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台風の影響がまだまだ残る箱根にあって、御殿場から乙女峠を越えて、仙石原にやってきました。箱根、特に金時山などの外輪山は何度も登っているので、仙石原は馴染みの深い地名です。しかしながらすぐ近くを通過するだけで、実際に訪れたことはありませんでした。今回は初めて、しかも仙石原が最も美しい季節に訪れることができました。(11月中旬の話です)仙石原は有名なススキの群生地です。ススキが群生すると圧巻で、風が吹くと穂が一斉になびいていました。背後には箱根カルデラ(外輪山)が連なっています。ちょうど夕日が傾きかけたところで、ススキの穂が逆光の中に映っていました。元々仙石原は箱根火山の噴火で出来たカルデラ湖で、現在は湖ではなく湿原となって残っています。(カルデラ湖は仙石原の南に芦ノ湖が残っています)ススキの草原仙石原に限らず、箱根に来るといつも地球のダイナミズムを感じます。大涌谷の噴煙と箱根山(箱根ガラスの森美術館にて)
2019/11/16
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無知と勘違いとは恐ろしいもので、「彼岸花」はお彼岸の季節、すなわち3月後半と9月後半の年2回咲くものと思っていた時がありました。本当に3月後半にわざわざ巾着田まで来たことがあり、その時はただ広がる耕作地を見て呆然としたのを覚えています。今回は彼岸過ぎの9月後半、満を持して巾着田にやって来ました。そもそもこの記事が季節外れなのですが、この時は「曼殊沙華まつり」が開催されていた時です。冬の12月になると説得力もなく、「そう言えば」といった感じですが、今年の秋は暑い日が続きました。そのせいか、9月の終わりにして曼殊沙華も3分咲きといったところです。ちらほら感があります。最盛期には「曼殊沙華のじゅうたん」のキャッチフレーズがあるくらいですが、どうも少し早かったようです。巾着田に来る前に一登りしてきた日和田山曼殊沙華に限らず、花のタイミングは本当に難しいです。
2019/09/27
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紅葉&富士見と欲張りな企画を立て、伊豆方面に向かってみました。伊豆スカイラインの巣雲山園地駐車場から富士山が見えるはずなのですが、残念ながら雲に隠れていました。ピンポイントで雲がかかっていて、裾野まで覆われています。駿河湾の方向手前に連なるのは「沼津アルプス」です。「沼津」の地名と「アルプス」の名称がアンマッチですが、2013年2月に縦走した時は、日本アルプス並みに疲れたのを覚えています。富士見は残念でしたが、紅葉の方はもっと残念で、すでに落葉しかけていました。相棒のZ33も、この日はご機嫌ナナメでした。
2018/11/23
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今シーズン初の紅葉狩りは、多摩川水系上流部の支流、秋川にある秋川渓谷でした。秋川渓谷「瀬音の湯」「瀬音の湯」は足湯や日帰り入浴も可能で、季節を問わず奥武蔵の山登りの帰りによく立ち寄っていました。天然温泉で、水素イオン濃度でPH10.1のといいますから、結構なアルカリ泉です。(「秋川渓谷瀬音の湯」のHP→こちら)瀬音の湯から少し歩くと、秋川に架かる「石舟橋」があります。例年通り11月の中旬に訪れたものの、今年は紅葉のタイミングがバラバラで、まだ紅葉していなかったり、すでに落葉していたりしました。石舟橋から見た上流部この上流には「払沢の滝」があり、さらにその先には「三頭大滝」からの支流も合流しています。滝や渓流は画像では迫力がないので、例によって動画にしてみました。
2018/11/12
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お気に入りの富士見スポット、足柄峠へ向かう途中で、地蔵堂に立ち寄ってみました。地蔵堂(神奈川県指定重要文化財)足柄山地にある地蔵堂は、箱根と丹沢の中間の矢倉沢にあって、矢倉岳への登山口であると共に、夕日の滝への分岐点ともなっています。この日は8月の終盤で、まだまだ夏の日差しが照り付ける中、矢倉沢の里山では稲穂の上を赤とんぼが舞っていて、秋の気配が感じられました。駐車場の車が多いとは思っていたのですが、なぜかバンジョーなどの楽器を持って夕日の滝に向かう人が大勢いました。この日は「箱根夕日の滝ブルーグラスフェスティバル」が開催されていて、バンガローの沢沿いには色とりどりのテントが並び、スピーカーからはバンジョーの音楽がながれていました。「ブルーグラス」という音楽のジャンルを初めて知りましたが、聴いたことのある音楽も流れたりしていました。駐車場の車のナンバーを見ても全国各地から集まっているようで、1つの音楽のジャンルでこれだけの人が集まれるのは、うらやましい気がします。沢を越えて、バンガローの先の樹林帯を抜けると、瀑音と共に夕日の滝が見えてきました。この先に夕日の滝があります。夕日の滝滝口から滝壺までの全景が見渡せ、滝壺付近まで行くこともできます。画像では迫力が伝わらないので、またもや動画にしてみました。ブログに動画のアップ機能がないので、YouTubeにアップして、そのリンクを張り付けています。音が出るのでご注意下さい。
2018/09/03
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富士山の世界遺産めぐりでは、富士山麓を一周したことになりましたが、そもそも思い付きでルートだけ計画して、まずは行ってみるといった感じです。今回の世界遺産めぐりルート→こちら途中で戦国の城跡や史跡などを見つけると、ついそちらに足が向いてしまいそうで、例によって企画倒れに終わる可能性だけは十分でした。特に人穴富士講洞穴と富士御室浅間大社との間では、旧駿河国と旧甲斐国の国境地帯を通るため、戦国時代の史跡を見つけて横道にそれる恐れがあります。そんな危険地帯を通ることになるのですが、人穴富士講遺跡を訪れた時、もっと危険なことをすっかり忘れていました。富士山の北西部の青木ヶ原には、富士の噴火で出来た溶岩洞が点在しており、人穴の溶岩洞を見た時、「そう言えば」と思い当たったことがあります。大学の探検部時代、富士遠征で青木ヶ原の溶岩洞を探索しにいったことがありました。