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小倉山の麓にある天台宗の寺院。正式名称は「小倉山二尊教院華台寺」。山号は小倉山。木造釈迦如来立像、阿弥陀如来立像は国指定重要文化財に指定されている。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来。極楽往生を目指す人を此岸から送る発遣の釈迦と、彼岸へと迎える来迎の弥陀の二尊。2つの如来像を祀ることから二尊院と呼ばれている。承和年間に嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師こと円仁によって建立されたのが始まり。鎌倉時代初期に法然上人が二尊院に住んで法を説き、九条兼実を筆頭に多くの信望を集めて栄えた。第3世湛空上人は土御門天皇と後嵯峨天皇の戒師となり、更に第4世叡空上人は後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇、伏見天皇の四帝の戒師となり大いに栄えた。応仁の乱の兵火で諸堂が全焼したが、1521年(永和18年)に三条西実隆が寄付を集めて本堂、唐門が再建された。明治時代に入るまでは天台宗、真言宗、律宗、浄土宗の四宗兼学の道場となっていたが、明治時代以降は天台宗に属している。2016年(平成28年)に平成の大改修が行われ、本堂が再建されて現在に至る。拝観料は大人(中学生以上)600円、小人(小学生以下)は無料(団体割引有)。総門。市指定有形文化財に指定されている。1618年(慶長13年)に伏見城にあった薬医門を角倉了以が移築、寄進したもの。室町時代の建築。2014年(平成26年)に瓦葺き工事が行われている。四季庵。総門をくぐってすぐのところにある甘味処。小倉餡のぜんざい、八ツ橋、抹茶がいただける。紅葉の馬場。四季折々の彩りが広がる参道。途中からは緩やかな石段となっている。両脇には桜とモミジが交互に植えられていて、春は桜が華やかに染まり、秋は赤と黄が色鮮やかな紅葉景色が大変美しい。11月中旬に訪れたときはおよそ半分ほどのモミジの木が綺麗に紅葉していた。黒門。勅使門(唐門)。1521年(永正18年)に再建されたもの。本堂へと続く門で、かつては天皇の意志を伝達するために派遣された勅使だけが通れる門だった。唐破風形の屋根が特徴。天皇皇后両陛下行幸記念樹。のきばの松。本堂。市指定有形文化財に指定されている。1521年(永正18年)に再建されたもの。本尊である釈迦如来、阿弥陀如来を安置する。二尊院と書かれた勅額は後奈良天皇の宸筆。2016年(平成28年)に平成の大改修が行われた。御園亭。後水尾天皇の第6皇女、賀子内親王の御化粧之間が二条家に移され、その後二尊院に移築された。現在は茶室として用いられている。庭園。手水鉢。綺麗な花手水が作られていた。弁天堂。弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神を祀る。弁財天の他に大日如来、不動明王、毘沙門天などを安置する。しあわせの鐘(鐘楼)。慶長年間に建立。1992年(平成4年)に開基嵯峨天皇千二百年後遠忌法要記念として梵鐘が新たに鋳造された。幸せへの祈願、生きとし生けるものへの感謝、世界人類の幸せを祈願して鐘を3回撞く。二尊院普賢象桜。二尊院の境内にある希少な桜。鷹司家の下賜。花弁の数は200~230枚で、淡い紅色の花を咲かせる。4月中旬から下旬にかけて開花し、5月まで花を咲かせていることから日本で一番遅咲きの桜とも言われている。角倉了以像。角倉了以は戦国時代から江戸時代初期にかけての豪商。徳川家康の政策の下で、朱印船貿易の開始以来13年間にわたる安南国との貿易で財を成した。その私財を投じて保津川を開削し、保津川下りの起源を作ったとも言われる。他にも高瀬川の開削、富士川、天竜川、鴨川の整備を行い「水運の父」と呼ばれるようになった。銅像は木製の犂を持っている。法然上人廟。市指定有形文化財に指定されている。第3世湛空上人の碑を収めている。碑は1253年(建長5年)に中国の石工によって彫られたと言われている。碑堂は室町時代末期の建築。吉田光由の墓。吉田光由は角倉了以の一族で、和算の書「塵劫記」の著者として知られる。二尊院は角倉一族の菩提寺で、この場所が光由の眠る場所であると推定されている。三帝陵。土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する。伊藤仁斎の墓。伊藤仁斎は江戸時代前期の儒学者、思想家。朱子学に異を唱え、古義学を提唱したことで知られる。「論語」を最上至極宇宙第一の書と称し、生涯をかけてその真意を追求した。同じく儒学者で長男の伊藤東涯も同じ墓所に眠っている。富田渓仙の墓。富田渓仙は明治後期から昭和初期にかけて活躍した日本画家。狩野派を学んだ後、京都で四条派に学び、更には仏教、儒教、キリスト教、古典を学び独自の作風を確立した。1936年(昭和11年)に57歳で亡くなった。阪東妻三郎、田村高広の墓。時代劇六大スタアと呼ばれた俳優の1人で、阪東妻三郎プロダクションを設立し京都市右京区太秦に撮影所を建設した阪東妻三郎と、同じく俳優で息子の田村高広が共に眠る。八社宮。市指定有形文化財に指定されている。 伊勢神宮、松尾大社、愛宕神社、石清水八幡宮、熱田神宮、日吉神社、八坂神社、北野天満宮を祀る。境内の東北、表鬼門となっている社。室町時代末期の建築。小倉餡発祥之地の碑。二尊院の山号でもある小倉山は、小倉餡の名前の由来と言われている。日本で初めて小豆と砂糖で小倉餡が炊かれたのは820年(弘仁11年)。当時この小倉の里に和三郎という菓子職人がおり、弘法大師が中国から持ち帰った小豆を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加えて煮詰めたことで小倉餡が誕生。その後の和三郎の努力により、小豆が広く栽培され小倉餡は全国的に広まった。井筒八ッ橋本舗が創業200年を記念し、2005年(平成17年)にこの碑を建立した。和泉明神社。御祭神は弘法大師、和泉和三郎命。小豆を中国より持ち帰った弘法大師、小倉餡を作った和泉和三郎を祀る。小倉餡発祥之地の碑のすぐ隣に鎮座している。木樋。江戸時代中期に角倉了以が依頼を受け、元和年間に吉田光長、吉田光由兄弟が完成させた菖蒲谷隧道から出土したもの。2012年(平成24年)に発見され、一部が境内に展示されている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.09.28
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読みは「のこのしま」。博多湾の中央に浮かぶ島(有人島)。面積は3.95㎢、周囲は12km。人口は約640人。ひょうたん形の島で、山地形で平地が少なく最高標高は190m。福岡市営渡船の姪浜旅客待合所からフェリーで約10分で行けるようになっている。福岡市から手軽に行けるリゾート島として知られる。北部には花の名所として有名な「のこのしまアイランドパーク」があり春は菜の花、夏はアジサイやひまわり、秋はコスモスと、一年を通して様々な花が園内を綺麗に彩る。能古島キャンプ村・海水浴場もあり、食事処やレストラン、カフェも点在する。島の歴史にまつわるスポットもあり、多くの見どころがある。渡船所からアイランドパークまではバスが運行しており、レンタサイクルもあり。古くから存在が知られていた島で、平安時代の731年(天平3年)に書かれた史料においても「能護嶋」の名前で登場している。筑前国続風土記においては神功皇后が三韓征伐から帰還した際に、島に神霊を残し留めて降伏を祈ったことから「残の島」と呼んだという記述がある。奈良時代には島に防人が置かれ、万葉集にも詠われている。中世には外国勢力の上陸があったことが記録に残っており、1281年(弘安4年)の弘安の役では元寇が上陸している。江戸時代には福岡藩(黒田藩)の鹿の狩場となり、残島浦として筑前五ヶ浦廻船の拠点の一つとなり栄えた。1941年(昭和16年)に福岡市と合併した時に、現在の「能古島」の名になった。姪浜旅客待合所。ここからフェリーに乗って能古島に。能古島の他に志賀島、玄海島行きの便もある。待合所の近くからも、目視で能古島が見える。真ん中の島が能古島で、左奥に見えるのが玄海島、右に見えるのが志賀島。フェリーに乗って能古島へ。所要時間は片道で約10分。能古島へ到着。渡船所近くの漁港。永福寺。曹洞宗の寺院。古くは博多区にある承天寺の末寺で、神宮寺と呼ばれていた。創建の年月は不明だが、1602年(慶長7年)の検地帳に載っていることからそれ以前に創建されたと考えられている。明治維新後の神仏分離によって近くにあった養油軒と合併し、寺号を現在の永福寺に改称した。境内には、多々羅義雄の歌碑や二八観音などがある。地元出身の洋画家である多々羅義雄氏の歌碑。"産砂は 伊筑紫くに 能古ヶ島 夕陽の灘をば 何と拝まむ"と記されている。二八観音。1946年(昭和21年)に海上で能古渡船が転覆し遭難、その時船に乗っていた28人が犠牲となった。この観音像はその犠牲者の霊を弔うために建立されたもので、28人の犠牲者に因んで二八観音と名付けられた。能古渡船転覆遭難事故の慰霊碑。能古焼古窯跡。能古博物館の近くにある。1764年(明和元年)から1788年(天明8年)にかけて、当地で有田焼・高取焼系の陶磁器を作るために使われていた窯。本体の長さは22m、最大幅5.28m。焚口部と焼成部7室の合計8室構造の連房式登窯。江戸時代中期に使われ、有田焼系と高取焼系の陶器を焼いた窯は非常に珍しいといい、この窯跡は市で唯一残された古窯跡で、保存状態も非常に良いものとなっている。能許万葉歌碑。"風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(訳)"と記されている。能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、遣新羅使が能許の泊で風待ちをしている時の光景を詠んだもの。能古博物館。能古島の歴史・民俗資料や儒学の筑前亀井学資料、能古島出身の画家である多々羅義雄の作品が展示されている。金、土、日曜日と祝日のみ開館(5月と10月は全日開館)。入館料は大人400円、高校生以下は無料。白鬚神社。御祭神は住吉大神(スミヨシノオオカミ)、神功皇后、志賀明神など。能古島の産土神として崇敬されている。神功皇后が島に住吉の神霊を残し留めたことから「残の島」と呼んだという伝えがあり、その神霊を留めたのが白鬚神社だと言われている。境内には1689年(元禄2年)に寄進された石鳥居や、若者が力試しをした力石などが見られる。毎年10月9日に行われるおくんち行事は、市の無形文化財に指定されている。壇一雄歌碑。能古島は直木賞を受賞した小説家の壇一雄が晩年を過ごした場所としても知られている。旧宅跡には歌碑が建てられており"つくづくと 櫨の葉朱く 染みゆけど 下照る妹の 有りと云はなく"と妻であった律子の死を悼んで詠んだ歌が刻まれている。北浦城跡。島の東端にある城跡で、藤原純友の家臣である伊賀寿太郎もしくは山上憶良が築城したと伝えられる。平安時代の築城と考えられており、幅4.8m、深さ4.5m、長さ23mの堀が確認されているそうだが、遺構の見学はできないようになっている。能古島展望台。島の中央、山頂195mの場所にある展望台で、福岡市の街や玄界灘に浮かぶ島々を一望できる。福岡県福岡市 『能古島②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.12
