全810件 (810件中 1-50件目)
マルクスの『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ3一、最初に、私はどうしてマルクスの『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶのか 科学的社会主義の思想を理解するには、唯物弁証法の哲学を理解する必要があるじゃないですか。そのことは、この世界の自然と社会の動きに対して、自分自身がどの様な姿勢で対処していくのか、その基本に関係していると思っているんですが。ところで、その哲学を学習していく材料ですが、哲学の解説書というのは、それこそたくさんありますが、実際に哲学を探っているものというのは、それほどありません。基本的な古典では『フォイエルバッハ論』、『反デューリング論』、『唯物論と経験批判論』くらいじゃないでしょうか。私などは、この『経済学・哲学手稿』の学習ですが、これも一つの道だと思っているんです。 マルクス自身もその哲学(唯物弁証法)を、わかりやすい形で刊行したかったようです。いくつかのところでそれを語っています。しかし『資本論』をまとめることに集中していたこともあって、それを十分には果たせず1883年に亡くなってしまった。 エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)ですが。マルクスが亡くなった後に、エンゲルスはその遺品の中から、マルクスが生前に刊行することが出来なかった『ヘーゲル法哲学批判』、『経済学・哲学手稿』、『ドイツ・イデォロギー』などの草稿を発見したんですね。それらは世間一般にはまったく内容が知られていなかったわけです。そこには、マルクスとエンゲルスが、唯物弁証法と唯物史観を探った過程が、草稿の形で残されていたんですね。 しかしそれらは、『経済学・哲学手稿』にしても、その探究は難解な表現でもあったので、エンゲルスはそのままの形で出だすことは出来なかった。そのため、『フォイエルバッハ論』(1886年)として、あらためて整理し直して、その内容をわかりやすく、簡潔にまとめて刊行した。そうすることで、マルクスの遺志をかわって果たしたんですね。日本では明治19年のことです。 私たちが自由に科学的社会主義を学習できるようになったのは、日本の戦後になってからですね。現行憲法の民主主義制度の下でのことですね。『経済学・哲学手稿』が翻訳され刊行さたのも1960年代に入ってからです。『マルクス・エンゲルス全集』(大月書店)第40巻は1975年の刊行です。その後は、誰でも入手できるようになって、現在にいたるわけです。 私などの今回のマルクスの「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、その基本な学習の仕方は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学草稿』「ヘーゲル弁証法批判」そのものにあたります。マルクスはどのようにして弁証法的唯物論という新たな哲学を認識したのか。それはどのような内容なのか、それはどのような意義をもつのか。それを、あらためて探っていきます。 二、次に、本論の全体像を探ってみました『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学習すすめるのに、その全体像とその骨組みについて、一応の目途ですが探ってみました。 草稿全体の序言と、「ヘーゲル哲学批判」での序言があります。1、フォイエルバッハ論(第4文節-第9文節)2、ヘーゲル哲学の全体、二重の誤り、最終成果(第10文節-第14文節)3、マルクスのテーマとあらかじめの指摘(第15文節-第16文節)4、『精神現象学』「絶対知」の要点と、8つの論点(第17文節-第22文節)5、検討①「自己意識の外化が物性を措定する」(第23文節-第32文節)6、検討②「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33文節-第46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的契機(第47文節-第56文節)8、総評、ヘーゲル哲学の問題点(第57文節-第64文節) 今回は、ここまでです。
2024年06月08日
コメント(0)
再び句集『北山時雨』を紹介します一年前に句集『北山時雨』を残して、知人が旅立ちました。歌心のない私などは、その時は「あとがき」に込められた思いとなりをさぐったんですが。この句集に対して、『おだやかな人様が句集にあふれ心が豊かになりました』(HY)そんな感想が寄せられました。句集「北山時雨」(120句)の「あとがき」を紹介します | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)人はそれぞれの思いで、句集をひらくと思います。歌心の水準がどうのということではないとおもいます。それで今回は、私なりに、いくつかの句を選んで、鑑賞してみました。〇帰農して「ひるのいこい」を雉と聞く これは、最初にある句です。彼はどんなに忙しくても、「ひるのいこい」をきいて、休み時間をとるようにと、いつもみんなにアドバイスしていました。〇十貫のみかんを背負う娘の笑顔「昭和30年代明るい農村」の副題が付いてます。新潟などからの出稼ぎの人たちにささえられていた。今も作業小屋の二階の部屋には、彼女たちが使っていた布団が残されています。〇花咲けど人影ない山時止まるこれは2019年の作で、最近のみかん畑の様子をうたったもの。高齢者がみかん仕事を担っている。〇ニュータウン五十年目の桜咲く小田原のみかんは東京の永山団地の朝市で販売しています。見栄えは劣っていても、美味しくジューシーで、安いですから、それなりに好評です。園主の彼もその様子を見に3回は出かけてきてるんです。〇人形が微笑み返す梅雨晴れ間東京・多摩市から援農に来てくれた人、一緒にイノシシ柵を設置してくれた人、その人が人形づくりをライフワークにしてたんです。今もその遺作が何体も早川の家に並んでいます。〇さしあたりあと十年と冬日差す昨今のみかん農家は、高齢化や耕作放棄地の広がりなど、見通しがなかなか見えない事態ですけど、「しかし宝の山なんだ」と自分自身に言い聞かせて、体が続けれるあと10年間くらいは、とにかくがんばろう。それが彼のもっとうでした。〇春が来る木馬は回る七巡目これが辞世の句です。もう体の不調なことを、他人には言わなかったけど、本人は自覚してたんです。これは「あとがき」の気持ちとも重なると思います。「世の中の混乱はおさまりそうもなくふあんになることも多い。・・・でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望をもって期待するものである」私流にこれを解釈すれば、この一文を残すために、彼は病の体を駆使して、いろいろと最後の努力をしていたんだと思います。あとから振り返って、わかってきたことですが、それがはっきり見えてきます。確かに、今のひどい世の中ですが、そのなかに次の若者たちの、希望を感じさせてくれる努力をみる。我々年寄りたちは、彼ら若ものの未熟さを「あれが足りない」「だめだ」と否定的に水をかけるのではなく、もっとその苦るしいたたかいを理解しよりそって、しっかりと励ましてやること。そこに大人たちの大事な責任があると。それが「あとがき」にこめられている精神だと思います。今日は、彼の一周忌でした。あどけないお孫さんには、事態の意味は分りません。しかし、とにかくかわいいこと。住職も、その様子に感嘆の言葉を述べてました。私などは、何も言えなかったので、その分をここで紹介させてもらいます。
2024年06月01日
コメント(0)
マルクス『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ2今回は、準備作業です。一、翻訳について『経済学・哲学手稿』の、日本語への翻訳書ですが手元には、三つがあります。刊行の順に紹介すると、一つは、国民文庫(大月書店) 藤野渉訳 1963年3月刊行二つは、岩波文庫 城塚登・田中吉六訳 1964年3月刊行三つは、マルクス・エンゲルス全集 第40巻 真下信一訳 1975年3月刊行、です。それぞれの人が、その真意をつかもうとして努力されてるんですが、今回の学習の場合、ME全集の真下信一訳を軸にさせていただきます。対象は「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」P490-512の33ページです。この著作の冒頭には、「序言」の3ページがあります。これも大事な提起をふくんでいると思います。わたしも各文節ごとに通しのナンバーをつけてみました。それは問題の箇所を明確にするためですが。私なりの数え方では、第1文節から全体は第64文節となります。二、『経済学・哲学手稿』刊行の経緯についてそもそもこの『経済学・哲学手稿』が刊行されたのは、1932年のモスクワではじめて印刷されたとのことです。マルクスが1844年にパリで書いたものですが、出版社との間で出版契約を結んだ、その数日後に、フランス政府により国外退去を命じられた、そのどさくさでお蔵入りされ、だれもこれを知らなかった。1883年にマルクスが亡くなりました。その遺稿集の束に目を通していたエンゲルスが、これを手稿を発見したんですね。エンゲルスは1886年に『フォイエルバッハ論』を執筆しましたが、これは比較するとわかりますが、この草稿あたりが原典的な材料になっています。それは、マルクスがはじめて唯物弁証法を歴史的に明確にした努力でしたから、大事な問題です。しかしその手稿は難解で大部な論文でしたからそのままの形で出すわけにはいかなかった。しかし、そこはエンゲルスです、大部な難書の中心点を、私たちのために、わかりやすく、しっかり解説してくれていたんですね。それは日本の明治19年のことでした。日本は鎖国をといたばかりです。その後の日本は、西洋の学術は取り入れるものの、基軸は侵略戦争への道にすすんでゆくじゃないですか。きな臭くなるとともに治安維持法です。幸徳春水はじめとする大逆事件、社会主義の運動や本は国禁の取り締まりの対象になりました。そうした中ですから、『経・哲手稿』は、ほとんど知られることはなかったでしょう。手にすること自体が禁じられていたし、語学の壁もありましたから。これが日本で自由に読めたり、議論できるような可能性を得たのは、1945年8月15日の敗戦後ですね。それにより民主的な日本国憲法が確立した。その時以降なんですね。それはマルクスがこの本を書いた1844年から100年をへた後での日本ということでした。わたしなどがこの本の存在を知ったのは、学生時代の1970年のことでした。こうしてみると、それはまだ日本語訳が出てから数年後の、比較的に初期の頃だったんですね。そのころ研究者たちが、「労働の疎外論」などの『経哲手稿』に関する議論を、それこそ事新しく、活発に展開していたのを記憶しています。しかし、そうした時から、今や50年以上が経過したということです。三、関係する主な著作の紹介ですつぎは、『経済学・哲学手稿』が書かれた前後の社会背景です。まず、人物です。ヘーゲル(1770年-1831年)、フォイエルバッハ(1804年-72年)、マルクス(1818年-83年)、エンゲルス(1820年-95年)です。つぎは、内容です。 1807年 ヘーゲル『精神現象学』 1812-16年ヘーゲル『大論理学』 1817年 ヘーゲル『エンチクロペディー』 (1831年ヘーゲル死去) 1839年 フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学批判」 1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 1842年 フォイエルバッハ『哲学改革のための暫定命題』 1843年 フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』 マルクス 1842年 マルクス『ライン新聞』編集 (※1843年 マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』(クロイツナッハ)) (※1844年 マルクス『経済学・哲学手稿』(パリ)) (※1845年 マルクス「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」) (※1845-46 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデォロギー』) ※ は、書かれた当時は、刊行することができなかった。日本の先人は、これらを私たちが今日、それを読めるように、しっかりと翻訳してくれているんですね。しかし、この若きマルクスの努力は、ほとんどが刊行することができなかったんですね。『経済学・哲学手稿』ですが、当時マルクスは26歳。当時のドイツは、戦前の日本がモデルにしていたように、民主主義的自由が圧迫されていた。マルクスはそのドイツからフランスに出国して、自由なバリに移つることで『独仏年誌』を刊行することが出来た。ところがプロイセン政府の圧力によってフランスから国外追放させられた。こうした事情で、『経哲手稿』は刊行することができなかったんですね。波乱な生活にもかかわらず、短期間に多岐な集中的な作業がおこなわれたことが見て取れます。新たな世界をひらくための、その努力の成果がこの著作なんだということです。今回は、ここまでです。次回は、マルクスのフォイエルバッハ論です。社会的に一世を風靡したヘーゲル哲学ですが、そのドイツの観念論の大勢的な中から、フォイエルバッハが、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しだした。ここからマルクスの努力がはじまるわけですが。この努力のはじまりをさぐります。
2024年05月27日
コメント(0)
『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著) を紹介しますこれまで日本共産党に関する本というのは、だいたい自己の変節をかくしての共産党論か、共産党の外部の知識人から共産党を注目したもの、ないし圧倒的には共産党自身の立場から書かれたものだったんじゃないでしょうか。そうした中、今回紹介するのは、『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著 あけび書房 2024年5月1日刊行 2420円)です。これは、れっきとした共産党の役職をつとめてきた人が、もちろんこの本もそうしたポリシーに立って書かれているものです。一つの時代を地区委員長として活動されて、そこで直面した出来事や見解のさまざまな事柄ですが、記録されています。もちろん私などには、そこにある個々の問題の是非を判断できるような自分の存在ではないんですが。しかし、一つの時期を苦闘努力されてきた、その生の記録であることは、私も同時代を生きてきたものとして、客観的な時代性が重なるので、そのことだけはわかるんですね。これは、私などは、日本共産党版の「ルソーの『告白』」といったもののように感じます。これって、難しいんですよね。渦中の中にいる人が、それを記録に残すなんてことは、よほど自己意識がないと、忙しさに振り回されてそれどころじゃないじゃないですか。ましてや組織のなかで活動してきた人が、自己の個人を自覚して、その個人の立場から組織の客観性に対する認識を活字にして書くということは。「内部問題は、組織のなかで議論するのはOKだけど、外に対しては統一性をはかるために出してはならない」との規約ルールがあるじゃないですか。これはこれで、討論クラブに陥らせないための当然のルールですね。したがって、現役の立場では出来ないことですね。しかし、現役を退職した人が、政治路線と節度を守りつつ、みずからの体験したことを、みずからの責任で、その客観性をふりかえってみる。これは、専制国家だった革命前のロシアや、戦前の治安維持法下の日本では、そもそもありえない自由です。しかし、民主主義的な社会条件の下では、戦後の日本国憲法のもとでは、一定の節度を守ってのことですが、それは個人の権利として、ありうる権利であり、人権だと思います。たとえて言えば、国家公務員にも秘守義務がありますが、ある期間の後には時効というか、情報・記録の公開ということもあるじゃないですか。これもそうした問題に属すると思います。まぁ、素人の私には、問題の法律的な理解や解釈というのは、いたって妖しいものですが。そうした問題をもちつつ、刊行されたこの本ですが、これは、発達した資本主義国の、共産党の民主主義的な組織人のありかたということに一石を投じているものとして、新たな領域をひらく試みとしてうけとめました。またその内容としては『善意による労作』として読まさせていただきました。ここには現役人にとっても、生かすべき問題がいっぱいあるし、国民にとっても一つの自己成長の記録をしめす。今日の民主主義的社会において、新たな共産党のあり方を提起しているものとして、読ませていただきました。
2024年05月20日
コメント(0)
マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法の批判」まとめ1私は昨年(2023年)12月から、マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習してきました。この5月10日の第18回目の発信をもって終わりまできました。右往左往の手探りでもありましたから、何が問題やらチンプンカンプンなこともあったかと思います。これから、あらためてその中身をまとめてみようと思います。一、はじめになんでマルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学んだのか直接の経過としては、昨年ですが、福田静夫先生(日本福祉大学名誉教授)の講座で、ヘーゲルの『法の哲学』「国法論」と『歴史哲学』「ゲルマン世界」を学ぶ機会がありました。長年にわたりヘーゲル哲学を研究されてきた方が、その中身と今日的な意義をといてくれたんです。私などは、その講座の終了後ですが、『歴史のなかの弁証法-『歴史哲学』「序論」をまなぶ』との冊子を、その後の学習の副産物としてまとめてみました。ヘーゲルが世界史のあゆみの中に弁証法をどのようにとらえていたのか、その「序論」から探ってみたんですが。まぁ、これが私などの理解の程度でしたが。そもそも私などは、科学的社会主義についてこれまで学習していたんです。このことから、ヘーゲルにたいしても関心を持っていたわけですが、この機会があらためてヘーゲル哲学を学ぶうえでの貴重なものとなったわけです。そうなると問題は、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」です。そもそもヘーゲル弁証法とは何か。いったい、マルクスはどのようにヘーゲル哲学、その弁証法を理解したのか。どの様にしてそれを批判したのかです。これまで私などは、折節につけてエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を読んできました。この本が、その問題を主題にして解明してくれていたからです。しかし今回は、『1844年の経済学哲学手稿』です。エンゲルスがその著作をまとめるにあたって、元になっていた原材料となるものです。なんで、その『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶかというと。それは、ヘーゲルが初めて弁証法を意識化したように、マルクスが唯物弁証法をはじめて意識化した現場であるからです。唯物弁証法を学ぶ上で、一つの基本的な道だと思っているからなんです。哲学の学習というのは大事だと思うんですよ。いまを生きていく上での基本姿勢にかかわってくると思うんです。しかし、今どき哲学を学ぶなんてことは、マニアックなひとか、専門の研究者の人たちならともかく、一般的には、それを語り合えるような場は、この世知辛い世の中ですから、なかなかそうした機会というのはないと思うんです。私なども「達磨大師」状況におかれたことを、さんざんボヤいてきたわけですが。ここで問われていることは、ものごとに対する自己の基本姿勢だと思うんです。人間がこの世を生きていく上では、さまざまな問題が問われるじゃないですか。あれも、これも、それもと、万華鏡のようにつぎからつぎへと問題が出てきます。それらへの対応に、ついつい人は振り回わされますよね。それが普段の日常的なことがらだと思うんです。なんといってもヘーゲルという人の努力は、そうした一端を示しているとおもいます。人間の感覚から意識、理性、精神の『精神現象学』、一般の『論理学』、自然哲学、芸術・宗教、『法の哲学』、『歴史哲学』と。「対象というのは自己意識だ」との根本から、人をとりまいている森羅万象を、ひとりの知性で探るとことを挑戦しつづけたわけですから。おそるべき、愛される人です。しかし私たちだって、現代に生きている以上、ウクライナ侵略はあるし、パレスチナ侵略問題があり、軍拡政治はあり裏金問題がある。こうした歴史学術の成果を学ばなくてはならないし、また働いて家族とくらしていくこと、同時にまわりの市・町での動きや、大本での国の政府や議会の動きと、これら自分をとりまく諸関係とのやりとりがあるわけで。同じように課題は多岐で、日々大変なわけです。今の世の中にあって、私などがあえて哲学をうんぬんするのは、根本にはこれらに対する基本姿勢の問題にかかわると思うからですが。まぁ、そんな素朴な気がしてくるからでして。もちろん、ものごと一般論だけでは、すべての問題が解決しきっこないんですが、しかしそれでも現実問題に臨む姿勢が、ある程度はしっかりしたものになるのでは、そう思っているからですが。(以上、といったことで、まとめのスタートです)。
2024年05月17日
コメント(0)
社会主義の新しい可能性のために『カール・マルクスの弁明』(聴涛弘著)の紹介大事な点を明らかにしていると思い、紹介します。私などが注目したのは、第二章の「レーニンの苦悩と社会主義論」なんですが。この本は2009年5月刊行(大月書店)ですから、少し前のものですが。昨今の私などの印象なんですが。プーチンのロシアによるウクライナ侵略戦争が続いています。隣国にたいして軍隊を出して占領し、人を殺し、無茶苦茶に破壊しちゃっているわけですから、国連をはじめ世界各国が国際法違反として、糾弾するのは当然なことですが。問題は、「プーチンはソ連時代の警察官僚であり、これが社会主義の姿だ」との雰囲気が、そうした印象論がふりまかれる風潮ですが、日本社会にもあちこちに陰に陽にあると思うんです。もちろん、このウクライナ侵略の以前から、ソ連邦の崩壊は社会主義そのものの崩壊とする風潮があったわけですが。そうした中で、この本は、歴史には社会主義が世界に新鮮なインパクトを与えた時代があったことを紹介してくれています。そのレーニンの当時というのは、日本では治安維持法などで、危険思想として取り締まられていたわけですから、偏見のさえたるものでしたが。社会的な反省がありませんね。しかし、今の時代というのは違います。しっかりと事実をもとにて、ことの是非や評価を語らなければならない、一人ひとりにその努力が求められています。それが民主主義的社会です。もしその努力が弱いとなると、その分邪道と非合理といったことが、社会に幅を利かすことになると思います。この聴涛弘氏の「レーニンの苦悩と社会主義論」ですが、そこには、ソビエト連邦がつくられた当時の、レーニンの努力が紹介されています。これは素晴らしい紹介ですよ。こうした材料をふくめた史実を確認したら、プーチンを社会主義とだぶらせるなどということは、まったく論評に値しない、臆測と偏見でしかない、無責任なものだとわかると思います。しかし残念ながら、広く日本社会を見ると、そうした人が多いんですよ。まったく無責任な、自分勝手な印象論をふりまく「コメンテーター」が多いわけでして。レーニンと社会主義論-この本は、歴史を探究することは、すがすがしいしと感じました。今頃この本の存在に、わたしなどが気がつくというのは、多分に遅すぎるんですが。しかし、知らずにいたよりかは、少しはましでしょう。私などは思うんですよ、今でもこの成果は意義があること、というか、今日的な意義があること。もっともっと、広く社会に分かち合う必要性があると感じています。そうした思いで紹介させていただきました。
2024年05月14日
コメント(0)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」18 「自己意識は他在のなかでおのれのもとにある」ヘーゲルは弁証法を初めて意識化した人です。今回は、『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭には、8つの要点にまとめられています。マルクスは『経済学哲学手稿』のなかで、この箇所を取り上げています。「(六) 自己意識は外化した対象性をおのれの中に取りもどす、従って、その他在のなかでおのれのもとにある」(国民文庫 P220)この内容というのは、人がものを知るというのは、自己の意識を対象化することにより、その対象化したものを通してものごとを知ることができる、この点をとらえているわけですが。ヘーゲルが最終章「絶対知」でのべているのは、どのようにしてその対象性を克服して、自己のものに取り返すのか、です。「なんじゃ、これは? 」ですが、この内容というのは弁証法ですね。ものを規定し、つくりだす否定の弁証法、精神の運動ということですね。ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)、この初期の著作において、弁証法をはじめて明らかにしているんですね。その内容は、人間がはたらくことでつくりだしたものなんだけど、それが疎遠なかたちで対象化されてある。それを今度は人が取り返すという一般的な原理です。それは抽象的一般的にいえば「否定の否定」ということですが。ヘーゲルという人は、すごいですね。そして、それを批判したマルクスも、またすごい人ですね。マルクスは、当時26歳ですが、1844年『経済学・哲学手稿』において、その『精神現象学』の「絶対知」において、ヘーゲル弁証法を検討しているわけです。いったい弁証法の意識化は、人間にとってどの様な功績となるのか。また、それは私などにはわかりにくいものですが、そのわかりにくさにはどんな問題があるのか。そこから何を引き出したのか。マルクスは1845年の春に「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」のメモを残しています。これについてエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で指摘してますが、「新しい世界観の天才的な萌芽が記録されている最初の文書として、はかりしれないほど貴重なものである」このことに、つながっているわけです。私などは、今回、あらためて『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学」を通読したわけですが、これから、それをまとめることが求められているわけです。
2024年05月10日
コメント(2)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」17「自己意識の外化としての世界」、より道の2前回の発信ですが、マルクスはとどのつまりヘーゲルのどこを評価したのか?弁証法でした。しかし、それがもっている一面化の問題、そのための課題とは何か、ということでした。そもそもその弁証法とはなにか? この問題があります。この弁証法というものの理解の問題をめぐっても、いろいろな人が、その考えを、それこそ沢山の本になってだされています。私なども「ヘーゲル 歴史のなかの弁証法」として、冊子にしたんですが。さらに、今回の問題ですが。知人が前回の発信に対し感想を寄せてくれました。そのなかで、ヘーゲルの言っている「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、どういうことなのか?そのことを検討することと弁証法の問題とは、どのように関係しているのか?こんな問題がありました。ヘーゲルの表現というのは、私などの日常の言葉や文章からして、「なんじゃ、こりゃぁ???」となりがちなんですが。注意して読むと、私たちが日常に経験していることを、ヘーゲルはそれを哲学的に表現しているんですね。この場合も、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、ようするに私たちが見ている外界の世界というのは、私たちの意識がとらえ・つくりだしているものだということです。それはそうですが、なんでそんなことが、今ここで大きな問題になるのか?との問題が問題なんです。このことをめぐって、マルクスは9文節(第24文節から第32文節)もの論評と議論を展開しているわけです。「素朴実在論」ということがあります。古今東西の認識は、カントやヘーゲルが問題にするまでは、外界の世界とひとの意識とは一致していた。意識は外界そのものをとらえているとの普通人の常識です。ところが、そこに「それは本当だろうか?」とカントからヘーゲルにいたるドイツの古典哲学は問題提起をしてるんですね。ふつうでは、「どうだっていいだろう、そんなことは」と済まされているんですが。ヘーゲルは、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」との見方を提起しています。私たちの見ている世界は、私たち自身の意識こそがそのように見ているんだ、と。では、世界は私たちの意識でしかないのか。そうした主観主義の唯我論との考え方もありますが、ヘーゲルは人の認識することを問い、自然を問い、哲学や歴史、法律や芸術や宗教といった、あらゆる分野をさぐってますから、「それは私の意識です」といっても、実在の対象をとらえようとしていますから、自己のことだけを問題にするたんなる唯我論じゃないんです。でわなんなのか?そこが問題です。そもそもこの「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」が、それはどのような問題を検討する中で、そうしたことが問題になっているのか?ヘーゲルによれば、世界というのは人間の意識が対象としてつくりだしたもの、人がつくりだした世界というのは、自己の本質的意識とは違った、疎外されたものであり、個人の意識からしたらそれは疎遠な形である。理解しえないような、不本意な、巨大でなじみえないようなものとしてある。人はそのような形で世界をとらえている、ないしその姿をつくりだしている。それは個人にとっては、まぁたとえて言えば、私一人の力で車や時計をつくれといったようなものです。しかし人は歴史的な社会的力をもって、たしかにまわりの世界をつくりだしているとおもいます。弁証法の否定、規定はそれをつくりだしているわけですが、大事なところは、その疎遠なものというのはその人がつくりだしたものであり、同時にそのことは、その疎遠なものを人は自己のものとしてとりもどす面をもっている。この関係をヘーゲルは洞察しているんですね。そしてそれをマルクスは、偉大な業績として評価しているんですね。ヘーゲルもマルクスも言っています。「大事なことは、意識の対象を克服することであり、その運動なんだ」と。ヘーゲルは『精神現象学』で、その「序論」でもかさねて、実体というのは主体だと強調しています。「真なるものを実体としてではなく、同時に主体として把促し、表現することである」対象という実体は、人がつくりだしたものであり、それは取り戻せる、疎外された状態にあるのを回復することができる、「大事なことは、意識の対象を克服することだ」と。と強調しているわけです。そのことは、人間がつくりだしたものは、疎外された形にあるわけですが、それはその疎外された形を回復していく運動でもあると。なにか一種の精神論のように聞こえなくもないのですが、そうじゃなくてそれが弁証法の運動なんだ、と言っているわけです。そして、その一般性をヘーゲルは、ヘーゲル流に、『精神現象学』『歴史哲学』『法の哲学』『エンチクロペディー』などとして、個々にその論証を試みているんです。それを学んだマルクスとしては、「それは素晴らしい努力なんだけど、だけど、そのヘーゲル流のやり方(弁証法)には、一面的な誤りがある。人間の世界のあゆみについてもしかり」とみてとっていて、そのヘーゲル流の弁証法にはどこに一面性の誤りがあるのか、問題があるのか。その点を検討しているのが、今回のマルクスの『1844年の経済学哲学手稿』なんですね。ここでの探究というのは、そうした関係の中にあるわけです。したがって、一見すると素人の私などには、「抽象的で、どうでもよいようなことを、ゴタゴタと検討している」ように見えるんですが、そこには大事な大きな問題があるわけです。そのことは、疎外された今日の人間社会ですが、一般的、抽象的にみて、そこにも「いって、こい」「つくりだし、それを変えるとの弁証法がはたらいているわけで。そうした関係を解きほごして、疎外を克服することで、対象性をとりもどすことが出来る、そんな一般的な洞察が、ここにはあるというんです。それはあくまで一般的なレベルでのことですが、私などはそのように理解しています。しかし、これは過程としてあるわけですから、努力としてあり、運動としてあるわけです。ですから、安易に手軽な名著(真理)をなにか一冊読みさえすれば、すべてのことがわかるといった、そんなことじゃないんですね。このヘーゲルやマルクスの詮索していることの中身というのは、そうした内容をもっていると、私などは考えます。それは人類の大きな知的な成果であり、遺産だと思っています。今回も、やぶの中で捜査の道を見失わないようにとのことで、幕間での一つの整理であり、感想でした。
2024年04月26日
コメント(2)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」16 「自己意識が外化したものとしての世界」についていよいよマルクスのヘーゲルの『精神現象学』「絶対知」の論点に対する批判にはいります。ここからが問題ですが、ここで、道に迷わないよう歩いてきた道を確認します。一、これまでの考察をまとめてみると、ヘーゲル哲学の功績ですが、それは否定(することは、規定すること、うみだすこと)の弁証法をとらえたこと。それは、結果的な事実というのは、運動として、過程の成果としてある。しかしそれは、類的なもの(社会的な総労働)によっているわけで、個々の人には疎外された(疎遠なもの)としてある。自己も一員となってつくりだしているこの疎遠なもの全体をとりもどす。ヘーゲルは『精神現象学』の中でこうした思想(世界観)を打ち出した。しかし、そうしたヘーゲルの弁証法の成果を確認した時、そこには一面性の誤りがふくまれている。それを分析してゆがみを正すことで、弁証法を正確な姿にたてなおす必要がある。この歴史的な宿題があるというのがマルクスの課題認識です。その問題の中心的内容は、すでに、これまで学習してきたなかで提起されてます。二、今、ここで問題にしていることですがそうした結論をみちびき出しきた過程、すなわちマルクスが具体的に探究・検討した過程についてです。その成果とゆがみは『精神現象学』の提起の中に、とくに「絶対知」章の表現に典型的にでているとのことです。2つの点をとくに検討しています。1、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」(第24文節 全集P499)2、「対象の外在化と対象性を揚棄して、自分のうちにとりもどしている。すなわち他在のもとにおいて自身のもとにある」(第33文節 全集P502)わたしなどは「なんじゃ、こりゃぁ???」ですが。マルクスは、この二つのヘーゲルの見解について、とことん検討しています。そのことから、ヘーゲルの「ゆがみ」を正せたようです。まぁ、私などは、これからその検討をさぐろうとしているわけですが。三、これまで学習の回をかさねてきて、わたしなどが感じることですが。1、この「ヘーゲル弁証法批判」を検討にあたって、依然として達磨大師ですが、しかしポツポツとまわりある努力が見えてきています。しかし、人というのは謎の言葉が提起されると、自己流にそれを「解釈」したり、中身について自己流に「考案」しようとしがちですね。わからないとは言えないし、自分は理解しているんだとの自尊心もかかわっているようですが。そんな様子を感じます。まぁ、わたしなどは素人ですから、無知というのは当たり前で、すべては白紙の様なものですから、自分で理解できるところと、理解できないところを、なるべく確認するようにすることをもって、それで良しとしたいと思ってます。2、こうした問題を探究するのは、日々の諸々は忙しくて、仲間もなく、疎遠になりがちだと感じることもなくはないんですが。なにしろ、ヘーゲルは1831年に、マルクスは1883年に亡くなっていますから、今から150年から200年も以前の哲人たちの議論・探究です。日本では江戸時代末期から明治の日清戦争の頃でのことでして、とにかくむかしのことです。また、今日の現行憲法のもとで、「平和」を建前としつつ軍備の大増強に突っ走る、国民が主権者のはずなのに歪んだ政治によりおしつぶされている。選挙じゃないけど、木が沈んで石が浮かぶような、日々に世知辛くも、無茶苦茶な事態に直面させられているわけで、なんとも歯がゆい事態わけですが。しかしこの探究も、古今東西そのどこかで、こうした問題を正す力をつくることに、どこかでつながっていると思います。わたしとしては、周りの世界に注意を払いつつも、ここをすすめるということです。今回は、幕間の休憩でした。
2024年04月23日
