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私がNYにいた頃のこと。
一人の日本の女性と知り合った。
20代前半の私からすれば、母親と同じ位の年齢だったけれど、私達はとても気が合って
色々な場所へ一緒に出かけた。
彼女の名前は「きり子」さん。
どういう漢字なのかは知らないまま、私は「きり子さ~~ん!」と呼んでいた。
きり子さんは、女学校時代の友人を訪ねてNYに来ていた。
アメリカ人と結婚してNYに住んでいる友人宅で暮らし、彼女の経営する店を少しの期間
手伝っていた。
旦那さんは数年前に亡くなり、二人の息子さんも成人して手が離れ、時間も出来たので、
何十年も会っていない友人に誘われて一人でNYに来ていたのだった。
半年位は滞在予定だったので、せっかくだから店も手伝えばお小遣いにもなるという事で
週に何回か働いていた。
ちょうど、私もその店でバイトをしていて親しくなった。
彼女は明るく、働き者だった。
忙しくても笑顔を絶やさない人だった。
ビレッジにあるジャズのライブハウスにも一緒に行った。
ディスコティックにも出かけた。
「うわ~!生まれて初めてこういう場所に来たわ~~!!!」
キラキラ光るミラーボールの下で、少女のように瞳を輝かせていた、きり子さん。
ある時、ふと、気付いた。
きり子さんがスカートをはかない事に。
最近は女性のスカート姿よりパンツ姿の方が多いけれど、当時はまだスカート姿が多かっ
たように思う。
ある時、きり子さんに聞いてみた。
きり子さんは、「私は昔からお転婆だったから、スカートは似合わないのよ~」と、笑って
答えた。
きり子さんの帰国が近づいたある日のこと。
人気者のきり子さんだったから、連日のように送別会が開かれて、皆が別れを惜しんだ。
ちょっとお酒が入って、きり子さんは饒舌になっていた。
「ぁああ~、もう少し若かったら、私、このままNYに住み着いたのに~!」
「日本に帰りたくなくなっちゃったわ~!」
『そうよ!このまま、ここにいて~!』
私達は半分、本気で口々に言った。
夜も更けて私と数名だけになった時、小さな声で、きり子さんが私に言った。
「○○ちゃん、いつか私に聞いたでしょ?」
「スカート、はかないの?って・・・」
「お転婆だったのは本当だけど、、、、はかない理由があるの。」
「あまり他人には言わないでいたけど、○○ちゃん、私の秘密、見る?」
ほんの一瞬だった。
きり子さんがズボンの裾をさ~っと上げた。
ふくらはぎの火傷の痕が目に入った。
「私、浅草育ちなの。バリバリの下町子だったから・・・」
「東京に大空襲があって火事になった時に火傷したの。。。」
そう言って、すぐに裾をおろしたたので、他の人は気付かなかったと思う。
私は言葉が出なかった。
話題はすぐに変わり、笑顔のきり子さんがいた。
あの時、私も火傷の傷痕で悩んだ青春時代があったことを言えばよかったけれど、、、
あまりに突然の一瞬の事だったので、何も言えなかった。
戦争の最中に青春を過ごした、きり子さん。
ふくらはぎの火傷の痕を見る度に、あの大空襲の夜を思い出したことだろう。
戦争が終って、最新流行のフレアースカートをはきたくても、はけなかった、きり子さん。
「私はお転婆だったから・・・」
ずっとそう言い続けてきたのだろうな。。。
あの夜、知った、きり子さんの秘密。。。