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日本神話の中で天照大神(アマテラスオオミカミ)様がお隠れになられた聖地、天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体とする神社。天岩戸神話の舞台となった場所としても知られる。御祭神は天照大神(別名は"大日孁尊")。また、御旅所に天鈿女命(アメノウズメノミコト)や手力男神(タヂカラオノカミ)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)など7柱の神が祀られている。ここから徒歩10分程度の場所に天照大神様がお隠れになった際、八百万の神々が集まって話し合いをしたと伝わる"天安河原"がある。西本宮鳥居。すぐ近くに天照大神像がある。祓所。西本宮拝殿。天岩戸そのものを御神体としているため、御神体を納める本殿がなく、拝殿のみの造りとなっている。背後には天岩戸を拝観するための「遥拝所」があり、社務所に申し込むと神職の案内付きで拝むことができる。古代銀杏の木。長野県諏訪と2ヵ所しかないといわれている銀杏。特異な形をした葉と実を持つ。この反対側に天岩戸神社の御神木である招霊(おがたま)の木があるのだが、写真を撮り忘れてしまった。なんてこった。神楽殿。
2020.05.16
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読みは「くしふるじんじゃ」。元々は天孫降臨が行われたと伝えられる槵觸山を御神体としており、本殿を持っていなかった。元禄7年(1694年)に社殿が建立され、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)をはじめ降臨に随行された神々が祀られている。御祭神は主祭神に瓊瓊杵尊を祀り、相殿に天児屋命(アメノコヤネノミコト)、布都怒志命(フツヌシノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト)、建御雷命(タケミカヅチノミコト)を祀る。諸願成就の御利益があり、天児屋命と布刀玉命は歌の神、布都怒志命と建御雷命は武道の神として知られている。槵觸神社の正面鳥居。ここから参道を通り、少し急勾配の階段を上って拝殿へ。木々に囲まれた参道は不思議なパワーを感じられた。拝殿。立派な龍の彫刻が彫られている。
2020.06.01
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天真名井の読みは「あまのまない」。槵觸神社から歩いて5分程度、神代川のほとりにある。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨した際、この地に水がなかったため天村雲命(アメノムラクモノミコト)が再び高天原に上がられ、この場所に水を移したと伝えられる。水は御神水として信仰されている。大ケヤキの木。樹齢1300年、幹周680cmの巨木。この木の根元で水が湧いている。天真名井の湧き水。ここで湧き出た水が地下を通り、やがて高千穂峡へとたどり着き玉垂の滝となって落ちるという。「夜泣き石」天真名井のすぐそばにある大きな石で、古くは神代川の清流にあったとされる。伝説によれば瓊瓊杵尊の子供を宿した木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)が、あまりの難産にこの石に抱きついてお産をされたと言われている。また、夜泣きの激しい赤ん坊はこの石に触ると泣き止むとも言われている。
2020.06.02
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読みは「あまのやすかわら」。天岩戸神社 西本宮から岩戸川に沿って徒歩10分程度の場所にある。天照大神(アマテラスオオミカミ)様が天岩戸にお隠れになった際、八百万の神々が集まり、いかにして御出ましいただくか神議されたと伝えられる場所。河原の一角にある仰慕窟(ぎょうぼいわや)と呼ばれる洞窟に天安河原宮がある。御祭神は思兼神(オモイカネノカミ)と、そして八百万の神。天安河原宮までの参道で見られる岩戸川清流。仰慕窟。間口40m、奥行30mの大洞窟。ここに天安河原宮がある。辺りには参拝者が願いを込めて詰んだ石積が多数見られる。八百万の神が祀られているというだけあって、神聖な雰囲気を感じられた。
2020.05.18
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高千穂郷八十八社の総社。創建は約1900年前の垂仁天皇の時代で、古くは「十社宮大明神」あるいは「十社宮」と称され、明治4年(1895年)に「三田井神社」に改称、さらに24年後に現在の「高千穂神社」に改称された。御祭神は高千穂皇神と十社大明神。御利益は縁結び、夫婦円満、諸願成就、農産業、厄祓。高千穂皇神とは、日向三代と呼ばれる皇祖神とその配偶神の総称で、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)と玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)の6柱の神のこと。十社大明神とは、神武天皇の兄である三毛入野命(ミケイリノノミコト)とその妻子9柱の神の総称。つまり、合わせて16柱の神が鎮座している。毎晩神楽殿で"高千穂神楽"が行われており、神社の観光名物となっている。高千穂神社の立派な鳥居。くぐった先は神聖な雰囲気が立ち込め、違う世界に来たような気分になる。社殿。現在の社殿は1778年に再建されたもの。国の重要文化財に指定されている。横から見た社殿。分かりにくいが、写真の右側、社殿東側の脇障子に高千穂を荒らしまわった悪神の"鬼八"を退治する三毛入野命の神像がある。ちなみに高千穂峡にはこの鬼八が投げたと伝えられる鬼八の力石がある。夫婦杉。2本の杉の幹が繋がった巨樹で、この杉の周りを恋人、夫婦と手を繋いで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄の3つの願いが叶うと言われている。秩父杉。高千穂神社の御神木。樹齢800年の巨樹。神楽殿。ここで毎日午後8時から9時の間に"高千穂神楽"が行われている。行った当時はコロナが流行し始めた時期で、まだ神楽は行われていたものの、感染を防ぐため観るのは控えた。後に機会があれば観に行ってみたい。
2020.06.04
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五ヶ瀬川にかかる峡谷で、宮崎県の景勝地、パワースポットとして非常に有名。国の名勝、天然記念物に指定されている。高さ80~100mの断崖が約7kmにわたって続く美しい峡谷で、今から約27万年前~9万年前の4度にわたる阿蘇火山活動によって噴出した火砕流が、五ヶ瀬川沿いに流れ出し冷却固結したため柱状節理が生じ、長い年月の浸食を受けこの峡谷を作り上げたと言われている。遊歩道を歩いて雄大な峡谷美を楽しむことができ、貸しボートに乗って間近で見れる真名井の滝(日本の滝百選)や、数々の神話や伝説にまつわるスポットなどがある。高千穂峡の碑。「おのころ池(おのころ島)」池には鯉が泳いでいる。池の中央にある小さな島が、国産みの神として知られる伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の両神が最初につくり出した島と言われている"おのころ島"。「玉垂の滝」高さ5m、幅15mの滝。天真名井で湧いた水が地下を通り、断崖の岩肌から流れ落ちてこの玉垂の滝になっていると伝えられている。ここで流れ落ちた水はおのころ池を通ったあと、真名井の滝となって落ちる。「久太郎水神社」五ヶ瀬川流域の5つの瀬の水神の中心と言われている。高千穂峡では久太郎水神と名前が付けられ祀られている。「真名井の滝」高千穂峡のシンボルとも言える滝。落差は17m。日本の滝百選に選定されている。天真名井の水が流れ落ちていることからこの名前が付いた。巨大で立派な柱状節理の岩肌を持つ高千穂峡の断崖。「仙人の屏風岩」遊歩道の対岸にある高さ約70m、屏風面の巨大な断崖。「鬼八の力石」重さ約200トンの大きな石。高千穂を荒らし回り、再びこの地に帰ってきた三毛入野命(ミケノイリノノミコト)に退治されたと言われている悪神"鬼八(きはち)"が、この石を三毛入野命に投げて力自慢をしたと言われている。ちなみに高千穂神社の社殿には鬼八を退治する三毛入野命の神像がある。「高千穂三段橋」一度に3本のアーチ橋が見れる珍しいスポット。橋の名前は手前から順番に"神橋"、"高千穂大橋"、"神都高千穂大橋"。高千穂峡の散策を終えた後。御橋から見下ろした真名井の滝。
2020.06.23
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○牡蠣フライ定食牡蠣フライ、刺身、茶碗蒸し、ご飯、味噌汁糸島のカキを使った牡蠣フライ。タルタルソースでいただく。鮮度の良い5種の刺身。糸島の海鮮が食べられる海鮮料理店。メニューは新鮮な魚介を用いた種類豊富な海鮮丼をメインに、定食や一品料理もあり。元々店舗は福岡市西区にあったが、2023年(令和5年)に糸島市に移転した。注文はQRコードで読み取って行うようになっている。今回いただいた牡蠣フライ定食は糸島の海鮮をふんだんに楽しめる一品。糸島のカキを使った牡蠣フライは外はパリッとしていて、中のカキはトロっとしていて口どけがいい。自分はカキが苦手な方であるが、これはかなり美味しかった。刺身も新鮮でプリップリとしていてこれまた美味しい。糸島の海の幸に感謝。店舗の外観。移転して間もなく、店舗も新しい感じだった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.12.17