コメント(2)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」15 新たな地平を刻んでます1844年に、24-5歳のプロイセン(ドイツ)の若ものが、ヘーゲル哲学と格闘した。そして『法の哲学』を、そして『精神現象学』の最終章「絶対知」を吟味せざるを得なかった。それらがヘーゲル『法哲学』の国法論批判であり、この『経済学哲学手稿』でした。今から200年近くの時をさかのぼる努力ですが、私などは「なんじゃそりゃぁ」などとおもいつつ、学んでいます。一、文章の基軸の理解が大切だと思うようになりました以前に読んだとき、マルクスはヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」章のたった1ページを、8つのパートに分けて、なおかつ二項と六項の、たった二つの項を徹底して吟味しているのに驚かされました。『精神現象学』は大部なものです。しかし、そのたった一ページの問題を検討しているかのように見えたんです。しかし、今回、思うんです。それは叙述の関係であり、問題とするところをもっともよく示している箇所だったからであり、やはりその基礎には、『精神現象学』とその「絶対知」の章についての全体的な検討があると。その基礎があるからこそ、この8つの項を批判できるんですね。なぜ、マルクスはこのようなややこしい難書に挑戦したのか。それは、マルクスが唯物弁証法と唯物論的歴史観を発見し、それをまとめようとした努力の記録だったとおもいます。1845年にフランスから国外追放されたことで、出版する契約までしていたのに、草稿のままお蔵入りとなり、90年の時を経て1932年にソ連ではじめて刊行されました。マルクスは、このヘーゲル哲学、その『精神現象学』の「絶対知」について、この難書を正面に、三重にわたって説明しています。(この論文に、文節ごとに通しナンバーをつけてみました。問題となる個所をはっきりさせるためですが。私なりには全体で64の文節ありました)一つは、「ヘーゲルにおける二つの誤り」、第12文節ですが。おもうに、これはマルクスの結論を端的にまとめた叙述だと思います。二つ目は、「あらかじめ次のことだけは言っておこう」(第16文節)の箇所と、それと問題の「その要点は」(第17・18文節)です。この二か所で書いているのは、同じことかとおもいます。これからヘーゲルの叙述を検討していくうえで、あらかじめヘーゲルの叙述で、何が問題なのか、どこに問題があるのか、難儀している人に対して、それを理解しやすくするために、「あらかじめ」頭をならそうとして、いろいろな角度から、予備的にその中身を紹介しているものとおもわれます。その上で、問題とされるのは『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭のところです。そのものを8つの項に区切って、マルクスは確認しています。第22文節ですが。「絶対値」の章からたった1ページですが、それを8つの項に区切ってを抜粋しているわけです。「その要点は」(第17・18文節)それ以前の二つの箇所というのは、その本論を理解しやすくするために、「序論」的なものとして、いわば思考トレーニングをしているといった性格の部分なんですね。そのうえで、具体的な検討に入っていくわけです。したがって、その事前の案内部分ですが、ちょっと読むと「藪から棒」の託宣的に述べているよう聞こえもするわけでして。理解するのに苦労させられる。いったいどのように解釈したらよいのか。いろいろな人が、それぞれ自己流の解釈をしているところでもあります。私などが思うのには、マルクスのあらかじめの説明ですから、そこだけで完全な理解が出来るといったような性格のものではないわけでして。その後の本論部分に具体的な検討があるわけです。その関係が、あまたの解説者たちが、完全な理解を示そうとして、苦労させられているように思われます。その結果、その人流の恣意的な、というか勝手な「解釈」をもって、説明してきた。そのために、いっそう混迷するような状況があるように思われます。いくら解説書を読んでも、ますますわからなくなるのは、そんな原因も関係してるんじゃないでしょうか。したがって、結論です。この序論的な部分については、そうした議論の組み立て、性格を理解しておくことが大切で、マルクスとしては「ある程度のことを理解したら、その先にすすむように、その先に問題の検討や解明があるよ」といっているんじゃないかと思います。実際に、マルクス自身が言っていることを紹介します。「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを(この後に行われる)『現象学』の結びの章(絶対知)のところでくわしく示してみせるだろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係もまたこれらの両者およぞ両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれている」と。(第15文節 ME全集第40巻 P196)一から十まで、完ぺきな理解を求めているわけではないんです。二、「貫徹された自然主義、ヒューマニズム」の謎が解ける私などには、これまでなぞの一節があったんです。少し先になりますが、第26文節です。「ここにわれわれは、貫徹された自然主義、あるいは貫徹されたヒューマニズムがいかに観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるかをみる。同時にまた我々は、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」(P500)わかりますか、この意味が。わたしなどは、なんじゃこれは??? これまでずーと謎だったんです。苦し紛れに、あれこれと考案しようとしていたんですが。今回、蛍光灯のように、頭がひらめきました。もちろん前後の文章にそのヒントがあるわけですが。同時に、自分流に仮説を立ててみることにしました。ということで、これは、あくまで私などの仮説なんですが。一つは、「貫徹された自然主義」ということですが。ヘーゲルは対象というのは自己意識の外化したものとみています。人間の意識から独立した対象的存在というものを見ようとしていません。あくまでそれは人間の意識がつくっている。その点からしたら世界というのは意識がつくっているものでして、ようするに唯心論なんですね。この意識の外側の世界を認めようとしない。自然というものの人間からの、自己意識からの独立性を認めていないわけです。そこのところに自然に対する不徹底さがあるわけで、貫徹されない自然主義があるわけです。マルクスとしては、人の意識の外側にある自然の存在そのものをみとめている、ようするにそれは唯物論なんですが、そこに自然主義の徹底した姿があることを指摘しているものと読みました。もう一つ、「貫徹されたヒューマニズム」とは何なのか? この問題です。ヒューマニズムというのは人間を、その尊厳を大切にする立場ですよね。それがマルクスによって、ここで突然に『ヒューマニズム』なる言葉が出てきた。どうしてなのか?どの様な意味なのか?どうしてここでてきたのか?ここには説明はありませんから、 なぞでした。そもそもヒューマニズムというのは、ルネサンスの人間復興や、モンテーニュやラブレーといった人が思い浮かびます。「われおもう、ゆえにわれあり」、人間の尊厳を近代の入り口で確認した言葉です。それがどうして、ここにでてくるのか? ここからは私などの仮説ですが。私などが想像するのに、「神は人間がつくりだしたもので、あくまで人間こそが主人公である」、これはフォイエルバッハが『キリスト教の本質』や『将来の哲学の根本命題』で強調している根本的な立場であり、考え方ですね。このことが、中世から近代へのヨーロッパで、ルネサンス、啓蒙思想などなかで、ここに大きなテーマがあった。神を中心とする考え方から、人間を中心とする立場への大きな転換です。マルクスは、この唯物論の立場にこそ人間中心のヒューマニズムの精神がある、そのことを指摘しているんじゃないでしょうか。さらにもう一つあります。これまで、精神ということの尊厳、精神の能動的な役割、理想的な精神をもとめる、などということは観念論の世界の中で探究されてきた。それはカントの理性の批判、ヘーゲルの情熱や自由論、これらはいずれも観念論のなかで大事なテーマとして鍛えられてきた。これにたいして18世紀の唯物論やフォイエルバッハの唯物論は、これに対してどのように問題が取り上げられ、検討されてきたのか。これはこれで大問題です。根源性の問題だけでなく、精神の果たす役割の問題です。唯物論にも色々な特徴があるけれど、それまでの唯物論には機械論的な特徴がみられ、それをもっと発展させなければならない。ようするに、「観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるか」ということですが。それがしめしているのは、新たな能動的な、精神の活動の尊厳をも生かした唯物論というものを、弁証法的な唯物論が課題となっている。マルクスはそのことを強調したかったんじゃないでしょうか。それでは、唯物論的な弁証法というものを、その可能性をどの様に現実的な切りひらくのか、この探究課題が問題になっているんじゃないでしょうか。さらに、もう一つあります。これは「同時にまたわれわれは、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」-この言葉が意味することですが。これもまた、私などの推測ですが。ヘーゲルは「歴史哲学」にみるように自由の発展ということを洞察していました。しかし、その事実の根拠はどこにあるのか。ヘーゲルは精神の自由への発展という精神が確信でした。しかしその大勢の流れは正しいとしても、いったいその根拠はなんなのか?この問題ですね。意識はそれ自体から解きほごせれるものではなくて、そうした意識を規定するものがある。これですね。これは世界史のすすみゆきに対して、その自由な精神というものを規定するところの問題がある。ようするに、それが唯物論の立場、唯物的な歴史観を洞察し、探究することだったんですね。私などはそのようにとらえてみました。これらは、あくまで、私などの推測ですが。これから、本論となる「絶対知」の具体的な検討に入っていくわけですが。おそらく、そうした事柄が、これから出てくるんじゃないかと、わたしなどは期待している次第です。今回は、ちょっと先走っていますが、しかしそれは、大事なことだとおもうので、紹介させていただきました。もしも誰か、このことを解説されている人や、そうした文章があったら、紹介してほしいのですが。今回は、以上です。参考文献、『ヘーゲル「精神現象学」入門』(加藤尚武編 有斐閣選書 1983年刊行)
2024年04月19日
コメント(0)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」14 ヘーゲル弁証法の成果と課題今回は、前回と重なる部分もありますが、ヘーゲル哲学を、『精神現象学』、『エンチクロペディー』と、全体を一べつしての成果(弁証法)と問題点です。一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について(第14文節)二、しかし、ヘーゲル哲学には一面性がある、さしあたり明らかな点(第16文節)一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について第14文節ですが、マルクスはヘーゲル哲学の最終成果として弁証法にあると指摘しています。そのヘーゲル弁証法とはなにか?マルクスが初めて意識的な解明に挑戦しているわけです。「運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」-これがマルクスのここでの規定です。(もちろん人により、また同じ人でも場合により、弁証法にはいろいろな規定の仕方があると思うんです。その中身をどうつかむかは、それぞれが探っていくべき課題ですが。)マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価です。「ここにあるヘーゲル(弁証法)の第一のすばらしさは、人間が自分自身の産出を、結果としてだけでなく、一つの過程としてとらえたこと。対象化することを、対象性をなくすこととしてとらえたこと、言い換えれば、外化を外化の止揚としてとらえたこと。(結果をとらえるだけでなく、それをつくられつつある過程として、運動としてとらえている。ものをつくる、対象化することは、それを実現すると対象というものはなくなると。また、対象としてあったものが働きかけにより、自分のうちにとりもどされる、と)第二に、それは、労働の本質をとらえており、人間自身というものを自分の労働の成果としてあるものだとらえている点にあること。第三に、人間は類的な(社会的な)存在であり、それに対する一人の人の能動的なかかわりについて。人間は類的な(歴史的な総労働の)存在として、まわりにかかわるし、その成果を享受する。ただし、その類的なことは一人の人からしたら疎外された形においてのみ可能になっている。」(この類的な人間と一人の人について、前回、私なりの理解として、このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者といった関係になっているけれど、これは自身も一因になってつくりだした関係であるわけでして、その疎遠になっているつながりを、個人がとりもどすことが大事になっており、それは疎外されてる人間の、疎外から自身を回復するということであり、類的な人間全体を、しがない個人がつかみかえし・とりもどすということだ、と紹介しておきました。)以上が、第14文節です。マルクスがとらえたヘーゲル弁証法についての「終極的成果」です。同時に、マルクスが問題とするのは、そこには「一面性と誤り」がふくまれているということ。この検討が、次の第15文節以降の内容ですが、じつに、このことが全体の中心的な問題になっているわけです。二、ヘーゲル哲学にある一面性、さしあたり明らかな点つぎは、ヘーゲル哲学の全体を通して、特徴となっている「一面性」の問題です。まずマルクスは、ヘーゲルが人間の労働の本質をとらえていること、それは「当世の国民経済学者たちの立場にたっている」と、これを高く評価しています。人は労働することにより対象物・生産物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説ですが、人の労働により、人間社会の富がつくられている。これとヘーゲルは共通する労働観の認識にあると評価しているわけです。しかし、問題はそこからです。そのヘーゲルの労働観には一面的な点があると、マルクスは問題点を指摘しています。その問題点の指摘です。第一は、労働の肯定的な面のみを見て、否定面をみていないこと。マルクスは、ヘーゲルの場合は労働ということを、人をまるごと外化したものととらえているわけで、そこにある問題点を見ない。それもまた国民経済学に共通する立場ですが。『経済学哲学手稿』の第一手稿には「疎外された労働」の探究があります。その背景には「ライン新聞」に掲載した「森林窃盗取締法に関する討論」や「モーゼル通信員の弁護」など、農民の労働状況についての体験があるわけです。第二は、ヘーゲルはまた抽象的な精神的な労働しかみてない。外在化のあらわれについてそれら哲学に・学問としてとらえることこそを労働の内容としてとらえている。第三に、先行する哲学のすべてを、行為として、そしてヘーゲル自身の哲学の契機をなすものとしてとらえるから、ヘーゲル哲学こそが最高の総括的な絶対的な存在ということになっちゃう。以上が第16文節ですが。マルクスは、ヘーゲル哲学の全体を一瞥して、その全体からみてとれる労働の一面化について、さしあたってこの三点の問題を指摘しているわけです。しかしこれは「ヘーゲル哲学」の全体から見てとれる特徴でして、このあとマルクスは、『精神現象学』の「絶対知」の章について、その冒頭の箇所を具体的に検討することで、本格的に問題点を探っていきます。ここからが本題です。しかし、それはまた次回とします。
2024年04月15日
コメント(0)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」(その13) 何が問題で、ヒントはなにかここでマルクスが検討の対象としているヘーゲルの『精神現象学』ですが。哲学者の故・真下信一氏ですが、昭和の初めのころ京都での学生時代に、教授から聞いたそうです。「古今東西、哲学の書は数えきれないほどたくさんあるが、そのなかの三大難書の一つがヘーゲルの『精神現象学』だ」、と。(『時代に生きる思想』新日本新書 P194)その道の大家の人たちが苦労した古典の大作です。ですから私などが、すんなりとすすみっこないし、発信しても無反応なこと、それはグズグズ言っても仕方がないんですね。泣き言はおいて、とにかくすすんでゆくということです。それと、今回から、この学習の主題に関連して、入手できた本や論文ですが紹介させていただきます。今回から問題になるヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」です。一、そもそも、なにが問題なのかマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、今回は13回目です。いよいよ「本論」に入っていきます。テキストは「マルクス・エンゲルス」全集の第40巻に掲載の『経済学哲学手稿』(真下信一氏訳)を中心につかっていますが、P490から512の33ページ分、その各文節に通しナンバーをつけると第1文節から64文節となります。なんで今ごろ、そんなことを学習発信しているのか、何が問題なのか、ですが。私などが思うのに、この内容は、マルクスはヘーゲルの弁証法をどの様にとらえたのか、それをどの様に批判したのかですが。ようするに唯物弁証法です。混迷する今の社会にあって、なかなかままならなく、混迷することがいろいろ目につく現代社会ですが。私などはその中を73年生きてきて、この社会にあっては、とくに基本的な姿勢が大切だと感じるようになってきているんですね。まぁ、一般的な方法論、生きる姿勢の問題として、それがこの哲学の唯物弁証法なんですが。しかし、それは、このヘーゲルやマルクスの著作をちょっと開くとわかるかと思いますが、そうそう簡単に理解することはできないんです。私などは、そこに現代を生きる人たちにとって、生きていく上で役立つ基本があると思ってるんですが、しかし、なかなかそれを周りの人たちにうまく伝えれない、このもどかしさがあるんです。それで、このブログ発信をしている次第です。二、今回は、本論に入るにあたっての見取り図です前回、マルクスがヘーゲル哲学の一番の業績として弁証法の発見にあると指摘したのを紹介しました。それは一つの結論でした。全体の中で、それはどういうことなのか、問われています。そもそもその弁証法ってなに?ヘーゲルの弁証法を批判したって、どのように?マルクスが新たにつくりだした「唯物弁証法」って何なの?マルクスといえば唯物論的歴史観の確立者とされるけれど、それは何で、唯物弁証法とどのように関係しているの? マルクスといえば『共産党宣言』だけど、共産主義って何? マルクスといえは『資本論』の著者だけど、それとどうつながるの?つぎつぎと問題はつながるんですが。しかし、ここでは、問題は限定されます。『経済学哲学手稿』の「本論」の筋書きについてこれまでは、トンネルの先も周りも見えない中ですすんできましたが。今回は、当たってるかどうかは分かりませんが、一つの仮説です。今回、マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の全体を大まかに区分してみました。1、序論にあたる部分を学習してきました。第1文節-14文節。 ア、ヘーゲル哲学の大流行の中で、その基本に対する無自覚 イ、フォイエルバッハが、そのなかでヘーゲル批判に果たした唯物論の貢献、しかし課題が。 ウ、ヘーゲル哲学の全体からの批判-疎外を思想としてしかとらえず、克服も知ることだった。 エ、その問題をかかえつつも、ヘーゲルの最大の貢献は初めて弁証法をとらえたことだ、と。以上が、前回まで学習してきた流れでした。これからは、今後の学習への予告です。これからのことについては、私などはまだよく読めていませんから、あくまで仮説です。私などは、前回の2012年にこれを一度学習してます、これはそれによるものです。2、あらかじめのマルクスのアドバイス(第15-16文節)「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを『現象学』の結びの章(絶対的知)のところでくわしく示してみせるであろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係も、またこれら両者のおよび両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれているのである」(P496 第15文節)そして、あらかじめの指摘。(第16節)これはマルクスの確固とした評言ですが、これはこれからの「本論」を検討した後によるものでして、だからこそくだせる私たちへのアドバイスです。3、『精神現象学』の「絶対知」の要点。(第17-21文節)4、その「絶対知」から、ヘーゲルの8つの論点。(第22文節)これが『精神現象学』の問題とされる箇所です。冒頭のたった1ページなんですが。マルクスはそのことから、そのことを問題にしているんです。集中力、意識性を示していますが、マルクスの学習の仕方もそこには見てとれると思います。5、その検討1、「自己意識の外化が物性を措定する」(第23-32文節)6、その検討2、「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33-46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的な諸契機。(第47文節以降)以上が、見通しです。勝手ながら立ててみました。とにかくこれがないと、先の見えないトンネルになりかねませんから。これから、これを念頭にして本論にすすんでいきます。最後に、参考文献ですが。1、「経済学批判の方法を探るマルクス」(長久理嗣著 『経済』2022年2月号)2、レジメと、「誤解されたヘーゲル」(岩佐茂著『精神の哲学者ヘーゲル』創風社2003年刊)3、「共産主義の運動をつうじて社会主義へ」(細谷昴著 『経済学・哲学草稿』有斐閣新書1980年刊)
2024年04月07日
コメント(4)
ヘーゲル弁証法の成果(その12)マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習しています。今回は、12回目ですが。「序論」と本論の区別と、ヘーゲル弁証法の最終的成果とは何かです。ようやく本題にとりかかったところです。一、はじめに、『経済学哲学手稿』の日本語訳、つまり翻訳についてですが。手元には、『経済学哲学手稿』の3つの翻訳があります。①藤野渉訳 国民文庫 1963年3月15日刊②城塚登・田中吉六訳 岩波文庫 1964年3月16日刊③真下信一訳 マルクス・エンゲルス全集 第40巻 1975年3月31日刊この3つです。私などにとってマルクスの『経済学哲学手稿』というのは、必ずしも読みやすい本ではなかった。何を言っているのか、理解するのに苦しむところが多々ありました。それで、以前には、この本のむずかしさは、それを日本語に翻訳した訳者のせいじゃないか、などと不遜にも思った時もありました。しかし、最近では、そうじゃないんです。訳者の人たちは、それぞれその人なりに原文を正しく理解しようとしており、その結果を読者に一生懸命に伝えようと努力していると感ずるようになりました。しかしそうなると、問題は読む方の問題です。読む側においても、それなりに努力して心眼をきたえることが必要なんだ、最近そう思う様になりました。なかなか理解できないので、苦し紛れに自分勝手な、それこそ勝手な解釈をおしつけがちです。が、そうじゃなくて、「学んで、時にこれを習う」-こうした態度が必要なんじゃないかと、最近ですが考えるようになりました。二、私などの『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」学習は、その発信は二度目なんです。前回は2012年でしたが、その時は、この部分について、マルクスの言っていることの初めから終わりまで、すべてを理解しようと頑張ったんですが。学びとしては、当然なんですが。しかし今回、ふたたび「ヘーゲル弁証法批判」の学習を必要と感じているんです。というのは、現代は、テーマとなる弁証法について、ますますそれらを理解する必要があるのではと感じているのと、同時に、以前に発信した時の理解については、自分でも不十分さを感じるようになってるからなんですが。そもそもこの小論ですが、マルクスの主題は、ヘーゲル弁証法をどのようにとらえ、それをどの様に批判したか、つまり唯物論的な弁証法をどのように明確に確立したかということですが。歴史上はじめて、新たな世界観、唯物弁証法というものが問題になったわけで。どうしてそうした問題が、どの様な前提となる素材をもとにして、どうして課題として問題が意識にのぼるようになったのか。結果となると当たり前のようですが、新規に開拓しようとするとなると、単純ではありませんね。マルクスにとっては、そうした問題だったということです。私の前回、2012年の学習というのは、いわば私が初めて東京に出てきた時の印象のようなもので、見ること聞くことそのすべてが新しいことがらで、まったくその新しさに右往左往して、始めから終わりまでそのすべてを、まったくキョロキョロと、白紙状態において見聞しだしたようなものだったんです。しかし今回、同じ対象ですが、あらためて当たってみると、その認識が違ってくるんです。違いの第一番は、その中身ですが、以前はトンネルの暗闇をただ突き進むだけだったんですが、今回あらためて読んでみると、そこには起承転結の構成がある。それを大きくみると、そこには「序論」と「本論」の二つの部分があること。最近のことですが、そのことに気がつきました。「序論」というのは、第1文節から第14文節までで、そのあとに「本論」の『精神現象学』の「絶対的な知」そのものの検討に入っていく、この二つの部分です。三、その「序論」ですが、ME全集の真下訳では、P490の第1文節からP496の第13文節までですが、そこには5つの指摘があります。それは次の5つです。1、ヘーゲル弁証法に対して無自覚なのが一般的な状態であり、その検討こそが必要だと。第1文節から。多くの人がヘーゲル弁証法について語っているけれど、しかしその弁証法に対する意識性がないと。2、そうした中で、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判がすばらしく、画期的だと。第4文節から。フォイエルバッハの3つの偉業、しかしそこでもヘーゲル弁証法に対しては認識が弱いと。3、フォイエルバッハのヘーゲル哲学の部分批判でなく、ヘーゲル哲学の全体を視野に。第10文節から。ヘーゲルの体系「エンチクロペディー」、そのヘーゲル哲学の全体がもっている特徴について。4、そこにはへーゲルの二重の誤りがある。マルクスのヘーゲル哲学批判。第12文節から。人間の疎外を思想としてしか見ない、その取り返しは絶対知を認識しようとすることでしかない。5、『精神現象学』の最終的な成果というのは、弁証法をとらえたこと。第14文節から。だいたいわかりますか。ヘーゲルの根本的業績として弁証法をとらえたことと認識しつつも、その人間疎外は思想問題でしかなく、その疎外からの人間回復は認識努力でしかない、それがマルクスの批判です。これが「序論」です。マルクスはいろいろな意味深長なことを述べているでしょう。しかしその内容を理解するのはなかなか厄介です。最近、思うんですが、この「序論」の性格を理解しておくことが大切だと思うんです。これまで「序論」を理解するのは、わかりにくくやっかいだった。突然に、藪から棒に重要そうな断言が出てきたり、そこで議論ですがいったい何が問題になっているのか、なかなかわからないわけですから。そうした言葉の意味(概念)を、あれこれ一生懸命に解釈しようとするじゃないですか。わかったようでも確信がなく半信半疑の状態になる、それが前回の学習発信した時の、悪戦苦闘した時の状態だったんです。苦し紛れに「訳者の、その訳の仕方に問題があるんじゃないか」などと勘ぐったりしていたんです。しかし最近、達磨大師は、周りで知った研究者の人たちと話す機会があったんですが、長年研究してきた人たちのなかにも、同じような苦しみがあること。やはりその苦しさのあまり、一生懸命にマルクスや他の権威者の言葉を引用することをもって、自身の説明にかえたりしている。また他にも、権威者の文章を分析することで悟性的に納得している人たちもいるわけで。なかには、自分こそがマルクスの一番の理解者だとの態度をしながら、じつは自分勝手な「解釈」を並べてるような人もいるといったわけです。これでは私などの一般人が、問題の事柄を理解したくてあれこれの解説書を読むんですが、それを漫然と聞いていると、それによりますます問題がわかりにくくなってしまう、そうしたことを感じさせられることも多々あるんです。やはり他力本願ではだめで、自分自身で納得するまで苦労する覚悟が必要だということです。続きですが、私など思うんです。この「序論」部分というのは、「本論」を理解するうえでのマルクスのアドバイスじゃないかと。実際にそれは、「本論」を検討をした結果による事柄もあるんです。ですから、その結論的な事柄を読んだだけではすっきりと理解することは不可能でして、そこにいたるまでの「本論」の考察過程をたどることが必要なわけで、この部分を読んだだけですべての事柄を得心できるといった性格のものではないということも感じてくるんです。ただ結果だけをみたくらいで、すべての苦労の中身が分かるといったものじゃ決してないわけです。ということは、ここだけで完璧に理解することが出来なくてもよし、だいたいそういうことが結論としては出てくるかもしれないから、今はこれをアドバイスとして念頭に置いておき、さらに先にすすむようにしてほしい。そうすれば、「本論」で検討していることも理解しやすくなるんだから。けっして苦し紛れの勝手な解釈などを信じたり、ふれまわったりして混乱させるようなことをしては駄目だよと、マルクスは言っているんじゃないでしょうか。私などはそのよう読みました。四、そのように見たとき、ここでマルクスが「ヘーゲルの『精神現象学』の最終成果における偉大なものが弁証法だ」との点についてですが。第14文節です、全集ではP496です。最終的にヘーゲルの偉大な成果は弁証法だと、これがマルクスの評価です。ここれは「本論」を通しての結論だろうと思いますが、しかしあらかじめここで示されている概観については、確認しておきます。第一に、ヘーゲルは人間の自己産出を、原因と結果からではなく、一つの産出過程として理解していること。その産出過程の結果として対象化するということ、さらに同時に対象性の除去として、外在化したものを取り止めと(とりもどし)としてつかむところにある。第二に、このことは、ヘーゲルは労働の本質をつかんでいること。それは対象としての人間は、現実的で真にある人間というのは、彼自身の労働による成果としてつくりだされたものとしてある、ヘーゲルのこうした労働に対する認識をマルクスは評価しています。このことは、労働が人にとっての対象物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。ルターが対象としての崇高な神というのは、人間自身がつくりだしたもの、その人自身の心の中にあるとの認識。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説。いずれも人の労働が、人間社会の基本にあるとの共通する認識ですが、ヘーゲルもまた、その労働の役割・意義をことをとらえていた、マルクスはそのことを評価しているわけです。第三に、「類的な人間の存在」に対する一人の人間としての接し方、現実的な能動的な対処の仕方ということが、ここで言われています。このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者との関係になっているけれど、このつくりだした関係があるわけで、そのつながりを個人がとりもどすことが大事で、それが疎外されてる人間の疎開から回復することであり、類的な人間全体をしがない個人がつかみとりもどすということであり、そうした類的なものをとりもどす運動が「共産主義」というものなんだ、と。これは「ヘーゲル哲学批判」が、『経済学哲学手稿』の他の緒論、経済学や社会主義思想とも、大きく関連していることをしめしています。マルクスが、短期間に壮大な理論の開拓努力をしていることが見えてきます。以上、この「序論」部分ですが、あらかじめの予告として示唆しています。そうしたことが「本論」からみちびきだされてくるこがらなんだと、それがマルクスが「本論」の探究の結論としてみえてくるんだと予告している、そうした指摘をしているものとして私などは読みました。まぁ、それが本当かどうか、これから探究していくことですが。今回は、ここまでです。次回からはいよいよ「本論」にはいります、ヘーゲル弁証法の検討に入っていきます。
2024年04月05日
コメント(0)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」11 構えの再構築マルクス「ヘーゲル弁証法批判」を詮索していますが、今回はその余談です。これまでの流れとは別にして、ランダムな事柄です。一つは、何でこんな、愚にもつかないような、小むずかしいことを詮索するか。そのこだわりを持っているか、ですが。私などは1950(昭和25)年生れの73歳です。すでに、身近かだった私などの後輩が、あの世に旅立っています。生きているうちに、あれこれ苦労してきたことを形として残しておく責任があるじゃないですか。というのは、この1-2年の間に、知人が自己の半生を『備忘録』に、自費出版されたんです。お一方は、これまで戦後の日本の農家の方たちの現状とその打開する道を。もうお一方は、戦前・戦後の日本社会の活路を探った政治家の近くにいたドラマです。私などが感じるのに、そのいずれもが、値千金の国民的な良心の努力の姿なんです。その冊子は、今の日本に砂漠に水で、1億国民の70年間には、徒労とも感じさせられる努力なんですが。しかし、私などには、これはかけがえのない記録としてうけとめています。これが、私などの愚作の動因になっているんです。二、私などはこの間、マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」を学習していのすが、これはこれと同じ問題なんです。マルクスの努力は、200年の時をこえて、今の日本と世界の人々が抱えている問題だとは思っています。その基本は、ドイツ古典哲学のヘーゲルが発見した成果を引き継いだ唯物論的弁証法が、その一つです。私などが、グダグダと詮索していることの一つは、「唯物弁証法って何?」ということです。すでに、ブログの発信は10回をかさねましたが、これがテーマです。1つは、わかりきったような唯物弁証法の解説は山ほどありますが、私などが、あえてこだわるのは、それが今を生きる人の基本姿勢にかかわるからと思っているからです。「いったい、何が問題なの?」「何をグダグダとこだわっているの?」個々の具体的な問題の学習に入ると、「理性が世界を支配する」などの謎めいた言葉が出てきます。そうなると、それをどの様に理解したらよいか、あれこれと解釈をさぐらざるを得ないじゃないですか。しかし、そのことに没入すると、全体としていったい何が問題だったのか、見えなくなるんです。さらに、2つには。今どきのスマートホンの時代にあって、「何?、ヘーゲルだ?、マルクスだ?、何だそりゃあ?」と、奇人変人扱いされるのも、それもけっしておかしくはないんですが。逆に、私などの老人の立場からからしたら、居直りかもしれませんが、そのポリシーもあって思うんです。二つの例ですが。一つは、3月25日付「東京新聞」の9面、「『命は尊いもの』子どもに届いて」(黒柳徹子インタビュー)です。もう一つは3月31日付『赤旗日曜版』での、田中優子・田中智子氏の対談です。ともに、印象深く読ませていただきました。]]]私などは、1969年に法政大学の入学組でして。関東の片田舎から東京・市ヶ谷に通うことになったんですが。まともな授業は受けれなかったんです。今でもその授業料を返せと言いたいんですが。しかし、今回このお二方の対談を読んで、「時代の宿命だった」のかと、ようやくにして法政大学に対し感謝する気になったんです。そんなことは誰にもその思いは分からないでしょうが。まぁ、それはそれでよし。しかし、ガラケー世代の一人としてひとこと言わせていただきます。国民諸氏よ、あんたがたは、こんな政治家に政治を任せておいて、よいのか、と。踏んでも蹴られても、泣き寝入りしていて、子どもたちに恥ずかしくはないのか、と。まぁ、そんなことは言っても、おっくうで、忙しく、そんなどころじゃない、私なども、そうした一人であるわけですが。それが、近代のなまけものの、愚図たらした現代人の習性でもあるんですが。三、しかし悪いですね、私などは誰になんと言われようとも、あえてそれに対し抗います。まったく関係なさそうですが、つながってるんです。ヘーゲルが発見した弁証法ですが、その素晴らしい成果を評価しつつ、その弱点を正したのがマルクスの唯物弁証法なんです。それは、ものごとに臨む基本粋な態度、姿勢にかかわっているんです。それをどのように紹介するか。紹介できるか。私などの、力足らずを身に染みてるんですが。それは、人類の普遍的な宝なんです。日本の戦前の「唯物論研究会」の諸氏は、それを紹介しようとしたんですが、特高警察により弾圧されました。マルクスの青春時代と同じです。しかし、日本の先人たちは、治安維持法の暴虐にこうして、理性を掲げた歴史をもっているんです。その歴史的な苦闘は宝なんです、今もって評価されてませんが。それは世界に誇れる理性の光なんです。そのことは過去のことではないんです。混迷している今という時代を生きていく人間にとっても、今を生きる基本姿勢をつくるために、限りない力、激励ともなりうると思っていんです。本日、3月31日付のしんぶん「赤旗」には、志位和夫・共産党議長の田中サガヨさんについての紹介が出ています。24歳の女性が戦前の日本社会において余儀なくされた戦いの記録です。私など凡人としては、せいぜいできることは、その紹介でしかない。そして、この学習発信をするしかないんです。四、さらなる蛇足です今日、お米が少なくなり、知人の宅に分けてもらいに行ってきたんです。その時、家を出かけようとした時に、たまたまですが、認識を新たにしたんです。片や私の胃袋が求めているお米、片や紙切れであるお金ですが、まったく質的には関係ないじゃないですか。紙とお米ですから。しかしそれが等価物として交換される、日常当り前のことですが。しかし、この当り前なことですが、それをはじめて解明してるのが、200年前のマルクスの『賃労働と資本』であり『資本論』による、その価値形態論、貨幣論なんですね。どういう訳か、あらためて、このことのすごさを感じさせられました。さらにです、労働と資本の関係ですが、いわゆる剰余価値論、すなわち搾取論です。これまた、1840年代からの、ほぼ200年の時をこえて、この関係の真実をとらえていたわけで、表明していたわけで、これはなんとも素晴らしい。いまさらですが、マルクスのこの業績に脱帽したんです。しかし、現実は世知辛いもので、玄関の立ち話でしたから、相手舞側としては、「おいおい、そんなのは入口の当り前のことだよ。もっとその続きをこそ、しっかりと評価しなければ、あんたは何を学習したのか」玄関に出てきた知人ですが、そんな顔で見られてしまいました。しかし、これは素晴らしい、事実についての真実の表現であり、これは現代の根本問題ですね。まぁ、これは蛇足です。以上。
2024年03月31日
コメント(0)
マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」その10 課題の基本はどこにあるかはじめに、前回と重なりますが、一、マルクスがフォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の業績と評価した三点ですが、1、哲学も宗教も、人間の本質の疎外。2、唯物論を基礎においたがその根本には社会関係がある。3、絶対的なものとしてでなく自分自身の肯定するものをとらえる。これは、いずれもそれぞれ唯物論の側面について評価したものですね。フォイエルバッハが初めて唯物論の見地からヘーゲル哲学を批判したわけですが。それはマルクスが「真実の発見をした唯一の人であり、真の克服者である」と評価したもので、それはドイツの観念論哲学の圧倒的な流れの中では画期的な一歩でした。二、しかし、このフォイエルバッハの批判だけでヘーゲル批判のすべてが片付くわけではない、ここでマルクスが問おうとしているのはその点です。ヘーゲル弁証法にたいする批判的検討の必要と、それはどのようにすすめられるべきか、この問題ですね。では、フォイエルバッハはヘーゲル弁証法をどの様に批判しているか。「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局、ただ神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することにある。・・・否定の否定は神学である」(『将来の哲学の根本命題』(第21節 P45 1843年)これがフォイエルバッハのヘーゲル弁証法にたいする認識です。この「否定の否定」のとらえ方に、彼のヘーゲル弁証法の理解がしめされています。それは、哲学の考え方の矛盾としてのみとらえている。つまりいったん否定したあとで、さらにそれを肯定するところの哲学としてのみとらえていた。ようするに、フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法については本格的にとらえることができていなかったということです。弁証法に対する意識の欠如というのは、フォイエルバッハだけじゃなくて、ヘーゲル学派の全体がそうなんですね。ヘーゲル弁証法にたいして、それを言葉では語ってはいても、その内容についての明確な認識がなかったわけです。口パクでさもわかったような恰好をとっている人って、いまでもさまざまにいるでしょう。(これにたいしマルクスですが、『ライン新聞』を退社した後に、ヘーゲル『法哲学』批判の集中作業を行いました。それは全集の第一巻に『ヘーゲル法哲学批判』として、当時は刊行されなかったんですが、私たちは今は草稿をよむことができます)三、さて、マルクスはここで、みずからのヘーゲル弁証法にたいする基本認識(着眼点)を提起します。(さらに、そのあとで、このヘーゲル弁証法について、詳しく検討をすすめてゆきますが)そのマルクスの基本認識と課題ですが、前回紹介しましたが、再度紹介します。「1、ヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。(それは真実の自己実証行為であり、歴史の運動の抽象的、論理的な表現だ)2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、(ヘーゲルにあっては、ある前提のもとでの歴史ではなく、発生の抽象的形式をしめすものにすぎないし、この抽象的形式〔弁証法〕をあきらかにする)3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう。(神学を人間化するフォイエルバッハとは対照的なことと、ヘーゲルの運動の批判的でないところを明らかにする)」(第9文節 P210-211)四、ここでマルクスは、ヘーゲル哲学の体系を確認します。『精神現象学』と『エンチクロペディー』です。ヘーゲル哲学を批判するためには、弁証法を批判するためには、この全体を視野にした認識が求められている。あれこれの部分にたいする批判であってはならない、体系の全体にたいしての検討が求められているということです。そうすることで、マルクスは、この『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の基本課題を、あらためて明らかにしているわけです。ということで、ヘーゲル哲学についての認識です。第一に、ヘーゲル哲学の体系は論理学から始まって、絶対知、すなわち超人間的な抽象的な精神ででおわるから、哲学的精神が張り広げられた、精神の自己対象化だと。その自己を疎外する中で思考し、自己を把握する世界の精神だ。第二に、論理学は、人間と自然の一般的な本質であり、貨幣のように一般的に通用する抽象的な思考だと。第三に、くり広げられた精神の外部性は、あるがままの自然だと。それは思考に外的であり、この思考の自己喪失だ。思考は自然を外的に抽象思考としてとらえる。第四に、精神はおのれ自身にかえってくる思考だ。それは人間学的、現象学的、諸々の精神としてまだおのれ自身と見なされず、最後に抽象的精神のうちに絶対知として眼前に見いだし関係して、その意識的な自己にふさわしいあり方を得るにいたって、おのれ自身と見なされる。その現実的在り方は、抽象だと。以上が、わかったような分からない、たしかにヘーゲルが自身で説いている彼の哲学の内容です。五、ここを読んだだけでは、いったい何を言っているのか、いいたいのか、私などにはわかりません。多くの人が投げ出してしまうのも、勝手な自分の解釈を並べる人が出てくるのもわかります。だけど、だけど確かに重要な思想が含まれているといわれています。本当にこの中に、まっとうな、注目される、万人にひらかれたすばらしい思想があるというんです。いったいどうやってそれを解きほごすのか。それを解きほごしたのがマルクスの探究だそうで、それをこれから、この草稿に挑戦し、探っていきます。今回は、ここまでです。次回は、「ヘーゲルにおける二重の誤り」(第12文節 国民文庫 P213)からです。
