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2011年02月26日
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カテゴリ: 法論
参照
回答
王法とは何か?その1 富士川一郎さん
 まず、過日の文章には失礼な部分があったようで、口の聞き方については陳謝申し上げます。
 今後は束帯に襟を正して回答して参ります。

>>三大秘法抄の「王仏冥合、王臣受持」の文、これ国家を意識し、遺命の戒壇が「国家的戒壇」であると拝していますが、富士川さんはどうですか?

 まったく違いますね。何故なら王法にも王臣にも国家と言う概念が存在しないからです。
 まず、王法とは何か?
 貴殿はおそらく王法=国家だと速断されておるのだと考えます。
 それでは、日本伝統の天子様における王法とは何か?
 これは、たとえ時代が摂関政治であろうと、将軍時代であろうと、現代であろうと変わらない天子様のなされている事で考える方が分かりやすい。


 ちなみに関白とは「国家の政治などの雑務を天子様から関(あずか)り白(もう)す」と言う意味であり、天子様が雑務にとらわられずに、本来のお仕事である国家への祈り(これこそが王の法であります)を行うためのものです。


その2 富士川一郎さん
 つまり、王法とはまさにこれら国家の祈りに他なりません。
 たとえば、天子様は毎日お起きになられると、西海沐浴を済まされ、御代拝をお待ち申し上げる。これを毎日一日も欠かさずに行われている。
 さらには四法拝など、枚挙に暇が無い。
 まるで、大石寺の御法主上人が一日も欠かさずに丑寅勤行を行っているのと同じであります。
 この両者が自然に溶け合う姿こそ、王佛冥合であるなら、国家や政治などという低次元な部分に拘るべきではない。
 いうなれば、本来宮中のかしこどころ(三種の神器が祭られている)へ行っている事に宗祖の仏法の根幹たる御本尊様を御安置申し上げれば、まさに宗祖の仏法が王の法に溶け合った姿に他なりません。

 そしてもしもその天子様が願主となり戒壇が建立されるなら、国主が建てる戒壇なのですから、「国主立戒壇」の方が自然ではありませんか?

 そもそも、明治維新こそ天皇陛下が天上から下に降りさせ、恐れ多くも元首などにし、統治主権、軍隊などに担ぎ出した不自然な形態なのです(私は明治維新こそ日本国の伝統を踏みにじった薩長による御不敬行為だと考えている)。


 そもそも、我ら下賎の者が天子様のお振る舞いに干渉するべきではない。それは時の御当代上人(石山では古来御簾の上人と呼ばれ、将来天子様の国師になられるという伝がある)がお考えになるのです。
 それを浅井を含む一介の在家信徒が語ることこそ御不敬極まりないというのが小生の持論であります。


その3 富士川一郎さん
 もう一度書きますが、そもそも一期弘法抄には「国主この法を立てらるれば」とあるのですから、無理に“国主”と言う言葉から“主”抜きをする“国立戒壇”と言う言葉が正しいと言うのは宗祖への御不敬行為ではと感じる今日この頃です。






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最終更新日  2011年02月26日 22時50分51秒
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