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今何かとても叫びたい衝動にかられているいや、うめきたいのかな
2011.06.24
3・11以来、いろいろなことが変わった。私は直前の3・8まで盛岡に仕事で出張していた。宮沢賢治記念館の賢治の年表には、生年と没年に起きた大津波の記載。何故か目に焼きついて帰宅…その直後職場で仕事中、あの揺れを感じた…。今夫の故郷、福島も一変。長年積み上げた畑、田んぼ、声をかけてあげる言葉もない。それでもいのちを奪われた家族をお持ちの苦しみには及ばない。土地を後にしなければならない人たちの無念、慰める言葉を見つけられない。関東地方にいる親族の上にも放射線の雨は降り注いでいる。風向きでは北海道にも到達しているだろう…。ツイッター上で言葉を失っているこの頃。
2011.06.24
今の仕事についてから、3月末で二年になる。日々、新しい事件に追われ、何かを綴る余裕を失い、私によい空間を与えてくれていたブログを離れないとパニックになりそうだった…。あっという間の月日、そんな中、自分の中に溜まっていくもの整理できないものが多くなってしまった。深く考えもせず、娘たちが手を付けていたツイッターに手を出した。ブログとは違う速さに、初めは巻き込まれた…でもやっと自分のペースでやろうと居直れた…ブログの方がより、自分のペースを保てるかもしれない。ただツイッターからの情報量、これはすごい。それぞれの良さ、あると思う。
2011.01.15
しばらくブログから遠ざかってしまっていた…どんなに多くの時間、空白だったのだろう!あらためて閉ざされた空間を一歩出てみたくなった…空を見上げて新しいツールを衝動的に使い始めた…ブログを始めた時のように。また同じようなことを思い巡らし、繰り返しながら、私の一年一年が過ぎていく。
2011.01.14
止まらない、止められない日々に、小休止の時更年期の上に、胃が痛くなるような事件ばかりに、追われて…。一年前の私とは全く違った毎日。ストレスでダイエットできてる皮肉疲れに疲れているけど、今の毎日、決して嫌じゃない。一年前には全く知らなかった人たちと、10年もチーム組んできたような仕事し、そこでだけ通じる…苦痛を笑いに変えるジョークの共有が起きる。人には…どんな形でも苦労を共有する仲間が必要なんだなと思う…。一瞬のことでも…。 先日、線路に落ちた女性を助けた若者…彼は仲間を持っている人だと想像する…毎日そんな目線で人を見ていた…関わっている…そして事件が起きた。彼にとっては条件反射のように…体の準備ができていた?ニュースを聴きながらそんなふうに感じた。 泥酔した女性が我が家の娘じゃないかと一瞬心配したけど… 生きていくには泥酔したくなるほどつらい日もあるけど、眼をさましたら、やさしい目線で見てくれている人と出会えるかも…ああ…休みって助かる…明日のこと考えると胃がしくしくするけど…今日の休みがうれしい。
2010.02.21
どう見てもピンチ、限界だと他人からは見えているのに自分で事態を切り開く気配がないある家族とのつきあいに疲れ果てていた今日、一歩踏み出してくれた…向こうから。自分のために…歩き出してくれた!疲れているけど急に私の荷物が軽くなった…。ここのところ食欲までなくなっていたけど、今日は何だか少し味を感じそう!小さな喜びに明日もどうにかなりそうな気がしてくる!限界は出発点なのだと思う。
2009.05.18
短期間に 多くの人や多くの家庭に出会った…こまかく書くことはできないが、東京の永田町にいては決して見えない死角に生きる人たち…虐待事件やDV事件が後を絶たず、担当の関係機関の落ち度をマスコミは責め立てる…情報が来てもちょっとした油断で危機を見逃す可能性のある現場にいる人たちは今、追い詰められている…自分が見逃したために血が流れる…命が失われる…と過労と神経疲労に悩まされている…よくやっても家族を引き離して関係者から一生恨まれ続ける悪役だ!北海道新聞がそんなワーカーの葛藤を取材していてちょっとホッとした…何事でも一方的な記事にはうんざりする…人に関わることを避けているのは誰なのか?見て見ぬふりのスマートな人間関係は誰が選んだのか?自分の命を守るためには闘いぬくという動物的な本能を失くしてしまった私たちの時代…やさしく厳しく自然の中のわたしの命に向き合いたい…今日はちょっと草取りをして呼吸が楽になった!人前では絶対泣かない、泣けないと言ったあの子もう涙を流してもいいんだという安心感をあじわってほしい…
2009.05.09
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」_(茨木のり子)今朝の新聞のコラムでこんな詩の一部分に出会った。昨日も、全く相容れない感受性の交差!こんなやりとりに疲れた体にカンフル剤をもらった感!自分に深く突き刺さってきながら、けれども自分の病巣に見事に届く心地よさ!へんな優しさのやりとりは、癒しを遠ざける!問題解決が遠のく!せめて自分の病巣の位置に見当をつけられる感受性よ、残っていて!当事者研究からは逃げ出すまい。…遅々とした速度でも…久しぶりにフリーな時間。買い物にでも行こうと思った途端にたまらない睡魔が…ひと眠りしてから食材さがしに出ようかな?
2009.04.29
あたたかいメッセージやコメントをいただいていた方々に…長い間返信もブログ更新もしないでごめんなさい。四月から新しい仕事(副職)に就いて仕事に慣れるのに余裕がほとんどなくてブログに綴る言葉が脳裏に浮かんでも来なくてたいへん失礼していました。 まだ余裕が生まれたわけではありませんが、たまったストレスの捌け口になってしまうかもしれませんが少しずつ何かを綴れたらとは思います。 ただ副職と言ってもけっこう神経を使う仕事でまだ毎日、自分のエネルギー配分に精一杯のところがあります。 ブログを更新してもしばらく自分勝手な独り言に終始させていただくことおゆるしください。また仕事の手順や人間関係に慣れて、余裕が生まれてきたとき外への窓や扉をオープンにさせていただこうと自分でも早くリラックスできるその時を待っています。つらい中にいる方ひとりひとり、そのつらさを乗り越えることができるようにと応援しています。あせらず少しずつ今日よりは明日、より楽に息できる日になるよう祈り待ちながらお互いゆっくり…行きましょうね!このブログに着手できて何だかちょっとだけ重かった気持ちに風穴が開いたようなスッとした気持ちになりました。不思議です!北海道もそろそろ桜の噂聞こえて来る季節になりました。わたしの住むまちはまだ少し残雪がありますが…。
2009.04.20
長女の卒業に立会い、引越し手伝いを終え、ようやく帰ってきました。時間ギリギリの綱渡りのような日々でした。この二月、三月、娘たちの居場所を巡って東京近郊や遠く沖縄まで足を運ぶ機会を得ました。それぞれの地にいいなあと思う利点を感じつつ…娘たちと過ごせた時間もかけがえのない時間だったのですが…でもやはり、この雪が残る世界が私の居場所だなと思います。やっと自分のためにすべきことに取りかかる段階です。いろいろ迷うけれども結局、今は自分の持ち場にしっかり立とうとすることが娘たちや親や兄弟にも最も貢献できることなのかもしれないと…かなり周り回って、そこに心が到達してきています。ひとりの存在が果たせることには限りがあります。限界を心得て、できることのみ試みるだけです。ああ、ここは人がいない街なんだな~沖縄も経済的にはこちらと同じ大変さを背負っているけれど…もう少し街の光が近くに見えた…ここはホントに人がいない!でも私はここで生きようとしています。
2009.03.19
宿題を完了できないで、持ったまま今日、春の当事者研究旅行 第二弾に出発です。まだ冬の世界から春をこえて一気に夏の世界に!長女の引越しのヘルパーと旅立ちに立会うのが主な目的です。 昨日はパートナーの誕生日だったけど前日から札幌に行っていたのでいつもよりランク上のお寿司とケーキと発泡酒でないほんものビールを買ってきました。ケーキを食べる前に疲れてダウン…今朝のコーヒーのおともにケーキを食べました!早くダウンしたので…今朝は少し寝覚めがスッキリ!有難い…です!今日は途中なつかしい神戸を経由しますが…空港のなかから夜景(見えるのかしら?)を楽しめたらいいな!六甲の再山に神戸市内の中学生の集中登山というのがわたしの中学生時代にはあったけど…今もあるのだろうか…かけ上ったな!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中学生時代の前半はソフトボールに明け暮れたので体力はあった!女子の甲子園を実現しようなんてチームメイトと盛り上がって…オリンピックの上野選手のウィンドミルを見る度、そんな友人たちとのやりとりがよみがえっていた…さかのぼると小学校高学年のときに…、何か閉塞感を打破したかったのだと思う…弟とソフトボール少年(少女)団に入った!体育の授業ではいつも何でもビリだった私には「革命的な挑戦!」だったソフトは好きだったから続けようと思ったが運動部独特の上下関係…先輩が夢にまで出てくるのに辟易した…一度やめて高校で再チャレンジしたが、高校の方がもっと封建的…神戸の中学生時代は友人グループと男子の野球部員たち(その中の数人はその後甲子園に出場した!)と集団で甲子園に高校野球を見に行ったりちょうど…作新から江川卓が出ていた頃!あの頃までは…ソフトや野球、外に出てお好み焼きを食べて…そんな少し外向的なときも…そう言えば…一瞬あった…!でも高校半ばから…図書館、文化系クラブと内向的な本来の傾向へ…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・瀬戸内海に浮かぶ神戸空港で…夕食時間。また何か忘れていたことを海からながめて思い出すかもしれない
2009.03.09
私はまた多忙期に入ります!来週から長女の引越しヘルパーで出かけます。季節がかけ離れたところへ移るには衣類をどう見積もるかが難題です!もうひとつ出来てない宿題がまた難題いろいろ、やりくりも難題!まっ、いいか深く考えると前に進めないから…思考停止したまま突進!
2009.03.03
「自分を愛すること」と「自己愛」これは区別が難しいが、似て非なるもの!等身大の自己を見誤ると…必要以上の自己卑下か、肥大化した自己愛に陥る…そのとたん、苦しみが始まる!適切な自己像からはみ出した部分の自己は自分とも他者とも関係が取れない…そこに実体がないから…。どんなにちっぽけに思える自分でも実像から事を開始すれば、何と静かにエンジンスタート!空ぶかし無し!省エネ運転!長年、無理な自己像めざして生きてきたとなると自己像の修正も難しい!良妻?これは全然目標になかったからいいけど…賢母?この辺から怪しくなってくるかもしれない!駄目な部分がほとんどだが、いい所もある!その「駄目」と「いい」この評価が両極端に揺れてぶれて…へんな「いい人」でいようと、へんな努力はあった!今もある!なんとエネルギーの浪費をしてきたことか!だから自分の数々の小さな「失敗」もとてもダメージになった!いつまでも引きずった。それは肥大化した自己像に自分を持っていこうと適わぬ努力をしていたからだと、気付いた!同等の他者の失敗に対しては失礼ながらそれをそんなに重大視してはいない…だのに、自分にはそんな失敗はありえないなんてどこから来た発想だったのか?どんな聖人像に自分を当てはめていたの?と、一度、気付き始めると、なんということはないところで長年、躓き続けてきたのだ…無いものねだり?劣等感の裏返し?なんということはないことが、修正するとなるとそのポイント切り替えには時間が要りそうだ!ちょっと「当事者研究」も楽なことばかりじゃない!ふー(ーー;)
2009.03.01
三月というのはいろいろな思い出がつまった月だ。いろんな三月を越してきた…もうほとんど気にならなくなってきたが、私の左足の足首の甲側に火傷のケロイドの痕がある。これは小学校一年の終わりの三月についた火傷の痕だ。以前は両足の所々にもう少し色素が抜けた部分が残っていたが年月とともに、わからなくなっていった…その日、アラジンという薄緑色の石油ストーブのわきで私はたぶんテレビを見ていたのだと思う…もう一方でストーブを囲む柵を足でイライラしながら兄が貧乏ゆすりをして揺らしていた…兄が飼っていた鳩たちをどうも蛇が狙っている様子なのにいらだっていたというのが直接の原因だった…ストーブの上にはヤカンが…お湯を沸騰させていた…私はその熱湯をまともに両足にかぶってしまったのだ…お風呂場に抱かれていってとにかく水を足にかけられた…三月の水は冷たかった…それから一ヵ月後、四月の始業式にまだ立てなかったのを憶えている…その頃、家の中が暗かったから、私にとってこれはそんな悪い思い出ではないのだ…どうどうと学校を休めたし、「怪我人」という身分?でいられた…からただ孫たちの面倒をみていてくれた祖母にはショックな出来事だったようだ…女の子に火傷の痕を残してしまったと自分を責めていたようだ…兄も何も言わないが…どんなふうに思っているのだろうか…むかしむかしの三月の…忘れていた思い出!他の人の心の中にどう残っていたのか…同じ事も同じように憶えているわけではない…そんなことに今更のように気付いた…
2009.02.28
昨日の日付は二月二六日、二二六事件のあった日だ。なんとなくどんな時代だったか…知りたくなった。貧富の差が激しく、農村は疲弊し、娘たちは身売りをしなければならない時代だった…今の追い詰められた状況と重なる…世界がなだれをうって破滅を選択していく前触れ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・話は跳ぶが…(時代は跳んでいない!)青年時代に開いたヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を思い出す。ユダヤ系オーストリア人の精神科医・臨床心理学者だ。自らがナチスの強制収容所に入れられた体験の中から人生の意味や希望について書いていたのを記憶する… 「強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった。」 人は異常な事態(時代)の中で、極限の絶望に直面することもある。自力で心の均衡を保ち、弱りゆく体力を気力でカバーすることを必要とする…その絶望感から逃れようと、自ら死を望み、苦痛からの解放を死に求めるのは、異常な中での正常な心の反応だ!しかしいったい人はそこで、どう生きる意味と希望をさがせたのか?私は青春の日々、「夜と霧」を読んだ後、混沌とした霧が晴れないまま…なのを感じていた。でもこの歳にもなお、混沌は晴れない…そこから思うことは…人生は「夜と霧」なのだと思う。そしてその中を果てもなく希望をさがし求め続けること自体が「人生」なのかもしれない…と、漠然と思う…誰もこれが「希望」だ!と生きる苦悩の最中には…、突き詰めて言えば、この地上では見える形では最終的な獲得はできないものなのかもしれないと…それでもこの私の「夜と霧」自体に意味があるのだと…なんとなく今思っている…この私の「夜と霧」の真っ只中に希望は隠されていると…「夜と霧」のままの人生を真向かいに受け入れる時、失うものはなくなる…かすかに光に通じる道が見える!