2024年03月25日
コメント(2)
マルクス「ヘーゲル弁証法批判」その9 フォイエルバッハの唯物論マルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判』を学習しています。国民文庫ではP205-241の37ページ、全体で64の文節からなります。そのはじめの部分は、フォイエルバッハの哲学についてです。(第2文節から第9文節)ヘーゲルは1831年に亡くなりましたが、その後もその影響が絶大に大きかったこと。その教え子たち、といっても学者ですが、それをどういかすか、こえるのか探っていた。フォイエルバッハも、ヘーゲルの講義をじかに受講していたそうです。この人たちの中から、フォイエルバッハが、一人、唯物論の立場からヘーゲルを批判し始めた。ドイツ古典哲学の大方は観念論の中にあるじゃないですか、その中にあって、初めて意識的に唯物論の立場を明確にした人が出た。それがフォイエルバッハでした。今日、それを確かめることが出来ます。その著作ですが、岩波文庫で読むことが出来るんです。1839年には「ヘーゲル哲学批判」1841年には『キリスト教の本質』1842年には「哲学改革のための暫定的命題」1843年には「将来の哲学の根本命題」日本の哲学者の先人たちは、これら大事な作品を日本語に翻訳してくれているんですね。前回紹介しましたが、基本的に唯物論の立場の人であっても、それぞれ人によっていろいろな形があると、当たり前ですが。そこからの抜き書きです。『キリスト教の本質』から、「神の秘密は人間学である」(序文)。『将来の哲学の根本命題』から、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(P8-1)、「思弁哲学の本質は、合理化され、実現され、現実化された神の本質意外の何ものでもない」(P9-5)。マルクスの『経済学哲学手稿』は1844年ですが、1841年に刊行された『キリスト教の本質』について、これを読むのは大変なはずですが、マルクスは、ただちにこのフォイエルバッハの方向と内容を評価したようで、P208 の第5文節ですが、「フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法に対して一つの真面目な、批判的な態度をとったところの、そしてこの領域で真実の発見をしたところの唯一の人であり、総じて旧哲学の真の克服者である」。と評価しています。そして、マルクスはフォイエルバッハの偉大な業績として、具体的に次の三つをあげています。一つ、哲学も宗教と同じように、人間の本質が疎外された一つの形である。(これは『将来の哲学の根本問題』の引用に対する評価ですね)。二つ、真の唯物論と現代科学をその思想の基礎においたこと。人と人との関係、すなわち社会関係をもその根本にあるものとしたこと。(ドイツの観念論のうっそうとした森の中にあって、こうしたクリアーに唯物論と科学の立場を明確にしたこと)。三つ、否定の否定の理解の仕方ですが、こそれが意味するものが、絶対的なものであるかのようにとらえる理解ではなくて、おのれ自身にもとづく肯定的なもの(人間としてその人が理解しうるもの)としてとらえようとしていること。以上は、私がちょっと意訳していますが、マルクスは基本な方向を積極的に評価しています。問題となるのは、その次の、P209からの第7、8、9文節です。結論的には、マルクスはヘーゲルの弁証法についてのフォイエルバッハとらえ方が、その内容と役割を評価できていない点を指摘しているんだと思います。この点が、この「ヘーゲル弁証法批判」で明らかにしたい中心点だと思います。この点を明らかにしたいために、そのあとの検討が行われていると思います。だからここだけで、その断言的な結論を、理解できるわけではないと思うんですが。しかし、それをここに書き抜いてみます。「1、だがヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう」(第9文節 P210-211)これは、マルクスのヘーゲル弁証法に対する問題点の指摘ですね。この点を明らかにしたいと思っているとの予告ですね。これから検討していくなかで、これら論点を具体的にあきらかにしていくということです。見方を変えれば、ヘーゲル弁証法にたいするフォイエルバッハのとらえ方には、これらの点がないとのことですが。したがって、ヘーゲル弁証法に対するフォイエルバッハがおこなった批判とは違った点で、ヘーゲルの弁証法は批判されなければならないとのマルクスの課題認識があるということです。これから順次、これらの点を具体的に検討していくとの前置きしているわけです。この論文は率直なところ分かりにくいんです。なんといってもこの草稿は、それはこのマルクスが、24-5歳の時にはじめてヘーゲルと格闘していた時期のことであり、相手のヘーゲル自身の展開が分かりにくいし、それをさらに解きほごして、批判するということですから。その最初の当時の表現は、わかりにくい面があるんです。ただ、私たちが立っている地点ですが、2つの点で理解しやすくなっています。一つは、その後の社会史のあゆみから、問題を歴史的に全体的に見ることが出来るからです。私たちは、その後の事態の展開の中で、理論とともに歴史的により具体的に展開された事実によって、そこではいったい何が問題だったのかを、より客観的にみることが出来るわけです。もう一つは、なんといっても大きなプレゼントとして、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』(1888年)があることです。これがその中心点を紹介してくれていることですね。エンゲルスとしては、難解な文章の中にある努力の内容を、忙しい現代の勤労者たちにも理解しやすいように、だれにもわかりやすく伝えようとして、晩年の円熟した学識をもってまとめかえしたわけで、それが『フォイエルバッハ論』だということなんですね。くりかえしますが、40年をさかのぼった若いころに探究し、確立しようとしていた唯物論的な弁証法の理論ですが、その時のなまの原石である『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」です。とかく字句の解釈を詮索することが主になりがちですが、そうではなく、その生きた精神を理解することが大事だし、その点で、私たちにとって『フォイエルバッハ論』は、やはり一番の参考となる著作だと思います。今回はここまでです。
2024年03月18日
コメント(0)
唯物論にもいろいろある(ヘーゲル弁証法、その8)どういう偶然か、放置されていた中江兆民の『一年有半』を読みました。それには『続一年有半』があって、兆民は1901(明治34)年に亡くなるわけですが、12月13日にガンで亡くなりますが、その最期に哲学を語りました。それを今回、その『一年有半』の延長として読んだわけです。中央公論 世界の名著36(昭和59)『中江兆民』でですが。『続一年有半』の一節です。「精神とは本体ではない。本体より発する作用である」(P419)あらためて認識を新たにするんですが、中江兆民という人は、唯物論者としての自覚をもって亡くなったんですね。『続一年有半』というのは、兆民がその最後の最後に語たり残したった哲学の書なんです。唯物論を明確に意識していた人というのは、さらにそれを表明した人というのは、日本の思想家の中では少ないんじゃないですか。そのことは、今回の私などの主題とどの様に関係するかの問題ですが。一口に唯物論といっても、唯物論の基本的立場を確認するにしても、その唯物論はいろいろな形あるということです。この基本的な立場・この基礎(一般性)においては共通であるにしても、しかしそこにはさまざまな形態があるということです。古代ギリシャにもいますし、18世紀のフランス唯物論の形態もありますし、また近代日本の中江兆民の形態もまたその一つだということです。そしてドイツの観念論のうっそうとした、脈々とした観念論の大勢的な伝統から、一つの画期的な前進・転換をしたフォイエルバッハがでてきますし、その唯物論の形態もまたあるわけです。では、そもそも唯物論とはなにか?この基本的な大問題ですが。それを近年において唯物論を探ったのは、レーニンの『唯物論と経験批判論』です。1908年で、「レーニン全集」の第14巻、473ページのおそるべき追及であり、大作です。目まぐるしく忙しい、スマートホン時代で、活字離れの現代人でもあります。その中で、はたして何人の人がこれを読んでるでしょうか。ないし読む努力をしたでしょうか。それはともかくとして、さらに、その上手を行く元ともなる先人がいます。エンゲルスです。そのエンゲルス『フォイエルバッハ論』(1888年)の一節からです。「唯物論の立場とは、現実の世界-自然および歴史-を、どんな先入観的な気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づく者のだれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的な気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心がなされたのである」(森宏一訳 新日本文庫『フォイエルバッハ論』1975年刊行)これは基本的な立場であり、基本的な姿勢ですね。エンゲルスがここで指摘している唯物論一般の基本的な立場ですが。この唯物論一般性についての指摘はエンゲルスの大事な功績だと思います。裏返えせば、すでに述べたように、その唯物論の具体的な形態には、同じ唯物論であっても色々さまざまにあるというわけです。では、目下の主題ですが、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」ですが。この間に問題としていることですが、今、学習しようとしている唯物論ですが、それはいったいどのような特性があるのか、ないしどの様な形の唯物論なのか。このことが『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」の中心課題であり、マルクスの問題としていたところだと思うんです。ひと言でいえば「弁証法的唯物論」ですね。しかしそれだけでは、たんなる言葉でしかなくて、中身があいまいなんです。今日の一般的に「弁証法的唯物論」をとりまく状況ですが、一方では当り前な常識的なこととして、子どもでもわかるイロハのように扱われているきらいがあります。他方では、それは特定の党派の偏った考え方だとして、レッテルはり的な、はなから門前払い的な扱いにする人もいます。ソ連崩壊には、この哲学的混迷も関係していると、私などは感じています。ペレストロイカの理論家・ヤコブレフの『マルクス主義の崩壊』(サイマル出版会 1992年)などは、その混迷する姿でもあります。現代は、そうした狭間の中にあるわけです。だからこそしっかりした哲学的認識の堅持が求められてるわけですが。そうした中で、しかしさきのエンゲルスの唯物論というものの規定ですが、こんな形で唯物論ということを明確に表明しているのはエンゲルスくらいじゃないでしょうか。これはものごとに対する姿勢として、当たり前のことですが、それが唯物論の基本姿勢をわかりやすく述べたものですね。このように規定されれば、だれも文句をつけようがないじゃないですか。言わすもがなですが、普段多くの人が意識しているかどうかは別にして、そうしているじゃないですか。色眼鏡をかけてではなく、ものごとをありのままにみる、これを基本的な立場として堅持する決意こそが唯物論者の立場なんだといってるんですが。これはたぐいまれな指摘ですね。しかし、なんとも当たり前のことじゃないですか。それこそが唯物論の基本的な立場だというんですね。しかし、おそらく多くの人にとって、この当り前な姿勢こそが唯物論の基本姿勢なんだとは理解してないと思います。特定な変わり者で、変なかたくななかたまった姿勢に固執する人とのように唯物論をとらえていると思います。そこには、唯物論に対する説明の仕方が悪いのか、それともそのようには受けとめたくないとの、かたくなな見地がよこたわっているのか、その点が現代の問題なところですが。それはともかくとして、目下の場合ですが。唯物論という、この当たり前の基本姿勢ですが、このことが、どうやって明確な意識としてつくられたのか、獲得されたのか、確認されたのか。この弁証法的唯物論が、その認識がどの様に作り出されたのか、この問題が問われてきます。私などが思うのに、こうした探究をしていた時こそが、『経済学哲学手稿』を書いていたころのマルクスだったんじゃないかと。じっさいにもその文章はややこしい論文なんです。何しろ相手にしているのが、ヘーゲルやフォイエルバッハですから。だけど、実際にその中で問題としていたことというのは、こうしたことを課題としていたんじゃないか。それをエンゲルスが、マルクスの死後にあらためて、わかりやすく紹介してくれてた、それが『フォイエルバッハ論』だと私などは感じている次第です。そのもととなる1840年代のマルクスの作品から、一点紹介します。『経済学哲学手稿』はパリ時代ですが、その前の『ライン新聞』の時ですが。マルクスは『ライン新聞』に「モーゼル通信員の弁護」との小論を書きました。その1843年1月17日付 第17号 の箇所ですが。「国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見逃して、すべてを行為する諸個人の意志から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している諸関係というものがある。最初からこの客観的な立場に立つならば善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提するのではなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに、客観的諸関係が作用しているのが見えるだろう。ある事物が諸関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるを得なかったか、またその必然性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう」(P208)『ライン新聞』の編集し、その記事を書いている時点で、客観的な諸関係がその人の意識を規定することを、当時の経験からして認識したんですね。このことは、意識が存在に「関係する」というのは洞察ですが、意識が客観的な関係(存在)に「規定される」となると唯物論的な立場となりますね。ちょっとした言葉のちがいですが、大きな問題ですね。意識と存在関係との関連との認識から、意識が存在に規定されるとの根源性の問題へと、探究を進めているわけです。ここに唯物論の問題があるじゃないですか。(今、国会を見ていると、政倫審で裏金づくりの仕組みについて、そのやっていたこと(関係)を当の自民党議員たちが、どう意識していたかが問われています。やっていたのに知らないなんてことは、ウソですが。そのことをただすのは当然なんですが。同時に、見ておかなければならないのは、諸関係の中ではその担い手となっていたこと、その客観的な諸関係(意識とは別に、実際の関係がどうなっていたか)、こそが問われているわけで、「わたしゃ、あったけど知りませんでした」なんてことで済ますことはできない。その客観的な存在(関係)がどうであったかを、その意思とは区別しても明確にすることは、関係者であればなおのこともとめられる責任ですね。ところが言葉たくみにしらを切る、言い逃れようとする。責任を他に送ろうとする。その担い手(やっていたことの)となっていたことを、そのことをしっかり反省するかどうかがとわれてますが。これは意識と客観的な諸関係との関係ですね。ここでマルクスが問題としていることと同じ問題ですね。ようするに、関係と意思のどこに問題があるのか、この問題点を明らかにする上で、きわめて卑近な基本的視点だということです。)まぁ、それはともかくとして、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」ですが、本題に入ります。その冒頭部分にあるのは「フォイエルバッハにいて」の論述です。ようするにマルクスの『フォイエルバッハ論』なんです。ヘーゲル学徒としてフォイエルバッハがたどりついた唯物論は、異端的な立場であり、変わり者だったんです。しかし、どんなに変り者でも、真面目に検討すればそれが真実でした。それは、みなが夢のようなことを論じていた中で、唯一のしらふの主張のようだった、と。その関係と、そうした方向を、その基本を断固として評価し、すすんだのが、マルクスの『経済学哲学手稿』だったんですね。しかしそれは、若干24-5歳の、フランスにいわば自由を求めて亡命した、一人の青年の思想なんです。藻くずのようになっても当たり前ですが、それは出版する契約にまでいっていたんです。しかしプロイセン政府のさしがねで「24時間以内にフランスからでてゆけ」とのフランス政府から追放令にあったわけで、それこそドタバタ状態でして、やむなくそれは草稿としてお蔵入りせざるを得なかったんですね。あらためてその草稿が日の目を見たのは、40年を過ぎた1888年のエンゲルスの『フォイエルバッハ論』によってだったとの経緯です。ここで、日本とドイツは似ていると思いませんか。観念論的な大勢の中にあって、ないし唯物論も観念論もはっきりしない社会意識の中にあるわけですが、その中で唯物論の意識的立場を、明確に擁護しようとしている人がいた。これは、私などが中江兆民において見つけたことと重なるでしょう。日本だって、兆民が『続一年有半』で語ってますが、モヤモヤな事態のなかでの、明確な意識的な立場だったわけです。ドイツと日本、マルクスと中江兆民ですが、これは状況がよく似ているところがある。このささやかな一点ですが、似ていると思いませんか。もちろん、マルクスの場合はその後40年の努力と作品がある、兆民は基本を表白したところで死去したし、受難な時代社会に日本はすすんだとの違いがあるんですが。ようするに、マルクスはフォイエルバッハが主張しだした唯物論を、その基本を、あのドイツ古典哲学の観念論的な風潮が大勢をなしていた流れの中で、その中で意識的に唯物論の見地は基本は正しいと、その方向こそをすすまなければならない、と宣言して努力を開始しているんですね。この『経済学哲学手稿』ですが、フランスに亡命した青年の、新婚生活のもとでもあり、たいへんな渦中での探究だったんですね。それは舌足らずな表現もあるかもしれません、しかしそれは確かに明確な表明を記録したものとして、私たちは今日に読むことが出来ると思います。今回は、この点を確認したところまでです。これでようやく、次回から本題の『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」に入ることになります。『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学批判」の冒頭にある、フォイエルバッハ論に入るところとなります。今回は、ここまでです。
2024年03月15日
コメント(2)
マルクス「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭の整理マルクスは、なぜ、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのか。これが、目下のテーマとしているところです。『経済学哲学手稿』、その「ヘーゲル弁証法批判」を対象としているんですが。今回は、ウロチョロしているこの間の事態ですが、その頭の整理です。というのは、初めこの問題は以前に(2012年に)、8回でまとめたものだから、10回くらいで、今日的には済むと思っていたんですが。やってみると、次々に問題が広がっていってしまうので、どうなるか目下思案しているところです。そもそも、この主題はなんなのか、何が問題なのか。私などが思うのに、ヘーゲルですが、かれは、一般的には自然と社会、思考の、ものごとの発展原理としての弁証法を見つけたんです。一般的な法則性を、原理を見つけたんです。あのゴチャゴチャした-『精神現象学』、『論理学』、『歴史哲学』、『法の哲学』などのの中で。ところがそれは、人の意識の上にある、意識をつかさどっている概念がもとになっている原理であり、ものごとのすべてはその概念のあらわれであると見たんですね。すべての現実はその現れなんだと。その概念のさまざまな現れにすぎないと。たしかに世界の歴史の発展・関連を洞察しているんですが、それが概念のあらわれであると、独特の考え方での中での認識だったんです。その著作にあたると、難解な表現ですし、何を言ってるのか理解するのにややこしいんですが、しかし、ヘーゲルは世界の発展ということを、たしかに洞察していたんですね。このややこしい問題ですが、それを解きほごしたのが、マルクスなんですね。私などは、マルクスの『経済学・哲学手稿』が、その最初の表明だと思ってるんです。それは、1840年代のこと。24歳の若ものですよ。彼が格闘し、開拓した成果ですが。それはその当時、発表することは出葉ませんでした。結局、草稿のままお蔵入りしていました。その後、1883年に当のマルクスが亡くなって、その遺稿集を調べていたエンゲルズがその草稿を見つけました。それは、ともにエンゲルス自身も歩んだ、科学的社会主義の唯物弁証法、唯物論的歴史観がどのように確立してのか、その大事な問題です。しかし、それはそのままでは、大部でややこしいものでしたから、そのままでは出せません。エンゲルスはそれを『フォイエルバッハ論』(1886年)に整理して紹介しました。貴重なものです。私などは、その内容をなんとか紹介しようとしているんですが、なかなか容易ではありません。あらためて、『フォイエルバッハ論」を手引きにして、その頃を、1840年代をさぐってみたんですが。これは、すばらしいですね。「マルクス・エンゲルス全集」の第一巻、冒頭の諸作品ですが、これを読みました。『ライン新聞』に掲載された作品です。「プロイセンの最新の検閲訓令に対する見解」「第六回ライン州議会の議事-出版の自由と州議会での討論の議事録」「共産主義とアウグスブルグ「アルゲマイネ・ツァイトリング」「第六回ライン州議会議事-木材窃盗取締法に関する討論」「モーゼル通信員の弁護」問題が問題ですから、理屈っぽくて、なかなか読むのは厄介なものですが。しかし、助太刀がありました。今進行中の国会での政倫審ですが、その論議をきいていると、似たような論議なんです。抑圧された名もなき貧民の人権です。言論自由、民主主義的な権利を擁護して、我一人たたかう。何にものをも恐れない気骨ある言論です。今から180年前の議会討論の分析ですが、今に通じるような感じがして、新鮮に読ませてもらいました。日本の近代史においては、どのような意味をもつのか。プロイセンと戦前の日本とは似ています。同じような専制君主制の下で、戦前の治安維持法の弾圧の下で、日本の先人たちは『唯物論研究会』など、世界に誇れる紹介と探究をしてきているんです。しかし、私などが見るのに、なかなかその成果というのは今に伝えられてません。時の流れで、当時の大御所たちは、森宏一氏をはじめ、頑張った人たちが、みなあの世に旅立っています。その成果ですが、はたして今日に継承されているでしょうか。今日に受けとめられてるでしょうか。そんなモヤモヤの中での、一册を紹介します。『シンポジウム-日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)これは、戦前の「唯物論研究会」の成果を総括しようとしている試みだと思うんですよ。私など素人が、学生時代に、たまたま手にした一冊です。これが、戦前の哲学者たち苦闘の経験を総括しようとする、そうした意義をもつ討議だったと、その後になって私などはわかりました。しかしながら、社会一般を見るのに、そうしたことは、あまり紹介も議論もされることがないんですね。私など素人の一般市民が、それを四の五の言う筋合いではないんですが、それを言うべき人たちがいるはずなんですが。私などは心配なんですね。それらが宝の持ち腐れになるんじゃないかと。それじゃぁ、先人たちの努力が、余りにももったいないんじゃないかと。というのは、たまたまですが、ごみ屋敷の本棚を整理していたら、こんな本がいろいろ出てきたんです。その一つは、昨年・2023年の6月に亡くなった人の遺作です。私などが小田原・早川でみかん作業をしていますが、そのみかん園の園主で、その遺稿の句集です。もう一冊は、古典です。1901年12月13日に亡くなった中江兆民の『一年有半』(中央公論)です。人は、死期を覚悟した時に、そのそれまで生きてきた存在意義をかけて、今を生きている人たちにたいして、その『遺言』ともとるような、天上の悟りともいえるメッセージを残してくれてるんですね。その点では、二つは共通です。中江兆民の一節を紹介します。「考えることのきらいな国民-日本人は利害にはさといが、理義にくらい。流れに従うことを好んで、考えることを好まないのだ。だから、天下のもっとも明白な道理をも放っておいて、怪しんだことがない。なが年封建制度を甘んじて受け、侍たちの跋扈(ばっこ)をみとめ、いわゆる切りすて御免の暴力にあっても、かつてそれと争ったことがない理由は、まさしく考えることがないからである。だから、おおよそそのすることは浅薄で、十二分の地点につきすすむことができない。」(P381)2024年の今日ですが、120年前の先人のこの指摘ですが、その指摘に甘んじないような私たちでありたいものです。
2024年03月11日
コメント(4)
視点を変えての旅立ち(その6)私などは目下、マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法」批判が学習課題です。マルクスが発見した唯物弁証法ですが、『経済学哲学手稿』はそれを初めて意識的にまとめたものですね。当時、刊行しようとして、出版の契約までしていたんですが、パリから追放されたために、出版計画はキャンセルとなり、世間に知られることなくお蔵入りとされたものです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスがその遺稿集の中から見つけたんですね。これが『フォイエルバッハ論』の素材となったとみます。『経済学哲学手稿』は、1932年にソ連ではじめて刊行されましたが、当時の日本は治安維持法下でしたから、一般に「国体」に反するものは、戦争に反対するものは、マルクス主義研究者や共産党はもちろん、自由や民主主義、学者や宗教家までもが、取り締まりの対象でしたから、タブーでした。そんなもとでも探っていた人たちはいたんですが。1945年の戦後の民主的憲法の下になってからですね、社会的に自由に検討が出来るようになったのは。私などが生まれた1950年ですが、当時はまだホヤホヤだったんですね。今にして思えば。『経済学哲学手稿』が、日本で初めて訳されたのは、1963年の国民文庫(藤野渉訳)かとおもいます。1964年には、岩波文庫(城塚・田中訳)がでています。マルクス・エンゲルス全集では、第40巻(真下信一訳)で1975年刊行です。私などは、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」をすでに5回の発信をしてきました。第一回 2023年12月17日 私の今の位置は「序説」の段階か第二回 24年2月7日 『資本論』に集中していたため、マルクスが紹介できなかった課題第三回 24年2月18日 『経済学批判』の序言に注目、真下信一氏のアドバイス第四回 24年2月22日 私などの手掛りとするところ第五回 24年2月25日 エンゲルスの「カール・マルクス」も貴重なアドバイス、この五回ですが。 (以前に、2012年ですが、これを八回でまとめて、発信したことがあるんです)今回は、この忙しい時代ですから、当初、私などはこれまで10回くらいでまとめようと思っていたんです。しかしそれは難しいことがわかりました。浅学な私などには、どんどん問題が広がってしまい、今の時点でその広がりをまとめようとすると、そこには無理があったんです。それで考え方を変えました初めから一つのまとまったものをつくろうとするのではなく、まずとりあえずはランダムでよいから気がついたことを、また関係したことでこれまでの探究してきたことを、一つずつをブロックとしてでよいからつくってみること。それがある程度たまった時点で、そこでまとめる作業に入るようにする、このように考え方を変えました。これで、この学習が気軽るなものになりました。無理して頭を抱えてまとめようとしなくてもよし、あれこれの多面的な探究のひろがりですが、今はどんどんそれらをすすめばよい、とのことになったわけです。したがって、この材料ですが、何回になるかわかりません。今回、思うこと私は昨年(2023年)12月12日に『歴史のなかの弁証法』(ヘーゲル『歴史哲学』序論を学ぶ)をまとめてみました。思うのにこれは、マルクスの学生時代の視点じゃないかと思うんです。もちろん内容水準は比べるべくもないんですが、青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の人たちの考え方にあるんじゃないかと思います。つまり確かにヘーゲルの弁証法の成果を生かしているんですが、しかしその弁証法とはなにか明確でない。さらに、精神が具体化したものとしての現実ととらえていて、まだ意識から独立した物質的関係、すなわち唯物論というものは、正面からは問題にはなっていなかった、そうした段階だとおもうんです。確かにヘーゲル哲学の成果を評価して、それをこえようとして、批判的に見ようとはしているんですが。個々には新たな面があるんですが。しかしそのためには何が問題なのか、どうしたらヘーゲルの偉大な成果が明確に生かせるのか、モヤモヤした中にあったと思うんですね。ヘーゲル哲学の枠内にあった。まだ意識的な唯物論の立場というものを知らなかったんですね。大勢としてドイツの観念論のうっそうとした森の中にあるわけです。そうした中、1841年にフォイエルバッハが『キリスト教の本質』を出した。これが新たな世界を切りひらく出発になった。フォイエルバッハの『キリスト教に本質』からです。「神学の秘密は人間学である」(第一版 序言)、「ヘーゲル哲学とは正反対に実在論=現実主義・唯物論だけがみとめられる」(第二版 序言)青年ヘーゲル派も観念論のなかにあったわけで、ここではじめて唯物論の新しい方向がスタートしたんですね。これは画期的なことですね。しかし、後から見ると、フォイエルバッハの唯物論ですが、それは発展させる必要があった。しかし足踏みしてしまい、不徹底さをきたす問題をもっていた。この時点でマルクスは唯物論の核心を評価しつつ、「その人間論には、社会関係が不十分だ」といった感想を残してますね。ましてやフォイエルバッハは、唯物論ではヘーゲルを批判したけれど、ヘーゲルの弁証法についてはしっかりととらえることが出来ていない。しかしそれらは、疾風怒濤のなかでのこと、あくまでそれは後から明確な違いとして見えることです。当時の中では、新たな道を切り開く共同の仲間どうしであって、切磋琢磨しあっているなかでのちょっとした意見のちがいくらいで、議論するの中でお互いに可変的な変りうるものと思えたんじゃないでしょうか。青年ヘーゲル派ですが、それは観念論の自然な枠内にあったわけで、フォイエルバッハの提起を受けて、意識的な唯物論の見地に立つことが出来るか、その見地からヘーゲルの弁証法を批判的につくりかえれるか。それが問われることとなったわけです。マルクスがプロイセンの反動政治の下で、『ライン新聞』の編集についたのは1842年10月からです。1843年には編集を退いてクロイツナッハで『ヘーゲル法哲学批判』を検討するのには、そうした課題意識があってのことでした。その検討の結果は、プロイセンの検閲の下では刊行できませんから、フランスに移って『独仏年誌』をだすわけです。このパリ時代なんですね、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」がまとめられたというのは。私などは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』を手引きにして、この1840年代の歴史を、さぐろうとしているんですが。それは世界観的な基礎をつくるうえで大事な課題だと思っています。それは単純に「唯物論が正しく、観念論は間違いだ」といったことではないんです。唯物論においても、そのさまざまな歴史的な形態があるわけで、特質をつかむには、努力が求められているんです。歴史発展の見方が問われているし、共産主義の見方だって問われているんですね。哲学と歴史観の方法をつかんで、目前の問題に具体化することがもとめられているわけです。日ごろ、私などは、今の社会生活の中で、こんな抽象的なことに頓着するなんてことは、ほとんどないと思うんです。現代のあれこれ忙しい社会にあって、そんなことを問題にする人は、いないともおもいます。が、しかし、問題として、私たちの前にこの大事な問題があるということですね。マルクスの成果を当たり前の常識あつかいするんじゃなくて、いまでも私たちが直面している問題として、自分に引き寄せて真摯に検討すべき課題としてある、というした問題だと思います。私などは、そう思っています。
2024年03月09日
コメント(0)
エンゲルスの「カール・マルクス」前回、真下信一先生の1977年のNHKラジオでの講演「カール・マルクス その人と思想」(『真下信一著作集1』青木書店1979年刊)を紹介しました。そこには、マルクスが、自己の哲学の基本(唯物弁証法)を書こうとはしたんだけれど、結局、まとまった形では書くことが出来なかった。それは、直面している『資本論』をまとめる作業、このことを優先事項にしていたこと、そのためそれを果たさずしては、いったい自分はなんのために自分が生きてきたのか。多くの犠牲をついやしたことの意味がなくなっちゃう、そうした悩める現実の事態があったわけです。そうした事情からして、その後に生きる私たちとしては、それをエンゲルス『フォイエルバッハ論』やレーニン『唯物論と経験批判論』などで、その空白をカバーせざるをえないところとなっている。そうした状況を真下信一先生は1977年に懐古していたわけです。そうなれば、私などその後の世代としては、『フォイエルバッハ論』を参考・手引きにして、マルクスの生前は刊行出来なかった草稿集、『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』などですが。基本の理論として、これを理解しておく必要があるじゃないですか。それで、今回は『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル法哲学批判」を学習課題としているわけです。当然ながら、それは、かつてをさぐる訓詁学でも、自分勝手な意見をはく解釈学ではないと思うんです。今を生きていく上で、誰しもにとって、欠かせない方法、姿勢をつくるものと感じているからなんです。それで、1840年代の当時を状況や、直面した問題えがいた作品を、基礎作業として当たってみたんです。前回紹介した真下信一先生の1977年の講演『カール・マルクス』も、そうした中での発見の一つでしたが。今回はエンゲルスの「カール・マルクス」(『ME全集』第16巻 1869年7月)です。エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月)日本では、1869年は、明治維新のまさにその頃のことですが。もちろん、エンゲルスの関心、その一番の関心はマルクスの『資本論』刊行です。このマルクスの紹介、1867年に『資本論』第一巻が刊行された直後です。エンゲルスのマルクス紹介ですが、その当時にみたマルクスの心意気、マルクスの『資本論』研究の態度、その中身の意義を紹介したものとなっています。「この著書は全生涯の研究の成果をふくんでいる。それは科学的表現に圧縮された労働者階級の経済学である。ここで問題となっているのは、扇動的な文句ではなくて、厳密に科学的な演繹である。なんぴとも、社会主義にたいしてどういう態度をとろうとも、ここで社会主義がはじめて科学的に叙述されていること、この業績を・・・実現・・したことは、・・認めなければならないだろう」(P358)「彼はこの学問を25年間たぐいない良心性をもって研究し、考えぬいたのであるが、この良心性は、結論が形式と内容のうえで彼自身を満足させるまでは、彼はどんな本も読まずにはおかなかったこと、どんな異論も考慮に入れないままにしなかったこと、あらゆる論点を完全にきわめつくしたことが彼自身はっきりするまで、彼の結論の体系的なかたちで読者にあたえるのを彼に許さなかったほどのものである。」(P359)まぁ、これは今回の場合、一連の探究の結果ですから、これは「おまけ」です。今回、肝心なのは、1840年代にヘーゲル左派から出発したマルクスですが、それが、どうしてへ―ケル哲学の検討の必要となったのか、そのことから、どうして20年を経て『資本論』の発表との結果になったのか。この出発点となったころの問題です。エンゲルスの「カール・マルクス」、マルクスの心意気を紹介してくれています断っておかなければならないのは、このエンゲルスのマルクス紹介ですが、これはマルクスの生前のものです。ですから、これは二人の協議があり、当然マルクスのチェックもされているはずのもの。ようするに、これは二人の「共作」だということです。そこでの論点について、箇条書き的に拾い出してみました。1、1818年に生まれたマルクスは、ボンとベルリン大学で、ベルリンでは哲学に没入し、「知識の首都」に5年間滞在した。ボンで大学教授につこうとしたが、ウィルヘルム4世の反動政策で断念した。2、ケルンで1842年1月に『ライン新聞』が創刊された。マルクスは当時としては未曽有の大胆さでライン州議会の議事を論説で批評し、大評判となった。そのため当局の検閲は二重にも課せられた。しかしそれも『ライン新聞』の「頑固な悪意」には何の役にも立たなかった。1843年初めに内閣は『ライン新聞』の廃刊を命令した。ここからが問題です。3、ライン州議会議事録の批判は、マルクスに物質的利害関係の諸問題を研究することを余儀なくさせた。[意見はその背後に、意志とは独立した客観的な諸関係があるということ。それが意志のあり方を指定しているということ]。ここでマルクスは新しい観点、法学も哲学も予知していなかった観点に当面した。ヘーゲルの法哲学を手掛りとして、ヘーゲルが「構造物の絶頂」とした国家ではなくて、むしろヘーゲルが継母あつかいしていた「市民社会」こそが、人類の歴史的な発展過程を理解するための鍵をなしている領域であるとの認識に達した。しかし市民社会の科学は経済学であり、この科学はドイツでは徹底的には研究されておらず、イギリスまたはフランスでのみ徹底的に研究されるものである、との結論だった。4、マルクスは1843年夏にパリに移り、そこでおもに経済学とフランス大革命の歴史研究に没頭した。パリではルーゲと『独仏年誌』を発行したが、一巻しか出せず、1845年ににはギゾーによってフランスから退去を命じられて、ベルギーのブリュッセルに移り、同じ研究をしながら二月革命の勃発まで同地にとどまった。5、マルクスが流行の社会主義とは、学者ぶったかたちのものとさえ、どう違っていたかはプルードン批判の『哲学の貧困』がしめしている。これは1847年にブリュッセルとパリで刊行された。この著作のなかですでに、現在詳細に述べられているマルクスの理論の多くの重要な論点が見られる。6、二月革命前に、ロンドンの労働者大会で採択された『共産党宣言』(1848年)は、本質的にマルクスの著作である。以上は、エンゲルスの「カール・マルクス」(1869年7月28日執筆)からの抜粋です。ここに記されている評言は、エンゲルスのマルクスを見る心意気がしめされています。それは、隣にいるマルクスの了解を得ているエンゲルスの言葉でもあるわけです。前々回に、マルクスの『経済学批判』「序言」を紹介しましたが、マルクスが、『経済学批判』を刊行するにいたる自らの思想のあゆみをまとめたものでしたが。このエンゲルスの作品は、それを理解するうえでも、役立つんじゃないですか。ましてや目下のテーマですが、1840年代にマルクスはヘーゲル弁証法をどの様に批判したのか、何が問題で、ヘーゲル法哲学を検討しなければならなくなったのか。そこからどのような、新たな独自の立場がつくりだされたのか。なぜそれが、今においても、基本的な問題なのか、それが見えてきます。こうした流れをつかむ上でも、基本にある問題をつかむ上でも、このエンゲルスの「カール・マルクス」は大事な作品だと思います。
