2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全21件 (21件中 1-21件目)
1

いよいよウドンターニーを後にすることに。ソンクラン休暇も今日で終わってしまう。同じようにこの5連休の最終日にバンコクへ戻る人は多いため、Uターンラッシュは避けられない。本来ウドンターニーからバンコクまでは休憩も入れて順調に行けば8時間くらいで到着するが、この日はまったく時間がよめそうに無かった。とはいえ、今日は上司一家の車に乗せてもらうため、自分に出来ることといえば話題を提供し、上司を眠くさせないようにすることしかなかった。恐縮です、、、グレーンジャイです、、、朝食を済ませ、車の上に各自の鞄や荷物を載せ、ビニールシートをかぶせ紐でがっちり固定させた。上司の家族は5人なので、自分もあわせて6人の移動になる。出発の用意が整い、上司親族皆に挨拶し、また訪ねに戻ってくることを約束し、出発しました。道ではこの日もソンクランが繰り広げられ、まったく人が外に乗っていない上司の車にも時おり窓目掛けて水が降りかかって来ました(汗)。ウドーンターニーからコーンケーンまでは比較的順調に進み、2時間ほどで到着。しかし、コーンケーンで3つのバンコク行きの幹線道路が1つに集まるので、ここから渋滞が発生。微妙にじわじわ進むことを2~3時間耐えることに。この頃から上司はラジオで交通情報をしきりに探し始める。カーナビなどほとんど普及してないタイでは、少し前の日本と同様ラジオが一番の情報源。が、、、ラジオを聴いていて思ったが、日本のように各ラジオ局が定期的に情報を流してくれるわけでもなく、それほど専門チャンネルも多くない模様。だから上司はしきりにチャンネルを変える。中には交通情報に特化したものもあったが、このようなチャンネルは視聴者からラジオ局に電話が掛かってきて、司会者「もしもし」視聴者「もしもし、こんにちは」司会者「どちらにいますか?」視聴者「現在はコラートの幹線道路が集まるところを通ってます。」司会者「道は混んでますか?」視聴者「事故が近くで発生したみたいで、警察が沢山いて 混んでます」司会者「そうですか、、大変ですね。情報有難うございます。 元気をあげます(ハイ・ガムランジャイ)!。 運転頑張ってください」、、、というような電話がひたすら繰り返され、ラジオを利用する人間にとっては自分の通る道路の近くでなければ、ほとんど意味をなさない(汗)。ときに、チョンブリ(東部)からの情報。ときに、チェンマイ(北部)からの情報。ある意味「Web2.0」的発想ではあるが、この情報の発信の仕方は利用するのに厳しいものがあった。電話してくる人はタンブン(功徳)的発想で情報提供しているのか、皆で辛い運転を頑張ろうという気持ちでやっているのか、暇つぶしでやっているのか、目立ちたいのか、、その理由に少し興味がわいた。関係ない情報が流れる度に上司はチャンネルを変えた、、、(でも、他チャンネルではほとんど交通情報を流してない、、、)タイの渋滞事情はまだまだ課題が山積みなのかも知れません。さて車はウドンターニーを朝10時に出発して、5時間経過した15時でも、コラートには程遠く道中の食堂&お土産屋で昼食&休憩を取ることにした。会社への土産物を買い忘れていたため、土産物屋で色々と見て回っているとモチコーナーが(笑)。タイのモチは饅頭と呼んだ方がいいような気がするが(汗)、幾つか食べてみようと思い、購入。OTOP品のモチも多く売られ、主要なモチ生産地であるナコンサワン県のものが多かったです。(近々、訪れます。)休憩後も、上司はラジオで情報をひたすら探しながら、大渋滞にイライラしつつ、耐えながら頑張り続けていた。僕も眠るわけにもいかないので、日本の話、タイの話、政治の話(汗)、仕事の話、会社の話、経済の話、料理の話を面白おかしくして話題を提供しながら、渋滞の道を進み続けた。結局コラート到着後(夕方17時頃)も渋滞は続き、緩和され始めたのはサラブリー(20時頃)を過ぎた頃。夕食も道中で済ませ、結局バンコクに到着したのは夜中の22時半でした。計12時間半、渋滞込みの500km以上の道のり、、、本当にお疲れ様でした。感謝してもしきれず、後日お礼の菓子折りをオフィスで渡しましたが、彼へのお礼は全然足りません。物だけでなく、彼のためになることがあれば是非とも恩返ししていきたい所存です。家に着き、鏡で日焼けした顔を眺めながら、明日からの仕事へ向けて気持ちを切り替えるようとしたが中々難しく、だけれども、ここで仕切り直して一つ一つ目標を立てながら行動レベルに落とし込み、日々頑張っていこうと決意しました。あまりにも、イサーンの長閑さと対照的なバンコクの喧騒。少しセンチメンタルな気持ちになりながら、新たな都会生活を再開させた。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.15
コメント(2)

