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4日あさ9時半より碧南がで教育をよくする会幹事会を行う。前日の伊良湖海軍慰霊祭や名古屋での流れる雲よ演劇鑑賞の件を報告、ほかに最近の三ヶ根フェスや関口先生慰霊祭の様子や陸軍墓地清掃の様子などの報告を受ける。討議として各地の建国祭計画現状や土日の両殿下奉迎の計画予定、月末の三島先生慰霊祭である憂国祭。前日の四日市での森田必勝先生慰霊の野分祭への参加につき報告などをなす、最近ご参加くださるようになったSさんがシドニー湾で亡くなられた特殊潜航艇の伴艇艇長伴勝久中尉の係累の方と知り大いに驚く。「終えて三ヶ根作業に向かう夕刻友の訪問を受け奉迎計画や香港支援のための学習会開催チラシの印刷などを行う。5日朝6時からの蒲郡倫理法人会のモーニングセミナーに参加。その足で三ヶ根清掃、9時半に幸田町貴嶺宮中正神社例祭に3名で参加、私は参拝後に岡崎にすぐに向かい10時からの建国祭実行委員会に滑り込み参加。2月11日当日の詳細検討に参加、チラシの修正などを討議 終えて西尾にて三ヶ根だよりの最終原稿チェックに入るがなんとパソコンが開かず大苦戦。結果パソコンレスキューさんなどに修復操作を伺うも動かず、岡崎の修理屋さんのグッドウイルさんに走るが修正困難。どうも画像が多すぎてすぐには修復困難とのこと。いろいろ試していただいたがまだ時間がかかるようでパソコンを預けることに。その後に保険屋さんに先日のアパート水漏れ事件の写真撮り作業に同行。 終えて三ヶ根に再度戻る。夜真っ暗になる中、車のライトをつけて通路の土撤去作業。夜雨が降り出し帰宅準備に入るとパソコンが一部修復できたとの報告をうけ再度西尾に走り原稿編集に参加することにしたがやはり止まってしまい今日は編集断念。帰宅。 もう6日になってしまった。朝3時か。ながい一日であった。
2025.11.06
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昨日、自宅でいっぱいできている柿とナスをあえる人に配る準備をして車に積み込だ。まずは名古屋熱田神宮。入場を待つ車で大渋滞。周辺を回りやっと私の順番になったが許可書なき来る車は入れない。残念ながら日の丸会主催のパレードには参加できず。急いで伊良湖の向かう。伊良湖岬は渥美半島の先端で3時間かかってしまう。海軍慰霊祭に遅れて参加した。昨年に続けての参加である。竹上裕子代議士一行もさんかなされていた。 昨年から、以前は5月に行われていた三ヶ根青空フェスティバルが11月3日なされることになり私は海軍慰霊祭に参加することにした。 明治節(明治天皇誕生の日。文化の日に改名))奉祝は明治の精神の恢弘する意味を込めてさ木口長太郎先生慰霊顕彰会をなすことで行ってきたが、様々な経緯で昨年から日にち変更。フェスティバル実施はこれまた三ヶ根活性化のためには実に好ましいことで昨年は私もテント二張りを提供、ゆうとぴあの仲間も誘導やテント貼針などの御手伝いに参加させていただきフェスティバルも午前中楽しませていただいたが今年は名古屋熱田神宮息が入ったので不参加であった。盛況であったそうで何よりであります。 伊良湖慰霊祭後に再会した友らと懇親。 急ぎ車にて名駅のウイル愛知にて開催された流れる雲よ公演をみる。2度目ではあるがおおいに感銘をうける。帰宅して国旗降納に回る。 妻の病状も回復。ありがたいことである。今からは三ヶ根作業に。がんばらねば
2025.11.04
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昨日は読経を終えて夜明け前に三ヶ根作業、急ぎ名古屋駅前名鉄グランドホテルにて食事会に参加新聞社の方や、代議士の方士の方らとも親しく懇談させていただいた。2時半より平成塾の講演会に参加・いつもより参加者も多く活気があってよかった。皆さんに最近の三ヶ根の様子を報告させていただく。。させていただく。7時に帰宅。今日の関口長太郎先生顕彰会の式典テーマの横断幕と会場入り口の立て看板を作ることを急遽頼まれ急いで作成。講演者の演題や紹介文の詳細を伺っていなかったのでその看板は事務局に作っていただくように要請。しかし前日しかも夜に看板作成を頼まれるのはきつい。何とか作り上げて夜中にお持ちしたが皆さん多忙とは言えもう少しじかんがほしかった。 その顕彰祭、私は豊橋の陸軍墓地清掃と合同慰霊祭に参加せねばならなかったので関口先生慰霊顕彰祭には参加できなかった。何しろ今回が15回目であるが昨年と今年の二階続けて式には不参加となってしまう、これはさみしいことだがあまりの行事の多さに致し方なき事やもしれぬ。しかし気になって仕方ないため式典会場の記念碑前の清掃はかんぺきになしておいた、やおはかのまえの墓標作成現状を見に行ったが設置されていないのに驚愕。急遽小さな看板を作成して墓前祭開始までに設置しようと夜中に持ち込んだ文面はご住職にお任せしてあったため勝手に記載できず、墓前法要直前に板に記載していただくことにし車に入れtママにしておいた。何とかその時には会場につく予定でありまにあうだろうとちの判断。結果ご住職が作成くださって掲示が当日にできたようだ、関口先生の業績を記載した案内板はしかし見ずじまいである。昨日は夜中に長太郎先生がらみの作業のため仮眠のみ。私は朝7時に家を出て豊橋陸軍墓地清掃に参加、もう自衛隊の皆さんらが清掃にはいってくださっていた。急ぎ私も参加、 8時半ころかもお方の皆さんが集合されいよいよ全員で清掃作業、9時から正式に会がもたれおよそ自衛隊員とそのOBの諸団体の方およそ100名とわれらが20名ほどで一気に清掃に入る、10じころにはすっかりきれいになっていた、式典開始実に厳粛で武人の動きの機敏さに感銘。豊橋陸軍墓地の年一度の国文との合同慰霊祭も定着、うれしき限りである。今日は中学生のメンバーも5・6名参加してくださっていた、きっと良き体験として残ることだろう、ご苦労くださった皆さんには本当に感謝るのみであります、急ぎ三ヶ根に走り打ち合わせ会。なんとゆうとぴあに数人で清掃しに来てくださった方がみえる、企業をされている方で入り口には花いっぱいの八が2つもおいてある、プレゼントだそうな、様々に店舗改良の指示を下さり皆さんでさぎょうをしてくださってもいる、私は経で退職の方に退職金代わりに購入したせんべいオオバコを差し上げる。急ぎ下山して西尾の関口長太郎先生講演会に走ったがすでに終了、茶話会からは参加できた、三ヶ根に戻り日没まで土木作業。夜10時より国旗掲揚に走る3めいにてじっし、しかし妻から急病電話が入り中断して急ぎ帰宅、連休なのか医者が手配できないようで、救急車に来てもらっても受け入れ病院がなく結果痛みも何とか耐えられる状態になったようで帰っていただく。様子を見て私は国旗掲揚の続きに入る。いつもより掲揚場所を狭めて先ほど帰宅。今から名古屋熱田神宮さらに渥美半島先端の伊良湖での海軍慰霊祭さらに三ヶ根での青空フェステイバルの激励後名古屋にてよるの流れる雲よの顕彰に行き帰宅して国旗降納よてい。
2025.11.02
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あさ 経をあげてから母の実家に妻を連れてご挨拶に行く。大農家、広大な畑に様々な野菜を作り出荷されている。我が家とは家の格式が違いすぎる。我が家は村一番の貧乏百姓で田畑は2反しかなかったので母はよくかわいそうな子だと実家ではよく言われていたようだ。19歳で我が家に嫁いだ時父は21歳。長男ではあったが貧乏暇なし、実家に恥ずかしくないような百姓家にしなくてはと私の祖父はそれはもうよく働いた、 息子夫婦のため、さらに子だくさんだった為、娘らを嫁がせたり養女に出したりと大変な労働である姉や妹たちを嫁がせるため働きづめ。仕事をいくつもかけもちで行い弟たちにも家を持たせるまでにしそれから我が家のこともなした。 田を一人前に持たねば法要などで母の実家に行っても肩身が狭かろうとつましい生活の中でも田畑を購入。母は占領期に結婚して働き私の幼児期はわたしを大黒柱にばりつけて動かないようにして畑仕事をしていたようだ、2キロも離れた畑に幼児だっ私が歩いて母を求めて来てしまったことなどよく聞かされていた。 私が中学生になったころには10反を超える田畑もつ家にまで成長していた。無論私も。無免許で耕運機にのり牛の餌を畑に取りいったり押切でわらを切ったり、手で乳しぼりをしたりと手伝わされた。 母はよくぞまあ父と共に働いたものだと今更のようにおもう。私は両親の目から見れば知恵遅れのはずかしい子供だったようで母も実家にはたまにしかつれてれて行ってはくれてなかった、いった時には豪勢な家のたたずまいに彼我の違圧倒されていた、 私の母が昨年93歳で亡くなって我が家では母が直前まで耕していた畑の世話を妻が楽しんで行い始めた。ナスやネギやスイカや玉ねぎなどを喜んで楽しみながら作る。 そこでおそらく初めてか、母の実家の畑に連れて行った、広大な畑にびっくりしたようだ。ナスもう終わるからどんどん取っていってといわれ100個ほどをハサミで切りほか里芋だの薩摩芋だのをいただく。 コメも我が家は農家でありながら、値打ちだったので30キロを買わせていただいた。町育ちのサラリーマンの家でだった妻にとって立派な農業をされている様子を見てカルチャーショックを感じたようだ、さっそくは帰ってすぐに畑仕事を手伝わされた。いただいた薩摩芋はすぐにてんぷらになっていた 私がにいるなどめったにない。理由はこの雨とさらにはアパートの草取りや店舗の水漏れ対応のため。三ヶ根作業をあきらめなんと一日中家近辺にいた。 水漏れ事件の原因はすぐ上の階の部屋らしいが、昨日は3軒の水道業者に頼んだりしたが何ともならない。 ビルを建てた業者には上の階の方が引っ越しするかアパートの別の空き部屋に移動していただいてからコンクリの床をはつって見てみないと原因がわからないから対応無理との返事。 もう4階建アパートを解体し立て直そうかとまで妻と検討までし始めた。しかし忙しい中、長年世話になっている建築屋さんが町内のアパート管理業の方 から電話で応援要請を受けたといって我が家に来てくださった。 3時、4時半5時と3度にわたって水道業者を連れて来てくださり上下2軒の水回りチェックに入りおおよその原因を突き止めてくださった。 あたっていればこれで解決に至るだろうと一安心できる。 持つべきは信頼のおける友や業者。つくづく思う。今朝はまもなく三ヶ根作業、朝10時に岡崎を発ち名古屋で豊国平成塾の皆さんと12月13日の松井石根閣下慰霊顕彰祭の打ち合わせ、さらに2時半からの学習会。 それまでに三ヶ根作業を進めねば。
2025.11.01
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朝6時を出て三ヶ根作業に出かける。主にゆうとぴあ羅パールセンターに抜ける道路をまともにする作業を行う、 バイクでお越しの皆さん8名に案内が来た、静岡の方たちであります。皆さん愛国者で実に気持ち良く案内ができた。アスファルト道路の上に積もった土屋萩こる先除去の五ともていてくださった。お礼まで言われて恐縮した、ほかに名古屋の方で予備自衛官体験者とも親しくお話しできた、うれしいひであった、3時より下山して三ヶ根便り作成予定がテナントの水漏れ対策で自宅に呼ばれて急ぎ帰宅。夕刻6時まで対応に奔走。水道屋さんもお手上げ状態、その間私は屋外の草取りなんと野洲ゴミ袋大袋 7まいにもなった、夜、いとこのを訪問。豊国平成塾講演会の打ち合わせなどをなす。夜10時修正前の三ヶ根山季節だよりを柄取り校正作業、
2025.10.30
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殉国七士廟ご参拝のバス旅行の御一行様にご案内させていただく。静岡からの皆様。ご一行様に七士廟のご説明をしてさらに比島観音様の慰霊碑のご参拝をお願いすると言ってくださるとのこと。よって同行し士魂の碑を中心にごせつめいをする、たまたま朝我が家で色づいた取りたての柿、およそ40ほどをを車に積んでいたので、皆様にプレゼントさせていただく。 さらに大和ツアーの皆様5名が参拝に来てくださったのでご案内。皆様研修の中に三ヶ根をくみこんでくださっていた、ありがたきことであります、 「ゆうとぴあ」と七士廟とは車で3分ほどの距離があり、今の作業はゆうとぴあ周辺の道路に茂草木の撤去。よって七士廟へはなかなか行けないでいたので今回のガイドはたまたま実現できたもの。案内と美化作業を両立するには常時無償ボランティアが最低3名はいなければならない。とても一人でこなせるものではないが致し方ない。 夕刻から三ヶ根便り編集。しかしまたも未完成のまま会は時間切れ閉会、作業はよく翌日へ。通信発行費用もままならぬ。三ヶ根作業だけで済まず他の行事も同時並行、突然片足が動かなくなるアクシデントが。土嚢袋を作成し運び込む作業がきつかったためか。さらには車の操作に無理をさせてしまい車の後ろドアにロックがかかり急いで車屋に、時間内に到着できたので直していただけたがその時間は三ヶ根は作業中断時間。仕事がどんどん遅れてしまう。それから町内作業、市政だよりの配布、。ああもう朝4時急ぎ町内の寺のオブく産を用意して読経奉仕をせねば。終われば三ヶ根直行。急がねば。 何とか足の痛みは和らいだ、ありがたい
2025.10.30
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トランプ大統領と高石総理の会見はうまくいったようで一安心。安倍総理の偉大さをおもいかえす、ノーベル平和賞推薦などなかなか総理もおやりになる。公明党さんが政権に長くいたにかかわらず国家を担うに足りる思考力や国際感覚を身に着けえなかったことが残念だが、維新が連立に入り少しは国家の防衛が進みそうな気配、さらには神谷党首率いる参政党。ここの若者たちの愛国の熱意はすごい。国の変革には5パーセントの同志がいればできると学生時代葦津珍彦先生のご講演に感動し今日まで至るが、このこと言葉が鮮明に思い出される。 日本は復活の時を迎え始めた。日々わくわくする。 トランプ氏が靖国参拝してくれれば一気に日本人の意識もまともになろうが。陛下にお会いできた喜びをトランプ氏が心底感じてくれればアメリカもまともになろうが 昨日町内物故者の慰霊読経を済めせてのゴミ捨て、終えてゆうとぴあに向かう、廃墟となっているパールセンター前の草などの撤去を進める、さらにそこからゆうとぴあまでの道路に堆積していた土砂撤去や道路入り口の雑木や繁茂するササの刈り取りもほぼ完成。道路の海側の草がまだ20メートルほど手付かず。急ぎ刈り取りをして道路幅を倍にしたい。おそらくこの道路は西尾市へのの合併までは町道だったと思われるが今は地権者が不明。払い下げになったのか市道になったのかよくはわからない。しかしアスファルト面が出てくるので土砂や草などを撤去すればバスが通れるほどの道幅になしえるでしょう。ここにも大きな石やガラが出るわ出るは、一年ほど前には覆いかぶさった小枝や土砂やツルなどを取り払うとしたからつちさびついた冷蔵庫や洗濯機や一斗缶も30缶ほどあり鉄板やビニールシートなどが大量に捨てられて撤去。粗大ごみの捨て場所にされていたような状態であった。くさった何十本の竹や木々や土砂に覆われていたから見えなかったが。その場所はきれいにしたが今回はそこにつながる道の草取り。まああの時ほどのゴミは出てはこないだろうが、また私のブログにどなたかが匿名でお前が来るまでは石やがれきなどの放置などはなかった。お前が来出してからこうなったと書かれた方が見えた、まあ世の中様々。三ヶ根の美化に関心を持ってくださっていることには感謝しなさいと妻の言。来春のサーキット開催までには三ヶ根山を少しでもきれいにしておかねば、あと一週間で立派な道路に戻せるのではと連日頑張りたいものだ、」今日もよがあけてしまった。町内物故者の慰霊読経を済ませゆうとぴあに向かう。
