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父はいつものように日中はどこかに吹っ飛んでいましたが、たまに家に居ると思えば実家のビニールハウス内を大掃除しはじめて、中途半端な状態で終わりにしてしまいます。次から次へと色々なことが頭に浮かぶのでしょう。でもすべて中途半端で終わりです。ある日父は車が欲しいと言い出しました。これも躁状態の時にはお決まりの文句です。以前乗っていたワンボックスカーは古くなっていたしずっと鬱だったので廃車してしまったのです。だからどこか行くときは仕方なく軽トラを乗ったり、ほかに空いている車を使っていました。私たちはそのうちまた鬱になるんだから、税金やら車検やら何かとお金がかかる車は父には不要だと思っていました。躁・鬱を何度も何度も繰り返していたため、もう治るとは思っていませんでした。母は精神的に参っていたため父に強く口答えする気力もなくなっていました。私は大金を無職で金食い虫の父に使われるのだけは避けなければいけない!と躍起になっていました。車なんて絶対にダメだと何度も言いましたが、父は「お前にそんなこと言われる筋合いない!口出しするなくそアマ!!!」とすごい剣幕で怒鳴り散らし、聞く耳を持ちませんでした。ある日、遠い遠い会ったこともないような親戚の家に遊びに行き、車が欲しいことも話したようで、その親戚がもう使っていない車(おそらく処分に困っていたような車)があると話をしてきたらしく、なんとその車を100万円で譲りうけると口約束をして帰ってきました。遠い親戚とはいえ普段全く付き合いのない人からよくわかりもしない車を100万円で買うなんて馬鹿げていますよね?私はその話を聞いて激怒しました。そして母にその親戚の電話番号を聞き出し、父には内緒で電話をかけました。その親戚には、私は娘で、父は双極性障害という精神疾患にかかっていてついこの間まで入院していたこと、自分では正確な判断が出来ないこと、働くことが出来ないため収入がなく、うちにはお金の余裕がないことを話しました。すると、その親戚は怒った様子で「オタクの方から買いたいって話があったからこっちはそれに応じただけですけど。」と言ってきました。私はこの時、この親戚が普段本当にまったく付き合いがなくて、父のことをただの金を運んでくる人間としか思っていないことが良くわかりました。会ったこともない親戚に20代前半の小娘が電話越しで何度も何度も謝り、話を無かったことにしてくださいと懇願しているんです。普通の良心ある親戚ならただ事ではないことがすぐわかるはずです。この親戚の人は本当に嫌な人でした。しばらくずっと嫌味を言われて、私も今にもキレそうでした。ただ、迷惑をかけていることに変わりはないのでそのあとも何回も謝罪しました。そうしてその話は無しになったのです。クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.03.31
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父の一番酷かった躁状態は確か7~8年ほど前でした。はっきりいつだったか覚えていませんが、確か私が社会人2年目くらいだったのは覚えています。その時も鬱状態から急に躁転し、ここ最近の躁転とは比べようにもないひどい躁でした。顔は般若みたいで目がギラギラしていて、今みたいにパーキンソニズムも出ていなかったので、一見すると健常者でした。躁転したばかりの数日は気分が良く大きな事を言ったり毎日大量の買い物をしてきていました。うちは元々農家なのですが、余った農地にアパートを建てると言い出した時はぞっとしました。父はあまり頭がキレる方ではないので、結局どうやってアパートを建てたらいいのかわからなかったようで、その話は早々に無くなりました。大量の買い物で印象的だったのは、油性ペンのマッキーです。ノック式の少し高いものを20本とかまとめて買ってきて、色々と書き物をしていました。またある日は陶器のどんぶりとレンゲを大量に買ってきました。まだ暴力的ではなかったので、「何に使うんだ」と聞くと「みんなでラーメン食べたりするのに必要だろ?」と言っていました。そのうちだんだんとイライラが始まり、ちょっと気に入らないことがあると怒鳴り散らすようになりました。私は働きもせずに大量の買い物をしてくるので父に「もう買ってこなくていいよ!お金が湧いてくると思ってるの?!いい加減にしろ馬鹿野郎!」など、親に対して使ってはいけないような言葉遣いで怒っていました。父も「なんだその口の利き方は!!!誰が育ててやったと思ってんだ!言い方がきついんだよ!海外旅行ばかり行ってやがって自分だけ好き勝手やりやがって!この自己中女!」とののしられ、時には本気で殴り掛かってくることもありました。幸い大けがはしませんでしたが、何度殴られたかわかりません。