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今朝は9時半より会計士に立ち会っていただき国税局のお二人からの質問に答えた。実に細かい質問でしたがほぼすべての支出について答えることができほっとした。昼食も抜いて会計説明作業を終えたので昼1時半ころまでかかっが残りの質問は会計士にしてもらうことにしてわが家への再訪はないことになりほっとする。 久しぶりに妻と外食にでる。雨もやんだので急ぎ三ヶ根に。しかし山に入るとあたりは霧に覆われてかの襲撃にもあったので早めに切り上げアジア大会の会場に向かう、しかし駐車場は市民へ開放しているものはどこにもなく、歩いて会場に行くしかなかったが相当の距離、テーマは日本の自衛隊機の旭日旗と台湾国家の青天白日旗の持ち込み禁止の看板の設置の有無を調べること、ついに見ることができなかったが私の息子から送られた画像をネットで見ると持ち込み禁止の看板がのっている、なんと。これほど日本の災害に資金援助をしてくださっている台湾の方に何たる失礼な話ではないか、友らは新聞社などにとっくにこうぎしてくれている、なぜにあいち県はこれほど台湾に無頼な行為をするのかと、ぜひ声を上げねばならない、 台湾の選手村はあるかtP、あればお詫びをしようとP調べても選手村はなき様々なホテルに分散して泊まっているとのこと、何とか直接お詫びしたい。
2026.09.28
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9月26日(土)は朝業者との契約書を交わし急ぎ豊橋に走る、1時半より敬愛する髭の隊長佐藤正久先生のご講演をいただく主催は豊橋陸軍墓地を守る会。今年の4月29日の三ヶ根山近くの蒲郡ホテル形原別館にて昭和の日奉祝祭での講師以来のご講演である。自衛隊が逆境にあった時代にも耐えに耐えて国家の名誉を守るために自衛官として大活躍をされたヒ―ロー、その頃の自衛隊の置かれた厳しさや東日本大震災における自衛隊の皆さんが占しめされた武士道精神、これを語られた先生、もう聞きながら涙があふれて仕方がなかった。こうした先生には一刻も早く国会に戻って国の防衛を担っていただきたいと心から思った、閉会の挨拶をさせていただいたが感動で胸震える中での感謝の挨拶。うまく言えたか不安ではあった。半せうぃ界にもご参加いただいた、こちらには30名ほどが参加していただけた、よき一日であった。27日日曜は朝9時半から三ヶ根作業、私は8時には作業に入った。参加くださった方は10名ほど。今日はアジサイ園とつつじ園。ほぼ大きな草大量の草の撤去は完成できた。ガイドは台湾からお見えの4名や自衛官の方の案内には大いに充実感が。夕刻5時半より友が県議を目指すとのことで講演会に参列。夜7時より会計士と打ち合わせ、明日10時ころに国税の方が我が家に見えるとのことで緊張。以前、10数年前にも国税のメンバーが調査にみえたことがあったがその時は数日間私も拘束を受けた、当時は会社も大きく、チェック書類も多く実に面倒。しかし事務員の書類はほぼ完ぺき、通常私の職種ではいったん国税局が入ると500万円ほどの追徴金がかかるのが常識だったし友の会社もそのくらいかかったと聞いていたのでひやひや、見解の相違だといっても許されず結果私の会社は20万ほどの追徴金がかかった。明日は大丈夫だとは思うが数万程度はかかるやもしれぬ。よって会計士に30分前に立ち合いに来てもらうことにした。まあ時間がとられるのは勘弁してもらいたいものだ。
2026.09.27
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9・25朝部屋の整理。昼から三ヶ根にいく。今日は業者の皆さんがスカイラインのわきのアジサイ周辺の下草を取ってくださっていた。9月30日を語呂合わせで「くさぜろ」週間の最終日頃までにはスカイライン周辺もきれいになっているだろう。私は七士廟のつつじ園の下草取りを進める。一応の区切りをつけ下山。三谷温泉の乃木公園の乃木将軍公園の草刈りをなす。隣地の寺の僧侶に会い国籍を問うとベトナムとのこと。片言の日本語でいらっしゃる、公園駐車場の草取りをもしてくれているようだ、気力すぐれず作業を中止して中秋の名月を雲間に眺めようと帰宅したが雲にさえぎられて見えず、無念。久しぶりに布団に入ると爆睡。あすは9時から業者訪問。終了後に豊橋陸軍墓地の菊の花うr。1時半よりひげの隊長佐藤先生講演会。
2026.09.25
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一昨日23日の夕刻8時から5名で旗の降納を行う。何匹ものかめ虫が国旗に着ついてやっかいであった。降納活動が初めての方が見えたので感想を伺うと、「この年まで一度も国のために動いた体験はなかった。参加できたことがありがたかった」と。ならばと解散後我が家に寄っていただき日本人の先人のすばらしさを記載する学習資料を渡す。 今朝は近隣の神社などの国旗の効能も済ませ。街路灯などから降納した掲揚国旗を整理し修繕などをする。 一応の片を付けて三が根に行く。多くの参拝者がおみえになる。やはり三ヶ根は日本を正しく振りかえる」聖地である。3時に岡崎ニューグランドホテルにいき、岡崎の建国祭の運営会議に参加する、 岡崎市全体の自治会長である総代会連合会連合会長長が交替となりその初顔もかねて。お迎えして驚いたのはなんと母校名古屋大学のゼミの先輩ではないか。卒業後は一二度たまたま会うことがあっただけで交流はなかった。こうしてお会いすると学生時代の気さくに議論した関係から一気に威厳に満ちた姿になって目の前にお見えになるギャップに戸惑いをもぼえる。何しろ連合会長は市長の次に実力を持たれる立場。そういえば5名の事務局の方すべて各地域の総代会長の体験者ではないか。私だけが部外者。思えばすごい組織であります。 帰宅後は史料整理と関口長太郎先生慰霊祭のかつての横幕を探し出し今年の顕彰祭事務局さんにおわたしする。 奉迎活動は秋篠宮皇嗣同妃両殿下の閉会式お成りに対してとりくみとします。10月4日午後におこなわれる閉会式にご臨席になられますのでまた詳細が分かりましたらごあんないできるかとおもいます。 なお殿下はアジア大会の名誉総裁にご就任なされて見えます。今のところ瑞穂公園陸上競技場カお帰りの名駅のどちらかまたは両方での取り組みにします。
2026.09.25
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21日は京都での政策研究所研修合宿から急ぎかえり悠仁親王殿下を名駅におくった。22日はまだ掲揚していない神社での掲揚を済ませて朝三ヶ根行き。なんと国旗が掲揚されていない。18日に掲揚しそのまま19日から21日いっぱいの奉迎活動で三gくぁねによれなかったのであげっぱなしにしていたが強風で飛んでしまったのか。何たる失態。車に乗せていた私の家庭用の国旗を急遽掲揚して今日の国旗とした。無いよりはずっと良いが物足りないのであす大きな国旗を持参して付け替えたい。明日は秋季皇霊祭、秋分の日の祝日であるから。 日中多くの皆さんが参拝に来てくださった。中でも40代の方とはよく話が通じた。殉国七士廟にあるすべての慰霊碑に線香をあげ祈ってくださる。私は草取り作業に必死であったがきりの良いところで案内させていただく。元高校の教師だったといわれる。教育を変えねば日本は大変な事になると感じて政治家を目指すことにしたとのこと。ぜひ目的実現をと激励した、 有働先生の来訪を受け先生のお車で神社回りなどをなす。我が家の隣の公民館にある3つの碑から。真中のおおきな碑は県が建立した大久保一族発跡の地碑。今でこそ公民館であるがもとは上和田城の中心地とされる場所。初代城主は宇都宮泰藤公。新田義貞公と共に北条軍を倒した功労者。しかし新田義貞公が福井の藤島にて打たれ、その首級が京の都大路にさらされた際にこれを奪取し上和田城下の犬頭神社に首塚を作り慰霊をなされた。自らは犬頭神社の隣にある浄土宗の僧侶となり亡くなるまで新田義貞公を祭り続けた。「大久保」の一族を率いた忠世は家康の意を受けて小田原城主となったのちはその塚を小田原に移して後も新田義貞公の首を守護し続けたとおもわれる。ちなみに 他の一つは一向一揆にて家康を守り倒れた忠臣土屋長吉公。他の一つはこの地に用水を引いた杉田三郎。我が家の遠き先祖である。 氏神の一つ、延喜社比蘇天神社を参拝しさらに一つ、犬頭神社に参拝。ここに新田義貞公の首塚があるのです。そして隣接の妙国寺に参拝、新田義貞公の首級を運び首塚を築いてなくなるまで慰霊を続けた泰藤公が亡くなられた地と伝わる寺です。さらに自宅に戻る。ぜひ仏壇に手を合わしたいとおっしゃるので仏間を開けお参りしていただいた。般若心経などのお経をあげていただいた。有働先生には新田義貞公の首塚の認知についてのご協力をお願いした。伝承の地は全国で4.5か所あるようだが最も可能性の高い場所が犬頭神社と私にはおもえるから、先生には学問的な見地からのすぃどうをお願いした。 今日は23日は朝から資料整理、夜8時から市内のこっきこうのうをおこなうよていである、
2026.09.23
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アジア大会に沸く名古屋。日本での開催は30年余年もなかったこと。待ちに待った大会である。私どもにとっては陛下の行幸啓をいただく待望の日でもあった。しかもご即位後最初の国内ご視察の当日はこの愛知。尾張旭市にs特需際にお越しいただき、その日の午後はなんとわが岡崎市の福祉施設「青い鳥」。市内も大いに沸き立ったが、会場や演奏の狭さのため市は奉迎情報をほとんど公示しなかった。しかし市民の奉迎が活発になり奉迎者予測も市は8千名もいかないとしていたが私はその倍を予測し市に奉迎線の数の増加を要請、結果は私どもの作成し市に提供した1万2千本の小旗も足らずに奉迎者に抗議されたことを思いだした。9月18日から私及び私の周辺は皇室の方々に感謝する思いがみなぎっていた。国旗つくりも急がねばと、必死。19日は天皇皇后両陛下。皇嗣殿下妃殿下奉迎。ホテルがキャッスルと名古屋観光ホテルと2か所に分かれるため多少の困難にであう。昼食奉迎をなし瑞穂会場開会式での奉迎をなす。場所が よく20日は両陛下・皇嗣両殿下のご覧いただく競技も競技場所も異なりしかも地球博場所で奉迎場所が一か所増えることになり対応を急遽なすことになり次の奉迎場所のホテル前をカットする予定外事態となるなど対応に慌てたが何とかお帰り時の大送迎にも参加できた。ここで僕ら奉迎チームも解散。 後作業を終えて私はすぐに京都花岡会館での合宿参加。しかし夜中の到着であった。奉迎準備に入る前から合宿申し込みしていたため楽しみにしていたが無念ながら夜中着のため皆さんと和えず、朝の朝食を食べただけですぐに名古屋がえり、悠仁親王殿下のご視察に奉迎にも付き添えず結果4時前の帰郷見送りだけになってしまった。しかもお見送りをするスタッフゼッケンをつけて見える方も5.6名が見えたがここでも動かれない。組織委員会に属されてみえるようだがなぜか動かれない。不思議でならないが私どもも運営メンバーなしで私のみ。一人で駅前を歩かれる皆さんに奉迎をいたしましょうと声掛けして120本の国旗を配り悠仁親王殿下を見送っていただけた、さすがに名古屋の方は喜んで奉迎線の枠の中に入ってくださり国旗で見送ってくださった。岡先での皇室訪問時自治会から事前に案内が回りものすごい方が駆けつけてくださるのだが。岐阜では県に奉迎室ができ県庁に2万本の国旗をつくってとどけた。国旗配布も県や市の職員が配ってくれるの。先月の愛子内親王の伊勢神宮参拝時にも僕らは2.3人で地元の方が配布してくださった、愛知での奉迎では市や県の職員やバイト雇いの方は実に多いがなぜか奉迎を熱心にしようと呼びかけの言葉すら出されない。これでは税金の無駄使いではないかと思ってしまう。どうなんでしょうね。 今日はやっと三ヶ根行きができる。草取りや雨で崩れ落ちた土砂などの修復。むろん民間ですので完全ボランティアだからスカイライン入場代金420円を払っていくのですよ。まあ好きでやっているのですから仕方ないのですが アジア大会の閉会式は4日。秋篠宮皇嗣殿下はじめ皇室の方がお越しくださいます、ぜひ見送り参加だけでもお越しいただけwレばさいわいです。
2026.09.22
