしまったのです。 では、先生はそれを見て、じっとしていなければなりませんか、すべて手術しなければなりませんか? (「手術しなければなりません」)。手術するのに、どこを手術しなければなりませんか? 下部手術です。だれがこれに責任をもちますか? 文教部も今大騒ぎです。京畿高等学校も大騒ぎです。そこで、純潔の看板を公式化させようというのです。大学、中・高等学校、私たちの仙和学校に、そのような看板をつけようというのです。 この子供たちが煙草を吸うことがあれば、きっちりとその学校の生徒たちが処理しなければなりません。この運動をしなければなりません。酒を飲むことがあれば、道端に行って、二人の友達が呼んで責めるのです。二人が一人、三人が一人を処理するのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。この大学で煙草の箱をもって回る学生は、さっさと退学です。それをしなければなりませんか、すべきではありませんか? (「しなければなりません」)。 祝福を受けた者たちが、その先発の旗手にならなければなりません。純潔の伝統を立てて、純潔の兵士として、天地の前に英雄として出動しなければなりません。純潔を守る男性・女性にならなければならないのです。そのようになればこの道を行かざるを得ません。世界はそのように行くことが分かるのです。純潔単科大学を三年内に、お金があればきちんと建てられます。 私は、天安に純潔大学を建てようと考えています。博物館をつくった所に、今後、純潔大学を建てようと思います。女性大学をつくって、三年になったなら、純潔の女性で大学に入学させたい人は、入ってきなさいと言うのです。女性は、純潔かどうか、医者が鑑定すれば即刻分かりますが、男性は分かりません。ですから、女性から純潔大学に入学しなければなりませんか、男性から入学しなければなりませんか? 「女性から入学しなければなりません」)。女性から入学しなければならないのです。 すべてを捨てて先生に従う このようにして原理の御言を知るようになれば、事実をありのままに話すようになっています。終末になれば事実をありのままに話すのです。 「父母」も主体の文字が先に来ています。「夫婦」も、「兄弟」もそうなっています。ところが、「左右」は右左にならなければならないのに、間違っています。逆になっているのです。 左右が分かれたので、前後も分かれるのです。ですから、闘いが起こるのです。次には、「赤白」です。白的にならなければならないのに、赤的になりました。「白黒」にならなければならないのに、「黒白」になりました。これはサタン世界の主流です。良心が告白するのです。「私は右側です」と言って、初めて神様の前に立つのです。アベルがいなくてはカインが立つ場がなく、カインがなくてはアベルが立つ場がありません。それゆえ、左側を右側にしようとするのが復帰です。投入して忘れ、自然屈服させ、長子権復帰して、「左右」が「右左」になるのです。赤的が白的になるのです。 事実をありのままに話さなければなりません。事実をありのままに話さなければ神様の前に立てません。あなたたちも事実をありのままに話さなければなりません。自分が統一教会のどのような者なのか、すべて自分が分かるでしょう? 二世、自分がすべて分かりますか、分かりませんか? 良心はだませません。すべて知っているというのです。自分が自分のことをすべて分かるでしょう? 悪いことをするとき良心が默っていますか、忠告しますか? 忠告するでしょう? (「はい」)。体が良心に忠告しなければなりません。「この良心! 自分はいいことをしなければならないのに、なぜ、善いことをしなさいと、しきりに忠告できないのか」と反対に考えなければなりません。善いこととは何ですか? 体を打つことでしょう? そうではありませんか? 善いことが何かと言えば、サタン側を打つことです。体を打つことです。 食べて、寝て、その次には、来て、行って。来て、行くのは、学校に通うのは、だれのためですか? 自分の相対を見つけるためのものであり、国を求めるためのものです。相対がいなければ国がありません。相対を求め、家庭を求め、国を求めるために、行くのです。相対に先立って家庭が必要であり、家庭に先立って国が必要なのです。家庭を犠牲にして国を求めるという、そのような心をもっていますか? もっていないではないですか。 私はお母様の教育をそのようにしました。女性は最後まで教育しなければなりません。教育するのですが、条件に引っかからないように常に注意しなければなりません。一つ、二つ、三つは、常に(自分が妻よりも)優れているという立場に立たなければなりません。それゆえ、いいかげんに生きることはできません。 夫も他人です。一歩間違えば、サタン側の夫になるのです。父親も一歩間違えば、他人の父親になります。他人の父親が自分の父親、他人の妻が自分の妻、他人の家庭が自分の家庭になるのが簡単ですか? 全部、他人の家庭でしょう。すべて失ってしまったでしょう。自分自身も他人であり、自分の家庭も他人のものであり、一族も全部、サタンのゆえにすべて失ってしまいました。これを取り戻そうとすれば自然屈服しなければなりません。 「すべてを捨てて、真の父母にだけ従っていきます」とならなければならないのです。統一教会はそうなのです。先生が言えば、どこに行ったとしても動こうと考えるでしょう。あなたたちのお母さん、お父さんも、そうですか? そうではありませんか? 原理をあなたたちが賢く覚えて、千回、万回読んだならば、お母さん、お父さんをさっと鑑定して「自分の母親は何点だ」と、点数をあなたたちがつけなければなりません。自分たちの神様はこうでなければならず、自分たちの父母はこうでなければならないということを、子供たちが決定するのです。 あなたたち、「訓読会」を嫌うでしょう。先生は原理を未知から見つけるために身悶えしたのです。あなたたちは原理をすべて体得するために、先生の何倍も苦労しなければならないのです。分かりましたか? (「はい」)。 教育するのです。きょうの朝に、祝福を受けたその伝統を中心として、もう一度分析するのです。世界復帰して天国に入る門を開き、愛の門を開いて、地上天国の解放圏を築くための、そのような祝福家庭であったか、その基準を中心として、どれくらい不足だったのかを知らなければなりません。先生自身も今祈祷しているところなのですが……。 警告するのです。食べて、寝て? (「行って、来て」)。そうなのです。どこに行ったとしても、何のために行くのですか? 世界を取り戻すために、人類を取り戻すために、神様を解放させるために、です。ぴったりと公式がそのようになっています。行って駄目ならば、二倍の努力をしなければなりません。寝るのを削らなければならず、食べることを忘れてしまわなければなりません。世の中をそのように簡単に考えるのです。すべて入るでしょう? 食べて、寝て、行って、来て。ここで解放されなければなりません。六数を踏んで飛翔しなければなりません。 その目もそうです。見るのは、何のために見るのですか? 五官、すべてそうでしょう。行こうとすれば、見なければならず、聞かなければならず、すべてそうではないですか? すべてここにかかっています。ぴったりと公式化されています。 サタンの血統断切 ますます深刻だというのです。それゆえ、サタンの血統断切ということを考えただけでも、「解放の日が来る」と叫び、のどに染み得るその瞬間を見て、倒れても恨みがない、そういう心をもたなければなりません。天がどれくらい願ったことですか? 堕落した人類始祖から、歴代の血を流した救援摂理の道理では、祭物の道を逃れることのできない人類の解放が、そこにあるのです。そのことを考えるとき、万民が、世界人類が、私たちの後孫が、万々歳を叫ぶことのできるその瞬間に向かって、自分が誓いをして、最後の決定的な勝利の旗を揚げることができるよう前進しなければなりません。そのことを考える時、深刻なのです。分かりましたか? あなたたち! 「三六〇万双を祝福したその気迫を緩めてはいけない」と言ったではないですか? 何度頼みしましたか? 緩めてしまえば問題になるのです。復帰の道は延ばすことはできません。頂上へ、頂上へと越えていくのです。峠がありません。峠がないということは、何かといえば谷がないということです。息詰まる復帰の道を延ばしていては、千年延ばしていては、万年延長されるのです。決勝戦に臨む選手においては、息がふさがりそうになれば、息をせずに、十歩、百歩でも走らなければならないのです。そのことを知らなければなりません。そのような時だというのです。 ところが、自分の羽を広げて眠り、関係なくいるならば、その者の家庭がどのようになりますか? 私は無慈悲な人です。 それで、六三年度から狩りに高い山に行って、鹿一組を捕らえて、刃物で心臓を裂きました。なぜこのようなことをしなければなりませんか? 復帰です。それで、狩りが必要なのです。山でしたので、海でもしなければなりません。それゆえ、魚も養殖し、動物も育て、その比準差が変わらないように保護するべき責任があります。ですから、パンタナルとアマゾン川で、魚と動物と一緒に生きるのです。そこに関するものを探査し、今年の「父母の日」を迎えたのです。 一番幸せなのが郭錠煥です。体が半分にしかならない女性を連れて暮らそうというのですから。たまには愚痴をこぼしましたか? (「こぼしました」)。愚痴をこぼしても、郭錠煥は自分の妻を愛していました。統一教会の幹部すべてがにぎにぎしく座っているときに、郭錠煥が、幹部が座っているその次に座ろうとするとき、妻が「退きなさい」と言って夫の前に来て座るのですが、じっと見ると、郭錠煥は喜んでいるのです。 統一教会の郭錠煥にそのような面で賞を与えようと考えています。郭錠煥が妻ゆえに烈男になり賞金をあげるのですが、妻がよくしてくれて賞金をもらうのではありません。それをすべて理解して越えることができ、条件に引っかからず、解放された立場に立っているので賞を与えるのです。 「愚痴をこぼそうとすれば、便所に行きなさい」という話をみな知っているでしょう。夫が忙しくて帰ってくるとき、間違いなく女性たちは、「愚痴をこぼすだろう」と思っているのです。夫が帰ってきて「ああ、忙しい。服を脱がせなさい」と言えば、妻が服を脱がしてあげませんか? そうして、夫が便所に行って約三十分そこにいて帰れば、すべて終わるのです。そのように研究しなければならないのです。戦争が起これば、銃弾を浴びないで済む秘法を学んでおかなければならないではないですか? けんかして利益になるものはありません。 お母様も先生に対して理解できない分野がたくさんあります。「あの人があのようにするときは、間違いなく火のような性格だから……。どうすればあのようになるのか?」と思うのです。一八〇度、他のことをするのです。そのような時は、男性たちがコントロールしなければならないのです。 そして、親は息子・娘に涙を見せてはいけません。涙を見せてはならないのです。涙を見せてその伝統を受ければ、どのようになりますか? どんなに夫婦同士で腹を立てたとしても、朝、息子・娘があいさつをしにくる音さえ聞けば、「だれか来る」と思えば、二人が昔の姿に戻らなければなりません。このような訓練が必要なのです。 ですから、家庭解放をしなければなりません。分かりましたか? 二つの心をもって妻を愛するなというのです。 真のご家庭の囲いとならなければならない祝福家庭 今から何だと言いましたか? 体と心を統一し、それから何ですか? (「夫婦統一です」)。夫婦が一つになり、それから何ですか? (「子女統一です」)。先生は子女教育を一つもできませんでした。 国進が十数歳になって、「お父さんは統一教会の父親ですか、三十六家庭の父親ですか、私たちの父親ですか? このように優れた、賢い息子・娘の父親ではないのですか?」と言ったのです。その通りなのです。「お兄さんが愚かなのですか、だれが愚かなのですか? 顔を見ても、どのような面においても、すべてのことに人に先立つことのできる兄弟たちを、あなたはなぜ愛さないのですか?」と……。とても賢い息子たちです。 彼らをいつ愛したことがありますか? 「統一教会の人たちが、十分の一でも愛していたら、私たちは理解するはずなのに、なぜ、兄弟が涙を流すようにしていたのですか?」と言うのです。それが親がすることなのか、ということです。私は忠告を受けても、言葉なく過ごしていたのが忘れられません。賢い息子たちです。だれよりも冷静に批判します。「自分が父親になればこのようにはしない」と。それで、言った言葉が、「分別をつけなさい。おまえは二十歳に早くなりなさい。お父さんが悪いか、善いか、分かるだろう」。原理が分からないのです。 しかし、この三十六家庭を中心として、先生の家庭の囲いになり、保護しなければならないのに、先生の息子・娘を中心としてどうだこうだと言っているのです。自分たちが堕落して、引きずっていこうとするのです。ありとあらゆることをすべてしているのです。 皆さん自身もそうです。体と心が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つにならなければなりません。先生の息子・娘が引っかかっています。それを一つにして、越えていくことのできる統一家であり、先生から祝福を受けた父子の関係の家庭形態を、新しく氏族を中心として民族を編成することのできる、伝統を引き継ぐことのできる家庭であるということを知らなければなりません。 最近、祈祷するのを見れば、一番最後に仕方なく、イースト・ガーデンにいる先生の子女たちのことを祈祷しています。そのようなものはすべて通じません。本当に愛しているのかというのです。自分の息子・娘よりも、自分の両親よりも、愛したのかというのです。それが公式なのです。 私はあなたたちをだれよりも愛しました。愛しましたか、愛しませんでしたか? 率直に話しなさい。(「愛されました」)。飢えた者の群れが飢え死にしてしまうので、会社をつくり、このように苦労をするのです。来られる主は、会社をつくって、飢えた者の群れを食べさせるために来たのですか? 問題は簡単です。体と心が一つになったのか、ということです。毎日のように鏡を見て、これはだれの目ですか? あなたの目が本当に神様の目に似ましたか、両親の目に似ましたか? 「神様の目に似ました。両親の目に似ました。それゆえ、私の目ができました」と、そのように考えなければならないのです。鼻もそうであり、五官もそうなのです。愛ゆえに生まれたのです。 真の愛で、すべての霊と肉が一つになるのです。真の愛を通して見る目は、地上で霊界をすべて見ることができるのです。自分が行くべき所がすべて分かります。きょう何をしなくてはならないのか、祈祷すれば分かるのです。すでに体が分かるのです。それが習慣になって、(瞬時に反応するアレルギーのように)信仰のアレルギーができます。体が分かるというのです。そうでなければ保護することができません。動物はすべて何の動物であれ、臭いをかいですべて分かるでしょう。大きな獣がいるときは隠れ、小さな獣がいるときは餌食にしようと、寝ていても起きあがるのです。分かって生活するのです。同様に、皆さんもそのことを知らなければなりません。信じるのではありません。分かって、行動するのです。 良心はすべて分かるでしょう。(「はい」)。良心は全部分かるのです。 妻、夫、よく考えなさい。女性が父母を捨て、一族を捨て、自分のところに来て、どれくらいかわいそうですか? おじいさんの代わりに、父親の代わりに、夫の代わりに、兄の代わりに、男性を訪ねてきたのではないですか? ですから、おじいさんの代わりに保護しなければならず、母親、父親の代わりに保護しなければならず、夫の代わりに愛してあげなければならず、兄の代わりに保護してあげなければならないのです。そうではありませんか? 天宙の法、憲法を中心として治める それで、新しい自分の王圈を成立させなければならないのです。エバがなくては王圈は生まれません。絶対必要なのです。最初は体と心。二番目は? (「夫婦です」)。三番目は? (「子女です」)。私ももう家庭に帰って、子供たちをつかんで悔い改めさせなければなりません。それで、法が必要なのです。今まで正式にこのことをできなかったのです。法的にすべてしなければならないのです。 ですから、国を早く建てなければなりません。何のことか分かりますか? 家庭は国が治めなければならないのです。国の法に従っていかなければなりません。そうでしょう。(「はい」)。国の法と国がないので、今まではそうでしたが、国があれば、国の法を中心として治めることができるのです。国の法が生まれれば、国を治めることができるのです。世界も、天上世界の天宙の法、憲法ができれば治めることができるのです。それが原則的だというのです。それゆえ、すべてそれを考えなければなりません。 自分の息子・娘を治めることができなければなりません。祝福家庭の子女で、世の中の結婚をしたすべての人は今後、責任を追及するのです。だれがするのでしょうか? その子供たちがするのです。「お母さん、お父さん! 原理をこのように見たのですか」と言うのです。その孫をどのように愛するつもりですか? 何をもって孫を愛する条件を立てるのですか? そのようなあらゆる問題が生まれます。分かりましたか? 今後、統一教会の神学大学院もそうです。今まで祝福を受けた家庭が、どうしたこうしたと言って「教授になる」と言うのですが、その条件に引っかかった人は教授になってはなりません。今からそのような整備をしていかなければなりません。後で問題になります。デモするのです。 そして、あなたたちもそうです。今後、鮮文大学を経なければ、難しくなるのです。見ていなさいというのです。「大学を出た」という話をするでしょうが、すべて何の学科であれ、否定してしまうのです。私たちの事業分野に入っていれば、引き抜いてしまいます。先生の息子・娘が大学院に行くというのを、行くなというのです。それが間違っていますか? どうですか? 伝統を知らず、上下を知らず、反対に回れば、罪になるのです。 尹博士にも「今、父親を伝道しなさい」と言ったでしょう。祝福を受けさせなさい。何回言いましたか。そのご老人が、私と何の関係があるというのですか? そうしてこそ、尹博士が学校を辞めたとしても、全部抱くことのできる解消の方法があるのです。自分の父親が鮮文大学の総長であっても、自分の兄、自分の一家は、鮮文大学に行ったり来たりしなかったですか? 氏族メシヤにならなければならない さあ、分かりましたか? (「はい」)。すべて体と心が一つになり、次に夫婦が一つになり、次に子女が一つになるのです。そうでなければ、どこに出ることもできないのです。そのような面で、二世の立場がどれほど恐ろしい立場ですか? 新しい時代へと入っていくのです。きょうは特別な日です。何の日かといえば、三十九回です。きょうが過ぎれば、年数で四十数に移っていくのです。この二年間に勝敗を競わなければなりません。どのようなことでもしなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。そして今回、訓読会をすればすべて分かるのです。 私は息子として北韓に行って、母親の墓に行きました。その時、姉が慟哭し、妹が慟哭したのです。「お母さんが恋しがっていた、お兄さん、弟が帰ってきました……」。断腸の思いです。そこで涙を流してはなりません。「私はここに来たのではありません。お父さん、お母さんのお墓参りに来たのではありません。私が国王の姿を備え帰ってきて、墓参りする時は、国が侍り得るその道を築いて来ます」と言ったのです。その約束のゆえに、北韓を捨てません。 郭錠煥も今後、氏族的メシヤにならなければなりません。(「はい」)。郭氏を全部一か所に追い込まなければなりません。宗親連合をつくらなかったのですか? 入籍する場合は、七代です。これが氏族です。これは絶対的です。入籍をしなければなりません。入籍する国がありません。大韓民国を南北統一させることのできる、周辺、後続処置を強化しなければなりません。 家庭を中心として恥じない家庭をつくりなさいというのです。 今年の標語を完成しなければなりません! 分かりましたか? (「はい」)。昔のそれの十倍です。簡単です。環境的世界のどこであれ、祝福する伝統ができているので、どのようなことをしたとしても反対しません。 そして、今後、聖酒式を中心として、重生式、復活式、それから何ですか? (「永生式です」)。今後、道をふさぎ、高速道路をふさぎ、車のある所で全部やるのです。国で新聞に広告を載せて、道をふさぎ、「キャンディーを食べて行きなさい」と言って分けてあげるのです。そうして、一人も漏らさないように、町内までもそのようなキャンディーを持っていって与えて、赤ちゃんに食べさせなさい。そのようになれば、健康になりありとあらゆる奇跡が起こるのです。奇跡が起こるのです。今、そのようなことを始めるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.29
コメント(0)
真の父母1998年3月10日リトルエンジェルス芸術会館 ソウルで「世界化時代に向かう指導者大会」が開かれ、その席上、真のお母様が「文鮮明先生み言主題別精選」第10巻の『真の父母』から抜粋したみ言「真の父母」を訓読されました。その「真の父母」を翻訳、整理したものです。 私たち統一教会員が日ごろ使う言葉のなかで、「真の父母」という言葉があります。この言葉は、世界のどこの図書館を探しても見当たりません。「真の父母」という言葉は、簡単で易しい言葉のようですが、驚くべき内容が秘められています。 人類の先祖が堕落したとすれば、その堕落した父母は悪の父母、偽りの父母であり、堕落していない父母は善なる父母、真の父母であるということを、キリスト教二千年間の歴史を経るなかで、知ることができたはずです。しかし、それを今まで悟ることができなかったのです。それを究明し、発表できるこの時を待ってきたのです。 過去の歴史時代において、「真の父母」ということを考えた人はいたかもしれませんが、その背後がどのようなものであったかということまでは、解くすべがなかったのです。統一教会の膨大な原理が明かされる前には、それを明確に解くことができなかったので、だれも「真の父母」という言葉を使うことができませんでした。 私たちが知っている統一教会の歴史観、また、人類の本然的な根源に関することを明らかにしたということは、驚くべき事実です。 「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、人類始祖の堕落が不倫な愛によるものであったことが明らかになりました。このような堕落によって、神様が創造理想として打ち立てようとされた真の父母と、関係ない血統的な因縁を残したのです。すなわち、誤った血筋を受け継ぐようになったのです。 それゆえ、人類始祖から歴史上、すべての人間が誤った血統の中で生きてきたことを清算して、神様を中心として、新しい本然の根となる、愛と生命と血統がつながることを意味する言葉が「真の父母」です。これは本当に驚くべき言葉です。 「真」とは この天地間に、真なるかたがいるとするならば、そのかたはどなたでしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日、韓国語で言えば「お一人しかいないご主人様」ということです。これをもっと縮めて言えば、神様(ハナニム)になります。 それでは、神様はどのようなかたでしょうか? 神様は、地上の良い人も、悪い人も愛されるおかたです。罪を犯して死刑場に行く死刑囚も、「神様! 私をかわいそうに思ってください」と言って死にます。 それでは、どうして悪いことを多くして死んでいく立場にある人も、神様の前では、良い心で再出発を誓うのでしょうか? また、神様の前に最高に寄与し、頼り、そのかたとともにいたく思い、内心では父母と兄弟よりも切に事情が通じる関係でいたく思うのです。これは、神様が「真」であられるからです。 「真」なるかたは、好きな者だけを愛するのではなく、自分に死ぬようにと言う怨讐までも愛さなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したく、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、「真」なる人と言えるのです。 自分を憎む人に、三回以上、良く接してあげれば、その人は頭を下げるようになるのです。本当かどうか、一度やってみてください。人には良心があって、自分が誤ったのか、そうでなかったのかが分かるのです。 「真」の起源 「真」の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、「真」が成り立つのです。神様が離れるようになるとき、「真」も離れるようになります。そこは「真」ではなく、悪の起源となり悪が生じるのです。 「真」があってこそ、「真」なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成し遂げられるのです。それゆえ、「真」や「善」という名詞は、人間を中心として成立したのではなく、神様を中心として成立したのです。 このような観点から見ても、「真」は、人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理することのできる位置に従属しているのではなく、「真」が私たちを主管しているということを知るべきです。それゆえ、私たちはいつも「真」の前に屈伏しなければなりません。「真」を立てて、そこに順応すべきなのです。 皆さんの現実的な生活、あるいは良心生活を注意して調べてみても、「真」は完全に天に属しているということは否定できないでしょう。 人間自体からは、「真」の起源をつくり出すことはできません。「真」には、必ず絶対的基準が必要です。それゆえ、絶対者、あるいは神様という問題が、ここに登場せざるを得ません。それは、今まで地上に真の人がいなかったからです。 それゆえ、「真」を指向しながら生きる人間自体は、「真」の動機になり得ません。その動機は、神様でなければなりません。宗教や人類歴史において、最後の重要な分岐点に至れば、必ず神様が登場します。絶対者が必ず必要になるのです。 哲学が追求する目標、すなわち、最後の目標について真理を通じて追求したり、あるいは、存在の起源を究明していっても、必ずそこには神様、超越者、絶対者という名詞が介在するのです。 絶対者と関係を結ばなければ、すべての学問や、存在価値の起源は解決できないからです。それで人間は深刻な場では必ず、「真」を通じて解決しようとしたのです。 このような事実を、私たちは否定することができません。それゆえ、「真」の起源は、人間だけではなく、必ず絶対者、神様が介在しなければならないのです。「真」を主張する宗教は、神様を離れては考えることができません。「真」を主張する人倫道徳も、神様を否定することはできません。 では、「真」がとどまることのできる場所とは、どのような所でしょうか? もちろん、天を起源として「真」の位置を地上に立てようとされるでしょう。これは、神様の願いです。それで、どこにとどまるのかということが問題になります。私たちの生活の周辺にとどまるのです。イエス様も「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。真なる国である天国は、心の中にあります。何らの邪心もない、限りなく深い谷のような所にあるのです。 私たちの心を分析してみると、知・情・意になっています。知・情・意のなかで、何が根本であるかといえば、「意」でもなく、「知」でもなく、「情」なのです。 皆さんは、自分にいちばん貴いものがあれば、それをどこに置きたく思うでしょうか? 自分だけが知っている所に置きたく思うでしょう。そこはだれも触れることができず、関与できない、すなわち自分だけが絶対的に管理し得る所です。そこがどこでしょうか? 心の深い所に埋めておくのです。「ここであれば安心だ」と言える所に置くのです。 真の原器 愛には革命もなく、変化もありません。変わるものには、貴いものがありません。ダイヤモンドは、硬さが変わらないために宝物の扱いを受けるのです。黄金は、黄色い色が変わらないということが貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色が変わらないために貴いのです。貴い宝物を、なぜ変わらない特性を中心として定めたのでしょうか? それが、宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。 それでは、この宇宙のすべての測定で、全体を測定し得る価値基準において、いちばん最初の基準が何になるでしょうか? それが問題です。金でしょうか、ダイヤモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。愛は勝手にしているようですが、思い通りにはできないのです。自分もそのような存在なのです。 この宇宙において、そのような原因の中の原因になり得る度量衡や原器が何か、という問いに対して考えるとき、それはある測定器の原器でもなく、何か変わらない物でもありません。 神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変でありながら、宝物の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこにおいても昼夜を克服し、地域、距離、時空を克服して、絶対的な測定の基準、比較の基準になり得るものとは何でしょうか? 地球にも緯度、経度において零度の基準があります。それは、英国のグリニッジ天文台が、経度の基準になっています。いくら変えようとしても、変わらないのです。そのような基準があるべきではありませんか? それがなければ、世界の秩序が形成されないのです。 神様は、もちろん愛も創ることができると思いますが、その愛を所有するということは、独りではできません。ふたりで所有しなければならないのです。愛は、神様も独りでは見いだせないのです。 それゆえ、その基準、測定原器は何でしょうか? 宇宙万象の存在世界だけではなく、永遠の世界においてすべてのものを測定し得る基準、絶対的に一つしかないその原器とは何でしょうか? それが根本問題です。それが「真の愛」というものです。それで、愛は、春夏秋冬という季節の変化に影響を受けないのです。 皆さん、真理とは何でしょうか? 「真」です。「真」とは何でしょうか? それ以上の基準でうち立てることができないという位置に立ったものを真理といいます。ここには物理学博士もおられますが、物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものは、漠然と動くのではありません。 真理の中には、何があるのでしょうか? 真理の中には、必ず東西南北の四方があるのです。真理があるときは、そこには必ず環境があるのです。それでは、環境が先ですか、真理自体が先でしょうか? これが問題となるのです。環境が先なのです。 私たち人間を見るときは、どうでしょうか? 人間を中心として見るとき、真なる人間は、縦横の標準にならなければなりません。「縦に見ても合う。横に見ても合う」と言える基準にならなければならないのです。 縦横が一致してこそ、公式的法度において、前後・左右・上下の差異がなくなるのです。同じです。これを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うのです。東にも合い、西にも合い、北にも合い、南にも合い、地上世界にも合い、霊界にも合うというとき、「真である! というのです。 ところで、ミリメートル単位で測定して、違いが一ミリメートルの半分にも満たなかったとしても、それらは全部、否定されるのです。不完全なのです。何か測定する基準がなければならないのです。 「真」と真の愛 皆さん! 今、世界には五十億の人類が暮らしていますが、この地球村に暮らす人たちの先祖がどれほど多く、地上で生活して死んでいったでしょうか? 少なくとも現在に暮らしている人の何百倍、何千倍の人々が死んでいったのです。それでは、その人たちの中で、人類が願う真なる人は何人いたでしょうか? 「真」なるということは、千年前も、今も、いつでも「真」であるということです。 それと同じで、私たち人間において、千年、万年、億万年変わらない色を持った、そのような真なる男性がいるでしょうか? これが問題です。このような真なる女性がいるでしょうか? どう思いますか? 宗教世界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、すべて救いを受けるために、価値のある新しい人間を捜し求めています。その言葉は、どのような意味を持つのでしょうか? 真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億万年前も、今も同じです。今後も、いかなる環境や時代にかかわらず、人類が存続する限りそれを追求するようになっています。 皆さんも、その真なる人を捜しているのです。真なる男性、真なる女性を捜しているのです。歴史上、生命を持って生まれた男女は自他を問わず、そこに命をかけるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落でいちばん真なる人になろうとするのです。 二つの石板と「真の父母」 神様はイスラエル民族を荒野で導かれるとき、火の柱と雲の柱を与えられました。昼に導くのが雲の柱で、夜に導くのが火の柱でした。それは何を意味するのでしょうか? 男女を代表して終わりの日に父母が来て、イスラエル民族から侍られる姿を象徴的に見せてくれたのです。この火の柱と雲の柱の導きに従わない人は、みな滅亡するのです。 また、イスラエル民族が荒野に出て四十年間さすらい、方向が分からないので、その民族が滅亡するのを心配されて、神様がモーセをシナイ山に呼ばれ、四十日間モーセに断食をさせて二つの石板を与えられました。それが何であったのかといえば、アダムとエバ、「真の父母」を象徴していたということを知らなければなりません。契約の箱の中に、どうして二つの石板を入れたのかということが問題です。二つの石板は、神様のみ旨を終結させることができる中心としてのアダム・エバを象徴したのです。それで、契約の箱の中に入れたのです。 私たちの願いは、何でしょうか? 神様は縦的な父母であり、アダム・エバは横的な父母です。その縦横の父母が一つになって、喜びの中で、愛を受けることのできる子女になることが願いです。ところが、そのようになれなかったことが恨なのです。そのような愛を一度、受けてみたいという熱望を皆、持っているのです。すべての宗教もそれを願っているのです。 縦的な神様と横的な面で一つになって、愛することのできる父母がこの地上にいたでしょうか? いませんでした。人類の始祖が堕落したために、彼らは偽りの父母になりました。アダム・エバが偽りの父母になったために、「真の父母」は存在しなかったのです。それで、「真の父母」が、歴史上に現れなければならないのです。 そのような歴史的使命を代行する存在に一つの名詞をつけて、何と呼ぶでしょうか? そのかたが正に救世主であり、メシヤです。救うためには、何を救ってあげるのでしょうか? 体を救うのではありません。救いとは、理想的な愛の願いを叶えてくれるということです。 そうすれば、メシヤはどのような存在として来られなければならないでしょうか? 間違いなく、メシヤは「真の父母」として来られなければなりません。キリスト教では、イエス様をメシヤ、救世主として信じています。 「真の父母」は、どのように来られなければならないのでしょうか? 一人ではだめなのです。真なる父に代わる一人の男性として、現れてこなければならないのです。今まで数多くの宗教は、一人の男性を捜してきたのです。男性の中でも、礼儀正しい生活をする男性を捜してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を中心にした男性を捜してきたのが、仏教の教えと見ることができます。 では、キリスト教は何でしょうか? 神様の息子となって、愛する家庭を作ろうとするものです。より具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私は独り子だ」とイエス様は言われたのです。 独り子が現れたのに、独り子が一人で暮らしたとすれば大変なことです。独り娘がいなければなりません。それで、独り娘を捜して、神様を中心として、独り子と独り娘が愛し合う位置において結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜ばれ、その独り子と独り娘が横的な父母として喜ぶことのできる新郎新婦になり、地上で子女を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。 それゆえイエス様にとって、イスラエルの国を失ったとしても、ユダヤ教を失ったとしてもいちばん必要としたものは何であったのでしょうか? それが女性なのです。男性の前に女性が、いなくてはならないのです。 イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいかれながら、「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言われたのです。