(1) 肌寒い季節だった。 マッギーからある女性(仮にレッドとしておこう)の素行調査の仕事が舞い込んで来た。 ヤツから持ち込まれる仕事は極秘ルートからのものなので、何が起こるかわからない。 調査しているつもりが逆にこっちの素行調査をされてる、なんてことも考えられる。 たかが素行調査とはいえ注意が必要だ。 まずは、出勤から帰宅まで尾行し、オフィスの外から仕事中の様子を伺い、交友関係、よく行く場所などをチェックする。 アパートに一人暮らし、朝は7時に出勤し、仕事が終わって買い物をすませて帰宅。。。 帰宅した後は、特に出かけるふうでもない。 2日めの調査が終えたところで、特にあやしいところはないように思えた。 ただ、ほんの一瞬だが少しまわりの視線を気にしているように感じた。 こちらの気配を察しているのか、とも考えたが、どうもそういう性分らしいことは仕事ぶりを見ていて感じた。 3日めの仕事を終えたのが確認できた。 そして建物からレッドが出てくるのを待った。 10分ほどその場にいただろうか。前の2日はそれほど待った記憶がない。。。 階段に蹴つまづいて怪我でもしたか? そんなことはないだろうが、別の出口から出たのかもしれない。 少し不安になり、その場を離れようと歩き始めて2・3歩ほどで背後から声が聞こえた。 「あたしに何か用?」 (2) 振り返ると、ピンク色のスーツ姿のレッドが立っていた。 不意を突かれてしまったが、もしかしたらこうなることは解っていたのかも知れない。 今になって思うとそんな気がする。 本当なら、慌ててその場をなんとか取り繕うことになるはずだが、その時のオレはなぜかそうはしなかった。 「特に用事ってわけではないさ。あんたを見張るように頼まれてね。それだけだよ。」 なぜそんなことを言ったのか自分でも解らない が、レッドは妙に納得したような表情を見せた。 「そう。まぁ頑張ってね。」 そう言い残してレッドは、いつもの帰宅ルートの方向へ歩いていった。 後を追いながら、オレは正直戸惑っていた。 尾行がバレていたとは思えなかったが、実際バレていた。しかし、それはオレのミスだからしょうがない。 問題は、自分の発言と彼女の返答だ。 少し常識から外れている。 彼女が帰宅して、仕掛けておいた盗聴マイクから聞こえてくる物音を聞いている間も、そんなことを考えていた。 とそのとき、声が聞こえてきた。 電話で話しているらしい。 あまり明瞭には聞こえないが、どうも他愛もない話をしているようだった。 特に内容にこだわる必要はなさそうだったが、あまり会話とは関係のないところで「ピンクのゾウ」という言葉が2度使われた。 そんなことを考えている時に、マッギーから携帯に電話が入った。 「パーロウ、話があるんだが・・・」 と言ってきたので、オレはすかさずこう答えた。 「どうせピンクのゾウの話だろう?」 (3) 「一体何の話をしてるんだい?」 いつもと違って苛ついた調子の返答だった。 「少し聞いてくれ。例の素行調査の女の件なんだが。。。」 少し間を空けて続けた。 「彼女は両親を事故で亡くしてる。 実は俺はその事故に少し関わっててね。。。」 そこでマッギーは少し口ごもった。 何か言いたい事を抑えている。 「そうか、わかったよ。 お前の過去の傷はオレが預かっておこう。」 そう言ってオレは電話を切った。 (やれやれ、オレは何をしたいんだか。。。) 翌日からオレは、毎朝レッドのアパートで待つ事にした。 毎朝、レッドが出てきそうな気配がするとオレは車から降りて、出かけて行くのを横目で確認し、見えなくなってしまう頃を見計らって車に乗り込み彼女を追い抜く。 なぜかそんなことを続けてみた。 やがて、毎朝お互いに軽く挨拶を交わすようになった。 1ケ月ほど経った頃だろうか、朝いつものようにレッドは外に出て来たが、その日はいつもと様子が違っていた。 しばらく考えて、どうやらそれまで出かける時はいつもピンクの服を着ていた、ということに初めて気がついた。 赤いコートを着ている。。。 そこに気づいたオレは、またいつものようにあらぬ方向を向いて、通り過ぎるのを待ったがその日はそうはならなかった。 こっちに向かって歩いてくる。。。初めてのことだった。 ほんの数メートルほどのところまで来て立ち止まった。 オレはうつむき加減に横を向いたまま、これから何かが始まる、ということを悟っていた。 できれば何も言わず通り過ぎてくれることを祈っていた。 何も言わずに立ち止まったまま、長い時間が過ぎた。 オレが彼女の方を向いた瞬間、全てが始まる。。。 (やれやれ、どうやら逃げ道はなさそうだ。) オレは意を決して、彼女の方を向いた。 思いつめた表情で遠くを見つめる彼女がいた。 (4) レッドは目をオレの方に向けた。 手にはヤケに眩しく光るモノを持っている。 切れ味の良さそうな新品のバタフライナイフが、戦闘体制に入った状態でしっかりと握られていた。 「そいつでオレを3枚におろして、お造りにでもしようってのかい?」 まだ続けて言いたいことがあったんだが、オレがそこまで言い終わった、一瞬の出来事だった。 それまで動かなかったレッドが突然視界から消えた。 オレは下腹部に鋭い痛みを感じた。 一瞬にして目の前が真っ白になった。 やがて、オレは見知らぬ街を旅する夢を見ていた。。。 見たことがあるようで見たことのない風景。 その中を1歩1歩踏みしめながら歩いている。 町並みの中の広場のようなところで、小学生になるかならないかぐらいの子供たちが10人ほどかたまっている。 その他には人影は見あたらない。 何かの遊びに夢中になっている。 近くを通り過ぎようとしたが、その前に1人がオレに気づき、声をあげて走り寄って来た。 するとそこいた全員が一斉に声を上げて走ってきて、たちまち子供たちに囲まれてしまった。 無邪気に大声をあげながら、体当たりを繰り返してくる子供、服や手をつかんで引っ張る子供。。。 なぜかオレはなされるがままになっていた。 どれくらい続いただろうか。 オレは少し強く引っ張られて上体のバランスを崩し、慌てて近くの子供の足を踏まないように気をつけながら足を踏ん張ろうとした。 だが、うまく地面をつかめなかったオレは、こらえきれずに地面に座り込んでしまった。 騒いでいた子供たちは急に押し黙って、座り込んだオレから少し離れ、円を描いてオレを取り囲んだ。 (今度は一体何だ。。。) やがて、正面付近にいた女の子が1人ゆっくりと、オレの方に向かって歩いて来た。 胸の辺りで人形のようなものを抱えている。 すぐ傍まで来ると、その子は手に持っていたものを、オレに向かって差し出した。 (クマのぬいぐるみ。。。オレに渡そうっていうのか?) 質問したいのだが、どうしたわけか声が出ない。。。 ただ、そいつをオレに渡そうとしているのはわかった。 (受け取るしか、なさそうだな。。。) オレが手を伸ばすと、その女の子は少し微笑みながら、そいつをオレの手に渡した。 思ったより手にずっしりと重みが感じられた。 意外な重みに少し驚いて、その子に向かって笑って見せようか、と思って見ると、少し表情が強張っていた。 どうしたのかと思って、肩に手をやると、その子の目から大粒の涙が溢れて出てきた。 胸が苦しくなった。 その子の方をまともに見ていることができなくなり、手渡されたクマを返そうとした。 その瞬間、鈍器で頭を殴打されたような痛みを感じた。 場違いなほど大きな音がした。 ハリセンで叩かれたお笑い芸人のように、その場に倒れこんだ。。。 (5) やけに固いベッドで寝ている。。。 寝苦しくなってきて気がつき、目を開けると、天井がゆっくりとまわっていた。 オレはリノリウム張りの床に転がっていた。 どうやら自分の事務所にいるようだ。 酒を飲んだような記憶もないが、頭がズキズキ痛む。 腕に何かを抱えている事に気が付いて、ムリヤリ上体を起こしてみた。 クマのぬいぐるみが、オレの腕の中でゆっくりまわっている。。。 そいつを見て、少しずつ記憶がよみがえってきた。 頭は痛むが、じきに治まりそうな気配がある。 感触としては、どうにかケガはしていない。 レッドにお腹をナイフでグリグリかきまわされたわけではなかった。。。 意識がはっきりしてくるのを待って、ようやく立ち上がれるようになるまでに1時間ほどかかってしまったかもしれない。 まずは、腕に抱えたクマを、大きいだけで何の機能も果たしていない金庫に、型崩れしないように注意しながら丁寧にしまいこんだ。 来客用の椅子に深く座り込み、コーヒーを一口すすってみても、考えがなかなか一点に集中していかない。。。 夢の中の出来事はともかく、わからないことが多過ぎる。 あの時の痛みは何だったのか。そして、なぜ自分がここにいるのか、どうやってここに辿り付いたのか。。。 考えはまとまらないが、ひとつの仮説が頭に浮かんだ。 その仮説について検証をはじめようとしたとき、事務所のドアをノックする音が聞こえた。 返事をしようか迷っている間にドアは開いた。 イエロー。。。黄色いコートが入ってきた。 何度か会ったことがある、マッギーの奥さんだった。 |