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9月18日。 いよいよアジア大会。戦乱やまぬ時にあって平和の祭典たるスポーツでの競い合いに多くの若者がアジア各国から集まり技を競い鍛錬の成果を出し合う大会が事故なく歓喜の大会になることをこころより期待したい。 開会式には皇族の皆さんもお越しいただける。19日夜6時からの開会式には天皇皇后両陛下の行幸啓と秋篠宮殿下妃殿下のお成りもいただける。愛知県民にとって史上最高の栄誉の時であります。奉迎の取り組みとしてこの日に向けて我らが友らと作った小旗の数はすでに2万本をこえる。これを打ち振るって奉迎のできる喜びは何にも代えがたきもの。ありがたさに胸震えるばかりであります。 大会関係者、各国からみえる選手の皆さん、警備の皆さん、応援の皆さんの暖かきこころが結集して最高の大会になることを信じてやみません、 奉迎準備もいよいよ本番。日本会議の皆さんも開会式終了後の夜8時にお泊り場所のホテル近くに集まられ県民の感謝の集いを企画されている。われらも一昨日には急遽朝10時におひとり夜7時に3名に来ていただき奉迎活動の全きをうちあわせた。 19日の開会式、21日の敬老の日、23日の秋分の日を含め祝賀の連休がはじまる。よって、常には祝日国旗掲揚は祝日ごとになしていたが今回は今日18日夜7時から市内掲揚をすることにした。岡崎市内だけでも約450本を中心街の康生通りから岩津商店街街路灯に掲揚して祝意を表わさせていただく。県内他市町村国旗掲揚ストリート掲揚担当者も連続掲揚くださると思われる。 さて昨日は名古屋空襲という民間人虐殺をなしたB29の搭乗者27名の裁判をなし処刑した責任を取って戦犯とされた岡田資(タスク)陸軍中将のご命日。昭和24年9月17日に刑死なされた。名古屋の小学校を機銃掃射撃し軍事目標ではなき名古屋等都市爆撃をなし、非戦闘員、無辜の名古屋市民を殺傷するという戦争犯罪をなした撃墜されたB29の搭乗兵27名の処刑の責任を問われてのもの。映画「明日への遺言」(平成20年に公開)を見て初めてこの裁判につき私は知った。無念やるかたなし。朝7時か。やっとはれた。いまから三ヶ根にでかけます。
2026.09.18
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9月15日雨が収まるまでは自宅にて国旗作成作業や重要資料の印刷などをなす。昼過ぎに小雨になったので三ヶ根に走り倒壊したテントの補修や草取りをなす。蒲郡市より電話。9月13日は乃木希典公のご命日。昨日蒲郡三谷にある巨大な希典公の慰霊塔参拝に行った.。乃木公園が草の繁茂のため見苦しかったため市に今の管理者について尋ねた。その返事の電話であった。建立は大正期、建立者は地元の郷友会となっていた。現在の管理は蒲郡市が担っているとのことだったので草取りや木々伐採を担わせていただく許可をいただく。すぐに下山して清掃に入ったが雨がまた降りだしたので中途で終了。 明日は19日陛下奉迎の概要を決定予定、明日中に決めなければ、朝10時にまず一案、夕刻7時に再度会合を開きたい
2026.09.16
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9月14日12日土曜日は朝10時より山口からの参拝者の方など5名の皆さんのご案内をする。三ヶ根駅に迎え。パネル土を用意して張り切って行ったが時間なく中途半端となり申し訳なし。 昼からは諸資料作成のため早めに帰宅。13日の機能は朝2時から製本作業。友2名が7時に来てくれたので急ぎ乗り合わせて岐阜県下呂市の楠公回天祭に参加。玉串奉奠をさせていただく。第2日曜ですので三ヶ根作業日。よって無人にしてはならずスタッフに残っていただいたので愛知からは4名にて慰霊顕彰祭に参加。式典後の講演は靖国神社よりお越しになった機関車保存会の林紀孝事務局長による泰緬鉄道史跡訪問報告。かつてタイ国でみた英国捕虜人形展示のひどさにつらさを感じていたがいかにりっぱに繰り切った鉄道であったかを伺い感動。講演後直ぐにお礼のご挨拶をさせていただいた。岐阜のみなさんがりっぱに活躍されているを確認し大いに感激する慰霊祭参加であった、帰宅後岡崎リブラにて岡崎学習会。少し遅れて参加。皆さんに種々の戦闘概要をまとめて印刷した冊子を読みあわせをなす。読めなかった場所は自宅にて読み切ることをお願いした。帰宅して残り冊子のかんせいをなした。また国旗つくりも。今日はまたもや雨。まもなく雨もやみそうである。上がれば三ヶ根行きです。
2026.09.14
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11日(金) 米国同時多発テロ25年 秋篠宮妃 紀子殿下 還暦お誕生日12日(土) 天誅組義挙 刈谷 松本圭堂13日(日) 乃木希典大将ご夫妻自刃・三ヶ根清掃日・岡崎学習会5時 下呂楠公回天祭16日(水) エルトウールル号座礁19日(土) 両陛下皇嗣殿下 名古屋等奉迎 国旗掲揚 皇嗣殿下・悠仁親王殿下奉迎21日(月) 敬老の日23日(水) 秋分の日 9月3日(木)ミズーリ号調印 日本では救急車要請番号は119ですがアメリカでは911。当時、9月11日の日付と911の緊急番号が一致していることに不思議さを感じていたがいまだこの攻撃の日の日付が犯罪予定日と関係があるのかわたしは知らないまま。ご存じの方がいればおしえていただきたいものだが。 それにしてもこのツインタワー爆破攻撃事件は大変な衝撃であった。戦争が国家同士の対決からテロ集団との対決に様変わり。理性のあるとされる国家が統制できないテロ集団と代わった。国歌は邪心を見せなくなり国家としては国際法規を守るふりをしてテロ集団の陰に隠れた。しかし実態は批判をテロ集団に向かわせ国家はテロ集団を討伐するふりをしただけでテロ集団への支援をして直接の国際非難をかわしただけ、実態はテロ支援をなして安易に国益を守る道を進んできている。狡猾な手段というべきであろう、 スパイ活動を全国民や国外に住むに移民者にも課し機密をあつめ、世論操作をてつだわせる。日本の皇室批判をも繰り広げる。これらは間接侵略として取り締まり対象となってはいるが。あまりの巧妙さや数の多さ、危機感の薄さに我が国はうつてもかぎられてしまっているのではないか、憂慮すべき事態である。25年前。あの頃はチャイナ迎合政党公明党が政権に参画、自民はのの政党なくして政権が取れなくなっていた、自衛隊も国際的な使命を果たそうにも政権内野党の反対で派遣にブレーキが掛けられる。当時、敬愛する大先輩岡崎ご出身の故鈴木正男先生に頼まれたのは靖国神社に自衛官が制服のまま参拝出きるよう心を尽くせであった。防大を退官する友にラストだからぜひ処分覚悟で同期で隊列を組んで正式参拝の実績をなした退官式を迎えてもらえないかと頼んだができずに終わってしまった、先生は自決される最後の小論に靖国を守れと記載され世を去られた。無念でならない。今年もまた名大祭で学生らの丁寧な準備の中、自衛隊の国際貢献や災害救援業務に務める自衛隊員の活躍の様子の展示がなされることになったが一部教授会による「自衛隊は殺戮集団」などの妨害を受け展示中止に追い込まれた。こんなバカげた言動がいまだ学問の府でなされるなどは異常としか言えない。やっと公明が政権から外れ、野党の「中道」も崩壊。公明と組んだ立憲民主党も分裂するしかない状態に追い込まれた。防衛のみならず、移民問題や外国人参政権問題においてもやっと前進がみこまれるようになるときたいする。愛知県内ほとんどすべての市町村議会にて外国人地方参政権を認める用意意見書が出あされていた、公明党の強き推進により。こっれに気づいた僕らは必死に議会決議の改変に勤め全市町村議会で参政権反対決議を通し真逆の意見書提出にこぎつけた。やっと自民も野党も気づいたのであろう。日本の主権をチャイナや諸外国に売り渡してはならないことに。中国領事館払い下げ問題も推進勢力公明のため大いに困難を極めた。私の仲間や知人の努力で2万筆、他の団体の署名で6万筆以上の署名を集め払い下げ反対決議を何とか上げ全国唯一名古屋はチャイナの居であ愛知での巨大な領事館建設とめることができた、むろん多くのとものどりょくのけっしゅうであります、公明党支持者🅂の方までもがんばってくださったこともわすれはしない、私にとって911は人生を洗濯する実に大きな事件であった。 12日は刈谷の偉人松本圭堂のご命日。三ヶ根では参拝予定をお迎えし案内もおこなうよてい。13日は回天創始者黒木少佐の偉業に感謝するため岐阜の下呂に開催される回天祭に友4名と参加予定。三ヶ根山清掃も私なくて9時半より実施、夕刻5時からは岡崎学習会をr5イブラにて開催。 奉迎の計画など日々行事ばかり。 頑張るしかありません
2026.09.11
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御殿場行き8時に出て11時半頃に御殿場のいとこ宅に着く。叔母の長男。男の兄弟4名はみな自衛官。かれも防大出。私もスマートないとこにあこがれて防大入試に合格し進む予定であったが父に「長男が入隊すれば家の跡継ぎに困ると反対され悔しくも断念。いとこも長男であったが岡崎の実家を継ぐことなく御殿場 住居を持ちここに住むことになった。富士学校では戦史を教えていた。彼には多くを教えていただいた。東条閣下の人となりを現実的に授業で扱えたのもそのため。 私の岡崎学習会の講師に来ていただき硫黄島探査体験を語っていただいた際に涙を流されながらなされた事を思い出したが、彼の場合単に慰霊というよりおなじ祖国を命をかけてたたかい守る戦友としての感覚だったようだ。 何しろ自宅から職場まで往復22キロの道を毎日走って通勤。総距離は地球一周の4.5倍にもなったと聞かされた。さすがです。名物教官として名をなしただけはあると感服。ご冥福を祈りたい。 帰宅は7時、業者が2名すでに来てくれていた。何とか間に合い契約書に署名できた。今朝は朝5時出。蒲郡倫理法人会モーニングセミナー参加朝食後3台に分乗して三ヶ根殉国七士廟案内。天候悪く早めに切り上げ下山した。地元の草取り作業。放置自転車数台しょりをなす。国旗作成は200本で終える。
2026.09.10
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9月7日昨日は朝9時半より碧南学習会。二人は安城市の教委に文科省検定合格の中学社会科歴史的分野教科書の図書室への寄贈に行き僕らの会には欠席。他ののメンバーで実施。昼まで。 まずは基調報告。この一か月での活動報告として各種慰霊活動や他の地区での活動紹介・終戦記念日岡崎慰霊祭総括・三ヶ根整備・天皇皇后奉迎秋篠宮奉迎に向けた国旗作成活動などを語る。今現在一万八千本程作成。次いで各参加者の現状報告発表をなしていただく。 新田義貞公の首塚問題と建武の新政700年祭について大塔の宮(後醍醐天皇ご長男)大和墓探索報告や書購入の報告をK社長から志賀重昴没後100年の取り組みなどをKさん島原天草一揆と鈴木神社の美談をS氏白瀬南極大陸探検隊の成果と西尾の墓前交流会報告をNさん私は大友皇子と岡崎についてなど。三ヶ根青空フェステイバルと関口先生慰霊祭予定についてはOさん西尾の幼児教育者の関先生についてのレポートはNさん。等。 討議内容は台湾問題や沖縄平和教育なる反基地運動の問題戦後金門島チャイナ侵略を食い止めた旧将校の白団や具体的な戦闘支援に密航してまで立ち上がった根本博氏の業績と台湾防衛の軍事行動を敗戦後もなしてくださった皆様の実績の開示と自衛隊の責務への継承などさらには13日下呂での楠公回天祭黒木少佐慰霊祭への参加や19日20日の両陛下秋篠宮殿下悠仁殿下奉迎予定などの検討すべてが大変な作業であるが怠りなくなしたい。 終えて三ヶ根。案内は二名だけでしたが雨にかかわらずお越しいただき大感動。イノシシ被害は拡大中。テントもポールが折れ曲がり非道有様。この嵐がおゎれば大修繕に入らねば今日は今から御殿場行き。自衛隊富士学校の教官を務めたいとこの家に弔問に行きます帰宅は7時には業者とのうちあわせにまにあわせたい。
2026.09.08