それで、キリスト教では二千年間、新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちは新婦になろうと、苦しんできたのです。 その標準とは何でしょうか? それがメシヤなのですが、真なる父母の位置につくようになるのです。それが小羊の婚宴です。 「真の父母」という言葉は福音中の福音 皆さんがユートピア世界を捜そうとすれば、どこへ行かなければならないでしょうか? 本然の家庭の愛を経ずしては、行く道がないということを知らなければなりません。先生が直接主管圏内と間接主管圏内を神様の愛と「真の父母」の愛でつないだ基準があるので、今日、霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じたのです。 私たちの原理で言っているように、神様が創られた被造万物は、神様の直接主管圏か間接主管圏内にいます。それでは、それをどのように一つにするのでしょうか? それは、真の愛によってのみ可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的な真の愛が現れるのです。 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です! と抱き締めるようになるとき、真の愛がそのふたりの中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっています。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば、終わるのです。 真の愛が現れれば、すべてのものがみな自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてのものに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。 歴史過程において、悲しみがあれば最高の悲しみ、困難があれば最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払ったその結果として見いだされたのが、この「真なる家庭」なのです。 この真なる家庭が見いだされることによって、歴史的な悲しみが解怨成就され、歴史的な死の代価が解怨成就されるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたのです。したがって、この真なる家庭がこの地に顕現したという事実は、人類において、それ以上の喜びはなく、それ以上の価値もないのです。 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がいなければならないと同時に、真なる夫婦が成立しなければならないのです。真なる夫婦が成立して、そこに真なる子女が誕生しなければならないのです。 今日、皆さんは、「真の父母」という名詞を知っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代において、だれも呼んでみることができず、だれも考えられませんでした。しかし、今日、私たちは呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代のだれよりも幸福な位置に立っているのです。歴史時代のだれよりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知らなければならないのです。 「真の父母」という名前とともに、歴史は今まで苦労してきたし、「真の父母」の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日、私たち人類には福音のなかの福音であるということを知らなければなりません。 「真の父母」というその名前を考えるとき、「真の父母」によって歴史が治められ、「真の父母」によって新しい世界の起源が生まれ、「真の父母」によってサタンを屈伏させることができる内的な因縁が決定されるのです。「真の父母」によって、外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、「真の父母」とともに暮らし、「真の父母」の願いに従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんはまず感謝しなければなりません。 自分の人生をみな犠牲にする恨があっても、「真の父母」の行く道に同調できる道があるならば、私たち人類の前に、これ以上の幸福なことはないということを知らなければなりません。「真の父母」の願いに従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるならば、彼は人類が願う最高の希望の頂上において、天と地が直視し、歴史が注目する聖なる勇士であるということを、私たちはよく知らなければならないのです。 真の父母の価値 神様の摂理の目的は何でしょうか? それは、一つの焦点とも言えるものです。神様の理想が実現される場も、正にその場所です。私たちが失ってしまった父母、失ってしまった真の父母に会うことができる所も、正にそこです。それゆえ、その基台がすべての中心となるのです。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場なのです。 それが、どれほど重要なものであるのか考えてみてください。すべての聖人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要であると認識しなければなりません。 皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、広大な土地を与えても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えたとしても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物としてささげるとしても、皆さんはそれを得ることができないのです。 このような観点で歴史を見るようになれば、今までの歴史は「真の父母」と何の関連もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後には堕落したいかなる歴史もあり得ないのです。 そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるのでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真のご父母様によって認められるということを考えてみるべきです。では、共産主義はどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。 真の父母、ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そして、すべての結果がここから出発するのです。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから神様の愛を中心として家庭を形成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この場が、全世界の中心点です。 この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるでしょうし、現在の歴史の完成が保全されるでしょうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるならば、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができるのです。 その価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょうか? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければなりません。すべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だといっても、これには比較できません。 父母になろうと思えば、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って、神様を降参させなければなりません。アダムは、神様が「違う」と言われることを「はい」と言って、事実を事実でないことにしたために、事実でないことを事実として肯定させることのできる方法を執らなくては、本然的基準に入ることはできないのです。 天地の間において、「真の父母」になるための過程からすべての問題を実体的に解決し得るその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くことができるのです。神様が願われる愛の解放は、このような息子・娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのです。 神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈伏させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、救いの主人であり、全兄弟の長男(子)権を備え得る人がアダムなのです。 サタン世界が反対することにより、四十日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であられるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁が勝利の判決を受けて、地上に来るのです。 感謝すべき私たち 神様に対する感謝を、どのようにささげることができ、真の父母に対する感謝を、どのようにささげることができるでしょうか? 私たちの教会に対する感謝をどのようにささげることができ、私たちを再創造してくれたことに、どのように感謝をささげることができるでしょうか? 私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。さらに一段階進めば、真の氏族が現れ、さらに一段階進めば、真の国家が現れるのです。さらに一段階進めば真の世界が現れ、さらに一段階進めば真の宇宙が現れ、さらに一段階進めば真の天宙が現れ、さらに一段階進めば真の神様が現れるのです。これが私たちの最終目標なのです。 人間は、堕落した後にサタンの血統を受け継ぎました。数千万代にわたって、神様の血統ではないサタンの血統を受け継いだのです。どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚れた血統を、どのように清算するのでしょうか? そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられたかたが、「真の父母」です。サタンの血統を肥料として、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には、体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして大きくなっていくのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様がともにおられ、サタンとは永遠に離別するのです。 神様の心の中に苦痛があるとは、だれも知らないのです。歴史上に、今ここに真の父母を通じて神様の心情が現れ、真の父母の深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。イエス様もそれを知りませんでした。分かったとしても、心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、だれもそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に真の父母が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。 今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。一国家の指導者も、過去を悔い改めて改心すれば、神様が許されるのです。 それは、神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなければ、サタンを分立することができないのです。また、それは統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。 人間始祖が堕落して、その真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚れたものと連結してしまいました。しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的に連結されているのです。これは百八十度転換されたのです。サタン側と連結された韓国や、この世界には、希望を託してはいけません。全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母に従っていったのです。 百八十度生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です。国ではなく、その次は、兄弟です。では三番目は何でしょうか? 夫婦です。四番目は子女です。 神様は、三世代を願われているのに、この三世代を持つことができませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は今まで持てなかったのです。今まで人類は、神様を中心として繁栄できず、サタンに属するようになったのです。そのサタンは、愛の怨讐です。 この血統をどのように清算することができるのでしょうか? 「自分」は韓国人でも、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この三つの根源が標準なのです。 戦争で負けた敗残兵が血を流し、倒れていれば、それをだれが葬りますか? だれが敗残兵を教育して、再び正規軍にするでしょうか? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょうか? ただ殺してしまうのですか? 勝てばすべてがよいと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。感謝するとき、何を感謝しなければならないのでしょうか? 豊かに暮らすようになることは、感謝すべきことではありません。十字架を背負ったことを感謝しなければなりません。それを皆解決してから、それを再び建設した後にこそ、自分の「時」というものが来るということを知るべきなのです。 自分が新しい家庭を立て、新しい国家を建て、新しい世界を立てた後にこそ、自ら幸福に暮らすことができるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.27
コメント(0)
成約のみ言伝授式一九九八年二月二日(陰暦一月六日)午前十時、九里市水沢里にある中央修練院にて、韓国、日本、米国など、世界各国の教会指導者と社会指導者たちが四千人余り参加する中、「真のご父母様の御生誕日」の記念礼拝が挙行され、その中で「成約のみ言伝授式」が行われた。そのとき、真のご父母様は、「主題別み言精選」(十二巻)を韓国の社会指導者たちに与えられ、それまでご自身に反対してきたすべての人々に対する容赦宣言も行われた。 今日、ここに初めて参加された方々は、衝撃的で、なおかつ、イサン(ハングルの発音)なみ言を聞かれたことと思います。それは悪い意味での異常ではなく、何よりも高いところにある理想という意味です。そのように考えられたらいいと思います。 このみ言は、レバレンド・ムーンが構想して語った言葉ではありません。個人の完成から家庭完成、氏族・民族・国家・世界完成、地上天国と天上天国、神様の解放圏に至るまで、膨大な内容から成り立っています。 このようなみ言は、今までいかなる教材としても、この世に現れたことがありません。今後もこのような理想的な内容の教材は、歴史時代には現れないと思います。ですから、このみ言だけが、すべての歴史を動かすことのできる教材になるのです。これは断言ではなく、実際にそのようになるのです。 堕落したがゆえに、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。誰のせいで? 女性のせいです! 女性たちはそれを知らなければなりません。第一の夫、宇宙の主人、国の主人、家庭の主人、自分の夫となることができる、そのような男性を堕落させたのです。堕落とは「死」を表し、神様と関係がなくなったことを意味します。 血統的な面から見るとき、神様の愛と生命を中心とした血統が結束すべきでしたが、悪魔の愛と生命を中心として血統が結束したのです。悪魔とは何かというとサタンです。そのサタンは何かというと、神様の愛の姦夫なのです。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛に連結されたので、神様が手をつけることができないのです。干渉することができません。皆さんはそれを知らなければなりません。 多くの能力をもっておられる神様が、どうしてエバが堕落するときに干渉できなかったのかという問題があります。しかし、姦夫に侵犯されたことについて、ああだこうだと言えるような立場ではありません。殴り殺すか、消してしまうまでは、対することができないのです。皆さんも理解できるはずです。愛という概念、真の愛をもった男性が、妻となる女性と結婚するその前日、その女性が怨讐に奪われて、貞操を蹂躙されてしまったとき、その男性はその女性を自分の妻として保護することができるでしょうか、できないでしょうか? ですから、皆さんはこのことを知らなければなりません。エバ、すなわち女性がアダムを殺したのです。家庭で殺してしまったので、神様はその威信上、家庭において復帰することができません。国をつくって、国で勝利することなくしては、神様は威信を保つことができないのです。ですから、この国の位置を守れる立場を築こうとしたのが旧約時代なのです。驚くような話なのです。 その約束というのは何ですか? 結婚式ができなかったということを知らなければなりません。約束には旧約・新約・成約の約束があります。神様の真の愛を中心として、人類始祖となるアダムとエバが、真の愛を中心として一つになり、真の家庭理想を描くというのが創造理想でした。それにもかかわらず、血統が変わり、すべてが怨讐の懐に入ってしまったのです。 皆さんが知らなければならないことがあります。アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? もしも皆さんの一人息子が死に、一人娘が死んだとするならば、恨の心情に燃えて、一生、子供たちの死んだその日を忘れることができないはずです。七代目の一人息子であれば、なおさらのことなのです。 アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? 彼らは億万代目の一人息子、一人娘だったのです。たった一度しかないのです。アダムとエバを失って、神様の心はどれほどふさがってしまったことでしょう。神様の悲痛なる事情を知る者は、誰もいませんでした。 女性たちによって、エバによってアダムは死にました。第一のアダムが死んだのです。死ぬことによって、神様はその威信を家庭において失ったので、取り戻すときには神様の威信上、国家において取り戻さなければなりません。それを国家において取り戻すには、ただ単に取り戻すのではなく、国家基準をつくらなければなりません。それで選民思想が出てくるのです、選民思想が。 神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、神様が必要とする氏族・民族・国家という形態を中心として、ヤコブ以来、受難という複雑な道を歩んできたのです。 皆さんがそれに気づいたとき、神様の苦労に気づいたときには、跪いてひれ伏しながら……。慟哭が問題ではありません。滝のように流れる涙、鼻水、よだれの三つの水が合わさり、肝臓がちぎれるような痛みを感じながら悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければなりません。あっけにとられた神様であるということを知らなければならないのです。 女性がアダムとエバを殺しました。真の父母が勝利するには、選民圏において、個人・家庭・氏族の踏み台がなければなりません。そのような国の踏み台を収拾しなければなりません。収拾とは何ですか? アダムとエバの堕落が何かというと、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落! 春のような時期にです! 人類歴史が始まるやいなや、まかれたのです。 それによって、家庭を逆さまにしていました! 家庭が破綻したのです。ひっくり返してしまったのです! ひっくり返ってしまったものを、神様はどのようにするのでしょうか? これを正すには、どこから正さなければならないかというと、頂上はサタンが完全に握っているので、アダムとエバからではだめなのです。カインとアベルのうち、弟と通じてひっくり返すのです。 今まで聖書の歴史において、長子と次子のうち、どうして神様は次子ばかりを愛したのか、なぜ血を流す祭祀を執り行ったのか、等々、何も知らずにいるのです。 本来、神様が人間の主人であるということを、サタンもよく知っています。 愛すれば必ず、血筋を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができるのです。それゆえに愛が問題となるのです。サタンの愛に、サタンの生命とサタンの血筋が連結しているので、完全にひっくり返ってしまったのです。 では、神様が復帰するにはどうしなければならないでしょうか?。 救いの摂理は再創造の歴史です。工場で再生産するときには、ブループリント(青写真)によって生産していたすべてが故障したのならば、新しいブループリントを通じて再び生産しなければなりません。再創造の歴史ですから、創造の時のように、全存在には、水や空気や土の観念がありません。観念がないのです。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として選民圏が立てられたということは、神様がいるという証拠です。また、宗教において出家せよという命令をするのも、神様がいるという証拠です。その次に何ですか? 夫婦生活をせよと言いましたか、独身生活をせよと言いましたか? 独身生活をせよと言ったのです。どうしてでしょうか? 人類の父母となり得る方が、まだ結婚式を挙げていないからです。 アダム以降、堕落していない生殖器が、真の愛を中心として神様と共に一つとなって、血統と生命を連結する本拠地となり、本宮とならなければなりません。これが本然の愛の王宮です。愛の王宮なのです。生殖器がそのようなものであるということが分かりましたか? 生殖器が本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮であり、本然の血統の本宮なのです。ここを通じなければ、個人も国も生まれることができませんから、否定しようのない事実です。ところが、愛の本宮において、愛の種・生命の種・血統の種……、神様と直系の関係を結べる因縁がなく、これが妖しく邪悪なものとなって、天地をひっくり返したのです。最も悪いものとなってしまったのです。ところが、偉い人たちは浮気をし、ありとあらゆることをしでかしていますね? 天国には行くことができません。 私がこのような道を究め、霊界に入ってのぞいてみた結果、事実というものを知るようになりました。「うわあ! 知らなければ良かった」と思う時がどれほどあるか分かりますか? 行ってみると幾重にも連なる高い山々です。個人的な壁がこれほどであれば、家庭的な壁はもっと高く、氏族の壁はもっと高く、民族の壁はもっと高く、国家の壁はもっと高く、世界の壁はもっと高く、天地の壁はもっと高かったのです。ところが、神様はその頂上に行かれて、指揮を取ることができません。遠くにある山の麓で、囹圄の身となっているのです。愛をサタンによって奪われたがゆえに、囹圄の暮らし、包囲された獄中の暮らしをしているのです。 ですから、そのようなところに行って文総裁が喜んだと思いますか? その神様にすがる私を見たとき、神様がどれほど喜ばれたことか皆さんは知りません。そのようなことを話しても、狂人のように思われるので話しません。すべてをかき回して探し求めてみたところ、真の父母の歴史がこのようになったということを、すべて理論的に体系づけなければなりません。 真の父母は、旧約時代に求めてきたメシヤ、新約時代に求めてきたメシヤ、成約時代に求めてきたメシヤです。成約時代は侍ることのできるメシヤです! 侍るだけですか? 会いたいメシヤであると同時に、知っているメシヤです。では、会いたいメシヤに会いましたか? その次はどうですか? 別れるためのメシヤですか、一緒に暮らしたいメシヤですか? 一緒に暮らしたいメシヤなのです。 ご覧なさい。真の父母という言葉は、真の王という言葉にもなります。真の王にもなり、真のおじいさんにもなり、その次は何ですか? 真の父にもなり、真の夫にもなり、真の兄にもなるのです。ところが、エデンでエバがある日、愛の失敗によって……。それを知らなければなりません!男女関係がどれほど怖ろしいかという事実! あっという間に関係を結んで、天地がひっくり返ってしまったのです。 宇宙を創造した神様、全能の大宇宙の主人が、億千万世にわたって、嘆きながら今まで閉じ込められてきたのです。旧約時代、新約時代にどれほど血を流してきたことでしょうか? 万物の血を流させ、息子と娘の血を流させ、父母にまで血を流させ、すべてを血だらけにしてきた歴史なのです。 では、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛、偽りの愛のせいです! 女性たちは雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性たちは再臨主の妹なのです! 妹が裂かれながら受難の歴史を歩んできたのです。ですから、エバに代わって真の妹にならなければなりません。成長してからは真の妻にならなければなりません。妻になれませんでした! 真の母になれず、真の祖母になれませんでした! そのような立場に立とうとすれば……、最も幼い赤ん坊のように妹の立場に立とうとすれば、すべての女性たちは先生に従い、勝手に男性を導いてきた立場を離れて、絶対服従し得る女性の道を行かなければなりません。そうでなくしては、生きる道がないのです。ですから、女性という動物は、文先生を欽慕しなければなりません。分かりましたか? それで、何をするのですか? 誤った妹を、神の愛を受けられる妹にしなければなりません。神の愛と一体となれる妻を養成しなければなりません。その次に、真の母となれる伝統をつくらなければならないのです。 今日、訓読したみ言は何ですか? このみ言は、統一教会が出発してから十七年目に語ったものであり、人類の人口が三十億のとき、六十年代に語ったものです。ずいぶん詳しく語ってあるのです。夢にも思わないような話を、そのときに先生は語ったのです。その時の先生は生死の境、生きるか死ぬかの瀬戸際で、私がたとえ死んだとしても、み言だけでも残さなければ、という死ぬか生きるかの境地で語ったものなのです。そのような事実をこの民族は知らなければなりません。 このみ言が現れることによって、先生が死んだとしても、このみ言は世界を征服しても余りあるのです。そのような方に仕えている民族は……。イスラエル民族ではありません。 再び来られるメシヤは、完成した世界、平和の天国を準備するために来られる父です。そのような父母を殺し、追い出した立場に立って、その罪を何をもって蕩減することができるでしょうか? ですから先生は、韓国において責任を取るまでは、公式席上に現れませんでした。羅長老、朴長老と、大騒ぎをしていましたが、羅長老や朴長老が問題ではありません。私が現れなかったのです。怨讐たちが多いので現れませんでした。それでアメリカに行って……。今や先生がみ言を語ったとおりに、全世界が包囲され、韓国も包囲されました。 エバが第一アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。それによって、イスラエルが全世界に流浪する孤客となりながら、血肉を、血をどれほど流したことでしょう。民族の恨をすべて背負いこんで、全世界の人類は馬の蹄に踏まれて死に、銃で撃たれて死に、すべてが政治の風、経済の風に追い込まれていったのです……。六百万人まで虐殺されて、罪の量を償わなければならなかったのです。悲惨な民族です。その民族を私が解放しようとしたのですが、その民族が私に反対しているのです。 その後継者である、第二イスラエル圏を中心として、神様が世界の舞台を必要として勝利圏をつくろうとされ、二千年間あんなにも殉教の血を流し……世界的な版図を築いた第二次大戦の直後に、先生と一つにならなければならなかったのに……。日・独・伊が枢軸国で、米・英・仏が連合国です。天使長国家です、天使長国家。 枢軸とは中心です、中心。サタン世界が中心をもっているのです。このように、第二次大戦を中心として見るとき、連合国が枢軸国に勝つことによって、天のキリスト教文化圏が勝利基盤を……。 イギリスはエバ国家です。島国です。そして、イギリスが生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスはイギリスとも戦い、アメリカとも戦い、怨讐国家になっています。この三つが一つになって天下を統一したのです。歴史以来、キリスト教文化圏を中心として世界統一がなされたのは、一度しかありません。そののちに文先生が登場すれば、四十歳のときに天下統一ができたのです。そうなれば韓国は世界の中心国家になっていました。ところが、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成というサタン的な再臨主が現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は皆追い込まれて追放されたのです。そのように、世界の荒野に追い払われながらも、再び訪ねてくるのです。 再び訪ねてくるのに四十年が過ぎました。今や、金日成も死に、共産主義も崩壊し、アメリカも崩壊するようになっています。こういう話をしようとしたら、きりがありません。 したがって、女性たちがこれから決心しなければならないことは何でしょうか? 女性たちが最初の夫を殺し、二番目の夫を殺し、三番目に訪ねてきた夫の立場にある再臨主を殺してしまったのです。追放してしまいました。荒野に追放してしまったのです。先生は解放後に、韓民族が解放されても、一度も万歳と叫ぶことができませんでした。それゆえに統一教会では、式典において勝利的結果として万歳を唱えはじめたのです。 万歳を唱えることもできなかった男がここにいるのです。どうしてですか? 今後どうなるか知っているからです。共産主義が乱舞する時が始まるということを知っていたからなのです。これらは、原理が分かれば、今ではすべて分かる話なのです。 ですから、三番目もエバが、女性が先生を蹴っ飛ばしてしまいました。キリスト教であるエバ国家、新婦国家、世界版図が先生を追放しました。それで四十年荒野路程を経て、再度上陸し、四十年間……。実際は、その時、一九四五年から一九五二年までの七年間で、世界の祝福家庭の完結を標準としていたのです。 今やその時が来ました、その時が。三億六千万双の祝福完結……。今年の標語が何かというと「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。 神様の新婦の座を汚したのを掃除して、新婦を迎え得る恨の歴史を、解くことができなかったという事実を知らなければなりません。それにもかかわらず、アメリカは世界を支配しようとして、「差し出せ!」と言っているのです。自慢するなというのです。「滅ぶ! 自慢するな! ワン・ネーション・アンダー・ゴッド(神のもとに一つの国家)を主張したらアメリカは滅びる! 神のもとに一つの世界を主張せよ!超越的な立場、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びゆく弟たちを援助し、助けてあげよ! 自分の血肉を削ってまでも与えてあげよ! そうすれば、アメリカは天下において永遠に滅びることはないのだ!」。私がこのような話をするといっては反対され、監獄にまでも行ってきましたが……。最近では私の世話にならなければならないということを知っているのです。 皆さんはよくご存じかと思いますが、ワシントンは世界の首都です。そこにおいて、CIA(米国中央情報局)やFBI(米国連邦捜査局)の機関長たちが全神経をとがらせて、望遠鏡で焦点を合わせているその場に立って、太鼓を打って大騒ぎをしながら、祝福結婚式を挙行したのです。皆さんは知りませんが、アメリカ国内には今、政府でない政府がもう一つあります。 そのような内外のカイン・アベル的なものがすべて、レバレンド・ムーンを消し去ろうとしたのです。裁判にかけて調査をしてみたところ、後から分かったのです。アメリカがレバレンド・ムーンを、CIAとFBIを通じて何もかも調査してみたら、ただの一つも間違ったことがないのです。窮地に追い詰めてみると、すべての罪は何もかも共産党がでっちあげたものだったのです。本が数十巻になります。韓国のあらゆる邪悪な連中が、その材料として使っていたものを、すべて返却してもらったのです。そこには韓国で誰が反対したかすべて名前が出ています。 私が今ワシントン・タイムズを動かす背後とか、世界の影響力を中心としてガンガンとみな……。何と言いましょうか、陶磁器やレンガを砕く、力のある男なのです。祖国という名が怨讐です! 私には韓国人が怨讐なのです。同じ韓国人でなかったら撲殺していたはずです。誰が同情しましたか? 今後は力で対決してくれば、私は対決します。理論戦であれば、理論で対決するつもりです。 理論では負けません。昔、世界で判定が下ったことなのです。数多くの学者や宗教人が文総裁を殺そうとして、ありとあらゆる人たちが訪ねてきました。ところが、先生につかみかかっては、すべて落ちていったのです。 「第二次大戦の参戦勇士」という言葉がありますが、召集令状を受けて戦場に向かう汽車に乗ろうとしたところ、ちょうど戦争が終わって汽車から降りた人がいたとしましょう。それでもその人のことを「出戦勇士」と言いませんか、違いますか? そのようなこともあり得るということを知らなければなりません。意味もなくここに招集したのではありません。ここに呼んであげたのに来なかった人に対しては、私は責任をもちません。しかし、来た人に対しては私が責任をもつのです。その代わり、訓読会をしなさい。一族を中心としてその下にある人たちが、み言を私のように一生懸命に訓読会をしたならば、国が生きても余りあるのです。 では皆さん、今、文総裁は世界のあらゆる基盤をもっていると思いますか? 皆さんの息子と娘を大世界化の時代の世界的な人物にしたいですか、国家的な人物にしたいですか? 国会議員だとか、長官だとか、知事に育てる自信がありますか? ないではありませんか! 私に任せなさい。訓読会をしなさい、訓読会! 三か月だけ息子や娘とやってみろというのです。そうすれば、お互いに先を争ってやろうとして喧嘩になるのです。 ですから、この民族には希望があると思うのです。私が千辛万苦、生涯にわたって積みあげてきた宝石箱をみな、この民族の前に分けてあげるのです。誰も翻訳してはならないと言いました。我が民族の前に慟哭するまでは、誰もそれを翻訳することはできません! それを知らなければなりません。 七月八日は何ですか? 昨年の陰暦の七月七日に、神様がこの地上に安息される安息圏、「天地父母安息日」を宣布したのです。七十八数にはすべて意味があるのです。そのような世界の三百六十万双ならば、サタンの血統さえもおしまいなのです。 女性たちは三時代のすべての精誠を合わせなければなりません。それは何かというと、三時代はないので、祖母・母・自分の三代が一つとなって、本然の夫を殺したという罪を謝罪しなければならないのです。 そのような時を、私がすべて解放してあげました。女性解放運動をしたのです。ですから、先生を知ることによって、真の兄を知り、真の夫を知り、真の父母を知り、真の先祖を知り、根本的な本然の人類の祖を知るようになりました。それにより、千年万年過ぎても愛する心が変わらなければ、その伝統が文化世界を創造し、アダム文化の単一文化圏、単一統一の平和世界の架け橋となるのです。アーメン! 今日、この誕生日に、本部において「成約時代」を宣布しました。時代が変わるのです。一八○度変わったのです。 旧約時代には結婚を完成することができませんでした。新約時代にも約束はしましたが失敗しました。