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再び句集『北山時雨』を紹介します一年前に句集『北山時雨』を残して、知人が旅立ちました。歌心のない私などは、その時は「あとがき」に込められた思いとなりをさぐったんですが。この句集に対して、『おだやかな人様が句集にあふれ心が豊かになりました』(HY)そんな感想が寄せられました。句集「北山時雨」(120句)の「あとがき」を紹介します | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)人はそれぞれの思いで、句集をひらくと思います。歌心の水準がどうのということではないとおもいます。それで今回は、私なりに、いくつかの句を選んで、鑑賞してみました。〇帰農して「ひるのいこい」を雉と聞く これは、最初にある句です。彼はどんなに忙しくても、「ひるのいこい」をきいて、休み時間をとるようにと、いつもみんなにアドバイスしていました。〇十貫のみかんを背負う娘の笑顔「昭和30年代明るい農村」の副題が付いてます。新潟などからの出稼ぎの人たちにささえられていた。今も作業小屋の二階の部屋には、彼女たちが使っていた布団が残されています。〇花咲けど人影ない山時止まるこれは2019年の作で、最近のみかん畑の様子をうたったもの。高齢者がみかん仕事を担っている。〇ニュータウン五十年目の桜咲く小田原のみかんは東京の永山団地の朝市で販売しています。見栄えは劣っていても、美味しくジューシーで、安いですから、それなりに好評です。園主の彼もその様子を見に3回は出かけてきてるんです。〇人形が微笑み返す梅雨晴れ間東京・多摩市から援農に来てくれた人、一緒にイノシシ柵を設置してくれた人、その人が人形づくりをライフワークにしてたんです。今もその遺作が何体も早川の家に並んでいます。〇さしあたりあと十年と冬日差す昨今のみかん農家は、高齢化や耕作放棄地の広がりなど、見通しがなかなか見えない事態ですけど、「しかし宝の山なんだ」と自分自身に言い聞かせて、体が続けれるあと10年間くらいは、とにかくがんばろう。それが彼のもっとうでした。〇春が来る木馬は回る七巡目これが辞世の句です。もう体の不調なことを、他人には言わなかったけど、本人は自覚してたんです。これは「あとがき」の気持ちとも重なると思います。「世の中の混乱はおさまりそうもなくふあんになることも多い。・・・でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望をもって期待するものである」私流にこれを解釈すれば、この一文を残すために、彼は病の体を駆使して、いろいろと最後の努力をしていたんだと思います。あとから振り返って、わかってきたことですが、それがはっきり見えてきます。確かに、今のひどい世の中ですが、そのなかに次の若者たちの、希望を感じさせてくれる努力をみる。我々年寄りたちは、彼ら若ものの未熟さを「あれが足りない」「だめだ」と否定的に水をかけるのではなく、もっとその苦るしいたたかいを理解しよりそって、しっかりと励ましてやること。そこに大人たちの大事な責任があると。それが「あとがき」にこめられている精神だと思います。今日は、彼の一周忌でした。あどけないお孫さんには、事態の意味は分りません。しかし、とにかくかわいいこと。住職も、その様子に感嘆の言葉を述べてました。私などは、何も言えなかったので、その分をここで紹介させてもらいます。
2024年06月01日
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この五月、東京も小田原も大変でした一つは、自然でして雨です。毎週のように雨の天気です。雨が降っては、畑が濡れていれば、農家にとっては仕事が出来ないじゃないですか。5月の初めにはお茶摘みがあり、5月は甘夏の収穫時でもあり、梅の収穫の始まりなんですが。もう一つは、社会です。国政は、政治資金の裏金を正せるかが問われてますが、東京は、都知事選挙の投票が7月7日の七夕です。経歴すらも詐称が疑われる小池都知事が、パフォーマンスで都民泣かせの自民党パンダです。5月27日(月)に蓮舫氏が候補者に決まった。小田原では、5月19日に小田原市長選挙があり、現職の自民・維新・連合神奈川支持の候補者が、現職にもかかわらず2対1で負けたんですね。政治の世界では、小田原も東京都も激動の様相を示しています。農家にとっては、自然との関係もあります私などのみかん農家にとっては、こうした政治の動きをみつつも、毎日、自然相手とするみかん畑の手入れ仕事が待っています。今日は、昨年亡くなった知人の息子さんと一緒に、みかん畑で仕事をしてきました。密集するみかんの木の剪定をし、その根回りの草取りをしてきました。お母さんが、みかん畑管理の手法をおしえようと、行ったり来たりしていました。今年は、毎週のように雨が降ります3月来、毎週のように降る雨はです。この一雨が降るごとに、雑草が繁茂してきます。みかん仕事は、とどのつまりは、この雑草をいかに抑えるかが基本作業です。それに加えて、みかんの木野枝が密集したままでいるとアブラムシなどの発生によりスス病がひろがります。同時に、みかんの木の基幹の回りをきれいにしておかないと、木を枯らすカミキリムシが発生してきます。今回の手当ては、これらに対する対策でもあったんです。ということで、今回、二人で1時間をかけて、8本の木をきれいに手入れしました。この仕事を始める前に、打合せしました。1、この五月というのは甘夏の収穫の大事な時でもある。ここを過ぎると甘夏のジューシーさが消えてパサつくようになる。レモンも5月までだけど、この5月のうちに甘夏・レモンの収穫を終えなければならない。2、また、5月の末から、梅の収穫が始まりだした。今年は、曽我梅林の梅農家によると、例年の6割くらいしか採れなとのこと。不作とのこと。とにかく、今が梅の大事な収穫期に入ってていること。3、みかん畑の境界にあるお茶の木だけど、ゴールデンウイークころの一番茶の茶摘みを終えて、今はその整姿剪定の時にある。天候をにらみながら、これらの作業をすすめているのが、周りの農家の状況だ。そうした事態の下での、今回のみかんの木の手入れとなる。今、みかん農家は、みかんだけでは食べていけないから、ほとんどが兼業農家として働いている。職場で疲れた休みの日に、休みたくても、つかれた体でみかん作業をしている。若い世代は小さな子どもの育児もしなければならない。それは彼が、突然おかれた逆境でした今回、仕事をともにした彼ですが、その生活は、そうした事情を思うと、まったくたいへんなんですね。私などが見ても、よく頑張っていると思います。彼は去年の6月に、みかん園の園主のお父さんを亡くしたんですね。畑仕事をしているのは、その残された母子なんです。今週の末が一周忌です。突然にお父さんの不幸がふりかかる。そしてこの一年、それからくる、さまざまな苦労がのしかかってきて。奥さんは奥さんなりに、息子さんは息子さんとして、その結果に対処してきたんですね。その一つが、このみかん畑の手入れです。彼にとっては、これはふってわいた事態で、まったくの新規就農者なんです。亡くなった父親は、これ自分の苦労を息子に押し付けるわけにはいかないじゃないですか。おそらく「お前はお前で、自由に生きろ」としてきたと思うんです。しかし、内心ではわれ亡きあとのみかん園をどうするか、他人には一切言わずに悩んでいたと思うんですね。私なども、そんな体調や事情は知りませんでしたから、この数年、一日の作業が終えたあとに、二人して飲んだくれていたんです。彼はビールをコップいっぱいで、大所高所の世界に行っちゃって、いろいろ持論を吐いていたんです。まぁ、それはそれ。突然のお父さんの訃報のころから、別世界に手た息子さんですが、この現実に立ち向かい出したんです。その辺から、私などとの出会いがありました。おそらく、ほとんど観察でしか知らないみかんの手入れだったでしょう。よもやこの大変な仕事が自分自身のみに降りかかってくるとは、思ってもみなかったと想像します。しかし、大したものです。それにいちから立ち向かって、頑張るようになりだしたんです。私と早川とのかかわりそもそも私などと早川とのかかわりですが。小田原・早川のは、たまたま私が真鶴のみかん園に通う通り道でした。2000年に亡くなった私の父ですが、真鶴に125坪、28本のみかん畑を、職場を退職するころからはじめていたんですね。亡くなってはじめて、それを現実的に知ったんですが。彼と同じです。八王子と真鶴を通ううちに、その知人が、市民園を貸すから販売の一助にすればよいと。それが、わたしと早川との関係がはじまったということですが。しかし、数年間、その市民園の草取りをしているうちに、早川の情況が見えてきました。今回の場合、この1年の知人の園主の不幸という事態の激変にあって、これからの先が心配されました。とにかく、私としては、出来うることで応援するしか、仕方ないじゃないですか。今、手入れしている箇所というのは、みかん園全体の一角なんです。しかし、とにかく、息子さんが手入れ作業をはじめだしたことは、確かなんです。これは、おもい荷物なんです。私などでもほっぽりだしたとしても当たり前だと思うんです。しかし、それでも彼は、その一部を担い出している。私などは、これはたいしたものだと思うんですよ。私などは思うんですこのことというのは、今、全国の農家が抱えている問題の共通の姿だと思うんです。亡くなった知人が、しんぶん『農民』を毎回おいていきました。農民運動全国連合会(農民連)の機関紙だそうです。それを読むと多くの農家がいっています。「国の無茶苦茶な今の農政を抜本的に改めさせなければならない」と。それはその通りなんだけど、もう一面では、その農家がこれまで自民党の基盤になってきたこと、これもまた事実でして。ようするに、昨今の農家はかわりつつあること。農家の人たちにとっても、国民消費者にとっても、今の農政は亡国の農業政策だということが、ここにきて見透かされつつありると思います。彼は酔うと、テープレコーダのように、TPPでの挫折の体験を繰り返していたんです。このおかしな現実を、いったいどのようにしてまともな農政に政治に転換させるのか、それが彼の最後の最後までの問いかけだったんですね。なんたって、国内の農家の事情を知ってるかのような顔して、結果は考慮しない。外国からの安い農産物を買うことで、その日がよければそれでよしとする政治です。場当たり的な、いまがまかなえていさえすれば、それでよし。問題はなしとする政治です。そのために、農家の後継者がいなっている事態ですが、これは、拉致被害者への対応と同様のもんだいです。こうした現実です。この事態を変えようそれは、農家だけの問題じゃないんですね。少子化対策もしかりです。根っこは、軍事産業のために国民生活を犠牲にするということです。農家の現実は、国民・消費者とを分断させて、みずからの特殊な利益を確保しているということ。これは、農業問題は、国民全体の立場から、再点検する必要があるということです。これは国民全体の問題であり、責任ですね。こうしたなかでの今回の東京都知事選挙ですそれは、首都東京から、全国国民に、さらには全世界に対して、政治転換の新たなシグナルを発信する機会になります。首都・東京の動きは、小田原のみかん農家にとっても、みかん園の荒廃を広げるような政治から、農家のくらしを守るような政治に転換させれるかどうかにつながっている、けっして他人ごとではないんですね。今や、この東京都知事選挙が、全国の関ヶ原の戦いとなっています。すでにその政治戦が始まっています。今回、小田原市民の一人なんですが、農産物を届けに来てくれた人ですが、『小田原は市長選挙で勝ったけど、今度は東京でこそ勝負だね。面白いことになったね』日ごろは政治のことなど口にしたことのなかった農家ボランティアの方ですが、帰り際に、首都・東京の都知事選挙について、私に対しこの言葉を残していきました。みずからの問題として、この都知事選挙について、生き生きとした言葉を言い残していきました。私などが都民の一人であることを知っていたため、あえて強調していたんです。『これは、面白いことになったね』と。そんな言葉を残していきました。ようするに、いまや東京都知事選挙は、全国注視の戦いとなっているということです。かならず勝って、国民のための未来を引き寄せる、ということです。
2024年05月31日
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マルクス『経済学・哲学手稿』 「ヘーゲル弁証法批判」まとめ2今回は、準備作業です。一、翻訳について『経済学・哲学手稿』の、日本語への翻訳書ですが手元には、三つがあります。刊行の順に紹介すると、一つは、国民文庫(大月書店) 藤野渉訳 1963年3月刊行二つは、岩波文庫 城塚登・田中吉六訳 1964年3月刊行三つは、マルクス・エンゲルス全集 第40巻 真下信一訳 1975年3月刊行、です。それぞれの人が、その真意をつかもうとして努力されてるんですが、今回の学習の場合、ME全集の真下信一訳を軸にさせていただきます。対象は「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」P490-512の33ページです。この著作の冒頭には、「序言」の3ページがあります。これも大事な提起をふくんでいると思います。わたしも各文節ごとに通しのナンバーをつけてみました。それは問題の箇所を明確にするためですが。私なりの数え方では、第1文節から全体は第64文節となります。二、『経済学・哲学手稿』刊行の経緯についてそもそもこの『経済学・哲学手稿』が刊行されたのは、1932年のモスクワではじめて印刷されたとのことです。マルクスが1844年にパリで書いたものですが、出版社との間で出版契約を結んだ、その数日後に、フランス政府により国外退去を命じられた、そのどさくさでお蔵入りされ、だれもこれを知らなかった。1883年にマルクスが亡くなりました。その遺稿集の束に目を通していたエンゲルスが、これを手稿を発見したんですね。エンゲルスは1886年に『フォイエルバッハ論』を執筆しましたが、これは比較するとわかりますが、この草稿あたりが原典的な材料になっています。それは、マルクスがはじめて唯物弁証法を歴史的に明確にした努力でしたから、大事な問題です。しかしその手稿は難解で大部な論文でしたからそのままの形で出すわけにはいかなかった。しかし、そこはエンゲルスです、大部な難書の中心点を、私たちのために、わかりやすく、しっかり解説してくれていたんですね。それは日本の明治19年のことでした。日本は鎖国をといたばかりです。その後の日本は、西洋の学術は取り入れるものの、基軸は侵略戦争への道にすすんでゆくじゃないですか。きな臭くなるとともに治安維持法です。幸徳春水はじめとする大逆事件、社会主義の運動や本は国禁の取り締まりの対象になりました。そうした中ですから、『経・哲手稿』は、ほとんど知られることはなかったでしょう。手にすること自体が禁じられていたし、語学の壁もありましたから。これが日本で自由に読めたり、議論できるような可能性を得たのは、1945年8月15日の敗戦後ですね。それにより民主的な日本国憲法が確立した。その時以降なんですね。それはマルクスがこの本を書いた1844年から100年をへた後での日本ということでした。わたしなどがこの本の存在を知ったのは、学生時代の1970年のことでした。こうしてみると、それはまだ日本語訳が出てから数年後の、比較的に初期の頃だったんですね。そのころ研究者たちが、「労働の疎外論」などの『経哲手稿』に関する議論を、それこそ事新しく、活発に展開していたのを記憶しています。しかし、そうした時から、今や50年以上が経過したということです。三、関係する主な著作の紹介ですつぎは、『経済学・哲学手稿』が書かれた前後の社会背景です。まず、人物です。ヘーゲル(1770年-1831年)、フォイエルバッハ(1804年-72年)、マルクス(1818年-83年)、エンゲルス(1820年-95年)です。つぎは、内容です。 1807年 ヘーゲル『精神現象学』 1812-16年ヘーゲル『大論理学』 1817年 ヘーゲル『エンチクロペディー』 (1831年ヘーゲル死去) 1839年 フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学批判」 1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 1842年 フォイエルバッハ『哲学改革のための暫定命題』 1843年 フォイエルバッハ『将来の哲学の根本命題』 マルクス 1842年 マルクス『ライン新聞』編集 (※1843年 マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』(クロイツナッハ)) (※1844年 マルクス『経済学・哲学手稿』(パリ)) (※1845年 マルクス「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」) (※1845-46 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデォロギー』) ※ は、書かれた当時は、刊行することができなかった。日本の先人は、これらを私たちが今日、それを読めるように、しっかりと翻訳してくれているんですね。しかし、この若きマルクスの努力は、ほとんどが刊行することができなかったんですね。『経済学・哲学手稿』ですが、当時マルクスは26歳。当時のドイツは、戦前の日本がモデルにしていたように、民主主義的自由が圧迫されていた。マルクスはそのドイツからフランスに出国して、自由なバリに移つることで『独仏年誌』を刊行することが出来た。ところがプロイセン政府の圧力によってフランスから国外追放させられた。こうした事情で、『経哲手稿』は刊行することができなかったんですね。波乱な生活にもかかわらず、短期間に多岐な集中的な作業がおこなわれたことが見て取れます。新たな世界をひらくための、その努力の成果がこの著作なんだということです。今回は、ここまでです。次回は、マルクスのフォイエルバッハ論です。社会的に一世を風靡したヘーゲル哲学ですが、そのドイツの観念論の大勢的な中から、フォイエルバッハが、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しだした。ここからマルクスの努力がはじまるわけですが。この努力のはじまりをさぐります。
2024年05月27日
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南大沢での立憲民主党・青空対話集会5月26日、東京八王子市南大沢駅前で、立憲民主党の青空対話集会がひらかれ、参加してきました。当方の住む八王子市の東部は、衆議院選挙では、新たに東京第21区となり、日野市と立川市と、八王子市の一部からなる、新しい区割りとなる選挙区です。野党共闘で衆議院議員の大河原まさこさんが活動しています。この対話集会には、大河原まさこ議員とともに、ゲストとして小川淳也衆議院議員が参加して、市民との対話がおこなわれました。この対話集会で、市民からどの様な質問が出されたか聞き取りにくかったので、正確なものではないんですが、趣旨はあっているとおもいます。ランダムですが、紹介します。小川淳也議員の最初のスピーチは、裏金問題のひどさでした。水だけで2万円パティーなど、自民党の資金集のパーティーのひどい様子が指摘され、今このひどい政治を力を合わせてかえるしかないと、力を込めて訴えていました。こうしたスピーチに対して、市民からだされて意見・質問ですが。〇政治家のパーティーがこれだけ問題になっている時、規制法を提案している立憲・岡田幹事長がパーティーを開こうとしたりしたのは、ちぐはぐじゃないか。〇これだけ自民党・公明党、岸田内閣の政治がひどく、批判が大きいのに、それなのに野党への支持があがらないことを、いったいどうかんがえているのか。〇最近「連合」がおかしな言動するのがめだつ、連合との関係はどうなっているのか。この問題をどの様に見ているのか。〇子どもたちの平和が大切だと思う。その時に、立憲民主党が、経済安保法に賛成したり、武器の共同開発や輸出に賛成する態度をとったことは、たいへん残念だ。〇消費税で減税がくらしと経済の回復のために大切だと思っている。なのに枝野さんは「財政を確保する上で必要だ」といった発言をしてるようだけど、消費税についてどう考えているのか。〇原発反対の運動をしてきているが、命を守るうえで、処分できない核のゴミがたまるのも問題だ。なのに、立憲民主党の原発問題に対する態度がハッキリしない。どう考えているのか。等々。参加した市民からは、つぎつぎに意見と質問がだされていました。これ以外にも、さまざまな質問が出されていました。私などの感想です自民・公明政権のひどさは、裏金、43兆円の軍事費大拡大による国民犠牲の政治にあることは明らかだと思うんです。それを変える政権づくりが求められている、これも明らかだとおもいます。同時に、今回の対話発言に見られるように、野党の「批判」のなかにも問題があるし、そのことの打開が求められている。こうした事態をかえる理論と共同を、どのようにつくるか、それが、今、国民にとって痛切に求められているということです。
2024年05月26日
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希望ある東京都政をひらこう 第4回鹿島のつどいを開きました東京・八王子市鹿島で、5月25日に4回目となる「くらしと政治 鹿島のつどい」を開きました。東京都知事選挙が、6月20日告示-7月7日投票と、1か月後に近づいています。5月25日のニュースでは、小池都知事が都知事選挙へ出馬するとの報道されてます。このつどいでは、希望ある都政をひらくために、今私たちの鹿島地域で何が必要か、など。都民が求める政策とはなにか、候補者の選考はどうなっているのか。互いのもっている情況や認識について、ざっくばらんに交歓し合いました。つどいには、八王子市議会の日本共産党・望月しょうへい市議も参加してくれて、5月23日に発表された都知事選挙へのアピールと、その具体的提案を紹介してくれました。東京都知事選挙についてもちろん、私たちでは、都知事候補者の選考状況などは分かる由がありません。しかし、都知事の候補者が決まるまで、そのままただ待っているだけでなく、今、この時点で何が出来るかなど、話しあいました。この中で、東京の共産党都委員会が5月23日に発表したアピール「自民党政治に審判を下し、みんなの希望がかなう東京へ、力を合わせましょう!」を紹介。その中心点を望月市議が紹介しました。東京都の一般会計予算は8兆4530億円ですが、共産党として提案は、その無駄づかいをけずって、全体の3.8%を組み替えるだけでも、都民の求める要求のどれだけのことが出来るのか。その中心点を話してくれました。ここには121項目が提案されているが、その中から、いくつかを紹介しました。「都政への要求」のいくつかその要求の幾つかをあげると、〇シルバーパスの無料化、モノレールへその適用-これは153億円で出来る。〇通学定期券の半額補助-21億円。〇学校給食の無料化-239億円。〇75歳以上の低所得者の医療費の完全無料化-162億円。〇18歳までの医療費の完全無料化-21億円。〇子どもの国保税(「均等割り」)を無料に-66億円。などなど、121項目が提案されていて、これが予算の組み換え提案で3224億円でできること。これらの提案について討議しました。「都政を変えれば、豊かな未来が」望月市議は、その実感をもって語ってました。「東京都は、スウェーデンの国家予算並みのゆたかな財政(8兆4530億円)をもっていて、その無駄な一部を削るだけで、都民の要求は実現できる」と、力強く語ってくれました。その削減対象の主な項目は、〇経済界の要望する都市開発(200億円もの分譲室販売)-328億円。〇都民の反対する都市計画道路や外環道-1013億円。〇都庁のテレ画面-26億円。など69項目の削減で2053億円。その差額の1170億円は、ためこんでいる財政調整基金と国の補助制度で手当てできる。「ようするに、その気にさえなれば、東京は都民が希望の持てる都政に転換できるし、その資力がある」、この選択が、1か月後の都知事選挙で問われていると語っていました。「お互いを知り、質疑・懇談しあうことが大事だ」と。参加者のそれぞれは、お互い状況を知り合うことが大事だということ。「八王子の都議補欠選挙の準備は、どうなっているのか?」「八王子市段階では都知事選をすすめる野党共闘はどうなっているのか?」「これからの八王子市議会の予定はどうなっているのか?」「八王子市での学校給食無償化、体育館へのクーラーの設置は、その具体化はどうなっているのか?」などなど。さまざまな質問や意見等が交歓されました。次回の鹿島のつどいは、 6月22日(土)、午後1時半に開催予定しています。
2024年05月25日
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政治資金規正法「改正」案の質疑5月24日衆議院の特別委員会で法案の質疑がありました。自民党の政治資金規正法の「改正」案が、どの様なものか。共産党の塩川鉄也議員の質問に、自民党作業部会の座長が、法案提出者として答弁したんですが。そのやりとりをしんぶん「赤旗」と、委員会のインターネット録画を見たんですが。規制法の法案提出者が、どっぷりと泥沼につかっている。そうしたサマが浮き彫りにされました。そもそも法案の提出者がですよ、企業からの献金の不記載が指摘されて、その訂正を余儀なくされている。さらに、派閥からキックバックを受ける仕組みになっている事実も認めざるを得ないんです。しかし、そのやりとりには、まったくの誠意がない。「派閥全体のことはしらない」としたとしても、自身の目標額すら「記録を残していない」「報告書等の保存がなく申し上げれる状況ではない」と。これじゃぁ、この法案でいったい何を正そうとしているのか、問題を問題とする意思がなく、ましてやそれを正そうなんて意思がまったくないんですね。どうしようもない自民党法案の提出者であり、これが「自民党政治改革刷新本部作業部会の座長」だというんですから、あきれるけれど。あきれるだけじゃすまないわけで、本当に今の異常事態を正せる力をつくらなければならないということです。何が問題なのか、実際の関係がみえる塩川議員の質疑です。インターネットで会議は誰でも見れますので、衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)5月24日の衆議院政治改革特別委員会のインターネット中継の閲覧をお勧めします。
2024年05月25日
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5月下旬のみかん園5月21日から23日(木)に小田原のみかん園に行ってきました。いよいよ甘夏の収穫が、最終段階に来ています。甘夏は5月に入ると酸味が和らいで美味しくなります。しかし、5月を過ぎると水分が消えてパサつくようになります。ようするに今が、収獲の時なわけです。しかし、このところ、毎週のように雨が絡むでしょう。木は濡れていると滑るし、この高さでは援農の人たちの力を借りるわけにもいきません。万が一の場合、骨折どころのケガではすまなくなるからです。これは今回の収穫が終えたあとの様子です。次回が、最後の収穫日となる予定です。小田原は5月19日(日)に、小田原市長選挙の投票がありました。自民・維新・国民・連合神奈川がおした現職の市長候補が、25,000票で、前市長の候補者の46,000票に負けたんです。大差で市長が交代したんです。私などは援農者の立場でして、小田原市民ではないんです。しかし、みかんの手入れをしていると、何とかしなければと感じるんですね。農家は高齢化がすすみつつあり、耕作放棄地も広がりつつあるわけで、みかん農家の人たちが、なんとか、みずからの共通要求をまとめて、小田原市の行政に働きかけて、少しでも明るい未来をつくるようにしてほしいのですが。いろいろと私なりに農家の人たちに、はたらきかけてはいるんですが。どうしたらそうした状況をつくることが出来るのか、そこが問題なんですね。実際のそうした関係づくりが問題なんです。農家自身が、忙しい中にも、そうした目をひらき、協力し合うことが必要なんですが。そこが、なかなか、ひとすじなわではいかない、一番のネックなわけです。ともかく、毎週のように、小田原のみかん園も雨が絡みます。みかん畑は、一雨ごとに雑草が繁茂してきます。次の写真は、みかん園の園主さんが草刈りしている、その途中の様子です。手前が草刈り機で草刈りしたあとで、その上はこれから刈らなければならないところです。次の写真は、その畑の一番上の様子で、わたしが手入れを引き受けている部分です。苗木なんて、すっかり草が覆い隠してしまってます。今回、わたしはここを草刈りしたんです。このテラス面を1時間くらいかけて、1タンク分の草刈りしてきました。援農の方がきてくれて、脇にある甘夏を、わたしが草刈りしている間に収穫してくれました。一人でやっていたら、草刈りしただけでヘトヘトになっちゃう。①くさかり、②甘夏の収穫、③草刈りと、何度も何度も山を往復して、3ラウンドは必要なんですが。草刈りしているとくたびれて、甘夏の収穫まで、とても、とても続ける気にはならないんですが。それが援農者の協力があったおかげで、その難題ですが、一気に片付けてくれました。草刈りと甘夏収穫が、5月22日(水)の午前の1時間で、すべて片付けることができました。すごいです、すばらしい。二日分の仕事が、1時間で片付きました。やはり、援農者がいるとは、農家にとって大きな支援になっているということです。
2024年05月24日
