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こんにちは。久しぶりにアップしてみます。今回は、「不安」ついてです。世の中「不安」を思うのが大得意な人ばかりです。頭で考えると、すぐに不安が伴います。これは、安全に生きるためには必要な機能ですが、過ぎると、困り者です。頭以外の身体には不安はありません。いつも、今という瞬間を生き生きと生きています。過去・現在・未来という言葉がありますが、現実には、現在という今しかありません。過去は記憶で、未来は創造であり、頭で造ったものです。現実に認識できるのは今という瞬間だけなのです。そして、身体は今に生きていますから、不安はないのです。しかし、頭は今という瞬間から離れやすいので「不安」を造ります。これが頭と身体のズレです。このズレが大きいと病気になります。所詮、人間の頭で考えられる範囲は限られてます。自分の身体のことも分からないし、自然界のことも分からないし、分かっていることの方が、少ないのです。 また、思考という能力は人間の能力の一部ですから、一部の能力だけに頼るのはどうかと思います。思考という能力に偏り過ぎている現代人には分かりにくいかもしれませんが、思考能力が特出しすぎて、他の多くの能力が押さえつけられているのを知っていますか?そこで、思考を休ませて、思考以外の能力に目を向けてみませんか。きっと、「安心・やすらぎ・平安・活力・やさしさ」などの感情がドット沸き起こりますよ。
2006年12月05日
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物事を行うとき、初めはしんどいが次第に振りがついて、楽になったり、大きな事を行えるようになる。つまり加速度がつく訳だ。人生の加速度とは、ある信念をもって、物事をやり続けるとある時期までは、うまくいったりいかなかったりとが繰り返される。しかし、それでも信念でやり続ければ、やがて、加速度がでる時期となる。分かりやすい例として仕事をあげてみよう。手技療法の場合、人様の健康に純粋に貢献しようとスタートする。その気持ちで純粋に行っているときはそこそこの成果があがる。だが、実績がでてくると、実績へのとらわれの心が生じ、当初の純粋な気持ちを忘れ、自己保存になる。すると急に施術効果も落ち、患者さんも少なくなる。あせって、経営努力をしてもたいした効果はでない。ここで何かのきっかけで当初の純粋な気持ちを取り戻し、ゼロからスタートできれば、また軌道に乗る。今、そこそこ頑張っておられる方は、これを繰り返しておられるのではなかろうか?ここからもっと進化するには、自己保存の心になってきた時に当初の純粋な気落ちをキープする信念が必要だ。そして、そのままやり続ければ加速度がつく。それさえできれば、後は自然が後押ししてくれる。純粋な心と自己保存の心との葛藤を繰り返すことになるが、この戦いに勝ち続けることが自然に沿うことにもなり、また自分の使命を果たすことにもなり、また喜び多き人生を歩むことにもなる。
2006年02月17日
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施療には次元がある。肉体にアプローチしたレベルは、西洋医学の手術や、筋肉や骨格にアプローチする手技療法など。東洋医学は気の流れにアプローチしている。これは、誰の目にも確認できるものではないので、誰の目にでも見える肉体を3次元としたら、さしずめ3.5次元というところだろう。次にヨガでいうチャクラのエネルギー調整は、気よりもっと肉体から離れているので、4次元。古来日本は魂に注目していた。魂へのアプローチは5次元だろう。当たり前だが、次元が高い低いで良い・悪いはない。だが、施療家自身が自分の得意分野を知っていることは大切だ。自然界からみれば、いろんな治療家がいろんなパーツを担当しているからいのだろう。施療家が自分のパーツを謙虚に深めていくと、大自然の心と共鳴し、奇跡的現象が起こるのだ。
2006年02月08日
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22歳で事業に失敗する。23歳で州議会議員選挙に落選する。25歳で再度事業に失敗する。26歳で恋人の死に直面する。27歳で神経の病をわずらう。34歳から5年に三度、下院議員選挙に落選する。46歳で上院議員に落選。47歳で副大統領になろうとするが失敗する。49歳で上院議員選挙に落選。51歳でアメリカ合衆国大統領にとなる。この人物の名はアブラハム・リンカーンである。偉業を成し遂げようとする人間は決して失敗を認めない。成功への途中経過である。病気も同じだ。丸い心になるための途中経過であろう。丸い心が完成されることを信じ、自然のごとく強い強い心を発揮するのだ。弱さをごまかす、相対的な強さではなく、大自然のような絶対的な強さを発揮するのだ。自然の一部分である我々は皆絶対的に強い存在だ。
2006年02月06日
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昨日、久しぶりに映画に行った。子どもを連れて行ったアニメ以外では、10年ぶりぐらいではなかろうか。近所に映画館ができたこともあってか映画館でこの映画を見てみたいと感じたので素直に行ってみた。感想は「よかった。是非観てください。お勧めです。」迫力もあるし、その時代にすっかりタイムスリップして観ていました。当時の人は腹が据わっていたのだな、と現代と比較したりしました。また、映画一本製作する手間隙、その映画が観賞できる映画館という施設、これらの効用を考えると、千数百円で味わえるのは非常に安い。本当に感謝いたします。あらためて、「生きるとは」・「死ぬとは」について感じさせられるものが多くありました。戦時中と比べると現在は天国だ。その天国で胡坐をかいてボケている。日本の将来に対して死ぬ意味を見出して死んでいった方々に申し訳ない。もっともっと積極的に生きようとひそかに決意できた日になった。朝、目覚めると今日も生かされていることに感謝と喜びが感じられ、さらなる進化向上のため必然的にガッバッと跳ね起きることができる。頭で、どうこうしようというのは限界がある。感動体験を多く積み上げる方が、エネルギーの高まりははるかに大きい。過去の歴史的つながりを無駄にしないよう、今に生きている私たちが輝いて生きなければ。
2006年02月01日
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身の周りの出来事が行き詰ってきた時、その出来事を好ましい方向にもっていこうと努力する。努力はいいことだが、その努力は現象に対するアプローチばかりが優先されてはいないか?現象の前に、自分自身の心を変えることが先決だ。現象が行き詰っている時は大抵の場合、心が暗くなり、マイナス思考・愚痴の心になる。この心をそのままにして現象を追いかけても効果が少ない。現象を追いかけるうち、心が前向きになるといった変化が起これば別だが。まずは、心を前向きにすることが先決だ。現象からメッセージを感じ取り、学ぶもよし。ますます自分を鍛えようと燃えるもよし。なにわともあれ、心を強くしないことには始まらない。ここで、心が強くなる方法を、1、やや内股に立つ。(足の親指が踵・カカトより内側)2、やや膝を曲げる。3、肛門にをギュを閉める。この立ち方で、丹田のエネルギーが燃焼され心が強くなる。(丹田とは、臍と肛門を結んだ線の真ん中あたりの場)丹田を強くするとエネルギーが満たされるが、その満ちたエネルギーも燃やさないと宝の持ち腐れである。だから、肛門に力をこめて、下から火で燃やし、丹田のエネルギーを全身に巡らすのだ。この簡単な方法を毎日少しずづでも続けることによって、心は強くなる。是非、試してください。そして、世に蔓延っている悪に負けない生活を送っていただきたい。
