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"Bigot"ビゴー、フランス人の名字。特に長く芦屋に住んでいたので、パン屋さんのビゴーには馴染みがあった。ご主人のビゴーさんも良く店や町でお見かけした。もう一人の有名なビゴーさん。画家のジョルジュ・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot, 1860~1927)。先日の寺島実郎さんの文化講演会は実はまだまだ続きがあって、その中で「日本は戦後長らく、中国の存在を忘れていられた。」という行があった。この講演会は数年前の古いものなので、今、現実に中国は私達の住む社会にとって大きな存在になっているように思う。この講演の録音を聞きながらジョルジュ・ビゴーの絵を思い出していた。明治維新以降、列強のお膳立ての上で得た一等国というプライド。第二次大戦後、列強の事情の狭間で列強によって与えられた高度成長のチャンス。一等国と煽てられていたニッポン。日本の背中を押している英国はこの前にはアヘン戦争を引き起こしていて、その流れとこの絵は決して無関係では無いどころか、非常に直接的な関係なのだなぁ、と思いつつ最近ビゴーの画集をちょくちょく見ていた。狭間で想像を絶するほど先達が苦しみもがいた事は想像に難く無い。しかし、真の事情は一般に届いていたのだろうか。敢えて「届けなかった。」というのが歴史の狭間での事情だと思う。とすれば、幸せなニッポン人。平和ボケニッポン。海外の町中や人の中にいて初めて自分の中に存在するニッポン人に気付く瞬間。こういった現実もこの辺りの歴史にも根があると感じる。「西洋音楽」を歌っていると、その音楽と私の関係そのものの中にこの絵の中にあるものと同質のものがある、と感じずにはいられない。越えねばならない技術のハードルは当然ある、しかし、文化のハードル(そう称して良いのか?)もある。音楽を生業とすればするほど痛烈に現実のものとして突き刺さってくる。さて、画家のビゴーは風刺画ばかりを描いていた訳でも無い。というのがこの画集を見れば良くわかる。日本の文化と人そのものには暖かい眼差しが注がれている。因に、もう一人のパン屋のビゴーさんが住む町、芦屋。その明治時代の浜辺の風景がこちら。私達の街、ハイカラな街。。。
September 9, 2008
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