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『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著) を紹介しますこれまで日本共産党に関する本というのは、だいたい自己の変節をかくしての共産党論か、共産党の外部の知識人から共産党を注目したもの、ないし圧倒的には共産党自身の立場から書かれたものだったんじゃないでしょうか。そうした中、今回紹介するのは、『ある日本共産党地区委員長の日記』(鈴木謙次著 あけび書房 2024年5月1日刊行 2420円)です。これは、れっきとした共産党の役職をつとめてきた人が、もちろんこの本もそうしたポリシーに立って書かれているものです。一つの時代を地区委員長として活動されて、そこで直面した出来事や見解のさまざまな事柄ですが、記録されています。もちろん私などには、そこにある個々の問題の是非を判断できるような自分の存在ではないんですが。しかし、一つの時期を苦闘努力されてきた、その生の記録であることは、私も同時代を生きてきたものとして、客観的な時代性が重なるので、そのことだけはわかるんですね。これは、私などは、日本共産党版の「ルソーの『告白』」といったもののように感じます。これって、難しいんですよね。渦中の中にいる人が、それを記録に残すなんてことは、よほど自己意識がないと、忙しさに振り回されてそれどころじゃないじゃないですか。ましてや組織のなかで活動してきた人が、自己の個人を自覚して、その個人の立場から組織の客観性に対する認識を活字にして書くということは。「内部問題は、組織のなかで議論するのはOKだけど、外に対しては統一性をはかるために出してはならない」との規約ルールがあるじゃないですか。これはこれで、討論クラブに陥らせないための当然のルールですね。したがって、現役の立場では出来ないことですね。しかし、現役を退職した人が、政治路線と節度を守りつつ、みずからの体験したことを、みずからの責任で、その客観性をふりかえってみる。これは、専制国家だった革命前のロシアや、戦前の治安維持法下の日本では、そもそもありえない自由です。しかし、民主主義的な社会条件の下では、戦後の日本国憲法のもとでは、一定の節度を守ってのことですが、それは個人の権利として、ありうる権利であり、人権だと思います。たとえて言えば、国家公務員にも秘守義務がありますが、ある期間の後には時効というか、情報・記録の公開ということもあるじゃないですか。これもそうした問題に属すると思います。まぁ、素人の私には、問題の法律的な理解や解釈というのは、いたって妖しいものですが。そうした問題をもちつつ、刊行されたこの本ですが、これは、発達した資本主義国の、共産党の民主主義的な組織人のありかたということに一石を投じているものとして、新たな領域をひらく試みとしてうけとめました。またその内容としては『善意による労作』として読まさせていただきました。ここには現役人にとっても、生かすべき問題がいっぱいあるし、国民にとっても一つの自己成長の記録をしめす。今日の民主主義的社会において、新たな共産党のあり方を提起しているものとして、読ませていただきました。
2024年05月20日
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小田原市長選挙の結果神奈川県の小田原は、みかん畑の手入れに、毎週通っている所なんですが。5月19日(日)に小田原市長選の投開票が行われました。結果は、前市長の加藤憲一氏(60)(無所属)が当選。現職の守屋輝彦氏(57)(無所属=自民、日本維新の会、国民民主、連合神奈川推薦)を破ぶり当選しました。 (当日有権者数は、15万7448人。投票率は48・17%で、前回は46・79%)確定票当46,038 加藤 憲一 無元 25,528 守屋 輝彦 無現〈自〉〈維〉〈国〉〈連合神奈川〉 3,630 古川 透 無新もちろん、私などは、みかん畑の草を相手にしているだけの宇宙人の様なものなんですが。きくところによると、共産党は加藤氏といくつかの政策合意をかわして選挙に臨んだとのこと。私などが選挙公報をみると、どちらの候補者が市民の声を生かす可能性があるか、明確だったんですが。しかし、私の周りの数少ない農家の知人たちは、「接戦でどちらが勝つかわからない」などと態度のハッキリしない人とか、どちらかといえば守屋氏の側のステッカーをはりだしたり、その応援で動いている人もいたりして。身の回りからは、どちらが勝つのか、わからなかったんですね。昨夜、11時に電話が入りました。「すごい、大差で加藤氏が勝っちゃった。自民党に対する批判がいかに大きいか、自民党や維新、国民、連合神奈川がいっしょになったとしても。市民の意志がしめされた」との連絡が入ってきました。「歴史は動く」とのこの結果に、私などの周りの人たちは、これからどう対応していくのか。また、新たな市政ですが、大変な農家の現状にたいして、これからどのような具体的に政策展開していくのか。農家の人たちとの関係をつくっていくのか。私などは、草刈り人であり、ただの『外人』なんですが、この小田原の新たな動きに、これから注目していきたいと思っています。
2024年05月20日
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八王子市鹿島の宣伝活動昨日、都政・市政の報告会が、八王子の東部の地域でありました。アオヤギ都議と望月市議が、国政・都政・市政の状況を紹介してくれました。本日・5月19日には、八王子の一番東部に位置する鹿島地域ですが、静かな住宅地域なんですが、音による宣伝をしました。これは、偶然でもあるんです。もともと、このまま自然に任せるにはいかない。老いたるとはいえ、今の政治の中に、生きてきた証として、ひと言でも自分なりに言いたいことを言おうと話しあってきたんです。そこに、あまたある八王子の諸団体の諸スケジュールをさいてですよ、渦中にある望月市議が宣伝カーをもって、来てくれると。こうなったら、世界は鬼に金棒です。政治的には、日ごろは無風の、いたって自然の鹿島地域ですが。望月市議が、そこに、裏金問題から市政と都政の焦点についてわかりやすく話してくれました。こうなれば、地元の参加者としては、それを踏まえて、日ごろ感じている面から、「政治を変えるために力をあわせよう」と話しました。この地域では、これまでハンドマイクによる宣伝行動はデビューしていたんですが、今回のように、望月市議をふくめて宣伝カーをくり出しての宣伝というのは、昔はどうかは知りませんが、私などは、この20-30年間の中で、初めてのことです。ねむれる鹿島住民に対して、迷惑なことかもしれませんが、マイクを通して、静かな鹿島にがなり立てました。今焦点の国政を刷新する問題がありますし、7月7日の東京都知事選挙があります。もしも黙っていれば、無風の自然の風の流れです。そうしたことの結果は、はっきりと知れてるじゃないですか。この宣伝ですが、これは、日本共産党の後援会が、この地域の一般の市民の前に、目と耳において、はじめてその存在と、「なにをいいたいのか」その訴えが復活したということです。今回、宣伝車のわきに、素知らぬように出てきて、道ばたにですが、出てきて、それとなく応援してくれた人も、2人、3人とありました。これは地の塩ですね。努力には、それに対して何らかの反応があるということです。しかし、問題はこれからです。この流れを、これを一つの機会として、これからこのながれをどれだけ広げれるか。いま、そこのところが問われているということです。
2024年05月19日
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東京都政と八王子市政の懇談会まもなく七夕の7月7日には、東京都知事選挙の投票となります。5月18日(土)、八王子市の東はずれの地域で、東京都政・八王子市政の懇談会がひらかれました。この地域住民のつどいには、アオヤギ有希子都議と、望月しょうへい市議が参加しました。この地域には、地元から都議会議員と市議会議員の代表をもっているんですね。そのおかげで、東京都政と八王子市政ですが、グーンと質疑問答が出来る身近かになったんです。このなかで、東京都政・八王子市政の状況が報告がされるとともに、参加した市民との間で、さまざまな質疑・問答が交わされました。私などが質問したことですが。1つは、国民健康保険税の問題です。国民健康保険税の過大な負担が、全国で問題になっていますが。八王子市民は7年連続の値上げで、三多摩26市で最高率の負担となっている。これにたいして、そうした都民の悲痛な声にたいして、東京都政はどのように受けとめていて、都の行政としてどのようにかかわっているのか。もう2つには、東京の地域格差のひとつとしての交通問題があり、都心とはちがって地下鉄などもなく、どこに行くにも、よろずの不便があって。これまでにもいろいろ要望してきたけれど。1.都市モノレールにシルバーパスを使えるようにしてほしいこと。シルバーパスをかつてのように安くしてほしいこと。2.通学する学生などにとっても、運賃が高額なためにモノレールを使わずに歩く人すらもいる。運賃を値下げしてほしいこと。3.これまでもそうした請願署名に署名してきたけれど。それらの要望に対して、いったい東京都はどのように答えているのか。どうしたら、こうした事態の改善が実現できるのか。この二点を質問しました。これにたいして、共産党都議団報告の5月号を使って、より具体的に現在のやりとりについて報告がありました。望月市議からは、4月の市長選挙を前後しての、八王子市政の改善への動きと、引き続く課題問題が。アオヤギ都議からは、小池都知事は、選挙で都民の支持をたことをかさにきて、利権を中心とする大きな開発を推し進めて、各地の都民の声を蹴飛ばして、企業利益優先の開発をすすめている。都の予算は大きくて、無駄遣いを正す予算の組み換え提案をしているが、都知事の姿勢が変るだけで、都民の生活に、多くの希望ある変化が開けることを、細かなくわしいまとめた資料で紹介してくれました。その提出している「予算の組み換え提案」を、具体的な説明してくれました。7月7日の七夕が、東京都知事選挙の投票日です。告示日が6月20日と、あと1か月後と迫っています。参加者から、都知事選の現状について質問・意見がありました。〇候補者の選考はどうなっているのか、早く候補者を決めてほしい。〇候補者が決まる以前でも、都政を転換する焦点となる政策の明確化が大事だ。〇いつでも、もてる力を発揮できるように、今できる努力をつくすことが大切だ。などなど、意見が交わされました。会場の予定していた時間をいっぱいに、いろいろな意見が交わされました。
2024年05月18日
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マルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法の批判」まとめ1私は昨年(2023年)12月から、マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習してきました。この5月10日の第18回目の発信をもって終わりまできました。右往左往の手探りでもありましたから、何が問題やらチンプンカンプンなこともあったかと思います。これから、あらためてその中身をまとめてみようと思います。一、はじめになんでマルクス『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学んだのか直接の経過としては、昨年ですが、福田静夫先生(日本福祉大学名誉教授)の講座で、ヘーゲルの『法の哲学』「国法論」と『歴史哲学』「ゲルマン世界」を学ぶ機会がありました。長年にわたりヘーゲル哲学を研究されてきた方が、その中身と今日的な意義をといてくれたんです。私などは、その講座の終了後ですが、『歴史のなかの弁証法-『歴史哲学』「序論」をまなぶ』との冊子を、その後の学習の副産物としてまとめてみました。ヘーゲルが世界史のあゆみの中に弁証法をどのようにとらえていたのか、その「序論」から探ってみたんですが。まぁ、これが私などの理解の程度でしたが。そもそも私などは、科学的社会主義についてこれまで学習していたんです。このことから、ヘーゲルにたいしても関心を持っていたわけですが、この機会があらためてヘーゲル哲学を学ぶうえでの貴重なものとなったわけです。そうなると問題は、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」です。そもそもヘーゲル弁証法とは何か。いったい、マルクスはどのようにヘーゲル哲学、その弁証法を理解したのか。どの様にしてそれを批判したのかです。これまで私などは、折節につけてエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を読んできました。この本が、その問題を主題にして解明してくれていたからです。しかし今回は、『1844年の経済学哲学手稿』です。エンゲルスがその著作をまとめるにあたって、元になっていた原材料となるものです。なんで、その『経済学・哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」を学ぶかというと。それは、ヘーゲルが初めて弁証法を意識化したように、マルクスが唯物弁証法をはじめて意識化した現場であるからです。唯物弁証法を学ぶ上で、一つの基本的な道だと思っているからなんです。哲学の学習というのは大事だと思うんですよ。いまを生きていく上での基本姿勢にかかわってくると思うんです。しかし、今どき哲学を学ぶなんてことは、マニアックなひとか、専門の研究者の人たちならともかく、一般的には、それを語り合えるような場は、この世知辛い世の中ですから、なかなかそうした機会というのはないと思うんです。私なども「達磨大師」状況におかれたことを、さんざんボヤいてきたわけですが。ここで問われていることは、ものごとに対する自己の基本姿勢だと思うんです。人間がこの世を生きていく上では、さまざまな問題が問われるじゃないですか。あれも、これも、それもと、万華鏡のようにつぎからつぎへと問題が出てきます。それらへの対応に、ついつい人は振り回わされますよね。それが普段の日常的なことがらだと思うんです。なんといってもヘーゲルという人の努力は、そうした一端を示しているとおもいます。人間の感覚から意識、理性、精神の『精神現象学』、一般の『論理学』、自然哲学、芸術・宗教、『法の哲学』、『歴史哲学』と。「対象というのは自己意識だ」との根本から、人をとりまいている森羅万象を、ひとりの知性で探るとことを挑戦しつづけたわけですから。おそるべき、愛される人です。しかし私たちだって、現代に生きている以上、ウクライナ侵略はあるし、パレスチナ侵略問題があり、軍拡政治はあり裏金問題がある。こうした歴史学術の成果を学ばなくてはならないし、また働いて家族とくらしていくこと、同時にまわりの市・町での動きや、大本での国の政府や議会の動きと、これら自分をとりまく諸関係とのやりとりがあるわけで。同じように課題は多岐で、日々大変なわけです。今の世の中にあって、私などがあえて哲学をうんぬんするのは、根本にはこれらに対する基本姿勢の問題にかかわると思うからですが。まぁ、そんな素朴な気がしてくるからでして。もちろん、ものごと一般論だけでは、すべての問題が解決しきっこないんですが、しかしそれでも現実問題に臨む姿勢が、ある程度はしっかりしたものになるのでは、そう思っているからですが。(以上、といったことで、まとめのスタートです)。
2024年05月17日
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「国民健康保険料」、いったいどうなってるのかみかん仕事から帰えり、ヘトヘトなんですが、ポストにチラシがありました。私などの住んでいる八王子市からの「広報」でした。このトップ記事は「国民健康保険税」の問題でした。この間に、この問題が、私の周りでも問われていたわけで、そのことを客観的な形で検証する記事でもありましてた。しかし石川啄木じゃぁないけれど、この案内にたいして、じっと手を見据えさせられました。何が問題か国民健康保険制度がある下で、私たちは健康のさまざまな問題について、対応して暮らしているわけですが。1960年代にこの制度が出来てから、自然なこととして暮らしてきたわけですが。この間、八王子市の望月しょうへい市議から、ひどい事態になっているとの話を耳にしてきました。今回の「八王子広報」で、あらためてですが、それが実際であることを認識させられました。これが、「じっと見」せつけられた、その「八王子広報」の記事です。わかりますか、若夫婦の、子ども二人の四人家族の標準家庭の場合の試算です。統計上の標準家計世帯のことですから、もちろん、個々場合にはいろいろな違いはあるでしょうが。しかし、これは標準家計世帯の現実です。今回、八王子市は、国の方針に従がい八王子市は、今回で7年連続ですが、国民健康保険税の値上げがされた。これがその説明なんです。私などは、「じっと手を見る」じゃありませんが、この表に見せつけられました。というのは、人間今を生きていくためには、各人の家庭では、もちろん家族の健康が第一で、健康を維持していかなければなりません。風邪をひいても、何にしても、健康保険証が必要です。しかしさらに、当然ながら、それ以外にも、1、住まいがなくてはなりません。家賃を払わなければならない。2、子どもたちは学校に通わさなければなりません。授業料や交通費が必要です。3、人が生きていくためには、食事をしていかなければなりません。それなのに、健康保険証の為だけに、400万円の中に58万4900円の負担が強いられている。それを示めし、徴収を求めている広報です。この現実を見すえてください年収400万円の幼児など子ども二人を抱えている標準家族が、ただ健康保険税だけで58万4,900円の徴収が強制されている。このことを、衣食住のくらし全体の中で、考えてみてください。それが如何に大変かということを。しかしこの八王子「広報」には、まったくそうしたことは書かれていません。ただ、値上げの数値があるだけです。まぁ、それはすすめる側としては当然かもしれませんが、市役所の側は、国民健康保険をアップすることだけを考えている。それは担当者の置かれている立場としてそれだけなんです。しかし問題は市民の現実です。その市民の暮らしにどのようにかかわるか、それが政治じゃないですか。「少子化対策」だとか美辞麗句は並べられるけれど、足元の現実はどうか。若ものの家庭から、ただ健康保険税にたいしてだけで、総収入のうちの58万円をもっていかれる。強制的にとりたてられるわけで。「均等割り」ですが、これは収入のない赤ちゃんまでも一人前に徴収する。このことは情け容赦ないんです。これじゃぁ、若い夫婦がこどもをつくるのを躊躇するのも当然じゃないですか。給食費、教育費だってたいへんですから。ともかく、「広報」は、値上げを通告しているだけで、これにはそれ以外の説明は無しです。この事実と行政の現実ですが、冷たく、残酷なことだと思いませんか。他の多くの自治体では、これに対する緩和措置も取られてるんですが、八王子市は国の自公政治に直結です。そもそも萩生田氏は自民党元政調会長でしたから、それをつくっておしすすめてきた本人であり、八王子はそのおひざもとの自治体なわけです。だから、その指示がストレートにはたらいているわけです。三多摩で、7年間連続して引きあげられ、最も高い負担率となっている状況です。しかし、この健康保険税の問題は、八王子市だけの問題ではありません日本全国のどこの自治体でも、大同小異で、同じ事態に直面しているはずです。国と都道府県の指示にもとづいて、最寄りの市区町村の自治体にかぶされている国民負担を強いる政治の問題なんです。国の政治の問題なんです。ひとりの国民としては、税金を払うだけでなく、国保の事態を調べてみて、これが絶対的な、自然なものなのかを。これは全国のどこの自治体でも共通の問題となっているはずです。そもそもこの決定は、何千万円もの裏金を、たくみに操作している連中が、決めたこと。彼らにとっては、自分たちのふところはちっとも痛まず、逆にその企業団体献金の見返りをふところにしていて、この利権を進めているわけですから。国民の苦痛なんで、わかったかのようなポーズだけで、今の方向でよしとしてすすめている現実です。国民の悲痛な声などは、実際はまったくどこふく風なんですね。「役者」なんですよ。その大もとには、アメリカの圧力と国の官僚組織にのっかってすすめている今の軍備の大増強の自公政治があります。この基本路線にのる人が大臣になれて、行政を政治を牛耳っているわけです。口では「日本を守るために」などもっともそうなことを言ってますが、現実はこのためにくらし・福祉・教育予算をどんどん削って、さらには新たな国民負担の押し付けること、この遂行を使命とする大臣ポストの「しかけ」になっているわけです。首のすげ替え程度では変わらないということです。また、それを批判し正すはずの野党ですが、そのなかにも、ふらふらとそれにくっついたり、「もっとやれ」とけしかけたりしている事態です。野党なら少しはましか、なんてものじゃないんですね。だから、この基本的なしくみ-軍備をねん出するために国民負担を強いる国の行政の現実を、この体制を大元から変えないければならないわけで。これが国民が今直面している問題です。これというのは戦前の日本が経験してきた道と、先人が経験してきた道と、同じような事態にあるということです。いつか来た道なんです。国民の見識、意思が問われている無責任な連中によって、国民生活は戦争へ、戦争へと押し流されている。あるとき国民が気がついた時には、戦争が避けられないような事態となっていた。そうした方向に、国民が望んでない方向に、すすみつある。さりげない形で、今という日々の日常が、そうした方向につきすんでいるわけです。この事態をみさだめて、どのように止めるのか。どうしたらそれを転換させれるのか、そこが問われているわけです。今という時は、国民一人ひとりの見識と行動が問われている。くりかえしますが、そもそもは国民皆保険制度は、誰でもいつでも、安心して医療を受けれるための制度でした。ところが今は、「それを維持するため」とのセリフで、保険料を引きあげて、強制徴収で国民生活を苦しめている。軍事費ねん出するために、国は理屈をつけてそれへの手当てから撤退して、国民の負担に転化している。このことは国民保険税の医療の問題だけでなく、ローカル線の交通、介護保険、教育、農政、子育て、批判的学者の排除、・・・あらゆる分野におよんでいます。まわりをみると、あらゆる所に、この基本が深刻にのしかかってきている事態が見えてきます。これが、裏金作りをしていた政治家たちがすすめてきた道ですね。これは自民党政治の全体にかかわってますから、なかなか事実をあきらかにしません。誤魔化すことに必死なわけです。しかし、だいたいの輪郭は、すでに国民・万人の前に明らかになっています。これを中途半端なお茶にごしで済ましたらと、もっと今より災いが大きくなりますよ。この黒い政治勢力が、多数派勢力として牛耳っている政治世界のもとで、その一つのあらわれがこの国保問題です。この関係をかえること、国民が求める常識の方向に転換させることが、今求められているわけで。いまこの時に、国民自身がその転換の見識と力を、しっかりとつくりだすことが求められており、それが出来るかどうか、このことが問われている。今という時は、そういう時なんですね。
2024年05月16日
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社会主義の新しい可能性のために『カール・マルクスの弁明』(聴涛弘著)の紹介大事な点を明らかにしていると思い、紹介します。私などが注目したのは、第二章の「レーニンの苦悩と社会主義論」なんですが。この本は2009年5月刊行(大月書店)ですから、少し前のものですが。昨今の私などの印象なんですが。プーチンのロシアによるウクライナ侵略戦争が続いています。隣国にたいして軍隊を出して占領し、人を殺し、無茶苦茶に破壊しちゃっているわけですから、国連をはじめ世界各国が国際法違反として、糾弾するのは当然なことですが。問題は、「プーチンはソ連時代の警察官僚であり、これが社会主義の姿だ」との雰囲気が、そうした印象論がふりまかれる風潮ですが、日本社会にもあちこちに陰に陽にあると思うんです。もちろん、このウクライナ侵略の以前から、ソ連邦の崩壊は社会主義そのものの崩壊とする風潮があったわけですが。そうした中で、この本は、歴史には社会主義が世界に新鮮なインパクトを与えた時代があったことを紹介してくれています。そのレーニンの当時というのは、日本では治安維持法などで、危険思想として取り締まられていたわけですから、偏見のさえたるものでしたが。社会的な反省がありませんね。しかし、今の時代というのは違います。しっかりと事実をもとにて、ことの是非や評価を語らなければならない、一人ひとりにその努力が求められています。それが民主主義的社会です。もしその努力が弱いとなると、その分邪道と非合理といったことが、社会に幅を利かすことになると思います。この聴涛弘氏の「レーニンの苦悩と社会主義論」ですが、そこには、ソビエト連邦がつくられた当時の、レーニンの努力が紹介されています。これは素晴らしい紹介ですよ。こうした材料をふくめた史実を確認したら、プーチンを社会主義とだぶらせるなどということは、まったく論評に値しない、臆測と偏見でしかない、無責任なものだとわかると思います。しかし残念ながら、広く日本社会を見ると、そうした人が多いんですよ。まったく無責任な、自分勝手な印象論をふりまく「コメンテーター」が多いわけでして。レーニンと社会主義論-この本は、歴史を探究することは、すがすがしいしと感じました。今頃この本の存在に、わたしなどが気がつくというのは、多分に遅すぎるんですが。しかし、知らずにいたよりかは、少しはましでしょう。私などは思うんですよ、今でもこの成果は意義があること、というか、今日的な意義があること。もっともっと、広く社会に分かち合う必要性があると感じています。そうした思いで紹介させていただきました。
2024年05月14日
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御殿場線を旅してきました「旅」などは無縁な当方ですが、5月12日に旧東海道線・御殿場戦の旅をしてきました。すでに、4月25日付のブログで、下見したことで、その輪郭は紹介しました。御殿場線で、国府津から沼津を旅してきました | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は、本番の旅案内だったんですが。新たに感じたことのいくつかを紹介します。一、富士山の雄大な景色です下見した時は、小雨模様の天気で、富士山は雲の中で、まったく見えなかったんですが。足柄峠を越えて御殿場あたりから、富士山が車窓いっぱいにひろがりました。これまでも、八王子・多摩、平塚・小田原と、富士山を遠くからは見てきたんですが、まじかに迫る富士山、裾野が広がる富士山をみることは、めったになかったんですが、この御殿場線の旅は、これまでで一番の、芸術的な大自然・富士山の迫力でした。残念ながらというか、あえて写真は撮ることは、しなかったんですが。二、旧東海道線の最大の難所山北から御殿場まで区間は、昔であれば足柄峠越えの難所だったことが実感できました。東京と京都・大坂を結ぶ東海道本線にとって、中央線の碓氷峠じゃないけれど、最大の難所です、特急列車も、その前後を蒸気機関車がサンドイッチして、峠越えをしたんですね。あえて伊豆の山をくりぬく丹那トンネルの大工事が、どうして必要だったのか。わかるような感じがしてきました。車窓から見ていたら、山北駅にもありましたが、何か所かに、活躍した蒸気機関車が保存されてました。三、『更級日記』にもそうした掲載がありましたこの足柄峠越えの難所ぶりを伝えてくれている日本文学の古典があります。『更級日記』です。この作品は、1020年、菅原孝標の娘により、その13歳の頃にかんする日記部分ですが。9月3日に勤め先の千葉(下総国)を門出して、12月2日に京都の家に帰るまでの、東海道の旅の途中の様子が紹介されてます。天候が悪ければ、うっそうとした足柄峠の山道をこえるのに4日も5日もかかった。「山のなかのおそろしげなる事いわむ方なし・・・」足柄峠をこえたら富士の山が、せまってきた。「その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青をぬりたるようなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白きあこめ着たらむように見えて、山のいただきのすこしたいらぎたるより、けぶりは立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つもみゆ。」(旺文社 池田利夫訳注)平安時代の古典の文章というのは、現代の私などには、読むのも理解するのも難しいのですが。今回の御殿場線の旅をしたことで、1000年の時をこえてですよ。この古文書に、書いた人の心ですが、その感動ですが、少しですが私などにも現実感をもって伝わってくるようになりました。そうなると、不思議です。この1000年をこえた文章ですが、難しく感じていたものが、同じ感動を表現したものですから、心で読めるんですね。そして逆に、難解に見えた文章がその言葉遣いまでもが、リフレーンしたくなるような的確なものであることがわかってきて、愛着すらを感じるようなものになってくるわけです。じつに不思議な感じです。ということで、私などにとっても、今回の御殿場線の旅は、有意義な時となりました。
2024年05月13日
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甘夏の朝市5月は甘夏が美味しくなる季節です。小田原から搬送してきた甘夏ですが、5月11日(土)には甘夏の朝市を開きました。みかんの好きな方でも、「甘夏は酸っぱい」といった経験則があります。それは分かるんです。甘夏は、かなり早くの時期から、八百屋さんの店頭に並んでいます。確かにその中には酸っぱいものがあるんです。しかし、5月に入ると、その酸味が和らいで、美味しい甘夏に変わってきます。小田原のみかん農家では、みかん好きの方は、この時を待ってから収穫を始めます。しかし5月も後半になると、ジューシーさが落ちてきますから、パサつくものがでてきますから、まさに今が、そのシーズンなわけです。私などとしては、どんどん味見をしていただいて、納得していただいて、購入してもらっています。これが、私などの甘夏の木です。4月23日時点のものです。すでに、ほとんど手が届く範囲のものは収穫を終えています。これからは、木に登って収穫しなければならないのですが、3月以来、毎週のように水曜日が雨模様となっています。木が濡れていると、登るとすべって危険になるので、なかなか収穫ははかどっていません。しかし、そろそろ木からすべての果実をおろさなければならない時期となります。この次に行った時には、そうした甘夏収穫の目途をたてる時となります。心配なのは、毎週重なってきている、週サイクルの雨の天候です。濡れていては収獲は出来ません、しかし収穫を終えなければならない時期となります。さぁ、どうなりますか。