2009.02.27
旅と帰りの飛行機の欠航騒ぎの疲れからようやく少し脱した感…まだボーっとしているが…疲れが出るのも遅いし、回復するにも時間がかかる…これから、しなければならないことを考えてまた焦って疲れてしまいそう!いけない、いけない!ひとつずつだ…よかった!と胸をなでおろすことがあってちょっと力をもらえた!よかった!ほんとに。
2009.02.26
夕べ、疲れていたが、NHKスペシャルを視た!母への診断や、薬の事、今更言っても仕方がないがもう少し注意できなかったかなっと省みる!近くにいなかったので、何も寄り添えなかった…祖母も薬でいつも朦朧としていた…素人で何もわからないが、薬(それを出す医者へ)への不信感を持った!だから認知療法に心惹かれる…薬はあくまで脇役、出番は限定…そうすればいい味出せる名脇役。この番組の影響これからジワジワ出るかもしれないと思う…!
2009.02.23
昨日、はじめは天候調査でチェックインも一時中止で、また足止め?もう娘の家と空港の往復も疲れたから今度は空港で夜を明かそうかと思い始めたところ…「羽田に戻るかもしれない」という条件付きで出ると発表された。最終的には二時間半くらい遅れかな?どうにか新千歳、白銀の世界に降りることが出来ました。こんなに連日、ダイヤが乱れっぱなしは珍しい!車で迎えに来てくれたパートナーと途中でラーメンを食べて帰宅!愛犬Pがしっぽをふって、手をなめまわして迎えてくれましたが、Pのお相手をする気力も残っていなかった!少なかった積雪も例年並になっているのでは?やっぱり一年に降る雪の量は決まっているのかもね!と、今年も思わせられてある意味ホッと…。心配してくださった皆さん有難うございました。
2009.02.22
今、また娘の部屋にいる…さんざん待ったあげく、「欠航」!北海道は遠いなあ21日も天気好くならないようだし…予定変更大幅になるかも!Webでの予約変更、午後の便の人たち殺到しているのか受け付けない!帰りの見通しもまだ立たない。今回は急ぐ用事がない週だったけど、スケジュールいっぱいいっぱいだったら大変だ!搭乗口付近で小泉チルドレン(今はどんな距離?)の杉村タイゾー議員を見た!札幌中央区・南区の一区から出馬を強行し話題になっっている!モイワ高校出身と聞いた。週末、選挙区にというつもりでキャンセル待ち?あきらめて引き返した様子に見えた。午後三時以降の便の人はチェックインもできなかったから…繰り上げようとしたのかも。とりまきも若い人たちだった。あまり周囲気付いているふうでなかったけど、知名度はあると思うのに…大丈夫?選挙戦!さすがに足腰から、疲れが上ってくる!
2009.02.21
まもなく、次女のヘルパーとしての旅は終了する。まだ言葉にならないが、予想以上の収穫をいただいた気がする。冬と春とを行き来する一週間は私の心模様にぴったりだった。また近く第二弾の旅が待っている。次は何をみさせられるのだろうか帰ったら溜まっている宿題を片付けなければ…
2009.02.19
矛盾するようだが、私は母から負の遺産だけを受け継いだのではない。弱い母だったから、人生で大事にすべきものが何か追い求めるエネルギーも大きかったことは確か。自分を克服できずに逝ってしまったが、闘おうとしていた!愛することに敗れたかもしれないが愛そうとし続けた…最後、力尽きたが…その寸前までは。
2009.02.18
小学校にあがる前後、私の家には心安らぐ場所はなかった。あの頃からなのかもしれない。母親の顔色が何よりも気になったのは。いつも口うるさい父は不機嫌が当たり前だった。むしろ母の笑顔が曇ることを恐れていたのかもしれない。父母が別れる、別れないでもめていた頃ある夜、ついに父母が決裂し、明日、父が家を出るということになった…家の土地は母方のものだった兄と弟は母に、私は父にと振り分けられた…母がそう決めた。兄が「弟と別れたくない」と言ったのはおぼえている。父母のもめごとの元を作ったのは父だったから、父が明らかに悪者だった。父は女の子ひとりの私の扱いが確かに違って特別扱いのところがあった。だから自然な振り分けだったのかもしれない。だが…私にとっては自然なことではなかった。将来に暗雲しか予測できない瞬間だった。誰も私と別れたくないとは言わなかった。母がそれを決めた!ランドセルに泣きながら教科書を入れ、弟とだけ、身体をよせるように連絡をとる約束をした。今でもこのときのことが私の原点だという思いがする。目に見える、見捨てられ感の原点。近いと思っていた母や兄への克服できない距離感。弟と私の自我が双子のようにくっついている感。心の奥底に潜伏しているものと比べれば父との断絶はむしろ原因結果がわかりやすい。結局、次の朝父だけが出て行った…しばらくして五人家族が、形だけでももどる日もあった。でもその時の跡が決定的に、それぞれの中に刻まれてしまった。深い傷として…。今ここまで来て、私はサバイバーとある意味で言える歳まできてしまったのかもしれない。受動的に起こることに身をまかせて来たにすぎないが自分の中に湧き起る「否定的な感情」に居場所を作ってあげていいはずだという意地みたいなものはずっと持ってきた気がする。くやしいじゃないか、そこまでやりこめられたままなのかと…動けない日はケセラセラ、成るように成る…恥をかいても、ある意味でかき捨て…ほめられた生き方でないが。意地でも生き延びてやろうよ!人間失格と言われても…と。心の底から吹きあげてくる。それが私の原動力かもしれない。はじめは復讐心だったかもしれないが、歳をとると何かそれも形を変えてくる気がしている。自分も大したことないが、憎しみの対象も大したことないと…年を取ると必ずしも順調な人が順調なままではなかったり、思わぬ結果が見えてきたりして怒りが自然鎮火してくることがある…いつのまにか峠は越えつつあるのかもしれないがんばりもせずに…若い日はつらい、身が焼かれるようにつらい…心も身体も命が咲き誇ろうとするからつらい…永遠にこの苦しみが続くように思えたその日々、でも今振り返ると一瞬…いつのまにかもどりたくてももどれない…
2009.02.17
娘との部屋さがしは、親子のそれぞれの自分さがしになっている…部屋は諸条件折り合える物件はわずかでそこに決断できるまでに、多くの断念が必要だったろうが…そのなかでも比較的、息ができそうな空間と出合えたほうだろう…。いろいろ不便はあるだろう……次へのステップの…仮の宿も楽しんでほしい。場所は東京にもこんな空間まだあったのだと思える感じの地域…娘は空の広さに敏感だから…なんせ我が家で生粋の道産子は彼女と愛犬だけ…もっとも空が必要な身体!私は自分が窒息しそうだった親子関係を脱出したいともがいて親をやってきたが、やはり肝心のポイントがわかっていなかったのかもしれない…一番のポイントのしてはならないこと…私の親と同じことをそこだけは「外さずに」彼女たちにしてきていた…ブログをはじめてこれまで気付きたくなかった自分のトラブルパターン、そのポイントが逃げられない形で浮き彫りになってきたと感じる。自分のことが一番お留守だという私のほんとうの姿…。でも落ち込んでいられない…作業は続く。何か楽しい作業になってきている…いつも、あれもこれもいっぺんに処理不能なことが押し寄せてくるような気がして毎日パニックになりそうな自分であることが多かったが…とりあえず一番優先課題のひとつをこなすことだけを考えることにしはじめて、ずいぶん落ち着いてきた…そんな当たり前のことが自分の身体の中でパターン化されていなかったのだ。何かが邪魔をする…悪いほうへ悪いほうへ覚悟させようとする…前へ踏み出せなくする何かが…でもわかってきた…少し、そのささやきを無視していいときがあることを…それが糸口だ。…焦ってもどん底まで落ち込んでもすることはこのひとつの糸口をさがすことだけに集中すればいい…楽になれる!そこからだけ逃げなければ大丈夫…跳ね返せる!憂鬱を。この地での一時的な共働作業は思ったより早く一段落しそうだ。 昨日、娘にごちそうになった「イチゴ大福」は本当に美味しかった。あなたがいてくれたので味わえた味…ごちそうさま。ありがとう。
2009.02.16
昨夜はワンルームマンションの娘の部屋で、一晩をおくった…でも、夜中にそれぞれ眠れなくて、寝返りをうったり眠れない焦りが小さな部屋にただよっていた…お互い眠れないのに…遠い…地理的な距離を近づけて、同じ部屋にいても、お互いの孤独感を埋めることは悲しいかな、不可能に近い。ただ今日一日この部屋にひとりいて、彼女が学校やアルバイトのない日、どれだけため息をつきたくなるか…思い当たる気がした。自分もため息をついて…少し近づく気がした。同時に、私がかつて二十代の前半、東京で一人暮らしをしていた何年間かのあの空気が身体によみがえってきた。軽い風邪をひいても、食べ物を買いに出るのも重荷で危機を感じた!心から助けがほしかった!そうでありながら、一緒のアパートにいた友人の危機にその孤独を支えることもできなかった…ある時、同じアパートの中で、孤独で心が限界になり、壁をたたきつづける人が出て、隣り合う数人でどうしたらいいのか相談しあった記憶…そういえば学校が違ったあの人とはそれがきっかけでその後も安否を問う関係になった。都会の孤独…人の家の電気がとてもあたたかそうに見えた!あの頃。いつまでも一人の部屋に帰りたくなかった。肩を冷やす夜露の冷感のほうが心地よかった…その頃、流行った曲が昨日飛行機でイヤホンを通じて耳に飛び込んできた…いっきにその時代の切なさに包まれてしまう。あの頃も今も自分のことでせいいっぱいは変わらない。、でもいろんな人とそれぞれに近づこうと企てあって…敗れて…そんな時の共有の記憶も積み重なった。傷つけあっても、敗れても、近づこうと企てあっったことで、人が侵すことはゆるされない他者の領域があることを気づかされてきた。でもその距離感を保つことは至難のわざ。踏み込みすぎた失敗。踏み込まずに相手をこの地上では永遠に失った後悔。失敗を重ねながらも、困った事態に、仲間として出会った人たちと無い知恵をしぼりあった時の共有感は決してお金では買えないもの。互いを隔てる限界に挑戦し続ける者同志だけが共に手にする財産…それがあることだけは確かな気がする。ふうー…終りの日までこの挑戦は続くのだろう、恐らく。また失敗するだろう…。
2009.02.13
羽田空港から、娘の住む街へと空港バスとJR線を乗り継いで二時間弱、昨日の昼間はまだ二月なのに外はもう桜が咲きそうな空気感!だった。北から来た私には春を先取りさせていただいているようでなんだかずるしているみたいで、申し訳ない!娘の住むところは、その昔、札幌に移住するまで住んでいたところのすぐ近くである…二年前、娘の引っ越しに付き合ったころ、私は複雑な気持ちでこの街に足を踏み入れた。ある意味で挫折を味わって、この地を後にしたにがい気持ちとここで新しい家庭をスタートさせた思い出の地でもあるなつかしさとが入り乱れていた。こんなかたちでもう一度この地に新しい思い出が加わるとはその寸前になるまで予想していなかった。今になって私は後にしてきた世界を拾い集めさせられている。怖いくらいだ…逃げ出した世界を見つめさせられる!でも挫折の地に戻り、当時の知人たちと再会し自分の至らなさをもはや責めもせずにあたたかく迎え入れられたとき、私は自分自身と少し和解させてもらった気がした…娘もいろんな束縛から脱出したくてもがき苦しんでいる。母である私がその元凶である部分が大きいのはわかっているが、乗り越えてもらうしかない!そのステップが今回の時間だと思う。もうそう長い時間一緒にいられるわけでもないだろうから、ぶつかりながら楽しもうよ!