2006年01月30日
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例えば、肩が凝る。これを「いやだなー」と思う。肩こりを取って欲しいと思う。しかし、よく考えてみると肩を凝らすのにもエネルギーを使っているわけで、これをただ単に取り除いては、エネルギーの無駄使いだ。エネルギーの元を突き詰めていけばすべては同じだ。分かりやすい例えは、ガソリンで車を走らせれば、便利だが、引火して車を爆発させれば損害だ。同じガソリンというエネルギーでも使い方でこんなに違う。つまりは、エネルギーを肩を凝らすために使うのか、お掃除・選択をするために使うのか、ということだ。また、怒りの感情が沸いたらそれをストレスとして身体を痛めるエネルギーに使うのか、自分を向上させるエネルギーに使うのか、である。エネルギーに良いも悪いもない。元のエネルギーは純粋そのものだ。要は、それを扱う人の問題だ。病気も痛みも上手にエネルギーを変換すればよいのだ。すべては自分次第なのだ。
2006年01月28日
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昨日ご来院された患者さんが、「病院でほんの一分ほど聴診器を当てていただくだけで 千数百円の請求がくる。そして薬代とあわせるとすぐに三千円は越える。 二週間ごとに診察をうけるので安くはない。」「定期的な診察に加えて、すこし風邪気味だと感じたらすぐにまたかよ う。」「だから、医療費がかなりかかっている。」と私は病院は費用が安いから皆さん通っているのかと思っていた。そして手技療法は実費だから、費用が高くつくので、どうどうとお勧めしくかった面が今でもあった。また、別の患者さんから、(この方は、以前からの知り合いであった。 「今度施療して。」とよく言っておられたが 私は、てっきり社交辞令だと思って 「遠いので近いところに行ってください。」と返答していた。)「今日は勇気を出して電話してよかった。 また、ダメって言われるかと思った。 私が来ては気まずいのだろうか? などいろいろ考えた。」私は、変なところで遠慮していた。それが、かえって皆さんに迷惑をかけていた。今週だけで、私が変な遠慮をしなかったらここまで悪くはならなかったのでは?と感じることが4~5件あった。思い当たることは他にもある。一度では到底回復しない症状でも、知り合いの方だと変な遠慮をして再来を促さず、気まずさを感じていた。これも、私の心の変な癖が作り出すのであろう。まだまだ、自然体の心になっていない。私の施療が必要な方には、どなたにでもその旨をお伝えしなければ、相手に失礼だ。また、不自然だ。施療技術だけでなく、こんなやりとりも自然でスムースに行いたい。その為には、やはり私の心が常に自然でのびやかでにでいられるよう日々の生活での姿勢が大切だ。今日から、また私の心の癖を取り除く為にプチ反省だ。
2006年01月26日
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体で認識する。 スポーツ選手は一流になると、 一つ一つのプレーを頭で考えてはいない。 頭で考えると遅いだけでなく、最適な動きは出来ない。 しかし、普通の人は頭で考えて動こうとしてしまう。 だから、遅いし最適な動きではない。 普通の人が一流になるには、なんどもなんども繰り返し同じ事をするしかない。 なんども繰り返せば、頭で考えなくても体が勝手に反応してくれる。 しかし、体が勝手に反応してくれても、それを頭で理解して覚えようとするとおかしなことになる。 なぜなら、頭は基準をつくってしまう傾向にあるからだ。 基準をつくると、次回からそれと同じにしようという意思が働き、変化に対応できない。 頭で基準をつくり、安心を求める。 しかし、この世に二度と同じということはない。 常に変化している。 これが自然の姿だ。 常に変化しているのに、頭だけは安定を求めているから矛盾が生じる。 だから、身体がおこなう自然な動きから、頭が学ぶと良いのだ。 そういう状態をある意味「悟り」というのかもしれない。 心で悟るのは、見えない世界なので難しいが、 身体を使い、目に見える身体から教えてもらえば、 ある意味簡単ではなかろうか。 私は、自分の身体を自由自在に操れるようになることを目標にしている。
2006年01月25日
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「鏡の法則」これはすばらしい!分かりやすい。すぐに読める。内容が濃い。何か問題に直面している方は是非読んだらいい。また、周りの人にも薦めたらいい。と、思えるものでした。是非、読んでみてください。「鏡の法則 ↑ ここクリック
2006年01月23日
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「良い」の対極は「悪い」「正しい」の対極は「誤り」ここで考えてみたい。これが良い・正しいと思って頑張ることが、実は対極の悪い・誤りという概念をつくりだしている。自然には良いも悪いもない。さらに、自然が正しく、人工的なものが悪いということもない。得てして、正しさを追求する人は、他人の悪が気になるものだ。もっと大きくなるには、正しさを追求するのではなく、自分の心の奥底の素の気持ちに素直に行動することだ。すると、それが自然なので、正しいとも思うことなく、平然と調和のとれた行いとなる。世の中の情報に惑わされることなく素の自分との調和を目指すことがよい。その調和度の目安になるのが、不安になるかどうかだ。心が不安になっている時は、素の自分との間にギャップがあるときだ。だから、不安がなくなるよう頭で考えるのではなく、不安がなくなるよう心からの思いに沿って行動するのだ。そうすれば自ずと感謝の気持ち、幸せな気持ち、などが湧き上がり、未来は楽しみなものになる。
2006年01月21日
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人は安定を求めるものだ。安定を求めて、安全な会社に就職しようとしたり、国家が保障した国家資格を取得しようとしたりする。すると、発想が経済優先になってしまう。お金は、あると便利だが優先すべきものではない。間違って、お金を優先してしまうところから今、問題になってるような事件が次々と起こるのだ。だが自然はどうであろうか?自然には安定はない。常に変化してる。雨も降れば、雷もある。意図して起こせるわけでもない。人間もそうだ、日々変化してる。その変化に気づかないまま過ごすから、突然のように不調がくる。人間がつくった社会ルールを絶対だと思っていると混乱が起こるのは、この自然のルールとの間にギャップがあるからだ。しかし、だからといって何も努力せず自然まかせでいいのかというとそうではない。まず、我々はこの自然と社会のルールのギャップがあることを知ることだ。そして、自己保全のために安全を求めるのではなく、自然の変化を受け入れつつ、そこに調和の努力をすればいい。外部環境は、すぐには変えられないが、自分の身体という内部環境は自分の努力でかえらえる。せめて、自分の身体内部環境は、自然のルールに沿って欲しいものだ。また、すべての人の身体内部環境が自然のルールに沿うと、おのずと社会のルールも自然に沿ったものになるかもしれない。
2006年01月20日
