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カテゴリ: 映画の話
オダギリジョー主演の、話題の映画を観てきました。

あの橋を渡るまでは、兄弟でした。

東京でカメラマンとして成功している弟が、母の一周忌法要に故郷へ帰るところから、物語は始まる。
実家では、家業のガソリンスタンドを継いで父と共に働く、やさしく実直な兄が迎える。

しかし、スタンドで働く兄弟の幼馴染の女性と、三人で出かけた渓谷の吊り橋で事件が起こり、兄弟の運命は大きく変わってしまう。
橋から谷底へ落ちて死んだ女性。
事故だったのか、それとも彼女は、兄によって突き落とされたのか?

やがて兄は、弟の前で、それまで見せることのなかった別の顔を表しはじめる…

ゆれる


弟を演じるのがオダギリジョー、兄を演じるのは香川照之。

人間、つきあいが長くなってくると、それぞれの持つ性格や置かれた状況によって、何となく人間関係の中に「役割分担」が出来てくるものです。


Aおじさんは酔うといつも長話になる、BおばさんとCおばさんは仲がよくない、いとこのDちゃんは黙って誰よりも働く、そしてうちのお父さんは…みたいな(笑)

そんな中で、気がつくと、得な役回りと損な役回りの受け持ちも固定化されていたりする。
誰も、表立ってはそれを口に出さないけれど、実はみんながそのことはわかっていて…

こんなことは、誰にだって思い当たることではないでしょうか。
自分が「損をしている側」と思うか、「得をしている側」と思うかは別として。

東京と地方都市、フリーランスの華やかな仕事と地味でしんどい家業、女性にもてるかもてないか、得をしてるか損をしてるか…
ある意味、典型的で安易すぎるほど対照的な、二人の兄弟の状況。

ある一瞬の出来事をきっかけに、この兄弟を中心にした人々がずっと、当たり前のこととして受け入れてきた役割が、大きく変わっていく。
その描写に、この映画の力点は置かれています。主演の二人以下、それぞれの演技の力には圧倒されました。

要領よく、都会でクリエイターとしての人生を満喫していたはずの弟よりも、田舎で地味な生活を繰り返していた兄の心の方が、はるかにアナーキーだったという逆転の構図に、ぜんぜん絵空事の匂いがないのはすごいと思う。

映画の中で、登場人物同士はお互いの内面のぶつかり合いに激しくとまどい、傷つくのだけれど、客席で見ているこちら側は、一人ひとりの言動に

と、いちいち納得してしまう現実感があるのですよね。

むしろ、あまりにもその設定や描写が真っ当、正攻法すぎて(こんなことは、ありがちなことだよね)と思えてしまうくらいでした。全然ありがちじゃない事件がストーリーの軸になっているというのに、不思議なことですが。

やさしい気の置けない人が、気持ち悪い人になってしまう瞬間。
抱きしめたいと思った人が、面倒くさい人になってしまう瞬間。
そして、信じていた人が、信じられない人になってしまう瞬間…



お互いの関係性が変化する様々な瞬間を切り取って観察して、それだけでここまでドラマは作れるのだ、それほど人の心というのは、怖くてきれいで奥が深くて訳がわからない。
そして、面白いのだなあ!ということを再確認できた作品でした。

いくつか、惜しいな、と思う欠点もある映画だとは思うけれど、それでもこの作品がここまで支持を集めているのは、今の日本で生み出されている人間ドラマの数々が、あらかじめ規定された役割分担を誰も踏み外さない、あまりにも薄っぺらなものに満ちているからなのかもしれません。

最後の5秒、あぁ、この後こんな風に終わってほしいな、と思ったその通りに映画の幕切れが訪れてくれたので、その点非常に満足でした。





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最終更新日  2006.10.03 10:30:29
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