「ミナコの思考回廊」

第3章




しばらくして、私はふと疎外感を覚えた。

みなが泣いている。
祖母の棺の周りに正座して、涙を流している。

なぜだか、私だけが取り残されたように感じた。
みなは着々と儀式をすすめ、私はひとり、おいてけぼりをくらったようだった。

今、わたしは独りぽっちだ。そう思うと自然と自分に意識が向いた。
私はきちんと正座をし、涙を流していたが、絶対的にどこかが、なにかが、ちがった。
その正体はわからなかったが、急に周囲にあわせ、物知り顔で涙を流している自分に嫌気がさした。

(こんなのはちがう。こんなのはちがう。ぜったいに、ちがう)

こころの中でそう繰り返した。力まかせに握った小さなこぶしは、真っ白になっていた。

大好きなおばあちゃんが死んでしまったかなしみ。
その気持ちが何ともうすっぺらで、自分のやり方でそのかなしみを表現できないことに腹が立った。
そしてその事実に気付いてなお、こんな儀式に参加している自分自身が、嫌で嫌でしかたなかった。


「トイレにいく」


ちいさな身体から発せられたちいさな声は、みなのつくった悲壮な沈殿物に押し流されやがて消滅した。

まるで透明なゼリーのなかに放り込まれたようだと思った。
粘度の高いやたら甘い水に絡めとられていく感覚には、焦燥感さえ覚える。いきが、できない。

(はやくここからでなくっちゃ!)

私の声なんてどうでもいい。だってみんな、この儀式に大忙しで、私の声なんてとどくはずがないもの。
ただ無性にこの空間から逃げ出したくて、はやくはやくこの場を離れたくて。
ひたすらそれだけを考えた。



息をきらしてたどり着いた個室は、ずいぶんと冷えていた。
そこには、この田舎町独特の、冷え冷えと沈む空気が横たわっているようだった。

しかし白い拳を握りしめ、立ち尽くすしかできない私にとって、その冷たさは私を現実世界に引き戻してくれる優しい温度でもあった。


後ろ手にネジ式の鍵をかけて、ふうっと詰めていた息を吐き出す。

(だいじょうぶ。ここにはもう誰も入れない。どんな不快な空気だって入り込むことはできない)

そう、こころの中で信じた。


しかし、その儀式から逃げてきたつもりだったのに、私の頭の中は先ほどゼリーの中で繰り広げられられていた光景でいっぱいだった。

私には他人の涙が、まるでつくりもののように見えてしかたがなかったのだ。
確かに、かなしみに流す涙は美しいと思った。透明で純粋なかたまりのようにも見えた。

それでも、私が大好きだった、お菓子のおまけに付いてくるプラスチックの宝石のような。みなが見て喜ぶような。
そんなつくりもののように思えてしかたがなかった。


人が死んだから悲しくて泣く。


ひどく当たり前のことだと理解はできたが、幼い眼には悲しみに入り混じった
偽善という存在を、やけにクリアーに捕らえることができた。

もちろん当時は『偽善』という言葉すら知らなかったが、負の空気は感じやすいものだ。
幼い私の持つ感受性はナイフの切っ先のごとく鋭く、負の感情なんて、まるで本当に目に見えるようにクリアーに写った。

このころの私は、気持ちには当然、色や、形や、匂いがあるものだと思っていた。

祖母の喪失の悲しみは、ふわふわとくすんだ、淡く儚い丸いかたちに見えた。
しかしその中には時々、ギラギラと鈍く光る砂粒が混じりこんでいるようにも感じ、私は居心地が悪かった。

結局、このとき感じたものを『偽善』と呼ぶのだと知るのは、まだまだ何年も先のこととなった。


しばらく思考を止めてじっとしていると、気持ちも落ち着き、涙も止まった。
私が席を外したことに気付くような人は、きっと誰もいない。
いや、どうか誰も気付きませんように。

そんなことを密かに祈りながら、少し前に保育所の先生に読んでもらった本の内容を手繰り寄せていた。

私はまだ小学生でもなかったが、ひらがなは読むことができた。
母に無理やり教えてもらい、自分の名前をローマ字で書いたり、ABCのアルファベットを書くこともできた。

それでも漢字は難しく、漢字の多い本は保育所で読み聞かせてもらっていた。

私がこのとき必死で記憶をたどっていた本は、きっと宗教とか、キリスト関連の児童書だったのだろうと、今になって思う。



『ひとが死んで涙をながすにんげんには、2種類のにんげんがいます。』

『ひとつは、死んでしまったひとを想って、とじてしまったそのひとの人生が かなしくて涙をながすにんげん。』

『もうひとつは、死んでしまったひとを失ってしまった、自分自身がかわいそうで涙をながすにんげんです。』



今、祖母の棺を囲んできちんと正座し、涙を流している人間はみな後者の人間で。

その場から逃げ出して、こうして冷たいさみしい場所に救われている自分もまた、間違いなく、後者の人間なのだと思った。

悲壮に涙を流し、儀式を進める周囲の人間と己とが、根本的には同じ存在なのだと気付いた私は呆然とした。


そしてただ、トイレの手洗い場に独り、立ち尽くした。

耳が熱くって、そのことだけが、やけに気になった。





© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: