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ウチの子バッテリー上がり三度目やっちゃったのでコレ買ってみました。 CLESEED SC-170 ソーラーバッテリー充電器 バッテリーチャージャー 防水防塩害仕様 最大充電電流167mA:充電表示ランプ付 四種類の接続方法 本体ケーブル2.3M
2019.06.03
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2008年の10月13日、ホメオパシーの札幌講演会でもらった体験談募集の紙に、書いたのに応募せずに終わってしまった文章が発掘されてきたので、記念に書き写しておく。 レメディー名:ベルリンウォール 最初 摂る時に 舌先に触れた瞬間 ビリッと 電気のような/金属の味のような 刺激があって ずい分激しいレメディだな と思いました。 2分もしない内に ひどく吐き気がこみ上げ 亡霊の集団でも飲んだような 嫌な気分になりました が 数分でおさまりました。 *** その後 一度 中学時代に住んでいた町の 山道に入っていくバスに乗る夢 を見、 起きて とてもイヤな感じだけれど レメディが効いた と感じました。 すると 仕事の関係で 上役の人との間に この先 毎月発生する (それは必要でもないのに強いられると感じた) 事を提案された時、 まるで爆発するように 「それだけは耐えられない」と感じ、 断った。 その後 実家の母にも 支配的な圧力を感じ 反発、 その後 このような状態で生きているなんて死んだほうがましだ と思えて 大泣きした。 落ち着くと、急に そのような仕事や立場の現状 を 打開できる 具体的な行動 の案 や、 それを招いた原因(起点)となった出来事 に思い当たり、 それを導いた 根本的な 自分の考え方 と 行動パターン の 誤りに気付いて、 「種」が雪だるま式にふくらんだのだ という理解がきた。 すると また 夢を見た。 バスから降り、 中学1年の時の同級生にあい、 待合室から 水上バスにのって、 ボートで、 広々とした水面を 一気に進み始めた夢 だった。 目覚めた時、 とても気分が良かった。
2013.03.07
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きづいたあとのゆめ たねあかし みっつはみっつとも自分だったじゃない 出題してるがわも私だった みらいじん?それともなに? みっつくっつけたぜんぶとか えらばせる せかいも妙にモダンなみらいに
2012.12.16
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8月第一週に消防設備点検と給水ポンプ点検がそれぞれあるようだ。
2012.05.03
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この間、行きつけのおかゆ屋さんがなくなっていた。今日、行きつけのロイヤルホストがなくなっちゃうと聞いた。やっとこの街に少しずつ慣れてきたかなと思うと、すぐにどんどん知らない町に戻っていってしまう。
2012.04.29
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夜、久しぶりに主人が笑顔を見せてくれた。本当にホッとした。ICUで再開して以来、ずっと表情を失っていた。私自身も、ずっと思考停止だったが、今日は医療保険に入ることにしたり、必要な情報を実家にすぐ電話して聞いたりと、動くことができた。そしてずっと気になっていた、この家の風水についても、問い合わせのメールを出すことができた。思えば、このマンションの竣工から怒濤のように死という言葉を常に意識させられる暮らしが始まっている。追記:手作りしなくてはならないので料理道具を調べた。
2012.04.19
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着替えなくても外出できる、寝心地最重視のパジャマでありながら部屋着にもなり買い物しても奇異じゃない服 上海のパジャマ族みたいでもパジャマ〓ってギョッとさせたいわけじゃない 着たきりに見えないワンポイントとかあるといい。色を変える。赤とか白とか黄緑、水色… 特にエリとか、脇の下、股間、お尻など、交換できる。 服を脱いで着替えるんじゃなく、パーツ交換してる気分で。 介護も楽な、赤ちゃんやお年寄りや半病人でも楽に快適と清潔を保てる、保温と放熱、チクチクやゴリゴリしない夢の未来服。
2012.04.12
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11日、午後から1日胸がいたかった、一度二度ならまだしも、本当にしつこく何度も。 10日は心臓の細かいビビビビヒというのが何度も起きて怖かった 母のした伯父さんの話を思いだし、本当にまずいかもと思った 不安で不安で、痛みそのものより、不安が辛かった。 自分の存在が消えてしまうことは怖くない、ただ痛みや苦しみがないといいのにと思った 本気で死を覚悟して床に入った。連絡できるよう、携帯をベッドわきにとりにいき、救急隊員が入れるよう、玄関の鍵を開けて寝た。 無事にいまこうしてる。胸は痛まないけど頭が痛い 死を覚悟して寝た津波の前の前の夜を思い出した。ここまでくるのだと思って、外を見たのも常識的におかしいし、こんな雪の中、外にずっといるなんて寒いだろうなあ、と思いながら、でも地震ならともかく洪水で外に行くわけないのだからそこも矛盾してた。 でもアノラックを枕元に置いて、覚悟して寝た。こんなにあっけなく、こんなに非日常な自然災害で、個人的な病気老化事故でもなく死ぬことになる人生だったなんて、想定外だし信じられない感じだった。 翌朝、私は生きて目を覚ました。何も起きなかった。 あのときのような気分で、私は今朝、晴れた景色を見ながら不思議3月9日の夜と3月10日の朝のことだった。 胸の痛みは明らかに死を覚悟させるものだったのに、自分が死ぬのも怖いし、誰かが死ぬのも怖い。誰も死なないて欲しい、誰も苦しまないで欲しい、勝手だけど、とくに身近な人に関しては、私のために生きてて欲しい、置いていかないで欲しい。 もし、亡くなった方たちが呼んでいるのなら、どうか連れ去らないで欲しい。 いつも見もしないニュースが入ってきた。 頭が痛い。
2012.04.11
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シャワーを浴びはじめた 驚く
2012.04.05
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廊下一周リハビリした
2012.04.04
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シャワーを浴びはじめた
2012.04.04
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なんかOperaUniteがすごそう。こわごわ入れてみた。まだ実験前の段階。画像アルバムだけじゃなく音楽までブラウザさえあればどこからでもっていうのがすごい。 あ、凄惨て意味の方じゃなく、優れてるっぽい、のスグぉい!だから、良い意味で期待。でもやっぱちょっとこわい。専用のフォルダ作って指定したけど、実験段階のサービスな雰囲気がプンプンする。 プライバシー判明しそうなのとかはまだ置けないかな…
2012.02.16
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初めてこのメールから更新してみます。 iPadから送信
2011.08.27
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リキテックス ジェッソ詰替用パック 1000ml価格:2,268円(税込、送料別)画材と額縁の詩季画材絵は一年がかり、それ以上だったりしますよね。がんばって下さい!私のしょーもないイラストですら何ヶ月経っても手直ししたりしています。
2010.11.18
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神田か本郷か日本橋に日本家屋の一軒家が持ちたい。そこで和服で和暮らししたい。
2010.03.09
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2008.10.15
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こちらのサイトを、大変長い間放置してしまっていました。たまには書きに来なくては…と思いながら、結局来ることができなずにここまで来てしまい、また、今後書いていけるだろうか?と考えると、今の自分には難しそうだなという結論に達しました。更新もない拙サイトに今日までリンクやブックマークを残しておいて下さった皆様には本当に深くお礼を述べたいと思います。ありがとうございました。大切な記事は、手作業でひとつづつログを保存しながら、ちょっとずつ縮小していっています。今日すぐには消えないと思いますが、遠からずすべてクリアにしたいと思っておりますので、宜しくお願いいたします。長きにわたり、ご愛読どうもありがとうございました!