2日目も朝から子供達は水遊び。このハイペースについていくべく身体を動かそうにもベッドに身体が張り付いて動かない(汗)。何とか10時過ぎに目が覚め、すぐさま水遊び。子供達と軽く遊んで(戦って!?)、昼食を済ませた後、昨日と同じく道沿いでひたすら水を掛け続ける。子供達の何人かは、自分が冷水を浴びると「オ~ッ!!!」と叫ぶのことが面白いらしく、何故か自分を標的に水を掛けてくるようになってきた(汗)。なので、道行く車、バイクに綺麗にバシャッと水を掛け、決まったっと思った瞬間、後ろから水を掛けられバシャッ。「今僕らはチームで、相手は道を通る人たちだよ」と説明しても、それがまた面白いらしく、この後も冷水を食らい続けるのだった。日が少し弱くなった午後3時ごろ、ピックアップトラックで市内を回りに行くからジョインするかと言われたので、一つ返事で行くことに決めた。ピックアップトラックに巨大なバケツをのせ、紐で縛り固定した後、水を溜め込む。そして、6人で荷台に乗り込み、準備万端で市外へ繰り出した。道に出た瞬間、冷水を中心に集中攻撃を食らう。掛けられる方はこんなにも集中して水を掛けられるのかと驚き、相手の気持ちをようやく理解することが出来た。荷台は女の子が中心だったので、冷水を掛けられる度に黄色い声を中心に叫び声があがった。また水がどこから飛んでくるか分からないので、度々耳に水が入った。その度「カオフーロ~(耳に入ったの)?」というフレーズが飛び交った。日が陰る頃上司の実家へ到着。ソンクラン祭は実際明日も続くが、上司と自分は明後日仕事ということもあり、タイ動乱騒動もようやく落ち着き始めたとのニュースを耳にしたので、明日の早朝返ることになった。祭りの後は本当に切なくなる。タイの地方も慣れてくるとずっといたくなる。だが、それでも自分は首都バンコクへ戻る。自分が絡んでいる一つ一つのビジネスにタイ人も日本人も頑張っているから、自分のせいで止めるわけにはいかない。、、、と、格好つけた理由で自分で自分を説得した。その日の夜は食事を取りながら、上司の親戚の人から優しい言葉を掛けられた。ある人からは、「お前はもう弟同然だから、たとえRさん(上司)がウドンに来れなくて、お前一人で来てもここに泊っていいからな。連絡しなさい。」と言われ、またある人からは、「次はいつ来るの?日本に帰るのも大切だけど、ここもあなたが帰ってくる場所の一つだからね」と言われ、心から感謝するとともに、哀愁漂う晩餐となった。夕食後、長寿を祈り一家の長の手に、親族一同で水を掛けることに。上司のお母さんと(お父さんは残念ながら他界されたので)上司のお兄さんが長となり、我々は一人ずつ並んで水を掛けていった。食事も終わり、身支度を済ませて眠りに就くこととした。いよいよ明日は5日ぶりにバンコクに戻る。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.14
コメント(0)

翌朝は8時に気持ちよく目が覚めた。久しぶりのバスケによる筋肉痛は軽いものだった。ホンナーム(トイレ&浴室)に行き水浴びをする。ちなみに、水はおけにたっぷり汲んであり、それでトイレも流すし、顔も身体も洗う。歯も磨きます。久しぶりのタイ地方モードに最初は少し抵抗がありましたが、一日あけると既に当たり前のこととして慣れていました。人間って不思議なものです。というか動物は皆「順応性」が遺伝子に備わってるということでしょうか、、、穏やかな朝、家の庭を散歩してみると大きな犬が4匹もいました。相当大きかったです。庭の木にはマンゴーがなってました。将来は自分も育ててみたいです。庭でのんびりしていると、子供の一人が「モチさん、ソンクランだよ。遊ぼう!」と大きな声で言ってきた。自分はまだ何も準備をしていなくて、携帯もポケットに入っていたので、びっくりして慌てて家の中に戻りました。うずうずして待ちきれない子供達。結局自分も朝から水遊びに参加し、すぐにびしょびしょに。子供より楽しく遊ぶをモットーにしているため、本気で遊びました(笑)。ウドンでは昼の1時ごろから本格的にソンクランが始まります。道沿いにはでっかい箱に水を蓄え、道を通るあらゆる車(トゥクトゥク、モーターサイも含む)に水を掛けまくります。特に、ピックアップトラックの荷台には同じようにでっかい箱や巨大なバケツに水を溜め込んで、そこから水を掛けて来るので、水の掛け合いに発展します。バケツには水をためるだけでは間に合わないので、氷を入れて増やしていくのですが、これがものすごく冷たい冷水に変化し、女の子も、男の子も、オカマの子(?)も発狂するがごとく叫びます。すぐに笑いに変わるところがタイらしいですが。朝の9時からソンクラン祭を始めて、気がつくと夕方6時に。一日中水遊びをしている、こんな贅沢な一日の使い方ができたことに感謝し、子供たちと同様に終わりたくないけど、明日をまた楽しみにして、この日のソンクランを終えることにしました。夜はまた宴を開いてもらい、飲んだり食べたりと盛り上がりました。気持ちよくなってきたところで、「モチさん、今日もバスケットしよう!!」底無しのエネルギーを持った子供達からのお誘い。断るわけにはいきません。2日連続のモチのバスケ教室を開講。限界まで遊び、連日の心地よい疲れとともに眠りに着くことにしました。明日も思いっきり楽しもうと思いながら。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.13
コメント(0)

