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もともと神戸に来て滞在しているのは、甲状腺の経過観察と静脈瘤の経過観察をする為なので、明日十月に入るとそろそろ大事な外出をすることになる。病院の場所は三宮と明石市で、診察までの流れは判っているし、娘がほとんど家を出るときから車に乗せて、病院での受付から支払いまでやってくれるので何の不安もない。ただ細胞診の為、喉に針を突き刺して取るのが初めは緊張したが、それは何秒かで終わり、別の場所に並べてある椅子に座って何分かじっと上を向いて出血が止まるのを待つ。結果は数日で出るので担当の医師の説明を聴きに行く。癌系の家系ではないのでこれまで色々な個所を検査したときも癌ではなかった。医師が喉にある箇所が気になると言われて今年の春にも細胞の検査をした。静脈瘤は着圧靴下を朝から下肢に履いているとむくまないが、怠けていると夕方には大根足になっている。最近は朝起きるとすぐ履くことにした。10年余り前に、喉にしこりが見つかり別府の野口病院で診察を受けていた。毎年一回出かけていたが良性と言われるので、検査が終わるとすぐに鉄輪の温泉に行き、入浴のあと畳の部屋で食事をしたりくつろいでホテルに帰ったものだ。別府に行くには八幡浜乗り場まで車を運転して行き、フェリーに三時間ほど乗って、別府港へ着いたらタクシーでわずかな距離の安いホテルに泊まっていた。宿泊者には病院へ行く人が多いのか、病院へ行くと伝えればホテル代が安くなった。あの病院は美智子さまが喉の手術をされたと聞いていたので行くことに決めたのだった。あの頃はまだ若くて元気だったので、子供の為にあちこち出かけたり、自分のことでも楽しんでフェリーに乗り、船上で海を眺めながら恋愛詩を書いて動画を作成し、you tubeにアップしたこともある。自分の中では中年を過ぎての熱い熱い年頃であった。
2026.09.30
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十月の神戸での甲状腺と静脈瘤の経過観察の為、九月末に神戸に来て数日が過ぎた。車の後部座席で横になったり座って窓外の景色を見たりしてほぼ五時間で神戸に入る。徳島経由の高速道から来ると鳴門大橋を渡ることに気が付いた。明石大橋とで二つの橋を渡ることになる。高速道は電車から見える瀬戸内海の景観を見られないのが残念だ。十年余り前まで行き来していたころは独りで電車に乗って通っていた。まだまだ元気で、経過観察などしなくても地元の病院で血圧の薬をもらうぐらいで良かった。神戸で待っていた赤ん坊の、幼児の、小学生の時期のたったひとりの孫の世話をするためで、愛媛の自宅には脳梗塞で療養中の夫が留守番をしていた。家にセキュリティを契約する必要もなく、荷物を持って気軽に、むしろほっとするような気持ちで来ていた。あの頃のことを思い出すと、良かったと思えることと大変だったと思うことと半々だ。現在は家を空けるとなると、契約をしているセコムをオンにして、荷物もうんと沢山持参する。神戸の家に常時置いている状態ではないからだ。大きなボストンバッグを二つと大事な書類を入れる鞄と外出用のバッグを持って来て、又持って帰る。あの頃は孫を健やかに育てることに集中していて、自分の健康状態は二の次だった。娘も現在ほど悠々とした仕事の立場ではなくあくせくしていた。あれから二十年経ち、孫は成人となり、今回は大学生なので神戸の家にはいない。ほぼひと月娘と二人のそれこそ水入らずの日々を静かに過ごす。前回は半年前の春に検診したので、丁度桜が満開で、来るときは花を見ながらのドライブだったし、神戸に着いてからも花見に行った。今回は秋の受診だが、十月になろうとしているにもかかわらず未だ外出するには暑すぎる。検診が終わって帰る11月ごろに、地元の広大な田んぼのコスモス祭りで楽しめるかなと思う。独りで行って写真を撮るだけだったが、今年は自宅まで送ってくれる娘と一緒に行けそうだ。
2026.09.27
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六十歳から子守りに行き来して費やした年月が過ぎ、いまは完全に自分のことだけを考えて暮らしています。外目には何もないように見えて、なんといっても高齢になってしまい、あの頃のような健康体ではないですが趣味のパソコンでの書き物をする日常に心のバランスが保てているという毎日です。致命的な病名の診断は受けていないけれど、その代わり処置して治す身体上の不具合があちこちに出て、結構な科の受診が多くなりました。これまで数十年お世話になった主治医の循環器内科が閉院したので困っていましたが、最近新しい内科が見つかりました。とてもやさしい先生で、毎月もらっていた薬を快く処方してくださり、アドバイスもいただくので、この医院に決めてよかったと思います。その他に耳鼻科も最近通って居る医院はとても雰囲気が良くて、麻酔をして治療をする時でも安心していられますし、また質問にも優しく指導していただけます。一年前からは娘の住んでいる神戸に送り迎えで年に二回の経過観察にも行っています。三宮や明石の専門病院なので詳しい検査ができるし、診察してくださる先生方も安心して診てもらえて、地元の総合病院での若い医師の高圧的な物言いや心無い指示の仕方を経験しているだけに、神戸の病院に変えたのは正解だったと思います。これも娘がわざわざこちらに出向いて連れて行ってくれるからできることで、とてもありがたいです。 最近過去を振り返ったり、過去に私の事を言ったという陰口を、今になって伝えた友人の言葉で傷ついたりしていましたが、これからは嫌なことは気にせず前向きに自分に与えられている良いことのみ考えるようにしたいと思います。 車を運転して買い物に行けて自炊をし、同年配の友達とも話せる。それだけでもありがたいとおもわなけれはいけません。 幸せは自分の心が作るもの、そういうことを忘れがちでした。苦労がなくなると自己中になるのか、これまで若き日にあくせくして乗り切った現在のまともな生活がずっと続くようにと願っています。
2026.09.18
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お盆を過ぎて次女家族が二人で帰省した。東京へ遊学中の孫娘が自宅に来たのは今年の正月以来だ。孫娘とは私が今年の春、神戸の病院へ甲状腺の経過観察に行ったとき数日すれ違いざまに会っていた。その時は大学生とは思えないほどまだ幼稚な感じで、ライブへ行く衣装を買いに行ったり、なにかと機嫌が悪く私も少々がっかりしていた。物入りだろうと小遣いを渡したときも左程うれしそうでもなく、本立ての隙間にさっと入れていた。喜んで財布に入れるかと思っていたが忘れたかのようにばたばたしていて、東京へ戻る時私の渡した小遣いの袋を何処に入れたかも忘れているかのように思えた。今回孫娘は休み中にアルバイトをしているから、通帳に入金されるのが楽しみだと言っていた。東京でもかなり良いカフェで働いたらしい。その前に私も小遣いを渡した。その額はいつもと同じだったのに、これまでにないほど感激していた。あれほど苦労してアルバイトをしてやっとお金をもらえるのに、目の前にある金額が何もせず小遣いとしてもらえるのがありがたかったらしい。こんなにもらえる人はいないよと言った。みんな月に掛け持ちして必死でバイトしてるんだよとも言った。孫がアルバイトを始めたと娘から聞いたとき少し心配していたが、働くことの大変さを知ったことは収穫だなと思った。メールでアルバイトはどうかなときいたとき、客に嫌なことを言われることもあるけどお金がもらえるからと返事が来ていた。この先卒業して就職しても、嫌なことはいっぱいあるだろうけど、自立して生活していくにはどうしても我慢して働くことになる。これまで母親に出してもらっていたすべてのお金の有難みもわかるだろう。私の母も晩年に至るまでかなりのお金をくれた。娘二人も長い送金期間があったが、そのときは感謝をすることさえ思いつかない感じだった。産まれたときから恵まれた環境で何の不自由もさせず育てた子供たちは親への感謝など感じていない。アルバイトはそういう意味で、働くことと我慢すること、お金を大事に思うことを学ぶ機会だと思う。
2026.09.07
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人の中に入るには最小限の礼儀というものがある。ガキのころには顔を突き合わせてもそっぽをむいたり、大人になっても他人との接触ができない、つまり近所でも挨拶さえできない人が身近にいる。挨拶をすることはそれほど難しいものか。小学生さえちゃんとできる子はいっぱいいる。ところが、グループ会、それもほんの四、五人の集まりなのに、部屋に入ってくるとき挨拶ができない人がいる。頭は切れるし、能力も抜群で、その意味では人には馬鹿にされることはないみたいだ。過去歴では職場で責任者として定年まで勤めていた。本人から一度聞いたことがある。人の中に入る時、頭の中が騒いで落ち着くまでに時間がかかると。明らかにその症状は尋常ではなく、精神の病かもしれないが、他者にはわからないので実に不快だ。自分としては顔を合わせば気持ちよく挨拶をして事を始めたい。会の責任者は入室するときニッコリして、おはようございますと大きな声で言われるから、その笑顔と挨拶一言で気持ちが晴れやかになる。挨拶ができないことが他人に不快な思いをさせているとは、本人は気付いているのだろうか。会が始まり本題に入れば適格に論破できる気力はあるのだから、まんざら病気という理由で納得はできない。気分に左右されやすい自分はそういう不快が帰宅後もあとを引く。大勢の会員がいれば話は別だが、少人数なので最小限の礼儀を持つ人とのつながりであってほしい。先生はそういうことは流せるらしい。さすが幾十年も会を続けて来られた貫禄はあるなと思う。
2026.09.05
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私は人と接するとき、まっさらな気持ちで付き合いを始める。物の本によると、子供はそういう感じで飛び込んでくる、そのような接近の仕方は大人の付き合いとは異なると記されている。大人は初対面のときは自分を出さず、相手をゆっくりみて、そろそろと近づくというのだ。それが大人の付き合い方らしい。確かにそのようにすると失敗することもなく、気を許していないのだから期待もしない。私はもしかしてアダルトチルドレン?その傾向はあると思う。すぐに信じて、本音で、自分を出してしまう。そういう私に上手く対応してくれる人は私にとって良い人となる。良い友達ができたと喜ぶ。見つけた友達は嫌なことも言わず、ずっと付き合ってくれる。とても長いこと付き合ってはくれるが、その人達は本心は決して明かさない。いつまで経っても平行線での友達。何十年もその関係は続き、果たしてこの人達は自分のことをどう思ってるのだろうと疑問を持ち始める。彼らは積極的には近づかない。でも自分にとっては良い人なのでこちらから連絡したり、電話して近づく。私はきっと死ぬまで彼らの気持ちを正確に理解することはないのだろう。私がいなくなっても、連絡する者がいないのだから彼らは噂で知ることになるのだろう。私はそういう人生を歩んで、年を取って来た。誰も信じられないとか、そういう悲観的なことは考えない。多分チルドレンたちも同じなんだろうな。でも、あまり裏を知りすぎるのも世の中面白くないねー。多分私は病気でもしなければ長生きすると思う。うちの家系って、長寿の家系。先祖代々こういう人達だったのかな。
2026.09.02