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玄界灘と響灘の境界部に浮かぶ島(有人島)。「筑前大島」と呼ばれることもある。島内に鎮座する宗像大社 中津宮と沖津宮遥拝所は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の1つとして世界遺産に登録されている。面積は7.45㎢、周囲は17km、人口は540人。横に長い島で起伏に富んだ地形をしている。神湊港から旅客船、フェリーで行けるようになっている。1日7便。神宿る島と言われる沖ノ島に最も近い島で、島の北部海沿いには沖津宮遥拝所があり、漁港近くの御嶽山麓には中津宮が鎮座している。施設や観光スポットが豊富で、島内にはホテル、旅館、民宿がいくつか点在しており、キャンプ場もある。漁港周辺には食事処やカフェもあり。観光スポットは風車展望所、大島灯台、御嶽山など。乗馬クラブ、バギーパークなどの体験スポットもある。釣りの名所でもあり、多くの釣り人が訪れている。レンタサイクル、レンタカー(要予約)あり。島内には観光路線バス「グランシマーレ」が運航している。徒歩専用のコースとして九州オルレ宗像・大島コースがあり、名所を巡りながら歩いて島をぐるりと一周することも可能となっている。日本神話において、天照大神(アマテラスオオカミ)が宗像三女神に御神勅を下し、湍津姫神(タギツヒメノカミ)がこの島を治め中津宮が鎮座したと言われている。1643年(寛永20年)に津和瀬の海岸に異国船が到来し、異国船警戒の為に遠見山山頂などに番所が設けられ、沖ノ島にも見張りが派遣されていた。1889年(明治22年)に宗像郡大島村として村政を開始。1905年(明治38年)の日本海海戦では沖合で大日本帝国海軍とロシア帝国海軍の激しい戦闘が起こり、大日本帝国海軍が勝利。犠牲になった多くのロシア兵の遺体が島へと流れ着いたという。1935年(昭和10年)に下関要塞のうちの大島砲台となり、カノン砲が4門配備された。太平洋戦争終戦後にそれらのカノン砲は撤去されたが、台座や観測台などの遺構が現在も残っている。2005年(平成17年)に宗像市へ編入合併した。2013年(平成25年)に先の日本海海戦の慰霊の為、大島砲台跡に日本海海鮮・戦死者慰霊碑が建立された。2017年(平成29年)に宗像大社 中津宮と沖津宮遥拝所が「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の1つとして世界遺産に登録された。神湊港から旅客船「しおかぜ」に乗り大島へ。所要時間は片道約25分。大島へ向かう途中で見える地島。こちらの島も神湊港から行けるようになっている。大島に到着。大島港渡船ターミナル。観光案内所と売店があり、2階は展望デッキとなっている。レンタサイクルが借りられるようになっているが数に限りがあり、1台もない場合は待ちが必要。付近には予約制のレンタカー大島もあり。宗像大社 中津宮。御祭神は湍津姫命(タギツヒメノカミ)。宗像大社の三宮の一つ。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の1つとして世界遺産に登録されている。詳しくは宗像大社 中津宮を参照。御嶽山登山口。御嶽山の標高は224mで、島内の最高峰。ここから約800mの登山道を歩き、山頂の御嶽山展望台を目指す。登山道の序盤は急勾配が続き、途中に何箇所かベンチが設けられている。木々に包まれ木漏れ日差し込む登山道。山頂を目指してひたすら登っていく。歩き続けて20分、山頂に到着。御嶽山展望台。御嶽山の山頂にあるパノラマ展望台。登山だけでなく、車でも来れるようになっている。晴れた日は地島や相島、長崎県の壱岐島、福岡本土の福岡タワーやPayPayドーム福岡が見える。展望台からは天候の条件が良いと沖ノ島も見える。訪れた時は薄ぼんやりとではあるが沖ノ島が見えた。御嶽神社。国指定史跡に指定されている。御祭神は天照大神(アマテラスオオカミ)、湍津姫命の荒魂。五穀豊穣、家内安全、入試合格の祈願に訪れる人が多い。この地に湍津姫命が降臨したと言われている。宗像大社 中津宮とは古くから深い関わりを持っており、中津宮と繋がる形で境内が形成されている。社殿の裏側からは国家祭祀の遺跡が発見されている。大島灯台。島の北西に立つ灯台。1926年(大正15年)に初点灯し、1973年(昭和48年)に自動化されている。天気が良いとここからも沖ノ島が見える。大島灯台の手前左手に三浦洞窟までの道が伸びている。木々のトンネルをくぐって海岸に出て、そこから海沿いを歩いて三浦洞窟へ。三浦洞窟。海岸沿いに空いている高さ5m、奥行き6mの浅い洞窟。1643年(寛永20年)にヨハンというキリスト教の神父がこの島に流れ着き、この洞窟に隠れ住んでいたと言われている。キリスト教にまつわるものが見れると思いきや…洞窟内には何故か仏像や地蔵が安置されている。馬蹄岩。海岸沿いにある白色の巨岩。沖ノ島の沖津宮に祀られている田心姫神(タキリヒメノカミ)が馬に乗ってこの岩から沖ノ島へ飛び渡ったと言われ、岩の凹みはその時にできた馬の足跡と伝えられている。ハマヒサカキの群生。ハマヒサカキは海岸に生える常緑低木。県内では玄界灘から周防灘までの海岸に分布していて、大島では大島灯台の岬の斜面に群生している。岬から見た海岸の景色。福岡県宗像市 『大島②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.09.28
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天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の道案内をしたと伝えられる猿田彦命(サルタヒコノミコト)と、天岩戸神話で岩戸の前で面白可笑しく踊って天照大神(アマテラスオオミカミ)に岩戸を開かせたと伝えられる天鈿女命(アメノウズメノミコト)が、結婚して住まれた地とされる。御祭神は猿田彦命と天鈿女命の二柱の神。御利益は夫婦円満、縁結び、所願成就。また、猿田彦命は交通安全、教育の神として、天鈿女命は歌や舞、芸能の神として知られている。荒立神社の鳥居。拝殿。猿田彦命と天鈿女命が結婚した際に、切り出したばかりの荒木を利用し、急いで宮居を造ったと言われている。よって、荒立神社と名付けられた。高千穂の神社の中では小さめのお社であるものの、7つの御利益があり、芸能の神が祀られているため多くの芸能人が訪れる名スポットになっているという。
2020.05.31
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福岡県福岡市 『志賀島① 志賀海神社、二見岩、蒙古軍供養塔』の続き。「金印公園」紀元57年に後漢の光武帝が奴国の王に与えたとされる「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と記された金印が、天明4年(1784年)にこの付近で発見されたことを記念した公園。金印は甚兵衛という名の百姓が水田の修理中に偶然発見したそう。博多湾を展望できる展望広場には金印のレプリカが置かれている。金印公園・交流広場。歌碑が二つ置かれている。「潮見公園展望台」潮見公園は志賀島で最も高い場所に位置する公園で、展望台からは360°の景色が見れるようになっている。駐車場から展望台に向かう途中に謎のオブジェが置かれている。これは何だろう…?展望台から見た海の中道。遠くには福岡タワーと福岡PayPayドームも見える。展望台から見た夕景。展望台から見た夜景。にほんブログ村
2021.04.04
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市内の住宅地にある茶室と日本庭園のある公園。かつて福岡県を代表する百貨店だった福岡玉屋の創業者、田中丸善八の邸宅「松風荘」の敷地を再整備して造られた公園。園内には京都の数寄屋大工が1952年(昭和27年)に建てた広間や、園名の由来となった茶室「松風庵」が当時の姿で残っている。この茶室と広間に和室が加わり、庭園には杉苔の露地、四阿、腰掛待合、つくばい、石灯籠が配置され、風流を感じさせるものになっている。春は庭園にツツジの花が咲き、園内の中心にはシンボルである樹齢100年以上のイロハモミジの木があり、夏は新緑、秋は紅葉が大変美しい。入園料は大人100円、小人50円(団体割引有)。松風園入り口。モミジが真っ赤に色付いていた。階段を登った先に庭園が広がっている。待合。廊下。立つくばいがある。椿の間・楓の間。どちらも8畳の和室で、炉がある。隣りあわせとなっており、襖を外すと大広間としても活用できる。椿の間の方に水屋があり、水屋と和室との間の壁は取り外しができるようになっている。外には茶庭が広がっており、四季折々で変化する庭を眺めながらくつろげるようになっている。広間。10畳の広さを持つ広々とした和室。外にはイロハモミジが見える。外から見た広間。松風庵。松風園の名前の由来であり、この地に邸宅を構えていた田中丸家が愛用していた茶室。当時の状態のまま保存されている。京都から数寄屋師や資材を集めて造られた本格的な茶室で、障子を開けると茶庭が眺められるようになっている。茶庭から見た松風庵。茶庭。赤く色づいたモミジの葉が落葉し、苔の生した晩秋の庭園を美しく彩っていた。腰掛待合。野点広場。庭園は駿河湾と富士山をイメージしたもの。中心にシンボルである樹齢100年以上のイロハモミジの木が枝を大きく広げている。訪れた時はモミジの木がものの見事に綺麗に色付いていた。いろんな角度から見た、モミジの木。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.26
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長崎県の東南部、多良岳県立自然公園の標高200~400mの間に位置する峡谷。多良岳を水源とする"轟渓流"が流れており、「轟の滝」をはじめとした大小30余りの滝を連ねる。また、カジカガエル、サワガニ、ヤマメなど多くの動植物が生息する自然の宝庫としても知られている。轟渓流は名水百選、轟の森林は水源の森百選、多良岳は日本の自然百選にそれぞれ指定されている。夏は涼を求めて多くの人が訪れ、秋は紅葉の名所として知られている。轟峡入り口。名水百選の碑。観光案内所の近くにある泉。名水百選の清水が絶え間なく湧いている。第一駐車場の近くの階段を下っていくと轟の滝がある。「轟の滝」大きな滝壺を持つ、轟峡を代表する滝。落差は12m。滝と対面する位置にある"耳鳴り岩"。足元の黄色い印が付けられた場所に立つと、岩のくぼみに滝から流れ落ちる水の音が反響して、迫力のある滝の音が聞こえる。言い換えれば「天然のステレオ」といったところか。轟の滝の大きな滝壺。綺麗なエメラルドグリーンで水の透明度が高い。「潜龍の滝」轟の滝へ渡る橋の下にある滝。落差は低めだが流れ落ちる水量が多く、大きな音を鳴らしながら水が流れ落ちる。長崎県諫早市 『轟峡② 楊柳の滝、轟渓流、大龍の滝』へ続く
2020.07.06
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別府温泉の温泉地の一つ、明礬(みょうばん)温泉にある小さな地獄。岡本屋売店のすぐそば、高台に位置する明礬温泉の中でもさらに少し高い場所にある。噴気が上がる一帯に遊歩道が整備されており、硫黄の匂いが立ち込める地獄を気軽に散策できる。中には別府名物である天然の入浴剤「湯の花」を育てている小屋があり、内部を見学できるようになっている他、地獄から湧き出した温泉を利用した足湯もある。1666年(寛文6年)に日本で初めて明礬を採取し始めた場所とも言われており、明治時代になってからは岡本屋の祖が湯の花の製造を始め、現在も続けられているという。入場料は200円。岡本屋売店。別府名物が食べられる食堂。数多いメニューの中でも、温泉の蒸気で蒸して作った「地獄蒸しプリン」は絶品。明礬地獄入り口。たまに管理人がいないことがあり、その場合は岡本屋売店で入場料を払う。入り口のすぐ右手にある湯の花小屋。茅葺屋根の小屋で、ここだけでなく明礬温泉の各地で見られる。中では別府のお土産の一つで天然の入浴剤とも言われている「湯の花」を育てている。湯の花小屋を出てすぐ左手にある足湯。明礬温泉特有の硫黄泉で、皮膚病に効果アリ。あちこちから噴気が上がり、硫黄の匂いが漂う小さな散歩道。硫黄成分が付着し、黄色く変色した岩。展望台と明礬地獄を見守る観音様。展望台から眺めた景色。巨大なアーチ橋の別府明礬橋と、さらに奥の方には別府の市街地と別府湾が見える。にほんブログ村
2022.03.15