(その時はついでに富士山にも登った感じで、あくまでも洞窟メインでした)たしか富士風穴・本栖風穴・背負子風穴・眼鏡穴の4つの溶岩洞に入ったと記憶していますが、鍾乳洞しか知らない西日本の探検部にとって、初めての溶岩洞はとても魅力的に感じていたものです。雨水が何万年もかけて石灰岩を侵食して生成される鍾乳洞に対して、一瞬の噴火で生成されたのが溶岩洞です。確かこの時は、富士山の徹夜弾丸登山の後、西湖でキャンプをして青木ヶ原に入ったと思いますが、アルバムに当時の写真が残っていました。どこかの洞穴の最奥部だと思うのですが、懐かしの洞窟装備の3点セット(ヘルメット・ヘッドライト・つなぎ服)です。さらに青木ヶ原では、「地形図・コンパス・とにかく真っすぐ進む勇気と度胸」の3点セットが必要でした。久々に振り返って写真を見たのですが、装備も全く汚れておらず、あまり記憶にないほどの楽勝モードだったと思います。(しかも富士登山の翌日、こんな余裕をかますことはありえないと思います)溶岩洞では最奥まで数百メートルと距離が短いのもありますが、最奥まで数キロ、地底数十メートルの鍾乳洞において、1日で4洞に入るのはまず無理です。どの溶岩洞か忘れましたが、洞窟を出た後でこの余裕です。画像の右から二番目の奥の方にいるのが私で、鍾乳洞と同じくつなぎ服の裾にガムテープを巻いて防水していたのですが、全く必要ありませんでした。(予備のバッテリーを使うこともなかったと思います)溶岩洞ではひたすら単調な空洞を奥へと進む感じでした。一方で、三点支持で岩をよじ登り、狭い支洞を匍匐ですり抜け、水流を越えて奥へと進むのが鍾乳洞です。(さらに鍾乳洞では何千年もかけて生成される二次生成物、つらら石や石筍、リムストーンプールやペンダントがヘッドライトの先に映ったりして、芸術的な空間でもありました)さんざんディスってきた溶岩洞でしたが、富士山の世界遺産をめぐっていると、改めて魅力を感じるようになりました。一瞬の噴火でこの数々の溶岩洞を造ってしまうパワーを思い知ると、改めて畏敬の念を感じます。今回は洞窟三点セットは持っていなかったので、青木ヶ原に入ることはできませんでしたが、レインウェアなどの軽登山装備は持っていたため、鳴沢氷穴や富岳風穴の照明付き観光洞ならば入ってみようかと想ったりもしました。例によって危うく横道にそれるところでしたが、昔を懐かしみながらも、振り切るように抜けて行ったのが富士山北西部です。
2018/08/30
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はるばる奥久慈までやって来たのに、「の」の一文字をとっただけでひどい目に遭ってしまうのが「袋田の滝」です。久慈川の支流である滝川沿いには、旅館やお土産店が並ぶ遊歩道があって、その先に観瀑台に続くトンネルがあります。トンネルでは所々に外に出られる場所もあるのですが、あの瀑布独特の轟音がトンネルの中まで響いていました。トンネルの途中から見た第一観瀑台第一観瀑台よりかつては水戸のご老公、徳川光圀もこの滝を訪れたそうです。さらにエレベーターで上にあがると第二観瀑台があって、滝を上から眺めることができます。第二観瀑台より袋田の滝は四段から成り、「四度の滝」の別名があります。弘法大師の空海が四度護摩修行を行ったことに由来すると伝えられているそうです。滝の最上部滝壺水量も瀑音も、迫力たっぷりの袋田の滝でした。「四度の滝」の別名は、四季それぞれに見どころがあるからとも言われています。新緑の夏や紅葉の秋もさることながら、冬は滝が凍る「氷瀑」も見どころの一つです。環境省「日本の滝100選」
2018/08/20
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富士山の雪解け水が溶岩でろ過され、何十年も経て湧き出して来るのが忍野八海で、富士山の噴火活動によって湧水池だけが残ったそうです。そんな富士山のダイナミズムに触れてみたく、一度は訪れたいと思っていました。お土産店のテラスに面した「中池」の周りが一番賑わっていましたが、実は人工的に造られた池だそうです。朝早くから観光客であふれており、たまたまかも知れませんが、聞こえて来るのは中国語ばかりでした。以前台北に赴任していたこともあってか、中国語が意味のある「言葉」として聞こえて来るのが不思議です。かつて富士講の信者たちは、富士登山に先立って八つの池を巡礼し、池の水で禊も行ったと聞きます。湧池それぞれの池には守護神があって、由来もそれぞれあるはずなのですが、目立たない解説板で少しだけ触れられていました。鏡池菖蒲池学生時代に探検部にいたことがあり、遠征で富士山に登った後、青木ヶ原の樹林帯に点在する溶岩洞を探索したことがありました。その時に感じた富士山の神秘性と迫力は、今も忘れることがありません。今回訪れた忍野八海では、残念ながらそんな感慨を持つことはできませんでした。地元の方にとっては、忍野八海が貴重な観光資源であることは十分理解できますが、どうも「忍野八海」の名前だけが独り歩きしているような印象でした。ユネスコ世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」環境省「名水百選」
2018/06/18
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ハイキングコースでは、河村城とセットになっているのが「洒水(しゃすい)の滝」で、「日本の滝百選」にも選ばれた名瀑です。滝の魅力は滝壺の轟音と、水圧から来る風にあると思うのですが、残念ながら滝壺は立入禁止になっていました。滝は三段になっており、一の滝の落差は69mあります。さすがは名水を生み出す丹沢山系で、丹沢から流れ出る滝沢川の水は、「名水百選」にも選ばれています。
2018/05/01
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多賀城の東側には「多賀城跡あやめ園」があり、畦道に「あやめまつり」の幟が立っていたので、行ってみることにしました。松尾芭蕉が多賀城を訪れた6月24日(旧暦5月8日)を記念して、毎年6月に開催されます。ピークには300万本のアヤメ・ハナショウブ・カキツバタが咲き、イベントなども開催されて、5万人が訪れるそうです。今年は6月17日から7月1日まで開催が予定されています。多賀城を訪れたこの日は開催まで一週間早く、人も花もまばらでした。おそらくこの週末あたりがピークでしょうか。それにしても、いまだにアヤメとハナショウブの違いがわかりません。
