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フランスで、トイレに家族写真や小さなな絵や友人の写真を飾っていた人たちがいて、二世帯だけの例なんですが。その内の一人は、経済的にはそんなにお困りのようではなかったのですが、その方の性格もあるかとは思いますが、周囲の人と喧嘩が絶えず、もう一世帯はおコロの時代の都市封鎖という不幸とも関係はあるようですが、夫は病タヒ、妻は後追いじタヒでした。何故に便器のある空間にそういうものを飾るのか理解できない。パリ市内の賃貸者のトイレも雑誌や本がつまれているケースも結構みかけましたが、ショックでした。私は絵画鑑賞が好きなので、画家が時間をかけて描いた作品をどんなに小さな作品でもトイレに置く気はしません。画家への冒涜としか思えない。ダイヤの宝石は小さな物体ですが、それより若干大きな小さい寸法の絵画も宝石みたいなものです。トイレに真珠のネックレスを置くようなものです。陶器の置物でもそうですが、作家の心が込められたものをトイレに置けません。じゃあ、置くなよ、でまあ、終わる話しですが。これが日本の衰退にも一つかってるんじゃないか、とまで思ったり。昔は洗面所に花を一輪かざるみたいなくらいに抑えていたんですね。パリ市内で、購入したアパートをリノベした家族は、仕事面でも夫婦ともに恵まれ、子供にも恵まれていますが、彼らのトイレは以前のアパートも、トイレは壁一面きれいな塗装がされ、すっきりしたものでした。フランスでたまに遠出してホテルに宿泊することがありますが、地元の画家が頑張って描いたような抽象作品が便器の上に飾られていた時は、がっかりしました。真っ白な清潔なトイレでしたが。そもそも、そのトイレに飾った絵を立派な床の間や応接室にもってきて飾ろうという気になれるか、というと、なれません。あと、バブル時代に建築された、とある日本の地方のパチンコ店のトイレが非常に立派でしたが、高級そうな人形とか飾ってあって、いやあ、やり過ぎと思い、その内、バブルははじけ、その店は倒産し、建物は買い手がみつからなかった、と聞いています。たとえば、額縁に入れた水彩画ですが、画用紙は湿気に弱く、下手すれば、カビが生えます。油絵も布に描かれているので、カビが生えたり、裏に虫がわくことも皆無とは言えません。アクリル画は湿気で、画面が布から全部はがれてしまうこともあります。年月とともにそうなる可能性があります。絵画は水場は避けたほうがいいのです。美しい風景画や花、果物の絵は、居間や寝室に置く方が良いのです。と、いう呟きでした。
September 28, 2025
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今日の低地ノルマンディは久しぶりの小雨。先週はいいお天気が続き、森の中は野生の水仙が咲き始めました。野生のプリムベラも咲いています。昨年の晩秋まで割に元気に咲いていた鉢植えのベゴニア。気づくのが遅すぎて花も葉っぱも枯れてしまいましたが、もしかしたら、根っこは生きていてくれているんじゃないか、と。鉢を家の中に戻し、ずっと少しづつ水やりをしていました。心の中で話しかけながら、ごめんね、気づくのが遅すぎて。ありがとう、あんなに美しく咲いてくれて。無理しなくていいから、また咲いてくれたら嬉しいかな。ありがたいことに、小さな葉っぱがでてきました。嬉しいものですね。
March 10, 2025
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馬淵氏のお話を動画で聴きました。穏やかな笑顔で、第三次世界大戦は起こりませんよ、というお言葉に、安堵感を覚えます。フランスにいます。おとといあたりから、欧州連合加盟国のリーダーや現仏政権の大統領が脅迫に満ちた世界観を発信しているではないですか。おコロ騒動の次は、これですか、みたいな。幸い、フランスにも哲学家、政治家、ご意見番の人たちが、反論する人たちの発言を聞いて、どうにか落ち着きを取り戻しつつあったのですが。その馬淵氏が、2025年の6月頃にプーチントランプと話し合える日本の政治家が彗星の如く現れる、ということで、でも、誰かは、ひ み つ、と。気になります。しかし、今、話すと潰されるので、と誰かは話しておられなかった。余計、気になります。政治家は世界の歴史にも詳しくない、といけない、と思う。誰なんだろう。ロバート・ケネディ・ジュニアと共著したという内海氏?50歳らしい。50代に見えない。画面を通して見る限り、仮に30代と言われても、ああ。そうなんだ、と納得してしまうと思う。激しくおコロわくに反論されたお医者さん。敵は多かっただろうなあ、と。頼もしい先生だと思います。嘘偽りがない感じ。それとも、れいわの山本太郎氏?50代突入。あの方の動画はいくつか見て、さまざまな意見をよくわかりやすく説明され、能登半島の時も現地に出向いていらした。東北大地震をきっかけに政治活動に入られた。反原発ということでこの方も敵は多かっただろうなあ。よしりん?吉野敏明氏?え?この人、ほんとうに2025年58歳?!この方は牛乳はダメとかおっしゃっていて、酪農家からは嫌われている可能性はあるような気がします。でも、リスクをわかりやすく説明されているので、そうなんだああ、と。朝はほぼカフェオレで、近くの酪農家の方々から搾りたての牛乳を購入して沸騰させてアツアツの香り豊かな牛乳を喜んでいる私などは複雑な気持ちになりますが、吉野先生の動画の中で、犬猫がベッドの上に転がり、その中で睡眠をとっている凄まじい写真が紹介されていたけれど、羨ましい。すごい。一種の動物園に住んでいる人みたいな。それにしても牛乳は依存症かあ。それは一理あるかも知れない。小学生の時、温かい牛乳が配られ、それがとてもおいしかった記憶が蘇ります。冷たい牛乳を飲むと、お腹がちょっとおかしくなる感じはあるので、とにかく温めています。そうなんだ。うちにいた猫の中にミルクをくれ、とせがむ猫もいました。吉野先生の猫のお話しでペットロスのお話しもされていました。さて、それとも神谷さん?日本で、一番最初におコロわくのおかしさを政治家として発言した勇気のある人が神谷宗平さんで、ああ、やっと日本にこういう人が現れた、良かった、と思っていたし。原口一博議員?政治家同士で、いやあ、あの人は実はこうですよ、という話しがでるのは、フランスも同じ。
March 8, 2025
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ウクライナのゼレンスキー大統領がトランプ大統領に向けて戦争を終わらせたいので契約書にサインしたいという意思表明がされた後で、ああよかった、と思っていたら、欧州連合加盟国27ヵ国の議長を務めるウルスラさんがヨーロッパの防衛軍事拡大計画を話したらしく、フランスでもマクロン大統領が「ロシアの脅威はすでにそこにある」という見出しで何かお話しされたらしく、え?ロシアが?と思いました。ロシアは、ロシア国境沿いのウクライナ市民たちがウクライナから2014年から爆撃を受けていたことに対して助けようとしたが、(いわゆる市民戦争だった、という)ウクライナ側が攻撃をやめないので、ロシアはついに2022年に戦車を送り、そのことによって世界の悪者になった、という解釈のほうが正しいのではないか、と思うようになったので、ここにきて、ロシアがさらにドイツやフランスを攻めてくるとは思えず。しかも、ロシア国境沿いでロシア語も話し、文化も宗教もロシアというウクライナの地域は、ロシアに渡され、ようやくこの地域の住民たちが普通の生活に戻ることができるのではないか、と。最近、マクロン大統領の顔を見ると不安に陥る自分がいて、あんなにハンサムなのにねえ、その動画は聞いていません。見出しが見出しだけに。「ロシアに対抗して、国民の皆さん、ご理解ください、税金あげます」、とかいう話しかも知れず。そこで政治家の二コラ・デュポン・エニオン氏 Nicolas DUPONT-AIGNAN がこの話を取り上げていたので、この方の動画を聴きました「いやあ、あの人はフランスの核兵器を欧州連合加盟国に渡しかねないことをしている、第三次世界大戦に向かいかねない、とんでもない話しですよ」を聞いて、それは怖いと思いつつも、こういう意見をすっと言っている政治家の存在に安堵。そして、政治家フランソワ・アスリノ氏 François ASSELINEAU の動画も開けて聞いてみました。この人は歴史百科事典みたいな人なので、勉強にもなります。アスリノ氏も「危ない発言を大統領がしている、第三次世界大戦になりかねない発言」と警告をしていました。アスリノ氏は、トランプ氏の方針については、すべてにおいて賛成しているわけではないようですが、トランプ氏が戦争を起こさないように動く姿勢には賛成している、と。アスリノ氏は、2018年10月14日の自身の政党の記事に、日本で対談したという山本太郎議員を紹介していました。山本太郎氏は反グローバリスムの立場に立つ政治家である、と。結局、グローバリストというか、ディープステイツは雨降らせたいんですかねえ、傘屋が儲かるように。トランプ氏が世界保健機構から脱退する目標を掲げています。フランスの微生物学者ラウルト博士やライム病発見者のペロンヌ医学博士、スイスの学者で、薬害事件などの研究をしてこられたジャンミシェル・ドミニックさんという名前の人などが話していたことですが、世界保健機構はあの建物芸津氏が相当額の寄付をして、ほぼ彼のものみたいなものになっているそうです。で、アスリノ氏の話を聞くと、芸津氏はディープス何とか側の人だそうです。トランプ氏は、その世界保健機構は腐敗している、と話し、世界保健機構から脱退し、もう寄付金は与えない、と。あ、警察官ユリさんの動画で、トランプ氏の「男性が女性の競技への出場は禁止する」と話していたことが国民議会?でしたか、で結局反対されたそうです。ある意味、こういう話はケースバイケースだからでしょうか。トランプ氏がこれはする、これは禁止、といった事柄も議会で反対されてしまえば、世界保健機構からの脱退もひょっとすると反対されて実現不可能になるかも知れません。仏独テレビ「アルテ」で昔、ヒラリー・クリントンさんやオバマ元大統領が、社会保険制度をアメリカに取り入れたいとして、議会かなんかで反対されて実現しなかった話がありました。「アルテ」は何年か前にトランプ氏を紹介する動画は割とネガティヴでした。その動画はアメリカで制作されたものにフランス語字幕をつけていただけなんですが。おコロ以来、政治関連の動画を観るようになりました。
March 6, 2025
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ゼレンスキー大統領は、2025年2月28日金曜日での米国大統領トランプ氏との戦争終結に向けた対談が座礁した形でそのまま英国に向かいました。そこでゼレンスキー氏は、イギリスの首相に暖かく迎えられ、フランスのマクロン大統領やカナダの大統領、欧州連合国代表のウルスラ氏、デンマーク、イタリア、フィンランド、スエ―デンなどの各首脳陣と一緒に記念写真。イギリスの首相は、米国の支援がなければ欧州だけでは戦争維持はまかなえない、と言う話で、再度、米国との話し合いを勧め、停戦を求める方向にもっていきたいと話します。その後、欧州連合国代表ウルスラさんが欧州連合国はウクライナの防衛のために軍備拡大計画を上げ、その発表を取り上げたフランスのご意見番プーラン氏の話を聞く限り、ウルスラさんは軍事費用と軍隊が必要だと話していたらしく、プーラン氏は、フランスの軍隊を送るつもりなのかい、と、誰も行きたくないでしょ?え?軍事費用、どこから出すの、国民の貯金を凍結するつもり?デンマークは70歳まで老齢年金がもらえないような政策案をだしているとか、これらの国々の国民はどうなるんだい、といろいろコメントしていました。さて、3月4日夜、イタリアのメロニー首相は、イタリアの軍隊はウクライナに向かわせません、と宣言。誰も自分の国の兵隊をよその国のために前線に送りたくはないでしょう。ウクライナは国民の多くが他国に逃れたので、兵士不足で、半分、拉致に近い状態で映画館やディスコから出てきた若者たちを捕獲し、前線に向かわせている、という話があり、そういう画像も流れていました。ロシアはロシアで北朝鮮兵を送り込んでいました。しかも、北朝鮮兵は、戦争が終わるまで生きて帰ってくるな、と言われていた、とウクライナで負傷し、捕虜になった北朝鮮兵は話し、このままウクライナに残してほしい、と言っていたそうです。そういうインタビュー動画も目にしました。ハンガリーのオーバン首相はトランプ大統領の意見に賛成で、ウクライナの戦争をすぐに終わらせるべきだ、と言う姿勢を表明してきました。なので、キエフへの軍事支援はしません、と。スロバキアも同じ姿勢でいます。ハンガリーもスロバキアも欧州連合国27ヵ国に加盟しています。そして、ゼレンスキー大統領が米国には戦争終結の契約に至らなかったことを後悔しており、再度、契約にサインしたい、というコメントをだしていました。ウクライナの若者たちが戦争で亡くなったニュースを紹介する日本の番組で、女性の司会者が思わず涙ぐんでいたのも見ました。やっぱり、これが普通の人間の思いですよね。誰も戦争は望んでいない、こういうニュースのコメント欄には英語でもフランス語でも日本語でもたくさん残されていました。2月末のトランプ氏とゼレンスキー氏の対談で、ゼレンスキー氏は、ロシアが2014年からウクライナを攻撃していた、と話していたと思ったのですが、え?それは勘違いでは、と思いました。ロシア国境沿いの地帯ドンバスの住民たちを攻撃していたのは、ウクライナだった話は、フランスの記者アン・ロー・ボネルさんが2015年にこの地帯にある町を訪れ、まさに爆撃を受けている最中の住民たちを撮影しています。自宅を離れ、地下に逃げて暮らしていた子供たちを含めた人たち。「もう、こういう生活が8か月も続いているのよ」ボネルさんに関しては、フランスの大手メディアはほぼ完璧に無視しました。当然の流れ。フランスの大統領は、「2022年ロシアがウクライナを攻撃し、我々はウクライナを守らなければならない」と大手メディアで大々的に継続的に発言され続けています。彼の意見に反する事実を突きつける記者や政治家の意見は、あのコロッケ騒動の時と同じように避けられてしまうんでしょう。また、別の男性の記者も何度かこの地域で取材を行っていて、2014年からウクライナがウクライナの住民を攻撃していたと話しています。で、ロシア国境沿いの地域のウクライナ人たちの境遇を見かねてロシアが助けていた、と。が、いつまでも攻撃が続くので2022年にロシアがとうとう戦車を送ることになってしまった、と。このウクライナの歴史においては、馬淵さんはもう前からお話しされていて、最近では伊藤貫さんもものすごくわかりやすくお話しされています。あと、フランスでは、歴史百科事典みたいな政治家のフランソワ・アスリノ氏もお話しされていたと思います。ウルスラさんかあ。この人は、あのコロコロワクワク騒動の時もあのウルトラ短時間製造の怪しい予防さえしなかったちくわを欧州連合国27ヵ国分、議員たちには何の相談もなく、ファイなんとか会社にSNSで注文した、という疑惑で、ずっと議員の数人から問われている人です。もう一つは、ゼレンスキー大統領の任期はすでに切れているので、本来なら、ウクライナでは大統領選挙が行われなくてはいけないのでは、とする意見も目にしました。それが、選挙どころではない、戦争中なので特別、大統領のままでいる、ということです。何というか、おコロ以来、ウルスラさんとマクロン氏、カナダのトルドー氏を見ると不安になります。いろいろ書いてしまったけれど、ウクライナに普通の生活が早く戻りますように。
March 5, 2025
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フランスでお餅を通販で買ってみようかな、と探していたら、袋は日本語で書かれていますが、タイ産のお餅でした。日本でも、そのお餅が売られています。みんな、日本米のお餅だと思って食べているんだろうなあ、と。フランスで購入しようとするとちゃんとどこのお米と書いてあるのに、同じ商品のお餅が日本ではそのような情報提供がされていません。タイのお米の価格は日本のお米より、ぐんと安いのだろうし、フランスの中華料理のお総菜屋さんにも、タイのもち米なんかも売られていました。企業としては同じ品質のものができるのなら、日本よりタイを選ぶんだろうなあ、と思います。また消費者にとっても、家計が苦しい時は、なんだかんだ言って、少しでも安い方がありがたい時期もあるものですし。フランスでは、スーパーにもインドやパキスタン産のとても香りのいいお米も売られていています。バスマティと呼ばれるお米です。たまあに買います。細くて長いお米です。自分は、日本のお米はなかなか手に入らないので、スーパーで南仏カマルグの丸いお米を時々買います。イタリア産の細い麺もなかなかおいしいので、どうしてもコシヒカリがないと生きていけない、というわけでもなく。日本では、コシヒカリを毎日のように食べて育ち、ほんとうに恵まれていたと思います。今思えば。南仏カマルグの丸いお米ですが、長いお米よりパサパサしておらず、日本のお米に近い感じでおいしいのです。とはいえ、うちには炊飯器なるものがないので、なかなか日本にいた時のようにはたけませんが。と、いうわけで、お米は毎日のように食さず、やはり、パン食です。パンは、できる時はマルシェで有機小麦を焼いたパンとか、地元のパン屋のパンを買ったりします。日本の農家潰し的な見出しの情報がたまにユーチューブに載っています。それはフランスも同じです。フランスの酪農家潰しを政府がやっている、という見出し。昔、一度、姉が日本からシイタケを送ってくれまして、姉は日本産のしいたけを送ったつもりでしたが、興味半分で袋を見たら、袋の下の方に小さな字で、中国産と書かれていました。その話をしたら、姉はものすごく驚いていました。もう細かい文字なんか読めませんから、知らなかったんですね。思うにその国その国で、食産物を作っていけるようにと願うばかり。日本から、こしひかりやササニシキのお米が消えませんように、と。
January 5, 2025