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私は人と接するとき、まっさらな気持ちで付き合いを始める。物の本によると、子供はそういう感じで飛び込んでくる、そのような接近の仕方は大人の付き合いとは異なると記されている。大人は初対面のときは自分を出さず、相手をゆっくりみて、そろそろと近づくというのだ。それが大人の付き合い方らしい。確かにそのようにすると失敗することもなく、気を許していないのだから期待もしない。私はもしかしてアダルトチルドレン?その傾向はあると思う。すぐに信じて、本音で、自分を出してしまう。そういう私に上手く対応してくれる人は私にとって良い人となる。良い友達ができたと喜ぶ。見つけた友達は嫌なことも言わず、ずっと付き合ってくれる。とても長いこと付き合ってはくれるが、その人達は本心は決して明かさない。いつまで経っても平行線での友達。何十年もその関係は続き、果たしてこの人達は自分のことをどう思ってるのだろうと疑問を持ち始める。彼らは積極的には近づかない。でも自分にとっては良い人なのでこちらから連絡したり、電話して近づく。私はきっと死ぬまで彼らの気持ちを正確に理解することはないのだろう。私がいなくなっても、連絡する者がいないのだから彼らは噂で知ることになるのだろう。私はそういう人生を歩んで、年を取って来た。誰も信じられないとか、そういう悲観的なことは考えない。多分チルドレンたちも同じなんだろうな。でも、あまり裏を知りすぎるのも世の中面白くないねー。多分私は病気でもしなければ長生きすると思う。うちの家系って、長寿の家系。先祖代々こういう人達だったのかな。
2026.09.02
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大学時代は身体が弱く、しかも初めて母の元を離れたので心細い気持ちでした。交友関係ではうれしかった思い出はなかったように思います。元気でストレートに希望の大学に入学していたらきっと楽しい学生生活が送れただろうにと、今になってもそう思います。でも三十歳近くで同級生とたまたま会って結婚してからは、力強いパートナーが傍にいるという安心感があって、外部との交友関係は依存したり期待したりする気もなかったので、女同士の付き合いで嫌な思いをしたことはありませんでした。若いということは色々な面で希望が持てるので、振り返ってみると色々楽しんでいたのだなあと、そのときは考えもしなかったことを思うようになりました。二度と返れない過去。人間すべての人が辿る道です。現在幾人かの友達との交流がありますが、みんな希望は持っておらず、目の前の健康と無事な生活だけを念じて過ごしているように思います。還暦を迎えてばたばたとあの世にいってしまった親族や友達もいます。でも夫婦が健在の人が多くて、世間的な知恵は若いときより深くなり自信を持っている人ばかり。私は主治医だった先生が開業され、最近閉院されるまでずっとお世話になりました。奥さんともある時期習い事で一緒になり親しく付き合ってもらっていました。先生が病院勤務を経て大きなビルを建てて開業されたとき、奥さんに今までの感覚で電話を掛けたことがあります。その時奥さんは相当嫌だったようで喧々した声で電話を切られました。私の母も叔父も医師ではありますが、その奥さんはその時の私を身分が違うから付き合いたくないと思われたのでしょう。何が彼女をそうさせたのか、他人の心を理解することは難しいです。それ以来、人との距離には気を遣わなければ、それまでのように友達感覚ではいけないんだなと反省しました。そういう意味では同級生はいつまでも繋がれる間柄のように思います。それ以外では趣味のグループとかもそのつながりで許される仲間です。あまり熱心ではないけれど、現在は二つの会に属していますが退会したら切れる居場所です。安易に退会はしないほうが良いと思うこの頃です。
2026.08.28
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先日豪雨があった県に住んでいる親戚の事が心配だったので電話してみた。豪雨の被害を受ける地域ではなかったが、もっと気にかかる病気をしていたことを知った。脳出血で二か月入院し、東京から来ていた娘一家は翌日帰るので一人になると言った。問題なのは予後の症状として、人との対話が自分から発することはできるが、相手が話す言葉に適切な返事をすることができない状態だという。そういう人と好んで話す他人はいないからあまり人とは会わないで過ごす決意をしているらしい。彼女の場合は理由がはっきりしているので、親戚でもあることだし、これからもたまには電話を掛けようと思っている。折しも今日、在籍している句会の会員から連絡事項の電話があった。早口で話すのでこちらが聞き返そうとする毎に、「それはいいの」と言って遮り、又次のことをぺらぺら話す。こういう対話が何回かあったので黙って言うことだけ聞きお礼を言って電話を切った。とにかくまともな対話ができなかった。彼女は数年前にうつ病になり精神科で受診をし、薬を服用していると聞いていた。二年ほど経ったとき、あと半年で完治すると言われていると言っていたので安心していたが、会で顔を合わした時、挨拶をしても返事をしないということが続いている。先生が二度声を掛けられてもまともな挨拶はしなかった。かといって、俳句のことで疑問があるとやたら自己主張が激しく、むきになってしゃべり始める。頭は良さそうだし、退職までは激しい職務についてバリバリやっていた人だ。最初は挨拶をしないので顔を合わすのが苦痛だったが本人は悪気でもないらしかった。今回の電話を掛けてきたとき、こちらが一言喋るたびに遮り、自分の言いたいことだけをしゃべるのを観察すると、もしかしてこれは脳が他人の言葉を受け付けないのかもしれないと思った。医療現場で治療を受けている患者なら、カウンセラーとしてはいくつもそのような症例があるだろうから、黙って聴いて、端的に質問をするのだろうなと思うが、普通の対人関係でそのような会話をするのはとてもやりにくい。病気なのかどうかそれを見極めて、相手に合わせて対応するのは実に難しい。こちらばかり話をしてもおっとりと話を聴いて相槌を打つ人もいる。私の義兄のパートナーだ。一生を看護師として勤めあげた人だが、こういう人は正常な脳の持ち主なのだろうなと改めて思った。日常会話では我先に話をして、口を挟めない人がいるが、性格ではなくてむしろ脳の問題ではないかとさえ思う。
2026.08.22
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七月一杯は帯状疱疹を患い籠って過ごした。もっとひどい症状のことを聴いていたので覚悟をしていた。それにしては初期症状で、痛みが十日ぐらいで治まったのが何よりだった。帯状疱疹は言ってみればみんなが知っている大変な病気なのでその話で盛り上がり、お見舞いに来てくれた人もいた。だが、人には人知れず疾しい症状があるとき、孤独でイライラして一日を過ごす。皮膚科ではステロイドの塗り薬が処方されたが、原因のわからない赤い発疹が主に下肢のあちこちに出て、これはダニかもしれないが、それ以外のものではないかと怪しい気がしていた。治りかけていても、足の指にぽつっと小さな赤い発疹がでて、それがシャボン玉のような透明な水疱と変わる。何か所か大も小もできて独りでひっそりと苦しんでいた。これも一つ治り、二つ治りして、今は新しいものはできておらず痒みもおさまった。痒いというのも辛いもので、その箇所を掻くわけにもいかず、塗り薬を塗って我慢しながらじっと治まるのを待つ。翌日もその翌日も痒みが残っている。食事をする時もパソコンをする時もテレビを視るときも痒いのだ。痒みの渦の中で過ごした日はかなり長かった。痛いのは痛み止めを飲めば止まるが、痒いのだけは朝目が覚めた時から始まり一日中つづく。でもそこから逃れてやっと落ち着いた。痒みがなくなるとその辛かったことを忘れる。人に嫌なことを言われたりされたりしたことはなかなか忘れないが、体のことはけろっと忘れる。心より体のほうがあっさりしているのだ。
2026.08.18
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先方がご執心な友達がいて、何でも言えるという。私とは考え方が違うから、会話していると腹が立つことがしょっちゅうあってそろそろ距離を取ろうと思っていると、又何かの拍子に近づいている。結局なんだかんだと思っているうちに年をとってしまい、お互いこの世からいなくなるのだろうな。もう少し気持ちよく話せて、かつ少し学ぶことがあって、癒される親友がいたらいいのになと思うが虫が良すぎるのかもしれない。自分のこともそういう風に思っている人がいるかもしれないし、また友達になりたいとも思わない人も多数いるだろう。縁というものはふしぎなものだ。会員が何千人もいるSNSでも近づいてコメントをくれる人は同じ人で、何年か経つうちに親しく思えてくる。近くに居てくれる人は大事にしないといけない。嫌な言葉の端々ばかりピックアップして、あの人は性格が悪いと思うことで自分を慰めていたりする。話して気持ちのいい友達も数人いるが、それほど自分にご執心でないひとほど良い人に思えてくる。丸山明宏の言葉に、人との距離は六分が良いと書かれていた。人間は神様ではないのだから、どこかに塵がついていて、言葉に出るときがある。だからその塵のとばっちりを受けないように、六分ほどの距離にいたほうが気持ちよく過ごせるのだろう。最近特に人との距離を考えるようになった。これまで色々失敗してきたからそう思うのだろう。
2026.08.15
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いよいよお盆、病気をしても個人病院はほとんど休診で、こんなときには病気もしてられない。幸い諸々の症状が収まって、無事に過ごせそうだ。人は指先がちょっと痛くても、耳の中ががさがさしても、足に虫刺されの発疹が次々できても疾しいものだ。それらの症状がここ十数日続いたがやっと完治に近づきつつある。冷たい医師、痛がってるのに笑い転げる看護師。患者はどうにか回復したいとの思いで病院を訪れているのに、弱い者らが次々来て並んでるくらいの気持ちでいる。病院は選んで受診したほうが良い。市立の女の医師が高圧的で不快だったので、娘のいる神戸でそれ専門の病院に行くことにした。今年の三月に三回目の経過観察の検診に神戸に行った。専門病院なので各階はすべてその病気のために必要な部屋だ。検査室の他ずらりと並ぶ診察室以外にもいくつもの部屋がある。待合室も広くて、渡されたカードが振動したら自分の番なので静かに診察室に入る。予約で同じ医師を選んで受診したが、まっすぐ目を見て対応してくださった。患者という人間に対するまなざしだ。こんなにも違うものかと、やっぱりこの病院へはるばるやって来て良かったと心から思った。仕事を休んで自宅まで連れに来てくれた次女。私の送り迎えのために一回り大型の車に買い替えた。その他の病気で二つの個人病院を受診した。命に係わる病気ではないが、専門病院でしかしない検査をして、治療の方法も指導してもらった。下肢のむくみだ。毎日病院で買った着圧靴下を履いている。地元の病院で診察を受けたが、どの医師もむくみについては触れもしなかった。秋にはまた検診にいく。娘には世話をかけるけど、神戸に行って一か月ほど滞在するのは気分が改まって良いものだ。
2026.08.11