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昨日、敏感な患者さんがご来院された。その方は、看護婦さんで、普段から、病院の患者さんの悪いとことは、手を当てると涼しく感じるそうだ。他にも、普段と違う特別なことが起こるそうなときには、ビーンと感じるものがあるそうだ。その方に、骨盤の調整を施すと、(骨盤調整といっても私のは微かに触れている程度なのだが、)「今、骨がグニョとこう動いた。そして、楽になった。」と確かな方向まで表現された。まあ、こんな感じの方は時々おられますが、ただ一つ、気になることをおしゃられた。「前回、ここで調整してもらったときは、先生の指先が妙に冷たく感じた。 比較的暖かい日の午後だったにもかかわらず。」しかし、調整効果はあったそうで、よく眠れるようにり、症状はほぼ解消されたそうであるが。「本日は、前回のはなんだったんだろうかと確認をしようと思った。 本日は、朝一番で冷えているにもかかわらず、先生の指先が暖かく感じる。」と。どちらが、心地よいかと訪ねると、暖かい本日だ、と。結局、その違いの要因はわからないといわれたが、私が思うには、昨日は、朝散歩をして、身体を自然に無理なく動かす体操のようなことをした。前回はそれをしていなかった。調整効果は同じだとしても、それにプラスアルファのエネルギーがまったく違ったようだ。このプラスアルファのエネルギーが施療にはものすごく大切なのに、一番大切なことをおろそかにしてしまって大反省である。他人のことはよく見えても、こと自分のことになると見えなくなってしまう。本日の患者さんの何気ない疑問は、私にとっては、ありがたいメッセージとなった。
2006年01月19日
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頭は、ちょと説明を受ければすぐに理解でいる。これで、分かったと思うのは半人前である。なぜなら、頭で分かっただけでは行動は変わらないからである。例えば、普段の生活の中で「身体の重心が常に両足の真ん中にくるようにすればよい。」と聴けば、頭はすぐに理解できる。しかし、すぐにそお通りに生活できるかというと、聴いた先からできていないし、すぐに忘れている。大事なのは身体で理解することだ。身体で理解しようと思えば、一度や二度聴くだけでは到底無理で、なんどもなんども繰り返して行う必要がある。この繰り返しの行いを「行(ぎょう)」というのだ。しかし、「行」といっても堅苦しいものではない。普段、歩くのだって、自転車に乗るのだって、繰り返して行うことで身についている。ここで、大事なのは繰り返して行い身体が理解することである。頭は、そのナビゲーターにすぎない。この頭と身体の関係は重要である。
2006年01月18日
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ある患者さんとの話である。要約すると、私がこんなにしんどいのに、ご主人が優しい言葉をかけてくれないと、愚痴を言っておられた。私も最初は、ただ聴いていた。しかし、聴いているうちにヒラメキが出てきたので語った。それは、「今のお話は、結局は自分が満たされないということですよね。 自分の思い通りに行かないからと言って、 不満を言うのは子ども(小人)ですよ。 不満があっても我慢をして、理性で体裁を保つのが 一般的に大人だと思われているが、それは中人ですよ。 大人とは、人に求めず、与える心だから、不満も我慢もないのですよ。 今の親世代は、中人はいても大人は少ない。 今こそ、大人になるときですよ。 今まで、大人に甘えてきたのだから、今度はあなたが 大人になって、甘えさせてあげる順番(年齢)になったのですよ。 これができれば、きっと病気もお役目が終わるのでよい方向に 向かうと思いますよ。」現象ばかりに目が向きがちだが、不変のものに目を向けると、別次元のものが見えてくる。マクロからミクロまで、陰と陽バランスまで、しっかりと整えて、心身ともに健康で過ごしていただきたいと願う。
2006年01月16日
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太陽は皆さんご存知のように我々に、毎日毎日、温かさ・明るさ・他のエネルギーを無償で、すべての人に平等に与えてくれている。太陽のような生き方とは、このように、代償はなくとも与える生き方だ。また、自らの目標に向かって闘志を燃やし、突き進む生き方も示している。しかし、人生には、いくら動き回っても逆効果の時期もある。この時は、自分の目標というよりも、もっと大きな不変の目標、変わらざる真理へと目を向ける時期だ。例えば、人間関係がうまくいかない時、太陽から学べば、自分から積極的に相手に挨拶をしたり、話しかけたりし、関係の改善に向けて動けばいい。だが、相手の機嫌をとったり、我慢をして相手に合わせたりと、自分の保身という小さな目標の為に動けば返って関係が悪化することもある。このような時は、北極星から学ぶのだ。人に誤解されようがどうしようが、全体にとってベストな道を選択し誠意をもってやり続けることで改善する。というものである。小手先の誤魔化しでなく、不変の真理へと突き進むのである。天の北極星はじっと黙って目立たないが、宇宙の中心になっている。このように、現象が同じような悩みでも解決方法には大きな違いがある。自然がすべての答えを与えてくれている。頭で考えることもよいが、頭で考えてばかりいると、不自然な回答になることもある。もっと、自然を意識して、もっともっと大切なものを思い出そう。
2006年01月15日
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患者さんを診ていて、いつも思うことがある。改善の早い方と、なかなか改善されない方について、最終的には患者さんの生活習慣や感情の癖に原因があると。今まではこのように思っていた。しかし、少し前からそれは施術者に原因があるのではないか?と思うようになってきた。なぜなら、私自身が非常に調子のいいとは、患者さんの不調の原因がどんどんひらめいて来る。そのヒラメキに自分で感心することが多い。しかし、私自身が不調の時はヒラメクどころか、自分に腹が立ってしまし、怒りの感情が患者さんに伝わってしまいそうである。分かってはいても、うまく行かない原因をついつい他人や物や環境のせいにしていまう。だが、患者さんの回復が芳しくないのも本当は、施術者の問題だ。施術者がその雰囲気・オーラで患者さんの感情さえも修正してあげることができればいのだ。折角、深いご縁があってのご来院なのだから。その患者さんに対しては、その施療家がベストなのだから。深い深いご縁で訪ねてきてくださった患者さんに対して、引き合わせてくだっさったご縁の力に対しても、恥ずかしくないよう、ベストの自分でいられるよう日々の「自分磨きの行」が大切だ。
2006年01月11日
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『なんども なんども 繰り返す なんども なんども 繰り返す。なんども なんども・・・ なんども なんども 繰り返すと 勢いがつく。 はずみがつき 勢いがつくと おもしろ味が出てくる。 どうしようもない人間が あたりまえの人間になるためには ただ なんども なんども 繰り返すことだ。 あたりまえの人間が 専門家といわれる人間になるには 同じ事を なんども なんども 繰り返すことだ。 専門家といわれる人間が 秀才や天才と呼ばれる 人間になる唯一の道は はげしく 熱心に なんども なんども 繰り返すことだ。 洋の東西を問わず Repetition is another none of genius. <反復(繰り返し)に勝る天才なし> とよくいったものだ。 はげしく 熱心に なんども なんども 繰り返すうちに 力が集まり 充実し 熟してくる。 機の熟したものは 何でもおもしろくうまいものだ。』 *出所はわかりませんが、引用させていただきました。