ですから、成約時代においては結婚の理想を完結するのです。 それは、なぜでしょうか? アダムにおいて家庭がひっくり返ったので、今日、三億六千万双は、アダム家庭でひっくり返ってしまったすべてを解放する最後の祝福なのです。これを越えたのちには、アダム時代に堕落しなかった本然の父母たちが、文総裁がすべて本然の愛と、本然の生命と、本然の血統を中心として……。直系の子女たちを自ら父母として祝福することができるときが来ます。第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代を経て、第四次アダム圏時代へと越えていくのです。 これは(板書を指しながら)蕩減が必要な時です。今後は三億六千万双が終われば、蕩減の必要がない第四次アダム圏時代に入っていきます。それによって、エデンで父母が神に代わって祝福することのできる、そのような時代に入っていくので、万民すべてが、自分が祝福した一族を中心として天国へ直行する道ができるのです。 ですから、第一次アダム、第二次アダム時代には蕩減が必要であったのです。蕩減が必要ということは何かというと、サタンが残っているということです。サタンの血筋が汚した痕跡が残っているということです。サタン世界の血統を断絶することによって痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福することができる、そのような解放的な立場において、万民、人類全体の家庭が、平面図上で一挙に祝福を受けるのです。 アダムの一家庭が祝福を受けられる時代を迎え、越えていくことによって、アダム家庭が完成したそこにおいて、自らの代々の血族を中心として天国に入れる解放時代……、真の愛と真の生命と真の血統を直系的に植え付けることのできる解放時代へと入っていくのです! この時代を第四次アダム圏解放時代というのです! アーメン。 その膨大な内容が、今、二百三十三巻ですか? 三百巻を超えるのです。既に五十年前にこのような話をしたのですが、すべてが一致しているのです。どこかに行って盗んできたものではありません。原稿がなくても、話せばすべてが一致するのです、専門家なのです! そうでありながら、その都度その都度、私個人が峠を越えるときには宣布をするのです。個人が勝利したことにサタンは入れません。 家庭勝利圏宣布! サタンを断切するのです。氏族勝利圏宣布! 民族勝利圏宣布! 今後は、世界勝利圏の宣布をする天地父母安息圏を……。天宙安息、神様をお迎えしなければなりません! 旧約時代には祭物を犠牲にし、息子の来る道を準備してきたのです。イエス様が来られて息子の責任を果たし、真の父母が来られる道を準備したのです。真の父母が来られて苦労するのは、神様をお迎えするためです。ですから、「天地父母天宙安息圏」のその日を、七・八節というのです。先生の七十八回目の誕生日と関連があるのです。それを説明しようとしたら、ずいぶん長くなるのです。 そのすべてが計画的で、統計的なこの道において、相反することのない結論となっているのです。神様を囹圄の身に追いやって闘争してきたサタンに勝利するということが、どれほど大変なことか…………。サタンがどれほど知恵の王であることか……。そいつが、その野郎が、私に降参したのです。 ここに来て説教をする先生に対して、反対してきたすべての人たちを、本日、容赦する宣言をします。さて、このような良い時代が到来したのですが、最も問題となるのは何でしょうか? いかに天国に行けるその覇権を得るか、これが問題です。忘れようとしても忘れられない一つのモットーがあれば、そのモットーを中心として、つかまっていかなければならないのです。そのような内容において、今語っているのが「祝福と永生」、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 真の父母が生まれたところは、人類の祖国となり、地上天国と天上天国の出発地となり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることはなく、全盛の時代へと発展していくのです。大韓民国の民は訓読会を通して、真の父母と超国家的に一体となり、万国の勝利圏を誇る国を築けますように! アーメン! 韓国は滅びません、心配しないでください。ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで一生涯、多くの迫害過程を経てきたのは、神様が導いてこられたからです。ですから、今では世界中の政治・経済・文化人たちが、レバレンド・ムーンに焦点を合わせて注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国となり、統一世界の母国になるためには、この焦点を合わせたその場を奪われてはなりません! 奪われますか、占有しますか? 占有するという人は両手を挙げて歓迎しましょう! 神様の祝福が共にあることをお祈りします、アーメン! 祈祷 流れゆく歳月の中で、一つの存在というものは、微小な塵にも及ばないものであるということを知っております。この大宇宙の中で霊長の権利を備えたアダムとエバのその威信が、どれほど高貴なものであったかという事実を知るとき、恐れ多い限りでございます。 神様の前に、本然の父母の前に、威信と体面を立てることができず……、理想的な家庭で願われる孝子の道理、理想的な国で願われる忠臣の道理、理想的な世界で願われる聖人の道理、理想的な地上・天上天国の完結を願われる神様の前に聖子の道理を望み……、聖子の権威を備えたその場において全宇宙を引き継がせたいという、神様の尊く大いなるみ旨があるということを、統一教会の群れはよく知っております。「私」と言うとき、大韓民国の私ではなく、全宇宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者であると自覚することのできる意識的な存在の権限が付与されたこと……、神様の愛で召されて立てられ、真の父母によって訓練を受けることによって、天の座まで考え得る存在性を備えられたことだけでも、感謝してやまないのでございます。私たちが判別していくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実……、絶対愛の個人基準と、絶対愛の家庭基準と、絶対愛の氏族基準と、絶対愛の民族・国家・世界・天宙・神様まで連結された基準が、一つの家庭圏内で結束し、これが発生、成長、完成していくということを誰も知りませんでした。今や統一教会の群れが、原理のみ言を通して、真のご父母様の教訓の訓読された内容を通して、そのような立場を備えられるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 お父様……、私は今、祖国という韓国の地を忘れることができず、再び訪ねてまいりました。来てみたところ、形容しがたい状況をあなたはご存じで、仕方なく訓読を通して心情的な基台を一つにまとめ……、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国にでも行って暮らさなければならない、永遠な因縁のある祖国であるがゆえに、訪ねてきて訓読大会を始めました。 今日、ご父母様の聖誕を、全世界各国の国家的メシヤたちが祝賀するために集まりました。この場に共に参与することのできる、民族的な指導者や有志の団体の代表者たちを集めて、天が教え、天が苦労して得られた実績的な基盤、栄光なる勝利的な覇権の立場を継承させるために訓読会を開きながら……、このすべての成約のみ言、成約時代の大転換時代を迎え、天の解放的な選民権をもっていなくても、誰でも選民権をもった立場に立ち、選民たちの先祖を通して地上と天上世界の大歴史時代を克服し、すべての先祖が真の父母と一つになることによって、イスラエル圏に代わって一族で上下に連結し得る解放圏を備え、万民祝福時代を迎えられるようにしてくださった恵みに感謝申し上げます。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受けられる子女となることを願いながら……、三億六千万双という神聖なるみ旨に対して挙国的な心情を一つにし、七千万民族の解放が万世に輝くことができ、祖国の伝統的精神を万国に植えることができ、各自が自省して責任を負って世界に広がっていくことのできる祝福のみ旨を、各自が受けもつことを許諾してくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、七十八回、五十五回を迎えるこのご父母様の祝福聖誕の行事を通して、万国の祝福、天の祝福が、今日の訓読会を通して賜る恵みが、ここに集まった百八十五か国の指導者と共に、その国と人類全体に及ぶことを切に願い、全体・全般・全権・全能の歴史を備えて万国解放の世界へと前進できることを願いながら、真の父母のみ名によって宣布しながらお祈り致します。アーメン。 祈祷後のみ言 訓読会をするとき、質問したいことが多いと思います。ですから今後、統一教会の道の責任者、郡の責任者、面の責任者たちが、すべての質問に答え、難しい問題を解決する連帯関係を結ぶために、ここにいる統一教会の責任者たちが、前に立って進行していくのです。今、皆さんが訓読会をすることは、今後、歴史的な宝物になることでしょう。 先生が真の父母であるという事実、この宇宙と歴史的な全人類が、それを願うようになるときには、この一冊がどれほどの価値があるか分かるようになって、これが宝物になるのです。億千万のお金を積んでも引き替えることのできない、貴いものであるということを知って、皆さんはすべての人たちに、このみ言を伝えなければなりません。訓読することによって、自分の一族、自分の親戚、金氏ならば金氏一族の前に、朴氏ならば朴氏一族の前に伝えるのです。そうすれば天の恵みを受けるのです。 先生が苦労してきた数十年の歴史の核心的な内容を、すべてを選んで語ったので、小学校を出た人であれば、誰でも理解することができるのです。挙国的な訓読会は、挙国的な解放、挙国的な栄光、挙国的な繁栄の世界へと進展するのです。 訓読会を無心にしなさい。これから先生は世界的な訓読会をするために出発しなければなりません。信仰の祖国である韓民族が訓読大会をしたということは、歴史的な事として残さなければならないのです。ここに集まった聴衆たちにも恩恵を与えるために、一冊ずつ分け与えてあげるのです。(二九〇-九、九八年二月二日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.24
コメント(0)
「真のご父母様ご聖誕祝賀と成約の御言伝授式」における御言1998年2月2日(陰暦1月6日)中央修練院 神様の悲痛な事情(このみ言は、『真の父母』が拝読されたのちに語られたものです) このみ言は、レバレンド・ムーンの構想から出た話ではありません。個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上の天国と天上の天国、神様の解放圈までの膨大な内容になっています。このような話は、今までのどのような教材にもありません。 今後も、これ以上の内容の教材はないと思います。ですから、これがすべての歴史を動かすことができる教材になると思います。 堕落により、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。これはだれのせいでしょうか? 女性のせいです。女性たちは、このことを知らなければなりません。 最初の夫になり、宇宙の主人になることができ、国の主人、家庭の主人、自分の夫になることのできる男性を、女性は堕落させたのです。堕落させたというのは、殺したということです。 悪魔とは何かと言えば、サタンを指します。そのサタンとは何かと言えば、神様の愛の姦夫です。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛によって連結されたので、神様が手をつけることができません。干渉できないのです。皆さんは、このことを知らなければなりません。 全能な神様が、なぜアダム・エバが堕落するときに干渉することができなかったのかといえば、姦夫に侵犯されたことを、神様はどうこう言える立場ではなかったからです。たたき殺すとか、自分の視界に入らないようにするとかする前に、相対することができなかったのです。 愛の概念を持ち、真の愛を持った夫が、結婚する前日に真なる妻が怨讐に奪われて貞操を蹂躙されたとき、その夫は自分の妻だからといって、保護することができるでしょうか、できないでしょうか? それゆえ皆さんは、女性のエバが、アダムを殺したということを知らなければならないのです。家庭で殺してしまったので、神様の威信上、家庭で復帰することはできません。国をつくり、国で勝たなければ、神様が威信を立てることができないのです。そうして、国で勝つことのできる場を築いたのが、旧約時代です。 この約束という言葉は、どのような言葉でしょうか? 人類の最初の先祖となるアダムとエバは、神様の真の愛を中心として一つになることができませんでした。 真なる家庭理想を描いていたのが、創造理想であるにもかかわらず、血統が変わることによって、すべてが怨讐の懐に入っていってしまったのです。そのため、結婚式ができなかったということを知らなければなりません。 ここに来た人の中で、一人息子と一人娘が殺された人がいたならば、その人は恨の心情に燃えて、一生涯その日を忘れることができないでしょう。 アダムとエバは、何代の一人子ですか? 億万代の一人息子・一人娘です。そのアダムとエバを失ってしまった神様の心が、どれほどのものであったかしれません。それを訪ねてこられる神様の悲痛な事情を、だれも分かりませんでした。 アジアにおいて、五千年歴史の呻吟と苦痛と迫害と侵略の限りを受けたかわいそうな韓民族を、神様が同情されたのです。このように、多くの血涙を流すような歴史の嘆きの訴えが、韓民族の歴史の中には残っています。 三千里半島(韓半島)には、九百三十二回の侵略を受けた歴史的な恨があります。民族が裂かれ、どれほど踏みにじられてきたことでしょうか? 恨の神様が、恨めしい国を捜してみると、韓国を考えざるを得なかったのです。かわいそうな人が、かわいそうなものに同情するのと同じです。そのような立場に立ったのが、韓民族なのです。 神様の絶対的な愛の道 エバによって、アダムが死にました。最初の息子が死んだのです。神様が家庭で失ってしまったので、神様が取り戻す際には、威信上、国家で取り戻さなければなりません。 国家で捜すためには、ただ捜すのではありません。国家基準をつくろうとするので、選民思想が現れるのです。神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、氏族、民族、国家という形態を中心として、ヤコブ以後、二千年の受難の道を行きました。複雑な道を歩んできたのです。 皆さんが、神様の苦労を知るようになるときは、ひざまずいて、腹ばいになりながら慟哭するのが問題ではありません。どれほどの痛みをもって悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければならないのです。 悲嘆に暮れられた神様を知らなければなりません。そのようになったのは、神様が過ったからではありません。子女が過ったのです。 神様は、子女をなぜ、必要とするのでしょうか? 愛の理想を成し遂げるために必要なのです。愛は独りで築くことはできません。皆さんは皆、愛を持っていますか? 生命を持っていますか? 良心を持っていますか? ここでは、一平方センチメートルに一気圧が均衡的に押しています。ここでバランスが取れているので、感じられないのです。 皆さん、目がまばたきする回数を数えてみたことがありますか? 数えてみれば、三時間もしないうちに忘れてしまいます。息をする回数を、数えてみたことがありますか? なぜ、感じることができないのでしょうか? 右手を左側の胸につければ鼓動を感じます。鼓動の音を聞いてみたことがありますか? 鼓動の音を聴診器で聞けば、爆弾が落ちるよりも、もっと大きい音が聞こえます。 小さな蠅が現れて、わずかに動いただけでも分かるのに、その何百倍の爆弾が落ちるような音を感じて、暮らしているでしょうか? 数か月、半年、忙しいときには、何十年たっても感じることができないのです。なぜ、感じることができないのでしょうか? 一つになっているからです。 それでは、神様がどこにおられるのでしょうか? 神様は愛の根、生命の根、血統の根、良心の根です。神様は根なので、深い所におられるのです。 皆さんは、男性、女性として愛を持っています。男性が女性を必要とし、愛の対象を慕うので、美男子の前に醜女が現れても、愛の心が芽生えるのです。 愛が激動し、生命が激動し、血が沸騰するのです。そのようなものを皆、感じたことはありませんか? 未婚のときに、恋愛して男性と女性が会うときに、何が熱くなるのでしょうか? 胸がドキドキします。しませんか? (「します」) 地方から来た人は、両班(=高麗、李朝時代の特権的な身分階層)の家から来たという人がいるかもしれませんが、その両班とは何でしょうか? 愛を感じることのできない人が、どうして両班になることができるでしょうか? 愛を知らない人が、どのようにして主人になり、夫になるのでしょうか? 率直な話です。 美男子の前に美女が現れれば、雷、稲妻よりももっと恐ろしい衝撃が起きます。それゆえ、男性と女性は注意しなければなりません。 愛は、神様の絶対愛の道を訪ねていきます。絶対的というのは、二つについて言う言葉でしょうか、一つについて言う言葉でしょうか? (「一つについて言う言葉です」)。絶対的という言葉は、一つについて言う言葉なのです。 それでは、男性の愛と女性の愛が願う、すべての理想的な女性、理想的な男性がいるとき、絶対的な愛を願う際に、その愛は二つでしょうか、一つでしょうか? (「一つです」)。それは瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。もう一度言ってみてください。瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。永遠です。 心と体の闘争歴史 ところで、アダムとエバの堕落は、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落です。人類歴史の最初に堕落の種が蒔かれたので、家庭が引っ繰り返り、家庭破綻が起こったのです。 引っ繰り返したものを、神様はどのようにされるでしょうか? これを正すためには、どこから正さなければならないのでしょうか? 頂上は、サタンがすべて握っています。 ですから、アダムとエバからはできません。下の弟を通してひっくり返すのです。聖書に長子と次子の話がありますが、神様が次子を愛された理由を、クリスチャンは何も知らないでいるのです。 本来、神様が人間の主人であられるということは、サタンも知っています。愛するようになれば、必ず血統を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができます。 それゆえ、サタンの愛によって、サタンの生命とサタンの血統が連結されているので、完全に引っ繰り返るのです。では、神様が復帰しようとすれば、どのようになさるのでしょうか? サタンは、本来の主人が自分でないことは分かります。本来の主人の立場は中心であり、自分は無理やり強制的に、相対的な立場に立っているのです。良心が絶対的プラスなのにもかかわらず、反対的立場の肉身を中心としたプラス・ダッシュ(′+)が生じたのです。これが反発するのです。 このようにして、心と体が闘うのです。皆さんは、心と体の闘争歴史から逃れることはできない人間であるということを知らなければなりません。ですから皆、大きなことを言ってはいけません。 人類始祖から今まで、恨み多い歴史をつづって、曲折の事由(事情)をつくり、混乱した家庭、社会、歴史をつづってきたのは、心と体の闘争歴史によるものであったという事実を知らなければなりません。この闘いを、だれが停止させることができるのでしょうか? 本来、堕落しなかったならば、心が絶対的プラスであり、体が絶対的マイナスとして、自動的に愛の中で一つになることができるのです。この肉身の愛に根を下ろして、愛のプラス・ダッシュとなったので、闘争歴史が始まったのです。 これを完全に解消しなければ、統一はありません。それゆえ、宗教は肉身打倒運動をしたのです。「柔和、謙遜でいなさい」「降りていきなさい」と言うのです。サタンは驕慢で上がっていくので、降りるように言うのです。百八十度、反対です。「犠牲になり、奉仕しなさい」と言うのです。 ここに、地方にいる官吏が来ているかもしれません。自分の権威を打ち立てて、「私の言うことを聞きなさい」と言うのです。堂々としているのです。堕落した世界であるということを知らずにいるのです。 そのように、今まで皆さんは、日常生活をする際に、体が心を引っ張り回しながら暮らしましたか、心が体を引っ張り回しながら暮らしましたか? これが問題です。 体が心を引っ張り回すのは、なぜでしょうか? 堕落のために、このことが分かりませんでした。堕落が分からない人は、救いが分かりません。どこで病気にかかったのか分からない人は、何の治療も受けようとはしません。 最近、癌のようなものも、三、四年過ぎるまで分からずに平然としていたのち、死んでしまうのです。今日、人間が堕落することによって、人間は自然刑務所にいるというのです。 サタンが絞首台を持って、人間を目の前で架けようと待っているのに、それが分からずに生きているのです。堕落の深刻さを知ってはじめて、悔い改めと解放の深刻さを知ることができます。 人間の堕落以後の神様の痛い心情を知れば知るほど、人間は神様に同情せざるを得ないのです。そのかたを知ってみれば、私たちの父母です。 そのような父母の前に、今日の宗教人が祈祷しているのは、「神様、私の困難を引き受けてください。あなただけがすべて責任を負って、許してください」と言いながら、全部、福を受けようとする者が多いのです。 牢獄の身の神様 私たち統一教会員は、そのような祈祷はしません。神様を解放し、父母を解放し、国を解放し、世界を解放しようと祈るのです。自分を中心として祈る者になることはできないのです。 ですから、世の中が反対するのです。宗教の世界は、出家を命令します。なぜ、出家をしなければならないのでしょうか? 天地を否定し、世界を否定し、自分の国を否定し、自分の民族、自分の氏族、家庭を否定し、それから、おじいさん・おばあさんを否定し、父母を否定し、夫婦同士、否定しなければなりません。そして、子女を否定しなければならないのです。 すべて、なくしてしまわなければなりません。ですから、出家を命令するのです。零の立場に返らなければなりません。 青写真によって、工場で生産していたすべてのものが故障したので、新しい青写真から生産しなければならないのです。救援摂理は、再創造摂理です。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として、選民圈を立てました。選民圈を立てたということは、神様がおられるという証拠です。 また、宗教において、「出家しなさい」という命令を下すのも、神様がおられる証拠です。それから、宗教では夫婦生活をするようにと言いますか、独身生活をするようにと言いますか? (「独身生活です」)。独身生活です! なぜでしょうか? 人類の父母になるおかたが、結婚式ができなかったので、堕落人間が結婚式をすることはできなかったのです。 アダムとエバの生殖器が、真なる愛を中心として神様とともに一つになって、血統と生命によって連結させるべき本拠地となり、本宮にならなければならないのです。 これは、本然の愛の王宮です。分かりますか? 愛の王宮は、どこのことですか? (「生殖器です」)。生殖器をそのように考えたでしょうか? 生殖器は、本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮です。本然の血統の本宮です。ここを通さなければ、個人も生まれることができず、国も生まれることができないのです。このことは、否定することができません。 愛の本宮で、神様と直系の関係を結ぶことができる因縁がないので、めちゃくちゃとなり、この天地を引っ繰り返したのです。 いちばん悪いものになりました。そして、優れているという人が浮気をし、ありとあらゆる酒杯のやりとりをしたのです。皆、天国に行けません。 私がこのような道を求めるために、霊界に入って捜して、このような事実を知ってみると、「ああ、知らなければよかった」と思うときが、どれくらいあったかしれません。 幾重にも重なった山のようです。個人的塀よりも、家庭の塀はもっと高く、氏族の塀はさらに高く、民族、国家、世界の塀はさらに高く、また、天地の塀はさらに高く、神様を解放しようとすれば、さらに高い塀を越えなければなりません。 その神様が、頂上におられながら指揮することはできません。はるか遠くの山の麓で、牢獄の身となっています。愛ゆえにサタンに包囲されて、牢獄の身となって監獄暮らしをしておられるのです。 では、そのような所に行って文総裁が喜ぶでしょうか? 私が神様にお会いしたとき、神様がどれほど喜ばれたのか皆さんは分かりません。そのような話をしたところで、気が変になったように思われるので話しません。 ぐったりとして歩き回りながら、全部、捜し求めてみたので、真の父母の歴史がこのようになっているということを、理論的に体系化しなければなりません。 理論的に体系を定めて、どのような賢い人でも否定できないようにして、これに触れれば感動して従わざるを得ないように内容を備えて、初めて地から出発するのです。 百八十度、反対の道です。個人をすべて否定しなければなりません。家庭、国家と世界をすべて否定しなければならないのです。 否定的な歴史を個人から歴史世界、天地を創造した神様の理想まで、乗り越えなければならないのです。ですから、文総裁は反対されるようになっています。 女性時代の到来 韓国が四十年間、反対しました。文総裁がいなくなったといって喜びましたが、世界がすべて明るくなりました。いちばん暗い所が、韓国です。西欧社会では次のように言います。 キリスト教であれ、宗教を信じる人は、「イエス様が人として来るならば、レバレンド・ムーンが間違いなくメシヤだ」と言っているのです。(「アーメン! )拍手してください。(拍手) さて、旧約時代も願ったメシヤ、新約時代も願ったメシヤ、成約時代も願ったメシヤです。成約時代は、メシヤに侍ることができるのです。 侍ることだけでしょうか? 会いたいメシヤであると同時に、知ることのできるメシヤです。 その次は、どのようになるのでしょうか? 別れるためのメシヤですか、共に生きたいメシヤでしょうか? (「共に生きたいメシヤです」)。メシヤの相対になることのできる資格者になりましたか? 共に生きようと言うのなら、大変なことです。 女性は、文総裁のことを夢に見るほど、慕ってきたのです。なぜでしょうか? 真の父母という言葉は、真なる王という言葉にもなります。 真なる王にもなり、真なるおじいさんにもなり、真なるお父さんにもなり、真なる夫にもなり、真なるお兄さんにもなるのです。そうですか、そうではありませんか? (「そのとおりです」) エデンの園で、エバが一日の愛の失敗によって堕落しました。男女関係が、どれくらい恐ろしいかということを知らなければなりません。 一瞬の関係を結んだことが、天地を引っ繰り返しました。宇宙を創造された全能の主人であられる神様が、億千万歳を経て嘆息し、今まで囚われているのです。 旧約時代、新約時代に、どれほど血を流してきたことでしょうか? 万物に血を流させ、子女に血を流させ、父母にまで血を流させて役事をしましたが、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛のためです。 女性たちは、雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性は妹なのです。再臨主の前に妹の立場に立つ女性たちが犠牲になることによって、歴史を蕩減しているのです。それを取り戻して、何をしようと言うのでしょうか? エバが真なる妹になれなかったので、真なる妹にならなければなりません。いちばん幼い赤ん坊のように、妹の立場に返ろうとするので、すべての女性は先生に従ってくるのです。 自分勝手に、男性を主導していた立場ではありません。絶対的に従順になることのできる女性の道に従っていかなければ、生きるべき道がないので、女性は文先生を崇めたてまつり、従ってこなければならないということが理解できたでしょうか? そのようにして、何をするのでしょうか? 過った妹を、神様の愛を受けることのできる妹にするのです。神様の愛と、一体化することのできる妻にしなければなりません。そのような妻を養成しなければならないのです。それから、真の母になることのできる伝統をつくってあげなければなりません。 私が女性のために、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? また、合同結婚式ゆえに、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? いちばん愛する人たちを、父母に相談もせずに結婚させてあげたので、悪口を言われたのです。 サタン世界は、悪口を言うようになっています。その悪口が悪いものではありません。天的に見るとき、私を条件に引っかけることのできる何の条件もありません。サタン自体も、私を条件にかけることはできません。 正義の立場で仕事を遂行してきたのですから、反対する人たちはどのようになるでしょうか? サタンも讒訴することができず、神様も讒訴することはできません。讒訴されない世の中で、反対する人は全部、讒訴条件に引っかかるのです。後になって全部、屈伏しなければなりません。 五十億人類だとすれば、二十五億の女性たちを全員、先生が教育して、二十五億の男性たちを再び救ってあげなければならないのです。 堕落は、エバが引っ張って地獄に行きましたが、真の父母の愛を中心として、反対にエバを引っ張ってこなければなりません。それゆえ、女性時代が来るのです。 女性は、自分の夫の秘密をすべて知っています。韓国で祝福家庭が、六百五十万双を超えたのです。もはや、祝福を受ける人がいません。今後、女性が全部一つになれば、野党、与党がなくなります。 三億六千万双の祝福完成の時 きょう訓読したこのみ言は、六〇年代に語った内容があります。そのとき人類は、三十億ほどでした。夢のような話を、そのとき話したのです。 そのとき、私がもし死ぬとすれば、み言を残して逝かなければならないと思って、生死の境で語った事実をこの民族が知らなければなりません。 このみ言があることによって、私が死んでもこのみ言によって、世界を収拾することができるのです。そのようなおかたを迎えることができなかった民族の怨恨と民族の恨は、どれほどのものでしょうか? イスラエル民族の比ではありません。そのかたは、完成した世界平和の天国を準備するために来られる親です。 そのような真の父母を、殺そうと追い出した立場にあったならば、その罪を何によって蕩減するのでしょうか? それゆえ、先生は韓国において責任を果たすまでは、公の席に現れなかったのです。 ですから、アメリカに行って、先生がみ言を中心として成し遂げたのです。もはや、全世界が韓国を包囲しています。 第一次アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。そうすることによって、イスラエルが全世界で流浪しながら、血をどれくらい流したでしょうか? 民族の恨を全部しょい込んだので、馬蹄に踏まれて死に、銃口によって死に、政治、経済の勢いに追われながら、六百万人まで虐殺されながら罪を埋めてきたのです。悲惨な民族です。 その民族を私が解放してあげようとするのですが、その民族が私に反対しています。第二イスラエル圈を中心として二千年間、殉教の血を流して世界的版図を築いた第二次世界大戦直後に、先生と一つにならなければならないのにもかかわらず、そのようになれなかったのです。 英・米・仏が連合国です。それは天使長国家です。日本がなぜ枢軸国なのでしょうか? 枢軸とは、中心という意味です。サタン世界が、中心を持っているということです。第二次世界大戦では、キリスト教文化圏が勝利しました。 そのとき、英国がエバ国家でした。英国は島国です。英国が生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスは英国とも戦い、アメリカとも戦いました。怨讐国家です。この三つが一つになって、天下を統一したのです。 歴史以来、世界を統一したのは、キリスト教文化圏を中心として一度しかありません。その上に、文先生が登場したならば、四十歳で神様を中心として天下を統一したのです。韓国は、心情的に世界の主体国になったのです。 しかし、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成がサタン的再臨主として現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は全部追われていくのです。 先生は追放されて、世界の荒野に追い出されて再び訪ねてくるのです。再び訪ねてくるのに、四十年かかったのです。金日成も亡くなり、共産主義も倒れ、アメリカも倒れるようになっています。このような話をしようとすれば、切りがありません。 女性は、一番目の夫を殺してしまい、その次に、二番目の夫を殺してしまいました。三番目に訪ねてくる夫は、再臨主です。その再臨主も殺してしまいました。荒野に追放してしまったのです。 第二次世界大戦による解放後、私たち韓民族は万歳を叫んだのですが、私は万歳を一度も叫びませんでした。ですから、統一教会は祝典の勝利的結果を中心として万歳を叫んでいます。 なぜ、万歳を叫ばなかったのでしょうか? 将来、どのようになるかということを知っていたからです。共産主義が乱舞するかもしれないということを知っていたのです。 このようなすべてのことは、原理が分かればすべて分かるのです。ですから、エバの立場の女性が、三番目の夫の立場である先生を殺したのです。キリスト教新婦国家が、先生を追放したのです。 このようにして、四十年間の荒野路程を復帰してきたのです。一九四五年から一九五二年までの七年間は、世界祝福家庭完結を標準としたのです。今、その時がやってきました。三億六千万双の祝福完成です。 今年の標語が何かと言えば、「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。(「アーメン」)。(拍手) 国を生かす「訓読会」 神様の新婦として、迎えて侍ることのできる恨の歴史が解けなかったという事実を知らなければなりません。「アメリカは世界を支配する」と言って、自分の国を誇ってはいけないのです。 誇っていては滅びます。「神様の下の一つの国」を主唱するアメリカは滅びます。「神様の下の一つの世界」を主張しなければなりません。 アメリカは、平和世界を忘却しています。民族を超えた立場で、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びていく弟たちを援助し、救ってあげなければならないのです。自分の血肉まで削って、与えなければならないのです。そのようにしなければ、アメリカは滅びるのです。 私がこのような話をするので、アメリカで反対されて監獄まで行ってきたのです。最近になってからは、私のお世話にならなければならないということを知っています。 今回のワシントンの大会(四千万組世界祝福式)について、皆さんは考えなければなりません。ワシントンが何かと言えば、世界の首都の立場です。そこでCIA(米中央情報局)、FBI(米連邦捜査局)が調査するその場で、祝福結婚をしたのです。皆さんは知りませんが、アメリカ内で今現在、政府ならぬ政府がほかにもあるのです。 レバレンド・ムーンを消してしまおうとしたのに、CIA、FBIを通して全部調査してみると、一つも間違ったことがありません。コーナーに追い込んでみると、追い込んだすべての材料は、共産党がつくったものです。本にして数十冊になるでしょう。ありとあらゆる韓国の妖しげな連中を、全部動員してつくったのです。 その材料として使ったものを、私がすべて持っているのです。韓国のだれが反対したのか、名前がすべて出ました。 かわいそうな韓国、祖国という名前が怨讐です。ですから、韓国人は怨讐です。先生が同情しなければ、めちゃくちゃになったはずです。 力で対決しようと言うなら、私が対決します。理論で対決しようと言うなら、私が理論で対決するのです。理論で対決しても、私にかないません。世界ですべて判定が出たのです。数多くの学者、数多くの宗教人が、文総裁をたたきのめそうとして、多くの人が訪ねてこなかったと思いますか? 韓国人は、文総裁を誇るに値しますか、誇るに値しませんか? (拍手)(「誇るに値します」)。誇るに値しますか、値しませんか? (「誇るに値します」)。もう一度、言ってみてください。誇るに値します! (「誇るに値します! )。ありがとうございます。 皆さんが故郷に帰った後に、私がここに参加した人の家を訪ねていけば、昼食や夕食でも、ごちそうしてくれなければなりません。