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2014.09.14
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鬼神。


まずは、『墨子』から。
墨子(Mozi/Micius,  470BC~391?)。
『子墨子言曰「逮至昔三代聖王既沒、天下失義、諸侯力正、是以存夫為人君臣上下者之不惠忠也、父子弟兄之不慈孝弟長貞良也、正長之不強於聽治、賤人之不強於從事也、民之為淫暴寇亂盜賊、以兵刃毒藥水火、退無罪人乎道路率徑、奪人車馬衣裘以自利者並作、由此始、是以天下亂。此其故何以然也?則皆以疑惑鬼神之有與無之別、不明乎鬼神之能賞賢而罰暴也。今若使天下之人、偕若信鬼神之能賞賢而罰暴也、則夫天下豈亂哉。今執無鬼者曰「鬼神者、固無有。」旦暮以為教誨乎天下、疑天下之衆、使天下之衆皆疑惑乎鬼神有無之別、是以天下亂。是故子墨子曰「今天下之王公大人士君子、實將欲求興天下之利、除天下之害、故當鬼神之有與無之別、以為將不可以不明察此者也。既以鬼神有無之別、以為不可不察已。」(『墨子』明鬼下)
→子墨子はおっしゃった「その昔、三代の聖王が没した後、天下に大義は失われ、諸侯が力によって正しさを誇示ようとした。これにより、人の君臣上下の関係から「恵」と「忠」が失われ、父子弟兄の関係から「慈孝」「弟長」「貞良」が失われ、身分の高い者が、他者を聴き入れて治めるようとしなくなり、身分の低い者がその指図に従うようなこともなくなった。民衆から、淫らで狼藉を働く者が出てきて、盗賊がはびこり、武力や毒薬、火や水をもって乱れた。無辜の人の通行を阻んで、他人の車や馬や衣服をを奪って、自らの利をむさぼるような天下の乱れは、そこから始まった。なぜそうなってしまうのだろうか。これは、鬼神が存在するかしないのかについて疑いがあり、賢者を賞し、暴者を罰する鬼神の働きを明らかにしていないことに起因する。今、もし天下の人に、鬼神が賢者を賞し、暴者を罰すると信じさせることができるのならば、どうして、天下が乱れることがあろうか。今、無鬼者は、「鬼神はもとより存在しないものだ。」として、朝な夕なに天下を教誨し、天下の人々に鬼神の存否について疑わしいものであると仕向けている。なので、子墨子はおっしゃっている「天下の王公、大人、士君子は、天下を利を得て天下の害を取り除こうとするならば、今こそ鬼神の存否について明らかにしないという態度を改めるべきである。すでに、鬼神の存否は、察することはできないというものではないのだ。」と。

『墨子』には、「明鬼篇」という節がありまして、ここで墨子は天下の乱れの原因は、鬼神の「有與無之別」を明らかにしていないことであるとして、それを明らかにすることこそが乱世を終わらせる手段であると主張しています。鬼神は存在するとして、鬼神の賞罰を人々の教化に活用しようとしているわけです。これは、孔子の鬼神への対しかたとは異なります。

Confucius /Kongzi(孔子・551?479 BC)。
『祭如在、祭神如神在、子曰、吾不与祭、如不祭。 』(『論語』八佾 第三)
→そこにあるかのように祭る。神を祭るならば、あたかも神がいるかのように祭る。先生はおっしゃった「私自身が祭に参加しないならば、祭らないのと同じようなものだ。」

『「樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣」』(『論語』雍也第六)
→樊遅は知について質問した。先生はおっしゃった。「民の義に務め、鬼神を敬いながらも遠ざける、これを知と言えないだろうか。」


→先生は怪力亂神について語られることはなかった。

墨子(Mozi/Micius,  470BC~391?)。Confucius /Kongzi(孔子・551?479 BC)。
儒家の礼・楽についても、「節葬」「非楽」でそれぞれ対立する墨家は、ここでも孔子とは違うアプローチを見せています。『墨子』の明鬼篇では、鬼神を『古之今之為鬼、非他也、有天鬼、亦有山水鬼神者、亦有人死而為鬼者。』(古今の鬼という存在は、他でもなく「天にいる鬼神」、「山水(山川)の鬼神」、「人の死後の鬼神」の三者である)としていますので、儒家の祭祀の対象ともあまり相違はありません。

参照:Wikipedia 墨子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%AD%90

儒教の祭祀と天皇家。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201406210000/

墨子(Mozi/Micius,  470BC~391?)。
『然則吾為明察此、其說將柰何而可?子墨子曰「是與天下之所以察知有與無之道者、必以衆之耳目之實知有與亡為儀者也、請惑聞之見之、則必以為有、莫聞莫見、則必以為無。若是、何不嘗入一鄉一里而問之、自古以及今、生民以來者、亦有嘗見鬼神之物、聞鬼神之聲、則鬼神何謂無乎?若莫聞莫見、則鬼神可謂有乎?」今執無鬼者言曰「夫天下之為聞見鬼神之物者、不可勝計也、亦孰為聞見鬼神有無之物哉?」』(『墨子』明鬼下)
→ならば、鬼神の存在を明察するには、いかなる方法があるのだろうか?墨子はこうおっしゃっている「天下の事物の存否をはかるならば、必ず多くの人々の耳目によって覚知されたものを基準とすべきである。実際にこの目で見た、この耳で聞いたという者がいるならば、それは存在しているのであり、見聞きした者がいないというのであるならば、それは存在しないとする。これを基準とするならば、試に一つの村で尋ねてみればよい。古くから鬼神の存在について見たり聞いたりしているのならば、どうして鬼神は存在しないといえようか。鬼神の存在を見たり聞いたりした者がいないのならば、どうして鬼神は存在するといえようか。」今無鬼者はこう言っている「天下に鬼神のことについて見聞きした者は、わざわざ数え上げるまでもない。しかし、実際に鬼神を見た、もしくは鬼神の声を聞いたという者が果たしているのだろうか?」