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9月7日 昨日9月6日は悠仁親王殿下のお誕生日。誠におめでとうございました。町内の一斉清掃日でしたので朝5時から少し草とりし後は真に任せ私は豊橋行き。7時に始まる陸軍墓地清掃に30分ほど遅れて参加した。20名を超す皆さんとともに実施。皆さんに三ヶ根季節だよりなどを畏怖させていただいた。中途で抜けさせていただき西尾へ。 10時からは南極大陸探検隊白瀬隊長の慰霊顕彰の集いに参加。市長はじめ代議士 県議市議の挨拶などをきく、白瀬隊長は秋田ご出身。以前秋田の記念館に訪れた際には愛知の豊橋で亡くなられた事は知っていたが西尾に墓があることを知ったのは10年ほど前。なかなか参拝にいけかったがわが会員の尾崎さんが毎日この寺と神社を参拝されていることを教えてくれたので一年前からこの集いに参加させていただくようになった。 雨のため室内で仏式での法要。終えて某県議と話し、県内すべての小中校へ愛知県健康福祉課長名でだされた8.15の全県での小中校半旗掲揚要請通知の実施状況の掌握をお願いした、ひ孫様らと墓の参拝をさせていただく。 雨のため帰宅。三ヶ根行きを断念。奉迎用の小旗作成はおよそ600本。15000本の配送後私が作成した小旗はよって00本。何とか19日までに5000本には届かせたい、今日月曜は碧南学習会。9時半までに史料作成を完成してお渡しするためひっしです今日は回天立案者で試験航海に出て亡くなられた黒木少佐らの殉職の日。慰霊祭は9月第2日曜と決まっているため13日,下呂にて。ご一緒くださる方はぜひお知らせください。まだ今日現在愛知からの参加は4名です。 昭和19年、大陸でもっとも勇敢に戦われた部隊の一つ拉孟(らもう)守備隊玉砕の日。心からご冥福をいのります、
2026.09.07
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9月6日朝2時 昨日は貴嶺宮内の中正神社にて蒋介石公の月命日の慰霊祭に参列。神主さんの心揺さぶる慰霊の言葉に感銘を受けつつ式典に臨ませていただいた。 コロナ禍の前は根本博氏のゆかりの方らがお越しなっていたが昨今は残念ながらいらっしゃらない。 大陸に残された部隊兵士らを無事速やかに日本帰国の途につけてくれた蒋介石に感謝していた根本氏はチャイナでの内戦を気に病んでいた。 1949年、毛沢東は台湾急襲、金門島への攻撃に出る。その時蒋介石軍を支援して台湾勝利に導いたのが根本氏。しかし当時の日本は米国の統治中。密航して台湾に行くしかなかった。小舟に乗り台湾に渡った根本氏は世話になった友、蒋介石を助けて反撃の支援をなした。主力は旧日本軍の将校ら83名で結成された秘密軍事顧問団「白団」でしたが、その極秘作戦をカモフラージュするしごとをなした。具体的には実践の作戦指導。総理が「台湾有事は日本有事」と、ごく当然の発言なしたが、習近平政権は何をおそれてこれほど敏感に反応したのか。 敗戦国で米国軍政下にあった百人に満たない元軍人が蒋介石軍を支援して毛沢東軍が撃破された事が今のチャイナ政権にとって相当トラウマになっているのではなかろうか、と、私にはおもわれてならない。 同時に民間人が台湾を守り抜いた。自立国家として親日のしかも旧被統治国である台湾を守るのは日本の責務ではないのか。台湾関係法を我が国も定めてチャイナによる台湾侵攻を何とか食い止めねばならないと思いつつ慰霊祭に参加していた。 終えて宅に戻り運日をなして名古屋での豊国平成塾学習会に参加した、 帰宅後は町内草取り。さらに会社の会計処理。国旗つくり。いそがしき日であった、
2026.09.06
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9月5日昨日は雨のため自宅にて資料整備等ひたすら国旗作成。とりあえず10日間で2000枚を作成までこぎつけた。一日200枚のペースは守りえている。 本日9月5日は日露戦争の講和。ポーツマス条約提携記念日。間宮林蔵が樺太を探検してここが半島でなく島であることを発見。この時以来間宮海峡以東の地は日本の地と成った。ロシアがなおもどんどん侵略を始めてきたため共同統治地から樺太千島交換条約後はロシア領とされた、 日露戦時は全樺太を取り戻したがこのポーツマス条約では南樺太だけの奪還となる。この時の樺太内の国境の数個の石碑はわが岡崎の生んだ世界的地理学者、志賀重昴先生主導で岡崎の石屋さんが作成したもの。 大東亜戦時に火事場泥棒的に略奪された南樺太は一刻も早く取り返さねばらない。 さて一方で台湾。蒋介石公を祭る日本唯一の神社はわが岡崎市の隣接町、幸田町にある中正神社。本日5日は木命日で祭礼は9時より。1949年10月逃れた国民党蒋介石は共産党意見による侵略金門島 にて大変な危機を迎えた。この時日本は米国軍政下。しかし根本博駐蒙軍司令官は家族にも知らせず台湾へ密航。根本氏は国民党の作戦指導やお減を行い、上陸してきた共産軍をあえてひきこみ袋のネズミにするなど戦術で撃破に大きく貢献た。その結果、共産党は台湾制圧はなしえず、台湾は存立が可能となったのである。 日本はサンフランシスコ条約で上記うの 樺太と台湾の領有を放棄させられているが間違えてはならないのは現在も日本は台湾を中国共産党に渡してはいない。沖縄や小笠原等をアメリカへ渡してはいないのと同様。台湾に関していえばチャイナが自国領土だと主張しているのは知っている との表明をしているだけ。帰属について一言もチャイナ行ってはいない。今現在も。 そして金門島を守ったのは根本博氏ら 白団(ぱいだん)の捨て身の防衛によるものであるという事実。 これは台湾防衛を志す県民国民の常に心すべきことである。 蒋介石公をまつるとはなんだ といわれる人は実におおいことはしっている。 ご意見のある方は大いに語ろうではないか
2026.09.05
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9月3日(木) 昨日は 倫理のモーニングセミナー終了後皆さんを三ヶ根に案内する。何しろ皆さんはお忙しく時間がないため短時間でご案内する。地元の皆さんもほとんど殉国七士の墓に詣でることがないようだった。アジア大会のため三谷の蒲郡ホテル本館の全部屋や駐車場が倫理会員で使えずに。倫理の会場が形原別館となった。私にとっては実に好都合。三ヶ根山のふもとでの開催だからすぐに七士廟にのぼれるのだ、いつもはモーニングセミナー終了後はすぐに移動して形原に走っていたのだが、おおはばに移動時間が短縮。よって会後の朝食会にはいつも参加できなかったが今月は朝食をともにしても入山にまにあう。よって久しぶりに皆さんと食事を共にした。自由トークの時間に隣に座られた方に七士廟について語るとぜひ行きたいとの返事。よって4名で参拝した。ここの慰霊碑参拝が初めてといわれる方にとっては感動の極み。説明文や地図をじっくり読まれるからどうしても時間がかかる、概略を語るだけで感動で立ち尽くされる。まあ雰囲気だけにして次週も来ていただくことにした、倫理法人会は日本復活の最期の砦とうたうが法人会との名を持つように企業の発展がまずは第一義。致し方ないことである。じっくり期間をかけて今に命をいただいている意義を共に自覚していきたいものである、皆さんを見送りて私はテントの設置作業。驚いたのは花壇のいたるところにイノシシがいたずらした跡が。もう意気消沈とはこのこと。ブロックはけとばされて土は掘られて穴ぼこだらけ。石碑も倒される寸前。煉瓦はばらばらにされブロック階段もばらばらに。すべてでなおしである。 今日は朝8時半より通信の作成会議。この雨で昼から自宅にもどって小旗つくりをしようとしたが雨も小雨に。よって三ヶ根に走る。雨でテントが歪んでいたので直して補強、草取り中心に作業。案内は群馬から来てくださったご一家。おおいにかたる。本来7士廟に展示用の建物は必須なのだが作るスペースがないため、さらに建物を作れば固定資産税がかかるし市の認可も必要となる、雨宿りを可能にするにはテントを作るしかなかろう。4時に来客予定のため帰宅。小旗つくりにはいっています。あすは雨が小雨なら三ヶ根イノシシは嘉一の修復作業、雨がやまねば我が家の作業部屋の清掃と資料の印刷作業 明後日は9時から蒋介石公の慰霊祭参加、のち三ヶ根作業。昼2時から名古屋での豊国平成塾参加。帰宅後は小旗つくりなど。奉迎計画作成など。時間がないなあ。
2026.09.03
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1週間前私のいとこが死を迎えた。自衛隊富士学校の史学教官を長年務めた。岡崎の出身だが北海道はじめ各地で勤務。長男であるが御殿場に居を構えた。職場まで相当の距離を毎日ランニングして通ったときいている。Tくぁい看護は米軍で通訳業務に従事。 もう10数年前私の主催する学習会の講師として硫黄島に部下を連れて行った時の話をしていただいたがもう途中から涙で言葉が続かなかったことをおもいだす。参加者も硫黄島守備隊の置かれた環境と使命感の話を聞き皆なみだした。 安倍総理が硫黄島慰霊に行かれた際、正座して地下に眠られる英霊に放置の罪を詫びられたことがあったが、心あるリーダーのあるべき姿を見させていた私が感銘した方のことを記しておかねば。それは高松宮殿下のことである。 昭和47年。宮様が硫黄島にいかれたさいのこと、壕の中にはまだ大小の骨片が散らばっている。それをご覧になり正座なされ両手をつき何やら祈りの言葉をあげられたという。別の壕に案内されると今度は入るのを躊躇なされた。そして靴を脱がれ、素足となって散らばる骨片をふむことのないようになされてから入いられたそうである。米軍はいかなる戦争でも最後の一兵平の遺体まで探しきる義の国だなどと聞いて信じていたころの洗脳は何だったのか。敵兵といえど累々たる亡骸の上にブルトーザーを入れて地ならしし飛行場にするなど暴挙といわずになんというべきか。そしていまだそのご遺体は放置されて帰還せしめていない日本。ああ。 私も友が遺骨収容に行ける道を探ってくれているので是非同行させてほしいと頼んでいるがいまだよき返事がない。いつか必ず行きたいと願う一人である。 精魂を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき 御製です、はじめて米国に行かれる際、硫黄島にお参りしてから行きたいとお読みになられたのでした。精魂を込めて戦い抜かれた方々 陛下の悲しみはいまだそのまま、一刻も早く遺骨収容をなすのが守られた日本人のせきむであります。
2026.09.01
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31日三ヶ根への形原側からの入り口道路の木々の枝が大型バスの通行を妨げていることを役員の方に報告、さらに奉賛会事務局の高須さんに会員拡大の件と資料展示室の作成の検討につきおねがいする。 最上階の3段目の花壇の植え込みを完成。次いで3段目の場所に史料見学ができるようにテントつくりに取り掛かった。そこへ仙台からの参拝の方が、話すともう意気投合。午前中には熱海の興亜観音様の参拝をなして見えたとのこと。テントつくりなどすっかり忘れて語り合った。あすこそは早めに行き購入した花をすべて植えきりたい。 あすから9月 初旬予定 2日(水) ミズーリ号調印 5日(土) 貴嶺宮中正神社慰霊祭9時 5日 名古屋豊国平成塾2時 6日(日) 西尾南極大陸 白瀬隊長をしのぶ会 10時 豊橋陸軍墓地清掃 7日(月) 人間魚雷回天訓練中殉職 下呂慰霊祭は第2日曜の13日 拉孟守備隊玉砕 碧南教育をよくする会9時半より8日(火) 日米安保条約調印12日(土) 天誅組義挙 刈谷の松本圭堂ら 13日(日) 乃木希典大将ご夫妻自刃・三ヶ根清掃日・岡崎学習会5時より リブラにて 下呂楠公回天祭10時 7時発三ヶ根案内を希望する方・三ヶ根清掃を担ってくださる方 09085540817杉田まで、おしらせwくださればさいわいです。ぜひ気軽にお越しください
2026.08.31
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8月最終日。昨日はなぜか外国人の参拝が多かった。インドの方が8名はじめブラジルやフィリピンなどからも。院のの方には独立記念日を8月15日に定められたことへのお礼を申し述べた。チャンドラ・ボースにつお礼を問を受けたのでインパール作戦の苦難のことや東条閣下に感銘を与えたことや大東亜会議のこと、さらにパール判事の東京裁判での大活躍に対して心からのお礼を申し述べた。パール判事の記念館から故東条英機閣下への感謝状が出されたが。それを東条由布子さんが生前にもらいうけに行枯れたことなども語らせていただいた。 日章旗に合わせたバングラディシュの国旗のこと。スリランカの賠償金辞退の件なども語り大いに感謝のおもいをかたる。 実に真摯な青年らであった。 昨日はテントを立てようと務めたがなんと6っ本のポールの最後の一本が植わらない。掘ってみるとまたもや巨大な岩が平らに広がっていて杭が入らない。よって今日改めてつるはしを使って植え込みをなす予定。30ケースの花600本もまだ2ケースうえたのみ、 やっと家の作業が終わったので今からンが根作業に向かいたい。
2026.08.31