あちらのいすに、聖なるかたたちが座っています。ごちそうしてくれますか、してくれませんか? 鶏を買ってくるとか、孫の婿が来るとか、婿が来るとか、嫁が来るとか、息子・娘の義理の親がやってきた以上に、もてなさなければならないということを知らなければなりません。それだけは知って帰ってほしいのです。そうすれば、一族が滅びません。福を受けます。 第二次世界大戦に、令状をもらって汽車に乗ろうとして乗らずに降りた人も、出戦の勇士ですか、勇士ではありませんか?(「勇士です」)。(笑い) そのようになる可能性があるということを知らなければなりません。むやみに呼んだのではないのです。今回、呼びましたが、来なかった人は私が責任を持ちません。自分が責任を持つのです。 その代わりに「訓読会」をしてください。一族を中心として旗下にいる人は、私とともにこのように「訓読会」をするときに、国が生きて余りあるのです。 今、文総裁は世界的基盤をすべて持っています。皆さんの子女を、世界化時代に世界的人物にしたいですか、国家的人物にしたいですか? 国会議員であれ、長官であれ、道知事であれ、そのような人物にする自信がありますか? 私に任せてほしいのです。 「訓読会」を三か月間だけでもしてみてください。息子・娘が、お互いに「訓読会」をすると言って、けんかをするのです。そのようになれば、民族に希望があります。私が辛苦に耐えながら、生涯、獲得してきたすべての宝箱を提供してあげようとしているのです。これは翻訳をしないように、と言いました。 きょうの誕生日を中心として、このようなことを話すのです。きょうは、七十八回目の誕生日です。「七・八節」は何かと言えば、神様がこの地上に安息される「天地父母天宙安息圏」を宣布した日です。ですから、七十八数は因縁があります。 参席した人は、み言を持ってみ言と一つになれば、天が協助できる圏内に入るのです。 女性は三時代に、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。この話は何かと言えば、おばあさんから、お母さん、自分までの三代が一つになって、本然の夫を殺した罪を謝罪しなければならないということです。そうして、女性の解放が成されるのです。 それゆえ、先生を知ることによって、真なる兄、真なる夫を知るようになり、真なる人類の先祖を知ることができるのです。 千年万年過ぎても、愛する心が変わらないで、初めてその伝統が文化世界を創造し、アダム単一文化圏、単一・統一の平和世界の橋となるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 「成約時代宣布」 「成約時代宣布」。(板書される)きょう、誕生日に本部で成約時代を宣布しました。時代が変わるのです。百八十度、反対になったのです。旧約時代は、結婚を完成できませんでした。新約時代は、約束したことを失敗しました。 今、成約時代において結婚理想を完結するのです。三億六千万双は、アダム家庭が引っ繰り返ったのを解放する最後の祝福です。 文総裁が、本然の愛と本然の生命と本然の血統を中心として、直系の子女を自分が父母として祝福することのできる時代が来ます。 ですから、第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代から、第四次アダム時代へと移っていくのです。第三次アダム時代までは、蕩減が必要な時です。三億六千万双が終われば、蕩減が必要ない第四次アダム圏時代に入ります。 そうすることによって、自分の父母が神様の代わりに祝福できる時代に入るので、万民すべてが自分が祝福した一族を中心として、天国直行の道が生まれるのです。 第一次、第二次アダム圏時代は、蕩減が必要です。蕩減が必要な理由は何かと言えば、サタンが残っているからです。サタンの血統、汚された痕跡が残っているということです。 サタン世界の血統を断切することによって、痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福できる解放的場で、万民、人類全体の家庭が平面図上でいっぺんに祝福されるのです。 アダム一家庭が成し遂げられなかったものを、世界全体の家庭が祝福される時代を迎えることによって、アダムの家庭完成した自分の血統を中心として、天国に入ることのできる真の愛と真の生命と真の血統を、直系的に繁殖することのできる解放時代へと行くのです。この時代を第四次アダム圏解放時代と言うのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 膨大なみ言の内容が、三百巻を超えるのです。このような内容は、五十年前に話をしたものも、全部が一致するのです。どこからか泥棒したものではありません。原稿なしで話したことが、すべてきっちりと一致します。 そのようにしながら、峠を越えるときに宣布するのです。個人が勝利した所にサタンは入ってこられません。家庭勝利圏宣布をして、サタンを断ってしまうのです。 氏族勝利圏宣布、民族勝利圏宣布です。もはや、世界勝利圏宣布をしようとするので、天地父母天宙安息圏を宣布して、神様を迎え入れなければなりません。 旧約時代は、祭物を犠牲にして息子が来る道を準備したのです。イエス様がやってきて息子が責任を果たして、真のご父母様が来られる道を準備したのです。 ご父母様が来られて苦労したのは、神様をお迎えするためのものなので、「天地父母天宙安息圏」を宣布したのです。その日が「七・八節」です。 それは、先生の七十八周年の誕生日と連関があります。すべてのものが計画的であり、統計的です。神様を牢獄の身へと追い込んで、闘争してきたサタンに勝つことが、どれくらい難しいでしょうか? サタンは、どれくらい知恵のある王でしょうか? ここに来られた尊敬される人たち、先生に対して反対したすべての人たち、参席した人たちに対して許しを宣言します。(「アーメン」)。(拍手) このように、よくなる時代になりましたが、いちばんの問題は何でしょうか? どのように、天国に行くことのできる主導権を握るのかが問題です。 忘れようとしても、忘れることのできない一つのモットーがあって、そのモットーを抱いていかなければならないのです。そのような内容から今、お話しするのが祝福です。その「祝福と永生」は、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 このようなことを解説をすれば、本当に面白いのです。歴史がすべて解けます。この一冊で、歴史をすべて解くことができるのです。 ここに来られた人々は、先生が郡、面(地方行政単位の一つ)のような所に行けば皆、歓迎してくれますか?(「はい」)。そのようにすれば、皆さんにとって良いのです。民族が生きるのです。 それでは、「祝福と永生」です。祝福と言えば、統一教会では国際合同結婚式を指します。 永生することを知る 世界人類は、末世(終末)に生きています。アダムとエバが青少年時代に、エデンの園で罪の種を蒔いたため、家庭が引っ繰り返ったので、終末はそれを収穫する時なのです。全世界の青少年問題は、神様が干渉できなかったように、どこのだれも、政治、経済、文化、どのような教育団体、宗教団体も手を出すことができません。皆、降参しています。これを収拾できるのは、真の父母しかいないのです。 世界人類は、末世に生きています。なぜ今、世界の家庭が壊れているのでしょうか? 父親、母親、子女たちが怨讐になったりするのは、なぜでしょうか? 真の愛がないからです。 いちばん重要なのは、永生問題を知らないからです。永生すると考える人は、だれでしょうか? キリスト教も永生については、よく分からないのです。霊界があるのか、ないのか、ということを知らずにいます。これは事実です。このような立場から、最後に皆さんに警告する内容のみ言として、このようなお話をするのです。 永生するということを知れば、ほかの人たちが、「罪を犯せ」と言っても犯さないのです。「自分のために生きなさい」と言っても、そのように生きません。このことを知らなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。 真の父母が生まれた所は、人類の祖国です。地上天国と天上天国の出発地であり、神様が全権時代を迎える所です。ですから、滅びることはあり得ず、全盛の時代へと発展するのです。 大韓民国の国民は、「訓読会」を通して、真の父母と超国家的に一体を成して、万国に勝利圏を誇る国を築いてください。アーメン。(「アーメン」) ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで生涯、多くの迫害を越えてきたのは、神様が導いてくださったからです。ですから、世界では今、政治、経済、文化人たちが、レバレンド・ムーンに注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国になり、統一世界の母国になるためには、この場所を奪われてはならないのです。神様の祝福が共にあることを祈ります。アーメン。(「アーメン」) [祈祷] 流れゆく歳月の中で、一存在というものは微々たるちりにも及ばないことを知るものです。この大宇宙の中で、霊長の権威を備えたアダムとエバのその威信が、いかに高貴であったかという事実を知るとき、この上なく恐れ多いものです。 神様の前に、本然の父母の前に威信と体面を立てられず、願っていた理想的な完結を願う神様が、孝子の道理、聖子の道理を願う聖子の権威を備えたその立場で、すべての宇宙を相続なさろうとする神様の気高く、大きく、広いみ意があることを、統一教会の人々は知っています。 「私」というとき、大韓民国の「私」ではなく、全天宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者として自覚できる意識的な存在の権限を付与されました。 神様が、愛で私たちを呼び立てて、真の父母によって訓練されることによって、その立場まで考えることのできる存在を備えるようになったことを感謝申し上げます。 私たちがわきまえていくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実。絶対愛の個人基準、絶対愛の家庭基準、絶対愛の氏族基準、絶対愛の民族、国家、世界、天宙、神様まで連結された基準が、一家庭圏内で結束されて、発生―成長―完成していくとは、だれも知りませんでした。 今、統一教会の人たちが原理のみ言を通して、真の父母の教訓である訓読した内容を通して、そのような立場を備えられるようになったことを本当に感謝申し上げます。 私は、今、祖国となる韓国の地を忘れられずに、再び訪ねてまいりました。来てみますと、言うに言えない事実をあなたがご存じであり、「訓読会」を通して心情の基台を束ねて、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国に行ってでも暮らすべき永遠の因縁のある祖国であるので、訪ねてきて「訓読大会」を始めたのです。 きょう、ご父母様の聖誕日に、全世界の各国の国家的メシヤたちがお祝いをするために集まったこの場に、共に同参できる民族的指導者、志のある団体の代表たちが集まりました。 天が教えてあげ、天が苦労して、収めた実績基盤、光栄なる勝利的権威の立つ立場を継承させるために、成約のみ言の「訓読会」を開きながら、成約時代、大転換時代を迎えたのです。 天の解放的選民圏を持たなくとも、だれでも選民圏の立場に立って、選民の先祖たちを通して、地上と天上世界に役事していた歴史時代を克服し、すべての自分の先祖たちが、真の父母と一つになることによって、イスラエル圏の代わりに一族で上下に連結できる解放圏を備えて、万民祝福時代を迎えるようにしてくださった恩賜を感謝いたします。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受け得る子女たちとなることを願いつつ、三億六千万双の聖なるみ旨に国民全体の心情を集め、七千万民族が解放の声、万世にとこしえに輝くことのできる祖国の伝統的精神を、万国に植えられるよう各自が自省し、そのことに責任を負い、世界に伸びていくことのできる祝福の道を、各自が迎えることができるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 きょう、七十八回、五十五回を迎えるご父母様のご聖誕行事を通して、万国に天の祝福がありますように。 きょう、「訓読会」を通して下される恩賜が、ここに集まった百八十五か国の指導者たちとともに、その国のすべての民族人類全体に及ぶことを切にお願い申し上げながら、全体、全般、全権、全能の役事を備えて、万国解放の世界に前進するように願いながら、真の父母のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.23
コメント(0)
「新しい成約時代」宣布一九九八年二月二日、真のご父母様の御生誕日(陰暦一月六日)を記念し、ソウル市・漢南洞・国際研修院にて、敬礼式、祝祷とみ言を通して、「新しい成約時代の到来」が宣布された。また、二月三日、韓国・九里市の中央修練院(水沢里)で指導者会議が行われ、新しい成約時代の信条として、家庭盟誓に第八条が加えられた。 敬礼式の祝祷 愛するお父様……、本日、一九九八年二月二日、陰暦の一月六日、この日は、この地上に「真の父母」の名を中心として生まれて以来、七十八周年目と五十五周年目を迎える祝賀の日となりました。 天と地が見つめるこの場、万民が欽慕するこの場となり、神様の愛の器官、福の器官となりまして、 万国万象の上に生命的な因縁を連結しようという、お父様の再創造的な摂理の完結を標準とした真の父母が立つこの場でございますから、お父様……、これまで歴史時代に恨を抱いてこられたあなたの心と、あなたの子女となるべき人類の心を一つにするために苦労してこられた天の功労の前に、心から、心から、心から全人類に代わって謝罪申し上げます。地上における最後の戦線を前にし……、「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という標語を中心に、あなたの最後の戦争を整理しようという、大いなる歴史的使命を前にしまして、今、前進するこの過程にありますから、お父様……、今まで私たちを保護し、導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 今や、残されたこの三億六千万双の完成、二千年代までに私たちの責任を中心として前進するこの過程におきまして、あなたの協肋と共に、霊界の協助と共に、この地上に成し遂げることができるように導いてくださいませ。 それによって、先祖と子女たちが天上世界と地上世界の一体圏を成し、あなたの愛の主権、勝利の覇権が、あなたを中心として被造世界全体に臨むことを許諾してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 この地の真の父母を中心として、「天地父母天宙安息圏」を宣布することによって、神様が私たちの心の世界、家庭の世界から、氏族・民族・国家・天宙世界に臨在なさいまして、あなたの意のままに再創造の権限を中心行使なさり、より高く全天宙のすべての手続きを整備し得る時を宣布いたしますから、お父様……、今まで私たちの心と体の中に臨まれ、家庭の中心、世界の中心となられまして、サタン世界の汚れた痕跡をきれいに清算しても余りあるようにしてくださいませ。 私たち各自が、心からお父様を知って神様に侍り、家庭において神様に侍り、氏族、民族、国家、全体で神様に侍り、天宙の大解怨成就の解放圏を備えることによって、万民解放のあなたの愛の懐を渇望していた父と母と子女たちが相まみえることのできる喜びの勝利圏をこの天宙において……、あなたが願われるすべての神聖な版図の上において、相まみえることができますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダム家庭で失ったすべてを、人類全体の家庭を代表して平面的な面で蕩減復帰することのできる、最後の闘いの場を迎えた私たちでございますから、今や私たち各自が誓うべきことは、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、世界と地上天上天国が一つになることでございます。神様と地上の真の父母の一体圏が、万国万象を越えて顕現できるように祝福してくださいますことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダムが堕落して願いがかなわなかったことによって、摂理的な方向を転換するために旧約時代を立てられ、二千年にわたってそれを完成し、民族的基盤の上に立って天国を代身できる基盤を築きあげたのちに、第二次アダムが来られまして、家庭基準ではなく、国家基準で王権を立てようとしたのでございます。しかし、すべてを立てることができなかったがゆえに、恨の歴史を残した悲しみの歴史が延長してきました。 そうなることによって、二千年の歴史を中心として第三次アダムが来られましたが、地上で「真の父母」の権限の行使を完備・完成し、天宙の大勝利圏として、神の真の愛を中心とした主権的な覇権を成功させてくださいませ。そうして、万国万象を自由自在に治め得る最後の国を望むものでございます。イエス様から二千年間……、数多くの代価によって、真の父母のみ名をもって、二千年のすべてを七年間に成就しなければなりませんでした。 しかしながら、キリスト教が従うことができずに、四十年を中心として今まで延長し、キリスト教が反対した環境を取り戻しまして、世界的な版図を越えた七年以降の一九五二年……、完成した万民祝福の限界線を越えんとする立場に再び立ち返りましたから、お父様……、あなたの子女として万国を治め、あなたの子女として万民を派遣しまして、サタンを整備・断絶し得る「成約時代の到来」を宣布できる時となりました。「成約」という、万民が神様の前に祝福を受けることができる、神聖な時をもったこと自体を、万世・万象・万民が、賛美、賛美、賛美できる時を迎えました。 今日、このご父母様の御生誕日を期し、新しい成約時代の転換された勝利の版図を迎えられるようになったこと、万民が受けられるようになったことを、天の父母と地の父母と共に同苦同楽できる時代を実現してくださった天の前に、感謝申し上げます。これから成約時代の新しい転換、新しい時代を迎えることによりまして、我々父母は皆、成約時代の、アダムが完成できるその立場に代わって神様に直接に侍り、神様直接の指導下で原理圏内に立つことのできる真の父母に代わる資格者にならなければなりません。生まれた子供たちは成約時代の新しい子女、成約時代の新しい兄弟、成約時代の新しい夫婦、成約時代の新しい両親として、天の前に孝行の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を立てまして、責任的時代に責任を果たせるように祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。全霊界がここに一体となり、地上万民が真の父母を中心に縦的・横的に愛の定着地をつくって自由に四方に拡大できる自由な家庭的版図になじませてくださったことを、心から感謝申し上げます。 この日を期して成約時代の到来を宣布し、万民が祝福家庭の完成を通して天の栄光の恵みを家庭に抱き、神様が直接に経綸される中で侍ることのできる、直接的な体恤の生活をさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。これらを見つめる霊界のすべての霊人たちが、自分の子孫たちに従って一体化し、アダム的完成の世界に協助し得る天使長圏内に立って、一心一体となるようにしてください。 そうして、忠孝の道理を誓うことのできるすべての道を、四方に大きく開放させてくださいませ。万民の心情統一圏を整えて、天の大家族を真の父母を中心として成就させてくださいますよう、切にお願い申し上げます。そうして、国境を撤廃し、歴史的な環境のすべての伝統を超越し人命を超越し、一つの血族として血が沸き血が結ばれる一つの大家族を形成しまして、地上天国を形成して天を解放することによって天上天国の門を開放し、地上から直接天国に行ける完成した成約の民とならせてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 このすべてを天が公認してくださいませ!今日この日の朝、真の父母の御生誕日に代わって、三億六千万双に責任をもって越えていかなければならないこの殿におきまして、祝福の恵沢を万民の前に宣誓いたしますので許諾してくださいませ。成約の一族、成約の民族、成約の国として備え得る責任の所行を、十分に全うできるように導き、叱咤し、覚醒させまして、あなたのみ意のままに完成なさってくださいませ。 真の父母の行いを通して新しい時代をつくった、祝福家庭の一体圏を中心として成約時代を宣布いたしますから、天と地が、直々にこの印を受けて、受けた責任を完成しますことを、真の父母様のみ名によって宣布いたします!。 アーメン! アーメン! アーメン! 敬礼式のみ言(二月二日) ここに二世たちは来ていますか? 今後、二世たちは清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結させなければなりません。アダムとエバの堕落によって分かれてしまったものを、連結させなければならないのです。統一教会は今まで、肉的な基盤においてこの世の堕落を清算してきました。この、霊的な基準に連結できる運動は、清平を中心とした世界的な運動であるということを知らなければなりません。偶然のようにやっているのではないのです。 清平に行って、今まで堕落によって、サタンの血統を通じて汚したすべてを清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結させなければなりません。 イエス様は地上に来られて、家庭的基準を立てることができませんでした。ですから、今まで先生がやってきたことは、アダムとイエス様が失敗したことを世界的な途上で完結することです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任なのです。 これが(板書されながら)今の祝福家庭を中心として三家庭、三六家庭から今に至るまで、これが全部で十二の峠です。十二の峠を越えて、これが頂上において、蘇生・長成・完成として着地しなければならないのですが、長成基準において三千六百万双を超えたのです。天があまりに急迫していて、そのように役事されたということを知らなければなりません。 今では三億六千万双を行えば、堕落によって祝福基準に代入されたサタンの血統がすべて絶たれ、これからは地上に着地できるのです。三億六千万双時代に突入したのです。それによって、今や雨が降っても分水嶺において、向こう側に流れていかないのです。これからは、こちら側に連結されるのです。 神様は今まで、堕落した以降にも堕落した人類をすべて愛してこられました。母親のもとに一緒に送ったのです。カインとアベル……、アベル側よりも、むしろカイン側を追求したのです。ですから、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史が、ここから転換されるのです。これからはすべてが変わっていくのです。 転換されるというのは、アダム時代に分立していた天使世界のカイン圏が、ようやくびっくり返ることによって、アベルが直接天使と連結される時代に入ったということです。これが二世なのです。ですから、二世はサタン世界の祝福圏を超えて、天の血族とならなければならないので、自分の名前も、昔の名前も忘れ、姓も忘れ、考えてもならず、国をも考えてはならないのです。韓国人だとか何だとか、そういうことも考えてはならないのです。 自分たちの両親は血統的な関係を結んで聖別されてきましたが、分別された立場で生まれてきた二世たちは、血統的な面でサタンと連結する何の因縁もあってはなりません。しかし、実際はそうではないのです。祝福家庭の二世の中には、ありとあらゆる子女がいるのです。 ですから、二世たちは一人の例外もなく清平に行って、四十日修練会を受ける間に霊的体験をし、自らを分別しなければなりません。それでも霊的体験ができず、自らを分別することができなければ、百二十日、六か月かかってもやり遂げなければなりません。学校が何ですか、就職が何ですか!認めません。一世たちは、例外なく行って、すべて溶鉱炉に入り、過去にあったすべてを燃やしてしまわなければなりません。そこには、どこそこの社長とか学者とかいったものはありません! 統一教会に属するすべての祝福された団体、これまで先生と因縁をもって連結された団体の中には、多くの祝福を受けた人々がいますが、彼らも例外なく清平の修練会を経なければなりません。ですから、二世たちと共に……。それで今日、何を宣布するのかというと、「成約時代」を宣布するのです。 「成約時代」とは何ですか? 成約というのは結婚することを意味するのです。旧約は何かというと、結婚に失敗したのです。二番目の新約は何かというと、結婚を新たにするために来たのです。新約がみ旨を果たせなかったので、成約時代へと延長されたのです。 「成約」とは何かというと、祝福を受けることを意味するのです。サタンの血統を全廃し、サタンとのいかなる因縁をもなくすのです。そこには民族という概念や、国家という概念はありません。完全にゼロの立場に立たなければなりません。創造するときには、あらゆる自然の万物が用いられたように、そこには何の概念もありません。ないのです。ゼロなのです。神様の創造のみ手、愛の因縁を通してつくられるその存在形態を通じてこそ、存在自体が、意識構造やすべての観念を受けるようになっているのです。 これが二世時代……、全世界の人々は、今後清平に来なければなりません。誰であろうと今後ここを経ない人たちは、祝福もしてあげられません。また、今まで祝福家庭のうちで、本然的基準に沿った行動がとれず、性的問題で絶対性を守れなかった人たちは、今後除去してしまわなければなりません。妻が除去し、夫が除去する時が来るのです。この世の何よりも恐れるべき器官であることを知らなければなりません。 この者たち! ありとあらゆる悪いことをして……、第三者とキスをすることは許しません。ありとあらゆることをしていると聞きました。一線を越えなければ罪ではないと言うのですか! この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれほど受難の道を歩んできたか知っているのですか!絶対性というものを、退屈しのぎに発表したとでも思っているのですか! ですから、「成約時代」を発表するのです。これまでは、そのような傷のある者たちは、祝福に加わることができませんでしたが、祝福をしてあげたのです。そのような者たちは、逆さ吊りにして皮を剥がなければなりません。昔は貞操を守れなかった寡婦は、すべて殴り殺されました。それ以上なのです。堕落は女性の方に問題があります。女性に、その道を守る一番の責任があるがゆえに、女性の節操ということが、よく言われるのです。 一世の時代はサタン時代なので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。女性という色、女性という姿には、本然の愛の心情をもてる絆など何一つありません。ぼろの糸にしてしまったのです。吹き飛んでしまうようになっているのです。愛を考えるのも嫌になっているのです。男性も女性もフリーセックスによって、愛がなくなってしまったのです。 神様が理想的愛を中心として、地上・天上の理念を完成しようとしていたことを、サタンが全権を通じて完全に破壊してしまったので、今や愛はなくなってしまったのです。愛がなくなってぽっかり浮いた中、再び地上に愛の種を授かり、接ぎ木というみ業によって愛の種を植え直すのです。 自分の全体を切り払い、真の父母の体と思想をそっくりそのまま授かって、接ぎ木した身で生きていかなければならないのです。接ぎ木した芽が完成するまでは、「自分」という概念はありません。接ぎ木して芽が出て、実が実ってこそ、ようやく「自分」という考えが始まるのです。自分の新しい概念、思想的な概念や良心的な概念をもつようになるのです。接ぎ木をして、自分が花咲き、実を結ぶまでは、「自分」ということを考えることができないのです。 これからは皆さんも同様です。国を越え、世界を越えていくときには、皆さんがあの世の天使世界を経なければなりません。百二十万の天使が待っているのです。それはイエス様の時代です。門を開けて入るのです。ですから、マルコの屋根裏部屋で祈り合った時に集まった百二十門徒が、この地に来て、イエス様が探すべき百二十国家の門を開けなければならない時なのです。その次に百六十、百六十ではなく百八十です。アダム時代に入っていくのです。アダム時代は神様が直接主管するので、すべてが分かります。みな通じるのです。その門を通過すべき準備を、今からしなければなりません。 「三億六千万双の祝福完成」と「サタン世界の血統断切」です。夢のような話です。それらが私たちの時代に可能となる版図、生涯を歩み、それらの前に忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たし、天国地上・天上天国を完結するというみ旨の生涯を歩んだというのは、貴い因縁であり、今この時は皆、その標準の前に脱落することのない、各自が立てるべき立場、各自が越えるべき家庭の標準を、築かなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園に帰ったならば、神様に直接主管される立場が許可されるのです。その立場は千差万別となることでしょう。そのためには、真の父母の伝統を受け継がなければなりません。それで訓読会を始めるのです。今まで真の父母が何をしてきたのか、全く知らずにいるのです! み言は聞いたけれども、汚れたことをしてきたのです。……六十年代の前から、ご父母様の聖婚式の前からみ言を語ってきたのですが、皆さんはすっかり忘れてしまいました。 その時を振りかえると、先生は生きるか死ぬかという生死の境をさまよっていくような時でした。行き場がありません。横にも行けず、前や後ろにも行けず、左右にも行けず……、ひたすら前進するしかありませんでした。前途にあるのは、銃と刀でした。銃と刀を越えてきたのです。「自分の家族が怨讐である」という言葉があるように、カトリックやキリスト教が、先生を打って捕まえようとしてきたのです。そればかりか、それに同調して全宗教と全人類、すべての万物までもが……。どれほど深刻であったことでしょうか! ですから、生きるか死ぬかという境地で語ったみ言なのです。 どうして、それほどまでに詳しく話してあげたのでしょうか? 死んでもみ言を残さなければならないという責任があったからです。そのみ言を聞くとき、気楽な立場で、今日のような場で、意味のある場で聞く、というものではありませんでした。それを知らなければなりません。死ぬか生きるかという判決において、天的な召命を受けた真の父母としての責任を完遂できずに行くとき、恨を残すのです。 イエス様が雲に乗ってくるのではなく、人として来るということを知らないのに、どうなりますか? すべてを明らかにしていかなければならないのです。後代の人々が、私がいなくてもこの道に従って来られるように、すべてを事細かに話してあげたのです。あの時には狂人の言葉と言われました。狂人の言葉を誰が信じますか? そのような立場でみ言を語つたのです。 ですから、そのようにみ言を語りながら宣布してきたのです。宣布式です。今日もこの「成約時代」を宣布するのです。ですから、サタンは穴を開けて入ってくることができません。このみ言に照らし合わせてみたとき、サタンが向こう側に立つていると、いうことを、あなたがたは知っているかというのです。サタンは宣布したその峠を越えることができません。最近になって「七・八節」、「天地父母天宙安息圏」を宣布しましたが、それがどんな宣布であるか知っていますか? 通りすがりの人が酒場で一杯やるような、そのようなものではありません! 生死の境をさまよいながら越えてきたのです。神様をこの地に迎えなければならないのです。 ですから、先生はそのように歩んできて、今や三億六千万双を前にし、「サタン世界の血統断切」という今までになかった峠を完全に越えていく、前夜祭のような立場で七十八歳の誕生を祝うという厳粛な場なのです。ですから、この日を期して、統一教会の父母を考えるとき、真の父母の生まれた日と生活、生涯を記憶する限り、成約時代の宣布をしたその内容を忘れてはならないのです。 成約時代の父母、成約時代の子女……。その父と母にとって、願いは他でもありません。神様のみ旨を受け継いで神様の息子になること、愛の天上天国の相続者になること以外にはないのです。 時代は今、成約時代です。これからは、皆さんは負債をつくってはなりません。負債があってはならないのです。そうではありませんか? 負債、負債、負債をつくって、越えていくことができますか? アダムとエバが祝福を受けて負債をつくったのですか? どうですか? これを清算するために、日本と韓国に指令を出したのです。遊びではありません。 今日は何の宣布式をしましたか? 成約時代を宣布しました。皆さんは成約時代の人々ですか? 成約時代の人々は、国を憂い、世界を憂う必要のない立場ではありません。先生は成約時代を越えましたが、皆さんは越えていません。死ぬか生きるかは先生にかかっています。好き勝手に行けないようになっているのです。そうではありませんか? では、誰を祭物として捧げなければならないのでしょうか? アベルという言葉を知っていますか? カインの世界の過ちに対しては、アベルが打たれなければなりません。今日から全祝福家庭は、蘇生圏、長成圏、完成圏、すべての結果主管圏内から直接主管圏内に連結されますが、皆さんは直接主管圏を越えていません。今、先生を中心として、ナイロンの糸でつながっているようなものです。 自分の重みがかかっているため、先生の速度が速ければすべて切れてしまいます。ついていけずに切れてしまいます。先生の前に出て、走っていけば切れることはありませんし、体に巻き付けて自分で調整できる能力があれば切れませんが、先生が走っていくその基準にどうしても合わせることができなければ切れてしまうのです。 すべての食口は今後、家庭全体の七年路程が残っているということを知らなければなりません。先生も七年路程を歩みました。世界舞台でですか? そうではありませんか? これからは学校であれ何であれ関係ありません。この者たち! 日本と韓国の統一教会の全食口は大移動です! 変化なのです。優劣を問わず皆……。それで、南米に土地を買おうとしたのですが、一年に二百万ヘクタール以上を買う計画が皆さんのせいでできませんでした! 何の話か分かりますか? 大移動です! これからは、先生はここに来ないかもしれません。エバ国家、アダム国家は必要ありません。アダム国家とエバ国家をかたづけてしまえと宣布しました。 ですから、日本を指してエバ国家と言ってはなりません。三週間前に宣布したのです。母の国家、父の国家は責任を果たせませんでした。先生がこれを宣布することで、先生が越えて立つのです。真の父母として立てられるのです。真の父母が世界の先頭に立っていかなければならないのです。ウルグアイを中心として今までやってきたことは、韓国を生かすための教育です。既に二十年前から準備してきました。南米の国家と北極は循環運動を共にするのです。 循環とは、上が下になり、下が上になることです。上がっていたものが下がり、下がっていたものが上がるのです。上が下に変わることができるので、そのような基盤を既に二十年前から築いてきたのです。(二八九-二九八、九八年二月二日) 世界指導者会議でのみ言 一九九八年二月三日(真のご父母様の御聖誕日の後日) 成約時代の宣布 「成約時代」を宣布したので、今後は自分の勝手にはできません。旧約時代・新約時代は過ぎ去りました。聖書が要求する基準に関係なく、私はそれ以上の立場に立ったのです。今まで聖書の旧約時代・新約時代にできなかったことは何かというと、心と体を一つにすることです。これからは、心と体を一つにしなければなりません。(1)真の父母と絶対一体圏の形成(2)三時代の中心形成 真の父母が、三時代の中心になられたので、皆さんも三時代の中心になったと考えなさい。三時代の代表であるという観念をもった立場に立てというのです。 先生が三時代の父ですから、皆さんもお父様と共に生きている限り、三時代の中心の立場にあるのです。ですから、そのような環境をつくりなさい。三時代の国家を代表し、三国を中心として生きなければなりません。上下の中心は三点です。左右の中心も三点です。前後の中心も三点です。それゆえに中心点なのです。三時代の中心圏に立ちなさい。上下の中心、左右の中心、前後の中心、三点の中心に立てというのです。それを話しているのです。 先生が過去・現在・未来の中心として、蕩減の道を歩んできたように、皆さんもそのような立場に立って、自らの蕩減の道を歩んで行かなければなりません。そのような真の父母を中心として一体にならなければならないがゆえに、そのような観念をもって、対処していかなければならないのです。(3)家庭を中心とした天宙代表家庭の形成 「家庭を中心とした天宙代表家庭の形成」です。皆さんの家庭は、一個人の家庭ではなく、天宙を代表した家庭です。なぜでしょうか? 真の父母がそのような立場にあり、皆さんが真の父母の真の子女の立場にあるので、そのような伝統を立てなければ中心に連結しません。家庭を中心とした天宙代表家庭の形成なのです。(4)総蕩減のための三時代祝福の基金完了 さきほど話したことですね? 家庭時代、国家時代なのです。教会祝福の基金も完了しなければなりませんが、国家が一つになる時が来れば、国家基準においては十倍以上、十二倍以上しなければなりません。それからのちには財産のすべて、息子と娘、すべてを捧げる思いをもって神様に仕えなければなりません。神様を追放しましたね? すべては原理的にしなければならないのです。先生が考え出してやっているのではありません。(5)家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真のご父母様に侍る生活を完成すること 真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従を成し、本然の神人愛一体理想圏を完成しなければなりません。神人愛は神様と真の父母と真の愛の一体圏をいいます。一体圏は理想的です。すべてが一つになっています。小さなものから大きなものまで、すべてが一体となっているので、地上天国に自動的に入って永存することができるのです。 今後、神様と真の父母に侍って生活することによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をし、本然の神人愛一体圏を完成しなければなりません。一体圏です。その枠を言うのです、枠です。 私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、本然の神人愛一体理想圏を完成すること。一体理想圏です。一体圏は一体理想に入っていかなければなりません。これが重要なのです。 ①成約時代、成約家庭の権威を誇ること。 ②個人・家庭・夫婦・子女・一族を誇ろう。 ③サタンの血統を清算し、統一天宙を完成すること。 ④私の家庭が、地上天国と天上天国を完成すること。 誰がやるのかというと、私たちがやるのではなく、私がやるのです。自分の地上天国と天上天国をつくらなければならないのです。本来、アダムとエバがそうではないですか?「家庭」とはアダムの代身なのです。 ⑤ 一体生活は、成約時代を中心として完成しなければならない。 一体生活とは永生を意味します。一体生活は成約時代に完成させなければならないのです。 ⑥神様と真の父母の真の愛で、万物愛、人類愛、神愛の一体関係を完成すること。 ⑦全宇宙を私たち家庭が解放し、平和と統一の世界を復帰して、地上天国と天上天国を完成すること。 さあ、これで終わりです。神様の祝福が、皆さんの家庭に永遠に共にありますように! アーメン! (二九〇-一二二、九八年二月三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.22