2017/06/15
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アクセスが比較的便利なのが、東京都で唯一「日本の滝百選」に選ばれている払沢(ほっさわ)の滝です。滝壺までは歩道が整備されていて、払沢の滝入口バス停から15分とかかりません。歩道は渓流に沿ってついており、刻々と変化する淵や瀬などが楽しめます。せせらぎに代わって轟音が聞こえてくると、いよいよ滝が見えてきました。落差26m、全段落差は60mになります。滝壺のそばに立つと、あまりの水流によって風が吹いてくるほどでした。
2016/07/24
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北岳の2日目に続き、今回も天候に恵まれず、都民の森に着いた時にはまたガスに覆われていました。都民の森入口都民の森は三頭山への登山道の入口でもありますが、三頭山に向かう人もまばらでした。ウッドチップの敷き詰められた「大滝の路」は静かで、かえってゆったりとした雰囲気がありました。それでも途中の見晴らし台からは、一面のガスで何も見えませんでした。ちなみに天候の良い時は、ここから浅間尾根と生藤山を正面に眺めることができます。2013年8月ウッドチップの道は途中の滝見橋で終わり、ここで三頭山の登山道と分岐します。滝見橋霧の中に先客が現れて、びっくりしました。滝見橋の名前の通り、吊り橋からは三頭大滝と滝から流れ出る渓流を真下に望むことができます。三頭大滝落差は33mあるそうです。今回は三頭山には行かず、三頭大滝で戻って来ました。次のバスまで2時間ほどあったので、森林館のレストランに一番乗りし、名物の刺身こんにゃくで早速一杯始めていました。関連の記事浅間嶺(2013年5月)→こちら三頭山(2013年8月)→こちら生藤山(2013年9月)→こちら
2016/07/23
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今年の咲き具合はいかがなものかと思い、サイクリングがてら堀切菖蒲園まで偵察に行ってみました。まだちらほらを予想していたのですが、意外にも見頃となって来ています。まだつぼみの花もありますが。花菖蒲は葛飾区の「区の花」となっていて、毎年「葛飾菖蒲まつり」が開催されます。葛飾菖蒲まつりは6月1日からですが、今年は少し開花が早いような気がします。
2016/05/29
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3月最後の週末は、自転車に乗って国府台方面へ出かけて行きました。毎年楽しみにしているのが、真間山弘法寺の枝垂桜です。今年も満開でした。樹齢400年を超えるといわれるこの枝垂桜は、南総里見八犬伝のヒロインに因んで「伏姫桜」と名付けられています。史実の国府台も、里見氏にとっては房総の命運を賭けた大合戦の舞台でした。遠い合戦絵巻も「花よりほかに知る人もなし」でしょうか。
2015/03/30
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養沢川が秋川と合流する辺り、十里木に架かる石舟橋は紅葉のスポットとして知られています。三頭山を源流とする秋川の流れです。石舟橋を渡った先にあるのが、「秋川渓谷 瀬音の湯」です。紅葉・温泉・ビールとなれば、もはやこの日の行動は終わるはずなのですが、十里木にはリベンジしたい山がありました。
2014/11/19
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毎年恒例の「小岩菖蒲園まつり」の季節となりました。小岩菖蒲園は江戸川の河川敷にある回遊式庭園で、5万本の花菖蒲が植えられており、今年の菖蒲まつりは、6/1~6/22の期間で開催されます(入場無料)。この日は初日で、まだ梅雨入り前でした。桜で喩えるならば、チラホラといったところでしょうか。十把一絡げに「花菖蒲」と呼んでいますが、産地も種類も様々あるようです。実はいまだにアヤメやカキツバタと花菖蒲の違いがよくわかりません。またもや微妙にタイミングを外した感がありますが、それでも普段は殺風景な小岩菖蒲園が、この時期だけは全く違って見えていました。
2014/06/07
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大岳山からの戻り道は、途中から再び綾広ノ滝上流部の沢沿いを行くようになり、沢を渡って下りて行くと、岩肌に白く流れる綾広の滝が見えてきました。綾広ノ滝は意外と滝壺が小さくて、かなり間近に見ることができました。季節柄水量が少ないせいか、轟音や瀑布というより静かに流れ落ちる感じでした。それでも落差は10m、御岳山の滝修行でも使われるとのことで、さらに滝の横には「お浜の桂」と名付けられた巨木があり、こちらは中里介山の「大菩薩峠」にも出てくるそうです。意外と水量が少なかったことを嘆きつつ、再び御嶽神社に戻ってきました。御嶽神社に来た途端、天の恵みか天罰か、雨が降り始めたかと思うと、すぐに本降りとなりました。これまで山に登った時は、それなりに天候を選んでいたこともあって、途中で雨に降られた経験はほとんどありません。(一応レインウェアを持っているのですが、使ったことはほとんどありませんでした)この日も雨が降るとは思っていなかったので、レインウェアを持ってきていませんでした。それでも何かあった時のために、いつもザックの中に厚手のポンチョだけは入れるようにしています。まさか夏にこのポンチョを着るとは思っていなかったのですが、ここは仕方なく「Naeba world best ski resort」と大きく書かれたこのポンチョを着て歩くことにしました。白の蛍光色なのでゲレンデではあまり目立たないものの、御岳山では怪しい白装束というか、まるでクー・クラックス・クランみたいです。帰りもケチってケーブルカーを使わずに歩いて降りたのですが、道が滝のようになっていたのは、やはり天罰かも知れません。
2013/08/06