ノーンカーイのバスターミナルからウドンターニー在住の会社の別部門のタイ人上司に電話をかけた。「これからノーンカーイを出て、ウドンに向かいます。明日の朝合流できますか?」突然この日にウドンに行くことに決めたので、上司の家にいきなり訪れてはまずいと思い、明日会うことにしようとしましたが、「そんなこと言わずに泊りなさい。バスターミナルに迎えに行くから着きそうになったら電話しなさい。」となんとも有難い申し出。何度か断るも「遠慮するな」といわれお言葉に甘え、彼の家に泊めさせてもらうことにしました。ノーンカーイからウドンターニーまでは約1時間。一眠りして覚めたら到着しました。上司がウドンのボーコーソー(バスターミナル)に迎えに来てくれて、上司のご家族と車の中でご挨拶。その後、彼の実家へ。多くの親族が上司の両親を中心に集まっていて、いくつかの家族は同じ敷地内に家を持っていました。昼に撮影した写真。なんとも立派な高床式の家。まさにサバーイサバーイでした。気持ちいい風が時おり入り込み快適でした。この日の夜は上司の親族や親戚、その友人や恋人など数多くの人と挨拶をして(正直誰が誰か分からなくなる位多かったです、、、)沢山の料理をご馳走になりました。お酒ももちろん頂いたのですが、庭にあるバスケのゴールをみてしまったことと(笑)、子供達の「遊ぼうよ~」攻撃にやられバスケをすることに。ウドンでモチのバスケ教室が開かれましたトリッキーなジェイソン・キッド的プレイをすると(笑)、小学生くらいの子供はキャッキャッと言ってはしゃぎ、みんな汗だくになりながら楽しみました。心地よい疲労感と明日のソンクランを期待して眠りに就きました。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.12
コメント(0)

タートアルンまで灼熱の中歩き続けること20分。ようやく到着しました。黄金のジェディーがそこには建立しており、太陽の光が綺麗に反射してました。ワートアルンに着いた瞬間気が抜けて疲れが出始めました。この灼熱の暑さはもちろんですが、やはりタイとは勝手が違うこと、街に食堂レストラン(庶民派レストラン)や屋台が少なくて昼食を逸しているところなど、、、とにかく気力が抜け始め、、、ラオスを半日で脱出することにしました!決してラオスが嫌いということではないですが、自分のイメージしていたラオスはここではなくサワンナケートやルアンプラバンなのかも知れません。また改めて訪れたいと思い、タイへ戻ることを決めました。ただ、ここまま帰るのはもったいないので、トゥクトゥクをつかまえ、寺院のホープラゲーオとワットサケットに立ち寄り、軽く昼食を済ませ、トゥクトゥクでタイ-ラオス友好橋まで直行することに。ワットサケットの中の通路が綺麗でした。友好橋に戻る際にメコン側の工場をゆっくり観察しました。ビアラオ(ラオスビール)工場をはじめ、ホンダやペプシ工場が立ち並んでおりました。まだラオス内陸部まではインフラ整備の問題もあり、中々入り込めない状況があるようです。メコン川沿いであれば、すぐにタイにも運べ便利ということでしょうか。しかしながら、ラオスという国は色々な資源や商材があると思うのですが、海と接していないため船便による輸送となると、必ず隣国(タイ・ベトナム・カンボジア)を通る必要があり、この先もしばらく関税の問題で悩みそうです、、そんなことを考えながら、今度はバスでタイ-ラオス友好橋を渡り、出国を無事すませ、タイ側へ到着し入国審査ゲートにいきパスポートを見せると、懸念していたビザ・マルチプル「USED」に突っ込まれ、ビザはどうしたと問われ、再度説明。来年4月までビザがあること、タイの鉄道の駅で間違って書かれたことを丁寧に説明しました。係員がいまだに良く分からないといった表情をしているので、自分も不本意ながら少し強く言うと、別室に来てくれといわれ、彼の上司のタムネン・スーンスーン(役職の偉そうな上司)が登場し、自分のパスポートをチェック。落ち着いた涼しい表情で、「ノーンカーイの駅ではどんな係員だった?」と聴かれ、彼の特徴を思ったまま答えると、上官が苦笑いを浮かべ、「ああ、あいつか、、、」と発言。どうやら、ノーンカーイの担当員はよくヘマをするらしく、今回のようなケース(間違ってサイン、記入する)ことも珍しくないとのこと。上官が、「証拠に彼のパスポートをコピーしておいてくれ」と部下に指示し、自分のパスポートには上官の名前のサインが書かれ、「何かあれば経緯を話し、私の名前を伝えて下さい」といわれ、ようやくタイ入国審査完了。おそらくはノーンカーイ駅の担当員は後にカミナリを落とされることと思います、、、疲れがどっと出て橋からまっすぐ歩いていくと、赤い集団と警察隊がもみ合いに。ノーンカーイに入国したばかりの人たちはタイ人も外国人もどうしたものかと騒然に。自分も混沌とした状態を見つつ、「どうしたものかと」ぼ~と眺めていると、横からトゥクトゥクのおっちゃん登場。「横の道を通れば大丈夫、どこに行く?」といってきたので、彼を信じボー・コー・ソー(バスターミナル)へ向かう。騒然とした赤い集団と警察隊のもみ合いをよそに、トゥクトゥクで脱出。ひと先ずはこれで、ゆっくりできると思った瞬間、バシャッ!!見事に道の脇から水をかけられました、、まったく予想してなかった一日前のソンクランに携帯がもろに被害を受け、しばらく応急処置をし、乾かすことに尽力しました。結果、無事でしたがもう既にソンクランは始まっていると肝に銘じ身の回りを固めました。夕方6時無事ノーンカーイのバスターミナルに到着。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.12
コメント(0)

