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Jan 11, 2015
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        (信玄、駿河今川攻めを決意す)

 将軍に反抗する一味が堂々と反旗を翻し、将軍を殺害する世の中の

動きを知りながら、勘助は小十郎を伴い岐阜に足を踏み入れていた。

 城下は喧噪につつまれ、至る所で工事が行われている。新な道普請や

武家屋敷が新築され、岐阜城には新しい居館の工事も進められている。

「小十郎、そちは信長という人物をどのように思う?」  

 勘助が工事現場の傍に佇み、職人達の動きを眼でおって訊ねた。

「わしには判りませぬが、この繁盛は只ならぬことですな」

 小十郎の眼からみても、この町の様子は異様な光景と映っているようだ。

「古来から天下を制するには、美濃を制せよと言われておる。信長はこの

岐阜に拠点を置く積りじゃな」  

 勘助は信長の野望を、岐阜の町の変貌と空気で見抜いたようだ。

 美濃からは京は近い、織田家は尾張からこの岐阜に移り住むだろう。

 それで天下を望む信長の野望がありありと判る。

 これらの情況は逐一、信玄の許に知らされていた。

 信虎が信長には得体の知れぬ臭いがあると言っていたが、事実と確信できた。

「信長に先を越される」  

 勘助の脳裡にこのことが過ぎった。

 考えてみれば織田家は永禄七年に北近江の浅井長政と同盟を結び、その際、

信長は妹のお市を輿入れさせた。

 一方では信長は永禄八年に一介の牢人であった、滝川一益を大将に抜擢し、

伊勢地方に進出し当地の諸豪族(北勢四十八家)と激戦を繰り返している。

 信長の戦略は顕かに天下制覇の野望が見えるが、勘助の恐れは信長の

人材登用の妙であった。

 百姓から成りあがった木下藤吉郎もその例であった。

 話が飛ぶが、三河の松平家康は永禄九年十二月に、信長の斡旋で勅許を得て

松平から徳川家と改めた。これにより正式に徳川家康を名乗ることになる。

 この意味は今川家からの離脱を宣言したもので、家康は本格的に三河遠江の

地に触手を伸ばすことに成る。

 こうして永禄十年が暮れ新年を迎えたのだ。

 古府中の躑躅ケ崎館に、甲斐、信濃、西上野の諸豪族の主が続々と年賀の

祝いに訪れて来た。


 信玄は一人ひとり謁見し、魁偉な眼を細めて言葉を与えている。

 この新年の式典を甲斐の領民達は驚きの目でみていた。

 それらの式典が終り信玄は股肱の重臣を集め、年賀の祝宴を行った。

 主殿には宿老や若き時より苦労を分かちあった者達が一堂に介していた。

「御屋形さま、我が武田家も大きうなりましたな。こうして各地の豪族達が

恭順の意をもって年賀に訪れ、祝着に存じます」

 馬場美濃守信春が一同を代表して祝辞を述べた。

「武田に恭順いたした豪族は二百三十八名となった。これは昨年の起請文

で判ったことじゃ、じゃが浮かれてはならぬ」

 信玄の魁偉な巨眼が炯々と輝きを増し、馬場美濃守信春に注がれた。

「余は各地に忍びを放っておる。尾張の織田信長は美濃を制し、岐阜城を改築

いたしておると聞く。一方、岡崎の徳川家康は三河一円を平定いたし、遠江を

侵略せんといたしておる。余は年内に駿河を平定することに決めた」

 信玄がはじめて明確に駿河攻めを宣言したのだ。  

「おおっー」 

 一座の武将連から喜びの雄叫びがあがった。

 そんな武将の姿を見た信玄が手で制した。

「我が武田家の力が弱まれば、起請文なんぞただの紙切れじゃ。驕るでない。

余の目的は上洛にある。併し長年に渡る越後勢との戦いで西上おぼつかない

情勢であった。だが西上野が安泰となったこの時期、駿河平定を成し遂げたい」

 信玄が神妙な口調で述べた、些かも驕りがみえない。

「塩どめをいたした報復じゃ」  

 武田四郎勝頼が満座の中で声を強め叫んだ。

 彼も今年で二十二才となり、猛々しい猛将に育っていた。

「勝頼、合戦は報復で為すものではない。合戦で家臣、領民達を苦しめる事は

悲しきものじゃ。合戦は心して為さねばならぬ、浮かれるな」

 そう勝頼に忠告を与えた信玄の胸裡に、切腹した義信の顔かよぎった。

「ですが父上、塩どめで領民は苦しんでおります。この山国にとり漬物でも

塩は必要にございます」  

 勝頼の言葉に信玄の顔色が変わった。

「愚か者め、合戦ともなれば勝たねばならぬ。その為に犠牲の少ない策を練る、

これが武将としての努めじゃ。そちにそのような思案があるか?」

「・・・-」  

 勝頼が不満顔で口を閉ざした。

「まずは越後勢の力を削がねばならぬ。そのために余は石山本願寺と軍事同盟

を結んだ。輝虎が信濃を窺がえば、越中の門徒衆が決起いたす。さらに関東で

も北条氏政殿が軍勢を動かす。それだけでは心許なく本庄繁長と手を結んだ」

「御屋形さま、真にございますか?」

 真田幸隆が仰天して訊ねた。

 そも本庄繁長とは如何なる人物か、天文八年、越後の豪族の本庄房長の子

として誕生。幼名は千代猪丸と言う。

 彼は初め上杉輝虎と対決していたが、永禄元年に輝虎の家臣となり、

川中島合戦や関東攻めなど、輝虎に従って各地を転戦し、武功を挙げた。

 併し本庄家等越後北部の領主達は揚北衆と呼ばれ、守護や守護代としばしば

対立し、自立の傾向が強かった。永禄十一年に輝虎の命を受け長尾藤景、景治

兄弟を謀殺したが、これに対しての恩賞がなかったことに不満を持った繁長は、

信玄の要請に応じ、上杉氏からの独立を目論み、尾浦城主で大宝寺家の当主、

大宝寺義増と結んで上杉家に対する謀反を承諾したのだ。

 それだけ繁長は勇猛で聞こえた武将であり、彼は越後岩舟郡にある本庄城主で、

秘かにに戦国大名となるべく画策していた。そこを信玄が巧く調略したのだ。

 それだけ本庄繁長の武田家への恭順は心強いものであった。

「輝虎は雪解けを待って越中に兵を繰り出そう、その隙に本庄は寝返る」

「これは驚きました」  

 内藤昌豊と高坂弾正が顔を見つめあった。

「三国同盟が破綻したと申しても、甲相同盟は有効じゃ。じゃが北条勢を

全面的に信用はできぬ。その為の布石じゃ」

「参りましたな、我等には到底思いつかぬ策にござる」  

 一座の武将連がざわめいた。

「良いか、余の決心は固い。何時でも出陣できるよう準備は万端に成せ」

 主殿の大広間に信玄の声が響き渡った。


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Last updated  Jan 11, 2015 06:05:00 PM
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