2024年05月11日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」18 「自己意識は他在のなかでおのれのもとにある」ヘーゲルは弁証法を初めて意識化した人です。今回は、『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭には、8つの要点にまとめられています。マルクスは『経済学哲学手稿』のなかで、この箇所を取り上げています。「(六) 自己意識は外化した対象性をおのれの中に取りもどす、従って、その他在のなかでおのれのもとにある」(国民文庫 P220)この内容というのは、人がものを知るというのは、自己の意識を対象化することにより、その対象化したものを通してものごとを知ることができる、この点をとらえているわけですが。ヘーゲルが最終章「絶対知」でのべているのは、どのようにしてその対象性を克服して、自己のものに取り返すのか、です。「なんじゃ、これは? 」ですが、この内容というのは弁証法ですね。ものを規定し、つくりだす否定の弁証法、精神の運動ということですね。ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)、この初期の著作において、弁証法をはじめて明らかにしているんですね。その内容は、人間がはたらくことでつくりだしたものなんだけど、それが疎遠なかたちで対象化されてある。それを今度は人が取り返すという一般的な原理です。それは抽象的一般的にいえば「否定の否定」ということですが。ヘーゲルという人は、すごいですね。そして、それを批判したマルクスも、またすごい人ですね。マルクスは、当時26歳ですが、1844年『経済学・哲学手稿』において、その『精神現象学』の「絶対知」において、ヘーゲル弁証法を検討しているわけです。いったい弁証法の意識化は、人間にとってどの様な功績となるのか。また、それは私などにはわかりにくいものですが、そのわかりにくさにはどんな問題があるのか。そこから何を引き出したのか。マルクスは1845年の春に「フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」のメモを残しています。これについてエンゲルスが『フォイエルバッハ論』で指摘してますが、「新しい世界観の天才的な萌芽が記録されている最初の文書として、はかりしれないほど貴重なものである」このことに、つながっているわけです。私などは、今回、あらためて『経済学哲学手稿』「ヘーゲル哲学」を通読したわけですが、これから、それをまとめることが求められているわけです。
2024年05月10日
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甘夏の収穫と草刈り5月のゴールデンウィークは、茶摘みと甘夏の収穫、一番の苦行は草刈りでした。まだまだ、一雨ごとに草は繁茂してきますから、その途中ですが。今年は、裏年の甘夏の木は、みかんの花がいっぱいです。まわりには花の香りが漂っています。今、甘夏の収穫が山場です。5月の甘夏は、「味がのってくる」と農家の人は言いますが、たいへん美味しくなるんですよ。それを5月中には収穫を終えようとしていて、木の高い位置についている実を、今、木に登っています。しかし、この時期の苦行は、なんと言っても草刈りです。これだけ広いと、草苅きをふりまわすだけでは、イタチごっこになるんです。援農の方が言ってました。「この間草刈りしたばかりなのに、・・・」と。今回から、根回りは除草剤を使って、雑草をおさえて肥料を撒くようにしました。そうしないと、地下には雑草の根が残っているので、雑草に肥料を撒くようなことになるからです。これは昨年の10月に、農家の方からのアドバイスによるものです。草刈り機をふりまわすだけでは、自然の力には、これだけ広いとかなわないんですね。今回も、30メートルくらい先で、キジが鳴いていました。キジは人なつこくて、作業をしているすぐ近くで鳴くんですね。メスに対して、その存在をアピールしているんでしょうが、農夫にとっては、人気のない畑で作業をしていると、一つの励ましの声として聞こえます。
2024年05月09日
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急きょの、お茶摘みこれは、5月5日(日)午前5時3分の富士山、小田原サービスエリアから見たものです。天気は五月晴れで、朝日が山頂を照らし出していました。本来なら、4月30日(火)-5月2日(木)のみかん作業を終えて、搬送してきたみかんなどの農産物を、3日(金)、4(土)の朝市での販売を済ませたところですから、ひと休みするところなんですが。携帯に援農者から連絡が入りました。『明日、5日(日)に畑作業に行くけど、何をしたらよいか?』と。これで、日ごろの過ごし方が、一変しました。5日(日)午前3時45分の八王子発で、小田原へ。臨時のお茶摘みに、もうひと頑張りするということです。今季のお茶摘みですが、JA久野工場の稼働が、5月1日から10日ですから。1日には雨の降りだす前に、朝の茶摘みをして、今季の依頼の一番のりの受付でしたが、JA久野の製茶加工を依頼してきていたんです。この時、やはり雨降る前の日に甘夏を収穫しておいたんで、それを東京に搬送して、4日(土)の多摩の団地での朝市をしたわけですから。もはや、ヘトヘトだったんです。援農者というのは、神様の声ですしかし、援農者が来てくれるとなると、そうなると、事情は変わります。天気予報をみると、5日の快晴のあとは、天気は下り坂です。そうなると、その後の、通常の作業時間であれば、7火-8水のバターンでしたから、その後の茶摘みについては、雨が降っては茶摘みは出来ません。ですから、お茶摘みはへとへとで、あきらめていたんです。ところが、その快晴の5月5日に援農が来てくれるとなれば、事態は変わります。これで、私などの行動は決まりです。前回の真鶴での茶摘みにつづいて、5月5日に、小田原の石垣山みかん園で、第二次のお茶摘みを実行するということでした。今が、小田原のお茶摘みの真っただ中小田原真みかん園には、畑の境界にお茶の木が植えられています。この5月のゴールデンウィークの頃が、その茶摘みの時期です。みかんの花の香りをかぎながら、茶摘み作業が行われています。「足柄茶」として、ブランド品になるんですね。JAは、期間限定で製茶工場を稼働させてくれます。そこへ私などもお茶摘みして、生茶をもっていき、製茶加工を依頼しているんです。ことしも、今が茶摘みの、その時だったんです。私なども励まされて、もうひと頑張りしました5月5日は快晴の「五月晴れ」、お茶摘み日和でした。「草刈りでくたびれた」なんてことは言ってられません。実際に、隣の畑の農家の方もお茶摘みを、せっせとしていました。私たちの方はというば、「一心二葉の手づみ」の原始的な手法ですが、これが昔ながらの茶摘みの手法です。茶葉としては、最高級品なんです。その代わり、手間が大変なんですが。結局、午前10時から11時半までかかつて、3人で生茶2キロを茶摘みしました。これを午後1時に製茶工場に出して、かわりに、前回依頼した生茶1キロを加工した製茶を受け取ってきました。生茶1キロは、製茶すると400グラムですね。農協の職員の方は、このわずかな量の袋を見つけ出すために、棚に並んだ大きな袋の間を、なんどもなんども探しまわってくれて、ようやくこの小さな袋を見つけ出してくれました。これは、久野工場が受付した生茶の、今季の依頼の一番乗りのものでしたが、しかし、それはもっとも少ない量のお茶の出来上がりでした。まわりの袋は、大きな袋ばかりだったんです。しかしですよ、今回2キロの生茶を出せたということは、数日後には、この倍の量のお茶が出来るということです。援農者も、その出来上がりを楽しみにしてくれています。先人の知恵です「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る、摘めよ、摘め摘め摘まねばならぬ。摘まにゃ日本の茶にならぬ」この茶摘み歌ですが、この歌というのは、だいたいお茶摘みというのは、きわめて単純な作業のくりかえしですから、あきちゃうんです。その手摘みのくたびれちゃう作業を励ましてくれる、なんとも見事な、昔の人による応援の歌なんですね。これが日本の近代化を支えたくれたんですね。まさに、なんともすばらしい、宝の歌であり、貴重な仕事だったんですね。
2024年05月05日
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ゴールデンウィークのみかん園と朝市5月のゴーデンウィークは、みかんの花が咲き、茶摘みの時でもあります。5月2日(木)は五月晴れ、気がつけば、畑にはみかんの花が咲きだしていました。まったく歌心などとは無縁なんですが、この歌だけは聞き覚えがあります。 五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする (よみ人しらず)農夫にとっては、この時期は、花も香りなども、ついつい見逃しちゃうんです。この時期に一雨ふると、雑草の繁茂がすごいんです。援農に来てくれている人から、「ついこの前に、きれいに草刈りしたはずなのに、何だこりゃあ」5月2日にみかん畑に着いて、その様子について連絡がありました。当方とは、すれ違いでしたが。これは、当方が草刈りした畑ですが、ここもとんでもないことになっていました。当方は、午前10時半には、みかんを積んで帰京してきました。というのは、ゴールデンウィークには交通渋滞が、無茶苦茶にはげしくなるからです。混雑する前に帰京してきました。そして、みかんをとどけてから、5月4日(土)の朝は、団地の甘夏市でした。東京の団地ですが、ゴールデンウイークは、幹線道路の方は大渋滞していますが、団地内の方は、いつも以上に人影が少なくて、ガランとしていました。しかし、それでも朝市を楽しみにしてくれている人たちがいるんです。これは、買い物を終えて帰えっていくお二人です。タケノコとフキ、それと甘夏が、今回の産物でした。やれやれです。ようやく、これて私もひと休みができるわけです。そして、ひと休みした週明けには、ふたたび小田原・真鶴行きです。今は、草刈りと元肥の施肥、甘夏と日向夏の収穫などが待っていますから。
2024年05月04日
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三島大社と楽寿園みかん畑を私が手入れを出来るのは、遠距離農夫の私などには、週に一度の水曜日なんですが、ところが今年は3月から毎週ですが、雨がかかわっています。今回の5月1日(水)もまた、午前9時から雨が降り出しました。今は茶摘みの時期でして、なんとか雨の降りだす前に、午前8時から真鶴で1キロ茶摘みしたんですが、予報よりも早く雨が降り出したんで、茶摘みはストップし、午前9時5分に小田原のJAの製茶工場に製茶を委託しました。聞くところ、今年のJA久野の製茶工場は、5月1日から10日が受付とのこと。当方が持ち込んだたった1キロの茶葉でしたが、これ今季が第一番の受付の茶葉でした。わずかであっても、もったいないですから、ヤレヤレでした。この日は午前10時には雨が本降りとなりました。雨が降っては農家は、当然ですが、表での農作業は出来ません。そこで、急きょ頭を切り替えて、静岡県三島の三島大社に行くことにしました。これが三島大社の正門です。なぜ三島大社にでかけるかといえば、当方は、これから御殿場線の旅を計画しているんです。その旅の締めくくりが、この三島大社を予定していて、今回はその下調べだったんです。5月1日(水)の、午前11時半に早川を出て、午後3時半にもどってきましたから、4時間の行程でした。JR三島駅で、伊豆長岡鉄道に電車を乗り換えました。三島田町駅が、三島大社に一番近いというので。おどろきの三島散歩ところが初めてのようなこの旅でしたが、遠い昔の記憶ですが、それをフラッシュバックさせてくれました。これは、三島大社の本殿の、すぐ左にある鹿園です。これが、私などの記憶をフラッシュバックさせてくれました。ここは、初めてじゃなかったんです。「鹿せんべい」と、「メリーコーランド」それは私の60年以上も前のことですが、おそらく、それは七五三の時じゃなかったでしょうか。確かにそれらをみた記憶があるんです。鹿せんべい、メリーゴーランド、街中の川の流れ、ワサビ漬け、・・・。三島は、わたしの父の故郷なんです三島は、2000年に亡くなった父の故郷だったんです。思い当たります。60年以上前の小学校に上がる前後でしたが、私はここに来ていたんです。小生意気なガキは、それから今日まで、まったく記憶してなかったんですが。ここに来たことがある、だれに連れられてきたのか、だれが案内していたのか。それから今日まで、いっさい、すべて、そんなことは気にしなかったんですが。この「鹿せんべい」と「鹿」については、しっかりと覚えていたんです。これって、残酷なことじゃないかと、あらためて感じさせられました。三島大社の本殿ですここも、遠い昔ですが、たしかに来たような記憶が、うすら記憶が出てきたんです。私は、神奈川県の真鶴町岩の生まれですが、そこは、いわば、東京の西のはずれ、箱根山の裾野なんです。私などが、もの心ついた時から、すべてはみな認識は東の東京の方を向いていました。背中の西の方は、伊豆の丹那トンネルから西側の世界というのは、修学旅行で京都・奈良に行ったこと以外は、いっさい関心なしで視野になかったんです。同窓会で伊豆を案内するところが何年か前ですが、東京の学生時代のむかしの同窓生との関係で、伊豆の旅を案内することになったんです。その時に、あらためて、みずからの背なか方をしらべて、そこを案内することになったんです。そうしたところ、その時に、これまで見えてなかった世界が見えてきました。その時の旅は、伊豆山権現—熱海の温泉―丹那トンネル—中伊豆地震-蛭が小島(ここで「鶴瓶の家族で乾杯」収録との出会う)—伊豆の学識代官宅・反射炉-西伊豆の戸田・プチャーチンとの日ロ修好条約とタカアシガニの歓待と、目からうろこでの新たな発見があり、豊かな旅となりました。その旅の下見をした時でしたが、私のおぱあちゃんの出身は函南の舟山なんです。小さいころいったんですが、フナのいる池のあるうちでした。その家を確認したんです。さらに、父は原木新田の生まれでして、あらためてその家も、外から柿の木のある家を確認したんです。しかし、そんなことは、わたしだけの思い出であって、その時は、ただそれだけのことくらいの認識でしかなかったんです。関係する人たちはことごとく、あの世に行っちゃっていて、わたしの記憶だけの懐かしの世界でしかなかったんです。ただしかし、その下見した時に、すくなくとも、箱根山の裏側には、これまでの世界とは違った、ひろがね世界が、裏の背中の方の世界が、そこには富士山のすそ野の広ががり、豊かな文化も歴史もあって、箱根山の雲助とはちがう世界があることを感じたんです。もちろん、ほんの少しの感じでしたが、しかし確かにその素晴らしさを認識したんです。ちょうど、その時、NHKで『鎌倉殿』のドラマが放映されてました。伊豆の北条時政が舞台であり、願成就院も訪ねたんです。また、私の郷里の真鶴・岩村ですが、石橋山でやぶれた頼朝はそこから舟で千葉に逃げたんです。その下見と歴史ドラマが重なったんですね。その下見で、初めて「蛭が小島」の地を見たんですが、イメージの様子と違ったんです。島流しされたへき地と実際とは、まったく違っていたんです。富士山を望むひろい景色、豊かに広がる狩野川の平野のコメどころで、箱根の裾の雲助とはちがってました。しかも、なんとそこは、父の郷里の原木新田とは目と鼻の先、まったく直ぐ近くじゃないですか。父は、まったくそのこと語らなかった。だけど、そこに生まれて、自分の子どもにそこに引き合わそうとしていたんです。今思えば、ということですが。今回、あらためて感じましたそこは、私などの世界、箱根山のすその界隈の、いわば山の世界とは違って、じつにひらけた土地柄。家康だけでなく、多くの文人たちも住みたくなるような、雄大な富士山が広がり、豊かなコメどころの、自然豊かな土地柄じゃないですか。しかし、それでも、そのときは、「伊豆の旅、東も西も・・・」、ディスカバ-ジャパン、私などはその程度の認識だったんです。今回は、強力な三島でしたしかし今回は、もっと強力でした。一種のフラッシュバックのような体験でした。なんたって、「鹿せんべい」、「メリーコーランド」です。今回は雨に濡れて人影は少なかったんですが、しかし今現在、確かに存在していたんです。「夢幻の世界」という言葉がありますが、これは私にとって、はじめての世界ではなかったんです。三島大社の参道だって、その太鼓橋と巨木だって、初めて見るものではなかった。遠い記憶の世界ですが、それらは、たしかにどこかで見たような景色だったんですね。「おいおい、これはなんなんだ」今回、たまたま雨が降り、御殿場線の下見をしておこうということで出かけてくるまでは、まったく忘れていてところの世界でした。かつて小生意気なガキは、手を引かれてきて、これらに一度は感動したんですよ。だから記憶に残ってるんですが。しかし、それから次々に関心とする対象が、次から次へと他のことに移って行ったということでしょう。まったく、その当地に関する意識は、馬耳東風であり、猫に小判だったわけです。しかし今回みたら、どこかななつかしいものがわいてきて。昨日も今も、そこにはそんな世界が現実にのこっていること、たしかにかつて、わたしなどにそこを案内しようとしていた人たちがいたこと。そして、ほとんど風潮する人はまわりにはいないけれど、たしかにそれだけの宝がそこにはあること。当時は、ちっともその思いや、客観性は知らなかったんですが。いまにしてみると、その思いがとその宝が、多少ですが分かりますね。このギャップはじつに残酷なことですが。しかし、それはまた致し方ないことと、今にして思うしかありませんね。さらに、記憶のなせる業でしたが、歩いているうちに、駅前にかつてわさび漬けを大きなたるで、量り売りをしていたお店があった記憶がわいてきた。今回、そのあたりを、あえて確かめてみると、たしかにそのお店があったんです-カメ屋さん。「へーっ」と、おもわずそこで地酒「はなの舞」カップをかくほしした。帰りの車中、函南から丹那トンネルをくぐる5分間の車中で、記憶では、かつては12分くらいかかったと思うんですが、蒸気機関車の煙がはいらないように、窓を閉めろとして。しかし、今回は旅の終わりの5分でしたが、それスマホを相手にしている若者を前にして、かばんには懐かしの「わさび漬け」と「金山寺漬」も買いこんで、車中で、ひとり酒を楽しんだ次第です。すべてが、幻の世界ではない残念ながら、もはや、それらの事柄を語り合える人はいない。みな、あの世の人となってます。それを語り合えるのは、もはやごくごく限られた人でしかないわけですが。しかし、それでもいる。その希少価値をもつ人は1人2人は健在です。それを語り合おうとすると、言葉にならなくなるんですが、しかし、それは個人の生きてきた証でもありまして、じつにありがたいことです。今回の旅で、あらためて再認識しましたが、三島・静岡は、素晴らしいところです。そのことは、注意して見れば、昔も今も変わらないんですね。今回、たまたま三島駅で運賃を清算するために並んだんですが、その時に、前に外国人の夫婦がいました。なれない言葉で、「フェア、カントリー?」と聞いたところ、オーストラリアからきた、と夫婦のにこやかな返事がかえってきて、旦那のひげ(金髪のマルクスのようなひげだったんですが)は、すばらしいというと、にこやかになぜて笑ってました。よい旅となることを願った次第ですが、三島も今や、国際的になっているんですよ。問題は悪ガキですしかし、問題は、かつての、今の悪ガキの問題です。かつてわたしなどには、この三島の世界は、まったくの猫に小判だったんです。今にして思えば、かつて関係者は、いろいろな思いを発信していたんです。しかし、私などは、そのことごとくをそでにして、自分一人で、ここまで生きて来たと思ってたんですね。馬耳東風ということでした。今や、攻守そのところを、逆の立場となりました。いったい、この認識のギャップということを、いったいどうしたものか。日本の宝が、憲法にしても農業にしても、森羅万象いろいろなことが、粗末にされていっている。ここのところが問題です。私などは自分に対する慰めなんですが、思うんです。人として宝を分かちあえるということは、大切だし、ありがたいことです。亡くなってしまってからでは遅すぎる。今を生きている人たち同士が、その価値を分かち合えるというのは、それができるのは、なんとも幸いなことじゃないでしょうか。そうした人ができる関係というのは、しあわせということじゃないでしょうか。すでに語り合うべきおおく人たちは、あの世にいっちゃってます。のこされた俗世間は、道理のなかなか通らにい世の中となっています。すべては「パンタ・レイ」、帰らざる川です。そうであればこそ、今を生きている人の交歓が大切だ、とつくづくおもうようになりました。隣は何をする人ぞ、都会人は孤独だし、豊かな宝のみかん山を、放任化を余儀なくされるような事態を、よく目にします。しかし、先人の努力がつくってきた成果を、今を生きるものが捨てるのはもったいないじゃないですか。そこにつくりだしてきたすばらしい宝物を、かけがえのない幸せとして、確認したいですね。それをゴチャゴチャにしてすてている連中とは戦わざるを得ませんね。じつにもったいないことですから。弁証法とはこれです私は思うんですが、これって、ヘーゲルとマルクスの明らかにしている「弁証法」というやつですね。私などは、これらの点をもっと明らかにしなければ、もったいないとおもいます。人として、あんたは、なんのために生きてきたのか、これまで何を努力してきたのか。それらのことが、それぞれにとって、いま問われているということですね。その意味で、今回の雨は、それにより三島の旅を提供してくれましたが、このことは、わたしにとってたいへん貴重なプレゼントとなりました。
2024年05月02日
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八王子市の鹿島地域で懇談会がひらかれました 4月27日(土)に、3回目となる鹿島地域の懇談会が開かれました。この会には5名が参加しましたが、望月しょうへい市議もきてくれて、懇談しました。おたがいの自己紹介からはじまって、鹿島地域で暮らしている中で日ごろ感じている問題や要望などが交歓されました。八王子市議会の動きを望月市議が紹介望月市議は、「八王子市議団ニュース」を提供してくれて、1月の市長選挙後の八王子市政と議会の動きについて紹介がありました。この中で、望月市議は、「市民の要求運動と市議団の共同が、実際に八王子市政を動かしだしているのを実感する」と感想を語っていました。具体的には、学校給食の無償化、子どもたちへの医療費助成、学校体育館へのエアコン設置、補聴器の助成などの8つの政策で、市民要求の新たな前進がはじまっていること。これまで、これらの市民の切実な請願は、議会で自民・公明により、否決されつづけてきたけど、市長選挙後に新たな変化の兆しがでていることが紹介されました。 これに対して、参加者から、八王子市政の具体化や進捗状況について、質問や要望、問題点などが交歓されました。〇「学校給食はいつから実施されるのか? すすみだしたのは良いことけれど、以前に住んでいた都心区ではとっくの昔にすすんでおり、それに比べると今の八王子市政の動きというのは40年くらいも遅れているんじゃないか」〇「学校のエアコン設置率が14%というのは、いまもそうした状況か。いつころまでにエアコンは設置されるのか。応急対策として各校2基の気化式冷風機を設置すると聞くが、すべての学校につくのか。東京都のエアコン設置の助成は、その期限が切れたときくが、八王子にも適用されるのか」〇「補聴器の助成はどこまですすんでいるのか。私が購入するに25万円もかかったけど、助成の具体化は切実になっている。購入だけでなく、メンテナンスなどの負担もたいへんで、アフターサービスについても具体化してほしい」〇「八王子は面積が広くて市役所に行くにも交通不便だ。モノレールの運賃も高いし、これにはシルバーパスが使えない。都心の地下鉄などの利便に比べるとたいへん不便で、これは三多摩格差の典型じゃないか。モノレール沿線の各市とも連携して、都知事選もあることだし、東京都に対してシルバーパスの適用と運賃値下げを大きく要求してゆくべきだ」〇「『市議会だより』の議員発言には、どうして発言議員の名前と会派が掲載されてないのか、これでは発言に対して、賛否の意見を言おうにも、その向けどころがない。八王子市議会の民主主義が問われる問題じゃないか」などの意見が出されました。高すぎる八王子市の国民健康保険税とにかく八王子市の国民健康保険税が高すぎる。7年連続増税しており、多摩26市で一番高い税率となってしまった。子ども二人の4人家族の標準世帯では、年収400万円に対して、国保税だけで58万5千円もの負担になっている。「均等割り」というのは、収入のない赤ちゃんまでも負担させるというもので、これでは事実上「子どもをつくるな」ということで、少子化対策との言っていることとやっていることが逆行している。「どうして、『値上げをやめて』との当然な市民請願を、自民党と公明党市議は反対するのか?その理由がわからない」との質問も出されました。また、「八王子から出ている自民党前政調会長・文科大臣は、いったい何をしているのか、これにどういっているのか」との疑問意見もありました。 「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」鹿島・松が谷の地域の活性化対策についての質疑がありました。「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」の報告書が、行政も参加して出されたそうだけど、この報告書はインターネットでしか見られず、少数の関係者だけしか知られておらず、とくに八王子市の端にある鹿島では、ほとんどの市民には認識になっていない。子育て、買い物、高齢化、団地の老朽化、交通などへの対応など、鹿島地域を活性化していくには、住民参加の計画が求められており、この点でも改善が求められている。などなど、さまざまな意見が交わされました。 これからも引き続き懇談会をかさねることにしています。
2024年04月30日
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八王子市鹿島で地域懇談会八王子市鹿島で、4月27日(土)に、3回目となる鹿島地域の懇談会が開かれました。この会には地域の5名が参加、望月しょうへい市議も参加してくれて、懇談しました。最初に参加者から、それぞれの自己紹介とともに、日ごろの暮らしの中で感じている問題や要望などが紹介されました。八王子市議会の市政報告望月市議からは、「八王子市議団ニュース」をつかって、市長選挙後の八王子市政と議会の動きについて具体的な紹介がありました。この中で、望月市議は、「市民の要求運動と市議団の共同が、実際に八王子市政を動かしだしているのを実感する」との感想を語っていました。さらに、具体的に、学校給食の無償化、子どもたちへの医療費助成、学校体育館へのエアコン設置、補聴器の助成など、8つの政策での、この間の新たな前進的な動きがはじまっていると、その様子が報告されました。これに対して、参加者から、八王子市政の具体化の進捗状況や、要望や問題について、質疑と意見が交わされました。〇「学校給食はいつから実施されるのか? すすみだしたのは良いことけれど、以前に住んでいた都心区ではとっくの昔にすすんでいる。それに比べると八王子市政の動きというのは遅れている。40年くらいも遅れているんじゃないか」〇「学校のエアコン設置率の14%の現状というのは、いま現在もそうした事態か。いつころまでにエアコンは設置されるのか。応急対策として各校2基の気化式冷風機をすべて設置するというのは、エアコンのある学校にもつくのか。東京都のエアコン設置助成は、期限切れといわれていたけど、おくればせの八王子にも適用されるのか」〇「補聴器の助成はどこまですすんでいるのか。個人が購入するには25万円もかかるわけで、助成の具体化は切実になっている。購入だけでなく、メンテナンスなどの負担もたいへんで、アフターサービスについても具体化してほしい」〇「八王子は面積が広くて移動するのに交通がたいへん不便だ。モノレールの運賃も高いし、シルバーパスが使えない。都心の利便に比べると不便で、これは三多摩格差の典型じゃないか。モノレール沿線の各市とも連携して、都知事選もあることだし、東京都に対して適用と値下げを大きく要求してゆくべきだ」などなどの意見が出されました。高すぎる八王子市の国民健康保険税とにかく八王子市の国民健康保険税が高すぎる。7年連続増税しており、多摩26市で一番高い税率となってしまった。子ども二人の4人家族の標準世帯では、年収400万円に対して、国保税だけで58万5千円もの負担になっている。「均等割り」というのは、収入のない赤ちゃんまでも負担させるというもので、これでは「子どもをつくるな」としているわけで、少子化対策とも逆抗している。八王子市民にたいし、この国保税負担のひどさを、あらためて知らせて、市・都・国のそれぞれに改善させるように、声を大きくあげたい。また、「どうして、値上げをやめての当然な市民の請願に対して、自民党と公明党市議は反対するのか?その理由がわからない」、などの意見や質問が出されました。「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」また、鹿島・松が谷地域の活性化対策についての質疑がありました。行政も参加して「鹿島松が谷地域のまちづかい計画」の報告が出されたそうだけど、その報告書はインターネットでしか見られず、少数の関係者だけの理解にとどまっており、とくに端にある鹿島では、ほとんどの市民に知られておらず、その認識になっていない。地域を活性化するには、この問題でも事態の改善をはかるべきだ。など、さまざまな懇談が交わされました。引き続き、これからも懇談会をかさねることにしています。
2024年04月27日