2025.10.29
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三ヶ根山大山寺ご住職に故長岡和慶石仏師のしのぶ会および追悼集の作成の件を話に行く。わらべの小径の場所設定は和慶先生のお気に入りの場所でもあったし30体を超える石仏がこの三ヶ根にあることよりその呼びかけ人として最適だと思う。あと残っている石仏の保管場所を提供して下さらないかとも要請をさせていただく、何とか考えてくださるようである、 三ヶ根山の案内をさせていただいた方と大いに意気投合。大阪の方で殉国7士のこともよくしってみえ、実に話しがいがある方、どうしてもここに来たいと奥様を説得してきてくださった。尖閣にわたろうとしたことなどを思い出しながら歴史を語った。瞬時に友となる喜びをかんじたのである。私は今はゆうとぴあ前の通路の整備に必死である。その合間に七士廟のようすをみにいった時にたまたまいらしていたかた。実に幸運というべきであろう。 司法書士に来てもらい私の会社二つを一つに合併する作業をしてもらっているがその最終段階のうちあわせ。新スタートであり気力がわきいでる。定款作成費が高く閉口するがこれもよき機会。心新たにすすめたい。 月末から三ヶ根案内の希望がおおくなっている。国思う皆さんがふえてきたようである、ネットの普及の成果であろう。総理の交代が日本人に夢と希望を与えたのであろうか。トランプ氏来日、大いに期待したい。
2025.10.27
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護国神社に参拝。毎月解脱会の皆さんも第4日曜日にお越しになり殉職警察官の慰霊碑を清掃奉仕くださっているのを知る。気にかけていたが実にありがたき事。ご参加くださっていた方々は10名以上。 西尾市でも西尾小の庭の一部に殉職景観慰霊碑があるのを思い出した。関口長太郎先生の慰霊碑の隣。私どももこれからは奉仕させていただかねばと反省。12月13日に開催する松井石根大将慰霊祭の実施について神主さんにご参加をお願いしてお受けいただけることに。のち喫茶店にて推進くださる方と当日の諸準備につき打ち合わせる。 実は今日は大和隊久納隊長慰霊祭当日であったが祭礼時間を間違えてしまっていた。開始が1時半だったので先に参拝を済ませ宮司様に玉ぐし料を託させていただき急ぎ三ヶ根会議に戻ることに。三ヶ根についたのは1時。会議開催には間に合った。先日の星を見る会の総括や今後のアユをいただく会の計画㎥さらに門松つくり会の実施などの計画を話しあう。69歳でお亡くなりになってしまった長岡和慶仏師をしのぶ会や追悼冊子の発行の可能性などをも検討。元旦の三ヶ根初日の出接待の計画などをする。今年もゆうとぴあは大晦日の夜も開きますが去年のようには故森永さんの店は開けないそうで対処が大変困難な情勢になりそう。店主さんが夜は三ヶ根には来られないとのことで射tら仕方ない。代替案の検討をしたが妙案がうかばない。次回には決しなくては、大きな課題であります、 終了後に花壇整備、雨のなか、しかも日没。大した作業もできずに下山。もう朝4時半か。オブク膳をお寺に供え町内の物故者慰霊の読経をすませて三ヶ根に向かいたい。今の作業は業者が2社とも見積もりで50万掛かるいった作業。金はあろうはずなく2週間ほどかけ手作業で完成はしたがまだまだ周辺部が未完成なんとしても急がねば。
2025.10.27
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あさ浄土真宗の大谷派の事務所に行き「組」からの退会を申し込む。なかなか難しそうであるが志納金という名でお世話になったお礼を払わせていただく。まあ組織内での処理上のことらしいが金額も大幅に減額され不思議な感覚。ご住職無き寺認定がある「寺」という特殊な村落の「説教所」ですのでいち付けが難しいようだ。無論門徒として両親の月命日には所属している旦那寺のご住職にはお参りしてもらっているがこの「組」組織にはお世話になっている感覚なく退会も困難とはなかなか難しきことのようだ、豊橋陸軍墓地に走る、墓地の数か所でへこみがあり昨日の土嚢袋10袋ではとても足りなかったため新たに10袋を運び込みとりあえずの修復終了。西尾の三ヶ根山に走る。長年の土砂や落ち葉や枝が大量に通路に堆積しているためその撤去。何とかあと200袋ほどの土嚢袋に詰め込めばきれいになりそう、この土には大量のカブトムシの幼虫が生存しているため一袋当たりおよそ5匹ほどの幼虫が。はいっている。育ててくれる人がいればよいのだが、小雨の降る中5時半になったので明日の星を見る会の準備に入る、天候は曇りの模様、結果野外での星空観測はやめ、ゆうとぴあさんの室内で映像を見ながら学習することに決める、 明日が楽しみであります。
2025.10.25
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総理の活力ある日本再生の方針を見て私も活動の目標をかきしるすことに ⓵郷土の偉人の顕彰。 西尾市では芝山巌台湾教育にかかわる関口長太郎先生の慰霊顕彰祭が今年も11月2日に開催されます、同様に各市町村でも偉人再発見も推進し慰霊顕彰作業に着手しなくては。最低限、祖国防衛に立たれた英霊の慰霊祭は全市町村にて開催しなくては。岡崎では志賀重昴先生の顕彰も新たに成し遂げたい。戦艦大和とともに 撃沈された巡洋艦矢作鎮魂や昨日の葬式という悲しき別れをした現代の名工長岡和慶先生のしのぶ会、ほかにも多くの偉人顕彰の責務がある。、 ②建国記念日奉祝祭の県下全域での開催のめど作り昭和天皇が日本の再建に向けてご下命なさのは早期の紀元節の再開日本人の精神復興のために紀元節の復活を目指され、天智天皇の御代に学ぶようにと近親者に学べとご指示になられた。国民に紀元節の理念に立ち戻れと訴えられたのです。昭和二一年の御製も降り積もる深雪に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ並々ならぬ思いを国民にお示しになった。この二月建国の日には愛知では10か所以上。来年は昭和101年。昭和百周年総決算の年。全市町村での建国祭を実現したいと願う。今年は三ヶ根では100年のきねんしょくじゅをしましたが各市町村で100周年記念植樹をしたいもの。愛知ではまだ三河の地にしか建国祭が開催できていない。それを尾張にまで拡張していくめどを立てなくてはなりません。そのためには各地での地域活動は不可欠でありましょう。同憂の人士を募りその時に臨みたいものです。 ③国旗掲揚運動の推進議場での国旗掲揚が増えたとはいえまだ市町村全体では多数の不掲揚自治体が。今年中に尾張の議会での国旗掲揚を徹底してなしとげたいちなみに東三河西三河はほぼ100パーセントの掲揚実現。そのほとんどの市で建国祭も実施予定となってきた。県内市議会での国旗不掲揚は半田市・知多市・春日井市・稲沢市・尾張旭市・岩倉市・長久手市・あま市などか。再調査が必要どぇすがの9市と10町。少なくとも市においては平成のうちに通しておくことを目指したい。建国祭ができるのは今までの意見書や陳情書活動で動けた市町村が圧倒的に多いことに気づく。他の団体や有識者と連携して諸問題の陳情活動を進める中で国旗の議場掲揚や商店街などの国旗ストリートの設定を成したい。行政との連携もなしたいものであります。 国設立の名古屋大学ではいまだ入学式や卒業式にすら国旗が揚がらない。至急対応しなければ国旗掲揚ストリートを各市町村で一か所は作りたい。交番は治安の根幹・学校は文化継承の拠点・官庁や企業は国家の姿勢をしめすべき示すべき原点。祝祭日には、掲揚推進をなす責務がある。皇族の奉迎に小旗の使用を禁じる等の「占領統制」は完全撤廃しなくてはならない。国旗は独立国家の象徴なのだから ⓸国防に崇高な精神を付与す人格形成。文化継承の拠点べし弥縫策ではもう日本は守れない事態に陥っている。何が起きるか、北朝鮮の核保有チャイナの尖閣侵略や台湾への武力投入の危険性もさることながら、震災等自然災害に身命を忘れて従事くださる自衛官のみは栄誉を与えることがない。他の職種には文化勲章授与などの栄誉が与えられるが、なぜか自衛官には国家からの差別が続く。高市内閣ではこうした異常さを是正しなければならない。自衛隊員にのみ栄誉の証の勲章が授与されないことは異常といわざるを得ません。法改正を目指さなければと切望します。⑤改憲への市町村議員のご理解の推進と、国思う議員の結集与野党での改憲案の審議がいよいよ開始されそうであります。衆参両議院での3分の2での発議は可能性大ですが、国民投票での合意がなされねば届くものではありません。それには伝統保守を掲げる政党はもちろん、より広範な健全野党での議論の高まりは必須であります。。地方議員に憲法をかたってもらうことは今日までめったになかったことでしたがいよいよ議員の見識を求める時が来たと言えましょう。そのための連携、県議市議の結集は不可欠。さらに民間諸団体での活発な議論を巻き起こさねばと思います。出来たら三ヶ根や護国神社陸軍墓地清掃奉仕議員連盟を立ち上げながら憲法をかたる地方議員の結集をお願いしたいものです。⑥教育の是正活動の推進未だ世間には日本原罪論者が数多くいる。憲法9条を金科玉条のごとく教え、改正論を徴兵制への道だの、戦前の軍国主義への回帰を成すのかのようなレッテル張りをされる教育者も数多い。とはいえ、学生運動世代の教師はほぼ教壇を去り、自立した発想力を持たれる教師存在も多くいらっしゃる。忙しい先生がたには恐縮ですが、資料提示を通じ世界の現実を知っていただき、国家一〇〇年の大計につき思いをいたしていただきたいものです。少なくとも教育の中立をはかっていただかねばならない。教育基本法改正により「不当な支配」を排除することもうたわれた。改正理念を教育界に徹底し、愛国心教育の推進を図っていただくべく活動をはかりたい。以上高市新内閣の支持率が71パーセントという。国民の期待は極めて大きい。安倍総理の暗殺以降、日本復活の夢も希望も消えてしまった。チャイナにしはいされる日本など見たくもなかった、しかし日本再生の夢が大きく膨らむ。愛国者は小異を捨てて大同につくときがきた。人事を尽くして天命を待つ。この長い戦いに立とうと思わせてくれた新総理に感謝したい 昨日は朝から必死に三ヶ根花壇作業。5時から三ヶ根星を見る会準備。7時から真っ暗になった豊橋陸軍墓地にて墓地の土地のへこみ修繕bん作業とすべての墓への菊の花のお供えを友と行う。11月2日の自衛隊さんとの合同慰霊祭に備えて。 同日、西尾市では関口長太郎先生慰霊顕彰祭が開催されるが同時刻のためどちらに参加すべきか再考することに 7士の月命日のため霊友会の方が清掃奉仕下さりまたすべての慰霊碑に花を供えてくれた。来月の御命日23日にも来てくださるとのこと。さらに毎月8日と23日の大切な日にはゆうとぴあの店長はじめ皆様な菊の花を200本献花くださり昨日はダブってしまったがきれいになった本当に素晴らしき皆さんであります。
2025.10.24
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これだけ頑張っているのに伝わらない、イノシシには、どうしてこんなにいたずらをするのか。今春うりぼうが可愛く連れ立っているのを三ヶ根山で見たがもう完璧に三ヶ根殉国花壇の敵として現れている。 南北に一二五メートルの長さに作った殉国花壇、その北半分の斜面最下部の芝ざくらのほとんどを掘り起こしているではないか、さらにがけ側の土留用の板柵をほとんど壊して土砂を落としている。レンガぎりぎりまでの土を崖下へ落としてくれているので歩道部分が落下。もう一度柵の作り替えをしなくては。本当に気が重い。しかしなおさねば。日曜だから案内をメインにする日だがほとんど花壇修復作業にかけてしまった、 その中で別の場所の清掃奉仕をしてくださっている浜松の皆さんが見かねて手伝ってくださった、さらに来月の第三日曜日朝にも草取りなどを手伝って下さるとのこと、本当にありがたい申し入れをしてくださる。感謝あるのみです 案内をさせていただいた幸田町の方に今日語ったのはマレーシアの事。ほかにもベトナムのドンツー運動やインドネシアの独立運動、インパールの兵士のことなど。語ると感動されてなみだぐまれたのには驚いた。 観の転換を図ってくださったような感銘を私も持たせていただいた、私もクアラルンプールに学習塾を立ちあげた際にルックイースト政策日本に学ぶ政策など。廟の説明を終えた後ですが この方は靖国には怖くて行ってはいけないところと思っていたとおっしゃる、いつも反対運動ばかりの報道でこわいところだとおもっていたとのこと、昨日知人からここを聞き、こんなに近くにあるのならと来られたとおっしゃる。 そこで廟の説明を終えた後マレーシアを例にしてかたってみた。一
2025.10.20