2024年02月25日
コメント(0)
前回の真下信一先生の感想について思う前回、『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の、「カール・マルクス その人と思想」から、NHKラジオでの1977年3月の講演を紹介しました。真下信一氏(1906-1985)は、戦前の苦難の中にあって、理性と科学をまもった方です。1977年といえば、真下先生は71歳、いわば晩年に入るころのものです。この中で、マルクスの『共産党宣言』(1848年)にいたる青春時代を生き生きと紹介された。私などは、それは哲学者としての見識が伝わってくる、他に得難い絶品の紹介だとおもいます。ぜひそれを確かめてみてほしいんですが。その際、講演の終わりの部分にある「私じしんについての懐古」を紹介しました。それは次のような一節です。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)この先生の感想にたいして、私などは、「このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ」との感想をかきました。今回は、この感想に対して、あらためて思うことがらです。一、この真下先生による課題の提起は、正解だと思うんです。私などが『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスが亡くなるまで草稿のままにおかれた『ヘーゲル法哲学批判』『経済学・哲学手稿』『ドイツ・イデェオロギー』ですが、それを学習しかえす必要がある、そうしたことで唯物弁証法と唯物史観を学ぶ必要がある。このことは、1945年以降の戦後の民主主義社会の中で、はじめて自由にひらかれた課題だと思うからなんですね。二、私などは1950年生れですが、1969年に東京・法政大学に、関東の片田舎の真鶴から通うことになったんですが。本棚の片隅には『日本マルクス主義哲学の方法と課題-シンポジウム-』(新日本出版社 1969年8月刊行)があるんですが。また、『戦後の文化政策をめぐる党指導上の問題について-文化分野での「50年問題」の総括」(日本共産党中央委員会出版局 1974年8月刊行)があるんですが。たまたまの、これはめぐりあわせというものでしょうが、これは戦前からの「唯物論研究会」の哲学や「プロレタリア文学運動」の文学面での、歴史的な総括的な検討が行われていたということですね。それまでの歴史や事情もほとんど知らずに、田舎から出てきた私などでしたが、そうした日本の各分野での歴史総括を目にすることになったんです。知りませんでしたが、今から振り返れば、あの当時は、そうした時だったんですね。三、真下信一先生のこの発言ですが、私などは正しいと思うんです。だけど、この基本と課題の意義は正しいし、それぞれに強調されるんですが、その実行はどうか。その切磋琢磨はどうかとなると・・・。その意義が強調されればよいところでして、その実行による切磋琢磨や討論するとなると、まぁ、あまりみかけないんですね。それは、私などの社会的認識の狭さからかもしれませんが。私などが見るのに、確かにその意義の強調はあります。個々人による専門的な研究はあるだろうと思います。しかし、それらを討議したり、総括的な全体の成果のまとめというのは、ほとんど目にすることはないんです。「それは違う」という方もおられると思います。「こういう研究があるよ」との紹介もあればして欲しいんですが。残念ながら馬耳東風で、私などには一向に聞こえてきません。しかし、きっと全国では、人それぞれにいろいろな努力が行われていると思うんですよ。ただそれを私が知りえていないだけのことだと思うんですが。しかし推測ではことがらは進みません。四、結論です。以上のことからして、私は私なりに前にすすむこと。今回のテーマでは、唯物弁証法と唯物史観の学習ですが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』をアドバイスとして、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」の学習をすすめるということです。思うにそれは、マニアックな趣味としてではなく、たんに過去を詮索すること、解釈することではなくて、1840年代の当時もそれこそが問題だったと聞きますが、今日においてはなおのこと変革の理論として学ぶということです。そこには何が問題なのか、まぁ、そこが問題ですが。ザルで水をすくうようなことにならないように、頑張るということです。
2024年02月22日
コメント(0)
マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判(その3)前回は、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』が、マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判を読み解いていく上での一つの道になると、私などの基本を紹介しました。しかし、大きな山に登る上では、さまざまな道があるとおもうし、ひとそれぞれに、これまでにもいろいろな努力があったと思います。今回の紹介は、マルクス自身による自分のあゆみについての自己紹介です。『経済学批判』の「序言」(1859年1月)ですが。日本では、『大君の都』のオールコックが駐日領事としてやってきた、幕末の時点です。『経済学批判』「序言」は、マルクスが唯物史観を一般的に定式化したものとして紹介されます。「私の研究にとって、導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。・・・」マルクスといえば唯物史観、唯物史観といえばこの基本的な定式が紹介されるといった有名な部分です。たしかに唯物史観を、簡潔にして包括的にまとめられていますから、その説明には必ずといってよいくらいに、くり返しこの箇所が取り上げられてきました。私などが「序言」を注目する点ですがしかし、私などがこの「序言」を注目するのは、その唯物史観の内容紹介をしている点もさることながら、同時にマルクスがここで、どのような経過から、どの様な問題とぶつかるなかで、そうした理論が探究課題となったのか、その全体的なながれ、その考察の筋道を自己紹介している点に注目しているんです。マルクス自身の自己紹介です。「1842年から1843年にかけて、『ライン新聞』の編集者として、はじめて私は、いわゆる物質的利害関係に口だしせざるをえないという困った破目におちいった。・・・・」「私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は、1844年にパリで発行された『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は次のことだった」と。私などの今回の主題-「マルクスはどのように『ヘーゲル弁証法』を批判したのか」ですが、この唯物弁証法の問題ですが、ここでの自己紹介の中に、確かに含まれているとおもいます。ただこの「序言」は、歴史観として多くの人に注目され紹介されるわりには、その哲学的な側面については、あまり紹介されることがないと思うんですが、どうでしょうか。大事にしたい真下信一氏の講演最近、認識を新たにしたラジオ講演があります。『真下信一著作集1 学問と人生』(青木書店 1979年刊行)の中の、「カール・マルクス その人と思想」なんですが。NHKラジオで、1977年3月に3回にわたって講演されたものとのこと。真下信一氏(1906-1985)は、図書館くらいでしか見ることは出来ないと思いますが。マルクスが、『共産党宣言』(1848年)にいたるまでの、若いころのあゆみを、哲学者の立場から、生き生きと紹介してくれています。その講演の第二回目ですが、パリ時代の『独仏年誌』からブリュッセルでの『ドイツ・イデォロギー』のころの生きた活動を紹介してくれています。この中で、唯物弁証法にいついて述べています。基本的なことですが、哲学として唯物論とは何か、についても述べられています。この講演の終わりの部分ですが、「私じしんについての懐古」として、次のような点を紹介しています。「ここでひとこと断っておかなければならないことがあります。それはマルクス自身は自分の哲学をとくに体系立てて述べているわけではないということです。多少ともまとまっているのは、いま取り上げているごく簡単な『フォイエルバッハ・テーゼ』くらいのものでしょうか。彼の哲学を、哲学として体系立てて精密化したのは、エンゲルスと、彼の後をついだレーニンでした。そういう次第ですから、マルクス主義の哲学を深く知るには、どうしても少なくともエンゲルスの『空想から科学へ』とか、『フォイエルバッハ論』とかの論文、また『反デューリング論』および『自然の弁証法』、それから、レーニンの『唯物論と経験批判論』および『哲学ノート』を勉強する必要があると思います。・・・』(P242)このアドバイスですが、忙しい現代人にとっては簡単ではない宿題かとおもいます。しかし私などおもうに、現代をひらくためには、その学習がやはり必要だと思うんですよ。私などは、今回は、マルクスが「ヘーゲル弁証法」をどのように批判したのか、を課題として立てているわけですが、マルクス自身が開拓してきた事柄ですし、故真下信一氏も提起している課題でもあること。このことを確認しつつ、さらに前にすすみたいと思います。
2024年02月18日
コメント(0)
『歴史のなかの弁証法』への感想ヘーゲル『歴史哲学』序論のノートを、この12月12日に冊子にまとめました。A4版の41ページですが。「ヘーゲルが大衆の関心を引くことは、今後あり得ません」とのご意見もあったんですが。この冊のなかみを、ひと通り目をとおし方は、まだ数人だと思うんです。しかし、感想をポツポツとよせていただいています。まず私などが気づいたことですが。ヘーゲルとその『歴史哲学』に関心をもっていただける方は、この日本社会の中には、かなりおられるということです。昨日、ある集会があって、その書籍コーナーに、これを置いていただいたところ、かなりの人が購入してくれたんですね。「今時、こんな冊子を手にしてくれる人はいるか。1冊か2冊が売れれば、さいわいか」と思っていたんで、10冊目の束が売れて、20冊目の束が並んでいたというんです。中身に目を通すのはこれからしばらくしてだと思うんですよ。タイトルを見て手にしてくれる人が、これだけおられたというのはうれしい誤算です。私などは認識を新たにしたところです。また、冊子を紹介したブログを見た方から、メッセンジャーを使って、送付を希望された方もおられました。こうした方が現れたのも初めてです。これまでの壁に向かうようなヘーゲル学習の事態からすると、長年の達磨大師状態が、すこしかわりつつあります。ありがたい限りです。ただ問題は、その関心に、はたしてこの冊子の中身が答えるものになっているかどうか、ですが。しかしそれは、私などとしてはベストをつくしたものなので、結果は仕方ないのですが。ということで、寄せられた感想・意見を2つ紹介します。1、マルクス、エンゲルスの唯物史観も弁証法も、ヘーゲルをはじめとして、それまでの理論を受けつぎながら発展してきたんだなぁと、感じました。2、ヘーゲルは『精神現象学』を著したように、歴史を精神の具体化として捉えています。しかし、この理解は観念論そのものとして夙(つと)に批判されています。事実は逆で、歴史は物質の現象学、即ち物質の位相(形態)変化の歴史だ。私などの苦労が、こうしたリアクションで、報われるということです。
2023年12月25日
コメント(0)
マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判私は無い知恵を絞って、『歴史のなかの弁証法』冊子を出しました。その課題は、ヘーゲルが見つけ出した弁証法とはどのようなものか、それを『歴史哲学』序論のなかに探るということでした。2023年12月12日に最終校正を終えて、昨日・16日に印刷・製本会社の「光陽メディア」から、その作品が到着しました。これからみかんとともに、この冊子を、いかに「押し売り」するかが、私などのこの年末の課題です。二つ問題があります。今、自分がたっている位置と、この次の検討課題の問題です。今、自分の立っている位置ですが、私なりに思うに、今の立ち位置というのは、マルクス(1818-1883)が1843年末に『独仏年誌』に発表した「ヘーゲル法哲学批判」序説の段階と思っています。その時代のギャップは大きいですね。当時マルクスは25歳で、当方は今や73歳。マルクスが刊行したのは1843年ですが、今は2023年末ですから、180年もの時間差があるんです。しかし、このギャップは、私自身としては仕方がないと思っています。しかし、これが、「『歴史のなかの弁証法』-ヘーゲル『歴史哲学』序論を学ぶ」冊子をつくってみて、私などの感じるところです。世の中は、日本も世界も激動しています。モグラたたきのように、さまざまな、新たな情報が錯綜しています。だけど、私などは「みかんの手入れとともに学習をつづける」-これは、これで仕方のないことなんです。真鶴と小田原のみかん園ですが、これを放棄するわけにはいきません。また、みかんを相手としているだけでは、世の中は変わりませんから。しかし、みかんは、今が一年の苦労が実るかどうか、収獲の大きな山場にあります。晴れ間の下でしか出来ませんが、大きな収穫作業が、今、求められています。同時に、次の学習の課題ですが。ヘーゲル『歴史哲学』序論をおえて、次のテーマですが。マルクスはどのようにヘーゲル弁証法を批判したのか。新たな世界観・方法を、どの様に作り上げたのか。この問題です。マルクスの『経済学・哲学手稿』ですが、その中に「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」の一文があります。パリ時代の1843年11月から1845年2月に書かれたものだそうです。当時は刊行されることなく、1883年にマルクスが死去してから、その遺稿集の中から出てきたものです。エンゲルスはこうした遺稿集をみて、『フォイエルバッハ論』を書いたと思うんですよ。この手稿のそのものが刊行されたのは、ロシア革命後のソ連で、1932年だそうです。90年前です。しかし、1945年8月までは、日本では国禁のものでしたから、一般の目にできたのは第二次世界大戦後のことですね。戦後の日本の激動の中で、このマルクスの「ヘーゲル哲学批判」がどのように扱われたのか、どの様に理解されたのか、1950年生れの素人の手探りの私などは知りません。ただ、戦前の民主主義が抑圧された社会とは違って、戦後は「自由」なんですが、自分勝手な思いというのも自由とされますから、真実をつかむためには、それぞれの社会に独特の試練があるわけです。戦前の哲学者たちの努力・成果についても、しかりと公的に確認されてるんでしょうかね。百花繚乱の意見の中に、わかったようでいて、あいまいな事態があるんじゃないでしょうか。だいたい、総理大臣たるものが、憲法の平和・民主の原則を、教育では説きながら、みずからは自分勝手な解釈で捻じ曲げて、正当な意見は聞こうともせず、勝手な解釈を押しつけているくらいですから。歴史的な到達点について、政治家は真摯に学ぶべきだと思うんですよ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」なんて事態では、子どもたちが非行化するのも当たり前じゃないですか。科学には客観的な真実や到達点というものが、ある程度の範囲では、誰しも確認できると思うんです。このマルクスのヘーゲル哲学批判ということも、私などは良識のうちにあると思います。私などは、以前にこの学習をブログで発信したんです。東日本大震災後の2012年ころでしたが。しかしそれは、やはり達磨大師状況でしたが。マルクスは、ここでヘーゲルの『精神現象学』の「絶対知」の箇所を検討しています。そこでヘーゲルの弁証法を批判しています。だけど、私などか知るかぎり、その努力が、その宝が、しっかりと評価されている様には思えないんですね。それで、学習発信したんですが、達磨状態でした。今回は、その再学習です。この間の学習の続きでもありますが、これを検討を吟味してみること。これが、私などが、次に確かめておきたいテーマです。
2023年12月17日
コメント(2)
『歴史哲学』序論の冊子が出来ました数年前に、ヘーゲル『歴史哲学』序論を学び、このブログでも発信したんですが。今回は、昨年、日本福祉大学名誉教授の福田静夫先生の『ヘーゲル講座』を受講する機会をえて、あらためて『歴史哲学』序論を学びかえす必要を感じたんですね。まぁ、大それた話です。その中身を冊子にまとめようと思い立って、今年の4月から12月12日の校正終了するまで、努力したんですね。まったく、素人の、恐れを知らない知的な行動でした。A4版の41ページ、定価350円+送料250円です。2020年にブログ発信した時は、まったく壁に向かう達磨大師の状況でしたが、今回は、福田静夫先生の、質の異なる励ましのコメントをいただき、50年前の同窓生で仏教にくわしいひとからのコメントをいただけました。私が今回の作業で得たことは、二つあります。一つは、「マル・エン全集」第31巻へ感じるところの親しみです。これは1864年から1867年の間にマルクスとエンゲルスとの間でかわされた書簡集です。そこにはマルクスが『資本論』を刊行するときの苦労がリアルに刻まれてます。私などは、たった41ページで苦労したんですが、マルクスは1319ページ、しかも事柄に通じようとする努力の質のちがいは、月とスッポンですから。少しですが、その苦労を身近に感じられるようになったということです。もう一つは、私などは73歳の年寄りですから、明日亡くなったとしてもおかしくはないんですが。しかし、個人としてみれば何に努力しようとしてここまで来たのか。私などは1950年の戦後生まれですから、ものごとに対する意見・批判は、何でも自由勝手なことでして、すべては自然なことだったんです。ところが、そうした自由というのは、日本の戦後の民主的憲法の下での自由だということを、感じてくるようになりました。ヘーゲルは「歴史とは自由の発展であり、しかもそれは質を異にした段階的な発展なんだ」との歴史観を提起しています。霧のなかの感じですが、すばらしい思想を創造しています。それまでの思想家と違って、どこからどのようにしてとらえたのかわかりませんが、確かに弁証法を意識化して、明らかにしようとしています。これは功績です。だけど、精神・意識がすべてのものごとをつかさどるとなると、すべてのことの主要な動因が精神であるとすると、そこのところはおかしいじゃないですが。この明と暗とをしっかりと腑分けすること、そこが大事な点だと感じている次第です。まぁ、そうしたことを、今回の学習を読み返してみて、課題として感じている次第です。そうしたことで、つたない私などの『歴史のなかの弁証法』冊子ですが、冊子の本体が350円、それと送料250円がかかりますから、合計で600円でお分けしますので、関心ある方はコメント欄などで、申し出てください。
2023年12月16日
コメント(2)
『歴史のなかの弁証法』の校正を終了昨年から今年の3月まで、ヘーゲル学習会に参加してきました。名古屋の日本福祉大学名誉教授の福田静夫先生を講師とした学習会でした。対象はヘーゲルの『法の哲学』の国家論と、『世界史の講義』第四部の「ゲルマン世界」でした。今どき、ヘーゲルがどうのこうのなどと、まともに語り合う機会なんて無いじゃないですか。私などは、達磨大師じゃないけれど、壁に向かって学習発信をしているような次第です。そこに、この学習会でしたから、「渡りに船」でした。それで、おこがましくも、『ヘーゲルの『歴史哲学』序論を読む』との冊子を出すことにしました。ヘーゲルは、科学的社会主義の哲学、歴史観の源流となっている哲学者です。主題は「歴史のなかの弁証法」で、ヘーゲルはそれをどの様に探ったのかです。彼は、61歳でコレラの世界的大流行のなかで、1831年に突然死しちゃったんです。その業績を、少しでもつかみとろうという、その試みです。私などが感じるには、その中身が今日、ほとんど取りざたされてないこと。さまざまな解釈論はあるにはありますが、なかなかその実際が紹介されてない、と感じていたんです。エンゲルスの『空想から科学へ』『フォイエルバッハ論』が紹介しているくらいじゃないでしょうか。もちろん、日本でも研究者はいますが、ヘーゲルを研究している人はいると思うんでが。しかし、そうした論壇は、私などの周りにはないんですね。達磨大師の状態でした。そこに、91歳の長年にわたりヘーゲルの研究をされてきた福田静夫先生の講座が開かれたわけです。2022年の1年間、ズームで名古屋からの学習会を楽しませていただきました。私などは、まったくの素人の手探りですから、その理解のほどは知れているんですが。しかしですよ、その中身について、他には学習の輪を感じないものですから。そうなれば、無知というのは恐ろしいじゃないですか。私がヘーゲルを、その『歴史哲学』序論をどの様に読んだか。これまで学習でブログ発信してきたものを、あらためて学びなおして、それを冊子にしてまとめてみることにしました。そして、本日(12月11日)、その最終の校正が終了しました。12月20日くらいには、その冊子300部が到着するはずです。A4版の41ページで、定価350円(+送料)です。つたないものですが、もしこれに興味を感じていただけるようでしたら、このブログのメッセンジャ―で、申し込んでください。こんな学習を冊子にするなどということは、はじめてなんですが。おかげで、マルクスの『資本論』の刊行ですが。それが、いかに大変な作業であったか。もちろん中身は分かりませんよ、問題とするのはそれを出版することですが、それが如何に大変な仕事だったか、それがほんの少しだけですが、わかりました。
2023年12月11日
コメント(4)
『歴史哲学』序論の学習をまとめる当方は、みかんと学習を柱としています。この間、ヘーゲル『歴史哲学』序論を学習してきたことは、ブログをご覧いただけた方はご存じかと思います。やれやれ、といったところです。本日、今、新宿にある製本会社を紹介していただいて、その学習をまとめた原稿を届けてきました。今どき、何でヘーゲルなのか?誰が、そんなのを読んでくれるというのか。といったこともありますが。あれこれ議論があるかも、いやないかもしれませんが。とにかく、年内には冊子が出来上がると思います。300部の限定版ですが、一冊350円+送料です。購入を希望される方は、ぜひ、お申し込みください。
2023年11月13日
コメント(0)
やっとひと仕事が終えたヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習を、ついに終えました。これまでブログで、その学習を発信してきましたが、それを、まとめることが出来ました。私などは、ヘーゲルは古典的な存在ですが、今に大事なことを残していると思うんですが、ほとんど、その中身が紹介されてません。2022年の1年間、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』に参加して、先生の語られていることをお聞きして、ますますそれを感じさせられました。福田先生は『法の哲学』の「世界史」と、『歴史哲学』の第四部ゲルマン世界を、紹介してくれたんですが。当方は、重ならないところの『歴史哲学』「序論」です。私などの学習ですが、これを形にして、関心者の御批評をあおごうということでして。こからが肝心なところですが、なんとか、その段階まできたということです。
2023年11月07日
コメント(2)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ、 (c)歴史のすすみ方(その2)ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習も、いよいよ今回で終了です。前回の続きで、岩波文庫『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P125の第35節からです。一、まず、P125、第35節ですが。ここは、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にあった、P113「世界史とは」なにか、「民族精神とは」なにか。それを短く総括しているものと思います。冒頭に、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にもどって、その論点を再確認します。1、P113、第20節「世界史とは、精神がみずからを自由だと意識する、その自由の意識の発展過程と、その意識が現実にうみだすものの発展過程をしめすもので。その発展はいくつかの段階を踏んでおこなわれ」る。自由の発展があり、それがたんなる移行・推移といったことではないと洞察しています。2、第21節では、その「発展の各段階が他の段階とは区別される独自の明確な原理をもち、その一つ一つの原理が「民族精神です」。民族精神のうちには、民族の意識と意思、その現実の全側面が具体的にあらわれる。民族の宗教、政治体制、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的訓練など。それらのすべての領域のなかに共通する民族の一般的な特徴がある、それが民族精神なんだと。ヘーゲルは、この後で、自説に対するいろいろな非難や誤解にについて検討しています。みずからの考え方を明確にしています。二、それをまとめたものが、P125-126の第35節だと思います。ヘーゲルはここで、世界史とは何か、「世界史の概念」を提起しています。前に見た「民族精神」ですが、民族のあらゆる行為のなかに浮かび上がってくるもので、思考によってしかとらえられないものだけど。その民族精神は自らめざしていたことを達成する。同時にそれを成就することは、みずからの没落であり、次の別な新たな民族精神に交換していく。こうした民族精神の没落と再生、その全体の続きあいこそが「世界史の概念」であると指摘しています。これは、世界史のあゆみということの一般的な全体観ですね。これだけではごく一般的な概念の規定ですから、ヘーゲルは次にその「少し具体的なイメージ」を提示しています。P126、第37節ですが。「世界史をひとわたりながめてみると、そこには」として、13行にわたって展開しています。「ようするに、多種多様なできごとが私たちの関心をひこうと待ちかまえていて、一つが消えさると、ただちにべつなできごとがかわって登場します。」と。ロシア革命の指導者レーニンですが、この第37節の箇所を全文を書き抜いています。第一次世界大戦の最中の1914年-16年ですが、『大論理学』や『歴史哲学』を読んでいるんですね。その『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、P284-285には全文が書き抜きされています。その中でも、「情熱と諸行動の総和(いたるところにわれわれの関係のある事がらがあり、したがって、いたるところにわれわれの賛成、または反対の関心がひきおこされる)」の箇所には、この横には『非常にいい』とのコメントが。また「取るにたりないように見えるものから、巨大なものをつくりだす小さな諸力の、無数の集中」の箇所には、その横に『非常に重要だ!』との感想を、コメントとして書きこんでいます。当時の1914年というのは、たいへんな緊張の時だったと思うんですよ、その中での学習ですから、すごいですね。「忙しいから、時間がないから」なんてことじゃないんです。ここにも歴史科学をほんとうに大切にしていた、誠実な政治指導者だったこと、努力家だったことが伝わって来ます。三、さらにヘーゲルですが、この世界史の一般的イメージの中にある「変化」ということですが、そこにある具体的な中身について、ふくまれる思想について探っていきます。1、古代文明の廃墟を前にして、悲しさとともに新しい生命の登場を思う。生から死へ、死から生へと。2、変化はたんにる移行ではない。自己実験、自己格闘であり、意図により素材を加工することであり、自分の力を発揮、発展させること。障害にぶつかることもあるけど、精神は自分の使命をまっとうし、自分の力を発揮して、そして没落していくと。私などは、この箇所で二つの点に注目します。ア、民族精神が安定した自足した状態にある場合と、民族の潜在的で主観的で内面的な目的や本質と、その現実の姿とが分裂した状態にある場合との場合、この二つの世界史のあゆみの相克ということです。片や口先ではもっともそうなかっこは取り繕うが、現在の状態に満足していて、新たな動きをおさえる、それは退屈きわまる政治的ゼロといった状態についての指摘です。身近かなこととして感じられませんか。イ、もう一つは、そうしたなかにあって「民族精神はなにか新しいものを意欲しなければなりませんが、この新しいものはいったいどこからくるのか」(P131、第41節)ヘーゲルはこんな問題提起をしているんです。このヘーゲルの問いかけというのは、すごいことだと思いませんか。「自分をさらに高め、さらに一般化するイメージがうまれ、現行の原理がこえられなければなりませんが、それには、一歩すすんだ原理が新しい精神として登場してこなければならないのです」「民族を行動にかりたてるもの」(P132)は、なんなのか?ヘーゲルは歴史の変化のなかに、こんな問題を提起しているんです。私などがおもうのに、一方で、ヘーゲルは世界史(歴史)の変化の様相を、たいへんよくとらえていると思うんですよ。随所ですばらしい見方・考え方、思想を語っています。「時の流れは否定の力があるが、しかし思考にも否定の力があって、もっと内面的な無限の形式であって、すべての存在を解体していく」「最初に否定されるのは一定の形態をもつ有限な存在ですが、目の前にある権威ある存在ですが、それがその内容からして限界のある有限なものと見なされる。ないし思考する主観とその無限な反省を制約するものとみなされる」(P134、第49節)第50節では、歴史認識に見る「否定の否定」ということも説いています。(P134-135)大きくみると、「E.世界史の時代区分」には、世界史のあゆみの具体的な内容が説かれています。「世界史は、野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる過程です。東洋は過去から現在にいたるまで、ひとりが自由であることを認識するにすぎず、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと認識し、ゲルマン世界では万人が自由であることを認識します」(P176)との骨格内容の提起ですが。歴史が法則的に発展してきたし、しているとの思想を提起しています。ここでは、「この地点に達したとき、変化の内的かつ概念的な必然性があらわれる。そこをとらえるところにこそ、歴史哲学の精髄があり、真骨頂があります」(P136)と表明しています。ヘーゲルのすばらしい洞察と、その確信のほどが伝わってくるんじゃないでしょうか。マルクスの『経済学批判』の「序言」とも重なって来るじゃないですか。ところがです、他方でヘーゲルはその変化の原因についてどういっているか、この問題です。P135、第51節「精神のあゆみとは、自分を対象化し、自分のあり方を思考する精神が、一方で、自分の限定されたありかたを破壊するとともに、他方で、精神の一般理念をとらえ、その原理にあらたな定義をあたえる、というところに到達します。ここにいたって、民族精神の実体的内容が変化し、その原理は、べつの、より高度な原理へと上昇していきます。第52節「歴史を概念的にとらえるにあたっては、こうした精神のあゆみを、思考と認識のうちに保持することがもっとも重要です。」これがヘーゲルの問題の原因に対する答えだと読みました。ここにある問題ですが、ヘーゲルは、世界史(歴史)のあゆみを、精神のあゆみのあらわれとしてとらえている。精神と現実ですが、現実の一側面としての精神が、現実に対応する関係にあることは間違いないと思うんですが、精神には能動的なはたらきがあることも間違いないと思うんですが、しかし精神というものが歴史をつかさどるようにとらえている、ないし歴史とは精神があらわれたものととらえるのは、思考の原理こそが現実のすべての原因をなしているととらえているヘーゲルですが。ここにヘーゲル特有の問題点があると、私などは感じているわけです。四、ヘーゲルに対するこのモヤモヤした状況にあったときに、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)がこのゴタゴタを整理するヒントを与えてくれました。1、その1「歴史哲学、法哲学、宗教哲学、等々のなかみは、出来事のなかで立証されなければならない現実の連関の代わりに、哲学者の頭のなかでつくられた連関がすえられたということであったし、歴史とは全体としてもまた個々の部分においても、観念の—しかももちろんいつでもただ哲学者自身のお好みの観念の—漸次的実現であると解されたということであった。それによると、歴史は、無意識にではあるが必然性をもって、あらかじめ確立されているある観念的目標を目指して精を出してきたことになる。たとえばヘーゲルでは、その絶対的理念の実現をめざして精を出してきたのであり、そしてこの絶対的理念へ向かう不動の方向が、歴史上の出来事の内的連関になっていたのである」(大月書店 秋間・藤川訳 P75-76)私などがおもうのに、思考法則はそれとしてあると思うんですよ。それをヘーゲルは『精神現象学』『大論理学』でそれを探っていたと思うんですよ。それがヘーゲル自身も「経験的に納得され、歴史的に立証されなければ」ならないとされていることがらにたいしても、思考法則により現実が考案されてしまう。ものごとは論理的な(弁証法的な)性質をもってはいたとしても、そこから飛躍して、歴史やものごとの連関ではなくて、論理のあらわれとしてその現実がある、かのような角度から見てしまう、そこにヘーゲルの癖というか、問題点があったとみています。その2 「ヘーゲル哲学(ここではカント以来の全運動の終結としてのヘーゲル哲学の話にかぎらなければならない)の真の意義と革命性格とは、この哲学が人間の思考と行為とのすべての結果の究極性ということに一挙にとどめを刺したという、まさにこの点にあった。ヘーゲルでは出来上がった教条的命題の寄せあつめでは無く、真理は今や認識の過程そのもののなかに、学の長い歴史的発展のなかにあった。」(同 P11-12)「ヘーゲルはこれほどはっきりした形では述べてないけれど、それは彼の方法の一つの必然的帰結である」(P14)いかにエンゲルスが、ヘーゲルを丁寧に読み込んで、そこから宝となる明確な認識をひきだしたか。それを重視したかが、しっかりとうかがえる指摘じゃないですか。2、ところで、エンゲルスが晩年に強調していた論点ですが、「科学的社会主義は、唯物史観というのは、型紙とか図式じゃなくて、方法であり、あくまでも行動の指針なんだ」と、くり返し、くり返し、論じていますね。その問題と、ここでの問題とも重なる面があると思うんです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスはその残された遺稿集を目にしました。『ヘーゲル法哲学(国法論)批判』もそうですし、『経済学哲学手稿』での「ヘーゲル哲学批判」もそうですし、『ドイツ・イデオロギー』だってそうなんですが、20代のマルクスやエンゲルスは出版することが出来ずに、草稿のままで、人知れずしまわれていたんですね。しかし、そこでこの作業が行われていたわけです。しかしこのことが活字となって紹介されたのは、『経済学批判』の「序言」とか、ごく限られていたんですね。その草稿の束を、エンゲルスは1883年ころから遺産として見ることとなったわけで、『資本論』がどこまでできているのか、これが大事な問題だったでしょうが、同時にヘーゲルの業績を、弁証法の意義をしっかりと評価して、若きころの自分たちは、それをどの様に批判して自分たちの新たな世界観をつくりだしたのか。初期のゴチャゴチャした大部なものをそのままの形で刊行するわけにはいきません。その中身を簡潔で分かりやすく、しかもしっかりとすっきりした形で明らかにし、ひろく伝えること、これが大事な仕事になっていた。、科学的社会主義の思想を広げていくうえで、大事になっていると思ったんじゃないでしょうか。『フォイエルバッハ論』を読むと、そんな続きあいと今日的な意義を感じさせられます。3、ヘーゲルのこの点をおさえておけば、ヘーゲルはじつに素晴らしい思想を、さまざまな分野で仕事を残しています。だけど私などは、現代において感じるんです。一方では、あまりヘーゲルの中身が語られてない、難解さがときほごされてないんです。他の権威者の言葉をオウム返しにしてわかったようなかっこで済ませている。他方では難解な表現ということから、そのなかみを正確にとらえることなく、自分の勝手な解釈を広げている。しかもそれがもてはやされているような事態です。困ったものです。そうした中、私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』を、2022年に受講する機会がありました。そこで、『法の哲学』の「国家論」と、『歴史哲学』(『世界史の哲学』)の第四部ゲルマン世界を学んだんです。学習の仕方を学んだんですが。正確にヘーゲルの言っていることをとらえ、あらためてヘーゲルの考え方の今日的意義、素晴らしさを実感させてもらいました。今回の、『歴史哲学』序論を再学習ですが、その「ヘーゲル講座」の副産物です。少しでもその成果をつかんで、それを発信すること。これは今の学術において大事なことだと感じたからなんですが。とにかく、『歴史哲学』「序論」の終わりまで来れたこと、これをさいわいと感じています。以上をもって、ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習を終了します。
2023年11月04日
コメント(2)
『武器としての国際人権』(藤田早苗著)私などが認識を新たにした一冊の本を紹介します。どうして、日本は人権の点で、世界の後進国となってしまったのか。日本の近代は、いろいろ問題はあっても、人権のための努力をした来たと思うんですよ。しかし、最近では、建て前とは裏腹に、多くの努力はざるで水をすくうようなもので、現実は卑屈でうつろな事態にあります。なぜそうなっているのか。藤田早苗著『武器としての国際人権』(集英社新書 2022年12月刊行 1000円)是非とも、この本をお読みいただきたいんです。この本を知ったきっかけは、福田静夫先生の今年初めの頃の「ヘーゲル講座」でした。ヘーゲルは国民国家・民族国家をこえたところでの人権の国際的な今日の発展ということを具体的にしめしている本として、この本を紹介されたんだと思います。私などは、日々こまごまとしたやらねばならないことがあって、半年以上もの歳月が過ぎた最近になって、この本を開いた次第です。この本のカバーには、東京新聞の望月記者、中野晃一教授が推薦されてます。さもありなん、です。「人権」と言ったら、戦後も憲法下では大事なテーマだったでしょう。ところが、最近ではざるで水をすくうような虚しい状況です。こころある世界の人士からしたら、核兵器廃絶にしても、現行憲法がもっている民主主義の理念にしても、卑屈なアメリカべったりの従属政治の根性にしても、口でいう建て前と実際の現実とは、それが余りにも乖離してるじゃないですか。どうしてそうなっているのか、この本は、それを解き明かしているとおもいます。一般的には「低開発国」とみなされている国の人でも、ラテンアメリカ、東南アジアなどで、世界をリードして輝いている人がいるじゃないですか。おそらくヘーゲルが、民族国家の狭さを越えた世界的な人権がつくりだされる、そんな主張をどこかでしているんじゃないですか。「歴史哲学」のどこかでも。人権がどのようにして発展していくかを。私などはまだ不勉強で、それを説いている箇所を確認できていませんが、福田静夫先生の熱心な主張には、そうした点を紹介されているようにおもします。まぁ、とにかく人権の国際水準に近づいていくためには、この本は、大事な刺激的なプレゼントとなるものだと感じて、私などもお勧めします。