右も左も分からぬラオス。実は今回タイのガイドブックのみで、ラオスに関する情報は何も持たぬままやってきた日本人。タイよりも暑いまさに灼熱のこの地で、遠くにパトゥーサイ(凱旋門)が見える。ラオス・ヴィエンチャンのシンボルともいうべき門。先ずはそこを目指すべく歩き始めた。唯一友人から得た情報で貸し自転車がそこら中にあるということだったが、地元の人に聞いても知らないという人が多かった。(ラオス語で話さないからか?)情報と大きく違ったので、ここ最近貸し自転車が減ったのではないかという気がした。そんなことは気にせず、自分の歩を進めていく。暑さに完全に力を奪われたが、初ラオスで気合がみなぎっていたため、なんとかパトゥー・サイに到着した。門の下に入り、水を買い飲み干す。ぼ~と、上を見上げると綺麗な装飾が施されていてしばらく見つめていた。門の上に上るべく25Bを支払う。ちなみに、5000キープ=25Bでした。ヴィエンチャンを一望しました。ヴィエンチャンは実に整備されていて、車こそ多いものの、道路は舗装され、街全体として綺麗な印象を受けました。踊り場も素敵なつくりでした。見晴らしのいい景色を臨んだ後、パトゥー・サイの中にある土産物屋でラオスの地図(100B)とラオスTシャツ2枚(150B)を購入し、次に目指すはタートルアン。貸自転車もないし、ここは敢えて自分の足で歩き続けることにした。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.12
コメント(0)

電車は比較的新しく、すぐさま加速してスピードに乗った。2、3分でタイ-ラオス友好橋が見えてきた。川沿いでは多くの子供が泳いだりして水遊びをしていた。橋に入るとタイの国旗が一定間隔ごとに立っている。いよいよ橋の真ん中へ。メコン川という国境に上に立つ。一瞬に過ぎ去った感慨深い瞬間だった。ターナーレーン駅に到着し、振り返るとラオスの国旗を背に満面の表情を浮かべる電車がそこにはいた。興奮を押さえ、ラオスの入国審査へ。先ほどのビザの件が懸念されたが問題なく通過。気分よくターナーレーン駅の外へ。、、、が、辺りには何も無い。駐車場と平地が広がっているのみだ。集団が遠くに集まっていて何かと思ったが、とき既に遅し。ヴィエンチャン行きのロットトゥーが出発したのだった。取り残されたラオス人、タイ人もどうすると顔を見合わせる。というのも、ターナーレーン駅周辺にはタクシーもトゥクトゥクもバスも通っている気配はない。駅員に尋ねると、ロットトゥー(乗り合いバン)しかないという。ロットトゥーもどうやら個人で運転している連中がほとんど。来る気配が無く、暑さにやられながら30分ほど待っていると、ラオス人の家族がロットトゥーに乗るのを発見。自分も乗せてくれと交渉すると「1500B」といわれ、ふっかけ過ぎで少し頭に来たが、交渉して500Bに。暑さで体力が消耗してきた為、自分も折れて車に飛び乗った。冷房の聴いた車の中で、ラオスの大家族としばし談笑しながら右側通行のラオスの道路を楽しむ。道はイサーンとかなり似ているが、右側通行だと不思議な感じがする。タラート・サオ(サオ市場)付近でおり、500Bを支払い(泣)、笑顔で分かれる。さあ、いよいよラオスの旅がスタートする。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.12
コメント(0)

ゲストハウスのチェックアウトを済ませ、近くの食堂で朝食を食べる。この日も朝からとても暑かった。 生涯初の国境越えは電車と決めていた。3月上旬に「ノーンカーイ-ターナーレーン」間に電車が開通したニュースがテレビ、新聞を騒がせていて、その時からその電車に乗ってみたいと思っていた。ノーンカーイ駅に到着し辺りを見渡したが、開通から1ヶ月以上たった今ではバンコクから来たタイ人や外国人を目にすることは多くなかった。ノーンカーイ駅ノーンカーイ駅ホーム地方のありふれた駅の一つに戻ったノーンカーイ駅だったが、自分にとっては初の国境横断の出発地点。躍動感はおさまらず、電車はまだかと待ち続けた。しかし、出発時刻の午前10時に近くなっても電車が来る気配はなし。タイの鉄道なので予想はしていたが、結局電車が来たのは11時を過ぎた頃だった、、、ホームにある小さな出国審査のゲートもいよいよ開き、40代位と思われる痩せ型でメガネを掛けた担当員に対応してもらう。最近会社の人事部の方にビザ延長申請をしてきてもらったので、全く問題なしと安心しきっていたら、担当員が何を思ったのか「マルチプルの査証」に堂々と「USED」と書きしるした。達筆です!!って、そうではなく、慌てて指摘しようとすると、遮るように横にいた上司と思われる職員が「それはマルチプルで、期限も来年まであるよ!!」と慌てて注意した。時すでに遅し。完全に手遅れだけど・・・どう修正するのか見ていると、そのマルチプル査証の横の部分にタイ語で『ミー・マルチプル(マルチプルあります)』と書いて、「すみません(コートート)」と苦笑いをしながらパスポートを返された。何だか微妙な対応で嫌な予感がしながらも、審査ゲートを後にし電車に乗り込んだ。ターナーレーン行きの電車1時間待たされたことなど、どこかに忘れ、一人で「おお~」と歓声を上げ続ける。電車がいよいよ動き出した。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.12
コメント(0)