2009.02.13
明日から次女の新居さがしと引越しの手伝いに三月には、長女の卒業、就職の節目にお世話になった人への挨拶に…その合間に確定申告やら、あれやら、これやら…不規則なスケジュールに突入します。娘たちのパソコン借りられたらブログ更新もしたいと思うのですが…、携帯操作では老眼かかってきた私にはちと…つらいので。ペース、メチャクチャになる可能性ありますが、まずはスケジュールのせいです…いつも訪ねてくださる方が、あのでしゃばりが急に黙ってしまってどうしちゃったかと気にしてくださったら申し訳ないのでそんなわけだと予告させていただきました…それと四月からは、かけもちでもうひとつアルバイトすることになりました。またまた…履歴書、書くのつらかったです。何枚も失敗しました。でもこの歳になったら100通書くの覚悟しなければと前に誰かから聞いたのを思い出しながら書きました。生活のため…また生活のリズム変わります。ストレスに弱いのでこれまた、どうなることでしょう!仕事飲み込むまでが遅いので…なぜそうしないといけないのか、システムの全体像がなんとなくでもイメージできないと動き出せないのです。だからいつもはじめが怖い!歳重ねると、「そんなのもできないの」と言われても言い訳もできなくなってくるし…おおっ!嫌な思い出よみがえってきます!でも職場でいじめられるのあの時耐えたのはちょっと小さな自信になってもいます。本当に憂鬱な毎日だったし、あの人に何か不幸なこと起こればいいと呪う気持ちでいっぱいになった…殺意にも似た…それがまたつらい!どうしたら復讐できるって空想していた…その反面、陰でやさしく応援してくれる人と何人も出会えた…それがなかったら私暴発したかも。出会う小さな春に気付ける心のゆとり忙しくなっても持っていたいなあ…いい春よ…みんなのところに来い!ゆっくりでいいから…必ず来て!
2009.02.11
母から繰り返し聞いた東京大空襲3月10日の話。細かいところは記憶があやしくなっている…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その日、母は18歳。食べる物が乏しくなぜか配給の日本酒はあったらしい。それを飲んで酔っぱらって「こんなんじゃ日本は負ける」と叫んでいたと聞いた気がする…当時はそんなこと叫んだら大変なことだった時に。そこへB29の空襲が始まり、たちまち火の海になったのだ。父親の亡き後、男手の弟は勤労動員でいなかったらしい。母と祖母、そしてその祖母の母近所の人も一緒に逃げたという…母の言っていた地名や橋の名前がもうわからなくなってしまった…下町から、外へと向かう橋をめざしてみな逃げた…パニックになった人の波が我先にと走っていたのだろう…ところがあるところで、その波が急に引き返してきたのだという「橋が落ちた!」と…一緒に逃げていた近所の人はその時、人の波にのって後ろに引き返し姿がみえなくなってしまった…それがその人との別れになってしまったらしい。だが母たちは、「どうせ死ぬなら水のあるところで死のう」と言う祖母のひとことでそのまま前進したのだという。すると…ほとんど人のいない橋。「デマ」だった…橋はあった。その「デマ」でどれだけの多くの人が焼け死んだのだろう…その時、祖母はなぜそんな判断をしたのだろう?死を選んだはずだったのに…生きのびた!橋の真ん中当たりでその夜を明かすことにしたという。すると橋の真ん中に「みかんの籠」をもった男性が先に陣取っていたらしい…そして「明日自分は故郷に向かう。そうすれば暮らすところも食べる物もあるので」と言ってみかんの籠をくれたのだという。それがどんなに有難かったかと…母の話はひと段落。私はその話を聞くたびに、なんの根拠も無くだが、いつも思ってしまった。…デマを流したのはその人なんじゃないかと…きっとそうだと!…なんの根拠もなくそう思えて仕方がない。でもこの「何の根拠もない確信」これがデマになるのかもしれない…今思う。大震災や大空襲、実際に死体の山を見た人たちと私は全然世界を見る目が違うだろうと思う…その臭い、音、闇と光そして襲い来る死の恐怖…その痛みを抱えながらほとんどの人がそのことについてほとんど何も語らずに逝ってしまった…きっとフラッシュバックにも直面していたのだろうに。戦後、平和に見えていた時代にも心の奥底に重い重いものをためこんだままいたのかとあらためて思う…もっと一緒に泣きたかった。もっと重荷を吐き出してほしかった…身近な人の心の中をほとんど知らないままだったことに今更ながら気付かされる…
2009.02.10
幼い頃の雪の記憶は涙と結びついていた。生まれ故郷では雪は年に数度くらいしか降らなかった。珍しく新年すぐの雪。その日、母方の祖母が亡くなった。20代で夫を破傷風で失った祖母は子どもたちを女手ひとつで育てて戦中、戦後をこえた人である。東京下町で、関東大震災、東京大空襲二度焼け出された。どちらでも家財を失った。三月十日の大空襲で娘である私の母や私の曾祖母とともに命辛々逃げ延びて、今の私の生まれ故郷で戦後の暮らしを立て直した。共働きの娘夫婦をサポートし孫たちの育児を担った。けれども娘夫婦はやがて修羅場を展開。祖母に心安らぐ場がなくなった。…家に平和がなかったころ…祖母は薬品液を飲んで病院に担ぎ込まれた。命はとりとめたがその後精神科の入退院を繰り返した…昔の精神科病棟…独特の空間だった…あの空気、今も脳裏を離れない…祖母の部屋は鍵のかかった閉鎖病棟を入ってすぐの部屋だった…私はおばあちゃん子だった、いや孫たちはおばあちゃん子だった。ある年の暮れから新年にかけて外泊した祖母と家ですごした…甘酒をストーブであたため紅白をみた…年があけて三が日が過ぎた頃祖母が起きてこなかった…病院からもらっていた睡眠薬を…飲みすぎた…入院後数日たって息を引き取った…雪の夜、転びながら父と兄弟と私、母が付き添っている病院まで走った…よくあんなに涙が出ると思ったくらい泣きに泣いた…祖母だったが育ての母でもあった…雪は悲しい思い出の一日と重なった…それから20年近くたった…私は同じ故郷の地で女の子を授かった、まだ年が明けない暮れの事だった…その日、12月… 雪が降った…雪はまた別の思い出の一日と重なり、涙の意味を変えた…今、雪国の夜、眠れないまま…思い出した二つの雪の日のこと。
2009.02.09
友人と久しぶりに会えて…近況を聞けた。最近メールが止まっていた…障害をもったお子さんの事で少し前まで暗い顔をしていた…時々パニックになりメールが飛び込んできていた…でも今回は驚いた!そのお子さんをめぐって周囲が激変!まず母親が変わった!担任が動かされた…校長が動かされた…校長室が安心できる教室に変わった…勉強しているのはどっち?もちろん校長先生!!お腹を抱えて笑える話!学校に居場所が出来て…母と子の会話がより深まった…母は先生に期待できるから、子に説明ができる…学校に行っても大丈夫と私は心からうれしくなった…バンザーイ!!自分にも居場所が増えた気がする…人がつながり始めるまでは四苦八苦!でも一度つながり始めると絡んでいた糸が解け始めるのはなんと早いのか!!うれしいびっくり!私たちにも起こせる!つながれば…つながるまでが四苦八苦!