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新緑の季節となったので、ハイキングを兼ねた森林浴とオゾン浴のため、東京都の東端江戸川区から、西端の檜原村まで大移動をしてみました。まず向かった先は払沢の滝、日本の滝100選にも選ばれた落差26m(全段落差60m)の大滝です。ゆっくり滝見物をしようと、平日を選んでみたのですが、割と多く人がいました。江戸屋猫八さんも来ているようだったので行ってみると、紛らわしいことに本物のうぐいすでした。
2013/05/13
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なぜか花巻に用があって、東北新幹線を北上駅で降りて、東北本線に乗り換えました。乗り換えの北上駅で気になったのが、「みちのく三大桜名所 北上展勝地さくらまつり」の文字です。東北の土地勘が全くない私にとって、もちろん気になったのは「弘前城以外に桜の名所があるとしたら、どんな感じだろう?」ということでした。花巻での用事を済ませると、早速北上へ引き返して「さくらまつり」の会場へ行ってみました。北上展勝地は、北上川の川沿い約2kmに渡って桜並木が続いており、4月15日からが「さくらまつり」が開催されているようでした。そのさくらまつりの会場に着いたところ、どうもカラ元気というか、「みちのく三大桜名所」にしては盛り上がりに欠けると思っていたら、まだ桜が咲いていませんでした。仙台駅付近では桜が散りかけていたので、くりこま高原駅あたりで桜前線を追い越してしまったでしょうか。4月も終わりになろうかという頃、桜の蕾を見るとは思ってもいませんでした。桜前線は1日に25km北上するそうで、予定通りならば4月20日頃が見ごろと読んでいたそうです。仕方ないので、展示してあったC58などを見ていました。SL好きとしては、これはこれで宜しいかと思います。さらにはラッセル車など「ロキ228」と「盛」の文字が、なお宜しいかと思います。北上では今週末あたりが見ごろかと思います。
2013/04/25
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水元公園の後は江戸川を渡り、国府台にある里見公園へと向かいました。あいにくの花曇りではありましたが、すでに宴会の準備が始まっていました。近くにある弘法寺の「伏姫桜」など、何かと里見氏に由来する国府台ですが、里見公園は戦国時代の国府台城跡であり、北条氏康の前に房総連合軍が2度の敗北を喫した「国府台合戦」の舞台でもありました。遠い戦国絵巻も、今となっては想像すらできません。もろともに あはれと思え山桜 花より外に知る人もなし ~前大僧正行尊~
2013/03/29
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すでに東京では見納めとなってしまいましたが、ちょうど1週間前の満開の時、水元公園に行ってみました。バス停の名前がアンマッチだと思うのですが、私にはソメイヨシノにしか見えませんでした。
2013/03/28
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市川真間の弘法寺の境内では、今年も枝垂桜が咲きました。樹齢400年の桜には、南総里見八犬伝のヒロインに因んで、「伏姫桜」と名付けられています。満開まではあと少しでしょうか。
2013/03/20
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北長門海岸からの帰り道は、秋吉台カルストロードを抜けていくことにしました。思えば去年の春に山口に赴任して来た時、最初に訪れたのが秋吉台でした。来月からは東京に帰ることになったため、どうしても最後に訪れたかったのも、やはり秋吉台です。夏休み前の平日とあって交通量も極端に少ないので、スピードを落としてちょっと車を停めながら思えば昨年の春は、山焼きが終わったばかりで一面枯れ草に覆われていました。すり鉢状のドリーネを真横に見ながら数あるカルストの中でも、そのスケールではやはり秋吉台が一番でしょうか。カルスト台地の中を抜けるワインディングロードは、昨年の「おいでませ山口国体」では自転車競技の会場となりました。選手の皆さんはこの景色を楽しむ余裕があったかどうか。秋吉台科学博物館と展望台が見えてきました。名残惜しいですが、カルストロードもいよいよ終点です。大学の探検部時代から訪れてきた秋吉台、期限から3億年の歴史を持つこのカルスト台地の光景は、いつも変わりません。最後に「これこそ山口県」の光景です石灰岩の切り立った山肌と、ウバーレに広がる水田と清流、そして石州瓦葺のレンガ色の屋根と。最近でこそ見慣れてきた光景ですが、きっと懐かしく思うことでしょう。
2012/07/19
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楊貴妃の墓所がある長門市油谷の向津具(むかつく)半島には、千畳敷と名付けられた高原があります。千畳敷と言えば、白浜(和歌山)に代表されるように、海岸に岩場が広がっているイメージですが、こちらは標高333mの高原地帯となっています。向津具半島から日本海に突出した今岬の向こう側に、青海島を望むことができます。
2012/07/12
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秋吉台の展望台近く、カルスト台地の中に秋吉台科学博物館があります。秋芳洞を訪れることはあっても、科学博物館まで足を運ぶ人は少ないようで、中に入るとほとんど人がいませんでした。秋吉台科学博物館科学博物館の目の前にあるドリーネ秋吉台科学博物館では、カルストや鍾乳洞だけでなく、むしろ秋吉台の動植物などの生態系について数多く紹介されているようです。館内に入ると、いきなりツキノワグマの剥製やサイの骨格標本などがありました。秋吉台に熊が出る話は初めて聞きました。熊も驚きですが、サイの方はもっと驚きです。ニッポンサイの骨格標本西秋吉台の石灰採掘場で、約50万年前の地層からサイの上顎が発見され、ニッポンサイと名付けられました。他にもゾウやトラなどの骨格も発見されており、現在の秋吉台サファリパークのような感じだったのでしょうか。どちらかと言うと、秋吉台の生態系などの生物学的な話にはあまり興味がなく、カルストや鍾乳洞の地学的な話かと思っていたので、少々拍子抜けでした。