夕食を食べに夜の屋台&食堂の多い通りを歩いていると巨大な丸鶏グリラーを発見。豪快に何羽も焼いていました。その後、最寄のお寺に立ち寄るとソンクラン前ということもあり、沢山の人が集まっている。どうやらオークションをやっているらしく、それを購入したお金は寄付されるらしい。自転車やら枕やらが出展されてました。ちなみに、たいていの人は買ったものを恋人や子供にあげてました。寄付してタンブン、プレゼントして喜ばれタンブン。2回徳をつめるのでしょうか、、、となりの広場ではモーラムが歌われていました。唄っている女の子達はアイドルさながら。色々な人から20バーツを手渡されてました。タイ人に聞くと、渡す瞬間に手を握るのがコツなんだとか。無理やり近くにいたタイ人に「やれ」と言われ、シェイクハンドしました本当です。自発的ではありません(笑)。さて、いよいよ自身生涯初の陸路による国境越え。鉄道でタイーラオス友好橋を渡ることを決め、長い一日を終えました。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.11
コメント(4)

サーラーケーオクー、別名ワット・ケークはスラリット師の指導により建立された寺院で、 一つ一つの像にこの師の思想が反映されているという。 人生のあらゆる局面が仏像を通じて表現されている気がしました。おそらく僕が表現するより写真を通じた方が雰囲気は通じるかと思いますが、若干付け加えるとこの寺院はもの静かな雰囲気でした。雨が降り出しそうなこともあり、さらに謎に満ちた空間に感じました。この口の中に入っていくと更に人生の縮図のような空間が広がっていました。口の中。一つ一つの仏像をゆっくり見て回り、丁度終わる頃に土砂降りの雨が降り始めた。トゥクトゥクに無理して乗って帰ってもずぶ濡れになってしまうので、しばらく土産物コーナーを見て回ることにした。サングラスの店で一つ購入しようと入念にチェックしていたら(笑)、「日本人ですか?」と年配の店員に声を掛けられた。「はい、日本語どうして話せるんですか?」と聞き返すと、以前に愛媛でお茶の勉強を2年間したことがあるとのことだった。雨もしばらく止みそうにないので、彼女としばらく話しこんだ。ノーンカーイのことや、彼女の今までの仕事の状況、自分のこれまでの旅の経緯、自分のタイでの仕事の話等々、、、仏像に囲まれた空間の中で会話を楽しみ、ゆっくり時間は流れた。ノーンカーイで売っている繊維品や小物はたいていは中国製のものらしい。ウドンターニーの市場で仕入れ用に頻繁に売られており、彼女も週に一度くらいのペースで仕入れにウドンターニーまで行っているとのことだった。雨は少し弱まってきたが、止む気配がなかったので、彼女が市街地まで送っていってくれると有難い申し出を頂いた。それは申し訳ないと何度か押し問答したが、結局市街地まで車に乗せてもらうことに。この優しさはどこから来るのだろうか、、、自分が宿泊するゲストハウスの近くまで送ってもらい、再会を約束して彼女と別れた。荷物をゲストハウスに置き、しばらく休憩。夕食を食べに改めてゲストハウスを出ると雨もすっかり上がり、メコン川も夕日に照らされていた。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.11
コメント(0)

あずまや(サーラー)で、メコン川を眺めながら休憩することにした。考えてみたらノーンカーイに着いてから、ひたすら歩き続けていた。歩くことは嫌いではないが、バスでの車中泊、この強い日差しで身体は思った以上に体力を消耗していた。そんな自分を癒すかのようにあすまやに涼しい風が吹き抜ける。この日陰は景色もよくて、まさに快適(サバーイ)だった。近くの家族連れの一人の女の子が話しかけてきた。何だかこの旅はこういうシリーズが多いが(笑)、その子は開口一番「疲れてるのですか?大丈夫ですか?」と話しかけてきた。そんなに自分が疲れてみえるのかと思い、気を引き締め直した。そして自分が今回ここまで来るまでの流れを話すと、「凄い、!外国人なのに。旅行するのが上手だね」と言われたが、日本人やファランが一人でこの地まで来ることは、今日それほど難しいことではなくなっていると思う。バックパッカーもそこら中に見かけることができるし。ただ、社会人の休暇として自分はこの場所に来たが、傍目から見ると完全にバックパッカーに見えることに気付いた(笑)。明日ラオスに入るという話をしたら、彼女はとても羨ましがり、「私はラオスに友達がいて会いに行きたいけど、親がとても厳しくて絶対にラオスに行ってはいけないと言うから、、もう23歳なのに!」と切なそうな表情をして言われたが、僕はどう返答することも出来なかった。苦肉の策から出た言葉は、「どんな状況であれ、自分の目の前にある状況を楽しむしかないね」と格好つけた言葉だけだった。「ラオスにいけるまで頑張れ!」と続けると、「ありがとう」と笑顔で返され、彼女は家族と帰っていった。その後、この日はノーンカーイに泊り観光することに決め、近くのゲストハウス(400B)を押さえ荷物を置き、シャワーを浴び、次に目指すところを考える。「サーラーゲーオグー」という場所があるのに興味を奪われた。市街中心部からは少し遠いが、折角の機会なので、通りまで出てトゥクトゥクに乗っていくことにした。150Bと言われ交渉して80Bまで下げて乗り込んだ。当初この価格でも高いと思っていたが、実際の距離を考えるとそれほど適正価格から外れてもいなかった。トゥクトゥクに揺られること15分、サーラーゲーオグーに到着。そこには今までタイで見たことのない、我々を威圧するかのようなそして、何かを物語るかのような巨大な仏像が立っていた。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.11
コメント(2)