2006年01月08日
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よく肩が凝ったら、肩そのものを治療する、と聞くことがある。しかし、原因は背中・腰・腕・首・お腹側であったりとさまざまである。これと同じように、心の悩みの症状と原因は違うところにあったりする。例えば、「私の周りの人は冷たい人ばかりだ。」と悩んでいる人がいる。 短絡的な考えだと、 「周りの人が暖かくなればいいんだ。」と考える。 しかし掘り下げると、 「他人を批判ばかりしている自分に気づく。」 ↓ 「批判するのは、被害者意識が強い自分であると気づく。」 ↓ 「自分で自分を誉めて自分を好きになり、 被害者意識が強いという心の癖をなくしていくとよいと気づく。」 ↓ [ 結局は、自分の感じ方の癖が原因なんだ。] そこで、 いけいけドンドンで突き進む自信過剰のタイプは 人の話をよく聴く「聴く行」 人知れず善行を積む「陰徳の行」 人を批判するタイプは いつもニコニコの「笑顔愛語の行」 愚痴ばかりこぼすタイプは 何事もおもいきって引き受け「挑戦の行」 態度があいまいなタイプは 「自分の意見や本心を語る行」 を行うとよいようです。
2006年01月05日
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自分と相手の距離、間合いというものがある。しかし、その前に自分自身の間合いがある。つまりは、自分の身体の有効稼動を確実に知ってることだ。身体の有効稼動範囲とは、力が充分に発揮できる範囲だ。例えば、身体の前面で、腕を伸ばし湯飲みをつかむのは有効稼動範囲内だ。しかし、後面で同じ事をしたら、つかめても力は弱い。武道では、相手を意識しすぎて、この自分の有効範囲を越えて技をかけようとすることがあるが、これでは技がかからない。経営も同じだ。自分の有効範囲もしらないで、「お客獲得」と声を高らかに叫んでも効果がない。逆に、自分の有効範囲をしっかりと認識できていれば、さしてお客獲得に気を使うことはない。「その気はなかったが、知らない間にお客が増えて、商売になった。」と、言う話はこのよい例だ。では、自分の有効範囲を知るにはどうしたらいいのか?これは、頭では把握できない。身体で感じるのが早い方法だ。この世は、肉体が与えられている。ならば、この肉体をもっと活用して、身体から感じていこう。この頃は、便利になりすぎて、肉体をつかわなくなった。だから、頭や精神に比重がかかりすぎて、人間が正常でなくなってきている。もっと、肉体を使って汗をかこう。その時、肉体の力が一番発揮される身体ポジションで動くようにしよう。そうすれば、次第に自分の有効範囲を認識でき、身体・経済ともに健康が手に入るはずだ。相手を意識する前に、まず己自身を知ろう!
2005年12月19日
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電気をつけるため、ただ電気の紐を引っ張る。なんでもない動作だ。健康な人なら、身体のどこにも力みがないはずだ。この時の身体を深く観ると、完璧に機能している。しかし、今度は、紐を引っ張ろうとした時、他人に腕をつかまれたらどうであろうか?普通の人は、力んでしまって、紐が引っ張れなくなる。しかし、他人に腕をつかまれているにもかかわらず、なんのとらわれもなく先ほどと同じような動作をしたらどうであろう。腕をつかんだ人が吹っ飛ばされて、普通に紐を引っ張ることができる。言葉では難しいが、要は他人は関係ない。いかに自分が自然(完璧に)に動けるかだ。自然(完璧に)に動けるかどうかは、自分しだいで、とらわれない心だ。「正しい努力」ということにもとらわれてはだめだ。正しい行い・努などはこの世的に善だが、とらわれるとあの世で苦しむ。このとらわれない心を磨くためには、身体から入るとわかりやすい。癖をすててとらわれない身体になればよい。ただ、お箸をのばしてご飯を食べる。他人に邪魔されても、ただお箸をのばしてご飯をたべる。これが目安になるであろう。
2005年12月12日
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「私、自己チュウです」というご婦人と話をした。しかし、よく聴いているとものすごく世話焼きな方だとわかった。家族や職場で、よく人様の世話をされるようだ。若者からの相談も多く、よく飲み会にも呼ばれるらしく、その席で、若者に説教をするようだが、これが受けるらしい。「よくそんなに人様のお世話ばかりできますねー」というと「結局は自分のためだよ」と。つづいて、「私は自分がかわいいから、自分が気持ちよく暮らすために、 周りのひとにも気持ちよく暮らしていただきたいから・・・」極まると同じだ。自分を中心に極めていっても、他人を中心に極めていっても、極めれば同じだ。どうしたら、世の中の人を喜ばせることができるのか?を思うとき、どうされたら自分はうれしいか?と掘り下げると答えがでてくるのと同じだ。もちろん、十人十色であるが、自分と同じ思いの人にはつながるはずだ。もっと極まれば、どの人も他人であり自分である。私が同時にいろんな体験をしているにすぎない。と感じられる。自己と他のくべつはなくなる。一説によると、2012年には、世の中のみんながワンネスを感じられ、人類がワンランクアップするそうだ。今が最悪の状況で、世の中の異常な事件がそうらしい。人様の身体に触れることを業としている我々は、そんな世の中のリード役になりたいものだ。自分のテリトリー内で十分だから。
2005年12月11日
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病気や痛みなどが施療をして、すごく改善する人、また、改善してもすぐに悪くなってしまう人がいる。うまく改善しない場合はどんな場合か。施術が効果的ではなかったということも当然あるが、今回はそれは適切に施されたという前提で。では、なぜか?その人それぞれの時期ということが考えられるだろう。時期が来るまで痛みを味わう必要があるのかもしれない。深い意味での気づきがきているのかもしれない。しかし、もっと忘れてはいけないことがある。本当に治るときとは、患者が施術者に感謝している時である。だから、機械的に「治してくれ」という心では治りにくい。そういう人は機械的な治療が合っている。実際、「そんな大げさなー。」と思うぐらい感謝してくださる方は奇跡的な回復をされる。極端な話、施療はお粗末でもご自分の治癒力で回復される。だから、本当に腕のいい施術とは、患者さんに感謝の気持ちを沸き起こさせるような施術ではないだろうか。
2005年12月05日
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痛みをなくそうと思えば、痛み止めなどの薬を使えば簡単でしかも、当面の費用は安い。痛みをなくすことを目的としているのならそれでよい。手技療法にかかる必要もない。しかし、多くの方が手技療法にかかっているといことは、もっと違う何かを求めているのではなかろうか?でも、我々手技療法家が同じように痛みを取ることだけを目的に施術を行っているとしたらどうだろうか。患者さんのご来院目的とは異なってしまう。この場合、感謝さんが表面意識で認識しているかどうかは別にして。本来、痛みは何のためにあるのだろうか?痛みの本来の目的が達成されたとき、痛みは自然となくなる。そのように導くのが我々の役目ではなかろうか?