秋吉台に限らず、石灰岩のカルスト台地は、サンゴ礁が隆起して出来たものだとされています。その起源は約3億5,000年前の赤道付近の太平洋にあり、プレートテクトニクスによって地中に潜り込んだサンゴ礁が隆起してカルストが形成されました。さらには雨水の浸食により、100万年の年月を経て鍾乳洞が形成されています。秋芳洞の断面図洞内二次生成物やはり洞内で光の中に浮かび上げる方が神秘的でいいかも知れません。大理石の数々プレートテクトニクスによるサンゴ礁隆起説を裏付けるかのごとく、石灰岩柱の表面には海洋生物の化石を見ることができます。フズリナ(原生動物)の化石ウミユリの化石ウミユリはナマコやウニの類だそうです。秋吉台に来るとその歴史の長さを思うのですが、秋吉台そのものは3億年の歴史があり、鍾乳洞も100万年の長い歴史を持っています。人の住む時代、石灰岩柱で作られた箱式石棺が新しく見えるほどです。約2,000年前の弥生時代のものです。関連の記事秋吉台カルストロード→こちら秋芳洞→こちら
2012/06/27
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秋吉台・四国カルストと並んで、「日本三大カルスト台地」に数えられる平尾台のカルストは、北九州市の南部に広がっています。「三大何とか」は三番目が物議となってなかなか決まらないものですが、平尾台は「三大カルスト」の三番目で当確だと思います。(他にカルストが見当たらないのですが、あえて候補を挙げるならば、岡山の阿哲台でしょうか)平尾台は四国カルストや秋吉台に比べるとはるかに小さなカルスト台地ですが、ピナクル(石灰岩柱)やドリーネがあったりして、カルストらしい地形になっていました。「羊群原」と呼ばれる石灰岩柱群探検部時代に平尾台の名前はよく見たり聞いたりしていたのですが、実際に訪れるのは今回が初めてです。洞窟に関する事故報告書に平尾台の名前がよく出てくるので、「どんな場所なのだろう?」とは思っていました。平尾台はアクセスもよく、カルスト台地の中を遊歩道で歩ける手軽さがあるのですが、その手軽さからうっかりドリーネを駆け下りたりすると大変なことになってしまいます。(平尾台に限ったことではありませんが、竪穴の洞口があったりと)「平尾台自然の郷」が公園として整備されており、カルストの間に市街地を望むことができました。苅田・行橋と周防灘の方向直方・田川の方向アクセスの良さもさることながら、平尾台には千仏洞・目白洞・牡鹿洞など、観光洞として公開されている鍾乳洞がいくつかあり、規模の割に歩いて入れる鍾乳洞が多くあります。観光洞からさらに奥があったり、観光洞となっていない洞窟もあったりして面白そうなのですが、いずれも入洞はしていません。洞窟装備でないこともありますが、「洞内の二次生成物もあまりないかも」と思ったのが理由です。もちろん洞内の二次生成物や見所は数多くあるとは思いますが、国内の鍾乳洞では、つい秋芳洞と比較してしまいます。探検部時代にも数々の鍾乳洞に入りましたが、どうしてもリムストーンプールでは秋芳洞の「百枚皿」と比較してしまいますし、石筍や石柱では「黄金柱」と比較してしまいます。(ホールやフローストーンも然り)
2012/06/13
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桜と海の組み合わせも、なかなか珍しいかも知れません。桜並木の向こう側には、周防灘の瀬戸内海が広がっています。
2012/04/08
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毎年2月に行われる秋吉台の山焼きは日本最大の野焼きと言われ、カルスト台地を1,500haにわたって焼き尽くすそうです。夏に訪れた時は若草色の草原だったのですが、カルスト台地全体が枯れ草に変わっていました。それでもドリーネがはっきりとわかるので不気味な感じです。昔はドリーネで耕作が行われていたようで、山焼きも農耕作作業の一つだったそうですが、今では草原の景観維持のために山焼きが行われるとのことです。今年は2月19日の予定でしたが、午前中に雪が降ったためか、来週以降に順延となっていました。昨年3月にも秋吉台を訪れたのですが、その時は山焼きが終わって一面焼けた野原になっていました。関連の記事秋吉台カルスト台地(2011年3月)→こちら秋吉台カルストロード(2011年8月)→こちら
2012/02/20
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角島・青海島・菊ヶ浜・笠山と、さまざまな景観が織り成す北長門海岸国定公園にあって、その東の端にあるのが須佐ホルンフェルスです。ホルンフェルスはドイツ語「Horn」(角)と「Felse」(岩)の組み合わせで、マグマの熱によってできた変成岩だそうです。岩の間から何気なく下を見ると、海面がはるか下にありました。冬の日本海と言えば、吹雪と荒波の印象がありますが、北長門海岸は暖流である対馬海流の影響を受けて、植生も温暖な感じでした。北長門海岸国定公園関連の記事角島(2011年6月)→こちら青海島(2011年5月)→こちら菊ヶ浜(2011年5月)→こちら笠山(2011年9月)→こちら
2012/01/14
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世界で最も小さいとされる火山が日本にあり、山口県萩市にある標高112mの笠山がその火山です。約1万年前の噴火で出来た火山で、山と言うよりは丘に近い感じなのですが、山頂部に登ってみるとちゃんと噴火口がありました。火口部は溶岩で覆われており、さすがに火山らしい雰囲気があります。富士山のお鉢巡りは90分以上かかるようですが、こちらは直径が30mほどしかなく、3分くらいで巡ることができました。笠山は萩市内の北東側にあり、日本海に突き出るような格好になっています。菊ヶ浜から見た笠山山頂からは北長門海岸の海岸線を見渡すことができ、日本の夕陽100選にも選ばれています。西側の青海島の方向正面の海上にはテーブルのような平たい島が点在していますが、これも噴火の名残だそうです。改めて見ると、瀬戸内海と日本海では随分と違う雰囲気です。
2011/09/13