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敷地内には二つの棟があり、今私は小さな別棟のほうで生活している。もともとは二階建ての母屋で家族と暮らしていたが、独りになってからは広すぎて怖いのでとても住めない。従って母屋には生活用具は置いてなくて、和ダンスに着物を入れている。仏壇は仏間として作った部屋に置いているが、たまに花が枯れているときがある。夫と母の遺影を傍に置いているから、元気かいとえらそうに声を掛けて、仏壇に線香をあげてチンと鳴らして拝む。二階には生家でピアノ教室をしていたときのスタンドピアノを置いているが、こちらに転居してからも大人の生徒が少し来ていた。母が生存中私がピアノを弾いていると、もう一つの別棟に住んでいた母が飛んできて嬉しそうに聴いていた。娘がピアノを弾くのを見ているのがとても楽しみだったようだ。今はあまり母屋には行かなくなったのでピアノの腕もかなり落ちた。海外で仕事をしている長女が帰省したときは二階に寝泊まりする。余談はおいといて、先日別棟に入れているセキュリティ、「セコム」が故障した。付けてないセコムが付いていて「異常事態が起きました」という文字の灯りが付いていた。深夜だったが、その時点でセコムさんが来てくれたのか、朝ポストを見たら来宅の報告書が入っていた。ときどき鍵を閉めていないときもあるぐらいなので、それほどショックではなかったが、本社に連絡して支所から来てもらった。点検したら、どうも表示板の上に設置された機器が故障していたらしい。数日経っての今日、新しい機器が届いたのでと取り付けに来た。若い社員だったので四苦八苦していたようで予定より長くかかったが無事元通りになった。泥棒が来たときはセコムさんは気付かれないように静かに来るとか。室内で火災警報がなったら消防車も一緒にくるとか。首から下げる赤い機器を押すと救急車と一緒に来るらしい。魚を焼いて部屋に煙がこもったとき、警報が鳴り、電話がかかって消防車と行きますというので事情を話してお断りをした事が二度ほどある。普段はいちいちセコムを入れて外出はしないが、夜テレビのニュースで強盗の事が報じられると怖くなってセコムを入れてやすむ。一番役に立つのは一か月ほど県外の娘の家に滞在するときだ。夫が亡くなって独り暮らしになったとき、別棟の窓の改装をした。幾つかのドアや出窓は格子を入れ、他の窓は頑丈な鍵を数箇所と割れないガラスに変えた。だから夜でも安心している。母屋には夜間に人が通ると灯りが付く電灯をつけているが、時々夜に外を見た時パッと明るいときがある。野良猫が通ったときのようだ。
2026.08.08
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七月は心が病んでいた。辛いことがあったわけではなかったが、帯状疱疹になってほぼ二週間の室内での療養。帯状疱疹が治った途端に、足に発疹が出て毎日痒くてたまらず、皮膚科でもらった虫さされの塗り薬を塗りどうにか一日を過ごしていた。その途中に左耳がゴワゴワし始めた。お祭りと重なって、耳鼻科はお休みで、一週間我慢した。そんな中長女が帰省し、家で過ごせないのでホテルで一泊して翌日帰った。可哀そうなことをした。でも高校の同級生が十人ほど集まってくれたので目的は果たせて満足だったとはおもう。体が悪いということは最近なかったので、精神も安定していた。そのような状況のときは友達の安否を思い遣っていた。友達は何かと不自由をしている。でも七月は自分の体が悪かったので、ひとに心を寄せる気にはならなかった。かといって、誰かが声をかけてくれることも煩わしく、ほっといて欲しかった。一人で腹を立てたり、思考はマイナスへと傾いて行った。発疹が大分乾いてかゆみがなくなると気持ちが楽になった。命にかかわる病気でなくても症状によっては相当いらいらするものだ。今日も35度をくだらないが、気分良く買い物をしてきた。朝は五時過ぎから九時まで家仕事でてきぱき体を動かし、苦手な玄関先の桜の落葉を掃いたり、リビングに掃除機をかけたりもした。水蜜桃が最盛期で道の駅ではとても沢山出荷されている。この間you tubeで桃の合理的な種の取り出し方を覚えてからは相当楽しんで食べている。今までこのやり方を知らなかったのは大きな損失のような気がする。
2026.08.05
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磁石の+と+がくっつかないように、女は女との絆を深くしようとはしない。女は優しいから疲れた時にきく労わりの言葉はうわべだけでもやすらぐものだ。夫が亡くなり、年をとった女たちは寂しさを紛らわすために、女の友達と仮面の付き合いをする。口から出まかせでも、決して傷つけない言葉を探して慰める。高齢者はお一人様が多くなり、馬が合う女と女は楽しくやりましょうとか、長生きをしようとかいうが、少しでも羨ましいことがあると密かに嫉妬をしている。物をやりとりして心をつなげる。物をやりとりできない者はグループをつくり、その中で何気ない話をして日常の寂しさを紛らわせる。息子しかいない人はやっぱり女の子がいいわねという。息子がいない私は他所の男の子を見て羨ましくおもうけれど。嫁は嫁だからねぇと奥歯にはさまったような言い方をする。男の子はやさしいともきく。シングルの息子を持つ友達が二人いる。その一人は細々と話はしないけれど娘より癒しになると言っている。居ない者には男の子のことはわからない。たしかに女の子とは色々な話ができる。私の最初の子供が生まれた時、義母が電話をかけてきて、あんたは兄弟姉妹がいないから女の子で良かったよと言った。そうなのかもしれない。うちの娘はシングルだから尚良いのかもしれない。それに孫も女の子でとてもやさしい良い子だ。幸せなんだと思うことにしよう。
2026.08.02
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いつもひとに流されて嫌な思いをしても亦近づいて話して…の繰り返しだった。もう先が短くなった今になって、おもうところがあり、自分が思うままに人に近づかないようにしようという気になった。何事かがあったというわけではない。先日帯状疱疹になったとき、友達の一人は果物を持って玄関で渡して急いで帰って行った。心配りのできる彼女には感謝しなければいけないと思った。だけど、彼女と電話していると突如こちらに向けてぐさりとついてくることがあり、それも一度や二度ではなく、そのたびに黙って引いていた。私は彼女のプライバシーに入ってとやかく言った覚えもなく、ただ優秀な子供さんたちのことを褒めることが多かったような気がする。自分に突き刺さった言葉に対してやり返しをしたことはなかった。何十年も付き合っていると、その都度忘れていたことも脳の中にはしっかりと蓄積されていて、今となっては彼女の人格がどのような人間なのかを心理学的に分析するようになっている。今まで信頼していたのはいくつかの見習うべきことがあってのことだったが、それが大きなビルががたがたと崩れていくように、私の中では批判というやつがその事例を思い返し人格否定に傾き始めた。いつまで同じことやってんだよーと心の中で呟く声がきこえる。自分の大方の大人の友は先方が適度な距離を保ってくれているので、常識の範囲で会話できる。ほとんどの人がその距離間を知っているのだ。相手がその認識がなく、ずかずかと入って来たらやんわりと拒否する言葉で遮り、自分を守っている。一方自分はというと、すぐに人を信じ、困っているからとやたら世話をし、尽くし、相手がどんな気持ちでいるのかが推察できない自分も幼稚なのだ。こういうのをアダルトチルドレンというのかもしれない。
2026.07.30
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最近家に居ることが多くなって、昼間眼を使うので何時にベッドインしても朝早く目が覚める。それも五時や六時ではなくなった。三時四時になるとこれは危ないとおもうけれど、四時台だとぐずぐずしながら起きてしまう。夕べはいつもより早く10時に事務屋(勝手に命名した言葉)の消灯をして、リビングと寝室のエアコンをつけて就寝した。こじんまりした別棟と称している家を日常の住まいとしているから、全ての部屋は解放で、どこか二か所のエアコンをつけていれば全室がほぼ同じ温度を保てる。一人住まいには小さな家が合理的だ。今朝はいつもより一時間早く起きたから一日の仕事が沢山できた。蝉さんも負けずに五時前後には一斉に鳴いていて、共に暮らすことに耳が慣れたようだ。今日は燃えるゴミの日。燃えるゴミは家の前に出すから、各家がまだ出していない時刻は道に出て様子を見ることができる。毎回といっていいほど私の家が一番早く出している。ホースで小さな土の畑に植わったハーブと日日草に水をやり、車庫前のコンクリートのスペースにも水を撒いた。次は玄関前の二個だけの鉢植え青紫蘇とサフランもどきに水をたっぷりやる。これは今のところ水道の水をじょうろに入れて持ち運ぶ。今日は事務室に敷いていた厚い敷物を洗濯しようと思う。この部屋は滅多に掃除機をかけない。最近手足を虫にさされるのでダニの仕業かもしれないと思いお尻に火がついて始めた清掃だ。洗濯物は日が出ない内に竿に干した。そろそろご飯を炊こう。六時半なり。
2026.07.27
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このところ外は暑いので用事があるときは車かタクシーを使って移動し、早々に帰宅して冷えた部屋で食事したりパソコンをしたりテレビを視たりしている。先日何かで高齢者の食事のことを話していた。健康番組だったかもしれない。それはなにかというと、一日三食ではなく、細々と小分けして食べたほうが胃腸に無理が行かないということ。高齢になると若いときのように胃腸が活発でないので一度の量が多いと十分に消化できなくて健康に影響するというもの。そのことを知る前にも同じことをしていた気がするが、これからは堂々とそれを実行することにした。夕べはスマホの着信を夕方遅くに見つけたので、悪いと思いながらかなり遅くに返信の電話を掛けた。この数か月よく話す友達で、旦那さんが亡くなってから掛けやすくなった。彼女は食事がランダムなので、食事中だったりすることがよくある。私は食事中に電話がかかると余程親しくない限り早々に切るが、彼女は嬉しそうに話してくれる。それほどは話題がないのでおしまいには食べ物の話で盛り上がる。私は先日宅配された冷凍の鰻があったので早めの夕食に一匹食べていた。それで話は鰻の話となった。彼女も先日妹が来て高価な鰻を食べたらしい。鰻の値段とか、産地がどことか、鰻にまつわる話で盛り上がり、遅くなってしまった。実に他愛ない話だが、ゆったりと楽しい夜までの時間を過ごした。
2026.07.25
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最近どなたとお話しても一言は負の言葉を発する。私はそのたびに嫌悪感を抱くが、仕方なく消極的な相槌を打っている。フェイスブックに毎日のように流れてくる諫言には、負の言葉を発すればその通りになるという主旨のものが多い。私は子育ての過程で、心理学の本を読みそのことを十分知っていて実行してきた。家庭内では母が愚痴を語るたびに相手が満足する返事をせず、むしろ冷たくあしらったり無視していた。母はそのことが不満で、他人に愚痴ったり孫に宛てて手紙を書いていたようだ。憎くてしていたのではなく、家庭内では常に前向きな温かい言葉のやり取りができればいいなという気持ちが母には伝わらなかったようだ。最近まで前向きなことしか言わなかった友人たちさえも年をとることや、身近な者が亡くなる寂しさを言葉にするようになった。十日前に帯状疱疹になった私に見舞の果物を届けに来てくれた友がいた。そのときはすぐ帰ったが、心配して数日後に電話してきた。開口一番に、私の背中が真っ赤だったとすごい勢いで口走ったときにはびっくりした。背中の赤い部分は一センチ角ほどのスペースにぶつぶつが出ていて赤くなっていることは鏡を合わせてみて自分でも確認していた。毎日その箇所へ処方された塗り薬を塗っている自分が一番よく知っている。再度電話してきたとき、具合はどうお?と聞くので、大分よくなったと伝えると、又すごい権幕でキズが真っ赤でびっくりしたという。それほどではないよというと、むきになっていや真っ赤だったという。体よく話をやめさせたが、そのあと耳にタコができるほど聴いていた姑のひどい仕打ちを話す。だから彼女と話すのは嫌なんだわ。あまり嫌なこと聴きたくないわ、体が弱ってるからねというと、そうねと少し引いた。心配性で気を付けてくれるのはありがたいが、毎度毎度負の会話しかしない彼女にはうんざりしている。
2026.07.20
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娘や友達にさんざん反対されて迷いに迷っていた自動車免許返上。私も本気でやめるつもりでいたが、この気分のまま一人で家に籠っていたら鬱になるかもしれないとむしろそのほうが心配になってきた。買ってからキズ一つつけないで乗ってきたマイルドなブルーの軽自動車。乗らなくても売らないでおこうと思った。車検の日が誕生日より早くくる、車検をしなかったらまだ免許がある内に車は使えなくなってしまう。あれこれ考えた数か月であった。買い物のついでに本屋に立ち寄り認知機能のテスト用の本を買った。三年前と同じだった。絵を記憶するページも同じで覚えやすいと思った。春に届いていた更新用の葉書はしっかりバッグに入れて持っていた。自動車学校に電話を掛けたら試験日を指定してくれた。キャンセルがあったら認知機能テストのあとの高齢者試験も続けて受けることができます。三時間かかりますと言われた。試験までにあと十日しかない。認知機能テストを受けてだめなら諦めが付く。ダメで元々と思って、気楽に数日を過ごし、当日はタクシーで早めに行った。一番早く行ったようでしばらくはひとりで待合室で座っていた。時間が来て係の先生の誘導で教室へと移動した。50年の運転歴なのでいつもどおりのスタイルで試験に臨んだ。待合室では隣に小柄なオバサンが座っていた。認知機能テストが終わって、高齢者試験ではその方とあと一人の男性の三人が呼ばれ、検査室に移動した。次は実技試験。彼女は普通車、私は軽自動車で実技テストを受けた。ほっとして待合室に戻ったとき私は彼女の横の椅子に座った。ちょっと話をしたら、なんと英語塾をしているという。高校も私と同じで、理系だったけど英語が好きなので大学は英文科にしたという。ピアノも習ってきたと、私の入っていたコーラスの先生とはなじみだったらしい。すべてが自分と同じ経歴だったのでいっぺんに親近感を覚えた。人は話してみるもんだ。お友達になりたいわと言ったら、急いでスマホの番号と住所を書いた紙きれを渡してくれて、夜にでも電話で知らせてと言い、お互いそそくさと別れた。翌日電話でこちらの電話番号を知らせるべく電話したが通じなかった。翌朝も通じないのでもうこれで縁がないのかなと思っていたら、暫くして着信履歴を見て電話がかかり、自動車学校で会った人ですよねと言われた。私も電話番号と住所を伝えた。電話で彼女はいろんな珍しい話をしてくれた。彼女の車は赤い普通車で、水害のとき水に浮かぶほど浸水したので市から無料で同じ車をもらったという。その他夜中に海に潜って烏賊や蛸を突いて、これらにも家族がいると思うと可哀そうになって逃がしてやった話。もう少し若いときには世界中を旅行してあちこちに沢山の外国の友達ができたこと。デンマークから四人の友達が来てホテル代など物入りだったことなどびっくりするような話を聴いた。外国人とは英語で話しているという。今は塾をしながら百歳の母親とプールに通ってるとのこと。今度会って歌を歌おうねと言ってくれた。時間が来たので、いつか会いたいねといって電話を切った。彼女がいつか赤い車に乗って我が家へ遊びに来てくれたらいいなと思っている。
2026.07.11
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友達が困っていると何かしてあげたくなる。でも私自身はしてくれる人がほとんどいない。ま、いいかという気持ちで、遠出したときおいしいものを頼まれて買って持って行ったり、さびしいだろうと毎日電話を掛けたり、お家を訪ねて自前で買った弁当を分け合って食べたりもした。先方はしてもらうのが当たり前になってきた。あのときはあんなに喜んだのでこれからもずっと世話をしようと思っていた。7月になって自分自身がスケジュールが混んできた。庭中茂ってきた木や草で鬱蒼とした敷地内に植木屋さん四名が来てきれいになりつつある。草も刈ってもらったし、二日の作業で支払い額は言われていないが如何ほどか。明日は車の免許更新の認知テストの日。日程が決まったのが1週間前だったので、苦手な絵の記憶に備えて練習し大分頭に入った。昨日は借家のエアコンが水漏れすると不動産を通じて言ってきた。サービスでつけていたエアコンだが、エアコン付きで契約したから大家さんのエアコンだと不動産が言ってきた。えらいこっちゃ。この間我が家のエアコンから水漏れして、下に置いているテレビがダメになった。家電店で2つを買って取り付けたばかり。料金云十万円、仕方ないと思って支払った。借家はこれまでエアコンは借主が買うようにしていたが、サービス精神が徒となった。知り合いの電気屋がきて手当してくれたので今の所大丈夫だと言われほっとした。何かお礼をと思いつつ、その暇がない。来週は呼吸器の半年目の経過観察。一日中痰がでてそのたびに咳き込む。病名はつかないがなんだろう、と心配になってきた。友の会からも我が家でする最寄会の日にちが知らされた。というわけで、他人の世話をする余裕がなくなっている。相手も世話をしてもらおうとは思ってないかもしれない。だれからも電話がかからないし誘われもしないから、冷たい人らだと思っていたが、それぞれ自分のことで精いっぱいで私のことなど思い出さないのだろうとちょっと納得した。
2026.07.09
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夕べ録画して観た番組何だっけなと思い付くまでにしばらく間があった。20代の大学生のころ、毎日学校へ行って次々新しい知識を身につけることが苦にならなかった脳からは何倍も衰えている高齢の脳。あなただあれ、とまではいかないが、これ以上衰えて行かなければいいがと思う。ましなのは手だけかな。パソコンを打つ指10本、料理をする手、ピアノを弾く手、これらはもちろん脳が支配しているわけだけど、まず手が動かなければどうしようもない。あれほど難しい曲を暗譜して弾いていたのに最近はモーツァルトのソナタぐらいでよっしゃーと納得してピアノの蓋を閉じる。料理をする手はすこぶる速い。何故かって、それは速く作って、食べて、次のことが待ってるからだ。朝食のメニューは寝る前に考えたりするのでぼーっとしていても簡単なものができる。夕べはしんどいけど何を食べようかなと冷蔵庫の中身を思い浮かべた。買い置きで残っているものは卵と水菜とピーマン。これでチャーハンを作ろうと、テレビを見ながら想定していた。取り掛かったら中華飯店の料理人のように素早く作業する。you tubeで見ていて、ご飯と卵を混ぜ合わせる素早いその技に感心する。中華鍋がないのでフライパンでやるのは難しいがなるべくご飯と卵の塊を細かくつぶすこと。これが大事だ。小刻みにしたピーマンと水菜を入れ、結構長く強火で混ぜて混ぜて、塩コショウ、昨日はチキンスープの素と醤油で味付けした。ながら作業は良くないが、食事のときはテレビをつけている。気持ちの良い世界鉄道の旅を観た。録画していた雲南のシャングリラは楽しんで観れた。
2026.07.02
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ときどき許せなくて人と距離をとることがある。自意識過剰の行動だ。そういう心理に関心のない人もいるだろう。そういう人は人ともめることもなく、感情の起伏もなく、生涯穏やかに過ごせるのだ。自分はそうはいかなかった。小中学生のころはそれをむき出しにして友と闘い、守ってくれる人がいないもんだから、逃げ込んだのは病気。一時的には回復して高校生活はそれなりに楽に過ごせたが、卒業と同時に底なしのダウン。同級生と足並みを揃えて進学出来なかったことを悔やみながら歩いてきた。ピアノ科という念願の学部への入学ができず、数年後別の学部に入り別の人生を送った。やがて年をとり、一人になった。子供は二人いるけれど身近にはいないので、支えになったのはネットの世界だった。ネットの中でつながりのある人は私にとって文字上の人物ではなく生の人間であった。良いも悪いも現実と同じように喜怒哀楽の気分を味わうことができる世界だった。もしも周囲に力強い守り人がいて支えられていれば、ネットの中の人達をリアルとは思わなかっただろう。ネットの中で自分を大切に思ってくれる人を求めていた。だが、そういう人がいたとしても自分の心がそうでないと感じればシェアする気持ちにはなれない自分がいた。あくまでも自己中心的な心がもろに出るネットの世界である。リアルではなかなかできにくい削除、解消、ロム専という手段があるからだ。相手は何も悪くないのに許せない気持ちがそうさせる。なぜだろうという疑問を相手に残す罪なやり方だ。私自身しか知らない、自分でもわからないことをやっている。
2026.06.30
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金持ちに比して、人持ちという言葉があるらしい。友達から聞いてそのような言葉があることを知った。誰でも彼でも友達は多いほうが良いという意見には賛成しかねるが自分にとってある面で大事な友達は必要だ。だが同じタイプなら要らない。一人の人間がすべてのことを満たしてくれることはなく、親しいと言ってくれる友でも非常に腹が立つことをいう人も居る。また一方通行でこちらが連絡しなければ積極的にご機嫌伺いの電話さえ寄越さない友もいるが、そういう人は男なら妻にしたら居心地がいいだろうなと思うときがある。こちらが話したいときに時間があれば楽しそうに、言葉少なく相槌を打ってくれて、その友に電話をした後胸の内がすーっとするような人だ。また話してお互いが何も嫌なこともなく味のある話ができる、そういう人は一番大事な友達で、何年でも心地よくお付き合いができる。そういう友達は自分が尊敬できて、相手も亦自分の良い面を認めてもらっている場合に成り立つ。私はそれほど沢山の友達と集まったり電話したりはしないが、転勤などで去って行ったひとで、何年経ってもそのひとと行動したことは忘れられない人がいる。そのような人は概して他の人にも好感を持たれている。子供が幼稚園に通っていたときに我が家の横に住んでいた転勤族だった。たまに電話できる間柄だが電話での雰囲気は変わらない。今日は地元の友達と長話をした。前述の中の一人だ。相手の言葉一つ一つにびんびん跳ね返ってくることもなく、こちらが或る不満を話しても穏やかに聴いてくれた。その友達は数人の集まりの中でも発言せず黙って聴いているだけで満足するらしい。多分自分の中で葛藤はあまりないのではないかなと思う。自分は到底真似のできないことだ。私は人持ちではないが、少数ながらタイプの違う友達とこうして話ができることは幸せなことだと思う。超高齢になったら次女の居る神戸にほとんど居たらいいと娘は言うが、話し相手は娘一人、油断してたら大事な物でも持ち逃げするプードルと昼間は留守番の日々を送ることになる。今年の春四月に一か月滞在して、神戸の専門病院で検診をし、たまに娘に花見や買い物に連れて行ってもらったのもとても楽しかった。そういう行き来は活性化して良いかもしれない。
2026.06.23