2005年12月01日
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気持ちと思考にズレがあると、ストレスが生じます。これは、一般的に解説されていますね。このストレスは向上のエネルギーとしても活用できます。例えば、朝5時に起床しようと思考するが、気持ちが6時まで寝たい、と思えばストレスになる。しかし、乗り越えれば心の力になる。一方、気持ちが起床しようと思っても身体が起きないストレスもある。これは、気持ちと身体の間にズレが生じている。では、気持ちと身体にズレがない状態とは、歩こうと思えば、身体がかってに足を交互に動かしてくれる自然な状態。他には、自転車に乗ろうと思えば、勝手にバランスをとってくれる状態。自然にキャッチボールができる状態。つまりは、ズレがなく、気持ちと身体が緊張も弛緩もせず伸びやかな状態ですね。普段の生活でも、「このニンジン硬いだろうな」と思いながら包丁で切っていくと、肩に無駄な力が入る。将来を不安に思いながら仕事をする。これもズレている。心ここにあらず、の状態だ。もっと繊細にいうと、武道でも打とうと思ってから打つと遅い。思った時には同時に身体が動いている必要がある。更には、身体が勝手に動いてそれを感じるくらいがいいのだ。気持ちと身体にズレがなくなると、身体の動きに無駄がなく自然だから、肩こりや腰痛もなくなる。また、寝ようと思えばスゥと眠り、起床しようと思えばパァと起きる。仕事をしても、気持ちはそこにあるので、効率もいいし、楽しい。箸でご飯を食べる、湯飲みに手を伸ばす、など自然に行っている動きを大切にしてください。そして、すべての動きを自然に行えるように訓練してください。伸びやかな気持ちで、伸びやかに動いて、伸びやかに生活してください。
2005年11月28日
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真空ポンプが水を吸い上げられるのは、真空状態をつくるからだが、真空には引き寄せる力がある。人の心も同じだ。例えば、「お金が欲しい」という気持ちや、他の雑念で一杯になった心で株に手を出しても、たいした結果はでない。心にはいる隙間、つまり余裕がないと何も入ってこれない。これに気が付かづ、つまらない情報ばかり集めて、心にガラクタを詰め込んでいるようでは、いよいよ何も入らない。心に溜め込んだものをどんどん出していき、空っぽにするのだ。自分の頭で作り上げた、幻想・妄想を捨てていけ。後に残るのは、自然体の自分だ。真我だ。そして、心を空っぽにし、真空状態にまですることが出来れば、何でも、引き寄せられるようになる。欲しい欲しいと願わなくても、必要なものをなんでも引き付けられる。真空の心が一番強い。奥義だ。さて、ここで真空の心になる簡単な第一段階の方法をお教えしよう。ほんの一分でいいから無心の時間を体感し、無心のままパチッと手を鳴らす。今後は、この手を鳴らすという行為が、無心状態になる合図になる。潜在意識変革のスイッチを小さいながらも作るということだ。日常生活で、真空の心になりたい時、手をパチッと鳴らす。これで、真空モードに切り替わる。
2005年11月18日
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身体には、生まれた後に身に付いた、後天的な癖がある。この癖が、最終的に身体に不快な症状をもたらすのである。動きの癖は、そこに無駄な力がかかっているので、歪みとなりやすい。癖をなくしていくことが、バランスのとれた身体をつくることになる。しかし、癖をなくそうとして、反対に力を加えてバランスをとろうとすると、これが新たな癖となる。常に癖を捨て続けなければならない。一度、身体バランスを手に入れたからといっても一時のことである。それにとらわれたら、また癖になる。この世は、諸行無常 常に変化している。施療も同じで、一度うまくいったテクニックでも、それにとらわれてはいけない。常なる変化を恐れず、変化の波に乗っていく姿勢が大切だ。しかし、変化を感じるためには、単調なことの繰り返しがよい。一見矛盾しているようだが、これが重要である。常に白紙で、常に自然体でいられるために、こつこつとした繰り返しの生活のなかで、常に捨て続けたい。
2005年11月16日
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この世の奇跡現象は、人間の力だけでは起こせない。天というか自然の力・助けが必要だ。では、どんな人間に力を貸すのかといえば、やはり、とことん努力している人間にであろう。しかし、いくら努力しても力が借りられないのは、「まだまだ、力を出し切ってないぞ。」「まだまだ、自分でできるぞ。」という天の心だ。逆に、力を出しきっている人間は、天の助けなど当てにしていない。であるが、自然に助けられている。一方、まったく努力をしていないのに、特別な力が付いた場合は、親が子どもに興味を持たすために、先にものを買って与えるようなもので、後から、努力・人様へのお役立ちなどが必要になる。何か特別な力のある人は、感謝の心で謙虚に人様のお役に立とう!天は必要な時期に、ふさわしい人間に確実に力を貸している。そういう目で、現在を見ればなるほどと思う事が多い。力はあってもあってもなくてもよい。それぞれ、今の自分にふさわしいのだ。今の目お前の出来事に全身全霊でぶつかっていけばそれでよいのである。
2005年11月14日
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心を向上させようとまじめな方は、悟った人の心の状態を熱心に勉強して、その境地になろうと努力されている人が多い。しかし、いくら頭で学んでも心はコントロールできるものではない。その、壁に苦労している方も多いのでは?また、伝える側も一つの事を伝えるのに、熱心に聴いてくれる方がいると、ついつい熱弁になり、自分の思考が入ってしまう。その思考を聴いて、分かった気になるのが落とし穴だ。そこで、難が来たら、「ありがとう」を言うというのは、余分な解説がないからいい。自分で実践して感じればよいのだ。人が実践して感じた事を聴いて分かった気になるのはダメだ。しかし、難が来たら「ありがとう」と言うことを習慣にしていけば、難には意味があり、本当に「有難い」のだとわかる。「有難い」はあろうはずもないくらいの出来事、つまりは「奇跡」。この世の、出来事は奇跡の連続だ。これを、簡単な習慣で、頭ではなく実践で感じ取れる。だから、やはり「ありがとうございます。」
2005年11月12日
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こんな話をきいた。それは「ありがとう」という言葉の使い方である。一般的には、何かをしてもらったら、「ありがとう」と言うが、難がきた後に「ありがとう」と言うのがいいらしい。例えば、人にイライラさせられたら、「ありがとう」 怪我をしたら、「ありがとう」 パソコンのデータがぶっとので、「ありがとう」 と、まあいやなこと不快なことがあったら、「ありがとう」「有難う」と難が有ると書く。だから、難が来たら「ありがとう」これで、運の流れが変わるそうだ。これを、習慣にするといいそうだ。確かに、よさそうだ。皆さん、実践してみて、結果を教えてください。
2005年11月11日
