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Apr 5, 2014
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「はっ」 信虎の顔が厳しく引き締まってみえる。 

 源四郎がさがり、足軽が孫子の御旗を諏訪法性の御旗の横に立てかけた。

 紺色の布地に「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」武田家の軍法どおりの

孫子の文言が金粉で描かれた、一丈二尺余の大旌旗(せいき)、有名な風林火山

の旗である。二流の御旗は常に武田勢の戦陣の先頭に翻っていたのだ。

 一座の武将連に血の滾(たぎ)りが沸き起こった、この気持ちは武田家の将兵

にしか判らない。行事が済み一座に酒肴が振舞われた、一同は日頃の鬱積した

気持ちを和らげ痛飲している。

 晴信と信繁は言葉少なく杯を干している。

 信虎は大杯を傾けすでに酔いが廻っているようだが、上機嫌である。

「源四郎、そちは何才となった?」  

 信虎の声に一座の者が注目した。

「御屋形さま、源四郎は今年で十四才となりました」  

 大人げな声に変わった源四郎が素早く答えた。

「もう、小姓の勤めは終りじゃな」


 大杯をもった信虎が小姓の源四郎に視線を這わせている。

「源四郎も戦(いくさ)に出たく存じます」

 源四郎が眼を輝かせ主人を仰ぎ見ている。

「そうか合戦に出たいか?・・・・飯富兵部」

「はっ」

 飯富兵部の逞しい体躯が、晴信の傍らに控えている。

「源四郎を元服させよ、わしが烏帽子(えぼし)親となろう」

「これは嬉しきお言葉に御座いますが、我家には倅が居ります」

 飯富兵部が困惑顔をしている。

「山県家には男子が居らぬ、娘は十一才の筈じゃ。見目麗しいと聞き及ぶ、

その娘を嫁にいたし山県家の跡目を継ぐのじゃ」

「これは」  

 飯富兵部が驚嘆の声をあげた、兵部が驚くのも無理はない。山県家は武田家

重鎮の家柄である。

 この飯富兵部は少輔虎昌と名乗り、甲斐源氏の末裔であった。一時期は信虎

に反抗したが、降参して臣従したのだ。

 武田軍団のなかに旗指物、旌旗、鐙など馬具も朱色に統一し、武者の甲冑、

具足、刀の鞘、鑓、弓矢、袋物まで朱一色に塗りつぶした一団があった。

 これを甲軍の赤備えと称され勇名を馳せた。この赤備えを編成した武将が、

飯富兵部少輔虎昌であり、彼の豪勇を称え甲軍の猛虎と敵に言わしめたのだ。

「源四郎、そちは今より山県三郎兵衛と名乗れ、先方にはわしから申しおく」

「御屋形さま、我等からも御礼申し上げます」  

 板垣信方の厳つい顔を綻ばし礼を述べた。

 ここに一人の猛将が誕生したのだ。

「山県三郎兵衛、・・・源四郎、そちじゃ」 

「はっ。・・・はい」

「今より晴信がもとに仕えよ。晴信も良いの」

 晴信が無言で低頭した。この山県三郎兵衛は後に信玄股肱の猛将として天下に

名を轟かす武将となるのであった。

 田植えの終った五月、信虎、晴信は八千名の精兵を率い佐久郡へと進攻した。

 一日に三十六の支城を瞬く間に陥とし同郡一帯を占拠し、懸案の海ノ口城をも

陥とした。これは武田家の長年の悲願であった。

 これを機に信虎は、娘のねねを諏訪頼重に嫁がせるべく諏訪に使者を遣わした。

 諏訪家は快諾しここに武田家の縁戚となり、今後の武田家の標的は北信濃全土

となった。

 信虎は晴信に命じ、海ノ口郡の問屋に朱印状をもって伝馬定書を与え、伝馬制度

の施行をさせた。これは物資補給路確保のための制度であり、伝馬手形を与えられた

者だけが、宿場常設と人馬の使用を許される制度であった。

 信虎にはこうした国内治世の才能にも優れた手腕をみせたのだ。

 晴信は海ノ口郡の問屋の津金屋にこれを許した。これにより武田家の軍需物資の

搬送は津金屋が一手に行う事となった。

 この佐久郡占拠で武田家は国境を越え、信濃にくさびを打ち込んだことになる。

 こうした処置を終え、信虎は千曲川沿いに軍を返し、甲信国境の難所平沢峠を

越え古府中の躑躅ケ崎館にもどった。

 翌年の四月の末に信虎は板垣信方はじめ甘利虎泰、原虎胤の三名の重臣を主殿

に呼び寄せた。  

「御屋形さま、何事にございます」

 板垣信方が、いぶかしげに魁偉な容貌の信虎を見あげた。

「五月の吉日に信濃に軍を入れる」

「差し迫った事態でも起こりましたか」

「信方、重臣筆頭のそちも知らぬとは怠慢じゃ」 

 信虎の眼が細まった。

「一向に拙者には判りかねます」 

「村上義清(よしきよ)が蠢きだした」

「なんとー」  

 三人の重臣が顔を引き締めた。

「義清の命で滋野一族が兵を集めておるとの知らせが参ったのじゃ」

「滋野一族が動きだしたと申されますか?」

「背後には信濃守護の小笠原長時(ながとき)が糸を引いておるよぅじゃ」

「御屋形さま、前年に兵を出し、今年も戦するは無謀にございます。海ノ口城に

は横田高松、萩原昌勝の両将と三千名の兵が籠っておりまする」

 甘利虎泰が反対を唱えた、これ以上の出兵は領民の疲弊を招く。


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Last updated  Apr 7, 2014 09:34:13 AM
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