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新年あけましておめでとうございます。Bonne Année! 2025!日本はすでに2025年に突入してはや5時間後ですが、フランスはまだ年末夜の9時くらいです。28日は日仏カップル家族と楽しい夕べを過ごし、29日は高地ノルマンディのヴェルノンの町にいました。28日の夜に一泊した高地ノルマンディのホテルは素敵でした。もともと水車小屋だったようです。ヴェルノンでは、夫の家族に久しぶりに会えて楽しい時を過ごすことができました。もう90歳を超えられた義理の父上に、アルジェリア戦争のお話しを少しお伺いしました。兵士として招集され、21歳か22歳から約二年半の戦争体験をされたそうです。彼の仲間の兵士には銃弾が腕を突き抜けた跡があったそうです。そういえば、日本海軍の兵士だった私の父にも右腕に銃弾が突き抜けた後がありました。怖いですね。低地ノルマンディの酪農家の方は義理の父より少し若い方でしたが、この方もアルジェリア戦争に行かれた話をされました。外国というか生まれた低地ノルマンディを離れたのはその時だけだったそうです。フランスの農業従事者の方たちは旅行に出かける時間がないようです。彼の息子さんも酪農家を引き継いでいますが、僕らにはバカンスはない、と話していました。お二人とも、アルジェリアの気候は暑かったけれども過ごしやすかったと離されました。湿気がないそうです。さて、ヴェルノンの町で、月曜日の朝、車の駐車料金を払おうとしたその直前、偶然通りがかった一人のご老人が、「奥さん、月曜日の駐車は無料なんですよ」と教えてくださいました。親切ですよね。別の町で、といいますか、もう数か月前ですが、車で夫を駅に迎えに行く途中で、森の中の道路脇にちょっと車を止めまして、ちょっと背伸びしておいしい空気を吸ってみたかっただけなんですが。ところが車を止めたその場所がなんとぬかるみ状態でした。タイヤをゆっくりと回して何度もバックしようとしましたが、できず。どうにかして出ようともがいておりましたら、車に乗った30代の若者が立ち止まり、ちょっぴりお相撲さんのようながっしりした体格の方で、なんと車を押してくださったんです。顔を真っ赤にして押してくださり、私も同時にアクセルを踏むんですが、ダメでした。その人は作業服の人で、農業従事者だったかも知れません。それでどうにもならないので、その人は、たまたま通りがかったバイクの高校生くらいの少年とやはり作業で移動中ではないかと思われる格好の中年の男性を飛び留めて、3人で車を押してくださり、それでやっと車がアスファルトの道路に戻ることができました。感謝でいっぱいになりました。3人とも急いでいらしたみたいで、感謝の言葉だけを口早に告げると皆さんそれぞれ立ち去っていかれました。最初に立ち止まってくれた青年の名前だけ聞けましたが、いそいでらしたので、かろうじてファーストネームだけで、ウィルフリッドさんという方でした。ウィルフリッドさん、ありがとうございました。ヴェルノンでは、カトリック教徒ではないけれど、聖堂に一人ふらりと入り、聖堂内でろうそくを買い、家族や知り合いたち、お世話になった方々を思い浮かべてお祈りをしました。偶然、町中で、長年音信不通だった人にも出会えてほんとうに嬉しかった。2024年12月末のノルマンディ雪はなく。ヴェルノンの図書館の前には、木々が立ち並び、小さな淡い桜色の花が満開でした。何という名前なのかは知りません。真冬に花を咲かせる木です。この間はスーパーマーケットで買い物をしましたが、私はたまにしか来ないのでたくさん買います。この日もたくさん、で、後ろに4個くらいの品物をもって並んでいる青年がいまして、私は急いでいないので良かったら、お先にどうぞ、と譲ったら、嬉しそうにありがとう、Merci, Madam! と言って、会計を済ませた後で、満面の笑顔でまた礼を言って去っていきました。若いのに、礼儀正しい人でした。私も実はフランスのスーパーマーケットで、同じような親切を受けて、心あったまりますよね、嬉しいものですね。2025年、皆様もたくさんの心温まる親切に出会い、また与える機会にも恵まれ、心穏やかな一年となりますように。
January 1, 2025
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低地ノルマンディの農村地帯を走行していると、時々、廃墟を見かけます。木の柱に土壁の廃墟だったり、石を積み上げた廃墟だったり。そういう廃墟のリノベ中の家も見かけます。お城の廃墟は観光地になっていたり、老人ホームとしてリノベされていたり。お城は広大な敷地もあるので、木々や芝生に囲まれているので、高齢者の方たちも付き添われながら散歩できたり、優雅にテラスでお茶を飲んだりもできるんですよね。犬と散歩するとか。ただ、お城の改装には高額な費用もかかるということで、新築したほうがまし、ということもあるようです。日本は空き家が増加していると聞きます。ホームレスの問題も抱えています。特に高齢者のホームレスは見ていて辛いです。政府のお金に頼りたくない、いつまでも現役で自分で稼いで生計をどうにか立てて、まだホームレスでいる方がいいという高齢者の方たちもいるんだ、ということを若いユーチューバーの方の報道で知りました。「一日見ていいですか」という番組だったかな。いや、もう若い時に充分働いて税金も払ったんじゃないですか、そんなプライドは捨てて、政府からお金をもらって安全な場所に移り住んで、冬場は清潔な温かいお布団で寝てほしい、と思ったりするのですが。政府のお金をほんとうに必要としている人はほかにもたくさんいると、心のどこかで思ってらっしゃるんでしょうね。空き家が増加しても、ホームレスを助ける術がない。空き家をいかに活用するか。せめて、庭面積を広げる。日本の家屋は住宅街だと割に庭面積が小さいので、一軒潰して、そこを畑にするとか庭にするとか、そんな活用方法を町が率先しているところもあるとユーチューブで知りました。田辺市という町とか。いいアイデアです。ホームレス救助策とは関係なくなりますが。日本に滞在していた英国人の友人は昔、と、ある地方の立派な西欧家族風の家を見て、なんか変だ、と呟いていました。それが、家がこんなに立派なのに大きな庭がない。確かに庭らしい庭はありませんでしたが、当時はそういう光景に私は見慣れていたので、友人の言葉がいまいち感覚として掴めずにいました。さて、日本の田舎の家だと、結構大きな敷地もある場合が多いと思うのですが、廃校が目立つ地域では、そもそも若い家族が寄ってこない、職場もない、ということで人が離れていく、ということなんでしょうか。ただ、日本の田舎ってフランスの田舎より、町っぽいらしいです。フランス人の夫が初めて日本の田舎を目にした時、これは田舎とは言えない、と。え?何故?と聞くと、道路がみんな舗装されている。確かに、ほぼどこでも車社会で生きるには便利になっています。コンビニだってあったりします。何と言っても、温泉があったりもするんですよね。地元のおいしいうどん屋さんだってあるだろうし。フランスの田舎も舗装されていますが、ただ、ほんとうに森の中に入っていくと、確かに自然のままの道が残っていて、そういうところがまた魅力なんですけど。あと、話がまとまらなくてすみませんが、フランスの田舎に住んでいる高齢者の方の住まいは、ある意味、すごく便利そうだな、と思った話もしておきたい、と。たぶん、日本家屋とか日本のアパートだけ見て暮らしてきた人には想像がつかない世界だと思うのですが。入って、いきなり、まあ、暖炉があって、暖炉はなくても、薪でお湯を沸かしてそれがチューブに流れていくので、一軒、普通のヒーターにしか見えないものがあったり、椅子とテーブル、台所があり、で、なんと、ベッドもあるんですよ。それってワンルームだよね、と言われればそうなんですね。いわゆる玄関というか入口ホールというものがなく、いきなり台所件寝室兼食堂みたいな感じで、土足のいやな人は入口でスリッパに変えたりします。大体、そんなに人がきてもお子さんくらいで、そんなに招待客が来るわけでもないから、なんでしょうね。もちろん、寝室は同じ一階で別室に、という家もありました。多少、足が悪くても、上り下りがないので、そのまま楽に家の中に入れるという。家探しの時に見た英国人が廃墟からリノベしたというフランスの田舎の家は、もうとても素敵でした。インテリアも素敵で、動作環境も高齢になっても大丈夫でしょうという畑もできる土地がありました。その家は、別室が寝室になっていました。逆に立派なブルジョワ風の家にお住まいだったフランス人老夫婦は、寝室は二階にあったので、最終的に家を売り、老人ホームに行かざるを得なくなっていました。その方たちの家もそれはロマンティックで素敵だったんですが、階段を上らないと家に入れない、ということで、ご主人はすでに松葉づえの必要な方でしたので、難しかった。独り言でした。
December 10, 2024
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この間の時速85キロの強風で、一本の枯れ木が見事に倒れていました。枯れ葉舞い散る道を阻み、川をまたぎ、という倒れ方。敷地内の道で、放っておけば、車で出ることができなくなるので、早速、道の部分に倒れた倒木の部分を電動のこぎりで切り、薪にしました。川も昔は用水路だったようで、敷地内を流れていますが、これはしばらく放っておきます。ほんとうはちょっと引っ張ってみましたが、案の定、重すぎて、びくともしませんでした。松の木の枯れ木なので、よく燃えてくれることでしょう。暖炉には、西洋楢の木が一番いい、と南仏にいた時、木々や自然に詳しい地元の薪業者の青年が話してくれましたが、理由は松の木だと、油分が多いために暖炉の筒が汚れやすくなるからだった、と思います。今日は空気がわりに冷たかった。雪はなし。雨が降り続いたので川は増水しています。ここは、一年に一度、川が増水し、土地が湖となる場所が結構あります。これまで、幸い、家の中が浸水することには至っていないので助かっています。
December 10, 2024
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今日は2024年12月8日です。2週間前ほどに、ユーチューブでユゴーというフランス人の青年が配信したショート動画なんですが、HugoDecrypteau というユーチューブサイトです。ユーチューブを開けると、時々出てくる動画で、最初は麻薬かなんかの取り締まりでいきなり逮捕され、驚いて必死で抵抗する若者の動画だろうか、と眺めるだけでしたが、よく見ると、見出しには、Des Civils ukurainiens recrutés de force en plein rue...「強制連行されるウクライナ市民」と書いてあり、え?と思い、開いてみたら、配信者のユゴーさんの説明がありました。この方もこのショート動画の確かなソースははっきりはしていない、としながらも、いろんなメディアで流された、ということを話しています。内容は、ウクライナではロシアに対抗する兵士が不足し、それまで27歳以上の若者に課された兵役義務が2024年の4月から25歳以上に引下げられ、強制連行で大型バスに乗せられ、前線に向かわされるということでした。ウクライナ政府の兵役義務に返答してこなかった若者たちが強制連行されるということでした。ウクライナは2024年11月から2025年2月まで16万人の兵士がまだ必要らしいです。フランス人青年ユゴーさんは、フランスインフォ報道機関に質問を受けたウクライナの兵士募集役というか、担当官のディミトリ氏の話しを出し、ウクライナ政府機関から、何としてでも若者たちを連れて来るようにと命令を受けていたということを話しています。「何としてでも」、フランス語では、à n'importe quel prix 「いくら大金を払ってでも」、とも訳せますが、この場合は、無理矢理に、どうにかして、という感じでしょう。ウクライナの首都キーゥで、商業センターやレストランで見つけられる若者たちがそうして狙われた、ということなんです。一応、政府から徴収票が送られた若者たちで返答を怠った者たちを捕まえて、大型バスに乗せて前線に送る、ということらしいのですが。狙われた、という言い方はまずいかも、と思うんですが。ウクライナではロシアが攻めてきてから何百万人もの人々が兵役義務を恐れて移民として他国へ非合法的に逃れたそうです。(ほかの記事では、兵役義務を恐れた男子ばかりでなく、子供連れの女性たちも逃れた、とあります。この場合は合法的なんでしょう、日本でも受け入れられていますから)そして、2022年2月から、ウクライナの18歳から60歳までの人々はウクライナ国内に残るようにという命令がくだされているそうです。フランスの20minutes (ヴァンミニュット)という報道記事で、2024年10月16日、Fulleringer-Royという人のコーナーですが、は、おそらく10月初旬の金曜日、強制連行された青年は、キーゥ(ウクライナ語)もしくはキエフ(ロシア語)で開催されたウクライナ人のロックコンサートを見終えて出てきた若者でした。日本の外務省は、キーゥという呼び名に変えたそうです。2022年3月31日から。強制連行される若者の動画は、ウクライナでまず出回り、Xでも出回ったそうです。もはや拉致行為にしか見えませんが。兵士が足りないのは、ロシアも北朝鮮の人々を募集して前線に出していますから、互いに不足はしているのでしょう。せんそう、いろいろしこりは残るだろうけれど、早く終わってほしいですね。話し合いで終わらせることが何故できないんでしょう。ウクライナとロシアの関係は複雑は複雑ですが、よくわからないんですよ。フランスのジャーナリスト、ボネルさんという人は2015年にウクライナのドンバスというロシアとの国境に近い場所のあたりに行って取材しています。ドンバスの人々が2014年から、ウクライナ軍から攻撃されている話を聞いて、確認しに行ったんですね。そうしたら、命がけの取材が待っていた、という。ウクライナの国民が同じウクライナの軍隊から攻撃されている、と。たぶん、ミンスクの合意というのを理解しないと、ウクライナとロシアの関係もよくわからないのかもしれない。ミンスクの合意あとで調べようと思います。ウクライナにはウクライナ語がありますが、ロシア国境沿い地域のウクライナ市民は日常的にロシア語を話し、ボネルさんに取材を受けた若い夫婦は、私たちはスラブ人です、とも話していました。世界史の窓によると、ウクライナは12世紀くらいに東スラブ人によって町が築かれたのが始まりだそうで、それに先立って、9世紀頃には北欧バイキングもやってきていた、と。ドンバスの町の人々は、孫を抱えた女性たちが、2015年のボネルさん取材で、8カ月前から地下に逃れて水も食料もなかなか手に入らない生活を強いられていた、と悲痛な様子で訴えていました。町の一角、バス停のような場所で、爆撃を受けて倒れていた男性の姿もボネルさんは撮影していました。年老いて、家々を破壊され、もうどこに行っていいのかわからなくなっている高齢の男性。爆撃音が聞こえる町中をボネルさんと通訳の男性かな、が、その男性を促して、そっちに行かないで、と。ボネルさんは、そういう取材をして、フランスに戻り、避難も受けていたそうです。あなたは親ロシア派かい、と皮肉られたり、何故か脅迫も受けたそうですが、彼女は、ロシア派でもウクライナ派でもない、一報道陣として中立的な立場で活動している、と。20minutes (ヴァンミニュット)の報道記事の中で、ロシアがウクライナ攻撃を始めたのは、2022年2月24日であった、と。なので、ウクライナのロシア国境沿い地域の住民たちはその前から爆撃を受けていた、と。ボネルさんのことは、すでに昔のブログで書いたか書かなかったか。
December 9, 2024
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ここに引っ越して最初の年に、台風のような強風が緩やかな牧草地帯を渡って吹き荒れるところなんだと知りました。12月初旬の今日も強風が吹いています。お天気予報では、時速85キロの風だそうです。今日はパリのノートルダム寺院復興記念式で、トランプ時期大統領やイギリス王室のウィリアム王子、ウクライナ大統領ゼレンスキー氏も参列する日とかで、テレビ中継とかされているようです。最近、薪割り用の道具を購入しましたが、やはり宣伝広告のように簡単には行きませんでした。それでも、普通に薪割りをするより、いくらかは楽かもしれません。楽というには、ほど遠いのですが、汗だくで運動になります。普通の薪割りは挑戦しましたが、両手がおかしくなりそうで、まるでできませんでした。映画なんか見ると、まあまあ若い女性でしたけれど、結構簡単そうにやっちゃうんですよね。うーん、もう若くはないし、現実は、というところですが、でも、薪で得る暖はほんとうに助かります。
December 8, 2024
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2024年11月21日、夫はいつもの列車に乗って、とあるノルマンディの小さな駅に着き、そこから車で帰宅する予定でした。この日は、後からニュースで知りましたが、ノルマンディは特に雪嵐に見舞われ、道路はスケート場なみの危険な状況になり、この季節にこの地方ではまだ滅多に雪は降らないので、多くの車は冬タイヤを装備しておらず、ノルマンディ地方ではトラック運転手たちに今夜は走行を禁止、道路脇にトラックを寄せ、一晩、そのままトラックの中で過ごすようにと通達がいったそうです。実際、不幸にして、人身事故も起こってしまったそうです。たった一晩の冷え込んだ夜のために。雪嵐は「カエタノ」Caetano だったそうです。この21日の夜はさすがに冷え込んで、時々緩やかなジェットコースターのような道路もあるので、夫が冬タイヤ無装備車で帰るというのが不安ではありました。そして、夫からの「今夜は帰宅できなくなった」というメール。間違って、違う町に向かう列車に乗ってしまい、しようがなく同じ列車が出発駅に舞い戻るので、それに乗り、その後、自宅に向かう予定の列車に乗ろうとしたが、運休になってしまった、と。夫の予定としては、と、あるノルマンディの駅に列車で着いたら、そこから車を運転して帰宅するものでした。間違って違う町に向かう列車に乗ったなんて、今まで確かなかったはず。よっぽど疲れていたんだなあ、珍しい、なんて思っていました。とりあえず、幸いにして、スケートリンクを走行する必要がなくなり、ちょっと安堵しました。もしかしたら、彼の守護霊がもうその夜は車を運転させないように、わざと違う列車に乗せたのじゃないか、とふと思ってしまうのでした。21日の夜は、ノルマンディでは、普通車に乗る予定だった人々には緊急に宿泊所が提供され、多くの列車も運休となっていました。運休のため、駅構内で寝泊まりする羽目になった人々には鉄道会社から食事も配られたそうです。しかも、多くの世帯で電気が使えなくなったりもしたそうです。Ouest France の記事によると、何と21日にはノルマンディ全域の7万世帯で停電があり、11月24日の時点でも、まだ5300世帯で停電が続いていたそうです。多くは、雪嵐で木々が電線を引っ張って倒れていったためだそうです。電車の運休も倒木が原因だったそうです。この間に石油ストーヴを購入した人がニュースで紹介されていました。普段は電気ストーヴ、調理も電気で、すべて電気が生活の基盤になっている人なんですね。そんなこととは知らず、自分は呑気な日記ブログを書いておりましたが。うちは幸いにして倒木も特に今回なく停電もなく、まさかそんなことが起こっていたとは想像すらしていませんでした。雪の深さはわずか20センチ程度だったので、そんな大事になっていたとは。うちの場合は、過去に台風のような大嵐の時に電話線を引っ張って倒れた木がありましたが。あの時も最初は呑気に、あ、大きな木が倒れた、迫力あるなあ、くらいで、まさか、それが原因でネットにつながらなくなったと最初はわからなかったんですね。11月25日には自宅付近はすでに雪は解けて消えており、小さな雪だるまも消えました。車の走行は凍った雪道はほんとうに危険ですよね。特にブレーキを踏んだ瞬間にスリップしちゃいますから。雪道では決してスピード出しちゃいけないんですね。気をつけましょう。