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神話「因幡の白兎」に登場する白兎神が祀られている神社と、その神話の舞台となった海岸。境内の樹叢は国指定天然記念物に指定されている。御祭神は白兎神、保食神、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)。白兎神は神話の内容にちなみ、皮膚病・傷病・病気平癒の御利益があり、また大国主神(オオクニヌシノカミ)と八上姫との縁を取り持たれたことから、縁結びの御利益もあるとされる。古事記や日本書紀にも記されている由緒明らかな神社であるが、往古兵乱に遭い本殿と共に古書等が焼失したため、創建の詳細は不明。慶長年中に鹿野城主だった亀井茲矩によって再興された。白兎海岸は「因幡の白兎」の舞台となった場所とされており、神話にまつわるスポットがいくつか見られる。「恋人の聖地」の認定スポットであり、海岸西側にある白兎の丘は愛の鐘や展望台があり、美しい写真が撮れるフォトスポットとなっている。道の駅神話の里 白うさぎ。白兎神社のすぐ隣にある。1階に土産店やすなば珈琲があり、2階には日本海を眺めながら美味しい海鮮料理が食べられるレストランがある。駐車場の入り口にある、大国主命と因幡の白兎の像。一の鳥居。因幡の白うさぎの砂像。卯年になると作り替えられるそうで、今回見たものは2023年の卯年に合わせて新しく造られたものだった。北里闌歌碑。"鰐の背に 似たる岩見ゆ 蒲ならぬ 波の花散る 気多の岬に"と記されている。国語学者の北里闌氏が気多の前の情景を詠んだ和歌で、宮中歌会始に詠進し入賞を受賞。その記念に建立された歌碑。天然記念物白兎神社樹叢の碑。参道沿いに並ぶ白兎の像。各々でポーズが違っていて可愛らしい。像に沢山置かれている白い石は「結び石」というもので、鳥居の上に投げて上手く乗せられると良いことがあると言われ、写真のように兎の像に願いをかけて奉納する人もいる。二の鳥居。参拝者は続々とここで足を止め、鳥居の上を狙って結び石を投げていた。手水舎。まるっとした可愛らしい兎の像がある。身洗ノ池(不増不減の池)。周囲100mほどの池で、日照りや豪雨の時であっても水量が常に一定であることから、不増不減の池とも呼ばれている。神話によると、白兎神がここで傷口を洗い、蒲の花を採って傷につけられ全治したと伝えられる。拝殿。こじんまりとしたもので、大きな神額や太いしめ縄が一層目立つ。本殿。菊座石。本殿を支える6つの土台石で、上面に菊の紋章が彫刻されている。全国的に見ても珍しいものだそうで、神社創設が皇室と何らかの関係があったのではないかと言われている。社務所。前述の結び石や御守り、白うさぎみくじなどの授与品がある。「白兎海岸」神社が面している海岸で、因幡の白兎の舞台になった場所とされる。ここにも白兎神や大国主神にまつわるスポットがいくつか見られる。神話のストーリーにちなんだ恋愛のパワースポットとされ、「恋人の聖地」に認定されている。恋島。砂浜に少しだけ頭を出した岩で、大国主神が八上姫に恋心を伝えた場所と言われる。川下神社。白兎神社に合祀されている豊玉姫命を祀り、婦人病の守護神として知られている。淤岐の島。気多ノ前から約150m沖合にある島で、白兎神が流れ着いた島と言われている。島の上に立っている鳥居は川下神社のもの。白兎の丘(気多ノ前展望広場)。愛の鐘や白兎のお告げ箱がある、カップルに人気のスポット。展望台からは白兎海岸など辺りの景色を一望できる。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.01.19
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温泉熱を利用し、ワニの飼育を行っている地獄。別名「ワニ地獄」。別府地獄めぐりの一つ。1923年(大正12年)から地獄から湧き出す温泉と蒸気を利用して、ワニの飼育を開始。現在ではアリゲーター科、クロコダイル科のワニを約80頭飼育している。1925年(大正14年)から1996年(平成8年)まで生きた世界最長寿のワニ"イチロウ"が飼育されていた場所で、園内には剥製がある他、現在3代目となるイチロウが飼育されている。毎週土曜日・日曜日の10時には、ワニの餌付けイベントが行われている。入場料は大人450円、小人200円(団体割引有)。7ヶ所の地獄を見学できる共通観覧券もあり、こちらは大人2200円、小人1000円(団体割引有)。鬼山地獄入り口。湯の噴出地と湯だまり。ドドドと轟音を鳴らしながら、凄まじい勢いで湯が湧き出ている。源泉の泉温は99.1℃。轟音を鳴らす湯だまりを背に、じっと立ち続ける不動明王像。鬼のモニュメント。1948年(昭和23年)からずっと、この石の上に座ってるんだとか。佐佐木信綱の歌碑。"湯ぶねのゆ ほのあたたかみわにの群 そが故郷を忘れたるらし"と記されている。マレーシア・サラワク州の伝統家屋を再現した建物。中には鬼山地獄やワニにまつわる資料が展示されている他、初代イチロウの剥製もある。絶滅危惧種に指定されいる世界的にも貴重なワニ、ガビアルの骨格標本。鬼山地獄で飼育されていたそう。初代イチロウの剥製。鬼山地獄開園から間もない1925年(大正14年)から1996年(平成8年)まで飼育されていたクロコダイル種の巨大なワニで、71才で大往生。ワニの中では世界最長寿だったという。なお、イチロウと言う名前は、イチロウと同じ歳の漫画家である富永一郎氏が命名した。園内にいくつかの檻が設けられており、その中に1頭~数十頭のワニが飼育されている。三代目イチロウ。1992年(平成4年)生まれ。鬼山地獄を代表するワニだったイチロウの3代目。3代目なのにイチロウ…なんだかややこしい。クロコダイル科のイリエワニで、全長4m、体重500kg。園内のワニでは屈指の大きさ。一番広い檻で飼育されているワニたち。冬季は湯が張られていて、数十頭のワニが湯の中でゆったりと生活している。これだけ沢山のワニを間近で見れるのは珍しい。時々喧嘩になって、恐ろしい唸り声と共に一瞬の騒ぎが起こることも。夏季のワニたち。檻の中の湯は抜かれており、大きな口を持ち鱗に覆われ、4m以上の巨体を持つワニがすし詰め状態になっている異様な光景。中に飛び込んだりしたら絶対に生きて帰れない。まさしく地獄と言うにふさわしい。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.04.06
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読みは「かみしきみくまのざじんじゃ」。高森町の四大熊野座神社の一つで月形山の麓に鎮座し、地元からは「権現さん」と呼ばれ親しまれ、近年に入って参道の神秘的な雰囲気が話題となった神社。御祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、石君大将軍。農耕、金運の神として霊験あらたかで、縁結び、商売繁盛の御利益もある。石君大将軍は阿蘇大明神こと健磐龍命(タケイワタツノミコト)の荒魂。石君大将軍の兜の中に2柱の神が現れ、その2柱の神は熊野大明神とされ、紀州国の熊野より伊邪那岐命と伊邪那美命を移して奉斎したのが始まりだと言われている。阿蘇南郷地区の総鎮守として社殿が建立されるが、天正年間に兵火により焼失。1722年(享保7年)に現在の社殿が建立される。1897年(明治30年)に鳥居が建立され、1979年(昭和54年)に社殿が改修され現在に至る。一の鳥居から社殿までの参道には220段余りの石段が続いており、その両脇には約100基もの石灯籠が連なっている。木々に囲まれた参道、苔生した石段と石灯籠は非常に神秘的な雰囲気で、まるで別世界のような景色であることからSNSを中心に大きな反響を呼び、雑誌やテレビでも紹介され話題となる。「夏目友人帳」の原作者として知られる緑川ゆき氏のアニメ映画「蛍火の杜へ」の舞台のモデルとなったことでも知られ、国内のみならず海外からも連日多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。一の鳥居。一の鳥居の両脇にある、年季の入った変わった姿の狛犬。まるで異世界の入り口であることを示唆しているようだ…参道入り口の狛犬。参道入り口の賽銭箱。社殿まで行けそうにない場合はここでの参拝も可。参道の途中にある手水鉢。参道。社殿までは220段にも及ぶ石段が続き、両脇には苔生した約100基の石灯籠が連なっている。神秘的な雰囲気に包まれ、参道を進むごとにまるで異世界に迷い込んだかのような錯覚にとらわれる。晴れた日は参道に木漏れ日が差し込み、早朝や雨の日に霧が森を包み込むと更に神秘的な景色となる。ちなみに、石灯籠は1864年(元治元年)と1867(慶応3年)に1対1基が奉納され、1968年(昭和43年)以降に地元企業の後藤食品が毎年寄進したものだという。後述の穿戸磐を鬼八法師が蹴破った際に飛んだとされる岩。参道の途中の左手にある。二の鳥居。当社で最も有名なフォトスポットで、アニメ映画「蛍火の杜」の一枚絵のモデルとなった景観。参道の終点間近になる場所で、最も神秘的な雰囲気が漂う。前述の通り天候や訪れる時間によって見える景色は変わるが、共通して緑色の苔が生している夏の時期が最も綺麗に見える。また冬の雪化粧も美しい。二の鳥居をくぐれば社殿まであと少し。拝殿。月形山の麓に鎮座する欅造の社殿。1722年(享保7年)に建立され、1979年(昭和54年)に改修されたもの。参道とは対照的に日が当たる場所に建てられており、日光が差し込むと輝いて見えた。拝殿の額。本殿。拝殿のすぐ裏側にある。拝殿前の狛犬。後藤戢頌徳碑。当社とゆかりのある食品会社、後藤食品の創業者である後藤戢氏の頌徳碑。社殿の左手に、穿戸磐まで続く道が伸びている。穿戸磐。健磐龍命の従者である鬼八法師が自らの行いで健磐龍命を激怒させてしまい猛追され、逃げようとするもこの岩壁に阻まれ、その際に鬼八法師が蹴破ってできたと言われる巨大な風穴。大きさは縦横どちらも10m以上。伝えの内容から、困難な目標でも必ず達成できる象徴として、合格・必勝の御利益があると言われている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.31
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御所通りの菊池高校正門のすぐ脇に立つ、巨大な椋(ムク)の木。熊本県の天然記念物に指定されている。樹高16m、根廻り約10m、幹囲約8m。樹齢は600年以上と推測されている。この木は南北朝時代、征西将軍宮懐良(かねなが)親王が、この地に征西府を置かれたとき、宮の杖から芽をふいたとも、御手植の木とも言われている。なので「将軍木」と呼ばれている。現在でも近くにある菊池神社の御神木として地元住民から親しまれており、秋祭りのときには隣接する能舞台でこの木を懐良新王に見立てて、「松囃子能」が奉納されている。将軍木。右側にあるのは頓宮。懐良親王が祀られている。様々な角度から見た将軍木。木は中がほとんど空洞になっており、自立が出来ない状態になっている。なのでこうして、鉄のバンドや支柱を使って木を支えている。将軍木の目の前にある能舞台。秋祭りのときにここで「松囃子能」が奉納されている。にほんブログ村
2020.10.16
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平成の名水百選にも選ばれている、南阿蘇村湧水群の一つ。くまもと名水百選にも選定されている。湧水量は毎分約5トン。旧白水村のほぼ中央に位置していた、吉田城の御献上汲場として知られている。岩間から絶え間なく水が吹き出しており、湧き水は現在でも飲料水として親しまれ、地域住民の喉を潤している。汲み場のすぐ近くには吉田城跡がある。汲み場。周辺はしっかりと整備されている。汲み場から水田の方には水路が伸びている。農業用水としても使われているようだ。透き通った水源の底からは、まるでサイダーのように、しゅわりしゅわりと気泡が浮かび上がっている。汲み場から少し歩いた場所にある吉田城跡。かつてここにあった吉田城に阿蘇家の家臣だった吉田主水頭が在城していたといい、一説には戦国時代には既に城があったと伝えられている。天正14年(1586年)に薩摩勢の猛攻を受け落城。現在は遺構も残っていない。にほんブログ村