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今日は朝6時半にYさんが来てくださり小旗作成の資材3000本分をもっていってくださった、みなさんで作って下さるとのこと。素晴らしきんさかまであります。8時に西尾に行く。増刷した三ヶ根だよりを100部事務局から受け取り、次号の検討を行う。堀田農園に9時ころ訪問。春に亡くなられた堀田さんの仏壇に手を合わせご冥福をいのった。ずっと電話にお出にならずご病気なのかと心配していたがなんとあの堀田さんが亡くなられていたとは。無念でならない。花を600株ほど購入、三ヶ根に運ぶ。一台の車に乗せ切れないので困っていると農園の方がもう一車だしてくださった。三ヶ根殉国七士につくとすぐに豊橋の方がみえた。久しぶりにおこしになったとのこと。現下日本への危機意識のたかさに共感をおぼえた。 注文していたテントを設置しようとしたが部品がたりない。購入店に不足分をもらいに下山をしようと第一展望台駐車場に行くとバス3台が止まっている、運転手さんに殉国7士墓にもいかれますかと声掛けするとバスが通れば行くとのこと。バスが通るか調査に二人が徒歩で先に行っているとの話、では私が迎えに行きましょうと申し出る。お二人に進入可能と電話をしていただく。無事全車とも碑前に来ていただく。乗客百名以上の方全員に2種類のパンフをわたし、墓の説明をさせていただく。事前の連絡なくて100名以上の方に案内をしたのははじめてのこと、驚いたことに参拝者リーダーのお二人が私のことを噂でご存じだった。不思議だがうれしいことである。テントの購入先を訪れたが返品を切り出す勇気がなかったのでそのまま購入とすることに。まあ工夫して立てればいいとあきらめて返品せずにそのまま購入とした。明日立て切ろうとおもう、 帰宅して家の史料整理と国旗作成作業。やるしかない。
2026.08.29
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9gatu yotei 9月予定 2日(水) ミズーリ号調印 5日(土) 貴嶺宮中正神社慰霊祭9時 6日(日) 西尾南極大陸 白瀬隊長をしのぶ会 10時 豊橋陸軍墓地清掃 7日(月) 人間魚雷回天訓練中殉職 下呂慰霊祭は第2日曜の13日 拉孟守備隊玉砕 碧南教育をよくする会9時8日(火) 日米安保条約調印12日(土) 天誅組義挙13日(日) 乃木希典大将ご夫妻自刃・三ヶ根清掃日・岡崎学習会5時 下呂楠公回天祭16日(水) エルトウルル号座礁19日(土) 敬老の日・両陛下皇嗣殿下 名古屋等奉迎 国旗掲揚20日(日) 両陛下皇嗣殿下 名古屋等奉迎・豊橋陸軍墓地清掃 京都合宿23日(水) 秋分の日・国旗降納24日(木) 西郷隆盛自刃26日(土) 名古屋豊国平成塾2時27日(日) 三ヶ根清掃日・岡崎学習会30日 草ゼロ(9月30日)活動日 太字は参加予定行事。他にも種々行事あり さて今日は朝7時に友人が小旗作成準備にきてくれた。すでに作成してくれた小原1000枚を受け取り、新たに3000本の作成資材をお渡しした。同時に祝日の国旗掲揚のなし方を検討。19日の土曜夜か20日の奉迎後に出すかさらに検討をすることにした。今日の三ヶ根作業はテント設置と花の植え付けがメイン。むろん清掃や草取り、慰霊碑案内も。しかしこの雨がやむかいなかが問題であります。昨日は金山先生宅で影山正平先生の慰霊顕彰祭である教祖祭に参加。直会にて様々に語り合う、金山貫の息子様が神主。貫先生の思い出をかたる。私がここで重症の吉良の仁吉公の診察をなされたことを語りその時の資料を探して見せていただきたいとお願いしたがお父様から聞いていらっしゃらないとのこと。聞いていたのは私だけだったようだ。記録が残っていれば貴重な資料となるだろうが残念である
2026.08.29
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8・28 来月はいよいよアジア大会。19日20日の両陛下・秋篠宮皇嗣殿下の開会式ご参加奉迎活動も準備も大詰め。 奉迎用小旗を15000本を名古屋の責任者様に届ける。当初の予定は2万本であったが残念ながら19日夜の提灯奉迎が甘遅い時間になりすぎ陛下へのご迷惑になってはいけないとの理由にて急遽取りやめになり沿道奉迎のみになった。無念ではあるがいたしかたない。その分の小旗本数を減らさせていただいた。パラリンピック用の小旗用意もまだこれから。急がねば。今日は10時半より岡崎市内福岡町の随伸大孝道岡崎教会慰霊祭が催行される終戦時、日本国民として敗戦の事態を神々にご先祖にお詫びされおひとりで自決される予定であった影山庄平先生。先生がおひとりで逝かれるなら米国本土潜水艦攻撃計画に参加し国民としての責務を果たすとの塾生の固い決意をとどめ、陛下のポツダム宣言受諾の決定をたがえてはならぬとさとし、塾生とともに祖国敗北の責務を負い共に殉死の道を選ばれた庄平翁。恥ずることなき自決の実施のため10日間武士としての作法を守り塾生とともに十日間の鍛錬を続けられ14名での見事な自決をなされた。決行は8月25日。教会をたてられた金山貫先生は庄平翁が唯一弟子として免許皆伝されたお方。岡崎の建国祭をはじめられたかたでもあります。私も教員時代多くを学ばせていただきました。岡崎の祭りは今日28日10時半からであります。朝、蒲郡にて所用を済ませて参列予定。 最近の主な活動メモ23日 豊橋日本会議講演会参加25日 町内地蔵祭り25日 有働先生。神谷玉泉寺ご住職との会談26日 奉迎打ち合わせ 連日三ヶ根作業や国旗作成作業・書類資料整備印刷・議員会談など継続中
2026.08.28
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8.21朝9時から豊橋の業者本社にて仕事用の契約書さくせいにいく、朝豊橋陸軍墓地参拝と城菊の供花と水入れをなす。すぐに水がなくなるから各墓にペットボトルを用意しておきたい。またプラスチックの花入れが相当割れてしまっているので新品を書くか竹で作るかしてみたいものださらに御嶽社に行き草取りや掃き掃除をした。、昭和20年8月25日に日本の敗戦を神々にお詫びして14名の同憂同士そろって自決された影山庄平先生の慰霊碑に額づく。 お参りするたびに身震いするほど緊張する。こんな平穏な緊張感なき生活をしている自分をそのまま気楽に英霊の方々にお見せするわけにはいかない。参拝するこころの姿勢を作るには斎戒沐浴すべきだろうが、それに代わるものとして墓や碑の周りを掃き清めて同時に心を清める作業が必須。それもかなわない場合は両手や口を清めることが最低限。鳥居があれば首を下げる.参拝の儀礼は敬愛の心の姿勢を作るためには必須であろう。身を玉串として神々に差し出された14烈士の気高さには言葉もない。剣道六段の腕前を持たれる岩瀬先生がここをお守りくださってから本殿前には実に多くの花が咲き誇り、手作りの鳥居も3つが建立された。余った杭を6本いただいて帰る。次いで西尾の三ヶ根山殉国七士廟へ、今日も多くの参拝の方がお見えになった。うれしいことであります。作業は2段目の斜面の草取り、笹に隠れた芝桜を残しながら雑草を抜き取る。暑くてたまらないがまずは一通りは終えなくては。明日も同様の作業。夕刻三ヶ根通信のプラン打ち合わせをなす。夜、資料つくり。これも価値あるものにしなくては23日日曜は七士の月命日。心して作業に励みたい、またこの日は豊橋市民センターで2時より4時半までの講演会に参加予定。日本会議主催。ぜひ多くの方のごさんかをもとめます、25日は大友皇子(弘文天皇)についての会合、28日は岡崎の福岡町にて影山先生慰霊祭。9月13日は岐阜の下呂にて回天慰霊祭及び講演会。夜は5時からおかざき学習会りぶらにて。朝の三ヶ根清掃はわたしは参加できないですが実施はされますので是非ご参加ください。19日20日はいよいよ両陛下の行幸啓当日、日本会議さんの仕切りで奉迎活動もなされるよていと聞いています。盛大にしたいものです。2021日は日本政策研究センターさんの研修会が京都で実施されます。都合のつく方はぜひご一緒いたしましょう、行事が立て込んでいますがすべてきわめて重要な会です。日本にとっての正念場です。ぜひ頑張りましょう。ちなみに9月30日は語呂合わせで「くさぜろ」の日。草取りも徹底しましょう、
2026.08.21
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8月21日アジア大会まであと一か月。この祝賀激励のために陛下が愛知県に御巡幸くださる。ご即位の年以来7年ぶりのご来県となる。9月19日20日の2日間で県勢やがアジア大会の聴取をなされたのち大会開会式に臨まれるとのこと。情報を集積、分析し決まれば奉迎活動を奉迎を担う友らに謀り共有し細案を仕上げたい。岐阜県などは県庁に奉迎室を設け抜かりなく準備が進むが愛知は公の奉迎室はおそらく今回も望み薄いかも。私は20.21には重要な京都での研修合宿。時間調整をしないと奉迎に不備が出そうで心配である。 一昨日19日は朝6時からの蒲郡倫理法人会で短時間の活動発表をさせていただいた。後三ヶ根作業、夕刻5時に帰宅。自宅で業者対応。 昨日は主に資料つくり。のち三ヶ根作業。夜7時半に下山。各慰霊碑供花の菊が余ったとのことで豊橋の陸軍墓地の供花としていただく、 今方豊橋行。本来8月25日が大東塾14烈士の義挙の日であるため惟神大孝道御嶽神社の草取り作業及び参拝、陸軍墓地の供花などをなして三ヶ根にる走る予定。23日は三ヶ根清掃日、9じはんより、昼まで作業してのち7士廟前でミーテイング、終えて参拝者の案内、2時から豊橋―市民センタ^-にて日本会議主催の椎谷哲夫先生講演会と懇親会参加予定。演題は皇位継承問題と選択的夫婦別性の不都合な真実」時間が取れる方はぜひご参加ください、1時半より
2026.08.21
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朝8時より豊橋陸軍墓地にて清掃奉仕。9時終了して三ヶ根にて千島列島戦没者慰霊祭。実施。、大いに感銘を受けた、 朝西尾に資料を取りに行く。三ヶ根を美しくする会の活動集を追加印刷500部。帰宅し終戦慰霊諸資料の作製にかかわるパネルや書籍などの再整理や整頓などに一苦労。家の庭清掃など、借りたテントやいすなどを返却に回り、めどがついた段階で氏神の犬頭神社の清掃に走る。ここは毎回の祝祭日に入り口の門に大きな国旗2本を掲げる場所でもある。近隣5・6町が合同でお祭りをする神社であったが、各町で独立して神社をもっているため、今では多くの町が離脱され宮地町と上和田町の2町で奉仕することになっている。わが上和田町も他町同様離脱して、もう一つの比蘇天満社のみを氏神にすることにするとの町の役員会で決まりそうになった。各町への分担金や人数だしの労が町の負担となっているため。しかし私は反対。犬頭神社の歴史伝統から外れるのは好ましくないと思うからである。私の子供時代には古い社務所の広い部屋で映画もなされ、舞踊もなされていたし、子供らの遊び場でもあり文化活動の中核でもあったのに。其の文化の中心の一つが新田義貞公の首級を祭る築山と池を持つ庭。祠が中央にあり赤い鳥居が設置され、とりわけ聖なる場所として維持されてきた。かつては流鏑馬(やぶさめ)もなされており、大鳥居に続く長い道は松並木。しかし都会化の流れの中で、並木は途中で短く区切られ、住宅と化している。神社の森も伐採され、ここに大きなコンクリートの公民館ができている。この作成時、町内役員をしていた私の父親と私は大喧嘩。神社の木を切り倒すのは大反対と。今思えば亡き父も町に余った土地がなく、苦悩の末の決断だったは思うが。父親に対して初めて反抗した懐かしき思い出でもある。 さて新田義貞公の首塚。。1333年に混迷する武家政権の幕府を打破した新田氏は、後醍醐天皇の建武の新政政権を裏切り打倒に動いた足利尊氏と対峙。ついに福井市藤島の戦いにて敗北、首は京にてさらし首とされた。側近の宇都宮泰藤(やすふじ)公がその首を取返し、郷里の群馬に持ち帰る途上、世の中は尊氏のものとなり、帰国は困難と判断。領地の岡崎市宮地町のここ犬頭神社に、首塚を建立。亡くなるまで僧侶になり、慰霊に努められた。宇都宮泰藤公は栃木の武門の跡継ぎなれど、岡崎に和田城を立て宮地町の妙国寺の僧侶になられた方、我が家の西隣りに和田城があり、今は公民館となっている。しかし首塚の地は他にも候補地があるという。亡くなった地の藤島神社、岡崎の妙国寺、出生地の群馬さらに小田原市そして宮地町の犬頭神社である。ならばと福井藤島神社へ2度、群馬の新田神社に1度、妙国寺にはなく小田原にも1度行き小田原市役所にも。しかし、あると聞く小田原にもない。あるのは石碑。言い伝えを昭和30年に墓と首塚の碑と記した石碑を市長名で立てた石碑のみ。ここで抑えねばならぬのは宇都宮名。時代変化に伴い宇津・大窪(おおくぼ)。大久保(おおくぼ)へとかわる。大久保彦左衛門もわがまち生まれ。兄の大久保忠世(ただよ)が関が原以後小田原城主となり、ほぼ江戸時代中城主を勤めたそこで岡崎の故郷でまつってきた新田義貞を、小田原でもまつるようになったと私は推察。皆さんの協力を得て、建武の新政700年祭が行われるにあたり、その一員になろうと思う。昨日、新田義貞公のご命日。よって池の周りの清掃をなして慰霊参拝をなした。 後、三ヶ根へ。三段目に降り、ひたすら草取り作業。一段目にある石テーブル上に置いた種々の資料も、皆さんが多くお持ちくださっていた。ありがたき事であります。