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一昨日三ヶ根作業の最中にグアムの聖人芳賀先生らが慰霊顕彰に来てくださった。7士の墓に参拝し、皆さんと海行かばを合唱。。慰霊碑のご案内をさせていただく、なんとゆうとぴあにても再合。作業を終えて。夜には安城にてご講義を受ける。昨日はひたすらパソコン不調にになやみながら資料点検。記載した原稿があっという間に消えて大ショック、時間が無くなり無念ながらブログ記載もあきらめながら三ヶ根作業に走る。ひたすら土嚢袋作成。ご案内した方は霊友会の方のみ。23日月命日に数人と再度来てくださり清掃もしてくださるとのこと。かんげきです。25日の星を見る会の準備で3名がおこしくださる。夜車のライトをつけて土嚢袋詰め込み作業をする・二日連続である。しかし急に蚊なのか他の虫が何か所も私の体をさしに来るので痛みに耐えきれずに7時に退散泰。帰着する。 さて殉国七士の人物像について少し記載しておきたい、、ユダヤ救済に関して知っておきたいことである 一九三八年(昭和一三年)の今日、一二月六日の五相会議(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)で、我が国は「人種平等の原則によりユダヤ人を排斥しない」とする『ユダヤ人対策要綱』を政府決定しているのだ。満州国の国是は日本人・朝鮮人・満州人・漢民族・蒙古人の5民族での平等統治です我が国が満州にて打ち出した五族協和の理念は大企業を入れずにこの地に民族の平等と安寧の地を気づくとの画期的な理想。反ユダヤ主義を掲げるヒットラー率いるナチス政権が破竹の勢いでヨーロッパの脅威になっていた際に、我が国はではユダヤにはどう対処したのか、。五族協和の精神は五族に限ったものではなくユダヤ人に対しても同様、ユダヤ人対策要綱を政府決定していることは特記すべきことだ インドのカースト制度や南アフリカのアパルトヘイト、アメリカの黒人差別韓国の両班など、差別にかかわる言葉はよく耳にする。 では人類史上最大の差別とは何か。欧米列強のなした人種差別、植民地支配であろう。我が国は八紘一宇の国是を持つ国。国際連盟の設立時には何度も人種平等法案を掲げ、これを主張。アメリカはそれを阻止するために「多数決」での決定を拒み「全会一致制」を持ち出して抵抗。ついには米国議会の反対を理由に国連参加すらしなかった。黒人問題を抱える彼の国には到底是認できぬテーマだ。 この五相会議の時に、陸軍大臣の板垣征四郎は、「日本は八紘一宇の精神である」と語ったという。 再掲する猶太人対策要綱 昭和十三年十二月六日附 五相会議決定独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキモ之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナルニ鑑ミ左ノ方針ニ基キ之ヲ取扱フモノトス方針一、現在日、満、支ニ居住スル猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ二 新ニ日、満、支ニ渡来スル猶太人ニ対シテ一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス三、猶太人ヲ積極的ニ日、満、支ニ招致スルカ如キハ之ヲ避ク、但シ資本家、技術家ノ如キ特ニ利用価値アルモノハ此ノ限リニ非ス 本要綱においてはユダヤ人を他国人と同様公正に扱うこと(一)、またユダヤ人を取り締まる際であっても外国人入国取締規則において公正に取り締まること(二)を明示する (中略) 一九三八年一一月以来、上海租界へのユダヤ難民流入が急増し、現地日本当局は現地ユダヤ社会から対策の要請を受ける一九三九年夏までの間、積極的に措置を講じなかったため、一七〇〇〇人がドイツを脱出することができた。また駐ベルリン満州国公使館書記官王替夫は一九三九年六月から、リトアニアの在カウナス領事館杉原千畝副領事は1940年七月から、ユダヤ避難民に通過ビザを大量に発給した。(ウィキ引用以上) ユダヤ難民がシベリア鉄道によりソ連を経て満州に流入した際、樋口季一郎陸軍少将は東条英機閣下の了承の下、満鉄総裁松岡洋右と協力して万を超すユダヤ人を救った。また上海の多くのユダヤ難民を保護したのは犬塚惟重(これしげ)海軍大佐であった。リトアニアの在カウナス領事館杉原千畝副領事は日本通過規則であった、旅費及び本邦滞在費等の移動後の生活資金の所有などの条件を満たさぬものにはビザ発給をしないとの外務省訓令に違反して六〇〇〇名のユダヤ人難民に日本通過ビザの発給をして彼らを救った。しかしこの訓令違反は外務省からはとがめられることはなかった。杉原千畝を日本政府の方針に反してユダヤを救ったヒーローと語るのも結構だが、満州の役人であった千畝の意識の中には「猶太人対策要綱」の理念が貫徹していたとみるのが正しいと私は思う。これなくして、千畝氏がどれだけ善良な役人だとしてもユダヤの救出はできなかったであろう。日本国家の自然法ともいうべき八紘一宇の精神は、同盟国ドイツとの条約文面に優先するものというべきでありましょう。 日本のハワイ奇襲が大東亜の発端と語る人がいまだ多数いるしかしこれも米国の仕組んだ謀略の一つ。まさにルーズベルトの、日本に先制攻撃を打たせるとの戦術にまんまとはまってしまった結果にすぎないのだ。1941年には中国大陸に退役軍人で構成した空軍フライングタイガーを送り込み日本との戦闘を開始。近衛首相はルーズベルト大統領との会談を希望したが、すでに対日戦を決意していたルーズベルトは会談の要請を拒絶。在日米国大使ジョセフグルーも首脳会談の開催を強く要請したが、ルーズベルト政権は「会談の必要なし」として却下している。それでも日本が戦闘に打って出ないのをせかして最後通牒ハル・ノートを突き付けた。11月27日のことついに日本は真珠湾に打って出たのである。すぐさまルーズベルトはイギリス首相チャーチルに「我々は同じ船に乗りました、日本は攻撃してきました」と報告。チャーチルは米国の参戦を喝采したという。のちにマッカーサーは軍役退任の4月19日の直後、こう証言している。1951年(昭和26年)5月3日。米国上院軍事外交合同委員会にて。「彼らには綿がなく羊毛がなく石油製品がなく鈴がなくゴムがなくその他にも多くの資源が欠乏していた。それらすべてがアジア海域に存在していたのです。これらの供給がたたれた場合には日本では1千万から1千2百万の失業者が生まれるという恐怖感があった。従って彼らが戦争を始めた目的は安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」退役したマッカーサーがこうして実態を国の最も公の場で証言しているのであります。軍人のままでは言えなかったことでありましょう。 にもかかわらず日本にはいまだに日本が非道な戦争に打って出たかのごとき言論が蔓延。米国による思考停止命令が未だに続いている。 なんとかしなくては
2025.10.19
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三ヶ根山にはおよそ100基の部隊碑があります。その中心は殉国7士の墓、日本の占領統治が終わってすぐに小磯総理の弁護人でもあった三文字正平氏らの呼びかけで募金活動が始まりました。東京裁判の国際法違反は日本人の識者のみならず南京占拠時においても中国人をも心より敬意をもって守らせた名古屋ご出身の松井石根大将が離任後建された熱海の興亜観音に7士の遺骨が納められていました。しかし昭和35年安保騒動の時を迎えるにあってここは暴徒にねらわれるやもしれぬ危機感から遺骨を分け三ヶ根山に殉国七士の墓がたてられたのです。 ちなみに熱海の興亜観音はこの時慰霊碑も爆破され今も修復の跡がのこっています、 三ヶ根の地は日本列島のほぼ中央、風光明媚な地で眼下には三河湾が美しく望まれる場所。その三河湾の景色が50余万人が亡くなられた激戦の地フィリピンマニラのリンガエン湾によく似ていることから多くの軍人ご遺族の支持を得てここに7士廟を建立することになりました。 今は西尾市に合併されましたが当時は幡豆町。建立は民間ではありますが町長や議長はじめ要人参加でなさ遂げた建立でありました。町をあげての建立でありました。 以下敬称略地鎮祭 昭和三十五年五月十五日 神式による 列席者 祭主三文字正平、林逸郎(両東京裁判弁護士)三浦兼吉県議 牧野建吉幡豆町長、三浦幸一同議長、小田忠治特別委員、同町議会議員全員など 五十余名 納骨式 昭和三十五年六月二十九日 仏式による地鎮祭列席者ほか横浜興禅寺住職市川伊雄(遺骨奪取実施者のお一人) 東京「石勝」社長中村勝五郎、夫人 朝日新聞 ドイツ報道班、山頂住人五十余名 入魂式 昭和三十五年七月十七日 神式による 関係者全員 墓前祭 昭和三十五年八月十六日 神式による祭主三文字正平、建墓代表林逸郎、友人代表 荒木貞夫、遺族代表東條かつ子、木村可縫、佐藤次江、(東條英機令姉)牧野幡豆町長、三浦幸一同議長、小田忠治特別委員(三ヶ根山開発功労者)、来賓中村勝五郎夫妻、 隣接市長村長、 豊橋市郷友会島田元中尉、水野元少将原与作等役員、 会員五十名一般参加者 数百名(敬称略) 建設費 金五百二十三万四千円 (寄付金により賄われる) 昭和天皇が三ヶ根山中のグリーンホテルにお泊りになりホテルから参拝くださったのは昭和54年の5月27日海軍記念日。この日は豊田市藤岡区にて開催された植樹祭にご参加になられるため五来県。お泊りが名古屋でもなく豊田市でもない、ここ三ヶ根であること感慨を覚えるのは私だけではないでしょう。 昭和54年であったのは53年に靖国合祀がなされてから。それまでは靖国神社国家護持法が何度もなされたがついにかなわずと判断されたため。民間ならば陛下のご参拝はなかなか難しい。創価学会や他の多くの宗教団体本山に参拝要請があればおこまりになられるでしょう。 その後7士廟内に14基の部隊碑が建立されましたがまだまだ多くの建立希望が殺到。しかし場所がない。そこで行基さまが建立された由緒ある大山寺ご住職がならば土地を提供しましょうとおっしゃってくださり比島観音に80基ほどの部隊碑がこんりゅうできたのでした。つまり100基ほどの部隊碑がここ三ヶ根山に建立されいまにいたっているのです。 私が清掃奉仕を始めたのはもう40数年程まえから。しかし月一回のみ。ここ十数年は月20日ほど。長時間になったのはここ6・7面のことです。父が他界したころからですから。鶴田浩二さんらと草取りをしたり写真を撮らせていた大小田野も懐かしい思い出となっています。今では旧軍関係者も多く他界され往年のにぎやかさは減りましたが最近はネットなどで三ヶ根が広まり青年の方が多く参拝に来てくださるようになりうれしく思っています
2025.10.17
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15日水 朝6時からの蒲郡ホテルにて開催された倫理法人会のモーニングセミナーに参加。企業を伸ばすには明るくユニークな人材を得ることの茶移設差を学ぶ。確かに技能はさほどではなくともキャラの強い社員を¥がいたころにはわわが会社も大いに進展していちゃなあと思い起こしながら伺う。雨の中皆さんは竹島清掃へ、私は三ヶ根清掃に走る。夕刻安城にて芳賀先生の貴重な慰霊活動のお話を伺う、時間なく質問㎥んができなかったがグアムに25年もお住いになり神社送検をなされたその行動力と国思うお話には感銘鵜を受ける。今日16日には三ヶ根参拝をしてくださるそうなのっで急ぎ資料をよいウイして今から三ヶ根の作業に向かいたい 訃報があった。学生時代からの大先輩西沢氏が亡くなられたとのこと、まだ73歳だと思うが、先輩の滑動には心から敬愛していたのだったが、無念極まりない。大切な方と別れねばならなくなったのは他者の方針との違いで活動のぐるーp鵜から私が排除された結果、今でも我を通した己のもたらした結果。やはり子r手も人生う選択の結果ではあるがお別れもできなくなる悲しさは自業自得とはいえ情けないことだと嘆かずにはいられない。 おのが正義が日本のためになるのか事務んする。
2025.10.16
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けさは9時から三ヶ根に。しかし山に近づくと雨が強くなり濡れながら土を土嚢袋に入れる。およそ60袋。 すると業者がゆうとぴあ近くに搬入した土の中身のチェックに西三河事務所の方々10名ほどが来る。突然のことで驚く。2年前隣の蒲郡市で竹ばやしの崩落死亡事故事件がありそれを契機に西三河での山林調査があった。それを契機にゆうとぴあの隣地でも専門家の指示合意がなされた、と西三河事務所の調査にあたった方との話し合いで竹林から早成桐への交換の提起がなされた。それから始まった竹切除と土砂搬入による桐畑の作成。もうすっかり運びきったところ搬入した土砂にガラが混入しているとの指摘がどなたかからあったようで土砂のほりかえし作業となったようだ、重機で掘り返しチェックがなされた、 結果ガラの混在は認められず、次回にもうすこし範囲を広げて掘り返しガラの搬入チャックをするようであるがおそらく出ないであろう。ただしここが国定公園であるため以前は事前許可申請などしたためしがなかったが今は厳しくなり事前許可なく作業はできなくなってきたと言う。なぜか手違いで事前申請の書類未提出での作業となってしまい今回の掘り返し調査となったようだ、。地元紙中日新聞が匿名者からの「ガラが捨てられている」などとの指摘をそのまま受けて記載したために起きた今日の騒動。 ことが無くて本当に良かった、 あとはひたすら花壇の周辺部の補強作業、
2025.10.15
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昨日は三ヶ根の整備のための土嚢袋が泥だらけになったために必死に車を洗い400本の国旗が汚れないようにしてから国旗掲揚にはしる。朝2時に国旗掲揚を終える。9時半に家を出て友と名古屋駅に。12時に台湾の桃園神社宮司陳先生らをお迎えして5名で護国神社参拝。昭和の森の部隊碑等を案内。戦後50年を記念して建立されたアジア友好の祭典記念碑もご紹介した、その後昼食をしながら様々に懇談。名工大非常勤講師の方の企業y活性化論には大いに感銘を受ける。 次いで記念に徳川園に訪れ案内。 7時より久野潤先生他名古屋の企業人を3名をお迎えし再開を祝して会食。 私は9時ころに早めに退席。岡崎に戻り国旗降納をなす。
2025.10.14