コメント(0)
「ご聖誕日」敬礼式後の御言1998年2月2日漢南国際研修院陰暦一月六日、ご聖誕日(お父様満七十八歳、お母様満五十五歳)の敬礼式後、世界の指導者に語られた御言。 二世は天の血族 二世たちは、清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結しなければなりません。アダムとエバが分けたものを連結させなければなりません。統一教会は今まで、肉的な基盤で、世の中で堕落したものを清算してきたのです。今後においては、この霊的な基準を連結させることのできる運動が、清平を中心として世界的運動になったことを知らなければならないのです。偶然に、このことをするのではありません。 清平に入って、自分たちが今までサタンの血統を通して汚したすべての事実を清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結しなければなりません。イエス様がこの地上に来ましたが、家庭的基準を築けなかったのです。 先生は今まで、アダムとイエス様が失敗したことを世界的立場で完結するみ業をしてきたのです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任だというのです。 そのようなことが、祝福家庭を中心として三家庭、三十六家庭から、今まで十二の峠を越えて、蘇生、長成、完成を越えて着地するのですが、頂上の基準の三千六百万双を越えたというのです。天がどれくらい忙しくそのような役事をしたか、その事実を知らなければならないのです。 もはや三億六千万双です。堕落することによってサタンを中心に立てたすべての血統を切ってしまい、今や、地上に着地することのできる三億六千万双の祝福をできる時代に入ってきたのです。もはや、雨が降ったとしても分水嶺のあちら側(登ってきた側)に倒れることはないのです。このようにこちら側に連結されるのです。 堕落して以後、今までは、神様は、堕落したすべての人類を愛したとしても、恩恵を与えたとしても、(カイン・アベルに)一緒に与えてきたのです。むしろ、アベル側よりもカイン側を祝福したのです。それゆえ、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史がここから転換されるのです。すべてのことが変えられるのです。 今まで、天使世界はアベル的基盤がなかったので、地上の人類をすべて利用してきたのです。これはサタンが主管する世界だったのです。堕落したアダム圈が、サタン圈内で支配される堕落圈に生きているのです。国家基準を越えられなかったので、霊界がサタン側、カイン側で、アベルを利用してきたのです。今からそれが転換されます。転換されるというのです。 そうすることによって、転換され得るものが何かと言えば、霊的世界で失ってしまった、アダム時代に分立された、天使世界のカイン圏が、初めて逆さまになる(復帰される)ことによって、アベルが直接天使と連結され得る時代に入ったというのです。これが二世だというのです。 二世はサタン世界の祝福圈を越えているのです。二世は天の血族なのです。ところが今まで、サタン世界の伝統的、習慣的すべての内容に、全部が汚されているのです。 二世は、昔の自分の名前も忘れてしまわなければならず、姓も忘れてしまわなければなりません。姓も考えてはならず、国も考えてはならないのです。韓国人だとか、何だとか、考えてはならないのです。彼ら(二世)の父母は、血統的に関係をもって姓をもってきました。二世自体は何かと言えば、分別された立場で生まれました。ですから、彼らは、血統的な面で、サタンと何ら因縁があってはならないはずなのに、そのようになっていないというのです。 今、二世の祝福家庭に、ありとあらゆる男・女がたくさんいます! これは五体バラバラに裂いてしまい、みな鷲の餌にしてしまわなければなりません。遊び事ではありません。分かりましたか、二世! (「はい! )。 二世は一人の例外もなく清平に入って、四十日で霊的体験ができず、自己分別できなければ、百二十日、六か月でも、みなこのみ業を行わなければなりません! 学校が何ですか! 就職が何ですか。 その他の一世たるすべての者たちは例外なく行って、みな溶鉱炉に入って、過去にあったすべてのものを焼いてしまわなければなりません。そこに社長も学者もありません。そうではないですか? 統一教会に属しているすべての祝福を受けた団体。今まで先生と因縁をもって連結された団体には多くの人がいますが、彼らも例外なく清平修練会を経なければなりません。 完全にゼロの立場に帰る それで、きょう、何を宣布するのかと言えば、成約時代を宣布するのです。成約時代です。 成約時代とは何でしょうか? 成約時代というのは結婚することを指すのです。約束です。旧約が何かと言えば、私たち人類の歴史上において、結婚に失敗したということです。二番目の、新約は何かと言えば、その結婚を新たにするために来たのです。新約時代に御旨が成し遂げられなかったので、この成約時代に延長されたのです。 成約時代とは何を指すのかと言えば、祝福を受けることを指すのです。サタンの血統を完全に撤廃してしまい、サタンと因縁をもった何らの内容もないというのです。そこには、民族感情だとか、国家というものはないのです。 完全にゼロの立場に帰らなければなりません。 創造するとき、自然の万物を使い創造したのと同じです。そこには何らのコンセプトも入っていません。ありません。ゼロです。神様の創造の手、愛の因縁を通してつくり出される存在の形態を通して、存在自体が、人を中心として意識構造すべてが、コンセプトをもつようになっているのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。 世界の人々は、今後、清平に入って、だれかれと言うことなく通過しなければならないのです。ここを経ない人は、今後、祝福もしてあげることができません。 また、今まで本然的基準の行動ができず、性的問題において「絶対性」を守れなかった人は、今後、すべてそれを抜き取ってしまうのです。自分の妻が抜いてしまい、夫が掘り出してしまう時が来るのです。そのような世の中で、何よりも恐ろしく思わなければならない器官であることを知らなければなりません。この者ども! ありとあらゆることをすべてして、どうのこうのと言っています。 第三者とキスするのを許すことはできません。そのような人はエデンにいません。ありとあらゆる行動をし尽くしているというではないですか? 線(一線)を越えなければ、罪ではないというのですか? この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれくらい受難の道を歩んできたか分かりますか? 「絶対性」を遊びで発表したと思いますか? そうして今、成約時代を発表するのです。分かりましたか? (「はい」)。 今までにそのような責めを受ける可能性のある人たちは全員、祝福に加わることはできず、そういう祝福家庭は徹底的に悔い改めなければなりません。昔、未亡人が赤ん坊を身ごもれば、たたき殺されたのです。それ以上だというのです。 堕落は女性が動機になりました。女性がです。女性がその道を守っていくことのできる第一の責任があるので、(韓国では)「女性は節操」(「女性は絶対に貞操を守らなければならない」という意味)と言うのです。 今まではサタンの世界であったので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。本然の愛の心情をもつ女性は一人もいないのです。 「愛」と言えば、全部、パッーンと飛んでいってしまうようになっています。フリーセックスによって、男性も、女性も、愛を考えるのも嫌になっているのです。愛がなくなってしまったというのです。 神様の理想愛を中心として地上・天上天国の理念を完成しようとしたものを、サタンの全権を通して、完全に破壊してしまったので、今は愛がなくなってしまったのです。愛がなくなったので、地上に愛の種を再び植えて、これを接ぎ木するみ業をするのです。(堕落人間に)愛の種を再び植えて、再び生まれるようにすることはできないのです。 自分全体を切ってしまって、真のご父母様の全体、(すなわち)体と思想をそのまま伝授されて、接ぎ木された木として生きなければならない時なのです。接ぎ木した芽が完成する時までは、自分の概念がないのです。自分の観念がありません。 接ぎ木して、芽が出て、ああだこうだと言う、自分の考えが生まれるのです。自分の新しい観念、思想的観念だとか、良心的観念をもつようになるのです。接ぎ木して、自分が花を咲かせ、実を結ぶまでは、自分で考えることはできないのです。分かりましたか、何の話か? (「はい」)。 ご父母様の伝統を相続させるための「訓読会」 今後、皆さんもそうです。国を越えて、世界へと越えていく時は、皆さん全員があの世(霊界)の天使世界を経なければなりません。百二十名の天使が待っています。その次に、イエス時代です。あの世の門を開けて入るのです。百二十門徒です。 それゆえ、マルコの屋根裏部屋に百二十門徒がいたように、イエスが占有する百二十個の国家の門を開かなければならない時だというのです。その次に百六十ではありません。百八十国家です。アダム時代に入るのです。アダム時代は神様が直接主管する時代なので、すべて分かります。すべて通じるのです。その門を経るべき準備を、今からしなければならないというのです。分かりましたか? (「はい」)。 南北統一が目の前に近づいてきています。南北統一さえでき、三億六千万双だけ完結して、彼らが一つになる日には、野党、与党、すべてがなくなります。国もすべてなくなるのです。理解できますか? 野党の党首の妻たちがすべて、神様の側の婦人になります。祝福家庭になるのです。それで、夫のすべての秘密を女性が話さなければなりません。女性は自分の夫を、天使を審判しなければならないのです。そのような時代が来るのです。何の話をしたのか、分かりましたか? 「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の」、何ですか? (「血統断切です」)。切断です。夢のような話です。 このことが私たちの時代に可能になり得るということを基準として、彼ら(世の中の人々)の前に忠孝の道理を果たし、聖人の道理、聖子の道理を果たして、初めて、天上・地上天国を完結させようという、意義ある生涯をもったということを貴く思わなければなりません。その時にすべて、標準の前に脱落することのない、各自が立てるべきその場所、各自が留まるべきその家庭、基台をつくらなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園で神様から直接祝福される場を許諾するのです。これをするために、ご父母様の伝統を相続させるために「訓読会」を始めたのです。分かりましたか? 今まで、父母の伝統を一つも分かりませんでした。御言は御言として、自分は糞のうじ虫のようなことをしていました。 六〇年代以前のその時の御言を読んでみれば、すべてきちんと話していました。 その時は、先生においては死ぬか、生きるか、という生死の境を歩んでいた時でした。行く所がありません。横にも行けず、後ろにも行けず、ただ前の道を行くしかありませんでした。前では、怨讐の銃や剣がねらっているのです。 「あなたの家の家族が怨讐」と言ったように、カトリック、プロテスタントがすべて、先生をたたきのめそうとしたのです。それだけでなく、それに同調して、すべての宗教、すべての人類、すべての万物まで、全部そのようなことをしたのです。ですから、生き残るか、死ぬか、というその境地で語った言葉なのです。 なぜ、そのように詳しく話したのでしょうか? 死んだとしても、御言を残していかなければならない責任があるのです。その御言を聞くには、平安な場において、きょうのような場で聞くのではありません。死ぬか、生きるか、天的召命を受けた父母としての責任を完成できずに逝く時、恨みを残すことになるのです。 イエス様が雲に乗って来ず、人として来ることが分からなければ、どのようになりますか? きれいにすべて教えてあげたのです。後代の人たちが、私がいなかったとしてもその道に従っていけるようにするために、詳しくすべて話してあげたのです。その時代においては、気が変になった人の話です。だれが信じますか? そのような立場で御言を語ってあげたのです。そのように御言を語りながら宣布してきたのです。きょうも、成約時代の宣布をするのです。 それゆえ、サタンは穴を開けて入ってくることはできません。「この御言に照らしてみるときに、あなたはこのような反対の立場のサタンであることを知っているのか?」と言う時、入ってこれないのです。宣布した峠を越えてくることはできないのです。 終末になり、「七・八節」、「天地父母」、何ですか? (「天宙安息日です」)。これが何かの遊びだと思いますか? 通り過ぎる旅人が居酒屋に行って、酔った勢いで言った言葉ではありません。生死の境を前にして闘ってきました。神様をこの地上にお迎えしなければなりません。それゆえ、そのようなことをするのです。 神様の御旨を継承する 先生は今、三億六千万双を前にして、それから、サタン世界の血統断切という、以前にはなかった峠を越えていく前夜祭のような立場で、七十八歳の誕生を祝う厳粛な日です。それゆえ、この日を期して、統一教会の父母を考える時に、父母の誕生日を覚えている限り、成約時代の宣布の内容を忘れるなというのです。分かりましたか? (「はい」)。 成約時代の父母、成約時代の子女です。赤ん坊を生んだそのお母さん・お父さんは、ただただ、神様の御旨を継承して、神様の息子になり、天国の愛の相続者、天上天国の相続者になることを願う心、それ以外には他の何もないのです。 出世だとか、何の大学だとか、何がどうしたとか、そういうものはないのです。そのような心をもって赤ん坊を育てなければならず、その息子・娘はそのような心で、サタン世界に侵犯されない立場に立たなければならないのです。それにもかかわらず、サタンの血族と因縁をもって、歴史的に汚された習慣性と血統がいまだに残っているというのです。 それゆえ、男性、女性を、すべて区別して育てなければなりません。男性と女性が同じ場所で勉強することはできません。 以前はサタン世界でも、そうではありませんでした。「男女七歳にして」何ですか? (「席を同じくせず」)。私たちの時代では何と言わなければなりませんか? 堕落の歴史が、どれほど途方もないものだったでしょうか。女、男というものが、一日にも一時間にもならない、瞬間の行動、それが億千万代の歴史を汚したという事実です。男、女がそれほど恐ろしいのです。 神様自身が牢屋の身となって、サタンの前に閉じ込められて微動だにできないのです。天の宝座まで、サタンの権限が侵犯したというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
コメント(0)
祝福と永生日付:一九九八年一月二十三日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場行事:四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会 世界人類は、終末期に生きています。今、世の中の家庭が壊れつつあり、父親と母親、そして子女たちが怨讐の関係になっています。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。真の愛がないからです。一番重要なことは、永生の問題が分からないからです。霊界があるか、ないかということを知らずにいるのです。 永生問題を知らなければならない理由 人間は間違いなく永生するということを知れば、他の人が「罪を犯せ」と言っても、犯さないでしょう。「自分のために生きよ」と言っても、そのようには生きないのです。これが分からなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければならないのです。 この永生問題と連結されなければ、社会の革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥るとすれば、誰もが「その場には行かない」と言うでしょう。しかし、永生問題、永遠の生命の問題というときは、環境的条件をすべて克服できるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっています。永生問題の概念さえ確立しておけば、そしてそれが事実であるという主観が立つようになれば、自分の息子、娘と家族を引っ張っていくのです。 今までの宗教は、そのような思想界を包括し、習慣性によって環境に編み込まれた現在の文化背景の根拠を、すべて消化させることができないのです。それはなぜでしょうか。永生という概念を確立できていないからです。キリスト教もそうです。 キリスト教も、今まで信仰してきたとしても、終わりの日になって環境が変われば変わるほど、すべてかき回されてしまうのです。なぜでしょうか。それは、永生という概念がないからです。 永生問題においては、自信がないというのです。神様がいるのかいないのか、分かりません。生命を懸けて、環境を越えていけるかという問題について見るとき、すべてそこに所属して四方を見回しながら、現在の生活の方便に従ってその道に陥りつつあるのです。 信仰の道というものが、今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるという信念さえもつようになれば、その人は放っておいてもいいのです。人は時間が立てば立つほど、四十歳を超えて五十歳を超えるほど、死ぬ日が近づいてくるために、永生の概念について深刻になります。 愛というものは、年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分からせれば、年を取るほど、だんだんと深刻になるのです。そのため、真の宗教理念だけが、今後、世界を料理できるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっているでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変わる環境を貫いて越えていくことができ、どのような所から悲喜劇が起こってこようとも、すべて問題にならないのです。 神様は、アダムとエバを真の愛の相対として造ったのではないでしょうか。それは間違いありません。そのように造ったのですから、真の愛の対象となって生きなければなりませんでした。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということさえ感じるようになれば、「この道を行ってはいけない」と言っても、行くようになっているのです。 そのため、生活するときにいつも力を注がなければならないことは、どのようにして永生の概念を確立するかということです。それさえ確立されれば、すべて終わるのです。これを確立するときにも、理論的にそれが的中し、ぴったりと当てはまるときに心に響きます。肉身と一番近い位置で一つになるのは青少年のときです。 十六歳以前は、堕落前の本性基準を一〇〇パーセント活用できるときです。十六歳以前はアダムとエバが堕落する前なので、本性基準が生きています。ですから、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。「その関係が、なぜ不可避なのだろうか」ということを分からせるために、永生概念を確立しなければならないのです。いつもこれを考えなければなりません。 一生と永生 皆様は、どれくらい生きると思いますか。「七、八十年は生きるだろう」と思うでしょう。その前には死ぬと思わないのです。皆様は欲張りです。自分は「八十歳で死ぬ」とか、「百歳になって死ぬだろう」と絶対に信じたとしても、あす死ぬか、きょう死ぬか、分からないのです。御飯を食べながら死ぬか、または今晩、靴を脱いで部屋に入り、寝ている途中で死ぬか、分かるでしょうか。皆様は、「ああ、私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という欲心をもっているでしょう。神様に保障されていますか。皆様はできるだけ短く、一年以内に死ぬものと考えてください。この短い期間に準備をすべてしなければなりません。そのような観念をもって、できるだけ短く見積もるほど良いのです。短く見積もるほど、損をしないのです。短い期間に正しく準備すれば、その内容が自分の永遠の生命の家を建てるのです。 それでは、その短い期間に神様を愛してみたでしょうか。神様と一つになって、神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい!」と言われます。人間の世界で暮らす間、すべての人の中で一人でも神様に紹介するために、二十四時間、精誠を尽くしてみなさいというのです。そのように生きて死ねば、永遠の生命の主体になるのです。 皆様は何歳まで生きてから逝きますか。神様の命令によって、すぐに死ぬ場に出ていくとすれば、どうしますか。だとすれば、何かを残さなければなりません。天が自分を褒めることのできる何かを残すべきなのですが、自信はありますか。寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しいというのです。心配しようにも、心配する暇がありません。 一生と永遠の問題ですが、その一生を短く見積もるほど、価値があるのです。他の人をどれほど愛するのか、人をどれほど愛する人になるのか、その次に、家庭をどれほど愛したのか、氏族をどれほど愛したのか、このように個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するのは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛するのは、全体を愛するための教材を愛することです。これをすれば、私たちの一生において絶対に損をしないので、この上なく知恵深い考えなのです。 永遠の生命を追求する人間 永遠の生命の世界を追求するのが信仰生活です。永遠の神様の愛を追求するのが信仰です。永遠の生命とともに永遠の愛と一致するために、神様の喜びと私の喜びが出会い、二つの喜びではなく一つの喜びとして感じられる結着点を求めていくのが信仰の道です。 ですから、信仰生活をする私たちの個体が、どれほど主体的愛と生命力をもって生きるかということが、何よりも重要な問題にならざるを得ません。私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、または真の愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれほどの価値をもっているかという問題が左右されるのです。そのため、私たち自身が、生命力と湧き出る真の愛の心をもって対人関係を結び、社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、それは停止、もしくは後退することなのです。 人は一生だけでなく、永生します。宗教は今まで、地球星からなくなることなく、文化背景と風習が異なるすべての環境を経てきながら、世界的な版図を拡大させてきました。人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。 人は、この時代においてのみ生きるのではなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い生涯ですが、生涯を限界として、そのままなくなるのではありません。その限界線を克服すれば、限界としていたこのすべての地球村の生活を越え、超然とした立場で生存し続けられるのです。そのような世界は厳然と実在しますが、ないとしても、今に至るまで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情して助けるためには、理論的にでも永生論を主張しなければならず、理論的にでも神様を中心とした理想国家の形態を推理しなければならないのです。そのような面からも宗教が必要です。 しかし、理論的に考えられた宗教理想という事実を知れば、誰が満足を感じるでしょうか。「ある!」と断定できなければなりません。「ある!」というのは、自分が定めるのではありません。「ある!」というのは、創造の初めから定められているのです。根本から「そうだ!」と言えるところまで明らかにしなければならないのです。ですから、皆様の永生問題とともに、宗教問題を中心として、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されているのです。 永生しなければならない理由 神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。 人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。 今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。 人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。 それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。水生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。 それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。 私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性稟をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。 ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。 創造主の永遠な真の愛の相対 永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。 その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。 大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永世論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。 神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ=万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。 永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。 真の愛によってのみ救いが可能 今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。 では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。 皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱(いかりつな)をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎなぱ物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。 永生に必要な観念 私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。 永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。 「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。 真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。 絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。 真の愛と直結した永生 そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。 皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。 真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。 自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。 神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。 皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。 神様、永生、真の愛を知らなければならない 第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。 これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。 その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド・ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。 なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七~三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。 第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。 なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。 真の愛と関係を結んだ死後の世界 神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。 それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。 私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。 神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。 真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ! 私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。 天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。 それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。 今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。 それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。 今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。 夫婦の霊人体 私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。 このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。 それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殻は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殻はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。 ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。 なぜ結婚しなければならないのか 皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。 第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。 ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。 祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう! ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.20
コメント(0)