November 26, 2024
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今回もメモ代わり、日記です。最近、日本の姉と姪家族にプレゼントを贈りました。と、言っても、楽天市場で選んで日本国内からの発送になります。以前は、郵便局にとにかく小包みを持ち込めば、そのまま送ることができましたが。数年前から、税関書類をあらかじめ自宅で用意して印刷もして、郵便局に提出して、ようやくフランス国外に発送するという流れに変わりました。自宅に印刷機がない場合は、印刷をしてくれる店に税関書類を入れたUSBを持ち込み、それから郵便局にいく、ということになります。なので、フランスから日本に小包みを送るのが若干面倒になりました。自宅の印刷機まだ使いこなしていないんです。コンピューターに接続したつもりなのに、印刷してくれません。村の印刷機を置いたお店は、そちらのオーナーが不在だと使えないこともあったので、何とかして、自宅の印刷機を使いこなせるようにならなくちゃいけないんですねえ。贈り物、姉や姪家族には毎年こうして送っているわけでもないので、できる時にしておこう、という感覚です。2000年頃は、日本円の120円で、1ユーロを買えました。2024年では、163円と167円の間くらいを払わないと、1ユーロが買えません。今だとユーロで、日本円が安く買える、ということもあって、フランスからユーロで日本のものを買う時にちょっと得した気分はあります。逆に、日本国内の人がユーロ通貨やドル通貨の国のものを買うとでたらめに損した気分になるはずです。これを日本側の貿易会社などの、欧米から輸入する立場にあるような企業の規模で考えたら、経営者の人はため息しかでてこないのでは、と思います。さて、私的には、すでにクリスマスを意識している感じでありまして、12月に入ると、おそらく日本も配送会社の人たちも異常に多忙になるのでは、と想像し、しかも日本は人口減少で、人手不足だと聞いているので、いろいろ考えて今のうちに、なんて先を読んだ気分になっているわけでございます。近所の村の中心ではすでにクリスマスの村おこし的な飾り物の準備を始めていて、多少、影響されやすい自分もフランスモードになっている感じもします。姪とはメールの連絡もできず、固定電話のない家族なので、フランスから電話もできず、過去に何度か、姪のご主人が丁寧なお手紙を書いてくださったことがありました。美しい手書きで。私が一度手書きで書いたものは、中に誤字脱字、ミミズ文字で、ほんとうに姪としては、叔母さん、恥ずかしいから、もう書いてこないで、と思われているに違いありません。手書きで漢字など普段書きませんから、さらに悪化しました。森の倒木を運ぶ生活。と、いうわけで、姪に、送るからねえ、と事前に連絡することもできず。で、姉にお願いして、姪に連絡をしてもらいました。姪からのSNSでのその返事なんですが、これが。「ええ~ええ~」だけだった、と。私は思わず爆笑しつつも、どう解釈していいのか謎に包まれたままです。それって、もう一歩で、ヴィクトール・ユゴーの世界。で、だから、それは嬉しい悲鳴だったの、それとも、忙しくて対応できないのよ、迷惑だわあ、の悲鳴だったの、どっちでごわすか、と。姉はさすがにいやあ、迷惑とは思わないんじゃあ。謎の「ええ~ええ~」まあ、姪が忙しいのは何となく姉の話しから聞いて想像はしましたが。子持ち、主婦、パート勤務か会社員か?で、ご主人もきっと多忙。働き盛りの夫婦。姪は、ほぼ秒刻みですべて予定を立てて、その通りに動こうとする人間で、私たちには絶対無理よお、と姉が話していましたし。予定を立てて、その通りに動く、若い時にはできたかもですが、今の私には確かに無理です。雪を見て、思わず雪だるまを作ってしまうような人間には。せめて迷惑に思われていませんように、と祈るばかり。
November 22, 2024
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2024年11月21日、初雪でした、低地ノルマンディ。フランス北西部。とりとめのなく、自分用のメモで書いてしまっています。ニュースではブルターニュ地方も雪だったとか。確か昨日か一昨日は良いお天気だったので、ま、天気予報も見ていなかったのでまさか雪が降るとは思わず。こちらに引っ越してしてから3年、雪は珍しいところなんだ、と勝手に思い込んでいたので予想外の雪景色。写真に収めるか絵に描きたいほど美しい。が、いったん、外に出ると、子供でもないのに思わず小さな雪だるまを作ってしまった。大昔、日本で、小学生の時に学校で雪の彫刻大会があったりして、船を作ったり、何かいろいろみんな無我夢中で作っていたなあ、なんて思い出したり。あれは、最高の遊びの一つだったと思う。どうせ溶けて消えてなくなってしまうのが、子供心にわかっていても、雪がほぼ無限大に自由に使って遊べるというのが、すごく贅沢と言えば、贅沢なことだった。あれは何か一つのイメージした形が先にあって、そこに向けて、形作っていくわけで、それが楽しく、途中で、多少形が食い違っていても、とりあえず、何かそれらしいものが出来た時のうれしさ、というか、わあ、こんな大きいものができちゃんだ、と眺めて、船の中に入ってみたりできた時の喜び。雪の船。たとえば、家の中で遊ぶ小道具が、みんなお金を出して買わないといけない、としたら、ひょっとすると、親から無駄な使い方しないで、みたいに言われて、ちょっと委縮してしまうかもしれない。子供が思い切り遊べないなんて。とは言いつつ、ものというか、道具を大事にする事をそうして学ぶのね、と言えば、そうも言えるなあ。両方を体験したほうがいいんだろう、つまるところ。もう、何年くらい雪だるま作っていなかったかなあ。南仏にいた時は、一度だけ例外的に雪が降って、雪だるまを作ってあれ以来。ちょっと道路、ほとんど人も車も来ない道路に積もった雪の上に大きなハートを描いたり、Paix (平和)と書いてみたり。つい、誰かが見るわけじゃないし、と思うと、数分そうして遊んでしまう。あ、近所に英国人カップルがいるはいるけれど。雪の上を歩く時の音も楽しみ、昔、パリに住んでいた時も、あそこは東京みたいに滅多に雪が降らないので、たまに降ると、誰もいない近くの公園にわざわざ行って、雪の上を歩く音を楽しんでいた。夕方近くになって、薪にする予定で、ちょっと太めの枝を近くの森から運び、太いのだけれど、中が乾燥しているので軽く、スーパーウーマンみたいに一本の木みたいな枝を軽々と運ぶ。暖炉をリニューアルしてから、ほぼ毎日、薪をくべている。直径8センチくらいの薪なんかは、160センチ前後の木だと二本分が軽く一日で消えてしまう。幸い、近くの森には、倒木ですでに乾燥したものが結構落ちているので、それを拾ってくるという作業がかかせない。電動のこぎりで、すでに乾燥したちょっと太めの枝を切り、薪にしたり。電動のこぎりには感謝。慎重に扱わないと大怪我しちゃいますから、と常に自分に言い聞かせて。のこぎりで切ると、ほんと、時間も腕も疲れる。昨日の午後は、本棚用の一枚の板をのこぎりで切ったので、のこぎりはやっぱり時間がかかるなあ、と。敷地内の道には枝も夜の間の嵐で落ちていたので、それも片付けたり。鉢植えのレモンに冬用のベールをかぶせたりして、あっという間に時間が経ってしまった。レモンは10個くらい実っていて、大きくなった半分くらいのレモンは摘みとり。と、いう初雪の日のノルマンディ。雪が文字通り風で舞い、川や森におちてゆくのを久しぶりに眺め、子供時代を思い出してしまった。今夜は夫は列車と車で夜の帰宅予定だったけれど、連絡メールがきていて、なんと、トゥールからシノンという町に間違えて行ってしまい、最終便の列車に乗り遅れ、明日の午後にしか戻れない、とのこと。例によってそそっかしい自分は、夫がシノンの町のどこかのホテルで一泊するんだと勘違いし、シノンのケーキ屋さんでチョコレート買ってきてね、とメールを送ってしまった。シノンには、ジャンヌダルクがシャルル7世に会った、という城もあるのよねえ、とか。で、夫のメールを再度読み返し、あ、シノンにはいないのか、ということに気が付き、またメールを送ったが、彼ももうネットのつながらない場所にいるので、読めるのは明日の列車の中。スマホを持たない夫婦、まだ世の中に残っているわけでございます。
November 22, 2024
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2024年の10月は森で栗拾いにはまっておりました。原始人もきっとこんな風に無我夢中で栗拾いをしていたんじゃないか、と思いながら。ノルマンディのうちの近くの森の栗はちょっと小さ目の栗で、スーパーで売られている大粒の栗ではありません。大粒の栗は、フランスのスーパーでは、1Kg 10ユーロ の値段でした。1ユーロは160円前後、一時期、167円だったり。なので、1キロで1600円か1670円か、そんな感じです。大きな栗は、フランスの中央あたりの森で見たことがあるので、あの辺から出荷しているのかなあ、と思ったり。栗拾い専用の手袋は、薔薇の棘とか棘のある草木を触る時の手袋で、これがとても役に立ちました。皮むきは面倒ですが、自分は小型ナイフで茹でずにそのまま皮をむきます。苦い皮も一緒にとれているような気がします。栗、きのこ、カリフラワー、ショウガ少々、にんじんを煮込んで、ミキサーにかけたスープを作り、夫もおいしいと言ってくれました。フランス語でナベと呼んでいる野菜も入れて。かぶ?白に薄紫色のカブ。栗ご飯も近いうちに作りたいと思っています。そして、甘党の栗。栗と茶色の精製していない砂糖と煮込んで、栗のコンフィチュールもたくさん作りました。これがおいしくて。今もあらたに拾い集めた栗を大きな鍋で煮込み中です。手作りの甘味を抑えたモンブランケーキを食べている感じ。栗は確かに手間暇かかるけれど。そこは食い意地で乗り越えております。栗の落ちている場所の土は腐葉土なので、今度、ちょっと土も持ってきて、来年の野菜作りに使うかなあ、と、森の中のおいしい空気を吸いながら夢を膨らまし、自然の恵みに感謝する次第。
October 31, 2024
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フランス北部のリール市管轄のどこかの高校で、今週月曜日、ある先生が18歳の女子生徒から平手打ちを受ける事件が起こっていました。生徒たちの証言によると、被害を受けた女性教師は生徒の話しに耳を傾け、とても優しい先生で、よく生徒の勉強を手伝ってくれる素晴らしい先生だという。その先生が、イスラム教徒の女性がよく頭にかぶる布姿で校内を歩いていた一人の女子高校生に気づき、話しかける。わが校は、宗教性を帯びない方針の高校なので、こういう布も禁止されているから、その布を取りなさい、と注意したところ、その女子高校生が先生に向かって侮辱的な言葉を浴びせ、先生が生徒の名前を確認しようとしたところ、先生に平手打ちをし、さらに叩いたり、脅迫めいた言葉を発しながら、学校の外に逃げた、という。同高校の匿名の女子高校生は、禁止されているのがわかってるわけだから、校内では布を被らなければいいだけの話しじゃないの、暴力振るう必要ないでしょ、と理解に苦しんでいる様子。問題の女子高校生は18歳で、これまで特に警察沙汰を起こしたこともないことがわかっているが、校内カメラには彼女が先生に暴言暴力を浴びせる姿が映っており、その後、停学処分になっており、裁判は12月初旬に行われる、とか。暴力を振るわれた教師の顔と足にはあざができていたようで、何より精神的ショックを受けているとのこと。裁判所では女子高校生は謝罪したとのこと。もしこういった暴力行為のために教師が8日間以下、職務の遂行ができなくなった場合、フランスの法律で、禁錮3年半及び45000ユーロの罰金が科せられる場合もあるそうです。45000ユーロは、もし今、1ユーロが160円とすると、720万円です。この頭にかぶる布のことをヒジャブと呼ぶらしいです。フランスでは宗教性と切り離した環境の教育現場を提供する形の学校があります。なので、こういう学校では、ヒジャブも禁止しているし、クリスマス時に、校内にキリスト生誕の飾りをつけることも禁じています。
October 10, 2024
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今朝、フランス西部の町トゥール市に行っている夫から連絡があった。なんと、防犯監視カメラの前あたりに一番頑丈そうなU字型ロックをつけて駐車場に置いた自転車が盗まれていた、と。夫は、あれは鍵がないと始動しないから、今頃はもう破壊されてるかも、と。部品だけをネットで中古品として売るとかするんでしょうか。一応、自転車の購入時に持ち主がわかる特定認識番号をもらうので、盗難事故に遭った時は、警察に届ける時にその番号を一緒に渡し、盗難事故証明書を発行してもらい、保険会社に連絡する過程になっているそうです。確か昔から日本でも同じ仕組みだった、と思う。日本で、姪の自転車が消えて、そういう番号のお陰で警察から見つかりましたよ、と連絡が入った記憶がある。自分たちは、自転車盗難事故に遭った時の特別な保険には特に入っていないので住宅保険の一部にカバーするものもあるらしいけれど、こんなことは初めてで、どうなりますやら。トゥール市内のロワール川近くで、一度、以前にも怪しい人たちをみたことがあったけれど。二人の男たちがいて、ビール片手に何台か駐車してある自転車の近くにたむろしていた。無精ひげのもう40代ぐらいのラフな格好をした男性たちだった。普通に喧嘩したら絶対に力で勝てない感じの人たち。レストランから二人で歩いて自転車を置いた場所に戻ると、彼らの仲間と思われる一人の男が夫の自転車を割としつこくガチャガチャと触っていた。「それ、僕の自転車ですけど」と夫が静かに近づくと、いやあ、見ていただけ、と「持っていったりしませんよ」と言い、笑いながら、仲間のところに戻って座った。車も通るし、人もそれなりに過ぎ去っていく場所だったので、怪しげな行動が平気でできるのが逆にすごい、と思ったものだったけれど、自転車だから、誰も怪しいとは思わないのかも知れない。その時はそれで済んだけれど、今回はほんとうに被害に遭ってしまった。夫は、U字型ロックを購入した時に、簡単に持っていかれなさそうなものにした、とやや専門家をきどって言っていたが。盗みのプロにはかなわなかった、ということでしょうか。皆さんも気をつけましょう。
October 9, 2024
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日本語版でのユーチューブでの規制だけれども、アレを打つ、打たない、であるとか、ちくわであるとか、わ○○ん、とかコロッケとかいろいろ言い方を変えないと、コメントが削除されてしまい、下手すると、そういうコメントが多く寄せられた動画サイトが削除に追い込まれたりしている。で、フランスや英語版では、コメント欄には、みんな堂々と書き込んでいるのに、削除などされていない。ちょっと不思議に思ったのでメモ。
October 9, 2024
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食いしん坊がいつものように小さな森の近くを散歩していると、クルメルとフランスでは呼ばれているキノコをいくつか発見。これから、また大きく育つかな、という感じの赤ちゃんキノコはそのままにした。なので、明日も成長を見にいくのが楽しみ。キノコ専門家はクルメルは大きくなるまで待って、毒きのこではないと確認したうえで採ったほうがいいとのこと。赤ちゃんの時はクルメルに似たきのこで、食べると命をもっていかれる毒きのこがあるらしい。キノコがさの下の方にもう一つの輪みたいなものがちゃんとあるのが、クルメル。これがあるかないかわからないキノコは危険とのこと。特に土がついているわけでもなく、またクルメルは水をかけるとあまりよくないそう。と、いうわけで採取したままにクルメルをオリーヴオイルで炒めた。ほんとうはバターで、と思ったけれど、そろそろ切らしかけている。クレープを焼いて、炒めたクルメルとチーズをのせ、チーズが溶けかかったところをクレープを巻いて味見。coulemelle日本語では「からかさたけ」と呼ばれているそう、と。
October 8, 2024