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中国山地を分水嶺として、山口県では瀬戸内海に流れる川と日本海に流れる川があるのですが、いずれにしても水源から河口までの距離が短いため、河口から少し遡れば渓谷のような急流となっています。日本海側の萩市に河口をもつ阿武川は、河口付近で松本川と橋本川に分かれて萩城下町の三角州を形成しており、上流部に遡ると「長門(ちょうもん)峡」と呼ばれる渓谷へと続いています。長門峡の碑揮毫は安倍晋三元内閣総理大臣です。長門峡の名勝である「竜宮淵」竜宮淵では川魚料理の店が並んでいました。長門峡から萩城下町の河口までは直線距離でも15kmほどしかなく、また上流部にある山口市の国道9号線沿いの「道の駅長門峡」からも遊歩道がついているため、気軽に渓谷を見て歩くことができました。長門峡から阿武川沿いを下っていったのですが、途中には温泉があったりして、下流へ行くにつれて川面の様相も変化していきました。重塀岩阿武川ダムによって造られた「阿武湖」阿武川ダム渓谷となると片道何時間もかけてたどり着く印象があったのですが、長門峡は手軽に行ける渓谷です。
2011/09/05
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3月に台湾から帰国して山口に赴任となり、最初に訪れた場所が秋吉台のカルスト台地だったのですが、再び秋吉台にやってきました。前回は秋吉台の山焼きが終わったばかりで、一面枯れ草に覆われた時でしたが、季節が変わって一面夏草に覆われていました。ドリーネも夏草に覆われてわかりにくくなっています。探検部時代には何度か訪れた場所なのですが、いずれも季節は夏だったので、懐かしい光景です。秋吉台の南側にある秋吉洞から北側の大正洞方面に向かって、カルスト大地の中を道路が通っており、「カルストロード」と呼ばれています。10月に開催される「おいでませ山口国体」では、自転車ロード競技のコースとなる予定です。
2011/08/26
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探検部時代からいくつか鍾乳洞を観て来ましたが、やはり秋芳洞が日本で一番の鍾乳洞だと思います。鍾乳洞の規模もさることながら、何よりも洞内の二次生成物が数多く形成されており、1つの鍾乳洞でこれだけ見どころの多いのは秋芳洞くらいでしょうか。秋芳洞は何回か訪れていますが、洞内の二次性生物の中でこれだけは本当に見事だと思います。リムストーンプール「百枚皿」と命名されていますが、実際には500枚以上あるそうです。これまでリムストーンプールはいくつか目にしてきましたが、これだけの大きさのものは秋芳洞だけです。それにしてもリムストーンプールがなぜ出来るのか、いつも不思議に思うところです。百枚皿と並んで、いつも目を見張るのが石柱の「黄金柱」です。黄金柱高さ15m、幅4mもある石柱です。石柱は天井から生成されるつらら石と、下から生成される石筍がつながったものですが、ここまで生成されるのに何万年とかかったことでしょう。こちらも石柱の「大黒柱」リムストーンプールや石柱だけでなく、1つの鍾乳洞でこれだけの二次生成物が見られるのも、秋芳洞ならではでしょうか。洞内富士巨大なフローストーンです。こちらも大きなフローストーンです。「こうもり穴」の中をのぞいてみると、グアノまで堆積していました。グアノとは蝙蝠のフンです。この二次生成物の名前が思い出せないのですが、探検部時代に「ダイヤモンド何とか」と言っていたように思います。秋芳洞以外でも見かけるのですが、ヘッドライトで照らすと、結晶がきらきらと浮かび上がってきます。鍾乳石(つらら石)が平凡に見えてしまうのですが、ここまで生長するのに何百年の歳月がかかったことでしょう。何万年の時を経てゆっくりと生成されてきた秋芳洞ですが、これからも長い年月をかけて生長していくことでしょう。関連の記事秋吉台カルスト台地→こちら景清洞→こちら大正洞→こちら
2011/03/28
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秋吉台にある観光洞のうち、秋芳洞を除いては地味な存在かも知れません。その1つ大正洞は元々「牛隠し洞」と呼ばれ、牛を奪われないように隠したことから名付けられたそうです。大正10年になって牛隠し洞の奥に大洞穴が発見され、年号をとって大正洞と改名されました。洞口に至る途中にはポノールがあり、支洞と思われる洞口があちらこちらにありました。ポノールポノールに洞口が見えますが、大正洞の洞内につながる支洞でしょうか。竪穴の洞口洞口から最奥部までの全長は約1kmしかないのですが、支洞部分を合わせると約2kmになるそうです。水平な景清洞とはまた違って、起伏の激しい鍾乳洞のようです。大正洞入口実際に洞内に入ってみると、洞内にも支洞と思われる入口がいくつもありました。支洞をつめていると新洞発見につながることが多いのですが、大正洞ではすでに探検が終わっているのかも知れません。探検部時代には、鍾乳洞でこういう支洞を見つけると、とりあえず入ってみたりしたものでした。水平洞の景清洞とはまた違って、大正洞は起伏のある鍾乳洞でした。コンクリートの洞内歩道が下に見えています。二次性生物もところどころに見られました。フローストーン最奥部付近まで来ると風を感じるようになったのですが、最奥部からはさらに外につながっていると言われています。外につながる支洞は幅が50cmほどだそうで、とても人が通れる幅ではありません。体系に自信があって、かつ鍾乳洞探検に興味のある人は、大正洞で外に通じる新支洞を発見できるかも知れません。
2011/03/27