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身体を崩す原因に感情の乱れがある。これが修正されなと身体だけ調整しても効果が薄いことがある。身体のバランスチェックの方法は、触診が基本であるが、もっと早く全体から細部までチェックできる方法を持っておくことに越したことはない。そこで、筋力テスト・脚長差反応テスト・フーチなど色々応用されている。これらを用いれば、身体のゆがみが容易に検査できるだけでなく、内臓・感情なども検査できる。慣れてくれば、施術者が患者さんに意識を向けただけで、色々な情報が読み取れるようになる。知らない方から見ると神秘的に移るだろうが、そうでもない。ピアニストに和音が分かったり、ソムリエにワインの味がわかるのと同じことだ。要は繰り返しのなかで身に付く能力なのだ。すこし、話がそれたが、言いたいとは、身体のバランスをチェックするのと同じながれで感情もチェックしその場で修正しておくと奥の深い調整ができるのだ。人間の意識は超微粒子に影響を与えられる。物質もこの超微粒子の集まりなので、骨のゆがみなども意識で調整できるのも当たり前の話だ。このながれで、感情も意識で調整できる。ただし、より核心の原因の感情にアクセスできる感性を養う必要があるが。普段から、自分に嘘をつかず、誠実に言葉や行動にあらわせるようにしたい。自分の心を制するものは宇宙を制する。
2005年10月27日
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自分の潜在意識と喋った言葉との間にズレがなければ、身体の細胞はすごく元気だ。それは、筋力テストをすると、筋力がかなりUPしているし、身体の柔軟テストでも柔軟性がUPしていることから確認できる。潜在意識と矛盾のない言葉とは、例えば、「子どもを信じている。」だと、気持ちの奥底に「でも、いつ何をするか分からない。」という思いもほんの少しでも沸くはずだから、うそになる。しかし、「子どもを認めている。」だと、間違いを起こそうが、期待と違おうが関係なく、すべてを含んで認めているのだから、潜在意識と矛盾がない。また、自分に自信がないのに、「私は自信がある。」と何度も自分に言い聞かせたらどうであろうか?身体はガタガタになるはずである。この場合は、「私には可能性がある。」と言い聞かせると矛盾がない。そして、いずれ本当の自信になっていく。このように、似たような言葉でも意味を真剣に考えて使うことで、身体の能力が格段に違ってくる。これを、応用すれば、言葉だけで、患者さんの潜在意識を変え難病といわれるものも、完治しそうだ。実際にそういう例もあるらしい。武術やスポーツにおいても、何十年もかかて会得する奥義にまで到達できる。もう一度、潜在意識の活用をもっともっと深く真剣に考えてみたい。そして、その潜在意識を目覚めさせるキーワードは日常の言葉にあるのだ。
2005年10月02日
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ことばの力を再認識した。言霊とよくいうが、それとは少しニュアンスが違っていて言葉を発することにより意識の力が使える、と言う感じだ。これも含めて言霊なのだろうが・・・。たとえば、腕相撲を力まかせにすると負けるが、自分の腕に「おもいやり」と言葉をかけるだけで潜在意識が目覚め筋肉だけの力ではない別次元の力が発揮されるというものだ。非常に簡単でおもしろい。意識のレベル。1、心で思う2、ことばに出す3、行動でしめすとなるが、心で思うだけでも身体が変化するが、言葉に出すと劇的に変化するということを再確認させてもらったような気がした。現在の私は、レベル1で止まっていた。反省だ。
2005年09月22日
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昨日、患者さんとの会話でひらめいた。よく何かあれば薬に頼っておられる方だった。ちなみに、私は急性症状には薬は有効だが、慢性症状で薬を飲み続けるのはどーかな?というタイプです。よく、薬に頼っておられる方は、身体の痛みで気持ちが不安になるので、何かに頼りたくなるようだ。それがたまたま薬なのだ。占いやいかがわしい宗教にはまるのも不安の気持ちからだと思った。そこで、私が学んだ易学でその方の人生を解説してみた。私の学んだ易学では、人生を80年サイクルととらえ、それを12のステップにわけてある。12のステップの解説では十二支がわかりやすく、人生を一日の時間に置き換えてみれるので分かりやすい。昨日の患者さんはこうだ、寅の時刻(午前3時から5時)で生まれ、現在は亥の時刻(午後9時から11時)のステップにおられる。時間に良い・悪いがないように、人生にも良い・悪いはない。しかし、その時間にあってない行動をとるとしんどいようだ。12のステップでは魂の成長に必要な課題がそれぞれにある。それをちゃんとクリアしていくとまあるい心になるというわけだ。だから、すべてをクリアしたお年寄りにはまあるい心の方が多いのだ。こうして、生涯を一日に置き換えてみていくと、大きな目で自分をみつめられたからか、痛みもなくなり、身体も元気になられた。これからは、薬のような他力だけでなく、自分を見つめなおし自力も発揮して更に元気になっていただきたい。人生は諸行無常、常に変化している。今日うまくいったからといって、明日も同じように行くとは限らない。常に今現在に、破壊と構築を繰り返していく。環境の変化が大きい生活では、これがなかなか感じられない。だから、日々の単調なことの繰り返しのなかから、この破壊と構築を感じとっていくことが大切なように思える。
2005年09月21日
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本日、息子のサッカーの試合があった。久しぶりに観戦に出かけてみた。今年はほとんど負け知らずのチームであったが、本日3戦目に負けてしまった。奢りの気持ちがあったように思えた。メンバーの多くが体調管理が悪かったようだ。常に勝ち続けるには、高いテンションへもっていくコントロールも必要だろう。だが、あの太陽のようにたんたんと単調な事を繰り返すリズムが身についていれば、テンションなど関係ない。常に自然体でいられるはず。勿論、いくら自然体でいようとも、負けることはある。勝ち負けは時の運。まず、日々の生活で自分に負けないようにしたいものである。明日の朝、目覚めるときからが自分との戦いだ。自分との戦いに勝ち、自然と共鳴した生き方をしたいものだ。
2005年09月19日
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久しぶりにアップします。日々同じリズムで、繰り返し繰り返し生活されておられる方を、以前の私はつまらないと思っていた。しかし、今は逆だ。毎日、決まった時間に起床し、決まったリズムの生活をし決まった時間に就寝する。単調な事を、ただただ繰り返す。まさに、太陽と同じだ。何億年もただただ東から昇り西へと沈んでいく。宇宙はまさに単調なことの繰り返しの中で進化している。本当の力はこのような中で身に付くのだろう。また、この単調な事の繰り返しに、感謝と喜びを感じられると本物だろう。ごくまれにしかブログに書き込まない私がえらそーに言うのもおかしいが・・・。これからは、継続のリズムを確保していきたい。
2005年09月18日
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この宇宙には法則がある。その一つに、右回転と左回転がある。ネジは右に回すと閉まる。左に回すと弛む。これは、偶然ではなく、法則があるのだ。地球に向かって宇宙から気が入ってくる。「天の気」だ。地球から気を放っている。「地の気」だ。天の気は、地球に向かって収縮しながら入ってくる、つまりは、右回転である。地の気は、宇宙に対して、気を放散している。つまりは、左回転だ。気の進行方向に向かって、右回転とか左回転という。また、天の気は、その粒子はが精妙なので、身体に入るとヒーリングの効果が強い。地の気は、やや荒い粒子で、スポーツなどをするときに役立つ。人を吹き飛ばす気は地の気を使っているのである。人体で、この左右の回転を見ると、弛んでいる部位は左回転の気が多く、硬くなっている部位は右回転の気が多くなっている。ちなみに地球の南半球では、逆となる。この左右の気のバランスを整えるだけでも、整ってくる。しかし、その部位の気のバランスが崩れた真の原因を突き止めなければ、だだの対処療法になるかも。カイロプラクティックで説明すれば、フィクセーションとハイパーモービリティというところだろ。