父は「海外旅行」についてはなぜか毎回言っていましたね。私は大学時代からお金が貯まると海外旅行に行っていたのですが、おそらく父はこれまで祖父の支配下に置かれていたため好きに海外旅行なんて行ける状況ではありませんでした。それを妬んでいるのかなんなのかわかりませんがなぜか毎回言ってくるので私もうんざりしていました。そのうち、持っている現金が底を尽きたようで、母に預金通帳を出すようせがむことが増えてきました。母も最初のうちは強く断っていたのですが、あまりにも毎日毎日怒鳴られているうちに精神を病んできてしまいました。父はしまいには金属バットを家の中に持ち込み人の文句ばかり言って怒鳴っていました。私はその時病院に勤務しており結構残業も多く仕事のことでも疲れていました。仕事中は患者さんと接するので父のことなんて考えていられません。幸い仕事中はあまり家庭のことは考えずに済みました。仕事が終わりロッカールームに行くとすぐさま携帯をチェックします。何か起きていないか毎日恐る恐る携帯を開いていました。日に日に父の暴力性は高まり、ほんの些細な事でも怒鳴り散らし、金をせびるという人間とは思えない様相に変わっていました。ある夜、父は「○○はどこだ!!!!!」と母を探していました。金を出せと言ってくるのでしょう。私はお金が無くなるのだけは避けたかったので、母を部屋にかくまっていました。まだコタツがあったので冬だったのでしょう。父の叫び声が聞こえ、母は怯えていました。私の部屋に近づく音がしたので、母にコタツの中に隠れるよう言いました。そして金属バットを持った父が部屋に入ってきて「○○はどこだ!どこ行ったんだ!?」と鬼の形相で言ってきました。私は毅然とした態度で「知らないよ。実家に帰るとか言ってた。もう嫌になって実家に帰ったんじゃないの?!」と嘘をつきました。さすがに実家に帰ったともなれば父も目を覚ますと思ったのです。腑に落ちない様子でしたが父は部屋から出ていきました。私は母に実家に帰るよう促しました。ここに居ては父に殺される・・・そう思ったのです。父は私に暴力を振るうことはありましたが、怒りや憎しみの感情は母への方が酷かったようなのです。というのも、過去の躁状態で入院させられたことを根に持っていて、「あんなところに俺をぶち込みやがって、ふざけんなよ!」といった風に過去の恨みを大声で怒鳴ったりしていました。母の実家には母の姉夫婦が住んでおり、おそらく頼めば数日泊めてくれたと思います。でもきっと母は私たちのこともあるし(弟はまだ学生だった)出ていかなかったんでしょうね。その後もそのような状態が続き、母もついには現金を渡してしまうようになり、さらに父の浪費はひどくなりました。↓クリックしていただけると励みになります(^^にほんブログ村
2021.03.31
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父は鬱状態だけどちょっと調子が良くて友達や知り合いと話せるときには「おれ、躁うつ病なんだよ」と言ったりします。だけど躁状態の時の父には病気の自覚は1ミリもありません。躁の時に病院に連れて行こうとすると「もう治ったんだよ!!病気じゃない!」と言います。数年前に双極性障害の第一人者である加藤忠史先生の講演を母と聞きにいったことがあります。実際の患者さんも何人か講演されていました。すごーく不思議だったのが、その患者さん達は皆さん躁の時の自覚があったんですよね。(皆さんⅡ型でした)双極性障害って自覚がないものだとばかり思っていたので、母と驚きました。一部の人だけかもしれないけど・・・自覚があるから、きちんと受診したり服薬したり気を付けられているようでした。その他に共通していたのが「治りたい」という気持ちです。本当に不思議なんですが、父にはそういった気持ちは全然ないように感じます。というか、普通の時があまりない。ひどい鬱か躁か、みたいな感じです。鬱の時にどんな感じなのか聞いたら、「何かわからないけどずっと不安なんだ」と言っていたのが印象的でした。私や母が専門書を読んだりわざわざ他県まで先生の講演を聞きに行って双極性障害について勉強しているのに、病気の本人が「双極性障害」についてほとんど何も知らないんですよね。不思議じゃないですか?私は医療従事者ですが、「治りたい、良くなりたい」という気持ちがある患者さんとそうでない患者さんではその後の予後がかなり違ってくるなと経験上感じています。これって全部じゃないけど精神的な疾患でもいえることなのかなと思います。治りたいと思っている双極性障害の方とそうでない方ではその後の症状のコントロールには多少なりとも違いが出てくるんじゃないかと思うんですよね。(素人考えですけどね)あと、治りたいと思っている方の家族とそうでない方の家族では気持ちが全然ちがうんじゃないかなとも思うんです。