2023年10月20日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ (c)世界史のすすみかたヘーゲル『歴史哲学』序論も、いよいよ最終段階です。岩波文庫の『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P112(第19節)からP137(第55節)です。全体を四つの点にわけてみました。一、世界史のあゆみの総論二、民族精神について三、世界史の概念とイメージ 新たな意欲(原理)どこから来るか四、まとめ一、世界史のあゆみの総論だいたいここでヘーゲルが言いたいことの輪郭です。ほとんど抜粋ですが。1、世界史のすすみかたについて、最初に、具体的な内容はE.世界史の時代区分で述べる。ここではごく形式的なことを述べるのみ、とことわっています。2、これまで述べてきたことから、世界史とは精神が自由を意識する。自由の意識の発展過程と、〈その自由な意識が〉現実に生み出すものの発展過程をしめすと。〔意識と存在の発展過程だと〕3、その発展というのは、いくつかの段階をふんでおこなわれる。事柄の概念にそくして自由の段階が区別される。4、概念は、その論理的性質、弁証法的性質からして、みずからを定義し、それを自分の内容として、さらにその内容を廃棄し、それにより積極的な、豊かな内容を獲得する。5、その必然的なあゆみの純粋で抽象的な内容は論理学の認識するところであって、ここではその発展のそれぞれが独自の原理をもち、その原理の一つ一つが精神のあり方-民族精神である、と。(第19-20節です)これについての私なりの認識ですが、ヘーゲルは意識が現実をうみだすかように述べていますが、意識は現実に対応するの一つの側面として理解しておきます。同じことですが、ヘーゲルは概念を主語にしていますが、そうなると概念が事物をつかさどることになります。確かにヘーゲルはすべてが論理的なすすみかたをしていることを発見したんですが、ヘーゲルのように理解すると、すべての物ごとは論理学的な本質のあらわれとなってしまう。実際には、概念の論理的なあらわれではなくて、概念が事物のあゆみとも重なっているということ。意識がつくりだしたんじゃなくて、意識は事物のその一側面なんだから事物に照応している、照応の関連をもつと認識しています。ヘーゲルという人は、ものごとが論理学的な発展過程をもつこと発見した人です。これは素晴らしいことですが、しかしすべてのものごとが論理学の一般性に帰着するかのような表現をしています。一般的な抽象性としてはそうかもしれませんが、ものごとは固有の具体的な領域が、現実的にあるわけで。その具体的な問題領域の中において、その論理的な一般性が妥当かどうかを、具体的に検討しなければならない。論理学と個別的な諸科学の領域はそうした関係にあると思うんです。この点を保留しさえすれば、だいたいヘーゲルの言う一般的な論理的側面の関連というのは、そのとうりでして、よく関連をとらえていると思うんです。くりかえしになりますが、問題は具体的な領域・問題の中から、そのなかから関連を見つけ出さなければならないということです。二、その民族精神についてですが。(P113・第21節からですが)。民族精神には民族の意識と意思の、現実の全側面が具体的にあらわれる。宗教も政治体制も、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的熟練にも、共通する民族精神が見てとれる。一定の特徴がその民族精神の原理をなしていること。ここで「そのことは、経験的に納得され、歴史的に実証されなければならないことだ」と指摘しています。この見解ですが、すぐ前に問題とした点について、ヘーゲルとしても感じてはいて、あるべき必要な基本的な形について、指摘はしてるんですね。実際に歴史哲学の本論を見ると、そうした研究成果も残しているんです。しかし他方では、ヘーゲルは、概念の主導によって、具体的事実の展開を論理に帰着させてしまうという、そうした裏腹な方法をとることになっちゃっているんです。次に、「民族精神が現実の全側面に現れる」-そうした関係を理解するには、その民族の原理の領域に先天的に親しんでいなければ理解できないと指摘しています。こうした歴史哲学の見地にたいして、他方から非難がなされていると。「経験的な歴史上の素材に対して、先天的な理念を持ち込もうとする誤りだ」と。ヘーゲルはこれにたいして、これは「分析的思考」に、悟性にもっぱら固執する考え方だと指摘しています。それにたいして自分は「理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、そうした分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」「世界史の全体を考察するとき、本質的なのは自由の意識であり、意識の発展のなかでの自由のありかた」が問題なんだ、と主張しています。(第22節)ここで、ヘーゲルは、こうした考え方の誤り、狭さについて、様々な例をあげています。「抽象的なカテゴリーに固執する反省的思考」「具体的内容をすてて形式的視点を動きまわる教養の立場」「インドの叙事詩とホメロスの叙事詩を比較するこころみ」(まちがった形式主義の見方」とか、たくさんの例をあげています。ここで強調しているのは、世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものであって、「精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうようなことは、個人の道徳性にかかわる義務や責任能力をこえたものだ」と。そして、変革期には、両方の陣営が自らの正義を同じように主張しつつも没落していく。また世界史的個人においては、彼の行為はみずからも意識しなかった内面的な事柄があらわれてくることを指摘しています。(第27節)1、私などは、ここでのヘーゲルの主張ですが、これは彼が世界史のあゆみの全体の中からみちびきだした結論であり、そこからの確信であること。あくまで「序論」というのは、結論的に引き出されたことがらの提起であり、一見、独断的にも聞こえる断言ですが、わけのわからない言葉ですが。それを妄信する必要もないし、またここの文章からだけで、すべてを得心できるような内容ではないと思っています。あくまで、これから本論にあたるに当たって、ヘーゲルによるアドバイスとしてうけとっておけば、それでよいとおもっています。2、ここで、二つの考え方の問題が提起され、それが対比されていますね。ここを読むと、私などはエンゲルスの『空想から科学へ』第二章「弁証法と形而上学、二つの考え方」がおもい浮びます。そこでは、エンゲルスも弁証法的な考え方を提起しています。同時に、やはり、形而上学的思考の弱点を指摘しつつも、それが一定の歴史的に根拠をもって発生してくるものであり、その必然性もあるんだということを主張しています。これは、ここでヘーゲルが「分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」との主張していることと重なっています。エンゲルスの念頭には、ヘーゲルのこの箇所があったんじゃないでしょうか。また、「世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものだ」との指摘ですが、これは、レーニンが『哲学ノート』でヘーゲルから抜粋した箇所の一つ(全集第38巻、P278)でもあります。レーニンもまた、やはりここで指摘されている認識に注目していたとおもいます。3、ここでヘーゲルが強調している指摘があります。(P124、第34節)「きっぱりといわねばなりませんが、アジアの両国家(中国とインドですが)には国家の本質をなす自由の概念の意識が欠けている。だから、中国の道徳法則は、自然法則のような、外部からおしつけられる命令であり、強制法と強制義務であり、さもなければ人間相互の礼儀作法です。共同体の理性的な規律を心情的な道徳に転化するのに必要な自由が存在しないのです。道徳は国家の仕事であり、官吏や裁判官によって処理されます」(P124、第34節)。もちろん、1820-31年に書かれたヘーゲルの『歴史哲学』です。日本では江戸時代です。時代とともに社会は、そして認識は変わってきているわけですから、この指摘が、そのまま今の事態ではないことはもちろんなんですが。しかし、ヘーゲルがここに込めた認識、ここには「自由の概念の意識が欠けている」との民族精神の特徴ですが、そして、その弱さを自覚し・克服していくこと。そうした前進が求められているとの課題の指摘ですが、これは、今日の私たちにとっても大切な助言じゃないでしょうか。日本社会も長く上位下達の時代が続きました。封建制のお上の命は絶対の時代が続き、近代に『門閥制度は親の仇でござる』と福沢諭吉が述べれる時になってからも、自由というのを国民が本当につかむにためには、さまざまな試練があるし、もっているんじゃないでしょうか。つぎは、「三、世界史の概念とイメージ」ですが、今回はここまで、続きは次回とします。
2023年10月16日
コメント(2)
ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習もいよいよ最終段階ですヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習をすすめてきましたが、C「世界史のあゆみ」c「世界史のすすみかた」まで、いよいよ、その最後の部分に来ました。あらためて、「どうして、今どき、ヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習なのか?」自分自身に問い返してみました。それは、ドイツ古典哲学の巨匠で、科学的社会主義の源流ともなっているヘーゲルです。その名前こそ有名ですが、哲学者や研究者の人たちは別ですが、一般の私たちにとっては、その著作を読む機会はなかなかないんじゃないでしょうか。また、これまでに読もうとした人でも、その著作を開いて、その難解な表現や印象から、途中で放棄してしまった人もかなりいるんじゃないでしょうか。まあ、私などもずーっとそうした一人だったんですが。しかし、わからないなりにも何回か読んでいるうちに、私など素人でも、ヘーゲルの素晴らしさを感じるところが出てきたんです。「弁証法とは何なのか」、「世界史のあゆみのなかに自由の広がりがあるとは」、「人は民族の子である、それとともに時代の子であるとは」、「必然性をつかむと主体的自由になるとは」、「無限な世界にたいして限られた人はどう認識していくのか」などなど。その文章は難解な表現なんです。だけど、その中にはこうした問題提起があるし、玉石混交な形ですが、それに対する答えが提起されているんです。マルクスやエンゲルス、レーニンと科学的社会主義の先人たちは、また世の哲学者や科学者の人たちは、そこから何をどう学なびんだのか。それを今日に、それぞれの分野に、どう生かしているのか。そこに注目するし、問いかえされます。そうなると、孤立していては駄目じゃないですか。いろいろ議論も必要になるじゃないですか、切磋琢磨が必要になるじゃないですか。しかしながら、私などの周りでは、そうしたことを語り合える人や場所がなかったんですね。そうであれば仕方ないじゃないですか。自分の学習をブログで発信するようにして、ひろい人たちからご意見や感想を聞こうとの次第になったわけです。しばらくは壁に向かって何年と、馬耳東風、無反応がつづく達磨大師のような感もあったんですが、さいわいにして、この間に、ご意見やアドバイスをいただける方もでてきて、「序論」の終わりのところまでこれた。あと残り少しのところを、すすみつつあるところです。
2023年10月09日
コメント(0)
『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』を紹介しますこの9月末に、長野県安曇野を、50年前の同窓会だったんですが、旅してきました。その中で、「貞享(じょうきょう)騒動」ということを、はじめて知りました。江戸時代、貞享3年(1686年)に、この地-松本藩であった農民一揆です。私などは、これまで、この事件をまったく知らなかったんですが、これが多田加助、この一揆の中心者で磔の刑にされた人物のお墓です。当時は、お上の命令に盾つくこと、要求を出すこと自体が、命がけだたんですね。この場合も、訴状をつくった中心者はキリストと同様に磔(はりつけ)、その家族は、その男子は、子どもまで、獄門(打ち首)で獄門台にさらされ、家財はすべて没収されたんですね。しかし、それをも覚悟の上での、農民の要求を訴えざるをえなかったということなんですね。それに対して、現代というのは、戦後の民主主義憲法のもとというのは、その民主主義社会というのが、どれだけ実態になっているか、その問題はあるんですが、ともかくも、今日の時代が、国民に主権があり、国民の意思の代表により政治が行われるとの基本原則とされ、国民はだれしも自由に自らの要求を政治に表明することができる。それは、今日では当り前のことですが、それ実現させるべく自由に運動できることが権利として認められているわけで。これは大きな転換ですね。しかし、それとは反対の事態が、江戸時代以前からずーっと続いてきた。つい80年前の1945年にいたるまで、治安維持法が廃止されるまでは、そうした事態が続いていたんですから。日本人の国民性のなかに、あきらかな悪政にたいしてきっぱりとものを言わない、踏んだり蹴ったりの状況なのにながいものにはまかれろ、どんな無茶苦茶でもお上に盾つくことは自分のためにならない、等々の習慣が、何百年の習慣が、自然と無意識なうちに身にしみついているというのも、わからないわけじゃないじゃないですか。ともかく、現代というのは、戦後民主主義の憲法下では、民主主義がだれしもの前提となっているはずのものです。自動的にそうなったわけではなく、国民の努力によりそうなったわけですが、これはありがたい歴史的な獲得物であり、生活条件じゃないですか。そのことを、今回の「貞享(じょうきょう)騒動」の経過と説明を聞いていて、私などは感じさせられました。この記念館で、説明者の話を聞いた時に、たまたまですが、『なにか、これを解説してくれてる文書は無いんですか?』とのひと言から。この一揆の経過をまとめた本-安曇野市教育委員会が発行した『貞享騒動をたずねて-「二斗五升」に命をかけた義民たち』(2018年3月刊)が紹介されました。たまたまこの会話が出たとき、その近辺にいた四人だったんですが、多くの参加者は次の順路にすすんでいったんですが。私はたまたま、その会話を耳にしました。そしてその本の中身も知らないままに、本をわけてもらったんです。これがその本です。この本の「貞享一揆」(1686年11月)の紹介ですが、旅から帰って、昨日、ざっとですが、一気にでしたが、この本に目をとおすこととなりました。というのが、この本はじつに貴重な記録で、迫真の資料で書かれていたんですね。それがわかるから、すーっとつぎからつぎへと読めちゃうんですね。一晩で、読めちゃいました。ふつう、「農民一揆」と言えば、教科書の記述や歴史研究者の解説をとおして、とおく江戸時代の農民一揆のことを、その筆者の主観をとおして、「だいたい、そうしたものだろうなぁ」との推測と想像力によって『紹介』されているじゃないですか。もちろん、この『貞享騒動をたずねて』だってそうした面はあるんですが。しかし、この本の基本的に違うところですが、この一揆が、その時のなまの資料によって、それを基本においたうえで、この事件の様子が紹介されていることです。たとえば、これは農民たちが出した五か条の訴状(要求書)です。「御訴訟口上の覚」そして、これは、松本藩のだした「覚」、すなわち松本藩の側から農民へだした第一次回答書です。その要求の中身の一つですが、年貢が一般には以前は、そして周辺では俵一俵のなかに入れるお米が「二斗五升」(三公七民)なのに、当地では「三斗」(五公五民)とされていた。ところが、不作・凶作の事態になったのに、「三斗五升」(七公三民)とせよとの命令がなされた。五つの要求ですから、農民たちの要求はその他にもあるんですが、中心は、以前のように、まわりのように、「二斗五升」にしてほしいという趣旨ですが。そのことをふくむやりとりが、原文がのこされていて、これが紹介されていたんです。くりかえしになりますが、私などの注目したのは、「訴状(要求書)」にしても、「回答書にしても」、事件に関連することが、ここではなまの文書が残されていて、それをもとにして紹介されているんですね。だれかれの言い伝えや研究者が主観的に考えたことじゃないんです。直接のなまの資料によって紹介されているんです。1686年にかかわる関係文書が、そのものの原文が残っていて、それによって一揆の経過が紹介されているんです。ミミズがはったような文字でして、もちろん専門家でないと読み取れないと思うんです。どこかの外国語の文字の様な感じもしてくるような、今の活字や文章とはまったく違う、疎遠な感じがしてしまうんですが。古文書というのは一般的にそうしたものですよね。しかし、この原文と、それを読み下した文章とをつきあわせて、じっと照らし合わせると、重なってきてわかってくるんですね。解読できるんです。とうじの当事者たちの生の声が、こころもちすらが、じわじわと見えてくるんです。これって、すごいとおもいませんか。この本は、事態の流れを、当時の人たちのなまの要求や声を、そのやりとりを紹介したものなんです。研究者たちが勝手に考えたり、解釈した歴史像ではないんです。まさになまの直接資料なんです。これによって、日本の封建社会というものが、江戸時代の農民の暮らしというものが、どのようなものであったのか、身分制度とか、お上の命令の絶対性とか、そのもとでも農民の命をかけてまでも、譲れない要求がある。それをどうやって実現しようとたのか。そこにはどのような配慮が必要だったのか。その結果、どうなったのか。その当時の人が、現実に人が直面した問題の一端が、事態が、具体的に見えてくるんですね。現実的に江戸時代の歴史状況というもの、そのものを知る手掛かりとなる資料じゃないでしょうか。私などが同窓会の旅先で、たまたま手にした本なんですが、帰ってから目を通してみました。そして、これはじつに貴重な、日本の歴史をおしえてくれる本だと感じました。同時に、残念なことに、この本をどれだけの人が知っているか。現地・安曇野の関係者以外には、ほとんど知られていないんじゃないでしょうか。この旅に参加した人たちでも、そこにいあわせた4名以外は知らないわけです。そうだとすれば、まったく「もったいない」と思って、紹介させていただきました。『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』著者-田中薫、清水祥二発行-安曇野市教育委員会 電話0263-71-2000定価-1000円
2023年10月06日
コメント(2)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ b歴史のはじまり(2)『歴史哲学』序論のC.b「歴史のはじまり」ですが、三つにわけてみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節から二、何をもって「歴史のはじまり」とするか。P106の第11節から三、インドとの出会い。P110の第16節から今回は、二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、です。ヘーゲルは「国家の登場とともに歴史叙述ももたらせる」(109)としていますが、どうして歴史のはじまりが、国家の登場が登場することともに生まれるというのか?1、ヘーゲルは歴史叙述がつくられるための、三つの要因をあげています。①「理性がたんなる可能性の状態ではなく、理性がこの世界に存在し、意識や意思や行為のうちに、理性が認められる状態をもって、歴史のはじまりとなす」(P106)ヘーゲルはなにを言いたいのか。前回紹介しましたが、この「歴史のはじまり」の冒頭で、『聖書』の創世記にある7日間での天地創造の話を「これこそ歴史的事実であり信頼できるとおしつけてくる」ものとして、その歴史論に対して、ヘーゲルは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と批判しました。啓蒙と迷信とがまじりあう世界の中にあって、「歴史のはじまり」には、理性的な精神が要件としてもとめられている、と言っていると思います。②第二は、そうした理性的な精神が統一した、一個の『人格』をもつような人が出てくるようになる。「精神の統一がすすみ、人格の意識が生み出されたとき、暗く頑固な核(個人)がようやくあらわれる」。しかしそれだけでは足りない。その個人が自然や精神との関係において明確な関係をつくるには、「自己を意識していく意思の、長期にわたる広範な教養形成の活動が必要なのです」。③第三に、そうした長期にわたる活動の結果として、人は共同体のなかでの自由を獲得するようになる。共同体の中での自由とはなにか? 「自由とは、正義や法律のごとく、共同体全体にかかわるような対象を知り、それを意思し、正義や法律にふさわしい現実を、すなわち国家をうみだすことにほかならない」(P107)この三つの要因というのは、国家の成り立ちのことですね。すでに国家論については「B歴史の理性、c自由の実現体としての国家」で展開してきました。これは、それを要約したものですね。それを要約することで、ここでヘーゲルが言いたいことは何か?それがここでの主題となる、その国家の成立と、歴史=世界史のはじまりとの関連の問題。国家り成立と歴史のはじまりとがどのように関係しているか、この問題ですね。ヘーゲルのこの箇所の国家論をよむと、これは要約ですから一面では、三段跳びで論理的必然性を、関連性を追求していることがうかがえます。それは仕方ないんですが。他面、これらは論理学的な問題ではなくて、事実材料から引き出されなければならない問題です。しかしこの点では、その材料がまったく足りない。一人では無理ですが、また時代の制約もあります。その限りでは、ヘーゲルの展開は『洞察』なんですが、すばらしい洞察ですね。2、次に、国家を形成する以前の人類の歴史について、ヘーゲルはふれています。「民族は国家を形成する以前に、長く国家のない状態ですごすことがあります」「こうした歴史(国家の成立)以前は、私たちの関心の外にあります。」(第12節 P107)。ここでは、国家の成立することの意味をヘーゲルは主題としていますから、そこに焦点を当てていますから、その限りで「関心の外」と述べているんだと思います。しかし、まったく「国家成立の以前の人類のあゆみ」に関心がないかと言えば、そうではないんですね。第13節には、「20数年前来のサンスクリット語の発見と、それとヨーロッパ語とのつながりの発見は、新大陸の発見にも比すべき歴史上の大発見です」と、その関心のある注目のほどを語っています。(サンスクリット語というのは梵語のことだそうです。ということは、仏教を介して、日本にも伝わっている。「旦那」というのも、それからきているというんです。仏事だけでなく、日常にもつながっている)このサンスクリット語の問題というのは、「国家=歴史」以前のことじゃないですか。ヘーゲルといえば、「エンチクロペディー」の博学の人ですから、歴史以前のことでも「関心の外」など言うことはまったくないんですね。あくまでも、ここでの文脈からしての表現だと思います。もう一つの問題は、時代の制約もあるかと思います。考古学というのは、ヘーゲルの1820-30年頃というのは、まだほんの兆しの段階だったんじゃないでしょうか。シュリーマンのトロイ遺跡の発掘だって1870年くらいじゃないですか。材料がごく限られてたとおもいます。ただ、ここでは、ヘーゲルが、民族には国家(歴史)の成立以前の長い状態があることを意識していること、新たな発見に注目していたということ、それは確かです。3、本題です。なぜ、国家の登場とともに、歴史叙述があらわれるのか?ここで、ヘーゲルは、ドイツ語の「歴史」には、客観的な面(なされたこと)と主観的な面(それを認識して表現したもの)の、二つの面を意識しており、それを統一させていると指摘しています。歴史叙述は主観的な表現の中にあるわけですが、そこには家族の家伝書もあれば、民族の伝承もある。では、歴史叙述というのは、どの様な中で出てくるのか。①歴史家と歴史叙述がどのような要請により出てくるか。(第14節 P109)「国家をつくりあげるにいたった共同体は、その場の必要を満たす支配者の主観的な命令にかわって、万人にたいしてどんな場合にでも適用できる規則や法律を必要とし、こうして、明確な内容をもち、結論が持続的な価値をもつような、行為や事件にかんする分かりやすい報告が書かれることに関心をもつ」「そうした行為や事件の思い出に持続的な表現をあたえ、それにより国家の形態や性質に確固とした基礎を与えることが歴史家に要請される」「理性的な法律や道徳という形で外面的に存在する国家ですが、現在のうちに完全に存在するとはいえない。それを総体として理解するには、過去をも意識する必要があるのです」。ここに歴史叙述がつくることの要請があるとヘーゲルは言っているわけです。この限りでは、ごもっともなんです。プロイセンの専制君主でも了解するでしょう。しかし、国家は現在のうちに「完全な形で存在していない」わけで、それは問題や課題をもっている国家なわけで、それをどう描くかは、それぞれの人の立場が出てくると思うんですね。ヘーゲルの場合、帝国大学教授ですから、状況に対する配慮からして、これが一般的に言いうるところの限度ということでしょうか。批判精神が問われるところです。もう一つ、このヘーゲルの国家論には、階級対立の社会にあるわけですが、その中には階級支配の側面もありますが、同時に公共的な側面、人権的な的な側面があることをとらえています。ヘーゲルの場合、フランス革命を間近かに体験しています。日本だって、鎌倉幕府の式目の制定、江戸時代の武家諸法度などには、限られた支配階級のなかではありますが、恣意的な都合のなかに「法の支配」の側面があるとおもいます。現代でも、『恣意的な都合のなかに「法の支配」』ということが、憲法に対する政府の態度をみても、恣意があちこち見せつけられるわけですから、ヘーゲルが批判的に指摘している点は今日的ですね。②ヘーゲルの結論です。「歴史記述があらわれる以前に民族が経験した、数百年ないし数千年におよぶ革命と遍歴と大変動の日々は、主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」。「国家ができて法律が意識されるときはじめて、明瞭な行為が、さらには行為にかんする明瞭な意識があらわれ、ここに歴史を保存しようとする能力があたえられ、保存の必要も感じられるようになります」。私などはこれまで、この前段の「主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」ですが、これはヘーゲルの観念論からくる主張だとよんでいたんですが。今回はよく判りませんか、必ずしもそうじゃないのではと、感じています。ここは翻訳の問題もあるんじゃないでしようか。意訳すると、つぎのように読み取れます。ア、主観的な歴史書がないのは、失ったんじゃなくて、元々からしてそれがなかった。イ、なぜなら、そうした歴史書をつくることを要請する客観条件・必要性が存在しなかったから。ウ、その意味で、「客観的な歴史として(が)、存在しない時代」だった。わたしなどは、語学に疎いものでして、おこがましいことですが、ヘーゲルの言おうとしている意味としては、こういうことじゃないかと思ったんです。このように理解すれば、後段の文章が、その事情を解明しているものとして、関連が生きてきます。とにかく、「なぜ国家ができると、それは歴史叙述を必要とするのか」この問いに、ヘーゲルが答えた個所が、この部分だとわかりました。ヘーゲルが洞察したその関連ですが、ここで述べられています。今回は、以上です。
2023年10月02日
コメント(2)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 C.世界史のあゆみ b.歴史のはじまり(その1)『歴史哲学』序論のC.b.「歴史のはじまり」ですが。「岩波文庫」(長谷川宏訳)ですが、C「歴史のあゆみ」の文節に通し番号をつけました。今回のb.「歴史のはじまり」は、P102の第8節からP112の第18節にあたります。b.「歴史のはじまり」を、3つの論点に区分してみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節からP106の10節まで。二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件についてです。第11節から第15節まで。三、ヘーゲルは、インドとの出会いから何を学んでいるか。第16節からです。今回は、一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか、です。冒頭でヘーゲルは問題提起しています。「一般に、精神の歴史のはじまりを、概念的にどうとらえなければならないか」(第8節、P102)簡単に言えば、歴史のはじまりとは何か?です。他方、「歴史のはじまり」の章のしめくくりですが。「国家があらわれ、形成がはじまったところで、歴史は意味をもつ」-これがヘーゲルの結論です。どうして、「歴史のはじまり=国家」なのか?これが最初の問題です。前提として、当時のドイツですが。ヘーゲルが『歴史哲学』をベルリン大学で講義していたのは、1821-1831年です。1789年には隣国フランスで市民大革命がおきました。『精神現象学』を刊行した1807年には、ドイツはナポレオンとの戦争に大敗しました。国内が何百という諸邦に別れて統一を欠いていた。この状況を改革して統一した国家をつくるが課題としてありました。他方、ナポレオン失脚後のウィーン体制、神聖同盟の反動化の流れが交差していたんですね。1、最初にヘーゲルは、「歴史のはじまり」をしめす二つの認識を取りあげます。一つは、ロックやルソーの「自然状態」の考え方。もう一つは『聖書』の創世記に書かれている歴史のはじまりです。それぞれこの時代に、それまでは、一般的に想定されたり信じられていた疑うことのない認識だったんでしょうね。(第8節) 注目するのは、この二つに対するヘーゲルの批評です。「自然状態」については、それは「仮定にもとづく反省の上に立って、こうした歴史事実があったんではないか、といううすぼんやりした想定されたものにすぎない」。『聖書』の創世記にたいしては、「これこそが歴史的事実であり、信頼するにたるものだと押しつける」、これは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と。(第9節)ずいぶん辛辣な批判だと思いませんか。200年前に帝国大学の総長をも経験する人が、教壇でこんな言葉から講義にはいっていった。おもうに、ここにはカント以来のドイツ古典哲学の批判的精神が、理性以外の何ものにも屈しないとの批判的精神の、ヘーゲルにおける継承が見て取れるんじゃないでしょうか。本人もすごいけど、まわりの人たちもすごいですね。 その上で、次の「二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について」にすすむわけです。2、そこにすすむ前に、ここにヘーゲルが「原注」添えています。岩波文庫の長谷川訳では()にいれてますが。そこでは、当時のフランスの4人の歴史認識を紹介しています。これは当時の歴史の動向を示しているんじゃないでしょうか。①カトリックの正統性を説くラムネ―(1782-1854)、②東洋学者のアベル・レミュザ(1788-1832)、③サン・マルタン(1743-1803)、④フランス外務省の歴史編纂エクシュタイン(1790-1832)の4人ですが。当時のフランスでは社会的に著名な歴史家たちだったんじゃないでしょうか。この当時の時代を大きく見れば、イギリス、スペイン、オランダ、フランスなどは、市場と資源をもとめてアジアに航路をひらいていた。ヘーゲルの時代には、交易の広がりにより、インドや中国について、古代の文献、神話や宗教や歴史に関する紹介や研究が盛んになりだしていたんじゃないでしょうか。『歴史哲学』の本論には、インドの仏教、孔子や老子の思想についても、かなりの認識をもっていたことがわかります。ヘーゲルはこんなことを講義で述べてます。古代のアジアの、インドや中国の知識が紹介されつつあるが、それを知ることの「学問的関心にもとづく大がかりな迂回によって、カトリックの理解(現在と過去の)も深まるはずです」(第9節)。「こうした研究上の興味が、多くの発見を確かにもたらすが、同時に、起源の探究は宗教的真理に直接刃向かうことにもなりかねない。歴史上の事実として前提されていることが、まずはじめに歴史的に実証されなければならなくなるからです。」(第10節)ちょっと別になりますが。日本も対象になってきます。古くはイエス会のザビエル、ケンベルがいますが。ヘーゲルの1820-30年頃というのは、明治維新の35年前の江戸時代の末期です。ドイツ人のシーボルトがオランダの館長として1823年にやってきます。『江戸参府紀行』という見聞録を残しているそうです。(島泰彦著『東洋社会と西欧思想』緒論1941年で紹介)。『大君の都』のオールコック(1809-1897)が来たのは1859年です。西欧もアジアに進出して知りつつありますが、日本も世界に目をひらく目覚めがはじまるわけです。3、このヘーゲルの「原注」を読むと、レーニンの感想がうかびます。レーニンは1914年に『大論理学』や『歴史哲学』を学んでいて、ノートを残しています。その『歴史哲学』を読んでの最後に、次のような二つの感想を書いてます。「一般的に言って、歴史哲学はたいして教えられるところがない。これは当然である。なぜなら、まさにここで、まさにこの領域で、まさにこの学問で、マルクスとエンゲルスは最大の前進を遂げたからである。ここではヘーゲルはもっとも古くなり、そしてもっとも陳腐である。」「注意 もっとも重要なのは序論であり、そこには問題提出に素晴らしいものがたくさんある。」(『哲学ノート』全集第38巻 P283)この前段の感想ですが、ア、その後に急速に、世界各地への認識が広がりつつあった中で、ヘーゲルの「原注」にみられる当時の世界認識は、いたって限られたものでした。その後の広がりからしたら、そのギャップに、そうした感想を持つのもわかります。はじめて世界のあゆみをとらえようとする壮大なヘーゲルの挑戦ですが、新たな発見により陳腐になる側面をいっぱいもっているわけです。イ、しかし、私などは注意が必要だとおもっています。この『哲学ノート』は、1914年の限られた時間に、世界戦争が広がるなかで、レーニンがヘーゲルの諸著作を学んで感じた第一印象なんです。個人的なノートの手記なんです。刊行されるなどとは思ってもみなかったはずです。だから率直な印象なんです。もしも、刊行されるものだとしたら、もっといろいろ検討して、別なヘーゲル紹介になっただろうと思うんです。手記と推敲された刊行物とでは、姿勢が違うんですね。手記を公的なもののように扱ってはならないんです。前年・1913年に刊行した「マルクス主義の三っの源泉と三つの構成部分」では、「エンゲルスの『フォイエルバッハ論』や『空想から科学へ』は、『共産党宣言』とならべて、かならず座右におくべきもの」としています。この二冊は、科学的社会主義の学ぶ上で、ヘーゲルの業績を評価し、その問題点を明らかにしたものじゃないですか。「陳腐」などの印象論を、書くなどということは、絶対にしなかっただろうと思います。ウ、私などが『歴史哲学』序論と第四部「ゲルマン世界」を読んでの感想ですが。ザーッと読んだだところ、本論はここにはチンプンカンプンなところが沢山でてきたんです。何しろわかりにくいヘーゲルの表現なんですが。だけど、じわじわと感じてきたのは、世界史のあゆみを、アジア-ギリシャ・ローマ-ゲルマンの大きな歴史的発展を、その全体をまとめようとのヘーゲルの大作業というのは、素晴らしい挑戦じゃないでしょうか。そして「序論」を読んでいくと、「序論」は本論を読むための手引きなんですね。断言的に書かれているのは、「本論」や「論理学」から引き出された結論で、ここだけで理解できるものではないんですね。そして、そのことを、ヘーゲル自身が序論でアドバイスしてくれていたわけです。たしかに、ヘーゲルには、エンゲルスが指摘している問題があるんでが、しかし、何十年にもわたり、ヘーゲルを検討しつづけたエンゲルスは、「天才」とも敬意を表しているんです。弁証法はもちろんですが、様々な分野で随所にすごい洞察や思想がのこされてるんですね。私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』(第四部ゲルマン世界)を学ぶ機会がありました。これは、これで、すでにブログにて紹介しましたが。一番の感想は、ヘーゲルの『歴史哲学』というのは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』をまとめる上で、その基礎にある著作だということ。ヘーゲルをどの様に学ぶべきか、学び方をアドバイスしてくれているのが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』だということでした。ようするに、エンゲルスの意図は、科学的社会主義の唯物弁証法と唯物論的歴史観とは何か、その過程と内容をあきらかにすることですが。それをつくる基礎、過程において、ヘーゲルがはたしている役割、意義がどういうものだったのか、その今に生きている業績を明らかにしようとした、ということです。そうであるからこそ、レーニンは世界戦争が広がる中で、そんな大変な中でも、ヘーゲルそのものの著作を(『大論理学』「哲学史」「歴史哲学」など)学ぶ必要があった。また、実際にそれをやったんですね。そこには、世界戦争からどのようにしてぬけだすのか、問題だらけの現実ですがそれを変革するためには。そのヒントの一つとしてヘーゲルの学説を探ろうとした。私などはそう思っています。今回は以上です。次回は、「C.(b) 二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について。第11節から第15節まで」です。あと少しです。
2023年09月24日
コメント(0)
『日本共産党百年史』を読む(その3)『日本共産党百年史』を読んでます。今回で、三度目ですが。一、9月17日「赤旗」に志位和夫委員長の記念講演が掲載されました。『百年史』はタブロイド判57ページと、百年の歴史ですから、大部なものじゃないですか。目を通すだけでも、私などはだいぶ時間がかかったんですが。志位委員長の講演は2時間余、共産党のホームページから視聴できるんです。百年の歴史を、その57ページの中身を、2時間余にまとめたこと自体、すごい努力だと思いませんか。しかも、問題点の掘り下げや、独特にまとめていて、新鮮に中身が伝わってくる講演です。百年の全体をとらえる上で、大きなプレゼントだと思います。二、あとは、「第一章日本共産党の創立と戦前の不屈の活動」についてです。前回にも、紹介した感想なんですが。1、日本の封建制社会は、身分制度の歴史でもありましたから、「お上にもの申す」などということは許されなかったんですね。群馬の杉木茂左衛門、郡上一揆などをみても、税が過酷すぎるとお上に意見を述べるだけで、家族や村人までもが連帯責任で処罰されるわけですから。1922年7月に創立された共産党の綱領草案の第一にあった「天皇絶対の専制政治をやめさせ、国民主権の政治をつくる民主主義革命」ですが、今から見ても正しいじゃないですか。問題は、当時の社会にあって、この正しい主張を掲げることがどれだけ困難だったかということですね。いわば、今日のロシアの国内で、ウクライナ侵略戦争反対の主張を掲げることじゃないですか。中国や北朝鮮で民主主義の主張を掲げることじゃないですか。何百年とつづいてきた「お上に盾つくことは、死罪を申し付ける」の歴史のなかでのことじゃないですか。どれだけの勇気と覚悟を必要としたか。戦後の民主憲法のもとに生まれた私などにとっては、言論・思想信条の自由は空気のように当たり前になってますが、80年前までは、まったく違っていたということです。この今日あたりまえな歴史認識に立ったとき、今でも『共産党はなくなった方が良い』などと言ってる政党幹部がいるわけですが。これは共産党の名誉というより、歴史と科学に対する屈辱するものじゃないですかね。公人としての資格なしだと思うんです。2、そうしてみると、明治維新から自由民権運動、大日本帝国憲法、大正デモクラシー等、日本の近代化をめぐって民主主義の流れがあったと思うんです。その民主主義的な社会の流れの中から、社会主義や共産主義、さらに共産党がつくられた。この歴史のなかから、どんな苦難があろうとも、共産党の必要性ということが問題になった。『日本共産党の70年史』などは、その点をかなりリアルに探っていると思うんです。プロレタリア文学運動などの分析もかなりの紹介をしています。何を言いたいかというと、以前の党史には、その時点での焦点や問題、課題があるということです。それぞれの党史が独特に光っている。それぞれの党史もまた大事な中身だと思うんです。それが要約された形で「百年史」にはいっていますが、以前の党史もそれぞれに固有な中身があるということです。ただ、それを全部紹介するとなると、百科全書のようになってしまい、誰も読み通すことは出来なくなります。ましてや、新たな今日的課題に焦点の光を当てれなくなりますから。全体のバランスや焦点となることが明確にされること大事になりますから・・・。きっとそんな模索もあったんじゃないでしょうか。そしてて、今回の『百年史』の形にまとまったんだと想像します。このへんの苦労というのは、8月16,17日付「赤旗」の4者の座談会に、いくつかうかが得れるんですが。三、戦前の日本社会の困難な中でも、共産党が必要とされたこと。これが、今の時代に、戦後世代にとっては、「戦前の日本社会の困難」ということが、なかなかとらえにくいんですが。講釈しても、なかなか理解してもらえないんですが。それを理解させないようになしかけが、戦後80年続けられてきたわけですが。そこに無茶苦茶な発言が、平然としてなされる条件があります。歴史に何を学ぶか、歴史から何を学ぶか。「日本共産党の百年史」は、私たちがそれぞれに体験してきたことに問いかけています。今回は、戦前の第一章でしたが、さらに続きを進めるということです。