2008.05.31
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というよりも一日に2,3かい変な風に眠い。昨日の夜ではないから、一昨日かな、すねがむくんでいたのは。以前は模様替えしたがったが、今回はブログなど整理したがった。
2007.09.05
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今日は冬至ですね。寒さや行きはともかく、これで日が長くなってくれるんだーと思うと感激&喜びでいっぱいです。いつも出不精の私も、完全防備でかぼちゃとゆずを買ってまいりました。ゆずのコーナーには粉末の溶かして飲むゆず湯や、入浴剤のバブゆずの香り、なぜかハイチュウのゆず味までが取り揃えられていまして、私も柚子の実だけでも淋しいので買ってきました。今夜はゆずのお風呂。ところで冬至南瓜というのは、とくに決まりごとがあるわけでもないんでしょうけれども、母はただしょうゆ味で甘辛に茹でていましたが、小豆も一緒に煮るのが主流らしくて、今日のこれから水に浸しても間に合わないしと湯で小豆の缶詰を買ってきてしまいました。このサイトで書かれている作り方レシピを参考に今ゆでている最中ですが、あんこがドロドロでどうも成功は望めない様子。私が勝手に導入した缶詰小豆が敗因のようです。(※上記サイトさんのせいではありません、作り方どおりにやれば美味しそうですよ)まぁ焦げなきゃ食べる分には困らないだろう・・・と諦めまして、鮭とカにに石狩鍋と一緒にグツグツグツ・・・家中ニオっております(笑)
2006.12.22
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あややの1stディナーショー行って来ました!ルネッサンスホテル あややのクリスマス・ディナーショー
2006.12.17
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最近風水も勉強してるんですが(もちろん趣味の範囲で、ですけれども)、ちょっと注目の本が出版されました。フライングスター・フェンシュイというのは、そのまま直訳で、玄空飛星風水と呼ばれるものですね。Dr.コパの「西に黄色、東に赤や青、東北に白、中央に紫、東南にピンクを置いて恋愛、、、etc」というラッキーカラー風水も、明快で覚えやすくてアレはアレで好きですが、やっぱり健康やお金や人間関係にダイレクトに効果が出る本格風水にもお目にかかりたい・・・とは言え、そうそう簡単に全ての秘儀が自分の身につくわけもなく、まぁとりあえず入門から一歩一歩・・・というわけで、このたび新刊で!リリアン・トゥーさんという方(なんと西欧人!?)が出版した本が期待大です。というのは、10/21から耳鳴りが始まってしまって治らずひどくなるばかりで、このまま一生治らなかったらどうしよう・・・と怖くなるほどゴボゴボいって困っていたのですが、このフライングスターの数字配置で、「耳」にあたるエリアに、いま流行のゴールドコースト(ウィルマ)の鉢植えを一気に3鉢も買ったのがちょうど耳鳴りの始まる直前だったのです。「耳」は「腎臓」と関係していて、「腎の気」は、「水」の気なので、鉢植えの土に剋されてしまうので問題が出るんですが、それが我が家の場合、主婦である私を象徴する部屋に当たっていたのです。そのため、夫ではなく私の、腎臓と耳の水の気があって、大量の土を置いたために障害が出た・・・と考えるとピッタリ。とにかくすぐゴールドコーストをとなりの部屋に移動しました。すると、3時間後、耳鳴りに変化が。「治るかも・・・」と予感して、ふと6時間後に気づくと、アレだけ続いていた耳鳴りが、なくなっていたのです!いやぁ~、すご過ぎ、風水。じつは、以前紫色の表紙の、大きくて分厚い風水の本を立ち読みしたことがあって、カラー印刷で結構気に入っていたんですが著者を忘れてしまって・・・どうやらそれがリリアン・トゥーさんだった様子。よくわからないけど、入手して勉強してみます!本来は現場を見ないとダメなんですが、もし可能そうだったら前のエンジェルカード・リーディングで天使占いしたときのように、ブログで相談を受けてみよっかななどと思ってみたりみなかったり。この場合は、対策をするっていうよりも、過去の色んな出来事などから検証をするだけになってしまうかもですが。時間とお金が許せば直接現地を見てみたいものです。ご興味ある方は、コメントで問い合わせてくださいませ。
2006.12.16
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「陰陽五行論」にハマって易経などに興味津々で、聖書に易の要素がちりばめられているというオカルトな説を展開している本を買いました。すぐブックオフ。
2006.12.16
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無農薬栽培の国産の亜麻仁油のソフトカプセルが送料無料でお試しキャンペーンしてます。参考までに。http://www.amakousya.co.jp/亜麻公社
2006.12.06
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10日以上も患ってます。症状は、まず喉の痛みと寒気に始まって、止まらない鼻水、頭痛。食欲が減退して、体力消耗が激しく、眠ると起きられない。熱っぽくて、でも7度前後の微熱で、吐き気とも付かない吐き気が常にあって。途中一回治ったのかと思ったら、突然相が代わって、胸の痛み、食べても満腹にならず続く食欲。どなたか、似たような症状での風邪を完治した方、養生法を教えていただけないでしょうか・・・。緊急調査! 今年はどんな風邪?≪続きを読む≫[アメーバニュース]ちなみに、自分としては「とにかく温かいものを飲む」。これで、いきなり治るというわけではないけれど、かなり体がラクになります。湯気を吸えば鼻、喉、胸がラクになりますし、飲み込むと体の中からジンワリ温まります。オススメは、ハチミツをお湯に溶かして飲む方法。甘くて栄養もあって、糖が風邪にききそうな感じです。。もうひとつは亜麻仁油・・・オメガ3と呼ばれる必須脂肪酸が入っていて、体のさまざまな不調がこれで改善することも。私は子供時代からのねぼすけでしたが寝覚めが良くなりました。亜麻仁油に入っているのはリノレン酸。現代人はリノール酸摂りすぎの傾向にあるので、両輪のバランスをとるために必ず摂らなくてはならないのですが、体の中で合成できないのだとか。でも日本人には不慣れな油ですので、オススメはカプセル入りです。ちなみに、ついにトランス脂肪酸がアメリカで禁止になりましたね。もうマーガリンは食べられないでしょうね・・・。人工的に水素を無理やり化合させたものなんですが、以前から危険が指摘されていたとのこと。たとえば、インドではヤギの油のギーというものがあるのですが、動物性の脂よりも植物性の油のほうが体に悪くないのではという勘違いからマーガリンに移行した人々が続出、すると、ある特定の病気が数倍になってしまったのだとか。詳細はググってみて下さいね。とにかく油の質は大切です。これで風邪が治るなら・・・でも今、切らしてるんですよね(涙)ハチミツと亜麻仁油、是非試してみてください。
2006.12.06
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洗顔料は、買うつもりじゃなかったんですが・・・翌日のお肌の調子がイイ!さっぱり用 しっとり用もともとは、シャンプーを探していたのです。ボディーソープや洗顔料や台所洗剤、洗濯洗剤など、すべて『温泉成分由来』のまったく新しい、環境をむしろキレイにしちゃう洗浄料っていうことなので、ためしにいくつか買ってみたら。一足先にシャンプーを使った夫も、「このシャンプーいいね!ボディーシャンプーも使ってみたいなぁ。」と言い出す始末。洗う=汚れを落とす、、というしくみの考え方が根本的に違います。ので、ホントに温泉に行ったあとのツルツルみたいになります。あるいは、「キュッキュ」ぽいのに「つるつる」で、けれど皮膚は溶かしていません。界面活性剤が残ってような奇妙な残●感もないし。。ずっと石鹸シャンプーを使っていたのですが、自然派でももっとイイのが欲しくて色々見ていて偶然たどりつきました。これからボディソープを追加注文の予定。クリックでボディソープが買えます騙されたと思って、一度試してみていただきたい使い心地です。ちなみに洗濯洗剤は、まだ実験してません。この季節、粉洗剤だと溶けにくいし、そもそも合成洗剤だと皮膚にかゆみや肌荒れが出たりしがちなので、これは期待してます。詰め替え用があるので、液体アタックとか液体トップの空き容器に入れると使い易いかも。ランドリー詰替用が買えますちなみにキッチンソープ(台所洗剤)なんかは、使うほどヌメリやパイプ汚れまで徐々にきれいにしていってしまうほどだとか。これも前回買わなかったので、この機会に試してみるつもりです。※ちなみに私が台所洗剤を買おうと思ったのは19年ぶりです!驚くなかれ、マジで20年近く、台所洗いには合成洗剤は使っておりませんです。(ママレモンとかJoyみたいの)お湯と魔法のたわし(アクリル毛糸を編んだもの)だけでやってきました。時々重曹とか、ナスのヘタとか、紅茶やお茶の葉とか、新聞紙とか、かのこだわしとか・・・そんなんで暮らしてきました。。あえて「この洗剤を使ってみよう」と思うのは、本当に「使ったほうが自分にも洗い物にも環境にも、全員にメリットがありそうだ」と期待してるからです・・・使ったらまたレポートします♪キッチン洗剤(詰替用)が買えます
2006.11.15
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名曲と言うわけでは決して無いけれど、テンポが良くて明るくて好きな藤井 隆『ナンダカンダ』が今日のテーマ曲かな!「なんだかんだ叫んだって やりたい事やるべきです!!」ってね。私も、弾きたい時ピアノ弾いて、聴きたい時交響曲聴くぞぉ~!!!これからも、自分のなかで忘れていた好きな曲を、少しずつ思い出していきたいと思います。「ナンダカンダ」の音符と歌詞(PDF)「ナンダカンダ」のカラオケ(伴奏のみ)
2006.10.31
