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20代の頃、私には決まった職がなく、アルバイトで生活していた。今で言うフリーターである。私は、3畳一間の風呂もトイレもないボロアパートに一人で住んでいた。それでも住むところがあるだけましだった。だが、2週間ほど前にバイト先で怪我をし、働くことができなくなってしまった。バイトはくびになり、貯金もない。ここ三日間は水しか飲んでいなかった。そんなある日のこと、深夜、寝ているとガサガサとかチャリンという音がする。枕元のスタンドを点けてみて驚いた。何と目の前にお金がいるではないか。「あ、起こしてしまいましたか、申し訳ありません」一番手前にいる一万円札がそう言った。見るとお金たちは、みなきちんと座ってじっとこちらを見ている。私は夢だろうと思い、自分の頬を叩いてみたが、夢ではなかった。それにしてもお金が口をきくとは知らなかった。「少しお話しさせてもらってもいいですか」また、一万円札がしゃべった。私も少し落ち着き、部屋全体を見回す心の余裕が出来た。よくみると、日本円だけでなく、いろいろな国のお金がいるようだ。「別にかまわないけど、一体何の用だい」「私たちに用がない人はいないと思いますがね」「ああ、もちろんお金にはいつだって用がある。何しろ、僕は見ての通りの貧乏人だからね」「それはようくわかってます」一万円札がそう言うと、お金たちは皆くすっと笑った。「お金に笑われるくらいだからいつまでたっても貧乏なんだよな」私はつい自嘲気味に言った。「これは大変失礼いたしました。今日来たのは他でもありません。実は我々は皆あなたのものになりたいと思っているのです」「僕のものだって?」「はい、そうです。世界中のすべての仲間が皆あなたのものになりたがっているのです」「世界中のお金がだって」「そうですとも」一万円札はぐっと身を乗り出すようにして言った。女性からは常々言い寄られたいと思っていたが、まさか、お金から言い寄られるとは思っていなかった。「何だかピンとこないなあ。お金は欲しくてしょうがないけど、世界中のお金が自分のものになるなんてありえないよ」「でも我々はそれを願っています。な、そうだろう、みんな」一万円札がそう言って後ろを振り返るとお金たちは皆口々に、「そうだそうだ」とか、「Yeah!」とか、「Oui!」などと様々な言語で賛意を示した。なるほど、たしかに世界中のお金がいるようだ。「なるほど、すると僕は世界一のお金持ちということだな」私は思わず自分が大富豪になった姿を想像した。「その通りです。それどころか、あなた以外は皆一文無しなのです」「僕以外は一文なしだって?」「そうです。何しろ、『世界中の』お金があなたのものなのです」「ふ~む」自分以外皆一文無しという状態は想像できなかった。「すると他の人たちは一体どうなるんだい」「当然皆貧乏になります」「どこかの国の王様もかい」「そうです」「何だかイメージがわかないなあ」「早い話あなたが世界中のお金の所有者というわけです」「ふーん」何だかキツネにつままれたような気分だったが、世界一の大金持ちになるのは悪くない。「わかった。僕のものになってもらうよ」私はそう答えた。「いやあ、よかった、よかった」お金たちは心から安堵した様子だった。「では、これからはあなたが私たちすべてのお金の持ち主です。早速ですが、これからはどちらに行ったらよろしいですか」「どちらにと言われても、部屋はこんなに狭いしなあ、とりあえず、今まで通りのところにいてよ」「今まで通りといいますと」「今までいた場所にいればいいさ、必要なときは呼ぶからさ」「そうですか」お金たちは少し不満そうだった。「わかりました。では、一度皆戻ります。ご用の折はいつでもおよび立てくださいませ」「了解」お金たちは皆帰って行った。私は世界一のお金持ち、というよりも、世界中のお金の所有者になったのだった。ところで、後で重大なことに気づいた。必要なときにお金たちを呼ぶ方法を聞いていなかったのだった。そんなわけで、世界中のお金は私のものなのに、私の生活は未だに貧しいままである。(終わり)
2007年05月19日