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Colette Maze コレット・マーズさん。第一次世界大戦勃発の一か月前に誕生。1914年6月16日生まれ。寅年。ピアニスト。フランス人。やせ型。2021年1月27日のル・パリジャンの記事。エメリン・コレット記者。この時期のフランスは、パンデミックとかいろいろ報道されて割に大変な時期の真っ最中。記事によると、ピアノが一番の健康法、と。エリック・サティやドビュッシーの曲をよく弾かれるのだとか。と、いうことで、風邪とかニセコロッケも打ってないのよ、と。当時、こんな記事を書いたら、上からお咎めとかなかったのか、とちょっと驚きました。この方、一体、毎日、どんな食事をされていたんだろう。インタビューを聞いたり、記事を読んだりした限りでは。砂糖抜きのチョコレートが好物。あれって、でも苦いだけなんだけどなあ。チーズはもちろん好物。そして、ブルゴーニュのワインが好き。息子さんの証言では、一日でボトルをひと瓶あけちゃいますよ、と。これを聞いた時、いや、フランスというかヨーロッパ人はやっぱり酒に強いんだろうか、と思ってしまった。いや、非常に稀ですけど、酔っ払いに遭遇したこともあったし、みんながみんなではなかろう、と思いつつも。あとは、夫の親戚の昔、女子大生だった時の話しで恋人が酒癖が悪く、おまけに嫉妬深くって別れた話を聞いたこともあるし、子供が酒飲みの母親の挙動を心配していたり、と酒害はフランスでもあるし、ドイツでもあります。さて指先を叩くと脳を刺激するので、認知症予防になる、と聞いたことがあったっけ。この方は2023年11月19日にセーヌ河が見えるパリの4階のアパートのお住まいでお亡くなりになられています。動画の中のコレットさん、ピアノはいろんなことを語ってくれる。と。ショパンは悲しすぎてセーヌ河に身を投じたくなる、とても美しいけれど、とも。コレット・マーズさんのことについて、いくつかのユーチューブ動画を観たり、いくつかの記事を読んだりしました。さて、いろいろ他の記事やインタビューからは、コレットさんは5歳からピアノを習う。両親からはピアニストになることは反対。しかし、15歳で音楽学校に入学。1935年21歳で音楽大学 Ecole Normale de Musique へ、その後第二次世界大戦のため1940年に学校を去る。従軍看護婦をすることもあったとか。ピアノ教師の資格取得。Conservatoire féministe コンセルヴァトワール (女子音楽大学みたいな感じ)でピアノ教師をする。父親は工場経営者。母親は子供嫌いでひっぱたかれることもあったとか。母親は犬を連れてライフル銃を持ち、狩りにでることもあった、と。その母親が自分のピアノ教師に合わせてヴァイオリンを弾いた時、そのピアノの音色にコレットさんは初めて優しい空間に浸ることができた、と。喘息もちだったが、ピアノを聴くと、喘息がとまった、と。ブルジョワ階級の家で、家にはメイドさんがいて、コレットさんは掃除洗濯などはしたことがなかった。そんなコレットさん、18歳の時、母親と娘の対立に疲れた父親が彼女に別の住まいを提供。そこで初めて、ゴキブリを見てしまうほど、掃除していなかった模様。フランスブルーサイトが行った2023年6月16日のインタビューでは、途中、私には意味が分からない部分があったものの、大まかに言うと、コレットさんの母親は子供が好きではなくて、それで、何かぬいぐるみに相手に話し始めて(?ここがわからない箇所)、母親がひっぱたいてくるの、母親がその行為の何を良いと信じていたのか自分には全くわからなかったけれど、と、いうことでピアノが癒しだった、と。コレットさんの若さの秘訣、あとは、恋をすることらしい。と、お茶目な面を見せながらも、いいピアニストになるには、ダンスや歌の感受性も磨かないといけません、と。コレットさんは、ジャズ音楽に合わせて踊るダンスもはまっていたみたい。スエ―デン体操もされたみたい。美しいものに感動して毎日生きる、それが健康に生きるコツ、と。人生には必ず悲劇的なことが起こるものなのよ。その悲劇に引っ張られたままでいないで、みたいなことをおっしゃったような。最後にお酒とフランス人の話しでそれてしまいますが、今年の6月だったか、うちに家族で遊びにきてくれた夫の元同僚、この人はとにかくユーモアのかたまりのような心優しい人で、しかし、明らかにアル中。フランスにカルヴァドスという強いお酒があり、うちにも少量を残す瓶が二つありまして、それをカラにしていってくれました。子供時代に悲劇的な形で母親を失い、それがずっとトラウマになっている感受性の強い方だったんだ、と知りました。誰も傷つけない笑いで隠していたんですね。うーん、思い出せばまだある。パリに住むフランス人。若い時は運動神経が抜群。でも、アル中。パリの屋上階のアパートのベランダから、足を踏み外して下半身不随。その時は、コーヒーを片手に大好きなパリの屋根風景を眺めようと、ベランダより上の屋根に登ろうとした時に起こった事故だったようです。アル中と直接関係がないのかも知れないけれど。やっぱりお酒は節度を保って飲むようにしないと、と思います。参考記事や動画100 ans de piano : entretien avec Colette MazeLa pianiste Colette Maze, coqueluche des réseaux sociaux, est morte à l'âge de 109 ansColette Maze, 103 ansColette Maze, pianiste de 106 ans : «La musique m’a donné la tendresse qui me manquait»
October 2, 2024
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2009年にとんでもない風邪(頭痛と熱の三日で治る風邪)を引いて以来、病気をしたことがないままの2024年。今朝、一枚の手紙が届き、読んだ後、破り、暖炉に入れて燃やす予定。招待状。ただですよ、って。
October 1, 2024
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5月頃にピーマンの苗と唐辛子の苗を植え、そのうちにどれがどれだったか忘れていました。ピーマンはフランス語で ぽわvrおん poivron です。一応、赤く育つものということだったので、日本語ではパプリカだと思います。一つの苗は実ってくれたのですが、もう一つの苗からは何もみのらず。数か月経ち、何やら、ピーマンっぽく育つものがあり、それにしては小さいなあ、と唐辛子にしては少し小太りな感じだし、が、数週間経っても、それ以上大きく育つ気配はなく、とりあえず、一個取って、野菜炒めに。唐辛子でした。フランス語で、piment です。最後の t は発音しません。ぴもん に聞こえます。味は後味に甘味があっておいしかったです。ピーマンは白い小さな花は咲いても、実らないままで今年は終わりそうです。茄子も結構立派な紫色の花は咲くけれど、実らないまま。来年、また挑戦しよう、と思います。
September 30, 2024
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文明は消えてゆく。どの文明も。が、最近、パリから人口が減っているのはいい兆候だ。と、ユーチューブのインタビュー番組で微生物学者のディディエ・ラウルト氏が語っていた。どの文明も消えてゆく、そりゃ大変だ、とつい思い、なぜ、そうなるんだろうかと考えてみた。いろんな遺跡が世の中にあり、そこにかつて町や道路があったのに、何故、それが続かなかったのか。なああんて。まあ、自然災害で消滅してしまう場合もあるだろうし。都会にだけ生きていると多くの人の中にいるから、しかも都会にはほんとうにいろんな人がいろんなことをしているので、いろんな世界とつながっていると錯覚しかねない。とはいえ、錯覚は人間は与えられた環境でそれぞれの錯覚を抱いている気がする。なんというか、大自然と隔離されて生きていくといずれ数世紀の間に消えてゆく、ということもあるんだろうか。例えばの話し。野菜や果物がどんなふうに育つのかを知らずに野菜や果物を買う。カフェに入り、遠い国で栽培されたコーヒー豆のコーヒーを飲む。どの国で採れた綿でどの国で裁縫されたかあまり知らずに衣服を買う。フランスや日本の田舎でほぼ完璧に自給自足で生活をする家族がいるユーチューブ番組を観ると憧れてしまう。その一方で、自分には無理そうだと思ってしまう。まともな日常生活に辿り着くまでに苦戦したこともあるんだろうなあ、と思ってしまう。意外にその苦戦過程を楽しんでいた可能性はあるかもしれない。フランスのパトリック・バロネという人は奥さんと二人で、いや家族で電気もお湯も知恵で太陽光パネルや薪ストーブでまかなう。なので、電気代と水道代は30年間払ったことはないそうだ。知恵というか知識がなければできない。彼の家族は冷蔵庫も冷凍庫もなし。飲み水も自給自足。ミネラルウオーターの国フランスで。さて、先の自給自足フランス人家庭の話しに戻る。もしかして掃除機もないんだろうか。掃除機がないのはつらい。一応、自給自足の電気はあるみたいなので、ひょっとすると掃除機はあるかもしれない。蓄電できるコードレスの掃除機なんか使えそう。自動アシスト自転車も動かせる可能性はある。何しろ、インターネットができる環境はすでにあるみたい。トイレはおそらく乾式で、肥料に還元。と、いうことは最近、フランスでもボチボチと流行りだしたウオッシュレット式トイレはないだろう。ウオッシュレットはどうも日本での体験が忘れられない人たちが使い始めてるみたい。自給自足のフランス人の人の家は古い石造りの家をリノベしたもの。屋根を家族で直したみたい。あと、参加して体験するという仕組みで藁を摘んで壁にする家もいろんな人と作ったり。自給自足の著書も書いていらした。なんだかんだ言っても、固定資産税は支払わなくてはいけないわけだし、鍋とか服とかも購入もするだろうし。その点はちゃんと自分の知恵と知識を宿泊体験として分かち合うことでも収入を得てらしたみたい。話しはちょっと飛んでしまうけれど、我が家では、中古で夫が購入した薪ストーヴがあったのだけれど、別の場所に移動されてしまったので、煮込み料理に使用できなくなった。ならば、せめて、このフランスで日本製の火鉢がほしい、と思い、ネット検索するけれど、あの日本の懐かしい火鉢が見つからない。かまど という名称の高額な金属製のかまどがフランスでは売られている。7月初旬に古い暖炉のリノベ工事をしてもらい、以前より暖まるんだけど、室内で、薪でお湯がわかせなくなっちゃって。フランスにはキュイジヌエール cuisinière と呼ばれる薪ストーヴがある。これで煮込み、炒め料理、なんならオーヴンもついているので、薪さえあれば、電気代を使わなくても料理ができる。ニュージーランドのユーチューブ番組で紹介されていた薪ストーヴが愛らしくて憧れる。Homewood stoves というサイト。薪はあるからなあ、と。体力さえ許せば。そちらには限りがあるものの。その辺の森に落ちているのをえっちらおっちらと運んだり。結構、木が倒れている。嵐の時に根っこごと倒れたものが結構ある。晩秋に台風顔負けの嵐がやってくることがあったので、その時とか、あとは岩の上に根っこを下ろした木々が倒れていく。川から岸辺に辿り着く流木を拾う手もあるので、薪に困ることはなさそう。
September 26, 2024
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よくこの草原地帯に囲まれたほとんど車の通らない道を散歩するのだけど、最近、朝方、3メートルほど離れた草原地帯の中に中型の犬のような動物と目があってしまった。よく見たら、小鹿だった。しばらく不動で見つめ合った。その内、小鹿は全く可愛くない声で叫んで、そのままぴょんぴょんと走って遠くに行ってしまった。見た目はすごく愛らしいのに、あの声はちょっと意外だった。喉を傷めたわんこみたいな。割と遠くに見かけることはあるけれども、こんなに近距離は初めて。ちょっと感動。この10月から3月までフランスでは狩りが認められていて、地主の許可を得て、猟師たちがきちゃんだろうなあ。あまり考えないようにしようと思いつつも。この期間って森にうっかり入れないんですね。キノコ狩りしたいのになあ。幸いにして、自宅の横にある小さな森でたまに見つけることはあるけれど。
September 26, 2024
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2024年7月のフランスの北西部ノルマンディは涼しかった、とメモっておこうと思い、久方ぶりのブログ更新。ちょうど良い感じで、これこそ本来のノルマンディと絶賛したくなるくらいの気候だった。ただ春4月は雨が多くて、酪農家や農業の人々にとっては、寒すぎる、地面がぬかるんで仕事ははかどらない、などの問題があったよう。ノルマンディではなく、トゥールに住んでいる人も、2024年の夏は結構涼しかった、と話していた。2022年の夏は酷暑に見舞われ、2023年はどうだったか、もう記憶にない。2024年の8月も暑い日はあったけれど、摂氏30度を超えた日があったかどうか。8月いっぱいは、夫の親戚の青年が夫の野良仕事を手伝うために来ていて、私は台所に立つ日が多かった。一人、若者がうちに来て、実は何を料理したらいいのか、毎日、自問自答。煮干しなしの野菜のみのお味噌汁なども作ったりして、それをおいしいと言ってくれたので、ほっと胸をなでおろし。お味噌は、7月にうちに遊びにきてくれたフランス人カップルからプレゼントされた日本産の完熟みそがあって重宝した。やっぱり日本のお味噌はおいしい。甘味がある。小豆より大粒の赤い豆を煮込んで、水ようかんに挑戦したり、一応おいしいと食べてくれたのが実は意外だった。夫には好物なんだけど、普通のフランス人にはあまり受けない記憶があったので。こちらのフランス人カップルは仕事でアフリカの、どこだっけ、タンザニア?いつも忘れてしまう、結構な盆地に住んだことがあって、そこが結構涼しい気候で過ごしやすかった、と聞いて、すごく驚いた。今、ゲリラ交戦地域になっているような場所だった、と、なので、タンザニアだったか、ナイジェリアだったか。記憶は曖昧。話しはころっと変わるけれど、思い出したままに書いているので。8月いっぱい、うちに来てくれた青年は、そういえば、フランスの国歌を小学生の頃に習った時に、その血生ぐさい歌詞にショックを受けた、と話していた。あの歌詞は小さい子供にはどうかと思うよ、と。今年23歳。背も高く、力もあって、期待以上に毎日汗まみれ、泥まみれで夫の野良仕事を手伝ってくれた。普段は大学でIT部門を専攻する学生。なので、インターネット関連のことに詳しく、そちら方面でも夫が直面する問題を解決していたみたい。昔から数学の得意なことはわかっていたけど、数学って簡単だよっと。尊敬しますわ。方程式はちょっぴり好きだったんだけど。青年の夢は将来、家庭菜園をすること。それができる土地を購入すること。が、とりあえず、先に就職して土地を購入できるように貯金すること。楽器も習いたいみたいで。夢はいろいろあるんだろうなあ。23歳だからなあ、まだ。この子がまだ2歳ぐらいの可愛い頃から知っているから、ほんとうによくこんなに大きくなったなあ、と感動するばかり。しかもハンサム君。毎日、洋画を見ているみたいだった。さて、9月初旬は特に野良仕事をしなければ、セーター一枚はおるほど。それなのに、日本は摂氏37度に達する日もあったようで。2024年は、私はトマトの苗を3個くらい買ってきて植えて、結構元気そうに育ってくれたのに、途中で茎が黒くなり、全滅。菜園づくりのフランス人の人から、それは湿気に負けたんだね、と。日仏カップルのこの方たちからはこの夏、赤しその苗をいただいてしまった。嬉しい。トマトねえ。ノルマンディはよく雨が降ったのに、晴れるとがんがん水やりをしていたので、それが主な原因だったらしい。さやいんげんは種から植えて、結構とれて食卓へ。ちょっと嬉しかった。ノルマンディインゲンと言う名前の品種で、つるにはならない。白い可憐な花からインゲンになる。キュウリの苗をマルシェで無農薬農家から買ったものもちゃんと育ってくれて。この無農薬農家の人はいつも笑顔が最高。そりゃあ作物も育つよねえ、と思っちゃう。育ったきゅうりはなんとなく甘味があっておいしい。形がね、日本で見慣れたキュウリじゃなくて、肌がややとげとげしていて、まるみがあって小さなエンタシスみたいな形で。8月くらいから、フランスでは mûre と呼ばれている棘だらけの茎をもつブラックベリーの黒い実を摘み、ジャムを作った。この辺りは酪農家もいるので、農薬は使用されていないのも幸い。夫も親戚の青年も、これは本物のブラックベリージャムだね、と喜んで食べてくれた。黒い宝石に見えちゃうブラックベリーを無心に摘む時間が最高に楽しく。永遠に摘んでいたい感じで。無心になれるってすごいことだわ、と。下手は下手なりに、あの編み物している時と同じ感覚。最近作ったブラックベリージャムにはカソナードという薄茶色のお砂糖を入れたが、これが味的には最高においしい。ジャムと言うには、ちょっと液体っぽいのがたまに傷。クレープに垂らして食べるとおいしかったり。来年はレモンを少し入れてみようかな。しかも、うちには無農薬レモンもあるし。南仏では湿気が足りなくてブラックベリーがその辺に育ってなくてできなかったので、ノルマンディでこれをするのがすごく楽しみだった。これはほんとうによく蔓延る植物。とげとげがいっぱいで、だから、軽い気持ちで庭に植えちゃいけないんでしょうね。とげのないものも売っているらしいけれど、とりあえず、その辺にたくさん育っているから、いいかなあ、と。ただ実はちっちゃい。違う地方ではもっと大粒の実があったなあ、と。生命力半端ない苺もプランターに育ててみている。数少なく実る苺は結構甘くておいしい。昨年だったか、一昨年だったか、ノルマンディの一角で無農薬で野菜や果実を育てているオランダ人夫妻がいて、昔はブータンにも住んでみたことのあるご夫妻で、なぜかその後ノルマンディで土地を購入されて、引退するまで、酪農家をしていらした。最初は知識なしで無農薬を極めていろいろ大変な苦労をされたみたい。ご主人は牛は怖くないけれど、猫が怖い、と言っちゃう人。牛は信頼できるが、猫はねえ、と。奥さんも自然体で、フランス語はようわからんままよ、と言いつつ、私もオランダ語はわからないので、何とかフランス語で会話。その方たちが栽培した苺を勧められるまま、畑で直接摘んで食べてしまった大粒の苺がとびきりの甘さだった。あんなにおいしい苺は食べたことはなかった。いやあ、こんなにすごい味になるもんなの、と。私はもともと苺は苦手だった、というのは、市販のイチゴは割にいつも酸っぱい記憶しかなかった。育ったその場所で完熟した苺がこんなにもおいしいなんて、と、忘れられない味になった。なので、あの苺に挑戦するわけではないけれども、少し近づいてみたいなあ、と自宅のプランターで栽培中。そろそろ苺の季節でもなくなるので、いやあ、晩秋には小さいけれど、栗の実をたくさん摘んで栗クリームを作りたい、とささやかな夢を抱いている。畑に出ると、亡き母はすごい人だったんだ、と毎回思う。若い頃、家の前の畑に実った一つのトマトがおいしかったことを思い出す。冬でもほうれん草とか大根とかあったなあ、と。あっちこっちに話が飛んだけれど、ああ、いつものことかあ。日本でブラックベリーを栽培している人がいるらしくて、富山県のヒーリー農園というところで、今でも現役なんでしょうか。ジャムと言えば、パリ市内に住んでいた時、時々みかけるお店で、イギリスがいろいろ変わったジャムを出していた記憶があって、それを日本にいて味わえるなんていいことだなあ、と思ったりして。
September 26, 2024
