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今朝の新聞で、漫画家の永島慎二氏が亡くなったことを知った。

今年の春、やはりCOM出身の岡田史子氏が亡くなったことがショックだったが、永島氏も逝ってしまうとは、、、、。
これで一つの時代が終わったのか・・・という思いがこみ上げる。

両氏とも、60年代頃に一世を風靡した漫画誌「COM」出身者だ。
「COM」とは、故手塚治虫氏が立ち上げた実験的漫画誌で、流行に流されずに漫画の可能性を追及していた。
少女漫画とか少年漫画とかのカテゴリーに入りきらない実力派の漫画家志望者の登竜門でもあった。

当時は、今と違い漫画は子どもの読み物であり、大人は漫画を読まない時代だった。
そんな時代に、大人が読んでも面白い文学性の高い漫画、実験的な漫画を追及したのが、「COM」であり、「ガロ」であった。
漫画の可能性に対して先見の明のあった手塚氏や白戸三平氏らががんばって、子どもの娯楽だけで終わらない漫画の世界を開拓しようとしていたのだ。



私は小学校に入って文字を覚えた頃から、漫画を描き始めた。
外で遊ぶより、机にへばり付いて絵を描いているほうが好きだったという変わり者の子どもだった。
小学1年頃から3年頃くらいまで、「週刊こじか」という漫画誌を作っていた。(手描き、ホチキス止め)
連載漫画が4つも5つもある立派な漫画週刊誌・・・のつもり(笑)
読者は妹ただ1人であったけど(^_^;)

ま、そんな漫画少女が「COM」を読み始めたのは小学5~6年生頃だったと思う。
当時、たぶん「ガロ」も出ていたかもしれないが、まだ私には、難しすぎた・・・。

前述の岡田史子氏は、60年代終わり頃に「COM」で新人賞をとってデビューした。
私は高校生の時に、彼女のデビュー作「ガラス玉」に大きな衝撃を受けたのだった。
自分の漫画の世界がガラリと変わってしまった。
岡田氏は当時、天才と言われていた。

いったいどこからこういう世界が生まれてきたのだろう?と、私にはとても神秘的な人だった。とにかく憧れていた。
こんな漫画を描きたいと、一生懸命難しい哲学書を読んだり(笑)、絵を真似したりした。

ただただ漫画を描くのが好きなだけだった私にとって、岡田氏の出現により、漫画はこの世の自分のまだ未知な世界を探求する道になっていったのだ。
それが、私の中で哲学的思考や宗教的な思想につながったりしたのだ。

70年代の漫画には、単なる娯楽と言うだけでなく、何か違うパワーがあったと思う。

少年マガジンを読むのは、当時のインテリ社会派少年少女たちの流行だったのだ。
どんな文学よりも漫画が、私たちの魂に大きな影響を与えてくれた。

この時代、漫画は限りなく文学に近かったのではないだろうか?

しかし、70年に入ると「COM」は休刊となり、廃刊となった。
残る前衛漫画誌は「ガロ」だけになり、永島慎二氏もガロ誌に作品を掲載していたように記憶している。

永島氏は東京・中央線の阿佐ヶ谷駅近辺に住んでいた。
阿佐ヶ谷は、ガロの漫画家の溜まり場で、私の憧れの街でもあった。
氏の漫画に出てくる喫茶店「ポエム」には、毎日のように彼の周辺にいる漫画家たちがたむろしていた。
私は18歳の時、そんな「ポエム」でアルバイトをすることになった。
もちろん、憧れの漫画家たちにじかにお逢いしたいという不純な動機からである(笑)
期待通り、来る来る。
毎日のように、夢にまで見た憧れの漫画家たちがやってきて、コーヒーを飲みながらいろんな話をしていた。
私にとっては、最高の文化的空間だった。

さて、当時私は親に内緒で(爆)、一つ年上の彼氏と同居していた。
流行りの「同棲時代」である・・・同世代の人はわかるよね?
「神田川」の世界と言った方がわかりやすいか?
まぁ、風呂屋で先に出て、寒さにふるえながら待っていたのは彼氏のほうだったけどね・・・ハハハ(*^∀^*)

まあ、そんなロマンチックな同棲時代を過ごしていた。
この頃の私は、すべてが夢の中の世界のような生活だったと思う。

話はそれてしまったが、永島慎二といえば、私にとっては阿佐ヶ谷の街と同棲時代の思い出が重なるのだ。

今、オタクというと何かネクラなイメージがあるけど、若い頃の私もまさにそのオタク世界の人種だったに違いない。
しかし、今で言うオタクとはちょっとニュアンスが違うように思う。
それは、今のように家にこもっているオタクではなく、世界に出ていろんな物を見て聞いて、体験したいとう気持ちが行動にもなって現れていた。
ただ、興味の対象が、ちょっと普通の若者とは違う傾向だったというだけ。

永島慎二はともかく、岡田史子なんて読んでいた高校生はいったいどれくらいいたのかな?と思ってしまう。。。。
ここのブログで岡田史子を知ってる人っていますか?

どうも、周囲の高校生たちとは方向性が違う自分を、私は「オタク」「変人」と位置づけていたんだけど、家にはこもっていなかったな。
毎日、終電まで遊んでました・・・・ダメじゃん(^_^;)

話がまたまたそれてきた。。。。

岡田史子氏の逝去で、私は一つの時代の終わりを予感した。
それが永島慎二氏の死によって決定付けられたように思う。

一つの時代の終焉・・・・いったい何が終わったのか?

それは、、、、、、、、、、、、

人が生身の身体で、人間を人間としてとらえることを試みてきた人々の時代の終わりかもしれない。

これからの時代は、人は生身の肉体を忘れ去り、脳の中でバーチャルな世界を構築し、そこに住まうようになるのだろう。

だから、これからは普通の感覚では信じられないような出来事が平気で起こるかもしれない。
そんな時代に、果たしてついていけるだろうか?



















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Last updated  2005.07.06 18:09:52
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