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自分に似た人に会ったことがありますか。言葉ではうまく言えないのですが、単純に顔が似ているというのではなくて、何というか存在そのものが自分とひどく似通っているというような感覚なのです。それはクリスマスイブの日でした。私は一人、にぎわう街をある店に向かっていました。その店でガールフレンドと待ち合わせていたのです。私はその店で彼女にプロポーズするつもりでした。彼女も多分それを予感しているはずです。店は私たちのような若いカップルでにぎわっていました。店に入り、ほぼ満席の店内を見回し、彼女を探しました。ところが彼女はいませんでした。(おかしいな、先についたというメールがあったのに)しばらくするうちに彼女が見つからない理由がわかりました。私は彼女が一人で席にいるとばかり思っていたのです。ところが、彼女は誰か別の男性と一緒にいたのです。私はそれに気づくと、何だか言い知れぬ焦燥感のようなものにとりつかれ、その席に向かいました。「待ったかい」私が言うと、「え?」とだけ彼女はいいました。次には、「誰?」こちらに背を向けていた男性が振り返って私を見ました。それは、それまでまったく見たことのない男でした。「この人は誰だい」私は言いました。すると、「あんた何言ってるんだ。邪魔しないでほしいな」彼はそう言いました。「君こそ何をしてるんだ。彼女は僕のガールフレンドだぜ」「おいおい、あんたおかしいんじゃないのか」「ちょっと、相手にならない方がいいわ」私は彼女の言葉に衝撃を受けました。「何を言ってるんんだ、君は僕とここで待ち合わせてたんだろう」「ちょっとお、何この人、いい加減にしてよ」「おい、お前どっかへ行けよ」「お前こそどっかへ行け」そうこうするうちに、騒ぎを聞きつけた店員が席のそばまでやってきました。「他のお客様のご迷惑になるのでおやめください」店員は押し出すように店の入り口の方へと私を押していきました。そのときでした。「困るよな、よくいるんだ、もてないあまり頭がおかしくなる奴が・・・」その男の言葉が聞こえたのです。その瞬間私は我を忘れていました。気づいた時には、私の右手にはどこから取ったのか、ステーキナイフが握り締められ、血がしたたり落ちていました。そして、彼女の前の席にいた男は胸から血を流して倒れていたのです。ぴくりとも動きません。おそらくもう死んでいるでしょう。「キャー」彼女の叫ぶ声が店内に響き渡りました。そして店内は騒然とし始めました。(ああ、これで俺は刑務所行きだ)そんなことが脳裏をよぎりました。やがて警察と救急隊員が来ました。ところが、不思議なことに誰も私をつかまえようとしないのです。(なぜ?)そう思ったときでした。私とそこに倒れている男と私とが一体であることに気がついたのは。
2007年05月14日
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1.ある若者の日記(1)○月○日天気は晴れ、山は一面の銀世界。朝日を反射し輝く様は、まるできらめく宝石のようだ。ああ、何という美しさだ。本当に来てよかった。下界でのことが皆嘘の様に思える。ただ一つ残念なのは、この光景を彼女と一緒に見れないこと・・・いや、いかん、彼女を忘れるために来たのだった。なかなか煩悩からは自由になれないものだ。○月○日今日は天気が荒れ模様なので大事を取り山小屋で待機。窓の外は吹雪だ。自分以外誰もいない山小屋に、風の音だけが響く。自分自身を振り返るのにはちょうどよい機会だ。俺はこれまでのことを思い返してみた。彼女が自分以外の男とも付き合っていた。それがそれほど悪いことなのか。「あれはただの遊び」そう彼女は言った。(素直に受け止めればいいじゃないか)そうつぶやく自分がいる一方で、(平気な顔をして二股をかけるような女に振り回されてどうする)という自分がいる。俺はどうしてよいかわからなくなった。だから、ここに来た。ここから降りる頃にはきっと心の整理も付いているだろう。どちらを選ぶにせよ・・・○月○日天気は回復した。先を急ごう、まだ、行程の三分の一しか来ていないのだ。山に来て一週間が過ぎた。さすがに、余裕はなくなってきた。だが、気力と体力の限界まで自分を追い込むのが、この旅の目的なのだ。