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ユーチューブのドクターキャンベル氏 Dr.Cambell のつい今しがた投稿された動画で、カンザスで大手製薬会社を相手に訴訟した文章が取り上げられていました。Phではじまる大手製薬会社の名前に続いて court case, Kansas というタイトルです。米国でも、Fox Business というユーチューブ番組で、この訴訟に踏み切った弁護士クリス・コバック氏にインタビューをし、コバック氏は、2021年2月にはph社のちくわを打った458人の女性の多くに妊娠中の合併症が出ていたことなども話し、心筋炎の問題も起こっていた、と。が、当時、ph薬剤会社はそれらの症状はお💉とは何の関係もありません、と言っていた、と。いろいろ嘘が多かったので訴訟した、ということなんですね。Jimmy Dore show でも、この話を取り上げ、ちくわ調査を進めようとしていたスロバキア首相の暗〇があったことで、このカンザス州の attorney 弁護士の安否を気遣っていました。タイトルは、大体こんな感じでユーチューブに載っています。Kansas SUES ph(大手製薬会社名)for Misleading Public About V........!カンザスってアメリカ広し、どのあたりなんでしょうか。 Dust in the wind という素晴らしい歌を歌っていたカンザスという、私なんかはロックグループしか思いつかないんですけど。アルバムやCDも買って聞いていたことが。カンザス州、調べたら、 北米のちょうど真ん中あたりにある州なんですね。この567に関しては、購入した国が後の責任をとり、何が起こっても製薬会社は責任はとらないという契約だったそうですから、訴訟しても訴訟したという記録だけで終わる気もします。南仏の弁護士も、お💉のあとでそれまで健康体だった女性の体調が著しく崩れたことで、ph社に直接訴訟する、ともう2年ぐらい前にユーチューブで見ましたが、フランスの場合は、欧州連盟加盟国の一つの国なので、で、その欧州連盟の上のあの女性が独断でお💉の注文をし、やはり、契約上、製薬会社は売るけど、あとの責任は、各国でとってね、というものだったので、おそらく製薬会社からは無視されて終わったんだろうと思っています。パンデミック条約も怖い。ライム病専門医のペロンヌ博士の話をフリー記者番組のインタビューで聞くと、なんだろう。まるで、各国の医療対策の畳の上を土足で上がるような条約案件に聞こえてしまいます。タヒ者がゼロでも、世界保健機構がこれはパンデミックだ、というと、世界中の国が、世界保健機構の対策に従わなくてはいけなくなる、と。すると、これは治験は終わってないけど、ちくわだから打て、と言われると、世界中がそれに従わなくてはいけなくなる、という構図になってくる。ペロンヌ博士によると、これは独裁化の成れの果て行為だと。独裁、うわあ。寄付金で成り立っている世界保健機構に何故そんな力があるんだろう。とんでもない富裕層が寄付金をだしているからか。ちなみにペロンヌ博士は、フランスで大手報道機関からはインタビューされなくなったが、医師会からは医師資格ははく奪はされなかった人で、彼のことはウィキペディアにもでたらめが書かれてしまっているそうです。
June 19, 2024
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捨て活をやや目指し、さあ、お世話になった服たちよ、さよなら、と袋に詰めつつ、ついクラフト作家たちの動画や古着リメイク職人さんたちの動画を見て、いやいや、ちょっと待て、とまた考え込んでしまう。いや、リメイク職人さんのようなすごいことなんかできないことはわかっている。ああ、でも、ちっちゃいものなら、何かできるかも、と。お情け家庭科3だった私でも、手縫いや編み物をすると、心が落ち着く。不器用だけど、黙々と手を動かす時間が何か楽しい。そこに一杯のカフェオレとチョコレートのかけらなんかあったりすると、天国。作家たちとか単純に物作りの好きな人たちの動画などを見てしまうと、メルヘンな世界がそこにはあって、いろいろあるけれど、色彩の統一感もあるし、いろんな色が飛び交っていても、何か心わくわくしてしまう。ホテルのような無機質な空間もいいけれど、メルヘンが詰まった住まいなんかはもはや住まいそのものがアート作品に見えてしまう。そういえば、昔、黒い下敷きをなぜか枕元に置いていて、朝、目覚めるとその黒い下敷きが真っ先に目に入ってきて、心も暗くなり、違う日に花がいっぱいという水彩画に変えたら、心明るく目覚める、ということに気がついたことがあった。思うに生活感あふれていても、使い勝手が良くて、元気の出る色彩や心あったまる、落ち着く色彩で統一されていれば、一日の始まりも楽しくなるんではないだろうか。と、いうわけで、袋に詰め込んだ古着をいくつか再び出してしまった。まあ、でも、今日はそれなりに捨てる覚悟の出た服もあったので、これで良しとしよう。
April 6, 2024
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何度かの引っ越し経験者としては、モノを少なくさせたい、と数年前からずっと思っている。今度こそは、と思う時に、夫の親戚同然の知り合いのご夫婦が亡くなられて、お片付けのお手伝いに行き、結局なんだかんだと、まだ使えそうですね、といただいてしまったり、そこでものがまた増えてしまった。この話、すでにブログに書いたかもしれないけれど、捨て活で挫折するたびに思い出す。いや、ほんとうに素晴らしいものもたくさんいただいたので、そこは感謝なのだけれども、これは要らないかな、というものも結構ある。その片付けを夏の暑い時に汗だくで一週間寝泊まりしてお手伝いした時に、アパートにはお二人しか住んでいなかったのに、こんなにもたくさんの物が出てくるんだ、と驚いた。別の知り合い夫婦も来て、時に4人、5人で片付けた。衣服でも靴でも、書物、庭用用品、お茶碗、お皿、スーパーの袋もたくさんあった。アルコール類から賞味期限の切れた缶詰まで。眩暈を覚えたものだった。小さな棚にも、こんなに押し込められるものだろうか、と思うほど、いろいろ入っていた。お二人ともお仕事をされていたし、旅行も大好きな方たちだったので、片付ける暇はそんなになかった、と思う。趣味は良い方たちだったので、生前は招待されていくと、毎回、素敵なお住まいにしていらした。第二次世界大戦時は子供だった方たちだから、モノは大事にされていたようで、プラスチックの袋でも、丁寧にたたんであったり。缶詰が多かったのも、いざと言う時の不安がおありだったからだろう。私はあの時、あらためて自分がこの世を去る時は、できるだけものが少ない状態で去りたい、と思ってしまった。が、捨て活ってそんなに簡単じゃないのね。時々、啓発、啓発、といろんな動画を観ても、いざ、服なんかの前に座ると、ああ、思い出があ、とか、いや、この生地でクッションとか何かに変換できないか、とかお情けの家庭科3が偉そうに大層なことを目論んで、先に進まなかったり。姉からもらったセーターは縮んでしまったが、捨てがたく、帽子に縫い直したり。小さな穴が開いたから、と自分で作った猫のアップリケをほどこしたタンクトップも捨てがたい。もう絶対着ないのはわかってはいる。クッションにしようかなあ、と。誰かのブログで、クッションってそんなにたくさん必要?と書いてた人がいた。確かに。夫が持っているものは礼儀として基本タッチしないが、夫は、もっとひどい。捨て活より、もらってくる人なので限界がある。国籍も年齢も違うが、亡き父に似たところがあるので、ある程度、あきらめてはいる。男の人ってそういう人が多いのかなあ。掃除とかね、自分でほとんどしない人はそうなるのかも知れない。掃除する時は、すっきりした部屋のほうが簡単でしょ。そういうことがわかんないのね。(そういうお前もこの間、ブロカントで何か買ってきたよなあ、と言われそう💦)そう、人のことは自分のことより気になるんだよね、きっと。いやですね。反省、反省。うう、辛い。昔、パリ市内のあるアトリエの管理人の画家の人も、アルメニア出身の人で、結構、その辺にこれは使えそうだと思うものが落ちていると拾ってくる、と話していた。内心、奥さん大変だなあ、と、うちの亡き母と重なってしまった。夫が勝手に同僚からいただいてきたもの。それが引っ越し前日にもらってきたりした時はほんとうに泣きそうになってしまった。くれる人も人だよね、と内心恨み節が。その同僚も新築中で、規模の大きい捨て活中だった。こちらが断りにくい感じで迫ってくる人だったから、夫も流されてしまったのか。引っ越しするのに、これからあ。自分たちの荷物だけでも小トラックに全部入るかどうかわからんのに。夫のボリューム認識力は皆無だということはわかっていたが。ここまで楽観的だったとは。案の定、そのために自分たちのほぼ新しいお気に入りの冷蔵庫が最後に車に入りきらず、南仏の家を買ってくれた家族に譲ってしまうしかなかったこともある。彼らは大喜びだった。ほぼ新品の冷蔵庫。しかも、小トラックも詰め込まれすぎて、タイヤが低くなり、結局、途中でもらった大きなベッド部品を廃棄処分すると、いう。結局、今はノルマンディの家で、前の住人が置いていってくれた古い冷蔵庫を使っている。ノルマンディに引っ越しした時に、夫の親戚から組み立て式シングルベッド6個、組み立て式家具なども夫がもらっていた。いや、うち、そんなに大きくないんですけど。車を入れるはずのガレージもパンパン。車は外。そのほかに掃除機を下に通せない同僚由来のダブルベッドもある。人が遊びにきて使ったのは2年間で確か3度か4度かだけ。自分的には、せめて掃除機が通るベッドに変えたい。シングルベッド4個は、部品が足りなくて、組み立てができない。処分したい、と思いながら、自分はこの世を去っていくんだろう、きっと。夫はいつか部品を見つけて使えるんじゃないか、と思っている。仮に修復できたとして、どこに置くの?さ、しようがない。すっきりした家にしたいけれど、障害物競走のように続く。捨て活、きょうも少しづつ進めます。
April 6, 2024
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気が付けば2024年2月も後半。ふっと思い出したあるフランスの知人の話し。彼女の恋人は2020年後半?くらいにこれまでにない病気をし、嘔吐をともなう高熱、悪寒が走ったかと思えば、急に熱くなる、という状態で苦しんだという。すでにコロロパンデミック最中の出来事でまともに病院に行けず、恋人が必死に看病した。で、後から、医者から、彼女の恋人はコロ名ウィルス陽性ですという紙を渡され、勤務先にその紙を提出し、数週間の有給休暇扱いを受けたらしい。あの時期は、大学病院の医者たちも大パニックで、ビニールの黒いゴミ袋をかぶって患者に接していた時期だったか。あれは、2020年春過ぎか、ニュースに流れてきた、とある病院内の様子だったので、同時期じゃないのか。あるいは政府が民衆に対して熱のある人は自宅静養してドリプランでも飲んでいてくださいと言っていた時期だったか。とりあえず、2020年6月頃から、厳戒態勢が緩和されて、フランス国内を自由に移動してよいが、6人以上の集会は禁じるみたいな時期の後だろうと思う。その彼女がふと思い出して最近話してくれた。「でも、おかしくない?あれって感染するって言われてたじゃない。私、ずっと一緒に看病してそばにいたのに、何ともなかったのよ」思わず、私も「それってもしかして何か悪いもの食べちゃってあたっちゃった、だけだったとか?」あたっただけで高熱が出るかどうかはさておいて。今は昔の話で私たちは思わず笑ってしまった。自分は、というと、2009年にとんでもない風邪を引いて、あれ以来、2024年初期まで風邪らしい風邪も引かずに来ている。南仏には2022年夏まで住んでいたが、南仏では頭痛に悩まされることもなくなっていた。日照時間が長く、空気が乾燥しているのと関係があるんだろうか。フランスは日本に較べると湿気がそんなにない。今思えば、おかしなことに特にフランスで大手報道機関が一斉にコロロパンデミックをこの世の終わりのように告げ、医者たちや報道記者たち自らも大パニックに陥ったあの2020年春。あの状況がフランスだけではなく、中国、米国はもとより、欧州連盟加盟国27ヵ国、英国、日本、韓国、イスラエルで起こっていた。インドネシアも。インド、アフリカ諸国も。そして4社大手の製薬会社の遺伝子治療薬の注射が世界各国で、これしかないんですよ、と治験中にもかかわらず、世界保健機構が承認して、世界中の政府に販売された。あの液体は、各会社によって異なるみたいだが、中には摂氏マイナス90度で保管しなくてはいけないものもあり、インドやアフリカ諸国の隅々まで行き渡らせるのは無理があった気がする。インドネシアだって、下手すると停電することもあるわけで。インドでは、イベルメクチンで代用したらしい。で、もともとそんなにパンデミックが起こってなかったとある微生物学者の人はユーチューブで話していた。欧州連盟加盟国のスエ―デンは割にパンデミックに対しては割に冷ややかな出だしで、人との距離をとってくださいくらいだった、と。フランスのように自宅から1㎞先の外出は禁止、出たら135ユーロの罰金、という厳しい対策が取られたことはなかったらしい。フランスではこの厳しい対策に、いやあ、必需品購入どうするの、と民衆が騒いで割と短期間で終わったけれど。なので、ある医学博士は、あれは医療設備の整った先進国を対象にしたパンデミックですね、と皮肉っている。思えば、あの2020年春頃から、つい最近までだけれども、私たちときたら、この3年間、冬場に咳もあまり出ず、いつもより体調が良かった。思うに、田舎に住んでいて、それほど多くの人に出遭うこともなく、ということもあるだろうけれど、それなりにフランスのあちこちの町にも時折出没したわけで。ひょっとすると、2020年春から少なくとも2023年ぐらいまで、フランスの店という店には消毒用アルコールが置かれ、みんな手を消毒していたのもそれなりに効果を発していたのでは、とふと思う。手が荒れちゃて、と文句を言う人もいたけれど。帰宅後すぐに手を洗うことが習慣づいた人もいた、と思う。今でもアルコールを置いている店はある。思わず使ってしまう自分。2016年から2024年1月くらいまで、フランスの風邪薬ドリプランもとることもなく、唯一とったのは、日本から送られた咳止めコンタック。あれは翌日に体調がだるくなるようなこともなく、私には最高のお薬だった。ドリプランは翌日頭痛などが消えても、身体がだるくなる。微生物学者のディディエ・ラウルト博士のユーチューブ講義で、あの薬を睡眠薬代わりに取る人もいるが、肝臓を攻撃するので、長い目で見て、あまり摂取するものではない、と話しておられた。そのドリプランを政府が勧めていた2020年春から2022年末ぐらいまでかな。熱が出ても、病院には行かずに家でドリプランを飲んで待機してくださいと。今年の一月に珍しく風邪を引いたら、あ、コロナウィルス感染した?と、みんな聞いてくるので、いやあ、熱もなく3日くらい鼻づまりとだるさがあって、あとの3日はだるくて寝込んでいたが、その後はまた元気になっているので、普通に風邪だと思う、と答える。実は普通の風邪にもコロナウィルスがあることはウィルス学者の人や微生物学者の人たちが話している。June Alleida (1930-2007) というスコットランドの病理組織学及びウィルス学者が1965年にコロナウィルスを人間の体内で発見し、1966年にその構造を発表したそうな。Coronavirus humains (HCoV) という論文があって、フランスのカン大学病院の研究者A.Vabretのグループが2008年に発表しているものによると、コロナウィルスはもともと哺乳類や鳥類に見受けられていたことが知られ、1960年代にその中の5つのコロナウィルスが人間に移り、呼吸困難を引き起こすサースコヴウィルスが2003年3月に発見されるなどなど。少なくとも1960年代から知られていたウィルスだった、ということは、ユーチューブから削除されたある米国人も話していたことだったなあ、と。きりのない話です。
February 20, 2024
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いきなりですが、assez は副詞です。assez のあとに形容詞 adjectif がついて、「~するほど誰々は~です」と言う文を作ることができます。être assez adjectif pour たとえば、「無知の知」を表現している台詞で、自分は自分にはわからないことがあることを知るには十分知的である、と。Je suis assez intelligent(e) pour savoir ce que j'ignore.君を許すほどに自分は大人だが、あらたに君を信頼するほど馬鹿ではない。Je suis assez mature pour te pardonner, mais pas assez stupide pour te faire confiance à nouveau.すぐわかっちゃうことだけど。この家具の組み立て、割と簡単だよ。Tu verras. C'est assez facile pour monter ce meuble.しつこいですが、このように、je suis assez のあとに形容詞 adjectif がついて、「~するほど自分は~です」と言う形を作れたりします。être assez adjectif pour あるいは単純に「私はまあまあ内気です、恥ずかしがり屋です」Je suis assez timide. と言えたり。Elle est assez grande pour sortir seule. 彼女は一人でお出かけできるくらい大きいわ。Avez-vous assez de place pour deux cents personnes ? 200人収容可能ですか。さて一つ注意点として、「~には十分な~」で使う assez は、assez の後、そして名詞の前には du でも desでもなく、必ず de という前置詞がつくんですね。8人分のケーキをつくる林檎の数はあるのかしら。Est-ce qu'il y a assez de pommes pour faire un gâteau pour huit personnes ?assez と一言だけ捨て台詞で Assez ! と吐く時は、「もうたくさんだ」と言う意味になります。発音的にはイントネーションは違いますが「汗💦」に近く、最後のzは音になりません。ついでですが、「いい加減にしなさい」ça suffit! よく映画の中で、お父さんがわがままを言う子供や止まない兄弟喧嘩を叱る時に言い放つ感じです。J'en ai assez ! もう、たくさんだあ。J'en assez travaillé aujourd'hui. 今日は全くよく働いたわ。作文テスト1 この機械は結構使いやすいです。2 彼はまあまあ人見知りなんですよ。3 彼女は自分が何をしているのかわかるはずですよ。 (そのくらいの年齢ですよ)Réponses 1 Cette machine est assez facile d'utilisation.2 Il est assez timide.3 Elle est assez grande pour savoir ce qu'elle fait.
