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6月2日に来たる12日には楽しい三鷹の市民コンサートに
呆け頭が行ってくることをブログで表明した。
宇治見氏のお誘いであったからである。
しかも無料で教養が高まるから有り難い。
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プログラムにいつもの定期的な専属の指揮者が
載って居らず、また、ホルンの独奏者を迎えると言うことを
小生は理解していなかった。
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今日は、ホールに行く前に早朝テニスがあり、
会長は大学時代のテニス部関係の葬儀に出かけたから、
コートなどの7カ所の鍵を預かりいつもより早く準備をしたので
コンサートに行く前から眠かった。
また、ボサボサの髪も伸びたので途中の駅前で
1,600円の散髪屋に寄ってサッパリして出かけた。
1時間前に風のホールに着いたが、待つ間は夏のように
蒸し暑かった。
★
今日の演奏はいつもと違った。
今日招いた指揮者は小生のように小柄である。
しかし、指揮台に登ると小柄な様は消えて大きく映る。
彼のタクトは空を切っていない。
演奏者達が、作曲者の意図を充分に酌んで、
オーケストラの構成員の自分に正統なる音質を
奏でることが出来ているのかをタクトで掴み取ろうとしているようである。
タクトが空を切れば其れが伝わらないことを証明することになるが、
素人の小生が見ていても決して空を切っていなかった。
指揮者と演奏者は互いに必死の遣り取りをしながら、
曲を作り上げている。
繭から絹が、絹から十二単が出来る様に似ている。
指揮者自身は、完全に素晴らしい十二単が出来上がったとは言えないが、
少しの綻びで済むような出来映えであったと表現していた。
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小生には綻びも見えないくらいに立派な十二単であった。
ただ、演奏が各パートに分かれて合成されるのだが、
若々しく、ロマンティシズムを感じさせるような気分を
多く感じたモノである。
「若い&ロマン」という感じは今日の演目の趣旨とも一致している。
1.古典的なイタリア・ローマのオペラ曲ではなく、
辺境の ドイツの森をテーマにした「魔弾の射手」 、
2.古代ローマの戦場を思い出すトランペットの響きや、
教会の荘厳さを引き立たせるトロンボーンでもなく、
ドイツの森の狩人の勇壮ぶりを思わせる角笛=ホルン の響き、
3.イタリアやドイツ南部の馬鹿陽気な春ではないが、
雪解けの中から浅暗い春が芽生えてくるような 北ドイツの春 、
・・・これらは、楽団の従来にない 青春を思わせるようなロマンであり 、
重厚な完成された音楽では見られない、若々しさ、荒々しさ、
ほのかな未来が輝く期待感などを醸し出している。
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以前に聞いた三鷹市市民オーケストラでは
重厚さを重視した演奏に思えた(小生には)。
今回は
1.新しい指揮者を招き、
2.新しいホルン演奏者を招いての
パートが多くに別れて大変難しい曲を選曲しているように感じた。
このような難曲を取り組むことで演奏者の質はもの凄く向上したことと思う。
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呆け頭の小生は、昔、ギターを弾いたことがあるが、
演奏者の技術にあわせていくらでも編曲してくれる。
交響曲は編曲はしないと思うが、
同じ楽団でも指揮者によって受ける感じは全く異なる。
小生には指揮者の妥協が多少はありそうに思う。
今日は指揮者が変わると楽団がまるで変わるような錯覚を覚えた。
時々、指揮者を代えることも、市民楽団には良いシゲキになったことと思う。
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臆面もなく、鑑賞しているが、これは、宇治見氏が感想文を書いてみろ!
というから、無理して書いている。
それにしても、迎えたホルン奏者はロマンチックな雰囲気を醸し出していた。
ホルンのラッパの部分に片方の手を当てて、
トランペットのサイレンサーのような仕草をしていたが
彼の声量はもの凄いことを窺わせる。
自分の演奏が終わりアンコールが凄く、それに応えて
嘶くように、また、朗々として、また、和楽器のように、また、砂漠の楽器のように、
様々にホルンを吹き分ける演奏術の凄さを見聞きさせてくれた。
ロマンチック街道をホルンを聴きながらバス旅行したいモノである。
しかし酔っぱらうと、笛に惹かれて彷徨うネズミ(ハーメルン)にならないとも
限らない・・・
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あまりに感動して、三鷹駅ビルで美味しいビールのツマミを
買って帰った次第である。
宇治見氏、および三鷹市管弦楽団の皆様に感謝を申し上げたい。
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呆け頭の感想だから的外れはご勘弁願いたい。
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無関係だが・・・

< ハーメルンの笛吹男 WIKIPEDIA >