2023年09月19日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ a発展の原理『歴史哲学』序論のC「世界史のあゆみ」の章ですが、3つの節からなってます。a「発展の原理」、b「歴史のはじまり」、c「世界史のすすみかた」です。a「発展の原理」は、岩波文庫のP97から102で、Cの各文節に通し番号をつけると第1節から7節です。いたって短い節なんですが、ヘーゲルにとって「発展の原理」というのは、『歴史哲学』の根本的な問題を、弁証法を、提起しているんじゃないでしょうか。一、ヘーゲルが最初の入口にしてるのは、「自然と人間の歴史との変化のちがい」からです。「自然の変化はくりかえしだけど、人間の歴史には自然の変化とは違って発展があるとされる。けれど、あいまいだ。そこには『目的も目標も変化の基準も示されていない』じゃないかと」-こんな問いかけからヘーゲルは考察していきます。(第1節)今日の自然観では、自然にも歴史的発展があることが科学の認識として確認されてます。それでも四季の変化は毎年くりかえすということは、日々のくらしにおいては常識ですね。それぞれある範囲では妥当しているわけです。ここでヘーゲルが強調しようとしていること、客観性ということだと思うんです。「発展の原理は、内的な方向性が前提としてもとから存在し、それがおもてにあらわれるという形をとります」「精神は、外からやってくる偶然のたわむれにひきまわされるようなものではなく、みずから絶対的に方向を決定し、偶然にひきまわされるどころか、偶然を利用し支配するものです」(第2節)。抽象的ですが、個々人の主観的に精神とは区別される客観的なものが基準としてある、この客観的な精神というものを強調してるんじゃないでしょうか。二、次は、『意識と意思』の問題です。自然とは違って、人間にはすべてに『意識と意思』がはたらくけれど、そのことは客観的な発展や法則性をかえるものではない、とのことの強調です。自然にも有機体(植物)の成育には発展があることを認めるヘーゲルですが、自然の発展との違いとして、人間にはすべてに『意識と意思』がある。自然に確認される法則性・必然性ですが、人間の歴史においては各人の好き勝手な『意識と意思』が働きますから、すべては自分勝手のし放題による偶然の絡み合い、ゴチャゴチャにさらされるんじゃないか。そんな現象を、感覚を、私たちは日々体験させられてるんですが。すべては偶然の関係だから、人間には法則などといえるものは認められないように見えるけど。はたしてそうだろうか、これがここでヘーゲルが問題にしていることですね。「意識や意思は、最初は、直接の自然の生命のうちに埋没しているし、その対象や目的も、最初は自然の力としてあらわれます。が、その性質に生命をふきこむものが精神であるとことから、それは無限の要求と力と富をもつものとなり、かくて、精神は自分の内部で自分と対立します。精神の実現を妨害する真の敵は、精神自身であって、精神は自己を克服しなければならない。自然にあっては平穏な産出であった発展が、精神においては、自己にたいするきびしくはてしないたたかいとなります」(第3節)。さらにつづきます。第4節「精神のこのような発展は、自分と対決する、きびしくいらだたしい労働です。しかもそれは、たんに形式的な自己発展というにとどまらず、一定の内容をもった目的の実現です。この目的ははじめから確定されていて、それが精神であり、しかも、自由を本質ないし概念とする精神です。自由な精神こそ歴史の根本的な対象であり、それゆえにまた、発展の指導原理でもあって、それが発展に意味と価値をあたえ」ものだ、と。ここでは、「歴史のあゆみにおける自由の発展」との具体的な中身は、ばくぜんとした示唆にとどまってますが。これは本論での、東洋-ギリシァ・ローマ-ゲルマンと、世界史のあゆみを検討する中から引き出されてくる事柄です。ここでは、これから本論にあたるにあたっての予備的な見解です。ヘーゲルは人間の勝手な恣意や偶然すらもとおして、「世界史のあゆみは自由が発展する」との洞察と確信を述べています。偶然とは、様々な意見が交差しているの中に正しい道理が含まれている。自身の変化のなかにも発展が含まれている。ただそれは、きびしい葛藤をとおして手にすることとなる。大体、そうしたことを念頭に置いておくように、とのことでしょうか。レーニンが『エンゲルスを参照せよ』とコメントしてますが。『フォイエルバッハ論』第四章からです。「社会発展の歴史は、一つの点で、自然のそれとは本質的に異なっていることがわかる。自然においてはまったく意識のない盲目的なもろもろの作用力があって、それらが相互にはたらきかけ合い、これらの相互作用から一般的な法則が生じきたっている。これとは反対に、社会の歴史においては、行動しているものは、すべて意識をそなえ、思慮または情熱をともなって行動し、一定の目的をめざして努力する人間であり、なにごとも意識された企図、意欲された目標なしにはおこらない。しかし、この差異は、これが歴史の研究にとって、どれほど重要であるにしても、歴史のすすみゆきがそれに内的に存する一般法則によって支配されている事実を変更させるものではない。‥‥」(新日本文庫 P69)三、さて、この「発展の原理」の中心問題です。第6節ですが、全文を引用します。「さて、世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます。この段階のこまかな定義は、一般には論理学において、もっと具体的には精神哲学において、しめされます。ここではただ、第一段階は、すでにのべたような、精神が自然のありかたに埋没した状態であり、第二段階は、そこからぬけだして自由を意識した状態である、というだけでよい。この最初の離脱は自然を媒介にして生じたもので、自然との関係を断ちきれず、いまだ自然の要素につきまとわれているがゆえに、不完全で部分的なものです。第三段階は、いまだ特殊な状態にある自由から純粋に普遍的な自由へと上昇し、精神の本質が自己意識および自己感情としてあらわれた状態です。この第三段階が、一般的過程をあらわす基本原理です。各段階の内部にはさらにこまかな形成過程と移行の弁証法があるが、それは本論で見ていくことにします。」(P101 第6節)私なりの解釈ですが。1、「世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます」これは、世界史のあゆみの本論を検討した中からヘーゲルが引き出した結論であり、洞察だと思うんです。私などは、福田静夫先生の「ヘーゲル講座」で、第四部「ゲルマン世界」をよんだんですが、そこにおいて、ヘーゲルは確かに「自由の発展」をとらえて、それを抽象的な形でですが、論証していると思うんですよ。ここは「序論」ですから、へ―ケル自身も言ってるように、本論を読む上での示唆であり、洞察したことの紹介なんですね。ここだけで論証されたり、得心できるといったものではないんですね。では、その「自由の発展」ということですが、そうしたことがどのような人間社会のから生じてくるのか。この問題が、その後の人たちにとって、その根拠を解明することが問われていたし、マルクスやエンゲルスが、唯物論的歴史観だと思うんです。2、「一般には論理学において、もっと具体的には精神哲学において、しめされます」ここには、ヘーゲルのみちびきだした洞察と、課題がしめされていると思うんです。自然と社会、人間精神の一般的な法則としての弁証法ですが、ヘーゲルは、そのヘーゲル体系として残しました。たしかに論理学-弁証法は、一般的には妥当しているんですが、それぞれの分野において、ここでは世界史などその固有の分野の中から、その探究からその一般的なことがらを、妥当な精神をひきださにければならないはずなんですが。ところがヘーゲルですが、当然ながら歴史的な材料が不足していることも原因しているとおもいますが、論理学的な一般性をわくぐみにした、全体の関連を組み立てちゃうんです。まとまったものに仕上げちゃうんです。論理の力で未知数な細部をもまとめ上げちゃうとのヘーゲルの癖がありますね。ヘーゲルの歴史哲学での論理学を指摘する箇所には、弁証法の一般性の問題でけでなく、その認識過程の問題だけでなく、「自由と必然」ということも、個別の具体的な個人の意志がどの様にしたら社会の全体の意思に重なるかなどのもんだいも、こうした大事な問題も考察しています。また、民族精神ということでは、社会的関係における個人は「民族の子」、また歴史のあゆみの関係では「時代の子」でもあるなど、素晴らしい洞察をしているヘーゲルですから、なんともこの基本にある矛盾について、明確にしておく必要があると思うんです。マルクスの25歳のときの『ヘーゲル法哲学批判』ですが、ヘーゲルの国家論においては、事物が論理学への添物になっている。事物の中から、その一般性を引き出すことが必要であり、事実を添物や飾りようにしてはならないとの点を指摘してます。その通りだと思うんですが、この問題ですね。ヘーゲルは抜群の論理的思考をもってますから、それが彼の大きな力の原理なんですが、しかしその原理の中身を正すということとなると、これは大変なことですね。その仕事を、マルクスやエンゲルス、レーニンはやっているわけです。3、ここでの一般的な、三段階の原理についてですが。これが根本原理ですが。その三段階の原理ですが、ここでは世界史のあゆみの法則が問題よりも、万事の根本的原理だということでの指摘です。世界史のあゆみの原理を問題にしてるんですが、そこではきわめて一般的な形での指摘ですね。どのように人間の意識にのぼり、とらえれるか、認識の問題でもありますね。この一般的な原理の指摘ですが、その限りでは、たしかにすばらしい洞察で、妥当していると思うんですよ。これは事物の発展であるとともに、認識の一般的な形、すなわち弁証法ですよね。抽象的で、一般的ですが、しかしすばらしい洞察だと思うんです。しかし、ここでは人間の世界史の発展、法則が問われているところなわけですから、この論理学的な洞察では一般的であり、済まないんです。この一般性と精神哲学(その一つとして歴史)との関連があるのかという問題です。「自由の発展」という一般性が、具体的にどのような関連にあるのかが問題かと思います。歴史観の問題ですね。ヘーゲルにとっては、それは本論の具体的な中で探られているところであり、ここでは「序論」としてのアドバイスであり、そうした一般性があるんだよ、との示唆に限定されてるわけで、断片的で抽象的にしか述べられてないんですが。しかし、ここには、歴史あゆみについて、具体的な法則を探るという基本的な課題がありますね。4、したがって、ここでの課題ですが。ヘーゲルが、世界史は自由の発展であるとしたことの、現実的な根拠はどこにあるか。世界史的人物の動機、それを要請する力はなにか。ここが、ヘーゲルが1831年に宿題としてのこした課題です。ここからマルクスやエンゲルスの、1840年代の探究がはじまった。『ヘーゲル法哲学批判』『経済学哲学手稿』から『ドイツ・イデオロギー』があった。それらはどれも草稿として、当時は人の目にはふれられなかった。そこにエンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)の努力があったんですね。それは唯物史観、探究の方法ということですが。わたしなどが、ヘーゲルを学習してさぐってきたんですが、問題のまわりをまわってるでけで、何が問題なのかわからずに、いつもモヤモヤのうちに体力、集中力が途切れてしまっていたんですが。そこにある問題とはなんなのか、マルクスとエンゲルスは、そこにある問題を、正面から問題として受けとめてますね。それを解いたのが唯物論的歴史観だったわけです。そのことは、私たちに、その歴史観を今日的に生かすとすれば、まずは、ヘーゲルとマルクスの歴史観をしっかりつかむことですが。その上で、その見地からしたら、それは、今に生きる人にどの様な課題が提起しているのか、この問題が出てきますが。人は、それぞれに、持ち場や、役割、責任がありますから、それぞれの形で、生かしていくことになるわけですが。しかし、それは問題の広がりすぎですね。ここでの主題は、あくまでヘーゲル『歴史哲学』序論についての学習です。あと残りはもう少しです。とにかく、なんとか終わりまで学習するということです。
2023年09月10日
コメント(0)
「日本共産党の百年」を読んでます7月31日付のブログでしたが、「百年史」をとにかく通読して、その感想を発信しました。その時は、このタブロイド判57ページを、はやく通読すること自体が大事だったんです。その時の感想ですが。同じ「日本共産党史」でも、45年史、50年史、70年史、80年史、そして今回の100年史とありますが、それぞれには、それがまとめられた時の動機が、その歴史状況が、あります。その一つ一つは、たんにその後の何年かの歴史をくわえたことだけでなく、その時々の客観的な状況の下で、主体的に置かれた条件から出てくる課題というか、特徴というか、個性がありますね。もしもそうだとすると、では「今回の「百年史」の個性とは何なのか?」そんなことを考えながら、とにかく急ぎ通読しよう。そして第一印象の新鮮なうちに、とにもかくにも私なりに紹介しよう。それが、前回・7月31日の発信でした。まぁ、人はそれぞれの認識をもって、ものごと(同じ対象)を見るじゃないですか。それぞれの感想をいだくじゃないですか。そして、同じ人でも、第一印象もあれば、さらに読むときの条件によって、同じものでも異なった側面が見えてくるものです。一度に絶対的な認識を得るなどということはないんですね。認識の過程です。今回の二回目の感想ですが、そうしたわけで、前回の「まず読むことが第一」とは違っています。一つは、8月16日、17日付「赤旗」に「百年史」をめぐっての4人の座談会が掲載されました。これが、ひとり壁に向かって読んできた私などにとっては、いろいろ参考になりました。このなかに、二人の編纂者がいて、作成するにあたって、どの様な工夫をしたかを語ってます。たとえば、全体として歴史に見られる弁証法を明らかにしようとしたこと、読みやすくするため、各章の冒頭に総論というか、リードというか、テーマを置いたこと、また、構成というか歴史の総括についても、戦前史では3つ(1.誕生、2.登場、3.次の準備)の形でまとめたとか、「百年史」を読みやすく、中身をリアルにするために、新たな努力が紹介されてます。また、二人の若い方が、それを読んでとらえたフレッシュな感性が紹介されてます。なかなかこの座談会は、「百年史」の理解を深める上で、参考になると思うんですよ。二つ、私などは、それぞれの党史に個性があるのを感じてるんですが。そこには、日本の近代史のあゆみのなかから、どの様な必然性をもって、不屈な共産党がつくられてきたのか。いくら党だからといっても、一人ひとりは不十分な人間の集団です。日本の国家権力の弾圧ですが、治安維持法がしめしてますが、過酷な犠牲をともないました。それにもかかわらず、どうしてその中で頑張れたのか。そうした葛藤が刻まれた戦前の歴史でもあります。その点で、誕生と戦前の試練もそうですが、それが戦後も50年問題などの試練があるじゃないですか。私などが直接に知るようになったのは、1969年以降ですが。そこでも時代のすすむなかで、『70年史』や『自由と民主主義の宣言』などは、近代史の民主主義的な客観的なあゆみのなかから、共産党が生まれざるを得なかった必然性を解明しようと努力してるじゃないですか。その点に注目している次第です。その構成要素ですが、哲学、文学、経済、政治と、党建設論と、個別の政治と社会との関係の問題があるでしょう。以前の党史には、たとえば、戦前のプロレタリア文学がつくりだした理論的成果の紹介が詳しく紹介されてたんです。それが消えちゃった。というかコンパクトになっちゃっていて、じつにもったいないなぁと感じたんです。しかし考えてみれば、それ等の成果のまとめは素晴らしいんですが、だからといってそれをそのまま再録するようなことをしたら、新たな「党史」はじつに膨大なものとなり、この忙しい時代に誰も読み通すことの出来ないような、グロテスクな日本共産党史になっちゃうじゃないですか。それを考えると、そのものを再録することは不可能です。「では、そうしたこれまでの成果が、この『百年史』にどのように生かされているか」-これが私などのが注目した一つの点だったんです。今回、そこを比較した結果、今回の『百年史』は、その点でも、一生懸命な努力があったことが伝わってきます。これまでの党史のもっていた成果を、その大事な点はエッセンスにして紹介しようと努力しているのを感じました。もちろん、まとめることは、元になる資料をそのまま生かすわけにはいきません、簡潔な形で要約するしかないんですが。もとの土台は厳然としてあるわけですから、以前の成果が、どの様に、どれだけ生かされているのか。そこに注目したんです。どの問題は、どの党史が歴史的に中心主題としていたか。その場では必死な格闘・努力が行われています。しかし、それは歴史としてまとめられ、落ち着いた形に刻まれるようになるんですね。ということは、過去の党史ですが、それは歴史的な努力として、今をつくっている歴史的な成果として、残っているということですね。その歴史を、今日から見たらどうか、どの様なとのかたちになってるかですね。そうしてみると、今日というものが、より包括的にひろく、根本を要約しているものに、実際にそうなっているかどうかは、よく読んだうえで得られるかどうかの評価ですが。とにかく、そうした歩みというものの積み重ねの性格をもっていること、今において怠りなく努力を重ねていることについては、確かさを感じさせられました。三つ、さて、これをどう学習するか、ですが。出来うれば、複数の人たちで学習・討議することが大事だと思うんです。私などは、これまでそうした条件はなく、達磨大師じゃないけど、ひとり壁に向かうようなことだったんですが。今回は、少し違うんです。学習会の仲間が出来たんです。だから、次のような紹介が出来るんです。以下は、あくまでも、私などの場合の学習の、一つの試みの例です。「百年史」の集団学習のいざないですね。あれこれ忙しい社会生活の中で、一回の集団学習というのは、それにとれる時間は、私たちなどの場合はせいぜい1時間くらいなんです。ここに紹介するのは、一つの方法であり、一つの形でして、これが絶対的なものではけっしてないんですが。1、まず、全5章について、各章を担当するチューターを決めてます。そのチューターは15分くらいの持ち時間で、その受け持ちの範囲の中で、一番重要と感じた点を紹介してもらいます。もちろん、1章分を15分で紹介しろなんてことは、たいへん難しいことなんです。なんたって何十年かの歴史ですから、内包性がありますし、時間的・空間的・テーマにしても無限な広がりがありますから。でも、難しさは承知の上で、話題提供として、頑張ってもらってます。2、次に、参加している人もそれぞれに、一言ずつ自分の感想と、チューターの報告に対する感想などを話してもらう。人には、それぞれの個性が、自分が歩んできた独特の宝がありますから、異なった問題が、同じ問題でも異なった側面がだされます。人それぞれに貴重で多彩な値千金の意見が出てきます。そこが面白いところですね。3、ひと通りの人たちから意見や感想がだされると、自ずから大事な点が、浮き上がってくるようにおもいます。個々人の考えを一致させようとするものではありませんから、あくまで、参加者での学習・討議により、深め合うということです。最終的には個々人の独習に委ねられているわけですが、それに対する積極的な刺激になるんですね。それぞれの人たちにおいて、問題の理解や認識を深めていくここことが眼目ですから、それで十分なことかと思います。人には人の乳酸菌です。以上は、今のところ、私などの仮説でして。しかし、もしこれがうまく予定どおりにゆくならば、5回で『百年史』をいちおう学習できるということです。しかし予定はあくまで予定でして、そうすんなりと簡単にはいかないと思いますが。それでも、この面白いテーマを、集団的な刺激の中で学習しうるということは、興味の尽きない問題が、個人が一人で読んでるだけでは、逆立ちしたとしても見つからないような問題が、たくさん出てくると思いますよ。さて結果はどうなるか、後日、また紹介できるかもしれませんが、お楽しみに。それより、それぞれで挑戦した方が、面白いと思いますが、出来うれば、可能なところで、ご紹介をお願いします。以上、私などが『日本共産党の百年』史をどのように読んでいるか、その2回目の紹介発信です。
2023年09月08日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論 ヘーゲルの国家論ヘーゲルの『歴史哲学』序論を学習しています。今回は、B「歴史の理念」、(c)「自由の実現体としての国家」です。岩波文庫の長谷川宏訳で読んでますが、B「理念」に通し番号をつけると、(c)は、第42節・P71から第75節・P96ですが、全体は34節あります。この節の主題ですが、「世界史(『歴史哲学』)の対象を定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ」(第45節・P74)ヘーゲルは、ここで国家論を展開しているわけです。但し、注意しています。「国家論のくわしい展開は『法の哲学』の仕事で」あり、ここでは世界史のあゆみにおける国家の問題だと。実際、『法の哲学』第三部倫理には、第三章「国家」(第257節から第360節)があります。一、国家論を扱うということの、その危険な性格を見ておく必要があると思うんです。ヘーゲルが『法の哲学』や『歴史哲学』を講義していたのは、1821年から1831年のころです。国家論というのは、国家がいまある姿や、そのあるべき姿を探ることじゃないですか。これは、当局者の逆鱗にも触れかねなくて。民主主義的な制度がないと、すなわち言論や学問研究の自由がないと、すべては危険なんです。日本で見れば、1821年は江戸時代でしょう。当時は、お上のあり方に対してもの申すなどということは、まったくの命がけの危険であり、たとえ過酷な税への意見でも、お上に意見するなどということは、その家族もろとも死刑となることを覚悟しなければ出来なかったわけです。時代が変わって、近代とされる明治の1868年以降でも、建て前は「万機公論にけすべし」とうたわれましたが、現実は「大逆事件」の死刑処分、天皇機関説がたどった焚書の事態、さらには戦時体制とともに治安維持法による、政治・社会団体への徹底した取り締まりです。個人の日記の記載までもが追求されたわけですから単純じゃありません。結局、日本で民主主義的制度が出来たのは1945年の敗戦の以後ですよ。今から70年前余前の転換です。日本の民主主義は、その歴史が浅いんです。だから、戦前の自然があちこちで顔を出してくるんです。「上からの」民主的改革だったと言われるのも、そうした事態を見れば、分かりますよね。しかし、最終的にそんなごまかしに負ける国民ではないと思ってます。ヘーゲルの立ち位置も似てると思います。1821-31年のプロイセン王国の、ベルリン帝国大学教授のヘーゲルの立場だったんですから。時は違いますが、日本の敗戦後の民主的改革と似ているんじゃないですか。対ナポレオン戦争に敗れて、シュタイン・ハルテンベルグの民主的改革。それまで後進的だったドイツを、世界の一級の国に改革しようとする国民的な機運があったんじゃないでしょうか。しかし、ほどなく1840年代ともなると、反動的な専制君主制に全体が変わっていく。ヘーゲルもその公務員の一員であるわけです。だけどその死は1831年ですから、改革と反動の兆しが交差する頃で、そこでの葛藤が伝わってくるように思います。二、ヘーゲルにとって「国家の本質」とは何か、国家論の問題です。第42節で国家が初めてでてくる、いわば導入です。そして第43節、第44節、第45節において、その中身を展開しています。① まず導入です-国家の登場と、最初の「国家とは何か」の規定です。「歴史で考察されるのは、偉大な世界史的情熱に突き動かされた主観的な意図が、どの様に現実の真理に合致した目的をもつかということだ」。同時に、人というのは社会的な存在であり、「共同体の本質にかかわる動きをし、主観的な意思は共同体を自分の生きる目的ともしている。主観的な意思と理性的な意思との統一したもののことで、ここに共同体としてのまとまり-国家-が登場します。」「国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です」(第42節・P72)これは慎重に考慮された規定だと思いませんか。誰であってもそれを否定しかねるような、そうしたヘーゲルの国家論の規定だと思います。② また言ってます。「世界史においては、国家を形成した民族しか問題にならない。国家こそが絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は国家をとおしてしか与えられないから。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形ある存在として目の前にあることです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神とが統一されることであり、公共の精神とは、普遍性かつ理性的な国家の法律のうちに表現それる」「国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたものです」(第44節・P73)。③ ここで冒頭に紹介した規定が、結論として出てくるわけです。「かくて、世界史の対象を明確に規定すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる」(第45節・P74)どうしてここに、いろいろ長きにわたって、ヘーゲルの国家論の規定を紹介したか、その問題です。一つは、ヘーゲルの説明の配慮のほどです。どの様な立場にあった人であっても、これは否定しがたい「論理学」的な、説明内容だと思いませんか。ここには、ベルリン帝国大学の総長にも推されたヘーゲルの公的な立場の人なんですが。それにもかわらず、妥協のないドイツの批判精神が、ここにはっきりちりばめられていることを感じさせられた次第だからです。二つに、私などは、最近まで「国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたものです」のくだりに反発したんです。これは観念論の象徴的な言葉じゃないかと。専制国家を合理化しかねないんじゃないかと。今はちょっと違うんです。ヘーゲルにとって「神」というのは、いわば啓蒙思想家のいう「理性」の結晶の様なものなんです。人の道理に重なる合理的な存在を言っていると私などはとらえています。専制国家を弁護してるわけでもないし、宗教論でも、人の外部にあっての絶対的な権威的な存在を妄信させようとしているわけでもない、ということです。私はここに、ヘーゲルの苦労があったと思うんです。ヘーゲルの最新の知識を集めようとする努力はすごいんです。だけど当時の人たちにとっては事実材料は限られていた。その空白なところを、弁証法の『論理学』的道理によって論証しようとするヘーゲルの特有の癖があったこと。弁証法に確信を持つヘーゲルは、「論理学」的一般によって、これはこれで大事なんですが、しかし材料の不足を、その一般論により言いつくろうとするような苦労があったと思うんです。そして、その点こそが問題だったんですね。それらの事柄を察すると、これまで私などには、「観念論だからダメだ」といった切りすてる発想、それを裏返すと「唯物論こそ正しい」との、機械的な固定観念があったと反省してるんですね。大事なことは、誰か権威者のコメントを引き写すんじゃなくて、ヘーゲルそのものにあたれ。それらの根拠となっいることがらの是非を、自分自身でしっかりと探れということだったんですね。レーニンの『哲学ノート』ですが、そこにはヘーゲルの学習記録が残されています。世界大戦の広がる最中の、たいへんな渦中にも関わらず、そうした学習努力をしていた。素晴らしい記録じゃないですか。三、さて、ヘーゲルが、ここで考察している国家論ですが、全34節の各論を一つ一つを追跡することは、不可能なんです。しかし、その中のいくつかをあげさせていただきます。1、ルソーなどに対する意見でもあると思うんですが、第49節から第52節です。「自由は直接に存在するものではなく、訓練や過程をへて獲得されるものだ」(第49節)社会正義が法律の形をとることに反対する家父長制の見解にたいする批判です。これは法治主義、法の前の平等を否定する見地、客観的なルールを否定して恣意の勝手を許す見地への批判ですね。これって、フランス革命がつくりだした歴史的な進歩を強調していること、プロイセンの後進性にたいする改革方向をさし示しているんですね。2、国家のあり方を、君主制-寡頭制(貴族制)-民主制の、3つに区別する理論に対して。第56節から第59節です。区分というのは歴史的な過程をしめしているということ。そこから、「一国の政治体制は自由に選択できるものではない、世界史のなかではあらかじる決まっている」と主張していますが。これは歴史へのすごい洞察だと思うんですよ。3つの政治体制の区別ですが、それは歴史的な客観的な必然的な発展をしめしている、と。それは、一人の自由-一部の人にとっての自由-万民にとっての自由と。そこには、必然的な客観的な歩みがある、と。(第58節-第59節)そのヘーゲルの歴史の発展への根拠は、論理学的な抽象性なものなんですが、しかしそれでもそれは「歴史は自由の発展である」とことを、実際の側面を洞察しているわけです。このことは、ヘーゲルが歴史的な大きな発展をとらえていたと思いませんか。問題は、その根拠はなんなのか、となりますが。「自由の発展」とは何か、その確かな根拠を探れということを、『歴史哲学』は問題提起していると思いませんか。3、国家は歴史的に発展していく。その発展は原理のちがいとしてあらわれる、と。第61節「国家は歴史状況の変化の中で変わっていく」、第62節「古代と近代とでは、類似的な面はあっても、基本的に政治原理は共通ではない」。4、概念としての自由は、主観的な意思や恣意を原理とするんじゃなくて、万人の意思の洞察を原理とする。第63節から第66節。宗教・芸術・哲学と国家との関連で、国家がそれらの基礎にあり、中心であると。第66節「宗教・芸術・哲学の3つの形態は、国家を土台としてつくられている。5、民族精神国家のあらゆることをまとめる民族精神、その中心に宗教がある。第67節。宗教と国家との関係、第68節-第71節。四、さて、ヘーゲルによる「世界史における国家論」、このまとめがされてます。「国家について、これまで述べてきたことをまとめる」(第72節・P94)それは、第72節、第73節、第74節、この3つの節です。1、「国家の生命力は、個人からすると共同の精神です。国家の法律や機構、その自然や歴史です。そのいっさいは国民の所有物であるとともに、国民はこのいっさいに所有されている。この精神的全体は、一つのまとまりをなしていて、それが「民族精神」です。国民は民族精神のもとに生きるのであって、それぞれの個人は「民族の子」です。同時に、国家が発展していく限りで「時代の子」です。時代にとり残される人もいなければ、時代を飛びこえる人もいません。」(第72節・P94)2、「民族精神は輪郭のはっきりしたものであり、民族の歴史的発展段階を明確にしめすものです。民族の意識が、宗教、芸術、学問、といったさまざまな形態をとるなかで、民族精神はその基本的内容をなしている。精神は自己を意識するとき、自己を対象化せざるをえず、この客観性はさまざまな形をうみだし、客観的精神のさまざまな領域-宗教、芸術、哲学-をつくる。その一方、その魂は一つにまとまる。このような実体と内容、対象は、根源的には此岸にあるものだから、とらえられた形態は、国家の精神と統一される。(第73節・P94-95)3、「特定の民族精神は、世界史のあゆみのなかでは一つの個体にすぎない。世界史とは、精神の神々しい絶対の過程を、最高の形態において表現するものであり、精神は一つ一つの段階を経ていくなかで、真理と自己意識を獲得していくものだ。各段階には、それぞれに世界史上の民族精神の形態に対応し、そこには民族の共同生活、国家体制、芸術、宗教、学問のあり方がしめされる。一つ一つの段階を実現していくことが世界精神のたえざる衝動であり、抗しがたい要求です。」(第74節・P95-96)以上の3点が、ヘーゲル自身による、この国家論のまとめです。五、私などの感想ですが。1つ、「民族の子」というのは、宗教・芸術・哲学などの社会的諸関係の意識を集約したところの、個体的な精神意識でしょうし、それは一つの塊として世界史のあゆみのなかで発展していく、その時代ならではの「時代の子」ということでしょう。ようするに、精神の対象化としての自然・社会との点を保留すれば、ことがらの関係というのは、ヘーゲルとマルクスは同じ事柄を言っているということだと思います。2つ、ヘーゲルの事実材料がまったく不足していた。ヘーゲルが努力した事実を追求入る努力というのは、すごいと思うんですよ。世界史のあゆみを、かくも追跡しているのは、他の人ではなかなかいないと思うんですよ、それは一人の人の努力としては、とても無理なことと思います。それは大きな時代の制約からしてやむを得ませんね。でもヘーゲルは挑戦したんですね。自ずから、「論理学」的な原理をてこにして、関係を取り繕うといった仕方を進めるというのは、いわゆる「逆立ち」の関係との問題をきたしていますが。3、ヘーゲルは、その「論理学」的な態度によって、この危険な国家論を、学問の遡上に乗せたという点で、素晴らしい業績をはたしたと思います。そしてマルクスですが、1843年末-44年1月に書かれたこの評言ですが、これもまた、ズバリ的を得ている批評と思います。「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学にたいする批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面また、ドイツの政治的および法的意識の従来の在り方全体の決定的否定でもある。そしてこのドイツの政治的および法的意識のもっとも高邁な、もっとも普遍的な、学にまで高められた表現こそ、まさに思弁的法哲学にほかならない」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)4、日本の今日、この社会状況にとっては、ここで問題とされていることは、参考になると思います。同じような問題に直面しているのではないでしょうか。マラソンランナーでいえばグランドの何周の遅れかは知りませんが、もし、そうだとすれば、ヘーゲルからすると200年の遅れですね。今という事柄をしっかりとつかんで、これを先人の苦労に学びつつ、しっかりと乗り越えていくこと。それが、今、私たちに求められているということじゃないでしょうか。
2023年09月01日
コメント(5)
唯物論的歴史観の一断章私などはヘーゲルの『歴史哲学講義』序論を学習しているんですが、その眼目は、ヘーゲルの「歴史哲学」と唯物史観との関係です。そこにはどのような努力があったか、どの様な発展があったのか、です。この学習をしていて、いくつか気づいたことがあり、今回はその二点を紹介します。一、国家論の歴史についてヘーゲルの「歴史哲学」というのは、世界史のあゆみですが。その主題は、国家論ですよね。「世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる」(『歴史哲学講義』岩波文庫 P74)国家論というのは、その歴史をみると危険な側面をもっています。ヘーゲルがこれを講義していたのは、プロイセン王国のベルリン大学です。『法の哲学』(講義要綱)を刊行し、そこで国家論を説き、その最終章が「世界史」でした。これと並行して、「歴史哲学」の講義もしていたんですね。それは1821年ですから、今から200年前のこと。他方、私たちの日本では1868年が明治維新ですから、当時というのは江戸時代のことです。その時代、「お上」に逆らうことはもちろん、「お上」(国家論)を研究するなどということは出来ません。明治の時代、近代日本になってからでも、自由民権運動などの国民運動もあり、1889年には大日本帝国憲法ができましたが、国家主権の問題では、「天皇機関説」の事態をみても、絶対主義と立憲君主制との対立がうかがえます。結局、立憲君主制説は、国賊・非国民と見なされ追放されました。1945年10月までは、特に戦時体制の20年余は、治安維持法により特別高等警察により、「お前は天皇にたてつくのか」として、そこしでも文句を言えば国賊・犯罪者として取り締まりの対象とされたわけです。「唯物論研究会」などの苦闘をみればそうした現実がうかがえます。ようするに戦前の社会は、哲学をはじめとする学術、メディア、政治、社会全般が、自由に国家論を研究・議論するような条件が、日本には公然としてはまったくなかったわけです。「まったく」というのは言いすぎで、根本的な批判の自由がなく、そこでの言論・研究には規制がしかれていたということ。政治、政党もまた同様で、日本共産党も、1922年に結成されたものの、自由な活動の条件はなかったということです。民主的批判者は、当時の国家権力の取り締まりのなかで、非公然のかくれての活動を余儀なくされたということです。それはたんに共産党だけの問題でなく、民主主義を求めてきた脈々とした広範な流れが、すべて取り締まられた。その中心として共産党が取り締まられたという時代でした。しかしそれは、戦後改革と「日本国憲法」によって、変えられました。そうしたあり方は、歴史にはられたクモの巣のようなものとして取り払われました。否定されていたものが、歴史的には正しかったわけです。以来、今日まで、日本国民は民主的権利と制度、人権を持っているわけです。「もっている」というのは正確じゃありませんね。基本権としては持っているけれど、その内実がどうかは、戦後70年余、脈々として、その中身をめぐって内実を獲得しようとする努力がつづけているということです。既得の完成されものではなく、現在進行形だということです。くりかえしますが、その権利は、誰に対しても、何に対しても、自由なまともな検討が、文句などは言われずに出来るわけです。しかしその自由の権利を国民が手にしたのは、たかだか70年余前のことなんですね。それ以前には、まったく別の社会が存在していたということです。戦後生まれの私などは、いつの世も今のように民主的であったかのような、自然のようなものとして錯覚をするんですが、しかし、そうではなかったということです。社会に明確な変化があったということ。先人の苦闘が、今の条件をつくりだしたということです。その上に今の私たちがあるということです。しかしまた、そうした歴史のあゆみをわきまえない公人も、いまだもって日本のなかにはいる。そんなトンチンカンも存在しているということです。権利というのは、たたかってこそ、自分たちのものになるし、広げれるということです。安住していると、トンチンカンにひっかき回され、悪くすると覆されるということです。綱引きの最中にある現在です。そうした日本の歴史と比較すれば、200年も前にドイツでは、すでに国家論が展開されていた。1821年のプロイセン王国のベルリン大学で、ヘーゲルが『法の哲学』、『歴史哲学講義』を講義していたんですから。ヨーロッパと日本の歴史のちがい、隔世の感があるのを感じさせられますね。当時のドイツの場合には、隣国のフランス革命の成果・影響もあるでしょうし、ナポレオン戦争に敗れてのシュタイン・ハルデンベルグの戦後改革の機運といった、当時の社会条件というものもあったのかもしれません。それは日本でも経験したような戦後改革のような社会情勢だったかもしれません。しかし同時に、ヘーゲルだって、帝国大学の教授ですから、その総長も務めた人ですから、それなりにプロイセン王国へ配慮していることが、その行間からは伝わってきます。常識的な立場があるわけです。だけど、その学問にはカント以来の伝統というか、何ものにも遠慮しない批判的な精神と、そうした内容ももっているわけです。その精神はヘーゲルの『歴史哲学』からも伝わってきます。その支配層に対し配慮するとともに、ち密に配慮された言葉と道理ある論理をつくした論証力ということを、批判的精神というものを、その両方をあわせもって、その国家論は展開されていると思います。マルクスなどは、その国家論をふくむ歴史社会の批判的研究をしているんですが。それは、当時のプロイセン国内では出来なかった。取り締まりの対象とされていた。だからフランスやイギリスに亡命して研究・発言せざるを得なかったわけです。それはロシアのレーニンだって同じです。ロシア帝国の追及を逃れて、亡命したスイスなどの外国で国家論の準備や政治活動をおこなわざるをえなかったわけです。さかのぼれば、古代ギリシァでは、プラトンやアリストテレスは、いったいどの様な条件の下で、その国家論は、研究され、発表されたんでしょうかね。とにかく、今の世界では、その多くは、学術の自由、学問・研究の自由、政治的自由、この民主的な制度・権利ということですがみとめられている。国連をはじめ、当たり前な世界の諸国民の権利、人権となっているとおもいますが、大変な苦労の中から勝ちとられたものなんですね。だけど、それはやはり世界を見れば、まだ発展の途上にあるということです。それを陰に陽に否定する見地も世界のあちこちにあるわけです。国家論を自由に議論するには、政治権力にメスを入れるということは、民主主義的権利が、民主的制度が確立していることが欠かせないということです。二、エンゲルスのヘーゲル観の発展をしめしている?二十歳の青年に対して、唯物史観の学習法について、エンゲルスは長文の丁寧な手紙を書いています。『全集』第37巻1890年9月21日付の手紙ですが。「『反デューリング論』と『フォイエルバッハ論』で、このなかで私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な史的唯物論の説明をしておきました」(P403)この長文の手紙には、この二冊によせているエンゲルスの重要な位置づけと、唯物史観の理解についてその注意点が書かれてます。この手紙と二つの著作の、そのものを読んでいただくことをお勧めするわけですが。一点だけ、エンゲルスのヘーゲル観について、私などが気がついた点ですが。それが妥当かどうかは、知りませんが。二つの著作からエンゲルスのヘーゲル観を紹介します。『空想から科学へ』第2章(『反デューリング論』1878年)「ヘーゲルは観念論者だった。彼にとっては、頭脳のなかの思想は現実の事物や過程の抽象的な模写とは考えずに、逆に、事物やその発展がすでに世界よりも前からどこかに存在している「理念(イデー)」の現実化された模写でしかないと考えていた。こうして、すべてのものが逆立ちさせられ、世界の現実の関連は、まったくひっくり返されていた。だから、個々の関連ではヘーゲルによって正しく天才的にとらえられていたものも多かったとはいえ、その理由により、細部の点では多くの事柄が、つぎはぎされ、作為され、こしらえられ、ようするに歪められる結果とならざるを得なかった。」『フォイエルバッハ論』第一章(1888年)「ヘーゲルははっきりした形では述べていない。彼の考え方から出てくる帰結を、彼自身ではそれをけっして、明確には引き出さなかった。そのわけは、彼が一つの体系をつくることにせまられていたから。それはなんらかの絶対的真理で完結しなければならなかったから。」「ヘーゲルは創造的な天才だったし、博学の人だったから、あらゆる領域で画期的な仕事をした。この場合、彼は「体系」が必要とするために、しばしばあの無理な組みたてに逃げ場を求めなければならなかった。しかし、こうした組み立ては彼の仕事のワクであり、足場にすぎない。もしも人々がここにとどまるような無益なことにかかわらずに、この巨人な建物のなかにもっと奥深くはいっていくなら、今日でもなお十分価値のある無数の宝を見いだすであろう。」私はこの二つは、同じことを言っていると思うんです。前者では、ヘーゲルの功績を述べつつ、問題点がどこにあるのか、を述べています。後者では、逆に、問題点がどこにあるのかをはじめに指摘しつつも、その功績がどの様にあるのか、を述べていると思うんです。ここには、ヘーゲルを評価するのに同じことでも、この10年間に、よりヘーゲルの業績を客観的に評価しようとする姿勢に、変わってきている。ここには、草稿集『自然の弁証法』にも記録されてますが、エンゲルスが自然科学の研究とともに、難解なヘーゲルの著作をよりち密に検討し、その業績を全体的に評価しようとしている、その努力の進展結果が反映していると、私などは感じてるんですが、如何でしょうか。人間の認識というのは努力の過程です。同じ単一なことのくりかえしじゃないんです。かのエンゲルスにしても、1つのヘーゲル観についても、そこには認識の基本は同じでも、その視野には広がり・進展があると感じています。それはエンゲルスの努力の成果なんですね。エンゲルスにとっては、前の時には、マルクスと相談しつつまとめていった。『ヘーゲル法哲学批判』をみても、それはいち早くマルクスが開拓していた。しかし、そのマルクスはもうこの世にはいない。エンゲルスは、単独で責任を負っている。ことはマルクスの業績(唯物弁証法と史的唯物論の発見・確立)のことでもあり、ヘーゲルの問題点とともに業績の評価という点においても、ベストを尽くしたんですね。ひとはこれを勝手な憶測とみるかもしれませんが、私などは『歴史哲学』序論を読んでいて、感じてくることがらです。ヘーゲルの国家論において果たした役割、そして、そのヘーゲルを評価するエンゲルスの見解にも、認識の発展があるということです。