February 19, 2024
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「足るを知る」は、次のような表現がよく使われます。savoir se contenter de peuse contenter 満ち足りる 満足する と言う意味の代名動詞我足るを知るJe sais me contenter de peu.お店の前で、あれもほしい、これも欲しいと悩ましい時に、こんな台詞で我慢しようとするわけですが。昔、中学校の英語の当時24歳の先生が、欲しいものがある時に僕は一週間待ってみて、それでも欲しいと思ったら買うが、大概のものは要らなくなると話されていて、以来、私もできるだけそれを実践するようになりました。若い時に、たとえば欲しい、と思ったレコードがたくさんあり、結局そんなに買えなかったわけですが、インターネット料金を払えば無料で聴ける時代になって、ああ、あの時買わなくて良かった、と思うものもそれなりにありました。好きな曲は、その内、CDになり、また買いなおしたりもして、時代は変わってゆくふりをして、様々な幻想のように現れては消えてゆく、でも、自分というものはそこにいて、なああんて徒然もなく思い巡らしたりして。
February 19, 2024
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低地ノルマンディ Basse Normandie にある小さな村 Méhoudin の 川のそばにある愛らしい教会を訪れてみました。 川のせせらぎと豊かな緑、大きな西洋楢の木のある庭、何ともロマンティックな場所です。 あ、道路沿いなので、車の騒音が若干すごいんですが、 農業用のトラクターも割に通ります。ノルマンディの田舎は渋滞らしいものはないのですが、このトラクターに出遭うと、ノロノロ運転を強いられてしまいます。 さて、その美しい景色の中にある小さな教会はなんだかんだと人々を魅了しているようです。駐車場もあります。あ、教会だから、人が集まる場所に駐車場があるのは当たり前か。 気分的に神社やお寺を訪れたような気分になります。 こういう小さな教会はそこに住む人々の暮らしの中で、一つの精神軸として守られてきたのだろうと思います。静かに祈りを捧げてきた神聖な場所なのですね。 ただ、宗教が権力を持ち、濫用された隠したいような話もなきにはしはあらずで、どの宗教でも、まるごと鵜呑みにできない部分もあるだろうし、ファナティックになることもないだろう、と。こんなことを言っているから、無宗教。でも、何となく自然に宿る神様は信じている感じで。頼りたい時の神頼みも相変わらずしてしまいますし。 夫はカトリックなので、私が彼の健康を願ってカトリックのお祈りをしたり、亡き親は仏教徒だったので、仏教でお祈りしたり。そのカトリックの夫がなぜか仏像をほぼ彼の書斎のようになっている居間に飾っていまして、お祈りを捧げることもあり、たぶん、知らない人が来たら、私がファナティックな仏教徒と勘違いする可能性はあります。仏像と言えば,昨日、ノルマンディの田舎で迷子になり、走行中に、なんと、ある一軒家の窓の外に仏像が二つ飾られていました。フランスでは確かに仏像イコール瞑想、静寂を呼ぶものとして、それ以上の宗教的な見方はされてないと思います。が、あと、結構、風水にはまっているフランス人もいるようで、あれは、東北に白、東に青、南に緑、西に黄色、と私も若干はまりましたが、それと関係あるのかなあ、と思ったり。いろんな人がいて、楽しいフランスです。さて、教会を見ると、いつも一体、これは何様式なんだろうと気になってしまいます。が、この教会は、どうもノルマン様式のようです。 l'art Normand le style Normand え?ノルマンディにあるから、ノルマンかい? って突っ込まれそうですが、ゴシック様式のリブヴォールト croisée d'ogive が使われているのに、ゴシック様式の特徴の一つであるあの華麗な arc boutant フライング・バットレスがないんですよ。 こういうのを、Art Normand と呼んでいるそうです。 いや、でも、やっぱりノルマンディにあるからじゃないのかしら、と、思っちゃいます。ノルマンって昔は北欧のヴァイキングを意味していましたが、北欧と関係あるのかしら。 この村のメウダンと言う名前、メは家を意味し、ウダンは戦う者と言う意味だそうですが、ウダンって名前の北欧の神様いませんでしたっけ。と、思いはいろいろ彷徨ってしまいます。 ちょっと、おさらい。リブヴォールト croisée d'ogive天井に交差する骨みたいなもの。(ボルドー市内の聖堂)フライング・バットレス arc boutant ( 高地ノルマンディ Vernon-Giverny の聖堂)写真の左側の半円を描いたような柱のことです。建物を支えるためのものらしい。これのお陰で天井がより高く設置できるようになり、ステンドグラスが多く使われ、より内部を明るくできるようになった、と。こんな美しい建築物に、これいっちゃおしまいなんですが、肥大化していく感が若干あります。さて、低地ノルマンディのこのメウダンという小さな村には8世紀にはすでに人が住んでいたそうです。北欧ヴァイキングが押し寄せたという時代でもあり、いろいろ定着して住むには困難な時代だったかもしれません。 フランス大陸には北欧ヴァイキングが8世紀にはすでに来ておりまして、911年にはノルマンディと言う広大な土地が北欧ヴァイキングのロロン Rollon に捧げられ、 ロロンはキリスト教徒の洗礼を受け、カロリング朝フランク族の王シャルル3世、別名「単純王」Charles le Simple の娘 ジゼル Gisèle と結婚し、 ロベール一世となり、後からやってきた北欧ヴァイキングたちの侵略を防ぎ、 ノルマンディをフランス国の一つとして守ったとされています。 ロロンは、Rollo とも書かれていたそうです。ラテン語。スカンジナビアの人は Rolf とか Hròlfr と書いたそうです。911年、La traité de Saint Clair sur Epte という契約でノルマンディ誕生です。ちなみにこのノルマンディ誕生前にフランスに渡ってきた Saint Clair 聖クレールはイングランドはケント の Olchestria に生まれた人で、相当ハンサムだったのか、イングランドの貴族の女性に結婚を迫られ、逃げまくったものの最後は、命まで狙われ、884年11月4日に貴族の女性が送った兵士たちによって残酷な形で没しています。9世紀のストーカー被害者ですね。845年生まれという記録が残っているそうで、39歳であの世にいってしまったんですね。高地ノルマンディのエプト Epte の教会には、聖人クレールのミイラが残っていて、忘れ去られたような古い教会の中で祀られているんですよ。背の低い聖人だったようです。Epte の地名は川の名前から来ています。近くの公園に、言い伝えで、その場所に、聖クレールの頭が置かれ、そこに聖なる水が湧き出ている、と。私はそこでちょっと怪我をしたので、女嫌いだったのか、まあ、わかる、と思っちゃいました。シャルル3世、別名「単純王」Charles le Simple 879年9月17日生まれ。911年、彼は32歳。青年ですね。でも、当時の寿命は今より短いのかな。929年に50歳で亡くなったそうで、4人目の妻の一人息子はイングランドに渡り、海の向こうで、Louis d'Outremer の名前で知られていたそうです。ロロンの子孫は、シャルル3世の子孫でもあるわけですね。単純王と訳され、フランス語で Charles le Simple ですが、もともとは気さくで正直という意味合いのあるものとして Simple が使われたそうです。単純なおばかさんだから、というわけではなかったのですね。はい、閑話休題。教会建築の話しに戻ると、時代とともに増築やら修復やらで、その時代時代の様式を取り入れていっていることが多いようで、この教会はこの時代のものと決めつけられないことも多々あるようです。大雑把に言って、教会建築の様式で、 ロマネスク様式は、10世紀から12世紀頃に多く取り入られ、 ゴシック様式は、13世紀から中世の終わり頃まで、さらに ゴシック・フランボワヨンのように装飾性を増して17世紀、18世紀へと 続いていったと言われています。 そのほかに、ネオ・ゴシック と言う言葉もありましたが、 この間、朝市で偶然撮った教会が後で調べると、 ネオ・ゴシック様式の教会だと紹介されていました。 あの動画、我ながら、滅茶すっぴんのフランスと言う感じになったと自負しております。動画撮影はあくまでも素人ですみません。ロマネスク様式とゴシック様式が重なった時期もあります。南仏では、さらにビザンチン様式の聖堂もありました。 ちなみに、ロマネスク様式 と日本語で言われていたので、単純に スティル・ロマネスク とフランス語で言ったら、フランス人に笑われてしまいました。フランス語でロマネスクと言うと「小説的な、情熱的、空想的、」な意味として 使用されているようで、建築用語としてはないそうです。バカにされ、笑われては一つ覚えていくのでございました。 なので、フランス語では、l'art roman, l'architecture romane と呼ばれています。 日本にロマネスク様式と言う言葉が使われたのは、英語圏の影響でした。 イタリア語では arte romanica だし、なぜに英語圏で、ロマネスクになってしまったんだろう。ドイツ語は、römische kunst 素人動画ですが、良かったら、ご視聴ください。
September 27, 2023
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ハリウッド映画俳優のマット・ディモンがフランス、低地ノルマンディの騎士ジャン・ド・カルージュ4世を演じる映画をこの間、観ました。「最後の決闘裁判」 リドリー・スコット監督のこの映画はあまりヒットしなかったそうですが、内容はなかなか見ごたえのあるもので、14世紀のフランスという時代背景にもこだわりがあったようです。 見ていて、黒澤明監督の「羅生門」を思い出しました。 映画は、14世紀のジャン・ド・カルージュ4世という騎士とその妻の実話に基づくものだそうです。 決闘は、このジャン・ド・カルージュ4世と、彼が信頼を寄せていた馬の世話をするル・グリとの対決だったそうです。 カルージュ4世が、100年戦争参加のため、妻を義理の母の城に置いて、遠征。 ある日、その城で義理の母が召使いを全員連れて外出中、一人残された妻が城に侵入した二人の男の一人に辱めを受け、その犯人がル・グリだったと妻が遠征から戻った夫のカルージュ4世に隠すことなく報告。 ル・グリはそんなことはない、と否定。 カルージュ4世は、パリ議会に訴え、パリ議会も第三者の存在がないため、誰が犯人かわからないので、こういう時は、決闘で負けたら悪人、という今では想像できない「決闘裁判」を認めた、というのが粗筋。 で、ジャン・ド・カルージュ4世は、高校世界史に登場するジャンヌダルクが出現した、まさに100年戦争(1339-1453)の時代の人で、この人も当時の一人の騎士として、フランドル地方、イングランド、スコットランドまで遠征したそうです。 ジャン・ド・カルージュ4世の生まれた年を1330年頃と書いている人や1341年と書いている人がいて、どちらが本当なのかわからなくなりました。ただ「最後の決闘裁判」は1386年に行われた、とあったので、1341年説なら、騎士は45歳。1330年頃生まれなら、56歳ぐらい。1396年にブルガリアのニコポリスの戦いで戦死。55歳。と、いう説と65歳で没言う説もあります。 何故、この騎士の話をするかというと、ノルマンディ走行中に立ち寄った古い煉瓦を積み上げた重々しい城の最初の主がなんと、この騎士だったからです。 つまり、マット・ディモンが演じた騎士、ジャン・ド・カルージュ4世が所有した城だった、と。 しかし、戦争で遠征ばかりしていたので、ジャン・ド・カルージュ当人は留守がちだったそうです。 お城の管理をしている男性が夫にした話しでは、リドリー・スコット監督が「最後の決闘裁判」のために、 ヘリコプターでこの城の敷地の一角にやってきて、ここで撮影できないか、と見にきたそうです。 が、実はカルージュの城は、カルージュ生存中の14世紀の Donjon(天守)は残ってはいるものの、このカルージュ騎士の後に城主となった家族が17世紀にも増築し、庭園も18世紀の様式にしていたため、映画の時代背景にそぐわないと撮影はドルドーニュ地方の城でされたそうです。 なので、映画の舞台にはなりませんでしたが。 また「最後の決闘裁判」そのものは、地図で見るとパリ市内のマレー地区の少し上の方の広場で行われたそうです。この城からパリまで200kmはあり、歩くと二日はかかり、自転車で12時間、車で3時間。馬や馬車で、どのくらいかかるんでしょうねえ。乗馬は結構な肉体労働みたいで、お尻が痛くなったり、大変みたいですが、当時の人は頑丈な骨と筋肉をしていたんですね、きっと。 当時のフランスの王やほかにも多くの人間がまるでショーを眺める如く見物したそうです。あの闘牛を見物する感覚なのでしょう。 映画の内容そのものは、なかなか重くて、特に決闘の場面は目を閉じましたが、俳優のベン・アフレックの演技を映画の質をちゃらいコミックに下げている、と批判する人もいたようですが、個人的には、あの俳優が軽い性格を演じて風通しを良くしていたような気がします。やっぱり、どこかに笑いもないと。 この話はカルージュの村では、ずっと語り伝えられてきたようです。 この話には、後から、本当の犯人は、ル・グリではなく、カル-ジュ4世の妻に恋慕を抱いていた部下の一人が僕がやりました、と後から告白している話も残っているそうです。 また決闘に負けたル・グリの家族は罰金を払うため、土地も失い、完璧に破産し、カルージュ4世は大金を取得し、十字軍遠征でアフリカに行った、とか。 このカルージュの城は、ジャン・ド・カルージュの家系が絶えたあと、ル・ヴナーという家族が取得し、数世代に渡って城に住んでいました。なので、14世紀から17世紀に建立された城ということになります。 庭園もいろいろ手を加えられ、モーリス・ガブリエルという人の1711年の図案も残っているそうです。 今では、カルージュの村役場がこの城の管理をしています。確かにベルサイユ宮殿のような華やかさはありませんが、そこがまた良くて、控えめな美しさと、城を囲む緑豊かなノルマンディの美しさの中にひっそり佇む城です。ただ、最初に訪れた時は、悲し気な曇り空で、この時は、このお城が一層重々しく見えまして、いやあ、ここには住めないでしょう、とつい思ってしまいました。二度目、三度目に行った時はお天気も良くて、お城の中にはやっぱり住めなくても、手入れの行き届いた庭園はさすがに気持ちよかったです。 何故、お城の中に住めないか、というと、大きな台所が半分地下にありまして、暗いんです。当時の給仕人は大変だったでしょうね。ごちそうをいちいち階段を上がり降りして運ばなくちゃいけなかったんですね。 と、いうわけで、映画の舞台にはなりませんでしたが、本物のジャン・ド・カルージュ4世が所有した城の庭園を歩いた時の6分半の動画です。宜しかったら、ご覧ください。
September 17, 2023
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低地ノルマンディの午前零時近くに聞こえてくるトラクターの音。7月中旬過ぎ。一体何時までトラクターが動いていたんだろう。何のためのトラクター?麦穂を刈るため?眠れなかったので、ひょっとすると夜中の2時ぐらいまで騒音を聞いていたかもしれない。そんな時間帯に仕事をしている農業従事者がいることに驚いてしまう。2022年も確か午後11時過ぎにトラクターが土を耕していた。あれは大型耕運機というのかな。驚いたものだった。季節的にいつだったんだろう。過去ブログに書いている可能性もあるけれど、覚えていない。エネルギー的に夜中の方が安いとかそんな理由とかあるのかなあ。昨夜の音は、何のトラクターかはわからない。音は聞こえるが結構遠くだったんだろう。音だけよく響いていたけれど。この辺りは、麦、トウモロコシ畑、牛の放牧地が多い。晴れていれば、日中は暑い。真夜中のひんやりした空気の中で働きたいのは理解できないわけではない。低地ノルマンディはただ曇る日や雨が降る確率は南仏より圧倒的に多い。湿気は日本より低いので、夜はひんやりしている。夜中に起きているのは小松左京みたいな人ばかりと思っていた。まさか、早起きのはずの農業従事者が夜中に仕事しているなんて。近所の酪農家の人は、夜の10時近くまで仕事が終わらない、と話していたこともあったことを思い出す。
July 20, 2023
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2.3日前に知り合いの人、夫と4人でノルマンディの田舎の川を下った。頑丈なプラスチックの、フランスではカヌーカィヤックと呼ばれているもの。それぞれ一人乗りのカヌーに乗る。急な下りは一か所しかなく、あとは静かな流れ。初心者向け。川べりにはずっと木々と緑があり、途中でカモの親子を見たり。緑に囲まれ、水辺をずっと進んでいく時の風景がとにかく美しい。時々、水流で丸くなった岩々の間をカヌーで過ぎていく。流れがあまりにものんびりしている場所では一応漕いだりもするので、ちょっとした運動にもなる。時々、岩と岩の間に挟まったり、カヌーから半分落ちそうになったり、びしょ濡れに。それでも、岩の多いところはカヌーから降りても沈む深さではない。午前11時半から午後3時までずっとカヌーに乗っていた。気分的には1時間半くらいに感じていたので、驚いた。この後は、家に戻り、それぞれシャワーを浴び、夫は庭の一角で牛肉とじゃがいもやパプリカを焼き、赤ワインや普通にお水と庭先のテーブルで食事。なんというか、大自然を満喫した後のこういう食事はいつもよりおいしかった。