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今日は明治生まれで私とはちょうど還暦分の年齢差で同じ干支だった祖母の誕生日でした。
2006.10.25
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最近なぜか頭から離れないのが、キューピーマヨネーズのCMソング。『たらこ・たらこ・たらこ』。キグルミさんという歌手名だそうで。グループなのかな?はじめはTVCMで見ましたが、その後、モスバーガーで食事を頼んで待っているとこの曲が・・・実は私達、登別の温泉に行ってきたのです!ここはドリフの8時だよ全員集合のエンディングで、「ババン、ば バン バン バン、はァ~ビバノンノ♪」と歌われ、湯気が天井からポタリと背中に落ちて冷たいことで有名な(笑)、元祖・登別温泉旅館こと「第一滝本館」。道内のお年を召した方が「登別温泉と言えばココ」「一度は行ったほうがいい」と言うこの旅館は、本当に今のクアハウスもびっくりの大きな大きな温泉場です。有名ブランドだし、土曜日だし、ネットで調べたらもう満室との事。しかし諦めなーい!直接予約センターへTEL。そして部屋ゲット!もう嬉しい~♪と、ドライブしながカーナビの地図を見ていると、「多良湖」の文字。た・・・タラコ?見た瞬間、私の頭の中には「たらこ たーっぷりー、たーっぷーりー ターラコー」 主人に「タラ湖っていうみずうみがある!」と言うと、よく見たら「倶多良湖」の頭の「倶」が消えていたのでした。その後私は、「クッたーらーこー、たっぷり たーっぷりー(クっ)たらこー♪」とかなりエンドレスに歌いながら助手席をにぎわわせていました。お陰で旅館に行く前に、「食ったら湖」ならぬ、倶多良湖に寄ってもらうことができました。ここ、すごい神秘的! 見る場所は、上のほうからと湖の近くまで降りたのと二箇所あります。どちらもそれぞれの美しさですので、要チェックです。私は神秘性がますます高いのは上から望むクっタラコだと思います。
2006.10.21
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今年の春、一ヶ月の間に50軒ものマンションの資料を集めました。そのうち20箇所のモデルルームに見に行きました。それはもう、熱が出るほどの入れ込みで、大変なエネルギーを使いました。そして、気づけばパタリと果ててしまいました。自分の日記の中にもほとんど新居購入の話は出てこない・・・多分迷っていたのかも。というよりも、キャンセルやトラブルが発生しないかと不安で本当に自分のものになるのか、確信が持てなかったのかも。だから家を買ったと言えなかったのだなと・・・今、ようやくインテリアの話になって、実感が湧いてきました。そうだ、これから別の意味で大変です。今までは、立地がどうか、間取りはどうか、建物はどうか、階層はどうか、眺望は、風水は、価格はどうか、資金繰りはどうか・・・そう、「買うか、買わないか。これにするか、しないか」というモードでした。でも、決めたのだから、あとはどれだけ住みやすくできるかです。それに引越しの準備や手続きのことなど。捨てたいもの、揃えたいもの、まるで今こそ新婚の新居探しと新生活の準備のようです。
2006.10.20
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食欲の秋がやってまいりました。でも木々もすっかり真っ赤に焼けて、あーあ、あと一週間で冬です。初雪がいつ降ってもおかしくない、そんなキリキリと痛い冷気。主人の生まれたときも雪が降っていたそうな・・・10月だと言うのに、早いものです。でも一週間と言うのは気が早いかな?こちらでは「ゆきむし」という細かな虫が大発生して、それが「あと一週間で雪ですよー」のしるしだとか。関東では、5月頃に「あたまむし」が温まって厚くなった黒髪のせいか、頭上をウワンウワンと飛び回ってうるさいものだけど、そういえばあの虫はこちらに来てから出会っていないような???北海道は鮭が美味しいとのことですが、どうやらシーズンはそろそろ終わりなのかしら。というか、今年まだ旬の秋刀魚を食べていない。ずっと買い物行ってないからな・・・いかんいかん。というわけで、楽天でふぐちり(毒のない安心のふぐというやつらしい。そんなのがあるとは知らなかった・・・)を見て大変そそられる。どうも読書の秋の割りに日記は浅いものになるらしい。自分向けの手帳は日に日に深いのだけど。
2006.10.19
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今月は夫の誕生日があるので、先月から欲しいものをリサーチ・・・【送料無料】馬革 システムオーガナイザーをプレゼントすることにしました。実は以前も是非使って欲しいとバーバリーの深緑の通勤かばんをプレゼントしたのだけれど、出張が多く持ち物も色々と多い主人には、ポケットや分類用仕切りのない皮の手提げバッグは合わなかった様子。せっかく喜んでくれても、使ってもらえなかったら価値も半減。選択ミスにがっかりしていたのだけれど、かといってすぐに別の鞄を買うのも・・・と気にしたいたら、今回は本人のOKが出たので今度こそリベンジを!と意気込んでいます。これはJALの機内誌かJAL-CARDの通販カタログに載っていたもので、入れる場所が何箇所もあり、ペンやカードやCD・DVDディスクなどの色んなものを入れる場所があって、かばんと言うよりも本当にシステムバッグと言う感じ。楽天では感想も載っていて、3、4日間の海外出張でも事足りたとのこと!これぞ求めていた「仕事カバン」に相違ない!!というわけで、最終OKをもらったら、今月の誕生日にはこれをプレゼントして持ち歩いてもらうのです(^^)やはり自分が選んだものを男性が来て歩いてくれたり持ち歩いてくれたりするのって嬉しいですよね。それにしても、男性向けのプレゼントっていつも難しいですね。私は昔から父と弟とにどんなものをあげていいか迷い、父にはいつもネクタイだったりしていました。思いつくものとしては、ネクタイ、ネクタイピン、時計、鞄、ズボンなどの洋服(本人同行の場合のみ)寝巻き、フケ防止シャンプー、、、などでしょうか?でも何年も繰り返されるから、パターンが決まっちゃいそうです。ほかにいい案がないでしょうかネ。
2006.10.19
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早くも今日の日記を。今3時です~ここ三日間、連続して午前3時のメロディを聴いています。昼夜逆転しないように寝ないとなぁ。3時と言えば、昨日(いや、もう一昨日ですが)の夜に行った本屋さんで「水曜の朝、午前三時」という本が平積みになっていました。このタイトルを見て、私が瞬間的に最も初めに思いつくのは、フォークグループ(?)な頃のALFEEのLPに入っていた同タイトルの曲です。 Wednesday morning 3 o'clock, ひとときの恋人さ あなたの為に夢を語ろうといった歌詞だったと記憶しています(が定かではありません)その頃は漠然と、午前5時半頃にイメージされる薄暗い朝もやのような情景を思い浮かべて聴いていたのですが、よく考えると関東で三時なんて真っ暗ですよね!私は北海道に来てはじめて、夏に三時を過ぎるともう空が群青色に青くなってしまうのを経験しました。主人の実家に行ったらお母さんが「三時半にもなったら明るいから眩しくて寝ていられない」というのに対し主人が「遮光交カーテンにすれば」と答えていた会話を聞いて、「ここは別の国なのか」と思ってしまいましたが(笑)ほんとうに、ちょっと夜更かしするとすぐ朝です。ちなみに別な本屋(TSUTAYA)に連れて行ってもらいました。この本屋サンはつい先日から閉店時間を午前二時に延ばしたのだそうです。夜中も十二時を過ぎてから入っていったのですが、先月までは今頃もうしまっていたのかと思うと嬉しいやらありがたいやら、しかし世の中これでいいのかっと疑問は湧くやらで、複雑な気持ちに胸がくすぐったいような感覚でした。 ※ なぜか、脈絡のないいくつかの感情が同時に湧くと、数本の指で法則なくモゾモゾこちょこちょとわきの下をくすぐられたのと同じように感じてしまう私。 そうなると笑うしかありません。だって気持ち悪いのか快感なのか、くすぐったいのか痛いのか、分類できなくて「こそばゆい」のです。 (それで変なタイミングでクスクス笑ったりしてくすぐったそうなので驚かれますが、うまく説明できないのでさらに奇妙がられます。)久しぶりに夜遊びをしたねと言われて嬉しい気持ちで帰ってきました。その車中、ふと頭の中にBOΦWYの『鏡の中のマリオネット』の歌のサビが何度も流れるではありませんか。昔レコード屋さんでこれがかかってはじめて聴いた時、一発で好きになって何度も聴いた曲です。(ちなみにこの曲ともうひとつONLY YOUが大好き)でも当時、この曲については旋律や編曲やらノリが好きだったというのみで、歌詞なんて深く味わっていませんでした。なのに今回は、「歌詞が」意味を成して私に訴えかけるのです。「操る糸を断ち切って、自分のために踊りな」なんということでしょう。←(加藤みどり by ビフォーアフター風)今になって苦しんでいたり囚われていたりしているけれど、昔の自分が操り人形であり、私はストレスから逃避するために自らソレ(=人形、すなわちデク)になりきって生きることを選択していたのだ、といきなり天から啓示のようにガガーンとドドーンと来てしまったのです。その時はそうするしかなかったか、ソレが最善と信じてそうしたはずで、だからそれは過去としてはいいけれども、今はもう結婚してストレスはかからないのです。ストレス源がいない生活を手に入れたのに、環境を変えたのも忘れて・・・ううんひょっとすると、今もなお、その馬鹿げた亡霊におびえて、いまだにその時代に決めた位置取りと役割にアンカーを降ろしっ放しにしているんだ、と。そして、今の生活においては逆に「いかようにも、仰せのままに」「あなた様の為に全ての自発的判断と行為を一切放棄いたします」といったスタンスの’デクの棒'でいることは、そうでない自己判断で自由行動し、感じたままに感じていると表現して、好みのままに取捨選択する’人間’であることよりもよっぽど日常生活にストレスを生じさせる。そろそろ鏡の世界から魂を呼び戻し、木偶をやめて人間に戻る時がやってきているのかもしれない・・・ふと、そんなことを言ったりしながら我が部屋に戻ってきたのでした。そこからまた二人でチャイを飲んでネットにつないで・・・気づけば4時ももうすぐです。早く寝ようっと。