2009.02.09
今日は、定期的に月一で札幌に行く日。冬は天候に左右されるから一日余裕をとって泊まりがけ…毎回、ひとりの時間をどう切り盛りするか楽しいような手持ち無沙汰のような…そんな時間が流れていく…一日だけのごく近所の旅だが、非日常だから「旅」だ…解放と一人の責任の緊張…でも非日常だから心地よい…さあ出かける前に髪を切ろう!18才くらいから自分で髪を切るようになった…天然パーマなので切り口がごまかせる…安上がりな人です…これに集中できるのはしばしのストレス解消…では…
2009.02.07
みな生きる悩みで苦しみ、うめいている…つらさは共感できる…でも今日踏み出すべき一歩はその人だけの一歩…同じ人はいない…今日は休むべき日の人…つらいけど今日は自分との格闘と向き合うべき日の人…誰も代理できない…どんなに近づいても近づいてもサポーターでしかない…助けてくれる心強いお医者さんも薬もベッドも主役にはなれない…これらもサポーター役でしかない…今日の課題はそれぞれだが…わかっているのは誰も自分と言う役の主役を放棄できないこと…私が自分に投げやりだったとき…私は娘たちに負の遺産を投げつけてきてしまった…今、娘たちは欲しくなかった負の遺産をもらってしまって自分との格闘に四苦八苦している…今日は休みな!今日は逃げるな!私の責任大なのだが、もう彼女たちそれぞれの主役は私ではない…私はサポーターでしかない…私が時々境界を破って踏み込み娘を苦しめてしまう…ごめん!でもサポーターはやらせて!頑張るな!逃げるな!今日はどっちの日?いずれにしても先まで欲張らないで一歩ずつ…。主役が降りてしまったら、サポーターは仕事がわからなくなる…主役が頑張りすぎて疲れているのが見えれば私は私の仕事がわかる!「今日は休みな!」主役が役を放り出している時には仕事が見えなくなるから残る今日の仕事はこう言うしかない!「逃げないで!一緒にいるよ!もう一息!」残るは…自分のこと。これが最後の最大の課題!!一番お留守な私の役への自覚!今日はどっちだ???「逃げるな!」だな、多分。いや多分ではない。逃げちゃいけない。今日の答は明快だ…自分との格闘が今日の私の役だ!明日は休めるかな?
2009.02.07
毎年、母の命日が近づくと香り高い果物を何も言わずに贈ってくださる方がいた…今までも礼状は出していたが、今年はじめてその日を覚えていてくださりありがとうととても自然に素直な気持ちになって言え、近況も書けた…なぜ頑なになっていたか理由がつかない…慰めを拒んでいたのかもしれない…なぜ今年素直になれたのだろう…理由を思いめぐらす…わからないが、心が解けてきている…自分のことが一番お留守でわからない…そんなに奥深いわけでもないのにでも思うようにはできなかった…ごめんなさい。ありがとう!
2009.02.06
世間の量りに自分を預ける必要はない…人の量りに切られる必要はない…どんなに遅れようが…そのことで馬鹿にされようが…自分は自分のペースで自分を立て直すしかできない…叫ぶ声が言う…遅いと急かさないで…立て直す順番を指図しないで…ただ倒れそうな時そっと手を貸して…さびしいとき自分もさびしいと肩を貸して…そうだ…私もそうだったじゃない…何をしてるんだ…私
2009.02.06
この日…私だけの小さな一日この日祈る…いつかこの日が…この地上にある無数の…母から娘に引き継がれた悲しみの記憶の…無数の…息子が父に向けた憎しみの連鎖の、すべてが解ける…そんな日になるようにと…私はこの日を、私に与えられた小さな記念日として忘れない…この日から、いつか全く新しい日が始まるようにと…祈る…この地上には無数に…小さな記念日がある…大きな悲しみ、深い絶望を閉じ込めた無数の小さな記念日が…その人だけのあるいはその家族の中だけで引き継がれる無数の小さな…立ち入れない記念日がある…その小さい…無数の記念日が…いつか和解と再会の記念日に生まれ変わるようにと見果てぬ夢を見ながら…私は私の小さな悲しい記念日に光をあてる…それが…私が母から悲しみだけでなく喜びも引き継いだ証し…。せめて娘たちには…悲しみと絶望の連鎖から解き放たれた命を生きてほしいと…だから私は悲しい記憶をまだ手放さない…私が受け継いだ命には悲しみだけでなく喜びの記憶もともなっていたことを私はきちんと引き継がなくてはならないから。受け継いだ喜びを…悲しみの彩りで覆い隠したまま引き継ぐわけには…いかないから…今日は私が出発するための私だけの…小さな一日。けれども無数の小さな記念日をつなぐことをはるかに夢見ての欠かせない一日。見果てぬ夢かもしれないが…
2009.02.06
神戸で、中学生の頃、初めは国語の授業で強いられて…そのうち、自分で積極的に…芥川龍之介の世界に関心を持った時期があった…いろいろ読んだが、「河童」という短編、著者の意図をつかんだとは言えないが…心に残るひとつだ…手元に本が無いので、確かめてないが記憶では、河童が生れ出る時に…この世に生まれでたいか出たくないか…を問われて、望めば生まれ、望まなければそのふくらんでいた母胎が小さくなる…そんなストーリーだった…と思う(けっこう思い違いがあるので、その時は失礼します)。人は…生まれ出る母胎を選べないだけでなく、生れたいか生れたくないか…問われることもなく生まれ来る…そして生きる悩みを否応無く負わされる…今日の北海道の新聞に札幌の知人たちが劣化ウラン弾の放射能被害で苦しむイラクの子どもたちの支援のためのコンサートを開く知らせが出ていた…Nちゃん、ずっと取り組み続けているんだなあ…頭が下がる…彼女も自分自身の生きる悩みを負いながら…離れない…すごい!あなたがリードしたイラクの子どもの写真展、手伝わせていただいたのに…私は…自分のことばかり。生まれでたところがどうして、ここなのか、この人たちからなのか…人はそこを左右できない…それが嫌でも、そこから始めるしかない…河童のように…命を左右する大きな手が…消える道を備えていてくれないなら…。生きる悩み、生きられない悩み、自分の分をさがして…そこから始めるしかない…終わるまで。
2009.02.05
わかっていても、指一本思うように動かせない日がある…わかっていても、すべて思いと反対に後ずさりしてしまう日がある…こんな歳になるまで、自分がよく変わっていく日を望みながらも、ほとんど進めない毎日を繰り返してきた…今はもう人生の最後の日に自分と和解できたらいいな…それが目標!それでいい…ボロボロのまま…最後の日を目標にゆっくり、自分が進める速度で行けばいい…誰がなんと言おうと…それしかできないんだから…お疲れ!よくこんな自分につきあいきったねって言えれば…それでいい!そう思えばつき合える、この自分に。私がつき合わないで、誰がつき合う!この自分に。みんなどうしてそんなに急げるの?