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4月23日の小池晃議員の質疑は国民の声私などは、小田原のみかん園を手入れしているみかん農夫ですが。4月23日(火)、参議院予算委員会で行われた共産党・小池晃議員の質疑ですが、これは国民の声です。雨が降り出す前に、農家はひと仕事を済ませておかなければ・・・、これは当然のことです。その時間に行われた国会中継ですが、労働者・農民・中小企業者は、仕事中で見ていられません。当方も、4月25日に、インターネット中継で、その後追いで確認させてもらいました。参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)これで4月23日の参議院予算中継の小池質疑を見ることが出来ます。私などは、小田原から帰って、先ずはたまっていた新聞を読むんです。これが、今回帰京して、一番にとびこんできた事柄でした。今回の機会をのぞいて、日本の政界の政治の裏金問題について、襟を正す機会はありません。政権政党が、その全派閥が、その資金をどうやって、みずからが定めたルールにも反して、裏金をどのように集めていたのか、それが今、白日の下にあきらかにされたんです。当事者たちは、建前と本音で、発言とは裏腹に逃げ回っていますが。もしもですよ、この事実が、「わたしとしては知らない」とのことで、いいかげんにお茶を濁わされたら、どうなるか。これからの日本の社会で、そうしたことが一般に承認されるということです。日本は、今、その岐路にあるということです。だれであってもよし、このけじめを、しっかりと政治に通さなければならない、そのことが、今現在において、日本の政治に問われていることです。小田原のみかんの草取りと施肥から帰って、ポストにたまっていた新聞に目を通して、いそぎこの間に起きていた事態を追跡しています。その一番は、4月23日(火)の、参議院予算委員会での共産党・小池晃議員の追及でした。この小池議員の質疑ですが、日本国民は、たとえその時々はどんなに忙しかったとしても、この予算委員会の中継録画ですが、そのやりとりを確認しておく必要があると思うんです。今を生きる日本国民にとって、今を知るうえで一見に値すると思ったんです。私などが、先ほどですが、その録画をみての、その受けとめについてです一つ、小池晃議員の質疑には、無駄なところがないということです。政治家というのは、その答弁というのは手練手管で、質問をはぐらかす名人なんですが、岸田首相は、これまでも、今も、そのさえたる答弁ぶりだったんですが。小池議員は、そのはぐらかしを許さないんですね。岸田首相のはぐらかしの手口も天才的で芸術的なものですが、たいがいの質問者は、そうした答弁に翻弄されてごまかされちゃうんですが。もはや、政府答弁のごまかしの手口は、いっさい通用しないというのが、今回の小池質問でした。そうした質疑でした。それをぜひ確認して欲しいんです。二つは、その質問のやりとりの検証です。予算委員会の委員は、さまざまな会派の方たちがいるわけですが。音と姿。小池質問に対する、画面に映っている人たちの、一つ一つの反応です。「そうだ!」という声は、ふつうなら録画には音声というのは入らないんですが、ハッキリと伝わってくるんです。この声を、是非確かめてみてほしいと思うんです。同時に、まわりの予算委員議員の人たちのボディーアクションです。多くの委員の人が「そうだ!!」との、ボディーアクションをしているんですね。このことは、小池議員の質問というのは、党派を超えて多くの議員の人たちの、共通な主張だということです。これは、「言い逃れはなど許せない、これまでの真実をはっきりさせろ」とのまさに国民の声です。このことは、今の日本の政治動向にかかわってます三、同時に大事なのは、その質問の中身です。1、「岸田首相には、自民党総裁として、自身もかかわる特別な責任がある」。岸田氏自身の派閥も、会計担当者が起訴されているのに、自身の派閥については担当者の知識の単純ミスなどとして済まそうとしているところに、真相究明の実際が問われている。2、関係者の証言から森元首相がキーパーソンであることは明らかだけど。「電話できいた」「内容は明らかにしない」「質問時間もいえないし、同席者もいない」、これじゃあ実際を明らかにされたとはとてもいえないのに、『森氏は関与してない』との岸田首相の言明ですが。これでは、かっこづくりの、ありばいづくりでしかなく、こんなことでは誰も国民は納得しないと。3、加えて、政治献金と、それとみあう補助金支給の現実の問題です。どうして、くらしを押しつぶす軍事費の大増強が押しつけられるのか、どうして,地震大国の日本、東日本大震災も回復してないのに、原発推進を強行するのか、今の自民党政治が、どうして国民の声などといえるのか。食料・農家をどうしてかえりみないのか。問題は、具体的で、近代の諸問題は、この一点につながりますす。とにかく、この4月23日参議院の予算委員会での小池晃質問ですが、今の政治の、本質的な問題が、ズバリと見て取れる質疑であったと、私などはそう思います。それが嘘か本当か、是非とも実際のこの質疑の様子をみてほしいと思います。
2024年04月26日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」17「自己意識の外化としての世界」、より道の2前回の発信ですが、マルクスはとどのつまりヘーゲルのどこを評価したのか?弁証法でした。しかし、それがもっている一面化の問題、そのための課題とは何か、ということでした。そもそもその弁証法とはなにか? この問題があります。この弁証法というものの理解の問題をめぐっても、いろいろな人が、その考えを、それこそ沢山の本になってだされています。私なども「ヘーゲル 歴史のなかの弁証法」として、冊子にしたんですが。さらに、今回の問題ですが。知人が前回の発信に対し感想を寄せてくれました。そのなかで、ヘーゲルの言っている「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、どういうことなのか?そのことを検討することと弁証法の問題とは、どのように関係しているのか?こんな問題がありました。ヘーゲルの表現というのは、私などの日常の言葉や文章からして、「なんじゃ、こりゃぁ???」となりがちなんですが。注意して読むと、私たちが日常に経験していることを、ヘーゲルはそれを哲学的に表現しているんですね。この場合も、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」とは、ようするに私たちが見ている外界の世界というのは、私たちの意識がとらえ・つくりだしているものだということです。それはそうですが、なんでそんなことが、今ここで大きな問題になるのか?との問題が問題なんです。このことをめぐって、マルクスは9文節(第24文節から第32文節)もの論評と議論を展開しているわけです。「素朴実在論」ということがあります。古今東西の認識は、カントやヘーゲルが問題にするまでは、外界の世界とひとの意識とは一致していた。意識は外界そのものをとらえているとの普通人の常識です。ところが、そこに「それは本当だろうか?」とカントからヘーゲルにいたるドイツの古典哲学は問題提起をしてるんですね。ふつうでは、「どうだっていいだろう、そんなことは」と済まされているんですが。ヘーゲルは、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」との見方を提起しています。私たちの見ている世界は、私たち自身の意識こそがそのように見ているんだ、と。では、世界は私たちの意識でしかないのか。そうした主観主義の唯我論との考え方もありますが、ヘーゲルは人の認識することを問い、自然を問い、哲学や歴史、法律や芸術や宗教といった、あらゆる分野をさぐってますから、「それは私の意識です」といっても、実在の対象をとらえようとしていますから、自己のことだけを問題にするたんなる唯我論じゃないんです。でわなんなのか?そこが問題です。そもそもこの「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」が、それはどのような問題を検討する中で、そうしたことが問題になっているのか?ヘーゲルによれば、世界というのは人間の意識が対象としてつくりだしたもの、人がつくりだした世界というのは、自己の本質的意識とは違った、疎外されたものであり、個人の意識からしたらそれは疎遠な形である。理解しえないような、不本意な、巨大でなじみえないようなものとしてある。人はそのような形で世界をとらえている、ないしその姿をつくりだしている。それは個人にとっては、まぁたとえて言えば、私一人の力で車や時計をつくれといったようなものです。しかし人は歴史的な社会的力をもって、たしかにまわりの世界をつくりだしているとおもいます。弁証法の否定、規定はそれをつくりだしているわけですが、大事なところは、その疎遠なものというのはその人がつくりだしたものであり、同時にそのことは、その疎遠なものを人は自己のものとしてとりもどす面をもっている。この関係をヘーゲルは洞察しているんですね。そしてそれをマルクスは、偉大な業績として評価しているんですね。ヘーゲルもマルクスも言っています。「大事なことは、意識の対象を克服することであり、その運動なんだ」と。ヘーゲルは『精神現象学』で、その「序論」でもかさねて、実体というのは主体だと強調しています。「真なるものを実体としてではなく、同時に主体として把促し、表現することである」対象という実体は、人がつくりだしたものであり、それは取り戻せる、疎外された状態にあるのを回復することができる、「大事なことは、意識の対象を克服することだ」と。と強調しているわけです。そのことは、人間がつくりだしたものは、疎外された形にあるわけですが、それはその疎外された形を回復していく運動でもあると。なにか一種の精神論のように聞こえなくもないのですが、そうじゃなくてそれが弁証法の運動なんだ、と言っているわけです。そして、その一般性をヘーゲルは、ヘーゲル流に、『精神現象学』『歴史哲学』『法の哲学』『エンチクロペディー』などとして、個々にその論証を試みているんです。それを学んだマルクスとしては、「それは素晴らしい努力なんだけど、だけど、そのヘーゲル流のやり方(弁証法)には、一面的な誤りがある。人間の世界のあゆみについてもしかり」とみてとっていて、そのヘーゲル流の弁証法にはどこに一面性の誤りがあるのか、問題があるのか。その点を検討しているのが、今回のマルクスの『1844年の経済学哲学手稿』なんですね。ここでの探究というのは、そうした関係の中にあるわけです。したがって、一見すると素人の私などには、「抽象的で、どうでもよいようなことを、ゴタゴタと検討している」ように見えるんですが、そこには大事な大きな問題があるわけです。そのことは、疎外された今日の人間社会ですが、一般的、抽象的にみて、そこにも「いって、こい」「つくりだし、それを変えるとの弁証法がはたらいているわけで。そうした関係を解きほごして、疎外を克服することで、対象性をとりもどすことが出来る、そんな一般的な洞察が、ここにはあるというんです。それはあくまで一般的なレベルでのことですが、私などはそのように理解しています。しかし、これは過程としてあるわけですから、努力としてあり、運動としてあるわけです。ですから、安易に手軽な名著(真理)をなにか一冊読みさえすれば、すべてのことがわかるといった、そんなことじゃないんですね。このヘーゲルやマルクスの詮索していることの中身というのは、そうした内容をもっていると、私などは考えます。それは人類の大きな知的な成果であり、遺産だと思っています。今回も、やぶの中で捜査の道を見失わないようにとのことで、幕間での一つの整理であり、感想でした。
2024年04月26日
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御殿場線の旅東海道本線は、丹那トンネルが出来るまでは、御殿場線を通る道が本線だったことは知っていたんですが。その新東海道線が当たり前になっていて、御殿場線は知識の上だけでしか、知りませんでした。知人が山北に住んでいたので、わたしも50年前に国府津から山北までは行ったことがあるはずなんですが。遠い、昔の一度だけだったんで、まったく記憶がなかったんです。今回、「御殿場線を旅してみたい」とのリクエストがあって、小田原方面の関係者としては、案内するには下見しておく必要があったんです。今回、4月24日でしたが、天気予報どうり、朝から雨だったんで。畑仕事は出来きなかったんで、この機会に御殿場線を旅してみることにしました。午前9時10分国府津発の10時41分沼津着の1時間半の旅でしたが。これは沼津の駅前に、鉄道の歴史の記録として置かれていたものです。丹那トンネルが出来るまでは、丹沢から箱根・伊豆の山道をう回する線路だったんですね。国府津駅で客車の前後を蒸気機関車がはさむようにして、山道をこえていたんだそうです。この蒸気機関車が、引いたり、おしたりと活躍していたんだそうです。そういえば、昔は丹那トンネルの長いトンネルを通るときに、蒸気機関車のけむりがはいるから、窓を閉めるようにと、注意されたのを思い出しました。今は、旧東海道本線の御殿場線も単線となってます。1時間に1本くらいしかダイヤはありません、車両も2両とか3両なんですが、しかし立派に、いまでも活躍しています。インターネットの「御殿場線」をみたんですが、これが参考になりました。その昔の幹線のあとが、今にどう残っているのか、教えてもらったんですが。御殿場線は、特急列車もはしる東海道本線の大動脈だったんです。峠道を前後の蒸気機関車を助っ人にして、「なんだ坂、こんな坂」と、ぐんぐん押し上げていたんです。それにより西と東の日本を一つにつないでいたんです。赤字だ黒字だなんていう、損得の問題じゃなかったんです。その苦労した面影が、ポリシーが、御殿場線には、今にかんぜんな形で残っているんですね。ものみな、もうからないものは切りすてて、廃線にしちゃえ、といった今の風潮の中で、どっこい、旧東海道本線・御殿場線は、規模は縮小されたとしても、しっかりと残されているんです。これって、貴重な日本の近代史の歴史遺産だと思います。電車が、単線の勾配のある山道を登っていくなかで、そう感じました。御殿場からは世界が変りますそれと、もう一つ感じたことがあるんですが。御殿場を過ぎると世界が開ける。そして、沼津という街を再認識しました。同時に静岡県の全体が、歴史的な、人情的にもそういう存在なんでしょうが。第一印象はとっつきにくいけど、あたたかいおもてなしの心があるんです。確かかどうかは、まだ材料に乏しいんですが、間違いないと思います。それは私などの、遠い昔の記憶でもあるんですが。しかしいまの交通は、JR東日本と東海です。15両連結の電車が、三両連結の電車になっちゃうんですが、ひとつづきではなく、乗り換え時間待ちも必要で、しかも1時間に1本とか2本になっちゃうんですが。しかし、それはうつせみの世界です。そんなことで、人は変わりません。おそらく、それは徳川時代からつちかわれている文化といったもがあるとおもいます。街並みも、自然も、素晴らしい、一つの空間ですね。私などは、真鶴生まれなんですが。これまでは、自然と世界は東京に、東の方に向いてたんです。背中の側にあった伊豆とか、静岡の方面は、ほとんどまったく知らなかったんです。箱根を境にして東西の世界が違う、漱石の『坊ちゃん』でしたか、そんな話がありましたが。私なども、知らず知らずに、実際にそうなっていたんです。しかし、今回の御殿場線の旅で、関東の端に生まれた私でしたが、すぐ隣の世界をもっと知らなければ、井の中の蛙だったと、感じさせられました。いろいろな記憶がよみがえってくるんです。箱根山の向こう側には、素晴らしい世界が広がっていたんです。しかし、そこからの情報はなかなか伝わってこなかったもので。日本中が東京の方を向いていたような風潮にもあったんで。確かに意識してみれば、そことの交流は昔からあったんですが。しかし私などの意識はそれに疎かったんです。時流に流されたとの感じもするんですが。しかし、とにかく今回の沼津港での海鮮丼は、最高でした。以前に西伊豆の戸田でも感じたんですが、人に対するおもてなしですね。せこい観光ずれした一弦商売とは違うんです。これが暖かさの底流ですね。それと、この日は天気が雨だったんで、富士山の姿はまったく見えなかったんですが、御殿場線の「富士岡」「裾野」などの駅の名からして、おそらく、ほんらいなら富士山の絶景も見えるところじゃないかと、雲を見ながら、雲の彼方の富士山を想像しました。きっと富士山が見えたら、最高ですよ。今回のこの御殿場線の旅でしたが。私などは、すぐ隣に生まれ育ってきたのに、ちっとも意識しなかったけど、そんな世界が、すぐとなりにあったんですね。知らないというのは、まったくもったいないことでしたが、しかしまだ遅くはない。この土地柄と風土は、そんな大切なものがあると感じました。これまで、小田原のみかん園を紹介してきたんですが、機会をつくって、それと同じように、この方面の魅力も紹介すべきだ、と感じて。また一つ、新たな世界が、山の向こうにある魅力を開いてみせてくれました。
2024年04月25日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」16 「自己意識が外化したものとしての世界」についていよいよマルクスのヘーゲルの『精神現象学』「絶対知」の論点に対する批判にはいります。ここからが問題ですが、ここで、道に迷わないよう歩いてきた道を確認します。一、これまでの考察をまとめてみると、ヘーゲル哲学の功績ですが、それは否定(することは、規定すること、うみだすこと)の弁証法をとらえたこと。それは、結果的な事実というのは、運動として、過程の成果としてある。しかしそれは、類的なもの(社会的な総労働)によっているわけで、個々の人には疎外された(疎遠なもの)としてある。自己も一員となってつくりだしているこの疎遠なもの全体をとりもどす。ヘーゲルは『精神現象学』の中でこうした思想(世界観)を打ち出した。しかし、そうしたヘーゲルの弁証法の成果を確認した時、そこには一面性の誤りがふくまれている。それを分析してゆがみを正すことで、弁証法を正確な姿にたてなおす必要がある。この歴史的な宿題があるというのがマルクスの課題認識です。その問題の中心的内容は、すでに、これまで学習してきたなかで提起されてます。二、今、ここで問題にしていることですがそうした結論をみちびき出しきた過程、すなわちマルクスが具体的に探究・検討した過程についてです。その成果とゆがみは『精神現象学』の提起の中に、とくに「絶対知」章の表現に典型的にでているとのことです。2つの点をとくに検討しています。1、「自己意識の外在化が物というあり方を定立する」(第24文節 全集P499)2、「対象の外在化と対象性を揚棄して、自分のうちにとりもどしている。すなわち他在のもとにおいて自身のもとにある」(第33文節 全集P502)わたしなどは「なんじゃ、こりゃぁ???」ですが。マルクスは、この二つのヘーゲルの見解について、とことん検討しています。そのことから、ヘーゲルの「ゆがみ」を正せたようです。まぁ、私などは、これからその検討をさぐろうとしているわけですが。三、これまで学習の回をかさねてきて、わたしなどが感じることですが。1、この「ヘーゲル弁証法批判」を検討にあたって、依然として達磨大師ですが、しかしポツポツとまわりある努力が見えてきています。しかし、人というのは謎の言葉が提起されると、自己流にそれを「解釈」したり、中身について自己流に「考案」しようとしがちですね。わからないとは言えないし、自分は理解しているんだとの自尊心もかかわっているようですが。そんな様子を感じます。まぁ、わたしなどは素人ですから、無知というのは当たり前で、すべては白紙の様なものですから、自分で理解できるところと、理解できないところを、なるべく確認するようにすることをもって、それで良しとしたいと思ってます。2、こうした問題を探究するのは、日々の諸々は忙しくて、仲間もなく、疎遠になりがちだと感じることもなくはないんですが。なにしろ、ヘーゲルは1831年に、マルクスは1883年に亡くなっていますから、今から150年から200年も以前の哲人たちの議論・探究です。日本では江戸時代末期から明治の日清戦争の頃でのことでして、とにかくむかしのことです。また、今日の現行憲法のもとで、「平和」を建前としつつ軍備の大増強に突っ走る、国民が主権者のはずなのに歪んだ政治によりおしつぶされている。選挙じゃないけど、木が沈んで石が浮かぶような、日々に世知辛くも、無茶苦茶な事態に直面させられているわけで、なんとも歯がゆい事態わけですが。しかしこの探究も、古今東西そのどこかで、こうした問題を正す力をつくることに、どこかでつながっていると思います。わたしとしては、周りの世界に注意を払いつつも、ここをすすめるということです。今回は、幕間の休憩でした。
2024年04月23日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」15 新たな地平を刻んでます1844年に、24-5歳のプロイセン(ドイツ)の若ものが、ヘーゲル哲学と格闘した。そして『法の哲学』を、そして『精神現象学』の最終章「絶対知」を吟味せざるを得なかった。それらがヘーゲル『法哲学』の国法論批判であり、この『経済学哲学手稿』でした。今から200年近くの時をさかのぼる努力ですが、私などは「なんじゃそりゃぁ」などとおもいつつ、学んでいます。一、文章の基軸の理解が大切だと思うようになりました以前に読んだとき、マルクスはヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」章のたった1ページを、8つのパートに分けて、なおかつ二項と六項の、たった二つの項を徹底して吟味しているのに驚かされました。『精神現象学』は大部なものです。しかし、そのたった一ページの問題を検討しているかのように見えたんです。しかし、今回、思うんです。それは叙述の関係であり、問題とするところをもっともよく示している箇所だったからであり、やはりその基礎には、『精神現象学』とその「絶対知」の章についての全体的な検討があると。その基礎があるからこそ、この8つの項を批判できるんですね。なぜ、マルクスはこのようなややこしい難書に挑戦したのか。それは、マルクスが唯物弁証法と唯物論的歴史観を発見し、それをまとめようとした努力の記録だったとおもいます。1845年にフランスから国外追放されたことで、出版する契約までしていたのに、草稿のままお蔵入りとなり、90年の時を経て1932年にソ連ではじめて刊行されました。マルクスは、このヘーゲル哲学、その『精神現象学』の「絶対知」について、この難書を正面に、三重にわたって説明しています。(この論文に、文節ごとに通しナンバーをつけてみました。問題となる個所をはっきりさせるためですが。私なりには全体で64の文節ありました)一つは、「ヘーゲルにおける二つの誤り」、第12文節ですが。おもうに、これはマルクスの結論を端的にまとめた叙述だと思います。二つ目は、「あらかじめ次のことだけは言っておこう」(第16文節)の箇所と、それと問題の「その要点は」(第17・18文節)です。この二か所で書いているのは、同じことかとおもいます。これからヘーゲルの叙述を検討していくうえで、あらかじめヘーゲルの叙述で、何が問題なのか、どこに問題があるのか、難儀している人に対して、それを理解しやすくするために、「あらかじめ」頭をならそうとして、いろいろな角度から、予備的にその中身を紹介しているものとおもわれます。その上で、問題とされるのは『精神現象学』の最終章「絶対知」の冒頭のところです。そのものを8つの項に区切って、マルクスは確認しています。第22文節ですが。「絶対値」の章からたった1ページですが、それを8つの項に区切ってを抜粋しているわけです。「その要点は」(第17・18文節)それ以前の二つの箇所というのは、その本論を理解しやすくするために、「序論」的なものとして、いわば思考トレーニングをしているといった性格の部分なんですね。そのうえで、具体的な検討に入っていくわけです。したがって、その事前の案内部分ですが、ちょっと読むと「藪から棒」の託宣的に述べているよう聞こえもするわけでして。理解するのに苦労させられる。いったいどのように解釈したらよいのか。いろいろな人が、それぞれ自己流の解釈をしているところでもあります。私などが思うのには、マルクスのあらかじめの説明ですから、そこだけで完全な理解が出来るといったような性格のものではないわけでして。その後の本論部分に具体的な検討があるわけです。その関係が、あまたの解説者たちが、完全な理解を示そうとして、苦労させられているように思われます。その結果、その人流の恣意的な、というか勝手な「解釈」をもって、説明してきた。そのために、いっそう混迷するような状況があるように思われます。いくら解説書を読んでも、ますますわからなくなるのは、そんな原因も関係してるんじゃないでしょうか。したがって、結論です。この序論的な部分については、そうした議論の組み立て、性格を理解しておくことが大切で、マルクスとしては「ある程度のことを理解したら、その先にすすむように、その先に問題の検討や解明があるよ」といっているんじゃないかと思います。実際に、マルクス自身が言っていることを紹介します。「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを(この後に行われる)『現象学』の結びの章(絶対知)のところでくわしく示してみせるだろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係もまたこれらの両者およぞ両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれている」と。(第15文節 ME全集第40巻 P196)一から十まで、完ぺきな理解を求めているわけではないんです。二、「貫徹された自然主義、ヒューマニズム」の謎が解ける私などには、これまでなぞの一節があったんです。少し先になりますが、第26文節です。「ここにわれわれは、貫徹された自然主義、あるいは貫徹されたヒューマニズムがいかに観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるかをみる。同時にまた我々は、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」(P500)わかりますか、この意味が。わたしなどは、なんじゃこれは??? これまでずーと謎だったんです。苦し紛れに、あれこれと考案しようとしていたんですが。今回、蛍光灯のように、頭がひらめきました。もちろん前後の文章にそのヒントがあるわけですが。同時に、自分流に仮説を立ててみることにしました。ということで、これは、あくまで私などの仮説なんですが。一つは、「貫徹された自然主義」ということですが。ヘーゲルは対象というのは自己意識の外化したものとみています。人間の意識から独立した対象的存在というものを見ようとしていません。あくまでそれは人間の意識がつくっている。その点からしたら世界というのは意識がつくっているものでして、ようするに唯心論なんですね。この意識の外側の世界を認めようとしない。自然というものの人間からの、自己意識からの独立性を認めていないわけです。そこのところに自然に対する不徹底さがあるわけで、貫徹されない自然主義があるわけです。マルクスとしては、人の意識の外側にある自然の存在そのものをみとめている、ようするにそれは唯物論なんですが、そこに自然主義の徹底した姿があることを指摘しているものと読みました。もう一つ、「貫徹されたヒューマニズム」とは何なのか? この問題です。ヒューマニズムというのは人間を、その尊厳を大切にする立場ですよね。それがマルクスによって、ここで突然に『ヒューマニズム』なる言葉が出てきた。どうしてなのか?どの様な意味なのか?どうしてここでてきたのか?ここには説明はありませんから、 なぞでした。そもそもヒューマニズムというのは、ルネサンスの人間復興や、モンテーニュやラブレーといった人が思い浮かびます。「われおもう、ゆえにわれあり」、人間の尊厳を近代の入り口で確認した言葉です。それがどうして、ここにでてくるのか? ここからは私などの仮説ですが。私などが想像するのに、「神は人間がつくりだしたもので、あくまで人間こそが主人公である」、これはフォイエルバッハが『キリスト教の本質』や『将来の哲学の根本命題』で強調している根本的な立場であり、考え方ですね。このことが、中世から近代へのヨーロッパで、ルネサンス、啓蒙思想などなかで、ここに大きなテーマがあった。神を中心とする考え方から、人間を中心とする立場への大きな転換です。マルクスは、この唯物論の立場にこそ人間中心のヒューマニズムの精神がある、そのことを指摘しているんじゃないでしょうか。さらにもう一つあります。これまで、精神ということの尊厳、精神の能動的な役割、理想的な精神をもとめる、などということは観念論の世界の中で探究されてきた。それはカントの理性の批判、ヘーゲルの情熱や自由論、これらはいずれも観念論のなかで大事なテーマとして鍛えられてきた。これにたいして18世紀の唯物論やフォイエルバッハの唯物論は、これに対してどのように問題が取り上げられ、検討されてきたのか。これはこれで大問題です。根源性の問題だけでなく、精神の果たす役割の問題です。唯物論にも色々な特徴があるけれど、それまでの唯物論には機械論的な特徴がみられ、それをもっと発展させなければならない。ようするに、「観念論とも唯物論とも異なりながら、同時に両者を統一する、両者の真理であるか」ということですが。それがしめしているのは、新たな能動的な、精神の活動の尊厳をも生かした唯物論というものを、弁証法的な唯物論が課題となっている。マルクスはそのことを強調したかったんじゃないでしょうか。それでは、唯物論的な弁証法というものを、その可能性をどの様に現実的な切りひらくのか、この探究課題が問題になっているんじゃないでしょうか。さらに、もう一つあります。これは「同時にまたわれわれは、いかに自然主義のみが世界史のいとなみを把握する力があるかをみるのである」-この言葉が意味することですが。これもまた、私などの推測ですが。ヘーゲルは「歴史哲学」にみるように自由の発展ということを洞察していました。しかし、その事実の根拠はどこにあるのか。ヘーゲルは精神の自由への発展という精神が確信でした。しかしその大勢の流れは正しいとしても、いったいその根拠はなんなのか?この問題ですね。意識はそれ自体から解きほごせれるものではなくて、そうした意識を規定するものがある。これですね。これは世界史のすすみゆきに対して、その自由な精神というものを規定するところの問題がある。ようするに、それが唯物論の立場、唯物的な歴史観を洞察し、探究することだったんですね。私などはそのようにとらえてみました。これらは、あくまで、私などの推測ですが。これから、本論となる「絶対知」の具体的な検討に入っていくわけですが。おそらく、そうした事柄が、これから出てくるんじゃないかと、わたしなどは期待している次第です。今回は、ちょっと先走っていますが、しかしそれは、大事なことだとおもうので、紹介させていただきました。もしも誰か、このことを解説されている人や、そうした文章があったら、紹介してほしいのですが。今回は、以上です。参考文献、『ヘーゲル「精神現象学」入門』(加藤尚武編 有斐閣選書 1983年刊行)
