ワルディーの京都案内

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2026/06/20
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テーマ: 鉄道(27231)
カテゴリ: 京都市の鉄道史
京都市の鉄道史
~その10~


9.私鉄電車の興隆(続き)
3)近畿日本鉄道
① 大阪電気軌道(大軌)

 京都市に乗り入れる私鉄として近畿日本鉄道を最後に取り上げる。JRを除く民営鉄道では、日本で最長の501.1kmの路線網を持つ。
 母体は、明治43年9月に大阪と奈良を結ぶ路線を敷設すべく設立された大阪電気軌道(以下、大軌)である。
 生駒山トンネルの難工事を経て、大正3年4月に上本町/奈良間(現・近鉄奈良線)を開通させた。しかし、生駒トンネル掘削の難工事による多額の出費が原因で経営難となり、沿線の生駒聖天から賽銭を借りて当座の経費を賄うほどに窮迫した。主要利用客である生駒山参詣者の人出がお天気次第なので運賃収入もお天気次第、という意味で「『大阪電気軌道』でなく“大阪天気軌道”」、空気のように頼りない経営状態から「『大軌』でなく“大気”」、と揶揄されたことさえあった。その後、経営努力と利用客の増加により辛うじて大軌は再建し、大正5年3月には一応の債務整理を完了した。
 経営が軌道に乗ると大軌は奈良盆地内に路線網を拡張していく。
・大正10年1月、天理軽便鉄道(現・近鉄天理線)買収
・大正12年3月、大和西大寺/橿原神宮前間(現・近鉄橿原線)全通
・大正15年6月、 菖蒲(あやめ)池遊園地開園(平成16年6月閉園)
・昭和2年7月、布施/八木間(現・近鉄大阪線の一部)全通



 その後、大軌は伊勢方面への進出や、共同出資も含めた新線の敷設、合弁などにより、規模を拡大する。
・昭和2年9月、伊勢方面への敷設免許を所持している大和鉄道から敷設免許の譲渡を受け、参宮急行電鉄(以下、参急)を設立
・昭和3年11月、京阪電気鉄道との折半出資の奈良電気鉄道(奈良電。現・近鉄京都線)により京
 都/西大寺間を全通
・昭和4年1月、八木/桜井間開通
・昭和4年3月、伊賀電気鉄道を合弁し、大軌の伊賀線とする
・同月、生駒山山上遊園地開園
・同年8月、吉野鉄道を合弁し、吉野線(現・近鉄吉野線)とする
・昭和5年12月、信貴線(山本/信貴山口間)(現・近鉄信貴線)開業
・同月、参急の桜井/山田(現・伊勢市駅)が全通し、上本町/山田間の直通運転を開始し、伊勢方面への進出を果たした。
この時点での大軌(参急、奈良電を含む)の路線図を「図①-2」に示す。



・昭和11年1月、名古屋進出のため、大軌は関西急行電鉄(以下、関急電)を設立
・昭和11年9月、参急が伊勢電気鉄道を合弁し、桑名/大神宮前間を伊勢線とした
・昭和13年6月、参急が参急中川/江戸橋間を全通させ伊勢線に接続
・同月、関急電が桑名/関急名古屋(現・近鉄名古屋)間を開業
この時点での大軌(参急・奈良電・関急電を含む)の路線図を「図①-3」に示す。


② 関西急行鉄道への改組

・昭和15年1月、参急が関急電を合弁
・同年8月、参急は養老鉄道を合弁し養老線(桑名/揖斐間)とした
・昭和16年3月、大軌と参急の合弁により、関西急行鉄道(以下、関急)に改組
・昭和17年8月、関急が新松阪 - 大神宮前間(元・伊勢電気鉄道の一部)廃止。
・昭和18年2月、関急が大阪鉄道を合弁(現・近鉄南大阪線・道明寺線・長野線)
・昭和19年4月、関急が南和電気鉄道(尺土/南和御所[現・近鉄御所])、現・近鉄御所線)を合弁
この時点での、関急(奈良電を含む)の路線図を「図②-1」に示す。


