人生朝露

人生朝露

『竹取物語』と道教。

荘子です。
前回の続き。

参照:『今昔物語』『宇治拾遺物語』と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5192/

今回は日本最古の物語文学作品『竹取物語』で。いわずと知れた歴史的作品ですが、神仙思想を含めた、道教のエッセンスは濃厚です。例えば、ラストシーンでかぐや姫が月に帰るときに「不死の薬」が出てきます。

月へ帰るかぐや姫。
“「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す返す意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣(きぬ)をかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と、かきおく。天人(あまびと)の中にもたせたる箱あり。天(あま)の羽衣入れり。 又あるは不死の藥入れり。ひとりの天人いふ、「壺なる御(み)藥たてまつれ。きたなき所のもの食(きこ)しめしたれば、御心地あしからんものぞ。」とて、持てよりたれば、聊甞め給ひて、少しかたみとて、脱ぎおく衣に包まんとすれば、ある天人つゝませず、御衣(みぞ)をとり出でてきせんとす。 (『竹取物語』より)”

参照:Wikipedia 竹取物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E

嫦娥?月?。
かぐや姫は、旧暦の八月十五日(大陸では中秋節)に月へと帰ります。
現在の中秋の名月でもなじみのある、不死の薬を飲んで月へと帰る「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」のお話も竹取物語の基盤となっています。嫦娥奔月の最も古い記録は、『日本書紀』の元ネタでもある紀元前2世紀の『淮南子』でして、この『淮南子』の編者である淮南王・劉安自身にも不死の薬を服用した伝説があります。羽化登仙とも言いますが、かぐや姫もその典型的なパターンを踏襲する形で、月へと旅立っています。

参照:嫦娥と兎とひきがえる。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005188/

物語の中で、かぐや姫は五人の有力な求婚者に対して、結婚と引き換えに珍しい品々を要求しています。
一部は五行に対応しています。
五行 WuXing。
石作の皇子(いしづくりのみこ) →  「仏の御石の鉢」
車持皇子(くらもちのみこ) → 「蓬莱の玉の枝」
右大臣 阿倍御主人(あべのみうし) → 「火鼠の皮衣(ひねずみのかわごろも)」
大納言 大伴御行(おおとものみゆき) → 「龍の首の玉」
中納言 石上麿足(いそのかみのまろたり) → 「燕の子安貝(つばくらめのこやすがい)」。

「蓬莱山」 横山大観画。
このうち「(東の海の蓬莱に生えているという)白銀を根とし、黄金を茎とし、白玉を実としてたてる木」の枝、「蓬莱の玉の枝」は『史記』「秦始皇本紀」でも有名な蓬莱伝説。

参照:始皇帝と道教。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201410120000/

実は「蓬莱の玉の枝(蓬莱)」と「火鼠の皮衣(唐土)」の二品は、よく似た話が『列子』の湯問篇にあります。
列子(Liezi)。
『革曰「渤海之東不知幾億萬里、有大壑焉、實惟无底之谷、其下无底、名曰歸墟。八絃九野之水、天漢之流、莫不注之、而无増无減焉。其中有五山焉。一曰岱輿、二曰員嶠、三曰方壺、四曰瀛洲、五曰蓬萊。其山高下周旋三萬里、其頂平處九千里。山之中聞相去七萬里、以為鄰居焉。其上臺觀皆金玉、其上禽獸皆純縞。珠玕之樹皆叢生、華實皆有滋味、食之皆不老不死。所居之人皆仙聖之種。一日一夕飛相往來者、不可數焉。」』(『列子』湯問篇)
→湯王は再び質問した。「物には大きいと小さいという区別があるのだろうか?長いと短いという区別があるのだろうか?同じと違うという区別があるのだろうか?」夏革は答えて言った。「渤海の東、幾億萬里とも言えない場所に巨大な谷があるそうです。この谷は底なしでどこまでも深く、名を歸墟と申します。八絃九野の水、天漢の流れ、あらゆる水がその場所に流れ落ちながらも、その水かさは増えることも減ることもないそうです。その谷に五山があり、一に岱輿(たいよ)、二に員嶠(えんきょう)、三も方壺(ほうこ)、四に瀛洲(えいしゅう)、五に蓬萊(ほうらい)と申します。その山の周囲は三萬里あり、頂上の平らな場所は九千里、山はお互いに七萬里ほどの距離を経て隣り合っています。その頂上には、金銀で彩られた建物があって、その山の禽獸は皆純白であり、 宝珠の木が群生し、花も実も美味であると同時に、食すれば不老不死となります。 その山に住む者は神仙の類いで朝な夕なに山々を飛翔して巡り、数え上げることもかないません。」

『周穆王大征西戎、西戎獻錕吾之劍、火浣之布。其劍長尺有咫、練鋼赤刃、用之切玉如切泥焉。火浣之布、浣之必投於火。布則火色、垢則布色。出火而振之、皓然疑乎雪。皇子以為无此物、傳之者妄。蕭叔曰「皇子果於自信、果於誣理哉。」』(『列子』湯問篇)
→周の穆王は西戎を大いに征伐し、西戎は錕吾の剣と、火で洗う布を献上した。剣の長さは一尺八寸、よく鍛えられた赤刃で玉を泥のようにたやすく斬る。 火で洗う布(火浣之布)は汚れを落とすのに火を使う布で、最初は火の色に染まり、汚れはそのままの色でいる。火から離して振るうと汚れは落ち、布の方は雪のように真っ白に戻る。 この話を聞いたある皇子は「そんなものは存在しない。誰かが撒いた妄言だ」と言った。蕭叔は「皇子は自ら信をもって判断したが、存在するものですらないと断定することになってしまった。」と言っている。