2006.10.07
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昨日立ち読みをしているうちに遅くなって、夫から帰るコール。実は本屋なのーということで、待ち合わせをしてインド料理やさんでカレー&ナンのセットを頼んだ。ナン大好き。セットにはサラダ少々とタンドリーチキンがついていて、最後にチャイも飲める。このチャイがまたまた大好き。特に昨日は美味しい気分で、帰りのレジでチャイのティーバッグをひとつ買ってきた。で、今日は食後にそれを作ってみました~。初・ホームチャイ。書かれている通りに360mlずつの牛乳と水を入れ・・・ってちょっと多くないかこれ!?まぁ4杯分と書いてあるし・・・二人が一回おかわりしたら、いつも通りかー。とか思いながら、白砂糖ならぬ三温糖をたっぷり入れて、よしっミネラルも取れるしー。できたチャイは昨日と全く遜色なく美味しかった!!!ブラボー!!しかし量は多かった・・・いつものティーカップだと6杯分はある感じ。甘ーくしているしミルクティーだし、重たくて二杯でギブアップ。でも明日温めなおして飲もう・・・明日の朝は楽しみができたな。夫殿も休みだし。。午前にあると思っていた出かける用事は日曜の午後の勘違いだったし。ちょっとゆっくりできそうだ。10/20追記・・・正確には、マサラ・チャイと言うそうです。インドの紅茶の専門店、シルバー・ポット←チャイをお試しになるなら、こちらのお店が茶葉が豊富でオススメです。さすが専門店です・・・* * *ちなみに昨日買いたかったのに買って帰ってくれば良かった~!と思っているのはこの本です。ジャン・スピナー著・スピリチュアル占星術チラッと立ち読みで自分の太陽サインや月サインのところを読んでみたんですけど、「うひゃぁ~!もっと言って!!もっと言ってやって!!!言ってやってくださいィィィ」とか身もだえしたくなる文面でしたね(笑)まぁ、アテモノ占いじゃないんで、別に偉い人の金言集でも何でも同じなんでしょうけれども、私にとってはこの手の本から経由されて伝えられるメッセージが一番キくのでこういう出会いになったのでしょうね。スピリチュアル系よりもニューソート系の本のほうが好きな私ではありますが。
2006.10.06
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秋分の日ですね。日もだんだん短くなってきました。今日はお彼岸のお墓参りに行かれた方も多いでしょうね。私たちも行ってきました。往きの車中、高速道路上から見た空は本州とはやっぱり違って、夏の積乱雲でも無く秋の筋雲でもなく。なんだか夏っぽいモコモコの、でも高さの低いひつじ雲でした。本当にひつじのような雲がいっぱい出ていて、そのうちの三つ並んだ丸いのが並でなく可愛い・・・!そして気づいてみれば、その下の木々も丸っこいのがいっぱいで、そう言えば私は「まる」が好きだったんだよなぁ~と思い出しました。高校生の頃は、駅のホームのベンチが一個一個、つけてもらうのをおとなしく待っていて・・・どうしようもなく可愛かったっけ。とか。街頭の白いまん丸も、果ては道路標識まで、玉や円を見ると思わずプププッと笑い出してしまいそうなほど愛らしかったっけ。とかとか。ああずいぶん忘れていた感覚だったなぁと何故か感慨深く・・・外には出てみるべきですね。そして、自然の美しい風景には触れてみるべきだと思いました。ちょっとやそっとの調子の悪さも、特にそれが気分的なものであれば尚更、なんの自己分析もセラピーもワークもいらないほど、綺麗で快適な環境と言うのは「効く」んだなーと。今住んでいるところは正直牢獄です・・・囚人の収容所です。引っ越してきてすぐからそうイメージしていたのです。だからどんどん気分が滅入っていったのも当然で。けれど住居が変えられないのなら、せめて時々、「自分のお気に入りの場所」に万難を排してでも行くべきだ、と思いました。人として、基本的人権とも言えるほど、最低限の「空気(無いと死んでしまうもの)」なのじゃないかな。と。本当に行けてよかったと思えた一日でした。
2006.09.23
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今日はホームセンターの広告を見て棚と引き出しを買いに行った。いざ実物を見て購入を迷い、まずは腹ごしらえ・・・とモスバーガーへ。なんとモスではご飯をはじめたのですね。タコライスは夏っぽくて、北海道の私には涼しすぎて「暑い時期には美味しいだろうねー」と言ったけれど、本州ではまだまだちょうどいい季節なのかも。その後、おとなりの本屋へ。以前から読みたかったユダの福音書を探した。でもDVD付きのは見つからず。その代わり、本だけのものが二冊並んでいた。一冊は、ユダの福音書を追えで、それと判らなかったうちに「値打ちがありそうな古文書」として所有者が人手に渡すのを惜しんで状態が悪くなったり、盗品だったら困るから関わりたくないという学校側が、研究はしても買取をしない、みたいな紆余曲折が書いてあった。本当は、先にネットでレビューを見ていて、こちらの本のほうが紹介書っぽくていいのかなと思っていたのだけれど、立ち読みは必要だなー。想像していた欲しい本の印象とは全然違っていた。もう一つは、英訳されたものをさらに和訳したもの。こっちは結構期待通りだった。原典とついていて、ところどころ抜けた部分を[ ]のなかに補ったりしているのがいかにもそれらしいムードをかもし出しているし。しかし面白いのは、本の最初のほうは、[ ]の中身が無いほうが却って日本語的にスムーズな気がしたこと(笑)やはり英語などでは主語とか目的語とか、明確にしないと文章として成り立たないのだろう。学生の頃に古典ギリシャ語を少しだけかじったのだけれど、ギリシャ語って意外と日本語に似てる。それまで私は「日本語は特殊で、以心伝心の国だから文章も省略できるものは省略しても察したりできるのだ」という井の中の蛙のような日本文化は特別スバラシイ論を頭から信じていたのだけど、実は英語とかフランス語などのコンプレックス対象になる言語と比べていただけらしい。変な話、大阪人の友達には「大阪は人情の街だから」と言われ、北海道に来たら「北海道のひとはあったかいでしょー」と言われ、福島に行けば「東北の人はみんないい人だから」と言われるんだけど、実際東京の人も人情味に溢れていてあったかくていい人なんですけど。。。って感じ。まぁ要するに、ギリシャ神話のような、自然の神様いっぱいの世界を大らかに話していた頃は、きっと会話も大らかであったのでしょう。そんなにカッチリしていなくて、単語の順番で意味が決まる!とかではなく、さかさまに置いても同じ意味だったり、アバウトだし。多分、原典・ユダの福音書もギリシャからのものがコプト語になったと書かれているので、直接日本語にできる人がいれば、もっとナチュラルだったのかもしれないなぁと思ったり。ところで世界の権威の先生が他の専門家たちと議論してまとめた、ということは、一般大衆がそれを読んで判別できることはなさそうな気がしますが、本当にFAなのかしら。今や風化したノストラダムスの予言のなかに、人類の終わりが書かれているといった人がいたけれど、ノスはユダヤの血は引いててもキリスト教ということになっているし、キリスト教では洗礼を受けて初めて「人」になると言っているのだから(信者以外は人間じゃないって?)ここでいう人類の終わりというのは当然キリスト教世界の終わりでしかないのでは・・・と思ってみたりしていたのたけれど、この本を読むと、その解釈もあながち間違っていなかったかもなんて思ってしまいました。一度偽書とされているものなので、出てきてもやっぱり偽書は偽書扱いなのかもしれませんが、今の時期に世間に出版されたって言うのも面白い符号のような気がしますね。 原典ユダの福音書 DVD付・ユダの福音書ちなみに、何故か本屋から出る時には、ユダの本ではなくて「皇室入門」を買ってしまいました(笑)漫画なんですが、結構読みでがありましたよ。終わり方がちょっとだけ、尻切れトンボっぽいかな~。
2006.09.17
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左側の腹部がビリバリに痛くて病院にいくしかないかと思うほどだった。主人に申し訳ないけれど食事が終わるとともに9時半頃には寝かせてもらった。ふと催して目覚めると、朝の四時半くらいに思われた。暗がりの中、時計を見ても四時頃のように見えた。まだ暗いし寝なおそうか・・・そうオモって時計を確認しするため一瞬リビングの明かりをつけると、4時ではなく12時20分過ぎだった。頭が混乱した。ずいぶん深く長く寝た気がするのに・・・そのショックのせいかどうかわからないが、頭が色々と考えてしまい眠れなくなった。下手に時間など見なければ良かった。けれど、その最中には気になっていたことの質問と答えの問答集のようなこともあり、大切なことも理解納得できた。結局、また眠ったのが四時半頃だった。主人の出かける声がかかり、返事をしてまた眠ると、起きたのは11時半。このところ普通に眠っていると11時半に自然に起きるようだ。以前は9時半だったのだが、二時間遅くなっているのはどうしてだろう。本当は寝なおしてから7時間、その前を入れて10時間しか寝ていないのに、時計のせいで12時間以上眠り続けてしまったような自責の念が湧いた。ただ体の具合の悪いときに眠っただけなのに、なぜ寝すぎたことを不快に思ってしまうのだろう。子供のときは、寝なさいといわれても眠れなくてそれでも寝かされてストレスに感じたものだったが、自分に病気でも寝ることを悪と言いつのる上位自我はどこからできてしまったのだろう。とにかく早寝早起きをしたい。それだけで自尊心はずいぶんと取り戻せるのに。無理しておきたときのあの偏頭痛さえ起きなければ・・・。
2006.08.30