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10月13日昨日の岡崎学習会の議案を記載します 岡崎学習会議案書 令和七年一〇月一二日 岡崎リブラ 一 始めに 二 行事確認 10月の行事の確認と取り組みに実施についてのついての確認と信義をなす、4日 (土) 豊国平成塾参加 加藤高明論 高市女史自民総裁選出5日 (日) 豊橋陸軍墓地清掃 午前7時より9時 幸田町貴嶺宮中正神社例祭 10時6日 (月) 碧南学習会 九時半ノーベル賞生理学医学 坂口氏受賞 化学賞7日 (火) 岡崎建国事務局会議12日(日) 三ヶ根清掃日 九時半 U℉O会議岡崎学習会夕刻五時より 13日(月) 台湾桃園神社宮司先生来日 熱田神宮参拝夜名古屋宿泊スポーツの日 (祝)市内国旗掲揚15日(水) 安城 芳賀先生講演会より6時 参加費3500円 翌日も 志賀重昴先生生誕日 新暦は12月20日 上皇后お誕生日21日(火) 大和隊久納隊長 レイテ湾突入 26日護国神社にて慰霊祭23日((水) 殉国7士月命日25日(土) 関大尉レイテ湾突入 三ヶ根 星を見る会・(UFOを呼ぶ会)26日(日) 久納大和隊隊長慰霊祭 護国神社三ヶ根清掃日 伊藤博文公 殺戮の日27日(月) トランプ大統領訪日28日(火) 北白川宮能久親王 台湾にて薨去された日30日(水) 教育勅語下賜 信時潔 「海行かば」作曲(昭和11年)31日(金) 本居宣長公没 11月の行事予定 1日 (土) 豊国平成塾2日 (日) 豊橋陸軍墓地自衛隊合同慰霊祭 9時より 準備8時より 西尾関口長太郎慰霊顕彰祭 10時より3日 (祝) 明治節 国旗掲揚 伊良湖海軍慰霊祭1時より 三ヶ根 青空フェスティバル5日 (水) 幸田町貴嶺宮中正神社例祭 10時 岡埼建国事務局会議7・8日 陛下御行幸 名古屋駅近鉄 鳥羽 24日(金) 野分祭25日(土) 憂国祭30日 秋篠宮文仁親王殿下お誕生日12月8日 開戦記念日12月9日 地久節12月13日 松井石根閣下慰霊祭12月23日 上皇陛下お誕生日・殉国7士受難12月25日 大正天皇祭 中島町八幡神社大正宮 11時12月31日 大晦日 三ヶ根 三 天皇論 吉川勝文氏 四 丹野みどり氏(国民民主党)講演および質問会 五 三ヶ根便り発行等について 三ヶ根ゆうとぴあの現状 青空フェスティバル応援 星を見る会 クラウドファンディング70万ほど 六 政治状況・教育問題 その他 紀元節 (建国祭) 岡崎安城豊田での現状方針について 天長節 拉致問題 香港問題 移民帰化人問題各種意見書奉迎活動・国旗制作 伊藤正義市議(参政党市議) スマホ問題提起 その他各種提言など さて昨日は朝6時に家を出て三ヶ根へ。清掃日であり部隊碑高圧洗浄や松などの剪定などを分担して実施、私は花壇の崩落防止のために土砂搬入を主に行う、12時より 星を見る会の実施案検討。5時から岡崎リブラにて学習会。20名ほど参加。7時半終了。すぐさま康生通りから国旗掲揚に走る。地元宮路町の祭り終了。よってここにも国旗掲揚、。上和田公民館掲揚で終了。 今朝は名古屋駅に台湾桃園神社の宮司さんはじめ皆さんをお迎えに参加予定です
2025.10.13
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12月13日は松井石根大将が平和裏に南京占領をなした日。 1937年の盧溝橋事件は関東軍の平和意志がついに国民党軍に伝わらなかったが故に局地戦で終わらなかった悲しみの事これを勃発せしめたのはなんと共産党の劉少奇であったのだ。 蒋介石は北京援軍をなすのではなくこれを好機として上海へ30万の兵を送り込む。現地を守護するわが方はおよそ6千。全く日本に勝ち目がない戦。しかし日本は本土からの3師団の援軍を逐次投入し、上海上陸を果たす。悲惨な戦いを強いられながらもわが軍は蒋介石を首都南京に押し返し、ついに南京を落とした。南京市にのこったチャイナ人はその時約20万人。しかし安全とわかると一年で5万人もの人々が南京に返ってきたのだ。 南京を失った蒋介石はどれほど悔しく思ったであろうか。しかし守備をうしでて任を受けた唐生智なる司令官は松井石根司令官からの降伏要請を受けながら降伏を支持せずに逃げだし自軍を放置したため、チャイナ軍は大混乱。逃げ惑う味方兵を督戦隊なる味方兵が自軍兵銃撃し、多数の死者を出す始末。 チャイナ政府は場内で日本兵が30万・40万を殺りくしたなどの人類最大の虚偽をねつ造。一日1000人を貧そな歩兵銃などで殺戮したとしても一年もかかるほどの人数をたかが一週間で殺戮したとするのだ。何をかいわんや。 松井石根大将の支那軍司令官としての対応は各国軍の鏡とすべきところ、軍の規律を正し、義務なき南京城内の「安全区」防衛にも徹底を義務付けた松井大将は帰国されたのちその戦闘の悲しを抱き日中両国の平和と復興を祈願して熱海観音をもおつくりになり両国兵の供養に徹して見えた。その大将をなんとしても処刑せんとチャイナは極東軍事裁判でのÅ級戦犯として被告席に座らせた。しかし全くの無理筋。結果A級は無罪と決した。それでも復習裁判の使命よろしくBC級にてつまり捕虜虐待を止めえなかったとの責任を根拠として死刑に処したのだ。 処刑は12月23日他の「A級戦犯」者とともに上皇誕生日の当日の処刑をなしたのであります。 蒋介石の罪は幾重にも重大。とはいえ日本にあっては敵兵といえども死者には非道をなさない文化が日本人にはある。幸田町の貴嶺宮(きれいぐう)の境内には中正神社という立派な社があります。ここが敵将蒋介石を祀る神社であります。毎月5日が慰霊祭の日。 シベリア抑留に連れ去られることなくすみやかに日本へ帰国ができた事にはれなりにO化すべきであろうと思う。 ちなみに豊橋陸軍墓地には「清兵」の墓もあり私どもは毎月清掃参拝しております。今年は月2日午前9時から。自衛隊の皆様とともに実施予定です。 松井石根大将慰霊顕彰祭は12月13日日曜12時より名駅の名鉄ランドホテルです。10時半ころには慰霊碑ある名駅西の椿神社にて事前に清掃と慰霊祭を開催します。ぜひご参加ください。。
2025.10.12
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喫茶エムさん(安城市)にて戦後80年の記念講演と合宿があることを聞く王氏は芳賀健介さんだそうでぜひ伺いたい。10月15日18時半より21時半。が祝もあるそうですが私は懇親会修了の21時半まで。グアム島で戦跡ツアーを続けてくださってみえる方。時間が取れる方はぜひご参加を。翌日も同様の時間からあるそうです。 さて今日は朝6時に家を出て三ヶ根に。作業予定が大幅に延びているため気が気でない。今日の天気は小雨。三ヶ根参拝の方は少なかろうと作業のみに集中していたがはるばる会いに来てくださった方が3名、あわねばならない、会いたかった方が7名。やはり早く土木作業を終えて案内ボランティア業務にもどさねば。 明日は三が根清掃日。あさ9時半より12時まで。夕刻5時からは岡崎のリブラにて岡崎学習会。
2025.10.12
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公明党政見離脱の報を皆さんからいただく主に国土交通省という全国に張り巡らせた大組織を率いる大臣職を継続して担うことできなくなったことと、巨大な宗教法人の税控除や政治への影響力を忌憚なくチェックできるようになること。これを良きこととしてらえて見えるようだ。確かに政権の維持は厳しくなる事もあろうが、チャイナにへつらう政権を打破する責務を担う高市総理には必要な公明党政権離脱であるといえよう。暢気に構えてきた自民が責任政党として生まれ変わるある意味絶好のチャンスになったと言えるのではないか。このご意見には大いに賛同する。 さて現実には組閣に向けて大車輪の動きが必要。日程的にも相当急がねばならない。まずはトランプとの緻密な関係を構築しトランプ来日を機に靖国参拝を持ちかけることを期待したいが。 さて昨日は一昨日ボランティアの作業中に柄がをされたOさんを西尾市民病院に車で送る。おそらく数日でお元気になってくださるように聞いた、送り届けて三ヶ根作業に行く。 店長から相談を受けじっくりと話す。難問多し。 夜5時半に山を降りて帰宅。 まだゆうとぴあの周辺整備に時間がかかり本来の殉国7士花壇の整備にはいれそうもない。いそがねば、
2025.10.11
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昨日は私の誕生日に妻からプレゼントされた作業着のうちの一着を下ろして快適に混載土壌の分別作業を行なった。ひたすらこれのみ。なんと作業応援に来てくださった80代後半のご夫婦。常に私が土木作業に精を出しているのを見かねて少しでも手伝いをしたいと市外遠方からはるばる来てくださり御手伝い下さった。本当にありがたく感謝しながら甘えてしまった。 するとしばらくすると離れた場所で「大丈夫ですか、ああ血が」の声が。なんと転倒されて頭から大量の血がが。急いで救急車呼び来ていただき西尾民病院へ。奥様に同乗していただき、を私も お乗りになってみえてたお車を運転しあとをおった。とりあえずは頭の傷の縫合なしていただき腰などのレントゲンを取っていただく張れも相当ひどく心配である。ご自宅まで小一時間かけてお車を運転して売り届ける。ゆうとぴあの店長さんも病院に駆けつけてくださり後に続いてご自宅まできてくださる、私の車は三ヶ根において来たのでそれを取りに帰る為。一時間半ほどの時間をかけて三ヶ根に戻る、こんな時間をかけて三ヶ根に押しになってくださっていたとは。ご自宅にまでお送りして改めて日々三ヶ根を大切におってくださっているのをかんじ、感銘させていただいた、 その後の容態が心配でならない。救急車を待つ20分ほどの間、業者や活動がらみの電話等がなんと4通も。無論訳を言い後回しさせていただいたが、失礼があったやも知れない。しかしなぜこの土砂撤去作業をわたしどもがなさねばならぬのか。何十年も放置されたされた土砂を撤去すべきは市や地主さんらではないのか。一部は確かに三ヶ根美化のために土砂搬入作業を為した業者にある。しかしかの個人会社経営の社長は金欠のようす。撤去日は期限は大幅に遅れている。 困るのは全くの善意で今年5月に亡くなられた前支配人のあとを何とか回して行かねばと集う僕ら。これも乗りかかった船だと観念をするしかないが。理不尽だとおもう。何とか元気になっていただきたい。救急車両の皆さんには本当に感謝あるのみでありますいずれにせよ事故なく進めなくては。
2025.10.10
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朝。家の作業を終えて8時より三ヶ根作業。今日は完全にゆうとぴあの野外清掃。通路に茂る草木の切断や剪定。さらに土砂と木々を分けて土嚢に詰め込む作業。私どもがあずかり知らぬ土砂の放置であるが土地所有者や市が長年にわたって放置堆積させてきた土砂であるため硬くてスコップもまともに通らない。何とか分離させて袋詰めと一部燃焼作業。土の中から様々な虫や幼虫が出てきて閉口。背中にいつの間にか小さなアリが入ったようで噛まれていたくてならない、 昼に友が弁当を差し入れしてくれた、本当にうれしかった。 ゆうとぴあさんを引き受けて花を入れ替えてくれるMさん、ビデオを常にとってくださるTさんも応援に来てくださった、みなの努力で三ヶ根整備もまもなくひと段落。もう2・3日でめどが立ちそう。頑張って三ヶ根花壇整備に入れそうである
2025.10.09
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朝9時半より碧南学習会。司会を行う。某市議の議会質問室とそれ見たいする某政党所属市議からの批判についてのレポートを受ける。某政党市議の「陛下が日本の侵略を認めている」以上、日本の行為を『侵略戦争』として学校教育にてg徹底すべきとの反論記載について激論、対応すべきかの討議。結論出ず。さらに9月の滑動報告と課題、10月の行事の確認と取り組みに実施についてのついての確認と信義をなす、4日 (土) 豊国平成塾参加 加藤高明論 高市女史自民総裁5日 (日) 豊橋陸軍墓地清掃 午前7時より9時 幸田町貴嶺宮中正神社例祭6日 (月) 碧南学習会12日(日) 岡崎学習会夕刻五時より 三ヶ根清掃日 九時半 13日(月) 台湾桃園神社宮司先生来日 熱田神宮参拝夜名古屋宿泊スポーツの日 (祝)市内国旗掲揚21日(火) 大和隊久納隊長 レイテ湾突入 26日護国神社にて慰霊祭25日(土) 関大尉レイテ湾突入 三ヶ根 星を見る会・(UFOを呼ぶ会)26日(日) 三ヶ根清掃日 伊藤博文公 殺戮の日27日(月) トランプ大統領訪日28日(火) 北白川宮能久親王 台湾にて薨去された日30日(水) 教育勅語下賜 信時潔 「海行かさf出た日ば」作曲(昭和11年)31日(金) 本居宣長公没 各行事審議をなす。さらに11月2日の関口長太郎先生慰霊祭・豊橋陸軍墓地慰霊祭3日の三ヶ根青空フェスティバル・渥美半島伊良湖での海軍慰霊祭についての説明と参加促進についても。12月13日名古屋椿神社と名鉄グランドホテルでの講演会実施について。 道徳授業実践や祝日事前指導案の作為性要請などもきょう育運動として取り組むことなどを審議 三ヶ根だより中途案も提出、完成後配布とした。 終了後三ヶ根へ、土砂選別作業の続きをなす。 高市自民党新総理誕生の祝意の電話の多さに大いに喜びを抱く日でもありノーベル賞受賞の報に沸いた一日でもあった
2025.10.07
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昨日は豊橋陸軍墓地清掃と三ヶ根作業。三重県からの友が我が家に到着して一台の車で出かける。墓地清掃地に着く前に豊橋市東田の大東塾の御嶽神社参拝をする、終戦時8月25日に14烈士として自決された影山庄平先生の顕彰碑もありその揮毫は尾崎士郎先生。西尾の生んだ大作家である。 奉仕活動はおよそ15名ほどの参加。代議士も2名がご参加くださったし参政党や日本保守党や自民党の支援者の方も多くご参加くださっている、来月は11月2日の第一日曜朝9時からの開催。私は準備で8時には着く予定、7年前から年一度の自衛隊の参加をいただくことになっている。およそ130名ほどで清掃と慰霊祭の実施がなされます。 帰宅して三三ヶ根に。ゆうとぴあ前の広大な広場に放置された大量の土砂の撤去作業の推進。混載された土砂から木切れや枝葉など燃えるゴミを取り除き土嚢袋50袋ほどに入れて処理。これが大変な手作業。もはや土木工事。業者に頼めば一日で終わるようだが費用は59万、ひとりでやるしかない、殉国7士の墓に移動しながら案内も土手整備も掛け持ちでの作業。手伝いに来てくれたお二人にも大感謝、三ヶ根整備の功労者小田忠治先生の記念講演も案内、ここも清掃しないとの言葉あり。まあ順番ですよと回答。お二人は美しくする会のイベントのユーフォーを呼ぶ会(星を見る会)の場所の下見などに行かれた。10月25日土曜日夕刻実施。がんばって下さりありがたい。夜6時過ぎには大量の雨のため土木作業を終える、殉国七士の方はもうあたりは真っ暗。一人では怖いほど。 あと三日でしおえねば。がんばりたいが
2025.10.06