双極性障害って家族がとても辛い思いをすることが多いと思うんですけど、「本人に自覚がない」っていうこともその辛さを助長する要因だなと感じています。なんていうか、やるせないんですよね。私たちは何のためにこんなに苦しんでいるのか?と、たまに暗いトンネルに入ってしまうことがあります。何冊か双極性障害についてのノンフィクションを読みましたが、それってだいたい著者は家族ですよね。本人が書いている本があれば読んでみたい。それこそ自覚がなければ書けませんもんね。加藤先生は、「双極性障害は薬でよくなる病気です」と言っていました。著書でもよく言われていますが、それって何割くらいなのかな・・・長くなりましたが、もしこういった研究があればここで紹介できるようにもう少し勉強してみようと思います!最後まで読んでいただきありがとうございました。
2021.03.24
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こんばんは。息子が寝たので少し書きます。私が小学校高学年くらいだった時の話です。私の実家は農業を営んでいて、祖父母と両親で主に仕事をしていました。経営的なところはすべて祖父が行っていたので、両親は一定金額を毎月もらう「お小遣い制」だったみたいです。「お給料」ではなく「お小遣い」です。つまり、家計は全て祖父が握っていました。これもおかしな話ですよね。まあ、その分私たち子供にかかるお金は全て家のお金から出すので、母が祖父に言ってお金を出してもらうみたいなやり方をしていたみたいです。父は月初めにお小遣い数万円をもらうと、その足でパチンコに行っていました。そして勝ったときはいいけど、負けた時は次の日から寝込んだりしていました。どんなに母や祖母が言っても絶対に起きられないんです。「調子が悪い」の一点張りで、布団に潜っていました。だいたい1週間くらいだったような気もするけど、長い時はもっと寝ていました。そのたびに皆に「怠け者」と言われていました。そしてしばらくすると普通に起きて仕事をする。多分、あれは軽い躁鬱だったんだと思います。特にテンションが上がるっていうことはなくて、鬱状態と普通の状態の繰り返しでした。あのころは今みたいにうつ病とかそういう精神的な病気があまり世の中で知られていなかったような気がします。なので、みんな父をただ仕事がしたくなくて怠けているんだと怒っていました。そんなことが何年も続いていました。あの頃病院に連れて行ったら、違っていたのかな?それから数年してやっと父は病院を受診することになります。
2021.03.24
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よくよく確認すると父は昨夜自ら入浴していたというのです。鬱の時はいくら母や私が風呂に入るよう言っても何週間も入らないのに、急に風呂に入るなんてやっぱりおかしいと思い、「躁転したの?」と聞くと「してないよ」と父。でも、父は躁の時に一切自覚がないので、本人がしてないよと言っても信用はできません。この日は木曜日だったのですが、次の母の平日休みは次の週の金曜日・・・ということは今日なんとかしないと来週の金曜日まで受診すらできません。1週間以上様子を見るなんて、私も母も無理だと思いました。もし1週間の間に前回のような躁状態になったらとてもじゃないけど入院は本人が拒否してできないし、何なら受診すらさせられないんです。もう今日しかない!と思いました。母が「躁転したんだよきっと。一回受診しよう。次は入院って約束してたよね?」と父に言うと、「してないよ。入院はしないよ」と答えました。約束していたのに入院しないと言うなんてやっぱりおかしいです。先生には次躁転したら入院OKと言われていたので、すぐにかかりつけの精神科に電話で問い合わせました。すると、コロナのせいでPCR検査が陰性にならないと入院できないので、早くても入院は週明け月曜になりますと言われました。こればっかりはしょうがないですよね。母は落胆した様子でした。PCR検査は正午までなら受け付けると言われたので、ギリギリ間に合いそうだということで父を説得して急遽病院に向かいました。病院までは車で1時間ほどかかるのですが、私は正午までに間に合うかのプレッシャーと、急に起きた躁転疑惑でかなり気が動転していました。母はとにかくPCRだけでも受けて、週明け入院できれば・・・という気持ちだったと思います。車内では誰も何も話しませんでした。11時40分くらいに無事に病院に着いて、母と父だけで外来に行きました。無事にPCR検査を終えて帰ることになりました。土曜には検査結果が出るので、陰性なら月曜日に入院しましょうと先生から話があったとのことでした。月曜は母が仕事を休めないので、私が入院に付き添うことにしました。土曜日になり、検査は陰性だと連絡がありました。そして【5年ぶりの入院】につながります。長い文章を読んでいただきありがとうございました!次は父がおかしくなり始めたころの記憶をブログに起こしていきたいと思っています。長くなりますが読んでいただけると嬉しいです。