復帰の完成のための心情を尋ね求めて1998年1月1日、第31回「真の神の日」午前零時の御言祝祷 愛するお父様 今、この時間は、一九九八年の元旦を迎える最初の時間であり、正にたった今、一九九七年を送り、新しい元旦を迎えました。これからなされる新年のすべての計画が、あなたの心情の世界にあって中心となっている万国の家庭解放に連結され、この年が、そのために私たちが前進すべき、天に侍っていくことのできる年となりますように。そのような新年の元旦を迎えるようになったことを感謝申し上げます。 昨年は、四千万双の祝福の主管を成就することによって、三百六十万双の上に三千六百万双の長成的勝利の基準を連結させましたので、もはや、きょうから残された三億六千万双に向かって、全世界の人類の家庭を神様の創造理想である絶対「性」を中心として、絶対愛を中心とした夫婦の因縁を中心として進んでいくことができますように。 定着すべき家庭理想を失ったまま、数多くの歴史過程を経て、宗教時代を束ねるために旧約時代、新約時代、成約時代を経てきながら、最後の本然の家庭基準を再び復帰する蕩減の道を経て、再創造の過程を収拾してこられた歴史的お父様のご苦労の前に、万民は恐れ多く、申し訳のない過ぎし日の足りなさの許しを請わざるを得ません。 真の父母をこの地上に顕現させるための数千万年の受難の闘争の上に、この混乱した世界に真の父母を送られました。 キリスト教文化圏の勝利を中心とした一九四五年、第二次世界大戦以後にエバ国家型、アベル国家型、カイン国家型の霊的な国家を代表すると同時に、外的なエバ国家型、カイン・アベル国家型を対峙させて勝利の基盤を築くことによって、イエス・キリストの霊肉分立した土台の上に、第三アダムが来られました。 そしてこれを総蕩減して、家庭的世界の出発をなそうとしましたが、旧教と新教が一つになることができず、キリスト教が反対することによって、統一教会という教団を立てて、これを収拾するための四十余年の歴史を費やしました。 それは、天のつらい歴史であり、この地上に、何も知らない人類の前に送られた真の父母としては、あなたのみ旨の前に想像もしなかった、この行くべき受難の道が生まれるようになったその悲しみの日を迎え、神様の悲しみと、この地上で責任遂行を成すべきご父母様の悲しみが、四十二年前にこの地上に展開されました。 韓国を中心として、日本を中心として、アメリカを中心として、ドイツを中心として百八十五か国に勝利の版図を開拓してくる時まで、どれほど大変であったかという事実を、この息子はあまりにもよく知っております。 今日のこのような勝利の足掛かりをもって、三百六十万双の世界的な家庭分水嶺である三千六百万双を越え、三億六千万双を中心とした人類解放圏の同一的アダム家庭完成の祝福の時代を、共に受けることのできる天の父母と地の父母の苦労の功績を通して、これを人類の前に連結させることができるように許してくださった恩賜に感謝いたします。 今、この九八年を中心として、人類を中心とした途方もない救道の終着点を打つためには、今や三億六千万双の祝福とともに、サタン世界の血統断切というあなたの救援摂理史の最終的な願いを解決してさしあげられる恨の峠を越えていくべき、宿命的課題を成就させ得る道に向かって前進しようと願うものです。 今まで協助してくださった霊界、神様を中心として天使世界の代身となり得る兄の立場にある先祖たちが完全に一つとなって、地上再臨することのできる安息圏宣布によって、地上にあなたが顕現なさって、歴史以来の堕落の恨みを完全に解消、蕩減することのできる全体、全般、全権、全能の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 今日、統一教会の真の父母を中心として、心情的因縁を連結させて祝福を受けたすべての家庭は、一心同体となって、天が願われる絶対的信仰と絶対的愛と絶対的服従の心を持ち、主体の前に完全に対象となり、天が願われるとおり、勝利の天国を地上世界、天上世界に形成できるよう祝福してください。 きょう、このような日を迎え、この海辺に、この南米すべてを中心とした地域の中心であるここを訪ねて、きょう、三十周年を迎えた「真の神の日」というこの日に、このような自然の中で、天と地が連結され得る水(雨)にぬれながら、このような祝いを成すようにしてくださった恩賜も、天の祝福が地と一体化し得る恩賜の条件として下さったものです。 それを万民の前に連結できるように、祝福の雨の降るこの時間に、このすべての地とこの世界に、水によって連結される五大洋六大州を越えて、同一的な恩賜を共に降り注いでくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 このような「真の神の日」を祝う新しい九八年を迎えることのできる時となりました。そしてもはや、三十三回の「真の神の日」を迎えるその時には、三億六千万双の完成とともにサタンの血統を断切できる解放の地上―天上天国を迎え、第四アダム圏勝利と栄光を讃揚することのできる天国出現が顕現され得るよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 その祝福の恩賜を願いながら前進する統一の勇将たちの行く道の前に、無限であられる全体、全般、全権、全能の恩賜でもって勝利の一方通行の体を成すよう許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 今、光明の九八年が私たちの前に訪れましたので、持てる心をすべて投入して、全身と手足をいっぱいに伸ばし、天宙を抱いて前進する勝利の勇兵たちとなって、天下を神様の前に収めて、万物とともに、子女とともに、父母とともに、愛の本宮世界に接ぎ木されるよう、許してくださいますことをお父様、切にお願い申し上げます。 栄光なる新しい元旦を迎え、新しい日を出発すると同時に、新年を出発いたしますので、三百六十日が、お父様の栄光の日に連結させることのできる記念の日々となるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 お父様、訪れしこの年の祝福が、約束とともに天宙の勝利圏を天地の前に満ちあふれんばかりに降り注いでくださいますことを切にお願い申し上げながら、新年の元旦に、ご父母様の名とともに神様のみ名によって勝利の祝賀を宣布すると同時に、恩恵の連結を継続するこの時間となるよう、許してくださいますことをお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。アーメン。アーメン。 皆さんが、新年に福をたくさん受けますように(明けましておめでとうございます)。(「ありがとうございます」)(年頭標語を揮毫される)真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」堕落したという概念を忘れずに きょう、満三十周年の「真の神の日」を迎えました。年数では、三十一回です。このような日に、皆さんが南米ウルグアイの海辺に来て、このような雨に打たれるのは、摂理上で見るとき、大きな意義があります。 今後、統一教会の教会員は、水を中心とした地域にいかに早く基盤を築くかということが問題です。将来、数世紀過ぎれば、すべての人が「統一教会の人は、相当に先見の明があって、このような基盤を築いた」と言う時が来ます。 雨は、天と地に橋を架けるものです。それゆえ、天地が分かれていたのが一つになり、陸と海が一つになり、天下が一つの地球星となって動くように、これを連結させる水は、この陸地を連結させる代表です。水は、すべてと和合する一体的な統一の自然界を迎えることができるということを、深く感謝するようにお願いします。 一九九八年の元旦において、このような自然の環境を感謝します。一度、言ってみてください。(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」) きょうお話しするのは、「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」という内容です。復帰摂理の完成は、心情、愛の世界を尋ね求めて行かなければなりません。堕落したので、復帰という言葉が生まれました。復帰の目的は、心情の世界を尋ね求めていくことです。その心情の世界は、堕落前の世界です。 それゆえに、堕落した結果がどれくらい途方もないものであり、人類歴史とこの宇宙に大きな損傷を負わせたのかという事実を、皆さんは知らなければなりません。「堕落」は、過ぎ去った言葉ではありません。これは歴史的な言葉です。今日、この地上で堕落した後孫は、無知の真ん中にいるのです。人間は堕落した後孫なので、このことを知らなかったのです。 けれども、神様を第一とする霊界に行っているすべての人々は、堕落の結果によって自分たちがとどまっている所が天国ではなく、中間霊界と地獄にいるという事実をすべて知っているのです。 それゆえ、この結果をもたらした人類の始祖が過ったものを、根本的に解決するためのものが救援摂理の始まりなので、救援摂理は復帰摂理なのです。復帰は、ただ帰っていくことはできません。蕩減復帰です。 一度、言ってみてください。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰を強調する際に、「堕落した」という概念を忘れてしまってはなりません。堕落したので、蕩減復帰が強調されるのです。 しかし、今日の一般の人たちは、堕落したという概念が分かりません。今日の統一教会の教会員や宗教を信じる人も、ひたすら自分が信じている信仰の道に従っていけば、救われて天国の神様の前に行くことができると考えますが、それは間違いです。 蕩減復帰ということを知らずにいるのです。落ちた所から上がっていくためには、落ちた距離と同じくらいの橋を架けるとか、縄を結ぶとかしなくては、上がっていく道がないのです。そのまま飛び上がっていくことはできないのです。それゆえ、救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は蕩減を通して行くということを、皆さんは知らなければなりません。 人間が生きるに当たって、罪を犯すというのは堕落した道を行くことです。堕落したのと同じです。罪を犯し、刑務所に行くようになれば、ただそのままでは許されないのです。刑務所で服役という過程を経て、犯した罪を取り消すのです。それをすべて埋めてしまったという条件を立てずしては、釈放されないのです。これが蕩減法です。 私たち人類の生活、歴史路程において、蕩減というものを中心として善悪が分かれ、不幸と幸福が分かれ、福を受ける道と罰を受ける道が分かれます。世の中も同じです。 それと同じく神様の復帰摂理も、堕落したので蕩減しなければならないということを知らなければなりません。悲しみの神様、苦痛の神様 皆さんは、堕落の道を行きます。毎日のように堕落の道を経ていくのです。人間が堕落したので、復帰摂理的路程を歩まれる神様が、「悲しみの神様」になられました。のみならず、「苦痛の神様」になられたのです。 悲しみと苦痛の神様だけではないのです。神様が苦痛を受けられて、悲しみはそこで終わるのではありません。神様が願われる貴いものをすべて失ってしまったのです。すべてを失ってしまったものを再び取り戻そうとするので、苦痛を受けなければならず、悲しい道を行かざるを得ません。神様が、いちばん貴いものを失ってしまったのです。 神様と人間が父子の関係で、愛を中心として一体理想を築こうとしたその関係があったのですが、人類の先祖が堕落することによって、神様の一体理想、愛の理想を求めることができなくなったのです。これを再び取り戻すみ業をするためには、ただそのまま蕩減復帰していくことはできないのです。 堕落することによって、故障したのと同じようになっているので、復帰摂理は蕩減の路程を行ったとしても、神様が訪ねてくることのできる愛の理想を取り戻すことはできないということを知らなければなりません。 完成品を願ったものが、中間で堕落することによって故障したので、再び部品図を通して再創造過程、新しくつくる過程を経て、完全な心情の世界、愛の理想の世界を再び取り戻そうとする立場に立つのです。神様は、愛の対象を失ってしまったものを取り戻すために、受難と苦痛の道を歩んでこられたということを知らなければなりません。 その神様がどのようなかたなのかといえば、父であり愛の主体です。そして、自分の家庭においての父であり、氏族においての父であり、国においての父にならなければならず、世界において父にならなければならず、さらに天地の父になることのできるおかたなのです。 そのようなおかたが、主体であられる神様であり、神様の愛の対象としてつくられたのが人間始祖でした。この始祖が堕落することによって、神様は当然、愛の対象を失われたので悲しまれ、これを取り戻すためには、苦痛の道を行かざるを得ないということを皆さんは知らなければなりません。 さて、このような観点から見るとき、その苦痛の道がどのように現れたのでしょうか? 再創造の過程を中心とした再創造の公式、再創造のあらゆる形態がどのようになったのかというのです。神様は、環境をまず創造されました。太陽をつくり、その次には水をつくり、空気をつくり、土をつくられたのです。この四つがなければ、生物が存続できる土台がありません。 それゆえに、太陽が絶対必要であり、水が絶対必要であり、空気が絶対必要であり、その次には何が必要でしょうか? 土がなければなりません。この土は、私たち人間が持っている体と同じです。この体には、土にあるすべての要素があるのです。すべての要素が全部細分化されて、元素的なものが結合して、私たちの体をつくりあげたという事実を知らなければなりません。 体はそれ自体において、神様の内的な性相形態と相対的関係を備えているのです。その相対的関係の主体的立場に立たれた神様が縦的に臨まれ、アダム・エバが完成して横的に臨むことにより、神様と人間は、縦横の九〇度を中心とした中央線で出会うようになるのです。このとき、中央で出会うのですが、神様がアダム・エバをつくられて、すぐに心情の因縁を結ぶことはできません。子女として愛することのできる過程を経る原則があります。 そして、子女時代を経て成長して祝福を受けるのです。結婚することのできる立場まで行って初めて、神様の性相と形状が、アダムとエバの心に入って個体の完成が成されるのです。個体が完成するようになれば、男性も女性も別れて行くことはできないのです。赤ちゃんの時から男性と女性は、違う方向に育っていきます。徐々に個体の完成が始まるのです。後には、女性は女性の行くべき道、男性は男性の道をただそのまま成長していくことはできません。男性と女性は、必然的に出会うようになっています。 それゆえ、成熟期になれば、男性の目も女性の目もお互いが向かい合って見るようになっており、目を合わせ、鼻を合わせ、心を合わせ、耳を合わせ、手を合わせ、その次口を合わせて愛が築かれていくのです。それはすべて皆さんが知っていることです。それゆえ、この愛の基準を中心として接触するためには、男性と女性が大きくなってどこに行って一つになればよいのかということです。出発したその基準から左側に、自分勝手に行くのではありません。 垂直の立場、父母が生むとき出発したその基準の垂直の立場で連結されるのです。二十歳になったならば、二十歳まで父母の愛を代わりに引き継ぐことのできる、第二次的な段階の基準が、垂直を通して連結されなければならないのです。そうすれば、このアダム・エバの息子・娘も同じです。また、その父母を中心として垂直に向かって連結され、これは千年万年たったとしても、垂直は直線、垂直にならなければならないのです。 私たちを見れば、私たちの心と体もアベル・カインと同じです。プラス・マイナスから成っているのです。神様は被造世界のあらゆる環境を創造する太陽と水と空気と土をつくられたのですが、そこには何があるでしょうか? 必ず主体と対象があります。これは公式です。 鉱物世界にもプラス・マイナスがあり、植物世界にもプラス・マイナスがあり、動物世界にもプラス・マイナスがあり、人間世界にもプラス・マイナスがあるのです。この環境圏内は、全部が主体と対象によって存続する、というのが公式です。 この公式がなぜ、このように生まれたのでしょうか? 何を中心として一つになるための公式でしょうか? これが分からなければなりません。鉱物世界も愛を中心として一つになるために、プラス・マイナスになっているのです。 今、この現象(雨が降る現象)が起こるのも、そうではないでしょうか。陽電気、陰電気がキスをする音が雷の音であり、世の中で起こるすべてのものを酔わせるのが稲光です。愛し合って、「ああ、うれしい」と言いながら、あらゆることが起こるのです。それが自然の結婚式であるということを考えてください。自然の結婚式をした愛の水をもらって飲むのが、きょうの祝賀の場なので、雨が降っても悪くはありません。接ぎ木の標本がメシヤ さて、今から話をよく聞かなければなりません。では、救援摂理を神様が始めた目的は何でしょうか? 神様がアダム・エバに結婚式をしてあげられなかったのは、人間始祖が堕落したからです。アダム・エバに結婚式をしてから、神様はアダム・エバを追い出したのでしょうか、結婚式ができずに追い出したのでしょうか?、(「できずに追い出しました」)。神様がアダム・エバを追い出されたとき、息子・娘がいましたか、いませんでしたか?、(「いませんでした」) アダム・エバは、どのようにして子女を生むようになったのでしょうか? 神様が結婚式をしてあげて生んだのでしょうか? 自分勝手にサタンの地獄圏内で結婚式をしたのでしょうか? サタンを中心として結婚したので、サタンの血統を受けるようになったのです。 アダム・エバの結婚式は、神様の結婚式です。このことを知りませんでした。これが宇宙の秘密です。宇宙の根本を探してみると、宇宙の根本の出発基地が何かといえば、神様の愛を中心として人間と一つになった愛で、内的・外的に結婚式をするその立場なのです。 ところが、アダム・エバは追い出されて、そのような結婚をしたのでしょうか、できなかったのでしょうか?、(「できませんでした」)。これは重要な話です。結婚したのですか、できなかったのですか?、(「できませんでした」)。間違いなくできませんでした。 ですから、神様の愛の理想は成し遂げられなかったのです。神様を中心に結婚したならば、神様がアダムの心の中に入られてアダムと一つになったのです。そうして、アダムの心が神様の心になるのです。そのようにして、心と体が一つになることによって、アダムの体が神様の体になるのです。 愛は一体を成します。それゆえ、父子一身です。愛を中心として一体です。夫婦一身、兄弟一身です。東洋思想も、兄弟一身ということは分からないのです。上下関係は父子関係、左右関係は夫婦関係、前後関係は兄弟関係です。 なぜ一身なのかといえば、アダム家庭を中心としては、アダム・エバのふたりしかいません。アダム・エバを裂くことができますか? 蹂躙することはできません。永遠に裂くことはできません。このことを知らなければならないのです。 堕落せずに赤ん坊として生まれて、兄弟として暮らしながら育つ目的は何でしょうか? 一つになることです。何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。兄弟として育ったアダム・エバは何をするのでしょうか? 結婚しなければならないのです。 そのとき、アダムはどのような立場でしょうか? アダムは兄であり、エバは妹です。一つの血統で結ばれているのです。木の枝は裂くことはできません。裂く日には、死んだ枝にならなければならないのです。神様に追い出されたというのは、裂かれたからです。死んだ枝になってしまったのです。死んだ木と同じようになったのです。 愛は生命まで支配する力があります。そうですか、そうではありませんか?、(「そうです」)。愛の道を妨げれば、ふたりが綱を結んで漢江の橋から投身自殺することは問題ないのです。死までも恐れない、生命を左右し得る力を愛は持っているのです。 堕落した愛でさえもそのような力があるのに、堕落せずに神様と一つになった愛の力を持っていれば、今日の人類世界は、このようにはならないのです。これは、だれと一つになったのかといえば、天使長と一つになったのです。天使長は僕です。神様は主人です。天使長は永遠に僕ですが、神様は家系の主人であると同時に、国の主人であり、天地の主人になられるのです。 それゆえ、心と体が一つになって、アダム・エバが結婚式をしたならば、アダム・エバの血統が神様の血統になるのです。それゆえ、そのような本然的基準で考えるとき、神様に対して「父」と呼ぶことができるということを、既成教会の信徒はもちろん、宗教者たちも分からないのです。父子の関係は、血統が連結されなければならないのです。アーメンです。(「アーメン」) さて、「アーメン」と言ったのですが、神様と血統が連結されましたか? されていませんか?、(「されていません」)。血統が連結されていないので、血統が連結されているという条件を持とうとすれば、接ぎ木しなければなりません。 野生のオリブを切って真のオリブに接ぎ木すれば、野生のオリブになりますか、真のオリブになりますか? 真のオリブを求めていこうとするので、接ぎ木せずしては帰る道がありません。 この地上に接ぎ木として送られるそのおかたがだれかといえば、聖書に記されている旧約時代に約束したメシヤです。真のオリブ・接ぎ木の標本として送られるのがメシヤです。キリスト教徒は、新婦になると言います。新郎新婦になって、何をしようというのでしょうか? 血統を連結させるみ業をするのが、新郎新婦です。何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心としてです。 ここにいる女性たちは、そのような真の愛を中心として、血統を連結させた自分になったでしょうか?、そのようになっていなければ、地獄に行かなければならないのです。 堕落してだれの血統を持ったのでしょうか? サタンの血統です。善悪を知る木の果を取って食べて、そのようになったのでしょうか?このような根拠を知らず、結果を知らないので、地獄に行くのか天国に行くのか分からないのです。終末に混沌となって、「家庭がどこにあり、父母がどこにおり、兄弟がどこにおり、国がどこにあり、神様がどこにいるのか」と言いながら、すべてを無視しているのです。 それでは、神様の恨みが何でしょうか? 苦痛が何でしょうか? 愛するふたりが婚約をして、結婚の日を待っている二、三日前に、怨讐に愛する恋人を奪われてしまったのです。男性であれ、女性であれ、奪われてしまったことが、気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか? 苦痛が大きいでしょうか、どうでしょうか? 痛哭が始まるのです。 それは、父親が死んだことよりも、母親が死んだことよりも、兄や姉、弟や妹が死んだことよりも、もっと悲痛なのです。そのようなことが分かりますか? 分かりませんか?、(「分かります」) 神様の愛の道を再び取り戻すための受難の道、苦痛の道が、救援摂理の道であるということを知らなければなりません。そのような神様が、栄光の中で裁判長になって、悪なる人を地獄に送り、善なる人を天国に送る考えなどする暇があるでしょうか? 息子・娘を求めて立ち上がるのです。将来、自分の理想の夫婦を築くことのできる道を訪ねていくのです。その路程で、ほかのことを考えられるでしょうか? ほかのことは考えられないのです。 キリスト教を中心とした終着的な結論は、新郎新婦の理念です。来られる主は新郎であり、地上の人間は全部、新婦にならなければなりません。新婦というものは、新郎によって真の愛と一つになった血統を連結させなければならないのです。 血統を連結するために、新郎新婦になるのではありませんか? 正しいですか、正しくないですか?、(「正しいです」)。血統を連結させるための新郎新婦として訪ねてくる、終末の中心的な存在が再臨主です。 再臨主は、何をするために来られるのでしょうか? 「小羊の婚宴」をするために来られるのです。「小羊の婚宴」とは、何でしょうか? 神様とともに、エデンの園で家庭を築き、神様の血統を引き継いで真の神様と真の父母を中心として、真なる神様の血族という子女の名前を持つことです。 そのようにしなければならないはずなのに、これを失ってしまったのです。父母がいないので、真なる子女がいないのです。そして、この地上に真なる家庭がなく、真なる氏族、真なる国家、真なる世界がなく、悪魔が主管する世界になってしまいました。これが堕落した世界です。愛の相対は優れていることを願う ここはウルグアイですが、男性と女性について見るとき、どちらが主体ですか? 今日のアメリカの女性たちは、「女性が主体」と言うのです。どちらが主体ですか? 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。男性です。なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性がどのような姿ですか? 男性は全部、凹を持っていますか、凸を持っていますか? 凹凸を話せば、変な考えをするかもしれませんが、これが根本問題です。このことが分からなくては、天地の調和が分かりません。理想であれ、何であれ、すべて分かりません。 男性は天を象徴し、女性は地を象徴するのです。それでは、凸というものは何をするものですか? 女性は凹なので、凸と凹は一つになるためのものです。男性と女性が一つになるのは、天地が合わさることです。 男性、女性が結婚するのは、天地が一致することです。一つの体になることです。 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。本当ですか?、(「はい」)。これは不可避なことです。 なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性は、神様に似ています。それゆえ、神様が軸ならば、男性と神様とは上下関係です。男性は、なぜ主体なのかといえば、愛を持ってくるからです。愛の種を植えるために来るのです。 女性がお嫁に行くとき、「なぜ、お嫁に行くのか?」と尋ねれば、「愛を受けに行きます」と言うのです。何の愛でしょうか? 神様を代身した愛です。神様の愛です。神様の愛を受けに行くのです。それゆえ、女性はいつも愛する対象が、自分よりも何百倍、何千倍、何億万倍、素晴らしくてもいいと考えるのです。 それはなぜ、そうなのでしょうか? 愛の相手は神様です。人間の何千倍、宇宙を動かす大主人である、そのおかたに相対するために人間が生まれたので、愛の相対は自分よりも優れていることを願うのです。 では、神様はどのように考えられるのでしょうか? 神様も、自分の愛の相対は神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?、(「優れていることを願います」)。動機がそうなので、結果がそうなのです。 それゆえ、私たち人間と同じく神様も、神様の愛の対象が自分よりも素晴らしいことを願われるのですが、その素晴らしい愛の対象はだれでしょうか? それは、人間です。アダム・エバです。愛は独りで成り立ちません。 神様は、縦的な主人です。縦的なものは、横に行くことはできません。垂直というものは、上下に動くのであって、絶対、横的には動きません。必ず、上下に動くのです。神様を地で横的に展開したものが、アダムの創造です。 アダムは何かといえば、天の本性をそのごとくに展開したものです。展開したものを一つにすれば、神様になるのです。分かりましたか? 神様のプラス・マイナスが展開するのです。一つになろうとするとき、マイナスだけではやってこないのです。プラス、マイナスが中心で合わさって一つにならなければなりません。 一つになれば、それが核になるのです。核というのは縦横が結集するのです。生命の種になるのです。愛を中心として父親、母親の血と肉が結集された中で核としてとどまる生命の種が、赤ん坊として生まれるのです。 このような話を、なぜするのでしょうか? 創造本然の話をするのではないですか? 皆さん全部が、自分の相対は自分よりも優れた人を探すのです。成長して、世界の各国で男性、女性を探して、「ああ、好きだ」と言うのです。好きだと言うのは、何をもって好きなのですか? 目で見るのです。目を合わせます。 この目は、神様を象徴するものです。あらゆる動物は、生まれる際に目が先にできます。目を合わすことのできる愛の主人は、神様であるということを知らずにいるのです。「目を合わせる」という言葉がありますが、見かけが良くなければならないのです。目を合わせれば、その次に言葉を交わし、その次には、手を合わせるのです。手が好きになるのです。 女性は、愛する人が触ってくれることを願いますか、触ってくれないことを願いますか? 触ってくれることを願うのです。目、鼻、口、耳、手は、それぞれ自体のために生まれたのではないのです。全部が相対的関係です。 それゆえ、互いにこのような相対的関係を考えることのできる立場に立つので、女性は男性の相対として生まれたのです。男性は女性の相対として生まれたのです。それゆえ、根本を求めていけば、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。自分のために生まれたのではありません。エデンの園は愛の博物館 それゆえ、人生哲学での根本問題が男性と女性の問題です。女性が女性として生まれたことを、なぜ嘆くのでしょうか? 堕落した元凶となっているので嘆くのです。女性が堕落したということです。ですから、蕩減の受難の道を逃れることはできません。人類が解放されるときまで、女性は苦労しなければならないのです。 このようなことをすべて知らなければなりません。世の中の世情をよく知っていて初めて、どこに行くにせよ、偏らずに自分が行くべき道を堂々と行くことができるのです。上下関係、左右関係、前後関係をすべて備えていれば、問題ないのです。これが、数でいえば七数です。七数は完成数です。 皆さん、夫がハンサムであることを願い、妻が美人であることを願いますか、願いませんか?、(「願います」)。顔かたちが整っているというのは、何を通して見る「観」なのかといえば、愛を通して見る「観」なのです。それはどのようなことかといえば、優れた人と愚かな人が夫婦になって、幸せに暮らす人たちがいるということです。 ある見方をすれば、「あんな美男子があのような醜女とどうして一緒に暮らすのか? ああ、あのようなふたりなのに、夫婦同士、幸せに暮らしている」ということを知ってみれば、「あなたは顔かたちの整った美男子なのに、そのような劣った女性を連れて暮らしますか」と尋ねれば……。(聞き取り不能) 「その男性は、父親に似ている」というのです。また、「私を愛していた叔父さんに似ている」、また、「私を愛するお兄さんに似ている。弟に似ている」というのです。それゆえ、初めて会っても嫌ではありません。 人間が出会って好きになるためには、どれくらい長い時間がかかるでしょうか? 恋愛する人たちも、十年かかって結婚する人がいるのです。父親、母親は高い所にいるのですが、父親についていきたく、昼食でも一緒に一度食べたいというのです。 それゆえ、自分が愛され、愛していたいちばん親しい親戚の人と似ている人が、だれよりもよく、その人をだれよりも愛するのです。ですから、そこで似合わない男性・女性が結婚することができますか、できませんか?、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」) 神様は、結婚式ができなかったのです。神様は、人間を結婚させようとつくられたのです。アダム・エバをつくられて、縦的な道が大きくなれば、それと同じ距離を横的にして、四位基台になるのです。思春期ごろになれば、「ああ、男性だけではだめだ。女性だけではだめだ」と言いながら、女性は男性を、男性は女性を求めていくのです。 そのようなことは、動物や昆虫を見て、知ることができるのです。昆虫も雄と雌がいます。うさぎの赤ちゃんも雄・雌があり、鹿の赤ちゃんも雄と雌があり、牛の赤ちゃん、馬の赤ちゃん、全部が雄と雌があって、それらが一つになって赤ちゃんを産むのを見て知ることができるのです。 エデンの園に展開されているすべてのものが、カップル制度になっています。それを見て、自然とアダムは、「ああ、雄がいるから雌がいるのだなあ。自分も雄のような姿形だが、雌はどこにいるのか」と探してみると、「あ、エバだ」となるのです。また、「雄、雌があのようにすれば、赤ちゃんが生まれるのだなあ」と考えるのです。 自分がお嫁に行くのは嫌だけれど、赤ちゃんが好きな女性たちはたくさんいるのです。エデンの園で、動くすべての昆虫も動物も、全部、カップルになって動きます。それを見ると、すべて愛の博物館です。 愛を展示した博物館なのですが、いちばん後の人間が博物館の王です。愛の王子を立てて、全世界で、動物や植物全部がその王を中心として喜ぶ際に、拍子を合わせて歌い、踊りを踊ることのできる環境をつくられたのです。その中で神様は見物人にならずに、愛する人を中心として歌い踊る手本となって踊り、歌いたいのです。そのように考えることができます。 ちょうやはちたちが飛んできて喜ぶように、神様もアダム・エバを中心として踊りを踊るようになるときには、それは、肩を振りながら踊りを踊る、そのような踊りではありません。はちのようなものを見れば、高い所で踊りを踊ろうとするのです。 バレエダンサーが踊り手を高く持ち上げるときは、男性を持ち上げますか、女性を持ち上げますか?、(「女性です」)。男性を持ち上げずに、なぜ、女性を持ち上げるのでしょうか? 女性たちの願いは、神様に出会うことです。神様という高い愛の主体に出会うためのものなので、女性が喜んで、そのようにするのです。 ところで、怪物の中の怪物が女性です。どんなに容姿は悪く小さな女性でも、男性を怖がる女性を私は見たことがありません。「男性が怖い」と考える女性は、いないのです。小さな女性でもみんな、世の中でいちばん優れている親分の男性を相手にしようとするというのです。ですから、女性の目は、男性を怖がらないではないですか。 男性の目は、女性を怖がりますか? 最近、堕落した世の中で女性が狐のようにルージュを塗って、目をぱちぱちしながら、どれくらい男性を誘惑しようとしますか? そのような女性たちを怖がるでしょう? しかし、女性という動物は、男性を怖がりません。その国の王がいれば、王の横に行きたがるのが女性です。そうですか、そうではありませんか?、(「そのとおりです」) 反対に女王がいれば、男性も行きたいでしょう? 行ってから何をするでしょうか? 握手して、目を合わせ、口を合わせたがるというのです。女性が男性を好きになれば、口を合わせようとするでしょう? 男性も同じです。 とにかく、いやが応でも男性と女性は、完全に一つにならなければなりません。完全に一つにならなければ、調和が壊れるのです。幸福とか、自由とか、夢とか、理想などという調和です。独りで幸福でしょうか? 人間は、幸福な場にいれば、自分の妻、自分の夫をそこに連れてこようとするのです。その次には、息子・娘を連れてこようとするのです。神様を救う統一教会 愛の理想とともに暮らしたく思われた神様が、愛の相対を失ってしまいました。その神様は、喜びの神様でしょうか、悲しみの神様でしょうか?、(「悲しみの神様です」)。どれくらい悲しいでしょうか? 七代続いた一人息子が、育てている途中で死んでしまうとき、その父親、母親がどれほど悲しいでしょうか? どれほど悲しいかを考えてください。どんなに優れた王、どんなに優れた女王でも、涙を流しながら泣くでしょうか、泣かないでしょうか?、(「泣きます」)。だれでも皆、そのようになっているのです。 それでは、アダム・エバは神様の何代の一人子ですか? 千万代の一人子です。数千代、数万代の一人息子・一人娘なのです。それを失ってしまわれた神様は、何を考えられるでしょうか? 精神病者になられることもあり、狂人にもなられるおかたでしょうか、それとも、遊んで食べ、踊りを踊り、喜んで楽しむことのできる神様でしょうか? どうですか?、(「悲しいです」)。その悲しさも、どこのだれとも比較できません。胸が詰まるにしても、これ以上に、胸が詰まり得ない神様であられるのです。そのことを知らなかったのです。 そのような神様であられるということを知らずに、キリスト教やその他の宗教を信じる人が、「神様、福を下さい。福を下さい。福を下さい」と言うのですが、それは泥棒の子供たちです。人間の世の中で、ただ一代の苦労にもかかわらず、息子・娘が死んだとか、何がどうした、こうしたと言って、神様の前に「福を下さい。福を下さい」と言っているのです。 あまりのことにどうしようもなくなって、おなかまで痛くなるような境地におられる神様から、福までもらおうと祈祷している者を、神様が助けることができるでしょうか、できないでしょうか? むしろ、人間が神様を助けてさしあげなければならないのです。福を受ける前に、「このように悲しく、苦痛な神様 私たち人間が分からなくてこのような状況なので、私が悲しい涙を神様の前に流してあげます」と言えば、神様が感動されるでしょうか、されないでしょうか? 神様が訪ねてこられるでしょうか、訪ねてこられないでしょうか? そのようなことまで成すことができる人間を、この地上で見たことがないのです。 では、今日の統一教会は、一般の宗教と何が違うのでしょうか? 統一教会では、「泣かれる神様、苦痛を受け、どうしようもない絶望の中におられる神様を救ってあげよう、孝子になろう、孝女になろう、国を代表した王になることのできる神様の前に忠臣になろう、烈女になろう、聖人君子になろう」というのです。 「聖子になろう」、ではありません。聖子の息子・娘となって、結婚させて、神様を解放してさしあげようという志を持って生きる宗教団体が、何の宗教だと言いましたか?、(「統一教会です」) 統一教会は優れた宗教ですか、愚かな宗教ですか?、(「優れた宗教です」)。世界が皆、文先生を愚かな人だと考えているではないですか。いちばん悪い人だと言うではないですか。 神様は、文先生をいちばん嫌がるでしょうか、好まれるでしょうか?、(「好まれます」)。それを知っていますか? 見ましたか? 見ていないのかどうか分かりませんが、することを見れば滅びるようなのに、いつも滅びずに成功してきました。人間が協助するのではなく、人間世界の外にいる別のおかたが協助なさるのです。 