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you tubeの動画は日本人でない人が制作、朗読をしていると思えるものがほとんどですが、たまに内容が役に立つこともある。今日観た動画は「老後を穏やかに過ごすために訪ねてはいけない家」というものでした。何章かに分かれていて、最初の章ではずっと友達に感じている不快感と同じことだったので、確かになーとの思いで聴いていました。三章の内容になったとき、それは自分が相手にしていることではないかと思いました。他人の事を案じて、良かれと思い訪問することについてです。そして長電話になることも。たしかに動画が言ってるように、自分はしてあげたという満足感を感じ、又訪ねてあげようとか、電話をかけてあげようとか思っていました。この動画の話を聴いていて、それは自分だけが思っていることで、相手が難儀なときには私のしたことをうれしく思ったとしても、その苦境から少し抜け出したり、他の人も手を差し伸べてくるようになると、私のしていることをむしろ疎ましいと思うかもしれないということです。動画が強調しているのは、「それをやめるように言っているのではありません。距離を少しずつ置くようにと言っているのです」と話します。今まで自分はしてあげていると思った人を相手に、自分の不快だった胸の内を話したことがありました。目の見えない友人はしてもらっているという意識は多少あったかもしれませんが、そういう話を聴くのはしんどいかもしれません。動画では断り方を具体的に話しています。「体調が悪いから、とか理由を作って断りなさい」と動画は話します。私の何人かの友達は自分から話題を出さず、楽しそうに私の話を聴いてくれていたので、動画の話はちょっとショックでした。動画で話しているように「自分が相手を選ぶことも必要だけど、相手も自分を批判的にみているかもしれないと考えてしまいました。近づくことを控えようと思うと友達の数が減っていく。
2026.06.15
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前回に続いて二つめを書きます。前回と同じ日の午後、頼まれていた生協のザクロジュースを届けに友達の家を訪ねました。彼女は老いてからは目が全く見えなくなり、ご主人と支え合いながら幸せな日々を送っていましたが、昨年の暮にそのご主人がふとした室内の事故で入院しそのまま亡くなられました。彼女は私と比べて家庭的にはとても幸せなこれまでの暮らしでした。幸せな家族の中で育ち、旦那様とは助け合いながら暮らしていました。性格の良さもあって友達の輪の中で手をつないで学生生活を送り、その親密さは今に至っています。私はその輪の中には入っていませんが、晩年になってきっかけができ仲良くさせていただいています。主に私が積極的に近づいて付き合ってもらっていたように思います。いっぱいの幸せに包まれているにもかかわらず、私にも持ち前の優しい口調でいつでも話し相手になってくれました。彼女と親密な友達からは、あなたって〇ちゃんが好きやなーと言われたことがあります。一匹狼だった私は子供の問題行動、病気に並行しての時に荒れ狂う夫との生活など、友達に話すことで乗り越えることができました。一方、現在の彼女は大切な姉弟の死、最愛の夫の死の哀しみの中で生活しています。私は彼女から淡々と強く生きることを学びました。先日ジュースを届けに行った時けっこう長い間話をしました。対人関係が彼女のように上手くいかない私ですが、他人の痛みに心を寄せる気持ちはあります。彼女は高校生のときから繋がっている仲間との楽しいことを思い出しながら話をしてくれました。私はそのころ学校で嫌な思いをしたり、その反面高校のときはピアノの練習でめいっぱいの学生生活でしたので横繋がりの友との楽しい思い出はありません。私は彼女の話を羨ましい気持ちで聴いていました。今は彼女との縁を大切に、彼女が暗闇の中で独り頑張っているのを少しでも支えられたらいいなと思っています。
2026.06.09
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日常的に人の役に立つことより、勉強の為の会に参加するのが私の高齢になってからの暮らしだ。町内の役員もしたことがないし、誰かの為に何かしているということもない。地元で入会しているのは俳句の会と生活勉強をする友の会に再入会をしたが、そのどちらとも参加はおろか名前を連ねているに過ぎない。やめようと思えばいつでもやめられるほどの関心の持ちようだ。会員が少なくなった会なので、やめないで欲しいとしきりに言われるので、そうまでいわれているのにと辞めないでいる。町内会のあつまりの回覧がきても一度も参加しなかった。今日は自治会長さんが交代するに際して開かれた総会なのでご近所さんもみな参加した。参加してみると割合居心地がいいと思った。時間を勘違いして遅れて入室したら全員揃っていた。席は一番前の真ん中だったが、真後ろの人の声で振り向いたら知り合いばかりの笑顔が飛び込んできた。一緒に行った少し若い人も何かと気を配ってくれた。司会と新自治会長さんや監査役の人も馴染みだ。他の人は多分知らない人だったと思うが、周りがそういう状態だったのでこれからはなるべく総会には出席しようと思った。この町に住んで四十年になるが会合には出たことはなく、今日初めてそういう気持ちになった。人の心も変わるものだなあとつくづく思った次第。自治会費から提供されたお弁当を持ち帰りおいしくいただきました。もう一つあるが次の機会にということで…。
2026.06.07
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同級生が三人寄って話す機会があった。相手のどちらもご主人が亡くなって、その中の三年目の人は毎日仏壇の前で泣いていると言った。ひと月前に亡くなった人は何も言わなかった。私は何も言えないぐらい大変な夫の生前の状況だったので口を挟まなかった。その内話題は相棒が亡くなったあとの相続の話へと移った。私は十数年前に母の葬儀をし相続もしていたし、その数年後今から十年余り前に夫が亡くなり、その時は葬儀一切と相続は独りで済ませた。独りでというより、葬儀は葬儀屋さんが何もかもやってくれたし、相続の手続きは母が亡くなった時に知り合いに紹介してもらった税理士さんに依頼していた。その後税理士さんから今後の確定申告をさせてくださいと頼まれ、税務署に行くこともなく確定申告をしてもらうことになった。最初に母の相続のときに、非課税分の金額やら夫と妻との配分の説明を受けていたからそれらのことは把握していた。話は元に戻るが、三人の集まりで相続の話が出た時、相棒の死後の相続のことをとくとくと私は話していた。同級生の一人が、よく知ってるねぇ、わたしら何も知らんと言った。非課税分がいくらか、本人と子供の数の配分など全く知らずに、自分名義に通帳の書き換えをしたという感じで物申した。それが秘密事項なのか、本当に何も知らなかったのかよくわからない。共稼ぎで貯金がゼロというはずもないだろうにと思ったが、それ以上は何も言えなかった。それまで何も言わなかった一人が、あんた何でそんなに知ってるのと驚いたように私に詰め寄って言った。私は何でと言われて、改めて思い返したら多分税理士さんに説明してもらっていたからだと思ったが、娘が税理士やからなと答えておいた。暫し沈黙…お金のことをいうのはねーという人たちは金銭管理について話すのさえ避けるのか。家計簿をつける会、羽仁もと子全国友の会では毎月家計簿の提出もあった。(在会十年間は細かくつけていた)自宅で集まっていたコーラスグループの中で家計簿のことを話したら、細かいこと言うねーのような言葉を浴びせられた記憶がある。子供に伝えるべきことの一つに、家計の管理は必要である。娘には以前それとなく家計簿のことを伝えたことがあるが、今では家計管理はばっちりで、将来の生活設計まで見通せる段階にあるようだ。お金のことなど何にも知らないというのが品の良いことだったかもしれないが、現代に生きるこれからの者達はきちんと知っておくと、老後に備える準備ができるのではないかな。
2026.06.04
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そんな話は覚えていなくても良いのだが、昨日美容室で話したことへの若い美容師さんの応答が何だったのか妙に気になる。私はたしか何かを言いたかったのだが、彼女は俯瞰して話に合わせてくれた。別の見方があるのだなあとその若い美容師のいつも冷静な判断力には感心する。いじめは究極的には死に至らしめるものまであり、そうゆう事件は大きく報道される。私自身個人的には小さいいじめを受けた経験は幼い頃からあったような気がする。一人っ子で近所の子らは五、六人のきょうだいがいて、百姓で生計を立てている家がほとんどの時代だった。一方で、良いことを思いだすこともある。近所の同級生の友達の下には四人の妹がいた。その中の一人は障害を持っている子だった。当時は区別なんかなくて、ねえちゃんの遊び仲間にはいつもその子も来ていた。お母さんはきっぷの良いさっぱりした人だった。私はその友達の家に時々泊まりに行って大勢の子供らと一緒にご飯を食べるのがうれしかった。「けいちゃんはこんなおかず食べたことないやろ」とおばちゃんは笑って言った。そのおかずとは臭いがきついくじゅな(苦汁菜)という木の葉っぱで、若葉を茹でて和え物にすると結構なおかずの一品になる。正式な植物名は「クサギ(臭木)」というらしく、写真を撮り始めたとき可愛らしい実が生ることを知った。あのときに食べさせてもらったくじゅなのことは忘れがたい。もう一軒の友達も五人きょうだい(姉妹弟)で、合わせて10人ぐらいが遊んでいた。そういうとき、なぜか一人っ子の私がいじめの対象になった。普段はいじめられないのだが集団心理というやつで、時々いじめをされた記憶が蘇る。泣いて帰ることもせず、母親や祖母にも言わなかったような気がする。ある雪の日、友達の家の納屋でままごとをしていた。ご飯はもちろん雪塊だ。藁のむしろを敷いてみんながごっこをしていた。便所というにはあまりにもみすぼらしいぼっとんと落ちる便器があり、開閉は板戸だった。私がその便所に入っている間に、他の子らみんなが私の雪のご飯の上に唾を吐いたと後に友達から聞いた。幼児とはいえなんとむごたらしいいじめだったのだろう。今の時代世界で悲惨なことが起こり、いじめが原因で死に至らせる事件もある。昔は報道されなかったけれど世の中ではそういうことが諸々起きていたのだろうか。幼い子供同士の遊びの中にあったいじめのことが今でも映像のように記憶の中にある。
2026.05.28
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去年の12月に同級生のご主人が亡くなられた。姉弟もいて幸せな生活を送っていた友人は、現在妹とその息子だけが頼りになる存在で、一か月に二回ほど二人が遠方から来て用事を片付けてくれるらしい。自分を含めて同級生数人が電話をして、寂しくないように気を配っている。中年辺りから次第に見えなくなっていた目も今はもう全く見えない状態にもかかわらず、独りで料理をし部屋の片付けもしている。泣き言ひとついわず、電話の声は明るい。今年の夏はご主人の初盆なので友達とお参りに行くつもりだった。だが、彼女から電話がかかり自分も初盆のお参りには行かなかったので、来ないでねと念をおしてきた。たっての頼みのようなので友達にも連絡して行かないことにした。他の来客も何人かは来られるらしいから、多分一人で対応するのがしんどいのだろう。他人に何かしたいと思っても、される側は迷惑なこともある。随分前のことになるが、私自身家族に付き添って夜遅くに病院から家に帰る日が続いていたときのこと、大阪にいる優しい友達が電話をくれていた。私はとてもつかれていたので、やっと解放されてほっとしているときに電話の相手をするのはとてもしんどいことだった。親切な気持ちでわざわざ電話をかけてくれるひとをむげに扱うこともできなかった当時のあのしんどかったことを思い出す。今回は友達は遠慮しているのではなく本心で言っているのだと思った。一緒に行くことにしていた友達にもそのように伝えた。