墨子(Mozi/Micius,  470BC~391?)。
・・・ここから「明鬼篇」は、周や夏、燕、斉といった国の書物から、生霊が復讐をした話、秦の穆公が廟で鳥の身体に四角い顔の怪物を見て、長寿と国家の安寧を約束された話、社前にて偽りの盟約を結ぼうとした者が羊に触れた途端に倒れた話、祭祀を疎かにした臣下が、巫女に打ち殺された話、等々をあげて古来の書物にもあるとして鬼神の存在を証明しようとします。ただし、墨子が典拠としている書物はほとんど現存していませんし、もともと『墨子』の「明鬼篇」は、下巻のみで上と中が散逸しているので、墨子の「怪力乱神」がどういったものであったかの全容までは分かりません。

で、時代は下って4世紀、墨子が亡くなって七百年後の道家の書物『抱朴子』。
葛洪(283~343)。
『或問曰「神仙不死、信可得乎?」抱朴子答曰「雖有至明、而有形者不可畢見焉。雖稟極聰、而有聲者不可盡聞焉。雖有大章豎亥之足、而所常履者、未若所不履之多。雖有禹益齊諧之智、而所嘗識者未若所不識之衆也。萬物云云、何所不有、況列仙之人、盈乎竹素矣。不死之道、曷為無之?」』(『抱朴子』 論仙)
→ある人が質問した「不死の神仙がいるというのは本当なのでしょうか?」


・・・『抱朴子』の第二篇、論仙篇では、まず仙人の実在性についての疑問から始まります(笑)。その後、鬼神についての記録も載っています。さすがに2500年前の『墨子』の時代と比べると、現在検証可能な書物からの引用が増えます。

葛洪(283~343)。
『又神仙集中有召神劾鬼之法、又有使人見鬼之術。俗人聞之、皆謂虛文。或云天下無鬼神、或云有之、亦不可劾召。或云見鬼者、在男為覡、在女為巫、當須自然,非可學而得。按漢書及太史公記皆云齊人少翁,武帝以為文成將軍。武帝所幸李夫人死、少翁能令武帝見之如生人狀。又令武帝見竈神、此史籍之明文也。夫方術既令鬼見其形、又令本不見鬼者見鬼、推此而言、其餘亦何所不有也。鬼神數為人間作光怪變異、又經典所載、多鬼神之據、俗人尚不信天下之有神鬼、況乎仙人居高處遠、清濁異流、登遐遂往、不返於世、非得道者、安能見聞。而儒墨之家知此不可以訓、故終不言其有焉。俗人之不信、不亦宜乎?惟有識真者、校練衆方、得其徵驗、審其必有、可獨知之耳、不可強也。故不見鬼神、不見仙人、不可謂世間無仙人也。』(『抱朴子』 論仙)
→また、神仙の書物には神を呼び鬼を懲らしめ、人に鬼を見せる術も記録している。俗人はこれを聞くとみな「偽りだ」といいだす。あるいは「天下に鬼神など存在しない」、あるいは「鬼神を呼び出したり、調伏することなどできない」という。あるいは「男ならば覡(げき)、女ならば巫(ふ)という者が鬼を見ることができるというが、彼らは生まれつきそう見えるのであって学習できるものではない」という。
 しかし、『漢書』『史記』には、「斉の国の少翁という人が武帝の時代に文成将軍となった。武帝の李夫人が死んだ後、少翁は、まるで生きているかのような李夫人を武帝に見せることができた。」としているし、「武帝に竈神を見せた。」ともある。これは歴とした史書の記録である。鬼神の姿を現すようにする術も、本来見えない鬼神を見せるようにする術も実在するのであって、その余は推して知るべしである。鬼神が人間のために光を放ち、形を変えるというようなことは数多くあって、経典にも記録されている。俗人はそれでも鬼神は実在すると信じようとはしない。ましてや仙人は人界から遠く離れた場所にたたずみ、俗人とは清濁の異なる場所にいる。さらに昇仙して天にまで行ってしまわれると、遭うことなどない。道を体得した者でない限り、そう易々と仙人に会うことなどできない。ところが儒家や墨家は、これを説明することができないので、結局あるともないともいえないのだ。俗人が信じないのも道理だ。ただ真実を識る者だけは数々の方術を鍛錬し、その験を会得し、ただ一人それを知覚することができるようになる。故に鬼神や仙人を見たことがないとしても、世間に仙人がいないということにはならない。

果たして・・・・いるのでしょうか?







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Last updated  2014.09.16 09:12:13
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