2026.08.18
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8.16プーチン大統領がパスポート・ビザなしで日本領土択捉島に密入国。大統領自ら不法行為を働くとは。国家全国民において入国拒否を宣言し既成事実化する傲慢きわまりなき犯罪行為に罰を与えねばならない。政府がこの不法行為を糾弾するのは当然。国会も各政党がすべて糾弾決議を上げ地方議会も同様抗議の決議を挙げるべきだろう。ポツダム宣言を守らぬロシアに対しては国民を挙げて抗議すべきである。振り返り見れば昭和20年7・8月。米国との和睦交渉を引き受けていたソ連は秘密裏にヤルタにて米英と会談し対日参戦の合意を得た。米英ソ3国の日本に対する道義を顧みなき卑劣行為は決して許されるべきではない、とりわけソ連は歴史に残る大ペテン。火事場泥棒の卑怯行為である。ウクライナとロシアの戦争はロシアのクリミア侵攻に国際世論の対応不足が原因の一つ。幕末欧米の対日攻勢はすさまじく、米国は日米和親条約・日米修好通商条約と対日攻勢を強めロシアもラックスマンやレザノフなどの圧力。しかし幸運にも米国はリンカーンの南北戦争、ロシアはクリミア戦争での敗北・両国は奴隷解放、農奴解放などの国内問題対処で対日侵攻は中断、残るは英仏中のみ。その10数年の国際上平穏の際に日本は維新政権発足ができた。何たる幸運。しかし幸運。今回はチャイナ台湾問題、南北朝鮮問題も絡み明治維新時のようにはいくまい、日本人が完全に背骨をなくしたままでいいわけがない。自立した日本が生まれねば第三次大戦に至る道が場見え隠れする気がする。 朝8時より豊橋陸軍墓地にて清掃奉仕。9時終了して三ヶ根にて千島列島戦没者慰霊祭。実施。、大いに感銘を受けた、 朝8時より豊橋陸軍墓地にて清掃奉仕。9時終了して三ヶ根にて千島列島戦没者慰霊参拝
2026.08.17
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昨日15日は終戦記念日。某ネット放映で6時半から8時過ぎまで話をさせていただく、友3名が我が家に来てくれて何とか語ることが出きた。視聴してくださった方から三ヶ根についてのご質問を受けたりして愉快な番組であったが機器の扱いが不慣れで皆さんにご迷惑をかけてしまった。友情出演くださった皆様に深くかんしゃしたい。岡崎城の龍城神社にて10時から清掃やテント設置やいす並べをなす、あしがない方が見えたのでお迎えしに行ったついでに中学回りをして半旗掲揚の現状調査に行くが、さすが岡崎市立南中学校。県教委や市教委からの半旗掲揚支持をしっかり守って半旗掲揚がなしてあった、大満足。 慰霊祭も ディオ50~ さんの美声による奉納歌やほら貝演奏などもあり荘厳な式典がなされた。慰霊祭サンガを市民に呼び掛けると数人の方がご参加もしてくださった。 終えて三ヶ根にて案内と清掃、夕刻に帰宅してはかまいり。東京に住む長男も一泊してくれたので様々に話す。両親共働きで小中の子供らも通学が1時間弱とのこと。大変な時間がかかる、子供だけで留守番することも多いようだ。安全に過ごせる大都会の実現、やはり日本はありがたい国だとおもう、ィんくぁqからは豊橋陸軍墓地清掃、早めに終えて皆さんに三ヶ根参拝をお願いしてある、頑張りたい
2026.08.16
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8・13なんとロシアは日本との断交をめざすらしい。日本の全政党は厳しくロシアへの糾弾声明をすぐさまだすべきである。日ソ両国は昭和16年中立条約を結び相互不可侵を約束した、日本の敗色が濃厚になった昭和20年4月5日、一方的に条約の不延長を通告、条約は有効期限は翌昭和21年4月25日。条約友効期間内の8月9日長崎原爆投下の当日宣戦布告をするや直ちに侵攻を開始。樺太と千島の全域を占領した。千島への侵攻はポツダム宣言受諾後の8月18日。同年2月の、現ウクライナのヤルタで米英と結んだヤルタ密約を根拠にしたもの。当時のソ連は日中の終戦仲介国として動くことを引き受けていたはず。ソ連はその道義に反してなんと参戦。しかも南樺太と千島列島の領有と満州利権の奪取が英米により約束されていた。米中ソ3国は領土奪取の野望を持たないとするポツダム宣言をはなからやぶっていたのであるl 日本も日本だ。サンフランシスコ条約で北方領土は千島でなく北海道の一部であることを徹底せずに来た。日本はプーチンらがこうした態度に出る以上、大使の引き上げとロシア大使の国外追放をなすべきである。繰り返すが国内全政党は抗議宣言を出すべきであり都道府県議会、市町村議会も緊急抗議決議をあげるべきである、
2026.08.13
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8・12昨日11日は山の日。高校時代には登山部所属。まあみんなについて山登りを楽しんだ程度で雲海やライチョウを見て感激したりテントが吹き飛ばされて山小屋に逃げ走ったりした体験、友の体調不良でリュックの荷を分け持って何とかのぼったことなど、なつかしいおもいでである。次男が山開きの前、富士登山で滑落。事件の30分前に同場所で中年の方が滑落してなくなられた同じ場所での事故。知らせを受け塾指導を中止し運ばれた病院に飛んで行ったが登山グループの皆が本当に申し訳なさそうに謝り状況を話してくれた、幸い息子は若く運動神経がよく受け身をして打撲程度で済んだ。あうまでは最悪事態をも予想して気をもんだ、山のルール破りは本当に他者にも迷惑をかける危険な行為。十分気をつけてまもってほしいものだ。 昭和19年8月11日はグアム守備隊玉砕の日。第31軍司令官小畑英領良中将が自決され主要陣地が陥落した日でもあります。戦争を風化させない会芳賀建介先生らのグアム神社建立のおかげで先月神社参拝も初めて参加できました。2万対5万の圧倒的な兵力差の中わが軍は本土直接攻撃の基地化を防ぐべく司令自決後もゲリラ戦を展開、終戦までよく戦われたと聞きます。本当に尊い犠牲であったとかんしゃあるのみです。 岡崎市内の繁華街康生通り岩津まで国旗を掲揚した。さらに地元の2つの神社と公民館、当然我が家も。掲揚時と降納時、県内外の皆さんがてつだってくださった。近隣では幸田町駅前と岡崎康生町の南北通りは参政党の皆さんや市議、安城朝日町のアーケードは文化団体の起きる会の皆さん。岡崎厚生通りから北の岩津町は保守党の皆さんなど多くの皆さんが協力してくださる。他にも活動に協力的な、みなさんがおおくおみえです、国旗掲揚推進愛知の会としては各市区町村に一か所は国旗掲揚ストリートを設定して祝日に国旗が掲揚できる国にまず戻したいと思い活動をしています。むろん悲しみを共有したい日として3.11東日本大震災・6.23の沖縄の日、8・6の広島、8・9の長崎、8・9の広島の日。8.15の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(終戦記念日)での弔旗や半旗掲揚を推進しています、ちなみに政府は8.15には積極的ですべての官庁や小中高の教育機関に半旗掲揚や12じから一分間の黙とう要請、供花や清掃要請を通知しているのです。 かつて占領期には国旗の掲揚は禁じられていましたが独立回復後は掲揚ができるようになりましたので多くの場所で掲揚がなされるようになりました、皇室の行幸啓時には小旗をふるって奉迎をなしたり行交番やホテルなどでも祝日には他事高々と国旗が掲揚されます。毀損行為もやっと違法とされました。これを機により多くの地域や機関で祝日国旗男掲揚が進むことをめざしたいものです。 昨日は弔旗の作成見本を作ってきてくださった方が6名の掲揚スタッフに配布してくださいました本当に素晴らしきメンバーと降納できました。ありがとうございました、 ちなみに岡崎の円福寺さんの境内に新たに設置された二宮金次郎さんの石像の見学もしました。学校以外で新しく設置が進むとは実に尊き事と皆で感謝しました。 三ヶ根殉国七士廟の掲揚塔2本も錆び始めたので新品に代わります。19日に完成よていです。 先ほど我が家にてお寺のご住職を迎え月命日の法要を済ませました。終戦金面日もまじか。急ぎ学習資料本の作成にとりかかるところです。終えてのち収容した国旗の整備などを済ませてのち終戦の日と翌日の士魂の碑前のいr体裁の準備、頑張らねば、
2026.08.12
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8・10昨日は長崎忌 およびソ連による対日侵略日、台湾弁事処長は日本側の無礼に抗議し慰霊祭に不参加。日本の対応が台湾政府に無礼な対応をしているため不参加。日本の不誠実が情けない。三ヶ根にて弔旗参拝を終えてのち作業に入る。月2回の七士作業日であるため9時ころから奉仕の皆さんがきてくださった。 12時に終了のちミーティング。参加者は10名。木が巨大になり電線に架かってしかも斜めに倒れかけているため3本を切断し安全を図った。夕刻5時から岡崎リブラにて学習会。8月・9月の予定などをきめた。今日はポツダム宣言の受諾のご聖断が下された日。明日11日は山の日。グアム島守備隊玉砕の日でもある。グアム島の神社で慰霊祭はなされるのだろうか。三ヶ根で有志でなしておきたい。 今晩8時に友が我が家に来てくれてともに国旗掲揚さぎょうをおこないます。岡崎の康生町の東西の商店街通りから北の岩津までおよそ400本ほどの国旗を掲揚します。戦没者を追悼し平和を祈念する日すなわち終戦記念日には昭和57年から都道府県知事や市区町村長に対して半旗の掲揚政府式典中の正午から一分間それぞれの職場などで戦没者に黙祷をささげること。地域に対しては正午のタイミングに合わせて都道府県庁や市区町村役場寺院などで鐘・サイレン・チャイムなどを鳴らし住民にも黙祷を促すこと。当日午前中にボーイスカウトや遺族会などによる戦没者墓地等の清掃や供花が行われるよう必要な配慮や措置を講じることとの通知が出されています。この通知を受け愛知県でも知事室から警察署を含めすべての官庁にメールやファックスを使って同様の通知をだし、愛知県教育委員会からもすべての市町村教育委員会に。その次は県教委からすべての市町村教委へさらにはすべての小中学校あてに同様の要請がなされました、地域住民へも弔旗掲揚を含め黙祷の要請が出されています。これに従わない小中高校長もいないとも限りませんが。まずは僕らは政府要請にこたえて弔旗掲揚や墓地清掃や献花。黙祷はなさねばなりません。 政府が慰霊行動をとってもらいと通知まで出しているのに愛国者が自らの慰霊活動をなさないでいるわけにはいかないでしょう。日本国籍を持っている以上は、義務とおもうべきかとおもいますが。祝日の国旗掲揚に対しても掲揚要請を出してもらいたいのですが。
2026.08.10
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今日は長崎忌。先程わが家に弔旗を掲げた。同時にソ連の対日参戦。この国は道義も国際法も紙切れに過ぎぬとうそぶく国。今のウクライナ戦争しかり。北朝鮮も何万もの人民を乞われるままに兵士として差し出させるほど能弁。だまされる方が悪いとうそぶく世の詐欺師の超おおだま。核を得たアメリカに袖にされまいと国際法を踏みにじり対日戦争に参入、混乱に紛れて満州樺太千島北北海道までも奪取せんと野望をむき出しにした。海外にいる日本人は速やかに帰国させる、領土的野心はもたぬとのポツダム宣言も全く無視。人類史上これほどの不法裏切り国家があったであろうか。11年抑留を受けた草地貞吾大佐のご講演を聞いた際シベリア抑留者は80万うち死者は20万(会の資料では18万)とのこと。政府は60万捕囚死者6万人ほどとしているようだが。いずれにせよこの非道は断じて許されはしない。しかも国連憲章において戦勝国は日本をいついかなる時にも攻撃する権利をもつとされている。今現在においても。今日ソ連参戦の日に改めてこの悲劇を深く認識しなおさねばならない。っ昨日は午前10時から護国神社清掃。昼2時より三ヶ根清掃と案内をなした今日は今から三ヶ根清掃、昼まで。夕刻5時から岡崎学習会。8月9月の滑動の確認がおも。岡崎リブラにて。