2021.09.09
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琵琶湖上にある噴水。琵琶湖の南端に位置する大津港の沖合い、防波堤上に3本束×22基、計66本の放射噴水が設置されている。長さ約400m、高さは最大40mにも及び、横の長さは世界最大の規模を誇る。メンテナンス日や悪天候の日を除いて毎日運転が行われており、平日は昼と夜に運転が行われ、休日は昼と夕方と夜に運転が行われている。夜はライトアップあり。毎年夏に行われる「びわ湖大花火大会」では、花火と噴水のコラボレーションが楽しめるようになっている。琵琶湖ホテル近くのなぎさ公園から見た噴水。高層ビルが立ち並ぶ市街地と比叡山をバックに、66本にも及ぶ噴水が横一列にズラリと並び、夜の琵琶湖を綺麗に彩る。時間が経つにつれて、噴水も形状が変わっていく。夜間は橙、緑、白の3色にライトアップがされている。高々と舞い上がる噴水。近くにある高層ビルよりも明らかに高く上がっており、遠くから見てもそのスケールの大きさが実感できた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.06.24
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西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。「海の見える駅」と呼ばれる駅の一つ。駅の構造は島式ホーム1面2線で、電車の行き違いが可能になっている。無人駅。日本海沿いに位置しており、周辺には景色を遮るものがなく、ホームの北を向けば果てしなく広がる日本海を眺められるようになっている。特に快晴の日の青々とした日本海と空の景色は絶景。駅舎や跨線橋も、海と空をイメージしているのか、青色に統一されている。みきとPのVOCALOID曲「少女レイ」の一枚絵のモデルとなった踏切が近くにあり、最近では聖地巡礼に訪れている人も多い。ホーム。周りは景色を遮るものがほとんどなく、電車から降りると1秒で絶景。青々とした空の下、広々とした日本海が広がっているのが見える。駅名標。ホームから見て南の方には大麻山がそびえている。待合室。窓から日本海が見える。少し待っていると、特急列車のスーパーまつかぜがやってきた。向かいの列車を一旦ここで待つらしい。さらに少し待っているともう1台、スーパーまつかぜがやってきた。無人駅のホームに2台の特急列車が停車する、貴重な一枚が撮れた。スーパーまつかぜが去った後にやって来た、一両編成の普通列車。跨線橋。内部は水色に塗られており、夏を感じられるものになっている。跨線橋には小窓があり、そこから海の景色を眺められる。駅舎内部。駅は1924年(大正13年)開業で、100年近い歴史を持っている。昔使われていたと思われる窓口や、案内板など、駅舎の中もレトロな雰囲気が漂う。思い出ノートが置かれていて、訪れた観光客のコメントや、後述の少女レイのイラストを描いている人もいた。今にも旅が始まりそうな雰囲気。駅前の海。浜があり、海もとても綺麗だった。小規模であるが、付近に海水浴場もあり。駅舎の外観。ずっと海の方向を向いている。外壁は元々白色だったが、2019年(令和元年)に青色に塗り替えられている。跨線橋と同様に夏を感じさせる色に統一されており、自分はこの駅を「夏色の駅」と名付けた。駅から上り方向(浜田・出雲方面)すぐの場所に、みきとPのVOCALOID曲「少女レイ(https://www.youtube.com/watch?v=JW3N-HvU0MA)」の一枚絵のモデルとなった踏切がある。歩道から撮影が可能。踏切の中で立ち止まったり、はたまたあの一枚絵のように遮断機が降りた後に中に入って撮影するなどの行為は迷惑になるので絶対にしないように。「君は友達」↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.09.23
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読みは「おてやのたき」。「落合の滝」とも表記される。志佐川の枝沢に懸かる滝。落差は6m。2条の流れを持つ直瀑で、落差は低めだが滝の裏に空洞があり、裏から滝を見れる裏見の滝となっている。滝の近くには大きな洞窟があり、沢山の石仏が祀られている。剣道11号線沿いの小高いところに3台ほど車を停められる駐車スペースがあり、そこから橋を渡ってすぐのところに滝がある。県道11号線沿いに立つ落合の滝と書かれた標識と、おてやの滝の表示がある電灯。このすぐ横に駐車スペースがある。小高い丘の上にあり、急坂となっているので注意。駐車スペースのすぐ近くに橋が架かっていて、ここを渡ってすぐのところに落谷の滝がある。橋の上から。川のすぐ上流に滝が見える。滝までの道には巨岩が合わさってできたトンネルがある。落谷の滝。1つの巨岩を2条に分かれて水が流れ落ちていっており、巨岩の下には広い空洞ができている。滝の裏に回れるが少々足場が悪くサンダルや長靴が必須。裏から見るのは自己責任で。落ち口から水が流れ落ちていく様子。滝壺。裏から見た滝。サンダル・長靴を持っていなかったので滝の裏まで入れなかったが、腕を伸ばしてカメラを構えて裏からの写真を撮った。間近から見た滝。滝の近くに祀られている石仏。特に洞窟の中には沢山の石仏が祀られている。昔は修験の場所でもあったんだろうか。滝の隣にできた大きな洞窟。近くの佐世保市には福井洞窟など縄文時代の人々が生活していたという洞窟がいくつもあり、ひょっとしたらこの洞窟もその一つなのかも…?正面から見た滝。足を伸ばして岩の上から撮影した。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.09.24
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呼子大橋を渡った先にある小さな島。漁業と農業が盛んで、特産品に甘夏(呼子甘夏)があり、それを加工した甘夏ゼリーも売られている。呼子港の目の前にあり、玄界灘の荒波から港を守る天然の防波堤の役割を果たしていることから、「壁島」とも呼ばれていた。風の見える丘公園から見た景色。呼子大橋と呼子港。杉の原遊牧場。牛が放牧されている。海の向こうに見えるのは小川島。田島神社。佐賀県最古の神社。島の南部から見た呼子大橋。呼子はイカの名産地。"いか道楽"で食べた、いか三拍子定食。
2020.04.29
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別府ラクテンチの乙原ゲートの近く、山道に入って大分自動車道の高架の下を通った先にある滝。滝までの道のり。高架の下をくぐって。歩いて約15分。滝に到着。苔の生い茂る清らかな滝。大量の水しぶきを飛ばしながら水が静かに落ちていく。さらに滝に近づいてみると岩陰に隠れているもう一つの滝が姿を現す。乙原の滝はなんと夫婦滝なのだ。写真1枚目が雄滝(落差約60m)、2枚目が雌滝(落差約30m)。
2020.05.01
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長崎県諫早市 『轟峡① 轟の滝、潜龍の滝』の続き。轟の滝がある場所から更に上ったところで見られる滝や景色を紹介。「楊柳の滝」第一駐車場から少し上ると姿を現す滝。落差は50mで、轟峡の滝の中で最も高い。佐賀県の清水の滝と同じように、さらさらと静かに水が流れ落ちるため、高さに反して滝壺が浅く小さい。真下から見た楊柳の滝。名水百選の水が作り出す、マイナスイオンをたっぷり贅沢に感じられる。青もみじの暖簾越しに見る楊柳の滝。紅葉の時期になるとより一層綺麗に映りそうだ。大駐車場(第三駐車場)の近くにある自然プール。「轟渓流」多良岳を源流とする、轟峡を流れる渓流。名水百選に選ばれるのも納得の透明度を誇る。「大龍の滝」第二駐車場から轟峡キャンプ村への道の途中で見られる滝。別名"鉈落としの滝"とも呼ばれている。落差は8m。
2020.07.08
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瀬戸内海芸予諸島の一つである島。面積は0.7㎢。竹原市の忠海港から片道約15分程度の場所にある。通称、"猫島"ならぬ"うさぎ島"。島にはなんと、野生のウサギが900羽以上棲息している。ウサギの島としてメディアに大きく取り上げられたことで人気を集め、また海外でもこの島が紹介されたため、国内外問わず癒しを求めて多くの観光客が訪れている。島内には宿泊施設「休暇村大久野島」があり、キャンプやサイクリング、釣りなどのレジャーも充実している。一方で、この島は1929年(昭和4年)~1945年(昭和20年)までの間、太平洋戦争で使用する毒ガスが秘密裏で製造されていた「毒ガスの島」だった。また、毒ガスの製造を秘匿するため「地図から消された島」でもある。当時使われていた毒ガスの貯蔵庫跡や、発電所跡など複数の遺構は今も残っている。忠海港からフェリーに乗って大久野島へ。運賃は片道310円。島までの時間は約15分。島に着くと早速、沢山のウサギがお出迎え。皆人間に慣れており大人しく、餌やりは自由にできる様になっている(一部餌やり禁止区間あり)。ちなみに餌は島内で販売されておらず、忠海港にある売店で買っておかないといけない。キャンプ場。うさ耳のオブジェ。耳当てに耳を当てると、ウサギの耳の聴こえ方を体験できる。「幹部用防空壕跡」名前通り、幹部用の防空壕。従業員用の防空壕が地面に穴を掘っただけの簡単なものだったのに対し、こちらはコンクリート造りの強固な防空壕で、幹部たちがどれだけ優遇されていたかが分かる。「研究所跡」毒ガス製造時に研究室、薬品庫として使われていた建物。戦後は一時、宿泊施設として使われていたこともあったんだとか。「三軒家毒ガス貯蔵庫跡」猛毒で皮膚がただれる「イペリット」という毒ガスが貯蔵されていた場所。大きなタンクが下の台座の上に置かれていた。テニスコート周辺にて。沢山のウサギが集まっていた。1枚目の子は何故かアジサイの葉を美味しそうに食べてた。広島県竹原市 『大久野島② 長浦毒ガス貯蔵庫跡、北部砲台跡、芸予要塞時代の桟橋』へ続く
2020.08.02
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広島県竹原市 『大久野島① 幹部用防空壕跡、研究所跡、三軒家毒ガス貯蔵庫跡』の続き。「長浦毒ガス貯蔵庫跡」毒ガスの貯蔵庫の一つ。高さ11m、容量85トンの巨大な毒物貯蔵槽が保管されていた。内側の壁が黒くなっているのは、火炎放射器で焼却した跡。地下兵舎跡。「北部砲台跡」日露戦争が始まる前の1902年に設置された芸予要塞の砲台跡。1枚目の写真の場所には24cmカノン砲が置かれており、2,3枚目の場所は12cm速射カノン砲が4門置かれていた。北部砲台跡の毒ガスタンク台座。発電所跡までの道の途中で会ったウサギの親子。発電所跡周辺にて。沢山のウサギが木陰でのんびりとしていた。「芸予要塞時代の桟橋」石で造られた桟橋。人間の上陸や資材などの陸揚げに使われていたが、のちに別の場所に桟橋が整備され、こちらの桟橋は使われなくなったんだとか。広島県竹原市 『大久野島③ 発電所跡、大久野島神社』へ続く
