昭和53年4月 東海大学 に入学すると同時に新聞配達の勤労学生として働き始めました。
住居: 新聞店が契約したアパートの二階にある六畳一間の小さな部屋。トイレは共同で、風呂はなく、夜は銭湯に通う生活。
勤務時間: 朝は 3時半 に起き、多摩川沿いの坂道を新聞満載の自転車で漕ぎ出す。大学の授業後には夕刊の配達もあった。
苦労: 手がかじかむ、風で新聞が飛ばされる、夕刊の配達が19時を過ぎることもあった。
配達が遅れた際は、一軒一軒「遅くなりまして申し訳ございません」と お詫びの言葉を添えて 回った。
この経験から学んだのは、「 働くとは、人の一日を整えること 」という理念。
「この新聞を待っている人がいる」という思いが、ペダルを回す唯一の力となり、 効率よりも心 、 スピードよりも信頼 を重視する姿勢を学びました。
夏の配達後の唯一の楽しみは、喫茶店で食べる かき氷 。いつもは イチゴ 、月に一度の 小豆ミルク だった(当時約350円と記憶)。
新聞店の所長や読者の支えもあり無事に契約満了。翌年 昭和54年4月 からは、 東海大学の無返済勤労学生奨学金 を3年間支給されることになった。
この新聞配達の一年は、単なるアルバイトではなく、「 人のために働く喜びを知った、人生最初の“ステージ”だった 」と振り返っています。
大学2年生(昭和54年4月以降)からは、デパートの清掃係や都議会議員事務所でのアルバイトを3年間経験しました。
使命感
と 誠実さ
を持って働くことの尊さを学んだ、青春の一ページです。きつかったですが、愉しい毎日でした。
父親を大学3年の10月にガンで亡くしました。
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