2024年04月19日
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小田原の魅力とは何か、みかん園の再生活動新緑が目立ちだすころというのは、雑草が繁茂しだす時でもあります。毎週、東京・八王子から小田原のみかん園に通って、手入れをしています。自然の力というのは、すごいですから、ヘトヘトにさせられてます。縁あって、この小田原のみかん園での活動ですが。その魅力は何なのか、ヘトヘトになると、ついついそんなことはどこかに消えてしまいます。「もう、ヘトヘトで、嫌になっちゃうよ」ついつい愚痴っぽくなりがちですが、その魅力を考えてみました。というのは、そこに暮らしていると、ついついその魅力が当たり前になって、日々のくらしの苦労もあって、その宝が忘れがちになっているんですね。それで、あらためてまとめてみました。小田原の魅力は何か。第一は、相模湾を一望できる、その景観のすばらしさです。この写真は、去年の5月15日のものですが。第二は、その歴史です。日本の歴史に、少なくとも二つ。一つは鎌倉幕府の頼朝の旗揚げ古戦場であり、二つは秀吉の全国統一のための小田原攻め。ともに石橋山の古戦場、小田原城と石垣山の一夜城の跡が残っているんですね。第三はみかんと梅です。都会のすぐ近くに乱開発が規制されて、大自然のみかん畑がひろがっている。「みかんの花が咲いている」、この唱歌はこの地でつくられたんです。そして曽我の梅林。第四は、海鮮料理です。相模湾の豊かな漁場が美味しい海鮮料理を提供してくれる。時とともに魚種は変わっても、新鮮で、多彩な地魚です。蒲鉾や塩辛も。第五は、温泉です。箱根の玄関であり、箱根七湯の多彩な泉質を楽しめますし、箱根山には自然の癒しがあるんです。第六は、交通の便のよさです。東京から片路2時間くらいと利便がよくて、日帰りもできます。また、東京の消費者にたいして、美味しいみかんを届けれるわけです。第七は、人情のよさです。これは人それぞれにいろいろに個性がありますが。私などは感じるんです、一見気難しそうな一国一城のあるじの農家の人たちですが、知り合うとよい人たちばかりなんです。第八は、芸術文化です。「文学資料館」がありますが、さまざまな政治家も文化人たちも、交歓の歴史があります。数日前に、音楽家のホームコンサートを聞けたんですが、文化の輪があるということです。あくせく働いていると、ついつい忘れがちですが、こうした社会背景の中で、明日をひらくために努力をしていると、70歳は、まだ若手のうちでして、80歳・90歳代で、ますます生き生きと健康にくらしている人もおられるんです。その共同の輪になっているんです、当人たちが気づいているかどうかは知りませんが。もちろん、今の社会ですから、世知辛く、愚かな事態も多々あるわけです。かつてのみかん畑の30パーセントが、今、耕作放棄地になっているわけで、せっかくのみかんでも、姿かたちが劣ると、美味しいミカンが捨てられている。また、若ものや子弟たちが、今の農家では、とてもやっていけないわけですから、農業の苦労は、ほとんど高齢者の肩にかかっている。まともな社会的な支援というのは、私などが体験する限り、ほとんど働いてないんですね。屁理屈ばかりで、かっこだけつけている事態です。こうして、明と暗、こもごもですが。そうであればこそ、私などにもできうることで、その魅力を引き出せるように、「石垣山みかん園を再生させる」活動として、努力、協力していくということです。
2024年04月19日
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みかん園の草刈り行き4月16日から18日まで、小田原・早川のみかん園の手入れに行ってきました。これが、その苦労の結果を示す全景です。陽気も暖かくなり、みかんの木への元肥を撒く時なんですが。肥料を撒くためには、みかんの木の根回りの雑草をおさえなければなりません。小木であれば、半径1メートルくらいを草取りすることで済むんですが。というのも、絨毯のように雑草の根が地表を覆っています。いくら地面の表面を草刈りしても、雑草の根がカーペットのように覆っていますから、それでは、雑草に肥料を与えるようなものなんです。大きなみかんの木ともなると、草取りは除草剤を使って対処するしかないんですね。右側の木は樹冠の下の雑草が抑えられています、これは園主さんが手入れをしたいるものですが、左側の木の方は、樹冠の下を春草がすっかり覆っています。これが当方の手入れをしている木です。当方は、これまで草刈り機でこの草を刈って、その後に施肥してきていたんですが、みかんの木の葉の色が黄色っぽいでしょう。これは肥料不足が原因でして、木が悲鳴を上げているんです。肥料はそれなりに撒いてはいたんですよ。しかし草取りが甘かったために、せっかくの肥料がみかんの根には届いていなかったんですね。1-2年が過ぎたら、ご覧の通りです。それまでたわわにみかんの実をつけていた巨木でしたが、1-2年を経るなかで、完全にみかんの林は消失してしまいました。「畑の様子を見るたびに、おれはがっかりしちゃうよ」園主さんが、私の手入れにたいして嘆いています。「草取りが甘いから、せっかくの肥料が、みかんの根に届いていないんだよ」「除草剤をうまく使わないと、草刈り機だけでは、これだけの広さともなると無理だ」と。私のポリシーとして、なるべく除草剤を使わずに、草刈りをしてきたんですが。みかんの林を、そのために、たった2年くらいで消失させてしまいました。長年、丹精込めて育ててきた園主さんでしたから、肩を落とすのも当たり前なんです。それで、当方としても、昨年の10月から方針を変更しました。除草剤も活用するようにして、施肥する前に、雑草の根をたたくこと。草刈り機をふりまわすだけでは、100本以上のみかんの木を維持することはできないと。これが、この2年くらいみかんの手入れの結果なんですね。体力のぎりぎりの限界にまで挑戦して、草刈り作業をしたんですが、それでも多数の成木を枯らしてしまった。園主さんが二世代にわたってそだててきた40年生の木でしたが、それを消失させてしまったわけでして。枯らしてしまったみかんの成木をきって、その枯れた木々を集めて、今回も野焼き処分している次第です。残念ですが、手痛いことで、大事な経験であり、反省です。
2024年04月18日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」14 ヘーゲル弁証法の成果と課題今回は、前回と重なる部分もありますが、ヘーゲル哲学を、『精神現象学』、『エンチクロペディー』と、全体を一べつしての成果(弁証法)と問題点です。一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について(第14文節)二、しかし、ヘーゲル哲学には一面性がある、さしあたり明らかな点(第16文節)一、ヘーゲル哲学の成果としての弁証法について第14文節ですが、マルクスはヘーゲル哲学の最終成果として弁証法にあると指摘しています。そのヘーゲル弁証法とはなにか?マルクスが初めて意識的な解明に挑戦しているわけです。「運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」-これがマルクスのここでの規定です。(もちろん人により、また同じ人でも場合により、弁証法にはいろいろな規定の仕方があると思うんです。その中身をどうつかむかは、それぞれが探っていくべき課題ですが。)マルクスのヘーゲル弁証法に対する評価です。「ここにあるヘーゲル(弁証法)の第一のすばらしさは、人間が自分自身の産出を、結果としてだけでなく、一つの過程としてとらえたこと。対象化することを、対象性をなくすこととしてとらえたこと、言い換えれば、外化を外化の止揚としてとらえたこと。(結果をとらえるだけでなく、それをつくられつつある過程として、運動としてとらえている。ものをつくる、対象化することは、それを実現すると対象というものはなくなると。また、対象としてあったものが働きかけにより、自分のうちにとりもどされる、と)第二に、それは、労働の本質をとらえており、人間自身というものを自分の労働の成果としてあるものだとらえている点にあること。第三に、人間は類的な(社会的な)存在であり、それに対する一人の人の能動的なかかわりについて。人間は類的な(歴史的な総労働の)存在として、まわりにかかわるし、その成果を享受する。ただし、その類的なことは一人の人からしたら疎外された形においてのみ可能になっている。」(この類的な人間と一人の人について、前回、私なりの理解として、このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者といった関係になっているけれど、これは自身も一因になってつくりだした関係であるわけでして、その疎遠になっているつながりを、個人がとりもどすことが大事になっており、それは疎外されてる人間の、疎外から自身を回復するということであり、類的な人間全体を、しがない個人がつかみかえし・とりもどすということだ、と紹介しておきました。)以上が、第14文節です。マルクスがとらえたヘーゲル弁証法についての「終極的成果」です。同時に、マルクスが問題とするのは、そこには「一面性と誤り」がふくまれているということ。この検討が、次の第15文節以降の内容ですが、じつに、このことが全体の中心的な問題になっているわけです。二、ヘーゲル哲学にある一面性、さしあたり明らかな点つぎは、ヘーゲル哲学の全体を通して、特徴となっている「一面性」の問題です。まずマルクスは、ヘーゲルが人間の労働の本質をとらえていること、それは「当世の国民経済学者たちの立場にたっている」と、これを高く評価しています。人は労働することにより対象物・生産物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説ですが、人の労働により、人間社会の富がつくられている。これとヘーゲルは共通する労働観の認識にあると評価しているわけです。しかし、問題はそこからです。そのヘーゲルの労働観には一面的な点があると、マルクスは問題点を指摘しています。その問題点の指摘です。第一は、労働の肯定的な面のみを見て、否定面をみていないこと。マルクスは、ヘーゲルの場合は労働ということを、人をまるごと外化したものととらえているわけで、そこにある問題点を見ない。それもまた国民経済学に共通する立場ですが。『経済学哲学手稿』の第一手稿には「疎外された労働」の探究があります。その背景には「ライン新聞」に掲載した「森林窃盗取締法に関する討論」や「モーゼル通信員の弁護」など、農民の労働状況についての体験があるわけです。第二は、ヘーゲルはまた抽象的な精神的な労働しかみてない。外在化のあらわれについてそれら哲学に・学問としてとらえることこそを労働の内容としてとらえている。第三に、先行する哲学のすべてを、行為として、そしてヘーゲル自身の哲学の契機をなすものとしてとらえるから、ヘーゲル哲学こそが最高の総括的な絶対的な存在ということになっちゃう。以上が第16文節ですが。マルクスは、ヘーゲル哲学の全体を一瞥して、その全体からみてとれる労働の一面化について、さしあたってこの三点の問題を指摘しているわけです。しかしこれは「ヘーゲル哲学」の全体から見てとれる特徴でして、このあとマルクスは、『精神現象学』の「絶対知」の章について、その冒頭の箇所を具体的に検討することで、本格的に問題点を探っていきます。ここからが本題です。しかし、それはまた次回とします。
2024年04月15日
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学校給食の無償化へ八王子市も動く本日、共産党の八王子市議団ニュース(3月29日 第11)が届きました。八王子市は、今年の1月21日に市長選挙があったんですが。このチラシは、選挙では敗れはしたものの、八王子の新たな息吹を感じさせてくれます。そのタイトルは「市民の願いが市政を動かす―学校給食の無償化を市長が約束」です。これまで、市民の無償化を求める請願は、くり返し否決されてきたんです。しかし、市長選挙に際しては、これまで反対してきた自民・公明の市長候補でも、この学校給食の無償化を掲げざるを得なかったんですね。これまで、八王子市というのは、市民のくりかえしの願いに対して、かたくなに、冷たくも、否決しつづけてきたんです。自民・公明が市議会40議席の過半数をしめてますから、市民の声など聴く耳がなかったんですね。頑迷さの象徴のような八王子でしたが、それが動かざるを得なかったんですね。市長選挙の結果は、50万都市の八王子で6000票の差で、もう一歩のところで与野党が逆転する状況をつくったんです。小池都知事まで最終盤には、自民・公明の応援に、なりふり構わずやってきたんです。まあ、それはとにかく。八王子市民が、あらためて自ら置かれている状況に、保守系の人たちも含めてですよ、「今の状況は、何とかしなければだめだ」と動きだしたということです。確かに部分的には市民要求に改善もあもるですが、しかし大勢はこれまでと変わってないんです。市議団ニュースの裏面です。国民健康保険税は7年連続の値上げしてますが、これからもさらに上げようとしています。おそらくこれは、全ての東京都の区市町村の自治体で最悪の事態じゃないでしょうか。公けに発表されているデーターですが。八王子市は、子ども二人の夫婦の4人家族で、年収400万円の標準家庭で、今年、新たに46,800円も負担が引き上げられて、年間の負担が、58万5000円になるそうです。考えられますか、国保税だけで、58万円も支払わなければならないなんて。教育費もあるでしょうし、家賃もあるでしょうし、当然食費もあるじゃないですか。しかし、市民の請願は、否決です。八王子市というのは、萩生田・前自民党政調会長の地元です。自民党政治が、そのおひざ元の市政でも幅を利かせているわけです。くらしや福祉はそっちのけで、市バスにはシルバーパスが使えない。その路線は駅につなごうとしない。市民サービスをどんどん削ってるんですね。他方では、国は軍事費ですが、同じように市ではジャカジャカと無駄遣いにふりむけてます。国民無視・市民無視の村政治がおこなわれているということです。私などは八王子市が遠く感じていたんですが、それは私自身の側の問題だけではなく、こうした市民に背を向けた八王子市政の議会や行政の側にも原因があることが見えてきました。しかし、そのひどい事態ですが、それがここにきて市民の目に具体的に見えてきたんですね。八王子市長選挙の結果がそれを示している。それが今、進行中の八王子市の事態だと思います。もう一つあります、東京都もひどいんです。「東京民報」4月7日付 第2324号 からですが。3月26日の予算特別委員会ですが、共産党・立憲民主党の都議の質問にたいして、「速記録から削除せよ」との動議が、自民党・都民ファースト、公明党から出され、それが、多数で可決されたというんです。共産党都議は、朝鮮学校だけに東京都の補助金が出されてないのは問題で改善せよ、との質問。立憲民主党都議は、小池都知事がみずからに批判的な質問にたいしては、答弁に立とうとしない点を問題とした質問とのこと。もしもこれが事実であるなら、言論の場であるはずの議会ですが、気に入らない質問については議事録から削除せよ、などということが現実に行われた。事実であれば、政治的民主主義をわきまえない、とんでもない多数の勝手な事態が、東京都議会においてもおきているということです。国の方もひどいけれど、日ごろ情報の少ない東京都や八王子市についても、そこに目をむけなければ、そこでもとんでもないことがまかり通りかねない。今の日本の社会では、そんな事態があちこちで進行しているということです。
2024年04月13日
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4月前半のみかん園の手入れ小田原のみかん園ですが、4月9日にその畑の手入れに行ってきました。今回、初めてですが、イノシシの親との出会いがありました。4月9日(火)は天候は雨でしから、10日(水)の早朝にみかん園を見回った時のこと。当方としては、この間に出た枯れ木を野焼きして始末する課題があったんです。これがその模様ですが。昨夜までは雨模様でしたから、草木の湿り気が野焼きが出来るかどうかを確かめに来たんですが。午前6時20分ですから、まだあたりには人の気配はなかったんです。すると、なにやら動き逃げていくものがいました。イノシシです。これは初めての遭遇だったんですが。この野焼きをしている場所にいて、そこからとんで逃げていったんです。これまで、イノシシの動いたあと、その痕跡はいくらでもあったんですが、その子どもの「うりぼう」は見たことがあったんですが、その親の姿を、その実物を見たのは初めてでした。1メートルくらいの大きさでしたが、30センチくらいの、まるまると太ってました。それがウサギのように飛び跳ねるようにして、奥の林の方に消えていきました。それこそ、あっという間のできごとでしたが。いま全国の農地でイノシシの加害が問題になっています。小田原でも野菜はもちろん、みかん畑も、畑を鉄柵で囲わなければ、ほとんどの作物が、イノシシのえさとなってしまいます。しかし、それは、一面では農家の高齢化もあり、人の畑の管理力が落ちているためでもあります。耕作放棄のみかん畑は原野となり、イノシシのねぐらになっている。それが広がっているわけです。人と猪との、一進一退の綱引き、攻防戦が行われているわけです。その一コマでした。さて、本題の、みかん畑の手入れですが畑にある切り枝を野焼きして片付けること。そして、暖かくなって繁茂しだした雑草の草取りをして、その後に元肥を施肥する。これが、いますすめていることです。みかん園の手入れは、春分の日を過ぎて暖かくなった今は、雑草の繁茂と競争している日々です。これは、数年前に山林化していた元みかん園だったところを再開拓した場所です。イノシシの住家になってましたから。その開拓したあと畑に、みかんの苗木を25本植えました。「石垣山みかん園を再生させる」活動です。私のところでも、少なくとも4名の方たちが、共同してくれています。農家の方たちだけでは、手の回らなくなったみかん畑を、何とか維持しようとの「援農」です。雑草の繁茂がはじまりだしている今、その雑草のみかんの木の回りの草取りをして、その後に元肥の施肥をしているわけです。これが、みかん畑の手入れの基本中の基本です。しかし、みかんの木が100本くらいになると、なかなか手が回らないんです。この根回りの草刈り施肥の基礎作業ですが、植えたばかりの小さな苗木や小木についてはこのように、1本1本の手入れは完ぺきなんですが、それでも木の本数が多いわけで、仮に50本あったとして、1本を処理するには30分とすると、25時間かかる。くたびれてくると効率は落ちてきますから、単純な時間計算では片付きません。この草取りをしっかりしないと、みかんの木の栄養補給の元肥を撒くことができないんです。しかし問題は、みかんの木の大きくなった成木に関してです。これだけ大きくなると、地べたをはっての草取りは、簡単にはいかないんです。施肥をする前に草取りをしておかないと、そうしないといくら肥料を撒いても、それは雑草にたいして肥料を与えるようなことになりますから、より雑草が繁茂するわけです。せっかく肥料をまいても肝心のみかんの木にはゆかずに、みかんの木は枯れだしていたんです。緑の草むらは、みかんの木の枯れたあとです。昨年の10月に、みかん園の園主さんから注意がありました。「あんたの草刈りは甘い。それじゃぁ雑草に肥料をやっているようなもので、木に届かず、木がどんどん枯れてっている。まかせたんだけど、がっかりしちゃうよ。これだけ広い畑を、草刈り機をふりまわすだけではダメだ、不可能だ。草刈りを徹底するには、うまく除草剤も使わないと、全体を手入れするのは不可能だと」。それで、私なども昨年の10月からですが、除草剤の使用を試しだしたんです。さらに一昨日、園主さんより注意がありました。「あんたは広い面ばかり除草剤を使っているが、肝腎な樹冠下が散布されていない。大事なのは肥料を撒く前提として、その箇所にこそ除草剤の散布が必要なんだ」と。私などは、木の周辺を除草剤できれいにして、樹冠下はカマで草取りするつもりでしたが、実際には、100本余りのたくさんの木にたいして、カマで草刈りすることは不可能だったんですね。「肥料を撒くために、草を枯らしてるんだから、まっさきにそこの除草剤散布をしなければだめだ。着手すべき箇所についての手順が違う。通路なんて人の行き来で自然に抑えれるから後でもよいんだ」とのアドバイスでした。これは、小木の草取りだけでヘトヘトになってしまっていて、巨木をまえにしては、その作業の大変さからたじろいじゃって、結局手が回っていなかったんですね。このために、巨木が疲弊してしまい、次々と枯らしてしまった。この木の枯れ込みをみていてのアドバイスなわけでした。「それだ! それだったのか」と、蛍光灯の頭にもスイッチがはいりました。ほんらいなら、早々に荷物をまとめて、帰京する日だったんですが。この問題を知った以上、それは次回への先送りするわけにはいきません。そこで、この日は予定を変更して、除草剤散布です。朝から5ラウンドもの、樹冠下にたいする除草剤の散布をおこないました。これは晴れ間が続く時ににしかできない作業です。私がみかん園で作業できる日も、時間もつ、限られてますから、まさに「今日」という日の、帰途につく前の午前が勝負のがタイミングだったんです。それで、すでにへとへとに疲れた体ではありましたが、もうひと頑張りしたわけです。はたして、その効果のほどはどうか、しばらくたつと、2週間の時間がたつと、その結果が見えてきます。すくなくとも、みかん農家がこの時期に努力していることの一端が、今回新たに一つ分かったわけです。その効果のほどは、この後2-3週間の時間がたたないとわからないんですが。とにかく、これまでは、体がくたびれ切ってしまい、手当てができていなかった領域です。みかんの木の手入れにとって、この半日間の苦労でしてが、これはこれまでとは違った、新たなみかんの木の手入れの大事な前進になると、私などは思っています。
2024年04月11日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」(その13) 何が問題で、ヒントはなにかここでマルクスが検討の対象としているヘーゲルの『精神現象学』ですが。哲学者の故・真下信一氏ですが、昭和の初めのころ京都での学生時代に、教授から聞いたそうです。「古今東西、哲学の書は数えきれないほどたくさんあるが、そのなかの三大難書の一つがヘーゲルの『精神現象学』だ」、と。(『時代に生きる思想』新日本新書 P194)その道の大家の人たちが苦労した古典の大作です。ですから私などが、すんなりとすすみっこないし、発信しても無反応なこと、それはグズグズ言っても仕方がないんですね。泣き言はおいて、とにかくすすんでゆくということです。それと、今回から、この学習の主題に関連して、入手できた本や論文ですが紹介させていただきます。今回から問題になるヘーゲル『精神現象学』の「絶対知」です。一、そもそも、なにが問題なのかマルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、今回は13回目です。いよいよ「本論」に入っていきます。テキストは「マルクス・エンゲルス」全集の第40巻に掲載の『経済学哲学手稿』(真下信一氏訳)を中心につかっていますが、P490から512の33ページ分、その各文節に通しナンバーをつけると第1文節から64文節となります。なんで今ごろ、そんなことを学習発信しているのか、何が問題なのか、ですが。私などが思うのに、この内容は、マルクスはヘーゲルの弁証法をどの様にとらえたのか、それをどの様に批判したのかですが。ようするに唯物弁証法です。混迷する今の社会にあって、なかなかままならなく、混迷することがいろいろ目につく現代社会ですが。私などはその中を73年生きてきて、この社会にあっては、とくに基本的な姿勢が大切だと感じるようになってきているんですね。まぁ、一般的な方法論、生きる姿勢の問題として、それがこの哲学の唯物弁証法なんですが。しかし、それは、このヘーゲルやマルクスの著作をちょっと開くとわかるかと思いますが、そうそう簡単に理解することはできないんです。私などは、そこに現代を生きる人たちにとって、生きていく上で役立つ基本があると思ってるんですが、しかし、なかなかそれを周りの人たちにうまく伝えれない、このもどかしさがあるんです。それで、このブログ発信をしている次第です。二、今回は、本論に入るにあたっての見取り図です前回、マルクスがヘーゲル哲学の一番の業績として弁証法の発見にあると指摘したのを紹介しました。それは一つの結論でした。全体の中で、それはどういうことなのか、問われています。そもそもその弁証法ってなに?ヘーゲルの弁証法を批判したって、どのように?マルクスが新たにつくりだした「唯物弁証法」って何なの?マルクスといえば唯物論的歴史観の確立者とされるけれど、それは何で、唯物弁証法とどのように関係しているの? マルクスといえば『共産党宣言』だけど、共産主義って何? マルクスといえは『資本論』の著者だけど、それとどうつながるの?つぎつぎと問題はつながるんですが。しかし、ここでは、問題は限定されます。『経済学哲学手稿』の「本論」の筋書きについてこれまでは、トンネルの先も周りも見えない中ですすんできましたが。今回は、当たってるかどうかは分かりませんが、一つの仮説です。今回、マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の全体を大まかに区分してみました。1、序論にあたる部分を学習してきました。第1文節-14文節。 ア、ヘーゲル哲学の大流行の中で、その基本に対する無自覚 イ、フォイエルバッハが、そのなかでヘーゲル批判に果たした唯物論の貢献、しかし課題が。 ウ、ヘーゲル哲学の全体からの批判-疎外を思想としてしかとらえず、克服も知ることだった。 エ、その問題をかかえつつも、ヘーゲルの最大の貢献は初めて弁証法をとらえたことだ、と。以上が、前回まで学習してきた流れでした。これからは、今後の学習への予告です。これからのことについては、私などはまだよく読めていませんから、あくまで仮説です。私などは、前回の2012年にこれを一度学習してます、これはそれによるものです。2、あらかじめのマルクスのアドバイス(第15-16文節)「ところでヘーゲルの一面性と限界については、われわれはこれを『現象学』の結びの章(絶対的知)のところでくわしく示してみせるであろう。ちなみにこの章には現象学の要約された精神、『現象学』と思弁的弁証法との関係も、またこれら両者のおよび両者の相互関係にかんするヘーゲルの意識も含まれているのである」(P496 第15文節)そして、あらかじめの指摘。(第16節)これはマルクスの確固とした評言ですが、これはこれからの「本論」を検討した後によるものでして、だからこそくだせる私たちへのアドバイスです。3、『精神現象学』の「絶対知」の要点。(第17-21文節)4、その「絶対知」から、ヘーゲルの8つの論点。(第22文節)これが『精神現象学』の問題とされる箇所です。冒頭のたった1ページなんですが。マルクスはそのことから、そのことを問題にしているんです。集中力、意識性を示していますが、マルクスの学習の仕方もそこには見てとれると思います。5、その検討1、「自己意識の外化が物性を措定する」(第23-32文節)6、その検討2、「他在のもとにおいて自身のものとなる」(第33-46文節)7、ヘーゲル弁証法の肯定的な諸契機。(第47文節以降)以上が、見通しです。勝手ながら立ててみました。とにかくこれがないと、先の見えないトンネルになりかねませんから。これから、これを念頭にして本論にすすんでいきます。最後に、参考文献ですが。1、「経済学批判の方法を探るマルクス」(長久理嗣著 『経済』2022年2月号)2、レジメと、「誤解されたヘーゲル」(岩佐茂著『精神の哲学者ヘーゲル』創風社2003年刊)3、「共産主義の運動をつうじて社会主義へ」(細谷昴著 『経済学・哲学草稿』有斐閣新書1980年刊)
2024年04月07日