ソンクランを控え、各準備に取り掛かるワットポーチャイを後にし、「地球の歩き方」で地図を確認し歩き出す。そう、目指すはメコン川。一瞬迷うも方角を確認し、ひたすらまっすぐ歩き続ける(北上する)。この日の日差しは強く、肌がヒリヒリし始めた。喉の渇きが気になったのもつかの間、眼下にメコン川が広がった。この辺のタイ人にとっては当たり前の光景の一つ、生まれた頃からそこにあるものなのかも知れないが、島国日本で生まれ育った自分にとっては、初めての国境。川の向こうに移る土地がラオス、異国なのだ。昨年の9月に北海道から北方領土をみたときも、歴史を感じ色々と考えさせられたが、今回は東南アジアの歴史について考えさせられた。メコン川沿いの食堂でパット・シーイウを食べて、川に沿ってまっすぐ歩いていくことにした。ノーンカーイには綺麗なお寺や不思議なお寺が多かった。歩き続けると、ターサデット市場に到着。アーケードのあるエリアもあり、何だか沖縄の国際通り近くの商店街に似ていた。商店街を散歩しながら、更に西の方に歩いていくとラオスをもっと近くに臨むことができる場所に抜けることができた。そして、近くにあずまや(サーラー)を発見したので、しばらく休むことにした。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.11
コメント(2)

バスで隣の席に座っていたタイ人(ジュム)と色々な話をした。彼女はエレクトロニクスの業界で働いていて、アユタヤの工場でQAをしているとか。彼女の業界の現状、自分の働いている業界の現状タイ経済、世界経済、、、色々話せてとても面白かった。その後少し眠りにつき目を覚ますと、時刻は既に朝の9時。東北地方の幹線道路が交わるナコーンラーチャシーマー県の渋滞に長い時間捉まってしまった。その後バスはコーンケーンを通り過ぎる。隣のジュムも目を覚まし、外を指差し「ここにはタノン・カーオニアオ(もち米通り)という名前の通りがあって、そこのソンクラン(水掛祭り)もとても有名だよ」と説明してくれた。僕は「なぜそんな名前がついたの?面白いね。」とすかさず聞いた。「バンコクのカオサン通りがあっちにあるとすれば、コーンケーンのカオニアオ通りはこっちにある。ごく自然なことだよ。」と彼女は答えた。あまりすっきりしない回答かもしれないが、何だかその説明に僕はとても感動した。午後12時前にようやくノーンカーイに到着。ジュム達一行と再会を誓い、別れの挨拶。その後、ボーコーソー(バスターミナル)近くのお寺ワットポーチャイをしばし訪問する。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.11
コメント(0)

仕事を6時に追え、急いで帰宅しシャワーを浴び、旅支度をする。先週購入したチケットに書いてある出発時刻は8時半。比較的現在住んでいる場所が北バスターミナルに近いので、7時半に出れば余裕もって着くだろうと完全になめていたら、結構渋滞して一瞬焦りを感じた。大通りでタクシーを探していたら、横からバイタクおっちゃんが話しかけてきた。「80Bでバスターミナルまで言ってやる。」この価格は距離を考えるとかなりローカル価格だが、10B粘って70Bにしたところで、バイタクに飛び乗る。この運転手が軽快な走り(危険な走り?)を展開し、まさに縫う様な走りで20分で到着。北バスターミナルは見事に帰省する人でごった返していて、さらに皆スペースがあると座り込んでいるので、余計にフロアが狭く感じた。この無秩序がアジアらしいという人もいるだろうが、ここまで来ると秩序もほしい。そんなことを考えながら歩いていたら、自分のバス(ウドン行き)が来るであろう場所に到着。しかし、予定時間になってもバスが来るは気配はない。なぜなら目の前にあるバスは30分前に出ていなければならないバス(汗)。おそらく自分のバスも30分以上遅れるだろうと思っていたら、突然遠くでチケットを頭上に掲げて「このチケットを持っている人はこっちに来て!」と叫んでるおっちゃん登場。周囲の同じチケットを持っていたタイ人は慌てて彼に続く。自分も乗り遅れては堪ったもんじゃないと思い、同じく慌てて続く。結局10分以上も歩かされ、北バスターミナルの外(?)とも思われるような場所に移動。しばし同じチケットを持った集団で固まって待たされる。別会社?個人営業?まさか、、無許可?、、、など色々考えていると、一台のバスを指差し「乗り込め」とスタッフが言っている。念の為、そのスタッフにチケットを見せ「これでいいのか?」と確認してもらうも、適当に確認してるように見えたので、隣にいたバスに乗り込もうとしている人にも確認すると、「このバスはウドンに行くよ。」と言っているので、信用して乗り込む。乗り込んで1時間経過。乗せられる限りの乗客を集めているようで、チケットを買ったばかりの乗客も沢山乗ってくる。1週間前に来る必要は無かったのかと、、若干後悔しながら時計をみると時刻は既に9時半を回っていた。いよいよチケット回収が始まる。「さあ、早く出発してくれ」とチケットを渡すと、係員が「これはウドンには行かないぞ、あっちのバスに乗れ」と指差し言ってきた。完全にやられたと思い、眠気もふっ飛び、荷物を抱えウドン行きのバスに乗り込んだ。今度こそ間違いないだろうと乗っている乗客に確認。友達総勢5人で来ている同年代のタイ人集団に今までの経緯を話すと皆爆笑。「このバスはノーンカーイまで行けるよ」といわれ、「ウドーンターニー行きと書いてあるけど、行けるの?」と聞き返すも、「行けるよ、大丈夫」とまた笑われた。実際係員にも何にも言われず、ノーンカーイへ向けバスは出発した。このタイ人集団一行と意気投合し、様々な話題を楽しみながら、ようやく東北のラオスと国境で面した土地ノーンカーイへと旅路をスタートさせることができた。ワン・クリックお願いします☆
2009.04.10
コメント(2)