2026.05.24
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知らない人同士が近所に住むとき、新しく入ってくる者は挨拶して回る。私の家族が今の住居に来た平成元年にも、向こう三軒両隣以外のかなり広範囲に挨拶にまわった。最近自宅の前の土地が売れて、まず一軒目の新築の家が建ち、若い御夫婦と幼児の家族が引っ越してきた。どんな人が来るのだろう、周辺の人は皆そう思って興味津々、私もその一人だった。近代的な白い家の前には大きな車が二台でんと置かれていた。いいな若いっていいな^^家を空けて一か月後に帰宅したとき、奥さんが私を見つけてご挨拶に飛んで来られた。感じが良いなと思った。数日して私が出かけるとき、奥さんも車に乗って出かけられるところだった。私は歩いて買い物に行く途中だったので、口をパクパクして車の中の奥さんにこの間のお礼を言った。奥さんは車から降りてこられ深々とお辞儀をされた。私も何かの折にプレゼントをしようとその時思った。これから先何年の付き合いになるかわからないけれど、いい関係が保てそうな気がする。
2026.05.21
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かれこれ25年ほど前に出会ったその人は涙を誘う詩を書く人だった。私がSNSでフレンドに囲まれて過ごしていた頃のことである。現実の生活では丁度夫が脳梗塞を起こし毎日獣のような声でわめいたり私を睨んだり、たまに思いがけない一瞬に暴力を振るわれることもあって、苦しい日常を過ごしていた。孫が遠方の県で生まれ逃れるように出かけては過ごしていたが、毎日パソコンを開けるとそこには私より10歳も20歳も若い友達がいて、どこに居てもその楽しい世界に入ることができた。私の周りにも沢山の人が寄っていたが、切り捨てる人と仲良くできる人がいて、毎日男性の友達やわずかの女性の友達とは個人的なメールを交わした。特に親しかった3人の男の友達は創作を通じて親しくしていたが、私とはレベルの違うほどうまい人たちだった。その内の一人は詩で、一人は小説で、群を抜いていた。私は後に彼らを見習って詩を書いたり小説を書いたが上手くはなかった。私がしばらく書いていたのは川柳だった。知識のない私が書くには軽い川柳しかなかった。でも3人は私のよき友であった。中でも一番孤高の人は年は下だけど大きな愛を降り注ぐ詩を書かれ、私も遠くからその愛を受けている気がして、辛い生活の中ではあったが夜になるとその詩を読んで涙を流していた。そのサイトは相手のページを開けると足跡が付く設定になっていたので、私が真夜中に詩を読んでいると、その方が「読んでくれているのだね」とメールが来ることもあった。年月が過ぎ、そのサイトの仲間は全員退会してしまった。みんな大好きな人達だったのにいつのまにか忘れてしまう人がほとんどだった。その中で一番大きな存在であり、遠い人でもある詩人さんがブログを書かれるようになり、今はyou tubeで詩を、他の人が作曲や動画を作成されてアップロードされている。ご本人がアップされているときにはコメントすればお返事をいただける。一番最後まで残った当時のフレンドなので、お互いの気持ちが通じている気がしている。沢山のファンがいてもしっかり受け止められる詩人さん。会いたいという気持ちと、実物には会えないという気持ちが湧く。会えばこれまでの遠い幻想の中の孤高の人は只のひとになってしまうから。
2026.05.15
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先日のテレビ番組に「室戸岬」があったので録画していた。今日は最後まで観たが、バスの乗り継ぎ30回あまりでやっとゴールイン。一つのバス停に着いて次のバス停まで何キロと歩いたり、しまなみ海道以下数個の長い橋も徒歩で渡る。えびすさんは高齢なのにそのがんばりには脱帽だ。12年前に放送されたものだけどやはりきつかったと思う。高年になって「室戸岬に行かない?」と同級生に誘われたが、宇和島からでも相当遠いので恋人でもない、まして夫でもない人と長いドライブするのは嫌だったので断った。足摺岬や佐田の岬には運転して再々行ったことがあるが、室戸岬の景色だけは観たことがなく夫の生存中に行きたかったなあと思う。でも今日番組で本州から高知を経て四国の室戸岬までの景色を見ることができて良かった。もっと若ければだれかに連れて行ってもらいたいが今は長距離のドライブは無理。俳優さんやタレントさんは芸だけでは済まず別の役があるのだなあとその根性と健脚に感心する。ゴールインできてよかった。
2026.05.12
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私の現在の創作投稿の一つにnoteというサイトがある。かなりの頻度の投稿をする人が多いサイトで、スキ(いいね)される数も開ける度に数個ある。老若男女様々、職業も様々だが、私にアクセスする投稿者は若い人が多いようで、苦しんでいるなと思える詩がみられる。いわゆる若者の喘ぎというやつだ。年をとるとあえぐものは何もなく、ただ元気でいられますようにとか、病気が治りますようにとかで暮らしているから詩にはならないのだ。私も少し前までは恋愛詩も書けたし、読者が泣いてくれた詩も書いた。今は人を切なくする詩など書けない、そういう人を恋う気持ちがないからだ。陰でこっそり涙を流すとすれば、障害を抱えながら懸命に頑張っている友の生きざまを目の当たりにするときや、感動したドラマを観たときくらいだ。今では、何でそんなに苦しいのと思う詩がある。若葉はきれいだけど柔らかくてともすれば虫に食われやすいのと同じく、若い心も繊細で傷つきやすいのかもしれないね。
2026.05.09
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若いときには感じなかった或る意識をはっきり判別することが再々ある。運よくわずかな%で生き残って、病をいくつか抱えながら暮らしている知り合いは貴重な存在で、彼らにはなるべく長生きをしてもらいたい。区別することなく付き合える年代になったからには少々の不快感は受け入れていても、気持ちの持ち方が同じではない。年を重ねるにつれ丸くなっている者と一方で我が強くなり他人の粗探しみたいなことが沁みついている者と、その両者の違いがはっきりしてきているということだ。後者では品性がむき出しになったということか。20代でも多少のトラブルはあったが、それはその事実だけを非難していたのであって、姑息に相手を貶める言葉は吐かない事例だったような気がする。思い出のアルバムをめくってみてもそこにはきれいな可愛い顔の友の姿ばかりで、それぞれが未来の可能性を夢見ている顔つきだ。仲良しはあっても、いつまでも固執して憎み合う暇など持つ必要がないということだ。ところがどうだろう。若かりしころとは別人のように変貌しつつもなお根性が悪く他人の秘密をばらすという哀しき行為をする気がまだあるのかと驚くときがある。死ぬまでの期間がそれほどに短いにもかかわらず、そういう無駄な神経を張り巡らし、正常な認知さえおぼつかないというのに実に情けないと思わずにはいられない。それとは真逆の生き方をしているひと、このまま不必要な雑念を持たず自分を守ることだけを懸命に生きている人もいる。ゆく道に品性の落差ができるのは年をとってからの心構えとして必要なことであるし、元からであれば積み重ねともいえるかもしれない。
2026.05.07
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いつも後悔するのに繰り返していることがある。対象は主に人で、「知りすぎる」ということ。毎回、またやっちゃったと思う。家族を含めて熟知している人達は、知りすぎているもなお繋がっている理由はそれは縁という絆である。知りすぎてはいけない。これを軸としていれば間違いはない。もっと知りたいと思っている間はじれったさがわじわじとこみあげるが、嫌な感情が起きる前に目の前からいなくなるという例もあり、それはそれでその内記憶も薄れてしまう。このような例は自分の中の歴史に何も残らず影響も受けなかった対象である。リアル人間だけでなくsns上でも同じことを感じる。バーチャルで不快感を感じればやめたらいいものを、やめるにやめられない執着という感情が生まれ、そこで立ち止まってしまう。snsの中には日記を書くというだけのサイトがあって、その中では自分のことをかなりさらけ出して書くのでお気に入りさん同士だけが読める設定にしているが、何年か続けていると次第にコメントの言葉が刺さるようになる。悪気ではなく慣れてきて親しく思って書かれたことにこちらとしてはそんな人とは思っていなかったという感情が湧き始める。その対象は私の経験ではほとんど男性に見られるようだ。女性は親しくなるとリアルの友達になり、サイトを離れても繋がりが続くこともある。それだけ男性の場合は心が近づきやすいのかもしれない。あくまでも距離感を保ち言葉や表現の気遣いを忘れないように心がけたいものだ。そういうことを経験している人達はとっくに熟知していることだろうが、今ではすこし自分も調節でき始めたかなという気がしている。
2026.04.29
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どこかでとてもきびしい経験をしたとする。数年経ってそのことを思い出すと妙に懐かしいのだ。胸がキュンとして、その足跡を辿る。去年神戸の甲状腺専門病院を受診し、今回半年経って二度目の検診に来ている。夕べ服用している薬があと数日しかないことに気が付いた。その中には血圧の薬もあるのでどうにかしてこの地で手に入れなければと焦った。娘に言うと、S先生の医院へ行ったらという。S先生は二十年前に孫がまだ赤ん坊だったとき、私はこの地に世話をしに来ていてお世話になった先生だ。名医とは言えないが、頼り無げな先生はうーんと上を向いて考え、じゃあ薬を変えようかという風な感じでなんとなく気持ちが落ち着いた。今日はその先生にお会いできると思うと、どんなになっておられるのか、必要な薬がもらえるのか少し不安だった。朝娘が出社するとき車に同乗してその医院まで行った。忘れかけていた道筋だったが、スマホの地図で帰りに寄る生協の道順を教えてもらっていた。名前を呼ばれて診察室に入ると、以前の先生よりずっとおじさんぽくなられた先生が座っておられ、話しやすい雰囲気は変わっておられなかった。先生は私のことを「もちろん覚えてますよ」と言われた。処方箋を出してもらい、生協近くの調剤薬局で薬をもらった。生協の辺りは以前とちっとも変ってなくて、昨日までいたような感覚だった。店内に入るとそこも全くと言っていいほど同じで、特に一階の休憩所に並んでいる椅子やそこで飲み物を飲んだことまで身近なことのように思い出した。子守りをするのは体力的にしんどかったけれど、その思い出はもう帰らないと思う気持ちも交じって、しびれるような寂しさと懐かしさで一杯だった。というのはあの押し車に乗せて通った赤ん坊はもう成人して大学生となっているのだから。
2026.04.17
