2004年10月22日
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カテゴリ: 時事
ある日記より
我が子に『死にたい』と言われたら
家庭におけるコミュニケーションと非行の実態


『 近年日本国内で増加している常習的な万引き、援助交際、プチ家出、薬物使用などは、一見するとごく普通の子がごく普通の感覚でやっていることが多いそうだ。さして悪いとも思わずに、簡単に非行に走っては、親も知らないところで深みにはまる。そのような子は総じて「寂しい」子だという。』

 これって、佐世保のネット殺人の子と似ている。
 あれは一見明るかったが、事件前を見ると淋しい子で、鑑定結果では人間関係の成長が未熟。

 ただ、「寂しい」とは結果論のようにも思える。
 バカなことをしてしまった→認識不足だった→現実との交流が少なくて、寂しい子だった、・・・いくらでも後から言えそうだ。特別そういう子だったとあてになるのかな。

 わかってほしい・・・という気持ちのせいか。

 しかし、わかってもらえないと自分がなくなりそうで、かんたんに『死にたい』という表現を使う子が多いらしいが、頭でっかちというのではなかろうか。
 わかってもらえないのが苦い――だからなんで命の問題になるのだろう?



 わかってもらえないと自分がなくなるその思いとは、世界を良くするような思いではなさそうな気がする。つまり、価値あると思う思いがふさがれてるのではなくて、「思い」を手に入れたいという思いがふさがれている苦しさではと想像する。
 「寂しい」とはそういうことでは。
 だから、小学生から自殺しかねなかったりするのでは。

 前出日記のコメントでは、 『「あなたが死んだらお母さんも生きていられない」と言ったら、「えっ!?」と驚いていましたので、「死」の実感はないものと思われます。』 ということなので、 「ものを思う」ということについて知らないのに知っているつもりになっている、と言えるだろう。

 あまり、子供にあれこれ説明してわからせなきゃいけない、と思うよりも、「大人にもよくわからないけども未知の心やあり方はいっぱいあるのに、かんたんに生死を決めるなんてバカ」 と達観を伝えた方がいいのでは。
 子供が共感してほしいのはわかるし必要だろうが、別に未知への畏敬や達観を教えるということはないのだろうか?



「佐世保小6HP殺人」私的総目次
子供問題






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最終更新日  2004年10月31日 15時25分31秒
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