瑠璃色の魔法

瑠璃色の魔法

2006.01.24
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カテゴリ: ひとり言
雑巾を除湿兼ねて乾かそうと思い、ストーブの前の洗濯物ハンガーに。かけるときは無心。でも気づくと、まだシルクのタンクトップと木綿のブラウスがかかっている。乾いてる。
ウゲッ、くっついたらどうしよう・・・そう思った時、はたと間違いに気づいた。
汚い?汚らわしい?世の中にそんなものってあるのかしら?
元はと言えば、綺麗にするために拭く布が雑巾。だから、なくちゃ困る。大切な存在。必要なもの。なのに、その言い方、その感じ方ってある?

汚い、と思ったのは、くっつくことで、
「それ」が、その「水」が、その「乾いていく時に出る蒸気」が、乾いて綺麗になった服に「付くのが」汚いと思ったので、本当は、雑巾でも布巾でもないのかもしれない・・・

自分が、それとこれは違う、全然違う、別にしたい、触れさせたくない、というグループがあるのだ。それが相性というものなのかどうかは判らない。
しかし、とにかく、そういう「グループ」が、他のものに接触されたり、混ぜこぜにされたりしないでいれば、それらの状態はそれでいい。
そしてさらに、それが形整えられたり、色分け、素材わけされたり、綺麗に並べられたりして行けばもっと美しい。


「これと一緒にあるべきではない」「この場所と雰囲気にそぐわない」とき、つまり居場所・置き場所・並び順・といったもので、自分がその時により重きを置きたい方に対し、そうでないほうが「汚い」ということになる。

今、かかっている雑巾は可愛い。
だけれども、となりに顔を洗ったフェイスタオルがかかっているのを見ると、何かがうごめく。「うっ・・・ちょっと・な・・・」
人は感性の動物だ。知らぬが仏、よその人が、その布の利用目的を知らなければ、どの布も一緒、善意でいっしょくたに取り込み畳み重ねるかもしれない。知っているのは自分だけ・・・汚いと吐き気を催すのも自分だけ・・・ならばそれらは本当に汚いのか?否。それが目で見て、触って、あるいは匂いで、汚いと感じない限りは、汚くはないのだ。

雑巾が汚いのも、本来一様に白であって欲しい布地の繊維に灰茶色の何かが付いているから。
それが綺麗な赤や青でも、望まぬものなら「汚れた」「汚い」。だけど、それが狙って染められたマーブルであれば、「素敵」「美しい」「お洒落」。

シワでさえも今はウォッシャブル加工などと言って「いい感じ」「カワイイ」と言われている。和服の絞りみたいなものだ。

結局、そうあってほしい一様さの中に、たとえ単独で貴重であったり美しいものであっても、そこにあってほしくない場所や状況に紛れ込んでしまったものは【汚い】のであり「汚らわしい」から「出て行って!」ほしいと思い、「ああ汚かった。」「清められて良かった」「浄化された」と思われる・・・

ちょっと民族の特徴などを思い出す。
純潔の美しさ、賭け合わせの美しさ、調和さえ取れていれば、それがいいとされるのに、狙っていないのにちょっとだけのズレがあることは不調和とされて忌み嫌われる。

出るくいは打たれ、出すぎた杭は打たれない。







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Last updated  2006.01.25 00:05:26
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