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今日は文通のみによる親友とも呼べるメール友達からメールが来て、「私にいま一番必要なメッセージを!」という内容でカードをひいてくれたとのこと。そしたらあんまり現状にぴったりだったので、友達の許可を得て転載させてもらうことにしましたー。▼---ここから---出たカードは「Let Yourself Receive」受け入れる「人が与えてくれる、愛を受け取ってください。悪く思ったり謝ったりせず、受け取るだけで良いのです」あなたは与える側の人です。いつも人のためになりたいと色々なことを考えています。たいていの場合、あなたは人へ与えることに喜びを感じているでしょう。でも、あなたも人から与えられるものを受け取ってもよいのです。その結果、相手も与える喜びを体験することができるからです。受け取ることで栄養補給ができ、あなたと周囲を取り巻く男性性と女性性のバランスを保つことができます。受け入れることを自分に許可すれば、停滞しているエネルギーが動き出したところへ新しい豊かさが流れ込み、面白いアイデアが沸いてきます。そして、たくさんのチャンスが訪れ、これからの人生の流れをスムーズに泳ぐことができます。受け入れることは一見単純にみえますが、大きな癒しを生み出し、夢を現実にするプロセスが動きだします。だそうです~。でもマナカードも、「精神面に偏りすぎず、物質面に偏りすぎず」とか、マーメイドドルフィンも「与えるばかりでなく」とありますが、確かにここ数年のPuroseさんは収入に拘らなすぎな人生を送っているように見えるので、ずばりかも!という印象を受けました。---ここまで---▲ううーん、深い。とくに、男性性と女性性のバランスという言葉が出てくるあたり、今回の私の悩みにぴったり来るんですよね~。セクシャリティの問題だけでなく、ジェンダーの問題として、ちょうど、プライベートな関係の親戚身内からは男尊女卑に近いほどの男女差別のある世代からの躾を受ける上、公的には、悪平等に近いほどの男女同等教育を学校教師から受けた世代でもあり・・・なんとなく主人も私も中性的な面を持っているし。新婚になってすぐ、「何もお金を稼ぎ出さず、何も社会貢献や文化活動をしない、無生産な自分」を自分が勝手に責めて、自分は無価値だと感じ、一日中、ぐったりになるほどリキ入れて掃除洗濯買い物炊事・・・と働きずくめ、それでもなお主人に申し訳なくて居心地の悪さ、バツの悪さを感じて、しまいに欝っぽくなってしまい・・・やがてその時期を過ぎると、「主婦は何をしてもいくらしても、誰も証人がなく、タイムカードのような証明もなく、頑張っても評価もなく、ある期間で終わるようなプロジェクトでもないため達成感もなく、何かを作り出したというような作品が社会に残るわけでもなく、関係した仕事の記事が新聞に載るわけでも、世間にムーブメントを起こすわけでもなく、昇給もなければ昇進もない。やりがいとか、達成感とか、どこで感じたらいいのかわからず、また永遠に評価される人が増えるわけでもないし、まして歴史に名をとどめるようなことにもならなくて、そして共に苦労し仕事を成し遂げて喜びを分かち合う仲間もできない・・・なんと孤独で、なんと虚しい、なんと報われない立場なんだろう」という嘆きでいっぱいになってしまいました。そして、そのことを夫に告げると、悲しそうに「やっぱり君もそう思うんだ・・・」と言われてしまい、外へ出たい、勤めたいと感じてしまう自分に罪悪感を感じるという多重罪悪感にさいなまれるようになってしまったのでした。これは、小さい頃からの躾や教育によって、人としての価値や人生の意義にどんな説明を受けるかによってもずいぶん変わってくる認識だと思います。今頃になって、男女六歳にして席を同じうせず、とした昔の女性教育を受けたかったとつくづく思います。しかし届いたマーメイドルフィンからのメッセージには、「受け取るときはあれこれ悩まずに単に受け取るのみ!」という応援が書いてあって、少しだけ気もちが明るくなったのでした。ベストタイミングでメールをもらったなぁと思います。ありがとうメル友!
2006.08.22
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マンションの間取、本当は決められた4種類の中からしか選べないのだと思うのですが、一生住むかも!?と思うと、どうしても欲が出るらしく・・・間取に悩みに悩み、締切りが目前に迫って、もう仕方がないと思ってしまうと、早々に今度は内装と飾り付けに興味が移り・・・イタリアに行って脳みそがヤられてしまったのか、どうも家中を布で美しくくるみこみたい衝動が。なぜかユーキャンのインテリアコーディネーターの講座に参考書だけのために申し込んでしまい。(高い書籍代だわ・・・)あんなもんダンボール一箱一日で読破。(記憶する必要があまりないので)で、さっそく次なるターゲットを求めにamazonへ。・・・と思ったら、楽天にも楽天ブックスという立派な本屋があるんですよね。エレガントでクラシックで、ということで、この本を購入。でも在庫がないのか二週間待ち・・・ 我が家は本で溢れかえりそう。そのための収納の本が何冊も何冊もあるんですから本末転倒です(笑)
2006.06.13
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しかし・・・この黒い背景は天使と女神と言うより悪魔っぽいですね・・・書いている私は何も変わらないのに、内容も何も変更していないのに、まるで違う世界に来てしまったよう・・・そして、私のサイトじゃないみたい。他の人のブログでバックが黒とかダーク系でも、「カッコイイな」とか「クールだな」っていう程度なのに、なんでだろう「こんなの私じゃない」みたいな、もちょっと正確に言うと「こんな人間だと思われたくない」みたいなものがあるような・・・日常の人間関係に関わりなく無記名や匿名でも書けるインターネットブログという説明がテレビやマスコミでされているのにも関わらず、なんでかしら、思いっきり『見た目を気にする自分』がいるし、「どう思われるか気にする自分」がいる。いや、というか、それは自分自身ではなくて、ひょっとすると、演出として失敗していると感じているのかもしれないな。たとえば「明るい感じで!」という注文なのに暗いとか、「神秘的に」と言われてビタミンカラーのページを製作してしまった、みたいな。注文主は当然自分だけど・・・そうね、自分はいつもエンターテイナーなのかもしれない。無意識に。こういう路線で行こう!というのがいつもあるのかも。ホームページやブログだけじゃなくて、着る服、髪型、化粧やライフスタイルや言葉遣いに到るまで、ことごとく、本当の自分にはなんら関係ないのかもしれないね。だって、日本語だって、別に日本に生まれなかったら捨ててもいい言語かもしれないし。こだわっている自分って、これが本当の自分というわけじゃなくて、こういう作品を描きたい!って思っている芸術家の強い衝動みたいな潔癖さで、こだわりこだわり自己満足しているのかもしれない。だとしたら、中途半端に妥協するのはやっぱり良くないかもね~結局人生は一度きりだし、白いキャンパスにどんな絵を描くか、それは自由なのだし。一枚では退屈だったら、キャンバスを二枚四枚と切り分けて、全然雰囲気の違う小さな絵をいっぱい製作していくのも、自由なことだよね。分ければ大作にはならないかもしれない。一枚きりと腹をくくって、一生かけて一筋に生きた人は、そりゃあ将来すばらしい作品になるんだと思う・・・でもたいてい、真っ白いキャンバスに「これってひょっとして私専用の白紙?意味のある絵を書いていいの?」と気づくまでに、人生の幼少期、クレヨンで意味なく好きな色をグルグルするみたいに、へんてこな色が着いちゃってるものなんたよなぁ・・・だから、物心ついた時に、「あー。もうここにはこの色が縫ってあるし、こっちはこの色になっているし、それを生かして絵に仕立て上げよう」と思うんだろね。だって絵の具がもったいないし。今まで生きてきた時間が無意味だったと思うのももったいないし。なんというか・・・上から塗りつぶしても、下絵のニュアンスってにじみ出てしまうしね。でも、途中で把握できないほどにキャンバスが増えてしまった時は、楽しさよりも辛さのほうが多かったよなぁと思う。自己管理を通り越して、自己のメインがどれだか判らなくなって。そのとき、「どこかに本当の自分がある」って探していたんだけど、結局、どれも本当の自分の切れ端で、結局そこまでなってしまったら、キャンバスの切れ端をつなぎ合わせて、分断されている絵をうまくつなげたり、そういうデザインなのだと思ったりしていくことで、だんだん大きいキャンバス何個かにまとまってきて、そのうち、「ああ、この三枚が自分の側面なんだな」とか、落ち着いてくる。けっきょく、自分のキャンパスを切り売りして、親や友達や職場のために、受注したイメージどおりの絵を描いてあげようとするから・・・気づくと自分の「好きな絵」を描いているはずのキャンバスまで見失うんだよね。よく自分探しの本に「人のことは気にしないで自分の好きなように」って書かれているけれど、多分きっかけは、喜びの中にあったんだとは思う。「このひとは」と思い定めた人のために、その人が喜ぶためなら、自分の好みの絵ばかりじゃなくて、一部分を切り取って、その人好みの絵を描いて見せてあげたいって、そういう気持ちは純粋なものだったと思うんだ・・・けど、切り取って人を喜ばせることに味を占めてしまうと、ついうっかり、気軽に誰にでも自分のキャンバスを人のための絵に費やしてしまうことの貴重さ加減や神聖さや忘れてしまうんだな。とってもいいことをしてたはずなのに、素晴らしい歓喜の中でそれを捧げていたはずなのに。「気づき」って必要ですね。話がそれたけれど、多分この色とデザインは、誰のためにでもない決め方をして、自分のちょっとした思い付きだけだから、自分の好みっていうほどでもないし、だからストレスなのかもしれない・・・けど、自分の好みも、こう演出したいというだけのこともあるし、たまには滅多にやらやいことをしてみるのもいいのかもしれなくて。いつもついつい明るい色、柔らかな色、ソフトな印象でまとめてしまうけれど、それはきっと、「私は人を傷つけるつもりはありませんよー」みたいな無言のメッセージを発しているつもりのコーディネートなのかもしれない。それに囚われて、自分の言いたいこともいえないほど「やさしい系」になってしまったと思い込んで、ウンウン唸って全部投げ出したくなったり。私にも、色んな自分がいるよね。