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今朝娘と神戸で一番のパン屋さんまでドライブした。ドライブしたというからには家からかなり離れた所にあるパン屋である。パンを買っての帰り、娘は滔々と将来の希望を語っていた。私はその話に乗って楽しく聞いていた。現在娘は神戸の持ち家で独り暮らしをしている。三年前までは孫と二人暮らしだったが、大学へ入学したので孫は今東京でマンション暮らしをしている。将来孫は東京で暮らすのではないかと娘は想像しているのだ。「もう少しお金が溜まったら東京で家を買い、お母さんも一緒に来たらいいね」という。私の家は四国の愛媛県だ。私亡き後は二人の娘が家屋敷を相続することに決めている。神戸の家はどうするのと聞くと、売ることはしないけど三つも家を持っていても管理が難しいからねという。神戸の家は夫の退職金の一部も含めて建てた家なので私にとってはかなり思い入れがある。それに孫は小一からはアパートから新築した家で過ごしたのでいわば実家となるわけだ。私は心地よく娘の将来の夢を聞いていた。それまで私は生きているかどうかもわからないし、孫も東京へ住むかどうかもわからない。お金がそれほど溜まるかどうかも怪しいものだ。将来のことは計画を立てておくのは良いとはおもうけれど、その通りになるかどうかはわからないのだ。だから彼女の夢に意見する必要もないし、楽しみにして待っていれば良いことだ。夢を持つのは良いことだから。
2026.04.11
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時間があっても物を書ける環境と書けない環境があることに気づいた。三月末から神戸の娘の家に滞在して最初の病院へ経過観察の受診をした。この家に居てすることと言えば朝昼夕の食事作り、洗濯ぐらいで、あとは自分のことだけ、するもしないも自由である。それほどたっぷり時間があるのにまとまった文章が書けなくて地元の自宅で書いてから更新していないサイトがある。そのサイトというのはnovelistという小説投稿サイトで他との交流はないが、ご執心な愛読者がお一人おられ更新がないけどどうかしましたかとコメントをいただくときがある。あ、書かなきゃと思うが一向に浮かばない。俳句や詩は道を歩いていたり、どこか連れて行ってもらったりすると詠めたり書けたりするので、むしろ落ち着いて家にいるよりも効率が良い。詩のブログは十日に一度ぐらいは更新するつもりでいるのだが、これはまたあまりにも平穏すぎると書けないのである。家にひとりで居て、誰に聞いてもらっても収まらない心模様は詩が浮かぶのにもってこいの状態なのだ。その思いをメモしておいて頭がしっかりしたとき推敲してブログにアップする。投稿の目的によって場所や環境が異なるというのも面白いものだ。この楽天ブログは私の友達が時々見ていると言っているので、以前は日常のことを細々書いていてアクセスが多かったが、そういうのも無駄かなと思ったので、考えをまとめてエッセイ集にすることにした。私の能力ではあまり難しくもなくかつ、感情的でもないエッセイを書くのが合っているようだ。
2026.04.08
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この話は娘から聞いたものです。去年12月末に娘と孫が神戸から四国の実家へ帰っていて、明けて1月4日に神戸へ帰る途中に起きた出来事です。高速道一路で神戸に着くはずのところ、家に着いたとき孫のスマホが無いことに気付きました。その時点で別のスマホに入れてある探知機でスマホの在処がわかりました。そこは一時間前に立ち寄ったパーキングでした。その場所まで一時間ほど引き返した時点でスマホはそこにはなく、次第にスマホの位置が動き始め、西宮を通り過ぎ尼崎まで動き遂に或る住宅の中へ入ってしまったそうです。途中で警察にも連絡し、移動しているスマホの地図を分刻みでシャッターを押して写真を撮っていました。こちらから紛失したスマホの番号へ電話しても最初は出なかったようで、二度目に電話したら年配の男性が出たとのこと。持ち帰った理由をああやこうや弁解していたけれど、警察にも届けてある旨伝えたところ、翌日警察まで届けますと返事をしたらしい。スマホが持ち去られた家も写真には撮られているし、警察にも監視されているので先方も怖くなったと思う。その話を聞いて私のスマホにもアプリを入れてもらいました。実験的に私のスマホに娘のスマホから探知作動してもらったら、私のスマホにスゴイ音響の音が鳴り続けました。こちらのスマホを持って帰った人のスマホもそのような音響が鳴り続け、警察も地図で把握していることを知って恐怖を感じたと思う。私もその話を聞いていて、まるでサスペンスのようにドキドキしました。もし私が四国でスマホを失くしても、娘が探知機をかければその在処がわかるというのを聞きびっくりしました。他人のスマホにアプリを入れたり、人のスマホを探知する能力は私にはないので、その話をした友人から教えてくださいといわれたけれど残念ながら教えることはできないのです。
2026.04.01
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これまでの意識の変革というか、比較とか競争から抜け出した現在、自己保守の訓練と特別な他者への思い遣りへの精神的な変化を感じるこのごろです。これまでいかに自分が無防備な人間であったか、それによる人からの攻撃や軽視、それに対しての怒り、それらは全く必要のない事ばかりなのだと考えるようになりました。一方で浮いたことばかりを求めていた私ですが、年を重ねても、いいえ、高齢になってこそ自分を守ることがいかに大切かを考えるのであります。やられっぱなしできた中年時代、身体的な疵よりも心の痛手は今もなおその傷跡は残っているのです。過去にとらわれて過ごす時間がもったいないとの文字列を読むにつれ、そうなんだと自戒しつつありますが、けっして引きこもるのではなくむしろ積極的に人と交わるには、自分のしてきたことを反省しこれからの生きる知恵としていきたい。争いは負けるが勝ち。お金のやりとりは譲るの気持ちで。心の持ち方は能動的でしかも思い遣りを忘れないこと。これまで負け続けてきた人生だったけれど、こういうことを学んだ気がします。ふつうでいられることのたまたまの幸運は見逃してはいられません。顔など美人でなくても普通であれば良い。体力はシャカリキに鍛錬できなくても歩くことができればそれで良い。目も耳も半分ぐらい機能できれば満足していよう。餓えない程度に食事をとって毎日最後の日まで生きることにしよう。
2026.03.23
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三月末に神戸に経過観察の為行くことになるが、その前の準備のメモを一つずつ済ませている。大事な個人病院へ月ごとの服薬をもらいに行くことも済んだ。六月半ばに閉院されるので先生もご自分のことで精いっぱい、患者一人一人の体調のことは上の空かもしれないので自分の要求を伝えてやってもらうつもり。去年から血液検査をしていないので四月になったら行こうかな。冬ものの、主にニット類のクリーニングはもう何回か出したが、昨日は出していた二回分をまとめてどっさり持って帰った。これらは来年まで着ないので保管容器に防虫剤をしっかり入れて仕舞う。コート類は二三回着たものでもクリーニングしているから数年経ったものも新品の如くクローゼットに保管されている。測量士さんにお願いしている測量の件は、先日測量する場所の確認と、隣と裏隣り二軒との立ち合いが終わった。測量は40万ぐらいかかりますよと言われたが、隣との境界の幅を余分に先方の領域としてあげることにしたので、その手続き費用として5万ほど追加らしい。昨日はそのお隣の奥さんが来て、ほんとに良いの?と確認された。奥さんは、土地問題は文句を言い合う仲だったら一ミリのことでも譲れない事態になるのよと言っていた。隣同士が犬猿の仲のまま過ごして命が終わるのは私としては好みではない。生家で住んでいたときは家を囲む背後の山の境界をせせられてせせられて終わった。街中ではほんの少しでさえ貴重らしいが、田舎に住んだ経験のある者にとっては数メートルの境目など無断で浸食されてもわからないままの箇所がいくつもあった。今は何の役にも立っていないのだからおかしなことだ。せせった側もせせられた側も死んでいるし、今その土地も放棄されたままでむしろ邪魔になっている。山だけは崩れもせずそこにあるから土地続きの家屋が保たれているのだ。土地のことでは子孫が絶えている家や子供が亡くなったりした家もあり、自然の神様はしっかり見守っていることを教えられて生きてきた。人生半ばまで山の麓の家に住み育った末の知恵である。
2026.03.18
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私の家族が現住所に土地を買って移ってきたのは平成元年だった。家族は実母と婿養子の夫、認知症の叔母、犬と猫其々一匹。最後に最も大事な娘二人は遊学中で休みの時帰ってきた。ご近所の家にはそれぞれお年寄りが居た。80歳から90歳ぐらいの人が家の前の狭い路を通る時すれ違うことがあった。お向かいの家並みにも何人かお年寄りが一人住まいをしていたが、真正面に顔を合わせたことがなく、いつの間にか消えるように居なくなっていた。時は移り、そのお年寄りたちがほとんどいなくなってから、若い組の人と顔を合わせたら立ち話をするぐらいの親近感が生まれた。その中で10年前あたりから様々な理由で居なくなった人たちは馴染んでいたのでそれぞれ思い出がある。ある人は他県に住む娘の家に行き、亦ある人は介護施設に入居と聞いて訪ねてもみたがコロナで会えず、その後は消息不明で生死もわからない。お花を植えている畑から持ち帰るときいつも一束もらったことややさしい物腰のその人のことを時々思い出す。すぐ隣はある日突然事故死されたご夫婦で、とても親しくしていたので驚きもし思い出も濃くて寂しい気がする。もう一軒のお隣さんは後から豪邸を建てて住まれるようになった。女優さんのように美しい女主人は、外出どきは和服を着ておられ、丁寧に挨拶をして車で仕事場に出かけておられた。その方もある日突然消えて未だに消息さえわからない。今居るご近所さんはほんの少しになり、しょっちゅう立ち寄ってくれるのはワンちゃんとその女主人で、あと両隣がたまに会うと話ができる間柄だ。この現状がいつまで続くか、今のことを過去形で残った者が話をするのだろう。そしてまた私も話される側にいる日がいつかはやって来る。そんなことを思うと、現在立ち話をし、笑ったりしていることはなんといとおしいのだろう。
2026.03.12
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これまではニュースやリアルの状況にあまり関心がなく、ましてや家族の世話が長い間続いたので目の前の事だけに目を向けていた数十年でした。一方精神的なバランスをネットでの個人的な交流や創作をすることに夢中になっていたので、そのおかげで不安を感じることもなく過ごしてきました。今は母と夫が亡くなり、娘二人は自立して家を出ているので現実の暮らしは自分ひとりです。これまで時々集まって会食しながらおしゃべりしていた同級生や、また長い交流のある友達と会う機会も少なくなりました。電話では話しますが、先方から元気に声をかけて来る人達も自分のことで精いっぱいのようで、ときたま私が積極的に行動する以外は交流の機会はありません。毎日午後からはネットで書き物の更新するほかは、テレビをつけ世界情勢のニュースや予約のドラマを観ていますが、最近のニュースは実に不安を掻き立てるものばかりです。朝起きてテレビをつけると、ローカルでは近々起こる想定の南海トラフ地震対策、世界では紛争のニュース、午後からのドラマの番組表は切った張ったの殺しのサスペンスが多く見る気がしないものばかりです。まだ外気は冷たいのでうっかり遠出して風に吹かれて写真を撮っていようものなら、風邪を引いてもいけないと思うばかりで、外出は近場の道の駅やスーパーで買い物をして帰宅ということになります。最近、旦那さんをなくした目の見えない独り暮らしの友達との電話を続け、里山へ行った折にはおいしい食べ物を買って家まで届けています。彼女はとても喜びその声が私にはささやかな元気の素かなとも思えます。老人たちはみんな不安な中を、自分のできる範囲で暮らしています。人生の終盤の姿は生命の自然な成り行きです。がんばろうなんて思わないで無理をしないで過ごしたい、そう思っているのです。