2021.03.24
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父はずっと寝込んでいました。何事もなく3月になりました。その日母が仕事が休みだったので、私は子供を連れて実家に帰ろうかなと思っていました。いつもなら子供に離乳食を食べさせ終えてからなのでお昼前に向かうのですが、その日は朝からなぜか「早く行かなくちゃ」とソワソワしていました。(今思うと何かのお告げ?怖い)9時すぎには実家に付き、母と家庭菜園の手入れをしていました。すると、髭も髪もボサボサでまるで浮浪者のような見た目の父がふらりふらりと外まで歩いてきて、私に車を移動させるよう声をかけてきました。(私は軽トラックの後ろに縦列駐車していた)軽トラでどこ行くのと聞くと、「パチンコ行くんだよ」ともごもご話す父。目はまだ血走る様子もなく、歩き方もなんとなくのそのそしていて躁転したようには見えませんでした。「今はコロナだしお金もないのにパチンコなんてダメだからね。なんでパチンコ行くの?」と聞くと父は「気晴らしに行くんだよ」と答えました。確かに半年近く寝ていてたまには出かけたいよね・・・まあいいかと一瞬思ったんですが、やっぱりコロナも心配だしそもそも運転も心配(以前公園でポールにぶつけたので)なので、やっぱりダメだ!と我に返りました。「パチンコなんて絶対ダメだよ。気晴らししたいなら公園とかコンビニとか乗せていってあげるから」と言うと、「頼むよ。」としつこく言ってきます。「ダメだよ」「頼むよ」を5回くらい繰り返し、やっぱりおかしいなと思って少し離れたところにいた母にこのことを報告すると、母もパチンコも運転も絶対だめだと言いました。父に「なんでそんなにパチンコに行きたいの?負けるのが落ちでしょ!しかも今はコロナで不要不急の外出はみんな我慢してるんだよ」と言うと、「パチンコが趣味なの。」と言ってきました。その瞬間、私も母も「趣味」という言葉に反応し、躁転したかも!と考えていました。というのも、躁転すると独特の言葉の使いまわしをするんですよね。例えば「○○なの。」とか「幸せだな。」とか「○○好きなんだよ。」とか。なんていうか、バカみたいな、こっぱずかしくなるような言い方というか。うまく書けませんが、とにかく父の場合は趣味とかなのとか言う時点で何か変化が起きていると私たちは思いました。
2021.03.24
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こんにちは。双極性障害ってⅠ型とⅡ型があると思うのですが、双極性障害のⅠ型からⅡ型に診断が変わった方っていらっしゃいますか?(もちろんその逆も)というのも、父は5年くらい前は双極性障害Ⅰ型の診断だったのですが、今回入院診療計画書の疾患名は「双極性障害Ⅱ型」とあり、状態としては「躁うつ混合」とありました。ずっと父はⅠ型だと思っていたので、今回Ⅱ型の診断を受けて母と少し驚きました。でも考えてみれば急にⅠ型になったわけじゃなくて、ちょっと怪しい時期(今思えばⅡ型?)を経てⅠ型の暴力的な父が形成されたのかなと・・・とりあえず今は先生から見てもⅡ型のようなので、考えようによっては良くなっているってことなのか?まだまだ勉強が必要そうです。
2021.03.24
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おはようございます。昨日実家に帰って感じたんですけど、父が居ない=めちゃくちゃ気が楽でした。居ないって、嫌な意味じゃなく、きちんと病院にお世話になっていることですごく安心感があるんですよね。何かあっても父は医療に守ってもらえる。そして家族は父の鬱に引っ張られることも躁転の恐怖に怯えることも無く過ごせる。母はいつになく清々しい感じでしたね。鬱の時でも部屋にいる父を見るだけで可哀想、情けない、みじめ…色んな感情にまみれるんですよね。なんでこうなったのかなとか。○○ちゃんのお父さんは定年退職してこの間○○ちゃん夫婦と孫が旅行招待したとか言ってたな…なんでうちはとか。病院に居れば同じような状況の患者さんも居るし、父も少しは気が紛れるんじゃないかなとも思います。もちろんずっと病院は可哀想ですが…私も医療従事者なので、今回家族として入院に関わった事がすごくいい経験になりましたね。家族の心情を理解出来たので、復職したらこの経験は活かしたい。少しでも、父が病気になった事に意味を持たせたいです。なんか熱く語ってしまいましたが、とりあえず自分が鬱々してるのは無くなりました。しばらくは病院の皆さんにお世話になり、エネルギーチャージしたいと思います(^^)では、最後まで読んでいただきありがとうございました!