人間世界は、サタン世界です。サタンが嫌がる人は、神様が愛されるのです。それゆえ、全世界が嫌がるレバレンド・ムーンを、神様はいちばん好まれるのです。それは、道理が合うのです。そのようなときは、「アーメン」と言わなくてはなりません。(「アーメン」) さて、今から問題が大きくなるのです。根こそぎ復帰ですか、順次的な復帰ですか?、(「根こそぎ復帰です」)。それを願う人、手を挙げてみてください。根こそぎ復帰です。個人主義はすべてを失う 神様が蕩減役事をして蕩減復帰してこられる、自然な再創造歴史過程を経てくるのですが、再創造の歴史過程は、必ず主体と対象関係なのです。小さな主体と対象が一つになるようになれば、そこにとどまるのではありません。 鉱物世界の主体と対象が一つになった後には、植物世界に吸収されなければなりません。植物世界でプラス、マイナスが一つになれば、全部、動物世界に吸収されなければならないのです。この原則を知らなければなりません。 一つになったプラス、マイナスの次元が低いものは、より次元が高い、より大きな愛の価値を形成するために、吸収されていくのです。吸収されなければ、もっと大きな愛が現れることができません。 それゆえ、植物が動物に吸収されるのです。元素が吸収されるのです。植物は動物が吸収するのです。動物の中に、昆虫がいるでしょう? 昆虫も植物を食べます。また、動物の中では、牛も植物を食べるのです。小さな次元にあるプラス・マイナスの植物は、動物たちが取って食べます。動物も小さなものは、大きなものが取って食べます。分かりましたか? これが原則です。 ハエのような昆虫も、トンボがよく食べるでしょう? ツバメはトンボを捕って食べます。このようになっています。「順応の道理」を知らなければなりません。循環運動する天地の道理を知らなければなりません。小さな次元のプラス、マイナスになったならば、大きな次元のプラスと一つになり得るものに吸収されていくのです。ですから、微々たる動物から鉱物、植物、動物、小さな昆虫までも全部、大きなものに吸収されて入っていかなければならないのです。 ですから、万物の中で人間が最も貴いので、人間はすべて捕って食べるのです。人間が食べられないものがありますか? 虎も捕って食べ、、狼、も捕って食べ、ワニも捕って食べ、蛇も捕って食べ、食べないものはないのです。人はすべて食べることができますか、できませんか?、(「できます」) 世界の中で、カップルになったすべてのものを、大きなものであれ、小さなものであれ、すべて捕って食べれば、どのようになりますか? そのようにして、人間たちだけ幸せに暮らすのではありません。捕って食べるその男性、女性は、さらに高いおかたに吸収されなければならないのです。そのおかたが神様です。 神様に吸収されて、入っていかなければなりません。そのように吸収されるのは、何をするためのものでしょうか? もっと大きな愛を求めていくための橋です。分かりましたか? 何の橋ですか? 上がっていくはしごです。鉱物が、どこを訪ねていきたいのかといえば、自らの発生地です。「神様から出発したので、神様の所に訪ねていこう」となるのです。 人もどこを訪ねていくのでしょうか?、「愛から出発したので、神様の愛の場所を訪ねていこう」というのです。それゆえ、神様の愛を訪ねていこうとすれば、自分を犠牲にしなければなりません。もっと大きな目的と大きな人格を築くためには、その環境の難しさを克服し、犠牲の道を行かなければならないのです。自分を投入しない所には、そのようなものが現れません。 今日の南米の人たちを見れば、みんな遊んで食べようというのです。遊んで食べていれば、だんだんと後退します。自分を中心とした個人主義を主張する者は、だんだんとすべてを失ってしまいます。 今日のアメリカのような国や先進国家を見れば、個人主義を主張するので、世界と天地に関心がありません。アメリカ国民にしても、アメリカに関心がありません。アメリカ社会に対しても関心がありません。会社で稼いで食べて暮らしながらも、会社に対して関心がないのです。 家庭に入っても、おじいさん、おばあさんに対して関心がありません。父親、母親に対しても関心がありません。男性にしても、女性に関心がありません。女性にしても、男性に関心がありません。全部、必要ないと否定するのです。 そのような混乱した結果をもたらして、最後には一人だけ残ります。相対理想を持って生きる人間が、その世界を否定するので、孤独を嘆いて、行く所がなくて死ぬしかないので、自殺してしまうのです。 プラス・マイナスが一つになれば、より大きな存在に因縁づけられるのです。そのようになるためには、愛を中心として投入しなければなりません。神様がより大きな世界に物を残されるためには、投入してその物をつくられたので、これを再び見いだすためには投入しなければならないのです。 魚も見れば、すけそうだらのようなものは全部、その子たちを食べます。大きくなる前に、ごくりと丸のみにして食べるのです。小さな魚たちは、子供たちの数がとても多いので鮫のようなものは四匹、五匹しか子供を生みません。 虎は、子供を何匹生みますか? 一匹です。そのようなものが多ければほかの種が絶滅するので、多くありません。ライオンも多くありません。虎のようなものも、子供を三匹以上は生みません。子供を生んでからは母親に任せて、雄は逃げだすのです。 二年ほどして、子供たちがすっかり大きくなって、独立するようになった後、妻を訪ねてきて、また子供を生むのです。ですから、子供をたくさん生まないのです。私たち統一教会の人たちは、子供をたくさん生まなければならないでしょうか? 生んではならないでしょうか?、(「たくさん生まなければなりません」)一つになる所に理想がある ところで、愛の道を求めて旅する男性、女性たちは苦しいでしょうか、幸福でしょうか?、(「幸福です」)。失った自分の相対を捜す道が幸福でしょうか? それは、神様と同じです。 神様は愛の相対を失われてしまいましたが、その暮らしが苦しいでしょうか、それを取り戻してくる道が簡単でしょうか、困難でしょうか? どうでしょうか? 困難なのです。 安楽によく食べ、幸せに暮らしながら、この世にまたとない一つの愛を見いだそうというのは、狂った者です。一つの愛を見いだすためには、この世の万民のだれよりも困難な道を行かなければならないのです。 そのようにして、一つの愛を占有するようになるとき、反対されずに許しを受けて、その愛とともにあることができるのです。それが道理にかなった話です。神様の復帰摂理から見るとき、旧約時代は何を意味するのでしょうか? 神様が結婚式をされたかったのに結婚式ができなかったのです。 また、アダムとエバの結婚式をしてあげて、人類の真の父母にし、神様がその中に入って、見えない霊的な父と、実体の父が一つになるようにしようとしたのにできなかったという話です。アダムとエバという人類の先祖を、真の愛を中心として結婚させてあげられず、真の愛の主人たる神様が、アダムの心と体と一体となり、愛することができなかったのです。 では、皆さん自身を見ると、心と体が闘いますか、闘いませんか?、(「闘います」)。それを神様が、そのようにしておかれたのでしょうか、自分が自然とそのようになったのでしょうか? これが問題です。 神様は原因的存在であられ、人間は結果的存在ですが、結果的存在である人間の心と体が闘い、怨讐になっています。心と体が一つになっていますか? 体がしようということを心はするなといい、心がしようということを体はするなという、この争いです。心と体は、相反しています。 心と体が一つになれない人は、天国に行くことはできません。神様の前に行くことができません。心と体が分かれたのは、堕落のためなのです。堕落してそのようになったので、心と体が一つになるためには、蕩減の道を行かなければなりません。心と体が分かれたために、世界が分かれ、人類が全部、分かれてしまいました。 終末には、心と体が分かれ、男性と女性が分かれ、父と母が分かれ、祖父と祖母が分かれ、全部、分かれてしまうのです。そこには神様の理想がありません。争うところには理想がないのです。和合して、一つになるところに理想があるのです。 理想は、一つになるところにあります。調和的で、小躍りして一つになるところに、理想があり、幸福があり、自由があり、夢があるのであって、争うところにはすべてがなくなるのです。 自分が愛する夫と争ったときは、息子・娘が憎いですか、憎くないですか?、「あの人の子供を生んだ」と考えるのです。、姑、の難くせに腹を立てて、犬の腹を蹴るのです。では、皆さんの心の中に、神様が入ってこられて暮らせるでしょうか、暮らせないでしょうか? 現実的問題です。信仰生活や宗教を信じる目的は、神様に侍って暮らすためです。 心と体が闘うような人が、神様を迎えて暮らせると考えること自体が、堕落しています。心と体が闘うところに、神様が入ってきて暮らせるなら、その神様も心と体が闘う神様であるということになります。 神様はどうでしょうか? 神様は心と体が闘うでしょうか、一つになっているでしょうか?、(「一つになっています」)。それでは、心と体が闘わない人が求める愛が、行ったり来たりするでしょうか、統一的な愛でしょうか?、(「統一的な愛です」)。永遠に一つになっておられる主体の神様が願われる愛は、永遠に一つです。二つではありません。この地上に生きている男性、女性を見れば、愛はそのようになっていません。堕落して、うじ虫のように暮らしているのです。体がサタンの根拠地 それゆえ、旧約時代には、神様がアダムとエバとともに結婚式をすることができなかった恨みがあるのです。ですから、メシヤを送られたのは、アダムとエバとともに結婚式をする日を復帰するためなのです。 再創造の法度を通して見れば、神様が環境を創造された所には、主体と対象があります。イスラエル民族にも、どのような民族にも主体と対象があります。イスラエルの民を見れば、宗教と国家、これが怨讐です。主体と対象が争います。宗教者を迫害し、殺すのは国家がするのですか、個人がするのですか?、(「国家です」)。国家がします。このような国は、サタンの国家です。 全部、闘いの連続的な歴史の因縁を通して、主権とその基盤を築いたすべての群れは、闘って基盤を搾取したのです。相続した所はないのです。ですから、よこしまな世の中であり、滅びた世の中です。滅びた世の中で暮らしているということを、はっきり知らなければならないのです。 旧約時代には、神様が結婚式をしてあげたかったアダムとエバを、結婚させられませんでした。アダムとエバとともに心と体が一つになり得る一体的立場で、愛を中心として一身となって愛することができなかったのです。それで、神様とアダムとエバは分かれました。 神様の愛の中心から離れて、彼らは分かれるようになったのです。分かれるようになった原因を見れば、それはエバがアダムを堕落させました。ですから、堕落したアダムはエバが恨めしいのです。「エバのやつが堕落させた」といって、怨讐になっているのです。 エバがサタンとぐるになって、アダムまで堕落させたのです。そうして、サタンの血統を受け継ぐようになったことを知らなければなりません。私たちの血統が生まれたのは、神様の祝福の中で生まれたのではありません。怨讐、サタンの結婚式の下で生まれ、サタンの血統を受けた者の後孫が人類なのです。それにもかかわらず、このことを知らなかったのです。 ですから、これを片づけなければならない宗教世界は、反対の道を行くのです。「穏やかで謙そんであれ」というのです。「無の境地にまで、自分自身を否定せよ」というのです。「犠牲、奉仕せよ」、それから「犠牲、奉仕だけでなく、断食せよ」。断食すれば、体が弱くなります。体がサタン、悪魔の運動場であり、根拠地です。体が一番悪なるサタンの根拠地になったのです。 世界が怨讐ではありません。皆さん自身の体が、いちばんの悪魔の怨讐であるということを知りませんでした。体を弱めなければ、神様や理想世界は永遠に遠ざかっていくのです。今日、統一教会の原理を聞けば、人々は嘆くのです。「まったく、このようになったということを知らなかった」というのです。 ですから、サタン世界がレバレンド・ムーンの教えを聞けば、全員、考え方が変わるので、「レバレンド・ムーンに会えば洗脳される。目を合わせるな」と言うのです。「レバレンド・ムーンは、洗脳のチャンピオンだ」という話をしているのです。 サタンの世界が先生をいちばん嫌うのです。個人的に嫌い、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に、共産世界、民主世界、宗教世界までが嫌う代表者が、レバレンド・ムーンです。ノーメンですか、アーメンですか?、(「アーメン」) なぜ、アーメンですか? サタン世界の多くの人たちがいちばん嫌うので、レバレンド・ムーンは神様にいちばん近いというのです。レバレンド・ムーンは、天に行く道を教えるので、悪口を言われるのです。しかし、悪口を言われながら成功した人が、歴史にまたとないレバレンド・ムーンなのです。(「アーメン」) そうでしょうか? 私は成功した人ですか、失敗した人ですか?、(「成功しました」)。(「勝利しました」)。どのような勝利ですか? 相撲を取る土俵の上で勝利したのですか? どのような勝利であり、どのような成功ですか? 個人的な真の愛、家庭的な真の愛、氏族、民族、国家、世界、天地の真の愛、神様の真の愛を失ってしまったものを、収拾して取り戻すことのできる神様の代身者としての権勢を振るうのです。ですから、神様は、文総裁を愛さざるを得ないという結論が出てくるのです。 皆さん、文総裁を愛しますか?、(「はい」)。愛すると言いながら、全部、奪っていこうとするのです。郭錠煥、私を愛しますか?、(「はい」)。私を利用しようとするではありませんか。 自分が難しければ文総裁のところに来て、「先生、私を助けてください」と言うのです。全員、目をむいて、商売をしようという連中です。全員、真の愛を泥棒した堕落したアダムとエバの後孫なので、真の愛の主体者がいれば、愛を中心としてむしり取っていこうとするのです。 皆、「先生を愛する」と言います。先生を本当に愛する人、手を挙げてみてください。もらうためですか、与えるためですか?、(「与えるためです」)。違います 今までもらうためだったのです。日本のメンバーは、先生を愛するというその誠意の上に、何かをもらいたいという根性があります。(笑い)それは泥棒の根性です。祭物を犠牲にした旧約時代 旧約時代は、何が必要ですか? メシヤです。四千年間待って、神様はイエス様を送られたのです。メシヤを送るための道案内が、どれほど大変でしょうか? だれでも送れるわけではなく、いつでも送れるわけではありません。 家庭で失ったので、神様の体面において、サタンに国家基準で勝たなければならないのです。それゆえ、家庭で失敗した神様が家庭で取り戻されれば、サタンの前に威信が立たないので、サタンが国をつくった所に来られて、家庭以上の国を捜されるのです。国を復帰し、その国を中心として、より大きなものを見いだすために投入しなければなりません。 小さい国を、世界の前に投入すべきなのが創造の原則であり、再創造の原則です。イスラエルの国は、メシヤと一つになって投入しなければなりません。ユダヤ教はアベル、主体の立場であり、イスラエルの国はカイン、対象の立場です。 ユダヤ教を訪ねてこられたイエス様を中心としてユダヤ教は一つとなり、愛で投入してイスラエルの国を復帰しなければならないのです。イスラエルの国が独立して、イエス様と一つになったならば、ローマに投入して、ローマを復帰しなければなりません。 ローマが怨讐の立場にあるので、「怨讐を愛せよ」という話をしたのです。サタンは、怨讐を愛せば逃げていくのです。自分を愛する個人主義は、自分第一主義であり、「サタンの大王」主義です。 それで、旧約時代は何を犠牲にしたのかというと、万物です。万物を犠牲にして息子が来ることのできる道を築いてきたのが、旧約時代です。息子がそのままでは行けないので、蕩減法によって吸収させ、犠牲にさせる業をしてきたのです。 ですから、祭物は全部、二つに割くのです。一方はサタン側、一方は天の側です。これは、人間の心と体が分かれたのと同じことです。一つの心になって、天の前にささげなければなりません。そうしてこそ、祭物が自分の代わりに贖罪の条件になるのです。 それゆえ、旧約時代には万物を通して祭物を犠牲にし、メシヤを再創造してくるみ業をしたという話です。メシヤが来ることのできる、その基盤を築いてきたのです。そのためには、犠牲にならなければなりません。血を流さなければなりません。投入しなければなりません。 自分を中心として「もったいない」などと言えば、だめなのです。根こそぎ尊いものをささげなければなりません。血を流すようなことになっても、哀れに思ってはいけません。それを皆、祭司長がほふるのです。 祭司官がそれを無慈悲にほふり、ささげなければならないのです。そのように血を流して投入することによって、その一つになった心を中心として、祭物をささげ、祭物の役事を通して、息子を捜し出す道を復帰してきたのです。旧約時代は、国家の王になる時まで、万物を犠牲にして息子を指導してきた時代です。 それから、新約時代は何でしょうか? イエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエルの国が一つになっていたならば、イエス様は死にませんでした。イエス様を中心としてユダヤ教とイスラエルの国が一つとなり、イエス様が王になったならば、イエス様は死ななかったのです。主体と対象の関係がないので、ローマの前にイエス様は犠牲になったのです。 カイン的ローマの前に、王として来られたイエス様が亡くなられるようになったのです。ユダヤ教とイスラエルの国が反対することによって、イエス様はローマの前に亡くなられたのです。ですから、キリスト教は血を流してきたのです。 万物が祭物となって、子女が生きることのできる国家編成をしていたすべてのものが、イエス様と一つになることができなかったのです。祭物と一つになり得るイエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエル国家、アベルとカインが一つになれませんでした。 主体と対象が一つになって、イエス様の前に吸収されなかったことによって、イエス様が亡くなられたのです。イエス様は、大きな存在です。大きなものの前に投入しなければなりません。投入することのできる環境がないので、イエス様は、ローマの前に犠牲になられたのです。本来、東洋から出発しなければならなかったのですが、イエス様が血を流されたので、血を流されたその道に従って、ローマに入っていって、反対に行ったのです。過ぎ去った出家と独身生活時代 歴史以来、宗教の中で殉教の血を流してきたのは、キリスト教しかないと言ってよいのです。ほかの宗教にはありません。ほかの宗教は天使長圏の宗教です。キリスト教は、「息子の宗教」です。キリスト教だけは、来られるメシヤ、救世主のために血を流し、人間の祭物を通して進んできたのです。救世主は何かというと、父母として来られるのです。それを知らなければなりません。 キリスト教徒が子女の立場で血を流したのは、父母が来ることのできる道を築くためです。キリスト教は、再臨主が来られて、「小羊の婚宴」をして父母となり、天下を分けて兄弟同士争うものを、統一するみ業をしなければなりません。ですから、キリスト教が子女の血を流し、父母が来ることのできる時代を準備してきたのです。それが新約時代です。 では、再臨主はどのようにして来られるのでしょうか? 雲に乗っては来られません。教条的な連中が、「雲に乗ってくる」と言うのです。そのような話をしようとすると、きりがありません。 地で失ったものは、地で取り戻さなければならないのです。皆さん、金銀財宝を地で失ってしまったとき、それを空中に行って見つけ出せるでしょうか? 失った所に行って、見つけなければならないのです。アダムとエバによって地で失ったものは、地で捜さなければならないのです。 ですから、再臨主が来られる時まで、キリスト教は血を流します。そうしながら、旧教と新教が分かれたのです。これを統一しなければなりません。これを統一できなければ、世界が統一できません。 アダム家庭で、エバを中心としてアベルとカインが分かれたのです。兄をサタンがつかんでいるので、復帰は反対に上がっていくために弟を立てて、兄が弟の立場、弟が兄の立場に立つようにしなければなりません。反対の道を行かなければならないのです。 それゆえ、宗教は出家をしなければなりません。その国を否定し、その血族を否定し、その父母を否定し、自分のあらゆる兄弟を否定し、自分の妻を否定し、息子・娘を否定し、自分の体まで否定しなければならないのです。 そうしなければ、元へ戻すことができません。否定を強要できる宗教でこそ、これが成されるのです。それゆえ、宗教は出家を命令しなければならないし、「必ず独身生活せよ」というのです。神様が一番嫌われることは、神様を中心とせずに男女が愛する行為です。 人類の真の父母と神様が、結婚できなかったのだから結婚できないというのです。みんな、このようなことを知らずに暮らしています。統一教会はどうですか? 統一教会は何をせよと言いますか?、「還故郷せよ」と言うでしょう?、「出家をしたので、故郷を訪ねるように」と言ったのです。 「家庭盟誓」第一条を朗読してください。(全員、「家庭盟誓」一節を朗読)どこの地ですか?、(「本郷の地」)。本郷の地。失った本郷を求めて進んでいかなければなりません。本郷を求めて、何をするのですか? 地上天国と天上天国を成さなければなりません。自分が創建しなければなりません。 罪を犯したので、罪を犯した者が全部、つくらなければなりません。千年万年、億万年かかっても、しなければならないのです。ですから、統一教会は「還故郷」ということを言うのです。これは、宗教界にないことです。それから、「結婚せよ 祝福せよ」と言うのです。 神様が一番嫌われたのが、そのことです。ですから、「出家だ 独身生活せよ」と言ったのです。しかし今は、そのような時代が過ぎ去りました。統一教会は「還故郷して、結婚せよ」というのです。故郷に帰らなければなりません。出家時代は過ぎ去りました。故郷を訪ねていかなければならないし、結婚しなければ皆、滅びます。仏教やカトリックが皆、滅びつつあるではありませんか。再臨主は雲に乗って来ない 旧約時代は万物を犠牲にして、息子を復帰するためのものです。息子を犠牲にするみ業をしたキリスト教は、父母を迎えるためのものです。父母が第二次世界大戦後に、英・米・仏を中心として……(聞き取り不能) 英国は島国、エバ国家です。母の国です。アメリカはアベル国家。フランスはカイン国家ですが、これらが一つにならなければなりません。アダム家庭において、母と長子と次子、この三人が怨讐になりました。この三人が怨讐になったのを統一するのです。アダム家庭で失ったものは、神様のみ旨の中で復帰という受難の過程、蕩減路程を経なければならないのです。 そうして、神様を中心として失ってしまった家庭を代表した女性となる国家が、この地上に初めて現れたのが、エバ国家の英国です。そして、エバである英国が生んだのがアメリカです。フランスは英国と争い、アメリカと争った怨讐です。しかし、この怨讐が一つになりました。 一つになったので、第二次世界大戦では、このキリスト教を中心として、枢軸国と連合国が争ったのです。八百万の神を信奉する日本は、雑教国家です。西洋文明圏は、唯一神を信奉しています。 これは、原理で否定できない事実です。第二次世界大戦以後に、キリスト教文化圏を中心とした統一世界が、歴史以来初めて、出現しました。エバ国家、アベル国家、天使長国家が英・米・仏で一つになったのです。 日本は枢軸国といわれました。中心の軸になる国です。枢軸国です。連合国というのは、合わさった国です。これは三天使長と同じです。サタン側は枢軸国です。東洋で失ったものを東洋で取り戻すのですが、日本はエバ国家として一番近くにある韓国を占領したのです。四十年歴史で、四千年を蕩減したのです。 旧約時代に万物の血を流させたのは、だれを迎えるためですか? イエス・キリスト、神様の息子を迎えるためです。イエス様を完成した息子となるようにして、結婚式をするために送ったにもかかわらず、死んでしまいました。ですから、再び来なければならないのです。 国家基準で失敗したので、神様の威信がつぶれ、その国家を訪ねていくことができません。ですから、世界的舞台に送り、世界時代を迎えて、世界の上で復帰しようというのです。家庭で失敗し、国で得られなかったので、世界を統一するために再臨主が来なければならないのです。そうしてこそ、神様の威信が立つのです。 英・米・仏が一つになって、キリスト教文化圏が統一天下圏をつくるのは、来られる再臨主を迎え、万王の王圏を立て、天の国の皇族と天の国の民をつくるためです。しかし、来られる主が雲に乗って来ると思っているのです。来られる主が、文総裁だとは知らなかったのです。文総裁が、来られる再臨のイエス様になれる資格があると思いますか、思いませんか?、(「思います」)。狂った人たちですね。イエス様が雲に乗って来られるのに、文総裁がどうして再臨主になりますか? 再臨主とは何かを、私は知りませんが、理論的な面で真の父母の説明ができれば、それで天下統一できるのです。ですから、文総裁が今、東側で話せば、西側までインターネットで伝わります。雲に乗って来られるというのですが、私は飛行機に乗って来るではないですか。 二千年前に、イエス様は雲に乗って再び来る、と言いましたが、その当時の人たちが、飛行機を知っていたでしょうか?、「鉄の塊が五百人を乗せて、空中を飛んでいく」と、そのような話をするでしょうか? そのときの言葉では、雲に乗って来る、というようにしか言えません。 先生は最近、飛行機に乗り、地の果てから果てまで飛びます。今、ここから飛べば、香港まで行くのに、以前より一時間半速くなっています。また現在、飛行機会社をつくっているのです。再臨主の特権 旧約時代には万物を犠牲にして、メシヤが来て生きることのできる基盤を築きました。しかし、責任を果たせなかったために、息子が十字架を負い、血を流し、祭物になることによって、ご父母様の来られる道を築いたのです。 英・米・仏国家が一つとなった統一天下を中心として、そこに王として来られたのです。しかし、雲に乗っては来ませんでした。それでは、雲に乗って来られたなら分かるでしょうか? イエス様が若者として来られたといえば、自分たちが霊的に見て、日の光のように輝いて見えるでしょうか? また、イエス様は黄金の塊のようにして来られるでしょうか? イエス様が来られても分からないことでしょう。だれが信じるでしょうか? 教条主義者たちが、文字どおりのことを言っているのです。夢のようなことは信じてはいけません。私は今まで、そのために反対されました。 イエス様は、「人として来る」と言われればいいのに、なぜ「雲に乗って来る」というような話をされて、文総裁を苦労させるのでしょうか。(笑い)イエス様も私を見れば、私にあいさつをするようになっているのであって、レバレンド・ムーンがイエス様にあいさつをするようになっていません。 イエス様が私を見ても、「お父様」と言うのです。イエス様がお父さんになりましたか? 結婚しましたか? 結婚できず、お父さんになれるでしょうか?この文総裁は結婚し、美人のお母様が後ろについて回るのです。それから、息子・娘がたくさんいます。カインの子女たちがたくさんいて、百八十五か国の人々が文総裁の後ろについて、「来るな」と言っても会おうと大騒ぎです。 再臨主が来られて今まで苦労しましたが、再臨主が祭物になったでしょうか、ならなかったでしょうか? 先生の家庭、子女を皆、引き裂き、韓国を引き裂き、東西統一世界を引き裂きました。父母である私がこのように苦労しています。ご父母様が十字架を負うのです。 ご父母様が苦労をして、何をしようというのでしょうか? 真の愛を中心とした家庭をこの地上に安定させようというのです。そのことを知らなければなりません。ご父母様が苦労し、本然の心情の地を求めなければならないのです。 父母が問題となって堕落したので、父母も苦労をしなければならないのです。蕩減の道を行っても、越えなければなりません。既成教会が受け入れていたならば、その苦労はなかったのです。既成教会が先生を受け入れなかったので、共産党が現れたのです。 民主世界と共産世界がアベルとカインです。争うものを統一させなければなりません。それゆえ、自分の手で共産主義をつぶさなければなりませんでした。自分の手で民主主義、アメリカの行くべき道を開いてあげなければなりません。 アメリカがレバレンド・ムーンの怨讐であり、日本が怨讐であり、ドイツが怨讐です。今、怨讐国家を生かすために、このようにしているのです。韓国と日本が怨讐であり、日本とドイツが怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、ドイツとアメリカが怨讐です。怨讐の人たちを中心として、アメリカを救うのです。アメリカを解放して、キリスト教を一つにするためです。 白人たちを一つにして、南米作戦をするのです。キリスト教のアベルとカインを一つにして、南米作戦をするのです。これは歴史的なことなのです。それゆえ、旧教も文総裁が恐ろしくて反対したし、新教も恐ろしくて反対しました。反対しますが、家庭問題を旧教も、新教も消化できません。青少年問題、家庭淪落を解決できるのは、先生だけの特権です。ご父母様が苦労したのは、絶対愛を中心として理想的天国をつくるためです。 先生が祭物になってきました。先生が祭物になって、家庭理想をすべて見いだした後には、何をするのでしょうか? これを皆、相続させるのです。これを皆、相続させるためのものが三万双までの祝福だったのです。三万双の祝福は蘇生、三十六万双は長成、三百六十万双は完成です。今年五月に三千六百万双をやろうと思ったのに、神様がどれほど忙しいのでしょうか、天が全部、督促したのです。 三億六千万双が着地する日には、この地上に情緒的心情圏の地上・天上天国の統一の世界が来るのです。心情圏に生きては亡くなっていった家庭を中心としたアダム家庭完成と同じになるので、地上天国に生きてから天上天国に入るようになるのです。天国は家庭が入るようになり、国家が入るようになり、アダム一族が入るのです。 それゆえに、第三アダムとして収拾し、第四アダム圏解放を中心として、万国全体が一つの兄弟圏大家族の編成をし、家庭で王になるのです。文総裁は、全世界家庭の愛の王の出発を始めるのです。 自分が家庭的王となり、今、統一教会の王でしょう? 権力をもって羽振りを利かす大統領ではありません。学生を教える先生でもありません。何の王ですか? 愛の王です。真の愛を中心とした家庭の王です。それを認めますか?、(「はい」) ですから、男性も女性も先生を憎むことはできません。憎めば、自分の家庭が皆、分散してしまいます。統一教会に来て、祝福を受け、分かれてしまえば、永遠に皆、分かれてしまいます。落ち葉になって、腐ってしまうのです。 出ていくときは、思いのままに出ていっても、入ってはこれません。そうしながら、泣いている人がたくさんいます。出ていって、先生に反対した後に先生に出会えば、「あなた、反対していたね」と言うと、涙をさっとこぼすのです。統一教会は恐ろしいのです。サタンは、真の愛圏内にいることはできないのです。 ご父母様が苦労した目的は何ですか? 第二次世界大戦以後、真の愛の園を築こうとしていたものが、新教と旧教が一つとなって反対することで、全世界から反対を受けたのです。先生は二千年間、四百年間生きることはできません。四十年間でこれを再び引っ繰り返し、一代で完成しなければならないのです。 アダム家庭一代で、完成すべき世界舞台を失ったので、先生が血の涙を流しながら、一代で引っ繰り返し、完成できるものが現れたのです。三万双から三十六万双、三百六十万双、三千六百万双を完成するのです。蘇生、長成、完成の峠を越えるのです。三百六十万双の目的を果たしましたが、神様がどれほど忙しいのか、三千六百万双を越え、七千万双をやってしまいました。どれほど忙しいのか、霊界で総動員して、激しく駆り立てているのです。皆さんがやったとは、夢にも思ってはなりません。万物祭物、子女祭物、父母祭物 復帰歴史は、蕩減復帰であるということを知りました。蕩減復帰は、血を流す受難の道、蕩減の道であるということを知らなければなりません。そうして旧約時代、新約時代、成約時代という、この歴史時代全体と同じことを、皆さんが蕩減条件を立てて越えなければならないのです。そうしなければ、解放的愛の心情文化世界に同参できないというのが、蕩減復帰原理で見た歴史観の総結論です。 その話はどういうことかといえば、エデンの園でアダムとエバが祝福を受ける前の宇宙の万物は、神様が主人であり、祝福を受けるや否や、一つになることによって、神様のものが自分のものになることができたというのです。 私を超えて地球星、この宇宙全体までもが、神様を主人としたアダムとエバが、その根本主人だったのです。ところが、堕落することによって、神様は愛の相対を失われ、愛のためにつくられたこの宇宙はサタンのものになってしまったのです。 そこから分立するために、しかたなく万物を割き、息子を割き、父母も割いて祭物にし、順応できる絶対的信仰圏を中心として進んできたのです。神様の祭壇を見れば、万物と息子と父母が祭物になってきたということを知らなければなりません。この事実が、歴史を経て行われただけなのです。 アダム家庭で失ったものを蕩減復帰するためには、どうしたらよいのでしょうか? 万物を失い、息子・娘を失い、真のご父母様を失い、愛を失ったものを、総蕩減するために、長い歴史の祭壇を整えてきたのです。 皆さん自身の祝福家庭を見るときに、皆さんは父母の立場であるとともに子女がいます。また、サタン世界には万物があります。そこに所属している万物と子女と体が、まだ総蕩減されていなかったのです。 来られる真のご父母様が、このように万物を犠牲、子女を犠牲、父母を犠牲にし、解放的愛の世界に入っていかれるのと同様に、皆さんもその道を行かなければならないのです。ご父母様が、歴史時代にそのような三段階の祭物的過程を経て、真の父母の解放圏に入ったのと同様に、皆さんも解放圏に入らなければならないのです。 今日、皆さんはサタン世界の様式に染まっています。皆さんも所有権を持っています。物の所有権です。また、自分たちの偽りの父母がおり、偽りの息子がおり、偽りの万物を持っています。 これは、一家庭を平面的に見れば、万物は旧約時代、子女は新約時代、父母になり得る自分は成約時代です。真の愛を受け継ぐためには、旧約時代に万物が犠牲、新約時代に子女が犠牲、成約時代に父母が犠牲になったのと同様に、犠牲にすることのできる立場でささげなくては、真の父母の心情的解放圏に接ぎ木されないのです。(「アーメン」)。重要な問題です。 もはや、三億六千万双が終わる日には、すべての人類の所有権が、返還されなければなりません。万物と子女と皆さんの体が、歴史時代に神様の実体を中心として求めてきた万物犠牲の旧約時代、子女犠牲の新約時代、父母犠牲の成約時代と同様に、血を流し得る条件を中心として、皆さん一代一家で犠牲になり、否定されることのできる過程を経なくては、真の父母の善の天地の勝利圏に接ぎ木され得ません。切らなければなりません。分かりましたか? どうしなければならないのですか?、(「切らなければなりません」) 切るとはどういうことでしょうか? 否定しなければなりません。物を否定し、子供を否定し、自分自体を否定しなければなりません。きょう、第三十一回「真の神の日」を迎えましたが、今後、三年を中心として二〇〇〇年代まで、天地が転換し得る大転換式に皆さんが備えるべきものは、万物の祭物、実体の子女の祭物、自分自身を祭物にすることのできる、完全否定できる道を行くことです。避難民にならなければなりません。 物と子供と自分の夫婦、父母自体を投入するのに、喜んで蕩減復帰しなければ、心情圏、王圏の国民、あるいは孝子、天の皇族にはなれません。それが原則になっています。完全に否定して凌駕していくのです。日本のメンバー、分かりましたか?、(「はい」)。母としての使命は恐ろしいものです。自分の骨肉すべてを子供に投入して、犠牲になっていかなければならないのが、母の国の使命です。 韓国は、経済的に困難ですべてを失ってしまいます。韓国は、旧教も新教も仏教も、全宗教も、また北韓も南韓も、家庭もすべて「無」の状態です。日本が、母の国として責任を持たなければなりません。そして、天使長の立場にあるアメリカが責任を持たなければならないのです。 韓国を解放し、すべてを解決する方法を、文先生以外に分かっている人はいません。先生は日夜、苦労しながら準備しているのです。分かりましたか?、(「はい」)。この解決法は、UN(国際連合)を動かすことです。 物は自分のものではありません。子供も自分の子供ではありません。神様と真のご父母様の犠牲の祭壇の前に、それを越えていくのは、個人の所有権全部、すなわち物も子供も自分の夫婦も、勝利した真の父母に接ぎ木することによって、心情圏の世界圏に突入できるのです。それ以外の道はありません。 今から、世界的なすべての祝福家庭を集めるようにするのです。万物祭物、子女祭物、父母祭物、このようにして心情圏世界へと移るためには、世界的な勝利をした真の父母の前に、切って接ぎ木しなければなりません。 先生には所有権がありません。先生の息子・娘もすべて捨てました。今まで、息子・娘を捨てて歩んできたではないでしょうか。先生は自分まで捨てました。そうではありませんか?ここに、先生の子女たちが座っていますが、父母を自分の父母とは考えていません。統一教会の父母と考えるのです。物心がついたので、今からはそれが分かる時が来ました。「自分の父母が、このように素晴らしいとは知らなかった」と言うのです。 神様の愛と心情圏を尋ね求めて、すべてを捨ててきました。それゆえ、神様が祝福して心情圏統治世界を私に伝授されるための瞬間が、今です。皆さんがこのような立場で、解放的家庭の民族圏を成すためには、皆さんも同じ立場で清算することのできる条件として、自分の物と自分の体とすべてをささげなければならないのです。小さな立場にいる家庭は、大きな家庭に吸収されなければならないのです。 そのようにして、神様の愛の世界、天の生命の根源地に入っていくのです。万物は男性・女性の生殖器に行くために吸収されて入っていくのです。人間は、神様の愛の生殖器に入っていくために犠牲にならなければなりません。 それは間違いないでしょう? 原理観でしょう? 先生が天理の大道の原則を話すのです。分かりましたか、分かりませんか?、(「分かりました」)一度、言ってみましょう。旧約時代、(「旧約時代」)。新約時代、(「新約時代」)。成約時代、(「成約時代」)。全部、祭壇にして、天の前に置いて、解放された体で、真のご父母様が勝利したものに接ぎ木するための道を行かなければならないということは、避けることのできないことであることを知らなければなりません。分かりましたか?、(「はい」) このような原理があるので、自動的に世界が統一されるのです。レバレンド・ムーンが世界を救えばよいというのです。韓国は放っておいてもよいというのです。国連が神様の願いにかなえば、すべて終わるのです。 きょう、「真の神の日」には、今後の韓国の解決方法、世界の解決方法を教えてあげようと思います。このようにすることによって、天国に直行して解放圏に行くのです。アーメン。(「アーメン」) 新年の祝福の日が明けてくるとともに、解放の日が明けてくることを願いながら、神様の怨恨が解怨成就されることを願いながら、万歳三唱をします。神様、万歳、(「万歳」)。ご父母様、万歳、(「万歳」)。三億六千万双、万歳、(「万歳」)。神様の祝福があるように。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.19