数年間、まとめる方向でつないではきたけれど、それでも「色んな人生を歩みたい」自分がいる。人生は一度きりっていうのに、納得していないのかなぁ。それとも、この環境が一度きりだと思うから、欲をかいて色々体験したくなってるのかしら。部屋を決めるにも、インテリアはクラシック、それともカントリー、アジアンも、純和風も・・・そんなテーマパークみたいないくつもの部屋を準備したくなる。トータルコーディネート?なんのこと?って感じ。バラバラ。でも、トータルに統一感があるのって、結局は一番安心感や満足感がある気もする。同時進行しようとすると、分裂するのなら、時間と未来を信じて、時期で区切ってみるべきなのかしら。せっかちでインパチェンスな私だから、難しいのかな。それでも・・・ブログのデザインが変わっただけでこれだけストレスや気持ちよさや感じるものが全然違うのだから、実際に住む家の色柄デザインや素材のコーディネートは、相当自分に対して影響力を持つんだろうなー。果たして、どうすべきか。ある人たちへの効果を狙った演出にするの?それとも、自分への効果を狙った調整を?だったら、夢や憧れを持ってくるのか、自分ってこういう感じと思い込んでいる印象を周囲にも創り上げるのか。少なくとも、どんな自分も、描いた絵でしかないってことで、本来の自分は白いキャンパス・・・もとい、透明な「空」なのだろうから、どっちかというと「これから先、なって行きたい方向」を描くのがいいのかもね。現在と差がありすぎると厳しいから、自然に移行できるような感じで。で、ブログ?これから、どんな自分になって行きたいんだろうか。楽天では。ちょっとまた、デザインを考えてみることにしますか・・・人は、見た目に左右されるから。
2006.05.31
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これを書いているただ今ボイド中なわけですが・・・魔の時間帯とも呼ばれるムーンボイド時間については、かれこれ15年も意識しながら暮らしてきました。もはや『共に生きてきた戦友』です。ボイドを知らない方のために、日常生活を送る上でボイドが一体どんな影響を及ぼすの?と解を簡単に説明するとすれば、一言で言って「思惑違い」が起きるってことです。良くも悪くも、その時間帯に想定したことは「想定外」に見舞われるかな。。予期していたことは、予想が外れたり。伝えたことは、勘違いされて伝わっていたり。久しぶりに行こうと盛り上がった店が移転していたり定休日だったりはもちろんのこと、約束がその後二転三転するなんていうのはザラで、しかもなぜかダラダラ長引いたりする・・・ボイドが明けて関係者の誰かが納得いかなくなってしまって、できればキャンセルしたいのにそれまたできないような状態になっていることもあるのかもしれません。一番痛かったのは、進級後のキャンパスに近い賃貸アパートを契約したときの出来事。ボイドがかかることはわかっていたけれど、その日を逃すと動けないと思って不動産屋に行ったら、とても安くて綺麗で環境の良いところがあって、「期待していなかったのに、思いがけず」で、ついつい契約。この流れ自体も充分ボイドチックだったけれど、年度末にフタをあけたら、留年してしまってそのアパートから通う意味がなくなってしまった(苦笑)物件には問題なかったけれど、引っ越す目的のほうがなくなってしまったのです!でも結局、キャンセルせずに住むことに。微妙に諦め切れなかったり、傍から見て常識的に理解できないような「なんで?」って選択をしてしまうところも、ボイドの後遺症な感じです。結局、新居から一時間半かけて通学!しっかしボイドってこれまた、始まり・きっかけがボイドだと、その後の展開やらキーとなるイベントやらがことごとくボイドにかかってきたりするんですよね。ある意味、ボイドは歴史を作ってるでしょうね・・・多分、ボイドじゃない時空と、ボイド中の時空が、こよりのように絡み合ってこの世は形成されているのかも。一年後、「見晴らし良好、日当たり秀」と書かれていたアパートは、目の前にアパートかマンションが建つことになったようで、バルコニーの目の前2、3mのところに緑のネットがゆらゆら・・・でした。ま、ボイドじゃなくてもアパートくらい建ちますので、それはボイドに関連付けては考えませんでしたけれども。売り文句がウリにならなくなってしまうってことは他のケースでも結構多くある様に思います。ところで、私が15年間のあいだにわかってきた実感のひとつとして、ムーンボイドは内観的な自己分析や、インスピレーションを得ること、また直観系の自分占いをするのには絶大な素晴らしい効果がある気がするんです。多分、ボイドタイムには合理的に考えることは前提情報が間違っていたり、情報伝達については自分が読むにしろ人とのコミュニケーションにしろ、受け取り方が間違ってみたりするのでしょう(これって水星のレトログレード(逆行)とも通じる部分がありますよね)。ということは、合理脳がイカれてしまう分、逆に、私みたいな「「浅はかなクセに考えすぎ&計算しすぎ」な性格の人間にとっては、月という感情が暴走してフラついている期間は、却って曇りの隙間を縫って真の自分とつながることができ易かったりするのかもしれません・・・一般的には、占星術の本には『ボイド中に占うことなかれ』と書いてあります。私も、計算を要するものや、分析をするようなタイプの占いについては、判断ミスをするかもしれないので当てにしないほうがいいとは思います。依頼者の意図もこちらが勘違いしてしまうかもしれないし、せっかく正しく判断し結果が読めたところで、それが相手に正しく伝わらなかったりすると意味がありませんし。他者占いはもちろん、自己占いも、計算・分析系のものはいまひとつです。でもどうしてか、ボイド中には自分の今しようとしている選択をカード占いしてみたくなったり、ワークブックタイプの手帳で自分の望みや夢を確認してみたくなったりするんですよね~ムーンボイドというからには月のボイドなわけで、影響の出方も万人共通ではなくて、生まれたときのホロスコープで自分の月がどうなっているかによって大きく変わるのかもしれません。そもそもボイドが起こるサイン(星座)によっても、影響の出やすい人出にくい人などがあると本に書かれていますし・・・ところで、このボイドタイムなんですが、何時何分から、って書かれている時刻どおりに受け取っていいのでしょうか?ちょっと考えると、お正月の初日の出のリレー中継みたいに「東から夜が明けてくる」的な時差があって、日本の標準時である明石よりも東に住んでいる私は、カレンダーや手帳に書かれているボイド入りの時間よりも早くボイドが始まっているのかなと思ったりもしたんです。ホロスコープを作るときにも出てくる地方恒星時というもので時刻の差を考えるときに出てくるものなんですが、ある期間、20分くらい早めに始まって終わるという風に修正して考えてみたことがあるんです。でも、ボイドの扱いに地方時を適用することにはちょっと疑問が残るんですよね。みんなが時計を合わせている以上は、日本のどこにいても時計が0:00を指した瞬間が明石でも0:00です。その時、たしかに「太陽は」多少西に行っちゃってるかもしれませんし、「月も」太陽以上に西に位置してしまうでしょうけれども、太陽が頭上だろうが真裏だろうが、地球がどっちを向こうが、どれだけ回転しようが、それはあくまでも自転の話です。ですが、ボイドの原因となる月と他の惑星とのアスペクト角度は地球の公転に依存しているのであって、自転とは関係がないのですよね。月がサインの何度を通っているかというのも、頭上が昼か夜かということに関係なく、地球そのもの公転軌道上の位置から計算するものだと思います。とすると、頭上で星座や星が西へ過ぎ去っていくことと、ボイド現象の進行とは、リンクしないもののはず。つまり・・・ボイドタイムは、修正せずにそのままの時刻で考えていればいいのでしょうか。でもButだがしかし・・、ボイド時間にならないうちから、ボイドチックな現象が出るんですよ~一体なんで?と思うんですが、ボイド入りしないうちからかなりボイディー(涙)になります。最後に角度を作る惑星の種類によって、オーブに差があるってことからの現象なんでしょうか?誰かご存知の方がいらしたら、是非教えて下さいませ。※ボイドチック(Voidtic)とかボイディ(Voidy)っていう言葉は私が勝手に表現しているだけの言葉です。辞書には載っていないと思いますので悪しからず(^^;)
2006.05.31
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いきなり私のページがこんな真っ黒になってしまって・・・ありえない。実はファイルの整理をしていたら、昔から雑誌や街角のコンピューター占いで出た鑑定結果を溜め込んでいたものがドサッと出てきて、その中に、なぜか高校生時代に、部活の後輩の女の子から聞かされたアヤしいオカルトチックな噂を書きとめてあった便箋がでてきたのだ。懐かしい~!っていうか、そういえば中高生の頃って、なんだか紙にこういうくだらんこと書いて休み時間とか授業中(!)とかに「いかにもすごい情報」みたいに回ってきたよな~。 口裂け女の話とか・・・中には『悪の十字架』みたいな、オチのついたのもあったけど(笑)ところで、この便箋を捨てようと思ったのだけれど、ここに書いてある内容が、ちょっと「ホントに?」と思うような内容だったので、なんかそのまま捨てるのももったいなくて、内容だけ書き留めておこうと楽天に書き込みに来ました。***中身は三つあって、一つ目は、「聖書(新約?旧約?どっちだか不明)にこういうことが書いてあるらしいんですよ~」というセリフから始まったもの。 ・世紀末に近いある年 空から星が降ってくる。 その星から流れ出る水は汚染されていて、川や海が汚染されて人類の三分の二が死滅する。 その星の名は ニガヨモギ ニガヨモギは、ロシア語でチェルノブイリ ・世紀末に近い年、ほうき星が来る。 その年の二つの超大国で 片方は戦争のため船が爆発し もう片方は炉が融ける ・ローマ法王の一代目からずっと 法王になる人の寿命や行動を書き記した予言書は 今(ヨハネ パウロ2世)まで当たっているが その書はこの2代後で終わっている嘘かまことか?都市伝説か? そのときは ひぇ~~っ と、当時は鳥肌立ったのを覚えています。でも、それで終わり。ウラを取るわけでもなし・・・実際のところ、聖書にそんな記載とか、法王のことを予言した書物とかって存在するんですかね?コンビニで 『オール図解 30分でわかるダ・ヴィンチの暗号と謎』とかいう本を買ってきたんですが(カラー印刷の口絵目当てで)、読んでるうちに昔美術室で貸し借りして読んだ(読まされた?)学研の「ムー」の特集記事を読んでるような気分になってきました(笑)偽書と呼ばれるものって、実際のところどうなんだろう?本物だったらスゴイことだ!って思っちゃいますが。いずれにしても、これで安心して便箋を捨てることができます。さて、掃除の続きをしようっと・・・ ---追加。東洋の聖書とも言える易経、そこから出た易学と、キリスト教の聖書とが関係あるとしたら・・・ダビンチコードで興味の沸いた人に、ちょっとお勧めしてみたい本、です。(2006.08.10 18:14:29)