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電動の車を足の悪い叔母に差し上げたが、その叔母も既に90歳を超え入退院を繰り返す状態となりいまは全く使用していない。いとこが使いたいというのでその電動車両を返して6キロ離れた家まで運転手して引渡し行ってきた。着いたのは朝6時ころさすがに早すぎるので起こさずにおいてきた。歩いて帰り始めたが雨が激しくなり妻に役所までむかえにきてもらう。しかし時間がったいなく役所の周りの植栽の場所に生える雑草を相当量こいでおいた。市役所の周りにこれ程雑草が茂っていながら職員が草取していないなんて。これは岡崎の恥である。おかしすぎる。何とかせねば すぐに三ヶ根へ何しろおそらく何十年にもわたって放置されていた木々の倒木や雑多な小枝等が土に混ざって放置ていたのをきれいに処理しようと多くを通路に落として処理し始めた矢先に頼んだ業者が作業をせずに金銭的な問題でリタイア。もうすでに処理費は合算で渡しているのに作業に手をつけずに中断状態。他の業者に頼もうとしたが新たに50万がかかるという。もう致し方ないため大木だけは業者に頼みあとは自分らでやることにした。その作業は手仕事。なのである。どれだけ人がいいのか自分でもあきれてしまうのだが。 殉国花壇作業に向かうとなんと友が二人でアジサイの剪定をしてくれているではないか。感激でありました。私も花壇エンドの土いれ作業をなす。 2時半より名古屋ウインク愛知での豊国平成塾の学習会に参加。今日のテーマは「加藤高明総理」今年は昭和0ねんどぇもあり、普通選挙100でもある。 普通選挙法実現を成し遂げた愛知ご出巷の身初の党総理の功績を大いに祝福したいものだ。同時に出された治安維持法も巷の認識をぜせいするにたる評価すべき法。治安維持法の身で死刑者は一人もいないことの強張もじつによかった。大いにほこりたきものである。
2025.10.04
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電動の車を足の悪い叔母に差し上げたが、その叔母も既に90歳を超え入退院を繰り返す状態となりいまは全く使用していない。いとこが使いたいというのでその電動車両を返して6キロ離れた家まで運転手して引渡し行ってきた。着いたのは朝6時ころさすがに早すぎるので起こさずにおいてきた。歩いて帰り始めたが雨が激しくなり妻に役所までむかえにきてもらう。しかし時間がったいなく役所の周りの植栽の場所に生える雑草を相当量こいでおいた。市役所の周りにこれ程雑草が茂っていながら職員が草取していないなんて。これは岡崎の恥である。おかしすぎる。何とかせねば すぐに三ヶ根へ何しろおそらく何十年にもわたって放置されていた木々の倒木や雑多な小枝等が土に混ざって放置ていたのをきれいに処理しようと多くを通路に落として処理し始めた矢先に頼んだ業者が作業をせずに金銭的な問題でリタイア。もうすでに処理費は合算で渡しているのに作業に手をつけずに中断状態。他の業者に頼もうとしたが新たに50万がかかるという。もう致し方ないため大木だけは業者に頼みあとは自分らでやることにした。その作業は手仕事。なのである。どれだけ人がいいのか自分でもあきれてしまうのだが。 殉国花壇作業に向かうとなんと友が二人でアジサイの剪定をしてくれているではないか。感激でありました。私も花壇エンドの土いれ作業をなす。 2時半より名古屋ウインク愛知での豊国平成塾の学習会に参加。今日のテーマは「加藤高明総理」今年は昭和0ねんどぇもあり、普通選挙100でもある。 普通選挙法実現を成し遂げた愛知ご出巷の身初の党総理の功績を大いに祝福したいものだ。同時に出された治安維持法も巷の認識をぜせいするにたる評価すべき法。治安維持法の身で死刑者は一人もいないことの強張もじつによかった。大いにほこりたきものである。
2025.10.04
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今朝も朝9時ころから三ヶ根作業。最近は廃墟となっている元パールセンターからゆうとぴあに続くアスファルト道路上に、主に西尾市管理のウォーキング道路とその下の斜面の土手から落とした大量の枝や土砂の分別処理業。 昨日もゆうとぴあにみえた解体業を営むお客さんにすべてを処理していただくにはいかほど掛かるかを試しに聞いてみるとなんと50万と。土と竹くずなどが混ざっている土砂は分離させねば処理できないという。びっくりである。 もう一つの最大の廃墟はきれいに撤去す。ばかげている。に土地購入も払って5千万必要、もう夢のまた夢に金が必要、ばかげている。もう一つの廃墟パールセンター撤去葉もっと安いであろうが、然し2・3千万は掛かるであろう。それに比べればこの通路整備が50万ならば業者に頼んでしまおうかとも思ったがやはり私個人の金や数人のカンパ金ではきつい。これら廃墟は道路に面しているので一刻も早くなさねばと思うし、そのための民間での御金を募る会を作ろうと奇特な方々の動きがあり会をたちあげられた。私も応援して参加したが私が殉国花壇の整備に集中するため退会をした。しかしその直後、杉田さんがけるなら会は進めえないと解散となってしまった。無念でありましたがその継承をすべく「三ヶ根を美しくする会」にてその事業を継承することにし、カラー通信を発刊。何とかその夢を追い求めているのが現状。 しかし見えないところにコテージが3.4廃墟になっている。それらも小さい物だから何とか撤去をと動いてきたが先日県は「中止」の命令をなされた。国定公園であるから木をるのも取り壊して廃材を上の道路に御架すのも不許可。補修して元のように修復するのもだめ。朽ち果てるまでそのまましなさいとのおたっし。資金協力を頼むわけではないのに。まあ官庁はそんな物なのだろうか さてやりだした通路整備。50万はできないが聖山三ヶ根を美しくするとの活動宇を止めるわけにはいかない。まあ肉体労働で処理するしかなかろう、 三ヶ根ボランティア中の事故から復活できた命はまだしばらくは続くだろう。両親の他界を機に4人の子供と3人の甥姪への遺産相続の大半も終えたし。 10月予定を記載しておきます4日 (土) 豊国平成塾 加藤高明論5日 (日) 豊橋陸軍墓地清掃 午前9時より 貴嶺宮中正神社例祭6日 (月) 碧南学習会12日(日) 岡崎学習会五時より 三ヶ根清掃日 九時半 13日(月) 台湾桃園神社宮司先生来日 熱田神宮一三日スポーツの日 (祝)市内国旗掲揚21日(火) 大和隊久納隊長 レイテ湾突入 26日護国神社にて慰霊祭9日25日(土) 関大尉レイテ湾突入 三ヶ根星を見る会・(UFOを呼ぶ会)26日(日) 三ヶ根清掃日 伊藤博文公殺戮27日(月) トランプ大統領訪日28日(火) 北白川宮能久親王 台湾にて薨去30日(水) 教育勅語下賜 信時潔 「海行かば」作曲(昭和11年)31日(金) 居宣長公没
2025.10.03
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朝、松など自宅の植栽の剪定をなす。久しぶりに家の事をして満足感を覚える。三ヶ根用に寄贈された高圧洗浄機を自宅で試運転してみた。実に強力でみるみる汚れが落ちる。驚きである。以前業者に家の周りを洗浄していただいたがそれを上回る性能であり断然やる気がでる。本当にありがたい。これで慰霊碑清掃や磨きもスピードアップ。深く感謝いたします。 やっと待望のカラーコピー機が届く。今まで使ってきたコピー機は製造中止になり補修ができないのこと、致し方なくリース契約で購入。新品はやはり高性能。カラー印刷だけで節約しながら使ってきたカウント対応の費用も月平均一万を下らなかったがこれも低額になるようだ。 手続き終了後三ヶ根に走る。 作業はひたすら市道や土手を清掃して出た大量の枝木の処分。 ご存じの方は多いと思うが三ヶ根山スカイライン周辺には残念ながら廃墟となっている建物が目立つものだけで三つもある。 一つの廃墟前には落下したがれきが散乱して鉄骨も落ち歩道をふさいでもいた。地震が来ればブロックは落ち鉄骨すら倒れるだろう。その撤去に向けて市への要望を出してもほとんど動かない。しかも危険。理由は土地所有者が見え整備意思を示されないためとのこと。らちが明かず、致し方なく歩道に散乱していたがれきを敷地内に運び手作業で積み上げた。落ちかかった鉄骨も本当に危険であったので業者に切り落としていただき敷地内に戻した。進入禁止のロープを張り安全確保。市が主催するウオーキング通路の安全を確保したわけだが無断敷地内進入行為であり違法すれすれすれ行為でしょうが。 恥ずかしながらこの地での転倒で頭を打ち私は廃人状態になっていた。転倒は1月の事。外傷はなく全く転倒のことは気にもかけていなかった、昨年の六月の事。車がまっすぐに進まず家までの道がわからなくなり帰れない。家のいりぐちもわからなくなり家のトイレの位置もわからなくなり家族からはあきらめらめられてしまっていた。いつの間にか病院のベッドにくくり縛られてうごけなくなっていた。覚えていたのは六月二三日。三ヶ根に行かねばならない。沖縄慰霊に行かねばならないからすぐに出すようにと看護婦さんに叫んでいたこと。 脳にたまった血を向く手術がいつの間にか終わっていた。° 完治したと医者の証明が出たのは今年の一月一五日。 今思えばけがをしたのが愛すべき三ヶ根でありしかも自分であったことで実によかったと思う。本当に迂闊な自分が情けなくなったが、心の中では廃墟放置がなければけがもしなかっただろうと恨み心も出てしまう。まあ俳人にならずに済んだことを感謝してはいるが、あの時は皆さんに本当にお世話になりました、 さて、廃墟問題の進展もないなか、さらに三ヶ根は原野に戻りつつあった。第二展望台の登り口にあった三ヶ根開発の父小田忠治氏の顕彰公園の整備や殉国七士への通路にはみ出した木々の伐採などはそれなりに進めてきたがまだ課題は山積み。 殉国七士の眠られる地の殉国花壇も整備はそれなりに進めながら今の最大のさ作業場所は三ヶ根山唯一の食事場所であるゆうとぴあさんの整備。支配人の伊藤弘さんが今年五月四日になくなられ社長交代と実質的な再建が始まった。 なぜに。廃墟問題が進まず、ならばパールセンターからゆうとぴあさんまでの通路周辺のゴミ処理や倒木処理や木々の剪定作業、これなら解体作業などの費用はさほど掛からず、パールセンターの所有者からは自由に整備などを進めてほしいとの話があったとのことでここから始めることにした、 放置してあるタイヤや家電製品の廃品などを相当数は今までにしてきた、処分すべきは本来国定公園の管理責任を負う本来愛知県または市道管理の責任を負う市または土地のオーナーの方ではないのかと思うのだが。動いてくださらないことは今までの交渉でわかっていた。 何十個も一斗缶やブロック片等を相当数処分して三ヶ根の環境保全に努めてきたが、まだ相当数の木片がのこっている、2.3十年もおそらく放置され清掃もなされていないようで土の中に埋もれていたものも多かった。それらを三ヶ根を美しくする会を立ち上げきれいにしてきたこのおよそ2年の日々。 片付け途中の8月、突然かたづけを待つよう県の西三河事務所の方の指示を受け。作業は中途中断。通路の広域に広がったままの木々。ならば終戦記念日までに撤去をして通路が通れるようにしてくださいと事務所職員の方に強く要請していたのでしたがそのまま放置、もう10月になってしまうではないか。どうなっているのか訳が分からない・ 三ヶ根比島観音様の周辺はもうすでに生前の東條由布子さんやその親友の森永様やご高齢ながら本当に聖人とお呼びしてもよい稲吉様の熱意でこいこい広場としてすでに完成。土砂を入れ岩を入れブロックで小径を作り木々を切って植林して見事な広場として生まれ変わった。私もブロック運びなどを若干手伝わせていただいていた。 稲吉さんのご厚意で殉国七士花壇の階段つくり用のブロック板など私財の提供を受けた。運ぶのを手伝っていただきもした。その稲吉さんも今は帰らぬ人に。 昨年からはここで「青空フェスティバル」も再開されるようになった。ゆうとぴあのメンバーもガードマンとして、またテント張りなどの作業員としてまた歌い手の募集などの裏方作業にはいらせていただいている、私も天と二針を提供させていただいた、しかし、このフェスティバルは一一月三日での開催となり私は毎時説の活動があり参加は午前中だけにしたのでしたが。森永さん、東條さん、稲吉さんもすでに亡くなりこいこい広場を作った当時を知る人も少なくなってしまった、我が家の部屋には完成を祝って森永さんがくださった金箔の恋の写真がかざってある。息子さんの好きなジョンレノンの碑を建てたいと森永さんからご相談を受けた際に私は大賛成と申しあげ森永さんが喜んでくださった笑顔御が忘れれない、 同様に、美化作業の継承がこのパールセンターからゆうとぴあまでの整備計画、ここに階段状の花壇を作り。CO2削減のために極めて有効な「早成桐」の植林をする計画が生まれた。 ここからここまでの竹の崩落の危険地域を是正し観光地として復活もなしたい、現地にて県事務所の委託を受けた方に場所を示して計画を説明して了解を受けもした話であり、土地のオーナーとの売却話もほぼすすんでもいたときいている。西三事務所に事前に文章で企画書が出ていないとの指摘があったようだ。ならば寺社やこいこい広場作成時にも事前に計画書が出されているだろうからその記載例を見せていただき。早急に提出するようにしなければとあいだにはいった業者さんに伝えたが何しろ仕事が遅い。 まあ私はできることをひたすら進め三ヶ根を美しくするための裏方作業を進めるだけではあるが。
2025.10.02
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9月29日いつの間にか今月9月終了の日を迎えているではないか。9月はなかなか順調な活動ができなかった、母の一周忌が9月12日。93歳。生前は何かとおしかりを受けて反発もしていた。世話も大変で実質上学習塾での教育人生も生徒教育も中止。亡き今はそれもなく気合が入らない。家族が一人いなくなることがこれほどさみしいことか。日々の子供教育がなくなることの空虚感も重なりいまだ本調子に戻らない。安倍総理のなき時代。石破総理の延命、日本破壊が進みゆくのを歯噛みするしかない日々。日本再建の流れが逆行し続ける日々に耐えるだけで元気がそがれっぱなし。唯一の希望は悠仁親王の成年式のみだったような気がする。とはいえ気力を取り戻さねば、 敬愛する三島由紀夫先生の精神を恢弘する講演会を村田春樹先生が行ってくださることを知り、居ても立ってもいられず先生に電話を入れてまだ参加できるかを伺うと無論とのご返事。東京まで4時間ほど。一人でも行ってお会いしなくてはわが萎え切った精神は治らないだろう。 友を誘い3名で急遽上京する。血沸き肉躍る久しぶりの感銘を得て帰宅。さて不十分ながらも9月の活動の記載をなしておかねば。1日 碧南学習会、市議の教育についての議会質問の報告を受ける。3日 碧南市議会傍聴。同時刻に西 尾市議会傍聴激励に友が参加。 岡崎市議会にても教育テーマ友が質問。皆さん党派は違えど教育是正の質問をしてくれている。5日 テレビ報道もあった岡崎市内の大雨冠水地での交通整理。おかげで幸田の中正神社参拝断念、6日 豊国平成塾名古屋にて。元代 様々に要請。7日 豊橋陸軍墓地清掃・西尾市南極大陸探検の白瀬隊長慰霊祭友の代議士を含む89 に て参加・悠仁親王殿下近鉄名古屋駅にて奉迎、なんと国旗を持つことや万歳 コールも許されず。8日 伊勢神宮悠仁親王殿下奉迎。朝4時に家を出て友を拾い7時に外宮着。ここでも 万歳禁止、三重県警に抗議。13日 三ヶ根山清掃日(臨時に土)14日 下呂楠公回天祭、8名で参加、15日 敬老の日市内国旗掲揚21日 三ヶ根清掃後岡崎学習会19日 名古屋護国神社清掃。および 県三河事務所に資料提出22日 秋季皇霊祭用 朝0時より4時まで3名にて実施、熱田神宮日の丸会参拝は断念27日 村田春樹先生講演会東京28日 三ヶ根清掃日と三ヶ根会議。 修了後再度三ヶ根作業 無論それらの行事時間以外は三ヶ根での土木作業、清掃や崩落場所修復作業を必死になす。6時に終える。8名参加。 以上が概要。それなりに活動について行っていますが、なかなか本調子になれないのが反省です。 10月4日(土)豊国平成塾 加藤高明総理6日(月)碧南学習会13日 桃園神社宮司先生来日 熱田神宮 13日 スポーツの日 前日市内国旗掲揚、26日 特攻ゼロ号大和隊久納氏ら慰霊祭護国神社 等が中心です。自民総裁選の結果高市氏が勝たないようでは日本は政党政治が滅ぶのではと危惧しないわけにはいかない、国民の半数以上がトランプ支持のアメリカならばチャイナ支配を食い止める可能性があるが日本では愛国勢力の政権運営ができないであろう。民間が動くしかない。運動を緻密に組み立てねば。三ヶ根死守が責務と心得るが。