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ヘーゲル弁証法の成果(その12)マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」を学習しています。今回は、12回目ですが。「序論」と本論の区別と、ヘーゲル弁証法の最終的成果とは何かです。ようやく本題にとりかかったところです。一、はじめに、『経済学哲学手稿』の日本語訳、つまり翻訳についてですが。手元には、『経済学哲学手稿』の3つの翻訳があります。①藤野渉訳 国民文庫 1963年3月15日刊②城塚登・田中吉六訳 岩波文庫 1964年3月16日刊③真下信一訳 マルクス・エンゲルス全集 第40巻 1975年3月31日刊この3つです。私などにとってマルクスの『経済学哲学手稿』というのは、必ずしも読みやすい本ではなかった。何を言っているのか、理解するのに苦しむところが多々ありました。それで、以前には、この本のむずかしさは、それを日本語に翻訳した訳者のせいじゃないか、などと不遜にも思った時もありました。しかし、最近では、そうじゃないんです。訳者の人たちは、それぞれその人なりに原文を正しく理解しようとしており、その結果を読者に一生懸命に伝えようと努力していると感ずるようになりました。しかしそうなると、問題は読む方の問題です。読む側においても、それなりに努力して心眼をきたえることが必要なんだ、最近そう思う様になりました。なかなか理解できないので、苦し紛れに自分勝手な、それこそ勝手な解釈をおしつけがちです。が、そうじゃなくて、「学んで、時にこれを習う」-こうした態度が必要なんじゃないかと、最近ですが考えるようになりました。二、私などの『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」学習は、その発信は二度目なんです。前回は2012年でしたが、その時は、この部分について、マルクスの言っていることの初めから終わりまで、すべてを理解しようと頑張ったんですが。学びとしては、当然なんですが。しかし今回、ふたたび「ヘーゲル弁証法批判」の学習を必要と感じているんです。というのは、現代は、テーマとなる弁証法について、ますますそれらを理解する必要があるのではと感じているのと、同時に、以前に発信した時の理解については、自分でも不十分さを感じるようになってるからなんですが。そもそもこの小論ですが、マルクスの主題は、ヘーゲル弁証法をどのようにとらえ、それをどの様に批判したか、つまり唯物論的な弁証法をどのように明確に確立したかということですが。歴史上はじめて、新たな世界観、唯物弁証法というものが問題になったわけで。どうしてそうした問題が、どの様な前提となる素材をもとにして、どうして課題として問題が意識にのぼるようになったのか。結果となると当たり前のようですが、新規に開拓しようとするとなると、単純ではありませんね。マルクスにとっては、そうした問題だったということです。私の前回、2012年の学習というのは、いわば私が初めて東京に出てきた時の印象のようなもので、見ること聞くことそのすべてが新しいことがらで、まったくその新しさに右往左往して、始めから終わりまでそのすべてを、まったくキョロキョロと、白紙状態において見聞しだしたようなものだったんです。しかし今回、同じ対象ですが、あらためて当たってみると、その認識が違ってくるんです。違いの第一番は、その中身ですが、以前はトンネルの暗闇をただ突き進むだけだったんですが、今回あらためて読んでみると、そこには起承転結の構成がある。それを大きくみると、そこには「序論」と「本論」の二つの部分があること。最近のことですが、そのことに気がつきました。「序論」というのは、第1文節から第14文節までで、そのあとに「本論」の『精神現象学』の「絶対的な知」そのものの検討に入っていく、この二つの部分です。三、その「序論」ですが、ME全集の真下訳では、P490の第1文節からP496の第13文節までですが、そこには5つの指摘があります。それは次の5つです。1、ヘーゲル弁証法に対して無自覚なのが一般的な状態であり、その検討こそが必要だと。第1文節から。多くの人がヘーゲル弁証法について語っているけれど、しかしその弁証法に対する意識性がないと。2、そうした中で、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判がすばらしく、画期的だと。第4文節から。フォイエルバッハの3つの偉業、しかしそこでもヘーゲル弁証法に対しては認識が弱いと。3、フォイエルバッハのヘーゲル哲学の部分批判でなく、ヘーゲル哲学の全体を視野に。第10文節から。ヘーゲルの体系「エンチクロペディー」、そのヘーゲル哲学の全体がもっている特徴について。4、そこにはへーゲルの二重の誤りがある。マルクスのヘーゲル哲学批判。第12文節から。人間の疎外を思想としてしか見ない、その取り返しは絶対知を認識しようとすることでしかない。5、『精神現象学』の最終的な成果というのは、弁証法をとらえたこと。第14文節から。だいたいわかりますか。ヘーゲルの根本的業績として弁証法をとらえたことと認識しつつも、その人間疎外は思想問題でしかなく、その疎外からの人間回復は認識努力でしかない、それがマルクスの批判です。これが「序論」です。マルクスはいろいろな意味深長なことを述べているでしょう。しかしその内容を理解するのはなかなか厄介です。最近、思うんですが、この「序論」の性格を理解しておくことが大切だと思うんです。これまで「序論」を理解するのは、わかりにくくやっかいだった。突然に、藪から棒に重要そうな断言が出てきたり、そこで議論ですがいったい何が問題になっているのか、なかなかわからないわけですから。そうした言葉の意味(概念)を、あれこれ一生懸命に解釈しようとするじゃないですか。わかったようでも確信がなく半信半疑の状態になる、それが前回の学習発信した時の、悪戦苦闘した時の状態だったんです。苦し紛れに「訳者の、その訳の仕方に問題があるんじゃないか」などと勘ぐったりしていたんです。しかし最近、達磨大師は、周りで知った研究者の人たちと話す機会があったんですが、長年研究してきた人たちのなかにも、同じような苦しみがあること。やはりその苦しさのあまり、一生懸命にマルクスや他の権威者の言葉を引用することをもって、自身の説明にかえたりしている。また他にも、権威者の文章を分析することで悟性的に納得している人たちもいるわけで。なかには、自分こそがマルクスの一番の理解者だとの態度をしながら、じつは自分勝手な「解釈」を並べてるような人もいるといったわけです。これでは私などの一般人が、問題の事柄を理解したくてあれこれの解説書を読むんですが、それを漫然と聞いていると、それによりますます問題がわかりにくくなってしまう、そうしたことを感じさせられることも多々あるんです。やはり他力本願ではだめで、自分自身で納得するまで苦労する覚悟が必要だということです。続きですが、私など思うんです。この「序論」部分というのは、「本論」を理解するうえでのマルクスのアドバイスじゃないかと。実際にそれは、「本論」を検討をした結果による事柄もあるんです。ですから、その結論的な事柄を読んだだけではすっきりと理解することは不可能でして、そこにいたるまでの「本論」の考察過程をたどることが必要なわけで、この部分を読んだだけですべての事柄を得心できるといった性格のものではないということも感じてくるんです。ただ結果だけをみたくらいで、すべての苦労の中身が分かるといったものじゃ決してないわけです。ということは、ここだけで完璧に理解することが出来なくてもよし、だいたいそういうことが結論としては出てくるかもしれないから、今はこれをアドバイスとして念頭に置いておき、さらに先にすすむようにしてほしい。そうすれば、「本論」で検討していることも理解しやすくなるんだから。けっして苦し紛れの勝手な解釈などを信じたり、ふれまわったりして混乱させるようなことをしては駄目だよと、マルクスは言っているんじゃないでしょうか。私などはそのよう読みました。四、そのように見たとき、ここでマルクスが「ヘーゲルの『精神現象学』の最終成果における偉大なものが弁証法だ」との点についてですが。第14文節です、全集ではP496です。最終的にヘーゲルの偉大な成果は弁証法だと、これがマルクスの評価です。ここれは「本論」を通しての結論だろうと思いますが、しかしあらかじめここで示されている概観については、確認しておきます。第一に、ヘーゲルは人間の自己産出を、原因と結果からではなく、一つの産出過程として理解していること。その産出過程の結果として対象化するということ、さらに同時に対象性の除去として、外在化したものを取り止めと(とりもどし)としてつかむところにある。第二に、このことは、ヘーゲルは労働の本質をつかんでいること。それは対象としての人間は、現実的で真にある人間というのは、彼自身の労働による成果としてつくりだされたものとしてある、ヘーゲルのこうした労働に対する認識をマルクスは評価しています。このことは、労働が人にとっての対象物をつくりだしている、それとともに人間自身をつくってきた。ルターが対象としての崇高な神というのは、人間自身がつくりだしたもの、その人自身の心の中にあるとの認識。イギリスの経済発展の富・価値というのは、労働にその本質があるとするスミスやリカードの経済学説。いずれも人の労働が、人間社会の基本にあるとの共通する認識ですが、ヘーゲルもまた、その労働の役割・意義をことをとらえていた、マルクスはそのことを評価しているわけです。第三に、「類的な人間の存在」に対する一人の人間としての接し方、現実的な能動的な対処の仕方ということが、ここで言われています。このことを私流に理解すれば、今の現在人の生活というのは、車や電車を使って移動し、電気釜でご飯を炊いて食べているわけですが、これらの技術手段はこれまでの人間たちの総労働によって、その歴史的な成果によって成り立っているわけでして。しかし、私などの一人の個人からしたら、電気理論も鉄鋼製品の加工技術も知らないわけで、その類的な成果に対して疎外された(無知な)関係にあるわけですが、しかしそのご利益にはあずかって暮らしている。人類の歴史が生み出したこの歴史的成果をというのは、無知な私などの労働もその一因としてかかわっているわけで、無知な人間の全体が集まって今の全体の社会をつくっている。個人にとって社会全体(類的な人)は疎遠な他者との関係になっているけれど、このつくりだした関係があるわけで、そのつながりを個人がとりもどすことが大事で、それが疎外されてる人間の疎開から回復することであり、類的な人間全体をしがない個人がつかみとりもどすということであり、そうした類的なものをとりもどす運動が「共産主義」というものなんだ、と。これは「ヘーゲル哲学批判」が、『経済学哲学手稿』の他の緒論、経済学や社会主義思想とも、大きく関連していることをしめしています。マルクスが、短期間に壮大な理論の開拓努力をしていることが見えてきます。以上、この「序論」部分ですが、あらかじめの予告として示唆しています。そうしたことが「本論」からみちびきだされてくるこがらなんだと、それがマルクスが「本論」の探究の結論としてみえてくるんだと予告している、そうした指摘をしているものとして私などは読みました。まぁ、それが本当かどうか、これから探究していくことですが。今回は、ここまでです。次回からはいよいよ「本論」にはいります、ヘーゲル弁証法の検討に入っていきます。
2024年04月05日
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柿の木が移住してきました東京・八王子の裏高尾から、小田原の石垣山みかん園に柿の木が移住してきました。柿の木は大きいので、根付いてくれるかどうか、まだわかりませんが、事情があって、4月2日に、小田原のみかん園の片隅に移植しました。大きな木だったんですが、搬送してきました。うまく根付いてくれると良いのですが。作業をしていたら、すぐ近くなんですが、キジがときどき鳴くんです。オスとメス、二羽のキジが15メートルくらい離れたとこで、何やら地面をついばんでいました。カメラを取りに行った間に、雌のキジはどこへ移動したのか、見えなくなったんですが。オスのキジは、羽ばたいて鳴きました。みかん農家の人たちが大事にしているようで、すぐ近くで作業をしていても、悠々としていて逃げようとしないんですね。おかげで、そのきれいな姿を撮ることが出来ました。
2024年04月04日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」11 構えの再構築マルクス「ヘーゲル弁証法批判」を詮索していますが、今回はその余談です。これまでの流れとは別にして、ランダムな事柄です。一つは、何でこんな、愚にもつかないような、小むずかしいことを詮索するか。そのこだわりを持っているか、ですが。私などは1950(昭和25)年生れの73歳です。すでに、身近かだった私などの後輩が、あの世に旅立っています。生きているうちに、あれこれ苦労してきたことを形として残しておく責任があるじゃないですか。というのは、この1-2年の間に、知人が自己の半生を『備忘録』に、自費出版されたんです。お一方は、これまで戦後の日本の農家の方たちの現状とその打開する道を。もうお一方は、戦前・戦後の日本社会の活路を探った政治家の近くにいたドラマです。私などが感じるのに、そのいずれもが、値千金の国民的な良心の努力の姿なんです。その冊子は、今の日本に砂漠に水で、1億国民の70年間には、徒労とも感じさせられる努力なんですが。しかし、私などには、これはかけがえのない記録としてうけとめています。これが、私などの愚作の動因になっているんです。二、私などはこの間、マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」を学習していのすが、これはこれと同じ問題なんです。マルクスの努力は、200年の時をこえて、今の日本と世界の人々が抱えている問題だとは思っています。その基本は、ドイツ古典哲学のヘーゲルが発見した成果を引き継いだ唯物論的弁証法が、その一つです。私などが、グダグダと詮索していることの一つは、「唯物弁証法って何?」ということです。すでに、ブログの発信は10回をかさねましたが、これがテーマです。1つは、わかりきったような唯物弁証法の解説は山ほどありますが、私などが、あえてこだわるのは、それが今を生きる人の基本姿勢にかかわるからと思っているからです。「いったい、何が問題なの?」「何をグダグダとこだわっているの?」個々の具体的な問題の学習に入ると、「理性が世界を支配する」などの謎めいた言葉が出てきます。そうなると、それをどの様に理解したらよいか、あれこれと解釈をさぐらざるを得ないじゃないですか。しかし、そのことに没入すると、全体としていったい何が問題だったのか、見えなくなるんです。さらに、2つには。今どきのスマートホンの時代にあって、「何?、ヘーゲルだ?、マルクスだ?、何だそりゃあ?」と、奇人変人扱いされるのも、それもけっしておかしくはないんですが。逆に、私などの老人の立場からからしたら、居直りかもしれませんが、そのポリシーもあって思うんです。二つの例ですが。一つは、3月25日付「東京新聞」の9面、「『命は尊いもの』子どもに届いて」(黒柳徹子インタビュー)です。もう一つは3月31日付『赤旗日曜版』での、田中優子・田中智子氏の対談です。ともに、印象深く読ませていただきました。]]]私などは、1969年に法政大学の入学組でして。関東の片田舎から東京・市ヶ谷に通うことになったんですが。まともな授業は受けれなかったんです。今でもその授業料を返せと言いたいんですが。しかし、今回このお二方の対談を読んで、「時代の宿命だった」のかと、ようやくにして法政大学に対し感謝する気になったんです。そんなことは誰にもその思いは分からないでしょうが。まぁ、それはそれでよし。しかし、ガラケー世代の一人としてひとこと言わせていただきます。国民諸氏よ、あんたがたは、こんな政治家に政治を任せておいて、よいのか、と。踏んでも蹴られても、泣き寝入りしていて、子どもたちに恥ずかしくはないのか、と。まぁ、そんなことは言っても、おっくうで、忙しく、そんなどころじゃない、私なども、そうした一人であるわけですが。それが、近代のなまけものの、愚図たらした現代人の習性でもあるんですが。三、しかし悪いですね、私などは誰になんと言われようとも、あえてそれに対し抗います。まったく関係なさそうですが、つながってるんです。ヘーゲルが発見した弁証法ですが、その素晴らしい成果を評価しつつ、その弱点を正したのがマルクスの唯物弁証法なんです。それは、ものごとに臨む基本粋な態度、姿勢にかかわっているんです。それをどのように紹介するか。紹介できるか。私などの、力足らずを身に染みてるんですが。それは、人類の普遍的な宝なんです。日本の戦前の「唯物論研究会」の諸氏は、それを紹介しようとしたんですが、特高警察により弾圧されました。マルクスの青春時代と同じです。しかし、日本の先人たちは、治安維持法の暴虐にこうして、理性を掲げた歴史をもっているんです。その歴史的な苦闘は宝なんです、今もって評価されてませんが。それは世界に誇れる理性の光なんです。そのことは過去のことではないんです。混迷している今という時代を生きていく人間にとっても、今を生きる基本姿勢をつくるために、限りない力、激励ともなりうると思っていんです。本日、3月31日付のしんぶん「赤旗」には、志位和夫・共産党議長の田中サガヨさんについての紹介が出ています。24歳の女性が戦前の日本社会において余儀なくされた戦いの記録です。私など凡人としては、せいぜいできることは、その紹介でしかない。そして、この学習発信をするしかないんです。四、さらなる蛇足です今日、お米が少なくなり、知人の宅に分けてもらいに行ってきたんです。その時、家を出かけようとした時に、たまたまですが、認識を新たにしたんです。片や私の胃袋が求めているお米、片や紙切れであるお金ですが、まったく質的には関係ないじゃないですか。紙とお米ですから。しかしそれが等価物として交換される、日常当り前のことですが。しかし、この当り前なことですが、それをはじめて解明してるのが、200年前のマルクスの『賃労働と資本』であり『資本論』による、その価値形態論、貨幣論なんですね。どういう訳か、あらためて、このことのすごさを感じさせられました。さらにです、労働と資本の関係ですが、いわゆる剰余価値論、すなわち搾取論です。これまた、1840年代からの、ほぼ200年の時をこえて、この関係の真実をとらえていたわけで、表明していたわけで、これはなんとも素晴らしい。いまさらですが、マルクスのこの業績に脱帽したんです。しかし、現実は世知辛いもので、玄関の立ち話でしたから、相手舞側としては、「おいおい、そんなのは入口の当り前のことだよ。もっとその続きをこそ、しっかりと評価しなければ、あんたは何を学習したのか」玄関に出てきた知人ですが、そんな顔で見られてしまいました。しかし、これは素晴らしい、事実についての真実の表現であり、これは現代の根本問題ですね。まぁ、これは蛇足です。以上。
2024年03月31日
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鹿島で、3月23日に地域懇談会が開かれました 2024.3.303月23日(土)に、東京・八王子市鹿島で地域懇談会が開かれました。昨年・2023年7月30日についで、今回は二回目の懇談会でした。 6名の地域の方たちが参加し、望月しょうへい市議も参加してくれました。前回の懇談会以降に、八王子市では、1月21日には八王子市長選挙がありました。これはその前の時のものですが。これまで考えられないことですが、自民党の元代議士までもが、「今のような政治じゃいかん」と、街頭でマイクをにぎったんですよ。市長選挙(1月21日)の結果は、自民・公明と小池百合子が応援した候補者が、63,838票、野党の共闘に保守の人たちも応援した滝田候補が、57,193票と、自民と公明が過半数をしめる八王子市議会です、敗れたとはいえ6,000票の差まで迫ったんです。八王子市議会の定数40議席のうち、共産党は5議席なんですが、14人の市議が滝田候補の支援に動き、見ての通り保守の代議士や、元市議会議長の人たちまでもが共同しました。これは八王子はじまって以来の出来事だったんじゃないでしょうか。私たちの鹿島地域でも、慣れないハンドマイクで宣伝をしたんです。だいたい八王子は、これまで萩生田・自民党前政調会長の地元ですから、保守の牙城とも目されていたわけで、大差で自民・公明連合が大勝するのが当たり前だったんです。ですから、今回の市長選挙の結果について、「おいおい、八王子はいったいどうなっているんだ」「どうして、こんな変化がおこったのか?」など、あちこちに大きな、いろいろな波紋をよんでいます。 こうした経過を経ての懇談会ですが。参加者からは「市長選挙後に、市政にどのような変化はありましたか?」と質問がありました。望月市議から、2月22日からはじまっている第一回定例市議会の様子が報告されました。第一に裏金問題の解明と再発防止を求める意見書が提出されており、他会派とも新たな共同がはじまりだしていること。第二に、学校給食の無償化については。新市長は登庁の初日に、学校給食無償化の検討委員会を立ち上げたこと。自民・公明もこれまでの否決や保留の態度をかえて、「賛成する」する態度に変わったこと。前進的な変化があり、今後どんな形で、どんなテンポで具体化するか、注視していると。第三に、学校へのエアコンの設置問題では。八王子の全107校中、14%しか設置されてない。90校にない。こんなのは全都の中で八王子だけだ。市は新たに気化式の冷風機を2台ずつ設置するとの措置をきめたが。全都的にはエアコンの設置の目途が出ているのに、依然八王子の現実は全都の最悪だと。第四に、個々の要求について、前進がある。ア、子どもたちの医療費が、18歳まで無料化する。イ、障害者の移動支援に助成がはかられることに、ウ、補聴器の助成も、調査の結果、7000人の聞こえにくいとの声を受けて、検討するとこと。従来は請願は否決するし、全否定の態度だったことからしたら、今回の答弁は少しがかわっている、と。選挙が市政に新たな影響を与えていると。これまで市民の要求は蹴飛ばされ続けてきましたが、それが市政を少しずつ動かしている。その具体化については、すべてこれからの努力にかかっているけど、と。 しかし、大きな問題として、第五に、全体として市民負担とサービスの低下がひどい。特に、国民民健康保険税や介護保険料の値上げがひどい。国保は7年連続の値上げで、共稼ぎ400万円の夫婦の2人子どもの4人家族では、国保だけで年間58万4900円の負担になること。(7年前は年間38万2500円だった)。考えられますか。共稼ぎした400万円の収入のうち、58万円もごそっと健康保険税の為だけでとられちゃうんです。家賃もあるしだろうし教育費もあるし、もちろん食費もあるじゃないですか。いったい、庶民の暮らしの現実を今の政治は分かってるんでしょうかね。わかってこない実際の行政です。健康保険料については、こうした事態に、他の多くの自治体が市民負担の緩和をはかっています。それなのに、萩生田の地元・八王子は国の方針そのままに、7年間も連続して市民負担を値上げしている。これもまた八王子の現実なんです。等々の、八王子市政の現状についての報告がありました。参加者からは、それに対する質問とともに、この地域でおきているさまざまな問題について議論が交わされました。知りたい・話したいとの、さまざまな懇談が交わされました。しかし会場の時間の制約があったわけで、打ち切らざるを得なかったんですが、最後に、こうした懇談会ですが、これからも、さらに引き続き、開催していくことを確認しあいました。
2024年03月30日
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湘南ゴールドの収穫最近、一般のひとたちにも親しまれるようになってきた湘南ゴールドですが。当方のみかん園には、その湘南ゴールドの木が、今年表年の木が3本あったんですが、3月27日(水)に、援農の方の支援を得れて、すべての収穫を完了しました。午後2時30分、その作業を終了した時の様子です。今回の収穫ですが。前日の3月26日(火)は、雨模様でしたから、木が濡れていて収穫は出来ませんでした。また、この後の3月27日(水)は夕方から雨の予報通りで、やはり収穫は出来ませんでした。ようするに、この収穫の時というのは、きわめて限られた時間帯でした。それは、3月27日(水)の午後の2時間です。午前中は、まだ雨滴が木に残ってますから、収獲はできません。青空が広がり、木が乾いてきた午後の時間が、収穫に決定的だという状況になりました。その決定的な時に、まさにその時に援農のお二方が来てくれた。もしもこの援農の方たちの協力がなかったら、私一人の力では、この収穫はとても終わりませんでした。今回の収穫は、みごとに手分けして、木の裾を2人がとり、木の高い位置にあるのをひとりが登ってとる、この3人の協力の力で、午後2時半に収穫を完了できました。私だけでは、3日間は、少なくともかかったと思います。晴れやかな顔が、この集中作業の成果を示しているでしょう。夕方からは、雨がパラつきだしましたから、やはり、この時の収穫が決定的だったわけです。大きな木だったんですが、3人の集中作業で、三次元を一つにした協力の作業で、その果実のすべてを採りきりました。農家にとっては、みかんの収穫は一年の苦労が形になる時ですが。それには、天気が、雨が大敵なんです。木が濡れていては、作業になりませんから、決定的な時というのがあるんです。この重要性の感覚は、農家の方以外にはわからないと思いますが。自然を相手にしたとき、収獲作業はその自然の条件に合わせるしかないんです。人間の勝手な都合は、ゆるされないんです。これは前回に、別の木を収穫していた時のものです。なぜ、その集中的な収穫作業が大事かというと、ここで収穫作業の区切りをつければ、次に控えている作業で-草取り・元肥施肥の作業に集中できるようになるからです。これは、草取り・施肥を開始した畑の様子です。春分の日を過ぎて、陽気が暖かくなり、春雨が降ると、雑草の繁茂がはじまりだします。今が、まさにその時です。元肥を施肥するには、みかんの木の根回りの草取りをしなければなりません。草刈りが弱いと、撒いた肥料はみかんの木ではなく、雑草にとられてしまいます。事前にみかんの木の樹冠下を、しっかりと草取りしなければならないわけです。ベテランの農家の方から、この間に注意が飛んでいました。「草苅が甘いから、肥料がみかんの木にゆかない。だからみかんの木は疲弊して、次々に枯れていっている。もっとしっかり草刈りをしなければ、みかんの木はドンドン枯れてしまい、おれはがっかりしちゃうよ」と。わかりますか、この関係が。今国会では、政治家の「会計係がやってたことで、私は知らない」といった、言い訳がましいことが問題になってますが。農家の世界では、人と自然の関係では、このような言い訳はまったく通らないんです。「誰だれがやっていたことで」「私は知らなかった」そんなこと言ったって、みかんの木の手入れについて、生育するか枯れるかの実体の関係が、結果の事実に対する責任が問われているわけでして、木が実際に枯れてしまった場合には、他人のだれの責任か、それは他のだれにも責任転化などできないわけです。管理者ですから、他人に転化しても、それは逃げ口上以外の何ものでもないというわけです。結果の事実によって、その管理責任が問われるわけです。「オレ知らないよ」なんて、とおらない。これは論理的にも、一般社会でもあたりまえですよね。それを誤魔化せると思っているのが、自民党の政治家ですが。これじゃぁ、子どもたちにもしめしがつかず、世の中があれこれ乱れるのも当然ですね。えっ、なんの話でしたっけ。横道にそれました。当方のみかん園では、湘南ゴールドの収穫にここで区切りをつけて、つぎの作業である、草取り・元肥の施肥の作業に移ること。このメリハリが出来ずにいては、いつまでもだらだら収穫しているようだと、次の、しっかりとした元肥の施肥ができなくなって、とどのつまりは、みかんの木が疲弊してしまい、木が枯れちゃうということでした。この収穫のメリハリに、みかんの木の生死がかかっているんです。そうした意味では、今回も収獲作業で多分につかれましたが、それが、今日の作業を終えたあとの様子を見るとわかるんですが、たしかに疲れてはいても、「よし、ひと仕事終了。これで、次の作業にすすめるぞ!」ということで、お互いに、晴れやかな表情をしているということです。これから、収獲した湘南ゴールドを販売して、100本以上のみかんの木があるわけですが、その草取り・施肥の作業に、とりかかります。
2024年03月28日
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この政治とお金ですが、まかせておけますか3月25日の参議院予算委員会の記事をみたんですが。今の農家の大変な事態が取り上げられました。稲作農家の1アール当たりの年間所得は、1時間あたり10円だというんです。わかりますか、この問題の意味するものが。時間所得というのは、いわば勤労者にとっての1時間当たりの賃金です。それが、10円下がったというんじゃないんです。稲作農家の1アール当たりの年間所得が、1時間当たりで計算すると、10円の賃金だというんです。どこかの地理的条件の悪いところの農家の、特殊なケースじゃないんです。農林水産省が発表した全国的な統計調査の数字なんです。3月25日、参議院予算委員会で、共産党の紙智子議員が質問した中身なんですが。しんぶん「赤旗」3月26日付に掲載された「論戦ハイライト」の記事ですが。参議院のホームページで、質疑の様子を確かめてみたんです。https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php違いなし。今、政治家の裏金づくりとその実態解明が、全国的な問題になっています。この紙質問も最初はその問題です。しかし、首相答弁ですが、それを解明しようとする誠意や責任は、みられません。問題にたいするかっこだけとって、このまま引き伸ばして、国民の怒りが収まるのをまっている、そのように見えました。その次の議論のテーマが、この日本の農家の問題でした。この裏金づくりに狂奔してた政治家にして、この政治あり、です。全国の農家の窮状をよそにして、アメリカからのコメの輸入ですが、国内の総需要に対して、2000年の8.4%、2020年10.9%、これは過去の実際データーです。それを2040年には15.6%に、政府の政策決定として進めようとしているんです。国民が願ってない軍事費の大増強で暮らし・福祉を押しつぶす政策、地震災害の危険をよそに、原発の再拡大推進、外国と共同開発で、戦闘機をつくって、海外に売り込む。問題の金権政治家が、今、国策としておし進めている政策です。政治とお金、この両者は表と裏の一体です。国民が、それを流れのまま任せていたら、今やとんでもない事態になっている。これを真に変える政治の力が必要です。おなじ新聞に出ていました。某政党が、24日党大会をひらいた。「保守の二大政党による競いあいが必要だ」、「野党第一党になって、憲法改正をやる」などと。改革ポーズで国民の支持をあつめて、悪政の推進を競う、そうしたごまかしがはかられています。重ねていえば、国民にとって、今やとんでもない事態になっている。この事態を見極めて、これを真に変える政治の力が必要です。ということです。
2024年03月26日