2006.05.25
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【送料無料】母の日カーネーションを贈る手はずを整えたくて、ここ一ヶ月くらい、クレジットカードに同封されてくる冊子とか、生協の店頭の母の日パンフとか見ていたんだけれど、結局楽天が一番品揃え豊富で価格も手ごろですよね・・。私は子供の頃から何故か人にプレゼントを探すのが大好きで、誕生日、母の日父の日、バレンタインチョコ(父と弟に(^^;などなど、いつも異様に浮かれてしまいます。特にクリスマスやバレンタインなどは、誕生日や記念日のような各人ごとではなくて、全国一斉!なので、お店もディスプレイを変えたりセールの垂れ幕を下げたりして私は大興奮しまくり。たぶん闘牛が赤い布に反応するのもこういう気持ちなのでしょう。そんなわけで、母の日もお花を買うわけですが、鼻血が出そうに興奮してしまうのです。なんでしょうね~(笑)
2006.04.27
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ホメオパシージャパンの本って送料がかかるので、いつも「何と何をまとめ買いしようか」って悩んじゃうんだけど、悩んでいるうちに買うのを忘れてしまって・・・と思ったら、どうやら楽天ブックスでも買える模様。これだったら、1500円以上にすれば送料無料になるのかな?しかもポイント使えるandポイント貯まる?いつも、PMSや生理痛、それつながりの頭痛、主人のこむら返りなんかにいつもレメディで助かってるので、素早く探せる説明書があればと思っていたんで、ページを前へ後ろへ行かなくてもカードで何枚か出しておいて選べたら便利そう・・・ということで、これを購入予定。使い勝手は、またここで報告します。ホメオパシー・レメディーカードケータイの方は画像をクリックもう一つは、欲しいと思っていたもののパンフだけでは今ひとつ把握しきれないベイリーフラワーエッセンスの説明書籍。バッチフラワーのもそうなんだけど、簡潔にまとめようしてある文章って、それを良く知っている人から見ると「まさにその通り、そうとしか言えない」と思えるんだけど、それを全然知らない人から見ると、ちょっとした単語のキーワードからイメージが別なほうに行ってしまうっていうことがうあって・・・可逆反応じゃない気がするんだな。それで、買うのはいいけど安いものでもないし、買ってから違ってた効果がないってガッカリするよりはまず基本のラインだけでもお勉強しておこう・・・ということで、これも買ってみます。ホント、お買い物記録になってきてるけど(苦笑)ベイリー・フラワーエッセンスハンドブックケータイの方は画像をクリック
2006.03.01
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いつも思うことだけど、ボイド中ってそれまでの心積もりや計画を変えたりしないほうがいいっていうし、新しいことも思いついても的外れっていうし、やったことが無駄になったり、調べたり聞いたりしても意味を取り違えて理解したり、と、とにかくろくなことにならなさそうなことが言われているので、まるでおみくじの凶が出た日みたいに警戒心と虚無感でいっぱいになってしまう。ヤル気の無さが、さらに倍、みたいな。でも、だったら、普段は使ってばかりいる頭を休めて、何かいい過ごし方のアイディアがあるんじゃないかと思って、ちょっと考えてみた。こんなことを考えること自体が無駄になるのだろうけど・・・意外といいのは、こういう感じで、意味のない自己分析とかをすることだ。計画とか、夢の実現方法とかはNG。具体的なことはいまひとつで、抽象的なほうがいい。また、日記書くのは害がないからいいけど、手紙書くのは、相手がいるのでNG。それから、紅茶を飲んでリラックス~とか、お風呂に入ってのんびり体磨きとか、頭の中空っぽにして洗濯物をたたむとかはいい感じ。でも、よし今日からお風呂ダイエット開始!とか、洗濯ついでに要らない衣服を処分してゴミ袋に・・・とかは、判断や計画、目的が入るから、向いていないかも。多分普通に毎日やってるお風呂ダイエットを今日もするっていうなら、それを「やっぱ休もう」って変更することは、しないほうが吉かもしれないけれど。でもたまに思うのは、ボイドがサインの中で次のコンタクトの予定があるかないかというよりも、次のコンタクトがまだ全然遠いと、ボイドみたいなことが起きてる気がする。なんというか、月ってホント、「アナタあっての私」みたいなところがあるから、自分ひとりじゃダメなのね。(まぁ衛星だし)しかし考えてみると、月が依存しているのは我らが地球であって、よその衛星たちではないのでは?とも思ったりする。まぁ太陽だけは、依存している地球が依存している先だから、影響はいっしょに受けるとしても。そもそも月が形を変えるから心が変わりやすいとか移ろいやすい言うのも、男性的というか、陽尊陰卑って感じよね。だって、月はいつだってこっちを向いているじゃない!同じ顔で。いつもおなじ面を見せて、変わらぬ顔をしているじゃない。目もそむけずに、ずぅっとわたしたち地球を見つめているのに。それが、変化して見えるのは、月のせいではなくて太陽の光のせいで、どうして太陽の光が当たる角度が変わってしまうのかって言うと、それは何を隠そう、地球が動いていくからそれについて一生懸命に付いてきてくれているせいなのにね。地球の周りを回っても、いっつも地球から同じ顔を見せるようにしているその姿は、お化粧を絶やさない、大人の女のよう。怒りや悲しみを心に秘めて、笑顔を絶やさない、そんな女性を見るようです。そして、ダンナや子供たちや町内・グループから頼まれたり乞われたりしたスケジュールに急にぽっかり空白ができると、あれだけ欲しかった自分の時間なのに、とっさに何をしていいかわからなくて、結構無意味なこととかして終わってしまう・・・そんなかわいい時間がボイドタイムなのかと思えば、まぁ多少のトラブルがあっても許すとするか。私はもうちょっと、月と仲良くしないとなぁと思う。大人の女性になるためにも、母になるためにも。
2006.01.24
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雑巾を除湿兼ねて乾かそうと思い、ストーブの前の洗濯物ハンガーに。かけるときは無心。でも気づくと、まだシルクのタンクトップと木綿のブラウスがかかっている。乾いてる。ウゲッ、くっついたらどうしよう・・・そう思った時、はたと間違いに気づいた。汚い?汚らわしい?世の中にそんなものってあるのかしら?元はと言えば、綺麗にするために拭く布が雑巾。だから、なくちゃ困る。大切な存在。必要なもの。なのに、その言い方、その感じ方ってある?汚い、と思ったのは、くっつくことで、「それ」が、その「水」が、その「乾いていく時に出る蒸気」が、乾いて綺麗になった服に「付くのが」汚いと思ったので、本当は、雑巾でも布巾でもないのかもしれない・・・自分が、それとこれは違う、全然違う、別にしたい、触れさせたくない、というグループがあるのだ。それが相性というものなのかどうかは判らない。しかし、とにかく、そういう「グループ」が、他のものに接触されたり、混ぜこぜにされたりしないでいれば、それらの状態はそれでいい。そしてさらに、それが形整えられたり、色分け、素材わけされたり、綺麗に並べられたりして行けばもっと美しい。本当はこの世に汚いものなんてない・・・だけど、汚いと感じるのは、それが、「そこにあるべきものじゃない」からだ。「これと一緒にあるべきではない」「この場所と雰囲気にそぐわない」とき、つまり居場所・置き場所・並び順・といったもので、自分がその時により重きを置きたい方に対し、そうでないほうが「汚い」ということになる。今、かかっている雑巾は可愛い。だけれども、となりに顔を洗ったフェイスタオルがかかっているのを見ると、何かがうごめく。「うっ・・・ちょっと・な・・・」人は感性の動物だ。知らぬが仏、よその人が、その布の利用目的を知らなければ、どの布も一緒、善意でいっしょくたに取り込み畳み重ねるかもしれない。知っているのは自分だけ・・・汚いと吐き気を催すのも自分だけ・・・ならばそれらは本当に汚いのか?否。それが目で見て、触って、あるいは匂いで、汚いと感じない限りは、汚くはないのだ。雑巾が汚いのも、本来一様に白であって欲しい布地の繊維に灰茶色の何かが付いているから。それが綺麗な赤や青でも、望まぬものなら「汚れた」「汚い」。だけど、それが狙って染められたマーブルであれば、「素敵」「美しい」「お洒落」。シワでさえも今はウォッシャブル加工などと言って「いい感じ」「カワイイ」と言われている。和服の絞りみたいなものだ。結局、そうあってほしい一様さの中に、たとえ単独で貴重であったり美しいものであっても、そこにあってほしくない場所や状況に紛れ込んでしまったものは【汚い】のであり「汚らわしい」から「出て行って!」ほしいと思い、「ああ汚かった。」「清められて良かった」「浄化された」と思われる・・・ちょっと民族の特徴などを思い出す。純潔の美しさ、賭け合わせの美しさ、調和さえ取れていれば、それがいいとされるのに、狙っていないのにちょっとだけのズレがあることは不調和とされて忌み嫌われる。出るくいは打たれ、出すぎた杭は打たれない。
2006.01.24
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年末からお正月にかけて留守にしていたら、シクラメンがすっかりダレてしまった・・・ 水不足?