2021.03.19
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限度額認定証を持っていく用があったので久しぶりに母と病院に行きました。(限度額認定証を提出することで医療費の自己負担分が低くなります)面会はコロナの影響で5分とのこと。私は赤ちゃん連れなので病院には入らず、母が面会してきたところ、割と普通に元気な様子だったそう。父は4月上旬には退院したいと言っていたみたいだけど、普通に元気=本格的に躁転する可能性もあるということ。それは母にとっては毎日が恐怖になり得ます。なので、少し鬱っぽいくらいじゃないと正直なところ退院は受け入れられないんですよね。父には申し訳ないけど、そうじゃないと家族共倒れしちゃうから( ⚭_⚭)よく、双極性障害の薬の調整は低空飛行がいいとか言いますよね。ちょっと気分低いくらいでコントロールする。本人はどうなんだろ?やっぱり辛いのかな?患者主体の治療とはいえ、精神疾患に関しては家族の意向もかなりの割合占める要素かなと思います。あと、辛いのが躁だからって毎日ハッピーではないんですよね。躁の時は気が大きくなるしなんでも出来るみたいな思考に陥るけど、同時に過去の嫌な思い出もめちゃくちゃ頭に浮かぶようなんです。誰にこんな事を言われて気に入らないからぶっ飛ばしたいとか、あの会社は最低だとか…そんなの全然楽しくないですよね!要は、躁って楽しいばかりではなく、無性にイライラしたり過去をほじくり返してみたり、本人も辛いのかなと思います。これからどうなるのか。必ず躁は訪れる。春先要注意なので、退院に関してはきちんと状態見極めて先生と相談しながら決めたいとおもいます。ではおやすみなさい(^^)
2021.03.18
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予想どおり、10月上旬には完全に鬱期に突入しました。一日中、トイレに行くのとたまに食べるために起きる以外はずっと寝ています。本人は可哀想ですが、家族としてはやっと平穏な日々が訪れ、一安心していました。父の鬱期間はだいたい半年続くことが多く、次の躁転は計算だと3月下旬から4月中くらいです。鬱に入り初めての定期受診では先生から気分の落ち込みについて聞かれ、「落ち込んでいるが死にたい程ではない」と答えたようでした。そのため、炭酸リチウムの量は変わらず処方されました。(もっと辛くなると減量されます)薬の量が変わらない事は、母にとってはある種の安心材料になります。母からしたら、鬱期間の方が穏やかに過ごせるからです。母もこれまで数えきれない数の双極性障害の本を読み、父が少しでも良くなる方法を模索してきましたが、それは難しい事を悟っていました。(中には良くなる方ももちろん居ますが、父は服薬期間が長く、服薬をきっちりする事や断酒など、治療する上での約束を全く守れないので改善は難しいと思います。)とりあえずは平和な日々が続き、私は年末には家を別の土地に建てて夫と子供と引越しをしました。お正月も何事もなく過ぎ、父は相変わらず鬱で寝込んでいました。お風呂はおそらく10日は入っていないでしょう…すごい臭いがしました。不思議なもので、夏は殺してやりたいくらい(すみません。でもこれが正直な気持ちです。)憎かった父が、弱くなっていると可哀想になるんです。これが血縁というやつです。私はたまに実家に帰っては父が食べられそうな物を作ったり、好きな食べ物を買って行っていました。
2021.03.14
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朝起きられなくなると、鬱の始まりです。こうなると、やっと躁の時にやらかした事を思い出して不安になるようです。この時は車の修理代16万円、スマホ代6万円、バッテリー代1万5千円の請求がまずは父がどうにかしなくてはならない金額です。もちろん払えるわけがないので、母が立て替えて、年金から天引きすることにしました。元々父はかなりの小心者で心配性なので、鬱になるとこういった借金や気が大きくなった時にした口約束が心配の種になります。そして絶えず不安が襲ってくるようなのです。幸い今回は他に大きな借金は作っていなかったようで、母も私も安堵しました。私はSNS上で見ず知らずの方々(双極性障害の方もいらっしゃいました)に父の事を相談していたのですが、全員に入院させた方がいいと言われていました。母にこの事を打ち明け、たとえ暴力が無かったとしても、家族が精神的に疲弊してしまう時は入院させてもいいんじゃないかと伝えました。母も弟も同意見でした。なので、次に躁転したら入院させることを共通の認識として、事前に主治医に相談しておくことにしたのです。
2021.03.14
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バンパー交換が終わって車が帰ってきました。父は最後まで鍵を貸してくれとしつこかったですが、父にとっては唯一の?脅威である弟が鍵を持っていたため鍵が父の手に渡ることはありませんでした。そうして約1ヶ月半が経ち、徐々に日中家に居る時間が長くなってきました。まだ躁なので、宅急便の配達員さんや牛乳配達員さんにまでグイグイ絡んでいく父。本当に辞めてくれ…もう私も諦めて何も言わないことにしました。今思えば初めての出産、子育て…もっとキラキラ楽しいものだと思っていたけど、2ヶ月近くずっと父の事で悩んでいて赤ちゃんとの時間は覚えていないです。バカバカしいですが、家族の事なので仕方ないですね。そしてついに公園に行かなくなりました。やっと落ち着いてきた…私も母も安堵していました。9月になり、初彼岸となりました。コロナの影響もありあまり大々的には客人を迎えない事にしていましたが、田舎なので割と皆さんお線香をあげに来てくれました。父はまだ一応お客さんの相手は出来ました。多分皆不思議に思っているはずです。お盆は一切顔を出さなかったんですから。実は祖父の葬儀も鬱期間だったので、父は喪主も出来ませんでした。仕方なく、父の妹の旦那さん(祖父からすれば義理の息子)に喪主を頼みました。親戚の人もおかしいとは薄々感ずいているはずでした。話は逸れましたが、そんなこんなでどうやら初彼岸を終えました。すると、徐々に父は朝起きられなくなってきました。