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マルクスの「ヘーゲル弁証法批判」その10 課題の基本はどこにあるかはじめに、前回と重なりますが、一、マルクスがフォイエルバッハのヘーゲル哲学批判の業績と評価した三点ですが、1、哲学も宗教も、人間の本質の疎外。2、唯物論を基礎においたがその根本には社会関係がある。3、絶対的なものとしてでなく自分自身の肯定するものをとらえる。これは、いずれもそれぞれ唯物論の側面について評価したものですね。フォイエルバッハが初めて唯物論の見地からヘーゲル哲学を批判したわけですが。それはマルクスが「真実の発見をした唯一の人であり、真の克服者である」と評価したもので、それはドイツの観念論哲学の圧倒的な流れの中では画期的な一歩でした。二、しかし、このフォイエルバッハの批判だけでヘーゲル批判のすべてが片付くわけではない、ここでマルクスが問おうとしているのはその点です。ヘーゲル弁証法にたいする批判的検討の必要と、それはどのようにすすめられるべきか、この問題ですね。では、フォイエルバッハはヘーゲル弁証法をどの様に批判しているか。「ヘーゲル弁証法の秘密は、結局、ただ神学を哲学によって否定し、それから再び哲学を神学によって否定することにある。・・・否定の否定は神学である」(『将来の哲学の根本命題』(第21節 P45 1843年)これがフォイエルバッハのヘーゲル弁証法にたいする認識です。この「否定の否定」のとらえ方に、彼のヘーゲル弁証法の理解がしめされています。それは、哲学の考え方の矛盾としてのみとらえている。つまりいったん否定したあとで、さらにそれを肯定するところの哲学としてのみとらえていた。ようするに、フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法については本格的にとらえることができていなかったということです。弁証法に対する意識の欠如というのは、フォイエルバッハだけじゃなくて、ヘーゲル学派の全体がそうなんですね。ヘーゲル弁証法にたいして、それを言葉では語ってはいても、その内容についての明確な認識がなかったわけです。口パクでさもわかったような恰好をとっている人って、いまでもさまざまにいるでしょう。(これにたいしマルクスですが、『ライン新聞』を退社した後に、ヘーゲル『法哲学』批判の集中作業を行いました。それは全集の第一巻に『ヘーゲル法哲学批判』として、当時は刊行されなかったんですが、私たちは今は草稿をよむことができます)三、さて、マルクスはここで、みずからのヘーゲル弁証法にたいする基本認識(着眼点)を提起します。(さらに、そのあとで、このヘーゲル弁証法について、詳しく検討をすすめてゆきますが)そのマルクスの基本認識と課題ですが、前回紹介しましたが、再度紹介します。「1、ヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。(それは真実の自己実証行為であり、歴史の運動の抽象的、論理的な表現だ)2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、(ヘーゲルにあっては、ある前提のもとでの歴史ではなく、発生の抽象的形式をしめすものにすぎないし、この抽象的形式〔弁証法〕をあきらかにする)3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう。(神学を人間化するフォイエルバッハとは対照的なことと、ヘーゲルの運動の批判的でないところを明らかにする)」(第9文節 P210-211)四、ここでマルクスは、ヘーゲル哲学の体系を確認します。『精神現象学』と『エンチクロペディー』です。ヘーゲル哲学を批判するためには、弁証法を批判するためには、この全体を視野にした認識が求められている。あれこれの部分にたいする批判であってはならない、体系の全体にたいしての検討が求められているということです。そうすることで、マルクスは、この『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の基本課題を、あらためて明らかにしているわけです。ということで、ヘーゲル哲学についての認識です。第一に、ヘーゲル哲学の体系は論理学から始まって、絶対知、すなわち超人間的な抽象的な精神ででおわるから、哲学的精神が張り広げられた、精神の自己対象化だと。その自己を疎外する中で思考し、自己を把握する世界の精神だ。第二に、論理学は、人間と自然の一般的な本質であり、貨幣のように一般的に通用する抽象的な思考だと。第三に、くり広げられた精神の外部性は、あるがままの自然だと。それは思考に外的であり、この思考の自己喪失だ。思考は自然を外的に抽象思考としてとらえる。第四に、精神はおのれ自身にかえってくる思考だ。それは人間学的、現象学的、諸々の精神としてまだおのれ自身と見なされず、最後に抽象的精神のうちに絶対知として眼前に見いだし関係して、その意識的な自己にふさわしいあり方を得るにいたって、おのれ自身と見なされる。その現実的在り方は、抽象だと。以上が、わかったような分からない、たしかにヘーゲルが自身で説いている彼の哲学の内容です。五、ここを読んだだけでは、いったい何を言っているのか、いいたいのか、私などにはわかりません。多くの人が投げ出してしまうのも、勝手な自分の解釈を並べる人が出てくるのもわかります。だけど、だけど確かに重要な思想が含まれているといわれています。本当にこの中に、まっとうな、注目される、万人にひらかれたすばらしい思想があるというんです。いったいどうやってそれを解きほごすのか。それを解きほごしたのがマルクスの探究だそうで、それをこれから、この草稿に挑戦し、探っていきます。今回は、ここまでです。次回は、「ヘーゲルにおける二重の誤り」(第12文節 国民文庫 P213)からです。
2024年03月25日
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八王子市鹿島での地域懇談会3月23日(土)に、東京・八王子市鹿島で地域懇談会が開かれました。昨年・2023年7月30日にはじめて開催したのについで、今回は二回目の懇談会でした。定番の方たち以外にひとが来てくれるか、どんなすすめかたをしたらよいのか、心配だらけでしたが。さいわいにして6名の地域の方たちが参加し、望月しょうへい市議もきてくれました。新たな人がくわわると、前代未聞の刺激です。はじまるまでの不安をよそに、活発で刺激的な懇談会となりました。前回の懇談会以降に、八王子市では、1月21日には八王子市長選挙がありました。自民・公明と小池百合子が応援した候補者が、63,838票、野党の共闘に保守の人たちも応援した滝田候補が、57,193票と、自民と公明が多数を占める市議会にもかかわらず、敗れたとはいえ6,000票の差まで迫ったんです。定数40議席のうち、共産党5議席ですが、14人の市議が滝田候補の支援に動きました。保守の元議員の人たちまでもが共同するといった、萩生田代議士の地元にあって、全国的な時のかぜがあったにしても、これは八王子はじまって以来の出来事だったんじゃないでしょうか。鹿島でも、この地域でハンドマイク宣伝をしたんですから。この市長選挙の結果については、八王子というのは、これまで萩生田・自民党前政調会長の地元ですから、保守の牙城とも目されていたわけで、大差で自民・公明連合が大勝するのが当たり前だったんです。ですから、今回の結果は、「おいおいこれは、八王子はいったいどうなっているんだ」など、「どうして、こんな変化がおこったのか?」など、大きないろいろな波紋をよんでいます。しかし「これは、はじまりだ」、望月市議の発言です。選挙後の八王子市議会の様子この懇談会では、望月市議より市長選挙後の八王子市議会の様子が報告されました。2月22日から第一回定例市議会がひらかれてます。だいたいこれまで、鹿島は八王子のはずれですから、交通も不便で市役所は遠いいんです。しかし、こうして、市政懇談会が開かれたんです。望月市議の報告です。第一に全国問題ですが、本会議に裏金問題の解明と再発防止を求める意見書が提出されているそうです。第二に、この予算議会ですが、望月市議よりその特徴、問題の報告がありました。参加者からは「市長選挙後に、市長が変ってから市政に変化はありましたか?」との質問がありました。市議選にいたるなかでの焦点、問題の学校給食の無償化については。新市長は登庁の初日に、学校給食無償化の検討委員会を立ち上げたこと。自民・公明もこれまでの否決や保留の態度をかえて、「賛成する」する態度に変わったこと。今後、それがどの様に具体化するか、そこを注視しすることが必要です。さらに学校へのエアコンの設置問題ですが。八王子の全107校中、14%しか設置されてない。90校にない。こんなのは全都の中で八王子だけだ。市は新たに気化式の冷風機を2台ずつ設置するとの措置をきめたが、全都が実施目途がでている下で、八王子が最悪の事態にあること。第三に、個々の要求では、前進する点がある。子どもたちの医療費が、18歳までの無料化が実現することになった。障害者の移動支援に助成がはかられることになった。補聴器の助成も、調査の結果、7000人の聞こえにくいとの声を受けて、検討することになった。具体化はこれからだけど、従来の否定的な態度から、改善の道がつくられつつある、と。しかし、問題として、全体として市民負担とサービスの低下がひどいこと。特に、国民民健康保険税や介護保険料の値上げがひどいこと。国保は7年連続の値上げで、共稼ぎ400万円の夫婦の2人子どもの4人家族では、国保だけで年間58万4900円の負担になること。(7年前は年間38万2500円だった)。多くの自治体が市民負担の緩和をはかっているのに、八王子は国の方針そのままを市民に大きな負担を押し付けていると。等々の市政報告がありました。これまで、この鹿島地域では、こうした市政や暮らしについて議論する場がありませんでしたが、この懇談会では、それぞれが日ごろ感じていた、八王子市政と地域の問題について、それぞれから多岐にわたって質疑がかわされました。そのなかには、1、この鹿島・松が谷の地域ですが、居住者の高齢化がすすむなか、商店会が衰退していく状況にどう対処するのか。そもそも鹿島・松が谷では団地の建て替え問題があるし、鹿島や松が谷の商店会の再生・活性化をどうはかるか、街づくりの検討がどうなっているのか、どこでどのように検討されるのか。2、八王子市の「市議会だより」が、発言者の議員名・会派が掲載されてないこと。これでは会派の意見の違いが判らないし、まったくおかしい。これをどうかえるのか。3、7月に東京都知事選挙があるけど、都民の暮らしを改善するうえで、何が問題で、どの様にいかしていくのか。などなど、限られた時間でしたが、多岐な意見が交わされました。最後に、引き続き、こうした懇談の場をもっていくことを確認しあいました。
2024年03月23日
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春分の日ころのみかん園3月20日、春分の日を過ぎる頃の、小田原・早川のみかん園です。「みかん」といえば、主要には温州みかんですが、温州みかんは「大津」「あおしま」などですが、農家の一般は、12月中にはその収穫を終えています。その出荷も、今はすでに終えています。今、この時期の柑橘はなにか?それは湘南ゴールドです。3月6日を最初の集荷日として、農協の出荷が始まりだしました。「湘南ゴールド」というのは、神奈川県の特産品です。もともとも「ゴールデンオレンジ」という柑橘の種類が全国にあったんですが、それを神奈川県・根府川の試験場で、大きくて美味しい柑橘として、新種として開発したんです。最初は「なに?この小さなものは」「黄色いし、レモンのように酸っぱいんじゃない?」でしたが。このところ、知名度が上がってきて、その味の評価もひろまってきました。この3月19日には、当園の湘南ゴールドに、援農の方が収穫に来てくれました。この湘南ゴールドの木一本で、3人がかりの3時間かけて、計8コンテナの収穫がありました。1コンテナが20キロですから、160キロの収穫ということです。ただし、私などは素人栽培ですから、収獲の全部がよしというわけではありません。まずまずの胸を張って出せるものと、小さく傷たりしてるものがあって、その比は1対2くらいでした。とにかく、温州ミカンの収穫が終えた今の時期に、この時期の柑橘として、湘南ゴールドは優れモノなんです。当方としては、あと2週の、4月上旬まで、収獲して出荷していきます。3月16日には、東京・多摩の永山団地で販売をはじめました。800グラムくらいの袋入れで、350円ですからまずまずの値段かと思います。産地での販売価格が、400円とか500円とかしてましたから、まぁ良心的なものでしょう。これが、これから毎週土曜日に、2回か3回は、販売する予定です。ただし、みかん園は、春分の日も過ぎると、新たな年度のはじまりです。雑草の繁茂がはじまりだしていますし、雑草対策がはじまってます。これまで出ていた枯れ枝も、早めに野焼きして片付けなければなりません。また、みかんの木にたいして、元肥の施肥もしなければなりません。この時期は、大きくは農閑期ですが、農家はそれなりに忙しく働いてるんですね。それともう一つ、小田原の市長選挙が、5月12日告示-19日(日)投票であります。私などは、遠距離からきている援農者ですから、直接の当事者ではないんですが。私などもみかん作業をしていて、その要望として、1、農家の高齢化により耕作放棄地の広がるみかん農家にたいして、地元の農家にたいして、候補者はいったいどの様な施策を提起するのか。農家の悲鳴にどの様な施策が出されるか注目しています。2、それと、できうれば、規格落ちしたみかんですが、「産地地消」で、学校給食ででも有効活用してくれないか。今は、農協が取引している農家については、一定の枠で、キロ15円でをジュースみかんとして引き取ってくれているけれど。多くのみかんは捨てられています。仮にそれよりも低い価格であってたとしても、門戸をすべての農家に広げるようにして、今のように畑に捨てられるよりはましですから、たとえ見栄えは悪くても美味しいみかんですから、それを有効活用してくれないか。もったいないじゃないですか。まぁ、そんな構想を掲げる小田原市のリーダーが出てくることを期待している次第です。まったくの外野席からですが、そんな要求と期待をもって、この小田原市長選挙についても、注目していきたいと思っています。
2024年03月22日
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マルクス「ヘーゲル弁証法批判」その9 フォイエルバッハの唯物論マルクスの『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判』を学習しています。国民文庫ではP205-241の37ページ、全体で64の文節からなります。そのはじめの部分は、フォイエルバッハの哲学についてです。(第2文節から第9文節)ヘーゲルは1831年に亡くなりましたが、その後もその影響が絶大に大きかったこと。その教え子たち、といっても学者ですが、それをどういかすか、こえるのか探っていた。フォイエルバッハも、ヘーゲルの講義をじかに受講していたそうです。この人たちの中から、フォイエルバッハが、一人、唯物論の立場からヘーゲルを批判し始めた。ドイツ古典哲学の大方は観念論の中にあるじゃないですか、その中にあって、初めて意識的に唯物論の立場を明確にした人が出た。それがフォイエルバッハでした。今日、それを確かめることが出来ます。その著作ですが、岩波文庫で読むことが出来るんです。1839年には「ヘーゲル哲学批判」1841年には『キリスト教の本質』1842年には「哲学改革のための暫定的命題」1843年には「将来の哲学の根本命題」日本の哲学者の先人たちは、これら大事な作品を日本語に翻訳してくれているんですね。前回紹介しましたが、基本的に唯物論の立場の人であっても、それぞれ人によっていろいろな形があると、当たり前ですが。そこからの抜き書きです。『キリスト教の本質』から、「神の秘密は人間学である」(序文)。『将来の哲学の根本命題』から、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(P8-1)、「思弁哲学の本質は、合理化され、実現され、現実化された神の本質意外の何ものでもない」(P9-5)。マルクスの『経済学哲学手稿』は1844年ですが、1841年に刊行された『キリスト教の本質』について、これを読むのは大変なはずですが、マルクスは、ただちにこのフォイエルバッハの方向と内容を評価したようで、P208 の第5文節ですが、「フォイエルバッハは、ヘーゲル弁証法に対して一つの真面目な、批判的な態度をとったところの、そしてこの領域で真実の発見をしたところの唯一の人であり、総じて旧哲学の真の克服者である」。と評価しています。そして、マルクスはフォイエルバッハの偉大な業績として、具体的に次の三つをあげています。一つ、哲学も宗教と同じように、人間の本質が疎外された一つの形である。(これは『将来の哲学の根本問題』の引用に対する評価ですね)。二つ、真の唯物論と現代科学をその思想の基礎においたこと。人と人との関係、すなわち社会関係をもその根本にあるものとしたこと。(ドイツの観念論のうっそうとした森の中にあって、こうしたクリアーに唯物論と科学の立場を明確にしたこと)。三つ、否定の否定の理解の仕方ですが、こそれが意味するものが、絶対的なものであるかのようにとらえる理解ではなくて、おのれ自身にもとづく肯定的なもの(人間としてその人が理解しうるもの)としてとらえようとしていること。以上は、私がちょっと意訳していますが、マルクスは基本な方向を積極的に評価しています。問題となるのは、その次の、P209からの第7、8、9文節です。結論的には、マルクスはヘーゲルの弁証法についてのフォイエルバッハとらえ方が、その内容と役割を評価できていない点を指摘しているんだと思います。この点が、この「ヘーゲル弁証法批判」で明らかにしたい中心点だと思います。この点を明らかにしたいために、そのあとの検討が行われていると思います。だからここだけで、その断言的な結論を、理解できるわけではないと思うんですが。しかし、それをここに書き抜いてみます。「1、だがヘーゲルは、否定の否定を—そのなかにある肯定的な関係からいって、真実かつ唯一の肯定的なものとして—そのなかにある否定的な関係からいって、いっさいの存在の唯一の真なる行為かつ自己実証行為として—解したことによって、彼は歴史の運動にたいして抽象的、論理学的、思弁的な表現を見いだしたに過ぎない。2、そして、その歴史はまだ、一つの前提された主体としての人間の現実的な歴史ではなく、やっと人間の産出行為、発生史にしかすぎない。われわれは、この抽象的形式を明らかにするとともに、3、またヘーゲルにおけるこの運動が現代的批判にたいして、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』における同じ過程にたいして対照的にもっている区別をも、あるいはむしろ、ヘーゲルにあってはまだ批判的でないこの運動の批判的なすがたをも、明らかにするであろう」(第9文節 P210-211)これは、マルクスのヘーゲル弁証法に対する問題点の指摘ですね。この点を明らかにしたいと思っているとの予告ですね。これから検討していくなかで、これら論点を具体的にあきらかにしていくということです。見方を変えれば、ヘーゲル弁証法にたいするフォイエルバッハのとらえ方には、これらの点がないとのことですが。したがって、ヘーゲル弁証法に対するフォイエルバッハがおこなった批判とは違った点で、ヘーゲルの弁証法は批判されなければならないとのマルクスの課題認識があるということです。これから順次、これらの点を具体的に検討していくとの前置きしているわけです。この論文は率直なところ分かりにくいんです。なんといってもこの草稿は、それはこのマルクスが、24-5歳の時にはじめてヘーゲルと格闘していた時期のことであり、相手のヘーゲル自身の展開が分かりにくいし、それをさらに解きほごして、批判するということですから。その最初の当時の表現は、わかりにくい面があるんです。ただ、私たちが立っている地点ですが、2つの点で理解しやすくなっています。一つは、その後の社会史のあゆみから、問題を歴史的に全体的に見ることが出来るからです。私たちは、その後の事態の展開の中で、理論とともに歴史的により具体的に展開された事実によって、そこではいったい何が問題だったのかを、より客観的にみることが出来るわけです。もう一つは、なんといっても大きなプレゼントとして、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』(1888年)があることです。これがその中心点を紹介してくれていることですね。エンゲルスとしては、難解な文章の中にある努力の内容を、忙しい現代の勤労者たちにも理解しやすいように、だれにもわかりやすく伝えようとして、晩年の円熟した学識をもってまとめかえしたわけで、それが『フォイエルバッハ論』だということなんですね。くりかえしますが、40年をさかのぼった若いころに探究し、確立しようとしていた唯物論的な弁証法の理論ですが、その時のなまの原石である『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」です。とかく字句の解釈を詮索することが主になりがちですが、そうではなく、その生きた精神を理解することが大事だし、その点で、私たちにとって『フォイエルバッハ論』は、やはり一番の参考となる著作だと思います。今回はここまでです。
2024年03月18日
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自民党の裏金づくり、その核心は森喜朗氏3月15日の参議院の予算委員会での共産党小池晃議員の質問です。自民党政治資金のうらがねづくり問題、これまで、あれこれと逃げまくり、はぐらかし続けてきた岸田首相ですが、この場面をみると、もはやどこにも逃げ場はどこにもなしです。ウナギの尻尾が、とうとうしっかりと、ガッチリと、つかまれたと言ことです。私などは、疑問に思うんですが、3月14日(木)の参議院の政治倫理審査会ですが、公の場のはずですが、参議院の委員会のインターネット中継ですが、この政倫審のだけは録画の放映がないんです。私などは、日中は仕事していますから、このいわば会議録の録画中継を、あとから見るしかないじゃないですが。ところが、いくら待っても、どうした訳かこの政倫審の放映がなされない。いったい、どうしてそうなのか、週明けの月曜日には、参議院に確かめたいと思っています。しかし、事態は進んでいます。3月15日の共産党小池晃議員の質問です。赤旗に「ハイライト」が紹介されてますが。このエッセンスの議事録は大事なんですが。実際のやりとりを限られた紙面にポイント紹介するのは、これはたいへん努力だとはおもい、それにたいして敬意を表するんですが。しかしです。そのポイントをも踏まえつつも、その質疑の実際そのものを確かめる必要があるじゃないですか。参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)これは検討に値する質疑だと思います。とくに、このいつもながら岸田首相の、のらりくらりとした、逃げまくるウナギのような輩ですが、それに多くの議員が誤魔化されるわけですが、そのごまかしを捕まえるには、言い逃れを許さないためには、そのためにはどのような努力が必要か、たしかに特別な能力が必要なんですね。この小池晃議員の質疑ですが、その仕方を示していると思います、私などが見ても。ここには、その言い逃れが、とうとうここに出来なくなった、その岸田首相の苦虫をつぶしたような姿が見て取れます。しかし、これじゃぁまだ、十分には足りてないと思うんですが。このゴミのような言い逃れを、完全に吹き飛ばし一掃する力と見識が必要です。小池議員のこの努力を生かして、もっと国民じしんが、そしてメディアが、しっかりと持つべき時ですね。そこにこそ、政界の歪みを正していくための力が、まさにかかっています。バカだ、チョンだと相手のひどさをけなしている人がいますが、それだけじゃダメなんです。問題は、そのひどい事態をどの様に変えるのか、それこそが主権者の見識と力が問われているわけです。いまこそ、「歌声よ、おこれ!」ということですね。
2024年03月18日
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湘南ゴールドの朝市3月16日(土)は、湘南ゴールドの朝市でした。たいした量ではなかったので、午前10時には朝市は終了しました。前回もそうでしたが、ドタバタしているうちに、写真を撮るのを忘れて、朝市は終了していました。だから、今回は構えました。とはいえ、ならべた湘南ゴールドですが、すでに残りが少なくなっていました。徐々に湘南ゴールドの知名度が広がりだしていて、東京の多摩市の団地でも、それなりに「ファン」が出来だしているんですね。小田原のみかん農家が苦労してきたことが、それなりに報われつつあるわけです。産地・小田原の農協では、3月6日に最初の集荷をしていました。3月18日が第二次収獲とのことで、今が湘南ゴールドの収穫期なんです。当方は、湘南ゴールドの木は、その表年の木が3本しかなくて、貴重品なんです。ヒヨドリが、この時期になると湘南ゴールドを狙っています。本来なら、湘南ゴールドは、4月に入ってから収穫するのが、美味しいはずなんですが、まわりでは、集荷日に合わせて収穫作業がすすめられています。このため、まわりの農家が収穫を終えると、残っている当方の木をヒヨドリたちが狙らいだします。私などの数本の木についても、見逃してくれません。それで、大きくなった湘南ゴールドの木ですが、防鳥のための網掛けをしているんです。大きな木に網掛けするのは、たいへんなんですよ。すき間だらけですが、とにかく意志表示だけはしています。旬の美味しい湘南ゴールドを提供したい。しかしそうなると、ヒヨドリやカラスとの競争になります。真鶴では、「カラスの襲来によって、せっかくのそだてた湘南ゴールドの果実が、無惨にも、ほとんど食い荒らされちゃった」と、つい先日ですが、幼なじみの農家の方がブログで紹介してくれてました。私も去年、清見の木ですが。ネットが足りなくて、1本の木がそのままにしてあったんですが、ヒヨドリは、それを見逃してくれませんでした。その清見の木の果実のすべてが、きれいに果肉をえぐられて、外側の果皮を残すだけとされちゃいました。1個残らずに。これまでは温州みかんがいっぱいあって、グルメな鳥たちだったんですが、この時期になると、みかん畑に残る熟した美味しい果実は少ないですから、すさまじいんです。ヒヨドリは北に旅立つ前に、十分に栄養を体に蓄えようとして、それまでならモズくらいの体だったのが、ハトくらいのふっくらした体になるんです。向こうも、生きるためには必死なんですね。それと競争しているわけですが、こっちだって一年の成果を守るために必死です。4月の半ばまでが湘南ゴールドの収穫期です。当方も、湘南ゴールドの3本の木からの収穫がつづきます。美味しくなった湘南ゴールドを、安い価格で東京の団地生活者に提供するために、鳥たちとの必死な生存競争がつづきます。美味しい果実を、鳥か人間か、どちらが収穫するかです。
2024年03月16日