2025.09.29
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昨日あさ護国神社清掃。今日は3名で行う。皆さんにお礼を言い私は1時からの西三河事務所に訪問。しかし提出資料の誤字修正等をなしてのち行かねばならず急いでいたのでほうきなど3点を護国神社に置忘れてしまう。 さて西三河事務所に行って判明したのは。実に重大な事実でした。 先の。蒲郡で発生したおひとりがなくなってしまった竹枯れ崩落じ事件事後調査時に。西三河事務所管轄地区への竹やぶ等現状の一斉調査においての事事務所派遣の方に、竹枯れ崩落危険場所の安全確保のために桐の木を植樹したこと、さらに「ここからこまで」を段々畑状にして早成桐を植林しておきたいとパンフレットを示し説明した。そも際に「はいわかりました」の返事をいただいていたことから作業に入った経緯を説明。この桐の木はCO2を普通の木の10倍吸収し地球環境にも役立っている。下方に長く根を張るため竹が表層部しかねをはらないのに比べ、がけ崩れを防止するという万能の木との触れ込みです。竹から背の低い桐に変更すれば海が見えなくなくなってしまった場所に景観が戻ってくるメリットもある。これを職員に説明してGOサインをもらってから土砂搬入作業に入った経緯の確認を資料に基づき行ったと説明。しかし返事は「その作業に派遣した職員は役所のものではなく外注の事業者であり許可権限を持つものではない」 なんと。それならそうと言ってくれれば搬入作業などしなかったのに。 竹枯れする場所の竹を切り、植樹を急ぐことが世のため人のためになることだと思い取り組んだのになんということ。それが今突然の中日新聞「産廃記事」となってしまっているではないか、。昔はとても切り開かれた景色の良い場所だった。それを取り戻すにはどうすべきかが三ヶ根を愛する者の共通のテーマである。隣の三ヶ根観音さんの若住職に相談したさい、「私は木を切り土を入れて花壇を作りカエデをうえてお客様に喜んで貰っています、今もやっています」との事。こちらはならばCO2問題も受けて早成桐で行こうと当時の関係者は決めて作業を進めたと私は聞いていた、 しかし県の職員さんの賛同を得て始めた作業と認識しきっていたが、昨日初めて「県職員ではなく委託者であって権限を持った方ではない」との説明を受けたわけです。ゆうときあの所有者だった東条由布子女史は亡くなられた10数年、それを引き継いだ伊藤弘氏がなくなったのは今年の5月。継承された現社長のKさんも病弱で入退院を繰り返し業務に動けない状態で見るに見かねてボランティア参加をしてきた私はどうして中日さんが土砂搬入業者にお会いもせずにこの記事を書かれたのかまったく要領を得なかったため昨日訪問したのでした、でたqしかし、許可権限のない方のGOサインだったことを聞かされたわけです、もうショックでならない。何度も危険な廃墟を撤去してほしいと友らと陳情もしたが何も進めてくださらない。個人的なことではありますが昨年春に廃墟前で転倒し頭を打って脳が充血して前後不覚となり廃人状態となり妻が異変に気付いて大嫌いな医者に緊急入院させて脳にあふれた血液の摘出手術をしていただき回復に至った、今年1月15日にやっと完治証明をいただいた。口の悪い友は私の大病説を広めてくれるほど意識混濁。ベッドに縛られ真夜中でも目覚めれば三ヶ根に行かねばならないから早く縛りを解けと看護婦さんと大喧嘩していたと妻は語る。まさかまともになって戻ってこられるとは思っていなかった模様、私もいつ何が起きるか不安になり母の死に際して私の子4人を母の養子にして姉の子3人も含めて私の働いて得た財産も含めて私のばんになっても財産分与はないと思ってくれと高額な遺産分与をやっと完成。 かほどに廃墟は本当に危険なのです。でも不注意がなければ起きなかったこと、 三ヶ根を―キングに使う歩道に散乱していたがれきを奥に並べ替えて車道をあるかなくした。また地震が起きればぶら下がってかろうじてくっついている鉄骨の最も危険な部分を切断して移動もしたこともあった。不法ぎりぎりな行為かもしれませんが、然し緊急避難的な行為だと今でも思っている。これらは国定公園の管理責任を持つ西三事務所の責任だと個人的には思っている。蒲郡の竹やぶ崩落事故以上の悲しい事態が起こらぬように対処する責任は西三河事務所にあるのだと思う。しかし土砂搬入は別問題。土砂搬入許可は西三河事務所の委託業者であり事務所は許可などしていないとおっしゃられては無念であるが官庁相手では反論などできはしない。 そんな馬鹿な。驚き以外ない。せめてゴーサインは出ませんよと言って下されば高い金を支払って植林作業もしなければ撤去作業も当然する必要も生じないのに、中日から悪人呼ばわれされずに済むのに・ 元に戻すのは至難の業であるが三ヶ根をけがしたとの風評の是正は並の努力では名背は成せない。 憂鬱な説明会見であった、
2025.09.20
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14日は下呂にて楠公回天際に参加。本来は岡崎学習会の日ただったため日にち変更し21日の日曜に延期。その連絡を再度行う。15日の敬老の日は市内国旗掲揚を成し遂げたが長男の子供たちや長女の子供たちよりプレゼントが来ていて大満足。 今朝も三ヶ根いき。2段目の慰霊碑前の通路をほぼ全て草取りができた。今回の通路つくりはきれいな柵を打ち込み通路と斜面の間を区分できたので大変評判がい。今日も多くの方が参拝にきてくださったので実にありがたい。皆さんにどこでお知りになったかを伺うのだが。久しぶりに小林よしのりさんの戦争論を出されたのでうれしくなった。遠方から多くの方が来られるようになり花壇作成時間が減りはするが楽しみも増える。し6時ころに何と雨がばらついてきたので下山した。 さておかしな記事が中日新聞に載っているとの連絡があった。なんと三ヶ根山に不法な残土が捨てられており、その責任がどうも僕らにあるとの記述があったという。私はさサンケイ新聞だからすぐには記事本文にはであえなかったが、昨日読んでびっくり。三ヶ根花壇を作る際に土は業者から有料で購入して作った。軽トラいっぱいで5・6千円かかりそのたびに私の小遣いが消えて悲しくなったものだった、今もペンキ代やコンクリブロックの固定用の杭やレンガ代金やおおよそは私の持ち出し。杭の木材に関してはすべて私もち。どこでどうなっているのか不明。確かに中日新聞さんの取材は私も受けたが、駐車場に出ている積みあがっていた枝のほとんどはその上部の市の道からおろしたものや何十年も前の小屋の朽ち果てた木材等を上部の駐車場に挙げて以前の石段通路を復活する作業途中のもの。これは記者に小屋を見ていただいたので納得していただいていた。 蒲郡市でがけ崩れが発生しお一人が亡くなられました。これを重く見た国・県・市は一斉に調査を開始しました。勿論三ヶ根周辺にも調査が入り県より委託された業者の方が見えていたと聞きましたがその方に立ち枯れ防止のため竹は切り取ってパンフレットの木で推奨されている早世桐植樹を進めたいと申し出ると「はい」と言われたこと、さらに早成桐植樹予定場所を説明したそうで、それが今残土が入っている場所なのです。この木はCO2を普通の木の10倍吸収し地球環境にも役立っている。針葉樹の為に下に植えてがけ崩れを防止するという万能の木との触れ込みでした。竹枯れする場所の竹を切り、植樹を急ぐことが世のため人のためになることだと思い取り組んだ。地主さんは放置したままでしたから私どもでこれを進めるしかない。こう思ってCO2削減とがけ崩れ防止のためにおこなった行為だと思い込んでいたとのこと。この作業のための計画書を当局に出してなかったようでそのことが訃報作業と判断されたのでしょうが明日新聞記事の正誤を県や市役所に聞いてきたいものです。。 明日は朝9時半より名古屋の護国神社清掃に行ってきます。
2025.09.18
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昨日の下呂市での楠公回天祭には愛知の教育を考える会の会友8名が参加してくれた。我が家を朝6時にでて9時半に下呂に着く。雨中ではあったが例年の3割増の参加であったように思う。ご講演内容は楠公精神を生き抜かれた黒木少佐の人生。その偉大さに改めて感銘を受けた。多くの知性あふれる皆様との再会に、大いに勇気をいただいた。来年の愛知での建国祭の講師に皆さんをお呼びしたいものだと思い声掛けをさせていただく。1時半修了。銭湯体験や円空資料館。合掌村土を見学して帰宅。敬老の日、国民の祝日を祝い地元の公民館と地元の二つの神社と自宅および岡崎市康生通りから岩津まで街路灯への国旗掲揚を行ってきた、 東京の孫から祝いの品が届く。うれしいものです。
2025.09.15
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母の一周忌、親族による法要はすでに終えていたから今日は家族とご住職のみで行う。納骨の場所と、私の法名を決めてくださるように要請。墓にも母の名に続き私の名を記載することにした。法名が決まり次第墓石に彫りこんでおくことにした 10時すぎにコピー販売会社の方と話す。今のカラーコピーは製造中止後10年ほどたっているのでトナーの追加注文などができないとのこと。仕方なく7年リースで交換することにして契約を完了する。次いで三ヶ根に。5日の大雨で削り取られた通路のヘリに土を運び入れたり、崩れた階段の修復など。夕刻6時に雨が厳しくなり修了。帰宅して友らと今後の活動につき電話会議。 13日、土曜日になってしまった。朝9時半から時まで三ヶ根での清掃作業。後三ヶ根通信作成作業。14日の岐阜県下呂市での楠公回天祭に参加するため定例の清掃日を一日繰り上げての実施。皆さんに伝わっているかが心配ではあるが。 回天祭二ご参加できる方、ぜひ連絡を。朝6時我が家出発です。
2025.09.13
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昨日は会社の統合につき司法書士に自宅に来ていただき説明を受けた。事業の安定のため所有する二つの会社を合併して一つにまとめる作業を開始することにした。昭和末年に設立した株式会社をもう一つの会社に吸収合併させて再出発を図るわけだが明日の母の一周忌までに方針がきまりやれやれといったところである。さてこの一週間をふりかえっておきたい。5日、貴嶺宮の中正神社祭礼に参加するために正装して出かけたが雨が降り始め無念の帰宅、来客を我が家に迎え悠仁親王殿下奉迎の打ち合わせに入った。しばらくして大雨警報が的中。激しい雨音に家の外の県道を見ると車が大渋滞。すでに道路は川状態。水没して歩道もみえぬ状態。急ぎ外に飛び出しみると一人の成人の方がずぶぬれになって信号内で交通整理をしてくださっている。すぐに私も御手伝いに。ガード下も水没しはじめたので本道からはすべての車両にユーターンをもとめた。故障車が縁石を乗り越えて止まってしまって動かない。もう一つ手前の信号でのユーターンに切り替えて何とか車両水没を回避。水が収まるのをって事故車の撤去応援に入るがレッカー車に連絡もつかない。親戚の車屋に二人の応援を乞いジャッキとブロック板を組み合わせて縁石から前輪を外してパンクしたタイヤ交換をなして移動成功。終えて三ヶ根に走る。残念ながら2段目の英姫前の歩道の土を削り落とすなどの被害が発生。必死に土嚢袋に土を入れて運び応急処置。歩道にき詰めた水で固まる土 ほとんどが流れて無念でならない。 6日土曜。あさ三ヶ根修復作業昼から名古屋豊国平成塾。元代議士の話を聞く。7日日曜 朝豊橋陸軍墓地清掃。9時からのところ7時半より参加。10時西尾士での南極大陸探検家の白瀬隊長慰霊祭に参加、知人7名とともに。昼2時半より悠仁親王を名駅近鉄駅にてお迎え。8日朝3時半に家をて桑名の友をのせて伊勢神宮外宮へ。7時集合8時前前より悠仁親王殿下お迎え。次いで内宮。宇治山田駅にて奉迎。夜通信打ち合わせ9日三ヶ根作業。中日新聞から取材。妻退院付き添い10日三ヶ根作業。
2025.09.11
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やっと総理の辞任が決まった。なんという時間の浪費であったことか、チャイナに「今まで靖国参拝はたことはない、今後も参拝はしない」と語る人物が政権与党にいることができたのか。総理に選ばれた時点で外に思うことがなかった。安倍総理の暗殺に落胆してから全てにやる気が失せていた。とはいえあきらめることはわが人生の価値全てを否定してしまう気ががして最低限の活動だけはなしてきた。 活動最中の脳の負傷、直後の兄の他界と母の病死など身近で起きた哀しみもあった。ははの死からまもなく一周忌。相続関係の決定に向けて忙しき日々を過ごしてきたから世の危機をストレートに感じることはなかったことが幸いしたのかも知れない。何とか気力を維持できた。例年の半分ほどの活動は何とかなしてきたのではないかとは思う。 総理退陣が成った今、日本復活運動がすこしは進められるのでは。気を取り直すきっかけにしなくてはならない。こう思いなおして久しぶりに書いてみたくなった。さてこの夏、ほとんどの活動は三ヶ根山の美化活動と参拝者へのご案内。よく聞かれるのはここ三ヶ根山にいわゆる殉国七士の遺骨が納められるまでの理由と経緯。これを記しておきたい。 安保よく運動が華やかだった1960年、この年熱海の興亜観音間からんコツをいただいて七士廟の建立がなされた。 昭和三十五年五月十五日 神式による 列席者 祭主三文字正平、林逸郎、三浦兼吉 牧野建吉幡豆町長、三浦幸一同議長、小田忠治特別委員、同町議会議員全員など 五十余名納骨式 昭和三十五年六月二十九日 仏式による地鎮祭列席者ほか横浜興禅寺住職市川伊雄 東京「石勝」社長中村勝五郎、夫人 朝日新聞 ドイツ報道班、山頂住人五十余名 入魂式 昭和三十五年七月十七日 神式による 関係者全員墓前祭 昭和三十五年八月十六日 神式による祭主三文字正平、建墓代表林逸郎、友人代表 荒木貞夫、遺族代表東條かつ子、木村可縫、佐藤次江、(東條英機令姉)牧野幡豆町長、三浦幸一同議長、小田忠治特別委員、来賓中村勝五郎夫妻、隣接市長村長、豊橋市郷友会島田元中尉、水野元少将原与作等役員、会員五十名 一般参加者 数百名(敬称略) 建設費 金五百二十三万四千円 (寄付金により賄われる) 昭和天皇が三ヶ根に押しくださったのは昭和54年5月27日の海軍記念日。前年に靖国神社合祀がなされているがこれは何度も提出された靖国神社国家護持法案がついに通らず、民間での運営となったため。厚生省の要請を受けて松平宮司が決められたと聞いています。 さて今年は終戦年。4月29日から各団体の方からのリクエストで三ヶ根花壇に圭10本の念植樹をしました、桜の木です。 ご希望があれば植樹祭を行います、