2021.03.14
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入院に付き添ってからというもの、ずっと気分が晴れないんですよね。今までは母が入院手続きをしていましたから、直接自分が入院に関わるのは初めてだったんですが・・・多分、父が意外と躁になっていないまま入院させたことに罪悪感を感じているんだと思います。やっと起きることが出来てお風呂に入れるようになったくらいで、入院・・・それって、父の人権はどうなんだとか、父は今後一生鬱の状態か入院しかないのかなとかなんかずっとそんなことをぐるぐる考えているうちに、自分が鬱っぽくなっていることに気づきました。・食欲減退・笑えない・疲労感・何もやる気が起きない・テレビ見たくない・人に会いたくない・外出したくないなどなど。明らかに鬱の症状ですよね。これまで親族で何人か鬱になっているので、症状はよくわかります。仕事でもよくうつ病の人と関わるのでよくわかっているつもりです。まずいな~と思ったので、とにかく休むことにしました。と言っても今育児休暇中で毎日休みなんですが、家事も最低限にして赤ちゃんの世話だけしようかなと思って数日過ごしたら今朝あたりから少し気分が晴れてきました。幸い夫がすごく理解があるので、色々と協力してくれるので助かります。昼に伯母さんから電話があり、私のことを心配してくれているようでした。今回は私が入院に付き添って、結構落ち込んでいると母に聞いたようです。伯母さんも実父(私の祖父)のことでかなり苦労してきたので、私の心情を理解してくれているようでした。こういう時に親族が心配してくれるのって本当にありがたいです。だって、友達にはこんなことなかなか話せないですもんね。私は1人だけ話せる友達が居ますが、やっぱり双極性障害って実際に一緒に生活した人間にしかわからない辛さがあると思います。まとまりのない話になりましたが、とにかく無理をしないことが大切なのかなと再認識しました。そして、これまでこんなことを何回もしていた母に感謝です。(配偶者と娘だともしかしたら娘の方がこういう心理的ショックは大きいのかなとは思いますが)もし今上記のような症状がある方は、それ鬱の一歩手前なのでゆっくり休むようにしてくださいね。やりたくないことはやらない方がいいです。ではまた時間が出来たら書きます。
2021.03.11
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それからしばらくして、父は公園までの3㎞を往復することが出来なくなってきました。今思えばこのころから徐々にテンションは下がり始めていたのかもしれません。この頃は、朝母が仕事に行くときに父を車で公園に送って降ろしていました。私はなんでそんなことしてあげるんだろうと思っていましたが、母はまともに父とやりあうのがもう面倒だと言っていました。喧嘩するエネルギーもないくらい毎日疲弊していたので、もう朝公園に降ろしてそれで父が納得するならそれでよいといった感じでした。家族全員が早く父の躁が終わってほしいと考えていました。だいたい父の躁は長くて3か月、だいたい2か月もすれば鬱に入ることが多いです。ちょうど躁転してすぐに定期の病院受診があり、薬(炭酸リチウム)を増量してもらっていました。きちんと服薬すれば2週間ほどで効果が出始めますが、1か月しても躁状態のままでした。私は早く収まることだけ毎日考えて過ごしていました。
2021.03.11
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弟は父の部屋に乗り込み「鍵出せよ!」と怒鳴っていました。どんな状況かは見ていませんが、多分父のことを殴ったんだと思います。鍵を取り上げて弟は部屋から出ていきました。父は茫然としていて、額には殴られたようなあとがありました。本当に情けない姿でした。これでとりあえずは事故などで誰かに危害を加える心配は無くなり、私も家族も安堵しました。バンパー交換は依頼してしまったので、しょうがなく弟が車屋さんの対応をしていました。車屋さんも毎年毎年バッテリーを交換しているし、父の様子がおかしいことは薄々感じているはずです。移動手段を失った父ですが、まだ躁状態のため動き回りたくてしょうがない様子でした。初めのうちは自分で3kmくらい先の公園まで歩いて行っていました。8月なので日中は相当な暑さです。ゲリラ豪雨も多い時期だったので、時には雨で帰れなくなり親戚に電話をして迎えに来てもらうようなこともありました。ある日は顔面傷だらけで出血して帰ってきました。公園を散歩中に転倒したというのです。この頃にはパーキンソン症状が出現していて、突進歩行になることも多く、そうなると自分では止まれなくなるのです。公園を散歩していた他の人に助けられ、送ってきてもらったこともありました。こうやって他人に迷惑をかけることに何も感じなくなるのか、何度転んでも公園に行くことに執着していました。
2021.03.11