2009.02.04
何だか急に「下らない」って言う言葉が気になって…価値がないって言う意味もあるが、それ以下に価値が落ちないって言う意味もあるんだと気付いた…どん底って昔から好き!これ以上もう落ちないってことだから…「下らない」もそうなんだ!もう価値は落ちないってこと…ブログを綴るようになって、書いていない時間にもいろいろなことを思い出す…まだこのブログには書く勇気がないようなことも思い出して、心の中をかけめぐっている…落ち込んで真っ暗だった頃、何が私をそんなに自暴自棄にさせたのか、昔の部屋の思い出を綴りながら…気付きが起きはじめる!まだ書けない、ずっと書けないかもしれないが…こんな小さな人間の中にもいっぱいに吐き出したい何かが蓄積されていたのだ…。思い出すことと新しいことを創造することと脳では同じようなことが起きていると聞いたばかり…古い忌まわしいことを思い出し、ほんとうに吐き出すなら、自分が新しくなっていくようなそんな気がしてきた…ブログで自分のこと全てを隠さずに書くなんてできないだろう!でも何かが入れ替わっていく感じがする…もう二度と見たくなかったことに意識が触れてもそれで落ちて行きはしない気がする…これ以上、あの時以下に下らない…
2009.02.04
先日、何気なくチャンネルを回して…(古いな!テレビでなく表現!)いたら…久米宏の番組に脳科学者の茂木さんが出ていた…途中からだったが…どうも、思い出すことと新しく何かを作り出すこととは脳の働き方が似ている!と言っていたようだ…そして出演者に昔の子どものころの部屋を絵に書かせてコメントさせた…みんなよく覚えているんだなあ…私は詳細を絵に書けるほどは思い出せない…父の転勤で…いろんな家で子どもの頃をおくった…学校も変わった…思い出せないのは、めまぐるしく変わったのでだろうか…それでも比較的覚えているのは長くいた生まれ故郷の家の部屋だから…今はどの家ももうない…私の後ろには、心よせて休める部屋はない…私の部屋は今私が居るところ…これから居場所として切り開いて行くところが私の部屋…安心した巣になるかは自分の腕にかかっている…キツネさん、巣作り教えて!いまさらだけど…(参照:1月22日ブログ「北キツネ」)写真は春の日差しをあびた牛の牧場(ピンボケ!)
2009.02.04
今日が節分だったのを夕方の天気予報で気付かされた…暦は春を指しているんだ…北海道の節分は殻付きの落花生をまくのを知って最初はびっくり!でも汚れたのを食べないですむから合理的なのかも…また北海道でおどろいたのはお赤飯!小豆やささげ豆ではなくなんと甘納豆が入っている「あま~い!」お赤飯を道民は大好きなのです。もうひとつ最近知ったのは、七夕の笹、これを柳の枝で代用していることを数年前に知った…柳と言ってもしだれ柳ではないが…知人から河原が近かったので柳を取ってきてと頼まれてはじめて知ったのでした…はじめ、え~柳???しだれ柳を取ってしまって、どうみてもこれは違うだろうと連絡してわかったのでした…所変われば…いろいろありますね。道民になりきるにはまだまだ…
2009.02.03
ゆうべ眠れなかった人には、申し訳ないですが…昨晩は早くから眠りに入り、今朝まで一気に…前に書きましたが…数年前、市場で働いていました。そのときの体内時計がそのままで…最近まで、夜一気に寝ることがしばらくなくて…まだ真っ暗な3時頃目が覚めてしばらく寝付けず、寝たと思ったら、今度は完全に寝坊…ここでの生活には困ったリズムなので、漢方の睡眠剤飲んだり調整しようとしては失敗…ところがブログはじめて夜更かししはじめてから…短いけれど集中して眠れるように…とにかく…途切れないのがうれしい 早すぎたのを遅らせるには夜更かしでした…おまけに私の住む地域は昨日、春のよう!昨日は夜更かしもできずに…ダウン!そして、まさに春眠暁を覚えず状態に…でもここは雪国、冬はそんなに甘くないね…春は名のみの……谷のうぐいす…時にあらずと声もたてず…ここでは雪が融ければ…夏でもうぐいすの声が聞けます…
2009.02.03
それぞれの一日が始まってるね…どんなかたちでも…さあ、私も私にとりかかろう!このやっかいな私に…今日はどんなてこずらせ方してくれるんだろう…来るなら来い!ほかの人にてこずっているようで…結局は私が私を面倒くさくしてた…っていうことだね。
2009.02.02
今日も大企業からの人員削減のニュース…私の好きなコメンテーターが「根拠のない不安に陥るな!」って…大企業は怠慢だ…人が欲しいときには調子のいいうたい文句で人をのせておいて…今、身を割いて人を切らないでおけば…企業イメージあがるのに…何よりもの宣伝になるのに…怠慢だ…何も工夫しない…寄らば大樹の陰はもう通用しないことを…心しよう!みんなが殺到する分野でなければ人手不足で求人しているところはある…ぜいたくは望めないが…早起き、動物のにおい覚悟を決めなければならないが…我が家からそう遠くないところでも牛の牧場だとかサラブレッド育成牧場とか住居・食事付でというところも…不便なところは発想変えれば、空気はいいし食べ物美味しい…身体を動かすのは健康にいい!とりあえず…しのげる…生き延びれる道はある…http://www.sangyo.net/
2009.02.01
先日、天に召された人の…昔、昔の思い出…ある日、その人が明るく言った…昔、子どもの頃万引きしちゃったことがあることを…まだ十代だった私…なんでそんなに簡単に言えちゃうの?でも救われた…私にも心に突き刺さった罪の記憶が抜けないままだったから…低学年のとき…貸し本を返さないままだった…駄菓子屋で一本余計に駄菓子を抜き取った…嘘ついて…やりなおせなくて…あやまれないで…貸し本屋さんは見逃してくれたのだろう…ゆるされて先に進めたことに気付いた…ずっと、そのまま…抜けないとげだった…人の弱さの情報公開は、その人が知らないところで人を救っている…慰めている…先へ進ませる…弱さは道をつける…自分だけでなく、人が重荷を軽くする道までも…弱さは強い…
2009.01.31
…どこまで行くの?巣に帰るの?