2005年07月15日
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「過去は変えられるが、未来は変えられない。」と、いう話を聞いた。逆じゃない?と思った。が、過去の出来事は、今現在の思いようでどうにでもなる。未来は、まだきていないので変えようもない。と、いうものであった。将来を不安に思う人は、自分の過去に対しての思いがよくない。過去のすべてを肯定できたなら、そこから先の未来に対しては良いことしか思えなくなるはずである。私は、身体の癖とともに考え方の癖も捨てていくことが大切だといっているが、癖を捨てるのは、口で言うほど簡単ではない。だから、段階的に一度過去を清算したらよいのであろう。お釈迦さんも入信する前には、一週間、自分の過去についての反省を課題とされていたと聞くし。身体も過去の使い方を清算できていないと、未来には、また同じことが起こる可能性が大きいわけだから。施術を業をしている我々は、今現在の症状に対してのアプローチだけでなく、過去つまりは未来に対してのアプローチが大切だ。肉体論と精神論がごちゃごちゃになっているが、本来はこういうものだと感じます。
2005年07月10日
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人様をよく観察してみると、運が悪い人・不健康な人・悩み多き人などは、人々を常に覆っている幸せにするエネルギーを拒絶している。逆に、運のいい人・健康な人・楽しそうな人は、自然に幸せのエネルギーを取り入れている。拒絶している人の特徴は骨盤が後ろに反り返り、重心がかかとにあり、足が地についていない。つまり、地の気を拒絶している。また、頭をたれ下げて、首が曲がっている。天の気を拒絶している。このように、身体を取り巻く気を自ら拒絶している。これらの気は自分で拒絶さえしなければ、すべての人に平等に作用して、健康で幸福な人生が送れるようにしてくれるはずだ。さあ、自分で拒絶せず、自然体でしっかりと大地に立ち、大地のエネルギーをもらおう!さあ、頭を天にしっかりと向け、天の気をしっかりともらおう!
2005年07月07日
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痛みを改善したい場合、痛い部位に直接アプローチする方法と間接的にアプローチする方法がある。 直接アプローチは、痛みそのものをなくそうとするアプローチが多いのであろう。例えば、痛み止めの注射・湿布・塗り薬など、それから、手技でも幹部を直接刺激する方法もそうだ。 間接アプローチは、患部ではなく、その原因の部位に対してのアプローチになる。私が感じるには、より核心の原因にアプローチできたならば、刺激はほんのかすかな触れただけのようなものでよい、と思う。 なぜなら、より核心に迫った部位とは、より精妙な部位になるから、より精妙なアプローチとなる必要があるから。(一見何もな空間には、実はすべての要素があるのであって、その要素の振動が荒 くなれば物質となるのである。)原因が複雑でない場合は荒いアプローチでも有効なのかもしれない。いやしかし、これもケースバイケースであろう。こうだと思うという固定概念を持つと頭がマニュアル化してしまい、真っ白な状態で患者さんと接せられなくなっていまう。 一度マニュアル社会に染まった頭を取っ払い、自然態で患者さんの身体の声を聴くようにしたいものである。
2005年07月04日
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約1ヶ月振りに書き込みます。その間には、チョコチョコと人様のブログは拝見させていただいておりました。 なんと、すばらしい方が多いではないですか。みなさん、すばらしい知識・気づき・発見を公開しておられる。下手なセミナーや講習会よりも役に立つ。本当にすばらしことだと感じております。 そこで気づきました。この世の中の事をすべて一人の人間で解明などできるはずもないであろうが、もしかして、この世のすべての答えは、この世の人間で分担していて誰かが解明しているのではなかろうか?と 個人個人役割があるのであって、他と比較することなくそれに精進すれば、個も満たされるし、全体も満たされる。 そして、その発見した気づきは、知りたい人にブログなどを通して、あるいは潜在意識(共通下意識)によって、知ることができるような時期になってきたのかな?とも いよいよ「我」の時代がおわり、人類が次のステージへあがるのだろうか? いずれにしても、私はこのブログで気持ちのいい思いをさせていただいております。 私がコメントも書き込まずに覗かせていただきました皆様、ありがとうがざいました。今後も、よろしくお願いいたします。
2005年06月26日
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今まで、歩んで来た道は分かるが、これから行く道は分からない。当たり前のことである。 しかし、分からないからといって不安になることはない。世の中、安定しないのが当たり前で、常に変化するのが当たり前である。 この変化に、ちゃんと対応していけばよいのである。その為には、自分の固定観念を捨てていき、自然に素直に応じればよいのである。 ここでも、やはり「癖を捨てる」ということが大切になる。 そう言うと、何やら自分の意思を持たずに流されて生きていくように思えるかもしれないが、そうとは違う。 あくまでも、本当の自分が本当にやりたい事をやる為に「癖を捨てる。」のである。 そして、本当の自分が本当にやりたい事がわかりそれが出来ていたら、不安はないであろう。 いや、やりたいことが分かるということはなく、むしろ、不安なく楽しく過ごせていたら、それこそがやりたい事ができているということかもしれない。 まずは、「今」の目の前のことを真剣に取り組むことだ。
2005年05月20日
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物事には、「流れ」というものがる。 よく「時代の流れ」という表現が使われるように。 人それぞれにもある。 自分の流れというものがよく分かっていると強い。 これが分かっていると、他人と比べることがないので 迷うことがない。 いろんな方の悩みを聞いていると、 突き詰めれば、他との比較で悩んでおられる。 他との比較で悩むエネルギーを 自分の潜在意識とコンタクトすることに使ったほうが 有意義だと感じる。 「本当は、自分はどうしたいのだろうか?」 と、自問自答していくのも一つの方法だろう。 そして、コンタクトできたら他との比較は気にならないはずだ。 しかし、まあ、そんな堅い事をしなくても、頭でつくった 「こうあるべきだ。」というものを取っ払えば OKなのではなかろうか。 勇気をもって、素直に自然に振舞えれば、どんなに楽になるだろうか。 身体もナチュラルに、意識もナチュラルに! ----- Original Message ----- From: > To: ??????@agate.plala.or.jp> Sent: Thursday, May 12, 2005 9:58 AM Subject: 12日の日記
2005年05月12日