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車の傷のことを母に話すと、「バンパーを取り換えようかなとか言ってたよ。やんなっちゃう。」と返ってきました。こともあろうにまだお金を使う気なのかと私はあきれ返っていました。父は躁転するとだいたい車にお金を使います。以前かなりひどい躁転の時は、遠い親戚が所有するもう乗らない車を100万円で買うという口約束をしてきたこともありました。なんとかその話はなしにしましたが、そのときは結局無断で100万円以上する車を中古車センターで買ってきてしまいました。そんな感じで、とにかく金銭感覚が狂ってしまうのです。今回もバンパーを交換すれば安くても10万円はかかります。それだけは阻止しなければと父に絶対だめだと話をしました。「わかったよ」と言ったので安心していました。それなのに、後日バッテリーを交換してもらった車屋さんに父が電話をかけているのが聞こえました。「・・・はい。そうですか、じゃあ新品でお願いします。」こともあろうに、新品のバンパーに交換するよう依頼していたのです。あんな古い車のバンパーを新品に変えるなんて誰が見てもおかしいと思うと思います。電話を切った父にすぐ「何なの?!交換しないっていってたでしょう?!」と問いただすと、「あんな格好悪いんじゃ乗れないだろ! 中古のバンパーは探してもないんだってよ。だから新品を頼んだんだ!」。。。もう私は限界でした。その夜、弟に相談して、私は父の車の鍵を取り上げることにしました。
2021.03.10
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それから父は毎日早朝というか夜2時くらいに起きて電気を煌々とつけて母に靴下をはかせてもらい出かけていきました。母はフルタイムで働いているので、夜中に起こされて本当に可哀想でした。そのころ私は産後1か月くらいで、夜間の授乳もあり常に寝不足でした。なので、電気をつけられるとその光が私たちが寝ている部屋にも入ってきて(実家の和室に里帰りしていたため、そういう部屋の作りだった)眠りが浅いためかすぐに起きてしまい「またか・・・」と絶望感が襲ってきます。何度か父に怒鳴り込みましたが、全く理解する様子はありませんでした。言っても無駄とはまさにこのことです。そしてある日、父の車のバンパーに派手に傷がついていました。弟もそれを見てすぐに気づいたようで、私に話してきました。珍しく昼間家に居た父に「あの傷は何なの?」と聞くと、はぐらかすような返答でした。しつこく問いただすと、公園の駐車場でポールにぶつけたというのです。確かに父がいつも歩いている公園には白いポールがあります。あんなところでポールに車をこするなんて相当判断能力が鈍っているんだなと思いました。もしかしたら飲酒運転かもしれません。今後、誰かにけがをさせたり、誰かをひき殺してしまうかもしれません。そういう心配を四六時中しているので私は頭がおかしくなりそうで、ついには母乳もほとんど出なくなりました。
2021.03.10
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その後も毎日早朝からどこかへ出かけていました。真夏だったのでさすがに一日中動き回ることも出来ない様子でお昼くらいに帰ってくることもありました。ある日、見たことのないスニーカーを履いて帰ってきました。甥がそのスニーカーについてネットで調べたら、20000円もするスニーカーでした。みんなで唖然としました。すでに1週間くらいで10万円くらい使っていることになります。普通の金銭感覚じゃないですよね。たくさん稼いでる人ならともかく、無職で今まで何年も家族にお金を工面してもらってきたのに、何度やっても懲りるということはない病気です。後日、隣町のホームセンターから父あてに電話がありました。時計の修理を依頼されており、見積もりが出たと。幸い、修理代金は4000円ほどでしたが、私はいい加減にしてくれという気持ちでした。昨日のスニーカーといい、スマホやバッテリー、ウイスキーの瓶など、毎日毎日お金を使うので本当に怒りがこみ上げてきました。吹っ飛んで歩いている父に電話を入れ、どこにいるのか聞くと従姉のおじさんの家に居ました。今まで使ったであろう金額がすでに年金の範囲を超えている。いい加減にしろと話しました。するとすごい剣幕で「うるせえ!このくそアマ!」と怒鳴られました。電話は一方的に切られました。従姉のおじさんの前でああやって怒鳴っているというのはもう普通ではありません。従姉のおじさんは父の病気をなんとなく理解していますが、毎回毎回躁になると飲みに連れていったり酒を飲ませたりします。世話しているつもりなのか何なのかわかりませんがおそらく小さいころからの仲なので見捨てられないんでしょうね。ありがたいような、迷惑なような・・・躁のときに何を言っても無駄だし、変に刺激することで余計に症状を悪化させるのはわかっています。だけど、何も言わずにいられる人なんているんでしょうか?だんだんと、出口の見えないトンネルに入っているような辛くて苦しい気持ちになっていくのがわかりました。
2021.03.10