山から下りる頃には、きっとすべての雑念が消え、心は答えを見つけているだろう。午後になり天気が少し怪しくなってきた。今日は早めにビバークしなければならないかも知れない。2.恋人の日記(1)○月○日あの人が姿を消した。アパートは引き払われ、携帯もつながらない。会社には長期休暇届けが出されていた。今頃どこにいるのだろう。○月○日自分が軽率だったことは認める。本当に大切なものが何かを見失っていた。でも、あの頃は少し退屈だった。でも、今はっきりと自分の気持ちがわかった。もう遅いかも知れないけど、今ならはっきりと言える。だから、もう一度だけ会いたい。会ってそれを伝えたい。たとえ、その結果がどうであっても・・・3.ある若者の日記(2)○月○日山に来て二週間、いろいろな想念が現れては消えた。だが、次第に心はクリアーになってきたような気がする。彼女のことについても、心の中のわだかまりが消えてきた気がする。むしろ、なぜあんなにこだわっていたのかがおかしくさえ思える。厳粛な自然の中にいると、人の営みというものが何ともせせこましいものに思えてくる。もっと広大な沃野を心の中に築かなければならない。もう、彼女を許すとか許さないとかいうことは問題ではない。俺は彼女を愛している、ただそれだけだ。それ以外の何かは枝葉末節の出来事に過ぎない。一番大事なことは心の奥底にある本当の気持ちが何かだけだ。4.恋人の日記(2)○月○日あなたがいなくなって三週間、だんだん気持ちが落ち着いてきた。所詮ものごとはなるようにしかならないって、誰かが言っていたけど、本当にそうだと思う。今目の前にあること、起こることが現実、ここにある自分の生活がすべて。いつか、時が解決してくれる。言い古された言葉だけど、きっとそうだと思う。だから、私は待とうと思う。おばあさんになるまで、まだ時間はあるのだから。少しだけ気になることがある。夕べの夢で何か不吉な夢を見た気がするのだ。内容はまったく覚えていないのだけど、目覚めた時に何か悲しみのようなものが、まるでワインの澱のように心の底に残っていた。5.ある若者の日記(3)○月○日気づいた時、俺は雪に隠れているが、大きな岩があるらしい場所に倒れていた。どうやら、雪崩に巻き込まれ流されたらしい。そして、この岩に脚をしたたかに打ちつけたのだ。だが、この岩がなかったならこのまま谷底まで落ちていただろう。それでも今いる場所は、走行ルートからは随分下がったところだ。立ち上がろうとしたら激痛が走った。骨折しているようだ。元のルートに戻るのは多分無理だ。だが、まもなく夜になる。俺は痛む脚を引きずりながら、とりあえず、安全と思われる場所まで移動し、何とかテントを張った。夜になり、脚の痛みは増す一方だ。やがて吹雪になってきた。テントの周りは次第に雪が積もってきた。下手をするとテントそのものが雪に埋もれてしまうかも知れない。だが、もはやどうしようもない。俺は今できるベストは何かを考えた。答えはすぐに見つかった。手紙を書くことだ。俺は彼女への手紙を綴った。手がかじかみまるでミミズがのたくったような字だ。そこに、この登山の間に起きた心の変化を、そして彼女への思いをすべて正直に綴った。そんな風にしている内に吹雪の音が止んだ。だが、それは決してよい兆候ではない。やがて、テントは雪に埋もれるだろう。でもそれも仕方がない。いつか雪が溶け、誰かが俺を見つけるだろう。そしてこの手紙が彼女に届く筈だ。そして、心のわだかまりが溶けたことを彼女は知るのだ。6.恋人の日記(3)○月○日あれから半年が過ぎた。彼からの連絡はない。でも、もう私の中にあせりはない。いつか、きっとわかってもらえると思う。私があれからどうしているかは、すぐに彼にもわかるはずだから。その日がくれば、きっと、雪が溶けるように彼のわだかまりも解けると思う。○月○日私も山に行ってみよう。不意にそんなことを思った。彼が以前、山登りが好きだと言っていたことを思い出したのだ。いつか一緒に登ろうと言って写真を見せてくれた山。私は今初めての登山の準備を進めている。そうすることで何かが変わるかも知れないとかすかな期待を胸に抱きながら。(了)
2007年05月03日
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