2026.08.09
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8.5朝 5時に家を出て蒲郡ホテルでの倫理法人会のモーニングセミナーにさんかする。講師先生はインドネシアに行かれた際、日本人がオランダと戦いインドネシア独立に貢献したことをお知りになり驚かれたことなどをかたられた。まだお若い講師先生で見えますが、こうしたお話を広く語っていただきたいものです。 9時から幸田駅周辺に祝日国旗掲揚をなしてくださるSさんと貴嶺宮中正神社(蒋介石)の例祭に参加した。毎回のことだが実に心のこもった神主さんの実施される祭禮。感銘深い祈りであります。終えて、Sさんが幸田駅近くに開いた店舗にいく。健康食品が売られており、ドリンクなど気に入った品を購入、彼女の頑張りで祝祭日には駅前通り商店街に祝日には国旗掲揚が続いている。りっぱなかたであります。三ヶ根に走り夕刻まで作業、8.6広島忌。起きてすぐ弔旗をけいようする。5時から実践倫理の学習会に出る。6時半からの豊川での倫理法人会に参加したかったが間に合いそうになく断念。三ヶ根作業に走る、汗だくで西尾に走り三ヶ根通信の原簿を受け取り20冊印刷。国旗降納。8.7朝家の仕事を終え三ヶ根に。なんと奉賛会の事務局スタッフが草刈りに駆けつけてくださった。一時間ほど手伝ってくださった。ありがたい、大府市に職場を持つ方がドリンクの差し入れに来てくださった、感謝です。多くの方とお話しでき快適な案内じかんをすごす。草狩りに集中しているとたびたびちくっとした痛みが手足やくびにはしる。野ばらの針なのか虫なのかいたかゆくてたまらない。なんと指がつる初めての体験まで。過労なのか。4時に切り上げて下山。あすは朝10時から名古屋の愛知県護国神社清掃。がんばりたい、
2026.08.07
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8,2愛子内親王が伊勢神宮にご参拝になられたのは1日、名古屋駅近鉄乗り場にて奉迎申し上げるのが礼儀ではあるが同時刻蒲郡市民会館にて小名木先生の講演会が開催されたので奉迎ができなかった。よって2日の朝5時に友と我が家を出て伊勢神宮に走る。7時半に外宮に到着。すでに皆さんがお集りになっていた。早速みなさんに国旗を配布、奉迎に入る、ついで内宮、こ地らは外宮の10倍ほどの皆さんで奉迎ができた。昼食後神宮会館にて休憩、いすずがわでのお木曳きの皆さんの真摯にして敬虔な姿に感銘を受ける。特に小学校低学年の子らの心のエネルギーのたくましさを思った。特に喜びに満ちた達成感に歓喜した年若き子らの姿を見て、伝統の力を頼もしく思えた。よき伝統はこうして子らに伝わっていくのか。日本真姿継承の夢がつながる喜びを、ひしひしと感じた。愛子内親王のご立派になられたお姿に感動しつつ、小旗を皆さんにお渡しした。電車での見送りをおえ、岡崎に。今後の運動打ち合わせをなす。 3日月曜朝9時に碧南学習会。一か月の総括と8月度の予定を検討。終戦慰霊の様々な予定をこなすには相当の労力が必要。東京裁判での受難されたA級の処刑者は7名であるが、他にBC級では53名。合わせて60名の愛国者が理不尽な処刑をうけてみえる。三ヶ根には7名のいわゆる殉国7士がまつられているがBC級の53名はここにない。何とか60名の皆さんすべてをお祭りできるすべはないか。考える時を迎えているように思いう。三ヶ根に行き清掃作業を開始する。パラパラと参拝客の方がおみえになる。じっくり話せて実に満足できる。これもまたよし。夕刻約束していた医療機器の体験にいく。無料で体験できるとは不思議な企業だが実に活気ある企業である。おもしろく活気ある対応が気に入った。どんな企業経営にも参考になるトークだとおもう。生かしたいものだ、 4日、朝5時に3人で石川県金沢護国神社にて開催された大東亜戦争聖戦祭に参加、一時間前の9時につき枢密院議長清水澄(とおる)先生の碑の草取りをなす。さらにこの場所は開戦70年の12月8日に金沢大学生杉田智君の自決の場所でもある。自決された年すぐさま慰霊に来させていただいた。三ヶ根が忙しくなり、この時期には参拝ができなくなってはいた。むろん8月の慰霊祭時には参拝させていただいているが、 元谷会長がなくなられてしまい、大東亜戦争聖戦碑前の慰霊祭は田母神閣下と諸橋さん主体で厳粛に実施された。素晴らしき式典であり、僕らの使命の重大さを痛感させていただいた。 次いで福井市の藤島神社に走る。ここは藤島の戦いにより敗れた新田義貞公を祭神とする神社である。2時過ぎに着く。正式参拝をしていただく。後新田義貞公について様々なお話をいただく、訪問理由は岡崎の宮地町の犬頭神社の塚が新田義貞公の首塚であることの実証と公の慰霊祭実施の方法についてのアドバイスを受けること。いいヒントをいただけた。帰宅して次の戦略を立てた。早速動きたい。明日も5時起き、倫理法人会モーニングセミナーとその後9時からの中正神社参拝など。頑張らねば
2026.08.04
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ご実家が熊本で今回震度7の被害地というMさん。いつも三ヶ根殉国七士墓や廟内14の部隊碑への菊を献花くださっている。聞けばまだ水もです。道路も不通。回り道で行けば帰郷もできるそうですが小学低学年のお子様を連れていくには不安だらけ。しばらくはこちらに残る予定とおっしゃる、被害の映像をご長男さんが送って下さり見せていただくと家の屋根が落ち一階がつぶれた家や切断された道路。時お宅から車を出すこともできないようす。支援体制がどう作られるかを見るしかないができる範囲で動いてみたい。 今日は小名木先生の講演会、「人生を変えるあなたのルーツ 昔の日本人から学ぶ成功の法則-歴史の裏にはドラマチックな生き方と今こそ生かせる日本の知恵があるーまたテン・エンタープライズ社長 たく先生の ―人生が変わる引き寄せの法則 ―両講演会が開催された。卓先生の講演にて三ヶ根殉国七士の件が話され今回の小名木先生講師決定に至る流れの中で私との出会いについて触れていただき驚いた。蒲郡で市民会館が満席になる聴衆が集まるのをはじめてみた。大いに感動。すごき人物だと大いに感激。この感激は私のいままでの活動のいたらなさを痛感するものだった、 次いでYOBO(ヨーボー)治療の実演に付き合い参加する。微電流の流れる座席に座りトークショウをきいているだけでけ血流改善がなされる機械の実演。話が軽快で面白くそのうち時間が来てしまう、無料の実演。何度体験しても一切が無料。話術の軽快さにプロを感じた。教師が話術を研修しているような雰囲気。まあ効果がある人が何パーセントか購入すれば利益が上がるのだろうが、いろいろな意味で愉快な会であった。 さてもう日が変わる。愛子内親王が伊勢神宮にお越しになるひとなる。友3名で朝5時に出発して外宮に7時半に就く予定。がんばります、
2026.08.01
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昨日は起きてすぐに三ヶ根清掃に入る。大量の刈り取った雑草を処理し、手水舎全域の草取りを終え、1段目2段目の掃き清めをなす。 いよいよつつじ園の下枝処理と草取り作業。そうこうしていると友がきてくれた。熊本地震の対応とそれに伴って両陛下のご休息中止、愛子内親王伊勢神宮奉迎の見直しなどを検討。至急対処することに。 1日土曜日には小名木善行先生の講演会が同時刻で行われますので、名古屋での豊国平成塾学習会に参加できないことなどを友に知らせたりなど、様々な活動調整をなす。 4日には金沢での大東亜戦争聖戦祭参加、の後福井での新田義貞公の終焉の地見学と公を御祭神とする藤島神社参拝が迫り、その前に小田原市にある公の墓の確認をしておく必要がある。これも時間がないため三ヶ根作業を切り上げ急遽小田原行をすることに。 昼12時に急ぎ三ヶ根下山。東名高速を使って小田原に向かう。何とか4時半過ぎに小田原市役所に到着。 新田義貞公は後醍醐天皇の信任厚く楠木正成公が湊川にて敗死なされて、以後も足利尊氏と対峙された恋闕第一等の人物。 源氏のリーダーとして果敢に戦うも、ついに福井の藤島にて亡くなる、その首級は足利勢にとられ京にてさらし首にされた。 その首級を奪い故郷の群馬に運ぼうとされたの方が岡崎の和田城を作られた初代城主宇都宮泰藤公。しかし世は足利のものとなり秘密裏に故郷群馬に持ち帰ることはとてもできないと判断され、岡崎上和田町の隣宮地町の犬頭神社に小山を築いて池を作り安置された。 町内では識者のなかでこう語られているのだが、なんと某書で首級が葬られたのは小田原と確定されていた。持ち帰ったのは宇都宮泰藤氏であることは同じである。 小田原市役所生涯教育課の方に墓の場所を教えていただき参拝、碑文を読むと作成は昭和30年、しかも文面にはわが町上和田町ご出身の大久保忠世が城主として小田原統治に入ってから。1339年のことではなく1600年代に首塚ができたとあるではないか。宇都宮姓が宇津と変わり、大久保に代わったのだから泰藤は忠世の先祖である。ならば私の推察が十分有効である。1333年が鎌倉政権を打倒して建武の新政のなった年。今年は693年目。あと7年で建武の新政700年。それまでに新田義貞公と岡崎の関係を明確にし大久保一統の勤王心を明らめねばならない。 さらには後醍醐天皇の後を継がれた宗良(むねなが)親王のご活躍や愛知の尊皇家足助重範公の再評価も進めねばと思う。 墓の確認後小田原中央図書館にて新田義貞公の書籍を読み7時に閉館を機に帰宅。大久保家を生んだわが町と小田原との交流のきっかけができればなおよいが。 あす8.1(土)13時より16時半まで蒲郡市民会館大ホールにて国史啓蒙家 古典文学研究者 小名木善行先生講演会「人生を変えるあなたのルーツ 昔の日本人から学ぶ成功の法則-歴史の裏にはドラマチックな生き方と今こそ生かせる日本の知恵があるー テン・エンタープライズ社長 たく先生の ―人生が変わる引き寄せの法則 ―両講演会が開催されます一般2800円高校生以下1000円 ぜひお越しください
2026.07.31
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7・28朝5時より我が家の草取りと町内ごみ収集所の草取り。7時過ぎに三ヶ根行き清掃作業、今日の予定はつつじ園整備であったが、その前に2段目の通路清掃を手掛ける。不足部分が気になり、ついそちらに時間をとられて、予定の開始が遅れてしまう。まあいつものことではあるが、予定変更。先に3段目の草取りをなすことに。 必死に続けて、何とか二日分の草取り予定場所を仕上げた。つつじ園の清掃に入ったが、もうグロッキー。この暑さでは体力が続かない。そうこうしていると参拝の方が3名おみえになる。喜んで説明に入るが、皆さん素晴らしく素直な方々。いつもは使う資料も簡単なものですが、熱心に耳を傾けてくださるので、大いに語り資料も深い内容のものを使う。 おじいさまが軍の指揮官クラスだったそうで、お写真もお持ちであり、幼年期から軍隊時やシベリア抑留時などの体験の日記が残されていたそうで、敬愛されていた様子が知られ、実に嬉しかった。その貴重な資料をぜひ護国神社にご提示いただけないかと、お頼みした。 3時ころ西尾の友の家にお貸ししていた資料を取りに伺う。豪雨。突然の雨で急ぎ自宅へ。 家の内外を整備 テレビをつけると熊本地震発生を報じているではないか。10年前より被害が大きそうだ。友の家や平井一馬先生のお墓などが気になる。10年前に母を連れて、萩旅行に行っていたことを思い出す。たまたま私は熟睡中で母はホテルの浴場にいた。翌朝、母が頭がくらくらする、どこかおかしく目ざめたと、私に言うので、母の体調が悪くなったのかと大いに心配したが、朝刊を見て地震があったことを知り一安心した。むろん九州行きはあきらめて、広島京都を回って岡崎の自宅に帰ることにしたが。あれから10年か。何とか都合がつき、必要があれば支援活動に行きたいものだ。
2026.07.29