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秋吉台展望台から秋吉台道路(カルストロード)を抜けた秋吉台の北部、萩市との市境近くにあるのが景清洞です。約1,000年前にはすでに発見されていた鍾乳洞で、壇ノ浦の戦いの後に平景清が身を隠していたとの言い伝えから、景清洞の名前が付いています。景清洞入口秋吉台の北のはずれにあるせいか、ここまで来ると訪れる人もいませんでした。おそらく秋芳洞の後は、秋吉台サファリパークに行ってしまうのかも知れません景清洞の全長は1.5kmほどあって、照明のある「観光コース」が700mあり、その先に「探検コース」というのが400mほどあるようです。洞内図洞内水平線までの700mで観光コースと照明が終わり、そこから龍宮までの400mが探検コースのようです。(探検コースを希望すると、入口でヘルメットとヘッドライトを貸してもらえるそうです)実は20年前の探検部時代に景清洞に来たことがあるのですが、当時は山口大学ケイビングクラブの人に案内をしてもらいました。その時は洞窟装備で観光部分からさらに奥へと行ったのですが、景清洞の最奥まで行った記憶があるので、探検コースよりもさらに奥へ行っていたと思います。当時の記憶では、入口からしばらくは水流のある平坦な道でしたが、最奥部付近ではフリーで昇り降りできないほどの勾配もあって、ザイルを使っていたのを覚えています。洞内を入ってすぐの、まだ外光が届くところには「生目八幡」と名付けられた祠が祀られていました。平景清が壇ノ浦の合戦後に逃れて来た時、傷を癒そうと洞内の水で目を洗ったところ、傷が治ったことから、平景清がここに八幡宮を祀ったそうです。その後もこの地方で眼病が流行った時、景清洞の水で目を洗うと、眼病が治ったとも言われています。眼病に効くのはわかるとしても、平家なのに八幡宮とはいかがなものでしょうか。洞内は記憶に違わず全くの水平洞で、水流の脇にあるコンクリートの歩道をずっと歩いて行く感じでした。外光は届かなくなって、観光用照明のライトだけが怪しく浮かんでいます。他に入洞している人はいなかったので、足音と水流の音だけが響いていました。フラッシュの当たるところだけが明るく照らし出されています。ほとんどアップダウンもなく、また二次生成物もさほどなく、奥へと淡々と進む感じでした。天井に二次性生物があったのですが、この生成物の名前が出てきません。(ペンダントだったか)いずれにしても石柱に発展するまで、あと何百年とかかることでしょう。そして観光洞の最奥に着きました。ここでコンクリートの歩道と照明のある観光コースは終わりです。最初に探検コースにするか聞かれたのですが、服と靴は全くの平装なので、とても鍾乳洞に耐えられそうになく、観光コースだけで引き返すことにしました。石灰のにおい(あの運動会の白線のにおい)がつくのも嫌だし、うっかりグアノでも踏んづけた時には目も当てられません。鍾乳洞としては「地味な」部類かも知れませんが、訪れる人もいないので、鍾乳洞の暗闇と静寂を味わうにはいいかも知れません。
2011/03/26
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山口に移ってきてから、行きたい先は数多くあるのですが、やはり最初に向かった先は秋吉台でした。石灰岩の広がる秋吉台のカルスト台地ちょうど秋吉台の山焼が終わった後らしく、枯れ草は一面焼かれていたのですが、かえってドリーネの形がよくわかりました。すり鉢状のドリーネ秋吉台には大小併せて400ほどの鍾乳洞があり、探検部時代も何度か訪れたことのある場所です。20年前の探検部時代には鍾乳洞の数は約130だと聞いていたので、その間に新洞がいくつも発見されたのでしょうか。その数ある鍾乳洞の中でも、秋芳洞・大正洞・景清洞の3洞が観光洞として整備されており、洞窟装備がなくても入ることができます。また秋吉台の東側には展望台があり、カルスト台地を一面に望むことができます。秋吉台科学博物館があり、探検部時代の常宿だった秋吉台家族旅行村のキャンプ場もここにあります。(20年ぶりの秋吉台ですが、何ひとつ変わっていませんでした)また展望台からはカルストロードと呼ばれる道路が続いており、カルスト台地の中を車で通ることができます。このカルスト台地に鍾乳洞があり、いきなり竪穴があったりするので、歩道の外をむやみに歩き回ると危険です。探検部時代に深さ30mほどの竪穴に下りたことがあるのですが、洞穴入口は斜面にぽっかり穴が空いているだけだったように思います。一面の石灰岩に覆われたカルストは、もともと珊瑚礁が移動してきて形成されたと言われています。やがて1,000年以上もの時をかけて雨水による浸食を繰り返し、鍾乳洞が形成されました。そしてこの後は観光洞ながら、久しぶりの鍾乳洞へと向かいました。
2011/03/25
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花菖蒲の季節となって、定番の小岩菖蒲園に行きました。堀切菖蒲園もそうでしたが、まだまだこれからのようです。花菖蒲も種類が色々あって、花の咲くタイミングも様々なようです。小岩菖蒲園は江戸川の河川敷にあり、そこに造られた池の中に花菖蒲が植えられています。池の中にオタマジャクシがたくさん泳いでいたのですが、こちらも季節の定番でしょうか。オタマジャクシを見たのは本当に久しぶりの気がします。(タガメやタイコウチなどがいると、さらにノスラルジックなのですが…)花菖蒲ほど晴れた空に似合わない花もないかも知れません。全く花には造詣がないため、花菖蒲とカキツバタやアヤメの違いが未だによくわかりません。
2010/06/02
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桜も見納めかと思うと、1つの場所でじっとしていることが出来なくなってしまいました。里見公園からは再び江戸川沿いを下り、江戸川の水門へとやって来ました。ここは江戸川放水路と旧江戸川の分流点で、旧江戸川に沿って桜並木が続いています。何度も通る道ですが、この季節だけは違ってきます。これで見納め、また来年です。
2010/04/11
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水元公園からは江戸川を渡り、対岸の里見公園にやってきました。3月の終わり頃にも来たのですが、その時はまだつぼみの段階でした。3月27日撮影そして今回国府台城の空堀もすっかり変わっていました。3月27日そして今回里見公園は国府台城のあった場所で、北条氏VS里見・房総連合軍の二度の合戦、「国府台合戦」が展開された場所です。そして幕末には土方歳三や大鳥圭介などの幕府軍が、戊辰戦争前に集結した場所でもありました。そんな歴史の跡も、「花よりほかに知る人もなし」と言ったところでしょうか。関連の記事国府台城(2008年11月)→こちら里見公園(2010年3月)→こちら
2010/04/10