2023年08月18日
コメント(4)
エンゲルスにとっての『歴史哲学講義』レーニンは、『哲学ノート』で『歴史哲学講義』序論を読むなかで、エンゲルスを思い浮かべてました。どこで、どうしてエンゲルスが浮かんできたのか、この点に関係してくると思います。一、エンゲルスのヘーゲルとの関わりですが、私などの理解では、大きくは三段階があるんじゃないでしょうか。第一段階は、初期のエンゲルスで、マルクスとともに唯物弁証法と唯物史観を確立した頃です。刊行されませんでしたが共作の『ドイツ・イデオロギー』などが、その時のものです。この理論の理解が、基礎問題として問われるところですが。1840年代の当時は社会的激動期でしたから、事態にどう対処すべきかが、問われました。その理論の原理がどうのこうのと議論しているような暇はなかったんですね。目前の、当時の民主主義革命の問題にどう対処したらよいのか、それが問われていたわけです。その実践的な主導性と検証が、『共産党宣言』であり、「新ライン新聞」だったわけです。第二段階は、その基本的な理論は明確なんですが、それを事実の研究によって、より明確な理論に形づくらなければならない段階です。唯物弁証法と唯物史観の基礎理論にもとづいて、広く人間と自然の領域の研究をしてゆく段階です。それというのは瞬間的な悟りじゃすまないわけです。しっかりした諸科学の領域での事実研究が必要なんです。経済学の一つをとっても、それがどれだけの努力が必要かは、マルクスの『資本論』がしめしています。だいたい、諸科学の事実的な素材といっても、ヘーゲルの『論理学』にしても、ダーウィンの『種の起源』にしても、その一冊を読むだけでもたいへんなものじゃないですか。しかし、それらに払われた努力なんて、実際のごくほんの一部なわけです。新たな自然観・社会観を概念的に形づくるには、それなりのじつにおおきな基礎的な研究努力が要請されていたわけです。彼らはやってますね。マルクスにとっては、その「序言」と『経済学批判』(1859年)が、その途中の努力をしめしています。エンゲルスはマルクスと分担しつつ、固有の分野で努力しています。1858年7月14日付のマルクスあての手紙(ME全集の第29巻)ですが、その努力の過程にあっての様子を交換し合っていたことが記録されています。「この30年間に、自然科学の中でおこなわれた進歩について、人はなんの概念も持っていない」として、経済学に集中しているマルクスに、自然科学の当時の発展を紹介しています。なによりも、この時期のエンゲルスの努力の全体をしめすものとして『自然の弁証法』があります。これは刊行されずに草稿集として残されていたものですが、その努力の全体的な様子をしめしています。最近のことですが、1999年の「新メガ版」『自然の弁証法』の刊行(新日本出版社)されました。これによって、これまでのME全集版はその一部分であったこと、これにより実際の詳細な姿がうかがえるようになっているわけです。それによると、エンゲルスは、1858年7月には既に開始し、それから70年代、少なくとも1883年まで、自然と弁証法を研究しつづけてきた。これらの面々と続けられた努力の蓄積があったんですね。第三段階ですが。マルクスが1883年に死去して、それ以降のエンゲルスの努力です。『フォイエルバッハ論』もこの時期の代表作です。親友のマルクスはあの世に行っちゃった。残されたエンゲルスの肩に託されたことはなんだったのか。エンゲルスは、マルクスの遺稿集に目を通すことで、『資本論』の続きをまとめる作業がまずあるわけですが。この時期の全体としては、諸国の労働運動へのアドバイスを果たすとともに、諸著作でマルクスの業績、それぞれの著作の意義について解明しています。その中の大事なテーマの一つとして、草稿『ドイツ・イデオロギー』があった。唯物弁証法と唯物史観の確立過程です、これを簡潔にまとめることが必要だった。これは、その渦中にあった第一段階では果たせていない。第二段階では時として『反デューリング論』の論争の中では刊行してるが、大部な論争の中での紹介しかなく、問題の焦点が違っていて十分紹介が出来ていなかった。そうであったからこその『フォイエルバッハ論』(1888年)です。マルクスとの業績の要の一つであり、その思想を確立する過程を、しかも簡潔なかたちでまとめる。ヘーゲル哲学が到達した成果と、そこから新たな、本質的な前進と、新たな理論の達成がいかにおこなわれたのか。このかつて、おこなわれつつも、しかし十分には紹介されていなかった、その重要問題をあらためて紹介するという、ここにこの本の主題があったんじゃないでしょうか。エンゲルスは1890年9月2日に、20歳学生のヨーゼフ・ブロッホ青年の質問に答えて手紙しています。「この理論(唯物史観)を原典で勉強するようにして、他のものを介さないことにしてください、そのほうが実際はるかにやさしいのです。マルクスが書いたのでは・・・、また私の著作をあげさせていただければ、『反デューリング論』と『フォイエルバッハ論』で、このなかで私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な史的唯物論の説明をしておきました。」(全集第37巻 P403)二、その『フォイエルバッハ論』ですが。私などは、新日本文庫(森宏一訳 1975年)で読んでます。第一章はヘーゲルの弁証法についての紹介です。つづいてヘーゲル哲学の全体像についての紹介です。この紹介自体も、これはヘーゲルを読み込んだ人ならでわのもので、内実のあるすばらしい紹介です。問題は、第四章で、『歴史哲学』を唯物史観へと前進させた努力過程の問題です。第四章は文節に通し番号をつけると、全部で28の文節からなっています。一つ、自然は意識はなく、偶然の相互関係のなかに法則性があるが、人間社会の場合には何事も企図や目標をもった人間により営まれる。しかしこの違いは内的な法則性に支配されてる事実を変えるものではない。これが『フォイエルバッハ論』第10節です。これはヘーゲルが「B.世界史の理念」の(a)「精神の抽象的定義」で、通し番号では第4節で主張していることです。二つ、多くの人の意思とその働きかけが歴史である、それらの行為の動機が大切だけど、個人は意欲した目的を追いながら、不本意な結果もある。意図しない結果もある。結果にたいして意識は従属する。これはヘーゲルが「B.世界史の理念」(b)「自由を実現する手段」で、表現は違いますが、提起している問題じゃないですか。第23節では「内面のふくらみ」として。第32節では「理性の策略」(「理性の狡知」)として展開されてます。(ここですね、レーニンが『哲学ノート』で書き抜いて、なおかつ欄外に、『注意!(エンゲルス参照)』と書き込んだ箇所というのは)さらに、エンゲルスはここで重要な問題を問いかけます。「問題は、動機の背後にどの様な推進力があるのか。行動している人間の頭脳に、ある動機の形をとらせるのはどのような歴史的な原因があるのか」「人の動機の背景には、何が働いているのか、何が原因しているのか」(『フォイエルバッハ論』第11節)三つ、ここが分かれ道です。エンゲルスは指摘します、旧い唯物論は行為をすべて動機から判断していた。これに対して、ヘーゲルの『歴史哲学』は、人間の動機の背後に別の力の推進的力があることを認めていた、と。これは、古い唯物論の制約をこえる、ヘーゲルの歴史的な素晴らしい視点です。ところが、ヘーゲルは、それを事柄の関係の外部にある哲学的イデオロギーに原因を求めていた。(「美しい個性の姿の実現」とか、世界精神であるとか)。わかりにくい神秘的な表現ですが。しかし、それがヘーゲルによって確信のある言葉で語られますから、「なんじゃ、こりゃぁ。どう理解したらいいんだ」と苦闘させられるわけで、理解しようとして、禅のような考案問答の事態にさせられるわけです。四つ、エンゲルスは、マルクスとエンゲルスはこの点をとらえた。この問題の探究こそが大事だ、どこに問題があるのかその原因は、と。「歴史上で行動する人間の動機の背後にあり、歴史の本来の最終的な推進力をなす動力を探究すること」このことが問題であると。歴史的に存在するもののなかに、その原因を探らなければならないと。ではどの様にそれを探るか。そこからが、問題のところですが。ただ理屈だけ(論理的必然性)の問題だけじゃなくて、そこには新たな歴史理論と歴史運動の登場という時代条件も働いたことが紹介されてます。三、「動機の背後にはどのような力があるのか」—大きな岐路となった問題がありました。このヘーゲルとの違いをとらえ、新たな理論をたのは第一の時期でのことでした。しかし、その違いによって、マルクス・エンゲルスは、ヘーゲルをまったくの否定視・全否定したかというと、そうじゃないんです。『フォイエルバッハ論』の第一章からですが、エンゲルスは次のように述べています。「ヘーゲルは創造的な天才だったし、博学の人だったから、あらゆる領域で画期的な仕事をした。この場合、彼は「体系」が必要とするために、しばしばあの無理な組みたてに逃げ場を求めなければならなかった。しかし、こうした組みたては彼の仕事のワクであり、足場にすぎない。もしも人々がここにとどまるような無益なことにかかわらずに、この巨大な建物のなかにもっと奥深くはいっていくならば、今日でもなお十分に値うちのある無数の宝をみいだすだろう。」(P21)エンゲルスの1888年の『フォイエルバッハ論』ですが、経過からすると、若き時代にヘーゲルの『歴史哲学』を批判して、そこから唯物史観をつくりだしたマルクスとエンゲルスの第一の段階があります。さらに、それからも長年にわたって、自然科学の成果をまなびつつ、それとヘーゲルの『自然哲学』の洞察を学びかえしたり、『論理学』や弁証法の一般法則も学ぶ、さらに歴史のあゆみの具体的な中で、歴史の弁証法を学びかえしたり、各方面の学術を系統的に学ぶ巨大な努力の第二の段階が続きます。『フォイエルバッハ論』は、第三期のエンゲルスが晩年に近くなっての著作です。エンゲルスは、ヘーゲルの天才的な着想や他の人ではなし得ないような粘り強い考察努力による成果ですが、これを評価して、いわば科学的社会主義の思想は、このヘーゲルの業績なくしては、その基礎がなくては、成り立たちえなかったと、敬意と実感をこめて紹介しているんですね。四、私などの場合ですが、「今日に生きる無数の宝がある」(エンゲルスのヘーゲルに対する評価ですが)—私などは、昨年一年間、福田静夫先生の「ヘーゲルを読む会」講座に参加したんです。『法の哲学』の国家論と『歴史哲学』の第四部ゲルマン世界を学んだんです。長年ヘーゲルを研究されてきた福田静夫先生ですが、この講座からもそうした実感が伝わってきました。200年を経ても今日的な生命力をもっているというのが印象だったんです。そうした学習と刺激があったからこそ、いまの日本の動きのなかで、歴史のなかの弁証法をとらえる必要を感じて、『歴史哲学講義』序論を紹介しようとしているんですが。思えば、私などが初めてヘーゲルの名を知ったのは、エンゲルスの『空想から科学へ』でした。1968年の高校時代でした。歴史を見れば、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』をだしたのは1888年、日本では1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布されたころのこと。エンゲルスが亡くなる1895年は、日清戦争が終わった年です。1900年には普通選挙権請願が提出されたが、治安警察法が公布される。1904年には日露戦争へすすむ。1922年に日本共産党が結成される。しかし以来、日本での社会主義・共産主義は、1945年までの20年間、非公然を余儀なくされる。悪者・犯罪者として扱われ、国家権力の取り締まり追及の対象だった。20年の禁圧というのは相当な実態だったと思いますよ。国民の底流にはその後遺症を残している。今でも、動機は邪まですが、その頃の無法な野蛮さの亡霊が、大手を振って出てくるじゃないですか。やはり、今、国民的にこうした事態をのり越えていくことが求められているんですね。それには、古今東西の民主主義の理論(ヘーゲルやマルクス・エンゲルス、日本の先人にも)と、その運動と歴史に学んで、その課題を大いに討議すること。そして、現実のものにしなければならない。他方それは、そうした成果を理解しようとしない、野蛮で蒙昧な見地をどう打ち破れるか、これらと明確に根本的に対峙することできるか、それが問われていると思うんです。歴史を進めるというのは、自然に任せるだけでは進みません。一人ひとりの中身のある努力がどれだけできるか、どれだけ切磋琢磨し、分かち合えるか、その積み重ねにかかっていると思います。それを、ヘーゲル・マルクス・エンゲルスは、応援しているんだと思います。私などの努力も、そのことを紹介したい、その一点なんですが。
2023年08月11日
コメント(2)
レーニンの『歴史哲学講義』序論の学習当方は、ヘーゲルの『歴史哲学講義』を学習しています。世界史のあゆみには発展の法則があることをヘーゲルは洞察して、1831年にコレラのパンデミックで突然死してしまうまでの10年間に、これを5回にわたってベルリン大学で講義していたんですね。1840年代の若きマルクス・エンゲルスたちは、ヘーゲルをまなび、新たな世界観をつくりました。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)が、その過程と内容を紹介してくれています。レーニンの『歴史哲学講義』摘要ですが。『哲学ノート』(全集第38巻)には、1914年から16年の間におこなわれたヘーゲル学習のノートがふくまれています。ヘーゲルの『論理学』、『哲学史講義』、『歴史哲学講義』などを学習したノートです。時は第一次大戦の戦乱が世界に広がりつつあるときです。その中で、亡命先で政治活動を指導する中で、こうした学習していたわけです。それが後々に刊行されることになるなんて、おもってもみなかったでしょう。まったくの個人的な学習ノートです。一、そのレーニンの『歴史哲学講義』摘要から、「B.歴史における理性」の「b.自由を実現する手段」の部分を紹介します。レーニンはこの章から11の注目した箇所を書き抜いています。(全集 P277⁻278)ヘーゲルの『歴史哲学講義』の「B.歴史における理性」の章ですが、各文節に通しの番号をつけてみました。全体で75節あります。(これは福田静夫先生がヘーゲル講座で示された学習方法なんですが)。著者のいっていることを各論を正確につかむためのものですが、この場合はレーニンの書き抜きが、ヘーゲルのどこに対応しているのか、突合せるのを容易にするためです。同じ文章でも翻訳によだいぶちがうものですから。レーニンの第1の書き抜きは、ヘーゲルの文節の第8文節からでした。同様に順次、第2は第15節、第3は第17節、第4は第15節、第5は第20節、第6は第23節、第7も第23節、第8も23節、第9は25節、第10は第40節、第11も40節に、それぞれ対応していました。二、その中から、4つを紹介しましょう。レーニンが、ヘーゲルのどんなところに注目したかが見えてくるんですよ。1、1番目の書き抜きは、ヘーゲルの第8文節からのものでした。「人々は何によって導かれるのか?もっとも多く利己心によって。—愛、等々の動機は比較的にまれであり・・・」レーニンはこの抜粋の冒頭に、(史的唯物論への接近)とのコメントを書いています。2、第2番目は、「世の大事業は情熱なくしては成就されない」、これはヘーゲルの第15文節からです。3、第7番目は、「歴史においては、人びとの行動をつうじて、人びとが目的とし、かつ達成するところのもの以外に、なお別のものが現れてくる。成就される」、これはヘーゲルの第23文節からです。4、第8番目ですが、これもヘーゲルの第23文節から書き抜かれたものですが。「彼らは、彼らの関心事を実現する。しかしそれとともに、内面的にはそこに存在しているにしても、彼らの意識および彼らの意図のうちには存在していなかったところのなおそれ以上のものが、実現される。」レーニンはこの書き抜きの欄外に、『注意!エンゲルス参照』とのコメントを書き込んでいます。これは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の第四章をさしていますが。レーニンが、『フォイエルバッハ論』を横に置きながら、一人図書館に片隅で、『大論理学』や『歴史哲学講義』を学んでいた。この序論の一部を読んでみただけでも、疑問なところもあるけれど、じつに生き生きとよんでいた姿がうかんでくるじゃないですか。三、ヘーゲルの文章というのは、一般的にいって、読みやすいものではありません。くわえて「精神のすべての性質は自由なくして存在せず、すべては自由のための手段であり、すべてはひたすら自由をもとめ、自由をうみだすものです。自由こそが精神の唯一の真理である」(第4文節 P38)こうした文章が続いていくわけですから。小説のようにはすらすらとは読めないわけです。だけど、これには「序論」ということの性格もあるとおもうんです。ヘーゲルは、本論の世界史をこれから理解していくための基本的な概念をここで提起していたり、本論の歴史のあゆみから引き出されてきた結論的なことを、あらかじめここで示唆・アドバイスしようとしているわけでして。ここだけで完全な論証をしているわけではないんです。さーっとこの部分だけ読むと、なにか託宣的にきこえたり、何かを悟った人がそれ抽象的に断言的に言っているような感じに聞こえてしまい、はじめてそれに近づく者には訳が分からなくなってしまうわけです。だから、まったくの自分勝手な解釈をして、「我こそはヘーゲルの理解者だ」なんて人がいたり、また、だれか他の権威者の言葉を引用することをもって解釈としていたりする人もでてくるんですね。しかし、マルクスやエンゲルスは、そしてレーニンは、そのヘーゲルの中にある宝ものを引き出そうとする努力は、そんなものじゃないんです。一生懸命にヘーゲルの業績を生かそうと格闘しているんです。歴史の法則性とはなんなのか、その根拠はどこにあるのか。どこが問題なのか。世界大戦が拡大していくなか、その矛盾は、ほどなくどのような社会変革をふくんでいるのか。それを得心し、見通すことが必要なわけです。未来をひらくためにはそれが必要だったんです。彼らが必死になって、学習したわけというものが見えてきませんか。しかし、問題は、私たち自身です。マルクスやレーニンが直面していた課題というのは、私たちが今現在に、直面していることがらですね。そして、自分の頭で、自分自身の努力で、自分の持ち場で、すすむことが求められているわけです。この努力なくしては、ものごとを本当にまえにすすめることはできないということです。これも今に欠かすことの出来ない、一つの学習対象だということです。
2023年08月07日
コメント(0)
「日本共産党の百年」史を読んで日本共産党が「日本共産党の百年」史を刊行しました。今日は、頑張ってそれを通読したんですが。タブロイド判というんでしょうか、その57ページを読むというのは簡単なことではないんですが。この57ページをよむというのは簡単なことではないんですが、それでも、それを早く読むことは必要なことじゃないか、と思ったんですね。ものごとには、課題への必要性ということがあります。私はこれまで、その時々において、『日本共産党小史』(市川正一証言)、「45年史」、「50年史」、「70年史」、「80年史」を読むことがあったんですが。同じ「日本共産党史」という事柄をあつかったものですが、しかしぞれぞれには、その個性が、その歴史が書かれる事情、動機というものがあります。これは、今回、この「日本共産党の百年」史を読んでの、私などの勝手な感想ですが。一、タブロイド57ページの歴史書を読むのは、簡単なことじゃないんですが、その刊行されたことを知って、共産党の事務所に注文しました。280円でした。それで、とにかく急いで通読するする必要性を、感じたんですね。もちろん、私の周りにも、すごい多彩なものごと(書籍)を紹介してくれている読書家がいるんです。しかし、この日本共産党の百年史を紹介してくれることはないでしょう。しかも、これは「今が旬」なことを、まとめてくれているんですね。二、私は個人的には、日本の近代史のなかで、日本共産党の果たした役割というものに注目してるんです。高校時代に生意気な知人がいまして、関東の片田舎だったんですが、50年以上前ですが、蔵原惟人著『芸術書簡』を貸してくれたんです。ここには、文学なんてものは、まったく知らなかった市井の私でしたから、驚きの世界でしたね。古今東西の、世界の文学を、哲学をどのように読むのか、探究することでアドバイスしてくれていたんです。ところが、さらに驚くことに、それが書かれたのは1930年代でしょうか、しかも治安維持法で囚われの身となっていて、その監獄の中でメモしていたことだというんです。『日本共産党の70年史』を読んだとき、戦前のプロレタリア文学史が、かなり詳しくまとめられてました。なるほど、と。これは宮本顕治氏の責任感のなせる仕事だったと感じました。でも、その時に感じたんです。「唯物論研究会」の歴史、その哲学の苦闘の歴史はどうだったんだ、その記述、総括が弱いじゃないか、と。なんて、素人の、勝手ななまいきを感じていたんですね。しかし、それはふりかえってみれば、近代の民主主義的あゆみのなかで、日本共産党の果たした民主主義の歴史的な役割を、それをもっとも総括的にまとめた労作としての『70年史』だったんですね。三、では、今回の『日本共産党の百年史』の特徴は、どこにあるのか。私などの勝手な感想ですが、それは、「今現在というものがどの様なものであり、それがどの様にしてできているのか」、この要因を明らかにしようとした、その試みじゃないかと思うんです。長い57ページものですから、ボチボチと手の空いた時に読めばいいといった惰性はいただけないんです。新鮮な野菜や、魚と同じです。今という時が、この瞬間にどうとらえるかが勝負なんです。今ということが、どの様な諸条件によってなりたっているのか。多少なりとそれに問題を感じ、それを変えようとすれば、そこには今どのような諸問題があるのか、ということです。今の政治的な現実関係が、どの様にあり、どの様な本質的な力と力の対抗関係にあるのか。早く目を通すということも、力の、努力の一因となるんです。気の抜けたビールようじゃ、ダメなんです。志位さんはくりかえし「政治闘争の弁証法」と指摘してます。それは、この『百年史」の基調とされる問題ですが。このことはマルクス・エンゲルスが『フランスにおける階級闘争』で指摘し、日本の国政選挙の二連敗から宮本顕治氏が教訓としてひきだしたきたところの『階級闘争の弁証法』ということですね。これだけでも、しっかり把握するとすれば、確かめなければならないかなりの材料があるでしょう。四、しかし、ヘーゲルさんは言ってるんですよ。歴史は史実を探ってそれに近づいてゆくこと、これが歴史家の人たちが課題として抱えている問題だけど、認識というのは「行程」なんだ、と。ようするに、それらはすべては材料であって、それをどうするかが問題だと。現実というのは、一定の行程としてあります。その過程の客観性をしっかりつかむこと。そしてその中にある前進を、あなたでしかできないオンリーワンの歴史的な一歩を、決定的な一歩を、どうつかみとるのか。そして、どうするのか。これが『歴史哲学講義』で提起している問題の一つなんだすね。それは、この間の私などの学習がしめしていることなんですが。ヘーゲルは1820-30年代にこうした問題を提起してましたが、コレラの流行で1831年に突然死する。そのあと1840年代に、20代のマルクス・エンゲルスたちが、その成果を探る。1883年にマルクスが死去して、その遺稿集を目にすることになったエンゲルスは、1888年に『フォイエルバッハ論』の簡潔な形でそのエッセンスを残したんですね。そしてさらに、レーニンは、1915年の世界大戦の最中ですが、亡命先で必死になって弁証法をつかもうとして、ヘーゲルのこれらの難解な諸著作から学びとろうとしていた。その記録が全集の第38巻に『哲学ノート』として、今日につたえられてるんですね。これらの問題は、まったく『日本共産党の百年史』とは関係のないようなことがらにみえるんですが、しかし、私などには、ばっちりと重なって見えてきます。弁証法-それは自然と社会、人間の思考に貫かれている一般的な法則です。その一般的な形式な法則を、それをあまたの具体的な諸関係。諸分野の中において、それぞれの人がそれをどの様に適用するのか、そのことが問われているわけです。五、最後に、まぁ、一つの勝手な感想なんですが。これは共産党員の人たちにとっては、『百年史』を早く読もう、そして力にしよう、ということでしょうが。それは、その通りでしょうが。しかし、私などは、ことがらの本質というのは、もっと大きな問題じゃないかと感じているんです。今の閉塞な日本。学術もへったくれもない日本。庶民の暮らしを押しつぶして、戦争への道に巻き込もうとする政治屋たち。どこへ飛んでっちゃうか、わからない日本。この今の日本の状況を、少しでもまともな方向に変える理論と力がもとめられている。それは、国民的な今日の現実課題です。『共産党の百年史』というのは、今という国政の状況は、どのような要因によってつくられているのか。どうやったらそれを変えるのか、このことに対する共産党としての認識の提起だと思います。早く広く国民に、この問題提起に目を通して、その認識を議論していただきたい。斜めに読む人もいるでしょう、しかしそれでも討議する必要性があるんじゃないでしょうか。そして、今を変えていくための、その人なりに、そこから何かしらヒントをつかんで、正しいとする人も、いやいやそうじゃないよという人も、とにかく、一人ひとりの、その人の人生に生かして、少しでも現状をまともな方向に変えていく力を大きくしていゆく。『日本共産党の百年』史というのは、国民的には、自らの進路をどう開くのか、それへの一つの提起となってるんじゃないでしょうか。
2023年07月31日
コメント(0)
これから『歴史哲学』序論のまとめにかかります当方は、昨年(2022年)度、ヘーゲル講座に参加してきました。これは、コロナのパンデミックが縁なんですが、名古屋の哲学サークルが主催している学習の、ズーム視聴を案内してくれたんですね。ヘーゲルの学習なんて、言っちゃあ悪いんですが、今の時勢においては、猫に小判、馬の耳にしょんべんじゃないですか。私などは、それなりに、その学習を発信をしてきていたんですが、達磨大師の「壁に向かって9年」どころか、反応というのはずっと無かったんです。しかし名古屋では、日本福祉大学名誉教授の福田静夫先生という方がおられて、ヘーゲルの学習講座を、20年以上もの間続けてきておられたんですね。私などは、関東の片隅にあって、まったくそうした人の存在や活動を知らなかったんですが。縁というのは不思議なものです。昨年一年間、ヘーゲルの『法の哲学』の国家論と、その「世界史」に関連して『歴史哲学』第四部「ゲルマン世界」を学習させていただいたんです。福田講座は、今年の3月で終了したんですが。ここで難解とされるヘーゲルですが、その学習の仕方をおそわったんです。私などは独自に、2020年に『歴史哲学』序論を、14回の学習発信をしてきていたんです。達磨大師でしたが。それで、あらためて今年の3月27日から、その再学習を発信して来ていたんです。「塵も積もれば山となる」じゃないけど、これがそのレポートです。私はヘーゲルは人間の歴史には法則がある、との発見をした天才的な存在だと思うんですよ。マルクスの唯物論的歴史観は、この先人の業績なくしては、存在しません。エンゲルスは、『自然の弁証法』などを見ると、ずーっとヘーゲルの成果を研究しつづけてきていたんですね。それが『フォイエルバッハ論』に結実しているんですね。また、レーニンも世界大戦が勃発した中で、『哲学ノート』をみると、『論理学』や『歴史哲学』、『哲学史』などを一生懸命に学んでいますね。弁証法や学術を政治生活に生かそうとする必死の努力と、私などは見ます。どこかの国の政治家たちのように、学術の到達を平気で蹴飛ばして、まったく気に留めない。なおかつ、それを指摘されても、さらに居直っている、そんな輩たちとはおおちがいですね。まぁ、今の日本というのは、いかんせん、そうした現実事態です。そうであればですよ、いまから200年前の、1831年に亡くなったヘーゲルですが、その業績を、ただ詮索するだけじゃなくて、どんなにつたなかったとしても、彼が開拓した業績ですが、私なりに、それがもつせいかを、その今日的意義を、紹介してやろうじゃないですか。ということで、すでに発信した13通で詮索したことがらですが、こんどは、それをわかりやすい形で紹介しようとおもって、この宝を人知れず、埋もらしてはならない、と考え、今、それをまとめようと、あちこちと動く中でも、持ち歩っているところです。
2023年07月28日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論13 (c)世界史のすすみかたヘーゲル『歴史哲学』序論の学習、今回は、「C 世界史のあゆみ (c)世界史のすすみかた」です。岩波文庫『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P112-137の26ページ、文節ナンバーでは第19節から55節の37節分にあたります。最初に、この章を読んでの感想ですが。ヘーゲルはこの章で「歴史哲学」に対する考え方を提起しています。本論はこうした理論をもとにして「世界史のあゆみ」を探ってるんだよ、と述べてるところで、たいへん大事な章だと思います。たくさんの論点がありますが、四点くらいにしぼって紹介します。全体や細部については、各人がそれぞれで当たるしかありません。一、冒頭でヘーゲルは、この章のテーマと、これまでの要約を提起しています。 この章では世界史のすすみかたについて、ごく形式的なことを述べるにとどめ、具体的な内容は「E 世界史の時代区分」の項で述べている、と。〔第19節〕 次に、これまでに展開してきたことを2点に要約しています。1、世界史とは自由の意識とその現実の発展であり、概念の論理的性格、すなわち弁証法的性質である。発展には各段階があり、各段階は区別される、それぞれの原理をもっている。〔第20節〕2、各段階の民族精神は、その民族の時代の宗教・政治体制・法体系・道徳・学問・美術など、全体の関連させる原理となっている。〔第21節〕これは、これまでヘーゲルが展開してきた内容の骨格ですよね、そのことを確認しています。二、次に、「世界史とは自由の意識の発展である」-こうした歴史観に対して加えられている様々な非難や誤った誤解について、いろいろ検討しています。「歴史の素材に、先天的(アプリオリ)に理念を持ち込むものだ」「歴史学と哲学は関係ない」とか。「歴史学で力を発揮している分析的思考を哲学はもたない」とか。「例外」をあげて法則性を否定するとか。政治体制や国家体制のちがいをとらえない見方、また抽象的なカテゴリーの区別に固執しようとする反省思考の考え方とか。世界史に道徳観をもちこもうとする誤った態度などなど。じつにさまざまな形で、歴史観の中にある誤りや誤解の考えを検討しています。エンゲルスは『空想から科学へ』第2章で、弁証法と形而上学の考え方についてのちがいを対比していますが、これもその同じ本質ですが。ヘーゲルはここでは歴史観の関連して、その理解の障害となるいろいろな考え方を、じつに多岐にわたってとりあげています。私などは、このなかで2つの点に注目します。1つは、第29節ですが、精神形成のどの段階でも、こうした「形式的思考」がさかえる可能性があるし、国家という文明の基礎の上では、分析的思考や法律などの形式的な教養をうみだす、そうした必然の力がはたらくと。そこでは、教養とか、教育とか、法律などにおいて、形式的思考が、一定の役割をもって、必然的に生まれてくる条件があると指摘している点です。2つ、第34節の指摘です。「きっぱりといわなければなりませんが、アジアの両国家には国家の本質をなす自由の概念の意識が欠けている。だから、中国の道徳法則は、自然法則のような、外部からおしつけられる命令であり、強制法と強制義務であり、さもなければ人間相互の礼儀作法です。共同体の理性的な規律を心情的な道徳へ転化するのに必要な自由が存在しないのです」。まぁ、これは200年も前にヘーゲルが抱いた評価であり意見です。当然、中国でもこの200年の間に様々な努力があったでしょうが、しかし私などは、ヘーゲルのこの批評は、今日でも妥当していると思うんです。この考察を助言としてしっかりうけとめて、日本も含めてですが、真剣な努力が求められているんじゃないでしょうか。三、ヘーゲルは、民族精神といものを認識する課題、それは世界史あゆみのなかでどの様な役割をはたすのか、といった問題を提起しています。1、民族精神とは、自己をうみだすことが課題だと。精神の最高のはたらきとは、自己を知ることであり、自己を直観するだけではなく、自己を思考へともたらすこと。精神はそのようにして自己を成就していくものだ。成就(達成)することは没落であり、他の精神・民族・時代の登場であり、この没落と交替がつながりの全体をし、それが世界史の概念なしているんだ、と。〔第35節〕2、ヘーゲルはここで世界史の概念について、活字・文章でそのイメージを提示しています。〔第36節〕それは13行ですが、実際に『歴史哲学講義』(上 P126-7)で読んでいただくしかないんですが。レーニンの『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、この箇所を抜粋して、『非常にいい』『非常に重要だ』とコメントを書き添えてます。(P279)。さらに、全体を学習したあとに、特別にP284ですが「ヘーゲル 世界史について」として、この箇所の18行分の全体を書き抜いています。感動してるんですね。3、ヘーゲルはこの後で、注目される問題を提起しています。この世界史のイメージをから、変化-死からの生(再生)-自己を発展・充実させる思想と、考察をすすめてるんですが。その世界史のあゆみから、次の様な問題を提起してるんです。「真に普遍的な問題意識がかきたてられるには、民族精神がなにか新しいものを意欲しなければなりませんが、このあたらしいものはいったいどこから来るのか」〔第41節〕-この問いです。「新しい意欲はどこから出てくるのか」。これは『歴史哲学』が提起した大事な問題ですね。歴史観にかかわる大問題ですね。当然、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の第四章での問いがうかびます。ヘーゲルは行為する人間の動機の背後に何かの力があることを認めていた。人間の動機・目的意識をもって行動するが、その背後にどのようなものがあるのか、との問いですが。そのヘーゲルがこの問題を問うたのがこの箇所であり、ヘーゲルなりの答えがこのあたりにあるんですね。まぁ、この問題は、独自の問題として、今は宿題とします。四、「歴史のあゆみとはなにか」、いよいよヘーゲルのまとめです。「世界史のあゆみとは、自分を対象化し、自分のあり方を思考する精神が、一方で自分の限定されたあり方を破壊するとともに、他方、精神の一般理念をとらえ、その原理にあらたな定義をあたえる、ということに到達します。ここにいたって、民族精神の実体的内容が変化し、その原理は、べつの、より高度な原理へと上昇していきます。」〔第51節〕「歴史を概念的にとらえるにあたっては、こうした精神のあゆみを、思考と認識のうちに保持することがもっとも重要です。個人はあくまで一個人としてさまざまな教養段階を経験し、しかも同一の個人にとどまる。民族も同様で、同一の民族として、精神の普遍的な段階にまで到達します。この地点に達したとき、変化の内的かつ概念的な必然性があらわれる。そこをとらえるところにこそ、歴史哲学の精髄があり、真骨頂があります。」〔第52節〕「精神はその本質からして自分の活動の結実であり、精神の活動とは、ありのままの自分をこえ、自分を否定し、自分にかえってくるものです。・・・一民族の生命は、活動が原理を成就するかたちで成熟をむかえますが、この果実は、それをうみ、そだてた民族のふところにかえってくるどころではなく、民族にとっては苦い飲物となります。といっても、それはどうしてもほしいものですから、すてるわけにはいかないが、それを手にいれるにはみずからの死を覚悟しなければならない。死は同時に新しい原理の登場でありますが。」〔第53節〕「この前進の行く手にある究極目的については、すでに説明して通りで。必然の連鎖をなすさまざまな民族精神の原理は、その一つ一つが普遍的な世界精神の各段階をなすものであって、歴史上のさまざまな精神のなかを貫徹しつつ、みずからを自覚的な総体へと高め、全体を完成させるのは、この普遍的な世界精神です。」〔第54節〕。最後にもう一節、第55節がありますが、ここまででヘーゲルの言いたいことは展開されていると思います。私などは、今回ヘーゲルの『歴史哲学』を読み直してみて、その方法は福田静夫先生が、アドバイスしてくれたものですが、そこには歴史の弁証法が提起されていて、それは今を生きる人たちへの大きな励ましとなると感じさせられました。 以上をもって、『歴史哲学』「序論」の学習を終了します。