2006.01.10
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さて、そろそろ新年が近づいてきたので、また年末恒例の、あちこちに散らばっているページをまとめたり解約したりリニューアルしたりという見直し作業をしようかな。っと思って楽天広場どうしよう・・・と考えたところ、いつもザックリ消そうかとも思ってみるものの削除まではできなくて、今年もリニューアルで気分一新を図って継続しようということで、デザインや、サイトテーマなどを変えようとしたら、自分のプロフィールに書いてあったこんな一文に気づきました。「新し物好きです。TV付き音楽再生携帯電話、空気清浄機、紬の普段着物、ホメオパシーのレメディキット。オーブンレンジも欲しいな。」今年の春から夏にかけての前半に願ったことや望んだことが、後半にどれくらい叶っているかというと、TV付き携帯は持っていますが音楽祭性機能がなし。空気清浄機は見には行ったけれど買っていない。紬の着物も一度は申し込んだけれど即日訪問着に変更。レメディキットは入手!オーブンレンジは諦めて今のトースターレンジでしばらくいくことに。というわけで、妥協、保留、放棄、実現、納得の上諦めて延期・・・という見事なほどバラバラの結果になりました。しかし一個は実現してるし、いいかなと。でも60点は目指したいですね。できれば80点取れたら最高!だけど、一番不満なのって、実現しないと決まった(決めた)「諦め」よりも、「保留」しているものなんですよね。次が「妥協」、次が「放棄」。結局、手に入るかどうかという結果よりも、自分が安定することができたかどうかという心理状態の方が、不満でないのだなーと思いました。多分、「欲しいものがある」というのは、「今それが手に入れたいのに手に入っていない」というストレスなのだと思います。(ストレスには良いも悪いもなく、それが良く働くか悪く働くか、あるいは、生かすか振り回されるか、という問題は別なのだと言うことらしいです。ストレスが皆無だと脳は溶けて無くなるかもしれないとも!)諦めるという積極的な決定も、意外とスッキリするもので、諦めきれないものが一番ストレス残しますね。もちろん、諦めないぞ!という決意だったら、それはそれでいいのですが。
2005.12.06
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なんだか九月という月は本当にあっという間に過ぎ去ってしまって、一体一ヶ月間本当にあったのかと言いたくなる位ですが、考えてみると去年も九月は異様に早かったのであります。考えるに、秋分を境にして、それまで一日の半分よりも長かった九月一日から、一気に一日の半分よりも短い九月三十日へと、日中の明るい時間が減っていく時だからではないかと思うのです。そう思って三月を振り返ってみると、「まだ明るくならないのかなぁ・・」とイライラしていた三月前半と、「これでも半日より昼が長くなったの?こんなもんなの?待ち望んでいた季節は」と不服に思うくらいの三月後半で、それらの日々はまだまだ雪に埋もれ昼だろうと分厚い雲で薄暗く、ちっとも太陽の恩恵に預かれない春でしたから辛く長い冬の、待ちきれない限界まで長い長い日々でした。そういうわけで、一年の半分が冬で、冬が終わると夏の陽気がやってきて、九月に一気に秋を越えて冬になってしまうのですねここは。春は二週間くらいしかなく、秋も三週間か四週間で、多めに見ても五週間に過ぎません。今の土地に来るまで、春夏秋冬という言葉までもが相対的なものでしかないとは思っても見ませんでした。私にとっての冬が、秋や春に思える人たちもいるんですね。夏なのに冬風が吹いて一年中冬みたい・・本当の夏は数日で、あとは台風が来るとちょっと湿った空気を運んで来てくれますが、あとはシベリアの風かい!って感じです。冷帯なのですここは。いっそ外国なら精神的に楽だろうに・・・とすら思う毎日です。
2005.10.03
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掃除していたら茨城県フラワーパークによる花言葉の一覧をの新聞切抜きが出てきました。紙は捨てたいんですが中身はいつかまた見ることがあるかも・・という毎度の「情報捨てられない病」に対抗するために、ここへ載せることにします。花の名前花言葉チャ 追憶アケビ 不能 マツムシソウ 恵まれぬ恋キンモクセイ 謙遜タツナミソウ 義侠の行為 フジバカマ 躊躇、遅延メギ 激しい気性アスクレピアス 行かせてください ホオズキ 自然美 キヅタ 友情、死んでも離れぬクジャクソウ 予言 リンゴの果実 誘惑紫のラークスパー 傲慢、おごりリコリス 悲しき思い出ノギク 清爽ルピナス 空想、貪欲コショウボク 熱中、熱狂アンセミス 苦境の中の努力ハシバミ 仲直りウメモドキ 明朗赤いバラ 愛、恋愛 ピンクのラークスパー 変わりやすいイヌサフラン 私の最良の日は過ぎたエリスロニウム 嫉妬サクララン 満足 アンスリウム 煩悩アナナス 貴方は完全ですアスパラガス 変化がないバーベナ・テネラの紅色 家族の和合キクの黄色 わずかな愛 ハギ 想いテランセラ 熱すると冷める愛ゼフィランサス 期待、潔白な愛ヒャクニチソウ 別離した友への想いツリフネソウ 安楽キクの赤 私は愛するジュズダマ 恩恵 コスモス 調和、美麗、少女の純潔モミジアオイ 温和ムラサキシキブ 聡明 コウリス 絶望の恋、善良な家風アキノキリンソウ 警戒、用心ホトトギス 永遠にあなたのものオナモミ 怠け、頑固バラの白 純潔ベンケイソウ 静穏キツネノマゴ 女性の美しさの極致アゲラタム 信頼キンモクセイ 初恋キクの白 真実ワレコモウ 変化、愛慕オミナエシ 美人ヒガンバナ 悲しき思い出アザミ 触れないで、反抗と無愛想サネカズラ 再会ハゲイトウ 不老不死、見栄坊、気取り屋リンドウ 正義、的確ソケイ 愛らしさ、可憐シュウメイギク うすれゆく愛以上59点、ああこれでやっと古い新聞紙が捨てられる・・(笑)ファイリングベタなので、バーチャルな世界に収納するっていうアイディアは場所をとらなくていいですね(^^)
2005.06.26
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・・・というほどの重症でもないのだけれど高校生の時に自分の中に七人自分がいるなと勝手に決め付けていた時期があり、その後二十代では12人、三十代で20人と細分化されていった感じがあって、しまいには自分でそういう自分が手に終えない感じがしてイヤになってしまっていた時期があったのです。今の主人と会ってそういう悩みも正直に話して少しずつ、水面の油の円がくっつくように統合されていって、「ああ、私本当に統合された!」と思えた日があったのですが、それって周囲のことは驚かせたり戸惑わせたりすることが多いんだよなと今さらながらに思います。そのせいかどうか、過去の友達とか親戚とすらも継続的に連絡を取り合うと言う事がなかなかできませんし、ホームページもブログも増殖させては消すか放置・・・この楽天も、実は楽天が出来たすぐの頃に登録して、その後ニックネームもIDもそれぞれ三回は変えています。プチ生まれ変わりが好きでやたらにリセットかけてしまうんですよね。でも、自分がいくつにも増えていった原因は、周囲の人を驚かせたりと惑わせたりしないようにという思いやりのつもりから。色んな面を持つ自分を、矛盾や意外性のない「いかにも典型的なこういうタイプ」として見せ続けようとがんばるがゆえに、自分の中に決定的矛盾を抱えることになってそこが妥協しきれない界面となって千切れ、「別人」ってことにしてしまったんだと思うんです。もちろん病的な多重人格の方とはまた違うでしょうが、でもキャラ決めてロールプレイする自分は自分的には異状でした。だって自分の本当の価値観とか意見とか欲求とかがわからないんですもん。久しぶりに、楽天に最初の頃に綴っていた本心日記っぽくなって、こちらも統合の予感・・・て感じでしょうか。ハハ。
2005.06.24
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