2009.01.31
今進路についての選択肢が出てきて岐路にあることを父に電話した…あとから耳に入ったときの面倒を回避したかったので…私が何かを選ぶとき、当然、父や弟の今後の生活とも関わってくる…電話の向こうであれやこれや、父にしては威圧的でない風だった…私が続くか心配してくれているのは嘘じゃあないのかも…でも電気を消した布団の中でやっぱり私のインナーチャイルドがあの人との関わりでは自信を無くすことに気付いた…成人過ぎた娘がいるこの年でまだ…パートナーが電話の直後、私を低く評価する父の言葉を伝え聞いてなんてこと言うんだと怒って反応してくれたのに…私は瞬間、父のこと弁護した…馬鹿だ!やっぱりおかしい…私の心が一瞬にしてしぼんだ!腹を立てたら自信少し回復!問題は山積みだがダメモトでチャレンジしてみようかな…もうきっと来ないチャンスだ…昔やり残したことにもう一度チャレンジできるなんて…文字通り、「有難い…」自分のなかでのストレスとの闘いになることははっきりしている…でもたどりつくところまで行ってみようかな…残り時間の限り見えてきている…
2009.01.31
今、迷っていることがある。あちらを立てればこちらが…ということになる…仕事と生活と家族と…どちらを決断してもすっきりしないかもしれない…昔の恩師が迷ったら困難な方を選べと言っていた…なぜそうなのか、安易に走ることへの戒めか…でも、困難な方?それも…決め手がつかめない!結局、片方を選ぶときには片方の手は放すことになる…どちらを選んでももう一方を犠牲にせざるを得ない…私は今、安易な道を選ぼうとしているのだろうか?考えても空回りだ…もう寝る!
2009.01.30
我が家の愛犬 P は友人の家から来た…来たときから、異常に臆病で大きな声にブルブル…尻尾を巻いてうずくまる…元の飼い主によるとどうも兄弟姉妹?のなかでいじめられていたようだ…押しのけられていたのだろうか?今でも何かあるとふるえる…人の前でその人の太い声にふるえるからその人は原因がわからず私が日常虐待していると思われたかもしれないと思ったときもある…最近はあるときから急に食器の擦れ合う音に異常に反応するようになった…家族の見解は一致している…留守番しているときに何かいたずらして、怖い目にあったことがあるのだろうと…このPちゃん、取柄がある…家族の中でけんかが勃発すると一番立場がない人間のところに寄り添う…その時、味方がいない悪者の味方に…夫婦が言い合いを始めると…たいてい口は私の方がたつので…私の胸によじのぼってきてもうそれ以上言うなとさえぎる…そこで止まらないけんかになると…家の中の一番遠くの高い所に逃げてふるえている…今の家は狭くて…ここではお風呂場に逃げたそして落ちた大嫌いなお風呂に落ちた…廊下が水浸しになってPに起こったことを認識…けんかは終わる…笑い出して終わる…ごめんね!P…身体を張ってくれるPにはかなわないよ!ノーベル平和賞をあげたいよ!臆病なのに、ものすごく勇気がある…身体を張って平和を守る…弱い者の味方!
2009.01.30
私の結婚生活の初めの試練は、結局、自分のなかの問題だった!異常に嫉妬深い自分に辟易した…もちろん相手にもそう感じさせた…嫉妬は愛が深いからではない…所有欲の裏返しや見捨てられ不安…深く潜行していた心の傷が頭をもたげてきたのだ…孤独に耐えられない者は、二人いて味わう孤独にはもっと耐えられない…私の望むパートナー像に変われと迫る…でも自分はそのままで、この私を受け入れないあなたは愛が足りないと…まったく都合のよい話だった!空回りだ…私のパートナーは逃げ出す勇気がなかった?たぶん変われない…とそのまま…今まで。私が変わった…それが正しかった…ほんとうに楽になってきた…
2009.01.30
身近な人の身体的・精神的暴力に悩む人に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全国女性シェルターネット(The National Women’s Shelter Net)http://nwsnet.or.jp/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう脱出しかないときがあると思う…何人か被害者と出会ったことがある…シェルターを運営している側の知人もいる…今危機にある人たちに適切に援助する人たちとの適切な出会いがあるように…祈っています。経済的なことも含めて道を共に考えてくれる人たちが必ずいると思います…相談先に困ったらメールください。札幌の知人から全国情報を調べてもらえると思います。
2009.01.29
私のブログを覗き込んだパートナーからコメントをもらった…前に札幌の小さな講座でアイヌの女性から聴いた話を…教えてくれた…彼はきちんと「文字」でメモ?し、ファイルしていた!(これが私にはできない!)講座の後の話し合いの席での問答のメモにはこうあった…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・問 アイヌ民族はなぜ「文字を」持たないか? 伝えるために便利ではないか?答 直接伝えればいい問 遠ければ?答 大きな声で…問 それ以上遠ければ?答 伝える必要がないものだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この思想にはたしか出典があるはずだが…それは不明とのこと。さらにパートナーは、「文字」は…特に文書となって、(遠くからくる)「文字」は「支配の道具」だった…歴史家からのこういう指摘があるとも…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「文字」は決して悪者ばかりではない…むしろ大切な役割を果たしてきている…でもその文字が時に人を支配し抑圧する道具だったという側面…そしてその「支配」を必要としないコミュニティのなかで生きてきた人たち…いろいろ教えられ、感動する…だが、その感覚のほんとうのところを私はまだ想像しきれてはいないと思う…「支配」構造を脱いだ世界の感覚を肌で感じて生きてきていないから…おそらく…だって文字があふれている…そんな生活をおくっている…。こんなに「文字」を使って…「文字」を必要としない世界のことを考察している自己矛盾あ~あ…
2009.01.29
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