July 19, 2023
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2023年7月17日から18日にかける夜。夜中の何時だかはわかりません。眠れなくて、窓の外の夜空に浮かぶ星を眺めていました。ノルマンディです。一つの星がというか光というものがスーッと現れて、一瞬夜空に大きくオレンジ色に光り、あ、スーパーノヴァっぽいと思っていたら、その後、オレンジ色に光りながら、半円形を描くように不規則な動きで落ちていく、と思うと、少しまた上に上がり、また落ちていく。あれは何だったんだろう。また、タイの風船?風に飛ばされて不規則な動き。何となく、不器用な動き方だった。流れ星なら、まっすぐな動きをすると思うんですが。とりあえず、ベッドから降りて、窓のそばまで行って外を眺めたけれど、木の陰に隠れたのか、もう見えなかった。と、いうだけの話しです。
July 18, 2023
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「デイビット・マーティン博士。つまり全く自然発生ではなかった」というタイトルで検索してほしい。日本語で書かれているので英語の苦手な人は助かると思います。2023年の1月の投稿なので、すでにご存じの方もいらっしゃるとは思います。アメリカ人デイビット・マーティン博士は2023年5月3日に欧州議会の中で頃名サミットに招待され、その時の講義内容がユーチューブに投稿されています。こちらは英語のみですが、英語は中級レベルの自分は字幕と一緒に聞きました。Dr. David Martin Speaks To Europen Parliament で検索されると出てくると思います。David E. Martin この方はどうやら、かなり前から警告はされておられたようです。アメリカで特許承認に関わる仕事もされておられたようです。
July 4, 2023
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フランスでベストセラーになっているアレクサンドラ・オンリヨン・コード遺伝子学の医学博士が一般市民にもわかりやすく書いた、という本を読みたい、と思いつつ、まだ購入さえしていない。この本がフランスでベストセラーになる、ということは希望がある。この本の販売収益は、すべて567惑珍のせっしゅを拒否し、勤務先の病院から保留になった医療従事者たちに寄付されるという。保留、というのは、仮に働いても報酬はもらえない、老齢年金の積み立てにすらカウントされず、という現実で、これは現仏政府の対策の一つとして決定されていた。« Les apprentis sorciers » au Parlement Européen avec Alexandra Henrion-Caude上記に載せたリンクでは、欧州委員会でアレクサンドラ・オンリヨン・コード遺伝子学の医学博士が招待され、故ヴィっ度委員会のメンバー間で一時間を超え、それぞれの問題提起をしている。フランス語の字幕は見れるが、日本語翻訳はついていないのが残念。メッセンジャーRNAの研究者。アレクサンドラ・オンリヨン・コード遺伝子学の医学博士はフランス政府からは陰謀派としてメディアからも避けられてきた。あるいはあることないことも書かれたり。彼女だけではない。この故ヴィっ度惑珍に対して、警告をしてきた医学博士たちは今のフランス政府と対立する形にさえなっている。この欧州委員会の場で、英語で話している人は、いまだに堂々と惑珍に関するニセ情報を流していると語る。一時間もあるので、まだ全部は聞いていない。私の周囲では、すでに5回うちの人もいて、その人たちはそろそろ90歳で、当然ながら、その人とはこの件に関して話はできない。そのお二人は、今まで特に寝込むこともなく、腕が痛い、というだけのことだということらしいので、ほんとうに良かった、と思う。と、言っても、我慢強い人たちであり、常にそばにいるわけでもないので、実際はどうだったのかはわからない。イギリスでも、アンドリュー・ブリッジンという英国議会の議員が、「この実験的なもの」のせいで「有害事象」の増加を懸念している。2027年までテドロス氏が議長を務める世界保健機構。フランスでは、どのくらい前からかわからないが、世界保健機構はほぼ寄付金で成り立っていることを取り上げる人たちがいた。その寄付金を多くしている団体や薬剤会社の影響を免れない、ということらしい。そのことを最近、この英国議会のアンドリュー・ブリッジン氏も、議会で、世界保健機構の権限を疑問視する声明を出している。世界保健機構の勤務者は税金も払わなくてよい、という特殊な立場も維持している、と明かし、国民から選ばれて任命されてはいない、と。WHO new treaty567わくに関しては、感染症医学博士のディディエ・ラウルト医学博士は、65歳以上の人に一部、重症化を妨げる結果が観察された、とも話している。ただ65歳以上だといろんな原因で亡くなる人もいるので、因果関係がわからないからか、と言いたげに呟く場面も聞いてしまったので、この発言は現政府と真っ向から対立しないためととれないこともない。どちらにしろ、トビアナ医学博士をはじめとする医者たちは、感染患者のみの治療にあたることが必要だったので、健康体の人々にいっせいに予防として実験的段階にあるものを持ち込んだのは大きなエラーだった、と言っている。確か、著書も出しているはず。ワクって、もともと、生の菌や、生のウィルスを致死量に至らない程度に身体に打ち込むということなので、副反応があるのは、ある意味、当たり前。免疫も下がる、と。ただ、ペロンヌ博士やオンリヨン・コード博士は通常10年かそれ以上の年月をかけて治験を重ねて市場化され、仮に一人でも死亡が認められた場合は使用停止にする、というのがわくちんというものである、と。人間の体調、人さまざまで、それを考えれば、人によっては避けた方がよい場合もある。それが、治験をきちんと終了し、10年かけてようやく認可されたような数十年前から存在するわくちんであっても。と、いうことをラウルト博士やペロンヌ博士のインタビューを聞いてド素人の自分が思ったこと。しかも、治療方法はあるにも関わらず。その治療に使用される薬剤は、2019年頃から、世界保健機構がほぼ使用不可能にし、567うぃるすには認可しなかった。中には逆転写をするというエイズウィルスのように何十年かけてもいまだにわくちんができていないものすらある。が、2年前から世界中でブースターが行われたものは、治験中、実験中のものであった。それで、フランスでは医者や看護師たちが拒否し、病院を追放されたり、保留状態にされたり、散々な目にあい、中には、収入源を失い、自殺した看護師たちもいるという。大手のメディアはこれらの医者を無視し続けている。理由は、彼らも解雇されるから。たまに取り上げるのはフリーの記者だけ。
April 21, 2023
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ユーチューブの動画で、セルビアやフランスの自然派の人たちがタンポポは身体にすごくいい、花も葉っぱも根っこもすべていい、利尿作用、肝臓、腎臓にもよい、と大絶賛しているのを見てから、時々、庭先に咲くタンポポの花や茎や葉っぱを玉ねぎやキノコやブロッコリーと一緒に炒めたりして食している。気をつけなくてはいけないのは、農薬を使用する畑などからできるだけ離れた場所に咲くものでないといけない、と。ただ、農薬の不安がある場合は、重曹にしばらくつけておけばいい、という人も。根っこは癌の治療にもなる、と。根っこ自体は日本でも昔からコーヒーとしても飲まれていたし。根っこはまだ試していない。フランスではタンポポの花とオレンジ、レモンと煮込み、最後に砂糖と寒天などを入れて作る la cramaillotte と呼ばれるタンポポジャムというか、タンポポプリン?みたいなものが昔からあるそうで、どうもフランスだけではなく、トルコの近くにある国の人やセルビアの人も紹介していたので、意外といろんなところで存在していたみたい。今日はタンポポの花をつくさん摘み、私も挑戦してみたい。基本的に農薬の心配はないと思いつつも、念のため、重曹に少しつけて、洗う。花と緑の部分を一つ一つ分離してから、鍋に水を入れて煮込む。市販のオレンジの皮に農薬がある可能性が高いため、皮はコンポストに。レモンは鉢植えで自家栽培なので、皮ごと輪切りにして、タンポポの花と一緒に入れる。一時間ほど弱火で煮込む。と、いうところまで今日はしたのだけど、この後、汁だけを別の鍋に入れ、20分ほど煮込み、最後に砂糖と寒天を入れ、瓶につめて、おしまい。寒天は入れても入れなくてもいいらしい。追記 (フランス在住です)結局、昨日は寒天もゼラチンも自宅になく、煮込んだものをそのまま瓶詰にした。今日の午後、ゼラチンを購入。寒天は売ってなかった。自宅に戻り、タンポポの花、オレンジ、レモンを煮込んだ瓶を鍋に移した。なんと、気持ちゼラチンを入れたみたいにプリンプリンしている。「寒天を入れなくても入れてもよし」と解説していた人はこういうことを言いたかったのか、と納得。とはいえ、せっかくゼラチンを買っていたので、使ってみたい。ゼラチンは使用前にいったん水に10分ほどつけるように、と書いてある。ゼラチンを鍋に入れて、弱火にかけ、ゆっくり木杓子でかき混ぜる。ゼラチンがほぼ溶けたかな、と思う頃に火を止めて、瓶に詰める。果たして、明日はどうなっているだろう。しっかりかたまっているかな。寒天agar agar Agro-Média というフランス語のサイトによると、この、アガーアガー、インドネシア語だと思っていたら、やっぱりインドネシア、マレーに由来する言葉らしい。しかし、寒天そのものは、1658年に「みのらたらざえもん」が発見し、食用の海藻で、特にデザートなどの食品を用意する段階でゲル状にするために使用された、云々と書かれている。L'agar-agar a été découvert au Japon en 1658 par Minora Tarazaemon, c'est une algue comestible utilisée en gélifiant pour des préparations alimentaires, surtout des desserts.JA長野県のサイトによると、「みのらたらざえもん」は 美濃屋太郎左衛門だった。トコロテン、そう言えば、姉が若い時の大好物だったなあ。寒天は日本産だったのかあ。え?癌の治療にも使われるの?フランスは養豚が盛んな地域もあるから、やっぱり普通のスーパーでゼラチンが見つかりやすいのも納得がいく。
April 20, 2023
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最近、ノルマンディにはたくさんのタンポポとヤエムグラが生い茂っています。夫は昨年ヤエムグラをむしり取る作業に追われていました。なぜか、タンポポも嫌いみたいで。ところがこの二つの植物は良質の食用になる、ということ。また、触るとひりひりしていたいイラクサも多く生息しています。これは手袋をして摘みます。これも身体にいい、ということで、よくジャガイモと煮込んでスープを作ります。一昨日の夜は、イラクサとジャガイモのスープを作り、今日は、やえむぐら、たんぽぽを普通のオイル、オリーブオイル、バターを少しづつ入れて炒め、そこにイラクサとジャガイモのスープを入れて食しましたが、苦みもなく。なんとなく香ばしい味がしておいしかったです。どの草が香ばしいのかよくわかりませんが。イラクサにはタンパク質もあるようです。他には、サラダに入れても、煎じても、炒めてもいい、という小さな白や紫のオドリコソウもたくさん生息しているので、時々摘んでは食べます。
April 14, 2023
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昨日、 英国の医師のユーチューブチャンネルで日本の14歳の女の子に起こった話をしていたので、何だろう、と見ていました。それは日本では徳島大学から医学誌に提出された論文の内容でかなり衝撃的なものでした。3度目のせっしゅ後に命を奪われた14歳の女の子にまつわる医学論文をキャンベル氏は説明していました。日本法医学会の機関紙Legal Medicineに掲載された論文だということも話していました。英国の医師キャンベル氏はほぼ毎日のように自身のユーチューブチャンネルに投稿し、この新567ウィルス(構造がサーズコーヴ2に似ているとフランスの医学博士ラウルト氏)にまつわる話や論文を主に取り上げ、時には、あれを打った後で健康体だった身体がぼろぼろになった人をインタビューすることもあります。今回の日本のまだ14歳という若さで命を失ったこの話には、キャンベル氏の動画コメントに、英語で、ご冥福を祈り、残された家族をいたわる痛々しいほどの思いが数多く綴られていました。で、私は先ほど、再度、その動画を見ようと思い、探しましたが、消えていました。先ほど、キャンベル氏は、Wednesday video というタイトルの投稿されたばかりの動画の中で、昨日のその動画が削除されていた、という話をしていました。彼の意思とは関係なく。ユーチューブチャンネルの検索に引っ掛かり、かくもあっさりと削除された、ということなんですね。キャンベル氏はそれでも、これまで、しんころな〇く〇んに関する医学論文をとりあげ、一般の人にわかりやすいように説明などをしてきて、削除されたこともなかったと思います。が、この日本の論文を載せた途端、削除された。まるで、日本で起こっていることの一例が英国や英語圏で拡散されては困るのか、と思うほどです。キャンベル氏は、最近の別の動画で紹介していたこともなかなかショッキングでした。イギリスで、ある一人の政治家が国民議会のようなところで、「実験的なものを多くの人間に打たせようとした」という文書を読む直前に会場から、ほぼ全員が退場し、彼がたった一人取り残された状態で、訴える、というあり得ない状況も紹介していました。質疑応答をしても誰も聞かなかったことにされるわけですね。さて、フランスでは、遺伝子学専門の医学博士アレクサンダー・オンリヨン・コード博士の本が今、ベストセラーになっているそうです。この博士は、テレビからもラジオからも陰謀派の一人として避けられた一人ですが、あの本来フランスが誇るべきノーベル賞受賞のエイズウィルス専門医学博士モンタニエ氏やライム病専門医学博士ペロンヌ博士とともに某薬剤会社の〇く〇んと呼ばれるものに対して講演を続けてきた人です。
April 13, 2023
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久しぶりのパリでした。が、ほぼ一日半くらいしかいなかったので、観光名所ばかりをうろうろしたのみです。動画は2023年3月末、バスの中からとった11秒のパリ市内です。前日あたりにパリ市内ではデモがあったということで、若干、不安でしたが、観光名所ということもあるためか、この日は特に普通にバスに乗ることができました。年金改革案で、強硬姿勢をとってしまった政府への抗議デモが続くフランスです。デモ隊自体は抗議のために歩くということなので、本来平和的なのですが、怖いのは、これに便乗して暴徒化する人たち、また、警官も、といいますか、機動隊もまた人間ですから、かっとなって非武装のデモ隊に殴りかかる人たちもいたようなことがユーチューブでは報道されていました。デモ隊とは関係なく、中にはお店のガラスを破って貴金属を盗む者もいた、と報道されていました。あと、プラスチックのゴミ箱に火をつけたり、それは歩いた時にひょっとして、これが、と思う跡はありました。デモのある日は気をつけないといけませんね。
April 6, 2023
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昨日はなんだか、おかゆが食べたくなって、寒い台所に立ち、あまり深く考えずにほぼ習慣病みたいにたまねぎを手にとり、あ、そういえばと冷蔵庫を開け、マッシュルームとネギを取り出し、適当に切り始めた。そういえば、前日に炊いたご飯の残りもあったなあ、と思うに、最初はおかゆが食べたかったのだから、これを最初に出すのが普通だとは我ながら思う。なぜ、たまねぎだったのか...居間の薪ストーブに火をつけていたので、その上に切り刻んだ野菜とあら塩と水を一緒に入れたお鍋をのせる。そして、なぜか、そういえば、これもあった、とエビも冷蔵庫からだし、小さな古いややゆがんだフライパンにやっぱり切り刻んだたまねぎとマッシュルームをバターで炒め、しばらくしてエビを入れる。塩コショウしておく。最後にフレッシュミルクを少し加える。薪ストーヴの上で全部調理しているので、なぜか気が軽い。電気代を気にしなくていいのは気持ちがよい。薪ストーヴはシンデレラ姫覚悟ではあるけれど、暖かさが違う。シンデレラ姫つまり灰かぶり姫。さて、煮込まれた野菜スープを入れる器にスプーン一杯の信州みそを溶かし、その上にエビ野菜炒めを入れて食べたら、なんというおいしさ。これにショウガや大根のすりおろしたのを入れたら、もっとおいしくなるかもしれない。最初はシンプルにおかゆを食べようと思っていたのに。
January 28, 2023
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新年あけましておめでとうございます。健康にも恵まれた一年となりますように。Très Bonne Année 2023!Meilleurs Voeux et surtout en bonne santé!