2020.08.04
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広島県竹原市 『大久野島② 長浦毒ガス貯蔵庫跡、北部砲台跡、芸予要塞時代の桟橋』の続き。「発電所跡」毒ガスが製造されていた1929年~1945年までの間、電力を供給していた発電所の跡地。大久野島を代表する巨大な廃墟。ディーゼル発電機を利用した発電が行われていた他、女子動員学徒が風船爆弾を作っていたこともあったそう。発電所跡の正面右側にある倉庫。発電に使う重油が貯蔵されていたらしい。「医務室跡」かつて医務室があった場所で、現在はほぼ完全に広場となっている。ただ一つぽつんと残された消火栓はどこか哀愁を感じさせる。「大久野島神社」大久野島にあるただ一つの神社。残念ながら、信仰は忘れられ、廃れてしまったようだ…大久野島灯台。「南部照明所跡」探照灯(サーチライト)が置かれていた場所。※遺構はこの他に、中部砲台跡と火薬庫跡があるが、そこまでの道が通行止めになっていたため行けず。島を一周回った後。最後にウサギたちと触れ合って、島とお別れ。メルヘンと闇が交わる不思議な場所だった。
2020.08.05
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宮川沿いの路上にて午前7時から12時までの間、毎朝開かれている、高山市の名物朝市。石川県の輪島朝市、千葉県の勝浦朝市に並ぶ日本三大朝市の一つに数えられている。数多くの露店が並び、高山の名産品、新鮮な野菜や果物、手作り雑貨などが販売されている。現在の宮川朝市は1953年から始まり、長い歴史を持つが、ルーツは江戸時代からあったと言われている。沢山の観光客で賑わう宮川朝市。川沿いに並ぶ露店。野菜や漬物、雑貨など店によって様々なものが売られている。朝市の美味しいものを食べ歩き。順番にたこ焼き、ミニたい焼き、飛騨牛にぎり寿司。3枚目の飛騨牛にぎり寿司が一番美味しかった。
2020.08.25
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熊本県菊池市 『菊池渓谷① 黎明の滝、紅葉ヶ瀬、天狗滝・竜ヶ渕』の続き。「四十三万滝」ゆるやかな斜面を、まるでウォータースライダーの様に流れ落ちる滝。落差は10m。日本の滝百選に選ばれている。"四十三万滝"という名前の由来は1日の流水量が43万石(約7.8万t)もあることから、新聞社の景勝地募集したところ43万票を獲得して一位になったことからなど、諸説あるらしい。包岩槻。ケヤキの木が岩を包むようにして根を張っている。「広河原」名前のとおり幅が広い河原。水面からマイナスイオンがじゃぶじゃぶと湧き出ているのが目で見ても分かる。とても涼しく、むしろ肌寒く感じるほど。また、光芒が綺麗な場所であり、夏は早朝に最高の光芒の瞬間を撮ろうと多くのカメラマンが訪れている。水天宮。水神さまが鎮座しており、広河原から菊池渓谷を見守っている。広河原にある小滝。どれもエメラルドグリーンの滝壺が美しい。
2020.08.30
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背振北山県立自然公園内にある巨大なカツラの木。国の天然記念物に指定されている。佐賀県の最北端に位置する合瀬一帯は、同県でもほとんど見られない「カツラ」の自然林が点在している。中でもこの下合瀬の大カツラは、山神の御神体として以前はしめ縄が張られて崇敬されており、伐採が禁忌となって保護されてきた。樹齢は推定1000年以上、根回り20m、樹高34m。基幹部からは回り1m以上の「ひこばえ(樹木の切り株や根元から生える若芽のこと)」が25本も群生し、全国2位の巨木とも言われている。下合瀬の大カツラへの案内板。訪れたときはアジサイが咲いていた。カツラの木の根元。大小無数のひこばえが群生しており、うち25本のひこばえは回り1m以上に成長。まるで数本の木を束ねたような形をしている。神々しく、圧倒的な存在感を放つカツラの木。古くから樹木には神様が宿ると言われている(神様を一柱、二柱…と数えるのもそのため)が、この木には本当に神様が宿っているように感じる。
2020.09.02
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五ヶ瀬川支流、三ヵ所川にある滝。「鵜の子の滝」「鵜の子滝」とも書かれる。滝の落差は20m。直線に落ちる単純な滝であるが、特筆すべきは超巨大な滝壺。森の中にぽっかりと空いた滝壺は直径100m、面積は5000㎡もあるという。滝壺まで行ける道と、滝の全景を眺められる展望所がある。滝壺まで行く場合は駐車場に車を停めて、階段を下りて滝壺まで向かう。階段が急傾斜であるため、健脚者でないとかなり厳しい。展望台から見たうのこの滝。急斜面の階段を下りて滝壺へ。下りは楽だが上りがきつい。滝壺に到着。巨大な滝壺を、これまた巨大な白色の岩壁が囲んでいる。その岩壁のちょうど真ん中から、滝がさらさらと流れ落ちている。思わず圧倒されそうなほど雄大な景観だ。滝壺は写真1枚に収まりきれないほど大きい。滝壺を囲む岩壁。正面から見て右側の岩壁(写真2枚目)には、えぐられたような巨大な空洞がある。そこから滝を裏側から眺める事もできるようだ。青もみじ越しにみた滝。
2020.09.05
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糸島市南側、羽金山の中腹530m、川付川水源地近くに位置する滝。福岡県の名勝に指定されている。落差は約24m。段差のある黒い岩肌を白い糸のようにさらさらと流れ落ちるのが特徴。流れ落ちる水量や季節によって様々な姿を見せる。周辺には約10万本のアジサイが自生していて、6月~7月上旬にかけて見頃を迎える。滝の周りには「白糸の滝ふれあいの里」が整備されている。ヤマメ料理が食べられる食事処がある他、ヤマメ釣りやそうめん流し(4月下旬~9月)も楽しめる。黒い岩肌をさらさらと静かに流れ落ちる秋の白糸の滝。秋になると沢山の落葉が滝を流れ、岩肌にかかった落葉が綺麗だった。冬の白糸の滝。雪が岩肌を白く染める。降雪量が多いと岩一面が真っ白に染まり、さらに気温が低くなると氷瀑にあることもあるそう。滝の目の前にある小さな柵。ここにはかつて、萬龍楓(ばんりゅうかえで)と呼ばれる大きな楓の木があったらしい。県の天然記念物に指定されるほどの立派な楓だったそうだが、何故無くなってしまったのだろう…滝周辺の紅葉。食事処・売店、ヤマメ釣りの受付。駐車場からは糸島市の街を一望できる。にほんブログ村
2020.11.26
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福岡県飯塚市 『旧伊藤伝右衛門邸②』の続き。角之間。邸宅の中心に位置する、5畳ほどの畳敷きの間。真ん中に炉があり、茶室として用いられていた。洗面所・浴室。洗面所の鏡縁には英国ビクトリア様式の装飾を施している。食堂。西側に食器棚を設けた洋間。もともとは和風の部屋だったそうだが、白蓮の要求によって洋室に改築された。窓ガラスはドイツ製のもので、窓からは庭園が眺められる。道具蔵。中には雛人形と炭鉱で働く人々を描いた絵が展示されていた。西座敷。沢山の雛人形や、雛人形の絵が描かれた掛け軸「掛軸雛」が展示されていた。庭園から見た伝右衛門邸。国指定名勝に指定された「旧伊藤傳右エ門氏庭園」。明治末期から昭和初期頃の造営と考えられている。広さは1200坪。水源に見立てた深山から川が流れていく様子を再現し、太鼓橋や噴水を配した回遊式の庭で、どの角度から見ても絵になる美しさを持つ。雪化粧も綺麗だった。にほんブログ村
2021.03.07
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博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続きになっている島。海の中道(砂州)と陸続きになっており、車でも直接行けるようになっている全国的にも珍しい島。周囲は約12kmで、面積は5.78㎢。島内には海水浴場やサーフスポット、ホテル、温泉があり、福岡のリゾートスポットとして人気がある。また、古代日本(九州)の大陸・半島への海上貿易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。古事記・日本書紀で綿津見神の祭主である阿曇氏の記述が見られたり、神功皇后が三韓征伐の際に立ち寄ったという記述が残っていたり、江戸時代に金印(漢委奴国王印)が発見されるなど、重要資料や史跡が多数存在する歴史的にも貴重な島でもある。「志賀海神社」御祭神に伊邪那岐命(イザナギノミコト)が禊祓をされた際に成った綿津見三神(仲津綿津見神、底津綿津見神、表津綿津見神)を祀る。古代氏族の阿曇氏のゆかりの地。禊祓で成られた神であることから不浄を特に嫌い、諸々の厄・災・罪を祓い清め、また海の主宰神であることから水と塩を支配し、生活の豊凶を左右すると伝えられる。お清めの方法が珍しく、境内に置かれた御潮井(清め砂)を使って体を清めるようになっている。亀石。神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承にちなみ奉納された、亀の形をした霊石。志賀海神社の摂末社。摂社5社、末社19社の計24社。昔は400社近くの末社があったという。「二見岩」三角形の岩が二つ並ぶ場所。高さは3.4mで、中心には直径1m程度の穴が空いている。ここには、志賀島独自の浦島太郎の伝説があり、太郎と乙姫が出会った場所として「龍宮瀬」とも呼ばれている。冬になるとウミドリが羽休めにやってくる。「蒙古塚(蒙古軍供養塔)」文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)の二度にわたる元寇襲来の古戦場で、古くは「首切塚」とも呼ばれていた。ここにある供養塔は襲来の際に戦死した元(モンゴル)軍の兵士のため、昭和2年(1927年)に日蓮宗の僧の提唱によって建てられたもの。福岡県福岡市 『志賀島② 金印公園、潮見公園展望台』へ続くにほんブログ村
2021.04.02
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玄界灘沿いに並ぶ2つの巨岩。市指定天然記念物に指定されている。 多くの巨岩が立ち並ぶ海岸の中で、一際目立つ存在感を放っているのが「湊の立神岩」。周囲6m、高さ30mという2つの玄武岩の巨岩で、玄武岩の断崖が玄海の荒波によって浸食されてできたもの。二つの岩が荒波に負けまいと寄り添うように立っていることから、「夫婦岩」の別名を持つ。 すぐそばの海岸は「九州のサーフィン発祥地」と言われ、人気のサーフィンスポットとなっている。 遠くから見た立神岩。 九州のサーフィン発祥地と呼ばれる海岸では、1月の寒い時季であるにも関わらず多くのサーファーたちがサーフィンを楽しんでいた。 展望台から見た立神岩と、展望台の近くで栽培されているサボテン。 更に近づいて見た立神岩。夕暮れ時にこうして近づいて見てみると、まるで別の惑星に迷い込んだような、不思議な感覚にとらわれる。 立神岩の近くには小さなビーチがある。そこに立つとさらに別世界に迷い込んだような感覚になれるんだろうが…残念ながら立ち入りは禁止されている。 湊さくらの丘公園の展望台から見た立神岩。横からだと1つの岩にしか見えないが、こうして後ろから見ると2つの岩が寄り添っているのが分かる。 にほんブログ村