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25日(土)は9時半より関口長太郎先生の西尾市内の関係地めぐりと、今後の顕彰会の在り方討議。夜9時からは、朝6読書会という名のテレビ学習及び討論会参加。 関口先生顕彰会の群馬行の総括として、産業界や教育界からの参加を要請することや、学習会などの推進要請などが出された。さらには秋山先生の顕彰碑が苔むして、文字が読めないほどに放置されていることなどの指摘があった。早急に清掃に入ることにした。 台湾の士林小との交流や士林区と西尾市との友好関係構築に動くための群馬行きだという意識の再構築を図らねばと痛感。 朝六読書会に初めて参加させていただいた。芳賀先生もグアムから、杉田水脈先生もご参加され、実に尊いお話をいただけた。三ヶ根を評価下さり、感動もひとしおであった。 友に新田義貞公の首塚の宮地町所在根拠の資料をわたし、研究者に渡してもらい意見を聞いてもらった。ありがたきことに私の試論に賛同をいただけたと聞く。協力するとの言葉もいただけたという。ありがたい。私もできる限り傍証作業に走りたい。とりあえず8月4日には福井へ、その前後には小田原にある石碑や墓の調査に行くことにする。 26日は三ヶ根清掃日。午前中は木々の剪定や草取りを中心に清掃奉仕。午後は豊橋にて小旗の作成会。4時前に終了し、西尾の関口先生やその師匠である秋山恬堂(てんどう)先生の慰霊顕彰碑の苔取り作業をなす。今日27日(月)は西尾にて顕彰碑磨きの継続。西尾小学校に教育委員会の方7~8名がみえたので、苔を水拭きして浮き出た建立年が、教委作成看板と違うことを報告させていただいた。もしかすると表裏で異なった時期に掘り直した可能性もあり、調査を要請しておいた。 急ぎ三ヶ根に走る三ヶ根での作業の継続とバスで来られた慰霊参拝者への案内・式典参加と清掃。ご住職と8・15,16の慰霊法要の打合せなどをなす。さらに岡崎にて実践倫理の行事の案内をいただく。 妻につかまり家の仕事や会社の仕事をなす。ああ、生きるためにはいたしかたない。8.1土曜には蒲郡の小名木善行先生とテン・エンタープライス社長の講演会を成功させたい。蒲郡市民会館大ホールにて。13時より16時半です。ぜひご参加を。
2026.07.27
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7・24昨日23日は殉国七士の月命日。この暑さで休憩をしながら剪定作業や草取り作業をしていると、遠方から、掃除道具を持って年配のご婦人お二人が清掃作業に来てくださるではないか。本当にありがたいことであります。 私は朝5時半より、三ヶ根の友が倫理法人会での講演をなされるので、拝聴に出かけた。演題は「そう思えばそう」。人生は思い続ければ思った通りの現実が現れるとの実体験のお話。天性の明るさで大失敗の体験にも負けずに、投げやりにならずに、大挽回をされた話。知人にこんなユニーク体験をされた人がいたなんてびっくり。 危機があっても、すべてを「最善」として思い込む感性を持つようにしているのだそうな。今が最高など、思えないのが常人。しかしこうして人生の苦難を克服してみえるようだ、まあ天性のボケ感覚なのかと、笑えることも数多い方だが、講演中も笑いがもれきこえた。実に楽しい講演であった。三ヶ根作業は終わるめどすら立たぬ、大量の作業。昨日はさすがに熱く、もう4時過ぎには切り上げようと片付けに入ったが、なんと手が空いたからと、水かけ作業の応援に来てくださった方も。後を託して下山した。ありがたきみなさんの応援で、少しづつきれいさが戻りつつあるような。今日ももう朝7時。いまから作業に向かいます。
2026.07.24
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7月20日昨日は三ヶ根の資料つくりに手間取って7時過ぎに予定の豊橋陸軍墓地清掃に入ることになった。終了後三ヶ根作業に向かった。主に2段目と斜面。アジサイの選定作業に入る。夜9時半ころより6名で国旗掲揚なす。協力者は日本保守党の皆さん。実にテキパキと行ってくださった。大いに感謝です。21日朝6時過ぎに自宅や公民館、2つの神社に国旗掲揚をなして三ヶ根作業に走る。今日は3段目の花壇の草取りを主になす。高校生メンバーが10名ほど参拝に来てくれた。海の日ですので、布製のB4サイズの小旗を贈呈。さらに小学生以下の参拝者にも。まあかなりの出費だが喜んでもらえればそれでよかろう。 お供えしたばかりの菊などの花を抜き去り、捨てるという全く変な方が出没。私の作った花壇にアジサイの花を無許可で植えていかれるので困った女性。さすがに供花を勝手に捨てる現場を見たので注意すると、車に乗って動き出す。それを制すると、私を車で押し倒し作業ズボンには穴が開き、腕には血がにじむ。困ったお人である。世の中不再議な方がいる。まあ大したけがではなかったので、事を荒立てしないが、気分はよろしくない。さて間もなく国旗降納時間。頑張らねば。
2026.07.20
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安倍神像神社建立の写真集を送っていただいたので、エキスをカラープリントして24ページ版の書物にして皆さんに広めることにした。日本初の安倍総理を祭神とする神社ができるなどとは思ってもいなかった。個人が祭神とあるのは豊臣秀吉公や家康公などの歴史上の人物、東郷閣下や乃木将軍など。岡崎では大友皇子(弘文天皇)と大正天皇、愛知では孝明天皇や蒋介石、他著名人の神社はあるが、戦後の方で神になられた方は聞かないから。今は新田義貞公と昭和天皇の神社建立を目指すが、なかなか。 その常識を破り安倍総理の神社ができるとは。その熱意と行動力には驚いた。むろん公金は入らないから、民間の皆さんの善意に期待するしかないが。台湾など海外ですら元総理の銅像が作られている。国葬になられた総理への感謝の思いを持たれる方には、ご協力を願いたいと思う。 国旗損壊罪が成立。損壊する者がいるのかと思うが、かつての民主党の旗は日章旗を切り刻んでつぎ合わせて作っていたではないか。警察の訓練で日章旗を鉢巻きにする者を犯罪者として扱っていた。そうしたことが起きた。これらの例はいかに国旗を軽んじていたかを示すもの。公務員や特別公務員が棄損する権利を主張するのはいかなるものか、 愛知でおきたトリエンナーレ事件で、知事が芸術として県税を使ってなしたものは、会場の半球内に入るために、地面においた国旗を踏ませた事実。こうした行為を許せないと県民がトリエンナーレ抗議をなした。お忘れか、芸術の名で国旗を損させる勢力が、知事周辺にいたのをどう判ずるのか、みて見たいものだ。私が教師になった際、終業式に君が代を休めの姿勢で歌わせようとした組合員がいた。職員会でそう決まった、しかし実におかしい。教育長と談判し通達として「気を付け」で歌わせるように校長へ通知とした。職員会で「気を付け」で歌うようになった。 国旗国歌法が通ってから掲揚の根拠が明示されたのだ。愛知では祝日交番での国旗掲揚ができるようになった。未だ県によっては交番ですら祝日国旗掲揚ができていない場所もある。法の制定が大きな成果を生むのだ 国会がまともな判断をしてくれてよかった、
2026.07.17
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7月13日昨日は三ヶ根を美しくする会の定例清掃日。、第2、第4日曜の朝9時半よりボランティアメンバーが集って、殉国七士廟の草取り作業をおこなった。豊橋のメンバーは夜の学習会に来られないとのことで、朝の清掃作業のみの参加。他にも遠方から駆けつけて下さり、久しぶりに来てくださった方などもあり、ありがたかった、 三ヶ根から何十匹のカブト虫の幼虫をおわたししていたが、みごとに成虫となったかぶとを10数匹育て、持参してくださった方も。赤子から中2までの兄弟のお子様5名を連れてきてくださった。かぶとが生まれた故郷の三ヶ根に放つのだと。もう嬉しくて皆さんの作業を止めて集まっていただき、それを見守らせていただいた。 作業はやはり大勢でなすのが楽しい。なんとハイキングにみえた方も、草取りを少し手伝ってくださったのには感動した。 5時からは岡崎のリブラにて学習会を開催。学習テーマは」壬申の乱と大友皇子。地元に残る大友皇子の伝説。やはぎの古代ろまんへようこそ」 発行やはぎ地区文化財保存委員会 三田村ちはる 岡崎市民活動団体岡崎歴史探求班 090(4357)7644令和8年6月発行 この漫画本をテキストに素晴らしい書物です、僕らが目指していた活動がこうしてすでに冊子化までされている。驚きであります、僕らはいったい何をしていたのか、。矢作のこころざしある皆さんに敬服するのみです。 その後は予定の活動委予定案の検討をなして終了した、 今日は朝8時から三ヶ根作業。夕刻7時まで。相当のところまで進めることができた。 名大自衛隊展示妨害抗議活動も大いに進展あり。楽しみであります
2026.07.14
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7月10日朝、業者との打ち合わせを終えてから三ヶ根作業に入る、夕刻7時半まで、今日は七士廟の入り口の石柱磨きとトイレの屋根のペンキ塗りの業者の方が入り、作業をしてくださった。参拝の方に「花壇はどちらか」と問われ、言葉に詰まった、毎日必死に作業をしてもこの広さの花壇の草取りは決して終わりがない。その前に14の部隊碑の整備と草取り。その後に3段目の花壇の整備と花の植え込み。何をおいても急ぎ、なし終えねば、 多くの皆さんの協力を求めたい。日曜9時半より有志で草取りを行います。
2026.07.10
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岡崎の教育を考える会 令和八年七月十二日 初めに五月・六月の活動報告5月15日 岐阜護国神社内 三上卓記念館訪問 ・25日 楠公祭 大東塾影山正治氏慰霊祭 ・27日 海軍記念日・30日 特殊潜航艇伴艇シドニー湾攻撃。慰霊祭6月2日、千葉のアパ本社にて創立55周年及び勝兵塾15周年 ・13日、三ヶ根ウオーキング支援。・14日 朝5時岡崎のメンバー3名は車で靖国神社参拝。田母神氏はじめ シベリヤ問題を進める参列者とともに正式参拝。先発の西尾5名 と群馬沼田高校にて台湾にて紅茶産業を開始された新井耕作吉郎 先生の顕彰講演会参加。慰霊碑前にて開催された慰霊祭に参加・19日三ヶ根駐車場の完成。・21日三ヶ根殉国7士墓前にておよそ300名の阿含宗の皆さんによる大祭 奉仕。上島嘉郎先生の感銘深いお話をいただく。・23日 沖縄慰霊の日。比島観音にある慰霊碑前にて祈りをささげる。 ・24日 知立にて国旗掲揚運動の推進を目指す日の丸協会の有志の方と懇談 ・25日~29日、サイパン慰霊旅行 グアム大東亜戦争戦没者鎮魂例祭七月・八月の予定案・1日 国旗損壊罪衆院可決 十日皇室典範改正案 衆院通過・5日 貴嶺宮慰霊祭九時(毎月) ・7・8日 蒲郡 ティア冨安徳久氏講演会・18日 サイパン玉砕三ヶ根にて慰霊・20日 海の日 県内国旗掲揚・25日 西尾関口先生地域案内会・26日 ポツダム宣言発表の日・30日 明治天皇崩御八月・1日 小名木先生・たく先生講演会 蒲郡市民会館1時から4時半・4日 金沢大東亜戦争聖戦祭 朝5時発予定・15日 終戦記念日 岡崎龍城神社11時・三ヶ根・16日 三ヶ根慰霊園 士魂の碑慰霊祭(18日か未決)・17日 宮地町 新田義貞公慰霊祭予定検討事項A 国旗掲揚推進愛知の会と日の丸協会、安倍神像神社大国旗作成委員会協力について。名大祭自衛隊展示及び入学式卒業式での掲揚活動についてB 8・1(土)昔の日本人から学ぶ成功の法則 小名木先生講演会についてC 8・15(土)終戦記念日への取組み 半旗掲揚活動。国通達は8月初旬 岡崎龍城神社11時 半旗は8・6,8・9も三ヶ根活性化D 池田末男士魂隊慰霊三ヶ根 18日または16日 10日E 新田義貞公慰霊祭 8・17F 三ヶ根整備計画G 関口先生 志賀重昴先生顕彰活動
2026.07.10
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7月9日8日朝6時蒲郡モーニングセミナーに参加。昨日の冨安先生のご講演であったが、更に人生観に感銘。ご活躍に大いに期待したい。三ヶ根山の整備に走る。今日は安倍総理のご命日。同憂の友と慰霊祭をなす、さらに長野に建立された日本唯一の安倍総理の顕彰をなすための神社安倍神像神社の祭礼に向かう。巨大にして精悍な総理の等身大の像の完成建立は一か月前とのこと。戦後体制から脱し日本の自立を命がけで目指された元総理の意思が表現された見事な立像である。神社建立と立像建立に相当のご尽力をしてくださった世界遺産吉水神社の名誉宮司佐藤一彦先生、他多くの皆様に深く感謝いたします。次は日本一高い国旗掲揚塔の作成を目指すことが合意された。僕ら国旗掲揚推進愛知の会も協力要請を受けた。できる限りの協力をなしたい。急ぎ三ヶ根に戻り、花壇の整備を日没まで行う。
