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このあいだ読んだクレジオでは、例外的にアフリカに愛着を抱いたフランス人のことが出てきたが、いま読んでいるセリーヌの「夜の果ての旅」でも前半で、アフリカの植民地のビジネスにたずさわる主人公の苦痛の日々が描かれ、フランス人のアフリカ体験についていっきょに感心をふくらまされたところである。
つい数日まえに幸田文の「みそっかす」を読んで、幸田ファミリーの教養ぶりに驚かされた。
そのときになってはじめて文の叔母さんには有名な音楽家の延子叔母がいたことを知った。
そのころの延子叔母は「弟子たちの稽古と音楽会と交際とにひまがなかった」と記されていて、隅田川の氾濫にあった文たちは延子叔母と祖母のところに預けられたと語られている。
この露伴の妹である延子叔母さん、それだけで見過ごされていいようなひとではない。
たまたま中村紘子の「ピアニストという蛮族がいる」を流し読みしていた。
するとこの幸田延のことに章がさかれている。
幸田延は、明治ニホンでの「音楽界からの官費留学生第一号」でまだ獣十九歳であった。
西洋のクラシック音楽がまだ何たるかをしらないニホンにあって、のちの芸大にて教鞭をとり、音楽界の人材を育てていく女だてらの延子に世間の風当たりはつよかったらしく、やがて音楽界の表舞台からは引き下がらざるをえなくなる。
いまでは滝廉太郎とか山田耕作とかが名高いが、かれらに音楽教育を授けたのも延子であった。
中村紘子は時代背景にも留意しながら、思いやりのあるまなざしで延子の成功と失意を描いている。
その延子もいまではその世界では著名になり、延子について卒論を書いているひともいることを知る。
当の露伴からして、はじめの奥さんは教養に恵まれた夫人ではなく、市井のひとにちかく、二人目の奥さんは、教養をまがりなりにもつちかっているためにか、露伴との不和がよく伝えられたものである。
男は身勝手である。
文の縁談についても露伴はつぎのように意見している。
「芸術の世界に身を置く人はなるべく避けたい。心凝れば妻子は無きに同じく、心遊べば己を養うに忙しい」
たとえば藤村の場合などにもいえるだろう。
(06 of February, 2009)