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よく、 「良いですか?悪いですか?」 と、聞かれることがありますよね。 私は、決まって 「その基準は何ですか?」 と聞き返します。 だって、例えば雨が降って悪い人もいれば、 良い人もいるわけで、 雨降りそのものが悪いわけではありませんから。 病気も同じで、ほとんどの方が悪いと思われるのでしょうが、 病気のお陰で、それまでき気づかなかったことに気づけたり、 病気で寝ていたから更なる災難から守られたりもするわけで、 良いという見方もあるのです。 ぎっくり腰なんか、内臓が弱ったら、内臓を守るために 身体意識が起こしているのではないかと私は感じています。 という観点からみると、ぎっくり腰は良いこと・・・だな。 絶対的な良い・悪いはないのだ。 立場や時代背景や感情が作り出しているだけなのだ。 つまり、迷ったら頭でつくりださず、 自然に戻れば答えはある。 我々は、ただ自然を理解するように努めればよいのだ。 なにも難しくはない。 ナチュラルになればよいのだ。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@mx4.tiki.ne.jp> Sent: Saturday, April 30, 2005 10:03 AM Subject: 30日の日記
2005年04月30日
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どんな職業でもプロならば いかなる時でも安定した技術やサービスの提供が なされなければダメだ。 我々、施療を行なう者は、自分の体調が悪いからと言って 効果の上がらないようなことをいてはいけない。 料金を戴くからには、料金以上のものを提供しなければ いけないのである。 ・・・・であるが、 面白いことに、私のコンディションがいい時は 多くの患者さんがご来院してくださり、 逆にコンディションが思わしくない時は、 サー、と引いてしまわれるようだ。 患者さんと私の潜在意識がつながっていて、 連絡を取り合っているかのように。 このように、世の中うまくできている。 だから、余計な事は考えず、ただひたすら 自分磨きをしていれば、それでいいのでは なかろうか。 とりあえず、自分の体調をしっかりと把握することから 始めてみてはどうだろう! ----- Original Message ----- From: > To: ??????@mx4.tiki.ne.jp> Sent: Sunday, April 24, 2005 10:09 AM Subject: 24日の日記
2005年04月24日
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患者さんに施療する時、 施術者の考えで行なっても よい結果がでないことがある。 しかし、施術者が自分の考えをとりあえず横に置いて 真っ白な気持ちで、施療に臨むとどうでしょう。 施療の理論とはまったく異なる部位に痛みの原因を 見つけることがある。 ここに素直にアプローチしてみると、すばらしく効果が あがったりする。 これを、突き詰めると、 患者さん本人の表面意識は原因を認識していないが、 患者さんの潜在意識は確実に 「この部位にこのような刺激を与えて欲しい」 と、訴えかけている。 患者さん自身が、様々な癖を捨てていって、真の原因を身体から 聞くことが出来れば、一番良いのだが・・・。 それが、難しいとなれば、我々施術を行なっているものが 患者さんに替わって患者さんの身体の声を聞き、 その声の通りに施術してあげるのが自然な行為なのであろう。 その、方法論も確立されつつあるので、 公開できる日も、そう遠くはないと思う。 ----- Original Message ----- From: To:
2005年04月19日
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患者さんと話していて、 「うちの犬が掘った穴につまずいて・・・」 といわれ、フッとヒラメいた。 話のスジとは全く違うヒラメキだが。 それは、犬は誰からも穴を掘ることを教えられてはいない。 それなのに、すべての犬が穴を掘る。 他にも、フンをした後に後ろ足で砂をかける。 「本能」と言ってしまえばそれまでだが、 もともと動物は教えられなくても出来る。 そうであれば、人間も・・・、と感じてしまった。 人間も余分なことを知らなければ、 本能のままにすばらしい動きが出来るのでは?と。 そこで、最低限の知っておくべき事意外は、 なるべく、本能に任せたら良いんだ。 でも、現代社会ではこの本能が封じ込まれてしまっている。 だから、本能と知識のギャップでストレスを抱えている人が 多いんだ。 あ、でもその眠っている能力を復活させようとしているのが 気功であったり、ヨガであったりすんだ。 なるほど、この辺りがもっと明確に文章化できれば、 おもしろい事になるかな? 皆さん、いかがでしょう? ----- Original Message ----- From: To:
2005年04月15日
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何気なく、お茶を飲もうとして湯飲みに手を伸ばす。 この時に、気持ちに力みがなく、身体にも癖がなければ 体にも力みがなく腕を伸ばせる。 しかし、身体動作に癖があれば腕など体のどこかに 力みが生じ、コリとなって痛みの原因となる。 また、身体動作の癖以外でも、頭で考えて動けば 力みが生じる。 心で腕を伸ばそうと思ったら、素直に ただ伸ばせば、身体に力みは生じない。 この時、心と体が一致したことになり、自然である。 気持ちもいいし、体はスッキリする。 皆さんも、試してみてください。 ただ、腕を伸ばすだけ。 これが正しく行なえれば、肩こりも解消されますよ。 ご質問等、気軽にコメント欄に書き込んでください。 ----- Original Message ----- From: To:
2005年04月07日
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物事には、時期というものがある。 私は、今、捨てる時期のようだ。 例えば、施療後の患者さんへの説明も しっかりと伝えたいという熱意で 長々としゃべっていても、うまく伝わらない。 しかし、ポイントだけ、一言伝えると、 よく理解していただける。 これが常にできるように、普段からの練習が必要だ。 シャドウトレーニングが! そこで、私はある患者さんを想定して、 その方に、説明したいことを長々と紙に書き出した。 そして、枝葉の部分を削っていった。(捨てていった。) そうして、残った幹だけを伝えた。 このやり方が、今の私には必要だと分かった。 身体も癖を捨てていけば、元気になるが、 会話も癖を捨てていけば、シンプルに伝わる。 世の中、複雑になりすぎて、情報が氾濫しすぎて、 わけのわからなっくなっておられる方、 どうぞ、ご一緒に捨てて生きましょう。 そして、ナチュラルに! ----- Original Message ----- From: To:
2005年04月04日
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ご老人 「日常生活でもそうじゃ。」 「包丁を使って肩が凝る、 これは、腕を力ませすぎておる。 腕の力で切るものだという思い込みがある。」 私 「ええ、 これも先ほどの素振りと同じで、 力を如何に抜いて、包丁で切るかという訓練、 もしくは、意識して生活するということが大切なのですね。」 ご老人 「なかなか、分かってきたではないか。」 「生活のなかでの、動作の力みを 一つ一つなくしていく、これが正しい 本来のナチュラルな身体の使い方へと 導いてくれるのじゃよ。」 私 「分かりました。実行してみます。」 「でも、体が岩のように重くなるのは、どうして?」 ご老人 「言葉の説明は難しいが、 体の力みが抜け、つまりは、身体の中心が決まる。 その中心と地球の中心、さらには宇宙の中心と ピッタと一致した時に、筋肉の力を遥かに超えた力が でるようじゃ。」 「しかし、ここまでは意識しなくてよい。 まずは、力まぬことじゃ。 心の癖と体の癖を捨てていくことじゃ。」 (第一部 完) ----- Original Message ----- From: To:
2005年04月02日
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