UDDリーダーが道路封鎖を解除すると発言したそうです。徐々に渋滞が解消されていくことと思います。さて、自分は先ほど無事帰宅。 ソンクラン前と言うこともあり、駆け込み仕事が沢山。 日本側の要求が無茶なことも多々あり、 ソンクランにタイの工場が全く稼動しなくなることを 知っていてそうしてるのか、本当に知らないのか、、、 タイとビジネスする以上、知っておくべきかとも思います。 そんな愚痴を吐いても誰も得しないので、飲み込んで、 消化し、ラオスに旅立ちます!! かなり今日は疲れがたまってるので、バスで爆睡予定です。 別の課の上司は一足先にウドンに向かってるそうで、 「明日到着したら電話しなさい」と嬉しい電話がありました。 って、今日は政情不安のため会社は半休日ですが、 彼はもうサラブリ県に着いてるとかで、、 今日の会社のオフィスはほぼ日本人が出勤して、 タイ人は一部の人のみ出社。 面白い現象が起こりました。 自分の課も業務の人が休みで、久しぶりに業務の仕事をしました。 通関タイ語、物流タイ語も中々難しいです、、、 って、8時半モーチット発なので、そろそろ家を出ます。 では、ハッピーソンクラン!!
2009.04.10
コメント(3)

小生の会社は様子をみて、午前中休みとなりました、、、自宅でワークしながら状況をテレビやネットでチェックしています。以下ご参照下さい。「タイの地元新聞を読む」http://thaina.seesaa.net/「タイ-Yahooニュース」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090410-00000006-nna-int
2009.04.10
コメント(2)

詳細つかめてませんが、首相がテレビで演説しました。「UDD(反独裁民主戦線/赤)が直ちに解散しなければ、法律に則り、対応するとのこと(UDDリーダー逮捕)。」そうなった場合、さらに大きな混乱になる可能性があります。3年前のクーデターの時のように戒厳令も出るでしょう。在タイの皆様、くれぐれもお気を付け下さい。タイ人友人と連絡を取り、情報収集しました。・UDDの要求は(1)アピシット首相退陣、(2)プレム枢密院退陣、(3)国会の解散とのこと。・UDD曰く「今日はタクシードライバーが抗議活動(何のため?)に突然集会し始めた。このことは一切知らなかった」とのこと。・プロム枢密院を支援する青シャツを来たグループも大きくなってきている。(着れる服が減っていく、、)・夜が深まるにつれてUDDはスクンヴィットにある首相邸宅に近づいていくとのこと。・明日、国会ならびに公務員は休みとなるそうです。・前首相ソムチャイ氏もUDD集会のステージに立ってる映像がTV流れてました。・最近UDDの集会に映像で参加しているタクシン前首相は、近々タイに戻り、あえて捕まり徹底抗戦の構えも見せているとのこと。、、、何はともあれいち早く平穏になることを祈るとともに、タイという国が本当に良くなるために、政治を初め社会や経済が機能していくことを願います。
2009.04.09
コメント(2)

先ほど無事帰宅しました。 この場では政治的な発言は控えさせて頂きますが、 バンコクがまた混乱し始めております。 日本でも既にご存知の方もいるかとは思いますが、 赤いシャツを来た反独裁民主戦線(UDD)が国会、 新首相のアピシット氏邸宅、2年前のクーデターの首謀者との 疑惑が持ち上がっているソンティ枢密院邸宅を包囲し、政府側から 何の回答も無かったことから更に状況は激化し、二つの 戦勝記念塔(アヌサワリー・チャイとプラチャーティッパタイ)、 そして主要幹線道路の一部が封鎖されているとのことです。 先ほどBTSで帰宅する際に、車上からアヌサワリーチャイを 見渡すと、記念塔周辺に赤い服を着た人達と、タクシーで 埋め尽くされていました。 (※タクシードライバーも多くこの抗議活動に参加しているとか) 会社も昼過ぎ頃から段々と慌しくなり、4時過ぎには早退勧告(?) のような社内メールも回りました。 とはいえ、大事な案件が残っていたのと、そのタイミングに 帰る理由も見当たらないので仕事を片付け帰りました。 (といいつつ、スコールに遭い(泣)、一度社内に戻り、 雨宿りついでのワークを敢行) 今後どうなっていくか分かりませんが、現在は UDDがアピジット氏とプレム氏の回答を要求し、 いまだ何の回答も返って来てないという状況です。 これ以上の混乱は避けたい。 国内的にも、国外的にもマイナスが大きすぎる、、、 そして、政治的に物事を決めていってほしいです。 どちらにも言えますね、、、 色々思うところはあります。 でも、揺ぎないのはこの一言。 「全てはタイという国のために」
2009.04.09
コメント(4)