2026.03.09
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私の住んでいる住居辺りは静かな住宅街で町の観光スポットが近くにある。何の変哲もない月日が流れているが、ある時突然変わることもある。その一つに、数年前から計画されていた博物館の移転工事が始まっているが、今年になってその移転先の敷地に小さな建物が建った。壁色は黒で建物全体の内部が外から見えるようにガラス張りになっている。旧博物館の移転工事が完成されたとき、今建っている黒い小さな建物がどのように使われるのかはわからないが、外から見るといくつかのテーブルと椅子が置かれている。一見した所どうも自由に入れるみたいだ。建物の裏側には飲み物の自動販売機が設置してある。この販売機で飲み物を買って、中に入って一休みしてもいいのだろうか。なにもない広場には遊具が一つ、元児童公園にあった場所から移されて置いてある。お天気が良い日に小さな子供連れの親子が遊んでいた。公園で幼児連れの親子の姿を見ると一抹の寂しさを覚える。孫の手を引いて児童公園に行き遊具で遊ばせていたことを思い出すのだ。私は10年近く孫の世話をしに神戸へ行き来していた。自宅には脳の病気で療養していた夫がいて、私が居なくても安穏に犬の世話をしてひとりで暮らしていた。自宅に帰ると時々夫は妄想が起きてDVまがいのことをされるのでずっと神戸で住みたかったが、娘が帰るようにいうのでいやいや帰り数日を過ごした。こまごましたことは覚えていないが、記憶にあるのは神戸から帰るとき、前の晩から辛そうに泣きべそになっているちっちゃい孫のことが今も胸キュンで思い出される。現在の生活は自宅で一人暮らしだが、あの渡り鳥のような暮らしのことを思い出すたび、ひきこもごもの事が思い出されて胸が痛くなる。私も今より若く体力があったので、朝から体を動かし、仕事に行く娘を支援しながら神戸での一日一日が過ぎて行ったことなど、思い出されるのだ。今は娘も強くなり職場を取り仕切る立場にいて、孫は東京の大学に行っている。月日の経つのは年を経るごとに速いと感じている。あと何年自活してここで暮らせるのだろう。
2026.03.06
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一年に一度三月に総合病院の整形外科で骨密度測定をしています。これはほぼ三十年実施しています。始めたきっかけは友の会という全国的な生活勉強の団体に入会していたとき、地区ごとにわかれている私の最寄で骨密度を測ってみようということになりました。その時のメンバーのほとんどは年上の人だったので今はこの世にいらっしゃいませんが、その方たちがその後続けていらっしゃったかどうかはわかりません。私が最初に測定をしたのは近くの個人病院の整形外科で腕に巻く器具での測定でした。服用する薬は一年ほどは骨粗しょう症予防の薬でしたが、測定値が変わらないからとその薬は中止になり、ビタミンDの薬に代わりました。数年後個人病院から総合病院の整形外科に移り今に至っています。結果の説明していただく先生がずっと同じなのは院長先生なので転勤がないからでしょうか。総合病院なので骨密度測定専用の個室で寝台に横になり、20分ほど撮影という形で測定します。事前に採血、検尿、腰のレントゲン撮影もしました。結果が記載されている紙面には身体の各部位の数値が色別にわかりやすく表示されています。去年の数値と今年の数値が表示されていますが、今年は数値が上がっていました。同年齢の測定値は140%、全年齢の測定値も100%以上に上がっていました。ちなみに近所だった80代の女性は三年前にここを去りましたが、当時彼女の骨密度は68%で骨粗しょう症と診断され骨粗しょう症の薬を飲んでいるとのことでした。個人病院の整形外科を受診していた中年のころ、怪我をしたことがあります。そのとき将来、独り暮らしになれば入院ができない個人病院は困ると思い総合病院の整形外科に変わりました。先のことを考えて行動したことは正解だったと思います。
2026.03.02
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生まれてこの方色々な転機があったが、或る年齢まではそれは輝かしいものが多く、家族に祝福される未来への転機だったように思う。だが中年を過ぎてからは思わぬ転機を迎える場合がある。還暦前の男が突然病気になり会社を休職したり、家内の仕事を閉鎖すると、家族にとってはそれこそ天と地をひっくり返したような一大事だ。還暦を過ぎたあたりから現在に至るまでの間に友達や知り合いの訃報があり、その後の生活は一変したと彼女らは涙を零しながら言う。さて、男も女もお一人様となると早速変化があるのは食べることだ。二人分作っていた食事の準備は一人分になり、食べきれず捨てたり、もったいないと二度三度に分けて食べたりするという者もいる。今日の生協の注文書を見ていたら、夕食の宅配注文書が交じっていた。料金は自炊するより安くつき、品数も自分の食事には多すぎる。味はどうなのかなという疑問が湧く。ああ、弁当で済ます生活にはなりたくないという気がする。長生きしなくても良いから自分の好きな物を少し食べるのがいいとさえ思う。四年前に家を売って他県に住んでいるご近所さんがいるが、こちらにいる数年間を友達と弁当を買いに行って二人が夕食にそれを食べていた。まだ七十代だったと思うがそのほうが良かったのだろうか。自宅でほかほかのご飯を炊いて、煮物を作り魚を焼いて、あとでお茶漬けをするという簡単な食事でもそれのほうが自分には合っている。
2026.02.21
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日増しに温かくなるので庭の花の蕾が次々開いていく。特に水仙の蕾の膨らみは口の中にとんぐりを頬バッタ様に似ていて、他の花なら撮らない花の蕾を撮りたくなる。先日は黄水仙の蕾の写真を撮ったばかりだったにもかかわらず、昨日ぽっこり花が開いていてとっても可愛らしい。いつも芽を出す場所に三本の黄色くて大きい花が今朝もしゃんとして咲いていた。どうやら温室の中の脇にも一列に並んで三、四本咲いているようだ。去年はこちらの黄水仙を撮ったのを思い出した。この簡易温室は畑の中に作ったものだが、元々葡萄が実をつけ始めたのと、水を嫌うトマトを植える為に作った。今は水分が足りなくてからからに乾いた落葉が散らばっている。まだ二月だから庭の真ん中からどの方角をみても良い塩梅の写真の構図は無理だ。梅の古木と鉢植えから移植した紅梅の写真だけ撮ってネットにアップした。敷地内の隅に作っている狭い畑にはすす病に罹って幹も枝も真っ黒になったポンカンの木がある。実は20個ほど生っているが近寄るとすすが付くので採っていない。先日ともだちが来宅したとき持って帰ってくれたが、まだ残っている。病気にさせてすまないという気持ちである。三月一杯でなんとかしなければと思う。
2026.02.19
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最近もやもやが払拭されて淡々と部屋ごもりの毎日を過ごしている。なにがそうしたのか思い当たることを考えてみたら、これかなということが浮かんだ。まず前向きなことを上げると;相当早起きが続いていること。これは決めてしていることではなく自然体で早く目が覚めてしまうだけのことで、昼の空いた時間に仮眠をとって埋め合わせをしている。運動はこれといってしていないが、体は結構動かしている。独り暮らしなのですべて自分がやるから動かさざるを得ない。リビングに新しいお気に入りの白木のテーブルを買ったから掃除がしやすくなって、掃除嫌いの自分が掃除機をかけた後に拭き掃除までしている。これができると、次へ進める。もともと洗濯は好きなので一日二回は種別でやってる。お天気がいい日は最高にうれしくて庭の物干しにこれも場所が決まっていてきちんと種別に干す。昨日はジャガイモの植え付け迄した。そういえば最近腰痛が起きないナーどうしたんだろ、腰痛さん。朝は元気があるからわりと料理を作る。作るといっても大したもんじゃないけど、煮物とか和え物、魚の味噌漬けなど。食生活が前向きになったかな。生活勉強会に在籍中はまじめに出席していたから食生活のグラフを提出していた。青菜を一日一皿、60グラムだったかな。やめてから何年も守れなかった。とにかく野菜は少ししか食べなかった。その代わりカロリーが過多になるほど毎日毎日旬の果物を食べた。旬の前の早い時期から苺、次は出始めから西瓜。これにはまいった!毎日中毒のように小玉の4分の一ずつ食べたが、その食べ方が普通と変わっていて、朝食の始めに大皿に大きく切ってその上に砂糖を振って食べる。喉ごしが良くて、じゃあご飯食べようかなという気になっていた。これ悪いんじゃないのと思ったけど、やめられなくて旬が終わってもしばらくは探して買っていた。ま、そんな生活だったから気分も偏っていて、気になることがあると執着しうつうつとしていた。近頃はすっきりしている。切り捨てという観念が少し実行できるようになったことと、もうひとつは自分の軸ができつつあること。これまではありのままで、がモットーだったけどそればかりではだめだと思いだした。すこしずつだけどもっといいことを追加していきたいなとおもう。
2026.02.14
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去年は好天続きで冬らしくない年末を迎えた。ことし令和八年になって、二月には薄い積雪の庭を見ることができて写真も撮れた。雑然とした庭全体が白で埋まっていると少しはましな庭の写真となり、どのサイトにも投稿できてよかった。春の雪といえるこの軽い雪景色は言葉ではきれいだが、やはり庭を歩くにも身が縮む寒さを感じた。去年の夏は異例の猛暑で大変な思いをしたが、滅多にない雪の日の寒さも心身に堪える。天気によって左右される気分は現在の年齢では顕著である。当時は楽しかったsnsも今は左程でもなく、籠っている昨今毎日何をして過ごしていたのだろう。旦那さんが年末に亡くなった同級生の友達を励ますことで自分が励まされたような気がした。12月半ばから毎日欠かさず電話をして、まるで自分の安否を確認するかのようだ。目の見えなくなった彼女が独りで生活していることを考えると自分も頑張ろうと思う。フェイスブックに流れてきた言葉の中に、「自分に軸を持つ」ことが根本の心構えだと書かれていた。これまでは頼れる人が家族を含めて、リアルの友人、snsの中で密に交流していたフレンド達がいた。今は母や夫もいなくなり、助けてくれた友人も亡くなったり病気になったりで声を聴くこともできない。女性の友達はみな自分のことで精いっぱいで、むしろ自分が能動的に関わらないと成り立たない関係になった。最後は自分の軸に頼るしかない。自分の軸としてなにがあるだろう。考えてみたら、目に見えないふわふわしたもの…そんな気がする。自分の中での遊び感覚。私は気持ちの中でも行動でもいつも遊んでいる。つまり好きなことを考え、行動しているということだ。買い物もその一つ、先日新しく外出用のバッグを買った。
2026.02.10
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