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最近ゆーたん(2才2ヵ月)は買物に行くのが楽しいらしい。ご機嫌で行きます。で、ご機嫌になると歌が出ます。今日は曇り空を指さして、ゆー「きんぎょさん」父「雲さんだよ」ゆー「くも、きんぎょさん!」父「...ああ、それは失礼しましたぁ。雲の金魚さんがいたんだね。」で、それから、ゆーたんは「きんぎょさん、きんーーぎょ、きーーんぎょ♪」とスーパーに着くまで金魚さんの歌を作ってましたぁ。どうもメロディーもオリジナルみたいです。(^^;)まだ二語文がやっとなゆーたんと親馬鹿親父でしたあ。
2004/06/08
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今日晩御飯の買物に行ったらコカコーラC2が並んでました。ああ、今日発売だったなぁと思ったら、つい買ってしまいました。(^^;)ちゃんとコカコーラ味のローカロリーコーラが売りだと思ってました。が、飲んでファーストインプレッションは、「別物のコーラだ」。コカコーラじゃあ無い。ペプシでも無し、弱小コーラの一つみたいな印象。正直最初は美味しく感じなかった。が、まあ、ソーダって飲んでるうちに美味しく感じるようにもなるから、案外飲んでると印象が変わる味かもしれない。が私、ドクターぺっパーが美味しい人なんで、もしかすると味覚が変態かもしれない。人と味についての意見が分かれる事も多いし、あんまり信用しないで。(^^;)コーラと言えば一度飲んでみたいのが、黄金色のインカコーラとクラウンコーラ(もちろん「タクシードライバー」の様にXXXXXな映画館でぬるそうなやつが理想かも(^^;))まあ、どっかで見たらまた手を出してしまうかも。
2004/06/07
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この間からニュースで延々取り上げられている小6の殺人事件。あんまり書くのは良くないだろうと思うけれど、私も良い人間な部分だけでもないんで書く。事件自体はまあある事だろうと思う。自分の小6の頃思い出しても喧嘩で手加減なんてまだ憶えてなかった。自分の破壊力を自覚した時に殺しちゃいかんだろうと手加減を憶えていくんだろうけれど、小6では喧嘩になっちまったら頭に血が昇った状態でそれを自覚できるとこまで成長してなかったって不思議じゃない。しかしTV観ているとものすごく不思議な事が起こった様に報道してはる。本当に今まで日本で子供が喧嘩の上で人を殺した事、そんな事が起こった事は無かったのか?どうにも嘘臭い。最初の日のニュースはそれでも加害者、被害者の心のありように安易にレッテル張るのは注意深く避けてたのが、段々日が経ってゆくにしたがって何とかレッテル張ってみて面白い物語を作ろうとしてる気が。おい両方共子供だぞ、そんな非道な事していいのか?とニュース観るたびに不快感があります。まだ自分にも同じ状況になったら人を殺すかもしれんとの想像力があって、もちろん殺された側についても、同じ立場"でも"見てみようとする事が出来る人の意見には怒りは感じない。こういう立場に立つ人は専門家に多いみたい。怒りを感じるのは「私は殺意を抱いても殺した事はないしこれからも人を殺す事はありえない!」と何の根拠も無く思っている立場の言葉。そういう表現が私の心には痛い。曰く「最近の子供はバーチャルとリアルの違いが区別出来なくなって来てる...」「最近の子供はキレやすい...」最近の風潮とか最近の社会とか自分では無いと暗に言ってるのがポイント。もちろん或る種の娯楽としてそういうのがあってもいいけど、テレビみたいなマスメディアの強力洗脳装置でやられると、止めてくれと思ったりする訳です。そうして二人の人間やその関係する人々を人間ではなく登場人物としてゆく。物語の登場人物は人間では無い。成人で加害者ならまあしかたあるまいとも思うが、今回は被害者も子供、加害者も子供だぞ。なんかTVが最も危ういバーチャルリアリティになっているのかもと思う、1984年から20年たった今日この頃。
2004/06/05
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このあいだ日記をサーフィンして、楽天以外のサイトで映画ファンの人の日記を読んでました。結構鋭く観てはるなぁと読んでいたら、こんな感じの言葉が目に飛びこんで来た。曰く「映画は純粋にストーリーを楽しむ」...言っている事は判るし、もうそういう事なんだろうとも思うけれど、でも、やっぱり草葉の陰でエイゼンシュタインさん(google)の高笑いとジガ・ヴェルトフさん(google)の悔し泣きが聞こえてきそうな気が...。(^^;)(一応二人並べて検索(google)昔の映画論の本で「映画は演劇に占領されてしまった。新世界は演劇の植民地に成り下がった」というような内容を読んだ覚えがある。まあ、映画という機械というかシステムの核は"動く画"な訳で、後から音が付き。...んで大体今のような感じになった訳です。映画が発明された頃当然これを何に使うのか?という悩みはあったんで、まあとりあえず観て面白そうなものを映画にしようと色々やってたわけで、そのうちサーカスを撮ってた奴が途中でカメラを止めても流れが出来る事を見付けて編集が始まったり、舞台を撮ってた奴が良いとことで役者のアップを撮る事を始めたり、どんどん舞台風の物語を映画に取り込む。悪く言えば寄りかかる事になっていった。当然それに対しては"動く画"としては不純だぁー!もっと純粋に"動く画"の見せ方を作らねばいかんのじゃなかろうか?という動きも起こり、細々と今も続いているのです。そう言えば今年のカンヌで日本の実験映画が賞とってたなぁ。監督曰く「私の作品に物語はない」風景のみで構成された映画らしい。今の映画もその二つの方向の緊張感で先に進んでいって新しい表現が出て来るのもよくある事です。マトリックスのタイムスライスって80年代に日本の実験映画で観た記憶が...。とても面白い映像、あれを物語に取り込んだんだねぇ。さて何が純粋な映画なのか、私は未だに判らないままです。(^^;)どうすれば映画を楽しむ事になるんだろう、これはずっと探し続けています。きっと死ぬまでね。そうしてあの言葉によって「太陽が凍るまでに」を作る意味がほんの少しだけどまた一つ出来た様な気がしてます。映画作りで、この一人の荒野にいると、こんな事まで悩んだり、こんなちょっとした事で助けられたりしてます。(^^)あ、ジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」のDVDが出てるぅ!?欲しいぃぃ!むう今月は色々物入だから、来月にしとこ。(^^;)
2004/06/03
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ネットでデジタルビデオの編集の調べものしてたら、もう丑三つ時をはるかにすぎている。前々から調べてる事ののヒントが見つかったんで、時間を忘れてた。さて、もう寝なきゃ。まあ、前回の日記も残しておくことにしよう。
2004/06/01
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