2026.07.09
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7月8日 昨日は朝6時ころから町内の資材置き場の草取り作業。災害非常時の土嚢などのおいてある倉庫のある広場は市の土地。ここに30軒弱の住民用のごみステーションを設置させてもらったのはもう10数年前。設置費は私もちで作成したので借り賃は無料。住民にとってはごみ出し場所が近くなった。しかし清掃はいつの間にか市も町内も手を引きよって私の担当となっているようだ。まあ町も市も資金なく気づいた者が草取りなどをやるしかないのであり、この場所も私がさせていただいている。まあ橋や歩道なども同様に清掃させていただいているのでなんということもないが、三ヶ根花壇の清掃を責務としてなしているので、ここもついでの作業。 三ヶ根に走り慰霊碑周辺の草刈りや花壇の草取り作業に。先輩ご夫婦など4名が献花してくださっていた。実にありがたい。 4時に下山し帰宅。6時から蒲郡ホテルにて開催された倫理法人会主催のナイトセミナー講演会に参加。講師は葬祭業のティア社長冨安先生、以前建国祭で講師を務めくださった方。もう会社は一部上場の超優良企業となっている。お話内容はこれまたすばらしい。かつて私の教師時代にかく有りたしと願った教育者像が、この先生の中に完璧に実現している。びっくりしながら聞きほれていた。私の知人。人格者のY氏に参加を呼び掛けたところ、社員の研修をさせたいと2名を参加させてくれた。来てくださったお二人は実に凛々しく礼儀正しい。大いに感激してくれていたようである。Y氏も仕事を終えて食事会にぎりぎり間に合って来てくれた。聞けば蒲郡倫理発足時に立ち上げにかかわっていたとのこと。再入会をしてくれそうである。これもまた大いにありがたい。 ここ数日魂が揺さぶられる実践の人にばかりお会いできる幸せを心底感じる。実に不思議でならない。
2026.07.08
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朝6時半から町内清掃。途中で切り上げ、幸田町の貴嶺宮内の中正神社での月次祭に出る。中正公とは蒋介石閣下のこと。敵国総統とはいえ、さらに228事件の責を負う人物とはいえ、終戦時日本兵や国民の速やかな帰国に努めてくださったことには感謝をすべきと私は思う。孫文のなき後を王兆銘が勤めれば戦争終結は早まっただろうに、返す返すも無念である。名大病院で亡くなられた氏の命日は11月10日、今年こそ氏の慰霊祭をなしたいものだが。 相談にのってくださる方を求めたい祭禮後豊橋の陸軍墓地清掃の現状を友に聞くと、既に終了し茶話会に入っているとのこと。あきらめて三ヶ根清掃に入る。 2時半に大雨となり終了して帰宅すると、雨も小降りになってきたので朝の続きのごみ回収場所の清掃。さらに地域のアパートの草取り。6日間のグアム慰霊による草取り中断のつけはやはり大きい。明日はまずは碧南での研修会。終われば真っ先に三ヶ根作業に入る予定。
2026.07.06
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7月5日(日)グアムから帰って日常に戻ると待ち受けていたのはあ思ったとおりあらゆる場所で雑草の繁茂。昨日も町内の資材置き場の広場やごみ出し場所の周辺の清掃を8割がた終えて三ヶ根七士廟慰霊碑の草取りに走る。 三ヶ根資料を参拝の皆様に渡しつつ終えればすぐさま草取り作業。10時ころから阿含宗の皆さんが慰霊に来てくださり10名ほどで清掃と法要をしてくださった。10日ほど前には300名程の皆さんが盛大な法要をしてくださったばかり。続いての祭壇を設けてのお参り。実にありがたきことであった。一年ぶりにきてくださった方とも親しくお話する。67年前にこの地に7士や他の慰霊碑などが建立されたが以降の歴史を知る方。建立当時は国のためお亡くなりになられた方々を放置してはならないと心ある方々が慰霊の必要性を痛感なされ一気に100基近くの慰霊碑がこの三ヶ根に建立された。他国が国が英霊を丁重にまつる墓地を持つ中、日本は靖国神社の国家護持がかなわぬ異常さが情けなく、ならば国民町民の手でお守りしたいとの思いが強かったと聞く。東条由布子さんらが、軍民の犠牲者への慰霊の務めをなしたいと三ヶ根の放置された建物の使用を所有者に頼んだところそんなありがたいことはない。ぜひご自由にお使いくださいとほとんど無償に近い金額で借り、女史が亡くなられた後もゼロ円で売却したいといわれその準備が直前にまであったそうだ。まあ時代がかわったのであろう、最近ではご遺族も多く亡くなられお孫さん世代にはおじいさん世代のような慰霊の思いが継承されることも少なくなっているようでもある。私が案内や花壇作成などに取り組みだしたのも、先人の愛国の情をつながねばならばいとの思いからであるが。 今朝町内草刈りをしていると町内放送で雨のため一斉清掃は中止の放送が入る。 あと少しで目標の草狩りが終わりそう。急ぎ豊橋りぃぐん墓地清掃に向かいたい
2026.07.05
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ここ1か月の主な活動を振り返っておきます、まずは6月2日、千葉のアパ本社にて創立55周年及び勝兵塾15周年のパーティ参加。阿羅健一先生や金沢の諸橋先生らと会う。アパの公共活動の見事さ。日本企業の在り方を実践された元谷氏の企業人生には、感謝あるのみです。台風接近のため、車での上京をあきらめて新幹線にて上京。帰宅時に予定した小田原での新田義貞公の墓地見学や、わが町出身の大久保一党との交流打診などのテーマは、今回はあきらめることにした。 13日、三ヶ根ウオーキング支援 アジサイ祭りのイベントへの自主的支援である。毎年の僕らの店舗出店を楽しみにしてくれている方々と会えることは実に楽しい。ジュースやせんべいなど200セットほどを無料配布、子供には布製小旗を配布、協力者2名。同日、昼に西尾のメンバー5名は群馬に出発。 私ども岡崎のメンバー3名は翌15日、車で群馬へ向かう。まず先に靖国神社にて、田母神氏はじめシベリヤ問題を進める参列者とともに、正式参拝に参加する。 先発の5名を追って群馬沼田高校に向かう。台湾にて紅茶産業を開始された新井耕作吉郎先生の顕彰講演会に参加。さらに、りっぱな慰霊碑前にて開催された慰霊祭に参加させていただく。群馬の皆様との交流の最高の時を過ごす。群馬は新田義貞公の出身地である。義貞公の首塚がわが町隣の宮地町の犬頭神社にある首塚伝説のもととなっているため、正誤を詳しく調査する必要がある。建武の新政700年を数年後に迎えるために、首塚の場所の特定をするのも私の調査目的の一つなのだが。これも他の日に調査を進めたいものである。 19日には三ヶ根駐車場の完成。元は笹林、根から除去し土を平らに敷き詰め、30台の車が止めうるまでの広さにまでひろげる。一台ごとにスペースを決め、ライン引きを完成した。20日はわが家の父13回忌、母の3回忌を親族に来ていただき実施。21日は三ヶ根殉国七士墓前にて、およそ300名の阿含宗の皆さんによる大祭がなされ、私も奉仕をさせていただく。上島嘉郎先生の感銘深いお話をいただく。23日は沖縄慰霊の日であり、比島観音にある慰霊碑前にて祈りをささげる。鳥居のある唯一の石碑です。毎年は4月29日午前中でありましたが、ここ10年ほどはご遺族をお見受けしておりません。 24日には知立にて国旗掲揚運動の推進を目指す日の丸協会の有志の皆さんと会合。私の提言は会員には自宅と氏神様の祝日国旗掲揚、会としては議場の国旗掲揚、大手企業や官庁への掲揚要請、奉迎活動、各市町村での掲揚ストリートの確定と実施を提起した。25日から30日まではグアム・サイパン・テニアン慰霊参拝。飛行機の関係で成田発。そこまでは私の軽自動車で向かった。25日グアム、サイパン慰霊旅行に出発。朝7時、3名私の車で成田空港に向かう。グアムにお住まいになり国籍も米国になされた芳賀先生の案内をいただき、激戦の地を巡る、27日には先生のお作りになった慰霊碑の前で、各地からお集まりになった皆さん50人ほどで慰霊祭がなされた。28日はサイパンとテニアン慰霊、サイパンのバンザイクリフなど涙なくして望められなかった、御製を読んでも涙が、この美しき海岸で悲惨極まりない自決がなされたなど考えもつかない 翌日、昼からはみなさんはテニアンに渡航。私はサイパンに残り先人のお守りになっている松江さんの銅像公園の草とりを半日かけておこなう。翌朝、夜明けすぐに二人で清掃の続きをなす。しかし、ここで大事件。 旅行呼びかけ人のNさんが名誉の転落致傷。電話もメールもつながらず、私は走ってホテルへ。途中、パスポートを見せながら見かける方に救助を頼んだのですが、仕事が始まるからとかライセンスを持たないなどの返事。まあ当然ですが。ホテルに着くとたまたま早くタクシーが着いていたので、現場に行っていただき、さらに荷物を素早くまとめることができ飛行機にまにあった。 グアムの飛行場で乗り換えがあり、友らには送迎に来てくださった芳賀先生と別れの会食などをなしていただき、私はN氏と空港内の一室で待機。おおいに語りあうことができた。 さらにT女史。観光業もなしたいとおっしゃる。そして東京にお住いのようであるが、私の活動価値の大いなる理解者。 素晴らしき皆さんとお会いできた奇跡を大切にしたく思う。 さて名大自衛隊展示問題、仕切り直して入学式卒業式での国旗掲揚実現問題。
2026.07.02
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6月25日昨日は日の丸会の皆さんと4人で今後の活動につき、運動方針の検討をなした。議場への国旗掲揚の推進や各市町村に一か所以上の国旗掲揚ストリートの設置、官庁や企業への掲揚推進、氏神様での掲揚要請、国旗つくりの開催など今までやってきた活動を説明させていただき、その全県的な広がりを提案させていただいた。今日7時に岡崎を出発し、成田空港に向かう。グアムでの芳賀先生らと合流し、慰霊祭に参加するためサイパンやテニアンなどにも慰霊の旅に出かける予定。しばらく三ヶ根にも行けず心配ではありますが、清掃に来てくださる方が見えればありがたい。名大自衛隊展示問題。メディウス氏のエックス記事が閉鎖されてもう2日、拡散を希望します。
2026.06.25
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6月23日(火)昨日朝一番で友のネットが止められてしまった。名古屋大学名大祭での自衛隊の災害被害者救援活動の展示が大学教授会からの思想弾圧により中止に追い込まれた事件の不正義を糾弾してくれていた。国立大の名大が平和憲章なるものを大学当局の決定のごとくに扱っていたがその決定の撤回を実現したのはもう10数年前だったか。僕らの主張が通り大学の正規の歴史から削除でき、名大の名誉を守りえたことは僕らの誇りでもありました。併せて名大は自衛官が入学試験を受けることができなかった。私は名大の学生時代に自衛官になることができ、復学もでき卒業もしたが、後輩らは院の入試すら受けることができなくなっていた、このシステムもただすことに成功はしたが、まだまだ闇は晴れない。いまだ入学式や卒業式に国旗が出されないのが現状、私の卒業式の当日には豊田講堂の時計台に国旗は掲げはしたが、あくまでプライベート。大学の方針ではなかったノーベル賞受賞を祝い陛下が大学にお越しくださった際に、奉迎者の国旗掲揚を制限することを条件に、革マルと手打ちをして反天皇活動を制限させた、陛下がおこしくださるのに国旗掲揚がないなどありえないことでした。 それにしても今回のごとく自衛隊を貶めようとする勢力が学問の府たる国立大学に残り強権的に学生の勝郎を封じるなど許せるものではない。すでに医大の暗部を知る方が100万を超えるにいたり、マスコミも報ずるに至った。さらに多くの人に知っていただき、大学の良識を取り戻していかねばならない。皆さんの協力に深く感謝します、 今日は沖縄の日。我が家も三ヶ根七士廟も半旗を掲げ慰霊をしました、多くの方が清掃奉仕や参拝にきてくださいました。ありがとうございました。-
2026.06.23
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