2021.04.09
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長崎県平戸市 『生月島① 生月大橋、ガスパル様、山頭草原』の続き。「塩俵断崖」生月島西部の海岸にある天然奇岩群。玄界灘の荒波によって出来た巨大な玄武岩の柱状節理の断崖で、南北に500mの長さがあり、海面からの高さは20mもある。周辺は「塩俵いこいの広場」となっており、断崖はそこにある展望台から見れる。「大バエ灯台(大碆鼻灯台)」生月島の最北端にある、100mほど切り立つ大バエ断崖の上に立つ灯台。上部に展望デッキがある。灯台の隣には生月島沿岸波浪計が設置されている。灯台の展望デッキから見た360°の大パノラマ。果てしなく広がる空と海を展望できる。「カトリック山田教会」山田集落の高所にある、大正元年(1912年)に建てられたレンガ造りの教会。九州の教会建設の第一人者と言われる鉄川与助の設計により造られたもの。今回は中には入らず外観のみ見学。「生月大魚籃観音」舘浦漁港を見下ろす高台の上にある、1980年(昭和55年)に海難者と魚介類の霊、世界平和を追悼し、漁船の航海の安全を祈って建立された魚籃観音像。高さ18m、基壇3mの像で、ブロンズ像としては日本屈指の大きさ。にほんブログ村
2021.05.03
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○骨付鶏定食 骨付鶏、キャベツ、ご飯、味噌汁、漬物 骨付鶏というのは、香川県丸亀市のご当地グルメで、スパイスに漬け込んだ骨付きの鶏もも肉を豪快に焼き上げたもの。肉は柔らかく、口にすると中の油がじゅわりと出て、鶏のうまみが思いっきり口の中に広がって美味しい。香川に訪れたら一度は食べるべきご当地メニューだ。 にほんブログ村
2021.06.04
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平成の名水百選にも選ばれている、南阿蘇村湧水群の一つで塩井神社境内にある水源。湧水量は毎分5トン。不老長寿、諸病退散の御神水として昔から語り継がれている。南阿蘇でただ一つ西から東へ流れる川で、「ノンボリ(上り)川」とも呼ばれている。ここで湧く水は灌漑用水、簡易水道等にも利用されており、地域住民の生活と密着したものになっている。塩井神社は平安朝期に創建された歴史ある神社。御祭神は罔象女神(ミズハノメノカミ)で、伊邪那美命(イザナミノミコト)の子で水を司る神と呼ばれている。春と秋には神社の大祭が盛大に行われている。2016年に発生した、熊本地震によって甚大な被害を受けていたものの、現地の人々の努力により、現在は復興を成し遂げている。駐車場から神社まで。道沿いにの水路には塩井社水源で湧いた水が流れている。塩井神社の鳥居。塩井神社の社殿。前の拝殿は熊本地震により倒壊しており、現在の拝殿は新しく建て替えられたもの。社殿のすぐ隣に塩井社水源がある。透き通った淡い水色の美しい池で、水は冷たくやわらかな感触。ここも熊本地震の影響により水が湧かなくなってしまい、一時は枯れ果ててしまったが、現地の人々の努力によって見事復活を成し遂げた。にほんブログ村
2021.09.07
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菅原道真公が太宰府へ向かう途中、学友に会うために立ち寄った神社。別名「赤兵子(あかべこ)天満宮」。御祭神は菅原道真公。学問の神、正直な人の守り神として多くの人に信仰されている。菅原道真公が延喜元年(901年)太宰権師に左遷される途中、学友だった浄明寺の住職である観応に会うために立ち寄った場所と言われている。元々は浄明寺の境内にあったそう。しかしあいにくその時は大雪だったため、先に進むこともままならず、道真公は1ヶ月間この地に滞在したという。滞在中にカヤの木の枝で自身の像を刻み、出発する際に形見として像を観応に残したといわれている。像を刻んだカヤの木は現存しており、また像は天満宮の御神体として大切に祀られている。毎年10月に牛の安全祈願として「牛まつり」が行われている。鳥居と参道。樹木に囲まれた緑の静かな道。御神牛。牛は菅原道真公と縁が深いため、信仰の対象として全国の天満宮や菅原神社に、この御神牛がおかれている。社殿。社殿の裏にある、菅公一千二十年記念碑。道真公の学友である住職、観応がいた浄明寺。天満宮から目の届く位置にあり、長い伝統を通じて道真公と観応の繋がりを感じさせる。神社の隣に広がる田園の中で一際目立つ巨樹。これが菅原の大カヤ。「菅原の大カヤ」枝を幅広く伸ばしている立派な榧(カヤ)の木。道真公がこの木の枝から自身の像を作ったと伝えられる。樹高12m、幹回り7.7m。樹齢は1500年にも及ぶ。どっしりとした木の幹。樹齢1000年越えの老木であるが、凄まじい生命の強さを感じ取れる。枝の先には実がなっていた。にほんブログ村
2021.09.30
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五家荘の谷内川の上空に架かる吊橋と、その橋を渡った先にある滝。梅の木轟公園吊橋は橋長116m、高さ55mの吊橋。平成元年(1989年)に架橋された。五家荘に架かる吊橋の中では最長の長さで、補助ロープや支柱を使用しないPC吊床版橋としては日本有数の長さを誇る。橋の上からは雄大な渓谷を眺められ、中でも秋の景色は絶景。梅の木轟は落差38m、階段状の岩を流れ落ちる段瀑。名前の由来は菅原道真公をしのんで植えた飛梅の木を湧けて運ぶ途中、滝に落としたことから名付けられたと言われている。梅の木轟公園吊橋が架けられるまでは、山道もなく、見られることがほとんどなかったことから"幻の滝"とも伝えられていた。駐車場近くの展望台から見た梅の木轟公園吊橋。一般的に吊橋と言えばワイヤーを使っているものがほとんどだが、この吊橋にはそれが使われていない。山から山へとそのまま一本の道が伸びている感じ。梅の木轟公園吊橋の上。55m上空を空中散歩。コンクリート造りの強力な吊橋でも、人が歩けばやっぱり揺れる。補強のワイヤーがない分、かえって怖いかもしれない…吊橋から眺めた渓谷。吊橋から見下ろして見た谷内川。橋を渡り、さらにここから梅の木轟を目指す。滝の下流にある龍門橋。橋の下には梅ヶ枝轟が流れ落ちている。歩いて10分、梅の木轟に到着。梅の木轟。階段状の岩を一条に流れ落ちる滝。流れ落ちた水は滝壺から下段の滝へと落ちていき、更に下流の梅ヶ枝轟を落ちた後、最終的に谷内川に合流していく。観瀑台から見た梅の木轟。正面から見ると、高さを実感できる。滝壺から見た梅の木轟。にほんブログ村
2021.11.26
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「縁切り神社」の通称で知られる神社。御祭神は崇徳天皇、大物主神(オオモノヌシノカミ)、源頼政。大物主神は海上安全や交通安全の御利益があり、崇徳天皇は悪縁を断ち、良縁を結ぶ御利益があると言われている。天智天皇の時代に藤原鎌足が藤原家一門の繁栄を祈願して一堂を創建し、藤寺と号したのが始まり。1177年(治承元年)に大円法師が、崇徳天皇自筆の御尊影が奉納された御堂に参拝した際、上皇の霊が現れ往時の盛況をお示しになられた。このことは後白河法皇に奏上され、法皇の命令により崇徳天皇を祀る光明院観勝寺が建立された。1695年(元禄8年)に太秦安井(現京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、崇徳天皇に加えて大物主神と源頼政を祀り、「安井の金比羅さん」の名で知られるようになった。明治維新の後に、蓮華光院を廃して安井神社に改称し、更に安井金比羅宮に改称し現在に至る。前述の通り縁切りの神社として非常に有名で、その御利益を求めて全国から沢山の参拝者が訪れている。特に「縁切り縁結び碑」のユニークな参拝が有名。男女や人間関係といった悪縁だけでなく、酒、タバコ、ギャンブルなど、自分が断ち切りたいと思っているものも断ってくれると言われている。一方で、良縁を結ぶとも言われており、夫婦やカップルで訪れてもその縁が切れることはなく、更に一層強く結ばれる御利益がある。東の鳥居。ここの参道の両脇に駐車場がある。北の鳥居。ここの鳥居だけ朱塗り。南の鳥居。手水。手水鉢には明清と刻まれている。社務所・授与所。金比羅会館。1966年(昭和41年)以降、ここで桂米朝上方落語研究会が開催されている。厳嶋社、三玉稲荷社、三社。訪れた時はいずれも移設工事が行われていて、元の場所には無くなっていた。安井天満宮。菅原道真公を祀る。八大力尊社。かつてここにあった蓮華光院の御堂を支えた力石であったと伝えられる、八大力尊を祀り、基礎固め、地盤固め、基礎能力向上の御利益がある。久志塚(櫛塚)。使い古したり、傷んだりした櫛を供養するために造られた塚で、毎年9月の第四月曜日にはこの久志塚の前で櫛祭が行われている。金比羅絵馬館。大小様々な絵馬が陳列されている建物で、江戸時代の画家の作品もある。2022年現在は建物の老朽化によって閉鎖されている。金比羅絵馬館の前にある藤棚。拝殿。まずここで賽銭を入れて鈴を鳴らし、そのまま本殿へ進む。本殿。崇徳天皇、大物主神、源頼政が祀られている。拝殿で鈴を鳴らしたらここで参拝する。境内で一際目立つ、大量のお札が貼られた謎の物体。これが「縁切り縁結び碑(いし)」。参拝の仕方はまず授与所で形代と呼ばれるお札を貰い、願い事を書く。次にそのお札を持って穴をくぐり、さらに向こう側からもう一度穴をくぐって戻り、最後に碑にお札を貼る。前から穴をくぐると悪い縁が切られ、後ろからくぐると良い縁が結ばれると言われているんだとか。この碑に参拝するため、小さな境内の中には長い行列ができていた。にほんブログ村
2022.05.12
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○にしんそばニシンの甘露煮が載ったにしんそば清水寺の参道、二寧坂にある小さなそば処。にしんそばというのは、ニシンの干物の「身切りニシン」を甘露煮にして、かけそばに載せた京都の名物料理。北海道の名物料理でもあるそう。そば+魚の甘露煮といった組み合わせは見たことがなく、そばと言えど初めて口にする味だった。にほんブログ村
2022.05.25
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読みは「あまりのたき」。院内余温泉から約1kmの位置にある、駅館川上流の恵良川支流余川に懸かる滝。落差は48m。水量は少なく、水が段状の岩盤に当たりながら、幾重にも分かれて流れ落ちていくのが特徴。その様から「末広の滝」とも称される。豊前志には"白布を三段四段にたちきりて巌の上にたれさらすらむ"と詠われており、非常に趣のある滝であることが伝えられている。駐車場までの道が離合もできないほど狭い1本道になっているので、車で行く際は要注意。駐車場。5台ほど停めるスペースがある。遊歩道。滝まで1本道になっている。5分ほど歩くと滝が見えてくる。滝の全景。苔の生した岩盤の隙間を縫うようにして水が流れ、下にいくほど多岐に分かれながら、広がるようにして流れ落ちていく。その様は巨人のドレスのよう。ちなみに昔は滝の目の前に観瀑台があったようだが、今は無くなっている。上から下に水が流れ落ちていく様子。滝壺。水は濁っている。滝壺から下流の方にも、なだらかな岩を流れ落ちる滝がある。更に近づいて見た滝。余談だがこの写真を撮った後、足を滑らせて転んでしまい、ケガだけでなく危うくカメラを壊してしまうところだった。近づくときはくれぐれも足場にご注意を。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2022.08.11