2025.09.10
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竹上裕子議員の学習会に参加きょう三ヶ根ゆうとぴあに着いたのは10時。それまでは母の初盆を迎えるための部屋整理。30帖の畳を総入れ替え。まだご住職にお入りいただく部屋とわたしのへやの畳の入れ替えかえがなしてない。いそぎ膨大な資料整理を急がねばならない。急いだがやはり出発に手間取ってしまった、日ごろの未整理が恨めしい。 ゆうとぴあでは玄関先の大整理とてつもなく重いクーラーを倉庫にしまい、水槽等も移動して入りぐちをきれいにした、12時に三ヶ根を離れとよはしでの竹上裕子議員の学習会に参加。その後、蒲郡に。10日に開催する太平洋の奇跡 大場栄さん映画の上映のために研究されて見えるご婦人にお会いする。さらに三ヶ根に戻って諸整理。後、西尾市内で昨年開かれた不思議なマルシェの見学に行く遅くまで若者が集い、演奏やおどり、会話や会合などをおこなっている。馬もおりキャンプなどもできる不思議な空間。実に魅力的なせかいである。 おおいに刺激を受けた。三ヶ根ゆうとぴあ店舗の拡充に夢がでるヒントをいただいたような気がした。再訪たいものだ。 明日は三ヶ根清掃日。多くの友と作業できることがたのしみである。
2025.07.27
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三ヶ根ゆうとぴあ作業におよそ2週間ほどかかりっきりであったがやっと大きな作業が本日で終えることができた。我ながら本当によく精神的にも体力的にも体力的にも集中できたと感心する、かれこれ20年ほど前から放置されたゴミや枝伐採の放置樹木ごみなどの除去作業。やっと石垣部の清掃に入れそうである。明日からのメイン作業を殉国七士花壇の整備にすることができそうである。 今日のゆうとぴあのお客さんはなんとイスラエル人の方。杉原千畝氏のことやご存じのようであったが、東條閣下と樋口季一郎についての話をすると驚いてみえた。偶まこの地が東條閣下のお孫様東条由布子女史が生前いとなまれていたことを告げると驚いてみえた。こうした話ができるのは愉快である。 参議院議員選挙も大波乱の中で終了、今年は愛知の生んだ初の総理、加藤孝明総理のリードした普通選挙法が定められて100年の記念すべき年。その年にふさわしき選挙結果であったように思う、5箇条の御誓文の中にも広く会議を起こしとある、良き議論を期待したいものだ、そして留意すべきは「万機公論に決すべし」の語句。 「公」論。である。公のための議論、「公」のための決定でなくてはならない。 さて昨今の皇室への不敬発言やマスコミの論調には腹立たしきものがある。安定的な皇室の存立をなすために男系男子での皇室継承の議論を吹き飛ばすような読売新聞の方針変更とミスリード。男系男子の流れを周知させるキーパーソンたる衛藤晟一議員の引退。 皇室を支えるべき識者の軽薄さにも不安を覚えてならぬ。 愛知では建国記念日奉祝をなす集いは10数か所でなされるようになってきているがそこで必ず歌うのは「紀元節」の歌。作曲者は明治新政権の音楽事業を立ち上げた偉才伊沢修二先生。「仰げば尊し」の作曲家でもあり電話の応答語「もしもし」を「申し。申し」より作った方でも有名。僕らの会では「関口長太郎」はじめ六士先生を台湾教育芝山巌教育に件された先生と行った方が分りやすいかもしれない。作詞者は枢密院顧問官の高崎正風男爵。四方の海 皆はらからと思ふ世になど波風の たちさわぐらむ の明治天皇の御製を 公表れた方としてもしられる。 しかし陛下の御製をリークすることはいかに陛下の平和希求のご意思の尊さを世にしらせることは当時はタブー。判明した時は腹を切る覚悟をなされていたという。それほどに陛下に対して心を配ってみえたのだ、無論王和天皇も個の御製を引用なさって和平を願われたことは衆人の知るころである、そして明治天皇の平和ご遺志に感銘を受けた英国者記者の公表で世界が知る事になって米国財閥が明治政府二資金提供がなされ一路戦争に勝利できた遠因にもなった。だからと言って陛下の御心を外に出すことはやはりご法度。それほどに陛下のご発言には気を遣うのが当然だった。それを昨今のマスコミは皇室尊崇の念を捨て去り皇室批判をも繰り返す。まさにうれうべき時代となってしまっている。皇室侮辱罪を定めねばならないど民意が堕してしまっていることに愁いをおぼえてならないらない。
2025.07.25
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7月19日昨日は朝10時から名古屋の護国神社清掃に行く。参議院議員選挙中で皆さん必死であり今日は一人で行った、昼まで。宮司様に近況を報告した後、急ぎ三ヶ根に走る。 慰霊をなしてすぐさまゆうとぴあに走り敷地の周辺に置かれている長年のゴミや剪定後の木々の処理をなす。何十年も前には何か所ものバンガローがありにぎわっていたようだが今はすべて腐りかけた廃屋となっておりそれが巨木になった木々に押しつぶされそうになっている。おりていく道すらもう自然に繁茂した木々により通れないほど。三河湾を見下ろす絶景の地にたっているゆうとぴあの店舗も今では木々にさえぎられて海が見えないほどの景観の悪化。これを早く直さねばならない。ちなみにスカイラインの周辺もかつてはうみがみえる景観の良さに多くのっ方が訪れた場所であったが今は森の中を走っている状態となっている。ゆうとぴあ周辺も同様に周りは森に戻ってしまっている。 昔はロープウェイがあり展望台があり多くの観光客が訪れた場所、半世紀前には昭和天皇がお泊りになられたほどの景観の優れた地として有名であったのに今は昔。国定公園でありながら沿道にすらいくつもの廃墟が目立つ。廃墟見学者が増えて心霊スポットなどとして知られる事態に。 聖なる地の復活・維持を意図して多くの皆さんが立ちあがってくださっている。殉国七士奉賛会の皆さんのご努力で今年の慰霊祭も300名を超すj人々が昭和の日に式典参加くださった。私どもも79数名の参加を得て昭和の日奉祝祭をゆうとぴあにて開催もした。比島観音慰霊碑の整備も奉賛会の皆さんがご高齢になられて会を解散なされたのちも慰霊碑群の土地をお貸しくださっているご住職や高浜からほぼ毎日整備に駆けつけてくださっているS様ら民間有志かたがたの手できれいに整備され聖地継承がなされている。観光活性化プロジェクトもその復活作業の困難さに直面してついに解散となってしまったが、うちその有志の方々などが引き続きご努力くださっている。 東条由布子さんがおなくなりになってのち15年ほど後を受けてゆうとぴあを支えてくださった伊藤弘氏がこの5月に亡くなられ最大のピンチを迎えたが後継を託された神谷氏はじめボランティアで何とか運営継承が始まった。私もなせるところはなそうと七士廟の殉国花壇以外にこのゆうとぴあ周辺整備に協力要請を受け友らとともに協力させていただくことにしたわけである。 しかしこのゆうとぴあ周辺整備は並の努力ではとてもできないほど荒廃状態。 伊藤氏が引き受けた前からの大量の廃墟ゴミや伐採樹木ゴミや処理作業。ゆうとぴあの階下の宿泊地のゴミや各バンガローまでの道に生い茂る木々の伐採作業。毎日が土木工事そのもの。この1週間は大変な時を迎えていた。先日はうずもれた土砂の中からまだ使えそうな6本の柱を掘り出して業者に引き取ってもらったり店舗の割れガラスのの修繕や動かなかった重いガラス引き戸二つを岡崎の業者に来ていただいて修繕したりと大忙し。レストランらしく厨房の大改造や清掃。ベランダの壁や地面の修繕やペンキ塗り。店から海が、特にトンボロが見えるように巨木2本の伐採など。三ヶ根にはゴミ収集車が来ないため鉄類は業者に来てもらって処理するなど。 昨日も夜は8時にスカイライン料金所が閉鎖されるため雨の中必死に作業を成した。ボランティア作業にも毎日通行料金がかかりこれも大変な痛手。 三ヶ根花壇にほとんど行く時間が取れないのがつらいがゆうとぴあの本格営業ができるまではやり切らねば。 今日も必死に選挙運動に励んでくれている皆さんに心の中で手を合わせて助力できないのをお詫びしながら三ヶ根作業に出発である。
2025.07.19
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7月14日 昨日13日は三ヶ根清掃日。豊橋よりご高齢の岩瀬先生も駆けつけてくださりありがたかった。橋口氏のご努力で殉国七士廟にある14基の慰霊碑の清掃も碑の裏側まで草取りが進みありがたいことであった。干潮時に三河湾のサル島につながる「トンボロ」道も長年の木々の成長により見えなくなってしまっていたが大岡氏が三ヶ根ゆうとぴあから見えるようにと木々の伐採を進めてくれた。見事な景観復活に、昼食をとってみえたお客さんも大歓声をあげてくださった。 午後5時より岡崎リブラにて教育を考える会学習会を実施。7時半まで。先月22日の靖国神社正式参拝と台湾芝山巌にて殺戮された西尾小学校初代校長関口長太郎先生ら六士先生慰霊顕彰祭には33名の方が三河からの参列できました。その後の台湾士林小との交流や西尾市と台湾台北士林区との姉妹都市提携活動などの運動。チャイナから民主国家台湾の防衛支援、日本との共栄共存強化などの推進をなすことなどを討議。さらに地域での偉人教育。岡崎では家康公・土屋長吉公のみならず世界的な地理学者志賀重昴先生やや宮路町の新田義貞公の墓の周知や数年後のイベント企画。深見篤慶氏の顕彰、大友皇子顕彰。悠紀斎田。豊田では草薙隊や足助重範公の顕彰作業、豊橋では陸軍墓地や大東塾14烈士慰霊、士魂の碑池田末男宣社長らの顕彰、蒲郡では太平洋の奇跡の主人公大場栄氏顕彰、高浜のシドニー湾伴氏など、名古屋の特攻ゼロ号と呼ばれる大和隊や松井石根閣下慰霊祭など県下の愛国偉人の顕彰をすすめることなどをはなす、昨日は刈谷の天誅組決起につき学ぶさらに参院選現用分析をなす7・8月予定は 7月21日は海の日国旗掲揚 8月 3日、三ヶ根阿含宗さま慰霊祭。全国護国神社清掃の会の方の三ヶ根慰霊、杜預はqし陸軍墓地清掃 4日は金沢大東亜戦争聖戦祭礼参加 8日は日は名古屋からマイクロバスに手三ヶ根慰霊案内 19日は三ヶ根清掃蒲郡にて大場栄氏の映像学習5時から岡崎学習会 15日は朝10時より岡崎龍城神社にて慰霊祭1時より三ヶ根にて慰霊祭 その他多くの予定あり 終了は7時半
2025.07.14
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参議院議員選挙が始まった。今回わたしもポスター張りを手伝わせていただいたがいつも思うのはあまりに掲示場所が多すぎるということ。同じ公園に北と南に掲示場所が設けてあったりと細分化が進みすぎているのではとの疑問が生じてならない。せめて半数にしてよいのでは。 昨日はトリプルセブン777なる日だそうな。7年7月7日。そして朝7時に妻を予約した病院へおくりに出かけた。朝になって病院に送ってほしいと妻の要請、従順に従ったが、おかげで9時半からの教育を考える会の定例会に遅刻してしまった。まあ活動にうごけるのも妻のおかげであるからこれくらいはしておかないと。次はソ連参戦と長崎原爆の慰霊の7年8月9日10時からの三ヶ根慰霊の集いなのだろうかさて、今日の会合では三ヶ根通信を皆さんにお渡ししてこれまでの一か月の活動委報告と今後の活動予定の確認をなす。15・16日の鹿児島知覧慰霊旅行や22日の靖国神社芝山巌六士先生慰霊彰祭の報告。23日の三ヶ根沖慰霊碑参拝や沖縄の日の慰霊などにつき報告。さらには参議院議員選挙などの取り組み状況などの報告や検討などをなす。 今後の取り組みとして選挙以外には投票翌日の海の日の国旗掲揚活動や8月4日の金沢大東亜戦争聖戦碑前の慰霊祭参加や6日の広島原爆慰霊、8日の三ヶ根慰霊のツアーのご案内や10日の知人主催の大場大尉顕彰の集い協力、終戦記念日の岡崎龍城神社に手開催する慰霊祭とアラモ砦の碑の顕彰祭、三ヶ根での終戦の日野慰霊祭参加、16日護国神社献燈祭参加推進。18日の三ヶ根山での占守島を死守してくださった池田末男戦車隊長一士魂隊慰霊感謝祭など。その間を縫ってゆうとぴあ整備や三ヶ根花壇清掃や整備。しっかりやらねば
2025.07.08
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二二日の靖国神社での慰霊顕彰祭を終えて会計処理を終え三ヶ根通信六月号の発送作業をおえた。その後は三ヶ根作業に必死に熱中した今週。殉国七士廟のこの草の量はとても尋常ならず最上階~二段目の部隊碑や通路。さらに三段目の花壇や通路など。これらの草取りや清掃をなすには人手が足りない。 これをしのぐ為に通路の改善をてがけた。まずは草取りをなし平らに整地してここに水で固まる土砂を敷き詰める作業をなした。しかし土壌の思いがけない改良費用の高さに閉口。既に四〇袋を購入して整地したが費用がかなりかかりすぎた。まだ必要分の半分も購入できていない。強度を高めるために一部をコンクリートで覆うことにした、さらには斜面の雑草の刈り取り。主にササの撤去。これはぼぼ有志の皆さんが相当の面積をkり取って下さり大いに進んだ、ゴミ袋40袋ほどを利用して撤去、やっと3段目の通路部の整備に入った段階。本当に感謝しかない。さてそれ以外に三ヶ根唯一の休憩所兼昼食提供場所の「ゆうとぴあ」の整備。長住み込んで喫茶場所を守ってくださった伊藤弘氏が5月初めにご逝去になりその後の運営問題が発生。何とか残さねばならない。しかし建物がそうとういたんでおり。のみならず近隣の廃墟の修繕なども進めねばならない。景観の良き立地が売りであったが竹林や雑木などが広大に広がりその高さも驚くほど。海が見えない状態にまでなるほどに放置されていた。この修繕には相当の期間や資金がかかる。やれるところから進めるしかない。とりあえずゆうとぴあ建物のベランダ部分の修繕とごみ処理、さらにペンキ塗りなども手掛けることにした。まだまだ再生は計画立案段階であるが関係者の英知や協力を取り付け立案作業を進めなければ。 さて今日から参院選。トランプ関税や軍事費5パーセント要請や米国コメこう入要請などに対してどう対処できるのか。多難な時代に対処できる人材を選ばねば日本の未来が危うい。