January 7, 2023
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タイトル通りです。「風の通り道」のギター演奏を聴いて、やはりいい曲だと思いながら、カヴァーで歌う人たちの声も次々とつい聴いてしまい、そうして偶然であった歌声といいますか、歌い方。たぶん、「心に響く歌声」とはこういう歌声のことをいうのかもしれない。何世紀も日本に生まれてきて、言葉の一つ一つに魂が入ってしまうような。ふだん、歌を聴くとき、ああこの歌手は自分の声をしっかりコントロールできてすごいなあ、とか、ああ、まるで天使の声みたい、とかそういう聞き方をすることが多くて、でも、Fagagie Mooさんの歌い方は歌われる言葉の一つ一つというか、ひらがなの一つ一つに音色がついて、ささやくような声で歌われていて、と書いても、まあ、そういう形容をすべて超えてしまっているんですけれど。Fagagie moo (cover) 風のとおり道 (The path of the wind) アレンジして歌ってみました
November 29, 2022
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フランスに来てから、長年、夫につきあい、中古車で長距離もたくさん走ってきたので、車はとにかく走ればいいのだ、と思うようになりました。細かい気配りがたくさんついていても発車しなかったら無意味、一部壊れたら、部品を変えて、それでいいじゃない、車は走ればいいんだから、と。あきらめも大きい。なにしろ、湿気は日本ほどないと言っても、酷暑の夏の熱風の中を冷房のきかない車で南仏から北西部に千キロを超えて走行する、ということがあった時は、ちょっと地獄。日本で乗っていた冷房完備車が恋しいばかり。それでも車を変えようかと言わない夫にさすがにもうあきらめていました。どうせ、夫は車には興味がないから、一生、修理をしながら中古車でいくんだろう、と。が、最近、夫が新車をしかも電気自動車を買うか、といってきました。思わず耳を疑いました。私が言うならまだしも、あなたの口からまさかそのお言葉が出るとは。フランスでは2022年12月末までに4万7千ユーロを超えない新車の電気自動車を購入した人には政府からの補助金として6千ユーロを渡すという。これに便乗して購入した知人もいます。それなりに高いとは思うのですが。夫は知人の話を聞いて便乗したいと思ったのか、で、私にも新車が欲しいと言ってたじゃないか、と言ってみたりします。そうとはっきり言った覚えはないが、確かに普段から車屋さんの前や路上駐車をしている車の前を通るたびに、新しそうな車の前で無意識にため息をつくようなことはあったかもしれません。じっと車の前で眺めて立ち尽くしていたり、とか。バカンスの時期に高速道路を走っていると、ルノーのZoeとかミニクーパーを見るとまるで美術品が走っているみたいと、と思ったり。昔のジャガーが格好いいのね、と思ったり。プリウス、環境意識高い人が乗っているんだろう、と思ったり。トゥインゴもヤリスもキアも可愛い形をしているのね。DSおしゃれだなあとか。DS、あ、ディープスティトととれないこともないか。フランス語でデェエス、女神を意味する方で読んでいたので、今まで気がつかなかった。日産リーフ、ミラ、トヨタ車、プリウス、ヤリス、アイゴー、本田、スズキ、三菱、マツダという日本車も結構走ってるんですね、フランス。もちろん、プジョーやシトロエンも走ってます。シトロエンは昔から安定性のある走行で定評があるそうです。あまりガタガタ揺れないみたい。あと、ドイツやルーマニアの車、韓国発の車もたくさん走っています。南仏にいた時はフェラーリも見ました。ルノーは1980年初期かなあ、すでに喋る機能がついていて、ドアが半開きだと空いてますよ、と言う車を造っていたんですね。すごいなあ、と当時は思いました。それはでも、高級車の部類で、会社の経営者みたいな余裕のある人が乗るような車でした。一般市民は、パリ市内の話ですが、でこぼこですぐにエンコしてしまうような車が多く走り、当時は日本のほうが傷のないきれいな車に乗っているのになあ、とびっくりしたのを思い出します。たまに高級車っぽい屋根のないスポーツカーも走っていましたが。さて電気自動車を推奨するフランス政府。でも電気代、節約しろ、とか同じ政府が言ってなかったかなあ。ああ矛盾。暖房費用にお金がかからないように二重窓を推奨する、とか。フランス政府は2035年からガソリン車の販売を禁止する予定でいるとか。これに対して、疑問を投げかけるフランス人がいてユーチューブでインタビューに答えているのを聞いて、話の内容が社会的背後にも環境問題にも及んでいて驚きました。フランソワ・グザイヴィエ ピエトリ氏。新しいものが出てくると、確かにフランスは批判的になる人もいて、これはあの、エッフェル塔建設でも反対運動が出たこともあったわけで、批判できる自由のある国であるということはいいことで、批判する人がなぜ批判するのか理由をちゃんと話しているというのもいいことで。批判する人がいてくれるおかげで矛盾に気づくこともあり、薄々感じていることなどをはっきり言ってくれる人がいると、ああ、やっぱり、不安的中とか。で、ピエトリ氏ですが、環境問題とか電気自動車に必要なコバルトを得るために働いているコンゴ共和国の子供たちの話とかもちらっとしています。で、そのコンゴのコバルトには背後に中国がいる、とかで、コバルトは中国資産。そこに頼ることになるわけで、中国がコバルトを値上げします、という可能性もあります。電気自動車が普及すると、ガソリン車の整備士という仕事もなくなるなどの失業問題の社会現象にもつながる、とか。ふと思ったのですが、昔、ノルマンディで整備士をしていた男性は、日本車はね、壊れないんでほぼ扱ったことはないんですよねえ、と笑顔で話していたのを思い出しました。ああ、日本車、整備士の収入にはならなかったのね。フランスにおける日本車への信頼度は高いものがあり、これをあのカルロス・ゴーン氏が社長をしていた時も多いに活用して宣伝文句に使っていたんですね。あと、フランス人で日産車ファンもいて、特にサニー愛好家がいたこともあります。サニーのバッテリーはもともと軍用車だったので頑丈なんだと。たぶん愛好家が大事に乗りつないできたのでしょう、南仏にいた時、数年前に傷一つない日産サニーを見かけたことがあります。さて、また脱線してしまった。ピエトリ氏は水素自動車はもっと環境にいいんじゃないか、と言ったような話もしています。この水素自動車は日本の自動車会社で開発を進めるトヨタのような会社もあるので、将来性はあるのでしょうね。明治天皇の玄孫と言われる竹田さんという方もユーチューブで、電気自動車においては遅れをとっている日本は世界が電気自動車になると経済的な打撃を受ける、とも話しておられて、そりゃ大変、と思ったり。ただ日本は水素自動車においておそらくいい車を作っていきそうなので、これはメルセデスベンツのような会社も一部目指しているみたいで、将来的には政権が代われば、今度は水素自動車に向かう可能性はあるのでは、と思ったり。基本的に政府が目指している方向が必ずしも万人の目指す方向と同じとは限らない、と特にこの2年間で思うようになりました。自分は古いものを大事に修理しながら使っていくフランスが好きです。確かに古いものばかりに囲まれていると時代錯誤の罠にはまったような閉塞感をふっと感じることもないわけではないけれども。そこに便利なものがあるのなら、何もわざわざ不便なことに時間をかけなくてよいのにとかです。ただ、ほんとうはそんな考え方では逆に心が貧しくなることもあるのでは、と自問したり。不便だな、と思いながら慣れないことに時間をかけて、ああ、これはこういう仕組みだったのか、とか新たな学びもあったり。一度、今は廃車になったガソリン車のボンネットを支える部品が壊れて、あれはその部品がないと非常に重いものだった、ということがわかったり。夫はある日、その部品を交換して、再び普通に開いてくれるようになったのだけれど、それまでに結構日数がかかり、夫も無邪気に笑いながら、知っていたら、もっと早く交換していたのになあ、と。私も知らなかったので、能天気にそうねえ、と。さて、電力はほとんど地震のないフランスはほぼ原子力発電に頼っていますが放射性廃棄物質の問題はやはりいまだにどうするのか解決策は現時点で世界のどこを見てもないみたいです。そうは言っても、原発がフランスから消えると電気が使えなくなるということで、大変でしょう。2022年のフランスでの新車発表会では中国から多くの電気自動車が参加していたそうです。欧州の車より安い価格だったそうです。すると、国の補助金で中国車を購入する人もたくさん出てくるんだろうか。なんだろう。私的にはとりあえずハイブリッド車がいいんだけどなあ。電気自動車に国から補助金が出るとはいえ、それなりに高いわけで。今は電気より安いハイブリッド車にして、数年後に水素自動車がでれば、節約して、そちらに変えるとか。でも、夫は最近とうとう電力で動く芝刈り機を購入して、これは便利と思ったのかもしれません。またフランスはロシアからの石油も見込めなくなり、ガソリン代が値上げしていることに不安もあるのだと思います。さて、ピエトリ氏は電気自動車の普及が促されると、電気代も高くつき、保険なども高く払うことになります、と話していたので、なんだかんだ言っても節約したい人は軽く国の補助金に食いつかない方がいいのかなあ、と思ったり。補助金も国民の税金から出てるし。 2022年1月フランス人口67816396人。6千781万6396人。
November 23, 2022
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偶然見かけた「豚ゴリラ(2代目)」さんのニコニコ動画投稿動画を見つつ、別の方のニコ動画でまた細川博医師の存在を知りました。ワクチンとウクライナ紛争はつながっている 細川ひろしこんな方が日本にいらしたんですね。薄々とこれはまさかのじ〇こ〇さ〇げ〇わ〇ち〇みたいだ、と思っていたことをずばっとおっしゃっていらして、あと2014年からウクライナの親ロシア寄り地域のウクライナ市民が同じウクライナの国から攻撃を受けていたことは、フランスのジャーナリストが現地に実際出向いて情報を得て話していたことをユーチューブに投稿されていたので知っていましたが、細川医師はもっと違う観点のお話をされていました。日本ではすでに知られた方なのかも知れませんね。みそ、しょうゆ、天然風呂ですね、やっぱり。フランスにいると、天然風呂は無理です。そもそも、そんなにお風呂に浸かることもしません。シャワーだけ。日本にいた時は、朝晩、お風呂に浸かっていたのになあ、と遠い過去を思い出してしまいます。
November 2, 2022
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ユーチューブでは次々に削除される新567惑珍騒動動画も、ニコニコ動画では幸い削除の憂き目に遭わないようで、言語の自由は許されているようです。今、日本で起こっていることはフランスでも起こってきました。そんなニコニコ動画で「豚ゴリラ(二代目)」さんがフランスで発信している惑珍せっしゅ後に心臓の手術を受ける羽目になった(私が鉄人28号と密かに呼んでいる)政治家の話しやルーマニアの欧州議会議員Terhes氏の言葉を日本語に訳して載せてくれています。マクロン大統領と大半の国会議員はワクチンを接種していない接種率と死亡率の関係について問いかけざるを得ない Terhes欧州議会議員豚ゴリラ(二代目)最近、欧州議会議員ジョロンさんがユーチューブに投稿してくれた欧州委員会会議の様子を見て、最初は新567惑珍即決注文購入を自画自賛しているばかりの議会議員の言動が並び、こんなふうに言ったもん勝ちの如く、正当化してしまえるものなのか、と吐き気を覚えるくらいでした。コメント欄を見ると、ああ、同じことを思った人たちがいるんだ、と少しほっとしました。その後、こういう自画自賛議員たちに立ち向かうように、フランスのジョロン議員やルーマニアの議員など、ほかの議員も、副反応に苦しむ人々の存在、注文購入の不明確な点への疑惑、ヨーロッパ各国政府の新567惑珍の破棄によって無駄にされた税金などについて言及質問します。とは言え、明確な返答など期待できるわけでもなかったようです。こちらはフランス語のみです。私も今は最後まではまだ見ていませんが、タイトルから、ジョロン議員も満足のいく解答を得られなかったことは想像できます。Le représentant de Ursula von der Leyen bredouille son texte sur l'achat des vaccins
November 2, 2022
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2021年の秋、ノルマンディで拾った小さな栗を煮込んでクリームを作りましたが、今年もまた小さな栗をたくさん拾いました。拾ってみると大きな鍋の半分以上を占めるくらいの量になり、これを一個一個皮を剥くのか、とつい呆然と眺めるわけですが、考えてしまうと、後ずさりしたくなるほど億劫になる量でして、もう何も考えず、ひたすら黙々と一個一個皮を剥いていきました。ひねもすのたりではなく、ひねもす皮を剥く作業を半日以上かけて、我ながら食い意地は相変わらずだと感心しつつ。終わる頃には指がおかしくなっているくらいでして。ひねもすは一日中と言う意味なので、使い方が間違っていますが、あえて使ってみたかっただけです。これを一晩水に浸し、翌日水を変え、栗を煮込み、栗が柔らかくなったあたりで、鍋の水を少し捨て、その後、バナナ二本、デザート用の白砂糖、茶色の砂糖(粗糖)、ハチミツを入れてかき混ぜながら弱火で煮込み続けます。バナナは煮込むと甘さが倍増します。さらにアルコール度40度のカルヴァドスを贅沢に大きなスプーンに一杯加えます。コニャックもいい、と思います。グランマルニエもいけるはずです。あとはハンドミキサーで栗クリームの出来上がりです。大体5㎏ほどの栗クリームができました。ケーキ屋さんで食べるあのモンブランの栗クリームみたいになりましたが、内心、いや、ケーキ屋さんのモンブランより味わい豊かなものができてしまった、と自画自賛。今、一応、ジャム瓶に入れて毎日少しづつ食べています。思うに弱火で煮込むと光熱費が大変なので、豆炭を入れるあの火鉢が欲しい、と思う次第です。自分は火鉢がないので、電気を使いましたが、ほんとうは、暖炉があるのだから、薪をくべて暖炉の火で煮てもと思ったりもしましたが。あとは、きのこの季節でもあるのですが、ノルマンディで近くの草原にクルメルという食用キノコを見つけて食べたりもしていました。味覚の秋です。
October 27, 2022
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久しぶりに9月中旬南仏エクサンプロヴォンスに。Aix en Provence市役所のある旧市街では小規模とはいえ、コンサートが開かれ、ステージで歌うバンドの前で踊る人たち。楽しい雰囲気にあふれていました。ずっとこんな平和な光景が続きますように。なんとなく、盆踊りをつい思い出してしまいます。南仏エクサンプロヴァンス旧市街で見た路上コンサート一応、音楽の著作権にもひっかからずに投稿はできたのですが、そのうち、クレームがついて削除して、と言われてしまうかも知れません。さて、このエクサンプロヴァンスの旧市街の市役所から徒歩で5分の場所においしいラーメンやお寿司を食べることのできる「なると」さんもあり、二度くらい前まで行ってみて閉店だった時はほんとうにがっかり。あ、新567対策中で、自分はひせっしゅしゃなのでお店に入れない時期にも拝みに行ったことはありました。時々無性にラーメンが食べたくなることがあるんですよね。この動画を撮れた日だったか、お陰さまで食べることができてラッキーでした。しかし、事前に予約を入れて行かないといけません。エクサンにはほかにも日本食店が結構あります。でも中にはどんぶりバチにご飯と刺身を入れただけのものを出すお店もあって、それにお醤油とワサビをぶっかけて食べるような、サヴァイヴァルなお皿もあって、あそこには一度行ったきりです。それにしても2022年春ごろまで暗いフランスでした。一種の独裁政治を垣間見るような時期でもありました。それはフランスだけではなく、カナダもイタリアもクロアチアもあちこちの国で同じような状況だったようです。フランスでは新567対策として嫌がらせとしか思えない対策がとられ、途上のカフェテラスにひせっしゅしゃは行くな、座るな、という時期もあったり、飲食店は夜遅くまでの営業は禁止されることもありました。カフェテラスってその辺をたくさんの人たちが歩いていくわけです。路上ですから。そのカフェテラスに腰を下ろしたくらいで感染すると考えた人がいたんですね。確かに新567ウィルスはマスクの繊維も通り越すほどの小さいものだといいます。あの太陽光線でひかる塵みたいなものなんでしょう。いやでも吸い込んでしまいます。もう一つはこの新567ウィルスの最初の段階では、ウィルス自体も強力な破壊力をもってはいたが、ただ、どんどん変異株をだし、オミクロン株になる頃までにはもはや破壊力も薄れているのがウィルスの性質です、と少なくとも3人の医学博士たちが話すのをきいて、そんなに心配しなくてもいいのだ、と思うようになりました。フランスでは今でもひせっしゅしゃの医者や看護師たちはずっと勤務先には行くな、という保留状態で、ほかの勤務先にも行けない、給料はなし、という理不尽な状態が今でも続いているそうです。2022年5月の大統領選挙の影響か、マスク着用義務は2月末に撤退され、新567わ〇〇んの強要も多少は緩和されたようで、その間に欧州委員会の議員たちは着々と新567わ〇〇んの注文と購入の不正疑惑につながると思われる資料を入手、副反応証言の収集を続け、医学博士たちは新567ウィルスへの早期治療ができれば、どれだけ多くの患者が救えたかとあちこちで講義を通して訴えています。まだまだ続くのでしょうか。この状態。たぶん、そんなに簡単に解決されることもないまま、時は過ぎていくのかな、と思ったり。あ、エクサンプロヴァンスの呼び名が日本では正式な呼び方です。が、現地ではくれぐれもプロヴァンス Province の発音は避けてください。
October 26, 2022
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