この「火浣の布」は現在で言うと石綿のことでしょう。
『抱朴子』では、魏文帝・曹丕のエピソードとして語られています。

葛洪(283~343)。
『魏文帝窮覽洽聞,自呼於物無所不經,謂天下無切玉之刀,火浣之布,及著典論,嘗據言此事。其間未期,二物畢至。帝乃嘆息,遽毀斯論。事無固必,殆為此也。陳思王著釋疑論云,初謂道術,直呼愚民詐僞空言定矣。』(『抱朴子』論仙)
→魏文帝・曹丕 は博覧で、自分に知らぬことなどないと豪語していた。天下に玉を斬る刀はなく、火浣之布なども『典論』という著作の中で存在しないものとして主張した。しかし、時を経ずしてこの二物が文帝に送られてきた。文帝は嘆息して、すぐさま今までの主張を捨てた。「物事に固執しすぎてはならない、これはこうだと決め付けてはならない。」という教えはこういう場合のことを言うのだろう。」

・・・前述の『列子』も後述の『抱朴子』の論仙篇もそうですが、もともと「実在するかどうか」について道家の中でも議論のある部分です。『竹取物語』でも「得難きもの」として扱われたのでしょう。

参照:鬼神の実在、仙人の実在。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201409140000/

もう一つ。巨万の富を費やして海を捜索した「龍の首の玉」。これは『荘子』から。
竹取物語 海を渡る 大伴大納言の船。
“「我弓の力は、龍あらばふと射殺して首の玉はとりてん。遲く來るやつばらを待たじ。」との給ひて、船に乘りて、海ごとにありき給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎいで給ひぬ。いかゞしけん、はやき風吹きて、世界くらがりて、船を吹きもてありく。(中略)楫取答へてまをす、「神ならねば何業をか仕(つかうまつ)らん。風吹き浪はげしけれども、神さへいたゞきに落ちかゝるやうなるは、龍を殺さんと求め給ひさぶらへばかくあンなり。はやても龍の吹かするなり。はや神に祈り給へ。」といへば、「よきことなり。」とて、「楫取の御(おん)神聞しめせ。をぢなく心幼く龍を殺さんと思ひけり。今より後は毛一筋をだに動し奉らじ。」と、祝詞(よごと)をはなちて、立居なく呼ばひ給ふこと、千度(ちたび)ばかり申し給ふけにやあらん、やうやう神なりやみぬ。少しあかりて、風はなほはやく吹く。 楫取のいはく、「これは龍のしわざにこそありけれ。この吹く風はよき方の風なり。あしき方の風にはあらず。よき方に赴きて吹くなり。」といへども、大納言は是を聞き入れ給はず、三四日(みかよか)ありて吹き返しよせたり。濱を見れば、播磨の明石の濱なりけり。大納言「南海の濱に吹き寄せられたるにやあらん。」と思ひて、息つき伏し給へり。(『竹取物語』より)”

Zhuangzi
『朱泙漫學屠龍於支離益、單千金之家、三年技成、而無所用其巧。聖人以必不必,故無兵、衆人以不必必之、故多兵。順於兵、故行有求。兵、持之則亡。』(『荘子』列禦寇 第三十二)
→朱泙漫は支離益に龍を屠ふる技を学び、千金の財と三年の月日を費やしてその技を習得したが、結局、使うことはなかった。死を恐れない聖人は窮地においても、窮地としないから内に敵意がなく、死を恐れる世俗の人間は、窮地でなくても窮地にしてしまうから敵意ばかりになる。その敵意をむき出しにして、外に向うのだから、己を滅ぼすのだ。

『莊子曰「河上有家貧恃緯蕭而食者、其子沒於淵、得千金之珠。其父謂其子曰『取石來鍛之。夫千金之珠、必在九重之淵而驪龍頷下、子能得珠者、必遭其睡也。使驪龍而寤、子尚奚微之有哉』今宋國之深、非直九重之淵也。宋王之猛、非直驪龍也。子能得車者、必遭其睡也。使宋王而寤、子為齏粉夫!」』(『荘子』列禦寇 第三十二)
→荘子曰く「河上に葦ですだれを織って食いつなぐ貧しい家があったそうだ。その家の子供が、淵を潜って遊んでいるときに、川底で千金の珠を拾った。父親はその子に言った『こんな珠、石でも取ってきて砕いてしまえ。その千金の珠は九重の淵に棲むという黒龍(驪龍)の顎の下にある珠だ。お前が得たというのは、黒龍がちょうど眠っていた時だったからに違いない。もし黒龍が起きていたら、お前は髪の毛一本残さずに食われていたことだろう。』」(『荘子』列御寇 第三十二)

ドラゴンボールを求める、ドラゴンスレイヤーによるドラゴンクエストのお話です(笑)。それぞれ「屠龍の技」、「 驪竜頷下の珠(りりょうがんかのたま)」と言いまして、『竹取物語』の大伴御行は、『荘子』の寓話と同じように龍に会うことすらできませんでした。列子について多く書かれた「列禦寇篇」からでして、『竹取物語』は列子の影響の方が最も強いです。ただし、日本の物語文学の歴史の中で、『荘子』の影響がはっきりと読める作品であることに変わりはありませんので、今のうちに。

今日はこの辺で。

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