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2026.09.28
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カテゴリ: 京都府
小倉山の麓にある天台宗の寺院。正式名称は「小倉山二尊教院華台寺」。山号は小倉山。木造釈迦如来立像、阿弥陀如来立像は国指定重要文化財に指定されている。

本尊は釈迦如来、阿弥陀如来。 極楽往生を目指す人を此岸から送る発遣の釈迦と、彼岸へと迎える来迎の弥陀の二尊。2つの如来像を祀ることから二尊院と呼ばれている。

承和年間に嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師こと円仁によって建立されたのが始まり。鎌倉時代初期に法然上人が二尊院に住んで法を説き、九条兼実を筆頭に多くの信望を集めて栄えた。 第3世湛空上人は土御門天皇と後嵯峨天皇の戒師となり、更に第4世叡空上人は後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇、伏見天皇の四帝の戒師となり大いに栄えた。 応仁の乱の兵火で諸堂が全焼したが、1521年(永和18年)に三条西実隆が寄付を集めて本堂、唐門が再建された。 明治時代に入るまでは天台宗、真言宗、律宗、浄土宗の四宗兼学の道場となっていたが、明治時代以降は天台宗に属している。 2016年(平成28年)に平成の大改修が行われ、本堂が再建されて現在に至る。

拝観料は大人(中学生以上)600円、小人(小学生以下)は無料(団体割引有)。


総門。市指定有形文化財に指定されている。 1618年(慶長13年)に伏見城にあった薬医門を角倉了以が移築、寄進したもの。室町時代の建築。 2014年(平成26年)に瓦葺き工事が行われている。


四季庵。総門をくぐってすぐのところにある甘味処。 小倉餡のぜんざい、八ツ橋、抹茶がいただける。




桜 が華やかに染まり、秋は赤と黄が色鮮やかな 紅葉景色 が大変美しい。 11月中旬に訪れたときはおよそ半分ほどのモミジの木が綺麗に紅葉していた。


黒門。


勅使門(唐門)。1521年(永正18年)に再建されたもの。 本堂へと続く門で、かつては天皇の意志を伝達するために派遣された勅使だけが通れる門だった。 唐破風形の屋根が特徴。




天皇皇后両陛下行幸記念樹。


のきばの松。




本堂。市指定有形文化財に指定されている。1521年(永正18年)に再建されたもの。 本尊である釈迦如来、阿弥陀如来を安置する 。 二尊院と書かれた勅額は後奈良天皇の宸筆。 2016年(平成28年)に平成の大改修が行われた。


御園亭。 後水尾天皇の第6皇女、賀子内親王の御化粧之間が二条家に移され、その後二尊院に移築された。 現在は茶室として用いられている。





手水鉢。綺麗な花手水が作られていた。


弁天堂。 弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神を祀る。 弁財天の他に大日如来、不動明王、毘沙門天などを安置する。


しあわせの鐘(鐘楼)。慶長年間に建立。 1992年(平成4年)に開基嵯峨天皇千二百年後遠忌法要記念として梵鐘が新たに鋳造された。 幸せへの祈願、生きとし生けるものへの感謝、世界人類の幸せを祈願して鐘を3回撞く。


花弁の数は200~230枚で、淡い紅色の花を咲かせる。4月中旬から下旬にかけて開花し、5月まで花を咲かせていることから日本で一番遅咲きの桜とも言われている。


角倉了以像。 角倉了以は戦国時代から江戸時代初期にかけての豪商。徳川家康の政策の下で、朱印船貿易の開始以来13年間にわたる安南国との貿易で財を成した。その私財を投じて保津川を開削し、保津川下りの起源を作ったとも言われる。 他にも高瀬川の開削、富士川、天竜川、鴨川の整備を行い「水運の父」と呼ばれるようになった。銅像は木製の犂を持っている。


法然上人廟。市指定有形文化財に指定されている。 第3世湛空上人の碑を収めている 。 碑は1253年(建長5年)に中国の石工によって彫られたと言われている。 碑堂は室町時代末期の建築。


吉田光由の墓。 吉田光由は角倉了以の一族で、和算の書「塵劫記」の著者として知られる。 二尊院は角倉一族の菩提寺で、この場所が光由の眠る場所であると推定されている。


三帝陵。 土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する。


伊藤仁斎の墓。 伊藤仁斎は江戸時代前期の儒学者、思想家。朱子学に異を唱え、古義学を提唱したことで知られる。「論語」を最上至極宇宙第一の書と称し、生涯をかけてその真意を追求した。 同じく儒学者で長男の伊藤東涯も同じ墓所に眠っている。


富田渓仙の墓。 富田渓仙は明治後期から昭和初期にかけて活躍した日本画家。狩野派を学んだ後、京都で四条派に学び、更には仏教、儒教、キリスト教、古典を学び独自の作風を確立した。 1936年(昭和11年)に57歳で亡くなった。


阪東妻三郎、田村高広の墓。 時代劇六大スタアと呼ばれた俳優の1人で、阪東妻三郎プロダクションを設立し京都市右京区太秦に撮影所を建設した阪東妻三郎と、同じく俳優で息子の田村高広が共に眠る。


八社宮。市指定有形文化財に指定されている。 伊勢神宮、松尾大社、愛宕神社、石清水八幡宮、熱田神宮、日吉神社、八坂神社、北野天満宮を祀る。 境内の東北、表鬼門となっている社。室町時代末期の建築。


小倉餡発祥之地の碑。 二尊院の山号でもある小倉山は、小倉餡の名前の由来と言われている 。 日本で初めて小豆と砂糖で小倉餡が炊かれたのは820年(弘仁11年)。当時この小倉の里に和三郎という菓子職人がおり、弘法大師が中国から持ち帰った小豆を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加えて煮詰めたことで小倉餡が誕生。その後の和三郎の努力により、小豆が広く栽培され小倉餡は全国的に広まった。 井筒八ッ橋本舗が創業200年を記念し、2005年(平成17年)にこの碑を建立した。


和泉明神社。御祭神は弘法大師、和泉和三郎命。 小豆を中国より持ち帰った弘法大師、小倉餡を作った和泉和三郎を祀る。 小倉餡発祥之地の碑のすぐ隣に鎮座している。


木樋。 江戸時代中期に角倉了以が依頼を受け、元和年間に吉田光長、吉田光由兄弟が完成させた菖蒲谷隧道から出土したもの。 2012年(平成24年)に発見され、一部が境内に展示されている。



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最終更新日  2026.09.28 21:30:03
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