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御船山の東麓にある武雄市最古の神社と、その境内にあるクスノキの巨樹。神社文書25巻は国指定重要文化財に指定されており、武雄の大楠は市の天然記念物に指定されている。主祭神は武内宿禰、相殿神は武雄心命(タケオココロノミコト)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。5柱の神を総じて武雄大明神と号する。武内宿禰は政治の補佐官として5代の天皇に仕え、360歳を誇る日本一長寿の神様として知られ、延命長寿の御利益がある。その他にも開運招福、厄除、武運長久、家内安全、安産の御利益がある。「武雄社本紀」によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山と化したとある。これにより、同乗していた住吉神と武内宿禰が南嶽に鎮座し、武雄社が創祀された。しかし735年(天平7年)に初代宮司の伴行頼に神託があり、太宰府を通じて朝廷に奏請、武内宿禰を主祭神として武雄心命をはじめとする4柱の神を合祀し、武雄宮が建立された。1185年(文治元年)の壇ノ浦の戦いでは当社に平家追討祈願を行い、平家を滅ぼした源頼朝が、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ、御教書を送り深く感謝した。この参詣を歓迎して武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、それ以来800年以上、現在も流鏑馬神事が継承されている。これを機に武雄神社と源氏との関係は密接になり、将軍家の祈祷を行う関東御祈祷所と御家人の役割が与えられた。現在では武雄の氏神社として、地元民だけでなく全国各地からも信仰を集めている。武雄の大楠は武雄神社の御神木。樹齢3000年と伝えられるクスノキの巨樹で、パワースポットとして注目を集めている。一ノ鳥居。1641年(寛永18年)に武雄領主22代の鍋島茂和が建立。肥前鳥居という形式で、柱が太く、笠木の両橋が緩やかに伸びあがっているのが特徴。射手塚。かつては流鏑馬が奉納される際、射手は落馬したら割腹自決することになっていた。この塚はその自決した射手を葬った場所。下ノ宮。武内宿禰の子である平群木兎宿禰を御祭神とする。二ノ鳥居。1672年(寛文12年)建立。心字ノ池。名前の通り、心の草書体の形をした池で、例祭の日には心身を祓い清める清祓が行われている。また、この池に時折現れる白鷺は当社の使いであるとされているそう。夫婦檜。御祭神である仲哀天皇と神功皇后の神威により、2本の檜が根元で結ばれ、木の中ほどで再び枝が合着したものと伝えられる。縁結びの象徴と言われており、男女や人間関係、仕事など様々な縁を結ぶとされる。荒神社。拝殿、本殿。現在地に遷宮され、改築されたのは1612年(慶長17年)とされている。1964年(昭和39年)に起きた火災により、1970年(昭和45年)に現在のコンクリート造りの社殿に再建された。訪れた時は、拝殿の周辺に色とりどりの和傘が飾られていた。手水舎の天井にも、綺麗なぼんぼりが沢山吊るされていた。城山稲荷神社、塩釜神社。隣にある碑はビルマ戦線戦没者慰霊碑。武雄の大楠の鳥居。神額には御神木と彫られている。もみじ通り。美しい青もみじに包まれた参道となっており、秋は紅葉が綺麗になりそうだ。もみじ通りからさらに竹林を抜けて武雄の大楠へ。「武雄の大楠」武雄神社の御神木。樹高は27mで、根回りは26m。樹齢は3000年と言われている。1989年(平成元年)の環境庁の調査によると、全国6位の巨樹とされる。まるで本当に神様が宿っているかのような、神々しさが感じられ、辺りも神聖な雰囲気に包まれている。下から見上げた武雄の大楠。根元には約12畳の大きな空洞がある。中には天神様が祀られているという。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2022.10.11
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○赤牛ステーキ赤牛ステーキ、サラダ、ご飯、コーンスープ赤牛を贅沢に使ったステーキ。アツアツの鉄板でいただく。国道212号沿いにある、レストラン&SA。阿蘇と日田を行き来するドライバーの休憩地。赤牛(あか牛とも記す)とは、阿蘇の大地で育てられた熊本県のブランド牛で、赤身が多く旨みがあるという特徴を持つ。肉は焼肉やあか牛丼などに使われ、特に阿蘇では広く親しまれている。今回いただいた赤牛ステーキはその赤牛を贅沢に使ったもの。ミディアムの焼き加減で、和牛の旨みが口いっぱいに広がり美味しかった。国道沿いに立っている目印の看板。レストランだけでなく、ガソリンスタンドも併設している。建物の外観。名前通り、風車小屋をイメージした造りになっている。入り口の前に置かれている、ちょっぴり奇妙なピカチュウの藁人形。レストランの隣にはうさぎ小屋もあり、餌やりもできるようになっている。店内のカウンター席は小国の町を一望できる。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2022.11.30
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鳥栖市の郊外、九千部山の中腹に位置する神社。河内大山祇神社とも呼ばれる。御祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)。海の神、山の神として信仰されている。創建の年代は不明。かつて長門の毛利蔵人という人物が、家臣と共にこの地に移住して山野を開墾し、山幸の霊威を仰ぎ鎮守の神として祀ったのが始まりだと言われている。現地の住民によって守られ続け、五穀豊穣と無病息災を祈願する祭礼行事が受け継がれている。境内はケヤキやイチョウ、モミジなどの木々が群生している。秋は紅葉の名所として知られており、11月になると数日間だけ夜にライトアップがされ、大変美しい景観となる。参道。両脇には竹灯りが並べられ、まるで幻想郷への入り口のようになっていた。石鳥居。神額には山神宮と彫られている。周辺のモミジはライトアップがされ、美しい光景に。地蔵堂。石段。石段を上って両脇にある、イチョウの巨樹。神社の御神木で、左のイチョウは樹齢290年、右のイチョウは樹齢280年。どちらも佐賀の名木・古木に選定されており、この他境内にある7本の樹木が同様に選定されている。拝殿。江戸時代後半のものとされている。周辺は灯籠や竹灯りが飾られ、綺麗な光に包まれていた。本殿。沢山飾られた様々なデザインの竹灯り。どれも素晴らしい出来栄えだった。境内の周辺に飾られていた紙灯籠。ライトアップされた神社の紅葉。思わず息を呑むような、幻想的な光景だった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2022.12.18
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備前国百二十八社の御祭神が祀られている神社。市指定文化財に指定されている。御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)、須世理姫命(スセリビメノミコト)、神祇官八神。加えて備前国128社の御祭神が祀られている。大己貴命は大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名で広く知られ、病気平癒、商売繁盛、縁結びの神として信仰されている。須世理姫命は、大己貴命が素盞嗚命(スサノオノミコト)から受けた様々な試練を助けたことから、厄災削除の御利益があると言われている。後に大己貴命と須世理姫命は結婚したことから、夫婦円満、家内安全、子孫繁栄の御利益があるとも言われている。また、備前国128社の御祭神が祀られており、当社にお参りするとこれらの神すべてに参拝したことになり、様々な御利益を得られると言われている。総社というのは、国司が巡拝しなければならない各神社が、国内各地に分散していて不便であるため、国内の御祭神を国府の近接一ヵ所に合祀し、参拝を略式化するために設けられたもの。当社はその内の備前国の総社に当たる。創建の時期は定かでないが、平安時代に成立したと推定されている。律令制崩壊後は、氏神として地域の信仰を集めた。1992年(平成4年)に放火の被害に遭い、社殿が焼失。2010年(平成22年)に本殿が、2015年(平成27年)に拝殿が再建され現在に至る。元日に歳旦祭、2月に節分祭、4月に春季例大祭、8月に夏越大祓祭、10月に秋季例大祭、大晦日に晦日大祓祭が行われている。石鳥居。参道。訪れた時は正月で、参道脇には露店が並んでいた。社務所。随身門。今上天皇聖蹟の碑。手水鉢。非常にこじんまりとしたもの。摂末社。舞台。例大祭の時にここで獅子舞の奉納や、和太鼓の演舞が行われている。拝殿。木造の社殿で、2015年(平成27年)に再建されたもの。本殿。2010年(平成22年)に再建されたもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.02.24
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延岡市の西部に位置する行縢山に懸かる滝。日本の滝百選の一つ。落差は77mで、幅は30m。行縢山の雄岳と雌岳の間、垂直に切り立った崖をさらさらと静かに流れ落ちるのが特徴。その姿から「布引きの滝」と呼ばれている他、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の故事から「矢筈の滝」とも呼ばれる。水量は少なく、時期によっては水が流れ落ちていないことがある。滝までは行縢山を登っていく必要があり、最短ルートの行縢の滝駐車場からのルートであっても、高低差のある山道を片道で30分以上登っていく必要があるため、健脚向け。行縢山の山麓にある宮崎ひでじビール。宮崎県のクラフトビール「ひでじビール」の醸造所。ひでじビールの販売は勿論、BBQビアテラスもあり(冬季は除く)。行縢山の雄岳と雌岳の間、視界の開けた場所に行縢の滝があり、宮崎ひでじビールの場所からも、流れ落ちている様子が観測できる。行縢の滝駐車場。ここから案内板に従って、行縢の滝目指して山道を登っていく。自然豊かな山道。澄みわたる行縢山の渓流。道中にある滝見橋。そこから、行縢の滝の上部が見えるようになっている。滝見橋を渡れば、行縢の滝まであと少し。駐車場から山道を歩いて30分、ようやく滝に到着。疲れたけども感激。滝の全景。ほぼ90°垂直に切り立った崖を、少ない水量でさらさらと水が流れ落ちている。間近から見れるようになっており、滝のスケールは写真1枚に収められないほど大きい。足場が少し滑りやすくなっているので、観測する際は足元に注意を。岩肌に描かれた水の流れは、一部がまるで魚の鱗のようになっている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.10.16
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