コメント(0)
「霊界祝福開門」宣布一九九七年十二月一日(午後十一時十分)、イーストガーデンにて、二十余名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は金孝南執事の両手に手を重ねて祝祷し、霊界祝福開門宣布をされた。祈祷 愛するお父様……、一九九七年十一月二十九日、三百六十万双、三千六百万双、合わせて三千九百六十万双の祝福が完結することによって、地上と天上世界の道を築き得る天の恵みが許され、万民が共に天国に入れる開門の恵沢を賜り、自分から進んで努力する祝福家庭を中心として、氏族的メシヤの使命を完遂することによって入籍し、天国の民として公認を受ける時代圏に移行するようになりました。 地上でサタンの血族を断絶すべきこの時期を代身して、地上から天国に直行し得る家庭的祝福を解怨させていただく反面、霊界にいる大母様と忠母様と大兄様、それから大母様と興進君を中心として……それからアダム家庭・イエス家庭・完成した再臨主家庭の三家庭を代身したすべての民が、霊界と肉界にいる人類全体を代表した子孫でございますから……、今や、すべての先祖と因縁を結んだ地上の家庭をすべて祝福することによって、家庭から世界まで開門できる時代を迎えました。 また、十六歳以後、サタンの血縁的問題をすべて備えた天使長圏の世界を、再臨主がこの地に来られて肉体を中心として完成することによって、十六歳以後の世界的版図まで、真の父母の血族的因縁を中心としてサタンの血統を断絶し、切り捨て、接ぎ木することのできる時代が要求されることによりまして……、霊界に新しい祝福の恵みを連結することのできる、そのような祝福を付与してくださいましたことを感謝申し上げます。 今後、清平にいる大母様と金孝南執事が一つとなって、一切を天と連結し、興進君と大母様と連結させ、忠母様や大兄様、霊界にいるすべての子孫、聖人賢哲や天軍天使の全体に、解放の祝福を受けさせることにより……、そしてまた、お父様の恵みの中で保護を受け、あなたの愛の中で血族の因縁を代身し、霊界と肉界が一つの完成した愛の家庭を築き、すべてを結実の基準として祝福を受けさせることによりまして……、霊界も開門し、地上もそれに伴って恵沢を受けることのできる特権を付与してくださいますよう切にお願い申し上げます。 世界的摂理の発展と共に、清平が仲保的な役事で、霊界と地上の統一食口を連結することによって、統一的な恵沢圏を確定することができますよう祝福してくださいませ。あなたが直接顕現なさり、導いてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての先祖たちと万民が一つになり、天使長圏とアダム圏が一つになって地上を完成することにより……、そしてまた、霊界を開門して、第二アダム圏を中心として長子権復帰や父母権復帰、王権復帰の全体的恵沢を受け得る地上により……、霊界までが祝福を受けられるようにしてくださらんことを切にお願い申し上げます。 そうして、天使長世界の体となった全霊界の子孫たちが、アダム的な第二の体として接ぎ木されることによって、弟的で、第二アダム的な祝福家庭として霊界に入り、カイン的立場の長子権に代わってアベルが長子となることによって、第一アダム圏を逆に引き継いで接ぎ木し、天の解放圏に祝福家庭を成立させることを許諾いたしますので、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 万民の地上解放と共に天上解放を完成し、あなたがどこにおいても、はばかりなく本然の愛の心情を広めることができますよう祝福してくださらんことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今、真の父母の名によって地上を完結するとともに、天上の開門となる祝福を許諾いたしますから、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 このすべてのみ意が、すべてにおいて成就するようにお許しくださいませ。この日、この夕べ、このすべての霊界の開門の祝福を許諾し、すべてを宣布いたしますので、真の父母の名によって受け入れてくださり、霊界においても統一的な宣布がなされますようお願い申し上げます。 このすべてを真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(金孝南執事に)韓国に行って、先生の家庭のおじいさんをはじめ、七代先祖すべてを連結して祝福してあげ、それに続いて、霊界にいる聖人や聖哲たちを祝福してあげなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.17
コメント(0)
青年文化として定着すべき純潔運動日付:一九九七年十一月三十日場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンションセンター行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会 尊敬するマリオンベリーワシントン市長御夫妻、著名な国内外の貴賓、スポーツ祝祭に参加された「世界大学原理研究会」の会員、そして紳士淑女の皆様。きょう、この朝に世界的な都市、ワシントンDCの中心に位置するコンベンションセンターにおいて、勇ましくはつらつとした世界各国の若者の皆様とお会いでき、とてもうれしく思います。 特にこの場をお借りして、今回「世界文化体育大典」の行事を誘致してくださっただけではなく、この期間に多くの便宜を提供してくださったべリー市長とワシントン市民の皆様に、改めて深く感謝を申しあげます。 世界文化体育大典は真の愛の祝典 全世界が、きょうこの場に雲霞のように集まられた若者である皆様を注視していますので、皆様もまた、皆様を見つめるこの世界に対して責任をもつと誓う場となることを願います。 私は「世界文化体育大典」のビジョンを、一九八八年、ソウルオリンピックが終わった直後に、私の祖国である韓国で公表しました。様々な面から見て、当時のソウルオリンピックは、近代史において一つの大きな転換点でした。東西の冷戦によって一九八〇年のモスクワオリンピックと一九八四年のロサンゼルスオリンピックが、部分的なボィコットの中で開催されて以降、初めてソウルオリンピックを通じて、全世界の国々が一家族として再び集まったのです。 東の共産圏と西の民主世界の若者たちが、ソウルで共に走って一つになるのを目撃しながら、民主世界と共産世界を塞いでいる障壁がすぐに崩れることを、私は予見していました。そして、これから人類がもつべき未来の祝典は、人間の肉体的な技量だけを競うオリンピック競技から、一歩進んで、文化と道徳、精神の高揚を共に目指す全人格の形成に焦点を置かなければならないと思いました。さらに、このような全人類的祝典の核心は、人間の心と体の中心となる真の愛を実現する真の家庭を築く祝福結婚の行事でなければならないと強調してきました。 ですから、「世界文化体育大典」は、全人類の心が共に調和する真の愛の祝典であり、全世界の学術、政治、宗教、言論、芸術など各分野の最高指導者たちが一堂に会して開かれる知性の文化大祭典であり、また健全な肉体を競い合い、世界の人々の団結を図る若さのスポーツの饗宴でもあるのです。 一言で言えば、真の愛を主軸として、人間の精神と肉体の調和と発展を期し、世界の各分野の指導者が知恵を集め、平和世界を設計しながら二十一世紀の新文化創造を模索する場、それが正に「世界文化体育大典」なのです。 絶対「性」による純潔運動 「世界文化体育大典」は、韓国で一九九二年と一九九五年に、各々第一回、第二回の大会が挙行されました。そしてきょう、私たちは、世界的な首都であるワシントンDCで、第三回大会の最後の行事を迎えているのです。 人類の未来を担うべき若者の皆様に、きょう私がお願いしたいことは、絶対「性」を強調する純潔運動です。この大会の期間に皆様は、絶対愛と絶対純潔を叫びながらワシントンDCの中心街を行進しました。私は、この行進こそは、今日地球上のどこを探しても見つけられない価値ある一場面であると思います。 既に昨今の世界では、「純潔」という言葉の価値やその重要性に関する論議さえも、陳腐なものとして扱われる環境になっています。純潔な愛の不在は、家庭の破綻を促し、人類の未来を暗くする根本要因になっているのです。 人類が歴史を通して純潔を強調し、これを大切にしてきた理由は、純潔それ自体が生命の尊厳と直結するものだからです。したがって、純潔を尊重する心は、命を貴く思う心と通じるのであり、それは取りも直さず、自らの氏族と全人類を大切に思う心につながるのです。さらには、この純潔の立場は、神様と出会うことのできる心と最も近く通じるのです。 いくらアメリカが強大国といっても、この純潔の問題に関して決して強いとは言えないことは、否定できない現実です。ワシントンDCが世界の首都としての体面を守ろうとするなら、何よりもこの純潔の問題において一番にならなければならないでしょう。ワシントンDCが純潔と真の愛の聖都となる日には、アメリカ全体が、全世界の尊敬と愛を受けるようになるでしょう。 青年運動として定着すべき純潔運動 人類始祖アダムとエバをはじめとして、人類の歴史上、大勢の英雄や修行者たちが越えることのできなかった峠が、正に純潔の峠でした。純潔に対しては、家庭はもちろん、学校と教会、そして政府さえも責任をもてないというのが今日の問題点です。 純潔を守る最善の方案として私が教えてきたものが絶対「性」です。これは、神様のもとで結ばれた愛の相対は永遠であり、いかなる条件下においても変わることのない絶対的な愛の関係だという意味です。なぜかというと、二人の配偶者の出会いは、永遠で絶対的な神様の愛を中心として実現されるものだからです。これは男性にのみ強調されるものでもなく、女性にのみ該当するものでもありません。男女共に絶対的に守るべき天倫なのです。 フリーセックスこそは、この地球星から完全に根絶すべき邪悪な風潮です。このフリーセックスと関連した要素は、麻薬、暴力、同性愛、エイズなどのように人類を破滅へと追い込んでいく要因なのです。 このように「世界文化体育大典」の目標が、完全な人格体を育て、真の愛の土台である真の家庭を築くことなので、この大典に参加された皆様にとって、純潔の意味はさらに格別であり重要です。皆様が展開するこの純潔運動が地上に定着するとき、真の家庭運動は最も大きな力を得るのです。 ですから、皆様は、この純潔運動を新しい青年文化として、一日も早く世界中に定着するようにしなければなりません。既に三百六十万家庭、そして三千六百万家庭が、今回の祝福結婚の行事を通して、純潔と絶対「性」を誓いました。皆様はこれから、踊りと歌とスポーツを楽しむ祝祭を終えて、純潔と真の愛のメッセージを、大学街、そして世界の津々浦々に伝えなければなりません。 真の家庭運動は新しい平和運動 韓国の諺に「民心はすなわち天心である」という言葉があります。既に三千六百万組に至る家庭が、神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことを誓って立ち上がったとすれば、それは正に神様が共におられるという意味にほかならないのです。 ですから、三億六千万家庭を新たな目標として引き続き推進されるこの真の家庭運動は、正に神様をこの地球星にお迎えする新しい平和運動なのです。したがって、人類が新しい二〇〇〇年代へと進入するための最上の準備は、三億六千万組の祝福結婚行事を成功裏に成し遂げることであると言わざるを得ません。 今回の祝典に参加された皆様は、これから御自身の国にお帰りになり、一層自信をもって純潔運動を活発に展開してくださり、真の家庭の理想がこの地に定着するよう積極的に後援してくださることを願います。 きょう行われる皆様のスポーツ大会が、若さを燃やし、友誼(ゆうぎ)をさらに固める機会となり、本大典の有終の美を飾る行事となることを期待します。皆様と皆様の御家庭と将来に神様の祝福が共にあることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
4000万双世界祝福式祝祷:主礼・真のご父母様1997年11月29日 愛する天のお父様 きょう一九九七年十一月二十九日、このワシントンDC、R・F・K・スタジアムで、三六〇万双と三六〇〇万双を合わせて、三九六〇万双の結婚式を挙行するようになったことを心から感謝いたします。 ここに集ったあなたの善男善女が、真の父母によって因縁づけられ、真の愛の血統を受け継ぎ、真の夫婦として家庭を成立することのできる、歴史的な新しい起源をなすことのできる、祝福の行事を許諾してくださったことを心から感謝いたします。 全人類が注目し、国家的に選抜された多くの善男善女たちが、国々が注視する中にあって、それだけでなく、全霊界と神様が注視する場で、天地が和動する場で、真の父母と共に、真の子女が神様の伝統的家庭を相続することのできる、祝福の結婚式を許諾してくださったことを、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 歴史を回顧するとき、人類始祖の一瞬の失敗によって、億千万年、恨みの心情を天の父母の前に残し、数多くの先知先烈たちはこのことを蕩減復帰するために、受難の道、犠牲と祭物の道を歩んできたことを知っております。 アダム・エバ、人類始祖の一家族の失敗によって、恨みの歴史を残した神様の御旨でしたが、この背いた家庭によって世界を築いてしまったのです。それを再び取り戻すために救援摂理を広げてくださり、この地上に新しいメシヤを送ることを旧約時代に約束されました。 本然のエデンの園で成就すべき第一アダム家庭が完成できなかったことを蕩減復帰するために、第二アダム的立場でメシヤとしてこの地上に来られ、真の父母となり、天と地を代表し得る天の父母と地の父母が真の愛を中心として一つになり、神様の血統をアダム家庭を通して後孫まで連結させ、真の愛、真の家庭、真の国家理想を広げなければならなかったのでございます。 そのためにメシヤであるイエス・キリストは、この地上に第二アダム格の存在として来られ、これを成就しようとしましたが、イスラエル民族とユダヤ教徒たちが一つになり従うことができず、成就することができませんでした。メシヤ的使命、地上に真の父母の天的伝統を伝授するという責任を果たすことができなかったのです。家庭をなして、このことを国家、世界に伝授することができなかったことによって、十字架を負い、再臨という言葉を残して逝ってしまいました。 その後、二千年の歴史が過ぎたこの世界的な版図の上で、家庭基盤と国家基盤で失敗したものを蕩減復帰するために、再臨主を送ると約束されたのでございます。再臨主は第三次アダム完成の立場として、真の父母の立場に立ち、天の血統的伝統を再び相続させるために来られるのです。今、神様を中心として、真の父母を中心として、祝福家庭を編成し、三九六〇万双祝福の立場にまでまいりました。これは天の栄光であり、地の誇りであり、万民解放の祝福の時でございます。感謝申し上げます。 天地の祝福が地上に臨むことができず、神様が地上に臨在し、直接役事できませんでしたが、この祝福とともに今、直接この地上に安息圏を立ててくださり、神様と天上世界と聖人たちの世界をこの地上に再臨できるようにしてくださいました。そして、直接、祝福家庭と民族全体の家庭を結びつけ、お父様の血族の因縁を完全に結びつけることによって、サタンの血統断絶を願う、世界的な天の勝利を宣布することのできる、天に栄光と喜びを帰し奉ることのできる、栄光のひとときを許諾してくださったことを感謝いたします。 今、この時間以後、三億六千万双、人類全体解放の祝福の恩賜を、アダム家庭で完成できなかったことを、全人類の家庭、家庭が完成した立場で祝福の因縁を許諾なさることを願い、最後の前線に向かい前進いたしますので、今から以後、天が直接主導なさり、その目的達成のために全天地が動員され、神様の勝利圏をもち、天の善の主権を中心として、自由な立場で神様が主管することのできる勝利的覇権の王圏を立ててくださるようお願い申し上げます。 このような御旨に従い、きょう、ここに三九六〇万双の祝福を成就するようになったことを感謝いたします。これは蘇生、長成、完成の三六〇万双を越えて、その分水嶺を越え、三六〇〇万双と三億六千万双を着地するための、今後進みゆく路程の足場となるよう祝福してください。 きょう、集った新郎新婦が、無限なる愛、真の父母の愛、天の伝統的血統を受け継ぎ、万世に誇ることのできる血族の先祖たちとなるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 この神聖な結婚式を、お父様、喜びをもって奉献いたしますので、お受けください。ありがとうございます。真のご父母様の御名によってこの者たちを祝福いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 この祝福結婚式に参加された、ご父兄、友人、すべてのゲストの皆様、ここワシントンDCにいらっしゃる新郎・新婦の皆様、世界百八十五か国でサテライトやビデオを通して祝福を受けておられる新郎・新婦の皆様にご挨拶申し上げます。 祝福は、世界文化体育大典の中心イベントでございます。文鮮明師ご夫妻は世界文化体育大典を、一九八八年のソウル・オリンピックの期間中に初めて発表されました。その時以来、文化体育大典は、全人類のための総合的なフェスティバルとして、一九九二年、一九九五年に開催されました。今回は第三回目の記念すべき大会であり、この大会はワシントンDC市によって招請され、歓迎を受けました。この大会の組織委員長として、私は心からの感謝を、名誉あるワシントンDC市長ならびに市民の皆様に申し上げたいと思います。 私たちは新しい千年期に突入しつつあり、人類は深刻な岐路に直面しています。外的には、科学技術は人間生活をかつてなかったほどに、便利で、心地よいものにすることができました。しかし、内的には、人類史上、今日ほど深刻な問題に直面したことはありません。 人類の罪と不運は、人類始祖がサタンの偽りの愛を中心とした不倫の愛の行為で堕落した時に始まりました。彼らは神の祝福を受けずに結婚したので、神の愛を中心とした、真の個人、真の夫婦、そして真の父母になることができませんでした。それどころか、彼らは偽りの夫婦となり、罪ある子女を生む偽りの父母になってしまったのです。人類始祖は堕落のゆえに、善なる人類を形成することができませんでした。 私たちはすべて、この偽りの父母の子孫です。これをすべて本然の理想へと復帰するのが、神の救援摂理です。それゆえ、人類は最終的に真の父母を迎えることになるのです。なぜなら、真の父母は、真の愛の起源と基準を代表するからです。真の父母は祝福の基であり、それが理想家庭の源なのです。 祝福は一九六〇年の三双から始まり、成長に成長を重ねて、一九九二年には三万双が、一九九五年には三六万双が祝福されました。一九九五年のイベントの直後、文鮮明師は「一九九七年に三六〇万双の祝福をする」と宣言されました。しかし、だれも信じることができず、自分の耳を疑いました。しかし、実際に、その目標は今年の七月十五日までに実現され、そのうえ、その十倍の三六〇〇万双のカップルが、まさにこの祝福式に私たちと共に参加しているのです。これは、八千万人近くの人々が、このフェスティバルの主役であるということです。 彼らは、人種的、宗教的、文化的な壁を超えているのです。そして、民族的、人種的、宗教的な壁のゆえに起こった数え切れない対立と戦争で傷ついた、人類歴史の前に立つ、中心的役割を果たす方々です。これはまさに奇跡以上のものです。これが可能となったのは、何よりも、神様が存在されるゆえであります。 多くの国々の国家指導者の皆様同様、主要宗教ならびに宗派の指導者の皆様が、真の愛を中心とした、この貴重な「真の家庭運動」を力強く支援してくださっていることに対して、私は心からの感謝を申し上げます。 祝福式は、偽りの愛の遺物を解決し、結婚に絶対的な真の愛を注ぎ、結婚の聖なる内容を復帰することを追求しています。それは、真の夫婦の愛と真の父母の愛を復帰するための儀式です。したがって、すべての祝福参加者は、純潔と貞節を大切にし、守り抜くことを誓うのです。そして、それぞれが変わらない夫婦の愛を誓い、真の家庭を築き、自分たちの子女を全身全霊を込めて、平和世界実現のために貢献する真の子女として育てることを誓うのです。 平和国家と平和世界は、理想家庭を守ることなしには現実のものとなりません。このことは、結婚とは単に、肉体的に男性と女性が一つになることではなく、人類の平和のための基本的な土台をつくる以外の何ものでもない、ということを意味しているのです。 きょうは本当に希望の日です。それは、人類がすべての壁を真の愛で超え、真の平和世界を築くことができるという可能性を証明しているからです。全人類に対する偉大な祝福であり、世界一家族、全人類兄弟姉妹の実現を、自分の目で体験することができるのです。 親愛なる三九六〇万双、祝福カップルの皆様、真の愛の理想はこの地上生活を超えて、霊界までも永遠に続くことでしょう。祝福の理想を中心とした皆さんの模範的な愛の生活は、世界の新しい希望となり、標石となることでしょう。 皆様が今受けようとしておられるこの祝福の貴い内容を大切にし、真の家庭を築いて、この最も高く、最も貴い祝福を、来るべき子孫に相続してくださることをお願いいたします。 皆様のご家庭に神様の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
青年は真の愛実践の主役日付:一九九七年十一月二十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、ハイアッ卜リージェンシーホテル行事:第三回「世界平和青年連合」世界大会 親愛なる「世界平和青年連合」の会長、尊敬するリチャードルービンシュタイン共同議長、世界各地よりお集まりになった内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょう、世界百三十ヵ国を超える各国の代表の皆様と共に、「世界平和青年連合」の第三回世界大会を、ここアメリカのワシントンDCで開催できたことを心からうれしく思います。 特に、きょうのこの大会が、歴史的な三百六十万組の祝福結婚式の行事を中心とする第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれたことは大変意義深いことと思います。なぜならば、地球星の各地から人種と宗教と国籍を超越して、世界的に開催されるこの祝福結婚式の行事の主軸が、正に善男善女として選ばれた青年の皆様であるということだけではなく、二十一世紀を眺望して開かれるこの期間のすべての会場で、青年の皆様がその実践の主体となるからです。 これまで世界各国、そして社会の各分野と階層において、世界平和の実現のためにあらゆる心血を注いで努力し、貢献してこられた青年連合会員の皆様に、深い称賛と感謝を捧げたいと思います。 特に、皆様の活動が「世界大学原理研究会」、「世界平和女性連合」、そして「世界平和統一家庭連合」とともに、真の家庭理想の世界的な実践として、今年の祝祭の祝福対象とする家庭数の目標を三百六十万組から、その十倍を超える三千六百万組に、その上にまた数百万組超過して達成した成果に対し、天と皆様に感謝を捧げます。今後、三億六千万組に拡大して展開されるこの祝福結婚式の行事に、青年連合の会員の皆様が、より一層積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。 青年は歴史的転換期の主役 今日、私たちは二十一世紀の入り口に立っています。既に世界各地では、二十一世紀を迎える行事の準備のカウントダウンが始まっています。新世紀を迎える人類の心には、みな等しく、私たち人間が経験した過去のどの時よりも良い、神様の新しい絶対的真の愛で一つになった家庭の価値を探し立てる、そのような新しい世界になることを願う熱望に満ちています。 新しい真の愛の理想を指向する人間の情熱が、世界歴史の変化の原動力になったことを考えるとき、誰よりも高い真の家庭理想を追求し、強い実践の意志をもつ青年の皆様こそ、この歴史的大転換期の主体であり、主役とならざるを得ません。ですから、新世紀の扉を開き、新しい理想的家庭の変化を渇望する人類の前に、皆様は希望の象徴として現れるのです。 歴史上には、文学作品に、青年たちの役割と特性、またはそれに対する礼賛の言葉が数多くありました。しかし、今日ほど、家庭や国家、また世界において、青年の役割と責任だけではなく、真の家庭に対する革命が強調される時というのは、まれなことだと思います。ですから、今回の大会で「真の家庭と国家と世界のための青年」という大きな主題を中心に議論することは、非常に時宜にかなったことであると言わざるを得ません。 現在は、家庭や国家、世界のすべてが深いジレンマに陥っています。世界的に産業が発展し、機械文明が発達し、人間の生活が便利になるほど、かえって私たちの生活の基礎となる家庭は破錠に向かっているのです。アメリカ統計局の資料によると、急増する離婚率は、一九七〇年から一九九〇年までで三倍も跳ね上がり、六家庭に一家庭は離婚するという結論が出てきています。そして、全国的に三〇パーセントの子女が片親のもとで育っているという実情です。さらにその上、同性愛の夫婦という世紀末的な奇現象までますます広がっているのです。 実に四〇パーセントに達するアメリカの十四歳から十九歳までの少女たちが、妊娠を経験するという報告があります。三十年前に比べ、青少年の自殺率が三〇〇パーセントになるという爆発的数値を示しているのは、衝撃的なことであると言わざるを得ません。家庭の崩壊現象は、現代社会が抱える最も深刻な危機要素となっているのです。国家的な次元においても、慢性的経済不均衡と麻薬、暴力、エイズなど、街の隅々に硬直した社会問題の前に、政治の力はその限界をさらけ出しています。 さらには、今日の世界は依然として戦争とテロの脅威、人種間の葛藤、宗教間の反目、そして環境破壊のような全人類的な課題を抱き、苦悩しています。数多くの地域の人々が飢餓と疾病の苦痛の中でむごたらしく苦しんでいる様子は、いまだに私たちが無視できない現実として残っているのです。このような現実こそ、今まで人類が経験してきたすベての理念や活動に対する総体的な成績表となります。そしてその内容は、不幸にも落第点なのです。 ですから、すべての家庭と国家と世界は、新しい変化を切実に追求しています。新たな二十一世紀を迎えながら、私たちは自ら、すべての家庭と国家と世界を新しく変化させなければならないという、主体的自覚が先立っていかなければなりません。 私たちに与えられた課題は、変化の主体として新しい青年像を確立し、新しい真の家庭と真の国家、そして真の世界のための新時代を開かなければならないのです。すべてが新しくならなければならないときに、新しくなれなければ破壊されてしまいます。 一粒の種は、芽を出すことができなければ腐ってしまいます。新しい朝が来れば、新たに身支度をしなければなりませんし、新しい季節が来れば、新しい生活環境を整えなければならないのです。重要なことは、新しい変化の風によって真の世界をつくるために、私たち自身が、真の家庭と真の国家によって新しくならなければならないということです。 青年連合の会員の皆様。自分自身を新しくし、家庭と国家と世界、そして歴史を新しくする方案とは何でしょうか。二十一世紀の入り口に立った私たちにとって、本連合の創始者であられる文鮮明先生が教えてくださり、手本を示してくださった真の愛の家庭と国家と世界の理念は、平和世界の基本理念として、新しい歴史を開いてくれています。 真の愛の初舞台は真の家庭 本来、神様の創造理想は、投入しては忘れ、また投入しては忘れるという犠牲的な真の愛から出発します。神様のすべての創造の労力は、御自身の力を投入する犠牲ですが、それは愛の力を動機としているので、数千万倍大きな喜びとして再び神様に返ってくるのです。父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を満たすのです。このように犠牲的な真の愛の力は、与え合う作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。 しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真の家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟して実践される場は、真の家庭なのです。 真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟愛を通して、真の国と世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練する場は真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していく、歴史的な鎖の基本単位も真の家庭です。 やせた土壌からは充実した実が期待できないように、破壊された家庭から、正しい社会人や世界人は形成されません。ですから、この時代に青年の皆様に与えられた召命の第一は、皆様が真の愛の主体となり、真の家庭文化と真の家庭伝統の基礎を築く主役になることです。 青年の理想と情熱が現実的に展開されるところは、真の家庭の上に立った国です。そのため、国家の評価は、政治、経済、軍事力、または文化力に基づいて行われるのではありません。正に家庭では孝子、国家では忠臣となるような青年の精神と愛国の衷情によって行われるのです。青年は芽であり、芽が枯れた木は未来がないのです。 しかし、すべての国々に見られる青年の実情はどのようなものでしょうか。すべての国々が抱えている最も究極的な問題は、青少年の問題となっているのです。政治、経済、社会、そして環境的な問題は、制度的な改善や財政的投資によって、その解決点を見いだすことができますが、青少年の問題は、法律や軍事力、または経済力によって正すことができるものではありません。また誰一人として強制的な力によって改善することはできないのです。それには、もっぱら青少年が自ら、自分に対して責任をもつことができるようにしなければなりません。そのためには、青少年たちをして、真の愛に同化させ、その主人として定着させなければなりません。 すべての理想の原点であり、未来に向かって永遠に作動する真の愛は、青年たちにとって生命以上の力になります。青年たちが真の愛を中心とした新しい国家観をもつとき、国家は新しい発展の可能性を見いだすのです。真の愛の姿勢を備えることによって、すべての諸団体は、衝突する利害関係の枠を跳び越え、協力と調和と発展の社会を成し遂げるのです。 真の愛を中心とした国家観をもたなければならない 国を動かし引っ張っていく原動力は、犠牲的な愛国の衷情の真の愛から生まれてくるのです。私たちが尊敬する多くの愛国的英雄、烈士たちのうちで、真の愛を中心として犠牲の生涯を通過しなかった人はいません。世界的次元でもまた、地域、人種、宗教、文化、慣習、言語、国籍など、一つの平和世界のために跳び越えなければならない挑戦の課題が山積しています。しかし、宇宙万象を創造なさった神様の真の愛の目を通して世界を見るとき、世界は、人種、言語、宗教、理念的な違いを越えて一つに見えるのです。青年たちが、神様の真の愛を中心に犠牲と奉仕の努力をするならば、世界の貧困と飢餓問題、貧富の格差と歴史上の葛藤と憎悪は、解決の糸口を見いだすことができるのです。 愛せないものまでも愛するという真の愛の定義から、私たちは、葛藤する関係が克服される明確な方向性を発見するようになります。自由と平等の理念的矛盾も、真の愛の場で初めて一つの出会いの場を見いだすのです。 歴史的に対立してきた神様と人間、そして人間と人間の和解も、真の愛の理念の中でこそ可能なのです。与えてはまた与え、そして与えたことを忘れて、もっと与えることを願う神様の真の愛を実践することによって、利己主義を克服し、和合と繁栄の世界に進んでいくことができるのです。特に、「家庭は国のために、国は世界のために、そして世界は神様のために犠牲になる位置に進まなければならない」という真の愛の倫理展開においてこそ、民族的利己主義や国家的利己主義を越え、永遠の平和世界を望むことができるのです。 真の青年文化を確立しなければならない 過去のどの時よりも今日の問題は、人類全体を総体的な運命圏として考えなければならない特徴をもっています。ですから、ある地域や国家で起きた問題は、世界の勢力の均衡と、経済に即座に影響を及ぼすばかりでなく、言論の発展によって、世界は既に、分、秒の生活圏へと差しかかっています。 今この瞬間にも、インターネットのシステムにコードさえ入力すれば、全世界とリアルタイムで意思疎通できる扉が開かれます。空中に浮かぶ二百個以上の通信衛星によって、地球は既に一つの囲いのようになり、人類はその中で一緒に生きていく地球家族となりました。すべての個人をはじめとして、世界の家庭、国家、そして人類の問題を一つの統一された課題として解決し、どこでも同時に一貫した次元の平和を実現できる万能の鍵は、正に真の愛の力、真の愛の理念です。そして、その真の愛の実践の主役は、正に真の愛の青年の皆様なのです。 純粋さ、新鮮さ、情熱、力、勇気、挑戦、前進、犠牲、忍耐、理想、希望などは、真の青年たちに特権として与えられる祝福の単語です。このすベての単語は、真の青年たちが、家庭と国家、そして世界において真の愛を実践するとき、初めてその真価を発揮するのであり、ひいては真の青年たちは、真の希望の実体として登場するのです。新しい方向とビジョンを提示し、実践に移すことのできる人だけが、新しい時代の主人公になるというのは、歴史的に実証された真理です。 祝福結婚運動は人類的文化革命 皆様は、いかなる環境においても歪曲されない絶対愛、絶対純潔の運動を通して、真の愛を中心とした真の青年文化を確立しなければなりません。真の愛を中心とした真の家庭を守護すべき真の青年たちにとって最大の敵は、退廃や享楽のような非道徳的風潮であることを肝に銘じなければなりません。真の愛の基盤となる真の家庭を築くことこそ、今世紀の生死を分かつ至上課題なのです。 このような観点から、今後繰り広げられる三億六千万家庭の祝福結婚運動は、全世界が歴史的に死活をかけて成就しなければならない人類的文化革命なのです。人類歴史において見ることのできなかった精神的で道徳的な新紀元を成し遂げるのです。 皆様のような真の青年たちが真の愛の主体となり、真の家庭、真の国家、真の世界の建設の主役となるとき、私たちに近づいてくる二十一世紀は、希望と展望ある未来へと広がっていくことを私は確信します。今後成就される三億六千万組の国際合同結婚式の完成に向かって、皆様がお帰りになりましたら、国家的次元で後援会を結成し、積極的な御支援をお願いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
全600件 (600件中 101-150件目)