➂ 近畿日本鉄道へ・・・南海との合弁会社の名前がスタート
 昭和13年8月に施行された陸上交通事業調整法により、国からの強い要請を受け、戦時下の昭和19年6月、関西急行鉄道と南海鉄道が合弁、近畿日本鉄道(以下、近鉄)が設立された。
 戦後、近鉄発足の4年目の昭和22年6月に、旧・南海鉄道の路線を南海鉄道(旧・南海鉄道の系列会社高野山電気鉄道から改称)へ譲渡し、関西急行鉄道時代の路線に復したが、社名は近畿日本鉄道のまま残った。近鉄は、その後も業容を拡大させていく。同時に不採算路線の多くが、近鉄本体の路線ではなくなり、上下分離方式などで子会社として運営が続けられている。
・昭和33年7月、2階建て車両付きの「ビスタカー」登場
・昭和36年1月、伊勢線(元・伊勢電気鉄道)の残りの区間である江戸橋駅 - 新松阪駅間廃止
・昭和38年10月、京阪との折半出資だった奈良電気鉄道を合弁、京都線となる
・昭和39年10月、信貴生駒電鉄を合弁、生駒線、田原本線となる
・昭和40年4月、三重電気鉄道を合弁、志摩線・北勢線・湯の山線・内部線・八王子線となる。
・昭和45年3月、鳥羽線が全通。大阪や名古屋などから賢島駅までの直通運転が可能となった。
・同月、難波線が開業
・昭和61年4月、長田駅 - 生駒駅間が開業
・平成6年4月、志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)が開業
・平成18年3月、生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間が開業。長田駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間をけい
 はんな線とする
・平成19年10月、伊賀線および養老線をそれぞれ伊賀鉄道、養老鉄道(いずれも近鉄の子会社
 で、第二種鉄道事業者)に運営を移管。線路や車両などは近鉄が第三種鉄道事業者として保
 有。(現在は、伊賀鉄道、養老鉄道は、それぞれ伊賀市、一般社団法人養老線管理機構が第三
 種鉄道事業者)
・平成27年4月、内部・八王子線を四日市あすなろう鉄道(近鉄と四日市市が出資)に運営移管
現在の近鉄路線図を「図③-1」に示す。


④ 澱川橋梁(よどがわきょうりょう)は何故故単純トラス橋(橋桁がない)なのか?
 近鉄京都線で西大寺方面に向かい、桃山御陵前を過ぎて宇治川を越えるときに、澱川橋梁と呼ばれる鉄橋を渡る(右図参照)。この鉄橋は単純トラス橋と呼ばれる構造で、主構にトラス(三角形の集合体)を用い、2つの橋台でトラス構造の桁を支えている。すなわち橋桁がなく、橋桁がない分、強度を確保するためにトラス構造としているのである。単純トラス橋では日本最長の161.4mを誇り、近鉄京都線の前身、奈良電気鉄道敷設時の昭和3年10月に完成したもので、国の登録有形文化財に指定されている。橋桁を使えば、簡単な構造で、しかも安価に架橋できるのに、何故、単純トラス橋としたのであろうか。
 奈良電気鉄道線の建設計画では、当初は橋脚を立てて架橋する予定であった。ところが、架橋を予定した地点の周辺には帝国陸軍第16師団の練兵場があり、架橋地点は渡河訓練場として使われる予定だった(右図参照)。師団側は橋桁が訓練の妨げになることから、難色を示し本省へ伺いを出した。
 しかし、奈良電気鉄道側は、そのようなやりとりで時間が経過するのを食い止めないといけないという事情があった。ちょうどこの時期、即位したばかりの昭和天皇の御大典が京都御所で執り行われ、式典の終了後、各施設の拝観や御陵の参拝などが国民に認められることとなった。そのため、沿線に伏見桃山陵が存在し、開通の暁には大阪電気軌道奈良線へ乗り入れるだけでなく大和西大寺から橿原線へも直通し、京都と橿原神宮前を直結する計画であった奈良電気鉄道は、大きな旅客需要が期待される。この絶好のチャンスに、何としてでも全線開業を間に合わせる必要に迫られていた。そこで、師団側の回答を待たずに、橋桁のない単純トラス橋で架橋することを決断した。最大の難問であった鋼材については昭和3年1月に納入との目途はたったものの、主要鋼材到着後にそれらを工場で加工し、工場で一旦仮組みした後に分解、輸送し現場で再度組み立てるという、大規模構造物建築で常識とされる手順を踏んでいたのでは、昭和3年11月に予定された御大典までにこの橋梁を完成させ、路線そのものの開業にこぎ着けることは到底不可能であった。そこで建設陣は、実際に橋桁の製造を担当する川崎造船所兵庫工場での仮組工程を省略し、加工済み部材を現場にて直接組み立てることを決断した。当時の最新技術を惜しみなく投入し、人智を尽くして工期短縮のための努力が重ねられた結果、本橋梁は、御大典を約1ヶ月後に控えた昭和3年10月16日に完成した。そして、奈良電気鉄道線そのものは同年11月12日に完成し、京都での即位の礼の儀式が全て終了した同月15日、京都 /大和西大寺間34.5kmが全線開業した。


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最終更新日  2026/06/21 04:15:33 PM
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