最近はかなりの量のスコールが昼前後から、結構長い間降り続き、家の中で足止めを食らうこともしばしば。気を取り直して出かけようとすると、アパートからBTSまでの道のりには見事に水が溢れ返ってます。池(?)と化した道を眺めながらどうしようか考えていると、バイタクの兄ちゃんが丁度通り過ぎ、こっちを見てニヤッとして、「パイマイクラップ?、ピー(兄さん、乗っていきます?)」と聞いてきたので、「パイネーノーン(もちろん行くよ)」と即答。彼が相当運転に気を使ってくれたおかげで、足を上げながらバイクの荷台乗り耐えること3分。ほとんど濡れずにBTSに到着しました。かなりグッジョブでしたワンクリック☆お願いします。
2009.04.06
コメント(2)

久々に北バスターミナルに行ってきました。最近は連日の雨が降り続き、空には怒号ともいえるような雷が鳴り響いてます。タクシーで「ボー・コー・ソー(北バスターミナルでバスを運営している会社)」と告げると、「どこ?」と聞き返されたので、「モーチット・マイ」と言い直すと「カオジャイ(分かった)!」と言われました。たいてい上記二つのどちらかの名前をタクシーに言えば通じるのでお試し下さい。北バスターミナルの中は、これから地方へ帰る人、向かう人でごった返していて、とても活気がありました。また、僕と同じようにソンクランの時期に帰るためチケットを予約しに来た人も多数いました。「ノーンカーイ」の文字を見つけたところを片っ端から尋ねていき、10日(金)夜か、11日(土)朝に出発するチケットを探しました。5~6社ほど回りましたが、全て完売。「チケットに空きが出始めるのは、既にソンクランに突入している12日(月)過ぎ」といわれ、若干疲れが出始め少し休憩。トイレに行こうとしたところ、とても混んでいるバス会社を発見。気を取り直しカウンターに尋ねましたが、ここもチケットがないようで諦めようとしたところ、ちょっと偉そうなオッちゃん登場。そのバス会社ブースの端の方へ呼ばれ、再度ノーンカーイ行きチケットの相談。えらく吹っかけられるかと思いきや(汗)、親身に相談に乗ってくれて「ウドンまでのチケットなら680B、北バスターミナル金曜の午後8時半出発である」と言われ即決しました(笑)。しかもVIPです。さすがに8~9時間の道のりですし、、寝ていくこともありVIPか、せめて1等を利用した方がいいかと。これで、ソンクラン計画かなり前進しました。ウドンも開拓します。農産物を色々みたい!10日(金)バンコク発11日(土)早朝ウドン到着、ウドン観光 ノーンカーイへ移動、観光 ノーンカーイ宿泊12日(日)ラオスIN ヴィエンチャン観光13日(月)ヴィエンチャン観光 ラオスOUT ウドンorコーンケーンorコラート観光、宿泊予定14日(火)バンコク着ラオスの友人とは未だ連絡取れず。日本で学会があるとか、、、?会社の別課のタイ人上司が実家があるウドンに帰省するとかで、帰り道でジョインすることも目論見つつ、、、(笑)まだまだ計画大まかですが、練っていきます。
2009.04.05
コメント(4)

ソンクランまで後1週間ちょっと。 本当に間際ですが、ようやく決めました。 ラオスに行ってきます。 今回、友人の方々から色々お誘いを頂いたのですが 敢えてここは一人旅で、当時一人でガンガン開拓していた感覚を 取り戻しつつ、いや、その頃を超越しつつ、タイで新たに養った 視点や社会人の洞察力で探検していきたいなと思い決めました。 今のところはバスで行く予定ですが、予約しないと厳しそうなので、 明後日モーチット・バスターミナルに行き、空き状況確認のうえ 予約して来たいと思います。 (飛行機じゃないので、VIPもあり?) もし駄目ならバスのランクを下げるか、電車。 電車も駄目なら電車のランクを更に下げて行こうと思います。 とりあえず、大きな予定としては、、、 11日(土)バンコク→ノーンカーイ ノーンカーイ観光、宿泊 12日(日)ラオスIN ヴィエンチャン観光(原付、チャリorトゥクトゥク貸切) ヴィエンチャン宿泊 13日(月)ラオス午後OUT(午前はラオス・ソンクランを堪能) イサーンの県を2箇所ほど開拓予定 (候補はムグタハーン、ウドン、サコンナコン、ローイエート) イサーン宿泊 14日(火)イサーン→バンコク ガチガチに決めず、ラフプランでFreeEasyに行きたいと思います。 色々な発見に期待するとともに、数少ないラオスにいる友人にも 会えればと思います。 まあ、先ずはチケット予約から!ワンクリックお願いします☆
2009.04.02
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1