2025.07.03
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22日。靖国神社に日帰りで行ってきた。芝山巌事件130年記念六士先生・慰霊顕彰の集いへの参加である。愛知三河からの参加は西尾市の教育者で西尾小学校初代校長関口長太郎先生慰霊顕彰会の皆さんかららの呼びかけによるもの、朝6時に豊田市の福祉会館。バスの運転は三ヶ根ゆうとぴあ社長伊野神谷氏・総員21名のバス旅行である。直接東京靖国神社に来てくださった方が6名。それに西尾からレンタカーで来てくださった方が6名。総員で33名が僕らの参加者総員。さらに同じ芝山巌事件で殺害された5名の先生方の縁者がお集まりになり靖国参拝と顕彰祭に集ったのは70名を超えた。厳粛な靖国神社正式参拝を終えて靖国会館偕行の間に移動。講演会にうつる、主催は李登輝友の会。事務局長の柚原正敬氏の司会。 開会挨拶は友の会の理事で、群馬地域学研究所代表理事の手島仁氏両者とも何度も西尾市にお越しくださって居りお世話になっているかた。講話は平井数馬顕彰会会長の白浜裕氏と西尾の中川美穂さん。を熊本と西尾の見事な活動に大いに感銘を受けた。六士先生の出身の地でぜひ顕彰祭を実施していただきいものである。 帰宅後は三ヶゆうとぴあと花壇つくりに奔走の日々である
2025.06.27
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昨日はすぐさま三ヶ根の花壇草取り及び歩道の平準化と草の生えにくい土壌への改良をなす。水を二度にわたってかけることにより固まるもの。全ての草を取りその上に土壌をまき。その後に水かけ作業。この作業は途轍もなき時間がかかる。疲労困憊である。合間を見てさつき林の枯れた花びらを取り去り、からまる蔦を切り取り下草を取りさる。作業中になんと九〇歳をこえる磯辺先生が3名でお越しになる。素晴らしき先生であります。さらに豊田市の渡辺さまが14碑に水をれた献水ようのボトルを設置くださった。ありがたきとであります。 夜日没ま日没した7時半に下山。21日に三ヶ根ウォ―キングがあるのでその協力作業年て歩行者にお茶とジュース・せんべいなどで接待する予定。そのための買い付けにいき、帰宅は9時半ころ。 今日は10時より三ヶ根に努力くださって先日お亡くなりになった伊藤氏の慰霊を有志にて開催。その後は七士廟にある慰霊碑の前の通路の清掃整備をなすよてい。夕刻7時からは関口長太郎先生慰霊顕彰祭の最終説明方針チェック会に参加予定。
2025.06.20
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忙しくてブログも記載できなかった。記録だけ記しておく12日は母の月命日。母の法要を朝9時半より。ご住職に今日をあげていただいたのち。9月の一周忌の予定を初盆ト合わせて行っていただくことをお願いしてみた、義理の兄の初盆がおそらく8月15日。しかし15日は終戦記念日であり朝から岡崎の慰霊祭、昼には三ヶ根にても慰霊祭を行うのでとても我が家で行い時間が取れそうにないので17日の日曜にする案である。ご住職も日程を開けてくださりこれで進めることにした。亡母には申し訳なきことでありますが。 14日。蒲郡商工会議所にて日華親善を目指す会に参加。これだけ多くの人々がご参加になる会合が開けるなんてさすがである。良き会にできるように協力したいもの。二胡の演奏には大きく感銘を受けた。 一五日一六日鹿児島知覧研修に参加。主催は倫理法人会。初めて知覧に行かせていただいた。何時か家族と再訪したいものである。・ 一七日三ヶ根花壇の整備。一八日花壇の整備と二二日靖国神社に行われる台湾芝山巌境域顕彰祭の西尾での取り組み発狂の検討会。何とか間に合わせ総意である。 明日は花壇の通路大修復。今週中に仕上げたい。二二日はいよいよ靖国神社正式参拝と芝山巌教育顕彰祭。成功アせねば。
2025.06.19
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雨の中、雨がっぱを着て三ヶ根に走る。階段つくりを早くなして草取りに入ることを決めた以上躊をしているわけにいかない。入口場所は昨日にとりあえず終了。今日は慰霊碑と花壇場所に分かれる場所での階段化。思いブロック板を運び込んで作業をしていると豪雨となる、ここまでかと修了準備に入ったが待てよこの水の流れは利用できないか。階段のコンクリをこすってみると見る見るうちにまっ白になるではないか。バケツをもっていかなくても水洗いができる。さっそく黒すんだ石基をこすり続けると確かに白くなる。実に効率が良い。ピンチはチャンスに転嫁できるではないか。 今後も続けてみたいものだ、 三ヶ根通信を作成するために様zぁまな写真や新聞記事を集めなおした、あと3日で原稿を作って業者に発注しなくてはならないが頑張らねば。選挙応援に走る。明日も雨かもしれないが通路の草取りに勢力をかけたい。週末には鹿児島の知覧に。初の特攻隊慰霊である主催主宰は倫理法人会さん。実に良き企画だと思う。今まで行けなかったのはやはり仕事。しかしもう少しは休暇を取るのも必要、しっかり感じてきたいものだ
2025.06.11
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昨日9日は朝6時に家を出て三ヶ根に花壇作業に行く。前日の花壇入り口のスペース拡大と階段化の作業の完成を急いだ。何とか9時半には力作業を終えて整備を完了。急ぎ岡崎に戻り10時半からの岡崎での終戦記念日の実施検討会に行く。4名で宮司さんと打ち合わせをなす。何しろ市の場所をお借りして実施するため概要案を作成して市に提出して行かねばならない。今年は昭和100年でもあり終戦80年でもある記念の慰霊祭にしなくてはならない。三ヶ根にて記念樹の植樹をなしたように岡崎公園においても桜の植樹とこの文字を記載した記念の杭を建立したいがこの申請も急がねば。豊橋公園ではご即位委の10年ごとの記念植樹をしてきたが岡崎公園ではその実績がないため果たして許可にこぎつけ得るか不明。いざとなれな一念待って昭和100周年として「周年」の文字にすれば申請日程的には時間があるやもしれないが、まずは今年実施の慰霊祭に向けて申請をしたいが。終えて三ヶ根山に戻る。急いで草取り作業に入るが雨も本降りに。しかし昨日の清掃奉仕で草取りをしてくださった皆さんのご努力を思えば途中までで終えた部分だけは仕上げておかねばとの思いから。ご高齢の皆さんが心を込めて進めてくださった場所だけでも最後までなしておかねば申し訳が立たない。「きれいに整備されて見えますね。」遠方からの参拝くださる方にはなるべく丁寧に説明するのですが、こうした言葉をいただくと恥ずかしくなる。草ばかりの通路では申し訳ない。いや参拝者への配慮というだけではなく英霊に対して申し訳ないことだから。毎回三ヶ根作業の初めの参拝のあとに「海行かば」を謳わせていただくのだが、これは英霊の皆さんの代弁の誓い。私ごときが代弁できるものではないのは承知なのだが少しでも英霊の方の思いを身に課したい。歌うたびに新たに思う。 とはいえ、これだけの広さの通路や花壇。慰霊碑の数。公園の管理のように官庁や公的団体が整備をになえば毎日数人の清掃員がつく広さだがここは完全な民間ボランティアでの管理。花代も資材費用もすべて僕らで調達しなければならないし、作業に入るための通行費用も個人もち。きついがこれも致し方ない。全力を尽くさねば、 もうパンジーの時は終わり夏用の花に変えねばならない時期。全てを植え替えると花代だけで30万は掛かる。何とか値打ちに購入しなければならないが頭が痛いもんだいではあるが。行けるだけやり切るしかない。花の出荷をされているお世話になり続けている農園2箇所にお礼周りと現状報告に行く。会計士の友の家に行き母の遺産分割協議書や国税の支払い用紙作成を急いでもらう。土地建物の名義変更を、基本私の名を飛ばして私の子供らにした関係で会計士の作業も大変になっている。子らにとっての相続税支払いは至難の業。固定資産税を払っていても相続税がかかり、その支払いのために銀行借り入れをせねばならない。。おかしなシステムだと思うが国宝だから致し方ない。しかしこれではどの家も数代先には家が落ちぶれてしまう。おかしな制度であることよ。 西尾の市議選に知人が出ているので激励にも走る。夜三ヶ根通信原稿の検討会。今週中に作り上げねば。しかし写真決定など友に頼むしかなく申し訳ない限り。テクニックなき自分が情けなくなる。さてまもなく日台親善の会合や知覧参拝旅行靖国参拝と芝山巌慰霊顕彰のバス日帰り旅行。それに種々の講演会参加動員や資料づくり。なかなか多その中での三ヶ根作業や三ヶ根ウォーキング支援や国旗作成。無論選挙。それも国政も。多忙な行事にさらに町内作業。やり切るしかないのだが。 今日の雨はきつい、作業ができそうもない。資料整備等山積する作業をかたずけたい
2025.06.10
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昨日6月8日は第2日曜であり三ヶ根定例作業日。かつ岡崎学習日でもあった。さらには西尾の市議選市長選挙の開始日、かつ三ヶ根でのアジサイ祭りの日。多忙を極めて大変な一日であった。2日にわたりポステイングの応援をなし三ヶ根の事前花壇作成などをなし空いた時間に学習準備をなす。いずれも不充分で悔しさだけが残る。まずは三ヶ根花壇の入り口の階段つくり。重たいコンクリート板を運び込み整地しながら平らに並べ固定。まだ仕上げとはいかなかったがすでに登山の方らが休憩場所としてりようくださっているのを見て満足感を覚えた。あとは段差があることに気づかれないとつまずかれる危険性があるため早急に目立つように色付けをなしておきたい。9時半には多くの皆さんがお集まりくださり草取り作業に入っていただいた。作業中に参拝者への七士廟の説明も行う。高校の先生が生徒さん6名をお連れくださったので張り切って説明をなす。皆さん極めて優秀な方で高校生ながらすでに英検一級や準一級を取得されて見えたりする。驚きであります。こうした生徒さんが将来の日本を支えてくださるのだなあと思えば希望が湧いてくる。新たに清掃奉仕にご参加くださった方が私の教え子を含めて4名。うれしきことであります。終了後にうちお一人を岡崎の悠紀の里と大正天皇をお祭りする大正宮にご案内した、5時からの学習会は明治以降の歴史整理。さらには22日に靖国神社の会議室にて行われる芝山巌事件慰霊顕彰会にて発表する内容の映像チェックなど。 今日は10時半より終戦記念日の取り組み会議を岡崎龍城神社にてそれ迄に差三ヶ根作業に行っておきたい。
2025.06.09
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昨日6月6日朝8時より三ヶ根に。山で剪定した木々を処理。なかなかの量で焼却に手間取る。今日の作業は花壇入り口の階段作成。コンクリートで作るには費用が掛かりすぎるのでコンクリート板を20枚ほど購入してその接続部にのみコンクリ―を使う方法で作成に入るシローとつくりでありうまくいくかは不明だが山の事、さほどの凸凹ができても許容されよう。しかしその板が重くて一人では至難の作業。とりあえず10枚ほどを何とかはq媚びこんで並べてみた。夕刻、西尾氏の市議会議員選挙の応援にチラシポステイングに入った、 本日6月7日土曜は今からポステイングの残りを成し遂げてから10時半に岡崎のいわゆる「護国神社」参拝と8月15日終戦記念日の式典と歌唱最実施の打ち合わせおよびアラモの碑前の慰霊祭実施の打ち合わせを宮司さんらと行う。のち三ヶ根階段作成作業の続きに入る予定。夕刻には帰宅して日曜の岡崎学習会の資料つくり。毎月第2日曜5時から7時過ぎまでリブラにて。それまでは三ヶ根作業日であるため出陣式などの選挙応援には行けないのが残念。多忙なるもなし切らねば。 14の日台神前会議蒲郡、その日は本来倫理法人会の知覧訪問だが私は一日遅れて飛行機にて参加、鹿児島の先輩に会う予定であるため一日遅れて帰宅予定。21日は竹上代議士の後援会22日は安国神社参拝と死産がん慰霊顕彰祭のため上京。多忙なるもやり切るのみ
2025.06.07
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母の死より9か月。やっと遺族に分割協議書に基づいて相続が終了。母の一周忌の法要の準備に取り掛かる。母のひ孫は13人。本当に面倒よく行ってくれていた。私の三ヶ根花壇作業の様子を見に来てくれた際に車から降りるや否やすぐに座り込んで草取りをしてくれた母、こんなに広くて草が生えているのは大変だからといって老体ながらすぐに作業に入る姿や、台湾芝山巌教育に倒れた山口県萩の慰霊碑に90歳になったばかりの老体に鞭打って自家用車に同乗してくれて参拝してくれた母を思い返すと本当にありがたい母を持ったとふりかえる。誘った際に息子と二人で旅行ができるなんて長生きできてよかったと語ってくれた。親不孝の限りを尽くしてしまったが来る6月22日の靖国神社参拝に連れていけないのが残念でならない。しかし私と妻と子供二人も参列、私のいとこ二人も参列してくれることになった。芝山巌事件130年の慰霊顕彰祭に親族6人で行けるのも尊きことだと痛感している。この6月22日はちなみにわが父の12回忌当日でもある。この日に靖国神社参拝ができるのも神慮というべきか。父から父のいとこが終戦時パイロットとして従軍した際、我が家の上空に周回飛行して飛び立っていったとよく聞かされた。親族もこぞって見送ったとと聞いた。顔もしっかりと見えたと聞いている。そのご家族はすでに名古屋に引っ越しされ我が家の墓のすぐ隣にご家族の墓だけがある。その際に土地を父が購入。その地に今はわが子の家が建っている。このことも子らには伝えてあるが何時かはその重みを粉に孫に伝えていってほしいものだ。22日には母の写真・父の写真も持って靖国参拝をなしたいとおもう。 昨日は母の銀行及び農協の借り入れ処理を行ない、家の草取りなども終えてのち三ヶ根へ。草取りやゆうとぴあさんの廃物処理をなし、下山は夜スカイライン出口がしまる8時少し前。今日は開門ぎりぎりには入って全力作業する予定である。
2025.06.06
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