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ゆうゆうきかく

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2007.10.20
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カテゴリ: 信濃の国は…♪
テレビの風林火山も川中島の戦いにさしかかるところ、20日は風林火山を偲んで川中島、松代へと足を運ぶことにした。


我々はこのあと勘助の胴体と頭をあわせたという胴合橋へと足を進める。胴合橋は八幡原古戦場跡地のすぐ隣、峠の釜飯で有名なおぎのやの駐車場の片隅にある。

閻魔
そこから信玄の弟信繁の墓のある典厩寺は近い。日本一の閻魔像が睨みをきかせている。

土手沿いの道を下り、更埴橋を渡って右折すればすぐに勘助の墓がある。このあたりは昨年の春、自転車で毎週のように通っていた。勘助の墓も今ほど整備されたものではなかった。

昨年までは畑の中にぽつねんと忘れ去られたようにあり、墓の前に行く道さえもついていなかった。集落は土手の下。どうしてこんな寂れた場所に戦国武将の懐刀の墓があるのだろうと通るたびに不思議に思っていた。その謎が解けた…というか教えていただいた。

もともと街道は現在の勘助の墓の前にあった。このあたりは通りの真ん中の栄えた場所だったのだ。ところが大改修事業が計画されて集落は堤防の外に移された。そして勘助の墓だけが取り残された。

語り部
他にも話はまだある。「勘助は実在の人物ではなかった」という話だ。私も部分的にその話を信じていた。ところが「川中島のたたかい語り部の会」の方から、現在に残された事実から勘助実在説を裏付けた話を聞くことが出来た。延々とはなしは続くのだけど一聴の価値はあるというか、勘助に興味のある人には聴いておくことをおすすめする。私もおさらいのためにもう一度聴いておきたい。その後、柴阿弥陀堂へ。この話題はここでは深追いはやめておく。

以前メルマガで紹介したけど、松代に「かじや」という山芋料理の店がある。最初に出てくるのが山芋のスープ。こくがあってまろやかで、これを飲むだけでこの店に北甲斐がある。でも店の中は外見で見るほど、歴史の重さを感じさせてくれない。せっかくなのに…



その後、横田家を訪れ、松代大本営地下壕、松代城、竹風堂と訪ねて帰路についた。





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Last updated  2007.10.26 09:15:55
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