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Oct 3, 2015
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カテゴリ: カテゴリ未分類
    私は関西人ですが、うどんよりお蕎麦が好き。

    関西のお蕎麦はやたら柔らかくって、小麦粉がたっぷりでぜんぜん美味しくない。
    福井の越前蕎麦も美味しいけど、これもちょっと柔らか目かなぁ。
    東京なんかでよく食べられてる「更科蕎麦」も柔らかめでイマイチ。
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  • 「蕎麦」の漢字に「麦」が入っているのは、承平年間(931年~938年)に編纂された辞書「和名類聚抄」にソバのことを久呂無木(クロムギ)と表記し、ソバを「麦の一種」として紹介しているからです
    もちろんソバは麦の一種ではなく、タデ科の植物ですから、これは誤りなんですな。
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  • 奈良時代や平安時代さらに鎌倉時代なんかでもソバは天候不順による不作、飢饉に備えるための「救荒作物」としての性格が強く、下層階級の救荒作物や山暮らしの人々の食べ物でしかなかったのですね。
    鎌倉時代の「古今著聞集」には平安時代中期の歌人 菅原道命(菅原道長の甥)が、山の住人に蕎麦料理を振る舞われて「食膳に据えかねる料理を出された」と慨嘆したというエピソードが収載されているくらいです。

    ひとつには古くは粒のまま粥にしたり、蕎麦掻きや、蕎麦焼きなどとして食すのみだったからかも知れません。
    麺の形態に加工する蕎麦切り(現在のお蕎麦)の調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭まで待たなくてはなりません。
    17世紀中期以降に、蕎麦は江戸を中心に急速に普及し日常的な食物として定着していったのです。
    現代ではお蕎麦屋さんへ菓子を買いに行くことは考えられませんが、元禄までは菓子屋が副業として蕎麦屋やうどん屋を兼ねていたのですね。
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  • 屋台形式のお蕎麦屋さんは江戸時代後期に書かれた「三省録」などに寛文4年(1664年)に「けんどん蕎麦切」の店が現れたとの記述があります。
    これらの屋台のお蕎麦屋さんは、時代や業態によって二八蕎麦、夜鷹蕎麦、風鈴蕎麦などとも呼ばれました。
    ちゃんとしたお店のお蕎麦屋さんが初めて文献に載るのは文政12年(1829年)の「文政町方書上」に「蕎麦屋が3軒あったと記載されているうちの1軒が寛永18年(1642年)から店を構えていた」と記されています。

    画像は町はずれの街道にあるお蕎麦屋さんで、馬方、旅人相手の粗末なお店です。
    床口でそばを食べているのは馬子です。
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  • 画像は「かつぎ、そばの出前持ち」
    「かつぎ」は天保3年のもので、それから24年たった嘉永6年のものが「出前持」です。
    「かつぎ」はこの「出前持」になる前の姿で、天秤棒に入れたけんどん箱をかついで反対の方の棒の先に「つゆ」の入った徳利をぶらさげています。
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  • こっちは「摂津名所図会」に描かれている江戸時代の大阪のお蕎麦屋さんです。
    蕎麦は関東、うどんは関西といわれますが、絵のようにこれほど大きなそば屋は当時の江戸にもなかったでしょう。
    注文を運ぶ女中さんはお仕着の着物に前掛をしています。

    近畿における蕎麦どころの筆頭は兵庫県豊岡市出石町で、皿そば「出石そば」は広く知られています。
    これは江戸時代に蕎麦の本場だった信州上田藩の藩主 仙石政明が出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れて来たためです。

    京都で有名なニシン蕎麦は幕末に生み出されたものであり、古くから京都にあった惣菜である「ニシン昆布」に発想を得ています。
    全体的に見れば、大阪や京都は蕎麦よりうどんの方が好まれる傾向にありますが、蕎麦屋であってもうどんも提供するところが多いので、ダシは元来うどんに用いる前提で作られた淡口醤油を使った透き通ったものを用いることが多いのです。
    それによって生まれた文化もあり、たぬき(油揚げの乗った蕎麦)やとろろ昆布が乗った「こぶ蕎麦」は大阪が発祥なんですな。
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  • 江戸時代後期の「守貞漫稿」には当時のそば屋のメニューが記されています。

    「御膳大蒸籠」は大盛り蒸しそば。蒸籠に盛って蒸器に入れて蒸すものです。48文は今で960円くらい。
    「かけ蕎麦」の語源は、蕎麦に汁をぶっかけて提供するからで当初は「ぶっかけ」と呼んでいたのが下の2字をだけとって「かけ」になったのですな。16文は現代で320円。
    「あんかけ蕎麦」も16文で320円。
    「あられ蕎麦」と云うのは「あおやぎ(ばか貝)」の小柱をのせたもの。小柱を沸騰した湯にくぐらせて霜降りにし、あられに見立てて使うところからきました。24文ですから480円。
    「てんぷら蕎麦」は芝海老のかき揚げが入ってるものです。現在のような大きな海老の天ぷらは戦後、輸入物の海老が手に入りやすくなってからのことです。32文で640円。
    「花巻蕎麦」は「浅草のり」を焼いてもみ、その一片一片を桜の花弁に見立ててかけ蕎麦にトッピングしたものです。24文480円。
    「しっぽく蕎麦」卵焼き、蒲鉾、椎茸、鶏肉をのせたもので、上方のしっぽくうどんと同じです。24文480円。
    「玉子とじ」が高いですねぇ。32文は現代では640円。

    かけ蕎麦の値段が16文だったのはかなり長い間だったと云います。
    「明和・安永期(1764年~1780年)以降ずっと1杯16文で売られてきたかけ蕎麦が、幕末の頃には24文と値上がりしたそうです。

    16文という一見、中途半端な値段設定は明和5年(1768年)に発行された4文銭の高い人気によるものです。
    4文銭は鋳造直後は色が黄金に似ていることから高い人気を得て、物の値段に4の倍数が増えたのですな。
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  • 醤油が普及していなかった江戸時代初期には、お蕎麦は茹で上がった麺に大根などの辛みをからませダシ汁をかけて食べるのが普通だったようです。
    たっぷりの熱い汁の中に麺を入れて食するようになったのは、もう幕末近くのこと。

    このように江戸時代は屋台蕎麦が大流行しましたが、明治になると激減し、代わって鍋焼うどんの屋台が増えます。
    屋台の蕎麦は火種の火力が弱いので汁がぬるいが、土鍋で煮込む鍋焼うどんは冷めないので人気が出たのです。

    鍋焼うどんは幕末の大坂で流行り出したものが、明治7~8年ごろに江戸(東京)に伝わって広がったと言われています。
    特に明治11年に西南の役が鎮圧された後に、東京の下町辺りでよく食べられるようになったようです。
    明治13年の読売新聞の記事に「近頃は鍋焼きうどんが大流行で、夜鷹蕎麦を食べる人は少なくなった。府下に鍋焼きうどんを売る者は863人いるが、夜鷹蕎麦屋は11人まで減ってしまった」と記されています。

    画像は大森貝塚を発見したことで有名なエドワード・S・モースが撮影した明治時代の蕎麦屋台です。
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  • よく云われる話に「ざる蕎麦」と「もり蕎麦」がありますね。
    上に海苔が散らしてあるかどうかで値段に100円~200円の違いがある?
    ど~なってるのよ。

    そばつゆで「ざるそば」には「昆布」だしを使い「ざる」に盛ったもの。
    江戸時代、昆布ははるばる北海道から運ばれて来た高級品だった。
    対して「もり蕎麦」は「鰹」だしを使い、丼に「盛った」ものってのが昔の話にありますが、今どき「ざる」と「もり」でそばつゆを変えるのでしょうか?

    結論から云うとざるに入れたそばを「ざるそば」、セイロに山のように盛ったそばが「もりそば」。
    海苔の有無は全く関係ありません。
    だから値段に格差をつけるのはオカシイ...
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  • 中之島公園の猫たち-「SAVE THE CATS IN NAKANOSHIMA PARK-」
    整備工事で閉鎖になった大阪の中之島公園。そこに暮らしてた約70匹の子供たち。
    心あるボランティアのご尽力で「猫の部屋」と呼ばれる仮住まいを得ることができました。
    すこしずつ里親さまも決まってきてますが、まだまだ多くの子供たちが良いご縁を心待ちにしています。
    なを「中之島公園の猫たち」では恐縮ですが現金によるご支援は一切お断りしております。

    「公園ねこ適正管理推進サポーター制度」が実施されています。
    そちらのリンクもありますので、大阪市在住の方はぜひ見てください。
    中之島公園の猫たち





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Last updated  Oct 3, 2015 05:20:03 AM
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