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ある朝、まだ私も夫も寝ている時間に外から「ウイーン!ウイーン!」とけたたましい音が聞こえました。外を見ると父が草刈り機で畑の草刈りをしていました。本当に意味が分かりません。だって、ほんの数日前までは半年以上部屋にこもり布団に寝ていた人が、なぜ急にあんなにエネルギッシュに動き回れるのでしょうか?こんな感じで10日くらいは比較的おとなしく、ウォーキングをしたり庭の片づけをしたり何か思いついては取り組むといった感じで過ごしていました。徐々にテンションが上がっていき、ある日事件が起きました。弟のLINEの(友達かも?)の欄に父の名前が表示されていたというのです。弟は青ざめた、そして怒りに狂った表情でそれを私に言ってきました。私はその話を聞いて一瞬で悟りました。父はガラケーからスマホに機種変更をしていたのです。とにかく私も弟も金銭面で何か父がやらかすと怒りが収まらなくなるのです。なぜかって、父は一切の労働収入がありません。年金を受給し始めましたが、微々たるものです。いったい何をあてに車のバッテリーやらスマホを買ってくるのでしょうか?毎回毎回躁で浪費した分は母がなんとか工面してきたのです。いくら周囲の人間が働いても足りないくらい一瞬でお金を使ってしまうんですから、この病気は恐ろしいです。「スマホにしたの?」と聞くと「そうだよ。携帯壊れてたんだよ」と全く悪びれる様子なく答える父を見てあの時は本当に嫌になりました。多分ガラケーは壊れていません。「いくら?」と聞くと「2万」と答えましたが今時格安でもない限り2万でスマホが買えるわけがありません。こんな風に平気で嘘をつくようにもなります。よくよく調べると、そのスマホは約6万円でした。今は携帯ショップはだいたい機種代が分割なので、現金を持っていなくても買えちゃうんですよね。これで、ほんの数日で約8万円使ってしまいました。(バッテリー15000円、スマホ60000円、その他酒など)今時サラリーマンのお小遣いなんて30000円~50000円だと思うんですけれどね。そしてこの後起こることで私はぶち切れてしまうことになります。
2021.03.09
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なぜ入院させるという考えが浮かばなかったかというと、5年前に入院していた時と比べるとここ数年は躁の状態があまりひどくなかったからです。5年前の躁は、暴言はもちろん暴力もありましたし、金銭的な欲求もかなり強くて、確か3か月間くらいの間に100万円単位で浪費していました。その時と比べると、躁になっても以前ほどの浪費や暴力はなく、(確実にこの5年で体力は落ちているのもあって)せいぜい数十万円程度の浪費と、ひたすらウォーキングをすること、たまに友人と飲みに出かける程度で済んでいたのです。(躁状態に起こした数々の騒動でおそらく友人とも疎遠になっていたのだと思います。)そんなことが毎年1~2回起こるので、私たちもなんとなく慣れてきてしまっていたのかもしれません。そして前回の躁ですが、お盆明けに躁転してからみるみるうちに別人格になりました。初めの数日は気分が良い程度ですが、1週間もすると恐ろしくイラついてちょっとしたことで怒鳴りまくります。車は毎回鬱になるたびにバッテリー上がりを起こすのですが、今回も案の定バッテリーが上がっていました。早速車屋さんにバッテリー交換を依頼したようで、新品のバッテリー(15000円)を購入していました。私は「あ~、また始まったな・・・」となんとなく絶望感に苛まれていました。ちょうど新生児を育てていたので、精神的にも不安定だったのかもしれません。そして父は車に乗り毎日どこかへ出かけていきます。だいたい朝というか夜2時くらいに起きて、母を起こします。なぜ起こすかというと、自分で靴下が履けないからです。長年双極性障害を患い、鬱の期間が長いためか関節が硬くなり色々と出来ないことが増えてきていました。お決まりのウイスキー(躁転するとボトルを買ってくる)も買ってきて昼間から酒を飲んで血走った目でテレビを見たりしていました。
2021.03.09
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前回父が躁転したのは確か昨年8月中旬、お盆が終わってからでした。昨年は祖父が亡くなったため、初盆だったのですが、だいたいそういうイベント時は鬱なことが多いのです。親戚とのやり取りや面倒な手続きなどが辛いんじゃないかなと思います。だからか、無事に初盆(嫁である母が全部取り仕切った)が終わったとたんに躁転しました。まず見られたのは早朝覚醒です。普段ならずっと布団に潜っているのにその日は早朝からウォーキングをしていました。そして表情がまるで違います。別人。目がカッと見開いているんです。血走った、なんとなく興奮した目。あれはなんとも言えない恐怖感があります。それから、シャワーを浴びたり鬱の時には着ないような服(デニムとオレンジのポロシャツ)を着ます。普段何も話さないのに、急に多弁になります。本当に教科書通りで恐ろしいくらいですよね。私は当時産後1か月で、寝不足が続いていたのですが、朝起きると父がオレンジのポロシャツを着て起きていたのでゾッとしたのを覚えています。同じく母も異変を感じて、どこか落ち着かない表情でした。でも、不思議なものでこの時は入院させようなんて考えは母も私もこれっぽっちも浮かびませんでした。
2021.03.09
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今日、父が5年ぶりに入院しました。躁転したかもしれない疑惑があり、ひどくなるととてもじゃないけど病院に連れていくことが出来なくなるので、まだどちらかというと鬱寄りな気がしたけど入院してもらうことにしました。なんだかどっと疲れたので今日は寝ることにします。自分だけならともかく、小さい子供がいるとほんとに体力って大切ですよね。入院の話はまた今度。おやすみなさい。
2021.03.08
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