2023年07月23日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論12 C.世界史のあゆみ (a)発展の原理今回から『歴史哲学』「序論」の「C.世界史のあゆみ」に入ります。全体は、3つの章からなっています。最初は、(a)発展の原理 第1節-7節、P97-102の6ページですが、そのあと、(b)歴史のはじまり 第8節-18節、(c)世界史のすすみかた 第19節-54節です。(a)「発展の原理」は、全体で7節、6ページとごく短いんですが、ヘーゲルは根本的なことがらを問うていると思うんですよ。そこには、ヘーゲルの論理的な探究がしめされてると思うんですよ。一、第一は、人間の歴史の変化についてはよりよいものに進歩すると考えられてきたけど、自然は変化はあっても毎年同じことを繰り返している。このちがいの指摘から入っていきます。同じ変化でも、歴史の発展するのに対して、自然の変化はくりかえしという違いがある、この点からヘーゲルの考察がはじまります。ヘーゲルの自然観は妥当なのか、少なくともその時代においては「自然はくりかえすだけ」というのは、一般的な考え方のようだったようです。ヘーゲルは、「変化することのなかに法則性(合理性)がある」との考え方自体に対して、絶対的に正しいとの宗教や当時の絶対主義的国家から、そうした考え方は禁圧された、と。しかし同時に歴史変化が「より完全なものに発停していく」といっても、ただ発展といっただけでは、その中には、変化の目的や変化の基準も明確でないとすれば、やはりあいまいなものじゃないかとも指摘しています。(第一節 P98)ようするに、歴史の変化ということが、「発展」と言えるためには、その中のなかに、あらかじめ、明確な、客観的な、「変化の目的や変化の基準」が明確にされてなければならない。この自然の変化と、人間の歴史が同じ変化でも発展とのちがいをもつということから、ヘーゲルは考察をすすめていきます。レーニンも『哲学ノート』で、この「a.発展の原理」の章からは、ただ一点、この箇所のヘーゲルの特徴的な自然観について書き抜きしてます。(P278)二、第二には、自然の変化とはちがって、人間の歴史の変化のもつ「発展」の原理について一つは、「発展」ということには、あらかじめの内的な方向性(目的や基準)があって、その内的なものが表に現れたということだと。しかし、同時にヘーゲルは自然のすべてのことがくりかえしではなくて、自然の有機物においては、そこに「発展」ということがあることを指摘しています。自然のすべてを「くりかえし」と見ていたわけじゃないんですね。自然の胚の種・花・実のなかには発展とみなされるものがあるとの、具体的な事例について着目しているんです。自然の有機物も潜在的な可能性を形にする、「精神も、同様に、みずから形をつくっていくもので、潜在的なものを顕在化させるものです」(第二節 P99)と。三、第三に、自然の有機物の発展と人間の精神の発展とのちがいですが、ヘーゲルは人間の精神には「意識と意思」がはたらいている問題について、検討しています。「有機物の発展とは違って、精神の発展には、その方向を実現するために意識と意思が介入する」「意識や意思は、最初は、直接の自然の生命のうちに埋没していて、その対象や目的も、最初は自然の力として現れる。しかしその性質に生命をふきこむのが精神であることから、それは無限の要求と力と富をもつものとなり、かくて、精神は自分の内部で自分と対立します。精神の実現を妨害する真の敵は、精神自身であって、精神は自己を克服しなければならない。自然にあっては平穏な産出であった発展が、精神においては、自己にたいするきびしくはてしないたたかいとなります。(第三節 P99)この箇所を読んだとき、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』第四章が思い浮かぶんじゃないでしょうか。「社会発展の歴史は、一つの点で、自然のそれとは本質的に異なっていることがわかる。自然においてはまったく意識のない盲目的なもろもろの作用力があって、それらが相互に働きかけ合い、これらの相互作用から一般的な法則が生じきたっている。これとは反対に、社会の歴史においては、行動しているものは、すべて意識をそなえ、思慮または情熱をともなって行動し、一定の目的をめざして努力する人間であり、なにごとも意識された企図、意欲された目標なしにはおこらない。しかし、この差異は、これが歴史の研究にとって、どれほど重要であるにしても、歴史のすすみゆきがそれに内的に存する一般法則によって支配されているという事実を変更させるものではない。・・・」(新日本文庫 P69)エンゲルスの考察していることがらが、どの様な材料をもとにしてまとめられたのか、うかがえるんじゃないでしょうか。また、二人の探究の原点ともなっている『ドイツ・イデオロギー』についても、そこで提起していることがらを理解するためには、やはりヘーゲルの『歴史哲学』も、欠かすことのできない一冊だということが、見えてくるんじゃないでしょうか。私などはそう感じています。四、一般的なまとめとしてヘーゲルは指摘しています。「世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます。この発展の定義は、一般には論理学において、もっと具体的には精神哲学でしめされます。ここではただ、第一段階は、精神が自然のありかたに埋没した状態であり、第二段階は、そこをぬけだして自由を意識した状態であるというだけでよい。この最初の離脱は自然を媒介にして生じたもので、自然との関係を断ちきれず、いまだ自然の要素につきまとわれているがゆえに、不完全で部分的なものです。第三段階は、いまだ特殊な状態にある自由から純粋に普遍的な自由へと上昇し、精神の本質が自己意識および自己感情としてとらえられた状態です。この三つの段階が、一般的過程をあらわす基本原理です。各段階の内部にはさらにこまかな形成過程と移行の弁証法があるが、それは本論で見ていくことにします。」(第六節 P101)最後のしめくくりです。「不完全なものが、内部に完全なものをふくむのは矛盾であって、その矛盾は、現実に存在する矛盾であるとともに、破棄され解体される矛盾でなければならない。矛盾は、精神生活の内部では、自然や感覚や自己疎外の外皮を突きやぶり、意識の光へ、自己自身へいたろうとする、精神生活の内面的衝動ないし鼓動として存在します」(第七節 P102)今回は、以上です。ヘーゲルの場合は、一度読んだくらいで、すっきりとわかったなどとはとてもいえません。だいたい何を言いたいのかがわかったとしたら、それは一歩の前進です。序論だけで、それだけで得心しようなどということは、これもまたありえないことです。確かなことを、今回つかめたことを大切にして、「学んで、時にこれを習う、又楽しからずや」ですが。しかし、なるべくなら、この成果をしっかりとつかんで、いまに生かしてやりたい、わたしなどは、そう思っています。さて、次回は、(b)「歴史のはじまり」です。
2023年07月14日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論11 B(c)自由の実現体の国家 その2、ヘーゲルの国家観についてヘーゲルの『歴史哲学』序論、B.「歴史における理性とはなにか」、(c)「自由の実現体としての国家」、その第2回目です。前回は、ヘーゲルの国家論-「国家の本性(本質)とはなにか」、それが探究の入口だったんですが。今回は逆に、その探究していった結果から、結論から探ってみます。第72節「国家についてこれまでのべたことをまとめると」(P94)ということで、ヘーゲル自身が、第72,73,74節の、3つの節にまとめています。この3点を、確認しようと思います。一、ただ、そのことに入っていく前に、ひとつのことわりが必要だと思っています。それは、マルクスが『資本論』第2版への「あと書き」(1873年)で、指摘している点です。次の様な一文です。「私の弁証法的方法は、ヘーゲルのそれとは根本的に異なっているばかりでなく、それとは正反対のものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに一つの自立的な主体に転化しさえした思考過程が、現実的なものの創造者であって、現実的なものはただそれの外的現象にすぎない。私にとっては反対に、観念的なものは、人間の頭脳のなかで置き換えられ、翻訳された物質的なものにほかならない」(新日本出版社『資本論』1分冊 P32)。当時(1873年 明治6年)は、世界(ヨーロッパ)の、世間の一般では、ヘーゲルを「死んだ犬」(何を今さら、過去の人じゃないか)と扱っていたようです。それに対して、晩年のマルクスですが、その『資本論』の「あと書き」で、指摘しています。ヘーゲルの今に生きている意義について、マルクス自身も含めて世界がヘーゲルの業績におっていることを、あらためて紹介しているんですね。ぜひ、その全体について、確認してほしいと思います。今に生きている問題なんですね。二、さて今回の本題ですが、ヘーゲルはこの国家論において何を言いたかったのか。ヘーゲル自身が語ってます、第72節「国家についてこれまでのべてきたことをまとめる」(P94)と。それは、第72、73、74節の、3つの節において、まとめています。そのまとめとは、どんなことか。1、第72節 国家の生命力は、個人からすると共同の精神であり、国家の法律や機構、その自然や歴史である。一切が国民の所有物であるとともに、国民はこの一切に所有されている。この精神的全体は、一つのまとまりをなし、それが「民族の精神」です。国民は民族精神のもとに生きるのであって、それぞれの個人は「民族の子」であると同時に、国家が発展する限りで、「時代の子」です。時代にとり残され人もいなければ、時代を飛びこえる人はいない、と。2、第73節 民族精神は輪郭のはっきりしたものであり、民族の歴史的発展段階を明確にしめすものです。民族の意識が、宗教、芸術、学問、といったさまざまな形態をとるなかで、民族精神はその基本的内容をなす。精神は自己を意識するとき、自己を対象化せざるをえず、この客観化はさまざまな形をうみだし、客観的精神のさまざまな領域-宗教、芸術、哲学-をつくる。その一方、その魂は一つにまとまる。このような実体と内容、対象は、根源的には此岸にあるものだから、とらえられた形態は、国家の精神と統一される。3、第74節 特定の民族精神は、世界史のあゆみのなかでは一つの個体にすぎない。世界史とは、精神の神々しい絶対の過程を、最高の形態において表現するものであり、精神は、一つ一つの段階を経ていくなかで、真理と自己意識を獲得していくものだ。各段階には、それぞれに世界史上の民族精神の形態に対応し、そこには民族の共同生活、国家体制、芸術、宗教、学問のありかたがしめされる。一つ一つの段階を実現していくことが世界精神のたえざる衝動であり、抗しがたい要求です、と。これらのヘーゲルがまとめている点は、マルクスが指摘した「さかだち」に注意しさえすれば、全体としてことがらの関連をとらえてますね。大きな業績ですね。このヘーゲルの努力がなかったら、マルクスの科学的社会主義の社会思想も、今の様なまとまった形にはなっていなかったかもしれない、そんなことも感じさせられるんです。このマルクスの批評には、そうしたヘーゲルに対する敬意が込められていると感じさせられている次第です。三、以上のまとめを念頭に置きつつ、ヘーゲルの国家論、『法の哲学』に詳しく展開されてるわけですが、この『歴史哲学』のc.では、第47節から第71節までの、25の節について検討してみるわけです。その細部にわたることはできません。それは、それぞれ各人が当たっていただくしかないのですが。そこで論じられていることの大筋だけ紹介します。1、「国家が自由を実現するものだ」 それに対する誤りの説。 第48節初めは自由だけど不自由になるとの説、第49節「自由は直接に存在するものではなく、訓練課程を経て獲得されるもの」。2、「社会的正義が法律の形をとる」に反対する家父長制への批判 第50節「法の前の平等」、第51節、第52節。これはヘーゲルがフランス革命の意義、近代民主主義の成果をといてることじゃないですか。3、「自由の、客観的自由の側面と主観的自由の側面」 第53節「個人の同意」を絶対視するとどうなるか、第54節、第55節「政府や行政当局が必要になること」。4、国家のあり方を支配者と被支配者から、一般に君主制-寡頭制(貴族制)-民主制にわける見方。 第56節古くからの「3つの政治体制」論、第57節「どれが最善かを選択する考え方」。5、今日では、一国の政治体制を自由に選択できるとは考えない。 第58節「世界史のあゆみのなかではあらかじめ決まっている」。 最初につくられる国家というのは、家父長制的な王制。 第59節、真の独立国家の発展には、必然的なあゆみがある。 家父長制的な王制-寡頭制(貴族制)・民主制-君主制。ヘーゲルは、この歩みは必然的で、その時あらわれる体制は選択する余地なく決まってると。6、国家の体制にとり重要なことは、政治の内部機構が理性的に編成されていること。 第60節、自由が客観的に存在するということは、どういうことか。7、国家の歴史的発展は、原理のちがいとして現れる。 第61節「一般に国家は歴史状況の変化の中でかわっていく」、第62節古代と近代では共通でない。8、概念としての自由は、主観的意思や恣意を原理とするのでなく、万人の意思の洞察を原理とする。 第63節、理性的意思はその内容を明確にし、発展させ、様々な側面を有機的に位置づける。9、ここまでの考察をまとめる。国家と宗教、芸術、哲学の関係について考察する。 第64節、国家は民族の具体的な生活の諸要素、芸術、法、道徳、宗教、学問の基礎であり、中心だ。 第65節、頂点に位置する宗教。そして芸術。そして哲学、もっとも高度な、自由な、広範な統一。 第66節、3つの形態は国家を土台としてつくられている。10、民族精神 第67節、国家のあらゆることをまとめる民族精神、その中心に宗教がある。宗教を考察するのに重要なことは、真理となる神の理念が、それだけで切りはなしてとらえるか、真の統一体としてとらえるか。11、宗教と国家との関係。 第68節「国家が宗教に依存しているわけ」、第69節「国家の原理を神(至上)のものと認識させる」、 第70節、宗教を植え付けようとのさけびについて。 第71節、逆に国家と宗教を切り離そうとする愚行について。こうした考察をしたあとで、ヘーゲルは前の三点のまとめをしてるんですね。3つのまとめた点と、それにいたる各論での考察との関連を検討することが大切では。四、私はこれまで、ヘーゲルの文章は難解ですから、文節の一つ一つまで踏み込んで探ることはなかったんです。気に入った箇所だけノートしておくといったことでしたが。レーニンも入り口としてはそうだと思うんですが。ただしレーニンは、大戦の忙しい緊張の最中にもかかわらず、『大論理学』『哲学史』『歴史哲学』に、一生懸命に、丹念にあたってるんですね。もちろん人間ですから、そこには制約もあるんですが、すばらしい努力です。私は福田静夫先生の「ヘーゲル学習会」に参加する機会を得て、2022年に『法の哲学』の国家論を学習したんです。90歳を超える福田先生ですが、その学習態度が、またすごいんです。さすがでした。文節に番号をふって、その主張を確かめる。翻訳もご自身の訳文もつくって、ヘーゲル自身の主張をつかもうとされていた。そうした基礎作業の上にたって、ご自身の意見を言うとの姿勢だったんですね。学者としての良心を感じさせられたんです。その最後に、『歴史哲学』の本論・第四部「ゲルマン世界」を学習したんです。『法の哲学』の最後には「世界史」がありますが、その関連で、『歴史哲学』の第四部を学習したわけです。この本論学習のおかげで、本論を学習してこそヘーゲルが「序論」で言いたいことが見えてくるということがあるんですね。私は以前に2020年でしたが、『歴史哲学』序論の学習をブログ発信していたんですが、あらためて、再挑戦する必要性を感じさせられました。今回はその時よりかは、すこしは細部に近づいてると思うんですが。ところが迫ろうとすればするほど、「宗教論」などの大きな問題が出てきたりして。実際、ヨーロッパ世界の歴史は、そのために何百年も大変な宗教戦争の戦乱をくぐってきているでしょう。それをも総括しようとしているんですから。宗教心の無い私などからすると、新たな不可解な大問題としてでてくるといった面もあるんですね。現行の日本国憲法もそうした教訓にたってるんですが、私などは、今だもって曖昧だったということです。この宗教論の点でも、ヘーゲルとマルクスは、今に生きる宝をもっているとおもいます。よく理解出来てませんが、しかしそれを感じさせられます。なによりも、ヘーゲル自身による第72節以降のまとめですが、これはマルクス・エンゲルスにとって、ここを出発点とも土台ともして、自らの新たな世界観と思想をさぐり始めていった。それがみえてきます。しかしまぁ、これも私などの学習の過程です。今回の「c.自由の実現体たる国家」の学習は、ここまでとします。まだ、この先がいろいろあるからですが。次回は、「C.世界史のあゆみ」にはいります。「序論」は、a.発展の原理、b.歴史のはじまり、c.世界史のすすみかた、残り3節です。
2023年07月09日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論10B.(c)自由の実現体としての国家岩波文庫の『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)で読んでます。今回は「B.歴史における理性とはなにか」章の「(c) 自由の実現体としての国家」です。章の各文節に番号をつけると、第42節から75節にあたり、全体で34節からなっています。この節において、ヘーゲルは国家論を展開しています。第45節「世界史の対象を定義すれば、国家になる」(P74)第47節「国家論のくわしい展開は『法の哲学』の仕事なんだけれど」(P75)とことわりつつも、この節においてヘーゲルの国家論を展開しています。一、まず国家の本性(本質)とは何か、ということですが。ヘーゲルは、世界精神が前節(b)の手段により「実現した目的」とはなにか? 「理性的な究極目的」とは何なのか?、人の主観的な意思が、人間の知や意思を材料として、どの様にして現実の真理に合致した目的をもつのか? こんな問いかけから探究を始めています。「なんじゃ、こりゃぁ?」と。ヘーゲルがここで提起している問題ですが、それに対する彼の主張ですが、いったい何が問題なのか?私などは、なじみのないことがらですから、わかったような・・・しかしわからない文章と感じて、戸惑わされてきていたんですが。最近ですが、ある種の悟りのようなことがありました。ヘーゲルの序論というのは、本論を理解する上でのアドバイスであり、この部分だけで論証されてるわけではないんですね。本論から導き出された結論であったり、重要な洞察についての強調だったりで、ここでの一字一句について、ここだけでそのすべてが納得できるようなことではないこと。全体を理解する上での助言であって、一種の箴言集のようなものです。だから聞いてる側からすると、悟った人によるある種の宣託を聞かされてるかのような、そんな感じもさせられちゃうんですね。ようするに、ここではあくまでも助言として聞き置くようにして、さらにその先にすすめ、ということなんですね。完全に得心いかなかったとしても、気にしないですすめ、これはあくまで全体を理解するための助言なんだから、ということだったんですね。逆に、さもすべてを分かったような態度でいると、その人流の自分勝手な、無理な解釈をきたすことになるよ、とも言っているように思えます。さて本題にもどりますが、国家の本質について、ヘーゲルはどのような規定・洞察を述べているか、いくつか挙げてみます。1、「歴史において考察されるのは、偉大な世界史的情熱に突きうごかされた主観的意思が、どのようにして現実の真理に合致した目的をもつか」-どの様な意識的努力が、現実の真理をとらえれるのか。人間の主観的意思というのは、社会的共同体的本質をもっている。共同体としてのまとまりから国家が出てくる。国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場である。(第42節)2、「主観的な意思や情熱が目的を実現する活動力であり、理念が歴史の内面をなすとすれば、国家は現実に存在する共同の生活です」「共同体精神が人々の現実の生活や心情の中に生き生きと存在し、維持されるようにするのが、国家の目的です。国家という共同体の存在することが、理性の絶対の関心事であって、未発達なものにせよ、国家を建設したことが、英雄の英雄たるゆえんをなす功績です」(第43節)3、「世界史においては、国家を形成した民族しか問題にならない。国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の実現性は、国家をとおしてしかあたえられないから。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象にして知ることであり、理性的なものが、客観的な、形のある存在として目の前にあることです」「共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神が統一されることであり、公共の精神とは、普遍的かつ理性的な国家の法律のうちに表現される。国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたものです。」(第44節)私などは、「国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたもの」との規定に対して、以前は反発を感じていたんです。注意して読むと、ヘーゲルが神と言っているのは、いわゆる人の外にある絶対的な権威としての神ではないんですね。18世紀の啓蒙思想が理性として尊重したことの・ものの最高の姿であり結晶といった事柄なんです。前回の学習発信では、私などはヘーゲルの「神の理念が地上にすがたをあらわしたもの」等の言葉を、プロイセンの専制国家をも国家の本質の現象としての現れの形として合理化してるんじゃないかとして、反発を感じてたんです。そんな感想を発信してました。今回、いろいろ読んでみると「神の(のような理性的)理念」とヘーゲルが言ってるのは、理性の最高の形ということであり、当時のプロイセン国家の反動性を弁護しているわけではない。むしろ、恣意的な勝手をもっぱらにするような専制国家は「私が問題にしている理性的な国家などではない」-これは初年度講義『世界史の哲学講義』(伊坂訳 講談社学術文庫)のP118「自由と国家体制の区分」では、そうした趣旨すらが説かれているんですね。もう一つ、同じことですが、注意してください。第43節ですが「未発達な国家との現実があるにはあるけど」とヘーゲルは言ってます。国家なら何でも、みそもくそも天まで祭りあげるとしていたことじゃないんです。「未発達な国家」もあるといっている。日々私たちは、その不十分な国家という現実を、毎日嫌というほど見せつけられてる次第なんですが。しかしそれでもですよ、ヘーゲルは確かな洞察をしているでしょう。その否定的な現象があったとしても、その潜在的な裏側には、やがては表に出てくるところの、未来に発展させるべき理性的なものが要素としてふくまれているんだ、理性は現れるんだ、と説いてるでしょう。ヘーゲルはプロイセン王国の帝国大学の教授ですよ。そんな立場の人が、よくもまあ、こんな大胆なことを、その教壇から述べていたものだと感じませんか。その中身が講義録として、亡くなった後ですが、実際に刊行されたんですから。私などは、そうした先人の業績の中身ですが、今でも、あまり光があてられてないと感じてるんです。「宝の持ち腐れ」ということもありますし、勝手な解釈をして「三代目にして家を踏み倒す」ということもあるじゃないですか、努力をしなければですが。やはり、先人にたいしてしっかり評価をすることが求められているとおもうんです。それは今に生きている思想としてあり、今をより良くしていくための先人の成果であり遺産だと思うんですよ。現代人がそれを粗末にしていたとしたら、せっかくの大事な宝ですから、やはりもったいないと感じている次第です。「c.自由の実現体たる国家」ですが、今回で終わるはずでしたが、パソコンの操作ミスで、大方を消去しちゃったようです。この続きですが、もう一回発信させていただきます。
2023年07月07日
コメント(0)
ヘーゲル『歴史哲学』序論9 一つの学習方法について福田静夫先生の「ヘーゲル学習会」に、名古屋の学習会場に八王子から参加させていただきました。これはコロナの昨今のパンデミックが縁でして、これまでインターネットによるズームの学習などということは、私などにはまったく別世界のことだったんですが。不幸中の幸いでして、今回、それをまったくはじめてのことでしたが、活用させていただきました。ヘーゲルの『歴史哲学』学習は、今回は9回目ですが。今回はその番外編でして、二つのことをテーマにしたいと思います。一つは、ヘーゲルの学習方法について、どの様に学習しているかです。もう一つは、私などのこの学習にいたる経過について、なんでこんなことをしているか、ということなんですが。一、最初に、ヘーゲルの学習の仕方についてです。もちろん、人それぞれに、工夫し努力しているわけですが。これは今から2年半前、私などがヘーゲルの『歴史哲学』の学習を、暗中模索していたんですが。その時の『歴史哲学』序論についての学習発信したときのものです。2020年10月4日にブログ発信でしたが。哲学学習14 『歴史哲学講義』序論 ヘーゲル歴史哲学での国家 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)だいたい、それまでヘーゲルの学習などということは、自分の一人での、まったくの暗中模索による探究だったんです。達磨大師状態ですね、壁に向かってるような状況だったんです。ところが、そんから1年半の後のことでしたが、二人の知人から、「福田静夫先生のヘーゲル学習会があるよ」と、「赤旗」での学習会の紹介がありました。あとから知ることになるんですが、福田静夫先生というのは、今のヘーゲル研究の大御所だったんですね。故・真下信一先生の流れにある、日本福祉大学の名誉教授だったんです。無知とは恐ろしいもので、私などは、そんな存在をちっとも知らなかったんですが。そうした縁で、2022年3月から、毎月に1回のズーム学習に参加させていただきました。ヘーゲルの『法の哲学』の第三部「倫理」、その第三章「国家」から、参加させていただきました。この学習会に参加して、まず驚いたんです。福田先生の学習方法は、ヘーゲルの『法の哲学』原典に対して、文節ごとに番号をつけて、ヘーゲルの言っていることを、先ずは正確につかむこと、それが基礎作業だったんです。さらに、ヘーゲルにはいろいろな翻訳がありますが、福田先生ご自身で訳されて、ヘーゲルの真意を探られてるんですね。だから、学習会の前に、毎回、その部分のオリジナルな翻訳と、そこでの主題になっている問題が、資料として送られてきたんですね。だいたい、ヘーゲルというのは難解な表現をしてますから、自分勝手な勝手な解釈が、さも「自分はヘーゲルを理解している」といったふうな、まったくの自分勝手な解釈がさまざまにまかり通ってるじゃないですか。そんな「解釈」が大量生産されているのが、今の現状ですから。あの世にあって、ヘーゲル自身も、「いや、自分は、そんなことを言っいるんじゃない」と嘆いていると思うんですよ。まずは、正確に著者が言っていることを理解する努力が、出発点だと思うんですが。もちろん、その吟味をいちいち検討を表現しようとすれけば、原典の分量の何倍もの量になりますから、そこは、その人なりのエッセンスとせざるを得ないんですが。まず、基本としてこの問題があります。その点で、福田先生は、ヘーゲルの著作を文節ごとに、通しナンバーをつけて、一つ一つその意味を探っているんですよ。じつに誠実な、すごい努力です。私なども、この自分の学習発信をふりかえると、そうした基礎作業を多少はしようとしていた、そんな努力はうかがえるんですが。しかし、さすがです。ヘーゲル研究の大御所の努力というのは、その度合いが、レベルが違うんですね。ヘーゲルの原書の原文にあたって、その日本での翻訳のありかたについて、そこまで吟味しているんです。こうなれば「デクターツーラ」の問題も、いち早く問題の遡上にのりえたわけなんですね。ところが、流行にもてはやされる研究者は、思い付きの勝手な着想でもって、さもこれがヘーゲルの真意だなんて、勝手な解釈をひけらかしている。こんな流行学者の態度と、それをもてはやすメディアをみると、私などでも思うんです「いったいこれは何なんだと、まったくの雲泥の差じゃないか」と。この学習の仕方が、学習にたいする誠実な態度というのが、基本問題として問われていると思うんですね。二、もう一つは、私自身のこうした事柄にたいする探究のあゆみがあるんです。これも、前回の学習の時に、自分自身をふり返ったことですが。2020年10月13日付発信の、第12回「ランダムな感想」です。哲学学習17 ヘーゲル『歴史哲学講義』序論12 ランダムな感想 | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)まあ、以前の2年前に発信したブログですが、この二つを念頭におきつつ、次の「B.c自由の実現体たる国家」に、これは『法の哲学』とともに、ヘーゲルの「国家論」が主題ですが、ここにすすみたいと思います。あと「歴史哲学」のこりは、「C.世界史の歩み」、「a.発展の原理」、「b.歴史のはじまり」、「c.世界史のすすみかた」。あと、もう少しのところまできています。
2023年07月01日
コメント(2)
ヘーゲル『歴史哲学』序論8 b.自由を実現する手段3ヘーゲル『歴史哲学』の「序論」、b.自由を実現する手段、ですが。一、最初に前回の続きです。この「b.自由を実現する手段」(『歴史哲学講義』ガンㇲ版1837年)にある問題ですが。エンゲルスは1888年の『フォイエルバッハ論』第4章の第12項において「ヘーゲルが代表する『歴史哲学』は、歴史上で行動している人間の外見上の、そして現実に働いている動機が、決して歴史上の出来事の究極の原因ではなく、これらの動機の背後に別の動力があって、これを探究しなければならないのである」-との問題を確認しています。そして、次の第13項では、問題は「そこで歴史上で行動する人間の動機の背後にあり-意識されてるか、多くの場合は意識されてないが-、歴史の本来の最終的な推進力をなす動力を探究すること」-この課題を提起してます。マルクスの草稿にかつての探究をふり返ってるわけですが。そもそも、この問題は最初はいつ、どんな形で生じたのか、ですが。1845-46年の『ドイツ・イデオロギー』の中には、この大部な草稿の中には、フォイエルバッハの宗教批判にたいして、こんな問題提起があります。フォイエルバッハが宗教批判をだしたことによりおのずから出てきた疑問として、「人間がこれらの幻想を自分の『頭の中に入れた』ということはどうして起こったのか? この疑問はドイツの理論家たちにとってさえ、唯物論的な世界への道をひらいた」(『全集』第3巻P236)、と。私などは、ここにヘーゲル-フォイエルバッハ-マルクス・エンゲルスの継承・発展を見るんですが。しかし、それは大事な問題ではありますが、こことは別のテーマかと思います。ここではヘーゲルが「動機の背後にある問題を課題提起」したことの業績を確認するとともに、その他にもヘーゲルには沢山の宝があるわけで、そのいくつかを探ります。二、それは努力による認識過程でもあると思うんです。レーニンの『哲学ノート』を、以前に紹介しましたが、そこには『歴史哲学講義』について二つの感想がのこされています。それがのちのち『全集』として刊行されるなんてことは、当人はまったく考えておらず、あくまで個人の自由奔放な学習ノートなわけですが。レーニンの感想①「一般にいって、歴史哲学はたいして教えられることがない―これは当然である。なぜなら、まさにここで、まさにこの領域で、まさにこの学問で、マルクスとエンゲルスは最大の前進をとげたのだからである。ここでヘーゲルはもっとも古くなり、そしてもっとも陳腐である」しかし、レーニンの感想②「注意 もっとも重要なのは序論であり、そこには問題提出に素晴らしいものがたくさんある」と。私の勝手な推測ですが、レーニンの『歴史哲学』を読んでの最初の総括的な印象は、観想①だったと思うんです。ところが、その認識が変化していった、それがが感想②がしめしているんじゃないかと。レーニンの認識の変化を感じるのは、はずれてるでしょうか。「歴史哲学講義ノート」最後には、3つの書き抜き「ヘーゲル、世界史について」(P284-285)をのこしますが、その一つは、この「B.歴史における理性とはなにか b.自由を実現する手段」からの書き抜きです。そしてその最後の最後には、「注意 序文で出版者・編集者のガンㇲは、本文の73ページまでは1830年にヘーゲルによって書かれたものであり、手稿はヘーゲル自身によって仕上げられたものである、と言っている」と書いてます。ここにも、この著作をどれだけ重視していたか、レーニンの姿勢というものが伝わってきませんか。三、さて本題です。「b.自由を実現する手段」の後半という今回の範囲も、第18項から41項までありますから、それなりの量があります。私なりに、その中から、いくつかの点に絞っての学習紹介です。第一は、「序論」の性格の問題です。私は誤解していたことに気がつきました。これまで『歴史哲学』「序論」でヘーゲルは、自らの歴史理論をまとまった形で紹介したものと思ってたんですが。しかしそうじゃないんですね。ヘーゲルは、ここで本論から導き出された結論であるとか、本論を理解する上で大事だと思われる論点だとか、いわばいくつかの「箴言集」的に紹介したものなんですね。ここで起承転結的にまとめているわけではなかったんです。ここだけで完璧な論証をしているわけじゃなかったんです。私は、この論述の仕方・性格について誤解していた。まとまった論証を理解しようと期待していたために、その論述に難解さを感じてたんですね。ヘーゲルにとっては、「あくまで本論を理解する上での、いくつかの大事な点についてのアドバイスだよ」ということだったんですね。結論をはなから理解するなんて無理なことでして、大体そんなものかな、ということで先にすすむべきだったんですね。それをあれこれ解釈しようとして無理していたんです。第二は、第18項ですが、「歴史における目的の実現の第二の要素を、国家にあてはめて考えてみる」と。それは「市民の私的関心と国家の全体的な目的とが統一(一致)され、一方が他方のうちで自己実現」することだと。ここには、国家目的にかなうことが意識されるまでに、また、統一されるまでに、長い知のたたかいと長い訓練が必要だとの歴史過程を見ているわけですが。ヘーゲルは私的な関心と国家の全体的な目的が、いつか必ず一致するものと確信してるんですね。それがどの様な形でなされていくかを、考察しているんですね。その内容は具体的には紹介できませんが、こんなことを言ってます。「世界史全体に通じる目的は、潜在的に、自然のごとくに、存在するにすぎない。それは内面の奥の奥にある無意識の衝動であって、世界史のいとなみの全体が、この衝動を意識にもたらす作業です。」「この途方もなく多量の意思や関心や活動こそ、世界精神がその目的を完成し、意識へと高め、実現していくための道具であり、手段です。」「その目的とは、自己を発見し、自己にかえっていき、自己を現実として直観することにほかならないが」(岩波文庫『歴史哲学講義』上P51)ちなみにレーニンも『哲学ノート』で、こあたりを注目していて、この節の10か所の書き抜きのうち、第3番、第4番、第5番は、このあたりから書き抜いています。第三に、一般的な理念と個人の行動とのつながりの問題ですが。「直接の行動のうちには行為者の意思と意識をこえたものがふくまれるというじじつがある」(第23項)個と一般は、たがいにべつのものとして存在しているが。通常の私生活においては、行為者の目的や行動の指針ともなる一般観念は、特定の内容をそなえている。どの内容が善であり、どれが正義かは、国家の法律やしきたりのうちにしめされている。各人には自分の立場があり、それにふさわしい立派な行動がどんなものかを知っている。25項「世界史的な大事件の場合には事情がちがう。ここでは、現行の公認された義務や法律や正義と、それに対立する可能な義務や法律や正義とのあいだに、大きな葛藤が生じ、新しい秩序が古い体制を傷つけ、その基礎と現実性を破壊し、しかも新しい秩序自体がよいもの、全体として利益をもたらすもの、必要不可欠なもの、と思えるような内容をもつのです。そして、この新しい可能性がやがて歴史にうけいれられる。それは、民族や国家の現存体制の基礎をなすような一般理念とは、別種の一般理念をふくみます。」(P57)これはヘーゲルが言ってるんですよ。彼が世界史のあゆみを、具体的にたどる中から引き出してきた見解なんです。もっとも、論理学において、その一般的形式についての見通しをもっているわけですが。それと、エンゲルスの『空想から科学へ』第2章で、形而上学的思考と弁証法的思考を対比していますが、ここにその考察のヒントがあったと推測するんですが、如何でしょうか。第四に、すでに長くなりすぎてますが、もう一つだけ紹介します。第36項「世界の目的という観点からすれば、道徳と法にかなったよい目的が確実に実現されているかどうかのほうが重要です。人間が道徳的に不満を感じるのは、正義でも善でもあるとみなされる目的(とくに今日では理想的な国家機構)に、現実が合致していないと思えるときです。そのとき、目の前の現実に本来あるべきすがたが対置される。もとめられているのは、特殊な利害や情熱を満足させることではなく、理性や正義や自由を満足させることです。正義や善の名分をあたえられると、現実への要求は声高になり、現在の状況に不満を言うだけでなく、それに怒りをぶつけるようにもなる。そうした感情や見解を正当に評価するには、文句のつけようのない形で提示される要求を、あらためて検討してみる必要がある。」(P66-67)これもヘーゲルが大勢の受講者をまえにして講義していたこと、その中に含まれていることなんですよ。ヘーゲルは、プロイセン王国のベルリン帝国大学の総長にも選ばれた人ですが、すごい学術に対する姿勢ですね。(今の日本の「日本学術会議の任命拒否」などに直面したら、その誤りを訂正しようとしない事態をみたら、いったいどうしていたことでしょうね)。しかし、これはまだまだ世界史の歩みの中からみちびきだされた、一般的な大事なことがらとしてヘーゲルは説いています。マルクスは、ヘーゲルの『法の哲学』を1843年に検討しています。全集第一巻に『ヘーゲル法哲学の批判から』と「序説」として、残されていますが。その一節です。「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学にたいする批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面またドイツの政治的および法的意識の従来の在り方全体の決定的否定でもある。そしてこのドイツの政治的および法的意識のもっとも高邁な、もっとも普遍的な、学にまで高められた表現こそは、まさに思弁的法哲学そのものにほかならない」(「国民文庫」真下信一訳 P340)マルクスが、ヘーゲルの国家論や法の哲学から、何を価値ある宝として引き出していたのか。ここにその一端が見て取れるじゃないでしょうか。これは、今に生きる大事な事柄、問題点であり、宝だと感じさせられました。私の狭い認識では、こうしたことが紹介されているのを見かけることがないんですが。それを研究者が知らないということはないと思うんですよ。しかし、それがひろく知らされてないなどというこことは、じつにもったいないことじゃないですか。私などは、「それは学術に対する怠慢じゃないか」なんて、勝手にほざいてるんですが。この節のヘーゲルのしめくくりの言葉です。「この項では、精神の絶対的な目的との関係で個人をどう見るか、その基本的な視点を簡潔に提示するだけでよしとしておきます。」(P71)、そうした限定された事柄の提起なんだと。当方も、この大事な節ですが、その学習という宿題を、ようやく果たせました。さて、次回は、「c.自由の実現体たる国家」にはいります。
2023年06月23日
コメント(0)
全810件 (810件中 1-50件目)