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唯物論にもいろいろある(ヘーゲル弁証法、その8)どういう偶然か、放置されていた中江兆民の『一年有半』を読みました。それには『続一年有半』があって、兆民は1901(明治34)年に亡くなるわけですが、12月13日にガンで亡くなりますが、その最期に哲学を語りました。それを今回、その『一年有半』の延長として読んだわけです。中央公論 世界の名著36(昭和59)『中江兆民』でですが。『続一年有半』の一節です。「精神とは本体ではない。本体より発する作用である」(P419)あらためて認識を新たにするんですが、中江兆民という人は、唯物論者としての自覚をもって亡くなったんですね。『続一年有半』というのは、兆民がその最後の最後に語たり残したった哲学の書なんです。唯物論を明確に意識していた人というのは、さらにそれを表明した人というのは、日本の思想家の中では少ないんじゃないですか。そのことは、今回の私などの主題とどの様に関係するかの問題ですが。一口に唯物論といっても、唯物論の基本的立場を確認するにしても、その唯物論はいろいろな形あるということです。この基本的な立場・この基礎(一般性)においては共通であるにしても、しかしそこにはさまざまな形態があるということです。古代ギリシャにもいますし、18世紀のフランス唯物論の形態もありますし、また近代日本の中江兆民の形態もまたその一つだということです。そしてドイツの観念論のうっそうとした、脈々とした観念論の大勢的な伝統から、一つの画期的な前進・転換をしたフォイエルバッハがでてきますし、その唯物論の形態もまたあるわけです。では、そもそも唯物論とはなにか?この基本的な大問題ですが。それを近年において唯物論を探ったのは、レーニンの『唯物論と経験批判論』です。1908年で、「レーニン全集」の第14巻、473ページのおそるべき追及であり、大作です。目まぐるしく忙しい、スマートホン時代で、活字離れの現代人でもあります。その中で、はたして何人の人がこれを読んでるでしょうか。ないし読む努力をしたでしょうか。それはともかくとして、さらに、その上手を行く元ともなる先人がいます。エンゲルスです。そのエンゲルス『フォイエルバッハ論』(1888年)の一節からです。「唯物論の立場とは、現実の世界-自然および歴史-を、どんな先入観的な気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づく者のだれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的な気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心がなされたのである」(森宏一訳 新日本文庫『フォイエルバッハ論』1975年刊行)これは基本的な立場であり、基本的な姿勢ですね。エンゲルスがここで指摘している唯物論一般の基本的な立場ですが。この唯物論一般性についての指摘はエンゲルスの大事な功績だと思います。裏返えせば、すでに述べたように、その唯物論の具体的な形態には、同じ唯物論であっても色々さまざまにあるというわけです。では、目下の主題ですが、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」ですが。この間に問題としていることですが、今、学習しようとしている唯物論ですが、それはいったいどのような特性があるのか、ないしどの様な形の唯物論なのか。このことが『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」の中心課題であり、マルクスの問題としていたところだと思うんです。ひと言でいえば「弁証法的唯物論」ですね。しかしそれだけでは、たんなる言葉でしかなくて、中身があいまいなんです。今日の一般的に「弁証法的唯物論」をとりまく状況ですが、一方では当り前な常識的なこととして、子どもでもわかるイロハのように扱われているきらいがあります。他方では、それは特定の党派の偏った考え方だとして、レッテルはり的な、はなから門前払い的な扱いにする人もいます。ソ連崩壊には、この哲学的混迷も関係していると、私などは感じています。ペレストロイカの理論家・ヤコブレフの『マルクス主義の崩壊』(サイマル出版会 1992年)などは、その混迷する姿でもあります。現代は、そうした狭間の中にあるわけです。だからこそしっかりした哲学的認識の堅持が求められてるわけですが。そうした中で、しかしさきのエンゲルスの唯物論というものの規定ですが、こんな形で唯物論ということを明確に表明しているのはエンゲルスくらいじゃないでしょうか。これはものごとに対する姿勢として、当たり前のことですが、それが唯物論の基本姿勢をわかりやすく述べたものですね。このように規定されれば、だれも文句をつけようがないじゃないですか。言わすもがなですが、普段多くの人が意識しているかどうかは別にして、そうしているじゃないですか。色眼鏡をかけてではなく、ものごとをありのままにみる、これを基本的な立場として堅持する決意こそが唯物論者の立場なんだといってるんですが。これはたぐいまれな指摘ですね。しかし、なんとも当たり前のことじゃないですか。それこそが唯物論の基本的な立場だというんですね。しかし、おそらく多くの人にとって、この当り前な姿勢こそが唯物論の基本姿勢なんだとは理解してないと思います。特定な変わり者で、変なかたくななかたまった姿勢に固執する人とのように唯物論をとらえていると思います。そこには、唯物論に対する説明の仕方が悪いのか、それともそのようには受けとめたくないとの、かたくなな見地がよこたわっているのか、その点が現代の問題なところですが。それはともかくとして、目下の場合ですが。唯物論という、この当たり前の基本姿勢ですが、このことが、どうやって明確な意識としてつくられたのか、獲得されたのか、確認されたのか。この弁証法的唯物論が、その認識がどの様に作り出されたのか、この問題が問われてきます。私などが思うのに、こうした探究をしていた時こそが、『経済学哲学手稿』を書いていたころのマルクスだったんじゃないかと。じっさいにもその文章はややこしい論文なんです。何しろ相手にしているのが、ヘーゲルやフォイエルバッハですから。だけど、実際にその中で問題としていたことというのは、こうしたことを課題としていたんじゃないか。それをエンゲルスが、マルクスの死後にあらためて、わかりやすく紹介してくれてた、それが『フォイエルバッハ論』だと私などは感じている次第です。そのもととなる1840年代のマルクスの作品から、一点紹介します。『経済学哲学手稿』はパリ時代ですが、その前の『ライン新聞』の時ですが。マルクスは『ライン新聞』に「モーゼル通信員の弁護」との小論を書きました。その1843年1月17日付 第17号 の箇所ですが。「国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見逃して、すべてを行為する諸個人の意志から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している諸関係というものがある。最初からこの客観的な立場に立つならば善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提するのではなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに、客観的諸関係が作用しているのが見えるだろう。ある事物が諸関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるを得なかったか、またその必然性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう」(P208)『ライン新聞』の編集し、その記事を書いている時点で、客観的な諸関係がその人の意識を規定することを、当時の経験からして認識したんですね。このことは、意識が存在に「関係する」というのは洞察ですが、意識が客観的な関係(存在)に「規定される」となると唯物論的な立場となりますね。ちょっとした言葉のちがいですが、大きな問題ですね。意識と存在関係との関連との認識から、意識が存在に規定されるとの根源性の問題へと、探究を進めているわけです。ここに唯物論の問題があるじゃないですか。(今、国会を見ていると、政倫審で裏金づくりの仕組みについて、そのやっていたこと(関係)を当の自民党議員たちが、どう意識していたかが問われています。やっていたのに知らないなんてことは、ウソですが。そのことをただすのは当然なんですが。同時に、見ておかなければならないのは、諸関係の中ではその担い手となっていたこと、その客観的な諸関係(意識とは別に、実際の関係がどうなっていたか)、こそが問われているわけで、「わたしゃ、あったけど知りませんでした」なんてことで済ますことはできない。その客観的な存在(関係)がどうであったかを、その意思とは区別しても明確にすることは、関係者であればなおのこともとめられる責任ですね。ところが言葉たくみにしらを切る、言い逃れようとする。責任を他に送ろうとする。その担い手(やっていたことの)となっていたことを、そのことをしっかり反省するかどうかがとわれてますが。これは意識と客観的な諸関係との関係ですね。ここでマルクスが問題としていることと同じ問題ですね。ようするに、関係と意思のどこに問題があるのか、この問題点を明らかにする上で、きわめて卑近な基本的視点だということです。)まぁ、それはともかくとして、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」ですが、本題に入ります。その冒頭部分にあるのは「フォイエルバッハにいて」の論述です。ようするにマルクスの『フォイエルバッハ論』なんです。ヘーゲル学徒としてフォイエルバッハがたどりついた唯物論は、異端的な立場であり、変わり者だったんです。しかし、どんなに変り者でも、真面目に検討すればそれが真実でした。それは、みなが夢のようなことを論じていた中で、唯一のしらふの主張のようだった、と。その関係と、そうした方向を、その基本を断固として評価し、すすんだのが、マルクスの『経済学哲学手稿』だったんですね。しかしそれは、若干24-5歳の、フランスにいわば自由を求めて亡命した、一人の青年の思想なんです。藻くずのようになっても当たり前ですが、それは出版する契約にまでいっていたんです。しかしプロイセン政府のさしがねで「24時間以内にフランスからでてゆけ」とのフランス政府から追放令にあったわけで、それこそドタバタ状態でして、やむなくそれは草稿としてお蔵入りせざるを得なかったんですね。あらためてその草稿が日の目を見たのは、40年を過ぎた1888年のエンゲルスの『フォイエルバッハ論』によってだったとの経緯です。ここで、日本とドイツは似ていると思いませんか。観念論的な大勢の中にあって、ないし唯物論も観念論もはっきりしない社会意識の中にあるわけですが、その中で唯物論の意識的立場を、明確に擁護しようとしている人がいた。これは、私などが中江兆民において見つけたことと重なるでしょう。日本だって、兆民が『続一年有半』で語ってますが、モヤモヤな事態のなかでの、明確な意識的な立場だったわけです。ドイツと日本、マルクスと中江兆民ですが、これは状況がよく似ているところがある。このささやかな一点ですが、似ていると思いませんか。もちろん、マルクスの場合はその後40年の努力と作品がある、兆民は基本を表白したところで死去したし、受難な時代社会に日本はすすんだとの違いがあるんですが。ようするに、マルクスはフォイエルバッハが主張しだした唯物論を、その基本を、あのドイツ古典哲学の観念論的な風潮が大勢をなしていた流れの中で、その中で意識的に唯物論の見地は基本は正しいと、その方向こそをすすまなければならない、と宣言して努力を開始しているんですね。この『経済学哲学手稿』ですが、フランスに亡命した青年の、新婚生活のもとでもあり、たいへんな渦中での探究だったんですね。それは舌足らずな表現もあるかもしれません、しかしそれは確かに明確な表明を記録したものとして、私たちは今日に読むことが出来ると思います。今回は、この点を確認したところまでです。これでようやく、次回から本題の『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」に入ることになります。『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法・哲学批判」の冒頭にある、フォイエルバッハ論に入るところとなります。今回は、ここまでです。
2024年03月15日
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マルクス「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭の整理マルクスは、なぜ、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのか。これが、目下のテーマとしているところです。『経済学哲学手稿』、その「ヘーゲル弁証法批判」を対象としているんですが。今回は、ウロチョロしているこの間の事態ですが、その頭の整理です。というのは、初めこの問題は以前に(2012年に)、8回でまとめたものだから、10回くらいで、今日的には済むと思っていたんですが。やってみると、次々に問題が広がっていってしまうので、どうなるか目下思案しているところです。そもそも、この主題はなんなのか、何が問題なのか。私などが思うのに、ヘーゲルですが、かれは、一般的には自然と社会、思考の、ものごとの発展原理としての弁証法を見つけたんです。一般的な法則性を、原理を見つけたんです。あのゴチャゴチャした-『精神現象学』、『論理学』、『歴史哲学』、『法の哲学』などのの中で。ところがそれは、人の意識の上にある、意識をつかさどっている概念がもとになっている原理であり、ものごとのすべてはその概念のあらわれであると見たんですね。すべての現実はその現れなんだと。その概念のさまざまな現れにすぎないと。たしかに世界の歴史の発展・関連を洞察しているんですが、それが概念のあらわれであると、独特の考え方での中での認識だったんです。その著作にあたると、難解な表現ですし、何を言ってるのか理解するのにややこしいんですが、しかし、ヘーゲルは世界の発展ということを、たしかに洞察していたんですね。このややこしい問題ですが、それを解きほごしたのが、マルクスなんですね。私などは、マルクスの『経済学・哲学手稿』が、その最初の表明だと思ってるんです。それは、1840年代のこと。24歳の若ものですよ。彼が格闘し、開拓した成果ですが。それはその当時、発表することは出葉ませんでした。結局、草稿のままお蔵入りしていました。その後、1883年に当のマルクスが亡くなって、その遺稿集を調べていたエンゲルズがその草稿を見つけました。それは、ともにエンゲルス自身も歩んだ、科学的社会主義の唯物弁証法、唯物論的歴史観がどのように確立してのか、その大事な問題です。しかし、それはそのままでは、大部でややこしいものでしたから、そのままでは出せません。エンゲルスはそれを『フォイエルバッハ論』(1886年)に整理して紹介しました。貴重なものです。私などは、その内容をなんとか紹介しようとしているんですが、なかなか容易ではありません。あらためて、『フォイエルバッハ論」を手引きにして、その頃を、1840年代をさぐってみたんですが。これは、すばらしいですね。「マルクス・エンゲルス全集」の第一巻、冒頭の諸作品ですが、これを読みました。『ライン新聞』に掲載された作品です。「プロイセンの最新の検閲訓令に対する見解」「第六回ライン州議会の議事-出版の自由と州議会での討論の議事録」「共産主義とアウグスブルグ「アルゲマイネ・ツァイトリング」「第六回ライン州議会議事-木材窃盗取締法に関する討論」「モーゼル通信員の弁護」問題が問題ですから、理屈っぽくて、なかなか読むのは厄介なものですが。しかし、助太刀がありました。今進行中の国会での政倫審ですが、その論議をきいていると、似たような論議なんです。抑圧された名もなき貧民の人権です。言論自由、民主主義的な権利を擁護して、我一人たたかう。何にものをも恐れない気骨ある言論です。今から180年前の議会討論の分析ですが、今に通じるような感じがして、新鮮に読ませてもらいました。日本の近代史においては、どのような意味をもつのか。プロイセンと戦前の日本とは似ています。同じような専制君主制の下で、戦前の治安維持法の弾圧の下で、日本の先人たちは『唯物論研究会』など、世界に誇れる紹介と探究をしてきているんです。しかし、私などが見るのに、なかなかその成果というのは今に伝えられてません。時の流れで、当時の大御所たちは、森宏一氏をはじめ、頑張った人たちが、みなあの世に旅立っています。その成果ですが、はたして今日に継承されているでしょうか。今日に受けとめられてるでしょうか。そんなモヤモヤの中での、一册を紹介します。『シンポジウム-日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)これは、戦前の「唯物論研究会」の成果を総括しようとしている試みだと思うんですよ。私など素人が、学生時代に、たまたま手にした一冊です。これが、戦前の哲学者たち苦闘の経験を総括しようとする、そうした意義をもつ討議だったと、その後になって私などはわかりました。しかしながら、社会一般を見るのに、そうしたことは、あまり紹介も議論もされることがないんですね。私など素人の一般市民が、それを四の五の言う筋合いではないんですが、それを言うべき人たちがいるはずなんですが。私などは心配なんですね。それらが宝の持ち腐れになるんじゃないかと。それじゃぁ、先人たちの努力が、余りにももったいないんじゃないかと。というのは、たまたまですが、ごみ屋敷の本棚を整理していたら、こんな本がいろいろ出てきたんです。その一つは、昨年・2023年の6月に亡くなった人の遺作です。私などが小田原・早川でみかん作業をしていますが、そのみかん園の園主で、その遺稿の句集です。もう一冊は、古典です。1901年12月13日に亡くなった中江兆民の『一年有半』(中央公論)です。人は、死期を覚悟した時に、そのそれまで生きてきた存在意義をかけて、今を生きている人たちにたいして、その『遺言』ともとるような、天上の悟りともいえるメッセージを残してくれてるんですね。その点では、二つは共通です。中江兆民の一節を紹介します。「考えることのきらいな国民-日本人は利害にはさといが、理義にくらい。流れに従うことを好んで、考えることを好まないのだ。だから、天下のもっとも明白な道理をも放っておいて、怪しんだことがない。なが年封建制度を甘んじて受け、侍たちの跋扈(ばっこ)をみとめ、いわゆる切りすて御免の暴力にあっても、かつてそれと争ったことがない理由は、まさしく考えることがないからである。だから、おおよそそのすることは浅薄で、十二分の地点につきすすむことができない。」(P381)2024年の今日ですが、120年前の先人のこの指摘ですが、その指摘に甘んじないような私たちでありたいものです。
2024年03月11日
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視点を変えての旅立ち(その6)私などは目下、マルクス『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法」批判が学習課題です。マルクスが発見した唯物弁証法ですが、『経済学哲学手稿』はそれを初めて意識的にまとめたものですね。当時、刊行しようとして、出版の契約までしていたんですが、パリから追放されたために、出版計画はキャンセルとなり、世間に知られることなくお蔵入りとされたものです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスがその遺稿集の中から見つけたんですね。これが『フォイエルバッハ論』の素材となったとみます。『経済学哲学手稿』は、1932年にソ連ではじめて刊行されましたが、当時の日本は治安維持法下でしたから、一般に「国体」に反するものは、戦争に反対するものは、マルクス主義研究者や共産党はもちろん、自由や民主主義、学者や宗教家までもが、取り締まりの対象でしたから、タブーでした。そんなもとでも探っていた人たちはいたんですが。1945年の戦後の民主的憲法の下になってからですね、社会的に自由に検討が出来るようになったのは。私などが生まれた1950年ですが、当時はまだホヤホヤだったんですね。今にして思えば。『経済学哲学手稿』が、日本で初めて訳されたのは、1963年の国民文庫(藤野渉訳)かとおもいます。1964年には、岩波文庫(城塚・田中訳)がでています。マルクス・エンゲルス全集では、第40巻(真下信一訳)で1975年刊行です。私などは、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法批判」をすでに5回の発信をしてきました。第一回 2023年12月17日 私の今の位置は「序説」の段階か第二回 24年2月7日 『資本論』に集中していたため、マルクスが紹介できなかった課題第三回 24年2月18日 『経済学批判』の序言に注目、真下信一氏のアドバイス第四回 24年2月22日 私などの手掛りとするところ第五回 24年2月25日 エンゲルスの「カール・マルクス」も貴重なアドバイス、この五回ですが。 (以前に、2012年ですが、これを八回でまとめて、発信したことがあるんです)今回は、この忙しい時代ですから、当初、私などはこれまで10回くらいでまとめようと思っていたんです。しかしそれは難しいことがわかりました。浅学な私などには、どんどん問題が広がってしまい、今の時点でその広がりをまとめようとすると、そこには無理があったんです。それで考え方を変えました初めから一つのまとまったものをつくろうとするのではなく、まずとりあえずはランダムでよいから気がついたことを、また関係したことでこれまでの探究してきたことを、一つずつをブロックとしてでよいからつくってみること。それがある程度たまった時点で、そこでまとめる作業に入るようにする、このように考え方を変えました。これで、この学習が気軽るなものになりました。無理して頭を抱えてまとめようとしなくてもよし、あれこれの多面的な探究のひろがりですが、今はどんどんそれらをすすめばよい、とのことになったわけです。したがって、この材料ですが、何回になるかわかりません。今回、思うこと私は昨年(2023年)12月12日に『歴史のなかの弁証法』(ヘーゲル『歴史哲学』序論を学ぶ)をまとめてみました。思うのにこれは、マルクスの学生時代の視点じゃないかと思うんです。もちろん内容水準は比べるべくもないんですが、青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の人たちの考え方にあるんじゃないかと思います。つまり確かにヘーゲルの弁証法の成果を生かしているんですが、しかしその弁証法とはなにか明確でない。さらに、精神が具体化したものとしての現実ととらえていて、まだ意識から独立した物質的関係、すなわち唯物論というものは、正面からは問題にはなっていなかった、そうした段階だとおもうんです。確かにヘーゲル哲学の成果を評価して、それをこえようとして、批判的に見ようとはしているんですが。個々には新たな面があるんですが。しかしそのためには何が問題なのか、どうしたらヘーゲルの偉大な成果が明確に生かせるのか、モヤモヤした中にあったと思うんですね。ヘーゲル哲学の枠内にあった。まだ意識的な唯物論の立場というものを知らなかったんですね。大勢としてドイツの観念論のうっそうとした森の中にあるわけです。そうした中、1841年にフォイエルバッハが『キリスト教の本質』を出した。これが新たな世界を切りひらく出発になった。フォイエルバッハの『キリスト教に本質』からです。「神学の秘密は人間学である」(第一版 序言)、「ヘーゲル哲学とは正反対に実在論=現実主義・唯物論だけがみとめられる」(第二版 序言)青年ヘーゲル派も観念論のなかにあったわけで、ここではじめて唯物論の新しい方向がスタートしたんですね。これは画期的なことですね。しかし、後から見ると、フォイエルバッハの唯物論ですが、それは発展させる必要があった。しかし足踏みしてしまい、不徹底さをきたす問題をもっていた。この時点でマルクスは唯物論の核心を評価しつつ、「その人間論には、社会関係が不十分だ」といった感想を残してますね。ましてやフォイエルバッハは、唯物論ではヘーゲルを批判したけれど、ヘーゲルの弁証法についてはしっかりととらえることが出来ていない。しかしそれらは、疾風怒濤のなかでのこと、あくまでそれは後から明確な違いとして見えることです。当時の中では、新たな道を切り開く共同の仲間どうしであって、切磋琢磨しあっているなかでのちょっとした意見のちがいくらいで、議論するの中でお互いに可変的な変りうるものと思えたんじゃないでしょうか。青年ヘーゲル派ですが、それは観念論の自然な枠内にあったわけで、フォイエルバッハの提起を受けて、意識的な唯物論の見地に立つことが出来るか、その見地からヘーゲルの弁証法を批判的につくりかえれるか。それが問われることとなったわけです。マルクスがプロイセンの反動政治の下で、『ライン新聞』の編集についたのは1842年10月からです。1843年には編集を退いてクロイツナッハで『ヘーゲル法哲学批判』を検討するのには、そうした課題意識があってのことでした。その検討の結果は、プロイセンの検閲の下では刊行できませんから、フランスに移って『独仏年誌』をだすわけです。このパリ時代なんですね、『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法・哲学一般の批判」がまとめられたというのは。私などは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』を手引きにして、この1840年代の歴史を、さぐろうとしているんですが。それは世界観的な基礎をつくるうえで大事な課題だと思っています。それは単純に「唯物論が正しく、観念論は間違いだ」といったことではないんです。唯物論においても、そのさまざまな歴史的な形態があるわけで、特質をつかむには、努力が求められているんです。歴史発展の見方が問われているし、共産主義の見方だって問われているんですね。哲学と歴史観の方法をつかんで、目前の問題に具体化することがもとめられているわけです。日ごろ、私などは、今の社会生活の中で、こんな抽象的なことに頓着するなんてことは、ほとんどないと思うんです。現代のあれこれ忙しい社会にあって、そんなことを問題にする人は、いないともおもいます。が、しかし、問題として、私たちの前にこの大事な問題があるということですね。マルクスの成果を当たり前の常識あつかいするんじゃなくて、いまでも私たちが直面している問題として、自分に引き寄せて真摯に検討すべき課題としてある、というした問題だと思います。私などは、そう思っています。
2024年03月09日
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年金みかん農夫の確定申告政倫審を見ていると、自民党政治家の中心幹部は、「会計担当者がやってるんで私は知りません」「なににつかったかはわかりません」、それで済まそうとしているし、政府は政治資金規正法のルールの政治資金の出入りを調査しようとしませんね。本人たちの申し立てを待つとの姿勢です。もしもそれで問題なしとしたら、国民が年間の収支をまとめて確定申告している義務ですが、それがそうしたことで許されるなら、この国はいったいどうなっちゃうんでしょうか。そんなことが頭をよぎりますが、確定申告は一年間の仕事のまとめでもあり、自分のやった労働の決算でもありますから、政治の正す動きは注視しつつも、自分の方は3月15日までにまとめるべく、頑張りました。私などは、東京在住ですが、郷里の小田原・真鶴にかよって、みかんづくりをしています。「年金者のみかん農夫」というわけです。昨年、2023年の収支がまとまりました。みかんの収入ですが、 多摩での朝市等での販売で68万円、 友人知人など宅配で28万円で、計96万円の所得がありました。(去年は109万円) これは、購入していただいた方たちに、まったくもって感謝なんです。他方支出ですが、 交通費で、東京と小田原間の毎週往復で、ガソリン代で22万円、高速料で11万円の33万円。 小田原には宿舎が必要で、そのための家賃と、地代や光熱費で20万円。 それに、肥料や草刈り機などの修理がかかります。 もちろん、食事もしなけりゃなりませんから。 みかん農業だけの収支で見ると、30万円の赤字になります。年金は、東京の団地での生活費と、みかんの赤字を補填しているわけですが。東京・小田原の二重生活をまかなうことは、とても足りませんけど、しかし、何とか日々は回っている、といったところです。この全体的な評価ですがたんに「みかん収支が赤字だから、みかん仕事を辞める」というわけにはいきません。『赤字などのバカなことをしてるんじゃない』とのこえは、当然ながら聞こえてくるんですが。私などは、儲かりもしないこのみかん仕事をつづけることに、こだわっています。それはなぜか。もしも儲からないからといって、私のみかん農夫をやめたとしたら、どうなるか。1、東京でみかんを楽しみにしてくれている人たち、その人たちの楽しみがなくなります。2、私もみかん仕事がなくなったら、団地の一室に引きこもった独居老人になっちゃいます。みかん農業をとおして見えてくる農業と政治との刺激的な社会認識が消えてしまいます。3、小田原では、今農家の人たちがなんとか維持しているみかん畑ですが、この努力がなくなればその放任化が広がってしまいます。今の仕事は、大きくは、全体が農家へのバックアップであり、援農でもあるんです。したがって、これらを考慮した時、少しの赤字くらいでは、今のみかん農夫の仕事ですが、これはやめられないんですね。目先の損得勘定だけではないんです。みかん産地の北限に位置する小田原、そこでの大事な勤労を継続する問題であり、しいては日本のみかん農家にたいし「小田原は元気に頑張っているよ」との発信であり、さらにしいては、日本の農業そのものの国民にとっての役割の意義の確認、国富として再生産している活動なんですね。それにかかわるおかげで、にわか農夫のわたしなどとしても、いろいろ頑張っている現地の農家の人たちと知り合うこともでき、そこでみかんづくりの苦労や技術を教えてもって、みずからのスキルアップもできるんですから、これはありがたいことじゃないですか。小田原というのは、「みかんの花が咲いている」-この唱歌が生まれた地なんです。そのみかんがあり、相模湾の豊かな地魚あり、近くには箱根の自然と温泉あり、さらには頼朝の旗揚げのち石橋山の古戦場、「小田原評定」-秀吉の天下統一ための北条氏ぜめの歴史があるわけです。しかもそれが、東京の生活者からして1時間半くらいの交通圏のうちにあるわけです。この自然と歴史を、大都会人の憩いの場として生かさなければ、これはもったいないじゃないですか。こうしてみると小田原というのは、日本や世界にとっての宝じゃないですか。そうしたことを感じるもので、私などはあえてアピールしつづけているわけです。そうしたことで、今年も、すでに新たな年度が、新たなみかんサイクルが、始まってます。ひきつづき今年も、老体に鞭打って、みかんづくりと販売で頑張るということです。以上が、昨年度の確定申告を通しての、一年間のみかん作業のまとめです。確定申告の努力は、まっとうな政治をもとめています政治家がまともであるなら、国民の暮らしの向上ためになんとか努力するはずですが、この間、明らかになった現実は、裏金作りに一生懸命で、そんなことは眼中になしの実態です。くらしをつぶしての軍備大増強の方向に、国家ぐるみでしゃにむにすすんでいるわけです。その政治のカラクリが、政治資金パーティーの裏金作り問題で明らかになったんですね。「国民のために」などということは、選挙目当ての建て前で、ポーズであって、その所属する組織の体質は、裏金で支配の力をつくり、政治をお金で売っている、それの実態まだ見えたのはほんの一部ですが、とにかく明らかにされた。だから今は、国民の実態を明らかにして正そうとする努力と、事実を隠して利権政治にしがみつく政治家との綱引きです。ここには、これからの日本の針路がかかってますね。国民にとっては、相手にしている社会的な力というのは大きいですよ。国家機構から、国会議員の多数から、アメリカの圧力から、財界・企業や、ちょうちん持ちの学者・タレントから、新聞・テレビのメディアから、それこそ既存の社会の大きな力を相手にしているわけです。こうしてみると、どうして国民の声が政治に届かないのか、勝手な政治がまかりとおるのか。国民生活なんて、福祉や教育、震災の被害者なんて、かっこをとるだけでお構いなしの政治実態ですが、これがどうしてまかり通るのか、今このからくりが、さらけだされているわけです。さらけ出されても、それが変わるものではありません。これまでの東日本大震災の事態がしめしているじゃないですか。もしもここでも、お茶を濁されるようごまかしを許すようななことがあったとしたら、国民もお人よしですね。国民の声など、聞いているふりしてあっかんベーです。そこのけそこのけ俺らがとおるです。裏金と利権が蔓延して、それはふたたび軍事大国家の道に進もうということです。ゆるせますか。それをゆるすかどうか、それが今問われているわけです。ということで、私などは生業をだいじにしつつ、今の政治の無茶苦茶とごまかしをゆるさないということです。ここにかかっています。
2024年03月07日
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