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今年の桜は長く咲いていたものですが、今週末がそろそろ見納めでしょうか。そこで近くの桜の名所を回ってみることにしました。まず初めは葛飾の水元公園です。江戸川から水元公園へ続く道は、桜のトンネルになっていました。桜を眺めながらヘラブナ釣りに興じている方がたくさんいました。やはりここは釣りより花、花よりビールです。
2010/04/09
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毎年この時期になると、江戸川の河川敷にある小岩菖蒲園で菖蒲まつりが開催されます。菖蒲も種類があるようで、菖蒲の種類の名前と原産地(?)が書いてありました。(「江戸」とか「肥後」など…)花のことはよくわからないのですが、アヤメとカキツバタとの違いがよくわかりません。(そもそも違うものなのでしょうか)
2009/06/17
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桜の開花が聞かれるようになり、国府台城跡(里見公園)の様子を見に行って来ました。里見公園では、今日から桜まつりが始まったのですが、桜はまだまだでした。特設されたステージで開会のイベントがありましたが、集まっていたのは大会関係者のみでした。里見公園は今月末くらいが見頃でしょうか。里見公園がまだならば、あっちはどうだろうかと、今度は同じ市川市にある弘法寺に行きました。弘法寺は行基菩薩によって開山され、1,200年以上の歴史を持つ古刹です。その弘法寺境内には、「伏姫桜」と名付けられたしだれ桜があります。伏姫桜。まだ3分咲きといったところでしょうか。伏姫の名前の由来は、おそらく南総里見八犬伝の伏姫だと思われます。(確か伏姫は安房から出たことがなく、下総とは縁がなかったはず…)それでも八犬士の生みの親ににして悲劇の姫を思うと、この桜も何となく可憐に見えてきます。伏姫関連の日記富山(千葉)→こちら、八犬士誕生の伏姫籠穴滝田城→こちら、伏姫誕生の城
2009/03/21
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昨年までとは打って変わって、外に出て動き回ることがめっきり少なくなりました。そこで少しは体を動かそうと、まだ北風の吹き荒れる先週の日曜日、久々にサイクリングに出かけて行きました。今回は江戸川沿いを北上するコース、江戸川に架かる市川大橋からスタートして行きました。この日は台風並みの北風が吹いており、ようやくの思いで柴又まで来ました。矢切の渡し付近この辺りは帝釈天からも近く、寅さんと源公がよく昼寝をしていた場所です。堤防を下りたすぐのところには、寅さん記念館があります。再び江戸川の堤防に戻って、風上に向かって北上して行きました。そして着いた場所が、都立水元公園です。公園の中央部には、江戸幕府の治水事業として造られた「小合溜」と呼ばれる遊水池があります。池はまるで海のように波立ち、波間に浮かぶ水鳥たちも、必死で寒さに耐えているようでした。都内とは思えないほどの自然を持つ水元公園ですが、やはりシーズンオフとあって、枯れ木ばかりが目立っていました。
2009/02/11
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3度目の正直とはこのことでしょうか。今シーズン六義園を訪れるのは3回目です。1回目(11月7日の記事)→こちら2回目(11月26日の記事)→こちら今回はRICARDOさん、もぐもぐりすさんのいつもの山仲間に、RICARDOさんのサークル仲間のIさんの4人で訪れました。(それにしてもRICARDOさんの交友関係は広い・・・)なぜか勝手知ったる六義園ではありますが、ライトアップされるとまた違った光景が広がっていました。夜空に浮かび上がる紅葉は幻想的な美しさがあります。心字池に浮かび上がる妹山・背山これには柳沢吉保もビックリでしょう。
2008/12/05
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前回六義園を訪れた時は紅葉には早かったのですが、今回は見ごろになっていました。(前回の記事→こちら)妹山・背山12月14日まで、夜はライトアップされています。
2008/11/26
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東京の桜がいよいよ見頃となったので、桜を見ながら歩いて行きました。靖国神社をスタートして、江戸城の内堀に沿って千鳥ヶ淵→半蔵門まで歩き、地下鉄で桜田門、皇居外苑へと向かうコースです。靖国神社千鳥ヶ淵(江戸城田安門横の濠)江戸城半蔵門の半蔵濠江戸城桜田門ゴールは皇居外苑です。外国人観光客で賑わっており、楠木正成像の前でみんな写真を撮っていました。私も一枚写真を撮りました。(プロフィール画像の楠木正成が新しくなっています)天気も良く、桜も満開となっており、桜を見ながら歩くのには最高の日和でした。1年に1回、この時期になると必ず桜は咲いてくれます。年を経るにしたがって、桜を愛でる気持ちも強くなってきました。
2008/03/27
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あけましておめでとうございます。去年最後の日の入りは富津岬で見ておりました。今年の初日の出は、犬吠崎か九十九里浜から見たいところですが、新年早々横着して自宅から見ておりました。今年もアクティブに動いて、新たな面白い発見をして行きたいと思います。今年もよろしくお願いします。
2008/01/01
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今年最後の夕陽はどこで見ようかと思案した結果、やっぱり富津岬にやって来ました。最後の夕陽を見ながら1年を振り返るのも、またよろしいのではないでしょうか。今年は大晦日も房総の城巡りをしており、日没に何とか間に合いました。東京湾に沈む今年最後の夕陽。次に太陽を見るのは、年明けです。1年356日必ず太陽は沈みますが、今日だけは特別な思いで眺めておりました。今年1年を無事に過ごせたことに感謝であります。今年は充実した良い年だったと思います。また来年も良い年であることを願っています。
2007/12/31
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